行動派宣言!

行動派宣言!/難民を助ける会

■月刊『記録』96年4月号掲載記事

■日本初の難民救援団体として

■運動の目標

 日本に直接援助を求めてきた「ボート・ピープル」など在日難民への援助とともに、冷戦終結後、世界各地で生じている難民問題解決に努力したい。

■発足の経緯

「カネは出すが難民を受け入れない」といった批判に対して、「日本人が古来持ち合わせ受け継いできた善意を示そう」と、相馬雪香氏が呼びかけを行い、1979年11月に発足した。難民救援のための市民団体として日本で最も早く設立した。

■運動の歴史

 今年で17年目を迎える当会は、世界各地でさまざまな活動を行ってきた。80~84年にタイの難民キャンプにボランティアを派遣し、81~86年にはベトナム難民支援のため、ビデン島へ看護婦を継続的に派遣した。84年には「アフリカに毛布を送る会」を設置し、9ヶ国に176万枚の毛布を送った。
 85年と91年には、バングラデシュの大洪水に際して建築資材とセメントを緊急援助、90年にはイランの大震災被災民へ緊急援助を行い、小学校と孤児院を建設した。92年にソマリア・エチオピア難民へ緊急食糧援助を実施し、93年には「ソマリアにコメを送る会」の設置、米100トンを送った。
 ルワンダでは、94年より井戸掘削を行っている。同年にはモザンビークとエルサルバドルに選挙監視団1人を派遣した。また、今年で3年目を迎えた「愛のポシェット運動」や、ニーズに応えるべく急遽発足した「ルワンダ難民の子どもたちへセーターを贈る会」も順調に行われている。ポシェットはカンボジアと旧ユーゴで小学校や孤児院を中心に配布され、セーターを載せた船も新年早々、タンザニアのダルエスサラーム港に到着した。

■今後の抱負

 昨年の夏に起こった北朝鮮での水害は、状況の詳細が報道されなかったこともあり、各国の救援活動は滞っていた。そのような状況の中、政治的に中立な人道団体である当会は、「朝鮮の子どもにタマゴとバナナをおくる会」を設立した。今後とも、政治的区別なく人道的観点からさままざな国に援助をしていきたい。

■思い出深い出来事

 日本に定住しているインドシナ難民への支援団体として4年前に設立した「(社会福祉法人)さぽうと21」のお陰で、阪神大震災では人材・資金・物資を即用意し、現地に駆けつけることができた。
 また、世界中から駆けつけたボランティアのために、仕事の手配も行う宿泊施設「サニー・ボランティアハウス」の運営もYMCAとともに行った。サクラの季節には新小学1年生にランドセルをプレゼントし、4月以降は心のケアを目的に、ホテルオークラ神戸に中村紘子さんと島田祐子さんを迎えて激励コンサートを開催した。年末年始には、気になっていた外国人罹災者の現状を相談室がフォローした。多くの方々の直接、間接の協力で、託された寄付金を何倍にも活かすことができ、本当にうれしかった。

■工夫している点やユニークな方法論

 ボランティア個々人が得意な分野で活動できるようにしている。例えば日本語を習いたい在日難民でも、習いたい理由はさまざまで、画一的には教えられない。当会では、日本語教師と在日難民の方々両方と面接をし、1組づつ組合せを考えている。

■運動の問題点

 設立当初から国際機関ですぐに活躍できる人物を育成してきた。しかし設立から16年を数え、会自体が国際機関となることを期待されるようになっている。ただし、資金面や日本全体のNGOの歴史を考えた時、海外の機関との差は歴然としている。当会を国際機関として遜色ないものにすることが、今後の大きな課題だ。

■運動を継続するためのポイント

 ボランティアの得意な分野で活動してもらい、活動への熱意を高める。(柳瀬房子)

■現在の難民を助ける会のウェブサイト
http://www.aarjapan.gr.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (1)

行動派宣言!/ジプティ難民救済会

■月刊『記録』96年4月号掲載記事

■ありがとうあなたの真心

■運動の目標
 民間海外援助事業を通じ、ボランティアに対する正しい認識を深め、ジプティ共和国にいる難民救済を図る。

■発足の経緯

 隣国ソマリアなどの内戦により、ジプティ共和国へ人口の1割もの難民が流入している。ジプティ共和国は人道的立場から快くこれを受入れている。このジプティ共和国のラシャドゥ・ファラ大使の講演を聞いた会員の1人が、ジプティ共和国内難民へのボランティア活動を思い立ち、各方面から63人の賛同者を得て、1989年3月1日に「ジプティ難民救済会」を結成した。

