元信徒が視るオウム的社会論/猪瀬正人

元信者が視るオウム的社会論 第26回/哀れむべき存在

■月刊『記録』00年3月号掲載記事

 先日、フジテレビの深夜番組で、オウム法廷の様子をアニメしたものが放映されました。 かつて教団の幹部であった信者たちが、自らの法廷や、あるいは証人として法廷に立ったときに証言したものをまとめたもので、教祖の麻原被告がいかに滑稽な人物であったかを暴くという内容でした。
 彼ら教団幹部は、僕にとっては上司にあたる人たちでした。僕が知らなかった教団内でのおもしろい逸話もあったのですが、以外に思ったのは、彼ら幹部たちが麻原被告の言動を一様に「ばからしい」と当時思っていたということでした。
 僕は教団にいた当時は、麻原被告の言動を疑ったことがありませんでしたし、まして幹部連中は強い信仰心を持っているように見えたからです。
 本当に「ばからしい」と思っていたのなら、僕のように末端の信者よりも麻原被告に接する機会が多かったのですから、それを教えてほしかったですね。恐怖政治が敷かれていたために、言うことさえもできなかったなんて、言い訳です。教団を飛び出して、堂々と生きていた人たちもいたのですから。
 というよりも、彼ら幹部被告たちは、法廷での点数稼ぎのために、教祖の悪口を争って言い合っているように感じられました。教祖の悪口を暴けば暴くほど、刑が軽減されるとわかっているのでしょう。
 彼ら教団幹部になるような人たちは、思い返すと要領のいい、優等生的な人たちが多かったように思います。逆にいうならば、だからこそ幹部に出世できたのでしょう。
 要領のいい彼らは、教団幹部という立場から被告へと立場が変わると、今度は少しでも刑を軽くしてもらおうと、裁判長に取り入ることを始めたのでした。
 そういう弟子たちしか持てなかった麻原被告は、グルとしてかわいそうな存在だったのかもしれません。
 例えば林郁夫受刑者です。彼はオウムの非合法活動の最大の関与者の一人でしたが、極刑を免れて、無期懲役で刑に服しています。
 彼は医師の資格を持っていたため、一般信者の触れられない、教団の暗部を知っていましたが、教団にいるときは先頭に立って教祖に対する「帰依」を叫んでいたのです。僕など、前に述べたことがあるように、自白剤を使って深層意識まで信仰心を調べられたりしました。
 ところが、逮捕されるや掌を返したように教祖の悪口を言う。あまりにもわかりやすすぎる豹変ではないでしょうか。
 それに反して、初志貫徹を貫いている新実智光被告や土谷正実被告に清々しさを感じるのは僕だけでしょうか?
 現役信者は別です。彼らは教団が引き起こした悲惨な現実から目を背け、たむろして逃避しているだけですから。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第25回/西暦2000年を迎えて

■月刊『記録』00年2月号掲載記事

 西暦二〇〇〇年を迎えました。Y2K問題は大きな問題もなく乗り切ったようですね。しかし、オウムの周辺は上祐史浩氏が年末に教団に復帰しましたし、今年も世間を騒がせそうです。
 これから、オウム真理教という教団がどうなっていくのか、元信者の一人として分析してみましょう。
■出所によってオウム激変

 まず、上祐氏が出所して、教団に戻ったことによって、オウムの内外が激変することになるのは間違いありません。
 というのは、今まで教団を動かしてきた「長老部」といわれる幹部達と上祐氏とでは力関係に格段の差があり、拘留されていたこの四年間の軌道修正を上祐氏が行おうとするからです。
 上祐氏が入所前にもっていた「正大師」という階級と、長老部達の「正悟師」という階級は形式上は一ランクしか違いはないのですが、実質上は彼らの間には何ランクも差があるのです。長老部といわれる人達は地下鉄サリン事件の前後に「正悟師」に昇格した人達であり、同じ「正悟師」の中でもそれ以前から昇格している人達、例えば新実智光被告や飯田エリ子被告など十人くらいがまだランク上にいます。しかし、彼らがみな逮捕されてしまって、長老部といわれる人達がやむを得ず教団を動かすようになったのです。サリン事件前、彼らは中間管理職に過ぎませんでした。

