靖国を歩く/奥津裕美・『記録』編集部

靖国を歩く/第40回 勝利祈願は靖国でOK?

■月刊「記録」06年4月号掲載記事

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 ここのところ、新聞やニュースで報道されるときの靖国神社は「A級戦犯が祀られているのに首相が参拝に行くのはいかがなものか、という中国(や韓国)からの批判があった」という内容がほとんどだ。そういう報道を繰り返し耳にしていて、かつ一度も行ったことがない人には、靖国という場所はどことなくタブーな、簡単に触れてはいけない場所というイメージを持たれているかもしれない。
 はじめて靖国神社をおとずれる人には、ぜひ神社に飾られている絵馬を見てほしい。鈴なりにぶら下げられた絵馬には脈絡なくあらゆる願い事が書き込まれている。これらを見れば、この神社が決して「こわいところ」ではなく、どんな人からも親しみやすいことが分かってもらえるのではないだろうか。
 安全祈願、昇進祈願、恋愛成就にはじまり、個人的な願い、たとえば「給料を上げてほしい」「今年こそVIPクオリティ!!」「氷室京介LOVE」、中には「明鏡止水」など祈願なのか何なのかよくわからないものもある。「先祖代々のお墓を直す為に何卒三億円の宝くじが当たりますように」という異常に率直な願い事もある。いったいどんな墓だ。
 いつもなら願い事の傾向など存在しなかったと記憶するが、注意して見ると、時期的な理由からか、受験合格を祈願したものが多いことに気付く。大学では立教、法政、明治、早稲田など、高校ではやはり靖国から近いからか九段高校合格を願うものが多かった。
 なるほど、たしかに靖国は戦死者を慰霊し顕彰する神社であると同時に、祀られている戦死者たちは国のために戦ったのだから、受験生たちは受験を戦争に見立てて靖国を「戦いの神が祀られている神社」として参拝に来るのかもしれない。
 ここでふと疑問に思ったのは、靖国は勝利祈願をする神社としてふさわしいか、ということだ。というのは、日本は日清・日露戦争では勝利しているが、太平洋戦争で惨敗しているということに思い当たったのだ。要するに、英霊とひとくくりにされてはいるが、中には勝ち戦の英霊と負け戦の英霊がいるわけである。そんな英霊たちがごちゃ混ぜに祀られているという事情を抱える靖国は、勝利祈願をする神社として果たしてふさわしいのだろうか。

■靖国は勝利祈願する場としてふさわしいか

 まず、靖国神社にたずねた。
「当神社は、国のために尊い生命を捧げられた方々を慰霊顕彰申し上げる神社です。ただ、参拝者がどのような目的で参拝されても、御祭神は大いなる威を発して御導き下さるものと信じます」。
 勝利祈願にふさわしいと直接いっているわけではないが、「どのような目的」でも「御導き下さるものと信じます」というのだから、靖国自身では勝利祈願にふさわしいと考えているのということだろう。「大いなる威」というのが何なのかよく分からないが、それで受験に合格できるのなら御祭神にどんどん発してもらっていい。 ただ、そうであっても、実際に祈願におとずれた受験生は勝利しているのか。気になったので、参拝に来る受験生と思われる学生に聞くことにした。
 男子高校生2人組。私大の受験を2つ控えている。
「合格祈願に来ました。…靖国神社が勝利祈願にふさわしいかどうか…については、考えたこともないです、すいません。ここに来た理由は、そんなに遠くなくて、有名だからです」
 なぜか謝られてしまった。しかし、これから受験する人に勝ったか負けたかを聞いてもしょうがない。聞きたいのは、あくまで祈願した結果がどうだったかなのだ。 女子高生2人組。
「受験生ではないです。弓道部のレギュラーに選ばれたくて祈願にきました。祈願にふさわしいかはよく分からないですけど、姉が2年前に彼氏と一緒に明治大学の合格祈願に来て、2人仲良く落ちてしまいました」。
 なぜ彼女の姉は合格祈願に靖国を選んだのだろうか。「やっぱり近いからじゃないですかね」。
 靖国に勝利祈願に来た理由は、ただ「近いから」「有名だから」という理由からが多かった。たしかに絵馬に「よりスタイリッシュに生きたい」というような願いが書かれているこのご時世、祈願に靖国を選ぶ理由に深いものなどないのかもしれない。サンプル数が少ないということもあるが、この時点では靖国神社は「まったく」勝利祈願にふさわしいとはいえない。

■トリノ勝利祈願はゼロ

 ただ、受験における勝利祈願といっても、それは個人的な問題だ。やはり、国をあげての祈願ということになれば事情はちがうのではないだろうか。「日本代表」の看板を背負う選手団を送り出したトリノオリンピックには国費も当然投入されている。ならば誰にとってもトリノはまったく他人事ではないはずだ。当然、各競技で日本の必勝を願った絵馬があってもいいところだろう。
 しかし! なんとなんと、絵馬はひとつも見つからなかった。自衛隊員が書いた「死んでもこの国を守ります」とやたら気合いの入ったものは見つけたが、「安藤美姫が金メダルをとりますように」と書かれたような絵馬はゼロだった。
 なぜだ。なぜ「トリノ必勝」絵馬がないのだろう? 「勝った英霊」と「負けた英霊」が混在しているため、純粋に「勝利祈願のための神社」とはいえない点はあるが、「お国のため」に戦った英霊たちが祀られている靖国に、国をあげて世界に挑むという大イベントであるオリンピックでの成功を願う絵馬がまったくないという事態は問題だといっていいのではないだろうか。
 絵馬を見ていた主婦風の女性にたずねてみた。いきなり、少し(大いに?)珍しい質問をぶつけられて戸惑った様子の女性だが、少し考えてから話してくれた。
「うーん…、やっぱり、今のオリンピックはCMなどで盛り上がってはいるんですけど、昔はもっと、選手たちには日の丸を背負って戦うんだという気概のようなものがあったと思うんです。今の選手は、自分のために戦う、と平然として言うようになりましたよね」。
 たしかに女性のいうことはよくわかる。しばしばいわれる「公共という概念の喪失」ではないけれど、国民としての一体感を感じることは生活していてほとんどない。私も、愛国心のようなものはほぼ持っていないし、愛校心もなかったから高校の校歌なんてまったく覚えていない。親の世代からはこの感覚が理解できないらしい。 考えられるのは、現在では受験などの個人的な戦いであればどんどん祈願するが、日本がひとつにまとまって戦うというような場合については、国民は総じて一体感のようなものを持たなくなったということだろう。念のためトリノの必勝祈願があったかどうかを靖国神社にたずねてみるが、「何を祈願されるかは個人の自由です」とかわされてしまう。しかし、多分絵馬がゼロなんだから、わざわざ祈願に来る人もいなかったのだろう。
 靖国とオリンピックは無縁であるから祈願には来ないということでもない。1932年のロサンゼルス大会、「バロン(男爵)西」こと西竹一騎兵中尉(当時)は馬術大障害で金メダルを獲得した後、硫黄島の戦いで戦死したので英霊として靖国に堂々と祀られている。果たしてどれくらいの人がこのことを知っているかという問題はあるが。
 あるいは、テレビでは大いに盛り上がっているように伝えられたトリノだったが、結局それはエンターテイメントとしての行事という位置づけだったのだろうか。エンターテイメントに国民の一体感を求めてもしょうがない。かといって、他に国民が一体になることができる行事はあるのだろうか。トリノの勝利祈願は靖国ではなく他の神社でする、という知られざる傾向があった可能性も否めない。英霊の多くは第二次世界大戦の戦死者であり、誰もが知るようにそれはボロ負けの戦争だった。アタマの片隅にそれがあり、なんとなく、足は明治神宮に向かっていた…という場合が少なからずあったりして。 ひょっとすると、英霊たちはトリノ必勝祈願にひとりでも来ることがあれば、「大いなる威」を発してなんとか選手を勝たせようとじっと待っていたのではないか。しかし、結果的にひとりも祈願に来ることはなかった。これに激怒した英霊の怒りが、トリノの日本選手たちに悪い流れを呼び込み、結果的に荒川静香の金一点を除けば他は惨敗という結果につながった。いささか超常現象的な考えだ。けれど、次回の北京オリンピックで挽回のメダルラッシュを狙うのであれば、万全を期してJOC(日本オリンピック委員会)から英霊に歩み寄ってみてはどうだろうか。…などと考えつつ、靖国の社務所に問い合わせてみると、「正月の縁起物として取り扱っているため、ただいま絵馬は品切れです」とのこと。
 …すいません、いろんな意味で。 (■つづく)

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靖国を歩く/第39回 英霊として祀られることは果たして幸福か

■月刊「記録」06年3月号掲載記事

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 靖国神社には、靖国的な言い方をすれば「日本のために、戦死という形で生命を捧げた」英霊たちが祀られている。その数246万柱余り。日本が生まれ変わる過程といえる戊辰戦争で多くの命が失われ、その戦死者たちを慰霊するためという明治天皇の意向を受けて前身の東京招魂社が明治2(1869)年に創建された……というのはよく知られているところ。
 ただ、戊辰戦争以後の戦死者であれば全員が祀られているのかどうかといった細かい部分についてはあまり知られていない。
 先にいってしまえば、戊辰戦争以後に戦死していても祀られていない場合はある。そして、戊辰戦争以前であっても祀られている場合もある。
 今回は、西郷隆盛や彰義隊といった、戦死時に反政府の立場にあった人たち、いわば天皇に刃向かった人たちは果たして英霊として祀られているのかどうか、そして大西瀧治郎や南雲忠一など、旧日本軍において「ムチャな」作戦を実行し、結果的に多くの日本兵を死に追いやった将校たちが祀られている事実について「この人たちは祀られていていいのか」という疑問を靖国神社に問うた。
 では、この人は英霊として祀られているのか? ということを疑問に思ったとき、それはどうやって確かめることができるのだろう。
 靖国神社の社務所に問い合わせてみると、英霊として祀られているかどうかを知りたい場合には、神社の調査室に頼めば調べてくれるということだ。
 それにしても、いつも思うのだが社務所の女の人は対応がいつもつっけんどんだ。そんなことも知らないんですか? という冷笑的な感じでものを言う。
「電話やファクスで問い合わせいただき、後にこちらからお返事をさせていただきます、あとは神社の図書館に行っていただき確かめるという方法もありますが」
「神社の図書館?」
「遊就館の隣の靖国会館にある図書館に」
 靖国会館1階にある「靖国偕行文庫」は靖国神社創建130年を記念して平成11年に開館、約9万点の図書と資料からなる閉架式の図書館だ。同館のホームページによると、「蔵書全体の内容を分類から見てみますと『國防・軍事』に関する図書が全体の約70%を占めており、次いで『歴史』に関するもの、『思想・宗教』に関するものが多く、この3分類で約90%を占めて」いるとのことだ。
 靖国会館を入って右手が偕行文庫、左手が休憩所になっているが、ソファの置いてある休憩所にはほとんど人がいなく、がらんとしている。
 図書館に入る。といっても、大きい机が4つほど置いてあるこぢんまりとしたスペースだ。
 カウンターにいるメガネの女性に、英霊として祀られているかどうかを調べたいのだがどうすればいいだろうかとたずねる。といっても自分の祖父などいわゆる一般人が祀られているかどうか知りたいという場合と、歴史の教科書に出てくるような人について調べるケースとがある。
 まずは一般人についての場合だが、調べたい人の親族、または戦友のような間柄であれば調査をお願いすることができる。誰彼かまわず個(故)人情報を教えるわけにはいかないということだろう。

