大使館は世界への窓

大使館は世界への窓 最終回/ニュージーランド

■(月刊『記録』95年8月号掲載記事)

■「おいしいリンゴはいかが?」/アントアネット・ジャッケリー二等書記官に聞く

  ニュージーランドと聞いて皆さんが思い浮かべるのは羊だろうか、ラグビーのオールブラックスだろうか。もちろん羊肉や羊毛は今でも重要な輸出品目だが、近年では工業力・技術力も向上している。その一例が、日本艇の参加で日本でも大きく取り上げられた世界最大のヨットレース、アメリカス・カップの優勝だろう。ヨットの性能とクルーの技能が試される同大会で、今年はチームニュージーランドが優勝し、本国では最高の盛り上がりを見せた。次回は1999年、オークランドで開催される。
  また、ラグビー・ワールドカップでのオールブラックスと日本チームの試合は大差がついて残念だった。これは経験によるものだろう。日本も経験を積めば必ず強くなる。オールブラックスの選手は試合前以外は週末に個人練習するくらいで、日本人選手とはずい分違うと思う。国民は皆スポーツに親しんでおり「スポーツが宗教」といわれるほどだ。
  わが国は社会福祉の国という印象があると思うが、失業とインフレに見舞われ、10年ほど前から行政改革に取り組んでいる。海外の旅行者がけがをした際、無料で治療が受けられる制度は廃止され、年金の給付が60歳から65歳に引き上げられた。各種の引き締めが行われた結果、昨年の経済成長率は6%となり、失業率は11%から7%以下にまで回復、国内生活は安定した。治安も保たれているため、日本からの語学留学生も増えている。
  英国との精神的・経済的な結びつきは強いが、60年代は約70%だった貿易高は、現在では7%程度であり、逆にAPEC諸国との取引が70%を占めている。最近は太平洋諸国の一員としての立場が重要視されており、なかでも日本はオーストラリアに次いで第2位の貿易先である。今後ますます重要なパートナーとなっていくだろう。
  昨年のリンゴの自由貿易化によって、今年もおいしいニュージーランド産リンゴを皆さんのご家庭にお届けすることができるだろう。
(■了)

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大使館は世界への窓 第11回 タイ王国

■(月刊『記録』95年7月号掲載記事)

■「『タイ米はまずい』は偏見」/シーハサ・プワンゲーギャオ公使参事官に聞く
 
  現在、アジアには5匹の竜が住んでいるといわれている。韓国・台湾・香港・シンガポール、そしてタイ。竜の由来は、近年5ヶ国が目覚ましい経済成長を遂げていることにある。タイに限っていえば、1987~92年の経済成長率が11%、93年以降は爆発的成長から安定成長に変わったとはいえ、8%の伸びを記録している。
  タイの経済成長は、日本の政府や民間団体などの援助によるところが大きい。しかし最近では、アジア進出の拠点として地理的に有利なこと、巨大な人口が消費国として魅力があることなどにより、日本企業からタイへの投資が盛んになってきている。
  また、92年にはシンガポールにおいてAFTA(ASEAN自由貿易圏)構想が合意され、わが国を始め参加国の間で、関税を撤廃した商品の輸出入も始まった。このようなことも、タイの経済発展を後押ししているのだろう。
  GNPも国民一人当たり700ドルだったものが、現在では2300ドルへとふくらみ、生活もかなり豊かになった。一方で、経済成長に伴う問題も現れている。
  バンコクでは、夜中をのぞく1日中、車が渋滞している。2~3キロ進むのに40~45分かかるほどだ。また、環境汚染の問題も深刻である。タイ政府もこのような問題の解決に力を注いでいる。
  タイの魅力の1つは、国民の親しみやすさにあるだろう。にこやかによく笑い、外国人と接するのに抵抗がない。それは、植民地になったことのない歴史が、タイ人に誇りと自信を与えているからだろう。また、敬虔な仏教徒が多く、仏教が国民の生活に密接に関わっていることは現在も変わりがない。家の新築や誕生日には、食べ物や袈裟を寄進するのが習慣となっている。
  タイと日本の関係はうまくいっている。しかし、昨年の米騒動には絶望した。タイ米を食べたことのない人まで、悪口を言う。タイ米と日本米は違う。もちろん品質が悪いわけでもない。「まずい」ではなく、せめて「食べ慣れていない」と言ってほしい。マスコミもマイナスイメージだけを流し続けた。日本にはタイ料理屋さんも多いので、いろいろなタイ料理を食べてみて欲しい。タイ料理には、やはりタイ米が合う。今年、タイ米が輸入された時には、米にあった料理を作ってみてください。タイ米の評価は、マスコミの偏った報道ではなく、自分の舌で出して欲しい。
(■つづく)