■雲上の人上祐元正大師

 オウムでは「正悟師」から「正大師」に昇るとき、大きな試練が待ち受けています。それは「シャクティーパット」というイニシエーション(秘儀伝授・エネルギー移入)を千人以上の信徒に施さなければならないというものです。上祐氏も「正悟師」から「正大師」に上がるまで約四年間かかりました。
 出所直後に上祐氏は、この「正大師」の階級を教団に返上しました。しかし、それでもまだ上祐氏と長老部達では教団内での立場に雲泥の差があるのです。
 しかし、上祐氏が獄中にいる間、長老部達が教団を率いてきました。彼らにはその実績と自身があります。戻ってきた上祐氏を目の上のたんこぶのように思う人もいることでしょう。
 しかも、以前書いたとおり、上祐氏には人望があまりないのです。彼は教団内のステージも高く能力も秀でているのですが、あまり親しみが持てないタイプなのです。それは彼がオウムに入る前の学生・会社員時代も、入った後もいわばエリート街道を歩んできたため、挫折をして苦しんでいるような人達の気持ちが汲み取れないからなのでしょう。彼とは逆に、よく間違いを犯して苦しみながら幹部に昇りつめた新実被告や飯田被告のほうが信者達の人気は上でした。

■すべては上祐の変化次第

 すべては上祐氏が刑務所で何を考えてきたかによると思います。もし、周りの房にいる罪を犯して苦悩している人達の気持ちを吸収したりして、人々の苦しみを理解できるようになったのなら教団は彼を中心にまとまっていくことになると思いますし、あるいは逆に彼が逮捕される前のように「修行エリート」でお高くとまっているようなら教団をまとめることができず、大分裂に発展していくでしょう。
 オウムの行方は彼の肩にのしかかっているのです。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第24回/1999年を終えて

■月刊『記録』00年1月号掲載記事

■世間を騒がす宗教団体

 雑誌は二〇〇〇年一月号になりましたが、この原稿を書いている今はまだ、一九九九年の年末です。
 さて、暮れにさし迫って二つの宗教団体が世間を騒がせました。みなさんもご存じの「ライフスペース」と「法の華三法行」です。
 両者ともオウムと似ている点と、相反する点を持ち合わせているのですが、今回はそれを取り上げてみましょう。
 まず、「ライフスペース」ですが、これは典型的なカルト、つまり狂信的宗教集団です。
「グル」というのは、インドでいう「人を解脱に導く指導者」のことですが、この団体はいわゆるグルイズムの団体ですね。
「グル」は日本語でいうならば「導師」にあたるのですが、この言葉のなかには深い意味が隠されています。インドの修行者の逸話のなかに、弟子は「グル」が間違ったことをしたり言ったりした時も、それを一〇〇パーセント受け入れなければならないという話があります。オウムでもこれを採用していました。なぜなら解脱の道を知っているのは「グル」だけであり、弟子が煩悩にまみれた色眼鏡で判断してはならないのだということです。この考え方はオウムもライフスペースも同じようです。
 でも、両者が根本的に違うのは、オウムが今の世界の常識や観念を乗り越えて超世間的な状態をめざしたのに対し、ライフスペースのほうは、彼らがいう「定説」、つまり世間の常識に自分達が則っているんだと主張する点でしょう。
 オウムはある意味で「狂気」に到達することを目指しました。なぜなら、人間の世界というのは低い次元であり、その低い次元世界である人間界の常識に囚われてはならないのだと。その常識を乗り越えるためには通常の人間の意識状態を越えた境地に達せねばならないのだということです。
 ところがライフスペースは、自分達の教義が「定説」だ、つまり常識なのだ、人間として普通の考えなのだと主張します。ここが根本的に違う点でしょう。
 つまり、オウムとライフスペースはそのいかがわしい雰囲気などは似ているようですが、その目指す到達点が全く逆なのです。オウムは「定説」を乗り越えることを、ライフスペースは「定説」に則って生きることを目標にするとでもいったらいいのでしょうか。
 ライフスペースに関する報道を見ていておもしろいと思ったのは、その「定説」、つまり世間の常識に則るはずのライフスペースが現代医学を無視した発言を繰り返していたのに対し、世間を超越するつもりのオウムが逆に病院を設立したりして現代医学を活用していた点です。
 オウムの場合は決して、死体がミイラのまま生き続けるなど主張しませんでした。死は通常の「心停止・呼吸停止」で判断していましたから。ウジ虫がわいているのに生きているなどと、そこまで現実離れしていませんでしたね。
 ライフスペースというのは、もしかするとオウム以上の狂信的な集団かもしれません。
払った布施まで返せとは

