鎌田慧の現代を斬る/鎌田慧

鎌田慧の現代を斬る/翼賛カレー体制の地獄図絵

■月刊「記録」2003年3月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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 和歌山市で98年7月に発生した、4人死亡63人の被害者をだした「カレー毒物混入事件」にたいする判決が、12月11日、和歌山地裁でいいわたされた。林真須美被告にたいする死刑判決に、わたしは重大な疑義を抱いている。
 まず、この判決において直接的な証拠はあきらかにされていない。つまり状況証拠による死刑判決である。しかも間接証拠には、被告の犯行以外の行為までふくまれている。新聞などに掲載された判決骨子には、次のように書かれている。
「被告は保険金取得目的でカレー事件発生前の約1年半の間に、4回も人に対してヒ素を使用しており、通常の社会生活において存在自体極めて稀少である猛毒のヒ素を、人を殺害する道具として使っていたという点で、被告以外の事件関係者には認められない特徴であって、カレー事件における被告の犯人性を肯定する重要な間接事実である」
 裁判官が林被告の犯行と断定したこの4つの事件は、被告が作った食事を食べたあと、被害者が急性ヒ素中毒の症状と合致した症状をしめしたこと。あるいは被害者に多額の保険金を掛けていたことなどを根拠としている。しかし事件発生当時、嘔吐などの症状をヒ素による中毒だと病院側が認定したわけではない。もしそうなら、その時点で警察が動きだしていたはずである。つまり「ヒ素混入」を疑えば、状況が説明できるといった程度の「証拠」といえる。
 検察側にいたっては、カレー事件から10年以上前に起こった従業員の死亡や夫の激しい嘔吐までふくめ、計11件もの事件を被告の犯行とし、そのすべてを間接証拠にしようとした。ここまでくれば呆れるほかないが、さすがに、裁判所は、このうち、7件は退けられたとはいえ、くず湯、牛丼、マーボー豆腐、うどんなどの4件を証拠として採用している。これらの保険金不正取得殺人事件は、いずれも「未遂」に終わったもので、証明は難しい。
 また、林被告がなぜカレー事件を起こしたのかもハッキリしていない。近隣住民の冷たい態度に被告が激高したという検察側の主張を裁判所は退け、「動機が不明確である等の事情は被告の犯人性の判断に影響を与えるものではない」といいきっている。動機は不明だが犯人だ、との判決である。
 これまで自供に重きを置く司法当局の方針が、数々のえん罪を生みだしてきた。密室で自供を強要し、証拠が不足していても刑が確定した。ところが林被告は、完全黙秘を貫いている。すると今度は、黙秘を認める。が、間接事実で有罪にする。
「被告はカレー鍋に亜ヒ酸を混入したと極めて高い蓋然性をもって推認することができる」。この判決でを眼を疑うほどに多用されているのは、「蓋然性」である。『広辞苑』によれば、「蓋然」とは「或いはそうであると思われるさま」という意味であり、「必然」の対語であるという。「あるいはそうかもしれない」という程度の認定で、死刑に処するのはあまりに、無責任だ。
 さらに量刑の理由として次のように書かれているのも気になる。
「カレー事件は猛毒の亜ヒ酸をひそかに食べ物に混入するという匿名性の高い犯行態様であるばかりか、子供を含む不特定多数の者が食べることを知りながら、多量の亜ヒ酸をカレーに混入した無差別的犯行である。極めて悪質かつ冷酷といわなければならない。
 死亡被害者の無念、悔しさは言葉に表しようがない。最愛の家族を突然奪われた遺族の心の傷は深く、その悲しさ、理不尽な死に対する怒りは、聞く者の胸に強く迫る。本件犯行の残酷非情さを感じざるを得ない。被告の遺族のこの悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきである」
 裁判官は声を詰まらせて朗読した、との報道もあったが、死刑判決が当時の沸騰した世論に影響され、そして迎合していないかどうか。
 その一方で、裁判官は、ことごとく、マスコミの過剰な報道をも批判している。「事件の捜査、審理にも及ぼしかねなかった」と書いているが、本人自身、それに大きな影響を受けているのだから、他愛ない。さらにマスコミによって報道されたビデオを証拠として採用した件については、次のような理屈を用意している。
「報道機関には、国家に適切に権力を行使するよう促す役割もあると考えられ、報道機関が作成した映像が証拠とすることは報道としてのあり方として矛盾しないものと考える」
 これは暴言だ。報道機関の役割とは、国家権力の行使を促すためではない。国家権力の行使を監視するためで、どさくさまぎれの我田引水。けっして認められない論理である。マスコミは抗議すべきである。裁判官がマスコミを国家の道具とみなしたことは、さいきんの政府のマスコミ規制方針に忠実に従ったものだ。
 そもそも、マスコミの犯罪報道は、「犯人視」報道が中心である。警察情報による報道だからだ。大事件の「容疑者」は、たいがい「犯人」あつかいだ。これらの報道が冤罪の解決を難しくしてきたのに、こんどは、その犯人視報道を証拠に採用するという。「容疑者」が犯人にされる恐るべき構造が、ここにできあがったことになる。
 わたしには、林被告が犯人か、それとも犯人でないかはわからない。しかし、直接証拠がなく、「蓋然性」程度でしか判決を下せないとしたら、むしろこんごの裁判を変え、勇気をふるって推定無罪とするべきだった。検事が新証拠や新事実を発見したときに、あらためて有罪判決にすればよい。このような曖昧な形で死刑判決が許されるのは、まるで中世的暗黒だ。小川育央裁判長の脳裏には、「無罪を証明できなければ有罪」という判断が刻み込まれているようだ。しかし「疑わしきは罰せず」。「合理的な疑いを超える程度に証明されなければ」無罪、それが裁判所の基本のはずだ。有罪を証明できなければ、世論に迎合せず、率直に無罪とすべきだった。

■隠蔽だらけ、八百長だらけの原発事業

 このあやふや判決の裏で密かにおこなわれたのが、東京電力の偽装事件処分である。東京電力は、福島第一原子力発電所の試験データ偽装工作などの発表を小泉の訪朝時期にぶつけ、新聞でのあつかいを小さくさせる姑息な手段をとった。今回もカレー事件を隠れ蓑に、保修課長を諭旨解職に、他8人を降格やけん責など懲戒処分にすると発表した。大事件の陰に隠れて事実を小出しする姑息さは、データ偽造や自己隠蔽を繰り返してきた同社の体質をよくあらわしている。まるでゴキブリだ。
 もちろん、こうした戦略にのってしまうマスコミにも問題はある。北朝鮮報道にみられるように、「集団主義報道」によって、1頭走れば1000頭走る“ドッグレース取材”をしているからだ。
 12日には、「東京電力の不正損傷隠し事件」を東京地検に告発した市民の記者会見がひらかれた。記者は熱心にみえたが、紙面化したのは、『朝日新聞』と『日経新聞』のベタ記事にとどまった。全国3180人の市民による検察庁への告発は、近隣住民どころか日本じゅうに重大な驚異をあたえながら、「身内」だけで解決しようとする東京電力にたいして、正当な罰をあたえさせようするものである。大東電なら、企業犯罪に目をつぶろうする原子力安全・保安院を動かそうとする運動を、公器の新聞が大きく報じないでどうするのだろう。
 そもそも原発推進官庁である経済産業省のなかに「保安院」があるのは、ピッチャーがアンパイアを兼ねるようなものである。もちろん電力会社も経産省とおなじ原発推進の立場であるから、三者は“なあなあ”の関係である。なるべく不正は隠し、見つかったものだけ身内で適当に処分する。そんな八百長三昧が、何十年もつづいている。誰かが行動を起こさなければ、事実は永遠に闇のなかなのだ。
 膨大な人命に関わる原子力発電所の操業を、事故隠しや損傷隠しによってあえて維持したのは、全国住民の命を軽く扱った犯罪行為といえる。
 東京電力にたいする告発状は、「様々な情報を総合すれば、かなり以前から、国も電力も、原発の損傷の発生は不可避であり、予防保全の考え方は破綻していることを相互に了解していたと思われる。にもかかわらず、予防保全の考え方に基づいて『原発は常に新品同様の状態にメンテナンスされた上で運転されている』という、虚偽の宣伝を繰り返してきた」と断じている。
 これまで、なんど事故を起こしても、国・電力会社・監督機関のなれ合いがつづいている。それでは、原力会社や関連企業の隠蔽体質が変わることはない。第2のチェルノブイリ事故が日本で起きる前に、原発から撤退しなければならない。安全をもとめる市民の声を伝え、撤退をはやめさせるのが、メディアの役割のはずだ。

■イージス派遣に喜んだのは?

 報道状況は悲惨だ。三ヵ月も続く連日のラチ報道と相変わらずの「国民的」北朝鮮バッシング、そして先ほど触れたカレー事件の大報道。その陰に隠されていたようにインド洋にむけて出向したのが、イージス艦である。 小泉内閣およびウルトラ石破茂防衛庁長官の最大課題の1つが、イージス艦の派遣だった。『毎日新聞』(12月10日)によれば、派遣決定の1ヶ月も前の11月8日、山崎拓自民党幹事長は「日本はイージス艦を派遣する。イラク攻撃の間接支援になる」と、来日したファイス米国防次官に断言したという。こうした動きにたいして、公明党も口では反対を唱えながら、「黙認」のサインとか。“はじめに派遣ありき”。とにかく「護衛艦のローテーション」、「艦艇内の居住性」、「調査能力」など、どうでもいい派遣理由がつけられた。
 日本は約1200億円もする“無用の長物”イージス艦を4隻もアメリカから買い、貿易赤字削減に貢献した。その虎の子1隻を、280人の兵員をつけてアメリカ軍に貸すという。しかし世界最大の軍事大国であるアメリカにはイージス艦が約60隻もある。日本の1隻に期待しているわけではない。派遣は実績稼ぎおしつけといえる。
 石原防衛長官は大のイージス艦好きで、風呂でもイージス艦のプラモデルで遊ぶのが趣味だ、という噂が国会周辺で流れているそうだ。真偽のほどはともかく、イージス艦派遣はヘータイごっこのひとつなのだ。
 今回のインド洋へのイージス艦派遣は、既成事実を作るための派遣である。先月号で取り上げた教育基本法改が、憲法改への橋頭堡であるのと同様、イージス艦派遣はこんご多国籍軍に参加するさいの大きな踏み石となる。軍事大国へまっしぐらである。
 いま、小泉政権にたいする批判は、ほとんど経済政策に偏っている。しかし、小泉政権の本性は、アメリカ国家の経済政策と軍事方針にひたすら忠実に、人民の支配強化と収奪を強め、軍国化へとむかうどう猛政権である。それはマスコミ規制の欲望によくあらわれている。
 それでなおかつ支持率が高いというのだから、いまや有権者の無知こそ批判すべきだ時期だ。保守党の野田党首が自民党に復帰しようとしたり、民主党の鳩山党首が自由党と合同して「民主自由党」をつくろうとしたり、元自民党の連中は自分の都合ばかりで、いかにも権力に弱い。彼らに任せておくと日本は加速度的に破滅への道を進む。不満はキチンと声にすべき時期だ。(■談)

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鎌田慧の現代を斬る/好戦体質が肥大する小泉内閣

■月刊「記録」2003年2月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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 1月14日、小泉純一郎首相はまた性懲りもなく靖国神社に参拝した。
 一昨年は8月15日に参拝すると大見得を切って8月13日に参拝。昨年も敗戦記念日にいくようなそぶりを見せながらも、4月の春の例大祭に突如として参拝。そしてことしは脱兎のごとく、福田官房長官さえあざむく(参拝前日の記者団の質問に福田は「「それはあなた方がつくった話」と否定していた)卑劣なやり方だった。過去2回の参拝でも、国際的にも国内的にも大きな批判が巻き起こっている。にもかかわらず、彼がまたぞろ参拝をした無神経さには驚かされる。自分本位のだだっ子だ。 今回また、アジアでも広く報じられ、日本の未来に与える悪影響は計り知れない。韓国では、金大中大統領が川口順子外相との会談をキャンセルする事態にまで発展した。
 不況はさらに深刻化し、中国や韓国などとの関係の緊密化が要請されている時期でもあり、マスコミの批判も強まっている。
 「お正月ですしね。新たな気持ちで平和のありがたさをかみしめ、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝した」(『毎日新聞』1月15日)などと、小泉はウソぶいている。アジアから見れば自国を侵略した戦犯と、それに従った将兵が祀られている靖国神社への参拝は、日本の首相がかつての侵略戦争を容認していると受け取られるのは当然である。無恥、無謀、政治的パフォーマンスだけの計算ちがい。このような単細胞の男に政治を任せている責任はわれわれにある。こんなケーソツな男と無理心中するのはまっぴらだ。
 小泉“突出”内閣のなかでの跳ね上がり大臣は、石破茂防衛庁長官だ。アタマが戦争もので一杯のこの長官は、とにかくイージス艦派遣にこだわっていたが、それを達成すると、こんどは“ミサイル防衛ごっこ”である。 ミサイル防衛(MD)は、強いアメリカをめざし、自らもマッチョなガンマンに憧れつづけたロナルド・レーガン大統領の趣味を反映した「スターウォーズ計画」が源流にある。当時、レーザー衛星で敵の大陸間弾道ミサイルを破壊するという社会を唖然とさせた妄想が、潰れることなく生き残っていたのである。とはいえ発射されたミサイルを迎撃するという夢物語は、膨大な開発費と防衛産業育成の思惑によって少しずつ形をなしつつある。
 1月5日イスラエルでは、弾道弾迎撃ミサイル「アロー」が、4発ミサイルを打ち落とすという実験に成功した。このミサイルには約20億ドルの開発費がかけられたらしいが、アメリカ全土を迎撃ミサイルで覆う「MD構想」が、この程度の金額ではすむはずもない。半永久的に軍需関連産業が巨万の利益を得ることになる。
 現在、イラク攻撃の推進と停止との世論が激しくせめぎあっている。すでにイスラエルでは、大量破壊兵器の飛来に供えて、防毒マスクを購入する市民が増えていると報じられた。米軍の派兵の補強もつづいており、イラン政府も防戦体制にある。市民に戦争への恐怖が、時間とともに浸透しているようだ。このままでは、また無辜の民が大量に殺される。
 このように恐怖を世界中に撒き散らしながら、自国だけは安全圏にはいろうとする防衛システム構想を世界中に宣伝するのだから、ブッシュは小泉より始末に悪い。 MDについては、『毎日新聞』(12月18日付)が次のように報じている。
「アラスカ州フォートグリーリーに建設中の基地に04年までに、10基の迎撃ミサイルを配備。さらに05~06年に10基を追加配備する。米国はこれまでも04年までの配備を目指すとしてきた。大統領は声明で『すべての危険から米市民を守るため』と述べたが、北朝鮮のミサイル開発を抑止する狙いなどから、公式発表に踏み切ったものとみられる」
 MDが外交カードとして有効だと、ブッシュ政権は考えているらしい。しかし、どんなに軍事力を強化しようが、防衛力を整えようが、それは正面きっての戦争でしか機能しない。すでに9.11 のテロによって、内側からの攻撃にあらゆる軍事力が無力だと証明されている。その意味でMDは防衛力の「矛盾」を、そのまま体現する存在となっている。各国の和平にもとづかない防衛力など、スターウォーズ計画以上の夢物語である。
 ところが、このバカバカしい計画に、大乗り気の男がいる。“イージス艦男”の石破防衛庁長官である。
 12月中旬、アメリカを訪問した石破長官は、国防総省でラムズフェルド国防長官と日米防衛首脳会談をおこなった。その席上、日米共同で技術研究に取り組んでいるMDについて、「開発・配備を視野に検討を進めたい」(『毎日新聞』12月18日)といい放った。「研究」段階から「開発・配備」にするなど、国内で誰が承認したというのか。そもそも、その膨大な資金的裏付けをどうするのか。また技術的に可能性があるのかについても、かなり疑問だ。
 ましていまブッシュは、イラクを攻撃するため虎視眈々と機会を狙っている。この段階で日本がアメリカのミサイル攻撃に協力するという発言は、アメリカへの軍事的に荷担をより一層強めていく、と宣言しているようなものだ。朝鮮民主主義人民共和国(※「朝鮮」)のやり方の拙さに、日本のマスコミは大騒ぎして、あたかも開戦間際のように敵意を煽っている。イラク、「朝鮮」とアメリカの緊張関係を日本が緩和させるのではなく、加速させているのは独立国としての愚策である。
 だいたい国内法をどう解釈すれば、ミサイル防衛が合法になるというのだろう。たとえば第三国に発射されたミサイルを、日本のミサイルが打ち落とした場合、それはまさしく戦争行為である。憲法で禁止されている「集団的自衛権」そのものだ。
 石破長官は、これらの論理さえ踏みにじって、とにかくアメリカにおべっかを遣いたいのである。このような“超ウルトラ”な人物を防衛大臣に指名した小泉の責任は厳しくとわれるべきだ。自身の靖国神社参拝といい、防衛庁長官のミサイル防衛への踏みだしといい、小泉内閣の好戦的な体質は歯止めもなく増幅している。国会では継続審議となった有事法制も待っている。
 またイラク攻撃が始まった場合、現行の法律では米軍の後方支援ができないため、「イラク新法」を成立させようという動きさえある。アフガン攻撃にはテロ対策支援法を成立させ、その法律が使えないなら、こんどは数にモノをいわせて新法成立をもくろむなど、ファッショ以外のなにものでもない。憲法をまったく意識しない、アメリカ従属の戦争政策は続行されている。
 こうした危険な内閣をもちながら、マスコミの批判も弱く、市民の運動もまだまだ弱い。MDの「開発・配備」が戦争坊やのアメリカへのリップサービスに終わるのかどうか、これからの市民の批判の強さによる。彼らの危険な言動を笑っているうちに、なし崩し的に戦争へ突入する危険性が高まっている。

