月刊『記録』特集モノ

東京大気汚染訴訟~謝罪なき和解への怒り~/原告団事務局長・石川牧子さんに聞く

●月刊「記録」2007年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 96年5月の第一次提訴から11年を経て、今月とうとう東京大気汚染公害裁判が原告側と被告側の合意に至った。総勢のべ633人にも上る都内のぜんそく患者らが原告団を結成し、国や東京都、そして同類の大気汚染の裁判では国内で初めて自動車メーカー7社に法的責任を求めた裁判となった。結果として都のぜんそく患者に対する医療費支援制度の創設、公害対策の実施、メーカー7社合計で12億円の解決金が提示され、原告と被告がこれに応じたことになる。今年6月にはぜんそくを患う原告団たちが18日間にわたりトヨタ東京本社前での座り込みを泊まり込みで決行し注目を集めた。和解後の記者会見の場では団長の西順次さんが、医療費支援制度などを得たことについて感慨のこもった力強い声で「何にもかえがたい成果」と語った。
 今回は原告団事務局長の石川牧子さんに11年間に及んだ訴訟について聞いた。

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■裁判の準備期間を含めると14年にもわたる裁判が決着したわけですが、今回の和解について「おめでとう」と言ってよいのでしょうか?
石川さん:たしかに、医療費助成制度や公害対策、メーカーからの一時金の支払いに至ったという点ではよかったし、周りからも評価されました。ただ、私たちの要求の最たるものである自動車メーカーからの謝罪が最後まで聞かれなかったこと、これだけは残念でならないんです。PM2.5(微小粒子)対策などの公害対策などは今後へつながるものとして価値あるものですけれど、原告団の多くは60代から80代といった高齢の人が多いです。その人たちは先のことよりもまずメーカーがこちらを向いて謝ってくれることを望んでいたんです。東京都は02年の1次判決ですでに責任を認め、国は私と団長が今年7月に首相官邸に行くと、安倍首相がその日のうちに出てきて下さって私たち原告団を慮る言葉をおっしゃってくれました。メーカーは違いました。提訴中に121人の原告が亡くなり、ぜんそくの発作で職を失った人もいます。さらに医療費の支払いに追われる。この無念やくやしさは心の問題で、それを全く無視したということです。しかもメーカー側の代理人によると、謝罪の拒否の根拠は後続訴訟が起こったときに過去の謝罪が不利に働く可能性があるから、ということでした。そんなことで謝罪が避けられてしまったんです。とにかく謝罪がなかったことが残念です。もう、私たちは11年間、何をやっていたのだろうというくらいの気持ちです。メーカーはお金を出すことが一番イヤで、謝罪ならすぐしてもらえるだろうと思ってましたが、それは逆でしたね。

■18日にわたるトヨタ前での座り込みで何か向こうからリアクションはありましたか?
石川さん:座り込みまでの経緯についてまず話しておきます。まだ02年の地裁判決の時点ではメーカー側の責任が問われておらず、国も医療費救済制度などを拒否していた段階では、状況的に余裕があったのか、トヨタ側は一時金の支払いについて「応じる準備もありますよ」と話していたんです。ところが、今年5月に入り国が支援制度創設へ動き出したとたん、一時金の支払いが現実的になったからかトヨタ側は原告側の代理人(弁護士)に「その点については今後取り合わない」と一方的に伝えてきたんです。企業のやり方は汚いですよ。対面しているときには「お察しします」みたいなことを言うんですが、突然連絡がつかなくなるみたいなことを平気でやるんです。そんなことがあって本社前の座り込み行動に出たんです。本社ビルの中で原告団から対応に出た社員に「責任ある立場の人に渡してくれ」と手紙を渡しました。後日、秘書課に電話までして渡辺(捷昭)社長にまで手紙が行ったことを確認しましたが、トヨタからの返事は「話し合いは拒否する」ということだけでした。もう、社長ここに連れてこい!ってな感じですよね、そうなってしまうと。原告団の中では東京高裁が結審日を打診してきた05年12月には、和解なんてとんでもない、という雰囲気だったんです。けれど弁護士さんと話し合って、裁判を長引かせれば患っている人にさらに時間を必要とさせる、和解に応じれば一部の原告だけでなく全員が賠償を取ることができるということで泣いて悔しがりながらも受け入れることを決めたんです(*編集部注:02年の地裁判決では99人中7人のみの損害賠償が認められている)。そんな状況をまったくトヨタは見ようとしなかったんです。

■裁判を通して見えてきた自動車メーカーとはどのようなものでしたか?
石川さん:法廷でのやりとりの中で、ディーゼル車が大気汚染の原因になっていることを覆すのは難しいと判断したからなのか、メーカー側は「私たちはディーゼル車とガソリン車をどちらとも販売している、ディーゼル車を選んだのはユーザーでありどこを走るのもユーザーの問題である」というようなことを言いもしました。なぜ11年もかかったのか、ということをよくきかれるんですけど、このような実に熾烈な法廷闘争で時間がかかってしまったのも事実です。いま環境に配慮する車だとかキレイなことを言っていますけど、じゃあこれまではどうだったんだ、ということを問い正したいですよ。         *     *     *
 西順次原告団長は、ぜんそくを抑えるステロイド剤がもう効かない体を引きずってトヨタ前に座り込み「ここで死ねるなら本望」と語ったという。また、原告団の多くはステロイド剤の継続的使用による糖尿病を抱えて座り込んだ。ただ、そんなものはぜんそくの「死んだ方がマシ」という苦しさに比べれば何でもなかったという。話を聞かせていただいた石川さんは22歳のころから29年間ぜんそくを患っている。発作がおさまらず1週間ほとんど飲み食いできないときもあった。詳しく書く余裕がないが、想像を超えるつらさについても話していただいた。
 そして、何より驚いたのは96年の裁判開始以前から関わってきた西村弁護士と原弁護士はじめ弁護団がまったくの無報酬でこれまでやってきたということである。石川さんによると西村弁護士は地元の四日市の大気汚染問題が法廷で争われた時期に高校時代を過ごし、弁護士になることを決意。東京大気汚染訴訟においては「まさにこのために」の気概で奮起してきた。だが、その西村弁護士とも激しい口論をして打ち合わせをしたこともあったという。
 話を聞くうちに確信したのは原告団全体の意志の強さである。だから闘い抜くことができた。それでも結果的にメーカーからの謝罪を聞くことができなかったことに石川さんは落胆と憤りを隠すことができない様子だった。今後も連絡会の場で大気汚染対策で国や都との協議が控えている。裁判は終わったが「東京にほんとうの青空を」の取り組みはまだ続く。  (■了)

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出版界に浸食するトヨタ礼賛の怪

●月刊「記録」2007年11月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 トヨタの影響は産業界だけにとどまらない。じつは出版界もトヨタに「蹂躙」されているのだ。ネット書店大手のamazonで「トヨタ」を検索すると、その数3965件。もちろん、ここには著者が「豊田さん」の本も含まれるが、頭から100件のうち90冊がトヨタ関連本だった。
 これはイカン! いくら本が売れないとはいえ、出版界までがトヨタ方式をヨイショしてどうする!
 というわけでトヨタ関連本を買いに走った。そこで改めて気づいたのだが、やはりトヨタ式はどんな問題も解決してくれるらしい。企業の収益はもちろんのこと人間関係から怠惰な自分まで「カイゼン」してくれる。果ては英語までもが、「トヨタ式」ならうまくいくとか。
 この本を読めば人生がすべてうまくいくかも! と思ってしまった自分が悲しい。
 さて、気を取り直して、1冊づつトヨタ関連本を取り上げていきたい。
 まず手に取ったは『ビジネス漫画 トヨタ式自分「カイゼン」術』(原案・監修 若松義人 宝島社)だ。手っ取り早くトヨタ生産方式を知るなら、やはり漫画だろう。
 内容は業績が悪化している「極東ヨツマル物産」に“カイゼンのドラゴン”と呼ばれるサクラダが呼ばれ、社内をことごとくカイゼンしくいくストーリーだ。ワイシャツを第一ボタンまで開けダラリとネクタイを下げた筋者風のサクラダは、社内の反発をものともせずカイゼンするする。トヨタ式の肝となるセリフでは必ず顔アップなのも、ちょっと昔のマンガを見ているようで楽しい。
 しかし、このマンガには不思議な特徴がある。それは人物が少しでも小さく描かれると、顔が省略されてしまうこと。ひどいのになると1.5センチの輪郭があるなの瞳がない。白目で主人公をにらみ付けている。1センチの輪郭ともなれば、顔には眉だけ。あるいはノッペラボウ。正直、これはかなり怖い。おそらく小さく書き込む顔が「ムダ」だったのだろう。ムリ・ムラ・ムダ(3S)を削減するトヨタイズムに従えば、リードタイム(納品までの時間)を長くしかねない背景の人物などムダでしかない。恐るべしトヨタ生産方式。漫画制作にまで威力を発揮したらしい。
「トヨタ式」の概略をつかんだところで、次に読み始め
たのが『トヨタ流 自己改善力』(若松義人 著 経済界)
である。まえがきにも「自分をカイゼンしていくために、トヨタ生産方式の、ものの見方や考え方、行動の仕方は非常に有効である」と書かれており、怠け者で負け組の私にはピッタリとも思えた。
 しかし、さすが製造業で驚異的な利益率を支えるトヨタ方式。そのカイゼンが並ではない。例えば「『昨日のことは忘れてしまえ、明日のことも考えるな、今日が悪いんだ、今やっていることにムダがあるんだ』という気持ちで臨むことだ」などと書かれている。とにかく日々、目の前にあるムダを省くことだけに集中しろってことだ。そのうえ「『改善とかムダをみつけることは、死ぬまでの仕事だ』というのが大野氏の考えだ」と、トヨタ方式の創始者の名で、ずっとムダを見つけ続けてカイゼンし続けるのが重要だと説く。企業ならまだ分かるが(いや、ずっと企業だけ拡大してどうなるかとも思うが……)、自分の人生からムダを省き続けたら何が残るのだろう。
 考えてみれば、恋人など「ムリ・ムダ・ムラ」の最たるもの。恋人とのつきあい方を「標準化」して、誰とでもつきあえるようにしても浮気されるだけだし……。
 いったいこのトヨタ流自己改革をどうやって自分に使えばいいのかが、残念ながらサッパリわからなかった。 ならば人間関係、特に社内の人間関係をトヨタ式でカイゼンするのはどうだろう。教科書は『人間性尊重のモノづくりを極める トヨタ式人財づくり』(トヨタ生産方式を考える会 編 日刊工業新聞社)である。ちなみに「人財」は小誌のお得意の誤字ではない。人間尊重を込めたトヨタ用語である。
 さて、この本、第1章「人づくり」の初っぱなにくるのが「大野耐一氏の人の育て方」である。当然ながら甘いことは書いてない。
「では、どんようにしたら知恵が出せるようになるか? その中で最も良い方法は、人を徹底的に追い詰めて、困らせる中で、自らが考え、知恵を引き出すことだ」
 これが最善の策らしい。しかも「自主管理活動」のページでは、「困らなければ知恵は出てこない」→「死ぬほど困れば知恵は出てくる」→「職場長をどうやって困らせるか」→“上司はあくまで部下を困り続けさせねばならない”とも書かれている。
 オイオイ、賃金もネームバリューも高くない小社で実施したら、みんな辞めちゃうって。
 やっぱり我が社には採用できそうもない。
 過労死や自殺者を出した越谷郵便局のカイゼン活動を、  「改善参加者への『動機づけ』さえ誤らなければ、必ずや郵便事業の効率化に大きく貢献するものと期待されます」と締めくくっている本に従ってもしかたないが……。
『トヨタの元工場責任者が教える 入門トヨタ生産入門』(中経出版・石井正光)はタイトル通り国内外の工場で30年以上指揮をとってきた人物が著したもの。前出の大野耐一・鬼カントクの現場でのエピソードなど織り交ぜながら、当然のようにTPS(Toyota Product System)やカイゼンの素晴らしさを伝導。トヨタ以外の企業ではカイゼンは通用しないという通説(?)があることに対し、それはその企業に合った形でカイゼンを適応していないからだと一喝。とにもかくにも「ムリ・ムダ・ムラ」を省くこと、これが挙げられるがこの徹底ぶりがすごい。具体的には、部品を取る動作ひとつとっても筋肉を上下に動かすよりは水平に動かす方が疲れなくてすむ、1秒でもムダな時間を省くべしといった具合。以前テレビでトヨタ工場内の様子の映像を見たが、従業員たちはまったく身動きができないような部品ばかりを集めたボックスのような場所で窮屈に手を動かしていた。このトヨタイズムは今や一部の地方自治体にまで取り入れられているという。利益を生みだすのが究極の目的である企業体とはいえここまでくれば原理主義の領域。トヨタは人を育てる? どんな人間ができあがることだろう? (■了)

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産学連携の危険な膨張とトヨタの影

●月刊「記録」2007年10月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 旧文部省が大学運営の方向を転換したのは1990年ごろだといわれている。細かく決まっていた大学設置基準を緩め、各大学が創意工夫して自由に競争する方向へと促し始めたのである。
 そして99年2月、小渕恵三内閣総理大臣の諮問機関「経済戦略会議」で重大な指針が示される。
「シリコンバレーにおけるような世界的ベンチャー企業が日本に興さない理由の一つは国立大学の硬直性にある。国立大学教員の身分を拘束の強い国家公務員から解放し、兼業や産学共同研究の自由度を飛躍的に高める。国立大学については独立行政法人化をはじめ将来の民営化も視野に入れて段階的に制度改革を進める」
 議長に当時アサヒビールの会長である樋口廣太郎氏、委員に井手正敬・西日本旅客鉄道会長や奥田碩・トヨタ自動車社長などの経済人と大学教授を並べた会議で出された、このような答申により大学にも「改革」の波が押し寄せたのである。
 この政策の背景には企業が抱える中央研究所の問題があった。日本の技術開発は長らく海外からの技術導入型であり、その中心を担っていたのが各企業の中央研究所だった。しかし付加価値を高めるため最先端技術開発が必要になると、時間も金もかかる研究を一企業だけで担うことができなくなってしまった。その補完相手として狙いをつけられたのが大学だった。
 じつは、この政策のモデルは米国にある。米国では70年代中頃から企業の中央研究所が衰退。企業は産学連携に活路を求めた。政府も大学への資金提供を縮小してこの方針をバックアップした。補助金を絞ることで、大学側も企業に研究資金を頼らざるを得なくなるからだ。この結果、世界のIT産業を引っ張るシリコン・バレーが生まれたのである。
 日本でも99年の段階で国公立大学の予算は実施的に目減りしており、地方大学ではビーカーなども買い替えられないほどの資金難にあえいでいるとも報じられた。
 また、補助金についても競争的資金を、どんどん増やしてきている。一律に分配するのではなく、研究成果を期待できる研究室に重点的に資金を渡す仕組みだ。95年度に初めて計上した競争的資金の予算は1248億円でしかなかった。それが06年度には4701億円にまで膨らんだ。そのしわ寄せは一律の補助金に及んでいるわけで、研究内容がアピールできなくては研究費を確保することが難しい時代になったことになる。
 さらに国公立大が独立行政法人化した04年度からは、交付金が毎年1%ずつ削減されており、各大学では収入源の確保のため、積極的に産学連携を進めるようになった。
 だが、財源確保に不安を抱く地方国立大の中には、ついに文部科学事務次官の天下りを学長として迎える大学まで現れた。人脈で補助金を狙おうという魂胆であろう。

■論文さえ信用できない

 そもそも国が判断する「研究成果」を、どのような基準で判断するかは難しい。産学連携の評価となれば、企業が活用できる研究かという明確な基準があるが、純粋数学や物理などの理系分野、あるいは文系の成果を企業が活用できるケースは少ない。いくら産学連携を模索しても、これらの学部に資金が集まらないのは明らかだ。そのうえ研究を続けるための根幹となる資金の多くを企業が握ると、大学の研究室が企業の「下請け」になる可能性さえある。
 実際、産学連携が日本より15年以上進んでいる米国では、企業と研究室が密接になり過ぎ学問の公平性を疑う事態にまで発展している。
 例えば、カリフォルニア大学バークレイ校のI.チャペラ氏の論文が引き起こした事件などは有名だ。01年11月の発行の学術雑誌『ネイチャー』に彼が発表した論文には、遺伝子組み換え作物の栽培が禁止されているメキシコのトウモロコシに、かなり交雑しているのが見つかったとの事実が掲載された。この論文に遺伝子組み換え作物を販売する企業や、そうした会社からの補助金で研究を進めている研究者が噛みついた。
 そのうえ所属学科や関連学会から支持されていたのにもかかわらず、事件直後のバークレイ校での終身雇用の審査でチャペラ氏は承認されなかった。これはかなり異例のことだったとも報じられている。
 しかも、この審査を担当する委員会に強い影響力を持っていた人物が、遺伝子組み換え作物を製造しているノバルティスと密接な関係にあることもあきらかになった。またチェペラ氏が論文を発表する以前からバークレイ校とノバルティスの間で結ばれた排他的長期契約が一部で問題になっており、大学と連携した企業に対する批判的な研究がどのように排除されるのかを示した事件となった。
 もう何年も前から、企業がスポンサーである研究論文は企業に有利な内容になっているケースが多く信用できないといった批判が、海外でわき起こっている。そのうえ資金難の大学の足元を見て、企業側に有利な契約を大学に押しつける企業も出てきた。米国の某有名大学では学内すべてのデータベースを企業が所有する契約にサインするよう迫られ、大学側が契約を断念したという。このような契約で学問や大学の独自性が守られるわけがない。
 70年代、大学自治の観点から日本の大学は産学協同を忌み嫌った。その反動であるかのように、現在、産学協同は産学連携と名前を変え称賛されるようになった。批判的な意見はあまり聞こえてこない。
 しかし米国と同じような事態にならないと言い切れるだろうか? 公的資金が減ってくれば、研究を続けるために企業側の意向を受け入れる研究室が出たとしてもおかしくはないはずだ。

■無批判に広まるトヨタイズム

 企業と教育機関と距離をどのように取っていくのかという問題は確かに難しい。
 例えば01年に開校したものつくり大学はトヨタ自動車など民間800社からの寄付で資金の一部を調達した。 「ものつくり大学設立準備財団」にはトヨタ自動車の名誉会長である豊田章一郎氏が就任。現在でも張富士夫・トヨタ自動車会長を理事に迎え、大学支援会員のトップにはトヨタ自動車の名が挙げられいる。またアイシン精機や豊田自動織機などトヨタ系列の企業も支援会員に名を連ねる。このような場合、協賛企業と大学の関係は当然のことながら深まってくる。
 企業が創設した大学としては、同じくトヨタ自動車がつくった豊田工業大学や、ダイエーが深く関わった流通科学大学なども有名である。豊田工業大学の建学の精神は、豊田グループの創始者・豊田佐吉の言葉「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」が掲げられている。当然のことながらトヨタ自動車の技術者が教員となっているケースも少なくない。もちろん卒業後にトヨタ自動車に就職する学生も多い。
 一方、流通科学大学は「流通革命」の拠点にしようと故中内功氏がもくろんだものの、ダイエーの落日とともに大学としての魅力も薄れてしまったようだ。90年代初頭、競争倍率が毎年のように10倍を超え、代々木ゼミナールの入試偏差値で60をたたきだし、多くの卒業生をダイエーに送り込んできた同大は、現在、入試偏差値で40代中盤に沈んでいる。これも産学連携の中で、企業と大学がもたれ合ってしまった故の悲劇といえる。
 産学連携のもっとも顕著な形として、企業から大学の教員として迎えられた人もかなり数にのぼる。
 例えば先に触れたものつくり大学では、田中正知名誉教授が大学開設にともない、社命によりトヨタ自動車から転籍した。
「学生たちに教えたいことは、たくさんあった。現場管理者としての安全管理、生産管理、資材管理、労務管理、購買管理、トヨタ生産方式、統計品質管理、故障診断法、リーダーシップロン、QCサークル活動……」(『「トヨタ流」現場の人づくり』日刊工業新聞社)
 田中氏は自らの著作で、このように大学教育への抱負を語った。生産・流通管理の専門家が大学で講義を持つ以上、トヨタ生産方式が教材になることは当たり前だろう。しかしトヨタ生産方式がただの「生産方式」ではなく、社員の哲学として浸透している現実。だからこそ他社ではなかなか浸透しないという状況を考えたとき、トヨタイズムを体現する元社員による教育は学問としての客観性に疑問が生じないだろうか?
 例えば田中氏は自著で次のように書いている。
「トヨタでは、自動車を生産、販売するという仕事を通して社会全体に貢献すること、そして社員みんなが幸せになること、このふたつを会社が存在する最大の理由として掲げている。建前は他の企業も同じかもしれない。が、それほどそれを真摯に、かつ真正直に考えている企業はないのではないか」
 トヨタ自動車が不景気にあっても、リストラをしないという方針を掲げている。それは事実である。しかし史上最高益を出しながらベアを廃止し、社員をリストラしないために大量の非正規雇用者を雇って人数調整しているのもまた周知の事実である。このような側面を同大の学生は教わることがあるのだろうか?
 哲学であるトヨタ生産方式が、ただの生産システムかのように見せかけて教育されているケースは、ものつくり大学だけではない。
 目白大学経営学部長でもある門田安弘教授はトヨタ生産方式を学術的に研究した権威でもあり、JICAの派遣専門家としてシンガポールで同方式を技術指導した経験を持つ。しかし門田教授が最新のトヨタ生産方式を解説したする『トヨタプロダクションシステム――その理論と体系』(ダイヤモンド社)には、トヨタ方式にかんするマイナス面がほとんど書かれていない。
 第Ⅱ部の第3章で「トヨタシステムに対する共産党の批判」という見出しを掲げ、このシステムによりトヨタの下請けがどれだけ泣かされたのかという共産党の訴えを記述しているが、トヨタの対応により「問題点はほとんど解消された」と記しているのだ。
 その一方で「合理化はコストを低減させるし、こうしたコスト低減は親メーカーとサプライヤーの双方が共有する義務だ」と説く。ここには自社の合理化で無理な部分を下請け企業に回しているという現実は含まれていないようだ。
 じつはトヨタ方式が教えられているのは大学だけではない。九州産業大学の国狭武己教授が書いた『現代生産システム論』(泉文堂)は工業高校の教科書としても使われている。第10章「トヨタ生産方式」では歴史や特徴などがそれなりに詳しく記されている。しかし、大きな問題を抱えたシステムであることは、ここでも記載されていない。

■将来の危険性

 日本企業の代表的な存在だからと言われればそれまでだが、注意しながら進めるべき産学連携にトヨタの影がついて回る。経済戦略会議には奥田氏が名を連ね、トヨタが大きな影響力を保てる大学があり、客員教授の形で元社員がトヨタ自動車の哲学を全面的に肯定して教鞭をとる。また日本の最高学府である東京大学の国際・産学共同研究センターにもトヨタのグループ会社社長が籍を置いている。産学連携の歩みのなかで、いつの間にか日本のトップ企業が大学での影響力を強めていた格好だ。
 トヨタが絶賛されている現状ならば、それほど大きな問題にならないかもしれない。しかし遺伝子組み換え作物のように、企業の利益と国民の安全が相反するような事態となれば、こうした教育界でのネットワークは企業保護に向かって走り出すのではないか。そんな不安が頭をよぎる。
 産学協同が叫ばれた時代のように、企業と大学の密接な関係をすべて否定する必要はない。ただし産業向きではない学問も含め、自立した学問の場が大学に確保されるよう常に大学と企業の関係を見守る必要があるだろう。(■了)

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JR福知山線事故の深層/斉藤典雄

●月刊「記録」2005年6月号掲載記事

 脱線転覆。大惨事だ。
 JR史上最悪の事故となってしまった。
 死者107人、重軽傷者460人を出したJR西日本福知山線の脱線事故。
 あまりにも凄惨すぎた。これが現実なのかと本当に信じられなかった。
  「地獄絵図そのもの」「修羅場と化した」と負傷者は茫然とした様子で語っていた。「いつもと違う、もの凄いスピードが出ていた」という多くの証言もあった。
 乗客の救出活動は難航を極め、丸4日を要した。
  「再発防止に全力をあげる」「2度と起こさない」「申し訳ございません」はもう聞き飽きた。
 過去には例がない、これほどの凄絶な惨禍がなぜ起きたのか。現場検証や原因の究明が続く中、JR西日本の、やはり異常だった企業体質等が次々と明らかになってきている。
 まずは、事故現場の状況から記す。
 脱線したのは、7両編成の前寄り5両だった。
 目を疑うほどの何よりの衝撃は、線路脇のマンションに巻きついた車両だった。一枚の板のようにぺちゃんこになり、原形をとどめていない。マンションの角では「く」の字に折れ曲がり、外壁にそって張りついている。それが2両目だった。
 3両目は車両半分が線路上だが、進行方向が180度回転して、前後が逆に入れ変わっている。前部は大破だ。
 4両目は対向車線を完全に塞ぎ、5両目は一見線路上だが何軸かが脱線しているという有様だ。
 では、1両目はどうなっていたのか。事故当初は窺い知れなかったが、暫く経ってからようやく判明した。マンションの1階部分の駐車場に突っ込み、中にすっぽりと入り込んでいたのだった。その上、マンションに巻きついていた2両目が被い隠す格好だったため、外部からは確認出来なかったというものだ。しかも、脱線地点からマンションまでは約60メートル。車両は横倒しになったまま直進して激突したものと見られている。何台かの車を巻き込みながら止まったのだろう。20メートルの車両はじゃばら状に圧縮されて、7メートルになっていたという。想像すらできない。絶句だ。
 次に、脱線に至る経過を記す。
 話が前後してしまったが、事故発生は4月25日朝9時18分。長い直線からカーブに差しかかる塚口(快速は通過)―尼崎間で起きた。
 宝塚発同志社前行きの上り快速電車は約580人の乗客を乗せていた。事故発生前に停車した伊丹駅で、ホームを40メートル行き過ぎるというオーバーランを起こし、バックして乗降させたために1分30秒遅れて発車するという事象が発生した。
 この際、運転士は「(距離が)短かくならないか」と車掌に事故隠蔽を依頼、いわば口裏合わせをしていた。車掌は指令に「8メートル行き過ぎ、1分30秒遅れた」と虚偽の報告をした。指令は、状況を確認するため運転士に無線で2回呼ぶが応答はなし。発車してから約2分後、カーブに差しかかった所で事故は起きた。
 この線区の直線区間の制限速度は120キロ、カーブは70キロと定められていたが、カーブ手前の直線を126キロで走行し、108キロまで減速後、カーブ手前数10メートルの地点で非常ブレーキをかけていたことが事故調査委員会(国交省)などの調べで判明している。また、脱線した原因については複合的な要因があるとした上で、速度超過が主原因であると断定された。以上である。

■ミスした乗務員が草むしり!?

 問題は山積しているが、第一に安全対策はどうであったかだ。
 鉄道輸送は安全が最優先であることはいうまでもない。ダイヤが過密になり、スピードアップが求められる中で、万が一、運転士がミスを犯した場合のバックアップ体制として、「ATS」(自動列車停止装置)という優れた保安システムがある。
 今や、JR東日本をはじめ私鉄各社も速度超過に対応する新型のATSを広く導入している。しかし、この線区は赤信号のみの対応の旧型のATSのままだった。新型の設置がJR西日本全線で8パーセントにも満たないというから対策の遅れが際立っている。
 事故を防ぐ技術があるのにそうしなかったのは会社の怠慢である。責任は重大だ。営利優先、安全軽視といわれても仕方がない。
 また、カーブには「脱線防止ガード」(線路内側にもう1本レールを敷設する)が設置されていなかった。設置していれば脱線を避けられた可能性はある。
 さらに、車両の軽量化だ。コスト削減と高速対応のためのステンレス製だったが、これまでの鋼鉄製と比べれば強度の違いは明らかだ。被害が拡大した原因のひとつであることに間違いない。
 しかしながら、後述の2つは5年前に起きた日比谷線脱線事故でさんざん問題になった点である。手つかずのままだったのか、教訓が全く活かされていないことに愕然とする。安全には万全を期してもらいたい。人命を預かるという責任の重大性を認識し直すべきである。
 次に、電車はなぜ通常では考えられない速度を出したのかだ。
 運転士(23才)の死亡により全て推測でしかないが、異常な速度を出さざるを得なかった心理的要因には確証がある。
 それは、JR西日本の労務管理の特異性にあると断言出来る。乗務員がミスや問題を起こした場合の教育、指導のあり方に如実に表れている。2度と起こさないようにするために、安全への意識を高め技術を向上させるという本来の目的から大きく逸脱しているのだ。
 まず、この線区は速さが売りで1秒の遅れも許されない雰囲気があったという。実際、運転士にも秒単位の乗務報告をさせていた。
 その上、ミスを犯せば処分され、乗務停止の「日勤教育」と称する再教育が待ちうけている。なぜミスしたのかという「事情聴取」に始まり、原因究明より責任追及に重点が置かれている。
 言動は全てチェックされ、必要以上に問い詰められる。上司らが監視する中、反省文、自己批判、就業規則の書き写し等が何日も続く。期間は現場長の裁量に委ねられているため(これ自体疑問だが)、いつ終わるか分からない。
 一日中部屋に閉じ込められる屈辱。あるいは皆の目のつく所でさらし者にされるというみせしめだ。「誰から給料貰っていると思ってんだ」「乗務員失格だ」「辞めてもいいんだ」「もうしないと誓え」等々、ドラマで見る警察の取り調べのように人格まで否定される。果ては、基本動作等の強要、草むしりといった精神教育にまでエスカレートしていく。
 命を預かる以上、ミスに厳しい姿勢で臨むことは当然だが、これでは懲罰目的としか思えない、いじめそのものなのである。
 こうした恐怖のペナルティーで受ける精神的ダメージは相当なものだろう。目には見えない過大なプレッシャーに耐えきれず、自殺した運転士もいる。その父親は「日勤教育はいじめだ」として、JR西日本に損害賠償を求める訴訟を起こしている。裁判所は請求は退けたものの、日勤教育が自殺の原因だったことを認めている(現在は高裁に控訴中)。
 また、兵庫県弁護士会は「人権侵害にあたる」と、同社に改善勧告を出した例もある。
 もう何もいう必要はあるまい。運転士はオーバーランのミスと1分30秒の遅れを取り戻そうとパニック状態に陥ったことは容易に推察できるわけである。
 このような誤った管理体制は社員の志気を低下させるばかりではない。会社としての一体感まで損う結果となっている。それが今、切りがないほど明るみになっている、事故当日の社員の不祥事の数々だ。

■事故が起きても他所なら関係なし

 当初から、会社の対応は、責任転嫁ともとれる置き石発表、事故隠蔽を思わせる二転三転する会見内容等々、不手際が目立ち、どれもこれもといっていいくらい集中砲火を浴びていたが、もはや弁解の余地はない事態にまで発展している。
 事故車両に客として乗り合わせた運転士が2人いて、救助活動もせずに出勤した問題。事故を知りながらボウリング大会、ゴルフコンペ、海外旅行、宴会等々、枚挙にいとまがない失態続きである。
 「不謹慎だ」「鉄道マンとしての意識があるのか」「何を考えているんだ」と、遺族や負傷者の不信は増すばかりで、怒りを通り越してあきれ返っているという状態だ。鉄道員である以前に、まず人間としての使命を果たしていない。
 出勤した運転士は事故車両内から「メチャメチャだ、大変なことになっている」と電話を入れたそうだ。受けた当直は「ケガをしていないのなら出て来て」と出勤を指示したという。当直はどれくらい大変な事故かイメージ出来なかったに違いない。それは、事故直後に流された社内一斉放送からも窺える。いくら混乱していたとはいえ、「踏切事故発生、車と衝突、運転再開は12時ごろの見込み……」といった、普通では考えられないほどお粗末なものだったからだ。
 それにしてもと私は思う。誰もが皆、すっかりJR社員になり切ってしまったと。1分1秒たりとも遅れない、なにがなんでも出勤するという、いい意味での「ぽっぽや魂」を履き違え、本来人が持つべき当たり前の心さえ失ったのではないかと。これも一種の間違えた洗脳の結果だと思うのである。
 また、ボウリング大会を中止しなかった区長は計らずもこういっていた。「エリアが違う」と。JRは組織が大きい縦割り社会の典型だ。残念ながら横の繋がりは殆どない。職場、あるいは支社単位で競わされていることもあり、事故が起きても、他所なら「うちじゃなくてよかった」と、管理者ですらまるで他人事のように平気で口にしているという風潮が根強くある。これらは素直に改めるべき課題でもある。

■私が担当だったらブレーキを使えたか

 会社の失態を書き連ねたが、ふと思ったりもした。「もし私が担当だったら……」と。
 鳥肌が立つ。恐ろしい。イヤだ、イヤだといっても、やっぱり考える。
 車掌の仕事(役割)は3つある。
 ①列車の後方防護。②列車の状態監視。③車内秩序維持。
 中でも①が最も重要で、車掌は後方防護要員であるとまでいわれている。だから、最後部に乗務しているのだ。
 後方防護(列車防護)とは、事故が起きた場合、後続列車を止めること(運転士負傷の場合は対向列車も)、すなわち、併発事故(2次災害)を起こさないようにするということである。
 危険と感じたら(疑わしい時は)躊躇することなく非常ブレーキで止めることと、規則でも厳しく義務づけられている。
 例えば、この事故同様、普段とは違う異常なほどのスピードが出ていたとする。車掌には速度を見る義務はないが、駅への進入時とかならまだしも、運転の途中の一瞬の出来事であり、運転士に「大丈夫ですか」と問い合わせするくらいが関の山だろうと思う。変だなと感じてもあれよあれよと同じ結果になったに違いない。それで、脱線してしまった。確認したら、まず直ちに防護無線を発報する。これで近隣の列車は全て止まる仕組みだ。
 そして、指令に状況を報告する。もちろん、救急車、レスキュー隊の手配等要請もする。あとは、ひたすら人命救助にあたるだけである。……と頭では分かっているが、これほどの大事故だと、正直いって分からない。想像すらできない。
 何もできずに、ただ茫然と立ちすくみ、そのうちだんだんと気が遠くなり、意識を失っているかもしれない。気がついたら病院かも。この車掌は、全てを包み隠さず話すことがなによりの責務であると考える。
 いずれにしても、JR東日本では、分割・民営化前後の約10年間をピークに「日勤教育」という悪夢は影を潜めた感じだが、職場によっては未だにこうしたファッショ的な指導が残っているのが実情である。
 社長がいくら頭を下げて謝罪しても、心は遺族たちには届かない。また、幹部が「全社一丸となって……、事故を共有する気持ちで……」といっても、面従腹背が蔓延している現状では意思疎通すら計れず、信頼の回復は前途多難なばかりか絵空事でしかないだろう。
 お客様が便利になると、必ずといっていいほど社員が犠牲になっている。それは人員削減であったり、労働強化であったり、ゆとりや働くという喜びがどんどん失われていくのだ。これを正常といえるのか。それにしても遅すぎた。なにもかも全てが遅すぎた。
 最後に、誰もいわないから私が言う。「若い運転士が気の毒だ。名前も全て公表され、残された家族は永遠と不幸を背負う。人生これからだったのに……」。

■音声変えてもハッキリ私だと……

 この大事故の影響は意外な形で私にもおとずれた。
  コメントがほしいなどと、事故当日から約2週間の間にテレビ局3社と週刊誌1社から取材があったのだ。
「なんでおれなんかに」と思う反面、「仕方がないのか」という諦めのような複雑な気持ちが入り交じった。
 事故当日、私は夜勤明けだった。10時半ごろ乗務が終わり、本区に戻ると、控え室では同僚達がテレビの前で大騒ぎとなっていた。1両目か2両目かがぺちゃんこになり、マンションの外壁にへばりついているという、まったく信じ難い、わけの分からぬ衝撃的な光景が映し出されていた。
 ひとまず帰宅してからも、いつもはすぐ休むところを一日中テレビに釘付けとなっていた。どのチャンネルを回してもこの事故のことが報じられていた。これ以上はない大惨事だと思った。ただただ茫然とするばかりで言葉が出ない。晩ごはんを済ませ、あとは早目に寝るだけという8時前のことだった。テレビ番組スタッフからの電話である。
 取材だけならいいが、テレビに映る(写真も)のだけは本当に大イヤで勘弁してほしいのだ。その理由はいいようがない。イヤなものはイヤだと駄々をこねる子どもに理由を聞くようなもので、まるでオトナ気ない、理由にならない理由だからだ。
 そもそも私は人前に出るような人間ではない。喋るのは大の苦手でもある。その上、いつもの通り酔っていた。
 これから車を飛ばして、赤坂(TBS)から八王子(家)まで来るという。スピード違反だけは止めてほしいと思った。グズグズと決断しかねたが、全然大丈夫じゃないのに「大丈夫ですから」という相手に押し切られた格好だった。もう仕方なく承諾したのである。それからが大変。水やお茶をがぶ飲みし、熱い風呂に浸かりと、酔いを覚ますのに必死だったことはいうまでもない。テレビクルーが到着するのに時間がかかったおかげで、すっかり酔いも抜けたのだが……。
 10時前にチャイムが鳴った。ディレクター、カメラ、照明と総勢4人が家にみえた。約1時間位だったろうか。
全然大丈夫じゃないのに、またも「大丈夫ですから」と慰められ、事態はどんどん進んでいった。
 撮影とインタビューはわけの分からぬままに終了したといってよい。もう、ただただしどろもどろで、内柔外剛の自分をイヤというほど思い知らされ、意気消沈してしまったのはいうまでもない。
 従って、結果はどれも恥ずかしくって誰にもいえないものばかりだった。
 ところが、さっそく同僚にいわれた。「テレビに出てたよね、あれは間違いなく典ちゃんだ」と。どうしてバレたのかと不思議でならなかった。顔はボカシで音声まで変えてあったのに…。私のデカイ鼻がボカシからはみ出しそうだったからか。また、私は元々音声を変えたようなボソボソとした声質だから、地のままでいっても同じだったのかもしれない。
 翌日の朝に放映された、その具体的な内容といったらナサケナイったらない。スタジオに設置された大きなボードには「人為的ミスか? 現役車掌は語る『オーバーランはよくあること』」とものものしく書かれてあった。司会のみの某氏さんが「現役の車掌さんが大変な証言をしてくれました」と紹介した後、私が映し出された。
「オーバーランはよくあるといっても差し支えない」「若い運転士なだけに心理的に追いつめられたのでは」「運転士は職人気質で、秒単位で動かしているというプライドがある」「時間に対してのプライドが強く働きすぎて、安全面がおろそかになったのではないか」と途切れ途切れでたどたどしいったらないのだ。「オーバーランが原因の1つなのではないかと現役のJR車掌は推測する」と、合い間に入るプロのナレーションに助けられたが、まったく話になっていない。
 これでどこが大変な証言なのか。時間にして1分にも満たない。語るなどという代物でもない。どっちらけだ。恥ずかしさのあまり、テレビをぶち壊してやろうかと思ったほどだった。

■ついに会社から呼び出し!