「法の華三法行」に関しては、しばらく前から関知していました。
 というのも、オウムの本部があった静岡県富士宮市のすぐ隣りの富士市に法の華の本部があるので、僕がオウムに在籍していた時からよく噂は聞いていましたから。
 法の華もオウムと同じように、すごい集金をしていたようですね。損害賠償の請求訴訟が係争中のものだけでも千人以上、額が五十五億円にものぼるそうですから。これはオウムが支払わなければならない賠償金に匹敵するものでしょう。
 ただ、オウムの場合は自らが引き起こした事件の被害者の方々に払う賠償金になりますが、法の華のほうでは、ほとんどが元信者からの請求のようです。
 元信者がたとえだまされたとはいえ、一度信じて納得して払った献金や修行代を返してくれというのはいかがなものかと思います。宗教はそれを信じる者のためにあるのであって、信じなくなったからといって今までの布施を返してくれというのではきりがないですから。正しい宗教か正しくない宗教かと判断する基準というのは、現時点では何もないわけですし……。というよりも、宗教はそれを信じた人にのみ正しいものですから。
 そういう僕も在家三年、出家六年の労働と何百万かの現金をオウムに提供しましたが、それを今になって返してくれと言ったらお笑いものですよね。信じていた時の僕にとってオウムは「正しい宗教」だったわけですから。
 もし「間違った宗教」だと思ったのなら、それは人生の授業料を支払った気持ちで諦めるべきだと思います。お布施は投資ではないのです。

■瀧坂女史、年末の失踪

 ところで、いつもマンガを描いてもらっている瀧坂奈津子女史が失踪してしまいました。
 彼女は漫画家であると同時に『さぶいぼ瓦版』というミニコミ紙の編集長でもあるのですが、経営困難に陥っていたようです。また、写真のモデルや映画などに出演している女優でもあるのですが、最近は出演依頼の声があまりかからなくなってしまったようです。
 瀧坂女史の新聞の基金を転載しておきますので、この才能ある若者にカンパしてみてはいかがでしょうか。
      *     *     *
 さて、いよいよ西暦二〇〇〇年ですが、これからもオウムや新宗教の問題がまだまだ噴出しそうですね。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第23回/上祐史浩の復帰

■月刊『記録』99年12月号

■年末にあの上祐がとうとう出獄

 いよいよ年末に、オウムの最高幹部の一人であるあの上祐史浩が服役を終えて出獄してきます。今は広島の刑務所に在監中で、出所後はそのまま教団に戻るようです。
  「ああ言えば上祐」という流行語まで生んだ彼が、また世間を騒がせることになるでしょうか?
 彼は確信犯的な存在でした。彼が逮捕される一ヵ月前に僕は彼と会っているのですが、幹部としてうすうす事件のことを知っていながら、時間稼ぎのために頻繁にマスコミに出たのだと洩らしてきました。
 早大のESSで学んだディベート術で世間を煙に巻いたのです。当時は「上祐ギャル」と呼ばれるおっかけなども現れて、自らの写真集などを出版したりして得意そうでしたね。