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大使館は世界への窓 第10回 チリ共和国

■(月刊『記録』95年6月号掲載記事)

■「世界一長く狭い国」/ハイメ・ラゴス大使に聞く

  チリは南アメリカ南西に位置し、世界で最も南北に長く東西に狭い国である。南北は北海道から九州までの3倍もあり、世界で最も長い山脈の1つであるアンデス山脈と広大な太平洋に挟まれ、北に砂漠、中央に土地の肥えた平原、南に南極大陸にまで延びている氷河がある。これほど多様な気候と形を持った国はまずないだろう。特異な地理的条件は人々を刺激し、「神が天地創造時に最も美しい破片をチリにもたらしてくれた」といわれるほどだ。
  わが国は長い間、ラテンアメリカの中でもっとも安定した民主主義を営み、現在も利害が異なる党派が協同歩調をとって統治されている。過去10年間、チリ経済は平均6%以上の数字で成長しており、1350万人の国民のGDPは1986年の1438米ドルから、昨年には3700米ドルまで成長した。経済の安定と成長のために自由貿易を推進している。自由貿易は経済と外交政策上基本的で重要な要素であり、近年のチリと日本には主に商業的関係で結びついている。日本への主要な輸出品は鉱産物・漁業水産品・林産業物・農産物であり、輸出額は約1億米ドルに上る。
  また世界有数の鉱産物生産国・輸出国である。モリブデン・リチウム・金および鉄の鉱石の主要生産国だ。漁業では世界第5位の700万トン以上の漁獲量を誇る。また近年の農業ブームは農産物の巨大な輸出国にわが国を成長させ、グレープなどのフルーツや野菜は日本のスーパーでも見られる。キウイの生産ではニュージーランドさえ打ち負かしている。良質なグレープから作られるチリ産ワインは米国ではフランス産・イタリア産に次いで売れている。さらに林業は巨大な潜在力・競争力がある。というのはわが国では森林が急スピードで成長するためで、そこから生産されるチップや木材パルプは世界中に輸出されている。
  次回のアジア・太平洋協力会議(APEC)は大阪で開かれるが、チリは加盟18ヶ国の中で最も新しい加盟国であり、日本の大阪港が首都サンティアゴのバルパライソ港と姉妹港の調印をして以来チリ人は大阪に親近感を覚えている。そしてたった数ヶ月前に、この地域を襲った地震に深い悲しみを抱いている。チリもまた不幸にも頻繁な地震に見舞われている。
  私の文章が読者の皆様にチリについての知識をさらに増やそうと考えるきっかけとなり、日本とのパートナーシップが強化されることを深く望みます。
(■つづく)

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大使館は世界への窓 第9回/バングラデシュ人民共和国

■(月刊『記録』95年5月号掲載記事)

