ココに注目! こんな企業、あんな団体

日本進出のキーパーソン-在日フランス商工会議所-

■月刊「記録」2003年9月号掲載記事

■取材・文/本誌編集部
■企画・制作/吉川美帆

 この数年でフランス企業のイメージを一新させたのはカルロス・ゴーン氏の登場であった。発端はルノーと日産自動車・日産ディーゼルとの提携である。その後、危機に瀕していた日産の経営をみごと立て直したゴーン氏の活躍ぶりは、いまだ我々の記憶にも新しい。高級ファッションブランド界以外でも、フランス系企業にの高い経営能力があることを印象づけた。
 改めて周囲を見回せば、フランス系資本がにわかに日本の国内で活気づいていることに気づく。前述した高級ブランドであるルイ・ヴィトン、シャネル、エルメス、ニナリッチ…etc.はもとより、最近では大手スーパーのカルフール、アシェット・フィリパッキ・メディア社と婦人画報社の合併、アクサ・ニチダン保険ホールディングの日本団体生命吸収など、多くの分野においてフランス企業が勢力を伸ばしている。1999年度のジェトロ報告では、対日投資額においてフランスが国別トップに躍り出、91年から連続1位であった米国を抜いたともいわれた。
 じつはここ数年フランスでは、良好な投資先また販路拡張先として、日本へ熱い視線が向けられているのだ。フランスからの日本国内への企業進出の足がかりとして、その中心的役割を担っている在日フランス商工会議所にお話をお聞きした。

■中小規模の企業も日本を注目

  「この1~2年こそ不況や景気低迷を受けて、視線がやや中国へシフトしている部分もありますが、大きくアジア市場を視野に入れたときに、日本をアジア進出へのステップにしたいと考えているフランスの企業は多いですね」と解説するのは、在日フランス商工会議所が発行する『France Japan Eco』編集長のイヴ・ブゴン氏である。
 在日フランス商工会議所は公益社団法人として、法人格をもつ唯一の外国商工会議所である。その歴史は古く、創立は1918年。あまり知られてはいないが、日本で最も古くから機能している外国商工会議所である。
 この商工会議所の特色として、フランスの企業と日本の企業が、ともに会員登録されている点があげられる。外国の商工会議所では、本国の企業しか登録されないところもあるが、在日フランス商工会議所では、両国の企業が登録されることにより、両者が協調して発展するためのサービスを提供しているという。
  「当初は、やはりフランスの企業が日本に進出してくるための手助けをするという意味合いが強かったのですが、現在は、吸収合併や技術提携が非常に多くなっています。ですから両国の企業のための拠点となっております」と、同会議所の広報部副部長である吉田暢子さんは言う。
 このようなサービスの提供の仕方が必要になった背景を、吉田さんは次のように説明してくれた。
  「大手企業、たとえばエール・フランスなどでは、すでに日本での基盤はできあがっています。ですから、いま、もっとも日本に入ってきたいと考えているのは、特殊な技術や特徴的な商品をもつ企業です。化粧品メーカーや高級子供服ブランドのなかには、日本のマーケットをベースにして次は中国で生産を行い、アジア市場への輸出を考えている企業もあります」
 アメリカ企業の動向ばかりを追う日本のマスメディアの影響もあり、世間での注目度は決して高くなかったが、フランスの大手企業の多くはすでに日本への進出を果たし順調に業績を上げている。日本とのビジネス協力は次の段階、つまり特殊技術を持つ中小規模の企業の進出へと進んでいるのだ。
 こうした中小規模の企業が日本でのビジネスを始めるために、商工会議所の果たす役割は大きい。独自のマーケティング力や市場開発力をもたない中小企業に、市場データを提供し、ビジネスパートナーを紹介する。また日本で知られていない高い技術力を持つテクノロジー産業分野を、日本産業界に紹介していくなどなど。
  「フランス企業は、高い技術力を持つ企業がかなりあるのです。すでに日本企業と提携して仕事を始めているケースもあります。たとえば、水処理事業のヴェオリア・ウォーター社では、丸紅と組んで以前から中国のプラントに着手しています。またIT関連に関してても、日本企業からの問い合わせが多くなっています」と商務部の鈴木多佳子さんは言う。
 最近、特に注目を集めているのが、フランスの東南部、グルノーブルに拠点をもつナノ・テクノロジー企業だとだいう。グルノーブルは「フランスのシリコンバレー」ともいわれる。原子力庁の移転とともに総合大学、工科大学、各種研究機関を集積させて作られた産官学が一体となったナノテク・クラスターである。
  「グルノーブルにあるような、規模こそ小さいけれど、技術的には将来、世界的に有名になる可能性の高い企業が、日本でも注目され始めたのは嬉しいことです」と語るのは、商務部の鈴木多佳子さん。
 日本も技術分野にかけては世界でトップレベルにある。得意な分野で両国の企業が協力しあえれば、より高い技術を生むことにもなろう。