■もはや幹部不在で組織ボロボロ

 上祐逮捕後、オウムの対外的な活動は急速に弱まっていきました。上祐ほど弁舌に長けた人間がいないというのと、それから上祐クラスの幹部が軒並み逮捕されて、教団全体を統率できる信者がいなくなったからです。
 オウムという完全なるピラミッド型の組織の一番上の先端の人達が、逮捕されたり殺されたりして欠けてしまったのです。最上位の「正大師」という位のなかで残ったのは、まだ子どもである教祖の三女・アーチャリーだけでした。
 そのため、組織のまとまりがなくなって、脱会していく者や分派活動をする者が続出しだしたのです。先日オウムが活動を「休眠」すると発表したのも、オウム新法を施行しようとするお上の動きに今の幹部では対処できず、上祐が出所してくる年末まで死んだふりをして時間を稼ごうという意図があるのには間違いありません。 
■独善的パフォーマーの人望の薄さ

 ただ上祐には悲しいかな、人望があまりないのです。独り善がりで、個人プレーが多く、派手なパフォーマンスの裏側でしらけていた信者も多いのです。
 僕が現役信者時代に「アンチ上祐」の旗印を掲げて「決起」したときも、「よくぞやってくれた」「溜飲が下がる思いがした」と現役の信者たちから声をかけられたものです。
 だから上祐が戻ってくるだけで組織の求心力が急速にアップするとはとても思えませんね。
 それに対外的にみても、上祐にはマスコミに毎日のように出て意図的に嘘を吐きまくったという「前科」があるため、世間の風当たりも相当厳しいものとなるでしょう。「上祐が自分たちの町に来る!」なんてなったら、今以上の抗議運動が起きるのは必至ですからね。
 よって、上祐が出所しても今の混沌としたオウムの状況は変わらないでしょうし、いや、もっともっと問題が噴出し、カオスの渦の中に突入していくことになるでしょう。
 まあ、いずれにしても、この四年間で彼がどう変わったのか、獄中でどういうことを考えていたのか、出所してきたら一度は会って話を聞いてみたいものです。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第22回/本物の修行

■月刊『記録』99年11月号掲載記事

■いい加減な教団のまともな修行

 世の中にはたくさんの修行法が存在します。その中にはまがいものも混じっていますが、絶大な効果を上げるものも存在するのです。
 オウムで行われていた修行法にもすばらしいものがありました。その一つに浄化法(クリやヨーガ)というものがあります。ご存じの方も多いと思いますが、塩水を飲んで吐いたり、鼻に紐を通したりする修行です。僕は今でも、二日酔いや鼻詰まりのときに実践しています。効果抜群ですよ。
 しかし、この浄化法にしろ、他の呼吸法や暝想法にしろ、本来これからの修行法は「オウムの修行」と呼んではいけないものでしょう。これらはほとんどインドやチベットの経典からいわば「盗んだ」もので、オウム独自のものではないからです。
  「いい加減な団体」のなかで「本物の修行」が行われていたことに、オウムの問題の本質があるように思われます。

■いざ滝行をしに大自然へ!

 さて、僕は今でも自分が「修行者」であることを自覚するようにしています。オウムのように一個人や組織に依存していた「修行者」ではなく、本当の意味で自立した「修行者」としてです。
 その修行の一環として、オウム脱会後、よく一人で山ごもりをしてきました。オウムではサティアンの中などで終日過ごすとことが多く、自然に触れる機会がなかったので、無性に接したくなったのだと思います。
 一人で山にこもっていると、恐怖に襲われたり、無性に寂しくなったりしますが、それらを克服して自然と心身ともに一体化すると、今まで体験したことがない心の広がり、充実感を味わうことができました。
 そしてよく滝を浴びています。滝行というのは、もちろんオウムにはない修行法ですが、オウムのどの修行法にもまして効果的な修行法ですね。
 山奥の水は夏でも冷やりとするものですし、勢いの激しい滝では自分が押し潰されそうになる恐怖を感じますが、それらを克服して一定の時間浴び続けると、滝の轟音で現実感はかき消され、一種のトランス状態に入っていきます。そして全身がものすごい快感で包まれていくのです。恐怖も苦痛もなくなり、自分が自然と一体化した喜びがフツフツと沸き上がってきます。滝を出る頃には全身の細胞が生まれ変わり、心には何の屈折もなくなってしまいます。
 オウムの修行はあまりにも自然と接するものが少なすぎました。一日中、部屋の中で集団で修行しているから、閉鎖的になってトンデモないことを考えてしまったのでしょう。
  「滝行」は、いまだオウムに残っている現役信者に是非とも体験してほしい修行です。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第19回/「追っかけ」という宗教