■「日本との関係は良好」/サイード・ファヒム・ムネイム報道官に聞く

  日本に赴任する前の私は長崎・広島の原爆投下のことぐらいしか詳しく知らなかった。しかし、来日2年をへて、バングラデシュと似た国だと感じている。例えばわが国の国旗は緑の地に赤丸と日の丸とは色が違うだけで同じデザインだ。また、茶はベンガル語でチャー、「ハイ」はハと発音する。基本的には米と魚という食生活も同じだ。家族の結びつきも似ている。そのせいか、母国で放送中の「おしん」の評判がよく、共感を呼んでいる。相撲も放送されており、私は貴花田・若花田・曙が好きだ。
  治安の良さと人々の親切さには驚いた。花や野菜が無人販売されてもお金が払われる国は他にないだろう。赴任直後で乗り継ぎの悪い地下鉄で迷った時には、親切な女性が間違えたキップを買い直して差額を取り戻してくれた上に、正しいホームまで案内してくれた。日本ならではと思う。最近、サリン事件などによって治安が心配されているが、特別な事件であり、安全神話は崩れていないと思う。今まで大丈夫だったからこそ、衝撃も大きかったのだろう。事件の衝撃が、間違った形で世界に波及しないことを願う。
  東京駅から馬車に乗ったことも忘れられない。新任大使が赴任すると、東京駅のVIPルームから馬車で皇居まで案内されるため、大使と共に2回ほど皇居に入った。本当に美しいところだ。
  私の仕事は、自国を日本に紹介するとともに、互いの文化の違いを埋めることにある。自国から来たジャーナリストの世話も、日本の人達への文化紹介セミナーの開催もしている。マスメディアは大事件だけを扱いがちなので、わが国がいつも洪水に見舞われているような印象を与えるが、もちろん違う。報道と現実とのギャップは困った問題だが、存在は大きい。政府は変わっても、マスメディアの総入れ替えはないからね。
  日本との科学技術面での貿易推進も、これからの目標だ。両国関係には戦争にまつわる歴史上の問題などもなく極めて良好。日本の市場では高品質が求められるので参入は難しいが、魚介類や繊維製品・皮製品はわが国から入っている。日本企業群の工業地帯もあり、関係はますます密接になってくるだろう。
  なお、手で食事をするわが国の習慣はわが国の習慣には多少誤解があるようだ。食事には指も使うがナイフ・フォークも使う。もちろん、食事の前には手も洗う。合理的で衛生的な食事方法だ。
(■つづく)

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大使館は世界への窓 第8回/キューバ共和国

■(月刊『記録』95年4月号掲載記事)

■「真の経済発展をめざす」/エドゥアルド・デルガード・ベルムーデス大使に聞く

 今年、キューバ国民はキューバ革命36周年を迎えた。
  革命によりキューバを支配していた軍事独裁政権が倒れ、根本的な社会・経済・政治改革の道が開かれた。
   この過程によってキューバ国民は真の自由と独立を達成し、あらゆる形の不正義と社会差別をなくし、真の経済発展を開始し、強力な教育・文化、スポーツ運動を作り上げ、長年夢見てきた社会目標を達成した。公衆衛生、教育、スポーツ等におけるキューバ革命の実績は、国際社会でも認められている。
   しかし、わが国は過去4年間、経済的に非常に困難な時期に直面してきた。低開発国という条件と、33年前から続く米国の経済封鎖の極めて否定的な影響に加えて、旧ソ連とコメコンの消滅により、キューバは主要な市場と、それら諸国との経済関係を規定していた平等な交易条件、技術・原料・経済協力の主要な供給源を失った。その影響は非常に深刻なものであった。
   1994年は経済回復を目指し、基本的サービスと、公衆衛生・教育・スポーツの分野で達成された社会成果を維持し、今日のキューバ社会を支配する社会正義と平等原則を損なわずに、経済回復を助ける効果的方策を実施することに努力を集中してきた。全体的な情勢が引き続き否定的なものであるなかで、高い成長率を維持してきた観光産業をはじめ、ニッケル産業、軽工業など回復の兆しを示した経済部門もあった。外国企業との合弁・投資の契約が進み、その数は165社・26経済部門に及んだ。
   旧国営農場耕作権の新形態の協同組合、個人農業への移行、需給関係に基づく価格によって運営される農畜市場の開設、採算の悪い企業への補助金削減の財政措置、より完璧な税制の創設、その他の財制健全化のための措置、それらが成果を生み始めている。
   他方、米国との移住問題では不安な機運をつくり、キューバの国際的イメージを傷つけるために、キューバ人の不法出国を刺激するという米政権の従来の政策の結果、94年前半に状況が深刻化した。しかし、9月9日の両国政府の協定により新たな段階に入り、秩序ある合法的かつ安全な移住のための条件が整えられつつある。
  昨年11月、国連総会は3年連続して米国による対キューバ経済封鎖の不法性を宣言し、摘発を求めた。評決では、賛成票が圧倒的多数の101ヶ国であったのに対し、反対はわずか2票だった。
   近年、日本との文化・スポーツ交流が著しく拡大され、またキューバ経済が直面する困難な情勢にもかかわらず、重要な貿易経済関係が維持されたことを明らかにできるのは大変うれしい。キューバの音楽・美術・文学・映画への関心がますます高まっていることや、皆さんがわが国の野球、バレーボール、柔道などの関心を寄せておられるのを知るのもうれしいことだ。
   わが国の国民とフィデル・カストロ議長、キューバ政府に代わり、日本とキューバの関係が引き続き発展し、相互理解と意見交流、人的交流が深まるよう望むと共に、日本国民の皆さんの幸福をご祈念する。
(■つづく)

