月刊『記録』特集モノ

東京大気汚染訴訟~謝罪なき和解への怒り~/原告団事務局長・石川牧子さんに聞く

●月刊「記録」2007年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 96年5月の第一次提訴から11年を経て、今月とうとう東京大気汚染公害裁判が原告側と被告側の合意に至った。総勢のべ633人にも上る都内のぜんそく患者らが原告団を結成し、国や東京都、そして同類の大気汚染の裁判では国内で初めて自動車メーカー7社に法的責任を求めた裁判となった。結果として都のぜんそく患者に対する医療費支援制度の創設、公害対策の実施、メーカー7社合計で12億円の解決金が提示され、原告と被告がこれに応じたことになる。今年6月にはぜんそくを患う原告団たちが18日間にわたりトヨタ東京本社前での座り込みを泊まり込みで決行し注目を集めた。和解後の記者会見の場では団長の西順次さんが、医療費支援制度などを得たことについて感慨のこもった力強い声で「何にもかえがたい成果」と語った。
 今回は原告団事務局長の石川牧子さんに11年間に及んだ訴訟について聞いた。

     *     *     *

■裁判の準備期間を含めると14年にもわたる裁判が決着したわけですが、今回の和解について「おめでとう」と言ってよいのでしょうか?
石川さん:たしかに、医療費助成制度や公害対策、メーカーからの一時金の支払いに至ったという点ではよかったし、周りからも評価されました。ただ、私たちの要求の最たるものである自動車メーカーからの謝罪が最後まで聞かれなかったこと、これだけは残念でならないんです。PM2.5(微小粒子)対策などの公害対策などは今後へつながるものとして価値あるものですけれど、原告団の多くは60代から80代といった高齢の人が多いです。その人たちは先のことよりもまずメーカーがこちらを向いて謝ってくれることを望んでいたんです。東京都は02年の1次判決ですでに責任を認め、国は私と団長が今年7月に首相官邸に行くと、安倍首相がその日のうちに出てきて下さって私たち原告団を慮る言葉をおっしゃってくれました。メーカーは違いました。提訴中に121人の原告が亡くなり、ぜんそくの発作で職を失った人もいます。さらに医療費の支払いに追われる。この無念やくやしさは心の問題で、それを全く無視したということです。しかもメーカー側の代理人によると、謝罪の拒否の根拠は後続訴訟が起こったときに過去の謝罪が不利に働く可能性があるから、ということでした。そんなことで謝罪が避けられてしまったんです。とにかく謝罪がなかったことが残念です。もう、私たちは11年間、何をやっていたのだろうというくらいの気持ちです。メーカーはお金を出すことが一番イヤで、謝罪ならすぐしてもらえるだろうと思ってましたが、それは逆でしたね。

■18日にわたるトヨタ前での座り込みで何か向こうからリアクションはありましたか?
石川さん:座り込みまでの経緯についてまず話しておきます。まだ02年の地裁判決の時点ではメーカー側の責任が問われておらず、国も医療費救済制度などを拒否していた段階では、状況的に余裕があったのか、トヨタ側は一時金の支払いについて「応じる準備もありますよ」と話していたんです。ところが、今年5月に入り国が支援制度創設へ動き出したとたん、一時金の支払いが現実的になったからかトヨタ側は原告側の代理人(弁護士)に「その点については今後取り合わない」と一方的に伝えてきたんです。企業のやり方は汚いですよ。対面しているときには「お察しします」みたいなことを言うんですが、突然連絡がつかなくなるみたいなことを平気でやるんです。そんなことがあって本社前の座り込み行動に出たんです。本社ビルの中で原告団から対応に出た社員に「責任ある立場の人に渡してくれ」と手紙を渡しました。後日、秘書課に電話までして渡辺(捷昭)社長にまで手紙が行ったことを確認しましたが、トヨタからの返事は「話し合いは拒否する」ということだけでした。もう、社長ここに連れてこい!ってな感じですよね、そうなってしまうと。原告団の中では東京高裁が結審日を打診してきた05年12月には、和解なんてとんでもない、という雰囲気だったんです。けれど弁護士さんと話し合って、裁判を長引かせれば患っている人にさらに時間を必要とさせる、和解に応じれば一部の原告だけでなく全員が賠償を取ることができるということで泣いて悔しがりながらも受け入れることを決めたんです(*編集部注:02年の地裁判決では99人中7人のみの損害賠償が認められている)。そんな状況をまったくトヨタは見ようとしなかったんです。

■裁判を通して見えてきた自動車メーカーとはどのようなものでしたか?
石川さん:法廷でのやりとりの中で、ディーゼル車が大気汚染の原因になっていることを覆すのは難しいと判断したからなのか、メーカー側は「私たちはディーゼル車とガソリン車をどちらとも販売している、ディーゼル車を選んだのはユーザーでありどこを走るのもユーザーの問題である」というようなことを言いもしました。なぜ11年もかかったのか、ということをよくきかれるんですけど、このような実に熾烈な法廷闘争で時間がかかってしまったのも事実です。いま環境に配慮する車だとかキレイなことを言っていますけど、じゃあこれまではどうだったんだ、ということを問い正したいですよ。         *     *     *
 西順次原告団長は、ぜんそくを抑えるステロイド剤がもう効かない体を引きずってトヨタ前に座り込み「ここで死ねるなら本望」と語ったという。また、原告団の多くはステロイド剤の継続的使用による糖尿病を抱えて座り込んだ。ただ、そんなものはぜんそくの「死んだ方がマシ」という苦しさに比べれば何でもなかったという。話を聞かせていただいた石川さんは22歳のころから29年間ぜんそくを患っている。発作がおさまらず1週間ほとんど飲み食いできないときもあった。詳しく書く余裕がないが、想像を超えるつらさについても話していただいた。
 そして、何より驚いたのは96年の裁判開始以前から関わってきた西村弁護士と原弁護士はじめ弁護団がまったくの無報酬でこれまでやってきたということである。石川さんによると西村弁護士は地元の四日市の大気汚染問題が法廷で争われた時期に高校時代を過ごし、弁護士になることを決意。東京大気汚染訴訟においては「まさにこのために」の気概で奮起してきた。だが、その西村弁護士とも激しい口論をして打ち合わせをしたこともあったという。
 話を聞くうちに確信したのは原告団全体の意志の強さである。だから闘い抜くことができた。それでも結果的にメーカーからの謝罪を聞くことができなかったことに石川さんは落胆と憤りを隠すことができない様子だった。今後も連絡会の場で大気汚染対策で国や都との協議が控えている。裁判は終わったが「東京にほんとうの青空を」の取り組みはまだ続く。  (■了)

| | コメント (0)

出版界に浸食するトヨタ礼賛の怪

●月刊「記録」2007年11月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 トヨタの影響は産業界だけにとどまらない。じつは出版界もトヨタに「蹂躙」されているのだ。ネット書店大手のamazonで「トヨタ」を検索すると、その数3965件。もちろん、ここには著者が「豊田さん」の本も含まれるが、頭から100件のうち90冊がトヨタ関連本だった。
 これはイカン! いくら本が売れないとはいえ、出版界までがトヨタ方式をヨイショしてどうする!
 というわけでトヨタ関連本を買いに走った。そこで改めて気づいたのだが、やはりトヨタ式はどんな問題も解決してくれるらしい。企業の収益はもちろんのこと人間関係から怠惰な自分まで「カイゼン」してくれる。果ては英語までもが、「トヨタ式」ならうまくいくとか。
 この本を読めば人生がすべてうまくいくかも! と思ってしまった自分が悲しい。
 さて、気を取り直して、1冊づつトヨタ関連本を取り上げていきたい。
 まず手に取ったは『ビジネス漫画 トヨタ式自分「カイゼン」術』(原案・監修 若松義人 宝島社)だ。手っ取り早くトヨタ生産方式を知るなら、やはり漫画だろう。
 内容は業績が悪化している「極東ヨツマル物産」に“カイゼンのドラゴン”と呼ばれるサクラダが呼ばれ、社内をことごとくカイゼンしくいくストーリーだ。ワイシャツを第一ボタンまで開けダラリとネクタイを下げた筋者風のサクラダは、社内の反発をものともせずカイゼンするする。トヨタ式の肝となるセリフでは必ず顔アップなのも、ちょっと昔のマンガを見ているようで楽しい。
 しかし、このマンガには不思議な特徴がある。それは人物が少しでも小さく描かれると、顔が省略されてしまうこと。ひどいのになると1.5センチの輪郭があるなの瞳がない。白目で主人公をにらみ付けている。1センチの輪郭ともなれば、顔には眉だけ。あるいはノッペラボウ。正直、これはかなり怖い。おそらく小さく書き込む顔が「ムダ」だったのだろう。ムリ・ムラ・ムダ(3S)を削減するトヨタイズムに従えば、リードタイム(納品までの時間)を長くしかねない背景の人物などムダでしかない。恐るべしトヨタ生産方式。漫画制作にまで威力を発揮したらしい。
「トヨタ式」の概略をつかんだところで、次に読み始め
たのが『トヨタ流 自己改善力』(若松義人 著 経済界)
である。まえがきにも「自分をカイゼンしていくために、トヨタ生産方式の、ものの見方や考え方、行動の仕方は非常に有効である」と書かれており、怠け者で負け組の私にはピッタリとも思えた。
 しかし、さすが製造業で驚異的な利益率を支えるトヨタ方式。そのカイゼンが並ではない。例えば「『昨日のことは忘れてしまえ、明日のことも考えるな、今日が悪いんだ、今やっていることにムダがあるんだ』という気持ちで臨むことだ」などと書かれている。とにかく日々、目の前にあるムダを省くことだけに集中しろってことだ。そのうえ「『改善とかムダをみつけることは、死ぬまでの仕事だ』というのが大野氏の考えだ」と、トヨタ方式の創始者の名で、ずっとムダを見つけ続けてカイゼンし続けるのが重要だと説く。企業ならまだ分かるが(いや、ずっと企業だけ拡大してどうなるかとも思うが……)、自分の人生からムダを省き続けたら何が残るのだろう。
 考えてみれば、恋人など「ムリ・ムダ・ムラ」の最たるもの。恋人とのつきあい方を「標準化」して、誰とでもつきあえるようにしても浮気されるだけだし……。
 いったいこのトヨタ流自己改革をどうやって自分に使えばいいのかが、残念ながらサッパリわからなかった。 ならば人間関係、特に社内の人間関係をトヨタ式でカイゼンするのはどうだろう。教科書は『人間性尊重のモノづくりを極める トヨタ式人財づくり』(トヨタ生産方式を考える会 編 日刊工業新聞社)である。ちなみに「人財」は小誌のお得意の誤字ではない。人間尊重を込めたトヨタ用語である。
 さて、この本、第1章「人づくり」の初っぱなにくるのが「大野耐一氏の人の育て方」である。当然ながら甘いことは書いてない。
「では、どんようにしたら知恵が出せるようになるか? その中で最も良い方法は、人を徹底的に追い詰めて、困らせる中で、自らが考え、知恵を引き出すことだ」
 これが最善の策らしい。しかも「自主管理活動」のページでは、「困らなければ知恵は出てこない」→「死ぬほど困れば知恵は出てくる」→「職場長をどうやって困らせるか」→“上司はあくまで部下を困り続けさせねばならない”とも書かれている。
 オイオイ、賃金もネームバリューも高くない小社で実施したら、みんな辞めちゃうって。
 やっぱり我が社には採用できそうもない。
 過労死や自殺者を出した越谷郵便局のカイゼン活動を、  「改善参加者への『動機づけ』さえ誤らなければ、必ずや郵便事業の効率化に大きく貢献するものと期待されます」と締めくくっている本に従ってもしかたないが……。
『トヨタの元工場責任者が教える 入門トヨタ生産入門』(中経出版・石井正光)はタイトル通り国内外の工場で30年以上指揮をとってきた人物が著したもの。前出の大野耐一・鬼カントクの現場でのエピソードなど織り交ぜながら、当然のようにTPS(Toyota Product System)やカイゼンの素晴らしさを伝導。トヨタ以外の企業ではカイゼンは通用しないという通説(?)があることに対し、それはその企業に合った形でカイゼンを適応していないからだと一喝。とにもかくにも「ムリ・ムダ・ムラ」を省くこと、これが挙げられるがこの徹底ぶりがすごい。具体的には、部品を取る動作ひとつとっても筋肉を上下に動かすよりは水平に動かす方が疲れなくてすむ、1秒でもムダな時間を省くべしといった具合。以前テレビでトヨタ工場内の様子の映像を見たが、従業員たちはまったく身動きができないような部品ばかりを集めたボックスのような場所で窮屈に手を動かしていた。このトヨタイズムは今や一部の地方自治体にまで取り入れられているという。利益を生みだすのが究極の目的である企業体とはいえここまでくれば原理主義の領域。トヨタは人を育てる? どんな人間ができあがることだろう? (■了)

| | コメント (2)

産学連携の危険な膨張とトヨタの影

●月刊「記録」2007年10月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 旧文部省が大学運営の方向を転換したのは1990年ごろだといわれている。細かく決まっていた大学設置基準を緩め、各大学が創意工夫して自由に競争する方向へと促し始めたのである。
 そして99年2月、小渕恵三内閣総理大臣の諮問機関「経済戦略会議」で重大な指針が示される。
「シリコンバレーにおけるような世界的ベンチャー企業が日本に興さない理由の一つは国立大学の硬直性にある。国立大学教員の身分を拘束の強い国家公務員から解放し、兼業や産学共同研究の自由度を飛躍的に高める。国立大学については独立行政法人化をはじめ将来の民営化も視野に入れて段階的に制度改革を進める」
 議長に当時アサヒビールの会長である樋口廣太郎氏、委員に井手正敬・西日本旅客鉄道会長や奥田碩・トヨタ自動車社長などの経済人と大学教授を並べた会議で出された、このような答申により大学にも「改革」の波が押し寄せたのである。
 この政策の背景には企業が抱える中央研究所の問題があった。日本の技術開発は長らく海外からの技術導入型であり、その中心を担っていたのが各企業の中央研究所だった。しかし付加価値を高めるため最先端技術開発が必要になると、時間も金もかかる研究を一企業だけで担うことができなくなってしまった。その補完相手として狙いをつけられたのが大学だった。
 じつは、この政策のモデルは米国にある。米国では70年代中頃から企業の中央研究所が衰退。企業は産学連携に活路を求めた。政府も大学への資金提供を縮小してこの方針をバックアップした。補助金を絞ることで、大学側も企業に研究資金を頼らざるを得なくなるからだ。この結果、世界のIT産業を引っ張るシリコン・バレーが生まれたのである。
 日本でも99年の段階で国公立大学の予算は実施的に目減りしており、地方大学ではビーカーなども買い替えられないほどの資金難にあえいでいるとも報じられた。
 また、補助金についても競争的資金を、どんどん増やしてきている。一律に分配するのではなく、研究成果を期待できる研究室に重点的に資金を渡す仕組みだ。95年度に初めて計上した競争的資金の予算は1248億円でしかなかった。それが06年度には4701億円にまで膨らんだ。そのしわ寄せは一律の補助金に及んでいるわけで、研究内容がアピールできなくては研究費を確保することが難しい時代になったことになる。
 さらに国公立大が独立行政法人化した04年度からは、交付金が毎年1%ずつ削減されており、各大学では収入源の確保のため、積極的に産学連携を進めるようになった。
 だが、財源確保に不安を抱く地方国立大の中には、ついに文部科学事務次官の天下りを学長として迎える大学まで現れた。人脈で補助金を狙おうという魂胆であろう。

■論文さえ信用できない

 そもそも国が判断する「研究成果」を、どのような基準で判断するかは難しい。産学連携の評価となれば、企業が活用できる研究かという明確な基準があるが、純粋数学や物理などの理系分野、あるいは文系の成果を企業が活用できるケースは少ない。いくら産学連携を模索しても、これらの学部に資金が集まらないのは明らかだ。そのうえ研究を続けるための根幹となる資金の多くを企業が握ると、大学の研究室が企業の「下請け」になる可能性さえある。
 実際、産学連携が日本より15年以上進んでいる米国では、企業と研究室が密接になり過ぎ学問の公平性を疑う事態にまで発展している。
 例えば、カリフォルニア大学バークレイ校のI.チャペラ氏の論文が引き起こした事件などは有名だ。01年11月の発行の学術雑誌『ネイチャー』に彼が発表した論文には、遺伝子組み換え作物の栽培が禁止されているメキシコのトウモロコシに、かなり交雑しているのが見つかったとの事実が掲載された。この論文に遺伝子組み換え作物を販売する企業や、そうした会社からの補助金で研究を進めている研究者が噛みついた。
 そのうえ所属学科や関連学会から支持されていたのにもかかわらず、事件直後のバークレイ校での終身雇用の審査でチャペラ氏は承認されなかった。これはかなり異例のことだったとも報じられている。
 しかも、この審査を担当する委員会に強い影響力を持っていた人物が、遺伝子組み換え作物を製造しているノバルティスと密接な関係にあることもあきらかになった。またチェペラ氏が論文を発表する以前からバークレイ校とノバルティスの間で結ばれた排他的長期契約が一部で問題になっており、大学と連携した企業に対する批判的な研究がどのように排除されるのかを示した事件となった。
 もう何年も前から、企業がスポンサーである研究論文は企業に有利な内容になっているケースが多く信用できないといった批判が、海外でわき起こっている。そのうえ資金難の大学の足元を見て、企業側に有利な契約を大学に押しつける企業も出てきた。米国の某有名大学では学内すべてのデータベースを企業が所有する契約にサインするよう迫られ、大学側が契約を断念したという。このような契約で学問や大学の独自性が守られるわけがない。
 70年代、大学自治の観点から日本の大学は産学協同を忌み嫌った。その反動であるかのように、現在、産学協同は産学連携と名前を変え称賛されるようになった。批判的な意見はあまり聞こえてこない。
 しかし米国と同じような事態にならないと言い切れるだろうか? 公的資金が減ってくれば、研究を続けるために企業側の意向を受け入れる研究室が出たとしてもおかしくはないはずだ。

■無批判に広まるトヨタイズム

 企業と教育機関と距離をどのように取っていくのかという問題は確かに難しい。
 例えば01年に開校したものつくり大学はトヨタ自動車など民間800社からの寄付で資金の一部を調達した。 「ものつくり大学設立準備財団」にはトヨタ自動車の名誉会長である豊田章一郎氏が就任。現在でも張富士夫・トヨタ自動車会長を理事に迎え、大学支援会員のトップにはトヨタ自動車の名が挙げられいる。またアイシン精機や豊田自動織機などトヨタ系列の企業も支援会員に名を連ねる。このような場合、協賛企業と大学の関係は当然のことながら深まってくる。
 企業が創設した大学としては、同じくトヨタ自動車がつくった豊田工業大学や、ダイエーが深く関わった流通科学大学なども有名である。豊田工業大学の建学の精神は、豊田グループの創始者・豊田佐吉の言葉「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」が掲げられている。当然のことながらトヨタ自動車の技術者が教員となっているケースも少なくない。もちろん卒業後にトヨタ自動車に就職する学生も多い。
 一方、流通科学大学は「流通革命」の拠点にしようと故中内功氏がもくろんだものの、ダイエーの落日とともに大学としての魅力も薄れてしまったようだ。90年代初頭、競争倍率が毎年のように10倍を超え、代々木ゼミナールの入試偏差値で60をたたきだし、多くの卒業生をダイエーに送り込んできた同大は、現在、入試偏差値で40代中盤に沈んでいる。これも産学連携の中で、企業と大学がもたれ合ってしまった故の悲劇といえる。
 産学連携のもっとも顕著な形として、企業から大学の教員として迎えられた人もかなり数にのぼる。
 例えば先に触れたものつくり大学では、田中正知名誉教授が大学開設にともない、社命によりトヨタ自動車から転籍した。
「学生たちに教えたいことは、たくさんあった。現場管理者としての安全管理、生産管理、資材管理、労務管理、購買管理、トヨタ生産方式、統計品質管理、故障診断法、リーダーシップロン、QCサークル活動……」(『「トヨタ流」現場の人づくり』日刊工業新聞社)
 田中氏は自らの著作で、このように大学教育への抱負を語った。生産・流通管理の専門家が大学で講義を持つ以上、トヨタ生産方式が教材になることは当たり前だろう。しかしトヨタ生産方式がただの「生産方式」ではなく、社員の哲学として浸透している現実。だからこそ他社ではなかなか浸透しないという状況を考えたとき、トヨタイズムを体現する元社員による教育は学問としての客観性に疑問が生じないだろうか?
 例えば田中氏は自著で次のように書いている。
「トヨタでは、自動車を生産、販売するという仕事を通して社会全体に貢献すること、そして社員みんなが幸せになること、このふたつを会社が存在する最大の理由として掲げている。建前は他の企業も同じかもしれない。が、それほどそれを真摯に、かつ真正直に考えている企業はないのではないか」
 トヨタ自動車が不景気にあっても、リストラをしないという方針を掲げている。それは事実である。しかし史上最高益を出しながらベアを廃止し、社員をリストラしないために大量の非正規雇用者を雇って人数調整しているのもまた周知の事実である。このような側面を同大の学生は教わることがあるのだろうか?
 哲学であるトヨタ生産方式が、ただの生産システムかのように見せかけて教育されているケースは、ものつくり大学だけではない。
 目白大学経営学部長でもある門田安弘教授はトヨタ生産方式を学術的に研究した権威でもあり、JICAの派遣専門家としてシンガポールで同方式を技術指導した経験を持つ。しかし門田教授が最新のトヨタ生産方式を解説したする『トヨタプロダクションシステム――その理論と体系』(ダイヤモンド社)には、トヨタ方式にかんするマイナス面がほとんど書かれていない。
 第Ⅱ部の第3章で「トヨタシステムに対する共産党の批判」という見出しを掲げ、このシステムによりトヨタの下請けがどれだけ泣かされたのかという共産党の訴えを記述しているが、トヨタの対応により「問題点はほとんど解消された」と記しているのだ。
 その一方で「合理化はコストを低減させるし、こうしたコスト低減は親メーカーとサプライヤーの双方が共有する義務だ」と説く。ここには自社の合理化で無理な部分を下請け企業に回しているという現実は含まれていないようだ。
 じつはトヨタ方式が教えられているのは大学だけではない。九州産業大学の国狭武己教授が書いた『現代生産システム論』(泉文堂)は工業高校の教科書としても使われている。第10章「トヨタ生産方式」では歴史や特徴などがそれなりに詳しく記されている。しかし、大きな問題を抱えたシステムであることは、ここでも記載されていない。

■将来の危険性

 日本企業の代表的な存在だからと言われればそれまでだが、注意しながら進めるべき産学連携にトヨタの影がついて回る。経済戦略会議には奥田氏が名を連ね、トヨタが大きな影響力を保てる大学があり、客員教授の形で元社員がトヨタ自動車の哲学を全面的に肯定して教鞭をとる。また日本の最高学府である東京大学の国際・産学共同研究センターにもトヨタのグループ会社社長が籍を置いている。産学連携の歩みのなかで、いつの間にか日本のトップ企業が大学での影響力を強めていた格好だ。
 トヨタが絶賛されている現状ならば、それほど大きな問題にならないかもしれない。しかし遺伝子組み換え作物のように、企業の利益と国民の安全が相反するような事態となれば、こうした教育界でのネットワークは企業保護に向かって走り出すのではないか。そんな不安が頭をよぎる。
 産学協同が叫ばれた時代のように、企業と大学の密接な関係をすべて否定する必要はない。ただし産業向きではない学問も含め、自立した学問の場が大学に確保されるよう常に大学と企業の関係を見守る必要があるだろう。(■了)

| | コメント (0)

JR福知山線事故の深層/斉藤典雄

●月刊「記録」2005年6月号掲載記事

 脱線転覆。大惨事だ。
 JR史上最悪の事故となってしまった。
 死者107人、重軽傷者460人を出したJR西日本福知山線の脱線事故。
 あまりにも凄惨すぎた。これが現実なのかと本当に信じられなかった。
  「地獄絵図そのもの」「修羅場と化した」と負傷者は茫然とした様子で語っていた。「いつもと違う、もの凄いスピードが出ていた」という多くの証言もあった。
 乗客の救出活動は難航を極め、丸4日を要した。
  「再発防止に全力をあげる」「2度と起こさない」「申し訳ございません」はもう聞き飽きた。
 過去には例がない、これほどの凄絶な惨禍がなぜ起きたのか。現場検証や原因の究明が続く中、JR西日本の、やはり異常だった企業体質等が次々と明らかになってきている。
 まずは、事故現場の状況から記す。
 脱線したのは、7両編成の前寄り5両だった。
 目を疑うほどの何よりの衝撃は、線路脇のマンションに巻きついた車両だった。一枚の板のようにぺちゃんこになり、原形をとどめていない。マンションの角では「く」の字に折れ曲がり、外壁にそって張りついている。それが2両目だった。
 3両目は車両半分が線路上だが、進行方向が180度回転して、前後が逆に入れ変わっている。前部は大破だ。
 4両目は対向車線を完全に塞ぎ、5両目は一見線路上だが何軸かが脱線しているという有様だ。
 では、1両目はどうなっていたのか。事故当初は窺い知れなかったが、暫く経ってからようやく判明した。マンションの1階部分の駐車場に突っ込み、中にすっぽりと入り込んでいたのだった。その上、マンションに巻きついていた2両目が被い隠す格好だったため、外部からは確認出来なかったというものだ。しかも、脱線地点からマンションまでは約60メートル。車両は横倒しになったまま直進して激突したものと見られている。何台かの車を巻き込みながら止まったのだろう。20メートルの車両はじゃばら状に圧縮されて、7メートルになっていたという。想像すらできない。絶句だ。
 次に、脱線に至る経過を記す。
 話が前後してしまったが、事故発生は4月25日朝9時18分。長い直線からカーブに差しかかる塚口(快速は通過)―尼崎間で起きた。
 宝塚発同志社前行きの上り快速電車は約580人の乗客を乗せていた。事故発生前に停車した伊丹駅で、ホームを40メートル行き過ぎるというオーバーランを起こし、バックして乗降させたために1分30秒遅れて発車するという事象が発生した。
 この際、運転士は「(距離が)短かくならないか」と車掌に事故隠蔽を依頼、いわば口裏合わせをしていた。車掌は指令に「8メートル行き過ぎ、1分30秒遅れた」と虚偽の報告をした。指令は、状況を確認するため運転士に無線で2回呼ぶが応答はなし。発車してから約2分後、カーブに差しかかった所で事故は起きた。
 この線区の直線区間の制限速度は120キロ、カーブは70キロと定められていたが、カーブ手前の直線を126キロで走行し、108キロまで減速後、カーブ手前数10メートルの地点で非常ブレーキをかけていたことが事故調査委員会(国交省)などの調べで判明している。また、脱線した原因については複合的な要因があるとした上で、速度超過が主原因であると断定された。以上である。

■ミスした乗務員が草むしり!?

 問題は山積しているが、第一に安全対策はどうであったかだ。
 鉄道輸送は安全が最優先であることはいうまでもない。ダイヤが過密になり、スピードアップが求められる中で、万が一、運転士がミスを犯した場合のバックアップ体制として、「ATS」(自動列車停止装置)という優れた保安システムがある。
 今や、JR東日本をはじめ私鉄各社も速度超過に対応する新型のATSを広く導入している。しかし、この線区は赤信号のみの対応の旧型のATSのままだった。新型の設置がJR西日本全線で8パーセントにも満たないというから対策の遅れが際立っている。
 事故を防ぐ技術があるのにそうしなかったのは会社の怠慢である。責任は重大だ。営利優先、安全軽視といわれても仕方がない。
 また、カーブには「脱線防止ガード」(線路内側にもう1本レールを敷設する)が設置されていなかった。設置していれば脱線を避けられた可能性はある。
 さらに、車両の軽量化だ。コスト削減と高速対応のためのステンレス製だったが、これまでの鋼鉄製と比べれば強度の違いは明らかだ。被害が拡大した原因のひとつであることに間違いない。
 しかしながら、後述の2つは5年前に起きた日比谷線脱線事故でさんざん問題になった点である。手つかずのままだったのか、教訓が全く活かされていないことに愕然とする。安全には万全を期してもらいたい。人命を預かるという責任の重大性を認識し直すべきである。
 次に、電車はなぜ通常では考えられない速度を出したのかだ。
 運転士(23才)の死亡により全て推測でしかないが、異常な速度を出さざるを得なかった心理的要因には確証がある。
 それは、JR西日本の労務管理の特異性にあると断言出来る。乗務員がミスや問題を起こした場合の教育、指導のあり方に如実に表れている。2度と起こさないようにするために、安全への意識を高め技術を向上させるという本来の目的から大きく逸脱しているのだ。
 まず、この線区は速さが売りで1秒の遅れも許されない雰囲気があったという。実際、運転士にも秒単位の乗務報告をさせていた。
 その上、ミスを犯せば処分され、乗務停止の「日勤教育」と称する再教育が待ちうけている。なぜミスしたのかという「事情聴取」に始まり、原因究明より責任追及に重点が置かれている。
 言動は全てチェックされ、必要以上に問い詰められる。上司らが監視する中、反省文、自己批判、就業規則の書き写し等が何日も続く。期間は現場長の裁量に委ねられているため(これ自体疑問だが)、いつ終わるか分からない。
 一日中部屋に閉じ込められる屈辱。あるいは皆の目のつく所でさらし者にされるというみせしめだ。「誰から給料貰っていると思ってんだ」「乗務員失格だ」「辞めてもいいんだ」「もうしないと誓え」等々、ドラマで見る警察の取り調べのように人格まで否定される。果ては、基本動作等の強要、草むしりといった精神教育にまでエスカレートしていく。
 命を預かる以上、ミスに厳しい姿勢で臨むことは当然だが、これでは懲罰目的としか思えない、いじめそのものなのである。
 こうした恐怖のペナルティーで受ける精神的ダメージは相当なものだろう。目には見えない過大なプレッシャーに耐えきれず、自殺した運転士もいる。その父親は「日勤教育はいじめだ」として、JR西日本に損害賠償を求める訴訟を起こしている。裁判所は請求は退けたものの、日勤教育が自殺の原因だったことを認めている(現在は高裁に控訴中)。
 また、兵庫県弁護士会は「人権侵害にあたる」と、同社に改善勧告を出した例もある。
 もう何もいう必要はあるまい。運転士はオーバーランのミスと1分30秒の遅れを取り戻そうとパニック状態に陥ったことは容易に推察できるわけである。
 このような誤った管理体制は社員の志気を低下させるばかりではない。会社としての一体感まで損う結果となっている。それが今、切りがないほど明るみになっている、事故当日の社員の不祥事の数々だ。

■事故が起きても他所なら関係なし

 当初から、会社の対応は、責任転嫁ともとれる置き石発表、事故隠蔽を思わせる二転三転する会見内容等々、不手際が目立ち、どれもこれもといっていいくらい集中砲火を浴びていたが、もはや弁解の余地はない事態にまで発展している。
 事故車両に客として乗り合わせた運転士が2人いて、救助活動もせずに出勤した問題。事故を知りながらボウリング大会、ゴルフコンペ、海外旅行、宴会等々、枚挙にいとまがない失態続きである。
 「不謹慎だ」「鉄道マンとしての意識があるのか」「何を考えているんだ」と、遺族や負傷者の不信は増すばかりで、怒りを通り越してあきれ返っているという状態だ。鉄道員である以前に、まず人間としての使命を果たしていない。
 出勤した運転士は事故車両内から「メチャメチャだ、大変なことになっている」と電話を入れたそうだ。受けた当直は「ケガをしていないのなら出て来て」と出勤を指示したという。当直はどれくらい大変な事故かイメージ出来なかったに違いない。それは、事故直後に流された社内一斉放送からも窺える。いくら混乱していたとはいえ、「踏切事故発生、車と衝突、運転再開は12時ごろの見込み……」といった、普通では考えられないほどお粗末なものだったからだ。
 それにしてもと私は思う。誰もが皆、すっかりJR社員になり切ってしまったと。1分1秒たりとも遅れない、なにがなんでも出勤するという、いい意味での「ぽっぽや魂」を履き違え、本来人が持つべき当たり前の心さえ失ったのではないかと。これも一種の間違えた洗脳の結果だと思うのである。
 また、ボウリング大会を中止しなかった区長は計らずもこういっていた。「エリアが違う」と。JRは組織が大きい縦割り社会の典型だ。残念ながら横の繋がりは殆どない。職場、あるいは支社単位で競わされていることもあり、事故が起きても、他所なら「うちじゃなくてよかった」と、管理者ですらまるで他人事のように平気で口にしているという風潮が根強くある。これらは素直に改めるべき課題でもある。

■私が担当だったらブレーキを使えたか

 会社の失態を書き連ねたが、ふと思ったりもした。「もし私が担当だったら……」と。
 鳥肌が立つ。恐ろしい。イヤだ、イヤだといっても、やっぱり考える。
 車掌の仕事(役割)は3つある。
 ①列車の後方防護。②列車の状態監視。③車内秩序維持。
 中でも①が最も重要で、車掌は後方防護要員であるとまでいわれている。だから、最後部に乗務しているのだ。
 後方防護(列車防護)とは、事故が起きた場合、後続列車を止めること(運転士負傷の場合は対向列車も)、すなわち、併発事故(2次災害)を起こさないようにするということである。
 危険と感じたら(疑わしい時は)躊躇することなく非常ブレーキで止めることと、規則でも厳しく義務づけられている。
 例えば、この事故同様、普段とは違う異常なほどのスピードが出ていたとする。車掌には速度を見る義務はないが、駅への進入時とかならまだしも、運転の途中の一瞬の出来事であり、運転士に「大丈夫ですか」と問い合わせするくらいが関の山だろうと思う。変だなと感じてもあれよあれよと同じ結果になったに違いない。それで、脱線してしまった。確認したら、まず直ちに防護無線を発報する。これで近隣の列車は全て止まる仕組みだ。
 そして、指令に状況を報告する。もちろん、救急車、レスキュー隊の手配等要請もする。あとは、ひたすら人命救助にあたるだけである。……と頭では分かっているが、これほどの大事故だと、正直いって分からない。想像すらできない。
 何もできずに、ただ茫然と立ちすくみ、そのうちだんだんと気が遠くなり、意識を失っているかもしれない。気がついたら病院かも。この車掌は、全てを包み隠さず話すことがなによりの責務であると考える。
 いずれにしても、JR東日本では、分割・民営化前後の約10年間をピークに「日勤教育」という悪夢は影を潜めた感じだが、職場によっては未だにこうしたファッショ的な指導が残っているのが実情である。
 社長がいくら頭を下げて謝罪しても、心は遺族たちには届かない。また、幹部が「全社一丸となって……、事故を共有する気持ちで……」といっても、面従腹背が蔓延している現状では意思疎通すら計れず、信頼の回復は前途多難なばかりか絵空事でしかないだろう。
 お客様が便利になると、必ずといっていいほど社員が犠牲になっている。それは人員削減であったり、労働強化であったり、ゆとりや働くという喜びがどんどん失われていくのだ。これを正常といえるのか。それにしても遅すぎた。なにもかも全てが遅すぎた。
 最後に、誰もいわないから私が言う。「若い運転士が気の毒だ。名前も全て公表され、残された家族は永遠と不幸を背負う。人生これからだったのに……」。

■音声変えてもハッキリ私だと……

 この大事故の影響は意外な形で私にもおとずれた。
  コメントがほしいなどと、事故当日から約2週間の間にテレビ局3社と週刊誌1社から取材があったのだ。
「なんでおれなんかに」と思う反面、「仕方がないのか」という諦めのような複雑な気持ちが入り交じった。
 事故当日、私は夜勤明けだった。10時半ごろ乗務が終わり、本区に戻ると、控え室では同僚達がテレビの前で大騒ぎとなっていた。1両目か2両目かがぺちゃんこになり、マンションの外壁にへばりついているという、まったく信じ難い、わけの分からぬ衝撃的な光景が映し出されていた。
 ひとまず帰宅してからも、いつもはすぐ休むところを一日中テレビに釘付けとなっていた。どのチャンネルを回してもこの事故のことが報じられていた。これ以上はない大惨事だと思った。ただただ茫然とするばかりで言葉が出ない。晩ごはんを済ませ、あとは早目に寝るだけという8時前のことだった。テレビ番組スタッフからの電話である。
 取材だけならいいが、テレビに映る(写真も)のだけは本当に大イヤで勘弁してほしいのだ。その理由はいいようがない。イヤなものはイヤだと駄々をこねる子どもに理由を聞くようなもので、まるでオトナ気ない、理由にならない理由だからだ。
 そもそも私は人前に出るような人間ではない。喋るのは大の苦手でもある。その上、いつもの通り酔っていた。
 これから車を飛ばして、赤坂(TBS)から八王子(家)まで来るという。スピード違反だけは止めてほしいと思った。グズグズと決断しかねたが、全然大丈夫じゃないのに「大丈夫ですから」という相手に押し切られた格好だった。もう仕方なく承諾したのである。それからが大変。水やお茶をがぶ飲みし、熱い風呂に浸かりと、酔いを覚ますのに必死だったことはいうまでもない。テレビクルーが到着するのに時間がかかったおかげで、すっかり酔いも抜けたのだが……。
 10時前にチャイムが鳴った。ディレクター、カメラ、照明と総勢4人が家にみえた。約1時間位だったろうか。
全然大丈夫じゃないのに、またも「大丈夫ですから」と慰められ、事態はどんどん進んでいった。
 撮影とインタビューはわけの分からぬままに終了したといってよい。もう、ただただしどろもどろで、内柔外剛の自分をイヤというほど思い知らされ、意気消沈してしまったのはいうまでもない。
 従って、結果はどれも恥ずかしくって誰にもいえないものばかりだった。
 ところが、さっそく同僚にいわれた。「テレビに出てたよね、あれは間違いなく典ちゃんだ」と。どうしてバレたのかと不思議でならなかった。顔はボカシで音声まで変えてあったのに…。私のデカイ鼻がボカシからはみ出しそうだったからか。また、私は元々音声を変えたようなボソボソとした声質だから、地のままでいっても同じだったのかもしれない。
 翌日の朝に放映された、その具体的な内容といったらナサケナイったらない。スタジオに設置された大きなボードには「人為的ミスか? 現役車掌は語る『オーバーランはよくあること』」とものものしく書かれてあった。司会のみの某氏さんが「現役の車掌さんが大変な証言をしてくれました」と紹介した後、私が映し出された。
「オーバーランはよくあるといっても差し支えない」「若い運転士なだけに心理的に追いつめられたのでは」「運転士は職人気質で、秒単位で動かしているというプライドがある」「時間に対してのプライドが強く働きすぎて、安全面がおろそかになったのではないか」と途切れ途切れでたどたどしいったらないのだ。「オーバーランが原因の1つなのではないかと現役のJR車掌は推測する」と、合い間に入るプロのナレーションに助けられたが、まったく話になっていない。
 これでどこが大変な証言なのか。時間にして1分にも満たない。語るなどという代物でもない。どっちらけだ。恥ずかしさのあまり、テレビをぶち壊してやろうかと思ったほどだった。

■ついに会社から呼び出し!

 一方、週刊誌の方はとんでもない事態になった。私がいってないこと、いった内容と異なることが記事になっていた。これではJR東日本を誹謗中傷していると捉えられるかもしれない。会社から何をいわれるか分からない。私は直ちに抗議をした。そして、謝罪してもらったのだ。
 案の定、2日後には会社から呼び出しがあった。会社の要望は2点。記事にあることを私がいったかどうかの事実確認。会社には広報という窓口があるから、会社の名前を出して個人でマスコミ等に出るのは慎んでほしいということであった。
 主な3点だけ記す。
 取材で私がいったことは①東でも重大事故は起きる可能性はある。ないとはいえない。しかし、西のような事故はまず起きない。いくら超過密ダイヤでも、新型のATSが整備されているからスピードが出せない仕組みだ(速度超過をすれば、ATSによりラッシュの電車は次々と止まってしまうということ)。②10秒単位の乗務をしている。③3時間ぐらいしか仮眠出来ないこともある。
 それに対する記事の内容は①東でも西と同じ事故が起きる可能性が大きい。過密ダイヤの首都圏こそ危険だ。②1秒の遅れも報告するのが原則。③乗務員の睡眠時間は平均3時間程度。
 私は記事のようなことはいっていないことを告げ、以上の点を説明した。また、迷惑しているのは私であり、謝罪してもらったこと。誰にでも間違いはある(新聞、テレビでも)こと。
 そして、私は同業者として107人も死亡した、この大惨事を黙っていることは出来ない。対岸の火事ではない。JRへの愛社精神をもって、安全等の問題については警鐘を鳴らし続けていく。要請があればマスコミにもどんどん出る。会社もいったらいい、東は安全ですよって。これで終わりだ。
 会社はもう何もいわなかったが、翌日また呼ばれ、「もし、外部から会社に問い合わせのようなことがあれば、本人は謝罪してもらっていることだと答えるが、それでいいか」といってきた。わたしはオカシナことをいうものだと思った。そんなことはもう関知しないことだ。うちの困ったヒラ社員が勝手な発言をしたものでしてとでも、好きにいえばいいのではないか。会社は週刊誌に抗議するなり、謝罪文を出してもらうなり勝手にすればいい。

■東労組の若手が支持してくれた

 これで一件落着かと思いきや、今度は東労組による私への個人攻撃が始まったようなのだ。
 聞いた話だが、「いい加減なことを週刊誌に載せてんじゃねぇ」「断じて許さない」みたいな内容の掲示を張り出しているという。
 ま、私がとんちんかんなことをいったことになっているのだから無理もないが、うちの職場ではなく他所の職場に張り出すといった、相変わらず因循姑息なやり方である。
 呆れ果てるばかりだ。いずれ真実は分かるはず。そんなことをしていたら、組合員の気持ちは離れていくだけだろう。
 その夜、東労組の若い組合員が多くの人にメールを送ってくれたという。
「良識ある仲間に転送を! 週刊誌に掲載された三鷹車掌区の斎藤氏の記事の件で誤った情報が流されています。氏の意に反した内容が記事になってしまい、週刊誌に抗議、謝罪を得たとのことです。会社側も一連の事は把握しており特に問題はありません」。
 心から感謝する。ありがとう。涙がちょちょ切れるくらい嬉しかったよ。(■了)

| | コメント (0)

「健康意識」とサプリメント

●月刊「記録」2004年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 薬局に限らずコンビニでも簡単に手にはいるようになったサプリメント。これは「薬」ではなくて、栄養補助「食品」なのだ。一日に必要な栄養素を食事だけで摂取できないときの補助として飲むのが一般的な利用のされ方である。
 サプリメント市場は年々成長しており、大手のファンケルでは、94年の売り出し初年で約15億円を売り上げたのを皮切りに2000年には約220億円と200億を突破。現在は約300億円近くまで到達し、当初の20倍以上の売り上げだ。
 同社はかつて無店舗で「無添加」をうたった化粧品を販売し、健康に気を使う女性を中心に支持を広げた。その後「無店舗」はやめたが無添加路線は食品にも手を広げた今でも守っている。
 サプリメントの販売を開始した94年2月当初はビタミンC、ローヤルゼリーなど28品目を売っていたそうである。
 ファンケル広報担当者は「消費者の健康意識の高まりと共に売り上げも増えていきました」と背景を推察する。確かに「健康意識の高まり」もあるかもしれない。しかしよく考えてみるとサプリメントを必要として飲んでいる人の多数は不規則な生活をしている人である。
 ここには大きな矛盾がある。つまり普段が不規則=健康とはいえない生活を送っているために、本来ならば気にしなくてもいい「健康」へと関心が高まっているという構図に、だ。言い換えれば健康への志向は不健康な生活を続けることが前提となっている。いささか問題ありではないだろうか。
 本来ならば3回きちんと食べ、しかもバランスの取れた献立が必要だ。そうすればサプリメントを頼らなくてもいい。こうすることが本来の「健康意識の高まり」であるべきである。

■「不健康」だから買う

  「健康意識が高まって」いるにも関わらず、日々の生活が病因につながる「生活習慣病」が増えている。
 生活習慣病には、ガン、動脈硬化、高血圧、2型糖尿病などがある。最近子供の間で増えている肥満もその一つだ。
 かつて壮年期を迎えた人が多くかかる疾患ということで「成人病」と呼ばれていたが、生活習慣の混乱、とくに食生活の乱れが日常化した今はもう子供もかかるので最近では生活習慣病と呼ばれるようになった。
 したがって規則正しい食生活を送ることが生活習慣病を回避する大切な要素になってくるのはいうまでもない。1日3回ちゃんと食べよう。それが難しくてもバランスの取れた食事を心がけようということだ。
 もっとも現代人が食生活を正しくするのは容易でない。3食をしっかりとることが仕事柄不可能な人もいれば、朝食をきちんといただいてから出社したくてもできない人もいる。そのうち可能であっても「朝からご飯なんて……」と食べずに出社する習慣がつく場合もあろう。責められない現実ともいえる。
 一方の「バランスの取れた食事」も言うは簡単だが、実行するにはよほど意識しないとうまくいかない。朝はこれを食べたから昼は別のあれにしようと強く意識してセレクトするようにならなくてはならない。「そんなの簡単」と思ったら大間違いだ。なぜならばそれがうまくいっていないからこそ生活習慣病が増えているからだ。かくしてサプリメントは売れていく。
 さらに本物の「健康意識」派が売れ行きに拍車をかける。いくら規則正しい食生活を送っていても「環境の変化によって野菜中の栄養素量が減ってきているから」などと考える本当の健康志向もまた確実に増加中。要するに「不健康だから」と「より健康に」の一見正反対の人たちが「どっちにしろ必要だ」とばかりに買い求めているようなのだ。

■完璧を目指せば飲む量が増えてくる

 そうである以上「サプリメントに頼るな」と叫ぶのは非現実的だ。正しい使用法を探る必要があろう。
 サプリメントの一番良い点は、飲み方がとても簡単なところだろう。自分に足りないと思われる栄養素が入っている製品を買ってきて、袋に記載されている粒数を守って飲めばいいのである。
 食事のように食材を買ってきて、調理して盛りつけなくても、水で飲むだけで簡単に栄養補給できてしまうのだからこれ以上楽なことはない。
 だがここで大きな疑問がわく。一日に必要な栄養素を補うためには、足りない栄養素がなにかを知らなければ摂ろうにも摂りようがないという点だ。
 もちろん日本人が一日に必要な栄養素量を細かく定めた「日本人の栄養所要量」というのがあるので、それを参考に一日必要な量を「食品成分表」を見ながら電卓片手に計算して摂っていけばいいのである。
 だがそれが容易ではないのは「日本人の栄養所要量」を手元に持っている人などほとんどいないことでも明らかだ。自分で調べないならば病院へ行って栄養指導をうけたり、身近に栄養士がいれば「あなたに必要な栄養素量をすべて含んだ献立を作ったわ」などということが可能だが、これまた現実にはほとんどない。
 したがって「私にはビタミンCが足りないと思うから摂るわ」というように、自分で何が足りないかをたいした根拠もなく摂取している人が多いと容易に想像できるが「生兵法はけがのもと」という古いことわざもある。素人判断ほど危険なものはない。
 たとえば不規則な生活を送っている人はビタミンだけが足りないわけではなく、完璧をめざせば数十種類はあげられる。すべてを果てしなくサプリメントに加えていくことなど不可能だ。
 1つの栄養素に限っても一粒飲んだだけで十分というわけではないことは意外に知られていない。サプリメントだけで補おうとすればするほど、飲む量も多くなるから面倒になる。
 以上の問題も含めて「サプリメントにはお金がかかる」のも深刻だ。オーソドックスなビタミンやミネラルなどは安いが、摂りづらいものや希少価値の高いものになればなるほど価格があがっていく。
 よく新聞広告などで目にするローヤルゼリーやプロポリスなどは驚くべき金額である。高くても健康でいたい、健康になりたいという健康オタクならば気にはならないだろうが。絶大な効果を期待すると裏切られる可能性が高い。
 なぜならばサプリメントは本来が食品であり、消耗品だからだ。消耗品だから飲めばなくなる。即効性のある薬ではなく、続けなければ効果が表れない食品なので毎月効果が表れるまで飲み続けなくてはならないし、病気を治すために飲むのではなく病を予防するためだから「ここでやめてもいい」というラインもない。そうした特性を踏まえると高いサプリメントに手を出しづらい。だから毎月飲み続けるならば低価格の方がいいはずだ。低価格路線のファンケルが売れ続けるのは、そこにも原因があるのだろう。

■食事を楽しむのが基本

 重ねていうがサプリメントは食品である。したがってカプセルに入っていたり錠剤だったりと薬に似ているが実際には食物に由来するのだ。端的にいえば食べているのとある一点を除いて同じである。
 例えば食物のマグロの眼球裏に多く入っていて、摂取すると頭が良くなると話題になったDHAや、カニの殻から取られた脂肪が気になる人にはおすすめのキトサンなど、食材で摂りたくても一度には摂りづらい栄養素や、眼球疲労に効果的とされているブルーベリー、トマトに多く含まれるリコピンなど食材でも手軽に摂れる栄養素などさまざまあり、TPOに合わせてセレクトできるのである。他にもビタミンやカルシウムなど身近な栄養素も含めて一口にサプリメントと言っても種類は豊富だ。その意味でサプリメントは食べる暇もない忙しい現代人にとって救世主のような存在といえなくもない。
 ただしサプリメントでは栄養は満たされるが腹は満たされない。これが先に述べた「一点を除いて」の一点である。現状ではサプリメントだけで生きている人はほとんどいない。
 今では原点である食事こそ大切にしようという運動が起こっている。「スローフード運動」だ。これは「消化が遅い食べ物」という意味ではなく「ゆっくりと食事をする」ということで、ゆっくり食べる楽しさを再認識しよという、食生活・食文化を大切にするイタリアから始まった運動である。
 スローフードが浸透し当たり前になったら、家族で食事を囲むという文化も復活する。そうすればバランスのとれた食事をとることも可能だ。
 そのためには浸透させられるだけの土台作りが必要になってくる。農林水産省が厚生労働省、文部科学省と共に策定した「食生活指針」に「食事を楽しみましょう」という項目を作っているのだから、具体的に動き出してもよいのではないだろうか。
 そうすれば生活習慣病も減り、団らんがキレる子供を減らす一石二鳥である。
 サプリメントが売れるということは、現代人の食生活、食事に対する考え方が希薄になってきていることを示している。ついにサプリメントで全ての栄養を摂っている人も出てきたくらいだ。この先さらに希薄さが増していったら、栄養補助食品から、サプリメントが食事の主となる日が来るのだろうか。
 もう一つ問題がある。数年前にゴージャス姉妹で有名な叶姉妹が出演したダイエット用サプリメントのCMがあったが、痩身を目的としたサプリメントである。
 ドラッグストアへ行くと、栄養系と同じくらいダイエット目的のサプリメントが売られているのを目にすることが多いはずだ。女性のやせ信仰は「健康意識の高まり」とは全然異なる。これがなくならないかぎりこれまた「健康」とは無縁のダイエット系サプリメントは売れ続けるだろう。(■了)

| | コメント (0)

なんでタバコがやめられないんですか?