■月刊『記録』99年9月号掲載記事

■幻想を人物に投影

 人間は誰でも心の中に「幻想」をそれぞれ抱いています。
 特に女性の場合、その「幻想」を人物に投影し、「アイドル」として追っかけてみたり、「星の王子さま」として夢見たりする傾向が高いように思われます。マンガを描いてもらっている瀧坂女史を観察して痛感しました。
 彼女は今までどの宗教も信仰したことがなく、常々、僕のことを「だまされやすい」「人を信じやすい」「洗脳百貨店」などと小馬鹿にして、「私は絶対に人にはだまされないわよ」と意気がっていますが、よくよくその生態を観察してみると、いろんな「信仰」や「教祖」を持っているので笑ってしまいます。
 瀧坂女史はラジオパーソナリティーの伊集院光氏の追っかけを十年近くもしているそうです。最近はテレビのバラエティー番組などにもちょこちょこ顔を出すようになったので、知ってらっしゃる方も多いと思うのですが、「なぜあんなデブを?」と不思議に思う方も多いでしょう。
 伊集院氏が作ったCMが流れるという告知がラジオであったというので、彼女についてその場に行ってみたことがあるのですが、雨だというのに何百人もぞろぞろと「信者達」が集まってきたのには驚きました。そして、わずか数分間のビデオが上映されるのを待って、小さな一台のテレビに群がっていました。まさに戦後まもなく、力道山のファイトを見に街頭テレビに集まった風景そのままです。
 僕は思わず、オウム時代に麻原氏を何時間も何十時間も待ったことを思い出しました。

■待たせて高める価値

 麻原氏は自分が「カリスマ」と呼ばれることを好んでいました。そして、「カリスマ」性を高めるためにいろいろな演出をしていました。その一つが信者を「待たせる」ことです。
 例えば、説法やイニシエーションがある時、平気で三~四時間、最も長い時など二日間も待たされました。出家修行者千人全員の時もあります。その間、教団の活動を完全に停止にしてです。
 信者達は「自分達の意識が尊師に向いていないから来てくださらないのだ」と心の中で自省し、麻原氏のことをじっと考えひたすら待ったのです。
 ある時は、麻原氏と共にする食事会があり、何グループかに分かれて懐石料理を食べる会だったのですが、あるグループなどは料理が目の前に置かれたまま八時間以上も待たされていました。百人ぐらいの人間が食べ物を前にずっとがまんしながら待っている光景は異様でしたね。もちろん料理は完全に冷めてしまっています。
 待たせることによって、ありがたみを感じさせようと麻原氏は考えていたようです。確かに二日間待った時には、麻原氏がいつもよりまして神々しく感じられたように記憶しています。
 最近、瀧坂女史は評論家の宮崎哲弥氏の追っかけもしているようです。
 人に対して「幻想」を抱くことで、人生を狂わせないよう、細心の注意を払わなければなりません。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第21回/元信者の選択

■月刊『記録』99年10月号掲載記事

 相変わらず、オウムにまつわる諸問題がマスメディアを騒がせています。刑期を終えた信者や一度脱会した元信者が自分から教団に復帰したり、あるいは引き戻されたりする例などが頻繁に取り上げられていますが、ここではそれとは逆の、脱会してオウムから離れていく例を二つ取り上げてみます。どちらも僕の身近で起きたものです。