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大使館は世界への窓 第7回/ネパール王国

■(月刊『記録』95年2月号掲載記事)

■「融和と共生の王国」/日本ネパール協会会員 田村真知子氏に聞く

■労働で鍛えた女性達

 ネパールの魅力はなんといってもトレッキング(山旅)である。毎年万単位の人々がネパールの山地を歩いている。世界の屋根の眺望、長閑な田園風景、変化に富んだ道は言葉に現せないほどの美しさ、楽しさだ。トレッキング人気のもう一つの理由は、ネパールの労働力の安さ、つまり経済力の差によって、貧乏日本人でも案内人や料理人、荷運び人夫を何人も引き連れた大名旅行ができ、ちょっとした王族貴族の気分が味わえる点にあるといえようか。
   山旅派以外には、カトマンズをはじめ多くの町や村に息づく歴史的文化財がある。これらは信仰の対象、生活の場として生きており、夜明けの光の中、幼児の手を引いた母親や杖を頼りの老人、仕事前の若者達がお参りする姿を目にするたびに、私は羨望さえ覚える。
   私自身は同国の「人」に最も惹かれるといっていい。例えばネパールの女性は、胸もお尻も出るところは出て、力強くて美しく、日本の女性が醜く見えてしまうほどだ。その美しさは労働に裏打ちされたもので、真剣に生きているのが見るだけで伝わってくる。
   ネパール人は怠け者だとの俗説には賛成できない。日本なら森林に覆われている山地を見事な耕地となし、屋根から谷まで1000mなどという地域で農業を営むのは並大抵でない。気候の違いからか日本的な基準から見るとのんびりしているように見えるだけだ。
   多くの民族で構成されるネパールでは、同じ村の隣の一家が違う言葉を話すのもごく当たり前。店先でも3つ程度の言葉が行き交ったりするから、外国人の私もスッと入っていける。よそ者にとってはとてもうれしい。社会全体に違いを認め合おうとする配慮があり、互いの領域は犯さず否定もしない。賢い共生の1つの形といえよう。
   年齢の違いもありのまま認める。5歳の子どもは「5歳としてできることをする、それで等しく一人前」というわけで、赤ちゃんから老人まで、時には障害者も含めて村の中にムダな人間はいない、全ての人が共生する人間社会がある。ヒンドゥ教の国特有の階層構造から生まれる上下関係が社会全体に及び、経済的な階層化とも結びついている現実は同国の前途を困難にしているが、ネパール人特有の融通上手がやがて何らかの解決方法を見いだすだろう。
   最後に雪のヒマラヤを遠くに見ながら、1000~2000mくらいの山地をトレッキングして、さまざまな村を訪ね歩くことをお勧めしたい。本当のネパールの顔と魅力を見ることができるだろう。
(■つづく)

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大使館は世界への窓 第6回/ベトナム社会主義共和国

■(月刊『記録』95年1月号掲載記事)