■「電力不足」と脅して、原発推進

 東京電力は、12月19日『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』『日本経済新聞』などの新聞各紙に、「節電をお願い申しあげます。」と書いた一面広告を掲載した。これは原発のトラブル隠しにともなう停止命令や点検という自業自得のピンチを逆手にとって、原発稼働のチャンス利用しようとする宣戦布告である。
  「なにぶんにも首都圏の電力約4割は福島県、新潟県の原子力発電に依存しており、原子力発電所の点検停止により、非常に厳しい寒さも場合などには、首都圏の電力需要をまかなえなくなる可能性もでてきます」
 新聞広告に書かれたこの文章など、ほとんど脅しである。そもそもわれわれは、電力会社に原発依存を求めてきたわけではない。政府の援護と引きかえに政府の方針にただ従うことで、各電力各社が勝手に原発への依存度を進めてきたのだ。このように意識的につくりだされた原発依存体制が、「原発が休止したら電力不足になる」などという脅し文句につながっている。むやみに原発依存を強めず、もっと早くから脱原発の方向にシフトしていれば、このような大広告をうつ必要もなかったはずだ。「盗人猛々しい」とは、このことだ。
 これまでも述べてきたとおり、電力会社の体質は、九電力の地域独占体制に依存したものである。カネは使い放題、採算は度外視、経営・設備の失敗は利用者にまわす。およそ民間会社では信じられない経営方針で、火力・水力発電から原発へとシフトしてきた。
 時代の要請に耳を傾けるならば、太陽熱や燃料電池、風力、バイオマス発電など、さまざまな方法を組み合わせてソフトエネルギーをつくりだすべできであった。そうした努力を一切拒否し、戦争でも突入するがごとく“原発異常体制”を作り上げてきた。この政府と電力会社の姿勢は許されるものではない。
 電力会社は電力不足だと宣伝しているが、この冬は火力発電の稼働で乗り切れる見通しが立っている。膨大な量の原発をムリヤリ稼働させなくても、電力需要と電力供給量は合っている。これまで火力発電の設備がありながら、それを停止して原発に稼働させてきた経営方針は批判されるべきである。
 原発推進策の行き詰まりは、使用済み核燃料の問題でもあらわになってきている。各原発施設に置かれている使用済み燃料用のプールは、日々増える危険な廃棄物でいっぱいとなり、青森県六ヶ所村にはこばれる順番待ちとなっている。
 しかし六ヶ所村では、使用済み核燃料貯蔵プールに穴があき、漏水するという事態となった。いまや膨大な被爆労働者を生みだしながら、欠陥プール補修に明け暮れている。このようなフン詰まり状態の原発にたいして、なんら反省もなく、まだ糊塗するだけ。原発依存体制を維持しようとしている政策こそ批判すべきである。
 ところが政府は、原発依存政策という失政から生まれた「電力不足」を利用して、定期点検の時間を縮めたり、あるいは休止状態の原発をやみくもに動かそうとしている。これこそまさしく命取りである。電力を人質にとり、すこしでも早く原発の再稼働に認めさせようという電力会社の世論操作など許されることではない。
 原発立地県の福島では、佐藤栄佐久知事が原発批判を強めている。原発推進自治体であった福島県富岡町の遠藤勝也町長は、「県と連携し、国に政策変更させたい」(『朝日新聞』2002年9月25日)と反発している。
 原発行政は身動きのとれない状態になっているにもかからず、原発の危険から市民を守るためにあるはずの保安員や原子力安全委員会は、あいかわらず「原発推進委員会」となって暗躍している。脱原発の一里塚を築くためにも、とにかく欠陥原発の休止は必要だ。

■“不道徳”な死刑を廃止
 
 気の滅入るような話ばかりがつづくなか、最近の朗報といえば、アメリカ・イリノイ州の死刑囚問題である。1月13日、ライアン州知事は、同州の死刑囚167人すべてを、一括して終身刑に減刑するという大英断をくだした。
 「(知事は)3人を40年以上の禁固刑とし、残る全員を仮釈放なしの終身刑とした。これとは別に知事は10日、『拷問によって強要された自白を根拠に有罪判決を受けた』として、4人の死刑囚の特赦の措置を取っていた」『朝日新聞』(1月13日)
 ライアン知事は共和党知事であるが、民主党知事でも発言しようとしない死刑囚の減刑に一気に踏み込んだのだから勇気がある。もともと死刑賛成論者だった彼は、州内の死刑囚に冤罪が多かったという反省から一括減刑を決めたという。『読売新聞』(1月13日)によれば、死刑囚の無実が刑執行の48時間前に判明した経験も、知事が明らかにしたそうだ。
 彼は「死刑制度は不道徳」だという結論にたっしたというが、先進国で日本と並ぶ死刑大国のアメリカにとって、彼の英断は衝撃的な出来事だったはずだ。
 アメリカでは、72年にいったんは死刑禁止の方向に傾いたが、76年には死刑が復活。現在、国内半数以上の38州で死刑がおこわれている。77年から00年までの間に、死刑執行されたのは683人。日本は年間4~5人の死刑が執行されているから、およそ6~7倍の処刑人数である。
 しかもアメリカにおける死刑囚の問題は、経済問題や人種問題をふくんでいる。金持ちは優秀な弁護士を雇って有利に弁論を展開できるが、貧乏人は有能な弁護士を雇える力がなくエン罪が多い。人種差別による誤った判断も、エン罪の温床になってきた。
 死刑大国アメリカでも、ようやく死刑廃止の本格的な議論がはじまろうとしている。これはアメリカ国内だけでなく、日本国内の死刑存続派にも死刑の残忍性を考えるきっかけになると思う。
 イリノイ州では、これから死刑賛成派からの強い反対がしめされることだろう。しかしフランスの例をみてもわかるとおり、死刑廃止は世論がそのまま反映されるものではない。どのような国をつくるのかというきわめて政治な問題である。犯罪への憎しみを犯罪者にむける論理によって、死刑を存続すべきではない。人を殺さない国家。いまそれが強く求められている。(■談)
※韓国を「南朝鮮」と呼ばないので、ここでは「朝鮮」とする。

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鎌田慧の現代を斬る/邪魔者は殺せの論理

■月刊「記録」2003年3月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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■「スピッツ」小泉、放し飼いの責任

 ブッシュ米大統領が抱くイラク攻撃への野望は、世界的にたかまる反戦の声によって、ギリギリのところで抑えられている。
 国連安全保障理事会では、攻撃開始派の米英に、議長国のドイツと常任理事国のフランス・ロシア・中国の主要4ヶ国が抵抗している。
 2月15日には、東京をふくむニューヨーク、ロンドン、ローマ、ベルリン、パリ、メルボルンなど世界各国の都市で、大規模なデモもおこなわれた。英メディアは、60ヶ国の400都市で計1000万人ものひとびとが参加したと伝えている。このほかにも大規模な反戦集会などもひらかれ、世界的な反戦の動きはますます大きなうねりとなっている。
 ブッシュの野望に石油利権が絡んでいることは、すでに世界の多くの人々が知るところとなった。こうしたブッシュの思惑は、「石油の一滴は、血の一滴」という日本の戦時中のスローガンを思い起こさせる。時とともに世界中で反戦の動きが強まっていき、ブッシュ大統領が語るイラク攻撃への大義名分は、ますますインチキ臭くなっている。
 ブッシュの頭のなかは、いまだテレビゲームのような爆撃のイメージで支配されているようだが、もはや世界の人たちは、これ以上血を見たくないと主張しはじめている。ましてブッシュの利権のために、血を流したいなどと、誰が思うだろうか。
 ただ注意すべきは、多くの日本人がブッシュ批判だけでコトが終わったように思っていることだ。イギリスのブレア首相は、ブッシュの「プードル犬」と揶揄されている。労働党出身の首相であり、一家団らんの写真で人気を集めた首相が戦争に突き進もうとしていることに、英国民は苛立っている。しかしブレアが「プードル犬」だとすれば、小泉は「スピッツ」である。彼を首相にしたのは、日本人の恥辱だ。
 ブッシュを支持している小泉の存在は、日本人が戦争に荷担している証明となる。そういう意味では、日本人にブッシュを批判する権利などない。ブッシュの野望に小泉が距離を取らないのは、日本人の有権者が甘くみられているからだ。
 日本は、国際紛争を武力によって解決しないという崇高な憲法をもっている。その国の首相が、憲法の精神をもってブッシュを説得しないのは、小泉の怠慢であるばかりでなく日本人の怠慢である。ブッシュの戦争は利権のための人殺しであり、人間のもっとも醜い行為であることを、もう一度確認すべきだ。

■「春闘」から「春倒」へ

 しかし放置されているのは、小泉だけではない。
 路上生活者(ホームレス)を殴り殺す少年や青年たちの事件が、たびたび起こっている。これは無抵抗で弱いものを殺すというブッシュ流の空爆論理とおなじである。たしかに青少年の殺戮は、ブッシュのような経済的な利益を狙ったものでないが、イラだちからの人殺しを止められない現実に変わりはない。
 戦争や路上生活者への襲撃は、他人の飯茶碗を叩き落とす暴力的な行為である。自分さえ生存できれば、他人を殺してもいいという人類にとってもっとも屈辱的な価値観が、その根底にある。共生と連帯の精神が市民や労働現場からますます奪われていき、その結末が戦争にむかうようで怖い。
 アメリカのイラク攻撃にたいして、日本最大の労働者のナショナルセンターである連合は、本来なら「イラク攻撃反対 小泉打倒」のスローガンを立てて、集会やデモ行進すべき存在だ。だが労働貴族たちは、そんなことを考えもしていない。もともと大企業の労組ダラ幹を中心として発足した連合に、国際的な労働者の連帯や反戦などの思想はこれっぽっちもない。かつて反戦運動の中心にいた自治労も連合に参加しているのだから、このさい組織内でこの問題を討議すべきであろう。
 だが労働組合への失望感は、ことしの春闘でも強まる一方である。この不況下で労働者の生活はますます厳しくなっている。にもかかわらず連合は、あいかわらずの御用組合ぶりを発揮している。経営者は調子にのり、「『春闘』ではなく『春討』だ」などとふざけたことをいう始末。闘争ではなく話し合いを強調しているようだが、それこそ「春倒」というべきであろう。
 中小企業は、大企業の優先救済策のとばっちりをくい、貸し渋りから貸しハガシという銀行の強攻策に追い詰められ、つぎつぎに倒産している。小泉のいう規制緩和や構造改革は、大企業優先の政策であり、中小企業の倒産を止めることはできない。労働者には、文字通り「春倒」の時代となってきた。
 定期昇給やベースアップなど、労働者の生活を年齢によって安定させる日本的経営を、経営者は完全に放棄しようとしている。これまで経営者のスローガンは、「会社を大きくしてパイを大きくしろ。そして自分の分け前を多くしろ」であった。それが次第に「不景気でパイが減ったから、分け前は少なくていいだろう」という論理にすり替わり、いまや「パイは大きくなった。しかしお前らにはやらない」という理屈となった。ことしトヨタ自動車や本田技研工業(ホンダ)などは、史上空前の高収益をあげている。それでも春闘では、定昇もベースアップもしないというのだから、労働者は完全になめられている。
 このやり方の本質は、不景気だから賃金を上げないということではない。定昇やベースアップなど、入社時に約束していた分け前を、労働者にあたえないでプールし、「成果主義」の原資に回すというヒドイやりかたである。
 そもそも労働運動は、同一労働、同一賃金を要求して、企業側が一方的に賃金を支配することに抵抗してきた。それこそが平等の思想だった。その平等は、いまや経営者によって「競争の平等」という歪曲された姿になっている。競争第一主義の社会は、弱いヤツは死ねという思想の強制であり、他人の飯茶碗を叩き落とす行動原理である。石油利権のためにイラクの政権を転覆させるブッシュの野望とさほど変わりはない。