●月刊「記録」2004年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部


 喫煙者には世知辛い世の中になってきた。タバコを嫌う嫌煙家と呼ばれる人々や、非喫煙者が増え、喫煙者を端へと追いやろうと、いや、現に追いやり作戦が実行中である。
 日本たばこ産業(JT)が昨年8月に行った「喫煙者率」調査によると、男性48.3%、女性13.6%と全体で50%を超えていない。一時期言われていた女性の喫煙者率増加も、この数字を見る限りでは信憑性にかける。
 さらにJT広報は、「60歳を超えると、タバコを吸う本数が減りますね」と話していた。
 日本はこれからますます高齢化が進んでいく。何をせずとも喫煙者は減っていくのだ。
 しかしそんな状況でも政府は、2003年5月に『健康増進法』施行した。この法は、2000年に現在の厚生労働省が国民の健康作り運動として発案した「健康日本21」の中核としてつくられたものである。
 第25条に「受動喫煙の防止」というのがあり、「学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない」と定められている。
 最近は飲食店でも全面禁煙の店や、禁煙席が増えるなど、非喫煙者に優しい環境になってきている。
 さらに東京・千代田区では「生活環境条例」というものができ、路上喫煙が禁止となった。違反すれば2000円の過料を取られる。今年3月までの違反者は約8000人にのぼったという。
 過料の支払い方は2種類あって、その場で2000円を支払う場合と後日納付する方法である。
 なぜ二通りがあるのか、同区環境土木部生活環境課に問い合わせてみたところ、「その場で払う方もいますが、持ち合わせがない方や後日支払うという人には納付書を渡しています」との回答だった。
 ちなみに現金で支払った場合、「領収書もその場で出しますし、おつりもきちんと持ち歩いています」とのことなので、5000円、1万円しか持っていなくても支払うことが可能。とても良心的である。
 それにしても単純に計算しても8000人×2000円で1600万円もの収入になる。行政としてはかなりいい財源である。
 そんなふうに、喫煙者には肩身の狭い世の中になってきが、それでもどうしてタバコを吸うのだろうか。喫煙者にアンケートをしてみた。
 まずタバコを止めようと思ったことがあるかを聞いてみたところ、21人中11人。女性よりも圧倒的に男性のが多かった。
 その理由として、「金銭面でやめようと思ったことはある」(21歳・男)「タバコ代がかさむから。しかし、社会人になったらそんな気はなくなった」(24歳・男)と、金銭面の理由。
 2003年7月からたばこ税が増税され、喫煙者のタバコの負担額が増した。一箱の値段の平均は約280円。一日一箱消費するとして、一ヶ月だと280円×30日で8400円。一日一箱だからこれだけで済むが、ヘビースモーカーになっていくとそれは倍々になる恐れがある。
 文字通り「煙となって消えていく」商品が一箱280円なのか。JTによると、税負担率が6割にものぼる、日本で最も負担率が重い商品の一つなのだそうである。消費税は5円だが、270円のタバコの場合、税は170円ほどになる。タバコを買うというよりも、自動販売機を通して国に納税しているようなものである。ちなみに、14年度のたばこ税は総額で8441億100万円。
 タバコの消費本数は、2003年は全国で2994億本。1999年の3320億本から確実に100億本(5億箱)ずつ減少していっている。1本や2本どころの騒ぎではないのだ。億単位で減少しているのである。
 たばこ税の問題だけでなく高齢化も含めたうえでの減少でもあるから一概には言えないが、確実に税収は減っていっているはずだ。
 そのことをどう思うのかと財務省の担当者に尋ねると、「毎年税制改革をしているので、その時々に応じて赤字国債で補填するか、他の税で負担することになります」
 どのみち税金なので、喫煙者が減ると非喫煙者につけは回ってくるというわけだ。
 ちなみにタバコをやめようと思ったもう1つの理由は、「ダイビングの大会に影響が出るから」(36歳・男)「太るために」(28歳・男)と身体面での理由だった。
 また、やめようと思ったことのあるなしに関わらず次のような回答もあった。
「風邪をひいて、しばらくタバコをやめた」(28歳・男)「妊娠したときはつわりでやめられた」(22歳・女)
 やめようと思ったときに取った行動や方法は、「灰皿を割った。アメをなめて代用した。タバコを挟んでいるつもりで、吸うマネをした」(23歳・男)、「ライターを捨てた」(23歳・男)「意志の力で」(28歳・男)「彼氏への愛でひたすら我慢」(21歳・女)などさまざまだ。意外と喫煙者は試行錯誤しているのである
 効果的な禁煙の方法はたくさんあり、「ニコチンパッチ」という体に貼る湿布薬のようなものがある。それで禁煙が成功した女性によると、就寝前に貼って寝たら、朝から吸わなくても大丈夫だったそうで、貼ってから2週間(かなり早い)でタバコを吸わなくてもよくなったそうだ。治療期間はだいたい1~2ヶ月程度で、総費用は2~3万円。医療機関で処方してもらえるらしい。
 禁煙に関する書籍も山のように出ており、「ノー、タバコ」に向かっているのに、なぜタバコがやめられないのか単刀直入に聞いてみた。
「タバコは生活の一部になっているため特に意識していないです」(21歳・男)「今は必要性が見当たらないから」(36歳・男)「理由がわかればやめているが、好きだから」(24歳・男)「朝の一服、昼の一服がおいしいから。赤ちゃんのおしゃぶりみたいな感じで、ないと落ち着かない」(25歳・男)「口寂しい。落ち着かない」(23歳・男)「吸ってると気分が安らぐから」(20歳・男)「気がついたら吸ってるからかな」(23歳・男)「暇な時間が増えるとつい吸ってしまう」(21歳・男)「イライラすると手が伸びる」(21歳・男)「やめる理由がないから。今やめたいとは思ってない」(28歳・男)「仕事以外での余計なストレスをためたくないから」(28歳・男)「根性がないから」(32歳・男)「体がニコチンを欲しているから」(22歳・女)「生活の一部となっているから、ないとさみしい」(22歳・女)「止める必要がない」(22歳・女)「止めようと思ったことがない」(22歳・女)「やっぱり落ち着くし、タバコうまいもん! 食事後のタバコの味覚えたら止められまへん」(21歳・女)「止める気がない」(25歳・女)。
 まとめると「やめる理由もないし、必要もない。タバコ吸うと落ち着くんだよね」ということだ。
 やめられた人には明確な理由があったからやめられたのであって、やめられない人はさしあたってやめる理由がないからやめられないのである。
 さらに、今回アンケートに協力してくれた方々は、一様にタバコが好きなのである。
 「好きだから」「ないとさみしい」「必要性がない」など、理由としてはかなり甘いが、彼らにとって“タバコに火を付けてを吸う”という行為は、トイレに行く、ご飯を食べると同じことで、日常生活の一部となっている。
 だから理由としては明確ではなく、あいまいになるのではないだろうか。直接口頭で「なんでタバコをやめられないの?」という質問を投げかけたところ、ほとんどの人が一瞬考え込んだ。
 トイレに行くことも、ご飯を食べることも、どうして? と聞かれれば答えられるが、普段は考えない。タバコも同じライン上にあるのだ。だから一瞬考え込んだのだろう。
 健康増進法が施行され、灰皿の数が減ったり、禁煙席が増えたりと、嫌煙家や非喫煙者にはとても過ごしやすい環境になってきたが、はたしてそれが問題解決の糸口になるのだろうか。
 現状を見る限りでは、タバコの存在を疎むというより、喫煙者を疎んでいる傾向のが強い。
 禁煙を促したり、過ごしにくい環境を作ることは方法の一つとしてありだが、結局のところタバコ自体が存在する限り喫煙者がいなくなることはないのではないか。 タバコがあるから喫煙者は吸うのである。お腹がすいたら食べる。それは食べるものがあるから食べるのであって、なければ我慢する。
 ここで気になるのは、やはりタバコ税の問題だ。あれだけの税収を、国や地方自治体は手放せるのだろうか。げんに喫煙者の減少は、赤字国債の発行を招いていると財務省の担当者は認めている。事実、国や地方自治体は分煙を推進こそすれ、禁煙を推し進めてはいないのではないか。
 しかも財務省担当者は、「どうしてたばこに税をかけるのか」というこちらの問いに、「タバコは嗜好性が強いものだから、価格が変わったとしても個人の消費量はかわりません」と答えているのだ。つまり単刀直入に言い換えれば、「ニコチン中毒から搾り取るのが楽だから高い税金を掛けているんですよ」ってことになる。
 健康に害があることもあきらかで、大麻よりも中毒性の高いとも言われるタバコを、税収入のために勧めているなら大きな問題だろう。
 さらにうがった見方をするなら、病人が増えれば医者が儲かり、自民党を支える医師会がほくそ笑む図式も見える。こうした構図をうまく隠すしているのが、喫煙者と非喫煙者との戦いだ。
 そろそろ非喫煙者も本当の敵に目を向けるべきだろう。(■了)

| | コメント (0)

「あの鳥」は大丈夫か!!

●月刊「記録」2004年4月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 日本をはじめアジア一帯で、鳥インフルエンザが猛威をふるっている。
 国内で25万羽以上のニワトリが死に、一番の被害が出た京都府の養鶏場裏の林では、鳥インフルエンザに感染したカラスの死骸が発見された。ついに野鳥のカラスにまで!
 これは危ない。通常、鳥インフルエンザは人に感染しない。しかし鳥同士となれば話は別。日本には絶滅寸前の鳥が少なくない。鳥インフルエンザの蔓延は、特別天然記念物のカンムリワシやタンチョウを駆逐してしまうのか!?
 編集部は、さっそく調査に乗り出した。まず目をつけたのが、ニッポニア・ニッポンの名で知られるトキだ。 1999年に中国から提供された友友と洋洋によって、日本初の人工増殖に成功したさいには新聞の一面を飾り、国中を沸き立たせた保護動物の「看板役者」である。
 さっそく新潟県佐渡トキ保護センターに電話した。ところが取材意図を説明し始めると、「おたくさんには申しあげられないな!」の声。怒っている?
 どうやら大厳戒体制下の最前線に、ヘラヘラと電話してしまったようだ。反省しつつトキへの不安を心から訴えると、職員が緊迫した現状を語ってくれた。
  「外にポストを設け、新聞配達員や郵便局員さえセンター内に入れていません。入れるのはセンター職員7人以外に、夜泊まってくれる警備員さんだけですわ」
 センターでは、農林水産省から出されているマニュアルに従い、消毒の徹底と人の出入りを制限したているという。もちろん観光客への公開も完全に禁止となった。 人工増殖によって昨年までに、40羽(成鳥22羽、ヒナ18羽)まで増えたトキを、1羽たりとも殺すわけにはいかない。そうした職員の思いが伝わってくる。
  「私どもから言わせれば、(鳥インフルエンザは)訳のわからない世界ですから。ウィルスがどこに飛んでいるのかもわからない。どの範囲まで保護すればいいのかもわからない。でも、せっかくここまで増やしてですね。(数を)ダウンさせるわけにいきません」
 センターにおけるウィルスとの攻防は、すでに死闘の様相を呈している。
 しかも今回の鳥インフルエンザ騒動は、思わぬ弊害をトキにもたらしているという。中国に頼らざるを得ない繁殖パートナーの提供を、今年、環境省が断念したのである。繁殖期の4月が間近に迫り、センターは現在いるトキでペアを組むしかなくなった。
  「やっぱり1つの個体の延長線上にある繁殖ですので……、新しい血を入れないのはよくありません。兄弟とか親子の関係で繁殖することになりますから」
 鳥インフルエンザは、トキから嫁や婿を奪ったのであった。今後、繁殖パートナーを増やしていきたいところだが、まだ先行きは暗い。
 3月1日には佐渡が一島一市になり、鳥インフルエンザが流行るまでのセンターは、お祝いムードに包まれていたという。3月15日にはキンの追悼行事も計画されていた。本来ならトキ目当ての観光客が、ぞくぞくと来園するはずだった。
  「トキの数が増えるたびに、どんどんお見せできるように、私はセンターを開放してきました。ところが、ここに来て逆行するようになってしまって……。苦しいというのが正直な気持ちです」
 取材に答えてくれた職員は、そんな苦悩を打ち明けてくれた。トキの保護とセンターの開放に力尽くしてきた職員の言葉は重い。ただ専門家が全力で守っているだけに、トキの安全はかなり高いことを実感した。

■徹底除菌でコウノトリを保護

 さて次に気になったのは、コウノトリである。
 日本では野生のコウノトリが約30年前に絶滅してた。そのため兵庫県豊岡市にある兵庫県立コウノトリの郷公園において、繁殖活動が行われている。その数、106羽。この順調な増殖の成果を受けて、同公園ではコウノトリを野生に戻す計画まで立てられているのだ。
 しかし25万羽を処分した浅田農産船井農場は近い。ましてタイのバンコク郊外では、保護区で800羽のコウノトリが死んでいる。野生化計画など吹っ飛ばしそうな状況なのだ。
 こちらにも、さっそく電話をかけてみた。すると
  「一般公開していたコウノトリがいたんですけれど、それを奥の非公開ゾーンのケージに移動しました」とのこと。もちろんトキ保護センターと同じく一般公開も取りやめている。
 さらにコウノトリを飼育している職員たちも、厳重なウィルス対策を講じている。
  「ケージに入るときの手足の消毒。それとマスク、ゴーグルの着用。以前からしていたことですが、今回改めて徹底しています。業者などが使う進入車両には、タイヤの消毒も実施しています」
 ちなみに、来園者も防疫体制維持のために消毒マットで、靴の裏の消毒を行っているそうだ。
 しかしここまで徹底しているにもかかわらず、万が一コウノトリが鳥インフルエンザにかかってしまった場合、どうするのだろうか?
  「今の段階ではなんとも申し上げられませんね。まだわからないですから。私どもで決定できるようなことではないんで、今の段階では、そこまでのお話しかかできません」
 当たり前だが、敵は見えない。どの程度の接触で感染するのか、何から感染するのかすらわかっていない。手探りのなか必死の防御が続いている現在、最悪のシナリオに回答がないのも仕方ないだろう。
 ただコウノトリもトキと同じく、専門知識に富むプロが知恵を絞り鳥インフルエンザウィルスから、鳥を隔離している。現状では、絶滅の心配などなさそうだ。

■注意が必要なのはツル

 では、人に守られていない野鳥たちは、大丈夫なのだろうか。野鳥の安否をたずねるべく、今度は日本野鳥の会にお邪魔した。
  「渡り鳥については、日本にくる途中で感染しても、死んでしまいます。逆に感染して治ってしまえば、もうウィルスを持っていないので感染は広がりません。そういう意味では心配する必要はないはずです」
 そう語るのは、日本野鳥の会の主任研究員である金井裕さんだ。金井さんは、繁殖期になると多くの野鳥が縄張りを構えるため、より一層、感染の危険は少なくなることも教えてくれた。ペアで生活が続くため、他の鳥と接触する機会が少なくなるからだという。
 たしかに群れていなければ、一気に感染が広まる危険性はない。巣を探すのが困難なほど広い縄張りを持つ猛禽類などは、地域的に野鳥への感染が拡大しても死ぬ数は限られてくるだろう。
 ただし、それはあくまで野鳥の環境が整っている場合である。環境悪化などによって、生息地が限られ、群が密集してくると話は変わってくる。
  「今、一番気にしないといけないのはツルですね」
 ズバリ、金井さんが指摘した。
 ツルは江戸期以降の乱獲が祟り、現在、生息場所は鹿児島県出水市周辺と、山口県周南市八代の2ヶ所だけ。今年確認されている個数は、山口県は15羽、鹿児島県は約1万羽だけなのだ。
 もしここに毒性の強い鳥インフルエンザウイルスが入ってきたら、その結果は火を見るより明らかだろう。生息場所が限られているため、ツルに逃げ場はない。もちろん縄張りも通常の野鳥より狭いため、感染の危険性は増す。
 ついに今回の取材で、絶滅の危機にさらされてしまう鳥に出会ってしまったのか。そんな不安を見透かしたかのように金井さんは言った。
  「大丈夫でしょう。じつは、ここ何年か続けて、生息地の限られた鳥の大量死が起こっています。しかし絶滅にはいたっていません」
 2000年秋には、韓国に生息するトモエガモが鳥コレラで1万羽死んでいる。なんと1ヶ所に10万羽から30万羽いた鳥だという。さらに、2002年の冬には、台湾に生息するクロツラヘラサギが、エサの貝などに繁殖したボツリヌス菌によって、70羽死んでしまった。この鳥もほかの環境で、暮らすことのできない鳥だったという。
 つまり薬も医学知識もないトリが、密集して暮らしていても、絶滅まではいかないのだ。ウィルスや菌を乗り越えて、強い個体だけが生き残る。いわば自然淘汰が起こるだけだ。
 鳥インフルエンザによって、バンコクのコウノトリが800羽死んだといっても、群は1万羽ぐらいいたとの情報もある。死んだ鳥の数こそ多いが、1%も死んでないという見方もできるのだ。
 もちろん繁殖環境が悪化していれば、通常の野鳥より絶滅の危険性は高い。しかし、そのマイナス分を人が補ってやることで保護できる。
 考えてみれば、動物絶滅の原因になっているのは、常に人間だった。自然だけで生物が淘汰されることはまずない。
 今回、25万羽もの鶏を処分する原因となった鳥インフルエンザも、野生の強さを失った大量の鶏を、あれだけ狭い地域で飼育していなければ、これほど感染を広げなかっただろう。
 むしろ日本野鳥の会がウィルス以上におそれているのは、人の噂だという。現にある民放局のニュースでは、感染源として謎の黒い鳥の存在が報じられた。
 しかし「そんな格好の鳥などいない」と、謎の鳥のスケッチを見ながら金井さんは断言した。野鳥から感染する危険性に過剰反応すれば、こうしたデマも一人歩きし始める。いずれ鳥など殺してしまえという声さえでかねない。
 すでにツバメに対する不安の声があがり、ペットとして飼われている鳥まで捨てられて始めている。野鳥にとっては、鳥インフルエンザより人間が恐ろしい存在なのだ。絶滅の引き金は、やはり人間が握っている。 
 とっ、ここで新たな疑問が!
 日本野鳥の会のメンバーは、鳥インフルエンザを調査するため、地方自治体からも協力を依頼されている。実際、あの船井農場周辺の野鳥の調査にも会員が参加した。それ以外でも、もっとも野鳥に近づく人々こそ日本野鳥の会のメンバーではないか。高濃度な接触を伴うと感染するといわれ、海外では人への感染例も報告されている。会員に危険はないのだろうか?
  「はい、野鳥には近づけませんので」
 そうだった。野鳥には近づけない……。だからこそ紅白歌合戦で、NHKホールの観客を舞台からカウントすることができるのであった。感染どころか、触ることすらできん、それが野鳥。
 というわけで野鳥の会の会員が安全であることも、最後に報告しておきたい。(■了)

| | コメント (0)

食卓が危ない??

●月刊「記録」2004年3月号掲載記事

 不規則な生活が常識となり、一日1食という日もあれば、2食という日もあるという若者は多い。また週に3回ほどハンバーガーを食べ、帰宅途中に寄るコンビニでは総菜や甘いものを買って食べる。添加物ごりごりのアブナイ食べ物たちに囲まれた生活を送る一方で、それでは健康にも肌にもよくないからと、サプリメントで栄養を補給するとの生活スタイルはもはや日常となった。

 そんな私たちの食生活に鉄槌を下すような事件が続々と起きている。
 ニワトリには「鳥インフルエンザ」(H5型)が東アジアを中心にはやっている。原則はトリ同士でしかうつらない病気だが、日々死者が増えているタイでは、ニワトリから人だけではなく、人から人へ感染した疑いが浮上した。
 決して人ごとではない。先日もスーパーマーケットへ買い物へ行って唐揚げを購入したところ、ラベルに大きく『タイ産』と書かれていた。普通にタイ産が売られているのだ。
 歴史上大流行したインフルエンザは、ニワトリからブタ、そして人へと、宿主が変わるたびに形態を進化させ、最後は人同士に感染するまでになったが、今回も同じルートをたどる危険性が高まっている。しかも史上に残る「スペイン風邪」「アジア風邪」などの当時の新種に比べて毒性が強いとの報告もあって、数億人の死者が出るとの観測がある一方で、抗生物質がなかった「スペイン風邪」の時代と同列で論じるのはナンセンスだという反論もある。
 とはいえ「トリから人」段階にとどまりさえすれば、加熱すればウイルスは死滅するし、鶏肉料理の大半は火を通すので食卓での危険は今のところ小さい。「タイ産」の肉も加熱すれば安全であり、それを証明するためにも販売は続けてほしい。過剰反応は外交関係にヒビを入れかねない。
 現時点で心配なのは肉より養鶏場である。狭く閉鎖されたところで飼育する標準的な日本の農法では、感染が爆発的に広まりやすい。首だけ出して、太らせて卵を産ませてるやり方が効率的だとしてもインフルエンザにかかって全滅してしまっては元も子もない。
 そこで従来の飼育方法ではなく、平飼いという広めの鶏舎で開放的に飼う方法が注目されている。この方法で育っているのが、フランスの赤ラベルというニワトリである。国内では茨城県のやさとが有名である。放し飼いだと野鳥からの感染がありうるので、あくまでも人の管理の目が届く平飼いは危機管理面でも有望である。

■危険な肉を食べるために行列!

 牛肉は01年にBSE(いわゆる狂牛病)が日本で発見されて問題になって以来、今日まで日本人の心理を微妙に揺さぶっている。
 BSEは異常タンパク「プリオン」が原因との説が有力だ。生命体ではないから加熱すれば死ぬといったたぐいではない。感染牛を食べると新変異型クロイツフェルト・ヤコブ病という致死率の高い難病にかかる恐れがあるとされる。とくに脳やせき髄などの「危険部位」を避けた方が賢明だ。
 さて、前述の01年では、焼肉店では閑古鳥が鳴き、メディアには安全な牛肉が食べられない不満の記事が毎日のように載っていた。ある時は1ページ使っての広告もあった。おいしい牛肉を食べたいと著名人が会を作ったりもした。
 しかし、03年で米国でBSEが発見されたときは、以前のような騒ぎはほとんど起こらず、焼き肉店も繁盛、店頭に並んでいる肉の数も01年よりははるかに多い。
 ここまでは政府が米国牛の輸入を止めたから安心していると説明できる。しかし「吉野家」などの牛丼チェーン店が米国産牛のストック分の牛丼販売最終日に大勢の客がつめかけた04年2月ごろの騒ぎはおかしい。最後の牛丼をほおばる若者の写真が新聞一面を飾り、夕方のテレビニュースでは、牛丼ファンの生活を追いかけた特集が組まれ、「吉野家」と同じ味を再現するレシピなどを紹介するコーナーまでやっていた。
 なぜおかしいのか。「米国産牛のストック分の牛丼」というのは米国でBSEが発覚して禁輸になる日以前に輸入した肉であり、言い換えればBSE感染の可能性がある肉だからだ。日本でのBSE発症の際には流通中やこれから流通する予定だった肉が敬遠されたり差し止められたりした。なのに今回は危険な肉を食べるために列まで作っているのである。
 前回と今回のBSEへの消費者の対応の違いをどう考えたらいいのか。慣れたのだろうか、それとも諦めたのだろうか。
 BSEの牛が最初に発見された英国では今も昔も変わらず、肉が食べられているが、多数の国民が患ってもいないし、全滅する恐れもない。そんなに悲観することはないのであろうと推察するのは可能だが、だったら前回の騒動の理由がつかない。
 しかも米国でBSEにかかった牛は「へたり牛」ではなかったかもしれないというニュースが流れた。もしそれが本当ならば、あまりにもずさんだから日本政府が求めている厳密な調査に近いシステムが確立するまで輸入は当然ストップのままであろう。
 米国に条件をのませなければ禁輸続行を貫けるだろうか。貫かないと批判されるとの声がある一方で、米国産の牛でないとおいしく作れないという吉野家の牛丼を食べたい人のなかには「とりあえず解除して」との思いがあるのか。重要な問題提起をはらんでいる。

■過剰反応も心配だ

 それにしてもここ数年、食肉に問題が発生したり、牛乳に黄色ブドウ球菌が混入したり、肉まんに認可されていない添加物が入っていたり、数え上げればきりがないほど「食の問題」が起こっているが、消費者の過剰反応ではないか。
 そうした問題は今に始まったことではない。過去にもこのような事件・事故はたくさんあった。公衆衛生が発展し、人々の清潔信仰がますます上昇している現代だから問題視されるのか、それとも本当に問題なのかを見極める必要がある。
 食品業界には、HACCP(ハセップ)という食品品質の管理方法がある。これは1960年代の米国で宇宙食の安全確保のために開発されたのだが、HA(Hazard Analysis)が危害分析、CCP(Critical Control Point)が重要管理事項ということで、危険なものを分析して、なにが原因かを突き止めたら記録し管理することで日本でも導入されいる。
 他にもiso(イソ)という国際規格もある。isoには9001と14001という種類があるが、食品に関係するものは9001(品質マネジメントシステム規格)だ。国際規格ということもあって、食品業界でもisoの認可が下りたものを前面に出しているし、ラベルにも表記されている。
 1995年に施行されたPL法(製造物責任制度)は、食品の欠陥が原因で、生命、身体、財産に被害が生じたら、その製品を供給した企業が責任を負う損害賠償制度である。
 今は、これらの制度によって一段と安全が増したはずである。とはいえ、火のないところに煙は立たない。ここまで来るのにさまざまな食卓を揺るがす事件があったはずだ。今のように、工場もオートメーション化されていないし、公衆衛生も不十分。法もしっかりしていなかっただろうし、消費者よりも供給側の企業が強かった。
 食品にまつわる事件・事故をあらためて振り返ってみよう。先に過剰反応と書いたが、かつての日本ではBSEなど真っ青の毒食品が大手を振っていたのである。
 数年前にヒ素入りカレー事件が世間を騒がせたが、1940年代から1960年代にかけては食品にヒ素が含まれて中毒になる事件が相次いで起こっている。
 ヒ素の事件として大きかったのが、1955年に起こった森永ヒ素ミルク事件だろう。患者数約12400人、死者約140人にも及ぶ大事件で、原因となったヒ素は、調製粉乳製造時に使用した工業用薬品の乳質安定剤(リン酸二ナトリウム)の中に不純物として混入していたようである。
 工場で作られた調製粉乳100グラム中から約3グラムが検出されたにも関わらず、製品の回収が遅れた。
 ちなみに中毒症状は、食欲不振、貧血、発疹、皮膚の色素沈着、下痢、肝・腎・神経系の障害、そして死に至る。爪や毛髪にヒ素が沈着する。
 粉ミルクが原因だから乳幼児がその被害者である。生まれたばかりで、その先明るい未来が待っていたであろう子どもたちがヒ素中毒にかかってしまうのは残酷である。
 その他にも加工、製造中の事故による中毒事件がある。1968年福岡県で、食用油が原因の大規模な食中毒事件が起きている。
 被害者数は約一万人。症状は、皮疹、発汗、爪の変色や変形、手足のしびれ、肝臓障害などで死ぬ危険性もある。これを油症という。
 原因物質は、ポリ塩化ビフェニル(PCB)という環境汚染物質で、油の製造途中でパイプから漏れたらしい。
 PL法がこの時からあれば、被害者は損害賠償請求ができたし、企業の社会的責任も十分問われただろう。
 前記以外にも、農薬の問題がある。昨今のオーガニック野菜のブームから、たい肥を使っている農家も増えてきたが、以前はDDTなどの有機塩素剤を散布している農家はたくさんあった。
 害虫駆除や除草などに強い効果を発揮し、大量に農作物が作れるといったメリットから使われてきたが、やはり化学物質なので体内に蓄積される。ちなみに『食品衛生学』(愛智出版)によると、「有機塩素剤系は有機リン剤系よりも急性毒性は弱いが、慢性毒性はむしろ強いとされている」と書かれている。
 技術が発展して豊かになればなるほど、その代償は大きくなっている。大量生産をするために農薬をまく。それはそれで結構なことだが、いずれ自分達の身に帰ってくる。
 そして自然界では、私たちの主食である肉たちが反乱を起こしている。結局いつまでたっても、私たちの食卓は危ないのだろうか……。(■了)

| | コメント (0)

「8時間遅れ」は1時間で解決できた/斉藤典雄

●月刊「記録」2003年11月号掲載記事

■高架化工事遅れで大迷惑

「首都の大動脈大混乱」「JR中央線234本運休」「18万人に影響」「JR高架化工事ミス」「復旧8時間遅れ」「JRの甘い見通し」「お粗末JR」「単純配線ミス」「走らぬバス長蛇の列」「バス乗ってもすし詰め渋滞」「休日台無し」「利用客怒り心頭」「人災だ」「いつ動くんだ」「イライラ」「ヘトヘト」「うそつき」「お役所仕事」等々。
 9月29日付朝刊各紙を賑わした見出しはざっとこんなものだった。どの新聞でも1面トップで報じられたのだから、大問題に違いない。
 概要はこうだ。
 JR中央線の三鷹から国分寺間(約6キロ)上り線で、27日夕方4時頃から大規模な線路切り替え工事を行った。その工事のため、三鷹~立川間についてはほとんどの列車を運休。バス代行を実施するなど、他の交通機関への振替乗車を呼びかけた。その後、28日未明3時半頃新設した武蔵小金井駅周辺の5ヶ所のポイントが切り替わらないなどの信号トラブルが発生。復旧作業が長引き、運転再開予定時刻の午前6時頃から約8時間近くにわたり、三鷹~立川間の上下線がストップ。動き出したのは午後2時頃という、利用客にとっては前代未聞のはなはだ大迷惑な事態である。
 まず初めに、線路切り替え工事について説明しなければならない。
 JR中央線の三鷹~立川間(約13キロ)には18ヶ所の踏切があり、朝夕のラッシュ時には「開かずの踏切」として交通渋滞を引き起こし、周辺住民の日常生活にも大きな障害となっていた。そのことなどから、1969年(昭和44年)に沿線20市町村(当時)による「三鷹・立川間立体化複々線促進協議会」が発足。これを受けて、JR(当時は国鉄)は東京都と協議を重ね、94年(平成6年)に本事業が都市計画決定された(踏切のある部分約9キロ-東区間・三鷹~国分寺間約6キロ、西区間・西国分寺~立川間約3キロを高架化にし、踏切を廃止するなど)。工事は2001年より全面着工されていて、完成予定は2010年度末というものだ。
 今回は、東区間・三鷹~国分寺間に仮上り線を新設。既存の上り線を、新設した仮上り線へと切り替える。最後に高架線へと切り替え、その後高架駅建築で完了。と、毎年1回、計8回に及ぶ「史上最大の決戦」というべき大計画なのである。
 ところが、冒頭の不測の事態が突如として生じてしまった。首都圏での運休時間や影響人員は過去に例がない最大規模だという。JR最悪の失態である。そもそもJRは「工事の延長は想定していなかった」というから、工事を甘く見ていたといわれても反論はできない。判断が甘いといわれても、驕りが招いたトラブルといわれてもだ。乗客無視、危機回避能力欠如、リスク管理お粗末等々、何といわれようが、言いわけは何一つできないのだ。
 原因は、当初は配線ミスであると断定され、作業員(下請)による初歩的な人為ミスだと騒がれた。が、さらに調査を進めた結果、約1週間後の10月6日には、配線図自体が間違っていたことが判明した。工事を請け負い、配線図を作成した会社のチェックでも、JRのチェックでも間違いに気付かないまま工事を行っていたというものだ。
 まったく信じられない話だが、これでは復旧できるわけがない。間違った配線図を基に確認作業が行われていたのだから、永遠と復旧はできない。まるで腹痛なのに頭痛薬を飲み続けているのと同じである。
 また、JRのチェック体制は一寸の抜かりも無い完璧なものとばかり思っていたが、このまさかの不手際には開いた口が塞がらない。まるでプライバシーにまで及ぶかのような私達社員への事細かなチェック(労務管理)能力を、今後はこちらの方へ集中させたらいかがかと言いたくなる。まさに管理体制の不備である。
 事件当日午後にはJRの幹部が、翌29日には大塚陸毅社長自らが記者会見で陳謝したばかりだが、10月7日の社長の会見では「表面上は単純なミスだが、たまたま起きたのではなく、組織の深部に問題があったと考えている」と話し、今後は大規模な工事現場には本社幹部を立ち会わせるなどの再発防止策も明らかにして、再び謝罪した。
 私は、非常に重く意味深な反省であると受け止めた。

■運転再開よりも原因究明を優先

 さて、現場の各駅では、朝から動いていると思っていた利用客でごった返し、騒然となったことはいうまでもない。さらに混乱に拍車をかけたのはバス代行が9時過ぎに中止となったことである。理由は、運転士と車の手配がつかないとバス会社から断られたからだが、万が一、工事が遅れることを想定して、事前にお願いしておけばこんなことにはならずに済んだことであり、何から何までお粗末という他はない。
 しかしながら、一番の問題は復旧に対するJRの判断ではなかったか。当日に幹部は会見でこう述べている。「原因を突き止めた上で復旧させようという思いが強すぎたかもしれない」。つまり、運転再開より、原因究明を最優先させたのだ。その結果として、故障していない別のポイントや踏切など、全部の総点検を余儀なくされ、大幅な時間を要することになったのだ。
 JR東日本の「行動指針」で謳ってある「お客様第一」を考えるならば、運転再開を念頭に置くことは分かり切ったことだ。幹部たるもの、そうした気持ちがなかったとは思わないが、いつも直接お客様と接している私達現場第一線の社員とは決定的なズレを感じないわけにはいかない。一度でもいいから、超満員の電車に乗ってみたり、騒然とした現場の中に立ってみたらいかがだろうか。これでは「乗客無視」といわれても仕方がない。
 ならば、どのような対応をすべきだったかである。繰り返しになるが、「お客様第一」に運転再開を最優先させるということに尽きる。原因究明は終電後に行えばいいのである。異常事態なのだから、何もダイヤ通りの正確な運行にこだわる必要はなかったのではないか。誤解されては困るが、どうせしょっ中遅れている中央線である。初めから、特急の待ち合わせや車庫入れなどのポイントで振り分けることは全て中止にして、1本の線路でどんどん動かしていけばよかったのだ。
 結局は、ポイントを鎖錠(固定)して運転再開に漕ぎつけたわけだが、鎖錠する作業など1時間もかからないのだ。そうした判断があまりにも遅すぎたということである。
 それにしても、またしても、安全を担うJRの信頼を大きく失墜させ、安全神話にひびが入ってしまった。今後は、このようなことが二度と起きないように、管理体制をビシッと整えるしかない。毎度のことだけどね。また、技術陣の「真のプロ」としての奮起を促したいものだが、今や技術の継承はおろか、関連会社や下請けへの外注化が当たり前になり、責任の所在までが細分化され、うちさえよければという全体の一体感が希薄になったことも一因なのではないだろうか。
 いずれにしても、お客様あってのJRである。足止めされた大勢の人の中には、重要な会議だった人、結婚式だった人、行楽の人、お年寄りとさまざまだが、秋晴れの休日を台無しにしてしまったことは、私もJR社員の1人として、今ここで改めてお詫びを申し上げたい。

■その後もトラブル続出…

 ここから先はJR中央線のその後である。この事故から3日後の10月1日午前10時頃、またしても武蔵小金井駅構内で、新設された別のポイント2ヶ所が故障して、電車は20分近く立ち往生した。最大39分遅れで14本が運休、4万人に影響したという。これは、配線には問題なく、ポイントの切り替え部分のネジの調整不足が原因だった。
 さらに、10月3日午前7時半頃、またまた同駅構内で、架線を吊っている「ちょう架線」を覆うカバーから煙が上がり、線路に焼け落ちるという事故が発生した。これも新設された部分だが、電流は流れていなかったという。原因は調査中で、8本運休、8000人に影響。
 まだある。この工事による影響で、同駅隣の東小金井駅付近の踏切では、踏切を渡る距離が長い所で2倍以上になった。そのため、もともと閉じている時間が長かったのが、10月1日などは午前8時から9時までの1時間は閉まり放しだったという。JRは各踏切に警備員を配置して監視に当たらせたことにより、普段は遮断機の下をくぐって横断する人が多いのだが(危険だから止めてほしい!!)、それが出来なくなってしまい、「会社に遅れる」と警備員に殴りかかるトラブルも起きている。
 また、東小金井駅では踏切が当てにならないため、周辺住民は自転車を担いで駅構内を行き来するという問題まで起きている。
 それに、まだあるから困る。10日には、80代の老夫婦が踏切を渡り切れずに、電車が緊急停止する一幕もあった。たった今(11日)は、三鷹駅と高尾駅で人身事故が相次いで発生し、また止まっている。
 このように、中央線は挙げれば切りがないくらい事故が多いのだ。まったくもって、てんやわんや。呪われているのか? そんなことはないだろうが、今回の大失態を職場の同僚達は「工事が終わっても、まず、まともには動かないだろうと思っていたよ。必ず何かが起きるだろうとね」と口々に言っていた。私を含めてだが、これほど大変な事態になるとは思わなかったにせよ、とにかく小さな事故やトラブルが後を絶たないからなのだ。裏を返せば、社員はみんな、自分のJR会社を信用していないということだろうか。
 最近では、JRバス関東の飲酒運転、東労組役員らの逮捕や組合事務所の家宅捜索等々、JR全体のモラルが低下していると見るべきではないのか。私達、社員全員の心のタガが緩んできて、締め直す時期に来たという警鐘かもしれない。合掌。(■了)

| | コメント (0)

謝罪広告大研究!

●月刊「記録」2002年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■潔いのは明治屋産業

 ワールドカップ騒動の陰に隠れ、あまり話題にのぼらないが、全国紙の社会面は連日謝罪広告にあふれかえっている。多い日には、縦6.5センチの広告が2段にわたって掲載される。これだけ取材広告が並べば、比較してみたくもなるのも当たり前! そこで本誌編集部が、各社の謝罪広告を徹底的にチェックした。
  『広辞苑』によれば、「謝罪」とは「罪やあやまちをわびること」だという。「わびる」なら、当然「わびる」気持ちを見やすく表現すべきであろう。とはいえ謝罪の掲載は、ほとんどが目立たない小さな文字で行われる。雑誌の訂正記事など、巻末に小さな文字で掲載されるのが常だ。
 そんな「謝罪広告」の常識に、敢然と立ち向かったのが明治屋産業だった。横幅4ミリを超える本文の文字は、他社の2倍の大きさを誇る。冒頭に掲げた「お詫び」の文字など、新聞記事の見出しかと間違わんばかりの勢いである。
 潔い! 京王新宿店で販売した「松坂牛」に「該当しない商品」が含まれていたとのことだが、この謝罪広告を見た私など、すっかり彼らを許してしまった。(もちろん京王百貨店で松坂牛を買える金ないゆえだが……)
 感激を胸にさっそく明治屋産業に電話を掛け、文字の大きさについて質問したが、予想以上に担当者の反応は悪かった。
  「(広告の表示方法については)取り立てて、何がどうということもなかったのですが……」
 ぶっきらぼうである。当たり前かも。謝罪広告の経緯を聞き出そうとする人物は、確かに怪し過ぎる。どうも「総会屋」などに間違われたフシもある。まあ、無名雑誌の企業取材ではよくあること。不問にふそう。
 この担当者によれば、新聞広告を掲載して以来、「けっこうの数の電話」が掛かってきているという。担当者の疲れた声は、電話で怒られ続けた結果かもしれない。自業自得とはいえ、少し気の毒になった。
 目立つという意味では、「ファイナルファンタジーXl」に負けていない。横書きでたっぷりとホワイトスペースを取った謝罪広告は、ともすれば宣伝のようにも見える。横幅5ミリもあるゴシック体も、明朝体だらけの新聞で目立ちまくっている。食品メーカの謝罪広告とは、えらい違いだ。
 アクセスが集中したため、サービスがきちんと提供できなかったことへのお詫びらしい。だが、この広告で思い出したのは、行列のできるラーメン屋だった。待つ人のために置かれた長イスと「お待たせして、すみません」などと書かれた看板。そこには人気店の誇りがにじみでている。
 予想以上の人気なのがわかれば、ソフトを購入してみいたい人も現れるだろう。こんな謝罪広告なら、わが社の出してみたいものだ。
 謝罪広告のなかには、こちらが同情してしまうケースもある。そう、協和香料化学の商品を使った食品メーカーだ。健康への影響はないと報道されているが、消費者が不安を感じている以上、調査は必要になる。
 とはいえ「このたびの『協和香料化学(株)』の件について、過去にさかのぼり取り扱い商品の調査をいたしてまいりました」というキッコーマンの文章は泣かせる。「過去」といっても、協和香料化学の場合、30年以上にわたって違法行為を繰り返してきたのである。結局、見つかったのは1999年12月に製造が中止されていた商品だったようだが、かなり細かな確認作業が行われたに違いない。
 同じく協和香料化学の香料を使ったために謝罪広告を掲載したメーカーには、おもちゃでお馴染みのバンダイがあった。「ハムスターがいっぱい」「ウルトラマンでキャッチ」など、オマケで人気を集めているお菓子に、問題の香料が使われていたという。オマケが人気の商品で、菓子の方ににケチが付いたとは、お気の毒さま。これじゃあ、オマケだけを単独で売りたくなるだろう。

■事故に素早く反応したエバラ食品

 悪事を隠し続けて消費者の信頼を失えば、企業へのダメージは計り知れない。これこそ雪印食品の解散が残した教訓である。実際、数あるお詫び広告のなかには、こうした時代の流れを感じされるものも含まれていた。エバラ食品工業の謝罪広告である。
 業務用の『やきとりのたれ』に記載されている原材料名に、「増粘剤(キサンタンガム)」が漏れていたという。食品添加物も食品衛生法で認可されたものであるうえ、デザイン改版前にはラベルにしっかりと記載されていたという。表示義務を怠った責任を取って謝罪広告を出し、商品を回収しているそうだ。さっそく同社のお客様相談室に電話すると、「アレルギー表示をするためにラベルを改版したときに、チェックミスが起こしてしまいました」と、説明してくれた。
  「記載漏れ」が商品回収になるとは恐るべし。自慢ではないが、小誌の「記載漏れ」は日常茶飯事。天地がひっくり返っても、エバラ食品のラベル担当には転職できない。
 ちなみに、この謝罪広告に対しても、3日間で40数件の問い合わせや苦情が寄せられたという。私にはどんな苦情を言えばよいのか思いつかないが、いやはや謝罪広告を出すのも大変である。
 回収商品の通知やお詫びに加えて、事故への対策を語っている広告もあった。全農チキンフーズが偽装した「無薬飼料飼育若鶏」を販売してしまったコープ事業連合は、「商品の点検管理をよりいっそう強化し、再度防止に万全を期する所存」だと宣言。不認可の添加物を使用した肉まんを販売したダスキンは、「二度とこのような事のないよう『法の遵守』を改めて会社に徹底する」と書いている。しかし事件への対策に関しては、松阪牛と米沢牛の使用割合を偽った日東ベストがスゴイ。
  「再発防止策として品質監査組織を強化し、且つ透明性を高める為、社外の学識経験者・弁護士・有識者等で組織する企業倫理委員会を速急に発足させます」
 きわめて具体的かつ効果のありそうな社内改革ではないか。もちろん早速電話したが、相手の反応はやはり鈍かった。「雑誌の取材」と言った途端、電話を受けた女性に緊張がはしる。彼女が慌てて電話をつないだ先では、とにかく早く電話を切らせようとする中年男性が待っていた。
「今週中には人選して、今月いっぱいには(委員会を)立ち上げる予定です。はいはい」
 新聞広告を出して5日なら人選中でも問題はあるまい。本当に社内を改革できる委員会が立ち上がるかどうかは、これからが正念場となろう。

■公表しなかった事実を謝罪するダスキン

 最後に取り上げたいのがダスキンだ。肉まんに認可されていない食品添加物を使い、その悪事がバレないように「墓場まで持っていけ」と社内幹部の口止めをしたことは、大きく報じられた。
  「日本では使用を認められていない酸化防止剤が含まれており、その原材料段階のチェックミスが原因で起こったものです。
 弊社では、ただちに適正な油脂に変更しており、現在ではこのような商品は一切販売しておりません。
 しかし、一年半前に発生した問題について、今日まで公表しなかった事につきましては危機意識の不足の結果であると深刻に受け止め、深く反省しております」
 うん? である。
 まず新聞などで報道している事実とニュアンスが違う。中国の工場で問題の植物油を使っていたことが判明した後、ダスキンはこの工場を12日間操業停止し、中国にあった56万個もの在庫は廃棄した。しかし研究機関で「不検出」の結果が出た300万個の国内在庫は、2ヶ月弱もの間販売し続けていた、と報じられているのだ。
  「公表しなかった」事実だけを謝られてもな、という感じてしまう。同じ謝罪広告なら、ズバっと全面的に謝った方が消費者からの受けも良いだろう。
 2年ほどの前の取材で、社内の風通しをよくするためにカジュアルデー(スーツを着ない日)を推進した雪印乳業の社員は、導入当初、いくつかの部署で実施されたものの数年で数人しか実施しなくなった実態を語ってくれた。今考えれば「さもありなん」である。
 どんな小さな改革であれ、会社全体に広がなければ意味がない。意識改革なく問題の風土が残れば、企業は何度でも謝罪広告を掲載することになる。
 変われるかどうかに勝負がかかっている。雪印の例を挙げるまでもなく、2度目のスキャンダルは一気に消費者の信頼を失う。不景気なだけに、大会社が潰れて大勢の労働者が失業するような事態だけは避けてほしい。(■了)

| | コメント (0)

アジア列車危機-韓国地下鉄火災・新幹線居眠り運転-/斉藤典雄

●月刊「記録」2003年4月号掲載記事

 2月18日、韓国南東部の大邱市の地下鉄で放火による火災が発生。198人の死者を出した。しかしこの大惨事は、起こるべくして起きたといっても過言ではなく、他人事ではなかった。早速、日本の地下鉄やJR東日本でも総点検や避難訓練等を行ったということだが、この事故を教訓に、同じ過ちを2度と繰り返してはならないと思う。
 私は韓国地下鉄の規程やマニュアルがどのようなものなのかは知らない。またJRのそれを一字一句正確に把握しているわけではないが、乗務員としてこれだけはという、国鉄時代から変わらない列車火災時の取り扱いを頭に叩き込まれていることが2つある。
 まず一つは、直ちに関係列車を停止させるということである。これはどんな事故でも共通しているといえる。隣接線を止めること。併発事故、すなわち二次災害を起こさないということだ。
 運転士はその名の通り運転する人だが、車掌は乗客に対しての営業関係が基本になっている。しかし事故が起きた場合は、主に、運転士は対向列車に対する停止手配(前方防護という)をとり、車掌は後続列車の停止手配(後方防護)を直ちに行う。運転手と車掌がそれぞれの受け持ちでお互いに指示を出し合うのである。私達車掌が最後部車両に乗務している最大の目的(役割)は列車防護(特に後方の)のためといわれている。
 もう一つのポイントは、トンネル内や橋りょう上は避けるということである。つまり、安全な場所までそのまま走行すること。以上の2点である。
 報道を見る限りでは、火災が発生した第一段階から判断ミスがあったという気がしてならない。
 まず、状況の確認だが、指令の把握があやふやすぎた点だ。指令は運転士に「次の駅で火災が発生したから注意していくように」という指示を出している。不確かな憶測ほど恐いものはない。最も安全と認められる道を採るには、止めることである。なぜ、抑止しなかったかだ。
 また、行ったら行ったで、この場合は、運転士は通過すべきではなかったのか。
 次に、「運転士がマスターキーを抜いて逃げた」とあった。JRの構造とは違い、キーを抜くとドアが閉まり、電源が切れ、列車は死んだ状態になるということだが、そのため被害が拡大したという。
 さらに、駅では火災警報機が鳴ったが、怠慢にも誤作動であると判断していた。指令は運転士に「キーを抜いて逃げろ」と指示し、その交信記録は削除した等、次から次へと不祥事は枚挙にいとまが無い。
 こうした事勿れ主義的な姿勢や隠蔽体質も大問題だが、これでは人災だといわれても返す言葉がないだろう。
 そして、何よりも見落としてならないことはワンマン運転であったということだ。要員の確保が適正なのかという点である。何事もなく平穏無事であるとは限らない。現にこうして惨事が実際起きている。車掌がいれば、もっと違った結果になっていたはずだ。
 少なくとも都内を走るJRでは、運転手と車掌がいる。ドア開閉は基本的に車掌が行う仕事になっているが、運転士も全ドアを開閉できる。(もちろん地方など車掌のいないワンマン運転では、運転士が扱っている)例えば、中央線で一車両の全ドアが開かなかった(閉まらなかった)とする。その場合は、「運転士の方でやってみて下さい」と頼むこともあり得る。韓国のような事態になっても、運転手と車掌が協力してドアを開けることもできただろう。
 ドアの開閉だけではなく、災害時は乗客の安全確保に動く人数が重要となる。もし車掌がいれば、あるいはホームに駅員がいれば、現場のより詳細な状況が指令に報告され、これほどの惨事にはならなかったと断言できる。人命を預かるという大命題がある以上、もっと余裕のある要員配置を望みたいものだが……。

■もしも火災が起こったら――JR編――

 ついでに私が火災に遭遇した場合のシミュレーションも、書いておく。編集部から強引に頼まれたので、仕方なくなのだが……。

 走行中、火災を確認したとする。
 そうなのだ。私達車掌は、列車防護の他に列車の状態を監視するという役割もある。まず私は、直ちに非常ブレーキ(車掌用)を扱い緊急停止させる。その旨を運転士に連絡し、片手で指令を呼び出す機器を取り出すのと同時に、一方でマイクを持ち車内放送する。
  「お知らせします。×号車で火災が発生しました。×号車で火災です。大至急、隣の車両へ避難して下さい。3人掛けの所に消火器があります。火事です。慌てないで下さい。火事…」と言っている間に、指令との無線が繋がった状態になるので、指令に状況を連絡し、直ちに現場に向かう旨を伝え、現場へ直行する。すっごくうまくいった場合の想定だが、乗客の避難誘導や消火作業の手順をあれこれ思い浮かべながらいざ現場に着いてみると、すでに全員が避難しており、乗客によって消火が完了されていて、ホッと胸を撫で下ろしている自分を想像できるわけである。また、手がつけられないようなヒドイ場合は、指令に消防車の手配をはじめ、関係係員の要請をし、乗客には避難してもらうため、「ドアは手で簡単に開けられる」と、ドアコックのある場所を車内放送し、乗客の中のJR社員、消防関係者、火消しのプロ等、あらゆる人々の協力を求めるしかないだろう。
 ちなみに運転士や指令とのやりとりの中で重要なことは、後で、「いった」「いわない」、「いわれた」「いわれてない」という思いこみや食い違いを避けるために、お互いしっかり復唱することになっているのだが、果たして、一刻を争う異常事態の中で、いったいどれだけの人が冷静かつ完璧に復唱通りこなせるかは疑問である。

 最後に、このような事故がある度に思うことだが、確かに、指令や運転士に落ち度はあった。逮捕もされた。刑事責任を問われる。当然かもしれない。しかし、いつも憤りの念を禁じ得ないのは、こうした劣悪な労働を強いている経営側の姿勢が問われない限り、問題が解決に向かうとは考えられないということである。

■腹だけデブでも車掌失格!?

 韓国の列車事故に憤りを感じていたら、今度は日本で大問題が発生した。2月26日、JR山陽新幹線の運転士が熟睡し、居眠りのまま約8分間、最高速度270キロで走行していたという。
 高速で走る新幹線である。大勢の人命を預かる以上、絶対にあってはならないことであり、何も知らずに乗っていた乗客はあきれ果てたか、さぞかしぞっとしただろう。
 まったく、とんだ「震撼線」だといえるのは大事に至らなかったからであり、例え運転士が気を失っていても大丈夫という、最先端技術のATC(自動列車制御装置)が正常に作動したのも皮肉といえなくもない。逆に新幹線の揺るぎない安全性が証明されたからだ。
 しかし、それはあくまでも結果論にすぎない。どんなに優れた機械でも故障しないという保証はどこにもない。緊急事態の際、とっさに対応できるのは運転士と車掌しかいないのだ。最終的には人間にしかできないのである。
 それにしても、またも鉄道への信頼を大きく失墜させてしまったことに変わりはない。当初は、運転士個人の気の緩みという精神論とJRの管理体制の指摘、とりわけ、安全意識が甘過ぎるのではないかと厳しく問われた。そうした上で、原因の徹底解明と早急な再発防止策を求められたわけだが、日が経つにつれ、JRが公表したことと事実は異なっていたなど、次から次へと対応のまずさやミスが浮き彫りになってしまった。毎度のこととはいえ、一生懸命やっている私達としては頭が痛いことばかりなのである。
 そして、居眠り発覚から1週間後、運転士は重度のSAS(睡眠時無呼吸症候群)だったと断定された。つまり、原因は運転士自身ではなく、病気だったということだ。体重が100キロもあるとプライバシーまで報道されたが、今では力士の半数に睡眠障害があり、取り組みの成績も悪いなどと思わぬ方向へ波紋が広がっている。これだと、デブの運転士はいなくなると危惧されるばかりか、デブだと世間から偏見をもって見られる可能性すらある。くわばらくわばら。私は腹だけデブなんだけど!?
 JRでは健康診断を年2回実施しているが、SASは見つけることができないため、今後は全ての運転士に検査を義務づけたり、定健の方法を検討することになるだろう。

■居眠り対策も必要だ

 中央線や首都圏でいえば、長距離列車と違い駅間が短いこともあり居眠りはまずないと考えるが、どうだろう。運転士に問えば、次から次へと仕事の量が多過ぎて眠る暇などないといわれるかもしれない。
 新幹線の運転士から聞いたことだが、新幹線を動かしているのは運転士ではなくATCであり、極端な話、機器類を監視する以外は何もすることがないのだそうだ。
 中央線と違って走行中に窓を開けることもできない。空調もよく効いている中でついつい眠くなり、緊張感が薄れてウトウトしてしまうこともあるだろう。人間だもの。私も、明け番の時などは意識がふっと遠くなり、ハッと我に返ることも1度や2度ではない。ただ、熟睡に至らないだけである。
 眠りたい時に寝ることができず、眠くないのに寝なければならないという不規則な勤務体系も問題だが、これが仕事だという自覚を持って自分でコントロールするしか方法はない。
 病気は別にして、あってはならない居眠りがありえるという前提に立って対策を講じてもらいたいが、JRとすれば運転席に複数は置けない、1人でも多過ぎるくらいだと言いたげである。
 なお、『朝日新聞』の続報に、運転の免許を持つ車掌を運転士に付き添わせるよう、指令が別の車掌2人に指示を出したのに「車掌が指示を失念した」と書かれていた。正直、これを読んだときは、「なんだよ。今度は車掌に責任転嫁か」とも思ってしまった。
 しかし、いくらなんでも2人共指示を忘れたとは考えられない。この新幹線には車掌が4人乗務していたという、指示を受けた車掌が、免許を持つ車掌に会えなかったか、連絡をとることができなかっただけだと思うのだ。また、携帯電話で車掌に指示をしたとあるが、事故の直後ということもあり、乗客への対応でてんてこ舞いだったはずである。対応中に携帯が鳴っても出ることできないし、それより何より、指令は何故この免許を持つ車掌本人に直接指示しなかったのかが不思議である。
 いずれにせよ、私達はこれを機に、人命を預かっているということをもう一度肝に銘じて、鉄道員としての職責の重大性を再認識すると共に、使命を果たすべく、ふんどしをしめてかかるしかないのではないか。(■了)

| | コメント (0)

「メディア弾圧3法案」を許さない!

