だいじょうぶよ-パートナーは知的障害者!?-/神山 眞

だいじょうぶよ・神山眞/最終回 一方通行の約束

■月刊「記録」2006年6月号掲載記事

*          *           *

 一緒に暮らしていた頃は、ぼくたちのゆがんだ関係が、苛立ちや不安を引き起こしていた。なのにどうして、時を経て場所を隔ててこうして正利と会うと、そのゆがみこそが、ぼくと正利にとって最高に心地いいものに変わるのだろう。それは新鮮な驚きであり、ちょっとした後悔でもあった。
 もっと早く気づくことはできなかったのだろうか。そうすればもう少し違ったかたちで、一緒に暮らし続けることができたかもしれないのに。
 食事とドライブをして、正利を施設に送り、トレーナー2着、ベンチコート1着、それにスナック菓子3袋を渡して、僕は正利と別れた。
 寂しさはない。杉の木に挟まれた一本の道を車を走らせていく。正利との距離はどんどん開いていくが、やっぱり寂しくはなかった。これからのことは何一つ決まっていない。正利の次に行く施設も、僕がどうやって生きていくのかも。けれど、たとえ正利がどこへ行こうとも、僕がそのとき何をしていようとも、大丈夫だという安心感があった。そう、正利がよく、僕に言っていたセリフだ。
「だいじょぶよ」
「せんせは、しんぱいしすぎなのよ、だいじょぶよ」
 そうなのかもしれない。たぶん、大丈夫だ。きっと、大丈夫だ。
「だいじょぶよ」
「大丈夫」
 ハンドルを握ったまま呟いてみる。もしかするとそれは、僕に一番欠けていて、一番必要な言葉なのかもしれなかった。正利からのプレゼント。ぼくはこの言葉と一緒に、時・場所・形が変わっても生きていく。
 ――それからも相変わらず忙しさに追われる毎日が続いた。朝早くに起き、夜遅くまで仕事する。だが充実していると感じていた。仕事が楽しくお金を稼ぐことが嬉しかった。
 適当に楽しくて、適度なお金がありさえすればいいと、以前のぼくは思っていた。だが少なくとも今の僕は違った。楽しく仕事をして、稼ぐだけ稼ぐのだ。その理由は誰にも言わないし、言う必要もない。ただ、心の中にいつも思っていればそれでいい。
 ぼくは正利のために稼ぐのだろうか。そうかもしれない。正利が今のまま施設での生活を望むなら、そうさせてあげたい。その生活を実現するために経済的なことが必要で、政治的なことが絡むというのなら何とかしてあげたい。もしも正利がもっと違うどこかへ行きたいのなら、それも叶えてあげたい。そしてたまに会いに行こう。日本中どこだってぼくは行こう。もしもまた一緒に暮らしたいと言ったら? また一緒に仕事をしたいと言ったら? それもいいだろう。だが、そのためにも5年だけ待ってほしい。5年経ったら間違いなくぼくは準備万端に、きちんと体勢を整えられるに違いない。
 夢物語なんかじゃない。「そうだったらいいな」という話じゃない。これは、叶えなければならない自分の中の約束事だと思っている。
 だからぼくは今は、ひたすらに頑張っている。1日たりとも、1分1秒なりとも無駄にはできない。5年で準備を整えるために。5年後、正利が何を考え、何を望み、何を欲しがるか、ぼくにはわからないが、そもそも気まぐれなあいつの5年後を予想するなんてばかげたことだろう。
 ただ、準備だけを整えておくのだ。これは一方通行な、ぼくだけの約束事だけれど、それでもいい。

■忘れていた誕生日

 1月のある日、家に宅急便が届いた。正利からだった。封を開けると、中からは財布が出てきた。小銭入れみたいなやつで手作り風。どうやら施設の作業所か何かで、作ったものらしい。手紙が添えられていた。
「せんせ、たんじょうび、おめでとう」
 そうか、そうだった。今日は誕生日だった。正利の誕生日は、いつでもプレゼントを催促されるから忘れたことなどなかったが、自分の日はすっかり忘れていた。お礼の電話でもするか、そう思った瞬間、携帯電話が鳴った。慌ててポケットから取り出すと、番号表示に浮かび上がる「公衆電話」の文字。正利か? いまどき公衆電話から電話をしてくるなんて正利しかいない。
 ただ、ただ、嬉しかった。
「せんせ? とどいた?」
「なんだよ! 忙しいんだよ!」
「せんせ、さいふもってないでしょ?」
「なくたって大丈夫なんだよ俺は!」
「なんなのよ!」
 なんだか無性に嬉しかった。涙がこぼれそうになった。泣きそうなのを知られたくなかった。だから、ありがとうが言えなかった。
 こんな関係が、いつまでも続けばいい。
 一方的な約束を、ぼくは必ず果たすだろう。
 必ずその日が来ることを、ぼくは信じている。 (■了)

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だいじょうぶよ・神山眞/第80回 3つ目の施設

■月刊「記録」2006年5月号掲載記事

*         *           *

 新しい施設での面会日、受付で早速、正利を呼んできてもらうと、正利は一緒に話していた3人の仲間を引き連れて、こちらへ向かってきた。
 血色も良く、表情もイキイキしている。どうやら、ここのおじさんたちとはうまくやっているようだった。

■おまえはよくわかっているな

 そう思うとスーッと気持ちが楽になっていった。
「せんせ、おれ、せんせくるの、ぜったいおくれるっておもってたから、おにぎり2こたべちゃったのよ」
 昼ご飯を一緒に食べる約束をしていたというのに。相変わらずだな正利……。そう、相変わらず、それが嬉しい。
「ばかやろう! おまえなぁ、オレは腹がペコペコなんだよ。お前は食べなくてもいいけど、オレは食うからな!」
 わざと怒った口調で言う。だが、どうしても抑えられない。嬉しさが、喜びが、懐かしさが、止まらない。それらの感情は、とても抑えることができそうになかった。それを悟られたくないから、ついキツイ口調になってしまう。
「行くぞ! 早くしろよ! おまえ相変わらずのろいなぁ」
「せんせ、そうやっていそぐの、せんせのよくないところなのよ」
 そうだ、そうなんだよ、正利。「うるさいよ! わかったようなこと言うな!」と、ぼくはそう言うしかなかった。でも本当は……。
 正利、おまえはよくわかっている。ぼくのこと、よくわかっている。ぼくはついつい急ぎがちになってしまうんだ。だから、のろまなおまえと生活していると、よくイライラしてしまったけれど、お前の言っていることのほうが正しかったんだ。だって、急いで急いで、もっと急いで、さらに急いで、そんな生活ばかりしてたけど、上手くいかないことが結構多かったもんなぁ。正利、おまえ、本当にぼくのことをよくわかっていたんだなぁ。
■厚かましい、そして図々しい

 正利を助手席に乗せ、一番近いドライブインへ向かう。
「せんせ、おれ、きょうは、しょくじだけでいいとおもうのよ」
 食事をしに来たんだから、そりゃそうだ。
「は? 食事だけって当たり前じゃん。何言ってるの?」
「そうじゃないのよ」
 そうじゃない?
「せんせ、そうじゃないのよ、おれ、せんせにかってもらいたいものがあるのよ」
 来たか、やっぱりそう来たか、それでこそ会話が弾むってもんだ。
 「はっ? 急に何言ってるの? オレは買ってなんてあげたくないよ」
「そうよ、そうなのよ、いいのいいの、きょうはいいの。せんせだっていそがしいもんね、あしたもしごとなんでしょ?」
「いや、明日仕事があるとか、忙しいとか、そんなこと関係ないんだよ。オレはお前に何かを買ってやるつもりはないんだよ」
 ここまで言えば、以前の正利だったら膨れっ面になるはずだった。ところが、
「はっはっはっは! せんせ、おもしろいねぇ。せんせおもしろいこというんだから」と愉快そうではないか。
「はっはっはっはじゃねえんだよ。ここまで来るのだって大変なんだよ。今日だって車で三時間半もかかってんだよ。それでさらにお前に飯までおごるんだよ。その上何しろって言うんだよ。何で何か買ってやんなきゃいけないんだ!」
「おれ、いま、シイタケつくってんのよ。おれ、せんせにシイタケあげようとおもってたのよ。それなのに……」
 まだ話を続けようとするところを遮って、
「いや、シイタケいらないよ。オレ好きじゃないもん。だから何も買ってやらねえ」
 ちょっと大人げなかったか? すると案の定、
「もう、いいよ」と、とうとう正利は怒り出し、プイと顔を背けてしまった。
 厚かましい。そして図々しい。だが、それこそが正利だ。それが嬉しい。無性にぼくは嬉しかった。
 本当は「買って欲しい」と言われた瞬間から、すでに買ってあげるつもりでいたのだ。今度来るとき、ゴールデンウィーク頃になるだろうか、買ってあげよう、そんな後々の楽しみがぼくの中で駆け巡った。
 でも、今日は買ってあげない。なぜなら、それだと正利の本質である、先ほどのようなやり取りが楽しめなくなってしまうからだ。わがままを言われることが嬉しい、嬉しいけど、敢えて否定する。そんなゆがんだ関係。ゆがんだぼくと正利のつながりだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第79回 施設をたらい回し

■月刊「記録」2006年4月号掲載記事

*          *            *

 ぼくが持っていったケーキを同室のみんなに分けなかったからと、おじさん患者にアザが残るほどブン殴られた正利。このケーキ事件だけが理由ではないのだろうが、入院仲間となじめないので他の施設に移りたいと、しょっちゅう電話をかけてきてはグチグチとこぼすようになった。
 しかし、気に入ろうが気に入るまいが、正利はどのみちこの病院を出なくてはならなかった。正利はもともと長期で入所できる施設を希望しているのだが、長期入院型の知的障害者施設はどこも満杯の状態。そのため、正利のようなケースは「措置変更」といって、定員に空きが出るまで、3カ月ごとに短期入所型の施設を移動しなければならないのだ。
 しかも小耳に挟んだところによると、長期型施設が完全に空くということは、めったにないらしい。要するに正利は、施設を転々とたらい回しにされてしまうわけだ。
 少しかわいそうだなと思わないでもなかったが、飽きっぽく放浪癖のある正利には、ぴったりの生活のような気もした。

■栃木の山の中へ

 次の行き先が決まったと、正利が電話をよこしたのは、11月にしてはやけに寒い日だった。
 今度は栃木県だという。
「遠いな……」思わずぼやくと、
「だいじょぶよ、とおくないのよ」
「栃木って寒いんだよな……」ぼくは寒いのが人一倍苦手だった。
「だいじょぶよ、さむくないのよ」
 そりゃあ、お前にしてみれば、オレが行くのを待っているだけなんだから、そんなに遠かろうが気にもならないだろうよ。
 内心でそうつぶやいたが、正利の喜びに水を差したくなかったので黙っていた。
「せんせ、いつ来る?」
「まだ引っ越してもいないのにせっかちだね~。まあ、なるべく早く行くよ」
 そう言いつつ、正利の新しい住処へ実際に訪れたのは、雪も解けかけた3月中旬だった。なにせ今度の施設は、観光地・日光からさらに45分、とてもチェーンなしでは走れない奥深い山中にあるのだ。
ぼくにも責任があるのかも
 東京を出発して約3時間半、施設の駐車場に車を停めて降り立った。
 空気がひんやり冷たく清々しい。思わず深呼吸したくなる。しかし、たくさんの人間が生活しているはずなのに、まるで人の姿が見当たらない。改めて見回してみると、周囲を囲んでいる林がまだ春遠く、冬枯れの体をほどこしているせいもあるのだろうが、閑散としたイメージがある。
 見渡すかぎり山と川に囲まれたこの施設、豊かな自然に恵まれた理想的な環境といえないこともないが、ある意味、脱出不可能の牢獄ともいえた。逃げ出したいと思っても、街に出るバスは1日3~4本だし、そのバス停も歩くと20分はかかりそうだ。
 まったく正利は何の因果でこんなうらぶれた、悲しくなるような場所にばかり行くことになってしまうのだろう。ぼくにも責任の一端はあるかもしれない。ぼくが最後まで正利の面倒を見ていれば、少なくとももう少し日当たりの良い場所で暮らせたかもしれない。
 ……またも正利に対する後ろめたさがムクムクと湧き上がってきた。
「ああ~っ、イカンイカン!」
 ともすれば暗くなりそうな気持ちを振り払い、ぼくは大股で受付のある建物へと入っていった。ドアを開けると、長い廊下がまず目に飛び込んできた。その先のホールに、ヒョロリと背の高い正利の姿が見えた。数人となにやらワイワイ談笑し合っている。
 ああ、会えた。
 その嬉しさでさっきまでの落ち込みも一気に吹き飛んでしまった。
 満面ヒゲに覆われた職員らしき男性が通りかかったので、早速、正利を呼んでもらうと、正利は一緒に話していた3人の仲間を引き連れて、こちらへ向かってきた。「おう、正利! 元気そうじゃん!」
「せんせ、おそいのよ」
 遠目ではわからなかったが、皆、50代くらいの男性で、やはり知的障害を抱えていた。その前にいた病院といい、ここといい、どうも近年の正利は若者に縁がない。 とはいえ、当の本人はまったく気にしていない様子だ。血色も良く、表情もイキイキしている。どうやら、ここのおじさんたちとはうまくやっているようだった。
(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第78回 2度目の訪問

■月刊「記録」2006年3月号掲載記事

*         *          *

 正利に母親のことを聞かれるたびに、ぼくは「死んでるよ」と答えてきた。
 実際、正利の母親の性分を考えると亡くなっている確率も高いと思われたし、そう思うことで正利を虐待してきた母親を慕うことへの苛立ちや腹立たしさからも逃れられたからだ。心の内とはいえ、勝手に他人様の母親を殺すなんてヒドイ話かもしれない。結局のところ、ぼくは正利の自主性など認めておらず、正利を私物化していただけだったのかもしれない。
 しかし、しかし、正利の母親は生きていたのであった! 間違いなく生きているということを示す、1通の手紙がぼくの元に届いた。

■片道2時間が30分で退散

 正利の母親が見つかったことを本人に告げるべきか否か。だが、ぼくは告げない道をまた選んだ。本人が会いたがることを知りながら、その存在を隠していることに後ろめたさはあった。しかし「世の中には会わないほうがいい親子もいるんだ」と自分に言い聞かせ、隠したまま、ぼくはあれからさらに2回病院を訪れた。
 1度目のときは、「せんせ、いつあいにくるの?」と、正利が借金取りのように1日に何度もしつこく電話をかけてくるのに根負けし、前回の訪問からたった数日後に、仕事で疲れた体をムチ打って病院まで車を走らせたのだった。
 ところが、あいつときたらひどい風邪をひいたとかでベッドに入っていた。
「おう、なに昼間からゴロゴロしてんだよ」
「あー、かぜよ」
「はぁ? おまえ、風邪ひいてるのにオレを呼ぶなよ!」
 その頃、すでにぼくはいっぱしの……というか、人並みにやっと近づきつつあるサラリーマンだったので、風邪には敏感だった。風邪なんてひいてしまったら大変だ。会社を休むなんてサラリーマンにあるまじき行為だ。サラリーマン失格だ。
「じゃあな! 早く治せな! 治ったらまた会いに来てやるからな!」
 家から車で片道約2時間、そして訪問時間は30分。正利も気の毒だが仕方がない。その日は早々と退散した。 2度目の訪問は、正利がこの病院に入院してからちょうど3か月が経った頃だった。
 正利が別の施設に移ることになったというので、病院の職員の方々に挨拶に行ったのだ。すると今度は、正利の頬が少し腫れていて、青黄色く変色しているように見えた。
「おまえ、どうしたの、その顔」
「なんでもないのよ」
 何でもないわけはない。明らかに顔が腫れている。
「ふーん、で、もう風邪は治ったわけ?」
 すると今度は答える代わりに、ニヤリと笑った。そのときたまたま病室に、血圧や体温を測りにきていた50歳くらいの看護師さんがクルリとこちらを振り向いて、
「実里くん、風邪なんかひいてないもんね」
 と、正利に優しく微笑んだ。
「えっ、でもこの前に来たとき、風邪で昼間から寝てましたよ」
 そう尋ねながらも、風邪なんて最初からひいてはいなかったことにぼくも気づいた。
「実里くん、お友達とケンカしちゃったんだよね」
「おまえ、ケンカして寝てたの?」
 呆れた調子でぼくが聞くと、
「あー、せんせがいけないのよ」
 と笑いながら正利は答えた。
「なんでオレが悪いんだよ」
「せんせがケーキもってきたからよ」
 そういえば数日前の最初の見舞いのときに、ぼくはケーキを持ってきたっけ。
「でも、なんでケーキ持ってくるとケンカになるんだよ」
「ケーキたべてたら、なぐられたのよ」
「そんなばかな話あるかよ」
「あー、ふつうはそうなのよ……」
「実里くんね、1人でケーキを食べようとしたのよね。神山さんには、みんなで分けるようにって言われてたのにね」
 まだるっこしい正利の応答を見かねて、看護師さんが解説を入れてくれる。すでにもう解決済みの事件なのだろう。正利は看護師さんの言葉にも余裕でニヤニヤ笑っている。
「おまえ、部屋の人と分けろって言っただろ?」
「……」
「でもまぁ、独り占めにしたおまえもすごいけど、殴ってくるほうもすごいねぇ」
 ぼくは素直に感心した。なぜなら病室内を見渡しても、20代の正利が一番若く、他はどうみても50~60代のおじさんたちだったからだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第77回 母が見つかった

■月刊「記録」2006年2月号掲載記事

*           *          *

「また来るよ」と正利に別れを告げ、病院を出たぼくはホッとため息をついた。安堵のため息だった。
 ぼくの不安とは裏腹に、正利はぼくが見放したことに対して何の恨みつらみも言わなかった。それなりに環境に適応し、今の生活を気に入っているようでさえあった。
 でも……。病院を出て10分もしないうちに、またもや、ぼくの中に住みついている魔物、“不安の虫”が首をもたげてきた。なぜなら、ぼくは正利に大事なことを隠していた。本当だったら、会ってすぐにでも言わなければならなかったであろうことを、隠したまま出てきてしまったのだ。
 そう、「行方不明だった正利の母親が見つかった」という重要な情報を。

■常識では捉えきれない母親

「おかあさん、どこにいるの?」
「オレ、おかあさんさがしたいのよ」
 これは児童養護施設にいたときからの、正利の口癖の一つだった。そしてぼくは正利に、そう言われるのが昔から嫌で嫌でたまらなかった。
 なぜなら、その“お母さん”というのが、世間一般の常識では捉えきれないとんでもない母親だったから。だからこれ以上、正利を関わらせたくはなかったし、何よりぼく自身が関わり合いになりたくなかった。それなのに、そんな母親が見つかったという情報が飛び込んできたのだ。
 今までにも2回ほど、目撃情報はあった。一つは、横浜のとあるスラム街で姿を見かけたというもの。そしてもう一つは、鶴見市内の市場で、ホームレスをしているのを見たというもの。
 そのたびに正利はぼくからお金をせびり、1週間ほどかけて捜し回った。でも結果は、いずれも空振り。当たり前だ、正利の母親というのは、そもそも姉の直子や正利を含め、ぼくが知っているだけでも5人の子供を産み、その全部の父親が違うというツワモノなのだ。しかも生むだけ生んで、育てるどころか殴る蹴るの虐待を繰り返し、フラフラと子供を置いて行方をくらませてしまうような女なのだ。そんな人間がいつまでも一カ所にとどまっているはずもなかった。
 そして正利にしたって、母親を捜すと勇んで出ていっても、いざ繁華街にでも出ようものなら、おのれの欲望にたちまち目がくらんで、いつの間にやら目的はそっちのけになってしまったに違いない。きっと大好きなゲーセンやパチンコ屋、ソープなんかを嬉々として渡り歩いていたはずで、見つかるわけがないのだ。
 そもそもだ! なぜ自分を虐待しまくり、あげく犬猫のように捨てていった母親なんかに会いたいのか? 正利の頭には、いまだに母親が灰皿で殴った傷が残っているのだ。足にだって、母親から熱湯をかけられたときの火傷の痕がくっきりと残っている。それなのになぜ!? ぼくには解せなかった。
「おまえを捨てた母親を捜して何になるんだ!?」と、正利本人に問いただしてみたことも、一度や二度ではなかった。しかしそんなことを言えば言うほど、正利は反発した。
「せんせにはオレのきもちはわかんないのよ」
 そう言って、あとは頑なに口を閉ざしてしまうのが常だった。
 どんな虐待を受けても、愛されなくても、子供とはこれほどまでに母親を慕うものなのか!? いや違う。悲しいことに、事実を事実として受け止めるだけの能力が正利には足りないのだった。
 だから、いつまでも平然と繰り返す。「おかあさんをさがしたいのよ」と。
 まったく何もかもが狂気じみてて、その問いかけを聞くのが、ぼくにはいつでも苦痛でならなかった。

■母はバラバラ殺人の犠牲者で

 そういえば、正利の姉・直子がぼくにこんなことを言ったことがあった。
「私たちの母はバラバラ殺人の犠牲者で、海に捨てられたんです」
 もしそれが事実なら、養護施設の記録に残っているはずだが、もちろんそんな記述は見あたらなかった。
「この姉はいったい何を言い出すんだ!?」と思い、マジマジと顔を見返したら、「あっ、このことは正利にはナイショにしてくださいね!」と、真面目な顔で返されたことがあった。そう、狂気じみているのは母親と正利だけではない。正利の一族全員が狂っているのだった。 そして、かくいうぼくも、その狂っている輪のなかの一人だった。いつしかぼくは、姉の直子が言うように、正利の母親は本当にどこかの街の片隅で野垂れ死んでいるのではないかと思うようになった。
 だから正利に「おかあさんは?」と聞かれれば、心の母に対する感情を無視するようになっていった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第76回 30分だけの面会

■月刊「記録」2006年1月号掲載記事

*          *          *

「せんせ、そと、でよ」
 正利が談話室から中庭らしきところへ、ぼくを誘った。
「いいのか? 出ていいのか、この部屋から」
「いいのよ、あのおんなのひとに、たのめばいいのよ」 そしてぼくらは一緒に部屋を出た。
 すると、女のスタッフが走り寄ってきてぼくに言った。
「すみません、外室は30分だけでお願いします」と。
 ぼくらが中庭に出ると、やはり背後で、鍵がガチャリと音を立ててかけられた。

■ふじさんがみえるのよ

「おれ、ここきて、よかったとおもってるのよ」
 中庭のベンチに腰掛けるなり、正利はそう言った。
 たったの30分、それだけしか許されないぼくたちの時間だ。
 いつもだったらぼくは、「どうして?」「何で?」「こんなところが?」といった具合に、矢継ぎ早に問いただすのだが、なぜだか今日はそうしなかった。
 中庭は一面、落ち葉で埋め尽くされ、木々に囲まれたその隙間からは、ほんの少しだけ外の世界が垣間見られた。一日中、しかも毎日、正利はこの空間にいるのだ。それなのに恨みがましいことも言わず、ここでの生活を楽しいという。そう思うと少し涙が出そうになった。
「そうか、だったら安心したよ。だけど、お前、ここ、何もないじゃん」
「いいのよ。なんにもないほうが、おれには、いいのよ」
「お前、変わったなぁ。ありったけの金使って、パチンコ行ったり、ゲーセン行ったりしてたのになぁ」
 欲望に歯止めがかけられず、周りから金を盗んでまで、放蕩生活を繰り返していたというのに……。
 本当に正利は変わったのだろうか? 俄には信じがたい話であった。
「せんせ、ここ、ときどき、てんきがいいと、ふじさんみえるのよ」
「富士山かぁ。何だか最近そうやって景色を眺めるなんてこと、俺、ないもんなぁ」
 本当にそうだ。朝起きる時間は決まっていて、乗る電車の時刻も車両も決まっている。電車を降りると足早に会社に向かう。そんな毎日。景色を眺めるという感覚すらなくしていた。
「そっかぁ。お前から景色の話が出るなんて驚いたよ。変わるもんだなぁ」
「おれ、こうやって、しぜんがいっぱいのところがいいのよ」
「じゃぁさぁ、今度行くところも、もっと自然が一杯あるところにするか?」
 そうなのだ、どんなに正利がこの場所を気に入ろうとも、今は短期入所という方法しか取れぬため、三ヵ月ごとに施設を移動しなければならない。入ったそばから次の行き先のことをぼくは考えなければならなかった。
「せんせ、こんど、おれ、どこいくの」
 やはり正利も同じ不安を抱えている。
「わかんないよ。でもとりあえず、希望は出してみるよ」
「おれ、しぜんがいっぱいのとこが、いいとおもうのよ」
「ああ、そうかもな」
「おれ、こうやって、のんびり、くらしたいのよ」
「わかるよ」
「おれ、もう、まえみたいに、あさはなにしてとか、ひるからはなにしてとか、やすみはいつだとか、もう、いやになっちゃったのよ」
 そうかもしれなかった。ぼくは正利を鍛え、何とか一人前の大人にしようと今まで躍起になってきた。朝は自分でちゃんと起きなければダメだとか、仕事場には遅刻をするな、遅刻しそうなら一本電話を入れろとか、そんなことばかり言ってきた。お金は使いすぎるな、夜は何時までには帰って来い、朝は何時までには起床しろ……。
 考えれば考えるほど正利を規則でがんじがらめにしてきたのだ。
「そうだよなぁ、お前いいこと言うなぁ。俺も自由になりたいよ」
「そうなればいいのよ。さんぽしたり、ふじさんみたり、みんなとおはなしするほうが、いいのよ」
 一緒に暮らしていた頃にように、手足をバタバタと動かして話をする癖がなくなっていることに気づいた。落ち着いた表情は、正利の気持ちの安定ぶりをそのまま表しているようだった。鏡で見る、いつも何かに追われ、不安げなぼくの表情とはまるで違って見えた。
 立場が逆になっていた。今まで正利にいろいろなことを教えてきたつもりだった。それなのに、それらの常識というものが、逆に正利やぼくにとっては、手枷足枷となってしまう現実。
 もしかすると、ここを一歩出てしまえば、やっぱりそんなことも言っていられないのかもしれない。
 でも、ぼくは心の底から今の正利を羨ましいと、一瞬でも思ったのが事実であった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第75回 正利との面会

■月刊「記録」2005年12月号掲載記事

*           *           *

 初めての場所、初めての入り口、そういった場所に足を踏み込むとき、いつもだったら入ることに戸惑い、行ったり来たりを繰り返してしまうぼくが、今日は違った。
 はやく正利に会いたい。1分でも1秒でもはやく正利に会いたかった。

■差し出されたわら半紙

 まるで昭和初期で時間が止まってしまったかのような、古ぼけた薄暗い病院だった。自分が入院するとしたら、ちょっとためらってしまいそうだ。外来のドアをくぐると、昔の日本映画に登場しそうな待合室があり、受付には60歳は過ぎているであろう女性がポツンと一人。
「すみません。先ほどお電話した神山という者です。正利君の面会に来ました」
 そう告げると、「ここに名前と時間を記入してください」と、何も書かれていないただのわら半紙を差し出された。
 わら半紙……。久々にお目にかかったと思いつつ、もちろんそんな素振りはみじんももらさず素直に記入すると、味も素っ気もない無愛想な態度で、「2階の談話室に上がってください。階段はあっちです」と言われた。 建物も暗ければ人も暗い。談話室に行くまでの壁や床もシミだらけで、病院とは思いたくない汚さだ。いくら病院のなかでも、最も儲からないといわれる精神を病んでいる人たちの施設とはいえ、ここまでおざなりな環境でいいのか? これじゃあ、健康な人だって気持ちが滅入って病気になってしまうだろう。
「こんなところで正利は生活しているのか……」
 何ともやりきれない、苦い思いが込み上げてきた。正利に申し訳ないと思った。今さらながら、なんてことをしてしまったんだろうと思った。
 ぼくのした決断は、もしかしたら、もしかしたらとんでもなく間違っていたのかもしれない。正利も、そしてぼくも、失わなくてもいいものを、いや失わないほうが良かったものを失ってしまったのではないだろうか。
 誰に奪われたわけでもない、自ら進んでゴミ箱に捨ててしまったのだ。はたと気がつけば、ぼくにも正利にも何一つ残ってはいなかった。そんな気がした。
 ぼくは思っていたのだ。これまでの出口のない、閉塞感ばかりがつのる生活を思い切って捨て去り、新しい世界に飛び込んで、新しい自分の居場所を見つけるべきだと。新しい友達を作って、新生活を始めたほうがいい。そのほうがお互いのためだ、そう思ったのだ。
 いくらそう思っても、思おうとしても、何だか釈然としない罪悪感と喪失感が、胸にダラーンと広がっていった。
 この建物がいけないんだ、そう思い、何とか気持ちを立て直そうと努力するが、階段を昇る足取りは自然と重くなっていった。
 談話室の扉を開け、中に入る。すると15人ほどの人がいた。こういうときは一斉に視線を浴びせられるのだと思っていたが、どうやらそうでもない。ほとんどの人が、ぼくのことなど気にもとめていなかった。ぼくに気づいたのは、正利と若い女性のスタッフだけだった。
 スタッフはぼくに会釈をすると、するりとぼくの背後にまわり、開けっ放しにしてあったドアを急いでバタンと閉めた。そしてカチャッと音を立てて鍵を閉めた。
 背後で閉めた鍵の音が、正利とぼくが、思っている場所よりももっとどんどん違う場所へ向かっているように感じさせた。
 けれどカラ元気を出して声をかける。
「よう、正利、元気か!?」
 するとボーっとテレビを見ていた正利は、少し笑ってぼくに近づいてきた。
「せんせ、もってきてくれた?」
 さっそく電話で約束をしていたトレーナーと漫画本とケーキを要求される。
「ああ、持ってきたよ」
 差し出すぼくの視線の先の正利が着ているトレーナーは、ぼくには見慣れぬものだった。
「何だよ、おまえ、新しいトレーナー持ってるじゃん」「あー、これ、せんせ、これ、つうきんりょうのせんせが、かってきてくれたのよ」
 正利が、通勤寮で唯一心を開いていたのが、若く入ったばかりの女性職員のようだった。
「そっか、あの先生が来てくれたんだ」
「そうよ、きてねって、おねがいしたら、きてくれたのよ」
 そうだった。いつでも皆、最初の1回は来てくれる。頼めば最初の1回は来てくれるのだ。
 ある人はプレゼントをくれるし、ある人は今後のことを話していく。またある人は説教していく。
 いろいろな人が来た。
 ただ、来るのは一度きりだ。
 1回来ると、もう、たいがい次に2回目はない。
 皆、正利が行く新しい場所には1回しか来てはくれないのだった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第74回 対等な関係

■月刊「記録」2005年11月号掲載記事

*           *           *

 せっぱ詰まって、消耗しつくしての離別だとしても、いずれにしても正利を見捨てたことには変わりがないのだった。正利から逃げ出そうとしているのは、他の誰でもない、ぼくなのだ。
 とにかく正利を一刻も早く忘れたかった。ぼくは自分を卑怯な人間だと思った。
 ぼくは、しばらくぼんやりと部屋に立ち尽くしていた。いろいろなことが頭の中を駆け巡っていたが、それらの考えは正しいものなのか、間違っているのか、今のつらい状況から逃げ出したいがための逃避なのかわからなかった。しかし近いうちに必ず実行しそうな気が、ぼくにはしていた。

■対等な関係になるために

 これでチャラになったのだろうか? 今、現在もこれからも2人は“対等な関係”というやつでいられるのだろうか?
 改札口を通り過ぎると、別に急いでいるわけでもないのだけれど、人波に押されるように自然と歩く足は速くなり、別に入りたいわけでもないのだけれど、ぎゅうぎゅう詰めの電車の中に吸い込まれていく。
 吸い込まれ、人混みに紛れる毎日。しかし、胸のつかえのようなものが消えることは日々ありはしなかった。 どんなに人ごみに紛れ込んでも、やはり期待したような、何もかも忘れることなどは不可能なようだ。ワイシャツを着て、ネクタイを締め、革靴を履く。前の人や隣の人たちと同じような格好をしてみても、あの特異で異常な何年間かの生活が、ぼくを日常というやつに決して埋没させてくれようとしない。
 正利を失ってから2年と半年が過ぎた。失ったというよりも、手放したというほうが正しい表現なのかもしれない。
 いまだにぼくは毎日、正利のことを思い出す。そして思い出すたびに混乱してしまう。
 正利には何もかも与えたはずだった。住む場所にはじまり、仕事も友人も小遣いも食事も着る服も、何もかもを揃え、何もかもを与えたはずだった。
 それらを全て奪い取ってしまった。正利をぼくではない他の誰かの手に委ねた瞬間、ぼくが与えたものはすべて、必要がないものだと、委ねた相手からぼくに返された。いったん正利は何もかもを失った。少なくともぼくにはそう見えた。
 今の正利には、必要なものは必要に応じて、必要なだけ与えられている。これでいいのだ。きっとこれでいい。ぼくが正利に与えたものはきっと偏っていた。あるものは与えすぎていたのかもしれないし、あるものは全く足りなかったのかもしれない。
 いずれにしても、正利がいったん失ったものに関しては、ぼくも同じように失ってみることにした。日焼けサロン、友人、着るもの、眼鏡、正利と共有していたものは、すべてぼくも失ってみることにした。こうすることしかできなかった。こうでもしなければ、ぼくのなかの懺悔の念は消えることがないと思われたのだった。
 こうして対等な立場にでもしなければ、今後ぼくはあいつに合わせる顔がなかった。それにしても……。本当にこれで良かったのだろうか? 本当にチャラになったのか? 本当に今後も“対等な関係”でいられるのだろか? 胸のつかえは消えるどころか、日に日に存在を大きなものにしていった。

■あの中に正利がいる

 秋も深まり、スーツだけでは少し冷え冷えする。体重が85キロもあったときには、あまり寒いという経験をしなかった。しかし68キロしかない今のぼくにはコートが必要なくらい寒い秋晴れの日、ぼくは会社を午前中で早退して、正利に会いに行った。
 正利は、知的障害者の人たちのための通勤寮に、2年間の期限付きで入所していたのだが、度重なる無断外泊により、結局、任期を満了することなく寮を出ることになってしまった。
 任期を満了していないため、他の施設に移ることができない。一応、通勤寮所属というかたちで、さまざまな施設に3か月ごとに短期入所するというかたちをとることになった。
 一番最初の入所先は、正利の抱える精神的な問題を医療行為によって解決しなければならないとの名目のもとに、東京の郊外にある精神障害の人たちのための施設に決まった。
 場所を調べてみると、ぼくの卒業した大学の目と鼻の先であった。合コンだのサークルだのと毎日を賑やかに楽しむ大学生たちのすぐそばに、こんなにひっそりと静かな場所があったのだ。
 右も左も高い木々に覆われた坂道を登っていく。すると、ぼくが小学校くらいのときによく見かけた昔の病院のような建物が見えた。正利がここで生活している。そう思うと何だか胸が締め付けられた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第73回 正利からの逃避

■月刊「記録」2005年10月号掲載記事

*           *           *

 正利への電話がつながらない。
 おかしい。電話にも出ないし、店にも来ない。となると、考えられるのは、2度目の家出しかないではないか?1度目の家出からもう半年。そろそろとは思っていたが、まさか、まさか、こんな電話のやり取りくらいで、こんなことになってしまうとは!もうだめだ。いやもう一度。迷いに迷い、握りしめたままの携帯のボタンを再び押す。呼び出し音が2回、3回……、やはりだめか……、と思った瞬間、あいつが出た!
「おい、正利、どうしたんだ、時間だぞ!」
「……」
「おい!?」
「……」
「どうした!? 時間だぞ?」
「あ~、なんか、ねちゃったのよ」
 大丈夫! 大丈夫だった! ただの取り越し苦労!
「ばか! 寝てたのか! ばかだなあ! 早く来い!」「……」
 プツリと電話は切れた。電波が悪いのだろうか。まあいい、電話もつながったことだし……。
 しかし正利は、1時間経っても、2時間経っても店には現れなかった。

■いつまでこんなことが繰り返されるのか

 正利が店にタオルを持って来なかったので、ぼくは足りなくなったタオルを補充するために、アパートに戻った。
 しかし部屋の明かりは消え、人の気配がまるでない。正利はやはり出て行ってしまったようだ。一気に血の気が引き、足がガクガクと震えた。またか……。これで何度目だろう……。そしてこれから何度繰り返すのだろう……。
 何もかも投げ出してしまいたいような気持ちが襲ってきた。
 部屋に入ると、ぼくの万年床の汚れた枕の上に、正利からの書き置きが置いてあった。
 「せんせ、おれってほんとにばかだよね。このままいても、また、せんせにめいわくかけちゃうから、でていくね」
 どうやらぼくに電話口で「ばか」と言われたことが相当こたえたようだった……。
 それにしたって……。なんでぼくばかりがこんな目に遭わなければならないのだろうか。親でも兄弟でもない、ましてお金をもらっているわけでもない相手に振り回されて……。
 もうやめにしたかった。こんなばかげた繰り返しのゲームはやめにしたい。勝っても負けても終わらないゲーム。上がりのない「すごろく」がぼくの神経をとことん消耗させていた。
 こんなことを繰り返して何になる?こんなことばかりをずっと繰り返してどこへ行く?正利と出会ってから7年が経とうとしている。中学2年生だった正利は二十歳を越え、二十代だったぼくは三十代も半ばにさしかかろうとしていた。
 よく考えてみろ、ぼくは三十代らしい暮らしをしているのか?友達は結婚をした。マンションを買った。犬を飼って休みの日は海辺を散歩させているらしい。それなのにぼくときたらどうだ?四畳半の汚い風呂のないアパートで正利と終わりのない不毛でくだらなくも悲しいママゴトを繰り返している。
 もう終わりだ。今度こそ終わりにしよう。ぼくは書き置きを手にしたまま、そう固く決意した。
 だが、中途半端なことではあいつからは逃げられない。すべてを切り、すべてを捨て、あいつから逃げる。そうしなければ新しい生活は訪れない。「逃げる、捨てる、切る」それを徹底的に行うのだ。すべての環境を変え、正利のことをきれいさっぱりと忘れるのだ。
 正利を引き取りたくて始めた商売、それが日焼けサロンだった。ならばこれはもういらない。店にはあいつの畳んだタオルがたくさんありすぎ、入り口の前の階段を見ると今にも正利が昇ってきそうだ。シャワー室の前であいつは掃除をさぼってよく丸まって寝ていたなぁ。思い出すには格好の材料が揃いすぎている。いらないぞ、いらない。だから日焼けサロンともおさらばだ。
 自営業なんてやめてしまおう。暇がありすぎて、ぼくはきっとあいつのことを思い出す。ネクタイを締めて、電車を使って通勤する、そんな仕事にしよう。普通の人たちにまぎれ、普通の生活をすれば、きっとすぐにでもあいつを忘れることができるはずだ。
 あいつとぼくの共通の友人たち。そんな人たちとはもう会うことはできない。会えば正利のことを聞かれるだろうし、もしかしたら非難もされる。
 「どうして正利を捨てた?」「どうして正利に会ってやらない?」「正利は今、何をしている?」「一生面倒見られないんだったら、どうして引き取ったりしたんだ」
 ぼくには一つも答えが見つけられなかった。解答を導き出す術すらわからなかった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第72回 正利の不機嫌

■月刊「記録」2005年9月号掲載記事

*          *          *

 最近、ぼくは正利に対して下手に出ていたが、それは、またフラリと出て行かれては困る気持ちからだった。しかし、仕事もせずにゲーム機にかじりついているあいつに、ついに我慢の限界がきて、つい強い口調で叱ってしまった。
 正利は不機嫌な表情を隠そうともせず、ダルそうに立ち上がり、タオルを袋に詰め始めた。そのあまりにもダルそうな態度にぼくも頭にきた。
「いいよ。そんなに嫌なら働かなくていいって。おれがやるよ。どけって」
 正利を押しのけてぼくが袋詰めを始めると、あっという間に作業は終わる。何だよこんなに簡単なことさえしないで、ゲームばっかりやりやがって。そう思いながら袋を持って外に出る間際、ちらっと正利を見た。少しは反省しているかなと思ったが、相変わらずゲームの続きをやろうとしている。
 この頃から正利は、何かあったらまた出て行っちゃうぞという態度をみせるようになってきた。それが神山を一番、困らせられるということを正利は理解し始めたらしい。
 それにしても嫌な態度をとられ、わがまま放題をされても、出て行かれては困る、出ていかないでくれ正利と、思ってしまうのだから、追いつめられた人間の心理状態というのはおかしなものである。
 いつだって出て行っていいんだよというふうに、ぼくに思うことができたら、その後の展開もきっと違っただろうに……。

■正利が気になってしょうがない

 正利の気分の波が日に日に激しくなってきた。相変わらずタオルをたたみ、店へ配達するというノルマ自体は変わらない。単調な日々ともいえる。しかし、表情がなんだか毎日違うように感じられて仕方がなかった。
 たぶん他人が見ても、正利は何ら変わっていないのかもしれなかった。それはたぶんもう、ぼくのほうが参ってしまっていたのだろう。正利ではなく、ぼくの感じ方、考え方のほうが、かなり異常な領域に入ってきていたのだろう。正利の帰ってくる時間が常に気になって仕方がない。正利がどこに出かけるかが気になって仕方がない。何を食べて、ちゃんと栄養を摂れているのか、寝ているときに布団をはいでいないか、寝冷えはしないか、お金はいくら持っていて、それは本当に自分のお金なのか……etc.
 すべてを知っていたくて仕方なくて、すべてを気にしすぎたぼくの神経は、もう自分がおかしいのか、正利がおかしいのか、判断がつかないほどになっていた。
 しかし、それもやむを得なかったともいえる。一緒の部屋、しかも四畳半一間の狭さにひしめき合いながら四六時中一緒にいるのに、少しでも離れるとひっきりなしに電話がかかってくるのだから。一度目の家出のあと、まさかのときに備えて電話を持たせておいたのだ。しかしこの携帯電話の存在が、ぼくと正利を再び引き離す道具になってしまった。
「せんせ、おれ、はなしがあるんだけど」と、正利からの電話。
「ごめん、今は仕事中なんだよ。わかるだろう?」
「あー、わかった」
 そうしてぼくは仕事に取りかかる。しかし電話のことが気になってしょうがない。やはりすぐにかけ直してしまう。
「あ、正利? さっきは悪かったな、で、話って何?」「あー、もう、いいよ」
「おまえなあ、もういいよってどういうことだよ、ああ? おまえが電話してきたんだぞ? おれは仕事で忙しいのにわざわざ電話してやったんだぞ?」
「あー、でも、もういいのよ」
「おい、言えよ、せっかくおれが電話したんだから」
「もう、いい、しつこい!」ガチャン!! 電話が切れる。
 そうしてモヤモヤした気分のまま、再びぼくは仕事に取りかかるのだが、気になる、気になる、気になってしょうがない。もう一度、電話をかけてみる。しかしあいつは出ない。気になる。どこかに行ってしまったのだろうか? 気にしても仕方がない、仕事をしようと考える。だが、もう手につかない。もう一度電話をかけてみる。やはり出ない。怒っているのか? きっとそうだ。いつもあいつは思い通りにいかないと、電話に出ることをやめるのだ。そうするとぼくが困り果てることをわかっている。ぼくはあいつの思うつぼなのだ。
 しかしこうなると、もうぼくは自分でも自分を止められない。つながるまで電話をかけ続けるのだ。正利の携帯の着信回数が20回を越えた頃、ぼくはあることに気づく。もうそろそろ正利が、タオルを届けに店に来なくてはならない時間だということに。
 おかしい。電話にも出ないし、店にも来ない。となると、考えられるのは、2度目の家出しかないではないか? するともうぼくは、居ても立ってもいられなくなるのだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第71回 弁護士の先生

■月刊「記録」2005年8月号掲載記事

*          *             *

「せんせ、おれ、あいつらのことゆるさないのよ、こんどあったら、もんくいってやろうとおもうの。だっておねえちゃん、ないてたのよ。おねえちゃんなかすなんて、ゆるせないのよ」
 と、正利は威勢のいいセリフを吐いた。
 あいつらのことは許さないか…。頼もしいじゃないか、正利。ついでに話を混乱させたお姉さんのことも怒っておいてほしいよ…と、思ったが、ぼくは黙っておいた。
  「ありがとう、正利。オレもあいつらのこと許さないよ。明日、弁護士の先生に会ってくるから。そうしたら、みんなおしまいだ」
 そう答えながら、ぼくは、あいつらには一切お金は払わず、弁護士にお金を払って何もかも解決することに決めた。

■誰かに明確にしてほしい

 弁護士事務所に約束の時間に向かった。
 ジーンズにヨレヨレのシャツを着たぼくには、不釣り合いなほど立派な事務所に戸惑いを覚えた。聞けばテレビに出演するほどの有名な弁護士だという。たくさんのケースを抱えているらしく、先生の話し方は、とても忙しそうだった。
 一通りの経緯を説明すると、「大丈夫ですよ、神山さん。何の問題もありません。すぐに解決しますよ。というよりも、もうほとんど何も問題が起きていないに等しいくらいですよ」と、頼もしい言葉が返ってきた。
 普通ならここで安心するはずなのだが、なぜかぼくは違った。
  「いや、先生、彼らはとんでもなく悪い人たちに違いありません。背中に刺青を入れていますし、脅かし方もかなり本格的です」
 情けない話だが、ぼくは本当に怖かったのだ。お金を取られそうなのが怖いのか、あいつらが追いかけてきそうなのが怖いのか、そのどちらも怖いのか。
 いや、どちらも怖いが、何よりも正利との生活を維持していくことの困難さを誰にも理解してもらえないことが一番怖かった。
 正利と暮らし続けるならば、今回のようなことがたびたび起こることは想像に難くない。正利は働かないので、お金は出ていくばかりだ。ぼくだって困難は避けたいし、何かのときのためにお金も貯めておきたい。考えてみれば正利がいなくなったからといってデメリットは何もないのだ。だったらもう、こんな生活とはおさらばして新しい生活を手に入れよう。そんな思いは、過去に何度も頭をよぎった。
 でも、それでも一緒にいたかった。一緒にいたいというよりは離れられないのだ。何かに、誰かに暗示をかけられてしまったように、ぼくは結局、いつでも最後には、正利と離れるという決断を下すことができずにきてしまっていた。
 ぼくにも正利にも、一緒にいることの理由がわからない。わからないまま毎日が過ぎていく。しかもそれは平凡なものではなく、波瀾に満ちていて、常に何かに巻き込まれている。
 弁護士の先生に、ぼくはそんな自分の状況を理解してほしかったのだ。自分にも理解できない、自分の抱えている正利に対するさまざまな感情をわかってほしかったのだ。矛盾しているようであるが、この混沌としたぼくと正利との関係を誰かに理解して明確にしてもらい、それを噛み砕いて、ぼく自身に説明してほしかったのだ。そうすればぼくも、少しは安心できるかもしれない。
 ぼくはそんな思いで話していた。

■腹の底から苛立ちが

「なんだか、いろいろあったなぁ、正利。全部おまえのせいだぞ」
 弁護士事務所をあとにして、いつものアパートに帰りつき、冗談めかしてそう言うぼくを、ちらっと一瞥して、あいつが言った。
  「しょうがないのよ。それにもうだいじょぶよ。せんせいはいつもかんがえすぎなの」
 そうかもしれないな、ぼくはいつも考えすぎてしまう。
  「正利、おまえこれからどうしたいの?」
  「……」
 答えること、いや、そもそも考えることが面倒くさいのか、正利は答えない。テレビゲームから目を離さず、こちらを見ようともしない。
  「おい、正利、おれはこんなにおまえのことを考えているんだぞ。店も他人に任せきりにして、おまえの起こした事件の後始末をしてるんだ。それなのにお前ときたら、働きもせず、毎日ゲームばっかりじゃないか。せめて洗って溜まったタオルを時間通りに店に持っていくことぐらい、やっておいてくれたっていいじゃないか」
 最近、ぼくは正利に対して、ずいぶん下手に出ていた。それは、またフラリと勝手に出て行かれては困るという気持ちからだ。しかし、黙ってゲーム機にかじりついている横顔を見ているうちに、ムラムラと腹の底から苛立ちが湧いてきた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第70回 お姉さんの理屈

■月刊「記録」2005年7月号掲載記事

*             *             *

 電話は意外なほど早くかかってきた。
 受話器を取ると、お姉さんは昨日の礼も言わず、正利の状態も聞かず、いきなりこう言い放った。
  「よーおく考えてみたんですけど、昨日、請求されたお金に関して、私が払うっていうのはおかしいと思うんです」
 最初は30万円全額、5分後には15万円半額、そして翌日には一切払わないと言うお姉さんの主張。何だか頭が混乱してくる。

■先にぼくに相談してよ!