■英霊かどうかの基準は「官か賊か」

 では、歴史上の有名人たちはどうか。
 たずねてみると、調べてほしい人のリストを受付の人に出せば、調査してくれるとのこと。ふと、歴史上の人物でも遺族はいるだろうし、有名人であるから一般人ではないということにはならないのではないかと思ったが、そんなことをここで言えば調べてもらえなくなるかもしれないから、だまっておいた。とにかく、この人は祀られているんでしょうか、と聞けば、有名人ならば教えてもらえる。
 現にこのとき、大西瀧治郎、南雲忠一、彰義隊、坂本竜馬、西郷隆盛の名前を書いたリストを出したが、その場で調べてもらえた。調べてもらった、というよりも、これくらいならもうジョーシキ、とばかりに受付の2人で「これはそうだね、これはちがうね」とやりとりされ、30秒くらいでカタがついてしまった。さすがだ。
 西郷隆盛と彰義隊に「×」がついている。英霊でない、ということだ。メガネの女性とやりとりしていた初老の男性に話をきく。
「西郷隆盛と彰義隊は祀られていないんですか?」
 いとも簡単にリストをより分けたので、なんとなく超基礎的な質問をしているとき特有の居心地の悪さがあるが、とりあえずきいてみた。
西郷と彰義隊にまつわる矛盾
 維新の英雄とされる西郷隆盛は明治天皇の厚い信頼を得ながらも、大久保利通の画策などあって中央から退くことを余儀なくされる。1877年に私学校の生徒を率いて西南戦争を起こし、城山で自決している。また、徳川将軍の護衛という名目で上野の寛永寺に集結していた彰義隊は抗戦したものの新政府軍に破れている。
 男性は丁寧に答えてくれた。
「ええ、西郷隆盛は祀られていません。祀られている御祭神は国家の命に従って戦死された方々ですので、そうでなかった方々は祀られておりません」
 官か賊か、ということなのだろう。いうまでもなく天皇の国家のために戦った官軍は政府軍であり、西南戦争を起こした西郷以下、そして幕府側だった彰義隊は賊軍だった。天皇に刃を向けたと見なされ、賊となった彼らは、その死後100年以上経った今でも祀られていない。しかし、ここで疑問なのは、靖国神社に雄々しく祀られている大村益次郎が叩いた彰義隊の旗が遊就館には飾られている。これは何を意味しているのだろうか。
 そして、西郷についても腑に落ちない点がある。
 西南戦争で自決した西郷だが、ずっと賊として冷遇されていたわけではない。1889年、大日本帝国憲法発布にあたり、西郷は大赦されさらに正三位を追贈されている。これには黒田清隆のはたらきかけがあったとされる。 ただ、やはりそこで問題になっているのは、政府から正三位を受けたにもかかわらず、西郷が英霊として祀られていない、ということだ。赦されているんだから祀られてもいいのにねえ、と思うがなぜかそうはなっていない。
 戊辰戦争以前でも祀られている場合がある、と先に書いたが、坂本竜馬がそのパターンだ。一般的には、靖国神社に祀られているのは戊辰戦争以後に戦死した人々、と認識されているが、坂本竜馬が京都で暗殺されたのは1867年。戊辰戦争の前年だし「戦死」でもない。
「戊辰以前であっても、国事により倒れた、ということから御祭神として祀られている場合があります。坂本命はそれにあたります。しかしどこまでも遡ってしまえば際限がなくなってしまいますから、安政の大獄までが範囲になっています。ですから、あまり知られていないところでは(安政の大獄で処刑された)吉田松陰命も御祭神として祀られているのです。」
 さて、ここからが問題だ。
「特攻の父」として知られる大西瀧治郎、ミッドウェー海戦で惨敗した南雲忠一。両者はもちろん英霊として祀られている。

■大西瀧治郎は何を思う

 大西はフィリピンのマバラカット基地で零戦に爆弾を乗せて敵艦に体当たりするという作戦を提案する。海軍の総意だったという説もあるが、悪名高い「特攻作戦」を発案し、結果的に悲惨な戦死者を多く生み出すことになった。大西が祀られているのはどうなのか。聞いたことはないが、「大西は祀るな」的な意見があってもまあおかしくはない。このことについて聞くと、それまで比較的に柔和な表情だった男性の表情が少し緊張を帯びたものになった。
「あなたは今、結果的に多くの人を死なせることになった、と言いましたが、結果論というものがその当時、果たして存在したでしょうか。司令部の命令に従って、割り当てられた任務を遂行した彼らにはそれほど非があったのでしょうか。」
 初老の男性はあくまで毅然とした態度でいる。
 男性の話を聞きながら、皮肉なものだな、と思った。というのは、たしかに大西は日本国のために戦い英霊として祀られてはいるが、その手で特攻隊の悲劇を生みだし、最後は特攻隊員を詫びるために介錯をつけずに長い間苦しんだ末の自決を果たしている。そして靖国には特攻隊員たちが祀られている。大西は、祀られていることを本望だと思っているだろうか?
 図書館を訪れたあと、別に出してあった質問書に対し、靖国神社広報から回答があった。
 先に述べたものと同じような質問を出し、同じようなことが回答として返ってきた。つまり、「大西瀧治郎命、南雲忠一、私共はこの方々を戦犯者とは思いませんし……」。そして、この回答書の冒頭にはこうあった。
「靖国神社は国のために尊い生命を捧げられた方々をお祀りする場所であり……」
 確かに最後には西郷や彰義隊は賊軍なったが、彼らは国のために戦ったのではない、のだろうか?
 祀られているからシロ、祀られていないからクロ、などという一元的な色分けはそこにはないはずだ。(■宮崎太郎)

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靖国を歩く/第38回 「九段の母」を探せ(宮崎太郎)

■月刊「記録」06年2月号掲載記事

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 毎年8月15日に日本武道館で行われる全国戦没者追悼式。2005年、この式典が1963年から行われるようになって以来初めて、戦没者の親の参列がゼロとなった。
 ただ、それ自体は大して驚きではない。戦没者の親の年齢を考えてみよう。親が子を20歳で産み、その子が敗戦の1945年に亡くなったとして、その時点で親は40歳。戦後60年が経った05年の時点で、戦没者の親は100歳に達していることになる。100歳以上の高齢者がこれまでと何ら変わりなく参列していたら……その方が驚きだろう。
 英霊の親、靖国神社といえば『九段の母』を思い浮かべる人は多いだろう。1939年にテイチクから発売されたレコードで、作詞は石松秋二、作曲が佐藤富房。当時の大ヒット曲だったという。

「上野駅から九段まで/勝手知らないじれったさ/杖を頼りに一日がかり/せがれ来たぞや会いにきた……」

 誌面の都合上、歌詞を掲載するのは1番のみにするが、歌は4番まで続く。2番の「こんな立派なおやしろに/神とまつられもったいなさよ/母は泣けますうれしさに」の部分に(いうまでもなく「おやしろ」は靖国神社)、当時の人々の靖国神社像があまりに率直に映し出されているようで、素通りするのをためらわせるものがある。
 もっとも05年の全国戦没者追悼式に英霊の親の姿はなかったとはいえ、「九段の母」世代は全国の至るところでまだ健在なはずだ。
 会いたい。会って、当時どんな心境で『九段の母』を歌っていたのかを聞きたい。そして今回の「九段の母」探しが始まった。
 はじめにあたったのは日本遺族会。英霊の母を探している旨を話すと、まず「戦死された方の母親ですよね、もう、相当なお年ですよね?」と驚かれた。
 対応してくれた方によると日本遺族会は各都道府県の遺族会の集合体のようなもので、全国の戦没者を一括して把握しているわけではないという。各都道府県の遺族会がそれぞれ名簿を管理しているということを聞き、次に東京都の遺族会である東京都遺族連合会にあたることにした。
 同連合会の男性によると、「母」に会うことは難しいだろうと言う。毎月15日に東京都戦没者霊園で同連合会が行う拝礼式にも、もう戦没者の親は姿を見せないという。「親を探すのは、相当大変だと思いますよ」と男性は言う。
 次に注目したのは靖国神社境内にある献木だった。到着殿の脇にひっそりと植えられた献木の立て札にはこうあった。
「元北支派遣独立混成第九旅団/独立歩兵第三十九大隊/戦友遺族一同/事務局連絡先…」
 植えられたのが1971年とかなり時間が経っていることはあるが、直に遺族に連絡を取ることができれば、九段の母にはぐっと近づく。献木は他にもあったが連絡先が書いてあるものは他になかった。
 電話に出たのは声からしてかなり年配の男性だった。「元北支派遣」の名を出すと、ああ、と何か思い出すような声を出した。話を聞くと、今も年に1度のペースで当時の隊員たちと集まりを開くものの、ここ数年で連絡をとれなくなった者が急に増えたという。もし隊員が集まれたとしても、その母親となると、生きている確率はほとんどないのではないか、と男性は言った。

