サイテイ車掌のJR日記/斎藤典雄

サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/共闘会議 国労の行方 腰痛

■月刊「記録」2002年6月号掲載記事

○月×日
 ついに、新たな共闘会議が結成された。
 四党合意にはあくまでも反対する「闘う闘争団」を支援する「1047名の不当解雇撤回、国鉄闘争に勝利する共闘会議(略称、国鉄闘争会議)」が、4月16日、品川区民センター大ホールで、約1000人の労働者、市民を集めて盛大に開催された。
 新議長となった二瓶久勝氏(オリジン電気労組書記長)は、「まず、四党合意が破綻したという事実から出発する」「15年間闘ってきた闘争団からの生き方が正しかったという、人間の尊厳を取り戻す名誉回復を第一に考える」「JR復帰、解決金、年金等の問題は後からついてくる」と語った。
 さらに、「1047名の解雇撤回に賛成する人は、連合であろうと、全労連であろうと、みんな入れる。その1点に結集する。今吹き荒れているリストラとの闘いと結びつけば、日本の労働運動の再生につながる」と述べた。
 また、これまでに国鉄闘争支援の中心的役割を担ってきたルポライターの鎌田慧さんが、「リストラ時代の新たな国鉄闘争にきたいすること」と題して講演され、「人間の生き方として、人間復権の運動として、他の抑圧されている人達とも手をつなぎ、これまでの国労運動になかったような人間敵な運動にしてほしい。一緒にやっていく」と熱い連帯の思いを語ってくれた。
 国労本部は翌日、各級機関へ指示書を出した。「今回、結成された組織は、国労とは一切関わりもなく、国労の内部組織問題に介入し、不団結を拡大、悪化させ、採用差別事件の解決になんの責任も持たず、阻害する団体であると言わざるを得ない・・・・・・」云々と。
 共闘会議は、四党合意という政治的枠組で解決しようとしている国労方針とは180度異なるわけだが、「勝手にやれば」とはいえない。「闘う闘争団」が困難を承知で「やる」といった以上、私は志を同じくするものとして、例えボロボロになっても出来る限りの支援をしていくしかない。
 一方、四党合意による解決を心から望んでいる闘争団も数多く存在する。それはそれとして、納得のいく高水準の解決を目指して、本部と心をひとつにがむしゃらにガンガン闘ってほしい。
 それしかないだろう。

○月×日
 さあ困った。国労はどうするのか!?
 与党3党は26日、四党合意を白紙に戻すといってきた。
 国労が早急に臨時大会を開いて、5月30日(合意から丸2年目)までに関係者が評価できるような態度決定をしなければ、四党合意から離脱するという、事実上の最後通告である。
 その、「JR不採用問題に関する声明」なる与党3党の文書を要約すれば、国労は2つの矛盾を解消していないからということになる。
 長くなるので引用はしないが、4度目でやっと四党合意を承認した2001年の全国大会(1月27日)直後の四党協議(3月15日)の場で、国労本部は与党3党から「JRに法的責任無しを大会決定しながら、裁判でJRの法的責任を追及している」という矛盾と、「組織内を統一できていない」という矛盾を指摘され、本部は「矛盾解消に向けて努力する」と回答した。
 4党はこの間、国労を辛抱強く見守ってきたが、国労本部は矛盾解消の責任を果たしていないばかりか、矛盾はむしろ拡大しているとして、その理由に、四党合意賛成派の脱退(新井前本部役員ら)、鉄建公団訴訟(反対派闘争団)ILOに対しての政府非難(本部)などを挙げている。
 文面では、国労本部への不信感・憤慨を露にし、非常に激しく批判している。組織に対する配慮の欠けらもない。例えば、「言行不一致」「責任転嫁」「組合員の期待感を煽る」「解決案が出るが如く喧伝」「単に自らの延命策」などなどだ。しかしそれは、全部本当だからどうしようもない。
 つまり、結論として「与党3党と社民党の誠意及び組合員とその家族の信頼を裏切り、関係者のこれまでの努力を無にする行為であり、四党合意は白紙にせざるをえない」といっているのである。
 それにしても、与党は解決案を一度も出さないばかりか、四党協議の場では「一発回答であり、後はない」などというのは卑怯なやり方ではないのか。四党合意には、そんなことは一言も謳われていないのだ。
 誤解を恐れずにいわせてもらうが、こうなると、私には政府も本部も闘争団も皆々確信犯だと思えて仕方がないのである。
 先日結成されたばかりの国鉄闘争共闘会議は、この声明に対して、早速翌日にはインターネット上で「決然と闘い抜く」との見解を出していたが、国労本部の方は、動じないのか、ノーテンキなのか、5月に入っても24日付の「祝う!4月で国労ホームページ開設1周年を迎える」のままであり、全然困ってなどいないようである。
 報道によれば、高嶋本部委員長は「近く臨大を開く」といい、「四党合意受け入れのスタンスは変わりなく、反対派が結果的に動じなければ査問委員会での処分を検討するが、除名ありきではない」(毎日新聞)との見解を示したそだ。
 さて、どうだろうか。国労もいよいよだという感じがする・・・。

○月×日
 腰痛で仕事を休んだ。
 15時過ぎからの夜勤だったが、起きることが出来ずに2時間位は布団の中で唸っていた。でも、出勤までは8時間以上もあるし、その頃には大丈夫だろうと欠勤する気は毛頭なかったのだ。
 こうした状況の中で時間というものは非情というしかない。時はキッチリと刻まれていく。いっこうに良くならずに、10時、11時と、あっという間に昼近くになってしまった。「しようがない、休むしかないな、突発は1年振りか」と思いながら、結局、電話を入れた。 
 助役に「ああだ、こうだ」と説明するのが面倒くさくて仕方ない。腰ぐらいでと思われるかもしれないが、頭痛などと違って、なった人でないとわからない辛さなのだ。「どうしてもっと早く電話してくれなかったのか」「予備の人が使われていて手配できるかわからない」・・・。ったく、2人して電話口でゴネ合っていてどうするんだ!!
 1時間以上が経ち、漸く手配がとれたと連絡があった。「医者に行って、よく診てもらうように」といわれたが、動けないんだからどうしようもない。休んでいるのが1番なのだ。
 腰痛は、季節の変わり目や天候に左右されるとよく聞く。連休明けから梅雨の走りのような天気が続いているが、その因果関係が本当かどうかは定かでない。
 で、翌日は少し腰が重く感じるくらいでケロリとしているのだ。今日は土曜日だが、午前中は診察Hしている病院なので早速行った。
 ドクターがおっしゃるには、ヘルニアから丁度2年が経ったし、MRを撮ってみて、もし、悪くなっているようなら、3日位入院して神経ブロック(腰に注射をして、痛みが脳に伝わるのを遮断する)をやって、それで良くならないようなら手術をするということだった。
 やだ!手術だけは絶対にイヤだよ!!
 とりあえず2週間分の薬を貰い、1週間後にMR検査、2週間後に再来と決め、「痛みなんてトイレで糞と一緒に流れてしまえ、くそっ」とトボトボ帰宅した。
 同僚から電話があった。3日後に八王子支社で研修があるのだ。出られるようなら、職場のロッカーにある制服・制帽を家まで届けてくれるというやさしい気持ち。自分で取りに行けるからと、感謝しつつ断った。
 分会の役員からFAXが届いた。×日・駅頭ビラ配布行動、×日。有事法制反対集会、責任者に振ってあるから出るように。なんて厳しいんだ。
 おとなしくしていなければならないのに、俄に忙しくなってきた。当たり前だが、国労のことより自分の身体の行方を心配したほうがよさそうだ……。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/分会大会 不当判決 混乱

■月刊「記録」2002年3月号掲載記事

○月×日
 2日間の分会大会が月末に控えている。
 執行委員会や方針書等の資料作りで大忙しだというのに、どれもかしこもサケ絡みの新年会や旗開きが連日連夜ときている。
 飲んでいる場合ではないのだ。いくら好きだからといっても限度というものがある。「これ以上飲んだら明日はないと思え」と、内心自らを戒めつつも、気がつけばグラスには再びなみなみと注がれているのだ。「もういいよ」って、自分で注いでいるのだから世話がないとしかいいようがない。
 「おお、今日は飲まなくてもいいんだな」と、夜勤で泊まりの日がホッとする今日この頃なのである。
 それにしても、中央線は人身事故が多い。毎日のように続いている。年明け初っぱな、元日からあった。昨日もあった。
 たった今も、出勤前だからと「ヤフー路線情報」を見てみたら、「東中野、6時20分運転再開」などと出ていた。
 もはや、「やれやれ」という溜め息ばかりで、話題にするのもウンザリだ。これは、その時々の出番者が一致協力する以外にない。手落ちなく全力で対処して、お客さまが安心して御乗車できるよう、しっちゃかめっちゃかが一刻も早く正常に戻ることを願うばかりである。
 多いといえば、乗務員のチョンボも増えている。遅刻から始まり、発車時刻よりも早くドアを閉めてしまった、赤信号なのにドアを閉めてしまった、停車駅を通過して行ってしまった、などなど。会社の掲示板が「真のプロ」として恥ずかしいと泣いている。私も他山の石として、細心の注意を払いたい。明日はわが身かもしれないのである。
 また、チョンボといえば、12日付の東京新聞に取り上げられた「車掌欠乗」の事件だ。
 中央線松本行きの東京発臨時特急(普段は運行されていない)「あずさ95号」の車掌が、気分が悪くなりトイレに行ったため、急きょ別の車掌を乗務させて、発車を19分遅らせたと書かれていた。
 JRは何故このようなウソの発表をするのかと不思議に思っていたら、3日後(15日付)の新聞に「特急遅れ、実は車掌手配忘れ」との真相が載っていた。
 担当部署が車掌の手配を忘れていたためとあり、間違って公表したのは、広報担当者が車掌の体調不良と勝手に思い込んだのだという。
 「ホントかなぁ」と思ってしまうが、何ともお粗末でいい加減なものである。お客さまの抗議や苦情は現場の私たちに矛先が向くのだからたまったものではない。
 しかしながら、このようなミスは今後も必ず起きる。未来永劫なくなることはないだろう。ならば、起きた時のバックアップ体制、フォローがいかに重要であるかだと思うが、その要因すら十分とはいえないのが実情だ。改善してほしいといくら要求してもダメなのだから、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」とひたすら誤り続けるしかないのだろうか。
 とりあえずは、上も下もJR全体がもう少し気を引き締めたいものである。

○月×日
 重要なことが次々と処理されている。
 それは良い方向へなら大歓迎で何もいうことなはいのだが、止まるべき赤信号だろうが、人身事故だろうがお構いなしかのように、危険な方向へどんどん突き進んでいるとしか思えない。私たち一般組合員には全てが後の祭りでどうすることもできないのだ。
 1月9日には、昨年末(12月26日)に東京高裁から出された「大阪・岡山採用差別事件」(JR西日本に不採用の3名が対象)に対する国労敗訴の不当判決について、国労は「四党合意に基づき、早急に不採用問題の解決促進をはかる立場から・・・・・・」といった理由で、「上告しない」ことを決めたという。
 大会決定である「裁判の取り下げは解決時」はいったいどこへやら。また、あれほど「最高裁判決が出されれば、解決が困難になる」といっていたにもかかわらず、本部自らが不当判決の確定を急いでしまうとか。本部の勝手な解釈で、もう何でもありなのだ。矛盾どころか、これでは支離滅裂ではないか。もはや、国労も来るべきところまで来たという感じである。
 それにしても、原告である3名の気持ちを思うと、あまりにも気の毒で掛ける言葉も思いつかない。「JR不採用・解雇は正当でした」などと、いったい誰が思うだろうか。本部は心から3名の無念さ、屈辱を厳粛に受け止めるべきである。
 いずれにせよ、本部は、国労の敗訴確定を決定的なものとし、「上告断念」という形で訴訟取り下げへ踏み込んでしまった。このままでは、15年という国鉄闘争が敗北的に収束させられてしまうのではないかという暗たんたる思いでどうしようもないよ、おれ。

○月×日
 何はともあれ、分会大会が終わった。
 分会の大会ともなると、身近な問題ばかりが議論の的になるものである。職場のことがほとんどだ。
 例えば、乗務で問題を起こした仲間に対する会社側の理不尽な対応への疑問や不満であったり、その是正を求めるといったことなどが中心になるのだ。
 今回も予想通り、それらに終始した。
 まったく進展を見ない四党合意による解決には、誰もがやきもきしていることは事実である。だからこそ、受け入れに対してのそれぞれの「思い」は、当時にも増して複雑なものになっていると思うのだが、誰一人としてこの件に関する意見を述べた組合員はいなかった。
 うちの分会は、執行部としても「本部に総団結する」という姿勢(方針)なのだから、ここで議論しても始まらないという気持ちがあるのかもしれない。それとも、すでに全国大会で決定されたことだからという「お利口さん」が大多数を占めているからなのか……。
 いずれにしても、私には物足りなさが残ったが、「物事は捉えようだ」と、軟弱頭をスバヤク切り変えたのだった。
 むしろ、仲間を大切にするという観点から、お互いの「思い」を尊重し合い、さまざまな不利益を受けながらも、国労魂を胸に秘め、こうして分会の団結を維持しているということが、何よりの宝物なのだと。
 本部は、自らが作った現在の混乱を、責任をもって一刻も早く収拾すべきなのであり、ごく当たり前の運動をしている私たち一般組合員を巻き込まないでほしいと、切に思った大会だった。

○月×日
 ついに、「闘う闘争団」が鉄建公団を相手にした新たな提訴に立ち上がった(1月28日)。
 新聞報道(朝日29日付)によると、「国鉄精算事業団の解雇は無効として、雇用関係の存続確認と未払い賃金、慰謝料など総額約109億円の支払いを求め、JRの採用差別問題の政府責任を追及したい としている」とある。
 また、「これに対し、最高裁で続いている訴訟の取り下げも検討している国労本部は『解決を妨害する行為で処分の対象だ』として、2月3日の中央委員会で査問委員会の設置を提案する」というものである。
 一方、インターネットの闘争団を支援するホームページの情報によれば、(提訴後の)闘争団と弁護団の記者会見では、代理人の加藤晋平弁護士が「不当労働行為があった事実ははっきりしているのに、国鉄とJRはちがうというだけで責任が置き去りにされてしまった。責任は旧国鉄(政府)とJRの双方が追うべきもの。JRに対しては現在最高裁で争っているので、旧国鉄の責任を追及するのが今回の裁判。不当労働行為をしておいて解雇ができるのか、ということを争いたい」と、裁判の狙いを明らかにされ、報告集会では、原告団の佐々間誠事務局長が「国労が本来やらねばならないことを私たちはやっただけ。本部が感謝する日がきっとくる」と語ったとある。
 実に明快である。私は、この訴訟が闘いに厚みを増し、闘争団の誰もが納得のいく早期解決に大きく結びつくことを強く確信するものだが、率直な気持、これが火種となり今日の国労内の内部抗争が取り返しのつかない事態に発展するものではないかと気が気でならないのである。
 それは、報道にもあるように、5日後(2月3日)に開催される中央委員会での査問委員会設置の提案に他ならない。本部は、不穏当にも「処分だ」などと、相当怒り狂っている。
 活動家といわれる賛成派の幹部たちは、今こそ目を覚ます時ではないのか。本部との御門違いな蜜月関係は勇気を持って断ち切り、「おかしなことはおかしい」と国労再生のために自分の良心の下で行動してほしい。
 処分などということは絶対にあってはならないことである。

○月×日
 予定通り、中央委員会が開催(2月3日)された。またも機動隊を配置したのだという。恥を知れ!本部!!である。
 本部が提案した査問委員会の設置は代議員(41名)の賛成多数であっさり承認されたという。これは数の力関係で仕方のないことなのだ。
 処分の対象は、昨年12月に脱退して新組合を結成した中心メンバーと、鉄建公団訴訟を起こした「闘う闘争団」の中の279人だという。
 本部書記長の答弁では「いきなり処分ではなく裁判を取り下げてもらうよう努力する」ということだ。しかも、その決定は8月の定期大会なのだという。 もうホントにいい加減にしてほしい。また半年間もこのままでズルズルいくのか。これでは今年も何もなく終わってしまうぞ。
 身内で闘うことはやめにして、闘いは外に向けてやるべきではないのか。
 管を巻かずに豆をまこう。今日は節分、福はぁ内、鬼はぁ外…。まったく、もう。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/新組織 国労の危機

■月刊「記録」2002年2月号掲載記事

 ○月×日
 大変なことになった。
 新井修一(前本部執行委員)さんが国労を脱退(12月1日付)した。そして、新組合を結成するのだという。
 新井さんが、国労脱退を呼びかけた、「ジェイアール東日本ユニオン結成趣意書」なる主な文面をそのまま引用する。
 「私たちは、1047名問題の一日も早い解決を求めて奪闘してきました」「第68回全国大会では、抜本的な路線刷新と自己改革を求められながら本部執行部は及び腰に終わりました」「四党合意実現にむけた具体化作業の見通しは一層厳しくなっています」「その最大の要因は硬直化した思想による情勢認識・方針に帰せられます」「もはや、国労内部の自己改革は絶望的であり(中略)国労運動は終焉したものと判断せざるを得ません」「私たちは、展望を見出せない国労運動と訣別し、ジェイアール東日本ユニオンを結成します」というものである。
 改めていうまでもなく、新井さんが、役員に選出されたのは、国鉄の分割・民営化当時、本部が提案した「労使共同宣言」を拒否することによって大分裂をした86年の修善寺大会であった。その後一貫して闘う路線を堅持し、国労組織・運動の中枢を担ってきた。また、四党連合受け入れでは大変な尽力をされ、推進派の急先鋒として国労を指導してきた一人なのだが、そんな新井さんに私たち組合員は全幅の信頼を置き、心から慕っていたのはいうまでもない。 ところが、先の大会前の9月に出された「全国の仲間に訴える」と題した、いわゆる「新井文書」には本当に驚かされ、これまで本部を信じ、何がなんでも支持していこうと必死に努めていた私だったが、「やっぱり裏切られたのだ」と、悲しくも信じられない思いで一杯にさせられたのだった。
 その文書には、「国労が組織体として生き残れる道は一つしかない。それは四党連合に基づく解決案を不満があろうとなかろうと丸呑みするしか方法がないのである」だの、「最後の大会となる」などと主張されていて、極めつけは、反対派に対して「まだ闘えると唱える者もいるだろうが、それは負け惜しみを通り越した無責任極まりないものである」であった。
 無責任極まりないのは、新井さん!!あなた自身じゃないですか。いくら役を退任したとはいえ、四党合意を受け入れた張本人として最後の最後まで支えていく義務があると思うが、どう考えているのだろう。
 それにしても、「国労運動は終焉した」などと、よくも手前勝手なことをいえたものである。確かに国労は、非常に困難な闘いを余儀なくされ、混迷の度を深めているのは事実である。だが、それを克服すべき最大限の努力をしている最中ではないか。非常識な悪宣伝は慎むべきであり、自分の思い通りにならないからといって、「ホナ、さいなら」では、幹部としての資性を疑うと同時に、あまりにも情けない。厳しい現状からの逃避以外の何ものでもないが、残された者への責任転嫁であり、国労解体に躍起となっているJR・権力に手を貸すのも同然の行為として、断じて許されることではない。
 また、本部も本部である。こうした事態は予測されていることだった。なのに大会では、「新井さん個人の意見として尊重される」(書記長答弁)などと、個人の問題であると捉え、危機感が希薄としか思えないような雰囲気だった。本部は、こうした認識の甘さや対応のまずさを十分猛省すべきである。
 本部は早速声明を出した。「『政治の場での解決』を目指して、総団結しよう!」(12月6付)と「新組合結成の『趣意書』に動じることなく国労組合員として確信を持って総団結しよう」(12月14日付)の2点。当然である。
 しかし私は、ここでも解せない。
「脱退・新組織結成」は正当化はできないといっているものの、「呼びかけ(趣意書)もまた、『闘う闘争団』による解決妨害行為を非難している。その非難は全面的に正しい」などといっているのだ。
 何とも歯切れの悪い声明である。これでは、新井さんを擁護しているように受け取れるではないか。しっかりしてくれよ、本部!
 国労は内外の信用をどんどん失墜させているように思えて仕方がない。脱退が全国に波及しないことを祈るが、新井さんという人は上に立っていないと気が済まない、いわゆる「役人病」になってしまったのかもしれない。

 ○月×日
 国労の前途に暗雲が漂い始めている。
 解決作業が膠着状態で、一向に進展しないことにしびれを切らしたのだろう。大変な事態は、なにも新井さんの脱退(新組合「ジェイアール東日本ユニオン」は約600人で12月24日に結成)ばかりではない。
 問題なのは、11月28日の中央執行委員会による決定である。
 国鉄新聞(12月21日付)によれば、まず第一に、「第68回定期(続開)大会で決定した追加方針の『最高裁での判断を公正に行わせる』については撤回する」になっている。
 先の68回大会では、その方針を「改める」と変更したばかりだが、今回はさらに「撤回する」といった、まさに闘う姿勢を後退させるものだ。
 本部書記長は、「闘う闘争団」に対して、「改める」も「撤回する」も同じだと答えたというが(違いますよ)、いくら文面のみの変更とはいえ、「裁判取り下げ」の布石とみるべきだろう。
 大会決定である「裁判の取り下げは解決時」を本部自らが反古にしかねない行為だが、「もうどうでもいから、早く解決案を出して下さい」と投げやりになり、政府に泣きついているかのように映って仕方ない。闘わない争議がいったいどこにあるというのか。
 第二の問題は、「一部闘争団員の新たな訴訟等に対する対応について」だが、これには驚かされた。
 「訴訟が起こされた場合、原告等については規約に基づき処分の対象とし、直近の中央委員会・全国大会で査問委員会の設置を求める」「その間、中央執行委員会の権限(緊急措置を含む)について対応をはかる」「212人の最高裁に対する追加申し立てについては、全員の取り下げを求めて、更に取り組みの強化をはかる」というものである。
 いよいよ闘争団の切り捨てにかかったのか!?
 この間、本部は再三にわたし「闘う闘争団」に対して、「解決の疎外者、妨害勢力」とのレッテルを貼り、「すでに国労から離れた別の組織である」と言いなし、直ちに解散するようにと訴えていた。
 11月16日には、本部委員長名で、闘争団・家族に対し、「最高裁に対して採用差別事件の補助参加追加申し立てを行っている212人に対し、参加申し立てを取り下げる手続きについて、本部に『委任状』を提出すること」という手紙を送付している。
 あわせて本部は、「闘う闘争団」が鉄建公団を相手に新たな訴訟を起こす動きに対しても、訴訟を起こした場合は、「統制処分する」という「査問委員会設置」の決定なのである。
 そもそも、212人の補助参加申し立ては次のことによる。
●国労は1月の67回大会で、JRに法的責任なしとする四党合意受け入れを決めた。それには訴訟の取り下げを求める条項も含まれていた。
●しかし国労は、同時に、その不当労働行為責任を争う最高裁での訴訟に全力をあげることも決めた。
●3月15日の4党協議の場で、国労はその2つの矛盾を質され、「矛盾は早急に解消する」と答えたと伝えられた。
●その「整理」の仕方として、本部は大会決定に反して訴訟を取り下げる可能性・危険性を行ったのである。
 大会決定でもあり、残された数少ない闘いの手段を死守するのは当然のことではないのか。また、何よりも「取り下げは解決時」としているのだから何ら問題はなく、取り下げを急ぐ本部の手紙は理解に苦しむ。
 一方、鉄建公団に対しての訴訟準備についてだが、これも本部が「闘う闘争団」の気持ちを汲み取ろうとせず、聞く耳を持たないが故のことなのだろう。 昨年11月8日の東京高裁の判決文には、「その責任は現実にその行為を行った国鉄と精算事業団が負うべきものである」とあり、「国鉄とJRの実質同一性を否定」した上でJRに法的責任はなしとしたが、不当労働行為がなかったとの判断はしていない。これは地裁も同様である。
 従って、現在の責任の所在を求めるとすれば、精算事業団を継承している政府・鉄建公団ということになる。
 「闘う闘争団」は今後の困難は百も承知だ、なんとしてでも納得のいく解決を求めるという切実な思いでいる。展望を切り拓くためには考えられるありとあらゆる闘いを構築するといった現れが、この訴訟に踏み切ろうとしていることは明らかである。
 自ら大会決定を反古にしている側が、必死で闘っている「闘う闘争団」に責任を転嫁していること自体が言語道断だが、今度は、国労組合員であるがために解雇された仲間を、闘いを指導してきた国労自身が処分・切り捨てようとしているのである。
 15年という苦難の道程は当事者でなければ分からない。本部はそれを本気で考えてくれているなら、そんなことは出来るはずがない。常識ではとても考えられないことである。まったく信じられない。これがおれがいた国労だなんて、もはや怒りを通り越し、悲しくてかなしくって、やり切れない思いだよ。なんまいだぶ、なんまいだぶ、なんまいだぶ・・・・・・。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/追悼 初飛行 国労冬物語

■月刊「記録」2002年1月号掲載記事 

○月×日
 北海道へ行って来た。
 職場の仲間の人と秋の慰安旅行である。これまでは、JRを利用して、東北や伊豆の温泉というのが定番だったが、今回はガラリと趣を変え、「ちょっと行って来るから」とJALでひとっ飛びなのだ。
 全員夜勤明けなので、午後の便で夕方に到着。札幌に一泊して、翌日は小樽を回り、夕方には東京へ戻るという強行軍だったが、せっかく来たのだから闘争団を訪ねてみたいと思いつつ、仕事は御法度の団体行動でもあり、結局は、ジンギスカン、ラーメン、寿司などの飲み食い大贅沢三昧を楽しんできた次第である。
 札幌ではちょうど「ホワイトイルミネーション」が始まったばかりで、幻想的に照らし出された駅前通りから大通公園の街並みを見物したわけだが、雪もチラホラ、わしらとっつぁん道中の手はかじかみ、Gパンのポケットでは寒いのなんのって、「イルミネーションなんざぁ、東京じゃ1年中やっとるわい」と、アツアツの若いカップルを尻目に吠えまくるしかなかったのだ。
 それにしても私、皆に驚かれるわ、バカにされっぱなし……。というのは、飛行機が初めてなのである。子どもの頃デパートの屋上で「ブーン、ブーン」と乗っただけ。「ホントだってば」といくらいっても誰も信じてくれない。
 別に、私にとっては必要性がないからだが、今どき、ケータイは持っていない、車の免許はない、海外旅行はおろか飛行機すら乗ったこともないとなれば、年をとったら、おエライさんに「それでよく生きていられましたねぇ」と、国民栄誉賞を貰ってもおかしくないのだろう。
 で、内心ドキドキ・ワクワクしながら乗ったのはいうまでもないが、離着陸はスムーズで(なければ困るけど)、席が中央だったため景色がとんと見えずにちょっとガッカリ。「こんなものだろうな」というのが感想だ。
 いずれにせよ、いつもの中央線の東京・高尾間の所要時間で北海道まで行ってしまうのである。分かってはいるが、実際体験してみると心底感心せずにはいられなかった。「やっぱりおれって遅れているんだろうな」と世間知らずをちょっぴり恥じた。
  「無事、東京へ戻ってきたぞ」と、テーマは北海道旅行なのだが、飛行機の爆音で始まるビートルズの『バック・イン・ザ・USSR』を聴いて、また乗ってみたいと思っているのである。

 ○月×日
 ジョージ・ハリスンが末期ガンで「余命一週間」などというショッキングなニュースが飛び込んできた。
 非常に危険な状態であつということは、一月ほど前の新聞で知り、気にしてはいたのだが、まさか、こんなにも早く容態が悪化するとは思ってもいなかった。
 私はしばし、呆然として絶句してしまった。こうなったら奇跡を信じるしかない。私にできることといったら、CDを聴き、ジョージのことを思い浮かべることぐらいである。
 早速聴いた。出掛ける時は、ヘッドホンステレオにジョージのベストをセットして一日中聴いて過ごした。
 よくあることだが、お店や通りで、ビートルズの曲が不意に流れてきたりする。そんな時、ビートルズ大フリークの私なのに、「やったぁ」などと心が躍ることはまずない。何故か、いつも「やられたな」という感じで、胸がキュンと締めつけられるような思いに駆られてしまうのだ。そう、私にとってのビートルズとは、切ないものなのかもしれない……。
 それにしても、ジョージの曲はどれも慈愛に満ち溢れているように聴こえてくるのにはまいってしまった。悲しすぎるのだ。少し高温で細いという声質にもよるが、甘くて哀愁を帯びた曲がほとんどなのである。
 ビートルズの中では一番ハンサムな男、ジョージ。もの静かで、最も謙虚。リードギターという主役であっても目立つことはせず、さり気なくきっちりこなず。脇役に徹するとでもいうのか、控えめで驕りがない。私のように「ドアを閉めます(電車の)」とは決して言わない。「ドアを閉めさせていただきます」なのだ。とってもシャイでにくい奴。男の中の男というのが、私の抱いている世紀のスター、ジョージ像である。
 街では、小春日和の太陽に照らされたイチョウの葉っぱが金色に輝き、はらはらとひっきりなしに降っていた。生あるものは、いつかは枯れるものであり、終わりが必ず訪れる。分かってはいても、あまりに深刻で痛々しい。
 負けるなよ!!との私の祈りもむなしく、結局、彼は去っていった。ジョージ・ハリスン、まだ58歳だなんて若すぎる……

○月×日
 車掌分科全国連絡会という代表者会議が、大井町(品川)にある社員宿泊所で開催された。
 私は会長から、「本のお礼をしてほしい」といわれ、日勤が終わってから、夜の交流会(飲み会です)にだけ出席した。
 2年前に、本の宣伝も兼ね、ピンチヒッターで1度出席したことがあり、久し振りに懐かしい面々にお目にかかった。

  「こんばんは、不肖・齊藤です。『車掌だけが知っている・JRの秘密』、出版の時は、皆さんには大変お世話になり、本当にありがとうございました。
 あれから2年半が経ちましたが、本は、発売と同時に、爆発的な売れ残りで、その勢いは、未だに衰えておりません。
 いろいろなことがありましたが、まず、会社は、一切無視をするという態度でした。私の前ではなーんにもいわない。普通なら、呼びつけたりして、『あの本はなんなんだ』ぐらい聞きますよね。それが、徹底して無視です。
 で、私がいない所では、『齊藤が本出したの知ってる?』とか、『読んだ?』とか、いろいろ聞いてるわけです。
  『秘密』っていったって、読まなきゃわからない。おエライ人たちが『バカか、こいつは』と笑い転げて読んでいるのだろうなと、想像するだけで愉快でした。
 私は、私たち国労の現状を、少しでも広く知ってもらいたいという一心で書いたわけです。国労というと、世間では闘うというイメージがあるようですが、誰もが活動家ではなく、ほとんどが普通の人ばかりです。私も、この通りフツーです!?だから、一般組合員の視点でも、読んでもらえるように書こうと……。社会党も、国労もどんどん小さくなっていく。でも、おれ達間違っていないよね、ということを訴えたかったわけです。
 ところで、国労の仲間達ですが、残念なことに、私と話をする人がめっきり減ってしまいました。話をしても、その前に必ず『書かないでよ』がつくんです。
 親戚なんかは、『国労のことを書かなきゃ、面白くてよかったのに』といってます。また、おふくろはカンカンで、寝込んでしまいました。
 ……すみません。サケがマズクなるといけないので、この辺で終わります。 いずれにしても、国労が今の難局をどう乗り越えて、解決に向かい、いかに前進していくかです。闘争団は私たち以上に切実なんです。
 本当にありがとうございました。」

 この後は、再び注文をされたりして、楽しく飲んだのだが、「闘う闘争団」支援を鮮明にしたものだから、「賛成派というか、つまり正統派から離れちゃって、もう誰からも相手にされなくなるよ」などといわれたのであった。
 そんなのオカシイよ……、やれやれである。

 ○月×日
  『人らしく生きよう――国労冬物語』がBOX東中野でロードショー公開された。
 国労の運動に深く共鳴したという「ビデオプレス」の代表である松原明さんと佐々木有美さんが、足かけ15年にもわたり、北は北海道から南は九州まで国労を追っかけ、取材撮影した膨大なフィルムを、劇場用に100分にまとめあげた集大成だ。
 ちょうど国鉄の分割・民営化当時から、先の、国労が四党合意受け入れをめぐって大揺れとなった全国大会までの闘いの足跡という大ドキュメントであり、まさしく私たち国労の記録そのものなのである。
 映画は、1047名が不採用に至った経緯から、闘争団とその家族の過酷な闘いの日々、当局の理不尽な攻撃に抵抗する組合員の姿、全国大会の様子、集会や会議等、ありのままに描かれてあり、実にわかりやすいものとなっている。
 誰もが感動してしまうのは、なんといっても、大会で、闘争団の妻の一人(藤保美年子さん)が壇上に駆け上がり、「私たちの人生を勝手に決めないで下さい」と必死に訴えるシーンだが、これまで夫の闘いを支えてきた妻たちが「私たちはまだ頑張れる」と全面に出てくるあたりは、思わず胸が熱くなり、いても立ってもいられなくなる。
 また、闘争団の言葉も忘れられない。「10年やったんだから、あと10年はやれる。だから、安易に政府やJRに譲歩してほしくない」「基本を曲げてまで屈服するのなら、解決などしないでこのまま年をとったほうがましです」。ああ、あなたはやさしくて、もっと強い。
 会場は共感の涙で静まりかえり、上映後には拍手が沸き起こった。まさに人ごとではない。現代のリストラ社会に勇気と希望を与えたといっても過言ではない。
 それにしても、こんなにまでイジメや差別があるのに、なぜ国労をやめないのか。なぜうまく生きることを拒絶するのか。それが、松原さんと佐々木さんが描きたかった最大のポイントだったという。
 その答えは、この映画のタイトルが全てを物語っている。「人らしく生きよう」。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/全国大会 菊花賞 国立駅

■月刊「記録」2001年12月号掲載記事

○月×日
 第68回全国大会が終了した。
 私は会場係として傍聴を許された。
 国鉄闘争の長期化と国労組織の高齢化は、会場を見渡すと一目瞭然であった。それは、白髪とハゲ上がった頭の圧倒的な多さが何よりも如実に物語っている。皆もう、いいおやじなのだ。
 大会は、まずは分裂や統制処分といった最悪の事態を免れてホッとしたというのが率直な感想である。問題がないわけではないが、組合民主主義が一応保たれた結果であると思っている。大会直前までは、私も随分と感情的になり、まるで子どものような屁理屈を並べ立てていたことを、ちょっぴり恥じた次第である。
 さて、会場となった社会文化会館前には、前回同様、再び機動隊が導入された。バリケードが厳重に築かれ、完全に封鎖された状態の中、入場者一人一人をチェックするという物々しさである。「そうではない」と本部は言い張るだろうが、反対派はとにかく入れない、本部支持者ならオーケーという、世間の常識からはかけ離れたものであった。
 一日目は、寺内書記長から、突如として追加方針が提案された。「『最高裁での判断を公正に行わせる』の方針を改め、(中略)四党間で合意した『JR不採用問題の打開について』を再確認し、(後略)」という内容である。「突如が好きな本部だが、書記長は何を血迷ったのか」と私は思った。原案とどこが違うというのだろう。原案では、1月の大会で決定された最高裁闘争の方針(JRの法的責任の追及)は全面削除されてあり、あくまでも四党合意に基づいた解決を謳っているものだ。混乱を招くようなことは止めてほしい。ヤジと怒号が大きくなるばかりである。
 2日目に入り、特筆すべきことは、反対派の代議員により、闘争の立て直しを盛り込んだ修正動議(闘う方針案)が提案されたことと、委員長以下すべての役員ポストに対立立候補者を立てたことである。結局は少数可決で、どれも実現するには至らなかったが、これまでの抵抗型にとどまるのではなく、具体的な方針を打ち出し、主体性をもって臨むという前向きな姿勢は大きな前進であり、やってやれないことはないのだ。
 書記長集約(発言)では、「追加方針は原案と同じものである」「解決水準を上げるために大衆行動を行う」「解決案が出たら、一定期間職場討議をして、臨大で決める」などが表明され、最も危惧されていた裁判の取り下げについては、改めて、「裁判取り下げは解決時」と言明した。
 また、運動方針については、賛成80・反対32・保留2・無効1という結果で、原案がそのまま採用された。
 以上、裁判闘争が弱められたこともそうだが、全体的にトーンダウンした感は否めない。いずれにせよ、状況は何も変わっていないのだ。ホッとしている場合ではないのである。
○月×日
 4万6210円という超万馬券が飛び出した菊花賞。もちろん見事にハズレたが、ガッカリなんてもんじゃない。
 競馬に絶対はないが、今回は自信あり!! 的中するという予感がいつになく強かったのだ。「水道橋です。出口は左側です」というように、右側などあり得ないというくらいの確信があった。実は、これまでに、このような時はほとんどハズレたことがなかったのである。というと、いつも大当たりしているかのように思われるが、そうではなくて、こうした予感が起きるのは年に1~2度あるかないかで、普段はしょっ中ハズレてばかりいるのでご心配なく。
 で、レース前日あたりから、それはもうウハウハしながら捕らぬ狸の皮算用で、儲けたお金でナニしよう!?なんて、夢を見ていたのはいうまでもないが、結果はこの通り大ハズレで、ショックのあまり茫然自失となっているのである。
 ちなみに、私が賭けた馬はゴール前の直線で猛烈に追い上げはしたが、先を走っていた2頭には全く及ばずの3着と4着だったのだ。騎手がもう少し早めに仕掛けてくれていたら……と、私ってば、「たら・れば」の世界が何と多いことか。でも、もう後の祭りで何をいっても始まらない。もうボロ負けなのである。それも一瞬にして大損なのだから、私の気持ちは誰にも分かるはずがない。
 なだらかな坂道を秋の風がカラカラと音を立てて通り過ぎていた。。心を癒してくれた金木犀の甘い香りが終わっていたのは、秋が一段と深まった証拠だろうか。庭先の柿の木に郷愁を覚え、切なくなってしまった。天気は西から下り坂で、薄曇りの雲は雨が降り出すことを告げているのだ。ずぶ濡れになっても構わないと思った。夕暮れ時のキッチンからは、休日の一家団欒のぬくもりが漏れてきた……。
 もう数え切れないほど通ったこの道。これで終わりにしようと何度思ったことか。こんな気持ちはウンザリだ。ああ、まっぴらだ。どん底に突き落とされたといっては大袈裟か。自業自得だが、俗世間の煩悩から逃れたくてしょうがなかったのかもしれない……。
 ただわけもなく街をトボトボと歩いた。早々と「年賀状印刷承ります」などと出ていた。ふらりと寄った書店には、来年のカレンダーまで売られていた。まるで、今すぐにでも今年が終わるかのように、すさんだ気持ちに追い打ちをかける。まだまだやらなければならにことが山ほどあるのだ。「そんなにせかすなよ、まだ10月じゃないか」と心の中で呟いていた。
 ふと気がつくと、お銚子の隙間から困ったような顔をした店長が見えた。きっと怒っているにちがいない。「済まなかった」。飲み屋のカウンターで寝てしまったようだ。
 覚つかない足取り、曖昧な記憶、ん?「おれは狂牛病なんかじゃねぇぞ、政府はキチンと責任とれよな」と、かなり狂っているのが自分でもよく分かった。
 当分の間おとなしくしていようと思った。それしかないだろう。そうだよな。
 あばよ、競馬場。
○月×日
 実にくだらないことだが、ちょっとした発見をした。
 以前、中央線の武蔵境から出ている西武多摩川線に多磨墓地前という駅があった。ホームに立っている白い大きな駅名表示板の「ぼち」という平仮名書きの濁点の部分がマルに悪戯されており、「たま」や「ぽち」といったかわいい仔猫や犬を連想したりして、許せないけど笑ってしまったことを思い出す。(本年3月28日、駅周辺に公共施設が沢山出来たという理由で、駅名が多磨に変更された)←telでききました
 ところが、最近見つけた中央線国立駅のはスゴイ。各駅のホームに最低2つか3つはある、天井から吊してある横長で長方形のプラスチック製の大きな表示板です。駅名が漢字、平仮名、アルファベットの3種類で、大変見やすく表示されているのだが、モンダイはアルファベットの部分。見事というか、なんとも巧妙なのだ。正規の綴りは「Kunitachi」だが、一部分が細工され、チョー赤面しそうな「とある」言葉になっている。それは真ん中の「itac」がキレイに消されてあり、「h」が「n」に変えてあるのだ。もうお分かりだろうが、ここに読み方を記すことが出来ないのが非常に残念である。
 それにしても暇なヤツがいるものだ。西武線のは背丈ほどだが、JRのは高いところにあるため、脚立でも用意しないと悪戯は出来ない。
 乗務を終えて区に戻ると、私は早速同僚達に報告をした。すると、誰一人と気付いていないばかりか、私が一番暇なヤツということになってしまったのだ。皆は私のようにキョロキョロしていないというわけである。私だってたまたま見つけただけなのに……。ええぃ、いっちゃうぞ、デカイ声で、「くん……」。やっぱりいえない、おじさんには。
○月×日
 いつものことだが、ヘトヘトに疲れて部屋でうたた寝をしていた。するとアストラから電話があり、来月号の原稿が足りないという。
 気にしてたが、日にちだけが過ぎていったのだ。「×日まで2枚半」だって。明日、明後日ともう2日しかない。どうしようかと迷ったが、既にかなり酔っていて、もはや何をやってもダメなことはよく分かっていた。仕方がないから「明日があるさ」と、イソジンでうがいをしただけで、急いで布団を敷き、爆睡するしかなかったのだ。
 今日は午後からの遅い出勤なので、時間はある。書こうと思う。手帳を捲って、この一週間何をしていたのかと振り返ってみた。
  「×日、ウォーターボーイズ」とあった。そうだよ、映画を観たのだ。男子高校生がシンクロに挑戦!?するという青春ものだ。初めは気色悪いと思ったが、テンポのいい演出でなかなかの見応えだった。目標を立て、やり遂げる。生きていく上で重要なことは、こうした達成感ではないかと、無垢な姿に感動したものだ。
  「×日、送別会」。運転士試験合格者の激励会だ。東労組の若い子なので、知られてはマズイこともありコッソリと。車掌になってまだ1~2年だが、もうお別れだ。新天地で頑張ってほしい。
  「×日、2社から原稿依頼」。SとK社から立て続けに書いてくれと来た。本心は書きたい。でも自信がない。「考えてみます」と応えたものの、後日お断りするだろう。
 あとは組合の資料を作り、何通かの手紙やメール、ファクスなどの返事を書いたりで、結局は、毎晩サケ飲んで寝るだけの日々なのであった。
 実は今、11月11日午前11時11分で、FMラジオからジョン・レノンの『イマジン』がキッチリと流れてきている。今日は世界平和記念日なのだそうだ。この時刻に全世界の集会や家庭で、「争いのない世界を」の歌声とともに、米国同時多発テロやアフガンでの犠牲者を追悼すると、朝刊に出ていたのだ。
  『アバブ・アス・オンリー・スカイ』。ただ空があるだけか。そうだよな、今日のような青空が永遠なら、どんなにいいことか。
 さて、問題は2枚半なのだ。どうしよう…。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/小泉メール 新井文書

■月刊「記録」2001年11月号掲載記事

○月×日
 た・大変だよ!! 聞いてくれるか皆の衆!
 私の本を読んだと、なーんとナント、小泉首相から掲示板にメッセージがきていたのである。
  「えっ!? ウソだろ、まっさかぁ……、何かのマチガイだろう」と「小泉純一郎」と名乗る、この人のアドレスに接続してみたら、ちゃ、ちゃーんと首相官邸のホームページに繋がったではないか。信じられなかったが、これはウソなどではない。本当なんだよ、本物なのである。
 私は久しぶりにアストラ(出版社)のホームページを見たのであった。私の本が宣伝されているわけだが、「読者から一言」という掲示板があり、先日は嶋廣二さんという、何だかお偉いお方からのメッセージが入っていたのだ。
  「かつての、省線電車、国電の時代から、現在までの一利用者として、また、国鉄に23年間勤務経験のある一庶民として、感無量で拝読しました。(後略)」。嶋さんはホームページを開設しており、そのプロフィールによると、「杉並区在住。東大卒。運輸省入省。米原機関区長、鉄道監督局保安課補佐官……」などとあり、9つ位の要職を歴任されている。車掌一筋の私には想像も出来ぬが、立場が全く異なる人が読んで下さったのであり、わざわざ感想まで寄せて頂いたことに、嬉しくて感激せずにはいられなかった。
 話を戻そう。小泉さんである。
  「こんにちは。小泉純一郎です。斎藤さんの本を読みました。痛みによく耐えた! 感動した!(2001年9月2日)」というものだ。今やすっかりお馴染みの口調そのもので、小泉総理の顔が浮かんだ。いや、浮かべるまでもなく、さっきからテレビに映っている。米の同時多発テロ事件について、総理大臣としての声明を早口で述べているではないか。
 それにしても、小泉総理がねぇ……。
 吹き荒れるリストラ、倒産、雇用不安、株価急落、失業率5パーセントといった、日本経済が危機に直面している真只中に、私の本を読んでいるとは相当の余裕があるのですね。さすがなものだと恐れ入る。
 国労の問題は国の政策により翻弄されているのである。小泉総理には、私達が納得できるしっかりとした指導力を発揮してもらいたい。そうすれば私だって、痛みに耐えたり本など出したりせずに済むのである。
 などと、その気になってここまで書いたものの、どうも半信半疑で仕方ない。もはやパソコンの専門家に尋ねるしかなかった。すると……いやあ騙されましたね。やっぱりこれは悪戯であることが判明したのだった。
 どなたか知らぬが、楽しいひと時をありがとう。感謝申し上げる次第である。バーロー!!
○月×日
 全国大会を前に、新井修一氏(国労前総務財政部長)による「全国の仲間に訴える」と題した文書が物議を醸している。
 この文書は、これまでに国労本部が頑なに口を閉ざし、誰一人として公言しなかった真実ともいうべき本音が書かれているために、あまりにも衝撃的なのである。
  「JRへの採用差別問題をめぐって」と「国労の組織の状況」という2項目からなり、「四党合意」によって、今、国労がとるべき道について本部としての並々ならぬ決意と強固な意志が貫かれ、なんともストレートに述べてある。
 しかしそれは、反対派が当初から耳にタコが出来るほど指摘していたことであった。その危惧が、まさに現実となったといえるものであり、本部を信じてきた私は裏切られたという思いと失望感でショックを隠せないでいる。
 やり場のない怒りとは、こういうことをいうのか。それにしても遅すぎた。もっと早くいってくれれば、たとえ険悪になったとしても、今以上に健全で開かれた議論が尽くされただろう。そして、本部と組合員間の理解がより一層深まったのは確実で、現状のような内部対立や修復不可能に近い事態にはなっていなかったはずである。

 まずは、新井さんの文章をそのまま引用する。
  「最高裁判所の判決が出されれば四党合意は消えてしまうし、当然政治解決も無くなってしまう。これまでの闘いが水泡に帰すことになる」「このままの状況があと10年も続けば算術上から国労組合員はゼロになる。」
 などといい、
  「国労が組織体として生き残れる道は一つしかない。それは四党合意に基づく解決案を不満があっても国労全体が一致団結して呑むことである。そして採用差別問題の解決の上に立って、JRの経営形態に応じた新たな組織体制を形成し直して再出発をすること以外にはない。そしてそれは、この10月13・14日に開催される第68回定期全国大会の場が最後の機会となる」
 と結論づけている。

 これでよく分かった。これが新井さん(本部)の考えであり、決断なのだ。「国労に残された最後の道」なのである。
 何がなんでも解決案を受け入れる。たとえ「ゼロ回答」であってもである。そして、全国単一体の国労を流れ解散して、新組織を結成する。つまり、15年に及んだ1047名問題(国鉄闘争)をこれでもう終わりにする。すなわち、他でもない、闘争団を切り捨てるということなのである。
 そうですね。このままではいつまでたっても国鉄闘争は終わらないだろう。だが、何度でもいう。闘争団を切り捨ててはならない。「国労が生き残るため」などといって仲間である闘争団を切り捨ててはならない。解雇された当事者である人たちの主体性がまったく無視されることになる。そんなことは断じて許されない。
 解決案を呑み、国鉄闘争を終わりにしたところで、国労が再生するとはならない。口惜しいが国労は無くなるのだ。そんなことは誰だって初めから分かっていたさ。自然消滅の道を辿るのである。
 しかし、たとえそうであろうと、闘争団を救えればいいという意気込みで闘ってきたのではなかったのか。そうすることにより初めて新たな展望が開け、再生への道も見えてくるのではないのか。私達現場の組合員も歯を食いしばってありとあらゆる差別に耐え抜いてきたのだ。もうここまでくると、本部は闘争団をお荷物だと考えているとしか思えない。現段階での解決は、政府・自民党やJRにとっては解決したとなるが、私達国労には問題放棄以外の何ものでもない。

 国労はまさに深刻な事態に直面したわけだが、まるで袋小路へ迷い込んでしまったかのような今の閉塞感と似た状況であった頃を思い出すことが出来る。
 99年3月、「解決のメドがついた」として臨時大会(第64回)を開催し「改革法」を承認した。この時も、大会で認めればすぐにでも交渉テーブルができるといわれ、大会発言では「解決水準が切り下げられるようなら、元に戻って闘えばいい」などといわれていたが、結局はなにもなかった。今回の「四党合意」と全く一緒である。相手側は「裁判の取り下げ」を求めたりで、次々とハードルを上げてくるだけであり、解決の方向とは逆の方向に追いやられているというのが実情なのである。
 いずれにせよ、こうした現局面に至った最大の要因は、忘れもしない98年5月28日の東京地裁による中労委命令を取り消した不当判決が端を発しているように思う。
 この機を境にして本部は闘いを強めるどころか政府やJRに依存することを一層深めていったのではないか。綿密な計画の下に敗北路線を歩む腹を固めたのだろう。
 その始まりが、同年8月の全国大会(第63回)で突如出された「補強案(5項目)」の提起であり、この時は継続討議となったものの、前述の臨大へと突き進み、その総仕上げとして、今回の「四党合意」に行き着いたとみる。

 ここで再び新井さんの文章を引用する。
「四党合意に基づいて解決を図らなければならないと主張している者も『あまりの低水準では呑むことができない』という程度の甘い認識しか持ち得ていない」
 驚きである。本部を信じ、「解決案が低水準であれば引き返せばいい」と賛成した仲間さえも痛烈に批判している。また、反対派に対しては、
「最高裁の判決が出てもまだ闘えると唱える者もいるだろうが、それは負け惜しみを通り越した無責任極まりないものであると言わざるを得ない」
 もはや呆れ果てて、反論する気も失せてしまう。
「不満があろうとなかろうと、丸呑みするしか方法がないのである」に関しては何度も強調しているが、丸呑みしないと、何だか喉にトゲが引っかかって窒息死でもしそうな気配なのである。さらに、
「この問題解決のために当初から影になって動いてくれた人のOBの協力がある。(中略)四党合意は国労が有し得る力とは別に政治家の人間関係が多分に作用しているのである。つまり四党合意の内容は、今日の国労の力量とは別の、彼我の力関係を超えたところで作りあげられたものであるという事である」
 「闘いの到達点」ではなかったのか。あれほど呪文のように聞かされて、私も真剣に考えたものだ。それが意図的に吹聴されていたとは残念でならない。また、「包括的打開案を出す」や「ラストチャンス」も全て嘘と詭弁だったとは、本部も大変な苦労をされたのですねとしか私にはいえない。

 最後に、国労は破産状態にあるということだ。「歴史的な国労の分割民営化に伴い国労は名実ともに甚大な影響を受けた。以降15年間組織人員は暫減し続け、現在2万人となっている。それでも国労が存続できているのは、良き時代に蓄積された名声を含めた財産を受け継ぎ、それを食いつないできたからである。(中略)しかし名声は時とともに薄れて行き、財産は食いつぶした時に終わりになるのである」

 感傷に浸っている時間はない。私達は間違ってはいない。一般組合員は指導部のゴタゴタに振り回されてはならない。己れを信じて信念を貫き通したい。私には何もなす術はないが、後は大会代議員の良心に期待するしかなさそうだ。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/台風 秋 団結しよう

■月刊「記録」2001年10月号掲載記事

○月×日
 大型の台風11号は東京への直撃は免れたものの、いくら水不足が解消されるとはいえ、2日間にわたり止むことのなかった雨にはいささかうんざりさせられたというのが正直な気持ちである。時速15キロという自転車並みのゆっくりとした速度だったため、同じ場所に長時間居座るというたちの悪い台風だった。
 それでも私は、「寝ている間に通り過ぎるだろう」とタカを括っていたのだが、朝起きてみると横殴りの雨でガッカリし、溜息交じりにテレビをつけてみると、まだ東海地方をうろうろしていたのだった。
 NHKでは、朝から晩までのほとんどの番組の予定を変更して、台風情報一色という熱の入れようだった。気象情報から始まり、台風の進路に合わせた各地の状況中継、鉄道、空、道路の交通機関の様子といった具合だ。
 JRは運転を見合わせるなど、本数を減らしたりと相変わらずてんてこ舞いなわけだが、私は利用者の心配や不安は重々承知しつつも、関心がどうしても会社の方に向いてしまうのだった。約30分おきに映し出される、東京駅の新幹線ホームから新宿駅南口、そしてオレンジ色のわが中央線(そう、乗務中の同僚が映ったりする)とお馴染みの光景を見ていると、民間企業JRとして、広告やCMに莫大なお金をかけなくても十分すぎるほど大宣伝になっているのではないかと、台風とは全く関係のないことを考えたりしているのだった。
 ニュースは「JRでは駅員を普段より増やして対応に当たっている」といっていた。「さて、おれはこうして家でのんびりしていていいのだろうか」などと、そわそわ落ち着かなくなり一瞬不安が過ぎるのだが、休みだから仕方がない。同僚達の四苦八苦しながら職務に専念している様子は手に取るようによく分かっているつもりだ。しかし、私には呼び出しの電話もないし、神に誓ってこれでいいのである。例えビールを飲んでも、ヘルニア体操をしようが、休みなのだから何をしてもいいのだ。テレビと窓の外の風雨を他人事のように眺めていても許されることなのである。
 台風は昼頃に伊豆半島に上陸し、その後勢力を弱めながら東京湾を通過して、午後4時頃には千葉に上陸したという。
 夕方には、それまでの雨まじりの灰色の空から青空が覗き、陽も差してきた。首都圏のダイヤもラッシュ時間帯にはほぼ通常運転に戻すということだった。とりあえずは一安心である。私もようやくテレビの前から離れることができた一日であった。
○月×日
 助役が、「斎藤さん、本出したんだって、いつよ、知らなかったよ、おれにも見せてくれないかなぁ」と、偶然かもしれないが、人のいないところを見計らうかのようにコッソリいってきた。
 今年の春に石和温泉駅(山梨県)から赴任してきたばかりだが、20年程前、うちの職場で車掌として一緒に乗務していた先輩だから知らない人ではない。
「ほんとは本屋で注文してほしいんだけど…、あ、そういえば、そこの東西書房(三鷹駅ビル)に23冊置いてある(私が数えた)から買いに行って下さいよ(そうなのだ、どうしたわけか最近になって置いてある)」といったのだが、「ま、いいか」と思い承諾した。
「そんな趣味があったんだぁ…、で、どんなこと書いたの?」と聞くので、「そうだね、あなた方がね、おれたち国労のことをあまりにもヒドクいじめるから、そんなことをしちゃぁいかんよ、みたいなことだけど、ま、あまりにも大きな問題だから、日常の出来事を綴っていけば、自分の考えも伝わるんじゃないかなぁと思って、コツコツ書き溜めたものを出版社がまとめてくれたわけ…、そう、全部あったこと、事実、今度持ってきますよ」といった。
 ある一面だけを捉えるのではなく、部下の思いを汲み取るという気持ちで読んでもらえればそれでいい。きっと、暑さも忘れて、まるで宗教のようながんじがらめに凝り固まった頭も冷えてスッキリするのではないかと思っている。
 欲を言えば、読み終わったら感想文原稿用紙10枚を私に提出すること。期限は8月末日、厳守。夏休みの宿題としてね。
○月×日
 辺りはすっかり秋の気配が漂っている。
 凌ぎやすくて身体もラクだ。なのにやる気が起こらない。普通は逆だろう。困ったものだ。張り合いがないんだ。しっかりしてもらいたい。日中はせめて30度位まで上がってほしい。がんばれ高気圧。人の気持ちは天候に左右されるものだ。
 熱燗を飲んでいる。ちょっとひんやりするからと単純この上ない。生ビールのようにジョッキで豪快にとはいかない。チビチビやっているとしんみりしてくる。注文するときも心なしか神妙だ。べつに気取っているわけではない。いい気なもんだ。
 スーパーに寄った。生きのよさそうなサンマが出ていた。氷漬けになってキラキラと輝いている。一匹180円、北海道産、刺身用とある。たっぷりの大根おろしとジュージュー塩焼きで食べた。初物は美味い。これから当分サンマの日々が続く。
 湯ぶねにもの静かにつかっている。わっせわっせとシャワーばかり浴びていた夏だった。もの思いに耽るかのようにすっかりおとなしくなってしまった。
 仕事をしてサケ飲んで、風呂に入って寝るだけの一日。芸術ともスポーツともほど遠い秋の始まりかな。
○月×日
 定期全国大会の日程が決まった。10月13・14日の2日間、東京・社文会館で開催される。
 大会の性格については、
①解決案が出て、その批准を求める。
②解決案が出る前で、このまま「四党合意」での闘争継続を示す。
③解決案が出て(も出なくても)、拒否をして、新たな闘いを提起する。
などが考えられるが、これから決定するという。
 大会まであと2ヵ月だが、現状のままでは解決案は100パーセント出ない。私はこれまで勘違いをしていたようである。
 何回かの四党協議の中で、最も重要と思われる意見(四党からの要求)は2つあった。
 1つは、「JRに法的責任なしを大会決定しながら、裁判(最高裁)を続けるのは矛盾している」。もう1つは、「国労は反対派の意見(二分している)をまとめられるのか」というもので、協議後の記者会見(3月15日)で、座長である甘利明議員(自民・元労相)は「矛盾を残したまま解決に至るということはありえない」といっていたのであった。勝手に矛盾だと決めつけられても困るが、だから解決案は出ないのである。
 国労は1つ目については、訴訟の取り下げは解決時であるとし、2つ目については、36闘争団に結集するように呼びかけ、現在努力中だとしている。
「四党合意」では、訴訟の取り下げは社民党から国労に要請するとなっている(解決手順第二項目目)。にもかかわらず政府・自民党は取り下げが解決への前提条件であるかのようにいい、大会決定後の解決手順に明記されている第一項目目の、与党からJR各社に要請云々すら行っていないのはどうしたわけなのか。
 また、国労は「四党合意」の枠内に1つにまとまるようにということだが、つまり、自民党は国労に対して「国労の団結を求めている」のである。なんだかオカシイ、ちょっとヘン。きな臭いではないか。これは怪しいと思ったほうがいい。
 政府・自民党が国労の団結を切願しているのは、何も解決案を出すことの障害としてではないと捉えなければならない。政府相手に闘い続ける勢力が少しでも小さくなるにこしたことはないからだ。
 さらに、その一方では、国労組織内に対立と不信が増大するのを期待して、国労自らが瓦解していくのを手をこまねいて待っているからに他ならない。そう考えれば、相手側には、まさに一石二鳥といえる。
「四党合意」は国労解体の総仕上げの意味を持っている。国鉄の「分割・民営化」が総評解体・国労潰しが目的であったように、それとまったく同じことが行われようとしているのだ。
 悲しいかな、国労本部はすべて知っていてやっていることなのだろう。しかし、闘争団と組合員のことを本気で思うなら、これ程行き詰まった「四党合意」による解決は見直したほうがいい。いつまでもすがりついているのは止めよう。幻想を捨て、初心に返り、どんなに苦しくても新たな運動の再構築を計るべきではないだろうか。
 大会では、「四党合意」に賛成した代議員は、「解決案が低水準であれば、『四党合意』を大会で拒否して引き返せばいい」といった、昨年来の4回にわたる大会発言をもう一度思い出してほしい。また、本部には、これまでの事実経過を誰もが納得できるように、正直に報告してもらいたい。
 いずれにせよ、この土壇場に来て、国労は再生するかの瀬戸際に立たされたといっても過言ではない。団結以外に道はないと思う。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/腰痛復活 足元よし 所定

■月刊「記録」2001年9月号掲載記事

○月×日
 腰痛で仕事を休んだ。
 ちょうど1年前の椎間板ヘルニア勃発?以来、毎日のように腰が痛み、それでもダマシダマシやってきたのだが遂にダメだった。
 夕方16時32分からの夜勤だったが、その前に2時間の会議が入っていた。お題目は「夏季輸送の取り組みについて」で、どうせ毎年決まりきったことだから出なくてもいいようなものだが、私達の仕事は同じ事を繰り返すという積み重ねで、それもまたひとつの節目として大事なことなのであり、出ないわけにはいかないのだ。
 その会議後にそのまま仕事に就こうと、昼過ぎには職場で制服に着替えていたのだが、突然ジワーッと重苦しい痛みが襲ってきた。でも、こんなことはしょっ中なので、「まいったなぁ」と思いながらも、「エイ、ヤッ」と気合いを入れ、腰を庇いつつ会議に出席した。
 それからだった。もう痛みはどんどんエスカレートするばかりで、腰をさすってみたり、丸めたり、のけ反ったりと、そんなことをしたってどうにもならないいつものことを、一応一通りやってみたのだが、にっちもさっちもいかずにダメなことはダメなのだった。答えは簡単、「ダメだこりゃ」なのである。
 休憩までの1時間は我慢して、顔を歪めつつ「今日はどうしても乗務が出来そうもない」と、当直助役に申し出た。すると、誰かがすでに電話で休んできた(突発)らしく、夜勤突発対応の予備の人が使われていて代わりがいないという。あとは休みの人に出てきてもらうしかないのだ。それは困る、ヒジョーに困る。こんなクソ暑い日は家で涼んで十分に休養をとってもらいたい。私だってもし電話をもらったら適当な理由をつけて断るにちがいない。
 そんなことをアレコレ考えていると、心苦しく、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだった。普通ならここで、痛みを堪えて乗務するのだろうが、私の場合普通ではないのだ。もうごめん、済まない、頼むよ、誰でもいいから助けてね、この腰抜けを、と普通に思うしかなかった。
 病院には半年近くも行っていないが、この日は休日だったので休診である。とりあえず帰りに薬局に寄り薬を買った。腰痛・神経痛の鎮痛に「イレイサー」(ゼリア新薬工業)。3570円、ヒエーッ、高い。それにしても、これ以上の体調管理をどうしろというのか。考えるだけで気が重くなってしまうのだった。
○月×日
 今、若い人の間で流行っている?そう、足袋のような踝までしかない短い靴下を履いてみたのだ。
 子どもが登校するときのローハーにはチトみっともないと内心思っていたのだが、これがまた、一度履いてみると大変グー。この暑い時期にぴったりなのである。
 足元がスースー涼しい感じがして、これまでの普通の長い靴下は、もううっとうしくって履いてなどいられなくなってしまった。
 また、シャワーに駆け込みズボンを脱ぐのと一緒に脱げたりして、そのまま洗濯機にポイッ。手間が省けるといっては大袈裟だが、「おお」っと、そんなどうでもいいような一瞬の出来事にヨロコビを覚えたりする。
 で、立ったり歩いたりしている時は問題がないのだが、腰掛けたり足を組んだりするとズボンの裾が上がるから、その靴下がバレバレとなる。
 さっそく同僚達にいわれた。「典ちゃん、革靴にはヘンだよ、それってスニーカー用でしょ」「オヤジには似合わないよ」「お前の場合は、ゴムが弛んで、ただずり落ちてるだけじゃないのか」。皆笑わせてくれるではないか。「君たちねえ、おしゃれは足下からっていうじゃないか」なんちゃって……。
 足下よし、右よし左よし。今日も涼しく出発進行!!
○月×日
 戒厳令下の国労大会から既に半年が経過しているのに、肝心の四党合意はどうなっているのか。国労が四党合意を認めれば、すぐにでも解決に向けて政治が動くという話だったが、数回の協議が開かれただけで、ちっとも進展していないようである。
 それは、「四党合意以降、与党からなんらかの働きかけがあったのか」という質問に、「全くないので検討もしていない」との、まるで他人事のようなJR東日本株主総会(6月27日)での回答からも窺える。この間の小泉政権の誕生から、都議選、参院選といった「政治休戦」状態で、タイミング的なことも影響しているのか。それとも、大会以前から「本部がいかなる決定をしようとも最後まで闘い抜く」との態度表明をして、今まさに独自の自立した組織を立ち上げようとしている(9月)「闘う国労闘争団」の存在により、解決案をだしても1047人問題(国鉄闘争)の幕引きにならないというリスクを考えてのことなのか。
 いずれにせよ、決めたことは反故にすることなく、誠実に対処し、忠実に履行してもらいたいものだ。
 さて、私は、四党合意が提示されて以来の1年余というもの、モヤモヤとした割り切れない思いが、大きくなりはしないが消えることもなく、常に心のどこかに宿っていたのだ。自分のとってきた行動(一票投票○など)を棚に上げていうわけだが、やはり、国労の選択は誤りではなかったのかと、今更ながら強く思うのである。
 結論からいえば、四党合意受諾か否かの決定権は、争議当事者である闘争団員に委ねるべきではなかったのかということだ。(「なかったのか」が2度も続いたのは、己れの考えが未だに曖昧だという証しです)
 この問題は、合理化反対の運動方針等とは全く意を異にする別次元のものではないだろうか。国家的不当労働行為という人権侵害により100人を越える自殺者まで出た。人間としての尊厳を賭けた、人生を左右されることを、大会決定だから従えというわけにはいかない。常に妥協を余儀なくされる労働運動の枠を越えた、それこそ思想・信条を貫き通すべきことのような気がしてならないのである。
 まったくもって、不誠実な政府やJRには苛立ちと怒りでいっぱいだが、国労本部にまで不信が募ってしまったりしている。
 しかし、そうもいってはいられない。現状がどうであれ、最大の争点である解決案については、水面下ではしっかり動いているとみるに越したことはない。相手側はさまざまな情勢を見極め、完全に煮詰まった時点で判断を下すはずであり、予断は許されない。私達一般組合員には突如として知らされることになるのだろう。
 ところで、その解決案の数字だが、はっきりしたものはもちろん公にはされていない。だが、どこからともなく漏れ伝わってくる情報などから得られる感触とでもいうのか、どれもみな低水準というより、まったく話にならないものばかりなのである。
 そのようなものでも国労はよしとして受け入れるのだろうか。闘争団(賛成派)がいいというのであれば構わないが、「こんなはずでは……」と、納得しない場合はどうするのか。国労はなんらかの手を打つだろうが、闘争団に増して拒絶反応がより大きいであろう「闘う国労闘争団」を、国労はこの時とばかり、強権的に切り捨てにかかるのでは……、最後の禁じ手を断行するのではないかという危惧の念が生じて仕方がないのだ。万が一そうなれば、国労は終わりである。
 考えすぎだろうか。そんなことをしたら、私は国労を許さない。許さないからな。そんなことは絶対にないよね、本部!!
○月×日
 夜勤明けで副区長に呼ばれた。
「斎藤さん、試験の結果だけど、えー、不合格です」。
 私は思わず「えっ!?」という言葉が吐いて出てしまった。納得しているはずなのに、まるで耳を疑うかのような、自分でもよくわからずに面喰らったわけだが、「判定ミスなんてありっこないよな」と、心の中で思い直し、「所定ですね」などと笑みを浮かべていったのだった。
 副区長は、「言っている意味が分かりませんが、えー、業務知識、作文、一般常識とも、もう少しでした。また頑張って下さい」ということであった。
 もう、なーんにも尋ねる気はなく、長居は禁物。「とりあえずビールかな」と思い、さっさと着替えて「家路行」の中央線に乗り込んで職場を後にしたのだった。
 アナウンスの主は、元気ハツラツ、前途有望な若い車掌だったが、「おいおいタノムよ、仕事のことは忘れさせてくれないか」と、耳を塞ぎたくなるばかりだった。アーメン。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/国労マーク ミス 革マル問題

■月刊「記録」2001年8月号掲載記事

○月×日
 本年度の定期昇給発令通知書(基本給等の新賃金)を区長直々で頂戴した。
 これを貰うと、以前なら「よし、やるぞ」というか、何をどうやったらいいのか分からないにしても、とにかく「今年こそは」という漠然とした気持ちが起きたものである。それが今となっては、感じることは何もない。まるで私は、「これが所定のコースだべ」と、オケラ街道をトボトボ歩く、腑抜けたオッサンのようになってしまったかのようだ。
 さて、区長は、この春着任されたばかりのバリバリなのだ。歴代の区長は皆50代であったのが、この方は、30代という驚異的な若さで「われらが親分」「あんたが大将」なのである。
 従って、相当優秀で大変立派な素晴らしい人に違いないのだ。私のような下々の者には恐れ多くて、声を掛けることすらためらわれる。実際、廊下で擦れ違った時などは、ただ頭を深く垂れながら「ありがたやぁ、ありがたやぁ」と心の中で唱えるだけで(私の場合、本当です)、話しをしたことは一度もない。
 そんなわけで、「斎藤ですが」と緊張しつつ区長室へ入った。すると、意外にも「かの有名な」ときたもんだ。私は「ぜーんぜん有名じゃないですけどぉ」とボソボソ応えると、「全国的に有名でしょう」と確信に満ち溢れた力強い口調でおっしゃるのであった。
 そりゃあ、区長よりは有名だろうけど、私は恥ずかしさで動揺しそうになると、すかさず区長は、号俸や基本給が書かれた通知書を早口で読み上げ、私の胸の氏名札隣りのボールペン一点に鋭い視線を集中させたのだった。「初めて見たよ。会社としては喜べないことを承知でやっているのだろうけど……、わかったね、はいっ」と通知書を手渡されておしまいである。私はそれについては何も応えずに一礼して退室した。
 そのボールペンだが、国労のマークが付いている代物なのである。といっても、実に申し訳程度で、数ミリ四方という極小さなものだ。例えば、町や学校などから記念品として貰う、鉛筆に名前が彫ってあるのと同じようなものとして理解していただければよい。なにも小さいからいいというのではなく、イケナイことはイケナイとキチンと認識しているつもりだが、就業規則上で着用が認められていない胸章等(バッジやワッペン)の類いではない。確かにマークは付いているが、仕事に必要不可欠なボールペンであり、区長(会社)がどのような解釈をしようとも、組合活動ではなく、単なる筆記用具なのである。
 なにより、私がこれを付け始めたのは5年程前からで、この間3人の区長が交代されるも注意を受けたことは一度もなく、毎日の点呼ですら何のお咎めもない。それもそのはずだ。国労マーク入りベルト着用は就業規則違反にはあたらないとの最高裁判決(96年2月)が出ているのだ。
 それとも今までは無視されていて、それでも実はしっかりチェックされ、勤務評価は著しく低いものとなっていたのだろうか。
 いずれにせよ、区長はマーク入りのボールペンは認めないということだ。国労組合員であること自体がイケナイこと、東労組にあらずんば、人にあらずの労務政策は相変わらずのようである。区長がいう「有名」とは、私が犯罪者でもあるかのような悪い意味での有名なのだろう。この先も、私に対するマークはきついんだろうな、きっと。トホホである。
○月×日
 昇進試験(一次・筆記)が行われた。昨年は突然のヘルニアで、自宅でウーウー唸っていてパス。あれから早1年、相も変わらず最下位ランクの指導職へのチャレンジである。どうせ受けても受からないのがわかっているというのもヒジョーに辛い。それでも受ける。受けないことには何も始まらないと思いつつ、あらゆる差別に前向きに取り組まざるを得ないのだ。
 それに、賃金面でも、この試験に受からない限りはベースアップと定期昇給(下位職ほど昇給間差が少ない)だけの上積みだから、いつまでたっても低額のままという切実な問題が含まれている。
 ところで、国労はこの試験についても各地の労働委員会に提訴しているわけだが、東労組だけが受かり、国労組合員が落ち続けるという納得できなかった壮大なカラクリが次々と明らかになってきている。
 そもそも、普段の勤務成績(人事考課)が通信簿のように5段階評価されていて、いくら筆記試験で合格ラインに達していても、2以下の者は落とすというのだ。
 評定者は東労組組合員である助役や区長などだが、この人たちもさらに支社などの上司から人事評価されている立場であり、国労組合員に3(か4)を付けると、「国労なのにどうして3(か4)なのだ、おかしいではないか」と、助役は区長から、区長は支社からいわれて、2や1しか付けられないであろうことは容易に推察できる。
 また、2や1の割合が20%ぐらいだというから、国労の組織率とも見合っていて「なるほど」と思う。
 当然、この逆に、東労組は4か5なわけだから、毎年順番に全員が受かっていく仕組みなのである。
 つまり、昇進試験とは名ばかりで、勤務成績により合否が決定されるということであり、いかにも公平であるかのように見せかけているにすぎないということだ。
 ならば、私は今年もまた落ちるのであろうか。採点すらされずシュレッダーにかけられて終わりなのか。それでも構わない。世の中にはミスが蔓延している。今回は少し難しかったから、私の回答はミスだらけだろうが、今年こそはと期待が大きいのである。
 それは、今問題となっている山形大や富山大などの合否判定ミス事件だ。JRにもミスが起こらないとは限らない。また、昇進試験でのミスなど社会問題になることもないから、安心してミスってほしい。どうか、間違えて合格できますように……。
○月×日
 「東労組=革マル派」という疑惑が取り沙汰されてから久しいが、先の完全民営化法案が審議された国会では、この問題に対する解明が盛んに行われた。
 衆議院国土交通委員会(5月25日)では、扇国土交通大臣が「残念なことに、全国の革マル派4000名のうち1000名程度がJR関係者だ」と答弁するなど、これまでに「東労組=革マル派」は「ウソ、デマ、でっち上げ」だとしてきた東労組の言い訳は、もはやだれにも通用しなくなった。
 この日は、西村真悟議員(自由党)が質問に立ち、治安維持の観点からJR東日本の革マル派問題について質疑応答が行われた。
「革マル派は、各産別に労働委員会を設けており、JRには通称『トラジャー』、その下部組織に『マングローブ』と呼ばれる組織があるというが、どうか」「JRの組合組織に(革マル派が)浸透しているというのは、組合員の数の割合をいうのか、組合執行部に革マル派がおり、指導する立場にたっているのか」「具体的に人物などの特定まで捜査で裏付けられているのか」との質問に対して、漆間警備局長は「(トラジャーなどの組織の存在については)捜査で裏付けをとっている」としたうえで、「警察としては、JR総連、JR東労組内において影響力を行使しうる立場に革マル派系が相当いる」と明言し、個人の特定については「捜査の手の内であるので答弁は控えさせていただくが、議員がご指摘のようなことは解明されている」と回答した。
 また、扇大臣は「JR東日本が適切な事業運営をはかるうえで、一番必要なのは健全な労使関係である。それがなければ大変な問題になってくると思う。東日本と労組の関係がどうなのか注目したい」との考えを明らかにした。
 さらに、参院国交委(6月7日)では山下八洲夫議員(民主党)が東労組の機関紙についても「「一部国会議員どもが国会の場や…、またぞろ『JR東労組=革マルキャンペーン』を画策した…、西村議員がまたぞろ登場し八百長発言を繰り返した…」など、国会や国会議員を冒涜している、どう思うか」と質問した。
 参考人として招致されたJR東日本の大塚陸毅社長は、「労組の情宣には節度が必要であり、ご指摘の件については(組合に)反省を促している。今後も話をし指導する」と答えているが、JR東日本という大企業と平和協定を結んでいる責任組合のビラとは到底思えない、誰がどう考えても恥ずべき表現、内容でえげつない。
 当の東労組はといえば、昨年暮れから、革マル派とは一切無関係で、逆に、敵対関係にあるかのような非難・批判合戦に躍起となっているが、単なるポーズとしてとられ、信じる者など誰一人としていない。その機関紙によれば、「革マル派=オウム」「犯罪者集団」「拉致・監禁・強要・盗聴・盗撮のテロ集団」「革マル派を弾劾する」「断固として闘い抜く」などと、いかにも立ち向かうかのようだが、もしそうだとしたら、どう責任をとれるのか。革マル派などと無関係な東労組のほとんどの一般組合員や社員には、実に大迷惑なことである。
 また、会社の経営にとっても看過できない重大事であることは間違いない。今こそ、会社は東労組との癒着関係を清算すべき時である。といくらいってもダメなんだよねコレが…。困ったものである。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/民営化 奇跡の生還 新聞取材

■月刊「記録」2001年7月号掲載記事

○月×日
 今国会(第151)には、JR本州3社(東日本・東海・西日本)の完全民営化法案が上程されている。
 完全民営化とは、純民間会社となること。政府保有株(JR東は50万株)を売却し、これまでの「JR会社法」という法的規制から外れるということである。
 今までは、代表取締役の選任や、毎年度の事業計画など、国土交通省の認可が必要であったが、今後は一切しなくてすむのだ。いいかえれば、政府にお伺いを立てることなく、完全に自由にふるまえるということになろうが、どっこい、そうはいかないのでした。
 法案に目を通すと、「JR本州3社を特殊会社として規制しているJR会社法の適用対象から除外する」とあるものの、「当分の間」とした上で、国土交通大臣による「指導・助言・勧告・命令」といった、新たな規制ともいえる「指針」が盛り込まれているのだ。
 完全民営化といいながら、指導監督するのはおかしいという話も出たそうだが、扇(国交)大臣によれば、「娘を嫁にやる親の気持ちで、一切関知しないでいいようになることを望みながら、しばらくは経過措置で見守っていく」(3月15日、参院国交委員会)ということなのだそうだ。
 それもそのはずかもしれない。JRは公共性が極めて高いばかりでなく、なにかと「特殊」な企業である。完全民営化により、利潤のみを追求するあまり、鉄道輸送の根幹である安全が軽視されてはならないし、赤字ローカル線の廃止や、無暗やたらの事業の拡大は、周辺に深刻な影響を及ぼす結果となるのは分かり切ったことだから、共生共存をしていく意味でも当然といえるだろう。
 国労は、法案の上程にあたり、前述のような内容も含めて、政府の強い指導を求める見解を発したが、その項目の一つに、安全輸送に重大な影響を及ぼしかねない状況として、JR東日本会社の東労組との異常な癒着関係と歪んだ人事政策にも厳しく触れている。
 既に、公安調査庁、警察庁及び国会でも度々取り上げられている周知の事実だが、東労組には「革マル派」が多数浸透しているという点だ。
 公共交通機関であり、国民の財産を引き継いだJRに極左暴力集団が浸透していることは、国民・利用者にとっても看過できることではない。反社会的な行為を繰り返す革マル派はJRには不必要であるとして、正常な労使関係の確立に向けて、完全民営化を期に強く訴えているのである。
 それにしても、JR会社は何故、このような指導を受ける前に、自らこのような関係を断ち切ることができないのか。私は、このことが10年以上も前から不思議でフシギでしょうがないと思っているのである。
○月×日
「20%はどないなってんねん、はようハッキリさせんかいな、ホンマにもう」などと、なぜか関西弁が混じったりして、悶々たる日々が続いていたのだ。
 胃カメラを飲んだのは約10日前。ドクターの説明では、「胃潰瘍・十二指腸潰瘍はなし。きっと、びらん性胃炎だろう。念のため、組織を採って検査へ回す。大丈夫、80%は良性だろうから……」ということであった。
 本日は、ようやく検査結果を聞きに行く日である。「今では、胃癌なんて切れば治る病気だから…」と、覚悟は十分出来ていた?わけはないじゃない、こんなヤワなおれがさ。
 名前を呼ばれ、診察室へ入る瞬間、緊張は頂点に達した。「何千人、いや、何万人にそうしてきたのだろうが、おれにだけはウソなど通じないからな」などと内心荒れ狂っていたのが、ドクターのやさしそうで穏やかな顔を目にした途端、まだ何もいわれていないのに、まるで観念でもしたかのような素直な気持ちに戻っていたのである。もうどうにでもなれというのか、緊張の糸がプツリと切れたのだ。
 そんな私にドクターは静かに告げた。ガーーン。「悪性のものはなし。単なる胃炎で、薬もでません」。これがショックといわずして何だろう。これまでの心配や覚悟を思うと、私、ハッキリいって気が抜けました。
「単なる…」って、そんな殺生な。おれってやっぱり単純なのか? でもよかった。本当に安心した。別に、何もやっていないし、苦しんだわけでもないのに、「おれはやったぞ、奇跡の生還だ。た・大変なことをやり遂げたのだ」と、いつになく感激したのだった。バンバンザイである。
 しかし、私は自らを深く戒めた。「サケもほどほどにしないといかんぞう」と。うむ、胃肝臓だな、やっぱり。
○月×日
「闘う国労闘争団」を支援する、「国労闘争団共闘会議」(仮称)の結成準備集会が、5月30日、日比谷公会堂で開催された。
 国労はこれを「反組織的行動」であるとして、再三再四、中止や解散を求めたり、一般組合員にも、この行動には一切参加しないようにと指示を出していたのだが、ついにこのような事態となった。
 会場には約3000人(主催者発表)が集まり、「JRの法的責任を追及し、最後まで闘う闘争団と苦楽を共にする」と団結を誓い合い、「志や思いを同じくする全国の労働者、市民と手をつなぎ、新しい運動の輪を広げ強めていく」とする決議を採択した。共闘会議は9月をめどに正式発足するということだった。
 それにしても、こうした事態は決して好ましいものではない。それは「闘う国労闘争団」自身も思っているはずである。私は、参加者達の熱気とは裏腹に、この先国労はどうなるのだろうという複雑な思いばかりが募り、虚しい気持ちでいっぱいなのだった。
 しかしながら、こうした事態になったことは必然なのである。これまでの混乱が何故起こったのかを不問にしてきた本部は、ことの重大さを真摯に受け止め反省しなければならない。
「大会決定だから従え」という本部の態度は、国鉄からJRに至る、強権的で不当極まりなかった当局の姿とだぶってしようがないのだが……。国労を信じ、仲間を裏切れなかったから不採用になった、闘争団の今後の一生に関わる大問題が、「四党合意」の枠内で解決されようとしている。この最も重要な局面の中で、さらに混乱を招くようなことを望んでいる一般組合員は誰一人として存在しない。本部、しっかりしろ!!
○月×日
 いやはやなんとも……、新聞に出てしまった。
 毎日新聞、夕刊(6月7日付)である。「ホーム・電車内暴力事件多発」と題して、紙面半分にも及ぶ特集記事となっている。そして、なぜかJR中央線が取り上げられているのだ。
 実は私、3日前に取材を受けたのだった。「なにも私でなくたって……」、私などサイテイだし、高い見識をもった相応しい社員はいくらでもいるのに、やはり、本を出したりしているからしようがないのか。
 まず、「車掌さんというと?」から始まったわけだが、「はい、一番前にいるのが運転士で、車掌は一番後ろに乗っています。『安全正確な輸送はオレが引き受けた』とハンドルを握っている意欲満々な運転士に対して、車掌はといえば、一番後ろの隅っこで、ひっそり謙虚に『次は駅、出口はドアの開いた方』とかの、ほとんどのお客さまが分かり切ったアナウンスをしたり、ドアを開けたり閉めたりの仕事をしているのです。」とはもちろんいいませんでしたよ。でも、ほぼそのような感じで、1時間以上にわたり、時には的外れで、まるで小学生のように応じていたのでした。
 そんなのを電光石火の如くまとめて記事にして下さったものであり、読んでいただければ誠に幸甚に存じ上げる次第なのでございます。
 さて、こうして特集にまでなるくらい、首都圏では凶悪な事件が相次いでいることは事実なのだ。冒頭「なぜか」と書いたのは、中央線に限っては、今のところそれ程の事件はないからだが、毎日新聞によれば、駅や車内での暴力・不法行為の件数が、この4年間で2倍に増え、2000件近くに達しているのだそうだ。
 最近では4月29日に、東急田園都市線三軒茶屋駅のホームで、車内で足を踏んだ、踏まないといったことから口論となり、4人の少年グループに殴られた銀行員(43才)が死亡した事件。その1ヵ月後の5月26日には、西武線西武遊園地駅で「少し詰めて下さい」といったことから、若い男に暴行を受け、会社員(26才)が死亡するという事件があったばかりだ。
 いずれも、マナーをめぐるささいなトラブルが原因で、尊い生命までが奪われている。周囲の大勢の人の目を何とも思わず、すぐに逆上し(キレる)暴走してしまう今どきの若者の傍若無人ぶりは、様々な要因があるにせよ、豊かさの中で甘やかして育てた大人のツケなのだ。忍耐や辛抱などはもう死語なのだろう。
 私達乗務員には、安全の確保という義務があり、黙って見過ごすわけにはいかないが、相手が刃物でも持っていたら、とても太刀打できるものではない。
 このような事件が続くと、お客さまに注意するのもはばかられるが、当たり前のことをすることが通用しない現代社会はまともとはいえない。
 JR東日本は、八王子みなみ野駅員刺傷事件をきっかけに、ガードマンによる巡回を強化するなどの防犯体制の見直しを進めているという。
 また、警視庁では、警察官に駅構内を巡回させるなど、駅や電車の警戒を強化することを決めたという。
 こうしたやり方は、私個人としては好まぬが、どうしても駅員を配置しないというのであれば、やむを得ないことなのだろう。
 そんなこんなで、新聞を読んでほしくて、何人かの友人に電話をした。「そう、夕刊に載っているから。毎日だよ、毎日」ん? 今日1日だけなんだが……。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/ファン 人間ドック 駅員刺傷

■月刊「記録」2001年6月号掲載記事

○月×日
 三鷹で乗務を終えると、制服姿で利発そうな2人の男子中学生が、私の胸のネームプレートに視線を向けては顔を見ながら、「斎藤さんですか」と、実に礼儀正しく声をかけてきたのだった。
 私は、「そうだけど、何か」とそっ気ない返事をすると、「本を書かれた…」と続けるではないか。「おおっ、読んでくれたのか、そうか、そうか」と嬉しくなり、急にニコニコしたりして、私、態度がコロっと変わるわけです。
 私のサインが欲しくて、横浜からわざわざやって来て、ホームで2時間も待っていたのだという。私の本は、どこの本屋に行っても、まず置いてあることのない不思議な?本なので、「どこにあったの」と聞くと、図書室で読んでスゴク面白かったので鉄道関係の本を揃えてある神保町の書店まで買いに行ったそうなのだ。
 私は、図書館のことを図書室と言い間違えたのだと思い込み、「どこの図書館で読んだの」と聞くと、やはり学校の図書室だったのだ。あんな教育上よろしくない(とは思ってないけど)本が、中学校の図書室に置いてあるとはオドロキだが、「おお、そうか、かわいいやつらじゃのう、正しく生きろよ」と、私は照れること、この上ないのであった。
「ありがとう」という言葉を添えて、赤面してしまうほどヘタクソな「ナメク字」でサインをしてやると、2人共かなりご満悦の様子で、肩を押し合ったりして、私以上に照れているのだった。「第2弾が出たら、また読んでね」といって別れたのだが、どこの学校か聞きそびれたのが心残りである。
 それにしても、中学生が私の本を理解するとなると、相当な能力が必要なハズだが……。ん? それともおれが中学生レベルなのか。そうだろうな、きっと。今夜も乾杯!!