●月刊「記録」2002年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部


 4月25日、ついに個人情報保護法案が衆議院で審議入りした。
 命令に違反した場合、「6ヵ月以下の懲役か30万円以下の罰金」が科される義務規定の適応除外は、「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関 報道の用に供する目的」と定められた。新聞などで騒がれている通り、フリージャーナリストやノンフィクション作家などは、適除外として明記されていない。まして小誌のようなミニコミやその記者など、法案はおろか法案の不備を指摘した報道でも触れられていない。
 ミニコミ誌は、大マスコミと比べものにならないほど少ない予算と人数で作られている。そんなミニコミ誌が「報道機関」ではないとみなされ、罰則を科されたら被害は甚大だ。
 大企業ならばたかが数十万かもしれない。しかし年間購読料やカンパなどで、どうにか作られているミニコミ誌にとっては、その金が数ヵ月の製作費にあたる可能性さえある。
 また、罰則を科される前に出される「主務大臣から勧告」も大問題に発展する。この勧告に際して、どのような手順が踏まれるのか明らかではないが、官僚とのやりとりや反論のための資料作成などで、ミニコミのただせさえ少ない人員が削られていく。
 大マスコミなら弾圧との「闘い」に割ける人材も金もあろう。また大規模なキャンペーンをはることもできる。しかし例えば小誌が勧告を受けた場合、編集部として筋を通せば、会社としての体力が公権力によって少しずつ奪われていく。圧力が長期に渡れば、経済的な理由により発行を止めることにもなろう。
 共同通信のインタビューで、藤井昭夫内閣審議官は「少しでも報道要素があれば義務規定の適応除外だ」と発言している。しかし、こんな発言をどうやって信じろというのか! 
 1997年に何が起こったのかを、私たちは忘れていない。総会屋への利益供与が問題になったこの年、「総会屋との決別」という名目で、購読していた経済紙誌を証券会社が一斉に打ち切ったのである。しかも警察の指導で。当時、山一證券広報室は、「警察指導を受けた上で、当社としてどうするべきなのか独自に考えました」と小誌の取材に答えている。これだけ明白な言論弾圧が、何の法的根拠もなく実施された。しかもこの言論弾圧を、大手マスコミは報じなかった。ニュースバリューがなかったからである。
 もし個人情報保護法案が成立すれば、権力の刃が向かってくるのは、権力への抵抗意識が強いミニコミやホームページだろう。法律にのっとった処置により、小さなメディアは次々と殺されていく。もちろんニュースバリューのない小メディアの死など、どこも報じない。ひっそりと廃刊である。
 この法律を言論弾圧に利用するのは、なにも公権力だけではない。罰則のない努力規定となっている「基本原則」は報道機関が対象に含まれているため、取材対象者が起こす民事訴訟にも大きな影響を与える。
①利用目的を明確にする
②不正な方法で取得しない
③正確で最新の情報に保つ
④外部に漏洩しない
⑤本人の求めに応じて情報を見せる
 この5つの基本原則をたてに、内部告発者を追う権力者が民事訴訟を起こしたらどうするのか。
 公権力側の人々、あるいは大企業のお偉方にとって、民事裁判はたいした「事件」ではなかろう。豊富な資金の一部を使い、弁護士に任せればよい。しかし弱小メディアにとって、裁判ほど面倒な代物もない。期間は長く、関わりのある記者の労力も増える。弱小出版社にとっては、十分な言論弾圧となる。大マスコミにはジャブのようなパンチでも、体力のない弱小ミニコミ出版には体重の乗ったKOパンチだ。
 ただでさえメディアは、最近、名誉毀損における損害賠償金の増大に痛めつけられている。このデフレのご時世に、5~10倍も金額が跳ね上がっているのだ。
 多くの人は、ムチャクチャな取材をしている記事だけが、名誉毀損で負けると考えるかもしれない。しかし現実は違う。取材者には、取材源の秘匿という大前提がある。危険を冒して告白してくれた人を守るため、告発した当人を裁判所に呼べないケースも多い。しかも事実認定のための証明は、訴えられた側が負う。
 よく言われる通り、アメリカにおける損害賠償金額は高い。しかし事実の証明は原告側にあり、報道する側の権利も幅広く認められている。日本のように報道に怒った権力者が、次々と裁判を起こし、高額の賠償金を手にするわけではない。
 弱者が反撃の手段として裁判を利用することに文句を言うつもりはない。しかし実際にこうした手段を使うのは、情報に通じている権力者なのである。言論弾圧の一環となる裁判への取っ掛かりや、司法判決に悪影響を及ぼす法律など、断固作るべきではない。

■法務省に人権意識などあるものか

 さまざまな報道で流れているように、メディアへの規制は個人情報保護法案だけに終わらない。人権擁護法案、青少年有害社会環境対策基本法案、いわゆる「メディア規制3法案」の残り2法案が、成立を睨んで着々と準備されている。
 この人権擁護法案も、恐ろしい内容である。ストーカー対策として作られた法律を参考にしただけあって、「待ち伏せ、見張り、つきまとい、継続的な電話やファックス」などを、特別人権侵害としている。
 しかし話したくない相手を何度もたずね、説得し、やっと真実は明るみに出てくるものだ。もちろん報道被害に目をつぶれというわけではない。誠意を示し、事実を引き出そうとする行動が、法律によっていきなり人権侵害になる危険性を指摘したいのである。
 以前、国際電話会社の既得権益を取材した際、法律の解釈を巡って、相手の担当者と何度も何度も話し合った。少しずつ資料を集め、その資料を下に取材を進め、さらに矛盾点を探す。そんな繰り返しから、埋もれた事実がやっと見えてきたのだ。
 考えてみてほしい。毎日新聞が報じた「旧石器発掘ねつ造」のスクープは、「待ち伏せ、見張り」の繰り返しによって得られたものである。あのビデオ撮影をストーカーと同様に扱い、弾圧しようなどという法律がまともだろうか? 法案を作った権力者にとっては、毎日新聞取材班のスクープ映像もストーカーの盗作ビデオも、たいした違いはないらしい。正直、呆れるほかない。
 さらに呆れたのは、人権救済のための人権委員会を、法務省の外局に置くことだ。
 96年夏、板橋区にある法務省入国管理局の収容所を、私は毎日訪ねていた。不法滞在で捕まったイラン人、ピルザン・マンスルさんにハンストを止めるよう、説得するためである。
 日本人と結婚し、大手電機メーカーに勤めていた彼は、離婚と同時にビザを失った。しかし母国イランで兵役を拒否し、海外留学を繰り返していたピルザンさんは、帰国するわけにもいかない。もちろん勤めていた会社は、ビザ失効でクビ。数ヵ国語を操る彼が就いた職業は、偽造テレホンカード売りだった。
 寂しかったに違いない。1人異国の地で辛かったはずだ。彼は離婚で全てを失ったのである。そんな彼の心の支えは子犬だった。別れた妻の名前を付けたペットと、いつも一緒に行動していた。ところが入管は、逮捕した彼を収容所に移す際、「犬は近所で育てるから」と騙し、その日のうちに保健所へ叩き込んだのだった。その犬の調査を依頼された私は、犬の死を電報で知らせた。そしてハンストは始まった。
 暑い面会室で見た、日に日に痩せていく体躯と、「僕の妻を殺した」と嘆く彼の表情を忘れることはないだろう。もちろん木で鼻をくくったような態度で犬殺しを説明する入管職員も、記憶から消えない。
 これこそ法務省の本質である。圧力をかけられる側に回らなければ、なかなか見ることのできない法務省の真実だ。こんな機関が人権を擁護するなど、チャンチャラおかしい。人権意識があるなら、まず内部から正すべきだ。
 この3法案は、「メディア規制」などという生やさしいものではない。本誌編集部では、本日より「メディア弾圧3法案」と呼ぶことにする。
 言論弾圧に対抗するには、言論で世論を盛り上げるしかない。多くの人々にアピールできるわけではないが、本誌も絶対反対の声を強めたい。
 これだけ危険な法案にも関わらず、メディアの足並みは揃っていない。『読売新聞』など、個人情報保護法案と人権擁護法案の修正試案まで発表し、法案成立のアシストをする始末である。
 だからこそ本誌は、各団体の反対声明を一挙に掲載する。反対の声を1つにして、より大きな反対のうねりを作りたい。そんな祈るような気持で、今回の特集を作った。
 もう1度、言おう。
 小誌、いや当社の存続の危機にもつながりかねない「メディア弾圧3法案」を、私たちはけっして許さない!(■了)

| | コメント (0)

素顔のピンク女優/寄り道の確信犯 ― 佐々木基子さん

●月刊「記録」2000年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■地方公務員からストリッパーへ

 目標までの最短距離を選択する人がいる一方で、回り道を選び、道草を楽しみながら歩く人もいる。どちらが良いともいえない。まっすぐ歩けば早く目標に達するだろうし、回り道をすれば思わぬ発見をするだろう。そして佐々木基子は、圧倒的に後者だった。ピンク映画への初出演は、なんと29歳である。
「29歳っていっても、30になる数カ月前でしたからね(笑)。ピンク映画には、若い女優さんが多いじゃないですか。だから私で大丈夫なんですかっていう気持ちはありましたよ」と、当時の心境を佐々木は語る。
 しかし新劇系の舞台女優として活躍していた佐々木は、できるだけ芝居以外の仕事をしたくない、芝居だけで食べていきたい、との思いからピンク映画への出演を決意する。そして彼女がピンク映画界で注目されるのに、大した時間を要しなかった。年齢を感じさせない見事なプロポーションと、養成所で培った確かな演技力は、主演・助演の区別なく仕事を運んできたからだ。特に彼女が主演した『好きもの喪服妻・濡れた初七日』は、ビデオリリースで記録的なヒットとなる。遅咲きのスターが、多くの人に認知された瞬間だった。
 佐々木が芝居に初めて興味を持ったのは、中学生だった。卒業生を送る会で学校に招かれた劇団に魅せられ、高校進学と同時に演劇部に所属した。
「高校を卒業したら、大学に進学して演劇部に入ろうと思っていたんですよ。でも、『女は大学に行くな』という父の一言で、親と同じ地方公務員に落ちつきました」
 もちろん中学校の事務員となっても、佐々木の演劇熱は簡単に収まらない。市民劇団に所属し、さらに中学校の演劇部顧問として学生の指導まで担当する日々。
「5年間中学校で働いていたけれど、良かったですね。仕事は定時に終わるので、芝居にかなりの時間を割くことができたし、安定した職業だし。それに田舎でしたから、中学校に勤めているだけで先生と呼ばれたりするんですから。違うんですけどね(笑)」
 ある意味で順風満帆の人生を送っていた佐々木に、転機が訪れたのは市民劇団の合宿だった。「本当に芝居をやりたいなら、養成所で基礎から勉強した方が良い」というアドバイスを、プロの舞台監督からもらったのである。当時、佐々木は22歳。ちょうど結婚を考え始めた時期と重なる。子どもを産み、平凡だけれど幸せな家庭を築くのに、何の障害もなかった。
 しかし佐々木は、上京を決意する。
「1回、どうしようかすごく迷ったんですよ。ただ何かやるならタイムリミットだと思いました。自分の人生を変えられるかな、とね」
 そんな佐々木の思いをさらに強めたのが、多くはない給料からコツコツと貯めていたお金だった。総額150万円。アパートを借り、養成所にお金を振り込んでも、数カ月は暮らしていける金額だ。役者への夢を実現するため、この貯金を持って佐々木は大きな一歩を踏み出した。
 だが、ここからスッと養成所に収まらないのが、佐々木の佐々木たるゆえんだろう。当座の生活費をまかなう目的で始めたスナックのアルバイトで、ストリップの踊り子にスカウトされ、デビューしてしまうのである。
「『踊り子を探しているんだけれど、やらない?』と誘われたんですが、ストリップなんて見たことなかったんですよ。だから、とりあえず劇場に行ってみました」
 彼女が行った先は上野だった。現在は潰れてなくなってしまったが、丸井の裏側にあった小さな劇場だった。出演していた女優は、ストーリー仕立てのストリップを演じていたという。セリフがあるわけではない。曲と踊りだけでイメージを膨らませ、観客をひきつけていく。その舞台を見終わったとき、佐々木の心は決まっていた。
「養成所より面白いと思いました。『体だけでここまでできるのか』って、感動しましたから。迷いはなかったですね」
 こうして地方公務員だった佐々木は、ストリッパーになった。ストリップの公演は、1日4回。10日ごとに劇場が変わるので、1公演、40回踊ることになる。それで給料は20万円そこそこ。しかも衣装代などは、この給料から捻出しなければならない。決して割りの良い仕事ではない。美人の佐々木ならホステスの方が、はるかに稼げたはずだ。
 しかも彼女は、同じ劇場で同じ演目をしないと決めて、どんどん新作を作っていった。当然、衣装代はかさむし、練習時間も増えていく。ダンスの基礎さえ習ったことのない佐々木は、踊りだけで観客をわかすことはできない。しかも彼女が踊る劇場は、観客が踊り子の体に触れることなど許さない、きちんとしたストリップ劇場である。歌詞の意味を存分に活かし、ストーリーに客を引き込んでいかなければ、客を満足させることなどできない。毎回が真剣勝負だった。その気迫が、全国各地にファンを作っていく。
 なかでも大阪の劇場で出会ったファンを、佐々木は忘れられないという。
「一日中ストリップ劇場にいるおじいちゃんがいたんですよ。4公演すべてを観て、しかも私が踊り終わるたびにプレゼントを舞台に持ってきてくれるの。
 ワンカップのお酒だとか、おつまみだとかね。同じ踊りを4回も見て、毎回、プレゼントを持ってきてくれるなんて嬉しくなりましたね。
 それから何ヵ月あとに、同じ劇場に踊りに行ったら、そのおじいちゃんから手紙をもらったんです。
――踊り子さんだから、お金やら高価なプレゼントをもらうことも多いでしょう。それなのに、100円のおつまみなんかを受け取ってくれてありがとう――と、書いてありました。
 私のステージを喜んでくれたお客さんから、『ありがとね』ってプレゼントを受け取っていただけなのに、それを喜んでくれる人がいるのは、なんて素敵なんだろうと思いましたね」
 こうして1年間、ひたすら熱中して踊り続けた彼女は、20本もの作品を作り上げ、「やれるところまではやった」という充実感を得る。
 そろそろ演劇に戻りたいと考え始めた佐々木に、ストリップに対する未練はなかった。きっぱりと踊り子を止め、舞台の裏方として働くようになる。衣装を作り、人の稽古を見ながら演技を盗む日々が続いた。
 その後、やっと当初の目的だった養成所に所属することになる。上京してから2年。すでに彼女は24歳になっていた。まわりは高校卒業したての10代、短大を卒業した20歳前後の研修生ばかり。だが彼女は、年齢など気にした様子はない。3年もの間、昼間は演劇の勉強一色、夜はアルバイトという生活を満喫していた。スナック・クラブ・喫茶店・やきとり屋・テープリライト・Q2で流れるHドラマの声優。興味のある仕事を次々と経験していった。そして研修が終わり、彼女の活躍の場は、舞台からVシネマ、ピンク映画へと広がっていったのである。

■やりたいと思ったら寄り道します

 この取材中、同じ趣旨の質問を何度か繰り返した。

――寄り道に後悔してない? という問いだ。だが質問のたびに、佐々木は首を振り続けた。

――学校の事務なんて面白くなかったでしょ?
「いいえ。仕事もきつくなかったし、楽しかったですね。ただ舞台に立つ学生を見守るのは、合わないかもしれませんね。自分が立つよりドキドキしちゃうから(笑)」

――ストリップから仕事が広がったわけではないですよね?
「もちろん。テレビや映画に進出したくてストリッパーになったわけではないから。面白そうだからなったんですもの。
 大声で誇れることでもないけれど、私にとっては、よくぞこんな職場を教えてくれたっていう気持ちなんです。お客さんも紳士的だし、女の子も観にくればいいと思いますね」

――裏方の仕事は面白くなかったんじゃない?
「いや、いろいろと作るのが好きなんですよ。ギャラも役者よりスタッフの方が高かったし(笑)。楽しかったですね」
 終いには、同様の質問に対して自信タップリに答えられてしまった。
「劇団の養成所だとか、役者になる最短の道を知らなかったのはあるんです。でも知っていても、やりたいと思ったら寄り道しちゃいますよ」
 もともと人見知りが激しく、他人の目を気にし過ぎる子どもだったという佐々木。小学校の先生から名前を呼ばれて、「はい」と答えるのが苦痛だったと話す彼女と、現在の彼女は一見つながりにくい。だが、「悩みだしたら、トコトン悩み抜く」性格は、昔のままだという。逆にいえば、悩み抜くからこそ、自分が最終的に決めた選択に迷いがないのかもしれない。
「地方公務員もストリップも裏方も、もちろんピンク女優も、自分にとってはマイナスじゃありません。何よりマイナスになるような生き方をするつもりはありませんから」
 寄り道の確信犯としての肝が据わり方が気持ちよい。美しい顔に隠された強い意志がビシビシと伝わり、一気にファンになってしまった。 (■了)

| | コメント (0)

素顔のピンク女優/ピンク映画に向いていないかも・西藤尚

●月刊「記録」1999年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■膝がガクガクした

 目の覚めるような黄色のストールを胸に抱きしめて立ち、「よろしくお願いします」と言って西藤 尚は深々と頭を下げた。慌ててこちらもお辞儀をし、もう頭を上げようかとチラリと彼女をうかがうと、まだ頭を下げ続けている。有楽町の人並みが、彼女を避けて二つに割れた。腕時計を見ると、約束の時間の五分前だった。その礼儀正しさに、まずは驚かされた。
 ピンク映画の女優に対する偏見が、私になかったとはいわない。だが、それだけではない。
 どこか世慣れていないと思わせるほど、彼女は礼儀正しかった。少なくとも取材で知り合った大学生や20代の社会人は、もう少しスレている。20代半ばの彼女に、いまだ高校生の役が回ってくるというのも頷ける。童顔というだけではない。たたずまいが初々しいのである。
 どうしてこんな女の子が、映画で裸になれるのだろう。彼女に会った途端、そうした疑問が頭をよぎった。

――映画で裸になるって、どんな気持ち?
 取材が始まって早々の私の質問に、少し考え込む仕草をしてから、彼女は言葉を選ぶように答えた。
  「女の子にとって、みんなの前で服を脱ぐことは本当に大変なことです。
 はじめて私が絡みのある芝居をした時、カメラが回っている間はかなり冷静だと思っていました。ところが出番が終わったら体が震えていたんです。その時、『あっ、やっぱり私はすごく緊張していたんだ』と驚きました。仕事だと思っても、みんなの前で脱いで絡むって、相当な覚悟と心の用意が必要なんです。
 だから最近は、はじめて脱ぐ女の子が気になります。大丈夫かなと思って。でも、みんな意外なほど間単に、裸になりますね」
 そして、彼女は笑った。
 人前で裸になることへの抵抗感には、個人差がある。比較的、裸への抵抗感が薄い女性も多い。気にならない女性にとっては、驚くほどあっさり服は脱げるものだ。
 だが西藤は違う。
 そうしたこだわりを、西藤は「ピンク映画に向いていないかもしれない」という言葉で口にした。
  「現場で監督と意見が違ったことがありまして……。『バンドエイド一枚で前バリは十分』だと、監督がおっしゃったんです。実際には、前バリを付けない女優さんもいらっしゃると聞いたこともあります。
 でも、見えるじゃないですか。だから私は交渉したんです。結果的には、バンドエイド七枚ぐらいの大きさの前バリを付けて、それをマジックで黒に塗りました」
 大きすぎる前バリをカモフラージュするために、マジックで塗りつぶしたというのである。
 そこまでして全裸を拒む自分に出会い、彼女は悩んだ。
  「そういうところで私は、『女優』よりも『女』なんだなと思って。局部までが映るわけではないけれど、体のすべてを見せることは芝居でもできない。根性がない、ピンク映画には向いていないかもと、その時はじめて思いました。以前も事務所の人などに『(この仕事には)向いてない、普通のお嫁さんになったほうがいいよ』と言われてはいましたが、私はやりたいからやるんだと思っていたのに……」
 そして私はまた疑問に突き当たった。これほど裸への抵抗感の強い女性が、どうしてピンク映画を選んでいるのだろう、と――。

■もっと大きな役のために

 西藤は、広島県出身。上京したのは、一九歳の頃だった。
 小学校時代から女優をめざしていた彼女にとって、高校卒業は芸能界へ足を踏み出すきっかけにしか過ぎなかった。まず東京へ、そしてデビューへと、夢は広がる。
  「NHKの朝の連ドラに出演するような、清潔感のある女優さんになるのが私の理想でした。自分の夢を叶えるためには、まず東京に行かなくちゃいけませんでした。でも父が大反対したんです。『東京なんて行ったら、入れ墨入れられて帰ってこられなくなる』と言って。田舎の父親にとって東京は怖いところでした。そこで誰にも頼らずに上京に必要なお金を貯めるために、アルバイトを始めました。新幹線の売り子です。距離的に少しでも憧れの東京に近づけるでしょ。でも時間がなくて、東京に降りて遊ぶなんてことは、とてもできませんでした。
 その時期が一番辛かったと思います。精神的にも不安定でしたし。アルバイトがないと、どこにも出ないで家でボーっとしてしまう。何をしているかというと、泣いているんです。ああ、今日も一日、何もしないで過ぎようとしていると思うと泣けてくるんです。テレビにオーディションの話題が流れると、『私は広島にいて受けることもできない! 同じ年頃の女の子がどんどん出ていくのに』って」
 結局、家族への説得と、資金を貯めるのに、西藤は一年を費やすことになった。そして上京。彼女はすぐにタレント養成所に入った。
  「養成所はいろいろ勉強させてくれました。でも仕事を斡旋してくれないので辞めました。私は一九歳でしたので、仕事をしなければ どんどん年をとってしまうと焦っていました」
 自分の年齢に焦りを感じていた彼女は、養成所で培った人脈をツテに仕事を取り始めた。真面目でしっかりと仕事をする人柄に、現場の受けも良かったのだろう。少しずつ仕事が入るようになってきた。グラビア撮影、ドラマのチョイ役。どれも小さな仕事だったが、女優への第一歩を踏み出していることには違いない。
 だが一年ほどすると、突然、大きな壁に彼女は突き当たった。先が見えたのである。何か異なるアクションを起こさない限り、現状のままでは、小さな仕事がたまに来るだけだ。あくまでタレントとして活動している限り、仕事は年齢の若い女性に回っていってしまう。
  「脱がないかという誘いは、昔からあったんです。でも、断っていました。自分が裸になるなんて、考えたこともありませんでしたから。脱ぐこと自体、別世界の話でした。
 でも脱げば、もっと大きな役をもらえる。だから裸になりました。だって私には、もう何もありませんでしたから。これで新しい展開があればと決めたんです」と西藤は、当時の自分を振り返る。
 まず裸のグラビアの仕事を引き受けた。脱げば仕事は増える。体中に銀粉を塗って撮影したこともあった。そうこうしているうちに、ピンク映画へ出演の話が来たのである。
  「結局、芝居ができるならということで、ピンク映画に臨みました」。これが西藤の出演動機である。
  「自分の仕事は女優しかない」と取材中、西藤は何度も口にした。だから脱ぐ。理屈は通った。
 だが、私には納得できなかった。
 では、彼女はなぜ「女優」にこだわるのか。今度はその疑問が湧いたのだ。ピンク映画の出演料は安い。性格も良く美人な彼女なら、芸能界さえ降りれば、ワリの良い仕事はいくらでもあるはずだ。彼女にとって「女優」とは何だろう。

■殺されると思った

 私の疑問に対する答えの糸口が見つかったのは、取材を始めてから一時間以上も経てからのことだった。

――西藤さんは、きっと普通の家庭に育ったお嬢さんだったんでしょうね。
 質問ですらない。取材の合間の雑談ぐらいの気持ちで口にした言葉だった。
  「そうとは、いえないかもしれません」
 取材中、真っ直ぐ私を見続けてきた視線が、少し下がった。
  「普段、父は優しい人でした。でもお酒を飲むと暴れたんです。私たちが夕食を食べ始め、父がお酒を飲み出すと、ほどなく両親のすごいケンカが始まりました。毎晩、毎晩。だから父が嫌いでした」
 西藤には、一つの忘れらない出来事がある。
  「小学校低学年の頃でした。父親に殺されるかもしれないと思った瞬間があるんです。詳しい状況は覚えていません。たぶん父と母のケンカに、私が加わるような形になったんでしょうね。父に体をつかまれて、二階の窓から放り出されそうになったんですよ。
 もちろん父は本気ではなかったでしょう。でも膝から上は全部 窓の外で、必死に父の腕にしがみついていた私は、もうだめだと思ったんです」
 多感な時期に父が与えた恐怖は、彼女に多大な影響を与えたに違いない。「最近まで、絶対結婚したくないと思っていました」と語る彼女に、当時の心の傷を見た気がした。
 高校時代、彼女はとにかく良い人に思われたいと考えていたという。だから友達にも本音をぶつけられなかった。
  「家の中がガタガタだったことを、他人に悟られないようにしてたのかもしれません。ひっそりと、とにかくひっそりと高校生活を送っていました」
 自分の高校時代を、西藤はそう分析した。
 だが自分の殻に閉じこもり続けた彼女は、女優という仕事によって変わった。自分自身を解放していくのである。
 西藤は言う。
  「女優は演じるもの。だけれど、その中で自分をさらけ出していくものでもあると思うんです」

■明るい女の子じゃない

 西藤がはじめて悪役を演じた『女囚 いたずら性玩具』(荒木太郎監督)には、面白い話がある。
 この映画では、悪役からなるべく遠いイメージの女優を起用する方針が採られ、西藤に白羽の矢が立った。演技がうまくいかないのを予想して、リハーサルまでは細かなカット割りが計画されていた。ところがリハーサルで見せた西藤の凄みによって、カメラは長回しに変わったという。
  「見直すと、自分の演技はまだまだです。特に他の女優さんを殴るシーンなんかは全然だめ。女優さんを傷つけちゃいけないという気持ちがどうしても強くて。
 でも、『女囚 いたずら性玩具』では、皆さんが思っていたよりは、女囚のイメージにできたのかもしれません。第一に悪役が面白かったですし。それにもともと私は、映画でよく演じているような明るく可愛い女の子じゃないですから」
 そう言って彼女は顔をあげた。
 裸になることで、彼女は活躍する場を獲得した。
 98年10月からは、スカイパーフェクトTVで放映している「パラダイスチャンネル」に出演。裸のニュースキャスターとして人気を獲得した。特に可愛い天然ボケぶりが、ファンを魅了している。
 そしていつの間にか本音で話せる自分がいた。
  「今までの人生で、現在が一番楽しいですね。女優として食べていくことができますし、何より自分が随分と自由になったような気がします。
 私には女優しかありませんから、息の長い女優になりたいと思っています。下手なら下手なりに、自分の気持ちを表出して演技ができるようになりたい。それが現在の目標ですね」
 取材が終わると、またていねいなお辞儀をして、彼女は去っていった。
 別れ際の言葉が、私の印象にもっとも残った。
  「役柄に必要だったら脱いでも、何をしてもいいと今では思えます。とにかくずっと女優を続けていきたいんです」
 彼女の凄みをその言葉に感じたからだ。 (■了)

| | コメント (0)

親学を検証する。

●月刊「記録」2007年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部


 教育再生会議の第2次報告から省かれた親学。「子守歌を聞かせて母乳で育児をしろ」だの、「授乳中にテレビをつけるな」だの、「早寝早起きをして、子どもに朝ごはんをたべさせろ」だの、よけいなお世話としか言いようのない内容ばかり。
 日本中で反対の声があがるのも当然と思っていたら、毎日新聞社が行った調査によれば、賛成47%、反対44%と数字に大差なし。20代にいたっては、賛成68%、反対28%で賛成の圧勝。30代、60代、70代以上も賛成が反対を上回ったという。
 賛成が多いのは、40代と50代だけ。それも約4割が賛成で、約5割が反対という結果だった。
 新聞などでは反対が強くて第2次報告への掲載が見送られたと報じていたのだが、どうも実際の「世論」と温度差があるようだ。メディアの片隅にいる編集部員としては、個人の生活に政府が口を出してくるなど大問題だと感じてしまうのだが……。

 というわけで、実際に子育てを担う女性に、親学についてどう思うのかを聞いてみた。
 まず露骨に不快を示したのが、0歳になる子を持つ30代の女性Kさん。
「そんなの余計なお世話だよ、ほんと。子育てなんてしたことない人が決めたんじゃない」とバッサリ。「理想的かもしれないけれど、そんなことできるはずがないよ」とのことだった。
 例えば「テレビを見ながらの授乳」については、「そんなときだってあるよ」と答えてくれた。3時間おきに起こされ、30分は授乳やおむつ替えに動かなくちゃいけない。自宅から出ることもままらず、ストレス解消は食べることとテレビを見ることぐらい。しかも慢性的な寝不足で、あかちゃんが寝ているときは一緒に寝ていることが多いとなれば、「テレビを見るのなんて授乳中ぐらいしかないじゃん」ということになる。
「PTAに父親も参加」にいたっては、怒る気にもならないといったように鼻で笑った。
「私と同世代のお母さんの旦那さんって、働き盛りでしょう。この御時世にPTAに出られるようじゃ、その会社危ないって。経済的に不安だからっていう理由で働いているお母さんも少なくないんだから。
 生活に余裕のある、暇な人が決めたんじゃないの。世の中もっと切実です」
 たしかに彼女の旦那さんは忙しいらしい。会社に泊まり込んで仕事をする日も少なくないという。そのような状況で子育てを続ける女性にとって、「親学」など腹ただしい以外の何ものでもないのだ。
 彼女は最後に言った。「『親子で演劇などの芸術を鑑賞』なんて、いつ?って感じ。私なんて妊娠中に、『最後』だと思ってオペラを観に行ったんだから……」
 しかし同じ子育て中といっても、40代ともなると若干風向きが変わる。
 現在2歳の子を持ち、保育園で働いていた経験を持つOさんは「今の若いお母さんには必要じゃない」と賛成理由を口にした。
「保育園で働いていたときも感じたけれど、今の若いお母さんはヒドイもん。親学で取り上げたことは、どれも当たり前のこと。でも、それが正しいと知らないお母さんもいっぱいいるから、決めてあげれば若いお母さんも安心なんじゃないかな」
 ちなみに彼女は「テレビを見ながら授乳したこと」などないという。「早寝早起き」も、きちんと子どもをしつけて生活のリズムをつければいいだけのこと。「眠らないようなら昼間に子どもを遊ばせればいいし」と語ってくれた。
 経済的にも精神的も余裕のある専業主婦の彼女にとって、「親学」は当たり前だから自分には必要ない。ただしジェネレーションギャップを感じる若いお母さんには必要との立場のようだ。
 同じ40代でも子育てをしている状況により、かなり答えが変わりそうだが、「わけわからん若い親に規範を教えなきゃ」という思いは、親学をぶちあげた教育再生会議の面々と同じ感性のようだ。
 では、毎日新聞のアンケート調査で圧倒的に賛成した20代は、どのように考えているのか。独身の女性に話を聞いてみた。
 20代Oさんの第一声は「親の世代がやってきたことだし、ごく当たり前のことじゃないかな。私も母乳で育てたいし」だった。ただ、これは子育てを他人事として考えたときだ。共働きや授乳で胸が垂れることを考えると、「ミルクにするかも」と意見が変わった。
 もう1人の20代Sさんは「親学はモデルハウスみたいで、個人的には気持ち悪い」と語る。彼女にとっては理想的すぎて生活感のない指針だという。
「私たちの子どもの頃は酒鬼薔薇事件とかがあって、まっとうな子育てが大切だとすり込まれているように思います。だから逆に子どもを持つのが怖いとも感じますけど。一方で子育てはロハスみたいに素敵で賢いというイメージもありますね」とも。
 心の奥底では、親学の求める「まっとうな子育て」に憧れてしまう部分があるという。その意味では「同世代がこの指針に賛成するのも分かる」と話してくれた。
 こうやって話を聞くと、賛成がけっこう多かった理由もわかる。下の世代に向けて、あるいは憧れとして「親学」をとらえれば、賛成の人数が多くなるのだ。これは図らずも教育再生会議のメンバーの姿勢と重なる。
 バタバタと忙しく、もう1週間近く自宅に帰っていないわたしから見れば、父親のPTA参加など絵空事でしかない。だったら時間をくれと言いたくなる。
 今回感じたのは、現実を知らない人々が教育を審議し、同じく現実を知らない人が賛成する不気味さだ。「モデルハウス」ばかり建てても人が住めないことを、教育会議のメンバーも認識すべきだろう。(■了)

| | コメント (0)

政治の暴走を止められない最高裁

●月刊「記録」2006年8月号掲載記事

●取材・文/大畑太郎

 最高裁判所から調書が届いた。

第1 主文
 1 本件上告を棄却する。
 2 上告費用は上告人の負担とする。

第2 理由
民事事件について最高裁判所に上告することが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲をいうが、その実質は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。

 本誌06年3月号でお伝えした昨年9月の衆議院選挙の無効訴訟に対する最高裁の判断である。裁判所の窓口まで出向いて上告手続きし、上告理由書などを作成し、数万もの上告費用を支払った結果がA4の書類1枚。その門前払いの理由が上記の通りだという。簡単に書けば「憲法判断する事例じゃないから」ということだ。怒りを通り越して呆れた。
 95年8月8日郵政民営化法案が参院で否決されると、小泉純一郎首相は衆議院で採決することなく衆議院を解散した。憲法59条2項に定められた通り衆議院に差し戻し、3分の2以上の賛成が得られないことを確認し、同3項に定められた両院協議会を開催して初めて議会を解散できるというのにである。こうした解散権の乱用に対して、私を含む7人が4つのグループで裁判を起こしたのである。
 選挙無効訴訟の決まりによって高裁から始まった裁判は全員が敗訴であった。ただし、どの判決も「憲法判断する問題ではない」などとは断じていない。衆院の解散は政治性の高い行為だから裁判所の審査権が及ばないという60年の最高裁判決があるので、ちょっと判断できないんです、というような判決だった(解読困難な裁判用語を判決文から引用すれば、「本件解散が原告の主張する憲法の条項を手続を踏まないで行われた憲法違反のものであるか否かについては司法審査の範囲外の事項に属するものというべきであり」となる。正直、さっぱりわからん!)
 グループの1人である小山宏明氏が原告となった大阪高裁判決にいたっては、「なるほど、法案否決の後に、必ず憲法59条2、3項の手続きを踏まなければ衆議院を解散することができないかどうかは、一つの法的問題であり、法的判断の対象となるのは疑いないところである」とまで書いている。ところが、この判決を受けて上告した小川氏のところにも、上記とまったく同じような調書が届き門前払いとなった。
 大阪高裁の判決文の「当裁判所の判断」という文章をいくら読み直しても、憲法以外の法律が見あたらない。憲法76条1項、憲法81、憲法59条2、3項。それが書いてある法律のすべてである。もちろん上告理由書で、わざわざ法令違反を主張するはずもない。憲法問題ではないと門前払いする最高裁の「伝統芸」に、どうしたら引っかからないかを考えるのは上告の「常識」だからだ。
 この状況で、どうやったら「その実質が単なる法令違反を主張するものであって」という文言が出てくるのか不思議でしょうがない。同じような訴えだから日付だけ変えて同じ書面を送っておけば問題ない、といわんばかりの態度だ。
 何も私は選挙の無効を裁判所に認めてほしかったわけではない。法律にのっとり、きちんと話し合い、採決をへて決定していくという議会制民主主義の原則を確認し、強権的な衆議院解散が二度と起こらないような歯止めを司法に示してもらいたかっただけなのだ。
 小泉首相は解散後の記者会見で「今回の解散は郵政解散であります。郵政民営化に賛成してくれるのか、反対するのか、これをはっきりと国民の皆様に問いたいと思います」と語った。つまり参院での法案否決に集まった国民の注目を利用し、そのまま郵政問題だけを選挙の争点にしたのである。
 このような手法は民主主義を危うくする。さして重要ではない1点に争点を絞り、そこで示された賛成票をバックに政治を動かすなど許されない。実際、民意は郵政にしか賛成を示していないのに、高齢者の医療費負担増が先の国会で決定した。
 絞った政策に対する国民投票に個人の信任を盛り込むことで独裁者が誕生した例は少なくない。ナポレオン皇帝も投票で選ばれているのだ。このような危険な芽を摘むべく起こした裁判に、司法が憲法判断すら行わず逃げ回る。この状況をどうすればいいのか!
「憲法的な判断はオープンに、数多くやるほうがいい。憲法判断を避け続けていると、世間の人のイライラが高じて憲法裁判所をつくれ、ということになる」と亀山継夫前最高裁判事が『朝日新聞』(04年5月7日)で語っている。まったく同感だ。政府と検察への気遣いに終始する暗黒司法の姿勢にはウンザリである。(■了)

| | コメント (0)

コイズミのムチャと職務を忘れた法の番人

●月刊「記録」2006年3月号掲載記事

●取材・文/大畑太郎

「主文、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」
 東京高裁の雛形要松裁判長はサラリと判決文を読み上げ、また扉の向こうへと帰っていった。809号法廷の奥に位置する扉から登場してわずか5分。私の選挙無効訴訟の一審が終了した。
 あっけない主文読み上げに似て、判決理由もまた驚く淡泊であり、審査のすべてを放棄する門前払いであった。
 原告団の仲間は「判決なんてこんなもんだよ」と慰めてくれたが、裁判に精通しているわけでもない一介のライターにとってはかなり不満の多い内容であった。貴重な時間と印紙代など2万円を超える出費を考えると、裁判所はサービス精神が足りない! 裁判そのものの時間は計2回、あわせて15分程度。判決文はA4で6枚、素晴らしく行間の空いた代物である。
 これが私に回ってきたライター仕事なら大喜びだったろう。打ち合わせ2回計15分で、クライアントから提供された資料を軽くまとめて2万円もらえるというのだから。

 私が訴えた2006年9月の衆院選挙は異例ずくめだった。
 選挙からさかのぼること2ヵ月前の7月、郵政民営化法案が賛成233票、反対228票のわずか5票差で衆院を通過する。与党の自民党から51人もの反対および欠席者を出すギリギリの通過だった。
 予想以上の苦戦に、小泉首相は参院で否決された場合に衆院を解散するという脅しにでる。自民党内に根強い解散反対論があったこと、選挙となれば自民党が負けるとの予測も出ていたこと、また、いくら何でも参院での法案否決を受けて衆院を解散するようなムチャはしないだろうという憶測もあり、解散をブラフだと感じていた国民や議員も多かったはずだ。しかし8月8日、108票対125票で郵政民営化法案が参議院で否決されると、首相は即日に衆院を解散する。
 本来なら憲法59条2項に定められた通り衆院に戻して3分の2以上の賛成が得られないことを確認し、同上3項に定められた両院協議会を開催しなければ、首相といえども議会を解散することなどできないはずだったのにである。 
 その後、解散権乱用の論議は選挙戦の熱に飲み込まれ、あっさりと忘れ去られる。「刺客候補」が脚光を浴び、造反議員との戦いにマスコミも選挙民も熱中した。今は拘置所につながれているホリエモンも亀井静香氏の対立候補として大きな脚光を浴びていた。その結果は知っての通り。296議席を獲得する小泉自民党の圧勝だった。
 選挙後も解散権の乱用について首相は気にするふうでもなかった。民主党の前原誠司代表に「解散権の乱用ではないか」と国会で質問されても、「郵政民営化は極めて重要な法案で、実現について、内閣の政治的責任で国民の信を問うことは、憲法上、認められた解散権の行使であり、乱用にあたるとは考えていない」(『読売新聞』05年9月29日)と、いけしゃあしゃあと答えている。
 さらに9月30日の国会では国民新党の糸川正晃議員から同様の質問を受け、「しょうっちゅうするものではなく、異例中の異例だと認める。『次もまた参院で否決されたら解散か』と聞く人がいるが、こういうことはめったにない」(『読売新聞』05年10月1日)と開き直った。「めったにない」なら国会手続きをへていなくとも解散できるというのは法治国家の論理ではない。
 こうしたなし崩しの「デタラメ解散」に一石を投じようと、私はこの総選挙の選挙無効訴訟の原告の1人となり、中央選挙管理会を相手取り東京高裁に提訴したのである。

■裁判所の職務放棄だ!

 冒頭に記した判決には次のように書かれている。
「衆議院の解散は、このように極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であるといわなければならないのであり、このような極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為については、その法律上の有効無効を審査することは、裁判所の審査権の外にあると解すべき」
 簡単に言えば、「政治性が高いから何も法律判断しないよ」と裁判所に宣言されたのである。この判決の根拠となっているのが、1960年に最高裁で出された通称「苫米地判決」だ。この裁判は52年に行われた衆院解散で落選した苫米地義三氏が、違憲で無効な解散行為によって議員を失職したのはおかしいと訴えたものである。
 一審の東京地裁は原告の訴えを認め、裁判結果による政治的混乱を理由に裁判所が法律を判断しないのは適当ではなく、解散の手続きは司法で判断できると認定。解散を統治行為論で除外すべきではないと言い渡した。
 ところが最高裁判決では「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外」にあると、裁判所が政治的な判断を避ける「統治行為論」による門前払いを鮮明に打ち出したのである。
 この45年前の判決が私の裁判にも重くのしかかっているわけだ。
 しかし「苫米地判決」は少なからず問題のある判決ともいわれている。法律論で詰めるまでもない。さまざまな「国家行為」を「高度に政治性のある」とひとくくりにした論理で、司法は行政の暴走を防ぐことができるのだろうかという疑問が素人にもわくからだ。じゃんけんのように互いが牽制しあって権力の暴走を防ぐ。それこそが三権分立であるなら、司法の判断を棚上げにする統治行為論はかなりの危うさをはらむ。
 もう少し詳しくみていこう。
 この裁判を通して初めて知ることになったのだが、学説的には統治行為論の肯定説も否定説もあり、その肯定説にもいくつかの種類がある。そのすべてを紹介するのは眠くなるだけなので差し控えるが、法律に強いわけでもない私にも、統治行為論が有効なケースがあるかもしれないと感じさせる学説はある。山下威士新潟大学教授が『別冊法学教室』(1985年)で「(苫米地判決は)この説を採用している」と書いた学説はその1つである。
「政治的に影響を及ぼす行為については『政治的に責任を負えない裁判所が政治的決定を審査することはできない』、そのような行為については『主権者』たる国民に判断を委ねるべきであるとする」
 なるほど、あるかもしれない!
 だが、苫米地判決と私の裁判に共通する衆院解散の手続きは、そもそも「政治的決定」なのだろうか? 
 奥平康弘東京大学教授は「『統治行為』理論の批判的考察」のなかで次のように「苫米地判決」を批判している。
「すべての解散は『高度に政治性のある国家行為』であるかもしれない。しかし、争点(一)【憲法第7条に依拠してなされた解散※著者注】は、解散の政治性と全く切りはなされた憲法解釈問題である。しかし、前叙のごとくに、この点の解釈を憲法上おこないうるのは、そして、おこなわなければならないのは、裁判所である。これは裁判所としては、回避することができない争点だったはずである」
 こうした論理を踏まえた上で奥平氏は、「みずからの憲法解釈をついに提示することなく、内閣の解釈に拘束されるというのである。これは、裁判所の職務放棄でなくてなんであろう」と断じている。
 また山内敏弘氏も「統治行為論と苫米地訴訟」の中で、「このような理由で裁判所の憲法解釈権さえも否認することは、裁判所の『憲法の番人』としての任務放棄につながりかねない」と指摘した。
 さらに早稲田大学教授の有倉遼吉氏は「衆議院解散の効力に関する審査権――いわゆる苫米地事件」の中で、「主要な争点は(中略)本件の解散の助言には一部閣僚の賛成をえただけで、適法な閣議決定を経たとはいえず、解散には内閣の助言と承認が必要とする憲法規定に反し無効ではないか、というところにある。このような争点の判断を国民が最終的に行いうるものであろうか」と疑問を呈している。
 つまり選挙という民意の表明方法が法律解釈に及ばない危険性を指摘したわけだ。今回の選挙でも小泉首相は郵政民営化だけに争点を絞る宣伝を繰り返した。「国会は郵政民営化が必要ないと判断したが、国民のみなさんにもう一度、必要なのか聞いてみたい」とも発言している。では、郵政民営化に賛成した国民が自民党の目論む消費税の大幅なアップを承認したかといえば、そうではない。まして法解釈など投票時に国民は考えもしないだろう。
 以上のような経緯をふまえれば、解散手続きまで統治行為論を使って憲法判断から逃げ回るのは司法の自殺行為だと分かる。まして私たち原告団は準備書面において76年の最高裁判決を例に取り、裁判所が選挙を違法と認定しても選挙の効力については有効とする「事情判決」の道もあり、これなら政治的にも問題にならないぞと、裁判の逃げ道まで教えているのである。裁判所は何を恐れる必要があるというのか。
 そもそも上院(参議院)による法案否決によって下院(衆議院)を解散できるケースなど、先進諸外国には見あたらない。議会の解散権を持たない大統領制の米国はもちろんのこと、上院に否決する権限のない英国、そのほか二院制のドイツやフランスでも、そのようなバカげた解散を認めていない。
 それでも勝てないのが行政訴訟。まさに暗黒司法のさばる日本だと落胆していたところ、原稿締め切り直前に大阪からグッドニュースが届いた。大阪高裁は同様の裁判について統治行為論を採用したものの、「なるほど、法案否決の後に、必ず憲法59条2、3項の手続きを踏まなければ参議院を解散することができないかどうかは、一つの法的問題であり、法的判断の対象となることは疑いのないところである」と一歩踏み込んだ判断を示したのだ。最高裁に向けわずかながら光が灯ったように感じた。
 すでに上告は済ませた。完全勝訴は正直難しいだろうが、将来むやみやたらな解散ができないよう、行政に「法的秩序」を示す必要性は感じている。行政のムチャを監視することは『記録』の役割の1つでもあるのだから。(■了)

| | コメント (0)

待ったナシ!駐車違反取り締まりの新ルール施行 初日ルポ 街の風景が変わった

●月刊「記録」2006年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 駐車違反取り締まりの新ルールが施行された初日、いつものルートを運転していた酒屋配達の男性は思った。「まるで日曜みたいだな」。平日ならいつも道路の両脇に駐車されている車がこの日はほとんど見あたらなかった。取り締まりが民間業者に委託され、これまでより強化されることは知っていた。どうやら配達中でも構わず取り締まりを受けること、より短時間の駐車で違反と見なされることも知っていた。それでも駐車違反で引っかからないための具体的な対策を男性は持っていなかった。見張りのスタッフを雇えば人件費がかかる。小さな商店にとってそれはあまりにも大きな打撃である。
「取り締まりが厳しくなるみたいだけど……、どうしようもない。今のところは…」酒店の男性は言葉通りの表情で呟いた。
 95年には年間約30万件だった駐車違反の苦情・問い合わせが05年には65万件に膨れあがった。しかし取り締まりの件数は240万件から150万件と逆に減少。このことについて警察庁は、警察官の多くが治安情勢の回復に費やされ駐車違反取り締まりに人員を投入できなかったと説明する。そしてこれが今回の民間監視員導入の背景だった。たしかに違反車両の多い道路は運転しづらいものだ。車のカゲからいつ人が飛び出してくるのか警戒し、神経を使ってしまう。しかし、今回の新制度導入には大きなひずみが伴っている。
 編集部が駐車違反取り締まり初日の様子を追った。

■不満が渦巻く現場を歩く

 監視員の民間委託が導入されたのは東京で12区、43警察署である。監視員は各警察署が定めたガイドラインに沿って監視を行う。今回は編集部近くであり取り締まりの「最重点路線」に定められている靖国通り、そして同じく最重点路線に定められている新宿駅周辺をあたった。
 新宿駅周辺では青梅街道の新宿警察署の前にある交差点から大ガードをくぐり、伊勢丹の裏側にあたる靖国通りと明治通りがぶつかる交差点まで約1キロ。午後12時半から駐車の認められている場所以外に駐車している車を数え始めた。結果は37台、そのうち運転手のいない車は10台だった。
 ただし1人で荷下ろししている車が「運転手のいる」37台にカウントされており、「運転手がいなければ駐車違反だ」という原則に従えば「違法駐車」の数はさらに増える。しかも駐車している車のほとんどが運搬車両なのだ。
 調査通り沿いには一大繁華街が並ぶ。そうした小売店に商品やその材料を運び込むには車しかない。つまり十分なスペースがない現状で「路上駐車」が「兵站」を支えているのだ。
「会社の仲間もブーブー言ってますよ。駐車できないので2マン体制に変わりました。以前は1人で配達していたんですけどね」。大手飲料メーカーの自動販売機に缶ジュースを運搬している男性はゲンナリした顔でそう語った。ただ、2マン体制をとれる業者はまだマシだ。前述の酒屋にはそうすることもできない。いくらかのコストを費やして駐車場を借りることはできても、重い荷物を駐車場から目的地まで運ぶ作業が上乗せされるのはあまりにもキツい。
 今回の法改正のもっとも大きなポイントは2つ。1つは民間の駐車監視員が違反キップを切れるようになったこと。もう1つは運転手が車から離れて、車を移動できない状態なら取り締まれることだ。もちろん理由によって情状酌量されることはない。実際、食料品を歌舞伎町方面に運搬していたトラックは「配送中」と書かれた札を運転席に掲げ、ハザードランプまでつけていたが駐車監視員は構うことなく取り締まりにかかった。なにかがおかしい。もともとは違法駐車対策のためのルールだったはずが、違法も配達もない十把一絡げ状態になっていた。
 歩合制の給与体系ではないが、取り締まりの数が少なすぎれば駐車監視員も肩身が狭かろう。みんなと同じぐらいの数をあげなければ、サボっているのかと疑われかねないからだ。つまり法の番人というより、違法を待つハンターといった趣、ととられてもおかしくはない。
 監視員はは2人1組で薄緑の制服を着込む。
 駐車監視員が違法車両を見つけると、まず専用のデジタルカメラで写真を撮影。その画像を厚さ約2センチ、縦20センチ、横30センチ程度のタッチパネル式の液晶画面のコンピュータに転送する。
 転送された写真を確認すると、コンピュータを持つ駐車監視員が専用のペンを使い猛烈なスピードで打ち込みを始める。違法車両の種別、違反車が置かれた住所などを選択画面から選んでいく。一連の操作が終わると、今度は違法車両の位置を特定にするために距離を測る。横断歩道や交差点の角から何メートルの場所に止まっているのかメジャーを当てるのだ。
 さて、ここからが最大の難関、違法現場の地図作製である。道路の形や車両のマークなどを、選択肢から選び大枠を完成させたあと、先ほど測った距離や道路がどちらに向かっているのかなどをペンで書き込んでいく。取材した駐車監視員は「至明治通り→」と書き込んでいた。かなり汚い手書きの文字でもコンピュータは認識していた。地図を作り終えたら、駐車監視員2人で記載内容を読み上げて間違いがないかを確認し、違法を知らせるステッカーを貼る。時間にして10~15分といったところか。
 じつは違反が確定するのは、このステッカーが貼られた後にある。駐車監視員が地図を描いている間に運転手が帰ってくればセーフ! 駐車監視員は「警告」と書かれた紙を運転手に渡し、おとがめなし。
 つまり駐車監視員の作業時間が運転手の明暗を分ける大きなポイントになるのだ。実際、新宿の取り締まりでは多くの運転手が地図作製中に車に戻ってきた。
 取材したのは取り締まり初日だったため機械の取り扱いにも手間取っていたようだが、これから駐車監視員も慣れてくる。一瞬目を離したスキに取り締まられたというケースが、今後どんどん増えてくるだろう。
 靖国通り・神保町では古本屋「ブンケン・ロックサイド」の店員さんが悲鳴を上げていた。「車を通りに横付けして来るお客さんは来てくれなくなってしまうかもしれません。打撃もいいとこですよ! お客さんだけじゃなく、古本専門の運送屋さんがいてトラックをこのあたりに停め古本街に本を配送するんですが、これからは今までのそんなやり方も見直さなければならないでしょう」。あまりに硬直的な制度のあり方が至るところで歪みを引き起こしている。それでも、見張り役の人員を増やすことができない、そんな弱者へも配慮していると宣伝したいのか「荷捌き用」と書かれたスペースがいきなり作られた。白い枠線で囲われたこの場所ならば駐車違反にならない。駐車監視員が枠内に止められた車を素通りし、その並びに止められたトラックだけを取り締まり始める光景はかなり異様だった。
 新宿大ガードの交差点から明治通りまでの約400メートルには駅に近い側に5台分、その向かい花園神社などがある側に9台分、計14台分の荷捌き用スペースが作られていた。法律改正前まで業務用トラックが両サイドにズラッと並んでいたことを考えれば、この駐車スペースがどれだけ少ないかが分かる。
 となれば激しい場所取りが展開されるのも道理だ。
「今日は朝9時からかなり取り締まってましたよ。間の前にいた枠の外のトラックがキップを切られてましたから。いや、いけないとは思いますけれど、このスペースにずっと止めておきたくなります。午前も午後もこのかいわいで配達しなければならないので……。枠から出たら反則金を取られますから」
 と、大手宅配便会社の運転手は語ってくれた。配達場所が集中している新宿なら、誰もがそう思うだろう。ちなみに同様の思いを抱えているに違いない佐川急便のドライバーは、「私どもはこの件に関して何も言えませんので」と取材に答えた。国土交通省から認可を得るのに苦労した会社らしく、お上に逆らわないよう会社側から教育されたようだ。
 今回の取材では荷捌き用のスペースに、その筋らしい派手な高級車が駐車されてもいた。運送業の車両を取り締まる前に、こうした車こそ排除すべきだろう。もっとも彼らもどこかで何かを「荷捌き」しているのかもしれないが……。