■運動の歴史

 ジプティ共和国内への具体的な援助は、90年の義援金贈呈から始まった。以後、義援金の贈呈は中古衣料品と中古毛布の送付へと形を変え、現在も続いている。去年は20kg梱包を70個現地に送った。92年は授産所を建設、93年には現地に赴き識字教育と縫製作業技術指導を指導した。翌年には、移動用バスと給水用タンクローリー寄贈するとともに、陶芸技術指導のために、現地の女性1人を3ヶ月ほど日本に招いた。今年の3月には、炊事場兼食堂用プレハブと難民住居用テントが完成する予定になっている。

■今後の抱負

「草の根ボランティアの輪を広げよう」を合言葉に、これからも地道なボランティア活動を続けていきたい。

■思い出深い出来事

 93年11月、ジプティ共和国の孤児センターと難民キャンプを訪れた。私達を迎えてくれた子供達は、送った文房具や衣服を活用してくれていた。確かに届いていることを確認し、ほっと安心したのを覚えている。
 炊事場では食事の準備がなされていたが、壁も調理台もなく、食べ物は土間に置かれていた。この時の驚きが、現在進めている炊事場と食堂の建設の発端となった。また診療室には医薬品が見当らずベッドだけが置かれ、熱を出した子どもが横たわっていた。このような状況でも、子ども達は明るく、きらきらと輝く目と素敵な笑顔を持っていた。そんな子供達を忘れることが出来ない。
 ジプティ市内から車で1時間半ほど砂漠を走り、アウルアルサ難民キャンプを訪ねた。このキャンプでは、日本人の医師の方と看護婦さん2人がボランティアとして働いていた。突然、日本人と出会ったので、互いに驚いてしまった。水不足と灼熱の中でコレラと一生懸命に闘っている姿には、頭の下がる思いだった。何も出来ない自分が恥かしく思えた。
 ジプティの空は青く澄んでいて、苦しい環境に頑張っている難民の人々、そして国境を越えてボランティアとして働く多くの人々に魅せられた。同時に、人の愛に心あつくした。
■工夫している点やユニークな方法論

 現地はイスラム圏のため、日本人には理解できない生活習慣も多い。例えば断食を行うラマダン中は、大使館も午後1~3時までしか開いていない。宗教的な問題なので、イスラムの習慣に合わせるようにしている。

■運動の問題点

 多くの方々の協力や、学校ぐるみで集めた中古衣料や文房具を、ジプティ共和国へ発送しているが、アフリカまでの送料が高く苦慮している。

■運動を継続するためのポイント

 郵便局の国際ボランティア貯金の援助金と、地元でのバザー収益金などで会を運営している。全国の皆さんからの善意が、自分達を動かしている。(近藤律子)

■現在のウェブサイト……なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アースデイ日本・東京連絡所

■月刊『記録』96年4月号掲載記事

■世界の人々と地球環境を守る

■運動の目標

 地球環境に関心を持つ人、活動をする人達との情報交換やネットワークづくりの手伝いをし、2000年までアースデイを続けていく。

■発足の経緯

 アースデイ日本・東京連絡所が誕生したのは1990年。アメリカ市民からの「90年を世界で一斉のアースデイに!」との呼びかけに応えるかたちでスタートした。環境問題を政治の場に持ち出すことを目的として、全米中を巻き込む環境運動となった「アースデイ1970」から、20年目のことだった。

■運動の歴史

 アースデイ最初の年は、「個人のライフスタイルの変革」をテーマとして、全国200ヶ所、1000を超えるグループが参加した。翌91年は、各地では90年を超える盛り上がりを見せた。そして92年、変革するものの対象が様々な側面へと広がった。連絡所からも「アジアアースデイ」「環境教育」「環境自治体」を提案、積極的にキャンペーンを展開し、『豊かさの裏側-私たちの暮らしとアジアの環境』を出版。30以上の環境教育グループが参加したこどもの国(神奈川県横浜市)でのフェスティバルや、北海道池田町での第1回環境自治体会議も行った。
 93年は『環境基本法市民草案1993』を作成し、日本各地での環境基本法に対する議論を深め、第2回環境自治体会議も沖縄県読谷村で開催した。またローカルアジェンダづくりの入門書ともいえる『ローカルアジェンダ21をめざして』を翻訳・出版した。この年から海外とのつながりも活発になった。
 94年は連絡所が大イベントに挑戦。中国・韓国・香港・フィリピンのアースデイ仲間が参加した「国際交流会」をアースデイ・イブに開催した。また、『ゆがむ世界 ゆらぐ地球』『環境自治体づくりの展開』『環境自治体実践ガイド』などの本も次々と出版した。
 95年も全国で様々な催しを開催した。
 連絡所ではアースデイを含む環境問題の活動情報を掲載したアースデイニュースを発行している。送付先は、学生・主婦・議員・研究者・教師・研究機関・環境NGO・報道機関・自治体・企業・青年会議所・生協・農協・漁協・消費者団体・労働団体・宗教団体など本当に様々だ。あらゆる立場の人が自由に活動や考え方を紹介し、自由に情報を受け取ることができる場をつくりたいと考えている。海外のグループへはアースデイニュースの英訳版と、アジアのアースデイグループとの共同編集でアースデイネットワークニュースを送付している。
■今後の抱負