■「財界総理」の暴走が止まらない

 日本経団連の奥田碩会長は、こうした状況をさらに推し進めようと、もっと露骨な表現を繰り返している。
「国際競争力を維持するためにも総人件費を抑え固定費を減らすのが重要だ」(『日本経済新聞』2003年2月13日)。つまり国際競争力を強めるために、労働者を犠牲にしたダンピングしろ、といっているのである。
 賃下げと雇用の関係については、「賃下げも、緊急避難型のワークシェアリングも、結果的に同じだが、多くの企業が賃下げに移行しているというのが現状認識だ。雇用維持は、できれば定年までと考えている」と発言している。賃下げが雇用維持の条件だといいたいようだ。 しかし現実には、賃金も雇用も守らない悪徳経営者がばっこしている。1970年代、鐘淵(現・カネボウ)の伊藤淳二社長は、「賃金か、雇用か」と二者択一的な選択肢を組合側に提起して、労働者を脅したことがあった。それから30年、労働環境は確実に悪化した。奥田氏が会長を務めるトヨタでは、2月初旬「サービス残業」させられていた、として労働基準監督署から是正勧告を受けた。またトヨタによるトーメンの救済は、大リストラが条件とも報じられている。
 賃下げしても雇用を守らないという状態が、失業者の増大とフリーター・アルバイターという名の「臨時工」、ホームレスという名の「ルンペン」の急速な増大を導いている。「サンドイッチマン」も復活した。戦後失業時代の悪夢である。
 また、ことし1月に日本経団連が発表した「奥田ビジョン」では、政治献金に積極的に関与し、政界での発言力を強化する姿勢を打ちだしている。(『毎日新聞』03年2月4日)によれば、「日本経団連が前向きな姿勢を見せれば、企業は献金する」と語ったという。
 また同ビジョンでは、消費税の引き上げも提言している。税率を04年度から毎年1%ずつあげ最高16%にする、というのだからあいた口がふさがらない。
 日本経団連は経団連と日経連が合併した財界の指導部であり、奥田氏は独裁的な「財界総理」である。好調がつづく自動車資本を背景にした彼の強引な発言は、日本の政治家にも影響をあたえている。これにカネが加われば、それこそ“裏総理”である。
 政治献金は、戦後以来の自民党の泥沼政治をつくってきた猛毒だ。これが企業からの政治家買収でしかないのは、いまさらいうまでもない。政治献金に絡んだ疑惑の数々を、奥田会長はもう忘れているとみえる。

■政治献金に画期的な判決

 一方、政治献金の違法性については、2月中旬に画期的な判決が下された。熊谷組にたいする株主代表訴訟で、「欠損時の政治献金は違法である」と、裁判所が判断したのである。
 この判決は、松本良夫前社長に2860万円の返済を命じ、ゼネコンと政治献金の関係に重大な疑義をていした。 また「会社あるいは産業団体の寄付が特定の正当ないし政治団体のみ集中するときは、当該政党のみが資金力を増大させて政治活動を強化させることができ、ひいては国の政策にも決定的な影響力を及ぼすこととな」る結果として、「政界と産業界との不正常な癒着を招く温床ともなりかねない」と、政治資金の闇を指摘している。 熊谷組側は、政治資金が自由主義経済体制の維持ないし発展に必要だ、と主張したようだが、「政治資金の寄付が自由主義経済の維持ないし発展に結びつくとも認められない」と、熊谷組の詭弁も一刀両断した。
 1998年3月に2400万円の損出をだしていた企業が自民党に献金していた事実は、株主の意志さえ否定するやり方を、自民党が企業に要求していたことをしめす。
 まして熊谷組は、自民党長崎県連にも献金をしている。長崎県の諫早湾干拓事業を受注した会社1つに、熊谷組が入っているのにである。諫早湾干拓事業は、ゼネコン救済の公共工事だとの噂が、ずいぶん前から飛び交っていた。しかしゼネコンの政治献金も、無用な工事も住民は止めることができなかった。
 そういった意味でも、熊谷組の政治献金にたいする裁判所の判断は画期的である。当たり前とされてきた政治家と財界の癒着に一石を投じたといえよう。
 国際世界では、アフガニスタン・イラク・北朝鮮を睨んだアメリカの暴力支配がおこり、ミクロな世界ともいえる市井では、企業による労働者イジメ、路上生活者への虐殺などがまかり通っている。まさに暴力が地球を覆っているといえる。
 現在、盛り上がりをみせている反戦平和の集会やデモが、労働現場や社会の末端での差別や支配をどう解放し、どう猛な利権や利益の追求をどう解除していくのかに、注目していく必要がある。いずれにしても人間的な判断によって、自ら未来を切りひらいていくしかない。 (■談)

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鎌田慧の現代を斬る/「戦争」とすら呼べない大量殺戮を許さない!

■月刊「記録」2003年4月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

*           *           *

 またアメリカの戦争がはじまった。ミサイルと爆弾の大量投下のもと、バグダッド市内で、どのような殺戮がおこなわれているのか、と考えただけでもゾッとする。 ブッシュ米大統領がフセイン・イラク大統領とその一族にたいして、「48時間にイラクを離れろ。拒否した場合には、軍事衝突になる」と最後通告を発したのが、3月17日午後8時(現地時間)だった。これは、いいがかりである。
 いうことをきかなければ殺すぞという強盗の論理に、小泉は従うだけだった。ブッシュ、ブレア、コイズミは、戦争犯罪人として独裁者フセインとともに歴史から裁かれる。
 当初アメリカとイギリスは、国連の安全保障理事会でのお墨付きをもらい、国際世論をバックに自分たちの戦争を正当化しようとした。しかし拒否権を持つ常任理事国のフランス・ロシア・中国の賛成を得られず、議決に必要な全15ヵ国のうちの9ヵ国の支持も取り付けられなかった。態度を明らかにしていなかった中間派の6ヵ国(カメルーン、ギニア、メキシコ、アンゴラ、チリ、パキスタン)にたいしては、アメリカの「切り札」、経済援助という札束攻勢をかけた。それでも説得しきれなかった。国際世論の勝利である。
 恥ずかしいことにも、日本もODA予算をちらつかせ、アメリカの使いっぱしりとして中間派を説得したが、完全な不調に終わり赤恥をかいた。だいたい「カネをやるから戦争に賛成しろ」というのが、平和憲法をもつ国がやることか。平和と軍縮を訴えるチャンスだったのだ。
 結局、カネでの支配に失敗して、ブッシュは僚友のイギリスともども戦端を開くことになった。ブッシュの敗北は、ブッシュの人望がなかったことや、ブレアの人格破綻が主要な原因ではない。世界の民衆がしめした「戦争はいやだ」というごく単純な意見が、各国政府を突き動かしたのである。湾岸戦争の時代とちがって、反戦・厭戦気分が国際的に広がってきている。これは20世紀の反省から生まれた、21世紀の「希望」として評価できる。
 日増しに燃え上がっていった世界の反戦集会や反戦デモは、けしてフセイン支持の集会ではなかった。対立する国家や指導者を武力によって押し潰すという暴力的思想に、ただ「NO」と言ったまでである。ブッシュおよびアメリカ政府の主張は、「非民主主義的なフセイン政権が人民を抑圧しているから、我々が解放してやる」といったものだった。しかし、これはテロリストが正義を掲げて殺戮をおこなうのとおなじである。
 当事国以外が暴力によって政権転覆を目指すなど、「革命の輸出」でしかない。冷戦時代、西側諸各国が警戒した社会主義国による「革命の輸出」は、現政府にたいする人民の抵抗・反抗を根に持っていた。しかし国内の運動が煮詰まっていないのに外部から革命を注入すること自体、革命戦略として破綻していた。当然の結果として、「革命」は歴史的な悲劇を生んだ。
 そうしたソ連などの「革命の輸出」と角を突き合わせてきたアメリカが、冷戦構造が崩れた現在でも「革命の輸出」を続けているのには、呆れるほかない。このような「革命」が破綻するのは、歴史の必然といえる。
 まして今回は、30万人を超える米英軍を派遣しての政権転覆である。これこそ史上まれにみるクーデターだ。逆にいえば、大量の軍隊を使って無理に転覆させなければならないほど、フセインが民衆に選択されているともいえる。チリ、グアテマラ、コロンビア、ニカラグアなど、CIAを中心とした中南米諸各国の政権転覆計画は、これほどまでの戦力を要しなかった。そう考えると、今回のブッシュの「正義」が、いかに不正義であるかを理解できる。
 基本的にテロリストは少数者で行動をおこす。ところが世界最大の軍事大国が30万人もの兵力を集中して政権転覆を目指すのだから、大テロリスト集団といっても過言ではない。
 この戦争が始まる前、NHKの衛星テレビでABC放送を見る機会があった。その番組では、「バクダッド経由が家路への近道だ」と、前線の指揮官が若い兵士をアジっていた。早く故郷に帰りたい兵士たちに、バクダッドの市民の殺戮を通過して帰れと、がなっていたのだ。こういった洗脳もまた、大テロリスト集団のやりくちである。

■ゼネコン発想の戦争復興などやめろ

 また別の日に見たABC放送では、戦争開始直前の米軍前線基地を取材したレポーターが、その兵士たちの若さに同情していた。よく覚えているのは、「ほら見てください。13歳にしか見えません」というレポーターの言葉とともに映し出された、まだ十代にしかみえない米兵のあどけない横顔である。年端もいかぬ若者を待ち受ける死の危険は、アメリカ人に反戦・厭戦気分をあるていどつくりだすかもしれない。
 しかし本当に問題なのは、若い兵士たちが押し入り強盗のように他国に侵入し、幼児・児童をふくめた大量の人民を虐殺することに、まったく思いをむけていないことである。兵士は敵を殺すために送り出されるのであり、彼らが殺されるよりも大量殺人をおこなう可能性が強い。レポーターは「殺し合はやめろ」というべきだ。
 ましてこの戦争は、前段階で大量のミサイルと爆弾を投下する。その映像はテレビゲームのようであり、人を殺している意識は低くなる。
 こんどの戦争では市街戦も予測されているが、それさえ大空爆のあとである。しかも原爆に匹敵する、たかさ約3千メートルものキノコ雲が発生するほどの破壊力を持つ新型爆弾「MOAB(モアブ)」も準備されている。こうした新兵器に支えられた戦いは、すでに戦争とはいえない。ただの大量殺戮行為である。大量殺戮兵器をなくすために、大量殺人をおこなうのだから矛盾している。ほぼ勝敗がついたあと、強大な爆弾のあとの市街戦は、卑怯そのものである。
 朝鮮戦争およびベトナム戦争でも、米軍はじゅうたん爆撃といわれる無差別攻撃で人民を殺戮してきた。ベトナム戦争ではジャングル内にバラまいたセンサーで音をキャッチし、いきなり無差別に空爆する戦法を取った。 最近になってこそ、民間施設を識別するなどといっているが、戦争の論理はベトナム戦争以来変わっていない。誰がゲリラで、誰が民間人か識別できない場合は、一挙に殺害する。それがアメリカの戦争の「掟」である。いまさら民間施設は攻撃しないといっても、厳密に識別できる戦争などあるはずもない。その結果、病院や学校が攻撃されてきた。今回は市街戦も想定されているので、巻き添えになる市民は大量にでる。
 またたとえ民間施設を攻撃しなかったとしても、大気や国土を放射線で汚染する劣化ウラン弾をばらまかれれば、無差別じゅうたん爆撃よりむごい健康被害が何十年にわたってつづく。メディアで宣伝されるような「誤爆」など、戦争には存在しない。兵士も民間人も「敵は殺す」。それが戦争である。
 ところがアメリカをはじめとする国々は、大量に破壊することを前提に「復興する」と前宣伝する。人命を奪い、住居を奪い、故郷を奪って、そのあとにどんな復興があるのか。たんに建物や道路を造り直せば、それで復興になるのか。
 いわばゼネコン的な発想の復興には、もっと批判の声があがってもよい。日本もイラク復興に協力するなどといっているが、利権争いとなる。日本は、破壊のあとの復興よりも、破壊の前の平和に寄与すべきであり、そのほうがはるかに重要である。

