元信徒が視るオウム的社会論/猪瀬正人

元信者が視るオウム的社会論 第26回/哀れむべき存在

■月刊『記録』00年3月号掲載記事

 先日、フジテレビの深夜番組で、オウム法廷の様子をアニメしたものが放映されました。 かつて教団の幹部であった信者たちが、自らの法廷や、あるいは証人として法廷に立ったときに証言したものをまとめたもので、教祖の麻原被告がいかに滑稽な人物であったかを暴くという内容でした。
 彼ら教団幹部は、僕にとっては上司にあたる人たちでした。僕が知らなかった教団内でのおもしろい逸話もあったのですが、以外に思ったのは、彼ら幹部たちが麻原被告の言動を一様に「ばからしい」と当時思っていたということでした。
 僕は教団にいた当時は、麻原被告の言動を疑ったことがありませんでしたし、まして幹部連中は強い信仰心を持っているように見えたからです。
 本当に「ばからしい」と思っていたのなら、僕のように末端の信者よりも麻原被告に接する機会が多かったのですから、それを教えてほしかったですね。恐怖政治が敷かれていたために、言うことさえもできなかったなんて、言い訳です。教団を飛び出して、堂々と生きていた人たちもいたのですから。
 というよりも、彼ら幹部被告たちは、法廷での点数稼ぎのために、教祖の悪口を争って言い合っているように感じられました。教祖の悪口を暴けば暴くほど、刑が軽減されるとわかっているのでしょう。
 彼ら教団幹部になるような人たちは、思い返すと要領のいい、優等生的な人たちが多かったように思います。逆にいうならば、だからこそ幹部に出世できたのでしょう。
 要領のいい彼らは、教団幹部という立場から被告へと立場が変わると、今度は少しでも刑を軽くしてもらおうと、裁判長に取り入ることを始めたのでした。
 そういう弟子たちしか持てなかった麻原被告は、グルとしてかわいそうな存在だったのかもしれません。
 例えば林郁夫受刑者です。彼はオウムの非合法活動の最大の関与者の一人でしたが、極刑を免れて、無期懲役で刑に服しています。
 彼は医師の資格を持っていたため、一般信者の触れられない、教団の暗部を知っていましたが、教団にいるときは先頭に立って教祖に対する「帰依」を叫んでいたのです。僕など、前に述べたことがあるように、自白剤を使って深層意識まで信仰心を調べられたりしました。
 ところが、逮捕されるや掌を返したように教祖の悪口を言う。あまりにもわかりやすすぎる豹変ではないでしょうか。
 それに反して、初志貫徹を貫いている新実智光被告や土谷正実被告に清々しさを感じるのは僕だけでしょうか?
 現役信者は別です。彼らは教団が引き起こした悲惨な現実から目を背け、たむろして逃避しているだけですから。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第25回/西暦2000年を迎えて

■月刊『記録』00年2月号掲載記事

 西暦二〇〇〇年を迎えました。Y2K問題は大きな問題もなく乗り切ったようですね。しかし、オウムの周辺は上祐史浩氏が年末に教団に復帰しましたし、今年も世間を騒がせそうです。
 これから、オウム真理教という教団がどうなっていくのか、元信者の一人として分析してみましょう。
■出所によってオウム激変

 まず、上祐氏が出所して、教団に戻ったことによって、オウムの内外が激変することになるのは間違いありません。
 というのは、今まで教団を動かしてきた「長老部」といわれる幹部達と上祐氏とでは力関係に格段の差があり、拘留されていたこの四年間の軌道修正を上祐氏が行おうとするからです。
 上祐氏が入所前にもっていた「正大師」という階級と、長老部達の「正悟師」という階級は形式上は一ランクしか違いはないのですが、実質上は彼らの間には何ランクも差があるのです。長老部といわれる人達は地下鉄サリン事件の前後に「正悟師」に昇格した人達であり、同じ「正悟師」の中でもそれ以前から昇格している人達、例えば新実智光被告や飯田エリ子被告など十人くらいがまだランク上にいます。しかし、彼らがみな逮捕されてしまって、長老部といわれる人達がやむを得ず教団を動かすようになったのです。サリン事件前、彼らは中間管理職に過ぎませんでした。

■雲上の人上祐元正大師

 オウムでは「正悟師」から「正大師」に昇るとき、大きな試練が待ち受けています。それは「シャクティーパット」というイニシエーション(秘儀伝授・エネルギー移入)を千人以上の信徒に施さなければならないというものです。上祐氏も「正悟師」から「正大師」に上がるまで約四年間かかりました。
 出所直後に上祐氏は、この「正大師」の階級を教団に返上しました。しかし、それでもまだ上祐氏と長老部達では教団内での立場に雲泥の差があるのです。
 しかし、上祐氏が獄中にいる間、長老部達が教団を率いてきました。彼らにはその実績と自身があります。戻ってきた上祐氏を目の上のたんこぶのように思う人もいることでしょう。
 しかも、以前書いたとおり、上祐氏には人望があまりないのです。彼は教団内のステージも高く能力も秀でているのですが、あまり親しみが持てないタイプなのです。それは彼がオウムに入る前の学生・会社員時代も、入った後もいわばエリート街道を歩んできたため、挫折をして苦しんでいるような人達の気持ちが汲み取れないからなのでしょう。彼とは逆に、よく間違いを犯して苦しみながら幹部に昇りつめた新実被告や飯田被告のほうが信者達の人気は上でした。

■すべては上祐の変化次第

 すべては上祐氏が刑務所で何を考えてきたかによると思います。もし、周りの房にいる罪を犯して苦悩している人達の気持ちを吸収したりして、人々の苦しみを理解できるようになったのなら教団は彼を中心にまとまっていくことになると思いますし、あるいは逆に彼が逮捕される前のように「修行エリート」でお高くとまっているようなら教団をまとめることができず、大分裂に発展していくでしょう。
 オウムの行方は彼の肩にのしかかっているのです。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第24回/1999年を終えて

■月刊『記録』00年1月号掲載記事

■世間を騒がす宗教団体

 雑誌は二〇〇〇年一月号になりましたが、この原稿を書いている今はまだ、一九九九年の年末です。
 さて、暮れにさし迫って二つの宗教団体が世間を騒がせました。みなさんもご存じの「ライフスペース」と「法の華三法行」です。
 両者ともオウムと似ている点と、相反する点を持ち合わせているのですが、今回はそれを取り上げてみましょう。
 まず、「ライフスペース」ですが、これは典型的なカルト、つまり狂信的宗教集団です。
「グル」というのは、インドでいう「人を解脱に導く指導者」のことですが、この団体はいわゆるグルイズムの団体ですね。
「グル」は日本語でいうならば「導師」にあたるのですが、この言葉のなかには深い意味が隠されています。インドの修行者の逸話のなかに、弟子は「グル」が間違ったことをしたり言ったりした時も、それを一〇〇パーセント受け入れなければならないという話があります。オウムでもこれを採用していました。なぜなら解脱の道を知っているのは「グル」だけであり、弟子が煩悩にまみれた色眼鏡で判断してはならないのだということです。この考え方はオウムもライフスペースも同じようです。
 でも、両者が根本的に違うのは、オウムが今の世界の常識や観念を乗り越えて超世間的な状態をめざしたのに対し、ライフスペースのほうは、彼らがいう「定説」、つまり世間の常識に自分達が則っているんだと主張する点でしょう。
 オウムはある意味で「狂気」に到達することを目指しました。なぜなら、人間の世界というのは低い次元であり、その低い次元世界である人間界の常識に囚われてはならないのだと。その常識を乗り越えるためには通常の人間の意識状態を越えた境地に達せねばならないのだということです。
 ところがライフスペースは、自分達の教義が「定説」だ、つまり常識なのだ、人間として普通の考えなのだと主張します。ここが根本的に違う点でしょう。
 つまり、オウムとライフスペースはそのいかがわしい雰囲気などは似ているようですが、その目指す到達点が全く逆なのです。オウムは「定説」を乗り越えることを、ライフスペースは「定説」に則って生きることを目標にするとでもいったらいいのでしょうか。
 ライフスペースに関する報道を見ていておもしろいと思ったのは、その「定説」、つまり世間の常識に則るはずのライフスペースが現代医学を無視した発言を繰り返していたのに対し、世間を超越するつもりのオウムが逆に病院を設立したりして現代医学を活用していた点です。
 オウムの場合は決して、死体がミイラのまま生き続けるなど主張しませんでした。死は通常の「心停止・呼吸停止」で判断していましたから。ウジ虫がわいているのに生きているなどと、そこまで現実離れしていませんでしたね。
 ライフスペースというのは、もしかするとオウム以上の狂信的な集団かもしれません。
払った布施まで返せとは

「法の華三法行」に関しては、しばらく前から関知していました。
 というのも、オウムの本部があった静岡県富士宮市のすぐ隣りの富士市に法の華の本部があるので、僕がオウムに在籍していた時からよく噂は聞いていましたから。
 法の華もオウムと同じように、すごい集金をしていたようですね。損害賠償の請求訴訟が係争中のものだけでも千人以上、額が五十五億円にものぼるそうですから。これはオウムが支払わなければならない賠償金に匹敵するものでしょう。
 ただ、オウムの場合は自らが引き起こした事件の被害者の方々に払う賠償金になりますが、法の華のほうでは、ほとんどが元信者からの請求のようです。
 元信者がたとえだまされたとはいえ、一度信じて納得して払った献金や修行代を返してくれというのはいかがなものかと思います。宗教はそれを信じる者のためにあるのであって、信じなくなったからといって今までの布施を返してくれというのではきりがないですから。正しい宗教か正しくない宗教かと判断する基準というのは、現時点では何もないわけですし……。というよりも、宗教はそれを信じた人にのみ正しいものですから。
 そういう僕も在家三年、出家六年の労働と何百万かの現金をオウムに提供しましたが、それを今になって返してくれと言ったらお笑いものですよね。信じていた時の僕にとってオウムは「正しい宗教」だったわけですから。
 もし「間違った宗教」だと思ったのなら、それは人生の授業料を支払った気持ちで諦めるべきだと思います。お布施は投資ではないのです。