■このドタバタの裏で笑う者が

 今回の法改正で泣いている人は数知れない。だが、当然高笑いしている業者もいる。なかでも美味しかったのはコンピュータ関連の業者だ。デジカメも入力用のコンピュータも別あしらえの特注品である。
 ただ駐車監視員に機械の評判良かったわけではなさそうだ。報道でも機械の故障は大々的に報じられたほどである。ちなみに駐車監視員のコンピュータはハードが三菱、OSはウィンドーズXPだ。炎上自動車を量産した自動車メーカーの関連会社がハードを作り、バグが出ては修正版を配布するメーカーのOSを採用したのだから機械の故障が相次いだのも妙に納得してしまう。
 さて、今回の法改正については、もう1つ重要な論点がある。それは駐車スペースが足りないことを知りながら販売している自動車メーカーの責任だ。
 ペットボトルやカンを大量に流通させる飲料メーカーが回収にも力を注ぐ時代となった。作ったきりで利益だけを懐にしまい込む商法など、すでに許されない。
 ところが今回追いつめられているのは車の使用者だけ。製造メーカーは我関せずである。なかでも国内シェアの4割を握り、庶民をいじめる小泉改革を推進しながら道路特定財源の解消にだけは抵抗しているトヨタ自動車の責任は大きい。「60年代に始まったモータリゼーション中心の経済政策にのり、トヨタ自動車は大もうけをしてきました。だからこそ経団連の会長まで手に入れたわけです。にもかかわらず道路造成や交通対策など、人が暮らしやすくなるための社会的費用を一切支払いませんでした。ただただ車だけ売り続けるトヨタの姿勢がこの問題にも陰を落としています」とは鎌田慧氏の談。
 先述した駐車している車両の調査でも、運転手のいる車の37%、いない車の30%がトヨタ車だった。シェアよりも数字が低いのは乗用車よりトラックが多いからで、トヨタ系列である日野自動車をトヨタ車として勘定しなかったからだ。もし、トヨタ系列という枠組みで換算していたら50%はゆうに超えていたはずだ。
 6月1日に施行されたこの制度だが、もうすぐ1月が経とうとしている。この頃になってようやく、警察署によっては営業車に対する取り締まりの見直しが検討され始めている。だが、それでもこの新たなルールが弱い立場にある者への配慮にまったく欠けていた点は見逃せない。事件はまだ始まったばかりだ。(■了)

| | コメント (1)

気分だけは『深夜特急』―あるがままのシンガポール―

●月刊「記録」2004年11月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 諸事情により、立て続けにシンガポールを訪ねざるを得なくなった。半年で3回。正直、多すぎます……。靖国神社の分社でもあれば旅のついでに取材でもしてくるのだが、いかんせんシンガポールに靖国はない。いや、そもそも取材対象になりそうなモノが、少なすぎるのである。
 シンガポールと聞いて何を思い出すだろうか?
 高級ホテルの乱立する街、あるいは買い物天国の観光地のイメージだろうか。
 たしかにシンガポールの中心部には、高級ホテルが並んでいる。村上龍の小説にも登場するラッフルズ・ホテルやザ・リッツカールトン・ミレニア・シンガポール、ザ・フラトン・シンガポールにシャグリラ・ホテル・シンガポール。どこもシングル1泊で3万円近くする。
 素敵だろうと思う。でも、貧乏ライターの私は、そんなところに泊まる余裕はない。買い物もしかりだ。
 仕方ない。見たモノをあるがままに描くしかなかろう。気分だけは、沢木耕太郎の『深夜特急』である。
 MRTという地下鉄に乗り、リトルインディア駅とファーラーパーク駅のどちらかで降りると、そこにリトルインディアが待っている。そうインド人街である。
 通りの店では、サリーの布や金のアクセサリーなどが売っており、独特の匂いが立ち上る。スパイスなのかもしれないが、苦手な人にはキツイ香りかもしれない。
 しかし、このリトルインディアの名物(勝手に名物にしてますが)は、なんといっても人ごみである。
 夜8時にファーラーパーク駅を降り、ムスタファセンターというスーパーに向かっていって歩いていくと、センター前に黒山の人だかりができているではないか。最初、辺りが暗くよく見えなかったが、近づいていくにつれ人だかりはすべてインド系だとわかった。どこからどうやったらこれだけの人たちが……と思わせるほどの人数だ。
 有名神社の元旦や、お盆の原宿竹下通りを想像してもらえばいいかもしれない。広場を進もうとすれば、肩がガンガン当たる。しかも集まっている人々が何もしていない。ただ集って話しているだけ。だいたい2~3人ずつのグループになっているようだ。
 そもそもムスタファセンターは、ただの激安店である。日本でいうと激安の殿堂ドン・キホーテとダイエーをミックスさせた便利なスーパーいったところか。その前がいきなり集会場になっているのだから、日本人には不思議な光景だ。ショッピングするでもなく、食事するでもない。目的を見いだせない大集団。ちなみに、このよくわからない活気は、シンガポールでもリトルインディアでしかお目にかかれない。ドン・キホーテに集うヤンキーと同じだと考えれば、納得もしやすいのだが……。 見渡す限りのインド人と私。通常なら緊張しそうな場面だが、これまた不思議なことにムスタファセンター前の誰もが私に注意を払っていなかった。なぜか部外者としての扱いを受けなかった。
 インドを満喫しつつセンターに入り、バスタオルやシャンプーなど日用品を買う。
 不思議だ。日本ではあらゆる場所で部外者扱いされるたものだが……。タイ人に間違われることはあっても、インド人には見えない私なのに肌が馴染む。
 日本社会に馴染めない人には、ちょっとお勧めかもしれない。ただし夜にならないと大勢のインド系はいない。昼間はただのスーパーと道。注意してほしい。

■シンガポールに貴乃花が

 さて、夜のシンガポールのお勧めがムスタファセンター前なら、昼のお勧めはハウ・パー・ヴィラ、通称タイガーバームガーデンである。そう、あのメンタームのような薬・タイガーバームをつくった兄弟がこしらえた庭園である。
 かつては入場料を取っていたようだが、私が行ったときには無料開放中であった。それなのに日本人観光客は、まずいない。
 ここの売り物は、なんといっても等身大の人形の数々。しかも全体として何を作りたいのかよくわからないのが特徴だ。おそらく下敷きにあるのは、中国の伝説なのだろう。
 しかし芝生の上で妙にリアルな顔でにらみつける蟹女を見た日にゃ、驚くったらありゃしない。だって蟹の甲羅にいきなり女性の首が生えてるんだよ~!
 あと顔だけ鶏、体が人間の夫婦がけんかしている人形とか。しかも等身大……。
 もっとも印象に残っているのは、170センチほどの自由の女神の像の2~3メートル先にある力士だ。2人のお相撲さんが化粧まわしを巻き、土俵入りの姿で向かい合っている。そして2人の中心にはなぜか台があり、実物より大きなタイガーバームが3~4つ置かれていた。そのうえ向かって右側の力士は、双子山親方つまり初代貴乃花にそっくり。
 シンガポールくんだりで何をしている親方……。
 初代貴乃花の活躍を知らない年齢だけに、私にとっては週刊誌などで騒がれた2代目貴乃花との軋轢や離婚騒動の印象が強い人だが、さすがにタイガーバームに向かって土俵入りはすまい。もしかするとシンガポールではかなり知られた男になっているかもしれないが……。
 さて、このタイガーバームガーデンで唯一、入場料を取るのが地獄巡りである。1シンガポールドル、約70円弱。
 入り口には15センチほどの人の生首がいくつもおいてあり、その様子を横目で見ながら洞窟へ。最初の人形(入場料を払っても、メインは動かない人形なのに変わりなし)は、閻魔大王だ。3メートル以上はあろうかという閻魔様が、こちらを睨み付けている。いや、暗闇の閻魔様はけっこう怖い。
 ここから先は、両脇にひたすら地獄が並ぶ。体を突き刺されている地獄や寒水地獄などなど。ミニチュアだか、照明もきちんと考えてありけっこうリアルなのだ。もっとも気持ち悪かったのは血の池地獄。赤い血の池で何人もの人が苦しみの表情を浮かべている。
 ぎゃー、なんで1ドルも払ってこんなもの見せるんだ?? 日本人観光客がいないのも当然だろう。
 しかし中国系の客は、けっこう展示物に見入っている。私の後ろには、地元の人らしい10~15人の中国系が見学していた。
 なぜ???
 これは帰国してから調べたことだが、そもそもこの地獄は中国風のもらしい。中国の地獄は、日本のように、ずーっと長い期間放り込まれるわけではない。浄化のプロセス、生まれ変わりの場所とし地獄があるらしいのだ。たしかに地獄の巡りの最後のミニチュアは、老婆から水をもらって更正する場面となっていた。
 つまりこの地獄巡りは、残忍さを売り物にした見せ物ではなかったのだ。宗教的バックボーンがあれば、浄化プロセスとして楽しめるらしい。西洋の宗教画でも、貼り付けにされたキリストの絵も多い。しかし残忍だという批判を聞いたことはない。
 地獄巡りのリアルさに「ぎゃー!」と叫んでいた私は、異文化への理解が足りぬということだろう。

■プロレス技のオンパレード

 さて、ここまで紹介した観光地(?)がお気に召さない方のために、最後の切り札を紹介したい。
 それはチャイナタウンにあるヒンドゥー寺院「スリ・マリアマン寺院」の道路を挟んだ向いにあるタイ式マッサージだ。
 60分コースで約3500円ほど。私にしてはちょっと高い。しかし日本のマッサージとはかなり違う代物なので、ぜひ試していただきたい。
 まずはマッサージ専用の服に着替える。下はハーフパンツで、上はジンベさん。女性は赤の服だった。
 このタイ式マッサージ、最初はおとなしく足つぼをマッサージされる。かかとや土踏まずが入念に押される。若干痛い個所もあるが、なかなか気持ちよい。ただ足の指を伸ばされたときは、かなり痛かった。もともと足腰が強い方ではないが、小さな悲鳴をあげるほどの激痛だった。
 しかーし、タイ式マッサージの本領は、こんなものでない。脚や腰をもまれているうちに、タイ人らしいお姉さんが、やおら私の膝の後ろに足の裏を当て、一気に引っ張るではないか! いや、そのあたりから、どんどん技は過激になっていく。まさにアクロバティック! 
 仰向けの私の背中に足を入れたと思ったら、やおら膝を立てて腰を伸ばし、さらに腕を引っ張る、引っ張る! 腰から肩までどんどん伸びていくのがわかる。なんだかプロレスごっこのようだ。淀みなく繰り出される技の数々、あらゆる部分を伸ばされ続けて1時間。
 いや、気持ち良かったッス。けど疲れました……。
 ちなみに男性もマッサージを受けられます。隣に、自分よりも大きい男性を小柄で華奢な女性が軽々と持ち上げて、体を引っ張っていたので。
 日本でも受けられるタイ式マッサージを、なぜにシンガポールで? という疑問は解けないが、たまにはマーライオンやハイ・ティーではなく、こういう変わった旅も刺激的でよいのかもしれない。 (■了)

| | コメント (0)

実録! 的屋エリート「極東会」での日々

●月刊「記録」2007年6月号掲載記事

●取材・文/イッセイ遊児

■ここ数ヶ月、暴力団組員の発砲事件が頻発している。4月に起こった長崎市長の銃殺も組から「リストラ」を迫られた暴力団幹部の犯行だった。さらに先日、愛知県の住宅街で家族を人質に立てこもり、警官を射殺した犯人も元暴力員である。4月末には指定暴力団極東会の組合員が「先輩」を射殺し、拳銃を持ったまま町田市にある自室に立て籠もった。この事件の背景には警察の取り締まりによる資金源の減少があるという。
この極東会が仕切る的屋の店員として数ヶ月働いた著者が、実際に見た極東会の現状をリポートする。

 的屋をやるきっかけは、法改正により風俗案内所が警察から目をつけられるようになったからだ。看板までも「指導」されて白黒に変わり、勤めていた池袋の風俗案内所はいよいよ暇となった。飛び抜けた文才もないわけでライター稼業で大もうけともいかず、職探しをした。その一環で、たまたま出会ったのが的屋だった。
「的屋」を広辞苑で引くと「いかがわしい品物を売る商人。→やし(香具師)」と書いてあるが、一般的には祭りや縁日で屋台をだす露天商をいう。よくお好み焼きやフランクフルトを売っている人たちである。
 的屋の求人は、たいがい店先に手書きで「アルバイト募集」などとあるものだが、たまたま見ていたガテン系求人誌に当たり前のように載っていた。
 また、やけに日給がよかったのだ。
 普通、派遣のバイトなどでは日給8000円がいいところだ。ところが的屋のバイトは1万2000円。これに大入りまでつく。現場までの交通費も支給。
 いまどきそんな待遇の仕事も少ない!
 さっそく面接に出かけたら、交通費と称していくばくかの金まで貰った。
 ただ俺が働くことになったO商店は実態のない商店で、極東会の人間を社長とする、不良の集まりだった。不良といっても喧嘩や恐喝をするわけではない。もちろん出店の仕事はきちんとする。ただ、まっとうな感覚があまりない、恥など関係ない、そんなところか。
 ある祭り会場の帰り道、堅気の的屋に質問してみたことがある。
「的屋は仕事柄、車での移動が多いですからね、免許がなければ仕事になりませんね」
 いくらアウトローだと言ったところで、日本で仕事をする以上、法律や世間体から逃れられない。色めがねで見られる分だけ的屋稼業も楽じゃないな、と思いながら口にした質問だった。
 彼は微笑みながら答えた。
「う~ん、半分は免許なんか持ってないっしょ」
 高速道路を走っていた。一瞬ギョッとしてシートベルとをギュッと握った。
「あ、僕は持ってますよ」
 彼は慌ててそう付け加えたのだった。

■極東会に2つグループ!?

 もともとヤクザと的屋は近い関係にある。
 ヤクザに博徒系と的屋系の2つが大きな主軸があるのは、その証拠だろう。その的屋系で有名なのが浅草の某団体と、俺の勤務先の社長が所属する池袋の極東会である。
 町田の事件で一躍脚光を浴びた池袋極東会は指定暴力団として認定されている。ならば極東会の的屋がすべてヤクザかというと、ここらへんは多少違うようだ。
 極東会に所属する「上司」によれば、「暴力団の極東会と名門的屋の極東会は違うんだぁー!」ということらしい。もともと極東会は的屋組織として結成されたものだ。ただ組織が膨らむにつれて博徒が増え、彼らの暴力沙汰によって指定暴力団となってしまったと「上司」は説明した。
 たしかに極東会の的屋は、その道では超名門。現在でも的屋になるなら極東会に入るのが最も近道と言われるほどである。そのプライドが暴力団と一緒にするな、という思いを生むのであろう。
「極東会は構成員2000人、準構成員が1500人。で、的屋が2000人ぐらい。だから暴力団の極東会と、的屋の極東会は組員数では互角だ」
 そう語る上司の目つきは尋常じゃなく鋭かったが……。
 俺の仕事は子供を狙った商売、寝かせたパチンコのようなスマートボールとくじ引きだった。
「金を残すなら粉ものを」
 仕事場の責任者はそう言った。粉ものとは小麦粉を使うたこ焼き屋などを指す。ただ労力がかかるそうで、俺が所属したグループはくじ引きをやっているのだという。
 さて、的屋の仕事だが、元来ものくさ者のヤクザがやる商売だけに、祭りや縁日以外の仕事は少ない。平日はほとんど仕事がなく、ただブラブラしている人間が多い。
 また的屋の仕事は季節によって多忙期も変わり、冬は暇で夏は忙しい。フリーライターもいつ忙しくなるか分からないので、できるだけ貯蓄をして、暇な時期に備えている人も少なくないが、的屋も冬は赤字になるのが常だという。つまり、平日に仕事がない上に、冬は仕事に出ても赤字で終わる。それを夏で一気に挽回する。冬の赤字分を帳消しにして、年間売り上げを黒字に変えるわけだ。
 もちろん縁日だからといって、だれでも店をだせるわけではない。場所を取り仕切る親方がいる。出店の場所は利権であり、その親分に顔が利かなければ出店はかなわないのである。出店料は関東で1店舗につき1日1万が相場で、関西では割り高の1万5000円。
 実際のところ親方はヤクザだが、形式上ヤクザ登録はされていない。ヤクザは的屋にもなれない決まりになっているからだ。しかしその売り上げは確かにヤクザ事務所に流れる。かわいらしい子供達の手から渡された小銭の山は、違法行為の資金源として使われる道を辿ることもある。

■ヤクザも静かに暮らしたい?

 どういった形のヤクザ(名門の的屋でも)にしろ、できれば静かに平和に暮らしたいと願っているのは確かなようだ。「同僚」もそんな雰囲気をかもし出していた。
 ただし組織の上層部がそれを許さない。面子が潰れる行為は御法度。また、金銭面での不利益を犯した場合も重罪として組から追われる。つまりヤクザにとっての人生の死を宣告させるわけだ。
 たとえ刑務所に入っても組が面倒を見てくれる「安心感」を選ぶか、なんの後ろ盾もない孤独な人生を選ぶか、ヤクザなりの厳しい選択を迫られているようだ。
 また最近のヤクザ稼業は実入りが悪い。今回の町田の事件の犯人は都営住宅に住んでいたと報じられ、ジャーナリストがテレビで呟いた。
「どうしてヤクザが都営住宅に住めるんだ。それが問題ですな」
 けっこう経済的に追いつめられていたとも報じられていた。ヤクザとして登録をしないヤクザも多い。となれば都営住宅への入居を禁止することはできない。
 とはいえ、いざ騒ぎが起これば身を投げて抗争事件の最前線に向かう。それがヤクザの「本性」でもある。
 学歴も、男も女も、なにも関係ない世界が、確かにそこにはあった。非常に人間くさいところだ。
 家族ぐるみの的屋では、おばあちゃんがゆっくりとした時間の中で仕事をしている。絶望工場、絶望会社とは180度違う世界が広がっている。
 ひとつだけ誤解のないように言っておくと、的屋にも純粋な商売人としての的屋もいる。一応商売の基本は学べるので、アルバイトをするのも悪くない。
 俺は仕事が終わった後、永遠と続く遊びに堪えられなくて仕事を辞めたが、今の日本では、当たり前のアルバイトをするよりも、的屋のほうがずっと気楽で、金も儲かる。あとはアルバイトをする会社を、きちんと確かめてからやるならば、なんの問題もない、たぶん。 (■了)

| | コメント (0)

奨学金制度が告げる経済崩壊の足音

●月刊「記録」2007年5月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

「いざなぎ越え」などと言われる一方で、多くの自治体で生活保護の申請が増えるなど、苦しい生活状況を伝えるニュースが耳に入ってくる。生活の豊かさを端的かつ正確に表す指数があるわけではないから一般市民の生活が「豊か」に向かっているのか「貧しい」に向かっているのかどうもハッキリとは分からない。
 今年1月の朝日新聞にこんなタイトルの記事が載った。「奨学金返還、督促を強化 法的措置予告1万件」。記事は奨学金の返済が滞っている人が急激に増え、それを受けて滞納者に対する「取り立て」が強まっていることを伝えている。
 国民全体の生活を表すまでには及ばないが、今や大学生の25%が利用するという奨学金制度に注目することによって、ちょっと変わった角度から現代ニッポンの豊かさが見えてきそうだ。
     *     *     *
 一般的に「奨学金」という言葉が指すのは旧日本育英会、現在の日本学生支援機構(以下、支援機構)が運営する奨学金制度である。先に「大学生の25%」と書いたが、正確には支援機構が奨学金を扱う対象は政令で定められており、列記すると大学、大学院、短期大学、高等専門学校(高専)、専修学校(専門学校)である。旧育英会時には高等学校(高校)の奨学金も扱っていたが、現支援機構の創設時に各都道府県に移管された。ただ、奨学金の制度そのものは基本的に旧育英会のものを踏襲することになっており自治体ごとに特色などは出ないようになっている。

 新宿区市ヶ谷にあり、防衛庁の施設に隣接する支援機構でお話を聞かせていただいた。
 支援機構の建物の中では人が慌ただしく歩き回っていた。聞いて納得したのだが、支援機構が1年のうちで最も忙しくなるのは新しい年度を迎える3月から4月にかけてであるそうだ。
 平成18年度に支援機構が奨学金を貸与した合計人数は約100万人にのぼる。
 学種別の統計で最新版である平成17年度では、全大学生約272万人のうち59万人以上が貸与を受けている。これは3.9人に1人が奨学金を受けている計算になる。大学院生に至っては2.5人に1人が貸与を受けている。
 さて、奨学金の延滞者だが、尋常ではない増え方をしている。「支払い督促の申し立て」を予告した件数が06年度は1万件を超えたそうだが、これは前年度の2倍、2年前に比べてなんと20数倍であるという。
 支援機構・制作企画部の吉田さんが言う。
「ものすごい件数の滞納なので驚かれるでしょうね。支援機構では返還を送らせることができる返還猶予制度がありますが、この制度を利用しようとしている人たちから、返済が滞る理由について01年と06年にアンケートを行いました」
 アンケートの結果を見せてもらいすぐ気付いたのは、01年度に比べて06年度では「無職・失業」を理由としている人の割合が6.5%から20.3%へ格段に上がっているということだった。
「私たちは社会の状況について語る立場の者ではないですが、奨学金を利用された人に限って言えば、社会に出た後でもなかなか生活が厳しいという実態が浮き彫りになったのではないかなと思います。滞納している人たちが悪いと決めつけるのではなく、返したくても返せない人たちにしっかり話を聞いて、その内容に基づいて返還の猶予をとりながら返していただきたいと思っています。ただ、返せるのに返せないという場合。それはこちらとしても厳格な態度で臨んでいかなくてはいけません」。 支援機構内部には返還促進課という取り立て専門の部署がある。ただ、約500人の所帯である支援機構だけではすべての返還を管理することはできない。なにしろ返還中である人は現在200万人にも達する。
 滞納金を集める業務は民間のサービサー(債権回収会社)に委託している。電話で催促をする業務や口座引き落としができなかった人のデータをまとめたりする業務である。クレジットカード会社の手法とほぼ同じだと考えていい。
「支払い督促の申し立ての予告を聞いて慌てて連絡してくる人は多いですよ。実際に督促手続きで裁判所で会ったとき、支払い能力があるという人もいます。でも、ほとんどは返還金を支払うことができない人が多いんです。厳しいんです」
 日本中の所帯のフトコロ事情が透けて見えるような何とも重苦しい吉田さんの言葉である。

■奨学金は奨学金で回る

 06年度、支援機構における奨学金の事業費総額は7810億円に上る。第1種(利子なし)と第2種(利子つき)では実は財源の質が少し違う。第1種は政府からの貸付金と返還金。第2種は財政融資資金と財投機関債、そして返還金。一般の投資家に向けた機関債が組み込まれているのは意外だ。
 大別すれば国の財源と返還金に分けられる。つまり返還金があってこそ奨学金が毎年回転していくことができる。
「奨学金は『循環運用』なんです。返還金が正常に集まらなければ、本当に経済状況が苦しくて就学が難しいという学生を支援できないという一番悪いことが起こってしまうことになりかねませんよ。ここが基本なんです。憲法でも保障されている誰でも教育を受けることができる権利を制度の面からフォローしていかなければならない、これが奨学金の根本です。私たちが適切に貸与していくためにも、なんとかして回収は行っていかなければならない。ただ、それが難しい人もいる。難しいところですね」

 日本学生支援機構が運営する奨学金以外にも、日本には数多くの奨学金制度(スカラシップという名がつけられていることも多い)がある。
 地方自治体が運営する返済の義務がない給与型の奨学金、新聞配達を続けることを条件に学費の支払いを支援してくれる新聞社の奨学金制度、中には日本とハワイの大学院生を互いに派遣し、「相互理解」と「友好親善関係の推進」が目的である皇太子奨学金などというものもある。
 一般企業が運営するものも多くある。松下電器産業株式会社がアジア諸国から日本への私費留学生を支援する「パナソニック・スカラシップ」がその一例。海外へ渡るといえば、アメリカの政治家ジェイムズ・ウィリアム・フルブライト(1905-1995)が創設したフルブライト奨学金が有名。優秀な人材の交流を目的に日本で約6500人、全世界で約20万人がこれまで制度を利用している。
 実に様々な奨学金があるが、多くは返還の義務があるものである。もし返済の滞納が大幅に増える日本学生支援機構のようなケースが常態なのであれば、奨学金制度そのものが危機に瀕していると言えるのではないか。
 交通事故や病気、自殺などで親をなくした子どものための奨学金制度を運営するあしなが育英会は前身である「交通事故遺児を励ます会」を経て93年に発足した。「交通事故遺児を励ます会」は共に交通事故で肉親を亡くした岡嶋信治(当時24歳)さんと玉井義臣(当時32歳)さんが中心となって1968年に立ち上げた団体だ。
 あしなが育英会の職員の方は言う。
「たしかに、以前に比べると返済が若干滞りがちなのかなという感じはしますが、それでも返還率は94%前後はあります。寄付金が中心となって運営されている奨学金へのありがたみからなのでしょうか、ちゃんと社会に出た後にちゃんと返済はされていますよ」
 あしなが育英会の最新の収支報告(05年度)を見ると、年度収入28億円のうち20億円が寄付金収入である。さらに内訳をたずねたところ、「あしながさん」と呼ばれる支援者が8億円、年2回の街頭募金で2億6000万円が集まっている。意外といえば失礼だが、街頭募金でそんな大きな額が集まっているとは予想だにしなかった。
 寄付金収入には企業からの寄付もあるが、割合としてはやはり企業以外からがほとんどを占めるという。まだまだ世の中捨てたもんじゃない。
 ただ、やはり見通しは明るくない。高校生以下の奨学金制度が自治体に移管されたことは書いたが、06年度の神奈川県では高校生の奨学金申請が急増したため、奨学金を受け取ることができなかった学生が相次いだ。もちろん背景には低迷する家庭の経済状態があるのだろう。
 支援機構の吉田さんがこう強調していた。
「学生は、これからの日本をしょっていかれるわけですから。彼らの生活を支援するのが奨学金。奨学金が回っていくためには、その恩恵を受けた人たちがあとの世代のことを考えてしっかり返還してほしい」
 景気が回復したといえるのはまだ先である。 (■了)

| | コメント (0)

出版人養成スクール・苦境?か盛況か? 日本エディタースクールの過渡期

●月刊「記録」2007年3月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 編集者を養成する学校として日本エディタースクールが開校したのは1964年。以来、編集者のみならず、校正者、デザイナー、ライターなど「本づくり」に関わる職能の確立を目指して、多くの人材を輩出してきた。
 実は、この原稿を書いている私もエディタースクールに通っていた。昼間部の総合科1年課程に通い、秋から夜間の「ジャーナリズム文章コース」に通い始めたのだった。
 最近、エディタースクールで同期だった知り合いに会ったとき、「エディタースクール、なんか生徒が減ってるらしい」ということを聞いて驚いた。
 わずか1年のあいだ通っただけだったけれど、レイアウトの基礎から校正の実習、印刷の知識、本作りにおける原価計算、『創』編集長・篠田博之氏が教壇に立つ雑誌論など内容は濃かった。ムチャクチャ勉強した! とも言い切れない私だが、通うことで得た知識は編集の現場で無意識のうちに役に立っていたりする。
 多くの出版人が学んだエディタースクールが危機に瀕しているのかもしれないという。もしそうなのだとしたらその理由は何なのか。修了生であることだしそんなに邪険には扱われないだろうという図々しさを武器に、話を聞かせていただくため水道橋に向かった。
 取材には稲庭恒夫代表取締役に受けていただいた。通っていた頃から何度もお目にかかってはいたが、お話させてもらうのは今回が始めてだ。
 稲庭代表は70年の始めにまだエディタースクールが市ヶ谷にあったころに入学し、修了後の73年頃からすぐにエディタースクールで働きはじめた。以来30年以上。この学校を知り尽くした男なのである。
「昼間部の受講者数が減っているというのはたしかです。ただ、これが原因で少なくなった、というのはハッキリとは言えないですね。喋りづらいというんじゃなくて、何が原因で何が結果だ、というのが簡単には結びつけられないと思うからです」。
 とは言いつつも、出版に対する魅力にはかげりが見えるかもしれないと稲庭代表は続ける。
「出版が魅力のない仕事になったというわけではないです。ですが以前と違い、自分の表現を活字に載せるという欲求は、書籍や雑誌でなくブログという形でも仲間内であれとりあえず満たすことができるようにもなりました。読む面でも、電車の中を見れば分かる通り、本だけでなく携帯やゲーム機といったものが普及してきている。生活の中で本にあてる時間が少なくなったんだとしたら、相対的に本に携わる仕事に就きたい、という人が減るのはあり得ることだと思いますよ」。

■出版社からの求人は増えている!

 専門学校や講座に通う人には、その場で職能を身につける目的とともに「就職への道」を期待する面もある。逆に言えば、就職への道へ繋がらない専門学校は魅力的とは言えない。
 私は、生徒数が減った原因として出版者側からエディタースクール受講生への求人数の低下があるのではないかと考えていた。入学説明会などで見学者が求人数について質問する。思っていたより少ない求人数であることを知り、「ここじゃ就職できないかも」と判断して入学を見合わせる……。ありえない話ではないだろう。
 しかし、実際はそうではなかった。むしろ増えていた。「求人数は増えていますよ。学校の初期のころは年間で20件ぐらいだったと思いますよ。今は、だいたい160件は来てる」。
 160という数字には驚いた。なにしろ昼間部の総生徒数を優に上回る数だ。出版社や編集プロダクションからの求人を集めたカタログを見せてもらった。ものすごく分厚い。出版人を目指す人にとっては宝の山に見えるのではないだろうか。しかも、アルバイトとしての募集もあるが正社員としての募集のほうが格段に多い。
 狭き門と言われる出版社への道だが、この求人票の束を目の前にするとさほど入社は難しくないように思えてくる。
 ここはアピールの意味でも書いて欲しいところですよ、と稲庭さんがちょっとばかり自信ありげに言う。
「朝日新聞に求人広告を打ったりハローワークに出したりするらしいけど、なかなかいい人材が来ない、という声を出版社さんから聞くことがありますね。中途採用で採ると、それまで在籍していた会社で固まっていた経験がアダになることもある。昼間部での話ですが、一部の技術に特化した人ではなく、本づくりに関わることを全般的に勉強してきたエディタースクールの生徒は採用する側にとって理想的な人材となるようです」。
 これも意外な事実だった。経験があればあるほどいい、というわけではなく、ちょうど土が耕されたような状態にある人材のほうが、使う側としてはありがたいのだ。

■こんな業界から校正研修の依頼が

 エディタースクールには月曜から金曜、朝から夕方までみっちり学習する昼間部の他に、書籍制作、DTP、文章などを扱う専門的な講座もある。多くは夜間に開講しており、出版社の社員や転職を考える社会人などが多く通う。
 そのうちの一つである校正コースは目玉講座のひとつである。エディタースクールが主催する校正技能検定は1966年から開始され、出版では少ない技能検定のひとつとして広く認知されている。つまり、エディタースクールは校正講座の本場なのである。
 かなり意外なセンではあるが、ここ数年では保険会社から校正の技術習得のための研修を依頼される機会が増えているのだそうだ。「保険会社」と「校正」がどうも上手く繋がらなかったが、事情を聞いて納得した。
「保険の契約文書などでは、間違いが許されないうえに大量の文字がつかわれていますよね。文書の中にあるわずかな表記の誤りのために保険会社が大きな損失を被るという可能性だってあるわけです。いわゆる『事務リスク』ですが、それをなるべく避けるためにちゃんとした校正の研修をしてくれ、と頼まれることも最近では増えてきています」。   
 校正の技術が求められることは学校側としても願ったりではある。だが、稲庭代表はこうした動きの中に、顧客に対し過度に神経質になった商業サービスの一面を見る気がするとも言う。
 少し前、稲庭代表の親族がある施設に入居することになった。その際に手続きに必要な書類の束を見て驚いたという。
「施設に入るだけ、というわけじゃないけど、こんなに多くの書類に目を通すものなのかと思いましたよ。私がそう言うと、施設側の人も少し疑問に思ってるらしく、『以前はこんなに必要なかったけどなあ』と言っていた。」
 契約の食い違いによるトラブルに対し敏感になり、それが書類の量を増やすのか。ふと思えば、不動産契約や雇用契約にもあてはまるような気がする。
 そして、それらの重要な書類の間違いによる『事務リスク』を回避するために、校正の技術が求められる。これは時代的なニーズ、といっても大袈裟ではないのではないか。
 現在開講している校正講座も受講生の数は上々のようだ。昼間部の受講生が減ってはいるが、ここでは校正がそうであるように時代の変化とともにエディタースクールでも求められるものもが変化しつつあるようだ。

■就職のためのマスコミ講座

 ここまでエディタースクールのことについて書いてきたが、それだけでは出版人を目指すためのあらゆる講座が全体的に下火になっているのかどうかといったことは分からない。「出版の仕事をしたい」という意識を持つ人はやはり相対的に減少しているのか。
 現在早稲田セミナー・マスコミ出版講座の専任講師である塚本靖彦さんは、主に大学生を対象に自身の講座から新聞社、出版社、広告代理店など、マスコミ業界において驚異的な数字で内定者を出し続けている。
「編集人」「出版人」を目指すエディタースクールと「マスコミ人」を目指す塚本講座では若干スタンスが違うところもあるが、業界に人材を輩出するポンプの役割を果たす点では同じである。
 金髪に長い髪、ピンクのセーターというハデな出で立ちである塚本さんは元『週刊女性』副編集長、『JUNON別冊』編集長であり、宮崎勤事件や雲仙普賢岳に関する報道など多くの取材記事を10誌以上にわたり書いてきた経歴を持つ。自身が担当する講座では07年度入社の業界内定者は57人、103社に上る。マスコミ講座についてこう切り出した。
「この講座は完全に就職を目的としてます。こんな仕事をしたい、マスコミに就職したいという意識が以前と比べてどうなのかとおっしゃいますけど、いつの時代でもはじめからやる気に溢れている受講生は少ないと思います。だからこの講座に通う人には初めから原稿を書く技術を教えたりせず、まず徹底して『マスコミでやっていく』意識を変えようとしてますよ。どうすればマスコミに入れるのか。どういう視点で物事を見ていくことが必要なのか。競争を勝ち抜いてマスコミに入ったとしても、その後も争いは続くわけですらね。その中でやってくには『給料なんてどうでもいいからマスコミの仕事がしたい』という意志が必要になるわけですよ」。
 成績により受講生をクラス分けし、授業はスパルタ。就職試験は戦場と言わんばかりの勢いである。
 どことなく「自主性」を重んじるように感じられるエディタースクールと、受講生を「叩き上げる」タイプの早稲田セミナー・マスコミ講座。同じ出版関係の学校・講座では指導の性格がまったく異なることに気づく。
 いずれの道を通るのであれ、後に出版・マスコミで生きていけるまでに成長するのは容易ではないが。(■了)

| | コメント (0)

まだ続けるべき? サッカー疑惑の祭典・トヨタが糸を引くクラブW杯

●月刊「記録」2007年1月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 競技人口2億4000万人(FIFA発表)とも言われ、地球上で最も親しまれているスポーツであるサッカー。
 国別でチームを組み、4年に1度世界一の座を争うワールドカップが06年にドイツで開催されたことは記憶に新しいが、クラブチームによる世界一のトロフィーをかけての闘いは、毎年この日本で行われている。
 通称トヨタカップとして1981年から行われていた大会では、欧州王者と南米王者が「第三国」である日本で激突し、勝者がクラブチーム世界一となっていた。しかし、05年からはさらにその規模を拡大、欧州と南米の王者のみならず北米、アジア、アフリカ、オセアニアの王者が加わることになった。
 日本で開催されることになり、トヨタカップと呼ばれるようになったのは1981年からだが、大会そのものはインターコンチネンタルカップとして1960年から存在していた。
 60年代の設立当初は欧州王者と南米王者がホーム・アンド・アウェー方式でゲームを行っていたが、特に南米で行われる試合では観客が過剰にヒートアップし危険が伴い、またクラブ側の経済的、スケジュール的な負担も大きいことから、81年から中立的な場所ということで日本で1戦のみ、世界一決定戦が行われることになったのだ。
 05年大会からはFIFA(国際サッカー連盟)主催のクラブワールドカップ(2000年に第1回が開催されるがその後中断していた)と統合する形で「クラブワールドカップ」(以下クラブW杯)を正式名称としている。

 さて、05年から欧州と南米以外に4つの大陸の王者がクラブW杯に参加することになったわけだが、どうも4つのチームが新たに加わる意味が見いだせない、というのはひねくれた見方なのだろうか。
 現在という時代ではスポーツイベントの価値が経済効果で計られ、オリンピックの運営でさえ放映権料やスポンサー効果といった話題から切り離せないものになっているのは言うまでもない。とはいえ、クラブW杯では参加地域の拡大に乗じ、トヨタがブランドのアピールの場としてサッカーを利用しようという魂胆があまりにミエミエだろう。
 新たに加えるチームが、呼ぶに値するチームなのか、というと必ずしもそうでないからだ。4つのチームにはなんとアマチュアのチームまで含まれている。オセアニア代表のオークランドシティ(ニュージーランドのチーム)は、ニュージーランドにプロリーグがないためアマチュアなのである。「アマチュアで何が悪い!」と思われるかもしれないが、今回は実現しなかったとはいえ、オークランドシティとスーパースター・ロナウジーニョ率いる欧州王者・バルセロナが闘うことになればそれは“イジメ”になってしまう。ロナウジーニョは今回の来日で日本サッカー協会から依頼され、イジメ問題吹き荒れる環境に生きる日本の子供に「生きろ、生きろ、生きろ。強くあれ。自殺なんかするな」という感動的なメッセージを送っているのだが、バルセロナ×オークランドが実現していれば、それ自体がイジメだ。
 実際ではそのカードが実現しないようにトーナメント上で両者は最も遠い位置に配されているのだが、なんだかそれも「配慮」というよりは「ウソくさい」感じがする。
 幸い、大会ではバルセロナのスペクタクルな快勝劇あり、ブラジルの超新星・アレシャンドレの鮮烈な世界デビューありで観る価値は結果的にあったのだが、サッカー誌の扱いは限りなく控えめ。あくまで欧州で行われているチャンピオンズリーグが話題の中心。不気味なのは、大会自体の批判記事が少しくらいあってもいいものなのに、どの媒体にも見あたらなかったことだ。
 何よりも引っかかるのは、表記されることのなかったスタジアムの名前である。トヨタカップだった2002年の頃から決勝は横浜国際総合競技場で行われてきたのだが、このスタジアムは日産自動車がネーミングライツ(命名権)を取得、05年より呼称を「日産スタジアム」としている。しかし、この大会中はその名前が出ることはまずなかった。スポンサーであるトヨタの前で日産の名前を出すことなどできない、ということなのだろうが、全くサッカーと関係のないところでそんな力関係が存在するのが現代のスポーツ、と割り切るべきなのだろうか。
 現在、07年度まではクラブW杯は日本で開かれることが決まっているが、その後のことは決まっていない。
 一説では、欧州にトッププレイヤーが集中する現在の傾向を回避し、これまで以上にいろんな地域に注目を集めて貰うために参加国を増やしたという見方もあるが、広告費と世界一の競技人口、という費用対効果を十分に考えたTOYOTAは、スポンサー名を大会名の冠に置き続けるのだろう。(■了)

| | コメント (0)

福井と埼玉の住環境は天と地か?

●月刊「記録」2005年65月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 経済企画庁が作成した「新国民生活指標」は、はじめて発表された92年からその存在が疑問視されていた。
 全都道府県を対象にしたこの指標は、約160項目の生活に関する統計を、「住む」「育てる」「遊ぶ」など8項目に分類し、ランキングで表したものだった。例えば1998年に「働く」の項目で1位の鳥取は、労働災害発生率が全国最低、中高齢者就職率は2位といった具合だ。指標が物議を醸した原因は、経済企画庁がこれを「豊かさ指標」と位置づけるとしたからだ。当然のように「豊かさは数字やランキングで測ることができるようなものではない」といった批判が相次いだのだった。
 例えばテレビの視聴率が「ある時間ごとにどの番組が多く見られているか」を集計したしたものであって、「どの番組がいい番組なのか」を示すものではないことは明らかだ。「いい番組」かどうかは数字で表せるものではない。その同一線上に「新国民生活指標」に対する批判は位置するもので、的を得ているとも思う。 
 しかしそれを頭に置いても、この「豊かさ指標」には簡単に見過ごせないものがある。なにしろ福井県は総合ランキングのトップを5年連続、埼玉県はワーストを6年連続で独占、独走し続けたのだ。この結果をそのまま受け入れれば、この2つの県の住環境の差は天と地ということになる。
 同じ国内で、それほど隔たりがあるのか? 私は生まれてから18年間を福井で、それから後の7年間を埼玉で過ごしている。それでもはっきりとした実感はない。本当に福井が「最高」で埼玉が「最低」なのか?
 よく思い出せば、福井から埼玉に出てきたとき、私は感激していたのだ。天候に関してである。福井県は年間を通しての日照時間が全国で最も少ない土地だ。特に冬の間はずっと重い雲がのしかかっている。何ヶ月もの間、どんよりした空の下で暮らすことが当たり前だった私が埼玉に来て驚いたのは冬でも洗濯物が干せるということだった。
 東京や埼玉は福井に比べて雨や曇天が極端に少ない。豊かであるというイメージに雨は似つかわしくない気がするが、この指標に天候はまったく反映されていない。
 項目別に見ると、埼玉と福井の差が最も両極端にあらわれたのが「遊ぶ」だ。「遊ぶ」はスポーツ施設数、映画館数、パチンコ店数など細かな項目をもとに成っている(パチンコ店が多いほど豊かであるというのだからほんとうにひどい統計だ)。この項目で福井はおおむねトップ3、埼玉はワースト3に入っている。たしかに福井には映画館やスポーツ施設が整っている。新しいものが多いし、管理もしっかりしている。ただし、それらを活用する利用者がいるかというと、実はその数はかなり少ない。映画館は休日でも閑散としている。関東の都市部にあったなら砂糖にアリが群がるようなスポーツ施設にも人がいない。驚くほどいない。施設はあるけれど利用者がいない、なんとも寂しい場になっているのが現状だ。「遊ぶ」にパチンコ店数が項目にあるのは先に述べたが、他にレンタルビデオ店の数も項目に含まれる。「遊ぶ」指数が上位であることは福井にパチンコ店やレンタルビデオ店が多いことを物語っているが、これは福井のテレビ環境が大きく関係している。福井はもともとテレビ番組数が少ない(NHK、教育と民放2局のみ!)ので、人々はレンタルビデオ店に向かう。同じ要領でパチンコ店にも足を向ける…これって「豊か」だろうか?
 「学ぶ」ではどうか。この項目は大学進学率や定時制高校数、民間の学習セミナーの開設数などで成るが、真っ先に思い浮かぶのは福井の学習塾や予備校についてだ。関東ならばそれらの類は5分も歩けば必ず見つかりそうなものだが、福井には塾は少なく、予備校に至ってはほとんど選択肢がない。選択肢が限られていることは致命的に思えるが、この項でも福井は上位、埼玉は下位にランクしている。
 こう書いていると、じゃあ福井はダメな場所なのか、となってしまいそうだが、そうでもない。福井は夜がものすごく静かなのだ。それは、働く人が早く家に帰ることができている、ということでもある。午後8時には駅前ですらシャッター下ろす店が大半だから、自然と人も車も通らなくなる。タクシーさえめったに通らない。県道など比較的大きな通りでも、9時を過ぎれば眠ったように静かになる。
 夜の静けさがあってこその豊かさ、というわけでもないのだろうけど。(■了)

| | コメント (0)

日中友好の象徴はどうなってる!?

●月刊「記録」2005年5月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 中国・韓国で反日デモが吹き荒れている。テレビニュースの映像を見る限り、みんな本気で怒っているようだ。戦後、少しずつ積み上げてきた両国との友好関係が吹っ飛びそうな勢いではないか。
 大変だ! 本誌編集部としても状況を把握しなければならない。とはいえ海外に行くカネなどない。で、とりあえず日中友好の象徴を取材してきました!