■こうなったら現地で探せ

 九段の母に会いたい。ならば靖国神社に参拝に来る人にこそ手がかりがあるのではないか。母当人がその足で来ていなくとも、英霊の親族であれば、そのつながりで母を探し当てることができるかもしれない。
 そこで早朝6時の開門から夕方5時の閉門まで張り込んで「九段の母」が身近にいるという人を探した。
 朝6時の開門前。あと1週間で大寒を迎えようという九段は死ぬほど寒い。気温1度、靖国神社横のコンビニで何年ぶりかのホッカイロを買う。誰もいないことを予想していたが、40代くらいの男性がひとり、またひとりとやって来て意外に3人も神門の前で開門を待っている。互いに顔見知りらしく談笑するかと思えば「上を向いて歩こう」とひとり叫んで怪気炎を上げていたりする。高齢者だからというわけではないが、早朝に起きて靖国に出かけるというケースはありそうなものだ……、などということを考えていたがそれはなかった。
 8時頃、2人連れの夫婦に話を聞く。男性が小学校3年生の頃、海軍だった父親(当時39歳)は人間魚雷に乗ることになった。ただ、しばらくは男性には「父親は特殊船に乗りに行った」としか伝えられなかったという。「親孝行しろよ」という父親の言葉を覚えているが、当時男性がその言葉をどのように感じたかは覚えていない。英霊の母はもちろんもう亡くなっている。
 10時40分頃、第二鳥居の前にワゴンが停まり、中から車椅子のお婆さんと付き添いの女性が降りてくる。車椅子のおばあさんはかなりの高齢。これは!と思ったが、話を聞いてみると残念ながら「母」ではなかった。英霊として祀られているのは夫の弟。20歳で満州に出兵、そのまま帰って来ることはなかった。聞くと、付き添いの女性は親族ではなく、デイサービスのワーカーさんだという。「今日はお天気がいいから、久しぶりに靖国にお参りに来たくなって」とお婆さん。参拝にも様々なパターンがあるものだ。
 正午。お昼時だというのに食堂、みやげものを置く外苑休憩所には人の姿もまばらだ。ここでふと、みやげもの店で働いている人ならば「母」くらいの年代の高齢者が参拝にやってくることがあるか知っているのではないかと思い、話を聞くことにする。そしてここで重要な証言を聞く。
「去年までほとんど毎朝、それも早朝に来て、お参りしていくお婆さんがいたよ。その後はよく巣鴨のとげぬき地蔵に行くっていってたけど。年でいえば、100歳くらいでもおかしくないような感じだったね。私は7時半くらいにこの店に来て準備をするけど、まだ店が開いてないそれくらいの時間帯にそのお婆さんが来て『まだ店開いてないか』とよく言われたね。」
 その通りならば「母」である確率は極めて高い。なにしろ、ほぼ毎朝来るようなお婆さんなら身内で英霊となった人がいるだろうし、100歳という年齢だ。しかし、昨年の後半あたりから、もう姿を見せなくなってしまったそうだ。
 神社の境内を、中国人の団体観光客が歩いていく。それは珍しいことではない。靖国というとイデオロギーにまみれた場所であるイメージを持たれがちで、特に「中国」「靖国」といえば反日・抗日といった言葉と結びつけられそうだが、実際に靖国を訪れる中国の人たちからはそんな気負いを感じ取ることがない。カメラを構え、笑顔を浮かべ、呑気なものなのだ。……そんなことを考えていると、その観光客群の向こうからくたびれたえんじ色の帽子と同じ色の上着を着た小さいお婆さんがとぼとぼ歩いてくるのが見えた。
 とうとう来た。今度こそは……と思い早速話を聞いた。大正10年生まれの小野さんは現在85歳。英霊として祀られているのは兄だった。小野さんが挺身隊として旋盤を回しているとき、5つ年上の兄はニューギニアに出兵し戦死した。「ウチにいれば死ななくてすんだのになあ」と言う小野さんに『九段の母』について話をすると「ええ、私はずっと『九段の母』を歌って、踊ってましたよ」と驚くべきことを言う。
 聞くところによると、歌好き、踊り好きが高じて、踊りの先生に習いはじめ、いつしか高齢者施設などでお年寄りを前に歌い、踊っていた。「上野駅から九段まで…」ではじまる『九段の母』を振り付けつきで歌いだすと、聞いている人たちはみんな泣いてしまっていた、と言い、小野さんはその振り付けを披露してくれた。振り付けは簡単なもので、腰が曲がったお年寄りが杖をつきながら歩き、たまに体を起こして腰を反らせる、というようなものだった。歌いながら慣れた様子で振り付けをたどる小野さんの表情はどこか楽しそうに見える。
 85歳という高齢になった今では人前で踊ることはなくなったが、それでもわずか5、6年前まで踊っていたという。もう昔のものではないかと思っていた『九段の母』が、今でも歌にその思想を乗せて生き続けている。私が思うより、どうやら「戦争」は遠いものではなかったようだ。
 他にも何人かに英霊にまつわる話を聞いたが、「母」に続く直接の手がかりはとうとう得られなかった。身内に戦没者がいる高齢者でも、それは兄弟や親戚がほとんどだった。
 最後に、ある女性と話した内容を書こう。現在78歳のこの女性が10代のときに兄は出兵した。人間魚雷としてだ。「ほんの少し前まで一緒に遊んでいた兄がこう言ったんです。僕はカマボコになります。どういう意味か分かりますか? 魚の餌になって魚の肉になるということですよ。」
 この女性はこの日、初めて靖国神社を訪れた。これまで、つらくて来られなかったのだという。
「もしかして、ここに祀られている方のお母さんも、あんまりつらくて来られないのではないですか?」と女性は言った。
 九段の坂が急すぎるからか、高齢のせいか、それともつらすぎるからなのか。いずれにしろ、母たちにとって九段は遠い。 (■宮崎太郎)

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靖国を歩く/第37回 緊急現地ルポ緊迫!? 小泉参拝後の香港(奥津裕美)

■月刊「記録」05年12月号掲載記事

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 10月17日小泉首相が靖国に参拝した。8月15日に「いつでも来い!小泉」と鼻息荒く待っていた私の思いは届かず(届くわけないか)、彼は行ってしまった。
 しかも、そのニュースを知ったのは日本時間午後2時(香港では午後1時)くらい、NHKワールドプレミアムのニュースでだ。
 しかもそのニュースでは、香港の日本総領事館に向かって靖国参拝に関する抗議も行われたとも伝えていた。なんで領事館に向かってなのだろう、と不思議に思ったが、どうやら香港総領事館があるのは中環(セントラル)の交易廣場の46階らしい。
 そこには領事館以外の施設もあるので、靖国に抗議するのもいいが、同じ民族にも迷惑をかけているのは本末転倒ではないのか。
 靖国という単語が出ると必ずついて回るのが、中国や韓国から言われる「国民感情が傷ついた」である。傷つくのかもしれないが、それらを理由に会談などをドタキャンするのもどうかと思う。
 靖国は戦没者を祀っていて、慰霊・顕彰しているので戦争の象徴と見なされても仕方がないし、参拝されることで本当に感情が傷つけられている人もいるだろう。そこに弁明の余地はない。
 しかし、いつまでも靖国に参拝したから許せないといったり、抗議されるから行くのを止めたほうがいいという論議はなんの進歩にも解決にも繋がらないと思うのは私だけだろうか。
 それはさておき、本題であるこの約1ヶ月の香港の様子はというと、結論からいえば何もなかったの一言だ。
 靖国参拝の抗議には必ず、「国民感情を傷つけられた」という一文が入るが、傷つけられているとは到底思えない日々。
 ビックリするくらい何もない。中国といえば、4月17日に起こった大規模な反日デモを思い出すが、香港でも行われてはいた。香港から近いシンセンでは、日系スーパーのジャスコが襲撃されたり、上海では日本料理屋が攻撃されていたのは記憶に新しい。
 とはいえ、4月当時でもそういった激しい反日デモを直接見たわけではなく、テレビを通じて目にしただけ。私が実際に目にしたのは、いつもと変わらない香港での生活の中で、街中を練り歩く平和的なデモ行進だけだ。
 なぜ平和的かというと、近所でデモ行進が行われていたので見に行ったのだが、大人数でただ練り歩いているだけ、という雰囲気だったからだ。
 さらに言うならば、歩いている香港人の中には、日系スーパーの袋を持って歩いているという適当な人も何人かいたし、コース内にあるそごうや三越も襲撃されることはなく、シンセンでは襲撃されていたジャスコも無事で、ついでに満員御礼。買い物カートが一台もなくなる状況だったからだ。
 中国本土では日本人だというだけで襲われたと聞いたので、「お前は日本人か」と絡まれたときは、タイ人だのシンガポーリアンだのと答えておけばいいか、と考えていたが、そんな必要もなかった。
 靖国参拝後の香港の様子に戻そう。
 香港には日本のもの、店などがあふれているので、靖国参拝以降の日本に関連するところをウォッチしてみた。参拝直後の10月22、23日にビクトリアパーク(香港で一番大きい公園)で、「日本の祭」というイベントが開催されていたので行ってみた。
 会場は日本の観光地案内、イベント(エイサーの公演やアイドルグループのミニライブなど)、屋台で構成されていて、入場料に20ドル(約300円くらい)かかったが結構な人出だった。2日間とも行ったが、日本人以外に香港人も多かった。日本の食べ物屋台の行列に香港人も並ぶ。
 さらに会場内にはアニメのコスプレをした人や、白いフリルやレースのついた黒いスカートが特徴のゴスロリと呼ばれる格好をしている香港人などもいて、そういうのも海を越えて愛好者がいるんだな……と感心したりもした。
 祭の和やかな雰囲気が会場内には流れ、反日感情どこへやらという感じだった。
 さて、在住日本人にとって心休まる味と言えばもちろん日本食だが、香港にも回転寿司やラーメン店、居酒屋などなじみのものから、日本式(日式)のレストラン(日本風創作料理という趣)などいろいろある。
 日本人のみならず香港人にも人気のようで、特に回転寿司店の前には毎晩人だかりができている。
 私もよく行くが、週末は入るのに1時間くらいかかったりして人気ぶりが伺える。
 私の普段の食生活が露呈してしまうのでお恥ずかしいが、ほぼ毎日行っている某牛丼チェーン店も、ティーセットの時間帯に行くと、牛丼(並)と飲み物がついて約300円と安いせいかそこも香港人が多い。
 茶餐店というファミレスと喫茶店をミックスしたような店には「出前一丁」という即席麺がメニューに並んでいたりと、香港人の食生活の中に日本の食が入り込んでいることがうかがえる。食での日中友好はうまくいってるようだ。
 その他に、街中には雑誌や新聞を売っているスタンドがいくつもある。よく見ると新聞、雑誌、風水、アダルト雑誌に紛れて日本の女性向けファッション雑誌の日本語版や中国語版が置かれていたり、日本の人気漫画(『NANA』『電車男』など)の中国語版が売られていたりする。
 日本語の雑誌なんて読めるのか? と思うが、写真をみて楽しんだり真似したりするらしい。さらに、香港にも漫画喫茶があり、そこには中国語で書かれた漫画が多数置かれていたり、アイドルグッズやフィギュア、食玩(ミニチュア付きのお菓子)、キャラクターグッズなどを売っているビルがあったり、地元人が多い市場では、日本のアニメキャラクターのおもちゃなども売られている。
 映画は、邦画がコンスタントに公開されていて、今は女性の間で大人気の『NANA』が公開されている。
 ちょっと前は、純愛ブーム?を巻き起こした『いま、会いにいきます』『世界の中心で愛をさけぶ』『電車男』(「キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!」とか画面に出るかわからないけど、香港人は意味わかるのか?などと考えてしまった……)なども公開されていた。
 日本の漫画『イニシャルD』など合作映画が作られたりと、エンターテインメントでの日中友好関係もうまくいっているようだ。
 経済や娯楽、一般生活の中では、なんら影響があるとはとうてい考えられない状況だ。
 上海や北京に暮らす日本人の間では、反日感情が高まった時、なるべく日本語をしゃべらない、企業の看板に布をかけるなどの防衛策をとっていたが、香港ではほとんど必要がないという感じだった。
 日系の塾に勤める友人からは、「バスに貼ってある紙の日本人という文字を隠す処置はした」ということを聞いたが、「特に敏感に反応する必要はなかった」とも言っていた。
 香港でよく見かけるのは、反日よりも中国の反共(反共産党)の文字を見かけることのが多い。さらに香港はデモが多いようで、12月も2回行われるらしい。どちらも日本には関係ないデモであるが。
 反日デモ以降、日本に住んでいる人から、「香港は大丈夫なのか」ということを言われることが増えた。
 デモが行われた時の日本のニュースには、連日日本料理屋を襲撃しているところや、領事館へ向かってペットボトルを投げているところばかり流れていた。
 そこだけ毎日流れていれば不安になるのは当然だが、同時にテレビの映像は偏りすぎているのではないかという印象を感じた。
 マスコミは反中国の思想を植え付けたいのだろうか、と思わせる構成が多い。マスコミは良くも悪くも視聴者に対して大きな影響を与える。最近は、その姿勢が顕著に表れているように感じるが、それでは中国の共産党体制と同じである。
 香港ではあるが同じ中国国内にいる私も、ここ以外の様子がよくわからないため、大丈夫なのかと心配になったりもした。私自身がそんなだから、日本にいる人が余計に不安になってしまうのは仕方がない。
 テレビから流れる映像と、実際の様子のギャップを肌で感じた今回の取材だった。
 100%安全・安心というわけではないが、香港だけに限って言えば、形だけの反日感情というように感じられた。活動家などは本気なのかもしれないが、一般市民に関していえば果たして本気なのだろうか、と疑問に思ったからだ。
 デモはお祭り。デモという名のパレード(日本でもたまにやっているが)といったところ。
 これは私の主観なので、本音はどうかは分からないが、仮に反日感情を本当に持っているのであれば、反日デモ以前、以後に限らず、寿司屋の前に人だかりはできないだろうし、日系スーパーやデパートへ来る客も少ないはずだ。
 しかし、現実は、今日も寿司屋の前に人だかりができ、日系デパートやスーパーへ足を運んでいるのだ。 (■つづく)