 一方、週刊誌の方はとんでもない事態になった。私がいってないこと、いった内容と異なることが記事になっていた。これではJR東日本を誹謗中傷していると捉えられるかもしれない。会社から何をいわれるか分からない。私は直ちに抗議をした。そして、謝罪してもらったのだ。
 案の定、2日後には会社から呼び出しがあった。会社の要望は2点。記事にあることを私がいったかどうかの事実確認。会社には広報という窓口があるから、会社の名前を出して個人でマスコミ等に出るのは慎んでほしいということであった。
 主な3点だけ記す。
 取材で私がいったことは①東でも重大事故は起きる可能性はある。ないとはいえない。しかし、西のような事故はまず起きない。いくら超過密ダイヤでも、新型のATSが整備されているからスピードが出せない仕組みだ(速度超過をすれば、ATSによりラッシュの電車は次々と止まってしまうということ)。②10秒単位の乗務をしている。③3時間ぐらいしか仮眠出来ないこともある。
 それに対する記事の内容は①東でも西と同じ事故が起きる可能性が大きい。過密ダイヤの首都圏こそ危険だ。②1秒の遅れも報告するのが原則。③乗務員の睡眠時間は平均3時間程度。
 私は記事のようなことはいっていないことを告げ、以上の点を説明した。また、迷惑しているのは私であり、謝罪してもらったこと。誰にでも間違いはある(新聞、テレビでも)こと。
 そして、私は同業者として107人も死亡した、この大惨事を黙っていることは出来ない。対岸の火事ではない。JRへの愛社精神をもって、安全等の問題については警鐘を鳴らし続けていく。要請があればマスコミにもどんどん出る。会社もいったらいい、東は安全ですよって。これで終わりだ。
 会社はもう何もいわなかったが、翌日また呼ばれ、「もし、外部から会社に問い合わせのようなことがあれば、本人は謝罪してもらっていることだと答えるが、それでいいか」といってきた。わたしはオカシナことをいうものだと思った。そんなことはもう関知しないことだ。うちの困ったヒラ社員が勝手な発言をしたものでしてとでも、好きにいえばいいのではないか。会社は週刊誌に抗議するなり、謝罪文を出してもらうなり勝手にすればいい。

■東労組の若手が支持してくれた

 これで一件落着かと思いきや、今度は東労組による私への個人攻撃が始まったようなのだ。
 聞いた話だが、「いい加減なことを週刊誌に載せてんじゃねぇ」「断じて許さない」みたいな内容の掲示を張り出しているという。
 ま、私がとんちんかんなことをいったことになっているのだから無理もないが、うちの職場ではなく他所の職場に張り出すといった、相変わらず因循姑息なやり方である。
 呆れ果てるばかりだ。いずれ真実は分かるはず。そんなことをしていたら、組合員の気持ちは離れていくだけだろう。
 その夜、東労組の若い組合員が多くの人にメールを送ってくれたという。
「良識ある仲間に転送を! 週刊誌に掲載された三鷹車掌区の斎藤氏の記事の件で誤った情報が流されています。氏の意に反した内容が記事になってしまい、週刊誌に抗議、謝罪を得たとのことです。会社側も一連の事は把握しており特に問題はありません」。
 心から感謝する。ありがとう。涙がちょちょ切れるくらい嬉しかったよ。(■了)

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「健康意識」とサプリメント

●月刊「記録」2004年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 薬局に限らずコンビニでも簡単に手にはいるようになったサプリメント。これは「薬」ではなくて、栄養補助「食品」なのだ。一日に必要な栄養素を食事だけで摂取できないときの補助として飲むのが一般的な利用のされ方である。
 サプリメント市場は年々成長しており、大手のファンケルでは、94年の売り出し初年で約15億円を売り上げたのを皮切りに2000年には約220億円と200億を突破。現在は約300億円近くまで到達し、当初の20倍以上の売り上げだ。
 同社はかつて無店舗で「無添加」をうたった化粧品を販売し、健康に気を使う女性を中心に支持を広げた。その後「無店舗」はやめたが無添加路線は食品にも手を広げた今でも守っている。
 サプリメントの販売を開始した94年2月当初はビタミンC、ローヤルゼリーなど28品目を売っていたそうである。
 ファンケル広報担当者は「消費者の健康意識の高まりと共に売り上げも増えていきました」と背景を推察する。確かに「健康意識の高まり」もあるかもしれない。しかしよく考えてみるとサプリメントを必要として飲んでいる人の多数は不規則な生活をしている人である。
 ここには大きな矛盾がある。つまり普段が不規則=健康とはいえない生活を送っているために、本来ならば気にしなくてもいい「健康」へと関心が高まっているという構図に、だ。言い換えれば健康への志向は不健康な生活を続けることが前提となっている。いささか問題ありではないだろうか。
 本来ならば3回きちんと食べ、しかもバランスの取れた献立が必要だ。そうすればサプリメントを頼らなくてもいい。こうすることが本来の「健康意識の高まり」であるべきである。

■「不健康」だから買う

  「健康意識が高まって」いるにも関わらず、日々の生活が病因につながる「生活習慣病」が増えている。
 生活習慣病には、ガン、動脈硬化、高血圧、2型糖尿病などがある。最近子供の間で増えている肥満もその一つだ。
 かつて壮年期を迎えた人が多くかかる疾患ということで「成人病」と呼ばれていたが、生活習慣の混乱、とくに食生活の乱れが日常化した今はもう子供もかかるので最近では生活習慣病と呼ばれるようになった。
 したがって規則正しい食生活を送ることが生活習慣病を回避する大切な要素になってくるのはいうまでもない。1日3回ちゃんと食べよう。それが難しくてもバランスの取れた食事を心がけようということだ。
 もっとも現代人が食生活を正しくするのは容易でない。3食をしっかりとることが仕事柄不可能な人もいれば、朝食をきちんといただいてから出社したくてもできない人もいる。そのうち可能であっても「朝からご飯なんて……」と食べずに出社する習慣がつく場合もあろう。責められない現実ともいえる。
 一方の「バランスの取れた食事」も言うは簡単だが、実行するにはよほど意識しないとうまくいかない。朝はこれを食べたから昼は別のあれにしようと強く意識してセレクトするようにならなくてはならない。「そんなの簡単」と思ったら大間違いだ。なぜならばそれがうまくいっていないからこそ生活習慣病が増えているからだ。かくしてサプリメントは売れていく。
 さらに本物の「健康意識」派が売れ行きに拍車をかける。いくら規則正しい食生活を送っていても「環境の変化によって野菜中の栄養素量が減ってきているから」などと考える本当の健康志向もまた確実に増加中。要するに「不健康だから」と「より健康に」の一見正反対の人たちが「どっちにしろ必要だ」とばかりに買い求めているようなのだ。

■完璧を目指せば飲む量が増えてくる

 そうである以上「サプリメントに頼るな」と叫ぶのは非現実的だ。正しい使用法を探る必要があろう。
 サプリメントの一番良い点は、飲み方がとても簡単なところだろう。自分に足りないと思われる栄養素が入っている製品を買ってきて、袋に記載されている粒数を守って飲めばいいのである。
 食事のように食材を買ってきて、調理して盛りつけなくても、水で飲むだけで簡単に栄養補給できてしまうのだからこれ以上楽なことはない。
 だがここで大きな疑問がわく。一日に必要な栄養素を補うためには、足りない栄養素がなにかを知らなければ摂ろうにも摂りようがないという点だ。
 もちろん日本人が一日に必要な栄養素量を細かく定めた「日本人の栄養所要量」というのがあるので、それを参考に一日必要な量を「食品成分表」を見ながら電卓片手に計算して摂っていけばいいのである。
 だがそれが容易ではないのは「日本人の栄養所要量」を手元に持っている人などほとんどいないことでも明らかだ。自分で調べないならば病院へ行って栄養指導をうけたり、身近に栄養士がいれば「あなたに必要な栄養素量をすべて含んだ献立を作ったわ」などということが可能だが、これまた現実にはほとんどない。
 したがって「私にはビタミンCが足りないと思うから摂るわ」というように、自分で何が足りないかをたいした根拠もなく摂取している人が多いと容易に想像できるが「生兵法はけがのもと」という古いことわざもある。素人判断ほど危険なものはない。
 たとえば不規則な生活を送っている人はビタミンだけが足りないわけではなく、完璧をめざせば数十種類はあげられる。すべてを果てしなくサプリメントに加えていくことなど不可能だ。
 1つの栄養素に限っても一粒飲んだだけで十分というわけではないことは意外に知られていない。サプリメントだけで補おうとすればするほど、飲む量も多くなるから面倒になる。
 以上の問題も含めて「サプリメントにはお金がかかる」のも深刻だ。オーソドックスなビタミンやミネラルなどは安いが、摂りづらいものや希少価値の高いものになればなるほど価格があがっていく。
 よく新聞広告などで目にするローヤルゼリーやプロポリスなどは驚くべき金額である。高くても健康でいたい、健康になりたいという健康オタクならば気にはならないだろうが。絶大な効果を期待すると裏切られる可能性が高い。
 なぜならばサプリメントは本来が食品であり、消耗品だからだ。消耗品だから飲めばなくなる。即効性のある薬ではなく、続けなければ効果が表れない食品なので毎月効果が表れるまで飲み続けなくてはならないし、病気を治すために飲むのではなく病を予防するためだから「ここでやめてもいい」というラインもない。そうした特性を踏まえると高いサプリメントに手を出しづらい。だから毎月飲み続けるならば低価格の方がいいはずだ。低価格路線のファンケルが売れ続けるのは、そこにも原因があるのだろう。

■食事を楽しむのが基本

 重ねていうがサプリメントは食品である。したがってカプセルに入っていたり錠剤だったりと薬に似ているが実際には食物に由来するのだ。端的にいえば食べているのとある一点を除いて同じである。
 例えば食物のマグロの眼球裏に多く入っていて、摂取すると頭が良くなると話題になったDHAや、カニの殻から取られた脂肪が気になる人にはおすすめのキトサンなど、食材で摂りたくても一度には摂りづらい栄養素や、眼球疲労に効果的とされているブルーベリー、トマトに多く含まれるリコピンなど食材でも手軽に摂れる栄養素などさまざまあり、TPOに合わせてセレクトできるのである。他にもビタミンやカルシウムなど身近な栄養素も含めて一口にサプリメントと言っても種類は豊富だ。その意味でサプリメントは食べる暇もない忙しい現代人にとって救世主のような存在といえなくもない。
 ただしサプリメントでは栄養は満たされるが腹は満たされない。これが先に述べた「一点を除いて」の一点である。現状ではサプリメントだけで生きている人はほとんどいない。
 今では原点である食事こそ大切にしようという運動が起こっている。「スローフード運動」だ。これは「消化が遅い食べ物」という意味ではなく「ゆっくりと食事をする」ということで、ゆっくり食べる楽しさを再認識しよという、食生活・食文化を大切にするイタリアから始まった運動である。
 スローフードが浸透し当たり前になったら、家族で食事を囲むという文化も復活する。そうすればバランスのとれた食事をとることも可能だ。
 そのためには浸透させられるだけの土台作りが必要になってくる。農林水産省が厚生労働省、文部科学省と共に策定した「食生活指針」に「食事を楽しみましょう」という項目を作っているのだから、具体的に動き出してもよいのではないだろうか。
 そうすれば生活習慣病も減り、団らんがキレる子供を減らす一石二鳥である。
 サプリメントが売れるということは、現代人の食生活、食事に対する考え方が希薄になってきていることを示している。ついにサプリメントで全ての栄養を摂っている人も出てきたくらいだ。この先さらに希薄さが増していったら、栄養補助食品から、サプリメントが食事の主となる日が来るのだろうか。
 もう一つ問題がある。数年前にゴージャス姉妹で有名な叶姉妹が出演したダイエット用サプリメントのCMがあったが、痩身を目的としたサプリメントである。
 ドラッグストアへ行くと、栄養系と同じくらいダイエット目的のサプリメントが売られているのを目にすることが多いはずだ。女性のやせ信仰は「健康意識の高まり」とは全然異なる。これがなくならないかぎりこれまた「健康」とは無縁のダイエット系サプリメントは売れ続けるだろう。(■了)

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なんでタバコがやめられないんですか?

●月刊「記録」2004年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部


 喫煙者には世知辛い世の中になってきた。タバコを嫌う嫌煙家と呼ばれる人々や、非喫煙者が増え、喫煙者を端へと追いやろうと、いや、現に追いやり作戦が実行中である。
 日本たばこ産業(JT)が昨年8月に行った「喫煙者率」調査によると、男性48.3%、女性13.6%と全体で50%を超えていない。一時期言われていた女性の喫煙者率増加も、この数字を見る限りでは信憑性にかける。
 さらにJT広報は、「60歳を超えると、タバコを吸う本数が減りますね」と話していた。
 日本はこれからますます高齢化が進んでいく。何をせずとも喫煙者は減っていくのだ。
 しかしそんな状況でも政府は、2003年5月に『健康増進法』施行した。この法は、2000年に現在の厚生労働省が国民の健康作り運動として発案した「健康日本21」の中核としてつくられたものである。
 第25条に「受動喫煙の防止」というのがあり、「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」と定められている。
 最近は飲食店でも全面禁煙の店や、禁煙席が増えるなど、非喫煙者に優しい環境になってきている。
 さらに東京・千代田区では「生活環境条例」というものができ、路上喫煙が禁止となった。違反すれば2000円の過料を取られる。今年3月までの違反者は約8000人にのぼったという。
 過料の支払い方は2種類あって、その場で2000円を支払う場合と後日納付する方法である。
 なぜ二通りがあるのか、同区環境土木部生活環境課に問い合わせてみたところ、「その場で払う方もいますが、持ち合わせがない方や後日支払うという人には納付書を渡しています」との回答だった。
 ちなみに現金で支払った場合、「領収書もその場で出しますし、おつりもきちんと持ち歩いています」とのことなので、5000円、1万円しか持っていなくても支払うことが可能。とても良心的である。
 それにしても単純に計算しても8000人×2000円で1600万円もの収入になる。行政としてはかなりいい財源である。
 そんなふうに、喫煙者には肩身の狭い世の中になってきが、それでもどうしてタバコを吸うのだろうか。喫煙者にアンケートをしてみた。
 まずタバコを止めようと思ったことがあるかを聞いてみたところ、21人中11人。女性よりも圧倒的に男性のが多かった。
 その理由として、「金銭面でやめようと思ったことはある」(21歳・男)「タバコ代がかさむから。しかし、社会人になったらそんな気はなくなった」(24歳・男)と、金銭面の理由。
 2003年7月からたばこ税が増税され、喫煙者のタバコの負担額が増した。一箱の値段の平均は約280円。一日一箱消費するとして、一ヶ月だと280円×30日で8400円。一日一箱だからこれだけで済むが、ヘビースモーカーになっていくとそれは倍々になる恐れがある。
 文字通り「煙となって消えていく」商品が一箱280円なのか。JTによると、税負担率が6割にものぼる、日本で最も負担率が重い商品の一つなのだそうである。消費税は5円だが、270円のタバコの場合、税は170円ほどになる。タバコを買うというよりも、自動販売機を通して国に納税しているようなものである。ちなみに、14年度のたばこ税は総額で8441億100万円。
 タバコの消費本数は、2003年は全国で2994億本。1999年の3320億本から確実に100億本(5億箱)ずつ減少していっている。1本や2本どころの騒ぎではないのだ。億単位で減少しているのである。
 たばこ税の問題だけでなく高齢化も含めたうえでの減少でもあるから一概には言えないが、確実に税収は減っていっているはずだ。
 そのことをどう思うのかと財務省の担当者に尋ねると、「毎年税制改革をしているので、その時々に応じて赤字国債で補填するか、他の税で負担することになります」
 どのみち税金なので、喫煙者が減ると非喫煙者につけは回ってくるというわけだ。
 ちなみにタバコをやめようと思ったもう1つの理由は、「ダイビングの大会に影響が出るから」(36歳・男)「太るために」(28歳・男)と身体面での理由だった。
 また、やめようと思ったことのあるなしに関わらず次のような回答もあった。
「風邪をひいて、しばらくタバコをやめた」(28歳・男)「妊娠したときはつわりでやめられた」(22歳・女)
 やめようと思ったときに取った行動や方法は、「灰皿を割った。アメをなめて代用した。タバコを挟んでいるつもりで、吸うマネをした」(23歳・男)、「ライターを捨てた」(23歳・男)「意志の力で」(28歳・男)「彼氏への愛でひたすら我慢」(21歳・女)などさまざまだ。意外と喫煙者は試行錯誤しているのである
 効果的な禁煙の方法はたくさんあり、「ニコチンパッチ」という体に貼る湿布薬のようなものがある。それで禁煙が成功した女性によると、就寝前に貼って寝たら、朝から吸わなくても大丈夫だったそうで、貼ってから2週間(かなり早い)でタバコを吸わなくてもよくなったそうだ。治療期間はだいたい1~2ヶ月程度で、総費用は2~3万円。医療機関で処方してもらえるらしい。
 禁煙に関する書籍も山のように出ており、「ノー、タバコ」に向かっているのに、なぜタバコがやめられないのか単刀直入に聞いてみた。
「タバコは生活の一部になっているため特に意識していないです」(21歳・男)「今は必要性が見当たらないから」(36歳・男)「理由がわかればやめているが、好きだから」(24歳・男)「朝の一服、昼の一服がおいしいから。赤ちゃんのおしゃぶりみたいな感じで、ないと落ち着かない」(25歳・男)「口寂しい。落ち着かない」(23歳・男)「吸ってると気分が安らぐから」(20歳・男)「気がついたら吸ってるからかな」(23歳・男)「暇な時間が増えるとつい吸ってしまう」(21歳・男)「イライラすると手が伸びる」(21歳・男)「やめる理由がないから。今やめたいとは思ってない」(28歳・男)「仕事以外での余計なストレスをためたくないから」(28歳・男)「根性がないから」(32歳・男)「体がニコチンを欲しているから」(22歳・女)「生活の一部となっているから、ないとさみしい」(22歳・女)「止める必要がない」(22歳・女)「止めようと思ったことがない」(22歳・女)「やっぱり落ち着くし、タバコうまいもん! 食事後のタバコの味覚えたら止められまへん」(21歳・女)「止める気がない」(25歳・女)。
 まとめると「やめる理由もないし、必要もない。タバコ吸うと落ち着くんだよね」ということだ。
 やめられた人には明確な理由があったからやめられたのであって、やめられない人はさしあたってやめる理由がないからやめられないのである。
 さらに、今回アンケートに協力してくれた方々は、一様にタバコが好きなのである。
 「好きだから」「ないとさみしい」「必要性がない」など、理由としてはかなり甘いが、彼らにとって“タバコに火を付けてを吸う”という行為は、トイレに行く、ご飯を食べると同じことで、日常生活の一部となっている。
 だから理由としては明確ではなく、あいまいになるのではないだろうか。直接口頭で「なんでタバコをやめられないの?」という質問を投げかけたところ、ほとんどの人が一瞬考え込んだ。
 トイレに行くことも、ご飯を食べることも、どうして? と聞かれれば答えられるが、普段は考えない。タバコも同じライン上にあるのだ。だから一瞬考え込んだのだろう。
 健康増進法が施行され、灰皿の数が減ったり、禁煙席が増えたりと、嫌煙家や非喫煙者にはとても過ごしやすい環境になってきたが、はたしてそれが問題解決の糸口になるのだろうか。
 現状を見る限りでは、タバコの存在を疎むというより、喫煙者を疎んでいる傾向のが強い。
 禁煙を促したり、過ごしにくい環境を作ることは方法の一つとしてありだが、結局のところタバコ自体が存在する限り喫煙者がいなくなることはないのではないか。 タバコがあるから喫煙者は吸うのである。お腹がすいたら食べる。それは食べるものがあるから食べるのであって、なければ我慢する。
 ここで気になるのは、やはりタバコ税の問題だ。あれだけの税収を、国や地方自治体は手放せるのだろうか。げんに喫煙者の減少は、赤字国債の発行を招いていると財務省の担当者は認めている。事実、国や地方自治体は分煙を推進こそすれ、禁煙を推し進めてはいないのではないか。
 しかも財務省担当者は、「どうしてたばこに税をかけるのか」というこちらの問いに、「タバコは嗜好性が強いものだから、価格が変わったとしても個人の消費量はかわりません」と答えているのだ。つまり単刀直入に言い換えれば、「ニコチン中毒から搾り取るのが楽だから高い税金を掛けているんですよ」ってことになる。
 健康に害があることもあきらかで、大麻よりも中毒性の高いとも言われるタバコを、税収入のために勧めているなら大きな問題だろう。
 さらにうがった見方をするなら、病人が増えれば医者が儲かり、自民党を支える医師会がほくそ笑む図式も見える。こうした構図をうまく隠すしているのが、喫煙者と非喫煙者との戦いだ。
 そろそろ非喫煙者も本当の敵に目を向けるべきだろう。(■了)

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「あの鳥」は大丈夫か!!

●月刊「記録」2004年4月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 日本をはじめアジア一帯で、鳥インフルエンザが猛威をふるっている。
 国内で25万羽以上のニワトリが死に、一番の被害が出た京都府の養鶏場裏の林では、鳥インフルエンザに感染したカラスの死骸が発見された。ついに野鳥のカラスにまで!
 これは危ない。通常、鳥インフルエンザは人に感染しない。しかし鳥同士となれば話は別。日本には絶滅寸前の鳥が少なくない。鳥インフルエンザの蔓延は、特別天然記念物のカンムリワシやタンチョウを駆逐してしまうのか!?
 編集部は、さっそく調査に乗り出した。まず目をつけたのが、ニッポニア・ニッポンの名で知られるトキだ。 1999年に中国から提供された友友と洋洋によって、日本初の人工増殖に成功したさいには新聞の一面を飾り、国中を沸き立たせた保護動物の「看板役者」である。
 さっそく新潟県佐渡トキ保護センターに電話した。ところが取材意図を説明し始めると、「おたくさんには申しあげられないな!」の声。怒っている?
 どうやら大厳戒体制下の最前線に、ヘラヘラと電話してしまったようだ。反省しつつトキへの不安を心から訴えると、職員が緊迫した現状を語ってくれた。
  「外にポストを設け、新聞配達員や郵便局員さえセンター内に入れていません。入れるのはセンター職員7人以外に、夜泊まってくれる警備員さんだけですわ」
 センターでは、農林水産省から出されているマニュアルに従い、消毒の徹底と人の出入りを制限したているという。もちろん観光客への公開も完全に禁止となった。 人工増殖によって昨年までに、40羽(成鳥22羽、ヒナ18羽)まで増えたトキを、1羽たりとも殺すわけにはいかない。そうした職員の思いが伝わってくる。
  「私どもから言わせれば、(鳥インフルエンザは)訳のわからない世界ですから。ウィルスがどこに飛んでいるのかもわからない。どの範囲まで保護すればいいのかもわからない。でも、せっかくここまで増やしてですね。(数を)ダウンさせるわけにいきません」
 センターにおけるウィルスとの攻防は、すでに死闘の様相を呈している。
 しかも今回の鳥インフルエンザ騒動は、思わぬ弊害をトキにもたらしているという。中国に頼らざるを得ない繁殖パートナーの提供を、今年、環境省が断念したのである。繁殖期の4月が間近に迫り、センターは現在いるトキでペアを組むしかなくなった。
  「やっぱり1つの個体の延長線上にある繁殖ですので……、新しい血を入れないのはよくありません。兄弟とか親子の関係で繁殖することになりますから」
 鳥インフルエンザは、トキから嫁や婿を奪ったのであった。今後、繁殖パートナーを増やしていきたいところだが、まだ先行きは暗い。
 3月1日には佐渡が一島一市になり、鳥インフルエンザが流行るまでのセンターは、お祝いムードに包まれていたという。3月15日にはキンの追悼行事も計画されていた。本来ならトキ目当ての観光客が、ぞくぞくと来園するはずだった。
  「トキの数が増えるたびに、どんどんお見せできるように、私はセンターを開放してきました。ところが、ここに来て逆行するようになってしまって……。苦しいというのが正直な気持ちです」
 取材に答えてくれた職員は、そんな苦悩を打ち明けてくれた。トキの保護とセンターの開放に力尽くしてきた職員の言葉は重い。ただ専門家が全力で守っているだけに、トキの安全はかなり高いことを実感した。

■徹底除菌でコウノトリを保護

 さて次に気になったのは、コウノトリである。
 日本では野生のコウノトリが約30年前に絶滅してた。そのため兵庫県豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園において、繁殖活動が行われている。その数、106羽。この順調な増殖の成果を受けて、同公園ではコウノトリを野生に戻す計画まで立てられているのだ。
 しかし25万羽を処分した浅田農産船井農場は近い。ましてタイのバンコク郊外では、保護区で800羽のコウノトリが死んでいる。野生化計画など吹っ飛ばしそうな状況なのだ。
 こちらにも、さっそく電話をかけてみた。すると
  「一般公開していたコウノトリがいたんですけれど、それを奥の非公開ゾーンのケージに移動しました」とのこと。もちろんトキ保護センターと同じく一般公開も取りやめている。
 さらにコウノトリを飼育している職員たちも、厳重なウィルス対策を講じている。
  「ケージに入るときの手足の消毒。それとマスク、ゴーグルの着用。以前からしていたことですが、今回改めて徹底しています。業者などが使う進入車両には、タイヤの消毒も実施しています」
 ちなみに、来園者も防疫体制維持のために消毒マットで、靴の裏の消毒を行っているそうだ。
 しかしここまで徹底しているにもかかわらず、万が一コウノトリが鳥インフルエンザにかかってしまった場合、どうするのだろうか?
  「今の段階ではなんとも申し上げられませんね。まだわからないですから。私どもで決定できるようなことではないんで、今の段階では、そこまでのお話しかかできません」
 当たり前だが、敵は見えない。どの程度の接触で感染するのか、何から感染するのかすらわかっていない。手探りのなか必死の防御が続いている現在、最悪のシナリオに回答がないのも仕方ないだろう。
 ただコウノトリもトキと同じく、専門知識に富むプロが知恵を絞り鳥インフルエンザウィルスから、鳥を隔離している。現状では、絶滅の心配などなさそうだ。

■注意が必要なのはツル

 では、人に守られていない野鳥たちは、大丈夫なのだろうか。野鳥の安否をたずねるべく、今度は日本野鳥の会にお邪魔した。
  「渡り鳥については、日本にくる途中で感染しても、死んでしまいます。逆に感染して治ってしまえば、もうウィルスを持っていないので感染は広がりません。そういう意味では心配する必要はないはずです」
 そう語るのは、日本野鳥の会の主任研究員である金井裕さんだ。金井さんは、繁殖期になると多くの野鳥が縄張りを構えるため、より一層、感染の危険は少なくなることも教えてくれた。ペアで生活が続くため、他の鳥と接触する機会が少なくなるからだという。
 たしかに群れていなければ、一気に感染が広まる危険性はない。巣を探すのが困難なほど広い縄張りを持つ猛禽類などは、地域的に野鳥への感染が拡大しても死ぬ数は限られてくるだろう。
 ただし、それはあくまで野鳥の環境が整っている場合である。環境悪化などによって、生息地が限られ、群が密集してくると話は変わってくる。
  「今、一番気にしないといけないのはツルですね」
 ズバリ、金井さんが指摘した。
 ツルは江戸期以降の乱獲が祟り、現在、生息場所は鹿児島県出水市周辺と、山口県周南市八代の2ヶ所だけ。今年確認されている個数は、山口県は15羽、鹿児島県は約1万羽だけなのだ。
 もしここに毒性の強い鳥インフルエンザウイルスが入ってきたら、その結果は火を見るより明らかだろう。生息場所が限られているため、ツルに逃げ場はない。もちろん縄張りも通常の野鳥より狭いため、感染の危険性は増す。
 ついに今回の取材で、絶滅の危機にさらされてしまう鳥に出会ってしまったのか。そんな不安を見透かしたかのように金井さんは言った。
  「大丈夫でしょう。じつは、ここ何年か続けて、生息地の限られた鳥の大量死が起こっています。しかし絶滅にはいたっていません」
 2000年秋には、韓国に生息するトモエガモが鳥コレラで1万羽死んでいる。なんと1ヶ所に10万羽から30万羽いた鳥だという。さらに、2002年の冬には、台湾に生息するクロツラヘラサギが、エサの貝などに繁殖したボツリヌス菌によって、70羽死んでしまった。この鳥もほかの環境で、暮らすことのできない鳥だったという。
 つまり薬も医学知識もないトリが、密集して暮らしていても、絶滅まではいかないのだ。ウィルスや菌を乗り越えて、強い個体だけが生き残る。いわば自然淘汰が起こるだけだ。
 鳥インフルエンザによって、バンコクのコウノトリが800羽死んだといっても、群は1万羽ぐらいいたとの情報もある。死んだ鳥の数こそ多いが、1%も死んでないという見方もできるのだ。
 もちろん繁殖環境が悪化していれば、通常の野鳥より絶滅の危険性は高い。しかし、そのマイナス分を人が補ってやることで保護できる。
 考えてみれば、動物絶滅の原因になっているのは、常に人間だった。自然だけで生物が淘汰されることはまずない。
 今回、25万羽もの鶏を処分する原因となった鳥インフルエンザも、野生の強さを失った大量の鶏を、あれだけ狭い地域で飼育していなければ、これほど感染を広げなかっただろう。
 むしろ日本野鳥の会がウィルス以上におそれているのは、人の噂だという。現にある民放局のニュースでは、感染源として謎の黒い鳥の存在が報じられた。
 しかし「そんな格好の鳥などいない」と、謎の鳥のスケッチを見ながら金井さんは断言した。野鳥から感染する危険性に過剰反応すれば、こうしたデマも一人歩きし始める。いずれ鳥など殺してしまえという声さえでかねない。
 すでにツバメに対する不安の声があがり、ペットとして飼われている鳥まで捨てられて始めている。野鳥にとっては、鳥インフルエンザより人間が恐ろしい存在なのだ。絶滅の引き金は、やはり人間が握っている。 
 とっ、ここで新たな疑問が!
 日本野鳥の会のメンバーは、鳥インフルエンザを調査するため、地方自治体からも協力を依頼されている。実際、あの船井農場周辺の野鳥の調査にも会員が参加した。それ以外でも、もっとも野鳥に近づく人々こそ日本野鳥の会のメンバーではないか。高濃度な接触を伴うと感染するといわれ、海外では人への感染例も報告されている。会員に危険はないのだろうか?
  「はい、野鳥には近づけませんので」
 そうだった。野鳥には近づけない……。だからこそ紅白歌合戦で、NHKホールの観客を舞台からカウントすることができるのであった。感染どころか、触ることすらできん、それが野鳥。
 というわけで野鳥の会の会員が安全であることも、最後に報告しておきたい。(■了)

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食卓が危ない??

●月刊「記録」2004年3月号掲載記事

 不規則な生活が常識となり、一日1食という日もあれば、2食という日もあるという若者は多い。また週に3回ほどハンバーガーを食べ、帰宅途中に寄るコンビニでは総菜や甘いものを買って食べる。添加物ごりごりのアブナイ食べ物たちに囲まれた生活を送る一方で、それでは健康にも肌にもよくないからと、サプリメントで栄養を補給するとの生活スタイルはもはや日常となった。

 そんな私たちの食生活に鉄槌を下すような事件が続々と起きている。
 ニワトリには「鳥インフルエンザ」(H5型)が東アジアを中心にはやっている。原則はトリ同士でしかうつらない病気だが、日々死者が増えているタイでは、ニワトリから人だけではなく、人から人へ感染した疑いが浮上した。
 決して人ごとではない。先日もスーパーマーケットへ買い物へ行って唐揚げを購入したところ、ラベルに大きく『タイ産』と書かれていた。普通にタイ産が売られているのだ。
 歴史上大流行したインフルエンザは、ニワトリからブタ、そして人へと、宿主が変わるたびに形態を進化させ、最後は人同士に感染するまでになったが、今回も同じルートをたどる危険性が高まっている。しかも史上に残る「スペイン風邪」「アジア風邪」などの当時の新種に比べて毒性が強いとの報告もあって、数億人の死者が出るとの観測がある一方で、抗生物質がなかった「スペイン風邪」の時代と同列で論じるのはナンセンスだという反論もある。
 とはいえ「トリから人」段階にとどまりさえすれば、加熱すればウイルスは死滅するし、鶏肉料理の大半は火を通すので食卓での危険は今のところ小さい。「タイ産」の肉も加熱すれば安全であり、それを証明するためにも販売は続けてほしい。過剰反応は外交関係にヒビを入れかねない。
 現時点で心配なのは肉より養鶏場である。狭く閉鎖されたところで飼育する標準的な日本の農法では、感染が爆発的に広まりやすい。首だけ出して、太らせて卵を産ませてるやり方が効率的だとしてもインフルエンザにかかって全滅してしまっては元も子もない。
 そこで従来の飼育方法ではなく、平飼いという広めの鶏舎で開放的に飼う方法が注目されている。この方法で育っているのが、フランスの赤ラベルというニワトリである。国内では茨城県のやさとが有名である。放し飼いだと野鳥からの感染がありうるので、あくまでも人の管理の目が届く平飼いは危機管理面でも有望である。

■危険な肉を食べるために行列!

 牛肉は01年にBSE(いわゆる狂牛病)が日本で発見されて問題になって以来、今日まで日本人の心理を微妙に揺さぶっている。
 BSEは異常タンパク「プリオン」が原因との説が有力だ。生命体ではないから加熱すれば死ぬといったたぐいではない。感染牛を食べると新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病という致死率の高い難病にかかる恐れがあるとされる。とくに脳やせき髄などの「危険部位」を避けた方が賢明だ。
 さて、前述の01年では、焼肉店では閑古鳥が鳴き、メディアには安全な牛肉が食べられない不満の記事が毎日のように載っていた。ある時は1ページ使っての広告もあった。おいしい牛肉を食べたいと著名人が会を作ったりもした。
 しかし、03年で米国でBSEが発見されたときは、以前のような騒ぎはほとんど起こらず、焼き肉店も繁盛、店頭に並んでいる肉の数も01年よりははるかに多い。
 ここまでは政府が米国牛の輸入を止めたから安心していると説明できる。しかし「吉野家」などの牛丼チェーン店が米国産牛のストック分の牛丼販売最終日に大勢の客がつめかけた04年2月ごろの騒ぎはおかしい。最後の牛丼をほおばる若者の写真が新聞一面を飾り、夕方のテレビニュースでは、牛丼ファンの生活を追いかけた特集が組まれ、「吉野家」と同じ味を再現するレシピなどを紹介するコーナーまでやっていた。
 なぜおかしいのか。「米国産牛のストック分の牛丼」というのは米国でBSEが発覚して禁輸になる日以前に輸入した肉であり、言い換えればBSE感染の可能性がある肉だからだ。日本でのBSE発症の際には流通中やこれから流通する予定だった肉が敬遠されたり差し止められたりした。なのに今回は危険な肉を食べるために列まで作っているのである。
 前回と今回のBSEへの消費者の対応の違いをどう考えたらいいのか。慣れたのだろうか、それとも諦めたのだろうか。
 BSEの牛が最初に発見された英国では今も昔も変わらず、肉が食べられているが、多数の国民が患ってもいないし、全滅する恐れもない。そんなに悲観することはないのであろうと推察するのは可能だが、だったら前回の騒動の理由がつかない。
 しかも米国でBSEにかかった牛は「へたり牛」ではなかったかもしれないというニュースが流れた。もしそれが本当ならば、あまりにもずさんだから日本政府が求めている厳密な調査に近いシステムが確立するまで輸入は当然ストップのままであろう。
 米国に条件をのませなければ禁輸続行を貫けるだろうか。貫かないと批判されるとの声がある一方で、米国産の牛でないとおいしく作れないという吉野家の牛丼を食べたい人のなかには「とりあえず解除して」との思いがあるのか。重要な問題提起をはらんでいる。

■過剰反応も心配だ

 それにしてもここ数年、食肉に問題が発生したり、牛乳に黄色ブドウ球菌が混入したり、肉まんに認可されていない添加物が入っていたり、数え上げればきりがないほど「食の問題」が起こっているが、消費者の過剰反応ではないか。
 そうした問題は今に始まったことではない。過去にもこのような事件・事故はたくさんあった。公衆衛生が発展し、人々の清潔信仰がますます上昇している現代だから問題視されるのか、それとも本当に問題なのかを見極める必要がある。
 食品業界には、HACCP(ハセップ)という食品品質の管理方法がある。これは1960年代の米国で宇宙食の安全確保のために開発されたのだが、HA(Hazard Analysis)が危害分析、CCP(Critical Control Point)が重要管理事項ということで、危険なものを分析して、なにが原因かを突き止めたら記録し管理することで日本でも導入されいる。
 他にもiso(イソ)という国際規格もある。isoには9001と14001という種類があるが、食品に関係するものは9001(品質マネジメントシステム規格)だ。国際規格ということもあって、食品業界でもisoの認可が下りたものを前面に出しているし、ラベルにも表記されている。
 1995年に施行されたPL法(製造物責任制度)は、食品の欠陥が原因で、生命、身体、財産に被害が生じたら、その製品を供給した企業が責任を負う損害賠償制度である。
 今は、これらの制度によって一段と安全が増したはずである。とはいえ、火のないところに煙は立たない。ここまで来るのにさまざまな食卓を揺るがす事件があったはずだ。今のように、工場もオートメーション化されていないし、公衆衛生も不十分。法もしっかりしていなかっただろうし、消費者よりも供給側の企業が強かった。
 食品にまつわる事件・事故をあらためて振り返ってみよう。先に過剰反応と書いたが、かつての日本ではBSEなど真っ青の毒食品が大手を振っていたのである。
 数年前にヒ素入りカレー事件が世間を騒がせたが、1940年代から1960年代にかけては食品にヒ素が含まれて中毒になる事件が相次いで起こっている。
 ヒ素の事件として大きかったのが、1955年に起こった森永ヒ素ミルク事件だろう。患者数約12400人、死者約140人にも及ぶ大事件で、原因となったヒ素は、調製粉乳製造時に使用した工業用薬品の乳質安定剤(リン酸二ナトリウム)の中に不純物として混入していたようである。
 工場で作られた調製粉乳100グラム中から約3グラムが検出されたにも関わらず、製品の回収が遅れた。
 ちなみに中毒症状は、食欲不振、貧血、発疹、皮膚の色素沈着、下痢、肝・腎・神経系の障害、そして死に至る。爪や毛髪にヒ素が沈着する。
 粉ミルクが原因だから乳幼児がその被害者である。生まれたばかりで、その先明るい未来が待っていたであろう子どもたちがヒ素中毒にかかってしまうのは残酷である。
 その他にも加工、製造中の事故による中毒事件がある。1968年福岡県で、食用油が原因の大規模な食中毒事件が起きている。
 被害者数は約一万人。症状は、皮疹、発汗、爪の変色や変形、手足のしびれ、肝臓障害などで死ぬ危険性もある。これを油症という。
 原因物質は、ポリ塩化ビフェニル(PCB)という環境汚染物質で、油の製造途中でパイプから漏れたらしい。
 PL法がこの時からあれば、被害者は損害賠償請求ができたし、企業の社会的責任も十分問われただろう。
 前記以外にも、農薬の問題がある。昨今のオーガニック野菜のブームから、たい肥を使っている農家も増えてきたが、以前はDDTなどの有機塩素剤を散布している農家はたくさんあった。
 害虫駆除や除草などに強い効果を発揮し、大量に農作物が作れるといったメリットから使われてきたが、やはり化学物質なので体内に蓄積される。ちなみに『食品衛生学』(愛智出版)によると、「有機塩素剤系は有機リン剤系よりも急性毒性は弱いが、慢性毒性はむしろ強いとされている」と書かれている。
 技術が発展して豊かになればなるほど、その代償は大きくなっている。大量生産をするために農薬をまく。それはそれで結構なことだが、いずれ自分達の身に帰ってくる。
 そして自然界では、私たちの主食である肉たちが反乱を起こしている。結局いつまでたっても、私たちの食卓は危ないのだろうか……。(■了)

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「8時間遅れ」は1時間で解決できた/斉藤典雄

●月刊「記録」2003年11月号掲載記事

■高架化工事遅れで大迷惑

「首都の大動脈大混乱」「JR中央線234本運休」「18万人に影響」「JR高架化工事ミス」「復旧8時間遅れ」「JRの甘い見通し」「お粗末JR」「単純配線ミス」「走らぬバス長蛇の列」「バス乗ってもすし詰め渋滞」「休日台無し」「利用客怒り心頭」「人災だ」「いつ動くんだ」「イライラ」「ヘトヘト」「うそつき」「お役所仕事」等々。
 9月29日付朝刊各紙を賑わした見出しはざっとこんなものだった。どの新聞でも1面トップで報じられたのだから、大問題に違いない。
 概要はこうだ。
 JR中央線の三鷹から国分寺間(約6キロ)上り線で、27日夕方4時頃から大規模な線路切り替え工事を行った。その工事のため、三鷹~立川間についてはほとんどの列車を運休。バス代行を実施するなど、他の交通機関への振替乗車を呼びかけた。その後、28日未明3時半頃新設した武蔵小金井駅周辺の5ヶ所のポイントが切り替わらないなどの信号トラブルが発生。復旧作業が長引き、運転再開予定時刻の午前6時頃から約8時間近くにわたり、三鷹~立川間の上下線がストップ。動き出したのは午後2時頃という、利用客にとっては前代未聞のはなはだ大迷惑な事態である。
 まず初めに、線路切り替え工事について説明しなければならない。
 JR中央線の三鷹~立川間(約13キロ)には18ヶ所の踏切があり、朝夕のラッシュ時には「開かずの踏切」として交通渋滞を引き起こし、周辺住民の日常生活にも大きな障害となっていた。そのことなどから、1969年(昭和44年)に沿線20市町村(当時)による「三鷹・立川間立体化複々線促進協議会」が発足。これを受けて、JR(当時は国鉄)は東京都と協議を重ね、94年(平成6年)に本事業が都市計画決定された(踏切のある部分約9キロ-東区間・三鷹~国分寺間約6キロ、西区間・西国分寺~立川間約3キロを高架化にし、踏切を廃止するなど)。工事は2001年より全面着工されていて、完成予定は2010年度末というものだ。
 今回は、東区間・三鷹~国分寺間に仮上り線を新設。既存の上り線を、新設した仮上り線へと切り替える。最後に高架線へと切り替え、その後高架駅建築で完了。と、毎年1回、計8回に及ぶ「史上最大の決戦」というべき大計画なのである。
 ところが、冒頭の不測の事態が突如として生じてしまった。首都圏での運休時間や影響人員は過去に例がない最大規模だという。JR最悪の失態である。そもそもJRは「工事の延長は想定していなかった」というから、工事を甘く見ていたといわれても反論はできない。判断が甘いといわれても、驕りが招いたトラブルといわれてもだ。乗客無視、危機回避能力欠如、リスク管理お粗末等々、何といわれようが、言いわけは何一つできないのだ。
 原因は、当初は配線ミスであると断定され、作業員(下請)による初歩的な人為ミスだと騒がれた。が、さらに調査を進めた結果、約1週間後の10月6日には、配線図自体が間違っていたことが判明した。工事を請け負い、配線図を作成した会社のチェックでも、JRのチェックでも間違いに気付かないまま工事を行っていたというものだ。
 まったく信じられない話だが、これでは復旧できるわけがない。間違った配線図を基に確認作業が行われていたのだから、永遠と復旧はできない。まるで腹痛なのに頭痛薬を飲み続けているのと同じである。
 また、JRのチェック体制は一寸の抜かりも無い完璧なものとばかり思っていたが、このまさかの不手際には開いた口が塞がらない。まるでプライバシーにまで及ぶかのような私達社員への事細かなチェック(労務管理)能力を、今後はこちらの方へ集中させたらいかがかと言いたくなる。まさに管理体制の不備である。
 事件当日午後にはJRの幹部が、翌29日には大塚陸毅社長自らが記者会見で陳謝したばかりだが、10月7日の社長の会見では「表面上は単純なミスだが、たまたま起きたのではなく、組織の深部に問題があったと考えている」と話し、今後は大規模な工事現場には本社幹部を立ち会わせるなどの再発防止策も明らかにして、再び謝罪した。
 私は、非常に重く意味深な反省であると受け止めた。

■運転再開よりも原因究明を優先

 さて、現場の各駅では、朝から動いていると思っていた利用客でごった返し、騒然となったことはいうまでもない。さらに混乱に拍車をかけたのはバス代行が9時過ぎに中止となったことである。理由は、運転士と車の手配がつかないとバス会社から断られたからだが、万が一、工事が遅れることを想定して、事前にお願いしておけばこんなことにはならずに済んだことであり、何から何までお粗末という他はない。
 しかしながら、一番の問題は復旧に対するJRの判断ではなかったか。当日に幹部は会見でこう述べている。「原因を突き止めた上で復旧させようという思いが強すぎたかもしれない」。つまり、運転再開より、原因究明を最優先させたのだ。その結果として、故障していない別のポイントや踏切など、全部の総点検を余儀なくされ、大幅な時間を要することになったのだ。
 JR東日本の「行動指針」で謳ってある「お客様第一」を考えるならば、運転再開を念頭に置くことは分かり切ったことだ。幹部たるもの、そうした気持ちがなかったとは思わないが、いつも直接お客様と接している私達現場第一線の社員とは決定的なズレを感じないわけにはいかない。一度でもいいから、超満員の電車に乗ってみたり、騒然とした現場の中に立ってみたらいかがだろうか。これでは「乗客無視」といわれても仕方がない。
 ならば、どのような対応をすべきだったかである。繰り返しになるが、「お客様第一」に運転再開を最優先させるということに尽きる。原因究明は終電後に行えばいいのである。異常事態なのだから、何もダイヤ通りの正確な運行にこだわる必要はなかったのではないか。誤解されては困るが、どうせしょっ中遅れている中央線である。初めから、特急の待ち合わせや車庫入れなどのポイントで振り分けることは全て中止にして、1本の線路でどんどん動かしていけばよかったのだ。
 結局は、ポイントを鎖錠(固定)して運転再開に漕ぎつけたわけだが、鎖錠する作業など1時間もかからないのだ。そうした判断があまりにも遅すぎたということである。
 それにしても、またしても、安全を担うJRの信頼を大きく失墜させ、安全神話にひびが入ってしまった。今後は、このようなことが二度と起きないように、管理体制をビシッと整えるしかない。毎度のことだけどね。また、技術陣の「真のプロ」としての奮起を促したいものだが、今や技術の継承はおろか、関連会社や下請けへの外注化が当たり前になり、責任の所在までが細分化され、うちさえよければという全体の一体感が希薄になったことも一因なのではないだろうか。
 いずれにしても、お客様あってのJRである。足止めされた大勢の人の中には、重要な会議だった人、結婚式だった人、行楽の人、お年寄りとさまざまだが、秋晴れの休日を台無しにしてしまったことは、私もJR社員の1人として、今ここで改めてお詫びを申し上げたい。

■その後もトラブル続出…

 ここから先はJR中央線のその後である。この事故から3日後の10月1日午前10時頃、またしても武蔵小金井駅構内で、新設された別のポイント2ヶ所が故障して、電車は20分近く立ち往生した。最大39分遅れで14本が運休、4万人に影響したという。これは、配線には問題なく、ポイントの切り替え部分のネジの調整不足が原因だった。
 さらに、10月3日午前7時半頃、またまた同駅構内で、架線を吊っている「ちょう架線」を覆うカバーから煙が上がり、線路に焼け落ちるという事故が発生した。これも新設された部分だが、電流は流れていなかったという。原因は調査中で、8本運休、8000人に影響。
 まだある。この工事による影響で、同駅隣の東小金井駅付近の踏切では、踏切を渡る距離が長い所で2倍以上になった。そのため、もともと閉じている時間が長かったのが、10月1日などは午前8時から9時までの1時間は閉まり放しだったという。JRは各踏切に警備員を配置して監視に当たらせたことにより、普段は遮断機の下をくぐって横断する人が多いのだが(危険だから止めてほしい!!)、それが出来なくなってしまい、「会社に遅れる」と警備員に殴りかかるトラブルも起きている。
 また、東小金井駅では踏切が当てにならないため、周辺住民は自転車を担いで駅構内を行き来するという問題まで起きている。
 それに、まだあるから困る。10日には、80代の老夫婦が踏切を渡り切れずに、電車が緊急停止する一幕もあった。たった今(11日)は、三鷹駅と高尾駅で人身事故が相次いで発生し、また止まっている。
 このように、中央線は挙げれば切りがないくらい事故が多いのだ。まったくもって、てんやわんや。呪われているのか? そんなことはないだろうが、今回の大失態を職場の同僚達は「工事が終わっても、まず、まともには動かないだろうと思っていたよ。必ず何かが起きるだろうとね」と口々に言っていた。私を含めてだが、これほど大変な事態になるとは思わなかったにせよ、とにかく小さな事故やトラブルが後を絶たないからなのだ。裏を返せば、社員はみんな、自分のJR会社を信用していないということだろうか。
 最近では、JRバス関東の飲酒運転、東労組役員らの逮捕や組合事務所の家宅捜索等々、JR全体のモラルが低下していると見るべきではないのか。私達、社員全員の心のタガが緩んできて、締め直す時期に来たという警鐘かもしれない。合掌。(■了)

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謝罪広告大研究!