 中国との友好の象徴といえばパンダである。
 思い起こせば1973年、警備員から「立ち止まらないでくださーい」と怒鳴られ、人波にもまれながら上野動物で初めてパンダを見たのであった。よく見りゃ熊だが、当時、幼稚園生だった私は白黒ツートンとタレ目模様に熱狂した。しかし日中国交正常化を記念して譲渡されたカンカン・ランランを見てから32年をへて、日中の危機を探るために上野動物園のパンダを再訪するとは、なんという歴史の皮肉であろう。
 はやる心を抑えてオスの小屋に近づくと、リンリンは背中を向けてうなだれていた。丸めた白黒の背中は微動だにせず、何分たっても振り向く気配すらない。リンリンはただただ壁を見続けていた。日中友好の象徴はやはり元気がなかったのである。日中関係が相当にこたえているのだろうか。
 それならばとメキシコのチャプルテペック動物園から繁殖のためにレンタルされているシュアンシュアンの小屋に歩を進めてみると、背こそ向けているものの元気に動いていた。在日メキシカン・シュアンシュアンに反日デモは関係ないようだ。
 ただ調べてみると、リンリンがうなだれている原因は日中関係だけではないらしい。シュアンシュアンのレンタル期間が今年までのため、人工授精に失敗すると19歳と高齢のリンリンが独りで老後を過ごすことになってしまうのだという。
 全世界で飼育されているパンダは168頭。そのうち中国国籍(?)以外のパンダはわずかに5頭。リンリンは日本国籍を持つパンダだが、中国籍のパンダと交配して生まれた子どもはすべて中国籍なってしまう。そのため中国籍以外のパンダとの子どもができなければ、日本国籍のパンダはいなくなってしまうのだ。
  「(リンリンの相手が)今年以降もレンタルされるのかはわかりません。お金を出せば貸してくれるとは思いますが、現在は予算もありませんので」とパンダの飼育係員は沈痛な声で応えてくれた。
 ではランラン・カンカンのように中国から譲渡されることはないのだろうか?
  「最近は中国もパンダの譲渡をしなくなっています。パンダを保護するために貸し出すことはあるようですけれど……」
 リンリンが高齢で必ずしも繁殖に適さないことを考えれば、今後レンタルのお相手がくるかは微妙だ。それどころか高齢のリンリンがいきなり亡くなる可能性すらある。そうなったらどうにかレンタル料を都合できても、中国はパンダをレンタルしてくれるのだろうか? かつて「パンダ外交」という言葉があったように、パンダと政治は浅からぬ関係がある。飼育係の方も「譲渡のときは日中関係の悪化にはヒヤヒヤしました」と語るほどなのだ。
 うーん、思っていた以上に深刻である。日中関係が冷え込むなか、日中友好の象徴が上野で滅亡の危機にされていたのだ。
 ところでみなさん、パンダのいない上野なんて耐えられます?(■了)

| | コメント (0)

公衆電話はどこへ行く

●月刊「記録」2005年1月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 最近、公衆電話を使いましたか? 急に電話をかける用ができた時、携帯電話を持たない人に必需品である公衆電話が減っている。見つけるのにひと苦労した経験が一度や二度ある人も多いはずだ。
 2001年にNTT東日本、西日本合わせて68万635台だった設置数が、03年には50万3135台と約18万台減っている。1985年から2001年までの減少数は1万台から数千台という単位で減っていたが、02年以降はケタ違いに激減している。
 公衆電話には第一種と第二種があり、第一種は「ユニバーサル(すべての人のために提供される)サービス」の観点から最低限設置しなければならず、市街地では500m以内に1台。その他の地域では1km以内に1台設置しなければならない。
 第二種は需要が多いところに設置する電話で、NTTの判断や自治体の要請があった場所にNTTが設置を決める。
 冒頭のように必要時に見つからない状況が生じる理由は二種の減少だ。一種は減らせないが「500メートル以内」は案外と広い。過去の「どこにでもある公衆電話」の要件を満たしていたのは二種の存在と推定される。
 さてサービスは提供する側と受ける側の利害が一致して成り立つ。二種は需要の多寡で利害が決まるが、老若男女問わず携帯電話を持ち、いつでもどこでも電話をかけられる今の状況では「需要」の低下も無理はなく、携帯のシェアが拡大し続ける限り、公衆はさらに減少しよう。昨日あったところに今日はない、ということが起きても不思議ではないし、公衆電話を探して右往左往する状況が今より多くなることも間違いなかろう。
 実はこれ以上減らすとまずい理由がある。災害時の連絡だ。新潟県中越地震の際に携帯が輻輳(掛ける人の殺到)してかかりにくくなったが公衆はつながるのだ。
 現在、公衆電話は3種類ある。おなじみの緑の電話、灰色の電話、さらにIC電話である。灰色とIC電話はモデム機能搭載(ISDN)なので、モバイルと接続すればインターネットも出来る。
 特に異彩を放っているのがIC電話だ。1999年に登場して当時社会問題だった偽造テレホンカード対策としてセキュリティ重視の作りになっている。さらにNTT東日本の広報担当者によると「Lモード」も利用できるという。Lモードとは携帯電話に革命をもたらしたiモードの家庭用電話機版で、いつも使っている電話機でEメールの送信、ネット検索ができてしまう便利な機能なのだ。ただしIC電話から利用するには相手がLモードの契約をしていることが条件なので、どこまでメリットはあるか疑問である。国際電話もかけられる意外とお得な電話機だが、利用者をあまり見ないのは寂しい限りだ。 進化を続ける携帯電話の裏側で、台数が減っても、隣で携帯が使われていてもめげることなく、ひっそりたたずむ公衆電話。だが便利な携帯との併用方法がある。まず携帯料金の支払いに頭が痛い人は、携帯への電話は携帯からかけ、家や会社などにある固定電話へかけるといった使い分けをすれば、結果的に通話料金が減り携帯料金の節約もできるはずだ。
 さらに怒られそうな上司への報告や気が重いクレーム相手へ掛ける時にわざと公衆を使うという手もある。そうすればテレホンカードのように度数が減っていくことがない携帯電話と違って、0になると通話が強制終了されてしまう公衆電話相手にそう長く話し続けると言うことはしないだろう。
 確かに携帯電話のほうが使い勝手がよいが、公衆電話も使い方次第でとても便利なツールに変化するのである。ここはもう一度、公衆電話に光をあてるのもよいのではないだろうか。意外と喜ぶかもしれない。

| | コメント (0)

開かずの踏切を「高齢者疑似体験セット」で渡ってみた

●月刊「記録」2003年11月号掲載記事

●取材・原稿/本誌編集部

 10月10日、80代の男女がJR中央線武蔵小金井駅(東京)近くにある本町踏切を渡りきれず、警備員が電車を止めたという。2000年には交通バリアフリー法も施行され、高齢者などに対する交通機関の配慮が叫ばれるなかでの大失態である。
 この踏切が高齢者にとってどのようなものかを調べるため、高齢者の動きを体感できる「高齢者疑似体験セット」を新宿区の社会福祉協議会からお借りし、34歳の私が現場に出向いた。
 まずは疑似体験セットを装着せずに、普通に踏切を歩いてみた。開閉時間19秒だったため、途中から走らざるを得なかったが、遮断機が閉まる前に渡り終えるのは難しくない。ただ人・自転車・車がいっせいに走り出すのが、若干怖く感じる程度である。ついでに踏切の脇にある跨線橋も渡ってみたが、これは何のストレスもなかった。運動不足とはいえ、34歳の健常者の私にとっては日常生活の一部であった。
 そして、いよいよ「高齢者疑似体験セット」を装着した。
 肘・膝・足首の関節が曲がりにくくなるよう強力なサポーターで固定する。さらに左右の手首に、0.6キロずつ重りを巻き、足首には1.5キロずつの重りを、そのうえ高齢者の前傾姿勢を体験するため、胸に計5キロもの重りを突っ込んだベストを着込む。1人で装着すると約15分もかかるこの重装備は、重りも含めると10キロを超える。ただ立っているだけなのに、ふらついてしまう。
 そのうえ、高齢者の視力を再現した特殊ゴーグルが視覚を一変させる。視野が極端に狭いうえに、オレンジ色に変色した世界は細部がぼやけ、少しでも暗いと見えにくい。おかげで距離感がうまくつかめない。
 さあ、踏切にチャレンジである。足腰が不安定な分、緊張感はいやがうえにも増す。
 上り電車が踏切を通過した。すでに5分以上踏切を待っている人々の視線が、電車の通る方向を示す赤い矢印に注がれる。下りを示す矢印は点灯していない。これで再度下りが灯らず、上りの矢印が消えれば踏切は開く。金曜日の午前8時半。多くの人にとって踏切をノンビリ待っている時間帯ではない。「矢印、つくなー」という声にならぬ呪詛が、背後から聞こえてくるようだ。
 と、上りの赤い矢印が消え、一瞬の間をおいて警報音が止まる。
 きたー! 開門!!
 ゆっくりと上がり始める遮断機が頭の高さを超えた人から、いっせいにスタート。道の中央、黄色と黒に塗られたポールの先端にいた自転車が満を持して飛び出していく。道路右側、緑に塗られた歩行者優先の路肩を、私は前の自転車に続いて渡り始めた。
 しかし、私の体はひたすら重い。武蔵小金井駅にほど近い本町踏切、通称「開かずの踏切」は、「高齢者」となった私にとって戦場だった。次いつ開くかわからないだけに、開いたチャンスを逃すまいと、後からは猛スピードの自転車がトロトロ歩く私を追い抜いていく。前からは待ちくたびれてエンジン全開の車が。さらに遅刻に焦っているのであろうか、女子高校生が小走りで私の横を通りすぎる。
 こんなのが全長35メートルも続くのである。いや、本気で怖い。
 計4本の線路は、微妙な段差があって足を取られやすいし、なるべく邪魔にならないように右側に寄りすぎれば、舗装された踏切から線路の砂利に落ちそうになる。
 冷や汗をかきつつ反対側にたどり着き、ストップウォッチを止めると28秒もかかっているではないか。ちなみに前日の調査と付き合わせると、午前7時10分から10時13分の3時間、計27回開いた踏切のうちの15回しか時間内に渡ることができない。踏切の開閉時間の短い時間帯ともなれば、8時42分に40秒間開いたのを逃すと、9時27分に36秒開くまでの45分間は、高齢者は安全に踏切を渡れないことになる。

■警報機に驚き、高齢者のままダッシュ

 そもそも発端は、中央線沿線の住民を大混乱に陥れた9月28日の高架工事だった。高架の線路を造るため、都内の三鷹-国分寺間の上り線を仮の線に移動。ところが、下り線は元の位置の線路で走っているため、踏切を渡る距離は14.5メートルから35メートルへと倍増したのである。距離が延びれば、早めに警報機を鳴らす必要もあり、工事前でさえ開かなかった踏切が、いっそう閉まりっぱなしとなった。
 JR東日本は、工事後から距離の延びた踏切に警備員を配置しただけで、どうにかなるだろうと踏んだらしい。しかし事故は頻発する。先述した通り、10日には高齢者が踏切の内に取り残される。JR東日本は、踏切中央に渡り切れない人用の避難所を仮設し、折りたたみイスを2脚置くことにした。
 しかし15日には、取材した本町踏切の駅を挟んで東側にある小金井街道踏切で、遮断機が上がったさい警報機が鳴っているのに踏切内に進入した2台の車が、踏切内に取り残される事態となった。さらに翌日にもトラックと乗用車の2台が踏切から出られなくなり、電車を4分間停車させた。そして17日には、この小金井街道踏切を歩いて渡っていた70歳の男性が、慌てて渡ろうとして転倒。すねを骨折して救急車で運ばれたのである。
 踏切で転んでケガと聞いて、高齢者が慌てるからだと感じる読者もいるかもしれない。しかし、「高齢者疑似体験セット」ですっかり高齢者を体感した私にとって、そんな物言いは暴言にしか聞こえない。
 警報機は、人を慌てさせる効果があるのだ。
 いや、正直、軽い気持ちの挑戦であった。せっかく高齢者になったのだから、短い開閉時間も経験してみたかったのだ。
 前日の測定では、朝の踏切の最短開閉時間は10秒。しかしガードマンが降りてくる遮断機を手で押さえてくれるため、6、7秒は開閉時間にプラスされる。何とか大丈夫のはずだった。
 平日のダイヤが同じとはいえ、踏切の開いている時間は微妙に変わる。つまり短い開閉時間を体験したいならば、ひたすら待って渡り続けるしかない。
 4~5回目のチャレンジだっただろうか。それは突然だった。踏切に踏み出して数秒、いきなり警報機が鳴り出したのだ。これは長くても13秒で閉まる、と前日の調査結果が頭を巡る。視線を上げると、向かって右側の遮断機が下り始めているではないか。
 このとき私の頭から「取材」が飛んだ。ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。何分かかるんだー! かすむ目が捉えた反対側の遮断機は、あんなに遠い。「イカン! 急がなくては」と思ったときには、全速力で走っていた。しかし35メートルは長い。結局、警備員に降りてくる遮断機を押し上げてもらい、本来なら閉まっている踏切から出た。
 手元にこのときの写真がある。楽しげに走る新人ライター横で、必死の形相の私。杖を振り上げ、本気で走っているはずなのに、膝が上がっていない。これでは13秒で渡りきれるはずもなかろう。
 私が転ばなかったのは、運が良かっただけだ。これだけ足が上がっていないことに、自分では気づいてさえいないのだから……。10キロ以上の重りを付けている状態では、とっさの受け身もとれないだろう。ヘタをすれば、高齢者体験取材で病院に運ばれるところであった。
 日本マスターズ陸上の公式記録によれば、85~89歳の60メートル走日本記録は、10.87秒である。これを35メートルに換算すれば、6.34秒。デコボコもなく、車や自転車などの障害物が周りにない状況で、このタイムである。開閉時間10秒の踏切を渡るのは、60メートル走の日本記録保持者でも難しいと言わざるをえない。実際、私が時間を計測した日は、3時間で3人ものお年寄りが渡りきれず、踏切が開くまで中央の避難所で待つハメになった。もちろん運が悪ければ、28分も避難所で座り続けることになる。

■登るだけで息の切れる跨線橋

 この踏切には、跨線橋も付いている。踏切には、「中央線高架工事に伴い、本町工事踏切は遮断時間が長くなるため、7時~9時までほとんど開きません。すぐ横の小金井こ線人道橋をご利用願います」と書かれている。
 しかし線路の電線を避けるためか、この跨線橋は高さがある。上下で101段以上の階段を上り降りしなければならない。擬似高齢者の私なんぞは、階段を上り切ったところで息が切れてしまった。しかも北側の階段は、日向からいきなり日陰に入るために段差が見にくくなり、上るのはともかく、降りるのが怖い。
 ときおり踏切を渡るという70歳の女性も、「(跨線橋は)長くて、階段が急だからね。右膝も痛いし、使う気にならないよね」と話してくれた。
 ある程度、踏切が開かないことに慣れていた近隣住民も、この工事以後の状態には怒り心頭の様子である。
 67歳の男性は、「この踏切もたまに通るけどね。いつになったらできあがるのかね。まあ、できあがるまでには、高齢者はみんな死んじゃうんだよ。僕は頑張れば、どうにか完成まで生き残れるかもしれないよな」と苦笑した。歩行用のカートを押して踏切を渡っていた女性(72歳)は、「まあ、(開かないのは)昔からですから」とあきらめ顔だ。踏切の様子を伺っていた稲葉孝彦・小金井市長も、「困っております。何か対策を立てないとね」と顔を曇らせた。
 このような状況が続いていることについて、JR東日本の広報は次のように答えている。
  「まず、(工事前の)通常でも、なかなか開かない踏切だったことをご了解いただきたいのです。来年の秋には以前の長さに踏切が戻るので、少しは緩和すると思います。
 それまでの対策として、踏切の制御方式を改良し、踏切の時間を安全を確保した上でなるべく開けるようにしたいと考えております。武蔵小金井については、高齢者や身体の不自由な方が駅の構内の跨線橋を使えるようにいたします。そうすればエレベーターも使えますので。私どもで、できうる限りの対策をして参りたいと思っております。
 踏切の時間に関しましては、一気に変えることはできませんので、早いところでは1ヶ月。ほかも部品など至急取り寄せ、できるだけ早く変更いたします」
 とりあえず平謝りの体だが、これだけ対策があるなら事前に準備しておくべきだろう。それとも大工事だから住民は我慢しろと言いたいのか。こちらの苦労も知らないくせに、とつい先日まで“高齢者”だった私は、本気で怒りを感じている。

| | コメント (0)

あの企業にホームページに、あんなこと!?

●月刊「記録」2002年4月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 家庭へのパソコン普及率は、全国平均50.5%(2000年11月統計)だという。つまり2世帯に1世帯は、パソコンを持っているわけだ。これだけパソコンで普及すれば、当然、世間に与える影響も無視できない。特にさまざまな情報が提供できるインターネットには、企業も熱い視線を注いでいる。
 立派なホームページを作り、会社の方針、新商品の紹介、新入社員の採用などについて、それはそれは事細かに書き込んでいる。
 というわけで、最近話題の企業が作ったホームページを一挙公開だ!

■雪印食品は「挑戦意欲に溢れる」人材を募集

 日本経済を取り巻く環境は、とにかく厳しい。何がなんでも利益を確保したいと思うのは、正直なところ。わかります。だからといって偽装してはいけません! 
 BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)対策として実施された国内産牛肉の買い上げ事業で、オーストラリア産の牛肉のラベルを貼り替え、まんまと補助金を騙し取ったのが雪印食品だ。そのツケは大きく、消費者および株主からも総スカンを食い、ついには会社の解散にまで発展した。
 現在、「雪印食品」のホームページには、「弊社の再建断念について」と題された暗ーいページが残るのみ。しかし事件前は、ホームページだって充実していたのだ。
 2001年の会社方針では、「『おいしさ』と『安心感』にこだわります」と、高らかに謳いあげていた。この指針に下には、「遺伝子組換え農産物の不使用」という力強い文言も読める。ホームページを作成した同社社員も、同じ会社員が「遺伝子組み換え農産物」を使わず、ラベルの組み換えに心血を注いでいたことは知らなかっただろう。
 昨年3月1日に発売された新製品も紹介されていた。「黒毛和牛シリーズ」だ。「厳選された100%黒毛和牛を使用」、「肉の色調が明るく、新鮮感があり、調理栄えがする」と宣伝を書かれても……。やっぱり今は信用できないかも。
 昨年12月10日消印締め切りのキャンペーン名は、「“あったらいいな”プレゼント」。ハイブリッドカーなど豪華賞品が当たるキャンペーンだったが、まさか3ヵ月後に「(会社が)あったらいいな」という状態に陥るとは、予想外だった。
 ちなみにキャンペーンに応募するためには、「添加物を減らしておいしいのは、『しょく○○かたぎ』です」という文章の空白を埋めなければならない。ヒントとして、「『職人気質』シリーズは、添加物を減らした安心のシリーズです」とある。
 新聞報道によれば、関西ミートセンターの産地偽装工作が、歴代センター長3代の間で引き継がれていた疑いがあるとのこと。師匠から弟子へ、その系譜はまさに「職人気質」。長期間、こうした“技”で利益をあげていたらしいから、まさに「安心のシリーズ」だったのだろうが、最後は“技”に溺れて滅んだと言うべきか。
 雪印食品のホームページで最後に紹介したいのは、リクルート用のページである。
  「“挑戦意欲に溢れるフレッシュマン”を迎え入れてます」という言葉に深く納得。露見したとはいえ、国の補助事業で偽装工作をするのは、なかなかの「挑戦意欲」といえなくもない、か?
 安い牛肉・豚肉を高級銘柄に混ぜて出荷していたスターゼンも、ホームページは意気軒昂だ。
「スターゼンが消費者の皆さまから食肉業界まで広く支持されている理由」と題されたページには、食肉卸業界第2位のプライドがビシビシと伝わってくる。
 「理由その4」の「早い決断と迅速な行動ができる営業体制が自慢」の内容はスゴイ。「所長の権限は大きく不測の事態が起こった時でも迅速に判断、処理することができます」。
 さすがである。どうやら企業理念は、社員にも深く浸透していたらしい。食肉加工工場の佐賀パックセンター長は、利益を確保することを「迅速に判断し、処理」したようだ。
  「やわらかい発想と柔軟な対応で、お客様のニーズを具象化」することを進めてきた同社だけに、利益確保の仕方が少し柔軟過ぎたのかもしれない。
 指示される「理由その1」に書かれている通り、「O157や狂牛病の影響で業界に逆風が吹く中も、着実成長を続け、数多くのお客さまから信頼を得ている優良企業」の同社でも、自ら「逆風」を作り出すとは予想できなかったらしい。
 タイや中国産の鶏肉を加工し、「鹿児島産 無薬鶏」と表示してスーパーなどに卸していた全農チキンフーズは、国内の鶏肉についてホームページで詳しく解説している。
 偽装ラベルに記した鹿児島県産については、「ぴゅあ安心咲鶏」と「ぴゅあ旨味鶏」を説明している。「ぴゅあ安心咲鶏」は、「資料にハイクォリティーコーン(非遺伝子組替え・収穫後無農薬)という高栄養価なコーンを使用しビタミンEが豊富」だという。こうした銘柄鶏は、「飼育条件(出荷日数、飼育内容、餌等)を変えることによって肉質に独自の特色を持たせている鶏です。それぞれのメーカーによってさまざまなコンセプトをもって作り出された鶏肉」だそうだ。
 しかし「コンセプトをもって」鶏肉を作るのに、55日も飼育する必要すらなく、飼育条件を変えなくてもよいことを、同社自らが教えてくれた。そうラベル換えである。「簡単に利益が得られる」というコンセプトから生み出された鶏肉は、昨年11~12月になんと完売。素晴らしい“効果”ではないか!!
 ちなみに国内産の鶏肉については、一括で表示できないほど大量の情報を書き込んでいるのに、外国産の鶏肉情報については、わずか2行。
「輸入品の産地を教えてください。?」(原文ママ)
「中国、ブラジル、アメリカ、タイなどがあります。」
 国民が知らないでタイ産や中国産の鶏肉を食べていることもあるのだから、更新の際にはこちらの情報もしっかり書いてもらいたい。まさか、また外国産の鶏肉について教えてくれないわけじゃないですよね。

■表紙の文句は「ずらかる」だった佐藤工業

 バブルに踊ったツケもあり、国民の消費も控え目のまま、これでは企業の業績が上がらないのも当たり前。大手、準大手と言われている企業でさえ、会社更正法などを申請する時代となってしまった。とはいうものの時代ばかりが、経営破綻の責任ではない。社風や経営姿勢など、時代が企業を置いていったしまった理由は、どこかにある。
 事実上倒産した会社や経営の危機が何度も報じられている企業のホームページを覗いてみた。
 3月3日に更生手続開始申立を行ったのは、ゼネコンの佐藤工業。ホームページ冒頭のページには、「佐藤工業」「SKIP」「お詫び」「関係者の皆さまへ」という文字が並び、同社が建設したのであろうか「浅草新世界ビル(昭和34年)」と題名が付けられたモノクロ写真が掲載されている。
 業績が行きづまっているなか、追い打ちをかけるようで申し訳ないのだが、この表紙はどうだろう?
 まず「SKIP」がいけません。「Sato Kogyo Information Pavilion」の頭文字を取ったらしいが、英語辞書『GINIUS』によれば「SKIP」の意味には、「サボる、立ち去る、ずらかる、高飛びする」などの意味がある。この時期、ホームページの表紙一番大きな文字が「ずらかる」では、さすがに心配だ。
 「お詫び」「関係者の皆さまへ」の文字が灰色をバックに書かれているのはともかく、跡地が競馬の場外馬券売り場となった新世界ビルの写真を使うのもいかがなものか? 思い起こせば、マネーゲームに飲み込まれたバブル時代が、同社を斜陽に追い込んだのである。同社の代表的な建築物跡地にギャンブルの殿堂が建ち、ギャンブル的なマネーゲームで同社が追い込まれ。そんな暗示を、ホームページの表紙で漂わせたいわけでもなかろう。
 とにかく表紙だけで、暗い気持ちにさせれた佐藤工業であった。
 連結有利子負債は、なんと8800億円。株価の低迷が続いてきたゼネコンのフジタは、三井建設と住友建設の経営統合に一部合流することが決定した。
 ホームページに掲載されている企業スローガンも、やはり企業存続への願いが溢れている。
「“高”環境づくり」。
 このスローガン、「旧スローガン(先端技術と建設をむすぶ)を更に発展させたもので、21世紀を目前に企業としてどうあるべきかを、明確に謳いあげ」たものらしい。「技術」だけでは、不良債権は減らない。「“高”環境」じゃないと。などと考えるのはうがち過ぎか? まあ、一部合流が「“高”環境」と呼べるのかどうかは、これからわかってくることだろうが。
 同じページに掲載されている企業理念にも注目である。
「自然を 社会を 街を そして 人の心を、豊にするために フジタはたゆまず働く」
 はい、たゆまず働いてください。
 3月18日現在、38円と驚異的な株価を維持している飛島建設のホームページを読むなら、先輩社員の声が載っているリクルートページだろう。
 飛島建設の誇れる点として、社員は技術力と「新しい時代に対する対応力」を挙げた。
「古い体制、方法に固執せずに積極的に新しいモノを採用しようとする試み。事実、当現場では現場施工において、前向きに工夫・改善に取り組んでいます」
 やはり、バルブ時代に「積極的に新しいモノを採用」しまくったのが、よくなかったのかもしれない。長所はえてして短所となる。きっと建築現場では、最大の武器なのだろう。

■「次世代の柱はRE」と熊谷組

 多額の不良債権を抱えていると評判のゼネコン・熊谷組のスローガンは、「人と地球の未来を考える」だという。いや、地球の前に自社の未来を考えた方がいいのかも、と少し心配になった。
 株価はともかく、熊谷組のホームページは充実している。「Focus on 社員」のページでは、鳥飼一俊社長が早稲田大学教授・吉村作治氏と対談している。
「私どもでも次世代の大きな柱はREですね。リユース、リフォーム、リニューアルなどです」という社長の言葉は、建築業界全体、さらには熊谷組の運命と合わせて考えると、かなり感慨深いものがある。
 にこやかに語る社長の顔写真には、まるで演歌歌手のように自身のコメントが書き込まれていた。
「リサイクルさせていくという考え方は、すなわち常に新しいということ。今、我々が活かしたい古代の知恵ですね」
 再編・統合も、世界の歴史をみれば当然のことわり。「リサイクル」にはこのような意図も含むのか。
  「採用」と銘打たれたページには、「社員の素顔」と題して先輩社員のメッセージが満載だ。
 「カベはこうやって乗り越えろ」というお題には、「あえて腰を据えて一つ一つ順番に解決していけば何となるものです。これは自分が経験から学んだことですが、誰にも有効な解決法ではないでしょうか」というコメントが。
 熊谷組の社員が語っているかと思うと、このコメントは一気に重みを増すような気がしてくる。そう、「あえて腰を据えて」問題解決するのも一案かもしれない。とかくマーケットでの解決法は性急すぎる。結果でなければすぐに企業を見限るようなやり方は、やはり乱暴なのかも。そんな思いが、ホームページを通じてわき上がってきた。もちろん一瞬だったが。
 企業のホームページは、まさに情報の宝庫。できれば読者自身にも訪ねてもらいたい。編集部の人間より性格がひねくれていれば、もっと楽しめること請け合いである。 (■了)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

個人情報保護法案に断固反対する!

●月刊「記録」2001年6月号掲載記事

●取材・本文/本誌編集長

 当初今年4月にも成立かとみられていた個人情報保護法案は、政局の混乱などで、いまだ成立していない。しかし政府が法案を引っ込めるという話は聞いていない。このままでは遅かれ早かれ、国会に上程され、多くの政府提出法案と同様に可決してしまうだろう。そんなことは断じて許せない。ここでは、あまり論じられてこなかった小誌のようなミニコミの立場から、絶対反対のわけを記す。
 これまで論じられてきた問題点は、同法案が「基本原則」として「個人情報は、利用の目的が明確にされるとともに、目的の達成に必要な範囲内で取り扱う」「個人情報は適法かつ適正な方法で取得する」などを掲げ、「個人の権利を侵害する場合は本人の同意を得る」「訂正を求められたら行う」などを掲げ、違反した場合には主務大臣が勧告・命令を行い、したがわない場合には6ヵ月以下の懲役か罰金30万円以下が科されるというものだ。
 同法案は同時に、これらの規定を適用しない者として「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関」を挙げてはいるが、私達のような「出版社」は明記されていない。出版社は「その他の報道機関」ではないとか、ある出版社は「その他の報道機関」だが、月刊『記録』など「報道機関」に値しないと判断されれば、たちまち不正に流出した個人データを悪用している業者と同様の扱いを受けるということだ。
 ミニコミの多くは、一般に「報道機関」という言葉から連想されるような立派な設備もなければ、雑誌の装丁もみすぼらしい。読者も少ないから、取り締まられても社会的反響は大雑誌よりはるかに少ない。十分に「最初のいけにえ」にされる資格を備えているといえよう。
 次に、同法案に掲げられるお題目は、まともなジャーナリストならば常に心がけているという点だ。小誌は「弱者・少数者」を編集方針の原点に当てているので、彼らが不利にならないよう、利用の目的を明確にしたり、本人の同意を得るといった行為はしてきた。訂正どころか、取材対象者が社会的不利をこうむりそうだったら、掲載を断念することさえある。国家権力に改めて説教されるなど、片腹痛い。
 問題は、同意が得られなくても書くべきことは書かねばならない場合である。政治家、官僚、大企業の腐敗や不正を知り、報道しなくては、それこそ「報道機関」ではない。要するにこの法案は、そういうことを雑誌は書くな、書きたければ疑惑の張本人の同意を得よ、でなければ牢屋行きだといいたいのだ。
 先述のように、『記録』は、取材対象者が弱い立場の場合、十分に配慮してきた。主に苦情を申し入れてくるのは、先に挙げた政治家、官僚、大企業といった手合いである。むろんそれらを批判する場合も、相手側への取材は原則として申し込む。その上で書くべきことと判断すれば書く。
 ミニコミ独自の問題は他にもある。マスコミと違い、政治家、官僚、大企業といった批判対象よりもはるかに規模も財力も小さいので、彼らが「名誉毀損」だと小誌に圧力をかけてくると正直つらい。裁判になれば多大の費用と時間がかかる。これはミニコミの存続どころか、会社の存続をも危うくする。それを承知で「警告」などという文書を送りつけてくるのだ。よくマスコミが人権を侵害するという話を聞くし、それ自体は十分に考えなければならない問題だが、その裏に、ミニコミが発言できなくなっているという事態があるのを知ってほしい。
 仮に民事裁判になったとしよう。それこそ私達は「個人情報保護」のために、相手方が聞きたがる情報源を秘匿する。ところがこの国の判例では、民事訴訟において「情報源の秘匿」を真実を立証する程度を緩和する条件として消極的にしか認めない。したがって「情報源の秘匿」を守って敗訴するか、情報源を暴露して勝利の道筋を描くかの二者択一を迫られる。本当に個人情報を保護したいのならば、まず、「情報源の秘匿」を公的に認めるのが先である。やっていることが逆なのだ。
 まだある。それでも民事の名誉毀損では免責要件として「目的が専ら公益を図ることにあった場合」があった。ところが個人情報保護法は「公人」にも適用すると解釈される。これでは何も書けなくなってしまう。
 それでも、まだ『記録』は、「我こそは『その他の報道機関』だ」と主張することもできよう。だが、フリーのライターは適用除外からはずされている。これこそ同法案の決定的な悪である。多くのフリーライターは、自腹を切って取材現場を周り、記事を書いては発表の場を探している。近年の出版不況で、とくに若手のライターは作品を発表する場が減少している上、単行本にしてもあまり売れない状況が続いている。生活苦を抱えるライターが数多くいることを私は知っている。それでも彼らが現場に向かうのは、青臭いほど「社会正義」の実現に貢献したいと願っているからだ。それを主務大臣の監督下に置き、いうことを聞かなければ懲役刑が待っているというのでは、もはや彼らに明日はない。
 個人情報保護の美名に隠れて、途方もない言論弾圧が始まろうとしている。ミニコミとはいえ、小誌も黙ってはいられない。私にできることは何でもするつもりだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主党は党の要求や趣旨と合致しないと取材できない

●月刊「記録」2005年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■岡田克也・菅直人両氏に直訴

 参議院での郵政法案否決、間髪置かずの衆院解散と政界が激しく動いた8月だったが、その間も本誌は民主党を追い続けた。
 彼らが掲げる「政権担当能力」、ではその中身とは何なのか。そしてどうやって自らの存在を国民にアピールしていくのか。3月と6月に民主党本部に直接話を聞かせてもらおうとしたが、どういうわけか「説明できる人を用意できない」と断られた。しかし、ここで引き下がるわけにもいかない。政党本部でそれを聞くことができなければ、党の代表に聞くしかない。
 本誌では8月9日に党首である岡田克也代表、の菅直人前代表に、質問状を送った。これは2度目だ。7月上旬に両者に質問状を送ってはいるが返事はなかった。質問状を入れた封筒さえ、届いているかどうか確認できていないと先方は言う。
 質問状を出してから1週間の期限を設けて、その頃までに返事が来なければ議員会館に直接電話をし、今回はなんとか食い下がってやろうと決めた。
 封筒の内容は、送付にあたっての手紙(兼質問状)、解答用紙、これまでに民主党を取り上げた『記録』7・8月号、そして返信用封筒。
 岡田代表、菅前代表に質問状を出したのは9日、前日の8日には参議院で郵政民営化関連法案否決があったから、来るとしてもすぐには回答は来ないだろうと考えていたが、やはり期限の17日までに回答は来なかった。
 17日、岡田事務所の電話が話し中だったため、先に菅事務所に電話する。対応に出た女性に質問状を送ったこと、回答をもらいたいことを伝えた。「少々お待ち下さい」としばらくの間があったあと、どこかで予想していた言葉を聞くことになった。
「(質問状入りの封筒を)こちらでは確認しておりません」。
 まただ。
 届いてないわけがない。宛先は穴が開くほど繰り返し確認したし、現に小誌に封筒が戻ってきてもいない。女性は「毎日の郵便物の量が多すぎて把握することは難しい」などと言う。やむなく郵便物の中から封筒を探してもらうことになり、次の日にもう1度電話することを伝えてから切る。
 次に、再び岡田事務所に電話すると男性が出た。「確認できてないですね」。
 ここでもこうか。「どのような件で」と男性が言うので、これまでのいきさつを話すと、ファクスで質問状を送ってもらえれば見ることができると言う。その通りにしたら1時間後に男性から電話が来た。回答は「党役員室に聞いてほしい」というものだ。どうやらそれが民主党の組織原則らしい。
 それはわかる。ただ小誌は当の役員室から「取材に対応する者を用意できない」といわれたのである。ここでハイといったら堂々巡りになってしまう。役員室に門前払いされて取材できなくて困ったから岡田さんに泣きついたのですよと申し上げたら先方も理解してくれたようで「役員室に話しておく」と言ってくれた。そこで明日以降に改めて役員室に連絡することになった。
 この男性は大変ていねいで親切な方だった。翌日には本当に役員室に話をして下さった。今回の取材を通じてただ一人といってもいいほど協力してくれた。この企画は本来民主党をあしざまに罵るつもりはなかった。むしろその逆に近いニュアンスだったと今になって思い出す。それをやっとわかってくれた人に出会えた気がした。本来ならば実名で紹介したいぐらいだが無礼な行為なので控えておく。

■郵政の新たな問題点を発見

 それにしても、これまで岡田代表、菅氏に2度づつ封筒を出しているが、1度も向こうに届いたことを確認できていない。4度出して、1度もない。議員会館に出した郵便物がどうやってそれぞれの事務所に届くのかわからないが、これはどのようなことを意味するのか。
 もちろん各事務所に届いたはずの郵便物は本誌が出したような質問状だけではあるまい。そこには日本中からさまざまな意見、訴え、批判の類がゴマンとありゴミ情報もわんさかのはずだ。しかし一方では有益なものもあろう。そうした声は結果的には届いていないということになる。
 8月18日、再び菅事務所に電話。前日とは違う女性が出る。前日に出た女性から、郵便物を探しておくという話が伝わっていないらしく、もう1度いきさつを説明することになった。再び封筒を探してもらったが、女性は、「これ以上探すことは難しい」と、分かったような分からないようなことを言う。要するにこちらからの郵便物は届いたかどうかも確認できないのですね、ときくと「はい、そうですね」。
 ではファクスで送ったら質問に答えてくれるのかときくと、「お答えすることはわからないが、目を通すことはできる」と言う。そのようにしたが返答はないまま今に至る。
 やや余談めくが党を代表する人物の郵便受けのこうした状況を今回の総選挙の争点に小泉首相が無理矢理したがっている「郵政」にからめると興味深くはある。両事務所の言い分にしたがえば郵便物には未達の危険があったり大政党幹部の事務所でさえ管理できない爆発的な量があることを意味する。すなわち郵政を民営化するかどうかは別にして郵政三事業のうち郵便の機能には重大な欠陥がある可能性があるのだ。現に岡田事務所には2度の郵送では反応がもらえなかったのにファクス(つまり電話機能)ならば速やかな対応をしてもらえた。これが「郵政公社の徹底的な縮小」で解決できるのかなあ。

■もういい!もうわかった

 後は岡田事務所の男性が橋渡ししてくれた民主党本部役員室に聞くしかないので電話した。対応に出てきたのはかのO氏だ。やっぱりこの件の担当者はあなた様なのですね。
 今回は質問を3月と6月の内容よりもさらにシンプルにした。これまでは「貴党の『政権担当能力』とはなにか、そして、どうやって存在をアピールするのか」といった内容だったが解散・総選挙の真っ只中という現状では「どうやって存在を国民にアピールするのか」という質問はほとんど意味を持たなくなった。
 そこでまず質問したのは政策についてだ。ただ、その答えは実にあっけないものだった。
「民主党の政策については党のホームページで見ていただければお分かりかと思います。郵政、イラク、財政面などにおいての党の方針がそこに示されているので」。ホームページを見ろということだ。それが悪いとはいわない。しかし同様の回答をした政党が共産と社民で、自民と公明は小誌の質問のために文書でわざわざ回答してくれたという事実は付記しておく(前月号参照)。
 実を言えば、私が最も聞きたかった質問は「なぜ3月と6月に小誌の取材が拒否されたか」という点だった。そのときの質問の内容は散々述べているように民主党への嫌がらせの要素は決して含まれていないはずだ。それでも取材は断られたのだ。だからその点についてO氏にきいた。
 彼が言うにはその時にはスケジュールの折り合いがつかなかったのだという。スケジュールについては本当に折り合いがつかなかったのか、あるいはそうでなかったのかこちらには確かめる術がない。ただ、スケジュールに折り合いがつかなかったにせよ、国の第一党を目指そうという党が、その核心の部分を説明することにたった30分さえも時間を作ることができないというのはどうしても腑に落ちない。
 一つだけ思い当たることがある。それは小誌が取るに足らぬミニコミだから相手にする価値がないという判断が先方にあったという理由だ。はっきりいうがそれならば納得する。そこで我らがテレビや大新聞であったならば、取材に応じてくれたのかと聞いた。ところがO氏は、「それはない」と言う。
 そして取材を受けるか受けないかは「こちら(民主党)の考えに基づいて」決めているとおっしゃった。では、それはどういう考えか。「それは、こちら(民主党)とそちら(取材する側)の要求や趣旨が合致すればこちらも取材に応じることができる、と言うことになります」。
 不可解である。小誌は民主党が折に触れて自ら好んで訴える「政権担当能力」の説明を求めたのだから民主党にとって「要求が合致しない」内容だとは論理的には到底いえない。ただ一つだけこの解釈が成立する切り口はある。回りくどくて恐縮だが「民主党が自ら好んで訴える政権担当能力の具体的な説明をするのは民主党の要求や趣旨に合致しない」という答えだ。さてこの推察からどんな結論が導き出せるか。もはやいうまでもなかろう。これでこの話は幕。天網恢々疎にして漏らさず。有権者はすべてを感じ取って9月11日の投票に向かうであろう。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主以外も「取材に対応できる者を用意することができない」か

●月刊「記録」2005年8月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■自民、公明、社民、共産に同じ質問をしてみた

 7月号で報じたように自らの売り物としている「政権担当能力」の説明を民主党に求めたところ「取材に対応できる者を用意することができない」という衝撃的な反応を小誌は食らった。永田町、民主党本部の対応である。ことあるごとに必殺技のようにくりだす「政権担当能力」とは具体的にどういうものなのか。それを党本部の役員が説明できないことは、大げさでもなんでもなく、ただただ衝撃だった。だがもしかしたら他の政党も同じようなものかもしれない。だとしたら民主党ばかりを面罵するのも公正を欠くとかろうじて我慢して、似たような質問を7月の上旬から中旬にかけて自民、公明、社民、共産の各党にアンケート形式で聞いた。期限である7月14日までの10日間で回答率は100%であった。
 アンケートの内容は以下の通り。
 (1)貴党は政権担当能力について質問されたとき、それに対応する人員を用意することができるか
 (2)それはどこ(誰)にたずねればよいのか
 (3)貴党の政権担当能力とは具体的にどのようなものか

 (1)と(2)に関しては(3)で「できる」と答えた政党にのみ回答を願った。(2)の文章は奇異ではあるが、何しろ今や2大政党の一角を担う民主党ができないといっていることなので、他の党も「はい」と答えるとは言い切れないだろう。ただし自民、公明両党はすでに政権を握っている側なので、そうした事情は踏まえた上で(なお民主党の不可解な回答を比較検討するためにも)あえて答えてほしいと付記した。

■民主が自民に勝てない決定的な証拠を入手

 4党のなかで最も丁寧に答えてくれたのが自民党である。内容も他に比べ圧倒的であった。以後に詳述するが自民党が強い理由というか民主党がイマイチ得体の知れない存在でパッとしない理由がよーくわかった回答だったといえよう。
 自民党の回答はアンケート用紙にではなく、A4用紙に文書として自民党の政権担当能力についての姿勢が「質問状に対する回答」と題して記されている。党本部、政務調査会からの回答だ。
 文章の量があるため全文をここに載せることはできないので、肝心な部分を取り上げていく。

  「政権担当能力の概念がはっきりしませんが、わが党は、政権担当能力とはそれをもって国民に支持を訴えるものではなく、有権者である国民の判断の結果であろうと考えます。国民が、政権担当能力があると考え、政権を任せようと判断すれば、結果として選挙に勝利し、政権を獲得することになります」

 この部分を見たとき、政権担当能力という言葉の捉え方が自民党と民主党で大きく違うことに気付く。ポイントは「政権担当能力とはそれをもって国民に訴えるものではなく」の部分だ。民主党は政権担当能力をアピールすることが政権交代に近づくことだと繰り返すが、自民党はそれは自らが訴えるものではないと言う。なるほど納得! もっとも「訴える」立場の民主党が「取材に対応できる者を用意することができない」から比較にさえならないのだが……。

  「政治は結果責任です。実績抜きの政権担当能力に国民が期待して政権が交代するということは考えにくく、現に政権を担当している政党の政策や実績に対する不満、否定が一定の水準を越えたときに政権交代が起きるのではないでしょうか。いってみれば、選挙を通じて予算や制度・施策である法律を制定する多数を獲得する=国民の支持を集めることが政権担当能力を獲得する、ということかもしれません。」
 この部分に思わず唸った。「政治は結果責任」ときた。民主党に対する批判の口調はないが暗に「政権も取らずに政権担当能力云々なんてお笑いぐさだ」と言わんばかりである。「いってみれば」以降の一文を民主党に読んでみろといいたい。もしかしたら民主党も内心はそう思っているのかも知れないが現に政権を取っていないので言うにいえないのかもしれない。だがそうならばそうと正直に語るべきだ。
 さらにこう続く。
  「概念があいまいな政権担当能力よりも、幅広く国民の声を吸収しつつ、その結果としての政策などを訴え、広く国民の支持を集めるというのが適切であると考えます。」
 この部分において、民主党の訴える政権担当能力はほぼ無力化されたといっていい。「概念があいまいな政権担当能力」を振り回しつつ、しかもその内容さえ説明する責任を果たさない民主党と、自らの立場を簡潔な文書に記して示した自民党との隔たりは大きい。
 そして最後にこういっている。
  「したがって、ご質問の①に対する回答は、『いいえ』とさせていただきます。また、もし『政権担当能力はあるか』と問われれば、現に国民の支持によって多数を有し、政策を具体化し、法律の制定、改変を行っており、『イエス』と回答したいと思います。」
 これでしめている。

 小誌の読者の多くは反自民であろうが自民党が強い理由は知っておく価値がある。何やら決定的な地力の差を感じさせた両党の対応であった。そしてその差を縮めてゆくことはこのさき可能なのか。
 さて、連立与党の公明党はアンケートに最も早く答えてくれた。同党政務調査会からの回答だ。①については「はい」にしっかりとマルが書かれてある。②には政務調査会が答えるとこれまた明記。③については「必要であれば別途文書で詳しく説明する」とのこと。腰が据わっている。少なくとも①さえ用意できない民主党よりはまともである。
 結論として現在の連立与党は「政権担当能力」の説明責任に関しては明らかに民主党より上である。というかオール・オア・ナッシングである。彼我の差は果てしなく大きい。

■共産、社民は「……」

 一方、野党の共産、社民はどうであろうか。
 共産党はアンケート用紙の①②③のどの質問にも答えず(要するに何も書いてない)、封書の中には『しんぶん赤旗』05年4月9日付けの記事をそのままプリントアウトしたA4用紙が2枚。2大政党制(自民と民主)に対する批判などが書かれてあるが、共産党の政権担当能力についてはほとんど触れてない。正確にいえば筆者の読解力ではわからなかった。どういう趣旨でこの2枚を回答としたのかの説明もないので謎のままである。該当する記事はホームページで読めるのでわかる人がいたら教えて下さい。
 少なくとも共産党に仮に政権担当能力があったとしても常人では理解しがたい難解ないしは深遠なものであるようだ。
 社会民主党の回答は①に「その他」で②③は無回答。そして「設問をもう少し具体的」にしてほしいと付記してあった。編集長はそれを見るなり「もう社民党は要らない」と怒ってしまったが筆者は編集長に隠れて電話で直接話を聞くことにした。対応に出た社民党本部の男性によれば、質問に対応することはできるし、もしそれができない状況でもホームページに詳しいことが載せてあるとのこと。ならばそう書いて下さいよ。
 というわけで「政権担当能力」の説明について「取材に対応できる者を用意することができない」民主党は論外。共産党はよくいえば深淵、悪くいえば謎。社民党は「大丈夫か」と声をかけてあげたい状態であった。
 ところで小誌は公党かつ野党第一党の代表が公然と自党のトップレベルの売り物として掲げている「政権担当能力」を「取材に対応できる者を用意することができない」(しつこいようだが何度でも書く)と言い放つ民主党を絶対に許さない。根本の部分で国民をだましている可能性があるからである。そこで小誌はすでに「できない」と答えた民主党の職員名を実名で明記した質問書を岡田克也代表と菅直人前代表に7月上旬に送っているが現時点(7月21日)で回答はない。本当に答えられないのか。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

民主党内には「政権担当能力」を説明できる人がいない

●月刊「記録」2005年7月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■衝撃…!いや「やっぱり」か
 なんて言えばいいのだろう、とにかくアゼンとした。いったい、民主党はどうなってるんだ?
 今や唯一、自民党に対抗できる、誰もが認める存在になったはずだ。小泉政権が少しずつ勢いを失ってゆくなか、コントラストを描くように民主党は着実に力をつけてきた。
 03年11月の衆院選直前で民主党は小沢一郎率いる自由党と合併。選挙では177議席を獲得(この数字は55年体制以降の野党としては最多議席)、04年の参院選では自民の49議席を1つ上回る50議席を得ている。2大政党の到来、といっても間違いではないだろう。
 けれど、どうも最近の民主党には首をかしげるところがあった。行動に説得力がない。「政権準備政党」を宣言したのはいいけれど、どうやって政権を奪うのか、どうやって国民に存在感や能力をアピールしてゆくのか、いちばん肝心なその部分が私たちには見えてこない。
 「政権準備政党」。誰にとっても理解しがたい言葉だろう。「準備」の部分がこの言葉全体の印象の曖昧さを決定づけているけれど、たぶん、「私たちはいずれ政権をとることになるから、そのへんよろしくね」ということを言いたいのだろう。野党である民主党がそういう心構えなのは結構、というかあたりまえなのだけれど、ただ、そんなことは自分たちが理解していればいいだけの話なんじゃないのかという考えは、別段ひねくれた考え方でもないだろう。これからは私たちのことを「政権準備政党」と呼んでいただきたいと急に言われても、言われたほうはそんなこと言ったって、という反応くらいしかできない。
 そして今回の出来事があった。
 民主党の言う政権担当能力(この党はホントにこの言葉が好きだ)とはどのようなものなのか、そして政権を奪うための道筋を知るべく、私は民主党本部に取材を申し込んだ。国の第一党に迫ろうというこの党の基本的な理念なりビジョンなりを知ることが取材の目的ということになる。
 ところが、これを断られた。しかも、2度続けてだ。断りの理由は「取材に対応できる者を用意することができない」だった。いったいこれはどういうことなのか。端的にいえば、民主党には党が掲げる「政権担当能力」を説明できる人がいない、ということになるんじゃないのか。これは衝撃的な事実だ。以下、これまでの経緯を追う。
 本誌では98年と01年に民主党を取材したが、その時には回答をもらっている。内容は当時話題になっていた失業者対策、金融政策、介護保険法、少年法など。取材の後に迫っていた選挙にあたって党の姿勢を聞くというもので、このときはそれぞれの内容についての党の意見が示された。
 3月17日、1度目の取材を申し込んだ。はじめに取材依頼の手紙と本誌2ヶ月分を永田町の民主党本部に郵送し、3日後に取材日調整の電話をかける、という段取りだった。
 電話に応じたのは党本部役員室のO氏。声で聞く限りでは50代くらいかと思われる男性で、おだやか、丁寧といった印象を受けた。依頼の手紙で取材の趣旨を伝えてはあったけれど、電話でより具体的な質問内容について話す。しばらくやりとりした後、取材の申し込みはやんわりとした口調で断られた。あまりにもやんわりとしていたから、一瞬、断られたという実感がなかった。前述のとおり「対応できる人がいない」とのことだった。
 まったくわからないのは、民主党が常に声高に掲げている「政権担当能力」、最もハッキリ見えているはずのビジョンと、それを示す方針を説明できる人を、本部が用意できないということ。それに加えて、取材の内容は民主党が国民に伝えたいものであるはずなのに、それに応えないということ。取材は自らの考えと現状を知らせることができるという意味合いで、格好の機会でもあるはずだ。
 とはいえ、1度目の取材を申し込んだこの時期は、4月の衆院統一補選を控えて慌ただしい時期かもしれないということも考えられて、取材は先送りになった。

■ふたたび取材拒否。まったく脈なし

 2度目の取材依頼は6月6日。前回と同じような手続きだったが、今回は質問状を加えた。より取材内容をわかりやすくするためと、こちらのスタンス(民主党のことを悪し様に取り上げる気はないという立場)を理解してもらうため、なにより前回「質問状を送ってもらえばより検討することができる」とO氏が話したことがあったからだ。
 同じく取材依頼書を郵送した3日後に電話する。受付の女性によると「国会に行っている」などでO氏はなかなかつかまらない。2度、T氏というO氏より声が若い男性が電話に出て、女性の代わりにO氏の不在を伝える。それから更に何度目かの連絡のあと、ようやく話をすることができる。
 しかし、取材は再び断られることになった。今回も、あくまでやんわりと。
「理由をお聞かせ願えますか」
「前回と同じく、取材に対応する者を用意できない、ということになりますね」
「30分だけでもいいのですが」
「難しいですね」
「電話取材、という形では」
「すいません、ちょっと対応できないもので」
 というやりとりが私とO氏の間で交わされたが、前回よりも明らかに、どうにかやりすごしたい、という気配が感じられた。対応できない、とはいったいどういうことなんだろう。明確なこと、余計なことはひとつとして言わない、そのあたりにかわし慣れたものを感じた。断固としてはねつけられるわけでもない。手応えのない姿勢は変わらない。取材に応じてくれるのなら、O氏にどうしても、というわけではなく党内の人間だったら他の人でもいい。O氏の不在を伝えたT氏でもよかったわけだ。けれど、以前電話に出ていただいたT氏でもいいが、と言うけれど、やっぱりバツの悪そうな笑いで遮られてしまう。
 人をたずねてある家に訪れる。と、出てきた50代くらいの男性に、不在を告げられる。そこに会おうとしている人はいるはずなのに、ただ曖昧な笑みを浮かべたまま、どこにいるのか、なぜいないのかも教えてもらえない。色をなして帰れとも言われず。ただ正体不明のつかみどころのなさがある。たずねたのがいわゆる「一般人」ならまだしも、この場合は現に国民の多くの支持を集めている政党の本部での話だ。
 しばらく食い下がってはみたものの、取材を受けてくれる様子はまったく見えなかった。
 質問状を要約すると、
・国会で自民を攻める糸口があるのに、そこを攻めないのはなぜなのか。
・従来の野党がとるアピールの仕方を取らないのなら、それにかわる方法が必然的に必要なるが、それはどういうものか。
・国民にアピールできているかという点で、党内での自らの評価はどのようなものか。
 という内容が基本的なものだ。
 どれもそれほど突っ込みすぎた質問ではないし、政治ウォッチャーでなくとも国民に関心がある、そして民主党が伝えるべき内容であるはずなのに、それに答えてくれることはなかった。私にはこの一連の民主党本部の対応に関する意図がまったく見えない。

■このままでいいのか、「政権準備政党」

 03年の総選挙では、民主党主導で、具体的な期限、財源を明らかにした政策を掲げるマニフェスト選挙を展開し(それまでの日本の公約はウィッシュ・リスト、つまりおねだり集と欧米から酷評されている)、大きく議席をのばした。明確な政策を打ち出す姿勢が国民の評価につながった。
 しかし、このところ民主党はマニフェストとは反対に、わかりにくさの極みにある。年金問題、汚職疑惑、靖国問題を含む近隣外交、自民を攻める糸口があるのに、そこに突っ込んでいかない。ならば他の方法で存在感を示すのかと思いきやそういうことでもない、審議拒否をしていたかと思えばいつの間にか戻ってきていたりする。無数の「?」がアタマに浮かぶ。
 自民はこのところ郵政民営化法案をめぐって揺れに揺れている。党内の民営化反対派と、「最善の策として国会に(法案を)提出した」「法案修正はない」と言いつつも歩みよりを見せる小泉首相。「改革の本丸」とする郵政民営化にこれだけ揺れている今、民主党にとってはこれほどの攻め時はない。それでも、4月の党首討論という絶好の場で小泉首相と対峙したときも岡田代表は「この種の問題で政府を引っかき回すのは政権準備政党の役割ではない」「首相もいろいろ郵政では忙しいようで」と深く取りあげようとしなかった。自民、公明両党は今国会の会期を8月半ばまで延長することを決めたけれど、明らかに、緊張感のある審議の末での延長という文脈にはなっていない。たるんだ印象の理由のひとつとして、民主党が説得力ある対案を出すことができなかったことを多くのメディアも取りあげている。労組系を中心に民営化反対議員も多いという党内事情があるとしても、あまりにも消極的すぎやしないか。

 現行の審議制度では過半数の票を得なければ案が通ることはない。
 今はまだ少数野党の位置にいる民主党は、与党に徹底した論戦を挑んで、時には罵詈雑言を浴びせ、何とか政権を揺さぶっていく徹底抗戦の選択肢もあるのに、それをしようとしない。徹底抗戦をしろ、というのではなく、国会でそれをしないのなら他に存在感を示す方法がとられているのか、ということだ。
 今の民主党にはそれがない。
 国会で野党が審議を尽くさないということは、与党の政党に異論がないということになる。政策が違わないのなら政権につく必要はゼロだ。
 去年の参院選で民主党の改選議席数が自民を越えたときは、なにかが起こりそうな気がしていた。たしかにそうだった。でもいつからか民主党は、晴れた空が曇り始めるように、「よくわからない」ものになっていった。岡田克也代表が「政権準備政党」を自信ありげに示してから、ますますわからなくなった。
 それに加えて、2度続けての取材拒否。
 初期の小泉内閣やマニフェスト導入の選挙などが支持されたように、わかりやすいということは確かに国民に理解される大きな要因かもしれない。ここ最近の民主党のわかりにくさが、自分の首を絞めてゆくことになりはしないか。
 民主党は、わかりにくさの霧の中に消えてゆくのか。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2000年ピカチューはカラーで見られない?/―ゲームボーイ・カラーが売っていない―

●月刊「記録」2000年3月号掲載記事

●取材・本文/本誌編集部

■ゲームボーイカラーが欲しいの

 徹夜の仕事を終え、やっと布団にもぐり込んだ朝、一時間もしないうちに携帯電話が鳴った。ええい、いまいましいと思いつつ電話に出ると、友人の姪のS子ちゃんであった。初々しいセーラー服姿が脳裏をよぎる。
  「大畑のおじちゃん! お願いがあるの! ゲームボーイカラー見つけてほしいの」
 おじちゃんと呼ばれるのはつねづね不満だが、中学生の彼女からみれば仕方がない。以前、あるゲームソフトが品薄で手に入りづらくなっていたところを、街中を取材かたがた見つけ出してあげたことがある。その実績を見込まれての再びの「お願い」なのだろう。きっと大畑のおじちゃんのことをスーパーマンかなにかと思っているのに違いない。
 安眠を邪魔されて頭にもきたが、かわいいS子ちゃんの頼みであれば仕方がない。どうせ街中を一日まわれば今回も見つかるだろう。と、非常に安易な気持ちでOKした。「おじちゃんに任せとけ!」と、寝ぼけ頭で。それがことの始まりだった。
 さて、コンピュータやゲーム機を買うなら東京は秋葉原である。なによりショップの数が多い。隣の店、隣の店へと順々にめぐればそのうち見つけ出せるだろう。私は、メインストリートの中央通りで、ゲーム機を扱っている店を片端から訪ねていった。
 ところがである。
  「品切れです。二~三週間に1回、せいぜい10台ぐらい入ってくるだけですよ。入ってきても1日で売り切れます」(ソフマップ一三号店)、「ないんですよねえ。先週はけっこう入荷台数が多くて、3~4日は店にもあったけれど、10台ぐらいだと1日ももたないんですよ。今週も入荷するとは思いますけれど、詳しい日程はわかりません」(ヤマギワソフト)。なるほど、たしかにゲームボーイカラーは見つけにくいのであった。電気ショップ・ツクモにいたっては、「いつ入るかずーっとわからないんです。今年に入って一度も見ていないんですから」と店員が嘆きの声をあげた。         
 その後も各ショップをまわったが、店員から聞く話はお寒いものばかり。比較的頻繁に入荷していると思われるラオックスゲーム館でさえ、一週間~10日ごとに30~40台程度だという。