「そうなんですよ。だからお姉さんが払うべきお金ではないんですよ。そもそもそれは…」と言いかけたところで、遮るようにお姉さんは言った。
  「はい、私も昨日は慌てて払うなんて言ってしまったんですけど、友達に相談したら、私が払うべきお金ではないことに気づいたんです」
 友達に相談? 気づいた? いやぁ、友達に相談する前にぼくに相談してほしいよ! と、内心思いつつ、
「はい、払うべきお金ではないことに気づいたことは良かったと思います。でも、お姉さんが払うって言ってしまったんですよ? それでその場を収めてしまったんですよ? あの人たちはお金はもう手に入れたも同然だと思ってますよ? そこらへんをどうするかでしょう!」 と、最初はゆっくりと、でも最後のほうには、まくしたてるようにお姉さんに言った。
 するとお姉さんはさらりとこう言ったのだ。
  「神山先生、正利、少しは貯金があるって、以前に言ってましたよね? それで払っておいてください。正利ももう20歳を過ぎているんです。責任を取る義務があるはずです」
 ……何も言うことはない。圧巻だ。
 正利が責任を取る。それでおしまい……。なるほど、そんな結論か……。
 しかし、考えてみれば確かに、そこいらへんにあった紙の切れ端に、鉛筆で「パンツ1枚500円」。そんなふうに書かれたインチキな請求書に本当に30万円を払うのか?
 しかも正利は、朝の10時から夜の11時まで働かされて、日給千円しか給料をもらっていないんだぞ?
 そう考えれば考えるほど、ぼくは「誰が払う」とか「いくら払う」とかではなく、一切合切あいつらに払う必要はないと思った。
 払うのはやめよう。そう決心した。
 ……でも怖かった。彼らはぼくの店の住所も、ぼくの電話番号も知っている。いつ押しかけてくるかわからない状態で、正利と2人で暮らしていくのは、とても不安だった。
不条理こそが原動力に
 不安。いつの頃からだろうか。
 ぼくはすっかり不安とともに生きてきた。
 朝起きると不安、夜床に入るときも不安、友人たちと一緒にいても不安、彼女ができても不安、自分の部屋にいても、旅行に行っても不安。
 精神科に行ったことも、神経科に行ったこともないから、それがどういうことなのか細かいことまではわからない。
 ただ、正利と一緒にいると、不思議と不安は治まった。
 金を稼ごうともせず、寄生虫のようにぼくのすべてを吸い取ろうとする正利。
 なのに吸い取られれば吸い取られるほど、ぼくの不安は治まっていく。
 この不条理こそがぼくの生きる原動力となっているのだから怖ろしい。
 頭の片隅では、この不条理をこのまま受け入れて、不安を和らげて生きていきたいという思いが生じ、もう一方の頭の片隅では、この不条理を受け入れ続けると、ぼく自身は一生、正利に振り回され続けてしまうだろうという予感も生じていた。
 ぼくはそんなことを考えながら、部屋の隅で体を丸めた。
 電気もつけず、大の大人がそんな姿でいる。
 端から見れば異様な光景だ。
 そこへ正利が買い物袋に一杯のお菓子とジュースを抱えて買い物から帰ってきた。
「なにしてるの、せんせ? でんきぐらいつけなさいよ」
 と手も洗わず、うがいもせずに、座り込むとボリボリとお菓子を食べ始めた。
 何も答えぬぼくを励まそうとでも思ったのか、
  「せんせ、おれ、あいつらのことゆるさないのよ、こんどあったら、もんくいってやろうとおもうの。だっておねえちゃん、ないてたのよ。おねえちゃんなかすなんて、ゆるせないのよ」
 と、威勢のいいセリフを吐き捨てるように言った。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第69回 再び始まる二人の日常

■月刊「記録」2005年6月号掲載記事

*           *           *

 正利の怪しい同居人に30万円もの下着代を要求され、断固、戦う意思を固めた矢先だった。
 お姉さんが突如、要求された30万円を支払うと言い出したのだ。
 そう言われてしまっては仕方がない。
 もうこれ以上、ぼくに何かを言える立場ではなかった。

■半分ずつにしてもらえないでしょうか…

 さぁ、帰ろう。何もかも終わった。
 そう思い、ぼくが運転席に乗り込もうとした瞬間、お姉さんが走ってぼくのそばに来た。
 「あ、あの、さっきの30万円のことなんですけど、あの場では私が全額払うって言ってしまったんですけど、……半分ずつってことにしてもらえないでしょうか……」
 やっぱり、やっぱりそうきたか……。
「えーっ!? だったら何で払うって言ったんですか? ぼくは払うつもりなかったんですよ? だってあんなインチキな明細おかしいじゃないですか。鉛筆で、しかも手書きで。下着何枚か買っただけで30万円ですよ。おまけに給料も払われていないし!」
 ぼくは思わずまくし立てるように言ってしまった。
 いつものぼくならこんな言い方をするはずがなかった。そのくらい、お姉さんのいい加減さに呆れてしまったのだ。
 すると「そうですよねぇ。あれはおかしいですよね。わかりました、一晩考えてまた電話します」と、お姉さんはあっさり引き下がった。
 少し意外な気がしたが、同時にこのとき改めて思ったものだ。このお姉さんはもしかすると正利に似て、全く何も考えていない人なのか? と。
 そんな嫌な予感は外れてほしかったが……。
経済的には厳しいが
 とにもかくにも、ぼくと正利は車に乗り込んだ。
 車が走り出し、二人きりになると、正利がとたんに「おなかがすいた」と言い出した。
 だからぼくは車をコンビニの駐車場に停め、弁当を2つとジュースを2つ買った。
 また始まるのだと、ぼくは思った。一人だったときには1つで済んだものが、これからはまた2つずつになる。経済的には厳しいが、心には充実感があった。
 アパートに戻ると、ぼくらは特に話し合うこともなく、弁当をがつがつと食べた。それからぼくらは朝の4時くらいまで、延々とテレビを見た。たしか再放送もののドラマだったと思う。ラーメン屋での生活では、夜はテレビを見ることができなかったと、正利が隣でポツリと洩らした。
「ああ、いいよ、今日は心ゆくまで見てろよ」
 ぼくは答えた。正利は答えなかった。一緒に見ていたつもりがいつのまにか眠り込んでしまい、目覚めたのはいつもの時間の目覚ましのアラーム音だった。
 だが、夢も見ないほど久しぶりに味わった深い眠りだった。
        * * *
 3時間ほど眠っただろうか、アラームで目が覚めると、正利は口を半開きにして涎を垂らしながら隣で熟睡していた。
 その情けない姿を目にして、いつもの生活に戻ったのだと、ぼくは改めて実感した。
 しかし同時に何だか妙な不安感が突然、頭をもたげてもくるのだった。
 ぼくと正利。
 いったいこのままぼくらはどこへ行くのだろう。
 家族でもない、夫婦でもない、友達でも、兄弟でもない。
 ならば、ぼくと正利はいったい何なのだろう。二人を経済的に支えているのは、この“日焼けサロン”一つだった。
 すべてが不安定なまま、何とかバランスを保っているのだと感じた。
 安定した場所、落ち着いた場所ではないどこかを毎日漂流している気分であった。
 目的地もなく、ただひたすら漂うことだけを楽しむ生き方。
 一瞬一瞬はリアルなのだけれど、トータルでは何だかすべてがフェイクなママゴトに思えてしまう。正利の寝顔を見てぼくは思った。いつかはぼくの力で、ぼくの責任でこんな毎日を終わらせようと。
 それは嫌だからではない。
 理由は明確にはできないけれど、いつか近い将来、正利に関わるすべてのものに別れを告げなければいけないのだと感じた。そして正利と、シンプルで現実味のあるつき合いをしていくのだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第68回 揺すり・たかり・脅し

■月刊「記録」2005年5月号掲載記事

*          *           *

「ふざけんじゃねぇ! お前が虐待して正利が逃げてきたから、俺たちが面倒見てやってたんだ! そんときの金をきっちり払えってのがわからねえのか!」
 それまで僕たちの隣で、黙ってタバコを吸っていたラーメン屋のおやじに、いきなりヤクザまがいの大声を出されて、ぼくは驚いた。
  「き、急に払えって言われても……、もうちょっときちんとした明細でも見せてもらわないと無理ですよ」
 それなのに、ぼくはこんな受け答えをした。
 なぜなら、このときまでまだぼくは相手をきっと話せばわかる人たちだと思っていたからだ。だが、このアパートにこの部屋であり、あんな写真を見せられているのだから、普通の人たち――つまり話してわかる人たちなんかではないことに、さっさと気づくべきであった。
  「てめぇ、なめてんのかぁ」
 ラーメン屋のおやじはいきり立って、さらに大声を張り上げた。今にもこちらに向かって殴りかかってきそうな勢いである。
 すると、「まぁ、まぁ、この人たちだって払わないとは言ってないんだからさ……なぁ?」
 と、女装男は穏やかにラーメン屋をたしなめた。さらに、ぼくに向かってニッコリ笑みすら浮かべるではないか。このオヤジ、いったいどっちの味方なんだ?
「そうですよ、払わないって言ってるんじゃないんです。そもそも正利の働いた分の給料を支払ってくれるような話を、さっきラーメン屋でしたばかりじゃないですか。それで十分に補えるんじゃないんですか? その下着代やら何やらも」
 と答えたぼくは、このとき、まだ相手を舐めていたのかもしれない。
  「てめぇ、いいかげんにしろよな、日給のうち千円は、正利に1日の小遣いとして払ってんだよ、そんでぇ、それ以外は貯めといてやってんだ。その貯めといた分じゃ足りねえから、お前たちに請求してんだよ」
 と、おやじはドスの効いた声で言った。これ以上ぐだぐだぬかすなよ、とっとと払えってんだよ、と、その声は、ぼくたちを脅しているように思えた。
  「え、でも、給料で足りないほど使うなんて、考えられないけどな、しかもさらに30万円なんておかしいですよ…」
「お前、何なんだ! その言い方は!」
 おやじが怒鳴るや否や、間髪入れずに女装男が正利に向かって、その金遣いの荒さをゆっくりと諭すように話し始めた。
  「なぁ、正利。この前もパチンコ一緒にやりに行ったんだよなぁ。そしたら2万円なんてすぐに使っちゃったよなぁ?」
  「あぁ」
 女装男が正利に同意を促すと、正利は肯定するように頭を掻いてうなずいた。その瞬間に、やっとぼくは気づいた。ああ、このラーメン屋と女装男はグルなんだ、と。2人で別々の雰囲気を醸し出しながら、どうにかして金を手にいれようと画策しているのだ、と。
  「確かに、こいつは金遣いが荒いというのは認めます。でも、」
 ぼくがそこまでを口にした瞬間、
「でもも何もねぇんだよ、いいかげんにしろよなテメェ。もういい、若いモン呼ぶから。お前ちょっと待ってろ」そう言って、おやじは携帯電話を取り出した。
 脅しか? それとも本当に“若いモン”を呼ぶのか? と、ぼくが警戒した次の瞬間、
  「わかりました! 払います。私が払いますから。だから、もうこれで終わりにしてくださいね」
 あっけない幕切れだった。みんなが声の主のほうを一斉に振り向いた。するとお姉さんが泣いていた。隣で正利が口を半開きにして焦点の定まらぬ、うつろな目で、お姉さんのほうをみていた。
 あのお姉さんが泣いている。何が起きても、いつも飄々としていたお姉さんが泣いている……。
 正利がいなくなったときでさえ、「もう二十歳を過ぎた男なんですから、心配することありませんよ」と、ぼくの心配をよそに高らかに笑っていた人なのに……。
 いずれにしても、お姉さんは要求された30万円を払うと言ったのだ。もうこれ以上ぼくが何かを言う必要はなかった。
  「そうだよ、それが常識っていうモンだよ」
 と、オヤジたちが満足げに言い放ったセリフをあとにして、ぼくたちはアパートを出た。
 言いなりになった悔しさと、お姉さんが初めて正利に対して責任を取ってくれたことに対する驚き、2つの感情が僕の中で入り混じっていた。外は雨が降り、モヤモヤとしたぼくの気持ちに一層拍車をかけた。
  「帰るぞ、乗れよ」と声をかけ、ぼくは正利を後部座席に乗せた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第67回 猛烈な負のパワー

■月刊「記録」2005年4月号掲載記事

*           *            *

 ぼくは本当にバカな男だ。なんでこんなことに躍起になっているのだろう。ここで正利とは離れるべきなのだ。ラーメン屋と正利を取り合ってどうするのだろう。なにも取り合う必要などなかったのだから。
 なぜなら選択枝は2つではないのだ。
 もう1つ、たしかに選択枝はあるのだ。
 そう、お姉さんのところに正利を引き取ってもらうという選択だ。
 意外にも、あまりにも当たり前すぎて気づかなかったのであるが、これは最もマトモな選択枝ではないか。
 そうして、ぼくはこう言うべきなのだ。
「今度こそ、あなたが正利の面倒を見るべきだ。いつもいつも責任を逃れて、自分ばかりが高見の見物。お姉さん、ぼくにあれやこれや言う前に、あんたが正利を育てるのがスジだろう! いつもいつも事あるごとに顔をつっこんできて、やばくなるとさっさと逃げちまう。あんたが今度こそ責任を取れ!」と……。

■正利の選択

「わかった。おれ、せんせのところにもどるよ」
 しかし、お姉さんの剣幕に押された正利は、そう言った。
 結局ぼくのアパートに戻ることを約束したのだった。そう言いつつも、正利がしぶしぶ納得していることが、ぼくの目には明らかだった。腹立たしい。やっぱりこいつといるとイライラする。離れている間あんなに寂しかったのに、いざ一緒にやっていくことがわかると、途端に以前の馴れ合いに戻ってしまい、嬉しさと苛立ちがぼくのなかで葛藤する。
 それでも、「よーし、正利、それじゃあ、アパートのおじさんのところに荷物を取りに行こうか」と、とりあえずは努めて明るく正利に声をかけた。
 返事もせずに、しょうがないなぁ、といった表情であいつは席を立った。そこで、ぼくたちもファミレスを出て、正利の住んでいたアパートへ向かった。
 すっかり日も暮れ、アパートは昼間に見たときよりも一層貧乏臭く見えた。こちらの気持ちまで荒ませてしまう猛烈な負のパワーがそこいらじゅうに満ちていた。嫌だなぁと思いながらドアをノックし、中に入ると、玄関に一歩足を踏み入れただけで、なかの様子がすべてわかるような狭さであった。そこには挫折、失敗、怠惰、嘘、汚れ、貧困といった人生に負けた男が持つすべての要素が満ちていた。
 部屋にはすでに、正利と同居していた男となぜかラーメン屋のおやじがいた。
すぐにでも話を切り出し、この部屋から出たかった。しかし、正利と同居していた男は何を思ったのかアルバムを引っ張り出してきて、ぼくたちに見せようとする。
「これは俺が北海道にいたときの写真だよ」
 満面の笑みを浮かばせて話しかけてくる。
「はぁ……」
「ほら、ここに俺と一緒に写っているの誰だかわかる?」
 男が得意げに話し掛けてくる。
「さあ、誰でしたっけ?」
 派手な衣装やマイクを握っているところから歌手であることだけはわかったが、それが誰であるかは、ぼくたちにはわからなかった。
「歌手の××だよ。知ってるだろう?」
「あぁ、××さんですか。知っていますよ、すごいなぁ、おじさんはこんな有名な人とお知り合いなんですか?」
 やっぱり誰だかわからなかったが、大袈裟にびっくりしてみせた。
 すると男は調子が出てきたようで、次から次へとぼくたちに写真を見せてきた。
だがそれらは、男が化粧をして女形に化けている気持ちの悪い写真ばかりであった。なぜ初めて会ったぼくたちがそんな写真を見なければならないのか理解に苦しんだ。
 それにしても正利は、よくこんな気持ちの悪い正体不明の50歳過ぎの男と寝食を共にしていたものだと改めて驚く。しばらくすると、男は紙切れを出してきた。また何か昔の思い出話の材料に使うのかと思ったら、どうも違うらしい。手に取ってみると何やら金額が書いてある。いついつどこで下着を購入、といった内容のものが4、5か所記入されていた。そして、男はこう言った。
「だから、30万円払ってくれ」
 それはいわゆるぼくたちへの請求書であった。しかし鉛筆で書かれているし、購入したものをどう足しても30万円には程遠い。
「これ、どうして30万円もぼくたちが支払わなければならないんですか?」
 恐る恐る男の表情を盗み見ながらぼくは訊ねた。
 男の表情は相変わらず穏やかなものだった。女装の写真を見せているときと何ら変わらない。なんだ、たちの悪い冗談か、とぼくがホッとしかけたとき、
「てめぇ、ふざけてんのか!」
 と、それまで隣で黙ってタバコを吸っていたラーメン屋のおやじが、いきなりやくざまがいの乱暴な大声を出してきた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第66回 瀬戸際の交渉

■月刊「記録」2005年3月号掲載記事

*            *             *

 正利、お前はいったいどこで何をし、どこで誰と会い、その時々で何を思い、何を感じてきたんだ。
 そして一つひとつの質問のあとに、ぼくはこう問いただすのだ。
  「そのとき、おまえはおれのことを思い出したか? もし思い出したなら、その瞬間どう思った? 会いたかったか? それとも会いたくなかったか? 懐かしく思ったか? 我慢はできたのか?」
 ぼくは正利の肩をつかんで、そう問いただしたかった。
たのむ正利、答えてくれ!
 口をきいてくれない。何を聞いても何が周りで起きていても全く口を開こうとしない。
 いや、もしかすると何か言葉を発していたのかもしれないが、今、思い出そうとすればするほどラーメン屋で久しぶりに対面した正利は、無表情にぼくを無視していた。
 その頃には、仕事先から戻ってきた正利のお姉さんも店に合流し、ラーメンを食べ終えたぼくらは、別の場所に移動することにした。
 正利の表情から何かを読み取ったのか、お姉さんは   「正利と2人きりで話したい」と、ぼくに伝えてきた。
 とりあえずぼくらは、近くにあったファミリーレストランに入り、正利とお姉さんは、少しぼくから離れた場所に席を取って話を始めた。
 しかし、眺めていると、話し合っているという様子にはどうしても見えない。なにかお姉さんが一方的に正利を問いつめていて、正利のほうは、ただイヤイヤをしたり、ウンとかヤーとか言っているだけのようだった。
 しばらくして、ぼくも話に加わった。話に加わる瞬間、少し加わることが恐かった。正利の真意をいよいよ知ることになるのだと思うと、さっきの素っ気ない無表情が思い出され、やはり少し恐かったのだ。
 だから、
  「先生、とりあえず、先生のところに戻らせます」
 と言ったお姉さんの第一声に、ぼくはホッとした。
 しかし同時に次の言葉にガクリときた。
  「でも正利は、先生に怒られたことが恐かったから、戻りたくないって言ってるんです」
 ああ、いったいどっちなのか、はっきりしてほしかった。経過も経緯も正利の気持ちもお姉さんの意向も、何もかもすべてを取っ払ってしまいたい気分だった。ぼくは結論だけを聞きたかった。ぼくが今、一番知りたいのは、明日のぼくと正利だ。ぼくと正利は明日、一緒にアパートの一室にいられるのか? それともやはり別々の場所で過ごさなければならないのか? それだけが知りたいのだ。
  「あぁ、それはそうでしょうね。ぼくも少し怒りすぎたのかなって、毎日、毎日、反省していました。ぼくは何か…キレるっていうんですか、いったんカッとなると、どうも見境が効かなくなってしまうようなんです」
 と、すまなそうに、そして冷静に、落ち着いて、しかもハキハキした口調でぼくは答えた。
 ここで何としてもお姉さんの信用を勝ち取っておかなければならないのだ…。
  「正利、ごめんな。オレも怒りすぎたよ。すまなかった、許してくれな」
 正利をみつめて、こう言いつつぼくは心のなかで別の言葉を叫んでいた。
 答えてくれ、正利! ここでお前がいい返事をし、許してくれれば、お姉さんはお前をぼくに預けてくれるのだ。
  「あー」
 だが、正利の答えにぼくはがっかりした。正利はやはり無表情のままだった。嫌そうに「あー」としか答えてはくれなかった。
 だが、まあいい、上出来だ。何も答えぬよりはずっといいだろう。
 …と思いきや、いきなりお姉さんが加勢した。
  「正利! お前、今のアパートのおじさんのところに住んで、ラーメン屋で働くなんて、お姉さん許さないよ!」
 なんとお姉さんは力強く正利にこう言い放ったのだ。 勝利のゴングがぼくの頭のなかで鳴った。
 勝った。ぼくは勝ったのだ。ふたたび正利を手に入れることができるのだ。神様はぼくにもう一度チャンスを与えてくれそうだ。
  「お姉さん、わかりました。今回は本当にすまなかったと思っています。今度こそは、しっかりとやらせてもらいますから」
 頭を下げつつ、しかし一方でぼくは自分を罵ってもいた。
 ぼくは本当にバカな男だ。なんでこんなことに躍起になっているんだろう。ここで正利とは離れるべきなのだ。ラーメン屋と張り合って、正利を取り合う必要など、いったいどこにあるのだろう。 (■つづく)

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だいじょぶよ・神山眞/第65回 1ヶ月半ぶりの再会

■月刊「記録」2005年2月号掲載記事

*          *           *

  「あそこだよ」
 田辺は指をさした。正利の働いているラーメン屋は、アパートから歩いて5分ほどのところにあった。
  「あぁ、ここですかぁ。いやぁ、ここならぼくも何度か前を通った! 知ってますよ」
 明るくハキハキと少し大げさにぼくは答えた。何も田辺という、正利と同居しているこの中年男に媚びを売ったわけではない。ただ、ただ、嬉しさを堪えきれなかったのである。
 正利と会うことに関しては、ぼくなりにさまざまな葛藤があった。不安や迷いもあった。それなのに全てが吹き飛んでしまっている。今この瞬間、「ただ、ただ、正利に会えることが嬉しい!」そんな気持ちになっている。しかし店に入った瞬間、そんな気持ちはすぐにいつもの不安へと変わっていった。
  「いらっしゃい」
 五十歳代半ばくらいの元気のいい夫婦が、威勢のいい声をかけてきた。元気の良さ、その声のトーン、たたずまいからして2人はいかにも商売人という雰囲気を漂わせている。そしてその2人のうしろに、場違いなくらいこの店の雰囲気から浮いている男がボーっと立っていた。正利であった。
 およそ1ヶ月半ぶりの対面。ついにぼくは正利に会えたのだ。ぼくの苦労は今ここで終わるはずであった。心労により食欲は落ち、体調不良、だるすぎる体、抜け落ちる髪の毛、すべてがこの瞬間に清算されるはずであった。正利が無事であったことにホッとし、お互いに懐かしさに歩み寄り、少し照れながら言葉を掛け合い。そして以前のように2人で仲良く暮らす……。
 しかし、そんな青写真を描くことはできそうになかった。

■おまえはぼくを憎んでいるのか?

 ラーメン屋にボーっと立つ場違いなその男、正利は、ぼくを見てもニコリともしないのであった。
  「よう、正利、元気そうじゃないか。ここで働いていたのか、頑張ってるな」
 仕方なくぼくから明るく声をかけても、ボソボソと口の中だけで「ああ」と答えるだけである。
 正利は答える瞬間、チラリとぼくを見た。たしかにこちらを見た。ぼくが迎えに来ていることはわかっているはずである。
 だが、あいつは何も言わなかった。「あっ! せんせ、おれここではたらいているのよ!」とも、「せんせ、まってたのよ。おれ、もうはたらきたくないのよ」とも言わなかった。ただ暗い目をして「ああ」と呟いただけだ。
 そりゃ、あいつを殴ったのはぼくだ。おまえは殴られて出て行った。けれど、もうだいぶ昔の話じゃないか。なぜだ、おまえはぼくを許してくれていないのか? ぼくのことをまさか憎んでいるのか? 喧嘩したって、怒鳴り合ったって、ぼくたちはいつも仲良くやってきたじゃないか。
 そうこうしているうちに注文した味噌ラーメンができあがった。ラーメンづくりにおける正利の役割は、あらかじめ刻んであるネギをドンブリの中に入れるだけであった。
 ぼくはその無造作な動作から、正利の気持ちを読んでみようと試みたが無理であった。怒っているのか、淋しい気持ちでいるのか、会いたかったのか、何一つさっぱりわからない。いずれにしても、突然、ぼくが店にあらわれたことには驚いているのだろう。だがそれ以外は、何一つわからない。
  「いやぁ、おいしいですねぇ、このラーメン! なあ! 正利!」
 こんな具合に何かにつけてぼくは正利とコミュニケーションを取ろうとした。だが、正利の態度ときたら、そのたびにこちらをチラリと一瞥するのみで愛想のカケラもない。
 そのあまりのつれない態度に、ぼくはいよいよ絶望的な気持ちになってきた。正利の愛想のなさが、ぼくに対する最終宣告のように思われてきたのだった。
 もう無理だ、無理なのかもしれない……。
 そう思って食べるラーメンの味は実に味気なく、砂を噛むようであった。
 しかしこの店は、雑誌やテレビで紹介されたことがあるらしく、やれうちの店は何の雑誌に載っただの、テレビのラーメン百選に選ばれただのと、店のだんなが自慢げに話かけてきている。
  「へぇー、そうですか」「すごい」「どおりで美味しいはずだ」
 などと適当に相づちを打っていたが、ぼくはもう限界に近づいていた。
 正利と2人きりになりたかった。
 2人きりになって、この1ヶ月半のことを聞いてみたかった。
 どこで何をし、どこで誰と会い、その時々で何を思い、何を感じてきたのか、を。  (■つづく)

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だいじょぶよ・神山眞/第64回 正利の部屋の主?

■月刊「記録」2005年1月号掲載記事

*           *            *

 正利の帰りを車の中で待っていたぼくは、なにげなく近づいた窓のカーテン越しに、誰もいないはずの部屋の中に、小さな明かりがついているのを見つけたのだ。
 咄嗟に電気のメーターをみると動いている。
 中に人がいる!?
 それは、ひょっとして正利か!?
 はやる気持ちを抑えて、ぼくはドアをノックしたのだった。

■わかりやすい顔をした男

 ガチャ、という音とともにドアが開いた。
 ドアノブをつかむ手が隙間からのぞいた。
 太く節くれ立った年季の入ったその手は、明らかに正利のものとは違っていた。
 やはり人違いだったのか? ひょっとして、もう正利はここに住んではいないのか?
「あのう、こちらに里見正利さんは、いらっしゃいますか?」
 おそるおそる聞いてみたが、すぐに返事はない。
 こいつは酒焼けした男たちの出入りするボロアパートに住む住人だ。まともに答えてくれるはずもないか……。
 そう諦めかけた頃、ふいに男の声がした。
「あー、いるよ、今、働きに行ってる」
 無愛想だが、ハッキリした声でドアの向こうの主は返事をした。
「えっ! 本当ですか? 嬉しいなぁ、やっぱりあいつここにいたんですか!」
 とたんにぼくのなかで、何か溶けていくのがわかった。胸のつかえがスッと取れた。いや、つかえどころじゃない。体中、あちこちにつかえていた、溜まっていたモヤモヤとした厚い雲が、太陽の陽射しにかき分けられて、あっという間に消えてしまった、そんな気がした。
「いるけど、あんた誰?」
 いつの間にか、ドアは半分以上開けられ、部屋の主である男が顔を出していた。
 背丈は160㎝くらい、中肉中背よりも少しずんぐりむっくりした感じか。年齢は60歳くらいにはなっているだろうか…。
 いつものぼくなら、このあたりから初対面の相手を知ろうとして、あれこれ詮索を始めるのだが、この男にその必要はなかった。
 職業、暮らし向き、収入から家族構成まで、すべてが手に取るようにわかる男だったからだ。
 おそらく仕事はしていない。家族もいない。昼まで寝て、夜になると安い酒を飲み、酔いが回ると何か月も干していないような布団にくるまり眠る。たまに年金やら日銭が入り、行くところといえば競馬かパチンコ。そういったことが全身に現れている、わかりやすい顔をした男であった。
 しかし一方では、そんな男が正利と寝食を共にしていることに違和感を覚えた。
 こんな男が……正利とどうして……。

■妙にスムーズに進む会話

 だが、ぼくは考えを振り払った。そんなことを考えている場合ではない。正利に会える千載一遇のチャンスを得たのだから。
「突然訪ねてきて申し訳ありません。私、神山と申します。正利くんの施設時代の担当の指導員でした。今、ちょっと前までは、一緒に世田谷のアパートに住んでいました」
「あーあー、あんたか、話は聞いてたよ。あいつを迎えに来たんだろう? 仕事に出ちまってるからさ、よかったら仕事場まで案内してやるよ」
 ぼくは少し拍子抜けした。
 なんだか話がスムーズに進みすぎるのだ。
 普通、この手の話は、もうちょっとややこしくなるはずだった。例えば、この男が金欲しさに難癖をつけてくるとかだ。
 なぜならば、何の目的=いわば見返りもなく、他人が正利みたいな奴を何日も囲っておく理由などないはずだったからだ。
 それなのに、この男には、そういった物欲しそうなところや言いがかりをつけてきそうな気配が、まるで感じられない。
 それどころか「今すぐ案内してやるよ」とまで言うではないか……。
 ぼくは相手のこの一言で、すっかりこの男を信用してしまった。
 名前は、本当かどうかはわからないが、田辺というらしい。
「うわあ、本当にありがとうございます。助かります。では、このあとすぐに正利に会えるんですね?」
 ぼくは急かす口調で男に聞いた。 (■つづく)

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だいじょぶよ・神山眞/第63回 砂利道の奥のボロアパート

■月刊「記録」2004年12月号掲載記事

*          *           *

「ちょっとだけ仕事先に顔を出してくる」と言い残し、正利のお姉さんは、さっさと車から降りていってしまった。
 この調子では、夜までに、本当に戻ってきてくれるかどうかも怪しいものだった。
 実の姉からも心配されない正利は、もしかしたら誰からも必要とされていない存在なのではないか。
 そう思うと、なんとしてでも、ぼくがあいつを待たなければいけない、という義務感のようなものに駆られた。

■背中を丸め、酒やけした男たち

 アパートの見える位置に車を停め、車の中から様子をうかがった。
 雨が降ったりやんだりと、一向に天気ははっきりしない。
 そんな天気が、ぼくの心をいっそう不安定にさせた。 ボロボロの木造アパート。その一階の一番奥が正利が住んでいると思われる部屋だ。
 カーテンは閉まっていて、明かりもついていない。
 どうやら正利は、まだ戻っていないようだ。
 となると、ラーメン屋で働いている時間、ということだろうか。
 ラーメン屋を探してみようか、という考えも一瞬よぎったが、やはり、ここを動くのは得策ではないと判断した。
 何時になろうが、正利が帰ってくるまで、ここで待っていよう。
 それにしても、このアパートは、見れば見るほどボロボロだった。
 雨漏りでもするのではと、思うほど、木材が腐りかけている。だが、改めて周囲を見回してみると、このあたりには、そんなボロアパートが何件もあるのだ。しかも、昼間だというのに、人の出入りがかなり多い。酒やけしたシワシワの顔の中年男たちが行き来している姿が、先ほどから何度か見える。
「あいつら、働いていないのだろうか?」
 アパートの前は舗装していない砂利道だった。砂利の音をさせながら、背中を丸めぎみに歩く男たちの姿を、ぼくは車の中から、ぼんやりと眺めた。

■痛いほどわかる正利の気持ち
 
 1時間が経った。
 もちろん正利は戻って来ない。
 もしかしたら、正利はもうここには住んでいないのではないだろうか?
 不安がかすめた。しかし、すぐにぼくは思い直す。
 いや、いるはずだ。必ずいる。
 なぜならば、ここは正利にお似合いの場所だからだ。 薄汚いアパートも、舗装されていない砂利道も。
 うっとうしい霧雨、車の中にいても足のほうから外気が伝わり、底冷えが上がってくる。
 こんな場所だからこそ、正利はいる。
 こんなところに正利という人間は、なぜか吸い寄せられてしまうのだ。
 家族の笑い声が漏れてくるような家、好もうが好むまいが、そんなところはどこも、正利にはふさわしくないのだ。
 ぼくには、よくそれがわかる。
 そして、このアパートの前にいると、正利がどうして、どのようにして、どんな気持ちで、ここまでたどり着いたのかまでが、わかるような気がした。
 ぼくには、正利の気持ちがわかる。
 理解できる、というのとはワケがちがう。
 今回の家出の件にしたって、たとえまた出会えても、理解を示し、寛容な気持ちで迎え入れるという感じではないのだ。
 でも、わかる。正利のつねに満たされない気持ち、寂しさ、欲求不満、わがまま、それらのものがすべて入り混じった、あいつの混沌とした気持ちが、ぼくには痛いほど感じ取られる。
 満たされない。どこにいても寂しい。誰といても寂しい。何をしても満ちることのない心。そんなものをお互いに持ち合わせていたのが、ぼくと正利ではなかっただろうか。
 車の中でじっとしているのが辛くなり、ぼくはドアを開けて外に出た。
 砂利道の音を立てながら、正利の住んでいるはずの部屋の前まで行ってみる。
 部屋の中を、もう一度カーテン越しにのぞいてみる。 すると……
 小さな明かりがついていた。
 咄嗟に電気のメーターをみると動いている。
 中に人がいる。
 もしかすると、中に人がいる。
 それは、ひょっとして正利?
 はやる気持ちを抑えて、ぼくはドアを叩いた。 (■つづく)

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だいじょぶよ・神山眞/第62回 正利のアパートへ

■月刊「記録」2004年11月号掲載記事

*          *            *

 もう考えることをやめようと思った。
 しかし、考えることをやめようと思えば思うほど、ぼくは過去を振り返ってしまう。
 正利のために……
(なぜこんな生活を、意識してかしなくてかはわからないが、こんなに何年も続けてきてしまったのだろう……)
(それによってぼくは何を得た?)
(得たどころか……)
(正利には逃げられてしまった!)
(正利から連絡はない)
(正利は帰るつもりもない)
(正利は新しい人生を歩もうとしている……)
 気がつけば、ぼくはいつもの堂々巡りに陥っていた。 しかしこんなことは正利との生活が始まる前に考えておくべきことだったのだ。整理がつかない気持ちのまま、車はぼくを乗せ、無情にも目的地に着いた。
 そこでぼくは正利のお姉さんと待ち合わせをしていたのだ。正利探しのためにだ。
 しばらくすると、ハッチバックの少し小さめの車に乗ってお姉さんは現れた。

■なぜぼくのほうが謝ってしまうのか

 僕の車の後部座席にお姉さんには乗ってもらった。
 ミラー越しに映るお姉さんの服装は人探しには似つかわしくない少し派手な感じのものだった。
 髪型もしっかり整え、化粧もしっかりしている。悩み疲れ、着るものや髪型をまるで気にすることがなくなってしまった僕とは大違いであった。
 挨拶もそこそこにぼくは、正利が住んでいると思われるアパートへ向けて車を発進させた。すると途中でお姉さんはコンビニに寄ってほしいという。適当に近くのコンビニを探し、路上駐車してお姉さんが買い物しているのを待つ。すぐに戻ってきたお姉さんは車に乗り込むと、さっそく買い物袋からごそごそとお菓子やジュースを取り出した。
 そのマイペースぶりは、羨ましくも腹立たしくもあった。お姉さんはいつも礼儀正しくぼくに接してくれる。しかし、いつもぼくはかすかな苛立ちのようなものを彼女に感じてしまう。それにいつも正利に何かが起こり、彼女に会うたびにぼくは言ってしまうのだ。
「いやー、すいません。こんなことになってしまって、本当にすみません」と。
 でも考えてみればおかしいじゃないか。なぜぼくが謝らなければならないのだ? お姉さんから養育費をもらっているわけでもない。お姉さんに「いつも正利の面倒をみてくださって本当にありがとうございます」と礼を言われたこともない。菓子折の一つとしてもらったためしもないのだ。
 それなのに、何も問題が起きずにうまくいっているときには、ただ連絡がなくなるだけで、何か事が起きるたびに、お姉さんのほうがいかにも迷惑を被ったという立場で現れる。
 まったくもってばかばかしい。

■正利とぼくは同じものかもしれない

 ぼくにすすめもせずに隣でむしゃむしゃとお菓子を食べ続けるお姉さん。ぼくは半分呆れ、半分は気を利かせ、半分は皮肉で言った。
「そうですよねぇ。今日はいったい何時に正利が帰ってくるかわからないですもんねぇ。下手したら夜中ってこともあり得ますからね。そういうお菓子みたいなものって、結構、必需品かもしれませんね」
 するとお姉さんはきょとんとした顔で、
「あっ、そうなんですかぁ?」
 と聞き返してきた。
「そりゃあそうですよ。だって、本当にラーメン屋で働いているとしたら、帰ってくるのは深夜になったって、ちっとも不思議じゃありませんよ」
「そうですよね…。そうしたら私、ちょっとだけ仕事に出てきてもいいですか?」
「はぁー!?」
 驚いた。そして呆れた。1ヶ月以上も行方知れずで、捜索願さえ出していた弟にまさに会えるというそのときに、このお姉さんときたら……。
 やっぱり頼りになんかしてはいけない人なんだ。この姉は正利のことを心配などしていないのかもしれない。実の姉からも心配されない正利は、もしかしたら誰からも必要とされていない存在なのではないだろうか。
 そう思った。するとなんだか、ぼく自身も同じようなものなのでは? という、とてつもない不安に突然、襲われた。
 ぼくも正利もひどく孤独で宙ぶらりんな存在で、現実からひどく遠ざかってしまった存在なのではないか。
「でしたら、いいですよ。仕事に行ってきてください。正利が帰ってくるまで、ぼくがずっといますから」
 呟くように固い声で答えている自分がいた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第61回 決定的な事実

■月刊「記録」2004年10月号掲載記事

*           *           *

■住民票を移したいあいつ

 今後、日焼けサロンをどうするか。
 改めてこの問題に立ち向かい、ぼくは正利との生活を思い返していた。
 ――あいつがタオルを畳み、あいつがタオルを運んでくる。一日中へとへとに働き、疲れて部屋に戻るとあいつがゲームをしている……。
 それらの情景を抜きにして日焼けサロンを続けることはぼくには無理であり、無意味であった。店を続けるべきか、閉めるべきか、あいつの不在は店の存続に直接かかわることなのだ。
 こうして店を続けるべきか閉めるべきかを考え始めた矢先、区役所から電話が入った。
  「そちらにお住まいの里美さんから、住民票を転出先に移動したいとの旨の手紙が届いておりますが、申し訳ありませんが、転出先の住所がはっきりと読み取れなくて、お送りすることができません。里美さんご本人に、直接こちらにおいでいただきたいとお伝え願いたいのですが」
 正利はやはりいたのだ。
 当たり前だが、正利がこの世のどこかで元気に暮らしているという久しぶりの実感にぼくはうち震えた。
 しかし、今まで一緒に住んでいたこの場所から離れようとしてもいるのだった。
 なぜ? ぼくの頭の中はクエスチョンマークで一杯になった。
 なぜだ。やはり嫌だったのだろうか。ぼくとの共同生活は耐え難いものだったのか?
 いや、そんなことはもはやどうでもよかった。会えるのだ。これであいつが見つかる。あいつにまた会えるのだ。あいつの気持ちは会ってから確認すればいいだけなのだから。
 俄然元気が出たぼくは、区役所から聞いた消印にあった住所のメモを握りしめて立ち上がった。
 車に乗ると不安がよぎった。消印はやはり、先日訪れたあの町のものだった。
 あそこに確かに正利はいたのだ。だが、いざ会えるとなると、会えるという喜びよりこれからのことを考えてしまう。
 正利について、現在わかっていることは、
1.ラーメン屋で働いている
2.ラーメン屋の近くのアパートに住んでいる
3.どうやら住民票を移したがっている
 という3点だった。
 どうしてラーメン屋なのか、とか、どうやってアパートを借りることができたのだろう? とか、不思議なことはたくさんあったが、それらはなぜかあまり気にならなかった。
 それよりも正利が住民票を移したがっているという事実を突きつけられたことが、ぼくを不安にさせていた。 正利は本格的に新しい場所に腰を落ち着けようとしているのだろうか。ぼくのことを思い出して、ぼくのことが懐かしくなり、ぼくの元へ戻ってきたいとは思わないのだろうか。
 そんなことばかりが頭の中をグルグルと回り、正利に会いたいと思う反面、会ってしまえば決定的な事実を突きつけられるような気がして怖くさえなってくる。
 だが、こんな日に限って車は、渋滞にもはまらずスイスイと確実に正利のいる場所へと近づいていく。
 それなのに、まるでぼくの頭は整理がつかずにいる。 会いたい。確かにぼくは正利に会いたい。
 しかし、正利はそうじゃない。
 だってぼくから離れようとしているじゃないか。

■すべてが正利のためだった

 考えれば考えるほど、この事実は重大なことのように思われてきた。
 ぼくから逃げていった人間に会ってどうするというのだ。
 ぼくから逃げていった人間に会って何を言えばいいのだ。
 だいたいにおいて振り返ってみると、ぼくは正利のためにばかり動いてきた。
 ぼくは正利のために施設を辞めた(=安定した職を失ったのだ)
 正利のために日焼けサロンを作った(=すべての資財を注ぎ込んで借金ができたのだ)
 そして正利のために朝から晩まで働きづめに働いた(=まさに寝る暇もないほどに!)
 正利といたくて、いつでもどこにでも一緒にいた。
 気がつけば何もかもが「正利のため」だった。
 もちろんそんなことをいちいち考えながら生活してきたわけではない。こうやって車を走らせ、正利に一歩一歩近づいている状況が、ぼくに正利の存在について改めて考えさせる機会を与え、単にぼくを感傷的で内省的にさせているだけかもしれないのだが。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第60回 あいつがいなくちゃ始まらない

■月刊「記録」2004年9月号掲載記事

*          *           *

  「あの…、この子を知りませんか?」
 見知らぬ町の一杯飲み屋で、テレビの競馬中継を前に、昼間から赤ら顔で座っていた男におずおずと尋ねるてみると、誰も彼もがみんな暇を持て余していたのか、いつのまにかぼくの周りには人垣ができていた。
 差し出した正利の写真をのぞき込み、なんだかみんながずいぶん親切にしてくれる。ためつすがめつ写真を眺めては、この子がいったいどうしたんだの、友達なのかだのと聞いてくる。
  「あぁ、見かけたねぇ、あそこの簡易宿に泊まってるよ」と、そのうちの一人が言い出した。

■北海道のおじさんと一緒に

 それはこの店の通りと同じ通り沿いにある、一軒の簡易宿泊所だった。
 取り急ぎ、宿の名前を教えてもらい、飲み屋を飛び出してはみたものの、歩き始めて改めて、通り沿いに並ぶ簡易宿泊所の多さに驚かされた。
 どの宿も1泊2,000円程度の値段で実に安い。外観からしてボロアパート風なので、まぁ、そのくらいが相場だろうとは思ったが、いったいどんな人たちが泊まっているのかと考えると、ぼくには、あまり想像ができなかった。
 教えられた宿に着き、フロントを探すが、当然ホテルのようなフロントはなく、玄関に小さな窓があるだけだ。窓をトントンと叩くと、テレビを見ていた60歳くらいのおばあさんが、振り向きざまに小窓を開けた。
  「あのう、この宿に、この子が泊まっているらしいんですが…」
 ぼくが簡単に事情を説明して写真を見せると、おばあさんは一瞥するなり、迷いもなくきっぱりとこう言った。
  「数日前までは泊まってたよ。北海道から来たおじさんと一緒にね」
 ぼくは混乱した。
 北海道? おじさん? それらはいったい誰だろう? あいつには身内は「お姉ちゃん」しかいなかったはずだ。何かやっかいなことにでも巻き込まれていなければいいが…。
 めまぐるしく考えを巡らすいっぽうで、それでも正利の生存が確認できたことが、ぼくには嬉しかった。
 大袈裟かもしれないが、ぼくはこのとき、心の中でこう叫んでいた。
  「生きている! あいつは生きているんだ!」
            *
  「なんだかねぇ、ラーメン屋で働いてるらしいわよ」
 と、おばあさんは言った。
 そうか、あいつは今、ラーメン屋で働いているのか! それは本当によかったと、ぼくは心の底から思った。 だが、それは正利のことを思っての喜びではなかった。単に自分が会いたいと思っている、あいつとの接点ができたことへの喜びだった。
 よかった! 会える! これでぼくはあいつに会える! 待ってろよ正利、もうすぐ行くからな! と、ぼくは思っていた。
 そうして、ぼくは近くのラーメン屋を片っ端から当たってみることにした。

■カップ焼きそばさえ作れないのに

 それにしても…。ラーメン屋。
 ラーメン屋だって?
 冷静に考えてみると驚くことだった。
 ぼくにはどうにもこうにも、ラーメン屋で働く正利が想像できないのだった。
 カップ麺の焼きそばを作るときでさえ、お湯を流すことを理解できず、いつでもベチャベチャのまま食べていたあの正利が? なんでラーメン屋?
 やはり、他人の噂などアテにならないのではないかと、ぼくは思った。しかし、他に探す方法もなかった。そもそもたった1人で車を流し、中国系住民が多いこの町で、ラーメン屋を全部まわることなど、端から無理なのではないか!?
 とりあえず一度、家に戻ろうとぼくは決意した。
 こうなったら時間をかけるしかないのだとぼくは考えることにした。
 日焼けサロンはこのところ、従業員に任せっぱなしになっていた。何となく最近は客足も落ちてきているという、気になる報告も携帯電話に受けている。
 とはいえ、気にしても仕方がなかった。もうここまで来たら、たとえ店が潰れてしまったとしても、あいつを探し出すことのほうを優先したかった。店のスタッフには、全員にその旨を伝えておいた。
  「思うんだけどさ、その店って、あいつのために作ったようなもんじゃない? だからあいつがいないんだったら、店なんかあっても意味ないと思えるんだよねぇ」 雇われている者の不安を煽るような、あまりにもヒドイ愚痴ではあったが、そのとき、ぼくは本気で言っていた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第59回 あいつがいなくちゃ世界は始まらない