■国内“暴走”を止めるために

 世界の批判にまみれつつ、アメリカは大量殺戮を開始した。そうしたなか、わたしが怒りを禁じ得ないのは日本国政府の対応である。
 アメリカとともに戦争を押し進めた張本人のイギリスでさえ、前外相であるクック下院院内総務が、イラクへの武力行使に抗議して閣僚を辞任した。一方の日本では、抗議運動をおこそうとする与党議員さえいない。
 小泉純一郎首相は、戦争開始以前からアメリカの行為のすべてをみとめる「腰巾着」であった。一方、国際平和を考えるべき川口順子外務大臣も、市民の健康を考えるべき坂口力厚生労働大臣も、憲法の理念を積極的に推進すべきき森山眞弓法務大臣も、アメリカの大量殺戮に諸手をあげて賛成する首相をいさめるでもなく、抗議の辞任をするわけでもない。
 あらためていうまでもなく、日本は武力によって国際紛争を解決しないという理想を憲法で高らかに掲げている。そして国務大臣や国会議員は、憲法99条により「憲法を尊重し擁護する義務を負う」。だから小泉首相はもちろん各大臣も、戦争に反対するのは政治家としての任務である。
 ところがそんなことを考えてもいない。だいたい日本の政治家には、理念がない。自分の選挙基盤を守るためだけに政治家となっている人たちである。暴力団の跡目相続とおなじように、自分の「縄張り」を維持するためにだけの政治家にすぎない。
 たとえば小渕恵三前首相の娘・小渕優子などのように2代目、3代目たちは、なんの見識もないまま父親の地盤を引き継いで当選している。そういった議員によって国会が構成されているのが日本国だ。ふがいない議員に歯がゆい思いをすることも多いが、それは自分たち有権者のダラシナサの表れでもある。
 小泉首相は、アメリカが最後通告を発表する以前から、新決議なしで米英が武力行使に踏み切った場合について、「その場の雰囲気で」などと支持を表明していた。「雰囲気で」大量殺戮に賛成する彼の無思想、無定見ぶりを、いまさらあげつらっても仕方ない。
 しかしブッシュにしろ、ブレアにしろ、小泉にしろ、どうして人間の命にたいして無痛覚なのか。このような指導者を駆逐できないアメリカ・イギリス・日本が、どうしてフセインだけを駆逐しようとするのか。不思議でならない。この“悪の枢軸国”だからイラクを攻撃するという独善、独断が、これから日本にかかわってくる。 最近でこそ少し落ち着いてきたものの、小泉の北朝鮮訪問以来、マスコミはラチ家族を英雄扱いして、北朝鮮攻撃を繰り返してきた。それは憎悪と蔑視の増殖のプロセスだった。憎悪と軽蔑の先にあらわれるのは、金正日政権打倒である。食糧難を中心とした生活の破綻が北朝鮮におこる可能性は否定できないが、気にくわないから、といって政権自体を日本やアメリカが転覆させるなど、けっして認められるものではない。
 しかし日本は、フセイン政権の武力による転覆を容認した。アフガンへの攻撃ではイージス艦をインド洋に派遣し、今回はAWACS(早期警戒管制機)の派遣も検討されている。アメリカに従って、武力で「邪魔者」を追い出す手法が朝鮮半島に使われないとも限らない。マスコミが生みだした「北朝鮮敵視政策」の延長線上に、政権転覆の武力解決が容認されれば、日本の世論が一気に危険な方向に進みかねない。だからこそ、戦争反対の行動が必要なのだ。イラクとおなじ「悪の枢軸国」だから、北朝鮮政権もやってしまえという暴論を抑える言論が必要だ。
 小泉などの自民党は、イラク攻撃を支持する理由の1つとして、北朝鮮との関係の緊迫化をあげている。しかし安倍晋三内閣官房副長官などの過激な発言が、両国の関係を損なっていることを、彼らは認めていない。
 こうした暴走に歯止めかけるためにも、こんどの戦争にたいする小泉政権の責任を追及をしていく必要がある。そうしない限り、東アジアの平和を日本人はつくりだせない。イラクの戦争は対岸の火事ではない。憲法無視の好戦主義者・小泉首相を政権から引きずり降ろさなければならない。(■談)

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鎌田慧の現代を斬る/殺して、壊して、カネ儲け。ブッシュのあくどいやり方

■月刊「記録」2003年5月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

*            *            *

 戦争は国家による人殺しの奨励である。1人でも多く殺せば国の名誉が上がり、殺人者の名誉はさらに上がる野蛮な構造となっている。どんな理由があったにしても、戦争は国家による醜悪な大イベントでしかなく、きれいな戦争などあるわけもない。とはいえ今回の米英軍によるイラク攻撃は、近年まれにみる“汚れた戦争”であった。
 なぜブッシュ大統領が戦争に踏み切ったのかは、大いなる謎である。そのため「理由なき戦争」とも呼ばれ、国際的にも反対意見が強かった。ブッシュの唱えた侵略の大儀は、大量破壊兵器の破壊とイラクの解放であった。しかし戦争がほぼ終結してなお(4月17日現在)、大量破壊兵器は発見されていないし、イラクのひとびとが「イラク解放」に、さほど喜んでいるようにもみえない。シーア派の幹部たちもフセイン打倒には気勢をあげたものの、米英軍の駐留を歓迎しているわけではない。
 米軍が大量に放ったミサイルは、1万8000発にのぼるという。トマホークだけでも、750発もぶち込んだ。これだけ凄まじい大量破壊をおこなっていて、どこが「イラクの解放」なのだろうか。事実は「イラクの破壊」でしかない。住民が喜んで米軍を迎えるなど、完全な夢想である。
 独裁政権の倒れた象徴として、バクダッドではフセイン像の引き倒しが、生中継で全世界に伝えられた。一部報道では、独裁者のチャウシュスク政権崩壊になぞられるむきもあったが、引き気味のカメラにはまばらに集まった住民が映り、住民の蜂起と呼べるほどの熱気はなかった。実際、アメリカ側の演出だったのでは、との報道も流れている。
 今回の戦争では、アメリカの大本営発表の空言がなんどかあきらかになっている。開戦当初はフセイン大統領の死亡説が流れ、そののち本人がテレビに登場。また南部都市バスラを米英軍が制圧、おなじくバスラで住民蜂起が起こったといった情報も、アルジャジーラなどの記者リポートによって、ウソと判明した。
 思い返せば12年前の湾岸戦争は、「キレイな戦争」として報道された。前線取材が徹底的に規制され、ひとけがないように見える施設をミサイル攻撃する映像が主役だった。まるでテレビゲームのような映像が、これでもかこれでもかとばかり放映された。もちろん市民は大量に殺された。ただ映らなかっただけである。これもアメリカが発表した絵空事だった。
 しかし、そのときのあまりに露骨な情報操作がメディアから批判され、今回のイラク侵攻では従軍記者取材が認められた。世界各国から500人以上もの記者が集結したという。しかし、結局現場ではきびしい報道規制があったと伝えられている。
 また、なによりジャーナリストにとって許し難いのは、アルジャジーラのバクダッド支局やアブダビテレビなど、アラブ系のメディアが攻撃されたことである。事前に米軍に知らせておいた支局が、けっして外れないと自慢されてきた米軍のミサイルによって爆撃され、1人の記者が死亡した。
 これはイラク国営放送が攻撃されたのとおなじ文脈で考えるべきであろう。自分たちに都合の悪い報道は、暴力によって口を封じる。そんな“アメリカ民主主義”の意図が如実にあらわれている。もっと簡単にいえば、目撃者は殺せ、ということだ。
 そもそも米英は、アルジャジーラを目の敵にしていたふしがある。開戦後には、ニューヨーク証券取引所の取材から追いだした。またイギリス兵の死体や捕虜が放映された際には、イラク政府のプロパガンダの手先だとしてイギリス軍の高官が名指しで非難した。そして空爆である。アメリカ型民主主義とは、言論圧殺のことなのか。
 また4月9日には、チグリス川沿いにあったジャーナリストの拠点、パレスチナ・ホテルも米軍から攻撃され、ロイターなどの記者2人が死亡した。こうした事態について、国際ジャーナリスト連盟も激しい抗議を表明している。
 しかし非難にたいして、国防総省のクラーク報道官は、「これまで、多くの報道関係者に私は伝えてきた。戦争は危険なものだ。戦場にいる時、あなた方は安全ではない」(『朝日新聞』4月10日)と平然と責任を記者たちに転嫁している。危ない場所にいるのと、意図的に殺されるのではおなじ危険でも大ちがいである。クラーク報道官の発言は、自分たちの犯罪を覆い隠しているにすぎない。

■石油メジャーと軍需産業で政権固め

 イラク攻撃が終盤戦にさしかかったころから、ブッシュ政権の閣僚たちが関係する企業の利権があきらかになってきた。
 ブッシュ政権は、まれにみる国際石油資本(石油メジャー)政権である。ブッシュ自身、テキサスの石油会社の重役だったのだが、2000年の選挙では、石油ガス業界から選挙資金として2億円以上受け取っていた。まさに石油利権大統領である。
 チェイニー副大統領は、油田開発会社のハリバートンの元CEO(最高経営責任者)である。このハリバートンの子会社は、イラク侵攻なかばで70億ドル(8400億円)もの油田の消火・復旧事業を、無競争で受注している。またライス米大統領補佐官は、大手石油会社シェブロンの社外取締役。さらにエバンズ商務長官は、長年、石油会社で働いてトップもしめたことのある石油業界の実力者だ。
 いうまでもないことだが、イラクは産油国である。砂漠の下には、1125億バレル、確認埋蔵量世界第2位の原油が埋まっている。イラクに親米政権が樹立すれば、フセイン政権下で利益を得ていたフランス・ロシア・中国などの既得権益を崩すこともできる。また、これまでサウジアラビア主導のOPEC(石油輸出国機構)に仕切られていた中東の原油価格が、親米イラクの原油増産で大きく揺らぐことにもなる。結果的に“石油メジャー閣僚”たちも、大きな利益が転がり込む。
 さらにブッシュ政権には、軍需産業とも強いつながりをもつ閣僚も並んでいる
 リチャード・パール前米国防政策委員長は、国防総省が許認可権をもつ企業の顧問だったという理由で委員長を辞任した。噂されるアラブの武器商人との関係は、彼の横顔をしめしている。
 ラムズフェルド国防長官は、軍需産業系のシンクタンクで理事長だった人物であり、超タカ派のウルフォウィッツ国防副長官は爆撃機などをつくるノースロップ・グラマン社の顧問、チェイニー副大統領の妻にあたるリーネ氏もおなじく爆撃機などを製造するロッキードマーチン社の役員だった。
 戦争は、兵器の大量消費の一大チャンスである。『毎日新聞』(4月9日)は、今回使われた兵器の値段を次のように報じている。

トマホーク〈ミサイル〉
 1発…50万ドル(6000万円)
JDAM〈精密誘導爆弾〉
 1発…約2万4000ドル(287万円)
バンカーバスター爆弾
 1発…14万5600ドル(1747万円)
ステルスB2A〈爆撃機〉   
 1機…21億ドル(2520億円)
FA18E〈爆撃機〉
 1機…6000万ドル(72億円)
M1A2エイブラムズ〈戦車〉
 1両…430万ドル(5億1600万円)

 こうした高額の兵器が湯水のように使われるのだから、米軍需産業関係者の笑いは止まらない。
 人を殺せば殺人者であるが、人を殺してモノを売りつければ英雄となる。それがブッシュ型のモラルなのだ。今回のイラク侵略は、古い兵器の在庫一掃と新兵器の開発を狙ったビジネスショーと考えれば、とてもわかりやすい。
 さらにもう1つ、イラク戦争はアメリカ経済に特需を連れてきた。戦争復興である。

■壊したヤツラで復興独占

 復興費用の額はいろいろと取りざたされているが、『読売新聞』(4月6日)は「戦争が3ヵ月程度で終わった場合は1560億ドル(約18兆6000億円)」というエール大学教授の試算を発表している。
 これらの膨大な復興費用と戦費は、ヤクザのみかじめ料のようにアメリカが世界各国から回収するつもりのようだ。もちろん日本も例外ではない。
 しかも現在、アメリカはイラクに債権をもっていない。日本・フランス・中国などは巨額の債権もっているため、フセイン政権が転覆したいま、どのようにそれを回収するかに頭を悩ましている。
 こうした状況にありながら、ライス米大統領補佐官は「イラク解放に命と血をかけた連合軍(米英)が、主導的な役割を期待するのはごく自然なことだ」と述べ、破壊しつくしたあとの儲け、戦後の復興需要は事実上、アメリカで独占すると宣言した。
 今回のイラク侵攻は、アメリカの1人勝、との宣言である。
 石油利権を既得権をもつ国から奪い取り、自国の軍需産業が喜ぶ兵器でイラクを徹底的にぶちこわし、自分で壊した街を自国の企業に作り直させて、イラクが生みだす原油で支払わせる。そのうえ回収不能の債権すらない。
 アメリカにしてみれば、殺せば殺すほど、破壊すれば破壊するほど儲かるのだから、これほどウマイ商売はない。理念はおろか自省の感情さえ吹き飛び、結局、ブッシュ、ラムズフェルドのイケイケどんどんのビジネスゲームである。

■ベトナム戦争の失敗に学べ

 このイラク攻撃にともない、ますますクローズアップされてきたのが北朝鮮問題である。安倍晋三官房副長官などは、「(北朝鮮に)何発も撃たせないためにはミサイル基地を攻撃しなければならない。それは米国にお願いするしかない」といった。
 これこそ情報操作というべきものだ。たしかに北朝鮮はミサイルをもっているかもしれない。だからといって北朝鮮人民軍がイカダに乗って日本に攻めてくるなど、誇大妄想でしかない。腹ぺこの国民を抱えているのに、どうしてアジアで中国に匹敵するような「自衛力」をもつ日本に戦争を仕掛けられるというのか。
 実態のない敵の驚異を煽り立てて戦争するのは、権力者の常套手段である。かつてマクナマラ国防長官が、自著の『マクナマラ回顧録』で、ベトナム戦争におけるアメリカの敗因として、「相手方の危険性を過大評価した」「相手国内の政治勢力の判断を完全に誤っていた」「すべての国家をアメリカ好みにつくりあげる天与の権利などもっていない」などの理由をあげた。
 今回のアメリカの行動は、ベトナム戦争のときとなんら変わりはない。それ以上にバカげている。大量破壊兵器疑惑も、フセイン崩壊後に起こるはずだった市民の歓迎という夢想も、マクナマラが指摘した失敗になぞらえる。あまりに巨大な軍事力は、おそらくアメリカの解体につながる。アメリカは、歴史に学ばなかったのだ。儲けにはしった拙さ、である。
 アメリカが好むように、イラクの人民が動くかどうか。イラクに親米政権をつくれなかったとき、アメリカはマクナマラが指摘した失敗の意味を悟ることになる。
 そして日本もまた、北朝鮮の危機を煽って進める軍拡路線の愚かしさを悟ることになる。もう一度、平和のために行動しよう。 (■談)

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鎌田慧の現代を斬る/大政翼賛会がつくりだすニッポン強権国家

■月刊「記録」2003年7月号掲載記事

*            *            *

 米英軍がイラクに侵攻から3ヶ月がすぎた。すでに彼らの残虐行為は、忘れさられようとしている。米英軍はあたかも通り魔のようにイラク全土を襲撃、破壊、殺戮し、いまだに居座っている。
 あの攻撃によって死傷した兵士や市民がどれほどだったか、米英軍は公表していない。AP通信によれば、市民だけで3240人。「イラク・ボディー・カウント」によれば、最高で7200人となっている。
 米英軍の武力攻撃は、大量破壊兵器の廃棄が目的であり、それが理由で大量のイラク兵や一般市民を殺害したのである。ところが大量破壊兵器が発見されていない。としたなら、米英の犯罪性は、厳しく問わなければならない。彼らの行為は、利権のための人殺しでしかないからだ。
 まして国連安保理の承認も受けず、独断と偏見で強行した侵略である。指導者のブッシュとブレアは戦犯として裁かれるべきだ。米英が自国をイラクとちがう民主主義国家だといい張るなら、国内の議会によって厳しく批判されるべきであろう。
 これは米英国だけではない。日本の問題でもある。小泉純一郎首相は、イラクの大量破壊兵器の危険性をさかんに喧伝し、あの侵略戦争に荷担した。大量破壊兵器がイラク国内にあるか疑問視されていたにもかかわらず、国際的に孤立しているブッシュの忠実なシモベとして、おベンチャラをいいつづけて、その責任は万死に値する。日本の国会はその責任を追求しなければならない。
 ところがイラク攻撃の余勢をかって、与野党は有事関連三法を成立させた。信じがたい蛮行である。これは先月号でも批判したとおり、国会が大政翼賛会化したことをしめしている。憲法を無視して、軍国化のための法律に、90%以上の国会議員が賛成したのだから、すでに日本の議会制民主主義が死んでいるといっても過言ではない。
 いまさらいうまでもなく、日本国憲法は武力による国際紛争の解決はしないと表明し、その思想を世界に広めるようとしている法律である。また憲法は、国民が守るべき法の総元締めであり、憲法99条には天皇および国務大臣、国会議員、裁判官や公務員などが、「憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定められている。
 有事関連三法は戦争の準備をするための法律であり、平和憲法である日本国憲法とは相容れない。つまり有事関連三法の成立は、憲法をあきらかに否定している。この国会決議に賛成した議員は、政治家としての権利と義務を放棄したのである。ミサイルへの燃料補給を理由に他国を攻撃できる法律が防衛のためであるはずがない。国会審議は黒を白といいくるめる古典的な三百代言を繰り返していたにすぎない。
「政権担当能力」をしめすため、という野望によって、民主党は賛成した。総理の座をねらっている菅直人代表は、有事法制への批判によって、アメリカの機嫌を損ねることを恐れたようだ。菅の欲望が、国民を危険な状況に追い込んだともいえる。