●月刊「記録」2002年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■潔いのは明治屋産業

 ワールドカップ騒動の陰に隠れ、あまり話題にのぼらないが、全国紙の社会面は連日謝罪広告にあふれかえっている。多い日には、縦6.5センチの広告が2段にわたって掲載される。これだけ取材広告が並べば、比較してみたくもなるのも当たり前! そこで本誌編集部が、各社の謝罪広告を徹底的にチェックした。
  『広辞苑』によれば、「謝罪」とは「罪やあやまちをわびること」だという。「わびる」なら、当然「わびる」気持ちを見やすく表現すべきであろう。とはいえ謝罪の掲載は、ほとんどが目立たない小さな文字で行われる。雑誌の訂正記事など、巻末に小さな文字で掲載されるのが常だ。
 そんな「謝罪広告」の常識に、敢然と立ち向かったのが明治屋産業だった。横幅4ミリを超える本文の文字は、他社の2倍の大きさを誇る。冒頭に掲げた「お詫び」の文字など、新聞記事の見出しかと間違わんばかりの勢いである。
 潔い! 京王新宿店で販売した「松坂牛」に「該当しない商品」が含まれていたとのことだが、この謝罪広告を見た私など、すっかり彼らを許してしまった。(もちろん京王百貨店で松坂牛を買える金ないゆえだが……)
 感激を胸にさっそく明治屋産業に電話を掛け、文字の大きさについて質問したが、予想以上に担当者の反応は悪かった。
  「(広告の表示方法については)取り立てて、何がどうということもなかったのですが……」
 ぶっきらぼうである。当たり前かも。謝罪広告の経緯を聞き出そうとする人物は、確かに怪し過ぎる。どうも「総会屋」などに間違われたフシもある。まあ、無名雑誌の企業取材ではよくあること。不問にふそう。
 この担当者によれば、新聞広告を掲載して以来、「けっこうの数の電話」が掛かってきているという。担当者の疲れた声は、電話で怒られ続けた結果かもしれない。自業自得とはいえ、少し気の毒になった。
 目立つという意味では、「ファイナルファンタジーXl」に負けていない。横書きでたっぷりとホワイトスペースを取った謝罪広告は、ともすれば宣伝のようにも見える。横幅5ミリもあるゴシック体も、明朝体だらけの新聞で目立ちまくっている。食品メーカの謝罪広告とは、えらい違いだ。
 アクセスが集中したため、サービスがきちんと提供できなかったことへのお詫びらしい。だが、この広告で思い出したのは、行列のできるラーメン屋だった。待つ人のために置かれた長イスと「お待たせして、すみません」などと書かれた看板。そこには人気店の誇りがにじみでている。
 予想以上の人気なのがわかれば、ソフトを購入してみいたい人も現れるだろう。こんな謝罪広告なら、わが社の出してみたいものだ。
 謝罪広告のなかには、こちらが同情してしまうケースもある。そう、協和香料化学の商品を使った食品メーカーだ。健康への影響はないと報道されているが、消費者が不安を感じている以上、調査は必要になる。
 とはいえ「このたびの『協和香料化学(株)』の件について、過去にさかのぼり取り扱い商品の調査をいたしてまいりました」というキッコーマンの文章は泣かせる。「過去」といっても、協和香料化学の場合、30年以上にわたって違法行為を繰り返してきたのである。結局、見つかったのは1999年12月に製造が中止されていた商品だったようだが、かなり細かな確認作業が行われたに違いない。
 同じく協和香料化学の香料を使ったために謝罪広告を掲載したメーカーには、おもちゃでお馴染みのバンダイがあった。「ハムスターがいっぱい」「ウルトラマンでキャッチ」など、オマケで人気を集めているお菓子に、問題の香料が使われていたという。オマケが人気の商品で、菓子の方ににケチが付いたとは、お気の毒さま。これじゃあ、オマケだけを単独で売りたくなるだろう。

■事故に素早く反応したエバラ食品

 悪事を隠し続けて消費者の信頼を失えば、企業へのダメージは計り知れない。これこそ雪印食品の解散が残した教訓である。実際、数あるお詫び広告のなかには、こうした時代の流れを感じされるものも含まれていた。エバラ食品工業の謝罪広告である。
 業務用の『やきとりのたれ』に記載されている原材料名に、「増粘剤(キサンタンガム)」が漏れていたという。食品添加物も食品衛生法で認可されたものであるうえ、デザイン改版前にはラベルにしっかりと記載されていたという。表示義務を怠った責任を取って謝罪広告を出し、商品を回収しているそうだ。さっそく同社のお客様相談室に電話すると、「アレルギー表示をするためにラベルを改版したときに、チェックミスが起こしてしまいました」と、説明してくれた。
  「記載漏れ」が商品回収になるとは恐るべし。自慢ではないが、小誌の「記載漏れ」は日常茶飯事。天地がひっくり返っても、エバラ食品のラベル担当には転職できない。
 ちなみに、この謝罪広告に対しても、3日間で40数件の問い合わせや苦情が寄せられたという。私にはどんな苦情を言えばよいのか思いつかないが、いやはや謝罪広告を出すのも大変である。
 回収商品の通知やお詫びに加えて、事故への対策を語っている広告もあった。全農チキンフーズが偽装した「無薬飼料飼育若鶏」を販売してしまったコープ事業連合は、「商品の点検管理をよりいっそう強化し、再度防止に万全を期する所存」だと宣言。不認可の添加物を使用した肉まんを販売したダスキンは、「二度とこのような事のないよう『法の遵守』を改めて会社に徹底する」と書いている。しかし事件への対策に関しては、松阪牛と米沢牛の使用割合を偽った日東ベストがスゴイ。
  「再発防止策として品質監査組織を強化し、且つ透明性を高める為、社外の学識経験者・弁護士・有識者等で組織する企業倫理委員会を速急に発足させます」
 きわめて具体的かつ効果のありそうな社内改革ではないか。もちろん早速電話したが、相手の反応はやはり鈍かった。「雑誌の取材」と言った途端、電話を受けた女性に緊張がはしる。彼女が慌てて電話をつないだ先では、とにかく早く電話を切らせようとする中年男性が待っていた。
「今週中には人選して、今月いっぱいには(委員会を)立ち上げる予定です。はいはい」
 新聞広告を出して5日なら人選中でも問題はあるまい。本当に社内を改革できる委員会が立ち上がるかどうかは、これからが正念場となろう。

■公表しなかった事実を謝罪するダスキン

 最後に取り上げたいのがダスキンだ。肉まんに認可されていない食品添加物を使い、その悪事がバレないように「墓場まで持っていけ」と社内幹部の口止めをしたことは、大きく報じられた。
  「日本では使用を認められていない酸化防止剤が含まれており、その原材料段階のチェックミスが原因で起こったものです。
 弊社では、ただちに適正な油脂に変更しており、現在ではこのような商品は一切販売しておりません。
 しかし、一年半前に発生した問題について、今日まで公表しなかった事につきましては危機意識の不足の結果であると深刻に受け止め、深く反省しております」
 うん? である。
 まず新聞などで報道している事実とニュアンスが違う。中国の工場で問題の植物油を使っていたことが判明した後、ダスキンはこの工場を12日間操業停止し、中国にあった56万個もの在庫は廃棄した。しかし研究機関で「不検出」の結果が出た300万個の国内在庫は、2ヶ月弱もの間販売し続けていた、と報じられているのだ。
  「公表しなかった」事実だけを謝られてもな、という感じてしまう。同じ謝罪広告なら、ズバっと全面的に謝った方が消費者からの受けも良いだろう。
 2年ほどの前の取材で、社内の風通しをよくするためにカジュアルデー(スーツを着ない日)を推進した雪印乳業の社員は、導入当初、いくつかの部署で実施されたものの数年で数人しか実施しなくなった実態を語ってくれた。今考えれば「さもありなん」である。
 どんな小さな改革であれ、会社全体に広がなければ意味がない。意識改革なく問題の風土が残れば、企業は何度でも謝罪広告を掲載することになる。
 変われるかどうかに勝負がかかっている。雪印の例を挙げるまでもなく、2度目のスキャンダルは一気に消費者の信頼を失う。不景気なだけに、大会社が潰れて大勢の労働者が失業するような事態だけは避けてほしい。(■了)

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アジア列車危機-韓国地下鉄火災・新幹線居眠り運転-/斉藤典雄

●月刊「記録」2003年4月号掲載記事

 2月18日、韓国南東部の大邱市の地下鉄で放火による火災が発生。198人の死者を出した。しかしこの大惨事は、起こるべくして起きたといっても過言ではなく、他人事ではなかった。早速、日本の地下鉄やJR東日本でも総点検や避難訓練等を行ったということだが、この事故を教訓に、同じ過ちを2度と繰り返してはならないと思う。
 私は韓国地下鉄の規程やマニュアルがどのようなものなのかは知らない。またJRのそれを一字一句正確に把握しているわけではないが、乗務員としてこれだけはという、国鉄時代から変わらない列車火災時の取り扱いを頭に叩き込まれていることが2つある。
 まず一つは、直ちに関係列車を停止させるということである。これはどんな事故でも共通しているといえる。隣接線を止めること。併発事故、すなわち二次災害を起こさないということだ。
 運転士はその名の通り運転する人だが、車掌は乗客に対しての営業関係が基本になっている。しかし事故が起きた場合は、主に、運転士は対向列車に対する停止手配(前方防護という)をとり、車掌は後続列車の停止手配(後方防護)を直ちに行う。運転手と車掌がそれぞれの受け持ちでお互いに指示を出し合うのである。私達車掌が最後部車両に乗務している最大の目的(役割)は列車防護(特に後方の)のためといわれている。
 もう一つのポイントは、トンネル内や橋りょう上は避けるということである。つまり、安全な場所までそのまま走行すること。以上の2点である。
 報道を見る限りでは、火災が発生した第一段階から判断ミスがあったという気がしてならない。
 まず、状況の確認だが、指令の把握があやふやすぎた点だ。指令は運転士に「次の駅で火災が発生したから注意していくように」という指示を出している。不確かな憶測ほど恐いものはない。最も安全と認められる道を採るには、止めることである。なぜ、抑止しなかったかだ。
 また、行ったら行ったで、この場合は、運転士は通過すべきではなかったのか。
 次に、「運転士がマスターキーを抜いて逃げた」とあった。JRの構造とは違い、キーを抜くとドアが閉まり、電源が切れ、列車は死んだ状態になるということだが、そのため被害が拡大したという。
 さらに、駅では火災警報機が鳴ったが、怠慢にも誤作動であると判断していた。指令は運転士に「キーを抜いて逃げろ」と指示し、その交信記録は削除した等、次から次へと不祥事は枚挙にいとまが無い。
 こうした事勿れ主義的な姿勢や隠蔽体質も大問題だが、これでは人災だといわれても返す言葉がないだろう。
 そして、何よりも見落としてならないことはワンマン運転であったということだ。要員の確保が適正なのかという点である。何事もなく平穏無事であるとは限らない。現にこうして惨事が実際起きている。車掌がいれば、もっと違った結果になっていたはずだ。
 少なくとも都内を走るJRでは、運転手と車掌がいる。ドア開閉は基本的に車掌が行う仕事になっているが、運転士も全ドアを開閉できる。(もちろん地方など車掌のいないワンマン運転では、運転士が扱っている)例えば、中央線で一車両の全ドアが開かなかった(閉まらなかった)とする。その場合は、「運転士の方でやってみて下さい」と頼むこともあり得る。韓国のような事態になっても、運転手と車掌が協力してドアを開けることもできただろう。
 ドアの開閉だけではなく、災害時は乗客の安全確保に動く人数が重要となる。もし車掌がいれば、あるいはホームに駅員がいれば、現場のより詳細な状況が指令に報告され、これほどの惨事にはならなかったと断言できる。人命を預かるという大命題がある以上、もっと余裕のある要員配置を望みたいものだが……。

■もしも火災が起こったら――JR編――

 ついでに私が火災に遭遇した場合のシミュレーションも、書いておく。編集部から強引に頼まれたので、仕方なくなのだが……。

 走行中、火災を確認したとする。
 そうなのだ。私達車掌は、列車防護の他に列車の状態を監視するという役割もある。まず私は、直ちに非常ブレーキ(車掌用)を扱い緊急停止させる。その旨を運転士に連絡し、片手で指令を呼び出す機器を取り出すのと同時に、一方でマイクを持ち車内放送する。
  「お知らせします。×号車で火災が発生しました。×号車で火災です。大至急、隣の車両へ避難して下さい。3人掛けの所に消火器があります。火事です。慌てないで下さい。火事…」と言っている間に、指令との無線が繋がった状態になるので、指令に状況を連絡し、直ちに現場に向かう旨を伝え、現場へ直行する。すっごくうまくいった場合の想定だが、乗客の避難誘導や消火作業の手順をあれこれ思い浮かべながらいざ現場に着いてみると、すでに全員が避難しており、乗客によって消火が完了されていて、ホッと胸を撫で下ろしている自分を想像できるわけである。また、手がつけられないようなヒドイ場合は、指令に消防車の手配をはじめ、関係係員の要請をし、乗客には避難してもらうため、「ドアは手で簡単に開けられる」と、ドアコックのある場所を車内放送し、乗客の中のJR社員、消防関係者、火消しのプロ等、あらゆる人々の協力を求めるしかないだろう。
 ちなみに運転士や指令とのやりとりの中で重要なことは、後で、「いった」「いわない」、「いわれた」「いわれてない」という思いこみや食い違いを避けるために、お互いしっかり復唱することになっているのだが、果たして、一刻を争う異常事態の中で、いったいどれだけの人が冷静かつ完璧に復唱通りこなせるかは疑問である。

 最後に、このような事故がある度に思うことだが、確かに、指令や運転士に落ち度はあった。逮捕もされた。刑事責任を問われる。当然かもしれない。しかし、いつも憤りの念を禁じ得ないのは、こうした劣悪な労働を強いている経営側の姿勢が問われない限り、問題が解決に向かうとは考えられないということである。

■腹だけデブでも車掌失格!?

 韓国の列車事故に憤りを感じていたら、今度は日本で大問題が発生した。2月26日、JR山陽新幹線の運転士が熟睡し、居眠りのまま約8分間、最高速度270キロで走行していたという。
 高速で走る新幹線である。大勢の人命を預かる以上、絶対にあってはならないことであり、何も知らずに乗っていた乗客はあきれ果てたか、さぞかしぞっとしただろう。
 まったく、とんだ「震撼線」だといえるのは大事に至らなかったからであり、例え運転士が気を失っていても大丈夫という、最先端技術のATC(自動列車制御装置)が正常に作動したのも皮肉といえなくもない。逆に新幹線の揺るぎない安全性が証明されたからだ。
 しかし、それはあくまでも結果論にすぎない。どんなに優れた機械でも故障しないという保証はどこにもない。緊急事態の際、とっさに対応できるのは運転士と車掌しかいないのだ。最終的には人間にしかできないのである。
 それにしても、またも鉄道への信頼を大きく失墜させてしまったことに変わりはない。当初は、運転士個人の気の緩みという精神論とJRの管理体制の指摘、とりわけ、安全意識が甘過ぎるのではないかと厳しく問われた。そうした上で、原因の徹底解明と早急な再発防止策を求められたわけだが、日が経つにつれ、JRが公表したことと事実は異なっていたなど、次から次へと対応のまずさやミスが浮き彫りになってしまった。毎度のこととはいえ、一生懸命やっている私達としては頭が痛いことばかりなのである。
 そして、居眠り発覚から1週間後、運転士は重度のSAS(睡眠時無呼吸症候群)だったと断定された。つまり、原因は運転士自身ではなく、病気だったということだ。体重が100キロもあるとプライバシーまで報道されたが、今では力士の半数に睡眠障害があり、取り組みの成績も悪いなどと思わぬ方向へ波紋が広がっている。これだと、デブの運転士はいなくなると危惧されるばかりか、デブだと世間から偏見をもって見られる可能性すらある。くわばらくわばら。私は腹だけデブなんだけど!?
 JRでは健康診断を年2回実施しているが、SASは見つけることができないため、今後は全ての運転士に検査を義務づけたり、定健の方法を検討することになるだろう。

■居眠り対策も必要だ

 中央線や首都圏でいえば、長距離列車と違い駅間が短いこともあり居眠りはまずないと考えるが、どうだろう。運転士に問えば、次から次へと仕事の量が多過ぎて眠る暇などないといわれるかもしれない。
 新幹線の運転士から聞いたことだが、新幹線を動かしているのは運転士ではなくATCであり、極端な話、機器類を監視する以外は何もすることがないのだそうだ。
 中央線と違って走行中に窓を開けることもできない。空調もよく効いている中でついつい眠くなり、緊張感が薄れてウトウトしてしまうこともあるだろう。人間だもの。私も、明け番の時などは意識がふっと遠くなり、ハッと我に返ることも1度や2度ではない。ただ、熟睡に至らないだけである。
 眠りたい時に寝ることができず、眠くないのに寝なければならないという不規則な勤務体系も問題だが、これが仕事だという自覚を持って自分でコントロールするしか方法はない。
 病気は別にして、あってはならない居眠りがありえるという前提に立って対策を講じてもらいたいが、JRとすれば運転席に複数は置けない、1人でも多過ぎるくらいだと言いたげである。
 なお、『朝日新聞』の続報に、運転の免許を持つ車掌を運転士に付き添わせるよう、指令が別の車掌2人に指示を出したのに「車掌が指示を失念した」と書かれていた。正直、これを読んだときは、「なんだよ。今度は車掌に責任転嫁か」とも思ってしまった。
 しかし、いくらなんでも2人共指示を忘れたとは考えられない。この新幹線には車掌が4人乗務していたという、指示を受けた車掌が、免許を持つ車掌に会えなかったか、連絡をとることができなかっただけだと思うのだ。また、携帯電話で車掌に指示をしたとあるが、事故の直後ということもあり、乗客への対応でてんてこ舞いだったはずである。対応中に携帯が鳴っても出ることできないし、それより何より、指令は何故この免許を持つ車掌本人に直接指示しなかったのかが不思議である。
 いずれにせよ、私達はこれを機に、人命を預かっているということをもう一度肝に銘じて、鉄道員としての職責の重大性を再認識すると共に、使命を果たすべく、ふんどしをしめてかかるしかないのではないか。(■了)

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「メディア弾圧3法案」を許さない!

●月刊「記録」2002年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部


 4月25日、ついに個人情報保護法案が衆議院で審議入りした。
 命令に違反した場合、「6ヵ月以下の懲役か30万円以下の罰金」が科される義務規定の適応除外は、「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関 報道の用に供する目的」と定められた。新聞などで騒がれている通り、フリージャーナリストやノンフィクション作家などは、適除外として明記されていない。まして小誌のようなミニコミやその記者など、法案はおろか法案の不備を指摘した報道でも触れられていない。
 ミニコミ誌は、大マスコミと比べものにならないほど少ない予算と人数で作られている。そんなミニコミ誌が「報道機関」ではないとみなされ、罰則を科されたら被害は甚大だ。
 大企業ならばたかが数十万かもしれない。しかし年間購読料やカンパなどで、どうにか作られているミニコミ誌にとっては、その金が数ヵ月の製作費にあたる可能性さえある。
 また、罰則を科される前に出される「主務大臣から勧告」も大問題に発展する。この勧告に際して、どのような手順が踏まれるのか明らかではないが、官僚とのやりとりや反論のための資料作成などで、ミニコミのただせさえ少ない人員が削られていく。
 大マスコミなら弾圧との「闘い」に割ける人材も金もあろう。また大規模なキャンペーンをはることもできる。しかし例えば小誌が勧告を受けた場合、編集部として筋を通せば、会社としての体力が公権力によって少しずつ奪われていく。圧力が長期に渡れば、経済的な理由により発行を止めることにもなろう。
 共同通信のインタビューで、藤井昭夫内閣審議官は「少しでも報道要素があれば義務規定の適応除外だ」と発言している。しかし、こんな発言をどうやって信じろというのか! 
 1997年に何が起こったのかを、私たちは忘れていない。総会屋への利益供与が問題になったこの年、「総会屋との決別」という名目で、購読していた経済紙誌を証券会社が一斉に打ち切ったのである。しかも警察の指導で。当時、山一證券広報室は、「警察指導を受けた上で、当社としてどうするべきなのか独自に考えました」と小誌の取材に答えている。これだけ明白な言論弾圧が、何の法的根拠もなく実施された。しかもこの言論弾圧を、大手マスコミは報じなかった。ニュースバリューがなかったからである。
 もし個人情報保護法案が成立すれば、権力の刃が向かってくるのは、権力への抵抗意識が強いミニコミやホームページだろう。法律にのっとった処置により、小さなメディアは次々と殺されていく。もちろんニュースバリューのない小メディアの死など、どこも報じない。ひっそりと廃刊である。
 この法律を言論弾圧に利用するのは、なにも公権力だけではない。罰則のない努力規定となっている「基本原則」は報道機関が対象に含まれているため、取材対象者が起こす民事訴訟にも大きな影響を与える。
①利用目的を明確にする
②不正な方法で取得しない
③正確で最新の情報に保つ
④外部に漏洩しない
⑤本人の求めに応じて情報を見せる
 この5つの基本原則をたてに、内部告発者を追う権力者が民事訴訟を起こしたらどうするのか。
 公権力側の人々、あるいは大企業のお偉方にとって、民事裁判はたいした「事件」ではなかろう。豊富な資金の一部を使い、弁護士に任せればよい。しかし弱小メディアにとって、裁判ほど面倒な代物もない。期間は長く、関わりのある記者の労力も増える。弱小出版社にとっては、十分な言論弾圧となる。大マスコミにはジャブのようなパンチでも、体力のない弱小ミニコミ出版には体重の乗ったKOパンチだ。
 ただでさえメディアは、最近、名誉毀損における損害賠償金の増大に痛めつけられている。このデフレのご時世に、5~10倍も金額が跳ね上がっているのだ。
 多くの人は、ムチャクチャな取材をしている記事だけが、名誉毀損で負けると考えるかもしれない。しかし現実は違う。取材者には、取材源の秘匿という大前提がある。危険を冒して告白してくれた人を守るため、告発した当人を裁判所に呼べないケースも多い。しかも事実認定のための証明は、訴えられた側が負う。
 よく言われる通り、アメリカにおける損害賠償金額は高い。しかし事実の証明は原告側にあり、報道する側の権利も幅広く認められている。日本のように報道に怒った権力者が、次々と裁判を起こし、高額の賠償金を手にするわけではない。
 弱者が反撃の手段として裁判を利用することに文句を言うつもりはない。しかし実際にこうした手段を使うのは、情報に通じている権力者なのである。言論弾圧の一環となる裁判への取っ掛かりや、司法判決に悪影響を及ぼす法律など、断固作るべきではない。

■法務省に人権意識などあるものか

 さまざまな報道で流れているように、メディアへの規制は個人情報保護法案だけに終わらない。人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案、いわゆる「メディア規制3法案」の残り2法案が、成立を睨んで着々と準備されている。
 この人権擁護法案も、恐ろしい内容である。ストーカー対策として作られた法律を参考にしただけあって、「待ち伏せ、見張り、つきまとい、継続的な電話やファックス」などを、特別人権侵害としている。
 しかし話したくない相手を何度もたずね、説得し、やっと真実は明るみに出てくるものだ。もちろん報道被害に目をつぶれというわけではない。誠意を示し、事実を引き出そうとする行動が、法律によっていきなり人権侵害になる危険性を指摘したいのである。
 以前、国際電話会社の既得権益を取材した際、法律の解釈を巡って、相手の担当者と何度も何度も話し合った。少しずつ資料を集め、その資料を下に取材を進め、さらに矛盾点を探す。そんな繰り返しから、埋もれた事実がやっと見えてきたのだ。
 考えてみてほしい。毎日新聞が報じた「旧石器発掘ねつ造」のスクープは、「待ち伏せ、見張り」の繰り返しによって得られたものである。あのビデオ撮影をストーカーと同様に扱い、弾圧しようなどという法律がまともだろうか? 法案を作った権力者にとっては、毎日新聞取材班のスクープ映像もストーカーの盗作ビデオも、たいした違いはないらしい。正直、呆れるほかない。
 さらに呆れたのは、人権救済のための人権委員会を、法務省の外局に置くことだ。
 96年夏、板橋区にある法務省入国管理局の収容所を、私は毎日訪ねていた。不法滞在で捕まったイラン人、ピルザン・マンスルさんにハンストを止めるよう、説得するためである。
 日本人と結婚し、大手電機メーカーに勤めていた彼は、離婚と同時にビザを失った。しかし母国イランで兵役を拒否し、海外留学を繰り返していたピルザンさんは、帰国するわけにもいかない。もちろん勤めていた会社は、ビザ失効でクビ。数ヵ国語を操る彼が就いた職業は、偽造テレホンカード売りだった。
 寂しかったに違いない。1人異国の地で辛かったはずだ。彼は離婚で全てを失ったのである。そんな彼の心の支えは子犬だった。別れた妻の名前を付けたペットと、いつも一緒に行動していた。ところが入管は、逮捕した彼を収容所に移す際、「犬は近所で育てるから」と騙し、その日のうちに保健所へ叩き込んだのだった。その犬の調査を依頼された私は、犬の死を電報で知らせた。そしてハンストは始まった。
 暑い面会室で見た、日に日に痩せていく体躯と、「僕の妻を殺した」と嘆く彼の表情を忘れることはないだろう。もちろん木で鼻をくくったような態度で犬殺しを説明する入管職員も、記憶から消えない。
 これこそ法務省の本質である。圧力をかけられる側に回らなければ、なかなか見ることのできない法務省の真実だ。こんな機関が人権を擁護するなど、チャンチャラおかしい。人権意識があるなら、まず内部から正すべきだ。
 この3法案は、「メディア規制」などという生やさしいものではない。本誌編集部では、本日より「メディア弾圧3法案」と呼ぶことにする。
 言論弾圧に対抗するには、言論で世論を盛り上げるしかない。多くの人々にアピールできるわけではないが、本誌も絶対反対の声を強めたい。
 これだけ危険な法案にも関わらず、メディアの足並みは揃っていない。『読売新聞』など、個人情報保護法案と人権擁護法案の修正試案まで発表し、法案成立のアシストをする始末である。
 だからこそ本誌は、各団体の反対声明を一挙に掲載する。反対の声を1つにして、より大きな反対のうねりを作りたい。そんな祈るような気持で、今回の特集を作った。
 もう1度、言おう。
 小誌、いや当社の存続の危機にもつながりかねない「メディア弾圧3法案」を、私たちはけっして許さない!(■了)

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素顔のピンク女優/寄り道の確信犯 ― 佐々木基子さん

●月刊「記録」2000年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■地方公務員からストリッパーへ

 目標までの最短距離を選択する人がいる一方で、回り道を選び、道草を楽しみながら歩く人もいる。どちらが良いともいえない。まっすぐ歩けば早く目標に達するだろうし、回り道をすれば思わぬ発見をするだろう。そして佐々木基子は、圧倒的に後者だった。ピンク映画への初出演は、なんと29歳である。
「29歳っていっても、30になる数カ月前でしたからね(笑)。ピンク映画には、若い女優さんが多いじゃないですか。だから私で大丈夫なんですかっていう気持ちはありましたよ」と、当時の心境を佐々木は語る。
 しかし新劇系の舞台女優として活躍していた佐々木は、できるだけ芝居以外の仕事をしたくない、芝居だけで食べていきたい、との思いからピンク映画への出演を決意する。そして彼女がピンク映画界で注目されるのに、大した時間を要しなかった。年齢を感じさせない見事なプロポーションと、養成所で培った確かな演技力は、主演・助演の区別なく仕事を運んできたからだ。特に彼女が主演した『好きもの喪服妻・濡れた初七日』は、ビデオリリースで記録的なヒットとなる。遅咲きのスターが、多くの人に認知された瞬間だった。
 佐々木が芝居に初めて興味を持ったのは、中学生だった。卒業生を送る会で学校に招かれた劇団に魅せられ、高校進学と同時に演劇部に所属した。
「高校を卒業したら、大学に進学して演劇部に入ろうと思っていたんですよ。でも、『女は大学に行くな』という父の一言で、親と同じ地方公務員に落ちつきました」
 もちろん中学校の事務員となっても、佐々木の演劇熱は簡単に収まらない。市民劇団に所属し、さらに中学校の演劇部顧問として学生の指導まで担当する日々。
「5年間中学校で働いていたけれど、良かったですね。仕事は定時に終わるので、芝居にかなりの時間を割くことができたし、安定した職業だし。それに田舎でしたから、中学校に勤めているだけで先生と呼ばれたりするんですから。違うんですけどね(笑)」
 ある意味で順風満帆の人生を送っていた佐々木に、転機が訪れたのは市民劇団の合宿だった。「本当に芝居をやりたいなら、養成所で基礎から勉強した方が良い」というアドバイスを、プロの舞台監督からもらったのである。当時、佐々木は22歳。ちょうど結婚を考え始めた時期と重なる。子どもを産み、平凡だけれど幸せな家庭を築くのに、何の障害もなかった。
 しかし佐々木は、上京を決意する。
「1回、どうしようかすごく迷ったんですよ。ただ何かやるならタイムリミットだと思いました。自分の人生を変えられるかな、とね」
 そんな佐々木の思いをさらに強めたのが、多くはない給料からコツコツと貯めていたお金だった。総額150万円。アパートを借り、養成所にお金を振り込んでも、数カ月は暮らしていける金額だ。役者への夢を実現するため、この貯金を持って佐々木は大きな一歩を踏み出した。
 だが、ここからスッと養成所に収まらないのが、佐々木の佐々木たるゆえんだろう。当座の生活費をまかなう目的で始めたスナックのアルバイトで、ストリップの踊り子にスカウトされ、デビューしてしまうのである。
「『踊り子を探しているんだけれど、やらない?』と誘われたんですが、ストリップなんて見たことなかったんですよ。だから、とりあえず劇場に行ってみました」
 彼女が行った先は上野だった。現在は潰れてなくなってしまったが、丸井の裏側にあった小さな劇場だった。出演していた女優は、ストーリー仕立てのストリップを演じていたという。セリフがあるわけではない。曲と踊りだけでイメージを膨らませ、観客をひきつけていく。その舞台を見終わったとき、佐々木の心は決まっていた。
「養成所より面白いと思いました。『体だけでここまでできるのか』って、感動しましたから。迷いはなかったですね」
 こうして地方公務員だった佐々木は、ストリッパーになった。ストリップの公演は、1日4回。10日ごとに劇場が変わるので、1公演、40回踊ることになる。それで給料は20万円そこそこ。しかも衣装代などは、この給料から捻出しなければならない。決して割りの良い仕事ではない。美人の佐々木ならホステスの方が、はるかに稼げたはずだ。
 しかも彼女は、同じ劇場で同じ演目をしないと決めて、どんどん新作を作っていった。当然、衣装代はかさむし、練習時間も増えていく。ダンスの基礎さえ習ったことのない佐々木は、踊りだけで観客をわかすことはできない。しかも彼女が踊る劇場は、観客が踊り子の体に触れることなど許さない、きちんとしたストリップ劇場である。歌詞の意味を存分に活かし、ストーリーに客を引き込んでいかなければ、客を満足させることなどできない。毎回が真剣勝負だった。その気迫が、全国各地にファンを作っていく。
 なかでも大阪の劇場で出会ったファンを、佐々木は忘れられないという。
「一日中ストリップ劇場にいるおじいちゃんがいたんですよ。4公演すべてを観て、しかも私が踊り終わるたびにプレゼントを舞台に持ってきてくれるの。
 ワンカップのお酒だとか、おつまみだとかね。同じ踊りを4回も見て、毎回、プレゼントを持ってきてくれるなんて嬉しくなりましたね。
 それから何ヵ月あとに、同じ劇場に踊りに行ったら、そのおじいちゃんから手紙をもらったんです。
――踊り子さんだから、お金やら高価なプレゼントをもらうことも多いでしょう。それなのに、100円のおつまみなんかを受け取ってくれてありがとう――と、書いてありました。
 私のステージを喜んでくれたお客さんから、『ありがとね』ってプレゼントを受け取っていただけなのに、それを喜んでくれる人がいるのは、なんて素敵なんだろうと思いましたね」
 こうして1年間、ひたすら熱中して踊り続けた彼女は、20本もの作品を作り上げ、「やれるところまではやった」という充実感を得る。
 そろそろ演劇に戻りたいと考え始めた佐々木に、ストリップに対する未練はなかった。きっぱりと踊り子を止め、舞台の裏方として働くようになる。衣装を作り、人の稽古を見ながら演技を盗む日々が続いた。
 その後、やっと当初の目的だった養成所に所属することになる。上京してから2年。すでに彼女は24歳になっていた。まわりは高校卒業したての10代、短大を卒業した20歳前後の研修生ばかり。だが彼女は、年齢など気にした様子はない。3年もの間、昼間は演劇の勉強一色、夜はアルバイトという生活を満喫していた。スナック・クラブ・喫茶店・やきとり屋・テープリライト・Q2で流れるHドラマの声優。興味のある仕事を次々と経験していった。そして研修が終わり、彼女の活躍の場は、舞台からVシネマ、ピンク映画へと広がっていったのである。

■やりたいと思ったら寄り道します

 この取材中、同じ趣旨の質問を何度か繰り返した。

――寄り道に後悔してない? という問いだ。だが質問のたびに、佐々木は首を振り続けた。

――学校の事務なんて面白くなかったでしょ?
「いいえ。仕事もきつくなかったし、楽しかったですね。ただ舞台に立つ学生を見守るのは、合わないかもしれませんね。自分が立つよりドキドキしちゃうから(笑)」

――ストリップから仕事が広がったわけではないですよね?
「もちろん。テレビや映画に進出したくてストリッパーになったわけではないから。面白そうだからなったんですもの。
 大声で誇れることでもないけれど、私にとっては、よくぞこんな職場を教えてくれたっていう気持ちなんです。お客さんも紳士的だし、女の子も観にくればいいと思いますね」

――裏方の仕事は面白くなかったんじゃない?
「いや、いろいろと作るのが好きなんですよ。ギャラも役者よりスタッフの方が高かったし(笑)。楽しかったですね」
 終いには、同様の質問に対して自信タップリに答えられてしまった。
「劇団の養成所だとか、役者になる最短の道を知らなかったのはあるんです。でも知っていても、やりたいと思ったら寄り道しちゃいますよ」
 もともと人見知りが激しく、他人の目を気にし過ぎる子どもだったという佐々木。小学校の先生から名前を呼ばれて、「はい」と答えるのが苦痛だったと話す彼女と、現在の彼女は一見つながりにくい。だが、「悩みだしたら、トコトン悩み抜く」性格は、昔のままだという。逆にいえば、悩み抜くからこそ、自分が最終的に決めた選択に迷いがないのかもしれない。
「地方公務員もストリップも裏方も、もちろんピンク女優も、自分にとってはマイナスじゃありません。何よりマイナスになるような生き方をするつもりはありませんから」
 寄り道の確信犯としての肝が据わり方が気持ちよい。美しい顔に隠された強い意志がビシビシと伝わり、一気にファンになってしまった。 (■了)

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素顔のピンク女優/ピンク映画に向いていないかも・西藤尚

●月刊「記録」1999年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■膝がガクガクした

 目の覚めるような黄色のストールを胸に抱きしめて立ち、「よろしくお願いします」と言って西藤 尚は深々と頭を下げた。慌ててこちらもお辞儀をし、もう頭を上げようかとチラリと彼女をうかがうと、まだ頭を下げ続けている。有楽町の人並みが、彼女を避けて二つに割れた。腕時計を見ると、約束の時間の五分前だった。その礼儀正しさに、まずは驚かされた。
 ピンク映画の女優に対する偏見が、私になかったとはいわない。だが、それだけではない。
 どこか世慣れていないと思わせるほど、彼女は礼儀正しかった。少なくとも取材で知り合った大学生や20代の社会人は、もう少しスレている。20代半ばの彼女に、いまだ高校生の役が回ってくるというのも頷ける。童顔というだけではない。たたずまいが初々しいのである。
 どうしてこんな女の子が、映画で裸になれるのだろう。彼女に会った途端、そうした疑問が頭をよぎった。

――映画で裸になるって、どんな気持ち?
 取材が始まって早々の私の質問に、少し考え込む仕草をしてから、彼女は言葉を選ぶように答えた。
  「女の子にとって、みんなの前で服を脱ぐことは本当に大変なことです。
 はじめて私が絡みのある芝居をした時、カメラが回っている間はかなり冷静だと思っていました。ところが出番が終わったら体が震えていたんです。その時、『あっ、やっぱり私はすごく緊張していたんだ』と驚きました。仕事だと思っても、みんなの前で脱いで絡むって、相当な覚悟と心の用意が必要なんです。
 だから最近は、はじめて脱ぐ女の子が気になります。大丈夫かなと思って。でも、みんな意外なほど間単に、裸になりますね」
 そして、彼女は笑った。
 人前で裸になることへの抵抗感には、個人差がある。比較的、裸への抵抗感が薄い女性も多い。気にならない女性にとっては、驚くほどあっさり服は脱げるものだ。
 だが西藤は違う。
 そうしたこだわりを、西藤は「ピンク映画に向いていないかもしれない」という言葉で口にした。
  「現場で監督と意見が違ったことがありまして……。『バンドエイド一枚で前バリは十分』だと、監督がおっしゃったんです。実際には、前バリを付けない女優さんもいらっしゃると聞いたこともあります。
 でも、見えるじゃないですか。だから私は交渉したんです。結果的には、バンドエイド七枚ぐらいの大きさの前バリを付けて、それをマジックで黒に塗りました」
 大きすぎる前バリをカモフラージュするために、マジックで塗りつぶしたというのである。
 そこまでして全裸を拒む自分に出会い、彼女は悩んだ。
  「そういうところで私は、『女優』よりも『女』なんだなと思って。局部までが映るわけではないけれど、体のすべてを見せることは芝居でもできない。根性がない、ピンク映画には向いていないかもと、その時はじめて思いました。以前も事務所の人などに『(この仕事には)向いてない、普通のお嫁さんになったほうがいいよ』と言われてはいましたが、私はやりたいからやるんだと思っていたのに……」
 そして私はまた疑問に突き当たった。これほど裸への抵抗感の強い女性が、どうしてピンク映画を選んでいるのだろう、と――。

■もっと大きな役のために

 西藤は、広島県出身。上京したのは、一九歳の頃だった。
 小学校時代から女優をめざしていた彼女にとって、高校卒業は芸能界へ足を踏み出すきっかけにしか過ぎなかった。まず東京へ、そしてデビューへと、夢は広がる。
  「NHKの朝の連ドラに出演するような、清潔感のある女優さんになるのが私の理想でした。自分の夢を叶えるためには、まず東京に行かなくちゃいけませんでした。でも父が大反対したんです。『東京なんて行ったら、入れ墨入れられて帰ってこられなくなる』と言って。田舎の父親にとって東京は怖いところでした。そこで誰にも頼らずに上京に必要なお金を貯めるために、アルバイトを始めました。新幹線の売り子です。距離的に少しでも憧れの東京に近づけるでしょ。でも時間がなくて、東京に降りて遊ぶなんてことは、とてもできませんでした。
 その時期が一番辛かったと思います。精神的にも不安定でしたし。アルバイトがないと、どこにも出ないで家でボーっとしてしまう。何をしているかというと、泣いているんです。ああ、今日も一日、何もしないで過ぎようとしていると思うと泣けてくるんです。テレビにオーディションの話題が流れると、『私は広島にいて受けることもできない! 同じ年頃の女の子がどんどん出ていくのに』って」
 結局、家族への説得と、資金を貯めるのに、西藤は一年を費やすことになった。そして上京。彼女はすぐにタレント養成所に入った。
  「養成所はいろいろ勉強させてくれました。でも仕事を斡旋してくれないので辞めました。私は一九歳でしたので、仕事をしなければ どんどん年をとってしまうと焦っていました」
 自分の年齢に焦りを感じていた彼女は、養成所で培った人脈をツテに仕事を取り始めた。真面目でしっかりと仕事をする人柄に、現場の受けも良かったのだろう。少しずつ仕事が入るようになってきた。グラビア撮影、ドラマのチョイ役。どれも小さな仕事だったが、女優への第一歩を踏み出していることには違いない。
 だが一年ほどすると、突然、大きな壁に彼女は突き当たった。先が見えたのである。何か異なるアクションを起こさない限り、現状のままでは、小さな仕事がたまに来るだけだ。あくまでタレントとして活動している限り、仕事は年齢の若い女性に回っていってしまう。
  「脱がないかという誘いは、昔からあったんです。でも、断っていました。自分が裸になるなんて、考えたこともありませんでしたから。脱ぐこと自体、別世界の話でした。
 でも脱げば、もっと大きな役をもらえる。だから裸になりました。だって私には、もう何もありませんでしたから。これで新しい展開があればと決めたんです」と西藤は、当時の自分を振り返る。
 まず裸のグラビアの仕事を引き受けた。脱げば仕事は増える。体中に銀粉を塗って撮影したこともあった。そうこうしているうちに、ピンク映画へ出演の話が来たのである。
  「結局、芝居ができるならということで、ピンク映画に臨みました」。これが西藤の出演動機である。
  「自分の仕事は女優しかない」と取材中、西藤は何度も口にした。だから脱ぐ。理屈は通った。
 だが、私には納得できなかった。
 では、彼女はなぜ「女優」にこだわるのか。今度はその疑問が湧いたのだ。ピンク映画の出演料は安い。性格も良く美人な彼女なら、芸能界さえ降りれば、ワリの良い仕事はいくらでもあるはずだ。彼女にとって「女優」とは何だろう。

■殺されると思った

 私の疑問に対する答えの糸口が見つかったのは、取材を始めてから一時間以上も経てからのことだった。

――西藤さんは、きっと普通の家庭に育ったお嬢さんだったんでしょうね。
 質問ですらない。取材の合間の雑談ぐらいの気持ちで口にした言葉だった。
  「そうとは、いえないかもしれません」
 取材中、真っ直ぐ私を見続けてきた視線が、少し下がった。
  「普段、父は優しい人でした。でもお酒を飲むと暴れたんです。私たちが夕食を食べ始め、父がお酒を飲み出すと、ほどなく両親のすごいケンカが始まりました。毎晩、毎晩。だから父が嫌いでした」
 西藤には、一つの忘れらない出来事がある。
  「小学校低学年の頃でした。父親に殺されるかもしれないと思った瞬間があるんです。詳しい状況は覚えていません。たぶん父と母のケンカに、私が加わるような形になったんでしょうね。父に体をつかまれて、二階の窓から放り出されそうになったんですよ。
 もちろん父は本気ではなかったでしょう。でも膝から上は全部 窓の外で、必死に父の腕にしがみついていた私は、もうだめだと思ったんです」
 多感な時期に父が与えた恐怖は、彼女に多大な影響を与えたに違いない。「最近まで、絶対結婚したくないと思っていました」と語る彼女に、当時の心の傷を見た気がした。
 高校時代、彼女はとにかく良い人に思われたいと考えていたという。だから友達にも本音をぶつけられなかった。
  「家の中がガタガタだったことを、他人に悟られないようにしてたのかもしれません。ひっそりと、とにかくひっそりと高校生活を送っていました」
 自分の高校時代を、西藤はそう分析した。
 だが自分の殻に閉じこもり続けた彼女は、女優という仕事によって変わった。自分自身を解放していくのである。
 西藤は言う。
  「女優は演じるもの。だけれど、その中で自分をさらけ出していくものでもあると思うんです」