 海外でアースデイを実行するグループなどと広く交流し、2000年まで継続していくこと。

■思い出深い出来事

 いろいろな分野の人々に、思いがけず出会えること。特に昨年、青山学院大学の秋山紀子先生にお逢いし、環境計画などを教えて頂いたことが忘れられない。

■工夫している点やユニークな方法論

 アースデイには、代表も規則もない。ただ2つのことを心がけている。①アースデイは、民族・国籍・思想・信条・政党・宗派を超えて、だれもが自由な方法で、地球環境を守る意志表示をする国際連帯行動であること。②アースデイは西暦2000年に向けて、毎年開催すること。
 また、連絡所は各地で活動する人たちとのサポートに力点をおいている。

■運動の問題点

 参加者全てが、他に生活の場を持つボランティアなので、テンションを維持するのが難しい。

■運動を継続するためのポイント
 あまり決まりごとを作らないこと。

■現在のアースデイ日本のウェブサイト
http://www.earthday.jp/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行動派宣言!/21世紀協会

■月刊『記録』96年7月号掲載記事

■すべての子どもに教育を

■運動の目標

「すべての子どもに教育を」をスローガンに、少数民族の経済的、精神的自立を早期に実現するべく活動している。

■発足の経緯

 東西対立の時代も終わりをつげた後、もっとも大きな問題になると思われた南北の経済格差を縮めたいと思ったのがきっかけ。
 第3世界では、教育を受けたエリートだけが好き放題に国を支配している。このような状況を改革し、自国の財産を国民に配分して国を発展させるには、国民が政治を批判できるくらいの教育が必要となる。そのような教育の資金援助をすべく、1990年2月に発足した。

■運動の歴史

 会の設立後6ヶ月を経て、現地で支援活動を行っている団体と手を結ぶためにフィリピンに旅立つ。現地では修道院のNGO団体であるMICと、フィリピン国内の民間団体であるPPSと話が決まった。その結果をうけ、12月には山岳民族を中心に10人の学生に、奨学金と教育を維持するための給食費を送った。
 翌91年4月からは、第1次生計自立プロジェクトを開始、援助だけに頼らず生活できるための生活基盤を築くために、豚・鶏を飼育するための費用を送る。しかし、家畜の基本的な飼育法も現地では知られていないため、94年3月からは現地人の農業指導員を採用し、農業研修を開始した。
 100haの処女地を農地に改良し、木々の伐採のため土砂の流失を繰り返していた山肌に植林し、河に沿って果物の木を植え、山の牧草を利用するために牛を飼育した。原初的な農法に頼っているようだが、化学肥料を使い土を酷使する農法の限界がみえはじめた現在では、かえって先進的な農業だと考えている。

■今後の抱負

 生活自立プロジェクトで支援しているミンドロ島のマンミャン族が、自立できるようにしたい。飢えがなくなり、貧しいながらも部族全体が生活できれば大成功だと思っている。
 将来的には奨学金を支給した生徒が高等教育を受け、リーダーとして村に帰ってきてほしい。

■思い出深い出来事

 生活自立プロジェクトが成功を収めるようになると、反政府ゲリラが村に出入りするようになった。ゲリラの登場により、部族内でも対立が起こるようになり、村から出ていくように説得した。さいわい村に駐在していたゲリラは、マニラの大学を卒業したインテリであり、部族の生活を良くしたいという理想が同じだったため、1-2年かけて説得し、村から出ていってもらった。

■工夫している点やユニークな方法論

 現地の仕事には手を出さないようにしている。日本人が仕事をこなし、帳簿をつければ簡単に事が運ぶ。しかし現地でやり方を教えなければ、いつまでも自立できない。そのため現地では、自立にむけたヒントを与え、自分達で努力できるように環境を整えることが大きな仕事となる。
 例えば農耕に使うカラバオ(水牛)も無料で支給せず、農業生産が上がった時に金銭で返済する制度をとっている。それはもらったものは、身につかないと考えてる会の方針に沿ったものだ。