■どこにある!? イラクの「非戦闘地域」

 与党が成立を狙っている法律はまだある。イラク再建という名目で自衛隊を海外派兵するイラク新法案だ。1992年、国連平和維持活動(PKO)協力法で自衛隊の海外派兵に道筋がつけられ、2001年にはテロ特別措置法により戦時における自衛隊の海外出兵が合法化された。そして2003年、こんどの法律は戦地での武器弾薬や米英兵の陸上輸送まで想定している。
 自衛隊が従事するのは「非戦闘地域」に限るなどと、与党はいう。しかし米英軍にたいするテロ攻撃は、いまだつづいている。イラク国内全土が戦争状態にあることはいうまでもない。国内全域に反米英の武装勢力が潜むイラク国内で、どうやれば「非戦闘地域」を確定できるというのか。ゲリラ活動がおこなわれている「非戦闘地域」で、武器や兵士を運ぶのは、軍事行動そのものである。
 また派遣された自衛隊が攻撃される事態となれば、「自衛」という名の「抗戦」状態にはいるのは想像にかたくない。これだけ軍事作戦と一体化した任務を、戦争行為ではないというのは、夜中、他人の家に忍び込んでも、泥棒する気はなかったと言い訳するようなものだ。
 またテロ特別措置法と同様に、時限立法だから大丈夫だという議論もあるようだがとんでもない。時期が限定されているから、あるいは数年後に見直すからという理由で、これもでも国内の歯止めは次々と突破されてきた。成田空港の二期工事としての「暫定滑走路」は、ワールドカップ開催のためにつくられた。もちろんいまでも立派な「暫定滑走路」が稼働しつづけている。
 通常では認められない法律を暫定的につくりあげ、それを突破口として利用し、さらなる悪法を積みあげていく。この姑息なやり方は、国民を愚民化する悪どい政治手法でもある。
 このまま国会が進めば、有事三法の成立、テロ特別措置法の延長、イラク新法の成立と、戦争状態に大きく踏みだした、歴史的な国会となるだろう。小泉内閣の犯罪性が、将来必ず問われることになる。
 こうした法律の成立が新聞紙上を賑わす一方で、たいした審議すらなく成立したのが、心神喪失者処遇法である。過去に他害行為をおこなった心神喪失者を、精神科医と裁判官の判断で国立病院に強制隔離できる、おそるべき法律の誕生である。
 本来、医療行為であるはずの心神喪失者の入院を、治安維持に使うことは、これまでもおこなわれてきた。沖縄県に天皇が訪問したとき、地元の精神障害者が強制入院させられたことがあったほどだ。しかし治安対策や治安維持という名目で、いわば予防拘束として、一生涯、人を強制隔離できる法律などが許されるはずがない。
 おなざりの論議、そして強行採決。人は誰もが自由に生きる権利をもっている。国家に都合が悪いからと、簡単に強制収容、隔離することなど認められない。

■成立寸前だったクビ切り法

 また労働基準法の改悪も、与党と民主党の合意で成立した。改悪の背景を少し説明しておこう。
 これまでの労基法には、解雇権がなかった。たとえば無断欠席があまりにも激しく、会社に著しい損害をかけたなど、誰がみても解雇が当然というケースしか、解雇は認められていなかった。それ以外の解雇は、解雇権の乱用として規制されてきた。もちろん労働組合活動による解雇は、不当解雇行為として労組法によって規制されている。
 しかし解雇が規制されていると、簡単には企業側のリストラが進まない。いじめ抜いて自主退社に追い込むなどの方法で、企業はリストラをおこなっているのだが、この状況を強化したい自民党と財界が、労基法の改悪を狙っていた。
 当初、厚生労働省がしめした労働基準法改悪案の法案要綱には、2つの大きな問題があった。1つは、労基法に「解雇できる」との条項を盛り込んだがこと。もう1つは、不当解雇の対策として金銭解決を法律に明記したことである。「解雇できる」と法律に定められれば、立場の弱い労働者は正当な理由もなく職を失う危険性が高くなる。また金銭解決が認められれば、たとえ裁判所によって解雇無効の判決がでても、再雇用されることなくカネでの解決となってしまう。日本の裁判状況をみれば、高い補償金など期待できないことはあきらかだ。どんどん首を切り、あとからゆっくり補償金の金額を交渉できるようになれば、解雇は非常にやりやすくなる。
 幸いなことに、この2つの条項は、今回の改悪では削除された。しかしギリギリまで与党が粘り、あともう少しで「改悪案」に条項が盛り込まれていたことは、ぜひ知っておいてもらいたい。雇用を危うくする法律が、この不景気に成立直前だったのである。
 いわゆる「解雇ルール」が法律案に盛り込まれなかったからといって、改悪案に問題がないわけではない。
 最大の問題は、有機労働契約期間上限が、現行の1年から3年に延長されたことだ。これまで正社員ではない不安定な雇用は、1年ごとに更新しなけれならなかった。このような変則的な雇用の長期化を、労基法は原則的に認めていなかったのである。そのため、なるべく臨時雇用の期間を短くするよう法律が企業にたいする圧力にもなっていたのである。
 しかし今回の改悪により、臨時雇用の長期化はますます進むことになった。臨時雇用としての期間が長くなればなるほど、他社で正社員になれる可能性も低くなる。また仕事を覚え、自信がつきはじめた3年目ともなれば、労働者本人も会社を辞めにくいだろう。つまりこの改正は、臨時雇用という身分のまま働きつづける労働者を増やそうとするものなのである。

■犯罪者と接触したら、即逮捕

 今国会で審議される危険な法案の1つに、共謀罪がある。共謀罪とは、犯罪実行に着手していなくても、犯罪の打ち合わせをしただけで罰することができる法律だ。 この法律の制定が準備されていると聞き、わたしは1910年に起こった大逆事件を思いだした。この事件は、社会主義者だった宮下太吉ら4人が「爆発物取締罰則違反」で逮捕されたあと、犯人と強いつながりがあったとの理由で、幸徳秋水・大石誠之助・管野スガら12人もの社会主義者や無政府主義者を死刑にしたものだ。なりふりかまわず思想弾圧した、日本史上に残る汚点である。
「共謀」という名でこのような事態が想定できる法律が成立するともなれば、市民は思想弾圧に怯えることになる。犯罪者と交流があっただけで逮捕されるのなら、犯罪者の範囲は無限に広がる。
 このように次々と成立させてきている悪法によって、日本は強権国家へ急ピッチですすんでいる。
 有事法制は戦争時における私権の制限が特徴の1つだった。戦争に協力できない「国民」は罰する、という強権。それは国家総動員法の復活ともいえる。
 テロ特別措置法やイラク新法案は、平和憲法をないがしろにして軍事国家に歩を進めようとする悪報だ。心神喪失者処遇法や共謀罪盗聴法は、警察などの国家権力を増大させ、治安上問題だと政府が感じたらすぐさま監禁し、人権を排除できる強権といえる。
 そして労基法の改悪は、これまで政府の暴走を抑える労働運動の壊滅させる強権である。
 これまでもたびたび触れているとおり、こうした強権を牽制すべきメディアは、メディア規制3法などによって、手足を徐々に縛られはじめている。そして、さらに国民総背番号制など、コンピュータによる人間の管理と支配も進んでいるのである。
 うかうかしている間に、国民は政府に反対意見を述べることさえできないように、監視され、規制されてしまう。逆接的な意見に聞こえるかもしれないが、もし自民党の一党支配であったならば、ここまで強権的な法律が成立することはなかった。
 公明党や保守党、また防衛政策などでは自由党や民主党などの協力を得て、みんなで法律を作り上げたという自民党の言い訳が、より危ない法律を通過させている。大政翼賛国会の怖さである。
 現在は、共産党と社民党という一部の「非国民的」な政党だけが「強権法」に反対している。しかし、事態が進めば、国策に反対する少数政党のそのもの弾圧も可能になる。
 日本はいよいよ抜き差しならないところにきてしまった。国会で審議がおこなわれるたびに、国民の権利がひとつずつ消されていく。いまなにか運動を起こさなければ、戦時中の暗黒の国家にもどってしまう。その不安を、大きな声にだして抵抗していくしかない。 (■談)

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鎌田慧の現代を斬る/恥をむき出しにする政府とマスコミの癒着

■月刊「記録」2003年8月号掲載記事

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 自衛隊出兵法案ともいえる、イラク復興支援特別措置法案が衆議院を通過した。いま、参議院で審議がおこなわれている。
 不法な米英軍のイラク侵略を批判しないばかりか、その暴虐行為に共謀し、荷担した小泉純一郎首相は、有事関連三法を成立させた余勢をかって、この法案を成立させ、総裁選をも乗り切ろうともくろんでいる。選挙民は愚弄されるばかりだ。
 これにたいする新聞の論調は、いっかんして冴えない。読売・産経などの政府御用新聞は、むろんイラン特措法に賛成の論を張り、朝日・毎日がかろうじて批判に傾いているのみだ。
 このように日本の報道機関は戦争にたいし、きわめて弱腰な対応になっている。いまさら読売・産経などを批判しても、という感情がないでもないが、しかし戦争に無抵抗な新聞にたいしては、批判しつづけなければならない。

■老獪な政府御用新聞のやり口

 産経新聞7月5日の朝刊は、一面トップに、尾道市教育次長の自殺記事を押しだしてきた。産経新聞では社会面トップでも同件をあつかっている。この事件は広島県尾道市教育委員会の山岡將吉教育次長(55)が、乗用車の後部座席で首をつって自殺した事件である。
 広島県では1999年2月にも世羅高校の石川敏浩校長(58)が自殺する事件が発生した。これは当時の文部省から派遣された辰野裕一教育長の強権的な指導に起因している。辰野裕一教育長が強行した、日の丸掲揚と君が代斉唱の業務命令に抵抗しきれなくなって自殺したものである。
 自民党は、この事件をことごとく広島教職員組合の責任にし、その死を利用して、日の丸・君が代の国旗・国歌としての法制化にもちこんだ。こんご、同様の混乱が起こることを防ぐためという名目であった。
 今回の山岡教育次長の問題では、先の3月9日に高須小学校に、民間校長として赴任していた慶徳和宏校長(56)が自殺するという事件が発端になった。慶徳校長もまた、教育委員会の強硬な方針に抗しきれず、過労と心労をたかめていた。慶徳校長は、休暇や転任の希望をくり返し提出していたが、広教委は対応せずに放置し、自殺に至らしめたものである。
 山岡教育次長は、亡くなった慶徳校長の指導役にあたっており、またその後の事件への対応にも追われていたが、とうとう過労からこんどはみずからが自殺した。これも文科省直属の教育委員会の被害者といえる。
 このように自殺があいつぐ広島県の異常な管理強化体制という問題にはいっさい触れず、あらゆる責任を広教組に押しつけようとする新聞の姑息さは憤懣きわまりない。
  さらに産経新聞の一面記事にいたっては、「尾道市教育次長が自殺/民間校長自殺調査、組合反発に悩む?」と見だしをつけ、事実関係のはっきりしないうちに、組合問題に「?」をつけてまでも、あたかも民間校長が自殺した原因に、組合からの強烈な批判があったかのように印象づける老獪さである。広島県では98年の文部省による「是正指導」という締めつけ以来、校長5人をふくめて12人が自殺する異常事態である。
 広教組には、さる6月27日夜にも、組合書記局に銃弾が2発発砲されるという重大な事件が発生したばかりだ。産経新聞はこれにたいしなにひとつ言及せず、ひたすらに組合攻撃を強めている。このように校長の自殺などがあると、鬼の首を捕ったように即座に教組のせいにするやり口ひとつをみるかぎりでも、文部科学省と右翼新聞が一体となって日教組攻撃をしている構図が浮かぶ。 今回の一面トップ記事は、産経新聞の体質をあらわしたものだが、読売ばかりか、朝日まで、社説で県教委と県教組の対立が原因としている。権力の横暴への抵抗を対立とよそおった表現は、犯罪的だ。マスメディアは、国に抵抗するものを「やりすぎ」といって血祭りに上げることによって、権力を擁護してはいけない。