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靖国を歩く/第36回 トホホ……英霊めぐり in Singapore(奥津裕美)

■月刊「記録」05年11月号掲載記事

       *        *        *

 シンガポールのガイドブックを読んでいると、戦争に関する建物などが多いことに気づいた。直接靖国とは関連はしないが、やはり靖国ライターとしては行かねばなるまい! ということでそのレポートをお届けする。
 まず一番目。
 MRT(地下鉄)シティホール駅周辺をぷらぷらと歩いていると、突然現れる白い大きな4本の柱。
 その柱は高さ約70メートルで戦争記念公園(公園というより広場)内にある。ちなみにこの4本の柱はそれぞれ中国人、インド人、マレー人、ユーラシア人を意味しているそうだ。
 1967年に、シンガポール・日本の両政府の協力で建てられたこの塔の名称は「日本占領時期死難人民記念碑」といい、シンガポール占領中に虐殺された人の霊を鎮め、さらにこのような悲劇を繰り返さないように、という戒めの意味で作られたらしい。
 ガイドブックには、「戦争の悲惨さについて考えさせられる」と書いてあったので、どんなところなんだろうと少しわくわくしながら行ったのがいけなかったのか、圧倒的な存在感というより突然現れた白いトーテムポールという感じだった。
 街並みにとけ込みすぎていることに加え、シティーホールには国会議事堂や歴史博物館、マーライオンなどの見所がたくさんあるので影が薄くなってしまっているのはたしかである。それはそれでいいのだが、ガイドブックに書いてある肝心の「戦争の悲惨さ」は伝わってこなかった。
 このガイドブックを書いた人は、これを見て戦争について何かを考えさせられたのだろうか。
 では次。
 島すべてが一大アミューズメントパークになっているセントーサ島にあるイメージ・オブ・シンガポールという蝋人形館だ。
 セントーサはもう一つシロソ砦というところもある。日本軍に抵抗するためにイギリス軍が立てこもった場所らしい。中には入っていないが、セントーサをまわっているモノレールに乗ると一部であるが見ることができる。
 さてその蝋人形館だが、人形一つひとつがしっかりと作られていて、どれもがとっても本物っぽい。そのリアルな作りと少し暗い照明のおかげで不気味さまでもが際立っている。
 怖がりの私には迷惑なところだが、シンガポールの歴史、伝統、風俗を人形を使って説明しているので、わかりやすく知ることができるおすすめスポットである。
 靖国的目玉はシンガポールの歴史ではなく、1942年に日本軍がイギリス軍に降伏を迫るシーンと、1945年にイギリス軍から降伏を迫られる日本軍シーンの蝋人形の展示なのだが……これを見るために行ったにもかかわらず、その展示室は閉まっていた。
「なぜだ! なぜ閉まっている」と叫びたくなったもののこればかりは仕方ないので諦めることにした。
 それをカットして先に進むと、侵攻後のシンガポールの写真や占領下の資料が展示が。
 それ以前の展示では、中国語と英語のみの説明だったのが、日本語の説明が加えられている。これは「きちんと見なさいよ」という日本人に対するメッセージなのだろうか。
 丁寧に日本語の説明を付けてくれるのはいいのだが、日本語がめちゃくちゃで意味がわからない。日本語を話せるようになってきた外国人の話し言葉をそのまま書いている感じだった。
 笑っちゃいけないけど、真面目な文章の中に散りばめられるおもしろ日本語(たとえば、この蝋人形館の名前「イメージ・オブ・シンガポール」が「イメーヅ・オブ・シソガボール」となっていたりするところ)は、下手なお笑いよりもセンスがある。
 自分の語学力を考えると笑ってもいられないのだが、重要任務である旧日本軍の展示が見れなかったため、日を改めてくることにして、3つ目は日本人墓地。
 ここは第二次世界大戦以前にシンガポールで亡くなった人が埋葬されているらしいが、当時の南方総司令官も埋葬されているらしいので、とりあえず行ってみることにした。
 墓地は家から遠かったので、とりあえずタクシーに乗り「日本人墓地へ行きたい」と告げたところ、連れて行かれたのは日本人会。
「違う違う、日本人墓地、墓地に行きたいの~」と地図を見せ(持って行った地図は日本語表記だった)た。日本人墓地だから「Japanese cemetary」、セラングーンというところにあるので、とりあえず英語できちんと伝えたのだが、通じなかった?それとも運転手のおじさんが知らなかった?のか途中でタクシーを止め、携帯で「日本人墓地ってどこだ?」とどこかに電話。
 とりあえず場所がわかったのか、ローカルマップを手にして走ること約20分。ついた先は住宅地。
それも簡素な住宅地。その中にひっそりと佇む墓石。
「本当にここは日本人墓地なのか?」という疑問が。とりあえずその疑問をはらさなければ仕事は進まない。おじさんに待っててもらい墓地へと進む。
 日本人墓地というから、よくある日本の墓石みたいな感じなのかと思っていたのだが、実際はアメリカ映画で見るような墓石が並び、草がボーボーと生え、手入れもされていないところだった。
 日本人会があるんだから手入れくらいしたらどうなんだ? とはつっこまずに、写真をパシャパシャと撮る。
 そういえばガイドブックに「訪れる人はほとんどなく、住宅地の片隅でひっそりと静まりかえっている」と書いてあったような気が……。
 さらに「1895年にできた墓地で東南アジア最大の日本人墓地」とあるが、本当にそうなのか?と思わせる佇まい。手入れがされていないだけではなく、お参りしようにも入り口には棒が横たわっていて入るのを躊躇してしまう。
 なんというか、そこだけ時間が止まったままひっそりと存在している。そんな雰囲気だった。
 切ない気分になりながらタクシーに戻ったら足にチクッとした痛みがはしった。なんだと思って見たら蟻にかまれていた。
 せっかくセンチメンタルな気分に浸っていたのに、蟻のおかげで一気に冷めてしまった。
 タクシーのおじさんに飴をもらい気を取り直して、最後に向かうはクランジ戦没者祈念碑。ここは第二次世界大戦時にシンガポール防衛で死んでいったイギリス兵を祀った慰霊碑があるらしい。
 日本人墓地前でおじさんと「クランジ競馬場の近くにある」と地図を見ながら確認したので、問題はないだろうと思っていたが、また道を間違えてしまった。
 「このあたりなんだけど」とおじさんは言うものの、目の前に見えるのは、シンガポールの美しい街並みとは遠くかけ離れたスラムのような怪しい風景。
 とりあえず先へ進んでも何もないのでUターンしたら「モニュメント」という看板が!
 いやー、とりあえず着いてよかった。「曲がる?」と聞かれたのに「任せるよ!」と愚かなことを言ってしまったけど、着いてよかった。
 ここもひっそりと佇んでいたけれど、シティーホールの戦没者記念碑と違うのは、モニュメントの周りに墓石がたくさん並んでいたところ。墓地に祈念碑が建っていると思っていただければよいのだろうか。
 観光地というわけでもないし、行きにくいところにあるにもかかわらず、人がちらほら。たぶん地元民。
 周りは緑に囲まれ、墓碑も規則正しく並んでいる。きれいな青空、なだらかな芝生、爽やかな風、白い祈念碑と墓碑。なんという開放感。墓地なのに爽やかすぎる。 いいなぁ。お寺の横にひっそりと佇む墓地より、こういう開放感と爽やかさに満ちた墓地ならば埋葬されたいものだ。とはいえ、生きているからこういうところがいいと思うのであって、死んだあとは爽やかな風なんて感じられないからどこに埋葬されてもかわらない。
 墓地なのに墓地という気がしないここは、涼しい日に行くと気持ちいいのでおすすめ。      少し慌ただしい英霊巡りツアーだったが、なかなか楽しかった。楽しかったというのも変だが、いつもは日本で靖国へ行くくらいしか英霊とのつながりがなかったのに、日本以外の国にいる英霊を訪ねまわるというのは珍しいことだったからだ。
 シンガポール以外にも英霊が眠るところ、英霊にまつわるところははたくさんある。機会があれば他の国へ行って、日本以外で刻まれている戦争の爪あとを見て回りたいと、そんな気持ちを抱かせる旅だった。
 そういえば、イメージ・オブ・シンガポールの例の展示だが、別の日に改めて行ったところ、なんとその施設自体がクローズしていた。たぶん、改装でもしているのだろう。
 結局、シンガポール滞在最終日まで歴史的な蝋人形と出会うことができなかった。とほほ。またシンガポールへ行くかはわからないが、行く機会があれば今度こそはみたいものだ。 (■つづく)

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靖国を歩く/第35回 つのだ☆ひろで奉納だー!―みたままつり2005年―(奥津裕美)

■月刊「記録」05年10月号掲載記事

       *           *            *

 もう秋ですが、記録の靖国神社は夏まつりモードでお送りします。
 いつもは1人で「なんで1人なんだよ、クソッ!」などと思いながら取材していたが、今年は新人編集部員とバイトを引き連れみたままつりへ行ってきた。小泉効果で注目を浴びている最近の靖国はイベントがない日でも賑わっているが、特に混むのは、みたままつり(御霊が帰ってくる)、初詣(福引きもある)、8月15日(敗戦記念日――英霊の日?)だ。
 どれも暑さまっただ中か寒さまっただ中のイベントなので、本当は行きたくない。とくにみたままつりは最悪だ。祭はおもしろいし好きだけれど、暑い!  浴衣なんて着てしまうとさらに暑さ倍増。下り坂でさらにアクセルを踏み込むくらいの勢いで暑さが加速する。
 いつもは閑散としている参道に露店が並び、浴衣を着た若い子や、グループ、カップルが歩いている。夏の暑さと人の熱気、露店の鉄板などからわき上がる湯気が合わさってなんともいえない不快感。
 不快指数85(筆者が感じた指数)の参道を人を押しのけ進む。店から漂うおいしそうな匂いの誘惑にも負けず、私が向かったのは能楽堂。