■明るい女の子じゃない

 西藤がはじめて悪役を演じた『女囚 いたずら性玩具』(荒木太郎監督)には、面白い話がある。
 この映画では、悪役からなるべく遠いイメージの女優を起用する方針が採られ、西藤に白羽の矢が立った。演技がうまくいかないのを予想して、リハーサルまでは細かなカット割りが計画されていた。ところがリハーサルで見せた西藤の凄みによって、カメラは長回しに変わったという。
  「見直すと、自分の演技はまだまだです。特に他の女優さんを殴るシーンなんかは全然だめ。女優さんを傷つけちゃいけないという気持ちがどうしても強くて。
 でも、『女囚 いたずら性玩具』では、皆さんが思っていたよりは、女囚のイメージにできたのかもしれません。第一に悪役が面白かったですし。それにもともと私は、映画でよく演じているような明るく可愛い女の子じゃないですから」
 そう言って彼女は顔をあげた。
 裸になることで、彼女は活躍する場を獲得した。
 98年10月からは、スカイパーフェクトTVで放映している「パラダイスチャンネル」に出演。裸のニュースキャスターとして人気を獲得した。特に可愛い天然ボケぶりが、ファンを魅了している。
 そしていつの間にか本音で話せる自分がいた。
  「今までの人生で、現在が一番楽しいですね。女優として食べていくことができますし、何より自分が随分と自由になったような気がします。
 私には女優しかありませんから、息の長い女優になりたいと思っています。下手なら下手なりに、自分の気持ちを表出して演技ができるようになりたい。それが現在の目標ですね」
 取材が終わると、またていねいなお辞儀をして、彼女は去っていった。
 別れ際の言葉が、私の印象にもっとも残った。
  「役柄に必要だったら脱いでも、何をしてもいいと今では思えます。とにかくずっと女優を続けていきたいんです」
 彼女の凄みをその言葉に感じたからだ。 (■了)

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親学を検証する。

●月刊「記録」2007年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部


 教育再生会議の第2次報告から省かれた親学。「子守歌を聞かせて母乳で育児をしろ」だの、「授乳中にテレビをつけるな」だの、「早寝早起きをして、子どもに朝ごはんをたべさせろ」だの、よけいなお世話としか言いようのない内容ばかり。
 日本中で反対の声があがるのも当然と思っていたら、毎日新聞社が行った調査によれば、賛成47%、反対44%と数字に大差なし。20代にいたっては、賛成68%、反対28%で賛成の圧勝。30代、60代、70代以上も賛成が反対を上回ったという。
 賛成が多いのは、40代と50代だけ。それも約4割が賛成で、約5割が反対という結果だった。
 新聞などでは反対が強くて第2次報告への掲載が見送られたと報じていたのだが、どうも実際の「世論」と温度差があるようだ。メディアの片隅にいる編集部員としては、個人の生活に政府が口を出してくるなど大問題だと感じてしまうのだが……。

 というわけで、実際に子育てを担う女性に、親学についてどう思うのかを聞いてみた。
 まず露骨に不快を示したのが、0歳になる子を持つ30代の女性Kさん。
「そんなの余計なお世話だよ、ほんと。子育てなんてしたことない人が決めたんじゃない」とバッサリ。「理想的かもしれないけれど、そんなことできるはずがないよ」とのことだった。
 例えば「テレビを見ながらの授乳」については、「そんなときだってあるよ」と答えてくれた。3時間おきに起こされ、30分は授乳やおむつ替えに動かなくちゃいけない。自宅から出ることもままらず、ストレス解消は食べることとテレビを見ることぐらい。しかも慢性的な寝不足で、あかちゃんが寝ているときは一緒に寝ていることが多いとなれば、「テレビを見るのなんて授乳中ぐらいしかないじゃん」ということになる。
「PTAに父親も参加」にいたっては、怒る気にもならないといったように鼻で笑った。
「私と同世代のお母さんの旦那さんって、働き盛りでしょう。この御時世にPTAに出られるようじゃ、その会社危ないって。経済的に不安だからっていう理由で働いているお母さんも少なくないんだから。
 生活に余裕のある、暇な人が決めたんじゃないの。世の中もっと切実です」
 たしかに彼女の旦那さんは忙しいらしい。会社に泊まり込んで仕事をする日も少なくないという。そのような状況で子育てを続ける女性にとって、「親学」など腹ただしい以外の何ものでもないのだ。
 彼女は最後に言った。「『親子で演劇などの芸術を鑑賞』なんて、いつ?って感じ。私なんて妊娠中に、『最後』だと思ってオペラを観に行ったんだから……」
 しかし同じ子育て中といっても、40代ともなると若干風向きが変わる。
 現在2歳の子を持ち、保育園で働いていた経験を持つOさんは「今の若いお母さんには必要じゃない」と賛成理由を口にした。
「保育園で働いていたときも感じたけれど、今の若いお母さんはヒドイもん。親学で取り上げたことは、どれも当たり前のこと。でも、それが正しいと知らないお母さんもいっぱいいるから、決めてあげれば若いお母さんも安心なんじゃないかな」
 ちなみに彼女は「テレビを見ながら授乳したこと」などないという。「早寝早起き」も、きちんと子どもをしつけて生活のリズムをつければいいだけのこと。「眠らないようなら昼間に子どもを遊ばせればいいし」と語ってくれた。
 経済的にも精神的も余裕のある専業主婦の彼女にとって、「親学」は当たり前だから自分には必要ない。ただしジェネレーションギャップを感じる若いお母さんには必要との立場のようだ。
 同じ40代でも子育てをしている状況により、かなり答えが変わりそうだが、「わけわからん若い親に規範を教えなきゃ」という思いは、親学をぶちあげた教育再生会議の面々と同じ感性のようだ。
 では、毎日新聞のアンケート調査で圧倒的に賛成した20代は、どのように考えているのか。独身の女性に話を聞いてみた。
 20代Oさんの第一声は「親の世代がやってきたことだし、ごく当たり前のことじゃないかな。私も母乳で育てたいし」だった。ただ、これは子育てを他人事として考えたときだ。共働きや授乳で胸が垂れることを考えると、「ミルクにするかも」と意見が変わった。
 もう1人の20代Sさんは「親学はモデルハウスみたいで、個人的には気持ち悪い」と語る。彼女にとっては理想的すぎて生活感のない指針だという。
「私たちの子どもの頃は酒鬼薔薇事件とかがあって、まっとうな子育てが大切だとすり込まれているように思います。だから逆に子どもを持つのが怖いとも感じますけど。一方で子育てはロハスみたいに素敵で賢いというイメージもありますね」とも。
 心の奥底では、親学の求める「まっとうな子育て」に憧れてしまう部分があるという。その意味では「同世代がこの指針に賛成するのも分かる」と話してくれた。
 こうやって話を聞くと、賛成がけっこう多かった理由もわかる。下の世代に向けて、あるいは憧れとして「親学」をとらえれば、賛成の人数が多くなるのだ。これは図らずも教育再生会議のメンバーの姿勢と重なる。
 バタバタと忙しく、もう1週間近く自宅に帰っていないわたしから見れば、父親のPTA参加など絵空事でしかない。だったら時間をくれと言いたくなる。
 今回感じたのは、現実を知らない人々が教育を審議し、同じく現実を知らない人が賛成する不気味さだ。「モデルハウス」ばかり建てても人が住めないことを、教育会議のメンバーも認識すべきだろう。(■了)

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政治の暴走を止められない最高裁

●月刊「記録」2006年8月号掲載記事

●取材・文/大畑太郎

 最高裁判所から調書が届いた。

第1 主文
 1 本件上告を棄却する。
 2 上告費用は上告人の負担とする。

第2 理由
民事事件について最高裁判所に上告することが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲をいうが、その実質は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。

 本誌06年3月号でお伝えした昨年9月の衆議院選挙の無効訴訟に対する最高裁の判断である。裁判所の窓口まで出向いて上告手続きし、上告理由書などを作成し、数万もの上告費用を支払った結果がA4の書類1枚。その門前払いの理由が上記の通りだという。簡単に書けば「憲法判断する事例じゃないから」ということだ。怒りを通り越して呆れた。
 95年8月8日郵政民営化法案が参院で否決されると、小泉純一郎首相は衆議院で採決することなく衆議院を解散した。憲法59条2項に定められた通り衆議院に差し戻し、3分の2以上の賛成が得られないことを確認し、同3項に定められた両院協議会を開催して初めて議会を解散できるというのにである。こうした解散権の乱用に対して、私を含む7人が4つのグループで裁判を起こしたのである。
 選挙無効訴訟の決まりによって高裁から始まった裁判は全員が敗訴であった。ただし、どの判決も「憲法判断する問題ではない」などとは断じていない。衆院の解散は政治性の高い行為だから裁判所の審査権が及ばないという60年の最高裁判決があるので、ちょっと判断できないんです、というような判決だった(解読困難な裁判用語を判決文から引用すれば、「本件解散が原告の主張する憲法の条項を手続を踏まないで行われた憲法違反のものであるか否かについては司法審査の範囲外の事項に属するものというべきであり」となる。正直、さっぱりわからん!)
 グループの1人である小山宏明氏が原告となった大阪高裁判決にいたっては、「なるほど、法案否決の後に、必ず憲法59条2、3項の手続きを踏まなければ衆議院を解散することができないかどうかは、一つの法的問題であり、法的判断の対象となるのは疑いないところである」とまで書いている。ところが、この判決を受けて上告した小川氏のところにも、上記とまったく同じような調書が届き門前払いとなった。
 大阪高裁の判決文の「当裁判所の判断」という文章をいくら読み直しても、憲法以外の法律が見あたらない。憲法76条1項、憲法81、憲法59条2、3項。それが書いてある法律のすべてである。もちろん上告理由書で、わざわざ法令違反を主張するはずもない。憲法問題ではないと門前払いする最高裁の「伝統芸」に、どうしたら引っかからないかを考えるのは上告の「常識」だからだ。
 この状況で、どうやったら「その実質が単なる法令違反を主張するものであって」という文言が出てくるのか不思議でしょうがない。同じような訴えだから日付だけ変えて同じ書面を送っておけば問題ない、といわんばかりの態度だ。
 何も私は選挙の無効を裁判所に認めてほしかったわけではない。法律にのっとり、きちんと話し合い、採決をへて決定していくという議会制民主主義の原則を確認し、強権的な衆議院解散が二度と起こらないような歯止めを司法に示してもらいたかっただけなのだ。
 小泉首相は解散後の記者会見で「今回の解散は郵政解散であります。郵政民営化に賛成してくれるのか、反対するのか、これをはっきりと国民の皆様に問いたいと思います」と語った。つまり参院での法案否決に集まった国民の注目を利用し、そのまま郵政問題だけを選挙の争点にしたのである。
 このような手法は民主主義を危うくする。さして重要ではない1点に争点を絞り、そこで示された賛成票をバックに政治を動かすなど許されない。実際、民意は郵政にしか賛成を示していないのに、高齢者の医療費負担増が先の国会で決定した。
 絞った政策に対する国民投票に個人の信任を盛り込むことで独裁者が誕生した例は少なくない。ナポレオン皇帝も投票で選ばれているのだ。このような危険な芽を摘むべく起こした裁判に、司法が憲法判断すら行わず逃げ回る。この状況をどうすればいいのか!
「憲法的な判断はオープンに、数多くやるほうがいい。憲法判断を避け続けていると、世間の人のイライラが高じて憲法裁判所をつくれ、ということになる」と亀山継夫前最高裁判事が『朝日新聞』(04年5月7日)で語っている。まったく同感だ。政府と検察への気遣いに終始する暗黒司法の姿勢にはウンザリである。(■了)

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コイズミのムチャと職務を忘れた法の番人

●月刊「記録」2006年3月号掲載記事

●取材・文/大畑太郎

「主文、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」
 東京高裁の雛形要松裁判長はサラリと判決文を読み上げ、また扉の向こうへと帰っていった。809号法廷の奥に位置する扉から登場してわずか5分。私の選挙無効訴訟の一審が終了した。
 あっけない主文読み上げに似て、判決理由もまた驚く淡泊であり、審査のすべてを放棄する門前払いであった。
 原告団の仲間は「判決なんてこんなもんだよ」と慰めてくれたが、裁判に精通しているわけでもない一介のライターにとってはかなり不満の多い内容であった。貴重な時間と印紙代など2万円を超える出費を考えると、裁判所はサービス精神が足りない! 裁判そのものの時間は計2回、あわせて15分程度。判決文はA4で6枚、素晴らしく行間の空いた代物である。
 これが私に回ってきたライター仕事なら大喜びだったろう。打ち合わせ2回計15分で、クライアントから提供された資料を軽くまとめて2万円もらえるというのだから。

 私が訴えた2006年9月の衆院選挙は異例ずくめだった。
 選挙からさかのぼること2ヵ月前の7月、郵政民営化法案が賛成233票、反対228票のわずか5票差で衆院を通過する。与党の自民党から51人もの反対および欠席者を出すギリギリの通過だった。
 予想以上の苦戦に、小泉首相は参院で否決された場合に衆院を解散するという脅しにでる。自民党内に根強い解散反対論があったこと、選挙となれば自民党が負けるとの予測も出ていたこと、また、いくら何でも参院での法案否決を受けて衆院を解散するようなムチャはしないだろうという憶測もあり、解散をブラフだと感じていた国民や議員も多かったはずだ。しかし8月8日、108票対125票で郵政民営化法案が参議院で否決されると、首相は即日に衆院を解散する。
 本来なら憲法59条2項に定められた通り衆院に戻して3分の2以上の賛成が得られないことを確認し、同上3項に定められた両院協議会を開催しなければ、首相といえども議会を解散することなどできないはずだったのにである。 
 その後、解散権乱用の論議は選挙戦の熱に飲み込まれ、あっさりと忘れ去られる。「刺客候補」が脚光を浴び、造反議員との戦いにマスコミも選挙民も熱中した。今は拘置所につながれているホリエモンも亀井静香氏の対立候補として大きな脚光を浴びていた。その結果は知っての通り。296議席を獲得する小泉自民党の圧勝だった。
 選挙後も解散権の乱用について首相は気にするふうでもなかった。民主党の前原誠司代表に「解散権の乱用ではないか」と国会で質問されても、「郵政民営化は極めて重要な法案で、実現について、内閣の政治的責任で国民の信を問うことは、憲法上、認められた解散権の行使であり、乱用にあたるとは考えていない」(『読売新聞』05年9月29日)と、いけしゃあしゃあと答えている。
 さらに9月30日の国会では国民新党の糸川正晃議員から同様の質問を受け、「しょうっちゅうするものではなく、異例中の異例だと認める。『次もまた参院で否決されたら解散か』と聞く人がいるが、こういうことはめったにない」(『読売新聞』05年10月1日)と開き直った。「めったにない」なら国会手続きをへていなくとも解散できるというのは法治国家の論理ではない。
 こうしたなし崩しの「デタラメ解散」に一石を投じようと、私はこの総選挙の選挙無効訴訟の原告の1人となり、中央選挙管理会を相手取り東京高裁に提訴したのである。

■裁判所の職務放棄だ!

 冒頭に記した判決には次のように書かれている。
「衆議院の解散は、このように極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であるといわなければならないのであり、このような極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為については、その法律上の有効無効を審査することは、裁判所の審査権の外にあると解すべき」
 簡単に言えば、「政治性が高いから何も法律判断しないよ」と裁判所に宣言されたのである。この判決の根拠となっているのが、1960年に最高裁で出された通称「苫米地判決」だ。この裁判は52年に行われた衆院解散で落選した苫米地義三氏が、違憲で無効な解散行為によって議員を失職したのはおかしいと訴えたものである。
 一審の東京地裁は原告の訴えを認め、裁判結果による政治的混乱を理由に裁判所が法律を判断しないのは適当ではなく、解散の手続きは司法で判断できると認定。解散を統治行為論で除外すべきではないと言い渡した。
 ところが最高裁判決では「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外」にあると、裁判所が政治的な判断を避ける「統治行為論」による門前払いを鮮明に打ち出したのである。
 この45年前の判決が私の裁判にも重くのしかかっているわけだ。
 しかし「苫米地判決」は少なからず問題のある判決ともいわれている。法律論で詰めるまでもない。さまざまな「国家行為」を「高度に政治性のある」とひとくくりにした論理で、司法は行政の暴走を防ぐことができるのだろうかという疑問が素人にもわくからだ。じゃんけんのように互いが牽制しあって権力の暴走を防ぐ。それこそが三権分立であるなら、司法の判断を棚上げにする統治行為論はかなりの危うさをはらむ。
 もう少し詳しくみていこう。
 この裁判を通して初めて知ることになったのだが、学説的には統治行為論の肯定説も否定説もあり、その肯定説にもいくつかの種類がある。そのすべてを紹介するのは眠くなるだけなので差し控えるが、法律に強いわけでもない私にも、統治行為論が有効なケースがあるかもしれないと感じさせる学説はある。山下威士新潟大学教授が『別冊法学教室』(1985年)で「(苫米地判決は)この説を採用している」と書いた学説はその1つである。
「政治的に影響を及ぼす行為については『政治的に責任を負えない裁判所が政治的決定を審査することはできない』、そのような行為については『主権者』たる国民に判断を委ねるべきであるとする」
 なるほど、あるかもしれない!
 だが、苫米地判決と私の裁判に共通する衆院解散の手続きは、そもそも「政治的決定」なのだろうか? 
 奥平康弘東京大学教授は「『統治行為』理論の批判的考察」のなかで次のように「苫米地判決」を批判している。
「すべての解散は『高度に政治性のある国家行為』であるかもしれない。しかし、争点(一)【憲法第7条に依拠してなされた解散※著者注】は、解散の政治性と全く切りはなされた憲法解釈問題である。しかし、前叙のごとくに、この点の解釈を憲法上おこないうるのは、そして、おこなわなければならないのは、裁判所である。これは裁判所としては、回避することができない争点だったはずである」
 こうした論理を踏まえた上で奥平氏は、「みずからの憲法解釈をついに提示することなく、内閣の解釈に拘束されるというのである。これは、裁判所の職務放棄でなくてなんであろう」と断じている。
 また山内敏弘氏も「統治行為論と苫米地訴訟」の中で、「このような理由で裁判所の憲法解釈権さえも否認することは、裁判所の『憲法の番人』としての任務放棄につながりかねない」と指摘した。
 さらに早稲田大学教授の有倉遼吉氏は「衆議院解散の効力に関する審査権――いわゆる苫米地事件」の中で、「主要な争点は(中略)本件の解散の助言には一部閣僚の賛成をえただけで、適法な閣議決定を経たとはいえず、解散には内閣の助言と承認が必要とする憲法規定に反し無効ではないか、というところにある。このような争点の判断を国民が最終的に行いうるものであろうか」と疑問を呈している。
 つまり選挙という民意の表明方法が法律解釈に及ばない危険性を指摘したわけだ。今回の選挙でも小泉首相は郵政民営化だけに争点を絞る宣伝を繰り返した。「国会は郵政民営化が必要ないと判断したが、国民のみなさんにもう一度、必要なのか聞いてみたい」とも発言している。では、郵政民営化に賛成した国民が自民党の目論む消費税の大幅なアップを承認したかといえば、そうではない。まして法解釈など投票時に国民は考えもしないだろう。
 以上のような経緯をふまえれば、解散手続きまで統治行為論を使って憲法判断から逃げ回るのは司法の自殺行為だと分かる。まして私たち原告団は準備書面において76年の最高裁判決を例に取り、裁判所が選挙を違法と認定しても選挙の効力については有効とする「事情判決」の道もあり、これなら政治的にも問題にならないぞと、裁判の逃げ道まで教えているのである。裁判所は何を恐れる必要があるというのか。
 そもそも上院(参議院)による法案否決によって下院(衆議院)を解散できるケースなど、先進諸外国には見あたらない。議会の解散権を持たない大統領制の米国はもちろんのこと、上院に否決する権限のない英国、そのほか二院制のドイツやフランスでも、そのようなバカげた解散を認めていない。
 それでも勝てないのが行政訴訟。まさに暗黒司法のさばる日本だと落胆していたところ、原稿締め切り直前に大阪からグッドニュースが届いた。大阪高裁は同様の裁判について統治行為論を採用したものの、「なるほど、法案否決の後に、必ず憲法59条2、3項の手続きを踏まなければ参議院を解散することができないかどうかは、一つの法的問題であり、法的判断の対象となることは疑いのないところである」と一歩踏み込んだ判断を示したのだ。最高裁に向けわずかながら光が灯ったように感じた。
 すでに上告は済ませた。完全勝訴は正直難しいだろうが、将来むやみやたらな解散ができないよう、行政に「法的秩序」を示す必要性は感じている。行政のムチャを監視することは『記録』の役割の1つでもあるのだから。(■了)

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待ったナシ!駐車違反取り締まりの新ルール施行 初日ルポ 街の風景が変わった

●月刊「記録」2006年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 駐車違反取り締まりの新ルールが施行された初日、いつものルートを運転していた酒屋配達の男性は思った。「まるで日曜みたいだな」。平日ならいつも道路の両脇に駐車されている車がこの日はほとんど見あたらなかった。取り締まりが民間業者に委託され、これまでより強化されることは知っていた。どうやら配達中でも構わず取り締まりを受けること、より短時間の駐車で違反と見なされることも知っていた。それでも駐車違反で引っかからないための具体的な対策を男性は持っていなかった。見張りのスタッフを雇えば人件費がかかる。小さな商店にとってそれはあまりにも大きな打撃である。
「取り締まりが厳しくなるみたいだけど……、どうしようもない。今のところは…」酒店の男性は言葉通りの表情で呟いた。
 95年には年間約30万件だった駐車違反の苦情・問い合わせが05年には65万件に膨れあがった。しかし取り締まりの件数は240万件から150万件と逆に減少。このことについて警察庁は、警察官の多くが治安情勢の回復に費やされ駐車違反取り締まりに人員を投入できなかったと説明する。そしてこれが今回の民間監視員導入の背景だった。たしかに違反車両の多い道路は運転しづらいものだ。車のカゲからいつ人が飛び出してくるのか警戒し、神経を使ってしまう。しかし、今回の新制度導入には大きなひずみが伴っている。
 編集部が駐車違反取り締まり初日の様子を追った。

■不満が渦巻く現場を歩く

 監視員の民間委託が導入されたのは東京で12区、43警察署である。監視員は各警察署が定めたガイドラインに沿って監視を行う。今回は編集部近くであり取り締まりの「最重点路線」に定められている靖国通り、そして同じく最重点路線に定められている新宿駅周辺をあたった。
 新宿駅周辺では青梅街道の新宿警察署の前にある交差点から大ガードをくぐり、伊勢丹の裏側にあたる靖国通りと明治通りがぶつかる交差点まで約1キロ。午後12時半から駐車の認められている場所以外に駐車している車を数え始めた。結果は37台、そのうち運転手のいない車は10台だった。
 ただし1人で荷下ろししている車が「運転手のいる」37台にカウントされており、「運転手がいなければ駐車違反だ」という原則に従えば「違法駐車」の数はさらに増える。しかも駐車している車のほとんどが運搬車両なのだ。
 調査通り沿いには一大繁華街が並ぶ。そうした小売店に商品やその材料を運び込むには車しかない。つまり十分なスペースがない現状で「路上駐車」が「兵站」を支えているのだ。
「会社の仲間もブーブー言ってますよ。駐車できないので2マン体制に変わりました。以前は1人で配達していたんですけどね」。大手飲料メーカーの自動販売機に缶ジュースを運搬している男性はゲンナリした顔でそう語った。ただ、2マン体制をとれる業者はまだマシだ。前述の酒屋にはそうすることもできない。いくらかのコストを費やして駐車場を借りることはできても、重い荷物を駐車場から目的地まで運ぶ作業が上乗せされるのはあまりにもキツい。
 今回の法改正のもっとも大きなポイントは2つ。1つは民間の駐車監視員が違反キップを切れるようになったこと。もう1つは運転手が車から離れて、車を移動できない状態なら取り締まれることだ。もちろん理由によって情状酌量されることはない。実際、食料品を歌舞伎町方面に運搬していたトラックは「配送中」と書かれた札を運転席に掲げ、ハザードランプまでつけていたが駐車監視員は構うことなく取り締まりにかかった。なにかがおかしい。もともとは違法駐車対策のためのルールだったはずが、違法も配達もない十把一絡げ状態になっていた。
 歩合制の給与体系ではないが、取り締まりの数が少なすぎれば駐車監視員も肩身が狭かろう。みんなと同じぐらいの数をあげなければ、サボっているのかと疑われかねないからだ。つまり法の番人というより、違法を待つハンターといった趣、ととられてもおかしくはない。
 監視員はは2人1組で薄緑の制服を着込む。
 駐車監視員が違法車両を見つけると、まず専用のデジタルカメラで写真を撮影。その画像を厚さ約2センチ、縦20センチ、横30センチ程度のタッチパネル式の液晶画面のコンピュータに転送する。
 転送された写真を確認すると、コンピュータを持つ駐車監視員が専用のペンを使い猛烈なスピードで打ち込みを始める。違法車両の種別、違反車が置かれた住所などを選択画面から選んでいく。一連の操作が終わると、今度は違法車両の位置を特定にするために距離を測る。横断歩道や交差点の角から何メートルの場所に止まっているのかメジャーを当てるのだ。
 さて、ここからが最大の難関、違法現場の地図作製である。道路の形や車両のマークなどを、選択肢から選び大枠を完成させたあと、先ほど測った距離や道路がどちらに向かっているのかなどをペンで書き込んでいく。取材した駐車監視員は「至明治通り→」と書き込んでいた。かなり汚い手書きの文字でもコンピュータは認識していた。地図を作り終えたら、駐車監視員2人で記載内容を読み上げて間違いがないかを確認し、違法を知らせるステッカーを貼る。時間にして10~15分といったところか。
 じつは違反が確定するのは、このステッカーが貼られた後にある。駐車監視員が地図を描いている間に運転手が帰ってくればセーフ! 駐車監視員は「警告」と書かれた紙を運転手に渡し、おとがめなし。
 つまり駐車監視員の作業時間が運転手の明暗を分ける大きなポイントになるのだ。実際、新宿の取り締まりでは多くの運転手が地図作製中に車に戻ってきた。
 取材したのは取り締まり初日だったため機械の取り扱いにも手間取っていたようだが、これから駐車監視員も慣れてくる。一瞬目を離したスキに取り締まられたというケースが、今後どんどん増えてくるだろう。
 靖国通り・神保町では古本屋「ブンケン・ロックサイド」の店員さんが悲鳴を上げていた。「車を通りに横付けして来るお客さんは来てくれなくなってしまうかもしれません。打撃もいいとこですよ! お客さんだけじゃなく、古本専門の運送屋さんがいてトラックをこのあたりに停め古本街に本を配送するんですが、これからは今までのそんなやり方も見直さなければならないでしょう」。あまりに硬直的な制度のあり方が至るところで歪みを引き起こしている。それでも、見張り役の人員を増やすことができない、そんな弱者へも配慮していると宣伝したいのか「荷捌き用」と書かれたスペースがいきなり作られた。白い枠線で囲われたこの場所ならば駐車違反にならない。駐車監視員が枠内に止められた車を素通りし、その並びに止められたトラックだけを取り締まり始める光景はかなり異様だった。
 新宿大ガードの交差点から明治通りまでの約400メートルには駅に近い側に5台分、その向かい花園神社などがある側に9台分、計14台分の荷捌き用スペースが作られていた。法律改正前まで業務用トラックが両サイドにズラッと並んでいたことを考えれば、この駐車スペースがどれだけ少ないかが分かる。
 となれば激しい場所取りが展開されるのも道理だ。
「今日は朝9時からかなり取り締まってましたよ。間の前にいた枠の外のトラックがキップを切られてましたから。いや、いけないとは思いますけれど、このスペースにずっと止めておきたくなります。午前も午後もこのかいわいで配達しなければならないので……。枠から出たら反則金を取られますから」
 と、大手宅配便会社の運転手は語ってくれた。配達場所が集中している新宿なら、誰もがそう思うだろう。ちなみに同様の思いを抱えているに違いない佐川急便のドライバーは、「私どもはこの件に関して何も言えませんので」と取材に答えた。国土交通省から認可を得るのに苦労した会社らしく、お上に逆らわないよう会社側から教育されたようだ。
 今回の取材では荷捌き用のスペースに、その筋らしい派手な高級車が駐車されてもいた。運送業の車両を取り締まる前に、こうした車こそ排除すべきだろう。もっとも彼らもどこかで何かを「荷捌き」しているのかもしれないが……。

■このドタバタの裏で笑う者が

 今回の法改正で泣いている人は数知れない。だが、当然高笑いしている業者もいる。なかでも美味しかったのはコンピュータ関連の業者だ。デジカメも入力用のコンピュータも別あしらえの特注品である。
 ただ駐車監視員に機械の評判良かったわけではなさそうだ。報道でも機械の故障は大々的に報じられたほどである。ちなみに駐車監視員のコンピュータはハードが三菱、OSはウィンドーズXPだ。炎上自動車を量産した自動車メーカーの関連会社がハードを作り、バグが出ては修正版を配布するメーカーのOSを採用したのだから機械の故障が相次いだのも妙に納得してしまう。
 さて、今回の法改正については、もう1つ重要な論点がある。それは駐車スペースが足りないことを知りながら販売している自動車メーカーの責任だ。
 ペットボトルやカンを大量に流通させる飲料メーカーが回収にも力を注ぐ時代となった。作ったきりで利益だけを懐にしまい込む商法など、すでに許されない。
 ところが今回追いつめられているのは車の使用者だけ。製造メーカーは我関せずである。なかでも国内シェアの4割を握り、庶民をいじめる小泉改革を推進しながら道路特定財源の解消にだけは抵抗しているトヨタ自動車の責任は大きい。「60年代に始まったモータリゼーション中心の経済政策にのり、トヨタ自動車は大もうけをしてきました。だからこそ経団連の会長まで手に入れたわけです。にもかかわらず道路造成や交通対策など、人が暮らしやすくなるための社会的費用を一切支払いませんでした。ただただ車だけ売り続けるトヨタの姿勢がこの問題にも陰を落としています」とは鎌田慧氏の談。
 先述した駐車している車両の調査でも、運転手のいる車の37%、いない車の30%がトヨタ車だった。シェアよりも数字が低いのは乗用車よりトラックが多いからで、トヨタ系列である日野自動車をトヨタ車として勘定しなかったからだ。もし、トヨタ系列という枠組みで換算していたら50%はゆうに超えていたはずだ。
 6月1日に施行されたこの制度だが、もうすぐ1月が経とうとしている。この頃になってようやく、警察署によっては営業車に対する取り締まりの見直しが検討され始めている。だが、それでもこの新たなルールが弱い立場にある者への配慮にまったく欠けていた点は見逃せない。事件はまだ始まったばかりだ。(■了)

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気分だけは『深夜特急』―あるがままのシンガポール―

●月刊「記録」2004年11月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 諸事情により、立て続けにシンガポールを訪ねざるを得なくなった。半年で3回。正直、多すぎます……。靖国神社の分社でもあれば旅のついでに取材でもしてくるのだが、いかんせんシンガポールに靖国はない。いや、そもそも取材対象になりそうなモノが、少なすぎるのである。
 シンガポールと聞いて何を思い出すだろうか?
 高級ホテルの乱立する街、あるいは買い物天国の観光地のイメージだろうか。
 たしかにシンガポールの中心部には、高級ホテルが並んでいる。村上龍の小説にも登場するラッフルズ・ホテルやザ・リッツカールトン・ミレニア・シンガポール、ザ・フラトン・シンガポールにシャグリラ・ホテル・シンガポール。どこもシングル1泊で3万円近くする。
 素敵だろうと思う。でも、貧乏ライターの私は、そんなところに泊まる余裕はない。買い物もしかりだ。
 仕方ない。見たモノをあるがままに描くしかなかろう。気分だけは、沢木耕太郎の『深夜特急』である。
 MRTという地下鉄に乗り、リトルインディア駅とファーラーパーク駅のどちらかで降りると、そこにリトルインディアが待っている。そうインド人街である。
 通りの店では、サリーの布や金のアクセサリーなどが売っており、独特の匂いが立ち上る。スパイスなのかもしれないが、苦手な人にはキツイ香りかもしれない。
 しかし、このリトルインディアの名物(勝手に名物にしてますが)は、なんといっても人ごみである。
 夜8時にファーラーパーク駅を降り、ムスタファセンターというスーパーに向かっていって歩いていくと、センター前に黒山の人だかりができているではないか。最初、辺りが暗くよく見えなかったが、近づいていくにつれ人だかりはすべてインド系だとわかった。どこからどうやったらこれだけの人たちが……と思わせるほどの人数だ。
 有名神社の元旦や、お盆の原宿竹下通りを想像してもらえばいいかもしれない。広場を進もうとすれば、肩がガンガン当たる。しかも集まっている人々が何もしていない。ただ集って話しているだけ。だいたい2~3人ずつのグループになっているようだ。
 そもそもムスタファセンターは、ただの激安店である。日本でいうと激安の殿堂ドン・キホーテとダイエーをミックスさせた便利なスーパーいったところか。その前がいきなり集会場になっているのだから、日本人には不思議な光景だ。ショッピングするでもなく、食事するでもない。目的を見いだせない大集団。ちなみに、このよくわからない活気は、シンガポールでもリトルインディアでしかお目にかかれない。ドン・キホーテに集うヤンキーと同じだと考えれば、納得もしやすいのだが……。 見渡す限りのインド人と私。通常なら緊張しそうな場面だが、これまた不思議なことにムスタファセンター前の誰もが私に注意を払っていなかった。なぜか部外者としての扱いを受けなかった。
 インドを満喫しつつセンターに入り、バスタオルやシャンプーなど日用品を買う。
 不思議だ。日本ではあらゆる場所で部外者扱いされるたものだが……。タイ人に間違われることはあっても、インド人には見えない私なのに肌が馴染む。
 日本社会に馴染めない人には、ちょっとお勧めかもしれない。ただし夜にならないと大勢のインド系はいない。昼間はただのスーパーと道。注意してほしい。

■シンガポールに貴乃花が

 さて、夜のシンガポールのお勧めがムスタファセンター前なら、昼のお勧めはハウ・パー・ヴィラ、通称タイガーバームガーデンである。そう、あのメンタームのような薬・タイガーバームをつくった兄弟がこしらえた庭園である。
 かつては入場料を取っていたようだが、私が行ったときには無料開放中であった。それなのに日本人観光客は、まずいない。
 ここの売り物は、なんといっても等身大の人形の数々。しかも全体として何を作りたいのかよくわからないのが特徴だ。おそらく下敷きにあるのは、中国の伝説なのだろう。
 しかし芝生の上で妙にリアルな顔でにらみつける蟹女を見た日にゃ、驚くったらありゃしない。だって蟹の甲羅にいきなり女性の首が生えてるんだよ~!
 あと顔だけ鶏、体が人間の夫婦がけんかしている人形とか。しかも等身大……。
 もっとも印象に残っているのは、170センチほどの自由の女神の像の2~3メートル先にある力士だ。2人のお相撲さんが化粧まわしを巻き、土俵入りの姿で向かい合っている。そして2人の中心にはなぜか台があり、実物より大きなタイガーバームが3~4つ置かれていた。そのうえ向かって右側の力士は、双子山親方つまり初代貴乃花にそっくり。
 シンガポールくんだりで何をしている親方……。
 初代貴乃花の活躍を知らない年齢だけに、私にとっては週刊誌などで騒がれた2代目貴乃花との軋轢や離婚騒動の印象が強い人だが、さすがにタイガーバームに向かって土俵入りはすまい。もしかするとシンガポールではかなり知られた男になっているかもしれないが……。
 さて、このタイガーバームガーデンで唯一、入場料を取るのが地獄巡りである。1シンガポールドル、約70円弱。
 入り口には15センチほどの人の生首がいくつもおいてあり、その様子を横目で見ながら洞窟へ。最初の人形(入場料を払っても、メインは動かない人形なのに変わりなし)は、閻魔大王だ。3メートル以上はあろうかという閻魔様が、こちらを睨み付けている。いや、暗闇の閻魔様はけっこう怖い。
 ここから先は、両脇にひたすら地獄が並ぶ。体を突き刺されている地獄や寒水地獄などなど。ミニチュアだか、照明もきちんと考えてありけっこうリアルなのだ。もっとも気持ち悪かったのは血の池地獄。赤い血の池で何人もの人が苦しみの表情を浮かべている。
 ぎゃー、なんで1ドルも払ってこんなもの見せるんだ?? 日本人観光客がいないのも当然だろう。
 しかし中国系の客は、けっこう展示物に見入っている。私の後ろには、地元の人らしい10~15人の中国系が見学していた。
 なぜ???
 これは帰国してから調べたことだが、そもそもこの地獄は中国風のもらしい。中国の地獄は、日本のように、ずーっと長い期間放り込まれるわけではない。浄化のプロセス、生まれ変わりの場所とし地獄があるらしいのだ。たしかに地獄の巡りの最後のミニチュアは、老婆から水をもらって更正する場面となっていた。
 つまりこの地獄巡りは、残忍さを売り物にした見せ物ではなかったのだ。宗教的バックボーンがあれば、浄化プロセスとして楽しめるらしい。西洋の宗教画でも、貼り付けにされたキリストの絵も多い。しかし残忍だという批判を聞いたことはない。
 地獄巡りのリアルさに「ぎゃー!」と叫んでいた私は、異文化への理解が足りぬということだろう。

■プロレス技のオンパレード

 さて、ここまで紹介した観光地(?)がお気に召さない方のために、最後の切り札を紹介したい。
 それはチャイナタウンにあるヒンドゥー寺院「スリ・マリアマン寺院」の道路を挟んだ向いにあるタイ式マッサージだ。
 60分コースで約3500円ほど。私にしてはちょっと高い。しかし日本のマッサージとはかなり違う代物なので、ぜひ試していただきたい。
 まずはマッサージ専用の服に着替える。下はハーフパンツで、上はジンベさん。女性は赤の服だった。
 このタイ式マッサージ、最初はおとなしく足つぼをマッサージされる。かかとや土踏まずが入念に押される。若干痛い個所もあるが、なかなか気持ちよい。ただ足の指を伸ばされたときは、かなり痛かった。もともと足腰が強い方ではないが、小さな悲鳴をあげるほどの激痛だった。
 しかーし、タイ式マッサージの本領は、こんなものでない。脚や腰をもまれているうちに、タイ人らしいお姉さんが、やおら私の膝の後ろに足の裏を当て、一気に引っ張るではないか! いや、そのあたりから、どんどん技は過激になっていく。まさにアクロバティック! 
 仰向けの私の背中に足を入れたと思ったら、やおら膝を立てて腰を伸ばし、さらに腕を引っ張る、引っ張る! 腰から肩までどんどん伸びていくのがわかる。なんだかプロレスごっこのようだ。淀みなく繰り出される技の数々、あらゆる部分を伸ばされ続けて1時間。
 いや、気持ち良かったッス。けど疲れました……。
 ちなみに男性もマッサージを受けられます。隣に、自分よりも大きい男性を小柄で華奢な女性が軽々と持ち上げて、体を引っ張っていたので。
 日本でも受けられるタイ式マッサージを、なぜにシンガポールで? という疑問は解けないが、たまにはマーライオンやハイ・ティーではなく、こういう変わった旅も刺激的でよいのかもしれない。 (■了)

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実録! 的屋エリート「極東会」での日々

●月刊「記録」2007年6月号掲載記事

●取材・文/イッセイ遊児

■ここ数ヶ月、暴力団組員の発砲事件が頻発している。4月に起こった長崎市長の銃殺も組から「リストラ」を迫られた暴力団幹部の犯行だった。さらに先日、愛知県の住宅街で家族を人質に立てこもり、警官を射殺した犯人も元暴力員である。4月末には指定暴力団極東会の組合員が「先輩」を射殺し、拳銃を持ったまま町田市にある自室に立て籠もった。この事件の背景には警察の取り締まりによる資金源の減少があるという。
この極東会が仕切る的屋の店員として数ヶ月働いた著者が、実際に見た極東会の現状をリポートする。

 的屋をやるきっかけは、法改正により風俗案内所が警察から目をつけられるようになったからだ。看板までも「指導」されて白黒に変わり、勤めていた池袋の風俗案内所はいよいよ暇となった。飛び抜けた文才もないわけでライター稼業で大もうけともいかず、職探しをした。その一環で、たまたま出会ったのが的屋だった。
「的屋」を広辞苑で引くと「いかがわしい品物を売る商人。→やし(香具師)」と書いてあるが、一般的には祭りや縁日で屋台をだす露天商をいう。よくお好み焼きやフランクフルトを売っている人たちである。
 的屋の求人は、たいがい店先に手書きで「アルバイト募集」などとあるものだが、たまたま見ていたガテン系求人誌に当たり前のように載っていた。
 また、やけに日給がよかったのだ。
 普通、派遣のバイトなどでは日給8000円がいいところだ。ところが的屋のバイトは1万2000円。これに大入りまでつく。現場までの交通費も支給。
 いまどきそんな待遇の仕事も少ない!
 さっそく面接に出かけたら、交通費と称していくばくかの金まで貰った。
 ただ俺が働くことになったO商店は実態のない商店で、極東会の人間を社長とする、不良の集まりだった。不良といっても喧嘩や恐喝をするわけではない。もちろん出店の仕事はきちんとする。ただ、まっとうな感覚があまりない、恥など関係ない、そんなところか。
 ある祭り会場の帰り道、堅気の的屋に質問してみたことがある。
「的屋は仕事柄、車での移動が多いですからね、免許がなければ仕事になりませんね」
 いくらアウトローだと言ったところで、日本で仕事をする以上、法律や世間体から逃れられない。色めがねで見られる分だけ的屋稼業も楽じゃないな、と思いながら口にした質問だった。
 彼は微笑みながら答えた。
「う~ん、半分は免許なんか持ってないっしょ」
 高速道路を走っていた。一瞬ギョッとしてシートベルとをギュッと握った。
「あ、僕は持ってますよ」
 彼は慌ててそう付け加えたのだった。

■極東会に2つグループ!?

 もともとヤクザと的屋は近い関係にある。
 ヤクザに博徒系と的屋系の2つが大きな主軸があるのは、その証拠だろう。その的屋系で有名なのが浅草の某団体と、俺の勤務先の社長が所属する池袋の極東会である。
 町田の事件で一躍脚光を浴びた池袋極東会は指定暴力団として認定されている。ならば極東会の的屋がすべてヤクザかというと、ここらへんは多少違うようだ。
 極東会に所属する「上司」によれば、「暴力団の極東会と名門的屋の極東会は違うんだぁー!」ということらしい。もともと極東会は的屋組織として結成されたものだ。ただ組織が膨らむにつれて博徒が増え、彼らの暴力沙汰によって指定暴力団となってしまったと「上司」は説明した。
 たしかに極東会の的屋は、その道では超名門。現在でも的屋になるなら極東会に入るのが最も近道と言われるほどである。そのプライドが暴力団と一緒にするな、という思いを生むのであろう。
「極東会は構成員2000人、準構成員が1500人。で、的屋が2000人ぐらい。だから暴力団の極東会と、的屋の極東会は組員数では互角だ」
 そう語る上司の目つきは尋常じゃなく鋭かったが……。
 俺の仕事は子供を狙った商売、寝かせたパチンコのようなスマートボールとくじ引きだった。
「金を残すなら粉ものを」
 仕事場の責任者はそう言った。粉ものとは小麦粉を使うたこ焼き屋などを指す。ただ労力がかかるそうで、俺が所属したグループはくじ引きをやっているのだという。
 さて、的屋の仕事だが、元来ものくさ者のヤクザがやる商売だけに、祭りや縁日以外の仕事は少ない。平日はほとんど仕事がなく、ただブラブラしている人間が多い。
 また的屋の仕事は季節によって多忙期も変わり、冬は暇で夏は忙しい。フリーライターもいつ忙しくなるか分からないので、できるだけ貯蓄をして、暇な時期に備えている人も少なくないが、的屋も冬は赤字になるのが常だという。つまり、平日に仕事がない上に、冬は仕事に出ても赤字で終わる。それを夏で一気に挽回する。冬の赤字分を帳消しにして、年間売り上げを黒字に変えるわけだ。
 もちろん縁日だからといって、だれでも店をだせるわけではない。場所を取り仕切る親方がいる。出店の場所は利権であり、その親分に顔が利かなければ出店はかなわないのである。出店料は関東で1店舗につき1日1万が相場で、関西では割り高の1万5000円。
 実際のところ親方はヤクザだが、形式上ヤクザ登録はされていない。ヤクザは的屋にもなれない決まりになっているからだ。しかしその売り上げは確かにヤクザ事務所に流れる。かわいらしい子供達の手から渡された小銭の山は、違法行為の資金源として使われる道を辿ることもある。

■ヤクザも静かに暮らしたい?