○月×日
 街は、あっという間に新緑に包まれたかと思ったら、いきなり初夏の陽気となり、半袖の若者たち、生ビールのおとっつあんが一気に増えたような感じがする。
 といっても、まだ4月である。それなのに、中央線は朝のラッシュ帯から冷房ガンガンという大サービスなのだ。
 電車に冷房が付き始めたのは、二十数年前頃だと記憶しているが、その頃は、一編成すべての車両に付いているのではなく、前3両と後ろ3両だけとかで、10両編成であれば、残りの中間4両は従来の扇風機だけだったのである。
 そのため、冷房の付いた電車が到着すると、「お客」は一斉に、その車両目掛けてホームを駆け出したものだった。知らない人が見たら、異様な光景と映ったに違いない。
 余談だが、あのころは「お客」なのであり、「さん」すら付けなかったのだ。今のように「お客さま」などといっていたのは、「神様です」と歌い、先日お亡くなりになった国民的歌手の三波春夫だけだったと思う。
 また、冷房の使用期間が限られており、4月、5月はいくら暑くても扇風機だけで、誰一人として文句をいう人はいなかったものだが、今ではすぐに苦情がくる。まさに、至れり尽くせりのもてなしで、我慢を強いないというより、させてはイケナイ時代になったのだろう。
 乗務中は、事故やトラブルがなく、平穏無事に終わってくれることを、ただひたすら願っているわけだが、最近は、私の出番に限っては、これといったことは何も起きていない。ラッキーにはちがいないが、その沈黙がまた不気味でもある中央線なのである。
 それにしても、毎年同じことの繰り返しで、月日はどんどん過ぎていくのだ。近々、人間ドックがあり、運転訓練会議、クレペリン検査、昇進試験と続く。その間にも、メーデー、分会の潮干狩(家族交流会)、組合の集まりなどと予定がビッシリ詰まっている。しかしながら、忙しければ忙しいほどサケを飲む機会も増えるという仕組になっているので、疲れも吹き飛ぶから許してしまうのである。

○月×日
 人間ドックを受診した。
 この年になると、目には見えなくても老化現象は確実に始まっているのであり、長い人生を楽しむには、自分の身体の状態を把握して、健康管理に努めることは当然だ。何よりも健康体で安心して暮らしたいしね。
 案内書には、前日は20時以降何も口にしてはならず、当日も検査終了まで水もお茶も飲んではならないとあった。もちろん禁酒禁煙である。
 それにしても、肛門診だけはちょっとね。なんとなくイヤラシイではないか。いくら品行方正でもエッチな私としては、どのような精神状態になるのだろうと、期待と不安で一杯なのであった。しかし、若い看護婦さんを前に、診察台に上がるや否や、実にスンナリとパンツを下ろした自分自身に驚いてしまったのである。妻以外の女性の前でお尻を丸出しにしたのは何回か、などと数えている場合ではなかった。何の恥じらいもない、ただのオヤジだったのだ。
 そんなことより、私が真剣に一番心配していたのは肝機能であることはいうまでもない。しかし、またも血液による検査結果はすべて正常範囲内で、超音波による内臓もキレイで異常なしということであったが、そ・そんなことより、た・たいへんなことが起きてしまったのである。
 それは、思いもしない、胃の検査で引っかかったのだ。
 レントゲン写真を前にドクターはおっしゃった。「ここの所(胃壁)がね、なめらかになっていればいいのだけど、ほら」。確かに、ぼんやりとハッキリしていないのが私にもカクニン出来た。「潰瘍ですか」と弱く恐る恐る尋ねると、「癌だと困るしね」などと、いとも簡単に、人権蹂躙的な迫力で私を圧倒したのであった。
 ガ――ン。血の気が引いていくのが分かった。「肝機能大丈夫なら、また飲めますわね」と嫌味たらしくいった妻には内緒だ。何ともなかったらということにする。2週間後に再検査。胃カメラを飲む。

○月×日
 「大丈夫に決まってるじゃないか」といくら思っても、知らず知らずのうちに悪い方、悪い方へと考えている。もし、癌だったらどうしよう、かと。
 誰にも喋らないが、こうして原稿用紙に向かうのも、きっと弱い犬ほどよく吠えることと同じなのだろう。
 それにしても、なんという運命のいたずらなんだ。もう、サケも飲めなくなるのか。
 でもいいか。普通の人にしたら、すでに一生分は飲んでいるだろうし。国労が闘うじゃなくて、今度は癌と闘うになるのか。子ども達も皆、期待通りおバカに成長してくれたし、もうオヤジなんていらないだろう。妻だって保険金でマンションのローンが払えれば喜ぶのではないか……、などと、どんどん落ち込んでいく。
 これまでの自分の人生を振り返ってみても前述のような、実に貧弱なことしか浮かんでこない。いったい私は何をしてきたのか。毎日毎日、ただ中央線に乗っているだけで、あとはサケ飲んで寝ていただけではないかとしか思えない。
 すべての事が投げやりになって、JRすら辞めてしまいたくなってしまう。これで辞めれば、文字通りの「依願退職」だなんて、どうして私ってば、最後の最後までくだらないことばかりが付きまとうのか。胃癌になんてなりたくないよ。100パーセントなりたくない。

○月×日
 まさか、こんなことが起きるとは……。
 駅員(39才)が刺されて重傷という、なんとも恐ろしく信じられない事件が起きた。
 JR横浜線八王子みなみ野駅での惨事だが、私達の支社管内である上に、うちの職場にもその駅員と同期の人がいたりして、いつになく大きな衝撃が走った。
 発生はゴールデンウィークの真只中5月1日午前0時30分ごろ。終電が終わってからの出来事だった。
 駅員が1人で駅入口のシャッターを閉めようとしていたところに、2人組の男が「動くな」と近づいてきて、1人がいきなりこん棒のようなもので顔面を殴りつけ、もう1人が刃物のようなものでわき腹を刺し、逃げて行ったのだという。
 物騒なことだ。本当にやりきれない気持ちで一杯になってしまうが、被害にあった駅員には一日も早く回復されて、職場に出てこられることを願うばかりである。
 それにしても、刺されるなどという事件は前代未聞だが、こうした事件やトラブルが起きる度に、あと1人や2人の要員がいれば何とかなったのではないかと、いつも思うのだ。
 この駅は2人体制で、1人は初電対応のため仮眠中であり、深夜帯(その逆の早朝も)は1人作業となっている。
 駅舎という広い施設にたった2人しかいないということに、少なからず不安を感じるのは私だけだろうか。何もかもスムーズにいけばいいのかもしれないが、いつもそうとは限らない。公共の場だということもあり、何かがあれば人はどんどん溢れるはずで、誰が考えても行き届いたサービスを提供するには無理がある。
 それでもJR会社は要員を増やすことは100パーセントしない。効率化という名の下に、人を減らすことばかりに躍起なのである。
 とりあえず、自分の身は自分で守るしかなさそうだが、このところ連日のように起きているのは、刺したの殺したのという暗い異常な事件ばかりだ。人と人との心が通じ合わない、まさに殺伐とした時代になってきたように思う。悲しいことだ。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/お手伝い 桜満開 トクベツ

■月刊「記録」2001年5月号掲載記事

○月×日
「典ちゃんはよく一人で飲みに行くよね」と、同僚達からよくいわれる。私もそれは不思議に思う。そういう皆もサケ好きなのに、仲間となら行くが、一人ではまず行かないのだという。
 うーむ、なぜなのか。サケが好きだから行くには違いないのだが、一日が終わり、何も用がなければ、私は一人でも暖簾を潜りたくなってしまう。そう思ったら、すぐ潜る。でも、アル中ではないよ。朝から飲むことはしないし、夜まで我慢できる。いや、我慢などはちっともしていない。別に飲もうとは思わないだけだ。夜勤の時だって、サケのサの字も浮かんでこないわけだから。
 一日を、一人静かに振り返り、明日のことをぼんやりと考えたいと思う。飲み屋でなくてもいいのだが、やっぱり飲み屋のカウンターに腰掛けて、差し出されたおしぼりで鼻の脂を拭きながら、「熱燗」と力強く伝えると、店員さんの「サケ一丁」という「復唱」が店の隅々にまで響き渡る。まるで一日の疲れを吹き飛ばしてくれるかのようだ。
 これでまた一つ、新しい連帯の輪が生まれる、わけはないが、その瞬間に感動しつつ、納得したかのように頭を上下に動かしたりしている自分がいる。どうせ皆飲んでいるのだから仲間じゃないかと思ったりもする。ここで頭を掻きながら照れることはない。「さぁ来い」とデーンと構えていればいいのだ。
 すると、そんな当たり前のことにヨロコビを感じている間もなく、すぐに熱燗が運ばれてくる。「今日はもう、何もしなくてもいいんだ」という安堵感でグビッと一杯。「家に帰って寝るだけだ」という脱力感でグビッ、グビッと杯を重ねると、2つ3つの欠伸と共に、ジワジワと恍惚状態に陥っていくのだ。わかるだろ、たまらないよな。
 あとはもう惰性でトボトボと帰途につくだけとなる。地面を見つめて、「どっからでもかかってこい」とかナントカ呟きながらチンタラ歩く。夜空を見上げて、「バーロー」と弱く吠えてはテクテク歩く。他の店の暖簾を目にしては、「また今度ね」とスタスタ歩く。歩いているうちに酔いがどんどん醒めていく。
 今夜もまた、闇の中を一人彷徨う酔っぱらいオヤジなのである。

○月×日
 実は、最近、府中に足しげく通っているのだ。京王線に乗ってだが、となると、わが社JRを利用するのとはチトわけが違う。京王八王子から府中までの230円の切符を正しく購入するのである。従って「私は純粋な? 客なのだ」と、ヨロコビを感じつつ堂々と乗るのだが、悲しいかな、やはり同業である車掌の放送が気になってしまうのだった。
 これは、マイクの扱い方が悪いからで、「高幡不動、高幡不動です」という、最後の「す」の部分が途切れてしまい、「高幡不動で」で終わっちゃうから、さあ大変。「高幡不動で」何か事故でも起きたのかと、暫し、心配してしまったりするわけですよ。ったくもう。
 で、話はそんなことではなく、なぜ府中に行くかである。私の知り合いが店を出した。今年1月から、念願の飲み屋を府中に開店したのだ。エライなあ。
 で、居心地はいいし、安いしで、よく行くようになった次第なのだ。ま、20人も入れば一杯という小さな店だが(そういっては失礼か…)、この3月でバイトの子が辞めてしまい、何から何まで店長1人でやらなければならない。そんなわけで、少しでも混むとてんてこまいとなる。
 この前なんか私、客として飲んでいたのに、途中から見るに見兼ねて、店員しちゃいましたよ。(もちろんボランティアです)。
 仕事では使わない「いらっしゃいませ」とか、接客六大用語を連発しながら、おしぼり出して、注文とって、お運びから下げまで。店長には、「やれやれ」などと溜息をつきながらも、内心は「なかなか板に付いているではないか」と思い上ったりして、結構面白がって楽しんでいたのでした。
 遙か彼方府中、広大な府中、未知の府中。2001円もあれば気持ちよく酔えるし、府中人にも必ず会える。「2001円府中への旅」。ん!? どこかにあったコピーだが、私は客なのに、手伝えることを秘かに期待して、本日も断固決行するのである。

○月×日
 桜がアレヨあれよと満開になった。例年より1週間から10日も早いのだという。
 東京・高尾間の中央線沿線にも、桜並木は結構あり、毎日のように眺めることができるからとってもハッピーだ。ポカポカ陽気の日中に、ズラリと並んだ淡いピンクを見ていると、やはり心が和み、穏やかな気分になる。
 それにしても、これほど開花が心待ちにされ、人それぞれの思い入れが大きい花は、桜以外にないのではないかと、ふと思った。
 ただ季節の変わり目というよりも、入学・入社や転勤といった、人生でいう節目に丁度よく重なり、生きていく喜びに、文字通り華を添えてくれる。そんな、まさに門出を祝うにふさわしい花だからではないか。
 でも、誰しも順風満帆という人生を送っているとは限らない。それでも、そうした人にも気持ちを奮い起たせ、夢と希望を感じさせてくれるように思うのだが、どうだろう。深い傷を負い、心が重く沈んでいる人にでさえ、春の暖かな木洩れ日と共にすべて平等に、やさしく包み込んでくれるのだから。
 桜は、「皆しあわせになれよ」といっているのかもしれない。
「アー・ユー・ハッピー?」といえば、われらが永ちゃんこと、ビッグ・スター矢沢永吉だが、彼は高校の卒業証明書を破り捨て、故郷の広島から夜汽車で東京へ向かい、なぜか横浜で下車し、そこからロック人生が始まったのだと、「ハッピーをつかみ取れ」と題して、夕刊(日経)に連載されていた。
 突然、桜とは何の脈絡もないことのようだが、永ちゃんの桜の頃の淡い出来事ということで、ま、よろしく!
 しかしながら、「横浜」という車掌のアナウンスを聞いて下りたのかどうか、気になるねぇ…。

○月×日
「花吹雪か…?」。そんなはずはないと、寝ボケ眼で窓の外をよく見ると、なんとビックリ、雪なのであった。桜が満開だというのに真冬並みの寒さだ。自然は時として非情な一面を見せるものだ。何が起きるかわからない今日この頃である。
「3月31日、土曜日、なごり雪、年度末、締め括り、最終日、なんまいだぶ、合掌、うーむ」などと一人ぶつぶつ呟きながらコーヒーを入れ、朝刊をぼんやり眺めていると、今度は一瞬グラッと小さく揺れた。テレビをつけると「6時9分ごろ、関東地方に地震が…」と出ていた。
 思えば、「忘れたころにやってくる」はずの災害が次々と起きた1年だった。有珠山噴火、三宅島噴火、鳥取西部地震、芸予地震と続き、本当に気の毒に思うが、あまりにも目まぐるしくて、何がなんだかわからない今日この頃である。
 国労は大会以降、新三役で関係省庁へあいさつ回りに行き、各政党に解決への要請を行ったそうだが、国労に対する不信があり、解決気運が薄れているということだった。まるで、賞味期限が切れてしまったかのような冷たい反応だが、あとひと踏ん張りなのだから落ち込むことはない。
 それにしても、狂い咲きになごり雪…。そう、世の中全体狂っているのだ。ん? おれか、一番狂っているのは…。

○月×日
 JR青梅線はトクベツなのである。もちろん、私達の仕事のメイン、中央線を基本にした場合だが、数ある他線区の中でも最も密接なつながりがあるからだ。
 例えば、中央線を夫だとすると、青梅線は妻だというように、親なら子、兄なら弟というくらい一心同体だといってよい。ん? なにも、中央線が中年紳士で、青梅線が青いコゾーだとか、どちらが上だの下だのと差別的なことをいっているのではないですよ。風呂上がりにビール、ごはんにみそ汁、食後にお茶と、とにかく切っても切れない関係なわけで、どちらも重要であることに変わりはない。
 前置きが長くなったが、つまり、直通運転(相互乗り入れ)をしているため、ちょっとしたトラブルでも、その影響をもろに受けることになるからだ。従って、常にわが身のことのように気に掛けざるを得ないのである。
 その青梅線が今、大変なことになっている。乗務員は皆「恐くて乗っていられないよ」と口を揃える。そうなのだ。もはや、ひと事ではない。
 3月の下旬頃から走行中の電車への投石が相次ぎ、乗客にケガ人も出た。窓ガラスが割られ、車内からはこぶし大の石も発見されている。場所はいずれも拝島、牛浜、福生辺りだが、警察やJRの厳重な警戒の中、犯人は未だに捕まってはいない。
 悪質な悪戯では済まないが、6件目となった4月1日午後10時過ぎの事件は、ゾッと寒気がするとんでもないものだった。沿線から投げられた石が窓を割っただけではない。車内を貫通して、反対側の窓をも突き破って飛び出したというから驚きだ。約60人の乗客にケガがなかったことは不幸中の幸いだが、本当に人が投げたのかという疑問が湧く。電車の窓は強化ガラスのはずだが、貫通などするものだろうか。なにか機械のような気もするが、人と人の間を擦り抜けるというのも相当な腕前で、「ゴルゴ13」のような的中率ではないか。感心している場合ではない。そんなことをしているお前なんか「マンガ」にもならないクズ野郎だといいたいのだ。誰が褒めるものか。
 一刻も早く犯人を捕まえてほしいが、青梅線に限っては、当分の間トクベツにヘルメットを被って乗ったほうがいい。ホントにそう思う。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/国労内紛 お義父さん スランプ

■月刊「記録」2001年4月号掲載記事

○月×日
 なんだか悲しくもある。
 全国大会が終わり新しいスタートを切った国労だが、組織の現状は必ずしも大会で決定された方針で大同団結するという、本来の労働組合の姿にはなっていない。
 36闘争団のうち20闘争団と有志(約半数の500人)は、「四党合意」に断固反対し、大会前の1月24日と大会終了時の1月27日の2度の記者会見で「政府・JRの責任を追求し、今後も団結して闘い続ける」と態度表明をしているわけだが、これに対して本部は2月6日、「一部闘争団員の阻害行動への対応について」という指示文書を発した。
 要点を抜粋すると、「何よりも大会前の国労の組織状況を如何に一枚岩にしていくかが解決にとって水準を高めることにとって重要であり……、しかし、既に2名の闘争団員を代表とする『「解雇撤回・地元JR復帰」を闘う闘争団有志(仮称)』が結成され、国労機関・共闘の方々に会議の召集を行っています……、国労として、このような行動は、認めることも許すこともできない状況であり、総団結作りを阻害する行動と云わざるを得ません……、各級機関・全組合員がこういった行動に対して、参加せず国労に総団結する事を徹底されたい」というものだ。
 一読すると、組織の引き締めを図る本部の当然といえる指示であり、よくわかる気もする。だが、反対派はどうしても納得できないから反対し、本部に軌道修正を求めているのだ。
 国労はかつて、社会党一党支持の運動方針を決定していたが、共産党支持の人だって大勢いたでしょう。組合員の政党支持の自由は保障され、強制などされていなかったのだ。
 今回だってこれと同様なはずで、なのになんだか、正当な批判としての反対勢力を、あたかも敵対者や組織破壊者であるかのように決めつけているように感じられてしょうがないのだ。そして、行く行くは排除してしまうのではないかという危惧が生まれるのだが、そんなことはゼッタイないよね、本部!!
 それにしても、今日まで一つにまとまり闘い続けてきた仲間同士が、何故これほどに近親憎悪が募り、深い溝を修復できずにいる背景は何なのか。
 ここでは運動論は横に置いて考えたい。
 本務の私たちは差別こそあれ、首を切られた闘争団とは来し方に雲泥の差があると思う。訴えに耳を傾けると、筆舌に尽くせぬとか人生を賭けたとよくいわれてきた。その通りだろうが、この受け止め方は千差万別であり、皆本当にわかっているのかと思ってしまう。
 いったいどれだけ歯を食いしばって生き抜いてきたのか(これからもだが)、例えようのない想像を絶する苦しみが伴ったことと察する。本部や賛成派の代議員は、運動論や方法論に偏り過ぎて、人間としての尊厳や正義感、人権感覚が麻痺してしまったのではないか。これだけは譲れないのだという闘争団・家族の心情を心から理解できていなかったのではないかと思えるのだ。それは、私自身も含めた一票投票に○を投じた多くの組合員も然りである。
 また、本部がいう「四党合意」は到達点、苦渋の選択というのもよくわかった。がしかし、説明不足だったのか、「本部を信じてくれ」だけでは説得力に欠け、あまりにも不安が大きすぎた。一般組合員の私でさえそうなのだから、一生を左右される当事者の闘争団にはなおさらではなかったか。
 それに「JRに法的責任がない」を認めても、不当労働行為と認定した労働委員会命令は歴史的に消すことはできない、ともいうが、仮りに最高裁で負けたとして「労働委員会では勝ちました」などと言う人がいるだろうか? 世間一般には最後の結果が映るのであり、負けは負け、「国労は働かない」「勤務成績が悪い」などのレッテルは一生消えることはなく、名誉回復など論外となってしまう。
 組合員の一票投票でも、闘争団においても、「四党合意」については意見が五分五分の真っ二つだった。それを考えれば、もう後の祭りだけれど、採決に持ち込むべきではなかったのかもしれない。賛成多数で可決されたといっても、主流派代議員の人数が多かったからに他ならない。
 もはや、全てが都合のいいこじつけのように聞こえてしまう。本部が「許すことの出来ない」とした反対を叫ぶ闘争団こそ最も人間らしく感じられるし、方針を180度転換したのだから仕方のないことだが、これこそこれまでの真の国労の姿だったのである。本部を支持し続けた私がいうのも変だが、私自身今すぐ気持ちを切り替えろといわれても無理がある状況になっている。
 だが、それでもやっぱり国労である。国労組合員なのだ。当たり前に生きていきたい。いいたいことは言わせてもらう。
 本部はこれまで以上に闘争団・全組合員との十分な意志疎通を計り、一丸となってやるべき手の限りを尽くしてほしい。納得のいく解決が示されますように……。

○月×日
 お義父さんは国鉄職員だったのである。昔でいう転勤族で、東京から地方をあちこち回り、定年して既に30年近くの歳月が過ぎた。
 従って、分割・民営化の混乱などの体験はないが、節々の出来事は当然気に掛けていたはずで、JRの現状もどこからか必ず耳にして、由々しき事態は心なしか憂慮していたにちがいない。
 というのは、お互いの考え方があまりに違いすぎて、この種の話になると全く噛み合うことがなく、決まって、強い当局(義父)、弱い国労(私)という態勢に持ち込まれ、それがイヤでイヤで、いつの頃からか、私の方から話題にすることは、意識的に避けていたからだ。
 それでも以前は、私がお義父さんと同じ国鉄職員であること(親戚中で私一人だった)を喜んでくれていた様子だったが、最近では、この通り、私、この上なくふがいないものだから、呆れ果てていたことだろう。情けないことだが、普段は気まずいとか、そういう関係では決してないです、ハイ。
 定年後は生まれ故郷の新潟に戻り、習字を教えたり、畑や庭いじりと悠々自適の生活を送っていたのだが、ここ10数年間といったら癌を3回も患うという受難続きで、なんとも気の毒だったのだ。
 それにしても奇跡的であった。高齢にしてその度の大手術を乗り越えては、驚くほど元気でいられたのである。苦しくないといえばウソになる。でも、口に出すような人ではなかった。
 いずれにしても、とってもしあわせだったと思う。親孝行の子ども達(含む妻、除く私カッコ閉じ、と、大勢の孫達に囲まれて、それこそ献身的な世話を受けながら、ここまでこられたからだ。
 思い出は尽きることはない。もう二度と会えなくなってしまった。本当に静かに息を引きとった。お義母さんも5年前に亡くなり、ひとつの時代が終わったのだなあ、としんみり思った。さようなら。不肖な私を許してほしい。ごめんなさい、お義父さん。

○月×日
 どうしよう。完全なスランプに陥ってしまったようだ。ここ一両日中に仕上げないと穴が開き、本当に大変なことになってしまう。
 原稿用紙を前に机に向かうものの、何も浮かばずさっぱり書けない。音楽を聴いても、冷蔵庫を開けても、風呂を掃除しても、ビールの栓を抜いても、なーんにもヒラメカナイのだ。
 なにも今に始まったことではないが、こうした兆候は去年の暮れ頃からあったように思う。
 私は「運賃誤表示問題」について書いていた。発端は横浜線利用者からの指摘だったが、JR東日本管内だけで2割を超える駅に誤表示が見つかり、四国を除く全国に広まるというお粗末さ。その結果、JRは3年間にわたり高く取りすぎていたというものだった。JRのチェック体制の甘さが問題なわけだが、私の場合、悪いのは鉄道マニアだという結論に達したのだった。マニアならば、誰よりも早く間違いに気づいて然るべきだと。当然ボツになった。
 また、「JRに法的責任あり」について書いていた。これも、闘争団を一人も路頭に迷わせることなく問題解決にあたるのは、国労の責任だと。だから悪いのは国労だという結論に達し、やはりピントがずれてボツになった。いずれも、あらぬ方向に怒りが向いてしまったのだが、私はなぜか、このようにいつもピントがずれてしまい、誤解を招きひんしゅくを買うことが実に多い。
 いつも一緒にいる妻でさえ、私を不真面目だと思い込み、常に真剣であるということに気付いてくれない。
 すっかり春めいてきたというのに悲しいことだ。3月6日には、青梅線の早朝からの事故の影響で、中央線の朝のラッシュも混乱したが、夕刊(朝日)に大きく報道されていた。踏切を渡ろうとしたワゴン車が、誤って線路を200メートルほど走って立往生したという信じられない事故だが、調べによると、踏切を渡った後に右折するところを、踏切内を交差点だと思い込み右折してしまったということである。
 苦笑せずにはいられない。私とどことなく似たような人もいるのだね。やっぱり春か。どうしたら書けるようになるのだろう。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/永年勤続者表彰式 ビデオ 第67回全国大会

■月刊「記録」2000年12月号掲載記事

○月×日
「25年永年勤続者表彰式」が京王プラザホテル八王子で行われた。受賞者は八王子支社内では151人、JR東日本全体では約3000人ということだった。当初はどうしたものかと悩んでいたのだが、何でも見ておくことが自分の務めだと思い、妻同伴で出席した。
 華やかさの中にも厳粛な空気が漂い、あちこちから「おめでとうございます」という心のこもった言葉が響きわたる。今日のこの日を大過無く迎えることができたのは、やはり慶ばしいことで、大変おめでたいものだと素直に思えた。
 ただ一つおかしかったのは、表彰式での組合の来賓が東労組八王子地本委員長1人ということである。わが国労と鉄産労の委員長は招待されていない。昨年からなぜかこのような扱いになっているという。
 あいさつは社長(支社長が代読)から始まり、支社長、現場長代表と続いた。その内容はといえば、私たちが入社した昭和50年から国鉄時代の12年間とJRの13年間、国鉄改革を乗り越え、JRが発足するという激動期をよく頑張ってくれたとの賛辞である。それには家族の支えがあったからこそと強調され、今後は早期に完全民営化を達成しなければならないということであった。
 なかでも印象に残ったのは、JR東日本は世界で最も尊敬される企業の一つになったという社長の言葉である。これほど問題を抱えた企業に対して、私たち一般社員との認識の違いはどこからくるのかと、改めて考えさせられた。しかし、受賞者代表のあいさつの後は立食式の懇親会(パーティ)に移り、飲めばすぐ酔う私であった。
 私は駅長や助役にならなくて本当によかった(なれるわけないけど、酔ってですから、あしからず!!)。国鉄時に車掌試験に受かって以来、出発進行の指差確認一筋、22年にもなるわけだが、なりたての頃は、まさかこんなに長く車掌をやっているとは思いもしなかった。でも、今ではサイテイ車掌で十分満足して、日々励んでいる。さすが優良企業の人事である。しっかりと私を見抜き、選考を誤らなかったのだから……。
 いずれにせよ、俗にいわれている「もうろく賞」を貰ったからといって、もうろくするにはまだ早い。今日を境に新たに頑張ってほしいということでもあった。人は一生頑張らなければ生きていけないのだということを、実感を持って感じることのできた有意義な一日であった。

○月×日
「四党合意撤回を求めて」(ビデオプレス制作)のビデオを観た。先の続開大会を前に上京した闘争団が本部と交渉を行ったドキュメントである。
 今なお揺れに揺れている国労だが、闘争団の本部にぶつける切実な生の声は、まさに生死をかけて13年間を闘ってきたのだという思いが滲み出ていて、目頭が熱くなるほど胸が痛む。しかし、感傷に浸っている時間はない。怒りのやり場に困り、ただただやり切れないとしかいいようがない。苦境に立たされているのは皆同じ、国労全体なのである。
 具体的な解決案のない四党合意は撤回すべき、とする闘争団は「本部は闘争団を切り捨てるのか、おれたちの人生を勝手に決めるな」と迫る。一方、四党合意は到達点、解決のラストチャンス、とする本部は「続開大会では四党合意の採決は行わない」「一票投票で賛否を問う」と決定するに至るわけだが、この交渉における闘争団の問いかけ(追求)には、ほとんどまともに答えていない。というより、本部自らが自信がなく、答えられないという見方が正しいのだろう。
 一票投票で○(賛成)をつけた私は、重大な過ちを犯してしまったのだろうか……。
 闘争団の声を二つ三つ記しておきたい。
「ぼくらは13年間、本部からJRに責任ありと教えられてきたんですよ。それが1日でひっくり返るわけでしょ、すごい問題なんですよ」
「本部は組合員の代表なんですか、自民党の代表なんですか、運輸省の代表なんですか、それを聞かして下さいよ」
「このことに生死をかけているんだよ、○×グループだか、○×一派だかしらないけれど、政党的な考えで、私たちはそんなレベルでやっているんじゃないんですよ、家族の命をしょってやっているんですよ」
「うちの母さんは闘争団やってから服買ったことないですよ、そんなお金あったら子どもに着せてやりたいから、皆そんな思いでやってきたんだ、それが5月30日、ある日突然みたいに、新聞で四党合意、JRに責任なしっていわれて、子どもがそれ見て、おやじ何のためにやってきたんだって母さんにいったら、母さん、私なんか死ぬことなんか恐くないて、そんなふうに、家族を、追いつめる……、委員長……(絶句)」
 このような思いをしてまで必死で生き抜いてきた闘争団が、人間失格みたいに労働者としての首を切られる理由などあるはずがないではないか。こうして、人間として闘い続けた、意欲のある者こそが必要とされる世の中であってほしい。
 これほどまで苦しく、辛い境遇に置かれた争議を、私は他に知らない。

○月×日
 10月28日から29日にかけて、国労の第67回定期全国大会が社文会館で開催されたが、またも反対派の激しい抵抗により休会となった。四党合意を含めた運動方針案の討論にすら入れずにである。
 1日目は午前10時から開催された。冒頭、高橋委員長の挨拶はこれまでにない異例の長さで、55年余りに及ぶ国労の歴史と伝統を振り返ることから始まり、理不尽な攻撃に対しては屈服するのではなく闘わなければならないというものだった。
 そして、執行部が四党合意を受け入れるに至った経過を詳細に述べ、「四党合意を承認した後、(政府は)さらなる譲歩を迫ってくることは十分あり得る。冷静かつ慎重に対応すべきだ」などと、四党合意を否定はしないにしろ、執行部を暗に批判するような発言だった。
 この日は、経過報告を巡って10人の代議員が発言した。「四党合意を蹴って今後の展望はあるのか。賛成が55%を占めた一票投票の結果を厳粛に受け止めるべきだ」との賛成意見も出たが、ほとんどが執行部を厳しく批判する反対意見であった。
「四党合意受け入れは執行部の独断だ。JRに責任なしを認めるのは妥協ではなく屈服だ。執行部は四党合意を撤回して即時総辞職せよ」というものばかりで、「経過報告を認めるわけにはいかない」とする執行部の責任追及に終始し、夕方には承認される予定だった経過報告は翌日に持ち越されるという異常事態となり、午後6時過ぎに終わった。
 2日目は9時30分過ぎから開催された。議事運営委員会と議長は、経過報告と運動方針案を同時並行して討論することを提案したが、反対派は切り離すようにと強く求め、すぐに紛糾。長い休憩(執行部による舞台裏での調整)後、結局、経過の討論を先行させることになり、反対派の代議員を中心に8人が発言した。
 宮坂書記長の中間答弁では、総辞職については「全員が総辞職し、新しい執行部を作ることは再三申し上げたとおり」と、再任しないことには一切触れず、壇上占拠については「本部見解は暴力行為を否定したもので、闘争団を暴力団呼ばわりしたものではない」と述べた。要するに闘争団との本部交渉など、従来の発言を繰り返すばかりで、真新しいことは一言もないというお寒いものだった。時間はどんどん過ぎ、議事予定は大幅に遅れていった。
 午後からは経過の質問を打ち切り、承認手続きにはいるとして無記名投票で採決することが提案されたが、反対派が猛反発。場内はまたも騒然となり紛糾。休憩は約2時間に及んだ。
 閉会予定時間の午後3時が過ぎ、3時30分頃、再び議運から、採決するとの同様の提案がされ、場内閉鎖を行うと同時に、反対派が強行突破しようと警備係と激突し、今にも壇上に詰め寄ろうとする大混乱となった。怪我人も出る中、代議員の有効投票数109のうち、賛成74、反対31、保留3、白紙1という採決の結果が出た。
 反対派は「強行採決」に猛烈な抗議の声をあげ続け、午後4時過ぎにまたも休憩。午後5時30分、休会が宣言され、今後は未定という幕切れとなった。(以上、2日間の傍聴記)
 私は、またも物別れに終わって非常に残念というのが率直な気持ちである。高橋委員長の挨拶を聞き、「執行部内ですら未だに統一できずに乱れているのか」と、危惧と腹立たしさで初めから困惑せざるを得なかったのが事実だ。
 これでは、「国労はいったい何をやっているんだ」といわれそうだが、みなそれぞれ必死なわけです。このままでは永遠に平行線をたどり、溝が埋まるとはとうてい考えられない。労働組合として、個々人の異なった意見を尊重するのは当然だが、もはや統一と団結にも限度があると思わざるを得ない。
 最後の決断として、一票投票には○(賛成)を投じた私だが、四党合意はあまりにも非情で無理が伴うものであり、反対派の主張の方が筋が通っていると思っている。
 闘争団は国鉄の分割民営化という国策によって生まれた犠牲者である。政治が解決に動くのは当然のことだが、政府にも闘争団や家族の筆舌に尽くせぬ切実な訴えが何度も届いているはずだ。私には政府が弱いものを愚弄しているとしか思えない。「JRに責任なし」を認めることが前提条件などという、黒を白にするような姑息なやり方ではなく、もっとフェアにすべきではないのか。先にそれぞれの条件を提示して、交渉により妥協点を見いだしていく。そして、最後に「JRに責任あり」を取り下げるという当たり前のやり方で行うべきである。
 誰もが心から早期解決を願っている。妙案があったら教えてほしい。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/ 一票投票 さいたま新都心 55%

■月刊「記録」2000年11月号掲載記事

○月×日
 大会を二度も開催しながら何も出来なかったことは、国労の歴史に大きな汚点を残したといえるかもしれない。
 続開大会では、執行部案である「四党合意」(JRに法的責任なし等)の採決は行わず、全組員による一票投票で賛否を問うと決定されたが、今度はこの一票投票が物議を醸しており、ますます混迷の度を深めた状態となっている。
 一票投票については、私は先に「現局面の混迷を回避すべく、組織の統一と団結を大切にする道を選んだといえるだろう」などと書き、ノーテンキで頭が空っぽであることがバレてしまったが、反対派は実に鋭い意見を述べている。
 まず、「四党合意」の撤回要求はもちろんのこと、一票投票は闘う組合員を上から弾圧し、組合員一人ひとりに執行部支持か反対かの踏み絵を踏ませるもので、国労組織団結に、より一層の混迷と亀裂を生むものだとしている。また、政府・運輸省がいう「闘争団の多くが闘い続けるようであれば、四党合意は意味がない」ということからも、「四党合意」は何ら実効性がないことがハッキリし、すでに破綻している。一票投票は闘争団切り捨ての賛否を問うに等しく、ただ単に大会を強引に乗り切るための方策にすぎない等の理由から、撤回、中止を求めているのだ。さらになんと、東京地裁に「一票投票禁止を求める仮処分命令の申立」まで起こしたということである。
 非常に困った事態であるとしかいいようがない。意見の隔たりがあまりにも大きすぎて、この溝が埋まるとは到底思えない。分割・民営化前の修善寺大会で大分裂をして以来、苦闘を共にしてきた仲間同志がこうして対立し、いがみ合うことだけは避けたかったのだが、もはや国労は未だかつてない最大の危機に直面したといっても過言ではないだろう。
 だがしかし、今日まで国労組合員でい続け、闘う国労の旗を守り抜いて来たこと、とりわけ闘争団が人生を賭けた国鉄闘争を無意味なものとして終わらせないためにも、現実を直視し、責任ある判断と重大な決意をもって、現局面をなんとしてでも乗り越えていかなければならないのだ。
 私もこれまでに実にさまざまな文書に目を通し、それぞれの主張を十分理解してきたつもりでいるが、いつまでも「四党合意」は△(保留)などという曖昧な気持ちで揺れ動いているわけにはいかない。そんな場合ではなくなった。○(賛成)か×(反対)か、いかなる態度をとるべきか。ここは決然と悔いの残らない二者択一を決するときなのである。
 13年余も闘ってきた、いわゆる到達点としての「四党合意」は、あまりにも屈辱的すきる。本当に歯を食いしばってがんばってきただけに(筆舌に尽くしがたいとはまさにこのことをいう)納得しかねるのが当たり前であり、反対である。
 また、和解交渉(話し合いのテーブル)に入る前に「JRに法的責任なし」を認めてしまうことは全面屈服(敗北)以外の何ものでもなく、危険と不安が大きすぎる。その結果、解決水準が極めて低いものにされることは明白である。
 それと同時に、闘争の切り捨てだといわれているが(本部はそうではないといっているし、そのようなことはするはずがないと確信しているが……)、解決(最終局面)=闘争の終結(幕引き)=勝利、敗北のいずれにしろ、言葉は悪いが「切り捨て」の論理につながると考えるのは常識的である。――等々、まったくもって反対意見に同調してしまうのだが、私は悩みに悩み抜いて、冷静に考えた結果、苦渋の選択だったとする執行部を支持せざるを得ない結果に達した次第である。

○月×日
 何度も同じことの繰り返しとなってしまうが、1047名不採用問題は、「政治による早期解決」という国労全体の一致した考え方があった。
 当初、政府・JRは、「解決済み」だとして、頑なに相手にしないという態度をとり続けてきたが、13年余りにわたる闘いにより、「政治の責任で解決しなければならない」問題としてまで押し上げた結果が、執行部がいういわゆる到達点、「四党合意」という最終条件なのである。
 政治を動かしたこと、現在の力関係からして、ゼロだったものを何とかここまで押し上げたという現実を直視することが最も重要なことのように思う。せっかく掴んだこのチャンスを無駄にすべきではない。最大限に生かすべきだと、私は思うに至った。これが長かった国鉄闘争の、国労運動としての到達点だという認識である。
 確かに、当該である闘争団と多くの組合員には不安が大きすぎて、承服できずにいる。ならば仮に、この到達点を蹴ったとしよう。「四党合意」を拒否すれば、政府はただ「ああ、そうですか」と何もなかったかのように全面的に手を引くだけである。それは、政治折衝の窓口がなくなり、政治的パイプを失うということを意味するのだ。失うものが大きすぎやしないか。今後の新たな闘いの展望を考えてみても、今まで以上の取り組みが出来るのだろうか。
 毎年の退職者が国労内だけで1500名という現状で組織が先細りしていく中、体力、つまり組織的力量がどれくらいのものなのか。このことは、闘争団を支えていく上でも非常に重要なポイントでもある。
 今さらいうまでもないことだが、階級闘争はすべて力関係で決まるといってよい。常識が非常識になることもあれば、悪法であろうがなんであろうが、数の力でまかり通ってしまうのである。正しいことが必ずしも勝つとは限らないことは、私達が身をもって、イヤというほど味わってきたことだ。闘いの結果が皆が喜べない場合もあり得るという覚悟も必要だろう。
 さらに問題なのは、「闘い続ける」ということがあまりにも抽象的すぎるきらいがある。それは反対派の中から、執行部案に対する具体的な対案が提起されていないということだ。10年、20年先の保障が不透明すぎるのである。雲散霧消になったら、闘争団は救われない。
 こうしたことからも、この闘いがいかに困難であるかは証明できると思う。今一度、これまでの13年余りの重さを振り返れば、この時期がやはりラストチャンスとみるべきではないだろうか。
「四党合意」受諾を決断するにあたっては、執行部はそれこそ誰よりも最も悩んだはずである。現在の力関係、政治情勢、裁判の動向、将来展望等、ありとあらゆる分析を行い判断されたことであり、重大な決意であると受け止めたい。
 国労の最高機関である大会で承認・決定された一票投票を厳粛に受け止め、到達点としての「四党合意」に自信と確信を深めることにより困難を打ち破り、事実上の解決交渉に向けて決意を固めたい。
 私は最後の最後まで闘争団を支援していく気持ちに変わりはない。あと少しだぞ、ガンバレ闘争団!! 「四党合意」が謳っている「人道的観点」という文句がどれくらいのものなのか、十分見極めてやろうではないか。
 国労の組織の統一と団結が今ほど求められている時はない。なんとしても一票投票を成功させなければならない。

○月×日
「アイ・フィール・ファイン」。乗務中までジョン・レノン。とってもハッピーな気分で、ジョンの名曲を思わず口ずさんだりしている。
 今年4月に開業した「さいたま新都心駅」(京浜東北、宇都宮、高崎線)に、世界初の公式ミュージアム「ジョン・レノン・ミュージアム」がオープンする。それもジョンの60歳の誕生日である10月9日にだ。20世紀の偉大なアーティストであるジョンが残した詩や曲、遺品や映像等を紹介するというものだ。
 その宣伝として、ジョンの優しい顔写真入りのポスターが各車両に掲げてあるものだから、ジョンフリークの私としてはたまらなく嬉しい。
 また、テレビでは某社缶コーヒーのCMで、ジョンとヨーコのキスシーンが放映され話題となっている。没後20年を迎えたジョンがいま再びよみがえり、ミレニアムを席巻する。列島はジョン一色に塗りつぶされた、こんな表現も私にはちっとも大げさではない。
 さいたま新都心駅櫻井実駅長がジョンを知っているのかどうかは疑問だが、「ぜひ遊びに来てください」とおすすめしている。知らなくても許すよ。
 さあ歌おう。「ワン・アフター・909」
「9時9分発の次の列車で彼女は行くと行っている。おれも乗せてくれ……」。うーむイカスよなぁ。

○月×日
 55%が「四党合意」に賛成。
 一票投票の結果は、投票資格者数約2万3600人のうち、賛成が約1万3000人(55%)、反対が約8500人(36%)、保留などが約2000人(9%)であった。
 闘争団員の多い北海道と九州でも、57%、64%と、全国に比べいずれも賛成率が高かったことが、反対が多いと思っていた私には意外だった。
 しかし、賛成が圧倒的に多いというわけではない。本部は「全組合員の意志を示すものとして、重要な意義を持つ」と評価しているということだが、賛成1万3000人に対して、保留などの批判票を合わせた反対票(といっていいのかどうかだが)が1万を超えたことから、意見は二分されており、拮抗していると見るべきであろう。
 反対派は「賛成派は四党合意で早期解決か、拒否して泥沼の長期闘争かと、論点をねじ曲げ、長期闘争を避けたい気分につけ込み、組合員への締め付けで票をかすめ取った」などといっているが、私は断じてそうではないといいたい。誰だって苦渋の選択だったのである。これ以上亀裂が深まるような発言は慎んでほしい。
 いずれにしても、投票の位置づけであった「国労組織の統一と団結を図る……」が、達成されたとはいいがたい。来る10月28・29日の定期大会に向け、出来る限りの意志統一を図ることが急務である。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/続開大会 フェーン現象 ソウル

■月刊「記録」2000年10月号掲載記事

○月×日
 お盆が過ぎて、夏の終わりをふと感じた。厳しい残暑は当分続きそうだが、青空に浮かんでいる真っ白な雲や、Tシャツを軽くなびかせる早朝深夜の冷んやりとした微かな風に、秋の兆しが漂う。そのどれもが真夏のそれとは微妙に異なり、なんだか切なくなってくる。夕方の蝉時雨が鳴りやんだかと思うと、夜の静けさに秋の虫の音が広がってくるのだ。
 この夏は病欠後ということもあり、これといった予定も立てずに来る日も来る日も暑い暑いと呟いていただけだったが、図書館にはよく通った。お金を使うことがない上、街中の喧噪とは逆に静かで涼しいのがなによりだ。しかし、活字に目を落とすものの頭に入らないことが多く、学生風の女の子の横顔ばかり眺めているというアブナイ状態であった。結局は何もしていないのと同じである。
 夏の夜の風物詩の一つ、国営昭和記念公園と東京湾の花火も素晴らしくキレイだったが、浴衣どころか制服制帽の乗務中に見ただけで、行ったわけではない。
 帰省もしなかったし、海にも行っていない。ひまわりも見ていないし、蚊にすら刺されていない。
 家にいれば、昼間から缶ビールで喉を潤しジャズなんぞを聴き、一日中ランニングシャツとステテコ姿ときたもんだ。ランニングシャツ一枚で「JRに法的責任あり」、ステテコ一枚で「国家的不当労働行為は許されない」などと考えているのだが、本当にこれで大丈夫なのかと自分でも不安になったりして、なんかヘンなのだ。つまり、夏らしいことは一つもしていないのである。
 そういえば、パソコンと向き合っている時間が多くなった。息子のケータイに電話すれば済むことでも、いちいちメールで送ったりしている。「今どこにいるんだ? 晩ごはんはカレーだよ」。そして息子から来る返事はといえば「また海に行くからお金ちょうだい」である。誰に似たのか、ちっともまともに答えていない。
 ふと、過ぎゆく夏を惜しむといった表現が、他の季節にはないことに気づいた。何か特別なのだろうか……。

○月×日
 休会となった7月1日の臨大から1ヵ月以上が経ち、8月26日の続開大会まで残すところあとわずかとなった。
 四党合意をめぐった意見対立は熾烈を極め、労働運動界全体を揺るがしているといっても過言ではない。このまま国労はまとまり切れないのではと誰もが感じていることだろう。
 本部に対して不信・不満を募らせ、半信半疑に陥っている組合員も少なくない。「JRに法的責任はなし」は断じて認められないとする各支援団体が入り乱れており、イデオロギーに固執するあまり、現実路線からどんどん遠ざかっていくような気がしないでもないが、仕方のないことだろうか。
 また、36ある闘争団のうち、22の闘争団が、四党合意撤回と大会中止を求めているという。つまり、本部が闘争団を説得しきれなかったわけである。
 当初の本部説明では、「四党合意の確認だけの大会にはしない」「政治と同時進行で動いている」「大会では解決案を示し、討議資料を出すようにする」ということだったが、前回の臨大ではそれらが守られず、今回も実現しそうな情勢にはない。
 また、解決水準についてはさまざまな情報が乱れ飛んでいる。例えば、解決金は80万円で、採用(雇用)は75名等々。四党合意を通り越して悲しくなるばかりだが、「本部に裏切られた思いだ」とする闘争団の気持ちは当然であるし、これで納得しろという方が無理な話ではないのか。早期解決は誰もが一致した思いだが、どのような解決でもよいということにはならない。13年闘った到達点がこれでは済まされない。どうしても譲れない一線があるはずだ。ま、本部も重々承知のことで、いうまでもないことであろうが。
 私は、最後の最後まで闘争団を支援していく気持ちに変わりはないし、今でも本部を信じている。「闘争団を切り捨てるようなことはしない」といった本部を、心の底から信頼している。複雑な思いがあることは確かだが、続開大会では、闘争団を私達組合員をぜひ納得させてほしい。
 ここまで漕ぎ着けたチャンスを無駄にすることなく、一致団結して大会を成功させることだけを願う。

○月×日
 続開大会は、8月26日午後1時から社文会館で予定通り始まり、高橋委員長の特別発言を全体の拍手で承認し、何の混乱もなく約10分で終了した。
 中身は、「JRに法的責任なし」などの四党合意の採決は行わない。四党合意の賛否は全組合員による一票投票で決めるというものである。
 この日の朝刊に大きく報道された「執行部総辞職」(四党合意を執行部の判断だけで受け入れた結果、組織内外に大きな混乱と不信を招いたため)については、大会直前の全国代表者会議で一転して、辞表は委員長預かり、10月の定期全国大会で「信を問う」ことになったのだという。
 本部はこの間、たび重なるオルグや会議、また、交渉や申し入れの受け入れなど、大変な苦労があったわけだが、反対派との意見の隔たりは大きく、組合員の混乱と不信は増すばかりであった。結局は、現局面の混乱を回避すべく、組織の統一と団結を大切にする道を選んだといえるだろう。
 高橋委員長は発言の冒頭で、7月1日の臨大が5時間遅れて開催されたこと。混乱で休会になったこと。その後、闘争団や全国の共闘関係者に大きな迷惑をかけたことに対して深くお詫びをした上で、
一つ、当事者である闘争団との意見交換、合意形成が不十分であった
二つ、解決案の具体的内容を示すことが出来なかった
三つ、職場討議をする時間的な保証と情報の提供が不十分であった
四つ、支援共闘、連帯していただいていた方への配慮が足りなかった
と、これらの事実を述べ、心からの反省を示し、理解を求めた。そして、先の提案となったわけである。
 いずれにせよ、今後の焦点は、組合民主主義の観点から行われる四党合意の賛否を決める一票投票に移ることになるが、9月18日から始まる10月の定期全国大会の代議員選挙と同時に実施するのだという。
 投票の結果は予断を許さない情勢だが、もし過半数を超えて四党合意が承認されるとなれば、現執行部は一旦総辞職はするものの、何人かは続投となり、かすかに残る政治解決への道をなんとしてでもつなぎ止めようとするはずである。また、否決となれば、四党合意は撤回されて新執行体制となり、最後の最後まで闘い抜くことになるのだろう。
 まったくもって前途多難なわが国労だが、これまでの13年間の紆余曲折を乗り越えてきたことを思えば何のことはない、はずだ!?

○月×日
 ふう、アツイ。暑いなんてもんじゃない。アヂアヂ、アヂ、まさにドライヤーの熱風さながらなのだ。9月になったというのに、フェーン現象とやらで今年一番の暑さだという。
 私は2週間おきの通院の日であったが、その帰りに普段は滅多に入ることのない喫茶店に駆け込み、アイスコーヒーなんぞを注文して涼をとったほどだ。店にあった週刊誌(新潮)に目を通すと、「国民はとっくに忘れている『国労』という組合」という見出しで、先の臨大のゴタゴタが載っており、最後は「きっとそのまま消えていくのだろう」などと締め括られているではないか。まったくもって看過できない内容だったが、「ふーん」とやりすごしただけで、相手にする気も起きなかったのだ。
 また、丁度休みだったので、あちこち寄ったりと予定を立てていたのだが、暑くて暑くて、そんな気はすっかり失せてしまい、猛ダッシュで(自転車だけど)帰宅したのだった。
 で、クーラーを入れるや否やステテコ一枚になり、とりあえずビールだ!! とワイルドに栓を開けたわけです。早く夕方になれと願いつつ、ほろ酔い気分でベランダに出ようと窓を開けたら、熱風の進入と共にいきなりブレーカーが落ちてしまった。それくらい暑いのである。
 暑い暑いと何百回口にしたかわからないほどの暑い夏だったが、季節は変わっている。翌日からは打って変わって、何日間かグーンと涼しくなり、風と空は秋になった。

○月×日
 妻がソウルに行くことになった。職場の旅行なのだが、初めての海外旅行である。
 とても楽しみにしているようだが、日が迫るにつれ、どこかしら不安が入り交じっているのがありありと分かる。どこで聞いてきたのか、行きの飛行機はよく落ちるらしいなどと口にするようになり、しまいには「そうなったら、あなたは嬉しいんでしょ」とくる。
 先ごろ実現した、南北統一に向けた和解の話し合いは記憶に新しいが、妻にはそうした雰囲気に触れてくるなどといった高尚さは微塵もない。ただ行くだけ。行ってカルビなどの焼き肉をたらふく食べ、無駄と知りつつ、少しでも美しくなろうと韓国式エステに行く。それだけで大満足であるはずだ。
 ま、それでいいのだけれど、なにさ、そんなことは東京にいても十分出来る。私なんか夕べ、都内の某焼き肉屋で一足先に韓国体験を済ませてきたのだ。本場の焼酎をがぶ飲みしながら、カルビだってしこたま食べたのだ。羨ましくも、何ともないもんね。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/壇上占拠 パソコン 職場復帰

■月刊「記録」2000年9月号掲載記事

○月×日
 臨大は「壇上占拠」という反対派による実力行使の形で異例の休会となった。
 国労本部はその直後の7月3日、「臨大休会についての見解」なる声明を発表した。
 その内容は8項目からなり、「大会を成功させることが出来なかった責任を痛感している」「組織に責任を持って、態勢の立て直しのために全力を挙げる」「政党・政府関係者の皆さんに対し、衷心よりお詫びする」……という真摯なものだが、「壇上占拠」については、「大会破壊の暴力行為に対し、非難すると共に憤りをもって抗議する」とされている。
 この「壇上占拠」の事態を、本部がいう暴力と決めつけるのか、あるいは、抵抗権の行使と正当化するのかは微妙なところだが、私はむしろ、このような(暴力だとする)見解を発すること自体が、悲劇的に思えてしまうのだ。
 何やら、国労内部で取り返しのつかなくなるような対立が生まれてしまうのではないか、という危惧である。
 このような見解は本部を支持するものが正当で、反対するものは間違いだという誤解を与えかねない。つまり、闘争団は組織破壊の暴力分子として孤立化し、結局は切り捨てにつながるのではないかという心配だが、考えすぎだろうか。
 四党合意の解決案にはさまざまな異論があるものの、今、国労にいちばん求められているのは分裂や分断などでは決してない。一枚岩の統一と団結により、いかに解決に突き進むのかということだ。政治による早期解決は一致した思いなのである。本部の独断的な決定には確かに問題があるものの、ここまで漕ぎつけたからには闘争団の切実な声を十分に汲み取り、なんとしてでも事態打開に向けて動かねばならない。
 本部は死にもの狂いで解決水準を引き上げることに努力し、早急に闘争団に提示すべきである。

○月×日
 産業医と会ってきた。場所は新宿にある中央保健管理所。今後の勤務の相談やらアドバイスを受けた。
 ま、多くは期待していなかったが、やはりこのビョーキは何ともスッキリしないものだということを改めて痛感した。整形のドクターもおっしゃっていたように、あまりにもつらかったら休んで安静にするしかないという。ヘタすりゃあんた車いすだよ!! という話なのだ。
 立ちっぱなしの乗務はよくないに決まっているが、これしかない。デスクワークに転職を考えてみてはともいわれたが、現状ではほぼ無理。こんなことは先生にいわなかったが、国労を辞めて東労組に加入なんてことにもなりかねない。ならばどうすりゃいいの? 「ヘイ、メン、答えはナシさ」なんて気取っている場合ではないのだ。
 いずれにしても、もう4週間も休んでいるのだからいい加減仕事に出たい。アナウンスマイクを握って、「戻ってまいりました」と乗客のみなさまに報告したい。白い手袋で指差し確認を決め、「停止位置オーライ」と隣の駅にまで聞こえるような喚呼で、これまでのストレスを発散させたい。一刻も早く中央線の人になりたいのである。
 産業医は、「いきなり乗務するのではなく、はじめのうちは出勤するだけとか(いわんとすることはわかるが、そんな仕事はないよ)日勤にしてもらって慣らしていくようにと、私の方から区長にいっておく」ということであった。
 私は乗務するつもりでいるが、そうしてもらえれば実にありがたい。
 さて、区長はどうしてくださるだろうか。
 しかし、車掌は乗るだけなのだ。乗務以外の仕事などないわけだし……。
 職場復帰を前にアレコレ考えると、ちょっぴり憂鬱になってしまう今日このごろである。

○月×日
 ついにパソコンを購入した。
 実は私、同僚もあきれるほどのアナログ人間で、ケータイは持たず、ワープロすら打てない。しかしそれで何の不自由もないし、恥ずかしいとも思わない。逆に、「強引にマイウェイしてるもんね」などと楽しんでいたわけである。
 ところが今や新聞もテレビも、「インターネット時代」「IT革命」だのと四六時中騒ぎ立てる。私にはちんぷんかんぷんな言葉が、もはや解説不要が当たり前であるかのように使われていることに、少なからずショックを受け、焦ったのである。
 私は流行りというものに対して馬耳東風を決め込むことが多いのだが、これは一過性のものなどではなく、これからの日々の暮らしに必要不可欠に定着するものだと、遅ればせながら確信した。
 新しいことを覚えるのは確かに面倒で、「チャレンジ精神が希薄」といわれればそれまでだが、私だって「やれば出来るさ、何だって」といつも思っている。
 こんなことをつらつらと思っていたのだが、早急に買わねばならない要素がさらに増えた。というのは、「学校で使うからパソコン買ってよ」と、息子がいい出しそうだったのだ。
 家に2台もパソコンは置けない。もし息子に買ってやったら、当然息子のものとなり、私はいちいち「ちょっと借りるぞ」とお願いする立場となる。それではマズイ。困るのだ。
 わが家においては、正しい父子関係が確立されなければならない。これは大変重要な課題である。「お父さん、パソコンお借りします」と、息子が私の部屋に入ってくる。こうでなくちゃ。皆さんもそう思いますよね。
 まあ、私の方から「ここはこうすればいいのかなぁ」と、息子にお伺いを立てることになるような気もするのだが。

○月×日
 約1ヵ月ぶり、ついに職場復帰した。
 振り返れば1ヵ月なんてあっという間だったが、久しぶりに職場に顔を出したのに、会社も組合も当たり前のように動いていた。まあ当然といえば当然だが、私一人がいなくてもなんということはないのだ。そのうえ家庭でも、仕事にいかない私を粗大ゴミ扱いする。
「なら、おれの存在って何なのさ」と、悲しくなってしまうが、人間一人なんてちっぽけで弱くてもろいものだとつくづく思う。しかし私は、気落ちはしても命を落とすようなことはしたくない。
 いっそのこと、会社からも家庭からも逃げ出して、夢の中へ迷い込んでしまいたいという衝動に駆られたりする。一人ぼっちじゃ生きられないから、誰かステキな女性とでも……、なんてね。
 そんなこと、ヘルニアおやじは無理に決まっている。やっぱり現実に戻るしかないのだ。
 区長へ対する産業医からも伝言もむなしく、結局は初日から乗務となったが、こうするしかないわけだし、なによりも私が乗るといったのだから、これでいいのである。
 それにしても何度もいうようだが、立ちっぱなしで常に揺られている乗務は本当によくない。だったら座ればといわれそうだが、腰掛けたり立ち上がったりを繰り返すのもよくないそうだ。「ならいったいどうすりゃいいんだ」と、一人やけのやんぱち、思わず指差確認をする指先に力が入ってしまうが、私はふとひらめいた! ぶら下がればいいのである。
「ぶら下がりでブーラブラ」などと呟きながら、乗務員室を見回したら、小さな網棚があった。アレしかないと思い、いざ……、できなかった。なぜって、お客さまから丸見えだったのだ。私だって復帰早々モンダイを起こしたくないものね。
 なにはともあれ、一日を無事に終えることができてホッとした。やっぱり病欠後半のリハビリがよかったのかな。でも、どうにもハッキリしないこのビョーキは、優柔不断である私にピッタリ合っているように思えてきた。なにしろ、全治一生だものなぁ……。

○月×日
 続開大会の日程が決まった。
「四党合意撤回」「続開大会は中止」の声は相変わらずだが、反対派の意見ばかりが目立ち、本部からの情報が極端に少ないのが気になるところだ。
「JRに法的責任はなし」などと思っている人は、本部の役員にしろ誰一人といないのである。それでも、政治での解決を計るために「責任なし」とするのであり、私も当初は「仕方ないか……」などと軽く考えていたのだった。
 しかし今となっては、せめて「法的責任は問わない、追求しない」ぐらいに出来なかったものかと悔やまれてしょうがない。
 何度もいうようだが、「法的責任はなし」というのは、首切りは正当でした、私たちの闘いは間違っていましたという、14年間の全てを否定することなのである。
 それでも認めろってか、ベイビー、できねえよ。
 大会は本部支持の代議員が多いことから賛成多数で承認されるのは間違いない。成立するのである。
 しかしどうだろう。反対する多くの闘争団と、それを支持するグループが「私達は闘い続けます」という事態になれば、大会が成立したとしても形だけの承認に終わってしまうことになりはしないか。
 四党合意は実現されることなく無効となってしまうだろう。
 考えれば考えるほど自分自身の結論を出すことが出来ない。根底にあるのは、人間としての尊厳ではないのか。踏み誤ってはならない。
 従って、四党合意は認められない。続開大会は中止すべきである、となるのだが……。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/ヘルニア 昇進試験 臨時大会

■月刊「記録」2000年8月号掲載記事

○月×日
 いやはやなんとも、ヘルニアらしい。
 朝起きたら突然歩けなくなっていた。右下股に激痛が走り、感覚が麻痺しているように感じられた。私は咄嗟に「血管が詰まったのか……」と脳の方を心配したが、頭の中身は相変わらずのようだ。脚を引きずりながら、何とか朝の最低限の支度を済ませたものの、症状は悪化するばかりで一向に良くならない。
 腰痛は以前からあったのだが、医学書を開いてみると椎間板ヘルニアの症状と合致している。とりあえず整形外科に向かった。
 ドクターは腰のレントゲンを撮ったのだが、やはり脳外科にも行ったほうがいいとのことで、採血の後に頭部CTを撮り、MR検査の予約を済ませた。2週間分の消炎鎮痛剤をもらい、仕事に行ってはイケナイというので、ひとまず家で安静の身となった。しかし、じっとして動かなければ痛みも痺れもない。3日も経つと痛みは消えたが、今度はじっとしていても常に痺れがあり、少し気持ち悪くなってきた。
 診断書をもらいに再び病院へ向かう。街では誰もが颯爽と歩いている。普段は考えもしないが、健康であることのありがたみがこれほど胸に沁みたことはない。病院は車イスや脚を引きずった老人であふれかえっていた。
 あと2、3日したら仕事に出ようと思っていたのだが、病院から渡された診断書は、なんと6週間安静というシロモノだった。「こんなんで、そんなに重いのか」と驚きショックを受けたが、そ、そんなに休んではいられない。
 ドクターは、デスクワークならいいが、車掌はあちこち動くからダメだという。もう4日も休んでいる。これ以上、職場の皆に心配をかけたくない。いや、喜ばせたくないというべきか。冗談はともかく、私はドクターにお願いして、とりあえず2週間ということにしてもらった。そのころにはMR検査の結果がわかるはずで、そのときにまた改めて書いてもらうことにしたのである。
 それにしても困った。ヘルニアは治りにくい病気であることももちろんだが、この忙しい時期になんということだ。大事な昇進試験の日程も組まれているし、何よりも7月1日の国労臨時全国大会が目前に迫っているのだ。

○月×日
 MR検査の日となった。時間は午後3時からとなっていた。
 しかし、昼過ぎに病院から電話があり、ナント機械が故障して動かなくなったというのである。そんなことってありなのか。「本当に申し訳ありませんが、来週にしていただけませんか」と低姿勢で病院はいう。そんなこといわれてもね。予約がイッパイということで、初診からもうすでに10日以上経っているのである。
 私は戸惑いと憤慨の入り交じった声で、「来週だなんて、今日だって休みをもらったんですよ(ウソだけど)、そんなに休めない……。明日なんとかできませんか、土曜日ですけど……」と少し強引に頼んでみた。
 するとしばらく待たされ、「夕方の5時になりますが、それでもいいですか」という返事が返ってきた。「まったくもう」と思いつつ、申し入れを受け入れた。
 なぜだか知らぬが、私はいつもこうしたアクシデントに見舞われているような気がしてならない。一筋縄では行かないことが他人に比べて大すぎはしないか。考えすぎだろうか。
 続いて今度は、職場の事務助役から電話があった。
「来週の月曜日、どうする?」
 そう、昇進試験の日なのである。どうせ受からないのだが机に座っているだけだし、受けに行こうかとも思ったが、「今回はパスします」とあっさりお断りした。
 よかったね、受かりたい人はライバルが一人消えて……。
 なんだかドッと疲れた一日だったが、夜にまた電話がかかってきた。今度は国労のとある幹部からであった。「臨大の傍聴券が一枚あるから来い、記録の取材として許す」という。ウ、ウレシイ。なんてラッキー。
 明日はいよいよ臨大である。

○月×日
 まさか、こんなことになろうとは……。
 国労第66回臨時全国大会は大混乱の末に休会となり、再会時期等は未定ということである。
 朝からよく晴れた暑い一日だった。大会は労働運動全体の命運をかけたといっても過言ではなく、各方面から注目を集めていた。
 午後1時の開会だったが、会場となった永田町の社会文化会館前は、午前中から機動隊による厳重な警戒で、全国の大勢の国労組合員、支援の人たちで溢れかえっていた。
 いつもの様子とは明らかに違っていた。解決案には断固反対、四党合意は撤回すべきとする反対派の組合員らが大会中止を求めて会場入口にピケを張り、本部執行委員や代議員の入場を阻止していたのだった。
 何とも険悪なムードが漂っていた。そのためいつまでたっても開会することができずに5時間も遅れるという前代未聞の大会となったのだった。
 私は3時過ぎには病院へ行かねばならず、結局は待たされただけで会場を後にすることになってしまった。しかし、その間休みなくマイクを握って抗議している反対派や闘争団の思いは、十分すぎるほど身にしみて理解できたし、当事者である闘争団を抜きにして、本部が解決案の受け入れを決定したのは事実である。
 また、同時進行だとされた、採用や和解金等の水準も何も出ていないということからも、この日に大会を開くということには無理があり、中止になるのではという気持ちで会場をあとにしたのだった。
 案の定、その後も騒然とした雰囲気は何ら変わることなく、賛成派と反対派の組合員同士が小競り合いになるなど、さらにエスカレートしたそうだ。繰り返すが、開会にこぎ着けたのは5時間後の午後6時であり、それもまったく収拾がつかないものだったという。
 大会では冒頭から激しい怒号が飛び交い、「JRに法的責任はない」とした与野党四党間の合意文書の承認などを含む大会方針案を議題とし、高橋委員長は「四党合意の賛否だけを問うのではなく、四党合意とセットで国労の要求が同時に実現できることを大会の意思として確認することが必要だ」と述べた。
 一方の反対派は強い異論を唱え「四党合意については、引き続き職場討議を継続すべきだ」とし、「具体的な解決案(採用人数や金額など)が示された段階で、大会において判断を求める」との修正案を出したという。
 しかし、3時間近く経った午後9時ごろに、宮坂書記長が集約を始めた採決直前に、傍聴席にいた受け入れ反対の闘争団員ら数十人が次々と壇上に駆け上がり、「大会は無効だ」「解決案は、闘争団切り捨てそのものだ」などと声を張り上げ、執行部側と激しいもみ合いとなって大混乱したため、議事進行困難と判断した議長が大会の休会を宣言したのである。
 代議員から聞いたり、翌日の朝刊を読んだ話を総合すると以上のような感じだが、私には大会の一部始終が目に見えるようである。自分の気持ちとは裏腹に、「やっぱり国労だったんだなあ」という思いを強く抱いた。いつもの闘う労働組合、闘う駄々っ子、国労。勝利するまで闘うぞぉだったはずであり、その通りになってしまったのだ。
 私は自分の甘い考えをちょっぴり恥じた。正しくないことは正しくない。13年もの長い間、私たち国労組合員と闘争団は解決金を求めて闘ってきたのではないのだ。
「不当労働行為は認められない」という労働者として当たり前のことが原点だったのであり、「JRに法的責任あり」を認めさせるために闘ってきたのである。
 昨年の3月18日の臨大では改革法を承認したが、本部・代議員のすべてが「たとえ改革法を認めても、憲法、労組法は守る」「労組法の根元を破壊する不当労働行為は断じて認められない」と確認しあったではないか。
 国労に対して不当労働行為があったことは、労働委員会全体が認め、あの反動的東京地裁判決も、そして政府さえも不当労働行為の存在を否定はしていない。また、ILOですらその存在を認めているのである。
 これだけはいえる。もし仮に、解決案が承認されて、この闘争が終結するとしよう。
 国労本体はJRという会社がある限り、労働契約・労使関係があるわけだから、労働運動、組合活動はその後も継続されていく。たとえ屈辱的な敗北をしてもその後がある。しかし、闘争団の場合はどうか。家族を巻き込み、命をも削る思いの、まさに人生を駆けたすさまじい闘いだったのだ。闘争団にとっての終結とは、その人生の総決算という重大な意味が含まれているのであり、たった一度しかないことなのである。
 つまり、その後がない。そこが国労本体と違うところだ。だからこそ、あやふやな解決は絶対にできないし、また、そうさせてはならないことなのである。
 それではどうすればいいのかと問われても、私には答えることができない。大会がこうした事態となり、政治解決は遠のいてしまったのだろうか。決裂するのではなく、今こそ組合民主主義にのっとった話し合いが必要なときではないのか。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/もうろく章 ゼイタク 解決案

■月刊「記録」2000年7月号掲載記事

○月×日
「今年は25年表彰だから」と事務係にいわれた。永年勤続表彰といって、多年業務に精励した者の労をねぎらうという主旨で、就職25年目の社員が対象となっている。
 鉄道記念日である10月14日、京王プラザホテルやパシフィックホテルなどで授与式と盛大なパーティが催される。裏表なく、非常にメデタイ行事であろう。
 国鉄時代は功績章、一般的には「もうろく章」などといわれていた。その頃、まだ20代だった私たちにしてみれば、該当する先輩たちはもうろくするにはまだ早いが、もう老いていくだけの悲しい年寄りのように見えたものだった。そんな自分もあっという間にその年になってしまった。功績章なんてずっとずっと先のことで、その年齢に達することなど考えてもみなかったのに。
 しかし、実際その段階を迎えてみると、「なんのなんの、これからさ。私はまだ若い、バリバリだぜ」という心境である。これはハッタリではない。
 ま、なんにせよ、これまで大過なく過ごしてこれたことを素直に喜びたいが、私はJRになってからはずっと出席しないと決めていた。会社が国労に対して労をねぎらうなどという気持ちはサラサラないだろうという理由からだ。
 同僚からいわれてしまった。「典ちゃん、もう少しオトナになれよ」「出てさ、貰うものもらって(現金20万円と時計、カメラ、自転車など3万円から相当の品物が支給される)、茶番劇を見てりゃいいのさ」
 うーむ、そうだろうか。いまだにふんぎりがつかない。

○月×日
 川のせせらぎと鳥のさえずりが聞こえるだけ。平日ということもあり、ときおり上流から流し釣りをしている太公望が静かに通るくらい。私たち以外ほとんど誰もいない。職場の仲間12人、秋川でバーベキューを楽しんだのだった。
「やっぱり自然はいいなぁ」。昔、何度か来たことがあるが、今では年に一度来るか来ないかになってしまった。そのせいか、川原の石ころをポチャンと川に投げたりしているうちに、妙になつかしい気分になった。
 牛のカルビ焼き、ヤマメやマスのホイル焼き、玉ねぎ、ナス、椎茸、トマトなどの野菜焼きと、豪勢な料理が次々にできあがる。「典ちゃん、飲む練習でもしてなよ」といわれたからではないが、私はただのんびりボケーッとしながらビール、そして焼酎とあおり続けていた。仕事の後の一杯がイチバンだとかよくいうが、私は朝からでも、いつ飲んでもうまいと思うサケ好きなのだ。
 定年した大先輩を交えて、思い出話に花が咲く。こうした席でも、仕事のことばかり話題になるというのが玉に傷だが、やはりこれは仕方がないことなのだろう。
 みな古くからの付き合いなのだから、ここは無礼講でいこうなどと思っているのは私一人のようである。すっかり大人になってしまった。私だって、“親しき仲にも礼儀あり”を通しているつもりだが、酔うと実にだらしない。
 私は小僧のまま、年だけオヤジになったのだと思うと、つくづく情けなくなったりもする。若いころは、昼間からウダウダ酔っぱらっている大人を軽蔑したものだが、今ではそれを自分がやっているのだ。
 それぞれが十分に楽しみ、日暮れ前に解散となってみんな帰っていった。私を含めて残ったのが3人。2人は最初から1泊する予定であり、私は酔いすぎて帰ることができず、困った人となっていたのである。
 翌朝目が覚めると、ちゃんとテントの中で寝ていた。すでにお湯が沸いており、こんな山の中でドリップ式のコーヒーなどあるのだ。ああ、なんてゼイタク。
 朝の渋滞が解消される時間を見計らって帰途についた。梅雨入り前でも、日差しはもう真夏と同じだった。

○月×日
 まさに寝耳に水だった。1047人不採用問題について政府が動いた。
 政府・与党(自民・公明・保守)と社民党との話し合いの中で解決案がまとまり、国労本部が最終的に受け入れたことにより(5月30日)、和解に向けた正式な合意に至ったということである。
 朝日新聞(5月30日付)が一面に大きく報道したことで、私たち組合員も初めて知った。来るべき時がついに来たという思いだ。
 その内容たるや極めて厳しいもので、深い落胆と激しい怒りが込み上げてきてどうしようもないが、結論からいうと、動揺することなく、この痛みを乗り越えるしかない。
 まず、『国労は「JRに法的責任がない」ことを認め、臨時全国大会(7月予定)で機関決定する』という非常に驚くべきものだ。
 これまでの13年間「JRに責任あり」として、自信と確信をもって闘い続けた原点を根底から覆すものであり、到底認めることはできないのだが、認めることが前提条件となっている。その上で、
『与党はJRに対し、国労と組合員の再雇用などを協議するよう要請する』
『社民党は国労に対し、国鉄改革関連の訴訟を取り下げるよう求める』
『再雇用されなかった人などへの和解金の趣旨、金額などについて、与党と社民党で検討する』というのである。
 これだけでは不安や疑問が多すぎて納得しかねる、というのが率直な気持ちだ。
 報道によれば、JR各社は国労の歩み寄りを評価しつつ「妥当であり、極めて意義深い」というコメントを発表したということだが、なかには「JRが入っていない状況で決まった話でもあり、何ともいえない」「10数年も会社を離れていた人たちを受け入れる余裕はない」とする意見もある。
 いくら政府が要請するといっても、「旧国鉄が作成した採用者名簿を受け入れた段階で、この問題は解決している」との認識が根強いなかで、そう簡単に今日までの頑なな態度を一転し、話し合いのテーブルにつくことができるのかという疑問も拭いきれない。
 また、責任の所在が曖昧で、いったいどこが和解金を負担するのかという課題、金額の水準などが見えてこなければ評価のしようがないといった声もあり、なんとも不透明だ。
 しかし、今このチャンスを逃してはならない。この問題の解決は、話し合いによる和解の努力以外にないことがマスコミ各紙の論説をはじめ、広範な世論である。その証拠に、全国の自治体から政府による早期解決を求める意見書が続々と採択され、大きな社会問題になり、昨年11月には、国際労働機関(ILO)も日本政府に対して「労使交渉の促進を求める」旨の勧告が出されたのである。政府のみならず、国労自身も内外の世論に応えなければならないはずだ。
 これまでに、何度も何度も今年こそ解決しそうだといわれて、13年という長い年月が経過した。解決がさらに遠のけば、誰一人救済されずに終わってしまう可能性すらあり、そうなれば元も子もない。
 訴訟の取り下げは実に歯切れが悪いが、和解とはそういうものだろう。
 いったい誰が、何が、何の罪もない大勢の人間に、このような不幸な事態をもたらしたのか、当事者には素直に十分反省してもらうと同時に、国労本部の計り知れない苦渋の大英断を無駄にすることなく、今こそ長期紛争に終止符を打つべきだ。
 国労は同日、声明を発表した。
「解雇された闘争団員、家族の筆舌に尽くせない辛苦を思うとき、政治の場で解決のための合意がされたことは、限りない勇気と希望につながる。早期解決をはかるため、全力を挙げる決意を明らかにする」
 一方、東労組は「国労13年間の闘いを放棄」「国家的不当労働行為に国労総屈服」「闘争団をガケ下に突き落とす」などと、相も変わらぬ掲示を出しているが、初めから闘わず、不当な首切りを行った側を擁護し、自分たちさえよければという発想で仲間を切り捨て、職場に差別と分断を持ち込んだ者に、このようなことをいう資格はないとだけ申し上げておく。
 いずれにせよ、当面の山場は、1ヵ月後の7月に急きょ開催されることになった臨時全国大会である。「解決案は受け入れられない」「全面屈服である」「闘争団・支援共闘グループへの裏切り行為だ」などと、大激論が展開されるだろう。
 マスコミの大勢は「大会は紛糾必至」だが、そんなことはない。国労は一致団結して難局を乗り切り、一歩一歩着実に前進する。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/脱線事故 一喜一憂 携帯電話

■月刊「記録」2000年6月号掲載記事

○月×日
 起きてはならないことが起きてしまった。営団地下鉄日比谷線、中目黒駅付近での脱線、衝突事故は、死者5人、36人の負傷者を出す大惨事となった。そして今もなお、ハッキリとした脱線の原因が分かっていない。
 私が事故を知ったのは、乗務中、指令からの無線だった。日比谷線が脱線のため不通につき、JR線に振り替え輸送をするという無線が、まるで普段の車両トラブルかのように、そっけない口調で入ってきたのだ。そうしたこともあって、大変だという認識はあったものの、口ぶりからしてそれほどの事故ではないだろうと思っていた。回送でも脱線したか、と。
 ところが、乗務を終えて本区に戻ると、テレビはどのチャンネルも信じられないような光景を映し出していた。電車の側面がドアや窓ごとすっぽりとはぎ取られ、車内の座席や手すりはメチャクチャに飛び散っている。爆発でも起きたかのような、見るも無惨な状態で、負傷者が次々と都内の病院へ搬送されているところだった。
 原因はなんであれ、この惨事に巻き込まれた方々にはどんな言葉もない。絶対にあってはならない事故だが、現にこうして起きている。なんともやり切れないが、忘れたころに必ずどこかで起こる。原因が究明され、改善され、どんなにハイテク化されても、機械に故障は付き物であり、それを管理する人間もやはりミスを犯すのだ。
 同業者として私たちにできることは、人命を預かるという職責の重大性を再認識すること。安全に対して手を抜いてはいけないという命題を肝に銘じ、作業手順等、決められたことをキチンとこなしていく……、くらいしか思いつかない。
 亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申しあげるとともに、負傷された方々の一日も早い回復を願ってやまない。

○月×日
 桜が咲いた。家の前にズラリと並んだ桜も見事に満開となった。淡いピンクが眩しくて目がくらくらする。思わず駆け出したくなってしまうが、家の中だから小さくスキップでもしてみようか、と思ったりする。
 窓を開けると、小鳥のさえずりが聞こえてくる。ウグイス色で対になっている小鳥はメジロのようだ。警戒心などみせず、自由気ままに飛び回っている。遠く春霞の向こうには、オレンジ色の中央線が今日も一直線にぐんぐんと走っている。
 静かにゆらゆらと萌え立つような暖かい春の日差しは、悪いことなどなにもないかのように、すべてをやさしく包み込んでくれる。自然に夢が膨らみ、胸が踊り心が弾む。春は儀式も多く、慌ただしくて感傷に浸るのはつかの間かもしれないが、それぞれが深く印象に残るものだし、やはり新たな旅立ちを感じさせるものだ。
 転勤や配置換えなどで、心機一転と気持ちを奮い立たせる。散りぎわの桜のように、いつまでも限りなくヒラヒラの私には無縁なのだが。がしかし、子を持つフツーのオトーサンである以上、進級進学といった子供の当たり前の成長に一喜一憂することもある。
 今年の春は息子の大学入学式があった。場所は日本武道館。序列からいえば二流、いや三流なんだろうが、私の子なんだからしかたない。新しい道を歩みだしたことにエールを送る。
 入学式のご父母のかたへという学長のあいさつ状には、「お子様が本学の難関を見事に突破され、合格の栄冠を勝ち得られました。ご家族ご一同ともどもに、さぞお喜びのことと存じ、心からお祝いを申し上げます」とある。……うむ、本当にそうだろうか。
 しかし、まずはメデタイ。素直に喜ぼう。これぞ春だ。

○月×日
 本日、4月17日から、JR東日本では混雑した車内での携帯電話の電源は切るようにと放送している。心臓ペースメーカー等の医療機器に影響を与える恐れがあるからだ。たとえ少数でも弱い立場に置かれた人を思いやるのは当然だろう。
 こうした放送を交えつつ、本日の乗務を終えた帰宅途中、突然右手人差し指がビリビリと痺れだした。どうしたんだろうと思いながら家に着き、わが右手を見てビックリ仰天。指全体が真っ青というか、真っ白で、冷たーくなっているのである。
 私は咄嗟に、意識不明で入院中の小渕前首相を思い出し、ビビッてしまった。
 これは血管が詰まっているとしか考えられない。どうすればいいのか分からなかったが、とりあえず、冷たくなっているのだから温めねばと、お湯の中に手を入れ、左手で静かに揉んでみた。すると、みるみる元通りの肌色に戻り、痺れも徐々に引いていった。
 危うく指差喚呼ができなくなるところであった。ふぅーっと、深い溜息と共に安堵したわけだが、さらに血行をよくしなければと考え、愚かなことだと思いつつサケを飲んだ。これでよかったのだろうか。グラスを見つめ、「この一杯が小渕さん……か」と呟いてみた。大丈夫に決まってるさ……。
 こんなことは初めてだが、妻がいっていたように「バッタリといく」前兆なんだろうか。少数労組で弱い立場の私も、オロオロ不安で落ち着かない気分である。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/1411T 車掌19号 スタンス

■月刊「記録」2000年3月号掲載記事

○月×日
 ミレニアムだろうがなんだろうが、乗務員室はいつもどおりだ。相も変わらず、指令と乗務員が交わす無線のやり取りが飛び交っている。指令から無線連絡を受ける関係上、他の電車の無線もひっきりなしに聞こえてくるためである。
  「指令をお呼びの乗務員、走行位置と列車番号をどうぞ」指令から乗務員への呼びかけである。続けて相手の車掌から無線が返ってきた。
  「中野を発車しました1411Tの車掌ですが、お腹の調子が悪いので三鷹で交代をお願いします」車掌はまるで何でもないように、サラリと言ってのけた。
  「体調の悪い旨了解しました。手配をとります。気をつけて乗務方願います」と指令が返し、交信は終了した。
 滅多にないやりとりだが、これだけは仕方ない。出物腫れ物所嫌わず。明日はわが身。人ごとでは済まされない。笑ってなんかいられない。これほど切実なモンダイはないのだ。この車掌はお気の毒さまだが、よくまあ勇気を出して無線を入れたものだと感心した。
 乗務を終えて本区の控え室に戻ると、ガマンの限界、臨界寸前のミジメ車掌はナントうちの分会長なのであった。「乗務員室に新聞敷いてヤル勇気はなかったよ」と、心なしかスッキリ晴れ晴れとした顔で乗務報告書を書いていた。しかし、昼間の乗務で運良く交代要員がいたからよかったものの、早朝深夜帯なら万事休すである。
 私も約20年間の乗務で、いったい何度冷や汗をかいたかわからない。
 東京や高尾の折り返し、5分足らずの短い時間で、ズボンを降ろすのとどっちが先かというせっぱ詰まった状態のまま、ただひたすらトイレを目指す。今にも泣き出しそうな顔、間に合うかどうか、何とか待っていてくれ。まっすぐのつもりだがヨロヨロの急ぎ足、走れメロスならぬ、走れダメロスなのだ。
 どうにもこれだけは本当に本当にこりごりである。
 さて新年早々、読者でもある同僚からお叱りを受けてしまった。「最近、ビロウな話やサケのことが多すぎやしないか。ちっとも面白くないぞ」と。
 そんなこと言ったって……。酔っぱらいは胃腸が弱い人が多い。そして私がアルコールを友とする酔っぱらいであることは皆さんご承知の通り。いまさら言わずもがなではないか。