■瀧坂女史、年末の失踪

 ところで、いつもマンガを描いてもらっている瀧坂奈津子女史が失踪してしまいました。
 彼女は漫画家であると同時に『さぶいぼ瓦版』というミニコミ紙の編集長でもあるのですが、経営困難に陥っていたようです。また、写真のモデルや映画などに出演している女優でもあるのですが、最近は出演依頼の声があまりかからなくなってしまったようです。
 瀧坂女史の新聞の基金を転載しておきますので、この才能ある若者にカンパしてみてはいかがでしょうか。
      *     *     *
 さて、いよいよ西暦二〇〇〇年ですが、これからもオウムや新宗教の問題がまだまだ噴出しそうですね。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第23回/上祐史浩の復帰

■月刊『記録』99年12月号

■年末にあの上祐がとうとう出獄

 いよいよ年末に、オウムの最高幹部の一人であるあの上祐史浩が服役を終えて出獄してきます。今は広島の刑務所に在監中で、出所後はそのまま教団に戻るようです。
  「ああ言えば上祐」という流行語まで生んだ彼が、また世間を騒がせることになるでしょうか?
 彼は確信犯的な存在でした。彼が逮捕される一ヵ月前に僕は彼と会っているのですが、幹部としてうすうす事件のことを知っていながら、時間稼ぎのために頻繁にマスコミに出たのだと洩らしてきました。
 早大のESSで学んだディベート術で世間を煙に巻いたのです。当時は「上祐ギャル」と呼ばれるおっかけなども現れて、自らの写真集などを出版したりして得意そうでしたね。

■もはや幹部不在で組織ボロボロ

 上祐逮捕後、オウムの対外的な活動は急速に弱まっていきました。上祐ほど弁舌に長けた人間がいないというのと、それから上祐クラスの幹部が軒並み逮捕されて、教団全体を統率できる信者がいなくなったからです。
 オウムという完全なるピラミッド型の組織の一番上の先端の人達が、逮捕されたり殺されたりして欠けてしまったのです。最上位の「正大師」という位のなかで残ったのは、まだ子どもである教祖の三女・アーチャリーだけでした。
 そのため、組織のまとまりがなくなって、脱会していく者や分派活動をする者が続出しだしたのです。先日オウムが活動を「休眠」すると発表したのも、オウム新法を施行しようとするお上の動きに今の幹部では対処できず、上祐が出所してくる年末まで死んだふりをして時間を稼ごうという意図があるのには間違いありません。 
■独善的パフォーマーの人望の薄さ

 ただ上祐には悲しいかな、人望があまりないのです。独り善がりで、個人プレーが多く、派手なパフォーマンスの裏側でしらけていた信者も多いのです。
 僕が現役信者時代に「アンチ上祐」の旗印を掲げて「決起」したときも、「よくぞやってくれた」「溜飲が下がる思いがした」と現役の信者たちから声をかけられたものです。
 だから上祐が戻ってくるだけで組織の求心力が急速にアップするとはとても思えませんね。
 それに対外的にみても、上祐にはマスコミに毎日のように出て意図的に嘘を吐きまくったという「前科」があるため、世間の風当たりも相当厳しいものとなるでしょう。「上祐が自分たちの町に来る!」なんてなったら、今以上の抗議運動が起きるのは必至ですからね。
 よって、上祐が出所しても今の混沌としたオウムの状況は変わらないでしょうし、いや、もっともっと問題が噴出し、カオスの渦の中に突入していくことになるでしょう。
 まあ、いずれにしても、この四年間で彼がどう変わったのか、獄中でどういうことを考えていたのか、出所してきたら一度は会って話を聞いてみたいものです。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第22回/本物の修行

■月刊『記録』99年11月号掲載記事

■いい加減な教団のまともな修行

 世の中にはたくさんの修行法が存在します。その中にはまがいものも混じっていますが、絶大な効果を上げるものも存在するのです。
 オウムで行われていた修行法にもすばらしいものがありました。その一つに浄化法(クリやヨーガ)というものがあります。ご存じの方も多いと思いますが、塩水を飲んで吐いたり、鼻に紐を通したりする修行です。僕は今でも、二日酔いや鼻詰まりのときに実践しています。効果抜群ですよ。
 しかし、この浄化法にしろ、他の呼吸法や暝想法にしろ、本来これからの修行法は「オウムの修行」と呼んではいけないものでしょう。これらはほとんどインドやチベットの経典からいわば「盗んだ」もので、オウム独自のものではないからです。
  「いい加減な団体」のなかで「本物の修行」が行われていたことに、オウムの問題の本質があるように思われます。

■いざ滝行をしに大自然へ!

 さて、僕は今でも自分が「修行者」であることを自覚するようにしています。オウムのように一個人や組織に依存していた「修行者」ではなく、本当の意味で自立した「修行者」としてです。
 その修行の一環として、オウム脱会後、よく一人で山ごもりをしてきました。オウムではサティアンの中などで終日過ごすとことが多く、自然に触れる機会がなかったので、無性に接したくなったのだと思います。
 一人で山にこもっていると、恐怖に襲われたり、無性に寂しくなったりしますが、それらを克服して自然と心身ともに一体化すると、今まで体験したことがない心の広がり、充実感を味わうことができました。
 そしてよく滝を浴びています。滝行というのは、もちろんオウムにはない修行法ですが、オウムのどの修行法にもまして効果的な修行法ですね。
 山奥の水は夏でも冷やりとするものですし、勢いの激しい滝では自分が押し潰されそうになる恐怖を感じますが、それらを克服して一定の時間浴び続けると、滝の轟音で現実感はかき消され、一種のトランス状態に入っていきます。そして全身がものすごい快感で包まれていくのです。恐怖も苦痛もなくなり、自分が自然と一体化した喜びがフツフツと沸き上がってきます。滝を出る頃には全身の細胞が生まれ変わり、心には何の屈折もなくなってしまいます。
 オウムの修行はあまりにも自然と接するものが少なすぎました。一日中、部屋の中で集団で修行しているから、閉鎖的になってトンデモないことを考えてしまったのでしょう。
  「滝行」は、いまだオウムに残っている現役信者に是非とも体験してほしい修行です。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第19回/「追っかけ」という宗教

■月刊『記録』99年9月号掲載記事

■幻想を人物に投影

 人間は誰でも心の中に「幻想」をそれぞれ抱いています。
 特に女性の場合、その「幻想」を人物に投影し、「アイドル」として追っかけてみたり、「星の王子さま」として夢見たりする傾向が高いように思われます。マンガを描いてもらっている瀧坂女史を観察して痛感しました。
 彼女は今までどの宗教も信仰したことがなく、常々、僕のことを「だまされやすい」「人を信じやすい」「洗脳百貨店」などと小馬鹿にして、「私は絶対に人にはだまされないわよ」と意気がっていますが、よくよくその生態を観察してみると、いろんな「信仰」や「教祖」を持っているので笑ってしまいます。
 瀧坂女史はラジオパーソナリティーの伊集院光氏の追っかけを十年近くもしているそうです。最近はテレビのバラエティー番組などにもちょこちょこ顔を出すようになったので、知ってらっしゃる方も多いと思うのですが、「なぜあんなデブを?」と不思議に思う方も多いでしょう。
 伊集院氏が作ったCMが流れるという告知がラジオであったというので、彼女についてその場に行ってみたことがあるのですが、雨だというのに何百人もぞろぞろと「信者達」が集まってきたのには驚きました。そして、わずか数分間のビデオが上映されるのを待って、小さな一台のテレビに群がっていました。まさに戦後まもなく、力道山のファイトを見に街頭テレビに集まった風景そのままです。
 僕は思わず、オウム時代に麻原氏を何時間も何十時間も待ったことを思い出しました。

■待たせて高める価値

 麻原氏は自分が「カリスマ」と呼ばれることを好んでいました。そして、「カリスマ」性を高めるためにいろいろな演出をしていました。その一つが信者を「待たせる」ことです。
 例えば、説法やイニシエーションがある時、平気で三~四時間、最も長い時など二日間も待たされました。出家修行者千人全員の時もあります。その間、教団の活動を完全に停止にしてです。
 信者達は「自分達の意識が尊師に向いていないから来てくださらないのだ」と心の中で自省し、麻原氏のことをじっと考えひたすら待ったのです。
 ある時は、麻原氏と共にする食事会があり、何グループかに分かれて懐石料理を食べる会だったのですが、あるグループなどは料理が目の前に置かれたまま八時間以上も待たされていました。百人ぐらいの人間が食べ物を前にずっとがまんしながら待っている光景は異様でしたね。もちろん料理は完全に冷めてしまっています。
 待たせることによって、ありがたみを感じさせようと麻原氏は考えていたようです。確かに二日間待った時には、麻原氏がいつもよりまして神々しく感じられたように記憶しています。
 最近、瀧坂女史は評論家の宮崎哲弥氏の追っかけもしているようです。
 人に対して「幻想」を抱くことで、人生を狂わせないよう、細心の注意を払わなければなりません。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第21回/元信者の選択

■月刊『記録』99年10月号掲載記事

 相変わらず、オウムにまつわる諸問題がマスメディアを騒がせています。刑期を終えた信者や一度脱会した元信者が自分から教団に復帰したり、あるいは引き戻されたりする例などが頻繁に取り上げられていますが、ここではそれとは逆の、脱会してオウムから離れていく例を二つ取り上げてみます。どちらも僕の身近で起きたものです。