■月刊「記録」2004年8月号掲載記事

*            *            *

 なぜこんなにも、ぼくは正利を追い求めているのだろうか。
 正利がいなくなってから、必然的に1人でいることが多くなったぼくは、そんなことばかり考えるようになった。

■失ったものはもっと大きなもの

 嘘はつく、約束は守らない、人に合わせない、仕事が長続きしない、金は盗む、怠け者…。何一つとしていいところなんて、まるでない。それなのに、ぼくはあいつのことばかり考えてしまうのだ。
 あいつを探し出さないかぎり世界は始まらない。
 いつの間にかぼくは、そのくらい極端なことを考えるようになっていた。同時に正利以外の事柄に対し、ぼくの関心は急速に薄れていった。
 何もかもに嫌気がさし、大学時代の友達、前の職場の同僚・友達、親戚、誰とも連絡を取らなくなった。連絡を取らないどころか、誘いがあっても避けるようにさえなった。
 なぜなら、ほとんど誰もが「家族」というものを構成していたからだ。そんな彼らとのつき合いは、もともとぼくにとっては苦痛でしかなかった。
 彼らは誰もが見事なまでに父親の役割を果たしていたり、夫の役割を果たしていたり、妻の役割を果たしていたりした。
 それに引き換え、ぼくは何の役割も果たせぬまま、ただ、ただ年をとってしまった人間だった。自由気ままでいいや、なんて思って四畳半の狭く汚い部屋で正利とプロレスごっこをしていることに満足していた。
 そしてある日、友達の家に行ってみると、そいつの家には庭がついていて、部屋は何個もあり、おまけに奥さんや子供までいた。昔と同じようにプロレスの話なんかして楽しそうにしてみたけれど、きっとそう楽しくはなかったはずだ。“お前はいつまでもお気楽でいいよな”なんて思われていたかもしれない。ぼくのほうだって本当は心から楽しめはしなかった。
 そうして、ぼくは足りない何かを埋めるようにして、正利に没頭していったのだ。
 だから正利を失ったとき、ふと我に返ると、失ったものは正利ではなく、別のもっと大きなものだという気がした。
 いまさら、もう振り出しには戻れない、でもみんなと同じスタートラインには、到底、到達できそうにもない……。

■万策尽きたかに思われた、そのとき

 そんな絶望的なまでの世間との厚い壁に、ぼくは気づきかけていたのだ。
 正利が帰ってきたらそれはそれで最高に嬉しいけれど、また元の生活に戻ってしまっていいのだろうか。友達や昔の同僚たちが、妻を娶り、家を建て、子供を育てているときに、ぼくはふたたび元の生活に戻ってしまっていいのだろうか。
 正利が戻れば、ぼくも必ず昔の生活に戻ってしまうことなど一目瞭然だった。
 だから、これでいいのか、探し出すことは決して自分のプラスにはならないのではないか、という葛藤でぼくの心のなかは一杯だった。
 しかしそれでもぼくは、やはり正利を探し始めてしまうのだった。お姉さんに懇願し、一緒に警察まで来てもらい、捜索願いを出した。身内の者が来たことによって、ようやく捜索願いを出すことには成功したが、事件性がないということで、警察は積極的に動いてはくれなさそうだった。
 もはや万策尽きたかのように思われた。
 あいつがいなくなってから、はや1ヶ月。結局、ぼくは何の手がかりも見つけ出すことができなかったのだ。 だが、ぼくと正利は、まだ、ぎりぎりのところでつながっていたのだった。
 これで終わりにも思えた正利とのつながりは、細い一本の糸を頼りに結ばれていたのだった。
 ある日、施設にいた頃の教え子の1人から、「正利を見た」という情報が入ってきたのだ。
 なんでも正利は荷物を抱えて、中年の男と一緒に街を歩いていたという。
 そこで、ぼくはさっそく正利の写真を探し出し、ポケットに忍ばせて、正利が中年男と歩いていたという街に出かけていったのだった。
 そこは、昼間だというのに立ち飲み屋で酒をあおり、赤ら顔でフラフラと歩く人がたくさんいる街だった。
 一杯飲み屋をのぞくと必ずテレビがあり、競馬中継が流れている。テレビには人が群がり、1レースごとに一喜一憂し、昼間だというのに誰一人として働いている気配はない。
 こんな町に本当にあいつはいるのか?
 少し不安になったが、勇気を出して人の輪に入り、ぼくは写真をおそるおそる取り出した。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第58回 正利のいない日々

■月刊「記録」2004年7月号掲載記事

*          *            *

 正利がいなくなってから半月が経った。
 夏の気配はすっかり影を潜め、いかにも秋らしい季節になっていた。
 それなのに正利に関することは何一つ進展していない。しかしぼくにはあきらめることが、どうしてもできなかった。
 それが、純粋に正利に会いたいからなのか、それとも正利に対する申し訳なさからきているのかわからなかったが、とにかくぼくの心は、あいつがいなくなってから不安という厚い雲に覆われたままだ。
 朝、目が覚めると心はもう不安に曇っている。
 飯を食べていても味もわからず喉もうまく通らない。店に出かけるために自転車にまたがっても、力が抜けてしまってうまく漕ぐことができない。テレビを見ていても楽しい番組など一つもない。自信もなく、不安なままで床に就く毎日であった。
 ぼくは正利を失い、不安を手に入れたのだ。
 どうやらそれだけは、間違いなかった。

■不安な気持ちに耐えかねて

 秋だというのに、真夏を思わせる陽射しが照りつけていた。
 ぼくはとうとう警察署へ行くことにした。捜索願を申請するためにである。
 不安な気持ちでいることに耐えかねたのだ。重く苦しい毎日から早く逃れたかった。暑い太陽が僕の心の不安をジリジリと焦がし、近所であるはずの警察署までの道のりが、途方もなく遠く感じられた。
 警察署の中に入り、受け付けにいた係りに事情を説明した。必死になって、何が何でも正利を探し出したいことを熱心に伝えた。
 だが、ぼくが懸命に訴えれば訴えるほど、なぜか彼女は気乗りしない様子で、ただうなずくだけであった。
 こんなに困っている人間を前にして、なぜこの人はこんなにも冷たい反応しか返してくれないのだろう。「大変ですね」も「お気持ちはよくわかります」も「よし、何とかしましょう」もなかった。ぼくはだんだんイライラしてきた。
 それでもひと通り話し終わり、ぼくは藁にもすがる思いで彼女の答えを待った。すると、ふんふんと聞いていた彼女は、こう言ったのだ。
「簡単に言いますと、神山さんが捜索願を出すことはできません」

■こんなに必死に訴えているのに

 意外な答えにぼくは愕然とした。
 こんなに困っているのになぜ。どうして捜索願いが出せないのだろう。
「なぜなんですか」
「捜索願は、ご家族の方から以外のものは受け付けられません」
 表情一つ変えずに彼女は言った。
 そうかもしれない。たしかに親族以外が捜索願を出すことは難しいと聞いたことがある。
 だけど……。
「だからさっきから言ってるじゃないですか。たしかに本当の家族ではありませんよ。だけど家族みたいに暮らしてきたんです。正利の親代わりとして暮らしてきたんですよ。あれほど説明したじゃないですか。ずっと家族同然なんだって」
 言っているうちに、思わず声が大きくなった。怒気もこもった。
 しかしさすがに警察署である。すごむ人間の相手など手慣れたものなのかもしれない。ぼくの剣幕にも彼女は顔色一つ変えずに冷たく言い放った。
「だめなんですよ。そうやって人を探し出して、金を取り立てるとか、そういう場合もありますから。そういうことに警察は加担しないんです」
 なるほど。それはそうだろう。だけどぼくは正利から金を取り立てようとしているわけじゃないのだ。
「だから、ぼくは金のことで探しているんじゃないんです。心配なんですよ。ただただ心配なんですよ」
「だめです。そもそもお探しの方は、殴ったら出て行ってしまったんですよね。そういう虐待や暴力を受けて出て行ったケースでは、探される方が探されることを望んでいないことがほとんどなんです」
 ピシャリとはねつけるように放たれたこの一言に、ぼくは絶句した。
 打ちのめされたショックで言葉を失った。
 そうか、そうかもしれなかった。考えてもみなかった。ぼくが正利を探し出して会いたいと思っていても、あいつのほうは違う気持ちかもしれないのだ。
 それどころか、もしかしたら、もう顔も見たくないと思っているかもしれないのだ。
 考えてもみなかった想像に行き当たり、不安と絶望が入り混じった混乱のなかで、ぼくは呆然と立ちつくしていた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第57回 正利のいない生活

■月刊「記録」2004年6月号掲載記事

*           *           *

 ゴミにまみれた部屋の中央に書き置きを残し、正利が出ていってから1週間が過ぎた。
 毎朝、毎夜、ぼくは思いつくかぎりの場所を走り回り、正利を捜し回った。
  「今日こそ見つけてやる」と毎回、決意して出発するのだが、結局見つけることができないまま、ぼくはゴミだらけの部屋に戻ってきた。諦めることも忘れることもできずに、喪失感だけが胸に刻まれていった。
 10日も経つと、ついに捜す場所も尽きてしまった。しかしぼくは執拗に捜索をやめなかった。あいつを探し出さないことには次に進めない。そう思っていた。
 そんなぼくの気持ちを逆撫でするような出来事もあった。あいつを捜して、あいつのお姉さんのところへ電話をかけたときのことだ。
 お姉さんはこう言った。
「もうハタチも過ぎてるんだから、どこへ行っても正利の自由でしょ」
 何という温度差だ。ぼくはひどく失望した。もちろん一緒に心配してもらおうとは思ってもいなかったが……。
 周りの人間たちも最初は心配してくれていたが、「もう諦めろ」と言いはじめた。
  「あいつも20歳を越えて自分の意志で生きてみたくなったんだよ」
  「こうして自分の意志で10日も神山君のところを離れて暮らしているなんて、あいつも人間らしくなったじゃないか」等々……。
 しかしぼくにとって、どんな意見もあいつに関するコメントはつらかった。ぼくは正利に執着し固執していた。
 諦めろと言われようとも、忘れろと言われようとも、ぼくはムキになって捜し続け、あいつの不在を周囲にアピールし続けた。周りの人間たちがあいつを忘れないでいてくれるうちは、あいつが帰ってくる希望を持ち続けられそうな気がしたからだ。
 実際のところ、あいつを待ち続け、捜し続けている間じゅう、ぼくは大失恋したかのような有り様だった。
 あいつを待っている間、一番つらかったのは、何をしていても楽しくないことだった。笑っている人、楽しそうに話をしている人をみると、腹こそ立たないがつらかった。自分も笑ってみたり、話の輪に加わってみたりするのだが、よけいに寂しさがつのってしまう。
 振り返ってみれば、正利との日々はすべてが楽しかった。クソ暑いアパートの倉庫の中だって、睡眠不足の毎日だって、貧乏だって、家族がいなくたって、思えばあいつさえいれば、すべてのことがぼくには楽しかった。 喧嘩も殴り合いも楽しかったし、あいつの顔を見れば何より気持ちが落ち着いた。どこに行くにもあいつはついてきて、そのたびに「うざったいなぁ」「1人になりてぇよ」とあいつに愚痴ったものだが、あいつがいなくなってみれば、どこへ行ったって、何をしたって、誰と一緒にいたって全然、楽しくなんかなかった。
  「心がスカスカするよ、正利」
 と、時折、ぼくは呟いた。

■原因不明の微熱に不眠

 あいつを捜している間もう一つつらいことがあった。それは「あいつを忘れよう」と無理矢理、努力することだった。
 正利に執着している反面、ぼくは「あいつを忘れさえすればこの喪失感から逃れられる」ともわかっていた。 だからぼくも自分に「あいつはあいつ。ぼくはぼく。このことをきっかけに別々の人生を歩んでいくんだ」と言い聞かせ、思い込もうとたびたび努力はしていたのだ。
 しかし、朝、自転車をこぎながら仕事場が見えてくると、今日こそあいつがいそうな気がしてくる。膝を抱えて、こきたない格好で階段にポツリと座っているような気がして仕方ないのだ。
 仕事中でも、店の自動ドアが開くたびに正利が入ってきそうな気がして振り向いてしまう。仕事が終わった帰り道では、公園の横を通るたびに、どうしても正利がうずくまっていそうな気がして横目でちらっと見てしまう。
 しかし結果はいつでもどこにもいなかった。いつまで待ってもあいつが現れることはなかった。部屋に帰り、暗く沈んだ気持ちでぼくはいつもため息をついた。
  「忘れなきゃ、忘れなきゃ」
 このままではいけない。そんな思いを感じはじめた頃から原因不明の微熱が出はじめた。体がだるく、よく眠れなくなった。このままでは本当に自分はダメになってしまう。ぼくは焦った。
 正利を失ったという喪失感を解消する方法は、今になって冷静に考えれば、他にもいろいろあったと思うのだが、当時は遮二無二あいつを探し出すことしか思いつかなかった。だからぼくは捜し続け、同時に忘れようと足掻き続けた。
 夜、風で窓ガラスがガタガタと音を立てるたびに、ぼくはハッとして振り返った。
 やはり、帰ってきてほしかった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第56回 永久の別れの予感

■月刊「記録」2004年5月号掲載記事

*          *           *

  「神山さんも大変ですね」
 正利の盗み癖を怒り、いましがた怒鳴りつけてきたと言ったぼくに向けられたスタッフのそんな一言は、ぼくを飛び上がりたいほど喜ばせた。ぼくは内心異様なほど興奮し、感激した。
 それでも、表面上はやはりいつも通りに、
  「ありがとう。もうあがっていいよ。あとはぼくに任せて」
 と言って、スタッフには帰ってもらった。
 一人になると、最近、曖昧になっていたぼくと正利との主従関係が久々にはっきりしたことにぼくはさらなる充実感を覚えた。
 そしてたとえ暴力であっても、あいつを屈服させたという事実が、ぼくの征服欲を満足させた。

■すべてを許せる思いに

 気持ちが良かった。こんなにすっきりした気分は久しぶりだった。
 これであいつとぼくは昔のような関係、つまり先生と生徒の関係に戻れたはずだ。ぼくを苦しめたあいつとぼくの濃密な主導権争いとはしばらくおさらばだ。そう思った。
 悪いことをしたら、そう、怒って怒って殴ればいい。なんて単純なんだろう。うちのスタッフだって労ってくれていたじゃないか。それでいいんだ。何を遠慮する必要があるのだ。あいつはぼくがいなければ、とっくに野垂れ死んでしまったかもしれない人間なのだから。
 だとすれば、ぼくはあいつから感謝こそされ、決して不平不満を言われる筋合いはないのだ。日焼けサロンの営業中はもとより、営業時間が終わってからも、ぼくはまだそんなことを考えながら自転車をこいでいた。
 そして、まもなく、ぼくと正利のねぐらであるはずの倉庫に着くというときになって、ぼくはとてつもない空腹感に襲われた。そういえば興奮のあまり今夜は飯も食ってはいなかったことを思い出した。
 近くのコンビニまで引き返し、弁当を三つ買った。二つはぼくの分で、もう一つはあいつの分だ。もし、あいつが二つ食べたいと言ったら、あいつに二つあげてもいい、そう思った。
 いまや何もかもを許せる気がした。あいつがお金を盗んだこと、最近ぼくに対して態度がでかいこと、やたらと絡んでくること。ぼくは最高に気分が良く、すべてがどうでもいいことのように思えていた。闘い終わってノーサイド、ぼくは都合良くそんなふうに思っていた。
 しかし、どうやらあいつはそうではなかったようだった…。
          *
 部屋に戻ると正利はいなかった。
 部屋の真ん中にゴミにまみれてわかりづらかったが、一通のあいつからの置き手紙があった。
<せんせい、いままでありがとう。おれ、ここにいると、またおかねをぬすんじゃいそうだから、でていく>
 手紙にはそう書かれていた。
  「なるほど、出ていったのだな」
 ぼくはそう思った。
 あいつが出ていったことなど一度や二度ではなかったのに、なぜか今回だけはあいつが本気だとわかった。もうあいつは戻ってこないんだ。もう出ていったんだ。何度も何度もそう思った。
 腰から下に力が入らなくなり、一面ゴミばかりの床に崩れそうになった。ぼくは何も考えられなくなり、真夜中に一人、いつまでもただ立ち尽くしていた。
 ぼくは混乱した。親でもないし、兄弟でもない。まして夫婦でもない。いつも疎ましく思っていたはずのあいつ。それなのにこの喪失感といったら……。
 いったいどういうことなんだろう。

■予測不能の喪失感

  「…はい。お電話ありがとうございます。日焼けサロンマチズモです…」
 あれほど感謝してやまなかった予約の電話が、今日は疎ましくて仕方なかった。
 眠れぬ夜から一夜明けた今朝、代わりのスタッフが来るまで自分が店にいなければならないことが、ぼくをひどく苛立たせた。
 昨夜は台風が近づいていたせいで、夜半からものすごい風と雨だった。9月だというのに、厚着をしなければならないほど冷え込んだ。それなのに、あいつは自転車に乗ったままどこかへ消えてしまった。
 無事だろうか? 無事だったのだろうか? そのことだけが頭の中をグルグルと回っていた。
 あれほど気になっていた売り上げも客の入りも、今のぼくにはどうでもよかった。たった一晩いなくなったくらいで何を大げさな、と思われるかもしれないが、それは違う。
 ぼくには、これがあいつとの永遠の別れに思えたのだ。なぜかもう二度と会えない、そう確信できたのだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第55回 狂気への入り口

■月刊「記録」2004年4月号掲載記事

*          *           *

 まずは、その痩せているがたるんだ腹に一発パンチを入れた。思い切り? その瞬間ぼくは思い切りパンチを入れたか? 一発目を打ち終え、ぼくは自問自答してみる。
 いや違う、思い切りなんて入れているはずがない。ぼくはあいつの表情から何かを読み取りたかっただけだ。だから軽めにパンチを入れたのだ。まちがいない。
 それなのにあいつときたら「うっ!」とも「痛い」とも言わないじゃないか。
 ……合格だ。でもおまえは合格だ。いつだっておまえは合格なんだ。
「正利、おまえ合格だよ!!」心の中でぼくはそう叫んで再び拳を固めた。

■あいつのすべてを知る権利がある

 だいたいこの程度で音をあげるような奴だったら、殴ったって意味がない。こいつはぼくによって見い出され、ぼくによって選ばれ、ぼくとともに暮らすことになった奴なのだ。そんじょそこらの根性なしの若者とはひと味もふた味も違うはずだ。
 その証拠にあいつは痛がりもしなければ、逃げ出そうともしない。相変わらずぼーっと突っ立っているだけだ。それにしてもあいつは今この瞬間にいったい何を感じているのだろう。おい、正利、おまえはいったい何を考えているんだ?
 知りたい。無性に、どうしても、激しく知りたくなった。ぼくにはあいつのすべてが気にかかる。ぼくにはあいつのすべてを知る権利があるに違いない。
 再びぼくがあいつに目をやると、相変わらずあいつはダラーンと両手を下げて突っ立っている。次のパンチを出そうとした瞬間、アパートの住人がぼくたちの横を通り抜け階段を上がっていった。異様な雰囲気を感じたのか、こちら側をチラっと振り向いた。
 もう、やめようか? 一瞬ぼくはためらった。警察に通報されたら厄介だ。しかし次の瞬間には強い衝動が湧き起こり、ぼくのためらいを打ち消していた。
 今日やらなかったら、もう二度とこんな気持ちにはなれないかもしれない。こんな気持ちには、なかなかなれるものじゃない。ぼくの気持ちの正体、それは正利に対する深い愛情のようにも思えたし、積年の憎悪のようにも思えた。
 小さなガキの頃から見てきた正利、いつだってぼくを「せんせ、せんせ」と頼り、ぼくが世話をし、ぼくのものだった正利。しかし、いつだってぼくの思い通りにはならず、ぼくに迷惑をかけ、ぼくの足手まといになってきた。金を盗み、学園からは逃亡し、親方のところからは逃げ帰り、拾ってやったぼくには一度だって感謝するどころか店の金を盗んでいる。
 だけどこいつにはぼくしか頼るところがなかった。ぼくのところしかないんだ。そう思うとたまらなく愛しい気持ちが湧き起こり、同時に憎しみも湧いた。それらの相反する思いが入り混じり、入り混じれば入り混じるほど、ぼくを狂気の世界へ引きずり込んでいった。
 やがて迷いは消え去り、ぼくは確信した。
 やろう。やはり、やろう。
 今日やるしかないのだ。

■誰にもできない大変なこと

 二発目、三発目、四発目はためらいがすっかりなくなったこともあり、スムーズにまるで速射砲のように打ち出すことができた。
 左拳、右拳そして再び左拳、それらすべてが正利の顔面を正確にとらえて決まっていく。
 それからあとは……? 覚えていない。それからあとは断片すら思い出せない。なぜだろう? いったいぼくはあのあと何発殴ったのだろうか。あいつは痛がり、苦しみに身悶えたのだろうか?「せんせやめて!」と言ったのだろうか? 思い出せなかった。
 何も思い出せないことはなんだかもの悲しく、そして同時に少しぼくを安心させた。
 気がつくとぼくは日焼けサロンに戻っていた。どうやらぼくは戻るはずの時間から、かなり遅れて店に到着したようだった。そんなことは珍しいことだったので、アルバイトのスタッフは驚き、ぼくに聞いてきた。
  「どうしたんですか?」
 批判めいた感じではなく、どこか心配した口調だ。
  「いやぁ、前にも話したことあるけど、正利の奴また金を盗んでさ、まいっちゃったよ」
 努めて冷静にいつもと同じ口調でぼくは答えた。
  「そうですか、まだ治らないんですか。今度会ったらぼくのほうからも言っておきますよ。神山さんも大変ですね」
 そう、その通り。我が意を得たりだった。
 そうなんだよ。そうなんだ。ぼくは大変なことをしているんだ。どうだすごいじゃないか。ぼくは誰もやることのできない大変なことをしているんだ。
 表情にも口にも出さなかったが、内心ぼくはスタッフの言葉に過剰なくらい嬉しく反応していた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第54回 ぼくが望んだコミュニケーション

■月刊「記録」2004年3月号掲載記事

*           *             *

 ぼくが悪かった。
 まちがいない。ぼくが悪いに決まっていたのだ。ぼくが要求しすぎたのだ。
 ぼくは正利に求めすぎていた。いったいぼくはあいつに何を求めていたのだろう。
 知的に遅れがあり、親子代々盗み癖があり、幼児期に親に捨てられて、眼の焦点がいつも合わない、不機嫌そうに唇が出っぱっているあいつ。
 そんなあいつにぼくはいったい何を求め、何を期待していたのだろうか。
 あとから振り返って思う。きっとぼくは誰かとコミュニケーションをとりたかったのだ。でもそれは軽い挨拶などではないし、堅苦しい社交辞令でもない。こぎれいな部屋でテーブルを囲んだ絵に描いたような家族の団欒とやらでもない。友達、親、兄弟、恋人……残念ながらそれらはぼくにとってコミュニケーションの対象には見えなかった。ぼくは正利を必要としていたのだ。
 床が見えぬほどの汚れた部屋。今食べたものと、いつ食べたのかわからない腐りかけたものの臭いが交差する部屋。そんな密室の中で、筋肉隆々で髪の薄い中年男であるぼくと、眼の焦点が一向に合わぬ知的障害者であるあいつとの間でしか交わすことのできない形のコミュニケーション。
 それは明らかに異様な光景だった。他の誰に話してみても理解を得られるはずのない空間だ。だからこそ濃密で、一度味わえば抜け出せなくなる。
 そんなものをぼくは望んでいたのだと思う。

■修羅場をくぐってきたあいつの恐怖

 あの日ぼくは確かに正利を殴ったのだ。6発、7発、いやそれ以上だったかもしれない。それがその後のぼくを大変苦しめることになるのだが、まちがいなくあの日のぼくは、ああいった形でのコミュニケーションを熱望していたのだ。
 望んでもいたし、欲してもいたし、何より必要だった。言葉でのコミュニケーションなどじれったかった。殴らなければならない焦燥に駆られていた。
 あいつの膨らんだほっぺたをぼくは殴りたかった。あいつの痩せているのにたるんだ腹を殴りたかった。何よりあいつの怯える顔を見たかった。あいつが痛みに身をよじる姿が見たかったのだ。
 物心ついてから、数々の修羅場をくぐり抜けてきたあいつは、めったなことでは怯んだりビビったりしない。そもそも想像力が欠けているから、何かを事前に想像して怯えることもない。反応も魯鈍で、普段の会話では喜怒哀楽がほとんどない。そんなあいつがぼくの拳にビビって、目にかすかな恐怖を浮かばせる。それはぼくの存在があいつに伝わり、あいつがぼくを認識した瞬間だ。
 そんなあいつを想像すると、それだけでぼくはワクワクした。今日こそかつて味わったことのない恐怖をあいつに味あわせてやろうと思った。理由なんかどうでもいい。金を盗んだから殴った? 仕事をさぼったから殴った? そうかもしれない。確かにあいつは金を盗んだし、仕事もさぼった。でも、それらは殴ったことの理由であると同時に、理由ではなかった。
 所詮、それらは大義名分でしかないのだ。

■平静を努めて装いつつも

  「おい、正利! おまえ金盗んでんじゃねえよ!」
 ぼくは声をかけた。普通はあいつがぼくに「きゅうりょうがやすい」だの、「つかれた」だのと言いがかりをつけてくることが常であったのに、今日はいつもと反対だった。
 秋とはいえ、まだ蒸し暑い夕暮れ時、アパート兼倉庫の壁によりかかり、正利はよれよれになった半袖のシャツを肩までまくり上げ、座って気持ちよさそうにタバコを吸っていた。
 店から乗ってきた自転車にまたがったまま、いきなり怒鳴ったぼくの言葉が冗談なのか本気なのかが判別できないあいつは、ただぼーっとぼくの顔を見ている。
 ぼくも正利も無言であった。ボロアパートなので洗濯機は部屋の外にある。その洗濯機がガタガタと壊れたような音を立てていた。ぼくは自転車から降り、ゆっくりと一歩ずつあいつに近づいていった。
 あいつはぼくから何かを感じるだろうか。いや、感じはしない。いつでも何も察しはしないのだ。タバコを持つ手がだらーんと伸びきっている。あいつはあまりにも無防備だった。ぼくにとっては絶好のチャンス。うずうずした。間近まで歩いてきたぼくをあいつは見上げた。
 相変わらずまぬけな顔だ。それに比べていったいぼくはどんな顔をしているのだろう。何せぼくはウズウズしてゾクゾクしていた。努めて真面目な顔を装っているつもりであったが、どうだろう? 喜びのあまり少しニヤついているだろうか? まあ、そんなことはどうでもいい。いずれにしても数秒後、ぼくはあいつの胸ぐらをつかみ、拳を振り上げているのだから。
 あいつは恐怖のまっただ中にいるはずだ。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第53回 正利という迷宮

■月刊「記録」2004年2月号掲載記事

*          *          *

 しかしまあ、人間の心理とは不思議なものである。
 くっつけばくっつくほど、そして一緒にいる時間が長くなれば長くなるほど、逆に離れている相手の時間が気になって仕方がなくなるものだ。
 恋人や夫婦などの例ではよくみられる現象である。そしてなぜか、ぼくと正利もその例にもれず、とにかく寝ても覚めてもお互いを気にし、お互いを意識していたのであった。

■不可解すぎる拘束状態

 いや、ぼくと正利の関係はもう少し違う。
“意識していた”などというレベルの高いものではなく、ただ、ただ“知りたい”のだ。何でもいいから“知りたい”のである。
 所持金、何を食べたか、昨日はフロに入ったか、入ったとしたら何分くらいか、その銭湯からの帰り道はどの道を通ったのか、そんなどうでもいいことから大事なことまで、とにかく何でもいい。何でもいいから“知りたい”のである。
 正利の1日の主な仕事は、日焼けサロンで使われる大量のタオルの洗濯である。
 通常、ぼくは朝から店に出ている。正利は倉庫でタオルを洗い、たたんでいる。するともう気になるのだ。正利がタオルをたたみ終えて店に届けに来るまで、ぼくは正利のことが頭から離れずに、もう気になって気になって仕方がない。
 そしてやっと正利がやってくる。するとぼくはホッとするのだ。正直に言って嬉しい。小躍りしてしまうほど嬉しい。
 かと思えば、今日のように正利がいつまで経っても店に来ない日もある。最初、ぼくは頭にきている。とにかくあいつが現れたら四の五の言わせず頭ごなしに怒鳴りつけたいと考え、手ぐすね引いて待っている。
 しかし、待てど暮らせど、あいつは現れない。
 するともう不安で仕方がなくなるのだ。少しニヤケた顔でもいい、逆ギレしてムッとした顔でもいい。とにかくあいつに現れてほしいのだ。
 なぜ来ない? どうして来ない? 寝てしまったのか? どこかへ遊びに行ってしまったのか? そういえばこの前は近所の小学生に誘われてサッカーしに行ってしまったな。不安がぼくの心を一杯にする。仕事に追われ、一時はその不安が雲のように通り過ぎてしまっても、また一段落つくと別のところから不安は現れ、もやもやとぼくの心を包み込む。
 なぜぼくはこんなにあいつのことを心配するのだろう?
 一体どんな理由で心配や不安にかき立てられているのだろう。

■心も躍るブレーキの調べ

 あいつが現れないことのメリットなど店にはほとんどない。単に、タオルが届かなかった、ということくらいのことだ。それ以上でもそれ以下でもない。売り上げの金額が急に変動してしまうこともければ、客の入りが急に悪くなるわけでもない。
 それなのにぼくときたら気になって気になって仕方がないのだ。正利の自転車はブレーキパッドが両方削れてしまっている。だから店の前に来ると、「キッキッキッキッキッー!」と、けたたましい音がする。それによって「おおっ、正利が来たぞ!」とぼくはいつも胸一杯の安堵感に包まれるのだ。
 それなのに、それなのに、今日はあの「キッキッキッキッキッー!」という音が、待てど暮らせどまるで聞こえてこないのだ。
 こんなときに思う。あいつに携帯電話を持たせるべきなんだよ、と。でも持たせればきっといろいろな厄介なことに巻き込まれるだろうなぁ…。そんなこんなでぼくは本当に様々な、きっと世間様からみれば、限りなく不必要で理解しがたい悩みや不安を常に抱えて仕事をしているのだった。
 そのときである。
「キッキッキッキッキッー!」
 たしかに聞こえた。やっと聞こえた。正利だった。
 予定時刻を過ぎること約2時間。とうとう店に正利が現れた。70リットルの透明ポリ袋一杯にタオルを入れて、体を左右に揺すりながら階段を上がってくる。
 ぼくにはもう怒りなんか微塵もなかった。心配で心配でしょうがなかったのだから。だって、あいつと離れている空白の時間がいつもより2時間も長かったのだから。ぼくにしてみれば当然の気持ちだろう。
 誰にもわからないこの気持ち。
 そして誰にもわかってほしくないこの安堵感。
 同時に誰かに伝えたいこのハッピーな気持ち。
「ビバ!正利!!」
 こうしてぼくは正利という迷宮に、文字通り迷い込んでいったのであった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第52回 濃密な関係

■月刊「記録」2004年1月号掲載記事

*          *           *

 とくかくぼくは本当に良く働いた。
 営業時間は朝の10時から夜の12時までと決まっていたのだが、女子高生たちは登校時間であるはずの朝の8時から店に来るし、水商売などの人たちは夜中の2時だろうが3時だろうが平気で来た。
 そんな人たちに、ぼくはいちいち合わせて営業していたものだから、営業時間なんてあってないようなものであった。

■濃密な正利との時間

 開業前には、10時開店、22時閉店で十分だと想像していたから、良くも悪くもアテが外れてしまった。そんな生活スタイルのために、当然のことながらすべての友達とは縁遠くなってゆき、彼女ができても、どうにもこうにも交際が長く続かなかった。
 実際彼女から電話がかかってきても、すぐにお客様が来てしまったり、ピ、ピ、ピ、ピ、ピとけたたましくタイマーの音が鳴り響いてしまったり、電話の途中でマシンの清掃に行かなければならなかったりで、まるで会話が成り立たないのである。
 そうなると不思議なもので、望もうが望むまいが正利との関係だけが自然と濃くなってゆく。
 朝、目を覚ますと正利がいて、仕事場にも正利がいる。休み時間にどこかへ行こうとしても正利はついてくる。ハローワークに求人の手続きに行くとき、役所に行くとき、牛丼屋に行くときにも、いつでもどこにいても、あいつはぼくとともにいる。
 眠りにつき寝返りを打つと、部屋が狭すぎて正利に触れてしまう。目を開けるとそこに正利の寝顔がある。正利、正利、正利、正利……。正利とともに1日は始まり、正利とともに1日は終わる。それは1週間でもそして1か月でもやはり同様なのであった。
 そんな生活が精神衛生上良いはずもなく、ぼくは正利と些細なことで喧嘩をするようになった。

■互いに粘着な2人

  「ねぇ、せんせ」
 正利がごくごく普通にぼくに話しかけてくる。しかしそれが日によってはひどくぼくの癇に障る。
  「あぁ!? なんだよ!?」とまるで条件反射のように語気荒く答えてしまうのだ。
 しまった、またやってしまったと気づくのは、大体喧嘩になってからで、この時点では、ほとんど感情むき出しのまま何も考えていない。
  「なんなのよ! なんでおこるの! せんせはさいきんおこりっぽい! おこるのよくないっておねえちゃんいってたのよ!」
 当然というか、待ってましたというべきか、あいつは反論してくる。
  「うるせぇー!! おまえの姉ちゃんの話なんか聞きたくもねぇんだよ! この馬鹿野郎!!」
 するともう大変である。
  「ばかっていったでしょ! ばかっていっちゃいけないのよ!」
 そう言うとプイっとあいつは出て行く。何回も何十回も繰り返したばかばかしい喧嘩。しかしこの喧嘩ゆえの家出が、のちにぼくを何年にもわたり苦しませることになるのだから、正利恐るべしである。
 大抵というか当初は、プイっと出ていっても、コンビニかゲームセンターで時間をつぶして帰ってくる正利であった。ぼくも粘着質だが、あいつも相当負けてはいない。帰ってくるなりあいつは懲りもせずにぼくに再び話しかけてくる。
  「せんせ、おれ、かんがえてることあるんだけど」
  「はぁ?! もういいだろ。俺仕事に行きたいんだよ。お姉ちゃんのとこにでも行って聞いてもらえ」
 ぼくのほうは会話するのも面倒くさい。なにせこれから重くだるい体を引きずって仕事場へ戻らなくてはならないのだから。
  「せんせ、そうだんがあるんだけど」
 抑揚のない声。そして白く能面のような顔であいつはぼくに話しかけてくる。
 ははぁ、やっぱりいつもの通りだ。相談も話したいことも何もない。結局、あいつはぼくを困らせたいのだ。そして逆上したぼくに怒られたいのだ。さんざん怒ったあと、ぼくがいつも優しくなるのも知っている。そう、だからあいつは結局、先にさんざん怒られて、そのあと優しく励まされて、ぼくに笑顔で「よし、これからも一緒にやって行こうな」などと言われたいだけなのだ。
 ばかばかしい。
 そしてくだらない。
 あまりにもばかばかしい、ダメ夫婦が互いにもたれあっているようにダメなやり取り。
 しかしそんなことをぼくらは毎日のように繰り返しているのだった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第50回 狂気じみた生活

■月刊「記録」2003年11月号掲載記事

*           *           *

 ぼくのアパートは狭かった。歩くとカンカン鳴る鉄の階段がついた、絵に描いたような安アパートだった。店とドッグレッグスが倉庫に兼用している狭い一室に、ぼくと正利は住んでいた。正利が突然、親方のところを辞めて、転がり込んできてしまったのだからしょうがない。

■暑さ、狭さ、そして睡眠不足

 日焼けサロンがオープンして1ヶ月が過ぎた。
 7月ともなると、ぼくと正利の住んでいる倉庫は、まさに蒸し風呂状態となった。とにかく暑い。冷房はないし、風通しは悪い。じっとしていても汗が吹き出し、ぼくの洋服は1日中濡れているような感じだった。
 グレーのTシャツを着ると、最初は首のあたりが汗で濃いグレーに変色し、1時間も経たないうちに濃いグレーは広がり、全体が変色してしまうほどだった。ただでさえ忙しくて寝る暇がないというのに、せっかく部屋に戻り、睡眠のための時間を確保しても、この暑さと狭さのために、どうにもこうにも寝られない毎日が続いた。 それなのに正利ときたら、毎日、ものすごいイビキで寝ていやがるのだった。暑さも狭さもものともせずである。ぼくは睡眠不足からの苛立ちも重なり、そのことが頭にきて仕方がなかった。そしてある日ふと、睡眠を妨害してやることを思いついた。
 ペットボトルにお湯を注ぐ。もちろんペットボトルが変形してしまうほどの熱湯だ。それを正利の足や腕のすぐそばに置いておくのだ。もちろん肌が露出している部分に、触れるか触れないかぐらいの位置にして。
 すると、寝返りを打った正利はペットボトルに触れた瞬間に断末魔の叫び声を上げるのだった。そしてじろっとぼくを一瞥し、再び寝息を立てる。それを寝返りを打つたびに繰り返す。
 ぼくは正利の安眠を妨害できて、本当に嬉しかった。ある時は瞬間接着剤で正利の2本の足を1本にまとめ、またある時は寝ている顔にコショウを振りかけた。寝返りが上手く打てずに、「あしがっ! あしがっ!」と叫ぶ正利。コショウの刺激に「目が、目が、」と、うわごとのようにつぶやく正利。そんな姿を見るたびに、ぼくはニヤリとほくそ笑み、汗だくの不快をいっとき忘れ、やっと眠りにつくことができるのだった。
 こんな小学生みたいなことを30過ぎのいい大人が毎夜毎夜行っているのだから、まったくもってぼくはどうかしていた。睡眠不足と暑さとはじめての商売が、ぼくの狂気を誘発したのだと思う。
 狂気といえば、このころの部屋の汚さもまた、狂気じみていたと思う。当然のことながら、正利には部屋を片づけるという観念がなく、商売で頭が一杯のぼくにも当然のことながらなかった。だから食べかすや食べ残しはそこら中に散らばり、密室のなかでカビを生やし、腐って異臭を放った。探し物はゴミをかき分けると姿を現し、座る場所はいつもゴミの上だった。日に日にゴキブリは増殖し、いたるところに出没した。
 正利はゴキブリを恐れ、必死になって殺していたが、ぼくはもう手遅れだとわかっていた。多勢に無勢。数が違いすぎる。争ったって勝ち目がないことは明らかだった。だからぼくは、彼らと共存することを選んだ。
 寝苦しくて夜中に目を覚ますと、正利の隣に添い寝するようにゴキブリがいた。トイレに行き電気をつけると、10匹以上のゴキブリが慌てふためき逃げていった。ゴミの中から私物を探しているとき、ゴキブリが出てきても、当たり前のように素手で払って探索を続行した。
 そんな汚さにも、ぼくは慣れっこになってしまっていたのだった。極悪の環境にも狂気じみた生活にも、ぼくはどんどん順応し、不自由を感じなくなった。

■ひとつだけ困ること

 ただ、ひとつだけどうしても困ったことがあった。それは、正利の盗み癖である。
 ぼくには、忙しくてなかなか銀行へ入金しに行く時間がなかった。だからいつでもつねに、現金を持ち歩いていたのだった。
 毎日、あまりにもめまぐるしくお金が動き、財布などにいちいち入れている場合ではなく、それに最初から財布など持ってもいなかった。
 銀行でもらった封筒に現金を入れて、多いときは100万円をゆうに越える札束を紙袋のままポケットに突っ込んで持ち歩いていた。それを寝るときには、ぽんと枕元に置いておく。朝起きると札束を入れた封筒はすっかりゴミに埋もれてしまっている。
 それをうっかりそのまま置きっぱなしにして、外へ出てしまうことがあった。
 するとぼくのお金はあいつに抜かれてしまうのであった。最初は控えめに千円、2千円だったのが、そのうち、あっという間に万単位になった。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第49回 快調な滑り出しの裏で

■月刊「記録」2003年10月号掲載記事

*           *           *

 日焼けサロンは快調だった。ちょうど世間では、女子高生を中心にしたガングロブームが始まり、流れに乗って、とにもかくにも好調な滑り出しだった。
 以前、ぼくはこの紙面で自分のことを「常に自分にノルマを設定し、ノルマをこなしていくタイプの人間」であることを告白した。そして、この傾向は、商売が始まるとますます加速していった。
 日焼けサロンの開店とともに、ぼくには商売のことしか頭になくなった。ぼくの頭の中は、日々の売り上げ、マシンの調子、店舗の清掃、お客様の満足感、そんなことばかりで占められていった。だから自然に友達とも会わなくなったし、親にも顔を見せなくなった。テレビも見ない。音楽も聴かない。あんなに大好きだったプロレスも観ない。歯磨きの如く毎日の日課となっていた肉体鍛錬までも、とうとうどうでもよくなってしまったのだ。これには我ながら驚いた。
 自分でも自分のことを「極端だな」と思うが仕方がない。もうまるで一日中、店に関することしか考えていないのだ。なかでも、もっとも気になったのは日焼けマシンのことだった。あるとき、店のマシンにオランダ製のランプを使うとB波が2%出た。するとアメリカ製なら何%出るのだろう。はたまたその2つを交互に配列するとパーセンテージにはどのような違いが出るのか?
 ちなみに、B波とは紫外線の種類である。太陽光の紫外線には大きくA・B・Cの波長があり、B波はなかでもビタミンDの生成にかかわり、免疫力を高める効果があるという。そして良い日焼けには、A波とB波のバランスが重要となるのだ。
 ぼくはさっそく紫外線測定器を購入すると、夜中に誰もいない店内で1本1本のUV指数をたんねんに測っていった。
 しかしランプの数も200本もあるのだから、文字通り一晩中かかった日もあった。ぼくは色々な業者に電話を入れ、オランダ、アメリカ、ドイツ、イタリアとありとあらゆる国から日焼けランプの情報を仕入れては、代理店を通してランプを輸入し、日夜“最高に焼けるマシン”を追求していった。
 すると次第に「この店は良く焼ける」という噂が出はじめた。そして、瞬く間に広まった。
 店が順調にスタートできた理由には、もう一つの原因あった。オープンの時間である。
 近隣の日焼けサロンは、早くても10時のオープンであった。そこでぼくの店は朝8時から予約を開始したのだ。
 だが、それは経営戦略などではなく、単にぼくの元来からの心配症ゆえであった。
 どんなに前の日に客があふれていても、次の日、夜明けとともに心配のあまり目が覚めてしまうのである。
「今日はだめなのではないか? お客さまが入らないのでは?」
 そう思うと、もう居ても立ってもいられなくなり、朝の3時だろうが5時だろうが、おかまいなしにぼくは店に行った。そして一人マシンの調整をして、朝8時の予約開始を待つのである。
 朝になり、1本目の電話が鳴って、少しだけホッとする。徐々に電話が増えはじめ、10本目くらいから、やっと飲み物が喉を通るようになり、20本目の電話でなんとか、さぁ食事でもしようか、という気分になる。
 当時のぼくはそんなせっぱ詰まった精神状態だった。いつもピリピリしていて、何かが少しでも上手くはかどらないと当たり散らすのが常であった。
 ゴミ箱を蹴飛ばす、扇風機を叩きつける、タオルを引き裂く、いま考えるとまったくどうかしているのだが、予約の電話の最中に、相手の携帯電話の電波状態が悪くて切れてしまうと、コントロールテーブルに拳を叩きつけ、断末魔の叫び声を上げ床に崩れ落ちた。まるで狂人である。しかしお客様を1人逃してしまったかもしれないという後悔に狂いそうになったのだ。それでいて直後に電話がかかってくると、ちゃんと丁寧に対応できたのだから、おかしなものである。
 だが、そんな狂人経営者と、盗み癖のある知的障害者が、一つ屋根の下で暮らすとどうなるか……。
 いま考えると一目瞭然なのだが、当時は考える余裕さえもなかったのだろうか。
 ぼくは寝られない。
 あいつは起きられない。
 ぼくはお金を稼ぎたい。
 あいつはお金を盗みたい。
 これでは、どう考えてもうまくいくはずがないのである。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第48回 サロンオープンの前日

■月刊「記録」2003年9月号掲載記事

*          *         *

  「せんせ、おれ、ついたよ」
 6月12日。日焼けサロンオープンの前日、深夜23時。正利から電話が入った。
  「着いた? はあ? 着いたってどこに着いたんだよ」 だいたいの準備は整い、いよいよオープンだというときにぴったりやって来るんじゃねえよ。そう思っていたが、来てしまったものはしようがない。親方のところへは、あいつの性格からしてもう戻らないはずだ。予定がちょっと早まったが、まぁ仕方ない。
 ぼくは突然の出来事だったゆえ、かえって何も考えることなく腹をくくることができた。
  「せんせのおみせのちかくのえきについたのよ」
 そうか、そうか、やっぱりそうか。
  「じゃあ来い。道わかるだろう」
  「わかった。いまいく」
 そう言って電話は切れた。すると2、3分もしないうちにまた電話のベルが鳴った。
  「せんせ、ついたのよ」
  「どこ着いたの?」
 さっきと同じ質問になってしまった。
  「セブンイレブンにいるのよ」
 店の自動ドアを開けて、斜め前方を見晴らすと、あいつがセブンイレブンの前にある公衆電話から電話をかけている姿が見えた。
 あいつの姿を見ても不思議と腹が立たなかった。なんだか懐かしい光景に出くわした。そんな感覚に不意に襲われた。

■薄暗い食堂の焼きそば

 あいつを迎え入れ、帰り支度をしていたら夜中の2時になってしまった。今から倉庫のような、あのアパートに戻るのはためらわれ、その日は近くのサウナに正利と泊まることにした。
  「はぁ!? 何か食べたい!?」
 サウナに着くなり、正利がお腹が空いたと言う。昨夜、他のサウナで無銭飲食した奴のセリフとは思えない。だが、ぼくもほとんど一日中、何も食べていなかったので、とりあえず一緒に食べることにした。
 薄暗い食堂のカウンターに僕たちは隣り合わせに座り、二人とも焼きそばを注文した。店のおばちゃんは、すぐに目の前で作ってくれた。本当に目と鼻の先で作ってくれている。そんな光景が珍しいのか、正利は食い入るように見つめている。ぼくは疲れて少しウトウトしてしまった。すると「せんせ、せんせ」と正利がぼくの肩を叩く。
  「何だよ」面倒くさそうに答えると、正利が「あれあれ」と今にもできあがりそうな焼きそばを指さす。
  「あれ、カップめんなのよ」
  「はぁ?」
  「カップから出して、ナベで焼いたのよ」
  「どうでもいいよ、そんなの」
 明日はオープン。そして今はとても疲れている。どんな味の焼きそばを食べるかよりも早く寝ることのほうが大切だった。