■日本語を話す経営者がゾロゾロ

 では、フランス企業がこのような活気を帯びてきた原因は何だろうか。
 その原因の一つに2002年の通貨統合があった。ユーロの統一によって欧州市場そのものが活気づいた。もともとからのフランスの好景気のうえにEU統合による欧州グローバリズム意識が重なり、フランス企業が一斉に日本へ進出を開始した。一方の日本企業もEUという巨大市場を求め、欧州へ乗り出し、フランスヘの企業進出を開始したのであった。
 また日本語ができ、日本市場を理解しているフランス人の経営者が増えたことも原因であると、前出のブゴン氏は指摘する。
  「ひと昔前までは、日本語は挨拶程度しかわからない方が多かったのですが、今は、英語はもちろん、日本語でビジネスができるくらいのレベルの方が多くなりました。この原因の一つに、80年代、フランス政府が採用したシステムがあります。将来、企業家になるエリートに対して、軍隊での兵役の代わりに、外国企業の研修に派遣するというシステムがあったのです。そのシステムを使い、日本語を習得し、日本社会への理解を積まれた経営者もかなりいます」
 日本は幕末以降、軍事・科学面でフランスやイギリスなど欧州の技術を導入し、長く手本としてきた。戦後になりアメリカ一辺倒の体制を築き上げ、欧州への関心を失っていたが、本来、技術交流の歴史は古い。
 こうして振り返れば、敏腕経営者ゴーン氏の登場によって一躍脚光が当たったかにみえた、「近年のフランス企業大進出」というイメージも、ある種の誤解であったことに気づく。在日フランス商工会議所を拠点にして、長年にわたり両国のビジネスが順調に推移していたのである。ただゴーン氏の登場によって、日本人の目がやっとフランス企業に向いただけなのだ。
  「ただし日本人にとって、『フランスはハイテクノロジーの国である』というイメージはまだまだ浸透していないようですね」と吉田さんは言う。
  「7年ほど前に、『France Japan Eco』で、フランスに対するイメージについて、日本のビジネスマンにアンケートを取りました。同じ内容のアンケートを昨年も取ったのですが、6年経過しても結果がほとんど変わっていなかったことに編集部は愕然としました。たとえばルノーやエール・フランスなど、いろいろなフランス企業があるにもかかわらず、最初に浮かぶイメージは、ブランド、ファッション、グルメでした。知ってる有名人として挙がったものは、アラン・ドロン、ナポレオン、カトリーヌドヌーブ、トルシエとなってしまうのですね」
 フランス企業の実際とイメージとの間にある齟齬を調整していくことも商工会議所の役割の一つであると吉田さんは言う。
 対米力の柱として、欧州との連携は今後、必要不可欠なものとなるに違いない。長年関心を逸してきた欧州とアジアとの連帯の足がかりをフランス企業の進出のなかに見る気がした。 (■了)

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障害者と健常者がともに楽しめるツアーを実施-株式会社JTB-