 どういった形のヤクザ(名門の的屋でも)にしろ、できれば静かに平和に暮らしたいと願っているのは確かなようだ。「同僚」もそんな雰囲気をかもし出していた。
 ただし組織の上層部がそれを許さない。面子が潰れる行為は御法度。また、金銭面での不利益を犯した場合も重罪として組から追われる。つまりヤクザにとっての人生の死を宣告させるわけだ。
 たとえ刑務所に入っても組が面倒を見てくれる「安心感」を選ぶか、なんの後ろ盾もない孤独な人生を選ぶか、ヤクザなりの厳しい選択を迫られているようだ。
 また最近のヤクザ稼業は実入りが悪い。今回の町田の事件の犯人は都営住宅に住んでいたと報じられ、ジャーナリストがテレビで呟いた。
「どうしてヤクザが都営住宅に住めるんだ。それが問題ですな」
 けっこう経済的に追いつめられていたとも報じられていた。ヤクザとして登録をしないヤクザも多い。となれば都営住宅への入居を禁止することはできない。
 とはいえ、いざ騒ぎが起これば身を投げて抗争事件の最前線に向かう。それがヤクザの「本性」でもある。
 学歴も、男も女も、なにも関係ない世界が、確かにそこにはあった。非常に人間くさいところだ。
 家族ぐるみの的屋では、おばあちゃんがゆっくりとした時間の中で仕事をしている。絶望工場、絶望会社とは180度違う世界が広がっている。
 ひとつだけ誤解のないように言っておくと、的屋にも純粋な商売人としての的屋もいる。一応商売の基本は学べるので、アルバイトをするのも悪くない。
 俺は仕事が終わった後、永遠と続く遊びに堪えられなくて仕事を辞めたが、今の日本では、当たり前のアルバイトをするよりも、的屋のほうがずっと気楽で、金も儲かる。あとはアルバイトをする会社を、きちんと確かめてからやるならば、なんの問題もない、たぶん。 (■了)

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奨学金制度が告げる経済崩壊の足音

●月刊「記録」2007年5月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

「いざなぎ越え」などと言われる一方で、多くの自治体で生活保護の申請が増えるなど、苦しい生活状況を伝えるニュースが耳に入ってくる。生活の豊かさを端的かつ正確に表す指数があるわけではないから一般市民の生活が「豊か」に向かっているのか「貧しい」に向かっているのかどうもハッキリとは分からない。
 今年1月の朝日新聞にこんなタイトルの記事が載った。「奨学金返還、督促を強化 法的措置予告1万件」。記事は奨学金の返済が滞っている人が急激に増え、それを受けて滞納者に対する「取り立て」が強まっていることを伝えている。
 国民全体の生活を表すまでには及ばないが、今や大学生の25%が利用するという奨学金制度に注目することによって、ちょっと変わった角度から現代ニッポンの豊かさが見えてきそうだ。
     *     *     *
 一般的に「奨学金」という言葉が指すのは旧日本育英会、現在の日本学生支援機構(以下、支援機構)が運営する奨学金制度である。先に「大学生の25%」と書いたが、正確には支援機構が奨学金を扱う対象は政令で定められており、列記すると大学、大学院、短期大学、高等専門学校(高専)、専修学校(専門学校)である。旧育英会時には高等学校(高校)の奨学金も扱っていたが、現支援機構の創設時に各都道府県に移管された。ただ、奨学金の制度そのものは基本的に旧育英会のものを踏襲することになっており自治体ごとに特色などは出ないようになっている。

 新宿区市ヶ谷にあり、防衛庁の施設に隣接する支援機構でお話を聞かせていただいた。
 支援機構の建物の中では人が慌ただしく歩き回っていた。聞いて納得したのだが、支援機構が1年のうちで最も忙しくなるのは新しい年度を迎える3月から4月にかけてであるそうだ。
 平成18年度に支援機構が奨学金を貸与した合計人数は約100万人にのぼる。
 学種別の統計で最新版である平成17年度では、全大学生約272万人のうち59万人以上が貸与を受けている。これは3.9人に1人が奨学金を受けている計算になる。大学院生に至っては2.5人に1人が貸与を受けている。
 さて、奨学金の延滞者だが、尋常ではない増え方をしている。「支払い督促の申し立て」を予告した件数が06年度は1万件を超えたそうだが、これは前年度の2倍、2年前に比べてなんと20数倍であるという。
 支援機構・制作企画部の吉田さんが言う。
「ものすごい件数の滞納なので驚かれるでしょうね。支援機構では返還を送らせることができる返還猶予制度がありますが、この制度を利用しようとしている人たちから、返済が滞る理由について01年と06年にアンケートを行いました」
 アンケートの結果を見せてもらいすぐ気付いたのは、01年度に比べて06年度では「無職・失業」を理由としている人の割合が6.5%から20.3%へ格段に上がっているということだった。
「私たちは社会の状況について語る立場の者ではないですが、奨学金を利用された人に限って言えば、社会に出た後でもなかなか生活が厳しいという実態が浮き彫りになったのではないかなと思います。滞納している人たちが悪いと決めつけるのではなく、返したくても返せない人たちにしっかり話を聞いて、その内容に基づいて返還の猶予をとりながら返していただきたいと思っています。ただ、返せるのに返せないという場合。それはこちらとしても厳格な態度で臨んでいかなくてはいけません」。 支援機構内部には返還促進課という取り立て専門の部署がある。ただ、約500人の所帯である支援機構だけではすべての返還を管理することはできない。なにしろ返還中である人は現在200万人にも達する。
 滞納金を集める業務は民間のサービサー(債権回収会社)に委託している。電話で催促をする業務や口座引き落としができなかった人のデータをまとめたりする業務である。クレジットカード会社の手法とほぼ同じだと考えていい。
「支払い督促の申し立ての予告を聞いて慌てて連絡してくる人は多いですよ。実際に督促手続きで裁判所で会ったとき、支払い能力があるという人もいます。でも、ほとんどは返還金を支払うことができない人が多いんです。厳しいんです」
 日本中の所帯のフトコロ事情が透けて見えるような何とも重苦しい吉田さんの言葉である。

■奨学金は奨学金で回る

 06年度、支援機構における奨学金の事業費総額は7810億円に上る。第1種(利子なし)と第2種(利子つき)では実は財源の質が少し違う。第1種は政府からの貸付金と返還金。第2種は財政融資資金と財投機関債、そして返還金。一般の投資家に向けた機関債が組み込まれているのは意外だ。
 大別すれば国の財源と返還金に分けられる。つまり返還金があってこそ奨学金が毎年回転していくことができる。
「奨学金は『循環運用』なんです。返還金が正常に集まらなければ、本当に経済状況が苦しくて就学が難しいという学生を支援できないという一番悪いことが起こってしまうことになりかねませんよ。ここが基本なんです。憲法でも保障されている誰でも教育を受けることができる権利を制度の面からフォローしていかなければならない、これが奨学金の根本です。私たちが適切に貸与していくためにも、なんとかして回収は行っていかなければならない。ただ、それが難しい人もいる。難しいところですね」

 日本学生支援機構が運営する奨学金以外にも、日本には数多くの奨学金制度(スカラシップという名がつけられていることも多い)がある。
 地方自治体が運営する返済の義務がない給与型の奨学金、新聞配達を続けることを条件に学費の支払いを支援してくれる新聞社の奨学金制度、中には日本とハワイの大学院生を互いに派遣し、「相互理解」と「友好親善関係の推進」が目的である皇太子奨学金などというものもある。
 一般企業が運営するものも多くある。松下電器産業株式会社がアジア諸国から日本への私費留学生を支援する「パナソニック・スカラシップ」がその一例。海外へ渡るといえば、アメリカの政治家ジェイムズ・ウィリアム・フルブライト(1905-1995)が創設したフルブライト奨学金が有名。優秀な人材の交流を目的に日本で約6500人、全世界で約20万人がこれまで制度を利用している。
 実に様々な奨学金があるが、多くは返還の義務があるものである。もし返済の滞納が大幅に増える日本学生支援機構のようなケースが常態なのであれば、奨学金制度そのものが危機に瀕していると言えるのではないか。
 交通事故や病気、自殺などで親をなくした子どものための奨学金制度を運営するあしなが育英会は前身である「交通事故遺児を励ます会」を経て93年に発足した。「交通事故遺児を励ます会」は共に交通事故で肉親を亡くした岡嶋信治(当時24歳)さんと玉井義臣(当時32歳)さんが中心となって1968年に立ち上げた団体だ。
 あしなが育英会の職員の方は言う。
「たしかに、以前に比べると返済が若干滞りがちなのかなという感じはしますが、それでも返還率は94%前後はあります。寄付金が中心となって運営されている奨学金へのありがたみからなのでしょうか、ちゃんと社会に出た後にちゃんと返済はされていますよ」
 あしなが育英会の最新の収支報告(05年度)を見ると、年度収入28億円のうち20億円が寄付金収入である。さらに内訳をたずねたところ、「あしながさん」と呼ばれる支援者が8億円、年2回の街頭募金で2億6000万円が集まっている。意外といえば失礼だが、街頭募金でそんな大きな額が集まっているとは予想だにしなかった。
 寄付金収入には企業からの寄付もあるが、割合としてはやはり企業以外からがほとんどを占めるという。まだまだ世の中捨てたもんじゃない。
 ただ、やはり見通しは明るくない。高校生以下の奨学金制度が自治体に移管されたことは書いたが、06年度の神奈川県では高校生の奨学金申請が急増したため、奨学金を受け取ることができなかった学生が相次いだ。もちろん背景には低迷する家庭の経済状態があるのだろう。
 支援機構の吉田さんがこう強調していた。
「学生は、これからの日本をしょっていかれるわけですから。彼らの生活を支援するのが奨学金。奨学金が回っていくためには、その恩恵を受けた人たちがあとの世代のことを考えてしっかり返還してほしい」
 景気が回復したといえるのはまだ先である。 (■了)

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出版人養成スクール・苦境?か盛況か? 日本エディタースクールの過渡期

●月刊「記録」2007年3月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 編集者を養成する学校として日本エディタースクールが開校したのは1964年。以来、編集者のみならず、校正者、デザイナー、ライターなど「本づくり」に関わる職能の確立を目指して、多くの人材を輩出してきた。
 実は、この原稿を書いている私もエディタースクールに通っていた。昼間部の総合科1年課程に通い、秋から夜間の「ジャーナリズム文章コース」に通い始めたのだった。
 最近、エディタースクールで同期だった知り合いに会ったとき、「エディタースクール、なんか生徒が減ってるらしい」ということを聞いて驚いた。
 わずか1年のあいだ通っただけだったけれど、レイアウトの基礎から校正の実習、印刷の知識、本作りにおける原価計算、『創』編集長・篠田博之氏が教壇に立つ雑誌論など内容は濃かった。ムチャクチャ勉強した! とも言い切れない私だが、通うことで得た知識は編集の現場で無意識のうちに役に立っていたりする。
 多くの出版人が学んだエディタースクールが危機に瀕しているのかもしれないという。もしそうなのだとしたらその理由は何なのか。修了生であることだしそんなに邪険には扱われないだろうという図々しさを武器に、話を聞かせていただくため水道橋に向かった。
 取材には稲庭恒夫代表取締役に受けていただいた。通っていた頃から何度もお目にかかってはいたが、お話させてもらうのは今回が始めてだ。
 稲庭代表は70年の始めにまだエディタースクールが市ヶ谷にあったころに入学し、修了後の73年頃からすぐにエディタースクールで働きはじめた。以来30年以上。この学校を知り尽くした男なのである。
「昼間部の受講者数が減っているというのはたしかです。ただ、これが原因で少なくなった、というのはハッキリとは言えないですね。喋りづらいというんじゃなくて、何が原因で何が結果だ、というのが簡単には結びつけられないと思うからです」。
 とは言いつつも、出版に対する魅力にはかげりが見えるかもしれないと稲庭代表は続ける。
「出版が魅力のない仕事になったというわけではないです。ですが以前と違い、自分の表現を活字に載せるという欲求は、書籍や雑誌でなくブログという形でも仲間内であれとりあえず満たすことができるようにもなりました。読む面でも、電車の中を見れば分かる通り、本だけでなく携帯やゲーム機といったものが普及してきている。生活の中で本にあてる時間が少なくなったんだとしたら、相対的に本に携わる仕事に就きたい、という人が減るのはあり得ることだと思いますよ」。

■出版社からの求人は増えている!

 専門学校や講座に通う人には、その場で職能を身につける目的とともに「就職への道」を期待する面もある。逆に言えば、就職への道へ繋がらない専門学校は魅力的とは言えない。
 私は、生徒数が減った原因として出版者側からエディタースクール受講生への求人数の低下があるのではないかと考えていた。入学説明会などで見学者が求人数について質問する。思っていたより少ない求人数であることを知り、「ここじゃ就職できないかも」と判断して入学を見合わせる……。ありえない話ではないだろう。
 しかし、実際はそうではなかった。むしろ増えていた。「求人数は増えていますよ。学校の初期のころは年間で20件ぐらいだったと思いますよ。今は、だいたい160件は来てる」。
 160という数字には驚いた。なにしろ昼間部の総生徒数を優に上回る数だ。出版社や編集プロダクションからの求人を集めたカタログを見せてもらった。ものすごく分厚い。出版人を目指す人にとっては宝の山に見えるのではないだろうか。しかも、アルバイトとしての募集もあるが正社員としての募集のほうが格段に多い。
 狭き門と言われる出版社への道だが、この求人票の束を目の前にするとさほど入社は難しくないように思えてくる。
 ここはアピールの意味でも書いて欲しいところですよ、と稲庭さんがちょっとばかり自信ありげに言う。
「朝日新聞に求人広告を打ったりハローワークに出したりするらしいけど、なかなかいい人材が来ない、という声を出版社さんから聞くことがありますね。中途採用で採ると、それまで在籍していた会社で固まっていた経験がアダになることもある。昼間部での話ですが、一部の技術に特化した人ではなく、本づくりに関わることを全般的に勉強してきたエディタースクールの生徒は採用する側にとって理想的な人材となるようです」。
 これも意外な事実だった。経験があればあるほどいい、というわけではなく、ちょうど土が耕されたような状態にある人材のほうが、使う側としてはありがたいのだ。

■こんな業界から校正研修の依頼が

 エディタースクールには月曜から金曜、朝から夕方までみっちり学習する昼間部の他に、書籍制作、DTP、文章などを扱う専門的な講座もある。多くは夜間に開講しており、出版社の社員や転職を考える社会人などが多く通う。
 そのうちの一つである校正コースは目玉講座のひとつである。エディタースクールが主催する校正技能検定は1966年から開始され、出版では少ない技能検定のひとつとして広く認知されている。つまり、エディタースクールは校正講座の本場なのである。
 かなり意外なセンではあるが、ここ数年では保険会社から校正の技術習得のための研修を依頼される機会が増えているのだそうだ。「保険会社」と「校正」がどうも上手く繋がらなかったが、事情を聞いて納得した。
「保険の契約文書などでは、間違いが許されないうえに大量の文字がつかわれていますよね。文書の中にあるわずかな表記の誤りのために保険会社が大きな損失を被るという可能性だってあるわけです。いわゆる『事務リスク』ですが、それをなるべく避けるためにちゃんとした校正の研修をしてくれ、と頼まれることも最近では増えてきています」。   
 校正の技術が求められることは学校側としても願ったりではある。だが、稲庭代表はこうした動きの中に、顧客に対し過度に神経質になった商業サービスの一面を見る気がするとも言う。
 少し前、稲庭代表の親族がある施設に入居することになった。その際に手続きに必要な書類の束を見て驚いたという。
「施設に入るだけ、というわけじゃないけど、こんなに多くの書類に目を通すものなのかと思いましたよ。私がそう言うと、施設側の人も少し疑問に思ってるらしく、『以前はこんなに必要なかったけどなあ』と言っていた。」
 契約の食い違いによるトラブルに対し敏感になり、それが書類の量を増やすのか。ふと思えば、不動産契約や雇用契約にもあてはまるような気がする。
 そして、それらの重要な書類の間違いによる『事務リスク』を回避するために、校正の技術が求められる。これは時代的なニーズ、といっても大袈裟ではないのではないか。
 現在開講している校正講座も受講生の数は上々のようだ。昼間部の受講生が減ってはいるが、ここでは校正がそうであるように時代の変化とともにエディタースクールでも求められるものもが変化しつつあるようだ。

■就職のためのマスコミ講座

 ここまでエディタースクールのことについて書いてきたが、それだけでは出版人を目指すためのあらゆる講座が全体的に下火になっているのかどうかといったことは分からない。「出版の仕事をしたい」という意識を持つ人はやはり相対的に減少しているのか。
 現在早稲田セミナー・マスコミ出版講座の専任講師である塚本靖彦さんは、主に大学生を対象に自身の講座から新聞社、出版社、広告代理店など、マスコミ業界において驚異的な数字で内定者を出し続けている。
「編集人」「出版人」を目指すエディタースクールと「マスコミ人」を目指す塚本講座では若干スタンスが違うところもあるが、業界に人材を輩出するポンプの役割を果たす点では同じである。
 金髪に長い髪、ピンクのセーターというハデな出で立ちである塚本さんは元『週刊女性』副編集長、『JUNON別冊』編集長であり、宮崎勤事件や雲仙普賢岳に関する報道など多くの取材記事を10誌以上にわたり書いてきた経歴を持つ。自身が担当する講座では07年度入社の業界内定者は57人、103社に上る。マスコミ講座についてこう切り出した。
「この講座は完全に就職を目的としてます。こんな仕事をしたい、マスコミに就職したいという意識が以前と比べてどうなのかとおっしゃいますけど、いつの時代でもはじめからやる気に溢れている受講生は少ないと思います。だからこの講座に通う人には初めから原稿を書く技術を教えたりせず、まず徹底して『マスコミでやっていく』意識を変えようとしてますよ。どうすればマスコミに入れるのか。どういう視点で物事を見ていくことが必要なのか。競争を勝ち抜いてマスコミに入ったとしても、その後も争いは続くわけですらね。その中でやってくには『給料なんてどうでもいいからマスコミの仕事がしたい』という意志が必要になるわけですよ」。
 成績により受講生をクラス分けし、授業はスパルタ。就職試験は戦場と言わんばかりの勢いである。
 どことなく「自主性」を重んじるように感じられるエディタースクールと、受講生を「叩き上げる」タイプの早稲田セミナー・マスコミ講座。同じ出版関係の学校・講座では指導の性格がまったく異なることに気づく。
 いずれの道を通るのであれ、後に出版・マスコミで生きていけるまでに成長するのは容易ではないが。(■了)

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まだ続けるべき? サッカー疑惑の祭典・トヨタが糸を引くクラブW杯

●月刊「記録」2007年1月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 競技人口2億4000万人(FIFA発表)とも言われ、地球上で最も親しまれているスポーツであるサッカー。
 国別でチームを組み、4年に1度世界一の座を争うワールドカップが06年にドイツで開催されたことは記憶に新しいが、クラブチームによる世界一のトロフィーをかけての闘いは、毎年この日本で行われている。
 通称トヨタカップとして1981年から行われていた大会では、欧州王者と南米王者が「第三国」である日本で激突し、勝者がクラブチーム世界一となっていた。しかし、05年からはさらにその規模を拡大、欧州と南米の王者のみならず北米、アジア、アフリカ、オセアニアの王者が加わることになった。
 日本で開催されることになり、トヨタカップと呼ばれるようになったのは1981年からだが、大会そのものはインターコンチネンタルカップとして1960年から存在していた。
 60年代の設立当初は欧州王者と南米王者がホーム・アンド・アウェー方式でゲームを行っていたが、特に南米で行われる試合では観客が過剰にヒートアップし危険が伴い、またクラブ側の経済的、スケジュール的な負担も大きいことから、81年から中立的な場所ということで日本で1戦のみ、世界一決定戦が行われることになったのだ。
 05年大会からはFIFA(国際サッカー連盟)主催のクラブワールドカップ(2000年に第1回が開催されるがその後中断していた)と統合する形で「クラブワールドカップ」(以下クラブW杯)を正式名称としている。

 さて、05年から欧州と南米以外に4つの大陸の王者がクラブW杯に参加することになったわけだが、どうも4つのチームが新たに加わる意味が見いだせない、というのはひねくれた見方なのだろうか。
 現在という時代ではスポーツイベントの価値が経済効果で計られ、オリンピックの運営でさえ放映権料やスポンサー効果といった話題から切り離せないものになっているのは言うまでもない。とはいえ、クラブW杯では参加地域の拡大に乗じ、トヨタがブランドのアピールの場としてサッカーを利用しようという魂胆があまりにミエミエだろう。
 新たに加えるチームが、呼ぶに値するチームなのか、というと必ずしもそうでないからだ。4つのチームにはなんとアマチュアのチームまで含まれている。オセアニア代表のオークランドシティ(ニュージーランドのチーム)は、ニュージーランドにプロリーグがないためアマチュアなのである。「アマチュアで何が悪い!」と思われるかもしれないが、今回は実現しなかったとはいえ、オークランドシティとスーパースター・ロナウジーニョ率いる欧州王者・バルセロナが闘うことになればそれは“イジメ”になってしまう。ロナウジーニョは今回の来日で日本サッカー協会から依頼され、イジメ問題吹き荒れる環境に生きる日本の子供に「生きろ、生きろ、生きろ。強くあれ。自殺なんかするな」という感動的なメッセージを送っているのだが、バルセロナ×オークランドが実現していれば、それ自体がイジメだ。
 実際ではそのカードが実現しないようにトーナメント上で両者は最も遠い位置に配されているのだが、なんだかそれも「配慮」というよりは「ウソくさい」感じがする。
 幸い、大会ではバルセロナのスペクタクルな快勝劇あり、ブラジルの超新星・アレシャンドレの鮮烈な世界デビューありで観る価値は結果的にあったのだが、サッカー誌の扱いは限りなく控えめ。あくまで欧州で行われているチャンピオンズリーグが話題の中心。不気味なのは、大会自体の批判記事が少しくらいあってもいいものなのに、どの媒体にも見あたらなかったことだ。
 何よりも引っかかるのは、表記されることのなかったスタジアムの名前である。トヨタカップだった2002年の頃から決勝は横浜国際総合競技場で行われてきたのだが、このスタジアムは日産自動車がネーミングライツ(命名権)を取得、05年より呼称を「日産スタジアム」としている。しかし、この大会中はその名前が出ることはまずなかった。スポンサーであるトヨタの前で日産の名前を出すことなどできない、ということなのだろうが、全くサッカーと関係のないところでそんな力関係が存在するのが現代のスポーツ、と割り切るべきなのだろうか。
 現在、07年度まではクラブW杯は日本で開かれることが決まっているが、その後のことは決まっていない。
 一説では、欧州にトッププレイヤーが集中する現在の傾向を回避し、これまで以上にいろんな地域に注目を集めて貰うために参加国を増やしたという見方もあるが、広告費と世界一の競技人口、という費用対効果を十分に考えたTOYOTAは、スポンサー名を大会名の冠に置き続けるのだろう。(■了)

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福井と埼玉の住環境は天と地か?

●月刊「記録」2005年65月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 経済企画庁が作成した「新国民生活指標」は、はじめて発表された92年からその存在が疑問視されていた。
 全都道府県を対象にしたこの指標は、約160項目の生活に関する統計を、「住む」「育てる」「遊ぶ」など8項目に分類し、ランキングで表したものだった。例えば1998年に「働く」の項目で1位の鳥取は、労働災害発生率が全国最低、中高齢者就職率は2位といった具合だ。指標が物議を醸した原因は、経済企画庁がこれを「豊かさ指標」と位置づけるとしたからだ。当然のように「豊かさは数字やランキングで測ることができるようなものではない」といった批判が相次いだのだった。
 例えばテレビの視聴率が「ある時間ごとにどの番組が多く見られているか」を集計したしたものであって、「どの番組がいい番組なのか」を示すものではないことは明らかだ。「いい番組」かどうかは数字で表せるものではない。その同一線上に「新国民生活指標」に対する批判は位置するもので、的を得ているとも思う。 
 しかしそれを頭に置いても、この「豊かさ指標」には簡単に見過ごせないものがある。なにしろ福井県は総合ランキングのトップを5年連続、埼玉県はワーストを6年連続で独占、独走し続けたのだ。この結果をそのまま受け入れれば、この2つの県の住環境の差は天と地ということになる。
 同じ国内で、それほど隔たりがあるのか? 私は生まれてから18年間を福井で、それから後の7年間を埼玉で過ごしている。それでもはっきりとした実感はない。本当に福井が「最高」で埼玉が「最低」なのか?
 よく思い出せば、福井から埼玉に出てきたとき、私は感激していたのだ。天候に関してである。福井県は年間を通しての日照時間が全国で最も少ない土地だ。特に冬の間はずっと重い雲がのしかかっている。何ヶ月もの間、どんよりした空の下で暮らすことが当たり前だった私が埼玉に来て驚いたのは冬でも洗濯物が干せるということだった。
 東京や埼玉は福井に比べて雨や曇天が極端に少ない。豊かであるというイメージに雨は似つかわしくない気がするが、この指標に天候はまったく反映されていない。
 項目別に見ると、埼玉と福井の差が最も両極端にあらわれたのが「遊ぶ」だ。「遊ぶ」はスポーツ施設数、映画館数、パチンコ店数など細かな項目をもとに成っている(パチンコ店が多いほど豊かであるというのだからほんとうにひどい統計だ)。この項目で福井はおおむねトップ3、埼玉はワースト3に入っている。たしかに福井には映画館やスポーツ施設が整っている。新しいものが多いし、管理もしっかりしている。ただし、それらを活用する利用者がいるかというと、実はその数はかなり少ない。映画館は休日でも閑散としている。関東の都市部にあったなら砂糖にアリが群がるようなスポーツ施設にも人がいない。驚くほどいない。施設はあるけれど利用者がいない、なんとも寂しい場になっているのが現状だ。「遊ぶ」にパチンコ店数が項目にあるのは先に述べたが、他にレンタルビデオ店の数も項目に含まれる。「遊ぶ」指数が上位であることは福井にパチンコ店やレンタルビデオ店が多いことを物語っているが、これは福井のテレビ環境が大きく関係している。福井はもともとテレビ番組数が少ない(NHK、教育と民放2局のみ!)ので、人々はレンタルビデオ店に向かう。同じ要領でパチンコ店にも足を向ける…これって「豊か」だろうか?
 「学ぶ」ではどうか。この項目は大学進学率や定時制高校数、民間の学習セミナーの開設数などで成るが、真っ先に思い浮かぶのは福井の学習塾や予備校についてだ。関東ならばそれらの類は5分も歩けば必ず見つかりそうなものだが、福井には塾は少なく、予備校に至ってはほとんど選択肢がない。選択肢が限られていることは致命的に思えるが、この項でも福井は上位、埼玉は下位にランクしている。
 こう書いていると、じゃあ福井はダメな場所なのか、となってしまいそうだが、そうでもない。福井は夜がものすごく静かなのだ。それは、働く人が早く家に帰ることができている、ということでもある。午後8時には駅前ですらシャッター下ろす店が大半だから、自然と人も車も通らなくなる。タクシーさえめったに通らない。県道など比較的大きな通りでも、9時を過ぎれば眠ったように静かになる。
 夜の静けさがあってこその豊かさ、というわけでもないのだろうけど。(■了)

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日中友好の象徴はどうなってる!?

●月刊「記録」2005年5月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 中国・韓国で反日デモが吹き荒れている。テレビニュースの映像を見る限り、みんな本気で怒っているようだ。戦後、少しずつ積み上げてきた両国との友好関係が吹っ飛びそうな勢いではないか。
 大変だ! 本誌編集部としても状況を把握しなければならない。とはいえ海外に行くカネなどない。で、とりあえず日中友好の象徴を取材してきました!

 中国との友好の象徴といえばパンダである。
 思い起こせば1973年、警備員から「立ち止まらないでくださーい」と怒鳴られ、人波にもまれながら上野動物で初めてパンダを見たのであった。よく見りゃ熊だが、当時、幼稚園生だった私は白黒ツートンとタレ目模様に熱狂した。しかし日中国交正常化を記念して譲渡されたカンカン・ランランを見てから32年をへて、日中の危機を探るために上野動物園のパンダを再訪するとは、なんという歴史の皮肉であろう。
 はやる心を抑えてオスの小屋に近づくと、リンリンは背中を向けてうなだれていた。丸めた白黒の背中は微動だにせず、何分たっても振り向く気配すらない。リンリンはただただ壁を見続けていた。日中友好の象徴はやはり元気がなかったのである。日中関係が相当にこたえているのだろうか。
 それならばとメキシコのチャプルテペック動物園から繁殖のためにレンタルされているシュアンシュアンの小屋に歩を進めてみると、背こそ向けているものの元気に動いていた。在日メキシカン・シュアンシュアンに反日デモは関係ないようだ。
 ただ調べてみると、リンリンがうなだれている原因は日中関係だけではないらしい。シュアンシュアンのレンタル期間が今年までのため、人工授精に失敗すると19歳と高齢のリンリンが独りで老後を過ごすことになってしまうのだという。
 全世界で飼育されているパンダは168頭。そのうち中国国籍(?)以外のパンダはわずかに5頭。リンリンは日本国籍を持つパンダだが、中国籍のパンダと交配して生まれた子どもはすべて中国籍なってしまう。そのため中国籍以外のパンダとの子どもができなければ、日本国籍のパンダはいなくなってしまうのだ。
  「(リンリンの相手が)今年以降もレンタルされるのかはわかりません。お金を出せば貸してくれるとは思いますが、現在は予算もありませんので」とパンダの飼育係員は沈痛な声で応えてくれた。
 ではランラン・カンカンのように中国から譲渡されることはないのだろうか?
  「最近は中国もパンダの譲渡をしなくなっています。パンダを保護するために貸し出すことはあるようですけれど……」
 リンリンが高齢で必ずしも繁殖に適さないことを考えれば、今後レンタルのお相手がくるかは微妙だ。それどころか高齢のリンリンがいきなり亡くなる可能性すらある。そうなったらどうにかレンタル料を都合できても、中国はパンダをレンタルしてくれるのだろうか? かつて「パンダ外交」という言葉があったように、パンダと政治は浅からぬ関係がある。飼育係の方も「譲渡のときは日中関係の悪化にはヒヤヒヤしました」と語るほどなのだ。
 うーん、思っていた以上に深刻である。日中関係が冷え込むなか、日中友好の象徴が上野で滅亡の危機にされていたのだ。
 ところでみなさん、パンダのいない上野なんて耐えられます?(■了)

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公衆電話はどこへ行く

●月刊「記録」2005年1月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 最近、公衆電話を使いましたか? 急に電話をかける用ができた時、携帯電話を持たない人に必需品である公衆電話が減っている。見つけるのにひと苦労した経験が一度や二度ある人も多いはずだ。
 2001年にNTT東日本、西日本合わせて68万635台だった設置数が、03年には50万3135台と約18万台減っている。1985年から2001年までの減少数は1万台から数千台という単位で減っていたが、02年以降はケタ違いに激減している。
 公衆電話には第一種と第二種があり、第一種は「ユニバーサル(すべての人のために提供される)サービス」の観点から最低限設置しなければならず、市街地では500m以内に1台。その他の地域では1km以内に1台設置しなければならない。
 第二種は需要が多いところに設置する電話で、NTTの判断や自治体の要請があった場所にNTTが設置を決める。
 冒頭のように必要時に見つからない状況が生じる理由は二種の減少だ。一種は減らせないが「500メートル以内」は案外と広い。過去の「どこにでもある公衆電話」の要件を満たしていたのは二種の存在と推定される。
 さてサービスは提供する側と受ける側の利害が一致して成り立つ。二種は需要の多寡で利害が決まるが、老若男女問わず携帯電話を持ち、いつでもどこでも電話をかけられる今の状況では「需要」の低下も無理はなく、携帯のシェアが拡大し続ける限り、公衆はさらに減少しよう。昨日あったところに今日はない、ということが起きても不思議ではないし、公衆電話を探して右往左往する状況が今より多くなることも間違いなかろう。
 実はこれ以上減らすとまずい理由がある。災害時の連絡だ。新潟県中越地震の際に携帯が輻輳(掛ける人の殺到)してかかりにくくなったが公衆はつながるのだ。
 現在、公衆電話は3種類ある。おなじみの緑の電話、灰色の電話、さらにIC電話である。灰色とIC電話はモデム機能搭載(ISDN)なので、モバイルと接続すればインターネットも出来る。
 特に異彩を放っているのがIC電話だ。1999年に登場して当時社会問題だった偽造テレホンカード対策としてセキュリティ重視の作りになっている。さらにNTT東日本の広報担当者によると「Lモード」も利用できるという。Lモードとは携帯電話に革命をもたらしたiモードの家庭用電話機版で、いつも使っている電話機でEメールの送信、ネット検索ができてしまう便利な機能なのだ。ただしIC電話から利用するには相手がLモードの契約をしていることが条件なので、どこまでメリットはあるか疑問である。国際電話もかけられる意外とお得な電話機だが、利用者をあまり見ないのは寂しい限りだ。 進化を続ける携帯電話の裏側で、台数が減っても、隣で携帯が使われていてもめげることなく、ひっそりたたずむ公衆電話。だが便利な携帯との併用方法がある。まず携帯料金の支払いに頭が痛い人は、携帯への電話は携帯からかけ、家や会社などにある固定電話へかけるといった使い分けをすれば、結果的に通話料金が減り携帯料金の節約もできるはずだ。
 さらに怒られそうな上司への報告や気が重いクレーム相手へ掛ける時にわざと公衆を使うという手もある。そうすればテレホンカードのように度数が減っていくことがない携帯電話と違って、0になると通話が強制終了されてしまう公衆電話相手にそう長く話し続けると言うことはしないだろう。
 確かに携帯電話のほうが使い勝手がよいが、公衆電話も使い方次第でとても便利なツールに変化するのである。ここはもう一度、公衆電話に光をあてるのもよいのではないだろうか。意外と喜ぶかもしれない。

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開かずの踏切を「高齢者疑似体験セット」で渡ってみた

●月刊「記録」2003年11月号掲載記事

●取材・原稿/本誌編集部

 10月10日、80代の男女がJR中央線武蔵小金井駅(東京)近くにある本町踏切を渡りきれず、警備員が電車を止めたという。2000年には交通バリアフリー法も施行され、高齢者などに対する交通機関の配慮が叫ばれるなかでの大失態である。
 この踏切が高齢者にとってどのようなものかを調べるため、高齢者の動きを体感できる「高齢者疑似体験セット」を新宿区の社会福祉協議会からお借りし、34歳の私が現場に出向いた。
 まずは疑似体験セットを装着せずに、普通に踏切を歩いてみた。開閉時間19秒だったため、途中から走らざるを得なかったが、遮断機が閉まる前に渡り終えるのは難しくない。ただ人・自転車・車がいっせいに走り出すのが、若干怖く感じる程度である。ついでに踏切の脇にある跨線橋も渡ってみたが、これは何のストレスもなかった。運動不足とはいえ、34歳の健常者の私にとっては日常生活の一部であった。
 そして、いよいよ「高齢者疑似体験セット」を装着した。
 肘・膝・足首の関節が曲がりにくくなるよう強力なサポーターで固定する。さらに左右の手首に、0.6キロずつ重りを巻き、足首には1.5キロずつの重りを、そのうえ高齢者の前傾姿勢を体験するため、胸に計5キロもの重りを突っ込んだベストを着込む。1人で装着すると約15分もかかるこの重装備は、重りも含めると10キロを超える。ただ立っているだけなのに、ふらついてしまう。
 そのうえ、高齢者の視力を再現した特殊ゴーグルが視覚を一変させる。視野が極端に狭いうえに、オレンジ色に変色した世界は細部がぼやけ、少しでも暗いと見えにくい。おかげで距離感がうまくつかめない。
 さあ、踏切にチャレンジである。足腰が不安定な分、緊張感はいやがうえにも増す。
 上り電車が踏切を通過した。すでに5分以上踏切を待っている人々の視線が、電車の通る方向を示す赤い矢印に注がれる。下りを示す矢印は点灯していない。これで再度下りが灯らず、上りの矢印が消えれば踏切は開く。金曜日の午前8時半。多くの人にとって踏切をノンビリ待っている時間帯ではない。「矢印、つくなー」という声にならぬ呪詛が、背後から聞こえてくるようだ。
 と、上りの赤い矢印が消え、一瞬の間をおいて警報音が止まる。
 きたー! 開門!!
 ゆっくりと上がり始める遮断機が頭の高さを超えた人から、いっせいにスタート。道の中央、黄色と黒に塗られたポールの先端にいた自転車が満を持して飛び出していく。道路右側、緑に塗られた歩行者優先の路肩を、私は前の自転車に続いて渡り始めた。
 しかし、私の体はひたすら重い。武蔵小金井駅にほど近い本町踏切、通称「開かずの踏切」は、「高齢者」となった私にとって戦場だった。次いつ開くかわからないだけに、開いたチャンスを逃すまいと、後からは猛スピードの自転車がトロトロ歩く私を追い抜いていく。前からは待ちくたびれてエンジン全開の車が。さらに遅刻に焦っているのであろうか、女子高校生が小走りで私の横を通りすぎる。
 こんなのが全長35メートルも続くのである。いや、本気で怖い。
 計4本の線路は、微妙な段差があって足を取られやすいし、なるべく邪魔にならないように右側に寄りすぎれば、舗装された踏切から線路の砂利に落ちそうになる。
 冷や汗をかきつつ反対側にたどり着き、ストップウォッチを止めると28秒もかかっているではないか。ちなみに前日の調査と付き合わせると、午前7時10分から10時13分の3時間、計27回開いた踏切のうちの15回しか時間内に渡ることができない。踏切の開閉時間の短い時間帯ともなれば、8時42分に40秒間開いたのを逃すと、9時27分に36秒開くまでの45分間は、高齢者は安全に踏切を渡れないことになる。

■警報機に驚き、高齢者のままダッシュ

 そもそも発端は、中央線沿線の住民を大混乱に陥れた9月28日の高架工事だった。高架の線路を造るため、都内の三鷹-国分寺間の上り線を仮の線に移動。ところが、下り線は元の位置の線路で走っているため、踏切を渡る距離は14.5メートルから35メートルへと倍増したのである。距離が延びれば、早めに警報機を鳴らす必要もあり、工事前でさえ開かなかった踏切が、いっそう閉まりっぱなしとなった。
 JR東日本は、工事後から距離の延びた踏切に警備員を配置しただけで、どうにかなるだろうと踏んだらしい。しかし事故は頻発する。先述した通り、10日には高齢者が踏切の内に取り残される。JR東日本は、踏切中央に渡り切れない人用の避難所を仮設し、折りたたみイスを2脚置くことにした。
 しかし15日には、取材した本町踏切の駅を挟んで東側にある小金井街道踏切で、遮断機が上がったさい警報機が鳴っているのに踏切内に進入した2台の車が、踏切内に取り残される事態となった。さらに翌日にもトラックと乗用車の2台が踏切から出られなくなり、電車を4分間停車させた。そして17日には、この小金井街道踏切を歩いて渡っていた70歳の男性が、慌てて渡ろうとして転倒。すねを骨折して救急車で運ばれたのである。
 踏切で転んでケガと聞いて、高齢者が慌てるからだと感じる読者もいるかもしれない。しかし、「高齢者疑似体験セット」ですっかり高齢者を体感した私にとって、そんな物言いは暴言にしか聞こえない。
 警報機は、人を慌てさせる効果があるのだ。
 いや、正直、軽い気持ちの挑戦であった。せっかく高齢者になったのだから、短い開閉時間も経験してみたかったのだ。
 前日の測定では、朝の踏切の最短開閉時間は10秒。しかしガードマンが降りてくる遮断機を手で押さえてくれるため、6、7秒は開閉時間にプラスされる。何とか大丈夫のはずだった。
 平日のダイヤが同じとはいえ、踏切の開いている時間は微妙に変わる。つまり短い開閉時間を体験したいならば、ひたすら待って渡り続けるしかない。
 4~5回目のチャレンジだっただろうか。それは突然だった。踏切に踏み出して数秒、いきなり警報機が鳴り出したのだ。これは長くても13秒で閉まる、と前日の調査結果が頭を巡る。視線を上げると、向かって右側の遮断機が下り始めているではないか。
 このとき私の頭から「取材」が飛んだ。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。何分かかるんだー! かすむ目が捉えた反対側の遮断機は、あんなに遠い。「イカン! 急がなくては」と思ったときには、全速力で走っていた。しかし35メートルは長い。結局、警備員に降りてくる遮断機を押し上げてもらい、本来なら閉まっている踏切から出た。
 手元にこのときの写真がある。楽しげに走る新人ライター横で、必死の形相の私。杖を振り上げ、本気で走っているはずなのに、膝が上がっていない。これでは13秒で渡りきれるはずもなかろう。
 私が転ばなかったのは、運が良かっただけだ。これだけ足が上がっていないことに、自分では気づいてさえいないのだから……。10キロ以上の重りを付けている状態では、とっさの受け身もとれないだろう。ヘタをすれば、高齢者体験取材で病院に運ばれるところであった。
 日本マスターズ陸上の公式記録によれば、85~89歳の60メートル走日本記録は、10.87秒である。これを35メートルに換算すれば、6.34秒。デコボコもなく、車や自転車などの障害物が周りにない状況で、このタイムである。開閉時間10秒の踏切を渡るのは、60メートル走の日本記録保持者でも難しいと言わざるをえない。実際、私が時間を計測した日は、3時間で3人ものお年寄りが渡りきれず、踏切が開くまで中央の避難所で待つハメになった。もちろん運が悪ければ、28分も避難所で座り続けることになる。

■登るだけで息の切れる跨線橋

 この踏切には、跨線橋も付いている。踏切には、「中央線高架工事に伴い、本町工事踏切は遮断時間が長くなるため、7時~9時までほとんど開きません。すぐ横の小金井こ線人道橋をご利用願います」と書かれている。
 しかし線路の電線を避けるためか、この跨線橋は高さがある。上下で101段以上の階段を上り降りしなければならない。擬似高齢者の私なんぞは、階段を上り切ったところで息が切れてしまった。しかも北側の階段は、日向からいきなり日陰に入るために段差が見にくくなり、上るのはともかく、降りるのが怖い。
 ときおり踏切を渡るという70歳の女性も、「(跨線橋は)長くて、階段が急だからね。右膝も痛いし、使う気にならないよね」と話してくれた。
 ある程度、踏切が開かないことに慣れていた近隣住民も、この工事以後の状態には怒り心頭の様子である。
 67歳の男性は、「この踏切もたまに通るけどね。いつになったらできあがるのかね。まあ、できあがるまでには、高齢者はみんな死んじゃうんだよ。僕は頑張れば、どうにか完成まで生き残れるかもしれないよな」と苦笑した。歩行用のカートを押して踏切を渡っていた女性(72歳)は、「まあ、(開かないのは)昔からですから」とあきらめ顔だ。踏切の様子を伺っていた稲葉孝彦・小金井市長も、「困っております。何か対策を立てないとね」と顔を曇らせた。
 このような状況が続いていることについて、JR東日本の広報は次のように答えている。
  「まず、(工事前の)通常でも、なかなか開かない踏切だったことをご了解いただきたいのです。来年の秋には以前の長さに踏切が戻るので、少しは緩和すると思います。
 それまでの対策として、踏切の制御方式を改良し、踏切の時間を安全を確保した上でなるべく開けるようにしたいと考えております。武蔵小金井については、高齢者や身体の不自由な方が駅の構内の跨線橋を使えるようにいたします。そうすればエレベーターも使えますので。私どもで、できうる限りの対策をして参りたいと思っております。
 踏切の時間に関しましては、一気に変えることはできませんので、早いところでは1ヶ月。ほかも部品など至急取り寄せ、できるだけ早く変更いたします」
 とりあえず平謝りの体だが、これだけ対策があるなら事前に準備しておくべきだろう。それとも大工事だから住民は我慢しろと言いたいのか。こちらの苦労も知らないくせに、とつい先日まで“高齢者”だった私は、本気で怒りを感じている。

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あの企業にホームページに、あんなこと!?