■冷静な目をもつAさん

 まず三十台前半のAさんの例です。
 Aさんは平成二年、麻原彰晃が衆議院選に落選し、石垣島セミナーを開催した直後に出家。真面目で営業の才のある彼は、出版部の営業などで頭角を現し、ホーリーネームも与えられ、中堅幹部として活躍しました。サリン事件後、上位の幹部が軒並み逮捕されたあと、非合法活動に加わっていなかった彼を教団は重宝し、教祖の娘の一人のボディガード兼秘書の重要な立場を与えていました。
 しかし、冷静な目をもった彼は教団の行方に見切りをつけ、年に何度か所用で上京するたびに、親友である僕と密会をして外部の情報を集めていたのです。僕は早く教団をやめるよう勧めていましたが、ついに昨年の春、教団に置き手紙を残して脱出してきました。
 引き戻し工作を怖れた彼は、教団に住所を知られている実家に帰ることができないので、僕が約三週間ほどかくまいました。案の定、脱出してもう二日後には、彼の実家に同僚だった信者が訪ねてきたそうです。
 その後、都内某所に住み始めた彼は、教団の人間に待ち伏せされたり、街で偶然会った在家信者に謀られて、夜を撤して説得されたそうですが、教団の矛盾点を指摘しこの現実世界で生きていく意志を強く示すと、「変わっちゃったね」と言われ、パタッと引き戻し工作はなくなったそうです。今は営業マンとして正式に就職し、チベット仏教の勉強をしています。

■引きこもりがちなBさん

 Bさんは二十台半ばの元信者。彼はついこの前、「再脱会」したばかりです。
 実は彼は、僕がオウムに入信させてしまった一人でした。彼が大学生の時、学生班で学生の勧誘をしていた僕が説得して入れてしまったのです。しかし、僕が学生班を離れ上一色村のサティアンでの独房修行に入ると、道場にもあまり来なくなり、自然退会のような形でやめました。
 僕がオウムを脱会後、刑事さんの紹介で再会し、内気で引きこもりがちな彼を食事やカラオケなどに連れ出していました。ところが、しばらくして彼の電話がつながらなくなり、音信が途絶えてしまったのです。彼がどうしてるか気にかかっていましたが、仕事の忙しかった僕はしばらくうっちゃっておいたのです。
 昨年末、抜き打ちに彼のアパートを訪問してみると、なんと壁には麻原彰晃の息子である新教祖の写真が貼ってありました。問いつめると、精神世界の会合で偶然再会した現役信者から巧妙な誘いがあり、再入信してしまったそうです。
 その後、秋葉原のパソコンショップで働かされるなど、いろいろあったそうですが、今年の八月にやっと「再脱会」できたようでした。
 最近、もともと面識のあったAさんとBさんを再会させました。Aさんは、しっかりと信念をもって新しい人生を邁進しているので、フラフラしがちなBさあんをきちんと導いてくれることと思います。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第19回/恐怖の大王

■月刊『記録』99年8月号掲載記事

 ノストラダムスの大予言で有名な「一九九九年の七の月」がやってきました。「空から恐怖の魔王が降りてくる」という予言です。この文章をみなさんが読んでいる頃には、その「七の月」も終わろうとしていると思いますが、果たして人類は「恐怖の大王」によって滅亡しているのでしょうか? というよりも、滅亡していたらこの文章も読むことができませんが。
 元々、この「ノストラダムスの大予言」というものは、日本でのみ過大に取り上げられているもののようです。本国フランスよりも日本でのほうが有名になっているとも聞きました。
 日本が戦後を経て、高度経済成長が限界にさしかかる頃、作家の五島勉氏が『大予言』という本の中でこの予言を発表しました。その同時期に石油ショックや公害問題が発生し、それまでの日本の発展の裏面に気づかされることとなり、本は大ベストセラーとなりました。出版時期と世相がシンクロして、暴発してしまったのです。
 僕も中学生のときにその本をかじって、戦慄してしまいました。僕は一九六九年生まれなので、せいぜい残り十五~六年、三十歳までしか生きられないのだと。
 でも、逆にいうならば、ちょうど三十歳という、心身ともに充実したときに人類滅亡の危機を迎えるわけですから、「滅亡を防ぐために自分には何かをしなければならない使命があるのでは」とも思い込むようになりました。「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメが、人類滅亡とそれを乗り越えるための戦いというテーマを取り上げるようになり、自分もできればその「戦士」として戦いたいと考えるようになったのです。
 それからしばらくして、麻原彰晃の本に巡り合いました。彼は修行によって神通力を得た若者達が、汚れきった地球を浄化し、さまざまな難問を乗り越え、人類の滅亡を防ぐのだと唱えたのです。三万人の解脱者が誕生すればそれが可能だと。そして、それを達成させるのが世紀末の日本に現れた救世主・麻原彰晃とオウム真理教なのだと。
 麻原氏のその文章を読んだとき、「これが僕の生きる道だ!」と歓喜しました。そして、どんどんオウムの活動にのめり込むようになり、とうとう二十歳の時に、家族の反対を押し切って出家するようにまでなってしまったのです。
 さて、僕が青春をかけてまで滅亡を防ごうとした「一九九九年七の月」ももう終わりです。もしかすると、現オウムやノストラダムスの予言を教義に取り入れているカルト教団が、教義と現実との帳尻を合わせるために自作自演の事件を起こしているかもしれませんが……。 自らの寄って立つ信念が崩壊する時、人は自暴自棄になりがちですから。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第18回/だめ連の構図

■月刊『記録』99年7月号掲載記事

「だめ連」という異様な集団がにわかに注目されています。
 彼らが唱える「だめ」とは<家族・学校・会社・社会・国家から「だめなヤツ」と言われる可能性のある事柄一般>だそうです。
 モテない、職がない、うだつが上がらない人達が集まり、「ハク」や「うだつ」といったプレッシャーから解放された気楽な生活を送るために、ヒッピー的な共同生活や交流会を催したりしています(「解放」ではなく「逃避」に見えるのですが…)。
  『だめ連宣言!』などという本も出し、さまざまなメディアでも取り上げられているようですが、彼らに対して不快なものを感じているのは僕だけでしょうか?
 特に不快に感じたもののなかには、オウムでの様子と共通する部分が多数ありました。
 例えば、初期のオウムには、精神的な病気を患っている一群があって、彼らは精神病院から逃れたいがためにオウムに出家しました。ところが、そのオウムの中でも修行もせず、悪友がつるむように集まってお互いを慰め合っていました。彼らは修行が厳しくなっていくと、ごっそりとオウムをやめていきました。僕は「だめ連」を見ていると、彼らを思い出してしまうのです。
 懸命になって励んでいる人達に嫉妬を感じながら、ダメな人同士でおしゃべりをして得意気になっている姿は不快そのものでしたね。
 また、共同生活をすることで現実世界から遊離し、一般社会の地位や名誉や観念を軽んじている点はまさにオウムの教義そのものです。
 さらに、「だめ連」の中心人物には元運動家が多いようですが、彼らの発言の端々をとらえると、叶えられなかった革命幻想を「だめ連」に託しているようにも思われます。実際、中心人物の一人であると思われる神長恒一氏は「オレははっきり言って、だめ連って革命運動だと思ってやってんだよね」などと発言しています。
 麻原彰晃氏も権力欲が強く、元々は政治家志望でしたが、それは叶いませんでいた。その強い権力に対する指向を「オウム真理教」という宗教団体を隠れミノに実現させようとしたように、「だめ連」の運動もその背後に別の意図があることを見抜かなくてはなりません。
 さて、オウムの幹部は事件後、逮捕されて無責任な言動を繰り返しています。彼らの言葉に踊らされて入信した信者がまだたくさん教団に残っていますが、何をしていいかも判断できない彼らが諸々のトラブルを引き起こしているのは、最近の報道でご存じのことでしょう。
  「だめ連」にもいずれ同じ構図が当てはまると僕は危惧しているのです。神長氏本人も著書の中で指摘しているのですが、「だめ連」も結成当初はそんなに「だめ」ではない、つまり「だめ」を気取る運動家崩れや芸術科崩れの人達ばかりだったそうです。ところが、その初期の確信犯的なメンバーに煽られて、本当に「だめ」な人たちが多数集まってきてしまいました。
 神長氏などの、スタイルとして「だめ」を演じている人達が、運動を離れて普通の生活に戻った時、集まってきてしまった本当に「だめ」な人達は一体どうなるのでしょうか? それを考えると、教団幹部が軒並み逮捕されて、何をしていいかわからなくなり、右往左往する最近の「だめ」なオウム教団のことを僕は思い浮かべてしまうのです。
 言葉を巧みに弄するまがいものには細心の注意を払わなくてはなりません。
(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第17回/バイアグラの魔力

■月刊『記録』99年6月号掲載記事

 インポテンツの薬であるバイアグラが日本でも認可されて二ヵ月あまりが経ちました。今までも個人輸入や闇ルートなどで入ってきていたこの薬、正式認可を経てますます広がりそうです。
 以前からバイアグラを愛用していたという健康食品メーカーの経営者に話を聞きました。彼によれば、アメリカから輸入されていたたくさんの薬物や健康食品のなかで、唯一効果があったのがバイアグラだったそうです。
 還暦を過ぎている彼は、すでに何年も前に機能しなくなっていたのに、若者のように元気になってビックリしたと言っていました。彼は朝鮮人参を使った健康食品を製造・販売しているのですが、ライバルとして登場したバイアグラを優秀な薬だと褒めていました。

■良薬も過ぎたれば剣

 ただ、効果がありすぎるのは困ったもので、アメリカではバイアグラを飲んだ夫に妻が応じることができず、若い女性に走って離婚に発展する例もあるようです。アメリカは訴訟社会なので、逃げられた妻が製薬会社を相手取り、訴えたりする事例が出てくるのではないでしょうか。効き過ぎるというのもまさに両刃の剣ですね。
 麻原彰晃被告がもし獄中ではなく、いまだオウムの教祖として君臨していたならば、バイアグラの愛用者になっていたのは間違いありません。彼によると、解脱者が女性の信者とセックスして、女性の修行ステージを高める高度なイニシエーション(秘儀伝授)があり、解脱者にとっては苦痛でしかないそうですが、教祖の義務としてしなければならないと言っていましたから。
 もし麻原被告がバイアグラを使用できたら、楽々と多くの女性信者にイニシエーションを施せただろうに!(笑)
 いや、笑い話ではなく、新しもの好きの彼ならば、間違いなく使用していたはずです。間一髪セーフでしたが、嫌なことです。