■月刊「記録」8月号掲載記事

■取材・文/本誌編集部
■企画・制作/岩田亜矢

 始まりは、パンフレットすらなかった。担当者がワープロで作ったチラシを、ピンク色の紙にコピーしたという。チラシを彩っていたのは、ざらついた写真。
 それでもトラベルデザイナーのおそどまさこさんとJTBは、全盲者8人、弱視者3人を含む総勢18人の参加者と4匹の盲導犬を連れて、ニースとパリを巡る7日間のフランスツアーに旅立った。1995年当時、盲導犬を連れた海外ツアーは、日本の旅行業界初の快挙だった。
 それから8年間、おそどさんとJTBは、障害者と健常者が一緒に楽しむことを目的とする「ユニバーサルツアー」をめざして企画し続けてきた。
  「ツアー企画のさまざまなプログラムを実現するために、毎回闘ってきましたよ。旅行先はもちろんJTBの担当者ともね。マニュアルや先例のない旅にチャレンジし続けてきましたから。今、別の旅行会社でユニバーサルツアーを組んで、いままでのツアーをやり直すのは疲れますね。また一から闘い始めるのかと思うとゾッとしますから」
 おそどさんはそう言うと、JTBの担当者である山本宏史課長と視線を合わせて笑った。
 95年以前にも障害者のための海外ツアーは存在した。91年には、業界初の試みとして「車いすで行くアメリカ」と「車いすで行くカナダ」という海外パッケージツアーが、JTBで販売された。他社でも障害者を対象とした海外ツアーが、90年代後半より売り出されている。
 しかし、おそどさんの企画したツアーは、単に障害者を海外に連れて行ったという枠組みでは捉えきれない。彼女のツアーが、旅行業界の常識を次々と突き崩してきたからだ。
 まず、多額の金銭的負担をかけずに障害者が旅行できるシステムを考案した。トラベルボランティアである。障害のある人をサポートするトラベルボランティアの旅行代金が20~30%引きとなり、その分を障害者が支払う仕組みだ。介護者の料金を障害者が全額負担して旅行するのが当たり前だった時代に、トラベルボランティアは新風を吹き込むことになった。
 また彼女は、真の意味でのユニバーサルツアーを作りあげた。
 現在、ツアーの4分の1がリピーターであり、健常者も障害者もトラベルボランティアも、リピーターに加わっているという。25%という高いリピート率もすごいが、健常者のリピーターが多いという事実にはもっと驚かされる。
 海外ツアーは安くない。行く場所にもよるが、数十万円の支払いは確実だ。もっと安い海外ツアーを健常者が探すのは、それほど難しいことではない。それでも、このツアーに参加したいと人が集まってくるのである。
  「どのツアーでも、半分以上のお客様が健常者です。トラベルボランティアではなく、障害者の付き添いでもなく単独の参加者ですね。
 なぜでしょうかね? ひとつには、みんな優しい心をどこかで出したいんだと思います。ただ一般のツアーだとお節介になってしまう。でも私のツアーなら、助け合うのが当たり前ですから。何かいいことをしたいという気持ちを、全面に出せるツアーなのかもしれません。以前、誰かが言ってました。『このツアーに参加すると、だんだんいい人になっちゃう』って」と、おそどさん。
 もちろん参加者が存分に旅を楽しめるよう、企画したすべてのツアーに同行するおそどさんが、参加者に細かく気を配っているのも大きい。
 トラベルボランティアのためにも、介護なしで動ける人だけが参加する時間を作ったり、企画によっては宿に帰る時間を健常者と障害者で分けることもあるという。
  「到着日の翌日、朝食のときにみんなの顔を観察します。険しい顔の人がいないか、笑顔があるかどうか。問題や不安を抱えている人がいれば、早めに解決の糸口を見つけてあげなくてはいけませんので。
 参加する人は、異なる境遇やいろいろな人生を歩んできて、さまざまな思いもある。旅は人の心を裸にしますので、衝突も起こります。そういったときに私が間に入って、精神面での交通整理をしているんです」
 さまざまな価値観を持った人が集まり、心を裸にして助け合っていく。その貴重で、時に苦しい体験を、おそどさんは何かに昇華させていくようだ。
  「助け合ったりしているから、みんなの心がものすごく近くなっちゃう。家族みたいに。逆に言えば、家族みたいだからこそ、きちんと整理しないとこじれてしまうことがあるんです」
 旅ごとにできあがった「家族」は、帰国後も連絡を取り続けるという。リピート率が高いのも当然だろう。
 これだけ取りあげても、おそどさんのツアーが旅行業界の「常識」を超えていることははわかる。しかし、さらに人を驚かせたのは、その企画内容である。
 人工透析を受けている方や車いすの方が北極圏でオーロラを楽しみ、氷の浮かぶマイナス30℃のボスニア湾でスイムスーツを着て浮かぶ。モンゴルのゴビ草原と北京の万里の長城に、車いすの参加者を連れて行く。
  「最初は無理なことを言っている、と感じたこともありましたよ」と3年間おそどさんのツアーを担当していた山本課長は屈託なく笑った。