■憲法の誇りを砕く米追従小泉政権

 新聞といえば、『創』8月号には、安田純平という元信濃毎日新聞記者の手記が掲載されている。「イラク戦争取材のために新聞社を辞めた」と題されたこの手記によると、安田記者は米英軍のイラク攻撃直前、バグダッド市内で現場の生の声を取材することが記者の使命と考え、自分の手もちの休暇を使って取材にいかせてほしいと会社側に申し入れた。それも拒否されたことを契機に1月に退社した。
 信濃毎日新聞社が安田記者にしめした回答には、「イラクの戦争など長野県と関係ない。取り上げる必要もない。そうした取材はもういっさいさせない」と、にべもないものであった。安田記者は、イラク攻撃開始の2ヵ月前、昨年の12月にも市民グループとともに休暇をとって現地入りし、取材している。
 湾岸戦争以降もつづいた、米軍による空爆の被害や劣化ウラン弾の影響を追いかけたのだが、じつはこの取材も、一度は会社から却下され、仕方なく自分の休暇をつかって現地入りしたものであった。
 米英軍のイラク攻撃当時、日本の大手新聞・テレビ局の記者たちは、現場を引き上げてしまい、爆撃下でどのような状況が展開されていたかについては、外国の通信社やフリーの記者の報道を待つしかなかった。
 日本のマスコミは危険な場所に自社の社員を派遣しないという方針を貫き、安全地帯にのみ記者を置くようにしている。このような取材制限に不満をもつ記者のひとりが、安田記者であった。
 空爆下にある現地住民の表情を伝えることが記者の任務である、ときわめてまっとうな主張をし、取材を願いでたひとりの記者に圧力をかけ、退職に追いやったのが、歴史もふるく、言論に気を吐いてきた信濃毎日新聞だっただけに残念だ。それが最近の新聞社の低迷をよくあらわしているようだ。
 一方、政府はといえば、戦争準備法案である有事三法を成立させたのみならず、こんどは、いまだ戦場であるイラクに、自衛隊を派遣する法律を成立させようとしている。どさくさまぎれの既成事実づくりだ。きたないやりかたである。いうまでもなく日本国憲法では、「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」を放棄し、努力によって外交努力によって戦争をはばむ精神に貫かれている。それはかつて東アジアを中心に2千万人ともいわれた民衆の殺戮への反省にもとづいた精神である。
 しかし小泉首相とそれを支持する与党は、周辺事態法や有事法など、「戦争」という言葉を使わずに、憲法を否定する戦争参加の法律を矢つぎばやにだすことで、憲法の空洞化をはかってきた。今回のイラクへの自衛隊派遣でも、危険な地帯には派遣しないとしつつも、事実上、マスコミが記者を置くことさえも拒絶する危険地域に、自衛隊を投入する予定である。
 現地では、いつどこで戦闘がはじまるかわからない。これまで日本は約半世紀にわたり、ひとを殺さないことを誇りにしてきたのであるが、その誇りは今回のアメリカ追従小泉政権によってうち砕かれてしまうことになる。
 自衛隊が攻撃され、殺害される場合もあろうし、応戦して相手を殺す場合もあるだろう。あるいはゲリラとまちがえて民間人を殺すこともありうる。事実、自民党の麻生太郎政調会長は6月16日、自衛隊が携行する武器について、「トラックに爆弾を積み突っ込まれたら小銃ではどうにもならない」といい、機関銃よりも威力がたかい「無反動砲」などの小型重火器の携行が必要であるとの考えを示し、石破茂防衛庁長官もこれに同調している。
 このような、完全に憲法を否定する法律にたいし、従来、平和を標榜していた公明党は全員一致で賛成した。自民党は記名投票ではなく起立投票であった点を理由に、野中広務議員などの3人が退席しただけで衆院を通過させた。国会議員は憲法を守る義務を負っているのに。民主党は独自の修正案がとおらなかったことから、最終的には反対にまわったが、党内のウルトラ軍事派のつきあげに、管代表は対応しきれず、ぎりぎりまで動揺していた。
 イラクへの復興支援という名目で、自衛隊の出兵を既成事実化しようとする自民・公明・保守3党のやり方はあまりにも汚く、それにたいする野党の弱腰は情けない。今回の法案通過は、自民党にある核武装論へもすすみかねず、軍事大国化をめざす勢いは確実に強まっている。

■なんら変わらぬ「金をばらまけ」姿勢

 核武装といえば、核武装の物質的な基盤をつくるプルトニウムの生産にかかわる核燃料再処理工場の稼働を政府はまだ断念していない。
 青森県六ヶ所村に建設中の再処理工場は、05年7月に稼働を予定しているが、すでにプルトニウムを利用した高速増殖炉の建設は、原型炉「もんじゅ」の破綻により手詰まりになっており、プルサーマル計画も頓挫している。にもかかわらず、なお再処理工場を建設し、稼働させようというのは、近隣の諸国から、核武装を狙う国家計画と考えられて当然である。
 六ヶ所村に建設中の再処理工場は、01年7月に燃料貯蔵プールで水漏れが発見されていらい、まる2年が経過しているが、いまだ修理の途中である。これはプールの底の溶接部分に250か所にもおよぶ、手抜き工事による不正溶接が発覚したためである。貯蔵プールが2年間にわたり修理されつづけているのは異常事態だ。いまだ工事が完了をみないというのは、つぎつぎに新しい欠陥が発見されているからである。この調子でもっとも危険な核燃料を再処理するなど、絶対にやらせてはいけない。 使用済み核燃料を保管するための中間貯蔵施設についても、青森県むつ市がうけ入れを正式表明しているが、いまだ予定地を明確に発表できずにいる。この地域には原発反対派の共有地もあり、施設の建設はきわめて見とおしは暗い。再処理工場の建設だけで、すでに2兆円をついやしているが、原子力船むつが失敗に終わったように、核サイクル事業計画など失敗に終わる見とおしがますます濃厚になってきている。
 このような状況下にあっても、施設の建設・稼働をどこまでもあきらめない政府と電力会社の姿勢は、国民の命などなんら考慮していないことをあらわしている。たびかさなる事故とトラブル隠しという不祥事によって、全面的に停止に追い込まれた原発を再稼働させるために、東電は柏崎・刈羽の市議・村議31人にビール券を配って批判されるなど、「安全性より、とにかく金をばらまけ」の姿勢はなんら変わっていない。
 夏にむけて東京電力は、電力不足による「停電パニック」を声高に宣伝し、自分の責任を棚上げにして、運転再開をめざしている。「停電パニック」は、政府と一体化したプロパガンダだが、たとえ本当に停電が起こったにしても、それは政府と電力会社による強引な原発推進政策がつくりだした問題である。これを地方知事や反対派の責任に転嫁すべきではない。また、現在14機が停止しても、代替え発電によりまかなわれているという事実を無視し、代替発電の建設をサボって、停電パニックだけを訴えるのは、見え透いたやり方だ。むしろこのような不安定な原発依存体制からどのように脱却すべきか、それを長期的に考えるチャンスである。

■退廃議員を支持する民衆社会

 さて、政治家・議員のこのところの退廃は、目を覆うばかりである。かつては周辺諸国を蔑視するような発言を世論に批判され、大臣を辞任する議員が続出したが、最近はひらき直っている。
 先日は、早稲田大学内のサークルが起こした強姦事件にたいして、衆院議員の太田誠一党行政改革推進本部長が、鹿児島市内でのPTAの討論会で、「集団レイプするひとは、まだ元気があるからいい。正常に近い」と発言し、超党派女性議員から批判されたが、居座っている。
 そうかと思えば、直後にはやはりこの討論会で、森喜朗元首相が「子どもをつくらない女性の面倒を税金で見るのはおかしい」と発言し、ひんしゅくを買っている。さらにさかのぼれば、石原慎太郎都知事の「第三国人」発言や「女性が生殖能力を失っても生きているっていうのは、無駄で罪」という暴言もあり、国際的にみれば政治家としてまったく不適格者である。人権無視の発言を口にしながら、なお高支持をたもつ議員が多いのは、日本人の意識を反映している。
 さらに、麻生太郎政調会長の「創氏改名は(朝鮮の人たちが)『名字をくれ』と言ったのがそもそもの始まりだ」という暴言や江藤隆美元総務庁長官の「日韓併合は両国が調印して国連が無条件で承認した」、などの歴史を改竄するような無知な極論まで飛び出した。自民党幹部たちの朝鮮・韓国への差別意識は、戦後、外国人の生命と人権にたいする考え方が厳しく問われることのなかったことのしっぺ返しであり、「戦後民主主義」欠陥である。
 多くの問題を抱える自民党がなお支持され、暴力と欲望の姿をむきだしにしたアメリカを公然と支持する小泉首相を打倒できない、日本の言論の劣化を、どのようにたて直すか、それがいま問われている。 (■談)

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鎌田慧の現代を斬る/暴言政治家と暴発工場と自爆労働者

■月刊「記録」2003年10月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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 歴史的ともいえる小泉純一郎首相の訪朝によって、金正日総書記との日朝首脳会談が実現し、「日朝平壌宣言」の著名が実現したのは、昨年の9月17日であった。
  「この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」と、宣言されている。
 また「国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した」、「核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した」との文言もある。
 過去の歴史を乗り越え、新しい時代を築こうとする意思と希望に満ちた宣言である。日朝の国交正常化によって、アジア地域の平和と安定に大きく貢献しようと精神が、この宣言に満ちている。
 日本側が植民地支配した過去の歴史を謝罪し、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)も、金正日総書記が拉致の事実を認め謝罪した。これも国交正常化へのひとつの道筋だった。しかし、このとき、はじめて明らかにされた「5人生存、8人死亡」という拉致の事実は、日本人にとってあまりにも衝撃的だった。このため、アジアの平和のために国交正常化に努力するという道筋は置き忘れられた。それどころか、いまはかつてないほど、平壌宣言の趣旨とは逆に、北朝鮮にたいする敵意が強まっている。
 拉致の全貌を明らかにしようとしない北朝鮮側の態度により、北朝鮮にたいするひとびとの不信感が募っていったのはまちがいない。しかし、連日おもしろおかしく、まるでダボハゼのように、北朝鮮の問題を取りあげ、拉致家族の被害者感情を増幅するような報道を繰り返したことで、北朝鮮にたいする憎悪と嘲笑が拡大されたのも事実である。マスコミに煽られた民衆の敵対・差別意識は、さらに事態を混乱させている。
 日朝平壌宣言がしめした方向と逆に、北朝鮮との敵対関係が拡大することに無策でいる小泉首相の政治的な責任は重い。マッチポンプというより、放火して、それを軍備拡大に利用しているようなものだ。
 有事法制が衆参国会議員の90パーセント以上の賛成によって迎えられ、イラク派兵法も成立した。ミサイル防衛や航空母艦の建造などにも予算がつき、日本の軍事大国化は、極端なまでに推し進められようとしている。
 こうした状況に、タカ派の小泉首相はほくそ笑んでいるかもしれない。しかしアジア全体を不安にさせる軍国化が、ますます日朝の国交正常化に悪影響をあたえていることを、どのように考えているのだろうか。
 韓国は、北朝鮮と平和的に折り合いをつけるために腐心している。彼らの平和にむけた粘り強い行動は、日本と対照的だ。大衆の悪感情に火をつけ、軍国化を進めるているだけの小泉首相とは、月とスッポン、度量と責任感がちがう。
 このような国交正常化の停滞について、自民党総裁選挙でまったく触れられなかったのは不思議である。これではまるで、北朝鮮はハメられたようなものだ。総裁候補者の主張は、誰が経済を活性化するかということだけで、まるで茶番である。
 ところがマスコミは、2年前とおなじように、あたかも大統領選挙のような大々的な報道をしている。たかだか自民党内の派閥選挙が、各紙の一面トップである。
 2年前の総裁選は、森喜朗があまりにもヒドイ首相だったため、批判をふくめてマスコミが過熱した。いわば特殊事情である。ところが新聞・テレビには、前の報道に追随するという傾向が強い。若い記事なら、なおさら前に書かれた記事をマネして、自分の記事を書くパターンが多い。そのため論点すらない総裁選に、2年前とおなじようなバカ騒ぎを繰り返している。
 マスコミの報道では、総裁選があたかも国民投票のように扱われた。しかし、国民のほとんどは投票すらできない。所詮、コップの中の嵐、党内の権力闘争でしかない。
 この茶番が連日報道されている影響は、確実にあらわれている。総裁選の候補者である小泉純一郎首相、藤井孝男元運輸相、亀井静香前政調会長、高村正彦元外相の4人は、全員が憲法改訂論者である。このように好戦的な体質をもつ候補者が、無批判のマスコミ報道を通して世論に影響をあたえている。報道することにたいするテレビや新聞の記者たちの自己意識があまりにも低すぎる。
 それどころか読売新聞などは、総裁選にかこつけて憲法改正論議をするよう社説で促す有様だ。
「総裁選は、憲法改正など国のあり方にかかわる問題を議論するいい機会だ。首相が踏み込まないなら、ほかの三氏が論戦を挑めばいい。そうした論戦があってこそ、総裁選は活性化する」(読売新聞 2003年9月9日)
 これまでも読売新聞は、右傾化誘導の一翼を担ってきた。最近の社説の表題を並べてみよう。
 8月3日には、「教育基本法 次期通常国会で改正を目指せ」。自由と平和を謳い、憲法改訂論者から忌み嫌われている教育基本法を、やり玉にあげている。8月15日の敗戦記念日には、「平和教育 理念と方法の見直しが必要だ」、翌日には「住基ネット “情報漏れ”懸念なくす努力も必要」と並ぶ。中立を装い、自民党と一体となって平和を攻撃するなど、報道機関として許されない。

■自宅が爆破されても当然なのか?