○月×日
  『車掌』が届いた。「車掌19号」だ。「ん? なんのこっちゃ、鉄人28号ならわかるが……」なんて思われそうだよね。実は『車掌』というミニコミ誌があったのである。創刊は1987年の老舗ミニコミで、年一、二回のペース。特異な企画が好評で、このギョーカイではなかなか注目されているらしい。その最新号が届いたのだ。
 このミニコミを知ったのは昨年の夏、週刊朝日の「週刊図書館」コーナーだった。塔島ひろみ著『鈴木の人』(洋泉社・1500円)という本の書評が一ページ以上にわたって掲載されていたのだが、本の書評よりも著者のプロフィールに釘付けとなってしまった。「ミニコミ誌『車掌』編集長」とあったのである。「車掌だって うーむ、こんな雑誌があったのか」と興味がわき、『鈴木の人』ではなく『車掌』を取り寄せたのであった。
 パラパラめくってみると、早くも老眼気味の私にはちょっと辛い小さな文字が誌面一面にギッシリと詰まっている。まさに活字の洪水だ。しかし、内容は車掌とは関係のないことがほとんどで、なぜこれが『車掌』なのかは、編集長自らも語っているようによくわからない。
 誤解を恐れずにいえば、見方によってはまったくナンセンスなことを、これでもかこれでもかと突き詰めていくミニコミ誌といえようか。普通ならちょっとウンザリしてしまいそうなものだが、不思議なことに押しつけがましい感じはなく、いつの間にか笑いを誘われている自分にハッと気づくのだ。とびきり上等な文章の魔力もさることながら、塔島ひろみの発想とアイデアが大変すばらしいのであろう。
 かと思うと、バックナンバーの16号では、「偶然」という特集の「隣りの人」というページに、軍事評論家である田岡俊次先生が寄稿した「軍事・平和問題的見地からの論考」などというまったく場違いとも思えるお堅い文章が載っていたりする。このいきさつは、書店の棚に、彼女の著書と田岡氏の著書が隣り合って並んでいたことから始まる。
 大胆不敵というか、彼女はこれを見て「隣りの人」という原稿の依頼をしてしまうのだ。
 さて、『車掌』編集長・塔島ひろみなる人物であるが、私が知り得た情報によると、62年東京生まれ、詩人・ライターという肩書きであること。立派な著作も何冊かあり、以前は高校の先生で、身体障害者のヘルパーもやっていた。夫はミュージシャン、一児の母親である(以上、いずれも刊行物による)。
 でもって、正真正銘・本物の車掌である私は、このミニコミ誌に興味を持ち、楽しく読ませていただいているというエールとともに、車掌を知るにはこの一冊でオーケーと、拙著『JRの秘密』を送ったのだった。
 何日かして返事が来た。「驚きと嬉しさでいっぱいです。とても楽しく面白く読みました。電車が事故で止まったりしたときは、車掌はもっと大変なのだと、ジッと我慢できるようになり、まさに思うツボの読者であります」というようなお礼がしたためてあった。
 その後原稿依頼があり、今度は『車掌』編集会議に出席してほしいというお願いがきたのだ。
 全国に車掌が何万人いるかは知らないが、彼女によれば、車掌の読者はたぶん私が初めてなのではということである。私は会議など堅苦しいことは苦手でイヤだったのだが、傍観していても、意見をしても、指差確認していてもよろしい、ということだったので、ざっくばらんな雰囲気を感じ取り、渋谷までノコノコ出かけていったのだった。
 しかし緊張しましたね、久しぶりに。初めてお目にかかった塔島ひろみさんは、知的で品がよく、しなやかな女性という印象だった。もちろん美しく、魅力的な人である。男女7人のスタッフがいたが、私はもうコチコチでなにをしたらいいのかわからず、隅っこでタバコばかり吹かし、気持ちが悪くなる始末であった。
 こうして送られてきた『車掌』19号には、会議後に行われたサケの席での私の失態までが書かれていた。実はあろうことか、中央線車掌である私が中央線の終電に乗り遅れてしまったのだ。「ったく、どこがプロじゃ。お前は本当に車掌かいな」と疑われてしまいそうだが、本物の車掌は塔島ひろみで、私は本物ではないように思えてしまう今日このごろなのである。

○月×日
 なんだ、なんだ、なんなんだコレは 実に笑えるおかしなCDが出ていた。なかなか売れているとも聞く。なんと歌詞が……、これは歌詞だよね、歌詞には違いない。ナント、皆さんおなじみのJRのアナウンス、そう、駅と車掌のアナウンスそのまんまなのだよ、おニイさん。
 タイトルは『モーターマン』。SuperBell’Z(スーパーベルズ)というグループのラップ調の曲である。なんだか「やられたな」という気がしないでもない。というのも、私もよく自分のアナウンスを適当なメロディに乗せて口ずさんでいるのだ。
 どんなものかは歌詞をお見せするのがいちばん早いのだが、歌詞を掲載するのは著作権法に触れるからダメらしい。そんなこといったって、この歌の歌詞は私達の放送じゃないか! といってもダメなものはダメなのだ。ならば、その雰囲気をあくまで自分の言葉で記しておくしかない。ま、聞いて(読んで?)くだされ。
――次は新宿です。新宿です。埼京線はお乗り換えです。サイキョウ? JR最強です。キケンです。キケンです。ご注意ください。
 お知らせします。お知らせします。ただいま新宿駅で人身事故が発生しております。しております。中央線は上下線とも運転を見合わせております。新宿駅人身事故、中央線人身事故。人身事故により車両故障も発生しております。中央線車両故障、中央線車掌故障?
 お急ぎのところ大変ご迷惑をおかけいたしました。まもなく運転を再開いたします。お下がりください。お下がりください。電車がまいります。ご注意ください、電車まいっております。まいっております。相次ぐ事故で電車もJRもまいっております――
 とまあこんな感じなのだが、いかがだろうか。実際はもう少しリアルな普段の放送を使った曲になっている。スーパーベルズのパクリ勝ちといったところか。さすがという他はない。それにしても面白い。なんなんだコレは 

○月×日
 昨年の年末に、立川車掌区と新橋支部四分会(品川・浜松町・原宿の各駅と高崎給電区)の脱退強要事件の中労委命令が相次いで出された。国労勝利である。私達国労の主張が認められ、「JR東日本の不当労働行為である」と断罪された。嬉しいには嬉しいが、なぜか盛り上がらない。
 地労委命令が出た頃には、天と地がひっくり返ったかのように喜んだものだが、最近では前述の通りで感慨がわいてこない。長い長い闘いの中での成果であり、大きな前進には違いないが、いくら命令が出ても歪んだ労務政策、異常な労使関係は旧態依然なのである。ちっとも変わりはしない。ただいたずらに時だけが過ぎていく。
 JRは命令が出ても履行せず、いたずらに行政訴訟に持ち込み、地裁、高裁、最高裁と、またも一から出直しかのように長い長い年月を要するのだ。なんとも歯がゆく釈然としない。
 しかし、今回は少し違った。JRが行政訴訟を断念したのである。こんなことは初めてなので、「はてな、会社内部に何か変化の兆しでもあるのか」と、淡い期待がふっとわいたのだが……。
 会社は松田昌士社長名で、お決まりの謝罪文を当該職場とJR東日本本社内に掲出した。
「……不当労働行為であると中央労働委員会により認定されました。今後、このような行為を繰り返さないようにいたします」とおなじみの文面である。
 なんのことはなかった。年が明け、1月7日付けで現場長などに出された「勤労速報」によると、「会社の基本的なスタンスは従来どおり」で「これまでどおりの管理・指導をお願いいたします」と、反省などみじんもなく、やはりキッチリ従来のスタンスのままなのだ。
 行政訴訟を行わなかったのは、国労の申し立てから12年以上経過し、当事者の多くが退転等で新たな主張立証をすることは困難であることなどにより、不服だが従ったまでということだ。まるでわがままな駄々っ子がちょっと泣きやんだだけのようだが、「今後不当労働行為を繰り返さぬよう、現場も徹底してほしい」という通達を出すのが常識的な対応というものではないのか。怒りを通り越して悲しくなるばかりである。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/女子中学生 二強対決 2000年

■月刊「記録」2000年2月号掲載記事

○月×日
 JRに関する事故や事件の情報は、社員・組合員といえども、当該の人や上層部以外は、新聞やテレビの報道で知ることが多い。
 先日の新聞には、「かばん挟まれ中一線路転落」とあった。中央線、高円寺駅で上り快速電車が発車した際に、女子中学生の肩かけかばんのひもが挟まり、約100メートル引きずられてホーム先端から線路に転落し、ケガをしたという。ケガですんだのは奇跡的で不幸中の幸いだが、女子中学生は生きた心地がしなかっただろう。
 ケガの回復を心から祈ると共に、やはり担当車掌のことが気にかかる。新聞ではハッキリとした真相がわからないが、かなり責任を追及されるかもしれない。しかし、起こるべくして起こった事故といっても過言ではないだろう。ホームは曲線で、発車したら死角となる部分があるのは事実だ。ホーム要員が配置されていれば防げた事故ではなかったのか。
 さらに「JR不採用問題、ILOが勧告採択」とも出ていた。JR不採用問題について、ILO(国際労働機関)が日本政府に対し、「政府は、JRと組合間の交渉を積極的に促せ」との勧告を出したという。
 これは労働委員会救済命令がJRによってことごとく無視され、5・28東京地裁判決のような形式的な法解釈で労働委員会の救済命令が覆されるのは、団結権の具体的かつ実効的な保障制度の確立を求めているILO条約に違反するものだとして、国労が申し立てていたものである。
 新聞によれば、ILO勧告自体に強制力はないが、政府への影響力は強いということだ。ただ同勧告は中間的なもので、最終勧告は2000年3月以降になる見通しと書いてあった。
 なんともじれったいが、事態の進展を願うばかりである。

○月×日
「中央特快」を聴いたか。
 駅でポスターを見かけて、思わずCDを買ってしまった。オータムストーンという若い四人組のバンドで、飾り気のない気ままさが漂うポスターもよかった。
 ノル、ノル、乗ってしまう。ドライブ感溢れる重厚なサウンドに一発でシビレた。ちょっぴり切ないところもいい。もうすっかりトリコになってしまった。
「甘い誘惑、自由なスタイル、『中央特快』に乗り込んで、君の街へ」だって。イカスなあ。私も若い頃に戻りたい。好きなことがやれたあの時代。コップから溢れる水のように止めどなく夢が広がっていたあの時代……。
 せっかくいい気持ちでいたのに、職場で同僚に冷やかされた。「クラプトンのコンサートに行ったんだって? そのトシで」
 そのトシでとは笑えたが、何をいうか、クラプトンの方がもっと歳上じゃないか。

○月×日
 2日間の分会大会も無事に終わった。相変わらず東労組と一体になった会社側の悪質な差別で、私達の分会では、この1年間に脱退者を1名出し、昇進試験の合格者はゼロであった。それでも団結を崩さず、仲間同志がスポーツやレクを交えて親睦を深め合いながら乗り切り、楽しく過ごすことができてホッとしている。
 大会には、約8割の組合員が参加した。うちの分会もまんざら捨てたもんじゃない。また向こう1年間、微力ながらも心を新たに奮闘しなければという思いを強くした。
 政治の場に限らず、世間でもアッと驚くような事件が次々に起きた1年だった。私たちの中央線の連日の輸送混乱は社会問題にもなった。しかし、なぜかすぐに忘れられていく。それくらい、目まぐるしく慌ただしい毎日だったといえるかもしれない。
 大会での私の役目は、受付けと最後に大会宣言を読み上げることだった。
「御苦労様です。2日間を通して、経過報告でも方針でも、誰一人取り上げませんでしたが、5・28東京地裁不当判決から1年がたった今年の5月28日、うちの組合員の斎藤さんが『JRの秘密』という本を出しました。この現状を少しでも変えなければという強い思いで書かれたものと思われます。これほどの教宣物はないのではないでしょうか。分会教宣部は斎藤さんを誉め称えたいと思います」と前置きし、大会宣言を読み上げたのであった。やれやれ、おバカは一生治らないのだろう。

○月×日
 なにかとせわしない。あれもこれもと思うばかりで、自分の要領の悪さも手伝い、ちっとも落ち着かない。アッという間にゴール直前まで来てしまった。過ぎ去った日々の感慨に浸ってなどいられない。まるで駆け足のような一年だった。
 暮れの大一番、GIレースのオーラス「有馬記念」が2日後に迫った。競馬ファンの私だが、このところ負け続きで、もはや好きな馬に一票を投じる余裕はない。負けを少しでも取り返すため、一着と二着に来る馬を一点だけ決めて勝負することにした。
 当然、わが家の大蔵省の目は厳しいが、「宝くじは10枚しか買わなかったから」「競馬評論家の大川慶次郎さんが亡くなったから」「年賀状はまだ1枚も書いていないから」とか、理由にならない独り言をぶつぶつ呟きつつ買いに走る。
 最後の最後だからといって、高額を投じなければならないという法律などないが、どうしても大枚をはたいてしまう。またそれがここ何年か私の「定説」となっている。その結果、気落ちしてうつむき加減の頭を競馬新聞でポンポン叩きつつ、1年間の反省をより深いレベルで行うことができるのである。つまり、ここ何年も当たってないのだ。
 それでも今年こそは(といつも思っているが)当たるという予感がいつになく強い。下馬評どおり「二強対決」で決着するとみた。配当は少ないが、その分喜ぶ人は一番多いわけだし、私もその仲間にぜひ入れてほしい。何がなんでも当たって、この1年間を明るい気持ちで締めくくりたい。
 果たして、ガッツポーズを決めることができるか。年末年始安全安定輸送完遂・JR東日本。仕事も忘れてはいないぞ。激動の1999年よ、サラバじゃ。よろしく2000年。

○月×日
 年が明けた。2000年の始まりだ。昨日の延長というなかれ。やはり気持ちがビシッと引き締まる。何から何まで期待が膨らみ、実に晴れ晴れとした清々しい気分である。
 JRでも列車運行システムなどのコンピュータ誤作動が懸念された「2000年問題」だが、無事にクリアできたようで、年をまたいで大きなトラブルはなかった。
 元旦は日勤で、初日の出前に家を出た。わがJR中央線は定時運転、当たり前のように安全正確に運行されていた。今年も一年、お前にお世話になるのだね。
 妻も正月早々当直(夜勤入り)で、私とはすれ違い。用意された豪華なおせち料理がなんとも空しい。「今年も仕事で明け暮れるのか」と、先が思いやられるが、身体だけは大切にしてほしい。また、息子二人が受験を控えているが、まったくもってノンキそのもの。しかし春には新しい一歩を力強く踏み出してほしい。
 健康でありたい。身も心も。己を戒め、平常心を失わず、謙虚に生きよう。
 国鉄闘争は14年目を迎えようとしている。決して短くはない歳月である。今年こそは、何が何でも解決の年にしたい。容易なことではないが、勝利を心から喜び合いたい。
 ご来迎を拝みに、初めて徹夜で高尾山へ行ってきた中学生の息子が言った。「新鮮な卵みたいだった。チョー感動した」そうかそうか。私も感動する心を忘れない1年でありたい。
 2000年、とりあえず私は仕事に専念。笑いたい者は笑ってくれ。JR東日本中央線を本年もよろしくお願い申し上げます。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/肝臓くん 代表者会議 女性トイレ

■月刊「記録」2000年1月号掲載記事

○月×日
 唐突だが、今日は「肝臓くん」に語りかけたい。
 君の常日頃からの奮闘ぶりには敬意を表し、心から感謝している。毎日せっせとアルコールを分解し、水と二酸化炭素にしてくれる君がいなければ、いまの私は存在していない。なにしろ本当にサケが好きなのだ。もう、だーい好き。焼酎にビールに日本酒にウイスキーと、なんでもござれ。サケほどウマイものはない。もちろん中央線も好きだが、サケの右に出るものはナイと言い切れる。この世の王者、サケ。
 ごはんや魚がいくら美味しいからといって、お腹が一杯になれば食べ続けることは不可能でしょ。だけどサケなら大丈夫。それができる。翌日が休みで用がないとなれば、ぶっ倒れるまで飲んでしまう。
  「こんなに飲んだら死ぬ。でも、飲まなくても死ぬときは死ぬ」これが私の座右の銘なのだ。
 君はもの言わぬ臓器だというが、いつまでもいつまでも黙っていてくれることを願う。一生懸命、日々の役目をキチンと果たしてもらいたい。ごめんね、飲んでばかりで。少しは加減しようか……、いや、やっぱりがんばって耐え抜いてほしい。
 息子のケイタイが鳴っていると思ったら、コオロギがもの静かに鳴いていた。9月ごろはあんなに賑やかだった虫の音も、いまではひっそりとして、いつの間にかすっかり秋の夜長になっている。朝晩はヒンヤリとして、長袖を羽織る日が多くなったが、暑ければ冷たいビールを、寒ければ温かいアツカンを欲する私って、単純なんだろうか。

○月×日
 国労の車掌分科全国連絡会という代表者会議が、都内の社員宿泊所(品川)にて一泊二日の日程で開催された。
 規約には、車掌職に従事する全国の国労組合員で組織し、労働条件の改善・および鉄道輸送の安全・サービスの向上など、公共交通の再生に努めるなどとある。
 北海道から九州まで、全国のJR車掌の代表者約40名が集まり、各地の職場の実態や問題などを話し合い、交流を深めるといったところか。代表者といっても、一人の車掌であることに変わりはない。しかし、みないわゆる活動家である。
 そんな中に、ナゼ私のような甘ちゃんがいるのか。出席すべき代表が都合がつかず、「私には荷が重すぎる」と、かなり抵抗したのだが、結局しぶしぶ引き受けざるを得なくなってしまったのだ。
 全国のさまざまな報告では、国労差別こそ似たりよったりだったが、わが中央線は事故も事件も日常茶飯事で、まさに全国の縮図だと痛感した。私はとんでもない所で働いているのだと強く思った。
 しかしなんといっても、9月1日にJR九州・鹿児島運輸区分会の下窪勝市さん(40歳)が、灯油をかぶり焼身自殺を図った事件の報告には、改めて会社に対して猛烈な怒りが湧いた。
 事件の発端は、7月3日に起きた回送列車(三両編成)の先頭車両脱線の際に、下窪さんが誘導を担当していたというものだ。会社はその直後より、下窪さんに対して「本務外し」をし、「自己研修」と称して会議室へ閉じこめるなど、必要以上の責任追求と嫌がらせを行ったのである。精神的・肉体的に追いつめられて発生した、最後で最大の抗議とでもいうべき自殺なのだ。
 最後の別れである葬儀にも、会社幹部は参列すらしなかったという。まさに今日のJRの異常なまでの労務政策を如実に物語っているといえよう。残された奥様とご両親は、「クビにしてくれればこんなことにはならなかった」と訴えたそうである。
  「国労九州本部も真相究明に全力を挙げるので、ご支援をお願いしたい」と、九州の代表は声を詰まらせて報告された次第だ。

○月×日
  「ギターの神様」エリック・クラプトンがやって来た。ロック・ブルース界では60年代から不動のトップである。今年は2年ぶり、15回目の来日公演ということだ。
 私も大ファンで、すでに数回聴きに行っているが、90年ごろからはアコースティックでしみじみと歌い上げる曲が多くなり、すっかり大人のボーカリストとなった感が強い。93年にはグラミー賞も獲得し、ファン層は以前よりさらに増していることだろう。しかし、なんといっても、むせび泣く、ときには攻撃的なギタープレイが売りである。
 私はやはり一番夢中になっていた、60、70年代のドライブ感溢れるパワフルな曲の方に心が奪われてしまう。身体中がゾクゾクして、居ても立ってもいられなくなるほど感動してしまうのだ。
 それにしても、最近ではどうしても見に行きたいというアーティストがめっきり少なくなってしまった。熱が冷めたのとは違うし、年をとったからでもないと思う。仕事や家庭でアレもコレもの制約が多すぎて、若いころのようにそれだけに打ち込む時間が取れなくなったのだろう……。しかし今回のクラプトンのチケットは手元にある。
 これは私が買い求めたものではない。ナントカの会員になっている同僚が、コレダ!! というものがあるたびに数枚まとめて取り、「行こうよ」と声がかかって仲間が集まり、ナントカなるのだ。素直に嬉しい。
 私は、何人かで音を創り上げることが基本的に好きなのである。プロに限らず、学生バンドでもなんでも、そうしたセッションを耳にすると血が騒ぐ。 しかし、クラプトンはクリームというバンドを経て、現在ソロである。「お前となんかおさらばさ」なんて言っているかどうかは知らないが、仕事も組合もひととき忘れたい。ブルースとはそういうものだ。クラプトンもうすぐ。楽しみである。

○月×日
 こんなトシにもなって、なぜかドキドキしている。とっても可愛く、利発そうないい子なのだ。いい子だなんて言ってはいけないのか。もう一人前の立派な社会人である。でもオジサンから見たらどう見たってやっぱり娘だ。
 いい子とは、そう、JR中央線初の女性車掌のことである。見習いを終えて一本(一人乗務)となり、はや五ヵ月になろうとしている。周囲とも和気あいあいで打ち解けているところを見ると、職場にもすっかり馴染めたようだ。控え室に彼女がいるというだけで、心なしか職場が明るく感じられる。あいさつもいい。「ご苦労様でーす」「いってらっしゃーい」と、会う人、会う人に笑顔で声を掛ける。なんとも爽やかで、心が和み、オジサンの疲れはフッととれる。
 また、アナウンスがヒジョーにウマイ。私は客として、彼女が担当する電車に何度か乗り合わせたことがある。中央線のよさは十分知っていたつもりだったが、これほど快適で心地よいものになるとは。まるで天使の囁きのような美しい声に、ついついうっとりとして、降りる駅を忘れてしまいそうになる。電気ドリルのような放送をする人は十分反省してほしい。
 乗務態度も大変立派だ。基本動作を一つひとつ忠実に励行しており、その姿からは一生懸命さがひしひしと伝わってくる。実に健気で模範的なのだが、私は見ているとなぜかいじらしく思えてしまうのだ。右も左も男ばかりの男職場である。覚悟を決めて来たとはいえ、女の子がたった1人でさみしくないのだろうか……。
 彼女の勤務はすべて日勤で指定されており、夜勤(泊り)は一切ない。しかし、会社はいまだに寝室も風呂もシャワーも何一つ改善していないのだ。この先どうするつもりなのだろうか。男女雇用均等法という法律だけが先行して、現場は追いついていない。男中心社会は相変わらずで、男女平等などほど遠い現状である。

○月×日
 東労組を脱退した(させられた?)Nさんは、噂どおり内勤担当を外されて乗務へ降ろされた。脱退からわずか5日後の、区長発令による区内人事ということである。
 聞いたところによると、同様の事象が発生した三鷹電車区でも「闘争宣言」が出され、組織破壊分子であるとして脱退させられた元組合員は、今なお「追求行動」と称して連日嫌がらせを受けているという。
 出勤退勤時に、東労組組合員が20、30人と待ち構え、「裏切り者」「出て行け」などの罵声を浴びせ、東労組が勝ち取った備品は「使うな」「返せ」、点呼中に管理者が見るみ見兼ねて注意を促すと、「そんな奴ぁ、かばうことないぞ」などと、今度は管理者に対して暴言を吐くということである。
 先日、昇進差別事件の審問で都労委へ傍聴に行ってきたばかりだが、相変わらず会社側は国労悪玉論を力説していた。こうした例を挙げるまでもなく、このような人達が会社側のいう優良社員で、全員試験に受かるのである。誰がどう見てもオカシイのは一目瞭然ではないか。
 いったい、この会社はどうなっているのだ。マスコミに訴えようという話も出たが、話したところで「ま、まさかウソでしょ、JRさんでそりゃあないでしょう」と、一笑に付されてしまうだろう。
 一緒に同じ仕事をしている仲間が、何故これほどまでにいがみ合わなければならないのか。次元が低すぎるとしかいいようがない。

○月×日
 本日(11月11日)の朝日新聞夕刊に、「JR東日本、駅の女性トイレ増やします」とデッカク載っていた。女性の通勤風景が当たり前となったいま、30年ぶりに基準を改めて、便器数を見直し、長い列とイライラを解消しようと取り組んでいるということである。
 誠に結構なことと存じます。大いにやってほしい。私は女じゃないが大賛成だ。
  「公衆トイレのレベルが上がっており、駅トイレも負けてはいられない」と、におわないトイレや、掃除しやすい便器の開発にも知恵を絞っているらしい。そうなのだ。JRは強いから何から何まで負けることは許されない。よくわかる。頑張ってほしい。
 それにしても、ちょっと引っかかってしまった。「におわない」というクダリである。これまでは天井近くに換気扇を設けていたが、床パネルのつなぎ目からにおいを吸い取るものが開発され、においが鼻先を通らないのだという。
 うーむ。オジサンはにおって然るべきだと思うが。クサイからこそ息を止めたり、闘うぞというサスペンスが秘められているのではないのか。何より、におい(や色)を健康のバロメーターにしている人は多いのではないか。
 また、「掃除しやすい」ともある。日本人の足が長くなっていることに合わせ、便器の縦サイズを8センチ長くして周囲を汚れにくくするそうだ。これでホントに大丈夫なのか。今どきの若い娘が履いている靴のカカトを見よ。8センチなんてものじゃない。オジサンには竹馬以上に見えるが……。でも、まいいか。
 いずれにせよ、私が何より気掛かりなことは最後に書かれていたことである。「上野駅の社員トイレで実験を重ねている」のだという。これには何度も唸らざるを得ない。モンダイである。生理現象は強制強要されるものではない。
  「もう出ないっスよ」「駅長の命令が聞けんのか」
 ……まさかね。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/ギンナン 芋煮会 国労組合歌

■月刊「記録」1999年12月号掲載記事

○月×日
 高尾行き最終電車の乗務だった。時計の針は深夜1時を回っているというのに、車内は座れない人も多く込んでいた。私の疲れた身体は「もう寝るだけだもんねモード」に切り替わる直前で、30分後には訪れるはずの寝室での仮眠を心待ちにしていた。
 ところが、である。すんなりと終わらないのが中央線なのか。国分寺駅に差し掛かり、私は到着監視とドア扱いをするために、進行方向にクルリと向きを変え、何気なく車内に目をやった。そこでビックリ仰天、摩訶不思議、わけの分からない異変に遭遇したのである。ダレもいないのだ!
 ついさっきまで私の目の前(乗務員室前)にいた、大勢の乗客が消えていた。厳密にいえば、シートで眠りこけている数人以外の乗客が、隣の車両(二号車)へ移動してしまったようなのである。
「いったい何ごとか。どうしたんだろう」と思ったそのときに、強烈なニオイが漂ってきた。ものすごくクサイ。すぐにピンときた。このニオイはギンナンだ。しかしギンナンなんてどこにも見当たらない。他に考えられるのはアレしかない。まさかアレなのか。
 二号車寄りに固まっている乗客は、怪訝な顔で私の方をジッと見つめている。私は呆気に取られながらも「まさか、ニオイの元はオレじゃないよな」と、片手が自然に自分の尻をカクニンしてしまった。大丈夫、いくらサケで脳が侵されているにしても、括約筋はまだまだ健在である。
 国分寺に到着し、ドアを開けるやいなや、乗客は小走りに駆けだし、二号車、三号車へと移動していく。シートや床がアレで汚れていてはマズイと、ホームから車内を注視したのだが、異常はない。ふと乗務員室の方を見やると、乗務員室からは死角になっている車両のいちばん隅っこに、小ギレイなどこにでもいるサラリーマン風、推定年齢三九歳が突っ立っていた。誰も見ていないのに、彼は新聞で顔を隠して棒立ちの状態である。もはや彼のズボンに大量のアレが蓄えられているのは明らかであった。が、正面から見た限りでは、ズボンの汚れもなく、足元も何ともない。
 さて、声をかけるべきかと迷いながらも、一応列車を発車させた。「飲み過ぎたのだろうか」「終電だから途中で降りるわけにはいかなかったのか」「どこまで行くのだろう」「大丈夫ですかくらいは言ってあげるべきか」とアレコレ考えつつ、躊躇しているうちに西国分寺を過ぎ、国立に到着すると、推定年齢三九歳のお客さまは小股で歩きながら下車されたのだった。
 私は発車ベルを押しに行きながら、できる限り彼を見ないように努めたのだが、無意識のうちにそちらへ目がいってしまった。「オーマイガ……」スボンのお尻から踵まで、アレの汁でもうベッチョリ。いやはやなんともご愁傷さまであった。
 中央線・深夜の運行事件、これにて完。

○月×日
 天高く馬肥ゆる秋。橙色の電車、中央線・高尾行きと、黄色の電車、総武線・三鷹行きは同時に中野駅を発車した。高円寺、阿佐ヶ谷を過ぎても、先行争いは互いに譲らず、ほぼピッタリと併走している。
「押さえきれない掛かり気味とは違います。さわやかな風を切って、実に気持ちよくマイペースで走っているといった印象を受けます。いいですよ」という声が、どこからともなく聞こえてくる。
「夏を越えて一回り大きくなりましたね。豪快なフットワークから成長が見られます。高尾行きはこのコース得意ですし、まず心配ないでしょう」「ここは上りより下りがいいんですよ。ニンジン畑も見えてきますから……」
 予想通り、高尾行きは荻窪あたりからジワジワと三鷹行きを引き離しにかかった。吉祥寺を過ぎて、最後の直線、残り400メートルの勝負となる。ゴールは三鷹だ。このまま高尾行きが力で逃げ切るのか。三鷹行きが追い上げ、再び並びかけるのか。それとも遙か後方から、特別快速一気の強襲という番狂わせがあるのか。
 闘いは熾烈を極めた。「それ行け、高尾行き! 負けるな、そのままそのまま……」手に汗を握る興奮の一瞬である。結果は、高尾行きが猛追する三鷹行きを一車両差押さえてゴールイン。見事優勝を果たしたのであった。担当車掌は、高尾行きコールがわき起こる三鷹駅ホームを誇らしげに引き上げていった。こうして今日の乗務も無事終了。
 いよいよ今週から10週連続で、中央競馬・秋のGIレース幕開けとなる。私は週末になるとソワソワして馬耳東風状態となってしまう。なにしろ馬券を買わなくても、レースを見ているだけで楽しい。
 ……こう書いておかないと、ドンドン無駄遣いしそうな気がするのだ。

○月×日
 JR連合傘下の鉄産労(東日本鉄道産業労働組合)は、東労組の横暴が目にあまるとして「JR東日本の民主化」を掲げ、職場規律の是正について会社側に申し入れを行っている。内容は、勤務時間中の鉄産労の組合員に対し、東労組役員等が話し合いと称して業務を妨害する行為が発生しているが、職業規則に則り厳正に対処されたい……、といったものだ。
 これには私達も異論なく同感であり、会社側の毅然たる対応を期待する。なにしろ職場はいま、暗く異常としかいいようがない事態となっているのだ。
 ことの発端は、9月に旧鉄労系の組合(JR連合内)が「芋煮会」を開催したところ、何人かの東労組組合員が参加していたことが発覚したということであった。その中にウチの職場の内勤担当である東労組組合員、Nさんが含まれていたことが大問題となった。
 掲示板に張り出された東労組のビラによると、「JR連合解体闘争宣言」という見出しで、「総対話行動」とか「組織破壊攻撃粉砕」という文字が踊っている。Nさんの実名を呼び捨てであげ、「組織破壊者と断定する」「他労組と酒を酌み交わしたことを断じて許すわけにはいかない」というのである。どうやら東労組は「芋煮会」をJR連合による「JR東日本の民主化」宣言の一環として捉えたようだ。
 勤務を終えたNさんに「話し合い」と称し、皆のいる控え室で役員7、8名が取り囲み、対話、いや説得、はたまた恫喝か、とにかく理解に苦しむことを5時間、6時間と延々やる。止めに入る者は誰一人としていない。
「ヒドイですよね。Nさんかわいそうだけど、口を出せばボクもやられる」と、東労組の若い組合員達はヒソヒソ言ってビビっており、管理者すら見て見ぬふりで何もしない。これでは見せしめ、つるし上げ以外のナニモノでもない。「どんなに謝ろうが、土下座をしようが本心ではない。絶対に許さない」というのだから。
 さらに驚いたのは、この「芋煮会」に東労組組合員がコッソリ現れ、スパイさながらにビデオやカメラで参加者の証拠を撮って帰ったということだ。先の「話し合い」を含め、こうした人権侵害ともいえる行為があちこちのJR職場で連日行われている。
 最近では東労組の若い組合員達が、やはり2時間、3時間とやられていた。聞けば、陰で東労組の批判をしたとか、国労の人と仲良くしていたとか……。誰かが「あの人はこうしていました」と役員に密告したりするのだろうか。
 20歳のT君の場合は、なかなか堂々としていて「話し合いならいくらでもするが、何人もで取り囲んで……。しかも話し方が喧嘩腰じゃないですか」とハッキリ言った。すると役員は何も言えず黙りこむのだった。若い人は決して片寄った思想に染まることなく、当たり前の気持ちを忘れないでほしいと強く願う。
 それにしても、労働組合の「闘争宣言」なるものが、労働条件や安全問題に対してではなく、自らの組合員に対してであるかのように感じられるが、まったくもって言語道断で、呆れるほかない。
 何週間かが過ぎ、結局Nさんは東労組を脱退した。というより、正確には脱退させられたととるべきか。Nさん脱退の掲示には「脱退用紙に署名する際、『やめたくない』と意識的に大声を張り上げ、周囲の同情を買うような演出をしてみせた」と出ている。東労組、そりゃあないだろう。
 Nさんは今後、内勤から車掌(乗務員)へ降格させられるという噂も広がっている。何から何まで驚くばかりだが、東労組は会社の人事権まで握っているかのようである。
 私も気がヘンになりそうだ。Nさんガンバレ!! というしかない。

○月×日
 職場の先輩、Fさんの激励送別会が盛大に行われた。
 国労は65歳定年制を要求しているが、JRのいま現在の一般的なケースは、57歳で関連会社への出向となり、60歳誕生日の月末が退職日となっている。
 これについても問題は山積していて、「定年わっはっは」とはいえない状態なのである。まず、現在の景気・雇用をめぐる厳しい動向からも出向先がない。以前ならキヨスクや駅ビルに当たり前のように出向したものだが、どこもかしこも人減らしの真っ最中なのだ。
 しかも、国労に対しては希望職種や希望地を無視したり、通勤不可能な場所や単身赴任をせざるをえない発令など、最後の最後まで組合間差別、いやがらせを行ってくる。結果、「休職コース」選択へと追い込まれたりする事象が多くの職場で発生している。会社にしてみれば早く辞めていただくのがイチバンということだろうか。
 今回のFさんは、中央線車掌として40年近くも歩んでこられた大先輩だ。来月からは「東京ステーション・サービス」という出向先で3年間従事される。長い間の乗務、本当にご苦労さまでした。私達後輩への数限りないご指導、ご鞭撻をありがとうございました。新天地でのご活躍とご健康をお祈り申しあげます。
 一人、また一人と先輩達が職場を去っていくのは実にさみしい。しかし、心から感謝を込めて労をねぎらい、「あとは俺達に任せてくれ」と力強く送りだすしかない。
 最後はいつも決まって国鉄労働組合歌を歌う。皆が輪になりスクラムを組みながら。
「わたくしたちは おれたちは
  国鉄に生きている
 正しいこころと 赤い血の
  かよう手と手を しっかり結び
 国鉄労働組合の その旗の下で
  あしたを信じ 働くものだ
 国鉄労働者」
 皆、すっかり涙ぐんでしまっている。
 真っ暗な帰り道、「10年先、オレが辞めるときには送別会をやってもらえるのだろうか」という笑えない思いがふと脳裏をよぎった。国労の後輩は何人もいない。光陰矢のごとし、周囲にはもう冬間近の気配が漂っていた。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/警告書 肝機能 高校生

■月刊「記録」1999年11月号掲載記事

○月×日
 最近、出勤前に「今日は何が起きるのだろうか」と気になってしょうがない。
 ダイヤは乱れるのが当たり前といった感じで、首都圏のJRはこのところトラブル続き。なかでもなぜか中央線がダントツだから始末が悪い。私達はこれが本業なのだから、ウンザリながらもそれなりに対処して、日々の業務に従事するしかないのだが、目的を持ち、計画を立ててJRを利用しているお客様にしてみれば、いうまでもなくたまったものではない。
 すでに新聞報道でも明らかなように、運輸省もこうした事態を重視しており、9月3日には関東運輸局長名でJR東日本に対し「警告書」を出した。警告書は97年の中央線大月駅で起きた衝突・脱線事故以来ということである。
 このなかには「特に中央線については故障箇所の復旧に手間取り、運転再開までに長時間を要し、利用者に多大な影響を与えた」と、中央線のことがしっかり書かれており、「公共輸送機関としての社会的信頼を著しく失墜させていることは誠に遺憾である」「輸送管理に不十分な点があるものと考えられる」と、JR東日本を厳しく批判するとともに早急に改善策を講じるよう、強く求めている。
 警告を受けたJR東日本の松田昌士社長は10日、運輸省を訪れ、「心からの深いお詫びを申しあげます」と陳謝し、電車の運行をコンピュータで管理する「ATOS」(東京圏輸送管理システム)の改修などの対策と、ダイヤ回復を指示する中央司令室の体制を強化する旨を述べたという。
 10月ごろまでには改修を終える予定ということだが、もはや現場で働く私達社員の安全も脅かされているといっても過言ではなく、一刻の猶予も許されない非常事態だ。
 雨と台風の9月はもういいから、早く10月になってほしいものである。

○月×日
 私の本がいつの間にか二刷になり、以前にはなかった地元・八王子の書店にも並んでいる。メチャクチャ嬉しくってしょうがない。用もないのに連日立ち寄っては、「ガンバレよ」と声をかけたり、乱雑に置かれていると整えたり、お金があったらぜーんぶ買い占めたいという衝動に駆られてしまう。
 何もかも初めての経験なので、緊張すると同時に、こうしたワクワクした日々を送っているわけだが、本になるまでのさまざまな紆余曲折も、コッソリ一人ハラリと落とした涙も、いまとなってはどこかに吹っ飛んでしまった感じがする。本を手に取り、買って読んでくださった全国の方々に心からお礼を申しあげたい。本当にありがとうございます。
 さて、ここで正直に白状した方がいい。実は、わが家には悲しいことに売れ残りが山ほどあるのである。当初、分会の役員と話し合った結果、国労の団結強化と、部外の人にJRの実情を知ってもらうには、この本を読んでもらうのがいちばん手っ取り早いのではないかということになり、地方や地域の会議などがあるたびに宣伝して買っていただこうという結論に至ったのである。
 そこで、善は急げと、出版社にあらかじめ「1500冊は責任を持って売り切るから」と電話で伝え、Yさんと2人で出かけた。ところが出版社が近づくにつれ不安になり「1000冊にした方がいいな」と変更。出版社に着くや否や出た言葉は、1000冊はおろか、「500冊でお願いします」と自信なく心配そうに持ちかけたのであった。
 そうして早速、ウチに300冊、Yさんのウチに200冊がドーンと届けられ、営業開始と相成った次第。それでも出だしはなかなか好調だった。コンスタントに売れたのだが、約一ヵ月半が経過したいまでは、手ぐすね引いて待つだけとなってしまっている。
 それもそのはずだ。あちこちの会議といっても出る顔ぶれはいつも一緒なのである。酒なら「うまかったからもう一本買おう」なんてことにもなるだろうが、本はそうはいかない(一度読んだらおしまいなのである)。初めは50だろうが100冊だろうが、重さなどはちっとも苦にならずどこへでも出かけていったが、10冊持ち歩く重さが苦痛となった今日このごろである。
 読みが甘かった。チト軽率だったかもしれない。しかも、こんなに山ほど……。どうすりゃいいんだ。そう、なにより家庭に「秘密」を持ち込むこと自体が間違いだったのだ。

○月×日
 不肖の私が僭越だとは思うが、長野県の上山田温泉で行われた、国労東日本本部定期大会の傍聴に出かけた。
 全国大会を皮切りに各エリア本部大会、この後には地本・支部・分会大会と続き、国労全組合員の意思統一と団結が図られるわけだ。
 全国大会のミニチュア版とでもいおうか、顔ぶれはほとんど同じ感じである。ホテルの大会議室を会場に、代議員が約100名、全体で2~300名くらいが参加し、2日間にわたって「労使紛争の早期全面解決」(1047名の解雇撤回・JR復帰・不当労働行為根絶)をめざした真摯な討論が展開された。
 当初は、政府も「解決済み」だと相手にしなかった問題を、10余年の闘いにより、「解決しなければならない課題」とまで押し上げ、去る5月25日には、参議院の全政党七会派による早期解決に向けた申し入れを受け、政府および与党の幹事長から「解決に向け努力する」旨の公式の談話が示されたという現状を再確認し、政府談話を具現化させる取り組みを強化するということであった。
 全国大会での高橋委員長の特別発言にもあったように、解決の実現に向かっているこの流れを逃すことなく、時として進む勇気も、そして退く勇気も持ち合わせながら全力を挙げなければならない。
 闘いはまだまだ続く。自身と確信を持って一路邁進するのみである。

○月×日
 八月に受けた定期健康診断の結果がきていた。「すべて正常でした」というから戸惑っている。末永く健康でありたいと心から願ってはいるが、ここ数年は肝機能の数値がジワジワと上昇し、アルコールは控えめにという注意がいつも添えられていたのだ。従って、今年こそは数値と相談しつつ、飲み方を少し考えようと秘かに思っていた矢先の結果である。
 これっぽっちも自慢にはならぬが、大バカ者の私は、浴びるほどといっても大げさではないくらい飲んでいたのだ。以前なら、前後不覚ベロンベロン状態で、ヨロけて倒れたりしながらも必死で帰途についたものだが、最近ではそんなことはまったくなくなってしまった。
 なら立派じゃないかとほめられそうだが、そうではない。飲めない人には信じられないだろうが、よろけて倒れてしまえばそのままところかまわず寝てしまうのである。ねっ、これじゃ帰れないでしょ……。
 とにかく、このようになるまでの普段の努力の数々が並大抵でない!? ことは、やっぱり飲まない人にはわからないだろう。ならなぜそんなみっともなくなるまで飲むのかと呆れられそうだが、私自身もよくわからないので、飲まない人にはさらにわからないだろう。
 妻は厳しい目で言う。「肝硬変は苦しいなんてものじゃないわよ、あなたは突然バッタリといくのかもね……」。そう、その通り。バッタリ倒れて寝てしまうのである。
 それにしても、何とも釈然としない。白目だって寝不足で充血しているのではない。アルコールで黄痕がかっているのだ。どうして数値が正常範囲に戻ったのだろうか。

○月×日
 電車が事故でストップすると、車内や各駅のあちこちで携帯電話が一斉に使用されるのはすっかり当たり前の光景となったが、この光景は気が滅入るとしかいいようがない。
「もしもし、中央線が……」「中央線がですね……」「中央線なんざます」「中央線が……、はい」「そうなんです、中央線です」「中央線なんだけどさあ……」「いまぁ、中央線にぃ……」「中央線でござる」といった具合である。
 今日は知っていたから早めに家を出たものの、私も約束の時間に遅れてしまった。事故の原因がなんであれ、連日連夜困った事態であることは間違いない。
 このごろでは、テレビやラジオでも中央線の「中」と聞いただけで「ドキッ」とするから体にもよくない。
 それに比べて、中央競馬会、中日ドラゴンズ、中華料理、チューハイなどとなると、ホッと安堵すると同時に、それらの言葉がなんとも崇高で美しく響きわたり、すばらしいほど新鮮に感じられるから不思議である……わけはないか。
 それにしても事故が多すぎる。信用ガタ落ち、頼りないったらない。天下のJR、何か妙案はないのか!! 私達だって早急に何とかしてほしいのである。

○月×日
 さわやかな秋晴れとなり、ついこないだまで「暑い」だの「どしゃ降り」だのとぼやいていた天気が嘘のように気持ちがいい。時の流れは早く、9月がもう終わろうとしている。
 今日はカンダパンセで開催されている国労東京地本の大会に行った。
 前にも書いたが、この大会が終わると地区本部、支部、分会大会と続く。本部指令にもあるように、全国大会で決定した方針を、全職場、全組合員に徹底するため、大会開催により機関整備を行うというものだ。
 毎年のことだが、もっとスピーディにならないものかといつも思ってしまう。セレモニーなんだから仕方ないという人もいるが、国労が置かれている現状を考えれば、こんなに悠長に構えている場合ではないのではないか。
 どうも旧態依然のような気がしてならない。今や情報化社会である。いくら組織がデカイ? からといって、八月の全国大会から始まり、私たち現場の分会大会が終了するのは12月、季節は冬になっている。つまり、三ヵ月以上もの月日が大会に費やされているのだ。もちろん、この間には交渉やら集会やらのさまざまな活動があり、運動が滞るわけではない。しかし、誤解されては困るが(こういうと怒られるので、ここだけの話です)どの大会でも似たり寄ったりの議論が延々と繰り広げられているとしか思えないのだ。
 これでいいのだろうかという疑問を感じないわけにはいかない。でも、みな何もいわないから、いいのかなぁ、やっぱり……。

○月×日
 東京駅で発車の準備をしていると、乗務員室の目の前に、見るからに挙動不審な高校生が乗っていた。ソワソワと落ち着かない様子で、何度も私をチラチラとうかがっているのだ。「空いているんだから座ってくれよな……」とイヤな気分でいると、彼は突然乗務員室をノックするではないか。
「あ、あのぉ、三鷹車掌区の斎藤さんって、本書いた人ですか」。私はいきなりだったので対応に困りながらも、「そうだけど」などとそっけなくボソッと答えた。すると、彼は状態を反らしていまにも卒倒しそうに「読みましたあ」と興奮気味に言うやいなや、車内を飛び跳ねながら一目散に駆けだし、二両目、三両目へと消えていったのだった。
 一瞬の出来事に呆気に取られはしたものの、意外な嬉しさを乗せ、感謝の気持ちで発車させることができたのだ。
 しかし、マイクを持った途端に「おれのアナウンスが録音されているのでは……」という疑念が湧いた。「絶対イヤだぞ」いつもならホームを外れるとすぐに取りかかる放送を、タイミングをずらしたり、言葉数を少なくしたりと、意地悪のようだがアレコレ気を使って普段の倍も疲れた乗務になってしまったのであった。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/動員 落雷 全国大会

■月刊「記録」1999年10月号掲載記事

○月×日
 東京湾ナイトクルーズを楽しんだ。午後七時、竹芝桟橋(浜松町)から出航。大型客船(5000トン)に乗り、約2時間の周遊である。
 ロマンチックな夜の静寂のなか、レインボーブリッジの鮮やかなライトが君の瞳をやさしく照らしたらもうたまらない。肩を寄せ合うカップルは海風に吹かれながら恋を満喫している。
 私の若いころといえば、神社の境内や田んぼのあぜ道がデートコースで、人目を気にしながらコッソリやったものだが、今どきの若い子は大胆そのものである。
「ええぃ、勝手にしろぉ! しっかり抱き合って大切に愛を育んでくれい」と、私達オヤジ5人集は「飲み放題」のビール・ウーロンハイ・ワインを手当たり次第に呷りまくっていったのであった。
 黒人4人組の生バンドは、ナベサダの「カリフォルニア・シャワー」なんぞを演っていて、船内の気分を盛り上げてくれている。体が自然とリズムに乗り、ステージ前では皆が踊っている。首を突きだしては引っ込めるという光景を眺めながら、私は駅に群がるハトを思い出していた。
 羽田空港からは、1・2分おきと思われる間隔で、巨大な鉄の塊が離着陸している。そのラッシュぶりに改めて呆然とさせられるが、レールの上を走る電車とはケタ違いの厳しさがあるのだろう。飛行機のパイロットには敬服せずにいられない。
 帰り道、すっかり酔っぱらいながら山手線から中央線に乗り換え、JRにすべてを任せる。目を閉じると、東京湾のトロピカルな夜景がぼんやりよみがえっては消えていく。
 現実の世界へたどり着いたのは深夜であった。それにしても、飲むとなればどこへでも出かけてしまう愚かな私である。

○月×日
 一人でトボトボと国会へ出掛けた。動員である。
 国労は、国会会期末を迎えた「国旗・国歌法案」や「盗聴法案」などの重要法案の審議をにらみつつ、JR労使紛争の政治責任による早期全面解決を求め、9日間にわたりJR東日本本社前抗議行動、運輸省、国会前座り込み行動を展開した。
 本部高橋委員長は闘争団家族とともに「話し合いの場が速やかに設置されるよう」、運輸省、労働省に強く要請したということである。
 国会周辺は「炎天下などなんのその」と、いつにない盛り上がりを見せたが、結局は自自公の数の力で強行採決によって成立した。「強制はしない」「乱用はしない」というが、どんどん管理され、統制され、締めつけられていくのは明らかだ。
 決して多くない夏休みを海外などで満喫するのは大いに結構。今しかないのだから。その一方で、こうして国会に押しかける国民もいる。これだって今しかないのだ。

○月×日
 今日も1日が終わった。ガード下の居酒屋を後に、すっかり疲れ果てたうつろな目つきで駅に向かって歩いていた。頭上では「ゴォー」という轟音がひっきりなしに鳴り響いている。鮮やかなオレンジ色の中央線は渦巻くイルミネーションに照らされながら、こんな遅くなっても、ただひたすらに走り続けているのだ。
「今日も朝から晩まで、お前にしこたま乗りまくったよな……」と思い出した途端、なぜか無性に腹が立ち、電信柱に蹴りを入れていた。「イテェー!」
 激痛でよろけた私は、「オレはどうせサイテイだぁ」と叫びながら倒れ込み、傍らにあったポリバケツをコナゴナにしたのであった。ポリ…をコナゴナに……ん!? その瞬間、これは夢にちがいないと気づいたが、まぶたも身体も重くて起きあがることができない。
 再び眠ってしまったのだろうか。今度はスクリーンいっぱいに「秘密」というタイトルが衝撃的に浮かび上がり、なぜか「フーテンの寅さん」の曲が流れてきた。そして同僚が興奮気味に言うのだ。「典チャンの本、映画化されたんだね。スゴイじゃないか。JRを外してただの秘密にしたんだね……」
 中央線沿線にある映画の看板でも大きく宣伝しているのだという。……ん、それって、東野圭吾の小説「秘密」の映画化のことじゃないのか!? やっとそこで目が覚めた。
 どうも「秘密」って、ストレスがたまってよくない気がする今日このごろである。

○月×日
 毎日暑いが、今年のような夏らしい夏も珍しい。カッと照りつけるギンギンギラギラの真夏の太陽。抜けるような青い空と純白の入道雲のコントラスト。突然通り過ぎていくにわか雨。どれもが鮮明で実に美しい。
 頑丈そうで汚れ一つない真っ白な入道雲の上にゴロリと寝ころんでみたいと思う。通り雨は青空をバックにきらきらと輝いて見え、一瞬のうちに地上を洗濯してくれる。曇り空の雨とは風情がまったく異なるところが好きだ。
 中央線は何もいわず、ただただ今日の暑さにもジッと耐えて突っ走っている。乗務員室から見る昼下がりの景色はウソのように静寂で、まるで時間が止まったかのようだ。ふと、遠い昔がよみがえる。過ぎ去ったそれぞれの夏も、今となっては「後方オーライ」でよかったのか……。
 暦の上では立秋も過ぎた。甲子園の高校野球が終わるころには、トンボが夕焼けに赤く染まり秋風を届けてくれるだろう。あともう少し、短い夏。なんだか切ない。

○月×日
 いつもながら私事で恐縮だが、川崎から木更津までの「東京湾アクアライン」を初めて渡った。海底トンネルと海上橋をドッキングさせたというこの道は、どこまでも一直線。そして車内は涼しく思いきり快適。「イエロー・サブマリン」を口ずさみながらゴキゲンである。
 途中、東京湾をぐるりと一望できる「海ほたる」という人工島で休憩をとった。限りなく広がる青い海と青い空はいつまで眺めていても飽きることがない。
 それにしても、この異常なほどのトンボの多さはなんであろうか。こんな東京湾のど真ん中に岸から飛んできたのだろうか。トンボの行動範囲とはこれほど広いものなのか。トンボの幼虫「ヤゴ」は淡水に生息するはずではなかったのか。それとも、これがホントのシオカラトンボなのか……。
 厳しい残暑が続いている。木更津のホテルで一泊し、翌早朝にトンボ返りした。

○月×日
 もう散々だった。中央線は4時間もストップし、駅間の電車からは乗客が線路に飛び降りる。車内では女性客が具合が悪くなり、トイレを我慢ができない人が続出。駅舎は停電で真っ暗。券売機は止まり、改札口は無制限大開放状態。初電が動き出しても終電がまだ走っている。
 8月24日、夕方からの局地的な激しい雨と落雷で信号が故障したことなどにより、首都圏の電車は運転を見合わせる区間が相次ぎ、帰宅の足が大混乱したのだ。
 その予兆は十分にあった。寒冷前線の通過に伴って大気の状態が不安定となり、北西の空は真っ黒。今にも巨大な「恐怖の大王」が降ってくるようであった。
 JR東日本によると「停電の事故としてはJR発足後最大規模」ということである。
 山手、京浜東北、高崎線等は、1時間から2時間後には順次運転が再開されたが、中央線だけはちっとも動こうとしない。最後の最後までダメなのである。
 私が宿泊地である豊田に着いたのは午前3時。15人泊まるはずの所にまだ4人しか来ていなかった。私は初電担当で、3時50分には起床しなければならない。もちろん寝られない。みんな大変なのだった。
 それにしても、小田急や京王線はいつも大丈夫で、なぜ中央線だけが……、とつくづくイヤになる。復旧に手間取る最大の原因は、このような突発事故に対応できる社員の常駐が極端に少ないからではないのか。それなのに会社は、今後も保線や電力等の社員を削減し、外注化しようと計画している。
 一睡もせずに勤務解放(終了)が25日10時20分。昼ごろ帰宅し、死んだように眠った。

○月×日
 社文会館で二日間にわたって開催された国労第65回定期全国大会は成功裏に終了した。
 いわゆる労働組合の全国大会といえば、年に一度のお祭り的な気分もあるものだ。しかし1047人不採用差別事件を抱えている国労は限りなく深刻で、重い緊張感に包まれており、お祭りのおの字もなかった。
 今大会の議論は、3月18日の臨時全国大会で承認した「国鉄改革法」について、その後の本部の対応に批判が集中した。
 高橋委員長のあいさつは、「政治折衝など足踏み状態にある」「直ちに解決できるような情勢ではない」という苦渋に満ちたものであったが、「本部は不退転の決意で早期解決に向けて取り組む」との特別発言もあった。なんにせよ、臨大以降の局面はすでに解決へ向かって動いているのであり、今さら路線がどうこうというのではなく、政治による解決をもってよしとすべきではないのか。
 政府は、解決交渉テーブルの設置を前に国労に対して譲歩と屈服を迫り、ハードルをどんどん高くしている。私たちは今こそ本部を信頼し、一枚岩の団結をより一層強化して総力をあげて闘い抜かなければならない。
 今回、特に印象に残ったのは、上野支部で55歳になる仲間が「最後は国労で」と復帰した、との報告だった。前途多難で情勢は厳しいが、同じように思っている仲間は多いはずだ。国労組合員としての誇りと生きざまをかけ、自信をもって奮闘しなければと身が引き締まる思いであった。外見はデレッとしたままであるが……。
 さてこの2日間、私は何をしていたかというと、本部の許可を取り、物販の一画をもらって本を売っていたのだ。
「『JRの秘密』。国労組合員は必読、四十肩で背中もかけない中央線車掌が、それでも書いた渾身の力作、国労の正当性、JRの異常、現場長も助役も読んでいる、負けてはいられない、今すぐ読もう」などと書いた、にわか仕立てのビラを作り、その辺をウロウロ、ソワソワと、恥ずかしさに耐えながら売り歩いていたのだった。
 朝買ってくれた代議員などは夕方帰るとき、「いやぁ面白かったよ、あと2冊くれ。職場の仲間におみやげだ」と言うのだ。ん!? この人は大会で何をしていたのだろう。いったい、いつ読んだのか……。
 ま、一人ぐらいお祭り的余裕のある人がいてもいいではないか。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/斎藤さん お礼 三文字

■月刊「記録」1999年9月号掲載記事

○月×日
 今日は公休で家には私一人。ボケーッとくつろいで(?)いると、指導助役から電話があった。「×日の九七六H乗務中、国立あたりで車内でナイフを振り回している人がいるという通報を受けなかったか」と言うのである。もう二週間ほども前のことだが、そんな記憶はないので「ありません」と答えると、「よく思い出してほしい」と念を押すのだ。ないったらないので、「絶対ナイ」と電話を切った。
 もしそのようなことがあったとすれば、乗務報告書を提出しているはずである。念のため手帳をめくってみると、その日も公休だったのである。「乗務すらしていないではないか。助役のボ……」、まあ間違いは誰にでもある。「よし」としよう。
 この日の手帳には山陽新幹線福岡トンネル内壁崩落と記してあった。重さ200キロものコンクリート塊が走行中の「ひかり号」を直撃し、屋根が大破するという事故が起きた日であった。幸い乗客にけがはなかったが、大量の人を乗せて走る安全な鉄道にあってはならないことである。
 運輸省は直ちにすべての新幹線トンネルについて総点検の指示を出したのだが、JR西日本だけでも「コールドジョイント」と呼ばれる施工不良が2049箇所も見つかったという。
 JR東日本とJR東海は「今のところコールドジョイントは見つかっていない」としているが、トンネルの工法が山陽区間とほぼ同じであることから、「予想を超えた多さ」に驚きと衝撃を受けているようだ。
 突貫工事による手抜かりなのか、コンクリートの耐久性が問題なのか、原因を徹底的に究明し、早急に安全対策を講じなければならないのはいうまでもない。
 私なら何日間か新幹線を「公休」にして一斉に点検すべきだと思うが、このところさまざまな落下事故が後を絶たない。JR西日本では、この他にも新幹線高架橋からコンクリート片落下が相次いでいると連日報道されているし、東京の目黒では、7月6日に首都高から300キロもの鉄製標識が落下し、下の国道を走っていた乗用車に当たって車が大破(運転手は無事)するというニュースもあった。
 さらに、社会問題ともなっている学級崩壊はわが家にもいえることだが、子どもに対する親の「しつけ」の力が落ちた結果だと思うし、先週行われた昇進試験も落ちることが確実なのである。
 このように、落ちるはあまりいい意味で使用されないが、せっかくの公休である。落ちてくるのは雨だけで十分だ。残り少ない梅雨のひとときを楽しんで過ごしたい。

○月×日
『JRの秘密』に感動した、とわざわざ私に会いに来た人がいる。東海道新幹線の車掌をしているJR東海社員・斎藤文昭さん。何の面識もなかったのだが、国労組合員ということである。
 南部線・矢向車掌区の私の仲間が「電話番号勝手に教えちゃったけど、そのうち連絡がいくと思う」という話をしていたのだが、本当に彼から電話がかかってきたのだ。
 鉄道月刊誌『鉄道ファン』8月号の書籍欄に載った本の記事を見て、「こういう内容は国労の人が書かないとつまらないだろうな」と思っていたそうで、神保町の書泉グランデで実際に本を見てみたら、ズバリ国労組合員とあったので即買い求めたのだそうだ。
 ちなみにその紹介記事には「現役であるがゆえに日ごろ言いたくてもいえない車掌の本音を吐露したもので(略)、文章が軽妙でおもしろく(略)」とある。私の仲間はこの「軽妙」を「カルくてみょう」な文章というふうに理解しているのだが……。ま、それでもいいけれど。
 さて電話は「泊まり明けで、今東京駅にいる」ということであった。静岡にお住まいだと聞いたので、お疲れのところ八王子まで来てもらうのも申し訳ないので、結局三鷹で落ち合うことに決め、駅前の喫茶店で上品にコーヒーなどをすすりながら話した。
 彼は、よくここまで書いてくれたという感激を語り、自分も4年前に「身延線・四季彩々」(光村印刷社発行)という写真集を出版したということ、同じ斎藤といういうこともあり、年も近いし自分のことのように嬉しいと喜んでくれた。
 年は私より三つ下だが、私よりずっと大人の風格で落着きがあった。私は「斎藤さんって若いですね」などと言われてテレつつ、互いに「斎藤さん、斎藤さん」とヘンな気分で言い合い、職場のことや「鉄道員」として本を出せたヨロコビを2時間ほど語り合ったのだ。
 私は立派な写真集をいただき、彼が購入してくれた私の本には「国労三鷹車掌区分会・斎藤典雄」などと、またまた「ナメク字」のサインをしてしまった。
 もちろん写真集を出すくらいだから、彼の趣味は写真である。「電車ばかり撮っていたが、最近は人を撮るのが面白い」と言う。「国労は高齢化が進み、先輩たちがどんどん退転していき淋しいが、国労でやり通した顔が何ともいいんですよ」ということであった。
 今度ぜひ私の顔を撮りたいというので、「それだけはカンベンして」と答えると、「大丈夫、命や魂まではとりませんから」と返すのであった。さすが国労組合員である。

○月×日
 日勤で昼ごろ出勤すると、内勤担当で私の上司に当たるTさんからの伝言があった。
 1時間ほど前に電話があり、私にぜひお礼をしたいというお客様(男性)が、「東京駅のホームで待っているから、私が東京駅に着く時間を教えてほしい」と言うので、教えておいたというのである。
 Tさんは隣にいる助役とニヤニヤしながら「何かいいことしたのか?」などと言い合っている。私はこれといってお礼をされるようなことをした覚えはまったくなく、どう考えても思い当たるようなことがなかった。
 それどころか、詳しい話を聞いているうちに、だんだんウス気味悪くなり、腹立たしささえ覚えるような複雑な気持ちになってしまったのである。
 まずはじめに不信に思ったのは、電話を受けたTさんが、「斎藤と言っても何人もいるから」と言ったことに対して、電話の相手が私のフルネームを言ったということである。胸につけているネームプレートには名字しか書かれていないし、よほどのことがない限り「三鷹車掌区の斎藤です」以外のことを言ったりはしない。
 次に、Tさんもうっかりしていたとしかいいようがないが、その人の名前すら聞いておらず、何に対するお礼なのかも聞いていなかったことだ。ともかく、あまりにも不明な点が多いし、お礼だといって「ボコボコ」にされるお礼参りだったらどう責任をとってくれるのだ。そんなことされる覚えはまったくない。
 例えば「こういうものだが、だれそれの住所と電話番号を教えてほしい」と会社に電話があったとする。このような場合は、本人にカクニンをとった上でとか、相手の連絡先を聞き、折り返し本人に連絡させるというのが本筋ではないのか。今回の件はこれと同様のケースである思うのだが。しかし、もう手遅れだ。私はその電車で東京に向かわねばならない。なるようにしかならない。
 いきなり写真を撮られたりするんじゃないだろうか……、知り合いや友人であってくれればいいなー、などとさまざまに思いをめぐらせながら、少し緊張気味に終点東京の前方をカクニンする。しかし停止位置付近に待っている人など、だれもいないのだ。
 折り返し運転だったので、乗務位置交換で注意深くホームを歩いたが、大勢の乗降客の中にも声をかけてくる人はおらず、結局何もなかった。あーいやだ、いやだ。何ともスッキリしない不快な1日であった。

○月×日
「暑っ!!」。いきなり夏になったという感じがする。一昨日のお昼のニュースが「梅雨明け」と告げたその瞬間から、気温がグングン上昇し、「これぞ夏」という猛烈な暑さとなった。
 昨日も今日も朝からギンギンに晴れ渡った。カッと照りつける太陽は陰ひなたを作るとしても、そこに陰謀などない。森羅万象大自然の節理なのである。
 それにしても梅雨明け前、2日連続の雷の暴れようはすさまじいの一言に尽きた。まるで地響きのように足元が振れ、男は「うおっ」、女なら「キャーッ」という悲鳴とともにホームへしゃがみ込んだくらいなのだ。
 電車は決まった所(レール)を走るしかないのだから、雷による空中攻撃から逃げることはできない。私はいつ直撃されるのかと、ハラハラし通しだった。
 むかしから雷が鳴ると梅雨が明けるといわれている通り、気象庁も翌日には何の躊躇することもなく「梅雨明け」を発表し、実に正しい夏の到来となったのも近年では珍しい。 広大な空も、アスファルトも木陰も、郵便ポストも信号待ちのオバちゃんのブラウスも、見渡す限りみんな皆夏一色の一日となった。
 梅雨明けしたからといって、公衆電話の受話器を頭の上にもっていき、「このシャワーは水が出ないのか」なんてことはもうしない。そして「仕事が終わったらビールだ、ビール」というワンパターンな私も卒業である。
「スターダスト」などの、ジャズのスタンダートナンバーを聴いていると、心の芯まで涼しい気分になる。鈴を転がしたようなピアノのタッチ、静かで落ち着いていても力強いスネアドラム、ずっしりと腹の中にまで踊り込むウッドベースの音、それだけで十分、だったはずなのだが、なぜか何か物足りない。やっぱり生ビールしかないのだろうか……。

○月×日
 ヒジョーに暑い1日だった。夕方、冷房のよく効いた本区で涼んでいたら、区長がわざわざ私たちのいる控室までやってきて、「斎藤さん、時間ある?」と聞くのである。10分後には乗務だったので、「ないです。36分のに乗るんで」と答えると、「5分で終わらせるから、ちょっと来て」と区長室に呼ばれた。
 5分といえば短いが、イヤなことなら長い。ましてや相手が区長となればなおさらである。出勤したときに「昇進試験の発表をやっている」と役員から聞いていたので、それだろうと思ったら、案の定だった。
 区長は、机に置かれた資料に目を落としながら、もう何年も聞き慣れたお馴染みの「不合格」を早口で告げると、「引き続き勉強して、来年頑張って下さい」と明るく締めくくった。
 一応詳しい中味を尋ねてみると、作文は「まぁまぁ」、一般常識と業務知識は「やや不足」という、ちっとも詳しくない曖昧な表現で、私は「勉強して受かるのなら、一生懸命やってます」とだけ言い、5分で終わる話が一分もかからず退出した。
 それにしても、もうどうしたもんだろうか……。ショックとかヤケ酒だとかの感情はまったく湧いてこず、やっぱりなんだかオカシクなるのだ。「オレって、すっげえ頭ワリイんだろうな……」。近くにあった服装の整正用のバカでかい鏡を覗いてみると、やはりいつものすっげえバカみたいな自分の顔が映っている。
「落ちてこそ斎藤」という傾向がすっかり定着し、「受かったときの斎藤」という対策が立てづらくなった今日このごろである。やはりヤケ酒という気にはならなかったが、この日は本当に飲めなかった。この晩は泊まり勤務で、深夜1時17分30秒着の豊田行最終電車まで乗務だったのだ……。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/大決起集会 ナメク字 資本金2千億円

■月刊「記録」0999年8月号掲載記事

○月×日
「5・28不当判決」から丸1年。JR採用差別問題などの早期全面解決を求める大決起集会が日比谷野外音楽堂で開催された。
 3月18日に行われた臨時全国大会で、国鉄の分割民営化を定めた改革法を承認してから、すでに二ヵ月が経過しており、「情報がさっぱりだが、政府との交渉は進展しているのか」といった本部に対する不安やいら立ちを抱いていた組合員も多かったに違いない。
 先日の新聞報道でも明らかになったが、政府は国労の立場に理解を示し、一日も早い政治決着を目指す意向を表明したという。つまり、政府・JR各社・国労の三者による話し合いで和解を目指すということである。
 国労の高橋義則委員長は解決への三条件として、①JRへの採用 ②和解金支払い ③健全な労使関係構築 を挙げ、解決の具体的見通しがつかなければ訴訟の取り下げはあり得ないということを強調した。
 集会では1047名闘争団家族を代表して、音威子の藤保さんが「夫は何一つ悪いことをしていないのにクビにされ、働かない、怠け者というレッテルを貼られ、言葉では言い尽くせないほどの悔しい思いをしてきた。この12年間は戻ってこない。国は自らが行った不当労働行為の責任を人道上の問題だなどとすり代えている。絶対に許すことは出来ない」と、溢れる涙を堪えて訴えていた姿が印象的だった。
 一方現場では、この5月から6月にかけて営業職場(駅関係)の異動が突如として行われた。八王子支社管内では40名ほどだったが、国労では分会長や活動の配転が目立っている。会社が国労に対して揺さぶりをかけ、様子をうかがっているようにもみえる。「改革法を認めたのだから、強制配転反対とか苦情処理申請などは受けつけませんよ」と。今後、このような攻撃が再びジワジワと襲ってくるような気がしてならないのだが、私の考えすぎだろうか。
 いずれにせよ、JR各社は政府の呼びかけに対して真摯に応じることを強く願うものである。

○月×日
 釣りに行った。職場のサークル「国労釣り部」の仲間10人で、茅ヶ崎から船に揺られること1時間。三浦半島の先端、城ヶ島沖で大アジを狙った。
 天候にも恵まれ、海はベタ凪ぎ。日常から解放されて何もかも忘れることができ、たまらなく嬉しい。広大な海をぼんやりと眺めていると、「ここなら大丈夫、ダレからも監視されることはない」などと、ワケのわからないことを呟いたりしてしまう……。
 船頭さんの指示により、仕掛けを海底100メートルまで一気にブチ込む。リールの動きが止まり、糸がフニュッとふけると海底まで落ちた証拠である。素速く3メートルほど巻き上げ、釣り竿を2~3回タテに激しく振る。そうすることで、コマセ(撒き餌)がぱらぱらと散り、そこに集まった魚が釣り針にパクリと喰いつく仕組みなのである。
 クイックイッという小気味よいアタリならアジ、クゥィーンという奇妙なアタリだったらサバである。アタリが来ると、私は100メートル下の仕掛けを必死で巻き上げるのだが、魚の引きもかなり力強く、思ったよりも力が必要だ。だから、他の皆はほとんどがボタン一つで巻き上がる電動リールを使っている。カラカラという私の手動リールの隣で、「ヂーヂー」という電気的な音がなんとも恨めしい。でもやはり邪道ではないだろうか。電気の力を借りるのは電車だけで十分である。
 隣り同士で糸やハリが絡まる「オマツリ」も多かったが、皆そこそこ釣れ、クーラーはほぼ満杯。アジは35センチ級の立派なものも数匹まじり、外道にサバ、メバル、イワシという釣果であった。釣りたて新鮮、味は格別(のハズ)。早く帰ってコイツでイッパイだ。

○月×日
 私の本が東労組の若い車掌たちにずいぶん読まれているようだ。
「斎藤さんて誰なの?」「面白くて一気に読んだ」「友だちにも読ませたい」「おれはこういう仕事をしていると田舎の親に送るから、もう一冊買う」などという話が伝わってくる。やはり本職である車掌が読んでこそいちばん共感が得られ、苦楽を実感できるものと思う。「書いて本当によかった」とうれしさがこみ上げてくる。
 しかし、ちょっと困ったことが起きている。実はサインを頼まれるのだ。
「サインだなんて、そんなんじゃないから」と一応お断りするのだが、結局はシブシブ引き受けざるを得なくなる。かれこれ40人くらいに書いたが、もうイヤ。私はとんでもないほど字がヘタなのである。ヘタでヘタで、せっかくの本が台無しになってしまったという気がしてならない。「頼む、1年待ってほしい、書道教室に通うから」と言いたくらいなのだが、いったい私の字はなんといえばいいのだろう。これこそまさに「ナメク字」という以外ないのではないか。それくらい奇妙でヘタなのだ。
 さて、若い車掌たちは「組合に知られるとマズイから」と、コッソリ頼みにくる。よその車掌区の人などは、国労の知り合いを通じて本を持ってくる。これはいったい何を意味するのか。それはまぎれもなく役員から「国労の人とは話をするな、つき合うな」と言われているからに他ならない。異常というしかないが、東労組の組合員がかわいそうに思えてくる。
 いずれにせよ、できるだけ大勢の人に読まれて、真実を理解してもらえればと切に願う次第である。

○月×日
 今日の朝日新聞の夕刊には笑ってしまった。「麻布にサル」という見出しである。「サルを見た」という複数の情報が寄せられ、警察が60人を動員してサルを探したという。前日までに八王子、国立、世田谷などでも同様の情報があり、同一のニホンザルが都心に向かって移動している可能性もある。と書いてあった。
 私はこうした記事に弱いというか、乏しい想像力が限りなく駆り立てられ、いてもたってもいられないほど血が騒ぐ性格なのだ。このサルは、いったい何をしに都心に向かっているのか。どんどん東上している姿が目に浮かび応援したくなる。
 国会では、ガイドライン法案には反対であるというタイドを表明するのか。さらには皇居へ赴き、私のお尻は赤くとも、日の丸、君が代の法制化は認められないというポーズを取るのか。それから先の運命はどうなるのか……、とアレコレ考えてしまう。
 この記事の隣には、天皇家の秩父宮さまが40年前にスキーをしている写真が載っていたのだが、なんとネクタイをしている。やはり一流の人はどこかが違う。

○月×日
「そろそろ昇進試験だなあ」と思いつつドタバタ過ごしていたら、「もう明日」という切迫した状況を迎えてしまった。少しは勉強しようかと構えてみるものの、資本金は2千億円、社員数は7万9千人……といったチェック程度のことばかりであり、さっぱりヤル気が起こらない。
 このところ、本の出版に加えて、本を読んだ田舎の母が具合が悪くなって寝込んでしまったりと、それどころではないくらい目まぐるしい日々が続いていたのだ。
 いまさらジタバタしても始まらないわけだが、二ヵ月ほど前に渡された区側作成の参考資料「その一」「その二」(各60ページほど)と問題集(20ページほど)も、もらった日にパラパラ目を通しただけで、職場のロッカーに入れたままであった。持ち帰ることすらすっかり忘れていた。
 それにしても、子どものころはなんでも一生懸命頑張る「よい子」だったはずなのに、ここまで堕落してしまった原因はなんだったろうとふと考える。自分の弱さを棚に上げ、他人のせいにばかりしている卑怯なもう一人の自分に、吐き気すら催してしまう。
「どうせ受けてもムダだよね」。乗務を終えた帰りがけ、私は同僚に言った。「そうだけど、典ちゃんはいいよ、だって日記を書く材料になるんだから……」。なんだかヘンに納得している自分に、またも吐き気がしたのであった。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/ひみつ 女性車掌 強風

■月刊「記録」1999年7月号掲載記事

○月×日
「典ちゃん、JRの本出したんだって、オレも買うから題教えてよ」と職場の同僚にいわれた。私は照れながらも「ひみつ、ひみつ」と丁寧に二度も教えたのだが、「題がわかんなきゃ買えないじゃないか」と怒って向こうに行ってしまったのだ。
 まったく、ため息の絶えない日々が続くが、本当に「秘密」なのだからヤレヤレである。しかし、こうしたちょっとした会話でもトラブルの原因になってしまったりする。言動には十分注意しなければならない。
 ところでナント偶然にも、『JRの秘密』は浅田次郎さんの『鉄道員』(ぽっぽや)と同じ定価なのだ。私のような小僧の書いたモノが、大作家が書いた本と同じ値段というのはどうしたことか。しかしよくよく考えてみると、どうせ私のは売れないはずである。もっと高くすべきではなかったのか……。
 私は居ても立ってもいられなくなり、都内の書店まで出かけて行った。私の本が目立つ所に山積みされて、ちっとも売れずに恥ずかしい思いをしているのではないか。それとも、ひっそり隅っこで見向きもされずに淋しい思いをしているのか……。そんな「お前」に今すぐ会いたい。会って「がんばれよ」と励ましてやりたかった。親心とはそういうものだろう。
 本といえばやはり神田の神保町だ。ということで、まずなんといっても有名な三省堂書店へ。しかし山ほどの本の中をいくら探しても「お前」はいない。そして本の間をさまよっているうちにふと思った。私の本は何というジャンルに分類されるのだろうか。新刊コーナーに名のある作家の作品や話題の本でもない、一個人の本が置かれるものだろうか。政治の本でもない。社会だろうか、いや趣味・娯楽か、旅でもないな……。とにかく一階から五階までくまなく探したが見つからなかった。
 めげずに東京堂書店をのぞく。こちらも大型書店だが、やはり新刊コーナーにはない。いったい「お前」はどこにいるんだ。隠れてないで出てこいよ。と、かなりアヤシイ状態で探し求めていると、ナント三階の理工学関係・鉄道という、場違いとも思える所でついに発見したのである。鉄道評論家・川島令三氏の『三大都市圏の鉄道計画はこうだった』という立派な御著書の隣りで、おとなしく三冊も私を待っていたのだった。素直に嬉しかった。「さわっちゃダメ、秘密なんだから。全部私のもの」などとかなり支離滅裂に激情しながら一冊だけ購入した。
 飯田橋駅前の飯田橋書店にも寄った。平積みはされていなかったものの、新刊コーナーに一冊だけ立ててあった。宣伝の意味でもそのままの方がいいかと、少しためらったが、「秘密が知られてはマズイ」などと血迷い、またも買い求めてしまった。
 発売元のある代々木界隈の書店には置いてあるのでは、という推測から立ち寄った金港堂書店では感激してしまった。入口のすぐ横に10数冊の山。力強く10冊購入した。購入した本は、八王子の行きつけの飲み屋のカウンターに置いていただいた。「汚れないように」と店長が一冊ずつビニールに包んでくれた。本屋にあまりないのに、飲み屋にある『JRの秘密』。これも私らしくていいかもしれない。

○月×日
 新人車掌30名の発令があった。学園教育と現場見習いを経て、約二ヶ月後の7月下旬には全員が一本立ちする予定である。
「国労組合員を指導車掌に指定せよ」と申し入れを行うのはいうまでもないが、特筆すべきは、今回女性車掌が1名誕生するということだ。「中央線に女性車掌誕生」という宣伝効果を狙ってのことかもしれないが、4月1日に改正された男女雇用機会均等法の影響もあるのだろう。
 いずれにせよ男職場という車掌の長い歴史に、新たな1ページが加わることは間違いない。しかし職場環境の整備は完全とはいえない。更衣室、トイレ、入浴、寝室など、ちょっと考えただけでもいろいろ問題がありそうである。また、異常時の対応等の労働環境(特に深夜帯)、さらに私達男どもと同じ勤務指定をするのかなど、問題は尽きることがない。
 そして何よりも「セクシャル・ハラスメント」という私達には今まで無縁だった重要な問題がある。女性と一緒に仕事をしたことがない私達にとって、果たして彼女を職場のパートナーとして尊重し合ってやっていけるのだろうか。私はヒジョーに心配でしょうがない。「斎藤は存在そのものがセクハラだ」などというヤツはいないだろうな……。

○月×日
 朝刊を広げたら、なにやら昨日は大変だったようだ。台風並みの強風で、速度規則や運転取り止めの線区が続出したという。わが中央線では、風に舞ったビニールが架線やパンタグラフに付着し、朝と夕方のラッシュ時に2度にわたってストップしたという。満員のまま駅間に80分近く立ち往生した電車もあったと報じられていた。
 まさに大混乱。駅構内は人で溢れ、乗客に詰め寄られる車掌の姿が目に浮かぶが、もちろんお客様も本当にお気の毒である。それにしても、同じ原因で乗客も車掌も困っているのに、どうしていつもお互いがいがみ合ってしまうのだろう……。
 さて、このような場合は速やかに振り替え輸送の手段がとられる。私達車掌は「振り替え輸送を御利用下さい」と何度もアナウンスをするわけだが、私鉄の方へ回っても乗客が殺到して乗車できる状態ではなく、再び長時間待つ結果となる。「急がば回れ」とはいうけれど、どうしてもという人以外はじっと待っているに限ると思うのだが、いかがだろうか。
 とにかく気を取り直し、ぜひまた御利用していただきたい。なにしろJR中央線は南米のハゲタカなのである。いつもコンドル!