●月刊「記録」2002年4月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 家庭へのパソコン普及率は、全国平均50.5%(2000年11月統計)だという。つまり2世帯に1世帯は、パソコンを持っているわけだ。これだけパソコンで普及すれば、当然、世間に与える影響も無視できない。特にさまざまな情報が提供できるインターネットには、企業も熱い視線を注いでいる。
 立派なホームページを作り、会社の方針、新商品の紹介、新入社員の採用などについて、それはそれは事細かに書き込んでいる。
 というわけで、最近話題の企業が作ったホームページを一挙公開だ!

■雪印食品は「挑戦意欲に溢れる」人材を募集

 日本経済を取り巻く環境は、とにかく厳しい。何がなんでも利益を確保したいと思うのは、正直なところ。わかります。だからといって偽装してはいけません! 
 BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)対策として実施された国内産牛肉の買い上げ事業で、オーストラリア産の牛肉のラベルを貼り替え、まんまと補助金を騙し取ったのが雪印食品だ。そのツケは大きく、消費者および株主からも総スカンを食い、ついには会社の解散にまで発展した。
 現在、「雪印食品」のホームページには、「弊社の再建断念について」と題された暗ーいページが残るのみ。しかし事件前は、ホームページだって充実していたのだ。
 2001年の会社方針では、「『おいしさ』と『安心感』にこだわります」と、高らかに謳いあげていた。この指針に下には、「遺伝子組換え農産物の不使用」という力強い文言も読める。ホームページを作成した同社社員も、同じ会社員が「遺伝子組み換え農産物」を使わず、ラベルの組み換えに心血を注いでいたことは知らなかっただろう。
 昨年3月1日に発売された新製品も紹介されていた。「黒毛和牛シリーズ」だ。「厳選された100%黒毛和牛を使用」、「肉の色調が明るく、新鮮感があり、調理栄えがする」と宣伝を書かれても……。やっぱり今は信用できないかも。
 昨年12月10日消印締め切りのキャンペーン名は、「“あったらいいな”プレゼント」。ハイブリッドカーなど豪華賞品が当たるキャンペーンだったが、まさか3ヵ月後に「(会社が)あったらいいな」という状態に陥るとは、予想外だった。
 ちなみにキャンペーンに応募するためには、「添加物を減らしておいしいのは、『しょく○○かたぎ』です」という文章の空白を埋めなければならない。ヒントとして、「『職人気質』シリーズは、添加物を減らした安心のシリーズです」とある。
 新聞報道によれば、関西ミートセンターの産地偽装工作が、歴代センター長3代の間で引き継がれていた疑いがあるとのこと。師匠から弟子へ、その系譜はまさに「職人気質」。長期間、こうした“技”で利益をあげていたらしいから、まさに「安心のシリーズ」だったのだろうが、最後は“技”に溺れて滅んだと言うべきか。
 雪印食品のホームページで最後に紹介したいのは、リクルート用のページである。
  「“挑戦意欲に溢れるフレッシュマン”を迎え入れてます」という言葉に深く納得。露見したとはいえ、国の補助事業で偽装工作をするのは、なかなかの「挑戦意欲」といえなくもない、か?
 安い牛肉・豚肉を高級銘柄に混ぜて出荷していたスターゼンも、ホームページは意気軒昂だ。
「スターゼンが消費者の皆さまから食肉業界まで広く支持されている理由」と題されたページには、食肉卸業界第2位のプライドがビシビシと伝わってくる。
 「理由その4」の「早い決断と迅速な行動ができる営業体制が自慢」の内容はスゴイ。「所長の権限は大きく不測の事態が起こった時でも迅速に判断、処理することができます」。
 さすがである。どうやら企業理念は、社員にも深く浸透していたらしい。食肉加工工場の佐賀パックセンター長は、利益を確保することを「迅速に判断し、処理」したようだ。
  「やわらかい発想と柔軟な対応で、お客様のニーズを具象化」することを進めてきた同社だけに、利益確保の仕方が少し柔軟過ぎたのかもしれない。
 指示される「理由その1」に書かれている通り、「O157や狂牛病の影響で業界に逆風が吹く中も、着実成長を続け、数多くのお客さまから信頼を得ている優良企業」の同社でも、自ら「逆風」を作り出すとは予想できなかったらしい。
 タイや中国産の鶏肉を加工し、「鹿児島産 無薬鶏」と表示してスーパーなどに卸していた全農チキンフーズは、国内の鶏肉についてホームページで詳しく解説している。
 偽装ラベルに記した鹿児島県産については、「ぴゅあ安心咲鶏」と「ぴゅあ旨味鶏」を説明している。「ぴゅあ安心咲鶏」は、「資料にハイクォリティーコーン(非遺伝子組替え・収穫後無農薬)という高栄養価なコーンを使用しビタミンEが豊富」だという。こうした銘柄鶏は、「飼育条件(出荷日数、飼育内容、餌等)を変えることによって肉質に独自の特色を持たせている鶏です。それぞれのメーカーによってさまざまなコンセプトをもって作り出された鶏肉」だそうだ。
 しかし「コンセプトをもって」鶏肉を作るのに、55日も飼育する必要すらなく、飼育条件を変えなくてもよいことを、同社自らが教えてくれた。そうラベル換えである。「簡単に利益が得られる」というコンセプトから生み出された鶏肉は、昨年11~12月になんと完売。素晴らしい“効果”ではないか!!
 ちなみに国内産の鶏肉については、一括で表示できないほど大量の情報を書き込んでいるのに、外国産の鶏肉情報については、わずか2行。
「輸入品の産地を教えてください。?」(原文ママ)
「中国、ブラジル、アメリカ、タイなどがあります。」
 国民が知らないでタイ産や中国産の鶏肉を食べていることもあるのだから、更新の際にはこちらの情報もしっかり書いてもらいたい。まさか、また外国産の鶏肉について教えてくれないわけじゃないですよね。

■表紙の文句は「ずらかる」だった佐藤工業

 バブルに踊ったツケもあり、国民の消費も控え目のまま、これでは企業の業績が上がらないのも当たり前。大手、準大手と言われている企業でさえ、会社更正法などを申請する時代となってしまった。とはいうものの時代ばかりが、経営破綻の責任ではない。社風や経営姿勢など、時代が企業を置いていったしまった理由は、どこかにある。
 事実上倒産した会社や経営の危機が何度も報じられている企業のホームページを覗いてみた。
 3月3日に更生手続開始申立を行ったのは、ゼネコンの佐藤工業。ホームページ冒頭のページには、「佐藤工業」「SKIP」「お詫び」「関係者の皆さまへ」という文字が並び、同社が建設したのであろうか「浅草新世界ビル(昭和34年)」と題名が付けられたモノクロ写真が掲載されている。
 業績が行きづまっているなか、追い打ちをかけるようで申し訳ないのだが、この表紙はどうだろう?
 まず「SKIP」がいけません。「Sato Kogyo Information Pavilion」の頭文字を取ったらしいが、英語辞書『GINIUS』によれば「SKIP」の意味には、「サボる、立ち去る、ずらかる、高飛びする」などの意味がある。この時期、ホームページの表紙一番大きな文字が「ずらかる」では、さすがに心配だ。
 「お詫び」「関係者の皆さまへ」の文字が灰色をバックに書かれているのはともかく、跡地が競馬の場外馬券売り場となった新世界ビルの写真を使うのもいかがなものか? 思い起こせば、マネーゲームに飲み込まれたバブル時代が、同社を斜陽に追い込んだのである。同社の代表的な建築物跡地にギャンブルの殿堂が建ち、ギャンブル的なマネーゲームで同社が追い込まれ。そんな暗示を、ホームページの表紙で漂わせたいわけでもなかろう。
 とにかく表紙だけで、暗い気持ちにさせれた佐藤工業であった。
 連結有利子負債は、なんと8800億円。株価の低迷が続いてきたゼネコンのフジタは、三井建設と住友建設の経営統合に一部合流することが決定した。
 ホームページに掲載されている企業スローガンも、やはり企業存続への願いが溢れている。
「“高”環境づくり」。
 このスローガン、「旧スローガン(先端技術と建設をむすぶ)を更に発展させたもので、21世紀を目前に企業としてどうあるべきかを、明確に謳いあげ」たものらしい。「技術」だけでは、不良債権は減らない。「“高”環境」じゃないと。などと考えるのはうがち過ぎか? まあ、一部合流が「“高”環境」と呼べるのかどうかは、これからわかってくることだろうが。
 同じページに掲載されている企業理念にも注目である。
「自然を 社会を 街を そして 人の心を、豊にするために フジタはたゆまず働く」
 はい、たゆまず働いてください。
 3月18日現在、38円と驚異的な株価を維持している飛島建設のホームページを読むなら、先輩社員の声が載っているリクルートページだろう。
 飛島建設の誇れる点として、社員は技術力と「新しい時代に対する対応力」を挙げた。
「古い体制、方法に固執せずに積極的に新しいモノを採用しようとする試み。事実、当現場では現場施工において、前向きに工夫・改善に取り組んでいます」
 やはり、バルブ時代に「積極的に新しいモノを採用」しまくったのが、よくなかったのかもしれない。長所はえてして短所となる。きっと建築現場では、最大の武器なのだろう。

■「次世代の柱はRE」と熊谷組

 多額の不良債権を抱えていると評判のゼネコン・熊谷組のスローガンは、「人と地球の未来を考える」だという。いや、地球の前に自社の未来を考えた方がいいのかも、と少し心配になった。
 株価はともかく、熊谷組のホームページは充実している。「Focus on 社員」のページでは、鳥飼一俊社長が早稲田大学教授・吉村作治氏と対談している。
「私どもでも次世代の大きな柱はREですね。リユース、リフォーム、リニューアルなどです」という社長の言葉は、建築業界全体、さらには熊谷組の運命と合わせて考えると、かなり感慨深いものがある。
 にこやかに語る社長の顔写真には、まるで演歌歌手のように自身のコメントが書き込まれていた。
「リサイクルさせていくという考え方は、すなわち常に新しいということ。今、我々が活かしたい古代の知恵ですね」
 再編・統合も、世界の歴史をみれば当然のことわり。「リサイクル」にはこのような意図も含むのか。
  「採用」と銘打たれたページには、「社員の素顔」と題して先輩社員のメッセージが満載だ。
 「カベはこうやって乗り越えろ」というお題には、「あえて腰を据えて一つ一つ順番に解決していけば何となるものです。これは自分が経験から学んだことですが、誰にも有効な解決法ではないでしょうか」というコメントが。
 熊谷組の社員が語っているかと思うと、このコメントは一気に重みを増すような気がしてくる。そう、「あえて腰を据えて」問題解決するのも一案かもしれない。とかくマーケットでの解決法は性急すぎる。結果でなければすぐに企業を見限るようなやり方は、やはり乱暴なのかも。そんな思いが、ホームページを通じてわき上がってきた。もちろん一瞬だったが。
 企業のホームページは、まさに情報の宝庫。できれば読者自身にも訪ねてもらいたい。編集部の人間より性格がひねくれていれば、もっと楽しめること請け合いである。 (■了)

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個人情報保護法案に断固反対する!

●月刊「記録」2001年6月号掲載記事

●取材・本文/本誌編集長

 当初今年4月にも成立かとみられていた個人情報保護法案は、政局の混乱などで、いまだ成立していない。しかし政府が法案を引っ込めるという話は聞いていない。このままでは遅かれ早かれ、国会に上程され、多くの政府提出法案と同様に可決してしまうだろう。そんなことは断じて許せない。ここでは、あまり論じられてこなかった小誌のようなミニコミの立場から、絶対反対のわけを記す。
 これまで論じられてきた問題点は、同法案が「基本原則」として「個人情報は、利用の目的が明確にされるとともに、目的の達成に必要な範囲内で取り扱う」「個人情報は適法かつ適正な方法で取得する」などを掲げ、「個人の権利を侵害する場合は本人の同意を得る」「訂正を求められたら行う」などを掲げ、違反した場合には主務大臣が勧告・命令を行い、したがわない場合には6ヵ月以下の懲役か罰金30万円以下が科されるというものだ。
 同法案は同時に、これらの規定を適用しない者として「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関」を挙げてはいるが、私達のような「出版社」は明記されていない。出版社は「その他の報道機関」ではないとか、ある出版社は「その他の報道機関」だが、月刊『記録』など「報道機関」に値しないと判断されれば、たちまち不正に流出した個人データを悪用している業者と同様の扱いを受けるということだ。
 ミニコミの多くは、一般に「報道機関」という言葉から連想されるような立派な設備もなければ、雑誌の装丁もみすぼらしい。読者も少ないから、取り締まられても社会的反響は大雑誌よりはるかに少ない。十分に「最初のいけにえ」にされる資格を備えているといえよう。
 次に、同法案に掲げられるお題目は、まともなジャーナリストならば常に心がけているという点だ。小誌は「弱者・少数者」を編集方針の原点に当てているので、彼らが不利にならないよう、利用の目的を明確にしたり、本人の同意を得るといった行為はしてきた。訂正どころか、取材対象者が社会的不利をこうむりそうだったら、掲載を断念することさえある。国家権力に改めて説教されるなど、片腹痛い。
 問題は、同意が得られなくても書くべきことは書かねばならない場合である。政治家、官僚、大企業の腐敗や不正を知り、報道しなくては、それこそ「報道機関」ではない。要するにこの法案は、そういうことを雑誌は書くな、書きたければ疑惑の張本人の同意を得よ、でなければ牢屋行きだといいたいのだ。
 先述のように、『記録』は、取材対象者が弱い立場の場合、十分に配慮してきた。主に苦情を申し入れてくるのは、先に挙げた政治家、官僚、大企業といった手合いである。むろんそれらを批判する場合も、相手側への取材は原則として申し込む。その上で書くべきことと判断すれば書く。
 ミニコミ独自の問題は他にもある。マスコミと違い、政治家、官僚、大企業といった批判対象よりもはるかに規模も財力も小さいので、彼らが「名誉毀損」だと小誌に圧力をかけてくると正直つらい。裁判になれば多大の費用と時間がかかる。これはミニコミの存続どころか、会社の存続をも危うくする。それを承知で「警告」などという文書を送りつけてくるのだ。よくマスコミが人権を侵害するという話を聞くし、それ自体は十分に考えなければならない問題だが、その裏に、ミニコミが発言できなくなっているという事態があるのを知ってほしい。
 仮に民事裁判になったとしよう。それこそ私達は「個人情報保護」のために、相手方が聞きたがる情報源を秘匿する。ところがこの国の判例では、民事訴訟において「情報源の秘匿」を真実を立証する程度を緩和する条件として消極的にしか認めない。したがって「情報源の秘匿」を守って敗訴するか、情報源を暴露して勝利の道筋を描くかの二者択一を迫られる。本当に個人情報を保護したいのならば、まず、「情報源の秘匿」を公的に認めるのが先である。やっていることが逆なのだ。
 まだある。それでも民事の名誉毀損では免責要件として「目的が専ら公益を図ることにあった場合」があった。ところが個人情報保護法は「公人」にも適用すると解釈される。これでは何も書けなくなってしまう。
 それでも、まだ『記録』は、「我こそは『その他の報道機関』だ」と主張することもできよう。だが、フリーのライターは適用除外からはずされている。これこそ同法案の決定的な悪である。多くのフリーライターは、自腹を切って取材現場を周り、記事を書いては発表の場を探している。近年の出版不況で、とくに若手のライターは作品を発表する場が減少している上、単行本にしてもあまり売れない状況が続いている。生活苦を抱えるライターが数多くいることを私は知っている。それでも彼らが現場に向かうのは、青臭いほど「社会正義」の実現に貢献したいと願っているからだ。それを主務大臣の監督下に置き、いうことを聞かなければ懲役刑が待っているというのでは、もはや彼らに明日はない。
 個人情報保護の美名に隠れて、途方もない言論弾圧が始まろうとしている。ミニコミとはいえ、小誌も黙ってはいられない。私にできることは何でもするつもりだ。

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民主党は党の要求や趣旨と合致しないと取材できない

●月刊「記録」2005年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■岡田克也・菅直人両氏に直訴

 参議院での郵政法案否決、間髪置かずの衆院解散と政界が激しく動いた8月だったが、その間も本誌は民主党を追い続けた。
 彼らが掲げる「政権担当能力」、ではその中身とは何なのか。そしてどうやって自らの存在を国民にアピールしていくのか。3月と6月に民主党本部に直接話を聞かせてもらおうとしたが、どういうわけか「説明できる人を用意できない」と断られた。しかし、ここで引き下がるわけにもいかない。政党本部でそれを聞くことができなければ、党の代表に聞くしかない。
 本誌では8月9日に党首である岡田克也代表、の菅直人前代表に、質問状を送った。これは2度目だ。7月上旬に両者に質問状を送ってはいるが返事はなかった。質問状を入れた封筒さえ、届いているかどうか確認できていないと先方は言う。
 質問状を出してから1週間の期限を設けて、その頃までに返事が来なければ議員会館に直接電話をし、今回はなんとか食い下がってやろうと決めた。
 封筒の内容は、送付にあたっての手紙(兼質問状)、解答用紙、これまでに民主党を取り上げた『記録』7・8月号、そして返信用封筒。
 岡田代表、菅前代表に質問状を出したのは9日、前日の8日には参議院で郵政民営化関連法案否決があったから、来るとしてもすぐには回答は来ないだろうと考えていたが、やはり期限の17日までに回答は来なかった。
 17日、岡田事務所の電話が話し中だったため、先に菅事務所に電話する。対応に出た女性に質問状を送ったこと、回答をもらいたいことを伝えた。「少々お待ち下さい」としばらくの間があったあと、どこかで予想していた言葉を聞くことになった。
「(質問状入りの封筒を)こちらでは確認しておりません」。
 まただ。
 届いてないわけがない。宛先は穴が開くほど繰り返し確認したし、現に小誌に封筒が戻ってきてもいない。女性は「毎日の郵便物の量が多すぎて把握することは難しい」などと言う。やむなく郵便物の中から封筒を探してもらうことになり、次の日にもう1度電話することを伝えてから切る。
 次に、再び岡田事務所に電話すると男性が出た。「確認できてないですね」。
 ここでもこうか。「どのような件で」と男性が言うので、これまでのいきさつを話すと、ファクスで質問状を送ってもらえれば見ることができると言う。その通りにしたら1時間後に男性から電話が来た。回答は「党役員室に聞いてほしい」というものだ。どうやらそれが民主党の組織原則らしい。
 それはわかる。ただ小誌は当の役員室から「取材に対応する者を用意できない」といわれたのである。ここでハイといったら堂々巡りになってしまう。役員室に門前払いされて取材できなくて困ったから岡田さんに泣きついたのですよと申し上げたら先方も理解してくれたようで「役員室に話しておく」と言ってくれた。そこで明日以降に改めて役員室に連絡することになった。
 この男性は大変ていねいで親切な方だった。翌日には本当に役員室に話をして下さった。今回の取材を通じてただ一人といってもいいほど協力してくれた。この企画は本来民主党をあしざまに罵るつもりはなかった。むしろその逆に近いニュアンスだったと今になって思い出す。それをやっとわかってくれた人に出会えた気がした。本来ならば実名で紹介したいぐらいだが無礼な行為なので控えておく。

■郵政の新たな問題点を発見

 それにしても、これまで岡田代表、菅氏に2度づつ封筒を出しているが、1度も向こうに届いたことを確認できていない。4度出して、1度もない。議員会館に出した郵便物がどうやってそれぞれの事務所に届くのかわからないが、これはどのようなことを意味するのか。
 もちろん各事務所に届いたはずの郵便物は本誌が出したような質問状だけではあるまい。そこには日本中からさまざまな意見、訴え、批判の類がゴマンとありゴミ情報もわんさかのはずだ。しかし一方では有益なものもあろう。そうした声は結果的には届いていないということになる。
 8月18日、再び菅事務所に電話。前日とは違う女性が出る。前日に出た女性から、郵便物を探しておくという話が伝わっていないらしく、もう1度いきさつを説明することになった。再び封筒を探してもらったが、女性は、「これ以上探すことは難しい」と、分かったような分からないようなことを言う。要するにこちらからの郵便物は届いたかどうかも確認できないのですね、ときくと「はい、そうですね」。
 ではファクスで送ったら質問に答えてくれるのかときくと、「お答えすることはわからないが、目を通すことはできる」と言う。そのようにしたが返答はないまま今に至る。
 やや余談めくが党を代表する人物の郵便受けのこうした状況を今回の総選挙の争点に小泉首相が無理矢理したがっている「郵政」にからめると興味深くはある。両事務所の言い分にしたがえば郵便物には未達の危険があったり大政党幹部の事務所でさえ管理できない爆発的な量があることを意味する。すなわち郵政を民営化するかどうかは別にして郵政三事業のうち郵便の機能には重大な欠陥がある可能性があるのだ。現に岡田事務所には2度の郵送では反応がもらえなかったのにファクス(つまり電話機能)ならば速やかな対応をしてもらえた。これが「郵政公社の徹底的な縮小」で解決できるのかなあ。

■もういい!もうわかった

 後は岡田事務所の男性が橋渡ししてくれた民主党本部役員室に聞くしかないので電話した。対応に出てきたのはかのO氏だ。やっぱりこの件の担当者はあなた様なのですね。
 今回は質問を3月と6月の内容よりもさらにシンプルにした。これまでは「貴党の『政権担当能力』とはなにか、そして、どうやって存在をアピールするのか」といった内容だったが解散・総選挙の真っ只中という現状では「どうやって存在を国民にアピールするのか」という質問はほとんど意味を持たなくなった。
 そこでまず質問したのは政策についてだ。ただ、その答えは実にあっけないものだった。
「民主党の政策については党のホームページで見ていただければお分かりかと思います。郵政、イラク、財政面などにおいての党の方針がそこに示されているので」。ホームページを見ろということだ。それが悪いとはいわない。しかし同様の回答をした政党が共産と社民で、自民と公明は小誌の質問のために文書でわざわざ回答してくれたという事実は付記しておく(前月号参照)。
 実を言えば、私が最も聞きたかった質問は「なぜ3月と6月に小誌の取材が拒否されたか」という点だった。そのときの質問の内容は散々述べているように民主党への嫌がらせの要素は決して含まれていないはずだ。それでも取材は断られたのだ。だからその点についてO氏にきいた。
 彼が言うにはその時にはスケジュールの折り合いがつかなかったのだという。スケジュールについては本当に折り合いがつかなかったのか、あるいはそうでなかったのかこちらには確かめる術がない。ただ、スケジュールに折り合いがつかなかったにせよ、国の第一党を目指そうという党が、その核心の部分を説明することにたった30分さえも時間を作ることができないというのはどうしても腑に落ちない。
 一つだけ思い当たることがある。それは小誌が取るに足らぬミニコミだから相手にする価値がないという判断が先方にあったという理由だ。はっきりいうがそれならば納得する。そこで我らがテレビや大新聞であったならば、取材に応じてくれたのかと聞いた。ところがO氏は、「それはない」と言う。
 そして取材を受けるか受けないかは「こちら(民主党)の考えに基づいて」決めているとおっしゃった。では、それはどういう考えか。「それは、こちら(民主党)とそちら(取材する側)の要求や趣旨が合致すればこちらも取材に応じることができる、と言うことになります」。
 不可解である。小誌は民主党が折に触れて自ら好んで訴える「政権担当能力」の説明を求めたのだから民主党にとって「要求が合致しない」内容だとは論理的には到底いえない。ただ一つだけこの解釈が成立する切り口はある。回りくどくて恐縮だが「民主党が自ら好んで訴える政権担当能力の具体的な説明をするのは民主党の要求や趣旨に合致しない」という答えだ。さてこの推察からどんな結論が導き出せるか。もはやいうまでもなかろう。これでこの話は幕。天網恢々疎にして漏らさず。有権者はすべてを感じ取って9月11日の投票に向かうであろう。(■了)

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民主以外も「取材に対応できる者を用意することができない」か

●月刊「記録」2005年8月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■自民、公明、社民、共産に同じ質問をしてみた

 7月号で報じたように自らの売り物としている「政権担当能力」の説明を民主党に求めたところ「取材に対応できる者を用意することができない」という衝撃的な反応を小誌は食らった。永田町、民主党本部の対応である。ことあるごとに必殺技のようにくりだす「政権担当能力」とは具体的にどういうものなのか。それを党本部の役員が説明できないことは、大げさでもなんでもなく、ただただ衝撃だった。だがもしかしたら他の政党も同じようなものかもしれない。だとしたら民主党ばかりを面罵するのも公正を欠くとかろうじて我慢して、似たような質問を7月の上旬から中旬にかけて自民、公明、社民、共産の各党にアンケート形式で聞いた。期限である7月14日までの10日間で回答率は100%であった。
 アンケートの内容は以下の通り。
 (1)貴党は政権担当能力について質問されたとき、それに対応する人員を用意することができるか
 (2)それはどこ(誰)にたずねればよいのか
 (3)貴党の政権担当能力とは具体的にどのようなものか

 (1)と(2)に関しては(3)で「できる」と答えた政党にのみ回答を願った。(2)の文章は奇異ではあるが、何しろ今や2大政党の一角を担う民主党ができないといっていることなので、他の党も「はい」と答えるとは言い切れないだろう。ただし自民、公明両党はすでに政権を握っている側なので、そうした事情は踏まえた上で(なお民主党の不可解な回答を比較検討するためにも)あえて答えてほしいと付記した。

■民主が自民に勝てない決定的な証拠を入手

 4党のなかで最も丁寧に答えてくれたのが自民党である。内容も他に比べ圧倒的であった。以後に詳述するが自民党が強い理由というか民主党がイマイチ得体の知れない存在でパッとしない理由がよーくわかった回答だったといえよう。
 自民党の回答はアンケート用紙にではなく、A4用紙に文書として自民党の政権担当能力についての姿勢が「質問状に対する回答」と題して記されている。党本部、政務調査会からの回答だ。
 文章の量があるため全文をここに載せることはできないので、肝心な部分を取り上げていく。

  「政権担当能力の概念がはっきりしませんが、わが党は、政権担当能力とはそれをもって国民に支持を訴えるものではなく、有権者である国民の判断の結果であろうと考えます。国民が、政権担当能力があると考え、政権を任せようと判断すれば、結果として選挙に勝利し、政権を獲得することになります」

 この部分を見たとき、政権担当能力という言葉の捉え方が自民党と民主党で大きく違うことに気付く。ポイントは「政権担当能力とはそれをもって国民に訴えるものではなく」の部分だ。民主党は政権担当能力をアピールすることが政権交代に近づくことだと繰り返すが、自民党はそれは自らが訴えるものではないと言う。なるほど納得! もっとも「訴える」立場の民主党が「取材に対応できる者を用意することができない」から比較にさえならないのだが……。

  「政治は結果責任です。実績抜きの政権担当能力に国民が期待して政権が交代するということは考えにくく、現に政権を担当している政党の政策や実績に対する不満、否定が一定の水準を越えたときに政権交代が起きるのではないでしょうか。いってみれば、選挙を通じて予算や制度・施策である法律を制定する多数を獲得する=国民の支持を集めることが政権担当能力を獲得する、ということかもしれません。」
 この部分に思わず唸った。「政治は結果責任」ときた。民主党に対する批判の口調はないが暗に「政権も取らずに政権担当能力云々なんてお笑いぐさだ」と言わんばかりである。「いってみれば」以降の一文を民主党に読んでみろといいたい。もしかしたら民主党も内心はそう思っているのかも知れないが現に政権を取っていないので言うにいえないのかもしれない。だがそうならばそうと正直に語るべきだ。
 さらにこう続く。
  「概念があいまいな政権担当能力よりも、幅広く国民の声を吸収しつつ、その結果としての政策などを訴え、広く国民の支持を集めるというのが適切であると考えます。」
 この部分において、民主党の訴える政権担当能力はほぼ無力化されたといっていい。「概念があいまいな政権担当能力」を振り回しつつ、しかもその内容さえ説明する責任を果たさない民主党と、自らの立場を簡潔な文書に記して示した自民党との隔たりは大きい。
 そして最後にこういっている。
  「したがって、ご質問の①に対する回答は、『いいえ』とさせていただきます。また、もし『政権担当能力はあるか』と問われれば、現に国民の支持によって多数を有し、政策を具体化し、法律の制定、改変を行っており、『イエス』と回答したいと思います。」
 これでしめている。

 小誌の読者の多くは反自民であろうが自民党が強い理由は知っておく価値がある。何やら決定的な地力の差を感じさせた両党の対応であった。そしてその差を縮めてゆくことはこのさき可能なのか。
 さて、連立与党の公明党はアンケートに最も早く答えてくれた。同党政務調査会からの回答だ。①については「はい」にしっかりとマルが書かれてある。②には政務調査会が答えるとこれまた明記。③については「必要であれば別途文書で詳しく説明する」とのこと。腰が据わっている。少なくとも①さえ用意できない民主党よりはまともである。
 結論として現在の連立与党は「政権担当能力」の説明責任に関しては明らかに民主党より上である。というかオール・オア・ナッシングである。彼我の差は果てしなく大きい。

■共産、社民は「……」

 一方、野党の共産、社民はどうであろうか。
 共産党はアンケート用紙の①②③のどの質問にも答えず(要するに何も書いてない)、封書の中には『しんぶん赤旗』05年4月9日付けの記事をそのままプリントアウトしたA4用紙が2枚。2大政党制(自民と民主)に対する批判などが書かれてあるが、共産党の政権担当能力についてはほとんど触れてない。正確にいえば筆者の読解力ではわからなかった。どういう趣旨でこの2枚を回答としたのかの説明もないので謎のままである。該当する記事はホームページで読めるのでわかる人がいたら教えて下さい。
 少なくとも共産党に仮に政権担当能力があったとしても常人では理解しがたい難解ないしは深遠なものであるようだ。
 社会民主党の回答は①に「その他」で②③は無回答。そして「設問をもう少し具体的」にしてほしいと付記してあった。編集長はそれを見るなり「もう社民党は要らない」と怒ってしまったが筆者は編集長に隠れて電話で直接話を聞くことにした。対応に出た社民党本部の男性によれば、質問に対応することはできるし、もしそれができない状況でもホームページに詳しいことが載せてあるとのこと。ならばそう書いて下さいよ。
 というわけで「政権担当能力」の説明について「取材に対応できる者を用意することができない」民主党は論外。共産党はよくいえば深淵、悪くいえば謎。社民党は「大丈夫か」と声をかけてあげたい状態であった。
 ところで小誌は公党かつ野党第一党の代表が公然と自党のトップレベルの売り物として掲げている「政権担当能力」を「取材に対応できる者を用意することができない」(しつこいようだが何度でも書く)と言い放つ民主党を絶対に許さない。根本の部分で国民をだましている可能性があるからである。そこで小誌はすでに「できない」と答えた民主党の職員名を実名で明記した質問書を岡田克也代表と菅直人前代表に7月上旬に送っているが現時点(7月21日)で回答はない。本当に答えられないのか。(■つづく)

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民主党内には「政権担当能力」を説明できる人がいない

●月刊「記録」2005年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■衝撃…!いや「やっぱり」か
 なんて言えばいいのだろう、とにかくアゼンとした。いったい、民主党はどうなってるんだ?
 今や唯一、自民党に対抗できる、誰もが認める存在になったはずだ。小泉政権が少しずつ勢いを失ってゆくなか、コントラストを描くように民主党は着実に力をつけてきた。
 03年11月の衆院選直前で民主党は小沢一郎率いる自由党と合併。選挙では177議席を獲得(この数字は55年体制以降の野党としては最多議席)、04年の参院選では自民の49議席を1つ上回る50議席を得ている。2大政党の到来、といっても間違いではないだろう。
 けれど、どうも最近の民主党には首をかしげるところがあった。行動に説得力がない。「政権準備政党」を宣言したのはいいけれど、どうやって政権を奪うのか、どうやって国民に存在感や能力をアピールしてゆくのか、いちばん肝心なその部分が私たちには見えてこない。
 「政権準備政党」。誰にとっても理解しがたい言葉だろう。「準備」の部分がこの言葉全体の印象の曖昧さを決定づけているけれど、たぶん、「私たちはいずれ政権をとることになるから、そのへんよろしくね」ということを言いたいのだろう。野党である民主党がそういう心構えなのは結構、というかあたりまえなのだけれど、ただ、そんなことは自分たちが理解していればいいだけの話なんじゃないのかという考えは、別段ひねくれた考え方でもないだろう。これからは私たちのことを「政権準備政党」と呼んでいただきたいと急に言われても、言われたほうはそんなこと言ったって、という反応くらいしかできない。
 そして今回の出来事があった。
 民主党の言う政権担当能力(この党はホントにこの言葉が好きだ)とはどのようなものなのか、そして政権を奪うための道筋を知るべく、私は民主党本部に取材を申し込んだ。国の第一党に迫ろうというこの党の基本的な理念なりビジョンなりを知ることが取材の目的ということになる。
 ところが、これを断られた。しかも、2度続けてだ。断りの理由は「取材に対応できる者を用意することができない」だった。いったいこれはどういうことなのか。端的にいえば、民主党には党が掲げる「政権担当能力」を説明できる人がいない、ということになるんじゃないのか。これは衝撃的な事実だ。以下、これまでの経緯を追う。
 本誌では98年と01年に民主党を取材したが、その時には回答をもらっている。内容は当時話題になっていた失業者対策、金融政策、介護保険法、少年法など。取材の後に迫っていた選挙にあたって党の姿勢を聞くというもので、このときはそれぞれの内容についての党の意見が示された。
 3月17日、1度目の取材を申し込んだ。はじめに取材依頼の手紙と本誌2ヶ月分を永田町の民主党本部に郵送し、3日後に取材日調整の電話をかける、という段取りだった。
 電話に応じたのは党本部役員室のO氏。声で聞く限りでは50代くらいかと思われる男性で、おだやか、丁寧といった印象を受けた。依頼の手紙で取材の趣旨を伝えてはあったけれど、電話でより具体的な質問内容について話す。しばらくやりとりした後、取材の申し込みはやんわりとした口調で断られた。あまりにもやんわりとしていたから、一瞬、断られたという実感がなかった。前述のとおり「対応できる人がいない」とのことだった。
 まったくわからないのは、民主党が常に声高に掲げている「政権担当能力」、最もハッキリ見えているはずのビジョンと、それを示す方針を説明できる人を、本部が用意できないということ。それに加えて、取材の内容は民主党が国民に伝えたいものであるはずなのに、それに応えないということ。取材は自らの考えと現状を知らせることができるという意味合いで、格好の機会でもあるはずだ。
 とはいえ、1度目の取材を申し込んだこの時期は、4月の衆院統一補選を控えて慌ただしい時期かもしれないということも考えられて、取材は先送りになった。

■ふたたび取材拒否。まったく脈なし

 2度目の取材依頼は6月6日。前回と同じような手続きだったが、今回は質問状を加えた。より取材内容をわかりやすくするためと、こちらのスタンス(民主党のことを悪し様に取り上げる気はないという立場)を理解してもらうため、なにより前回「質問状を送ってもらえばより検討することができる」とO氏が話したことがあったからだ。
 同じく取材依頼書を郵送した3日後に電話する。受付の女性によると「国会に行っている」などでO氏はなかなかつかまらない。2度、T氏というO氏より声が若い男性が電話に出て、女性の代わりにO氏の不在を伝える。それから更に何度目かの連絡のあと、ようやく話をすることができる。
 しかし、取材は再び断られることになった。今回も、あくまでやんわりと。
「理由をお聞かせ願えますか」
「前回と同じく、取材に対応する者を用意できない、ということになりますね」
「30分だけでもいいのですが」
「難しいですね」
「電話取材、という形では」
「すいません、ちょっと対応できないもので」
 というやりとりが私とO氏の間で交わされたが、前回よりも明らかに、どうにかやりすごしたい、という気配が感じられた。対応できない、とはいったいどういうことなんだろう。明確なこと、余計なことはひとつとして言わない、そのあたりにかわし慣れたものを感じた。断固としてはねつけられるわけでもない。手応えのない姿勢は変わらない。取材に応じてくれるのなら、O氏にどうしても、というわけではなく党内の人間だったら他の人でもいい。O氏の不在を伝えたT氏でもよかったわけだ。けれど、以前電話に出ていただいたT氏でもいいが、と言うけれど、やっぱりバツの悪そうな笑いで遮られてしまう。
 人をたずねてある家に訪れる。と、出てきた50代くらいの男性に、不在を告げられる。そこに会おうとしている人はいるはずなのに、ただ曖昧な笑みを浮かべたまま、どこにいるのか、なぜいないのかも教えてもらえない。色をなして帰れとも言われず。ただ正体不明のつかみどころのなさがある。たずねたのがいわゆる「一般人」ならまだしも、この場合は現に国民の多くの支持を集めている政党の本部での話だ。
 しばらく食い下がってはみたものの、取材を受けてくれる様子はまったく見えなかった。
 質問状を要約すると、
・国会で自民を攻める糸口があるのに、そこを攻めないのはなぜなのか。
・従来の野党がとるアピールの仕方を取らないのなら、それにかわる方法が必然的に必要なるが、それはどういうものか。
・国民にアピールできているかという点で、党内での自らの評価はどのようなものか。
 という内容が基本的なものだ。
 どれもそれほど突っ込みすぎた質問ではないし、政治ウォッチャーでなくとも国民に関心がある、そして民主党が伝えるべき内容であるはずなのに、それに答えてくれることはなかった。私にはこの一連の民主党本部の対応に関する意図がまったく見えない。

■このままでいいのか、「政権準備政党」

 03年の総選挙では、民主党主導で、具体的な期限、財源を明らかにした政策を掲げるマニフェスト選挙を展開し(それまでの日本の公約はウィッシュ・リスト、つまりおねだり集と欧米から酷評されている)、大きく議席をのばした。明確な政策を打ち出す姿勢が国民の評価につながった。
 しかし、このところ民主党はマニフェストとは反対に、わかりにくさの極みにある。年金問題、汚職疑惑、靖国問題を含む近隣外交、自民を攻める糸口があるのに、そこに突っ込んでいかない。ならば他の方法で存在感を示すのかと思いきやそういうことでもない、審議拒否をしていたかと思えばいつの間にか戻ってきていたりする。無数の「?」がアタマに浮かぶ。
 自民はこのところ郵政民営化法案をめぐって揺れに揺れている。党内の民営化反対派と、「最善の策として国会に(法案を)提出した」「法案修正はない」と言いつつも歩みよりを見せる小泉首相。「改革の本丸」とする郵政民営化にこれだけ揺れている今、民主党にとってはこれほどの攻め時はない。それでも、4月の党首討論という絶好の場で小泉首相と対峙したときも岡田代表は「この種の問題で政府を引っかき回すのは政権準備政党の役割ではない」「首相もいろいろ郵政では忙しいようで」と深く取りあげようとしなかった。自民、公明両党は今国会の会期を8月半ばまで延長することを決めたけれど、明らかに、緊張感のある審議の末での延長という文脈にはなっていない。たるんだ印象の理由のひとつとして、民主党が説得力ある対案を出すことができなかったことを多くのメディアも取りあげている。労組系を中心に民営化反対議員も多いという党内事情があるとしても、あまりにも消極的すぎやしないか。

 現行の審議制度では過半数の票を得なければ案が通ることはない。
 今はまだ少数野党の位置にいる民主党は、与党に徹底した論戦を挑んで、時には罵詈雑言を浴びせ、何とか政権を揺さぶっていく徹底抗戦の選択肢もあるのに、それをしようとしない。徹底抗戦をしろ、というのではなく、国会でそれをしないのなら他に存在感を示す方法がとられているのか、ということだ。
 今の民主党にはそれがない。
 国会で野党が審議を尽くさないということは、与党の政党に異論がないということになる。政策が違わないのなら政権につく必要はゼロだ。
 去年の参院選で民主党の改選議席数が自民を越えたときは、なにかが起こりそうな気がしていた。たしかにそうだった。でもいつからか民主党は、晴れた空が曇り始めるように、「よくわからない」ものになっていった。岡田克也代表が「政権準備政党」を自信ありげに示してから、ますますわからなくなった。
 それに加えて、2度続けての取材拒否。
 初期の小泉内閣やマニフェスト導入の選挙などが支持されたように、わかりやすいということは確かに国民に理解される大きな要因かもしれない。ここ最近の民主党のわかりにくさが、自分の首を絞めてゆくことになりはしないか。
 民主党は、わかりにくさの霧の中に消えてゆくのか。(■つづく)

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2000年ピカチューはカラーで見られない?/―ゲームボーイ・カラーが売っていない―

●月刊「記録」2000年3月号掲載記事

●取材・本文/本誌編集部

■ゲームボーイカラーが欲しいの

 徹夜の仕事を終え、やっと布団にもぐり込んだ朝、一時間もしないうちに携帯電話が鳴った。ええい、いまいましいと思いつつ電話に出ると、友人の姪のS子ちゃんであった。初々しいセーラー服姿が脳裏をよぎる。
  「大畑のおじちゃん! お願いがあるの! ゲームボーイカラー見つけてほしいの」
 おじちゃんと呼ばれるのはつねづね不満だが、中学生の彼女からみれば仕方がない。以前、あるゲームソフトが品薄で手に入りづらくなっていたところを、街中を取材かたがた見つけ出してあげたことがある。その実績を見込まれての再びの「お願い」なのだろう。きっと大畑のおじちゃんのことをスーパーマンかなにかと思っているのに違いない。
 安眠を邪魔されて頭にもきたが、かわいいS子ちゃんの頼みであれば仕方がない。どうせ街中を一日まわれば今回も見つかるだろう。と、非常に安易な気持ちでOKした。「おじちゃんに任せとけ!」と、寝ぼけ頭で。それがことの始まりだった。
 さて、コンピュータやゲーム機を買うなら東京は秋葉原である。なによりショップの数が多い。隣の店、隣の店へと順々にめぐればそのうち見つけ出せるだろう。私は、メインストリートの中央通りで、ゲーム機を扱っている店を片端から訪ねていった。
 ところがである。
  「品切れです。二~三週間に1回、せいぜい10台ぐらい入ってくるだけですよ。入ってきても1日で売り切れます」(ソフマップ一三号店)、「ないんですよねえ。先週はけっこう入荷台数が多くて、3~4日は店にもあったけれど、10台ぐらいだと1日ももたないんですよ。今週も入荷するとは思いますけれど、詳しい日程はわかりません」(ヤマギワソフト)。なるほど、たしかにゲームボーイカラーは見つけにくいのであった。電気ショップ・ツクモにいたっては、「いつ入るかずーっとわからないんです。今年に入って一度も見ていないんですから」と店員が嘆きの声をあげた。         
 その後も各ショップをまわったが、店員から聞く話はお寒いものばかり。比較的頻繁に入荷していると思われるラオックスゲーム館でさえ、一週間~10日ごとに30~40台程度だという。