 こうした現代のファッショ的な世相を体現したのが、石原慎太郎都知事の発言である。
 北朝鮮の国交正常化に努力した田中均外務審議官の自宅に爆弾が仕掛けられたことにたいし、「爆弾が仕掛けられてあったり前」といった。
 政治家が右翼のテロを容認した暴言として、さすがに自民党内の議員からも批判を浴びたが、批判を受けても石原は次のように強弁している。
「私は、この男(田中外務審議官)が爆弾仕掛けられて当然だと言いました。それにはですね、私は爆弾仕掛けることがいいことだとは思っていません。いいか悪いかといったら悪いに決まっている。だけど、彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか」(朝日新聞 2003年9月12日)
 日本には、5.15事件や2.26事件などのように、テロやクーデターによって軍部が強化されてきた歴史がある。そうした過去の教訓を、石原はまったく踏まえていない。
「起こっちゃいけないああいう一種のテロ行為がですね、未然に防がれたかもしれないけれど、起こって当たり前のような今までの責任の不履行というのが外務省にあったじゃないか」(朝日新聞 2003年9月12日)などという発言は、政策がちがえば、テロがあっても当たり前ということである。さらに調子に乗って、彼は1960年に浅沼稲次郎社会党委員長が、右翼少年に刺殺されたことに触れ「世の中ってのはそういう繰り返しでね」(朝日新聞 2003年9月17日)とテロを容認している。
 言論にこだわる作家としてはもちろん、民主主義を担う政治家であれば、けっしてありえない発言である。彼が自分の家に爆弾を仕掛けられたり、刺されたりしても、「当たり前」というのだろうか。
 さらに驚いたことに、自らの選挙応援演説で飛びだした発言を、亀井静香は批判すらしない。「知事は文学者。具体的に爆弾をしかけるのがいいと思っているはずがない」とかばってさえいる。埼玉県知事も「拉致家族の思いを感情的に考え、ああいう発言になったことに同情する」と追随している。
 意見のちがいを暴力的に解決しようとする動きが批判しない風潮が、自民党の総裁選に絡んで明らかになったことに、現在の暗黒状況がみてとれる。

■ブッシュは戦費の取り立てに来日

 国政を担う政治家でいいたい放題なのが、鴻池祥肇特区担当相である。かつて長崎市で起こった中学生による男児誘拐殺人事件では、「加害者の親は、市中引き回しのうえ、打ち首にすればいい」と発言。東京渋谷で発生した4女児監禁事件では、「小6の4人も、加害者か被害者か分からない」などといい放った。
 そして今度は、ODA(政府開発援助)について、「中国へあれだけ金を送っている。それで感謝していない。靖国神社にお参りしたら文句を言う。そんな国にODA(を拠出するの)はもういっぺん見直さなければならないのではないか」(朝日新聞 2003年9月9日)などと発言した。大臣としての発言にも、首相は知らん顔だ。
 カネをくれてやっているという意識の醜悪さと、反省なき歴史観が、公然とあらわれている。それでも閣僚を辞めろという話はでていない。だいたい紐付きのODAにより、海外のODA援助国から訴訟まで起こされている日本のODAについて、「援助したから感謝しろ」などとよくぞいえるものだ。
 さらに13日におこなわれたタウンミーティングでは、「自衛隊は軍隊。それを中途半端な解釈でできている」「憲法の中に位置づける必要である」(朝日新聞 9月14日)などと、小泉親方に追従して、憲法改正によって自衛隊を軍隊にするよう示唆する発言まで飛びだした。 こうした暴論に歯止めをかける世論がなくなり、世論を喚起する報道さえない。むしろ同調・促進するような状況に、日本沈没の恐ろしさが感じられる。
 暴言といえば、イスラエルのオルメルト首相代理がアラファト議長について「殺害することも選択肢の一つだ」と発言した。パレスチナでは「マフィアのようだ」と批判の声が高まっているというが当然であろう。
 こうした暴言のバックグラウンドにあるのが、アメリカによる他国への干渉支配である。軍事力を背景としたアメリカの暴力が、世界中に暴力的な思考をばらまいている。
 10月中旬にはブッシュ大統領も来日し、小泉首相と会談する予定だ。米日ファッショ化の象徴ともいえる会談で、ブッシュはイラク攻撃の後始末のカネを日本に請求するという。小泉とブッシュは、お笑いの「盟友ぶり」を発揮し、多額のおみやげをもたすことになりそうだ。 外務省高官は数十億ドル規模になると予想しているようだが、アメリカの当面の復興コストは500~750億ドルともいわれる。現地の混乱状況を考えれば、外務省の計算通りにはいかないだろう。
 日本国内には失業者が溢れ、経済問題や過労によって自殺が増えている。そうしたなかアメリカの無謀で勝手放題のツケを負担するなど、許されることではない。将来の展望を欠いた非理性的な人殺しを公然と主張する政治が、日米両国によって進められることに、わたしはつよく反対する。

■工場爆発が見せる暗い予兆

 末期的な政治状況のなか、産業界でも不気味な予兆をしめしている。各工場での爆発事故だ。
 9月3日、新日本製鉄名古屋製鉄所で、ガスタンクが爆発した。このガスタンクは高圧ガスが蓄えられていたのに、39年間も外部検査が放置されていた。そうした安全への意識低下が、15人もの重軽傷者を生みだすこととなったのである。
 そして9月8日には、ブリヂストン栃木工場で火災事故が発生した。これはゴムを伸ばすローラーの異常過熱により、引火したとみられている。しかし出火場所にスプリンクラーも設置されておらず、燃え広がる一方であった。結果として地域住民5032人に避難が呼びかけられ、250人が避難する事態となった。
 これらの事故は、1963年11月に起こった三川炭坑での炭塵爆発事故を思い起こさせた。石炭をベルトコンベアーで運ぶさいに発生する炭塵は、水を撒いて爆発防止すべきなのに、安全対策をサボって爆発。死者458人、それ以上の一酸化中毒の重症患者が発生した大事故である。
 あたかも40年前の事故とおなじような事故が、あいついで自動車の関連工場で発生して、自動車生産にダメージをあたえた。このことが、自動車中心に発展してきた日本の経済に暗い予兆をしめしている。
 こうした事故は、歯止めのない人員削減と安全よりもコストを優先する大企業の経営によって起こった。企業のもっとも弱い部分を痛撃した事故ともいえる。
 9月17日には、軽急便の名古屋支店に刃物をもった男が人質を取って立て籠もり、ガソリンを撒いて爆死した。この爆発に巻き込まれ、警官2人、支店長1人が死亡している。
 かつてブリヂストンの東京本社に元工場幹部職員が押しかけ、社長室で切腹自殺したことがあった。ブリヂストンのきわめて非人間的なリストラが招いた事件である。今回の立て籠もりと爆発事故も、その発端となっているのは軽急便のやはり労働問題であった。
 各種報道によれば、この会社は自社ドライバーをもたず、運送業者と個人契約をするため「配送内職」と呼ばれていたという。開業支援準備金や代理店登録料の条件にたいする不満が、国民生活センターにも寄せられ全国で00年度は400件だったが、02年度は837件にも急増していた。厳しい経済状況のなか、リストラなどに遭って事業をはじめた人も少なくないようだ。
 容疑者は経費込みで105万円の車を購入し、頭金の60万円を支払い、45万円を月払いで返済しながら配達業務をつづけていたらしい。
 彼が会社に要求した支払い残金は、7~9月分25万円だった、という。3ヵ月で25万円である。つまりこの問題の本質は、安い・早いを謳ってきた宅配サービスの体質にあるともいえる。
 これから小泉首相は郵政を民営化するという、郵政でもおなじ問題を引き起こすつもりなのか。民営化による労働者の低賃金化と過剰なサービス強要は、リストラが広まるなかますます強まっている。
 日本の資本主義も、政治状況とおなじく異常事態となっている。こんなやつらに無理心中されるのでは、救われない。(■談)

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鎌田慧の現代を斬る/人が食い合うのを奨励するコイズミ改革

■月刊「記録」2003年11月号掲載記事

*          *         *

 このところ頻発しているのが、JRの事故である。
 先月末には、JR東日本の中央線高架工事にともない、運転開始の予定時刻から8時間にわたって上下線が不通となる事態となった。後日あきらかになった原因は、配線ミス。しかも図面段階からまちがっていたという。 また工事が終わったあとも踏切の距離が延びたために老人が渡りきれなかったり、クルマがはさまったり、ほとんど踏切があかないなどの状況がつづいている。そのため焦った老人が転倒してケガをするなど一触即発の事態が発生している。
 さらに今月6日には、夜間の線路改修工事でショベルカーのショベル部分を線路に置き忘れ、京浜東北線が激突する事故も起きている。
 共通するのは、単純ミスが重なっていること。そして事故を予見し万が一に備えていなかったことだ。
 いまから16年前、JRの前身である日本国有鉄道(国鉄)職員がいかに仕事をサボり、だらしないかを、新聞各紙が連日のように報道していた。たるみ運転だ、就業時間前の入浴だ、といった連日のネガティブ・キャンペーン(ブラック・プロパガンダ)に力を得て、「国鉄改革」がすすめられたのである。それから16年がたったのに、サービスが向上するどころか、国鉄時代以上の事故が相次いでいる。それは「国鉄改革」の正体を暴いたともいえる。
 安全性を無視して合理化を進め、子会社・孫会社に仕事を投げて経費を下げる。結局、国鉄を民間企業化させることで、関連企業を儲けさせたが、乗客の安全や労働者の雇用は「改革」の犠牲にされた。つまり人間を幸福にするための民営化ではなかったのである。
 その象徴的な事例が、国鉄労働組合(国労)員への弾圧だ。
 新幹線の運転手を売店の売り子にし、車両工場のベテラン技術者をうどん屋やそば屋で働かせ、売店や自動販売機用の販売する缶ジュースを運ばせる。国労組合員というだけで、JRは人間あつかいしなかった。
 国労にたいする人権無視がJRの本性だとわかれば、最近の事故への対応も理解しやすい。もしJRが人間を尊重する企業であれば、ケガ人がでるまであかずの踏切を放っておかなかったはずだ。
 国鉄の分割民営化に反対して解雇された1047人のひとたちは、鉄建公団訴訟原告団をつくり裁判闘争をつづけている。鉄建公団とは、かつての国鉄清算事業団を吸収した組織である。仕事のない事業団でイジメ抜き、さらに3年後に解雇したJRの雇用責任について争っている。
 地方や中央の労働委員会では、1047人の解雇が不当労働行為と認定されてきた。ところが各裁判所は、反動判決によってJRの雇用責任はないとしたのである。そして2001年、国労本部までもが権力に屈服する道を選択した。
 しかも国労本部は、組合の方針に反対した組合員22人を、組合員権3年の権利停止処分としたのである。労働組合が意見のちがう労働者を処分するのは、組織の弱体化を招くことはあっても、強化にはつながらない。組織にたいする不信を生みだすだけである。これは労働運動の鉄則でもある。国労本部は、誤りをすみやかに是正すべきだ。
 人間を尊重しない企業システムは、不況とともにさらに強まっている。前号でもブリヂストンや新日鉄の工場火災について触れたが、そのごも出光興産の北海道精油所で2回も大きな火災が発生した。発端は地震だが、現地の本部長でさえ「天災ではなく人災だった」と発言しており、地元住民の不安はますます高まっている。
 製造業の生産設備の平均使用期間は、最近10年間で2年以上も延びたという。それに加えて、安全を無視したリストラが横行している。安全にたいする企業の意識は、きわめて弱くなっており、労災、過労死、過労自殺をうみだしている。国の監督の強化が必要だ。

■前近代の雇用関係に逆戻り

 最近の記事で胸を衝かれたのは、山梨県都留市の朝日川キャンプ場駐留場で、男性3人の遺体が発見された事件である。
 この3人は、同市の朝日建設の日雇い労働者とみられている。新聞報道などによれば、この会社の60人ほどの労働者たちは、プレハブ2階建ての宿舎で生活していたという。32室もあったというのだから、巨大収容所だった。
 ほとんどが東京の山谷や大阪の釜ヶ崎など、いわゆる「ドヤ(簡易宿泊所)街」から連れてこられた日雇い労働者や路上生活者であった。これまでも賃金の未払いなどで、なんども問題になっていた企業だったという。仕事にでても1000円のタバコ代を支払うだけで、賃金の全額が支給されることはない。そのうえ宿泊代や食事代、さらには敷地内に作った娯楽施設で飲み食いさせ、法外な料金を取っていたらしい。
 そうした圧制のもとでトラブルが発生し、殺され、埋められた。このような暴力支配の「暴力飯場」(作業員宿舎)は、かつて北海道や九州の炭鉱地帯、あるいはさまざまな地域の土木現場にあった。きわめて前近代的なシロモノである。
 かつてわたしは、北九州市の「労働下宿」で働いた経験がある。競艇場でカネをすったり、小倉の勝山公園でウロウロしていた労働者が手配師の甘言によって集められ、同市八幡区の春の町にある労働下宿に収容され、新日鉄の工場などで働いた。
 これらの施設は70年代まであったが、そののち姿を消す。またバブル景気のなかで「暴力飯場」(作業員宿舎)にいくような労働者も減っていった。原発の下請け企業などに山谷や釜ヶ崎から来ていた労働者もいたが、朝日建設のように暴力を受けたり、殺されることはなかった。
 しかし現在、不況によって職場からリストラされる人があとを絶たず、山谷や釜ヶ崎にいる労働者を必要とする土木工事も減ったため、ドヤ(簡易宿泊所)代が払えなくなって路上生活者になる人たちが激増している。そうした人たちが、朝日建設などの「暴力飯場」(作業員宿舎)に収容されるようになったのである。
 もっとも苛酷な路上生活よりも、飯と屋根がついている生活の方がマシであり、定期的な仕事がなく、食事代と宿泊代が引かれているうちに借金が増えても、まだ「暴力飯場」(作業員宿舎)の方がいい感じる人たちが増えてきたのだ。
 こうした極限状態に置かれた労働者たちが「トンコ」や「トンズラ」や「ケツを割った」(逃げる)りし、それにたいする暴力的な報復が、「暴力飯場」(作業員宿舎)では繰り返されている。
 これらは北海道の開拓時代、道路工事などのために朝鮮から連行されてきた朝鮮人労働者が遭遇した現実の復活でもある。
 あるいは1984年5月、北海道の夕張市で収容していた労働者に火をつけて殺し、保険金がだまし取ろうとした事件を思い起こさせる。
 この事件の発端は、炭坑事故により日高組の労働者が死に、経営者の日高夫妻に保険金が入ったことだった。そのカネで贅沢三昧に暮らしていたものの、仕事が途切れがちになったため、労働者を寝かしておいた宿舎に火を放ち、保険金を受け取ろうとした。
 この火災による犠牲者は7人。そのなかには中学1年生と小学6年生のきょうだいもふくまれていた。日高夫婦は従業員4人に生命保険と火災保険をかけ、あわせて1億3800万円を手にしたといわれている。
 これは保険金目あての殺人事件であったが、不況のなか労働者を殺して儲けるという資本主義が、完全に復活したといえる。
 労働者の死をカネに代えるのは、なにも暴力飯場だけではない。企業が社員にかけている団体保険は、労働者が労働災害によって死亡すると、保険金が会社に入る。そのなかから涙金だけを遺族にあたえる「搾取」を、大企業もおこなっていた。
 そもそも資本主義は、労働者を喰って、経営者が太るきわめて前近代的なシステムである。なかでも派遣業は、労働者の賃金をピンハネして不労所得を得るものでしかない。
 ところが現在、この派遣業の勢いもすごい。
 コンピュータ社会の発展とともに膨大なプログラマーが必要となり、派遣労働者がプログラムを組むようになったからでもある。
 それでもコンピュータ産業や専門的な技術が、人材派遣の条件であったうちは、まだマシであった。労働者派遣法が改正され、来年3月からは全製造業への派遣が解禁される。つまり技術者でない単純労働者を、ピンハネ目的で生産ラインに合法的に派遣できることになる。
 労働者派遣とピンハネは、労使関係のもっとも醜い部分であり、労働者の保護の観点で考えれば、ピンハネはけっして認められない。人材派遣法の改正は、前近代の復活である。
 現在でさえ日本の資本主義はどう猛であって、ついに気に入らない労働者を殺して埋めるという極端な形まで生みだしてしまった。派遣法の改正は、こうした流れを加速させるにちがいない。フリーターやアルバイター・パートタイマーの使い方は、ますます経営者の思い通りになるだろう。
 つまり労働者は戦前の無権利な状態にもどされたのである。殺害されてキャンプ場にうち捨てられた労働者は、いかに労働者の命が安くなってしまったかを物語っている。