■入荷数が10倍の店がある…

 なぜこれほど品薄になってしまったのか?
 ゲームボーイカラーは1998年月末に任天堂から発売された。ショップの店員によれば発売当初は商品がダブついていたという。状況が一変したのは、昨年11月に同社より「ポケットモンスター金」と「ポケットモンスター銀」という二つのゲームソフトが発売されてからである。
 これらは、ご存じ「ピカチュー」のキャラクターが米国でも大フィーバーしたゲームソフト「ポケットモンスター赤」と「ポケットモンスター青」の後続ソフトである。カラー対応になったゲーム「ポケモン金・銀」を動かすために、ポケモンファンが一斉にゲームボーイカラーを手に入れようと動き出した。結果的に品薄が生じる。2月14日現在でも店頭でみつけるのは、ほとんど不可能に近い状況だ。
 しかも調べてみると、ゲームボーイカラーの置き引きや、小学生からカツアゲする輩まで出てきていることがわかった。いやいや品薄は、かなり深刻なのであった。
 それではと、任天堂広報室に品薄の状況を訊ねてみた。こちらは「品薄の状況はかなり改善していると思います。ただお客様の多い店舗では、すぐに売り切れてしまいますので」との答え。
 そうなのか? 客足が多すぎる秋葉原を狙ったのが間違いだったのか? と、客が少ないと思われる東京の郊外にあるおもちゃ屋にも足を運んでみた。しかしやはりここでも軒並み品切れ……。
  「一週間に一度ぐらいは入荷するんですが、数が少なくて数台なんですよ。だからすぐに売り切れちゃいます」(長崎屋・武蔵小金井店)、「最近、やっと10台ぐらい入るようになりましたが、12月からお客様の御予約を受け付けており、まだ20人近く予約が残っている状況です」(丸井・国分寺店)と、秋葉原よりますます事態は悲惨である。
 客は少ないかもしれないが、入荷台数はさらに少なかったのだ。これでは入手は難しくて当たり前。
 それならばと、知り合いのおもちゃバイヤーに電話をかけ、ゲームボーイカラーの入手方法を聞いてみた。
  「年末に比べるとねえ、少しは改善されたけれど、今も品薄だからな~。まめに店をまわるしかないかな。でもね。任天堂の場合、データ店と呼ばれる店への入荷は多いんだ。同じまわるなら、データ店のほうが入手できる可能性は高いかも」
 このバイヤーによれば、業界には売上個数や発売ソフトの予約状況などを随時メーカーに報告しているデータ店がある。データは、メーカーによってマーケティングなどに活用されているとのことだ。
 さっそくバイヤーにデータ店はどこかを聞き出し、指定された店に出向いてみた。そしてあまりの違いに驚いた。
 例えば、さくらやホビー館(新宿東口)だ。ここでは週に一度の入荷ではあるが、入荷量が格段に違うのである。2月13日には150~60台を入荷して売り切ったという。もう一店、データ店であると指定された小田急百貨店(新宿店)でも、同じく2月13日に100台弱ものゲームボーイカラーを入荷し完売している。
 秋葉原の多くの店と比べてこの入荷量の違いは驚きである。もっとも、どちらの店もすでに完売しており、買えなかったことに変わりはない。
 一方、念のためまわったヨドバシカメラ新宿東口店や小田急以外の百貨店では、秋葉原と似たり寄ったりの状況であった。全店が一斉に入荷した2月13日に限っても、ヨドバシカメラが10台、伊勢丹が20台、高島屋が20台、京王百貨店が10台と、小田急百貨店の入荷数の5分の1、10分の1なのであった。
 これだけ入荷量が違うなら、はじめから入荷日を調べて小田急百貨店とさくらやに直行すればよかったではないか。それにしても、こんなに入荷量に差があるなんて普通の消費者は知らないだろう。だが考えてみれば、小売りへ商品が卸される日は直前になってわかるそうだから、消費者が事前に入荷日を調べること自体が不可能だった。
 ゲーム機探しが徒労に終わったことへの逆恨み混じりで、入荷数の偏りについて、任天堂広報室に説明を求めた。
  「問屋からの入荷数が店によって差があるのは当然だと思います。お得意先には多く入れることもありますから。ただし変な形で(店への)入荷数に差をつけるようなことは、もちろんしておりません」
 そりゃそうだ。どの店に何台入荷しようとメーカーの自由ではある。売上個数が随時報告されるデータ店のほうが、需要にみあった商品の入荷もしやすいだろう。しかし隣り合うデパートで入荷量に10倍もの差があることなど消費者は知らない。消費者が血まなこになって商品を探している時期に、ここまで入荷量に偏りがあるのが、なんだか解せない。いや、どっちにしても手に入らないのだから同じことか。いずれにしても私はこの日、ゲームボーイカラーを手に入れられなかった。 

■インターネットでは値段高騰

 店で買えないならインターネットではどうだろう。最近、インターネットではフリーマーケットばやりであるという。きっと何台かは出ているはずだ。さっそく調べてみると、出ていた出ていた。やはり出品されていた。しかもかなりの数である。そして価格は高騰している。メーカー希望価格6800円の商品が、中古でも8000円の値をつけている。
 2月中旬の現在でも、新品ともなれば8000円台中盤で取り引きされている。どうやら新品のゲームボーイカラーを標準価格で買いつけ、プレミアつきの値段で売りさばこうする輩が大勢出ているらしい。こういう奴がいるから品薄のモノがよけいに品薄になるのだ。そもそも6800円の商品を2000円も上乗せして買わせようなど、こっちの弱いところを突いたもうけ方が気にくわない。
 頭に血をのぼらせつつネットサーフィンをしていると、次に見つけたのは、サンリオが発売している「ハローキティーゲームボーイカラー スペシャルボックス」(一万二八八〇円)だった。同社の人気キャラクターであるキティの絵柄付きのゲームボーイカラーである。これにソフトを付けてセットで売り出したものだ。
 もうこの際、キティ付きでもソフト付きでも仕方がない。S子ちゃんにとって大畑のおじちゃんはスーパーマンなのだ。しかし、サンリオに問い合わせると、
  「98年から発売していたのですが、11月末にお客様からの注文が殺到いたしまして今は在庫がない状態です。もしかしましたら店によっては残っているところもあるかもしれませんが……」(同社広報)と、やっぱりここでも在庫なしだ。1万2880円という高価格にもかかわらず完売とは……。いやはや、ゲームボーイカラーそんなにすごい人気なのか
 これだけの品薄を消費者はどう思っているのだろうか。私のように怒ってはいないのか。街角で話を聞いてみた。
  「日曜日に入る(入荷する)ことが多いから来てみたけどやっぱりないんだ。友達も持っているし、早くやりたいよ」(10歳・男子)
  「子どもにせがまれて探しているんですが、なかなかありませんね。ないものは仕方ありませんけれどねえ」(40歳・会社員)
 結局、丸々一週間近くかけてゲームボーイカラーは入手できなかった。街で取材をしていると、このゲーム機を持っている人からは、やれ画面がきれいだの、野生のポケモンをカラーで見るとかわいいだのと、いかにもうれしそうにさんざん自慢され、そのたびにS子ちゃんの顔が浮かんだ。すまない。大畑のおじちゃんは無力だ……。
  「昨年4月から月間150万台の生産態勢を取り続けており、そろそろ状況も改善すると思います」
 任天堂の広報室は、問い合わせるたびに繰り返すのみ。でも、ないものはないのである。
 任天堂はユーザーに甘えていないか。「ポケモン金」で、ピカチューがしかける「甘える攻撃」は、会社の姿勢の反映か。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

それで会社は変わったか/第2回 まだら模様のカジュアルデー

●月刊「記録」2000年3月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■独創性を重んじる社風から生まれた

  『なぜ会社は変われないのか』(日本経済新聞社)という本が売れている。社内変革をうたったこの本は、2つの続編を併せて30万部以上の売れ行きだという。
 このベストセラーは、肩書きを外し社員同士が本音で話し合えように勧める。今までの社内改革のように、トップダウン方式を採用していない、かなり斬新な改革方法が紹介されている。しかし「社内の風通しを良くしようとする改革」というこのフレーズ、どこかで聞いたことがないだろうか? 
 円高不況以降、日本企業における組織の硬直化が問題になり続け、いくつかの改革プランが各企業で実行されてきた。先月紹介した「さんづけ運動」などは、その典型だろう。そして90年代中頃から大いに注目を集め始めたのが、カジュアルデーであった。
 カジュアルデーは、シリコンバレーを中心とした米国西海岸のコンピュータソフト会社から始まったといわれる。独創性を重んじる社風のなかで、若手社員がラフな服装で出社するようになった。こうした企業が業績を伸ばすにつれ、自由な服装も注目を浴びた。その結果、米国の大企業が「カジュアル・フライデー」と名づけ、週一回、ネクタイを外してカジュアルな服装で出勤する日を設けることになったのである。
 カジュアルデーが、日本に上陸したのは80年代末であった。88年2月にはカーオーディオのクラリオン、同年6月には北陸ジャスコで導入されている。だがカジュアルデーが多くの企業で取り入れられ、その効果が注目をあびるようになったのは、やはり90年に入ってからだろう。
 とくに94年3月、綿紡績の老舗であるクラボウのカジュアルデー導入は、大きく報道された。新しい綿素材の開発に合わせての導入が、話題にもなったからだ。この後、メンズ用カジュアルウェアへの参入を企てる繊維業界が、次々とカジュアルデーを導入していく。つまりカジュアルデーが、企業改革とともに販売促進の一環ともなったのである。
 導入当時の状況について、クラボウの広報部は次のように語る。
  「時代の閉塞感を打破する意識改革として、また高級綿素材を使ったアパレル製品の販売促進の意味もありカジュアルデーを導入しました。当時、業績が好転したことを憶えています」
 こうした一部総合商社を含む繊維業界のカジュアルデーを別とすれば、やはり導入した多くの企業の第一目標は、社内改革であった。

■ネクタイを締めた人に会いたい

 例えば、93年7月に導入したアマチュア無線機メーカーの大手、八重洲無線は、同年5月に社長となった長谷川淳氏の発案でカジュアルデーを開始。「いつもと違った視点から日常の仕事を見つめ直すことで、ふだんは気づかなかった部分が見えてくることもあるだろう」(『日経新聞』93年7月28日)と、カジュアルデーの効果に、新社長も期待を寄せた。
 また97年8月より都市銀行ではじめてカジュアルデーを導入したさくら銀行は、「従来の枠組みにとらわれず、新たに創造する楽しさを体得してもらうために導入した」と、広報部が導入の目的を教えてくれた。
 これだけではない。新聞報道によれば、雪印乳業は自分自身で作った殻を破るよう、思いを込めて導入したという。日本IBMは「柔軟な発想で製品の企画や販売にあたれる」ために、森永製菓は「自由な発想と行動の変革」のための導入である。
 では現在、カジュアルデーはどれほど社内に定着し、期待した効果が上がったのだろうか。実は、こうした質問には肯定的な答えが返ってくる場合が多い。さくら銀行広報は、行員にカジュアルデーが浸透していることを認めたうえで、「明るい職場環境になりました。お客様からも親しみやすいと評判です」と語る。
 伊藤忠商事の広報も、「社員の気分が明るくなったようです。服装から新しいコミュニケーションも生まれたと聞いています。またカジュアルデーを導入するようになってから、会議で発言するようになった社員もいるようですよ」と語る。
 先述したクラボウも「導入後 1年目の社内アンケートでも、『発想の転換に役立つ』、『リラックスできる』などの答えが寄せられております」と、効果を認めている。
 しかし、これが一般的な反応なのだろうか? 週1回のカジュアルデーは、それほど効果を発揮したのだろうか?
 さくら銀行などは、金融機関という制約もあり、服装は原則自由であるもののネクタイ着用である。しかも「清潔で、明るく、機能性のある服装で、なおかつ華美ではなく、お客様に不快感を与えない服装」を着るように、行員に指導しているという。
 クラボウでも導入してからしばらくは、Tシャツやスニーカーなどがいき過ぎた服装だと、社内でも問題になった。しかし試行錯誤の期間とし、1年間は静観するように担当者が会社に働きかけた結果、個人がTPOに合わせて判断するようになったという。
 一般的にいわれている通り、横並び意識の強い日本社会では、やはり異質な服装には強いアレルギー反応が起きる。そうなると接客時の服装を中心に、規則ができやすくなるのは当然だ。
 こうした傾向を裏付ける資料もある。94年7月に『繊研新聞』が行った、東京・大阪の一部上場企業に勤務する20~60歳までの男性社員に対するアンケート(有効回答237人)結果だ。
  「仕事で人と会う時に、どのような服装の人がよいか」という質問に、「スーツを着ている人が好ましい」と答えた人が、73・8%。「ジャケットとスラックスでネクタイを締めている人が好ましい」が、19・3%。「ジャケットとスラックスでネクタイを締めていない人が好ましい」が、4・8%。「ジーパンかTシャツかポロシャツが好ましい」と答えた人は、わずか2・1%だった。
 実に93%以上の人が、仕事ではネクタイを締めた人と会いたがっている。これでは社内といえでも、あまり思い切ったことはしにくい。会社にまったくお客が来ないことはありえないからだ。となればカジュアルデーの効果も限られくる。
  「(カジュアルデーが)企業の発展に結びついたかといえば、ちょっと厳しいですね。そもそも定量的に効果があるというものでもないですから」(八重洲無線・総務)という意見は、実のところ多くの企業の実感ではなかろうか。

■数名だけで実施中

 比較的早い時期に週1回のカジュアルデーを導入し、最終的に平日すべてを服装自由にした某企業から、今回の取材を断られた。企業名を出さない約束で取材を進めると、現在、カジュアルデーが転換期を迎えているからだという。
 契約社員やアルバイトなど一部従業員が、厚底サンダルやタンクトップなどで来社することが重なり、完全に自由だった服装のルールを考えているのだという。「いや、まあタンクトップっていいですけど、さすがに仕事はしにくいですね」と、担当者も笑って答えてくれた。
 カジュアルデーが当初の目的通り、社内の風通しを良くしたなら、こういった問題が頻繁に起きてもおかしくない。実際、米国でも、非常に差別的なキャラクターのTシャツを、カジュアルデー初日に着てきた男性が問題になったと、カジュアルデーを特集した米国の男性誌『GQ』(九五年七月号)は報じている。
 単にビジネスマナーがなかった従業員がいただけではないかと、こうした事例を断じるのは易しい。しかし暗黙の社内規定に縛られることなく、社員が自由に考えて行動できたからこそ、このような問題が起こったとはいえまいか。少なくても、カジュアルデーの服装に細かな決まりがあるようなら、こうした問題は起こらない。
 まったく逆の事例もある。
 社風の堅さから、最寄りの駅名に引っかけて「四ッ谷区役所」などとも呼ばれる雪印乳業では、93年から一部部署でカジュアルデーを導入した。しかし、現在まったく定着していない。
  「人事部の人材開発センターの提案で、数年前には営業部門ではない企画スタッフなどの何部署かでは、カジュアルデーが取り入れられました。しかし社内全体には広まりませんでした。
 現在、カジュアルデーを実施しているのは、社内でも数名です」
 いくつかの部署で取り入れられながら、自然と立ち消えになっていった過程を考えると、暗黙の社内規定がカジュアルデーを許さなかったのだろう。それでも数名で実施し続けているのには驚くしかない。

■リトマス試験紙だった

 カジュアルデーを導入した企業については、株価や格付けなども調べてみた。結果的にいえば、カジュアルデーの実施と業績には何の関連性もみつからない。たとえカジュアルデーが社風を変える力があったにしても、そうした変化が業績に現れるのには長い時間が必要となる。簡単に因果関係など見つかるはずもない。
 では、あのカジュアルデーのブームは何だったのだろうか。そして導入した企業に何を残したのだろうか。
 結局、カジュアルデーは一つのリトマス試験紙となったのではないか。会社がどこまで社員の自主性を重んじているのか、そして横並びの意識からどこまで脱しようとしているのかを、目に見える形で示したのである。
 14年前にカジュアルデーを導入したというレイノルズ・エム・シー・タバコの広報では、カジュアルデーが100%浸透した現状を次のように語ってくれた。
  「個々人がジーンズ、スニーカーなど、自分に気持ち良いと思う自由な服装をしています。接客など、外部の方にお会いする予定がある場合は、個々人が常識を持った判断で整えています」
 外資系だけに服装のくだけ方は、他社と比べてかなり進んでいたが、現在問題は一切起こっていないという。毎日ノーネクタイでもかまわない企業が、米国に山ほどあることを考えれば、これもまた驚くべきことではないのかもしれない。
 こうして考えてみると、やはりカジュアルデーが社風を大きく変えることはなかったようだ。しかし上手く活用すれば、社員にとっては福利厚生の一環にはなる。先述した『繊研新聞』のアンケートによれば、「スーツをどう考えていますか?」という質問に、「仕事上仕方なく着ている。できれば着たくない」と答えた人が74・7%もいたからだ。
 社内改革と大上段に構えないで、社員が働きやすい服装で楽しめば良いぐらいの思いで導入すれば、それに見合った効果は見込めるだろう。
 函館信用金庫は、今年2月からカジュアルデーを導入する。金融自由化に伴う社内改革の一環だと思い取材したところ、意外な答えが返ってきた。
  「2000年で、ちょうど良い節目ですから。それで導入することにしたんですよ。まあ、金融機関の堅苦しいイメージを取り払って、お客様との距離を縮めるのが目的ですが」(函館信用金庫・人事)
 肩肘張っていない姿勢に、かえって好感を持った。
 ちなみに従業員の服装は「毎日がカジュアルデー」がずっと前から当然、というのが、わが出版界である。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

それで会社は変わったか/第1回 さんづけ運動13年の功罪

●月刊『記録』2000年2月号掲載記事

●文/取材 本誌編集部

■上下関係をスムースにするマナー

 円高不況によって企業構造の改革が叫ばれていた当時、経済同友会が提唱し、一躍脚光を浴びた運動があった。「さんづけ運動」である。
 1987年3月に経済同友会から出された「労働力流動化時代に備えて」という報告書には、次のように書かれている。
  「若年層の異例抜擢は、摩擦を引き起こしやすいので敬遠され気味であったが、変革の時代にあっては頻繁に行われることが予想される。一方、同一企業に長く勤務したいと念願する者のなかには、昇進にこだわらず比較的軽い仕事を地道に勤め上げたいと望んでいる者も少なくない。
 将来は指揮命令権と年功との間に大幅なズレが生じていくことが予想されるので、敬語・敬称についても神経を使わなくてはならなくなる。そうした事態に備えるために初期訓練期間は別として、入社後10年以上を経た従業員の間では、職能の上下関係変動をスムースにするようなマナーを予め企業内に浸透させておくことが望ましい」
 終身雇用制が崩壊し、年功序列から実力主義へと移行した日本の企業体質は、確かにこの報告書のとおり「労働力の流動化」を招いた。その結果、「上下関係をスムースにするようなマナー」として、当時さかんに提唱された運動があった。「さんづけ運動」である。
 社内で社員の名を呼ぶ場合に、「部長」「課長」などの役職名をつけずに「○○さん」と「さんづけ」で呼ぶ。すると上司の年齢が部下よりも低くなった場合にも、上下関係に支障を起こさずにすむであろうというもくろみであった。当時、相当多くの企業が全社をあげてこの運動に取り組んでいた。さて、その「さんづけ運動」、業績を上げるのに、どれだけ効果があったのだろうか? 

■提唱前から独自に実践組

 経済同友会から「さんづけ運動」が提唱される以前から、自然にこれが定着していた企業もあった。本田技研工業である。
  「社内でのさんづけ呼称は、うちでは昔から当たり前に行われていました。ですから会社をあげて、さんづけを推奨した記憶はありませんし、いつごろから始まったのかも正確にはわかりません」と、運動の開始時期については、本田技研工業の広報部も首をひねる。ただ年齢・役職に関係なく、フランクに意見を交換できる社風があったからこそ、さんづけ呼称が当たり前に行われていたことは認めている。
  「社長であろうと身近に接していれば、自然とさんづけで呼べるものです。まぁ初対面の新人が、さんづけで社長を呼ぶのは難しいとは思いますが。
 つまり日常業務のなかで、上下関係を意識しすぎずにフランクに意見を交換できていれば、さんづけ呼称も自然と浸透していくものだと思います」(本田技研工業・広報)
 さすが社長室も作らず、大部屋の役員室があることでも知られている企業だけのことはあるだろう。
 そのホンダと対照的なのが、ライバル・日産自動車だ。
 経済同友会の提言からさかのぼること二年、当時の久米豊社長は、社内報『ニッサンニュース』に次のように書いて「さんづけ運動」を提唱した。
  「日産には余計な敬語が多過ぎます。必要以上の敬語なんてやめましょうよ。敬語を使って、尊敬しているかのように、大事にしているかのように祭り上げてしまっている。それが、人との関係を断絶させるもとなんですよ」
 だが現在では、さんづけ呼称が社内で話題になることはないと、同社広報部はいう。
  「社長が提唱することにより、さんづけの土壌が社内に作り上げられました。ただし当初から、さんづけを強制しようといった意図はありませんでした。
 そのために、さんづけが定着した部署もあれば、しなかった部署もあります。というのもさんづけで呼ぶかどうかは、個人の感覚に基づいたものだからです。結局、もっとも重要なポイントは、上司のとのコミュニケーションが円滑に行われるかどうかですから。
 さんづけの提唱によって、実際にどれだけコミュニケーションが改善されたかはわかりませんが、その当時の企業風土に何らかの影響を与えたと思います」
 広報部によれば、「さんづけ運動」のあとも、社内のコミュニケーションを円滑にするために改革が行われていたという。経営陣の階層別会議を取りやめ、一つのテーマを経営陣が皆でディスカッションできる体制に変えた取り組みなどがその典型といえる。
 しかし業績は、伸びなかった。
 身動きできないほどの有利子債務を抱え、結局、コスト・カッターと異名を取るカルロス・ゴーン氏が最高執行責任者(COO)に就任。報じられるところによれば、トップダウン方式で一気に再生案をまとめたという。それは、階層別会議やさんづけ呼称などを気にする暇もないほどの力技の改革だった。
 そして、「さんづけ運動」など気にもとめなかった本田技研工業が、日産を抜いて業界第二位のシェアを狙える位置にいる。本田技研工業の平成大不況を生き残ることができる可能性は一気に高まったといえるだろう。雲泥の差である。

■提言をきっちり守る優等生組

 さて、経済同友会が前記のようなマナーの提言をしたことに伴って、いくつかの企業が「さんづけ運動」に乗り出した。その一つが、住宅建材メーカーのトステムだ。ポストの高低にとらわれず、自由に意見を交換できるようにすることが運動を導入した動機であるという。
 運動開始から5年後にあたる94年に行った、本社勤務の全社員1886人を対象にしたアンケート調査では、運動の定着率が明らかになっている。
 上司をさんづけで呼ぶことを「100%実行している人」は53・9%。この数字に「ほとんど(70%程度)実行している人」を加えると、90%もの社員がさんづけを行っていることになる。つまりほとんどの社員が、ほとんどの場面でさんづけで呼び合っているということだ。
 ではトステムで、さんづけがここまで浸透した理由は何なのか。先述のアンケートによれば、42・6%の社員が「役職誤認がなく呼びやすい」という理由でさんづけを実行していた。続いて「より親近感が持てる」が35・1%。さらに「形式を捨ててより実務中心になれる」(19・2%)、「地位だけが一人歩きするといった感じがなくなる」(18・8%)、「構えないで仕事ができる」(17・7%)と続く。
 この結果を見るかぎり、トステムは、「さんづけ運動」に関しては優等生というところだろう。
 同時期に運動を始め、しっかりと企業に浸透させることができたのが、洗剤などの家庭用品を扱う花王である。新聞報道によれば、社員個人個人に情報が公平に流れるようにするために始めたという理由であった。
  「現在は『さんづけ』が使われるようになってから入社した社員も多くいますので、上司も部下も社内で使うのが当たり前になっています」
 花王の広報は、現在の状況について、このように答えてくれた。では、この二つの企業の現在の実績はどうなのだろう。四季報を開いてみた。
 一言でいえば、両社とも順調に業績が伸びている。トステムは、98年3月に95億円以上の赤字を計上しているが、その後は回復。花王にいたっては、一度も赤字を計上することなく、大手格付け機関であるスタンダード&プアーズで「AA」と、かなり高い評価を獲得している。
 しかし、徐々にさんづけ呼称が定着していった時期にあたる90年代前半に注目してみても、特に目立った業績の伸びは見られなかった。「さんづけ運動」が会社の業績を左右する力になったとは言い難い。果たして全社を上げて取り組むほどの運動だったのか、やはり首をひねるしかない。

■危機感にあおられた社会改革組

 さて、 「さんづけ運動」は、経済同友会から提言があった時期にだけ取り入れられたものではない。なんと90年代に入ってから企業改革の一手法として取り入れた企業もあるのだ。
 92年4月から運動を展開したのは第一勧業銀行だ。第一勧業銀行は、同年同月、頭取に就任した奥田正司氏が、「わたしを『奥田頭取』ではなく、『奥田さん』と読んでください」と、全国支店長会議で挨拶したと伝えられる。当時、この「さんづけ運動」への取り組みは、都市銀行初の試みとして多くの新聞で報道された。
 また第一勧銀から遅れること1年。第二地方銀行の殖産銀行でも「さんづけ運動」は開始された。
 叶内紀雄頭取の提案で始まった運動の目的は、意見のいいやすい職場を作ること、そして複雑化した役職名の呼びにくさを解消することにあった。現在、この運動は行員の五割程度にまで浸透している。また運動が社内に与えた効果についても殖産銀行の人事部は次のように語っている。
  「職場の雰囲気が柔らかになり、職位・職制を超えてなんでも話し合える環境作りとマナー向上に大きな力となっています。また、上下関係に縛られず、全員が同じ目標に向かう行風に貢献しています」
 さらに最近になって、この運動を導入したのが山陽特殊製鋼だ。運動開始時期は、なんと97年11月。ほぼ2年と少し前にあたる。
 山陽特殊製鋼で、「さんづけ運動」とともに行われた改革が、社内のフラット化と管理職の年俸制だ。部長・次長・課長・係長・担当の五段階を、部長・グループ長・担当の三段階に改変した。平成大不況によるビジネス環境の激変に慌てて手を打った格好だ。
 しかしこちらは、危機感を持って行われた改革だけに浸透は早かった。
  「昨日まで役づけで呼んでいたのに、いきなり一一月一日から、さんづけで呼ぶのは難しいと思いました。そこで最初のうちは、できるだけさんづけで呼ぶようにという通達を出しました。
 でも改革を実行してみると、心配は杞憂に終わりました。というのも、さんづけ呼称は三ヵ月で社員に浸透したからです。また同時に行われた社内組織の改変も、業務の迅速化という効果を短期間で生み出しました」
 大変良い結果を生み出したと広報部は語る。では、90年代に入ってから「さんづけ運動」を導入したというこれらの企業の現在の実績はどうだろう。
 第一勧銀はご存じの通り、三行合併でどうにか息を長らえたが、どれほど不良債権があるのかはいまもって不明である。またどのように吸収されるのかという明確なビジョンも明らかにはされていない。殖産銀行は、現在でも公表されているだけで192億円もの不良債権に苦しみ、山陽特殊製鋼にいたっては、運動が浸透した99年3月決算で、過去五年間で最悪の赤字を経常している。

■呼称程度じゃ変わらない

 社内の風通しを良くし、人員の流動化のために取り入れられた「さんづけ運動」は、社内の雰囲気こそ変えたかもしれないが、結果的にみれば業績には反映しなかった。それでも97年までこの運動を推進しようという企業があったことは、逆にいえばそれだけ日本企業の風通しが悪かったことを示しているだろう。
 そして企業の業績は、このように安易で表面的な運動などでは、簡単に変わるものではないということだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

激突!新型ゲーム機・冬の陣/家電に追いついたハードとゲーム店店員たちの本音

■月刊『記録』07年2月号掲載記事

■文・取材/本誌編集部

■スタートダッシュで差がついた!

 06年末、ゲームのハード機(本体)がメーカーから相次いで発表され、年末商戦は決戦の場となった。
 11月11日にソニー・コンピュータエンタテイメント(SCE)から「プレイステーション3(PS3)」、12月2日には任天堂から「Wii」が発売された。11月2日にもマイクロソフト(MS)が「Xbox360」の低価格版となる「Xbox360コアシステム」(以下「Xboxコア」)の発売に乗り出しており、三つ巴の争いとなった。
 MSの「Xbox360」は06年末までに全世界で1000万台以上を売り上げているが、日本では売り上げが伸びず、今回の「Xboxコア」で日本市場での掘り起こしを計る。
 SCEと任天堂が席巻する家庭用ゲーム機市場にコンピュータ企業の巨人・マイクロソフトが初代「Xbox」を掲げて割って入ったのが2002年。「Xbox」を中心としたエンターテイメント事業はいまのところ赤字とはいえ、潤沢な資金を有するMSが先行する企業にとって脅威となっていることは間違いない。
 さて、「プレイステーション2」に続く大成功を収めることができるか注目された「PS3」だが、発売前からSCEの混乱ぶりが伝えられていた。
 量産体制が整わず日本とアメリカでは大幅な初期出荷台数の縮小を余儀なくされ、欧州にいたっては発売が延期になったほどである。
「PS3」が搭載する、次世代DVD規格であるブルーレイディスク(BD)を読み取る装置の生産が遅れているのが原因だ。
 当初の計画通りであれば、日米合わせた年内出荷は400万台のはずだったが、実際には200万台程度にまで減少。発売前に希望小売価格の値下げを発表するという波乱もあった。ハードディスクの容量が20Gの低価格版は税込み6万2790円の予定だったが、「Xboxコア」の登場やユーザーからの「高い」との声を鑑みた結果、4万9980円まで値下がりした。
 発売直後こそ店にPS3を買い求める客が殺到したが、それも初回出荷台数が10万台のみだったこともあるようだ。
 対する任天堂の「Wii」は「遊びの原点立ち返ったゲーム機」と言われている。
「ファミコン」が90年代半ば、「プレイステーション」にハード機No.1の座を奪われた後、任天堂も「プレイステーション」の特徴である高機能路線で対抗することを目指し「ゲームキューブ」を発表。しかし結果的に敗北したという過去がある。
「Wii」では、高機能性や高いゲーム性を追求した「PS3」や「Xbox」とは別の「遊びやすさ」「親しみやすさ」を重視。岩田聡SCE社長が「家族全員が毎日当たり前のように触れるゲーム機を目指す」とコメントしていた通り、棒状のコントローラーを片手で持つという気軽さ、それでいて操作が簡単ということから老若男女が楽しめるものとなっている。
 価格も2万5000円と他の2機種より低く、発売後5日間で世界販売が100万台を突破するというものすごいスタートダッシュを見せた。
 年末商戦の時点では「Wii」が他に比べてリードしていると報じられているが、このまま「Wii」が今後のゲーム機の主役になっていくのかというと、そういうわけでもなさそうだ。
 今でこそ「PS3」は高価格だが、1年後には数量的に市場に普及し価格が下がり始め、多くの人に手が届くようになる。そして、なんといってもハイビジョン対応の次世代DVD再生機である「PS3」はAV機器としても最高峰の機能を備え、BD-DVD再生ハードとしても期待されている側面がある。ゲーム機が「家電」に完全に追いついたのが「PS3」といえ、今後の関連デバイスの発表にも期待が集まっている。
 年末商戦以後の各ゲーム機の展望はどうなのか。完全な予想などありはしないが、日々店に立ってゲーム機を販売する店員たちならば、その流れを敏感に感じ取っているはずだ。

■ゲーム担当店員の視点

 家電量販店やゲーム店が林立する秋葉原を訪れた。
 まずは秋葉原駅横にそびえるヨドバシカメラマルチメディアAkibaに足を運ぶ。「Wii」の発売前日の夜から1500人もが行列を作った店舗である。
 ゲーム機器のフロアには多くの人が集まっていた。大きなディスプレイが用意され、映画のような「PS3」のゲーム画面が写し出されているかと思えば、「Wii」の棚にも人だかりができている。
「今のところは、『Wii』が押してると言えるんじゃないでしょうか。今日の時点でも在庫はゼロです。入ってきても、そのたびに即日完売の状態ですからね。やはり幅広い層に人気がありますし、操作方法が斬新で本当の意味で新しいゲーム機というインパクトがあるようですね。」
 店員さんが言うには、なんと予約の受付もできない状態であるという。
 売り場には、「Wii」が売り切れ状態であることを知った客が、人気ソフト『Wiiスポーツ』のパッケージを手に取って、心なしか物欲しそうに眺めている。
 他方、「PS3」には在庫があるようだ。
 初期出荷が少なかった「PS3」の方が在庫があることが意外だった。それでも、今後の見通しが暗いわけでもないようだ。
「思った以上に、BD再生機として『PS3』を見ているお客様が多いんです。たしかに『PS2』発売時も、DVD再生機としての側面がありましたが、そのころはもうDVD再生機は普及していました。でも、今回のBD-DVDに関してはまだほとんど普及していない。その意味は大きいと思います。これからの展望ということになれば、決定的な影響力を持つのは人気ソフトが出るかどうか、ということになりますよ。このソフトが欲しいからこのゲーム機を買う、という判断でハード機を決めるお客様は多いですから」。
 こう語る店員さん自身も、どのゲーム機を買うかはこれから発売されるソフトによって決めるという。

■『ブルードラゴン』でXbox復活!?

 実際にソフトの力によって売り上げを大きく伸ばしてきたゲーム機がある。「Xboxコア」である。「ゲームソフト店「メディアランド」の店員さんに聞いたところ熱っぽく語ってくれた。
「やっとキラーソフトが出たって感じですよね。『ブルードラゴン』『ロストプラネット』あたりが出てきて本体も売り上げが伸びてる感じです。なぜかアキバ(秋葉原)では『Xbox』系が強いという謎の傾向があるんですけど、ここにきて本格的に伸びてきました」。
『ブルードラゴン』はあの『ドラゴンボール』を描いたマンガ家、鳥山明がキャラクターを担当した作品だ。このソフトが発売された12月7日以降、売り上げが伸びたことからも年末商戦がさらに激化したことが伺える。
 ここで、いかにもゲーム担当らしい今後の展開についてのコメントを聞くことができた。
「でも、これから先、どのゲーム機に期待するとしたら、個人的には『Xboxコア』でも『PS3』でも『Wii』でもなく、『ニンテンドウDS』か、『PS2』ですよ。というのは、ソフト制作会社側が『PS3』からソフトを出すのを嫌っている傾向があるらしいということをたまに聞きますからね。『PS3』が高性能になったから、そのソフトを作る側にも相対的に今までより高い技術とコストをかけなければならなくなってしまった、というのが理由だそうです」。
 その点、『ニンテンドウDS』や『PS2』では今後も『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』といった大ヒット間違いなしの超大作が発売を待たれている。新たな3機種に移行するのはまだ早計ということらしい。
 何件か店を回ったが、1月23日まで「Wii」にお目にかかることができなかった。しかし、この23日にようやく「メディアランド」で中古の「Wii」を1台だけ見つけることができた。
 値段を見ると、2万9800円。なんと希望価格の2万5000円より5000円近く高くなっている。買い取り価格は2万6000円前後だという。
「今のところ希少価値がありますから。他の店では中古で3万円を超えてるのも見たありますよ」。
 それでも売れるというから驚いてしまう。新品にしろ中古にしろ、次に入ってくる見通しは今のことろないという。
「GAMERS」本店。この店でも当然のように「Wii」は売り切れである。「PS3」在庫アリ。「Xboxコア」も在庫アリ。
 店員さんの談。
「『Wii』は入ってくるなり品切れ。運がいいときは2週で連続で入ってきますけど、その日のうちにすぐ売れちゃいますね。個人的には『Wii』派です。『PS3』は『機械』という感じがして、気軽に楽しむという感じではないですよね」。
「Xboxコア」の売れ行きは同店でも伸びているという。ここで気になったのは、人気ソフトが出る前とはいえ、なぜ「Xbox360」「Xbox360コア」は伸び悩んだのかということだ。
「初代の『Xbox』と比較して、そんなに進化してる感じがしなかったからだと思います。目新しい機能もないし、ソフトもそんなに充実してなかった。だからMSにとっては『ブルードラゴン』は『これにかけた!』っていう感じだったんじゃないですかね」。
『ブルードラゴン』がヒットし、やや遅まきながら『Xboxコア』が攻勢をかける。それが『Xboxコア』の現状であるようだ。
 少し前まで、ゲームといえば子どもの遊び道具というとらえ方が一般的だったはずだが今は違う。
 SCEはテレビ以上の開発コストをかけ、家電のプラットフォームとしてのゲーム機を視野に入れている。全世界で大ヒットを記録している『メタルギアソリッド』(ハードは「PS2」)に大塚製薬の『カロリーメイト』がアイテムとして登場しているように、ゲームの中に広告が入るのは今後当たり前のことになるという。MSはゲーム中の広告を収入源として視野に入れはじめ、ゲーム向け広告代理店を設置している。
 飛躍的な進化を遂げる今後のゲーム業界に、そして3機種の生き残りの動向に注目!(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (4)

まだ続けるけるべき? サッカー疑惑の祭典/トヨタが糸を引くW杯

■月刊『記録』07年1月号掲載記事

■文・本誌編集部

 競技人口2億4000万人(FIFA発表)とも言われ、地球上で最も親しまれているスポーツであるサッカー。
 国別でチームを組み、4年に1度世界一の座を争うワールドカップが06年にドイツで開催されたことは記憶に新しいが、クラブチームによる世界一のトロフィーをかけての闘いは、毎年この日本で行われている。
 通称トヨタカップとして1981年から行われていた大会では、欧州王者と南米王者が「第三国」である日本で激突し、勝者がクラブチーム世界一となっていた。しかし、05年からはさらにその規模を拡大、欧州と南米の王者のみならず北米、アジア、アフリカ、オセアニアの王者が加わることになった。
 日本で開催されることになり、トヨタカップと呼ばれるようになったのは1981年からだが、大会そのものはインターコンチネンタルカップとして1960年から存在していた。
 60年代の設立当初は欧州王者と南米王者がホーム・アンド・アウェー方式でゲームを行っていたが、特に南米で行われる試合では観客が過剰にヒートアップし危険が伴い、またクラブ側の経済的、スケジュール的な負担も大きいことから、81年から中立的な場所ということで日本で1戦のみ、世界一決定戦が行われることになったのだ。
 05年大会からはFIFA(国際サッカー連盟)主催のクラブワールドカップ(2000年に第1回が開催されるがその後中断していた)と統合する形で「クラブワールドカップ」(以下クラブW杯)を正式名称としている。

 さて、05年から欧州と南米以外に4つの大陸の王者がクラブW杯に参加することになったわけだが、どうも4つのチームが新たに加わる意味が見いだせない、というのはひねくれた見方なのだろうか。
 現在という時代ではスポーツイベントの価値が経済効果で計られ、オリンピックの運営でさえ放映権料やスポンサー効果といった話題から切り離せないものになっているのは言うまでもない。とはいえ、クラブW杯では参加地域の拡大に乗じ、トヨタがブランドのアピールの場としてサッカーを利用しようという魂胆があまりにミエミエだろう。
 新たに加えるチームが、呼ぶに値するチームなのか、というと必ずしもそうでないからだ。4つのチームにはなんとアマチュアのチームまで含まれている。オセアニア代表のオークランドシティ(ニュージーランドのチーム)は、ニュージーランドにプロリーグがないためアマチュアなのである。「アマチュアで何が悪い!」と思われるかもしれないが、今回は実現しなかったとはいえ、オークランドシティとスーパースター・ロナウジーニョ率いる欧州王者・バルセロナが闘うことになればそれは“イジメ”になってしまう。ロナウジーニョは今回の来日で日本サッカー協会から依頼され、イジメ問題吹き荒れる環境に生きる日本の子供に「生きろ、生きろ、生きろ。強くあれ。自殺なんかするな」という感動的なメッセージを送っているのだが、バルセロナ×オークランドが実現していれば、それ自体がイジメだ。
 実際ではそのカードが実現しないようにトーナメント上で両者は最も遠い位置に配されているのだが、なんだかそれも「配慮」というよりは「ウソくさい」感じがする。
 幸い、大会ではバルセロナのスペクタクルな快勝劇あり、ブラジルの超新星・アレシャンドレの鮮烈な世界デビューありで観る価値は結果的にあったのだが、サッカー誌の扱いは限りなく控えめ。あくまで欧州で行われているチャンピオンズリーグが話題の中心。不気味なのは、大会自体の批判記事が少しくらいあってもいいものなのに、どの媒体にも見あたらなかったことだ。
 何よりも引っかかるのは、表記されることのなかったスタジアムの名前である。トヨタカップだった2002年の頃から決勝は横浜国際総合競技場で行われてきたのだが、このスタジアムは日産自動車がネーミングライツ(命名権)を取得、05年より呼称を「日産スタジアム」としている。しかし、この大会中はその名前が出ることはまずなかった。スポンサーであるトヨタの前で日産の名前を出すことなどできない、ということなのだろうが、全くサッカーと関係のないところでそんな力関係が存在するのが現代のスポーツ、と割り切るべきなのだろうか。
 現在、07年度まではクラブW杯は日本で開かれることが決まっているが、その後のことは決まっていない。
 一説では、欧州にトッププレイヤーが集中する現在の傾向を回避し、これまで以上にいろんな地域に注目を集めて貰うために参加国を増やしたという見方もあるが、広告費と世界一の競技人口、という費用対効果を十分に考えたTOYOTAは、スポンサー名を大会名の冠に置き続けるのだろう。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (7)

日中友好の象徴はどうなってる!?

■月刊『記録』05年5月号

■文/本誌編集部

 中国・韓国で反日デモが吹き荒れている。テレビニュースの映像を見る限り、みんな本気で怒っているようだ。戦後、少しずつ積み上げてきた両国との友好関係が吹っ飛びそうな勢いではないか。
 大変だ! 本誌編集部としても状況を把握しなければならない。とはいえ海外に行くカネなどない。で、とりあえず日中友好の象徴を取材してきました!

 中国との友好の象徴といえばパンダである。
 思い起こせば1973年、警備員から「立ち止まらないでくださーい」と怒鳴られ、人波にもまれながら上野動物で初めてパンダを見たのであった。よく見りゃ熊だが、当時、幼稚園生だった私は白黒ツートンとタレ目模様に熱狂した。しかし日中国交正常化を記念して譲渡されたカンカン・ランランを見てから32年をへて、日中の危機を探るために上野動物園のパンダを再訪するとは、なんという歴史の皮肉であろう。
 はやる心を抑えてオスの小屋に近づくと、リンリンは背中を向けてうなだれていた。丸めた白黒の背中は微動だにせず、何分たっても振り向く気配すらない。リンリンはただただ壁を見続けていた。日中友好の象徴はやはり元気がなかったのである。日中関係が相当にこたえているのだろうか。
 それならばとメキシコのチャプルテペック動物園から繁殖のためにレンタルされているシュアンシュアンの小屋に歩を進めてみると、背こそ向けているものの元気に動いていた。在日メキシカン・シュアンシュアンに反日デモは関係ないようだ。
 ただ調べてみると、リンリンがうなだれている原因は日中関係だけではないらしい。シュアンシュアンのレンタル期間が今年までのため、人工授精に失敗すると19歳と高齢のリンリンが独りで老後を過ごすことになってしまうのだという。
 全世界で飼育されているパンダは168頭。そのうち中国国籍(?)以外のパンダはわずかに5頭。リンリンは日本国籍を持つパンダだが、中国籍のパンダと交配して生まれた子どもはすべて中国籍なってしまう。そのため中国籍以外のパンダとの子どもができなければ、日本国籍のパンダはいなくなってしまうのだ。
  「(リンリンの相手が)今年以降もレンタルされるのかはわかりません。お金を出せば貸してくれるとは思いますが、現在は予算もありませんので」とパンダの飼育係員は沈痛な声で応えてくれた。
 ではランラン・カンカンのように中国から譲渡されることはないのだろうか?
  「最近は中国もパンダの譲渡をしなくなっています。パンダを保護するために貸し出すことはあるようですけれど……」
 リンリンが高齢で必ずしも繁殖に適さないことを考えれば、今後レンタルのお相手がくるかは微妙だ。それどころか高齢のリンリンがいきなり亡くなる可能性すらある。そうなったらどうにかレンタル料を都合できても、中国はパンダをレンタルしてくれるのだろうか? かつて「パンダ外交」という言葉があったように、パンダと政治は浅からぬ関係がある。飼育係の方も「譲渡のときは日中関係の悪化にはヒヤヒヤしました」と語るほどなのだ。
 うーん、思っていた以上に深刻である。日中関係が冷え込むなか、日中友好の象徴が上野で滅亡の危機にされていたのだ。
 ところでみなさん、パンダのいない上野なんて耐えられます?(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『私は偽悪者』・ 山崎晃嗣と堀江貴文と

■月刊『記録』06年11月号掲載記事

■牧野出版代表・佐久間憲一さんに聞く

「もし偽善者という言葉に対して、偽悪者という言葉があるならば、彼こそ真の偽悪者だと思います。」
 牧野出版が今年4月に出版した『私は偽悪者』の冒頭に置かれている文言だ。
 文言の主は1950年に『私は偽悪者』(青年書房)を編集した佐藤静子、「彼」であり同書の著者である山崎晃嗣の愛人だった人物だ。つまり、牧野出版が今年出した『私は偽悪者』は、50年以上前に出版された同書の“復刻版”なのだ。
 著者の山崎晃嗣は1922年生まれ。東京大学在学中の1948年に高利貸し会社「光クラブ」を設立し、派手な広告、「人より数字を信用せよ」の信念で会社を爆発的に成長させた。しかし、当時の法定利息を上回る金額を貸しだしていたことで逮捕される。保釈は得たが信用を失い、債権者に約束した金を工面できず会社の自室で青酸カリ自殺を遂げた。
 なぜ今になって彼の著作が“復刻”されたのかと疑問に思われるかも知れない。答えは牧野出版が今年出した同書のオビを見れば一目瞭然だ。
「元祖ホリエモン!? 劇場型人間、山崎晃嗣の問題作復刊。」
 今回の“牧野バージョン”では底本(オリジナル)にプラスして、書の終わりにライブドア元社長・堀江貴文と山崎晃嗣との共通性を検証する項が設けられている。つまり、時代は違えど同じく金が飛び交う舞台で、一瞬ではあるが異常な輝きを放った2人の人物に焦点を合わせた1冊なのである。
 山崎晃嗣の「自伝」的な要素も含む本書のメーンは50年以上も前に姿を消した光クラブの興亡なのだが、読み進める間にもその背後に現代を生きる堀江貴文が見え隠れするような気がしてくるのだ。
山崎晃嗣が魅力的に見えた
 本書に企画段階から携わった牧野出版代表の佐久間憲一さんは、派手な買収劇を打ち、「既存のメディアを殺していく」というハッキリした物言いで世間の耳目を集める堀江貴文を見て、「これは山崎だなぁ」と思ったという。
 構想を練りだしたのは05年の秋頃。もともと光クラブ事件や山崎晃嗣という人物には興味があったが、青年書房刊の『私は偽悪者』を読んでみようと思い、国会図書館に足を運んだ。
「とても面白かったんですよ、実際に読んでみて。ホリエモンと山崎には何とはなしに類似性を感じていて気になってはいたんですけど、読んでいて確信は深まりましたね。後は、読み物として単純に面白かった。これは出すべきだろう、と。確かに法定金利をオーバーしてたことはありますけど、頭脳を駆使して独力で立つ姿勢、『他のいまだ成し得ざりしことをなさん』という信念は良い悪いではなく興味深い人物なんですよ」
 メディアでは「拝金主義者」などの大バッシングを受けた堀江貴文だが、佐久間さんの中には「彼がやっているのは本当に叩かれるべきことなんだろうか?」という思いもあった。
「確かに、粉飾決算という形で一線は越えてしまった。これは叩かれてもしょうがないでしょう。ただ、それ以前に彼がやってきたことは、逮捕以前では“ラインギリギリの創意工夫”でもあったわけです。面白いのは、新聞なり雑誌なりのメディア媒体として出されるものには『堀江許すまじ』といった色合いが濃かったんですけど、個人個人でメディア関係者に話を聞くと、案外彼らも『本当にそこまで叩かれるものなのかな』といった感じなんです。」
 しかし、結果的にほとんどのメディアは堀江を悪者として断罪した。見方によってはただ、バブルのように堀江叩きが盛り上がっていっただけのようにも見える。粉飾決算よりもこっちのほうがずっと恐ろしい、と佐久間さんは言う。

 冒頭で佐藤静子が書いているように、山崎は『偽悪者』なのだろうか。確かに山崎自身が「おれは悪党だ」と言っている下りが本書にもあるが、その真意は今となっては確かめようがない。
 過激な発言と、違法と合法の間で輝きを放った両者だが、こんな存在にどこかあこがれを抱いてしまう人は少なくないだろう。堀江の後に、山崎を彷彿とさせる人物は必ず現れるだろう。
 そのとき、私たちメディアはどのようにして「偽悪者」を受け入れるべきなのか。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

現代のホームレス事情についての対談(神戸幸夫×大畑太郎)

■月刊『記録』06年4月号掲載記事

■路上生活者を追い続けて。
神戸幸夫(『ホームレス自らを語る』の聞き手)×大畑太郎(本誌編集者)

*『ホームレス自らを語る』の連載100回記念企画。神戸幸夫氏と編集部の大畑との対談形式で、現在のホームレスについて語した。

     *     *     *

■就労構造の変化に追い詰められる人々■

●大畑:ギャンブルや酒や借金など、ひとくちにホームレスといってもいろんな理由で路上にたどりつくわけですけれど、やはり仕事とホームレスは切っても切れない問題です。以前は、会社員として普通に働いていた人が解雇されたりして路上に行き着くまでの間には、ガードマンだとか日雇いとかラブホテルの従業員といった仕事がありました。

●神戸:日雇いがその典型ですよね。日雇いの労働者を調達するためにやって来る手配師にとってはアタマ数がそろえばいいわけだから、会社に勤める場合に必要な来歴や連絡先などまったく問わずに連れて行く。別に外国人だっていいわけですよ。
 しかし、最近では景気が悪いこともあって50歳以上の人は相手にされないようです。というのは、仕事に就くことができない若い労働力が余っているので、調達する側から見れば働かせるんなら若い方がいい、そういうことになりますよね。そもそも、景気のせいで日雇いの仕事も数自体が少なくなっています。
大畑:そう考えると、50代やそのあたりのホームレスが仕事をとるのはそうとう厳しいというのが現実でしょうか。

●神戸:そうです。景気について明るい話題がぽつぽつ聞こえはじめてはいますが、土木、建築をはじめ日雇い労働については人手を必要としていない。しかも、終身雇用が崩れた今、正社員といえども安定した身分と言い切れるわけではないです。大企業であってもいつクビを切られるのかわからない。若い世代を見ても、就労構造の変化によってホームレス予備軍が着々と増えつつある。正社員が極端に少なく、パートと派遣でその周辺を埋めるという構造です。正社員よりも低賃金で雇うことができるパートや派遣もいつ契約を切られるか分からないという不安定な状態で仕事をしなければならない。昔、サラリーマンならば中小企業であっても退職金があったし、厚生年金プラス企業年金もあったりして、老後の設計は立ったと思います。今は違います。60歳で定年を迎えたとして、年金の支給がはじまる65歳まで退職金で必死に食いつながなければならない。

●大畑:ひどい会社になると、退職金が前払いになっていて、払われなかったりする。極端に少ない正社員と言いましたが、ある大企業では、一般職のほとんどを別会社に移してしまい、経営状況が悪くなればその会社を潰せるようにしているところもある。以前だったら、労働基準法にてらして議論があり、そういうのはおかしいといわれるようなものなのに、現在ではまかり通ってしまっています。

●神戸:労働者のことなんて、上層部は考えもしないんでしょう。その場その場のさじ加減で状況を切り抜けていけると思ってるんじゃないですかね。そういえば、ここのところ、今までの日本では考えられないような事件が相次いでいるような気がしますね。耐震強度偽装事件、ライブドアや東横イン、雪印、伊藤ハム、各損保生保会社など各企業のモラルが崩壊し、日本全体が刹那的になってるような。ずっと先を見据えたものづくりや人を育てるようなことを考えなくなってしまった。そのいい例が、連載の03年1月号で取材させてもらった山根さんという方の話です。山根さんは当時51歳でコンクリートを流し込む型枠づくり専門の大工でしたが、45歳を過ぎたあたりから高齢を理由にだんだん仕事を回してもらえなくなる。それで、そういうベテランの代わりに図面も読めないとにかく給料が安い若手が使われ始めた。で、ある時、そんな若い大工ばかりを集めた現場で信じられないミスが起こる。図面を読める大工が極端に少なかったせいで、壁の内と外の寸法を間違えたまま壁を立ち上げてしまうんです。結局、つくり直しの費用の数千万円を払えるような大きな会社でもないから、なすすべなく倒産。経営者が人件費を切りつめようとして、結局それが自分の首を絞めることになってしまった。山根さんは「ベテランの知恵や経験を切り捨てるのは狂ってる」と言っていますが、まったくその通りだと思います。そして、経営を安易な人切りによるその場しのぎでやっていこうとするこの構図は、先に挙げた一連の事件や社会全体の風潮と重なっている部分があるように思えるんです。

●大畑:なんというか、救いのない話というか。経験があって、まだ十分に働くことができるという人が放り出されるようになってしまったのはいつごろからなんでしょう?