■薬は人を狂わせる

 また、バイアグラは副作用が怖く、アメリカでは百人以上が死亡したそうです。それほどの死者が出ているのに、普及し続けているというのは、よほど魅力のある薬なのでしょう。精神的依存症になる危険性もあって、バイアグラなしでは立たないと思い込んでしまう例も出ているようです。
 前述した健康食品会社の経営者も、「バイアグラはたまに使うぶんにはいいのですが、副作用と依存性を考えるとお勧めはできません。それよりも、私が開発した朝鮮人参の健康食品のほうが効果がありますよ。不妊でお困りの皇太子ご夫妻にも愛用してもらっていますから!」と、真偽のほどは別にしても断言していました。
 いずれにしても、薬物に依存するというのはいいことではありません。サリン事件直前のオウムがさまざまな薬物に依存していたように、薬というものは人間を狂わせることが多いのですから。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第16回/「おわりなき日常」について

■月刊『記録』99年3月号掲載記事

 オウム事件をめぐって、さまざまな評論が飛び交いましたが、そのなかで、一番異彩を放っていたのが、社会学者の宮台真司氏が唱えた「終わりなき日常」論です。
 彼によれば、オウム事件というのは、いつまでも続くであろう「終わりなき日常」に耐え切れなくなった人々が、一発逆転を狙って引き起こした一種の社会変革であると。
 彼はそれらの人たちを「ハルマゲドン」派と呼びました。そして、彼は「ハルマゲドン」派に対する処方箋として「終わりなき日常」をまったりと生きる知恵を身につけることを提唱しました。
 さらに「終わりなき日常」派の典型として、援助交際をする女子高生、いわゆる「コギャル」をもちあげ、何の理想や大志をもつこともなく、ただひたすら周囲とのコミュニケーションのみに意識を向ける彼女達を見習うべきだと主張したのです。
 ハルマゲドンなど起きやしない、革命や維新など起きやしないぞと。自分の生活に関係ないことにエネルギーを注がずに、コギャルのように日常をうまく立ち回る知恵を磨くべきなのだと。
 援助交際をする女子高生を学者がもちあげたという話題性も相まって、彼は一躍、論壇のスターダムにのし上がりました。日本の通常の社会を離脱し、オウムという一種の別世界から数年ぶりに戻ってきたばかりの僕にとって、彼の主張は驚くべきものであり「日本も変わったなあ」と思ったものでした。
 ところで、今年の一月十日、この日は僕の三十歳の誕生日でもあったのですが、友人達が結成した「維新赤誠塾」というバンドのライブを見に行ってきました。
 彼らは宮台氏が称揚したコギャル文化を一刀両断し、腐敗した現代社会に対する憤りを、攻撃的な詞と音楽で歌いあげていました。
 洪水のように汗を流しながら熱狂的に歌う彼らを見ていて、まさに彼らこそが宮台氏の唱える「終わりなき日常」派の対局に位置する人達だと思いました。
 ライブ後に話を聞いてみると、彼らはその狂気ともいうべき音楽活動を自覚的に行っているのだということに気づかされます。この腐敗した日本を浄化するには、自らを捨てて過激なライブをあえてしなければならないと。そうしなければ、性根まで腐敗が侵食しはじめている日本人を目覚めさせることはできないんだと。そして、その過激さゆえに、今まで出演したすべてのライブハウスから、出入り禁止勧告を受けたそうです。

■幕末なら草奔の志士達

 僕は幕末の草奔の志士達というのは、彼らのような人々だったのじゃないかと思いました。何もしないで長いものに巻かれることは容易である、安易な方向に行こうと思えばいくらでも行ける。しかし、それを選ばず、魂の叫びに従ってイバラの道を歩き始めた彼らは、稀有な存在だと思いました。
 ちなみに僕は「終わりなき日常」のなかで、まったり生きることもできず、かといって社会変革のために奔走することもできず、今はただひたすら自分の心の中を観察しているところです。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第15回/極限で出る思考パターン

■月刊『記録』99年2月号掲載記事

 昨年の十二月十四日、深夜の新宿で、したたかに酔った帰り道に、第乱闘の喧嘩をしでかしてしまいました。
 泥酔してフラフラになりながら駅に向かっていると、若者五人が僕を見てケチをつけてきました。その夜は袖のない黒マントを羽織っていたのですが、彼らには僕が手を出さずに格好つけているように見えたのか、「ちゃんと手を出せよ!」と怒鳴りあげてきたのです。彼らも僕以上に酔っているようでした。目つきを見ると、精神状態が尋常でないようでした。
 僕は酔っぱらいにはかまうまいと、酔っぱらいらしからぬことを思って、無視して歩き続けたのですが、彼らはいつまでもあとをつけてきました。酔っぱらいというのは一つのことが気になりはじめると、際限がなくなるようです。しまいには僕を囲んできて、一人が胸ぐらをつかんできました。顔を見渡すと、全員が十代後半から二十代前半のチーマー風の若者たちでした。
  「手を出して歩きな!」
  「これはマントなんだ。手は出せない。どけよ」
 僕が手を払いのけて歩き続けると、彼らはまた金魚のフンのようについてきて口出ししてきました。僕も次第に頭に血が上ってきて、好戦的な気分になってきました。
 実はこの前夜に、打撃系格闘技のトーナメントである「K-1グランプリ」をテレビで観戦して刺激され、極真空手の門下生だったこともある僕は、もう一度腕力を鍛え直したいと思っていた矢先のことでした。
  (こういうバカな奴らがいるから日本はおかしくなっていくんだよ!)
 思わずカーッとなった僕は、彼らの一人に対して脇腹にミドルキックを打ち込み、道路に沈めました。
 電撃的な攻撃に、彼らは呆気に取られていましたが、仲間の復習をしようと、残りの四人で襲いかかってきました。
 激しい殴り合いとなりました。三分くらいやりあったのでしょうか。リーダーの一人の指示で彼らは引き払っていきました。
  (これは「カルマ落とし」なんだ。自分の悪業を落とすプロセスなんだ)
 殴り合いを終えた直後、いつのまにかそう思っている自分がいました。
 この「カルマ落とし」というのは、オウムの用語で、自分が過去において積んだ悪業が苦しみとして返ってくるという意味です。いわば厄落としみたいなものです。この「カルマ落とし」を乗り越えれば、自分の悪業が滅せられるわけで、「カルマ落とし」に遭遇したら喜びなさいと、オウムのなかにいたときは教え込まされていました。
 オウムで教えられた教義など、今は全く考えないで生活しているのに、こういう極限状況になると、頭に埋め込まれた思考法が出てきてしまいます。もう脱会して三年半にもなるのに…。
 一度身についた思考パターンはなかなか抜けないものだと痛感した次第です。
  「カルマ落とし」の結果として、右目が試合直後のボクサーのように腫れ上がり、しばらくの間、眼帯を付けるはめになりました。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第14回/

■月刊『記録』99年1月号掲載記事

 先日、フジテレビの深夜番組で、オウム法廷の様子をアニメしたものが放映されました。 かつて教団の幹部であった信者たちが、自らの法廷や、あるいは証人として法廷に立ったときに証言したものをまとめたもので、教祖の麻原被告がいかに滑稽な人物であったかを暴くという内容でした。
 彼ら教団幹部は、僕にとっては上司にあたる人たちでした。僕が知らなかった教団内でのおもしろい逸話もあったのですが、以外に思ったのは、彼ら幹部たちが麻原被告の言動を一様に「ばからしい」と当時思っていたということでした。
 僕は教団にいた当時は、麻原被告の言動を疑ったことがありませんでしたし、まして幹部連中は強い信仰心を持っているように見えたからです。
 本当に「ばからしい」と思っていたのなら、僕のように末端の信者よりも麻原被告に接する機会が多かったのですから、それを教えてほしかったですね。恐怖政治が敷かれていたために、言うことさえもできなかったなんて、言い訳です。教団を飛び出して、堂々と生きていた人たちもいたのですから。
 というよりも、彼ら幹部被告たちは、法廷での点数稼ぎのために、教祖の悪口を争って言い合っているように感じられました。教祖の悪口を暴けば暴くほど、刑が軽減されるとわかっているのでしょう。
 彼ら教団幹部になるような人たちは、思い返すと要領のいい、優等生的な人たちが多かったように思います。逆にいうならば、だからこそ幹部に出世できたのでしょう。
 要領のいい彼らは、教団幹部という立場から被告へと立場が変わると、今度は少しでも刑を軽くしてもらおうと、裁判長に取り入ることを始めたのでした。
 そういう弟子たちしか持てなかった麻原被告は、グルとしてかわいそうな存在だったのかもしれません。
 例えば林郁夫受刑者です。彼はオウムの非合法活動の最大の関与者の一人でしたが、極刑を免れて、無期懲役で刑に服しています。
 彼は医師の資格を持っていたため、一般信者の触れられない、教団の暗部を知っていましたが、教団にいるときは先頭に立って教祖に対する「帰依」を叫んでいたのです。僕など、前に述べたことがあるように、自白剤を使って深層意識まで信仰心を調べられたりしました。
 ところが、逮捕されるや掌を返したように教祖の悪口を言う。あまりにもわかりやすすぎる豹変ではないでしょうか。
 それに反して、初志貫徹を貫いている新実智光被告や土谷正実被告に清々しさを感じるのは僕だけでしょうか?
 現役信者は別です。彼らは教団が引き起こした悲惨な現実から目を背け、たむろして逃避しているだけですから。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第13回/岡崎被告・判決傍聴