■軍拡シフトと「暗愚の森」の幽霊たち

 残念ながら選挙と発行日程が重なったため、選挙の内容については、今号では触れられない。しかし自民・公明・民主の三大政党ともに憲法改悪路線のため、選挙結果がどうであれ憲法改悪にむかうスピードが憂慮される。
 新しく誕生した小泉改造内閣は、改革路線などと呼ばれているが、じつのところ「軍拡路線」でしかない。
 安倍晋三は、49歳にして幹事長に抜擢されたと話題になっているが、「小型核兵器をもつことは憲法上問題がない」と核武装を合憲といいきった人物である。また岸信介、安倍晋太郎とつづいた三代目の“世襲”政治家である。岸は60年安保を機動隊によって成立させた張本人であり、超ウルトラ軍拡政治家といってもよい。安倍晋三も、その血をしっかりと受け継いでいるといえよう。 そのほかにも法務大臣の野沢太三は参院憲法調査会長を務め、憲法改悪に奔走した。教育勅語信奉者の森喜朗率いる森派に所属し、憲法改悪路線を内閣から推し進めようとしている。
 石破茂防衛庁長官は、軍事オタクとして知られ、徴兵制を合憲と発言するタカ派でもある。中川昭一経済産業相は、石破防衛庁長官の後任として拉致議連会長を務めてきた。小池百合子環境相は、同議連の副会長。この3人はアンチ北朝鮮勢力であり、軍事的・高圧的な解決を望む軍拡シフトでもある。
 憲法改悪を公然と掲げる小泉純一郎は、軍拡・改憲路線を官房長人事にも反映させた。福田康夫官房長官、細田博之・山崎正昭両官房副長官は、いずれも小泉の出身母体であり、タカ派の多い森派に所属する。「暗愚の森」から化けてでた幽霊といえよう。
 このように日本はますます危ない道を歩んでおり、チェック機能すら利かなくなっている。大政翼賛化してきた政治をせめてもとにもどすためにも、こんどの選挙で、自民党を吊し上げるしかない。(■談)

※文章の一部に不快用語が使われているが、劣悪な状況を表現するため、現在使われている表現を併記した上であえて使用した。検討した上での掲載であることをご理解いただきたい。

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鎌田慧の現代を斬る/「自衛隊」が侵略軍化する核武装論

■月刊「記録」2003年12月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

*           *             *

 イラクへの自衛隊派兵が具体化してきたのに、あたかも呼応するかのように、イラク国内では米軍をはじめとする占領軍へのゲリラ活動が活発化してきた。
 11月15日には、北部ムスルで米軍ヘリ2が墜落し、米兵17人が死亡した。その3日前には、イラク南部のナシリアでイタリア軍が駐屯する警察本部に自爆テロが仕掛けられ、イラク人を含む30人前後が死亡している。さらに11月2日には、米軍ヘリがロケット弾で撃墜され兵士16人が死亡。このほかにもヘリコプターの墜落事故や爆弾による攻撃などもあり、イラク戦争がはじまってからの死者は、11月16日現在、米兵だけで420人に迫る勢いだという。そのうち178人が、いわゆる「戦後」の死者である。
 このようなゲリラ活動の激化により、米英の占領スケジュールは変更を余儀なくされた。
 15日には、米英暫定占領当局(CPA)とイラク統治評議会が、来年6月末までに占領統治を終了させることで合意した。この計画によれば、全18州で部族長や指導部などが議員を選出して暫定国民議会を設立。そののちイラク国民の直接投票による制憲会議議員を選出し、憲法草案をつくって国民投票で承認を得る。それから総選挙が実施される予定という。占領体制の下で憲法制定、選挙をへて新政権樹立という当初の方針は、反米感情の昇まりのなかで頓挫した。
 しかし油田を抱えるイラクを、アメリカが簡単に手放すはずがない。暫定国民会議の議員選出には、米占領当局が圧力をかけることができる。またイラク人による新政権発足後も、米英軍を主力とする連合軍は駐留する見通しが強い。つまりゲリラ攻撃の対象となる表舞台からは去ったように見せかけ、イラクを統治の手綱は離さない作戦だ。
 すでにアメリカのネオコンは、石油利権・復興利権・市場の自由化など、自国の大事資本、なかでもネオコン議員に近い筋の大企業にたいする優遇策を実施してきた。国連の統治を否定し、ひたすら利権拡大に走ってきたのである。
 こうした状況におけるゲリラ闘争の活発化は、フセインへの支持だけをしめすものではない。自国に侵略してきた米英およびその同盟軍にたいする抵抗闘争であり、イスラム文化を蹂躙する侵略者への反撃でもある。
 これまでもたびたび指摘してきた通り、当初いわれていた大量破壊兵器の存在は証明できず、発見すらされていない。つまり「大量破壊兵器」とは、侵略戦争の旗印、侵略のための神器であった。いまやその化けの皮もはがれ、ブッシュの正義は虚構の正義となった。開戦前にアメリカ政府が主張した「イラクによるウラン購入疑惑」、イギリス政府による「イラクは45分で大量破壊兵器の配備が可能」などという侵略を正当化するブラック・プロパガンダも、とうの昔に破綻している。
 結果、13万人にもおよぶイラクの米兵は、なんのために、なにを守るのかという「戦争の理念」を米兵は喪失した。そのうえ、いつゲリラから襲撃されるかわからない恐怖のどん底にいる。その精神的負担を考慮に入れれば、外敵を追い払おうとしているゲリラ側の士気が、どれほど米兵を圧倒しているかがわかる。

■安全地帯の政治家は駐留を叫ぶ

 しかしミサイルの飛んでくる心配のない母国で、SPに守られながら暮らしている政治家の鼻息は荒い。これだけの無駄死を目の当たりにしながら、ブッシュはなおも撤退しないといいはっている。19人もの死者をだしたイタリアのベルルスコーニ首相も、脅しには屈せず撤退はしないと豪語している。
 また、アメリカの姑息なコイズミも、派兵中止とはいわないでいる。岡本行夫首相補佐官にいたっては、「『一人でも死んだら撤退』という、テロリストが待っているようなステートメントは言えない」と発言している。実際、自衛隊に死者が出ても、「日本政府は断固撤退しない」といいはるのだろう。自衛隊員の死は、米英軍と「犠牲者」を共有することを意味する。その結果、イラクにたいする強い敵対感情が、日本のなかで醸成されるにちがいない。
 しかし自衛隊の死は、被害者の死ではなく、あくまでも加害者の死であり、侵略者の死である。侵略軍とともに行動する軍隊は、侵略軍でしかない。死の感傷から事実を見誤ってはいけない。
 米国追従の日本は、すでに攻撃対象となってしまっている。11月15日にトルコの首都イスタンブールにあるユダヤ教礼拝所(シナゴーグ)に自爆テロを仕掛けたアルカイダ傘下の組織は、次のような声明を発表しているからである。
「犯罪者ブッシュとその追従国(特に英国、イタリア、オーストラリア、日本)に告げる。死を呼ぶ車はバグダッドやリヤド、イスタンブールでは止まらない」
 この声明は、日本が自動車爆弾テロの標的になることを強く示唆している。このような行動をけっして支持するものではないが、自衛隊員がアラブ人に侵略軍と映れば、ゲリラやテロリストに狙われて当然である。小泉は、そうした結果を予測できる「魔の選択」をしたのである。
 しかし、より心配なのは自衛隊員の死ではなく、むしろ自衛隊員によるイラク市民の殺害だ。自衛隊がイラク人を殺害すれば、イラク市民の反日とゲリラの徹底抗戦という泥沼のスパイラルにはまってしまう。
 ベトナム戦争での米軍兵士の死者は、5万8千人とされている。しかし、ものの本によればベトナム戦争で精神的なダメージを負った人たちは、それ以上に達するという。戦争は武器だけの闘いではない。不断の神経戦である。殺す側も、殺される側も精神的に重大な負担をともなう。ましてやゲリラ戦ともなれば、すべての場所が戦場となり、心休まる暇がない。だからこそベトナムでは、米軍による非戦闘員である村民の大虐殺が頻発した。ソンミ村の大虐殺などは、そうした歴史的な教訓である。
 イラク戦争開始以来、米兵の死者は400人を超え、ベトナム戦争の最初の3年間での死者を上回っている。米軍が撤退しないかぎり、米兵の恐怖は極限にむかって進んでいく。

●血税で危険を買う愚行

「安全な地帯」に進軍するなどといっている自衛隊も、その存在が狙われることにより、周辺を戦場に変えてしまう。侵略した自衛隊員に安全地帯などはない。自衛隊の存在自体が恐怖を招く悪循環だ。恐怖を取り除こうとすれば、市民への検問を強化され、過剰防衛による市民殺害の可能性は高まる。
 イラク派兵法(イラク復興特別措置法)は、その第17条で武器の使用を認めている。法律によって交戦が認められているのだから、自衛隊員は「自衛」のためにためらわずに引き金を引くだろう。この既成事実は追認され、正当防衛という名による武力攻撃が承認される。
 イラクへの派兵は、経済的にも大問題である。米政府から強制されたイラク復興の分担金は、50億ドルと見積もられている。しかし戦況の悪化によっては増えるとの予想もある。さらに自衛隊をイラクに派兵するための経費が、総額で数百億円とも見積もられている。「ドロボウに追い銭」である。まじめに働いている人々からは税金をふんだくり、その血税を侵略につぎ込んで人々を危険にさらす。許されることではない。
 派兵にともなう備品は、年内の派兵に間に合うよう防衛予算を使っての購入がはじまっている。イラク派兵を国会が認めていない状況での暴挙である。憲法9条の遵守どころか、この国はシビリアンコントロールさえ外れてしまっている。さらに防衛族でもある石破茂防衛庁長官は、14日に来日したラムズフェルド米国防長官にたいして、自衛隊の早期派遣を表明した。自国民の生命を危険にさらして平然としている「軍事オタク」の防衛庁長官は、辞任させるべきだ。
 イラク戦争にかんして、日本の米軍基地が大きな役割を果たしていたことも忘れてはいけない。ラムズフェルド米国防長官は、さっそく沖縄を訪問し米軍基地で兵士を激励した。アメリカの世界侵略に、沖縄の米軍基地がどれほど大きな役割を担っているかが透けて見える。
 基地の縮小を訴える稲嶺恵一沖縄県知事との対話では、ラムズフェルドは基地縮小の具体策には言及しなかった。それどころか騒音問題はむしろ減少していると反論し、米軍基地がもたらす「被害」を訴える知事に露骨な不快感を示したと報道されている。軽くみられたものだ。
 小泉首相の無分別によって、日本はこれまで親日的だったアラブ諸国と日本はまっこうから敵対することになり、テロルの対象として名指しされるまでになった。イラクへの派兵を阻止し、憲法改悪の歯止めにするためにも、さまざまな地域での集会やデモ行進などの抗議行動が、さらにさらに必要とされている。

■国会に溢れる核武装派議員

 11月9日に終わった衆議院議員選挙は、自民党が前回議席を上回る237議席、民主党が40議席の躍進と伝えられている。とはいえ、これで野党が勝ったと喜ぶものはいない。イラク派遣と改憲を主張している「改革」という名の小泉「軍拡」路線は、選挙によって否定されなかったのは、マスコミ主導の二大政党論に幻惑されたからだ。
 そもそも民主党は、自民党と体温のちがい程度の差しかなく、体質自体はおなじだ。それは有事三法に民主党が賛成したことにも、よくあらわれている。このさして変わり映えのしない2党にマスコミは鈴や太鼓で誘導した。
 そのため、かつて社民党や共産党に投票していた人たちの多くが、民主党に投票した。これは自民党政権を変えたいという要望が強かったためだ。「死に票」になるぐらいなら、二大政党の「野党」にいれたい、との心理である。
 一方で自民党への支持も堅調だった。有権者がどの党にどれだけ投票したかを示す絶対得票率では、「棄権・無効」の割合が前回より増えているにもかかわらず、比例区で17から20パーセントへと増えている(『朝日新聞』11月10日 朝刊)。選挙の顔として小泉首相が全国を走り回ったことを考えれば、小泉のデマである「改革」にいまだ期待しての投票と考えられる。
 そして有権者の最大勢力は、自民と民主の絶対得票率を合わせたほどの数字、40パーセントをたたきだした「棄権」だ。いまさら投票しても変わりようがないという、政治にたいする絶望が、この数字から伝わってくる
 しかし、このどうしようもない政治的退廃の裏で、改憲派と核武装派の国会議員が、いままで想像もできなかったほど増えていることがわかった。
 『毎日新聞』がおこなったアンケート調査によれば(11月11日 朝刊)、当選した衆院議員の17パーセントが核武装の検討を肯定している。
 核武装検討に肯定的で、なおかつ改憲賛成となると、自民党で42人、民主党で8人、保守新党(アンケート時)1人、無所属1人となる。
 これは時代の危機といえる。すでに憲法改悪に必要な国会議員の3分の2の票を集めるのに苦労はない。それどころか核武装に突き進むことさえ、現実味を帯びてきた。

■原発費用の国民負担をもくろむ電事連

 核武装議員を物質的に支えているのが国内の過剰プルトニウムである。
 現在、使用済み核燃料は、イギリスやフランスでプルトニウムを取り出されて日本に逆送されている。使用済み核燃料の再処理を国内でできるようになれば、原爆の原料であるプルトニウムを大量に生産することができる。
 こうした危険を背景に電気事業連合会(電事連)から発表されたのが、核燃料サイクルにかかる総費用である。06年から再処理工場が操業し、72年間で廃止するまでの費用が、21兆7千億だという。そののち19兆円に訂正されたが、問題なのは、なぜ電事連がいまごろになって発表したかである。
 これまで廃棄物の処理費について、いっさい発表されなかった。原発の発電コストがいちばん安いと主張するのみであった。ところが発表された19兆円の経費を発電コストに組み入れると、天然ガスや石炭での発電と比べて高くなる可能がでてきた。原発推進派が唱えていた経済的優位性は崩れたといえる。
 電力自由化の前なら、政府とグルになって電気料金を上げればよかった。しかし新規事業者と競争が始まっている現在、値上げには抵抗が強い。それで電事連が仕掛けたのが、公的資金投入の議論を呼び起こすための数値発表である。
 いままで秘密にしてきた数値を時期をみて小出しに発表し、自分たちの窮状を訴え、国民へ負担を押しつけようとする深慮遠謀だ。
 ついに電力会社も、将来のコスト負担に音を上げはじめた。原発の見通しはますます暗い。勝手に進めてきた原発政策のツケを税金に回すなど許されるはずもない。 核武装という妄想を止めるためにも、よりいっそう原発を拒否する強固な運動が必要とされている。 (■談)

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