○月×日
 夕刊紙「日刊ゲンダイ」に『JRの秘密』の書評が出ていた。初めての経験で私はかなり興奮した。しかし、私は「うんこタレ」にされてしまっている。私がもらしたとはどこにも書いていないのに……。それでも嬉しくて、そりゃもう嬉しくて、「日本ダービー」もロクに検討もできずハズしてしまったほどである。
 その翌日には、文化放送からなんと出演の依頼がきた。首都圏の通勤者を応援する朝の「小西克哉のなんだ?なんだ」という、世の中の「なんだ」を解決していく生放送の番組だそうで、「噂の大人倶楽部」というコーナーにゲストとして出てほしいというのであった。今までのゲストは、菅直人、浅田次郎、後藤田正晴、筒井康隆などなどのソウソウたるメンバーが並んでいる。なんで私なんかに……。
 もちろんお断りした。いつもマイクを握っているからといって、私が一番気にしているナメクジ声をラジオの電波にのせるわけにはいかない。絶対ダメ。私はJRのアナウンスだけで十分なのだ。

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サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/必勝法 1680円 青テント

■月刊「記録」1999年6月号掲載記事

○月×日
 この時期、週末ともなるとJR中央線は競馬新聞を手にしたお客さまがヒジョーに多くなる。沿線には府中の東京競馬場、中央線から乗り入れする総武線の西船橋には中山競馬場、水道橋、新宿、立川に場外馬券売場があるからだ。
 マンション購入を期に、競馬はヤメたことになっているはずの私だが、妻には内緒でコッソリやっている。本当にたまーにだが。しかし、とんと当たらずカスリもしない。もちろん当たらなければ話にならないのだが、それでもオモシロイ。
 そして私はつい最近、大発見をしてしまったのだ。なんと競馬必勝法をあみ出してしまったのである。目からウロコが落ちるとはまさにこのことだろう。これはいまだかつて誰一人、気がついた者はいないはずだ。競馬に限らず勝負事に絶対はないが、かなり確率が高いので、私を信じてぜひ参考にしてほしい。
 先日行われた桜花賞では、三歳児牝馬で最強といわれた大本命一番人気の「スティンガー」が大負けし、勝ちを拾ったのは四番人気の馬だった。専門家や解説者は「スティンガー」の敗因について「スタートで出遅れた」「ぶっつけ本番のローテーションで挑んだため」などと言っていたが、私にいわせれば、彼らは大変重要なことを見落としている。
 馬は人間がわかる。大人か子どもかの区別もつくはずである。桜花賞での「スティンガー」の位置(かなり後方)から一着でゴールするには、ものすごい瞬発力と猛ダッシュが必要だったはずだ。そしてあの馬にはそれを可能にするだけの力があった。ではなぜ負けたのか。騎手である。騎手が50歳近い大ベテランのオッサンだったからだ。
「人馬一体」という言葉があるではないか。馬の方が騎手にケガをさせてはならないと判断したのである。若い騎手が乗っていれば「この人なら多少の荒技でも運動神経がありそうだから大丈夫だろう」と、危険を覚悟で駆け抜けて一着になったに違いないのだ。騎手に対するやさしい思いやりで「スティンガー」は競馬をしなかったのだ。
 その証拠に、一着から三着まではすべて20代の若い騎手が独占した。「スティンガー」の対抗馬として有力視されていた三番人気の馬も、やはりオッサン騎手のために馬群に沈み、着外となっている。
 利口な馬は騎手を思いやるのだ。「ウソつけ! それならオッサン騎手が一着になるレースはどうなんだ。ケッ」という素朴な疑問をもたれる方もいらっしゃるかもしれない。しかしこれは単に馬が歳をとり、神経が図太くなって騎手に対する思いやりが希薄になったからに他ならない。
 以上の点を考慮して馬券を買えば当たるはずである。しかし、私の財布には金がない。そして競馬は果てることなく開催されている。困ったものだ。

○月×日
 待ちに待ったゴールデンウイークがもうすぐだ。しかしこれは世間さまの話である。私は4日と5日が休みなだけで、残りは仕事。妻も当直とやらが入っていて、私とはかみ合わない。従ってこれといった予定もなく、寂しいといえば寂しいが、いまさら別になんとも思わない(ことにしている)。
 それにしても新緑が美しい季節となった。まばゆいほどの瑞々しい若葉が春風にそよそよと揺れている。自然は正直だからステキだ。そのうち突然太陽がカッと照りつける暑い日がやってくるだろうと、エディバウアーというメーカーのバーゲンセールに出かけた。
 白とクリーム色の半袖ポロシャツが二枚で4900円。やっぱり夏はジーンズに白のシャツがピッタリだ。本屋とレコード屋にも寄ろうと思ったが、衝動買いしそうな気がして踏みとどまった。やきとり屋で一杯だけと心に決め、暖簾をくぐったのだが、勘定書をみると焼酎のウーロン割りが四杯で1680円と記されている。なぜだろう……。
 なお後ろ髪を引かれながら家に帰り、ついでにタンスの中を整理した。冬物をしまい、夏物を出す。着もしない服が山ほどあるのには閉口してしまった。恥ずかしくて、といっても妻のババパンツなどではなく、若向きのために二度と着ることはないと思われる服がヒジョーに多かったのだ。捨てようかと迷うが、貧乏性の私にそれは出来ない。しかし私がこれから身につけなければならないのは、こうした服ではなく教養なのである。
 そして何よりも驚いたのはJRの制服の多さであった。タンスの中で一番の面積を占めているのがこの制服なのだ。わんさかある。山のようにある。本当に押しつぶされそうだ。ヘルプミー。酔いがいまごろ回ってきたようだ。

○月×日
 立川・日野間、多摩川橋梁下の河川敷に二つの青いテントを見かけるようになってから、かれこれもう3年以上たつのだろうか。いまでは四つに増えている。花見やキャンプでよく敷物に使ったりする青いビニールシートで作られた簡易式である。なにしろ河川敷だ、冬なら寒かろうに……。
 テントの傍らにはテーブルらしきものまであり、木と木にロープを張った物干しには時折タオルやズボンなどが干してある。乗務で通過中、何度か目撃したことがあるので、人が住んでいることは間違いなかった。
 たしか2年ほど前の真冬だったと思う。一つのテントの方にまったくといっていいほど人気がなく、生活跡が感じられない日が続いたのだ。私たち乗務員の間でも「この寒さだし、もしや……」という不安が広まった。つまり「死んでいるのでは」ということである。
 早速、しかもなぜか私が三鷹駅前の交番に行く羽目になり、オマワリさんに事情を話すと、その場所は日野署の管轄ということで、すぐ電話で確かめてくれた。すると、さすがというかなんというか、日野署はその住民? のことを承知しており、ときどき様子をみに行ったり、また逆にその住民も交番にちょくちょく顔を出しているので心配ない、ということであった。
 それにしても、どういう生活をしているのだろうかと不思議に思うが、並みの人とは比べものにならない抵抗力や生命力があるのだろう。なにより私は、あのテントに近い将来、必ずや新聞や郵便などの配達の人が現れるような気がしてならないのだ。だからいつも注意深く見守っているのだ。

○月×日
 感慨無量である。
 本誌連載中の私のアホバカ文の単行本化が決まり、年頭から加筆や修正やらを行っていたのだが、ようやく五月下旬に刊行される運びとなった。
 書名は『JRの秘密』。みなさんにぜひとも手に取っていただきたい。カバーには「車掌がコッソリ教える」などと書かれているが、JR車内でもどこでも堂々と広げて読んでもらいたい。
 また、大変ありがたいことに鎌田慧さんがお言葉を寄せてくださり、「いいのかなあ」と照れくさいことこの上ない。腰巻き(オビ)に「いったん覚悟を決めてしまえば、怖いものなど何もない」と書いてくださったのだが、そんなに肝の据わった人間でないことは周知の事実なのだ……。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/点呼 臨時全国大会 トイレ

■月刊「記録」1999年5月号掲載記事

○月×日
 ひどく疲れていた。1日の乗務を無事に終えて、2階の更衣室で帰り支度を急いでいると、制服のポケットに乗務カードが入ったままになっていることに気がついた。乗務カードとは乗務する電車の種別(快速・特快など)や時刻等が記されているカードだが、ついうっかり所定の場所に返納せずに持ってきてしまったのだ。
 着替え終わってから返しにいっても差し障りはないのだからと、帰りの電車の時刻をカクニンしてコートを羽織り、毛糸の帽子、マフラー、手袋と完全装備して階段を下りていった。発車まで2分ちょっとあったので返納は余裕のはずだった。しかし、カードを返そうと思った瞬間、私は「もしや?」と思って点検簿をのぞいた。予感は的中。ナント乗務終了の点呼をしていなかったのだ。点呼もせずに「時間だ、終わった終わった」と2階に上がってしまったわけである。
「このとおり着替えちゃったからさ。乗務は異常なし、明日は○時×分出勤ね」とはいかない。点呼は厳正でなければならないのだ。
「あぁ、面倒くさいったらありゃしない」。再び2階でワイシャツにネクタイ、制服制帽に姿に変身して1階に下り、待ちに待った? 点呼をすませた。点呼一つにこれほどタイヘンな思いをしたことは未だかつてなかった。電車は行ってしまうし、みなからは笑われるしで、どっとツカレタ一日だった。

○月×日
 たまにはこういうこともある。
 先日、飲み屋で顔見知りになった物静かなおじいさんに頼まれたのだ。「うちの孫が大の電車好きで、車掌さんに抱っこしてもらっとるところを写真に撮らせてもらえないだろうか」と。「おやすいご用です。喜んで」と応じ、今日がその実行の日であった。
 あらかじめ教えておいた時刻通りに、下り高尾行の電車は八王子駅に到着した。三歳の男の子はおじいさんにしっかりと手を握られ、ホームの柱のところで待っていた。
 私はその子に挨拶代わりの敬礼をすると、いつもよりテキパキと、少し派手なポーズで「出発進行」等の基本動作を意識的に行なった。その子はジッと神妙な目つきで見つめている。幼い無垢でつぶらな瞳に、いったい私はどのように映ったのだろうか。
 終点の高尾駅に着くと車内もホームも閑散として、照れ臭さも和らぐ。折り返し乗務の間の短い時間で、厳粛なる儀式が開始された。まず初めに、その子をひょいと抱き上げ、電車をバックにパチリと一枚。そして次に、その子の頭に私の制帽を載せ、おじいさんと一緒に私がパチリ。これにて儀式は滞りなく終了した。
 私はその子の頭をなでながら、しゃがんで言った。「電車大好きなんだってねぇ、大きくなったらJRの人になるのかなぁ」。すると元気な声でキッパリ答えた。「うん、ボク電車の運転士さんになる」。ハイ、よくできました。ん? ちょっと待ってね、ボク。オジサンは車掌さんなんだけどな……。

○月×日
 公安調査庁(法務省外局)が公表した「内外情勢の回顧と展望」(99年1月付)によると、「JR東労組に過激派組織『革マル派』系労働者多数が組合執行部役員に就任するなど、同労組への浸透が一段と進んでいることを印象付けた」と記述されている。
 私達は「なにも今に始まったことではない」と認識しているから驚きはしないが、会社を健全に発展させたいと願っている社員にとってみれば、不安でないはずがないだろう。
 これについては、1月7日の運輸省の定例記者会見で黒野匡彦事務次官が「まさかと思っていたが、公安庁としてここまで踏み込んで書かれたのはそれなりの確証があった上でのことだろうし大変残念」との懸念を表明されたという。
 さらにまるで連動するかのように、13日付の日本経済新聞には、「川崎二郎運輸相は、政府保有のJR東日本株式の第二次売却について、九八年度内の実施を断念する方針を示した」と載っていた。「その背後には政府・自民党内で『完全民営化』への慎重論が見え隠れする」とあり、「旧国鉄以上に複雑な労使関係を解決しない限り、完全民営化には反対との声も強まっている」と、その関心の高さがうかがえる。
 神戸の少年殺人事件の検事調書が外部へ漏れるという事件をきっかけに、革マル派の悪事が次々と発覚しているのは周知の事実だ。
 東労組と意見対立する組合幹部宅に盗聴器を仕掛けた容疑で同派活動家が逮捕されたり、国労の現書記長宅への住居侵入容疑で同派非公然活動家が指名手配されるなど、JRの周辺では革マル派がらみの物騒な事件が相次いで起こっているわけである。
 なんとも由々しき事態なのだが、うちの職場では国労と鉄産労が公安庁関連の掲示をしたところ、東労組の分会役員が鉄産労に対して、「あれは公安と政府によるデッチ上げで、なんの根拠もないウソ記事だ。ウソを掲示しているのはオカシイ、外せ」との意見をつけたというようなことも発生している。
 デッチ上げでウソだって……。あなた方は本当にそう考えているのか。信じられない。

○月×日
 国労の臨時全国大会が目前に迫った。3月18日、14時開会、中野ゼロ・ホールで開催される。
 私はちょうど休みなので運良く行ける。しかし、八王子支部内で傍聴がわずか10人という人数制限が設けられ、私のような下っ端は会場に入れない。私は「案内でも警備係でも何でもするから入れてほしい」と申し出たが、「会場の外ならいいよ」という返事であった。運良くは取り消しか……。でもとにかく行くしかない。
 議題は、①不採用問題の解決に向けて、②その他、となっているが、「補強案」五項目については、一項目の改革法承認の確認を求めるだけということである。二項から五項については凍結の集約をするという。つまり一時保留ということのようだ。
 今後は解決水準をめぐる攻めぎ合いに移っていくのだろう。さまざまな妨害、介入、分断が予想されるが、ハードルは高く、次々と乗り越えていかなければならないのだろう。ようやくスタートラインに立てたということだが、どうなるかはわからない。「国労ついに分裂か」という雑音も聞こえている。
 いずれにせよ、これを機に闘ってよかったといえる解決を図らなければならない。本部一本に集中し、本部を信頼し、満場一致で大会が成功することだけを祈る。

○月×日
 私が毎月購入する雑誌は、『本の雑誌』『噂の真相』『レコード・コレクターズ』の三冊と決まっている。この組み合わせでもう10年以上たったのだろうか。他にも買いたいものは山ほどあるが、山ほど買うわけにもいかず、立ち読みや図書館で済ませているのだ。
『本の雑誌』はその名の通り、本にまつわる雑誌である。新刊の書評、本屋さんの事情、編集者のこと、エッセイ等、椎名誠編集長を筆頭にオトナのお遊び心的姿勢が溢れていてタイヘン面白い。「発売日まで待てないよ、オレ」という情況に陥り、もだえ苦しむ日々を送ることもしばしばである。
『噂の真相』はメディア批判を中心に、あらゆる情報を鋭くエグる。世の中の不正に怒りが湧き、自分自身を奮い起たせる。だが実際行動に移すわけではない。しかしHなページなどには下半身の一部が勝手に行動したりして困ることもある。
『レコード・コレクターズ』は私の一番好きな音楽雑誌である。意外とマニア志向で、私は心から感謝して読んでいる。そしてなんと、学習院大学でセンセイをしている私の従兄弟が、これまたロックン・ロール狂で、毎月音楽本の書評やレコード評論などを載せているのだ。手紙のやり取りだけで会うことはないが、月に一度のごあいさつと受けとめ拝読している。
 そうそう、あと一冊あった。いうまでもなく『記録』である。

○月×日
 国労の第六四回臨時全国大会が「なかのゼロ小ホール」で開催され、国鉄分割・民営化を定めた国鉄改革法が承認された。
 会場周辺では、100人を超すと思われる警察官が厳重警戒に当たるという異様さであた。しかしこの人混みの中心にあったのは、傍聴制限を設けたために会場に入れない、全国から駆けつけた組合員達なのであった。主人公は組合員一人ひとりのはずなのに……。
 代議員の発言は歯切れの悪いものが目立ったということであったが、総論では本部を支持し、満場一致の拍手で機関決定された。
 しかし、皆それぞれ断腸の思いであったに違いない。改革法により分割民営化され、解雇され、100人以上もの仲間が追いつめられ、自殺するまでにいたった事件である。
 長かった闘いを振り返ると、会社側、国労双方の主張は、それぞれの置かれた立場を考えればどちらもある程度までは正しかったといえるのではないか。ただ、主張に対しての講釈は永遠とついて回るものだが、事実は一つしかない。やってはいけない不当労働行為を続けているJRはキチンと謝罪すべきであり、かたくなな態度を改めて話し合いによる平和的な解決を目指すのは社会常識からしても当然のことである。
 今大会決定は、労働組合である以前に人間として尊い選択であったと思う。このチャンスを最大限に生かし、12年余にわたる闘いの思いを無駄にしないよう、誰もが闘ってきて本当によかったと納得のできる解決を勝ち取らなければならない。さらに体制を強化してガンバロウ!!

○月×日
 駅のトイレの話である。国鉄時代に比べ、駅のトイレは見違えるほどキレイになったところが多い。「汚い」という苦情が絶えず、改築・改良されてきた結果だが、これを維持するためにはお客さまのご協力が欠かせない。 なかでも落書きは跡を絶たず、手を焼いているものの一つだ。男子トイレの小便器に書かれた「一歩前へ……」という注意書きには、必ず決まってどこかに「チ○ポ前へ」と書かれている。笑う前に泣けてきますよね。
 私ごとな上に、尾籠な話を続けて恐縮だが、先日突然催した私は、とある駅の一見キレイな公衆トイレを借りたのだが、ヒジョーに腹が立ってしまった。とにかく個室の内部が汚いのである。どうしてキチンと便器の中に収めることができないのか。まったく不思議でしょうがない。
 いくら一刻を争っているとはいえ許せない。次に使用する人のことを考えろ。トイレ掃除のおばちゃんのことも考えろってんだ。それともナニカ? JRに怨みでもあるヤツの仕業だろうか。密室でコソコソやってるんじゃないよ、クソッタレ。ああそうか、元々くそったれだったのだ。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/一本道 自転車 事務所開き

■月刊「記録」1999年2月号掲載記事

○月×日
「どこへ行くのか、この一本道……。」ではじまる歌。『一本道』を歌い続ける友部正人のデビュー25周年記念CDが出ていた。『ブルースを発車させよう』というアルバムタイトルからイカしてる。『フーテンのノリ』という歌も入っているが、深い意味はない。メジャーではないので知っている人は少ないと思うが、私はデビュー当時からのファンである。
 友部の歌は、ギターにハーモニカといった昔ながらのフォークスタイルで、トーキング調のものが多く、音楽よりも詩の方が重要視されている。何を訴えるか、何を問いかけるかである。
 歌は決してうまいとはいえないが、さり気なく歌っているような歌でも、聴く者の心にズシリと重く響きわたる作品が多い。とりわけ、代表作である『一本道』はいつ聴いても涙がジワッとにじんでしまうほどの感動を覚える。「やるせない一日が終わったが、この先どうなるかはわからない、でも挫けちゃいけないよ」と教えられているようで、救われる思いがする。歌に限らず表現するということは、自分自身を救うこと。うまくいけば他人をも救えることなんだなぁと思う。
『一本道』にはこんな情景が歌い込まれている。

 ふと後ろをふり返ると、そこには夕焼けがありました、本当に何年ぶりのこと、そこには夕焼けがありました。あれからどのくらいたったのか、あれからどのくらいたったのか……。 ぼくは今阿佐ヶ谷の駅に立ち、電車を待っているところ。何もなかったことにしましょうと、今日も日が暮れました。ああ、中央線よ空を飛んで、あの娘の胸につきさされ……

 乗務中、毎日阿佐ヶ谷を通る私は、ついつい「ぼくは今阿佐ヶ谷の駅に立ち、電車を発車させようとしているところ」などと心の中で呟いたりしてしまう。
 今日はこの『一本道』を何度も何度も繰り返し聴いていた。一日が終わろうとする安堵感と、何かを成し遂げていない虚しさ。やり場のない胸の痛み、それでも希望は捨てていないんだと、実直素朴に歌いあげている。
 それにしても何ともせつない。ああ、『愛こそはすべて』か。私はビートルズの『ロック・アンド・ロール・ミュージック』も『一本道』も、みんなみんな『抱きしめたい』のである。

○月×日
 冬の陽はすでにどっぷりと暮れていたが、繁華街は十分明るかった。そこで私は不意に警察から呼び止められた。自転車の無灯火である。「ハイ、ハイ」と、ハイを一つ余計に言いながら、素直にライトを点灯した。
 八王子署から電話があったのは2時間ほど前の夕方だった。私は一人で夕食の支度をしている最中であった。息子(中学生)が自転車を盗んだという。やりきれない気持ちで胸がいっぱいになり、心臓の鼓動が激しくなる。「オレの子だから仕方ないのか……」、深い溜息とともに言葉を吐き出し、ガックリ肩を落とした。
 気持ちが穏やかなはずはないが、息子の今後を考え、出来るだけ冷静に対処しようと自分に言いきかせながら、八王子署へ引きとりに向かったのだ。
 息子に対面し「どうしたんだ」と尋ねると、息子は何故か一言もしゃべらず、黙りこんだままである。私は猛省を願い、狭い取調べ室の中で「もう二度とするな。二度としないんだぞ。なら、それでいい」と、少年課フロア全部に響き渡るほどの大声で怒鳴りつけた。
 息子と家へ戻ると妻が帰宅していた。暗い晩ごはんを済ませると、息子はなんと突然しゃくり上げ、声をあげて泣き出したのだった。「警察はヒドイ。僕の言うことを何も信じてくれない。同じことを3回も4回も言わせて、違うだろ、そうじゃないだろって……、僕は、もういいやと思って、言われる通り(調書を)書いた。僕は盗っていない……」
 妻は「これじゃあ冤罪じゃないの、あなたはどうして話をよく聞いてあげないのよ」と激怒した。私は妻に促されて警察署に電話を入れ、「息子はやってないと言っている、取り調べの仕方に問題があるのではないか」と抗議した。「お子さんが認めたのです。自分の子を信じたいのはどこの親御さんも同じです」と、全くラチがあかない。「とにかく今日は遅いから」と、後日息子と伺うということで話をつけた。
 結局、妻が半日の休みをとって警察に出向き、この件は白紙に戻された。妻は警察官の職業病的部分の看護を行うかのように、息子の正当性を懇々と説き、納得させてきたのだ。
 私は息子に、「これからの長い人生には、「もういいや」と諦めていい時と、そうでない時がある」と厳しく言い聞かせた。
 事の真相はややこしい。これよりしばらく前に、息子が自分の自転車を盗まれたのだ。その数日後、「先輩からもらってきた」と言って、今にも壊れそうなボロボロの自転車を息子が引いてきた。その後、一ヶ月以上も乗っていたそのボロボロの自転車には、何と盗難届が出されていたのだ。
 ゲームセンター(学校では出入りを禁止している場所なのだと思うが)で見ず知らずの高校生くらいの人に、「あそこにある自転車お前にあげるよ」と言われ、喜んでもらってきたのだという。それにしてもなんて甘い息子だ。ああなんて情けない。
 いったいどうしたわけだ。うちの子ども達はどの子も幼すぎやしないか。赤ん坊のころからベビーカー(乳母車)などほとんど使わず、いつも抱っこしてこの両手でシッカリ抱きしめて育ててきた。それが間違いだったとでもいうのだろうか。もう思い通りにならない。すでに親の手の届かぬ別世界に行ってしまったかのようだ。
 私もいつの間にか顔中にシワが増え、妻の髪にも白いものが目立つようになった。しかし、私の子どものころがそうだったように、そんなことお構いなしの息子達なのである。

○月×日
 白い息、落ち葉の公園踏みしめる。ジョンのように両手をポケットに入れ、『ラブ』とつぶやいてみた。物思い、ジタンくゆらせスタンドバー。ジョンのように頬杖ついて、『イマジン』とつぶやいてみた。陽が昇る、昨日を越えた輝きで。ジョンのように腕組みしながら、『ピース』とつぶやいてみた。くつろぎ、口笛歌にギター抱く。ジョンのようにソファへ寝転び、『オー・ノー』とつぶやいてみた。シュプレヒコール、夜の都心をデモ行進。ジョンのように拳を振り上げ、『チャンス』とつぶやいてみた。流星群、眠い目こすり暗闇の中。ジョンのように泥酔状態で、『ユニバース』とつぶやいてみた。身を交わす、通りでステップおどけ顔。ジョンのように洒落たジョークで、『ニューヨーク』とつぶやいてみた。 あれから18年が過ぎた。いったい何が変わったのだろう。『ジョン・レノン』が凶弾に倒れた12月のこの日のことは忘れることができない。
 ストレートにロックをシャウトするジョンにも強烈な魅力を感じシビれるが、バラードを歌うジョンには一発でノックアウトだ。何ともセツナイ。ジーンと心に沁み、金縛りにあう。メロディの美しさもさることながら、限りなく優しく温かな、枯れた声質がたまらない。
 愛と平和を歌ったジョン。芸術、思想家のジョン。主夫でもあったジョン。ただの夢想家だったジョン。ユーモアと風刺では群を抜いていたジョン。すべてが好きだ。 私はいま、自分自身の壁を打ち破ろうと必死になっている。天国のジョンにメッセージが届くなら一言だけ言わせてほしい。「ありがとうジョン・レノン。いまジョン(Imagine) there's no heaven……」

○月×日
 家のベランダから初日の出を拝み、99年がスタートした。私は元旦からの乗務である。
 身の引き締まるような雲一つない快晴であった。車も人影もまばらで、空気が一段と澄んでいるような気がした。街はまるで汚れが洗い落とされたようにスッキリしている。
 通勤のわがJR中央線から見える白銀の富士山は、いままで目にした中でイチバン美しいと思えるほど感動的だった。日野駅を過ぎ、多摩川の鉄橋にさしかかると、雄大な川の流れがいつもより穏やかで静かに感じられる。やっぱり元旦はひと味違う。
「おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と、職場で会う人会う人に新年のアイサツをする。いいお正月だ。本当にメデタイ。皆これからまた一年間、楽しく仕事をやっていこう。
「ご乗車ありがとうございます。快速東京行きです。本年もJR東日本中央線をご愛顧のほど、よろしくお願い申しあげます」
 21世紀に向けてのラストラン、スパートである。さぁ出発進行だ!!

○月×日
「国労八王子地区本部の事務所開きをするから手伝ってほしい」と書記長に言われた。
 ちょうど休みだったので昼ごろ出かけると、本部の宮坂書記長もみえていた。八王子と甲府の委員長をはじめ役員10名が顔を揃え、私だけ場違いといった感じである。 それぞれ決意新たにビールで乾杯。テーブルには寿司や揚げ物などの料理が豪華に並んでいる。しばらくして、八王子支社のおエライさん達がゾロゾロと挨拶にみえた。勤労課副課長以下8名、いわゆる労務管理屋だが、私はビールを注いで回った。
「国労さんには昨年1年間大変お世話になった。今年も引き続きご協力願いたい」
「われわれも安全安定輸送第一に努力して参りたい」
 敵対するもの同士とは思えないほど和やかなふん意気なのには面食らってしまったが、みんなヨイショばかりだ。
 前日に発生した、特急「あずさ」が故障によって5時間止まった件に関しては、「ウチじゃなくてよかった」という副課長の一言だけ。要するに運転士は松本、車掌は新宿所属で、八王子支社の管轄外でよかったヨカッタというのである。ま、議論をする場ではないからいいのかもしれないけれど、お正月のUターン客らで満員の上、終点の新宿に到着したのが翌朝4時だったというのに、会社幹部の発言にしてはサミシイ限りだ。
 ところで私はいったい何の手伝いをしたのかって? 結局酒を減らすのを手伝っただけなのであった。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/日本のオトーサン リーダー研修 団結まつり

■月刊「記録」1999年1月号掲載記事

○月×日
 遅ればせながら携帯CDプレーヤーを買った。子ども達は持っていたのだが、私はヘンに我慢して持っていなかったのである。
 これってイイ。イッツ・グレイト! ワンダフル。何年もの間、車内でも街中でもヘッドホンを耳にしたその姿を見かけてはいたが、まさに、いつでもどこでも自分の世界が持てるという気がする。通勤時間も新聞や雑誌に目を通すだけでなく、充実している。暇を持て余すことがまったくなくなった。魅惑のリズム「タンゴ」、大人のムード「ルンバ」、異国の香り「シャンソン」と何から何まで聴けるのだ。
 こうやって通勤時間にゆっくり音楽を聴きながら眺めていると、日本のオトーサンはつくづく忙しそうである。家のローンに追われ、子どもの教育費に追われ、駅の立ち食いソバだって味わって食べている暇はなさそうである。
 みな一心不乱に突き進む。階段は足早に駆け上がる。エスカレーターだって歩いちゃう。ジッとしていることがない。動いていないと気が済まない。サメやマグロのように止まったら最期と考えているのかもしれない。動きたくとも動けない超満員の通勤電車は苦痛でしかないだろう。お気の毒さまである。

○月×日
 「第三回リーダー研修」が、東労組の緊急申し入れにより中止となった。
 「リーダー研修」とは、「職場のリーダーとして必要な知識を身につけ、視野を広げることを目的とし」「応募資格は勤続四年以上で30歳未満の指導職等社員」「研修期間は約二ヶ月間」とJR東日本が作成したパンフレットに書いてある。
 私には無縁なものだが、なにやら昨年から、リーダー研修を終了した一部の東労組組合員が、職場で公然と「反JR東労組」の言動をあげたり、小林峻一著の『JRの妖怪』や『週刊文春』の記事を回し読みしていたことが発覚したらしい。東労組は「これは会社幹部が仕かけたと思われることから、組織破壊行為であり、研修の全行程を即刻中止すること」と申し入れ、この9月から数回にわたって団交を行っていたのだった。
 私の手元に、東労組が発信した四一ページにもおよぶ「JR東労組連絡」なる団交3回分の議事録が掲載されている文章が回ってきた。膨大でウンザリしてしまうが、パラパラと目を通してみると、東労組は「中止」を求めて頑として引かず、同じようなことを延々とやり合っている。従って、会社の回答は「再三再四申し上げているように……」という具合だ。
 「11年間パートナーとしてやってきた労使関係者が壊れたら誰が責任をとるのか」「会社がとる」「会社という人間はいない」と、笑えるようなやり取りもあるが、笑っている場合ではない。「目的に合わないリーダーが育った事実がある」「事実を認めたのなら中止だ」「冗談じゃない」「バカにしてないまでもナメている」と、まるでつるし上げのようである。
 一方会社側は、「『JRの妖怪』や『文春』については、JR東日本を壊そうとする悪意に満ちた本だと考え、貴側の認識と一致している」「これらの東労組破壊の攻撃には断固闘って潰していく」「今回の事態は偶然であり必然性はない」「系統的、組織的なものでもなく、研修とはつながっていない」「中止という申し入れに対しては、中止するのではなく、さらに議論を深めて一緒に続けていきたい」というようなことを述べている。
 まともなようだが実にオカシイ。まさに異常で看過できない。会社自らが労働組合法の趣味を踏みにじり、特定の労組と癒着し、不当労働行為に加担していることを吐露しているのだ。結果、この後の団交で会社は腰砕けとなり「リーダー研修の中止」を行なう旨の回答をしたのである。東労組にはなお絶大なる力があるのだ。なんまいだぶ、なんまいだぶ。あぁ、なんて立派な会社なんだろう。

○月×日
 昨日までの雨模様ですっきりしない天気が嘘のような、実に爽やかな秋晴れとなった。今日は国鉄闘争支援中央共闘会議が主催する「団結まつり」のため、亀戸中央公園(江東区)まで出かけた。
 北海道・九州の闘争団をはじめ、国労を支援する労組や団体が130軒以上もの模擬店を連ね、メインステージではさまざまな組織から職場での差別やいじめの実体が報告された。国労に向けられた攻撃は、労働者すべてに向けられたことであり、根っこはひとつ、共に闘おうという連帯の決意が次々と述べられた。
 こういう場に来ると決まって何人もの懐かしい人と出会うことになる。若いころ勤務していた駅時代の先輩など、「久しぶりですねぇ」とポンと肩を叩いたらヨロけてしまいそうである。ま、チト大袈裟だが、皆すっかり年を取ったんだとつくづく思う。
 年がら年中、不平不満もいわず、ただ黙々とこのような「運動」を積み重ねているうちに、10年もの長い歳月が過ぎてしまったのだ。まさに人生を賭けた闘いであるといっても過言ではないだろう。
 いわれなき差別、理不尽な攻撃にも屈することなく、苦しく悔しさ一杯の日々を乗り越えてこれたのは、志を同じにする大勢の仲間がいたからだ。人間は一人では、やっぱり生きていけないのだろうか。私はそうだが。
 それにしても、社会人となってそのほとんどを闘争に費やさねばならなかった仲間も大勢いるのだ。憤りの念を禁じえない。少なくとも闘争団の仲間は国の施策により人生を振り回され狂わされたのだ。何度でもいうが政府とJRは早急に解決を図るべきではないか。
 国労本部の宮坂書記長を見かけたので挨拶に行った。随分前の件だが「その後どうだい?」と心配してくれた。「小山によく言ってあるから」とも言う。小山氏とは、うちの職場の同僚だが国労八王子地区本部書記長という要職にあり、近い将来は中央で活躍する器だと私が見込んでいる人だ。私は逆に「小山をかわいがってやって下さい」と言って、以前も差し上げたことのある『記録』を手渡した。
 帰りがけ、偶然にも国労本部の高橋委員長と隣り合わせになり、「組合員です」と声をかけた。「ごくろうさん」ねぎらいの言葉が返ってきたのだが、そのとき私は「補強案で是非まとめて下さい」と思わず正直な気持ちを口走ってしまった。委員長はムッとした様子となり、無言で連れの人と一緒に向こうへ離れて行かれた。
 本部もタイヘンなのだろう。委員長と書記長の考えが違い、揉めているという噂はやっぱり本当のようである。
○月×日
 いつの間にか木枯しの吹く季節となった。「補強案」は全国的にも「認められない」という反対意見が多いようで、「お蔵入りするのでは」といった情けない噂もある。「補強案」を金庫にしまった国労幹部が鍵を紛失したとかで、二度と取り出せないという「冗談はよせ」と言いたくなるようなデマまで乱れ飛んでいる。
 国労はいったい何処へ行こうとしているのか。迷走してはいけない。誤らないでほしい。これまでの闘いをキチンと総括し、最善のレールに乗ってほしい。前途は多難だが、真摯な討論で議論を深め、臨時全国大会開催にこぎつけることを願いつつ、冬仕度に忙しい日々である。
○月×日
 第48回国労八王子支部大会に代議員として参加した。 夏の全国大会で決定された運動方針を、東日本・西日本などの各エリア本部大会を皮切りに、地本、支部、分会と順次開催して、議論を深め、意志統一が計られる。 ここに八王子支部は、全国大会で物議をかもし継続討議となった「補強案」の提案者である国労本部宮坂書記長の出身地で、宮坂シンパが多いことからも何かと注目を集めていた。
 55名の出席代議員が「補強案」について意見を述べたわけだが、私の期待とは裏腹に反対意見が続出したのであった。
 「先が見えない」「不安をまねく」「解決できる保障がない」「12年間を否定するもの」「敵の思うツボ、丸裸にされるだけ」「闘う労組の解体につながる」……等である。
 一方、少数だが、職場から出た組合員のさまざまな意見だけを報告するに止まり、疑問を投げかけつつも反対はしないという、なんとも歯切れが悪い発言が目立った。賛成や支持と言明したものは皆無であった。
 私も一言だけ発言しようとチャンスを伺っていたのだが、このような雰囲気で突如として「支持する」とは言えなかった。ましてや新米執行委員の分際だ。限りなく情けないが付和雷同を決めこむしかなかったのである。結局、書記長集約では引き続き職場討議をするということになった。
 討論の途中だったが、北海道北見闘争団の鈴木さんという方が挨拶された。「5・28の判決は信じられなかった。あまりのショックで当日をどう過ごしたか思い出せない人もいたほどだ。しかし今では心機一転、新たに闘う体勢が整った。精一杯闘い抜く」と、決意を述べられた。会場からは「ヨシ」という檄が乱れ飛んだのはいうまでもない。いつのときでも「断固闘う」というのは威勢がいいものだ。
 しかし私はそのとき、「ほんとかなぁ、そうじゃないだろう……」と思っていたのだ。
 確かに改革法を承認するというのは首切りを認めることで、最後まで闘い抜くことがまさしく正論である。私も「補強業」については路線転換・全面屈服であるとしか受けとれないし、どれ一つ認め難い。ここまでしなければならないのかと思うと、無念極まりない。
 しかし、一日も一刻も早く解決したいと願う気持ちは皆一致しているのである。私は今この時期になんとしてでも解決しておかねばならないと強く思うのだ。
 つい先日、北海道音威子府闘争団(48名)の家族と子ども達の作文集を読んだ。5・28判決以後のそれぞれの思いを綴ったものだが、「たいへん」という一言がどんどん広がっていき、「これ以上のたいへんなことはない」というふうに感じられた。それも一月や一年なんかじゃない。10年間である。その間、私達国労本体には想像を絶するといっても過言ではない生活を余儀なくされてきたのである。10年で十分ではないか。もうこれ以上長期化させるべきではない。
 大問題となっている「補強案」は、本部としてもこれまでにない重大な決意と、組合員への責任をもって提案されたものと受け止めなければならない。国労の5年、10年先の展望も視野に入れることが重要である。現在の組織人員は2万8000人。毎年2000人もの退職者を送り出す現状では、会社がもくろむ国労自然消滅という事態も危惧される。正論や原則だけでは組織が保たないということも認識しなければならない。そして何よりも、財政的に闘争団を支え切れるかという難題もある。
 現状をふまえ、将来を見据え、JR総連(東労組)に代わって、私達がいかに軸になるかを模索し、国労組織を発展させて行かなければならないのではないか。
 解決には痛みも伴うだろう。しかし、この10年余の闘いで乗り越えてきた苦難の道程を振り返れば、私達国労には怖いものはなく、出来ないことも何一つとしてない。 いずれにせよ、闘争団は本部に本音をぶつけてほしい。一番大切なことは闘争団が納得できる内容であることが最低の条件だと思う。私は、こうまでしなければ動かない政府とJRに満身の怒りを込めて、「補強案」により、さらなる一致団結を願い、この難局を大胆に乗り切り前進していきたい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/日本のオトーサン リーダー研修 団結まつり

■月刊「記録」1999年1月号掲載記事

○月×日
 遅ればせながら携帯CDプレーヤーを買った。子ども達は持っていたのだが、私はヘンに我慢して持っていなかったのである。
 これってイイ。イッツ・グレイト! ワンダフル。何年もの間、車内でも街中でもヘッドホンを耳にしたその姿を見かけてはいたが、まさに、いつでもどこでも自分の世界が持てるという気がする。通勤時間も新聞や雑誌に目を通すだけでなく、充実している。暇を持て余すことがまったくなくなった。魅惑のリズム「タンゴ」、大人のムード「ルンバ」、異国の香り「シャンソン」と何から何まで聴けるのだ。
 こうやって通勤時間にゆっくり音楽を聴きながら眺めていると、日本のオトーサンはつくづく忙しそうである。家のローンに追われ、子どもの教育費に追われ、駅の立ち食いソバだって味わって食べている暇はなさそうである。
 みな一心不乱に突き進む。階段は足早に駆け上がる。エスカレーターだって歩いちゃう。ジッとしていることがない。動いていないと気が済まない。サメやマグロのように止まったら最期と考えているのかもしれない。動きたくとも動けない超満員の通勤電車は苦痛でしかないだろう。お気の毒さまである。

○月×日
 「第三回リーダー研修」が、東労組の緊急申し入れにより中止となった。
 「リーダー研修」とは、「職場のリーダーとして必要な知識を身につけ、視野を広げることを目的とし」「応募資格は勤続四年以上で30歳未満の指導職等社員」「研修期間は約二ヶ月間」とJR東日本が作成したパンフレットに書いてある。
 私には無縁なものだが、なにやら昨年から、リーダー研修を終了した一部の東労組組合員が、職場で公然と「反JR東労組」の言動をあげたり、小林峻一著の『JRの妖怪』や『週刊文春』の記事を回し読みしていたことが発覚したらしい。東労組は「これは会社幹部が仕かけたと思われることから、組織破壊行為であり、研修の全行程を即刻中止すること」と申し入れ、この9月から数回にわたって団交を行っていたのだった。
 私の手元に、東労組が発信した四一ページにもおよぶ「JR東労組連絡」なる団交3回分の議事録が掲載されている文章が回ってきた。膨大でウンザリしてしまうが、パラパラと目を通してみると、東労組は「中止」を求めて頑として引かず、同じようなことを延々とやり合っている。従って、会社の回答は「再三再四申し上げているように……」という具合だ。
 「11年間パートナーとしてやってきた労使関係者が壊れたら誰が責任をとるのか」「会社がとる」「会社という人間はいない」と、笑えるようなやり取りもあるが、笑っている場合ではない。「目的に合わないリーダーが育った事実がある」「事実を認めたのなら中止だ」「冗談じゃない」「バカにしてないまでもナメている」と、まるでつるし上げのようである。
 一方会社側は、「『JRの妖怪』や『文春』については、JR東日本を壊そうとする悪意に満ちた本だと考え、貴側の認識と一致している」「これらの東労組破壊の攻撃には断固闘って潰していく」「今回の事態は偶然であり必然性はない」「系統的、組織的なものでもなく、研修とはつながっていない」「中止という申し入れに対しては、中止するのではなく、さらに議論を深めて一緒に続けていきたい」というようなことを述べている。
 まともなようだが実にオカシイ。まさに異常で看過できない。会社自らが労働組合法の趣味を踏みにじり、特定の労組と癒着し、不当労働行為に加担していることを吐露しているのだ。結果、この後の団交で会社は腰砕けとなり「リーダー研修の中止」を行なう旨の回答をしたのである。東労組にはなお絶大なる力があるのだ。なんまいだぶ、なんまいだぶ。あぁ、なんて立派な会社なんだろう。

○月×日
 昨日までの雨模様ですっきりしない天気が嘘のような、実に爽やかな秋晴れとなった。今日は国鉄闘争支援中央共闘会議が主催する「団結まつり」のため、亀戸中央公園(江東区)まで出かけた。
 北海道・九州の闘争団をはじめ、国労を支援する労組や団体が130軒以上もの模擬店を連ね、メインステージではさまざまな組織から職場での差別やいじめの実体が報告された。国労に向けられた攻撃は、労働者すべてに向けられたことであり、根っこはひとつ、共に闘おうという連帯の決意が次々と述べられた。
 こういう場に来ると決まって何人もの懐かしい人と出会うことになる。若いころ勤務していた駅時代の先輩など、「久しぶりですねぇ」とポンと肩を叩いたらヨロけてしまいそうである。ま、チト大袈裟だが、皆すっかり年を取ったんだとつくづく思う。
 年がら年中、不平不満もいわず、ただ黙々とこのような「運動」を積み重ねているうちに、10年もの長い歳月が過ぎてしまったのだ。まさに人生を賭けた闘いであるといっても過言ではないだろう。
 いわれなき差別、理不尽な攻撃にも屈することなく、苦しく悔しさ一杯の日々を乗り越えてこれたのは、志を同じにする大勢の仲間がいたからだ。人間は一人では、やっぱり生きていけないのだろうか。私はそうだが。
 それにしても、社会人となってそのほとんどを闘争に費やさねばならなかった仲間も大勢いるのだ。憤りの念を禁じえない。少なくとも闘争団の仲間は国の施策により人生を振り回され狂わされたのだ。何度でもいうが政府とJRは早急に解決を図るべきではないか。
 国労本部の宮坂書記長を見かけたので挨拶に行った。随分前の件だが「その後どうだい?」と心配してくれた。「小山によく言ってあるから」とも言う。小山氏とは、うちの職場の同僚だが国労八王子地区本部書記長という要職にあり、近い将来は中央で活躍する器だと私が見込んでいる人だ。私は逆に「小山をかわいがってやって下さい」と言って、以前も差し上げたことのある『記録』を手渡した。
 帰りがけ、偶然にも国労本部の高橋委員長と隣り合わせになり、「組合員です」と声をかけた。「ごくろうさん」ねぎらいの言葉が返ってきたのだが、そのとき私は「補強案で是非まとめて下さい」と思わず正直な気持ちを口走ってしまった。委員長はムッとした様子となり、無言で連れの人と一緒に向こうへ離れて行かれた。
 本部もタイヘンなのだろう。委員長と書記長の考えが違い、揉めているという噂はやっぱり本当のようである。
○月×日
 いつの間にか木枯しの吹く季節となった。「補強案」は全国的にも「認められない」という反対意見が多いようで、「お蔵入りするのでは」といった情けない噂もある。「補強案」を金庫にしまった国労幹部が鍵を紛失したとかで、二度と取り出せないという「冗談はよせ」と言いたくなるようなデマまで乱れ飛んでいる。
 国労はいったい何処へ行こうとしているのか。迷走してはいけない。誤らないでほしい。これまでの闘いをキチンと総括し、最善のレールに乗ってほしい。前途は多難だが、真摯な討論で議論を深め、臨時全国大会開催にこぎつけることを願いつつ、冬仕度に忙しい日々である。
○月×日
 第48回国労八王子支部大会に代議員として参加した。 夏の全国大会で決定された運動方針を、東日本・西日本などの各エリア本部大会を皮切りに、地本、支部、分会と順次開催して、議論を深め、意志統一が計られる。 ここに八王子支部は、全国大会で物議をかもし継続討議となった「補強案」の提案者である国労本部宮坂書記長の出身地で、宮坂シンパが多いことからも何かと注目を集めていた。
 55名の出席代議員が「補強案」について意見を述べたわけだが、私の期待とは裏腹に反対意見が続出したのであった。
 「先が見えない」「不安をまねく」「解決できる保障がない」「12年間を否定するもの」「敵の思うツボ、丸裸にされるだけ」「闘う労組の解体につながる」……等である。
 一方、少数だが、職場から出た組合員のさまざまな意見だけを報告するに止まり、疑問を投げかけつつも反対はしないという、なんとも歯切れが悪い発言が目立った。賛成や支持と言明したものは皆無であった。
 私も一言だけ発言しようとチャンスを伺っていたのだが、このような雰囲気で突如として「支持する」とは言えなかった。ましてや新米執行委員の分際だ。限りなく情けないが付和雷同を決めこむしかなかったのである。結局、書記長集約では引き続き職場討議をするということになった。
 討論の途中だったが、北海道北見闘争団の鈴木さんという方が挨拶された。「5・28の判決は信じられなかった。あまりのショックで当日をどう過ごしたか思い出せない人もいたほどだ。しかし今では心機一転、新たに闘う体勢が整った。精一杯闘い抜く」と、決意を述べられた。会場からは「ヨシ」という檄が乱れ飛んだのはいうまでもない。いつのときでも「断固闘う」というのは威勢がいいものだ。
 しかし私はそのとき、「ほんとかなぁ、そうじゃないだろう……」と思っていたのだ。
 確かに改革法を承認するというのは首切りを認めることで、最後まで闘い抜くことがまさしく正論である。私も「補強業」については路線転換・全面屈服であるとしか受けとれないし、どれ一つ認め難い。ここまでしなければならないのかと思うと、無念極まりない。
 しかし、一日も一刻も早く解決したいと願う気持ちは皆一致しているのである。私は今この時期になんとしてでも解決しておかねばならないと強く思うのだ。
 つい先日、北海道音威子府闘争団(48名)の家族と子ども達の作文集を読んだ。5・28判決以後のそれぞれの思いを綴ったものだが、「たいへん」という一言がどんどん広がっていき、「これ以上のたいへんなことはない」というふうに感じられた。それも一月や一年なんかじゃない。10年間である。その間、私達国労本体には想像を絶するといっても過言ではない生活を余儀なくされてきたのである。10年で十分ではないか。もうこれ以上長期化させるべきではない。
 大問題となっている「補強案」は、本部としてもこれまでにない重大な決意と、組合員への責任をもって提案されたものと受け止めなければならない。国労の5年、10年先の展望も視野に入れることが重要である。現在の組織人員は2万8000人。毎年2000人もの退職者を送り出す現状では、会社がもくろむ国労自然消滅という事態も危惧される。正論や原則だけでは組織が保たないということも認識しなければならない。そして何よりも、財政的に闘争団を支え切れるかという難題もある。
 現状をふまえ、将来を見据え、JR総連(東労組)に代わって、私達がいかに軸になるかを模索し、国労組織を発展させて行かなければならないのではないか。
 解決には痛みも伴うだろう。しかし、この10年余の闘いで乗り越えてきた苦難の道程を振り返れば、私達国労には怖いものはなく、出来ないことも何一つとしてない。 いずれにせよ、闘争団は本部に本音をぶつけてほしい。一番大切なことは闘争団が納得できる内容であることが最低の条件だと思う。私は、こうまでしなければ動かない政府とJRに満身の怒りを込めて、「補強案」により、さらなる一致団結を願い、この難局を大胆に乗り切り前進していきたい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/二次試験合格 アジ いぶき

■月刊「記録」1998年12月号掲載記事

○月×日
 指導職試験の一次に合格後、「どうしても受かりたいから」と国労を脱退し、東労組に加入したO氏が二次試験にメデタク合格した。私はいくらなんでも、国労脱退後いきなりはないだろうと読んでいた。まあ、まず今回は不合格ということではないかと。
 会社は「差別はありません」と胸を張って言うだろうが、よくぞまあこうも露骨にやってくれるものだと感心せざるを得ない。
 O氏は合格後、見ていて気の毒なくらい常にうつむき、肩身が狭そうだ。脱退時にも増してオドオドした様子になっている。「希望が叶ってよかったね、おめでとう」と、優しい言葉の一つもかけてあげたいが、そんなことを言ったらイヤミにしか聞こえないだろう。私はとことん人間ができていないのだ。
 O氏には、これを契機に新たな道を切り開いて欲しいと切に願うが、なんだかこんなことはもうウンザリである。イヤだイヤだ。さぁ明日も乗務だ。JR中央線を乗りまくるぞー。

○月×日
 時は流れている。情勢も刻一刻と変化ししている。
 国鉄清算事業団の期日(10月1日)が過ぎてしまった6日、旧国鉄債務処理法案がすったもんだのあげく衆議院を通過した。内容はJRの追加負担を1800億円に半減するというもので、結果的に国民負担が増えることとなった。
 新聞やニュースを見る限りでは、まるで倒産した店の半額セールのような安直でお粗末な案としかいいようがない。なぜ半分の1800億円なのか、なぜ一民間企業であるJRに押しつけるのか。何の根拠もないようであり、許せない。国の借金なのだから断固国の責任において処理すべきである。
 まさに今日までの膨大な時間のなかで審議を先送りしてきた、政府の怠慢以外の何者でもない。どこぞの銀行に何千億円もの税金を投入するなどといっている場合ではないではないか。今ほど皆が生活の安定向上を願っている時期はないだろう。不況は深刻で、戦後最悪の失業率だというのだ。
 先月の終わりには労働基準法が改正され、裁量労働制の拡大が参議院で成立した。さらに今度は労働者派遣法が提出されている。労働者の不安は募るばかりだ。私は一人でプンプン腹を立てているだけで何もできないが、こうした激変のなかで迎える21世紀のことを考えるとちょっぴり心配になってくる。

○月×日
 職場のサークル「国労釣り部」の大会があった。場所は相模湾、船でアジ釣りである。ちなみに春は富浦(千葉・内房)にてボートのシロギス釣りと決まっている。 私も以前なら、映画『釣りバカ日誌』のハマちゃんなみに入れ込んだ時期もあったが、ここ数年は年に一度行くか行かないかになってしまった。だから釣り部といっても名前だけの部員である。
 今回は休み(年休)にも重なったため、古い道具を引っぱり出し、大漁を夢みて意気込んでいた。なにしろ海底百2、30メートルもの深みに仕掛けを落とすのだから、一匹釣り上げるのも一苦労。今はボタン一つで自動に引き上げる電動リールが出回っているが、私のは古い手動式である。それでも昔はそれで何の苦にもならなかったのに……。
 また、釣りといえばのんびり糸を垂れるイメージがあるかもしれないが、行くと決まってのんびりできない。一匹でも多く釣り上げようと、一分一秒でも惜しみなく片時も釣り竿を離さず必死となる。そりゃあビールも飲むし、おにぎりも食べるのだが、釣りは止めない。船酔いに耐えきれず、コマセとばかりに飲み食いしたものをまき散らし、それでもなお釣り続けるのである。まさに闘い。「国労だからってなにも海にまで来て闘わなくたって……」と思うが、私も当然この闘いに巻き込まれて行くのだ。
 さて、超大型の台風10号接近の影響もあり、夜明け前は曇りで時折小雨もパラついていたが、だんだん晴れ間が広がってきた。しかし、どしゃ降りだろうがかまわない。船が出て、釣り糸を海に放り込めさえすれば私達は満足なのである。
 相模湾へ着くと思ったより風が強く、ウサギのような白波が波の上をぴょんぴょん飛び跳ねていた。「これからもっともっと荒れ狂いますよ」と海が警告している。案の定、船宿はすべての出漁中止を決めていた。
 これだけは仕方ない。このようなこともあるのである。こんなことで挫けてはイケナイ。私達は果てしなく広がる誰もいない海を目の前に、ただ呆然と立ちつくしていた。潮風の集中攻撃を一身に浴びながら、若干一名が「斎藤なんか来るからだよ」とつぶやいた。今晩のおかずはアジの予定であった。これは一ヶ月前から決まっていたことである。今さら変更はきかない。
 魚屋に寄って帰った。

○月×日
 国労三鷹車掌区分会機関紙『いぶき』第42号、98年9月25日発行
 発責・中山貴博、編責・教宣部
「試験を利用した脱退強行!」
 すでに明らかなように、8月13日付をもって、「試験に受かりたい」との理由で××氏が国労を脱退しました。「国労にいたのでは試験に受からない」が主な理由であるが、脱退に至るまでの事実関係の背景には会社側の巧みな試験制度を利用した脱退策動があったのである。会社の試験制度を利用した不当労働行為は明白である。
 以下、本人との話の中で明らかになった事について報告します。
 ※三年前、相原駅駅長(国鉄時代からつき合いのある人)に合った時、「俺はまだ二等級で大変だ」と話したら、駅長は車掌区の××区長は町田駅長時代から知っているから話をしてやると言われた。国労ではダメだ! とも言われた。しかしこの年は一次で落ちた。この時はたんなる話と受け止めていた。
 ※今年一次試験が受かり、この人に電話をした。駅長は、××車掌区長に電話してやる。俺からも受かるようお願いしてやると言われた。
――このように、一次試験発表後相原駅長に電話をした時、「国労…」の話がされたことは用意に推察できる。以前から区側と具体的なコンタクトが取られていたと同時に、区側のA助役や内勤に、この動きが筒抜けになっていたのである。
 私達は、××氏が今日まで頑張って国労の旗を揚げてきた強い意志までを砕き飛ばし、賃金差別という弱さに巧みにつけこんできた会社側の態度を断じて許す事は出来ない!!
 現在進められている昇進差別審問を見てもわかるように、立川車掌区・会社側証人は国労組合員憎しで「試験に受からないのは当たり前」の論調を繰り広げました。9月29日から八王子車掌区・会社証人の尋問が始まりますが、同じ論調を繰り広げることでしょう。
 私達は、こういった「国労にいたのでは受からないよ」という会社側の発言の事実をもって、差別の実態を明らかにしていこう!!

 以上は分会の伝統ある機関紙『いぶき』の文面である。五日間提示した。××部分(=筆者)を実名にしたため、分会長が区長より「実名はいかんよ」と注意を受けた。
○月×日
 『いぶき』を掲示板から取り外した約半月後、東労組の機関紙『みたかきいたか』が掲示された。これは東労組の常套手段だが、例によって厚顔無恥で言語道断の内容であった。私達執行部は右往左往どころか笑止とばかり、相手にする気も失せてしまったのである。
『みたかきいたか』第2号、10月16日付
「国労三鷹車掌区分会役員を糾弾する」
 9月29日、国労三車分会が発行する「いぶき」42号に我々東労組が抗議したところ、我々東労組に全面的に屈服・服従し、国労役員自ら「いぶき」を掲示板から撤去しました。
 この「いぶき」の内容は、東労組組合員の実名を上げ、「脱退を強要した」と言うもので、あきれることにその内容は全てでっち上げで、根も葉もないデタラメな事実無根の嘘情報だということです。
 国労は落ちるところまで落ちてしまったようである。ここまでカスになりはてた国労を見ていると、怒りを超越して情けないかぎりである。
 我々の抗議に対して直ちに従ったのは、自らがとんでもない過ちをおこしたことに気が付き、自らの愚かな行為に恥じ入ったからである。国労三車分会役員は我々東労組に完全に敗北したのである。
 国労分会役員の諸君、抗議をされてすぐにコソコソと隠さないといけないような情報を提出するのはみっともないからおやめなさい。だいたいこんな嘘情報を書く暇があったら、もっと書かなければならないことが他にあるではないか。
 国労の定期全国大会について一言も掲出しないのはなぜか。そんなに国労組合員に知られるとまずいことが大会であったのか。「東労組の掲示を見ないと本当の情報がはいらない」と嘆く多くのマジメな国労組合員達の声になぜ応えてやらないのか。
 真面目な国労組合員のみなさん、ここまで腐り果てた国労にあなたはまだ身を置いていくのですか。

 以上なのだが、私はこういう挑発的な行為にすぐに乗せられてしまう浅はかなたちだが、東労組はいったいどういうつもりなのだろう。全国大会の提示にしろ出す出さないはこちらの勝手だし、すべての情報は全組合員に機関紙等を配布して知らせているのになぁ。

○月×日
 私達分会執行部は東労組の掲示に対しての反論はしないこととした。つまり掲示はしないということである。ただ執行委員会の経過だけは知らせようと、文書にして全組合員に配布した。

 『みたかきいたか』10月16日付について
 国労三車分会執行委員会 10月22日
 東労組掲示についてあえて反論をする意志はありませんが、執行委員会で確認した内容について報告しておきたいと思います。
 あの掲示が東労組の総意かと言えば、まじめな東労組組合員が可哀そうなので、ここはJRに巣喰う「寄生虫」とでもしておきます。
 <まず掲示『いぶき』を外した経緯について>
 9月29日15時30分頃、Oさんから『いぶき』について、「だれが書いた」「まわりの人に迷惑がかかる」「俺をそんなに苦しめないで、ほっといてくれ」「あんな書き方ならこっち(東労組)と同じじゃないか」「(国労に)帰る気があっても帰れない」「早く剥がしてくれ」「やめられる(退職)ものならやめたい」と泣きじゃくりながら訴えられました。
 そこで、掲示を外すに至った理由として、一つは本人の動揺が大きかったことです。泣きながら訴える姿は、精神的に安定しているとは思えず、乗務などに影響してはいけないという思いがありました。
 二つとして、東労組の特に「寄生虫」を中心に、国労とのやり取りの中でOさんをどう追い込んでしまうか、Oさんが精神的に追い込まれてもおそらく「寄生虫」は何も構わないのではないかという不安感がありました。 そして三つとしては、「寄生虫」たちにも会社にも、国労が事実関係をすべて把握していることが明らかになったということです。例えば、Oさんが東労組加入の時の掲示に「国労に嫌がらせ……」と書いても所詮でたらめであり、Oさんが言っていることではないし、嘘がバレてしまっているなど、すでに掲示の役割は果たした? のではないか……等の理由により執行部判断で掲示を外しました。
 その後、区長・「寄生虫」が後を追うように来て、区長が「提示責任者は後で来てくれ」と言いました。そして区長室にOさんと「寄生虫」が入っていった模様です。
 以上が『みたかきいたか』で言う「全面的に屈服・服従」した状況です。
 唯一、Oさんの実名が入っていたというのは事実です。国労で一緒に闘ってきたOさんが、昇進差別の会社の攻撃の前に倒れたことに対しての悔しさといいますか、闘ってきた同志に対する「思い」の中での実名でありました。しかしこのときOさんはすでに東労組の組合員であったことも事実でした。
 いずれにしても、「寄生虫」の相手をするつもりはありませんし、全く中身のない幼稚な文章やくだらない挑発にのるつもりはありません。逆に『みたかきいたか』が東労組の機関紙だとすれば、「寄生虫」たちはこの先必ずや孤立して行くことでしょう。
 「寄生虫」に「カス」といわれる国労執行部ですが報告を終わります。

 さて、二日間の休暇明けで出勤すると、執行委員会の経過が組合員に配布されていないのであった。分会三役の決定で急きょヤメにしたのだという。何よりも脱会したOさん本人の気持ちを思ってのことだが、職場の雰囲気がこれ以上険悪になるのはマズイという判断もあったようだ。国労組合員だけに配るといっても、どこからか必ず漏れて東労組が動き出すのは目に見えており、暴走されては「キケン」ということであった。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/言いがかり 虹に願いを どうぞお好きに

■月刊「記録」1998年11月号掲載記事

○月×日
 JR東日本最大の組合であるJR東労組がやることはスバラシイとしかいいようがない。いつも驚かされ、いろいろな人がいるものだと深く考えさせられる。
 本年6月17日の東京都議会において、内閣総理大臣をはじめとする関係大臣あての「意見書」が全会一致で採択された。
 内容は「旧国鉄職員1047人がJRに採用されないまま、現在も労使紛争が続いていることは憂慮すべき事態である。東京地裁が判決を言い渡したのを契機に、JR労使双方は誠意を持って話し合うべきである。政府に対し、関係当事者が話し合いの場に着くよう働きかけるなど、労使紛争の早期解決に向け努力するよう強く要請する」というものだ。
 同様の自治体決議である「意見書」は、北海道や大阪府など七都道府県議会、106市246町13村、2区で採択されているという。公職選挙法に基づいて選ばれた住民の代表であることに加え、自民党や民主党の議員さんも大勢いるなかでの全会一致の採択である。つまり地域住民・国民の声として「早期解決せよ」と決議したものなのだ。
 東労組の柚木委員長は第14回定期大会のなかで「国労のゴネ得を決して認めるわけにはいかない。10年経ったからよいではなく、我々は15年経とうが20年経とうが決して忘れるつもりはない。政治決着は認めない」との見解を述べておられた。
 これを受けてかどうかは知らぬが、東労組はなんと東京都議会に言いがかりをつける運動を展開していたのである。「都議会に真実を訴えよう」「1047名問題に関する都議会議員へのハガキ行動を全組合員で取り組もう」との運動だ。
 ハガキは「この問題がどのように起きたのかはご存じなのでしょうか」との議員への問いかけに始まり、「国労はJR採用希望調書を白紙で提出し、清算事業団の就職斡旋をすべて拒否したから」「現地現職採用というわがままを通し、採用に応じなかったからです」というようないつもの主張を並べ、自業自得と結んでいるのである。
 これを受けた都議会議員は「当事者はもちろんのこと、家族や子供達の将来を考え、人道上からも一日も早く解決するようにと思うのは当然だ」と回答したという。
 わが国労は東京都議会議員の見識に敬意を表するとともに、東労組のいう「真実」に対しての見解を機関誌上で表明したので、ここに記しておきたい。
「採用希望調書の白紙提出」について――
 事実無根。そもそもJRへの採用を希望していたのに理由も告げられず不採用となったからこそ、労働委員会に救済申し立てをしたのである。白紙提出なら国労救済命令などない。
「清算事業団での就職斡旋をすべて拒否した」について――
 管理者が廊下ですれ違った際に声をかけたことも斡旋回数に数えるなど、ずさんな作業も行われた。また、すでに倒産した会社や最低賃金以下の会社を紹介したり、新聞の求人広告の切り抜きを示すことも実績としてカウントされたりしたのである。社会常識にかなった再就職口であれば、もっと多くの国労組合員が転職していたし、本州JRへの広域採用に応じた国労組合員も優に1600人を越えている。
「ゴネ得を許すな、自業自得だ」について
 そもそも、労働者の雇用と労働条件を守るべき労働組合が「首切り」を認めること自体が異常だが、89年1月20日に、北海道地方労働委員会は、不当労働行為が行われた事実認定をし、JR北海道と貨物に採用命令を言い渡した。当事者が労働委員会命令の履行を信じて復帰を望んだことは当然のこと。
 以上である。さすが国労である。見事としか言いようがない。深く考えさせられてしまった私がスバラシクおバカだっただけであった。

○月×日
 虹を見た。虹なんて久方ぶりだったような気がする。 今朝五時過ぎの出勤途上、美しい朝焼けに染まった東の空を眺め、ちょっぴり得した気分で駅に向かったのだが、反対側の西の空にはビルの谷間から谷間へと、虹が鮮やかな円弧を描いていたのだ。
 そういえば道が所々濡れていた。きっと起床前に通り雨があったのだろう。下から順に色を追ってみた。紫、青、緑、黄、橙。確か七色のはずだが、橙の上が赤なのか……。それでも六色しかない。ま、いいか。キレイだキレイだ。
 「オズの魔法使い」の「オーバー・ザ・レインボー」が思い浮かんだ。「鳥は虹の彼方に飛んでいくのに、どうして俺にはできないんだろう……」というアカデミー賞の名曲だ。
 私は虹に願いを託した。台風が二つも接近しているが大災害にならないように。わがJR中央線も無事であるように。

○月×日
 なんともよかった。まずはよかった。虹に託した願いが叶ったのか……。
 二つの台風は日本列島を縦断し、各地に爪痕を残したものの、関東地方は難を逃れ、わがJR中央線は百パーセントの運転が確保できた。
 夜勤明けだが、台風一過で実に清々しい気分だった。前日(夜)は寝ずの乗務とばかり、カッパの上下に長ぐつとすべて用意して、「さあ来い」と構えていたのだが全く順調そのものであった。風雨は時折強くなりはしたが、遅れもなく「小金井ステーションホテル」にチェックインできた。ホテルなんて贅沢? いやいや、駅構内にある、ただ仮眠をとるだけの施設ですよ。
 3時間ほど熟睡し、昼前には何事もなく勤務が終わり、シャワーを浴びて帰宅した。

○月×日
 ちょうど休みだったので、中学生の息子の運動会(正式には体育祭)の見学に行った。「来ないでよ」と言われたものだから、行かないわけにはいかなかったのだ!? ヒマだから数えたのだが、百人くらいの父母がいるなかで父親は17人しかいない。ほとんどの父親は仕事なのだ。今日は仕事をしながら心の中で応援しているのだろう。日本のオトーサンはエライ。
 ふと、私はなぜヒマであるかに気づいた。今までなら、近所の人や知り合いと一緒にワイワイ応援していたのだが、息子はこの春にこの学校に転校してきたのであった。従って家に遊びに来る2、3人の友達の他に知っている人は誰一人いない。恥ずかしながら担任さえ知らないのだ。
 以前は子ども達を通じて、地域の実にさまざまな人達とのつながりがあった。しまいには父母会の集まりなどを口実に、子どもそっちのけで(というと語弊もあるが)よく飲み歩いたものだ。「今さら親同士のつき合いなんてもういいや」「煩わしいことなどコリゴリだ……」。初めて来た校庭の隅っこで、そんなことを一人ぼんやりと考えていた。
 しかし今日のメインは息子である。クラスの仲間達と楽しそうに競技に熱中している姿に、私も元気をもらったようだ。

○月×日
 20時49分発上り快速東京行きは、始発駅である高尾を発車しようとしていた。
 この時間ともなれば高尾や豊田からの登り始発電車は一車両1人2人は当たり前で、ガラガラに空いている。下りは終電まで混みっぱなしだが、これぞ日本の正しい姿だとつくづく思う。
 乗務員室のある最後部車両10号車には9号車寄りの3人掛けに若いカップルが乗っているだけであった。彼女は男の膝枕に身を任せていた。「どうぞお好きに」。誰もいないんだからリラックスしてください。
 やはり乗客が少ないとのんびりした気分になり、私達車掌もホッと一息付ける。これがもし一日中ラッシュ時並みの満員状態なら寿命が縮むに違いない。
 さて、男の方がさっきから私をちらちらと何度も窺っている。一言でいえば「挙動不審」だ。私は内心「ヘンなヤツ」と思いながらも、列車を定時に発車させた。
 最初の停車駅である西八王子に近づき、何気なく車内を見ると、膝枕の彼女の格好がなぜか妙な感じなのである。さっきまではロングヘアーに顔が隠れていたせいか気づかなかったが、厳密にいえば彼女は彼の膝枕に顔を埋めていたのだ。私は「シクシク泣いているのかな」と思った。その瞬間である。ビックリ仰天、なんとナント彼女の頭が、規則正しく上下に動いているではないか……!? 「な、なんなんだ!!」
 私はあきれ返り開いた口がふさがらなかった。彼女の口も開いたままだ……。西八王子では10号車に誰も乗ってこなかった。誰もいないのだからもっと大胆にやればいいさ。
 次の八王子で数人が乗ってきた。電車は定時に動き出したが、彼女の動きはピタリと止まったまま。三駅先の立川に着くと、「私、今までぐっすり寝ていました」とばかりにムックリ起きあがり、両手で髪をかき分け、男に肩を抱かれながら降りていった。
 フェラリーだかヒラリーだかのダンナが、執務室で似たようなことをやったやらないで大ひんしゅくを買っているようだが「どいつもこいつもいい加減にしろ」である。「頼むから空いている時くらい息抜きをさせてくれよ」と心から願う。

○月×日
 親戚の結婚式があり、私の故郷である酒田へ向かった。日本海と最上川、庄内平野と鳥海山に四方を囲まれた、それは自然豊かで静かな町である。
 爽やかな秋晴れの下を快走する羽越本線特急いなほ1号。車窓から目の前に広がる日本海は驚くほど穏やかで、見渡す限り凪いでいた。特に、名勝笹川流れ辺りからあつみ温泉にかけての美しい景色にはいつも心が洗われる思いがする。
 早朝5時過ぎに家を出て、上越新幹線で新潟乗り換え、11時16分、わが社の車は一寸の狂いもなく正確に酒田駅に到着した。駅からタクシーを走らせ約10分、11時半からの披露宴にちょうど間に合った。
 懐かしい親戚の顔が並んでいる。私はここぞとばかり常日頃のご無沙汰の失礼を詫び、後は大人しく静かにお祝いした。式は午後2時半ごろ終わり、今度は御自宅におじゃまして酒宴は延々深夜まで続くのだが、私は翌日用があり、夕方の列車で故郷を後にしたのだった。
 それにしても、遥か遠い故郷酒田が日帰りで行けるようになったことは、さすがに驚きと感慨とを隠せない。これは素直にJRに感謝せねばなるまい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/言いがかり 虹に願いを どうぞお好きに

■月刊「記録」1998年11月号掲載記事

○月×日
 JR東日本最大の組合であるJR東労組がやることはスバラシイとしかいいようがない。いつも驚かされ、いろいろな人がいるものだと深く考えさせられる。
 本年6月17日の東京都議会において、内閣総理大臣をはじめとする関係大臣あての「意見書」が全会一致で採択された。
 内容は「旧国鉄職員1047人がJRに採用されないまま、現在も労使紛争が続いていることは憂慮すべき事態である。東京地裁が判決を言い渡したのを契機に、JR労使双方は誠意を持って話し合うべきである。政府に対し、関係当事者が話し合いの場に着くよう働きかけるなど、労使紛争の早期解決に向け努力するよう強く要請する」というものだ。
 同様の自治体決議である「意見書」は、北海道や大阪府など七都道府県議会、106市246町13村、2区で採択されているという。公職選挙法に基づいて選ばれた住民の代表であることに加え、自民党や民主党の議員さんも大勢いるなかでの全会一致の採択である。つまり地域住民・国民の声として「早期解決せよ」と決議したものなのだ。
 東労組の柚木委員長は第14回定期大会のなかで「国労のゴネ得を決して認めるわけにはいかない。10年経ったからよいではなく、我々は15年経とうが20年経とうが決して忘れるつもりはない。政治決着は認めない」との見解を述べておられた。
 これを受けてかどうかは知らぬが、東労組はなんと東京都議会に言いがかりをつける運動を展開していたのである。「都議会に真実を訴えよう」「1047名問題に関する都議会議員へのハガキ行動を全組合員で取り組もう」との運動だ。
 ハガキは「この問題がどのように起きたのかはご存じなのでしょうか」との議員への問いかけに始まり、「国労はJR採用希望調書を白紙で提出し、清算事業団の就職斡旋をすべて拒否したから」「現地現職採用というわがままを通し、採用に応じなかったからです」というようないつもの主張を並べ、自業自得と結んでいるのである。
 これを受けた都議会議員は「当事者はもちろんのこと、家族や子供達の将来を考え、人道上からも一日も早く解決するようにと思うのは当然だ」と回答したという。
 わが国労は東京都議会議員の見識に敬意を表するとともに、東労組のいう「真実」に対しての見解を機関誌上で表明したので、ここに記しておきたい。
「採用希望調書の白紙提出」について――
 事実無根。そもそもJRへの採用を希望していたのに理由も告げられず不採用となったからこそ、労働委員会に救済申し立てをしたのである。白紙提出なら国労救済命令などない。
「清算事業団での就職斡旋をすべて拒否した」について――
 管理者が廊下ですれ違った際に声をかけたことも斡旋回数に数えるなど、ずさんな作業も行われた。また、すでに倒産した会社や最低賃金以下の会社を紹介したり、新聞の求人広告の切り抜きを示すことも実績としてカウントされたりしたのである。社会常識にかなった再就職口であれば、もっと多くの国労組合員が転職していたし、本州JRへの広域採用に応じた国労組合員も優に1600人を越えている。
「ゴネ得を許すな、自業自得だ」について
 そもそも、労働者の雇用と労働条件を守るべき労働組合が「首切り」を認めること自体が異常だが、89年1月20日に、北海道地方労働委員会は、不当労働行為が行われた事実認定をし、JR北海道と貨物に採用命令を言い渡した。当事者が労働委員会命令の履行を信じて復帰を望んだことは当然のこと。
 以上である。さすが国労である。見事としか言いようがない。深く考えさせられてしまった私がスバラシクおバカだっただけであった。

○月×日
 虹を見た。虹なんて久方ぶりだったような気がする。 今朝五時過ぎの出勤途上、美しい朝焼けに染まった東の空を眺め、ちょっぴり得した気分で駅に向かったのだが、反対側の西の空にはビルの谷間から谷間へと、虹が鮮やかな円弧を描いていたのだ。
 そういえば道が所々濡れていた。きっと起床前に通り雨があったのだろう。下から順に色を追ってみた。紫、青、緑、黄、橙。確か七色のはずだが、橙の上が赤なのか……。それでも六色しかない。ま、いいか。キレイだキレイだ。
 「オズの魔法使い」の「オーバー・ザ・レインボー」が思い浮かんだ。「鳥は虹の彼方に飛んでいくのに、どうして俺にはできないんだろう……」というアカデミー賞の名曲だ。
 私は虹に願いを託した。台風が二つも接近しているが大災害にならないように。わがJR中央線も無事であるように。

○月×日
 なんともよかった。まずはよかった。虹に託した願いが叶ったのか……。
 二つの台風は日本列島を縦断し、各地に爪痕を残したものの、関東地方は難を逃れ、わがJR中央線は百パーセントの運転が確保できた。
 夜勤明けだが、台風一過で実に清々しい気分だった。前日(夜)は寝ずの乗務とばかり、カッパの上下に長ぐつとすべて用意して、「さあ来い」と構えていたのだが全く順調そのものであった。風雨は時折強くなりはしたが、遅れもなく「小金井ステーションホテル」にチェックインできた。ホテルなんて贅沢? いやいや、駅構内にある、ただ仮眠をとるだけの施設ですよ。
 3時間ほど熟睡し、昼前には何事もなく勤務が終わり、シャワーを浴びて帰宅した。

○月×日
 ちょうど休みだったので、中学生の息子の運動会(正式には体育祭)の見学に行った。「来ないでよ」と言われたものだから、行かないわけにはいかなかったのだ!? ヒマだから数えたのだが、百人くらいの父母がいるなかで父親は17人しかいない。ほとんどの父親は仕事なのだ。今日は仕事をしながら心の中で応援しているのだろう。日本のオトーサンはエライ。
 ふと、私はなぜヒマであるかに気づいた。今までなら、近所の人や知り合いと一緒にワイワイ応援していたのだが、息子はこの春にこの学校に転校してきたのであった。従って家に遊びに来る2、3人の友達の他に知っている人は誰一人いない。恥ずかしながら担任さえ知らないのだ。
 以前は子ども達を通じて、地域の実にさまざまな人達とのつながりがあった。しまいには父母会の集まりなどを口実に、子どもそっちのけで(というと語弊もあるが)よく飲み歩いたものだ。「今さら親同士のつき合いなんてもういいや」「煩わしいことなどコリゴリだ……」。初めて来た校庭の隅っこで、そんなことを一人ぼんやりと考えていた。
 しかし今日のメインは息子である。クラスの仲間達と楽しそうに競技に熱中している姿に、私も元気をもらったようだ。

○月×日
 20時49分発上り快速東京行きは、始発駅である高尾を発車しようとしていた。
 この時間ともなれば高尾や豊田からの登り始発電車は一車両1人2人は当たり前で、ガラガラに空いている。下りは終電まで混みっぱなしだが、これぞ日本の正しい姿だとつくづく思う。
 乗務員室のある最後部車両10号車には9号車寄りの3人掛けに若いカップルが乗っているだけであった。彼女は男の膝枕に身を任せていた。「どうぞお好きに」。誰もいないんだからリラックスしてください。
 やはり乗客が少ないとのんびりした気分になり、私達車掌もホッと一息付ける。これがもし一日中ラッシュ時並みの満員状態なら寿命が縮むに違いない。
 さて、男の方がさっきから私をちらちらと何度も窺っている。一言でいえば「挙動不審」だ。私は内心「ヘンなヤツ」と思いながらも、列車を定時に発車させた。
 最初の停車駅である西八王子に近づき、何気なく車内を見ると、膝枕の彼女の格好がなぜか妙な感じなのである。さっきまではロングヘアーに顔が隠れていたせいか気づかなかったが、厳密にいえば彼女は彼の膝枕に顔を埋めていたのだ。私は「シクシク泣いているのかな」と思った。その瞬間である。ビックリ仰天、なんとナント彼女の頭が、規則正しく上下に動いているではないか……!? 「な、なんなんだ!!」
 私はあきれ返り開いた口がふさがらなかった。彼女の口も開いたままだ……。西八王子では10号車に誰も乗ってこなかった。誰もいないのだからもっと大胆にやればいいさ。
 次の八王子で数人が乗ってきた。電車は定時に動き出したが、彼女の動きはピタリと止まったまま。三駅先の立川に着くと、「私、今までぐっすり寝ていました」とばかりにムックリ起きあがり、両手で髪をかき分け、男に肩を抱かれながら降りていった。
 フェラリーだかヒラリーだかのダンナが、執務室で似たようなことをやったやらないで大ひんしゅくを買っているようだが「どいつもこいつもいい加減にしろ」である。「頼むから空いている時くらい息抜きをさせてくれよ」と心から願う。

○月×日
 親戚の結婚式があり、私の故郷である酒田へ向かった。日本海と最上川、庄内平野と鳥海山に四方を囲まれた、それは自然豊かで静かな町である。
 爽やかな秋晴れの下を快走する羽越本線特急いなほ1号。車窓から目の前に広がる日本海は驚くほど穏やかで、見渡す限り凪いでいた。特に、名勝笹川流れ辺りからあつみ温泉にかけての美しい景色にはいつも心が洗われる思いがする。
 早朝5時過ぎに家を出て、上越新幹線で新潟乗り換え、11時16分、わが社の車は一寸の狂いもなく正確に酒田駅に到着した。駅からタクシーを走らせ約10分、11時半からの披露宴にちょうど間に合った。
 懐かしい親戚の顔が並んでいる。私はここぞとばかり常日頃のご無沙汰の失礼を詫び、後は大人しく静かにお祝いした。式は午後2時半ごろ終わり、今度は御自宅におじゃまして酒宴は延々深夜まで続くのだが、私は翌日用があり、夕方の列車で故郷を後にしたのだった。
 それにしても、遥か遠い故郷酒田が日帰りで行けるようになったことは、さすがに驚きと感慨とを隠せない。これは素直にJRに感謝せねばなるまい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/発車ベル どん底 補強案

■月刊「記録」1998年10月号掲載記事

○月×日
 歯医者に行って虫歯を抜いた。昔と違い、麻酔の注射すら全然痛くないので非常に助かる。医療技術は日進月歩だ。
 歯は使えるギリギリまで使った方がいいという良心的な先生だったので、薬の注入を繰り返して今日までしのいできた。しかしもう限界らしい。ここ数日は自分でも化膿による臭いに我慢できなくなっていた。
 「次は、クサし境、次は、クサし小金井、クサし野乗り換えです」と、仕事への影響も深刻な状態である。
 治療後、薬局で薬を三種類もらって帰宅した。化膿止めと消炎剤、それに鎮痛剤である。麻酔が切れてくると、案の定激痛が襲ってきた。でも鎮痛剤だけは飲まずにガマンする。鎮痛剤の説明書(今はご丁寧に薬局でくれる)に、服用中のアルコールはダメだと書かれていたからだ。
 ちょっと微笑むと逆に笑われそうなマヌケ顔となり、まったく情けない。痛みに堪えながら、いつもより多少厳しい顔で晩酌したのだが、妻には気づかれなかったようだ……。

○月×日
 私達車掌が扱う発車ベルの音がメロディ化されて、何年経つのだろうか。このようなシャレた発想が生まれてくるのも、民営JRならではかもしれない。
 音楽好きの私としては嬉しくもあり、まあ気に入っているのだが、私の中ではちょっとしたモンダイが起きている。フト無意識に口ずさんでいるメロディがこれだったりするのだ。本当にちょっとしたことなので、モンダイではないかもしれないがモンダイなのだ。
 乗務していれば一日中このメロディを聴いているわけで、もはや家で好きな音楽を聴く時間よりも長い。ふと口ずさむメロディがビートルズではなく、JRのメロディだとはなんだかくやしい。
 それにしても、以前のジリジリという一本調子の発車ベルを思うと「厳格国鉄」というイメージが浮かび、緊張感とスリル、そして郷愁をそそるモノがあったという気がしてくる。別に電車に乗るのに緊張する必要はないが。
 まあ、仕事をしている私達だってできれば楽しくやりたい。例えば中央線全駅の発車ベルの所に楽器を置き、プロのミュージシャンに演奏してもらったらどうだろうか。車掌のことを英語でコンダクターという。まさに私達車掌が発車ベル演奏の指揮を執るのだ。
 旅の始まりが発車ベルの演奏により告げられ、私達は安全な運行とお客さまの生命をお預かりする。まさに真剣そのもの、命がけで「運命」のタクトを振るのだ。

○月×日
 今年の夏はなんとも冴えない。全国的にも長雨傾向で、来る日も来る日もパッとしない。「準備オーケイ、いつでもいらっしゃい」と、ビールをガンガンに冷やして待ちかまえていたのに、なんだか肩すかしを食った気分だ。これが夏かといいたくなる。
 天候が定まらず、どんよりとはっきりしない日がほとんどであった。カーッと照りつける太陽もカリフォルニアのような青空も見ぬまま、夏は寂しく「あっ」という間に通り過ぎようとしている。
 シャワーの後に髪をオールバックにして、永ちゃんの「時間よ止まれ」を静かに口ずさむ。団扇片手にロダンの彫刻「考える人」のポーズで汗が引くのをじっと待つ。エアコンは滅多に使用しない。
 日中の蝉時雨のにぎやかさが真夏の暑さを感じさせてくれると思ったのもつかの間、夕暮になれば蝉の鳴き声も涼しさを感じさせるものへと変わり、なぜか切なくなる。
 気象庁は、8月も中旬を過ぎて一般の感覚にはそぐわないとし、東北と北陸の梅雨明け発表をあきらめたという。また、関東に梅雨明け後も停滞していた梅雨前線は秋雨前線に名称変更という異常事態である。ナヌッ!?
「今日まで梅雨前線と呼んでいたものが明日からは秋雨前線だと」
 オカシイではないか。これでは国鉄がJRになったようなものである。私は断じて容認できない。気象庁と秋雨前線はキチンと責任をとれるのか! うーむ、やはり夏のツカレが出てきたようである。

○月×日
 不合格であった。残念だが仕方ない。
 昇進試験(一次)の発表があり、最下級である指導職試験の合格者はわが国労組合員でわずか二名という、どう考えても納得できない結果に終わった。
 私の場合は「これでよかったのだ」と思う。もし私が試験官なら、毎年キチンと盆暮れの付け届けがあったとしても、やっぱりオレのようなヤツは絶対に合格させないだろう。なんだかセイセイした気分だが、二次試験の楽しみが減ったのかと思うとちょっぴり淋しい。
「今日もアツかったですねえ」などと暑さのせいにして、とりあえず帰りに一杯やった。そういえば昨日、東京芸術座から演劇のお誘いが来ていたのだが、その演題はゴーリキの「どん底」だった。そうだったのか……。なんだか笑わせてくれるではないか。
 それにしても、サケはいつ飲んでもウマく、JRはオモシロイ会社である。

○月×日
 国労の第63回定期全国大会が東京・社会文化会館で行われた。国鉄分割民営化から12年目、東京地裁判決後初の大会として各方面からも注目されていた。
 和解を目指した「三条件」提案を旧与党から機関決定するよう求められたこともあってか、本部宮坂書記長は大会初日に突如として「国鉄改革法を認める」等の運動方針(案)の補強なるものを提起し、今大会で採決するということになった。
 会場はヤジと怒号に包まれたが、私は驚きつつも「本部はいよいよ腹を固めたのだな」と、緊張と期待で身震いした。この10月1日には国鉄清算事業団の解散、鉄建公団への業務移管を控えており、一刻の猶予も許されない。まさに政府責任による早期解決へ向けた決断の時なのである。
 私達は今日まで国労の運動方針に沿って闘いを進め、団結を守り抜いてきた。「時代遅れの孤独のランナー」などと陰口をたたかれようと、不当な差別攻撃にも屈することなく人間としての信念を貫き通せたのは、弁護団、共闘関係者や良識ある市民の限りない支援や激励があったからであり、心から感謝しなければならない。
 改めて言うまでもなく、東京地裁の判決は不当であり事実誤認である。憲法や労組法より改革法が上であること自体が間違いであり、山下俊幸さん(連帯する会事務局長)も言っていたように、国家的な不当労働行為を国家権力(裁判所)が裁くことに無理があった。
 もはやこの問題は公正とか公平、平等といった常識は通用しないのである。完全無欠の改革法だったのだ。権力の前には必ずしも正義が実現しないということを目の当たりに思い知らされた。
 当時の中曽根首相や橋本運輸大臣は「所属組合による差別があってはならない」「一人の職員も路頭に迷わせない」と繰り返し約束した。国会決議も政府答弁もすべてないがしろにされ、裁判所までが私達を裏切った。さらに裁判所は「大臣などの答弁は方案の説明のために便宜的に用いられたものでなんの意味もなさない」とまで言っている。中労委が高裁に控訴したように、国会のおエラ方は裁判所に抗議しないのかという素朴な疑問も湧く。
 いずれにしろ、これまでの事実は消えるものではなく、決して無駄なことではない。人間としての素晴らしさや醜さ、世の通念や仕組みなど、あらゆるものを見ることができたと思う。ここは歴史的な一つの節目として決断すべきである。闘争団・家族の心情を思えば、早期解決を何としてでも実現しなければならない。このまま長期化すれば闘争団の高齢化も進み、最終的にJRの不当労働行為が確定しても事実上救済を受けられないという事態も想定される。手術は成功したが患者さんは亡くなったでは済まされない。運動には妥協もありである。
 しかし当然代議員からは反対意見が続出した。「白紙撤回を求める」「改革法を認めれば、その先には国労解体がある」。補強案に理解を示す代議員からも「会場で突然提起されて、職場での議論なしの採決は組合民主主義に反する」などの反発が相次いだ。
 本部は結局、「職場での討論を継続し、意見を集約して臨時大会を開く」として承認の先送りを再提案し、了承された。ある代議員は私に言った。「こんなものを認めたら国労の組織は持たない。かといって、高裁・最高裁まで闘い続けるとしても持たないな」と。
 補強案は5点であった。
 第一に「国鉄改革法の承認」これは分割民営化反対の旗を降ろすことである。第二に「係争事件は当該エリア本部とJR各社で解決」つまり全提訴を取り下げること。第三に「組織のあり方、名称等変更の検討」すなわち全国単一体国労の七分割、国労という名称を変えること。第四に「JR連合傘下の各単組との共同行動」行き着く先はJR連合への吸収、合併ということ。第五に「JR各社へ胸襟を開いての解決交渉働きかけ」跪くこと。以上である。
 以上だが、確かにこれでは全面降伏である。まさに「踏み絵」に等しく、国労の新たな試練ともいえよう。国労は再び分裂を繰り返さなければならないのか。本部宮坂書記長の苦渋に満ちた顔が私の脳裏から離れない。リーダーは時として大英断を迫られる辛い立場である。
 もう一度言いたい。運動には妥協もありである。今こそわが国労は大胆な妥協を持って新しい道を前進しなければならないときなのだ。

○月×日
「グラグラッ」ときた。首都圏では震度3~4とかなり揺れた。朝8時46分、私は遅い出勤だったので家でのんびりと朝刊を読んでいた。
 台風4号の接近を前に、東日本・北日本の各地は記録的な豪雨に見舞われた。土砂崩れや河川の氾濫が相次ぎ、全半壊や流失する家屋やJR各線の不通など、近年例を見ない被害となった。
 日本の自然は大丈夫なのか。まさに異常気象だが、追い打ちのように地震が続き、なんだか薄気味悪い感じがした。
 すぐにテレビをつけると、東京駅からの各新幹線の運転見合わせを盛んに報じていた。私も中央線が遅れると思い、早めに出勤すべく無意識のうちに準備に取りかかったりしていた。
 しかし万が一である。このまま出勤して家に帰れなくなるという非常事態となりはしないか。仕事も大事だが家だって同じである。だが、どんなことがあっても仕事のことを念頭に置き、とにかく遅れまいと考える。もちろん仕事を愛し責任を感じているのだが、その根底にあるのは家族の幸せを願っているからこそだと思う。
 テレビは再び新幹線の見合わせを報じていた。視聴者はそれほどまでにJRの運転状況の報道を望んでいるのだろうか……。自然災害だけはどうしようもないが来るなら来い。負けるわけにはいかないのだ。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/筋肉痛 ゴネ得 身だしなみ