■売り上げのわりに、一抹の不安

 そうこうしながらも、なんとか食事を終え、ぼくたちは、寝ることになった。
 ぼくは追加料金を払い、カプセルホテル形式の「寝室」で寝ることにした。
  「おまえはどうする?」
 そう聞くと、サウナのほうで雑魚寝するという。
  「おれは、このほうがおちつくのよ」
 遠慮なんかする奴ではないので、本当にそうなのだろうと思い、別々に寝ることになった。
 翌日は、朝6時に起き、ぼくたちはいったん店に行った。ビラを500枚ほど持って、駅に向かう。6月だから当然陽は出ていただろうし、暖かかっただろうが、今思い出してもなぜか薄暗く寒々しい風景しか思い出せない。
 おそらく、これから起こることに対する不安の大きさが、ぼくにそんな景色を見させていたのではないだろうか。
 ぼくと正利は道行く人に次から次へとビラを配っていった。ほとんどが真面目そうなサラリーマンばかりで、なんだか効果のほどは期待できそうもなかった。
 しかし店に戻ると、結構、お客が来ていた。ぼくはお客の予約を取ったり、実際に来た客をさばいたりと、その1日、とても忙しかった。まだ洗濯機も乾燥機もなかったので、正利には近くのコインランドリーまでタオルを運んでもらった。思ったよりも客は来てくれ、初日の売り上げは64,000円。これだけいけば上々すぎるほどの滑り出しであった。
 1日の終わりにお金を数えながら、ちらっとあいつの横顔を見た。お金を数えながら感じた満足感は、あいつの顔を見たとたんに、いいようのない不安感に変わってしまった。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第47回 吹き荒れるトラブルの嵐

■月刊「記録」2003年8月号掲載記事

*           *           *

 ガタイのいい兄ちゃんたちがやってきた。ぼくが購入した日焼けマシンを搬入するためにである。
 当然、搬入日までに下準備らしきことくらいはしているものと思っていたが、甘かった。何もやっていないのである。ついさっきまで稼働していた、まだ触ると熱いマシンをドライバーなんかを使って外し始めている。
 うへぇ~。こんなところからつき合わされるのかと思うと気が遠くなりそうであった。なんとかマシンをバラし、2トントラックに積んだところで0時をまわった。今日は徹夜か。そう思った。
 搬入代金を人件費分も含めて支払っているのに、なぜぼくまで手伝わされ、しかも徹夜までしなければいけないのかと思うと、少々腹も立った。
 それでもなんとかトラックでぼくの店まで運び、300キロもあるCPSを組み立て上げると、かなりハイテクで立派なものに見えた。
 あーっ、ついにここまで来たのだな、と思えば感慨深さもひとしおであった。さっそく焼いてみたい。即座にそう思った。しかし電気がまだ通っていないので焼くことはできなかった。
 電気はトランスという電圧を上げる機械を通さなければいけないらしく、それは専門の業者にやってもらわなければならない。翌朝、つまり数時間後にその業者、というかその人は現れるらしい。マシン屋のオーナーが近所の工事屋の人に頼んでくれたのだ。なにせすぐ近所に住んでいるのだから、これから先、機械に異常があってもじつに安心ということだ。メンテナンスをやらせたら右に出る者はいない、とも言われた。そしてほとんど寝る暇もなく、ぼくは朝を迎えた。

■考えられないことの連続

 明け方近くだったが、いったんアパートに帰り、朝に出直した。ぼろいアパートから店にたどり着くと、ハイテクなCPSがある。嬉しくてたまらなかった。
 10時に来るはずのメンテナンスの人を待ったが、彼はまた現れなかった。時間になっても来ないどころか、携帯電話も届かない。またか……。どうしてこう時間通りに仕事が進まないのだろうと不思議に思った。今までの常識からは考えられないことの連続だった。
 結局メンテナンスの人は、2時間後にふらりと現れた。ぼさぼさの髪。ジーンズを膝でちょんぎったその出で立ちを見たときは本当に不安を感じた。なんでも病院に行ったら、混んでいたから遅れたと悪びれずに言う。
 しかし結局マシンに電気が通ったことで、それらのすべてを許せる気分になった。だが、ここで許してしまったぼくは甘かった。その後も、縦型マシンの搬入に予想をはるかに越えた時間を要するなど、いろいろなことがあった。そして、どうにかこうにかこぎつけたオープン前日のほっとしたさなか、ふたたび事件が起きたのだ。 親方からぼくの携帯電話に連絡が入ったのだ。
  「先生、もうどうにかしてくれよ。正利のやつ、うちから出てったよ」
 いつも緊急事態のときにかけてくるので、口調は早く、少々苛立っているのだが、今日はそれに加えて、もう諦めている感じも含まれていた。
  「どうしたんですか?」
 オープン前日だということもあり、ぼくは今回のトラブルにはあまり巻き込まれたくなかった。しかし親方は今度はまくし立てるように話し始めた。
  「警察から連絡が来たんだよ。あいつ健康センターで無賃宿泊と食い逃げしやがった」
 ああ……。十分巻き込まれうる内容の電話に、ぼくは絶望的な気持ちになった。
  「今は、正利はどこ…」
 ぼくの声を遮って親方は怒りを込めて言った。
  「どこにもいないよ。そのまま逃げてるよ。もう1人の連れ残して、1人でどっか行っちまったよ」
  「じ、じゃあ、連絡があったら、親方のところへ連絡させます」
 あたりさわりない受け答えをしたつもりだったが、
  「いい、いい! 連絡いりません。どうせあいつは先生のところへ行くよ。もういい。あいつを引き取ってくれ先生。じゃあ、頼みます」
 電話は切れてしまった。
 それにしてもどこへ行ったのだろう。あいつはどこへ向かっているのだろう。本来ならばあちこち手を尽くして探すのだが、なんせ明日がオープンとなるとそれも無理だった。思案に暮れているぼくの携帯電話がちょうどそのとき鳴った。
 ボソボソとした声が、しかし反対することを許さぬ強い意志を秘め、受話器の向こうでこう言った。
  「せんせい、おれ、いまからそっち、いくから」
 もう、どうにでもなれである。
  「わかった。電車あるのか?」
  「うん」
  「じゃあ、待ってるから」
 おかしい。オープンの日など教えてはいないのに…。 これはやはり運命か!? (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第46回 商談成立

■月刊「記録」2003年7月号掲載記事

*           *            *

「いやあー、神山さん、すごいですよ。4台で290万円。ぼく業界長いけど、こんなの聞いたことありませんよ。この低予算でオープンできたらギネスブックものですよ!」
 日焼けマシン4台分の見積もりができたので、今すぐ来て欲しい、そうオーナーに電話で言われ、ぼくはとるものもとりあえず青山のオーナーのオフィスへ向かったのであった。
 青山の一等地に居を構えたオフィス。地下が日焼けサロン、一階は商談のためのオフィス、二階が自宅になっている。壁の至るところに有名人とのツーショット写真が飾ってある。ラーメン屋なんかで見ると、なんかちんけであほくさいなぁ、といった目で眺めるものだが、青山の高級住宅のなかでみると、あー、おれもいつかはこうなりたいなぁ、となってしまうのだから人間とは不思議なものである。
 それにしても290万円とは、少し予算オーバーであった。物件を借りるときにすでに予算はオーバーしてしまっているので、これ以上無理はできない。
「うーん、3台ってどうですかね? マシン3台で店、始める人なんていないですよねぇ」
 と、オーナーにおずおずと聞いてみると、
「おもしろい! それもおもしろいです。でもギネスブックに載るほどではありませんね。3台だったら170万円で結構ですよ。安い! やっぱりこれはギネスブックもんだぁ」
 と、妙にテンション高く言われた拍子にぼくはまたもや「それでお願いします」と言ってしまい、そこですべての商談があまりにもおおざっぱに決まった。
 早々搬入の日取りも決めてもらい、なんだか変な胸騒ぎはしたが、まぁ、オープンすることが先決だとぼくは無理やり自分を納得させた。

■ひっきりなしに鳴る携帯

「お祝いに食事をご馳走させてくださいよ!」とオーナーに言われ、ぼくは近くのブラジル料理の店に招待された。
 パサパサした魚料理を食べていると、「そういえば、ブラックマグナムちょっと調子悪いんですよ。だから同じクラスのcpsでいいですよねぇ」と、あまりにも当たり前のようにオーナーにサラッとそう言われた。
「え、えー?」
 とは言ってみたものの、調子が悪いマシンを引き受けるのも機会音痴のぼくとしてはちょっと都合が悪い。
「まぁいいですよ。マシンはやっぱり程度がいいほうがいいに決まってますから」と、またもや調子のいいことを言ってしまうぼくである。
「良かった。マグナム、大阪の人が欲しがってるんですよ。そっちに売っちゃいましょう。神山さんのオープンにケチをつけるわけにはいかないですからね、ここはひとつ調子のいいcpsでいきましょう」
 おや? と思わせるには十分な発言を聞き、再び少し不安がよぎる。しかし、よその業者からでは、こうは安くは買うことができない。さらに気になることがもう一つ。ひっきりなしにオーナーのもとには携帯に電話がかかってくるのだ。
 最初はさすが青山の人のビジネスというのはぼくなんかとスケールが違うなぁと思ったものだが、よく聞いているとどうも違う。明らかに苦情らしき電話が多いのだ。オーナーはといえば、「わかりました。あとで電話します」と言って電話をすぐに切る。するとそのそばから電話がまた鳴るといった具合だ。
 まぁ、初めての商売なのだから多少の不安はしようがない。
 ここでもぼくは無理やり割り切ることにした。

■搬入初日からトラブルが

 しかし案の定、搬入の日、いきなりトラブルが起きた。
 厳密にいうと、これから起こる数あるトラブルのうちの第一号である。
 その日、夕方の5時に青山の店で僕とオーナーは会う約束をしていた。しかし約束の時間になってもまるでオーナーは姿を現さない。店番のきれいな女の子に連絡をとってもらおうとしたが、携帯に電源が入っていないため無理だという。
 30分経つと約束を守らないオーナーにイライラしてきた。連絡ぐらいよこすべきだと思う。しかしそんなイライラも1時間後には“現れないのでは?”という不安に変わり、2時間後には“ただただ来てくれればいい”という懇願へと変わっていった。
 2時間後にオーナーは現れた。
 やっと現れたオーナーは、「いやぁ、待ちました? すみません」と、軽く頭を下げた。
「ちょっと待ってくださいね。作業用の服に着替えますから」
 背後には茶髪のお兄さんが2人控えている。
 この人たちが搬入するらしい。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第45回 憧れのブラックマグナム

■月刊「記録」2003年6月号掲載記事

*           *           *

 物件が見つからない。
 だが、まあ、しかし思い返せば、この頃が一番楽しかったのかもしれない。
 何せ気候がいい。季節はゴールデンウィークだ。不動産屋を探しがてら、自転車でふらふらする。どんな客層が多いのか調べるために半日近く喫茶店の窓から外を眺める。ドッグレッグスの倉庫に戻り、キックミットを枕に寝袋で眠る。どれもこれも夢の実現のための第一歩だという希望に満ちていたため、今その頃のことを思い出すとすべての場面が映画のワンシーンのように思い出される。
 絶対に成功してやる、なんて意気込みは皆無であった。ただ、ただ、正利と一緒ならうまくいくような気がする、そんな漠然とした気持ちで過ごしていた。
 ずいぶんと呑気な時期でもあった。

■日焼けサロンは個人経営

 しかし、そんな良い時期は一瞬にして終わってしまうものだ。見つからないと思っていた物件が偶然見つかったのである。
 駅から3分。商店街のメインストリート。しかも近くには高校、大学がひしめいている。何もかもが条件にかなっていた。問題の保証金と家賃は230万円と若干オーバーしていたが、それを差し引いても理想的な物件であった。
 物件が見つかれば、次はいよいよ日焼けマシンの確保である。しかし、これが後々まで、いや結局、今に至っても解決できないほどの問題の火種となるのである。
 日焼けを生業とする会社は、日本全国探しても数えるほどしかない。そのほとんどが個人経営でやっている。さらに日焼けマシンはすべて外国製。つまりマシンの輸入、発送、設置、経理まで一人でやっている。車のように正規代理店というものが存在しないのである。
 それならそれでしょうがない、と思うかもしれないが、そうもいかない。何せすべてが外国製のマシンは、電圧、ワット、部品、そういったすべてが日本製とは相容れぬ規格外なのである。
 だからランプを切れさせても、スターターを切れさせても、極端な話、ネジひとつなくなっても、秋葉原で代用品を探すことはできないのである。個人でやっている日焼け業者は、大きな倉庫などは持たないので、故障時に対応できるだけの部品のストックはないわけである。   *
 さて、そんななか、ぼくが一番最初に取り引きをしたマシン業者は、青山の自宅の地下を日焼けサロン及びショウルームにしていた。
 初めてそこを訪れたとき、青山・綺麗なフロントのお姉さん・そして何よりも今までぼくが通っていたサロンでは見ることのできなかった大型マシン、それらすべてにぼくは幻惑された。
「どうですか? 気に入りましたか?」
 いかにも金持ちのボンボンヅラしたオーナーに聞かれると、
「あー、はい。すごく気に入りました」
 と、まるでオウム返しのようにぼくは応えていた。
 でもきっと高いんだろうなぁ。そう思いつつ思い切って値段を訊ねた。
「いったい、いくらするんですか?」
「そうですねぇ、これ一番焼けますからねぇ、ほら、おまけに自動開閉機能がついているんですよ。ほら」
 ウィーンとうなりを上げながらマシンのドアが開いたり閉じたりする。こんなマシンは見たことがない。おまけに名前が“ブラックマグナム”。
 どうしても欲しい。
「あー、これ高いんでしょうねぇ」
「はい。300万円くらいです」
 このアバウトな値段設定からしてもおかしいと、後になって気づくのだが、そのときは舞い上がっていてわからなかった。そもそもそんなに高い商品の見積もりを、後にも先にもぼくはもらったことがないのである。車のように端数が出なかったことに、ここで気づくべきであった。
 しかし、とにかく頭の中は、
『あー、300万では無理無理。予算は250万円。しかも4台で! …って、そのことは電話であらかじめ伝えておいたじゃないか!』などといった憧れや不満や文句が、グルグル回っていたのだ。
 ぼくのそんな様子を見かねてか、あるいはすべてが作戦通りだったのかわからないが、オーナーはこう言った。
「良かったら、うちの今使ってるマシン持っていけばいいじゃないですか?」
「えー!? いいんですか?」
「いいですよ。150万円。マグナムをその値段で。あとの2、3台はぼくのほうで適当にそろえておきますよ」 やったー!! ツイている! そう思った。
 ぼくはそのとき間違いなくそう思い、今にも小躍りしたいのを我慢したことさえ、はっきりと覚えている。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第44回 日焼けサロンの物件探し

■月刊「記録」2003年5月号掲載記事

*          *           *

 ぼくは学園の最後の春休みを利用して、大阪のプロレスショップの見学に来ていた。『プロレス・ファン』という雑誌の広告でみつけた店だ。
 店の奥にいたおばあちゃんは、ぼくがプロレスショップを開くつもりであることを伝えると、ショップの経営者たちがこなさなければいけないプロレスラーたちとの無茶苦茶な交流のしかたを教えてくれた。
 大食いのレスラーたちをメシに連れていかなければいけないことや、興行会場で売れ残ったTシャツを押しつけられる話だ。
 おばあちゃんの話は、確かにかなり滅茶苦茶だったが、なんだかおもしろそうにも思えた。ぼくはだいぶ乗り気になっていた。
 おばあちゃんの次の言葉を聞くまでは……。
  「まあ今のは冗談だとしても。でもねえ、あなた考えたほうがいいわよ」
 おばあちゃんの目は急にマジになった。
  「もうね、この商売、本当に儲からないから」
 儲からないだろう、という予想はしていた。だから、そのことには驚かなかった。だがぼくは、だからこそ、違う答えが聞きたかったのだ。たとえば「生活するのには困らないけど、決して儲からない」とか「たいして儲かる仕事じゃないから、好きじゃなきゃやっていけない」とか。
 そんな答えだったらぼくはきっと始めていた。確実にぼくはプロレスショップを選んでいただろう。しかし……
  「このビルねぇ、私のビルなの。だから家賃かかんないの。だけどもう閉めようかと思ってる。プロレスファンの人はね、1時間でも2時間でもここにいて、おしゃべりしていくの。でも買わない。お金は落とさないわよ。全然商売ににはならないわよ」
  「そ、そうなんですか…」
  「もう絶対。全然」
  「い、いや、プロレスショップ、何がなんでもプロレスショップって思ってたわけじゃないんですよ。あー、たとえば日焼けサロンなんかもいいなぁなんて…」
  「そっちにしなさい! プロレスは商売にしちゃダメ。絶対ダメよ!」
 間髪入れずにおばあちゃんは言った。
 ……ああ、よかった。本当に大阪に来てよかった。消去法ではあったが、これで次の仕事を「日焼けサロン」1本に絞ることができたのだ。

■ケタがひとケタ違いますよ

 なにせ年度末ぎりぎりの3月31日まで働いたものだから、あらゆるスタートが遅れ気味だった。その間、正利と結束を強めるかのごとく、世田谷のあたりで焼き肉を食べていたせいもある。店のオープンは理想を言えば5月の連休中であった。遅くとも6月のはじめがタイムリミットだと思っていた。
 なぜなら、日焼けサロンが稼げるのは「5月から7月」と非常に短いのがその理由だ。
 それなのに、学園をいざ退職しても、物件すら決まってはいなかった。それどころかタンニングマシン(日焼けマシン)の発注も、広告の掲載も何も手を打っていなかったのだ。
 まあ、それがぼくのやり方といえば、いつも通りではあったが。
 とりあえず、物件探しが先決と考え、毎日、不動産屋巡りが始まった。不動産屋のオープンから閉まる時間まで、自転車でしらみつぶしに一件一件あたった。
 巡り始めてすぐに、不動産屋というのは不思議な商売だなと思った。ぼくがすぐにでも借りたいのだと言い立てても、積極的に探してくれるところは稀であった。特に不動産屋の店長や社長とおぼしき人物たちは、あまりぼくの話に興味をもってくれない。たいていはアルバイトかパートの女の人あたりしか、ぼくにきちんと応対してくれないのだった。
  「あとでFAXを流しておきますよ」と言う人たちが、ほとんどで、実際に「今すぐ一緒に見に行きましょう」と言ってくれる人はあまりいなかった。
 その理由は、徐々にわかった。
  「保証金と家賃で、最初に納める額をなんとか150万円に抑えたい」これが原因だった。
 ぼくがこう言うと、「そりゃあ無理。1ケタ、ケタが違いますよ」と何度も言われたものだった。
 駅から3分以内で商店街に面しているところで、そんなに安いところなどないというのだ。だが、必ず見つけてみせると、ぼくはかなり意気込んでいた。予定額の150万円を200万円まで上げると、何軒か内見するまでたどりつくことができる物件がみつかった。
 しかし残念ながら、これらの物件はみな駅から遠く、とても商売に向いているとはいえない代物であった。それでも最終的にそろそろ決めなくてはならなかった。そんな時期にすでにさしかかっていた。
 いつのまにか季節はゴールデンウィークを迎えてしまっていたのだ。当初の予定はすでに崩れてしまった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第43回 職業相談

■月刊「記録」2003年4月号掲載記事

*           *          *

 各駅停車の扉が開くたびに、ぼくは目を覚ました。
 3月とはいえ、夜中の冷気はさすがにこたえる。こんなことならば、朝一番の新幹線に乗るべきだったと後悔した。
 大阪に着くまでにあと5、6時間はある。寒さとお尻の痛みで寝ることを断念した。ぼくは『プロレス・ファン』というチープなつくりの雑誌を取り出し、折り目のついたいつものページを開く。
 そこには、大阪にあるプロレスショップが3軒紹介されていた。

■お客さんが初めてだよ!

 どの店にも、所狭しとプロレスグッズが積み重ねてある。オシャレさとか見た目の良さとか雰囲気を一切無視した空間。ここは「プロレスショップ」。
 そこにぼくは、正利との共同生活における未来の「ある種の予感」みたいなものを感じていた。雑然としながらも夢や楽しさがぎっしりと詰まった生活。そんなものをつい夢想してしまうのだ。
 夜中の12時に横浜を出発したのに、大阪に着いたのは朝の10時だった。
 なにせ1日で3軒のショップを廻る予定だったので、とるものもとりあえず1軒目のショップへ向かう。大阪球場のそばにそのショップはあった。裏通り、しかもまるで人通りがない。目立った看板もなく、探し出すのにひどく苦労した。
 古くさびれたビルを階段で2階まで上がると自動ドアはなかった。その入り口のドアには、プロレスの興行用ポスターが所狭しと貼ってある。
  「(通いつめるものなんだなぁ~)」などと感心してしまうほど、さびれた印象を受けた。
 ドアを押し、店内に入ると実にガラーンとしている。雑誌の広告で見るよりも広く感じる。ぼくの他に客が一人もいないせいだからだろうか。
  「(いや、平日の昼なのだから、こんなの当たり前かもしれない)」などと思いつつ店内を見回すと、部屋の端っこにレジらしきものがあり、そこにはおばあちゃんが1人ちょこんと座っていた。
 しかし、いわゆるコンビニなどに備えられているカウンターのようなものはなく、プロレスグッズが山のように高く積み上げられ、そびえさせられたものがカウンター代わりとなり、おばあちゃんの居場所をなんとか確保している。
 いきなり声をかけるのも何かためらわれるようなたたずまいなので、とりあえずぼくは店の中を一巡りした。そしてプロレスTシャツを2枚とハルク・ホーガンの歯ブラシを手に持ち、おばあちゃんの元へ向かった。
 プロレスTシャツはどうせ外では着られないだろう。スポーツクラブで着るのも恥ずかしいデザインだった。買うのはもったいないな、と一瞬思ったが、手ぶらで将来の事業相談に乗ってもらうのも失礼な話だと思い、握りしめてレジへ向かった。
 レジの前で商品を差し出すと、おばあちゃんは、ぼくが話しかけるよりも早く話しかけてきて、
  「このホーガンの歯ブラシ、お客さんが初めてだよ!」
  「え?」
  「せっかくアメリカ人のね、関係者から手に入れたのに、全然売れないの」
  「えー?」
 ぼくには少し意外に思えた。Tシャツはちょっとアレだが、ハルク・ホーガンの歯ブラシなら、ぼくならいくつでも欲しいと思ったからだ。
  「あのう、ぼく、東京でプロレスショップ始めようと思ってるんですが」
 思い切ってそう言い、障害者プロレス“ドッグレッグス”の名刺を差し出し、名前を名乗ってみた。
  「あなたがプロレスショップやるの?」
  「はい…」
  「プロレス関係の知り合いとかいる?」
  「イイエ…」
 やっぱりコネなどがないとダメなのかもしれない。それはそうだろうなと思った。
  「大変よ、あの人たち。食事に連れて行けとか、いざ連れてったら、外人のレスラーなんか連れてくるし」
  「は?」
  「たくさん食べて飲んで、でもお代はこっち持ち。しかも売れそうもない商品や会場で売れなかったTシャツなんか、みんな押しつけられるわよ」
  「はあ…」
 なんだか無茶苦茶な世界である。
 だが、「(なんだか楽しそうだな…)」と、ぼくには逆にそうも思えた。
 無茶苦茶だが、雑多で汗まみれで、好きじゃなきゃやってられない商売。苦労もある。そんなのもいいなとぼくは一瞬思った。
 次のひと言を聞くまでは。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第42回 憧れの新聞配達員

■月刊「記録」2003年3月号掲載記事

*           *          *

「オレ、やっぱり、ガソリンスタンドではたらいてみたいのよ。あこがれてるのよ」
  「オレ、しんぶんはいたつしてみたいのよ」
 と、あいつは言った。
 新聞配達? ガソリンスタンド?
 無理だよ、無理に決まっている。おまえにはできっこない。だいたいここのところ毎週のように会って、ぼくと一緒に商売をする約束をしてきているじゃないか。それまでは今の仕事を辞めないで、頑張ると約束したじゃないか。
 まったく本当にあいつはあてにならない。ぼくの話も気持ちも何一つ聞いていやしない。

■少し頭と性格が悪いのですが

 だが、しばらく考えるうちに、ぼく自身の気持ちが変わってきた。
 あいつもあてにならないが、ぼく自身も先行きは不明で、まったくあてにならないのだ。次の事業が成功するかどうかもわからない。それより何より、事業の内容さえ、まだ決めていないのだ。
 新聞配達か、うん、こりゃもしかしたら、いいかもしれないぞ。
 だいたい新聞配達とくりゃ住み込みだしなあ、そんなに頭も使わなそうだ。あいつをぼくのところに来させる前に、新聞配達で働かせてみよう!
 ぼくはそう思ったのだ。
 思うや否やさっそく、学園の近くの朝日新聞配達所にぼくは向かった。
 外から見ると、中には人のいる気配がなかった。昼飯時だったので、もしかすると外に食事に行ってしまったのかもしれない。ぼくはガラス戸を開け、薄暗い部屋の中を見渡した。そして帰ろうとした。
 すると「何かご用ですか」と奥から声がして、50歳くらいのボサボサの髪をした男が出てきた。新聞配達員が配達時に着用しているような薄汚れたジャンパーを着ている。
  「すみません。人を募集しているかどうか知りたかったもので、勝手に入りました。あのう、所長さんはいますか?」
  「ああ、私が所長ですよ。あなたが配達するの? いくつ?」
  「いえ、ぼくではありません。ぼくはすぐそこの学園で指導員をしている神山という者です。卒園生で今17歳になる男の子を雇って欲しいんです」
  「ああ、いいよ。その子、その学園から通うの? 通うの大変だよ。朝、早いから」
 いきなり雇ってもいいようなことをこの人は言う。ぼくはびっくりしてしまった。
  「いいえ、もう卒園しているので、ここに住まわせて欲しいんです」
  「ああ、いいよ。今2人やめたから部屋空いてるよ」 いきなり雇ってくれて、いきなり住まわせてくれるらしい。新聞配達とはこんなものなのか?
 ぼくは、ただただ驚いてしまって、所長も立ったまま、ぼくも立ったままだった。当の本人はいないし、所長は本人のことも聞こうともしないし、ぼくも話してもいない。
  「あのう、そいつは、実里正利という名前で、少し頭と性格が悪いのですが、だ、大丈夫なのですか? 本当に?」
 仕方なくこちらから切り出した。
  「大丈夫だよ。頭が悪けりゃ集金とか営業とかやんないで、ただ毎日配ってくれればいいから」
 なんだか、とっても簡単そうだ。
  「では、どうすればいいですか?」
  「とりあえず連れておいでよ。お宅が色々話してくれたってしょうがないから。本人連れておいでよ。そうしたら仕事教えるよ」
 ぼくはあいつを連れてくる日を決めて、販売店をあとにした。次の日曜日、所長はいきなり会ってくれるという。
  「オレ、やってみたいとおもってたのよ」
 正利に電話をかけると、弾んだ声が返ってきた。
  「よーーし! 親方には内緒だぞっ! 新聞配達で体力でもつけとけ!」
 ぼくも威勢良くそう励まして、日曜に待ち合わせることにした。
     *
 雲一つない晴れ渡った日曜日だった。
 一応、スーツを着ておいたほうがいいかと思い、前日に押し入れの奥からスーツを引っぱり出した。革靴が見つからなかったので、近所にある、学校だけを相手に商売をしているような小さな靴屋で急いで靴を買った。準備は整った。
 しかし、当日、あいつは時間通りに来なかった。
 もっと正確に言うと、あいつはその日、面接にさえも現れなかったのだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第41回 新生活への希求

■月刊「記録」2003年2月号掲載記事

*           *           *

 学園は冬休みに入った。正式に退園表明を出してからは、ぼくはほとんど毎週のように正利と会った。場所はいつもあいつの好きなハンバーグが食べられるファミリーレストランか焼き肉屋だった。
「おい正利、おまえ、おれと一緒に仕事するだろう?」「うん」
 特に喜んでいるようにも見えない。相変わらずの無表情であった。
「おまえ、まさか今の仕事続ける気なの?」
「ううん。あんなとこ、いたってイミないのよ」
「そっかあー。じゃあ辞めよう! でも親方にはまだ言うなよ」
「うん」
「おれがおまえは辞めていい、と言うまではだめだ。さあ来い、と言うまでは、おまえは今の所で働くんだ。つらいだろうけど、我慢しろよ」
「うん」
「でも、もうすぐだからな。あとちょっとで、おれとおまえは好きなことをやって暮らしていける」
 まるでぼくは正利ではなく、自分自身にそう言っているかのようであった。

■ルーチンな日々への起爆剤

 うまくいくのか、いかないのか、皆目分からなかったが、新しい事業のことを思うと、それだけで楽しくなり、リスクは考えなかった。資金繰りにしたってなんとか開店にこぎつけられれば何とかなる。そう思っていた。 ぼくは、ただただ、今の生活が嫌になっていたのだ。学園にいれば安定した生活は保障されている。給料も良く休みもある。公務員に準ずる待遇であったため、余程のことがないかぎり、リストラでクビになることもない。
 じゃあ何か? ぼくは夢を追うために冒険を選んだのか?
 それとも微妙に違う。ただ単に普通である毎日、形式的である毎日、安定した生活に対して、何かを発したかったのだと思う。
 いや、むしろ当たり前という世界から逸脱してしまった子供たちに、常識をたたき込むかのようにみえた保母たちに反発したかったのだろう。普通であること、安定すること、社会に適応することを目標とさせる保母たちと、当たり前のようにそれを目標にする子供たち。そんな奴らに辟易としていたのだ。「つまらなくくだらない人生、無責任な人生を生き、自分たちを捨てた親」。そんな親から生まれたくせに、「オレだって人並みの大人になれる」と思い込んでいるガキ共。ぼくはそんな当たり前で、まっとうで、お利口さんな彼らすべてに何かを見せつけたかったのだ。
 ぼくは彼らにこう言いたかった。
「オレは思うよ。お前たち、無理すんなよ。保母の言うことなんか聞くなよ。何が自立だよ。何が安定だよ。何が大人だよ。オレたち大人だって、つまらない安定や普通にしがみつくくだらない存在だよ。でもお前たちがそんな道に進みたいなら進めばいいよ。オレは逆に進んでいってみる。まあ、見てろよ、お前ら」
 そのために必要だったのかもしれない。正利というヤツが。そんな世間の安定から逆行しようとするぼくの人生における実験材料に、あいつはきっとなっていたのだ。
 ぼくの「ノルマを果たし続ける人生」。その題目の犠牲者。それがあいつ、正利なのだった。
 そして、あいつはぼくにとって、まさに最適な実験材料だった。
 会うたびごとに、ぼくに自分の要求魚突きつけてくる。
 そのあたりが、自分の本音を隠して大人の顔色をうかがう学園の優等生たちとは違うところだ。
 ぼくがあれほど口を酸っぱくして「来ていいと言うまでは、今の仕事を続けろよ」と言ったのに、そうすれば「オレとお前で好きなことをやっていけるぞ」とまで言ったのに、相も変わらず、
「オレ、やっぱり、ガソリンスタンドではたらいてみたいのよ。あこがれてるのよ」
 だの、
「オレ、しんぶんはいたつしてみたいのよ」
 だのと言う。
 やはりスケールが違う。ぼくの話も気持ちも何一つ聞いていやしない。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第40回 実行の時

■月刊「記録」2003年1月号掲載記事

*         *         *

「辞めます。本当に辞めるんです。3月いっぱいで辞めさせていただきます」
 正利との共同生活を決意した今、今の施設での仕事を続けることを、ぼくは無理であると判断し、主任保母にその決心のほどを告げたのだ。
 もうぼくの目の離れたところへ、あいつを仕事に出すことに限界を感じていたからだ。
  「でもねえ、今辞められたら困るのよ。もう一回考え直してくれない?」
 少し優しそうな顔で、でも困った表情で、保母はぼくをなだめるように言った。
  「もう、決めたんです」
  「いつ?」
  「昨日です」
  「だったら考え直したほうがいいわ」
 保母の言葉にぼくは今度ばかりはきっぱり言った。
  「何度考えたって、辞めるしかありませんから」
 ここで譲るわけにはいかない。いつも、どんなときでも、ぼくは保母さんたちに従ってきた。どんなときだって、ぼくは忠実な部下でいた。でも今度ばかりはそうはいかない。
 あいつが、正利が、ぼくを待っているのだから。

■もはや理由ではなく

  「確かに何のあてもなくて、ぼくも不安です。でも、あいつは親方にも匙を投げられて、どこへも行くあてがないんです」
 この頃になると、主任保母の顔は明らかに呆れ果てたものに変わっていた。そしてこう言った。
  「あのねえ、もうちょっとマトモに考えなさい。先生ももう30でしょう。赤の他人、しかも16歳の男をどうして30歳の男が養うのよ。養っていけるの? ただの共同生活じゃないのよ。フィフティ・フィフティな関係じゃないの。正利に経済力がある? 下手すれば先生が二人分稼がなきゃならないのよ。家賃だって、食費だって、遊ぶお金だって、全部先生がやりくりしなきゃならないのよ。そんなお金ないでしょう」
 ごもっともであった。全くその通りである。しかし、ぼくも辞めるという話を出した端から、ぼくがぼくなりに温めてきた計画を言うわけにもいかなかった。だが、ぼくはその計画にかなりの自信を持っていたのである。  「大丈夫です。心配してくれてありがとうございます。とにかく、あいつも仕事辞めるし、ぼくも辞めさせてください。あいつと、とにかく二人にさせてください」 なんだか結婚を反対する親に対して、なんとか説得しようとしている気がしてきた……。
 それにしてもぼくは普段、何一つ決められない気弱な人間なのに、何だろう、この今回の気持ちの強さは。まるで揺るがないのだ。
 周りの人の意見もまるで耳に入ってこない。決められたことを、ただただ実行するのみ、という感情以外にないのだ。
 それからも保母と私の「辞める」「考え直しなさい」のやり取りは何度も続いた。
 しかし11月の下旬になり、ぼくはついに園長に直々に退園願いを出し、受理してもらった。
 その瞬間、「何もかもが終わった」という放心状態になるかと思っていたが、逆に一晩にしてすべてが動き出す気配を感じた。
 まさにぼくの計画の第一歩を実行する時が来た。
  「プロレスショップ」か「日焼けサロン」。このどちらかを今まで貯めた金と借金とで立ち上げる時が来たのだ。
 ぼくにとってはどちらでも良かった。正利とやる。正利が暮らしていける。しかも楽しくだ。それが嬉しく、大事だった。
 何故か? わからない。
 正利みたいな奴は、当時だって今だって、好きか嫌いかと聞かれれば、むしろ嫌いな部類に入る。でも何故かあいつのこととなると「何かしてあげられたらなあ」ではなく「なんとかしなければ」になってしまうのだ。
 ぼくには、子供の頃からちょっとした癖があった。
 いつも自分自身にノルマを課してしまうのだ。
 今では、朝から晩までノルマだらけだ。朝は何時に起きなければ「いけない」。シャワーを浴びるときは、ここから洗って、ここで終わらなければ「いけない」。しかもていねいに時間をかけなければ「いけない」。夜は何時までに寝なければ「いけない」。そんな類の小さいノルマがたくさんあるのだ。日に日にノルマは増えていき、今では時間が足りなくて困っているくらいだ。
 そして今までの人生最大のノルマが正利のことであった。
 正利を引き受けようとする理由を、あえて聞かれるならば、自分なりにはこう解釈できた。
 そう考えてみると、すべてにつじつまが合う。何のためか? や、利益または不利益? や、好き? 嫌い? などのすべてが関係ないのだ。なんといおうと、これはノルマなのだから。ノルマはこなさなければ次へ進めない。ノルマはぼくのなかでどんどん増える一方だ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第39回 一つの決断

■月刊「記録」2002年12月号掲載記事

*           *           *

「先生、困るんだよ。実里の奴、いきなりお姉さん連れてきましたよ」
  「…はあ、お姉さんですか…」
 土曜日の朝、また朝早くから電話が鳴った。
 朝一番の電話は、きっとろくなものじゃない。だが、居留守を使おうと思ったときにはすでに遅かった。手が条件反射で受話器を取ってしまっていた。
 電話の主は親方だった。親方からの正利に対しての苦情の電話だった。寝起きのぼくの頭は、まだほとんど働いていなかった。お姉さんが、正利の寮へ行くなんて、確かに珍しいことだとは思う。でも、それが苦情を言われるような、いけないことだとは思えなかった。
  「お姉さんが行くと、何かまずいんですか?」
  「いやぁ、お姉さんが来たとたん、二人で荷物をまとめて出て行こうとしたんだよ」
  「はあ?」
  「本日限りで“辞めさせていただく”ってお姉さんが言うんだ」
  「はあ?」
  「それで先生のところへ行くって言うんだよ。いったいこの前実里に会ったとき、何を吹き込んだんですか」  「いや、特別なことを言った覚えなんてないんですが…。あいつの悩みを一方的に聞かされていただけなんですけど。…でも、何だって“本日限り”なんて言い方をして、荷物までまとめちゃったんでしょう?」
  「お姉さんねえ、実里の給料が少ないんじゃないか?  って言うんだよ。そんなことはないって言っても、搾取してるんじゃないか?  みたいなこと言うんだよ」
  「……」
  「そんなことあるはずないでしょ。“だいたいどこからそんな話が出てきたんだ?”って聞いたらね、弟は7万円の小遣いがあるはずなのに、2万円くらいしかもらってないって言ってる、って言うんだ。実里の言うことは信用して、私の言うことは納得しないんだよ、どういうことですか、先生」
 どういうことですかと言われても困るが、たしかに親方の言う通りである。なぜお姉さんは、“あの正利”の言うことを一方的に信じてしまえるのだろう。つまりそれは、それくらい、正利との接触が少ないということだ。正利の言い分を簡単に信じて行動に移せるほど、正利を知らないということだ。
  「でも、そんなの、お姉さんに給料明細なりなんなりを見せれば済むことじゃないんですか?」
  「そうなんだ。だから見せたんだよ。見せたけど、ほら、うちは明細が手書きだろ?  コンピュータとかワープロなんてもんは使ってないんだよ。うちのカミさんが手書きで書いてるんだよ。そうしたらね、なんか怪訝な顔してね、疑わしそうな顔して“わかりました”って言って帰っていったよ。あの人はね」
  「じゃあ、よかったじゃないですか」
 寝起き頭のぼくの呑気な答えに、親方はどこかが切れたらしい。急に苛立たしげな声で苦情を言い始めた。
  「冗談じゃないよ先生、問題は実里のほうだよ。辞められなかったからって、ぶすっとしててよ、もうずっとだよ。ろくに口も利かないし、仕事もしないでボーっと突っ立ってるよ。“お前なんで仕事しないんだ”って言うと“おれ、せんせのとこ、いくから、いい”って、こうだよ。“先生のところへ行くのはかまわんから、今は働け”って言ってもダメ。もう呆れて何も言えないし周りも何も言わないよ。どういうことなんだよ、先生」
 話しているうちに、いろいろ思い出されてくるのか、親方の口調は次第に激しさを増していった。
  「小遣いはすぐに使っちまうし、その日の弁当代と往復の交通費渡しても、昼の休憩時間に全部使っちまう。それで現場の帰りには、改札のところでボーっと突っ立っててよ。“何してる、切符買え”って言っても何も言わない。ははあ、こいつ金がないんだと思って切符買ってやっても、礼も言わない」
 まくし立てるように親方は続ける。合間に言葉を挟もうとしたが、親方の剣幕に圧されて、何度も失敗した。だが同時に、親方の言葉を聞くうちに、ぼくのなかには次第にある決心が固まってくるのを感じた。
  「先生、あいつはな、結局のところ、どうよくしてやったって何とも思ってないんだ。仕事はしないけど金は欲しい、そういう奴なんだよ、あいつは」
 今までの不満が溜まっていたのだろう。さんざん苦情を訴えた挙げ句、最後の最後に親方はこう言った。
  「先生、うちはもう、あんな奴いらないんだ。迷惑なんだよ。慈善事業じゃないんだ、先生。あんたんとこでなんとかしてくれよ。今すぐだよ。半年先とか一年先の話じゃない。今すぐだ」
  「わかりました」
 自分でも驚くほどはっきりした声が出た。
 決まったのだ。これで何もかも決まったのだ。声に出してしまって自分のなかにあった迷いが一気に吹き飛ぶのを感じた。もう考えている場合じゃない。迷っている場合でもない。ぼくは心のなかに温めていたある計画を今すぐ実行するべきだと、そのとき決断したのだった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第38回 早朝の電話

■月刊「記録」2002年11月号掲載記事

*          *          *

 秋深まり、冬間近の朝、ぼくは電話のベルで起こされた。正利からだった。暗く沈んだ声。なんでも仕事を辞めるという。
 たまの休日、ゆっくりとまだ寝ていたいところに、また、やっかいな問題が割り込んできた。細かいことはわからないが、声の様子からするとなにやら事態は深刻な様子だった。
 ぼくは、今すぐ、ぼくのアパートへ来るようにと正利に指示した。すると“金がないから、こっちまで来てほしい”と言う。親方から借りればいいじゃないかと伝えても「あのひととは、口をききたくないのよ」と言う。 あきれた奴だ。何か無性に腹が立ってきた。今すぐに会ってやる必要もないか、という思いになり、
「わかった。そっちに行く。だけど昼は用事があるから、夜にな」
 そう言って、待ち合わせの場所を決め、ぼくはもう一度眠りについた。
         *
 待ち合わせ場所に着くと、かなりの人混みだった。正利を探すことができるかどうか心配になった。
 しかし、不思議なものである。すぐに見つけることができた。遠くから見ているのに、こんなに周りには人がいるのに、正利のいる場所だけに、スポットライトが当たっているように、見つけだすことは容易であった。
「待ったか?」声をかけてみる。
「あー」浮かぬ顔でも、ぼくに会えて嬉しそうな顔でもない。ただただ無表情。
「何か、麺でも食いながら話でもしようか?」
「あー」正利は、ぼくの顔を見ようともしない。
 ぼくからは、スポットライトが当たっているかのごとくあいつが見えているというのに、正利には、ぼくのことなどまるで見えていないようだ。
 レストラン街に入ると、一番手前にお好み焼き屋があった。
 ここでいいや、と、ぼくは思った。ラーメン屋を探す手間が面倒だった。
「おい、ここに入るぞ」
「……」何も答えがない。
「おい、入るぞ」
「……」
「おい、聞こえてんのか?」
「……」
「おまえが相談があるっていうから、おれはわざわざ来たんだぞ」
「……」
 何を考えているのか、さっぱりわからない。浮かぬ顔、焦点の合わぬ視線、ただボーっと突っ立っている。
「おい」と、僕が語気を強めると、あいつはようやく重い口を開いた。
「おれ、きょうは、ハンバーグがいいとおもうのよ」
「はあ!?」
 本当にあきれた奴だ。悩み事がある、相談事がある、仕事を辞めたい、と言っている人間の言葉とは思えない。だから朝っぱらからの電話なんてろくなもんじゃないと思ったのだ。
 受話器を取るんじゃなかった、心からそう思った。
「あのね、おれはハンバーグどころじゃないんだよ。時間ないの。明日も仕事があるの。ここで食うよ。ここで決まり。はい、入るよ」
 無理に店内に正利を連れ込み、席に落ち着き「仕事、やめたいんだって?」と、ぼくはさっさと話を始めた。「あー、うん」
「なんで。理由は?」
「……」
「おまえね、理由もなしに辞められるわけないだろ?」「……」
「おい、わざわざ遠くからおまえの相談に来てんだから、口ぐらい開けよ」
 ぼくがムッとし強い口調で言うと、あいつはやっと、「おれ、…みんなに、なぐられるのよ」と口にした。
「はあ、本当か、それ?」
 そのとき、ぼくたちの前に水とおしぼりが運ばれてきた。
 おしぼりを取り上げ、拭った正利の手は、あまりにも汚れていて、みるみるうちに、おしぼりは真っ黒になった。驚いてよく見ると手だけではない。服も髪の毛も、何かすべてが汚れているように見えた。いや、明らかに汚れている。正利は、もう何日も風呂には入っていないようだった。
「誰に殴られるんだ?」
「みんな」
「おまえ、そりゃあ大げさだろう」
 いくらなんでも、みんながこぞって正利を殴るわけないさ、そう言ったぼくの前で、少し不満そうに首を傾げたあいつは、
「おれ、せんせいになんていわれても、やめるからね」 と言った。
 こういうときの正利は、強情で手に負えない。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第37回 境目の日

■月刊「記録」2002年10月号掲載記事

*           *           *

 市営プールでの待ち合わせに、とうとう正利は来なかった。
 約束を守らなかった。そんなことは今までもしょっちゅうだ。日常茶飯事のことである。
 そもそも約束を守る、あるいは覚えているということのほうが、あいつにとっては、難しいことなのだから。 しかし、この「市営プールに正利と友人が来なかった」日が、思い返せば、ぼくと正利との関係の一つの境目であったように思う。
 あの日を境に、ぼくと正利との本当の意味での付き合いが始まった気がしてならない。それまでは、どんなにあいつが脱走しようと逃げようと、施設が責任を取ってくれていたが、これからはそうもいかないのだった。ましてや正利の姉は、いつでも責任を取れる距離にはいない。
 つまり、正利と付き合うこと、それに伴う責任とリスクを本当にぼくが覚悟していかねばならない日が、このあたりから始まっていたように思う。

■愚痴だらけの電話

 順調にいっていると再三言われていた正利の仕事と職場での人間関係は、じつは、すでにこのとき、破綻しかかっていた。
 仕事場でのあいつが、仕事ができないのはわかっていた。それを承知で採用したのは、親方のほうである。現に親方は、「長い目で見て一人前になってくれれば、それでいい」と思ってくれていたようだ。事実、親方は、正利には、いきなり無理な仕事はさせなかった。正利はいわゆる、見習い的な立場なのだった。
 通常、職場に入ってから、2~3か月もすると、先輩につき、同じような仕事をし始めるのだが、親方の配慮によって、正利はまだ見習い的な位置にいた。
 3か月たっても、4か月たってもそれに甘え、陽射しの強い夏、猛暑の中、汗水たらし働く同僚・先輩たちをよそに、正利は日陰でいつもぼんやり突っ立ったままでいた。
 突っ立ったままの正利は、いつの間にか手を膝にやり、次には腰を曲げ、気づくと今にも座りそうであった、という。
 そんなことが度重なると、先輩・同僚たちの不満はつのった。「あいつは見習いだから」そう親方から説明されていた彼らの感情は、だから、まず、親方にぶつけられた。
「なんで、俺たち、あいつと同じ給料なんですか?」
 同僚はこう言った。
「見習いなら、給料を減らしてもいいんじゃないですか?」
 聞いていた先輩たちも同意見であった。
 それでも親方は、施設出身者である正利には優しかった。
「あいつは、雑用をやっているんだから」
 そう言って、皆をなだめてくれていたという。
 もちろん、親方の言葉に、「まあ、ぼーっとしているけど、おもしろいやつだしなあ」と、なんとなく受け入れてくれている先輩もいた。
 しかし、雑用といっても、ジュースやタバコ・弁当の買い出し、食事の後かたづけなど、微々たるものである。到底、納得などできずに、正利に無理に仕事をさせようとする先輩も現れ始めた。
 一輪車にコンクリートを詰めて、正利に運ばせる。すると非力で要領のつかめない正利は、よろけてコンクリートをぶちまける。それ見たことか、と、先輩は、やって来て正利の頭をポカリ。
 そんなことが続いていたらしい。正利はプールでの約束を破ったにもかかわらず、以来、ぼくに頻繁に電話をかけてくるようになった。
「せんぱいが、ぶつのよ」
 思い出してみれば、そんなことをよく言っていたように思う。
 ぼくは、まだそのとき、正利の訴えをあまり気にとめてはいなかったが、正利が明るい声で、職場のことや同僚のことを話すことが、あの夏のプールの日以来、なくなっていたことは事実だった。
「つかれたのよ」
「からだがしんどいのよ」
「おかねがたりないのよ」
「どうりょうと仲良くはできないのよ」
「おやかたは、つめたいのよ」
 そんなことばかりを電話をかけてきては、延々と愚痴る日が続く。
「そんなに話したいことがあるなら、俺のアパートに来いよ」
 ぼくのほうも自然と、頻繁にあいつを誘うようになっていった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第36回 新しい生活