■入荷数が10倍の店がある…

 なぜこれほど品薄になってしまったのか?
 ゲームボーイカラーは1998年月末に任天堂から発売された。ショップの店員によれば発売当初は商品がダブついていたという。状況が一変したのは、昨年11月に同社より「ポケットモンスター金」と「ポケットモンスター銀」という二つのゲームソフトが発売されてからである。
 これらは、ご存じ「ピカチュー」のキャラクターが米国でも大フィーバーしたゲームソフト「ポケットモンスター赤」と「ポケットモンスター青」の後続ソフトである。カラー対応になったゲーム「ポケモン金・銀」を動かすために、ポケモンファンが一斉にゲームボーイカラーを手に入れようと動き出した。結果的に品薄が生じる。2月14日現在でも店頭でみつけるのは、ほとんど不可能に近い状況だ。
 しかも調べてみると、ゲームボーイカラーの置き引きや、小学生からカツアゲする輩まで出てきていることがわかった。いやいや品薄は、かなり深刻なのであった。
 それではと、任天堂広報室に品薄の状況を訊ねてみた。こちらは「品薄の状況はかなり改善していると思います。ただお客様の多い店舗では、すぐに売り切れてしまいますので」との答え。
 そうなのか? 客足が多すぎる秋葉原を狙ったのが間違いだったのか? と、客が少ないと思われる東京の郊外にあるおもちゃ屋にも足を運んでみた。しかしやはりここでも軒並み品切れ……。
  「一週間に一度ぐらいは入荷するんですが、数が少なくて数台なんですよ。だからすぐに売り切れちゃいます」(長崎屋・武蔵小金井店)、「最近、やっと10台ぐらい入るようになりましたが、12月からお客様の御予約を受け付けており、まだ20人近く予約が残っている状況です」(丸井・国分寺店)と、秋葉原よりますます事態は悲惨である。
 客は少ないかもしれないが、入荷台数はさらに少なかったのだ。これでは入手は難しくて当たり前。
 それならばと、知り合いのおもちゃバイヤーに電話をかけ、ゲームボーイカラーの入手方法を聞いてみた。
  「年末に比べるとねえ、少しは改善されたけれど、今も品薄だからな~。まめに店をまわるしかないかな。でもね。任天堂の場合、データ店と呼ばれる店への入荷は多いんだ。同じまわるなら、データ店のほうが入手できる可能性は高いかも」
 このバイヤーによれば、業界には売上個数や発売ソフトの予約状況などを随時メーカーに報告しているデータ店がある。データは、メーカーによってマーケティングなどに活用されているとのことだ。
 さっそくバイヤーにデータ店はどこかを聞き出し、指定された店に出向いてみた。そしてあまりの違いに驚いた。
 例えば、さくらやホビー館(新宿東口)だ。ここでは週に一度の入荷ではあるが、入荷量が格段に違うのである。2月13日には150~60台を入荷して売り切ったという。もう一店、データ店であると指定された小田急百貨店(新宿店)でも、同じく2月13日に100台弱ものゲームボーイカラーを入荷し完売している。
 秋葉原の多くの店と比べてこの入荷量の違いは驚きである。もっとも、どちらの店もすでに完売しており、買えなかったことに変わりはない。
 一方、念のためまわったヨドバシカメラ新宿東口店や小田急以外の百貨店では、秋葉原と似たり寄ったりの状況であった。全店が一斉に入荷した2月13日に限っても、ヨドバシカメラが10台、伊勢丹が20台、高島屋が20台、京王百貨店が10台と、小田急百貨店の入荷数の5分の1、10分の1なのであった。
 これだけ入荷量が違うなら、はじめから入荷日を調べて小田急百貨店とさくらやに直行すればよかったではないか。それにしても、こんなに入荷量に差があるなんて普通の消費者は知らないだろう。だが考えてみれば、小売りへ商品が卸される日は直前になってわかるそうだから、消費者が事前に入荷日を調べること自体が不可能だった。
 ゲーム機探しが徒労に終わったことへの逆恨み混じりで、入荷数の偏りについて、任天堂広報室に説明を求めた。
  「問屋からの入荷数が店によって差があるのは当然だと思います。お得意先には多く入れることもありますから。ただし変な形で(店への)入荷数に差をつけるようなことは、もちろんしておりません」
 そりゃそうだ。どの店に何台入荷しようとメーカーの自由ではある。売上個数が随時報告されるデータ店のほうが、需要にみあった商品の入荷もしやすいだろう。しかし隣り合うデパートで入荷量に10倍もの差があることなど消費者は知らない。消費者が血まなこになって商品を探している時期に、ここまで入荷量に偏りがあるのが、なんだか解せない。いや、どっちにしても手に入らないのだから同じことか。いずれにしても私はこの日、ゲームボーイカラーを手に入れられなかった。 

■インターネットでは値段高騰

 店で買えないならインターネットではどうだろう。最近、インターネットではフリーマーケットばやりであるという。きっと何台かは出ているはずだ。さっそく調べてみると、出ていた出ていた。やはり出品されていた。しかもかなりの数である。そして価格は高騰している。メーカー希望価格6800円の商品が、中古でも8000円の値をつけている。
 2月中旬の現在でも、新品ともなれば8000円台中盤で取り引きされている。どうやら新品のゲームボーイカラーを標準価格で買いつけ、プレミアつきの値段で売りさばこうする輩が大勢出ているらしい。こういう奴がいるから品薄のモノがよけいに品薄になるのだ。そもそも6800円の商品を2000円も上乗せして買わせようなど、こっちの弱いところを突いたもうけ方が気にくわない。
 頭に血をのぼらせつつネットサーフィンをしていると、次に見つけたのは、サンリオが発売している「ハローキティーゲームボーイカラー スペシャルボックス」(一万二八八〇円)だった。同社の人気キャラクターであるキティの絵柄付きのゲームボーイカラーである。これにソフトを付けてセットで売り出したものだ。
 もうこの際、キティ付きでもソフト付きでも仕方がない。S子ちゃんにとって大畑のおじちゃんはスーパーマンなのだ。しかし、サンリオに問い合わせると、
  「98年から発売していたのですが、11月末にお客様からの注文が殺到いたしまして今は在庫がない状態です。もしかしましたら店によっては残っているところもあるかもしれませんが……」(同社広報)と、やっぱりここでも在庫なしだ。1万2880円という高価格にもかかわらず完売とは……。いやはや、ゲームボーイカラーそんなにすごい人気なのか
 これだけの品薄を消費者はどう思っているのだろうか。私のように怒ってはいないのか。街角で話を聞いてみた。
  「日曜日に入る(入荷する)ことが多いから来てみたけどやっぱりないんだ。友達も持っているし、早くやりたいよ」(10歳・男子)
  「子どもにせがまれて探しているんですが、なかなかありませんね。ないものは仕方ありませんけれどねえ」(40歳・会社員)
 結局、丸々一週間近くかけてゲームボーイカラーは入手できなかった。街で取材をしていると、このゲーム機を持っている人からは、やれ画面がきれいだの、野生のポケモンをカラーで見るとかわいいだのと、いかにもうれしそうにさんざん自慢され、そのたびにS子ちゃんの顔が浮かんだ。すまない。大畑のおじちゃんは無力だ……。
  「昨年4月から月間150万台の生産態勢を取り続けており、そろそろ状況も改善すると思います」
 任天堂の広報室は、問い合わせるたびに繰り返すのみ。でも、ないものはないのである。
 任天堂はユーザーに甘えていないか。「ポケモン金」で、ピカチューがしかける「甘える攻撃」は、会社の姿勢の反映か。

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それで会社は変わったか/第2回 まだら模様のカジュアルデー

●月刊「記録」2000年3月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■独創性を重んじる社風から生まれた

  『なぜ会社は変われないのか』(日本経済新聞社)という本が売れている。社内変革をうたったこの本は、2つの続編を併せて30万部以上の売れ行きだという。
 このベストセラーは、肩書きを外し社員同士が本音で話し合えように勧める。今までの社内改革のように、トップダウン方式を採用していない、かなり斬新な改革方法が紹介されている。しかし「社内の風通しを良くしようとする改革」というこのフレーズ、どこかで聞いたことがないだろうか? 
 円高不況以降、日本企業における組織の硬直化が問題になり続け、いくつかの改革プランが各企業で実行されてきた。先月紹介した「さんづけ運動」などは、その典型だろう。そして90年代中頃から大いに注目を集め始めたのが、カジュアルデーであった。
 カジュアルデーは、シリコンバレーを中心とした米国西海岸のコンピュータソフト会社から始まったといわれる。独創性を重んじる社風のなかで、若手社員がラフな服装で出社するようになった。こうした企業が業績を伸ばすにつれ、自由な服装も注目を浴びた。その結果、米国の大企業が「カジュアル・フライデー」と名づけ、週一回、ネクタイを外してカジュアルな服装で出勤する日を設けることになったのである。
 カジュアルデーが、日本に上陸したのは80年代末であった。88年2月にはカーオーディオのクラリオン、同年6月には北陸ジャスコで導入されている。だがカジュアルデーが多くの企業で取り入れられ、その効果が注目をあびるようになったのは、やはり90年に入ってからだろう。
 とくに94年3月、綿紡績の老舗であるクラボウのカジュアルデー導入は、大きく報道された。新しい綿素材の開発に合わせての導入が、話題にもなったからだ。この後、メンズ用カジュアルウェアへの参入を企てる繊維業界が、次々とカジュアルデーを導入していく。つまりカジュアルデーが、企業改革とともに販売促進の一環ともなったのである。
 導入当時の状況について、クラボウの広報部は次のように語る。
  「時代の閉塞感を打破する意識改革として、また高級綿素材を使ったアパレル製品の販売促進の意味もありカジュアルデーを導入しました。当時、業績が好転したことを憶えています」
 こうした一部総合商社を含む繊維業界のカジュアルデーを別とすれば、やはり導入した多くの企業の第一目標は、社内改革であった。

■ネクタイを締めた人に会いたい

 例えば、93年7月に導入したアマチュア無線機メーカーの大手、八重洲無線は、同年5月に社長となった長谷川淳氏の発案でカジュアルデーを開始。「いつもと違った視点から日常の仕事を見つめ直すことで、ふだんは気づかなかった部分が見えてくることもあるだろう」(『日経新聞』93年7月28日)と、カジュアルデーの効果に、新社長も期待を寄せた。
 また97年8月より都市銀行ではじめてカジュアルデーを導入したさくら銀行は、「従来の枠組みにとらわれず、新たに創造する楽しさを体得してもらうために導入した」と、広報部が導入の目的を教えてくれた。
 これだけではない。新聞報道によれば、雪印乳業は自分自身で作った殻を破るよう、思いを込めて導入したという。日本IBMは「柔軟な発想で製品の企画や販売にあたれる」ために、森永製菓は「自由な発想と行動の変革」のための導入である。
 では現在、カジュアルデーはどれほど社内に定着し、期待した効果が上がったのだろうか。実は、こうした質問には肯定的な答えが返ってくる場合が多い。さくら銀行広報は、行員にカジュアルデーが浸透していることを認めたうえで、「明るい職場環境になりました。お客様からも親しみやすいと評判です」と語る。
 伊藤忠商事の広報も、「社員の気分が明るくなったようです。服装から新しいコミュニケーションも生まれたと聞いています。またカジュアルデーを導入するようになってから、会議で発言するようになった社員もいるようですよ」と語る。
 先述したクラボウも「導入後 1年目の社内アンケートでも、『発想の転換に役立つ』、『リラックスできる』などの答えが寄せられております」と、効果を認めている。
 しかし、これが一般的な反応なのだろうか? 週1回のカジュアルデーは、それほど効果を発揮したのだろうか?
 さくら銀行などは、金融機関という制約もあり、服装は原則自由であるもののネクタイ着用である。しかも「清潔で、明るく、機能性のある服装で、なおかつ華美ではなく、お客様に不快感を与えない服装」を着るように、行員に指導しているという。
 クラボウでも導入してからしばらくは、Tシャツやスニーカーなどがいき過ぎた服装だと、社内でも問題になった。しかし試行錯誤の期間とし、1年間は静観するように担当者が会社に働きかけた結果、個人がTPOに合わせて判断するようになったという。
 一般的にいわれている通り、横並び意識の強い日本社会では、やはり異質な服装には強いアレルギー反応が起きる。そうなると接客時の服装を中心に、規則ができやすくなるのは当然だ。
 こうした傾向を裏付ける資料もある。94年7月に『繊研新聞』が行った、東京・大阪の一部上場企業に勤務する20~60歳までの男性社員に対するアンケート(有効回答237人)結果だ。
  「仕事で人と会う時に、どのような服装の人がよいか」という質問に、「スーツを着ている人が好ましい」と答えた人が、73・8%。「ジャケットとスラックスでネクタイを締めている人が好ましい」が、19・3%。「ジャケットとスラックスでネクタイを締めていない人が好ましい」が、4・8%。「ジーパンかTシャツかポロシャツが好ましい」と答えた人は、わずか2・1%だった。
 実に93%以上の人が、仕事ではネクタイを締めた人と会いたがっている。これでは社内といえでも、あまり思い切ったことはしにくい。会社にまったくお客が来ないことはありえないからだ。となればカジュアルデーの効果も限られくる。
  「(カジュアルデーが)企業の発展に結びついたかといえば、ちょっと厳しいですね。そもそも定量的に効果があるというものでもないですから」(八重洲無線・総務)という意見は、実のところ多くの企業の実感ではなかろうか。

■数名だけで実施中

 比較的早い時期に週1回のカジュアルデーを導入し、最終的に平日すべてを服装自由にした某企業から、今回の取材を断られた。企業名を出さない約束で取材を進めると、現在、カジュアルデーが転換期を迎えているからだという。
 契約社員やアルバイトなど一部従業員が、厚底サンダルやタンクトップなどで来社することが重なり、完全に自由だった服装のルールを考えているのだという。「いや、まあタンクトップっていいですけど、さすがに仕事はしにくいですね」と、担当者も笑って答えてくれた。
 カジュアルデーが当初の目的通り、社内の風通しを良くしたなら、こういった問題が頻繁に起きてもおかしくない。実際、米国でも、非常に差別的なキャラクターのTシャツを、カジュアルデー初日に着てきた男性が問題になったと、カジュアルデーを特集した米国の男性誌『GQ』(九五年七月号)は報じている。
 単にビジネスマナーがなかった従業員がいただけではないかと、こうした事例を断じるのは易しい。しかし暗黙の社内規定に縛られることなく、社員が自由に考えて行動できたからこそ、このような問題が起こったとはいえまいか。少なくても、カジュアルデーの服装に細かな決まりがあるようなら、こうした問題は起こらない。
 まったく逆の事例もある。
 社風の堅さから、最寄りの駅名に引っかけて「四ッ谷区役所」などとも呼ばれる雪印乳業では、93年から一部部署でカジュアルデーを導入した。しかし、現在まったく定着していない。
  「人事部の人材開発センターの提案で、数年前には営業部門ではない企画スタッフなどの何部署かでは、カジュアルデーが取り入れられました。しかし社内全体には広まりませんでした。
 現在、カジュアルデーを実施しているのは、社内でも数名です」
 いくつかの部署で取り入れられながら、自然と立ち消えになっていった過程を考えると、暗黙の社内規定がカジュアルデーを許さなかったのだろう。それでも数名で実施し続けているのには驚くしかない。

■リトマス試験紙だった

 カジュアルデーを導入した企業については、株価や格付けなども調べてみた。結果的にいえば、カジュアルデーの実施と業績には何の関連性もみつからない。たとえカジュアルデーが社風を変える力があったにしても、そうした変化が業績に現れるのには長い時間が必要となる。簡単に因果関係など見つかるはずもない。
 では、あのカジュアルデーのブームは何だったのだろうか。そして導入した企業に何を残したのだろうか。
 結局、カジュアルデーは一つのリトマス試験紙となったのではないか。会社がどこまで社員の自主性を重んじているのか、そして横並びの意識からどこまで脱しようとしているのかを、目に見える形で示したのである。
 14年前にカジュアルデーを導入したというレイノルズ・エム・シー・タバコの広報では、カジュアルデーが100%浸透した現状を次のように語ってくれた。
  「個々人がジーンズ、スニーカーなど、自分に気持ち良いと思う自由な服装をしています。接客など、外部の方にお会いする予定がある場合は、個々人が常識を持った判断で整えています」
 外資系だけに服装のくだけ方は、他社と比べてかなり進んでいたが、現在問題は一切起こっていないという。毎日ノーネクタイでもかまわない企業が、米国に山ほどあることを考えれば、これもまた驚くべきことではないのかもしれない。
 こうして考えてみると、やはりカジュアルデーが社風を大きく変えることはなかったようだ。しかし上手く活用すれば、社員にとっては福利厚生の一環にはなる。先述した『繊研新聞』のアンケートによれば、「スーツをどう考えていますか?」という質問に、「仕事上仕方なく着ている。できれば着たくない」と答えた人が74・7%もいたからだ。
 社内改革と大上段に構えないで、社員が働きやすい服装で楽しめば良いぐらいの思いで導入すれば、それに見合った効果は見込めるだろう。
 函館信用金庫は、今年2月からカジュアルデーを導入する。金融自由化に伴う社内改革の一環だと思い取材したところ、意外な答えが返ってきた。
  「2000年で、ちょうど良い節目ですから。それで導入することにしたんですよ。まあ、金融機関の堅苦しいイメージを取り払って、お客様との距離を縮めるのが目的ですが」(函館信用金庫・人事)
 肩肘張っていない姿勢に、かえって好感を持った。
 ちなみに従業員の服装は「毎日がカジュアルデー」がずっと前から当然、というのが、わが出版界である。

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それで会社は変わったか/第1回 さんづけ運動13年の功罪

●月刊『記録』2000年2月号掲載記事

●文/取材 本誌編集部

■上下関係をスムースにするマナー

 円高不況によって企業構造の改革が叫ばれていた当時、経済同友会が提唱し、一躍脚光を浴びた運動があった。「さんづけ運動」である。
 1987年3月に経済同友会から出された「労働力流動化時代に備えて」という報告書には、次のように書かれている。
  「若年層の異例抜擢は、摩擦を引き起こしやすいので敬遠され気味であったが、変革の時代にあっては頻繁に行われることが予想される。一方、同一企業に長く勤務したいと念願する者のなかには、昇進にこだわらず比較的軽い仕事を地道に勤め上げたいと望んでいる者も少なくない。
 将来は指揮命令権と年功との間に大幅なズレが生じていくことが予想されるので、敬語・敬称についても神経を使わなくてはならなくなる。そうした事態に備えるために初期訓練期間は別として、入社後10年以上を経た従業員の間では、職能の上下関係変動をスムースにするようなマナーを予め企業内に浸透させておくことが望ましい」
 終身雇用制が崩壊し、年功序列から実力主義へと移行した日本の企業体質は、確かにこの報告書のとおり「労働力の流動化」を招いた。その結果、「上下関係をスムースにするようなマナー」として、当時さかんに提唱された運動があった。「さんづけ運動」である。
 社内で社員の名を呼ぶ場合に、「部長」「課長」などの役職名をつけずに「○○さん」と「さんづけ」で呼ぶ。すると上司の年齢が部下よりも低くなった場合にも、上下関係に支障を起こさずにすむであろうというもくろみであった。当時、相当多くの企業が全社をあげてこの運動に取り組んでいた。さて、その「さんづけ運動」、業績を上げるのに、どれだけ効果があったのだろうか? 

■提唱前から独自に実践組

 経済同友会から「さんづけ運動」が提唱される以前から、自然にこれが定着していた企業もあった。本田技研工業である。
  「社内でのさんづけ呼称は、うちでは昔から当たり前に行われていました。ですから会社をあげて、さんづけを推奨した記憶はありませんし、いつごろから始まったのかも正確にはわかりません」と、運動の開始時期については、本田技研工業の広報部も首をひねる。ただ年齢・役職に関係なく、フランクに意見を交換できる社風があったからこそ、さんづけ呼称が当たり前に行われていたことは認めている。
  「社長であろうと身近に接していれば、自然とさんづけで呼べるものです。まぁ初対面の新人が、さんづけで社長を呼ぶのは難しいとは思いますが。
 つまり日常業務のなかで、上下関係を意識しすぎずにフランクに意見を交換できていれば、さんづけ呼称も自然と浸透していくものだと思います」(本田技研工業・広報)
 さすが社長室も作らず、大部屋の役員室があることでも知られている企業だけのことはあるだろう。
 そのホンダと対照的なのが、ライバル・日産自動車だ。
 経済同友会の提言からさかのぼること二年、当時の久米豊社長は、社内報『ニッサンニュース』に次のように書いて「さんづけ運動」を提唱した。
  「日産には余計な敬語が多過ぎます。必要以上の敬語なんてやめましょうよ。敬語を使って、尊敬しているかのように、大事にしているかのように祭り上げてしまっている。それが、人との関係を断絶させるもとなんですよ」
 だが現在では、さんづけ呼称が社内で話題になることはないと、同社広報部はいう。
  「社長が提唱することにより、さんづけの土壌が社内に作り上げられました。ただし当初から、さんづけを強制しようといった意図はありませんでした。
 そのために、さんづけが定着した部署もあれば、しなかった部署もあります。というのもさんづけで呼ぶかどうかは、個人の感覚に基づいたものだからです。結局、もっとも重要なポイントは、上司のとのコミュニケーションが円滑に行われるかどうかですから。
 さんづけの提唱によって、実際にどれだけコミュニケーションが改善されたかはわかりませんが、その当時の企業風土に何らかの影響を与えたと思います」
 広報部によれば、「さんづけ運動」のあとも、社内のコミュニケーションを円滑にするために改革が行われていたという。経営陣の階層別会議を取りやめ、一つのテーマを経営陣が皆でディスカッションできる体制に変えた取り組みなどがその典型といえる。
 しかし業績は、伸びなかった。
 身動きできないほどの有利子債務を抱え、結局、コスト・カッターと異名を取るカルロス・ゴーン氏が最高執行責任者(COO)に就任。報じられるところによれば、トップダウン方式で一気に再生案をまとめたという。それは、階層別会議やさんづけ呼称などを気にする暇もないほどの力技の改革だった。
 そして、「さんづけ運動」など気にもとめなかった本田技研工業が、日産を抜いて業界第二位のシェアを狙える位置にいる。本田技研工業の平成大不況を生き残ることができる可能性は一気に高まったといえるだろう。雲泥の差である。

■提言をきっちり守る優等生組

 さて、経済同友会が前記のようなマナーの提言をしたことに伴って、いくつかの企業が「さんづけ運動」に乗り出した。その一つが、住宅建材メーカーのトステムだ。ポストの高低にとらわれず、自由に意見を交換できるようにすることが運動を導入した動機であるという。
 運動開始から5年後にあたる94年に行った、本社勤務の全社員1886人を対象にしたアンケート調査では、運動の定着率が明らかになっている。
 上司をさんづけで呼ぶことを「100%実行している人」は53・9%。この数字に「ほとんど(70%程度)実行している人」を加えると、90%もの社員がさんづけを行っていることになる。つまりほとんどの社員が、ほとんどの場面でさんづけで呼び合っているということだ。
 ではトステムで、さんづけがここまで浸透した理由は何なのか。先述のアンケートによれば、42・6%の社員が「役職誤認がなく呼びやすい」という理由でさんづけを実行していた。続いて「より親近感が持てる」が35・1%。さらに「形式を捨ててより実務中心になれる」(19・2%)、「地位だけが一人歩きするといった感じがなくなる」(18・8%)、「構えないで仕事ができる」(17・7%)と続く。
 この結果を見るかぎり、トステムは、「さんづけ運動」に関しては優等生というところだろう。
 同時期に運動を始め、しっかりと企業に浸透させることができたのが、洗剤などの家庭用品を扱う花王である。新聞報道によれば、社員個人個人に情報が公平に流れるようにするために始めたという理由であった。
  「現在は『さんづけ』が使われるようになってから入社した社員も多くいますので、上司も部下も社内で使うのが当たり前になっています」
 花王の広報は、現在の状況について、このように答えてくれた。では、この二つの企業の現在の実績はどうなのだろう。四季報を開いてみた。
 一言でいえば、両社とも順調に業績が伸びている。トステムは、98年3月に95億円以上の赤字を計上しているが、その後は回復。花王にいたっては、一度も赤字を計上することなく、大手格付け機関であるスタンダード&プアーズで「AA」と、かなり高い評価を獲得している。
 しかし、徐々にさんづけ呼称が定着していった時期にあたる90年代前半に注目してみても、特に目立った業績の伸びは見られなかった。「さんづけ運動」が会社の業績を左右する力になったとは言い難い。果たして全社を上げて取り組むほどの運動だったのか、やはり首をひねるしかない。

■危機感にあおられた社会改革組

 さて、 「さんづけ運動」は、経済同友会から提言があった時期にだけ取り入れられたものではない。なんと90年代に入ってから企業改革の一手法として取り入れた企業もあるのだ。
 92年4月から運動を展開したのは第一勧業銀行だ。第一勧業銀行は、同年同月、頭取に就任した奥田正司氏が、「わたしを『奥田頭取』ではなく、『奥田さん』と読んでください」と、全国支店長会議で挨拶したと伝えられる。当時、この「さんづけ運動」への取り組みは、都市銀行初の試みとして多くの新聞で報道された。
 また第一勧銀から遅れること1年。第二地方銀行の殖産銀行でも「さんづけ運動」は開始された。
 叶内紀雄頭取の提案で始まった運動の目的は、意見のいいやすい職場を作ること、そして複雑化した役職名の呼びにくさを解消することにあった。現在、この運動は行員の五割程度にまで浸透している。また運動が社内に与えた効果についても殖産銀行の人事部は次のように語っている。
  「職場の雰囲気が柔らかになり、職位・職制を超えてなんでも話し合える環境作りとマナー向上に大きな力となっています。また、上下関係に縛られず、全員が同じ目標に向かう行風に貢献しています」
 さらに最近になって、この運動を導入したのが山陽特殊製鋼だ。運動開始時期は、なんと97年11月。ほぼ2年と少し前にあたる。
 山陽特殊製鋼で、「さんづけ運動」とともに行われた改革が、社内のフラット化と管理職の年俸制だ。部長・次長・課長・係長・担当の五段階を、部長・グループ長・担当の三段階に改変した。平成大不況によるビジネス環境の激変に慌てて手を打った格好だ。
 しかしこちらは、危機感を持って行われた改革だけに浸透は早かった。
  「昨日まで役づけで呼んでいたのに、いきなり一一月一日から、さんづけで呼ぶのは難しいと思いました。そこで最初のうちは、できるだけさんづけで呼ぶようにという通達を出しました。
 でも改革を実行してみると、心配は杞憂に終わりました。というのも、さんづけ呼称は三ヵ月で社員に浸透したからです。また同時に行われた社内組織の改変も、業務の迅速化という効果を短期間で生み出しました」
 大変良い結果を生み出したと広報部は語る。では、90年代に入ってから「さんづけ運動」を導入したというこれらの企業の現在の実績はどうだろう。
 第一勧銀はご存じの通り、三行合併でどうにか息を長らえたが、どれほど不良債権があるのかはいまもって不明である。またどのように吸収されるのかという明確なビジョンも明らかにはされていない。殖産銀行は、現在でも公表されているだけで192億円もの不良債権に苦しみ、山陽特殊製鋼にいたっては、運動が浸透した99年3月決算で、過去五年間で最悪の赤字を経常している。

■呼称程度じゃ変わらない

 社内の風通しを良くし、人員の流動化のために取り入れられた「さんづけ運動」は、社内の雰囲気こそ変えたかもしれないが、結果的にみれば業績には反映しなかった。それでも97年までこの運動を推進しようという企業があったことは、逆にいえばそれだけ日本企業の風通しが悪かったことを示しているだろう。
 そして企業の業績は、このように安易で表面的な運動などでは、簡単に変わるものではないということだ。

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激突!新型ゲーム機・冬の陣/家電に追いついたハードとゲーム店店員たちの本音

■月刊『記録』07年2月号掲載記事

■文・取材/本誌編集部

■スタートダッシュで差がついた!

 06年末、ゲームのハード機(本体)がメーカーから相次いで発表され、年末商戦は決戦の場となった。
 11月11日にソニー・コンピュータエンタテイメント(SCE)から「プレイステーション3(PS3)」、12月2日には任天堂から「Wii」が発売された。11月2日にもマイクロソフト(MS)が「Xbox360」の低価格版となる「Xbox360コアシステム」(以下「Xboxコア」)の発売に乗り出しており、三つ巴の争いとなった。
 MSの「Xbox360」は06年末までに全世界で1000万台以上を売り上げているが、日本では売り上げが伸びず、今回の「Xboxコア」で日本市場での掘り起こしを計る。
 SCEと任天堂が席巻する家庭用ゲーム機市場にコンピュータ企業の巨人・マイクロソフトが初代「Xbox」を掲げて割って入ったのが2002年。「Xbox」を中心としたエンターテイメント事業はいまのところ赤字とはいえ、潤沢な資金を有するMSが先行する企業にとって脅威となっていることは間違いない。
 さて、「プレイステーション2」に続く大成功を収めることができるか注目された「PS3」だが、発売前からSCEの混乱ぶりが伝えられていた。
 量産体制が整わず日本とアメリカでは大幅な初期出荷台数の縮小を余儀なくされ、欧州にいたっては発売が延期になったほどである。
「PS3」が搭載する、次世代DVD規格であるブルーレイディスク(BD)を読み取る装置の生産が遅れているのが原因だ。
 当初の計画通りであれば、日米合わせた年内出荷は400万台のはずだったが、実際には200万台程度にまで減少。発売前に希望小売価格の値下げを発表するという波乱もあった。ハードディスクの容量が20Gの低価格版は税込み6万2790円の予定だったが、「Xboxコア」の登場やユーザーからの「高い」との声を鑑みた結果、4万9980円まで値下がりした。
 発売直後こそ店にPS3を買い求める客が殺到したが、それも初回出荷台数が10万台のみだったこともあるようだ。
 対する任天堂の「Wii」は「遊びの原点立ち返ったゲーム機」と言われている。
「ファミコン」が90年代半ば、「プレイステーション」にハード機No.1の座を奪われた後、任天堂も「プレイステーション」の特徴である高機能路線で対抗することを目指し「ゲームキューブ」を発表。しかし結果的に敗北したという過去がある。
「Wii」では、高機能性や高いゲーム性を追求した「PS3」や「Xbox」とは別の「遊びやすさ」「親しみやすさ」を重視。岩田聡SCE社長が「家族全員が毎日当たり前のように触れるゲーム機を目指す」とコメントしていた通り、棒状のコントローラーを片手で持つという気軽さ、それでいて操作が簡単ということから老若男女が楽しめるものとなっている。
 価格も2万5000円と他の2機種より低く、発売後5日間で世界販売が100万台を突破するというものすごいスタートダッシュを見せた。
 年末商戦の時点では「Wii」が他に比べてリードしていると報じられているが、このまま「Wii」が今後のゲーム機の主役になっていくのかというと、そういうわけでもなさそうだ。
 今でこそ「PS3」は高価格だが、1年後には数量的に市場に普及し価格が下がり始め、多くの人に手が届くようになる。そして、なんといってもハイビジョン対応の次世代DVD再生機である「PS3」はAV機器としても最高峰の機能を備え、BD-DVD再生ハードとしても期待されている側面がある。ゲーム機が「家電」に完全に追いついたのが「PS3」といえ、今後の関連デバイスの発表にも期待が集まっている。
 年末商戦以後の各ゲーム機の展望はどうなのか。完全な予想などありはしないが、日々店に立ってゲーム機を販売する店員たちならば、その流れを敏感に感じ取っているはずだ。

■ゲーム担当店員の視点

 家電量販店やゲーム店が林立する秋葉原を訪れた。
 まずは秋葉原駅横にそびえるヨドバシカメラマルチメディアAkibaに足を運ぶ。「Wii」の発売前日の夜から1500人もが行列を作った店舗である。
 ゲーム機器のフロアには多くの人が集まっていた。大きなディスプレイが用意され、映画のような「PS3」のゲーム画面が写し出されているかと思えば、「Wii」の棚にも人だかりができている。
「今のところは、『Wii』が押してると言えるんじゃないでしょうか。今日の時点でも在庫はゼロです。入ってきても、そのたびに即日完売の状態ですからね。やはり幅広い層に人気がありますし、操作方法が斬新で本当の意味で新しいゲーム機というインパクトがあるようですね。」
 店員さんが言うには、なんと予約の受付もできない状態であるという。
 売り場には、「Wii」が売り切れ状態であることを知った客が、人気ソフト『Wiiスポーツ』のパッケージを手に取って、心なしか物欲しそうに眺めている。
 他方、「PS3」には在庫があるようだ。
 初期出荷が少なかった「PS3」の方が在庫があることが意外だった。それでも、今後の見通しが暗いわけでもないようだ。
「思った以上に、BD再生機として『PS3』を見ているお客様が多いんです。たしかに『PS2』発売時も、DVD再生機としての側面がありましたが、そのころはもうDVD再生機は普及していました。でも、今回のBD-DVDに関してはまだほとんど普及していない。その意味は大きいと思います。これからの展望ということになれば、決定的な影響力を持つのは人気ソフトが出るかどうか、ということになりますよ。このソフトが欲しいからこのゲーム機を買う、という判断でハード機を決めるお客様は多いですから」。
 こう語る店員さん自身も、どのゲーム機を買うかはこれから発売されるソフトによって決めるという。

■『ブルードラゴン』でXbox復活!?

 実際にソフトの力によって売り上げを大きく伸ばしてきたゲーム機がある。「Xboxコア」である。「ゲームソフト店「メディアランド」の店員さんに聞いたところ熱っぽく語ってくれた。
「やっとキラーソフトが出たって感じですよね。『ブルードラゴン』『ロストプラネット』あたりが出てきて本体も売り上げが伸びてる感じです。なぜかアキバ(秋葉原)では『Xbox』系が強いという謎の傾向があるんですけど、ここにきて本格的に伸びてきました」。
『ブルードラゴン』はあの『ドラゴンボール』を描いたマンガ家、鳥山明がキャラクターを担当した作品だ。このソフトが発売された12月7日以降、売り上げが伸びたことからも年末商戦がさらに激化したことが伺える。
 ここで、いかにもゲーム担当らしい今後の展開についてのコメントを聞くことができた。
「でも、これから先、どのゲーム機に期待するとしたら、個人的には『Xboxコア』でも『PS3』でも『Wii』でもなく、『ニンテンドウDS』か、『PS2』ですよ。というのは、ソフト制作会社側が『PS3』からソフトを出すのを嫌っている傾向があるらしいということをたまに聞きますからね。『PS3』が高性能になったから、そのソフトを作る側にも相対的に今までより高い技術とコストをかけなければならなくなってしまった、というのが理由だそうです」。
 その点、『ニンテンドウDS』や『PS2』では今後も『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』といった大ヒット間違いなしの超大作が発売を待たれている。新たな3機種に移行するのはまだ早計ということらしい。
 何件か店を回ったが、1月23日まで「Wii」にお目にかかることができなかった。しかし、この23日にようやく「メディアランド」で中古の「Wii」を1台だけ見つけることができた。
 値段を見ると、2万9800円。なんと希望価格の2万5000円より5000円近く高くなっている。買い取り価格は2万6000円前後だという。
「今のところ希少価値がありますから。他の店では中古で3万円を超えてるのも見たありますよ」。
 それでも売れるというから驚いてしまう。新品にしろ中古にしろ、次に入ってくる見通しは今のことろないという。
「GAMERS」本店。この店でも当然のように「Wii」は売り切れである。「PS3」在庫アリ。「Xboxコア」も在庫アリ。
 店員さんの談。
「『Wii』は入ってくるなり品切れ。運がいいときは2週で連続で入ってきますけど、その日のうちにすぐ売れちゃいますね。個人的には『Wii』派です。『PS3』は『機械』という感じがして、気軽に楽しむという感じではないですよね」。
「Xboxコア」の売れ行きは同店でも伸びているという。ここで気になったのは、人気ソフトが出る前とはいえ、なぜ「Xbox360」「Xbox360コア」は伸び悩んだのかということだ。
「初代の『Xbox』と比較して、そんなに進化してる感じがしなかったからだと思います。目新しい機能もないし、ソフトもそんなに充実してなかった。だからMSにとっては『ブルードラゴン』は『これにかけた!』っていう感じだったんじゃないですかね」。
『ブルードラゴン』がヒットし、やや遅まきながら『Xboxコア』が攻勢をかける。それが『Xboxコア』の現状であるようだ。
 少し前まで、ゲームといえば子どもの遊び道具というとらえ方が一般的だったはずだが今は違う。
 SCEはテレビ以上の開発コストをかけ、家電のプラットフォームとしてのゲーム機を視野に入れている。全世界で大ヒットを記録している『メタルギアソリッド』(ハードは「PS2」)に大塚製薬の『カロリーメイト』がアイテムとして登場しているように、ゲームの中に広告が入るのは今後当たり前のことになるという。MSはゲーム中の広告を収入源として視野に入れはじめ、ゲーム向け広告代理店を設置している。
 飛躍的な進化を遂げる今後のゲーム業界に、そして3機種の生き残りの動向に注目!(■了)

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まだ続けるけるべき? サッカー疑惑の祭典/トヨタが糸を引くW杯

■月刊『記録』07年1月号掲載記事

■文・本誌編集部

 競技人口2億4000万人(FIFA発表)とも言われ、地球上で最も親しまれているスポーツであるサッカー。
 国別でチームを組み、4年に1度世界一の座を争うワールドカップが06年にドイツで開催されたことは記憶に新しいが、クラブチームによる世界一のトロフィーをかけての闘いは、毎年この日本で行われている。
 通称トヨタカップとして1981年から行われていた大会では、欧州王者と南米王者が「第三国」である日本で激突し、勝者がクラブチーム世界一となっていた。しかし、05年からはさらにその規模を拡大、欧州と南米の王者のみならず北米、アジア、アフリカ、オセアニアの王者が加わることになった。
 日本で開催されることになり、トヨタカップと呼ばれるようになったのは1981年からだが、大会そのものはインターコンチネンタルカップとして1960年から存在していた。
 60年代の設立当初は欧州王者と南米王者がホーム・アンド・アウェー方式でゲームを行っていたが、特に南米で行われる試合では観客が過剰にヒートアップし危険が伴い、またクラブ側の経済的、スケジュール的な負担も大きいことから、81年から中立的な場所ということで日本で1戦のみ、世界一決定戦が行われることになったのだ。
 05年大会からはFIFA(国際サッカー連盟)主催のクラブワールドカップ(2000年に第1回が開催されるがその後中断していた)と統合する形で「クラブワールドカップ」(以下クラブW杯)を正式名称としている。

 さて、05年から欧州と南米以外に4つの大陸の王者がクラブW杯に参加することになったわけだが、どうも4つのチームが新たに加わる意味が見いだせない、というのはひねくれた見方なのだろうか。
 現在という時代ではスポーツイベントの価値が経済効果で計られ、オリンピックの運営でさえ放映権料やスポンサー効果といった話題から切り離せないものになっているのは言うまでもない。とはいえ、クラブW杯では参加地域の拡大に乗じ、トヨタがブランドのアピールの場としてサッカーを利用しようという魂胆があまりにミエミエだろう。
 新たに加えるチームが、呼ぶに値するチームなのか、というと必ずしもそうでないからだ。4つのチームにはなんとアマチュアのチームまで含まれている。オセアニア代表のオークランドシティ(ニュージーランドのチーム)は、ニュージーランドにプロリーグがないためアマチュアなのである。「アマチュアで何が悪い!」と思われるかもしれないが、今回は実現しなかったとはいえ、オークランドシティとスーパースター・ロナウジーニョ率いる欧州王者・バルセロナが闘うことになればそれは“イジメ”になってしまう。ロナウジーニョは今回の来日で日本サッカー協会から依頼され、イジメ問題吹き荒れる環境に生きる日本の子供に「生きろ、生きろ、生きろ。強くあれ。自殺なんかするな」という感動的なメッセージを送っているのだが、バルセロナ×オークランドが実現していれば、それ自体がイジメだ。
 実際ではそのカードが実現しないようにトーナメント上で両者は最も遠い位置に配されているのだが、なんだかそれも「配慮」というよりは「ウソくさい」感じがする。
 幸い、大会ではバルセロナのスペクタクルな快勝劇あり、ブラジルの超新星・アレシャンドレの鮮烈な世界デビューありで観る価値は結果的にあったのだが、サッカー誌の扱いは限りなく控えめ。あくまで欧州で行われているチャンピオンズリーグが話題の中心。不気味なのは、大会自体の批判記事が少しくらいあってもいいものなのに、どの媒体にも見あたらなかったことだ。
 何よりも引っかかるのは、表記されることのなかったスタジアムの名前である。トヨタカップだった2002年の頃から決勝は横浜国際総合競技場で行われてきたのだが、このスタジアムは日産自動車がネーミングライツ(命名権)を取得、05年より呼称を「日産スタジアム」としている。しかし、この大会中はその名前が出ることはまずなかった。スポンサーであるトヨタの前で日産の名前を出すことなどできない、ということなのだろうが、全くサッカーと関係のないところでそんな力関係が存在するのが現代のスポーツ、と割り切るべきなのだろうか。
 現在、07年度まではクラブW杯は日本で開かれることが決まっているが、その後のことは決まっていない。
 一説では、欧州にトッププレイヤーが集中する現在の傾向を回避し、これまで以上にいろんな地域に注目を集めて貰うために参加国を増やしたという見方もあるが、広告費と世界一の競技人口、という費用対効果を十分に考えたTOYOTAは、スポンサー名を大会名の冠に置き続けるのだろう。(■了)

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日中友好の象徴はどうなってる!?

■月刊『記録』05年5月号

■文/本誌編集部

 中国・韓国で反日デモが吹き荒れている。テレビニュースの映像を見る限り、みんな本気で怒っているようだ。戦後、少しずつ積み上げてきた両国との友好関係が吹っ飛びそうな勢いではないか。
 大変だ! 本誌編集部としても状況を把握しなければならない。とはいえ海外に行くカネなどない。で、とりあえず日中友好の象徴を取材してきました!