■月刊『記録』98年12月号掲載記事

 坂本弁護士一家殺害事件の実行犯である岡崎一明被告の判決公判に行ってきました。
 実は岡崎被告は僕がオウムに出家する時の担当であり、彼が教団にいる頃はさまざまな場所でかかわりがあった人物なのです。
 読者の方々は、岡崎被告がどういう人物だとイメージするでしょうか? おそらく「オウムを抜け出して、田舎でビクビクしながら身を隠していた小心者で、しかも麻原から金をせびり取った狡猾なヤツ」とでもなるのでしょう。
 しかし、別に岡崎被告を擁護するわけではありませんが、昔の彼は多くの信者の憧れの的だったのです。
 岡崎は石井久子に続き、オウムで二番目に解脱したことになっています。それは、あの上祐や村井よりも早く、教団内では麻原に続くカリスマでした。岡崎を崇める信者は非常に多く、彼のホーリーネームを取って「アングリマーラ教(一派)」をオウム内で形成していたような時期もありましたね。彼の意志力は並大抵のものではなく、真っ暗闇での独房を百日間も耐え、罰として断水断食で五日間独房に放り込まれた時も平然としていました。過激な言葉と堂々とした態度で人を引っ張っていくリーダーシップがあり、他人の心をズバッと見抜く特殊な才能(これをオウムでは「他心通」と呼び、超能力としていた)をもっていましたね。
 麻原彰晃が衆議院選に出馬した選挙活動中に、僕はストレスに耐えかねてラーメンを食べてしまったことがあります。朝の九時から夜の十時まで選挙区内の家を一軒一軒訪問する「宅訪」というワークのときでした。教団の戒律では外食してはいけないことになっているのです。
 僕はその日、ちょっとしたうしろめたさを抱えながら、選対事務所に帰りました。そして、深夜のミーティングの時、僕が結果報告を済ませると、その場に居合わせた岡崎がズバッと、「外食をしないように」と指摘してきたのです。
 ラーメンを食べることは、破戒になるのですから、当然僕は細心の注意を払ってラーメン屋に入りました。誰にもわかるはずがないと高をくくっていたのです。しかし、それを見抜かれてしまったのですから、腰が抜けるほど驚いてしまいましたよ。
 さて、その「偉大な解説者」であった岡崎一明氏に八年半ぶりに会ってきました。しかし、彼は決して越えることのできない柵の向こう側にいます。
 入廷する時から、彼は今にも泣きそうな顔をしていました。昔の凛々しい面影はありません。椅子に座ってからもずっとうつむいたままです。
 裁判長が判決文を一時間ほど読み上げ、最後に「被告人に死刑を宣告する」と言った時も、岡崎はその表情のままでした。
 判決は当然のこととはいえ、なんともやりきれない気分になりました。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第12回/富士山とサティアン

■月刊『記録』98年10月号掲載記事

元信徒が視る
オウム的社会論

第十二回

 富士山。
 日本一高く、日本一美しい山。
 そのすぐ麓でずっと生活していながら、一度も登ったことのない山。
 
 八月十二日、富士登山に行ってきました。上九一色村のサティアン群の見学も兼ねてです。頂上から見たら、果たして自分の「夢の跡」はどう見えるのか? そして、自分が青春の夢を追いかけた場所がどうなっているのか? それをこの目で確認したかったからです。
 五合目まで車で行き、そして約四時間をかけて日本の頂上まで登りきりました。予想以上に山頂は涼しい、いや、それどころか寒かったほどでしたね。
 頂上からの眺めはすばらしく、緑の樹海が一面に広がり、富士五湖や朝霧高原が一望できました。はっきりとした場所は特定できませんでしたが、この一角に毒ガス製造工場や銃の製作所もあったのでしょう。自分は教団在籍時、「厚生省」でも「科学技術庁」のメンバーでもなかったので、それらの殺人兵器を作っていた現場は見たことがありませんが、富士山頂からの美しい眺めと対比させるとあまりのアンバランスさに、当事者の自分ですら「え、あれは本当だったのかな?」という気分になってきました。
 下山後、山麓を散策するとますますその気持ちは強まってきました。毎日のように眺めていたはずなのに、富士山がとても美しく見え、そして周辺の木々や花も訴えかけるように自分の目の中に飛び込んできました。数年前までは、この風景をいつも見ていたはずなのに…。
 オウムにいた時、次のような修行がありました。呼吸を圧迫し、第三の心臓である横隔膜を鍛えるという触れ込みで、目の部分だけに穴を空けた覆面を被り、富士宮の道場から上九一色村の道場まで約二時間をかけて歩くという修行です。それを朝夕二回、日課のように繰り返していました。
 澄んだ空気を吸いながら、美しい山野のなかを歩いていたにも関わらず、当時は一度も自然のすばらしさを感じることはありませんでした。目の前にある富士山を見ても、ただの物体にしか見えませんでしたね。感情を圧し殺すことが修行だと教えられてきたせいでしょう。
 そういえば、毒ガス攻撃を受けているという建て前で、サティアンにはほとんど窓がありませんでした。それに、公安警察から見張られているという理由で、少ない窓もすべてカーテンを閉めきっていましたね。
 そして、修行という名目で心の窓も閉じてしまうというのが、カルトであったオウム真理教の本質だったと、今は実感しています。
 
 最近、オウムの元信者で、僕の親友である加納秀一君が歌手デビューしました。彼が作詞した曲のなかに、
 OPEN YOUR SOUL
 OPEN YOUR EYES
 OPEN YOUR MIND
 という一節があります。
 オウムの現役信者に聞かせてみたいものです。
(つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第11回/「オウマー」の追っかけ

■月刊『記録』98年9月号掲載記事

 七月二八日、約二年ぶりに青山吉伸被告の公判に行ってきました。事件当時、問題意識のかけらももたずに上祐や青山を追っかけていた若い女性、いわゆる「オウマー」が現存すると聞いたからです。
 まず驚いたのは、流行りの下着ファッションに身を包んだ若い女性がたくさんいたことと、廊下で眠りこけている人がいたこと。そこにオウマーと年配の方が加わり、異様な空間を形成していました。法廷は完全に劇場化し、皆は見せ物を楽しむために来た、そんな印象を受けました。
 法廷内で熱心なファンを観察してみると、彼女達はなんと、被告の一挙一動、例えば何時何分に少し横を向いたとか、何時何分に鼻を触ったとか、法廷で裁かれるべき内容とは全く関係のないことばかり事細かに記録しているではないですか! こんなことまでするのかと、正直言ってゾッとしましたね。しかも、相手は自他共に認める犯罪者。そのうえ、ふぬけたような青山被告。何故そのようなものを偶像化し、裁判に通い続けるのか。そこに関心をもち、話を聞いてみることにしました。
 話を聞き、彼女達もオウムの人間と同様に、社会適応性に欠けているな、と痛感しました。当時の青山や上祐には、ある程度一般社会に対する反抗精神があり、オウマー達も社会に対して、さまざまな理由でひがみみたいなものをもっていた。そこにシンパシーを感じ、学者や評論家と果敢に闘い続けた青山や上祐の「反骨」に魅かれたのでしょう。もっとも、彼らは逮捕された途端にあっさり折れた「エセ反骨」でしたが(笑)。
 こんな話もあります。ある時期、上祐・青山に飽きた追っかけギャルたちが、その当時、薬害エイズ問題に奮戦していた菅直人氏にこぞって鞍替えしたそうです。つまり、「何かに立ち向かう姿勢を見せている人」なら誰でもいいのでしょう。
「犯罪と病理を混同してはいけない」などと言った人もいましたが、それはオウムには該当しません。オウムは「病気」ではないからです。確かに、事件を起こした状況は特殊でしたが、特殊=病気とは直結しません。特に青山などは犯罪を認めてるわけですしね。
 今回わかったことは、オウマーには単にアイドルとして眺めるタイプと根本的にはアイドル視していても右記のようにもっともらしい言い訳をし、建前だけはとりつくろうタイプの二通りあるということ。しかし双方とも、結局は裁判の本質はなにもとらえていない、はた迷惑な存在であるということです。
 青山被告は彼女達を、一瞥だにしませんでした。そりゃそうでしょう。被告にとっては人生を左右する場を、コンサート会場かなにかと勘違いしてきて、裁判官に悪印象を与えるのですから……。決して傍聴席を振り向こうとしない、それが彼の心情を象徴しているのではないでしょうか。
 ストーカーのように、相手(被告)の心理を全く考えずに押しかけて、裁判所全体の雰囲気を乱す人間がいる。少なくとも僕ら二人は、ただならぬ危機感を覚えましたね。
 尚、この拙文並びに漫画への反論がある方は、是非『記録』編集部までお知らせください。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第10回/林郁夫の手記

■月刊『記録』98年8月号掲載記事

 最近、大手出版社の雑誌でなぜか頻繁にオウム特集が組まれています。週刊誌にしろ、月刊誌にしろそうです。電車の吊り広告を見て、気になる僕は一応立ち読みをしてチェックするのですが、大した内容のものはありません。
 『記録』のライバル誌(?)『文芸春秋』に掲載された、地下鉄サリン事件の実行犯・林郁夫の手記「オウムと私」は、二五〇枚にも及ぶものでしたので、さすがに立ち読みははばかられ、買って読んでみました。どこの本屋でもいつもより多く平積みされていましたが、あまり売れている様子はありませんでしたけどね。
 読んだ方はどう思われたでしょうか?
 漫画を描いてもらっている瀧坂女史にも読んでもらいましたが、彼女の感想は上をご覧になってください。
 僕は林郁夫とは少なからぬ縁がありました。林は僕の半年後に出家しており、その直後からいろんな関わりがあったものです。
 出家直後の林は、それはそれは謙虚なものでした。彼が主家してまだ間もない頃、一緒に勧誘活動に行ったりしましたし、僕がバイクに乗って転倒して、足首をパックリと切ってしまった時には、ていねいに縫ってもらったりしたこともありました。親しみが持てるタイプではりませんでしたが、オウムの人間らしからぬ礼儀正しさと清潔さを備えており、「なかなかの紳士だなあ」と思ったものです。
 その後、僕が長期の修業に入り、林が東京にあるオウムの付属病院にいた関係上、しばらく接する機会がありませんでした。再会したとき、林は「治療省大臣」という立場になっていました。