■月刊「記録」2002年9月号掲載記事

*          *          *

 正利の就職先が決まった。ついに決まったのであった。大阪に本社がある左官屋であった。
 実際のところ、仕事はできるのか、職場に適応できるのか、依然として不安はつきなかったが、どんな形であれ、とにかく学園から“就職”という形であいつを送り出すことができたのだ。
 なんとか担任の責任を果たすことができた、という思いに、ぼくはホッと胸を撫で下ろしていた。
 とはいえ、本当のことをいえば、きっとあいつはすぐに辞めて戻ってくる、正利に仕事なんかできっこない、ましてや続けていくことなどできるはずがない。
 ぼくはそうも思っていた。
 それは正利というやつの性格を並べたうえでの客観的判断でもあったが、どこかがぼくの希望的観測でもあるのだった。

■日々はめまぐるしく過ぎても

 4月になり、新しい学期が始まり、ぼくも新しい児童たちの担任になった。
 当たり前だが、正利とはぜんぜん違ったタイプの中学生たちの担任だ。もう、わけのわからないことで頭を悩ませることもない。
 せわしない新学期のなかで、あっという間に月日は流れていった。5月になると中間テストが始まり、ぼくは子供たちと夜な夜な勉強した。6月になると、さらに子供たちとの距離を縮めるために、ぼくはアパートに彼らを招待し、焼き肉をごちそうし、新品の布団に寝かせてもやった。
 そうして日々は過ぎていった。めまぐるしく時間が過ぎ、新しい出来事もたくさん起こった。しかし、どんなときでもぼくは正利のことを忘れることがなかった。普通は、児童がが卒園して3ヵ月も経つと、お互いに新しい生活に追われ、また慣れ、だんだんと互いのことなど忘れてしまう。
 だが、ぼくは違ったのだ。
 ときどき、ぼくは左官屋の親方のところに電話を入れてみた。すると、いつも親方の奥さんらしき人が電話口には出た。
  「正利、お願いします」と、ぼくが言うと、
  「ああ、里屋くんね」と奥さんが言う。そして、
  「さとやくーん、電話よー」と、大きな声で呼んでくれた。
 正利という呼び名ではなく、「さとやくーん」という奥さんの電話越しの声を聞くと、
(ああ、あいつは遠いところへ行ってしまったのだな)と、ふと寂しい気持ちになった。
 電話口で正利は、
  「だいじょぶよ。しごとたのしいのよ」と、いつも決まって言った。
 ただ、ぼくには、あいつの声が、そんなに弾んだ声には感じられなかった。
 気のせいだろうか、自分の寂しい気持ちがそう感じさせているのだろうか、とぼくは、受話器を眺めながらぼんやりと考えた。

■ある朝の電話

 夏休みに入ると、暑いことが苦手で、体を陽に焼くことがもともと大好きなぼくは、ほとんど毎日のように子供たちをプールへ連れて行った。
 朝一番に集合し、午前中に近所のプールでひと泳ぎして、午後には学園に戻る。そんな日課だった。
 そしてそれは、そんなある日のことだった。
 朝、珍しく正利のほうから電話が入ったのだ。
  「せんせい、いまから、そっち、いっていい?」
 まったく唐突な正利からの連絡だった。だが、正利が唐突なのは、いまに始まったことではない。そしていつもとは違い、電話の声はとても明るく弾んでいるように聞こえた。
 話を聞けば、夏休みをもらうことができて、3日間続けて休めるのだという。
  「あー、いいよ。いいよ。来いよ。でも、ほら、他の子もいるからさ、昼寝の時間には学園に戻らなきゃいけないんだ。でも、今からそっちを出れば間に合うだろう?」
 ぼくも思わず、陽気な声を出していた。
  「だいじょぶよ。きょうは、ともだちもつれていくのよ」
 友達さえよければ、正利ともどもぼくのアパートに泊まっていけばいいのだ。久しぶりの懐かしさも手伝い、ぼくは単純にそう思い、楽しい気分になった。
 正利とは、市営プールの前で待ち合わせをして電話を切った。
 しかし、昼寝の時間になって、学園に戻る時間になっても、正利からも、その友達からも連絡さえ入らなかった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第35回 就職活動の苦難4

■月刊「記録」2002年8月号掲載記事

*           *            *

「無理を承知の上ではありますが、何とかこいつを雇っていただけないでしょうか」
 だだっ広い、いつもは礼拝をするための講堂に正利を呼びつけ、現れた正利の叔母を前に、ぼくは単刀直入に懇願した。
「わかっていますよ。この子のことは、いつも頭の片隅にはあるんですよ」
 さすがに歳を重ねているだけのことはある。姉とは違い(先ほどの嫌味たっぷりの口調は置いといて)、いかにも信頼できそうな叔母の対応である。
 希望の光を見た思いがし、ぼくはすがりつく目をして次の言葉を発した。
「叔母さんと直子姉さんの間で、いろいろな事情があることはわかります。でもそれって、正利とは関係ないことだと思うんですよ」
 どうかここはひとつ! 手を揉み合わさんばかりに頼み込むぼくの前で、叔母はしばらくうつむき考えていた。そして、しばらくすると何かを決意したかのように、おもむろにきっぱりと頭を上げた。
「今、うちはですね。元首相のお宅に仕事に入らせていただいております。バブルが弾けた今、この仕事をしくじるわけにはいかないんです。今、正利を使う余裕は、うちにもないんです。先生」
 あまりのきっぱりした態度と口調には、相手に二の句を継げさせない頑なさが読み取られた。ぼくは思わず言葉を失った。
 ……ああ、やっぱり、またか。
 まただ。とうとう親類にまで正利は断られたのであった。

■最終兵器使用

 仕方なく、再び就職先探しの日々が始まった。
 正利の中学校の先生と一緒にハローワークめぐりの日々である。
 最初は、障害者が働くための更正援護施設を探していたが、職員と話をしてみると、案の定、障害者手帳を持たぬ正利には無理な進路なのであった。
 そして苦心惨憺のあげく、やっと見つけたのが住み込みの建築業。左官屋である。
          *
「何でこの仕事やりたいと思ったんですか?」
「わかりません」
「仕事の内容はわかってるかな?」
「わかりません」
「じゃあ仕事のことはとりあえずいいや。何か特技は?」
「バスケです」
「ああ、バスケットボール。得意なんだ。部活動か何かやってるの?」
「いいえ」
「じゃあ、そんなに上手いってわけじゃないんだね」
「いいえ」
「じゃあプロの選手になれるほど上手いの?」
「わかりません」
「……もしかしたら、大阪とか、静岡とか、今、住んでいる所から遠い所で仕事するかもしれないんだけど、大丈夫?」
「はい」
「じゃあ、勤務地の希望は特になしでいい?」
「わかりません」
「どこでもいいのかな? とりあえずは」
「わかりません」
 以上が、正利と面接官とのやりとりである。
 ぼくはこのやりとりを隣で聞いていて、思わずうなり声を上げそうになった。
 正利、おまえやればできるじゃないか。ぼくの隣にいる正利がどんな質問に対しても間髪入れずに受け答えをしている。
 正直驚いた。今日まで、あいつに対して行ってきた「最終兵器・反復練習」がここまで有効であったとは。
 最終兵器・反復練習のポイントはこうだ。
 ①はっきりわかることには答えてよし。
 ②ちょっとわかることには「ハイ」。ちょっとわからないことには「イイエ」。
 ③なんだかわからない質問には「わかりません」。
 この3つだけを徹底してぼくは反復させた。そして、今まさに、あいつは無表情ではあるが、確実に受け答えしているのだ。日頃の返事ナシ・相槌ナシ・挨拶ナシのあいつではもうないのだ。
(…もらった。この面接はいただいた)
 ぼくはそう確信した。
 そして、正利の就職先が決まったのである。ついに決まったのである。
 大阪に本社がある左官屋である。
 仕事はできるのか、どのくらい続けることができるのか、依然として不安はつきないが、しかし、どんな形であれこの学園から“就職”という形で、あいつを送り出すことができるのだ。ぼくはホッと胸を撫で下ろした。 責任は果たした。とりあえず、なんとかなった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第34回 就職活動の苦難3

■月刊「記録」2002年7月号掲載記事

*       *        *

 鉄鋼所が設置した面接会場にたどり着く。汗を拭きつつ面接官の前に座ると、工場長はなにか、そのへんにいる近所のおじさんといった風貌の人であった。
 中肉中背の全身には特にこれといった特徴もない。ただ、スラックスに現場特有の制服のような作業着を着た姿だけが、工場長の雰囲気を醸し出していた。
 話を始めると、工場長は気さくな方で、時間ギリギリに汗を拭きつつ到着したぼくたちに皮肉の一つも言わず、仕事の内容、就業規則について、いろいろな話を事細かに説明してくれた。
 しかし、しかしである。あいつときたら……。
 挨拶なし。返事なし。相づちなし。愛想なし。そして表情なしのナイナイづくしである。
 とうとう面接のはじめから終わりまで、結局、何もせず、一言も声さえ出さなかったのだ。
 まるでぼくが、このぼくが、面接を受けているかのように、あいつのすべてを代弁していただけだった。
 帰り際、会場を出ようとすると、主任が小走りでこちらに向かって走ってくるのが見えた。何か言い忘れたことでもあるのかと立ち止まり、
  「どうしたんですか?」
 と訊ねるぼくたちの前で、ぼくではなく、正利の正面に立ちはだかり、彼は言った。
「だめじゃないか、返事くらいしなきゃ、挨拶くらいしなきゃ! 最低限のことだろう!」
 吐き捨てるようにそれだけを言うと、主任は立ち去っていった。
 ぼくは、彼の後ろ姿を眺めながら、心のなかでつぶやいた。
(また、だめか。ああ、またなのか……)

■八方塞がりの面接練習

「おい、違うだろう。トントンってドアを叩くだろ、それで“どうぞ”って言われたら、“失礼します”って言って入ってくるんだよ」
 ドア越しに、ぼくは大声で正利に注意する。
 それにしても…。何回やってみても全然だめなのだ。 面接の練習を始めてはみたものの、にっちもさっちもいかないことを改めて知った。これじゃあ落ちても当然だ。
 返事もなし。挨拶もしない。相槌も打たない。ヒョロっとしたやたらに色の白い分厚い唇の男。そんなヤツはどこにも行くところがなくて当然だ。
 いずれにしても、製本所・畳屋・鉄鋼所すべてがダメだった。おまけに「まずは職業より、住む場所から確保してはどうか?」という主任の最後のアドバイスに従って受けたY市の南区にあるグループホームも落ちた。これは入所資金が不足していたためだ。
 八方塞がりとはこのことだ。もう、ほとほと嫌気がさしてくる。
  「もう一回やってみな」
 トントン「…しつれいします」
 相も変わらずもぞもぞと、くぐもった声を出しやがる。この声がいつもぼくを苛立たせる。
  「聞こえねーよ! 声が小っちゃいんだよ」
  「でも、言えるようになっただけでも進歩だよ、先生」
 面接の練習を手伝ってくれているサエコが、ぼくの苛立ちを見かねて口を挟んだ。
  「そうだよなあ、そうとでも思わないとやってられないよなぁー」
 思い起こせば姉の直子が、約束通りにきちんと正利を引き取ってくれさえすれば、こんな苦労はしなくてもすんだはずである。
 あるいは、そもそも直子が“引き取る”などと言い出さなければ、国立にいる正利の叔母の家業である、左官屋に入れるための段取りを最初から取っていた。
 ぼくはしばし考え込み、そしてハッと気づいた。
(そうだ! 叔母だ。イチかバチか。あの叔母に連絡を取ってみようではないか!)
 直子と国立の叔母は犬猿の仲といってもいい。今、姉の直子を差し置いて、叔母と連絡を取り合うことは、ひょっとしたら大変まずいことになるのかもしれなかった。あんな姉でも正利は、直子のことを慕っている。
 だが、しかし、ぼくは頼りにならない姉よりも、経済的にも精神的にも自立しているであろう叔母を頼ってみるべきだとこのとき気づいた。
 もしかすると、すんなり、過去のことはさておいて、正利の左官屋入りが決定するのではないか? などと、甘い考えが首をもたげてきた。
        *
  「しかしねぇ、それにしても気持ち悪いほどそっくりねえ。あの姉さんに。ああ、なんか思い出してきちゃった。ああ、いやだ」
 叔母は正利を見るなりそう言った。久しぶりの対面だというのに、懐かしむどころかその物言いは、むしろ皮肉に溢れていた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第33回 就職活動の苦難2

■月刊「記録」2002年6月号掲載記事

*          *          *

 その日はなぜか11月だというのに、少し動くと汗ばんでしまうほど暖かい春を思わせるような陽気だった。駅のホームから電車が来るであろう方向へ目を向けると、線路が立ち昇る水蒸気でユラユラと揺れて見えるほどであった。
 こんな陽気なのに、ぼくはスーツにネクタイを締め、同様に正利もブレザーにネクタイといういでたちであった。
(今日はしくじるわけにはいかない)ぼくはそう思った。これ以上この正利のためだけに時間を割くわけにはいかない。今日は正利の面接であった。
 ぼくには、正利のほかにも受け持っている担当児童がいる。そのなかの一人が、先日学園に火事を起こした原田だ。彼のことも気にかかっていた。
 高校3年である原田は、会社からすでに就職内定を受けてはいたものの、火事による精神的なショックから、未だにほとんど口も利けぬ状態であった。
 しかし週末には、そんな原田を連れて、ぼくは内定先であるY市の工場へも行かなくてはならない。
 一部の企業には、内定を出したあとに、施設の出身者に対してもう一度、出生やら生い立ちやらを調べるところがある。とはいっても、いざ担当者に会ってみると、意外と施設そのものへの知識は少ない。
 素行が悪くて施設に入れられたのでは? どこかに障害があるので施設に入っているのでは? などと思っている人たちがほとんどだ。
 そこでぼくはまず、彼らに「施設に入ったのは、この子自身に問題があるのではなく、この子の親に養育能力がなかったからなのだ」ということを説明しなければならない。
 まあ、この2点さえ理解してもらえれば、たいていの担当官は、すぐに納得し、安心してくれるのだが。
 だが、原田には火事の件もあった。火事の原因は、原田によるタバコの不始末なのだ。
 火事のこと秘密にしておくべきか、ぼくは迷っていた。正直に言ってしまえば、原田の内定は取り消されてしまうかもしれない。そうなると原田は、火事のショックに加えて、さらに心労を重ねてしまうことになるだろう。

■あわや遅刻!? の面接会場

 それにしても、いつまでたっても電車が来ないのだった。
 余裕をもって学園を出て来たぼくと正利であったはずなのに、刻一刻と面接の時間は迫ってくる。そもそもこの路線は、工場の従業員たちの送迎のために造られたようなもので、一般の人間にとっては、あまり利用価値のあるものではないらしい。時刻表を見ると、朝と夕方には本数が多いのだが、昼間は極端に少なくなっている。 苛々しつつ電車を待ち、やっと来た電車にぼくと正利は飛び乗った。腕時計を見ると、なんとか面接開始の20分前くらいには到着できそうだ。そこで、工場の名前がついた駅でぼくたちは条件反射のように飛び降りた。すぐ目の前には、工場の正面玄関があり、ぼくたちは息を切らして建物に飛び込んだ。
 だが、受付で面接すべき部署名を告げたぼくたちに、なんということか、受付の人は、面接会場は隣の駅だという。
 そんなバカなと思ったが、事実なのだから仕方がない。急いで時刻表を確認してもらうと、次に電車が来るのは30分後。ああダメだ。間に合わない。完全に遅刻である。隣の駅まで徒歩で何分かかるか、血相変えて尋ねるぼくに、「20~30分でしょう」と、またまた受付の人は軽く言う。
「20~30分」という表現は、普段よく使い、よく使われる言葉である。しかし、こんなときの曖昧な表現には、本当に苛々させられる。20分ならギリギリ間に合うし、30分なら遅刻である。10分も面接に遅刻したら、まず落ちると思ったほうがいい……。
「正利! 歩くぞ」
「あぁー」
 歩くしかないのだ。必死になって線路の脇を、ときどき走りながら歩いた。道に迷うことはなかった。工場は隣の駅まで間違いなくつながっているほど大きなものだったから。
 汗まみれになって、なんとか会場に、時間ギリギリに到着したぼくは、思わず天を仰いだ。まだ、ぼくたちには運が残っているようだ。あとは約束の部署へ向かうだけだ。
 会場は、だだっ広い体育館であった。部署といっても、おのおのが部屋で仕切られているわけではなく、フロアのあちこちに、机がかなりの間隔をあけて点在している。その机のかたまり一つひとつが一つの部署になっている。そんな感じであった。
「どうも、こ、こんにちわ、よろしくお願いします」
 汗を拭きつつ、ぼくは工場長と、先日学園で会った主任に頭を下げた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第32回 就職活動の苦難1

■月刊「記録」2002年5月号掲載記事

*          *          *

 さて、畳屋との面接である。畳屋のご主人は、わざわざ自分から学園のほうへ出向いてくださった。いかにも気の良さそうな風貌をした人だ。住み込みということになれば、このご主人のご家庭に正利はやっかいになる。 あんな薄ぼんやりしたヤツを、ご主人はともかく、奥さんや子供たちが受け入れてくれるのだろうか……。
 そして面接の日がやってきた。

■畳屋の適正身長

「おーっ、あんたが正利くん?」
 開口一発、ご主人はそう言った。目を見開き、しげしげと正利の全身を眺め回している。
「ああ、あんたがそうかぁ……、正利くんかぁ…、あぁぁだめだなぁ、こりゃぁ…」
 なんと、いきなりである。いきなりのNGである。
 おい、正利、部屋に入れと、ぼくが正利を呼び、あー、といつものように正利が部屋に入ってきた。そして数秒後にこの言葉、つまりNG宣告である。
 ぼくは思った。たしかに正利はひと目見てNGを出されても仕方がない男だ。それにしたってこの前の製本所の女寮長といい、この畳屋のご主人といい、人を見る目がありすぎやしないか。
「そりゃあないですよ。どうしてダメなんですか。理由を聞かせてください」
 とりあえずぼくはこう聞いた。こう聞くしかない。こうでも言わなければ会話が成り立たない。
「イヤ、ダメだよ。背が高いもの。こんだけ背が高い人は畳職人には向いてないんだよ」
 本当かー!? ぼくは思わず耳を疑った。ということは畳職人には背が高い人はいないということになるではないか。いや、まて、たとえば2mの大男が畳職人に向かないと言われたならしょうがない。しかし正利の身長はせいぜい175㎝である。平均より少し高いだけではないか。
「背が高いって言ったって、こいつ、たかだか175㎝ですよ」
「うん、そう、やっぱりねぇ。背が高いよ。無理だなあ」
 とりつく島もないとは、まさにこのことである。
「こんだけ背が高いとねぇ、ほら背中を丸めてする仕事だろ、腰痛めてみんな辞めちまうんだよ」
 なるほど。しかし腰を痛めるかどうかよりも、とにかく雇ってほしいのだ。
 だが、この後もご主人の毅然とした態度には、まったくつけいる隙がない。そして説得を繰り返すぼくの隣で、畳屋に紹介してくれた主任は、二人のやりとりをただニヤニヤ聞いているだけである。当の本人である正利も部屋に入ってきてから挨拶はおろか返事一つしてはいない。
 次第に、ぼくは、これ以上食い下がるのがバカバカしくなってきた。
(そうだ。もう終わったのだこの話は)
(つまりだ、正利が畳職人になることはないのだ)
(さあ、もう次に行こうか)
 ぼくはさっさと心を切り替えた。

■捨てる神あれば…

 製本所もダメ、畳屋もダメ。もはや絶望的……。
 と思いきや、捨てる神あれば救う神ありとはこのことだ。数日後、またもや正利には就職話が一件、持ち上がってきたのである。
          *
 うちの学園を卒園した25歳の男性が、ある大手鉄工所の工場で主任を任されているという。そして、なんとその彼が、じきじきに学園に人材をスカウトしに来たのである。なんでも今、臨海地域に工場の新設・増設をしているとのことで、人手が致命的なほど足りないというのだ。
 ぼくは、彼から話を聞きながら、同時に正利を猛プッシュした。そしてすかさず窓の外に、中庭でぼんやり小学生たちのバスケットボールを眺めていた正利を見つけ、呼び寄せた。
 相変わらず挨拶もせず、仏頂面で主任の前に立ちつくしているあいつ。
 こりゃぁまた、いかんかな……。
 一瞬、そう思ったのもつかのま、この主任何を思ったか、正利に面接を受けてみろと言うではないか。
「本当ですか? ありがとうございます」
 ぼくが立ち上がり、その手を握ると、
「まあ、挨拶ができて、人並みの運動神経があれば、まず面接には落ちませんから」と彼は言う。
 いや、もうありがたいけど、何がなんだかさっぱりわからない。正利は現に今、挨拶もできずにいるではないか。中庭でぼーっとするしかないほど運動神経もゼロだ。それが彼にはわからないのだろうか??
 ぼくには、なんとなく嫌な予感がした。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第31回 正利の就職活動2

■月刊「記録」2002年4月号掲載記事

*           *           *

 正利の就職活動が始まった。
 まずは、電話でアポイントを取っておいた製本所への見学だ。
 当日、ぼくは先輩職員の一人と共に、車で製本所へと向かった。
 先輩は、今は学園の指導員ではなく、経理にたずさわっているのだが、かつての教え子が、この製本所で働いているというつながりだ。
 教え子であるという女の子も、やはり正利と同じ境遇にあり、親もなく、知的にも遅れがある。
 正利と同じ境遇を抱える正利の女の子版。そんな彼女が製本所で、もう3年間も働いているという。
 しかも、こつこつと貯金した額は、すでに100万円に届きそうだというではないか。先輩に話を聞きながら、ぼくは思った。本当にそのときは思った。
(人生なんて、意外に上手くいくものなのかもしれない)
 しかし、今考えると、これは実に甘い考えであった。
■正利女の子版、しかし何かが…

 当然、製本所では、今後の就職活動における段取りを決めるものと思い、ぼくは席についた。
 ところがである。いきなりしょっぱなから断られた。入社どころか面接さえも断られたのである。
「申し訳ないんですけど、今年は辞めると言い出す者が一人もいないんです。それに今、印刷や製本業界は景気が良くなくてですね」
 誠実そうな女寮長は、真面目な顔をして気の毒そうに、しかしみごとにあっさりと言った。ここまですっぱり言われてしまっては、もう引き下がるしかない。
 では、なんでわざわざこんなところまで来たんだろう。電話で断ってくれればいいものを。席に座ってこれ以上話す必要もない。ぼくは、一刻も早く学園に帰り、次の段取りを進めたかった。
 …と、思えば思うほど、彼女の話は長く感じられた。卒園者の近況だの、週一回訪れる学習ボランティアの話だの、ぼくたちへのサービスのつもりかもしれないが、どうでもいい話ばかりであった。しまいには、仕事を終えたという卒園生の一人、多田という女の子が出てきて食事に誘ってくるではないか。
(もういい。今日という日はなかったことにしよう)
 ぼくは密かに溜息をついた。
        *
 多田さんを加えたぼくたちは、近くのファミレスに向かった。
 日はとっぷりと暮れていた。改めて会社の周囲を見回すと、工場ばかりで何もない。酒を飲むところも、ゲームをするところも、パチンコをするところもない。こんなところで寮生活をすれば、さぞかしお金も貯まることだろう。そう思うと、正利が面接すら受けられないことが苦々しく感じられた。
 ファミレスでは、多田さんが、「今日は私がごちそうするので先生たちは好きなものを食べてください」と言う。10歳も年下の女の子にごちそうされるとは、なんだか変な感じだが、まあいいか。と、お言葉に甘えた。
 食事中は彼女がもっぱら話をしていた。
 寮の食事は毎日出るという。風呂も毎日、好きな時間に入ることができる。週に何度かボランティアが来て、勉強を教えてくれる。おまけに案の定、お金をほとんど使うことがなく、すでに100万円以上の貯金ができた。
 話はあっちこっちに飛び、どうにも要領を得ず、完全に理解することは不可能だったが、だいたいそういった内容であることがわかった。
 まあ、いずれにしても彼女の知的レベルが正利のそれと同等であることだけは確かである。ただし、決定的に違うことがあった。
 正利が全身から不幸なオーラを発しているのに対し、彼女からは、なんとも明るく天真爛漫なオーラが出ているのだ。
 それだけの違いが、運命ってものをずいぶん変えていくのかもしれない。そう思うと、正利がかわいそうな人間にも思われてきた。
 一日が徒労に終わり、かなり遅い時間に、ぼくたちは学園に戻ってきた。
 学園の規則で決められたテレビを見てもいい時間はとっくに終わっている。なのに一人だけボーっとテレビの前のイスに座っているヤツがいる。
(やっぱりな……、正利だ)
 声をかけずに放っておけば、そのまま何時間でも姿勢を崩さないだろう。そんなふうに感じられるほど、あいつには生気や活力といったものがない。
 みすみす幸せを逃し、不幸ばかりが寄ってきそうな雰囲気がある。そういうタイプの人間にあいつが見えた。 ぼくはテレビの前の正利に、しみじみと同情した。しかし、このときぼくは、自分のことを完全に棚に上げていた。後にあいつの不幸オーラに巻き込まれていくのが自分であることも、ぼくはもっと前から予測しておくべきだったのに。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第30回 正利の就職活動

■月刊「記録」2002年3月号掲載記事

*           *            *

 正月が終わると、子供たちが帰省先から帰ってきて、日頃の喧噪が戻ってきた。
 ぼくと正利の周辺も急に慌ただしくなってきた。
 卒業まで、あと3カ月だ。そのたった三月の間に正利の行き先を決めなければならない。園の方針では、高校へ進学する者はそのまま園に残ることができるが、卒業する者は、園からは出ていかなければならない。だから大変なのだ。
「そこを何とかならないものかな」と、考えてしまう。 ここには、高校に進学できるような連中ばかりがいるわけではない。正利のように、高校に進学できそうもない子供もいる。そういう子供たちを15歳でいきなり、社会に放り出さなければならないシステムはどうなのか。ぼくは疑問を感じた。
 しかし、システム云々を変えていられるほどの暇な時間は、ぼくには全く与えられていなかった。

■三択、正利の進路

 去年の火事の跡を消すための大がかりな工事が始まった。
 不思議なもので、火事の直後のような緊急時には、子供たちも遠慮するのか、あるいは緊張感が増すためなのか、悪さ、非行といったものが、一時的になりをひそめる。
 しかし、年も明け、落ち着きを取り戻すに従って、タバコ、ケンカ、盗みなどが、再び噴出してくるのであった。
 それらへの対処に追われながらも、ぼくは正利の就職活動を着々と進めていかなければならなかった。
 正利は、普通高校への進学を希望している。しかしそんなことが無理であることは、いうまでもないことだった。残る手段は二つ。養護学校への進学か、就職。
 しかし、養護学校への進学には、『愛の手帳』の取得が必要だった。一度取得してしまえば、一生『愛の手帳』の所持者である立場からは逃れられなくなる。社会に出てからのこれからの人生に、それはつねに影響を及ぼす。
 IQ=81という、知的障害者と健常者の境である微妙なラインにいる正利を、障害者の側へここで定めてしまうことには、一抹の不安を抱いた。
 残る手段は就職しかない。しかも生活能力のない正利に残された道は一つ。住み込みでの就職だ。
 工事の影響で、子供たちの部屋が縮小され、正利は、ぼくら男子職員の職員室を寝床にすることになった。
 普通の中学生なら、自由を束縛された思いで、嫌がるはずだが、正利はなぜか妙に楽しそうであった。
 寝床に入ると、ゴロリと横を向き、ぼくのほうを見る。机でまだ仕事をしているぼくをジーッと目で追う正利。たまにチラッとぼくが横目でうかがうと、急に正利は視線を逸らす。
「ジロジロみないでほしいのよ」などと言うのだ。
 それにしても相変わらず小学生とばかり遊び、進歩しているかいないのかわからぬ今、ぼくの目の前にいる正利の将来が気にかかった。
 たとえ就職が決まってしまっても、その先にはおそらく、イバラの道が待っているだろうと言わざるをえない。
 不潔で、無口で、頭が悪いヤツ。おまけに運動神経がゼロで、性格も悪いヤツ。
 そんなヤツにはなかなか就職口がない。
 加えて親も身内に保証人になってくれる人もいない。盗み癖があり、怠け者の15歳。
 どこの会社が相手にしてくれるというのか。
 でも、そんなヤツのためにでも、ぼくたち職員は就職口を探してこなければならないのだ。
 では、どうするか?
 たいていの場合は、コネを利用する。
 就職した卒園生に、直接我々が連絡を取るのだ。そして会社側に、我々と会ってもらうための手はずを取りつけてもらう。卒園生を雇っているという時点で、すでにある程度は理解があるわけだから、あとは我々の交渉次第である。
 年明けからぼくも、正利のために、この方法で就職活動を開始していた。製本所、畳屋、工場などに手当たり次第に連絡を取っている。そのなかでは、製本所の評判が、先輩職員のなかでもかなりいい。
 もちろん寮がついているし、まかないさんまでいる。しかも週に2回は学習ボランティアが来て、算数(計算)と漢字を教えてくれるというのだ。お金の管理までしてくれ、至れり尽くせりの職場といえた。
(こりゃあ、正利のためにあるような場所だな)と、ぼくは思った。善は急げとばかりに、電話をかけ、見学の申し込みをした。すると、『早速、明日の午後にでも来てください』と言うではないか。なんだか、このままトントン拍子に事が運びそうな気がして、ぼくは笑いを抑えることができなかった。
 最も手こずるであろうと思われた正利の就職活動が、手を伸ばせば届きそうな位置にあるように思えたのだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第29回 学園の火災

■月刊「記録」2002年2月号掲載記事

*            *            *

 学園の居間で、ビデオを観ていたぼくと正利の背後で、突然、激しく警報が鳴り始めた。
 ちょうどビデオを半分くらいまで観たときであった。火災報知器の音だ。けたたましく鳴った。しかし、不思議なもので、ぼくもあいつもそのとき、まったくびっくりしなかった。
 誤報だと思ったのだ。いつものことだ。しょっちゅう起こるなにかの誤作動で、また警報が鳴ったのだろう。そう、タカをくくってしまった。
 一度思い込んでしまうと、避難作業がおろそかになる。とりあえずあいつを屋外へ避難させようという気にもならない。
(だが、やはりぼくも職員の一人だ。一応、確認ぐらいはしておくか)
 そう思い、とりあえず、ビデオを一旦、停止させた。
「おい、ちょっと確認してくるよ」
 と、あいつに言うと、ビデオを止められたあいつは不機嫌そうに、
「ああー」とだけ言った。

■常習犯の言葉をうのみにし

 どうやら、2階の高校生寮の火災警報機のセンサーが反応したらしい。ぼくは、のそのそ階段を昇った。途中、高校2年生のマキに会ったので、
「何があったか?」と一応、聞いた。
 すると、マキは、「何もないよ」と言い、当たり前のような顔をした。しかし、ここで気づくべきだったのだ。マキは嘘つきの常習犯だった。あの平然とした顔をいま思い返すにつけ、もしかして、彼女はすべてを知っていたのかもしれない、と思う。
 だが、今頃疑ってみても仕方がない。そのときぼくは、うっかり彼女の言葉をうのみにしてしまい、職員室へ引き返してしまったのだ。通りかかった先生に「大丈夫ですよ」なんて、のんきに声までかけながら。
 思えばこれが、発見を遅らせたような気がする。
 しばらくして、振り返ると、すでに黒い煙が2階の奥の部屋からモクモクとあふれていた。
 その瞬間、目の前が真っ暗になった。膝がガクガクくした。
「助けなくては」「子供たちを避難させなくては」
 そんな考えはまるで浮かばない。
「大変なことになってしまった!」
 ただ、ただ、そう思った。夢でもこんなのは見たことがなかったからだ。

■こいつらの頭大丈夫か?

 学園の火事の原因は、結局、タバコの不始末だった。しかも高校生の……。
 高校生がタバコ? と、疑問をもたれるだろうが、もちろん施設内ではタバコは禁止である。しかし、禁止イコール従うという図式はどうやら、ここの子供たちの頭にはないらしい。
 それどころか、常識的に考えてみても、頭の構造を疑うようなことをやってのけていた。
 彼らは禁止されているタバコを隠れて吸っただけでなく、吸い殻がみつかってはまずいとでも考えたのか、それらをゴミ箱へ捨てた。しかも、その上に丸めたティッシュを山ほど盛っていたのである。
 ゴミ箱の中にあった、火の残った数本の吸い殻が、ティッシュに引火し、炎上し、ついにはガラスをバリンバリンに割り、悲鳴と怒号を学園中に巻き起こす火事にまで発展させたのだ。
 吸い殻の上にティッシュを盛ったらどうなるか、考えてみてもわかりそうなものなのに。いったいどうなっているのだろうか。幸い、怪我人が出なかったのが、救いといえば救いだろうか。
 おかげでこの火事を境に、ぼくの今までの勤務には、新たな仕事が加わった。高校生2人の学校への送り迎えである。高校生を学校まで送迎するなんて、なんて過保護だ! などと怒っている場合ではない。そうなのだ。この2人こそが火事を起こした張本人だからである。いわば監視というわけだ。
 事の重大さに当事者の二人は、しばらくは食事も喉を通らなくなり、言葉を発することもなくなった。だが、そりゃあそうだろう。自分たちのタバコの不始末で、施設の5分の1が燃え、使い物にならなくなってしまったのだから。
 ところで、第一発見者であるぼくはというと、こちらにもいろいろ支障が出ていた。
 まず、やはり食事が喉を通らなくなった。1日5食から6食は当たり前だった食欲が、まるでなくなってしまったのである。まあ、食べない分には、他人に迷惑をかけるわけでもないので、これはいいとしても、もう一つのほうが問題だった。なんと、30分以上、学園から離れた場所にいられなくなってしまったのである。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第28回 突然の出来事

■月刊「記録」2002年1月号掲載記事

*         *          *

 血のつながるお姉さんに、見捨てられたこともよくわからずに、あいつは二段ベッドの上段にゆっくりゆっくりと上っていった。そしてゆっくりゆっくりと細長い体を横たえた。
 布団を肩までかけると今日一日のあいつのすべての動作が止まった。しかし目と口だけは、しばらくぼんやりと開いたまま天井を見ている。
 その目が完全に閉じるのを見届けてから、ぼくは職員室に戻った。

■きっとこれからもうまくいく

 部屋に他に誰もいないのを確認して、ぼくはごろりと体を横たえた。目を閉じると、あいつのことが頭に浮かんでくる。
 生まれてから施設に来るまで、不幸の連続だったはずのあいつ。
 親に暴力を振るわれ、挙げ句に捨てられた。
 施設に来て、不幸な出来事からは解放されたのかというと、やはり、そううまくはいかない。今度は、血のつながった、同じ施設出身のお姉さんから不幸な目に遭わされている。
 おかしな話だな。
 ぼくは思った。そしてこれからも、あいつには不幸な出来事が続くのだなと思った。
 だけど、どんなことがあってもきっと大丈夫だ。
 何が大丈夫なのかと問われると、困ってしまう。でも大丈夫だと思えた。
 現に今日だって、大丈夫だったではないか。
 もしも、何かあったら、そのたびごとに、ぼくが何とかしてやってもいい。
 大丈夫。
 ぼくは単純にそう思った。お姉ちゃんはあいつを捨てていったけど、ぼくはまだ、捨ててはいない。
 そう思うと何もかもがうまくいきそうな気がした。あいつの未来は決して暗いだけのものではないに違いない。
 単に、そう思いたかっただけなのかもしれないが。
 ぼくは横たえていた体を起こした。
 机の上にあった食べかけのチョコレートをひとかけら手に取る。そして職員室を出た。
 あいつの部屋まで行き、ドアを開け、そうっとあいつに近づいた。案の定、目は閉じているが、口は半開きになっている。ぼくはチョコレートをあいつの口に入れた。
 すると、チョコレートは口の中に落下することはなく、上唇と下唇にうまいこと挟まった。これから徐々に溶けていくはずだ。
 ぼくは今にも声をあげて笑いそうになった。たまらなくおかしな気持ちになった。
 大事な人に捨てられた日。
 だけれど、なぜか、何もかもうまくいきそうな気がした。

■そして、事件が起きた

 事件が起きた。
 数日後のことだ。なんと火事が起きたのだ。隣の町のことでもないし、ましてや対岸なんかでもない。
 ぼくたちの学園が火事になった。原因は火の不始末だ。秋から冬に移り変わる休みの日だった。あっという間の出来事だった。ポカポカ陽気で外に薄着のまま出かけた子供の一人が寒くなって上着を取りに戻ってきて、そうしたら燃えていた。
 そんな感じだ。
 そのとき、ぼくとあいつはというと……。
 居間でビデオを観ていた。何のビデオだったろう。ちょっと思い出せない。どうせあいつの好きなビデオだから、ゴジラかモスラあたりだったのだろう。
 ポテトチップを食べながら、ジュースを飲んでビデオを観る。まあ、普通といえば普通の休日の過ごし方だ。あいつは小遣いも使い切ってしまっていたし、友達にも相手にしてはもらえなくて、ちょっとかわいそうな休日だったので、ぼくがビデオ屋に連れて行ってやったのだ。
 道すがら、お菓子も食べたいし、ジュースも飲みたいとわがままを言う。頭にきたが、先日のお姉さんのことを思い出し、今日ぐらい、まあいいかと買ってやる。
 案の定、感謝もしない、わがままを聞いてもらえた喜びを全身で表すわけでもない。さも自分の金を使ったかのような態度でいる。
「おまえ、ありがとうくらい言えないのかよ」
 と、ぼくが言うと、
「あー」
 と、ぼんやりうなずく。
「もう、おまえなんか知らないよ」
 と、少し怒った声で言うと、
「あー、ありがとう、せんせ、せんせ、ありがとう」
 と、いかにもという調子で取り繕う。
 まあ、これもいつものことだ。
 本当にあいつもぼくも何もかもが、いつものことだらけの日だったのに……。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第27回 頼りないお姉さんの自信

■月刊「記録」2001年9月号掲載記事

*        *          *

 突然、来園し、結婚すると報告する正利のお姉さんに、ぼくは探るようにして訊ねた。
「以前、言っていたことが反古になっちゃうってことはないですよねぇ」と。
 約束とは、正利とみかを引き取ってくれるという件だった。すると、
「大丈夫ですよ。引き取ることですよね。大丈夫ですよ。そのために、今日、この人に会わせるようなもんですから」
 どこまでも明るくお姉さんは答えた。深い考えは特になさそうだった。
 でも、それが、ぼくにはかえって心配なのだった。
 そのために会わせる? ということは、約束は反古になってしまう可能性をも秘めているということだった。だって、あいつを見たら誰だって……。
 お姉さんの彼氏という男のほうを見ると、やはり穏やかに、ただニコニコしているだけだった。

■自信満々のお姉さん。だが、

「大丈夫ですよ。心配しないでくださいよ、神山先生」 おねえさんは明るくはきはきと答えた。
 本当だろうか? ぼくは先ほどのやりとりのすべてに不安を感じていた。
 確かに、お姉さんは、正利と違って大きな声で話してくれた(正利は嘘をつくことが多いので、ボソボソと小さい声で話すのだ)。
 確かにお姉さんは、正利と違いぼくの目を見て話してくれた(正利は決して人の目を見ない)。
 だから一見すると、お姉さんが嘘をついているようには見えなかった。だが、ぼくにはどうしてもお姉さんのことが信じられなかった。正利とみかを引き連れ、食事に向かうときのお姉さんのあっけらかんとした笑みが、どうしても何も考えぬ無知からきているように思え、ぼくにはとても頼りないものとして映った。
 ぼくは誰もいない職員室で、もう一度、正利たちの引き取りについての疑問、あるいは不安を1つづつ整理してみた。整理してみると、驚くほど答えが簡単に出た。 もう、この引き取りの件についてはあれこれ考える必要がないことがわかった。
――おそらくお姉さんが正利を引き取ることはないだろう――
 それがぼくの出した答えだった。
 理由は大きく分けて3つあった。1つはお姉さんが、なんだかんだいってもぼくと同い年であること(当時28歳)。1つの仕事を忍耐強く続けることを選ばず、ふらふらと夜の仕事を渡り歩くお姉さんには、失礼ながら経済的基盤があるようには見えなかった。
 2つ目はいつでも「大丈夫」とはきはき答える点。これまでも、正利たちについて、いろいろなやりとりを行ってきたが、細かいことや具体的な話はいつもしないし、聞いてもこない。実のところお姉さんは、まだ正利たちの引き取りについて、深くは考えていないのではないか、それどころか考え始めてもいないのでは? という疑念すら湧いた。
 3つ目。ここが一番肝心な点だが、お姉さんの彼氏(旦那)は、今日まで正利と会ったことがなかった。結婚する相手に連れ子がいるというのは、やはり男にとって負担であるはず。まして正利は15歳を過ぎている。正利のことはあらかた話してはあった、とお姉さんは言ってはいたものの、会わずにあいつを理解するのは不可能に近い。
 そういえば、先ほどの話し合いで「愛の手帳」についてぼくがお姉さんに話したとき、それまで何も口を挟まずに聞いていた彼が、唯一お姉さんに何かをぼそぼそっと訊ねたこともぼくは思い出した。
 そのときの彼の表情は、相変わらず穏やかだったので、あまりぼくも気にとめはしなかったが、今、思い出すと、やはりひっかかるのであった。
 問題を整理したら、こんなに重要で大事で危険な3点が浮かび上がってきた。その結果、“お姉さんは、まず正利たちを引き取らないだろう”という確信が、ぼくのなかには、生まれた。
 そして、これだけ冷静に分析したあとであるというのに、ぼくはどうしたわけか、すこぶる単純な思いつきで、万が一の後の物事を解決しようとしていた。
「お姉さんが引き取らないのなら、ぼくがひきとればいいさ」
 我ながら、そのときどうしてそんなことを考えたのかわからない。もしかしたらずっと前から、そんな結果を頭のどこかに覚悟していたのかもしれなかった。
          *
 もやもやとした不安は消え、晴れ晴れとした気持ちで、ぼくは職員室を出た。
 気が変わらないうちに、さっそく他の職員に報告しに行こう!
 そう思い、歩いていると、さっき出ていったはずの正利が、ぼーっと廊下に突っ立ていた。
「どうした、おまえ、もう帰ってきたの?」
「あー、せんせ、おねえちゃんが、よんでるのよ」
 無表情に用件を伝えると、正利は部屋に戻っていった。
 そして、ぼくはお姉さんのところへ向かった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第26回 見捨てられた弟

■月刊「記録」2001年12月号掲載記事

*           *          *

「正利を引き取ることはできません。経済的に援助することもできません」
 そう、お姉さんはきっぱりと言って帰っていった。
 お姉さんが帰ったあと、ぼくは正利と話し合うために、正利の部屋へ向かおうとした。そして、歩きかけた廊下の先に正利を発見したのだ。
 いつものことだが、唇をすぼめ、目を見開いているインパクトのある表情。今までのお姉さんとのやりとりが、一気にすべて吹っ飛んでしまうような顔だった。
――こいつの顔は、嫌なことを全部忘れさせてくれるほどのじつに素晴らしい顔なのだ――
そんな服は着るな
 正利は、ぼくをみつけるなり「せんせ、せんせ!」と手足をばたつかせて叫んだ。
「せんせ、いま、おねえちゃんきてたでしょ」
「なんで知ってんだ」
「だって、たけしがおねえちゃんみたっていってたのよ」
「ああ」
 仕方がなく、ぼくは曖昧にうなずいた。
「おねえちゃん、なんできたの?」
「うーん、いいよ。とりあえず部屋へ行こう。おまえの部屋」
 部屋の中は、電気が消えていて真っ暗だったが、それでも散らかりぶりがわかるようなありさまだった。
「おい、正利この前、お姉さんの婚約者にもらった洋服あったよなぁ」
 ぼくは訊いた。
「あるよ」
 あいつは腹話術のように、ほとんど口を開かずに答えた。
「それ、おまえもう着なくていいよ。捨てちまおうぜ」
 正利は何も言わず、ゴソゴソとベットの下を探した。 「はい」
 みつけ出すとあいつは、ダンボールに入れっぱなしの一箱分の洋服を、ぼくに押して寄こした。
「どうして、きちゃいけないの」
「いいんだよ、こんなの、今度買ってやるから。とりあえずこれオレにくれよ」
 ちょっと間をあけてから、あいつは言った。
「なんで」
「その洋服なぁ…。それ、今度なぁ…。おれの車を洗車するときに使わせてもらおうかなと思ってな」
 すると、あいつはふてくされた顔で言った。
「なにいってんのよ、このひとは。じょうだんばっかりいってんだから」
 それは心の底からのおかしそうな顔だった。
 こいつは、自分がお姉さんに見捨てられたなどとは、夢にも思っていないようだ。
 ぼくは事実を言うべきかどうかを考えた。何もかも洗いざらい言うべきかどうか迷った。
 だが、言ってしまえば、あいつの大好きなお姉さんを貶めることになってしまう…。
 ――正利との約束を守らず、彼氏を取ったお姉さん。いい加減なお姉さん。調子のいいことばかり言う、嘘つきのお姉さん……。
 そんな嫌なお姉さん像をあいつに叩き込まなければならない。それはさすがに少し酷な気がした。
「もう、おれ、ねるね」
 あいつのどろんとした声が聞こえはっとした。あいつの顔に目をやるとと、薄ぼんやりした表情が目に映った。
 それは、今まさに一日の終わりを迎えようとしている。そんな感じだった。顔からは血の気が引き、口はだらしなく半開き。目の焦点は合っていない…。
 それらを見てぼくは迷うことをやめた。
 チャンスだ! そう、今なら何を話したって、こいつには理解不能に違いない。いつかは言わなきゃいけないことなんだ。だったら今、片づけてしまおう。
「わかった、わかった。もう、いいよ。おまえ、寝たほうがいいよ」
「ああー」
「それとねぇ、お姉ちゃん、来ねぇよ。あの男の人も来ない」
「えっ?」
 さすがに正利が反応した。
「まぁ、来ないったって、しばらくってことだから。大丈夫、大丈夫」
「ああー」
「ほら、もう寝ろ、寝ろ」
「ああー」
「来週の日曜日はどっかにめしでも食いに行こうか?」
「ああー。ひとしは?」
「仁史も一緒、一緒。おまえ今、仁史と仲良しだもんな」
「ああー」
「じゃぁ、おやすみ」
 あいつは二段ベッドの上の段にゆっくりゆっくり上っていった。  (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第25回 約束破り