 2000年7月、イタリア・カプリ島へのツアーが、山本課長とおそどさんが初めて組んだ仕事だった。目玉の企画のひとつは、青の洞窟見学。しかし、大問題が発生した。参加者も集まった出発1ヶ月前に、カプリ島の船組合が障害者の乗船を拒否したのである。
 テレビコマーシャルなどでもお馴染みの、この観光名所を見学するためには、小舟に乗る必要がある。ツアー参加者には全盲の人も、車いすを使っている人も、盲導犬と一緒の人もいる。小舟への乗船が危ないと現地の船主に言われれば、従いたくもなる。ツアーは無理だとあきらめたくもなる。
  「『なぜ?』って。おそどさんから聞き返されました。なぜしてはいけないのかなんて、それまであまり考えなかったのかもしれませんね」と、山本課長は当時の衝撃を口にした。
 現地から危険と言われれば、反論すら思いつかない。それが通常であろう。ところが、ハワイで山本課長の電話を受けたおそどさんは許さない。「なぜ?」という問いは重かった。結局、おそどさんの指摘を受け、洞窟に入れない理由や、どのような障害を持った人が入れないのか、誰が入場を拒否しているのかなどを明らかにするよう、山本課長は船組合に掛け合うなど、支店をあげて取り組んだ。
 当時の思いを、おそどさんは次のように語った。
  「できれば排除したい、面倒な人はやめてほしいというのは納得いきませんから。車いすの方がダメなのか、目が見えないから入れないのか、誰に対して、誰が拒否しているのかを、きちんと聞きたかったんです」
 この事件は、JTBの欧州各支店まで動き出す大きな問題となった。しかし折れたのは、船組合だった。正当な排除理由を持たなかったこと、そして安全の確保に向けた具体的な提案が日本サイドからあったためだろう。
 おそどさんが強調するのは、自己判断と自己責任である。旅をする権利は平等に与えられなければならない。だからこそ旅に行く前に他人から拒絶されるのではなく、危険といわれる場所まで自ら近づき、自分で行くか否かを判断する必要があるのだ、と。
 もちろん安全確保のためにできることはする。一方で、こうした明確な方針を打ち出すことで、他のツアーでは体験できないような旅を障害者も高齢者も楽しめるようになった。
 今年2月には、ついに17日間の世界一周ツアーまで成功させた。全盲の方や高齢者の方も参加して、リオのカーニバルを見学し、アマゾン川でピラニア釣りを楽しんだという。祭りとともに殺人などの重大犯罪が続発するとも報道されるリオのカーニバルだ。障害者の受け入れを拒否した現地のオペレーターもいたという。しかし、そんなことであきらめるおそどさんでも、山本課長でもない。受け入れ先を見つけ旅は実現した。
 この世界一周ツアーで、おそどさんが鮮明に覚えている光景があるという。アマゾンのジャングルロッジで、釣ったピラニアのスープが出されたときだ。通常、魚は火を入れると色が落ちるのに、ピラニアのエラは、真っ赤なままだった。しかも釣り上げた時の険しい顔で、スープから皆を睨みつけていたという。
  「視覚的に、ちょっと気味が悪いんですね。口に入れるのを、私も少しためらってしまいました。ところが目の不自由な参加者の1人が、視覚の代わりに味覚とばかり、頭からガブッとかじりついたんですよ。食べられない人も多いなか。
 そのとき私は『負けたな』と思いました。一歩前進するか、一歩後退するかで、人生は大きく変わってきます。かぶり付いたことで、ためらわず一歩進んだことで、彼が感じたピラニアの印象は、食べなかった人より強かったと思います。
 障害者だから、私たちより旅の経験が少なくなるなんてことはありません。一緒に旅をして学ぶこともすごく多い。障害者も健常者も、旅ごとに何か新しい発見がある。そんなツアーなんです」
 おそどさんは、すべての人が旅をできるよう「一歩前進」した。山本課長含めJTBの歴代担当者も「一歩前進」した。そうした「一歩」が観光地をも変えてきたのである。おそどさんとJTBの踏ん張りによって、礼文島で盲導犬を連れての宿泊が解禁になった。青の洞窟でもピサの斜塔でも、障害者入場の実績を作ってきた。
 また、おそどさんとともに培ったユニバーサルツアーの経験は、福祉専門セクション「JTBバリアフリープラザ」として華開いている。高齢化社会が進むなか、発展していく可能性の高い商品を、会社は手に入れたともいえる。そう、観光地もJTBも「一歩前進」したのである。
  「39人集まったツアーもあれば、11人のツアーもありました。ただ適切な利益を生み出さないと、企業に根付きません。だから勝ち続けないとダメなんです」と、おそどさんは語る。
 ちなみに世界一周ツアーの参加費は、ひとり127万円。契約パンフレットを作れずに、11人の参加者が集まった。
 8年間、勝ち続け前進してきたトラベルデザイナーと、前例のない旅を認め支えてきた企業の成果が、ここにある。
 さて、あなたは「一歩前進」していますか? 取材を通じて、そんな問いを投げかけられたような気がした。(■つづく)