■ 「アオザイが着られる政治」/グェン・ヴァン・ホアン参事官に聞く

■ドイモイの成果

 冷戦時代の社会主義国は、全ての資本主義諸国を信用できないと思っていた。逆に資本主義国の人々も、全ての社会主義諸国に不信感を抱いていただろう。
   しかし、喜ばしいことにそんな時代は終わった。今ならば、お互いの国の長所をきちんと評価できるのではないだろうか。
   ご存知のように、ベトナムは多くの戦争を乗り越えなくてはならなかったため、指導力を集中せざるを得なかった。だからこそ、指導者は言葉ではなく行動で人民の信頼を獲得していったのだ。
   政府はベトナム社会主義を堅持する一方で、経済的には1986年よりドイモイ(刷新)政策を開拓し市場経済に力を入れている。ドイモイが順調に進んでいる結果、国民生活は少しずつ豊かになってきた。
   たとえば、ゆったりと体を包む民族衣装のアオザイは、絹製で非常に高価であるため、着られる女性は昔は少なく、お金持ちの女性にとっても、初めてのデートや友達の結婚式に着る服だった。ところが今では、ハノイのあちこちでアオザイ姿を見ることができる。女性の化粧品への関心も高まり、特に口紅などはよく売れている。

■文化や民族性を大切に

 ベトナム人は協調性があり勤勉でもある。日本人とは同じアジア人ということもあり、大きな違いは感じないが、両国は発展に伴う違いがある。例えばわが国では、自分の家族のことがよく話題になる。会社の仲間の家族がどんな人なのかは皆が知っているし、商談の合間に互いの家族の話が出ることもある。街では人との温かい交流があり、親切な人も多いように感じる。都市化が進むにしたがって消えてゆく風俗かもしれないが。
   現在、ベトナムには海外からの投資が盛んに行われている。94年6月までに海外から957件の投資が行われ、投資総額は94億ドルにもなった。わが国が新しい段階に入ったことの証明だろう。
   このような状況の中で、日本を見習いたいことがある。それは、日本独自の文化や民族性が発展した経済の中できちんと保存されている点だ。このような柔軟さを取り入れつつ、民衆の力を経済発展に集中させ、先進諸国と肩を並べる経済力を持つようになりたいと思っている。 (■つづく)

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大使館は世界への窓 第5回/アイルランド

■「セント・パトリック・ディにようこそ」アイリッシュネットジャパン会長とメジーナ・ピアース幹事に聞く

■豊かな緑の国

 アイルランドは英国の西側に位置する国で、ヨーロッパ共同体に属する国でもある。昔から聖人・学者の地として名高く知られたり、国民の95%は敬虔なカトリック信者である。アイルランドの生み出した世界的な著名人は、W・B・イエーツ、ジェームス・ジョイス、オスカーワイルドなど数多くの詩人や作家が挙げられる。
   地図上、緯度の高さからか一般的に寒い国と考えられているが、実際は東京の気候とさほど変わりない。降水量の多いアイルランドでは、それゆえ緑が美しく、俗に『エメラルドアイランド』と呼ばれている。そして世界各地から多くの人々がやってくる。
   わが国は32州から成り立ち、その中の6州は俗に北アイルランドとして知られている。人口は現在50万人で、大半の人々はプロテスタント教徒。アイルランドはかつて長年にわたりイングランドの支配下であったため、英語が母国語として使われてきたが、アイルランド語(ゲール語)も今でも一部の地域で使われている。

■日本で楽しめるアイリッシュナイト

   現在でも北アイルランドとアイルランドとの2者間において、様々な政治的・宗教的問題が残されているが、これらの問題も徐々に解決の方向へと向かっている。
   今世紀、世界で活躍した米国の大統領、J・F・ケネディー、R・レーガンはわが国からの移民の子孫である。このようなアイルランド系の人々の飛躍は、今後も世界各国で期待されている。
   アイルランドの守護聖人パトリックを祭った3月17日のセント・パトリック・ディは、日本でも多種多様のイベントが企画され、東京・原宿で開催されるパレードでは500人以上観客でにぎわう。特に1994年に行われたパレードは前代未聞と呼んでいいほど盛大で華やかだった。
   また、セント・パトリック・スポーツディはアイルランドの伝統的なスポーツが催され、誰もが気軽に楽しめる。その後のパーティでは典型的なアイリッシュナイトを名物ビールのギネスを飲みながら楽しく過ごす。みなさんもぜひどうぞ。
(つづく)