■月刊「記録」2001年11月号掲載記事

*           *          *

 家を出たまま老いた母に一人暮らしを強いているぼくに、母は、どうして帰ってこないのかと、理由すら聞こうとしない。
 帰ってこないことは悲しいことだが、腹を立てたり、妬んだりすることではない、と、母は考えているようだ。その淋しささえも、我慢するべきだと考えてしまう、そんな母なのだ。
 それをぼくは誰よりもわかっている。わかっているから、ぼくは母に哀れみを抱いてしまうのだ。その哀れさが、ぼくと母を遠ざけてしまう。しかし、正利には、我慢も遠慮も哀れさもない。血も繋がっていないのに、ぼくにはいやにあつかましい。欲しいものがあれば、ぼくのことをどこまでも追いまわしてねだる。自分がミスをしても、それはぼくのせいだと言い張る。しまいには、ぼくの養育の仕方が間違っているとまで言う正利。目的のためであれば、ぼくをとことん利用し、用が済めば見向きもしない正利。
 そんな奴と、なぜぼくは一緒に暮らそうと思うのか。理性は“母と暮らせ、それが当たり前だ”と言う。しかし一方、本能は正利と暮らしたがっている。
 ぼくは毎日、毎晩、この二者選択に頭を悩まされた。お姉さんが、正利を引き取ってくれれば、諦めがつく。そうまで思った。

■『愛の手帳』がきっかけなんです

 あの学園を訪れた日からちょうど一週間後、お姉さんが、何の連絡もなしに再び学園を訪れた。
 ぼくの顔を見るなり、お姉さんは言った。
「今日、ここに来たことは、正利には伝えないでください」と。
「あのぉ、先生、あの話、なかったことにしてほしいんですけど」
 やっぱりだ。やっぱりそうきた。お姉さんは、いきなりぼくたちとの約束事――正利を引き取るということ――を破ってきた。
 ぼくは、わざとわからないふりをした。お姉さんに「あのことってなんですか?」と聞いた。すまなそうな様子もなく、卑屈でもないお姉さんの態度に、ぼくは少し腹を立てたのだ。
「この前、『愛の手帳』の話をしたじゃないですか。あれがきっかけなんです。うちの人、そういう人とはかかわりたくないっていうんです」
「あのぉ、何もかもが抽象的で、よくはわかんないんですけど、つまりこういうことですね。この前婚約した彼に正利を引き取ることを反対されて、お姉さんはその彼の反対意見に賛成した、ということなんですね。なるほど、そうでしたか」
 物わかりのいいふりをぼくはしてしまった。本当は、ぼくはここで怒るべきだったのだ。怒鳴り散らすべきだった。
“あのねぇ、いい加減なんだよ、あんた! だいたいこうなるってこと、予想つかなかったのかよ。みんな嫌がるって。結婚相手に連れ子がいたら嫌がられるって。おまけに連れ子じゃないんだよ。知能の遅れた弟だよ。そのぐらい予想したうえで、引き取ります、って言うべきだったんだよ!”
 という具合に。
 なぜなら心のなかでは、そう思ったのだから。
 そんなぼくの前で、お姉さんはしっかりとした口調で堂々と話し始めた。
「あの日、家に帰ったら、彼が言うんですよ、私に。ああいう人(正利のこと)とかかわるなら、おれはお前と別れる、って。家に連れてきてもだめだし、会いに行くのもだめだ、って言うんです。だから今日も彼には内緒でここに来ているんです。
 あのぉ、先生、私は彼にそう言われたからって、正利のことを見放すつもりはないんです。これからも、彼に内緒で会いに来ます。でも、引き取ることはできません。経済的に援助することもできません」
 お姉さんは考えてきたであろう、セリフを全部一気に吐き出した。
(いったいどういう神経をしているんだこの人は)
 ぼくはそう思った。
 何を言ってももう無駄だ。こういう人には正利は預けられない。ぼくはもう、お姉さんに考え方を変えてみるように促しもしなければ、約束を守らなかったことを責めもしなかった。早く目の前から消えてくれ、そう思った。
           *
 お姉さんが正利に会うこともなく帰ったあと、ぼくは正利と話し合うために、正利の部屋へ向かった。
 いや、向かおうと思い、二、三歩歩いたところで正利の姿を廊下の先に発見した。
 それは、唇をすぼめ、目を見開いているような表情だった。今までのお姉さんとのやりとりが、一気にすべて吹っ飛んでしまうほど、正利の顔や表情には激しいインパクトがあった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第24回 正利の行く末

■月刊「記録」2001年10月号掲載記事

*         *          *

 ぼくは、お姉さんのところへ向かった。今日の来園の礼を簡単に述べ、そして、なぜこんなに食事から戻るのが早かったのかを聞いた。
 すると、お姉さんは、やはりいつものように堂々と、「だってあいつ(正利)緊張して何も話さないんですよ。ねぇ、みか?」
 と言うのだった。
 正利は、初対面の人とは話せないのだ。だからぼくは、特にびっくりはしなかった。
「あの人(彼)は、2人のことを、すごく気に入ってくれたみたい」
 にこにこ顔のお姉さん。
「2人? 正利のこともですか?」
「そうですよ、先生、おとなしいけど悪い人じゃなさそうだって、あの人は正利のことを言ってましたから」
「そうですか…」
「だから、大丈夫って言ったじゃないですか」
「そうですよね。大丈夫なんですもんね」
「大丈夫ですよ」
 最後にだめ押しのようにお姉さんはそう言って、学園をあとにした。
 ぼくはもう一度、正利たちの引き取りの件について考えることにした。

■母と、そして正利と……

「おい、おい、早く食べないとテレビ見る時間がなくなちゃうよ」
 食事の遅い小さい子たちに、ぼくは声をかけた。無理矢理、食べ物を自分の口に放り込む彼らの後方には、すでに残飯が山積みされている。それにしても、ものすごい量である。1時間か2時間前に作られたばかりの食べ物が、今は次から次へとポリバケツに放り込まれていくのだ。
 学園では食事ごとに、たくさんの残り物が出る。残り物というと一人ひとりが残したもののように思われるだろうが、そうではない。子供たちには、自分に与えられた食事を残す決定権はない。特別な場合以外は残してはいけないのである。
 しかし子供たちにおなか一杯食べてもらいたい、といった配慮から、食べ物は余分に作られる。だからそれらが余り、ポリバケツいっぱいの残飯を生み出すのだ。
 残飯の山をバックに、無理矢理ごはんを詰め込む子供たち。そんな光景をみていると、いつもぼくは離れて暮らす母を思い出してしまう。どんな物でも大事にする母。特に食べ物を捨てることは一切しない。食べきれないものは冷蔵庫に入れて、次の日にまわす。
 そんなふうに父に先立たれた母は、一人で慎ましく生活していた。たまに実家に帰り、冷蔵庫を開けると、半分になった豆腐やほんの少しの切り身の魚、2、3枚のベーコンがサランラップに包まれて、所狭しと入っている。それらを見てしまうと、ぼくはかえって実家に来てしまったことを後悔してしまうのだった。
 なぜだろう。母の寂しさ、いじらしさみたいなものを垣間見てしまったみたいで、ぼく自身がうら悲しい気分になってしまうのだった。
 それに比べるとここ学園は、一見孤独や寂しさとは無縁の場所に見える。食事をすれば横にも前にもうしろにも人がいる。ベッドに横になったとしても一人にはなれない。家庭に見放されたはずの子供たちが賑やかさのなかにいて、きちんと家庭を形成したはずの母が、一人孤独な生活を強いられている。
 そのことを考えると、ぼくが正利を引き取ることなど、理にかなっていないような気がした。血が繋がっている母は、ぼくと一緒に生活することをいつも望んでいる。父が死に、妹が嫁に行った今、母がぼくを頼るのは当たり前のことだ。
 しかし、そんな母の気持ちを知りつつも、ぼくは一緒に暮らすことを拒否してきた。
 母は家を改築して二世帯住宅にした。おまえの部屋にはトイレもお風呂もついてるんだよ、だから帰っておいで、私は何も干渉しないから、と母は言った。
 帰ることを拒む明確な理由など、何一つないのに、ぼくは帰らない。それどころか正利と一緒にぼろい小さなアパートに住む決心さえ、しはじめている。
 もちろん、それとて何の理由も責任もみあたらない。お姉さんが、仮に正利を引き取らなかったとして、それは、ぼくの責任などではないのだから。
 ふと、自分の感覚がおかしいな、と思うときがある。正利と暮らす? なぜぼくが正利と? そう思う。
 だが、それよりも、もっとおかしなことは、母と正利とどっちと暮らすべきかを考え、比べている自分なのだ。
 おかしくてばかげている。なのに思考は止まろうとしない。夜、眠りに就こうとすると、果てしなく思考が回転し出すことがある。
 暗闇のなかで、母か、正利か、という選択について、真剣に考え続けているのだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第23回 頼りないお姉さんの自信

■月刊「記録」2001年9月号掲載記事

*          *          *

 突然、来園し、結婚すると報告する正利のお姉さんに、ぼくは探るようにして訊ねた。
「以前、言っていたことが反古になっちゃうってことはないですよねぇ」と。
 約束とは、正利とみかを引き取ってくれるという件だった。すると、
「大丈夫ですよ。引き取ることですよね。大丈夫ですよ。そのために、今日、この人に会わせるようなもんですから」
 どこまでも明るくお姉さんは答えた。深い考えは特になさそうだった。
 でも、それが、ぼくにはかえって心配なのだった。
 そのために会わせる? ということは、約束は反古になってしまう可能性をも秘めているということだった。だって、あいつを見たら誰だって……。
 お姉さんの彼氏という男のほうを見ると、やはり穏やかに、ただニコニコしているだけだった。

■自信満々のお姉さん。だが、

「大丈夫ですよ。心配しないでくださいよ、神山先生」 おねえさんは明るくはきはきと答えた。
 本当だろうか? ぼくは先ほどのやりとりのすべてに不安を感じていた。
 確かに、お姉さんは、正利と違って大きな声で話してくれた(正利は嘘をつくことが多いので、ボソボソと小さい声で話すのだ)。
 確かにお姉さんは、正利と違いぼくの目を見て話してくれた(正利は決して人の目を見ない)。
 だから一見すると、お姉さんが嘘をついているようには見えなかった。だが、ぼくにはどうしてもお姉さんのことが信じられなかった。正利とみかを引き連れ、食事に向かうときのお姉さんのあっけらかんとした笑みが、どうしても何も考えぬ無知からきているように思え、ぼくにはとても頼りないものとして映った。
 ぼくは誰もいない職員室で、もう一度、正利たちの引き取りについての疑問、あるいは不安を1つづつ整理してみた。整理してみると、驚くほど答えが簡単に出た。 もう、この引き取りの件についてはあれこれ考える必要がないことがわかった。
――おそらくお姉さんが正利を引き取ることはないだろう――
 それがぼくの出した答えだった。
 理由は大きく分けて3つあった。1つはお姉さんが、なんだかんだいってもぼくと同い年であること(当時28歳)。1つの仕事を忍耐強く続けることを選ばず、ふらふらと夜の仕事を渡り歩くお姉さんには、失礼ながら経済的基盤があるようには見えなかった。
 2つ目はいつでも「大丈夫」とはきはき答える点。これまでも、正利たちについて、いろいろなやりとりを行ってきたが、細かいことや具体的な話はいつもしないし、聞いてもこない。実のところお姉さんは、まだ正利たちの引き取りについて、深くは考えていないのではないか、それどころか考え始めてもいないのでは? という疑念すら湧いた。
 3つ目。ここが一番肝心な点だが、お姉さんの彼氏(旦那)は、今日まで正利と会ったことがなかった。結婚する相手に連れ子がいるというのは、やはり男にとって負担であるはず。まして正利は15歳を過ぎている。正利のことはあらかた話してはあった、とお姉さんは言ってはいたものの、会わずにあいつを理解するのは不可能に近い。
 そういえば、先ほどの話し合いで「愛の手帳」についてぼくがお姉さんに話したとき、それまで何も口を挟まずに聞いていた彼が、唯一お姉さんに何かをぼそぼそっと訊ねたこともぼくは思い出した。
 そのときの彼の表情は、相変わらず穏やかだったので、あまりぼくも気にとめはしなかったが、今、思い出すと、やはりひっかかるのであった。
 問題を整理したら、こんなに重要で大事で危険な3点が浮かび上がってきた。その結果、“お姉さんは、まず正利たちを引き取らないだろう”という確信が、ぼくのなかには、生まれた。
 そして、これだけ冷静に分析したあとであるというのに、ぼくはどうしたわけか、すこぶる単純な思いつきで、万が一の後の物事を解決しようとしていた。
「お姉さんが引き取らないのなら、ぼくがひきとればいいさ」
 我ながら、そのときどうしてそんなことを考えたのかわからない。もしかしたらずっと前から、そんな結果を頭のどこかに覚悟していたのかもしれなかった。
          *
 もやもやとした不安は消え、晴れ晴れとした気持ちで、ぼくは職員室を出た。
 気が変わらないうちに、さっそく他の職員に報告しに行こう!
 そう思い、歩いていると、さっき出ていったはずの正利が、ぼーっと廊下に突っ立ていた。
「どうした、おまえ、もう帰ってきたの?」
「あー、せんせ、おねえちゃんが、よんでるのよ」
 無表情に用件を伝えると、正利は部屋に戻っていった。
 そして、ぼくはお姉さんのところへ向かった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第21回 正利就職作戦開始

■月刊「記録」2001年6月号掲載記事

*           *           *

 どうしても高校へ進学したいと言い張る正利を説得するため、ぼくはテーブルを挟みあいつと向かい合っていた。
 いや、厳密に言えば、あいつは高校へ行きたいのではなく、高校進学をめざす連中と同じ待遇を受けたいだけなのだ。説得を続けるぼくの話を聞こうともせずに、ぼーっとした顔で手の中の文房具をこねくりまわすだけのあいつと向かい合っていると、ぼくは無性に腹が立ってきた。おまえ、人の話を聞いてんのか!?
 今すぐ気分のままこいつを怒鳴りつけることはできる。だがそれじゃぁ、いつもと同じすぎて味気ないだろう…。
「おまえ、成績表の見方わかるか?」
「……」
「教えてやるよ、おまえな、ぜーんぶ、1だろ。なぁ、1だよなぁ。この1ってのはなぁ、1番の1じゃぁないんだ。1番ダメの1なんだよ。わかったか?」
 どうだ。ぐうの音もでないだろう。ぼくはだんだん意地悪な気持ちになってゆくのが自分でもよくわかった。いつもこうだ。最近のぼくはいつもこうだ。気持ちがいいような悪いような、後味がいいような悪いような、口では表現しがたい気持ちになる。ただ一つだけ、こんな気持ちはこいつと一緒じゃなければ味わえないことだけが、今のぼくにはわかった。
「だって、まゆみ、こうこういくって、いってたよ」
 不意をついて、あいつがぽつりと口を開いた。その瞬間、ぼくにこびりついていた先程からの意地悪な妄想みたいなものが急に取り払われた。
「あぁぁぁ、そういやぁ、そうだなぁ。あいつも成績よくはないなぁ」
 正利と同じ学年の真弓は小さい頃学校に行っていなかったこともあって、成績は1や2が多い子だった。通常、成績に1があると、公立の高校には進学できない。ただ、ここから先が問題で、男子は公立校に入れなかった時点でアウトになる(進学をあきらめ、就職し、学園を出ていく)のに対して、女子にはレベルの低い私立の女子校に進学することが学園では許されていた。
「まぁ、だけどな。…さっきは、まぁ、わざとおまえに意地悪におれも言っちゃったけど、誤解すんなよ」
 少し口調を和らげ、譲歩するように話した。すると、再びあいつはぼくのことをジロット上目づかいに見た。「おれはなぁ、正利。高校に行くことだけが素晴らしいとは思わないよ。それにおまえはきっと働くことのほうが似合っている。おれはそう思うよ。自分が稼いだ金を自分で自由に好きなように使う。どうだ? 悪いことか?」
 あいつの顔が少しずつ、ほんの少しずつではあるが、ご機嫌なときの顔に近づいてきた。あいつは今の学園生活で、自由に金が使えないことと小遣いが少なすぎるという不満を常々口にしていた。そんなあいつが金を自由に使えるという魅力に勝てるわけはなかった。
「ほら、おまえの友達のジェイクも働くって言ってたぞ。高校行くよりも金稼いで早く自立するんだって言ってたぞ。ん? どうだ? 立派じゃないか。立派だろ?」「おれ、ガソリンスタンドではたらきたい、まえから、そうおもってたのよ」
 単純だ。本当にこいつの脳味噌は相当単純なつくりにできている。一丁あがりさ。しかし、ぼくは大事なことを忘れていた。あいつは気持ちを持続させることができないのだ。約束なんて守らない。言ったことに責任なんて持つはずはなかったのだ。
       *      *
「おい、正利。時間だぞ、時間、時間」
 ぼくは建物の入り口から中庭に向かって、半分だけ顔を出してあいつを呼んだ。学園の調理室に向かい歩くぼくの後ろを、あいつは嬉しそうに手足をバタバタと動かしながらついてくる。
「おまえねぇ、就職するんだろ? 就職するんだったら、だめだよ。時間通りに行動しなきゃ。遅刻なんかしたら、大変なことになるんだぞ」
 調理室のみんなが、いくら同じ職場の仲間とはいえ、半年以上もあいつを預けることになるのだ。挨拶ぐらいはきちんとしておかなければと思っていた。それなのにあいつときたら案の定、気に留めるそぶりすらもない。「そうよね、ちこくはだめよね。おれのわるいくせよ」 何言ってるんだ。まったく口だけは調子のいいヤツだ。それにしても、いつもはぼくの小言にむくれるあいつがなぜか今日はご機嫌だ。これから大変な日々が始まろうというのに…。
 一学期も中盤にさしかかった6月の初旬、我々はあいつに対する方針をついに実行に移した。方針とは具体的に挙げると以下の3つである。
 一つ、5時半に起きて(もちろん自分で目覚まし時計をセットし、自力で起きる)、学園の調理場で朝食の準備の手伝いをすること。二つ、干してある小学生の洗濯物を取り込み畳むこと。三つめ、中学生の勉強時間は机に向かわずに一人で掃除に励むこと。
 この3つを正利に行わせる目的は、それらのことを確実にこなせるようになるという実務的な理由はもちろん、自分が、みんなとは違う将来に向かっているのだ、ということを自覚させることにもあった。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第20回 高校進学阻止計画

■月刊「記録」2001年5月号掲載記事

*         *        *

 3学期というのは不思議なもので、始まったと思うと行事やら何やらに追われ、いつのまにか期末テストが始まってしまう。勉強を教えに中学生のところへぼくは向かっていた。
 中学生ともなると個人個人に机が与えられる。とはいえ自分の部屋に持ち込むことまでは許可されてはいなくて、みんなで食事をとったり、テレビを見たりする居間と呼ばれる部屋の端に、それぞれ場所を見つけて置くのだ。
 部屋の仲間同士というのは、普段はいろいろといさかいもあるものの、テストとはいえ同じ目的があると不思議と団結力を高めてゆくもののようだ。中3の子は中2の子に昨年出たテスト問題を貸してやり、ノートをとっていない子は頭のいい子に貸してもらっている。そんな風景はじつに微笑ましく「ああ、集団生活も悪くはないな」と単純に思ってしまうのだった。
 しかし、そんなムードにも染まることなくあいつだけはマイペースを貫いていた。遊び相手である小学生は床に就き、テレビも見れぬテスト期間中の深夜。もはやあいつにとってやるべきことは一つもない。口を半開きにし、ぼーっとした視線を宙にさまよわせるあいつ。冬になり、外気と内の気温さが激しいのだろう、片方の鼻をつーっと一筋の鼻水が伝わる。
「おい、まだ他の部屋明かりがついてるから、おれたちも頑張ろうぜ」
 部屋の仲間たちのそんな声が飛び交うと、ちらっとうつろな目でそっちのほうを見る。しかしすぐに不機嫌そうに元に戻すあいつだった。
 そんなあいつの態度がぼくにはどうにも不安だった。あいつは自分のこと以外にはまるで興味を示さないはずだからだ。

■嗜虐的な快楽!?

 学期テストを前に、我々職員にはやるべき仕事があった。高校に行かせることを阻止して、早いところ就職の準備をさせる。それが中三になった正利に対する我々の指導方針であった。
 そして具体的にぼくがとった方法は二通り。まず一つ目は、根気強く事あるごとに話し合いの場を持つこと。たいていの子ならばこれで納得する。しかし、あいつの我の強さが並大抵でないことを知っていた我々は、次の手段を打っておくことも忘れなかった。頭で納得させられないのなら、形から入り、生活習慣を変え、あいつにここ(学園)を出るのだということを、あいつの体を通して植え付けさせるのだ(具体的な方法は後述する)。 有名な観光スポットの一角にある我が学園。桜が咲く季節になると、このあたりは、観光客でごったがえすようになる。楽しそうに、カップルや家族連れがこの学園の前を通り過ぎる。それらの光景はぼくら大人にさえ、羨ましい光景に映る。だとしたら、親と離ればなれに暮らすこの子たちには、どう映るのだろう。
「おい、正利ちょっと、こっち来いよ」
 ぼくは居間のテーブルに来るようにあいつを促した。チビたちと遊んでいるのを妨げられた形のあいつは、見るからに不機嫌そうな顔でこっちに近づいてくる。
「そういやぁー、おまえどうすんの」
「……」
 相も変わらずぼーっとした顔をゆっくりゆっくりこちらに向けるあいつ。まるでぼくからの質問が飲み込めていないようだ。それはそうだ、あいつの進路のことは、我々職員が喧々囂々やっているだけで、あいつは蚊帳の外なのだから。
「おまえ、将来何になりたいか、考えたことある?」
 辺りで子供たちがバタバタと動き回る。なのにあいつだけ、まるで時が止まっているかのようだ。まるで反応がない。
「おまえ、高校行きたいとか思ってないか? もしかして」
「……」
 体をくの字型に曲げたまま、あいつはぼくを上目遣いに見る。ああ、そうなんだ。きっと、そうなんだ。ぼくにはピーンときた。きっとあいつは高校に行きたいのだ。いや、厳密に言えばそうではない。あいつは高校を目指している連中と同じ待遇を受けたいのだ。学校でも学園でも。
「おまえなぁ、無理。悪いけど、無理」
 ぼくの非情な言葉にムッとした顔であいつは、再び視線を床に落とした。
「おまえなぁ、成績表見たろ。な、無理なんだよ」
「……」
 相変わらず無反応なあいつ。それでも見れば手に何か文具らしきものを握り、ごちょごちょとこねくりまわしている。おれの質問に心と脳は休めの体勢なのに、何だよその手は! 聞いてんのかこいつはおれの話を! おれはだんだん腹が立ってきた。この薄汚い身の程知らずの野郎に。だいたい虫がよすぎるんだよ。大学を出たぼくがいまだに毎日、幸福感も味わえずにいるのに、おまえみたいな無学文盲の人間に幸福感も充足感も与えてなるものか。ああ、無性に腹が立ってきた。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第19回 進路の選択(後)

■月刊「記録」2001年4月号掲載記事

*          *            *

 中学を卒業する正利の、進路の問題が持ち上がっていた。
 最後の選択肢は養護学校。「愛の手帳」を取得して国から知的障害者としての認定を受ければ、養護学校に入ることができる。けれど、一度この認定を受けてしまったら、もう元には戻せない。二度と一般就労ができなくなってしまうのだ。正利のような知的障害者と健常者のすれすれのケースでは、「愛の手帳」のメリットは少なかった。
 あほで、学習能力がなさすぎる正利。それでいて何かが起こると最終的にいつもぼくのせいにして泣きついてくるのだ。そんな気の変わりやすいあいつに「愛の手帳」を取らせてしまったら、将来ぼくにきっと、こう言ってくるはずだ。
「なんか、おれ、もう、あいのてちょう、いらないきがするのよ」
「ばーか、もう元に戻せねぇよ」
「せんせ、ひどいよ、なんで、おれにあんなのとらせたのよ」
「おまえが取りたいって言ったんじゃん」
「おれ、いってないのよ。せんせのせいなのよ」
 やはりぼくには、気がひけるのだった。
ぼくにとって正利は…
 進路かぁ…。進路ねぇ…。正利の進路について考える日が多くなっていった。いずれにしても、あと一年でやっとあいつとは別れられるのだ。
 さっぱりする…これで肩の荷が下りる、と、そう思うだろうと自分でも思っていたが、考えているうちに、次第になんだか少し変な気分になってきた。
 寂しい? いや、違う。せいせいする? いや、それも違う。どちらも少しずつあるのだが、何かが少しずつ違う。
 何だかあいつがそばにいないと落ち着かないような気がする。そばにいたらいたでイライラと腹を立ててしまうことも否めないが、もしかするとぼくには、あいつの存在が、ひどいくらいに必要なのかもしれなかった。
 いつだって、あいつのいるところにぼくはいたし、ぼくのいるところにあいつはいた。ぼくが一人でいると誰かしらが「正利なら、中庭にいるよ」と声をかけてくれたし、あいつが一人でいても、やはり誰かが「先生なら、事務所だよ」と教えてくれる。そうすると、なぜかいても立ってもいられずに、「おーい、正利! おーい、おーい、正利いるかー?」「せんせ、せんせ、どこいんの?」…。お互いたいした用事などありもしないのに…。
 不思議な関係だなぁ。ふと、そう思う瞬間がある。子どもの頃、ぼくは一人で家に帰ることが好きだった。色々なことをあれこれ考えながら一人家路につく。その時間を誰にも邪魔されたくなかった。
 それでも高校の頃は、放課後には毎日のように、友達と繁華街にくりだした。本やテレビでそういった風景が実に楽しそうに描かれていたので、自分も試してみたのである。結果、何もおもしろくないことを知った。いや、仲間と一緒にいることは、なんだか苦痛ですらあった。
 学校も繁華街も仲間も、実際はテレビで見たほど魅力的なものではなかった。それよりもぼくは早く家に帰って一人で本を読み、音楽を聴きたかった。けれど、家にいれば家にいたでまた人間関係があり、これもまた苦痛以外のなにものでもなかった。家族揃って、食事をしなければならないとき、ぼくはみんなの話に「あー」とか「うん」と適当に相づちを打つだけだった。新聞を食事の隣に置き、絶対に誰とも視線を合わせたくなかった。そんな記憶がある。
 なのにどうだ。今のぼくはどうしたことか。あいつが気になって仕方がない。なぜ? なぜ? こんな薄汚いぼーっとしたやつのどこがいいんだ!?
「あいつがいなくなったら、ぼくはどうすればいいんだろう」
 そんな所在無さみたいな不安感。理由こそわからないが、ただただ、そう思ってしまう自分がそこにはいるのだった。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第18回 進路の選択(前)

■月刊「記録」2001年3月号掲載記事

*         *          *

 こんなに他人に振り回された年ははじめてだった。
 それにしても少し気になるのは、正利の姉の直子のことだ。年に数回会いに来て、正利の送り迎えのときにいつも二言三言挨拶を交わすくらいで、ぼく自身は彼女のことをよくは知らない。しかし、その先生も彼女のことをあまりよくは言わないのだ。ぼくと同い年の直子。仕事は水商売。それは服装に表れていて、鈍いぼくでさえ一目でそれとわかったほどだ。まぁ、どんな職業だろうと、将来的に正利の面倒さえ見てくれれば、それでいいわけだが、そうスムーズにはいきそうもない感触を職員たちは正利と直子の関係に抱いていた。

■3つの選択肢

 年が明けると、会議に追われる日々が続いた。まだ進路の決まらぬ子、問題行動が多く担当の職員を変えなければならない子、就職が決まり社会経験を積ませるためにアルバイトを始める子……。我々職員にはやらなければならないことが山ほどあった。正利に関しては、このまま普通学級進級でいいのか? という問題が議題に上がった。1年後の正利の進路には大まかに分けると3通りの可能性がある。就職、高校、養護学校進学の3つである。
 15歳での子供の就職は、建築業を中心に就職先自体はあるにはあるのだが、そこから先がイバラの道になる。15歳で施設を出て、仕事をそのまま順調に続けていったなどという例はこれまで皆無に近い。だが1つめの仕事を辞めてしまうと、あとは坂道を転げ落ちてゆくようなものだ。彼らが仕事を失うということは、我々のそれとはだいぶニュアンスが違うのだ。
 まず、最初に学校や施設の紹介で斡旋してもらった働き口には、我々の配慮で必ず寮がついている。ここがポイントで、つまり、仕事を失うということはイコール住む場所も失ってしまうということなのだ。この時点で、彼らは家無し、金無し、相談相手無しという最悪の状態に陥る。15歳で就職を選択するということは、家族など面倒を見てくれる誰かの存在なくしては、非常にリスクの高い賭けみたいなものなのである。
 正利の場合、もしも全寮制の知的障害者のための更正援護施設に入っても、あいつのように中途半端に自意識と能力があると仕事を続けることは結構難しい。とはいえ施設を飛び出してみても、その頃はすでに外の世界とのレベルの差が埋められないほどになっていてたいがいは通用しない。結局どこにも所属できず、その日暮らしの生活に墜ちていくことになるのが目に見えてる。
 では、進学はどうか? と考えると、オール1の成績の正利では、まず、公立の高校は無理だ。かといって高額の入学金、学費がかかる私立への入学など、当時の施設事情が許すはずもなかった。では、最後の選択肢である養護学校。しかし、ここに入るには「愛の手帳」を取得して知的障害者として国から認定される必要がある。けれど一度この道を選択してしまうと、二度と元には戻れぬことから、選択することはさすがにぼくにも躊躇された。
「愛の手帳」を取得することは、障害者としてのレッテルを貼られるということに他ならない。それでいて、正利のような知的障害者と健常者のすれすれのケースでは、重度の障害者のようにまとまった額の年金を受け取ることができるわけでもない。また、「愛の手帳」があるかぎり、養護学校を出ても、もう二度と一般就労は出来なくなる。どこかの障害者更正施設の作業所に所属するという手段もあるが、こういう場合の月給はせいぜい1万円とか2万円で、一人暮らしをするには経済的に無理が出る。生活に必要な介助者を雇うにしても、介助費が公から出ることはない。グループホームに入るにしても、月に8万から10万円は納めねばならず、これも到底無理になる。
 そういうわけで、親がいて、経済的な援助があり、グループホームに入ることができる環境にあるか、家から通所で作業所に通えるケース以外では、「愛の手帳」のメリットは微々たるものになってしまう。
 それに正利はよくいじめられた。「しんたい」だの「しんしょう」だのと、正利のことを同い年の男の子たちがはやし立てるのだ。彼らにしてみれば、覚えたての言葉をわずかばかりの知識に当てはめて、正利のことを身体障害者のイメージで捉えていただけのことだろうが、言われたほうの正利は不満らしく、そのたびに、わざとらしく目つきを鋭くして、不機嫌極まりない顔でぼくにこう訴えてくるのだ。
「せんせ、あいつらおれのこと、しんたいって、よぶのよ。せんせのほうから、ちゅういしてほしいのよ。おれはしんたいなんかじゃないのよ」
 …あいつときたら、能力は未成熟なくせしてプライドだけは高いんだ。
 正利の気持ちはいつも矛盾していて、友達に「しんたい」と言われると「おれはしょうがいしゃじゃない」と言う。けれど児童相談所のお姉さんに優しく「愛の手帳」の取得を勧められると「あー、はい、とりたいんです」と、すぐその気になってしまう。
 そんな気の変わりやすい正利に「愛の手帳」をとらせてしまうのは、どうなのだろうか。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第17回 正利の脱走・2

■月刊「記録」2001年2月号掲載記事

*          *           *

 真夜中。学園から脱走を図ったはいいが、小学生の隆志を連れ、行くあてもなく途方に暮れかかっていた正利に、突然、珍しくアイディアが浮かんだ。
「そうよ。おねえちゃんのとこ、いけばいいのよ」
 金沢八景にいるお姉ちゃんのところへ行けば、何もかも解決するだろう。正利はそう思ったのだ。
 距離にして彼らの位置からおおよそ30キロ、細かい道順も分からなかった。けれど正利にはいけるような気がした。彼は隆志を連れて線路沿いに金沢の方向へ歩き出した。電車に乗ればアッという間の距離である。最初は順調であるかに感じていた正利であったが、どんなに歩いてもなかなか距離が縮まらないことに気づきはじめた。
 始発電車が動く頃になって、なんとか二人はある駅にたどり着いた。距離にして4~5キロ、時間にして1時間ちょっと。学園のある駅から二つ目の駅で、二人は歩くことをとうとうあきらめた。
 そもそも隆志にしてみれば、動機などなにもなかった。ただ、正利君に誘われたからついてきただけだ。このままどこまでいっても無駄足だ。そんなことが小学生である彼にもぼんやりとわかってきた。
「正利君、どうするの?」そう聞こうと彼を見上げた。 するとそこには、ただボンヤリとした正利が両手をぶらんとさせて突っ立っていた。
 隆志は話しかけるのをやめた。
(ぼくが思うに、いつもこうだ。正利という奴はいつもこうなんだ。さんざん人を巻き込んでおいて、あとのことは人まかせ、気の向くまま。何も考えていない。何の感情もない、本当に無責任な人だ)
 締まりのない口を半開きにし、疲労と睡眠不足と空腹だけを漂わせて突っ立っている正利。その横で隆志は、仕方なくまわりをキョロキョロと見回した。
「あ、」
 隆志は、突然びっくりしたような声を上げた。
 「ここ、ぼくのお父さんが住んでるところだよ!」
 偶然にもその駅の近くには隆志の父とその内縁の妻が住むアパートがあったのだ。
 二人は何も考えず、隆志の父の住むというアパートに行き、ただただチャイムを鳴らし続けた。隆志の父が叩き起こされて出てきた。こんな朝早くからいったい誰なんだ・ ドアを開けるとそこには施設に預けられたはずの小三の息子と、ぼーっとした焦点のあいまいな小汚い中学生が立っている。
 隆志の父は急いで学園に電話をした。
「いったい、おたくの施設はどういう管理をしているんだ! ふざけんじゃねえぞ!」
--そういう経緯であった。

■これぞまさしく「禊」

 ぼくたちは二人を無事に学園に連れ戻した。けれどここからが我々職員にとってもう一仕事なのである。早くお開きにしてしまったほうがお互いに楽なのは間違いない。しかしそうしたらそうしたで、周りの連中にこう言われるのである。
「神山先生、やる気ないんじゃない」
「あんなんだから、正利出ていっちゃうんだよ」
「今回のことは重要よ。ちゃんと総括して、私たちに報告する義務があるはずよ。今は情報公開の時代よ」
 …あほらしい。で「禊」だ。そう、禊みたいなもんだ。これをやって、あと悔しそうに落ち込んでいれば、誰も文句はないはずだ。そうふんぎりをつけてみても、あいつを目の前にすると、絶望的な疲労感がぼくを襲うのだった。
 まるで魂を抜き取られたかのような正利。隣の小学生の隆志が悲痛な顔をしているのとは実に対照的だ。
 そんな間抜け面の正利も主任の問いかけに「はい」とか「いいえ」とか答えている。ぼくと二人っきりだったら、うんともすんとも言わないくせしやがって、調子がいいんだよ、このあほづら野郎。
 その場にいるだけでムカムカする。正利のせいでこの1、2週間ずっとこうだ。もういい加減にしてほしい。今の状況からぼくは一刻も早く解放されたかった。
「正利はどうしますか」
 主任に聞かれ、思わず「あー、もうちょっとここで話をします」と答えてしまった。ああ、なんて面倒くさいことを選択しちまったんだ。そう後悔し、ふと、あいつの顔を見ると、その顔にはさっきと違う強いものがやどっていた。その表情は、明らかにふてくされた態度も見えるし、ぼくを小馬鹿にしている表情にも見えた。
「おい、おい、脱走までしたのに、なんだよ! 早く自由にさせろよ。お前の言ってることはよくわかんねえんだよ!」今にもあいつの口から、そんないつものあいつとは違う、荒々しい言葉が出てきそうだった。
 後日、他のどの職員に話しても、誰もが「えー、あの正利が」と、誰もとりあってくれなかった。しかし、たしかにそんな態度を見たのだ。間違いない。なぜならそのときの態度を、7年後の今もぼくに取り続けているのだから。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第16回 正利の脱走

■月刊「記録」2001年1月号掲載記事

*           *              *

 正利変態事件翌日の起床時のことである。いつも大きな声広美先生が、いつもより一層大きな悲鳴を上げていた。なんと正利がいないというのだ。
「何がどうしたっていうんですか! …あーっ、あいつもしかして、脱走ー!」
 あーあーやってくれたよ正利の野郎! あいつの寝床を見に行くとまるで誰かがまだ寝ているかのように布団がもっこり膨れ上がっている。うまいこと掛け布団の下にタオルなんかを入れて人に見立てていやがる。その細工の仕方にはあいつらしからぬ創意工夫のあとが見られた。
「先生っ! 隆志もいない!」
 ぼくに追い打ちをかける広美先生の声。最悪だ。あいつ、小学生のチビまで連れてっちまいやがった。これはやっかいなことになったぞ。

■受話器の奥の怒鳴り声

---脱走---
 子供が自分の意志で施設を抜け出したとき、職員の間ではそれを「脱走」と呼ぶ。他の悪事と違って「脱走」がやっかいなのは、まずすぐに見つかることはないことだ。子供の逃亡が無軌道なあまりにではない。むしろ子供の行動範囲など、我々の予想の範疇だ。それなのに見つからない。不思議なことに子供の近くまで来ていても、なぜかすれ違ってしまう。それが「脱走」のいつものパターンだ。
「脱走」にはおおまかに分けると2つの種類がある。「本当に逃げるから探さないで」というのが1つ、そしてもう1つは「逃げるけど、とりあえず探してくれ」だ。前者は男を作った女子に見られるタイプで、後者は悪いことをしてしまったあとの免罪符代わりの逃走パターンだ。では正利は? なにかどちらにも当てはまらない気がした。あいつは何も考えていないだろう。考えていないぼーっとした空っぽの頭のほんの隅っこに、幼き母親と妹との逃亡生活が甦ったのだ。
「にげるのよ。にげるのよ。何かつらいことがあったらにげるのよ。かなしいことがあったらにげるのよ」手に取るようにあいつの考えが浮かんでくる。なんて勘違いも甚だしい気持ちの悪い生き物なんだろう。そして同時にぼくは、自分のことが気持ち悪くなった。
「あいつのことばっかり考えているから、あいつの考えがわかっちまう。しかもきっとかなりの確立で当たっている。ああ、なんて気持ち悪いんだ。親の気持ちも彼女の気持ちも友達の気持ちも考えたこともないこのぼくが、なぜ、こうあいつのことだけは考えすぎてしまうんだ」
 とにかく何よりもあいつを探さなければならなかった。事件慣れした子供たちはいつもと変わらぬ様子であっちこっちでやかましくしている。そんな子供たちのなかをかき分けて、ぼくは車のエンジンをかけに行こうとした、
 そのときである。事務所から「神山先生!」という叫び声が聞こえた。ドアの前から手招きされるまま事務所に入ると、事務員の女の人に「正利君見つかりましたよ」と耳打ちされた。彼女の向こうでは、主任が苦り切った顔で電話の応対をしている姿が見えた。
「ですからそれはそれとして、今からお迎えにあがりますから」
 と言うやいなや急いで受話器を耳から遠ざけている。するとかなり離れたところに立っているこちらにも「てめえ!「ふざけんな!」などのやくざ言葉が聞こえてくるのだった。
(何だかやっかいなことにまた、本当にまた、なっちまったんだなぁ)
 あいつに振り回される毎日。本当に嫌になっている自分に僕は気づいた。
「神山先生、迎えに行きましょう」
 主任の大きな声でぼくはふと我に返った。
「先生、正利、どこにいたんですか? あのやくざみたいな怒鳴り声は誰なんですか・」
 矢継ぎ早に質問するぼくを焦るんじゃないとばかりに、まあまあとなだめて、主任は自ら車を出すと、ぼくを助手席に招き入れた。
 車は正利のいる場所へと走り出している。だがぼくは、あいつと会うのがなんだか嫌で嫌でしょうがなかった。
           *
 秋も深まり明け方近くともなると吐く息は白かった。そんな時間に顔色の悪いひょろっとしたまぬけ顔の中学生が、色の濃いクリッとした目の少年を連れて歩いている。冷え込む外気のなかで2人の格好は驚くほど薄着だ。誰が見てもそれは異様としかいえない光景だった。
「どこ行くの・ 正利くん。泊まるところはあるの?」「うるさいのよ。隆志は。すこしだまってるの」
「………」
 しかし、いざ隆志が黙り込んでしまうと正利も不安になってきた。
(どうしようか…)そこでいつものとおり大袈裟にわざとらしく腕組みをした。すると、いいアイデアが浮かんできたのだった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第15回 職員室の和恵先生

■月刊「記録」2000年12月号掲載記事

*          *           *

 正利を保母室から引きずり出し無理やり話し合いを終え、職員室に戻ったぼくを待っていたのは和恵先生だった。
 変態まがいの事件を起こした正利への管理責任を問われ、ぼくは保母たちにやりこめられるだろう。そう覚悟して上目遣いに見上げたぼくに、和恵先生は少し同情的な顔をしてため息をついてくれた。
「はぁーっ」
 ぼくの気持ちもわかるけど、そうはいかないのよ。それはそういうため息だった。

■当面の問題は

 和恵先生の反応は、一つひとつがはっきりしていて面白い。このわかりやすさは子供たちからみると安心感にもつながるのだろう。ぼくの気分も少しほぐれてきた。「あのねぇ、そういうことじゃないんですよ。神山先生」
 ぼくが肩の力を抜いたのを見抜いてか、和恵先生が話しかけてきた。
「正利君の今、起こしている問題を、今すぐになくそうと思うのはやめにしましょうということを私は言いたいんです。彼は繰り返し問題を起こす。そう想定して私たちは物事に取り組むの。とりあえず今回は、正利君は他の子供の部屋に入っちゃだめ。それだけでいいでしょ? ってこと」
「まぁ、皆さんがそれでいいっていうならそれでいいんですけど、でも本当にそれだけでいいんですかねぇ。それがあいつのためになるんですかねぇ」
 言いながら、何を言っているのだ、ぼくは、と思った。楽にこしたことはないではないか。本当は和恵先生の言葉に諸手をあげて賛成したいくせして。ぼくは建設的な意見を口にしてしまっていた。もしかすると、和恵先生にのせられているのかもしれない。
「神山先生にはね、正利君のもっと先の将来のことを考えて指導してほしいんです」
「なるほど…」
「あの人、高校に行くつもりでしょ?」
「はぁ、本人は行きたいというよりも、行けるんじゃないかなんて漠然と考えているみたいですね」
「そこ。そこそこ。そこがあの人の問題よ。あの人、何もわかってないのよ自分のこと」
 これは和恵先生のクセだ。彼女は、しょうもない人のしょうもない話をするとき、いつもあの人、という呼び方をする。
「いい? 神山先生。あの人は勉強ができるわけではないの。運動もできない。愛想がいいわけでもない。なのに、なのによ。ここからが本当の問題よ。なのにあの人は怠け者なの。朝は起きない。顔は洗わない。歯も磨かない。ね、そうでしょ。布団はたたまない。掃除はしない。服は洗わない。ね? ね? そうでしょ。私たちいつもそれをあの人の能力のせいにして、そういうの見落としてきたの。だけど、そういうときじゃないわ。どう考えてもあの人、高校に行くのは無理なんだから、15歳で社会に出るのよ。そうしたら、身のまわりの基本的なことができたほうがいいと思うのよ。とにかくあの人、怠け者なんだから」
 そういえば和恵先生は怠け者が大嫌いだった。そして言われてみればそのとおりだった。ぼくはあいつの並はずれた言動ばかりに目を奪われ、心を煩わされていた。だが、山積みにされた細かい問題もたしかにあるのだ。 能力ゆえとあきらめてばかりいないで、そっちをどうにかするほうが、たしかに先決かもしれない。
「じゃ、とにかく明日は身のまわりの物でも整理整頓させますよ」
「神山先生、いい? 正利君には神山先生が絶対に必要なの。それは学園を卒業してからもですよ。つかず離れず長い目で、ずっと正利君とつき合ってあげてください。神山先生は正利君のこと好きでしょ? 愛しちゃってるでしょ? ね?」
 愛しちゃってる……? 愛しちゃってはいないはずだが、たしかにこのままではイケナイと思い始めているぼくがいた。和恵先生は人をのせるのが上手かった。ぼくはこうやって、徐々に暗示にかかっていくのであった。
■そして再び問題が

「あれー!? えー!? あー!!」
 正利変態事件翌日の起床時。いつも大きな声の広美先生が、いつもより一層大きな悲鳴をあげている。
(何だよ! 朝からうるせえなぁ!)
 ぼくは心のなかでそう思い、小さく舌打ちをした。だが、どんなときも明るく保母さんには声をかけてあげなければいけない。それがこの学園での保母同士のつき合い方だった。
「どうしたんですか? 広美先生」
「はぁー! どうしたもこうしたもないよ! 神山先生! 正利いないじゃん。はーっ、昨日の今日だよ? どうしてくれる?」
「えーっ!!」
 ぼくは負けず劣らぬ大きな声を出していた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第14回 無反応の深海魚

■月刊「記録」2000年11月号掲載記事

*        *          *

「お前、小学生のチビたちに何したの?」
「……」
 何があっても口を開かないと決意したらしい、あいつのどんよりしたままの、しかし深海魚のように無反応に押し黙ったままの顔をぼくは見下ろした。
「おい、聞こえねえのかよ」
 ぼくは思わず声を荒げた。捨てられたも同然のこいつの家に、借金の取り立て人が来るたびに、押入に隠れてうずくまり相手が帰るのを待つしかなかった。その生活がもたらしたのだろう正利の頑なさの前に、ぼくは屈しそうになったのだ。
「何したって言ってるんだよ!」
 小学生のチビたちを集め、一列に並ばせパンツを下ろし顔を埋めていったという。虐待というか、もはや変態というべきか。ぼくは保母室に正利を呼び出し、問いただしていたのだった。