■冷静な目をもつAさん

 まず三十台前半のAさんの例です。
 Aさんは平成二年、麻原彰晃が衆議院選に落選し、石垣島セミナーを開催した直後に出家。真面目で営業の才のある彼は、出版部の営業などで頭角を現し、ホーリーネームも与えられ、中堅幹部として活躍しました。サリン事件後、上位の幹部が軒並み逮捕されたあと、非合法活動に加わっていなかった彼を教団は重宝し、教祖の娘の一人のボディガード兼秘書の重要な立場を与えていました。
 しかし、冷静な目をもった彼は教団の行方に見切りをつけ、年に何度か所用で上京するたびに、親友である僕と密会をして外部の情報を集めていたのです。僕は早く教団をやめるよう勧めていましたが、ついに昨年の春、教団に置き手紙を残して脱出してきました。
 引き戻し工作を怖れた彼は、教団に住所を知られている実家に帰ることができないので、僕が約三週間ほどかくまいました。案の定、脱出してもう二日後には、彼の実家に同僚だった信者が訪ねてきたそうです。
 その後、都内某所に住み始めた彼は、教団の人間に待ち伏せされたり、街で偶然会った在家信者に謀られて、夜を撤して説得されたそうですが、教団の矛盾点を指摘しこの現実世界で生きていく意志を強く示すと、「変わっちゃったね」と言われ、パタッと引き戻し工作はなくなったそうです。今は営業マンとして正式に就職し、チベット仏教の勉強をしています。

■引きこもりがちなBさん

 Bさんは二十台半ばの元信者。彼はついこの前、「再脱会」したばかりです。
 実は彼は、僕がオウムに入信させてしまった一人でした。彼が大学生の時、学生班で学生の勧誘をしていた僕が説得して入れてしまったのです。しかし、僕が学生班を離れ上一色村のサティアンでの独房修行に入ると、道場にもあまり来なくなり、自然退会のような形でやめました。
 僕がオウムを脱会後、刑事さんの紹介で再会し、内気で引きこもりがちな彼を食事やカラオケなどに連れ出していました。ところが、しばらくして彼の電話がつながらなくなり、音信が途絶えてしまったのです。彼がどうしてるか気にかかっていましたが、仕事の忙しかった僕はしばらくうっちゃっておいたのです。
 昨年末、抜き打ちに彼のアパートを訪問してみると、なんと壁には麻原彰晃の息子である新教祖の写真が貼ってありました。問いつめると、精神世界の会合で偶然再会した現役信者から巧妙な誘いがあり、再入信してしまったそうです。
 その後、秋葉原のパソコンショップで働かされるなど、いろいろあったそうですが、今年の八月にやっと「再脱会」できたようでした。
 最近、もともと面識のあったAさんとBさんを再会させました。Aさんは、しっかりと信念をもって新しい人生を邁進しているので、フラフラしがちなBさあんをきちんと導いてくれることと思います。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第19回/恐怖の大王