■月刊「記録」1998年9月号掲載記事

○月×日
 JR中央線を乗務する四つの車掌区(三鷹、新宿、立川、八王子)の国労分会交流会として、今年もまた橋本(横浜線)社宅のグランドでソフトボール大会が行なわれた。毎年のことなので、誰がどの程度の実力かを皆知っているし、勝ち負けよりもいい汗を流してリフレッシュすることが目的なのはいうまでもない。
 ここ数年ロクにスポーツなどやっておらず、年に1、2度こうした催しに参加するだけとなってしまった。運動は運動でも組合運動はスポーツとは違うものね。
 私の守備は「ライト」だった。9つあるポジションのなかで、最も「正しい」位置だと理解している。一番打球が来ない所だと思われがちだが、そんなことはない。上手い人は流し打ちをしたりするから結構大変なのだ。小さいころから運動は得意な方で、勘をつかめば何でもこなせると思っていたのだが、それにしても悲惨だった。 打球を必死で追いかけると、足がもつれて転んでしまう。何とかキャッチしてもすぐに投げられない。慌てて投げるととんでもない方向にボールを放つ始末である。しかし「斎藤はライトなんだから」と皆許してくれる。 こうなったら打者として汚名を挽回するしかない。バットを短く持ち、うまく合わせてヒットを狙う、などというセコイ手段はとらない。力の限りの豪快なスイングで一発逆転勝負なのだ。しかし大振り空振りばかりで、おまけに振り抜いたあげくに転んでしまうのであった。さすがにホトホト情けない。
 それでも私はチャンスを逃しはしなかった。ジャストミート! 会心の当たりである。物凄い手応え。これが私の実力なのだ。まさに『巨人の星』のごとく、火を吹くような勢いで打球が三塁線にスッ飛んでいった。「やったね」と思いながら、またもバッターボックスに転んでいた私であったが、即座に体勢を整え、一塁に向かって走り出した。だが、レフト前に転がっているはずの打球はすでにファーストミットの中にあり、塁に駆け込んだ私は「アウト」と宣言されたのだ。三塁手のファインプレイだった……。
 体力の衰えを痛感しつつ、七転び八起きしながらも、ケガもなく楽しい一日を過ごせたことに感謝しよう。それにしても、これはリフレッシュといえるのだろうか。この後数日間、全身の筋肉痛というお土産に悩まされるのに。

○月×日
 「君がイエスと言えば、僕はノー、君がストップと言えば、僕はゴー、いったいどうなっちまってんだ」。
 今にも全身でリズムをとってしまいそうな、軽快で分かりやすいビートルズのロックナンバー『ハロー・グッバイ』である。
 JR会社が「やりなさい」と言えば、国労は「やらないよ」と答える。ん? そんなことはない。やるべきことはすべてキチンとやっている。
 11部が「JRに責任はありません」と言い、19部は「ありますよ」と言っている。11部は「国鉄とJRの同一性は疑問がある」としながら白黒ハッキリさせた。いったいどうなっているのだ。裁判長の顔も苦渋に満ち溢れていることだろう。
 いずれにしても国労敗訴だが、分割・民営化というのは国労解体も一つの目的であり、そのための改革法だと考えれば分からないでもない。東京地裁はJRに花を持たせたといってもいいだろう。
 私には裁判所もJRのおエライさんも滑稽に見えてしょうがない。なんでそんなに権威を振りかざさなければならないのか。もっと人間らしく素直に正直に振舞えばいいのに。私達労働者はいつも飾らずありのまま堂々と生きていきたいものである。
 「君はグッバイ、僕はハロー」。ビートルズに今夜も乾杯。明日はきっとよくなると信じよう。

○月×日
 参院選が終わった。「投票に行こう」とマスコミが煽ったお陰か、投票率は過去最低だった前回の44・52%から58・84%へ大きく回復した。
 結果は自民党が大惨敗、民主党、共産党が大躍進を果たした。肝心の社民党がボロ負けしたのは自民党と連立を組んできた批判と受け止め、出直しの第一歩であることを願い今後に期待したい。
 さて民主・共産両党の大躍進だが、自民党政権批判の受け皿ともとれるが、民主党についていえば、寄合所帯で決して一枚岩でない。近い将来分裂することが十分あり得そうで危なっかしいったらない。
 橋本首相は辞任を表明したが、私としては中曽根さんにもう一度首相になってもらい、キチンとあの時の責任をとって頂きたい。野党が勢いづいて政権交代を要求し、衆院解散・総選挙も予想されるが、すべてが流動的であり、なにより国民そっちのけの政局混乱が一番心配である。
 それにしても社民党、民主党、新社会党と、政党の名前もコロコロ変わってしまった。別に昔のままでもよかったのではと思う。国鉄、国労もしかりである。

○月×日
 5月28日の不当判決以降、さまざまな集会や書面を見るたびに目が覚める。その都度はらわたが煮えくり返り、怒りを禁じ得ないが、私は思った。強く激しく思ってしまった。
 闘争団と私達国労本体との微妙なズレ(違い)のことである。闘争団にしてみれば日々切実な問題も、私達は日が経つにつれて忘れていく。これは仕方のないことなのだろうか。
 判決の瞬間のショックと落胆は誰もみな一緒だったと確信する。この晩、闘争団家族の上京団に対して行われた個別学習会で、宮里弁護士は「皆さん方の11年間の思いを勝訴という形で実現できなかったのは痛恨の思いである」と声を詰まらせ、闘争団家族と悔しさで涙したということも聞いている。
 しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。総学習と総団結により、判決にひるむことなく、高裁控訴という新たな段階を力強く歩み出す他はない。私達の弱味につけ込む自民党の「三条件」などの不当介入に対しても、私のように振り回されてはいけないのだ。
 闘争団の家族、横田文乃さん(釧路・13歳)の作文を拝見した。
「私は学校から帰ってきて、いつものようにテレビを見ていると、国労のことがニュースに出たので、お父さんが出るかなと思って見ていた。するとJRの勝訴と流れた。ずーっと見ていても何がなんだか分からなくてチャンネルを変えてみたら、私が去年の三月に作文を読んだ東京地裁の前で、おばさんたちが泣いて話しているのを見て、国労が負けたことが分かった。(中略)私は急にお父さんのことが心配になった。(中略)お母さんに聞くと「お父さんは強いから大丈夫よ」と言ったのでホッとした。そしたら急に腹が立ってきた。JRと国鉄は同じだ。子どもの私でもそんな簡単なことは分かるのに 、どうして立派な大学を出た大人がそんなこと分からないのだろう。お父さんたちにはがんばって勝ってほしいと思います」
 その通りだね。私はこういうのに本当に弱い。「よしわかった。何も心配することはないからね」と言いたくなる。
 「ゴネ得は許さない」とよくいわれるが、竹本妙子さん(烏栖闘争団家族)も言っているように、「ゴネる」とは生活の基盤があって初めてできるものではないか。ゴネているのではない。自分たちの失敗でこのような状況に置かれたのではなく、これは国家とJRの不当労働行為の結果なのである。そもそも後ろ指を指されるような話ではないのだ。
 国労は負けてない。しかしまだ勝ってもいない。もう一踏ん張り。勝利するまで心を一つに闘おうではないか。
○月×日
 暑い一日だった。お決まりの昇進試験(一次)が行われた。
 試験後のビールを飲むために公休を潰して集まるようなものだと考えている国労組合員も多い。
 試験は誰もが合格しそうな非常にやさしい内容だったが、国労員の不合格率が圧倒的なのは今年も変わらないだろう。私は昨年一次に受かっているので、教養などこれっぽっちもないのだが、最後に行われる「一般教養」が免除となった。といっても、これは皆より一足先にビールにありつけるくらいで、特にメリットというほどのものではない。
 それにしても解せない問題が一つあった。JR職員としての「身だしなみ」についての設問で「髪を染めてよいか、悪いか」というものである。いいか悪いかを選べとある。
 決して全面的に公定するわけではないが、髪の毛が赤でも黄色でも緑でも、肝心カナメの「出発進行」をキチンと厳正に行えるなら、今どきやりたきゃやらせればいいのではないか。けれど世間の常識からすれば「悪」というイメージが強いのだろう。
 実は私の同僚にも髪を染めている人は結構いる。それでも咎められることは絶対にない。なぜなら白髪を黒く染めているからだ。さあこの場合、正解はどっちだ。問題を作成したセキニン者は前に出なさい。

○月×日
 八王子からJR中央線で三鷹まで出勤し、乗り出しが下り高尾行きだったりする。別に家に忘れ物をしたわけでもないのにまた戻らなければならない。
 ――トウキョウは私をテッテ的にイジメたいのだった。「私はたった今上がってきたばかりなのであります」
「するとお前さまは八王子方面には行きたくないと言いたいのだね」
 塩をかけられたナメクジのように私の脳ミソは溶け出し始めている。「先生、早くシリツをして下さい。私は死ぬかもしれないんです……」
 とまぁ「つげ」風に書くとこんな感じか。BOX東中野で「ねじ式」を観た。漫画界の異才、つげ義春の同名作品の映画化である。
 売れない若い漫画家の妄想的な「超」現実世界。暗く貧しく無気力で、冴えない日常生活。内縁の妻に裏切られ、一人あてもない旅に出る。そこで出会うさまざまな女性との奇妙な体験。生々しくきわどいエロスがこれでもかと炸裂する。内容は次第に非日常の白昼夢のような世界へと突入していくのだ。
 もう二十数年前のことになるが、私はつげ義春の作品はほとんど読んだ。意表をつく発想で妖しげな表現が多かったが、どれも不思議と安堵感が漂っていた。彼の描く海や山の田舎の寂れた風景や、貧しさというものが人間の根幹をなすからだと思うが、何もかもが不安定で排他的だった当時の私に妙にマッチし、すっかり虜となった。
 映像は原作に忠実で、ストーリーは分かっているのに、やはりノスタルジックな気分へ誘われてしまった。あてもなくフラリとさまよいたい衝動に駆られたが、現実に縛られてどうにも身動きがとれない。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/筋肉痛 ゴネ得 身だしなみ

■月刊「記録」1998年9月号掲載記事

○月×日
 JR中央線を乗務する四つの車掌区(三鷹、新宿、立川、八王子)の国労分会交流会として、今年もまた橋本(横浜線)社宅のグランドでソフトボール大会が行なわれた。毎年のことなので、誰がどの程度の実力かを皆知っているし、勝ち負けよりもいい汗を流してリフレッシュすることが目的なのはいうまでもない。
 ここ数年ロクにスポーツなどやっておらず、年に1、2度こうした催しに参加するだけとなってしまった。運動は運動でも組合運動はスポーツとは違うものね。
 私の守備は「ライト」だった。9つあるポジションのなかで、最も「正しい」位置だと理解している。一番打球が来ない所だと思われがちだが、そんなことはない。上手い人は流し打ちをしたりするから結構大変なのだ。小さいころから運動は得意な方で、勘をつかめば何でもこなせると思っていたのだが、それにしても悲惨だった。 打球を必死で追いかけると、足がもつれて転んでしまう。何とかキャッチしてもすぐに投げられない。慌てて投げるととんでもない方向にボールを放つ始末である。しかし「斎藤はライトなんだから」と皆許してくれる。 こうなったら打者として汚名を挽回するしかない。バットを短く持ち、うまく合わせてヒットを狙う、などというセコイ手段はとらない。力の限りの豪快なスイングで一発逆転勝負なのだ。しかし大振り空振りばかりで、おまけに振り抜いたあげくに転んでしまうのであった。さすがにホトホト情けない。
 それでも私はチャンスを逃しはしなかった。ジャストミート! 会心の当たりである。物凄い手応え。これが私の実力なのだ。まさに『巨人の星』のごとく、火を吹くような勢いで打球が三塁線にスッ飛んでいった。「やったね」と思いながら、またもバッターボックスに転んでいた私であったが、即座に体勢を整え、一塁に向かって走り出した。だが、レフト前に転がっているはずの打球はすでにファーストミットの中にあり、塁に駆け込んだ私は「アウト」と宣言されたのだ。三塁手のファインプレイだった……。
 体力の衰えを痛感しつつ、七転び八起きしながらも、ケガもなく楽しい一日を過ごせたことに感謝しよう。それにしても、これはリフレッシュといえるのだろうか。この後数日間、全身の筋肉痛というお土産に悩まされるのに。

○月×日
 「君がイエスと言えば、僕はノー、君がストップと言えば、僕はゴー、いったいどうなっちまってんだ」。
 今にも全身でリズムをとってしまいそうな、軽快で分かりやすいビートルズのロックナンバー『ハロー・グッバイ』である。
 JR会社が「やりなさい」と言えば、国労は「やらないよ」と答える。ん? そんなことはない。やるべきことはすべてキチンとやっている。
 11部が「JRに責任はありません」と言い、19部は「ありますよ」と言っている。11部は「国鉄とJRの同一性は疑問がある」としながら白黒ハッキリさせた。いったいどうなっているのだ。裁判長の顔も苦渋に満ち溢れていることだろう。
 いずれにしても国労敗訴だが、分割・民営化というのは国労解体も一つの目的であり、そのための改革法だと考えれば分からないでもない。東京地裁はJRに花を持たせたといってもいいだろう。
 私には裁判所もJRのおエライさんも滑稽に見えてしょうがない。なんでそんなに権威を振りかざさなければならないのか。もっと人間らしく素直に正直に振舞えばいいのに。私達労働者はいつも飾らずありのまま堂々と生きていきたいものである。
 「君はグッバイ、僕はハロー」。ビートルズに今夜も乾杯。明日はきっとよくなると信じよう。

○月×日
 参院選が終わった。「投票に行こう」とマスコミが煽ったお陰か、投票率は過去最低だった前回の44・52%から58・84%へ大きく回復した。
 結果は自民党が大惨敗、民主党、共産党が大躍進を果たした。肝心の社民党がボロ負けしたのは自民党と連立を組んできた批判と受け止め、出直しの第一歩であることを願い今後に期待したい。
 さて民主・共産両党の大躍進だが、自民党政権批判の受け皿ともとれるが、民主党についていえば、寄合所帯で決して一枚岩でない。近い将来分裂することが十分あり得そうで危なっかしいったらない。
 橋本首相は辞任を表明したが、私としては中曽根さんにもう一度首相になってもらい、キチンとあの時の責任をとって頂きたい。野党が勢いづいて政権交代を要求し、衆院解散・総選挙も予想されるが、すべてが流動的であり、なにより国民そっちのけの政局混乱が一番心配である。
 それにしても社民党、民主党、新社会党と、政党の名前もコロコロ変わってしまった。別に昔のままでもよかったのではと思う。国鉄、国労もしかりである。

○月×日
 5月28日の不当判決以降、さまざまな集会や書面を見るたびに目が覚める。その都度はらわたが煮えくり返り、怒りを禁じ得ないが、私は思った。強く激しく思ってしまった。
 闘争団と私達国労本体との微妙なズレ(違い)のことである。闘争団にしてみれば日々切実な問題も、私達は日が経つにつれて忘れていく。これは仕方のないことなのだろうか。
 判決の瞬間のショックと落胆は誰もみな一緒だったと確信する。この晩、闘争団家族の上京団に対して行われた個別学習会で、宮里弁護士は「皆さん方の11年間の思いを勝訴という形で実現できなかったのは痛恨の思いである」と声を詰まらせ、闘争団家族と悔しさで涙したということも聞いている。
 しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。総学習と総団結により、判決にひるむことなく、高裁控訴という新たな段階を力強く歩み出す他はない。私達の弱味につけ込む自民党の「三条件」などの不当介入に対しても、私のように振り回されてはいけないのだ。
 闘争団の家族、横田文乃さん(釧路・13歳)の作文を拝見した。
「私は学校から帰ってきて、いつものようにテレビを見ていると、国労のことがニュースに出たので、お父さんが出るかなと思って見ていた。するとJRの勝訴と流れた。ずーっと見ていても何がなんだか分からなくてチャンネルを変えてみたら、私が去年の三月に作文を読んだ東京地裁の前で、おばさんたちが泣いて話しているのを見て、国労が負けたことが分かった。(中略)私は急にお父さんのことが心配になった。(中略)お母さんに聞くと「お父さんは強いから大丈夫よ」と言ったのでホッとした。そしたら急に腹が立ってきた。JRと国鉄は同じだ。子どもの私でもそんな簡単なことは分かるのに 、どうして立派な大学を出た大人がそんなこと分からないのだろう。お父さんたちにはがんばって勝ってほしいと思います」
 その通りだね。私はこういうのに本当に弱い。「よしわかった。何も心配することはないからね」と言いたくなる。
 「ゴネ得は許さない」とよくいわれるが、竹本妙子さん(烏栖闘争団家族)も言っているように、「ゴネる」とは生活の基盤があって初めてできるものではないか。ゴネているのではない。自分たちの失敗でこのような状況に置かれたのではなく、これは国家とJRの不当労働行為の結果なのである。そもそも後ろ指を指されるような話ではないのだ。
 国労は負けてない。しかしまだ勝ってもいない。もう一踏ん張り。勝利するまで心を一つに闘おうではないか。
○月×日
 暑い一日だった。お決まりの昇進試験(一次)が行われた。
 試験後のビールを飲むために公休を潰して集まるようなものだと考えている国労組合員も多い。
 試験は誰もが合格しそうな非常にやさしい内容だったが、国労員の不合格率が圧倒的なのは今年も変わらないだろう。私は昨年一次に受かっているので、教養などこれっぽっちもないのだが、最後に行われる「一般教養」が免除となった。といっても、これは皆より一足先にビールにありつけるくらいで、特にメリットというほどのものではない。
 それにしても解せない問題が一つあった。JR職員としての「身だしなみ」についての設問で「髪を染めてよいか、悪いか」というものである。いいか悪いかを選べとある。
 決して全面的に公定するわけではないが、髪の毛が赤でも黄色でも緑でも、肝心カナメの「出発進行」をキチンと厳正に行えるなら、今どきやりたきゃやらせればいいのではないか。けれど世間の常識からすれば「悪」というイメージが強いのだろう。
 実は私の同僚にも髪を染めている人は結構いる。それでも咎められることは絶対にない。なぜなら白髪を黒く染めているからだ。さあこの場合、正解はどっちだ。問題を作成したセキニン者は前に出なさい。

○月×日
 八王子からJR中央線で三鷹まで出勤し、乗り出しが下り高尾行きだったりする。別に家に忘れ物をしたわけでもないのにまた戻らなければならない。
 ――トウキョウは私をテッテ的にイジメたいのだった。「私はたった今上がってきたばかりなのであります」
「するとお前さまは八王子方面には行きたくないと言いたいのだね」
 塩をかけられたナメクジのように私の脳ミソは溶け出し始めている。「先生、早くシリツをして下さい。私は死ぬかもしれないんです……」
 とまぁ「つげ」風に書くとこんな感じか。BOX東中野で「ねじ式」を観た。漫画界の異才、つげ義春の同名作品の映画化である。
 売れない若い漫画家の妄想的な「超」現実世界。暗く貧しく無気力で、冴えない日常生活。内縁の妻に裏切られ、一人あてもない旅に出る。そこで出会うさまざまな女性との奇妙な体験。生々しくきわどいエロスがこれでもかと炸裂する。内容は次第に非日常の白昼夢のような世界へと突入していくのだ。
 もう二十数年前のことになるが、私はつげ義春の作品はほとんど読んだ。意表をつく発想で妖しげな表現が多かったが、どれも不思議と安堵感が漂っていた。彼の描く海や山の田舎の寂れた風景や、貧しさというものが人間の根幹をなすからだと思うが、何もかもが不安定で排他的だった当時の私に妙にマッチし、すっかり虜となった。
 映像は原作に忠実で、ストーリーは分かっているのに、やはりノスタルジックな気分へ誘われてしまった。あてもなくフラリとさまよいたい衝動に駆られたが、現実に縛られてどうにも身動きがとれない。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/許せん 控訴 宝物

月刊「記録」1998年8月号掲載記事

○月×日
 冷静にならなければならない。5月28日の不当判決から数日が過ぎた。私には難しくて理解できなかったことも、判決文を何度も読み返すうちに、不当労働行為の責任は政府とJRにあるということがみえてきた。結果的には、11部・19部ともにJRの主張を認めた中労委命令取り消しの判決であり、中労委(国労)敗訴ということは事実だが、11部と19部の判断(改革法の解釈)が異なっていることに注目したい。
 11部では、改革法23条を形式的に解釈しただけで「JRに責任はない」としたが、「不当労働行為の責任は国鉄(清算事業団=政府)が負うべき」と政府の責任を明確にしている。
 一方の19部では「改革法をもってしても不当労働行為の責任はJRに及ぶ」として、JRの主張を全面的に認めたわけではない。中労委の救済方法に問題があるとして取り消したのだ。
 JRは記者会見で「大変に意義深い」「極めて妥当な判決」などと表向きは一様に評価したコメントを発表したが、判決を十分慎重に吟味したとすれば、かなり動揺しているとみていいのではないだろうか。
 大方の予想通り、国労勝利、JR敗訴の判決であったなら、JRは単に控訴するだけでよかったのだ。控訴して時間稼ぎに持ち込み、国労の弱体化を待っていればよかったのである。それがフタを開けたらこの結果。もうJRの先延ばし戦法は使えない状況となったのだ。
 残るは「不当労働行為の責任は政府とJRにある」という判決通り、政府の責任で政治的に決着を図るしかない。
 六月三日付の朝日新聞朝刊によれば、自民党の山崎拓政調会長が国労に対し、①国鉄改革の主旨を認める機関決定する、②中労委の救済命令を取り消した東京地裁の判決について控訴しない、③JR総連とJR連合の理解を得る努力をする、の三点を求めた上で、自民・社民・さきがけ三党として関係者が和解の席に着くよう働きかけを行う、という提案を行ったそうだ。
 国労としても機関決定にいたるまでに相当な紆余曲折が予想され、すったもんだの議論になるだろうが、これ以上紛争を長期化させてはならない。私達は正しかったのだし、国労が進んできた輝かしい歴史も消えるものではない。なにより国鉄労働組合には、1047名の闘争団を一刻も早く救済するという重大な任務があるのだ。

○月×日
 このごろ乗務中、普段なんでもないことにワケもなく腹が立ち、許せんことが多い。
 まず、車内がガラガラに空いているにもかかわらず、乗務員室のそばにずっと立っている中年のオッサン。別にヤマシイことをしているわけでなし、いくら見られてもかまわないが、やはりうっとうしい。私もときには鼻クソでもほじりたい。じっと見つめないでほしい。気分的に許せん。
 ホームの警備員。彼らが配置されてから三ヶ月も経ったろうか。最近では指差確認するし、車掌に敬礼までする。駅員と勘違いしているのではないか。まったく許せん。
 JR中央線の豊田駅を過ぎると、「コンパニオン募集」と書かれた目立つ看板がある。月収150万以上とあるが本当なのか。ウソでも許せん。
 荻窪駅前の看板。かれこれ10年以上前から「生まれかわる荻窪」というヤツが立ったままである。いったいいつ生まれ変わるんだ。許せん。
 ギューギューのラッシュ時に、すごくかわいい若い娘とぴったりくっついてニンマリしているオヤジがいる。なんとなく許せん。
 事故で電車が止まった際、無線から流れる声も弾み、俄然張り切る指令員がいる。現場のことを考えているのか疑わしくなっていまう。許せん許せん。
 朝、快便で出勤したというのに、乗務してから便意を催すことがある。わが身ながらホントに許せん!

○月×日
 自民党の機関誌「自由新報」1556号、評論家・屋山太郎の記事によれば、JR東日本は□○に手を貸しているということである。
 JR東日本の最大組合である東労組は、国鉄時代の動労系と同盟系の鉄労系が合併してできたというのは周知の事実だが、JR東海やJR西日本、JR九州では、その後また二つに割れて動労系が独立し、鉄労系が国労右派と組んで多数派に逆転している。つまり他のJRでは、動労系は以前のような少数組合に転落してしまっているのである。
 なぜ動労系と鉄労系が袂を分かつに至ったのか。鉄労系のいい分では、動労が□○から離脱していないとの疑いを抱いているからだという。
 JR東日本でも当然、鉄労系の人達は同様の認識を持っているはずだが、東労組は最大組合として現在も揺るぎなく居座り続けている。現在の東労組とJR東日本経営側は蜜月の関係にあり、鉄労系は声を出せないのだという。東労組の執行部は完全に動労系が掌握し、会社側も鉄労系が反乱を起こさないような人事配置を行っているということだ。
 これが東日本の労使関係だけは一見何の問題もないように見える理由だが、動労の組織拡大を会社側が手伝っているということに他ならない。最後は□○の組織拡大が順調に進んでいると結んであった。
 ハッキリとした確証はないが、周囲の声を聞く限りでは、このような認識をしている社員が圧倒的なことから、私も「そうなんだろうな」と力なく思う次第である。

○月×日
 スーツ姿のサラリーマン達が忙しそうに出勤していく。私は燃えないゴミを所定のゴミ箱に放り込むと、回れ右してのんびり部屋に戻る。今日は休みなのだ。
 世の中には不条理なことが数限りなくあるわけだが、サケくらい不条理なものはないのではないかと、二日酔いの頭でぼんやり考える。サケはうまい。心は癒され、愉快で楽しく、普段は寡黙!? な私も冗舌になる。この開放感こそまさに天国、これ以上のストレス解消法はない。労働した(しなくてもだけど)一日を締め括るにはやっぱりこれだ。
 しかしこれほど楽しいおサケも、飲み過ぎた翌日には二日酔いという地獄の苦しみに変わる。今日は休みだからいいが、仕事があればシンドイし、そんなことで事故など起こすわけにもいかない。
 私達は常に「階級的警戒心」をもって飲まなければならないのだ――こんなことを考える今日の私は、かなり重症である。

○月×日
 中労委と国労は地裁判決を「誠に遺憾、不服である」として、東京高裁に控訴した。やはり控訴という道をとらねば闘う場がなくなるに等しいのだから、これは当然の借置であろう。
 今回の判決は中央労働委員会の存在そのものを否定するものであり、まさに国家機関の自己否定に他ならない。そのようなことも含め、今後の裁判は正当な手続きによって判決の不当性を明らかにしていき、一方で政・労・使の話し合いによる早期解決に向け、全力で傾走しようということである。
 自民党による「三条件」についても、国労は今後、早急に関係者間で意見交換を行っていくとし、細部に渡り議論を重ねつつ、自・社・さきがけ三党間協議も継続していくとのことだ。
 それにしても先日閣外協力を解消したにもかかわらず、三党間でとはこれいかに? 私はこういったことが理解できないが、とにかくそういうコトなのであり超高度な? 状況となっているようである。
 私は国労八王子支部に駆け込み、「三条件に対して国労はどのような態度をとろうとしているのか、控訴期間は11日でしょ」と様子をうかがってみた。すると書記長は「アレはアレ、三条件の内容が大雑把すぎて応じようがない」とデンと構えているのだった。
 なんだか私一人が焦ってしまったようで恥ずかしいが、誰に何といわれようと現実を見極め柔軟に対処すべきだと思う。右へも左へもハンドルを切ることができない不器用な国労だが、ここはまっすぐに前進あるのみである。
○月×日
「もっともな結果である」と鼻高々な会社側幹部には、「国労が負けた」と喜んでいる人も少なからずいるだろう。
 そんなあなた方は、これまでどんなことをしてきたか胸に手を当てて振り返ってみるといい。数え切れない不当な行為は事実として決して消えることはない。
 以前にも言ったが、あなた方は「人間として」すでに負けているのである。「ナニを偉そうに小僧が……」と思うかもしれない。そんなことはない。私はいくらサイテイとはいえ、それくらいは言える分別のある年齢にも達している。世界に誇るJRが、私達国労なんぞに負けるわけにはいかないのだ。やってはイケナイことだってやらざるを得ない状況にまで追い込まれてしまったのではなかろうか。
 しかし、解決してないことはまだまだ山程ある。防護無線の盗聴にしろ、大月の事故にしても、まったく不可解なことがJRには多過ぎる。
 私達より、それこそ数段も弱い立場に置かれて苦しんでいる人達は大勢いるが、私は心の奥で感謝している。もし「分割・民営化」という理不尽なことが身にふりかからなかったら、私はきっと勝手気ままにのほほんといきていたに違いないからだ。少しは「人間らしく」なれたのではないかと誇らしくも思う。
 これからも国労魂を持ち続け、労働者として人間として人生を全うしていきたい。腹も出てきてちょっと太ってきたが「こぶとりじいさん」にはなりたくない。まだまだ一花も二花も咲かせなければならない。「花咲かじじい」になりたいと思う。
 さあ、JR中央線のアナウンスがナメクジ声だったら、もしくは停車中にこっそり鼻クソをほじっている車掌がいたら、それは間違いなく私だ。ぜひ声をかけてほしい。語り明かそう。もちろん飲み屋で。ん? もし私でなかったらどうするかって……。そんなことはない。そんな車掌は私しかいないのだから。

○月×日
「こんなものもあったっけ」。超多忙な方々ばかりということもあり、いつの間にか立ち消えになったものだと思っていたが、どっこいまだ運動は続いていたのであった。さまざまな分野の有識者たちが、国労の運動に共鳴し、支援してくださっている。本当に頭が下がる。本体である私達はさらに奮闘しなければならないと、改めて強く思う次第である。
「JRに人権を! 1047人の復職を求める一万人意見広告を広げる会」の呼びかけ人である鎌田慧、佐高信、新藤宗幸、福島瑞穂の四氏は、地裁判決後、都内で記者会見を行い、判決内容とJRの姿勢に強く抗議するとともに、政府の責任で解決に当たるべきだと訴えたという。 ジャーナリストの鎌田さんは「ひどいことをやるだけやって、自分たちがやったことではないと言っている。50年代の前近代的な中小企業の経営者でさえ中労委命令に従ったことを考えると、いかにひどい国家的な行為なのか。これを裁判所が追認してしまうならば、これからリストラが民間企業でもどんどん進められ、不当解雇に対する歯止めが何もないと感じている」
 評論家の佐高さんは「裁判所が異常に企業寄りであることが判決ではっきりと表れた。労働委員会は労働者一辺倒の委員会ではない。JRは、裁判とか法律とかをつまみ食いして、言うことを聞かなければ訴える。公的なものでも自分たちの都合に合わなければ訴える。公的なものでも自分たちの都合に合わなければ無視する。法的なものに従うという観念が全くない」
 立教大学教授の新籐さんは「労働委員会制度は、審判を労使が尊重し紛争を解決することを前提にしてつくられたものだ。それを今度は労働委員会を被告として行訴を起こすJRとはなんなのか。もしこのようなやり方を経営側が公然と取っていったら、職を奪われた人間はどこにもアピールできないという事態を招きかねない」
 弁護士の福島さんは、「判決のままいくとある人を追っ払いたいと思えば、新会社をつくって法人格が違うということで労働組合連動をつぶすことを認めることになる」
 以上が各氏の主な発言である。
 私はこの場を借りて国労の一員として厚く御礼を申し上げたい。ともに頑張りましょう。

○月×日
 今をときめく直木賞作家である浅田次郎からサインを貰い、嬉しくていつも持ち歩いている。
 うちにある本もすべて(といっても四冊だけだが)もう一度一字一句丁寧に読み返している。それがどれもこれも泣けるのなんの。どの作品も人間の普遍的な「情」が描かれており、いつの間にかすっぽりハマリ込み、決まってホロリとさせられるからタマらない。
 その浅田次郎のサイン会がJR八王子駅前の書店であった。自宅から近いということと、『鉄道員』の腰巻きにある「あなたに起こるやさしい奇跡」という文句に心を奪われ、「まあ趣味じゃないけど、サイン会とはどんなものか」と初めて長い列に並んでみたのであった。
 このサイン会は『見知らぬ妻へ』という新刊本の刊行記念だったのだが、私はコレでないと意味がないと、『鉄道員』を持参して行った。
 待つこと約四十分、漸く私の番が回ってきた。初めてお目にかかる浅田次郎は写真よりずっとイイ男で、一寸の隙もなく、近寄り難い感じである。出版関係者らしい取り巻きに「先生、先生」と呼ばれてもすっかり落ち着き払い、まさに風格と品のある人であった。
 私が緊張気味に一礼して本を渡すと、「ぽっぽやか」と幾分回顧されたように呟いて筆を取られた。私は「あのう、少し長くなって申し訳ないのですが、こういうコトなので是非コレを書いてほしいのですが」と、私は予め自分のページを開いておいた『記録』を差し出した。 浅田次郎はニコリと笑い「車掌さんだね」と一言。スラスラと健筆に書いて下さった。

「サイテイ車掌 斎藤典雄様
          浅田次郎 印」

 これはスバラシイ。いつ眺めてもワクワクする。私の後も長蛇の列で話は出来なかったが、これで充分満足だ。大切にしよう。私の宝物である。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/都庁34階 地裁判決 転倒事故

■月刊「記録」1998年7月号掲載記事

○月×日
 今日は都労委。昇進差別第19回目の審問のため新宿まで出かけた。もうすっかりなじみになってしまった都庁34階である。
 JR東日本本社のおエライさんから、明けや休みで動員された現場の助役さんまで、まるで私達国労組合員を威圧するかのようにズラリと傍聴席に陣取っている。しかも誰もが背広にネクタイという出で立ちで、私達のラフな格好に比べるとヒジョーに立派で偉そうにみえる。しかし錯覚してはいけない。それはただそう見えるだけで、人間としては全く対等なのだ。
 さて、今回は会社側の審問で立川車掌区の元区長(現在は出向)のT氏が証人に立ったのだが、私達を極悪非道者だとしてケチョンケチョンにけなすのであった。次から次へと個人の実名を挙げ、「遅刻はする、反発はする、社会人としての基本的心構えができていない、意欲的でない、惰性に流されている、事故を起こさなければいいという発想で、それは勤務態度の悪い社員でありました」という具合だ。
 また、オフの時間も勤務評価に入れたとし「休みの日はアパートで酒ばかり飲んで寝ているような社員でございました」とまでいうのである。
 昇進試験の受験資格すらないとでも言わんばかりだ。現場長たる区長に「足りないところは指導して、自分の部下は全員昇進させてやりたい……」などという気持ちはサラサラないのだ。反面、会社からは重宝がられ、順調に素晴らしく出世されたようである。
 呆れ果てた2時間はあっという間に過ぎ、帰り際、弁護士さんから衝撃的なことを聞かされた。19部の判決が11部と同じ5月28日に決まったというのである。この日はJRにとってダブルパンチの1日となるだろう。「JRに使用者責任あり」「JRに不当労働行為責任あり」の判決が下るハズである。それでもJRは反省のカケラもみせず即刻高裁へ控訴の申し立てをするのだろうか。 今日の都労委でも、紛争を解決しようなどという真摯な態度は微塵もくみ取れなかったし、和解はほど遠いのかもしれない。裁判で勝利しても、健全な労使関係を確立するために労使政策を転換し、解決局面に移行しないのでは話にならない。

○月×日
 気がついたら11年もの長い歳月が流れていたという感が強い。小学校に入学した子どもであれば大学受験を迎えるまでに成長している。
 この間、国労の旗の下で団結を守り、助け合い励まし合い、自問自答しながらも、それぞれ「人間として」の道を歩んできた。管理者がチェックしているときだけでも国労バッヂを外せば「処分」されずに済んだ。国労を抜けさえすれば「優良社員」として扱われたのだが、私達にはそんな不当なことはできなかった。
 国労は、労働組合法に定められている当たり前の運動をしてきたに過ぎない。なのにそれが上司に反発した、反抗的などという差別的な勤務評価として残された。いわれなき人権侵害であるのはいうまでもないが、みなの思いはただ一つ。1,047名の解雇撤回・JR復帰。10余年にわたり労働者魂を鍛えてきた私達は、どのような判決が出ようとも驚きはしないし、冷静に受けとめるだろう。
 どんなに苦しく辛くとも、勝利するまで闘いは緩めない。もう後へ引くことはできないのだ。

○月×日
 やはり三鷹・武蔵境界隈の飲み屋とは疎遠になりつつある。特に西荻窪の「戎」は、この命果てるまで通い続けると信じて疑わなかったのに……。私は意外と浮気性なのかもしれない。しかし住居も代わったのだし、寂しいなんて思わない。私自身も変わらなければならない。 そんなわけで八王子で飲むことが多くなったのだが、先日ある大発見をしてしまった。わがJR八王子駅北口前には「東急スクエア」なる、新築のシャレたビルがドカーンと立っているのだが、その中の八階にナント「戎」が入っていたのだ。しかし、ひとりで飲み歩くことの多い私は、その小ぎれいな店構えから「どうせ、キレイな女と一緒に入るような店なんだろう」と直感し、しばらく遠巻きに眺めていたのだが、どうも気になってしょうがない。とうとう数日後に暖簾をくぐってしまった。 新しい店だから、いまにも崩れそうで小汚い(不衛生とは違う。逆にそれが酔いどれの歴史を感じさせ、堪らない)本家・西荻の「戎」と異なるのは当たり前だが、木をうまく使った店の作りがナカナカの雰囲気である。品代や焼き鳥が1本から注文できるところも同じで、結構気に入ってしまった。しかし西荻の「戎」のような、いかにものんべいオヤジが通うような風格と味が漂う店になるまでには数十年はかかるだろう。
 「そろそろ引き上げて家庭サービスに努めなくては……」と思いつつ杯を重ねるのだが、「お兄さん、焼酎おかわり! あっ、まだ少し残ってる。グビッ」と、どんな店でもたいして変わらないのであった。

○月×日
 嵐の前の静けさか。何事も起こらない。ただじっと明日の東京地裁判決を待つのみ。悲しいことだが、ほとんどの組合員が興味も関心も示さない。明日の「一日総行動」の根こそぎ動員には何人が来るだろうか。
 いつものように一人静かにグラスを傾けつつも、明日のことが気にかかってしょうがない。判決文はもうすでに何日も前にできあがっているハズだ。早く見たい、いま見たい。見ないと眠れそうにない。
 明日は九時の裁判傍聴整理券確保に始まり、国会議員会館への要請行動などもある。私はただゾロゾロついて行くだけだが、Gパンではマズイという。年に何回も着用しないスーツを引っぱり出しながら「やっぱりオレも随分イカレちまったかな」と思った。

○月×日
 いよいよ判決の日を迎えた。久々に朝から晴れわたり、まさしく「勝利の日」にふさわしい青空だった。霞ヶ関にある東京地裁前は、闘争団をはじめとする全国の大勢の仲間が集い、誰もがすっかり歳をとってしまったが、労働者としての自信と誇りに満ちあふれている。
 私達は判決が出るのを固唾をのんで待った。その瞬間、誰もが言葉を失ったに違いない。一気に場は静まり返った。「なぜ? どうして?」全身から力が抜けた。中労委の救済命令が取り消されたのだ。
 「不当判決」である。断じて容認できるものではない。なのになぜか怒りが湧いてこない。「公正なはずの裁判所が一体どうなっているのか」という疑問と混乱が心の大部分を占めていた。
 11部の萩尾裁判長は「採用で不当労働行為があったとしても、その使用者責任は国鉄にあり、JRには責任はない」とした。続いて19部の高世裁判長は「JRが責任を負う余地はある」との判断を示しながらも、11部と同様に中労委命令を取り消した。つまり国労は勝てず、JRは負けなかったのである。
 今回の判決は、あらかじめこのような事態を想定し、実質的な責任を誰も負わなくて済むよう編み出された改革法23条の壁を越えることが出来なかったという一点に尽きると思う。
 もはや中央労働委員会の存在意義は全くないも同然だ。高世裁判長は「中労委の救済措置は限度を超えている」とも述べている。「人を救うのに限度があるのか」と反論したくなるが、労働委員会は労働者救済という夢を抱かせるだけの時間稼ぎの場でしかないのだろう。
 夕方から開催された日比谷野外音楽堂での総括集会で、岡田和樹弁護士は「表向きには国労にとって負けに見えるが、実質的には一勝一敗だ」と言っておられたが、これは慰めでしかない。事実は事実として厳粛に受けとめなければならない。国労の高橋義則委員長は「この判決を新たな闘いの出発点とし、中労委と相談のうえ、控訴等強い姿勢で望む。その中で政・労・使の和解の道を探る」と、裁判と和解を並行して進めていく考えを示した。 また長期化するのだろうか。私達の今日までの闘いは決して無駄ではない。生きている以上、人間としての尊厳を失ってはいけないのだ。いささかの間違いもなかったと確信しているが、もう何を信じたらいいのか分からなくなってきた。しかしどうしても国労敗訴、JR勝訴とはいえない私である。

○月×日
 「ありゃま、どうしちゃったの。お気の毒にね」。私達もよく知っている立川車掌区の仲間のYさんの事故を聞き、最初はそう思った。
 5月23日付読売新聞(夕刊)を要約すると、青梅線・小作駅で立川行き上り列車の車掌が、駆け込み乗車確認のためホームに降りて転倒し、そのまま電車は発車してしまった。このため車掌は駅の電話で指令に連絡するとともに、タクシーで次の停車駅の羽村駅に向かい再び乗務した。JR東日本八王子支社によると、同駅上りホームは見通しが悪く、車掌は転んだ際にメガネで顔面を切ったため拝島駅で交代し、病院で手当を受けたというものだ。ラジオ・テレビでも報道されたということだが、これでは新聞の見出し通り「駅ホームで車掌すってん、あぁ置き去り発車」でもよかったろう。
 私達も話を聞くまでは「顔をちょっと切ったみたいだ」くらいの感想で、「大けがじゃなくてよかったね」と軽く考えていたのだが、事実は全く異なっていた。まさに恐ろしい出来事で、Yさんは九死に一生を得たといっても過言ではないのである。
 電車への駆け込み乗車は日常茶飯事で後を絶たない。当然車掌は神経を尖らせているが、ホームが曲線で見通しが悪いような駅でも要員が配置されていないことが多い。そのため私達車掌の唯一のより所はITV(ホームを映し出すテレビ)なのだが、不鮮明で見づらいこともあり、完璧とはいえない。また、電車が動き出してもITVが一緒に動くわけではなく、死角が非常に多いのが実状である。
 そんなとき車掌は、片手で乗務員室の握り棒をシッカリとつかみ、身体をホーム側へ目一杯に乗り出して、見える限り確認する。文字に例えるなら崩れた大の字のような、不自然な格好となる。
 Yさんは電車が突然ガクンと発車したためにバランスを失ったのだが、ホームで転倒したのではない。片手で必至に握り棒をつかみ、宙ぶらりんの状態で引きずられたのだ。電車は速度を増す。ホームに駅員はおらず、誰も電車を停められない。約40メートル進んだところで力尽き、ホームに叩きつけられ、その勢いで線路に転落したのである。
 その恐怖は想像を絶するが、気丈で落ち着きのあるまじめなYさんも相当動転したに違いない。駅舎に駆け込み、指令の指示によりタクシーで電車を追いかけ、再び乗務し、緊急手配をされた交代車掌のいる三駅先の拝島駅で病院へ向かったというのだ。
 顔面から血を流し、制服のズボンはすり切れていたそうだ。私は涙が止まらない。Yさんは使命感に燃えた人だが、いくら本人が乗る気があったとしても、小作駅で対応した駅員が引き止めて、次の羽村駅からは管理者を乗務させるとか何とかならなかったのか。Yさんの立ち直りを祈っている。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/ツバ 無事故 子ども

■月刊「記録」1998年6月号掲載記事

○月×日
 お客様は神様です。お客様あってのJR。JR東日本会社の指針にも、(お客様第一)「私たちは、まごころをこめたサービスをいたします」とある。
 しかし心ないお客さまが大勢いるというのもまた事実。品行方正な私でさえ、乗務中に「てめえコノヤロウ」と口走りたくなることもあるほどだ。しかし我慢、じっと我慢、ひたすら我慢し、(安全の確保)「私たちは、安全・正確な輸送に徹します」と心の中で唱え、(会社の発展)「私たちは、企業意識とチャレンジ精神で日本のリーディングカンパニーをめざします」を肝に銘じているのである。
 私達車掌は、電車が動き出してからホームを通り過ぎるまで、乗務員室の窓から顔を出し、「列車監視」を行う。もし異常があれば非常ブレーキを用いて直ちに電車を停車させねばならない。安全確認は車掌の義務なのだ。そういう大事な監視をしているときに、ホーム上のお客さまからナントナント唾を吹っかけられることがあるのだ。唾ですよ、ツバ。
 『最大の侮辱』はたまた『名誉毀損』である。とっ捕まえて「てめえコノヤロウ」くらいは言ってやりたいのだが、「安全・正確な輸送」のためには、こんなことで電車を止めるわけにもいかない。
 だが、私達とてプロである。そうそうそんなものをかけられるワケにはいかない。唾を吐くなどという「てめえコノヤロウ」的な人は、直前の気配で大体察しがつくので、スバヤク窓を閉めたり、華麗に身をかわしたりしてしまうのだ。新人車掌を除けば、モロに唾をかけられることはまずない。
 他人の唾をかけられるなんて、想像しただけで身体中を消毒したくなる。非常にクサイし、乾けばなおさらである。私はプロだから唾をかけられたことはない。断じてない。けれど乗務を終えて車掌区に戻ったら、いつもより丹念に顔を洗おう……。テメエコノヤロウ!

○月×日
 近所にあるチェーン店のスーパーへ食料品を買いに行った。安さ爆発ナントカスーパーなどという類の店ではないのだが、実に感動してしまった。心躍る安さである。 まず、一年を通して飲んべいには欠かせない豆腐が2丁で100円。そして、血液の流れをよくし、心筋梗塞や脳卒中を防止するともいわれている納豆。私も2日に1度は口にしているが、3個パックでこれも100円。そしてその銘柄がこれをおいて他にないほどふるっている。その名も『秘伝金印納豆』である。八王子よいとこ、みんなでおいで。その際は京王八王子もあるが、ぜひJR中央線をご利用いただきたい。
 「安さ爆発」で思い出したが、わが家のベランダのすぐ下には桜の木がずらりと並んでいる。ここ数日の陽気で今にもつぼみが爆発しそうだ。花見は今年からわが家に動員することに決めた。

○月×日
 おかしな飲み屋があるものだ。仕事の帰り、八王子駅北口の大衆酒場にちょいと一人で入り、カウンターに腰かけた。
 とりあえずビールと冷や奴、そして焼き鳥。その後焼酎に切り替え、今日一日を反省しつつ、ほろ酔い気分でふと隣に目をやると、隣のオッサンのニンニク焼きがなんともうまそうに見える。
 そこで、「明日は休みだし、口臭も気にすることはないな」と、ニンニク焼きを一本注文したのだ。しかし店員は「ニンニク焼きは焼き鳥と一緒でなければ注文できないことになっている」と宣う。私はすでに焼き鳥を注文しているのに。しかし相手は頑として譲らない。
 私は『こんな店二度と来るものか』と心で呟きながら、オアイソを済ませたのだが、きっとまた来てしまうに違いない。なにしろ勘定が安かったのである。

○月×日
 そりゃあ私だって落ち込むことはある。あるのだ。何しろサイテイなわけだし、ハイな気分でいるときよりも沈んでいる方が多いくらいだ。しかし、それらを克服して生きて行かねばならない。もしかしたら、自分自身を励ますため、自分の弱さを正当化するために、こんな日記を書いているのかもしれない。
 堕ちるところまで堕ちて、どん底の状態にあったとしても、本当にやる気があるのなら、そこからはい上がろうと必死で努力するだろう。何事もトントン拍子で行きたいものだが、挫折もまた人間が鍛えられる絶好のチャンスだと受けとめることができれば、プラスに作用するだろう。
 口では簡単に言えるし、実際その通りなのだろうが、頭で分かっていても、なかなかうまくいかないのが実情である。
 なにしろうちの子ども達は皆私に似てしまい、デキが悪くて困る。子を持つ親なら誰もが経験していくことなんだろうが、さまざまなトラブルや突発的な病気等、これまで一体いくつの修羅場をくぐり抜けてきたことか。 その都度、至らなかったことはあったにせよ、親として出来る限りのことをやってきたつもりである。しかし、子ども達が大きくなるにつれて、私の描いた青写真は未完成の無意味な紙切れとなってしまった。まさにビートルズの『ドント・レット・ミー・ダウン』(がっかりさせないでくれよ)の心境である。
 子ども達の弱さもさることながら、私自身も無力感に打ちのめされている。まさに父親失格といわねばなるまい。
 JR東日本の基本方針に、「現状を打破する勇気と責任ある行動で、活力あふれる職場を創ります」とあった。職場を家庭に置き換え、私は立ち直らなければならない。ジョー・コッカーの『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』(友達にちょっと助けてもらって)を聴きながら。……やっぱりこれがイケナイのだろうか?

○月×日
 湘南の海へ向かった。八王子から1人、ガランと空いている四両編成のJR相模線に乗り、茅ケ崎まで。1時間ちょっとの小旅行だ。白いシブキをあげた大きな海を、ただぼんやりと眺めたかった。
 シーズンともなれば、足の踏み場もないほどの賑いをみせる砂浜に座り、水平線を見やって目を細める。もの思いに耽るフリをしながら、本当は何も考えていなかったのだが……。
 普段なかなか聴くことのできない波の音がなんとも心地良く響く。「こんな安らぎもたまにはいいなあ」と唇を舐めると、少し海の味がした。誰もいない喫茶店に寄り、珈琲を飲んだ。明日は仕事だ。どうしてこんなに虚しいのだろう。

○月×日
 事務係が掲示物を貼っていた。チラッと見たら今年度の昇進試験の募集であった。立ち止まって読むこともない。また1年が過ぎただけ。昨年と何も変わらない。ただ怒りが込み上げてくるだけだ。
 いくら私がサイテイとはいえ、普段はナカナカうまくやっているし、無事故を称えた盾だって持っている。まぁ、これは年数が経てばほとんどの社員が貰えるものだけれど。
 「あなたは長年にわたり安全安定輸送の確保と運転事故防止に尽力されました。よってここに運転無事故功労社員として認定しその栄誉を讃えます」。パッと見はちょっとしたモノなので、家族の写真なんかと一緒に宝物のように飾っている人もいるのだろうが、私はタンスにしまってある。それで何が言いたいのかというと、つまり皆と変わりなく、仕事はキチンと無難にこなしているということだ。
 他には人命救助の賞状を貰っている。「あなたはお客様転落事故に際し機敏且つ適切な処置により救助しました。これは人命の尊さと安定輸送の重要性を平素から深く認識された結果であり他の模範と認めます。よってこれを賞します」
 文面は個人を褒め称えた素晴らしいものなのだが、こうも試験が受からなくては、本当はバカにしているんじゃないかとさえ思えてきてしまう。本当にアホらしくて「今年はもういいや」というのが本音だが、そういうわけにもいかない。
 忘れよう。ビートルズに浸りすべてを忘れよう。「アビイ・ロード」B面の壮大なメドレーは、今聴いても押さえきれない感動を呼ぶ。
 「かつては道があった。故郷へ、家へと続く道があった」(『ゴールデン・スランバー』)。国鉄のころはそうだったね。「これからは長い間ずっと重荷を背負っていかなければならない」(『キャリー・ザット・ウエイト』)。JRになっちゃったからね……、ああ思い出してしまった。
 いずれの曲もビートルズとしてはラスト・レコーディングなのだが、最後のメッセージは「結局は、君が受ける愛は君が与える愛と同じなんだ」というもので、なんとなく意味深で哲学的なニュアンスが感じられる。タイトルも文字通り『ジ・エンド』。愛とは自分自身で作り出すものなのだろうか。泣けるなぁ……。

○月×日
 風薫る五月。悠々と空を泳ぐこいのぼりが、健やかに成長する子ども達を見守っている。「こどもの日」5日付の日本経済新聞・社説は、青少年問題を取り上げていた。
 子どもの犯罪やいじめが多発する一方、ボランティア等で力を発揮している若者もいる。良い芽を伸ばして、悪い芽を正す責任は大人にあり、中央教育審議会(中教審)は「家庭と地域社会の役割の大きさを力説」し、有識者は「幼児期から小学校入学までの家庭のしつけの大切さを指摘」とのことである。
 こんなことは当り前で分かり切ったことであるが、私はなんだかうちのことのようで身につまされる思いがした。「家族がお互いに何をしているのか知らない宿泊客のような『ホテル家族』が増えている」と続いていたからだ。ウチの場合、私は飲んだくれで、妻は仕事でいない。子ども達もそれは知っている。しかし逆に、子ども達が何をしているのかを、私はさっぱり知らない。
 中教審は「父親不在が母親任せの子育てを生み、母親のストレスを増加させている」と、原因の一つに「父親不在」を挙げている。ここの父親と母親を入れ換えると、まさしくウチであるが……。
 冗談はさておき、「夕食を家族とともにする日を決めてはどうか」と中教審が提言し、それによって「日本社会を変える」というのが、この社説のタイトルとなっている。
 実にもっともなことだが、私にはナンセンスであるとしか思えない。
 私のまわりを視れば、食事などともにしなくとも(夜勤やらで出来ないのだが)、子どもは皆しっかり健全に成長している。一緒であるに越したことはないが、両親がしっかりしていれば、父親が家庭にいなくても立派に育つのだ。わが家を見よ。父親がいたところで、どの子も大変素晴らしいとしかいいようがないくらい、徹底してだらしなく反抗的ではないか。
 さまざまな生活スタイルがあり、また、それを余儀なくされているのが現実だ。「家族で夕食が日本社会を変える」とはまったく生ぬるい。私には寝言にしか聞こえない。皆、満たされない条件の下で悪戦苦闘し、幸せと安息を求め必至にやりくりしているのである。
 あぁ、今日もまた支離滅裂にコーフンしてしまった。いつまで経っても子どものままで、大人も演じられないのだ。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/いちいち 警備員 万事休す

■月刊「記録」1998年5月号掲載記事

○月×日
 ウララカな春の日差しが八王子の街を優しく包んでいる。「お日さままでがオレを祝福してくれているのだね」と、ノーテンキな私。
 新居のベランダから、晴れ晴れとした気持ちで外の景色を眺めると、少し遠くにわがJR中央線が、粛々と何事もなく走っているのがカクニンできる。すべてが静止しているような穏やかな景色の中で、唯一動いているのが中央線。この構図がなんともいい。中央線は私のライフワーク、心から好きなんだ……。今さらながらしみじみとしてしまった。
 引っ越しには職場の仲間が十数人も手伝いに来てくれ、悩みの尽きなかった大移動も無事終えた。山ほどの荷物で部屋の中はまだ雑然としているが、あれこれ配置を検討して整理するのも楽しみの一つだ。子ども達も気に入ってくれたようだが、そのうち誰かが言いだすかもしれない。「お父さん、早く家に帰ろうよ。ホテル住まいはもういいよ」と……。
 労働界はイマイチ盛り上がりに欠ける98春闘のまっただ中だが、私の場合はこれから毎月のローン返済という闘いが定年まで続くのだ。とにかく何事も明るく前向きに考えたい。

○月×日
 国労三鷹車掌区分会執行部の一員となり、はや5ヶ月になろうとしている。もうそんなに経ったのかと思うのは、いつも時間に追われてドタバタ暮らしているからだろう。
 執行部は分会長を筆頭に副分会長、書記長の三役、それに業務、教宣、厚生、財政、調査の各部長という役割分担で構成されている。
 私はいったい何者なのかといえば、調査部長という役を仰せ付かっている。なんだかFBIみたいでカッチョイイが、実は何をしたらいいのかさっぱり分からない。「俺は調査部長だかんな」と、眉間にシワを寄せ、ズボンのポケットに手を突っ込み、煙草をくゆらせたところでちっともサマにならない。まっ、そんな柄じゃないし、そういう内容でもないのだけれど……。
 役員達はみな気心知れた昔からの仲間なので、人間関係はうまくいっている。だが、いつまでたっても慣れないというか、戸惑ってばかりだ。
 例えば会社がアンケートを実施するとしよう。こんなものあるはずはないが、題目は「サケについて」である。「あなたは飲酒しますか」。飲むと答えた人には、日本酒ならば何合、ビールなら何本ですか」ときて、「一週間に何日飲むか」、外なら「赤提灯かスナックか」となる。な、なんなんだコレは!! と思うほど、会社は事細かにチェックを入れ、管理したがる。
 これに対して組合は執行委員会を開き、「このアンケートの意図するものは何であるか」「プライバシーの侵害ではないのか」と、あらゆる角度から、言うなれば『いちいち』議論し、徹底的に検証した上で、分会としての見解をまとめあげる。そして、全組合員に「アンケートには応じないこと」等の周知徹底を図るわけである。 私は単純なものだから、素直にありのままを答えればいいのではと思ってしまう。すると、「それじゃダメなの。ったく斎藤は……」と、いつも意識の甘さを批判されてしまう。
 けれど、こういった『いちいち』を嫌悪する一般組合員はかなり大勢いる。これが嫌で国労を抜けた仲間も多いのではと思う。それでも重要なことなのだ。ある程度は会社の暴走を防ぐ歯止めとなってもいるだろう。国労が今日まで運動を継続し、組織を維持してこれたのも、これがあったからだといってよい。
『いちいち』の歴史は長い。国労の良さでもあり伝統なのかもしれない。こだわり続けていきたい。

○月×日
 出勤時刻の1時間前に家を出るとちょうどいい具合だ。 JR八王子駅まで徒歩10分。わがJR中央線にすべてを任せ、揺られること30分。特別快速なら23分で着く。下車するJR三鷹駅駅舎中に私の職場がある。鉄道員のほとんどが駅からゼロ分の勤務先をありがたいと感じているに違いない。
 さて、ほぼ20年ぶりの電車通勤の途中、チト考え込んでしまった。大部分の乗客はこれから電車を降り、それぞれの会社へ向かうというのに、私の仕事はこの中央線に1日乗ることなのだ。そう思うと、「なんだかヘンだなあ」という気持ちになってしまったのである。
 通勤電車に乗ると、まず車掌のアナウンスが耳に飛び込んでくる。新人車掌以外なら、声だけで大抵誰かすぐ分かる。「やってるね、今日も。次は駅、出口はドアの開いた方だね。ご苦労さん」と思うのと同時に、ドアに異常はないか、車内秩序は維持されているかと、無意識のうちに気持ちが向いてしまう。
 つまり、仕事をする前から仕事のことを考えているのだ。帰宅のときも同様で、1日目一杯乗ったのに、また中央線に乗って帰る。その分の超過勤務手当を請求したくなってしまうが、この間は帰りの電車でこんなコトがあった。
「次は東小金井でございます」という車掌のアナウンスに、酔っぱらいが噛みつく。「ございますー? ございますつけるような駅じゃねえだろ、東小金井なんて!」。……うーむ、お客さまの生の声を聞くことも大事な仕事である。
 いや、こんなことは余り深く考えてもしょうがない。ついうっかり三鷹駅を乗り過ごしてしまうところだった。車掌が中央線で通勤して遅刻しましたじゃ、言い訳にもならない。

○月×日
 10日ほど前から、JR中央線の各駅ホームには飛び込み自殺防止のため、一人ないし二人の警備員が配置されている。
 彼らは勤務中、ホームの端から端までを行ったり来たりしているだけ(のように見える)なのだが、そのおかげで続発していた人身事故がパッタリ止まり、ダイヤは正常で順調な日々が続いている。ホームに人がいるといないのでは、こうも違うのである。まあJRもなかなかやるものだ。駅員を配置するのではなく、警備会社を雇うとは。
 それにしても、人身事故に限らず、あれだけ多発していた信号機やポイント、架線、車両等の故障事故もピタリと止んでしまった。スゴイではないか。この警備会社には恐れ入る。絶大な力である。警察も天下りばかりしていないで、反対にこの警備員達を雇ったらいい。交通事故や凶悪事件もなくなかもしれないではないか……。 ん!? ちょっと悪ノリが過ぎたかな。

○月×日
「98春闘三多摩交流実行委員会」が主催した集会に参加した後、立川の夜の街をデモ行進した。
 警察へデモの要請に行った主催者によると、「ここ数年はなかったかな。久しぶりのデモですね」と言われたという。そういえば、労働者のデモなど最近では珍しいかもしれない。
「シュプレヒコール、シュプレヒコール」。パトカーによる先導で、ぞろぞろ隊列を組みながらマイクに合わせて拳を振り上げ、気勢をあげる。「98春闘を勝利するぞぉ」「大幅賃上げを勝ち取るぞぉ」「行政改革反対ぃ」「労基法改悪反対ぃ」「人権を守って闘うぞぉ」「すべての労働者と共に闘うぞぉ」「勝利するまで闘うぞぉ、闘うぞぉ」。
 私が労働者となって20年以上も経つが、大幅賃上げを勝ち取ったことなど1度もない。それでもヤル。やらなければ資本の側の思うつぼで、賃上げのみならず、労働条件その他あらゆるものがルールなしで現状以下に押さえつけられてしまう。労働者は闘い続けなければならないのだ。
 しかし、私達の理想とする社会が本当に訪れるのだろうか。もし仮にそうなったとしたら資本の側は不満だろうし、他労組の人達も喜ばないだろう。すべての人間が幸せになることは不可能なのであろうか。
 商店街の店員さんも、ビルの窓から見おろす人々も、誰もが私達デモ隊を怪訝そうに見つめていた。ふと夜空を見上げると、都心より遙かに多くの星が見え、可憐に輝いていた。救われる思いがした。

○月×日
 自宅から歩いて2、3分という至近距離に、わが国労の八王子支部が位置している。なにかと便利には違いないが、上部からの機関紙等の組合員への配布物や、分会から支部への資料等を運ぶ役になってしまった。今までは教宣部長が週に2、3回、八王子まで足を運んでいたのだから、いちばん近い私がやるのは当然のことだろう。 さて、今日は分会長や書記長クラスで構成される「支部闘争委員会」なる会議があったのだが、うちの分会長、書記長ともに都合がつかず、「出席してくれないか」と私におはちが回ってきた。
 私は家からたばこを買いに行くような身軽さで行けるから、「いいですよ」と軽く承諾したのだが、後になって『これはちょっとヤバイんでないかい』と思えてきた。ハッキリ言って、私は右も左も、組合の手法やらもまだ分からないのだ。しかし分会長の頼みであれば仕方ない。 会議を終え、「まあ、役目はキチンと果たしのではないか」と、ぼんやりグラスを傾けていたら、月明かりの24時になろうとしていた。明日も早い。

○月×日
「やった……」と思った。万事休す。久々に震え、落ち着きを失った。
 上り快速東京行乗務中の出来事である。電車は国立駅に到着し、ドアが開いた発車待ちの状態であった。遙か前方でホームの先端に向かって走っているお客さまのことはカクニンしていた。なかなか乗ろうとしないので、ドアを少し煽ったが乗る気配はなく、完全にドアを閉じて電車を発車させた。
 その瞬間である。走っていた人がいきなり先頭車両の前面に飛び降りたのだ。私は直ちに非常ブレーキを作動させ、列車は1メートルほど進んだところで急停車した。慌てて運転士に電話すると、「やったかもしれない。ちょっ、ちょっと待ってて」と、彼も動揺を隠せない。
 私はマイクを握りしめ、深呼吸してからアナウンスをした。「た、ただ今、お客さまが線路に、と、飛び降りたので急停車いたしました。少々お待ちください」。もう完全に舞い上がり、しどろもどろである。
 その後すぐ運転士から連絡が入ったのだが、なんと「線路を横断して下りホームによじ登り、全速力で、に、逃げていったよ」と言うのだ。
「一体何考えてんだよ。線路を走るのは電車だけにして欲しいよな、ったく」。事なきを得てホッと胸をなで下ろし、2分遅れで運転を再開したものの、しばらくは身体中が震え、じっとしていられなかった。
 乗務を終えて車掌室に戻り、乗務報告を書いていると、同僚が集まってきた。「典ちゃん、事実だけを書くんだよ。ホッとしたとか、今日のビールはうまいだろうなとか、私情を入れちゃダメだからね……」。皆ワイワイ好き勝手なことを言い合っている。
 それにしても陽気がよくなるとこれだから困る。JR中央線ではこの季節、こんなワケの分からぬ危ないヤツが必ず出没するのである。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/証人申請 手紙 おババ

■月刊「記録」1998年4月号掲載記事

○月×日
 いま国労は裁判所に対して、国鉄分割民営化の際に設立委員であった斎藤経団連名誉会長・杉浦元国鉄総裁ら5人を、証人として採用するよう申請している。これは東京地裁民事19部がJRの不当労働行為責任を問うために、採用過程での設立委員の認識を指摘したことに対し、斎藤氏らの証言が必要不可欠なためである。
 さて、2月3日付の新聞各紙の報道によると、一方の民事十11部では、北海道・九州の国労組合員がJRに不採用になった問題をめぐる訴訟について、和解による解決を断念し、五月から六月をメドに判決を出すことを決めたという。なお、早期・抜本的に解決を願う認識に変わりはないとして、判決の時期や内容に関わらず解決に努めるよう(関係者に)要請したということだ。
 この問題は昨年5月28日に結審してから、判決までに丸1年かかったということになる。しかし、この間も裁判所は非公式にJR側の人間を何度か呼び出し、和解の話し合いにつくよう要請したという。結局JRの拒否姿勢に変化はなかったわけだ。
「いうことをきかない子だなぁ、お前は。父さんを困らせるんじゃないよ」。これは私の息子に対する気持ちだが、11部の萩尾裁判長も、きっと同じような思いを抱かれて困惑していることだろう。
 それにしても長すぎやしないか。国鉄の分割民営化からすでに11年が経とうとしている。労働委員会といい、裁判といい、あまりにも膨大な時間が費やされている。本当にこのようなシステムも何とかならないのか。歯がゆくてしかたない。
 そうしている間にJRのトップは変わる。総理大臣さえコロコロ変わった。おエライさんは変わってしまえばそれでおしまいである。断じて許せない。変わらないのは、国鉄組合員というだけで仕事も誇りまで奪われ、今なお非人間的な扱いを受け続けている闘争団の仲間達と私達労働者である。
 しかし、人間としての真の心は変えることはできない。取り残されても、ペチャンコにされてもへこたれてはならない。人間は助け合って生きていくものだ。国労の勝利判決の日も目前に迫る情勢となった。

○月×日
「またか」と言われそうだが、滅多にない土・日の休みが酒浸りとなってしまった。
 丹波(京都)の山奥から、私の親友であるK氏が突然やって来た。普段のK氏は礼儀正しく誰からも慕われるいいオヤジなのだが、酒が入ると山奥に住んでいるせいだとは思わないが、ほとんどケダモノと化してしまい、手が焼ける。どれほど危ないかは、残念だがケダモノという以外は伏せておくしかない。なぜって、K氏の人権に関わるのだ。とにかく飲まなければいい人なのだが・・・・・。
 昼間から新幹線で飲んできたK氏は、もうすでに出来上がっていた上に、昔からの仲間であるM夫妻との再会も加わり、上機嫌だった。まずは焼き鳥屋で再会を祝して乾杯。それぞれの近況を報告しあいながら和やかに話は弾み、次はカラオケ。再び飲んで食い、歌うというより吠えまくったのであった。
 何事もなく、楽しいひとときを過ごせたことを感謝してM夫妻とはここで別れ、そんなに遅くない時間にわが家に辿り着いた。今度は私の妻の歓迎で酒宴は延々と続く。翌日が二日酔で台無しになるのが分かっていながら飲む。もうよせばいいのに、今日しかないとばかり、ホント、酒に懲りることはない。
 翌日、日曜日だが妻が勤務で、早朝に起きる羽目となった。二人とも体調は最悪で、何の当てもなくわが中央線に乗り、新宿駅で降りた。駅のトイレから出てきたK氏は目に涙を浮かべ、「もどした」と辛そうに言った。ぶらぶら都庁まで歩き、45階の展望台で身体を休める。JR中央線が、玩具の模型のように小さく動いているのが見えた。
「1レースだけやろう」と決めた馬券が運良く的中し、少し儲けたが、2人とも2日酔いで朦朧としているので、ちっともイキオイが出ない。「こうなりゃ迎え酒しかないやろ」と店に入り、ビールを注文した。
 新幹線で帰るなら近い方がいいと、新宿を後にして東京駅へ向かう。週末はどこもかしこも大変な雑踏で疲れてしまうが、日曜日の官庁街は驚くほどガランとして気持ちがいい。東京駅八重洲地下街の居酒屋で別れの酒を交わした。やっぱり飲んでこそK氏だ。今回は何事もなくて本当によかった。新幹線に乗るK氏を見送った。「ほな、さいなら」。男を見送るのに胸が詰まった。

○月×日
 闘争団家族からの切実なる訴え、手紙を読んだ。なんともやり切れない。私達はJRの仕事があるだけ救われている。同じ国労の仲間なのに気の毒で何と言ってよいかわからない。「いつもノーテンキに酒ばかり飲んでいて済まなかった」とお詫びしたい心境だ。筆舌に尽くしがたいとはまさにこのことである。抜粋して一部をご紹介したい。
『議員の皆さま、重要な法案が目白押しの国会会期中でありますが、ぜひ、私の声に耳を傾けてください。十年以上も前の「国鉄国会」で決められた組合差別はしないという付帯決議や、一人も路頭に迷わせないという中曽根元首相答弁がいまだに守られていません。
 虫けらのように、国労というだけで一方的に職場を追放される。また、百名を超す仲間が国鉄当局の脱退工作やイジメ・嫌がらせで自分の命を絶つといった異常な状況のなかで、心優しい夫は本当に悩まされていました。 正当な労働組合である国労に残ったというだけで、どうして不採用なのか。繰り返しますが、まるでゲームのように国労というだけで差別し、排除する。そのことをどうしても許せません。これはみんなの共通した気持ちです。だから苦しくても手をつないで頑張っています。 壊れた生活のなかにもそれなりの幸せがあります。夫達が一日も早くJRに帰れるように、ぜひ、先生方のお力をお貸しください。どうぞよろしくお願いいたします』――九州熊本闘争団家族・栗原幸子さん。
『国鉄が分割民営化されてから十年以上の歳月が流れました。その間、私達は言葉に言い表せないほど、辛く苦しい立場で生活してきました。「怠け者」のレッテルを貼られ、金銭面では最低の生活を余儀なくされ、明日食べる米の心配をする日々が続いたのは本当に事実なのです。
 それでもどうにかやってこれたのは、夫は何も悪いことはしていないと信じていたからです。夫達のアルバイトの収入だけでは、子供の教育費すら支払うことが出来ず、援助金を受けています。ある日、小学校1年生の息子が私にこう言ったのです。「お母さん、給食費払って! それでないと僕、給食食べられない」と。
 小さな体を振るわせ、大粒の涙を流したわずか七歳の息子が、どんな悪いことをしたのでしょうか。私は闘争団員の妻としてだけではなく、母親として、そして一人の人間として、これ以上いたずらに解決を先延ばしする人間を許すことはできないのです。
 人間には許せることと許せないことがあります。「一人も路頭に迷わせない」そう言った人たちがいました。言った人はそのことを忘れてしまったのかもしれませんが、私達はハッキリ覚えています。嘘をついてはいけないことは小さな子供だって分かります。なぜ嘘をついたのか、そんなことが許されていいのかと、私は不思議でならないのです。
 どうぞ心からお願いします。一日も早く解決できるようにお力をお貸しください。私たち家族は、一分でも一秒でも早く解決の時が来るのを心の底から望んでいます』――北海道名寄闘争団家族・橋本真弓さん。
 まったくその通りだ。11年間頑張って、よく耐えてこられたと敬服するほかない。ガンバロウ!! あともう少し、待ちに待った春が必ず訪れる。

○月×日
 十年余にわたる、人間の生きざまを賭けた闘いが、今まさに最大の山場を迎えている。この次はどうするなどということは、もうない。勝つか負けるか、待ったなしの最重要局面である。
 2月18日、東京地裁民事19部・5都県採用差別事件の裁判で、高世裁判長は突如として結審を言い渡した。すでに結審している北海道・九州採用差別事件の民事11部に合わせ、5月下旬から6月ごろに判決を出すという。 11部において「裁判所の意見」として、紛争が長期化していることを鑑み、「早期抜本的解決を図るべき時期にきている」と述べられたように、のんびりなどしている場合ではないのだ。11部も19部も中身は似たり寄ったりなのである。
 高世裁判長は、国労が申請した斎藤英四郎氏ら設立委員の証人採用は必要なしとした。直接関わった当事者を証人として採用しないことには不満も残るが、「設立委員の認識」が地労委・中労委を含めた今までの審理や他の証拠で、十分立証されていると判断したからであろう。もし万が一立証されていないとなれば、証人を採用しないことが審理不尽として裁判所の重大な責任となることからも、すべて検討し尽くした上での判断であるはずだ。 いずれにせよ、国労勝利判決は揺るぎないと確信する。多数の労働法学者や学識経験者で構成される全国の地労委・中労委が一致して、JRの使用者責任や不当労働行為を認めているのである。裁判所という司法の場で覆るものではない。
 そしてJRは、国鉄改革法を盾に「責任」はない、ないと言い続けてきた。しかしその「JRは国鉄を継承しない(別法人)」とする改革法23条も、この10年余の社会的常識で完全に崩れようとしている。おエライさんがいくら継承しないといっても、政府が長期債務をJRに負担させようとしていること自体が、JRが国鉄を引きずっていると認識しているからではないか。
 証券取引法違反の嫌疑がかけられ自殺した自民党の新井将敬代議士。彼の遺書の一部が報道されていた。
「我われは法をつくる仕事をしている。不法なことでも法はつくらなければならない」(2月20日付朝日新聞)。まさにコレだと思った。改革法も不法なのであろう。
 心を引き締め、自信と確信を持とう。幸せの結末、「はっぴいえんど」で締めくくりたいものである。

○月×日
 何はともあれ、3日後に引っ越す手はずとなった。頭金も全額払い込み、ついにわが家のものになったのだが、ちっとも実感が湧いてこない。しみじみ喜びに浸っている暇が全然ないのだ。ここしばらくの間、あちこちに出向いては何が何だかさっぱり分からないまま、担当者の言う通りに、ただひたすら実印をベタベタ押しまくった。書いた書類も数知れない。
 秒読み段階となった今は、最後の準備でえらくシビレている。仕事に出ているときが一番ホッとするといっていいほど、目まぐるしく忙しい。
 長い間住み馴れた武蔵境を離れるという思いより、八王子の新居で暮らす今後の夢と希望の方が遥かに大きい。しかし、なじみの飲み屋と疎遠になるのかと考えると実に淋しくなる。なにしろ妻以外でお世話になった女性は、この飲み屋のおかみをおいて他にいないのだ。
 よく通った。大好きだった。優しく上品で、悲しくなるほど美しく、心から安らぐことができた。お礼を言わなければならない。ありがとう、本当にありがとう。長生きしてほしいなぁ、飲み屋のおババ・・・・・。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/超奇抜 成人の日 チラシ

■月刊「記録」1998年3月号掲載記事

○月×日
 私の住むJRの社宅前はいつも人通りが絶えなくてせわしないのだが、今は近所の大学が冬休みということもあり、閑散としている。のんびりとした感じが実にいい。 昨今の若い人達のファッションは多種多様で結構なことだが、中には目を疑いたくなるようなものもある。そういう私も、若いころは大人からヒンシュクをかうような格好をしていた(らしい)ので、今さら苦言を呈する資格はないし、あえて言いたいとも思わない。
 私は人一倍キレイ好きと自認しているが、おしゃれというものには無関心でどうでもいいと思っている。若いころは思う存分に流行を追いかけ、とことん好きにやったらいい。しかしうちの子ども達だけにはあまり変わった格好をさせたくない、という気持ちが心の隅に少しある。
 私はこのように思考と実際が異なる部分が随分あり、自分自身でも本当に何を考えているのか分からないことも多い。
 それはさておき、実際うちの子ども達といえば、全くもってだらしないとしかいいようのない格好をしている。私はいつも制服制帽でキチンとしているのに、学校の制服の着方までがだらしない。「おい、もう少しなんとかならないのか」と呆れつつ、心の中で泣いている。
 今日の仕事帰りには、社宅近くの歩道前方に頭のてっぺんから爪先まで超奇抜な、私の好まぬタイプの女の子をカクニンしてしまった。「イヤだなあ」と思いつつ、追い越しざまにチラッと振り返り顔を見ると、ますますイヤな気持ちになり、「若いんだから好きにやればぁ」という言葉とは裏腹に、不機嫌な帰宅をしたのだった。 しばらくすると玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、ナントさっきの女の子ではないか。「うっそー、ナニそれー、チョーむかつくぅ」彼女の声が響く。息子の新しい恋人ということであった。私にはどう見ても変わり者としか思えない。まったくホトホト疲れてしまう。 年頭に際し、家族皆がまともであってほしいと心から願う。ん、まず私からまともになれ!? ハイ、おっしゃるとおりで……。

○月×日
 初詣で引いたおみくじが吉と出た。息子のは大吉である。私はこのようなことは気にしない性格だが、やはり嬉しい。たとえ凶が出ても動じないが、吉にこしたことはない。まずはメデタシ、メデタシだ。
 「方向」西の方よろずよし、「転居」よろし早くせよ、とある。新居となる八王子の方角はまさに西、完成したらすぐに引っ越そう。ヒョイと息子のおみくじをみると、まったく同じことが書いてあった。これだから信用できない。
 今年はいい正月である。元日、2日と続けて勤務で幸先がよい。年末も乗務であった。休んでなんかいられない。お客様が帰省するといえば列車を走らせ、年始に出掛けるといえば電車を動かすのだ。
 JR東日本の「企業理念」にもあるように、私達はお客様と共に歩み、総合生活サービス企業として、地域社会の文化の向上と豊かな生活の創造に貢献しなければならないのだ。なによりも休んでいるとサケばかりで身体によくない。仕事ならサケもセーブできる。毎日飲んでいることには変わりないが……。
 今日は妹一家が埼玉から年始に来た。彼らの二人の子ども達も随分めかしこんできて、うちとは雲泥の差である。夫婦そろって教師なのだが、やれアメリカへ旅行に行っただの、それヨットの大会に出ただの、ほれ高級車を買っただのと、まるでうちとは別世界の暮らぶりである。
 うちの子たちはただただポカンと口を開き、羨望のマナザシであった。いや実に妹の子ども達に対する意気込みには恐れ入る。それなりに大変なのだろうが、今の私と妻にはそれだけの行動力やパワーは微塵もない。
 ダンナが飲まないこともあり、その分私は昼間からの一人ザケでヘロヘロだった。でもね、私は私、これでいいのだ。妹には聞かなかったが、私のおみくじは吉だったのだから。

○月×日
 「成人の日」未明から降り続いた雪は、前回とは比べものにならない記録的な積雪となった。今年で3度目だが、いったいこれはどうなっているのだ。まさに未曾有の出来事といっていいだろう。
 JRを初めとする交通機関は、終日大慌れの状態で大混乱であった。報道関係者、お巡りさん、除雪作業に当った方々……、とにかく、あらゆる仕事に就かれていた人達、また新成人もご苦労さまであった。
 しかし、人間は考える葦である。前回の教訓が生かされ、都会の人も少しは雪に慣れたのか、救急車で病院に運ばれた人も前回よりは少なかった。私の職場でも、間引き運転を行ったために運休の車掌が大勢いて、休日呼び出し出勤を要請するまでには至らなかった。
 それでもJRの各部署において、国民の足を確保すべきと、一日中降りしきる雪の中で作業した社員が大勢いたことを忘れてはならない。
 雪が降るのは自然の節理である。春が近いということではないか。何があってもへっちゃらだと思いたい。何にでも努力して頑張って対応し、力を合わせ乗り越えていこう。阪神大震災のときも、雲仙普厳岳のときも人間はへこたれなかったのだ。
 実に美しい雪景色だ。普段は華やいだ東京の街をすっぽりと包み、シンシンと静かに、タンタンと単調に降り積もるさまは、まるで水墨画のようである。なんだかすっかり落ち着いた気分。こんなときならじっくり物事を考えられるような気がする。
 成人式や各種催しなども延期や中止が相次いだようだ。店も閉店の所が多かった。そんななかで上野動物園は営業していたというニュースが報じられていた。「アジアゾウ」の成人式は延期になったそうだ。うーむ、好きだな、こういうのって。

○月×日
 通常国会も始まり、何かと騒々しいこのごろである。 国労中央闘争委員会は、この年度末までを「解決に向けて絶好の機会」と位置づけ、十年余りで築き上げた力を総結集しようと、闘いの強化を遮二無二になって進めている。
 東京地裁から「和解勧告」や「JR当事者責任」を示唆する見解を引き出したこと、また、二十八兆円の長期債務を抱える国鉄清算事業団が10月に解散されることから逆算すると、さまざまな問題を今国会で決定せざるを得ない現状となっているのだ。
 つまり、政治の場では長期債務の処理問題だけでなく、採用差別問題も、分割民営化に伴う未解決事項であるという認識なのである。私はここで今後の成り行きを占ってみたい。地裁の判決がどうなるかは、判決が出てからでは遅いので、今言っておかなければならない。
 結論は国労勝利、JR負けである。民事十一部での「裁判所の意見」をもう一度よく読んでみると、「本件紛争について抜本的な解決を図るべき時期に来ている」とある。
 すなわち、JRの主張が認められ、国労が負けたのであれば、国労は当然今後も闘い続けることになろう。これでは「抜本的な解決」とはならない。つまり裁判で国労が勝ち、JRが負けるということでなければ、頑なに「裁判では絶対に勝つ」との態度をとり続けるJRが、「うーむ」と国労跡地の方角を見つめて社会常識を取り戻し、和解の席に着くことはないのである。
 これは蛇足だが、裁判所としても今後中労委から同じようなJR問題が続々と百件以上もあがってくるのはウンザリのはずだ。ここまで来ると、法理論より裁判所の感情論で決着がつくのではと本気で考えてしまう。
 民事十19部も然りで、設立委員が不当労働行為を知っていたなら、JRに当事者責任がある、という見解を示したことは、まさに国労側に斎藤英四郎氏(経団連名誉会長)ら設立委員を調人として法廷に呼びなさいという、勝利への道筋を暗示してくれたといってよい。
 国家的不当労働行為の最高責任者を法廷に引っぱり出すなど、裁判史上にも労働運動史上にも前代未聞で例がないという。まあ、これはおそらく実現はしないであろうが、このような裁判闘争や清算事業団問題が微妙に絡み合い、解決に大きく傾いているのである。
 以上、すべて推理だが、こうなればいいなとつくづく思う。しかし、まんざらでもない気配も感じるのだ。

○月×日
 引っ越しが迫っている。部屋の整理やら準備やらで慌ただしくなってきた。
 10年20年と使用していなかったものがワンサカ出てくる。廃棄するかどうかでひと悩み。友人・知人からの手紙やアルバム、子ども達の幼いころの物……。こんなことがなければ一生押入れの奥にひっそりとしまわれていたままであったろう。懐かしさにどっぷりと浸り、ただ眺めているだけで半日が過ぎてしまう。ちっともはかどらない。
 昭和50年、国鉄が発行した職員募集のチラシ。「基本給6万8千7百円」「……なお、努力次第で助役、駅長、区長、管理局幹部等に昇進する道がひらかれています」。 昭和61年、処分通知。「国鉄分割民営反対第11次全国統一行動と称し、ワッペンを着用したことは職員として不都合な行為であり遺憾である。よって訓告する」。
 昭和62年、JRへの採用通知。「東日本旅客鉄道株式会社設立委員長、斎藤英四郎」
「賃金17万3千6百円」。
 ……さまざまな思いが脳裏を過ぎる。世の中ウソばっかり。ホンッ…とに情けない。振り返ってみれば、どうにもなじめなかったものが多すぎたかもしれない。
 しかし、自分自身を見つけ出すために生きなければならない。身の回りのちょっとしたことに感動を覚え、幸せだと感じながら生きていきたい。これでいいのだ。

○月×日
 わがJR中央線はいったいどうなっているのか。一月八日の雪害以降、連日ダイヤが乱れているといっても過言ではない。今日も初電からストップし、朝のラッシュ時間帯は大混乱となった。
 原因は、中央線を動かす「列車運行管理システム」のコンピュータが故障したということなのだが、お客様にどのようなお詫びのアナウンスをしたものか、非常に悩んでしまった。余計なことを言うとさらに混乱を招いてしまう。
「えー、列車を動かすコンピュータが、あー……」などと本当のことを言っても、「ナヌッ!? 中央線が『こんぴゅーた』で動いているだぁ!!」と、ただでさえ連日の事故で殺気立ち、キレる寸前の怒れるお客様に油を注ぐだけである。
 私はサイテイ車掌よろしく、ハッキリいってコンピュータのことなど何も分からず、全くたち打ちできない。乗務員室から逃げ出したい気分であった。
「えー、先ほどのアナウンスを訂正して、お詫び申しあげます。中央線は運転士が動かしているわけでございますが……」、あー疲れる。
 これでは暴動も起きかねない。このままでは順調な日には、「JR中央線は本日平常運転」ということが大ニュースになるかもしれないではないか。それにしても異常事態である。今すぐにでも社長に出てきてもらって、山一證券のように「社員は悪くございません」と、お詫びの会見でもしていただかねば治まらない気分である。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/PTA役員 暴漢 長期債務

■月刊「記録」1998年2月号掲載記事

○月×日
 ほろ酔い気分で家でくつろいでいると、息子の中学校のPTA役員から電話があった。
 単刀直入、私にPTA会長になってほしいというのである。「JRで勤務のやりくりが大変なことは、重々承知の上でのお願いです。4人のお子さんを育てている斎藤さんにぜひなっていただきたい……」というのだった。皆は私、いやうちの家庭をどんなものだと思っているのだろう。
 恥ずかしいことだが、もはやわが家はメチャクチャなのである。娘は保育園で子どもと遊んでばかりいる。長男は進路も何も未だに決まっていない。次男は一日中パジャマ姿でだらしない。三男はサッカーばかりでちっとも勉強しない。妻と私の関係も冷えている。
 子ども達には好きな人生を歩ませたいと思う。子は夫婦のかすがいというが、うちはマンションの借金のみがかすがいという状態にまでなってしまったのだ。
 私はもちろん丁寧にお断りした。「私は会長などやる人間ではありません。そんな力などないし、実は来春引っ越し学校も転校するのです」。これではどうしようもない。役員も諦めるしかなかった。
 それにしてもすっかり酔いが醒めてしまったではないか。