■ぼくはもう知らない

 強い口調で問いただすと、あいつは眉間にシワを寄せ、相変わらず唇を出っ張らせてぼくを見上げた。
「お前が何をしたか、オレはもう知ってるんだよ。高村先生に聞いたんだよ」
「……」
 それでも押し黙るあいつを前に、ぼくは次第に逆上してきた。
「オレはもう信じられないよ! おまえアホじゃないのか!? いったいなんだんだよ! お前ってやつはよ!」「……」
「何か一言でもいいから言ってみろってんだよ!」
「……」
 だが、襟首をつかみあげる直前まで来て、唐突にぼくは我に返った。そうだった。だめなのだった。どうせ何を言っても反応などありはしないのだ。相手に屈しそうになる気持ちのほうがまだしもだった。急に心の底から、もっと大きな情けなさに近い気分が湧いてきた。無力感というやつだった。
 毎回、毎回、問題を起こしてはぼくを手こずらせ、けれど面と向かえば押し黙ってしまう。怒ろうが諭そうがテコでも口を開かない。どんよりとした目で石のように黙る。
 その反応が、やつの生い立ちから生まれたものだと感じている間、ぼくは、あいつに屈しそうになり、逆上までしかけた。けれど、何かが違うのだ。こいつは、そういう同情だけでまともに向かい合える相手じゃない。
 そうだった。ぼくはふと、そのアホ面を見ながら思った。
 ああ、こいつは知的障害者だったっけ――
 だけどな、おまえがまるっきり知的障害者だったなら、ぼくだって対処のしようがあるんだ。けれどな、おまえはぎりぎりIQ80、やることといったらその辺の根性の悪いクソガキと同じじゃないか。やることだけマトモで、いざ面と向かうとIQ80。そりゃないぜ。ぼくとおまえはアカの他人なんだぜ。どうしてぼくが、こんなにおまえのために身をくだかなくっちゃならないんだ。
 もう、こんなやつ、どうにでもなってしまえばいい。 どうでもいい。もういい。放っておこう。勝手にやってくれ。ぼくはもう、おまえにかかわり合いたくないんだ。
「もういいよ。話できねえんだろ。出てけ、出てけよ」 あいつのシャツの袖口をつかんで引っぱり、ぼくは無理やり部屋から追い出した。突き飛ばすようにして外へ出し、強くドアを閉める。
 あいつのことは、もう相手にしない。
 無理やりそう決めた。
そうはいかないのよ
 正利との話し合いを無理やり終え、ぼくは職員室へ向かった。きっと担当としての責任を問われ、保母たちに次々と手厳しいことを言われるだろう。だが、もういい。あいつのことで怒られるのなんか慣れっこだ。それに、もうあいつのことはとにかくどうでもよかった。
 しかし戸を開け、室内に入ると、そこにいたのは和恵先生一人だけであった。背筋をいつものようにピンと伸ばして座る和恵先生。彼女の顔を見ると、なんだかやっぱり少し気後れを感じた。
「あのぉ、本当にいつもすみません」
 上目遣いで盗み見たぼくの目に、和恵先生の困ったような笑みが返ってくる。
「誰もねぇ、神山先生のことなんか怒ってないのよ。もう、正利君のことはしょうがないと思いましょうよ」
 意外な展開だった。怒ってはいないらしい。
「そうですね。じゃぁ、いい機会だからあいつのことはあきらめますか?」
 なかば本気で、冗談に紛らわせてぼくは言ってみた。「はぁーっ」
 和恵先生は大げさにため息をついてくれた。わかるけど、そうはいかないのよ、というため息だった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第13回 恐るべき変態野郎

■月刊「記録」2000年10月号掲載記事

*           *           *

「ちょっと、何考えてんのよ。まいったなぁ。いったい何考えてんの?」
 夕食のあと、ぼくを保母室に呼んだ若い保母は、急いで後ろ手にドアを閉めると、いきなりものすごい勢いでまくし立て始めた。その言葉は、もはやぼくに向けられたものであるのか、混乱のための彼女の独り言なのか、ぼくにもよくわからなかった。しかし、ともかく彼女は荒れていた。
「先生? 何がどうしたの? 詳しく説明してくださいよ」
 なだめるように訊いたぼくに、彼女は情けなさそうな顔で叫んだ。
「もうねぇ、ありえない話よ。はじめて! 私こんなことはじめて! もう~どうしたらいいの? あははははは」
 とうとう彼女は、笑い始めるのだった。混乱の大きさが伝わった。ぼくは背筋がぞっとするのを感じた。
「今日ね、さっきね、慎一君が私のところに遊びに来てね、全部、報告してくれたのよ。何だと思う? 神山先生、何だと思う?」
 ああ、聞きたくないなと、ぼくは思った。何かとんでもないことが起こったようだった。しかも正利がらみである。聞いてしまったら、後処理をしなければならないのはぼくだった。
「何ですか? 先生…」
 ぼくはおそるおそる訊いた。

■目に宿る強固な意思

 彼女の話は、やはりぼくをびっくりさせるものだった。なんと、あいつは、正利は、小学生低学年の男子たちを部屋に閉じ込めては、性的な虐待を加えていたのだった。チビたちを一列に並ばせパンツを下ろし、次々に顔を埋めていったという。
 ぼくはあいつを保母室に呼び出した。
 あいつは、今、ぼくに呼び出されて目の前に立っていた。
 いつものように口を半開きにして、ぼーっとこちらを眺めている正利。その生気のない顔をぼくはしげしげと観察した。なんとも間抜けすぎる顔である。しかも欲と無知が入り交じっているのであった。特にその唇に目が行った。今にもはちきれんばかりに膨らんだ分厚い唇。妙につやつやとした輝きが、まるで獲物を待ちかまえている無脊椎動物のように感じられた。ぼくは気持ち悪くなってきた。見れば見るほどあいつの唇は、そこだけが独立した生き物のようだった。
「おまえはその唇で、子供たちに何をした」
 思わず叫びたくなった。しかし、ぐっとこらえた。叫んではいけない。目の前にいるのは、まともな中学生なんかではないのだ。ただの無知と欲が服を着た変態野郎だ。そんな奴に感情的になってしまっては、自分まで同じ所へ堕ちていきそうなミジメさを感じた。理性的に話しかけよう。せめて演じよう。知性と分別を持った年老いた教師が、いたずらをした子供を諭す場面を。
「お前、何をしたんだ?」
「……」
 反応は、いつものとおりだ。本当にいつもいつも毎度毎度このパターンである。自分の立場が危うくなると、こいつはひたすら押し黙る。「すみません」の「す」の字もない。「ごめんなさい」の「ご」の字もない。涙を流すわけでもなし、怯える様子さえもない。ただひたすら黙々と、そしてぼーっと立っている。
 それならばと、ぼくも負けずに黙り込んだ。そしてじっと目を凝らし、あいつを観察した。そして突然、あることに気づいた。空っぽに近いあいつの頭の奥に、実は確固たる意思が宿っていることに。
 それは、あやまちは認めない、いや、認めてはいけない、という強い意志だった。
「謝っちゃだめよ。謝ったら何もかもおしまいよ」
 そんな意思が、あいつの目の奥からどうしたわけか、突然、感じられた。
 思い起こせばあいつは、ぼくと出会う前から一人、いろいろなものと戦ってきていた。訳も分からず金を盗む。食べ物を盗む。本能のままに行動する。そのたびに誰かに怒られ、叱られてきていた。
 だが、あいつは、いつもあやまってはいけなかったのだ。あやまることは認めることであり、何かひどい目に遭うことを意味していたからだ。
 怒られても謝らない。認めない。相手がただ諦めるのをひたすら黙って待つ。捨てられたも同然のあいつの家には、たびたび借金取りが来ていたという。金の取り立てが来ても、押入に隠れて相手が帰るのを待った。あいつは耐えてきたのだ。自分より倍も歳が違う連中と、何十倍も頭の働く連中と、一人でなんとか渡り合ってきたのだった。
 その、予想外の強い意志を感じ取り、ぼくはうろたえた。まずい、このままでは負けると思った。黙っていては負けてしまう。何か話しかけなくてはと、思った。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第12回 正利がおかしい

■月刊「記録」2000年9月号掲載記事

*           *             *

 正利はフラれた。失恋宣告をしたのはぼくだ。相手は最近施設に入所してきたばかりのフィリピン系の血が流れる年下の女の子だった。しかし、特に悲しそうな顔をするでも悔しそうな顔をするでもなく、正利は、淡々と無表情に相づちを打つだけだった。
 そこでぼくは、これですべての問題は片づいたと思ってしまっていた。だが違った。正利の中には、次なるマグマがふつふつと煮えたぎっていたのであった。

■不可解なあいつの言動

 正利の様子がどうも変である。何か悩みがあるという感じではなく、楽しそうにはしゃいでいるわけでもなく、ただ毎日の生活を淡々とこなしている。だが、本来ならばそういった単調さは、一番あいつにとって苦痛であるはずのものだった。
 学校からまっすぐ帰り、すーっと足音もなく部屋へ行く。何日も洗っていない襟元の汚れたワイシャツを脱ぎ、やはり何日も洗っていないくしゃくしゃのTシャツに着替え、力のない足どりで再び現れ、居間のテレビにゆっくりゆっくり近づく。椅子に座り、足を組み、テレビにリモコンを異常なほど近づけてスイッチをオンにする。ひたすら、ぼーっと、テレビの画面を眺めている。すべての動作を無表情で行っていく。
 部屋の横を職員が通りかかっても、正利は何の反応も示さない。ぼくが声をかけても「あー」と適当な相づちを返してくるだけだ。いつもなら学校から帰ってくると、職員を見つけては、片っ端からしつこいくらいに「せんせ? せんせ?」と、ぼくのことを探しまわるのに…。
 どうしたんだ正利? 何があったんだ?
 さすがに少し心配になり、ぼくはあいつに近づいて、その表情を横からのぞき込んだ。出っ張った下唇と魚が3回死んだような淀んだ目。しかし、それらからは、やはり何一つ読み取ることはできなかった。
 ところが、そんなぼくたちの後ろから、宿題を終え、部屋に戻ってくる小学生たちの声が近づいてきた。その瞬間であった。淀んだ正利の目がかすかな反応を示したのだ。確実に何かがあいつの中で動いたのをぼくは見逃さなかった。今までゆっくりゆっくり、やっとのことでカタッ…カタッ…と動いていた正利の中の歯車が、まるで油でも差したかのようにカタカタカタカタカタと噛み合い、急にスムーズに動き出したように見えたのだ。
「おい」
 振り返り、ぼくの存在などまるっきり無視して、手と足をバタバタさせ、小さい子供たちに自分の存在を知らせる正利。チビたちが自分に気づいたのを確認すると、正利は立ち上がって、彼らの背丈に合わせるように背中を丸めて近づいていった。
 そしてチビたちの背後に近づくなり、正利は「急げ」といわんばかりに彼らの背中を押した。一斉に子供部屋へと押し込む。それは、ぼくがかつて見たこともない素早い動作であった。
 次に正利は、部屋に一緒に入っていこうとした。ノブをつかみ、一瞬ぼくのほうにちらっと視線を投げてきた。それもまた、ぼくがかつて一度も見たことがないような不可解な表情だったのだ。
 こちらを見たのもつかのま、正利は部屋に入り、「バタン」と大きな音を立てて子供部屋のドアを閉めてしまった。ぼくは迷った。室内をのぞくべきか否かと。
 だが、なんだか急に面倒くさくなりやめてしまった。正利が変なことなどしょっちゅうなのである。あいつの不可解な言動にまともに取り合って、肩すかしをくらわされたことなど無数にあった。どうせあいつはチビたちとしか遊べない。チビたちと施設の子供部屋で遊べることなどたかが知れている。まぁきっと、何か新しい遊びでも思いついたのだろう、と安易に考えてしまった。
 そしていつも、ぼくはこうやって失敗に近づいていくのである。
 ぼくが、小学生男子、つまりチビたちの様子がおかしいと感じ始めたのは、それから数日後のことだった。
 夕食時、チビたちの顔がどれもこれも妙に複雑だったのだ。ぼくが話しかけると一応笑うのだが、その笑顔にはまるで力がなかった。おかしいな、そう思い視線を正利のほうへ移すが、相変わらずの無表情である。
 だが、「一点の曇りもない」という表現を借りれば、このときの正利の顔は全面曇っていた。しかも陰鬱な曇りではなく、嵐の前の不気味な暗雲であった。嫌な予感がした。
 夕食を終え、30分ほど経った頃であろうか。ふいに、若い保母がぼくに近づいてきて、ささやくように言った。
「神山先生、やばいのよ。正利やばいって。ちょっと来てよ」
 何がなんだかわからぬままに、ぼくは、若い保母のその険しい表情から、ただごとでない事態だけを読みとった。しかも、また正利がらみなのであった。そら来た、と思った。
 そして、ぼくが保母室に入ると、保母は急いで後ろ手にドアを閉め、鍵までかけたのだった。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第11回 正利の恋

■月刊「記録」2000年8月号掲載記事

*           *            *

■せんせ、かのじょできたのよ

 今日から2学期である。
 夏休みよりも30分早まった起床時間に体がついていかないのか、どの子供の顔も不機嫌そうにみえた。スプーンと皿が触れ合う無機質な音だけが部屋中に響いている。
 何枚もパンをおかわりする中学生もいれば、アサリの苦みが苦手でまったく食が進まない子もいる。「ヤクルトはデザートだから、全部他のものを食べてからでないと飲んじゃダメ」と注意する保母の声が響きわたっている。
 けれど不機嫌そうな顔も、時間が経つにつれて徐々にほぐれてくる。日常のペースを取り戻し、あちらこちらから子供たちの会話が聞こえてきた。すると正利が、唐突にぼくに話しかけてきたのだ。
「せんせ、せんせ、おれ、かのじょできたのよ」
 身振り手振りで嬉しそうにあいつは話してくる。なんだかぼくは、嫌な予感がした。
 おまえに彼女なんかできっこないだろう。いつも同じ歳の子に相手にされなくて、結局、小さい子と遊ぶじゃないか。それはおまえ自身が一番わかってるだろ……と思った。
 だが、まぁいい。今日はぼくは機嫌がいいのだ。とにかくさっさと無難に学校へ行ってくれ。
「おお、それはよかったな! 今度詳しく聞かせろよ。今度な!」
 正利は今すぐにでも話したそうだったが、ぼくはそれをこんなふうに強引に拒否した。
 食事が終わると正利は、珍しく鏡の前で身支度を整え始めた。頭に水をつけ、同室の武史から借りた櫛で髪をなでつけている。七・三にきちんと分けられた髪型と目やにだらけの顔の不潔さがアンバランスで、あいつの知能をそのまま表しているようだ。ぼくが横を通ると、鏡越しにあいつはニヤっと笑った。
 スピーカーから柏原芳恵の「ハローグッバイ」が流れ始めると7時45分、登校の時間だ。子供たちはグループごとに整列させられ、準備ができたグループから出発していく。正利も、ぼくをニヤニヤ見ながら実に気分よさそうに門をくぐっていった。
 ぼくは、なんともいえないイヤ~な気分と胸騒ぎとともに、「とにもかくにも今学期は何も起こらないでくれ!」と心の中で祈った。

■突如、変態お兄さん

 正利の恋の相手は、フィリピンの血が流れている正利よりも一つ年下の女の子だった。
 子供たちは、小さいうちに施設に入れられると、何がなんだかわからないうちに施設生活になじんでしまうものだった。しかし、歳の頃も中学1年生くらいになると微妙だった。新しい人間関係と新しいルールを独特の雰囲気の中で学んでいかなければならない。それは、はたで見ていても困難な作業だと思えた。
 正利の好きになった相手は、まさに中学1年生で施設に入所してきた女の子だった。勝手がわからず、独りぼっちで辛い時期に、何かのきっかけで彼女に手をさしのべたのが、たまたま正利だったらしい。
 正利は、少し変な感じはするけど、最初は学園のルールを教えてくれる親切なお兄さんだったのだろう。彼女があまり日本語に達者でないことも幸いしたようだ。だが、そうして彼女が少し気を許し始めると、たちまち正利からのラブレター攻撃が始まった。
 誤字脱字だらけのひらがなオンリーの手紙に、つきあえだの好きだのと、今にも抱きつかんばかりに書き殴られている。それが毎日届く。
 変態お兄さんに豹変してしまった正利に、困り果てた彼女は、慌てて担当の保母に相談をした。そしてぼくは保母から「正利君をうまく諦めさせてくれ」と頼まれたのだった。予想したとおり、正利の恋はあっけなく散ったのだ。
 今回の出来事は、ぼくにとって、ことごとく予想の範疇だった。だからぼくは慌てず騒がず、まず、正利を保母室に呼び出し、そして言った。
「おい、正利。あの子な、おまえのこと好きじゃないってよ。わかった? わかったならおまえしつこく追っかけまわすんじゃないぞ。そんなことしたら、ただじゃおかないぞ」
 これだけ。これだけだ。ぼくはこれだけで、あいつの恋を終わらせた。あいつは「あー」とか「うん」とか、ただただ無表情に相づちを打つだけで、悲しそうな顔も悔しそうな顔もしなかった。だからぼくは、これですべての処理が済んだと勝手に納得した。血も涙も通わぬ冷たい話し合いは、数分でお開きとなった。
 しかし、不機嫌に出っ張った正利のその下唇には、新たな次なる巨大なマグマが宿っていたのだった。ぼくは、正利のまぬけ顔に、うっかりそれを見落としてしまったのである。
 そしてどうやら、正利のうちに潜むマグマは、ぼくが気づかないうちに、ふつふつと彼の心の中で大きくなっていったようであった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第10回 2学期最初の事件

月刊「記録」2000年7月号掲載記事

*          *             *

 学園の行事「クリスマス会」の日に、江美が楽しみにしていたロックコンサートの日が重なってしまった。
 朝起きてから寝るまで、ルールづくめの学園生活に不満が溜まりにたまっていた江美は、良江先生に泣いて怒りを叩きつけた。
 その激しい剣幕は、日頃、何事にも決断が早く「厳しい規律は正しい人間を育てる」を信じて疑わない厳格な良江先生をも、思わず腕組みさせるほどのものだった。
■対等ならそれでいいのか

 良江先生は、どんな決断を下すのだろう。
 ぼくは、学園の規則に息苦しさを感じる子供と、指導者としてあくまで毅然といようとする良江先生のどちらの立場にも半分ずつの疑問と共感を感じていた。
 だから良江先生がどうやって子供たちを納得させるのか、事のなりゆきを興味深く見守っていた。
 ところがしばらくすると、良江先生は、意を決したように腕組みをほどき、パンと手を叩いた。
「わかった江美。職員会議で提案してみるわ。そうよね、うん、ちょっと行事が多いよね。うん」
 良江先生のこの答えは、ぼくにとっても少し驚きだった。
 驚いているぼくを尻目に良江先生は続ける。
「関係ないけどさ、私、昔、礼拝に子供を出させなかったこともあるのよ。ははは。だって学園はキリスト教主義だっていっても、別に私たちはクリスチャンじゃないものねえ。
 でも、そのあとで、隣の部屋の保母さんにすごく怒られちゃったわよ。ははは。まぁとにかく職員会議に出してみるわね。ははは」
 良江先生の照れ隠しらしい、「ははは」という笑い声とともに、こうして集まりはお開きになったのだった。 良江先生が折れた。江美は、ついに良江先生を折れさせた。部屋から出て職員室に向かう間も、ぼくは二人について考えていた。
 果たして今回のようなことが、ぼくの出席したあの人権主義の研修会に来ていた人たちの施設で起きたらどうなったのだろうか。
 例の講師なら、子どもの自己決定権を尊重するべきだと言い、迷わずオーケーを出すだろう。彼らは、対等な関係にある対等で自由な話し合いによって、子供の個性は伸びると信じている。だが、本当にそうだろうか。ぼくには必ずしもそれだけだとは思えなかった。
 帰り際に玄関に出ると、良江先生とばったり会った。彼女はぼくに「例外のない規則、特例のないルール、そんなもの作っちゃダメよね、神山先生」と言った。ぼくはポカンとして良江先生の顔を眺めてしまった。
 良江先生を動かしたのは江美だ。ガチガチの規則、がんじがらめの拘束のなかにでも、たくましい個性は育っている。江美もまた、そんな子どもの一人なのではないだろうか。
 玄関を出てから、良江先生の今の言葉を反芻した。そして、良江先生の懐の深さにちょっと嬉しくなった。

■すこぶる上機嫌の朝

 さて、長かった夏休みもいよいよ終わり、2学期の始まりである。
 新学期の最初の朝は、とにかく慌ただしい。だが、ぼくにとっては、その慌ただしささえもすがすがしく感じられた。素晴らしい気分だった。なんといっても今日からあいつが学校に行ってくれるのだ。それだけでぼくは十分嬉しかった。
 例のごとく正利は、前日からあれほど言っておいたのに、何一つ学校に行く準備をしてはいなかった。ぼくが手伝うのを、血の気の失せたむくんだ真っ白な顔でボーッと待っている。
 いつもなら、ふざけるなと言って頭の一つもはたくのだが、まぁいい。今日は特別だ。
「正利、ダメじゃないか。筆記用具がないのか? これ、新しいのを買っといたぞ。上履きもない? ああ、おまえ足大きくなったもんな。仕方ない、新しいのもっていけ。それより飯だ飯。朝ご飯はしっかり食べないとなぁ」と、つい何でも許してしまう。
 ところで学園の朝食には、ご飯とパンが交互に出される。麺類の多い昼食。魚、肉、魚、肉の夕食。決まったローテーションに従って、繰り返し繰り返しの食事が出されてくる。
 今振り返ると、主だった事件のあった日のことは、その詳細とともに、必ず食事のメニューがまず浮かぶ。
 はじめてのソフトボール大会の朝食はケチャップにまみれた真っ赤なウィンナー。学園から脱走した女の子を追いかけ、捕まえそこなった日の夕食は鯖の味噌煮。火事で1000平方メートルを焼き尽くしてしまった日は、シャレのようだが焼き肉だった。
 我ながらなんだが不思議だ。きっと食事中にその日にあった出来事を子供たちと話し合っていたからなのだろう。
 そして、あの日の朝食は、たしかクラムチャウダーだったのだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第9回 学園のルール

月刊「記録」2000年6月号掲載記事

*            *             *

「どうせダメなものはダメなんでしょ。ルールなんでしょ。はい、はい、わかりました。もう、いいよ。ルール、ルールって、そればっかりじゃん。もう、いいよ……」
 うつむいた江美の横顔から何粒もの涙が、頬を伝わって落ちるのが見えた。よほど悔しいのだろう、普段はろうそくのように白く透き通る江美の頬が真っ赤になっていた。
 江美は12月の下旬に行われる、あるビジュアル系ロックバンドのコンサートを楽しみにしていた。少ない小遣いの中から貯めたお金で、チケットはすでにおさえてあったし、一緒に行く友達とも毎日その話題で盛り上がっていたようだ。ぼくも江美の口から楽しそうに、コンサートの予定を聞かされたことがあった。しかし、しかしである。あろうことかコンサートの日は、偶然にも施設の行事であるクリスマス会と重なっていたらしいのである。学園の行事参加は義務であり、規則であり、よって強制であり、私的な用事によって欠席することなど決して許されないわが学園では、当然、江美のコンサートを認めるわけにはいかなかった。
 コンサートの日程を知らされて、「何言ってんの、その日はクリスマス会の日でしょう」と良江先生にたしなめられた。どうやらそれで江美は泣き出したらしい。
 たしかに、朝起きてから夜眠るまでルールだらけのわが学園ではある。それは、施設生活の長い江美にとっても、今日まで当然のことであったはずだ。けれど、楽しみにしていたコンサートが急に目の前から消えそうになり、どうにもやりきれなくなったのだろう。
「わたしがチケットを取ったのって、クリスマス会の日程が決まる前だよ。おかしいじゃん。それなのにコンサート行けないなんて。だいたいうちの学園は変だよ。なんで行事は絶対参加なの? 本当は自由参加にするべきじゃん」と、うつ向いたまま、強い口調で訴える江美の拳が震えている。
「良江先生は納得できないものは、話し合いで解決しろとか、話し合おうとか普段は言うけど、結局ダメじゃん。話し合ってルール作ったって、そのルールを守ったって、リーダーとして守らせたって、結局なんにも変わんないじゃん」
 江美には、自分がリーダーになり、仲間達みんなの意見を吸い上げて職員にぶつけ、そのたびごとに今までの学園にはない新しいルールを誕生させてきたという自負があった。
 それは、学園のやり方やルールがイヤならば破ればいいといった、従来の不良タイプのやり方とは異なっていて、ぼくら職員にとっても新鮮な驚きをもたらしていた。

■変わりつつあった学園

 江美の果敢な働きかけと行動によって、このところ学園のなかも少しずつ変わり始めていた。今回のように、子どもが子どもだけでコンサートのようなところへ行けるようになったのも、江美の作り出した新しいルールが適用されたからであった。普段は化粧はおろか、眉毛を剃ることも髪を染めることも禁止されていた学園で、高校生に限り年に4回まで化粧をして外出してもよし、との規則を作り出したのも江美の運動の成果だった。職員達も江美の「反抗をもってぶつかる」のではない新しい主張の通し方に目を開かれる思いで、話し合いで物事を解決するのは良いことだと奨励をしていたところだった。その矢先に今回のことである。江美がふんまんやるせないのも、わからなくもない。
「うーん、もう待ちなさい。そうは言ってもねえ」と、良江先生も今日ばかりは歯切れが悪い。
 たしかに学園には行事が多い。ぼくら職員でさえ、施設にいると行事で季節を感じ、行事に拘束され、行事に明け暮れているうちに一年が終わっていく。毎週行われる水曜日の夜と日曜日の昼の礼拝。月に1度の誕生会。季節ごとの施設対抗のスポーツ大会、文化祭、招待行事、クリスマス会……数え上げればきりがない。良江先生の歯切れの悪さは、そんなところにも原因があるのだろう。
「先生、なんとかしてあげてよぉ」
 ふと、ヨシコが場の雰囲気とはかけ離れた甘えた声で言った。モデルなみに顔立ちの良い、それなのになぜかいつもきれいとは言い難い緑色のジャージを着ているヨシコ。ヨシコはあまり深く考えることが好きではない。今も江美に助け船でも出しておいて、早く結論が出ないかな、なんて思っているくらいに違いない。
「先生。いつも施設の仲間同士で固まってたってしょうがないじゃん。私たちもうすぐ社会にでんだよ。外にでたほうが社会勉強になるのになぁ」と、ヨシコにつられるようにして京子がまっとうな意見を言った。すると「うーん、困ったなぁ」と、良江先生は、腕組みをして本当に困った顔をした。この人にしてはめずらしく決断が遅い。「大人というのは子どもから見た時、わかりやすくなくてはならない。そうでないと子どもは安心してついてこない」が持論のこの人とは思えない困惑ぶりだ。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第8回 職員との微妙なバランス

■月刊「記録」2000年3月号掲載記事

*        *         *

「子どもの人権擁護について」と題する研修会に参加したぼくは、最終日の晩に行われた親睦会で、講師にさまざまな質問をぶつけていた。
 施設の子どもには、茶髪もピアスもオーケーで、ルールを守らない子どもに対しても、決して罰はいけないという講師の言葉に、現実との落差を感じてぼくは苛立っていた。

■時間刻みの日常生活

 ぼくの所属する施設には、朝起きてから夜、床につくまで、ありとあらゆる規則があった。一五分以上寝坊すればおやつは抜き。一番遅く食堂に入った子どもには、号令係が待っている。学校に遅刻したり学校からの帰宅が遅れると、しっかり職員日誌にマイナスポイントとして書き込まれてしまう。
 起床、就寝、テレビ、入浴、食事、日常生活のあらゆる事柄がすべて時間で統制されている。だがそんなことは、どこの家にもルールがあるように、集団生活をする以上、当然なことだとぼくは思っていた。
 しかしそんなぼくの考えは、この研修会では通らない雰囲気だった。ためしにぼくが自分の施設の日常をかいつまんで説明してみると、講師は予想した通りの反応を示した。
「今回やったゲームでおわかりでしょう? 最初からあれはダメ、これはダメじゃあ人は伸びないんですよ。自由なやり方で失敗したり成功したりを繰り返して子どもは成長していくんです」
 そして講師の言葉を誰かのヒステリックな声が継いだ。
「大体ねえ、朝起きないこととおやつを食べる食べないは、全然関係のないことでしょう? 朝起きられなかったら、なぜ起きられないのかを一緒に考えるべきなんじゃないの?」実にまっとうな意見である。
 声のしたほうを振り返ってみると、そこにいたのは、さっきまで講師のギター演奏に涙を流していた女性だった。そりゃあそうだろう、とぼくは思った。大上段から振りかぶってしまえば、そうだろう……。そんなことはわかっている。でもどうにもならないのが現実の大人と子どもの関係じゃないのか?
「あなたの施設では、本当にそんな方法で対処できているんですか?」ぼくは苛立って思わず口走った。「ぼくなんか、いうこと聞かない子どもはひっぱたいてやりますよ」口走ってしまって、ヤバイ! と思ったが、あとのまつりだった。
 背後で中年の女性の金切り声が聞こえた。
「この人んとこ、子どもに暴力ふるってるんだって!」
 彼女は絶叫すると、やおら立ち上がり、走って部屋を出ていってしまった。ウソのような本当の話である。

■良江先生との会話

「あらぁ、ヨシコ。何よ、その眉毛。眉毛は剃っちゃぁダメって決まったでしょ。あああ、なんにも聞いてないんだから。学校に行く時はちゃんとマジックか何かで眉毛を描いていくのよっ」
 相変わらずの調子の良江先生の声が聞こえた。研修から帰ると施設には、ぼくのよく知る変わらぬ日常生活が待っていた。
「江美さん、あなたもリーダーでしょ? リーダーとして管理が全然行き届いてないわねぇ。それじゃリーダーとして失格よ。あらちょっと? 今、通ったの京子よねぇ。ねぇ、江美。最近京子のスカート短すぎると思わない?」
 研修地の熱海で買ってきた土産を担当の子ども達に渡し終え、保母室へ向かう僕の耳に、否応なしに良江先生の声が飛び込んでくる。
「ねぇちょっと江美。あなたリーダーでしょ。もう。京子! 京子! ちょっと来なさい。ねぇ京子。あなた最近ちょっと短すぎない。何がじゃないでしょ。スカートよ、スカート。そんな短いスカート履くとどうなるかわかってる? 男達がどういう目であなたを見るかわかってる?」
 保母室の前の薄暗い入り口には良江先生のサンダルがきちんとそろえられ、周囲には無造作に何組かのサンダルが散らばっていた。どれも園から支給された同じ色、同じ形のサンダル。マジックで持ち主の名前が大きく記入されている。
「ああ、いつものメンバーだな」そう思ってぼくは、遠慮なく引き戸をガラガラと開けた。
「そう、わかってるのね。あら、いやだぁ。あなたわかって履いてるなんて、あら、なんてこの女はいやらしいのかしら。ねぇ、江美。言ってやンなさいよ。京子に。いやらしい女だって」
 そこにいる女子高校生は、全員が良江先生の担当児童というわけではない。しかし良江先生のそばにいることが楽しいらしく、いつも学校から帰ると制服姿のまま、まとわりついている。生徒達は、たいがい良江先生に怒られているのだが、ハタから見るとそう嫌がっている雰囲気でもない。注意するほうも楽しんでいて、されるほうも楽しんでいるようだ。
 それは彼女達の間の一つのルールであった。決まったルールの上に乗ってお互いに役割を守っている。施設の規則をネタにした定まった役割分担の上で、職員(大人)と彼女達(子ども)の関係が微妙に保たれていた。
 しかし、だからといって彼女達が、施設の規則を受け入れているわけではないのだ。彼女達だって本当は化粧をしたいし、ピアスもつけたい、茶髪にしたい、携帯電話で友達と連絡も取りたい。現に、ヨシコは眉を剃りそろえているし、京子は制服のスカートをウエストでたくし上げてミニスカートにしている。
 みんな一歩外に出れば、普通の高校生でいたいのだろう。施設から出される弁当を学校に持っていくと施設から来ていることがバレてしまうから持っていかない。友達から電話がかかってくると施設にいることがわかるから、こちらからしかかけない。実際にそういう子は何人もいた。五時四五分の門限を気にせず遊んでみたい。好きな髪型にしたい、気に入った服を着たい、彼氏と携帯電話で連絡を取りたい。あれもしたい、これもしたい。数え上げればきりがない……。そんな年頃なのである。 けれど彼女達が破る規則は、せいぜいが眉毛を剃る程度までだった。それ以上の禁止事項を犯してしまえば、今までの楽しい職員との関係が崩れてしまい、施設に居づらくなってしまう。子ども達は、その微妙なバランスをよく読みとって対処しているのだ。
 そう考えるとぼくには、良江先生と子ども達の会話も一見楽しそうに見えるが、実は危うさをはらんだ複雑なものに感じられた。
 やりたいことが見つかると必ず手枷、足枷となる施設。彼らにとって施設生活はさぞかし窮屈なものであるのだろう。
 かといって、子ども達にまったく自由な高校生ライフなど満喫させるわけにもいかなかった。一八歳になり、彼らが施設を出る年齢に達し、精神的・経済的に自立したとみなされるまで、彼らの行動の責任は、ぼく達、職員にあるのだ。施設の外には、売春・援助交際・非行・麻薬など危険があまりにも多すぎる。そんな危険にみすみす近づけるような自由など、許すわけにはいかなかった。その禁を破ろうとする子どもには、罰も必要だ。そもそも甘い顔などしていたら、舐められてしまって収拾がつかなくなってしまう。
 ぼくは、人権派の研修会を思い出した。
「ピアス? オーケーです」「茶髪。それもオーケー」「何がよくて、これがダメなんてきめつけてはいけませんよ」
 わからなかった。本当にぼくにはわからなかった。正しいのはうちの施設なのか、それとも流れは人権派にあるのか……。
 気がつくと、良江先生と彼女達の話し合いの雰囲気が一変していた。リーダーである江美が、突然泣き出したのである。江美は、職員達と対等に話しができるくらい頭が切れ、誰からも一目置かれる存在であった。その彼女が人目もはばからず泣きながら良江先生に何かを訴え始めていた。(■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第7回 人権擁護の研修会

■月刊「記録」2000年2月号掲載記事

*            *           *

 化粧品メーカーが主催する「子どもの人権擁護について」と題する研修会に参加することになったぼくは、二泊三日の日程で、熱海にあるそのメーカの研修所に来ていた。
 まず、ぼくは自分に割り当てられた部屋に荷物を置き、同室となった母子寮の職員達と簡単なあいさつを交わした。そうこうしているうちに館内放送で全員に集合がかかり、広間に呼び出されたのだ。

■子どもだましのようなゲーム

 指定された広間に入ると、そこは会議室のようにそっけなく、だだっ広いだけの部屋だった。机が部屋の端に寄せられ、真ん中に椅子が輪のように並べられている。「子どもの人権擁護について」という研修の題名から、お堅い勉強会や講演会のようなものを想像していたのだが、その場で自己紹介をかねて始められたのは、子ども向けのレクリエーションのようなゲームだった。
 東京の渋谷区にある「子どもの城」という、児童センターの親玉のようなところで指導を行っていたという講師のかけ声に沿って、みんなで仲良く次から次へとゲームを楽しむ。輪になって歌を歌い、みんなで同じポーズをまねるゲームをし、向かい合って相手の印象を動物にたとえ合うゲームなどが続く。
 それらはまるで子どもだましで、ぼくは早くもうんざりしていた。しかし、不思議なことに周りのみんなの表情は一様に明るい。なんでだろう? と思いつつも周りに合わせてゲームをこなしていったのだけれど、どうにも納得いかなかったのが、これらのゲームに一貫したルールがあったことだ。そのルールには二つあり、一つは勝ち負けをつけないこと、もう一つは答えを設定しないということだった。
 例えばある人に目隠しをし、その人に対して、三人が三通りの方法で、ある場所まで誘導するゲームを行う。一人目は叱るような大声で誘導し、二人目は事務的に淡々と。そして三人目は優しく、しかも子どもにもわかりやすようにハキハキとした口調で誘導を行う。
 三人の誘導が終わると、目隠しをされた人物がそれぞれの誘導方法に対する感想を述べる。「目が見えなくて本当に不安だった。うしろから大きな声を出されると不安感があおられた。淡々と話されると自信がないようでやはり不安だった。三人目がよかった」などと、だいたい予想通りの答えが導き出されるのだ。
 こうして一つのゲームが終わると、講師は決まってこう言った。
  「ゲームには勝ち負けなんてないんです。答えを無理矢理導き出してもいけません。答えは人の数だけあるんです。罰ゲーム?  とんでもない。そんなのあったらゲームじゃないでしょ」穏やかではあるがハキハキと大きな声で、そしてにこやかな表情で、講師はぼくらに説明する。
 講師のにこやかな表情とは裏腹に、ぼくは「そうかぁ?」という気持ちになった。今までの経験からみても、子どもが勝ち負けに執着しないなどということは考えられなかった。むしろ相手に負けまいと必死になることで、それを見ている子どもまでが興奮し、ゲームの場全体がヒートアップしていくように思えるのだ。
 しかし、到底、そんなことを言えるような雰囲気ではなかった。そんなことを考えているのはおそらくぼくだけで、みんな心からこのゲームを楽しんでいるようだった。釈然としない思いを抱きつつ、『……でもまあ……三日間だし、…なんとかなるだろう』とぼくは考えた。 だが、それは実に甘い考えであった。
 研修会二日目の夜には懇親会が行われた。ぼくは会場へ向かう途中でトイレに寄っていたので、会場に入るのが一番遅くなってしまった。あわてて会場に飛び込んでみると、なんだかよくわからない。薄暗くてほとんど何も見えないのだ。そして目が慣れてきて驚いた。この大きな会場には食べ物はおろか飲み物さえない。男と女が輪になって交互に座っている。そしてその中央に、ギターを抱えた講師がいる。
  「ご飯はどこにあるのですか?」ぼくは隣の女の人に聞いた。すると彼女は宴会の前にこのような閉会を兼ねたセレモニーが毎年行われているのだと教えてくれた。そうか、飯はちゃんと食えるんだな。ぼくは少し納得した。
 二、三曲歌を歌い、簡単な体をほぐすようなゲームを終えると、スタッフがみんなにろうそくを配り始めた。ギターの音とともにろうそくの点火リレーが行われ、いよいよセレモニーとやらが始まった。ろうそくのついた人から二日間の感想を述べていくのである。
 ……驚いた。その場で泣き出す人が続出したのだ。「今までの自分の子どもとの接し方は間違っていました! でもこれからは勇気を出して頑張ります。だって、だってこんなに大勢の仲間がいるんだから」とか、「たくさんの優しさにふれることができました。また明日から頑張ります!」などと言って泣くのである。講師は目を閉じ、小さな音で優しいクソみたいなメロディーを繰り返し繰り返し弾いている。みんな明らかに酔っていた。いや、宴会が始まる前からみんな酔っていた。素晴らしき自己陶酔の世界である。

■こいつら本気で納得してるのか

 セレモニーから解放されて懇親会が始まっても、参加者達は当たり障りのない、先ほどの自己紹介の続きのような話ばかりしている。なんてことだ。居心地の悪さにぼくがきょろきょろしていると、講師がビールを手に近づいてきた。近くで見る講師の顔は、酒がまわっているせいもあってか、実に血色がよかった。
 講師はぼくのグラスにビールを注いで、質問してきた。
  「お宅の施設では子どもの権利条約を読まれましたか?」
  「はい、読ませていただきました」
 先ほどのギターを弾いている姿がなんとなく鼻についていたので、ぼくは素っ気なく簡潔に答えた。
  「いやぁ、よかった。いまだにまったく理解を示さない施設もあるんですよ。そんな施設に限って虐待を繰り返しています。今にとんでもないことになるんですけどねぇ」
 とんでもないことになる? 確かに思い当たる節はないでもない。実際のところ、ぼくの正利を前にした精神状態はとんでもないことになっている。あの正利への扱いは、まさしく虐待であると自分でも思う。虐待が繰り返されるとそのうち何が起こるのか。ぼくは急に好奇心に駆られ、思いつくままに講師に質問してみた。
  「子どもが悪いことをした時には、叩いたほうがいいのですか?」当然、叩いてはいけないという答えが返ってくることを予想していた。
  「叩くほうがいいとか、叩かないほうがいいといった次元の話ではもうないんですよ。明らかに禁止されています。権利条約読まれたんでしょ?」
 相変わらず穏やかな口調である。ぼく達のやりとりに関心をもったらしく、周囲の人間が集まってきた。ぼくは矢継ぎ早に次の質問に移った。とにかく気になっていたことをすべて聞いてみようと思ったのだ。
「ルールを守らない者や弱い者いじめをする者には罰は与えるべきですか?」
「暴力的行為だけでなく、子どもに精神的苦痛を与えること、それも体罰なんですよ」
「髪の毛を染めるのは?」
「基本的にオーケーですね」
「ピアスは?」
「オーケー」講師の口調は変わらない。
「何でオーケーなんですか? よくわかりません」
「子ども達には自己決定能力もそなわっているし、自己決定権を持つことも認められているんです。大人の側が子どものやることに納得できないのであれば、禁止するのではなく、もっと話し合うべきなんです。それでも子どもがそれをしたいのなら、基本的にはオッケーなんです」
 講師が行う身振り手振りの熱演に、周りの参加者は大きくうなずいた。ぼくが施設という村社会に埋没している間に、世の中はこんなにも変化を遂げていたのだろうか。こいつら全員、本気で納得してるのか ぼくは次第に苛立っていった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第6回 正利、おまえが怖い

月刊「記録」2000年1月号掲載記事

*         *         *

 昼食時、正利の髪が茶色いことを理由に詰め寄ったぼくは、いつしかあいつを殴りつけていた。二発、三発。たちまち頭の中が真っ白になり、何をしているのかわからなくなった。四発、五発……。手は止まらない。ぼくはただやみくもに、半分口を開けたままぐんにゃりしている正利の顔を殴りつけていた。

■とうとうやってしまった……

 しかし何発目かの時、突然、背後から女の子の叫び声がした。
  「先生っ、正利くん何もしてないよ! 正利くん水泳部なんだよ!」
 瑞江だった。普段は正利のことを気味悪がっている瑞江が、必死になってあいつのことを弁護している。
 はっとして、ぼくは急に我に返った。――ああついにやっちまった――そんな気持ちが湧いた。これは体罰だ。ぼくは子ども達の目の前で、抵抗もしない一人の子どもに体罰を加えたのである。
……いいや、体罰なんかではない。これは紛れもなく虐待だ。
 立ちつくしているぼくの暴力からやっと逃れた正利が、瑞江の声に励まされたのか床にへたり込んだまま口を開く。
  「……おれ、そめかたわかんないのよ。どうやったらそまるのか、おしえてほしいくらいよ」
 見下ろすと目が合った。腫れ上がった顔にあいかわらずどんよりした目つきだが、珍しいことに視線が合った。口調もはっきりしている。怒っているのだろうか。
 けれどぼくには、そうした正利の必死の怒りの声を聞いても罪悪感は湧かなかった。いつか自分でもやってしまうだろうと予測していたことをとうとうやってしまった。それだけだ。これはまずいことなのだろうな、という意識はしっかりとありながら、心の中ではすっきりと、いや、晴れ晴れしい気分にさえなっていることにも気づいていた。
  「なんで早く言わないんだよ」
 そう言うとぼくは、正利に手を貸し立ち上がらせた。そして子ども達をテーブルに着かせ、何事もなかったかのように自分も昼食のテーブルに戻ったのだった。

■おまえはいったい何なんだ

 しかし夜になり、一人になると突然事態は急変した。ぼくは正利という人間に底知れぬ恐怖を感じたのだ。
 あいつといるといつも、今まで見たことのない自分自身に出くわしてしまう。一緒にいて不思議なほど楽しい気分になり、いつまでも、こいつと過ごしていたいと思うことがある。ぼくは人づきあいの良さそうな外見のワリに人と過ごすのが苦手で、それまで長い時間を誰かと一緒にいたいと思うことなど一度もなかった。それが正利といると妙に心が落ち着き、仕事が終わってからもアパートに帰らず正利の部屋で過ごす日まであった。
 かと思えば、立ち上がれなくなるまで徹底的にメチャクチャに叩きのめしてしまいたいと思う時がある。一挙手一投足に腹が立ち、踏みつけ踏みにじりたいという思いが湧くのだ。
 しかもどちらの感情も自分では制御できないほど激しく強い。それらはあいつに会うまでは感じたことのないものだった。ぼくは自分の中に、これほど強い残忍な暴力に対する要求が存在することを知らなかった。ぼくをそんな人間に豹変させてしまう正利が、とてつもなく恐ろしかった。
 考え始めると不安になり、いても立ってもいられなくなった。一人でいたくはなかったが、電話のベルが鳴っても取らなかった。ただ悶々と眠れぬままに夜を過ごし、朝が来るのを待ったのだった……。

■もうこの競争から逃れたい

 不眠症、というと少々大袈裟ではあるが、当時のぼくはかなり疲れていた。仕事から帰るとぐったりして、まるで布団に体を沈み込ませるようにして眠りにつく。だが二、三時間もすると必ず目が覚め、一度目覚めるともう眠れなかった。不安に支配されてしまいどうすることもできなくなる。そうして寝返りを打ちつつ夜が明けるのを待つのだった。そんな日が何日も続いた。
 保母も指導員も、みんな真面目で頑張っている。それがぼくにはたまらなかった。互いに常に競い合っているように見えた。施設にいる時、彼らが意識しているのは子どもではなく、常に職員同士の目のほうだった。――威厳をもって子どもに接すること――それがぼくのいる施設の暗黙の了解だったから、声を荒げて子どもを叱りつける回数が多いほど熱心な指導員として評価されるような気がした。言うことを聞かない子どもを許してはいけない。甘い顔をして子どもになめられてはいけない。たとえ手を上げてでもしつけなければならない。それらの教育を情熱をもって実践するほど、熱心な指導員として褒めてもらえそうな気がした。
 だからぼくはそうした。そうしなければならなかった。また実際に、かけ声一つで軍隊のようにきちんと整列する子ども達の前に立つと、自分が偉くなったようで気分がよかった。怒鳴りつければスッキリしたし、殴り飛ばせば爽快になった。
 そうして夜が来ると、また不安にさいなまれる。眠れぬ夜、「もうこの競争から一人だけ降りたい」と、ぼくはいつも考えた。そうすればもう正利にも暴力をふるわなくてすむ。不安と興奮と罪悪感と快感がないまぜになった、こんな複雑な感情からも逃れられるだろう。
 だが朝になり学園に着くと、やはり暴力が紙一重の存在としてぼくの隣にあるのだった。集まった子ども達の前で胸を張り、堂々と大きな声で、ぼくは教訓を垂れる。
  「おい、おまえ。おまえだよ。ちょっとこいよ。弱い者イジメするなんて、おまえ最低の人間だよ」
 子どもの頭をこつくぼくの心のどこかで、「弱い者イジメしてるのはオマエじゃないか」と声がした。けれどその声は、またたくまに自分の説教の声にかき消されてしまうのだった。