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大使館は世界への窓 第4回/スロベニア共和国

■筑波大学外国人教授アンドレイ・ベケシュ氏に聞く

■スキーと「カルスト」

   スロベニアは、日本では大変なアイデンティティー問題を抱えているようだ。初めてあった人に出身地を聞かれるとよく、「え、それどこ?南米?」という反応にあう。不思議でもない。独立以前のユーゴスラビア時代も、知名度はかろうじて高かったぐらい。
   実はスロベニアは、誰にも気づかれず、意外にも日本の表舞台で活躍している。秋吉台で知られる「カルスト」やそこにあるすり鉢状の窪地の「ドリーネ」などの用語は、スロベニアからの外来語だ。また、多くのスキーのファンはスロベニアのエラン社製のスキー用品出湯機とした沁み、スキーをやり過ぎて風邪を引くと、スロベニア製の抗生物質で治すこともあるかもしれない。
   もっとも、人口200万強で、面積は四国と同じくらいの約2万平方キロのわが国が、英物のような形で日本の表舞台に活躍するのはおそらく無理であろうが、逆に日本がスロベニアの表舞台にもっと出ることは、国民の誰もが大いに期待している。
   スロベニアは小さいながら、欧州の中でも非常にバラエティーに富んでいる地域だ。中央ヨーロッパの東に広がるパノニア平原、西のアルプス地帯、南の地中海世界の風土・風俗の異なった世界の接点にあるからだ。いわば中欧の辻路のようなわが国を通路に、東へと、時にして西へと広がったこともあった。しかし今、スロベニアはアドリア海北部からの、中欧・東欧へ最も近い位置にあるだけに、交通の要所としての役割が注目されている。

■カヌーやトレッキングを楽しむ

   観光地としても絶好である。国全体がまだ破壊されていない美しい自然に恵まれ、首都リュブリャーナはウィーンとヴェニスの中間地点にあって、どこからも大変訪れやすい。日本からみれば、観光の穴場である。200年以上の歴史を誇るリゾート、鉱泉や温泉でのんびりとくつろぐこともできれば、観光農家でアルプスの世界とより密接に触れ合うこともできる。
   多様性に富んでいる自然条件は、休暇の個性的な過ごし方を促している。国民も自然と接するのが好きで、自然と触れながらできるスポーツが大人気。国民スポーツはサッカーでもなく、最近人気上昇の野球でもなく、山登りやスキーである。スポーツといっていいかどうかわからないが、キノコ狩りも大人気。アルプスから流れてくる水の豊富な川でカヌーやカヤック、それにラフティングを楽しむファンも急増している。
   また、スロベニアの約半分を占めているカルストの数多くの洞窟は単なる観光で楽しむだけでなく、山歩き気分で地下の世界を2日、3日とトレッキングできるところもある。例えば、クジャナ・ヤーマ洞窟ではトレッキングだけでなく、カヌーも楽しめる。
   自然のバラエティーは、食卓のバラエティーにもつながる。内陸の方では、少ししつこいがおいしい中央ヨーロッパ系の料理が主流で、沿岸地方ではイタリアを思わせる地中海料理が主役。ワインも同様で、沿岸地方では上質の地中海系で、内陸はドイツ系ですぐれたものがある。このように、異なった系統の、しかもどちらも非常にいいワインが同じ国でできる例は欧州ではわが国だけだ。
   もちろん、全てが観光とキノコ狩りだけではない。日本と同様に多いのは山だけで、資源はそこにいる人間以外に何もない。これらの悪条件では逆に知恵や勤勉さが育つ。だからかも知れないが、スロベニア人と日本人はどこか似通ったところがある。例えば、おしゃべりはあまり上手ではなく、照れ屋で表にあまり出たがらない。しかし、日本人よりも個人主義かもしれない。
   そのせいか、スロベニアは作家や芸術家、特に画家が非常に多い。人口30万の首都リュブリャーナには無数の画廊があって、オペラ座、国立劇場のほかにも、大小8つの劇場がある。人口10万とか5万、あるいはそれ以上の地方都市にもオペラ座や劇場があったりする。独自の民族文化が広く一定の機能を果たすためには一定の人数が必要だが、民族規模が小さいだけに、文化的活動に励む人の割合が必然的に大きくなった結果だろう。