■月刊『記録』99年8月号掲載記事

 ノストラダムスの大予言で有名な「一九九九年の七の月」がやってきました。「空から恐怖の魔王が降りてくる」という予言です。この文章をみなさんが読んでいる頃には、その「七の月」も終わろうとしていると思いますが、果たして人類は「恐怖の大王」によって滅亡しているのでしょうか? というよりも、滅亡していたらこの文章も読むことができませんが。
 元々、この「ノストラダムスの大予言」というものは、日本でのみ過大に取り上げられているもののようです。本国フランスよりも日本でのほうが有名になっているとも聞きました。
 日本が戦後を経て、高度経済成長が限界にさしかかる頃、作家の五島勉氏が『大予言』という本の中でこの予言を発表しました。その同時期に石油ショックや公害問題が発生し、それまでの日本の発展の裏面に気づかされることとなり、本は大ベストセラーとなりました。出版時期と世相がシンクロして、暴発してしまったのです。
 僕も中学生のときにその本をかじって、戦慄してしまいました。僕は一九六九年生まれなので、せいぜい残り十五~六年、三十歳までしか生きられないのだと。
 でも、逆にいうならば、ちょうど三十歳という、心身ともに充実したときに人類滅亡の危機を迎えるわけですから、「滅亡を防ぐために自分には何かをしなければならない使命があるのでは」とも思い込むようになりました。「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメが、人類滅亡とそれを乗り越えるための戦いというテーマを取り上げるようになり、自分もできればその「戦士」として戦いたいと考えるようになったのです。
 それからしばらくして、麻原彰晃の本に巡り合いました。彼は修行によって神通力を得た若者達が、汚れきった地球を浄化し、さまざまな難問を乗り越え、人類の滅亡を防ぐのだと唱えたのです。三万人の解脱者が誕生すればそれが可能だと。そして、それを達成させるのが世紀末の日本に現れた救世主・麻原彰晃とオウム真理教なのだと。
 麻原氏のその文章を読んだとき、「これが僕の生きる道だ!」と歓喜しました。そして、どんどんオウムの活動にのめり込むようになり、とうとう二十歳の時に、家族の反対を押し切って出家するようにまでなってしまったのです。
 さて、僕が青春をかけてまで滅亡を防ごうとした「一九九九年七の月」ももう終わりです。もしかすると、現オウムやノストラダムスの予言を教義に取り入れているカルト教団が、教義と現実との帳尻を合わせるために自作自演の事件を起こしているかもしれませんが……。 自らの寄って立つ信念が崩壊する時、人は自暴自棄になりがちですから。(■つづく)

| | コメント (1) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第18回/だめ連の構図

■月刊『記録』99年7月号掲載記事

「だめ連」という異様な集団がにわかに注目されています。
 彼らが唱える「だめ」とは<家族・学校・会社・社会・国家から「だめなヤツ」と言われる可能性のある事柄一般>だそうです。
 モテない、職がない、うだつが上がらない人達が集まり、「ハク」や「うだつ」といったプレッシャーから解放された気楽な生活を送るために、ヒッピー的な共同生活や交流会を催したりしています(「解放」ではなく「逃避」に見えるのですが…)。
  『だめ連宣言!』などという本も出し、さまざまなメディアでも取り上げられているようですが、彼らに対して不快なものを感じているのは僕だけでしょうか?
 特に不快に感じたもののなかには、オウムでの様子と共通する部分が多数ありました。
 例えば、初期のオウムには、精神的な病気を患っている一群があって、彼らは精神病院から逃れたいがためにオウムに出家しました。ところが、そのオウムの中でも修行もせず、悪友がつるむように集まってお互いを慰め合っていました。彼らは修行が厳しくなっていくと、ごっそりとオウムをやめていきました。僕は「だめ連」を見ていると、彼らを思い出してしまうのです。
 懸命になって励んでいる人達に嫉妬を感じながら、ダメな人同士でおしゃべりをして得意気になっている姿は不快そのものでしたね。
 また、共同生活をすることで現実世界から遊離し、一般社会の地位や名誉や観念を軽んじている点はまさにオウムの教義そのものです。
 さらに、「だめ連」の中心人物には元運動家が多いようですが、彼らの発言の端々をとらえると、叶えられなかった革命幻想を「だめ連」に託しているようにも思われます。実際、中心人物の一人であると思われる神長恒一氏は「オレははっきり言って、だめ連って革命運動だと思ってやってんだよね」などと発言しています。
 麻原彰晃氏も権力欲が強く、元々は政治家志望でしたが、それは叶いませんでいた。その強い権力に対する指向を「オウム真理教」という宗教団体を隠れミノに実現させようとしたように、「だめ連」の運動もその背後に別の意図があることを見抜かなくてはなりません。
 さて、オウムの幹部は事件後、逮捕されて無責任な言動を繰り返しています。彼らの言葉に踊らされて入信した信者がまだたくさん教団に残っていますが、何をしていいかも判断できない彼らが諸々のトラブルを引き起こしているのは、最近の報道でご存じのことでしょう。
  「だめ連」にもいずれ同じ構図が当てはまると僕は危惧しているのです。神長氏本人も著書の中で指摘しているのですが、「だめ連」も結成当初はそんなに「だめ」ではない、つまり「だめ」を気取る運動家崩れや芸術科崩れの人達ばかりだったそうです。ところが、その初期の確信犯的なメンバーに煽られて、本当に「だめ」な人たちが多数集まってきてしまいました。
 神長氏などの、スタイルとして「だめ」を演じている人達が、運動を離れて普通の生活に戻った時、集まってきてしまった本当に「だめ」な人達は一体どうなるのでしょうか? それを考えると、教団幹部が軒並み逮捕されて、何をしていいかわからなくなり、右往左往する最近の「だめ」なオウム教団のことを僕は思い浮かべてしまうのです。
 言葉を巧みに弄するまがいものには細心の注意を払わなくてはなりません。
(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