■運動の問題点

 国からの援助をえるためには、煩雑な書類を処理しなければいけない。この書類が完璧に仕上げられるなら、第3世界ではないと思われるほどだ。審査必要なのもわかるが、もう少し簡素な書類にしてほしい。

■運動を継続するためのポイント

 会を続けるには、自分の生活を犠牲にして頑張れる人が1~2人いれできる。しかし自分が活動をやめてた時、運動が続くためには、現地の情報を多く発信し会員の意識を高める必要がある。(池田晶子)

■現在の「21世紀協会」ウェブサイト
http://www.21ca.ac/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行動派宣言!/チェルノブイリの子供達に・千葉の会

■月刊『記録』96年7月号掲載記事

■チェルノブイリ援助の継続を

■運動の目標

 発足当時は、子どもが放射能から遮断された生活を送るために活動した。現在は、現地の住民の健康が少しで維持されるように医療援助も行っている。

■発足の経緯

 92年1月に東京で始まったチェルノブイリ原発後の緊急募金にともない被曝した子どもへの保養の必要性が叫ばれ、千葉県の住民が集まったのきっかけ。

■運動の歴史

 92年4月、40~50人の知人・友人が集まり、「チェルノブイリの子供たちに夏休みを・千葉の会」として発足した。渡航費・滞在費は会員持ちで来日し、5週間ほど日本でホームスティするように制度を整えた。さらに、93年からは医療援助を開始した。
 93年2月、94年4月、95年8月と3度にわたって、総勢12人がチェルノブイリを訪問した。事故から10年、現地の状況は年々ひどくなっている。ソ連邦が崩壊し、事故現場周辺は国からほったらしにされている。被曝者への補償金は払われておらず、汚染されていない食物を買うこともできず、医療現場もお寒い状況だ。
 自由経済が普及したため以前より品物は増えたが、市民には買うお金がない。汚染地では知識階級がいなくなり、離婚女性などの弱者やアルコール依存症をわずらっている人が取り残されている。たとえ汚染地からの移住しても職のない人が多い。このような環境で、子どもも精神的に傷ついている。未来に希望を抱けず、体にも不安を抱えている。
 現地を訪れにたびに、中途半端に運動を投げ出せないと感じている。

■今後の抱負

 雇用と医療の充実のために、援助を拡げていきたい。日本の他の団体と協力し、現地でサナトリウムを作る計画も実行に移されている。

■思い出深い出来事

 手術や療養などの必要のない子どもを日本に招いているため、現地では元気な子どもだが、甲状腺障害や視力障害、肝臓障害、胃腸障害など、さまざまな疾患を抱えている。
 ところが日本の子どもと比べると、チェルノブイリの子どものほうが子どもらしい。農村でのびのび育ったため、池があれば飛び込んで魚がいないか確かめる。夢中になれば道路にも飛び出してしまい、木があれば登る。細かい規則に縛られていない姿は印象的だ。

■工夫している点やユニークな方法論

 会員はサラリーマンや主婦などが中心になっている。そのため会員1人1人の負担を少なくするため、ホームステイ先の家族以外も仕事を分担している。例えば昼間に子どもを世話できる人が子供たちを外に連れ出したり、昼食だけを差し入れたりするようにしている。
 自分のできる部分を負担するため、多くの人が安心して子どもを受け入れられる。

■運動の問題点

 今年は事故から10年目のためマスコミなども大きく取り上げているが、年月を経るにしたがって関心が薄れていっているのは避けられない。問題がいっきに解決するわけではないので、常に関心を持ち続けてもらいたい。

■運動を継続するためのポイント

 身近な人が現地に出向き、経済状態や医療施設の状態を確認して報告することで、支援の必要性を体感できる。民主的な運営を維持しつつ、会員に現地の情報を与えていきたい。(長谷川弘美)

■現在のウェブサイト……なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行動派宣言!/森と水と土を考える会

■月刊『記録』96年2月号掲載記事

■自然は子孫からの預かりもの

■運動の目標

「自然とは祖先から譲り受けたものでなく、子孫からの預かりものである」という理念に基づき、自然を豊かなまま次世代に手渡すことを考え、行動する、と規約の第3条に定めてある。
 私達が便利で豊かな生活を求め続けた結果が、資源の枯渇・二酸化炭素の増加による温暖化・核廃棄物などの産業廃棄物・一般廃棄物のはんらん・大気や水の汚染・地球環境の破壊などをもたらし、次世代の人類の危機を招いているなら、私達は子孫の命をむさぼり食っていることにほかならない。生活スタイルの見直しを訴え続けたい。