■豹変した治療省大臣

 治療省は第六サティアンの三階にあり、僕はその玄関で警備をしていたので、毎日のように顔を合わせることになりました。彼を観察するようになった僕は、「林大臣」の豹変ぶりにすぐ気づきました。
 紳士的な態度は影を潜めて、「大臣」としての傲慢な態度が目につくようになっていました。彼の運転手をしていた看護婦のMさんを顎で使うようになっていましたし、法廷で証言した奥さんによると、この頃から部下となった奥さんに対し、手を上げるようになったそうです。人体実験で気が触れてしまった患者がサティアンを逃げ出そうとすると、物凄い形相で追いかけてきて、首根っこを捕まえて引きずっていった姿を見たこともあります。林の手記によると、「慢性的な睡眠不足のため」と何度も言い訳をしていますが、明らかに彼自身が異常な精神状態にあり、さながらホラー映画に登場するような「マッド・サイエンティスト」のようでしたね。
 僕が今でもつきあっている元信者の一人に、林に記憶を消されて、今でもその後遺症に苦しんでいる人がいます。林のことを相当恨んでいるようです。記憶をなくさせる技術も含めて、オウムに多くの人体実験の方法を取り入れたのは林なのです。その元信者などは氷山の一角であり、おそらく数えきれないほどの元信者が今でも苦しんでいることでしょう。
 無の民を殺傷し、その上、医師の権限を悪用して、多くの信者の人生をも狂わせた林郁夫。いくら彼が法廷で号泣しようが、何千枚もの手記を書こうが、単なる言い訳にしか聞こえないのは僕だけでしょうか?(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第9回/それぞれが妄信する正義

■月刊『記録』98年9月号掲載記事

 オウムの現在に迫った自主制作のドキュメンタリー映画「A」を観に行きました。
 当初はテレビのドキュメンタリー番組の企画として撮影が始まりましたが、TBS問題が公になってから、監督の森達也氏がプロデューサーに呼ばれ、「『殺人集団』オウムの存在を肯定し、社会の『健全な良識』と衝突するものは作れない。やるなら一人でやってくれ」と言われて、企画が取り下げられ、自主制作に踏み切ったそうです。
 森監督は制作会社から契約を解除されたあとも、カメラを手に教団施設へ通い、百五十時間にも及ぶ撮影を続けました。今は現存しないサティアン内部の映像も信者の生身の生活とともに撮影されており、貴重なドキュメントフィルムとなることでしょう。
 ところで「A」とは、オウム事件以後、教団の広報副部長に就任した荒木浩君を指しています。おとなしくて内省的な荒木君が、上祐氏の指示で世間の前へ引っ張り出され、マスコミとの対応や対外交渉、法的交渉に追われるようになります。映画では、その背景に周囲の日本人の「狂騒ぶり」が浮かび上がってくる構造になっています。
 なんといっても印象的なシーンは、荒木君とともに亀戸道場から出てきた信者を、公安の刑事が無理矢理、逮捕する場面です。任意の職務質問に応じず、名前を名乗らなかったというだけで、「何をするかやめなさい!」と口走りながら突き飛ばして、「公務執行妨害だ!」と叫び逮捕しました。信者は頭を道路に打ちつけ、脳振盪で白目を剥いているのに、その刑事は自分もケガをしたと明らかに猿芝居しているのには唖然としてしまいました。人間はここまで良心をなくせるものか、と驚きましたね。公安の刑事も、彼は彼で正しいことをしていると思っているのでしょう。自分の与えられた環境における「正義」(ここでは警察の正義)というものを頭から信じてしまうのは恐いことです。
 また、日本テレビのワイドショーの女性リポーターが荒木君に近寄って、「私を信じてくださいよ」と言いながら隠し撮りしているのには笑ってしましました。その女性リポーターも騙してでもいいからおもしろいネタを引っ張りだそうと必死なのでしょうが、ここでも「正義」(マスコミの正義)に取り憑かれた哀れな精神構造が浮き彫りにされていました。
 もちろん、オウムの人間とて同じこと。破防法の不適用が決定された直後に、教団代表代行の村岡達子さんが記者会見を開き、「これで、私たちの信仰が救われました」といわば勝利宣言をしていましたが、この言葉を聞いて、どれだけオウム事件の被害者の方々がイヤな思いをしたことでしょう。僕も元関係者として恥ずかしくなってしまいましたね。
 荒木君はもちろんオウム寄りの人間ですが、まだまだ社会の「垢」を多く残しているようです。オウムにも世間にも安住できずにいる彼を描写することにより、「自分の正義」にしがみつく人々の醜さを露呈させた監督の力量はなかなかのものです。
 最後に結論。自分は正しい、自分だけはマトモだ、と思っている人ほど傍迷惑で滑稽なものはありません。なぜなら、それは天動説を信じていた中世のキリスト教会のようなもので、必ずやいつの日か、それを信じない人に危害を及ぼすからです。そして後世の人に馬鹿にされるのです。あらゆる考え方を往き来できる、自由な精神を身につけねばなりません。(■つづく)

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元信者が語るオウム的社会論 第8回/飽食の時代の不幸

■月刊『記録』98年6月号掲載記事

 現在もオウムの現役信者が糧にしている食料を極秘入手しました。「お供物」と呼ばれているものです。巷間でいわれる「オウム食」なる野菜汁は、実はもう彼らに食されていません。平成4年頃に、「オウム食」から「お供物」に変更になり、今もそのままのようです。
 この「お供物」の内容には、プロテイン入りの饅頭、拳大のパン、カロリーメイトの真似をした「アストラルメイト」などがあります。これらは「ダーキニー」と呼ばれる、教団における巫女的な若い女性信者によって作られ、そして祭壇に供えられたあと、信者に分けられていました。
 さて、「アストラルメイト」を一個手に入れた僕は、3年ぶりに口に放り込んでみました。少々懐かしさを感じながら…。
 ところが、そのあまりの不味さに愕然としてしまいました。形状も味もほとんど変わっていないのに、なぜこんなに不味く感じるのだろうか? 以前はお供物が支給される時間が楽しみで、もう貪るように食べていたというのに。
<『供物』が変わったのではない。自分の味覚が変わったのだ>
 そう気付きました。
 
 オウム在籍時、僕は自ら志願して、独房修業に半年間ほど入ったことがあります。自己鍛練のためです。自分を一度極限状況まで追い込んでみようと思ったのでした。窓もないたった一畳の部屋に閉じ込められ、足を伸ばして寝ることもできない場所にオマルだけがおかれ、日に一度与えられる「お供物」をぼんやりと待つ、そんな生活でした。「お供物」の量は、饅頭・パン・アストラルメイトを三つずつ、それからバナナ一本、みかん一個だけで、見る見るうちに体重が減り、半年後に独房を出た直後に計ってみたら四九キロまで減っていました。身長が一八〇センチといえば、いかに痩せ細ったか想像つくでしょう。
 ただ、そのときのおいしさといったら、今でも忘れられません。
 その後、しばらくして脱会。長年に渡って抑圧されてきた食欲が爆発し、食べて食べて食べまくりました。よく憶えているのは、チャーハンを一升(約二・五キロ)食べて、歩けなくなって刑事さんに家まで送ってもらったことです。それまで毎日同じものばかりでしたから、食べるものそのものが目新しく感じ、何を食べてもおいしかったですね。脱会して三カ月後には一〇キロ体重が増えていましたから。
 ところが、一年もすると「食べること」に喜びを見出せなくなってきました。味覚が贅沢になったのでしょうか。逆にいくら食べてもむなしさしか残らなくなりました。
 そして、三年後の今日、もう「お供物」なんてものは僕には食べられません。しかし、この美味でない「お供物」を今でもありがたがって食べている現役信者を想像すると複雑な気持ちになってしまいます。いったいどちらが幸せなのかと?
 これから大不況と同時に、間違いなく食料危機がこの日本を襲うでしょうが、みなさんは何か準備していますか? そのときになって苦しんだり、パニックに陥ったりしないよう、今のうちに粗食に慣れておいたほうがいいかもしれませんね。(■つづく)

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元信者が語るオウム的社会論 第7回/大蔵省とオウム真理教