●神戸:やはりバブル崩壊後でしょうね。今も新宿の中央公園あたりでは増えているようです。年齢層は50代あたり。厚生労働省の最新のデータでは、ホームレスの数は全国で2万5000人と発表されていますが、実際にはそれよりも多いと思います。

■生活保護を受けられない!■

●大畑:現時点のホームレスだけではなく、ニートや不安定なフリーターといった、ホームレス予備軍の問題もあります。

●神戸:彼らは……生活力はあるんですかねえ。

●大畑:いや、おそらくないでしょう。ある専門家がいうには、彼らが生活保護申請を出す前に彼らの問題をどうにかしなければならないと。たしかにそうかもしれないですよね。事故やなにかで親が死んだりしたら、もう路上に放り出される可能性だってあるわけですから。ところで、生活保護はどうなんでしょう。

●神戸:簡単には出さないようですね。

●大畑:やっぱり。

●神戸:あまりにも申請が増えすぎてしまって、役所は申請者全員を認めるわけにはいかないようです。去年(05)の取材で、高血圧がつらくて生活保護を受けようとした方がいます。その方は72歳で、渋谷の区役所に生活保護申請をしましたが、若い担当者が対応して、「入院経験はありますか?」ときいてくる。ないと答えると、「じゃあもうちょっとがんばって働いてください」と簡単に言われてしまう。それで終わり。緊急で保護しなければならない人は他にもいるからというのが言い分らしいですが、その方はひどい耳鳴りと血圧降下剤を飲んで暮らしている。薬を飲むから食欲不振が続いて体力がもたない。こんな方が、申請しても簡単に突っぱねられてしまっているんです。
大畑:72歳でもハネられている。実際にはさらに上の人の生活保護申請も認められていない可能性があるわけですね。

●神戸:生活保護を受けるためにはいくつか条件があるわけです。住所があることにはじまり、働くことができないという医者の証明書、所持金が最低生活費を下回ることなどですが、彼らはアパート代が払えないので、申請をする前に家を出ちゃうんですね。また、そうでなくても生活保護に対する精神的な負い目から受給を申請しない人もいる。これはイヤな話なんですが、申請した当人の何親等かまで家系をたどり、役所が「この人の面倒を見てください」と働きかけに行くんですね。人によってはそういうのがたまらない。田舎の親戚などからは東京に行ってまともに生活していると思われていたのに、実際はこんな生活になっていた、ということが知られてしまう。故郷に錦を飾るとはまったく逆の屈辱でしょう。そしておそらく役所は、近親者を持ち出せば申請をやめるという計算からそういうことをする。そこまで露骨ではないかもしれないけど、少なくともそういう姿勢のあらわれではないかと思います。

●大畑:役所に余裕がなく、企業にも余裕がない。

●神戸:そうですね。余裕といえば、それは家族にもあてはまると思います。路上にいる人たちの中には、実家があり、空き部屋まであるのだけど、そこには帰りたくないという人もいる。なぜかというと、実家に帰ったとしてもそれには義理の姉だとかがいるわけで、そこで迷惑がられるよりはホームレスをしていたほうがいい、ということになる。
 たしかに、義理の姉の立場で考えると、今まで別に暮らしていた人に帰って来られるのがイヤでしょう。また、義姉のいる実家に帰りたくないのも分かるんです。それで思ったのは「家族」の概念がものすごく狭くなってしまったんだな、ということです。

●大畑:たしかにそうです。親の実家には、戦前に2人くらい居候がいたらしいと聞いて驚いたことがあります。

●神戸:昔は、食客というか居候というか血がつながっていようがつながっていまいが、そういう人たちが家族の中にいるのが珍しいことではなかったんです。境界線が曖昧でいろんなものが混ざっていたという感じですか。今の若い世代では、家族といえば夫婦と子どもまでなのではないでしょうか。今の子どもにとっては昔の大家族がうまく想像できないかもしれない。地域という視点で見ても、近所にホームレスがいるとすぐに苦情が出る。これもコミュニティーの狭さからくるものだと思います。

●大畑:家族、地域と様々なものが狭まって、異質なものは排除するという考え方。ホームレスのなりわいのひとつといえる空き缶ひろいに対しても、地域による監視の目が厳しくなっています。「資源の日」などに家庭から出された空き缶を集めようとするホームレスへの対策として、「空き缶ひろいは犯罪です」という立て札を立てたりする。それくらいのことはいいじゃないか、と思うんですがねえ。やはり「異質」であるホームレスは排除したいらしい。
 驚くべきことに、ホームレス同士でさえ階級格差のようなものが存在していると聞きます。「俺はあいつらとは違う」という意識が多くの人にあることは、僕も取材をしていて感じました。

●神戸:あれはほんとに多いですね。

●大畑:似たような境遇なんだから助け合えばいいんじゃないかと思うんですが、そういうふうには絶対にならない。コミュニティーの狭さというか余裕のなさがあって、団結してなにかをしようということにはならない。
 そんな中で、どうにかお互いまとまって状況を良くしていこうとする場合、いったいどういう方法がありますかね?

●神戸:うーん……、しっかりしたリーダー…、いや、すぐには思いつきません。なんともいえないですよね。ただ、やはり企業といい家族といい地域といい、いろんなところで視野が狭くなり、他を排除するという考えが当たり前になっているのは事実でしょう。これは本当に危険な考え方なんです。

■ホームレスを脱出したのはただ1人■

●大畑:以前であれば、クビになる前に労働組合を中心とした経営者との闘争があった。それがセーフティネットになっていましたが、今はほとんど機能していない。また、クビになってしまったとき、路上で暮らすようになる前にあった日雇いのような仕事も、今では期待できない。要するに、セーフティネットの消滅だといえますよね。だとしたら、ホームレスになることを避けるにはどうすればいいんでしょう。

●神戸:はっきりといえるのは、毎日健康で働けることですかね。入院したりすると、医療費がバカになりませんし、何より解雇されてしまう場合があります。いったんホームレスになってしまうと、そこからは簡単に戻ってこれない。以前取材した方に、サウナを拠点にして再就職を果たした人がいました。就職の際には最低でも履歴書に書く住所が必要なのですが、顔見知りだった従業員に頼んでサウナの住所を使わせてもらったんです。彼は働いていた会社が倒産し、妻も難病で亡くしていました。

●大畑:一時的にホームレスになったが、結果的に戻ってきた彼と、他の人たちとの違いは何なんだったんでしょう?

●神戸:やはり、彼の場合はホームレスをしながらもきちんと生活をしようとしていました。毎日掃除をするなんて人はほとんどいません。鍋を買ってきて、回りの人たちにうどんを食べさせたりもしていましたね。そうしているうちに、彼のまわりには人が集まるようになっているみたいでした。コーヒーもあるぞ、何もあるぞ、という具合に人が持ち寄ってくる。そして、サウナの住所を借りて就職活動し、建設会社に就職できたんです。その後、彼に会いました。「あなたがいたからなんとか持ち直すことができた」と言われたときは嬉しかったですよ。いいスーツを着てましたよ。とても立派になった印象で。それで、お酒を飲ませてもらいました(笑)。しかし、私は今までだいたい300人くらいの人に話を聞いてきましたが、彼だけなんです。ホームレスを脱出できたのは。

●大畑:300人に1人。

●神戸:ただ、たしかに戻ってきたのは1人ですが、皆が皆ホームレスを脱却しようとしているわけではないんです。新宿あたりにいれば、食べるもの、寝る場所について一応はやっていけるということが分かっていますから。毎朝、アメリカの教会関係の方がおにぎりをふるまってくれる。水曜日には宗教団体がカレーライスを出してくれる。他にも、ゴミ拾いを手伝えば豚汁を出してくれるなんていう団体もあります。

●大畑:ボランティアの方たちのところをまわっていれば、飢えなくてすむと。

●神戸:そうです。場所によってはそういう援助がない曜日もあり、その日は腹を空かせながらじっとしていると。かえって冒険しなくてもなんとかやっていくことはできる。だからといって援助がまったく途絶えると彼らはやっていけない。複雑なところですね。

●大畑:景気がよくないとはいっても、勝ち組と負け組の二極化が明らかになってきているというのが実際のところでしょう。トヨタなんか当期利益が3年連続で1兆円を超すとかで最高に儲かっている。なのに、ベアで1000円がどうとかいってましたよね。

●神戸:この格差社会のモデルがどこにあるのかというと、アメリカなんです。この国は日本以上に格差社会なんですが、『ルポ・解雇』(島本慈子・岩波新書)によると、所得上位1%の所得が下位90%の合計所得より多いということが明らかにされている。今の日本はこのモデルに突き進んでいるんです。ここで考えるべきなのは、何もモデルになり得るのはアメリカ型のみではないということです。より労働者が守られるヨーロッパ型にならうという選択肢もあるはずなのに、今はそうなっていない。企業という強者がものすごい力を手に入れ、そこに属することができない大多数の人間の生活が追い詰められていくという方針には絶対に反対すべきです。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

待ったナシ!駐車違反取り締まりの新ルール施行/初日ルポ 街の風景が変わった

■月刊『記録』06年7月号掲載記事

■取材/文・本誌編集部

 駐車違反取り締まりの新ルールが施行された初日、いつものルートを運転していた酒屋配達の男性は思った。「まるで日曜みたいだな」。平日ならいつも道路の両脇に駐車されている車がこの日はほとんど見あたらなかった。取り締まりが民間業者に委託され、これまでより強化されることは知っていた。どうやら配達中でも構わず取り締まりを受けること、より短時間の駐車で違反と見なされることも知っていた。それでも駐車違反で引っかからないための具体的な対策を男性は持っていなかった。見張りのスタッフを雇えば人件費がかかる。小さな商店にとってそれはあまりにも大きな打撃である。
「取り締まりが厳しくなるみたいだけど……、どうしようもない。今のところは…」酒店の男性は言葉通りの表情で呟いた。
 95年には年間約30万件だった駐車違反の苦情・問い合わせが05年には65万件に膨れあがった。しかし取り締まりの件数は240万件から150万件と逆に減少。このことについて警察庁は、警察官の多くが治安情勢の回復に費やされ駐車違反取り締まりに人員を投入できなかったと説明する。そしてこれが今回の民間監視員導入の背景だった。たしかに違反車両の多い道路は運転しづらいものだ。車のカゲからいつ人が飛び出してくるのか警戒し、神経を使ってしまう。しかし、今回の新制度導入には大きなひずみが伴っている。
 編集部が駐車違反取り締まり初日の様子を追った。

■不満が渦巻く現場を歩く

 監視員の民間委託が導入されたのは東京で12区、43警察署である。監視員は各警察署が定めたガイドラインに沿って監視を行う。今回は編集部近くであり取り締まりの「最重点路線」に定められている靖国通り、そして同じく最重点路線に定められている新宿駅周辺をあたった。
 新宿駅周辺では青梅街道の新宿警察署の前にある交差点から大ガードをくぐり、伊勢丹の裏側にあたる靖国通りと明治通りがぶつかる交差点まで約1キロ。午後12時半から駐車の認められている場所以外に駐車している車を数え始めた。結果は37台、そのうち運転手のいない車は10台だった。
 ただし1人で荷下ろししている車が「運転手のいる」37台にカウントされており、「運転手がいなければ駐車違反だ」という原則に従えば「違法駐車」の数はさらに増える。しかも駐車している車のほとんどが運搬車両なのだ。
 調査通り沿いには一大繁華街が並ぶ。そうした小売店に商品やその材料を運び込むには車しかない。つまり十分なスペースがない現状で「路上駐車」が「兵站」を支えているのだ。
「会社の仲間もブーブー言ってますよ。駐車できないので2マン体制に変わりました。以前は1人で配達していたんですけどね」。大手飲料メーカーの自動販売機に缶ジュースを運搬している男性はゲンナリした顔でそう語った。ただ、2マン体制をとれる業者はまだマシだ。前述の酒屋にはそうすることもできない。いくらかのコストを費やして駐車場を借りることはできても、重い荷物を駐車場から目的地まで運ぶ作業が上乗せされるのはあまりにもキツい。
 今回の法改正のもっとも大きなポイントは2つ。1つは民間の駐車監視員が違反キップを切れるようになったこと。もう1つは運転手が車から離れて、車を移動できない状態なら取り締まれることだ。もちろん理由によって情状酌量されることはない。実際、食料品を歌舞伎町方面に運搬していたトラックは「配送中」と書かれた札を運転席に掲げ、ハザードランプまでつけていたが駐車監視員は構うことなく取り締まりにかかった。なにかがおかしい。もともとは違法駐車対策のためのルールだったはずが、違法も配達もない十把一絡げ状態になっていた。
 歩合制の給与体系ではないが、取り締まりの数が少なすぎれば駐車監視員も肩身が狭かろう。みんなと同じぐらいの数をあげなければ、サボっているのかと疑われかねないからだ。つまり法の番人というより、違法を待つハンターといった趣、ととられてもおかしくはない。
 監視員はは2人1組で薄緑の制服を着込む。
 駐車監視員が違法車両を見つけると、まず専用のデジタルカメラで写真を撮影。その画像を厚さ約2センチ、縦20センチ、横30センチ程度のタッチパネル式の液晶画面のコンピュータに転送する。
 転送された写真を確認すると、コンピュータを持つ駐車監視員が専用のペンを使い猛烈なスピードで打ち込みを始める。違法車両の種別、違反車が置かれた住所などを選択画面から選んでいく。一連の操作が終わると、今度は違法車両の位置を特定にするために距離を測る。横断歩道や交差点の角から何メートルの場所に止まっているのかメジャーを当てるのだ。
 さて、ここからが最大の難関、違法現場の地図作製である。道路の形や車両のマークなどを、選択肢から選び大枠を完成させたあと、先ほど測った距離や道路がどちらに向かっているのかなどをペンで書き込んでいく。取材した駐車監視員は「至明治通り→」と書き込んでいた。かなり汚い手書きの文字でもコンピュータは認識していた。地図を作り終えたら、駐車監視員2人で記載内容を読み上げて間違いがないかを確認し、違法を知らせるステッカーを貼る。時間にして10~15分といったところか。
 じつは違反が確定するのは、このステッカーが貼られた後にある。駐車監視員が地図を描いている間に運転手が帰ってくればセーフ! 駐車監視員は「警告」と書かれた紙を運転手に渡し、おとがめなし。
 つまり駐車監視員の作業時間が運転手の明暗を分ける大きなポイントになるのだ。実際、新宿の取り締まりでは多くの運転手が地図作製中に車に戻ってきた。
 取材したのは取り締まり初日だったため機械の取り扱いにも手間取っていたようだが、これから駐車監視員も慣れてくる。一瞬目を離したスキに取り締まられたというケースが、今後どんどん増えてくるだろう。
 靖国通り・神保町では古本屋「ブンケン・ロックサイド」の店員さんが悲鳴を上げていた。「車を通りに横付けして来るお客さんは来てくれなくなってしまうかもしれません。打撃もいいとこですよ! お客さんだけじゃなく、古本専門の運送屋さんがいてトラックをこのあたりに停め古本街に本を配送するんですが、これからは今までのそんなやり方も見直さなければならないでしょう」。あまりに硬直的な制度のあり方が至るところで歪みを引き起こしている。それでも、見張り役の人員を増やすことができない、そんな弱者へも配慮していると宣伝したいのか「荷捌き用」と書かれたスペースがいきなり作られた。白い枠線で囲われたこの場所ならば駐車違反にならない。駐車監視員が枠内に止められた車を素通りし、その並びに止められたトラックだけを取り締まり始める光景はかなり異様だった。
 新宿大ガードの交差点から明治通りまでの約400メートルには駅に近い側に5台分、その向かい花園神社などがある側に9台分、計14台分の荷捌き用スペースが作られていた。法律改正前まで業務用トラックが両サイドにズラッと並んでいたことを考えれば、この駐車スペースがどれだけ少ないかが分かる。
 となれば激しい場所取りが展開されるのも道理だ。
「今日は朝9時からかなり取り締まってましたよ。間の前にいた枠の外のトラックがキップを切られてましたから。いや、いけないとは思いますけれど、このスペースにずっと止めておきたくなります。午前も午後もこのかいわいで配達しなければならないので……。枠から出たら反則金を取られますから」
 と、大手宅配便会社の運転手は語ってくれた。配達場所が集中している新宿なら、誰もがそう思うだろう。ちなみに同様の思いを抱えているに違いない佐川急便のドライバーは、「私どもはこの件に関して何も言えませんので」と取材に答えた。国土交通省から認可を得るのに苦労した会社らしく、お上に逆らわないよう会社側から教育されたようだ。
 今回の取材では荷捌き用のスペースに、その筋らしい派手な高級車が駐車されてもいた。運送業の車両を取り締まる前に、こうした車こそ排除すべきだろう。もっとも彼らもどこかで何かを「荷捌き」しているのかもしれないが……。

■このドタバタの裏で笑う者が

 今回の法改正で泣いている人は数知れない。だが、当然高笑いしている業者もいる。なかでも美味しかったのはコンピュータ関連の業者だ。デジカメも入力用のコンピュータも別あしらえの特注品である。
 ただ駐車監視員に機械の評判良かったわけではなさそうだ。報道でも機械の故障は大々的に報じられたほどである。ちなみに駐車監視員のコンピュータはハードが三菱、OSはウィンドーズXPだ。炎上自動車を量産した自動車メーカーの関連会社がハードを作り、バグが出ては修正版を配布するメーカーのOSを採用したのだから機械の故障が相次いだのも妙に納得してしまう。
 さて、今回の法改正については、もう1つ重要な論点がある。それは駐車スペースが足りないことを知りながら販売している自動車メーカーの責任だ。
 ペットボトルやカンを大量に流通させる飲料メーカーが回収にも力を注ぐ時代となった。作ったきりで利益だけを懐にしまい込む商法など、すでに許されない。
 ところが今回追いつめられているのは車の使用者だけ。製造メーカーは我関せずである。なかでも国内シェアの4割を握り、庶民をいじめる小泉改革を推進しながら道路特定財源の解消にだけは抵抗しているトヨタ自動車の責任は大きい。「60年代に始まったモータリゼーション中心の経済政策にのり、トヨタ自動車は大もうけをしてきました。だからこそ経団連の会長まで手に入れたわけです。にもかかわらず道路造成や交通対策など、人が暮らしやすくなるための社会的費用を一切支払いませんでした。ただただ車だけ売り続けるトヨタの姿勢がこの問題にも陰を落としています」とは鎌田慧氏の談。
 先述した駐車している車両の調査でも、運転手のいる車の37%、いない車の30%がトヨタ車だった。シェアよりも数字が低いのは乗用車よりトラックが多いからで、トヨタ系列である日野自動車をトヨタ車として勘定しなかったからだ。もし、トヨタ系列という枠組みで換算していたら50%はゆうに超えていたはずだ。
 6月1日に施行されたこの制度だが、もうすぐ1月が経とうとしている。この頃になってようやく、警察署によっては営業車に対する取り締まりの見直しが検討され始めている。だが、それでもこの新たなルールが弱い立場にある者への配慮にまったく欠けていた点は見逃せない。事件はまだ始まったばかりだ。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

風俗案内条例施行・本当の理由/――青少年のためってホントかよ――

■月刊『記録』06年7月号掲載記事

(■イッセイ遊児……「世の中の問題は性に帰結する」をモットーにする新人ライター。日々編集者にダメ出しをくらいながら何とか生きている)

 2006年6月1日、東京都風俗案内条例が施行された。店舗型のファッションヘルスやお客の待つホテルに女性を派遣するデリバリーヘルス、キャバクラなどにお客さを紹介する風俗案内所の取り締まり強化が目的の法律である。
 条例施行の当日、いつものように風俗案内所で仕事をしていると、一本の電話が鳴った。会社の上の者が「ヤフーのニュースページを見てみろ」と言った。
「1日午後、歌舞伎町、品川、渋谷にある案内所の各店舗の店長それぞれを逮捕。逮捕者は8人」とネット上のニュース記事。
 見せしめである。弱小案内所が数軒摘発されたのだ。
 僕が今こうして原稿を書けず、留置場にいてもおかしくはない。誰でもいい。そんな見せしめのパフォーマンスだった。
 それからしばらくして、突然店の自動ドアが開いた。
「少し悪いね」
 歯切れのよい口調である。
 威勢のいい客だな、と思いカウンターから店側に出ると、大きな看板を持った男と背広の男がいて、警察手帳を見せてきた。本物かどうか遠すぎてわからないが、いちいち「もう一度確認を」とはいえない雰囲気だった。 そしておばさん、おじさんがどっと店の中になだれ込んで来た。
「なんだなんだ」と驚いていると、「これです。ね、もう真っ白でしょう。パネルにはもう猥褻なポスターははれないんですよ」と得意げに警察が説明し始めた。
 おばさん、おじさんは、「ああ、これならいい」と、したり顔でうなずいている。近隣住民なのだろう。
 ふと見ると、テレビカメラがその住民に向けられていた。マイクに向って話をしている人までいる。
 まさかカメラが僕のところには来ないだろうな、といらぬ心配をしてしまった。法律を守って営業しているのだ。違法ではない。ただ、ここで何を話しても、悪人として紹介されるはめになる。それが嫌だった。
 100人を越すであろう行列は、テレビカメラと警察を先頭に「職場」のある繁華街を徘徊していた。
「あんたらがうろうろしているのが一番の地域公害だよー」と思わず心の中で叫んでしまった。インタビューを受けていたおじさんが、一番の強面だったし……。

■1カ月前にも法改正が!

 警視庁生活安全部の広報資料によれば、この条例の目的は「青少年をその健全な成長を阻害する行為から保護すること」と、「繁華街その他の地域における健全なまちづくりに資すること」らしい。しかし、そんな戯言を信じている関係者はいない。案内所を取り締まっても、風俗店そのものが点在している繁華街である。青少年の「健全な成長」など望めるはずもない。
 条例の本当の目的の1つは、一部の悪質な案内所を取り締まるためだろう。
 有名な悪徳案内所「グループM」は新宿でやりたい放題だった。風俗店でもないから許可もいらない。それにあぐらをかいての悪行三昧だった。
 例えば案内所とうたいながら、実はそこがそのまま風俗店の受付になっていたり、40分のサービス時間で客を釣りシャワーを浴びただけで「終わり」にしたり。さすがに客を欺き過ぎたのか歌舞伎町のグループMは摘発され、今はその影はない。しかし池袋ではしたたかに生きている。これでは、まじめにやっている案内所もいい迷惑である。
 しかし、この最も悪名高いグループMは今回の取り締まりでは無傷だった。警察がマークしていることも分かっているだろうから、さすがに店も条例違反にならないように努めたのだろう。
 一方でデリバリーヘルスの女性とお客がことにおよぶラブホテルは摘発されている。
 本当に悪質風俗案内所を取り締まりたいだけなのだろうか?
 じつは今年の5月1日に風適法(旧法は風営法と呼ばれていた)が改正された。狙いは風俗店舗を持たず、電話を受けて女性をホテルや自宅に派遣するデリバリーヘルスの取り締まり強化だった。その1カ月後に新しい法律が施行され、デリバリーヘルスなどの入り口となる案内所ががんじがらめに規制された。この2つの法律が意味するところを考えるなという方がおかしい。
 そもそも新条例の禁止行為が書かれた用紙を眺めていると、要するに全部ダメということになる。
 まず大きく変わったのが営業時間だ。
 以前は午前4~5時ぐらいまで営業ができたが、午前0時閉店になってしまった。もともと風適法により、案内所の紹介先である風俗店は午前0時以降の営業が禁止されていた。しかし、ほとんどの風俗店はあの手この手を使って営業を続けてきたのだ。しかしお客が最初に出向く風俗案内所が当局からにらまれて0時以降の営業ができなくなると、風俗店も終業するしかない。
 風俗で働く女性は夕方からの朝までというシフトが多い。つまり今回の法規制で営業時間が半分に減ったことになる。当然、稼ぎも減る。個人で「モグリの売春」をする娘が増えることは確実だ。現に風俗案内所でボーイをしている僕に、「ヘルスだと取り分が少ないから、良い客がいたらサービスは外でする」と、もらす娘もいるほどだ。
 もう1つの大きな規制はホステスの写真などを表示できなくなったことだ。
 僕の勤める案内所に掲げてあった30枚近くのヘルス広告パネル、10枚ほどのキャバクラのパネルポスターは全部剥がされた。白いパネルを後ろから蛍光灯が寂しく照らしているだけとなった。
 案内所は店内のパネルで広告料を取っている。それなのに警視庁が出したガイドラインに沿えば白いパネルしか置けないのである。女性の裸はもちろん、男女がマイクを持って歌っているものでもアウト。キャバクラのパネルに女性の顔写真もダメ。看板に使われる文字にいたっては「人妻」も許さないという。
 案内所の店内には一応パソコンモニターが6台置かれ、そこに契約しているクライアント風俗店の情報が入っている。ただ店員が詳しく案内をするわけにはいかなくなった。店での割り引き券となるチケットも、昔は店独自のものだったが、今では案内所が発行する統一されたチケットだけである。そのうえ案内所が出す音にまで騒音規制が加わった。
 猥褻なポスターが許されないなら、そのポスターだけを警告してほしかった。案内所のスピーカーから流れる有線放送のうるさい店があるなら、その店舗に警告してほしかった。
 それをしないのはどうしてか? つまり案内所が邪魔だったのだろう。
 いまだに売春防止法がありながらソープランドでは本番ができる。風適法があっても夜中に風俗店は開いていた。この状況を警察が知らなかったとは言わせない。じゃあ、見逃していたのはなぜか。店舗だったからだ。いつでも警察が取り締まれる営業形態だったから、店と警察は癒着し互いにうまいことやってきたわけだ。
 しかし電話番号だけで、女性の待機場所を隠したまま営業できるデリバリーヘルスは警察にとって我慢のならない代物だった。その手先となる案内所も。
 おかげで天下の歌舞伎町の案内所でさえ、午前中の入客が2名なんてことになってしまった。

■うつ病にかかった店員も

 1カ月前の風適法改正で呼び込みが禁止されたこともあり、風俗各店は案内所での顧客獲得に力を入れていた。そこに、この条例である。案内所からみればクライアントである風俗店からの期待(突き上げ)も大きいだけに、条例は案内所で働き生計を立てる者の精神を強く圧迫する。
 施行日の逮捕者は8人だったが、池袋の系列の案内所では0時を回っても明かりを消さなかったという理由で、若いスタッフが警察に連行された。
 時間が過ぎていたのは分かっていたが、客がパソコンを見ていたので無理やり帰すのもむげだと思ったという。優しさがあだになった。
 グループMの系列店は別にして、普通の案内所では学生や目標をもった人間が働いている場合が多い。クライアントや行政、地域住民からのたび重なる圧力で、うつ病になった人もでた。
 彼はうつになりながらも辞めずに、1人家族の祖母のために必死で働いている。父と母ではなく、祖母に育てられたからと。
 取り締まりのパフォーマンスしか流さない警察や一部マスコミにより、本当の話が消えている。都合よく風俗業界を支配しようとする条例の下で、潜り業者は今も蠢いている。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

阪神大震災と「酒鬼薔薇」

■月刊『記録』97年8月号掲載記事

■阪神大震災と「酒鬼薔薇」

(■和田芳隆……ルポライター。1967年東京生まれ。阪神大震災直後から神戸入りし、世間の取材熱が消えた現在もなお、取材を重ねる。著書に『地震社会学の冒険』。)

 実は、児童虐殺事件の前に同じ地域で通り魔事件が起きたとき、もしかしたら被災者の犯行ではないかとの、嫌な予感がしていた。「ひょっとして、何もかもなくした被災者が、被災が軽かった地域を妬み嫉んで、弱い子供を相手に憂さ晴らしをしたんじゃないか。だとしたら最悪だな」と思っていた。そう思わされるほどに、人々の心が荒廃の度を深めていることを、被災地を探訪するたびに痛感していた。
 一四歳の少年が逮捕されたからといって、殺人の実行者だと決めつけるのはまだ早いだろう。名ばかりの「任意」同行から逮捕されるまでの半日間、密室の取調室で何が行われていたのか、明らかにされていない。過去において、これが冤罪の温床となってきたことを忘れてはいけない。それでもやはり、被災地の人心の荒廃が、一連の事件とどこかで関係しているのではないかと感じている。

■互いに罵り合う被災者

 家や職を失い、将来の展望を見出すことができない被災者は、生活再建にこぎつけた被災者を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか生活再建を軌道に乗せつつある人たちは、いまなお避難所生活を続ける人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「乞食」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境で人々の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。
 神戸市内のある公園で、園内に建てられた仮設住宅の住民と地域住民との間の、犬の散歩(たかがこれだけのことで)を巡るトラブルを取材したことがある。仮設の住民は「犬の鳴き声がうるさいから散歩に来るな」と苦情を言う。地域住民は「仕事もせずに家賃の要らない仮設に住んで文句を言うな」と応酬する。「仕事があればとっくに働いている」「仕事などいくらでもある。働く気がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。
 犬などの動物を飼う行為は、傷つき疲れた被災者の心の癒しになるという側面もあるのだが、仮設の住民は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。被災者が高齢だったり持病を抱えていると、たとえ本人に働く気があっても、企業のほうが雇わない。地域住民も被災地で暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。震災直後にしきりに言われた「皆の心が一つになった」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。
 こんなにも人々の心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで普通に生きていた人たちが、一瞬に大量死した大震災の不条理。生き残った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ、是正どころか日に日に広がっている。被災地の外は、忘れることだけは「熱心」だ。義援金は被災者のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために送られたのではないかとさえ思う。震災取材を続けていると「まだそんなことやってんのか」とよく言われる。「まだ仮設住宅があるのか」とも、何度尋ねられたことだろう。被災者を支援も救済もしない、残酷な社会がそこにある。
 これらを目のあたりにして、何も信じられない、頼れない、との絶望感を被災者が抱いた、その果ての人心の荒廃であること以外に、理由などあり得ない。阪神大震災は、日本という国家・社会の信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、安政江戸地震の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいった江戸幕府の末期の姿と、よく似ている。
 大人の心がこれだけ荒廃して、子供が無縁でいられるはずはない。被災者の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校という場で露骨に現れる。震災後の学校では、ささいなことがきっかけで、子供どうしの喧嘩になることが増えたという。震災によるストレスや、被災者間格差を生んだ大人社会の眼差しの反映だ。わたしも深夜、とある駅前で、荒んだ目をした少年たちに突然絡まれ、無視していたら追いかけられたことがある。以来、被災地に滞在中は、夜のコンビニの前などでたむろしている少年たちのそばへは、決して不用意には近づかない。

■激震地に冷たい周辺住民の視線

 容疑者の少年も、殺人以前の問題として、人心の荒廃を感じ、その影響を受けていたことだけは間違いあるまい。市街地の「激震地帯」に住む親類が被災していたというから、被災程度が軽微な地域に暮らし、強制収容所のように仮設住宅が群をなす「団地」から離れていても、大震災の被害を身近に感じていただろうことは、想像に難くない。少年が小学校の卒業文集に書き記したという「たとえ死刑になっても……」との、為政者への憎悪の言葉からは、大震災で受けた衝撃の痕跡を読みとることができる。
 それに少年は、震災は他人事でありながら、勤務先や通学先が激震地帯にあるために、全くの他人事でもないという、微妙な地域に住んでいた。震災から日をおいて、交通網が部分的に接続されるや否や、廃墟を目指して通勤を始めたのは、主としてこの地域の住民たちだった。自分たちがほどなく日常生活に戻ったことから、まだ廃墟の混乱のなかにある被災者までをも、半ば無理矢理に日常へとひき戻してしまった。その結果、被災者が避難所から通勤するという異常な事態を招いても、その異常さにはほとんど無関心だった。わたしはそこに彼らの「冷たさ」を感じとった。少年も何かを感じていたかもしれない。
 自分の住んでいる町は難なく日常生活に戻ったのに、地下鉄に乗って十数分で着く市街地は、瞬時に崩壊し、いまもって回復していない。大人たちは、避難所生活を送る人々を「汚い存在」とみて、侮蔑し嫌悪している。このギャップから、少年は、社会に対する憤怒と憎悪を涵養させていったのではないだろうか。
 卒業文集をはじめ、これまでに報道されてきた少年の言動からは、思春期の多感な少年少女に特有の破壊衝動や、それに短絡する歪んだ正義感といったものが感じられる。少年が社会に対して憤怒や憎悪を抱いていたとしても、決して不思議ではない。わたしにも覚えがあるし、同じ思いをくぐり抜けてきた大人や、いままさに共有している子供は多いだろう。何も特別な存在などではないのだ。ナイフを持ち歩いていたことがそんなに問題か。わたしは中高生の頃、拳
の大きさに合わせて針金を巻き、それをテープで束ねた自家製の「メリケンサック」を持ち歩いていた。少年が「学校に来るな」と言われていたように、高校生の頃、「文句があるなら退学しろ」と教師に言われたことを思い出す。
 しかも少年は、大震災を体験した。本来なら歪んだ正義感を血の通ったものへと昇華させていくはずの時期に、大震災と社会の不条理に直面してしまった。そこには心の成長を促す心境も環境もなかった。より弱い立場の被災者を切り捨てる大人社会から、少年は残酷さを感じとっていたのではないか。そしてその残酷さは、少年の心をも蝕んだはずだ。もしも本当にあれが少年の犯行であるならば、大人社会の残酷さを忠実に反映して、より弱い立場の者へと、憤怒と憎悪の矛先を逆転させてしまっただろう。
 荒廃した人心が、一様に殺人に至るわけではない。しかし、そんなことはどうでもいい。被災地の人心の荒廃を思うにつけ、一連の殺傷事件と、奥底で繋がっていると感じずにはいられない。被災地の誰が殺人者であってもおかしくはない。少年が殺人を犯していても、いなくても、どちらでも不思議はない。それが被災地の現実なのだ。殺人者の心に巣くい、宿った暗闇が、大震災とそれが露わにした残酷な社会の生み出したものではないと、いったい誰が断言できるのか。
 誰かの心が荒廃するとき、そうさせる者もまた、等しく荒廃している。荒廃し、荒廃させ、わたしたちは、とても残酷な社会に生きている。残酷な奴だ、少年といえども厳罰に処して懲らしめろ、とヒステリックに叫んでも、何の意味もない。そう叫ぶ者は、そうすることで、社会の残酷さを覆い隠し、己の鬱屈や造悪を晴らそうとしている。こうした人々の心も、残酷で、暗闇が巣くっている。被災地を切り捨てたように、少年を自分とは異なるものとして、切り捨てようとする暗闇が宿っているのだ。これらの現実をまず直視しなければ、誰も、何も、どうすることもできない。

■近隣住民の衝撃

◎中学ではイジメが増えた
 阪神大震災以降、青少年は変わったようですね。中学校でのイジメが増えたと聞いています。ただ、震災のショックの受け方も人によって変わるようですよ。暴力的になった生徒がいる一方で、人とのふれあいを大切にするようになった生徒も増えています。今度の殺人事件も、そんな影響があるのかもしれませんね。
 このあたりの地区はほとんど地震の被害を受けていませんが、場所が近いだけに肌で感じるところがあると思います。
(四〇代 女性)

◎犯人の卒業文集には共感
 中学生があんな殺人事件を犯したのには驚きました。三〇~四〇歳ぐらいの大人が、殺したのだと思っていましたからね……。震災の影響で殺人が発生したとは思えないんですが、犯人が卒業文集で書いていた村山富市前首相に何をするかわらないというのは、この地域の多くの住民が持っている感情でしょう。そんな怒りを住民が抱えていることは事実です。
(二〇代 男性)

◎震災で一体感を得た
 震災と今回の殺人事件は、まったく関係ないと思うんです。というのも、震災以後、会社や住民の結びつきが強くなったように感じるからです。私が勤めている会社は土木機械を売っていますから、震災後に土木工事が増えて残業も増えました。でも私が働くことで街が復興に近づいているという気持ちが、活力を生むんですよ。同僚も同じように感じているらしく、震災前とは違った一体感を持ちながら仕事をしています。   (四〇代 男性)

◎震災で何かが変わった
 うまく言えませんが、地震を体験して何かが変わりました。人生観というと大げさですかね、価値観が変わったといえばいいんでしょうかね。土師君を殺した犯人は、どうだったのかわかりませんけれど……。
(五〇代 女性)

◎普通の人と違う
 首を切り取るなんて考えられない。普通の人間とは違うでしょ。しかも、子どもの行動を親がわからなかったというのも、びっくりしています。震災が間接的に影響しているとは、思いたくないのですが、今でも恐いですよ。(五〇代 女性)(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

税金ドロボウ列伝・その6/文部省大学入試センター

■月刊『記録』97年4月号掲載記事

● 【泥棒6】文部省大学入試センター
●18の春に泥を塗った文部省(浪人生)

 今年、1月18・19日に行われた大学入試センター試験は、例年にないお粗末なものだった。「国語1・2」で2ヶ所、「日本史A」で2ヶ所も出題ミスが発見された上に、国語の選択問題では選び方がわかりにくく、誤って回答する受験生が続出した。そして決定的だったのは、浪人生と現役生で平均点が21.69も違った数学だ。
 旧課程から新課程へ移行期の初年となる今年、浪人・現役用に2種類の問題を作成した。文部省が決めた課程の変更に伴う出題ミスなのだから、尻ぬぐいは自分ですべきなのに点数調整には踏み切らなかった。東京・神田の駿台予備学校の前で聞いた。
 早稲田大学への進学が決定した一浪の男子学生は、「東京大学文科三類を受験した。1浪だから後がないので必死だったのに、20点以上も不利だったのかと思うと腹が立ってしょうがない。受験は1点勝負だ。合格ラインには、2~3点の間に何百人もいるといわれている。僕も小さな取りこぼしをしないように、細心の注意を払った。それなにの自分の実力と関係なく、20点も引かれるなんて信じられない。私大が受かっていたからよかったものの、もし国立大だけに絞っていたら、一生、文部省を恨んでいたよ」と話す
 同じく東大を受験した別の学生は、「東大は受かるとは思っていなかったので、数学の点数についてはそれほど腹は立たないけれど、広重力大学入試センター所長の発言にはむかついた。何が『社会に出たらもっと厳しいことがある』だ。自分のミスを謝らない態度は、薬害エイズの時と一緒だ。東大に受かっていても、役人だけにはなりたくないと思った」と怒りを隠さない
 例年、浪人生は現役生より点数が高いの当たり前だった。にもかかわらず現役生の方が平均で22点も高いというのだから、出題ミスは明らかだ。これだけ大きな間違いを起こしながら、二段階選抜の緩和だけでお茶を濁そうとする文部省および大学入試センターには日本の教育を管轄する資格はない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

税金ドロボウ列伝・その5/労働省中央労働委員会

■月刊『記録』97年4月号掲載記事

【泥棒5】労働省中央労働委員会/不当労働行為のやり得でいいのか

(■樫村潔(国鉄労働組合書記長)かしむら・きよし……1960年臨時職員として国鉄に入りし、その後12年間車掌などを務める。その間に労働運動の道へ入り、36歳で分会の副委員長から一挙に盛岡地方本部の書記長に。87年10月、国労東日本本部委員長。91年10月国労書記長に就任)

 1987年2月16日、JRへの採用・不採用通知が出てから10年もの月日が経過した。しかし、中央労働委員会から不当労働行為だと認められ、救済命令が出された国鉄労働組合員のほとんどは、職場復帰していない。結果として中労委は、不当労働行為が「やり得」になるような環境をつくりあげている。
 国労としては、地方労働委員会に訴え、さらに中央労働委員会の決定を待ち、その上裁判所の緊急命令を待つ他には法的な手段はない。地労委で2年、中労委で5~7年、地裁・高裁・最高裁で10年となれば、救済命令が施行されるまで20年もの月日が流れてしまう。考えてみてほしい。高校を卒業して定年するまで、わずかに人が働ける時間は37年しかない。そのうち半分以上の時間、人間らしく働くことができないのである。
 中労委の命令に拘束力がないのは、労使関係は罰則で押さえつけるものではないという崇高な理念が根底に流れているからだという。私もその理念には賛成だ。しかし、労働委員会委と裁判所を合わせた5審制を悪用する資本家に対しては、あまりにも無力だ。現状のような状態が続けば、あらゆる資本家に、不当労働行為がやり得だという意識を植え付けかねない。
 地労委が救済命令を出すのに2年ほどかかるのは仕方がないだろう。むしろよくやってくれていると思う。問題は中労委だ。年間400件ほど訴えがあるとはいえ、なぜ5~7年もかかるのか。何か思惑があるとしか思えない。
 同じような疑惑を労働省にも感じる。他の問題ではあれだけ素早く行政指導を行う中央官庁が、一向に行動を起こさない。労働省に、救済命令の履行を指導するようにお願いに行っても、「できない」と言われる。「なぜですか」と尋ねても答えない。
 その謎解きに使える道具がある。『アエラ』(97年1月6日)に掲載された中曽根康弘元首相の言葉だ。「総評を崩壊させようと思ったからね。国労が崩壊すれば、総評も崩壊するということを明確に(国鉄分割・民営化を)意識してやったわけです」。国鉄解体を押し進めた張本人が、国労崩壊を目指していたという。私見だが、立法府が決めたことに官庁は手を出させないと思っているのではなかろうか。そう考えれば、労働省が動かないのも頷ける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

税金ドロボウ列伝・その4/法務省東京入国管理局

■月刊『記録』97年4月号掲載記事

【泥棒4】法務省東京入国管理局/日本憎しを植え付ける入管生活

Pirouzan Mansour(イラン人)ピルザン・マンスール……1957年10月テヘラン生まれ。ウエスト・ネクロス・フィリピン大学に入学。85年に米国アメストライン大学院修士課程を修了し、来日。大手エレベーター会社に就職したものの突然の解雇にあい、偽造テレホンカード売りをしていた)

 日本人はほとんど知らないだろうが、入管では信じられないことが次々と起こる。私が警視庁上野警察署と入管との合同摘発で捕まった時もそうだった。私は、別れた日本人の妻と同じ名前を付けた犬を飼っていた。テレホンカードを売る時も、寝る時も常に一緒だった犬だ。ところが捕まったと同時に、入管は犬に対する所有権放棄の書類にサインをさせたのだ。私は漢字を読むことができないため、何の書類だかわからないまま、通訳も介さず「とりあえずサインをしろ」と強制された。そのうえ入管は、犬を引き渡してすぐに保健所で殺したにもかかわらず、近所の日本人が引き取っていると私をだまし続けたのだ。
 もちろん入管のなかでの生活も普通ではない。現在、7人部屋で生活しているが、同じ房で生活している人のなかには、エイズ患者がおり、殺人犯がおり、精神病患者いる。
 HIVが日常生活で感染しないとわかっていても、食事も便所も一緒なのは不安なものだ。まして開いた本を凝視しながら何時間もブツブツと独り言を言い続けたかと思うと、いきなり奇声を上げる精神障害者と狭い房の中で、24時間一緒に生活するのは不気味だ。他の房では精神病患者の自殺が立て続けに起こったこともあったから、杞憂とも言い切れない。
 入管の医療体制がひどいだけに、より一層不安感が増す。先日、入管から飲み薬をもらったところ、顔が真っ赤に腫れ上がってしまった。薬の副作用なのだろう。慌てて診察をお願いしたら、次にセンターに来るのは3日後だという。入管の職員は「ひたすら待て」と言うだけだ。仕方がないので、便所の小さな窓から一晩中顔を出して冷やし続けた。そうしなければ、痛くて眠ることもできなかったからだ。
 海外に行く際に日本人は十分に気を付けたほうがいい。入管に収容されているすべての「外国人」は、日本人はすべて殺すと息巻いている。なかには前述のように殺人犯もいる。これだけひどい扱いを受ければ、復讐したくなる気持ちもわかる。役人の悪行は、一般人の血によって支払わされるかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

税金ドロボウ列伝・その3/建設省

■月刊『記録』97年4月号掲載記事

【泥棒3】建設省
■「建設省一家」に行革は無理

(■森田喜美男(東京都日野市長)もりた・きみお……1911年生まれ。東大農学部実科卒。朝鮮総督府、大東亜省所属在外農業指導員などを務め、47年、中国から引き揚げ帰国。66年から日野市議。73年4月に日野市長選で初当選。以後連続6期)

■いきなり70億円減収

 バブル崩壊以降、日野市の税収は年々減少する方向にありました。そのような状況にさらなる追い打ちをかけたのが、1995年から実施された住民税の特別減税です。この決定により、日野市は3年間で70億円ほどの減収となったのです。自治体の財政構造の良否を判断する指標である経常収支比率は、3年間に82%から93%へと悪化しました。
 中央政府の決定によっていきなり税収が70億円も減ったのにも関わらず、国からの援助は減収補てん債を認めるといったものでした。しかし地方債を発行すれば、当然金利がかかります。近い将来、金利は地方財政を確実に圧迫していきます。日野市は発展途上の町である一方で、市民の高齢化も少しずつ進んでいます。健全な地方財政を維持することは、現在はもちろんのこと、将来的にも非常に重要なことなのです。安易に地方債を発行するわけにはいきません。
 そこで、まず財政の無駄な支出を減らす努力をしました。例えば地方税の納期前納付の奨励金を全廃し、4000万円ほど捻出しました。また職員の退職者数を補充せず、100人ほど減らしました。仕事量が変わらないのにも関わらず職員を減らしたのですから、どれだけ大変だったかは理解していただけると思います。
 しかし、血のにじむような努力をしても、新しい70億円の減収を埋められるはずもありません。そこで、新たな財源を探さをざる得ない状況になったのです。その時に思いついたのが、中央自動車道への課税でした。
 そもそも日本道路公団の高速道路は、将来的には通行料が無料になるという前提のもとに、固定資産税が非課税になっているのです。ところが、95年11月に開かれた道路審議会で出された答申では、高速道路の永久有料化を打ち出しました。つまり非課税の前提が崩れているのです。また、実際問題として高速道路の無料化は実現する可能性はないでしょう。そのため日野市は、96年の2月から課税するための評価額の算定作業を進めていました。96年は課税を見送ったものの、97年度分の算定は終わりました。そこで課税通知書を日本道路公団に送付することを決定し、課税手続きを進めています。

■封建時代じゃない

 課税自主権の立場に基づいての課税ですし、法律上はまったく問題ありません。それどころか、憲法92条には「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」と書いてあります。
 ところが中央道への課税を表明した昨年2月以降、何度か東京都による非公式な行政指導が行われました。しかも、ハンコを押した公式の文書での要請は、一度もありません。それだけではありません。日本道路公団の監督官庁でもある建設省の大臣である亀井静香氏が、私をアルツハイマーだとおっしゃった。彼の人権感覚については、その関係の人が一定の評価を下すことになるでしょうし、問題の本質ではありませんが、道路公団への課税に対してこのように反応したことには問題です。
 日本道路公団は「建設省一家」グループの大切な一員ですから擁護するのでしょうが、封建時代ならいざしらず、行政改革が叫ばれているこの時期に一家意識を持ち続けるのはいかがなものでしょうか。このような意識では、行政改革などおぼつかないでしょう。中央官庁は縄張りを守ることだけに力を注がず、血を流して行革を進めなくていけないはずです。
 もちろん日本道路公団も血を流すべきです。道路公団に恨みもありませんし、民営化を求めているわけでもありませんが、課税を認めないなら無料化に向けた体質改善をしていただきたい。各種の報道では、放漫経営が指摘され、建設省官僚のOBの天下り先として批判も高まっています。このような公団を非課税のままにしておくのは、明らかに不公平です。課税は公平かつ公正に行われなければ、国民の理解を得られません。中央政府には、公平な課税権を認めていただきたいと思っています。
 JRでは民営化に伴って、路線への課税が実施されてました。日野市には京王線も通っていますが、この路線にも当然のことながら税金が課されています。私からみれば、無料化のめどもたたない中央道に課税するのは、しごく当然のように感じました。これほど大きな問題になるとは思っていなかったのです。
 残念ながら、日本では地方の自治権は認められていません。権限委譲が行われたにしても、財源は独自に探さなくていけません。中央政府から認められるのは地方債という借金だけです。財源がないために、地方も中央政府の顔色をうかがい、交付金のお願いをすることになります。これでは地方自治が確立するわけはありません。
 本来、地方と中央の関係は、対等・平等でなければならないと思います。互いに切磋琢磨しながら、良い関係を築いていくべきです。そのような関係を作るためにも、発言すべきことは申し上げようと思っております。地方が発言しなければ、中央に地方の声は届きませんから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

税金ドロボウ列伝・その2/林野庁

■月刊『記録』97年4月号掲載記事

『税金ドロボウ列伝』

【泥棒2】林野庁
■性懲りもない「官」の横暴 ―秘境知床―

(■小山俊樹……こやま・としき……1962年東京に生まれる。自然環境問題、建設問題などを専門にルポルタージュを発表。現在は、建設関係の共同組合に席をおく。主な著作に『知床スキャンダル』など)

■林野弘済会の売店出店計画

 北海道・知床半島。オホーツク海沿岸を網走から斜里町へ南下し、さらに国道334号線を知床国立公園へと向かう途中に「オシンコシンの滝」はある。アイヌ語で「そこにアララギが生い茂っている所」に流れるこの滝は、知床観光の拠点・ウトロの街のほど近くに位置し、滝の前には園地(滝見公園)と駐車場が備えられていて、知床を訪れる観光客が1度は立ち寄る名勝である。
 今、この滝の前に財団法人林野弘済会が売店を出店したいとして問題になっている。
 ことの発端は一昨年(1995年)の夏、北見営林支局が林野弘済会北見支部直営の売店を建設するために、滝見公園の一部を返還してほしいと地元の自治体・斜里町に申し入れたことによる。実は公園の敷地は林野町所有の国有林で(といっても樹はほとんどはえていない)、それを斜里町が無償で借受け、オシンコシンを訪れる観光客などのために開放してきたものである。弘済会の計画では、公園敷地384平方メートルを返還してもらったのちに、店舗面積約100平方メートルの売店を建てたいとした。
 営林当局による売店計画はこれが初めてではない。91年にも同様の申し入れを斜里町に行なっている。しかし、このときは地元の自然保護団体「オシンコシンの環境を考える会」と町内の商工業者の反対で計画は頓挫した。「知床の名所である同地に売店を設置することは景観上マイナス」といった意見のほか、「ウトロの近くに大型店舗が進出すると地元商店街に経済的不利益をもたらす」と考えられたからである(当時は現在の倍以上の店舗面積が予定されていた)。思わぬ地元の反対の声に萎縮した営林当局は、以後具体的な動きを控え、売店計画は事実上白紙に戻った。
 その計画がなぜ4年も経った今になって再び浮上したのか。95年11月10日に、斜里町の午来昌町長が議会にこう報告している。
 ――本年度に入って、弘済会から何とか計画通りに売店建設を進めたいと話がありました。町としては、6項目(規模の縮小や景観への配慮)を提示して大枠をやむを得ないとの判断をしたものの、地元の反対の声がある中では、それらの理解を求めることが先決であると弘済会に伝えました。その後、弘済会は反対の立場をとっておられた方と協議をして、了承を得たと報告してきました。(問題が解消されたので)いずれ公園用地返還の手続きが必要になりますのでご理解いただきたい――
 これに反発したのが91年と同じオシンコシンの環境を考える会である。現会長の桂田歓二(ウトロ在住・民宿経営)こういう。
「弘済会のいう地元の理解を得られたというのは、我々の会の前会長個人を捕まえて、賛成もしないし反対もしないという言質をとったことを指しています。逆にそれ以外には、地元の理解の声はほとんどない。景観が損なわれることは4年前の時点と全く変わっていないし、むしろ開発の進んだ知床の自然に、これ以上手を加えずに次世代に引き継ぐ重要性は高まっているのです」。

■林野官庁の生き残り策

 商工業者の反応はどうか。96年9月21日に、売店反対派の小川佳彦(ウトロ在住・宿泊業)がウトロ地区の宿泊・飲食店83件を対象に行ったアンケートがある(回答率58%)。このうち「計画に反対する」が83%、「商売に悪影響が出ると考えている」業者が56%もいることがわかった。そのため、同年10月17日に開かれた斜里町観光協会ウトロ部会の役員会では、斜里町長宛に以下のような要望書を提出することが申し合わされた。
 ――(オシンコシンの売店については当初から反対でしたが)斜里町から町と営林署、営林署と土地利用者との関係もあり、「営林署との関係を悪くしたくない」との配慮から斜里町が林野弘済会に最小限度の条件を提案したことに対してやむを得ないとの結論を出したところです。〈中略〉(しかしアンケートの結果のように)地元商工業者は「建前賛成本音反対」ということもご理解のうえ、売店営業に対して今後とも問題の出ないように特段のご理解とご配慮をお願い致します――
 売店の建設自体は、95年11月21日に斜里町が国有林の返還手続きをとり、3日後の24日には営林支局が弘済会に使用を許可したことで、法律上の手続きはクリアされていた。ただし、考える会や商工業者の反対の姿勢は根強く、読売新聞道内版が「着工までに曲折も」(95年11月22日)と大きく報道したことなどから、1年近く先送りされていた。
 96年10月15日、考える会の桂田は、「斜里町が公共用地を私的営利(弘済会)に利用させるために営林署に返還するのは不当」などとした住民監査請求を、斜里町監査委員会に提出した。ところがその審査が行われている最中の11月1日、弘済会は抜き打ち的に売店建設に着工した。弘済会にしてみれば、1年近く様子を見たし冬も迫っている。この時期を外すわけにはいかなかったのだろう。だが、やり方が横暴すぎる。斜里町監査委員会は、結局「本請求は請求の対象とならない」と門前払いをくわせるのだが、同請求権の脆弱さ、無力さは、工事が強行された時点ですでに明らかになった。
 ご記憶の方も多いと思うが、かつて知床では、国有林を舞台にした空前の自然保護運動が盛り上がった。86年、北見営林支局は知床国立公園内の国有林から数百本にのぼる広葉樹の抜き伐りを計画した。これに反対する全国の自然保護派と1年余りにわたる対峙の末、支局は反対派の抵抗を威嚇するために機動隊まで導入して抜き伐りを強行した(詳しくは拙著『知床スキャンダル』を参照されたい)。今回の売店問題は、その経過、強行に至った「官」の動機とも国有林伐採のときと酷似している。強行に至った「官」の動機とは、いったい何なのだろうか? それは沸騰する行政改革論議に怯える林野官僚のなりふり構わぬ生き残り作戦だった。さらに町益優先で決して民意の期待に応えない斜里町という自治体の体質が、最悪の形で融合したのである。