■発足の経緯

「広島市内にゴルフ場の建設計画が5つも6つもあるよ、何とかしょうやあ」と言い出したのがきっかけである。
 呼びかけに対してユニークな人達が集まり始めた。「工業化が諸悪の根源だ」「農的な暮らしに帰ろう」「スーパー林道も問題だ」「農薬の空中散布も取り上げよう」「農山村の過疎化」「石鹸運動」「原発反対」などそれぞれがやりたいこと抱えて集まってきた。そうだ、みんな環境問題だ。できるところからやろうじゃないか。

■運動の歴史

 会は6つの部会に別れている‥‥はずだが今はダンゴ状態。
◎森の部会・・・・西中国山地の十方林道スーパー林道建設計画の見直しを訴える。
◎十方林道歩こう会・・・・広葉樹林を再生しようとドングリを拾って苗木を育て、山に戻す運動を展開中。
◎水の部会・・・・牛乳パックの再生紙を使った美術展、一般廃棄物処分場問題の取り組み。
◎農(土)の部会・・・・無農薬有機野菜や無添加食品の会員制宅配の店「百姓や」を営業。部会として援農等に取り組む。
◎ゴルフ場、リゾート法問題部会・・・・ゴルフ場建設に反対し、立木トラストなどに取り組む。
◎反原発、エネルギー部会・・・・反原発の祭り「土・水・空気を生かしん祭」の事務局を受け持って祭りを開催してきたが、この1・2年は動きなし。
 その他に瀬戸内に面する県(プラス島根県)のゴルフ場に反対する団体で組織する「環瀬戸内海会議」の事務局を受け持つ。

■今後の抱負

 広島市のデルタ地帯を形成し、水瓶である「太田川」を水系としてとらえ、皆で川について考え、行動する道を模索したい。
 その1つの方法として、ドングリを拾い、苗木を育て、山に植林する運動をもっと多くの人に知ってもらい、漁業者、広島市民、川沿いの住民皆が参加する運動を目指す。行政が単に水源林を育てるのではなく、市民の意識改革ができるのではなかろうか。

■思い出深い出来事

 こんな小さな会が事務所を維持できる不思議と驚き。ボランティアで事務所を手伝ってくれる素晴らしい人達との出会い。数え切れないほど開催した講演会、その度ごとの新たな人との出会い。

■工夫している点やユニークな方法論。

 会長はいる。部会長も一応いる。でもいわゆる「幹部」はいない。やる気のある人が入会したら、その人が今日から「世話人」。面白いテーマがあれぱ「世話人」になって行動する。ゴルフは好きだが原発には反対という人もいる。原発は必要だが自然を守ろう、と言う人もいていい。自分はどう生きるのか、社会はどうあるべきなのか、1人1人が考えていく会。

■運動の問題点

 正式な「世話人」がいないので責任感覚が少なく、月例会などの出席率が悪い。先頭に立って行動する人が限られていて少ない。少ない会員で事務所を維持するので、金銭的に大変。

■運動を継続するためのポイント。

 一般の人が参加しやすい催事を開催するよう心掛けている。「‥‥ねばならない」はタブー。民主的運営を心掛ける。お互い疲れる運動はやらない。言い出しっぺが責任を持って事に当たる。(原戸祥次郎)

■現在のウェブサイト……なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行動派宣言!/森と水と土を考える会

■月刊『記録』96年2月号掲載記事

■自然は子孫からの預かりもの

■運動の目標

「自然とは祖先から譲り受けたものでなく、子孫からの預かりものである」という理念に基づき、自然を豊かなまま次世代に手渡すことを考え、行動する、と規約の第3条に定めてある。
 私達が便利で豊かな生活を求め続けた結果が、資源の枯渇・二酸化炭素の増加による温暖化・核廃棄物などの産業廃棄物・一般廃棄物のはんらん・大気や水の汚染・地球環境の破壊などをもたらし、次世代の人類の危機を招いているなら、私達は子孫の命をむさぼり食っていることにほかならない。生活スタイルの見直しを訴え続けたい。

■発足の経緯

「広島市内にゴルフ場の建設計画が5つも6つもあるよ、何とかしょうやあ」と言い出したのがきっかけである。
 呼びかけに対してユニークな人達が集まり始めた。「工業化が諸悪の根源だ」「農的な暮らしに帰ろう」「スーパー林道も問題だ」「農薬の空中散布も取り上げよう」「農山村の過疎化」「石鹸運動」「原発反対」などそれぞれがやりたいこと抱えて集まってきた。そうだ、みんな環境問題だ。できるところからやろうじゃないか。