元信者が視るオウム的社会論 第17回/バイアグラの魔力

■月刊『記録』99年6月号掲載記事

 インポテンツの薬であるバイアグラが日本でも認可されて二ヵ月あまりが経ちました。今までも個人輸入や闇ルートなどで入ってきていたこの薬、正式認可を経てますます広がりそうです。
 以前からバイアグラを愛用していたという健康食品メーカーの経営者に話を聞きました。彼によれば、アメリカから輸入されていたたくさんの薬物や健康食品のなかで、唯一効果があったのがバイアグラだったそうです。
 還暦を過ぎている彼は、すでに何年も前に機能しなくなっていたのに、若者のように元気になってビックリしたと言っていました。彼は朝鮮人参を使った健康食品を製造・販売しているのですが、ライバルとして登場したバイアグラを優秀な薬だと褒めていました。

■良薬も過ぎたれば剣

 ただ、効果がありすぎるのは困ったもので、アメリカではバイアグラを飲んだ夫に妻が応じることができず、若い女性に走って離婚に発展する例もあるようです。アメリカは訴訟社会なので、逃げられた妻が製薬会社を相手取り、訴えたりする事例が出てくるのではないでしょうか。効き過ぎるというのもまさに両刃の剣ですね。
 麻原彰晃被告がもし獄中ではなく、いまだオウムの教祖として君臨していたならば、バイアグラの愛用者になっていたのは間違いありません。彼によると、解脱者が女性の信者とセックスして、女性の修行ステージを高める高度なイニシエーション(秘儀伝授)があり、解脱者にとっては苦痛でしかないそうですが、教祖の義務としてしなければならないと言っていましたから。
 もし麻原被告がバイアグラを使用できたら、楽々と多くの女性信者にイニシエーションを施せただろうに!(笑)
 いや、笑い話ではなく、新しもの好きの彼ならば、間違いなく使用していたはずです。間一髪セーフでしたが、嫌なことです。

■薬は人を狂わせる

 また、バイアグラは副作用が怖く、アメリカでは百人以上が死亡したそうです。それほどの死者が出ているのに、普及し続けているというのは、よほど魅力のある薬なのでしょう。精神的依存症になる危険性もあって、バイアグラなしでは立たないと思い込んでしまう例も出ているようです。
 前述した健康食品会社の経営者も、「バイアグラはたまに使うぶんにはいいのですが、副作用と依存性を考えるとお勧めはできません。それよりも、私が開発した朝鮮人参の健康食品のほうが効果がありますよ。不妊でお困りの皇太子ご夫妻にも愛用してもらっていますから!」と、真偽のほどは別にしても断言していました。
 いずれにしても、薬物に依存するというのはいいことではありません。サリン事件直前のオウムがさまざまな薬物に依存していたように、薬というものは人間を狂わせることが多いのですから。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

より以前の記事一覧