○月×日
 背筋がゾクゾクした。とんでもない事件が起きた。職場の掲示板に事故速報として載っていたのだが、東京車掌区所属の車掌が乗務中に暴漢に襲われたというものだった。
 12月3日、19時12分、JR東海道線東京発静岡行普通列車(10両編成)が、国府津駅を定時に発車後、四号車車掌室で執務中の車掌が、目出し帽子をかぶった若い男にいきなり背後から押さえられ、スタンガンのようなものを首の後ろに突きつけられたという。
 車掌は抵抗しつつ、乗務員電話で最後部にいるもう一人の車掌に知らせようとしたが、電話器を払いのけられ、首や額を撃たれたのだという。
 「な、なんなんだよこれは」。私は怒りとともに、震えてしまった。犯人は次の鴨宮駅到着前に逃走し、行方がわからなくなってしまったという。車掌室があったグリーン車四号車には、子連れのお客様2名しか乗っていなかったそうだ。
 車掌は警察に通報した後、救急車で病院に向かったが、診断の結果、頚部・前額部熱傷、および頚椎捻挫で約一週間の経過観察が必要とされた。犯人は車掌のズボンポケットから業務用の鍵3個を盗んだだけで、現金や切符の車内発行機はそのままだったという。
 まったく恐ろしいことだ。気の毒に、この車掌はいったいどんな思いだったのだろう。ケガの回復を祈らずにはいられない。
 掲示には注意事項として、乗務中は身辺に注意を払うとともに、危険を感じたときは周りのお客様等に協力を求める、とある。また乗務員室を離れるときは必ず鎖錠するなどとトンチンカンなことが書かれてある。さらに、現金・貴重品は必ず身につけることと。
 そんなこといったって、奪われたものは身につけていたカギ類ではないか。笑いごとではない。私の頭では、運・不運もあるし自分で気をつけるしかないようにも思うが、このように、現場では酔客に絡まれたり暴力を振るわれケガを負う事件が後を絶たない。
 トランシーバーや防犯ブザーを携帯したり、駅構内に監視用ビデオカメラを設置したりとJRも必死だが、特効薬はなく、頭を抱えているということだ。どうにかキチンとした対策を講じてほしい。

○月×日
 大月駅の列車衝突事故で、回送電車の運転士が逮捕された。昼過ぎのNHKでニュース速報のテロップが流れ、夕刊にも載った。夜のニュースでもやっていた。明日の新聞にも詳しく載るだろう。
 信号の見誤りによる誤発進が直接の原因だが、「ATSのスイッチを切ったかどうかはハッキリ覚えていない」とのあいまいな供述が一転し、「切った」ことを認めたという。業務上過失傷害と業務上過失往来妨害の疑いでの逮捕と相成った。
 信号機をはじめ、当回送電車のブレーキやATS等の機器類に異常がなかったことは、これまでの警察やJRの調査・実験で明らかにされていた。
 警察は個人の刑事責任を問えばそれで済む。しかしJR会社は決して運転士個人の責任や過失だけで終わらせてはならない。もしそれで済ませるなら、このような二度と起こしてはならない重大事故を、再び招くことになるだろう。
 事故に至った背景を究明することが最重要課題である。なぜ運転士はミスを起こしてしまったのか。様々な要因が連鎖して起きたと考えられる。誰が悪いかではない。何が悪いかである。
 国労の現地調査によると、この運転士は、大月駅での入れ換え作業が1年10ヶ月ぶりだったこと。過去9回(見習いを含めると12回)の入れ換えでは「特例」としてすべてATSを切って作業していた。つまり今回の仕事は初めてだったこと。大月駅構内の信号機が例外的に右側(基本は左)に設置されており、要注意信号であったこと。さらに、本線を使用しての入れ換えは極めて危険が伴うことから基本的に実施していないこと。にもかかわらず合理化により、駅誘導係も配置されていなかったこと。
 このようにさまざまな要因があるのだ。もし、これらの一つでも改善されていたなら事故は防げたのではないだろうか。
 JR会社は否定しているが、国労敵視の差別により、当三鷹車掌区でも国労の熟練したベテラン運転士を本務から外し、乗務させずに予備勤務にしたりしている。一日も早く正常な労使関係を構築しなければならないことはいうまでもない。
 そしてATSは切ったと断定されたが、最大の疑問点が残っている。事故直後の警察やJRによる発表では、ATSは「ON」の状態であった。負傷した運転士本人が「ON」に切り替えたのか、別の誰かがスイッチを入れ直したのか。ナゾは深まる。

○月×日
 競馬はやめたのだが、年に一度ということで妻に許しをもらった。日本列島がフィーバーする暮れの大一番、『有馬記念』に勝負を賭けた。
 ダービーのとき、私が「これだ!」と心に決めたマチカネフクキタルは着外で外れたが、その後あれよアレヨと大成長し、菊花賞を制する偉業を成し遂げたのだった。しかし私はただただ指をくわえて我慢し、馬券を買うことは一切しなかった。
 しかし今日だけはベツ。ヤルゾ、ヤルゾ、取るぞ、取るぞと、マインドコントロール状態に陥り、まるで何かに憑かれたように夢を追いかけた。大本命はエアグルーヴ。ダービー二着馬のシルクジャスティスの馬連にドーンと賭けた。投資がデカイ分だけ闘志が湧くのがギャンブルというモノだ。私は「これは法律に触れてはいない」とキチンと「カクニン」した上で馬券を購入した。
 たかが2分間のドラマだが、心は釘付け。目は点になっていただろう。「オレは『ポケモン』のようにケイレンして倒れたりはしないが、ビシッと当てて卒倒してみたいッ! それ行けグルーヴ、それ行けジャスティス!」と、大興奮状態。
 緊張はゴール直前まで続き、「オレはなんて幸運な男だろう」と思った。私が買った二頭とそれに余計な一頭、計三頭のつばぜり合いだったのだ……。大ショック。結果は1着3着。いつものように見事に外してしまった。 しかし、これでいいのだ。今年も深いため息とともに終わろうとしている。また一年間競馬はおあずけだが、私は立ち直りが早い。今日も明日も人生という、もっと大事な勝負があるのだ。今日のような失敗は許されない。「ありゃま記念」では済まないのだ。

○月×日
 このごろJRでは物騒な事件が非常に多い。
 まずは先週の木曜日午前中、満員のJR埼京線車内での出来事。スリグループが尾行中の捜査員に催涙スプレーを噴射し、刃物を振り回した。車内は騒然、乗客の悲鳴につつまれたという。
 さらにその集団は非常停止装置を作動させて電車を止め、ドアを開けて線路上を逃走した。当然並行する山手線も全面ストップしてダイヤが乱れた。
 翌金曜の晩には、JR中央線車内に爆弾を仕掛けたとの怪電話があり、高円寺駅にて、帰宅でゴッタ返す乗客をすべて降ろし、駅の外に避難させ点検した。
 そして次の日は、走行中の東海道新幹線車掌室の小窓から男性が飛び降り、死亡した。
 私はといえば、車内改札中に男性のお客様が、突然バッグからナイフを出した。驚き後ずさりしたら、「リンゴをむくんですけど」と、すかさずリンゴを取りだしたのには笑ってしまった。
 何事も平穏無事であることを心から祈る日々である。
○月×日
 「やっぱりね」という感じがした。政府・与党の財政構造改革会議が決めた、28兆円にのぼる旧国鉄長期債務の処理策である。
 国とはこういうものだ。いつも自らの失敗を棚に上げ、次から次へと奇策を講じて国民を愚弄しているとしか思えない。まるで唐突で筋の通らぬ話だが、私は「またか」と思った。
 「分割民営時閣議決定された引受額は約束通り返してきた。これ以上はいかなる追加負担も応じられない」と、断固拒否の姿勢を崩さぬJRに対し、政府は関連する法律を改正してまでJRに強制負担を求めるというのだ。 国がズルズル処理を引き延ばしたから、利息がかさんで22兆円から28兆円にまで膨れ上がってしまったのは明白である。それなのにたばこ税を引き上げ、郵便貯金の余剰金を活用するなどして対応するという。国鉄とはまったく無関係の財源が充てられるのだ。それにも前提としてJRの負担があり、負担できなければ処理策全体の枠組みが壊れるからといった、どう考えても非常識な論法だ。
 まず第一に、政府が掲げた「増税なき財政改革」の看板にも反するものである。いったいどうなっているのだ。 しかし、今さら何をいってもムダなのだろうか。私はこの件に関してはJRの主張が正しいと思うし、「社長ガンバレ!!」と声援を送りたい。関係者は大いに悩んでいる様子だ。難題である。再考を求めるが、私には、「たばこ増税なら、禁煙車を増やしている場合ではない!! 今後は逆に全車両を喫煙者にすべきではないのか」と、オバカな目先のことしか思い浮かばないのであった。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/大変 ATS 新役員

■月刊「記録」1998年1月号掲載記事

○月×日
 「タ、タイヘンだ」。国労にいわせれば受かって当然、落ちて当たり前という、実に矛盾した昇進試験の発表が本日あった。
 合格者は2名。その中の一人が……、私ではなかった。ナント、またしても落ちてしまった。窓の外は今にも雨が落ちてきそうな曇り空。爽やかな秋晴れは3日ともたない。
 同僚が慰めてくれた。「補欠じゃないのか。3日後に電話があるよ、繰り上げ合格、合格者が辞退されました……」。ならいいんだけどね。そんなことあるはずがない。私が受かったらオカシイと思っている同僚も大勢いるだろうが、そんなことは決してない。受からないこと自体がオカシイのだ。
 それにしても「うーむ」と思わず腕を組んでしまう。情けない。ヘンかもしれないが、なんだか笑いが止まらない。やっぱり「タイヘン」なのは間違いないし、もう何を考えていいのか分からなくなってしまうが、辛いことなどぶっ飛ばせだ。
 一次が受かってからのこの二ヶ月間、ワクワク充実した日々を送らせてくれた会社に感謝申し上げよう。いやいや、危うく「サイテイ」でなくなるところだったなぁ。また来年チャレンジだ。また一年間もワクワクできる(違うか)。しかし来年こそチャンスだ。なぜって? だって三度目の正直というではないか。なに、二度あることは三度ある? いずれにせよ、今からこの試験をこんなに期待しているのは、私をおいてほかにいないだろう。「頼んだぞ、社長!!」。
 祝い酒でないのがちょっぴり残念だが、たまにはしみじみ味わうのもいいだろう。ただ、「あなたも一生懸命働いて、どんどん上に上がって下さいね」と、真剣な眼差しで言った妻には限りなく申し訳ない。

○月×日
 信じられない。大事故である。通常では考えられないことだが、現実に起きてしまった。
 10月12日午後8時頃、JR中央線大月駅構内を通過中の新宿発松本行特急『スーパーあずさ13号』(12両編成)に回送電車(6両編成)が衝突し、双方とも一部が脱線、『あずさ』が横転までしてしまったという惨事だ。ほぼ満席の車内では、衝突の衝撃でお客様が座席から投げ出されるなどして30数人が重軽傷を負った。
 テレビや新聞報道の限りでは、回送列車の運転士が信号を見落としたのが原因ではと報じているが、運転士は入院中であり現時点では真相は分からない。
 それにしても、私達乗務員はちょっとしたミスや勘違いが一歩間違えば取り返しのつかないことになることを、つくづく思い知らされた。デスクワークのように、「あっ、間違えちゃった」と修正液で訂正すれば済むというものではない。リハーサルなし、本番一発勝負なのだ。安全に対しては常日ごろから肝に銘じているものの、やはり身震いせざるを得ない。けがのお客様にお詫びするといっても、詫びようがないではないか。
 もしかしたら逮捕される場合もあるかもしれない。いくらミスを犯したといっても、一生懸命仕事をしていることに変わりはないのだが。
 いずれにせよ、もう一度乗務員としての基本に戻り、職責の重大性を再認識しなければならない。また、誰もが心配なくご利用できるJR中央線であるとともに、安心して働ける職場であって欲しいと心から願う。

○月×日
 職場はもちろん衝突事故の話で持ちきりである。当の回送電車運転士(24)は三鷹車掌区所属で、言葉は交わしたことはないが、何度か私達と同じ電車で乗務をともにしている仲間だ。さまざまな情報が乱れ飛んでいるが、今は警察による取り調べの段階であり、推測でモノをいうのは慎みたい。
 新聞報道等でこれまで明らかになったことは、本来この運転士が入れ替え信号を見るべきところで、特急あずさに示された本線の出発信号の青を見、発車してしまったのは確実なようだ。つまり、第一に信号の見誤りが原因である。しかし人為ミスに対するバックアップ・システムとして、電車や地上(線路)にはATS(自動列車停止装置)というハイテク機能が備え付けられている。衝突などという事故は絶対に起きない万全な対策が採られているのだ。
 ATSとは、信号が赤(停止)にも関わらず誤って列車を発車させた場合、自動的に列車を止める装置である。その仕組みはというと、信号の手前20mと60mの線路に地上子(センサー)が組み込んであり、この上を列車が赤信号のまま通過した場合、警報とともに非常ブレーキが作動し、列車を止めるものである。極端な話、たとえ居眠り運転であっても電車は必ず信号の手前で止まるという、これ以上の安全装置はない、というほどの最新機能なのだ。それでも事故は起きてしまった。ナゼだろうか……。
 この事故を耳にした瞬間、私達乗務員のほとんどは、「ATSを切っていたのでは?」と考えたと思う。しかし、現場に駆けつけたJR社員(第一発見者)も警察の現場検証でもATSは「入」位置にあり、切られてはいなかったという。
 ならば、ATS機器類の異常か、ブレーキ等の故障であろうか。
 けが人はその後六61人に増えたという。JRの信頼回復のためにも、早期の原因究明が待たれる。

○月×日
 職場の分会役員から重要な話があると呼ばれた。近々国労の分会大会が開かれるのだが、なんと私に役員になってほしいという。国労三鷹車掌区分会執行委員にだ。 「そんな、私にはできないよ。私はこの通りサイテイなんだ。他に優れた人材はいっぱいいるじゃないか、ダメ、できない」と、その場でハッキリ断ったが、奥さんともよく相談して真剣に考えてほしいと、相手も後へ引かないのだった。
 役員達の常日ごろの奮闘ぶりには、私も心から敬意を表している。一般組合員としてもできるだけ協力しようと思っているし、そうしてきた。私自身のさまざまな問題で人一倍お世話になっていることもあり、頼まれれば非常にツライ。しかし、こればっかりは別である。迷惑をかけることはできるが、役員はできない。歳も歳だし、私はもう静かに老いていくだけ。辞書にも40は初老と書いてあったのだ。
 まぁそれはともかく、いまの役員達は若い時分から出世など度外視して、仲間のため労働者のためにと活動されている崇高な意識の人ばかりなのだ。そのようななかに、私のような仲間からの信頼も薄いトラブルメーカーが入るわけにはいかない。
 例えば昇進試験にしても組合の方針では、受かろうとするのではなく、差別をなくす闘いとして受験していくとなっているのだが、私の場合は受かりたい一心で受けている。そんな建前と本音を使い分けるような者が皆の前に立つべきではない。
 そして「奥さんとも相談して」というのは、明け番や休みといえども会議や集まりで、家庭も相当部分犠牲にしなければならないからだ。妻に相談したところで、「あなたの好きにしていいわよ」と反対はしないだろう。しかし、その裏には重大な真意が隠されているのだ。口には出さないが、「もうあなたなんか当てにしてませんから……」と続くはずである。困ったなあ、どうしようか……。

○月×日
 わが国労三鷹車掌区分会の定期大会が2日間の日程で行われた。
 はじめに分会長が1年の主だった経過報告をし、「区長、副区長が代わっても国労敵視は変わらない。この体勢の下で何をすればいいのか、活発な発言と議論で総括し、向こう一年間の闘いの糧となる方向を全組合員でつくり出していこう」と力強い決意で挨拶された。
 来賓として社民党の常松ひろしさんが、「十年もの長い間、国労の皆さんは本当に良く耐えてこられた。今後は必ずや多数派になられることを確信する」と、激励と連帯を表明され、また、上部機関の支部委員長は、「世論も巻き込み負けない体勢ができた。最後の詰めを誤らないよう闘っていきたい」と現情勢を含め檄を飛ばされた。
 その後、運動方針案の質疑応答に入り、私の印象に残った組合員の意見は、安全問題について、ホームにあるITV(ホームの状況を映すテレビ)の見づらいときは、大丈夫だろうという思いこみで発車させてはならない、駅員を配置させる手だてをとるべきである。また組織問題として私達は良い先輩をやっているのか、若い人達の国労加入はゼロだが、いずれ必ず、人間的なつながりで獲得できるはずだ。さらには、信頼される分会であることが一番大事だ。誰もが何でも相談できる分会、役員はもっと勉強し、自信に満ちた分会にして欲しいという手厳しい意見まで出された。
 しかし、実際には盛り上がりに欠けていたというのが、私の素直な感想だ。十年以上の差別慣れ、何を言ってもムダというアキラメムードが払拭しきれないのが一般組合員の正直な思いだ。それもそのはずかもしれない。役員改選では、なんとこの私が新執行委員に選ばれたのである。
 その瞬間、どよめきが起こったのはいうまでもない。「いよっ、典ちゃん」というやんやの喝采。一方で「えっ、斎藤が」という声にならない驚きが入り混じっていた。
 翌日職場の同僚に言われた。「もし万が一、俺が分会長になったら、ほとんどの人が国労を抜けるだろうな。あんなヤツにはついていけないと……。言ってる意味が分かるよね、典ちゃん」。
 やれやれ、もういきなりこれである。「ええぃ、何とでも言ってくれい」。私自身も「オレなんかでいいのかな」と正直思う。しかし決意は固い。私はやる。選ばれた以上はできるだけのことはヤル。分会長を支え、組合員のために定年までベストを尽くそうではないか。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/「つもり」 クルミ 謝罪

■月刊「記録」1997年12月号掲載記事

○月×日
 二次試験の面接を終えて、ホッとしている。今回は無駄な抵抗と思いつつも、車掌区側から渡された質問事項のプリントの他にも会社要覧等を熱心に読んだりして、かなり本気で励んでしまった。付け焼き刃の丸暗記ではあるが、毎度毎度質問に対して「わかりません」ばかりでは、チトみっともない。
 従って当日の意気込みは頂点に達し、鼻息は荒く、毛艶や身体の張りは申し分なし、まさに万全の体勢で臨んだといっても過言ではない。だが、真剣に物事に取り組めば取り組むほど、緊張度は増すものだ。三人の試験官を前に、ボソボソとしたナメクジ声で一生懸命答えている自分の姿を思い出すと、情けなくて赤面してくる。かしこまったことはやはり苦手だ。何事もハキハキ、テキパキこなす人が本当に羨ましい。
 しかし、やるだけのことは自分なりにやったつもりだ。あとは合格の二文字を心から願うのみ。また一年後だなんて、私にはもう待てない。
 翌日、職場で同僚に言われた。「アレッ!? 典ちゃん生きているじゃないか……」。含みのある痛烈な批判である。大丈夫、マイ・フレンド!! 魂は断じて切り売りしない。私はすべてありのままを答えたに過ぎないのだ。
○月×日
 あれもしたい、これもしたいとなると、何かとお金がいるものである。家計はただでもタイヘンなのに、マンションのローンを払っているつもりでさらなる節約を始め、はや数ヶ月たった。「つもり」といっても、映画を観たつもり、旅行に行ったつもりなどと貯金するのではなくて、毎月の返済額をプールしているだけなのだが、はっきりいってストレスが溜まってしょうがない。その分サケの量が増え、どうも始末が悪い。
 長年やってきた趣味の競馬も、キレイさっぱり止めた。妻は「あーら本当かしら」と疑うのだが、本当に決まっているではないか!! そのかわり宝くじを買うようになった。宝くじ数枚で夢を見るくらい大目に見て欲しいのだが、ハズレばかりでカスリもしない。もう止めようと思うのだが、新聞で当選発表を見ると「もし買っていたらなァ」と胃がケイレンするので、やっぱり買ってしまう。
 当然、外で飲む回数も減らしているが、ついつい赤提灯の甘い誘惑に負け、フラフラと暖簾をくぐってしまう。これはなんといえばいいのか、飲まない人には永遠にわからないオヤジの哀愁!? まっ、つくづくサケ好きなのだが、外で飲む一杯は家とは違い、格別なものである。特に私の場合、どこかのコピーではないが、「自信カミさん、家事オヤジ」という家庭状況が影響しているのかもしれない。
 マンションは来春の完成予定となっている。中央線沿線のため、乗務中毎日見ることができる。初めは通過する度に「手抜きしないで、しっかり造ってよ」と心の中で叫んだりしていたのだが、最近は当選の喜びはどこへやら。今の生活が借金完済まで続くのかと思うと、なんとも気が重くなってしまうのだ。
 さまざまなことが頭をよぎる。考えてみればオカシナことが多い。国鉄で働いてコツコツ貯めたお金を、すべて国鉄(清算事業団だけど)に取られてしまうのか!? 今日もこうして安い焼酎で目はうつろ、日記の文字は塩をふられたナメクジのように溶けだし原形を留めていない。いいのか、こんなコトで……。

○月×日
 「それって反対だな、オレ」という、人間として当たり前の感情も、「組織の総力を挙げて断固反対するものである」などとやると、いかにも由々しき事態が起きているようで、なにやら仰々しく、眉をひそめる人も多いのではないだろうか。
 今や労働運動に関するニュースは、自らが関心を持ち、意識して報道等を追っていかなければ見逃してしまうほど少なくなってしまった。そういったこともあり、労使が鋭く対立するというやっかいな構図は影を潜めたかのように見える。これは闘う労働組合が少なくなったからなのか、無関心層が増えたからなのか、実は世の中が良くなったのか……、私にはよくわからない。
 私達国労は人減らしの合理化には反対する。とまぁ、反対だらけでJRからは大嫌悪されているわけだが、それに止まらず、周囲からも煙たく思われているとのウワサを耳にするから心底泣けてくる。
 人それぞれにさまざまな考え方があり、意見の相違はあって当然だ。また、個人個人が置かれている立場というものもある。「反対だ」と異議を唱えるのは自由であり、誰に強制されるものでもない。国労は労働者の権利を守るため、正当なルールに従い、当たり前の労働運動をしているだけなのである。
 また、私達は労使間で決まった大勢の中で、反対だからといって働くことを止めてはいない。誰もが会社の提示した作業指示に基づき、キチンと働いている。労働組合としてできるところは改善していこうと、ねばり強く申し入れ、元に戻すべきものはそうしようと懸命に闘い続けているに過ぎないのだ。これみよがしに、賛成しなければ差別するというJR会社のやり方は、時代錯誤も甚だしく、まさにファシズムそのものといわれても大げさではないだろう。
 JRに入社した若い人達は、分割民営化の表向きの経過は知っていても、現場が無法地帯と化した大混乱の日々はほとんど知らない。数多くの国鉄労働者とその家族に生涯消えることのない深い傷を負わせ、命までも奪った犯罪行為の責任を、キッチリとっていただくのは当然のことである。また、新入社員を百パーセント東労組に加入させるのをいいことに、そこで教育しているのは、「国労は鬼だ」という誤った洗脳である。今はムリでも、いずれ国労は正しかったとわかる日が必ずやってくる。歴史に真実は一つしかないのだから。

○月×日
 乗務員室の窓を開けると、辺り一面に金木犀の芳しい香りが漂ってくる。まるで何もかもが平穏なんだと感じてしまうヒトトキである。都会に緑が少ないというのは定説だが、わがJR中央線沿線に限っていえば結構恵まれているような気がする。まぁ、単なる私の所感だが、常務中次々と流れて行く景色を眺めつつそう思うのだ。 「私は実りのある日々を送っているのだろうか……」。実りの秋という季節がら、ふと思った。そこで今日は緑、とりわけ果実・木を追って乗務ことにした。さぁ、信号も緑に変わった。出発進行だ。えっ? もちろん安全輸送が最優先であることはいうまでもない。
 「中央線から見える木の名前を挙げよ」と咄嗟に聞かれたら、止り木、枕木は冗談としても、松や杉、イチョウ、それに桜と、数種類しか思いつかない。いわゆる植物に関しては門外漢の私だが、気を付けて見てみると「へえー、こんな所にこんなものが!!」とビックリするのと同時に、懐かしい郷愁に誘われてしまった。
 中央線沿線の緑は、やはり三鷹以西の多摩方面に多く散在しているが、代表格は何といっても柿、栗、イチョウである。これらは最も馴染み深く、幼い頃に田舎で慣れ親しんだものばかりだが、ここ何十年も気にかけることのなかった木々である。よく実を失敬したりしたのだが、今の都会っ子達の間には見られなくなった光景の一つかもしれない。
 そして、私はこれぞ横綱級という木を発見してしまった。それは鮮紅色のざくろと淡黄色のかりんである。色、形ともに趣があり、名前の響きも素晴らしく、まさに王者にふさわしい。
 私はさらに細心の注意を払いつつ、乗務を遂行した。「ご乗車ありがとうございます。次は……」この通り、仕事はキチンとやっているが、ここの駅名だけは言えない。言ったら場所がわかってしまう。本日の大収穫である。ナント、こんな所にくるみの木があったのだ。梅のような実は葉と同系色で目立たぬが、熟すと地面に落ち、それが腐ればおなじみの茶色の核がのぞく。冬になったら拾いに行こう。何度も何度も場所のカクニンを励行し、「こうした情報の積み重ねが、お客様の限りない信頼を得るのだ」と、かなりワケのわからぬ興奮をしながら「後方オーライ」の指差喚呼を決めたのだった。
 この胡桃を探し当てた人には、うーむ、そうだなあ、チャイコフスキーの「胡桃割人形」を聞きながら、水割りでも御一緒したい気分とでもいおうか……。それにしても、毎日看板ばかり眺めている私と違い、通勤の車内から日々移り変わる植物の成長を楽しみに眺めている、高尚なお客様も多いのだろう。植物も生きものだ。「生きもの中央線紀行」もなかなか面白いものである。

○月×日
 朝日新聞や東京新聞にも小さく出ていたが、去る9月22日、JR東日本は国労に対して「今後このようなことがないように留意します」という謝罪の文書を社長名で提出してきた。
 ほんとに次から次と情けない限りだが、これは国労からの「脱退強要」をめぐる不当労働行為事件についてである。これまた地労委から始まってJR会社はことごとく断罪され続け、東京高裁においても敗訴が確定し、上告を断念したというものだ。強気のJRにしては異例といえる。
 10年前の87年11月に、当時の自動車事業部・花崎淑夫総務課長(現JR東日本常務取締役)が国労東京自動車営業所分会の分会長自宅を訪問し、「お前が国労に残っていては駄目だ」「あんたを飛ばすわけにはいかない」「もし分会長が応じてくれなければ組合員4~5名を強制配転させる」と、国労からの脱退を強要したというものだ。このような露骨な脱退工作は、全国のあらゆる職場で展開されていたが、人事・労務を担当する総務課長自らが率先して行ったという点で、極めて悪質なものといえる。
 やっているのに「やってない」として、10年間も争い続ける神経が私には理解できないのだが、JRの場合は、このような図太い神経でなければ部下に信頼される要職には就任できないのかもしれない。
 ちなみに謝罪文はというと、
『昭和62年11月27日、当時の当社自動車事業部花崎淑夫総務課長が貴組合の組合員であった古家信郎氏の自宅を訪問し、同氏に対して、「国労に残っていては駄目だ」「あんたに来てくれなければこまる」などと申し向けて、貴組合からの脱退を推奨したことが、不当労働行為に該当すると、東京都地方労働委員会において認定されました。
 今後このようなことがないよう留意します。』
というお決まりの文面だ。
 これで本当に反省しているのだろうか。私には何度読んでも謝罪の言葉がどれだか分からず、判決に服するという姿勢が伝わってこない。なぜ、不当労働行為の認定が高裁ではなく地労委となっているのだろう……。いずれにせよ、JR東日本は国労敵視の労務政策を早急に改め、健全かつ正常な労使関係のもとで一日も早い労使紛争全面解決の姿勢を示すべきである。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/イチゴ バッジ ヤジ

■月刊「記録」1997年11月号掲載記事

○月×日
 新盆で妻の実家へ行った。遠い田舎もわが社の車、新幹線ならあっという間だ。じりじり照りつける真夏の太陽。抜けるような青い空にモコモコの入道雲が居座っている。
 越後の山々が連なり、雄大な信濃川はとうとうと流れ、田んぼにはコシヒカリの稲穂が整然と広がる。雑踏と喧噪の都会とはまるで正反対。人影はなく、あたりに響くのは蝉の声だけ。それが逆にまわりの静けさを強調している。なぜか、この風景がこの土地で暮らす地道で実直な人々そのもののように感じる。
 穏やかなお国訛りもまたいい。私には「越後」が「イチゴ」に聞こえるが、「苺」はちゃんと「イチゴ」なのだから不思議なものだ。
 私は縁側にぺたんと座り込み、団扇を片手に外の景色をぼんやり眺めていた。頭の上の風鈴はちっとも鳴ってくれない。
 アメンボウが庭の池の水面を忙しそうに飛び跳ね、錦鯉は悠々と泳いでいる。木陰にじっと身を潜めた飼い猫の「小虎」が、石垣に時折現れるすばしっこいトカゲを狙う。百合の花にはカラスアゲハが優雅に舞い、オニヤンマが目の前を低空飛行で一直線に行き来する。昔から何一つ変わらない庭一面の草木の緑を見ていると、心がやんわりと和んでいくのはなぜだろう……。
 ついウトウトしてしまったようだ。首筋のあたりがじっとり汗ばみ、夕暮れ空を背景に、短い一日を惜しむかのような蝉時雨が鳴り響いている。日が暮れたら、満天の星空の下で子どもと花火だ……。「あなたぁ、ビールが冷えてますわよ、お風呂早めにどうぞー」妻の声が聞こえた。
「……さん」誰かが私を揺すりながら何か喋っている。「……うさん、お父さん、いつまで寝てんだよオ、もう晩ご飯だよ」中一の息子だった。私は昼間からのサケですっかり熟睡していたらしい。なら、さっき妻が呼んだのは夢か? そうだろうと思ったよ。

○月×日
 ラッシュである。通勤ラッシュ、ゴールドラッシュといろいろあるが、裁判のラッシュだ。今度は横浜地裁から「組合バッジ差別事件」の判決が八年もかかってようやく出た。いうまでもなく国労の完全勝訴である。
 これまたJR東日本が労働委員会命令を不服として裁判所に提訴した事件なのだが、概要を簡単に説明すると、バッジ着用の国労組合員に執拗熾烈な取り外しを強要し、従わなければ訓告等の処分を乱発、賃金カットや昇進試験受験資格剥奪等の差別(今現在も続いている)を強行したというものだ。現在までのカットの総額は、一時金(ボーナス)だけでも一〇億円以上に達しているというから驚きだ。
 これではJRにはまるで差別がゴロゴロしていると思われそうだ。しかしその通り、「JRを歩けば差別に当たる!?」のである。
 さて、バッジは労働組合員としての団結のシンボルであり、正当な組合活動である。一センチメートル四方の小さく地味なもので、国鉄時代から何十年と着用してきており業務上何ら支障なく、職場秩序を乱すようなことがあろうはずはない。利用客に不快感を与えたり、もちろん乗客の生命・財産を脅かす事態が生じたこともない。正に職場規律是正の名を借りた不当労働行為にあたるのだ。
 判決は以上のような内容も含め、216頁にわたってJR東日本を断罪している。
「松崎東鉄労(現東労組)委員長が昭和62年に、『権利だからといって無茶なことをするのは良くないという点で、私たちは会社側と話をしてきた経緯もありますから……』『駄目な労働組合には消滅してもらうしかなく、駄目な組織はイジメ抜く……』旨を述べたことを併せ考えると、機関誌による呼びかけに関わらず、東鉄労の組合員が組合バッジを着用しないということについてはJR東日本と東鉄労との間で事前の話し合いが行われ、東鉄労が労使協調関係を維持するとともに、これを誇示し、あるいは国労の対決路線を際だたせる意図のもとに、組合バッジ不着用を決定したことが窺われる」との一頁のように、詳細な事実認定に基づいた勝訴判決となっている。
 JR東日本は即日控訴の手続きをとったという。高裁、最高裁とまだまだ続くのか……。闘いの終わる気配は全くない。

○月×日
 一月前に行われた昇進試験(一次)の発表があった。 なんかヘン。オカシイとしかいいようがない。当惑することしきりである。つまり、受かってしまったのだ。東労組からあれだけさらし者にされ、なおかつ会社からも目をつけられた私がだ。「今度こそ受かる……」などと大見得を切ってはいたものの、絶望的な状況であった。実際、「不合格」と言われたときの不当性を頭のなかで整理していたところだったのだ。
 これにはどうもウラがあるとしか思えない。それともマンションが当たり、今後借金苦に陥る私へのせめてもの思いやりなのか。はたまた「もっともっといい文章を書きなさいネ」と、激励を込めた会社からのネタ提供だろうか……。一体どうなっているのだろう。サッパリ分からない。
 ちなみにうちの職場の国労だけでみると50人ほどが受け、4人が合格したらしい。残るは二次の面接だが、今日だけは素直に喜び祝杯をあげよう。

○月×日
 これほどまでJR会社は国労を嫌悪しているのだから、こちらも心を鬼にして闘うしかないのだろうか……。闘いには勝ったが組織がなくなっていたということになりはしないか……、近々国労の全国大会が開かれるが、いったいどのような方針が決定されるのだろう。苦悶は消えない。自分の中でコレダ!! という答えが見つからぬまま時だけがダラダラと過ぎて行く。一日が終わる頃にはいつものようにアルコールでデロリンマン状態となり「まっ、いいか」と寝てしまうだけである。どこがいいのじゃ。これでよいはずがない。
 さて、資本主義の下での企業というのは、結局金儲けが目的なわけだが、これは国労の顧問弁護士さんが言っていたことである。
「企業が本気で儲けようとすれば、仕事ができる人はどんどん昇進させ徹底的に使われる。組合が思想がどうだなどいってはいられない。しかしJRの現場では、能力が下の人を上にあげるといった昇進差別を平然とやっている」
 つまりJRは人事をいい加減にやっても、労働者の能力を発揮させなくても儲かる企業といえる。このような企業は公益的企業に多いのだそうだ。いわれてみれば「うむ」と納得できる。
 労働委員会の反対審問で現場長クラスの人が自分の部下の悪口を平気で言う。良心の呵責に耐えられないのでは、と悲しく思うが、大半は言いたくて言っているのではない。すべてJRに言わせられているのだ。人間として許せないことだが、「まっ、いいか」となってしまうのである。どこがいいのじゃ。これでよいはずがない。 ならば、いったいどうすりゃいいのだろう……。

○月×日
 季節の変わり目というのは何故かセンチになってしまう。古き良き時代の曲を聴いてみるのもいい。難しいことは何も考えないで。
 知る人ぞ知る、ロスのシンガー・ソング・ライター、J・D・サウザー、79年のヒット曲、「ユア・オンリー・ロンリー」には泣けてくる。
 単調なメロディのラブ・ソングだが、これでもかこれでもかと転がるように奏でるピアノの旋律が実に美しい。ただでさえやるせないのに、より一層の哀愁を誘いこの曲を盛り上げている。なんともたまらない。私はすっかり涼しい気分になってしまう。まるで白昼夢であるかのようだ。
「世の中が国労の肩に崩れ落ちようとし、国労が孤独でちっぽけだと感じるとき、国労には抱きしめてくれる人が必要なんだ。国労が王様だったときも、誰もが去ったときにも、僕は国労にいるだろう。国労が孤独なとき、恥ずかしく思わなくてもいい。国労はただ孤独なだけなんだ……」
 何度聴いてもいい。こうしてずっと聴いていたい。難しいことは何も考えないで。これぞ傑作、脱帽するばかりだが、私はこれから出勤で制帽をキチンと被って乗務なのだ。そろそろ重い腰を上げなくてはならない。お客様がお待ちしている……。

○月×日
 国労第六十二回定期全国大会の傍聴に行った。会場となった日本教育会館前には連帯の横断幕を掲げた支援団体、機動隊の車が何台か張り付き、物々しい雰囲気はいつもと変わらない。NHKやTBS等報道関係者も多い。 国鉄の分割民営化から十年がたった今、裁判所の「和解勧告」をはじめ、マスコミを含めた世論の大勢が国労の主張に近いものとなり、強気に見えるJRも内部では動揺が拡大しているに違いない。
 これまでの闘いの前進が、誰の目にも明らかになった重要な時期だけに、私はこの大会が何か大変な事態になるのでは? と内心ハラハラした気持ちで見守っていたのだが、結局は国労の真摯な態度が貫かれたといってよいだろう。
 ①解雇撤回・JR復帰、不当労働行為の根絶、全面一括解決の実現をめざす闘い、②合理化に反対し、労働条件の改善、権利確立、安全輸送確立をめざす闘い、等を柱とする運動方針は満場一致の拍手で承認された。
 それでもトラブルは起きた。二日目の樫村書記長集約の最中、「8・30路線実力阻止」を叫ぶグループが暴挙に出た。傍聴席から一気に壇上へ駆け上がり、一触即発一時騒然という場面になったのだ。自らの党派の後退を戦術をエスカレートさせて突破しようという気持ちはわかる。しかし発言を遮る卑劣なヤジも含め、こういったことは仲間同士の当然のモラルとして、断固慎むべきである。
 いずれにせよ、大会はなんなく閉会したというのが私の率直な感想だ。冷静に見つめれば、闇の中の十年間の闘いに、遅すぎたとはいえ、今漸く微かな光が見えだしてきたという状況だろう。まだまだ道半ばであり、さらなる総団結・総決起して闘い続けるしかないのである。 6年間の長きにわたり「国労丸」の舵取りをされた永田稔光委員長ら三役が退任し、後任には高橋義則委員長(前東京地本委員長)、上村隆志副委員長(前本部法対部長)、宮坂義久書記長(前本部企画部長)が選出された。
 永田さんは最後に「荒海を越えて進んできた国労丸も、ようやく対岸に着く寸前までたどり着いた」と挨拶されていた。ほんとうにご苦労様でした。すっかり国労の「顔」となっていただけにちょっぴり淋しい。
 新体制でもより一層の指導力を発揮され、これまでの並々ならぬ積み重ねを引き継いで、闘争団も組合員をも後悔させない揚々なる航海を願うものである。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/鉄道員 逆転勝利 恒例行事

■月刊「記録」1997年10月号掲載記事

○月×日
 直木賞受賞作、浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社刊)を読んだ。泣けた。涙がボタボタと重く零れ落ちた。
 小説を読んで感動すると、全身にツーンと冷たいものが走り、目頭が熱くなる。そんなことはよくあるが、実際に落涙することはまずない。しかしこれにはまいった。 駅員もいない、とある赤字ローカル線の終着駅。廃線が決まり、定年を間近に控えた駅長。「ぽっぽや」一筋に生きた鉄道員の人情話である。
 駅長は何があっても列車の到着を待ち、送り出す。風の日も雪の日も、娘が死んだときも、妻が死んだときも……。背筋を凛と伸ばしてホームの先端に立ちつくし、口には警笛をくわえ緑と赤の手旗を振り、一日も休まず鉄路を守り抜いてきた。クライマックスは、生きていれば十七歳になる生後ふた月で死んだ駅長の娘が、ある雪の晩に駅舎へ現れるというシーンだ。幻想なのだが、駅長の目の前で小・中・高校生と成長していく娘の姿が実にやさしく描き出されるのである。
 もうこの先は書けない。誰にも教えたくない。涙が止めどなくあふれてきてしまう。
『世の中がどう変わったって、俺たちはポッポヤだ。ポッポーと間抜けた声を上げ、鋼の腕を振ってまっすぐに走るポッポヤだから、人間みたいに泣いちゃならんのだと、仙次は唇を噛みしめた』

○月×日
 待ちに待った八王子のマンションの抽選に行った。この日はまた、日本ダービーの日でもあった。
 実に気に入った名前の馬がいたので、私は途中の立川場外馬券売場に寄り、その馬の単勝を五百円だけ買い求めた。「マチカネフクキタル」、すなわち待ちかね福来る……。「今日こそコレダ!!」と思ったのだ。
 実際のレースはマチカネフクキタルが一瞬あわや、という見せ場を作ったものの、結局は馬群に沈み着外。見事にハズレてしまった。しかしこの日の本命はマンションなのだから、気にすることはないのだ。
 八王子の風は爽やかだった。何度か足を運んだモデルルームが抽選会場で、妻と私は厳正なる抽選を固唾をのんで見守った。
「○×○号室、当選は×番の方……」。うちは2番、つまり「第一補欠」に決まったのだ。ガッカリしたのはホンの一瞬。何とも惜しい、悔しい、恨めしい。「どうか私にお譲りくださらぬか」と、当選された方に泣きすがってでもお願いしたい心境だった。バッグに入っているタバコ二箱、使いかけのテレカ、それに財布の有り金1万8520円すべてあげるからと……。
 はじめは満員だった会場からハズレた人が次々と帰られるなか、係の人が「補欠の方はしばらくお待ちください」と言う。当選者が辞退する場合もあるからだ。なんと、この部屋の当選者はこの会場に来ておらず、係の人が何度も電話で確認したが留守であった。
「もし辞退であれば斎藤様にお電話でご連絡いたします」ということで、微かな期待を胸に抱きながら悲しみの八王子を後に、中央線で帰宅したのであった。
 しかし、待てども待てども連絡は来ない。翌日も来なかった。「あぁ、また一から出直しか」と思うと、どっと疲れを感じる。待っているだけでは福は来ないのだ……。
 私が乗務で毎日のように眺めている東京~高尾間53.1キロにわたる中央線沿線には、数え切れぬほどの住宅が密集している。「こんなにイッパイあるというのに、俺の住む家が一軒もないとはどういうことなんだよ……」と、今日もサケでわけがわからぬことを呟き、気を紛らわすしかない。

○月×日
 過ぎたことにいつまでもこだわるのはよそう。この問題は長期化させてはならないのだ。私は早期解決を求め、三日後には三鷹で売り出されたばかりの物件に的を絞り、広告をテーブルに広げて検討していた。
 妻ともよく相談し、いずれは子供達も皆、出ていくのだし、3LDKの広さで十分という結論に達した。これなら八王子のはずれたのとほぼ同じ値段で買える。ここ2、3日は親戚や友人からの電話が多かった。さっきも晩御飯の支度中に友達から電話があり、「ハズレちゃったよ」と話したばかりなのだ。
 再び電話が鳴った。しかし今度は信じられない「ビッグニュース」が飛び込んできたのだった。まさに棚からぼた餅とはこのことだ。相手は「お待ちかね、福来るでございます」とは言わなかったが、八王子の販売センターであった。なんと、当選の人は資金繰りがつかずに、辞退されたというのである。
 素直に嬉しかった。私は電話口で舞い上がる気持ちをグッと抑えて静かにお礼を言った。そうと決まればサケしかない。いかなるときもサケなのだが、まだ誰も帰ってこない一人の部屋でドボドボとバーボンを注ぎ乾杯した。「ウマイ!! 愛しのサケよ。オレはやったぞ!!」グラスをキツク握りしめながら呟いた。何事も一筋縄ではいかぬことが多い私だが、まずはメデタシである。
「ホントによかった、妻はやっぱり一番だ。だってそうだろう、一番の女が妻以外だったら大変じゃないか……」などと、もう早い時間からすっかり酔ってしまい、家族の帰りを待っていたのであった。

○月×日
 去る5月28日、東京地裁(民事第十一部)で結審した北海道・九州採用差別事件では「和解勧告」が出されたが、JR側はいまだに断固拒否の姿勢を崩していない。他の部では五都県(宮城・福島・東京・神奈川・静岡)の採用差別の訴訟が今なお審理中だという。
 ハッキリいって、あちこちややこしくて私にもよくわからないのだが、近々開かれる五都県の口頭弁論の際に裁判長(高世三郎)が重大な見解を示すらしい、との情報が入ってきた。訴訟の途中段階で裁判所が見解を示すのは異例ということである。
 私は早速、当日の夕刊と翌日の朝刊数紙を買い求めたのだが、載っていたのは日経と赤旗のみ。しかも扱いが小さくてガッカリしたが、内容は重く、目を見張るものがあった。わが国労や法律よりエラそうなJRですら予想していなかったのではないかと思わせる内容であった。 高世裁判長は「設立委員には、国鉄が行ったJRの採用候補者の選定が適切だったかどうかを審査する権限があり、その選定に不当労働行為があった場合には設立委員も責任を負う」とする、はじめての見解を示したのだ。 すなわち「不採用は国鉄のやったことで、JRには責任はない」とするJR側の主張を否定した見解なのである。国鉄改革法によれば、設立委員の行為がJRに継承されていることから、「国鉄がやったこと(国労であることを理由に名簿に載せない=不当労働行為)の是正を怠ったとすればJRに責任がある」との論法である。従って、国労・JR双方がこれに沿って弁論を行うように求めたというものであった。
 採用者名簿作成のことや設立委員のことをまた一からほじくり返すのかと思うと、「熱い夏はいったいいつ終わるんじゃーッ」と海に向かって叫びたくなってしまうが、仕方ない。それにしても裁判所は「判決」をどうしても出したくないのだろうか、と思えてしょうがない。 今後は設立委員長であった斎藤英四郎さんや、杉浦喬也元国鉄総裁が証人として出廷することになるのか? 今やおいくつなられたのだろう。しかし、杖をついてでも出廷して真相を証言してほしい。底辺で懸命に生きている何の罪もない、1047人の国鉄労働者を救う「いいおじいちゃん」であってほしい(ムリか)。
 いずれにせよ、JRにとっては大変不利な情勢といわざるを得ない。すでに結審している北海道・九州の判決にも大きな影響を与えるのは必至だ。それとも裁判所は早期解決実現のため、JRを和解の席に着かせようという狙いなのか……。一喜一憂の毎日である。

○月×日
 今日も暑かった。年に一度の昇進試験が厳粛に行われた。この歳になり出世することなど微塵も(?)望んではいないが、この会社でこれからも生きていくうえでの、次のステップとしてチャレンジした。
 誰もが自分の仕事ぶりを公正に評価され、一つひとつ上へ上がっていくべきだと考えるが、もはやここまでくるとアホらしくさえ思える。「もう止めたよオレ」という素直な同僚もいるが、私は懲りずに公休の半日を潰してこのサイテイの試験を受けた。
 期待も希望もないので、緊張も高揚もなかった。簡単な問題を黙々とこなしていく。「過ぎ去った十年間は戻ってはこない……」などとアレコレ考えながら、あり余る退屈な時間をクリアしていく。
 情けなさ、やるせなさ、悔しさ、後ろめたさ、そのどれともつかない感情に揺れ動きながらの一日だったが、怒りだけは消えていない。国労は昇進試験も差別であるとして労働委員会へ提訴している。試験の真相が解明される日は遠くない。「グビィ」、喉元を過ぎるビールの音までがなぜか虚しい。

○月×日
 ビートルズの初期の曲だが、「デイ・トリッパー」(日帰り旅行者)は実にご機嫌なロックンロール・ナンバーだ。もうイントロからシビレてしまう。まるで呪文のように一度耳にしたら誰もが虜になるだろう。
 出だしの強烈でカッチョいいギターを国労だとしよう。それに被さる踊るようなベースは中労委。次に加わる軽快なタンバリンがJR。そしてイントロを締めくくるパンチの効いたドラムが国鉄清算事業団となる。
 この四つが見事に決まるとメインの歌に入っていけるのだが、タンバリンで足踏み状態となっている。曲自体もこのパートだけ2フレーズあるのには笑ってしまうが……。 東京地裁の和解勧告に対する期限は切れたが、JRはついに「拒否」の態度を変えることなく、梨のつぶてとなった。清算事業団は最終日に「JRが和解の席に着かない以上、私どももつけない」との回答書を提出した。納得。
 JRは「裁判所では絶対に勝つ」と公言し、司法の判断に委ねるとしておきながら、裁判所の要望(意見)を無視するとはどういうつもりだろう。完全に矛盾しているが、これもすべて予想されたこと。悲しくなるが、今更誰も驚きはしない。
 さあ、イントロはそろわなかったが歌に進もう。
「JRが安易な方向へ逃げた理由がある。
※ JRはデイ・トリッパー、片道切符さ。イエイッ、わかるまで時間がかかったけど、もうわかったよ。
 JRはその気にさせといて、じらすのが得意。
※ 繰り返し
 JRの機嫌をとろうとしたけど、遊ばれた。
※ 繰り返し」
 うーむ、しっくりいかないなぁ。これじゃ全然ご機嫌とはいえない。タンバリンのテンポが狂っているのだ。皆と合わせてくれなきゃ困るよね。もう一度やり直すしかないのかなぁ。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/交通ビル 携帯電話 最終弁論

■月刊「記録」1997年9月号掲載記事

○月×日
 耳鼻科からはまだ薬が出ている。例の下水悪臭病である。自分では完治したと思っているのだが、ドクターの指示だから仕方ない。
 職場で食後に飲んでいると、「何のクスリ?」と同僚に聞かれた。「これね、欠乗事故防止の薬だよ。これ飲めば絶対安全なんだってさ。今はいいよね、いろんな薬があって。なんならあげようか……」。とまあ、遅刻をしない薬、停車駅通過をしない薬、発車時刻を間違えない薬と、本当にあればいいのだが。チョンボのことはもう忘れた。私は完全に立ち直ったのだ。
 さて、JR内で国鉄時代から引き続き使われている名称には、「名前だけ」になってしまったものがけっこうある。何の疑問も抱かずに毎日使っているが、すでに名前と実際が異なってしまっているものだ。たとえば、枕木、網棚、吊り革などである。枕木はいまやほとんどがコンクリートで、網棚の網は糸ヘんの糸でなく金網の網だ。吊り革にも革など使われていない。また、これとは逆に「名前だけ」にならないでほしいものがある。
 そうなったら非常に困るもの、それはわが国労である。もう国鉄がないのに国鉄労働組合というのも、変といえばたしかにヘンだが、名前は変えてほしくない。やはり強い愛着、深い思いがある。
 この三月、JR東京駅八重洲口にある国労会館が新橋駅近くに移転、という記事が新聞各紙に出ていた。駅を挟んで向かい合う旧国鉄本社用地も、今年度中には入札にかけられるという。国鉄労使のシンボルが共に役割を終えると書いてあり、さらにこんなことが書いてあった。 国労という名前は古いイメージがある、と周囲から声があがったので、移転先の新しいビルの名前は「交通ビル」とした、というのである。古いだなんて……、私はこれを読んで悲しくなってしまった。国労はいったいどこへ行こうとしているのだろう。考えすぎかなぁ……。古いと言った人につける薬はないものか。

○月×日
 私の周りには腰痛持ちの人が結構多い。トシのせいもあるだろうが、職業柄、年中電車の揺れに対して踏ん張ったりしているのも原因の一つかもしれない。
 実は私もこのごろ起床の際に、一念発起しなければ起きあがれないというほどの状態になることがあり、苦労している。そんなときは、ワニのように這ってキッチンまで行き、流し台につかまり「よっこら、しょ」と唸り声とともに、ようやく立ち上がる。そして、ゆうべのサケによる喉の渇きを癒すため、水道の蛇口を捻り、水を二、三杯一気に飲み干す。それから両手を腰に当て、腰を庇いつつゆっくり背を反らして「うーむ、ナサケナイ」と溜息混じりに呟くのだ。
 友人達は「飲み過ぎだよ」と簡単に言うが、深酒をしないときでもそうなのだから、一概にサケが原因とはいえないと思う。これはまさに職業病である、と言ったらオーバーだろうか。皆がどう思おうと勝手だが、職業病だと私が勝手に信じて疑わないものが他にもいくつかあるのだ。
 まず、私達JR車掌の特徴として最も顕著に現れるのは、なんといっても普段、道路を横断するときだ。「右よし、左よし」と声は出さないまでも、ついつい「指差確認」をしてしまう。確認の励行がすべて、といっても過言でない仕事をしているからであろう。また、カラオケに行くとマイクを一人占めして離さない。会議や集会ではうしろに席を取る。これらも、アナウンスマイクをいつも握っているのと、車掌の場所は最後部と決まっているからなので、それぞれ立派な職業病? なのである。 このたぐいのことはわが家のなかでもたびたび起こる。妻がぐったり疲れて帰宅すると、私はつい「お客さんが大勢で大変だったの?」と聞いてしまうし、妻は「中央線遅れたのかしら、患者さんで、もうギューギュー……」と答える。
 これは私らが単なるアホな夫婦なだけだろうか。いや違う。先日、妻が知人へファクスの返事を書いていたのだが、「ファクス受診しました」と、小学生でも知っている漢字を自信に満ちた達筆でしたためているではないか。やはりこれらは職業病なのだ。違うかなあ……。

○月×日
 JR中央線はこのところまたも人身事故(飛び込み)が続いている。武蔵境に始まり、阿佐ヶ谷、新宿と一日おきに三件続いた。私達乗務員は電車が止まってしまうと、なかなか進展しない状況のアナウンスを繰り返すしか術がない。
「○×駅で人身事故が発生したため……」「相当時分かかる模様……」「只今レスキュー隊が……」「運転再開のメドは……」と、ただひたすらご迷惑をおかけしていることを詫びるのだが、あっという間に一時間は経過してしまう。私は運悪くいずれも出番で、いくらこれが仕事とはいえ、もうウンザリであった。しかし、お客様はもっと深刻であることは重々承知の上です、ハイ。
 さて、このような異常時の場合、最近特に目につくのが携帯電話である。心臓を患いペースメーカーをつけている人への、電磁波による悪影響が問題となっているが、一般のお客様からも「着信音が耳障りだ」とか「話し声がうるさい」といった苦情が殺到している。JR東日本では、「車内での携帯電話のご使用は、周りのお客様の迷惑とならないようご協力をお願いします」という使用を黙認した車内放送から、「周りのお客様の迷惑となりますのでご遠慮下さい」という、事実上使用禁止の放送を始めたところである。
 のんびりとした凡人には必要ないと思っているので、私は持っていないが、それにしても、よくまあ皆さん持っているものだと感心してしまう。だが、このようなときにこそ非常に便利なモノであろう。ホームの公衆電話は大変な行列となっており、気の毒でしょうがないのだ。私はこのようなときに、会社の指導どおり携帯電話ご遠慮の放送をやったらどうなるのだろうと、ひそかに考えてしまう……。
 今さっき、いつもより遅い時間にようやく妻が帰宅した。電話ぐらいくれればよいと思う。武蔵境でポイント故障があり、三鷹から歩いて来たと言う。ナヌッ、またも中央線は止まっているのか。もうこれっきりにしてほしい。武蔵境に始まり、これを境に武蔵境で終わることを祈るが、妻には携帯電話を持たせたほうがいいのかと、チト悩んでしまった。

○月×日
 JRの事故は必ずといってよいほど新聞に載る。人身事故、信号機故障、ポイント故障等さまざまだが、それなりのスペースで取り上げられる。
「○×事故により○×本が運休したため、○×分の遅れが生じ何万何千人の足が乱れた」と、いつも同じような書き方であり、JRを利用されない方々には、他人事のようでたいした問題ではないと思われるかもしれない。しかし、ホームや電車は人で溢れてパニック寸前となり、事故に見舞われたお客様の苦労は想像以上である。
 それにしても、何万何千人という人数にピンとこない人は多いのではないだろうか(私だけかなあ)。そこで私はふと思った。たとえば、この人数と全く同じ人口の町があっても何の不思議もない。つまり、この町のすべての人の予定が乱れたことを想定してみるといい。そう考えればこれは大変な事態だ。町民から町長に至るまで一人残らずドタバタしているのである。仮に病院に行っても、ドクターも看護婦さんもすべて乱れているのだから治療だって受けられない。従って、これは新聞に載るほどの大事件なのだ……。
 さっきまで西の空の一つ千切れた雲の行方を見ていたのだが、ちょっとぼんやりしてたら、いつの間にか消えてなくなっていた。暑さでどうもおかしいこの頃である。
○月×日
「北海道、九州採用差別事件」の最大争点は「JRの使用者性(責任論)」についてである。この十年間の国鉄闘争の集大成ともいえる東京地裁での最終弁論が、五月二十八日に異例の大法廷で行われた。
 まず原告であるJR会社は、「国鉄とJRは別法人で、JRにその当事者適格性(責任)はない」と従来の主張を繰り返した。
 これに対して中労委の菅野和夫公益委員(東大法学部教授)が、「不当労働行為の責任は、労組法によってJRが負わなければならないことは明白」と厳しく反論した。裁判所で公益委員が弁論に立つなど異例中の異例ということだ。うぶな私も、公益委員といえば裁判官みたいなものではないかと思う。
 続いてJRに採用されなかった国労組合員二人が、差別された実態等を切々と陳述し、国労弁護団の宮里邦雄弁護士をはじめ六人の代理人がJRの責任論を詳細にわたり論証し尽くし、結審した。
 その後、萩尾保繁裁判長は、JRと国労、中労委、国鉄清算事業団(=政府)を加えた四者に対し、「裁判所の意見」と称する異例の「和解勧告」を発表したのである。裁判長は「紛争発生以来十年が経ち、社会、経済情勢も変化した。早期に抜本的な解決を図るべき時期に来ている」と述べ、六月末日までに和解に応じるかどうか回答するよう求めた。
 JRは「裁判長の意見は受け入れられない」とその場で拒否し、国労は閉廷後の記者会見で和解の席に着くことを表明、JRにも強く参加を求めた。
 正に異例ずくめといえるが、和解を勧めた東京地裁の判断に注目したい。これは、JRを事実上の当事者とみなし、問題解決に加わる責任があるとしたものだ。すなわち「国鉄とJRは別だ」とするJRの主張は退けられたと解釈できるが、違うだろうか。だとすれば、JRがあくまでも裁判で決着に持ち込もうと和解を拒み続けても、最終的にJRが負け、「国労勝利」という判決は決まったも同然だろう。
 また、当事者として国鉄清算事業団も加えたことは、国鉄改革を国策として実施した政府にも重い責任があるということだろう。加藤紘一(自民党)、伊藤茂(社民党)の両幹事長は、和解に向け努力していくことで合意しているということだ。
 いずれにせよ、負けを承知で最高裁判にまで争いを長期化させようとするJRの態度は、国労の弱体化を待つという目論みが見え見えだが許されるものではない。新聞各紙を見ても「公益企業としてのJRがとるべき対応は早期解決への努力ではないか」といった論調が多い。 私は本当に悲しくなってしまう。「人にやさしい」JRであってほしい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/八王子 大チョンボ 中曽根

■月刊「記録」1997年8月号掲載記事

○月×日
 東京駅を発車するオレンジ色のニクイヤツ、わがJR中央線は、西荻窪→西国分寺→西八王子と、さながら太陽を追うかのように西へ西へと進んで行く。
 私はいつも、「アイル・フォロー・ザ・サン」というビートルズの曲を思い浮かべてしまう。アコースティックでさらりと歌われた、美しくしみじみとセツナイ佳曲だ。彼は恋人のもとを去って、太陽を追う旅に出る。そうだ!! まさに私も毎日、太陽を追い続けて西へ西へとむかっている。
 ビンボー人のお恥ずかしい話なのだが、2年ほど前のある日、妻が突然何事かと思うような口調で言ったのだ。「あなた、マンション買いましょう」と。「ナヌッ!? 冗談はよせよ。うちのどこにそんな大金があるんだ」私はなかば呆れ顔で言い返した。
 「もちろんローンです。歳を取ってからでは遅いのよ。これからは計画的にお金を使いますからね、あ・な・た」と私の無計画性を暗に批判しつつ、『影の家長』たる妻は真剣な決意を述べたのであった。借金でこれ以上生活を切りつめるなどとんでもない、と迷ったが、結局妻に押し切られてしまった。
 その後の妻の行動はスバヤかった。早速、今の社宅より少し西の小金井に物件を見つけ、申込金まで払い込んできた。しかし、その物件はよくよく考えてみるとメリットがなく、取り消した。今の社宅より狭いのもさることながら、今思えば、借金の額が多すぎてビビッてしまったのが最大の理由であった。
 次は検討に検討を重ね、さらに西の国分寺に決めたのだが、抽選の結果見事にハズレた。現在は慎重に検討を重ね、JRのCM「その先の日本」よろしく、ずっと先の八王子まで都落ちして抽選待ちという最重要局面? を迎えている。安い国鉄清算事業団のマンションなので申し込みが殺到しているのだが、なんとしてでも勝利しなければならない。ん? それにしても太陽を追いながら、思えば遠くへ来たものだ。なんだかセツナイな。

○月×日
 あれから三日が過ぎた。「忘れるんだ。もう二度と起こすまい」と割り切っているつもりだが、ふと気がつくとそのことばかりを思い出している。気持ちのどこかに重くのしかかっているようだ。
 やってしまったのだ。乗務員として大変恥ずべきコトを。ここにはとても書けないが、つまり大チョンボだ。ついついぼんやりしてミスを犯してしまった。他の皆は常に気をつけているから、こんなコトは起こさない。私はやはりどこかが抜けているのだろう。
 「無事故で問題なくやってこれたのは、JR車掌として、常に意識と自覚を持って職務を遂行してきた結果に他ならない」などと、つい先日エラそうに書いたばかりだ。面目丸つぶれ。肩身が狭く、恥ずかしいったらない。今回は酒の力など借りなくてもヘロヘロである。
 控え室にいた私は、雑念にかられて、ついついぼんやりしてしまったのだ。ハッと時計を見たら、発車時刻までナント一分と少ししかない。グッタリとうなだれ、恥ずかしさをグッと耐え当直助役に申し出た。「スミマセン、もう間に合いません」。
 つまり乗務することができなかったのだ。部内では「欠場」という。私と交代するはずの車掌は引き続の乗務となり、また長い旅に出る。交代乗務員がいないといって電車を止めることはできない。JRの「商品」に傷をつけてはならないのだ。その車掌には後で平身低頭詫びるしかない。すぐに指導助役に呼ばれ、事故報告書なる事実経過を書き、さらになんと欠勤願いも書かされた。処分は上の人事が決めることだが、どうやら賃金カットになるらしい。
 次の乗務時間になったので、ひとまず退席し、一日の乗務を終えると、今度は区長室に呼ばれた。区長、副区長(今年度から主席から副区長という名称に変わった)、指導助役の三人の前で、「明日からは心機一転して乗務をするように」と、厳しい注意とお叱りを受けた。
 同僚達に言われた。「やっちゃったね」「どうしたんだよ」「誰も驚かないから心配するな。斎藤がやったんだもの」「書くネタが増えてよかったな」。なんとでも言ってくれぃ。グスン、自分でも情けなくなってしまう。本当に最低だ。それにしても、オレってどうしてこんなにサイテイが似合うのだろう。これでも深く反省している。まさに不徳のいたすところです。

○月×日
 職場の掲示板には、「事故速報」という箇所がある。現在は「欠場事故発生」がたった一枚、燦然と輝いている。もちろん私が犯したチョンボのヤツだ。こうしてこうなったという事実経過と、今後こうしようという改善策が簡単に書かれている。
 一番目につく場所なので誰もが見るのだが、たとえ読まなくても「欠場事故があったので気をつけるように」と、助役との厳正なる乗務前点呼時に、一人ひとりの耳にねじ込まれ、全員にキッチリ周知徹底される。
 事故が起こると再発防止もさることながら、やはり誰がやったかということに興味が湧くものだ。「ダレ? だれ? 誰?」とヒソヒソやるわけである。「斎藤だって」「あの斎藤か」と、どんどん広まっていく。なかには「ふん、ヤツか。バカめ」とほくそ笑んでいる人もいるだろう。それは一向にかまわないのだが、事故の話が広がるのは気が重い。全国津々浦々のJR路線に広まるわけではないが、恥ずかしいよね、やっぱり。
 しかし、明日は我が身と危機感を抱き、これを他山の石として各自事故防止に努めてほしいと願うものである、などと書いても、私にはもはや説得力もなにもない。「お前には言われたくない」そりゃそうだよね。私は今日もうつむき加減で出勤した。そしたらナント!! あれから五日しかたっていないのに、私と同じチョンボをやった人がいるというではないか。「あぁお気の毒」としかいいようがないが、できれば私の掲示は外してほしい。 それにしても人づてとは恐ろしいもので、助役が点呼の際に「またあったので」と言ったのが、「またやったので」と皆に伝わり、しまいには私がまたやったということになってしまったのだった。なんなんだよ、まったくさ。憂鬱な日々は当分続くのか、ヤレヤレ。

○月×日
 「さあ帰ろう、いつまでも子どものままじゃいられない」心の中でそう呟き、店を出る決心をした。
 「ありがと、マスター」店のママが私に言った。
 「えっ、マスターって?」
 「駅長はステーション・マスター、車掌さんはいってみれば、レールウェイ・マスターでしょ」
 不意をつかれた。「車掌=コンダクター」しか頭になかった私は、なんだか嬉しくなり、もう少し飲みたくなってしまった。が、やはり帰るしかない。明日の勤務は早いのだ。
 こうした馴染みの店でグラスを傾けるときの解放感がなんともたまらない。ここには競争も差別もなく、あるのは疲れた心を癒す安らぎだけ。まさにオアシス。エリート商社マンも、売れない画家も、皆私と一緒なのだ。隣り同士、肩を並べてくつろいでいる。
 今日も静かに飲めたことに感謝しよう。何事もあまり深刻に悩むのはイケナイ。明日は必ず良くなると信じよう。限られた人生を健全な精神で、明るくしたたかに、できたら痛快に生きていきたい。頑固なことも良し悪し。意見の相違や批判にはできるだけ耳を傾けよう。時代とともに自分自身も変わっていきたい。
 真っ暗な帰り道、気がつくと『失恋レストラン』を歌っていた。「マスターか……」ママの優しい笑顔が目に浮かんだ。なのに家が近づくにつれて、なぜか私を睨む妻の顔に変わっていったのだった。現実はキビシイ。

○月×日
 ふと思った。素人の浅はかな考えかもしれぬが、東京地裁の判決前に、「和解」というウルトラCをやるのではないかという気がしてきた。要するに判決は出ない。 短絡的な言い方だが、万が一国労が負ければすべて終わりである。逆に勝っても、この先の長期化は避けられない。しかし1047名闘争団の人間としての名誉は早期に回復させなければならない。一生が訴訟で終わるなんてあまりにも非人間的だと思う。
 それに、地裁が労働委員会を否定し、国労勝利という判決を出せるのかという疑念が断ち切れない。国が国を否定するだろうか。ここはうやむやが好きで、白黒ハッキリが嫌いな日本なのだ。
 トップのリーダー達はそれこそ大変だろうが、私達の知らないところで、一体どんな駆け引きが行われているのだろう。

○月×日
 朝日新聞社の週刊誌『アエラ』に、中曽根康弘元首相が国鉄分割民営化について語った記事が載っていると聞いてから、随分日がたってしまった。久しぶりに図書館に行ったので、係の人にバックナンバーを探していただき、読んでみた。
 「昭和の妖怪」と恐れられた岸信介氏を引き合いに出して、「最近はボクも妖怪と呼ばれている」と発言し、民営化は「国労を潰せば総評も壊滅するということを明確に意識してやったわけです」と語っている。
 そんなことはわかりきったことで、国労が当初から訴えていたことだ。国民には「国鉄の膨大な赤字を解消するための民営化である」と一本槍だったが、その狙いの一つは氏が語っているように、日本労働運動史上最強の国労を潰して、戦後労働運動史を終わらせることにあったのだ。
 この十年間で確かに氏の思惑は当たり、左・総評、社会党は解体され、まさに資本の狙い通りに推移している。しかし危機感もあるはずである。手を変え品を変え執拗に続けられた攻撃に、国労はほんとうによく耐え抜き、今なお三万人の団結を堅持し残っている。このことは日本の平和と民主主義勢力を再結集する闘いに発展しかねない。また、そう願っている良心的な人は決して少なくないと思う。
 現場では新採用の若い青年達が、差別や不当な扱いを受けているのが目に見えているにもかかわらず、大・東労組でなく小・国労にわざわざ加入する画期的な事象も全国でボチボチ見られている。国労にとっても先細りしている運動に今後の展望が開けるだけでなく、非常に大きい意義を持つと思う。
 国労は労働組合として当然のことをやっているだけだが、それがJR内では魅力的なのだろう。裏を返せば、東労組は矛盾に満ちているということの現れではないか。私のまわりにも、所属は東労組だが心は国労という、「隠れ国労」が大勢いる。
 図書館のすぐ目の前を走るJR中央線の警笛が聞こえた。「ん? なぜオレがここにいるとわかったのだろう」

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/サイキョウ線 春一番 JC常務

■月刊「記録」1997年5月号掲載記事

○月×日
 JR中央線は今日も大勢のお客様にご利用され、親しまれている。JRの電車は縦横無尽に走っているように見えても、実に規則正しく、精密なダイヤの上で厳粛に走っている。
 各駅でお待ちしているあなたを、あなたとあなたも、「乗りたい」という意志を最優先に尊重し、どんどん詰め込んでいく。一車両で一人が占める面積からはじき出された144人という定員も、ラッシュ時ともなればお構いなし。いつも定員オーバーで身動きすらとれない。
 さて、新聞やテレビでも報道されたが、警視庁は首都圏で最も痴漢の被害が多いといわれるJR埼京線で、「痴漢撃退作戦」を展開するという。一週間かけてのべ1000人を動員し、空前の規模で実行するそうだ。
 2月18日付の『夕刊フジ』には「最後部車両に気をつけろ」と書いてある。車掌は最後部車両で、安全確実な運行を至上命題として職務を厳正に遂行しているのだ。車掌には車内秩序の維持という職務もあるので、時々車内にも目を向けているが痴漢など眼中になかった。
 しかしなぜ最後部車両なのか。これはどうも乗り換え口に近かったりする関係で、混雑度が高いため、というのが原因のようだ。この乗務員室と仕切り一枚隔てた車内のあちこちで、いかがわしい行為が行われているのか!? 許せん!
 私はいてもたってもいられない気持ちだ。映画などの演技ではなく、本物を見てみたい……ん? ち、違うってば。人としての尊厳の欠片もない、サイテイなウジ虫どもをとっ捕まえてやりたいのだ。しかし、今日も乗客の表情を注意深く観察したのだが、皆苦痛に満ちているだけでゼーンゼン分からずじまいであった。まさか、それが演技ではあるまい……。やめてくれ。
 ちなみにわが中央線は二位ということで、辛うじて面目を保ったが、埼京線は断トツだという。さすが別名最強線である。

○月×日
 東京では、土埃で目を開けていられないほどの春一番が吹き荒れていたさなか、目を疑うようなニュースが飛び込んできた。
 JR東日本本社勤務の元社員(昨年懲戒免職)が在職中、三年間にわたり、オレンジカードやイオカードなどのJRのプリペイドカードを悪用し、なんと13億という巨額の詐欺の疑いで逮捕されたという。このような不祥事は、いつの時代も大なり小なり後を絶たないが、まさに前代未聞である。
 怒りよりも先に、ただただ呆れ返るばかりで開いた口がふさがらない。私など、来る日も来る日も信号の現示に特段の注意を払い、「出発進行」の指差喚呼の繰り返しでコツコツと働いている。特に可もなく不可もない。 仕事が終わると帰宅の途につき、歩行者信号が「みどり」になったら足早に進み、「あか」提灯の前では忠実に足を止め、月に何万円かのおこづかいを工夫しながら暮らしているのだ。それでも十分幸せだと感じるのは、悪いことをせず正しく生きているという確信があるからだと思う。
 この逮捕された、本来なら私達の模範となるべき本社の社員は、何が原因なのか、突如人間としての歯車が狂ってしまったのだろう。善悪の区別がつかなくなり、金銭感覚もマヒ状態となって、高級車に乗り、高級クラブなどで豪遊していたのだろうか。
 限りなくナサケナイが、深く深く反省して更正すると固く誓い、罪を償い、これからまっとうに生きられることを祈るだけである。なんて私がエラそうに言えた義理じゃあないけどね……。

○月×日
 こうなるともう、エゲツないというか最低だとしかいいようがない。今度は電車の乗務員室に落書きがしてあったと、同僚が教えてくれた。
「三車(三鷹車掌区のこと)の斎藤、殺す」
 私はまだお目にかかっていないが、三鷹車掌区の乗務員で斎藤は二人いる。私でない斎藤氏は品行方正で、そんなことを書かれる理由が見あたらないから、きっと私のことだろう。「オレのせいで本当に申し訳ない……」と、彼に謝った。
 それにしても呆れるね、ったく。そんなことをして喜んでいるヤツの程度、いや、低度が知れる。チクリ・チクリとやっているつもりなんだろう。子ども達のお手本となるべき大人社会でこれだもの。「いじめはなくならないな」と、改めて強く感じた。つくづくナサケナイ。
○月×日
「注意すれば防止できる」とはいえ、人はだれしも大なり小なり、ポカを犯してしまう。
 JRでは、この種のポカが後を絶たず、誠に頭がイタイわけである。電車が停車駅を通過したり、駅員が寝過ごし駅のシャッターが開かず初電に乗れなかったなど、お客様への迷惑は数知れない。平身低頭謝るしかないのだが、できれば蓋をしておきたい。しかしこれがたびたび新聞紙面を賑したりするからお恥ずかしい。
 今朝の新聞にも小さく載っていた。帰宅ラッシュで満員のJR中央線、東京発高尾行下り快速電車が、西荻窪駅で160mオーバーラン(ホームに後部二両が掛かっている状態)して停車したが、後続が迫っていたために、そのまま次の停車駅の吉祥寺駅まで進んでしまった。そのため西荻窪駅で降車するはずの乗客約100人が、上り電車に乗り換えて戻ったというものだ。原因は、運転士がブレーキのタイミングを逸したためと書かれていた。 私が出勤すると、職場は当然このことで持ち切りだった。いつものように、新聞報道以外に山ほどのオマケがついている。当該車掌はうちの職場だが、気の毒に若い人だった。
 話を総合するとこういうことである。まず、オーバーランした電車を所定の停止位置にバックさせるのだが、指令は「後続接近のためそのまま進め」という究極の指示を出した。このやりとりですでに数分が経過している。若い車掌は必死なわけだが、このような不手際は満員の乗客にはかなり長く感じられ、「ナニやっとるんじゃJRは」的な腹立たしさが募ったのだろう。
 そして次の吉祥寺駅に着くや否や、怒りでプッツンしてしまった乗客の1人が、物凄い剣幕で「お前、現行犯だぞ」とか言いながら無理矢理車掌の腕をつかみ、ホーム事務室(約100m先)まで引っ張って行った。ところが事務室は無人である。なんとも不便なのだが、ホーム要員合理化で駅員がいないのだ。それにますます腹を立てたのか、今度はなんと階段を降りて改札そばの駅長室まで連れて行ったのだという。
 そこで見かねた他の乗客が、「あなた1人が客じゃないんだ、大勢の人が発車を待っている、車掌を早く戻しなさいよ」と言ったために、次は乗客同士のトラブルに発展したらしい。この間約10分で、その後ようやく運転が再開された。車掌には幸い怪我はなかったが大変な災難であった。
 この場合は確かにこちらにも落ち度があるが、不可抗力としかいいようのないコトに対しても苦情を受け、ときには暴力をふるわれ怪我を負うのも、私達現場の労働者である。大半が泣き寝入りで終わってしまうが、仕方ないでは済まされない。
 事を荒立てるのは嫌いだが、会社は時と場合によっては毅然たる態度で臨み、対策をキチンと講じてほしい。これは威力業務妨害として告訴も可能なはずである。

○月×日
 東京地裁で係争中である「北海道・九州採用差別事件」の判決が、五月連休後から夏休み前に出されることが必至となった。
 労働委員会の中労委命令を不服として、JRが行政訴訟に持ち込んだものである。いわゆる国鉄改革法23条の解釈を盾に、JR側はいわゆる国鉄改革法23条の解釈を盾に、「国鉄がやったことであり、JRには使用者としての責任はない」との主張を繰り返し、「裁判なら絶対に勝てる」と明言していたのである。
 その中労委命令とは、「改革法の存在を前提としてもJRの使用者責任は免れない。JRは採用にあたり国労に対して不当労働行為を行った」としたものである。これは国鉄とJRの同一性を認めた、私達にすれば当然の内容であった。
 JRはこれに対して、「労働委員会は法解釈を誤認している。支離滅裂だ」として再審査を申立て、ついには行政訴訟を提起して現在に至っているわけである。
 裁判の争点は、①JRの責任論、②不当労働行為の成立、③救済方法、の三つだが、裁判所は「不当労働行為の成否についてはもちろんであるが、使用者性の問題(責任論)について判断を示さないと先に進まないので、この点について集中的な証拠調べをした上で判断を示したい」との方針に基づいて審理を進めた。つまり、不当労働行為問題を切り離して、使用者責任問題についてのみ判断を下すというものである。
 東京地裁は労働委員会命令を尊重し、JRの不当性を認めた公正な判決を出さねばならないはずだ。国労の宮里邦雄弁護士が、法律家の立場として、「裁判所の判断について100%とか、いささかも不安がないとは思いませんが、負けるはずはないと思っていますし、勝利を確信しています」と発言されているのが心強い。
 いずれにせよ、使用者責任ありという判断が正しいかどうか、改革法23条の解釈を含めた判断が下されるわけである。中労委命令は、行政の法理に照らして正当であり、裁判所において取り消される余地はないが、もし万が一というようなことがあれば、労働委員会制度など無意味となり、法が死文と化してしまう。
 国労は、東京地裁判決をこの10年間の労働委員会逃走の総決算ともいうべき最重要局面と位置づけ、残されたわずかな期間の中で、勝利に向けて総力を挙げて取り組まなければならない。なんとしてでも勝たなければならないのだ。

○月×日
 どうも気になるなあ。10年前にうちの区長を務めていたSさんが車掌区に来ていた。いったい何しに来たのだろう。
 私は乗務を終え、車掌区へ戻るところだった。「やぁ、斎藤君。元気にしているか。いま車掌区に寄ってきたところだ。試験受けてどんどん上行かなきゃダメだよ。なんか困ったことがあったら電話くれ、な」と、相変わらずの早口で一方的に喋り、私に名刺をくれて足早に立ち去っていった。
 名刺には「JC代表取締役常務・S」とある。JCとは、いまや雨後の竹の子のようなイキオイで各駅構内に出店されている、JRのコンビニエンスストアのことである。Sさんは車掌区を出てからは新宿駅駅長を歴任した人で、かなりの立身出世だ。
 それにしても不思議だった。ナニって、私の名前を覚えていることが、である。会ったとたんに私の名前が出てきた。私のようなヒラの部下の名前など覚えているものだろうか。しかも10年ぶりなのである。どうしても勘ぐってしまう。私のことで来たのではと。つまり私はJCに配転させられるのではないだろうか。
「オレはJCの斎藤だ」。うむ、いいかもしれない。何事も明るく前向きにとらえたい。しかし、うーむ……。
○月×日
 これぞ青天の霹靂、実に恐ろしい体験をした。そしてこれは非常に汚い話であることを、あらかじめお断りしておかなければならない。これこそ経験した人でないと分からない。私は初めてだったが、同じ目にあった人はきっといる。最近弱っている私は、そんな人達とぜひお友達になりたい心境である。
 私はいつものように、家でお風呂の掃除をしていたのだった。掃除など嫌いだが、仕方なく毎日こまめにやらざるを得ないのだ。そのさなか突然もの凄い悪臭が鼻を突いた。これは排水溝からの臭いだと、すぐにピンときた。ヒマな私は柄付きタワシなどを持ち出してきて、ついでにタイルもキレイにしてしまった。
 掃除を終えて一服していてると、私のシラノ・ド・ベルジュラク並みの鼻先に、さっきの臭いが染みついてしまったようで、気持ちが悪くなってきた。着ていた衣服を全部洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びた。しかしサッパリはしたものの、なぜかまだ臭いが残っている。 そのとき、鼻水がタラリンと滴り落ちた。一ヶ月ほど前に風邪をひいてからは、鼻水だけが長引いていた。それでマスクを手放せないでいたのだが、流行りの花粉症かなと軽く考えて、別に気にもしていなかった。
 ところがである。私は愕然としてウロタエてしまった。突如悪臭の原因が判明したのだ。排水溝などではない。なんと臭いのは自分の鼻水だったのだ。拭いたティッシュを見てみると、それまでは何の汚れもなく美しい(訳はないか)無色透明だった鼻水が、黄色く悪臭を放つ、膿汁となっているではないか。
 熱もあった。一日中何となく身体がだるい気がしていたのは、熱のせいだったのだ。私は、これはまずこの世に例を見ない奇病であると直感した。顔の中、特に鼻の辺りが腐っていて、当然脳も侵され手遅れに違いない……。ホント死ぬほどビビった。
 そうこうしているうちに、今度は口からも膿汁が止めどなく吹き出してきた。自分でも信じられなかったが、現実だからコワイ。しかも臭いは下水の悪臭とでもいうか、最悪なのだ。こんなものを一時でも口に含んでいられようか。吐き気も襲ってきて食事もできない。誰が下水の水で、ごはんを胃に流し込めますか。ただただ鼻をかみ、ペッペ、ペッペしつつうがいするしかなかった。 どうしよう、もう明日から外へ出られない。泣けてきた。私は完全に下水悪臭男と化してしまったのである。 帰宅した妻は、そんな私をしり目に医学書を冷静に開き、呑気に言った。「あなた歯が悪いから、これじゃないかしら……」。そこには「急性上顎洞炎」とあった。確かに症状がすべて合致している。しかしこれほど汚らしい病気が、そう易々と判明してたまるものか。いくら看護婦でも、妻のことなど信用できない。
 翌朝、早い時間に職場に電話を入れて休暇をもらった。ここで助役とのやり取りを書いている場合ではない。それほど大変だったのだ。一番で病院に行きドクターに診てもらうと、悔しいかな、妻の言うとおりであった。「治癒するから心配なし。併せて歯科にも行くように」。トホホ、しばらく病院通いか。気が重い。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/国労本部 カンバン ナメクジ声

■月刊「記録」1997年4月号掲載記事

○月×日
 間もなく東京駅に着く。到着は1番線だ。所定のアナウンスを終えると、乗務員室の窓を開け、左前方をカクニンする。「風速5メートル、北西の風だな」。わが国労本部の屋上に掲げられた赤旗は、今日もハタハタとはためいて心強い。
 職場の分会役員にばかり迷惑をかけてはいられない。済まないという気持ちで胸が痛む。私ももっと動かねばと思う。自分自身のことなのである。元はといえば、東労組の本部が問題にしているということだ。私は発作的に決断した。「これは、あの赤旗の下に行くしかない」と。
 勤務を終えたその足で、私は再び電車に飛び乗った。陽は西に傾きかけてはいたが、私は単身、赤旗を目指して東上したのだった。国労本部は、動員のデモ行進で前を通ったことは何度もあるが、中へ入ったことは一度もない。しかし、緊張などしている場合ではなかった。誰でもいいから、とにかく幹部に会いたい一心だった。それにしても想像とはずいぶん違い、中は雑然としていて庶民的というか……、などと観察している余裕はなかったのだ。入り口付近の人に身分を明かし、「役員に是非お会いしたい」とお願いした。
 運よくすぐに鈴木業務部長が応対して下さった。私はまず、何の連絡もせずに突然伺ったことを深くお詫びし、ここに来ると決断した瞬間よりもさらに逆上しつつ、話を始めた。『記録』に連載していること、その経緯、書いている内容やそれに対して東労組がケチをつけてきたこと、私の現在の心境などを率直に訴えた。
 電話が何度も鳴り、席を外されたりで慌ただしかったが、途中からは宮坂組織部長も見えられて、1時間近くにわたって話を聞いていただいた。職場では職場でしっかりやるから、本部間でも何とかしていただけないだろうかとお願いした。「何かあったらキチンと対応するから心配するな。おたくの分会からも話は聞いている。一応気構えておくに越したことはないが、あまり神経質になって乗務に差し障るといけない。事故でも起こしたら大変だから」と、激励されて本部を後にした。
 嬉しかった。来てよかった。時には、泣く子も黙る国労などと非難される幹部達である。実は、「親方日の丸」労働貴族でふんぞり返っているのでは、という危惧もほんのちょっぴりあったのだ。そんなことは全然ない。どこにでもいる普通のオッサンと何ら変わりない人ばかりで、私は何だかホッとしたのだった。

○月×日
 寒い。寒くて寒くて、たかが10分の自転車通勤が辛く感じてしまう。JR中央線武蔵境駅と三鷹駅の1駅間だけなのに、このごろはわが社の車での通勤が多くなった。根性なしの弱い私である。
 妻も子ども達も、街さえまだ寝静まっている。新聞配達で白い息をハアハアしながら風を切る、自転車のお兄さんとすれ違うくらいだ。夜明け前の真っ暗な駅までの道をひとりトボトボと歩く。
 視界に入ったJRの駅は煌々と光り輝いていて、まるで自信に満ちているかのようにデンと構えている。なぜか私は、ホッと安堵すると同時に、「ああ、なんてJRは優しいんだろう、こんな早くから開いている。仲間はもう働いているんだ」と、当たり前のことに感動すら覚えてしまう。
 「待っていてくれてありがとう、オレを無事に三鷹まで連れて行ってくれよ」なんて、ヘンに素直になったりする私なのである。