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地域に根ざす総合スポーツクラブを目指し-東京フットボールクラブ株式会社(F.C.東京)-

■月刊「記録」2003年7月号掲載記事

■取材・文/本誌編集部
■企画・制作/山口早紀

 東京フットボールクラブ株式会社。帝国データバンクによれば、2002年の決算では1600万円以上の利益をあげたという。
 不況の長期化と日本型経営の崩壊とともに、企業スポーツは縮小の一途をたどっていった。そうした企業スポーツの終焉を予測したかのように、サッカーリーグはプロ化され、ドイツなどを理想とした地域密着型のJリーグへと生まれ変わった。そのJリーグ発足から9年、FC東京を運営する東京フットボールクラブ(株)は、2002年1月の決算で黒字企業へと転換したのである。この不景気でありながら、集客能力は衰えをみせない。スタジアムへの観客動員数は、昨年Jリーグで3位を記録した。
「まだまだ満足出来るレベルではありませんが、すごく良い方向には来ていると思います」と、同社の広報担当の小林伸樹マネージャーは語った。
 もちろん当初から順調だったわけではない。99年、Jリーグ2部であるJ2で試合していた当時の観客動員数は、1試合平均わずか3000人強だったという。2000年に1部リーグのJ1で試合するようになって1万1000人。翌年には、ホームグランドとなる味の素スタジアムが完成し、2万2000人と観客が倍増した。
 Jリーグのほとんどのクラブは、株式会社の形式で運営されている。つまりお客さんを集めることで利益を上げ、その資金を使ってさらにクラブの環境を整えていく使命を負う。チームの選手全員が社員であり、会社の仕事として競技を行う企業内チームの時代とは、観客動員に対する考え方がまったく違ってきている。入場者が少なくなれば、経営を圧迫する。ある意味で当たり前の経済論理が、クラブを運営する会社にのしかかってくるのだ。
「会社の設立当初、私が上司から言われたのは、『観客を増やせ』それだけでした」と、小林氏は笑った。
 彼は広報の担当マンであるとともに、FC東京を地域に根付かせる「営業マン」でもある。最初に担当した地域はホームスタジアムのある調布市だった。
「調布市は動きが早かったですね。地元のプロサッカークラブを誘致しようとしていた団体もありました。僕らと二人三脚でどんどん町が動いてくれた。それで調布は大丈夫だろうと。その次に担当したのが府中市だったんです」
 99年早春、府中市サッカー連盟の理事が、小林氏と会う時間を作ってくれた。だが、喫茶店で向かい合って15分、小林氏は打ちのめされていた。
「全然、話が盛りあがりませんでした。せいぜい15分くらいしか話が保たなかったんですから。僕らが熱を持って良いクラブだと宣伝すれば、相手もそう思ってくれると思い込んでいたんですね」
 外は冷たい雨。テーブルにはまずいコーヒー。そして気まずい時間。
「受け入れてもらうための準備が必要だと実感しました。相手のメリットも示す必要がありますし、簡単じゃないな、と」