■運動の歴史

 会は6つの部会に別れている‥‥はずだが今はダンゴ状態。
◎森の部会・・・・西中国山地の十方林道スーパー林道建設計画の見直しを訴える。
◎十方林道歩こう会・・・・広葉樹林を再生しようとドングリを拾って苗木を育て、山に戻す運動を展開中。
◎水の部会・・・・牛乳パックの再生紙を使った美術展、一般廃棄物処分場問題の取り組み。
◎農(土)の部会・・・・無農薬有機野菜や無添加食品の会員制宅配の店「百姓や」を営業。部会として援農等に取り組む。
◎ゴルフ場、リゾート法問題部会・・・・ゴルフ場建設に反対し、立木トラストなどに取り組む。
◎反原発、エネルギー部会・・・・反原発の祭り「土・水・空気を生かしん祭」の事務局を受け持って祭りを開催してきたが、この1・2年は動きなし。
 その他に瀬戸内に面する県(プラス島根県)のゴルフ場に反対する団体で組織する「環瀬戸内海会議」の事務局を受け持つ。

■今後の抱負

 広島市のデルタ地帯を形成し、水瓶である「太田川」を水系としてとらえ、皆で川について考え、行動する道を模索したい。
 その1つの方法として、ドングリを拾い、苗木を育て、山に植林する運動をもっと多くの人に知ってもらい、漁業者、広島市民、川沿いの住民皆が参加する運動を目指す。行政が単に水源林を育てるのではなく、市民の意識改革ができるのではなかろうか。

■思い出深い出来事

 こんな小さな会が事務所を維持できる不思議と驚き。ボランティアで事務所を手伝ってくれる素晴らしい人達との出会い。数え切れないほど開催した講演会、その度ごとの新たな人との出会い。

■工夫している点やユニークな方法論。

 会長はいる。部会長も一応いる。でもいわゆる「幹部」はいない。やる気のある人が入会したら、その人が今日から「世話人」。面白いテーマがあれぱ「世話人」になって行動する。ゴルフは好きだが原発には反対という人もいる。原発は必要だが自然を守ろう、と言う人もいていい。自分はどう生きるのか、社会はどうあるべきなのか、1人1人が考えていく会。

■運動の問題点

 正式な「世話人」がいないので責任感覚が少なく、月例会などの出席率が悪い。先頭に立って行動する人が限られていて少ない。少ない会員で事務所を維持するので、金銭的に大変。

■運動を継続するためのポイント。

 一般の人が参加しやすい催事を開催するよう心掛けている。「‥‥ねばならない」はタブー。民主的運営を心掛ける。お互い疲れる運動はやらない。言い出しっぺが責任を持って事に当たる。(原戸祥次郎)

■現在のウェブサイト……なし

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行動派宣言!/ヒマラヤ保全協会

■月刊『記録』96年2月号掲載記事

■ネパールの村人とともに

■運動の目標

 ヒマラヤ地域、特にネパールの山村で村人とともに環境・文化保全に取り組んでいる。荒廃している森林を保全し、村人が自分の住む地域や文化に誇りを持って生活できるように活動を行なっている。

■発足の経緯

 会長で文化人類学者、KJ法の考案者でも知られる川喜田二郎がネパールで文化人類学的調査を行なったのが1963年。当会の前身であるヒマラヤ技術協力会が設立され、村に簡易水道や軽架線(ロープライン)などのプロジェクトが始まったのが74年である。NGOブームともいえる今と違い、民間の国際協力活動は一般的でなく、その歴史は時代の先駆者としての試行錯誤の歴史であった。

■運動の歴史

 ヒマラヤでは近代化と急激な人口増加をきっかけとして、環境・文化などの崩壊が進行している。昔からネパールの山岳地域の人々は燃料を薪、家畜の飼料を木の枝葉からと、森林資源に依存して暮らしてきた。人口や観光客の増加で、薪の消費や田畑の開墾が増え、森林が減少し、地滑りが多発している。また貨幣経済の浸透で、多くの村人が現金収入を求めて村を去り、村の伝統文化が継承されないといった問題も起きている。
 このような状況から、90年代からは文化的な側面を活かした協力活動に重点が置かれ、土着の知恵と技を再活性化することで新たな地場産業を育成しながら、同時に環境・文化の保全をはかる新しいアプローチへとシフトしていった。代表的なものがネパール山岳エコロジースクールの試みである。日本から一般公募のボランティアの一団がヒマラヤの山村を訪ね、村人の家へホームステイする。自然の中で暮らす村人と交流しながら、村に伝わる伝統的な知恵や技を学び、記録する。また村人は参加者にガイドをすることによって、自分達の文化に自身を取り戻し、一定の現金収入を得る。この企画は好評で、定員を大きく上回る参加申し込みをいただいている。