○月×日
 今日も快調!! 「出発進行」の力強い喚呼により、オレンジ色した私の中央線は定刻に発車する。西に沈む夕日に向かって、34パーミルのかなり急な勾配を滑るように下っていく。
 いつもの見慣れた景色だが、所狭しとそびえ立つビルの屋上や外壁に掲げられた社名、広告等の看板を眺めるのも楽しいものだ。
 神田駅に進入すると、東側にはサラ金の看板ばかりが目に入る。この街で彷徨う自分を想像するとゾッとするが、1番目立つのは「ほのぼのレイク」だ。私は一瞬真剣に考える。もし「ク」が「プ」だったらと。
 ハイ、さて次の御茶ノ水駅は、電気の街・秋葉原と目と鼻の先ということもあり、電気店の看板が多い。やっぱりここでは、電気のことなら「石丸電気」だ。ビルの外壁一面に店のマークが描かれていて、さすがにデッカイわ、だ。変わったものでは「岩手のササニシキ、岩手県経済連」の古く色あせた看板が目に止まる。
 この向こうに位置する上野駅は、東北・上越新幹線が91年に東京駅乗り入れになるまでは「東北の玄関口」といわれていた。3年前の冷夏による米不足の騒動、タイ米の記憶はすでに色あせてしまったが、東北の農家には大打撃だったに違いない。嫁不足という難題も抱えているのに。
 四ッ谷駅はなんといっても「富士火災」の看板で、時刻と気温が交互に表示される電光掲示板が付いている。私達乗務員のほとんどが見ていると思う。寒い時分に限らず、真夏でも「四ッ谷何度だった?」というのが挨拶代わりになっているくらいだから。
 今話題の新築の紀伊國屋書店と高島屋のモダンなビルを横目に新宿駅に着き、サンプラザの中野駅を過ぎたころにはすっかり暗くなり、街に灯りが灯っている。そして次の高円寺駅にさしかかると、目を見張るような真っ赤なネオンサインが美しく浮かび上がる。なぜか環7沿いのあちこちのビルの屋上にある大きな看板。これをカクニンしてしまったなら、もうたまらない。「酒は天下の太平山」「両関うまい酒」「秋田清酒高清水」と、いいねいいね、5つもあるのである。『中央線看板オブ・ザ・イヤー』はこれに決定!
 今日の乗務は、あと5駅こなせば三鷹駅で交替となり終了する。残り8キロ、時間にして10分だ。「運転士君、もう少しピッチを上げてくれないか」。私の頭の中は、寄り道していく飲み屋のことでイッパイになっている。 2つ先の荻窪駅手前にある、処方するのに「処方せん」という薬局の看板も見落としてしまいそうだ。困ったものだね。これでは飲み屋がカンバンになるまでいるだろう。でも、明日は休みなのだ。

〇月×日
  息子の私立高校の受験結果が速達で届いた。何もしてやれない私は「せめても」と、受験の前日に近所の神社にお参りしておみくじを買った。「吉」と出た。『学業「正しく学べ」』と、なんだかピント外れなことが書かれていた。
 今日は休みである。皆出掛けた1人の部屋で、ビル・エバンスの哀感を帯びたピアノを聴きながら、二日酔気味の身体を癒していたのだった。するとチャイムが鳴り、速達が届けられたのだ。私は「合格」の2文字をこの目で確かめるため、急いで封を開けた。
 ところが、間違いなく3文字ある。「信じられない」と、一瞬目の前が真っ暗になってしまった。正しく学んできたのに余計な「不」がついている。私は通知を片手に、しばらく家の中を意味もなくウロウロしていた。
 ピリピリと気が張り詰めて神経質になっていた息子は、私の助言や忠告など一切聞き入れず、自分で勝手に志望校を決めていた。妻も「一番よく知っているのは彼だから」と、息子の言いなりで呑気に構えていた。私も内心、「息子なら大丈夫」と思い全然心配していなかったのだ。だがもはや後の祭りだ。
 今日まで人一倍頑張っていた息子の姿と、下校して通知を見た時のガックリ肩を落とした息子の顔が私の瞼に何度も重なっては消えていく。息子に対して私ももう少し一生懸命であるべきだったと、深い反省の念がこみ上げてくるのだった。
 「挫けるな、強く生きろ」と自分にも言い聞かせる。息子の前で私があたふたと動揺しているわけにはいかない。下校したら、「都立でガンバレ!!」と励ましてあげるしかない。それにしても辛いものがあるなぁ、お父さん役って。

○月×日
 「ダウンジャケットとも、そろそろオサラバだなぁ」と、春を待ちながらも、寒がりの私は背中を丸めて手放せないでいる。
 2ヶ月にも及んで張り出された地本のビラや私の作品のコピーが、東労組掲示板から姿を消して数日が経った。私の中でピンと張りつめていた緊張感の一つがどこかへ飛んでいった。その矢先、区長からの呼び出しがあった。主席も同席である。
「どうだね斎藤君、少しは落ち着いたかね」。これはもちろん私のアホバカ文についてである。地域本社など、上からの問い合わせが何度も何度もあったのだという。東労組から区長・主席のところにコピーが渡っているのは知っていたが、やっぱり会社側もしっかり読んでいたのだ。ここ(車掌区)から私のようなトラブルメーカーが出てしまったんだな。私はなぜか、「区長に申し訳ないことをしたのかな」という気持ちになったのだった。 区長は例の第4回のコピーを持ち出してきて、「猫なで声とかなら分かるが、ナメクジ声とはどういうことか。私はナメクジとは言っていない。コレを読んだ限りでは、私が斎藤君の声をナメクジだと言ったと思われてしまう」とおっしゃった。面接リハーサルの「そのナメクジ声にメリハリをつけて」という箇所についてだ。
 まったくおっしゃる通りである。私は細心の注意を払って書いているものの、誠に迂闊であった。区長に謝るしかなかった。言い訳は嫌いだが、私の清廉潔白を証明するとしたらこういうことだ。つまり、私はある時期から一貫して、「自分のヒドイ声質はナメクジである」と定義づけしてきた経緯があり、「声にメリハリをつけて」という区長の言葉に、ついついナメクジを付け足して書いてしまった。乗務中はしてはならない「無意識動作」が、日記帳の中で出てしまった次第なのである。
 雷が落ちると覚悟を決めたのだが、「斎藤君が分かってくれればそれでいい」と、なぜかいつもとちょっぴり違うような、それでいて太っ腹で優しいのは、やっぱりいつもと同じ区長なのであった。また、リハーサルを終えて「ぐったり疲れて」というところは、上から「そんなキツイことをしているのか」と聞かれたりして、とにかく大変だったという。
 私はさまざまな解釈があるものだと改めて驚いてしまったが、このようなことは苦手だということを表現したに過ぎないのだ。皆に合格してほしいという、区長の厚意は百も承知なのである。区長はもうその他のことについては一切触れなかったし、私も何も聞きはしなかった。 事の顛末は以上だが、この春の人事異動で2人ともよそへ転勤だという。区長には3年間もお世話になり、主席はわずか1年で異例の栄転である。おめでとうございます。しかしながら、「何だか済まなかったね、区長」「主席よサラバじゃ」。中央線のことはオレ達に任せてほしい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/臨時回送 協約違反 作家先生

■月刊「記録」1997年3月号掲載記事

○月×日
 早朝の乗務だった。猫が線路のそばで死んでいた。きっと真夜中に轢かれたのだろう……。首都圏では滅多にないが、この季節、天気予報が雪だったりするとJRはにわかに慌ただしくなる。
 「雪は降る、あなたは来ない」。アダモの歌を思い出すが、日本の企業戦士は雪が降っても槍が降っても、JR中央線に乗って毎日毎日出社しなければならないのだ。「雪なら休もう。『明日は月の上で』『サン・トワ・マミー』でも歌っていよう」などと言ったら『ろくでなし』扱いにされてしまう。現実はキビシイ。休むわけにはいかないのだ。
 JRは、御利用されるお客様の安全とサービスを第一に、降雪時も初電からの定時運転を確保しなければならない。本社では速やかに「雪害対策本部」が設置される。また、駅では線路のポイントが凍結しないよう、すべての箇所にカンテラを備え付ける。そして架線等の凍結防止のため、終電が終わってからも初電までの間一晩中臨時回送電車を走らせるのである。
 年に数えるほどもないことだ。猫には気の毒な運命となってしまった。毎晩決まった時間に規則正しく線路を横断していたのだろう。そこへ来るはずのない電車が……。こんな寒い真夜中は、炬燵で丸くなっていればよかったのにね。

○月×日
 JRの労働組合は、私達がいる職場単位の「分会」、分会をまとめる「支部」、さらに各支部を仕切る「地方本部(地本)」、そして中央に「本部」という図式になっている。
 さて、分会の掲示板には上部機関のものや分会の機関紙などが所狭しとベタベタ貼ってあるわけだが、最近東労組の掲示板に張り出された東労組東京地本のビラが物議をかもしている。
 それは、うちの職場の国労組合員の個人名を出し、誹謗中傷したもので、事実とは全く異なったことが書かれているのだ。地本のビラにしては幼稚で情けないが、東労組はJRの責任組合である。キチンと襟を正すべきではないのか。どういうことかというと、JR会社と各組合で締結している協約の掲示類の項・第65条には「……個人を誹謗し、事実に反し、又職場規律を乱すものであってはならない」と明記してあるのだ。この掲示は明らかに協約違反である。
 わが国労分会の三役は、会社の管理責任として掲示を取り外すよう東労組を指導してほしいと、主席助役に抗議に行った。ところが、主席は「コメントできない」という実に不誠実な態度に終始したということである。結局は取り外されていない。一体どうなっているのだろう。 実は、JRの職場では管理職である助役、主席のすべてが東労組の組合員であるという矛盾がある。純粋な? 管理者は現場長(区長)1人なわけだ。まさか主席は普段は管理者で都合の悪いときに東労組ということはないだろう。しかし、国労がこのような掲示をすれば主席はすぐさま「外せ」と命じるに違いない。
 名指しで掲示された者の精神的負担は相当なものだろう。一体どんな思いで毎日乗務しているのだろう。私はできる限り励ましてあげたい。人間誰しも自分がかわいいものだ。掲示された者とは、何を隠そうこの私なのである。ゴメン。許してほしい。私はいつも笑って生きていたいのだ。
 東労組のAさんが私に言った。「典ちゃん、もう年も変わったんだから忘れろ、な。騒いでいるのはうちの一部の役員だけなんだから……」。そんなこと言ったって、向こう(東労組)が忘れてくれないだろう。掲示の外される気配は全くない。どうすりゃいいんだよ、オレ。

○月×日
 分会三役は、「主席じゃ話にならないから……」と、今度は「個人攻撃の掲示物撤去の要請について」という文書を作成し、区長の所へ行ってくれた。
 私は「拙者のためにかたじけない。で、殿はなんとおっしゃっていたのだ」と役員に聞いた。「それが、驚くではないぞ斎藤よ」と前置きして、役員は険しい顔付きで話してくれた。
 当然のように文書の受け取りは拒否である。JRになってから組合の弱体化を狙ったのだろうが、現場での組合との交渉は一切やらないのが会社の施策なのだ。それでも国労は、こうして正当な事実を積み重ねながら闘っている。正しいことを譲るわけにいかない。
 区長は、問題の労使協約第65条についてこう言ったという。「例えば、組合が私のことを名指しで批判した掲示はダメということだ」と。つまり、労・使間のことを謳っているのであり、労・労は関係ないというのである。「と、殿は正気であったのか」と疑ってしまったが、それを聞いた私は怒りどころか、笑いがこみ上げ泣けてきた。時代劇で知恵の回らぬ殿様がサル芝居を演じているかのようであったからである。
 この文章は個人への中傷になるのだろうか。しかしここに書いたことは事実なのだ。

○月×日
 JRの車内放送は十人十色でおもしろい。「はっきり、ゆっくり、わかりやすく」という指導がされているが、その人の性格や癖が如実に表れる。早口で何を言っているのか聞き取りづらい人、あまりにもゆっくりすぎて放送が終わらないうちに次の駅に着いてしまいそうな人と様々だ。
 なかには「次は」という切り出しが、まるで昔話でも始まるかのような感じの人がいる。「昔々、年中休んでばかりいる『ねん休さん』という坊主がおったそうな……、次は高円寺です」となりそうである。また、「次は四ッ谷」と言った瞬間、怪談が始まるのではという、ちょっぴり不気味な声質の人もいる。
 私はといえば、ナメクジ声でサイテイなわけだが、耳から血を流し気絶した乗客がいたという話はまだ聞いていない。
 なんといってもこれまでで一番笑えたのは、国鉄新宿駅勤務だったころの大先輩の駅構内放送である。定年間近のおじいさん(若い私にはそう見えた)駅員だったが、毎日一緒に仕事をするのが楽しくてしょうがなかった。まず、電車が駅に接近すると「高尾行きい」と一発かます。次に電車がホームに止まるとやはり、「高尾行きい」とだけ言う。そしてドアが閉まるころに「高尾行きい」と唸る。電車が発車して動き出しても「高尾行きい」とだけ叫ぶ。もう電車が見えなくなっているのに、まだ「高尾行きい」と呟いているのだった。やさしくてマジメな人だったが、どういうわけか「行き先」以外は一切言わなかったのだ。
 それでも今のような苦情などなく、静かな時代だったなとつくづく思う。今のこのあくせくした張りつめた世の中といったらない。駅名の放送がなかったから乗り過ごしたとか、発車ベルが鳴らずにドアが閉まったとか、ドアに挟まれたといった些細な(場合によるが)ことへの苦情が多すぎる。私達は皆一生懸命やっている。もう少しのんびり行きたいものである。

○月×日
 私が住むJR社宅の隣にある市の保育園がこの3月で移転するという。保育園は長年にわたり地域の方々から温かく見守っていただいたとして、ごく近所の人達を誘って「感謝のつどい」なる会を開催した。
 私は社宅の自治会長から「社宅を代表して出席してくれないか」と頼まれて、その日は平日だったが、ちょうど公休だったので快諾した。うちは15年間も保育園にお世話になったのである。4人の子どもは皆0歳から通っていた。末っ子の卒園で保育園ともこれでお別れだという時、今ではほとんどなくなってしまった一家団欒の場で、妻はいみじくもこう言った。「これだけお世話になったのだから、保育園にご恩返しをしなくてはね……」。 さて、大安吉日の月曜日の午前中、私はいつもより清楚ないでたちで出かけたのだが、少し戸惑ってしまった。男は私と近所の年輩の市議さんだけ。平日の日中といえば男性は大半が仕事で留守である。場違いというか窮屈な気もしたが、帰るわけにもいかず、かしこまりながら出席するしかなかった。どうもこのごろ読みが甘い。
 会は保育園のホールで行われ、園児達の元気な歌やお遊戯を見て昼食を共にするという2時間ほどのものだったが、私は次第に穏やかな気持ちになっていった。小さな園児や保母さん、そして保育園のホールを見ていると、遠い昔のことが次々と思い出され、懐かしさで胸がいっぱいになってしまった。「うちの子ども達もこんなに小っちゃくてかわいかったころがあったんだなあ」と、妙に優しい気持ちになり、時の流れをしみじみ感じた。
 今では長女が市の嘱託だが保母として働いている。「これってご恩返しかな……」と心の隅でちょっぴり嬉しくなった。

○月×日
 今度はナント、「S作家先生による残りの作品は次のようなものです」という見出しで、私のアホバカ文すべてがコピーされ、東労組の掲示板に張り出されている。第4回のみならず1回から6回まである。隣には「よくぞここまでエエ加減に書けたナ!」の、私を名指しで中傷した東京地本のビラがまだ貼ってある。
 「作家」だなんて……。そんな大それた、程遠いよ。「先生」とんでもない、似合わないよ。でももう何でも構わない。私は既に身も心もボロボロ「ピエロ」になっている。苦労してやっと書き上げたものだから大勢の人に読んでもらいたい気持ちは当然あるが、こんな形じゃ本当に悲しくて涙がこぼれそうになる。
 東労組の若い新人車掌が食い入るように読んでいたので、私は思い切って感想を求めてみた。「なんだかオモシロイです」。「そうか。で、斎藤って知ってる?」と尋ねると、「いいえ、どんな人ですか」と言うので、私はいくぶん左胸を突き出して、「私だよ」とネームプレートを指差した。すると「ボ、ボク乗務ですので……」と、その場からダッシュで離れていったのだった。ゴメンね、ビックリさせて。200人もいる職場だから知らないのも無理はない。それにしても逃げるとはね……。 私はカゼをひきマスクで出勤した。同僚達は口々に言う。「典ちゃん、変装したって無駄だよ、」「バレバレさ。そのデカイ鼻じゃあね」などと、人が苦しんでいるのに皆ロクなことを言わないのだ。でも嬉しい。やさしさだと受けとめる。

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JRサイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/正月休み ビデオ 公開申し入れ

■月刊「記録」1997年2月号掲載記事

○月×日
 「最悪だよなぁ」どこまでツいてないんだろう、ったく。
 年末年始といえば、臨時列車なども増発となり、稼ぎ時で休んでいる場合ではない。私達の仕事は一つの区切りというものがない。一般の企業ならば、「1年間ご苦労様でした」と、年末28日頃に御用納めをして休暇にはいる。そして「本年もよろしく」と、新年4日頃に御用始めというのが普通であろう。わが社でそんなシステムになっているのは本社のおエライさんくらいではないのか。
 たとえば、仲間同士で忘年会をやる。全員翌日が休みならいいのだが、中には早朝5時の出勤の人もいる。そんな人は、「今年も終わりだなぁ」などとしみじみ感慨に耽りながら杯を重ねるとか、「お正月はハワイで新年を迎えるのだ」などという発想は未来永劫生まれることはない。明日も忙しいのだ。
 別に飲んだからといって「デレッ」とならなくてもいいのだが、仲間同士の酒の席でも慎重に対処しなければならない。千鳥足、勇み足は断じて許されない。サッと切り上げて駆け足で帰宅しなければならない。従って、どうしてもため息混じりの雰囲気になりがちで困るのだが、己の心の中で終わりと始まりの区切りを厳しくつけるしかないのがJRマンなのである。
 予め指定された勤務表を見て、運良く大晦日と元旦が休みになっているとか、元旦と2日が休みということに一喜一憂するわけだ。今回の年末年始はといえば、年末28日から元旦までの4日間と1月3日から5日間の勤務となっている。つまり、休みはなんと1月2日に1日だけという最悪な指定となっているのだ。
 何も今に始まったことではなく、もう何十年もこうしてやってきたから慣れたといえばそうなのだが、せめてお正月は2・3日は休みたいというのがささやかな希望である。
○月×日
 さあ今日もいるだろうか。あの踏切を過ぎた沿線の原っぱに。お散歩にはちょうどよい時間帯だ。エプロン姿の2・3人の保母さんに連れられた10人ほどの保育園児達である。
 電車の風圧による風に目を細め、乗務員室から顔をのぞかせ前方をカクニンすると、やっぱりいたいた。皆が私を待っている。「ハイよ、今行くヨ」そう呟きながら、選挙の立候補者のように白い手袋の手を振り返す。
 「ご声援ありがとうございます。ありがとうございます」。相手は園児である。もちろん名前は分かりやすく平仮名で名乗る。「さい党の、のりおでございます。今日も中央線に乗って頑張っております。昇進試験はあと一歩でございました。今度こそ、ぜひとも受からせて下さい。一日一善を必ず実行いたします。さい党の、のりおでございます」と。
 園児は「やったあ、やったあ」と、それこそ大喜びする。電車の轟音にかき消されてその声までは聞こえないが、バンザイしながら飛び跳ねるしぐさでよく分かる。
 世の中には、一日一偽善(などという言葉はあるのかナ)のオエライさんは大勢いることだろう。それに比べたら、こんな何気ないささいなことで、たとえ何人かの子ども達であっても喜んでもらえるのは素晴らしいことではないだろうか。私はこんな時、「今日はいいことしたのかな、オレ」とちょっぴりホットな気分になってしまうのだ。
 しかし、いったいどうしたことだろう。この頃では一生懸命手は振るものの、視線はなぜか若い保母さんに向いているのだ・・・・。
○月×日
 ビデオを観た。「JR無法地帯・東労組はこうして国労組合員を脱退させた」というタイトルがついている。
 東労組の若い新人車掌3名が国労に加入したら、再び連れ戻されたという、例の高崎での「拉致・監禁」事件である。
 国労は異常事態に対応するため、動かぬ証拠としてカメラを回していたのだ。
 40・50人もの東労組組合員が乗務中の車掌に暴言・罵声を浴びせている異様な様子。勤務を終えて帰宅するはずなのに、20・30人に取り囲まれながら、ホーム・改札を駆け抜け東労組事務所へ連行される状況説明。普段ならば出入り自由な車掌区の正門に管理者が張り付いている。東労組は出入り自由なのに、国労は勤務者以外は一切入れぬよう阻止線を張っている。まさに東労組と会社は一体だ。深夜乗務を終え宿泊所へ向かうT君に付き添っていた国労役員が、「安心して寝かせられるように」「代表者を宿泊所に入れろ」と、弁護士さんと共に主席助役らに申し入れをしているところ。主席が「責任をもって寝かせる。東労組には接触させない」と約束したにもかかわらず、宿泊所内で待ちかまえていた東労組員が「若いくせして生意気だなテメエは」とつるし上げしているようなカセット録音の声など、繊細に記録してあった。
 「拉致監禁」といわずして、なんといおうか。東労組も会社側も「そのような事実はない」と主張している。同期の若い仲間達の説得で東労組に復帰させたと、ウソの掲示までしている。
 T君はハッキリ語っていた。「他の2人は強制的に(東労組へ)戻されて悔しいが、本心で戻ったのではないと思う。昨日はやっと寝られると安心したのに、やっぱり囲まれていろいろと言われた。ヤツらのやり方は本当にきたない。脅しなんですよ」と。
 最後は釧路闘争団員からの激励のお便りで結んである。
 「たいへんな事態を知り、急ぎペンを走らせています。暴力を許してはなりません。T君はどちらが悪いのか、身近に見てご存じと思います。私達は差別・選別され家族共々苦しめられてきましたが、勇気を持って立ち上がれば必ず報われるものです。現在の東労組の焦りは、悪の追いつめられた姿なのだと思います。悔いのない人生を切り開きましょう」。
 このビデオを東労組の心ある人達に見てもらいたい。
○月×日
 私が慕っている、職場の先輩であるYさんからヘンなお願いをされてしまった。
 本を読んで欲しいのだという。それも5冊もである。「とりあえず、この2冊を読んで欲しい」と渡されたのは、松下竜一著『豆腐屋の四季』と、黒井千次著『働くということ』だった。あまりにも有名な『豆腐屋の四季』は、テレビや書評等で内容は知っていたが読んだことはない。また、『働くということ』は新書版で、なんだか堅くて取っつきにくそうだった。
 それにしても、いったいどうしたのだろう。こんなことは初めてだ。私が「読んで感想文書けなんていうのなら、イヤだよオレ」と聞くと、Yさんは幾分殊勝な顔付きになり、こう言うのだった。「人はなぜ働き続けるのか。たとえ賃金が安くても、たとえ差別されても、たとえ希望がかなえられなくても、人はなぜ働き続けるのか。そのようなことを頭に入れて読んで欲しい。読んでくれればそれでいい」。
 しかし、では早速今晩から読む、というわけにはいかない。今読んでいる本、また次に読もうと決めているものもあるのだ。また都合の悪いことに、私は本を読むのが非常に遅い。何より読書家ではないのだ。Yさんはさらに言った。「もちろん時間の空いた時に、何ヶ月かかってもいいから」と。
 お願いされたからには、酒を飲みながら読むというわけにもいかず、「やれやれ」という気分だったが、後輩思いのYさんのことだ。思いやりなのである。軽率な私へ「もっと切磋琢磨しなさい」という激励と受け止め、真剣に読んでみようと思った次第である。
○月×日
 この頃は、だんだん口をきくのもイヤになってきた。喋れば喋れるほど、私は自分の愚かさをさらけ出しているかのようだ。
 音楽でも聴こう。帰宅しても職場のことが頭から離れず、あまりにも目まぐるしい憔悴の日々が続き、少々ノイローゼ気味になっている。これではイケナイ。私には強い味方ビートルズがいたのだ。どんな時でも私の弱い心を癒やしてくれたっけ。すっかり忘れていた。聴こう。今すぐ聴こう。1晩中聴いていよう。「来る日も来る日も乗務員室で一人、薄ら笑いを浮かべた私が静止している。誰一人として私に近づこうとはしない、誰もが私をバカ呼ばわり、そして私も返事一つしようとしない。乗務員室での愚かな私はビルに沈む夕日を眺めながら、大きく開いた心の眼で回る地球を見つめている」。「フール・オン・ザ・ヒル」という名曲だが、ビートルズが私のことを歌ってくれているとは知らなかった。ありがとう。私は丘の上のおバカさんだったんだね。
 次に邦題が「ひとりぼっちのあいつ」という曲だ。「ひとりぼっちの斎藤よ。聞いてくれ、君は大切なものを見失っているんだよ。ひとりぼっちの斎藤よ、世界は君の意のままなのさ。だけどアイツは盲人も同然、都合のいいものしかみようとしない。ひとりぼっちの斎藤よ、君にこの僕が見えるかい」。泣けるなあ。ビートルズはこうしていつも私に優しく語りかけてくれるのだ。私にはビートルズがよく見える。
 眠くなったら「グッド・ナイト」を聴く。「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、太陽が静かに昇るようでとても美しい曲だ。
 「ほら、陽が、明るい陽が差し込んできた。これでもう大丈夫さ」。
 ビートルズには私のすべてが詰まっていると思う。感謝。
○月×日
 実は、昨年の『記録』11月号に掲載された私の「サイテイ日記」第4回の1部分が、JR東労組内でかなりの問題となっており、東労組対私共々国労間でなにやら険悪なムードになっているのだ。
 東労組の役員が「アレは何なんだ」と私に問いつめたり、国労に対して「公開申し入れ」を行ってきたりと、ピンと張りつめた空気が漂っている。
 彼等の読解力は大変スバラシイものであり、私はただただ「それは誤解だよ、拡大解釈も甚だしい……」と心の中で呟くしかない。また、私の文章を改ざんして、機関紙などで問題提起するといった信じられない手法のために私は悪玉にされ、読むものにも真実が伝わっていない。そんなわけで、私は悩み嘆き悲しみの毎日である。本当に気が滅入り、自分でも驚くほどナーバスになっている。これでは東労組に脱帽どころか、円形脱毛症になりはしないかと非常に心配でしょうがない。
 ところで、こうした東労組の動きに伴い、ちょっと不思議なことがあったので記しておきたい。どんなことかというと、新宿のとある書店では『記録』11月号がすべて売り切れになったり、うちの職場の東労組のM君がわざわざ『記録』編集部まで第4回以外の号を買い求めにいったりなど、誠にごくろうさまな事態と相成っている。
 それにしても、今まで『記録』の存在すら知らず、別に読みたくもなかった人まで、みんな目を皿のようにして、「サイテイ日記」一字一句を舐めるようにして読んでいるのだろう。普通なら愉快になるところだが、私や国労を攻撃するためだけなのだから、情けないことこのうえない。
 コトの成り行きを詳細に掲載していただこうかとも考えたが、一連の出来事はあまりにも支離滅裂であり、私も感情的になりそうで今回はやめにした。迷惑をかけてしまった仲間達へお詫びをして、この問題はもう終わりにしたい。さまざまなゴタゴタは私の日記帳の中でぐっすりと眠ってほしい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/内助の功 鉄道オタク 12月

■月刊「記録」1997年2月号掲載記事

○月×日
 今この生活があるのはJRのおかげである。仕事は楽しく酒もウマイ。感謝している。しかしこと争議関係となると「ねえ、ねえ、オカシイよねえ」と、私は会う人会う人に言いたくなる。部内で解決できない異常な状態だから、国労は外へ訴えるのだ。
 国の所轄である労働基準監督署に行くと、「JRはまだこんなことやってるんですか、変わりませんね」と呆れられる。そして、上部の労働基準局からも厳しい指導を受けるのだが、一向に改善されない。「JRといえども労基法の適用除外にはならない」と。それにしても「いえども」という表現には考えさせられる。
 また、同じく労働委員会が発した不当労働行為の救済命令にも、JRはどこ吹く風とばかりに一切従っていない。その数はなんと132件という前代未聞の異常ぶりで、中労委でも多くの事件が結審して21件の命令が出ているのだ。普通の企業なら命令に従うのが常識ではないだろうか。JRは裁判所へ提訴して争っているが、最高裁の判決に対してまで何のつもりか、「不本意だ、判決を取り消してもらいたい」などと、反省のカケラもなく、さまざまな法違反を平気で犯し、国の法体系をないがしろにしているのだ。どう考えてもオカシイ。つくづくヘンだと思う。
 事件を起こした張本人達は、争議をこれでもかこれでもかと引き延ばして出世コースを歩んでいる。そして、救済命令・勝利判決を受けた正当な人達はいまだに辛酸をなめ、以前の状況と何一つ変わっていない。こんなバカげたことがあってよいはずがない。私はどうしても納得できないし、断じて許せない。
 ふと思う。私達のやっていることは、まるで富士山を崩そうと毎日スプーンで穴を掘っているようなものだと。それでもいいさ。確信をもったことは最後まで貫きたい。いったい何度目の冬を迎えたのだろうか。せつないなあ。
○月×日
 妻は木枯らしの晩にポツリと言った。「わたし、来月から外来の婦長に決まりましたから」。
「よせ、よせよ。オレがボチボチ試験に受かって、そのうちドカーンと(?)行くから。今のままでいいじゃないか」、私はコトあるごとに妻に言ってきた。
 仕事の責任が重くなり大変だというより、これ以上家を空けられたら私自身がたまらんからだ。炊事、洗濯、掃除といった日常の家事。以前ならイキオイで何とも思わず片づけたのだが、近頃では山のような、洪水のようなそれらが、私を大災害にでも見舞われたかのような気分にさせる。何もしない、ホントに何もしない4人の子ども達。私の教育が行き届かなかったといえばそれまでだが、つくづく情けなく泣けてくる。そして私はこの通り、何年たっても「今のまま」でサッパリなわけである。 出世だ。普通なら誰だって「おめでとう」と、労いの言葉をかけるところだろう。しかし、私の胸中はフクザツだった。「あっ、そう、大変だね」と弱く呟いただけだった。素直に喜べない。なんだかちっとも嬉しくない。祝ってなんかやらない、もんね。
 しばらくすると「オレもなかなかやるもんだ、よくやって来たよなあ」という気持ちが沸き起こってきた。オレの内女の、違うな、内助の功も大したもんだ、と。しかしなんだナ。亭主が女房に「命預けます」なんて、時代の先端を行っているのかなあ……。

○月×日
 あれほど「組織的犯行か」などと大騒ぎした列車連続妨害事件の1つ、JR横須賀線が100キロものコンクリート塊2ヶに衝突した事件と信号ケーブル切断事件は、21歳無職「鉄道マニア」1人の犯行だった。
 写真撮影や鉄道模型だけでは満足できなかったのだろうか。「列車が止まって大騒ぎになると興奮した」などと供述しているというから、とんでもない男である。もし捕まっていなければ、どんどんエスカレートしたに違いない。一歩間違えば大惨事という極めて悪質な事件だけに、私達乗務員も関係者もホッと胸をなで下ろしたところだ。
 脱線・転覆という恐ろしいことは訓練上だけで十分なのだ。これで少しは安心して通勤できよう。「ブレーキよし! タイヤよし! サドルよし!」私は自転車通勤なのだ……。しかし「一件落着」とはどうも思えない。100キロものコンクリートを線路上に置いたり、ケーブルを手際よく切断したりと、単なるマニアがたった1人でできるだろうか。また、防護無線機盗難から無線発報によるダイヤ混乱事件は未解決のままなのである。
○月×日
 国の所轄である中央労働委員会は、JRを相手として裁判所に「緊急命令」の申し立てを行なっているとのことである。憲法・労組法で設立された労働委員会の命令をことごとく無視している怪物JRだが、これでは他企業も「それならわが社も」となり、労働委員会制そのものが形骸化する恐れがある。労働委員会の存在意義にもかかわってくる。面目丸つぶれといったところだろう。
「緊急命令」とは、地裁・高裁・最高裁で訴訟中であっても「とりあえず救済命令を履行しなさい」と命ずる制度だという。うむ、知らなかった。国労は藁にもすがる思いで訴えているのに、なんでもっと早くしてくれなかったのさ。
 さて、これに対してこのほど「速やかに緊急命令を」と、181名の労働法学者の連名による要請文が東京地裁に提出され、また、日本労働弁護団を中心に53万人もの「緊急命令」を求める署名が地裁に積み上げられているということである。東京地裁は早期の決断を迫られている。「じれったいなもう、早く出さんかい」と、私もそうだが、国労としては気が気ではないのだ。「JRよろしく、なんだかオカシナ国だなあ」とつくづく思ってしまう。
 今夜も10時を回った。さあ寝よう。何かやり残したことはなかったかな。ん? 今日は酒飲んでない。まっ、いいか。
○月×日
「未解決のままである」などと書いたばかりなのに、防護無線機盗難・発報事件の犯人もあっさり逮捕された。まさに一網打尽、メデタシ、メデタシである。JR東労組と国労は、双方「お宅の仕業だ」と、内部犯行説をほのめかして対立していたが、フタを開けてみれば、「おたく」には違いないが、「鉄道オタク」つまり、またもマニア(3人)の犯行だった。
 それにしても、組合やマスコミにすっかり踊らされた感がある。私はあるとき、左ト全の歌に合わせてホームを歩いていた。「ズビズバァ、パパパヤ、やめてけれ、やめてけーれ、ゲバゲバ……」。すると足がもつれて転びそうになった。まったく、私はこのようにいつも通りなのだが、皆ホトホト踊り疲れてしまった。
 こんなことはもうコリゴリだ。まっぴら、うんざり、いい加減にしろだ。もうこれっきりにしてほしい。他人を陥れたり、疑ったり、敵対したり、傷つけたり……。なぜお互い手を取り合って生きて行けないのか。人は愚かな生き物だとつくづく思う。
 がしかし、どうも気になることが一つある。JR東日本の調べでは、4月から9月までに197回の妨害発報があったという。犯人はこれらの一部の犯行を認めたが、騒ぎの大きさに怖くなり、5月には無線機を川に捨てたと供述しているというのだ。
 ならば、それ以降から9月までの妨害発報はいったいどういうことなのか。やはり謎は残る。

○月×日
 12月である。カレンダーも1枚を残すのみで、今年も無事に終わろうとしている。
 私のJR中央線三鷹駅は、例えていうと「12月」だということに気づき、ちょっぴりセンチな気分になってしまった。乗務が終わるのが車掌区のある三鷹駅だからなどという単純な理由ではない。始発の東京駅が1月だとすると、次の神田駅が2番目で2月。そんなふうにたどっていくと、なんと三鷹駅が12番目の12月なのだ。ん? やっぱり単純か……。「オレって、どうしてこんなにボケなんだろう」。ま、つくづく性格なんでしょうね。 さて、この1年間を振り返ってみたら、「オレの人生はサケだ!!」という結論に到達した。何はともあれお付き合いくだされ。
 1月の東京駅。何事も最初はビシッと神妙になる私だ。今年も始まったばかりで先も長いことだし、ここで酔い潰れるわけにはいかない。丸の内にある「パレスホテル」10階のレストランで、皇居を一望しながらフランスワインを軽く嗜んだ。ここはスーツにネクタイの正装でないと敷居をまたげぬ決まりだそうだ。しかしワインじゃ物足りなくてね。何よりも、こんなところじゃ肩がこって私には似合わない。もう当分行くこともないだろう。 2月の神田駅。ハアハアとかじかむ両手に息を吐きながら、ガード下の屋台風赤提灯で熱燗とおでんを頬ばった。いつもこうして明日まで飲っていけたらな、と心底思ったが、底冷えするガード下に春はまだ遠かった。
 4月の四谷駅。満開の桜の木の下で、大勢の仲間と焼酎のウーロン割りをあおりながら歌えや踊れのドンチャン騒ぎ。花より団子で新年度がスタート。
 5月の新宿駅。都庁34階・東京都労働委員会での昇進差別事件傍聴の帰り、西口のどうでもいいような安い居酒屋で生ビールを酌み交わした。ホントにビールは恐ろしい。一口飲むとどうでもよくなってしまうのだ。ウイスキー、日本酒と、どこまでも突き進んでいく。挙げ句の果てには、都労委なんてどうでもよくなってしまうのだから始末が悪い。暑い夏がそこまで来ていた。
 9月の荻窪駅。新築のビルに改装してしまった駅前の「酒処・かみや」で、デンキブランを口にする。わざわざ浅草の「神谷バー」まで足を延ばさずに済むから助かる。
 12月の三鷹駅。忘年会にかこつけてベロンベロンのヘベレケ状態。もう何がなんだかわけがわからずヘトヘトに疲れ、酔っぱらってはいるが、なんとか無事に到着している。「もう飲むまい」いくど心に誓ったことか。明日になればどこ吹く風で同じことの繰り返しだ。次はいったい何処を彷徨っていることだろう。
 あっという間の1年であった。定期健康診断の結果は、肝機能のγ-GTPが正常範囲内だったことがなんとも心強い。一緒に飲み歩いた仲間達、そして、もしスペースが残っているなら妻にも感謝せずにはいられない! 今宵も飲まずに死ねるか!! の心境である。いったいどこがセンチなのだ。合掌。(■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/申し入れ 国労50年 二次結果

■月刊「記録」1996年12月号掲載記事

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○月×日

 遂に動き出した。衝撃が走った。事態は一気に緊迫してきたといっても過言ではないだろう。
 既に新聞・テレビ等の報道でも明らかなように、国労はJR各社へ話し合いによる「和解」の申し入れを行った。民営10年目にして、紛争(1047名の不採用問題)の全面解決と労使関係正常化を計り、これまでの対決姿勢を180度転換するという「重大なる決断と認識」に立って臨んだのである。
 これまでにも度々、話し合いによる解決を申し入れてきたが、JR東日本をはじめ一切応じてもらえなかったという経緯がある。しかし今回は政府も橋本総理が労働省・運輸省にゴーサインを出し、永井労働大臣(国労出身)を中心として「政・労・使」の話し合いによるテーブル作りに本腰を入れ動き出したというものだ。
 私はようやくここまで漕ぎ着けたのかと安堵すると同時に、安易な妥協は認められないという複雑な気持ちが入り交じった。「和解」というからには、国労側が相当部分で譲歩し折れるのはいうまでもない。強硬派は早速、完全勝利を叫び、「組合員不在の全国代表者会議決定は認められない」とか、「本部役員の命はない」などと、何やら物騒なことまで叫びつつ、息まいている。
 がしかし、よくよく考えるとやはり「和解」に持ち込むべきだと私は思うのだ。「タコ!ナメクジ!!軟弱者!!」などと言われようが強くそう思う。周りが大騒ぎしないで、一番弱い立場にある闘争団の仲間達が納得のいく内容であればそれでいい。人道上の見地からも早急に「和解」を実現してほしい。今や闘争団の高齢化も進み、無念にも既に9名の仲間が亡くなっているのだ。裁判などでいたずらに紛争を長期化させてはならないと心底思う。
 さて、JR各社の申し入れへの対応はどうだったかである。西日本、東海、四国、九州の4社は基本的に受け入れ理解を示したのに対し、東日本、北海道、貨物の3社は門前払いのところまであり、「裁判で解決するのが一番明確」と断固拒否という旧態依然の非常識な態度に終始している。
 ある程度予想はしていたものの、これでは「東はツヨイ」と西の横綱・曙も言うたに違いない。片や東労組(JR総連)は、東日本の松田社長と一体となり「国労のゴネ得は許さない」と発言している。裏を返せば危機感を募らせているのがありありだ。
 永井労働大臣によれば、「一部に、改革当時に協力した人との不公平を言う人がいるが、1047人はこの10年間、路頭に迷った。これで、広域採用に応じた人との差はついていると思う。この10年間、大きなハンデを背負ってきたと思う」と、さすがにまともな見識を述べておられる。また、国労と政府の会見では、「総選挙後新しい内閣になっても、事務方を含めて、解決すべき問題として引き継ぐことにする」と、解散で雲散霧消にならないよう確認したということだ。
 しかしJR東日本などの対応を見る限り、まだまだ不透明で厳しい道のりのようだが、JRは「人にやさしい、人間尊重」を謳う企業である。いつまでも人権を踏み躙るような横暴は許されるものではない。ますます孤立を深める結果になるのは目に見えているではないか。「ゴネている場合ではない」と、私はそのままそっくり言い返してやりたい。
 不当解雇撤回、1047名のJR復帰を強く求めるものである。

○月×日

 国労にも「綱領」というものがある。それは10項目から成っている。「われわれは、・・・・をめざして闘う。われわれは、・・・・しながら闘う」と、列記してあるのは闘うということばかりだ。闘うことが国鉄労働組合の使命なのである。
 私は先に、「国労は、これまでの対決姿勢を180度転換する」と書いた。各マスコミも「国労の路線転換」と一斉に報じていたが、ちょっと違うようだ。組合の集会によると、現在の会社の国労敵視の労務政策について「改善せよ」と申し入れたものであり、紛争全面解決に向けて闘いをより強化するというのが正しい解釈のようである。何だかよく分からないが、そういうことだ。
 労働組合としての闘いの活動は当然あり得るのだから、闘うと言われれば「うむ」と納得してしまうが、私には難しくて分かりにくいことが多過ぎる。
 国労は今年で結成50年を迎えたという。闘いの歴史を振り返ると、常に国の政治、経済の動向と密接に関わり、国家権力を背景とした闘いが大半を占めると総括されている。人生50年といわれた時代もあったが、正に人間の一生に匹敵するほど重く、人間としての尊厳を賭けた闘いであったと、いま私は確信する。
 これでは何だかとてつもなく大袈裟で、職場の中の闘いとはあまりにも掛け離れすぎていると思ってしまうが、誇張ではなく実際そうなのだ。しかし、みなつながっているのである。したがって、選挙も欠かさず投票してきたが、昨今のどん詰まり的な政治状況も、私には難しくて分かりにくいことが多過ぎる。
 コトが、対国家、政治上の問題となると、雲の上の話のように感じることがある。「オレには関係ないや」と。おエライさん同士のさまざまな折衝があり、相当な駆け引き、テクニック等も要求されるはずだ。となると、私の出る幕などこれっぽっちもないが、私は見極めたい。国労組合員である以上無関心ではいられない。
 それにしても困ったもので、私の頭では許容できる限度というものがある。例えば私達職場の労働条件改善要求である、「社員食堂を設置してもらいたい」などならよく解るが、とにかく私には難しくて分かりにくいことが多過ぎるのだ。

○月×日

「業務連絡、車掌は直ちに電話にかかってください」と、運転士から車内アナウンスがあった。指令から車掌への伝達事項の無線が入ったが、車掌は乗務員室を空けていたので運転士が無線を受けた。その内容を車掌に知らせるために車内アナウンスを発したのだ。私はそのとき特急列車「かいじ」で検札中だった。
 うちの車掌区の担当は中央線、東京・高尾間のいわゆるE電区間のオレンジ色電車が主だが、優等列車である特急「かいじ」を新宿・甲府間上り下り1本だけ受け持っているのだ。
 車掌になったからには誰もが1度は特急列車に乗務したいと憧れるものだ。ダブルの制服、夏は白の麻服と身も心もビシッと引き締まり、何となくカッチョイイが、私はもともと自分のことをカッコ悪いと認識しているので、紺のダブルならまだしも白の上下など死んでもイヤだと全速力で逃げ出したいくらいだ。
 うちは200人からなる車掌区のうち「かいじ」に乗務しているものは30人ほどだが、他労組ばかりで国労はたったの1人しかいない。私ではない。すべてに優秀なIさんだ。これも国労差別として「平等に配置すべき、是正しろ」と何年も前から申し入れしているが、一向に改善されていない。
 ならばなぜ、サイテイの私が「かいじ」に乗務しているのだろう。実はコレ、正規の乗務とは少し異なるのだ。「かいじ」の車掌は2人乗務となっている。列車最後部の乗務員室に1人、中間グリーン車の乗務員室に1人だ。私はその2人の中の1人ではなく、検札だけを命ぜられたお手伝い要員、お助けマンなのである。
 この日の担当お助けマンが休んだため、急きょ私に回ってきただけのことである。なぜ私なのかは知る由もない。ただ会社からいいように使われているだけと理解すればよろしいかと思う。
 さて、私は「お客様一人ひとりの出会いを大切にしたサービスで」というJR東日本平成8年度基本方針を肝に銘じながら、黙々と検札に精を出していた。すると「業務連絡……」があったわけである。「はて?」と私は一瞬戸惑った。これは私への用ではない。正規の担当車掌2人への連絡なのである。それでも「電話へ向かうふりくらいした方がいいのかな」などと思ったが、結局馬の耳に念仏よろしく、われ関せずで検札を続行した。
「電話にかかれって言ってますよ、車掌さん」とおっしゃる乗客はいなかったが、なかには応じぬ私をヘンに思った方もいるかもしれない。実は私自身ちょっぴりヘンな気分だったのだ。「オレって車掌?…だよな」と。
○月×日

 もう誰とも会いたくない。喋るのもイヤだ。分かっていながら、微かな望みを捨て切れぬ愚かな私だった。
 出勤したら主席助役に呼ばれた。「斎藤さん、二次の結果だが、ダメだったよ、頑張ってるの分かってるんだけどね」。不意をつかれた強烈なパンチだった。それでも私はショックを精一杯堪え、「また1年ですか」と一言だけ言い、一礼して退室した。
 大バカな私は、万が一受かったら主席に言うことまで考えていたのだ。「合格はご辞退申し上げます。時期尚早、私はまだ若い。次点の仲間にお譲り下され」と。国労の団結強化と、己の労働者意識を更に高揚させるためにだ。なんちゃって、嘘、嘘、ウソです。心底受かりたかったのだ。グスン。しかし、落ちて当然だ。私はこうして会社を批判している人間なのである。受かるわけがないのだ。『記録』のこともきっと筒抜けなのだろう。 やけに長かった1日の勤務を終え、「飲むしかないな」とウイスキーを呷った。琥珀色の大海原にどっぷり浸ると、怒りと苦悩が波のように押し寄せては引いていった。後はもう、舟を漕いで沈没するだけである。「どうせオレはサイテイだ、お前なんか大っキライだ」。

○月×日

 休みだった。仕事のことは忘れてリフレッシュしたいと思った。先日何年ぶりかでタイヤを交換したので「一丁、転がしてみるか」と外へ出た。
 自慢ではないが、私は何十年と無事故を貫き通してきたのである。運転はお手のものだ。それにしてもナカナカ調子がいい。さすがブリヂストンタイヤだ。あの信号を右折してあそこの路地へ入るとしよう。自動車進入禁止の標識があるが構わない。どこへでもスイスイ行ってしまう。ベリィ・グゥ。新品のタイヤは乗り心地がやっぱり違う。抜群だね。よしよし、いいぞ私の自転車。いいヤツだ。
 さて、別に行くあてなどなかった。清々しい郊外の空気を求めてペダルを漕いでいた。爽やかな風に吹かれてひたすら西へと進んでいたのだが、ついウッカリ左折して南に向かってしまった。イケナイ、イケナイ、もう少しで危うく中央線にぶち当たるところだった。まっぴらだよ。仕事のことは忘れたい!! なのだから。
 しかし、こうして武蔵野台地大横断を悠々閑々断固決行していてたら、ふと驚く事実に直面してしまった。「ウーム」と唸ると同時に尻込みせざるを得なかった。住いのある武蔵野市から、小金井市、小平市、国分寺市と突き進んで行ったわけだが、どの街へ行ってもある、ある、アル。私の会社、JRがあるのである。がんじがらめだ。私は完全に包囲されている。もはや逃れることはできない。これでは仕事を忘れてリフレッシュどころではない。
 私はうなだれながら「しょうがない、家の中が一番いいか」とスバヤク引き返したが、この家とてJRの社宅なのだった。ケッ。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/リハーサル 新潟 拉致監禁

■月刊「記録」1996年11月号掲載記事

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○月×日

 こんなことまでしなくていいのにと思うが、二次試験の面接のリハーサルということで勤務終了後に区長室に行かされた。
 まず、ドアのノックの仕方、おじぎ・挨拶の仕方、着席の仕方、受け答えの仕方と、「仕方関係」を重大事のように教わり、実際に区長の前で一通り練習した。「背筋を伸ばして」「頭をもっと深く下げて」とか、「そのナメクジ声にメリハリをつけて」と、事細かく注意されながらやったのだが、このようなことは大の苦手なので疲れることこの上ない。
 また、40問ほどの面接想定質問事項のプリントがあらかじめ渡されており、よく頭に入れておくようにとのことだった。一夜漬けの丸暗記、しかもその場限りで忘れてしまう無意味なことをやるのもツライなと思う。
 JRのクレジットカード「ビューカード」に入っているかは必ず聞かれるから、しっかり答えられるようにとも釘をさされた。入っている、いないは手元の資料ですぐ分かる。「試験に受かったら入る」などという冗談は通じまい。アレコレ悩んでしまうが、まだ1週間以上も先のことだから何とかなるだろう。
 それにしても、内心不安になっていく弱い自分にハッとする。ようやく一次試験にパスしたのだから、二次はなんとしてでもここでクリアしたいというのは正直な気持ちだ。受かるにはどうすればいいのかは歴然としている。試験の点数などではない。本当は一番重要だと思われる、仕事ができるできないは関係ないのだ。要は、会社にどれだけ限りない忠誠心があるかが問題なのである。 「ウソも方便、ここまできたら何でもハイハイと言ってりゃいいのさ」と、昨年受かった同僚の顔が浮かんだ。こんなことにまで人間としての素直な良心と葛藤しなきゃならんのか。いったい、いつまでが闘いなんだろう。私はぐったり疲れて、情けない気持ちで区長室を後にした。
 家に帰って、グラスを片手にプリントに目を通してみた。やっぱり、こんなことまでしなくてもいいのに、としか思えなかった。新サンマに添えられた辛い大根を口にしながら、「暑い夏は来年もやってくるのだ」と呟き、ドボドボとウイスキーをグラスに注いだ。

○月×日

 早朝4時の電話で目が覚めた。お義母さんが危篤という連絡だった。一刻も早くと、準備もそこそこに、家族全員新幹線の初電で新潟の病院へ向かった。生きていて欲しいとただただ祈りながら、込み上げる哀しみと悔しさを精一杯堪えての重く長い車中だった。
 遅かった。間に合わなかった。永遠の眠りに就いた後だった。嫌だ、もう嫌だ、こんなのイヤだ。
 お義母さんは素晴らしい人だった。とてもいい人だった。いつも明るく優しくて、自分の利害など一切考えずに他人に心底尽くす人だった。面倒見のいい、ほんとうに素晴らしい人だった。
 お葬式と面接試験の日程がぴったりと重なってしまった。会社の計らいで当初の4日後の最終日に設定してもらい、3日間の忌引のところを6日間休ませていただいた。できる限りの手伝いを終えて帰途についた。お義母さんはこの先、私の心の中で生き続ける。輝きこそすれ色褪せることは決してない。
 東京へ戻ると、いつの間にか夏は終わっていた。行きの半袖姿のままの私の周りを、ヒンヤリとした風が嘲笑うかのように通り過ぎていった。

○月×日

 散々だった。お葬式から帰ったばかりだから、というのは理由にならない。あらかじめ渡されていた40問の質問事項のプリントも、当日朝にコーヒーを啜りながら10分ほど目を通しただけ。もう当たって砕けろだった。
 ○○課長代理、△△副所長ら、おエライさん3人の面接試験官を前に、私はやや緊張気味に着席した。試験官はまず初めに、「この面接に向けてどんなことをやってきましたか」と聞いてきた。私は正直に区長とリハーサルをしたと答え、さらに「プリントをしっかり勉強して参りました」などと思わず言ってしまった。「ウソも方便」という同僚の教えに、やはり正直に従ったのだ。ん?
 私がそう言ったからかどうかは判らないが、プリントからはわずか4問ほどしか聞かれなかった。丸暗記してきたとでも思われたのだろうか。そういうことならば意地の悪い試験官だが、私は内心「助かった」とホッと安堵していた。なかには「ほとんど聞かれたよオレ」という人もいたからだ。
 しかし私は、JR東日本の「綱領」を聞かれた時にはシドロモドロになってしまったのだ。「綱領」は三つある。
 一つ、安全の確保は、輸送の生命である。
 一つ、規程の遵守が、安全の基礎である。
 一つ、執務の厳正は、安全の要件である。
と、今ならこのようにスラスラ言えるのに、その場では何を血迷ったのか、何と国鉄時代の「綱領」とごちゃまぜに答えていた。
 一つ、安全の確保は、輸送業務の最大の使命である、と。内容は同じだが言い方が微妙に異なっている。「意識改革できていないな。キミは未だに国鉄マンだ」といわれそうだが、今となってはここが運命の別れ道のような気がしてならない。この後は、ほとんどが答えられないことばかりだった。
「社内報は読んでますか」と聞かれ、実際よく読んでいるので「ハイ、よく読んでいます」と答えたものの、「では、営業収益はいくらと書いてありましたか」とくる。分からない、答えられない。何兆何千何百何十億円などという、私にとってそんな天文学的な数字などは覚えていない。
 いずれにせよ、約20分の面接時間で私の口から発せられた言葉のほとんどは「わかりません」「忘れました」だった。もはや結果は歴然だ。それでも私は「これでいいのだ」とサバサバした気持ちだった。お葬式は一度きりだが試験はまた来年もあるものね。やっぱりオレって、大器晩成なのかな……。

○月×日

「白昼堂々、拉致・監禁」。このような信じられないことがJRの職場では度々起こるのだから恐ろしい。なんとも大人気ないが事実なのだ。
 ことは高崎車掌区での事件だ。東労組の新人車掌3人が8月1日付で国労加入という勇気ある決断をした。国労はさっそく歓迎会を開催し、予想される嫌がらせに対して、会社としてもキチンと対応するよう申し入れたのはいうまでもない。
 当然のように東労組は、革マル派の本性を剥き出しにして、若い3人に対して卑劣きわまりない奪還行動を展開した。どんなことをしたかというと、乗務前、乗務後のホームに連日4・50人もの東労組の動員者を待機させ、取り囲んだり発車ベルを押させなかったり、また乗務中の車掌室へ代わる代わる入り込んでチョッカイを出すなどの業務妨害、さらに宿泊施設内でも「話がある」などと睡眠をとらせず、24時間付きまとい、罵声・暴言による恫喝を行ったのだ。 挙げ句の果てには、むりやり腕を抱えて東労組事務所へ拉致し、「オメエの将来がどうなってもいいんだな」などと監禁したというものである。 このように3人を精神的・肉体的にも追い詰めて、結局は力ずくで再び東労組に加入させるという暴挙だった。3人の決意が固いために、手段を選ばぬ暴力的な攻撃で復帰させたわけだが、彼らの心までは取り戻せないだろう。また、会社側はといえば、こうした一連の東労組のやり方を見て見ぬふりの黙認するという呆れた無責任ぶりであった。
 3人には大変気の毒なことだったが、東労組を脱退するとこうなるのだということを目の当たりにした他の若い同僚達は、さぞビビッたに違いない。しかし、今回の事件により彼らは会社と東労組のえげつない本性を深く心に刻み込んだ。若い良心はだんだんと離れて行くことだろう。
 これからのある3人は、これにめげずに逞しく成長されることを願う。さあ、明日も明るく元気に出発進行だ。共に闘おう。

○月×日

 わが国労、大幹部である小島中央闘争委員による講演があった。興味深い発言は次の通り。
「JRの弱点は、松崎=内ゲバ暴力集団をパートナーにして労使協調組合を作ったこと。しかも、革マルが会社の恥部を握って、会社はこの関係を切れなくなってしまっている。松崎との関係を整理できない。だが整理しなければ自分達が危ないので、距離を置こうとしたら列車妨害がおきた。誰がやったのかは確証はない。しかし皆分かっている。また、これによって政府の側にはJR東日本が革マルに牛耳られている会社だということが印象づけられてしまった」
「何年か前から、JR東労組が会社ともめる度に防護無線が押されて列車が止まった。労使ともども、冬場の乗客の着膨れが原因などとうそぶいていたが、事実上の順法闘争をやっていたという見方が公安関係者の常識となっている」
「国家権力は、会社(JR東日本)の経営陣は革マルに操られていると認識している。公安調査庁や内閣調査資料室の内部資料を見ると、国労は、『労働組合法に基づき、JR社員などで構成される合法的な労働組合』だが、JR総連(東労組)は、『破壊活動防止法の調査対象団体である革マル派が事実上の影響力を行使する政治主義的色彩が濃い労働組合』と規定されるようになった」
「花崎常務はかつて、『松(松崎さんのこと)は革マルじゃないという話も出ているが、そうに(革マルに)決まっているじゃないか。会社が松は革じゃないなどとは一度も言っていない。共産党や協会派と闘わせるには、革マルを使うしかないというのが会社の判断だ』と語ったことがある」
「会社の中枢にいる赤門出のエリート官僚は、今のままでは自分達を守れないと思っている。ちなみに取締役会では『松田社長は北大、力村東京地域本社社長は都立大、そして原山副社長は東北大卒業と、揃いもそろって能無しの田舎大学出だ』とひそかに陰口を叩かれている。『東大出でなければ人にあらず』という国鉄官僚の輝かしい伝統は、JRになってからも本社の中で燦然と輝いている。列車妨害によって、よもや死亡事故などが発生すれば経営陣はすぐに更迭される。キャリア組にとってはそれは困る。政治生命が絶たれない道はただ一つ。田舎大学出の会社首脳陣に尻拭いをさせ、泥を被せるということだ……」
 と、キリがないのでこれくらいで止めよう。私達一般組合員は、このような内部に斬り込んだ話は滅多に聞くことがない。
 ただ、どこからともなくの噂で、なんとなくそのように理解はしているものの、「ウーム、ホントにそうなのかなあ」と考え込んでしまうのだ。しかし、今やJR東日本の実質的な社長は松田さんではなく、同じ松の松崎さんであるという認識は国労組合員で一致している。
(■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/過激派 ヒマワリ 1次合格

■月刊「記録」1996年10月号掲載記事

*           *            *

○月×日

 そりゃあ私だって、身内である社内から犯人が出たら悲しくて情けないことだと強く思う。なにも望んでいるわけではない。あくまでも「もし仮に」ということである。
 JR東日本の社員数は約8万人である。これだけ大勢いれば、私以上にヘンな人も必ずいるだろう。警察官や教師でさえ社会的倫理が問われる事件を起こし、追放されることがあるのだから。
 しかし、時と場合によっては非常識が常識としてまかり通ることがある。力関係による支配ではこのようなことが起こりやすい。いじめや暴力といった幼稚なガキ集団がしでかす悪事が、大人社会においても平然となされる。愚かなことだと泣けてくる。
 さて、列車妨害の事情聴取だが、報道によれば、警察当局は二つの過激派が機関紙などで非難合戦を繰り広げたことに関心を寄せているという。中核派が「JR東労組幹部の指示で革マル派などが実行した列車妨害テロだ」と主張すると、革マル派は「国家権力内反動分子が行った一大鉄道謀略であり、中核派を使って我々の犯行だというデマを流させた」と反論しているというのだ。
 何やら物騒な話だが、JRと過激派が関係あるということカナ? うむ。知らない人が聞いたら恐ろしさのあまり気絶されるかもしれない。だが、JR社員なら国鉄時代から動労は革マルと認識しているのだ。動労主導により組織された現JR総連・東労組は当然のように動労(革マル)が牛耳り、JR東日本会社と癒着構造にあるというのは周知の事実で、批判・危惧されていることである。実際、私の住む住宅にも時々過激派の機関紙が舞い込んでくる。最近は特に多い。やはり残念だが関係があるのだろう。
 職場では東労組の組合掲示板に、防護無線機の盗難があった三鷹電車区での「事情聴取の疑問と不満」と題した機関紙が掲示された。東労組組合員の声や見解が書いてある。
「捜査に協力するつもりでいたのに、なぜ我々が疑わなければならないのか」「初めは業務内容が中心の聴取だったが、プライバシーもアリバイだといわれて家族構成から友人関係まで根掘り葉掘りで頭にきた」「盗難の問題から大きくかけ離れた職場集会の内容、組合員や活動家の行動パターン、松崎明東労組会長のことなど、組合のことばかり聴かれた」「『今まで私達(警察)は職場(JR)に入ることができなかったが、今回(この盗難事件で)入ることができた。組合(東労組)のことをもっとよく知りたい』とまでハッキリ言われた」など。これは明らかに組合への「組織介入」であり、今こそ警戒心を高めよう、というものだった。
 私が電車区の仲間から聞いたことと同じで「まったくその通り」と頷いてしまうが、東労組はいつもこうして一応は怒りを表明する。ところが、結局は何でもハイハイと労使強調を決め込み、「これで、今まで以上に会社との信頼関係が深まった」などとさっぱり訳の分からないことをいうのである。闘うことをすぐ放棄してしまうから、私達の労働強化を生み出す結果になるのではないのか。それとも東労組は国労よりオトナなのだろうか。 聴取時間は40分から1時間、長い人で2~3時間、中には5時間におよぶ人もいたという。余談だが、この時間は超過勤務手当てとしてJRから支払われる。「事情聴取」でお金が貰えるなどほかにあるのだろうか。いかにもわが社(JR)的といえる。
 私の車掌区の14名の聴取もほぼ終わった。変わった話では、事件当日早朝4時頃に40~50人の集団が目撃されたという証言があり、ホームや車内あるいは現場でそのような不審者を見なかったか、と聴かれたという。ヘンな話だ。たかが手のひらに乗るような無線機4台を盗むには大勢すぎるし、目立つではないか。
 まあ、警察はあらゆる角度から捜査しているのだろうが、素人の私にはさっぱり。ナゾは深まり、酒の量が増えるばかりである。

○月×日

「マスコミ市民」というメディア批評の月刊誌がある。7月号を広げたら「時代はファシズム、阻むのはたたかう民主主義」という衝撃的なタイトルで、JR東労組会長である松崎明氏の投稿が載っていたので大変興味深く拝読した。
 氏によると「この国は戦争の道へ突き進み非常に危険な状況にある」という。小選挙区制、破防法、沖縄米軍基地、住専、エイズ、消費税といった今日の危機的問題を鋭く分析しながら、最後には「国は何としてでも憲法を変えて、外国に軍隊を送ろうと言い出す。……国家とは支配者階級の利益を代表すること。戦争とは支配者の利益のために貧乏人を犠牲にすること。どんなきれいごとをいったってそういうことだ。……私は命を賭ける。……いまノーと言える大人の責任において、ノーと言えない子ども達を戦場へ送らせないためにたたかう。残された時間はそう多くはない」と述べている。
 説得力があり、どことなく魅力のある人だ。単純な私は、その力強さにアツクなりグイグイに引き込まれてしまった。もちろんJR東労組の会長だからして、防護無線機盗難についても述べている。「内部犯行説の序幕が切って落とされた」というドラマチックな切り出しで。 「国鉄・JRを愛し、血と涙で改革を進めている者が、列車妨害などするはずもない。……国労や中核派などによる内部犯行説もそれなりの根拠を持つとは言えなくはないが、私は国労にそれほどの力があるとは思わない。したがって内部犯行説の立場には立たない。……これだけ頻発する列車妨害事件の真犯人が逮捕されていないとすれば、それは松川事件と同質の謀略的な攻撃であるとみなければならない」と。
 まったくその通り。私は氏の前に跪き拝みたくなってしまう。国労には力がない。試験も受からず金までない。 氏はJR移行期に闘う組合の方針を180度転換し労使協調の道を選んだ。私達は驚きました。当時、鬼の動労といわれた委員長として、大変辛い選択だったろうと誰もが思っている。「北海道の仲間達が、連絡船に乗って、生まれ育った地に別れを告げる思い。……この海峡の彼方に幸せがあるかどうかわからない。……ある方は両親を、ある方はせっかくつくった家を、場合によっては先祖の墓まで置いて関東へ旅立たざるをえなかった。……それは文学でも表現できない、経験した者のみが理解できる本当の苦しみであったと思う」と、氏が記したとおりで、思い出すだけで気の毒で泣けてくる。
 しかし、私達国労の場合はどうだろう。差別どころではない。労働者としてもう後に何も残らない最終的手段、クビにされているのだ。たいへん立派な氏が片棒を担いだも同然ではないか。国労には力がないと認識しているのであれば、私達のことは構わんでほしい。東労組の機関紙には国労の悪口ばかりだ。裏を返せば、国労に危機感を抱いているからだろう。私は揚げ足を取る気など毛頭ないが、ちょっと前に、列車妨害事件は「国労が絡む内部犯行」とした氏の発言を記憶している。
 私はチラッと思い出し、何十年ぶりかで岡林信康のレコードをターンテーブルに乗せてみた。「何をやっても、やることなすことが、見ぬかれているのだ、みんな裏目に出てしまう、奴らをたおそうと、身をすりへらして、やればやるだけ、奴らをふとらせてしまう」。コペルニクス的転回のすすめというタイトルである。心を込めて氏に捧げたい。

○月×日

 ゴッホのヒマワリは有名だが、わが家のは5本のヒマワリだ。部屋の窓から外を見ると、3メートルの丈にまで成長し、濃い黄色の大輪が真夏の強烈な日差しの中で見事に映えている。
 毎年春、ベランダの下に種を植えるのだ。秋になると、スズメと同じくらいの大きさで深緑色した河原鶸(ル カワラヒワ)という野鳥が枯れたヒマワリの種に群がり、そのさえずりがまた上品で心地良い。
 ベランダには1人分の洗濯物がゆらゆら揺れている。ひと夏ですっかりくたびれた白いポロシャツ、そしてGパン。靴下、下着とバスタオル。妻と子ども達は田舎の新潟へ出掛けて留守なのだ。夏の初めに、とても元気だったお義母さんが突然寝込んだ。「悪性リンパ腫」と診断され、1ヶ月もつかどうかという。夏休みの計画はすべてキャンセルし、妻は休みのたびに出掛けている。
 こうして1人でぼんやりしていると、さまざまな思いが頭をよぎる。なんて無情なことだろう。一生懸命まじめに生きてきた人にこんな惨い仕打ちとはどういうことだ。「仕方ない」「しょうがない」などと曖昧な言葉で片付けたくない。奇跡を祈る。
 私は三鷹から東京、そして東京から高尾、高尾から三鷹の一回りの乗務が約2時間半。上越新幹線なら東京から新潟までとっくに着いている時間だが、今すぐ行くことができない。妻は看護婦で、こんなときこそ自分の親に付きっきりで面倒を見てあげたいだろうに、患者さんの世話に忙しい。歯がゆいばかりだが、誰もが皆こうして生きている。考えればオカシナ世の中ではないか。
 蜜蜂の一刺にためらいながらも、ベランダから手を伸ばして南に向いたヒマワリの顔を眺めてみた。キレイな顔だった。傷一つなく、今が盛りの自然な鮮やかな美しさだ。手にはべっとりと黄色い花粉がふりかかり、夏の太陽の匂いがした。
 そのヒマワリが無残な姿になってしまった。台風がすべてなぎ倒したのだ。

○月×日

 こんなことがあっていいのか。物事は往々にして自分の思いどおりにはいかないものだが、今回はちょっと勝手が違う。私は今、予想外の展開に戸惑いすら感じている。
 JRはやっぱりヘンな会社なのだ。昇進試験もやっぱり形だけのものなのだろう。試験の種類を大雑把に分けると、最低ランクの「指導職」、次に「主任職」、そして「助役職」と3つあり、一次の筆記試験にパスすると二次の面接という仕組みになっている。
 この試験制度はJRが発足してから導入されたもので、今年で9回目だ。私が受けたのはもちろん、サイテイよろしく「指導職」である。国労組合員は、この「指導職」に9回受けても受からない人がゴロゴロしている。9回といったら9年。小学校に入学した子どもは中3である。実に長い。オリンピックなら2度も開催され、10年なら一昔。私達は皆、浦島太郎と化しているのだ。
 私の同年輩の他労組の人達は毎年順繰りに受かっていき、今や「主任職」等にチャレンジしているわけで、「指導職」など受ける人はいなくなってしまった。だから以前も述べたように、この試験を受けるのは私達国労のオジサン連中と東労組の若い新米車掌しかいない。しかも、東労組の新米に圧倒的多数の合格者が出て、国労はチョビチョビなのだから差別が歴然である試験としかいいようがないではないか。
 また、点数は公表されないが、一般常識的な問題であり、極端な点の開きはないのではと思う。つまり一次の筆記試験は形だけで、合格者は決められているのでは、と勘ぐってしまうのだ。
「要件」と称する呼び出しで、私は主席助役の所へ行った。「斎藤君、昇進試験だが、おめでとう。一次合格だよ。面接は×日、もう一踏ん張りだな」。
「えっ?ナヌッ??このオレが???」。「た、タイヘンだ!やったあ!!やったぞ!!!」。……などと大騒ぎするほどのことではない。冷静になれ。まだ二次の面接がある。しかも、たかが最低ランクの「指導職」ではないか。JRはオカシイ。やっぱりヘンな会社なのだ。そうだ、その調子だ。でも面接ではこう言おう。
「よろしくお願いします。もう『記録』には書きませんから、ぜひ受からせてください」と。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/噂の真相 事情聴取 JRジプシー

■月刊「記録」1996年9月号掲載記事

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○月×日

 昇進試験が終わった。帰りに同僚と前祝いをしてしまった。今回は実に良くできた。パーフェクトに近い。必ず合格するという自信がある。これでダメなら、この試験はインチキ以外のなにものでもない。ビールに枝豆、冷酒にやっこ、鳥の塩焼きをほおばりながら、最後はバーボンでバシッと決めた。
 内容は業務知識40問50分、作文400字40分、一般常識40問40分の3点だが、非常に簡単な問題ばかりなので10分から20分ぐらいであっという間にできてしまう。残りの時間は長く苦しかった過去を振り返り、明るい未来のことばかり考えていた。それにしても、人を喰ったような問題まである。
  たとえば、業務知識では「不安全行動災害の防止」の問いで、気分転換は大切だが疲れが翌日に残ることは気にしなくてもよい、という文が正しいか間違っているかというもの。一般常識の「英語」には、なんとすべて読み仮名がふってあり、「算数」の問いでは、千円のものを20%引き、さらに百円引くと何%引きとなるか、など限りなく情けないのだ。作文は「仕事の改善について」だったが、私は、社員一人ひとりの頭を改善するのが先だと書いた。発表が待ち遠しくてしようがない。

○月×日

 『噂の真相』5月号に、創刊30年にもなるメディア批評の良心的月刊誌『○×○×』の内部事情が載っており、私は何気なく読んだ。
 経営危機で編集部全員が退社し、とある人物が困っているA編集長に再建の協力を無給で申し出たという。とある人物とは革マルではないかというのだ。その理由とは、最近JR総連の記事がやたらと多く載るようになったと書いてあるのだが、要は革マルなら経営は安定ということである。私は別に大した問題ではないと気にもせず本を閉じた。
 しばらくして、私の親しい友人がこの春トラバーユしたと聞いて、「前よりマシな所で良かったね」と2人で飲んだ。しかし、よくよく話を聞いていくうち、「ドキッ!」なんとこの『○×○×』の出版社だったのである。世間は広いようで実に狭いと痛感。彼はもうすでにさまざまな人とのコンタクトがあり、JR総連委員長の名刺まで持っているではないか。
 私はすぐに『噂の真相』のことを話したが、「なあに、あんなのエンターティメントさ」とか言って取り合ってくれない。最近では、『○×○×』を私に毎月送ってくる。案の定、JR総連の腹立だしい記事が載っている。私は仕方なく彼に電話で意見すると、「一筆書いて誌上で対決してくれないかな」などと、すっかり『○×○×』社員と化している。そ、そんなことコワくてできるものか。当然のように『記録』の私のアホバカ文もA編集長には筒抜けで、彼と2人して「JR斎藤は今ごろウチの今月号読みながら怒り狂っているだろう」などとせせら笑っているとのことである。ったくもう、勝手にしろ!! だ。

○月×日

 職場は今、異常な事態となっている。とはいっても、「気持ちがオロオロ浮いているのはオレだけなのか!!」と叫びたいくらい、誰も口には出さずに平静を装い職務に励んでいる。
 運転士職場の三庫電車区では、区長を含めた200人を越える全社員が6月中にすべて終了し、今度は三庫駅80人社員のうち30人、私の車掌区200人中14人が受けるのだ。昇進試験なんてものではない。なんと、警察による事情聴取なのである。
 三庫電車区構内で防護無線機4台が何者かに盗まれたのは4月5日から6日未明にかけてだった。それからというもの、発信元不明の防護無線による列車妨害事件はいまだに跡を絶たず、あちこちでダイヤが混乱しているが、ここにきて俄然、JR内部犯行説が急浮上したというのだ。
 手を焼いていたJR東日本は、列車妨害事件対策として防護無線発信パターンを京浜東北、埼京両線に限り変更したのだが、わずか4日後にはこの発信パターン同様の電波による妨害が発生した。6月21日と24日の京浜東北線のダイヤ混乱がそれである。JR内部通達による私達関係乗務員しか知り得ぬ発信パターンであり、社外には知らされていないことから警察は内部の犯行だという見方を強めたと一部マスコミが報じた。
 さて、私達車掌と当直助役を含めた14人の事情聴取は、盗難事件当日の4月5日三庫車掌区本区泊り勤務者に限られている。この日の私は日勤で19時40分に終了しており対象外となっている。非常に残念に思う。こんな機会は滅多にない。私も事情聴取なるものを受けて身の潔白を証明したいのだが‥‥。
 もし仮に、内部犯行であるとしたら、泊り勤務者がわざわざ電車区まで出掛けてこんな七面倒臭い犯行に及ぶとはちょっと考えにくい。まあ、事情聴取なるものは深夜・早朝の乗務中に現場界隈で不審者を見なかったかというものだろうが、むしろ私のような勤務外の者の方が怪しい気がする。その辺は警察も抜かりないはずだ。
 果たして犯人は挙がるだろうか。私はイマイチ理解できないのだが、事情通によると、セクトの犯行なら逮捕者は出ないということらしい。公安当局は狙った人間をマークし、泳がせておいて互いに対立を繰り返させ、勢力が衰えるのを待つのだという。ヘンな話だが、そういわれると内ゲバでも犯行声明を出しているのにほとんど逮捕者が出ていない。
 しかし、ことはJR東日本営業キロ7千502キロ、69線区内1日1万2千18本(回送は除く)、1千708駅において、1日列車利用客約1千660万人にかかわる重大なことである。セクトであろうがなかろうが、そんな人間はわが社にはいらない。優秀な警察は何としてでも犯人を割り出し逮捕してほしい。
 JR総連・東労組の松崎明会長や幹部役員は、全国の会議や講演で「列車妨害事件は国労が絡んでいる」「国労の最終的解体を」などとヒステリックに何の根拠もないマンガチックで許せぬ発言をしているが、真実が明らかになる日はそう遠くないだろう。

○月×日

 年に数回しか会わない。それも乗務中のみ。通勤時間帯の立川かお茶の水で彼、H氏は私に声を掛けてくる。「やあ、ノリオビッチ、サイトノフ。元気そうだね」。
 私は色が白くて鼻がデカイ。ロシア系の顔付きなのか、H氏はいつもそう呼ぶ。だが全然悪い気はしない。H氏は元国鉄マン、私が貨物列車車掌時代の同僚である。分割民営時に自主退職し、新天地で活躍している。「文部事務官」などというお堅い肩書が名刺に印刷してある。
 そのH氏と先日お茶の水のホームで会った。「記録読んでるよ。子ども達大きくなったね。飲みすぎないよう」。乗務中なので15秒ほどの立ち話だがすごく嬉しかった。不意をつかれる嬉しいハプニングというのは実にいい。苦痛な長い乗務が短く感じられる。
 私はH氏に1年ほど前から「記録読んでよ」と言い続けてきたが、「どこの本屋を探してもナイ、ナイ、ナイ」と言うので「そうだよ、ないんだってば。年間講読郵送なのだからトレ、トレ、トレ」と半ば脅迫気味にお願い申し上げていた次第なのだ。
 嬉しさのあまりその晩電話したが、買ったのではなく「教育センター」とかいう都立の図書館にあったのだという。よくもまあ、へんな所(失礼)で捜し当てたものだが、やっぱり嬉しくてしようがない。

○月×日

 日記というものを、著名な作家はどのように書いているのかとフト思った。近所にある図書館に行って、日記というタイトルがついた本を目にとまった順に、手当たり次第に5冊借りてきた。
「僕のTV日記」泉麻人、「わたしの遠足日記」片山健、「ふらふら日記」沢野ひとし、「東京ペログリ日記」田中康夫、「JRジプシー日記」村山良三、の5冊だ。ペラペラと乱読してみると、どれもなかなか面白い。中でも「ふらふら日記」は読みやすい。沢野ひとしの酒浸りの日々。家族、息子への父親としてのやるせない複雑な想い。可愛いがっている飼犬がクッションとなりどこか救われていていてクスッと微笑んでしまうが、なぜか哀しくて切ない。他の著作も読んでみたいと思った。
 しかし、特に私の心をグサリとえぐったのは「JRジプシー日記」だった。著者の村山良三さんは作家ではなく、何と現職の国労組合員であった。年令を見ると私の大先輩だが面識などモチロンない。略歴に井上光晴「文学伝習所」二期生と記されているからなんだかスゴイ人のようだ。さらに、鎌田慧さんが書評を寄せられている。やっぱりスゴイのだ。
 JRが発足した87年から90年までの村山さんの日記、すなわちJRの現場の実態を書き綴った記録である。国鉄時代20年間電車運転士として従事し、JR移行時に「要員機動センター」というところに強制配転されてからは、首都圏のそれこそありとあらゆる職場(駅務)を、しかも日替わりで転々とたらい回しにされている。これがジプシーと題された所以と頷けるが、村山さんはあとがきでこう述べておられる。
「国労組合員が不当な差別によく耐えて頑張っているのは、そこに人間としての譲れないものがあるからだ」と。まったくその通りだと共感を覚え、あまりにも気の毒で目の前が霞んでしまった。しかしそれ以上に頭が下がるのは、勤務ぶりはもちろん、生き方が実に淡々として何の気負いもなく誠実でごく当たり前な普通の人間だということだ。ただ国労に所属しているという以外に差別される正当な理由など何ひとつとしてないのである。 私はすぐ目頭が熱くなるタチだが、財布から千円札を抜き取ると力強い足取りで酒屋に走った。そう、これが私の日記ならぬ日課なのだと思い、焼酎を買いに。
(■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/昇進試験 見習い車掌 カラス

■月刊「記録」1996年8月号掲載記事

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○月×日

 昇進試験が迫っている。国労組合員は何回チャレンジしても受からない。不合格馴れしてしまった私達には、イヤイヤながらも年に1度の「行事」だからと仕方なく参加する雰囲気が非常に強い。いわゆるアキラメムードなのだ。
 イヤイヤならよしたらいいのにと思われるかもしれない。しかしこれは、国労が「昇進差別」であるとして東京都労働委員会に救済申し立てを行い、闘っている「事件」でもあり、全組合員が受験していこうと取り組んでいるのだ。つまり、「上位職になど上がらなくてもいいもんね」という人でもほとんど皆が受けている。このことからも、国労には従順で真摯な人が多いということがよく解る、でしょ。
 がしかし、考えてもみよ。入社したてのわが子のような若い社員と、同じ場所で同じ地位の試験を受けるのだ。乗務経験が豊富であるのはモチロンのこと、知識や技能に関しても遥かにスグレているという自負とプライドがある。抵抗を感じる組合員がいて当然だが、「こんな合否のデタラメな試験なんてクソくらえ、やってらんないよ」と思いつつも、私達は胸を張って試験に挑む。ハッキリいって惨めなものである。しかし、これこそ並みの人間にはチト真似はできない、ちょとやそっとのことには動じない国労組合員の度量ではないだろうか。
「典ちゃんはいつの日になってた?」と数人の同僚から聞かれた。「×日だよ」と答えると、「なぁんだ一緒じゃない、よろしくね」と口々に言う。「よろしくね」とはコレいかに。いやはやなんとも、試験が終わったらちょいと一杯、残念会をやろうという約束なのである。私達はいつもなにかにつけて飲む。楽しく飲むことしか頭にないのだ。困ったものだよね。
 誰もが受ける前から落ちると端から決めてかかっているが、やはり受かりたいのが本音である。この昇進試験の制度により賃金格差が拡げられている以上、私にとってもますます切実な問題となっている。JRという会社に労働力を売って得た賃金こそが生活費なのだから。
 今年こそ合格したい。「オレはJRのサイテイだ」などという汚名も返上したい。家に帰ったら必死で勉強しようとヒソカに思う。試験まであと2日だ。もはや深刻な様相を呈する秒読み段階となっている。こんな日記など書いている場合ではない。「うーむ、あと2日か」。合理的なやり方はないものかと真剣に考えてみる。でも、こうなったらやっぱり、運を天に任せるだけしかないみたいだね。「グッド・ラック」。

○月×日

 先日、うちの職場に30人もの新人がドヤドヤとやって来た。今後のJRを担う期待の車掌達の赴任である。あどけなさの残る夢多きカワイイヤング。オメデトウ!!
 彼等は憧れ?の車掌試験に合格すると、1ヶ月間を大宮にある中央研修センター(旧鉄道学園)で過ごす。ここでは運転・営業の鉄道規則や心得、接客・サービスなどを泊り込みで学ぶ。そして、めでたく終了証書を手に見ると、それぞれの車掌区に「車掌見習」として配属される。約1週間の机上学習後いよいよ本線乗務の見習いとなり、1ヶ月ほどの見習い期間を経て、晴れて車掌として1本立ちするわけである。
 さて、見習いには指導する者がつく。当然それは、私達先輩車掌が手取り足取り懇切丁寧に教えるということになる。会社から指定された特に優秀な者が1ヶ月間マンツーマン、付きっ切りで指導に当たるのだ。右も左もわからぬ新人だから、食事、風呂、寝るのも飲みに行くのも一緒という、いわば公私共に、密接で強固な師弟関係が形成されるのである。
 とにかく指導車掌にはトコトン世話になる。もはや一生頭が上がらぬほどの絶大なる影響力が生じるといっても過言ではない。見習いにとっては指導車掌サマサマなのである。
 ところで、私達国労組合員で指導車掌に指定される者は何人いるかというと、それが、な・なんとゼロ!! 赤ん坊でも数えられる「だあれもイナイ」のである。会社はこうも徹底して異常な施策をとっている。
 私の職場には、JR東日本内最大の東労組(東鉄労のこと)、鉄産労、そしてわが国労と、3つの組合が併存するが、指導になるのはいつも決まって東労組の組合員が圧倒的多数を占め、鉄産労がチョビチョビ、そしてもう一度言うが国労はゼロなのである。
 組合間差別であることは一目瞭然だが、特に問題なのは車掌歴20・30年の経験豊かな国労のベテランを差し置いて、車掌になってわずか2年程度の東労組の若い車掌を指導にしているという点である。なにも私は若いから技能や安全面が劣るとか、不安だというのではない。若くても一人前の立派な車掌達である。
 利点も確かにある。若者同士で息が合い、同じ東労組だから仕事もしやすいだろう。また、和気あいあいと活気に満ちて職場の活性化にもつながるかもしれない。しかし、もっと真剣に考えるべきではないのか。
 車掌とは安全正確な運行が至上命題であり、常に人命を預かるという責任重大な任務をもつ。要は、事故など異常時のイザという局面で、いかに的確な判断で技能や知識を発揮できるかということにつきるのではなかろうか。初めのうちは誰もが緊張でたじろぐものだ。中には何度やってみてもオタオタと五里霧中の者もいる!?が、経験を積んでこそ適切な対応が可能になるものである。 また、各線区にはさまざまな細かい特徴がある。乗降客や沿線の状況・駅・信号・踏切・線路等の把握。やはりこれらも経験が長いほど身につき、精通した者こそよりよい指導ができるのはわかり切ったことである。
 例えば、沿線で保育園のある場所とか、あの駅のアソコには鳥の巣があるとか、あの家の爺さんは12年前から沿線(JRの敷地)に勝手に野菜を作り、ときどき草むしりをしているとか、一見車掌業務とは関係がないことのようだが、実はヒジョーに大ありなのだ。園児達に手を振らなければならない。ホーム歩行中に鳥のフンが落ちてくることはよくある。爺さんが突然ボケて線路内に立ち入る危険性だってないとはいえない。ねっ!! 他にもこのような事例は山ほどあるが、JR中央線も2・3年で「完全制覇」できるものではない。
 以上のことから、会社は優れた知識や経験に重点を置き、ふさわしい人物を指導車掌に指定すべきなのだ。
 それとも会社は「車掌など誰にもできる、斎藤だってやっている」と、運転士の付属品ぐらいにしか考えていないのだろうか。会社を家庭に例えるなら、JRはわが家のような不良品になってもよいというのか。私だって子ども達を、家庭を良くしたい。家庭教師もお手伝いさんも雇いたいくらいだ。「この親にしてこの子あり」でわが家の場合はしようがないが、JRは会社をよりよくしたいと本気で考えるのなら、このような不合理な指定方法も組合間差別も直ちに改めるべきである。
 新入社員は1人残らず東労組に加入させられる。会社と東労組が一体であることが良く分かる。東労組は、入社以前に会社しか知り得ぬ採用内定者宅へ「組合の説明」と称して菓子折り持参で赴き、「最大組合で昇進にも有利になる」などと加入の確約まで取っている。国労が加入を呼びかけるビラを配布すれば、会社自ら回収に当たる。加入オルグに熱心な国労組合員を直ちに他職場へ配転するなどの露骨な見せしめによる報復的措置など。 このように常軌を逸した大人気ないお粗末は枚挙にいとまがなく、今となってはただ呆れ返るばかりだ。会社イコール東労組は、私達国労に対して敵意をあらわにし、新人には指一本触れさせまいと国労排除の労務政策に躍起だが、今にきっと破綻するだろう。
 会社管理者にも東労組の中にも、一部の「集団」を除けばオカシイと思っている人が大勢いる。己れの保身のためコワくて何も言えないだけなのだ。「国労は間違ってはいない。国労は正しかった」と、誰もが認める日が必ずやってくる。国労は勝利する。そして正常なJRに戻るのだ。良心を持った人間であれば、いつかはきっと更正するものである。実はこの世の中に「妖怪」などは存在しないのだ。