 中国との友好の象徴といえばパンダである。
 思い起こせば1973年、警備員から「立ち止まらないでくださーい」と怒鳴られ、人波にもまれながら上野動物で初めてパンダを見たのであった。よく見りゃ熊だが、当時、幼稚園生だった私は白黒ツートンとタレ目模様に熱狂した。しかし日中国交正常化を記念して譲渡されたカンカン・ランランを見てから32年をへて、日中の危機を探るために上野動物園のパンダを再訪するとは、なんという歴史の皮肉であろう。
 はやる心を抑えてオスの小屋に近づくと、リンリンは背中を向けてうなだれていた。丸めた白黒の背中は微動だにせず、何分たっても振り向く気配すらない。リンリンはただただ壁を見続けていた。日中友好の象徴はやはり元気がなかったのである。日中関係が相当にこたえているのだろうか。
 それならばとメキシコのチャプルテペック動物園から繁殖のためにレンタルされているシュアンシュアンの小屋に歩を進めてみると、背こそ向けているものの元気に動いていた。在日メキシカン・シュアンシュアンに反日デモは関係ないようだ。
 ただ調べてみると、リンリンがうなだれている原因は日中関係だけではないらしい。シュアンシュアンのレンタル期間が今年までのため、人工授精に失敗すると19歳と高齢のリンリンが独りで老後を過ごすことになってしまうのだという。
 全世界で飼育されているパンダは168頭。そのうち中国国籍(?)以外のパンダはわずかに5頭。リンリンは日本国籍を持つパンダだが、中国籍のパンダと交配して生まれた子どもはすべて中国籍なってしまう。そのため中国籍以外のパンダとの子どもができなければ、日本国籍のパンダはいなくなってしまうのだ。
  「(リンリンの相手が)今年以降もレンタルされるのかはわかりません。お金を出せば貸してくれるとは思いますが、現在は予算もありませんので」とパンダの飼育係員は沈痛な声で応えてくれた。
 ではランラン・カンカンのように中国から譲渡されることはないのだろうか?
  「最近は中国もパンダの譲渡をしなくなっています。パンダを保護するために貸し出すことはあるようですけれど……」
 リンリンが高齢で必ずしも繁殖に適さないことを考えれば、今後レンタルのお相手がくるかは微妙だ。それどころか高齢のリンリンがいきなり亡くなる可能性すらある。そうなったらどうにかレンタル料を都合できても、中国はパンダをレンタルしてくれるのだろうか? かつて「パンダ外交」という言葉があったように、パンダと政治は浅からぬ関係がある。飼育係の方も「譲渡のときは日中関係の悪化にはヒヤヒヤしました」と語るほどなのだ。
 うーん、思っていた以上に深刻である。日中関係が冷え込むなか、日中友好の象徴が上野で滅亡の危機にされていたのだ。
 ところでみなさん、パンダのいない上野なんて耐えられます?(■了)

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『私は偽悪者』・ 山崎晃嗣と堀江貴文と

■月刊『記録』06年11月号掲載記事

■牧野出版代表・佐久間憲一さんに聞く

「もし偽善者という言葉に対して、偽悪者という言葉があるならば、彼こそ真の偽悪者だと思います。」
 牧野出版が今年4月に出版した『私は偽悪者』の冒頭に置かれている文言だ。
 文言の主は1950年に『私は偽悪者』(青年書房)を編集した佐藤静子、「彼」であり同書の著者である山崎晃嗣の愛人だった人物だ。つまり、牧野出版が今年出した『私は偽悪者』は、50年以上前に出版された同書の“復刻版”なのだ。
 著者の山崎晃嗣は1922年生まれ。東京大学在学中の1948年に高利貸し会社「光クラブ」を設立し、派手な広告、「人より数字を信用せよ」の信念で会社を爆発的に成長させた。しかし、当時の法定利息を上回る金額を貸しだしていたことで逮捕される。保釈は得たが信用を失い、債権者に約束した金を工面できず会社の自室で青酸カリ自殺を遂げた。
 なぜ今になって彼の著作が“復刻”されたのかと疑問に思われるかも知れない。答えは牧野出版が今年出した同書のオビを見れば一目瞭然だ。
「元祖ホリエモン!? 劇場型人間、山崎晃嗣の問題作復刊。」
 今回の“牧野バージョン”では底本(オリジナル)にプラスして、書の終わりにライブドア元社長・堀江貴文と山崎晃嗣との共通性を検証する項が設けられている。つまり、時代は違えど同じく金が飛び交う舞台で、一瞬ではあるが異常な輝きを放った2人の人物に焦点を合わせた1冊なのである。
 山崎晃嗣の「自伝」的な要素も含む本書のメーンは50年以上も前に姿を消した光クラブの興亡なのだが、読み進める間にもその背後に現代を生きる堀江貴文が見え隠れするような気がしてくるのだ。
山崎晃嗣が魅力的に見えた
 本書に企画段階から携わった牧野出版代表の佐久間憲一さんは、派手な買収劇を打ち、「既存のメディアを殺していく」というハッキリした物言いで世間の耳目を集める堀江貴文を見て、「これは山崎だなぁ」と思ったという。
 構想を練りだしたのは05年の秋頃。もともと光クラブ事件や山崎晃嗣という人物には興味があったが、青年書房刊の『私は偽悪者』を読んでみようと思い、国会図書館に足を運んだ。
「とても面白かったんですよ、実際に読んでみて。ホリエモンと山崎には何とはなしに類似性を感じていて気になってはいたんですけど、読んでいて確信は深まりましたね。後は、読み物として単純に面白かった。これは出すべきだろう、と。確かに法定金利をオーバーしてたことはありますけど、頭脳を駆使して独力で立つ姿勢、『他のいまだ成し得ざりしことをなさん』という信念は良い悪いではなく興味深い人物なんですよ」
 メディアでは「拝金主義者」などの大バッシングを受けた堀江貴文だが、佐久間さんの中には「彼がやっているのは本当に叩かれるべきことなんだろうか?」という思いもあった。
「確かに、粉飾決算という形で一線は越えてしまった。これは叩かれてもしょうがないでしょう。ただ、それ以前に彼がやってきたことは、逮捕以前では“ラインギリギリの創意工夫”でもあったわけです。面白いのは、新聞なり雑誌なりのメディア媒体として出されるものには『堀江許すまじ』といった色合いが濃かったんですけど、個人個人でメディア関係者に話を聞くと、案外彼らも『本当にそこまで叩かれるものなのかな』といった感じなんです。」
 しかし、結果的にほとんどのメディアは堀江を悪者として断罪した。見方によってはただ、バブルのように堀江叩きが盛り上がっていっただけのようにも見える。粉飾決算よりもこっちのほうがずっと恐ろしい、と佐久間さんは言う。

 冒頭で佐藤静子が書いているように、山崎は『偽悪者』なのだろうか。確かに山崎自身が「おれは悪党だ」と言っている下りが本書にもあるが、その真意は今となっては確かめようがない。
 過激な発言と、違法と合法の間で輝きを放った両者だが、こんな存在にどこかあこがれを抱いてしまう人は少なくないだろう。堀江の後に、山崎を彷彿とさせる人物は必ず現れるだろう。
 そのとき、私たちメディアはどのようにして「偽悪者」を受け入れるべきなのか。(■了)

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現代のホームレス事情についての対談(神戸幸夫×大畑太郎)

■月刊『記録』06年4月号掲載記事

■路上生活者を追い続けて。
神戸幸夫(『ホームレス自らを語る』の聞き手)×大畑太郎(本誌編集者)

*『ホームレス自らを語る』の連載100回記念企画。神戸幸夫氏と編集部の大畑との対談形式で、現在のホームレスについて語した。

     *     *     *

■就労構造の変化に追い詰められる人々■

●大畑:ギャンブルや酒や借金など、ひとくちにホームレスといってもいろんな理由で路上にたどりつくわけですけれど、やはり仕事とホームレスは切っても切れない問題です。以前は、会社員として普通に働いていた人が解雇されたりして路上に行き着くまでの間には、ガードマンだとか日雇いとかラブホテルの従業員といった仕事がありました。

●神戸:日雇いがその典型ですよね。日雇いの労働者を調達するためにやって来る手配師にとってはアタマ数がそろえばいいわけだから、会社に勤める場合に必要な来歴や連絡先などまったく問わずに連れて行く。別に外国人だっていいわけですよ。
 しかし、最近では景気が悪いこともあって50歳以上の人は相手にされないようです。というのは、仕事に就くことができない若い労働力が余っているので、調達する側から見れば働かせるんなら若い方がいい、そういうことになりますよね。そもそも、景気のせいで日雇いの仕事も数自体が少なくなっています。
大畑:そう考えると、50代やそのあたりのホームレスが仕事をとるのはそうとう厳しいというのが現実でしょうか。

●神戸:そうです。景気について明るい話題がぽつぽつ聞こえはじめてはいますが、土木、建築をはじめ日雇い労働については人手を必要としていない。しかも、終身雇用が崩れた今、正社員といえども安定した身分と言い切れるわけではないです。大企業であってもいつクビを切られるのかわからない。若い世代を見ても、就労構造の変化によってホームレス予備軍が着々と増えつつある。正社員が極端に少なく、パートと派遣でその周辺を埋めるという構造です。正社員よりも低賃金で雇うことができるパートや派遣もいつ契約を切られるか分からないという不安定な状態で仕事をしなければならない。昔、サラリーマンならば中小企業であっても退職金があったし、厚生年金プラス企業年金もあったりして、老後の設計は立ったと思います。今は違います。60歳で定年を迎えたとして、年金の支給がはじまる65歳まで退職金で必死に食いつながなければならない。

●大畑:ひどい会社になると、退職金が前払いになっていて、払われなかったりする。極端に少ない正社員と言いましたが、ある大企業では、一般職のほとんどを別会社に移してしまい、経営状況が悪くなればその会社を潰せるようにしているところもある。以前だったら、労働基準法にてらして議論があり、そういうのはおかしいといわれるようなものなのに、現在ではまかり通ってしまっています。

●神戸:労働者のことなんて、上層部は考えもしないんでしょう。その場その場のさじ加減で状況を切り抜けていけると思ってるんじゃないですかね。そういえば、ここのところ、今までの日本では考えられないような事件が相次いでいるような気がしますね。耐震強度偽装事件、ライブドアや東横イン、雪印、伊藤ハム、各損保生保会社など各企業のモラルが崩壊し、日本全体が刹那的になってるような。ずっと先を見据えたものづくりや人を育てるようなことを考えなくなってしまった。そのいい例が、連載の03年1月号で取材させてもらった山根さんという方の話です。山根さんは当時51歳でコンクリートを流し込む型枠づくり専門の大工でしたが、45歳を過ぎたあたりから高齢を理由にだんだん仕事を回してもらえなくなる。それで、そういうベテランの代わりに図面も読めないとにかく給料が安い若手が使われ始めた。で、ある時、そんな若い大工ばかりを集めた現場で信じられないミスが起こる。図面を読める大工が極端に少なかったせいで、壁の内と外の寸法を間違えたまま壁を立ち上げてしまうんです。結局、つくり直しの費用の数千万円を払えるような大きな会社でもないから、なすすべなく倒産。経営者が人件費を切りつめようとして、結局それが自分の首を絞めることになってしまった。山根さんは「ベテランの知恵や経験を切り捨てるのは狂ってる」と言っていますが、まったくその通りだと思います。そして、経営を安易な人切りによるその場しのぎでやっていこうとするこの構図は、先に挙げた一連の事件や社会全体の風潮と重なっている部分があるように思えるんです。

●大畑:なんというか、救いのない話というか。経験があって、まだ十分に働くことができるという人が放り出されるようになってしまったのはいつごろからなんでしょう?

●神戸:やはりバブル崩壊後でしょうね。今も新宿の中央公園あたりでは増えているようです。年齢層は50代あたり。厚生労働省の最新のデータでは、ホームレスの数は全国で2万5000人と発表されていますが、実際にはそれよりも多いと思います。

■生活保護を受けられない!■

●大畑:現時点のホームレスだけではなく、ニートや不安定なフリーターといった、ホームレス予備軍の問題もあります。

●神戸:彼らは……生活力はあるんですかねえ。

●大畑:いや、おそらくないでしょう。ある専門家がいうには、彼らが生活保護申請を出す前に彼らの問題をどうにかしなければならないと。たしかにそうかもしれないですよね。事故やなにかで親が死んだりしたら、もう路上に放り出される可能性だってあるわけですから。ところで、生活保護はどうなんでしょう。

●神戸:簡単には出さないようですね。

●大畑:やっぱり。

●神戸:あまりにも申請が増えすぎてしまって、役所は申請者全員を認めるわけにはいかないようです。去年(05)の取材で、高血圧がつらくて生活保護を受けようとした方がいます。その方は72歳で、渋谷の区役所に生活保護申請をしましたが、若い担当者が対応して、「入院経験はありますか?」ときいてくる。ないと答えると、「じゃあもうちょっとがんばって働いてください」と簡単に言われてしまう。それで終わり。緊急で保護しなければならない人は他にもいるからというのが言い分らしいですが、その方はひどい耳鳴りと血圧降下剤を飲んで暮らしている。薬を飲むから食欲不振が続いて体力がもたない。こんな方が、申請しても簡単に突っぱねられてしまっているんです。
大畑:72歳でもハネられている。実際にはさらに上の人の生活保護申請も認められていない可能性があるわけですね。

●神戸:生活保護を受けるためにはいくつか条件があるわけです。住所があることにはじまり、働くことができないという医者の証明書、所持金が最低生活費を下回ることなどですが、彼らはアパート代が払えないので、申請をする前に家を出ちゃうんですね。また、そうでなくても生活保護に対する精神的な負い目から受給を申請しない人もいる。これはイヤな話なんですが、申請した当人の何親等かまで家系をたどり、役所が「この人の面倒を見てください」と働きかけに行くんですね。人によってはそういうのがたまらない。田舎の親戚などからは東京に行ってまともに生活していると思われていたのに、実際はこんな生活になっていた、ということが知られてしまう。故郷に錦を飾るとはまったく逆の屈辱でしょう。そしておそらく役所は、近親者を持ち出せば申請をやめるという計算からそういうことをする。そこまで露骨ではないかもしれないけど、少なくともそういう姿勢のあらわれではないかと思います。

●大畑:役所に余裕がなく、企業にも余裕がない。

●神戸:そうですね。余裕といえば、それは家族にもあてはまると思います。路上にいる人たちの中には、実家があり、空き部屋まであるのだけど、そこには帰りたくないという人もいる。なぜかというと、実家に帰ったとしてもそれには義理の姉だとかがいるわけで、そこで迷惑がられるよりはホームレスをしていたほうがいい、ということになる。
 たしかに、義理の姉の立場で考えると、今まで別に暮らしていた人に帰って来られるのがイヤでしょう。また、義姉のいる実家に帰りたくないのも分かるんです。それで思ったのは「家族」の概念がものすごく狭くなってしまったんだな、ということです。

●大畑:たしかにそうです。親の実家には、戦前に2人くらい居候がいたらしいと聞いて驚いたことがあります。

●神戸:昔は、食客というか居候というか血がつながっていようがつながっていまいが、そういう人たちが家族の中にいるのが珍しいことではなかったんです。境界線が曖昧でいろんなものが混ざっていたという感じですか。今の若い世代では、家族といえば夫婦と子どもまでなのではないでしょうか。今の子どもにとっては昔の大家族がうまく想像できないかもしれない。地域という視点で見ても、近所にホームレスがいるとすぐに苦情が出る。これもコミュニティーの狭さからくるものだと思います。

●大畑:家族、地域と様々なものが狭まって、異質なものは排除するという考え方。ホームレスのなりわいのひとつといえる空き缶ひろいに対しても、地域による監視の目が厳しくなっています。「資源の日」などに家庭から出された空き缶を集めようとするホームレスへの対策として、「空き缶ひろいは犯罪です」という立て札を立てたりする。それくらいのことはいいじゃないか、と思うんですがねえ。やはり「異質」であるホームレスは排除したいらしい。
 驚くべきことに、ホームレス同士でさえ階級格差のようなものが存在していると聞きます。「俺はあいつらとは違う」という意識が多くの人にあることは、僕も取材をしていて感じました。

●神戸:あれはほんとに多いですね。

●大畑:似たような境遇なんだから助け合えばいいんじゃないかと思うんですが、そういうふうには絶対にならない。コミュニティーの狭さというか余裕のなさがあって、団結してなにかをしようということにはならない。
 そんな中で、どうにかお互いまとまって状況を良くしていこうとする場合、いったいどういう方法がありますかね?

●神戸:うーん……、しっかりしたリーダー…、いや、すぐには思いつきません。なんともいえないですよね。ただ、やはり企業といい家族といい地域といい、いろんなところで視野が狭くなり、他を排除するという考えが当たり前になっているのは事実でしょう。これは本当に危険な考え方なんです。

■ホームレスを脱出したのはただ1人■

●大畑:以前であれば、クビになる前に労働組合を中心とした経営者との闘争があった。それがセーフティネットになっていましたが、今はほとんど機能していない。また、クビになってしまったとき、路上で暮らすようになる前にあった日雇いのような仕事も、今では期待できない。要するに、セーフティネットの消滅だといえますよね。だとしたら、ホームレスになることを避けるにはどうすればいいんでしょう。

●神戸:はっきりといえるのは、毎日健康で働けることですかね。入院したりすると、医療費がバカになりませんし、何より解雇されてしまう場合があります。いったんホームレスになってしまうと、そこからは簡単に戻ってこれない。以前取材した方に、サウナを拠点にして再就職を果たした人がいました。就職の際には最低でも履歴書に書く住所が必要なのですが、顔見知りだった従業員に頼んでサウナの住所を使わせてもらったんです。彼は働いていた会社が倒産し、妻も難病で亡くしていました。

●大畑:一時的にホームレスになったが、結果的に戻ってきた彼と、他の人たちとの違いは何なんだったんでしょう?

●神戸:やはり、彼の場合はホームレスをしながらもきちんと生活をしようとしていました。毎日掃除をするなんて人はほとんどいません。鍋を買ってきて、回りの人たちにうどんを食べさせたりもしていましたね。そうしているうちに、彼のまわりには人が集まるようになっているみたいでした。コーヒーもあるぞ、何もあるぞ、という具合に人が持ち寄ってくる。そして、サウナの住所を借りて就職活動し、建設会社に就職できたんです。その後、彼に会いました。「あなたがいたからなんとか持ち直すことができた」と言われたときは嬉しかったですよ。いいスーツを着てましたよ。とても立派になった印象で。それで、お酒を飲ませてもらいました(笑)。しかし、私は今までだいたい300人くらいの人に話を聞いてきましたが、彼だけなんです。ホームレスを脱出できたのは。

●大畑:300人に1人。

●神戸:ただ、たしかに戻ってきたのは1人ですが、皆が皆ホームレスを脱却しようとしているわけではないんです。新宿あたりにいれば、食べるもの、寝る場所について一応はやっていけるということが分かっていますから。毎朝、アメリカの教会関係の方がおにぎりをふるまってくれる。水曜日には宗教団体がカレーライスを出してくれる。他にも、ゴミ拾いを手伝えば豚汁を出してくれるなんていう団体もあります。

●大畑:ボランティアの方たちのところをまわっていれば、飢えなくてすむと。

●神戸:そうです。場所によってはそういう援助がない曜日もあり、その日は腹を空かせながらじっとしていると。かえって冒険しなくてもなんとかやっていくことはできる。だからといって援助がまったく途絶えると彼らはやっていけない。複雑なところですね。

●大畑:景気がよくないとはいっても、勝ち組と負け組の二極化が明らかになってきているというのが実際のところでしょう。トヨタなんか当期利益が3年連続で1兆円を超すとかで最高に儲かっている。なのに、ベアで1000円がどうとかいってましたよね。

●神戸:この格差社会のモデルがどこにあるのかというと、アメリカなんです。この国は日本以上に格差社会なんですが、『ルポ・解雇』(島本慈子・岩波新書)によると、所得上位1%の所得が下位90%の合計所得より多いということが明らかにされている。今の日本はこのモデルに突き進んでいるんです。ここで考えるべきなのは、何もモデルになり得るのはアメリカ型のみではないということです。より労働者が守られるヨーロッパ型にならうという選択肢もあるはずなのに、今はそうなっていない。企業という強者がものすごい力を手に入れ、そこに属することができない大多数の人間の生活が追い詰められていくという方針には絶対に反対すべきです。(■了)

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待ったナシ!駐車違反取り締まりの新ルール施行/初日ルポ 街の風景が変わった

■月刊『記録』06年7月号掲載記事

■取材/文・本誌編集部

 駐車違反取り締まりの新ルールが施行された初日、いつものルートを運転していた酒屋配達の男性は思った。「まるで日曜みたいだな」。平日ならいつも道路の両脇に駐車されている車がこの日はほとんど見あたらなかった。取り締まりが民間業者に委託され、これまでより強化されることは知っていた。どうやら配達中でも構わず取り締まりを受けること、より短時間の駐車で違反と見なされることも知っていた。それでも駐車違反で引っかからないための具体的な対策を男性は持っていなかった。見張りのスタッフを雇えば人件費がかかる。小さな商店にとってそれはあまりにも大きな打撃である。
「取り締まりが厳しくなるみたいだけど……、どうしようもない。今のところは…」酒店の男性は言葉通りの表情で呟いた。
 95年には年間約30万件だった駐車違反の苦情・問い合わせが05年には65万件に膨れあがった。しかし取り締まりの件数は240万件から150万件と逆に減少。このことについて警察庁は、警察官の多くが治安情勢の回復に費やされ駐車違反取り締まりに人員を投入できなかったと説明する。そしてこれが今回の民間監視員導入の背景だった。たしかに違反車両の多い道路は運転しづらいものだ。車のカゲからいつ人が飛び出してくるのか警戒し、神経を使ってしまう。しかし、今回の新制度導入には大きなひずみが伴っている。
 編集部が駐車違反取り締まり初日の様子を追った。

■不満が渦巻く現場を歩く

 監視員の民間委託が導入されたのは東京で12区、43警察署である。監視員は各警察署が定めたガイドラインに沿って監視を行う。今回は編集部近くであり取り締まりの「最重点路線」に定められている靖国通り、そして同じく最重点路線に定められている新宿駅周辺をあたった。
 新宿駅周辺では青梅街道の新宿警察署の前にある交差点から大ガードをくぐり、伊勢丹の裏側にあたる靖国通りと明治通りがぶつかる交差点まで約1キロ。午後12時半から駐車の認められている場所以外に駐車している車を数え始めた。結果は37台、そのうち運転手のいない車は10台だった。
 ただし1人で荷下ろししている車が「運転手のいる」37台にカウントされており、「運転手がいなければ駐車違反だ」という原則に従えば「違法駐車」の数はさらに増える。しかも駐車している車のほとんどが運搬車両なのだ。
 調査通り沿いには一大繁華街が並ぶ。そうした小売店に商品やその材料を運び込むには車しかない。つまり十分なスペースがない現状で「路上駐車」が「兵站」を支えているのだ。
「会社の仲間もブーブー言ってますよ。駐車できないので2マン体制に変わりました。以前は1人で配達していたんですけどね」。大手飲料メーカーの自動販売機に缶ジュースを運搬している男性はゲンナリした顔でそう語った。ただ、2マン体制をとれる業者はまだマシだ。前述の酒屋にはそうすることもできない。いくらかのコストを費やして駐車場を借りることはできても、重い荷物を駐車場から目的地まで運ぶ作業が上乗せされるのはあまりにもキツい。
 今回の法改正のもっとも大きなポイントは2つ。1つは民間の駐車監視員が違反キップを切れるようになったこと。もう1つは運転手が車から離れて、車を移動できない状態なら取り締まれることだ。もちろん理由によって情状酌量されることはない。実際、食料品を歌舞伎町方面に運搬していたトラックは「配送中」と書かれた札を運転席に掲げ、ハザードランプまでつけていたが駐車監視員は構うことなく取り締まりにかかった。なにかがおかしい。もともとは違法駐車対策のためのルールだったはずが、違法も配達もない十把一絡げ状態になっていた。
 歩合制の給与体系ではないが、取り締まりの数が少なすぎれば駐車監視員も肩身が狭かろう。みんなと同じぐらいの数をあげなければ、サボっているのかと疑われかねないからだ。つまり法の番人というより、違法を待つハンターといった趣、ととられてもおかしくはない。
 監視員はは2人1組で薄緑の制服を着込む。
 駐車監視員が違法車両を見つけると、まず専用のデジタルカメラで写真を撮影。その画像を厚さ約2センチ、縦20センチ、横30センチ程度のタッチパネル式の液晶画面のコンピュータに転送する。
 転送された写真を確認すると、コンピュータを持つ駐車監視員が専用のペンを使い猛烈なスピードで打ち込みを始める。違法車両の種別、違反車が置かれた住所などを選択画面から選んでいく。一連の操作が終わると、今度は違法車両の位置を特定にするために距離を測る。横断歩道や交差点の角から何メートルの場所に止まっているのかメジャーを当てるのだ。
 さて、ここからが最大の難関、違法現場の地図作製である。道路の形や車両のマークなどを、選択肢から選び大枠を完成させたあと、先ほど測った距離や道路がどちらに向かっているのかなどをペンで書き込んでいく。取材した駐車監視員は「至明治通り→」と書き込んでいた。かなり汚い手書きの文字でもコンピュータは認識していた。地図を作り終えたら、駐車監視員2人で記載内容を読み上げて間違いがないかを確認し、違法を知らせるステッカーを貼る。時間にして10~15分といったところか。
 じつは違反が確定するのは、このステッカーが貼られた後にある。駐車監視員が地図を描いている間に運転手が帰ってくればセーフ! 駐車監視員は「警告」と書かれた紙を運転手に渡し、おとがめなし。
 つまり駐車監視員の作業時間が運転手の明暗を分ける大きなポイントになるのだ。実際、新宿の取り締まりでは多くの運転手が地図作製中に車に戻ってきた。
 取材したのは取り締まり初日だったため機械の取り扱いにも手間取っていたようだが、これから駐車監視員も慣れてくる。一瞬目を離したスキに取り締まられたというケースが、今後どんどん増えてくるだろう。
 靖国通り・神保町では古本屋「ブンケン・ロックサイド」の店員さんが悲鳴を上げていた。「車を通りに横付けして来るお客さんは来てくれなくなってしまうかもしれません。打撃もいいとこですよ! お客さんだけじゃなく、古本専門の運送屋さんがいてトラックをこのあたりに停め古本街に本を配送するんですが、これからは今までのそんなやり方も見直さなければならないでしょう」。あまりに硬直的な制度のあり方が至るところで歪みを引き起こしている。それでも、見張り役の人員を増やすことができない、そんな弱者へも配慮していると宣伝したいのか「荷捌き用」と書かれたスペースがいきなり作られた。白い枠線で囲われたこの場所ならば駐車違反にならない。駐車監視員が枠内に止められた車を素通りし、その並びに止められたトラックだけを取り締まり始める光景はかなり異様だった。
 新宿大ガードの交差点から明治通りまでの約400メートルには駅に近い側に5台分、その向かい花園神社などがある側に9台分、計14台分の荷捌き用スペースが作られていた。法律改正前まで業務用トラックが両サイドにズラッと並んでいたことを考えれば、この駐車スペースがどれだけ少ないかが分かる。
 となれば激しい場所取りが展開されるのも道理だ。
「今日は朝9時からかなり取り締まってましたよ。間の前にいた枠の外のトラックがキップを切られてましたから。いや、いけないとは思いますけれど、このスペースにずっと止めておきたくなります。午前も午後もこのかいわいで配達しなければならないので……。枠から出たら反則金を取られますから」
 と、大手宅配便会社の運転手は語ってくれた。配達場所が集中している新宿なら、誰もがそう思うだろう。ちなみに同様の思いを抱えているに違いない佐川急便のドライバーは、「私どもはこの件に関して何も言えませんので」と取材に答えた。国土交通省から認可を得るのに苦労した会社らしく、お上に逆らわないよう会社側から教育されたようだ。
 今回の取材では荷捌き用のスペースに、その筋らしい派手な高級車が駐車されてもいた。運送業の車両を取り締まる前に、こうした車こそ排除すべきだろう。もっとも彼らもどこかで何かを「荷捌き」しているのかもしれないが……。

■このドタバタの裏で笑う者が

 今回の法改正で泣いている人は数知れない。だが、当然高笑いしている業者もいる。なかでも美味しかったのはコンピュータ関連の業者だ。デジカメも入力用のコンピュータも別あしらえの特注品である。
 ただ駐車監視員に機械の評判良かったわけではなさそうだ。報道でも機械の故障は大々的に報じられたほどである。ちなみに駐車監視員のコンピュータはハードが三菱、OSはウィンドーズXPだ。炎上自動車を量産した自動車メーカーの関連会社がハードを作り、バグが出ては修正版を配布するメーカーのOSを採用したのだから機械の故障が相次いだのも妙に納得してしまう。
 さて、今回の法改正については、もう1つ重要な論点がある。それは駐車スペースが足りないことを知りながら販売している自動車メーカーの責任だ。
 ペットボトルやカンを大量に流通させる飲料メーカーが回収にも力を注ぐ時代となった。作ったきりで利益だけを懐にしまい込む商法など、すでに許されない。
 ところが今回追いつめられているのは車の使用者だけ。製造メーカーは我関せずである。なかでも国内シェアの4割を握り、庶民をいじめる小泉改革を推進しながら道路特定財源の解消にだけは抵抗しているトヨタ自動車の責任は大きい。「60年代に始まったモータリゼーション中心の経済政策にのり、トヨタ自動車は大もうけをしてきました。だからこそ経団連の会長まで手に入れたわけです。にもかかわらず道路造成や交通対策など、人が暮らしやすくなるための社会的費用を一切支払いませんでした。ただただ車だけ売り続けるトヨタの姿勢がこの問題にも陰を落としています」とは鎌田慧氏の談。
 先述した駐車している車両の調査でも、運転手のいる車の37%、いない車の30%がトヨタ車だった。シェアよりも数字が低いのは乗用車よりトラックが多いからで、トヨタ系列である日野自動車をトヨタ車として勘定しなかったからだ。もし、トヨタ系列という枠組みで換算していたら50%はゆうに超えていたはずだ。
 6月1日に施行されたこの制度だが、もうすぐ1月が経とうとしている。この頃になってようやく、警察署によっては営業車に対する取り締まりの見直しが検討され始めている。だが、それでもこの新たなルールが弱い立場にある者への配慮にまったく欠けていた点は見逃せない。事件はまだ始まったばかりだ。(■了)

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風俗案内条例施行・本当の理由/――青少年のためってホントかよ――

■月刊『記録』06年7月号掲載記事

(■イッセイ遊児……「世の中の問題は性に帰結する」をモットーにする新人ライター。日々編集者にダメ出しをくらいながら何とか生きている)

 2006年6月1日、東京都風俗案内条例が施行された。店舗型のファッションヘルスやお客の待つホテルに女性を派遣するデリバリーヘルス、キャバクラなどにお客さを紹介する風俗案内所の取り締まり強化が目的の法律である。
 条例施行の当日、いつものように風俗案内所で仕事をしていると、一本の電話が鳴った。会社の上の者が「ヤフーのニュースページを見てみろ」と言った。
「1日午後、歌舞伎町、品川、渋谷にある案内所の各店舗の店長それぞれを逮捕。逮捕者は8人」とネット上のニュース記事。
 見せしめである。弱小案内所が数軒摘発されたのだ。
 僕が今こうして原稿を書けず、留置場にいてもおかしくはない。誰でもいい。そんな見せしめのパフォーマンスだった。
 それからしばらくして、突然店の自動ドアが開いた。
「少し悪いね」
 歯切れのよい口調である。
 威勢のいい客だな、と思いカウンターから店側に出ると、大きな看板を持った男と背広の男がいて、警察手帳を見せてきた。本物かどうか遠すぎてわからないが、いちいち「もう一度確認を」とはいえない雰囲気だった。 そしておばさん、おじさんがどっと店の中になだれ込んで来た。
「なんだなんだ」と驚いていると、「これです。ね、もう真っ白でしょう。パネルにはもう猥褻なポスターははれないんですよ」と得意げに警察が説明し始めた。
 おばさん、おじさんは、「ああ、これならいい」と、したり顔でうなずいている。近隣住民なのだろう。
 ふと見ると、テレビカメラがその住民に向けられていた。マイクに向って話をしている人までいる。
 まさかカメラが僕のところには来ないだろうな、といらぬ心配をしてしまった。法律を守って営業しているのだ。違法ではない。ただ、ここで何を話しても、悪人として紹介されるはめになる。それが嫌だった。
 100人を越すであろう行列は、テレビカメラと警察を先頭に「職場」のある繁華街を徘徊していた。
「あんたらがうろうろしているのが一番の地域公害だよー」と思わず心の中で叫んでしまった。インタビューを受けていたおじさんが、一番の強面だったし……。

■1カ月前にも法改正が!

 警視庁生活安全部の広報資料によれば、この条例の目的は「青少年をその健全な成長を阻害する行為から保護すること」と、「繁華街その他の地域における健全なまちづくりに資すること」らしい。しかし、そんな戯言を信じている関係者はいない。案内所を取り締まっても、風俗店そのものが点在している繁華街である。青少年の「健全な成長」など望めるはずもない。
 条例の本当の目的の1つは、一部の悪質な案内所を取り締まるためだろう。
 有名な悪徳案内所「グループM」は新宿でやりたい放題だった。風俗店でもないから許可もいらない。それにあぐらをかいての悪行三昧だった。
 例えば案内所とうたいながら、実はそこがそのまま風俗店の受付になっていたり、40分のサービス時間で客を釣りシャワーを浴びただけで「終わり」にしたり。さすがに客を欺き過ぎたのか歌舞伎町のグループMは摘発され、今はその影はない。しかし池袋ではしたたかに生きている。これでは、まじめにやっている案内所もいい迷惑である。
 しかし、この最も悪名高いグループMは今回の取り締まりでは無傷だった。警察がマークしていることも分かっているだろうから、さすがに店も条例違反にならないように努めたのだろう。
 一方でデリバリーヘルスの女性とお客がことにおよぶラブホテルは摘発されている。
 本当に悪質風俗案内所を取り締まりたいだけなのだろうか?
 じつは今年の5月1日に風適法(旧法は風営法と呼ばれていた)が改正された。狙いは風俗店舗を持たず、電話を受けて女性をホテルや自宅に派遣するデリバリーヘルスの取り締まり強化だった。その1カ月後に新しい法律が施行され、デリバリーヘルスなどの入り口となる案内所ががんじがらめに規制された。この2つの法律が意味するところを考えるなという方がおかしい。
 そもそも新条例の禁止行為が書かれた用紙を眺めていると、要するに全部ダメということになる。
 まず大きく変わったのが営業時間だ。
 以前は午前4~5時ぐらいまで営業ができたが、午前0時閉店になってしまった。もともと風適法により、案内所の紹介先である風俗店は午前0時以降の営業が禁止されていた。しかし、ほとんどの風俗店はあの手この手を使って営業を続けてきたのだ。しかしお客が最初に出向く風俗案内所が当局からにらまれて0時以降の営業ができなくなると、風俗店も終業するしかない。
 風俗で働く女性は夕方からの朝までというシフトが多い。つまり今回の法規制で営業時間が半分に減ったことになる。当然、稼ぎも減る。個人で「モグリの売春」をする娘が増えることは確実だ。現に風俗案内所でボーイをしている僕に、「ヘルスだと取り分が少ないから、良い客がいたらサービスは外でする」と、もらす娘もいるほどだ。
 もう1つの大きな規制はホステスの写真などを表示できなくなったことだ。
 僕の勤める案内所に掲げてあった30枚近くのヘルス広告パネル、10枚ほどのキャバクラのパネルポスターは全部剥がされた。白いパネルを後ろから蛍光灯が寂しく照らしているだけとなった。
 案内所は店内のパネルで広告料を取っている。それなのに警視庁が出したガイドラインに沿えば白いパネルしか置けないのである。女性の裸はもちろん、男女がマイクを持って歌っているものでもアウト。キャバクラのパネルに女性の顔写真もダメ。看板に使われる文字にいたっては「人妻」も許さないという。
 案内所の店内には一応パソコンモニターが6台置かれ、そこに契約しているクライアント風俗店の情報が入っている。ただ店員が詳しく案内をするわけにはいかなくなった。店での割り引き券となるチケットも、昔は店独自のものだったが、今では案内所が発行する統一されたチケットだけである。そのうえ案内所が出す音にまで騒音規制が加わった。
 猥褻なポスターが許されないなら、そのポスターだけを警告してほしかった。案内所のスピーカーから流れる有線放送のうるさい店があるなら、その店舗に警告してほしかった。
 それをしないのはどうしてか? つまり案内所が邪魔だったのだろう。
 いまだに売春防止法がありながらソープランドでは本番ができる。風適法があっても夜中に風俗店は開いていた。この状況を警察が知らなかったとは言わせない。じゃあ、見逃していたのはなぜか。店舗だったからだ。いつでも警察が取り締まれる営業形態だったから、店と警察は癒着し互いにうまいことやってきたわけだ。
 しかし電話番号だけで、女性の待機場所を隠したまま営業できるデリバリーヘルスは警察にとって我慢のならない代物だった。その手先となる案内所も。
 おかげで天下の歌舞伎町の案内所でさえ、午前中の入客が2名なんてことになってしまった。

■うつ病にかかった店員も

 1カ月前の風適法改正で呼び込みが禁止されたこともあり、風俗各店は案内所での顧客獲得に力を入れていた。そこに、この条例である。案内所からみればクライアントである風俗店からの期待(突き上げ)も大きいだけに、条例は案内所で働き生計を立てる者の精神を強く圧迫する。
 施行日の逮捕者は8人だったが、池袋の系列の案内所では0時を回っても明かりを消さなかったという理由で、若いスタッフが警察に連行された。
 時間が過ぎていたのは分かっていたが、客がパソコンを見ていたので無理やり帰すのもむげだと思ったという。優しさがあだになった。
 グループMの系列店は別にして、普通の案内所では学生や目標をもった人間が働いている場合が多い。クライアントや行政、地域住民からのたび重なる圧力で、うつ病になった人もでた。
 彼はうつになりながらも辞めずに、1人家族の祖母のために必死で働いている。父と母ではなく、祖母に育てられたからと。
 取り締まりのパフォーマンスしか流さない警察や一部マスコミにより、本当の話が消えている。都合よく風俗業界を支配しようとする条例の下で、潜り業者は今も蠢いている。(■了)

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阪神大震災と「酒鬼薔薇」

■月刊『記録』97年8月号掲載記事

■阪神大震災と「酒鬼薔薇」

(■和田芳隆……ルポライター。1967年東京生まれ。阪神大震災直後から神戸入りし、世間の取材熱が消えた現在もなお、取材を重ねる。著書に『地震社会学の冒険』。)

 実は、児童虐殺事件の前に同じ地域で通り魔事件が起きたとき、もしかしたら被災者の犯行ではないかとの、嫌な予感がしていた。「ひょっとして、何もかもなくした被災者が、被災が軽かった地域を妬み嫉んで、弱い子供を相手に憂さ晴らしをしたんじゃないか。だとしたら最悪だな」と思っていた。そう思わされるほどに、人々の心が荒廃の度を深めていることを、被災地を探訪するたびに痛感していた。
 一四歳の少年が逮捕されたからといって、殺人の実行者だと決めつけるのはまだ早いだろう。名ばかりの「任意」同行から逮捕されるまでの半日間、密室の取調室で何が行われていたのか、明らかにされていない。過去において、これが冤罪の温床となってきたことを忘れてはいけない。それでもやはり、被災地の人心の荒廃が、一連の事件とどこかで関係しているのではないかと感じている。

■互いに罵り合う被災者

 家や職を失い、将来の展望を見出すことができない被災者は、生活再建にこぎつけた被災者を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか生活再建を軌道に乗せつつある人たちは、いまなお避難所生活を続ける人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「乞食」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境で人々の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。
 神戸市内のある公園で、園内に建てられた仮設住宅の住民と地域住民との間の、犬の散歩(たかがこれだけのことで)を巡るトラブルを取材したことがある。仮設の住民は「犬の鳴き声がうるさいから散歩に来るな」と苦情を言う。地域住民は「仕事もせずに家賃の要らない仮設に住んで文句を言うな」と応酬する。「仕事があればとっくに働いている」「仕事などいくらでもある。働く気がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。
 犬などの動物を飼う行為は、傷つき疲れた被災者の心の癒しになるという側面もあるのだが、仮設の住民は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。被災者が高齢だったり持病を抱えていると、たとえ本人に働く気があっても、企業のほうが雇わない。地域住民も被災地で暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。震災直後にしきりに言われた「皆の心が一つになった」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。
 こんなにも人々の心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで普通に生きていた人たちが、一瞬に大量死した大震災の不条理。生き残った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ、是正どころか日に日に広がっている。被災地の外は、忘れることだけは「熱心」だ。義援金は被災者のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために送られたのではないかとさえ思う。震災取材を続けていると「まだそんなことやってんのか」とよく言われる。「まだ仮設住宅があるのか」とも、何度尋ねられたことだろう。被災者を支援も救済もしない、残酷な社会がそこにある。
 これらを目のあたりにして、何も信じられない、頼れない、との絶望感を被災者が抱いた、その果ての人心の荒廃であること以外に、理由などあり得ない。阪神大震災は、日本という国家・社会の信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、安政江戸地震の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいった江戸幕府の末期の姿と、よく似ている。
 大人の心がこれだけ荒廃して、子供が無縁でいられるはずはない。被災者の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校という場で露骨に現れる。震災後の学校では、ささいなことがきっかけで、子供どうしの喧嘩になることが増えたという。震災によるストレスや、被災者間格差を生んだ大人社会の眼差しの反映だ。わたしも深夜、とある駅前で、荒んだ目をした少年たちに突然絡まれ、無視していたら追いかけられたことがある。以来、被災地に滞在中は、夜のコンビニの前などでたむろしている少年たちのそばへは、決して不用意には近づかない。

■激震地に冷たい周辺住民の視線

 容疑者の少年も、殺人以前の問題として、人心の荒廃を感じ、その影響を受けていたことだけは間違いあるまい。市街地の「激震地帯」に住む親類が被災していたというから、被災程度が軽微な地域に暮らし、強制収容所のように仮設住宅が群をなす「団地」から離れていても、大震災の被害を身近に感じていただろうことは、想像に難くない。少年が小学校の卒業文集に書き記したという「たとえ死刑になっても……」との、為政者への憎悪の言葉からは、大震災で受けた衝撃の痕跡を読みとることができる。
 それに少年は、震災は他人事でありながら、勤務先や通学先が激震地帯にあるために、全くの他人事でもないという、微妙な地域に住んでいた。震災から日をおいて、交通網が部分的に接続されるや否や、廃墟を目指して通勤を始めたのは、主としてこの地域の住民たちだった。自分たちがほどなく日常生活に戻ったことから、まだ廃墟の混乱のなかにある被災者までをも、半ば無理矢理に日常へとひき戻してしまった。その結果、被災者が避難所から通勤するという異常な事態を招いても、その異常さにはほとんど無関心だった。わたしはそこに彼らの「冷たさ」を感じとった。少年も何かを感じていたかもしれない。
 自分の住んでいる町は難なく日常生活に戻ったのに、地下鉄に乗って十数分で着く市街地は、瞬時に崩壊し、いまもって回復していない。大人たちは、避難所生活を送る人々を「汚い存在」とみて、侮蔑し嫌悪している。このギャップから、少年は、社会に対する憤怒と憎悪を涵養させていったのではないだろうか。
 卒業文集をはじめ、これまでに報道されてきた少年の言動からは、思春期の多感な少年少女に特有の破壊衝動や、それに短絡する歪んだ正義感といったものが感じられる。少年が社会に対して憤怒や憎悪を抱いていたとしても、決して不思議ではない。わたしにも覚えがあるし、同じ思いをくぐり抜けてきた大人や、いままさに共有している子供は多いだろう。何も特別な存在などではないのだ。ナイフを持ち歩いていたことがそんなに問題か。わたしは中高生の頃、拳
の大きさに合わせて針金を巻き、それをテープで束ねた自家製の「メリケンサック」を持ち歩いていた。少年が「学校に来るな」と言われていたように、高校生の頃、「文句があるなら退学しろ」と教師に言われたことを思い出す。
 しかも少年は、大震災を体験した。本来なら歪んだ正義感を血の通ったものへと昇華させていくはずの時期に、大震災と社会の不条理に直面してしまった。そこには心の成長を促す心境も環境もなかった。より弱い立場の被災者を切り捨てる大人社会から、少年は残酷さを感じとっていたのではないか。そしてその残酷さは、少年の心をも蝕んだはずだ。もしも本当にあれが少年の犯行であるならば、大人社会の残酷さを忠実に反映して、より弱い立場の者へと、憤怒と憎悪の矛先を逆転させてしまっただろう。
 荒廃した人心が、一様に殺人に至るわけではない。しかし、そんなことはどうでもいい。被災地の人心の荒廃を思うにつけ、一連の殺傷事件と、奥底で繋がっていると感じずにはいられない。被災地の誰が殺人者であってもおかしくはない。少年が殺人を犯していても、いなくても、どちらでも不思議はない。それが被災地の現実なのだ。殺人者の心に巣くい、宿った暗闇が、大震災とそれが露わにした残酷な社会の生み出したものではないと、いったい誰が断言できるのか。
 誰かの心が荒廃するとき、そうさせる者もまた、等しく荒廃している。荒廃し、荒廃させ、わたしたちは、とても残酷な社会に生きている。残酷な奴だ、少年といえども厳罰に処して懲らしめろ、とヒステリックに叫んでも、何の意味もない。そう叫ぶ者は、そうすることで、社会の残酷さを覆い隠し、己の鬱屈や造悪を晴らそうとしている。こうした人々の心も、残酷で、暗闇が巣くっている。被災地を切り捨てたように、少年を自分とは異なるものとして、切り捨てようとする暗闇が宿っているのだ。これらの現実をまず直視しなければ、誰も、何も、どうすることもできない。

■近隣住民の衝撃

◎中学ではイジメが増えた
 阪神大震災以降、青少年は変わったようですね。中学校でのイジメが増えたと聞いています。ただ、震災のショックの受け方も人によって変わるようですよ。暴力的になった生徒がいる一方で、人とのふれあいを大切にするようになった生徒も増えています。今度の殺人事件も、そんな影響があるのかもしれませんね。
 このあたりの地区はほとんど地震の被害を受けていませんが、場所が近いだけに肌で感じるところがあると思います。
(四〇代 女性)

◎犯人の卒業文集には共感
 中学生があんな殺人事件を犯したのには驚きました。三〇~四〇歳ぐらいの大人が、殺したのだと思っていましたからね……。震災の影響で殺人が発生したとは思えないんですが、犯人が卒業文集で書いていた村山富市前首相に何をするかわらないというのは、この地域の多くの住民が持っている感情でしょう。そんな怒りを住民が抱えていることは事実です。
(二〇代 男性)

◎震災で一体感を得た
 震災と今回の殺人事件は、まったく関係ないと思うんです。というのも、震災以後、会社や住民の結びつきが強くなったように感じるからです。私が勤めている会社は土木機械を売っていますから、震災後に土木工事が増えて残業も増えました。でも私が働くことで街が復興に近づいているという気持ちが、活力を生むんですよ。同僚も同じように感じているらしく、震災前とは違った一体感を持ちながら仕事をしています。   (四〇代 男性)

◎震災で何かが変わった
 うまく言えませんが、地震を体験して何かが変わりました。人生観というと大げさですかね、価値観が変わったといえばいいんでしょうかね。土師君を殺した犯人は、どうだったのかわかりませんけれど……。
(五〇代 女性)

◎普通の人と違う
 首を切り取るなんて考えられない。普通の人間とは違うでしょ。しかも、子どもの行動を親がわからなかったというのも、びっくりしています。震災が間接的に影響しているとは、思いたくないのですが、今でも恐いですよ。(五〇代 女性)(■了)

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