■人権擁護の研修会

 秋から冬に変わろうとしていたある日、ぼくは大手の化粧品メーカーが主催する研修会に参加することになった。職員には毎年、年に数回、研修会や勉強会に出席することが義務づけられている。今回のテーマは「子どもの人権擁護について」だ。
 おそらくは『子どもの権利条約』を読み、人権について話し合い、どこかの施設から報告される事例を検討するという、お決まりのパターンだろう。すでに何回か参加していたこのテの研修会から、ぼくはそんな内容を想像した。
 当時、世間は「人権擁護」流行りで、職業柄、子どもの人権に関する話は耳にタコができるほど聞かされていた。施設によっては早々にこの流れを取り入れ、子どもの人権マニュアルを作成するだけでなく、指導員の呼称に「先生」を付けるのを廃止し、子どもと指導者の間の垣根をなくす試みまでしているところもあった。
 一方ぼくの施設はといえば、依然として「力をもって行う情熱的な指導」がまかり通っていて改められる気配もない。だから研修会で聞く話の数々には、「言うことはわかるが絵空事」という印象を抱いていた。
 どんなに指導員が研修会に出て勉強してきたって、施設に帰れば軍隊並の規律や日常と紙一重の暴力が待っている。現実は何一つ変わりゃしない。そんな諦めにも似た気持ちから、研修会に対する興味や期待は全くなかった。ただ、開催地を見ると、熱海の研修所で二泊三日となっている。数日間、施設を離れられる。電車に揺られて遠くに行ける。温泉くらいあるかもしれない。のんびりぼーっとしてくるのもいいなぁ。ぼくはそんなことを考えた。
 研修会の当日は、いい天気だった。研修所は熱海駅からバスでしばらく入った小高い丘の上にあり、さすがに化粧品メーカーの持ち物だけあってホテルのようにきれいだった。
 割り当てられた宿泊室もこざっぱりときれいで、ぼくは四人の参加者と同室になった。彼らとは、偶然にも熱海の駅前で知り合いになっていた。地図を持ってロータリーでキョロキョロしているぼくに親切に声をかけてきてくれたのが彼らだった。
 彼らはいずれも母子寮の指導員をしているという。いかにも誠実で人がよく真面目そうな雰囲気を漂わせていた。研修が始まるまでの待ち時間を、めいめいに自分の施設の様子など当たりさわりのない話をして時間をつぶした。
 あまりにも当たりさわりない世間話の一つひとつに、さも関心したように頷いては笑顔で応じ合っている彼らの様子に、やや奇妙な印象を抱いたが、まぁ、たいしたものだな。さすが人に接する仕事をしている人達だ。きっといい人なのだろうとあまり気にとめることもしなかった。
 そして研修会が始まった。ぼく達は館内放送で呼ばれ、会議室のような広間に呼ばれたのだった。(■つづく)

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だいじょうぶよ/第5回 渦巻く二つの感情

■月刊「記録」1999年12月号掲載記事

*          *         *

 ぼくの正利に対する感情は、全く真っぷたつに二分されてしまっていた。
 例えば今日の午前中はあいつが大好きだったけれど、午後は顔も見てもむかつくという具合にだ。好きな時には仕草、癖、口調、すべてがユーモラスで見ているだけで楽しい気分になれるに、いったん嫌いモードにギアが入ると止まらないのである。
 ただいつも通りにテレビを観ているあいつの横顔が突然、薄気味悪いものとして目に映り出す。なんで口を開けているんだろう。なんで体を四六時中揺すっているんだろう。なんであんなところにツムジがあるんだろう。見ているだけであらゆるところが目につき次第にムカムカしてくる。ムカムカは徐々にエスカレートし、もう遠巻きに眺めているだけでは納まりがつかなくなってくる。そしてついには言いがかりをつけに立ち上がっているのだ。(これじゃまるで酔っぱらいかチンピラじゃないか……)と思いつつ。
 けれどぼくにはどうしても、この突然湧き起こる巨大な二つの感情の波を制御することができなかった。二つの川の合流で流れにもみくちゃにされている葉っぱのように。ぼくは自分の感情に翻弄されていた。しばらくでもあいつと離れて生活することができたら、ぼくにも自分を客観視し、取り戻すことができたのかもしれなかったが。明けても暮れてもあいつがぼくの前にいる。そしてとうとうやってしまったのだ。夏休みも中盤にさしかかる頃、八月のある日の昼下がりのことだった。

■行くあてのない夏休み

 施設で暮らす子ども達の夏休みの過ごし方は、実に千差万別だ。一ヵ月ほどの長期にわたって親元に戻って生活する子、お盆だけ一緒に過ごしてくる子、一日だけ親と外出し、食事をして帰ってくる子。かと思えば行くあてもなく毎日を学園で過ごす子。家庭の事情で児童の夏休みは決定されていた。
 正利は学園で過ごす組だった。両親とは小学校三年生の時に離ればなれになって以来、一度も会えぬまま今日に至っている。それでも東京の国立市に左官業を営む叔母(正利の父の姉)がいて、正利が中学に上がるまで定期的に会いに来てくれていた。
 叔母という人物は、正利と同じ血が通っているとは思えないほど実に真面目な人で、学園の職員達にも信頼されていた。ただ、叔母から見ると正利はどうも自分とは別の生き物に映るらしく、実に口うるさいところがあった。
 正利と会うたびに「この子は何をしてあげてもお礼の一つも言わない」「物言わぬこの子のぼーっとした顔をみていると、母親を思い出しちゃう」「この子の母親は真っ白い化け物みたいな顔してて、わたし一度も正視できなかったの」「あーあ、正利と会うと母親を思い出してぞくっとするわ」などと面と向かって口にするのだ。確かにそうなのかもしれないが、横で聞いているとちょっとそこまで言わなくても、という気もしてくる。しかしいかんせん中学卒業後の正利の唯一の受け入れ先なのだから、仕方がなかった。
 ところで正利には兄弟が四、五人以上はいるはずだ。「以上」なんていい加減な言い方に聞こえるかもしれないが、正しい数がわからないのだから仕方がない。最初に親に捨てられた時は、妹のななえと二人きりだった正利。三年ほどすると歳がひとまわりも違う姉の朋子が鎌倉の養護施設にいることがわかった。さらに一年後には東京の施設に二人目の姉、そしてさらに一年後には同じ区内に兄がいたことがわかったのである。
 腹違いであり、戸籍上のこともあるので純然たる兄弟とはいえないが、母親が共通しているという点では、皆、間違いなく血はつながっているのだ。
 一番上の姉、朋子は正利よりも早く母親に捨てられ、やはり幼少時から養護施設に入っていた。色が白いところが正利にそっくりだったが、話の口調、身のこなしなどはきわめて一般的。水商売をしているせいか少し服装に派手なところがある。そして案の定、堅実な国立市の叔母とはウマが合わず、いつも言い争いをしていた。
 ことに正利の将来に関しては双方、気の強さもあり、ゆずれないところもあったらしく、日頃から特に争いが耐えなかった。それがある日、とうとう大喧嘩を始め、姉の朋子が叔母に向かって「正利の将来の責任は私が取る!」とたんかを切ってしまったのだ。
 自分の半分にも満たない年齢の小娘にそこまでいわれて、叔母も頭にこないはずがない。やれるものなら責任でもなんでも取ってみなさいというワケで、叔母は正利から完全に手を引いてしまったのである。
 だが、啖呵を切った朋子自身が、ぼくから見れば地に足のつかぬ生活を送っているようなものだ。到底弟の責任なんか取れそうにない。朋子は正利に会いに来るたびに「あんたは男なんだからしっかりしなさい」とか「ななえのお兄ちゃんなんだから、お兄ちゃんらしいことをしなさい」などと説教はするものの、それ以上の保護者らしいことなどできるはずもなく、よって正利の夏休みも学園での生活に終始するのだった。

■やめろ!今 帰ってくるな

 さて、その日はとても少ない人数で昼食を食べていた。これが普段の日であれば、八〇人の児童と十数名の職員が所狭しと食堂に顔をそろえて食べるにぎやかなひとときになるのであるが、夏休み中は各部屋ごとに集まり居間を使って食事をするのである。
 食堂から運んできたスパゲティは、オリーブオイルを使っていないせいか、妙にパサついていて口の中へ放り込んでもただモゾモゾするばかりである。そんなスパゲティにソースをかけて食べる子どももいれば、マヨネーズをかけて食べる子どももいた。みんなだらだらとダルそうに、不味そうにフォークを口に運んでいる。それでなくても暑いのに、そんな光景を見ているとぼくは無性に苛立ってきた。
 そこにちょうど水泳部の練習を終えたあいつが帰ってきたのである。だめだ! こんなところに帰ってきちゃだめだ! ぼくの心の半分はそう叫んだが、残りの半分はもう残酷そうな笑みを浮かべて舌なめずりを始めていた。飛んで火に入る夏の虫だ。ぼくの目は、すでにあいつのアラ探しを始めていた。
  「おぃ、おまえ随分髪の毛茶色いじゃん」
  「………」
 あいつがテーブルにスパゲティの皿を置いたところで声をかけた。あいつは椅子の背に手をかけて、立ったまま口を半開きにした。その顔でぼくのほうをちらりと見上げる。何事かが起こると察知した子ども達は、皆、食べる手を止めて、やはり上目遣いにぼくと正利を交互に観察していた。
  「あ、みんなはね、ごはん食べなよ!」ぼくは、ことさらカラッと明るく大きな声でみんなに食べることを促した。するとなぜかあいつが一番先に反応を行動に表したのである。手にしていた背を引き、椅子に座ろうとした。これでぼくの頭には完全に火が点いた。
  「おい、おれはおまえに聞いてんだよ。おぃ、ず・い・ぶ・ん髪の毛が茶色いんじゃねえかってよ? おい!」ぼくは完全に切れていた。正利に対する大嫌いモードもはや全開である。
  「………」
 あいつは目を半分だけ開けたままで、こっちを見もせずに、体を半分椅子から浮かせてぼーっとしている。いつもこうだ。いつだってこうだ。こっちが熱くなれば熱くなるほど反応を示すことがない。ふざけるなよ、バカにするんじゃないぜ、反応を示さないのならこっちが示すまでだ。
  「おい、立てよ。おまえにメシ食っていいなんてひとことも言ってねぇんだよ」そういうやいなや、ぼくはあいつの胸ぐらをつかんでテーブルから引っぱり出した。  「バシン!」
 一発目の張り手の音を合図にぼくの理性が吹き飛んだ。二発、三発……。頭の中が真っ白になって何をしているのかわからない。四発、五発……。手が止まらない。ぼくはただやみくもに、色白で半分口を開けたままぐんにゃりしている でく人形みたいな正利の顔を殴り続けているのだった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第4回 濃密な二人の時間

■月刊「記録」1999年11月号掲載記事

*        *        *

 正利を殴ることに成功し、保母達全員に認められた僕は、施設の職員として温かく迎えられた。
 しかしホッと胸をなで降ろしたのもつかの間、この事件をきっかけに、待ってました! とばかりにぼくの指導方法には抜本的なメスが入れられることになった。それらは大きく分けると以下の二つに分類される。

■子どものために休日は使うべし

 一つ、子ども達とは友達のような関係になるべからず。
 私達ははじめに教育者である。教育者は子ども達に、大人と子どもの立場の違いをはっきりと教えなければならない。なぜならば、昨今の子どもは大人を大人と思っていない傾向にあるからである。自分の親を名前で呼び捨てにし、学校の先生をあだ名で呼ぶ。そんな家庭や学校に秩序は成り立たず、やがて荒廃する。
 それは施設においても同様。あだ名で呼ばせる施設、お姉さん、お兄さんと呼ばせる施設。これらは確かに存在するが、当施設においては「先生」という呼び名で統一する。
 かくいうぼくは子ども達に「マッチョ」というあだ名で呼ばれていた。スポーツクラブに勤めていたことのあるぼくの体は、子ども達の目からは、かなりの筋肉質に見えたらしく、入園当初から、そんなあだ名がつけられていたのである。
  「マッチョ、マッチョ」とぼくの周りには常に子どもが群がり、(なんだか金八先生のエンディングみたいだなぁ)などと一人で悦に入っていたが、その幻想もここに終焉を告げた。

 二つ、休日のうちの何日かは子どものために割くべし。
 理由はいっぱいあったがすっかり忘れた。とにかく子どもに「ぼくには先生がついている」という意識を植えつけさせるのが目的だ。休日に集団を離れ、担当の先生と映画に行く、食事に行く、特別なことをして特定の人と過ごす。子どもとの信頼関係はこれにつきる…らしい……。
 当初、ぼくには休みを子どもと過ごすことが、しんどくてしょうがなかった。しかし保母達ときたら本当によくやるのである。自分の部屋に泊める者、ディズニーランドに行く者、はたまた旅行に行く者。毎週末になると誰かしらが子どもとそのようなことをしていた。
  「今月は子ども達のために二万円も自腹切っちゃったわよ」
  「私もです。学園から少しでもお金が出ると楽なんですけどねぇ」
 そんな会話を聞くと、すごいなぁという畏敬の念と同時に、何を張り合っているんだろうとばかばかしく思う気持ちがぼくのなかでごちゃまぜになった。しかし、郷に入れば郷に従えである。ぼくの子ども達と過ごす時間も雪だるま式に増えていった。特に正利との時間は、「濃密」という表現でしか表せないほど濃密なものとなっていった。

■交換日記が心を開かせ…

 ぼくは良江先生の勧めで、正利と交換日記を始めていた。あいつは学校であった嫌なことをほとんど口にしないし、昔のことも全く話さない。そこで交換日記でもやれば、あいつの悩みを聞き出せるのではないかと期待したのだ。しかし、一週間が過ぎても一ヶ月が経っても、内容はほとんどドラゴンボールの絵が描きなぐられているだけだった。
  (どうして…なぜなんだ……)隅から隅までドラゴンボールの絵が描かれているノートを前にぼくはつぶやいた。しかもお世辞にもうまいとはいえない。どうみてもこれは小学校低学年生の絵である。
 結局、これでは悩みなどわかるはずもなく、わかったのはあいつの知的レベルぐらいなものだった。
 最初はまじめに正利への語りかけなどを書いみていたものの、ぼくもだんだん面倒臭くなって、途中からまともに書くことは諦めた。どうせあいつも毎日ほとんど同じ絵なんだからと、ついにはぼくもほとんど同じ文にした。「もえろ正利! もえてくれ正利! もえて、ねんしょうして、ばくはつするんだ正利!! あーっ!!」といった具合にでっかい字でノートの端から端に毎日記したのである。
 するとどうしたものか、あいつはそれを大変おもしろがってくれた。
  「せんせ、せんせはもえることすきなの? おれもすきだよ」と、あいつは急速にぼくにうち解けてきたのだ。しめた! という思いとゲッという気持ちが同時にぼくの胸に去来した。夏休みも間近にせまった七月頃のことであった。それでもまだぼくは、臭くて汚くて反応の鈍いあいつのことが、あまり好きにはなれなかった。

■好いてくれるとわかっちゃいるが

「先生、正利がきてるよ」
 まただ。進路について相談にのっていた高校生に促され後ろを振り向くと、あいつが口を半開きにし、焦点の定まらない目でぼくをじーっとみている。
「おー、どうした正利」
「なんでもない」
「なんでもないならそこにつったってんなよ。薄気味悪いだろ」
 うち解けたとはいえ、こうまで行くところ行くところについて来られると仕事にならない。正利以外にも、ぼくの担当する子どもは三人いるのである。
 少し前に高校の水泳部を辞めていた正利は、時間をもてあますことが多くなっていた。同学年の中学生からは相手にされず、小学生のチビ達と遊ぶにもさすがに限度がある。あいつにはあいつの事情があってぼくを追いかけ回しているのもわからなくもない。
 そこでぼくは二つの提案をした。一つはぼくの学園における雑用を手伝ってもらうこと。もう一つは夏休みに入ったら、学園の水泳部に入ることだった。
 学園での仕事にはさまざまなものがあるが、その一つに洗濯があった。中学生以上は、自分ものは自分で洗濯する決まりなのだが、小学生の洗濯は指導員と保母が手分けしてやっていた。育ち盛りの子ども達の衣服は泥だらけで、しかもその量は半端ではない。ぼくはこの、単純作業のワリには時間のかかる洗濯を正利に手伝ってもらうことにした。すると思った以上に学園におけるぼくの自由時間は急増し、その分をさらに正利に費やすことになった。
 釣り、ボーリング、カラオケなど、たくさんの遊びをしたが、あいつがなかでも一番喜んだのは、ぼくのアパートへ泊まりに来ることだった。そして、泊まりに来るたびにあいつは一晩中テレビゲームをやっていた。
 夜中目を開けると、独り言をブツブツ言いながらゲームに興じる背中が揺れている。それを見るのはあまり気持ちのいいものではなかったが、仕方のないことだった。なにせ学園の小遣いは1ヵ月2500円。ゲームセンターにでも行けばすぐに消えてしまう。おまけに学園にあるファミコンを使ったゲームは、日曜日の午後しかできない規則があった。お金を盗んでまでゲームをしたいというあいつの欲望は、収まりがつくはずなかったのである。
 ぼくの手伝いをする=アパートへ遊びに来られる=ゲームができる、と、あいつの頭の中では直結したらしく、しばらくは随分と手伝いに精を出してくれた。
 「せんせ、せんせ、なにかてつだうことある」
  「あー、そこの洗濯物干しておいて」ことのほかつっけんどんにあいつに指示すると、あいつは手足をバタバタさせて「オッケー」と言い洗濯物を干した。次々に面倒くさそうな雑用を頼むと、あいつはめずらしく満足そうに「せんせもたいへんだね。おれ、せんせのきもちわかるよ」と言うのだった。
 手伝ってくれるのはありがたいし、あいつが好いてくれているのもわかってはいた。だが、それでもまだぼくはあいつのことが好きになれなかった。近づけば近づくほどイライラしてしまう自分の感情をコントロールするのが難しい。ぼくの正利に対する感情は、完全に真っ二つに二分されてしまっていた。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第3回 計算されたできレース

■月刊「記録」1999年10月号掲載記事

*         *         *

■良江先生に呼び出される

「神山先生、ちょっとよろしいですか?」
 おきまりのセリフで、ぼくは良江先生に呼び出された。好きな言葉が「ジャスティス」と「強くなければ優しくなれない」というだけあって、良江先生は曲がったことや不透明なことが大嫌いなのである。
 物腰柔らかく、にこやかではあるが絶対に妥協しない雰囲気が今日も漂っていた。ぼくに頭を下げさせるまで、この人の話は終わらないのだろう。だいたい「ちょっと」といったって、本当に「ちょっと」だったことなどまだ一度もないのだ。今日もまた、「はい、わかりました」と、ぼくが言う瞬間まで話は続けられるのだろう。 六月だというのに、雨一つ降らぬ天気が続く。うだるような暑さの昼下がり、良江先生のうしろをトボトボとぼくはついていった。高校生ぐらいになると職員間の力関係がわかるようで、途中で何度も子ども達に「神山先生、また説教くらうのかよ」と声をかけられた。「うるさい」と小声で注意する。
 良江先生は、髪の毛をひっつめて頭のうしろで一つに束ね、背筋をまっすぐに伸ばして歩く。その自己管理が徹底されている背中を見ていると、いったいこの人は何歳なのだろうかと思えてくる。たしか四〇歳は越えているはずだが、年齢よりも若く見え、いや、老けているようにも思える。つまり年齢不詳なのだ。不思議なことに良江先生は、いつの時代のどの写真を見せてもらっても、同じ髪型、同じ服装をしているのだった。
 そのわけを訊ねると、本人曰く、「異性に媚びを売る生き方をよしとしない」ところからきているそうである。媚びを売らないのはいいが、その徹底ぶりときたらちょっと表現に困るほどである。とうとうぼくは、学園をやめるまでの四年の間、良江先生がいつ美容院に行ったのかまったく気づかなかったほどである。
 その徹底的に管理された背中を見ていると、思わずため息が漏れた。
 あーあ、それにしても正利。おまえは一体何をしでかしたというのだ。

■かえったら、だれもいないのよ

――なんだかね、まいんち、つまんないのよ……。ぶかつでね、いじめるひといるの。ボールとかぶつけんのね。「しんたい」「しんたい」って言いながら……。いみわかんないけど、ちょっと、いやだからやめたいのよ……。
 べんきょもつまんないのよ。いみわかんないの……。だから、ねるのよ。おれには、せんせ、おこんないよ……。ねててもおこんない。せんせは、まぁ、やさしいとおもうのね。
 がくえん?
 がくえんもつまんないとおもうのね。だって、おこずかいすくないとおもうよ、おれは。みんなもっともらってるとおもうよ。いっかげつに、いっかいじゃ、すくなすぎるのよ。もっと、ゲームやりたいのよ。――

 一つ嫌なことがあると、全部が嫌になる。正利にはそんなところがあった。それにしても確かに、IQが低く、風貌が異彩を放ち、ぼんやりして口調に特徴がある。あいつはいじめられる対象になりやすいのだろう。僕もあいつが「しんたい」「しんたい」といじめられたと聞いた時には、「かわいそうに……」と思うより先に「やっぱり」という気持ちが先に起こったくらいだ。
 で、正利、いったいおまえは今回、何をやらかしたんだ?

――そのひは、たしか、はやびきしたのよ。はやびきしても、がっこのせんせも、がくえんのせんせも、おれにはあんまり、おこんないのね。だまってると、「しょうがないなぁ、正利は」とかいってみんなわらうのよ。だから、だいじょぶよ、おれは。
 はやびきして、かえったら、だれもいないのよ。それで、ちょっと、おかね、さがしてたら、あったのね。さんまんえんも……。すこしびっくりしたし、すごくうれしかったよ。そのときは……。――
 あいつは若い保母のサイフから三万円、そして僕のサイフからも少しずつ、小銭で数千円を盗んでいたらしいのだ。

■事前にすべてが決まっている

  「じゃあ、もう一回言わせてもらいますよ。正利はねぇ、動物なの!」良江先生が、さっきから僕を前にして説教を続けている。
  「はぁ、そうですかねぇ」僕は精一杯のんびりと構えてみせた。
  「動物はねぇ、悪いことをしたら、痛いめにあうってことを体に覚えさせなきゃいけないんですよ、わかります?」言葉はていねいだが、どうやら僕の態度が気に入らないようで、良江先生はかなり苛立っているように見えた。
 学校の成績はオール一。IQは72。挨拶ができないあたりも含めると、確かに正利は動物並みかもしれなかった。だからあいつを動物のように調教すべきだと、良江先生はいうのだ。
 けど、無理だよ。僕には無理だ。そもそも僕は怒ることが大の苦手なのだ。それにだいたい怒ったところで何も変わりやぁしないじゃないか。人間なんてもともと悪い生き物なんだ。ましてやあいつは親に捨てられたんだろ?
 IQが80以下なんだろ?
 するよするよ。悪いことの一つや二つ、当たり前じゃないか。いちいちきーきー、きーきー大騒ぎするんじゃねえよ。
  「聞いてる?」「はぁ……」
 はぁしか言わぬ僕に業を煮やしたのだろう。ついに彼女はこう言い放った。「ぶん殴っちゃなさいよ」「はぁ?」「憎いでしょ? 頭にくるでしょ? あいつは神山先生のこと裏切ったのよ? 殴っちゃいなさいよ! 私だったらボコボコにしてるわね!」
 体重120キロの保母が腰に手をあてて大きな声で叫び、気がつくと僕は4、5人の保母に取り囲まれていた。好奇心をもろに顔に出したまま、ニヤニヤ立っている彼らを見ていると、僕は急激に脱力感に襲われた。
 いつもそうだ。いつだってそうなんだ。この人達は誰か職員が問題を起こすとなにげなく、どこからともなく集まってくるんだ。タバコを吸いに来るふりをしながら、ジュースを飲みに来るふりをしながら、一人ずつ集まってくる。じりじりと近寄ってきては、いつのまにか当事者を取り囲み、好奇心一杯の顔で話に参加しているんだ。
 いつだってそれらは断じて偶然ではないのだ。事前にすべてが決まっているのだ。誰がぼくを呼び出すか、どういう道筋で話を進め、どういった結論にもっていくのか、誰がいつどこで登場するのかまで、細部にわたって計算されているできレースなのである。
 しょうがないな。こう取り囲まれちゃ、選ぶべき結論はただ一つだ。
 僕は意を決して立ち上がり、大きな声で宣言した。「じゃあちょっと行って、ぶん殴ってきます」良江先生が満足そうにうなずいた。
             *
 あいつを無事殴ることに成功すると、とたんに誰もが優しくなった。良江先生も機嫌が良くなり僕を仲間として認めてくれた。
 職員会議であいつの盗みの件を報告しても、職員達の反応は実にあっさりしたもので、なかには報告の最中に楽しそうにゲラゲラ笑う者までいた。通常、問題を起こした児童の担当職員には、四方八方から辛辣な意見が浴びせられ、顔を上げることすらできなくなってしまうものなのだが、僕が正利を殴ってきたことが、良江先生から保母達全員に十分伝えられていたようで、まったくとげとげしい雰囲気にはならなかった。
 しかしホッと胸をなでおろしたのもつかのま、この事件をきっかけに、待ってましたとばかりに、僕の指導方法に抜本的なメスが入れられることになったのだった。 (■つづく)

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だいじょうぶよ・神山眞/第2回  ものすごいものの担当

■月刊「記録」1999年9月号掲載記事

*       *         *

 N学園のそれぞれの部屋には、聖書になにかしら関連した名称がつけられている。シロアム、カナン、ダビデ、シナイ……。築八〇年は経っていると思われる廊下は、ぼくが歩くたびにミシミシ鳴った。通りすがりに各部屋をのぞくと、昼食を終えたばかりの子ども達がどの部屋でものんびりくつろいでいる。
 テレビを見る子、マンガを読む子、ゲームをする子。彼らの姿は、一般家庭のそれとなんら変わらない。ただ、どの部屋からもトイレの臭い、汗の臭い、何のものだかわからない奇妙な臭いなど、独特の臭いが漂ってくる。

■新しいぼくの担当児童

  「シオン」に入ると、すでに四名の子どもがそれぞれ思い思いの格好で待機していた。周囲には、何故か興味津々といった面もちの保母が二名いる。
  「え~っ、紹介しますね? 左から児玉、小島、岡田。この三名は高校生です」
 主任のしゃべり方のトーンが先程とはうって変わって、わざとらしいユーモラスなものに変化した。案の定、高校生三人も「またかよ」といった顔つきで、主任を見上げて含み笑いをしている。冷めているのか、疲れているのか、高校生三人は、それ以外に反応らしい反応もせずに、挨拶を済ますとさっさと部屋を出ていった。
 主任は、残りの一名を指さした。
  「神山センセ、彼が実里と。ほ~ら、頭がよさそうでしょ?  実里は中学生です」
 けれど実里は挨拶をしなかった。いや、挨拶しないどころじゃなかった。口とズボンのチャックを半開きにしたままボーッとぼくの顔を見ている。心なしか異臭も放っているように思える。
 なんだ? 挨拶したくないのか? 挨拶を知らないのか? 知的障害者か? ダウン症児か? 精薄か? ぼくの頭の中をたくさんのクエスチョンマークがよぎった。ふと隣を見ると主任が大げさに困った顔をつくり、その表情をわかりやすく周りにアピールしていた。二名の保母は、実里に「挨拶しろ」という合図を盛んに送っている。だが、この少年にとっては周囲の人間も彼らの気持ちも関係がなさそうだった。間が抜けたように時間だけが流れる。そして、この瞬間こそが、ぼくと正利のファーストコンタクトだったのだ。
  「ほら、正利。挨拶しなさい。新しいパパよ」
 いつまでたっても挨拶しようとしない正利に業を煮やしたのか、主任は隣にいた一二〇キロはありそうな巨大な保母に助けを求めた。保母が冗談交じりに正利に挨拶を促すと、彼は全身をくねくねさせたあとにベコッと頭を下げた。頭を下げる瞬間、厚ぼったい半開きの唇がゆっくりと動き、同時にものすごい速さで右手が右斜め上空に伸びあがった。髪型といい、だぶだぶの服といい、全身の動作といい、体が左右対称ではないのではと思わせるほど、正利の動きはアンバランスなものなのだ。そして、そのアンバランスさをユーモアにつなぎ止めているのが、笑うとカモメみたいな形になる「つながり眉毛」だ。
  「とにかく、ものすごいものの担当になってしまった」
 これがぼくの正利に対する第一印象だった。
  挨拶を終えると、ぼくは主任に執務室という部屋に連れて行かれた。机とテレビ、それに大きなベッドが置かれている六畳ほどの部屋だ。本来は、職員が日誌をつけたり子ども面談をするための場所らしいが、なぜか三人の子どもがベッドの上に寝そべってテレビを観ていた。  「ほら、どきなさい。テレビは居間で見なさい」主任に注意されて、彼らはしぶしぶ立ち上がった。彼らはぼくをみつけるとニッコリ微笑みかけ、よろしくとか あとで部屋に遊びにおいでとか声をかけていく。なんだか先輩みたいだった。ここにもぼくが望んでいた暗く絶望的な子どもはいなかった。そういえばさっきから、まだ不幸な子どもに一人も出会っていなかった。ものすごいのには一人、出会ったけれど……。
  「どの子どもも親の事情でここに来ています。どんな事情だか、神山先生わかりますか?」主任からの簡単なレクチャーが始まった。
  「両親が死んでしまったんですね?」とぼく。
  「違います。昔はそういうパターンが非常に多かったんですけどね。それは、ず~っと昔の話です。ほら、震災孤児とかって聞いたことあるでしょ?」
  「はぁ」
  「今はほとんどの子どもには親がちゃんといるんです。いるのだけれども離婚、失踪、虐待、犯罪などの複雑な事情で親は子どもを手放してしまうんです」
   「はぁ」
 いままで見せられてきた、アットホームで学校の休み時間のようにも見える光景と、主任の話とがなかなか一致してこなかった。ここの子ども達は、学校にまともに行っていなかったので他の児童よりも学力が劣るらしいのだ。だから勉強をみてやってください。虐待に遭っていた子どもは発育が遅いことが多いので一緒に運動をしてください。そんな主任の話が実感のないまま耳に届く。
 レクチャーが終わって、ぼくはやっと解放された。少し気疲れしたぼくは、外の空気を吸いたいと思った。中庭へのドアに近づいたところで、舌足らずなのか舌が長すぎるのかわからないが、とにかく何を言っているのかさっぱり聞き取れない少年の声が聞こえてきた。
 ドアを明けると正利が叫んでいた。低学年の小学生ばかりを周りに集め、バスケットボールを手に何かを訴えているようだった。しかし、他のメンバーには全く理解されていないようで、しばらくすると、業を煮やしてついに正利は叫んだ。
  「よぉーし、おれについてこぉい!」
 その言葉を合図に、唐突にバスケットボールは開始された。小学校一、二年生を相手に、身長一七〇センチを越える中学二年生の正利が、次々とゴールにダンクシュートを決めている。
  「正利くーん、ダンクなしにしてよー」と、哀願する小学生達の声には耳を貸そうともしない。ただ、嬉々として自分のためだけにバスケットをしているのだ。その姿はまるで遅れ咲きのガキ大将がはしゃいでいるようにも見えた。そこには、不幸の形が不気味なユーモアにねじ曲げられて描かれた、ピカソ画のような子どもがいたのだ。
 とにもかくにも、僕の擁護施設における生活が、この日からスタートした。

■ついに事件が起こった…

 思春期の子どもが八〇人。しかも共同生活だ。寝坊、ケンカ、盗み、タバコ……なにかしらの問題が当然のように毎日起こっていく。しかし不思議とそれらのどれにも僕はびっくりしなかった。子ども達に対して情がわいてないせいもあったし、問題を起こしている子どもが僕の担当外だったせいもあった。
 そのことよりもついていけなかったのは、子ども達が問題を起こした時の保母の怒り方だった。あっちで「き~っ」、こっちで「き~っ」。あっちこっちで過剰反応を起こしている。まるで他人より大げさに怒ることが、本気で自分が子どもと向かい合ってる証明でもあるかのように。このヒステリックな勘違いには、いささかうんざりした。
 それでも「他人の不幸は密の味」とはよくいったもので、直接自分の身に降りかからない問題や事件に関しては、まだ、それらの光景も楽しめていたのである。しかし平和なんてものはいつの時代も長くは続かない。特にぼくの場合には……
 とうとうあいつが問題を起こしたのだ。ぼくはこの道二十年のベテラン保母である和枝先生に呼び出しをくらってしまった。
 「神山先生、正利はねぇ、動物と一緒なの。わかる?」と、和枝先生は、ぼくをにらみつけて言うのである。 (■つづく)

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だいじょうぶよ/第一回 殴り倒して気分は真っ暗

■月刊「記録」1999年7月号掲載記事

■神山 眞(かみやま まこと)・・・1967年東京都生まれ。1991年4月障害者プロレス団体「ドッグ・レッグス」に参加。1994年横浜にある養護施設の児童指導員となる。1998年養護施設を退職。同年6月、日焼けサロン「マチズモ」をオープン。

         *          *            *

 あれは九月の中頃、夕方から夜にかけての出来事だった。
  「てめぇ、店の金盗ったろ。ふざけんじゃねえぞ。しかも友達のせいにするとはいい度胸じゃねえか。ぶっ殺すぞ」
 ぼくはわれを忘れてあいつを殴った。薄暗い四畳半の部屋。あいつは壁まで吹っ飛び、床に崩れ落ちるように倒れた。脱ぎっぱなしの洋服。生ゴミが詰まったコンビニの袋。無造作に丸めただけの布団。それらがところどころ小さな山を形成している安普請の小汚い部屋。
 髪の毛、むだ毛、埃、食べかすで覆われたじゅうたんは、もはや元の色を判別することすらできない。そんな部屋の床にへたり込んだあいつの口は、まぬけに半分開かれたままだ。震えているわけでもなく、怯えているわけでもない。ぼくにはあいつの表情から何かを読み取ることはできなかった。
  ……お似合いだ。はじめの勢いを失ったぼくは、壁にもたれたあいつの顔を眺めながら自嘲気味にそう思った。汚く混乱した部屋でうだつのあがらぬ三〇過ぎの男が、IQ72のアホ面した男を殴る。落ちぶれた感じがしてとてもいいじゃないか。この日の夜は二人にとってまさにお似合いの夜だったのだ。

■「だいじょぶよ」が口癖

 あいつの名前は正利。頭ばかりが異様にでかく、極端ななで肩。機嫌がいいと眉毛がカモメような形になり、笑ったような表情になるが、機嫌が悪いと下唇が出っ張って悪人づらになる。IQは72。ちなみに、知的障害者として『愛の手帳』が発行される上限を示す数はIQ80だ。しかし実際の生活能力はもっと低く、他人とのコミュニケーションではいつもズレが起こる。うつろな目で鼻水を垂らして半開きの口でいう独り言が、あいつの数少ない意志表示の方法となる。
  「あっ、そうかぁ。はははは」これは誰かと話したい、いわゆる機嫌のいい時。
  「こまったなぁ。ちょっとむずかしいよなぁ」これは欲しい物があるのにお金が足りない時。お前なぁ、…わかりやす過ぎるよ。
 しかし、そんなあいつの仕草や表情を見て、「かわいい、かわいい」と騒ぐ女の子達もいる。彼女達には半開きの口やつながった眉毛さえも、あどけない無垢なものに映るようだ。
 とんでもない! ぼくにはあいつの表情もしぐさも、すべて計算されたむかつくものとしか思えない。基本的な生活習慣――あいつは一八歳になったというのに、洗濯する、掃除する、風呂に入る、顔を洗う、歯を磨く…等々、どれ一つできずに、ぼくが手取り足取り教えている――さえ欠如しているのだ。なのに、そんな仕草だけ計算できるとはどういうことだ!? おそらくは本能的にやっているのだろうが。
 いずれにせよ、ぼくがあいつと出会ってすでに五年が経とうとしている。そして、いつでもぼくはあいつを怒り過ぎてしまう。なぜ、ぼくはいつも怒りすぎてしまうのか。それはきっとあいつからの反応がないからだ。ぼくがどんなに腹を立てていようと、あいつは何も感じない。何も焦らないのだ。
 いつもそうだ。いつだってあいつはそうだ! いつも自分では何もしないし考えない。誰かが何とかしてくれると思ってる。どんな時も誰かが助けてくれると思ってる。
  「だいじょぶよ」
 あいつの口癖だ。いつでもどこでも誰にでもあいつはそう答える。だが、あいつの人生は、決して大丈夫ではなかったはずだ。あいつの親はあいつに熱湯はかけたけれど、ご飯は食べさせなかったじゃないか。あいつの親はあいつの頭に傷が残るほど暴力をふるったけれど、学校には通わせなかったじゃないか。再三にわたる虐待。 そんなろくでもない親から捨てられたのは、あいつが小学校三年生の時だった。養護施設に入ってなんとか学校に通い始めたのに、まもなくあいつには新たな問題が発生した。名前も満足に書けない状態だったのだ。まともな教育を受けていなかったせいもあるが、実は知的能力がいちじるしく劣っていた。

■お前のための店なのに

 IQ72。これは、あいつがはじめて知能テストを受けた時の数値である。小学校、中学校と普通学級で過ごしたが、授業内容はほとんど理解できなかった。オール一の成績では高校進学も叶わず、中学卒業と同時にあいつは社会の荒波に放り出された。それでまともに勤められるはずがない。現場仕事を転々とする毎日だ。結局あいつは逃げ出し、僕の経営する日焼けサロンにたどり着いたのだった。
 ぼくとあいつは日焼けサロンで共に働き、四畳半の倉庫で共に暮らした。今度こそ何もかもがうまくいきそうに思えた。まさに二人とも「だいじょぶよ状態」だったのである。そう、最初のうちは……。
  「おい、そこのゴミ捨てといて」「あとでやっとくよ」「買い物しといてくれた?」「あー、明日やっとくよ」「大丈夫なの?」「だいじょぶよ」「おい、店では敬語使えっていったろ?」「だいじょぶよ」「だからそれが敬語じゃねぇんだよ!」 住むところと職場、そして友達をゲットしたあいつは、次第に調子に乗り始め、僕の言うことを聞かなくなっていった。
 だいじょぶよ、だいじょぶよ。きっと今日もだいじょぶよ。寝坊したけどだいじょぶよ。店の金少し盗んじゃったけどだいじょぶよ。友達のせいにしとけばだいじょぶよ。だいじょぶ、だいじょぶ。いままでだってだいじょぶ。これからもきっとだいじょぶ。だいじょぶ、だいじょぶ、だいじょぶよ。
 そもそも日焼けサロンだって、あいつのために作ったようなものだった。どこの現場に入っても同僚にいいように騙され、金を巻き上げられ、ついには罪を被せられて追い出されてしまう。そんなあいつがずっと働き続けられる場所をこしらえるために、さんざん借金して作った店だった。なのにあいつは無反応。そしていつもマイペースだ。
  「正利、客来ねえなぁ」「だいじょぶよ」「正利、電話も鳴んねえぞ」「だいじょぶよ。ははははは」

■限界を越える日がやってきた

 慣れぬ仕事を終え、くたくたになって倉庫に戻る。そこからがまた大変だ。倉庫には店で使うタオルが何十枚と干してあり、乾かすための乾燥機が常にゴーゴーと音を立てていた。倉庫の湿度と温度は著しく上昇し蒸し風呂のようだ。この悪条件の中で大の大人が二人、じめっとした布団の上で大汗をかいて、明日に備えて眠らなければならない。
  「もうダメだ……」
 あいつを殴った夜、ぼくは心身ともに疲れがピークに達していた。こんなに疲れて頑張ってるのに、それなのに奴は店の金を盗みやがった。人の心配をよそにイビキかいて居眠りしてんじゃねえよ。ぼくは決めた。今日はあいつにとってはじめての「だいじょぶ」じゃない夜にしてやろう。だいじょぶなんかにするものか。ぼくがあいつにとって、はじめてのだいじょぶじゃない人間になってやる。
 やることはただ一つだ。壁に力なくもたれかかっているあいつを再び引きずり起こし、さらに殴り続けることだ。「正利、てめぇでていけ! 顔も見たくないんだよ。お姉ちゃんのところに電話しろ!」そう言うやいなやぼくはあいつに近づき、胸ぐらを力一杯つかんだ。
  「やだ」。いつも通り短く簡潔な返事だったが、心なしか声が震えているような気がした。驚いて顔を上げると、伸びきったダブダブのシャツに埋もれたあいつの顔に、少しだけ変化が表れていた。おびえているのか? そう思うとぼくの体中に喜びがあふれた。良くも悪くもあいつが反応を示している。怖いのか!? このぼくを! 怒りと嬉しさの渦が湧きあがってきた。倒錯の喜びのただなかで、ぼくはひたすらに殴り続けた……。

■倉庫に戻るとあいつは

 いったい何発殴ったろう。自分の拳に違和感を感じて、ぼくはわれに返った。血がついていた。ぼくは手を洗って表に出た。すっかり陽は暮れている。もうあいつが金を盗んだことも、友達のせいにしたこともどうでもよくなっていた。それよりも人を殴る快感のほうがはるかに強かったのだ。
 なんて気持ちがいいんだろう。抵抗しない人間を殴りたいだけ殴る。罪悪感も うしろめたさも哀れみも忘れて殴る。そして何より、いつもぼくにつきまとっていた不安が、たとえひとときでも一切消えたのだ。
 しかし、そんな異常な精神状態がいつまでも長く続くはずがなかった。ぼくはふとあいつのことを思った。「いったいどれだけ殴ってしまったのだろうか?」いずれにしても、あいつが何かを決心するのには、十分だったのに違いない。

――せんせい いろいろとありがと 
  おれ、いえとしごと をさがしにいくよ
  ここにいるとまたうそをついちゃいそうだから
  さよなら
                  まさとし――

 深夜二時。仕事を終え、倉庫に戻るとあいつの姿はなかった。あいつは出ていったのだ。一枚の書き置きを残して……。
 探さなければ。そうは思うものの、全身の力が抜けてしまってどうにもならない。もうあとの祭りだったが、「バカなことをした」とぼくは、ぼくのしたすべての行為を後悔した。
 つい殴り過ぎてしまったこと。いつも叱りつけてたこと。朝、いつまでたっても起きないあいつの頭に目覚まし時計を投げつけたこと。そういえばあいつは倉庫に扇風機が欲しいと言ってたっけ……。でも金がなくて買ってやれなかった。予想以上にかかる店の設備投資を優先するしかなかった。だから毎日汗をびっしょりかきながら二人で寝ていたんだ。食費も切りつめるだけ切りつめてきた。米だけ山ほど炊き、おかずは一日一品だけ。それでお腹をいっぱいにしたんだ。二人で今さえ切り抜ければ何とかなる。ぼくはそう思っていた。それなのにあいつは……。

■このたまらない喪失感

 ぼくは部屋中を這って、何か手がかりになりそうなものを探した。ぼくの菓子パンが二つとも消えていた。ぼくのシャンプーがなくなっていた。店の自転車もない。炊飯器の中はすっかり空になっている。トイレには流し忘れの大きなウンコ……。ぼくは仲直りのつもりで買ってきた二人分のコンビニの弁当が入った袋をぶら下げたままだった。コンビニの弁当は食生活を切りつめていたぼくらにとっては贅沢品だった。
 昼から何も食べていないことを思い出し、弁当に少し口をつけてみた。だが、どうしても喉を通らない。これからどうすればいいのか。とりあえず外に出て、自転車に乗った。
 公園、空き地、駅のホーム。手当たり次第に探し回った。出がけに降っていた霧雨が、新聞配達のバイクとすれ違うころには激しい雨に変わっていた。台風が近づいていた。
 あいつは三日経っても帰ってこなかった。一週間、一〇日、二週間……。それでもあいつは帰ってこなかった。その気持ちをなんと表現したらいいのだろう? 喪失感? 強いてあげれば父が亡くなった時の気持ちに似ているような気がする。とにかく寂しかった。四畳半の二人でいるとあんなに狭く感じた部屋が。
 ぼくらには布団を畳み、押し入れにしまうという習慣がなかった。朝起きたら、掛け布団も敷き布団も一緒くたに丸めて部屋の端に押しやっていた。それだって日焼けサロンで使うタオルを畳むためのスペースをつくるために無理矢理やっていたぐらいだ。いつもグルグル巻きの布団が二巻き並んでいた。それなのに今は一巻きしかない。たまらなくあいつに会いたかった。
            *
 今から五年前の春。ぼくは横浜にある養護施設、N学園で児童指導員として働きはじめた。仕事の内容は簡単にいうと、親の事情で入所した小学校一年から高校三年生までの子ども達の生活指導をすることだ。
 N学園の職員は指導員、保母合わせて一五名。それぞれが四から六名の子どもを担当している。どの子どもを担当するかは、年度末に行われる職員会議で職員同士のディスカッションによって決められることが多く、子どもが職員を選ぶことはできない。初年度であるぼくには、主任によって選ばれた四人の子どもが決められていたが、勤務初日の四月一日までは会うことはできなかった。

■ぼくの「家族」を作るのだ

 どんな子ども達だろう? 想像するだけで、月並みな表現ではあるが、期待と不安で胸が一杯になった。できれば思いっきり暗い顔をした不幸な奴がいい。そういう奴らとぼくが思うところの、理想の疑似家庭を育むのだ。人を信じない奴。家族とさえ打ち解けられなかった奴。友達を作れない奴。恋すらしたことがない奴。きっと養護施設はそんな奴らの宝庫に違いない。胸が震える。 ぼくは、養護施設に入る前には、叔父のタクシー会社に勤めていた。右を見ても左を見ても親戚だらけのいわゆる血族会社だ。業績は市内で二、三位を争う優良企業であった。
 社長である叔父は売上ばかりを気にする真面目一辺倒な性格。さらに血のつながりをやたらと大事にする人だった。実際、仕事上のつきあい以外に友達と呼べる人間が誰一人としていない彼にとって、家族、兄弟、親類、そしてそれらみんなで寄り添うように作った会社は何より大切なものだったろう。
 けれど叔父にとって大切なものは、ぼくにとっては何一つ大切ではなかった。むしろ疎ましいものであった。私生活はおろか先祖代々までわかり合った者同士が顔をつき合わせて働く職場。血と利害が絡み合うがんじがらめの毎日は、ぼくにとって窮屈以外の何ものでもなかった。そんなものに価値を見出して、しがみついている叔父の姿がたまらなかった。目にしたくもなかった。
 ぼくは、ここではない違うどこかで、血のつながっていない者だけで「家族」を作ってやろうと考えた。血など介さなくても、人間は信じ合うことはできるのだ。そして叔父の会社を辞め、養護施設を選んだのだった……。

■不幸な子ども達よ! ここへ来い

  「来るんじゃなかった」
 勤務初日だというのに、ぼくの頭の中はすでに消極的になっていた。桜の花が満開に咲き乱れる中庭。バレーボールに興じる男の子と女の子。彼らの姿は兄弟にも見えるし、友達同士にも見える。皆、暖かい陽射しを受けて、きゃーきゃーはしゃいでいる。彼らの姿から悩みや不幸を感じ取ることはほとんどできない。
 その楽しそうな顔を見ていると、ぼくは疎外感を感じた。そして「来るんじゃなかった」という思いばかりがますますふくれあがった。
 だが、もう手遅れだ。状況はすべて整ってしまった。造りはしっかりしているが、かなり古びた建物。その建物の入口から四十代の男がぼくに手招きしている。もう逃げることも隠れることもできないのだ。だってもうすぐ、ぼくのためのオリエンテーションが始まるのだから。
  「神山先生は初年度ですから、あんまり問題のある子どもを担当することはないですよ」と、全く抑揚のないしゃべり方で主任は言った。どこか事務的な感じがする。それでも話すことは好きなようで、ぼくが「問題のある子もいるのですか?」と話を向けると、やくざになった男の子や妊娠してしまった女の子の話を得意げに始めた。
 ぼくは改めて主任のいでたちを眺めた。すると全身が、いかにも養護施設で働いている人間っぽい。アディダスでもナイキでもない、どこにも属さないメーカーのジャージのパンツに古びたセーターの四十男。その着こなしに、ぼくは少し好感と親近感を抱いた。
 やはり養護施設なんだな…。先程までの「来るんじゃなかった」という気持ちが少し薄らいだ。
  「ちょっと、待ってくださいね」
 主任はおもむろに立ち上がると、マイクを手にして館内放送をかけた。四名の名前を呼んでいる。ぼくの担当児童である。さあ、いよいよだ。来い、来るんだ、不幸のどん底みたいな奴よ、ここに集まれ!
 そしてぼくは、主任に促されるままに「シオン」という部屋へ向かった。 (■つづく)

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