■アトラクションに行列が

 ホームタウンを決め、地域に根ざした総合スポーツクラブをつくりあげようというJリーグの理想は、日韓ワールドカップを知らない99年当時の日本人にとって、まだまだ夢物語だった。
 ヨーロッパのプロリーグのように、サッカーチームが町の誇りとなるためには、クラブが町に浸透し、クラブが町とともにあると、住民が実感しなければならない。Jリーグ発足が93年。野球人気の陰に隠れていたサッカーが、町で「市民権」を得るには時間が足りなさ過ぎた。
 だからこそ小林氏は考えたのである。「まず、僕という人間を知ってもらい、本気だぞということをわかってもらおう」と。
 彼はサッカー関係者や市の商店街関係者などを、こまめに回り始めた。ひたすら顔を出し、知人を紹介してもらい、雑談をし、FC東京の宣伝をする。
 タダのチケットを持ってくるようにお願いしてきた人もいた。一企業が宣伝のためにチームを持っているなら、いくらでも入場券を配ることができる。チケット販売は、チームを抱える企業にとって大きな意味を持たないからだ。しかしFC東京は違う。270もの出資先を抱える株式会社の運営の中核に、チケット販売がある。依頼を断るしかなかった。
 そんななか大きく流れを変えたのが、99年の夏に行われた府中最大の祭り「商工祭り」だった。たびたび顔を出す小林氏の熱意に押され、商工会議所がスペースを分けてくれたのである。ホコリの舞う小さなスペースだったが、小林氏は燃えた。
 試合を抱える選手を呼ぶことはできない。もちろん祭りのために、巨額の資金を投じるわけにもいかない。使えるのは、小林氏の頭だけ。
 彼はハンドボールゴールほどの大きさのキックターゲットを作りあげた。板に空いた穴へと蹴りこめば、商品を貰えるアトラクションだ。穴は3つ。幼児が転がして入るような穴も作った。参加費無料。入ったボールの数によって景品を変え、市販されていないFC東京のオリジナルグッズを大量に用意した。
「炎天下にズラッと行列ができました。朝から晩まで子供が並び続ける大盛況。ただ僕を含めたスタッフは辛かったですね。休みなくアトラクションを動かし続けましたから。精魂尽き果てましたよ(笑)」
 翌年、FC東京のブースはより人の集まる場所へ移っていた。すでに参加2年目から、定番アトラクションになったのである。そして府中市の3500社を束ねている商工会議所は、現在、FC東京の株主となっている。商工会議所を動かしたのは、やはり小林氏の情熱だろう。

■名門バルセロナに人気で追いつく!?

 こうした小林氏の動きもあり、FC東京の人気は少しずつ裾野を広げてきた。観客動員数こそ昨年と変わらないものの、年間チケットを買うファンの会員数は着実に増えている。現在の人数はなんと約4500人。J2の平均観客数3000人強だった時代から、わずか4年の快挙であった。
「全然満足なんてしてません。スペインのサッカークラブ・バルセロナは、10万人のコアなファンを抱えています。それだけファンを増やすことができれば、スポンサーに頼らない経営ができるでしょう。それこそクラブの理想でしょうね。
 でもバルセロナは創立50年で約2万5000人。FC東京は創立4年で4500人。あと45年かければ、到達できるんじゃないかなと思っています。
 満足しちゃ、ダメなんです。そこで止まってしまいますから。目標は高い方がいいと思います」
 小林氏の目は本気だった。
 今年、FC東京はバレーボールチームを立ち上げた。地域に根ざした総合スポーツクラブ構想を実現するためだという。精神修業を目的とした「体育」ではなく、土のグランドで足をすりむきながらするサッカーでもない。さまざまな種類のスポーツを一流のコーチで地域住民に伝えたい。サッカーをしたい子どもには、終わった後に空を見上げて寝ころべる芝生のグランドで練習させたい。
 すでにヨーロッパでは当たり前になっている地域スポーツの振興をFC東京は日本で作りあげようとしている。夢物語だと笑うこともできる。しかし「観客を増やせ」と言われ、「無理だ」と言い訳することなく小林氏が走り回ったからこそ、今のFC東京がある。
 45年先のFC東京を、私は心から見たいと思った。さて、FC東京は、バルセロナに肩を並べるビッグクラブになっているだろうか?(■つづく)

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