■月刊『記録』98年5月号掲載記事

 新井笙敬代議士が自殺した直後、彼の両親が驚くべき発言をしているのをテレビで見て、唖然としました。「どうせ(政治家は株で儲けることを)みんなやってるじゃないの。なぜうちの子だけがやり玉に上げられなくちゃならないの!」という発言です。
 おそらく、彼らは息子が自殺したことでパニックに陥り、ポロッと本音を漏らしたのでしょう。その一般人とはかけ離れた『感覚の麻痺』はもう末期的といってもいいでしょう。特に、真理子夫人は夫の非を棚に上げ、一時は補欠選挙に出馬するとまで言いだしました。彼女には自らを省みる能力が欠けているのではないでしょうか?
 新井氏は元官僚で、大蔵省出身だそうです。そしてこの「官庁のなかの官庁」ともいうべき、大蔵省の『感覚の麻痺』も浮き彫りになってきています。料亭で一晩数十万円もの接待を受け、ノーパンしゃぶしゃぶで酒池肉林の限りを尽くし、覚醒剤に手を染めた者までいる……。一昔前の官僚では絶対に考えられないことです。
 国のために安い給料で夜遅くまで身を削って働く官僚を、私は尊敬していました。政治家が無能なため、実際に政策立案し日本を動かしてきたのも官僚でした。中学生のころは彼等に憧れ、官僚になって日本のために尽くしたいと夢見たことだってあります。
 おそらく、彼等も入省するときは皆、高い志を持っていたのでしょう。ところが、官僚支配が長く続きすぎたためか、あまりにも彼等は傲慢になってしまいました。初心を忘れてしまったのですね。
 オウムも初期のころは、あれで素晴らしい団体だったんですよ。私が入信したのは昭和六一年ですが、そのころは既成の葬式仏教を乗り越え、日本に宗教改革を起こそうという意気込みに満ちていました。仏教が本来目指さなければならない「解脱」や「修行」というものに正面切って取り組むことが、求道心に溢れた若者達をどんどん引き寄せました。
 昭和六三年の春には、富士山の麓に大きな道場を建てるまでになったのですが、そこに落とし穴が待っていました。その年の九月、富士道場での修行中に、信者の一人が亡くなってしまったのです。それは修行による事故死でしたが、教団が大発展中だったため、幹部らは、それが外部に漏れて社会的な非難を受け、勢いが削がれるのを恐れました。それで遺体をドラム缶に入れて焼却してしまったのです。
 遺体焼却の際、薪を運んだ信者で田口さんという人がいました。田口さんは翌年の二月、教団に不信を抱き脱会しようとしましたが、遺体焼却の件がバレるのを防ぐため、教団は彼を「ポア」してしまったのです。それがオウム最初の殺人でした。
 その後、彼らは「ポア」というかわいらしい語感の言葉によって、正常な感覚を麻痺させ、殺人を肯定していったのです。目障りな人々を容赦なく殺すようになり、坂本弁護士事件、リンチ殺人事件、VX殺人未遂、そして遂には松本サリン事件や地下鉄サリン事件などの無差別テロにまで雪ダルマ式に発展していきました。
 オウムにしろ、大蔵省にしろ、「狭い世界で暮らす」というのは本当に恐ろしいものです。善悪が転倒しても、なかなか気づきません。現在、日本のいたるところで『感覚麻痺』の現象が起きています。今、自分が物事に対してどういう感じ方をしているのか、絶えず省みないと、とんでもないことになってしまいそうですね。(■つづく)

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元信者が語るオウム的社会論 第6回/2年ぶりに麻原公判を傍聴

■月刊『記録』98年4月号掲載記事

 ひさびさに麻原裁判を傍聴してきました。第二回公判以来、約二年ぶりです。漫画家の瀧坂女史にも傍聴してもらったので、イラストとともに法廷の様子をご報告いたしましょう。
 五〇席の傍聴席を求めて、二四〇人が抽選に並びました。初公判のときは、その百倍もの人達が日比谷公園に行列をつくったことを思うと、隔世の感が否めませんでしたね。
 法廷に入る前に、五段階もの入念なボディー・チェックがありました。まず、入口でバッグを開けて中身を調べられます。番号札と引き換えにバッグを係員に預け、空港にあるような金属探知機の下を通ると、棒の探知機でも全身をくまなくチェックされます。そして所持品を全部ポケットから出して検査され、最後に体全体を触られます。
 これでもかこれでもかとしつこい程ですが、係員の態度を見ているといい加減そのものでした。麻原公判も七〇回近くになり、手抜きの仕方を憶えたのでしょうか。瀧坂女史などは筆箱の中にカッターを入れていたにもかかわらず、何も言われなかったそうですから。
 ボディーチェックを終えて法廷前の廊下に出ると、最前列の傍聴席を確保しようと、すでに七人もの現役信者が並んでいました。全員見知った顔です。お互いすぐに気づきましたが、すぐに無視を決め込んできました。「猪瀬は裏切り者」ということでしょう。予想されたことですが、寂しかったですね。カルト・マインドというのは本当に偏狭なものです。
 入廷が許可されると、信者たちは我先にと法廷内に流れ込み、みるみるうちに最前列と二列目の席を独占してしまいました。まもなく刑務官に手錠を引かれて、麻原被告がぶつぶつ言いながら入廷してきました。一瞬彼を見て、その変貌ぶりに僕は唖然としてしまいました。以前は感じていた教祖としての威厳が全く感じられず、こう言っては失礼ですが、まさにホームレスのようになっていましたから(もちろんホームレスの方に失礼ということです)。
 この日は一年半もの間、逃亡生活を続けた『殺人マシーン』林泰男が証人として出廷する日です。グレーのスーツ姿で礼儀正しく入廷し、証人席に座って淡々と証言し始めました。
 麻原被告はつぶやき続けながら、♪これっくらいの おべんとばこに♪みたいなジェスチャーを恥ずかしげもなく繰り返しています。僕は裁判を傍聴しながら、何故このような人物を信じるようになったのか考えましたが、彼のホームレスのような超然としたところ、世間の善悪を超越したような雰囲気、それに惹かれたんだろうなあと思いましたね。そうしたら、裁判官も検事も弁護士も単なる俗物に見え、林の背中も小さく見えるようになったので恐ろしかったです。
 傍聴席の前列を独占している信者達のほとんどは居眠りをしていました。警備員もうつらうつらの状態です。一人だけ警備員のなかに、居眠りを叩き起こすのに生き甲斐を見出だしているような人がいて、傍聴人の襟首をつかんで締め上げているのでビックリしましたよ。
 ところで、裁判全体を見渡してみて、いろいろ無駄なことに気づきました。まず、警備員と刑務官のやたら多いこと。全部で三~四十人もいたんじゃないでしょうか。皆さん暇をもてあましていましたね。麻原被告の隣の刑務官はニヤニヤしながら、向かいの同僚とサインを出し合って遊んでましたし・・・・・。それに暖房が効きすぎです。あれでは眠くなります。そして、麻原被告の国選弁護人が十二人もいること。いったい、麻原裁判一回で税金がいくら使われているのでしょうか。
(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第5回/人類はクローンをどこまで管理できるか

■月刊『記録』98年3月号掲載記事

「金剛乗の教えというものは、もともとグルというものを絶対的立場において、そのグルに帰依すると。そして自己を空っぽにする努力をすると。その空っぽになった器に、グルの経験、あるいはグルのエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせると。つまりグルのクローン化をすると。これがヴァジラヤーナだね」(八八年十月の麻原彰晃の説法より)。
 これはオウム草創期における麻原の説法の一説です。読んでいただければわかるように、麻原彰晃は当初から信者をクローン化、つまり自分に似せた、百パーセント従順な信仰ロボットを造ろうとしていました。
 たしかに、オウムがその教義の多くを由来してきたチベット密教には「クローン化」の教えがないことはありません。弟子はグル(師匠)が経験している宗教的境地を得るために、グルとともに生活し、グルの言動を真似、グルの指示なら、たとえ間違っていると思っても実行しなければならないと説かれています。そして、グルの血や精液を飲むという前近代的なことも実際にあるようです。オウムとチベット密教との関連については、改めて検討しなければならないでしょう。
 ところで、オウムでは信者をクローン化する方法の一つに「PSI(Perfect Servation Initiation)」、いわゆるヘッドギアがありました。脳波の測定器を改造したもので、専門家によると四~五万円程度の機器だそうですが、在家信者には百万円以上で売りつけていたので、教団の財政はかなり潤ったことでしょう。僕は出家者だったのでタダで支給されましたが・・・・・。
 機器の構造は、コンピューターに麻原の脳波をデジタル化して入力し、それをアナログの波に変換して電流で信者に流し込むというものでした。脳波、つまり脳の電気的活動を通して信者を麻原のクローンにするというものです。
 これを一週間つけ続ければ、麻原の煩悩のない(?)フラットな脳波と同じ状態になり、解脱することができるという触れ込みでしたが、残念ながら僕も含め、誰も解脱していません。電流が流れると目の前に火花が飛び、一時的に覚醒した状態になりましたが、最初の日だけでした。それどころか、電極をつけていた箇所が低温やけどのような状態になり、なかには禿を作ってしまった人もいました。稚拙な技術力のため、オウムのクローン化計画は頓挫しましたが、成功していたら大変なことになっていましたね。
 昨年から、本物のクローン人間ができるかもしれないということで、世界中で多くの論議を巻き起こしています。技術的に可能になったそうですから、いつかは誰かが造ってしまうことでしょう。問題はいったい誰がそれを管理するかになるでしょうね。今の麻原が、自分のクローンと思っていた元弟子たちの反抗により、裁判で苦境に陥っているように、僕たちもいずれ登場するであろうクローン人間に滅ぼされないよう、今のうちにしっかりと議論しなければなりませんね。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第4回/消費社会の不安に耐えられるか!?