■今後の抱負

 開発協力として現地の人々の自立に協力するのは基本だが、その活動を通じて環境破壊や南北格差を作り出している現代の社会システムそのものを問い直し、21世紀に向けて新しいライフスタイルや社会のあり方を模索していきたい。
 これからも研究・実践が両立しているという会の特徴を活かし、さらに多くの市民に支えられた懐の深い団体へ成長していきたい。

■工夫している点やユニークな方法論

 ニーズの把握に基づいた適正技術協力、学際的な事後評価や参画的開発の方法論の調査・研究など当初から研究と実践の一致した活動は、20年前のものながら多分に今日的価値を持っている。
 年間を通じて、ネパールへの国際協力を通じて開発や未来の地球社会を考えていく公開連続講座「くらがるねぇ」を実施している。講演者は現地スタッフや在日ネパール人など多彩。

■運動の問題点

 ネパールでの先進的な試みにもかかわらず、それを日本の中で知らせ理解と支持を広げていくことが十分にできていない。
 現在でもまだまだNGO活動はマイナーであり、よりわかりやすく具体的な形で活動の意義を提案していくことが課題である。真の意味での市民の市民による国際協力、普通の人々の心に響き、支えられた活動に強化発展していくこと、NGO活動や国際協力全般の質を高めることに貢献していきたい。

■運動を継続するためのポイント

 20年以上もがんばってこられたのは、何よりも川喜田二郎会長の忍耐強い努力抜きには考えられない。また当初から、政府や企業とも積極的に関わりを持ち、お互いに協力関係を築いてきたことも会の財産である。志を高く持つこと、長期的なビジョンを持つこと、その実現のための方法論を具体的に創り出していくこと、その中で自分達の活動を意味づけていくこと、など。(田中博)

■現在の「ヒマラヤ保全協会」ウェブサイト
http://www.ihc-japan.org/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行動派宣言!/せっけんの街

■月刊『記録』96年2月号掲載記事

■生命ある手賀沼を取り戻す

■運動の目標

 水生生物や鳥達が安心して生きられる手賀沼を取り戻すこと。水質汚染全国ワースト1の汚名は20年続いているが、汚染は横バイで推移している。周辺の市町村の行政の努力と市民の協力が表れてきていると思いたい。油を回収しせっけんに作り替え、せっけんの使用を啓発することで、手賀沼のさらなる浄化に努めたい。

■発足の経緯

 自分達の流した排水が手賀沼を汚染してワースト1となってしまった。そこで、せっけん運動の中から学びあった仲間達が中心となり、生活クラブ生協・柏市民生協・各市町村へと呼びかけ、84年8月に約1万人・2100万円の出資金が集まり、手賀沼せっけん工場を設立した。

■運動の歴史

 発端は1978年の合成洗剤追放集会だった。ここで合成洗剤全面禁止署名請願運動が開始された。さらに80年には、せっけん利用推進対策審議会の設置及び運営に関する条例制定の請願、直接請求運動の署名が始まった。しかし、手賀沼近郊に廃食油を原料にしたせっけん工場がないことから、82年にせっけん工場設立準備会が発足し、84年には市民出資のせっけん工場が完成し、手賀沼せっけん共有者の会が結成されるに至った。
 だが、翌年からの工場運営は苦難の連続だった。特に油とせっけんの在庫量には泣かされた。貯蔵タンクに入りきらない油がドラム缶に詰められ工場の周りに並んだことも、3キロのせっけん5千袋を千葉県内の行政施設に無料配布せざる得なかったこともあった。しかし、現在では毎月15トンのせっけんが計画的に生産され、日本全国で消費されるようになった。このような成果により、93年には中央学院大学地域文化賞を受賞し、千葉県環境ボランティアと地球環境基金から助成金をいただくことになった。

■今後の抱負

 水を知り、排水をきれいにすることは、自分達の体を守ることにつながる。日々の暮らし方が運動につながっている。私も30代でスタートして50代になってしまった。若い人達に活動の意義を伝えることも、これからの活動の大きな柱になっていくだろう。

■思い出深い出来事

 ネグロスでアジアの人々と交流する会議に出席した時、タイ・マレーシア・ホンコン・韓国・フィリピン各国の人達が、事前の申し合せがなかったのにせっけんを持ち寄ってくれた。日本から遠いネグロス島で、喜びと一緒に責任を感じた。