■叩いて歌うつのだ☆ひろを発見

 靖国には様々な施設があるが、とりわけ能楽堂は影が薄い。私ですらその存在を忘れてしまう。能楽堂は、神門を入り遊就館へ向かう途中にある。テレビでしか能を見る機会がないが、当然テレビでよく見る舞台と同じ。
 みたままつり期間中の能楽堂では、朝から晩まで古武道、バレエ、マジック、日本舞踊、戦記漫談、津軽三味線など様々な奉納芸能が行われている。盆踊りや露店だけがまつりの見所ではない!  と訴えているようなスケジュール。しかもタダ。
 かつて私がよく足を運んだ神社の祭では、カラオケ大会が大きな目玉だったが、はっきりいって内輪受けでおもしろくなかった。
 以前、みたままつりは地元のお祭りだと書いたが、やはり社格の高い神社となると、やることもスケールが大きくなるのだろうか。相撲はともかくプロレスの奉納をしている神社なんてほとんどないし、歌手が歌を奉納するのも珍しい。
 ただの地元のお祭りではないという面と、他とはひと味違う神社だということをアピールしているのではないかと今回のテーマである、つのだ☆ひろのライブをみて感じた。
 7月14日夜7時から1時間も、つのだ☆ひろのジャズライブが堪能できるのだ。しかも無料。靖国が太っ腹なのか、つのだ☆ひろが太っ腹なのかよくわからないが、とにかくお得なのはたしか。
 つのだ☆ひろのプロフィールを簡単に書くと、中学時代からドラムを始め高校時代にプロデビュー、その後の活躍は書くまでもない。
 私は『夜もヒッパレ』という日本テレビの歌番組で『メリージェーン』を熱唱(出演者たちがチークダンスを踊っていた)している姿の印象深いが、実はすごい人だったんだね。食べ物の誘惑に負けずに会場へ着くとドラムの音やギターの音。そして英語でシャウトする声。そして会場を覆う人、人、人の山。その人数は、椅子席や立ち見客を合わせたらザッと200人はいただろう。
 若い人や中年客が目立つ。さらに舞台近にでは、ノリまくる30代くらいの女性や男性もいたりと、一瞬ここはどこなんだろうと頭を抱えてしまった。
 会場が能楽堂だというところが靖国だと気づかせてくれるが、それでもやはり靖国で行われているとは思えない雰囲気が会場を包む。
 お目当ての、つのだ☆ひろを探すが見つからない。歌声は聞こえるのだが、本人はいずこ……。
 目をこらして舞台をみると、いた!  ドラムを叩きながら熱唱するつのだ☆ひろが!
 ギターを弾きながら歌う歌手はいるが、ドラムを叩きながら歌うのは、石原裕次郎かカレン・カーペンターか、C-C-B(『Romanticが止まらない』)の人しか知らないが、ギターと違いドラムは叩くところが多い。一番疲れそうなポジションなのに、さらに歌う。頭の中が混乱しないのだろうか。
 そんなことを考えていたら違う曲になっていた。しかしジャズ中心で本当に神社の催しか?と思ってしまった。

■靖国神社の「裏の顔」に驚く

 靖国って一体なんなのだろうか?
 古い体質と威圧的なところもあるが、モダンなアプローチもする神社。
 首相が参拝すると中国から批判がわき起こり外交問題の原因のひとつになったり、戦争で国民の士気をあおることに使われたりと政治的な面ではあまりよくないイメージがある。
 その反面、競馬や相撲の会場になったりと、血なまぐささを感じさせない爽やかさを兼ね備えている。
 神社といえば、鳥居、賽銭箱、手水舎があって、お参りをしてお守りを買い、ついでにおみくじを引いて帰る、というのが一般的ではないだろうか。
 ジャズライブなんてないし、年に1回奉納相撲が行われるところだって滅多にない。こんなイベントが盛りだくさんなのはおもしろい。また祭神が英霊のため、戦争にでもなれば神様が無制限に増えていくことにも不思議さを感じる。一筋縄でいかないのが靖国神社だ。
 さて、ライブはというとジャズナンバーのメドレーを熱唱後、1度舞台を去り、アンコールのため舞台へ戻って来てオリジナル曲の『ありがとう』と童謡『ふるさと』を歌った。
 ジャズの激しいナンバーから一転、ゆったりとした曲調の『ありがとう』と、少しアレンジされた『ふるさと』で、火照った体を一気にクールダウン。
 バラードも聴かせるつのだ☆ひろ。芸の広さと引き出しの多さに感心。さすがはプロだ。
 感想を一緒に行ったアルバイトの女の子(19)に聞いたところ「靖国といえば国際問題で騒がれていて、厳格で近寄りがたく思っていました。しかしみたままつりはスポットライトに盆踊り、つのだ☆ひろが英国調の服でライブするといった場所だったことに驚きました」と言っていた。
 この数年間、靖国に何度も足を運び、書籍を読み、書き始めた頃よりも知識が身に付いてきた。しかし、イベント時に訪れる靖国は、私のいろんなイメージをいい意味で裏切ってくれる。
 イデオロギーとかけ離れたときの靖国は、ものすごく興味深い場所になる。なにか特定の思想や思惑が絡むと、靖国に限らずすべてのものは単調になり、退屈になる。イデオロギーで靖国を論じてしまうと、戦争のアイコンとしての靖国のイメージが底上げされるが、庶民のための靖国というイメージは薄くなる。
 ここ数ヶ月靖国がマスコミに何度も取り上げられたが、ほとんどがA級戦犯や参拝問題のことばかりだった。それは仕方ないのだが、もうすこし庶民のための靖国という面もクローズアップしてもよいのではないかと思う。正と負、光と陰、表と裏があるからこそ、個性も際立ち深みも増すのだ。
 つのだ☆ひろのライブだけでなく、みたままつりに行くだけで、これまで靖国に抱いていたイメージがある人は覆されるかもしれないし、知らなかった人やイメージが特になかった人には新鮮に映るかもしれない。盆踊りとつのだ☆ひろの歌でイデオロギーを学ぶとも思えない。
 たかがまつりではあるが、されどまつりでもある。
 はっちゃけた、そしてさばけた靖国を体感するのもそれはそれでオツなことなのではないだろうか。 (■つづく)

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靖国を歩く/第34回 戦後60年8月15日靖国神社24時(奥津裕美)

■月刊「記録」05年9月号掲載記事

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■小誌以外メディアはゼロの未明

 2005年8月15日。去る8日に衆議院が事実上小泉純一郎首相によって解散されており終戦記念日に靖国神社に参拝する危険性?大との判断から24時間張り込みの愚挙を編集長の命令で決行した。社の総力を挙げて(といっても4人)の愚挙である。
 午前12時00分。さあ始まった。小泉よ。来るなら来てみろ。目に物をみせてやる……って別に何もみせるものはないか。駐車場に大型バスが4~5台止まっていた。もう参拝客かと思ったら、バスのフロントガラスには、「巨人VS阪神観戦ツアー」なる文字が。運転手に「大型車はここの駐車場を使うんですか?」と聞くと、「そうですね」と解答。
 午前12時22分。ベンチにはホームレスの男性2人と、携帯電話で電話をしているガードマンが一人。報道関係者は誰一人としていない。どうやら『記録』編集部が一番乗りである。パンを食べながらあたりを見回すと、夜中にもかかわらず靖国を訪れる人が結構多いことがわかった。夏休みのせいもあるだろうが、中高生あたりのグループがやってくるのである。次いでカップルも訪れては去っていくのだ。
 午前12時46分。違う若者グループがまた訪れ、神門前でウロウロしている。さらに、私たちのベンチ付近には猫が3匹集まり集会を開く。猫の姿に癒される私。
 午前1時30分。若い男の子2人組がジュースを買い、ベンチで喋りはじめる。さらにカップルも現れジュースを買いベンチで飲んでいる。
 午前2時10分。売店からおいしそうなにおいが漂ってくる。なんのにおいだろうと考えながら癒されていると、売店横の道路に赤いランプを回したままのパトカーが止まった。駐車場にも別のパトカーが止まっていたし、護送車も止まっていた。準備万端いつでも来い! というような体制である。夜中から騒ぎがはじまると思って警備しているのだろうか。どの日よりも8月15日は靖国にとっても重大な日なのだろう。
 午前3時39分。一度去ったパトカーが売店脇の道路に再び駐車する。小誌以外のメディアはいまだゼロ。これまでに首相が来てくれていたら大スクープを世界中に放てたのに。小泉なんて大嫌いだ。
 午前4時10分。神門前でカメラマンが三脚をセット。小誌取材陣に次ぐ、2番手メディアの登場だ。Tシャツ姿の小太りの男性に近づくと、背中に「チャンネル桜」の文字が!「日本の伝統文化の復興と保持を目指し、日本人本来の『心』を取り戻すべく創立された」と標榜する衛星報道だけに、意気込みが違う。つまり靖国への「愛」が他社とは違うと。もっとも我々よりは4時間ほど「愛」が足りないが……。
 午前4時35分。「駐車場はどこにあるの?」とパトカーの警官にたずねる色い車が登場。「静岡から来たんだ」と大声で警官に説明していた。地方からの参拝客を本日初めて確認。
 午前4時48分。濃紺の背広姿の男性が到着し、神門前で参拝を行う。正装の参拝者は本日初。神妙な面持ちで頭を下げた後、静かに靖国神社を去る。
 午前4時50分。白い街宣車到着。パトカーの後に停車し、警官と話し合いをしている模様。数分停車ののち、九段下方面に靖国通りを下っていった。本日初の街宣車は、5時前の到着であった!
 午前4時51分。黒塗りのハイヤー到着。地味であか抜けない服装は、いかにも新聞記者のいでたち。映像系メディア以外としては、我が取材陣の次に到着したことになる。
 午前5時01分。青山からタクシーに乗って参拝に来たという老女(81)に、「いつ開くのかしら?」と声をかけられ、そのあと世間話をする。
 午前5時31分。「労農党」のはちまきを締めた老人が、巨大な日本国旗をささげ持ち神門前に現れる。横幅2メートルはあるかと思われる国旗を、3メートル以上ある国旗棒で支える。地面に付けないよう両腕で支える姿に「大丈夫かな、あのおじいさん」という声がマスコミ陣から上がっていた。数分後には仲間と思われる男性が海軍旗を持って登場する。2人で旗を掲げる姿にカメラマンが動く。今日初めての人気被写体は旗を掲げた参拝者だった。
 午前5時35分。カメラ8台が神門前に集結し、開門を待つ。主要テレビ局は全てそろっていた。
 午前5時41分。神社側よりアナウンスが入る。午前6時開門であること、境内の参拝者には取材しないこと、など放送する。靖国が少しずつ話題になり始めたころから取材規制の看板を出すなど、このところの靖国は取材に対してピリピリしているのだ。
 午前5時51分。チャンネル桜が神門前の参拝客にうちわを配り始める。表に日本国旗、裏には「草莽崛起」「日本文化チャンネル桜」の文字が。この「草莽崛起」とは、吉田松陰が唱えた変革の組織論のことだそうだ。