■激動の歴史を生きて

   生まれて3年しか立っていない新しい国だけに、突然どこから現れたのかと不思議がる人もいるだろう。国の年齢こそ若いが、スロベニア人はこの土地に民族大移動時代の約1400年前から住み続けてきた。早期に形成したカランタニアという国が短期間で滅びてからは、バヴァリア、ハプスブルグ、ヴェニス、ナポレオン再びハプスブルグと多くの支配者に耐え、第一次世界大戦でハプスブルグ帝国が崩壊してから、同様に帝国の支配から解放されたクロアチアとボスニアとともに、セルビアをパートナーとしたユーゴスラビアを形成した。
   自由と民族平等に基づいた繁栄を夢見たが、第二次世界大戦の苦い経験、戦後の社会主義の実験の挙げ句に、夢は崩れ、夢とともにユーゴスラビアも崩壊した。しかし、独立後のスロベニアは、今度は独立国家としていっそう大きな責任を持って、国際社会において、その夢の実現に励み続けている。
(■つづく)

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大使館は世界への窓 第3回 ガーナ共和国

■ 「もはやココアだけでのガーナではない」  
           クワメ・アサモア・テンコラン参事官に聞く

■経済再建に成功
   来日までの日本のイメージは、高いビルが建ち並び、ハイテクノロジーがあふれ、とにかく忙しく働いているという印象だったが、実際の日本人は友好的で尊敬ができる人が多かった。
   日本に来てまだ3ヶ月だが、日本語が話せないことと、標識や案内板にローマ字がなくて困るくらいだ。外国人が苦手とされる刺身や寿司などの日本食も口に合う。
   アフリカというと、ソマリアなどのショッキングな映像ばかりが報道され、ガーナがどのような国なのかは想像しにくいと思う。
   わが国はここ10年来、実質GDP成長率が年5%で、70年代後半から80年代前半にくらめ経済状態は比較にならないほどよくなった。1983年に政府の経済再建プランがスタートし、社会主義を掲げながらも、84年にはIMFの長期融資を受けた。現在では経済再建の成功国として『ニューズウィーク』に特集が組まれるほどになった。
   再建成功のポイントは、2つあると思う。1つは政府と国民の経済再建に対する意欲の強さ、2つめが国際的協力だ。ガーナ人は物静かで、礼儀正しい国民である一方、成功する事への意欲が大変強い。そんな意欲の高さが、軍事政権から民主化への移行をスムーズにもしたのだろう。

■輸出品の第一位は金
   政党は現在4つあり、前回の選挙では1つの政党がボイコットしたが、その政党も今では後悔しており、次の選挙はきちんと参加することになるだろう。
   ガーナといえば、ココアというイメージは強いかもしれないが電材の輸出品の第一位は金だ。ココアも輸出品の第二位になっているが、昔のようにココアの相場が下がると、一気に国内経済も悪くなるというようなモノカルチャー路線は改められた。
   現在はトマトやパイナップルが作られ、米国資本の会社が製品化して輸出されている。将来的には、ココアの輸出も現在のような豆の形ではなく、自国でココアバターやチョコレートに製品化して輸出したいと思っている。
   発電所や港の整備など、ガーナ国内では大がかりなプロジェクトも進行しており、これからも日本に投資を募りたい。
(つづく)

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