■工夫している点やユニークな方法論

 水俣せっけん工場・環境生協・川崎市民プラント・手賀沼せっけんで共同開発した運搬可能な粉せっけん製造ミニプラントを使い、せっけん作りを各所で指導している。

■運動の問題点

 活動の原点は廃食油をせっけんにリサイクルして利用を広めることにある。油をゴミとして出している人はせっけんも使いこなせない人が多く、逆にせっけんを使っている人は油を使い切り環境に対しても関心のある人が多い。廃食油回収のシステム作りとせっけん利用の請願や要望署名で採択されて市・町で油の回収を始めたところで回収量が増加してきたことは、流さない人が減少したことはよいが、使い切る努力をしなくなるのではないかと懸念している。

■運動を継続するためのポイント

 とにかくはじめの一歩を踏み出してしまったのだから、みんなでこの思いをつなげていくこと。(中岡丈恵)

■現在の「せっけんの街」ウェブサイト
http://www.sekkennomachi.org/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行動派宣言!/東京の水を考える

東京の水を考える会
■月刊『記録』96年1月号掲載記事

■首都圏の水問題を提起する

■運動の目標

 東京を中心に首都圏の水問題に関して、資源自立の立場から無用な水源開発や問題の多い水政策などについて政策提起する。

■発足の経緯

 1989年に実施された東京都の上・下水道料金の値上げに対して、都内の市民団体、労働組合などが結集して83年12月に「上下水道料金の値上げに反対し、東京の水を考える会」を結成。値上げ実施後、広く東京の水を考えていこうと現在の名称に変更して活動を始める。同時に『水通信』を発行し、首都圏の水問題を考えていく会員の交流の場としている。

■運動の歴史

 過大な水需給計画やダムの過大放流による渇水状態の演出によって進められる行政の水源開発に対して、その問題点を論理的に解明し、政策提起をしている。それとともに、対象が広域化しているため、個別の活動については問題を抱えている地域との共闘という形で行っている。
 これまで取り組んできた問題には次のようなものがある。
①三多摩地域の地下水転換問題(地下水から水質の悪い河川水へと切り替えようとする東京都の政策転換)に取り組むため、現地の団体とともに「地下水を守る会」を結成。
②金町浄水場の水質を向上させることを目的に、「金町浄水場の水をおいしくする会」を結成して、江戸川に注ぎ込む坂川の水質などについて現地調査や行政交渉を実施。
③カシンベック病問題の発生以来、水道水としての取水を停止している東京都玉川浄水場の取水を再開するために「多摩川の水を飲める水にする会」を結成して多摩川の浄化などについて取り組む。
 その他、首都圏の水問題として、相模川・八ッ場ダム・渡良瀬遊水池・霞ヶ浦などの水源開発問題について取り組んでいる。

■今後の抱負

 現代の水源開発問題は、首都圏だけにとどまらず全国各地で発生している。長良川河口堰問題・細川内ダム問題(徳島県)・川辺川ダム問題(熊本県)など、30年以上も昔の開発計画が、水需要の伸びの鈍化により必要性がなくなっているにもかかわらず、いまだに強引に推進されようとしている。そのような行政の動きに対して、93年11月、全国の団体と連帯して「水資源開発問題全国連絡会」を結成した。当会は東京事務局として連絡先を提供するとともに、「大規模公共事業見直し機関草案」を結成するなど行政に対してさまざまな働きかけを続けている。この運動に通じて、新たな水政策・河川政策を提起していきたいと考えている。

■思い出深い出来事

 当会では年に1度、現地見学会を開催している。これまで霞ヶ浦・渡良瀬遊水池・関越導水問題・多摩川水系・荒川水系・尾瀬・八ッ場ダムと森林問題および長良川河口堰をテーマとして、調査見学をするとともに現地との交流を行ってきた。
 東京は首都圏のあらゆる地域に水源を求めており、ダム建設による集落の水没などその地域の犠牲の上に水の供給をしている背景があるため、30年以上もダム反対運動を続けている人など現地の人との交流では、常にさまざまな問題を考えさせられる。

■運動の問題点

 水源開発という専門的知識を必要とする問題に取り組み、建設省や東京都などの行政とのやり取りを中心的な活動としているため、どうしても問題の所在を広く市民に伝えていく作業を怠りがちになってしまう。「水は余っている。渇水騒動の多くはつくられたものである」という当会の主張が「一般常識」となるように、バランスのとれた活動を心がけたい。

■運動を継続するためのポイント

 首都圏の水政策には多くの問題があるので、運動の中断は考えられない。現在のメンバーだけでは課題が多すぎてやりきれないほどなので、スタッフを増やしていく必要がある。(文責・堀田正人)

■現在のウェブサイト……なし                    

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