■開門!韓国KBSから親切右翼まで

 午前6時00分。ついに開門。参拝者が中に入っていく様子を一斉に撮影し始めるが、その後、取材陣は中門鳥居まで進み撮影。各社のカメラが参道を埋めたため「お参りではないじゃないか」と参拝者から怒られるカメラクルーもいた。
 午前6時12分。神社正面から見て右側の遊就館前にある到着殿の向かって左側の砂利に、各社のカメラマンがはしごを置き始める。代議士が車をここに付けて、この入り口から中に入って参拝するためなのだろう。
 午前6時30分。参道の取材をしていた記者およびテレビクルーが到着殿へ集まり始める。その数は約20人。
 午前7時35分。参道で国立追悼施設建設反対の署名を行っていたので、とりあえず署名をする。朝7時だというのに、途切れることのない人の波。ヤクザや右翼も多く、みんな早起きだ、と感心してしまった。
 午前8時46分。遊就館が開館した模様で、大勢の人が入場していた。到着殿へ向かう報道関係者がひっきりなしに訪れる。
 午前9時05分。「靖国神社に参拝する地方議員の会」メンバーが旗を持ち、拍手を浴びながら中へ入っていく。
 午前9時41分。神門前で高齢者が転ぶ。警備員とともに駆け付けたのは、つなぎをきた右翼の数人。「大丈夫か」と声をかけ、警備員とともに参道脇まで運ぶ姿は善人そのもの。これがいつもマイクで怒鳴っている人物と同じ人たちなのかと感動する。さすが右翼、靖国の神門に掲げられた菊の御紋の前では神妙そのもの。
 午前9時43分。韓国KBSニュースのキャスターが、神門内側で撮影を始める。深刻そうな顔での中継が印象的であった。
 午前9時50分。靖国神社が設けている取材申し込み受付で、記者2名の取材を申し込む。「終戦六十年国民の集い」の取材者には緑のリボンを、境内用には首にかける取材許可書、境内内の取材には緑色のリボンを菊型に織ったものが渡され、プレス気分に浸ってしまった。

■緊張感と不快感がジリジリ高まる

 午前9時52分。本日、初めての政治家到着。ダラダラとしていたカメラマンの顔つきが変わり、政治家の顔を撮影しようといきなり脚立をのぼり始める。新聞記者は『国会便覧』で人物の確認を始める。「誰だ、誰だー、あれ」の声が報道関係者からわき起こる。「橋本派の佐藤だ、佐藤!」という声が上がり、顔見知りの記者同士で情報の確認を始め、佐藤信二元衆議院議員と判明。
 午前9時59分。参道の段差で中年の男性が転ぶ。普段は気にならない段差も、参道が狭くなると凶器に変わるのだと実感する。
 午前10時00分。「車が通ります~」の声が頻繁に聞こえるようになり、そのたびに各社に緊張が走る。ただしほとんどが議員ではない。降りてきた人を見て「なんだー」、「不発だよー」の声が記者席に満ち、ため息が漏れるようになる。いつ議員が来るのかわからないため、報道陣はとにかくロープの前を死守する。気温は上昇し、不快指数は最高潮に達する。さらにヘリコプターも飛び始める。
 午前10時11分。道路に出る記者が多くなってきたので、警備員がさらに長いロープを使って規制を始める。いよいよ本命議員到着か、と緊張感が高まっていく。
 午前10時18分。民主党の 西村真悟衆議院議員が「日本真悟の会」約800人を引き連れて参拝。到着殿より手前にある参集所入り口に多数ののぼりが立つ。とりあえず絵を押さえようと、各社が西村氏に突撃。大勢の人で道路を完全にふさいだことから、氏の車は遊就館側を回ることになった。
「まさか議員呑んでないだろうな、いっぱいぐらいならいいけれど、ベロベロだったらニュースだぜ」という声で、数人の記者が笑った。
 午前10時30分。「終戦60年国民の集い」が始まる。国家をものすごい大音量で2回も斉唱。なんともいえないすごさに、軽くカルチャーショックを受けていたら、20代の男性が奇声を上げながら連行されていた。
 午前10時32分。平沼赳夫前経済産業大臣が靖国会館に入る。亀井静香氏とともに反対派の中心人物だったこともあり、各社がマーク。姿を確認した途端、新聞記者が一斉に携帯電話を取り出し、「官邸番記者の○○です。今、平沼議員が靖国会館に入りました」と電話をする。
 午前10時40分。靖国参拝の急先鋒、安倍晋三自民党幹事長代理が到着殿に姿を現す。首相を除けば最大のスター登場に本日、最高の盛り上がりを見せ、姿をカメラに捉えようと各社殺到。英霊の前でほとんど肉弾戦の様相を呈す。
 午前10時50分。参拝を終え出てきた安倍議員に記者が殺到。ついにロープを飛び越えて取材する者が現れ、「ルール通りにね、ルール通りにー!」と叫ぶ神社関係者の声もむなしく、到着殿前は大混乱となる。スター安倍はさすがにスターだった。記者のために脚をとめ、数分の取材に答え、手を上げて車に乗り込んでいった。さすが。目立つ位置、そぶりを考えている。これもスター安倍の才能かと感心する。今日は感心することが多い。
 午前11時00分。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が古賀誠元自民党幹事長を先頭に靖国会館から到着殿へと歩いてくる。「よくぞ参拝してくれたー」との声と拍手がわき起こる。自民党と民主党の47人が集団参拝した。
 午前11時32分。爆弾三勇士のレリーフがはめ込まれている大灯籠の裏で日本兵の軍服を着た高齢者が、同じく軍服を着た若者に日本刀の使い方を教えていた。役者と軍人の刀の使い方の違いを教えた後、何度かだめ出しをする。「口で言ってもダメだから、体で覚えること。家で何度も練習すれば、そのうちうまくできるようになるから。以上」と高齢者は最後に大声をあげた。
 午前11時37分。大仁田厚参議院議員登場するが、何の騒動も起こらず。私は、しんぶん「赤旗」のアグレッシブな取材姿勢と、かっこいいルックスにみとれていた。
 午後12時31分。もう1人の靖国スターである石原慎太郎都知事が来る。「うれしーよー」の声が上がる。
 午後12時49分。都知事の出待ちをしている最中、突然「朝日(新聞)は帰れー。産経(新聞)はがんばれ。週刊金曜日も帰れー」という声が上がる。なぜうちも呼んでくれないんだー!と古参編集部員と少し憤慨する。
 午後12時54分。石原コールがわき、車が去っていく時に国旗が振られる。車が出た直後、一般客同士で「(コールを上げていた)俺の写真を撮った撮らない」というケンカが始まる。
 午後13時24分。尾辻秀久厚生労働大臣が参拝に来るものの、「誰だっけ?」の声が記者側からあがる。
 午後14時00分。神社内はどこも人が多く、中でも行列が絶えないのが参拝と遊就館。能楽堂前あたりでは、お年寄りの話に熱心に耳を傾ける若者がところどころに見られる。
 午後14時15分。都知事が帰ったあと散らばっていた報道陣が、また到着殿脇に集まりはじめる。
 午後15時14分。神戸ナンバーの濃紺のシーマが来る。車から現れたのは小池百合子環境大臣兼刺客。この日最後の大物政治家の登場。
 午後15時30分。参拝を終え出てくる。やはり美人でビックリした。5分ほどの取材を終え去っていく。記者同士でコメントのすりあわせをしていたが、こういうことをするんだな、と感心してしまった。
 午後16時00分。「集い」の最後に、午後15時の段階で、8月15日の参拝者が15万人を超えたと報告される。

■「彼」を見ぬまま日付は変わった

 午後19時00分。神門が閉まる。閉まる少し前から、会社帰りに参拝に来た人などが駆け込むように中に入っていく。門が閉まると同時に、小さい机のような賽銭箱が門の前に置かれる。閉まった後も、会社帰りらしいスーツを着た人達が次々と来て、門の前で参拝していく。しばらく参拝者はとぎれなかった。
 午後19時33分。売店横のベンチは、小さな宴会場となる。(編集部注:午後19時46分。小泉首相が事実上参拝しないと表明したニュースが流れる)。
 午後21時36分。雷鳴がとどろき、雨が大降りになった。勘弁してくれよ。さすがに参拝客の足が途絶える。
 午後22時13分。雨がやみ雨宿りしていた人が帰りはじめる。
 午後23時33分。特に変わったことはなく、売店内のベンチでは、深夜にもかかわらず熱く語り合っていたり、待ち合わせなのか女の子が1人座っている。
 8月16日午前0時00分。無意味としか思えないが編集長が日付が変わるまで小泉首相を待てというから待った。もう昼間の騒がしさとはうって変わり、あたりは静けさが漂い、約1日前と同じ状況になっている。ベケットの戯曲と同じ。不条理劇の主人公はゴドーだろうが小泉だろうが来る来るといって来ないのであった。 (■つづく)

編集部注:15日の時点で衆議院は解散されているので、本文中の「衆院議員」とはすべて正確には「前衆議院議員」である。

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靖国を歩く/第33回 遊就館の“?”な展示物

■月刊「記録」05年7月号掲載記事

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 世の中わからないことだらけだが、ほとんどのことはわからなくて当然のことだから、わからないことだらけに思えるのだろう。
 私は靖国の原稿を担当することになってから、何回わからないわからないと書いてきただろうか。たまに頭が悪いからなのではないかと苦悩するときもあった。そして今回も私の身にわからない問題が降りかかってきたのだ。それは……。
 なんで遊就館に「古代から近世の展示物」があるのか。
 今、それのどこがわからないことなのか、って思いましたか。そうですか。
 今までたいした問題ではないというか、あまり気にとめていなかった。なぜ今回そのことを取り上げたかというと、「靖国には戊辰戦争以降の英霊しか祀られていないのに、どうして古代や中世の展示物を置く必要があるのか」という編集部からの疑問の声があがったからだ。
 いわれてみれば不思議である。博物館七不思議というのがあったら入れて欲しいぐらいだ。
 遊就館には「英霊の顕彰」と「近代史の真実を明らかにする」という2つの目的があるのだが、英霊を顕彰するのならば、彼らにまつわる品を展示するのがベストだ。
 もっとも英霊の功績をたたえても本人には伝わらないので、どちらかというと遺族に対しての慰めのように感じるが、それは死んだ人に対して「あいつはいいヤツだったよ」と生きている人が生きている人に対してそう言って慰める行為のようなものか。
 国のために戦って死んだ人を祀っている神社なのだから、そういった展示をすることは必要なことだろう。それに対しては異論をはさむ余地はない。
 さて、私の疑問に絡んでくるのがもう一つの「近代史の真実を明らかにする」だろう。
 どうやら遊就館には「英霊が歩まれた近代史の真実を明らかにする」という使命があるらしい。どういうことかよく分からないが、たぶん英霊となった人たちがどうして戦わなければならなかったのか、ということを明らかにすることで近代史の真実までもが見えてくるということだろうか。
 それはわかった。そういうことならば近代からの展示は必要だ。それがたとえ戦争を正当化する内容であってもそうでないとしても、「どうして」という疑問を解くためには説明が必要だ。「1+1はどうして2になるの」ということをリンゴやミカンを使って説明するのと同じというわけか。
  「近代史の真実を明かす」と標榜しているだけに、展示物はかなり豊富で見応えがある。じっくり見て回ると近代史に少しだけ強くなったような気になるし、800円の元もとれる。遊就館は軍事博物館(武器の展示もあるから)と近代史博物館(それらの展示物が豊富)の2つの側面があるかなりお得な博物館というのは間違いなしだ。
 しかし「近代」を見せるのに古代からの「日本の武の歴史」が必要な理由はわからないままであるから、とりあえず見に行くことにした。