■月刊『記録』98年2月号掲載記事

 皆さんもご存じのように、麻原影晃は信者に対して「極限の布施」と称し、全財産の教団への寄付を命じていました。結果的に谷さんの拉致事件で警察権力の介入するところとなり、それを防ぐために地下鉄サリン事件をさらに引き起こして、かの強制的な「極限の布施」システムは、オウムもろとも崩壊へと導かれましたが。
 さて、脱会後自分で調べたのですが、このオウムの「極限の布施」のやり方は、伝統的な仏教思想からも、オウムが強く影響されていたチベット仏教の伝統からも誤りであることがわかりました。例えばチベットなどでは、たしかに出家者は無一文になりますが、財産は教団に捧げるだけでなく、貧しい人に分けたり、家族のために残したりしていくそうです。
 ところで、ここで考えなくてはいけないのは、当時の僕も含めて、オウムの信者たちは何故その「極限の布施」のシステムに甘んじて乗ったのか、です。
 よく宗教者は「お金だけではない、心の平安が大切だ」と口にします。しかし、今の日本においては、「お金」なくしては「心の平安」も得られないシステムがすでに完成しつつあります。戦後に興った消費資本主義は、かつてない豊かな「消費」を可能にしましたが、逆に「消費」のために耐えねばならない底知れぬ不安を現代人に植え付けたのです。一生続く住宅ローンの苦しみ、けれど背中合わせのリストラへの不安、そして自分に合わない職場に仕方なく耐えねばならない人たち・・・・・。彼らの「心の平安」は、いったいどこにあるのでしょうか。
 僕がオウムに出家したときは、大学生の身分だったので、手元にあった微々たる金銭と家財道具ぐらいしか布施できませんでした。けれど意外にも、すがすがしい気分を味わうことができました。そしてこれからは衣・食・住について、まったく心配しないで精神的な鍛練に没頭できるんだ、という安堵感がありました。
 こう言うと「だまされたくせに何を言うか」とおっしゃる人がいるかもしれません。そうなのです、たしかにだまされました。しかし、ただ単にだまされただけでなく、僕は自分を縛り付けている消費経済の鎖から自由にもなりたかったのではないかと、いま思うのです。
 麻原影晃は「現世(現代社会)の快楽(つまり消費の快楽)は虚しい」と説き続けていました。この言葉の説得力を否定しきることができるかと問われると、いまでも考え込んでしまいます。そして消費経済にどっぷりと浸かっている、いやそれだけでなく、いま、こうして仕事で情報誌に記事を書くことで消費を煽ってさえいる立場の我が身を振り返ると、複雑な気持ちになってしまいます。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第3回/「極限修行」とは

■月刊『記録』98年1月号掲載記事

 東大卒の父親が家庭内暴力に耐えかね、自分の子どもを殺すという事件が昨年あり、最近その裁判が話題になりました。
 一昔前なら東大卒のエリートの『権威』でもって、自分の子どもなど平伏していたはずですが、その虚構ともいうべき『権威』が崩壊しつつあるのはいいことかもしれません。
 そうはいっても現在の状況はあまりにも情けない。ニッポンのよき父親は一体どこへ行ったのだろうかと嘆かずにはいられません。まさに犬のように、家族や子どもに媚びへつらう父親の姿は見るに耐えないものです。人間の成長にとって「父権」というのは重要な位置を占めるのですから、父親はもっとリーダーシップをとってもいいのではないでしょうか。別に『巨人の星』の星一徹さんのようになれとはいいませんが(笑)。
 今の日本のさまざま問題も、日本という国自体の「父権の喪失」「リーダーシップの不在」に一因があるように思えてなりません。最近では家庭の飼い犬のなかでも、飼い主の家族の中で誰がリーダーなのか分からず、困惑する現象がみられるそうです。「権勢症症候群」というそうですが、もう末期症状ですね。
 その点、麻原彰晃という人物は「父性」の塊のような人物でした。彼は弟子達を平気で拳や竹刀で殴りつけていましたし、反対に励ますときは人前もはばからず抱きしめていました。あるときなど、自分の長女の不手際を叱るために、弟子達の前で長女の頭をボコボコに殴りましたから。もちろん長女は号泣し、普段はクソ生意気な長女もさすがに自分の非を認め、「ゴメンナサイ! しっかりワーク(教団内の仕事)をします!」と、泣きながら謝っていました。
 僕もやられました。あれは平成五年の正月、「極限修行」のときのこと。それはまさに極めて厳しい修行で、睡眠時間はゼロ、しかも蓮華座という厳しい座法を二十四時間組み続けるというものでした。その間中、常に監視が見張っていて、チンピラのような言葉づかいと竹刀の音を響かせながら、居眠りと座法をチェックしているのです。この修行に入って一ヶ月ほど過ぎたときには、意識はもうろう足腰はガタガタです。
 もう途中でギブアップしようと思ったのですが、そういう僕を心配した麻原彰晃が道場までやってきて、皆の前で僕のお尻と太ももを竹刀で青あざができるまで叩いたのです。そしてその後力強く僕を抱きしめ、「がんばれよ」と励ましてくれたのでした。こんなことは生まれてこの方、学校の先生にも先輩にも、父親にもなかったので、魂が震えるほど感動しました。
 日本のお父さん達が失った、強烈なまでの「父性」を持っていた麻原に、たくさんの信者が集まったのは当然だなあと思います。だからといって、「家長制度を復活せよ!」なんてことはいいませんけどね。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第2回/一服で心が変わる!? プロザック

信徒が視るオウム的社会論
■月刊『記録』97年12月号掲載記事

■第2回 一服で心が変わる!? プロザック

 物事には何でも二面性があります。そして、それを最も象徴しているのが「薬物」じゃないでしょうか。
 脳内物質が心の状態を変えることがわかってから、心を変容させる薬物がたくさん開発されました。最近は「暗い世界」でも明るく振る舞えるという「プロザック」という抗うつ剤が流行ったりしているようです。
 不況で会社の倒産も相次ぎ、それどころか国家自体が破産寸前に追い詰められている日本にとって、飲むだけで世界がガラリと変わり、生きる意欲が湧く抗うつ剤はこれからますますもてはやされるでしょう。特にきたるべき金融ビックバンでは、多くの銀行・證券会社などが間違いなく破綻するでしょうから、そのときビルから飛び降りるよりもたった数錠の薬でそれを止めることができるならば、本人にとっても周りの人間にとっても有益かもしれません。
 ところで、ご存じかと思いますが、オウムでもたくさんの薬物が「イニシエーション」(秘儀伝授)と称し、信者に投与されました。オウム特製の滋養強壮剤から自白剤(チオペンタール)、そして覚醒剤から究極の薬物ともいうべきLSDまでのフルコース。僕自身もイヤというほど堪能させていただきましたね(笑)。
 世間では、オウムでこれらの薬物を使ったことは非合法なのだから、すべて「悪」だったというレッテルが貼られていますが、僕自身としては経験してよかったと思うものもなかにはあります。その一つが自白剤です。
 ベットの上に横になり、点滴を打つようにして自白剤を体の中に注入されると、意識が朦朧としてきました。すると医師が枕元に来て、僕に呼びかけてきました。「あなたはどういう破戒をしましたか」「あなたは心に引っ掛かっていることがありますか」と。そのときの僕はもうどうでもいいやっていう気持ちになっていて、聞かれたことは何でも話してしまいましたね。
 その後、完全に意識がなくなって、気がつくと四時間ほど経っていました。そして、心の屈折がなくなったせいか驚くほど身が軽くなっていました。自分が何をされたのか全部憶えているわけではないのに、いつのまにか心身が軽やかになるという体験ははじめてでしたので、ビックリしましたね。やり方に問題があることは間違いないのですが、神経症になる前にこうして心身の転換を図れるのならば、テクニックとしては一考の余地があるのではないでしょうか?
 しかし、薬物を使ったイニシエーションでは、記憶を消されたり、あるいは本人の知らないうちにある思考パターンを植え付けるという「洗脳」が行われたことも間違いありません(どこまで効果があったのかわかりませんが)。もしそのオウムのテクニックよりはるかに優れた洗脳技術を、人々を支配してやろうと考える独裁者が握ったらとんでもないことになりますね。人々の心を一定方向へと操ろうとするでしょうから。
 薬物をつねに善用できる方法ってないのでしょうかねぇ。(■つづく)

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元信徒が視るオウム的社会論 第1回/エヴァやオウムが流行るワケ

■月刊『記録』97年11月号連載記事

(■猪瀬正人 いのせ・まさと……1969年栃木県生まれ。早稲田大学法学部に入学後、89年オウム真理教で出家した。95年6月、微罪逮捕を契機に脱会。現在、フリーライター。)

 僕は高校3年生のときに、オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」に入会しました。そして、大学2年生のとき、オウムに出家しました。その間、3年ほどの期間があるのは、まだ十代で出家するだけの度胸がなかったからなのですが、それと同時に大学教育というものに未練があったからでした。1年間、予備校で浪人生活を送ったのも、もちろん大学に入りたかったからです。田舎に住んでいた僕は、大学生活の現状を知らず、憧れの思いだけを抱いていたのでした。

 尾崎士郎の『人生劇場』の世界に憧れ、早稲田大学に入ったのですが、入学直後から自分の勘違いに気づきました。既にレジャーランドと化していたキャンパスには何の精神性もなく、内的思索の機会もなく、特に早大は教授が二流で、しかも授業に出なくても単位が取れるという校風のためか、入学して1ヵ月もしないうちに、オウムの道場に入り浸りになるようになってしまいました。つまり、大学教育の薄っぺらさによって僕はオウムに引きずり込まれたようなものです(もちろんそれだけではありませんが)。

 ところで、今年に入ってアニメの「新世紀エヴァンゲリオン」の大ブームが起きました。他ならぬ僕も、元オウム信者に勧められて観るようになり、一時期ハマったのですが、世間でもこのアニメとオウムの共通性についてよく取り沙汰されましたね。曰く、この映画はオウム的カルトの世界を表現したものだと。あるいは心理学用語をちりばめてオウムと同じ手法で洗脳していると。
 実際、この映画の題名からして、オウムがロシアのラジオ局を通して放映していた「エヴァンゲリオン・テス・ヴァシレイアス(御国の福音)」とダブっていますし、映画館に行くと、オウム世代ともいうべき20代~30代の男性がほとんどです。そして、オウム幹部の石井久子被告とよく似た「綾波レイ」という登場人物に信者までできて、一体何十万円もする彼女の等身大のフィギアやグッズが爆発的に売れるという現象まで起きました。そして、このアニメをより理解するための解釈本が何十冊も出て、たくさんの読者が、オウムと共通した精神世界を必死に勉強しているのです。
 特に男子大学生などは集団で映画を何回も観に来たりしていて、もう信仰宗教の信者と同じです。彼らを見ていると、オウムに出家する前の大学生だった自分を見ているようで、「また同じことを繰り返しているなあ」と思わざるを得ません。
 いったい大学教育はどうしちゃったのでしょう? 「エヴァンゲリオン」ならまだしも、もしもっと強烈な第二オウム、第3オウムが登場したら、たくさんの大学生がオルグされて、また大きな社会問題に発展しますよ。
 オウムでの失敗の教訓を、大学側にも生かしてほしいものですね。(■つづく)

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