○月×日

 JR東海高山本線で特急列車が50トンもの落石に衝突し脱線するという事故が起きた。軽傷17人ですんだのは奇跡的だ。
 大雨により地盤が緩んだ結果の落石だが、脱線車両は下を流れる飛騨川に落ちかけ、斜面の途中で止まるという、大惨事とまさに紙一重だった。
 いつものことだが、時間が経つにつれ次から次とお粗末な事実が浮かび上がってきた。この山林の地主から落石の危険性を指摘された県は、調査をしたものの「安全だ」という結論を出していたという。また、事故速報が遅れたのは乗務員が近くの民家まで電話を借りに行ったからだという。
 列車に搭載されていた無線機はなんと司令と交信ができない旧式の無線機だったというからナサケナイ。
 当然のように運輸省は全国の鉄道事業者に危険箇所再点検の通達を出した。コトが起きてからでは遅いよね。今年2月には北海道豊浜トンネル崩落事故があったばかりではないか。過去の教訓が全く生かされていない気がしてならない。安全は輸送業務の最大の使命である。早急に改善策を検討し安全には万全を期すように、なんて私がエラそうにいうまでもない。

○月×日

 この春からの一連の列車妨害事件である東海道本線の置き石3件について、「カラスの犯行」であると神奈川県警が断定した。カラスが石をくわえて線路上に置くという、決定的な瞬間をとらえた写真が新聞に載っていた。 それにしてもカラスがクロだったとは。シロなわけはないのだが、なんだかオカシくて拍子抜けしていまった。カラスじゃ憎めないよね。もしかしたら、人間がカラスを見ている以上にカラスは私達を高い所から見て知恵をつけているのかもしれない。弱い者は心ない人からいつ何をされるかわからないから。
 しかし、なぜ線路に石なのか。カラスに歌で問いかけてみたい。「カラス、なぜ置くの」と。これはやっぱり「カラスの勝手でしょ」しかないだろうな。「カァ、カァ」。

○月×日

 乗務中よく知人を見かける。とくに通勤ラッシュ帯にその確率は高い。今日は都庁に務めるM氏を見た。私の住む街、中央線武蔵境のホームでは、名前は知らないがあの顔もこの顔もお馴染みになってしまった。私は別にキョロキョロしているわけではありませんよ。業務は厳正に遂行している次第である。
 誰もが皆、バリバリ働きながら生きている。来る日も来る日も毎朝、超満員の中央線に乗ってそれぞれの職場に向かうのだ。新宿と四ツ谷でほとんどの人が下車され、お茶の水・神田・東京でみな下車される。仕事場までその先も更に乗り継いで行くのだろうか。私は職場まで自転車で10分で着いてしまうし、たとえ電車を利用しても1駅、降りた目の前が職場だ。だから電車通勤の人を感心するし、ご苦労様と心から思う。
 さて私達中央線車掌は、終点の東京に到着したら乗務が終わりというわけではない。一服している暇などないのだ。5分程ですぐ折り返し下り電車の乗務となる。しかし上りラッシュの殺人的混雑とはうって変わってガラリと空く。乗務中なのに不謹慎のようだが、ホッと一安心、ちょいと休憩という気分が本音である。
 ふと、新宿で降りた知人M氏が思い浮かぶ。いまごろ彼は職場(都庁)に着いて、デスクに向かい1日を有意義に過ごそうと仕事に励んでいるのだろう。なんだか彼が羨ましく感じてしまう。私はといえば‥‥、あっ間もなく新宿に到着か。「出口は右側です」のアナウンス、こればっかり。私も電車を降りて会社に向かいバリバリ仕事をしたいと思う。だって1日中電車に乗っているだけなんだから。ん?ちょっと違うか。  (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/ソングライターの斎藤だ

■月刊「記録」1996年7月号掲載記事

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■線路がリズムを刻む

 どうしようもない。これしかないんだよ。東京と高尾を行ったり来たりさ。走り出したら止まらない。憂鬱な雨は、今日も窓の景色を濡らしているのに、中央線は脇目も振らずにひた走るのだ。「空よもっと激しく泣いてみろ」。声を限りに叫んでも何一つ変わりはしない。
 都会のビルの谷間をカーブして、住宅街を一直線。緑の田園風景を切り裂くように駆け抜ける中央線。炎天下、雪の中でさえ風を切り快走する姿はたくましく、なんとも感動的だ。私は「いつかきっと」と漠然とした表現しようのない希望を抱き、今日もこうして乗務している。
 夜明けの小鳥のさえずりとともに、クラシックの旋律に乗りながら中央線は滑り出す。橙色の朝日に包まれると、夢が静かに膨らむ。昼間は雑踏と喧噪とのハーモニー、種々雑多なメロディーが賑やかに錯綜する。ドンチャラ騒いでいた街も、茜色した夕日に染まるころにはやるせない郷愁を覚え、シャンソンがしんみり流れてくる。月明かりの晩は安らぎに浸り、闇夜の晩は激しくレールを叩きオールナイトのジャズが奏でられるのだ。
 もうすぐお前の家が見えてくる。お前の街の駅に着く。青い屋根のマンション奥の路地を折れた古いアパート。乗務を終えたら飲みに行こうか。次から次へと窓をかすめて遠くなる対向電車の信号機は「行け」という緑と「行くな」という赤と。雨で霞む黄色が、迷う私によく考えろと「注意」する・・・・わけないか。気取るんじゃない。

■満員総立ちのコンサート会場

「今すぐお前に会いたい」。そう思い込んだら突っ走るしかない。走り出したら止まらない。鉄道には夢とロマンが満ちあふれ、どこまでも長く続く銀のレールの上で果てしないドラマが生まれてきた。それは昔も今も変わらない。そんな背景にはいつも心に沁みる音楽が流れていて、いや応なしに感動を盛り上げてくれたのだ。音楽大好き車掌である私は、及ばずながらも、乗客の何気ない仕草や雰囲気でワンフレーズぐらいならたちまち即興でひらめき楽しんでしまう。たとえばこんな風に。どうか軽く聞き流してほしい。
「120円の切符を握りしめ、中央線に飛び乗った。外は爽やかいい天気、吉祥寺に住む君に会いに行こう」。フォーク調で軽やかに演ってみたい。しかし歌が完成したためしがない。それはどうも職業意識が邪魔をしているようなのだ。私はこのお客さんについついヒトコト申し上げたくなってしまう。「駆け込み乗車は大変危険ですからお止め下さい」と。安全第一ですからね。
 また、渋い人にはブルースが似合っている。
「夜明け前の始発でさ、オイラはひとり、旅に出る。コップのジンを空けたら行くよ。お前の寝顔にバイバイ・キス」。ちょっぴり照れてしまうが、これも同じく「目的地までの切符はキチンとお買い求めになりましたか」と、気になって仕方がない。
 さらに、ロックンロールがピタリとハマる人もお見うけする。
 「その日暮らしのコンサートツアー、OK馴れたぜキツイ旅、レールの響きがオレのララバイ、ガタゴト・トレイン、カモン・ベイビィ」。うむ、イカスよね。われながらナカナカではないか。もうこうなったら職業意識がどうのこうのと言ってられない。乗っちゃうよ、オレ。「アー・ユー・レディ」「イエイッ!」。マイクもある。コンサート会場も要らない。既にお客さんも大勢乗っているのだ。
「ご乗車ありがとうございます。本日に限りまして中央線車掌が歌う快速高尾行きです。お客様もどうぞご一緒に。最初のナンバーは‥‥」。なんてやれるわけないじゃないですか。あっという間に次の停車駅であり、なによりも「次は神田、お出口右側」のJR車掌なのである。いくら冷静さを欠いていても歌など許されるはずがない。やりませんよ、絶対に。「乗務中は努めて列車の運転状況及び車両の状態に注意するものとする」と規程にキビシク定められており、規程の遵守は安全の基礎なのである。現実は厳しい。どうしようもない。これしかないんだよ。私達JRの車掌は観光バスのガイドさんのようにはいかないのだ。

■中央線青春ドラマ

 さて、毎日の乗務でよく見かける胸が痛み、かつ気恥ずかしい光景は何といっても若いカップル達だ。彼はホームに佇み、彼女は電車の中。私は発車ベルを鳴らし終えると、心を鬼にして容赦なくドアをビシャッと閉める。その瞬間から私は彼から彼女を任せられたものと勝手に思い込む。電車は動き出し、ホームに残った彼の前を通り過ぎるとき、私は心の中で必死に告げる。「心配するな、彼女はオレが引き受けた。後は任せろ、オレが彼女をしっかりと送り届けるから」。ここからである、この哀愁ドラマのハイライトは。
「電車を止めろ。あんなオッサンに彼女を任せられっかよ。麻原より危険そうじゃないか、オーイ、止めてくれぇ」。彼は気が気ではなく不安は頂点に達する。しかしもう手遅れだ。私は走り出したら止まらない。「バイバイ・グッバイ・サラバイ、もう聞こえないー」。白い手袋の人差し指で「後方オーライ」なのである。ああ、私の担当電車でよかったね。なんてラッキーなカップルだろうか。私は目頭が熱くなってしまうのだ。
 このように私の目に映る乗客の何気ない営みが、まるで映画さながらの感動を与えてくれるから堪らない。そこには出会いの喜びがあり、また別れの哀しみを見ることもある。楽しさ満面の子ども達、怒りを秘めたような人とさまざまな姿がある。電車は喜怒哀楽のすべてを乗せて走っているのだ。感慨無量である。

■雲の上の人々よ

 そう、あれから何年が過ぎたのだろうか。もくもくと黒い煙を吐きながら、勇ましく汽笛を鳴らす蒸気機関車。私がまだ何の罪もない(今だってないけど)子どもだったころの淡い憧れ。今でも雪の銀河を走る汽車の景色に一瞬トリップしてまうことがある。私の住んでいた田舎の駅から、真っ白な田んぼの中へと真っしぐらに消えて行く風景が鮮明に映し出されるのだ--。絶景である。 国鉄時代は、車両(人も)は使えるだけ長く使うという価値観だった。あくまでも清貧、倹約、地味を貫き、安全、低廉、快適を維持してきたように思う。JRになると、未来指向の新しいスマートな車両がどんどん導入された。結局は、お客様に電車に乗っていただくことがメインなのだから、それは理解できる。私も「随分シャレているね」と、素直に新しい時代を感じてしまうが、どうも馴染めず好きになれないでいる。
 車両の美しさとスピードアップでキラキラ輝くJRというイメージももちろん重要だが、外面だけよくして、お客様に見えないところでは、同じ人間に対して何をしてもよいというのか。JR東日本は世界一の鉄道会社と浮かれているが、あなた方には殺風景な頂上の景色しか見えていないのだろう。悲しいね。JR当局の「ならず者」は、いい加減に目を覚まして歪んだ労務政策を改めるべきである。
 いつの間にか雨も上がって陽が射してきている。「待っていてほしい。いつかきっとお前のところに行くからな‥‥」。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/やる時はやる斎藤だ

■月刊「記録」1996年5月号掲載記事

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■建て前と本音

「国労組合員は、今後の労働運動の再構築を願うゆえに国労に集結している。それゆえ今は昇進や昇級試験での差別など、あらゆる差別にじっと耐え忍んでいる。労働運動がその機能を果たすことができないでいる世の中では困るのだと考えているからこそ国労で踏ん張っているといって良い」――。
 これは最近ある労働運動誌に載っていた国労組合員の投稿である。竹を割ったような実にスカッとした的を得た内容だと受け取れる。氏の意見におそらく労働運動のリーダー達は喜ぶだろうが、現場の一般組合員である私には単なる理想論としか伝わってこない。理想を求めるのは人間の正しい姿だと思うからいいのだけれど、現実とはかけ離れすぎている。
 氏は国労の中にいながら周りが見えていないのではないか。もちろん一般組合員の中にもこのような闘魂あふれる実直な気持ちを抱いている人も少なくない。だが誰もが闘士とは限らないのだ。ほとんどの人はあえて労働運動には触れず、仲間同士で励まし合い助け合い、人間として当たり前の日常を重ね生きてきたに過ぎない。私のようなカルイ層の中にはいまだに「国労なんて」と心が揺れ動き、今にもフッとどこかに消えてしまいそうな人もいる。一進一退というより意気消沈といったムードが大勢を占めている。
 たとえば、私の仲間との会話といえばこんなものである。
「今の構図(東鉄労=革マル支配による会社一体となった国労敵視・差別)は10年、いや20年は変わらないだろうな」
「その頃は定年でいないよ」
「いまさら出世など望んでいない」
「生活は苦しいけれど今の給料でなんとかやっていけるし」
「試験なんてクソクラエだ」
「動員?パスね、よろしく」――。

■高齢化問題が国労にも

 国労の年齢構成は40代50代が圧倒的に多く、新採の若者などゼロに等しい。活気のないオジサンがなんとも多い。すべてがとはいわないが、国労の一般組合員は組織こそ堅持しているものの、労働運動そのもには無関心になりつつあり、弱体化していることは否めない。定年退職による国労自然消滅をもくろむ会社側には思うツボだが、悲しいかな、これが実情なのである。
 職場から運動が巻き起こり盛り上がりをみせることはまずない。機関からの指示に従うだけで、しかも動く人はいつも限られている。これでいいはずはないが、私は「いいじゃないか」というのが正直な気持ちなのである。普段の勤務で他人を思いやり苦しみをわかち合っている仲間達をそのことのみで否定はできない。
 戦後政治の総決算と位置付けられた国鉄の分割民営化は、日本の労働運動を解体するという意味合いが非常に強かった。そのためには、戦後労働運動史上一貫して中核を担ってきた国労をなんとしてでも潰さなければならなかったのだ。
 国鉄当局は国家権力と一体となり、マスコミをも総動員して攻撃を仕掛けてきた。国労を、国鉄労働者を国賊に仕立てあげてまで、来る日も来る日も国労潰しに明け暮れたのだった。雇用を盾に、転勤や昇格を餌に陰湿このうえないイジメや恫喝で国労脱退を強要する。国労を陥れるためなら何でもやった。たとえば、駅長や助役との公論の最中に暴力をふるった(実際はやっていない)とウソの診断書を作り、あることないことをデッチあげ何人もの労働者をクビにまでしたのだ。
 挙げればきりがない。普通の神経では考えられないような問答無用の蛮行が白昼堂々平然となされ、全国の国鉄職場はまさに無法地帯同然といってよかった。100人以上の仲間が死に追いやられ、国鉄の問題が新聞に載らない日はないほどだったが、国民の大半は無関心だったと私は思う。「意識改革をしろ」「これが企業人教育だ」といったマインド・コントロールはオウム顔負けだったかもしれない。人権などなかった。24時間安らぐ間もなかった。私達はまるで虫ケラ同然に扱われていたのである。

■逞しい男達よ

 私は職場でイヤなことがあるとグッと抑えて心の中にしまい込む。「おぼえてろォ、おうちに帰ったらお母さんに言うからナ」などと呟きながら帰宅するのだから、パッパラパーと見られても仕方ない。好きな音楽を聴きながら酒を飲み妻を相手にくだを巻く。しまいにはちゃぶ台をひっくり返し(ウソ)酔い潰れてしまうデレオヤジ(ホント)なのである。
 自分の時間で動員など行きたくない。「団結ガンバロー」と拳を振り上げたりデモ行進というのがどうも好きでない。それなのに皆と一緒によく出掛けたものだ。あれだけ異常な労務管理の中で私も気がヘンになりそうにもなったが、初めからヘンだったからか、醒めていた部分もあった(冷静とは違う)。だから私には見えていたのだった。健気で真摯な労働者の姿が‥‥。電車が毎日正常に動いているということが驚きだった。国民の足として1日も休まず無事故で走り続けたのである。涙が溢れそうになるッツーか。な、そうだろう。凄じい攻撃の中でだよ、泣けるじゃないか。「逞しい男達、国鉄労働者よ」。これは手前味噌ではない。私はこのような先輩や同僚の足元にも及ばない。
 いずれにせよ、国労から去ることはせず国労の旗を守り抜いた仲間達である。誰もが全てを忘れてはいない。不当なことは許せない。おかしいことはおかしいのだという気持ちは一つなのである。無関心であれば進歩も発展もないのはいうまでもないが、前にも述べたように「いいじゃないか」なのである。さまざまな人がいていい。私はとやかく言わない。いざとなったらやる。協力もしてくれるし力にもなる。「国労に残る」と自分で決断した時のように。捨てたもんじゃない。やる時はやるのだ。

■6850億円と28兆円

 人間として至極当たり前のことだが、困った時には相談に乗り弱い者を守っていく。それが労働組合である。生活の維持・改善、経済的地位の向上という定義があるが、私は小難しく考えない。誰だって辛かろうが差別されようが人間としてこの一線だけは譲れないという強い思いがあると思う。労働者の首切りを認めて組合といえるだろうか。一人の首切りも許さないというのが組合の生命線ではないのか。突き詰めれば、人権と平和と民主主義を守るために闘っている。私はそれほど深く考えてはいないが、それが国労であると信じて疑わない。
 また、国労は怠け者集団などと聞き捨てならぬことを耳にするがそんなことは決してない。分割民営化という大困難に立ち向かい、労働組合としてまっとうな闘いを進めている最中に、組合としての任務も労働者の良心もかなぐり捨てて転向した集団こそ怠け者ではないのか。違うだろうか。国労は労働組合として正道を歩んでいる。国労は闘い続ける。不当労働行為や差別が根絶され組合員一人ひとりが報われる勝利の日まで。
 今年は国鉄分割民営化10年目を迎える節目にあたる。政府もプロジェクトを設置し諸問題「見直し」の検討に入った。再び国鉄問題が国民の前に浮上し論議が巻き起こる。国鉄精算事業団の長期債務は住専の6850億円とは比較にならぬ28兆円ということである。これもやがては国民負担として回ってくるのか。紛争の全面解決に向け正念場、最大の山場という言葉は聞き飽きたが、まさに国労の命運をかけた1年になるだろう。皆精一杯頑張ってきたとつくづく思う。自身と誇りを持とう。あともう少し。一糸乱れず一致団結、意気揚々と行こうではないか。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/悪酔い気味の斎藤だ

■月刊「記録」1996年4月号掲載記事

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■中央線のドアボーイ

 私達、首都圏(E電)電車の車掌のことを部内では「ドアボーイ」という。国鉄時代からの呼び名である。2・3分置きに発着する各駅でのドア開閉が主な仕事であるからだ。「次は国分寺、お出口右側」と、お決まりのアナウンスとドア開閉。1日中こればっかり。年がら年中同じことを繰り返しているのだ。ああ切なやドアボーイ‥‥。「そうなの?つまらないんだね」と言われれば、「そうだよ、やってらんないよ」となりそうだが、実際のところはどうなのだろうか。
 毎朝NHKニュースでは首都圏の道路状況とともに、JR東日本輸送指令室より、「○時×分現在首都圏管内のJR各線と、東北・上越・東海道新幹線は平常通り運転されております」と、鉄道の運行状況が6-7時台に計3回放映されている。これを見て、「さぁ今日も1日‥‥」と安心して出勤する中央線利用者の皆様も多いだろうと推察される。そして乗客の誰もが願う『平常通りの運行』には、私達車掌にかなりのウエイトがかかっているといっても過言でない。そう考えると、それだけ期待された責任重大で誇りの持てる仕事といえるのだろう。ああうるわしきドアボーイ‥‥。「そうなの?大変なんだね」と言われれば、「そうだよ、神経使っているんだよ」となるわけである。
 中央線東京・高尾間の快速所用時間は約1時間。その間に24ある駅について2・3分おきにアナウンス、およびドアの開閉業務をこなしていく。秒単位の運転時刻を頭に叩き込み、電車が駅に入れば、電車の停止位置の確認・信号の確認・発車時刻の確認によりドアを閉め起動を開始する。その直後は電車とホームの前方確認、ホームを過ぎると後方確認と、やたらに多い「確認事項」をそれぞれ「○×オーライ」と指差喚呼しながら電車を正常に動かしているのだ。この決められた「確認事項」の1つでも怠れば、お客様のけがや事故につながりかねない。世界に誇るJRの安全正確な輸送とは厳正なる確認励行が命なのである。
 ところで、朝食時にこのJRのニュースが始まるとわが家ではちょとした騒ぎになる。それは出演者(声だけだが)である指令員の1人が私の友人M氏であり、子ども達が「やったあ、今日はMさんだ」「残念、今日はMさんじゃない」とはしゃぐのだ。
 普段聞き慣れたM氏の声だが、テレビを通すと妙に落ち着いた、説得力の感じられる声になる。声だけでM氏の誠実な人柄がうかがい知れる。わかりきったことだが、改めての発見であり私の車内アナウンスの反省ともなった。「偉いなあM氏は。本当に立派だ。オレにはできない‥‥」。何も知らない小学生の息子は「お父さんも出たらいいのに」などと言う。いつも私の声に接している息子は何も感じないのだろう。もし私がやろうものなら抗議殺到は間違いない。「朝からあの声は何なんだ!!」と。でもそんな心配は無用。「斎藤だけは外せ」と上から達示があるはずだ。いいのだそれで。私は「次は国分寺、お出口右側」専門で‥‥。「高円寺」「吉祥寺」だってあるのだ。しかし坊主読みではイケナイ。誠心誠意のまごころを込め、この与えられた仕事を天職と思い励むのだ。
 中央線のお客様は我慢強いものである。私の声に対する苦情は一件もない。皆忙しくてそんな暇がないだけか。運悪く私の担当電車に乗ってしまったお客様には心から済まないと思う。このナメクジ声はもはや一生直らない。どうかお付き合いくだされ。

■ホームで知人とニアミス

 さて、私達「ドアボーイ」は長距離列車の車掌のように車内におじゃましてお客様と接することはほとんどない。2・3分おきに駅また駅で時間がないといえばそれまでだが、そうすると私達は人との触れ合いがないように思われるかもしれない。しかしこうも都会に人があふれ、JR利用者が多いと否応なしにさまざまな人との出合いがあり、また尋ねられたりもするのだ。
 つい最近は東京駅ホームで学童父母会時代の懐かしい女性とバッタリ出会った。「いやあお久しぶりですね」。私はこんなとき照れ臭くてしようがない。「私はときどき斎藤さんのお声に接してますわよ、おホホホ」と相変らず妖しげなムードを漂わせている。私は赤面しながらも「お茶でも」と一瞬思ったが、なにせあと数分で折り返しの発車時刻であり、その場で別れるしかなかった。よかった、よかった?
 先日の朝のラッシュ時には知人を目撃した。人の波が絶えることのない三鷹駅1・2番ホームで彼はガムをかみながら朝刊を読んでいた。電車が発車すると彼の姿はなかったが、うちの会社へいったい何をしに来たのだろう?あっそうか、単なる通勤か。さらに私用で渋谷に出掛けたときには驚いた。中央線から山手線に乗り換える新宿駅でのほんの2・3分の間に、3人もの人から尋ねられたのだ。「小田急線はどっちですか」「これ水道橋に停まりますか」などと。フシギに思った。私は私服だったのである。なのに皆様はどうして私がJR社員だとわかるのだろうか‥‥。
 とまあ、そんなことをアレコレ考え、「こんなことじゃイケナイなあ」と夜毎杯を重ね、私のマヌケな1日はどんどん過ぎて行く。酒を飲みつつ明日の乗務がチラッと頭をよぎる。定められた乗務内容をチェックしてみる。今夜は何時に布団に入り、明日は何時何分起床で出勤時刻は何時何分。ここの空き時間で食事を摂り、ここのところはトイレでダムを決壊させる。国立の猫は日向ぼっこをしているだろうか、新宿のキヨスクのあの娘は出番かな、とアレコレ思いを巡らす。
 若い頃の私もそうしたように、夜通し好きなことをやりその勢いで翌日を行き当たりバッタリで乗り切る、なんて離れ技は今となってはできない。翌日の乗務にマトを絞って身体をコントロールし、飲む量、ピッチを考える。ツライね、酒好きには。際限なく飲んだくれていたいのだが、翌日の出勤が5時とか6時だったりするのだ。

■酒は涙かため息か

 突然だが、ビートルズの歌が聴きたくなった。「君がどうしてそんなに高慢なのかぼくには解らない、君はぼくをまともに扱わない、サヨナラを言う前にもう1度考えなおして、ぼくをちゃんと扱うべきだ」。30年前のビートルズ、私が信じて疑わなかったジョン・レノンの「涙の乗車券」という有名な作品である。全然違うけど、これじゃあ、まるで君とはJRのことだね。
 私の全身に沁み込んだビートルズ。今聴くと、なぜかすべてがたまらなく切ないが、いつも私を心強く支えてくれる。それは「あの頃はよかった」という郷愁とオーバーラップするからだろうか。世界中を揺るがしたビートルズ。なかでも享年40歳、ジョン・レノンは孤高の天才である。私は孤高の天ぷら以下だが、歳だけはジョンを超えた。「それがどうした、それでお前はどうなんだ!!」といわれれば、ひたすら沈思黙想頭を垂れるのみなのだが。
 さあ、今夜も気持ちよく酔ったところで寝てしまおう。明日も乗務だ!お任せください。「ドアボーイ」があなたをお待ちしている。大都会東京駅から自然豊かな高尾駅までご案内しようではないか。「お待たせいたしました。御乗車ありがとうございます。中央特別快速です」。JR中央線は今日も明日もまっしぐら。安全・正確な輸送に徹し、あなたの街を駆け抜け、力強く突き進むのだ。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/「JRは土俵だ」の斎藤だ

■月刊「記録」1996年2月号掲載記事

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■閉らないドアを瞬時に閉める

 いよいよ着膨れシーズン本番に突入した。この時期のラッシュ時間帯のダイヤは軒並遅れが生じる。まともに走らぬ中央線なのである。
 寒いからといって会社や学校が休みになるわけではない。ラッシュ時間帯の乗客の数は毎日ほぼ同じはずである。年がら年中ただでさえ超満員なのに着膨れにより1人の占める面積が微妙に増える。従って乗り切れなかったり荷物や厚手のコートがドアに挟まったりで発車に手間取るのだ。
 尻押し部隊(駅員)による横綱・曙並みの真剣な目付き手付きでの「突っぱり」合戦が始まる。いや「押し出し」かな、違うな。そう、この場合は「押し込み」というべきか。強盗ではないぞ。JRだけ存在する相撲にはない荒技なのだ。私たち車掌は閉っていないドアのみの開閉操作を試みるのだが、車内の乗客の圧力でドアはビクともしない。「車内の中ほどまでお詰め下さい」などというアナウンスはもはや役に立たず、乗客の誰もが身動きできない超満員の状態となっている。こうなると車掌はただもう尻押し部隊と乗客の朝一番の稽古を北風に身を震わせながら1人、見守るしかないのだ。
 尻押し部隊は力を緩めることなくグイグイ攻め込んでいく。「定時運転確保。これ以上の遅れは許されない」と必死なのである。なかなか閉らないドアを瞬時にして閉める技は職人芸といってよい。誰もができるというものではない。長年の訓練で培われて修得した立派な技術なのだ。閉る瞬間に土俵際ならぬホーム白線際で身体を翻すという「うっちゃり」のようなポーズが華麗に決まればベテランである。
 電車の構造上、車両側面部中央にある赤ランプ(側灯)が消えると完全閉扉という仕組みになっている。私は軍配を上げる代わりに「基本動作」の1つとして決められている赤ランプ滅を確認すると同時に「側灯滅」と指差喚呼する。それで初めて電車は動き出すのだが、各駅毎に私達車掌はヤキモキし神経がすり減る。それに何よりも身体がすっかり冷えきってしまうのである。尻押し部隊は次から次の「押し込み」で結構な汗をかき、運転士は締め切られた乗務員室なので暖かい。私たちは駅進入進出時は窓を開け「列車監視」をしなければならない。また乗務中は乗務員のドアを開け放しのため暖房が効かない。まさかホームでシコを踏むわけにはいくまい。
■朝の新宿、死に物狂い

 しかし、それ以上に乗客の皆様には慰めの言葉もない。凄まじいの一語に尽きる。すし詰めの中で御乗車の人、これから乗ろうとする両方に共通した無言の戦い。われを忘れなり振りかまわぬ、なんて言ったらお客様に失礼かな‥‥。まず、朝丹念にセットした髪は乱れて台なしとなり、目は上方ただ一点を見つめ妖気が漂う(海部さんのようにとはいってません)。ヘッドホンステレオを聴いている輩の片方のイヤホンは外れ、頬っぺたはブルドッグさながら上下左右に変形している。また、鼻の穴は私みたいにおっぴろがり、口元はミック・ジャガーがシャウトする以上に歪んで、顎は突き出るといった、想像を絶する必死の形相となっている。
 また、乗降の最も激しい新宿駅ではわれ先にと押し合いへし合い合戦という醜態が繰り広げられる。マフラー・腕時計・ネックレス・靴などが線路上にまで落ちており混雑の凄まじさを物語る。
 まさに死に物狂い。それでも皆様無言で耐えていらっしゃる。これほどの苦痛を受けてまでも会社や学校へと急がねばならない。仮にこの光景が日本経済の発展とみるならば、あまりにも忍びがたく実に悲しいことである。

■サラリーマン至上主義を変革せよ

 中央線はほとんどが2分間隔で運転されている。中には1分40秒間隔のものまであり、それこそ次から次とこれでもか!! というくらい走っている。お客様が電車に乗車時に後ろを見やれば、後続がそこまで来ているのが見えるでしょう。JRは毎年のようにスピードアップを計り、運転間隔を縮めて本数を増やしている。
 また全駅の停車時分(車掌による客扱いの時間)をなんと5秒削るという涙ぐましい努力までしている。5秒だよ!お客さん!!しかしこのようなJRのたび重なる対応・対策も空しく、混雑緩和は一向に改善されていないのが実情なのだ。現在の10両編成を11両にするとか複々線化にするとの話は聞くが、そのためにはホーム延長などの大工事やばく大な費用と年数がかかる。今すぐに、それでは早速明日からといった対策がないのである。
 時差通勤をいくら奨励してもラチがあかない。まさか自分の会社が開いていないのに出勤する人はいないし、遅れていくわけにもいかない。また取り引き先が動いていない時間から営業を始めることもできないし、始業を遅らせれば競争に負けてしまう。政府にしても、地方分権だの地方の時代と美辞麗句を寝言のように唱えているだけで、一局集中の構図は何年経っても何ら変わっていない。自分らの居心地があまりにも良過ぎて無理なんだよね。
 こうなると、世の中仕組みを根底から変えるしか方法がない。9時から5時の一般的な人々の意識を変える。社会全体を考えて、職種によって細かく時間を変えていく。もちろん混乱を来すことがないよう世の中がうまく回るようにだ。新聞配達や豆腐屋さん、パン屋さんだけが3時4時ではないように……。サラリーマン至上主義を社会を変革しなければならないのだ。しかし、そんなこと本当にできるだろうか……。

■電車乗りの達人よ

 いずにせよ、現状のままでも通勤通学客をなんとか無事に目的地まで安全輸送ができているのは、実はこれ、お客さまの協力によるところが非常に大きいのでは、と私は思っている。わかり切ったことだが、ドアの前に何人も立ちはだかり、われ先にと乗り込めば降りる人はいったいどうなるのだろう。混乱が生じる。乗降に時間がかかり電車は遅れ出すのは当然のことだ。
 昼間の時間帯、別に混雑もしてないのに遅れが出ることがよくあるが、その特徴として見受けられるのは、乗客は各人バラバラ、常識的なマナーすら欠けた人が何とも多いことだ。その点、ラッシュ時間帯はお客様が実に整然とテキパキ行動されることには驚くと同時に大変感心させられてしまう。駅員の誘導や慣れの部分も当然大きいだろうが、何よりも自分本位ではなく他人のことを思いやるからこそなのでは、と私は思いたい。自分さえよければという考えでいると、必ず後で自分のクビを締める結果になるというものを肝に銘じるべきだろう。
 中央線のみならず、混雑緩和すなわち電車運行ダイヤの正常化は、今のところお客様の協力なしでは成り立たないのだ。ラッシュ時間帯は正に電車乗りの達人・プロなのである。JRはそのようなお客様に感謝を込めて、年に1度ぐらいは表彰状を差し上げるとか、『記録』年間無料講読券を配布するなりの斬新かつ大胆なアイデアを打ち出したらどうだろう。それくらい柔軟な発想に着眼できるなら、私の役目はほぼ達成されたも同然で何もいうことはなくなるのだが。
 最後になって大変な混雑緩和策が閃いてしまった。ズバリ申し上げる。「まわし一丁で乗る」。どうだ!これが決まり手だ!! (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/新春特別ツアーの斎藤だ

■月刊「記録」1996年1月号掲載記事

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■今年も東京駅から出発だ

 お目覚めからおやすみまで、おやすみからお目覚めまで、メラメラとオレンジ色に光輝く不死身のカラダ。それは太陽でも月でもない。そう、それこそ中央線なのである。
 東京から高尾まで、今日もあなたを乗せて快適に駆け抜ける。とびきり上等なエリートライン。しかし一方では「高慢」「キタナイ」「危険」な3Kラインというレッテルを貼られていたりもする。その上、まあるい緑の山手線、まん中通るエロチックライン(?)などと許せんこともいわれる「何でもあり」の中央線なのだ。
 今年もJR東日本中央線へようこそ。本日はただ今から新春特別『マジカル・ミステリー・ツアー』へ御案内しよう。
 世界中の誰もが知っている日本の首都東京。名称そのまま東京駅。中央線の起点、このツアーの出発点である。ここには皇居も警視庁もある。大手町は日本を代表する企業の本社がひしめくエリートビジネス街。新聞各社・日銀・兜町あり。
 そんな中に屋上に赤旗ハタメクビルが唯ヒトツ。この権力集中地帯の中で「よくぞまあ」と誰もが眉をひそめる。しかし、これぞ忘れてはならぬ立退きも決まり、余命幾許もない我が国労会館なのである。よし!いくぞ!!出発進行!
 さて、次は神田。ここも日本人ならその名を知らない人はいない。「江戸っ子でぃ、神田の生まれよ」の商人の町。今でも問屋さんが多い。神田古本街も有名。隅々まで捲られナメラレ読まれて捨てられた山ほどの本。そして次はお茶の水。車窓の下には神田川。学生が多い。学生諸君頑張ってくれ。若いうちは怖いものなど何もないのだからね。近所には受験の神様・湯島天神もある。私の娘も祈願して見事合格を果たした。試験なしの推薦ではあったが。文人で有名な山の上ホテルにも友人の結婚式で行ったが、この街のいったいどこが知性的なのだろう。
 東京ドームをやり過ごし、日本武道館・靖國神社と数々の建造物の中をすり抜けて、出版社が集中し印刷会社も目につく市ヶ谷辺りを過ぎて四ツ谷につく。ここには迎賓館・赤坂離宮と日本テレビ。ホームにまでギンゴンガンゴンと流れてくる12時の鐘の音は否応なくカトリック文化を感じてしまう。そして信濃町の神宮外苑・国立競技場。千駄ヶ谷の新宿御苑。代々木では某テレビ番組の「突撃隣の晩ごはん」的唐突さで現われてくる日本共産党本部に呆然としてると、あっという間に新宿に到着する。
 このように中央線の山手線内エリアは、政治、経済、権力の全てが集中した日本の中枢といってよい。そんな息の詰りそうなどまん中を、わが中央線はくねくねカーブしながら14分で駆け抜けるのだ。お客さまにはこのエリア内の中央線はやはり便利に違いない。だが、私は山手線とクモの巣のように張り巡らせてある地下鉄にお任せすれば、という気持ちもある。
 さて新宿だが、こんなに「何でもあり」の街で右に出るところはない。ないといったらない。天国と地獄。優しさと裏切り。人間の表と裏の全てがある。また日本一の駅乗降客。日本一の歓楽街。日本一の性犯罪。日本一の超高層ビル群‥‥と日本一がよく似合う。私は何が何だか訳がわからずに一刻も早く発車時間になればといつも思う。最近は避けて通りたい街の一つになってしまった。やはり年なのか‥‥。

■わが青春の通過駅達

 新宿を発車すると私は安堵し、何となく気分が軽やかになる。それというのもここからは住宅街であり、私も中央線で暮らす一庶民としての親しみと愛着があるからだろう。新宿名所となったバブルの塔・都庁を含め超高層ビル群に別れを告げながら、私の中央線は西へ西へとバクシンする。
 次の停車駅中野からは一直線、実にスッキリと清々しいストレートラインとなる。私がお世話になっている中野北口方面の何人かの住民に感謝を込めて、目前にそびえる中野サンプラザに敬礼をすると高円寺、阿佐ヶ谷と続く。この辺りは煙突がよく目につくが、何もサンタクロースと縁があるのではない。銭湯が多く、昔からの下宿やアパートが密集している証拠なのだ。
 私がまだ10代後半の頃、フォーク歌手の吉田拓郎が高円寺を、友部正人が阿佐ヶ谷を歌ったことから、この辺りは私達仲間うちでは憧れの街だった。永島慎二の漫画で有名だったコーヒー店「ぽえむ」にもよく足を運んだ。
 ラーメン店と魚屋さんで話題になる-となぜか1行で終わってしまう荻窪の次の西荻窪は杉並区に位置する東京都区内の最後の駅である。私はこの駅には密かに敬意を抱いている。これはどこも取り上げない。気づかないのか意味がないからか‥‥。実はここからは何と遥か遠く東京タワーが見えるのだ。次の吉祥寺からではもう見えない。さすが都区内「ニシオギ」なのである。
 また私が上京して始めて住んだのがニシオギだった。隣の吉祥寺は武蔵野市であり、ただの田舎町(ローカル)と決めつけていた。その点、西荻窪は辛うじてでも東京23区内であり「オレは都会人だもんね」と優越感に浸ったアホ丸出しのガキ時代もあったのだ(今も変わっていないけど)。昔からの安くてウマイ焼鳥屋戎(えびす)には今でもちょくちょく飲みに行く。私にとって肩のこらない心地好い場所なのである。
 次は吉祥寺。私の青春時代の全てといっても過言ではない。昼間の居場所だったコーヒー店ボガ。夕方には焼鳥屋いせやでちょいと一杯。ライブハウスの曼陀羅とのろ。ジャズのファンキーとA&F。お金もないのによく通った。本などとんと読まないのになぜかよく見て回った駅ビルのロンロンの弘栄堂と東急の紀伊國屋書店。のんびり寛げる井の頭公園もあり、この小さなエリアに丸井・近鉄・伊勢丹・東急のデパート群。今ではパルコまで建ち並んでいる。それなのに中央線の特別快速、通勤快速が通過してしまうフシギな駅。とにかくもう24時間無謀にさまよい歩いた街。反省とか後悔している暇はなかった。それほど次から次と来る日も来る日も遊びに忙しかったのだ-もちろん国鉄入社前の話です。吉祥寺・ア・オン・マイ・マインド。わが心のジョージアなのである。
■武蔵境で急停車します

 中央線は吉祥寺で沿線住民を見下ろすかのような(そんなつもりはないです)高架の複々線区間が終わる。次の三鷹からは平地を走る複線へと昔本来の姿となり、安全運転は更に継続されていく。自然が広がり、畑も林も散在する閑かな風景に触れると、徐々に平常心を取り戻し誰もが素直になっていく。武蔵野から多摩の町へと、まるで平和市民がみどりと農へ連帯を探るかのように突き進む中央線はあなたを捉えて離さない。しかし実に残念なことだ。なんと次の武蔵境がこのツアーの終点なのである。どうかお許し下され。中央線は明治22年に新宿から立川まで営業を開始し、その間には2つしか駅がなかったという。1つが中野、そしてこの武蔵境だったのだ。誠に由緒ある老舗なのである。
「御乗車ありがとうございました。武蔵境終点です」。
 いかがでしたか『マジカル・ミステリー・ツアー』。東京から35分の旅。運賃の440円は本日に限り払い戻しいたします。えっ?この先どうしてくれるかって!「はい、このツアーは武蔵境が終点なのでございます」。私はここで下車しなければならないのだ。家へ帰る。そう、私の住まいが武蔵境なのだ。 (■つづく)
※三善里沙子著『中央線の呪い』(二玄社)を参考にしました。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/オレはJRのサイテイだ

■月刊「記録」1995年10月号掲載記事

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■制服制帽の似合う私

 今日も昨日も、明日だって「次は吉祥寺、お出口右側」なのだ。これは当たり前、寝ても覚めてもJRの車掌なのである。先日、高校の同級生と会い、「斎藤、お前なあ、学生のころは制服反対とか叫んでたのに、学校出ても制服制帽なのはお前くらいだよ、アホ」と言われてしまった。さあ、制帽をかぶり直して張り切って行こう。お客様がお待ちしているのだ。
 とはいえ、こうも暑いとどうも集中力が鈍る。仕事に対しても、家庭に於いても、街を歩き酒を飲むにしても全てが限りなく怠惰に近いマンネリズム。これではイケナイ。独創性を持って現状を打破しなければ。型にはまらぬフレッシュな表現方法・生き方はないものか。暑さに負けるな。燃えろ今日も!キラリと輝け!!と思いつつ、出勤前の一段落した午前中のひととき、いつものようにやはり惰性でFMラジオのスイッチを入れる。
 最近よく耳にする、プロコル・ハルムの「青い影」、トム・ウエイツの「土曜日の夜」。昔のヒット曲だが、落ち着いた女性ボーカルによるカバーである。選曲もニクイが妙にけだるく心地好い。暑くてタマラン夏の真っ只中にいるのに、秋風に吹かれているかのような錯覚に陥る。出勤前でなかったらウイスキーに手が伸びるのは間違いない。シンガーの名前をメモしようとするのだが、ラジオのDJの流暢な英語の発音が私には聞き取れず諦めてしまう。歌のウマイ人が羨ましい。自分で歌っていればレコードなど聴く必要がないのでは、とバカなことを本気で思ってしまう。私はひどいオンチなのだ。
 それでも歌う。「ドライブ・マイ・カー」を口ずさみながら出勤するのだ。愛車はもちろんいつものママチャリ。食器も洗った、燃えないゴミも出した、ひまわりに水もやった、とあれこれ「カクニン」しながら職場まで僅か10分。額や首筋から吹き出す汗が引く間もなくすぐに着いてしまう。

■着いたとたんに大ショック

 ショック。実にショックだ。今年もまた昇進試験がダメだったことを事務助役に告げられた。落ちるだろうと思ってはいたものの、微かな期待は抱いていた。やはりやり切れない気持ちである。同僚も皆、顔では笑っているが心は泣いている。
「いったいどうなってんだよ、オレってそんなにバカなんか? エッ!!」。
 乗客とのトラブルも事故も何ひとつとして起こしていない。遅刻もない。増収につながればと切符だって売りまくってきた。「ナゼなんだよ‥‥」。私は時々助役に尋ねる。「特に指導したいこととか、オレの仕事で何か改める点はありますか」と。すると助役は決まってこう言う。
「もうベテランなんだから普段通りやってもらえば結構です」。
 それでも落ちる。片や合格した他労組の中には、度々の営業事故・運転事故、更に遅刻のある者もいるという不合理。なんとも釈然としない。ここまでくると、これはタイヘンな試験に違いないと思わざるを得ない。年1回実施されるこの試験は、車掌経験2・3年の者からを対象とした第1段階の「指導職」というごく初歩的な、つまり位でいえば最下位職の試験である。これに受かると、何年かしたら「主任職」試験、そして「助役職」試験となる。何年かしたらと書いたのは、私にとっての主任試験は永遠に訪れることがないと思えるからだ。惨めだね。
「指導職」では業務知識、一般常識、作文の3科目あり作文で2行しか書かないのに合格したという話も聞いている。それが7回、8回と受けても受からない。国家試験にパスした優秀な人でも落ち続ける。東大卒でも無理なような気がしてくる。駅長試験だって、その能力がある人なら少なくとも4・5回目には受かるのではないか。それにしても助役は気が利かないな。なにも乗務前にいわなくたっていいだろう。これから1日気持ちよく仕事に励もうというときに‥‥。「次は吉祥寺。乗客の皆さん、私は今たいへん落ち込み気分がすぐれないのです」「間もなく新宿、ええぃ忘れ物すんなよ‥‥」なんていうわけはないけどね。家に帰ったらきっと息子にいわれるだろう、「もっとしっかり勉強しろよ、お父さん」。な、なんだ、この立場逆転の展開は?
「ヤケ酒だ」私はしこたま飲んだ。こうなったらもう明日は休む、突発休だ。JRは定年まで私を泣かせ続けるのだね。オーシおやんなさいよ。テッテー的にやってよね。それでも生き続けるからな。そして守るぞ家族を、国労を。死ぬまでだ‥‥。翌朝、気がついたら自転車を漕いで職場の近くまで来ていた。5時半で目覚ましが鳴り、二日酔いの重い頭にシャワーを浴びせ、今日は休むんだと思いながらも身体が自然と出勤のレールに乗っている。サラリーマンの性だよね。どんなことがあっても出勤するわけなのだ。

■私は後からゆっくり合格しよう

 でもね、JRってなんかオカシイのだ。一般の会社なら主任、係長と昇進すれば立場はもちろん、仕事も内容も変わっていくものだ。しかし私達JR車掌は指導や主任になってもやることは皆一緒。昨日車掌になった20歳の新人でも、私のような万年ヒラ車掌でも、この道何十年のベテラン車掌も皆同じ乗務を毎日しているのだ。
 例えば、今日私が乗った電車を明日は指導、明後日は主任、そして次は同僚と代わる代わる乗っている。車掌は車掌なのだからと良くいえば全て平等で、試験に合格しても仕事内容は全く変わらないのだ。また、責任が重くなるわけでもない。なぜなら乗務は1人乗務である。乗客や事故の対応は全て1人であり、当然その電車の担当車掌の責任ということになるからだ。
 ならば賃金がアップする以外にいったい何が変わるのだろう。会社に忠誠を誓うイエスマンに限りなく近づくということか。いや、ゴメン。こんな考えではいけない。合格者は皆、常に問題意識を持った優れた人ばかりだ。
 それとも、「次は吉祥寺、お出口‥‥」というお決まりのアナウンスが、指導や主任の場合は乗客にとってたいへんわかりやすく、この上ない心地好い響きとして伝わるのであろうか。私よりウマイのは確実だが、そんなわけはない。ねっ、なんかヘンでしょ。いずれにせよ今年もダメだった。「落ちた、落ちた、落ちた」「オレはJRのサイテイだ!」。なんだかこれでスッキリした。気持ちを新たに出直しだ。今日もやるぞ!!「次は吉祥寺、お出口‥‥」を。真夏の暑さで鉄のレールがのびることがあっても、私達は誰一人のびることなく毎日仕事に精を出そう。ダウンはしない。私達はJRマンなのだ。なかでも国労組合員は打たれ強い。少々のことではへこたれない。たかが試験に落ちたくらいで弱音を吐くな。誰かみたいにヤケ酒など飲むんじゃないぞ。熟練された私達の技能を、逆に指導や主任に教えてやろうではないか。
 先日、JR東日本の松田昌士社長は平然とこんなことを公言した。 「中労委・地労委なんてものは、勲章目当ての左翼崩れがやってるもので、なくなるべき」。驚くべき発言である。国の法体系を冒涜したものであり許されるものではない。しかしJR内では今や当たり前として通っている。トップがこれだもの。国労差別やいじめは止むことはないだろう。私も頭がヘンになりそうだ。私達ヒラ社員はどんな重労働にも耐えるが、会社はせめて指導や主任の待遇を良くしてほしい。私が試験に合格するのはそれからにしよう。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/『解放』を読む斎藤だ

■月刊「記録」1995年9月号掲載記事

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■今さらすり寄るな

 動労主導のJR総連・東日本旅客鉄道労働組合(東鉄労)と国労の二者は互いに実に激しく対立している。
「ふざけんな。お前らなあ、国労のことをしょっちゅう批判ばかりしやがって。なに? ケッ、国労が19年間も争ってきたスト権ストの202億損害賠償裁判で和解を勝ち取り、運輸省も動き出したことから、残る諸闘争も全面解決間近と察して、自分らの組織が危うくなってきたもんだから、国労と手を組んで1047人問題に自分らも尽力したように見せかける魂胆かよ、往生際の悪いヤツらだよな、無節操なんだよ、お前らはよお」。
 思わず吠えしまったが、国労のトップは真摯な方ばかりで、このようなヤクザまがいの暴言を口走る人は誰一人としていないということを理解していただきたい。
 これはつい先日、国労のトップ三役にJR東日本内最大を誇るJR総連・東鉄労が「仲良くしませんか」と話し合いの呼びかけ文を郵送してきたというものだ。今日まで、事あるごとに「国労解体」を叫び続けてきたJR総連・東鉄労がだ。解体できそうもないから、今度は自分たちの組合に国労を抱き込もうということか。国労は「一切相手にしない、応じない」という声明を出した。当然だ。人間としてのモラルのカケラもないあなた方とは今更手を組めない。

■よくわかるJR労組勢力分布

 JRの労働組合の構図は大変ややこしい。組織が大きいせいもあろうが、一般組合員の中でも正確に把握している人は少ない。また自分が所属している組合の正式名称すら知らない人も多い。そこで私も「あやしいものではありません」と前置きして、国労本部に電話を入れ、確認してみた。
 全国的には、JR総連約7万5千人・JR連合約7万6千人・国労3万人の3つに大別される。圧倒的多数だったJR総連が、2年ほど前に結成されたJR連合に逆転されている。国労も実は3万を割り、2万8千人が正当である。JR東日本でいえば、JR総連傘下の東鉄労約5万6千人・JR連合の鉄産労4千6百人・そしてキラリと輝く国労1万8千人となっている。
 各組合の特徴を簡単に述べよう。JR総連・東鉄労とは、国鉄分割・民営化攻撃の嵐の中、その過激さから鬼とまでいわれた動労が180度方針転換し、国労をやむなく抜けて行った仲間や民社党系の鉄労などを1つにまとめ、労使協調を掲げて国鉄改革に積極的に取り組み、今日のJRを築き上げたといっても過言ではない、大変ご立派な組合である。
 片やJR連合・鉄産労は、国労内主流派の社会党系右派が「国労運動を正しく継承、発展させていく」と唱えて分裂し、これまた労使協調の利口な立ち回りをする素晴らしい組合といえよう。
 そしてご存知わが国労は、国鉄分割・民営化反対を貫き、「闘う駄々っ子」、あるいは「反対ばかりのならず者」と嫌われているどころか、会社側からほとんど無視されている組合とでも申しましょうか。うむ、辛いのだなオレは。
 とまあ大雑把な説明だが、ここで注目すべきは分割民営化当時には10万人以上もの大組織だったJR総連が激減したという点だ。東日本以外のJR各社では、総連はいまや少数組合に転落してしまったのだ。労使一体となって「国労潰し」と自分達の利益だけを目指した、あまりにも急仕立の組織だった弊害が吹き出したのだ。鉄労系や良心的な活動家を排除して、動労中心の独裁体制を強めた結果でもある。10万人とはいっても、しょせん水と油の烏合の衆であり、JR連合ができたのは必然といえるのだ。

■実在する「JRの妖怪」

 しかし、JR東日本だけはJR総連・東鉄労は圧倒的大多数と健在なのである。それはなぜか。国鉄時代からのJR社員であれば、誰もが「妖怪がいるからですよ」と答える。あの『週刊文春』をもにぎわした松崎明委員長(現会長)の存在だ。この人は絶大な力を持った人で、JR関係者のみならず総理大臣から『記録』編集長まで知っている。鬼の動労委員長を歴任し、分割民営化を貫徹し、総連を作り、組合員の生活と地位向上に死力を尽くす。一方では「憲法9条を守る」という会を組織し、反戦・平和を力説するスゴイ人だから「妖怪」などといわれるのか・・・・。
 国労への敵対心も並大抵ではない。「1047人の1人も採用させてはならない。国鉄改革に苦労してきた我々の成果を奪うようなことは許されない」「国労は存在それ自身が犯罪であるといわねばならない。国労の無責任・無節操な振る舞いを許さず、国労の犯罪性を暴露し、国労の最終的解体のために職場から論争を挑んでいく」と吠えまくっている。
 また95年5月3日付朝日新聞の広告文に対しても、「国労ガンバレなどという無責任で安直な評論家を歴史は黙殺するだろう」「虚偽と国労幹部の責任放棄を人権の大義に仕立て上げたものであり、事実を知らない人や団体を、解雇→可哀想=人権問題という単純論理で組織化したものにすぎない」とかみつくなど、妖怪ぶりは枚挙にいとまがない。こうまで罵られ矢ジリを向けられると、私はもう反論する気も失せてしまう。ただ「ごくろうさん、いつも国労を思ってくれてありがとう」なのだ。

■戦後最大の解雇問題

 6月26日、ルポライターの鎌田慧氏や評論家の佐高信氏たちが呼びかけた「JRに人権を、1047人の復職を求める」日比谷公会堂の集会に出掛けた。会場周辺には団結の赤い腕章やハチマキをした青年が「頑張って下さい」と声を掛けながらビラや機関紙を配っていた。私も何気なく受け取って「国労の支援団体だろう」と見てみると、それは何と、妖しげな集団革マル派の機関紙『解放』だった。そこには「国労本部ダラ幹を弾劾せよ」とか、国労をコテンパンに誹謗・中傷した記事で占められていた。
 不思議なことに『解放』の文体は、JR総連・東鉄労がいつも用いる表現と酷似していた。旧動労幹部は革マルだというのは、国鉄時代から今日まで誰もが口にする大方の見解だ。だが真相はわからない。「そんなことどうでもいいさ」と誰もが思う。誰が革マルだろうが日の丸だろうが、電車が毎日正常に動きさえすれば国民には関係ないかもしれない。しかし、もしそれが真実であるならば、JR上層部の資質を疑わざるを得ない。日本を代表する大企業の、大変重要なポストに就かせているということが大問題ではないのか。帰りの地下鉄車内で、詳しく読んでみようと『解放』を広げると、同僚が耳元でそっと囁いた。「やめろよ典さん、こんなとこでそんなもん読むなよ、サリンより恐いんだから」。
 国労は時代に乗れず不器用なのかもしれない。しかし国労は労働組合として、また人間として堂々と本道を歩んでいるとつくづく思う。分割民営化の大洪水のような攻撃に対応し切れずに押し流されもしたが、どっこい踏ん張ったお陰で仲間同士の信頼関係も深まった。また皮肉なことに、攻撃される度に私達労働者は鍛えられて強くなった。国労は1つ1つ地道に解決し、コツコツ着実に運動を重ねて今も闘っている。
 私は今までに幾度となく愚痴をこぼし、活動家を非難してきたが、国労はいつも温かく受け入れてくれた。国労の魂から遊離しないことが勝利への道だと思う。会社に無視されても、世間に相手にされなくても、人間的で優しい仲間と毎日笑い合っていこう。
 国の政策で断行した分割・民営化だ。国家は国民をこれ以上弄ぶことは許されない。1047人の闘争団の家族にせめて普通の当たり前の暮らしをさせてあげるべきではないか。当時の中曽根内閣は国会で答弁した。「1人も路頭に迷わせない。組合差別はしない」と。村山総理しっかりしろ。新潟のトキは絶滅寸前でワシみたいじゃのうとかいっとらんで、自民党の洗脳を解き、指導力を発揮し、この戦後最大の解雇問題をキチンと解決してほしい。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/乗車券まで売っている斎藤だ

■月刊「記録」1995年7月号掲載記事

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■週末は競馬場へ

 爽やかな季節だ。緑のコントラストが最もキレイに目に染みる若葉の頃。春から初夏へ、日に日に大きく成長する自然の雄大さ。新緑を見ていると吸い込まれそうで、めまいさえ覚える。鯉のぼりのように、そよ風に身を任せて1日中空を泳いでいたい。
 このところ私は土曜・日曜になると東京競馬場で1日を過ごしている。「京都・福島競馬も売るのかい」「ハイ、全国です」といった会話を繰り返す。あふれんばかりの人、長蛇の列、埃だらけにはいささかウンザリ。これでは普段の都会の喧噪と何ら変わりないではないか。芝の緑の美しさをのんびり満喫とはいかない。ならば何故、私はこんなところにいるのか。
 実は私はなんと、仲間の車掌7~8人で乗車券を売りまくっているのである。競馬場の駅である府中本町への応援と混雑緩和という意味もあるが、何よりも車掌区の増収活動の一環として、結局はJRの収入と、さまざまな工夫を凝らして各職場が競争している。このように増収・増収と目の色変えて躍起になっているのが現状なのだ。民営化、すなわち営利第一を本旨とする株式会社JRなのですから。
 皆さんも駅構内を歩くと見掛けるでしょう。特設売場を設けオレンジ・カードやイオ・カードをバナナの叩き売りのように売っている姿を。本来なら駅出札での扱いが基本だが、今や駅員に限らず私たち車掌や、果てはそば屋の店員だったりで「支離滅裂、なんでもあり」の状態となっている。ネーム・プレートをご覧下さればすぐ解ります。また、競馬場での私はネーム・プレートなど見なくても一目瞭然。馬のようなデカイ鼻をしてますから。

■レース後が本勝負

 このイライラを解消するには、やはり「ドカンと当てなあかん」というわけで、男一発大勝負に挑んだのであります。勝つのは1番強い馬に決まっている。従ってその馬を買う。その結果、手元のお金が増えるという実に単純明快な仕組となっている。
「さあ勝負」とレースに集中。各馬一斉にスタート……。4コーナーを回って直線に向かう。馬の尻にムチがはいる。ゴールまであと400mの勝負。興奮は高まる。残り200m。自分の買った馬に無意識に声援を送ってしまう。「ソレ行け、抜け出すんだ、都知事は青島だあ、オレは斎藤だ、負けるもんか」と、ほとんどワケが解らぬままレースは終了。グスン。弱い馬が勝つこともあるのだね。1番強い馬はナメクジのようにノロマだったのだ。
「ガッカリ」。全身の力がスーッと抜けていく。隣につっ立っている助役も肩を落としている。「助役さんも勝負したのだね」。途端に私の前にはドッと人が押し寄せる。さすが助役のハンドマイクは気を取り直し、しっかりした声で叫ぶ。「府中本町の駅は大混雑しております。お帰りのキップはこちらでお買い求め下さい」。
 メイン・レースが終わってからの約1時間半が「本日業務」のピークとなる。負けレースを反省しているわけではないが、下を向きっぱなしとなり、息つく暇もないほどだ。ただひたすらポス(乗車券を作る機械)を打ち、金銭授受のミスのないようキップとお金とお客さんの手元のニラメッコが永遠と続くのだ。会話もない、心の触れ合いもない。次から次とお金を受け取りキップを手渡す。これではまるで機械そのもの。ミジメな気持ちになってくる。ふと、「負けてカリカリしているお客さんに限らず、ほとんどの人は競馬場にお金を儲けにきている」そんなことを思うと殺気すら感じ恐くなってくる。
■5月3日と斎藤だ

 さて、戦後50年目「憲法記念日」の朝日新聞に「JRに人権を1047人の復職を求めます」という意見広告が一面のスペースでデッカク掲載されていた。「見たかな? まだの人は読めよ、読めよ、読めよ」と、私は麻原教祖的になってしまう。国鉄分割民営化から8年が経ったJRの現状を述べた上で、JRと政府に法律を遵守し誠意のある解決を求めるという内容だった。この世論に訴えるアピールの呼びかけ人は、写真家の石川文洋さんをはじめ、作家・弁護士・ニュースキャスター・映画監督・学者などの心ある著名人70人からなり、賛同者や団体は数え切れぬほど名を連ねている。私はうれしさのあまりアントニオ猪木的ガッツ・ポーズで決めてしまった。成功を祈らずにはいられない。
 このように、国労の運動はいつの時でも善意の大勢の人々に支援され続けてきた。だがなぜか思うように盛り上がらない。時が経つにつれ、この問題は世論からも風化しつつある。実に8年が過ぎた。忘れるものですよ。当事者でなければ次から次と忘れ去っていくものなのだ。私は悔しい思いでいっぱいになってしまう。
 誤解を恐れずにいえば、いつも活動家だけが堅く結束し、お決まりの寝言のような演説をぶち、盛り上がっている。国労の組織は3万人にまで激減、弱体化したのは事実なのに、活動家は、「1人1人の団結と闘う意識はより強固なものになった」と言い切る。私はそうは思わない。不当な差別が長期化し、自分の利益にならないからと脱退していく一般組合員が後を絶たないのが現状だ。国労は彼らを責めてはいけない。もうたまらん状態なのだ。もしここで強行な戦術でも打ち出したりすれば、組織は再び大混乱に陥り、団結は崩れ脱退者は増える一方だろう。正しい理論が必ずしも統一した実践に結びつかないのが運動の難しさだ。

■それでも国労です

 更にこれまた書くに耐えないが、私達一般組合員と1047人の闘争団の仲間との関わりである。闘争団員と活動家はそれこそ休む暇もなく全国をオルグで飛び回っている。誠に御苦労様なことで、一心同体とい言ってもいいだろう。しかし私達との交流は極端に少ない、というよりゼロに等しい。たまの動員の集会などで涙の訴えを聞くぐらいだ。時には年休を取って北海道の闘争団へ赴き激励したい、仲間と杯を交わしたい、という衝動に駆られるが、なかなか実行できるものではない。仕方ないよね、こちらの生活もあり、これが現実なのだ。私達の職場の日常はハッキリいって、闘争団の「と」の字も眼中にないのが実情となってしまっている。ごめんね、闘争団の仲間たち。
 しかし、闘争団なら百も承知だよね。全ての組合活動は一貫して闘争団と直結したものである。「解雇撤回、JR復帰」の闘いなのだ。本務である私達の問題は昇進差別や強制配転、あるいは食事時間といった目先のことだが、動員やカンパで気持ちが新たに奮い立(たない人もいるだろうが)ち、闘争団の仲間のことを思い出す。これが大勢を占める一般組員ではないだろうか。
 いずれにせよ、1人1人は何とも弱い国労組織だと私は思う。しかし、その1人は人間として当たり前すぎる思いを人一倍強く抱いている。この1点が辛うじて国労の団結を保っているのではないか。「オカシイことはオカシイ、理不尽なことは許せない」という思いだ。要は人権を守れということか。「仲間を裏切ることはできない」とは、解雇された闘争団や何やらの不当なことを受けた仲間への思いやりと、いつ自分の身に起こるかもしれないという、あってはならないことなのだ。
 新宿車掌区差別事件で最高裁勝利判決を受けた田中博さんはいった。「負けないでよかった。勝ってうれしいとは言えなかった。国労は労働委員会で勝つたびに会社側から報復を受け、多くの仲間の配転と脱退を見たのは断腸の思いだ。闘いの当事者全てが必ずしも闘士とは限らない。大多数の他労組に囲まれながら国労の心を守って行かねばならない運命を背負い、日々職務に励んでいるものもいる。好きです国労とは言えない。それでも国労です」。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/“人間尊重企業”で働く斎藤だ

■月刊「記録」1995年3月号掲載記事

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■会社にはいたわりの心がない

「傷害事故発生について」
  12月4日早朝、三鷹駅に於いて、発車ベルを扱い乗務員室に戻る際、無意識な行動をとったため、誤って線路上に転落し受傷する事故が発生した。
 以下の事柄を厳守し再発防止に努めること。
※常に意識をもって作業を行なうこと。
※勤務中は雑念をすてて執務すること。
※決められたことは必ず守ること。以上。

  これは車掌区長名で出された職場の掲示である。紙面はいつもの倍はあり、見出しの「傷害事故発生について」は朱書きで、ものものしい印象さえ受ける。非常に目立ってバカでかい。
 私は「あっ、またか」とため息をもらし、悲しく情けない気持になった。この掲示を初めて目にした仲間は、数人でヒソヒソやっている。「これはヒドイ」「責任転嫁だよ」「S君がかわいそう」。
 S君、むむ、実は斎藤?いや、私のことではない。いつも明るく、陽気な車掌区の人気者、S君のことである。彼は12月4日早朝、出勤時刻である5時44分までに余裕をもって出勤し、乗務開始の6時4分、旅客扱い中にホームから線路に転落し、肋骨と腰椎を骨折する重傷を負ったのだった。
 私を含むほとんどの社員が問題にしている点は、「無意識な行動」というあまりにも気の毒なくだりである。確かにS君のミスだが、いたわりの気持ちがかけらもなく、全ての責任をS君に押しつける表現だ。区側=会社側の高慢さを感じずにいられない。
 会社側は、「事故があったから、全社員に注意を促す意味での掲示であり、S君には心からお見舞い申し上げます」とでもいうのだろうが、区長は運転訓練会議の席で私達を前に、「事故などの場合、個人の責任追及ではなく、本年度からは事故がなぜ起きたのかという原因追及に重点を置く。会社は方針を転換した」と発言していたのだ。ほど遠いね、ハテナだね。これでは旧態依然である。また、JR東日本は「人間尊重企業」とうたって胸を張っているが、これもほど遠いね、ハテナだねと思わざるを得ない。

■無意識な行動とは

 さて、S君は果たして「無意識な行動」なるものをとっていたのだろうか。例えば、信号が赤、つまり進路が構成されていないのに、不十分な確認で「出発進行」と指差喚呼してドアを閉めてしまった場合は、最悪の場合は電車が発進してしまって脱線する。また、電車が所定の停止位置に止まっていないのに「停止位置オーライ」と指差喚呼し、ドアを開けてしまえば満員であれば、ホームを外れている車両の乗客が線路にあふれ落ちることもあり得る。これらの例は、一概に決めつけることは酷であるが、「無意識な行動」による事故といわれても仕方ないだろう。
 だが、S君の場合は違う。彼は信号を確認し、旅客の乗降に気を使い、しっかりとした意識をもって作業に当たっていたのだから。ただ、ちょっとした弾みで足を踏み外し、運悪く転落してしまっただけなのだ。けがをする時はこんなものだと思うが。
 よしんばS君本人が、「はい。無意識な行動をとりました」と認めても、私は認めない。S君は過去に何度か小さなミスをして、乗務停止やヒドイ指導を受け、会社に不信の念を抱いていた経緯があるのだ。半ば呆れているから、面倒くさくて「はい、はい」としか言わなかったのだ、と。私は彼の気持がよくわかる。

■私は上から叱られる

 この仕打ちを知って私が思い出すのは、車掌のT君が乗務員室の鉄のドアに指を挟んで大けがをした4年前のことだ。当時は分割・民営化の大混乱期で、会社のやり方には人間のモラルやマナー、ルールは皆無に等しく、人権をも全く無視した、問答無用でやりたい放題の労務管理だった。そこまでやるか、人間はこうも変わるものかと、想像を絶することが白昼堂々と行なわれた。
 T君を標的とした掲示も異常そのもの。縦2m、横1mと、S君のものの更に倍はあり、やはり朱書きのどでかい見出しには、なんと「全社員に警告する!!」とあり、社員のけがに関する掲示でありながら、社長の新年訓辞の掲示以上という凄さだった。
 そこには、T君がけがを負ったのは車掌がやるべき「基本動作」を怠ったため、と個人を責めた文章が平然と書かれてあった。
 ここで「基本動作」とは何ですか? というお客様の声が届きました。乗務中「○×オーライ」と逐一指差確認し、喚呼する動作のことで、その励行が、事故を防止する手段として最重要視されています。水を飲む場合に、蛇口左ひねりオーライ、水質オーライ、コップ接近オーライ、コップを持った腕の角度オーライと、いちいちやっていられないことを、車掌はキチンと正しい姿勢でやっておるのでございます。
 T君は当然のように区長室に呼ばれ、ものすごい剣幕で怒鳴られ罵倒されたと告白してくれた。区長曰く、「大けがをして痛いのは当たり前だ。私は同情などしない。基本動作をなぜやらなかったのだ。やっていれば防げた。あんたは車掌失格、不適格だよ。それより当区の安全点数が下がった責任をどうしてくれるのだ。あんたのお陰で私は上から叱られるのだよ」。
 あまりにもご立派、何とも素晴らしいお言葉で、私は赤面せずにはいられませんでした。それまでは「区長も大変だろう。こんな時期だから血も涙もないような決断もしなきゃならん。トップに立つ人も大変だこりゃ」と同情の念も抱いていたのに。
 しかし、「車掌失格、不適格」とは? T君だって車掌になって5年、10年と無事故で通したベテランである。私達の中に不適格な者など誰一人としていないとハッキリ申し上げておきたい。200人からなる職場のトップであり、皆が尊敬している人格者の区長の発言だけに驚愕し、あまりのショックで言葉が出ない。

■職務でけがして休めば賃金カット

 T君はうろたえながらも、労災保険は適用されるだろうと手続きをしようとしたら、「全部自分でやるんだよ」と言われたと聞いて耳を疑った。天下のJRがそれはないだろう。いったい何のための庶務(事務)なのだ。T君は仕方なく労働基準監督署へ駆け込み、事情を説明し手続きを済ませた。区側がしぶしぶ重い腰を上げて保険金が下りたのは何と1年半後。泣けてくる。
 更に腑に落ちないのが、けがをして乗務を降りた時点から賃金カットになるということである。欠勤や遅刻と同様、給料からキビシク差し引かれるのだ。ある乗務員などは、神田駅付近で線路上を歩いている公衆を発見し、直ちに電車を止めて保護しようと駆けつけたところ、逆にボカスカ殴られた。負傷して救急車で入院し、賃金カットである。なんかヘン。どこかが狂っているとしか思えない。拘束時間内であっても、業務に従事していない時間は賃金対象外なのである。やっぱりなんかオカシイ。
 職場でけがをして、このような指導や仕打ちをされるなど、とうてい理解できないし、正常な大人の行為でもない。当時、組合の威勢のいい活動家たちの大半は配転させられ、私達は国労に留まることで団結を確かめ合い、ひっそり耐えていくしかなかった。つらくて忘れたいのに、今でも鮮明によみがえって忘れることができない。みんな覚えているのだ。
 分割・民営化から5年。仕事はキツクなる一方だが、皆で助け合って明るく楽しくやっていこう。労働委員会が、国労が提訴した事件に対し100件以上もの勝利命令を出しているが、会社側は聞く耳を持たず、受け入れようとしない。おかしいことは、誰が見てもおかしいのだ。私の考えが間違っているのなら指摘してほしい。改めるべきところはいますぐにでも改めよう。
 さあ、S君の見舞いにいこう。「バカだなS君。ドジだよお前は。前の晩はゆっくり休んだのかい。早朝出勤の時は、風呂で十分温まってさ、グイッと1杯やってからサッと寝るんだよ。気をつけろよS君。治ったらまた皆で飲もうよ。なっS君!!」。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/わが愛車が止まった

■月刊「記録」1995年2月号掲載記事

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 私の中央線がストップした。11月24日土曜日の夕方、工事のクレーン車が架線を切断し停電になったということだった。
 14時25分で勤務を終えて家にいた私に、夕食の買出しから帰って来た妻が、「たいへんよ。武蔵境の駅が人であふれてパニック状態、中央線止まっているみたいよ」と叫んだ。私は買物袋の中味より事故の方が気になった。うーむ、異常な人だかりで駅舎や線路が全ておおい隠され、人の波が隣の三鷹駅まで、まるでアブラ虫が茎や葉を被っているみたいにびっしり続いている、などとありもしない様子を想像してみる。
 どれ、どんな事故かとヤジ馬根性で武蔵境の駅に電話を入れたところ、話し中が長らく続きさっぱり通じない。「次は吉祥寺、お出口右側です」と言いながらダイヤルしてもダメである。そうか、自分の職場、車掌区に聞けば一発でわかるではないか、と単純なことに気付きダイヤルを回したが、相手が出る前にハッと気付き、慌てて受話器を置いた。
 考えてもみよ、もう少しで土曜日の晩が台なしになるところだった。「斎藤さん。よく電話してくれたね。大変なんだよ。悪いけど今すぐ出てこいよ」と言われるのがオチだからである。私は急いで冷蔵庫から缶ビールを取り出し一気に飲んだ。これでよし、もう大丈夫。職場から呼び出しの電話があっても、酒気帯び出勤は厳禁なのである。
「これだけのことならテレビでもやるだろう」とNHKの6時のニュースをつけてみたら、しばらくして私の愛車、橙色の「クハ201の22」が、乗客を全て降ろした回送の状態で四ツ谷駅に停車している勇姿が、画面一杯鮮やかな総天然色で映し出されたではないか。
 私はうれしくなって、「ああ中央線よ。空を飛んであの娘の胸に突き刺され!」と思わずつぶやいた。すると突然、駅長事務室に画面は変わり、私の職場から栄転されたYさんがアップで映った。黙々と執務を厳正に遂行している。「Yさんお久しぶり、全く緊張しちゃて、出演料をNHKにしっかり請求しろよ」などと私は返答のないテレビに向かってささやいた。
 ニュースでは3時間近くもストップしたと報じていた。平日ならば帰宅ラッシュの時間帯であったので、土曜日であったのがせめてもの救いであった。しかし、利用客は疲れ切り、大打撃をこうむったのには変わりない。振り替え輸送の手配により、私鉄や地下鉄、あるいはバス、タクシーにと大混乱の中振り回され、やっとの思いで目的地や家路にたどり着いたことだろう。

■他の車掌は休憩室に

乗務員や駅員は、こんな時にこそ機敏な対処をプロとして問われるのだ。こまめな情報提供に務め、乗客を安心させなくてはならない。乗務員が最も頼りとするのは「指令」との無線連絡だが、全て話し中となったりで、なにがどうなっているのか状況がさっぱりわからなくなることもある。今回は駅間の途中に止まった電車の乗客が、しびれを切らして線路に飛び降り出したという。まさに大パニックである。この時の乗務がもし私だったら、放送や乗客の誘導がうまくできるだろうか。やってみよう。
「お知らせします。ただ今放送文案の原稿を書いております。もうしばらくくお待ち下さい」。うん、これくらいの余裕と落ち着きがあれば大丈夫そうだ、我ながらさすがである。
 なにしろ、乗務中の車掌はそれこそ運が悪かったとしかいいようがなく、不幸のどん底に突き落とされる。乗客も然りだが電車に缶詰になり、食事はできない、心ない客には食ってかかられる。泊まり勤務であれば、乗務時間が延長され、ただでさえ短い仮眠時間に鋭く食い込む。
 一方、車掌区の休憩室では食事をしたり、お茶を飲んでくつろいで? いる車掌がゴロゴロしている。一般の方々から見れば、こんな大事故になんて不謹慎な、と不思議な光景に映るに違いないが、私たちは乗ることが仕事であり、運転再開に備えてただじっと待っているほかはないのである。心の中では、それはもうお客様の御迷惑をおかけしてはならぬ、一刻も早く運転再開となりますようにという気持ちでいっぱいなのでございますよ。ほんとうに。
 3時間もストップすれば、電車の遅れは当然それ以上に増して運休も相次ぐ。ダイヤはメチャクチャに乱れ、交代の車掌や乗る電車がなくなってしまうという事態が生じる。こうなると乗務中の車掌が乗りっ放しとなる一方で、休憩室の車掌は4時間5時間とお預けをくい、迷い子の小犬のようにキャンキャン、オロオロする以外ないのだ。仕事がしたいばっかりに、お決まりの「次は武蔵境、お出口・・・・」などと言ってしまったら、狂ったと思われても仕方がない。要するに、私達は乗る以外は用がない存在なのである。
 いずれにせよ、非常事態は非常にツカレル。仕事も世の中も正常であってほしいと心から願うものである。

■愛社精神より公僕精神

ところで、この3時間のJRの損失は額にしてどれくらいだろうか。何千万円、または億を超えるのだろうか。国鉄時代の話だが、一般の小さな会社の車が踏切で電車と衝突し、1~2時間も電車がストップすると、賠償額でその会社はつぶれてしまうということだった。ならば、その会社の社員たちにとっては大死活問題であり、全社員一丸となって対応策に奔走するだろう。
 しかし、私にはそのような気持ちがわいてこないのだ。誤解されては困るが、例えばニュースなどで、我が社内の新宿駅で、新潟で、青森でと大事故が起きたと報じられたとする。「これは大変、さあ困った」という認識は持つが、心の隅では他人事のように思ってしまうのだ。この素直な気持ち、私だけではあるまい。ほとんどの社員がそう考えると思うのだが……。
 JRは朝から晩まで24時間休みなく動くシステムで、私たちの勤務は引き継ぎ交代制となっている。つまり、その時の出番の者で対応しているわけで、大事故の時など、よく知人から、「あの時は大変だったね。斎藤さんどうしてたの」などと聞かれる。私が正直に、「仕事じゃなかったら、家で酒飲んでテレビを観てたよ」などと答えると、知人はけげんそうな顔つきになり、「JRってオカシイ」ということになるのだ。何というか、愛社精神が希薄と思われてしまいそうだが、実際のところその通りなのかもしれない。
 このJRの社宅にいられるのも、雇っていただいて今の生活があるのもすべてJRのおかげ。寝ても覚めても国鉄マン、JR社員。1500ボルトの電圧で安全純度100%」の電車が動く。私は十分過ぎるほどJRと中央線にしびれている。
 それに加えて、国民のためにほんの少しお手伝いをし、ほんのちょっぴり社会奉仕してお役に立てばといった気持ちが強い。JRになり、準公務員から会社員になった訳だが、民間企業といっても国民全体の公共機関であることに変わりはない。
 そして、JRという社名より、赤字で国の金を失うと書く「国鉄」という呼び名がやはり似合っているように思えて仕方がない。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/鉄道サリン・異臭事件に怒る

■月刊「記録」1995年6月号掲載記事

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■職責を超え本能で行動

 駅構内で車内と警察の姿が絶えることのない異様な毎日。4月19日の横浜駅異臭事件、5月5日の新宿駅青酸事件と危惧したことが現実となった。「私のJRもついに」という感がする。
 24時間体制の警備、車掌のアナウンスも気休めに過ぎなかった。正常な世の中に戻ってほしい。犯人はいい加減に目を覚ましたらどうなんだ。
 それにしても不気味である。吐き気さえ覚え、春の1日が憂鬱になってしまう。この狂気の沙汰は世界中を震撼させたといっても過言ではない。無差別殺人・無差別攻撃には猛烈な怒りが込み上げ、断じて許せない。優秀な警察は全容を徹底的に解明し、最凶悪犯人を一刻も早く逮捕しなければならない。
 地下鉄サリン事件のあった日の数日前まで娘が丸の内線を事件の時間帯に利用していた。また、看護婦の妻が通勤する病院には、被害に遭った200人もの患者が治療を受け、てんやわんやだった。他人事とは思えない。しかもことは鉄道を狙った事件だ。「もしJRで起こったら、私が乗務中だったら」と考えただけで頭の中がパニック化してしまう。
 もはや「オレは斎藤だ、車掌だ、国労だ」などといってはいられない。毒ガスに限らず、大地震・大火事という超非常事態に陥った場合、私達はJR職員の職責を超えた1人の人間としての本能で行動する。一刻を争う時に「責任者の指示がないので何もできません」「責任者到着までお待ち下さい」などとバカげたことでは済まされない。安全対策上のマニュアルもあり、訓練もされているが、とにかく臨機応変に何でもするだろう。
 例えば車内で急病人が出た場合、列車を止めて現場に急行すると、乗務員や駅員より乗客の何人かの方が扱いが上手く、その場を仕切るということがままある。私達の指揮命令系統では区長→助役→私達ヒラ社員となるが、混乱時に機敏な動作でテキパキと処理する者が必ずしも上司とは限らない。緊急時の指揮は「人間として」の原点に戻るということである

■JRは空気のようなもの

 サリン事件以降はJRでも運輸大臣からの指示もあって、「不審物はないか」と各駅構内・電車内を巡回し、24時間の警戒体制を敷いている。お客様に不安を与えてはならないと、ホームやコンコースのゴミ箱をのぞき込み、ベンチや車内網棚に捨て置かれた新聞・雑誌などをくまなく撤去する。職員はみんな目に隈をこしらえて疲れ切っている。業務が後回しで溜まって仕方がないと言う。追い打ちをかけるように横浜事件だ。
 私達車掌も「不審な物などありましたら手を触れずに乗務員・駅員にお申し出下さい」と車内放送で繰り返し注意を呼びかけている。私もキョロキョロと挙動不審気味で、制服姿でなかったら不審者扱いにされかねない状態だ。それでも音も色も臭いもなく忍び寄る毒ガスではひとたまりもないわけで、乗務中ぐらいは防毒マスクをしていたい。JRも、希望のお客様には防毒マスクを無料で貸し出したらどうかと真剣に考えてしまう。
 鉄道は国民に親しまれ、安心して利用されている。安全面では高水準を誇る乗り物といえよう。しかし、列車の衝突・脱線・転覆などの事故がないとは限らず、現に起きているという点では死と隣り合わせの危険な仕事ともいえる。運転に直接携わっている私達は厳粛にならざるを得ない。サリン事件では毒物の入った袋を運んだ職員が亡くなったが、車内からの異物を取り除くというごく当り前の単純な日常業務で帰らぬ人となるなど到底納得できまい。無念この上ないだろう。犯人は人でなしだ。 私達乗務員は仕事である以上危険は仕方ないが、国民の大半にとってのJRは「なくてはならない空気のようなもの。事故・遅れなしは当り前」という暗黙の信頼の上で利用されている。中には、1分でも遅れては困るという急用の人も少なくない。

■皆様の御利用をお待ちしている

 正直いって「JRにだけは仕掛けないで」と考える職員も多いが、自分の身に毒ガス攻撃など起きてほしくないと思うのは当たり前である。そして自分の身には降りかからないだろうと考える職員が圧倒的である。「安全神話が崩れた以上、私達も眠ってはいられない」というマスコミ論調もあったが、私は眠っていたい。人間として生まれ正しく生きている以上、こんな理不尽な被害に合うことなど考えてなんかいられないではないか。
 犯人が逮捕されない限り再発が心配されるが、私はひるむことなくいつもと変わらず堂々と生き、毅然とした態度で職務に励む。乗務員は乗客を他の車両に避難させ、自らも絶対に手を触れず、後は警察の専門家を待つだけの無力な存在だ。
 警察庁長官銃撃事件も法治国家への挑戦ともとれる前代未聞の事件だった。もし国家権力への報復だとしたら、国も警察もこれを期に国民からの信頼を取り戻してほしい。デッチ上げや暴力による自白の強要、平然と弱者を切り捨てる人権侵害が国家権力によって行なわれてきたのは事実だ。国民の反感を買い、不信を抱くような行為があってはならない。
 実は、私は職場の何人かの仲間に、何と「教祖さま」などと呼ばれている。私は「明日は新宿です」と車内放送をしてしまったことがある。新宿で飲み会がある明日のことを考えていたのだ。また、東京駅のホームで数人の外国人客に「エクスキューズ・ミー、ハツカリ?」と尋ねられた時、「エクスプレス・ハツカリ」と思い込み、盛岡乗り換えの「特急はつかり」青森行を案内し、大変喜ばれて私もホッと安堵したが、後で「ハツカリ」とは中央線の大月の次の駅「初狩」であったに違いないと思い直して困り果てたこともある。そこで仲間達に、小さなことでも大きくする「顕微教」の「教祖さま」といじめられるわけだ。止めてくれ!
 中央線は今日も走る。希望を乗せ夢を抱き、前進あるのみ。勘違いが「教義」になるニセ教祖が車掌を務める場合もある。太陽が昇る前から皆様の御利用をお待ちしている。安全・正確に皆様を目的地まで送り届けよう。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/戸惑うばかりの斎藤だ

■月刊「記録」1995年5月号掲載記事

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■頭の中が大混乱

「めちゃくちゃだ」。阪神大震災は想像を絶する悪夢だが、これは事実なのだ。何も力になれない私は心苦しく思うばかり。何もできない分、「負けるな、ガンバレ」と心の中で叫ぶ。
 それにしても、JR西日本の被害を見ると、社員のことをどうしても気遣ってしまう。一体どんな思いで職務に励んでいるのだろうと。民営化したからといって「やめた。倒産」とはいかない。第一、国民が許さない。春闘も自粛と聞いたが、こんな時こそ賃上げが必要なのではと勝手に思ってしまう。何とかならないのか。社員の今後の生活は大丈夫なのか。一刻も早い復旧を願うばかりだ。

■車掌の喜びと憂鬱

 気を取り直そう。「オレはJRの斎藤だ」のタイトルの響きが問題だ。「そこどけオラオラ、中央線のお通りだい、文句あっか」とでも続きそうで、横柄な印象を与えているのではと心配で仕方がない。しかしそんなことはありません。小心者の一労働者に過ぎないのです。編集部があまりにも立派なタイトルをつけてくれたもので嬉しさのあまり「第九」を口ずさんでしまうほどだ。
 さあ、本日もあなたを無事に会社までお送りするJRに乗務していると、毎日のように見かける微笑ましい光景がある。電車が通る時、ホームや沿線で赤ん坊や小さな子が「バイバイ、電車バイバーイ」とやるのだ。誰もが一度はやったことがあると思う。そんな時、私は思わず選挙の宣伝カーの立候補者のように白い手袋で手を振り返す。時には警笛を優しく鳴らし、前照灯(ヘッドライト)ピカピカなんてサービスで応えてしまう。子ども達は、それはもう身体全体でヨロコビを表現してくれるから、車掌冥利に尽きる。
 職場は今、9年ぶりの新規採用で、JR期待の新人が