■英霊の朝敵まで紹介

 梅雨の中休みの晴れの日は結構暑い。アスファルトの照り返しがさらに暑さを増加させる。平日の昼過ぎだというのに、若者が多い。日本は祝日ではないはずだ。なんだなんだと思いつつ遊就館へと向かう。
 券売機で券を購入し辺りを見回すと、やっぱりいつもより人が多い。学生服を着た人やカップルも多い。靖国をデートコースに組み込むことがトレンドなのか。
 それはさておき、入場券を機械に通しエスカレーターに乗る。仕事の前にとりあえずトイレに寄ったところ、きれいだった。掃除が行き届いていて入り心地のよいトイレだった。
 トイレを出たところに映写室があるのだが、そこで日露戦争の映画がやっていたので観に行き、結局最後まで観てしまった。やる気あるのかお前は、と一人突っ込みを入れつつお待ちかねの「日本の武の歴史」の展示室へと向かった。
 こじんまりとしたスペースには、鎧やら刀やら出土品やらが展示されているが、なかには複製品もちらほら。複製品を飾るなとは言わないが、どうせやるならホンモノを飾るべきではないか。中途半端というか、力が入ってないというか、それはそれで先人に失礼じゃないか。
 しかも靖国の神は英霊である。日本武尊とか織田信長といった明治以前の人物も祀られているなら鎧などが飾ってあっても不自然ではないが、祀ってあるはずはないので不自然だ。
 古いスタイルから新しいスタイルへの移行をわかりやすくするために、古代・中世・近世の展示をしたからといって、それが近代史の真実を明らかにする道にはならない。
 だいたい、カラーが違いすぎるし、この展示室の展示品と、第二次世界大戦の展示室にある血なまぐさい展示品には温度差がありすぎる。
 ひそかに江戸時代の展示もあるが、徳川は最終的に朝廷に征討されたのではなかったか。幕府についた人たちは戊辰戦争の、つまり英霊の朝敵じゃないか。何がやりたい遊就館。
 つまり昔はそんなこともあったけれど、それは過去の話ということか。日本人の美徳「過去のことは水に流す」を体現している博物館である。心が広いのかポリシーがないのかよくわからない。
 鎧や刀は歴史博物館に行けば見られるし、出土品は遺跡跡に行けば見れるのでいらないといえばいらない。というよりも英霊の歩んできた近代史を語る場と自分たちで言っているのだからあえて持ってくる必要はない。
 他の見物者は私のような疑問を感じているのだろうかと思い周りを見渡すと、10人程度いた皆はかなり真剣に見入っていた。
 彼らはこの展示に疑問を抱かないのだろうか。何も思わないんだろうな。それを当然のように自然に見ているのだろう。

■「出島」を飾る複製3セット

 ホールにはゼロ戦がおいてあって、映写室では『明治天皇と日露大戦争』というものすごいテンションの映画がやっているし、進めば進むほど血なまぐさい展示品満載なのにこの展示室だけローテンション。
 それもそのはず、第一展示室の「武人のこころ」に入ると二手に分かれるようになっており、第三展示室の「明治維新」へ進むと次の展示室へとつながっているのに対し、第二展示室の「日本の武の歴史」に行くと行き止まりでそこで完結しているのである。
 だいたい博物館というと、第一、第二と順番に見ていくのが定石だろう。第二だけ出島のような感じなのだ。江戸時代の鎖国政策を模倣したのだろうか。だとしたらかなりしゃれがきいてて感心してしまうぞ。といっても、必要性はやはり感じられないのだが。
 展示室は入って右手の古代から左回りに進んでいくのだが、出島状態などとあなどってはいけなかった。最初から期待を裏切ることなくかぶとと太刀の複製3セットが展示されている。せっかく出土品を飾っているのだから、複製品よりボロボロでもいいから出土品のかぶとを展示してほしい。
 お次は中世。2着展示してあるよろいのうちひとつは本物なのにもうひとつは複製品。胴丸や腹巻の説明書きがあるが近代戦争では甲冑は使っていないだろう。親切な説明だが、近代史の真実となんの関わりがあるのだろうか。
 本物あり複製ありと和気あいあいとした展示室だが、私の心を奪った展示品があった。室町時代の太刀備前長船盛光という刀だ。それのどこにひかれたかというと、寄贈者がポールというイギリス人だったからだ。別にポールという名に引っかかったわけではない(本当は少し気になった)。ポールさんはこの刀をどこで手に入れたのだろうか。
 わからない。必要性が感じられない。1882年に開館した遊就館は当初、武器などを展示していた軍事博物館だった。それから関東大震災や閉館の危機などを乗り越え今日にいたっているが、その間に軍事博物館として変わらずあり続けていたのならばそういった武器の展示があってもおかしくはない。
 ただ現在、遊就館が「英霊顕彰」と「近代史の真実を明らかにする」ということを掲げている以上、そこに主旨違いの展示を置くのはいささか不自然さを感じる。
 なんか変なのー、という思いだけを残し、他の展示室をまわったが、見物者が多かった。
 それにしても若い人が多い。このところ靖国がニュースとして取り上げられる機会も多いからとりあえず行ってみようか、ということなのだろうか。私も彼氏と来たいよまったく。
 そんなことを思いつつも、先へ進めば進むほど第一展示室の不思議さに拍車がかかっていったのだった。 (■つづく)

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靖国を歩く/第32回 靖国のひろみしゅらん(奥津裕美)

■月刊「記録」05年4月号掲載記事

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■独断と偏見で評価するのだ

 全国の記録『靖国神社』ファンの皆さまご無沙汰しております。久しぶりの靖国です。久しぶりなので、新米編集部員を連れて取材へ行って来ました。
 世間にはレストランに行って批評したり格をつけたりする本やテレビ番組が多く存在する。2003年にはフランスのミシュラン社が出している格付け本が原因で自殺した料理人がいるそうで、たかだか星くらいで死ぬなよ……といいたいところだが、料理人にしてみれば「客足が途絶える=店が潰れる」ってくらいの脅威なのだろうから仕方ないのか。
 といっても食べるのは人間だ。嗜好もさまざまあるわけだから、この人にはおいしくてもあの人にはまずいとなるはず。だから格付けする意味がどれだけあるのかと思うのは私だけだろうか。日本版もあるザガット・サーベイとか、OL(なぜか丸の内あたりが多い)の口コミももてはやされてもいるけれども、同じ理由で信頼できるとは限らない。
 それでも格付けしたくなるのは人間の性なのか、いろいろと格付けやランク付けしたものが、食べ物に関わらずいろいろあるのはたしか。ランキングを売りにした店まである。
 私はランクやら格といった権威傾向のあるものは好まないのでどうでもいいし、ついでに食べ物にも執着ないというか、どちらかというと食べること自体どうでもいい部類に入るので、今回の企画じたい自分のポリシーに反する。にもかかわらずやってしまった食べ物企画。それもうまいのかまずいのかは編集部の独断と偏見のみ!

■居酒屋チェーンが作る海軍カレー

 さて、新米編集部員を連れて行ったのは、遊就館内にある軽食屋と、参道の売店。取材前恒例の参拝を終わらせ、まず行ったのが、遊就館内にある「茶寮 結」。
 茶寮と名づけているだけあってデザート類、飲み物類は豊富だった。
 茶寮なんだから飯もうまいだろうな! と鼻息荒く店内に入ったところ清潔感漂う店内。ホワイト&ウッディーで統一され、ガラス張りの店内には陽の光が入っていて清潔度5割増! 
 冠に「茶寮」とついているが、見たところ博物館のレストランをもっとさわやかにした感じだけの店内。日本の博物館のレストランは暗いし、やってるのかやってないのかわからない感じのところが多いが、さすが遊就館! 喫茶店まできれいだよ。金をかけただけあるなと思いながら、カウンターへ行く。
 ちなみにここは、カウンターで料理を注文してから席に座って料理を待つシステム。そして驚くべきは、すべての商品がテイクアウトOKというありがたいのかありがたくないのかわからないサービスがある点だ(゜⊿゜)。
 せっかく靖国なんだからレトルトでもおなじみ海軍カレー(680円)を注文したいところだが、私は子どもが大好きなメニュートップ10に必ず食い込むラーメンとカレーが苦手なので連れにカレーを食べさせ、自分は稲庭うどん(500円)を頼み、飲み物は麦茶(250円)。それと前から気になっていた古代米のちまき(250円)と意味のわからない名前の横須賀ドッグ(300円)を持ち帰りにしてもらった。
 カレーは、昔風と現代風の2種類。昔風よりせっかくカレーなんだから海軍風とインド風くらいにしてくれないとインパクトに欠ける。現代風のカレーはカレーショップに行けばいくらでも、現代風どころか変わり種まで食べられる。
 日本海軍は日本海海戦快勝以外にも、実は料理でも有名なのだ。何せテーブルマナーまでもが海軍軍人としてのたしなみとして行われていたくらいなのだから。
 さて、そのカレーだが、レトルト温めただけだろう……と思ってしまうほどのしょぼさ。具は、人参、じゃがいも、玉ねぎ、牛肉、付け合わせにしば漬け。
 食べた本人談は、「見た目は学校の給食並みですね。味は、カレーというよりシチューっぽい」。
 それではカレーじゃないじゃん! という突っ込みをしつつ、カレーを売るのならば、遊就館の中にある食事処であることを考え合わせても、料理にもっと気合いを入れていただきたい。それくらいしないと海軍の英霊も、そして一緒に軍艦に乗っていた牛の霊も浮かばれない……と思っていたところ、カレーに説明書きの紙がついていた。
「海軍カレーについて 当店の海軍カレーは、明治四一年九月に発刊された海軍割烹術参考書のレセピーに基づいて、その時代の味を忠実に再現しております。思い出の味を、または心の歴史の旅をどうぞお楽しみくださいませ」と書いてある。
 なるほど、この説明書きと目の前のカレーを合わせて考えてみると、当時のカレーは今でいうスープカレー、ルーの量より水の量のが多いカレーだったということだろうかと、自分を無理やり納得させる。
 この店をプロデュースしているのは、居酒屋チェーンでおなじみの大庄グループというところである。うーむ、居酒屋グループがやっているのだから、メニューやレシピに基づいてカレーを作ったとしても居酒屋臭さが残ってしまうのは仕方ないと考えるべきか、靖国という場所柄にも関わらず、居酒屋グループに店を任せてレトルトを温めただけのようなカレーの提供を許可すること自体いかがなものなのか、と考えたほうがいいのか頭を悩ませつつ、外の売店へと向かった。
 なお稲庭うどんと麦茶は可も不可もないので割愛。

■店員の殺し文句で採点は激アマ

 参道の売店では、おでん(550円)、甘酒(250円)、ソフトクリーム(200円)を購入。
 おでんの具は、卵、こんにゃく、こんぶ、大根、ちくわ、ゴボウ巻きである。おでんを食した編集部員のコメントは、「おでんおいしい。大根、昆布、卵が特においしい」だった。
 ここのおでんは以前も食べたことがあるが、とにかくうまいのは確かだ。新橋のガード下でオヤジが熱かん片手に食べていてもおかしくないほど(この表現だとうまいのかどうかわからないが)のいかにも屋台然とした正統派のおでんの味とクオリティーである。 
 なぜここまで手放しにほめちぎるかというと、おいしいのは確かだが、「お姉ちゃんかわいいからおまけね」と言われたからである。かわいいの一言でここまでほめちぎるか! と料理評論をしている人から何か言われそうだが、いい食材を使って、最高の料理人が調理すれば美味しいのは当然。しかし、おでんはあり合わせのものを突っ込んで出汁で煮込んでしまえばできあがりのチープな、昔からある日本特有のジャンクフードでもある。
 だが、このおでんも出汁がまずければ、ただのまずい野菜のごったに煮になってしまうという諸刃の刃をもった食べ物でもあるのだ。食べ物は安いからまずいわけでも、高いからうまいというわけではない。食べ物のおいしさは、料理人の情熱、パッションが重要なのだ! と、ただ「かわいい」と言われただけなのにすごい熱弁をしてしまった。これでは、普段かわいいと言われていないと誤解されてしまう。それは困る。
 熱くなった私を冷やすのはソフトクリームしかないと、寒空の下の中、甘酒を片手に食べる。何ともおかしな食べ合わせだが、お構いなしに食べる。ソフトクリームというと、濃厚さを売りにしたものが多いが、靖国のソフトは意外にもあっさり淡泊。子どものころスーパーの売店で食べたことがあるような薄味が大好きな私は気に入った。
 売店の店員は全員おじさんだったが、ソフトを絞るオジサンは、いかにも慣れた手つきで器用に巻いていく。毎日やっていれば上手になる。何事も継続が大切なのだ。継続は力なりということで、この連載も続けていけばやがて本になるだろう……頑張っていこう! という力を売店のオヤジからもらった(だからどうした)。

■英霊もビックリの横須賀ドック

 もらったのはいいが、いい加減外は寒いということで編集部に帰り、テイクアウトした古代米のちまきと横須賀ドックを食べる。
 古代米のちまきだが、古代米って黒いのね。そして、もち米のようにモチモチしてるのね。知らなかった。白米よりもち米が好きな私は、この口触りが気に入ったが、編集部内で論議になったのが、味である。
 古参編集部員のコメント「独特な味付けは古代米だね。でもこれニンニクか何かはいってない?」
 デザイナーのコメント「古代米と豚肉のミスマッチが意外といける」。
 豚肉も入っていたせいもあるが、豚臭い。中華風といえばそこまでで、ちまき自体も中国が発祥の地(飲茶のメニューにもあります)なので納得はいくが、それにしても豚臭いし、脂っぽい。もう少しあっさりしていれば、また食べようと思うのだが。編集部内では意外と好評だった。
 さて、名称が意味不明な横須賀ドッグだが、正体はただのアメリカンドックだった。
 あまりにも普通すぎてコメントは特にないが、ソーセージが安っぽくないところはいい。ペッパーがきいていて、なかなか。
 だが、ここで問題が浮上。靖国で、アメリカンドックを売るのはどうなんだ?
 アメリカンドックじゃまずいから横須賀にしたのか? でも、横須賀とついても見た目はアメリカンドックだぞ。今は仲が良くても、昔は鬼畜米英といって敵対していた国の名称を使った食べ物を売るというのは、本末転倒というか、あまりにも適当すぎやしないか。
 英霊はどう思っているんだ。と思わず吠えてしまったが、戦後60年たち、戦争体験の語り部たちも減っていき、というか21世紀に入ってあまりたっていないというのに、世界各地で戦争が起き続けているという、「歴史は繰り返す」という言葉通りの世界情勢だが、結局は何事も新世紀になればすべてはご破算になり、ゼロからの再構築をはじめても問題は何もないということなのだろうか。
 歴史から何も学ばず繰り返される歴史。当時の日本と違うのは、鬼畜から友好、憧れの国アメリカとなっただけで、本質的な日本の体質はなにも変わっていないのだということを、この横須賀ドッグが証明したといってもおかしくはなし、敵国として対し、散っていった靖国に眠る英霊の誇りを一気に台無しにしてもいる。
 まぁ、そうはいっても筆者はアメリカンドックが好きなんですがね。あの甘い衣としょっぱいソーセージのハーモニーがたまらなく私の胃を刺激する。
 珍しく刺激されたせいか、その夜は原因不明の消化不良を起こし、深夜に吐いてしまいましたとさ(/o\)  (■つづく)

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靖国を歩く/第31回 ザ・みたままつり(奥津裕美)

■月刊「記録」04年9月号掲載記事

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 今年も行って参りましたみたままつり。
 昨年も一人だったけれど、今年も一人祭り会場へ。しかし、今年は少し違う。いろいろと取材をしてきたおかげで、かえって開き直り精神がでてしまい、気にならなくなってしまったのだ。
  「なんで一人で祭りなんかに行かなきゃならないんだー!」という心の叫びなんてどこへやら、「今日見逃したら明日はやらないかもしれません」という甘い誘い文句にのせられて見せ物小屋へふらふら入ってしまった。
 最大の目玉が体に針金を通す演目なのだが、前もって針金を通す部位に穴を開け、そこにチューブを設置しておき、そこに観客が針金を通すというものである。
 以前に、ドカン型ピアスを開け、向こう側が見える状態の耳だった私にはちょっとつまらなかった。針金を通すことくらいできる。
 参道にはあいかわらず出店も多いし、カップルも多い。祭ってこんなものなのか。お腹はすくが、お金はない。
 隣に彼氏でもいれば、「あれ食べたいー」と言えば、お腹くらいは満たせるんだけどな……と思いながら歩いていると、まさに私がやりたがっていることを代行してくれているありがたいカップルがわんさかいた。舌打ちをしつつ、それを横目に目的地へ急ぐ。
 さて、今回見にいったのは大提灯とかけぼんぼりである。参道の途中から黄色の大きな提灯がぶら下がっており、それが神門手前までかかっているのである。
 それには奉納した人の名前や企業名が書かれていている。その総数は約2万5千個以上。とにかくものすごい量なのだ。
 手前から遺族、神門に向かって靖国にまつわる組織や企業、国会議員と続く。
 遺族や縁故者は個人であるから省くとして、組織やら国会議員の提灯を見ることにした。
 国会議員枠の一番上は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という提灯、その下にそのメンバー名の書かれた提灯がぶらさがっている。
 それにしても、この会の名前は抜群のセンスだ。「みんな」というところに、日本人特有の感覚を匂わせているし、日本を動かしている偉い人たちが「みんな」と使っているところがとてもキュートである。
 奉納している議員をちょっと挙げると、小沢一郎、青木幹雄、中川昭一とよく聞く名前のなかにひっそりと、鈴木宗男の名前もあった。
 さらにみていくと驚くべき(そこまで驚きじゃないけど)名前があった。毎年、参拝に行っては物議をかもし、意味不明な言動を繰り返す首相、小泉純一郎と書かれた提灯があるのだ。
 公式参拝に反対する人は、参拝だけを批判するのではなく、この提灯を奉納していることにも目を向けるべきなのではないか。奉納しているということは、参拝しているのと同じようなものだし。
 この提灯の中で、注目されていたのは、小泉純一郎提灯と、鈴木宗男提灯の二つだけだった。政界のドンと呼ばれる人たちの提灯があったとしても、若者たちは一切関心を示していなかった。
 企業系の枠をみると、「おやじ」という提灯があった。……おやじ。なぜか、山本譲二が北島三郎のことを呼んでいる姿を思い出してしまった。
 提灯に書かれている名前を復唱しながら歩いていたのだが、「……グアム、シベリア、トラック諸島……」となんか聞いたことある名前だな、と不思議に思ってその提灯一帯を見回すと、硫黄島、ガダルカナル、フィリピンと日本がかつて占領した国や島ばかり並んでいることに気づいた。 

 さりげなく飾られていたから気づかなかったが、その多くが激戦地だったことを考え合わせると「これもいいのかなぁ?」という感じである。大提灯の奉納って何でもありなのだろうか。靖国といえば、世界の紛争や戦争で亡くなった人たちを慰めるために作った鎮霊社があるが、リベラルっぽく見えて、何かをごまかしているようにも見える。
 なにが良くて、なにが良くないことなのか、世間一般で言われている戦争についての事柄を靖国に当てはめようとするのは、実は非常にナンセンスなことなのではないかと思う。靖国には、擁護派・反対派・中立派を超越した独自の思想があるのではないか。
 そんなことを思いながら眺めていたのだが、ふと、島の名前が書かれた提灯が、バカンスにもってこいのリゾート地の宣伝を見せられているような感じがして、なんだか滑稽に思えてしょうがなかった。そう、かつての激戦地は今やリゾート地なのである。
 場所を移して、神社内には著名人が書いたかけ提灯が飾ってある。昨年のみたまでも少し触れたが今年もなかなか楽しいものがあった。
 特に私の心に響いた二つを紹介すると、横綱朝青龍のかけ提灯。提灯は半紙のような紙にメッセージや絵を描いてサインをするというのがほとんどなのだが、朝青龍は違う。
 ど真ん中に名前が書いてあり、その右横に「国,」と書いてある。その下の点はなんなのだろうかとその字をよく見ると、くにがまえの中が玉ではなく王になっている。ここで謎が解けた。きっとその点は、玉のてんで、外に出すことによって遊び心を出したに違いない。お茶目さ爆発でいいのではないか。

 さて、もう一つ。プロレスラー橋本真也のかけ提灯だ。筆で力強く「破壊 創造 誕生」。サインは、「破壊王橋本真也」である。創造、誕生はいいけど、破壊はどうかと。
 でもまだ破壊だけなら、そのあとにつづく文とマッチするが、破壊王は……。靖国には撃墜王は眠っているが、破壊王は眠っていないし、ちょっとまずいのではないか?!
 大提灯やかけ提灯をみて、改めて靖国の懐の広さを思い知った。やっぱりこの神社は、いい意味、悪い意味を
含めて他とは違う神社なのだ。私が惹かれるのはきっとそういうところにあるのかもしれない。

■独特な神社靖国

 それにしても祭りは平和な行事だ。浴衣を着て、焼きそばを食べ、盆踊りを踊る。そういった楽しいことを楽しいこととして享受できるのは、平和という土台が成り立っているからである。
 「平和、平和」と念仏のように唱えている割には、平和にあぐらをかいているように感じるし、本当に平和が欲しいのか?  というような行動が目立つ。
 この矛盾加減がよくわからない。この連載でよく、「意味がわからない」「よくわからない」と書いているが、そのわからなさは靖国という深みにはまればはまるほど増していくのだ。
 毎月、靖国の原稿を書き、靖国に参拝し、靖国に関する本を読み、靖国とはこういう神社だという固定されたイメージではなく、なんとなくこういうイメージというのはある。
 世の中には、靖国を好む人、嫌う人がいるし、靖国にまつわる出来事に明るい話題はほとんどない。外交問題が絡むこともしばしば。社格が高いとか、祀られているのは神ではなく人間だということは置いておくとしても、やはり特殊な神社であることには違いない。
 ただそれは政治、外交、歴史などマクロの視点で靖国をみるから、話も大きくなるし、面倒なこともたくさん起こってしまうのであって、個人レベルで靖国を考えると、ただの神社であり、それ以上でもそれ以下でもなくなる。参拝する、祭りに訪れる人がどのようにとらえるかで変わってくる。
 日本に忠義を尽くし散っていった英霊たちに感謝をしろ、というのも悪いとは思わないが、「みたまとか、お盆てよくわかんないけど、祭りって楽しくない?!」というスタンスでも十分よいと思う。
 祭りはすごく楽しいものだが、それと同時にいろいろなことを考えさせてくれたり、気づかせてくれたりする大切な行事なのだろう。
 魂が帰ってくるというのは、こういうことなのだろうか。 (■つづく)

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