■「馬鹿」「単純」「旧態依然」

 次の文面を見ていただきたい。斜里町の経済部長・甍岡豊が、売店建設の有無を問うアンケートを実施した小川佳彦に送りつけた“脅迫状”である。
 ――さて、オシンコシンの問題に関して種々動いていらっしゃるようですが、相変わらず「様々な観点の上に立って」行動することが嫌いなようでございまして、初めに「ご自分の答ありき」から出発する手法は少しも進歩していないという感を受けます。アンケート調査の「商売にどのような影響が!」という設問は、誰しも商売仇が現れたら「影響がある」というのは当たり前の話であり、少しもおかしくありません。〈中略〉アンケートは、ただ集めた結果を公表するだけなら「馬鹿」でも出来ます。設問そのものも、何を意図しているのか余りに単純すぎて理解に苦しみます――
 信じられないかもしれないが、これは町の経済部長が町民に送った手紙の原文である。町民を「馬鹿」「単純」呼ばわりし、おまけに慇懃無礼な言葉使いで完全に相手を見下している。もう少し先を読んでみよう。
 ――隣に出来る店を排除することは自由経済の原則に反するものである。〈中略〉林野弘済会も1個の経済体であり、特別視することは体質的な誤りであることを認識すべきである。(斜里市街地に置いても、かつて町外資本の大店舗の進出計画を町内商店街が阻止した冷があるが)反対の結果、何が変わったのか! 誰もが旧態依然の経営にあぐらをかいている内に競争という原理を忘れ、商店街の発展にブレーキをかけてきたのが実態ではなかったか!-
 これほど地元経済界を敵対視している経済部長も珍しいのではないか。だいたい経済部長である甍岡自身が身を粉にして取り組まなければならない地域振興を、「旧態依然」とした民間のせいでできないなどと威張っているその神経が理解できない。

■疑惑まみれの町長

 こんな暴言を許している(これまでのところ小川への謝罪や弁解はいっさいない)斜里町の町長というのがまたユニークな人である。午来昌斜里町長は、87年に現職を接戦の末やぶって初当選した。初当選の年は前述した伐採問題の渦中にあり、地元の自然保護団体の元会長という肩書きを持つ午来の当選は、「グリーン派町長の誕生」ともてはやされたものだった。しかし、その虚飾が剥げるのにはそれほどの時間を要しなかった。
 当選したその年に、彼は国立公園内に所有していた町有地の森を伐採してコンクリートの建物を建てた。この建物は知床自然センターといい、ダイナビジョンという巨大な映画館を備えている。映像設備のハードとソフトは大手教材会社「学習研究社」のものだが、これが疑惑まみれの代物なのである。同センターの計画書には着工以前から学習研究社のパンフレットがそのまま引用されており、落札はいかにも「予定通り」出会った。おまけに入札を目前にひかえた時期に、午来町長は学習研究社の元社員とドイツ旅行まで楽しんでいる。
 90年、午来はセンターに隣接する町有地を観光客のための駐車場にすることを認め、数千平方メートルの森を皆伐採した。最近になって、更に観光客を誘致するために駐車場を拡張したいとしている。斜里町はかつて、環境保護のために国立公園内へのマイカー乗り入れ規制を完全に忘れ、森林を伐りまくって車の乗り入れを助長している。もう一言加えておきたい。駐車場が設置された場所は、全国から寄金を募って植林し「森を永久に保全する」と斜里町が約束している「しれとこ百平方メートル運動」の対象エリア内なのである(この運動の欺瞞性については、いずれ詳しくお伝えしたい)。
 斜里町という自治体は、約束や前言を簡単に翻して、町益を優先させる自治体であることがおわかりいただけたと思う。そういう自治体が、オシンコシンの売店に関してだけは、町民や観光客の利益を考えて国有林の返還に応じたと考えるのは甘過ぎる。
 ウトロ部会が町長宛に提出した要望書の中に、「営林署との関係を悪くしたくない」という文言があったことを思い出してほしい。実は今回斜里町が売店計画に同意したのには思惑がある。国道334号線沿線には利用可能な営林署所有の国有林がまだ幾つもある。町としては、将来その国有林を利用しての開発計画も視野にあり、ここで営林当局に貸しをつくっておく方が得策だと考えたのだ。
 もとより営林当局がこの時期にオシンコシンに売店を出店するのにも思惑がある。それが読めなかったのか、知っていて荷担したのか分からないが、「営林署との関係を悪くしたくない」という町益を優先させて、後述するような、国民的な期待である行政改革に反する結果をもたらした斜里町の責任は極めて重い、と私は思っている。

■林野庁はもういらない

 96年11月7日、売店計画の白紙撤回を求めて北見営林支局に出向いた桂田を、広報室長の千葉美辰は「応対できない」の一言であっさりと追い払った。ウトロから支局のある北見市までは車で往復5時間の距離である。意見があるから話し合おうとやってきた住民を、こんなに邪険にあつかう役所がほかにあるだろうか。桂田はめげずに4日後に出直した。今度は森林活用課課長の高橋亜夫が出てきたのだが、「話はわかった」以外の何ものでもない。7日に会った弘済会北見支部長の山本一之はもっとひどかった。桂田が参考のために弘済会の資料が欲しいというと、「何もない、何もない!」といって席を蹴るようにして立ち去ったという。後日、桂田は東京で弘済会発行の立派なパンフレット(コピー)を手にするのだが、こんな話を聞くと、あの忌まわしい薬害エイズ事件のときの厚生省の対応を思い出す。
 さて、ないはずだった弘済会発行のパンフレットを見ていると様々なことが気にかかる。その一つが弘済会が運営する売店での取り扱い品目である。新聞報道によると、オシンコシン売店で扱う商品は「民芸品・海産物・たばこ・フィルム・イモダンゴ」などとなっている。弘済会のパンフレットには、たしかに林業傭薬剤や苗木などを「物品販売事業」として取り扱うことが明記されている。しかし、民間で十分対処できるものを、なぜわざわざ行政の外郭団体が売り出す必要があるのだろうか。
 もしオシンコシンに弘済会の売店が出店したら、甍岡がいう「旧態依然とした」ウトロの民間業者の売り上げに影響が出るのは必至だろう。これを「ひとつの経済体(経営体の誤り)」と既成業者の「競争原理」と認識するのは無知でしかない。この問題の論点は、民間でできるものを「官がやろうとしている、それによって民間に悪影響が出るおそれがあるということにある。これはすなわち、現首相が「火だるまになってやる」と公約している行政改革に反することなのだ。
 国有林野事業特別会計は、95年度末で約3兆4,000億円の累積赤字を抱えている。林政審議会答申による数次にわたる改善策を実行してきたが、成果が上がったのは現業職員が激減したことぐらいで、それ以外の問題は解決の見通しすらたっていない。96年11月5日の朝日新聞社説には、とうとう「国有林を守り、活用するために、特別会計はやめて一般会計に移し、林野庁は解体したらどうだろうか」という提言が掲載された。林野庁解体が大新聞の社説で論評されたのは初めてではないか? この社説を少し補足すると、国有林野事業には66年からすでに多額の一般財源が投入されている。95年度だけで、治山治水工事費やマツクイムシ防除費などの名目で460億円が支出されている。また「第2の予算」と呼ばれる財政投融資資金からはこれをはるかに上回る額(一説には10兆円!)がつぎ込まれている。事業の立て直しに見込みがない以上、財投資金のほとんどはいずれ不良債権化するだろう。
 96年11月16日の毎日新聞によると、林野庁は森林の荒廃状況の把握や堰堤工事の必要性などを調査するコンサルタント業務のおよそ8割を(総額約4億8,000万円)、身内の財団「林業土木コンサルタンツ」と「林業土木施策研究所」に独占的に受注させていた。あまりの偏向発注に、行政監察局から勧告を受けていたにもかかわらず改善されなかった。公費で事実上の赤字補填をしてもらいながら、関連する団体や会社には優先して仕事を発注してその運営を助けるとは、一体どういう了見だろう。二つの財団の理事は全員が林野庁OBである。林野庁は天下り先を確保するために、行政監察局の勧告をあえて無視してでも偏向発注し続けなければならなかったのだ。こんな連中に10兆円もつぎ込んだあげく、これからまた一般予算で面倒見てやらなければならないのだから頭にくる。
 オシンコシンの売店もこれとまったく同じ構図である。
 林野弘済会の理事は100%林野庁からの天下りである。これは支部ベースでも変わりない。林野庁自体の存続が危ぶまれるなかで、外郭や関係団体の存在など風前の灯だ。何でもいい、自分
 達の存在をアピールしなければ……。北見支部はすでに北見市内と美幌峠、小清水原生花園に直営の売店を持っている。オシンコシンはおそらくそのいずれをも上回る収益ゾーンになる。近い将来林野弘済会の存続問題が俎上にのぼったとき、「ほら、こんなに売れてますよ。国民に指示されてるんですよ。」と主張するにはかっこうのタマである。また、万が一行革の対象になって林野庁がなくなっても、売店の権益だけは何らかの形で残せるかもしれない―。林野官僚の天下り先はキープできるわけだ。
 この推測を裏付ける発言を、「弘済会の資料など何もない」と強弁した山本北見支部長がしている。斜里町の阿部祐太郎経済部長(当時)が観光協会」の意向を受けて弘済会に出向いたときのことだ。「なぜ売店をつくりたいのか」という問いに、山本ははっきりと「営林署職員の過剰人員の受け入れのため」と答えている(96年10月17日観光協会ウトロ部会役員会の報告書より)。
 官益優先、民意無視。いまもっとも国民から批判を浴びている「お役所天国」温床が、今回の売店問題なのである。

■聞く耳もたず

 売店工事がはじまった96年11月3日から10日にかけて、桂田はすぐ横の滝見公園で観光客を対象に建設反対の署名を募った。反応はすぶるよく、実質3日間で700人の署名が集まった。バスガイドが車内で売店問題を説明し、バス客全員が署名していった例もあったという。
 滝の前をはしる国道334号線は、西がカーブのため陰になり、東はすぐにトンネルと非常に視界が悪い。写真を見ても分るように、売店が滝につながる敷地を占領しているため、観光客はごく狭い歩道を通るか、車道にはみだして滝に向かうしかない。売店反対派が特に心配しているのは、実はこのような人の流れの変化による交通事故の多発である。その点について知床の暴言男・甍岡はこう反論している。
「現状において問題はあるのは、滝を見物する観光客ではなく海側の風景を見るために国道を横断する人達である。建物が建つことによって危険性が増すというのは論外であり、滝を見物する観光客ではなく海側の風景を見るために国道を横断する人である。建物が建つことによって危険性が増すというのは論外であり、滝を見物するためにわざわざ国道に出ていく者はいないわけであり、(売店建設との)関連生は考えられない」
 この男には、売店ができることによって人と車の滞留時間が長くなり、路上駐車や車道にでる人が確実に増えるという「関連生」が想像できない。だいたい滝見客と海見客を分けて考えるのがおかしい。オシンコシンを訪れるすべての人たちの安全を考えるのが地元自治体の務めだろう。
 96年12月19日、桂田は「営林支局長が林野弘済会に国有林の使用を許可したのは違法の疑いがある」として、行政不服審査法にもとずく審査請求を農林大臣宛に提出した。桂田は前出の北見営林支局の高橋に書面を手渡したのだが、席上また一悶着あり、受付印が欲しいという桂田に対して、高橋は頑としてそれを拒んだ。これではいったい誰の責任で大臣に届けられるのか分からない。桂田は念のため配達証明便で林野庁本庁に書面を郵送したが、12月19日、桂田「営林支部長が林野弘済会に国有林の使用を許可したのは違法の疑いがある」として、行政不服審査法にもとずく審査請求を農林大臣宛に提出した。桂田は前出の北見営林支局の高橋に書面を手渡したのが、席上また一悶着あり、受付印が欲しいという桂田に対して、高橋は頑としてそれを拒んだ。これではいったい誰の責任で大臣に届けられるのか分からない。桂田は念のため配達証明便で林野庁本庁に書面を郵送したが、12月19日に本庁の二村信三業務第2課課長補佐から「確かに接受しました」という連絡があるまで不信感を拭えなかった。
 林野弘済会の売店建設計画では、96年度は基礎工事だけをおこない、雪どけを待って、97年春から上物の建築を始めるという。前述のように、売店の建設は監査請求の回答がでる前に着工された。だから今度も、たとえ不服審査の答えがでていなくても、粛々として工事は再開されるだろう。
 いったい国民の権利とは何なのだろうか?要望書、交渉、署名、新聞への投書、法律的手続き……。これだけの抗議をしても、明らかに民意―行政改革に反する100平方メートル足らずの売店の建築すら止められない。行政の横暴をウォッチするシステムがあっても、それはただのお飾りに過ぎないのか?
 オシンコシンの滝の前に売店を設置する必要はまったくない。なぜなら、かつてここを訪れる人の中から、「売店がなくて困る」という声があがったことが一度もないからである(少なくともそういう事実があったことを営林当局も明らかにしていない)。欲しいのは林野官僚ひとりだけ。天下り先を確保するため」、ただそれだけのために売店は建設されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

税金ドロボウ列伝・官僚も政治家もアホが多すぎる

■月刊『記録』97年4月号掲載記事

■消費税5%&減税打ち切り記念特集「税金泥棒列伝」

■【泥棒1】首都高速道路公団・農林水産省・国税庁
「官僚も政治家もアホが過ぎる」

何の権威も帯びずに官僚と戦い続ける2人が初対談。
快気炎は誰にも止められない!

天下の農民 川崎磯信(ヤミ米&どぶろく)
                  VS
中小企業のオヤジ 和合秀典(首都高500円通行)

(■川崎磯信……かわさき・いそのぶ……1936年、富山県婦中町に生まれる。中学卒業後、農業に従事。82年、減反政策を拒否したため、米の買い上げを拒まれ、やむなく米の販売を始める)

(■わごう・ひでのり……1941年、東京生まれ。都内の高校を卒業後、1971年より金属加工業「和合ダイカスト(現ユニティー)」代表取締役。高速道路500円通行の市民団体「フリーウエイクラブ」会長)

     *     *     *

■官僚はヤクザと同レベル

●和合 首都高速の500円通行の原動力となったのは、役人と警官が昔から大嫌いだったことですね。ふざけるなと思っていましたから。川崎さんは、いかがですか?

●川崎 私の場合は、役人をからかって追いつめたいという変な性格が災いしたのでしょう(笑)。役人が東といえば、西という性格ですから。普通、地方の村民は役人が東といえば西から戻って来ますから。1982年、政府の減反政策を拒否してから、役人との闘いが一生の仕事になりました。

●和合 川崎さんの家が「ガサ入れ」されている様子をテレビニュースで見ていた時、川崎さんの家族から物を投げつけられても役人は無表情に自分の仕事をこなしていましたね。善し悪しの判断は上に任せて、自分はロボットのように決められたことだけやる。運ぶとなったらヤリが降っても運ぶ。これこそ役人の体質です。

●川崎 そうです。昨年10月5日に、国税庁から14人ほどガサ入れに来た時、小競り合いになって私が転んでしまいまして、『どうするんだ。傷害罪だぞ』と役人に言ったら、『私はその係ではありません』と答えるのです。彼らは自分の仕事だけにしか、興味がありません。

●和合 薬害エイズ問題だってそうじゃないですか。毎日、患者が死んでいくのに、事実を隠し続けるわけでしょ。行政の仕組みとしての欠陥以前に、人間性の問題です。自分達の仕事をして、自分の縄張りを守ることができれば、隣で人が死んでも気にしないという態度ですね。

●川崎 欠陥人間でないと、役人は務まりません。役所に入った瞬間から、そういう人間に育てようとしています。
和合 以前、首都高速の入口で、私の車の前に大の字になった公団の職員が現れました。『どうしても通るなら、オレを殺して通れ』というわけです。まるでヤクザの世界でしょ。
 その後、首都高速道路公団に乗り込んで、『お前らふざけるな。大の字に寝た職員がいたけれども、こんなこと指示しているのか。ヤクザか、お前らは』と、怒ったわけです。そうしたら一部始終を聞いた公団の幹部からは、驚くべき答が返ってきましたよ。『和合さん、なるほどそんな骨のある奴が1人いましたか』と賛美するんです。『私どもの監督不行届です。どうもすみません。以後気をつけますから』という答が返ってくると思っていたのですが。
 その後、建設省をはじめさまざまな官庁に出向いて、この話をして意見を求めて来ましたが、答はすべて同じ。『たいした男だ』と、皆が賛美します。
 この事件があってから、役人の住む世界が私達とは少し違うなと思うようになりました。
■役人の脅しに屈するな

●川崎 結局、役人は自分の組織を守るために動いていますよ。

●和合 そう、だからこそ役人は、昨日と今日は同じように維持しようと努力するのです。時代にそぐわなくなった酒税法を後生大事に守っていたのは、その典型でしょう。

●川崎 現在でも、酒税法によって2100人ほどの役人が養われています。さらに国税庁からサッポロやキリンなど大手酒造メーカーに天下り、のうのうと暮らしている連中もかなりいます。つまり酒税法は官業の癒着そのものを示しているのです。この癒着を守るため、がっちりと組織がつくられていますから簡単には崩れないでしょう。

●和合 役人は組織を守るために、小さな動きを潰そうしますから。500円通行を始めた当初、130人ぐらいの賛同者のほとんどは潰されてしまいました。いまは10人ぐらいですよ。
 首都公団の役人が3人1組で自宅に行くわけです。100円集金に来ましたといってね。『お宅のお子さん、あるいはお宅のご主人は100円払ってません』と、5・6時間ねばるわけです。それでも払わなければ、会社に集金に行きます。それを皆やられて、『和合さん、申し訳ないけれど1回しか500円通行できなかった』と言ってきました。

●川崎 逆に役人の脅しの部分を怖がらなければ、それが彼らへの脅しになるんです。例えば、刑事罰も怖くないと言い切れば逮捕できないんですよ。
 裁判でもそうです。利口ぶる必要は全くありません。馬鹿になりきったほうがいい。素朴な質問をしながら法律の欠陥を指摘していくと、最初反発していた役人も次第に従順になります。問題は、従順になってからどうするのかです。さらに突っ込んでいくか、それとも役人と妥協するか。
 例えば私の作った米は、どの品評会に出しても一等です。でも、それが逆にくすぐったいというか、性に合わんのですよ。一方、役人から言わせると、あれだけ目をかけている川崎がどうして逆らうのかということになります。

●和合 私は、役人に権力はないと思っています。税金で飯を喰っている奴がどうして権力を持っているですか。でも、国民は役人に従うんですよね。

●川崎 日本人は、上の言うことは間違いないという固定観念があります。不審に思いません。そういう意識を役人はうまく利用しています。

■役人を崇拝していたい日本人の習性

●和合 私は、日本人がここまで従順だとは思っていませんでした。当初、500円通行は半年で片がつくと思っていましたから。
 2年8ヶ月ほどの間に2回の値上げが行われて、400円から600円になったのを思えていますか? 民間企業の常識では50%の値上げなんて考えられません。その時、私は絶対に払わないから矢でも鉄砲でも持ってこいと決心しました。国民も警察は怖いけれど、私が法律の欠陥を指摘して堂々と500円通行すれば、追従する人がたくさん出てくると思ったわけです。でも、追従した人の多くは潰されてしまいましたね。

●川崎 国民も役人には頭にきているけれども、徹底的に叩きのめして改革するのは嫌なのでしょう。法律に従順だから、罪悪感を感じるんです。ヤミ米を売ることや、首都高速を500円で通行することが悪いと思ってしまいます。けれども本心で悪いこととも思っていない。悪いと言われるのが嫌なのでしょう。
 私の闘いの中で一番大変だったのは村でした。国から減反やれといわれて反旗をひるがえした時は、一番村から叩かれました。村八分というか、全部敵。そのころは大変でした。今になって手のひら返したように「銅像立てる」なんて言っています(笑)。

●和合 確かに500円通行を始めた時は、みんな味方になってくれと思っていて、これは世の中喝采するな、若者は後に続くなと、私も思っていましたから。

●川崎 理論では皆賛成している。ところが、いざ実行に移すと皆反対します。ある程度以上に役人を叩こうとすると、『もう止めたほうがいい』という声が強くなります。ムシロ旗を立てて役人の前までは行きますが、なかに押し入って直談判する人はいません。

●和合 それが農耕民族である日本人の特徴です。罰より村八分が怖いのでしょう。

●川崎 最初は本当にひどかったです。村からは犯罪者のように見られていましたから。

●和合 民衆が正義を受け入れるとは限りませんからね。

●川崎 結局日本人は、お上も下々も好きなんです。役人を崇拝していたい習性があるんですよ。

●和合 それは自分が楽だからでしょうね。

●川崎 役人を叩きつぶすことに対する危機感といったものがあります。本当は、絶対に信頼できるものを求めているのでしょうけれども、そうもいかないから役人を信じているのです。役人に不信を持ったいても、役人以外信じる人がいない状況ですから。

●和合 そんな日本人の性格を、役人はさらに利用します。強いところには何もいわず、弱いところをどんどん攻めます。お金でも何でも、取れるところから取ろうとします。役人は、『500円通行も和合1人ならいい。それが広まったらかなわない』といいました。
■あきれた政治家の無能ぶり

●川崎 国民から不信感を抱かれても、どうにか今のシステムが機能しているから、役人も安泰でいられるんです。だから役人の世界を変えるためには、100円でもいいから支払いを拒否することです。
 ヤミ米を売っている私の「川崎商店」も株式会社ですが、税金の申告は拒否しています。ところが国税局は何もいってきません。

●和合 でも、役人の人事権を持っているのは政治家でしょ。本当に悪いのは、政治家ではないですか?
 そう考えているため、ここ何年かは公団のバカを相手にしてもしょうがないと思い、相手にしてしていませんでした。そのかわり、政治家を引きずり出そうと、ガンガンやりましたよ。だいたい20~30回電話やファクスをかければ、何かしら反応があります。本当に世直しをしようとするなら、官僚を叩いてもしょうがない、政治家にならなければだめだと思いますよ。もっとも今さら頭を下げて、政治家になろうとは思わないけれども。

●川崎 政治家はアホですからね。評価の対象外でしょう。そのうえ政治家は、族議員としての力関係によって、見方になったり、敵になったりしますから。酒税法なんて竹下登が生きている限り法改正はしないと噂されています。現在、現役の220人もの国会議員から酒税法改正の署名はとっているらしいのですが、族議員がストップをかけています。

●和合 結局、法律を決める基準がどっかにいってしまっています。法律は国民のためにあるわけです。ところが族議員のためとか、決定の基準が歪んでいるのです。その歪みをまず正さなければダメですね。それは政治家しかできないと思いますが。

●川崎 でもあの連中では、正常な議論はできないのです。それに実際には、今の政治家に立法能力はありません。だから役人の砦はなかなか崩れないと思います。

●和合 たしかに、元建設大臣の野坂浩賢が『首都高速の値上げはダメだ』と官僚に一言言ったら、『ご説明申し上げます』と1日20人ぐらい官僚が訪れて、山ほどの資料を使って説明したそうですから。それでみんなやられてしまうと、野坂氏の秘書から聞きました。
 そして議員の頭にあるのは、次の選挙をどうしようということだけでしょう。今後日本をどうしていくのかなんて、全く念頭にないわけです。

■最後の敵は日本人そのもの

●川崎 日本テレビの対談で、当時、農林水産大臣だった畑英次郎と話をしたことがありますが、彼は『悪法でも法は法ですから』とバカなことをいいましたよ。

●和合 それはひどい。自分は無能ですといっているのと同じですね。なんといっても国会議員は、立法機関である国会に出席するのが仕事ですからね。

●川崎 そんな政治家の無能ぶりを役人が利用しています。役人がいなければ、政治家は務まらないのが現状です。

●和合 そういう意味では、役人もかわいそうといえば、かわいそうなんだとも思いますね。親分がアホだから、右往左往しながらめった打ちにあっているわけでしょ。
 行政改革でも大臣が指示を出すべきですよ。官僚が自分のリストラを自分できるわけないでしょう。

●川崎 それはそうですね。官官接待が問題になっていますが、それを取り締まる法律がありませんからね。自分を取り締まる法律を、役人が自分で作れるわけないのに。

●和合 菅直人がエイズ問題を大きく前進させたように、今後は政治家がどんどん変わっていくと信じたいし、変わらなきゃだめでしょう。川崎さんが大臣になったら日本も変わるでしょうね(笑)。

●川崎 町長レベルならば、本当にがんばれば私も当選するかもしれません。でも、変わらないでしょう。役人に追従しなければ、町長なんてできません。中に入ったら、崩すことはできないでしょう。

●和合 それでは、どうすれば日本は変わりますかね。

●川崎 明治維新と同じでね。関東大震災か食料問題で、せっぱ詰まって地獄をみないと日本は変わらないと思います。革命が必要でしょう。今度の革命はすごいと思う。江戸時代から続いて戦後も持っている日本のシステムが崩れますからね。
 私は号令的な内閣が必要だと思いますよ。日本人はそういうものに弱いですからね。だれかに日本人は命令されないとダメですよ。中心がないと日本は不安定です。天皇陛下を中心に立てたいですね。あれを遊ばせとく手はないでしょう。

●和合 そうですか。私は何とかなると思っているんですよ。時代は変わってきていますから。今は夜明け前の暗闇みたいなものです。そのうち若者が500円で、首都高速を通行するようになるはずです。

●川崎 確かに国民が変われば、日本は変わるでしょうね。変な話ですが、役人や検事に話した方が話がわかってもらえることが多い。日本の末期的な状況の責任は国民にあるのです。

●和合 例え金魚鉢の中に暮らしいたとしても、人間の脳味噌は自由ですから、外の世界を考えてみるように心がけてほしい。当たり前になっていることこそが変だと、国民が気づかなければいけませんよ。

●川崎 役人の責任を追及すると、その責任は国民に返ってきますね。最後の敵は、身の回りにいる人だ。そこがやりきれないですね。

●和合 いや、2000年までには日本も変わりますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

患者よ、「がん治療」を選択せよ!

■月刊『記録』97年1月号掲載記事

『患者よ、がんと闘うな』の著書で医学界に衝撃を与えた近藤誠医師と、“エホバの証人”の無輸血手術を含め、約6000件の手術を手がけてきた日本屈指の外科医大鐘稔彦医師が日本のがん治療を一刀両断する。本当に必要ながん治療とは何か。患者はがんをどう捉えればいいのか、熱い論争は日本の医学界の現状に大きな疑問を投げかける。

       *       *       * 

■早期がんで全摘?

●大鐘 近藤さんが『患者よ、がんと闘うな』を書いたことにより、手術や抗がん剤の投与を多くの患者が拒否し始めたとも報道されています。
 私はこのような傾向は非常に良いことだと思っています。外科医とすれば、切らなくてもいいものを切ってきたような罪悪感にとらわれる本かもしれませんがね。
 近藤さんの理論がまぎれもない事実としたらどえらいことで、我々外科医は発想の転換を強いられるでしょう。
 半年前に、私のいとこが早期がんと診断されたと言って、相談に来たんですよ。場所が悪いから全摘(※ここでは胃を全部切り取ること)と言われたんです。胃の上部でね。早期がんで全摘はきついだろうと思いまして、彼の地元のがんセンターの内科を紹介しました。外科に行ったらすぐに切られるでしょうから。
 近所の医者に内視鏡で診てもらったときは、グループⅤ(※生検で得られる病理組織診断の分類法で、Ⅰは正常、Ⅱはやや異常あり、Ⅲはかなり異型が強い、Ⅳは悪性に近い、Ⅴは完全に悪性)だからすぐ外科で切ってもらえと言われたそうですが、がんセンターで再検したところ、グループⅣだったそうで、外科にも相談を持ちかけたらしいんですが、すぐに手術するのではなく、しばらく様子をみようということになったんです。
 これには驚きました。がんセンターも変ったなあ、と思いましてね。最近電話したら、まだ切っていないと言っていました。半年経ちます。つい最近の検査で、やっとグループⅤになったと言っていましたね。とはいっても5ミリぐらいの大きさですから、内視鏡で切れるものならそうしましょう、ということになったようです。ただし、深達度を調べてからということらしいんで、エコーで調べてから、ということらしいです。
 私からみると、がんセンターが早期がんとはいえ半年間も経過をみるのは画期的なことですよね。

●近藤 それで患者の容態は、たいして変わらなかったでしょ?

●大鐘 ええ、変わってないようです。

●近藤 私も何人かのがん患者を、手術しないで様子をみています。ほかの病院では、内視鏡的な治療もできず、患部をふくめた臓器の切除だと言われた患者なんですが、容態は変わらないんですよ。

●大鐘 先生の理論が正しいとすれば、容態はずっと変わらないわけですよね。

●近藤 まあ、ちょっとは変わってもいいんですけれども(笑)。なかには、これからどんどん大きくなるものがたまたま紛れているということもありますからね。ただ原則的に、検診でみつかるものは、どんどん大きくならないと考えています。

●大鐘 ただし、その理論を根拠づける長期にわたるフォロースタディーはないわけですよね。
●近藤 ええ、まあ。しかし、検診で見落としたケースを集めて、人とか人単位で集計しているんですよ。そのなかで比較的かたよりの少ないと思われる結果をみると、がんはむしろ大きくなっていないんです。これはケースの集め方が影響すると思います。あちこちの病院から、医者の印象に残ったものを取り上げるというような調査は信用できません。医者の印象に残ったような例は、ほとんど進行がんなんですよ。そうなると、早期がんは進行がんになる、というような調査結果を生んでしまいます。現に、現在はそのように言われているわけですからね。
 一方で、ひとつの施設内で集計したものなど、偏りの少ない調査結果では、がんが大きくならないケースが多いようです。
大鐘 ただ一般には、早期がんでも%の割でリンパ節転移があると言われています。そのため外科医によっては、D2(※D1~D4は、リンパ節転移の程度を表す記号で、Ⅰ群の付属リンパ節郭清をする手術がD1、段々深部、遠隔に行くにつれてD2、D3、D4となる)を原則、へたするとD3までしている医者もいます。近藤さんが言われるように、D1とD2で治療効果に差がないならば、これはえらいことです。えらいことというのは、近藤さんの理論どおりならD1の手術で済みますから、手術の安全性も上がり、外科医として非常に楽ちんですからね(笑)。

●近藤 リンパ節転移の問題ですが、胃がんのリンパ節切除は、乳がんからの類推からきているんです。リンパ節を大きく切除すれば乳がんの治癒率は高くなるとハルステッドが言い、その学説ががん手術の先駆けとなったわけです。それが胃がんなどに応用されたわけです。
 ところが本家本元の乳がんでは、リンパ節切除の延命効果は否定されています。どうして胃がんでは、このような方法が残っているのでしょうか。まず、ここに矛盾があると思いますね。

●大鐘 近藤さんは、リンパ節転移があっても死なないが、血行性のものは死んでしまうとお考えですか。

●近藤 原則的にはね。胃がんでは、ほとんど例外がないと思います。大腸がんでは血行性転移でも治るケースがあります。臓器ごとに考えなればいけないケースもありますが、一般論から言えば、血行性転移があればだめだけれども、リンパ節転移は少し特殊な転移だと考えています。胃でも乳房でも、リンパ節転移があっても治る人はたくさんいます。乳がんの場合などは、ハルステッド手術(※乳癌で乳房のみか、大小胸筋までゴッソリ取り除く手術)をしてもしなくても治る率が同じという調査結果が出ています。つまりリンパ節転移は、治療してもしなくても同じだと思われます。その論理を胃に当てはめれば、早期がんのリンパ節転移には手をつけなくとも良いのではないかという方向に、理論は向くと思うんですよ。
 リンパ節転移というのは、いままでは全身転移への発進基地だという考え方がありました。宇宙人が侵略してくる前に基地を叩こうという話ですね。でも、それは一面的な見方かもしれません。リンパ節に転移があるために、体の免疫力が高まっている、といった考え方もできるわけです。
 ですから、リンパ節にしても滅多やたらと切っていいものかと考えてしまいますよね。

●大鐘 リンパ節は基地ではないと?

●近藤 胃がんでは、まだそこまで断定はできないまでも、乳がんでは、基地ではないという考え方に傾きます。

●大鐘 ただしリンパ節は転移の経路になりますよね。だから乳がんでも、リンパ節に大きな塊があるのは放っておけないという考えになると思うんですが……。

●近藤 そこらへんは場合を分けなければいけないと思っています。はっきり、がっちりとあるリンパ節を治療するな、と言ってはいません。
 乳がんでも腋の下のリンパ節が腫れているようなものは後で悪さをする可能性がありますから、取るように指示しています。全部が悪さするかは別問題ですがね。
 ただ日本の現状は、リンパ節に何もなくとも、微細な転移はあるかもしれないにしても、リンパ節を根こそぎ取ってしまうでしょ。そこに疑問を持っているんです。
 少し話が違うかもしれませんが、乳がんではリンパ節が腫れていないものは、腋の下を切除せずに、乳房温存療法で乳房とともに放射線を腋の下に当てるようにします。再発率はハルステッド手術とまったく変わらないですね。理論的には放射線をかけなくとも生存率は変わらないですよ。ただし、再発率は上がりますが。これは外国で行われたくじ引き試験(※被害者をくじ引きで選び、治療を受ける側と受けない)で、一致してみられる結果です。

●大鐘 乳がんにおける温存療法というのは、確かに画期的だったと思いますね。これは近藤さんの啓蒙の然らしめるところかもしれません。私も数年前から、乳がんに対しては乳房切除のみを行い、背中から筋皮弁をもってきて一期的に乳房再手術を行っていますが、大変喜ばれますよね。

●近藤 そうです。そういった目で、お腹の中の手術も再度見直すと、ずいぶん違うのではないかなと思います。

●大鐘 確かに乳がんでは、切除する量は非常に小さくなってきていますからね。
手術が抵抗力を下げる

●近藤 イタリアのくじ引きの試験では、ハルステッド手術と乳房温存療法を比べて、転移がなかった人は生存率が同じでした。腋の下のリンパ節転移があった人については、ハルステッド手術の方が生存率が%弱悪い結果が出ています。それは従来の理論では説明がつかない。同じならともかくね。
 結局、再発が多かったのが死亡理由になっていますが、なぜ多いのかといえば、ハルステッド手術みたいな大きな手術をすると、抵抗力が下がり、局所再発や全身転移などが出てくると考えられます。そういう可能性を考えない限り、この結果は説明がつきにくいでしょう。がんの性質は、メスを入れても変わりませんのでね。

●大鐘 ハルステッド手術自体は、胸筋を余分に取るだけで、お腹の手術と違って、そんなに浸襲がきついとも思いませんが。
●近藤 そうです。だからこそ腹の手術は、もっと問題があると考えられます。

●大鐘 保険の点数を見ても、ハルステッド手術の方が、胸筋温存に比べて点数が低いんですよね。それは温存の方が技術的に難しいということを示しています。残すほうが難しいんですよ。

●近藤 そうですね。確かにハルステッド手術の方が簡単ではありますが、術後の経過を見ていると、局所再発が多いですね。せっかくハルステッド手術をしたのに、ポツポツとがんが出てくる例が多かった。それは、長い目でみると3割ぐらいにみられます。
 原発病巣は手術で取ってしまっているわけですから、血行性の再発ということでしょう。結局、根こそぎ患部を取ったために、組織の防禦機構にダメージを与え、再発しやすくなっているのではないでしょうか。

●大鐘 ところで、胃の話に戻りますが、早期がんで、Ⅱ群まで達しているがんは、がんもどきではないといえますか。それとも、そのようながんもどきもあるのか……。

●近藤 がんもどきは定義の問題です。一番大切なのは、そのがんが命取りになるのか、ならないのかということです。命取りに直結するのは、例えば血行性転移であり、腹膜転移であって、リンパ性転移ではありません。放っておいても、そのまま大きくならない人もいます。そういう例は乳がんで報告されています。また、転移があっても取ってしまえば問題ないと考えられます。
 取れば治るということは胃がんの肝転移なんかでは考えられないでしょう。ひとつとっても、他にいくらでも出てきますからね。
 ですから、がんの定義をしなおして、治るか治らないかの観点から、Ⅱ群のリンパ節転移があっても、血行性転移がなければがんもどき、としたわけです。つまりリンパ節転移があるがんもどきというのは、僕の定義にはあります。
大鐘 最近は、D4まで手術が行なわれているんですよ。それで生存率が上がったという統計結果を学会でも出していました。私もD3まではやっていたんですが、CEA(※がん胎児性抗原)が2年ぐらいして徐々に上がってきて、16番(※胃がん規約によるリンパ節の番号で、大動脈傍リンパ節を指す)がどうも大きくなってきているものがありましてね。そうなると、かねての私の疑問は少し解けたかな、と感じ、やはり番まで取らなければいけないのかと、思ったんですがね。まあ、先生にしてみたらとんでもないことなわけですよね。(笑)

●近藤 私は、もう少し確かめてからやってほしいと思いますね。結局、周到なくじ引き試験なしにある手術をして、ある人が長生きをしたからといって、手術のために長生きしたとは限らないですよね。同じようなグループ、同じような患者さんを集めて、それを2つに分けて調査するという方法でないとね。

●大鐘 でも、そのような調査結果はないでしょ?

●近藤 ないです。今までの成績で比べると、非常に大きな差が出て、くじ引き試験だとあまり変わらないということはよくあるんですよ。例えば肝臓がんのエンボライゼーション(※動脈塞栓術。がんの栄養血管にスポンゼルなどの塞栓物質をつめてその血行を断ち、がんの壊死を謀る)でも、他の病院や今までの成績と比べてみると非常に成績が上がったという報告が出ていますが、一方でフランスでのくじ引き試験では、ほとんど結果が変わらなかった。

●大鐘 TAE(※エンボライゼーションと同義)に関しては、私は劇的によくなった経験があるんですよ。

●近藤 確かに、1つ1つみていくと良くなる例もあります。けれども全体としては副作用の方が大きいですよね。それで命を縮めている人もいるでしょう。

●大鐘 でも効く人もいますよね。

●近藤 もちろん。

●大鐘 私の経験では、1本の太いフィーダー(※栄養動脈)に養われているがんにはTAEが劇的に効くという印象を持っています。

●近藤 いずれにしても、そういう療法をやっていくうちに、非常によく効いた患者さんや、長生きした患者さんに当たります。しかし、事前の判断として患者全員に当てはめるには、統計的な調査が必要だと思うんですよ。

●大鐘 そうかもしれませんが、経験的には非常に太いフィーダーがある場合はやってみる価値は大きい、と思うんですよ。

●近藤 確かに大鐘さんはそういう経験をなさっているわけです。それでも人づつ治療をする群としない群とに患者さんを分けて治療の効果をみた場合には、確実に同じ答えがでるとはいえないと思うんですよ。確かに太いフィーダーがない人よりは、ある人の方が効くかもしれませんが。まあ、これは少し水掛け論になってしまいますね。
 同じ治療をしたときに、同じように延命するとは限りません。いろんなタイプの患者さんが混じっている場合には、1人に効いたからといって、全員に行う根拠にはならないと思います。
 この手の話は、抗がん剤で最近よく出てますね。胃がんや大腸がんでは、抗がん剤を使っても生存率曲線が変わりません。でも一部のがん患者にはよく効く。だからやりましょうと、抗がん剤の専門家が言うんですよ。でも、それはおかしな話でしょ。よく効くというのが、人に1人だったり、人に1人だったりするわけです。それに当たるかどうかは、やってみるまでわからない。でも副作用はほとんど全員にある。1人によく効いて、全体としては生存率が変わらないのは、残りの人なり人なりが命を縮めているからです。結果的にみて、効く患者さんが出たからといって、全員にやる事前の判断根拠にはならないわけです。

●大鐘 ただ、同じタイプの人になら効くでしょうね。TAEに関しては、他の患者でもやはり太いフィーダーがある患者には、よく効きましたからね。

●近藤 そうかもしれません。まあ、TAEにしても抗がん剤治療にしても、この人は延命するだろうというファクターが事前にわかっていて、そういう人達だけにするなら、まだ理解できます。しかし無差別に全員にするのは問題ですよね。
 例えばTAEにしても、無差別にやったくじ引き試験の結果は差がないわけですからね。数ヶ月は延命しているんですが、何年か経つと生存率は同じになってしまいます。
 研究者自身も、これは副作用が大きいため、延命期間を考えても勧められる治療ではないと言っています。

●大鐘 しかし効くか効かないかは、やってみないとわかりませんよね。TAEにしても、副作用が強く出るかさえもやってみないとわかりません。まったく副作用が出なかった患者さんもいましたからね。
 そこらへんをどう解決するかという問題ですが、闘ってみないとわからないんじゃないかと思うんですよ。(笑)

■1度はやってみる

●近藤 これは自分の本にも紹介しているのですが、1回やってみるという方法はあります。抗がん剤というのは、普通は3サイクルだ、6サイクルだというふうに用意されているけれども、試しに短期間やってみる。とはいっても胃がんや大腸がんなどは、効果がない可能性があまりにも高いわけですが。
 9割以上の人が、強い副作用に悩まされます。そういう治療を受けてみて、患者さんが納得するという方法はあります。これは患者さんが決めるべき問題です。
 私は何もかもあきらめろと言っているわけではありません。そういう誤解があるようですけれどもね。患者さんの問題だと言っているのです。患者さんによっては、5%の人にしか効かないのであれば、最初からその治療を受けないという人が出てきてもいいと思うんですよ。

●大鐘 だいたい、1回試せば、効果のほどはわかりますよね。

●近藤 それはわかります。でも副作用でひどい目に遭っている人をたくさん見ていますから、私から勧めるほどのものではないと思っていますが。どうしても試してみたいと思う患者さんもいますから、そういう人にまでやるな、とは言えません。

●大鐘 自分が主治医の場合と、そうでない場合とでは違いが出ますか。

●近藤 私のところは、8年くらい前から、ほかの医者が患者を回してこなくなりましたからね(笑)。だから私の患者は、全部私が主治医です。
 昔は乳がんばかりでしたが、最近は本を書くようになったせいもあって、胃がんや大腸がんの患者さんも来院します。

●大鐘 先ほども少しふれましたが、先生が書いておられたように、D1とD2の術後の生存率がまったく変わらないというのであれば、我々外科医は、このリポートを謙虚に受けとめなければいけませんね。

●近藤 ヨーロッパでの死亡率はD2で%ですが、日本では1%だという結果を示されていました。では日本全体の手術レベルは本当に高いのかというと、相当に疑問ですね。
 国立がんセンターの公式のデータをみると、確かに1%ぐらいですが、京都の大学病院でのデータでは、歳以上で2・5%、歳以上で5%の死亡率です。しかも歳以上は、D1手術が標準だったんですよ。また、この調査は1ヶ月以内の死亡しかカウントしてませんが、ヨーロッパでは在院死亡ですから、1ヶ月を越えても一度も退院できない人は数に入っています。1ヶ月ぐらい死亡を引き延ばす技術は、現在ではそう難しくないですからね。日本でも在院死亡数をカウントすれば、死亡率はもっと増えるでしょう。倍とか、3倍とかね。そう考えると、日本で1%だというのは強引な気がします。

●大鐘 そうですか。私はD2では、ほとんど合併症を起こしていませんがね。

●近藤 雑誌などで発言する人は、みんな自信持っていますから1%以下だと自負されるでしょうが、日本全体の現状がそうなのかというと、そんなことはないですよ。ある開業医などは、早期胃がんで外科に送ったらバタバタ手術死されてしまった。それで早期発見、早期死亡だなんて言いだしています。

●大鐘 なるほど(笑)。

■フラフラで退院

●近藤 そのような現実を考えると、胃がんの手術も考えてしまいますよね。
 僕の診ている患者さんは、腹膜転移が明らかになって2年生きていますからね。何もしていない。一度も手術していないのに、最近はますます調子が良くなってきています。
 もう少し詳しく説明すると、奥さんが乳がんで、私の患者だったんです。その関係で彼の胃がんが発見されたとき、私が診ることになりました。「命に未練はないから手術は受けない」と彼は宣言していて、私も様子を見ていたんですよ。
 その後奥さんを亡くされて、やけ酒を飲んだのが原因になったのか、みるみる体重が減って急激に痩せてきたんです。これはダメかと思ってCTで調べてみたら、腹膜が盛り上がったのがあちこち見えるわけですよ。それで骨盤だけに放射線をかけたわけです。その治療が終わったら、下痢はあるものの、調子は良くなってきたんです。CTでみると、ほかのところにも盛り上がった部分が見えるわけですがね。それから2年、だんだん体重も増えてきています。

●大鐘 そうすると、免疫力が高まったということですか。

●近藤 おそらくね。最初、首のところに固いしこりがあったのも、消えてきているんです。本当に不思議だな、と思っています。

●大鐘 そうですね。免疫力ということで私が考えるのは、大学病院やがんセンターなんかが、術後1週間かそこらで患者をところ天式に出してしまうでしょ。ひどい例では、胃の全摘を受けて2週間で出されたおじいさんがいましたよ。もうフラフラで。
 大塚のがん研でも、手術した後は近くの病院で診てもらえといって退院させています。みていると2~3週間で出された患者は非常に予後が悪いんです。長期の入院による、ゆっくりとした療養が必要だと思うんですよ。

●近藤 私は日常生活に戻ること自体は、悪いと思っていません。ただ体力を消耗するような、激しい生活はもちろんだめだと思います。

●大鐘 だからサナトリウムのようなところで、ゆっくり養生する必要がありませんか。

●近藤 私は手術そのものに問題があると思っているので、養生の問題だけでは何とも言えませんね。もちろん心身がリラックスできる環境が、術後に良いとは思っています。同じ手術をしたのであれば、病院にいるよりはサナトリウムのようなところで生活したほう結果は良くなるでしょう。
 しかし、根本的な問題は手術にあると思います。先ほどの話でも、胃がんが最初に発見された時には、微小な腹膜転移があったと思われます。1年後ぐらいに臨床的に明らかになってきていますから。そのときにメスを入れていると、すでにばらまかれた腹膜転移が、メスが入ったところで増殖して、生命を奪うと思います。
 これは元フジテレビアナウンサーの逸見政孝さんの手術でもいえることです。前田外科で手術を受けた時から腹膜転移があったことは明らかです。そして、再発はメスを入れたところに出ています。お腹の縫い合わせたところには、5センチ×センチのがんが出ています。メスを入れるということは、がんにとって再発しやすい状況をつくる可能性があると思います。根元的な問題ですね。

●大鐘 私自身はメスを入れた部分から再発するとは、あまり感じていません。やはり取り残した部分から出てきます。だから私は、きれいに切り取れる見込みが立つ場合以外は、手術をしてはいかんと思っています。まあ、なかなか厳しいことなんですが……。
 ただ乳がん学会でも、がんそのもののボリュームを減らすことが意味がある、と言っていますよね。

●近藤 乳がんについてはそうですね。抗がん剤は、乳がんに効くことがはっきりしていますから、ボリュームを減らさないと抗がん剤は役にたちません。ただし胃がんや大腸がんは、抗がん剤治療で生存率が上がるという証拠がありませんから、がんのボリュームを減らす意味は少ないと思います。

●大鐘 進行がんに関してはどうですか。とりあえず胃だけは取るということは、考えられませんか。

●近藤 治療するならば、動脈注射か何かで抗がん剤を入れておいた方が、むしろ長生きできるのではと感じています。腹膜転移がある時にメスが入り傷を付けてしまうというのは危険だと思うんですよ。メスが入ると血管新生が盛んになりますから、がん細胞が爆発的に増えるのではないでしょうか。だからこそ逸見さんは、傷口にセンチにもわたってがんができてしまった。

●大鐘 それは羽生富士夫(元東京女子医大消化器病センター所長)さんが、手術する前ですよね。

●近藤 そう、前田外科の手術です。傷口が洗われてがん細胞が付いて、それが腹壁の両方に入ったとしか考えられない。

●大鐘 羽生さんがやったあとはどうなんですかね。結局、多臓器不全ですか。

●近藤 もう1回、腹膜に取り付いて、腸閉塞状態になったようですが、最後は多臓器不全でしょう。

●大鐘 羽生先生は私の師にあたる人ですから、私としては辛いところがあるんです。いつもお会いすると、近藤さんのことばかりおっしゃるんですよ(笑)。とはいえ、私があの症状の患者を切るかと言われれば、まず切らないと思いますが……。

●近藤 彼も全部は切り取れなかったでしょうね。個も腹膜転移があれば、もっと多くのがんがあったでしょうから。

■保険点数が切らせる

●大鐘 大腸がんについてはどうですか。私はボールマンⅡ型(※)には、絶対的に手術が良いと思っているんですよ。

●近藤 大腸がんについては、胃がんとは別の論議が必要だと思います。生物学的に違うかもしれないし、何よりも大腸が長いということが、部分的に切り取ったときのダメージの少なさと関連しています。

●大鐘 大腸がんの中にも、本当に悪いものがありますよね。ものすごい勢いで転移を起こす。しかし、原発巣を取らないで放っておけばいずれ腸閉塞を起こします。近藤さんは、症状が出てから切っても良いとおっしゃってますが……。

●近藤 閉塞までいかなくても出血などでわかるわけですから、それからでも遅くはないと思うんです。

●大鐘 なるほど。確かに日本の現状は、やりすぎの感がありますね。症状が出る前に、やたらポリープを取っていますからね。非常に保険点数がいいからです。ポリープ1個取るだけで1万円ですからね。一度に取るのは損だというわけで何回にもわけて取るわけです。本当に小さな、5ミリのものまで取っていますよ。内視鏡で見て取るとはいえ、事故もかなりあります。もちろん技術の問題もありますが、だいたい技術があると自負している医者に限って事故を起こすんですね。自信過剰で取り過ぎるからでしょう。
近藤 高齢者が増えてきていることもあります。老人の大腸壁はもろくて弱い。高齢者は、いろいろな意味で弱いんですよ。内視鏡でも麻酔を使いますが、それで死んでしまったりします。作家の井上靖さんも、内視鏡で死にかけていますからね。

●大鐘 ボールマンⅡというのは、ヴィーラスアデノーマからきていますか?

●近藤 それは断定できないですね。アデノーマからボールマンⅡになるという説は、いま大反対があるんですよ。ボールマンⅡというのは、阿蘇山みたいなクレーター状になっていますが、それならば腺腫(※腺上皮細胞が増殖して、結節状・乳頭状を呈する腫瘍。一部は悪性化してがんになるともいわれる)のてっぺんが削れたようなものがみつかるはずです。ところが、みつからない。そうすると、一夜にして腺腫からボールマンⅡになるのかということになりますよね。
 アデノーマがん化説の人には、そういう反論が加えられているのです。ボールマンⅡなんかも、結局、ポリープからではなくて、平坦なところから新しくポコッと出てきたと考えたほうが矛盾が少ないと思います。

●大鐘 アデノーマなんかは、放っておけばいいと。

●近藤 見つかったものについては、積極的に放っておきなさいとはいっていないですがね。放っておいたら、がんになる可能性を否定することはできないわけですから。

●大鐘 ヒトへモ(※ヒトヘモグロビンの略。免疫反応を用いた使潜血反応で、食餌の影響を受けない)をスクリーニングするのは、日本だけですよね。あれは非常に画期的なもので、そのおかげで救命率が上がったという説に関してはいかがですか。

●近藤 検診でがんを発見して、そのがんについて生存率を計算し、前よりも高くなったから有効である、という論法は、通用しません。外国にそのような論法を持っていけば、こぞって反対されますよ。

●大鐘 『患者よ、がんと闘うな』では、がん検診の効果がないと書いてありましたが、先ごろ、日本臨床細胞学会で検診による救命率は、海外では3%、日本では%と発表されてました。

●近藤 日本で行った調査はくじ引き試験ではありませんからね。くじ引き試験をしなければ、必ず生存率は高く見えるんです。
 検診をすると、僕がいう「がんもどき」みたいなものがたくさん見つかるでしょ。そうすると生存率は高くなります。それは発見の効果であって、治療の効果ではありません。放っておいていいものを見つけ出して治療し、生存率が高くなっても、意味がないのではないでしょうか。この私の反論に、生存率が上ったと主張する側は再反論できないのです。
 たとえば肺がんのくじ引き試験では、肺がん検診は無効という結果が一致しています。それは検診をしても、放置しても肺がんの死亡数が同じだったからです。ところが見つかった肺がん患者は、検診群のほうが生存率が高いんです。それは矛盾のようにみえるけれども、発見したがんの数は増えるが、死亡した数が同じだから生存率は高くなるというだけです。
 たくさん発見された早期がんは、放置群の方にもあったはずです。これは死を招かない。だから死亡数は同じなんです。検診群でよけいに発見された分については、放っておいても大丈夫なんです。このようなことは、ほかの臓器でもあるでしょうから、検診をした人だけ集めて検査しても意味はありません。

●大鐘 肺の場合は2センチ以下は早期がんと呼ばれますが、見つかったがんが、がんもどきか、そうではないのかを、どうやって判断しますか。

●近藤 それは判断できません。見つかってしまえば、現状では治療を受けるのは、やむをえないと思います。誤解されているのかもしれませんが、がんもどき理論というのは、早期発見理論に対するアンチテーゼです。検診を受ける時に考えればいいわけです。

●大鐘 2センチぐらいというと無症状の場合が多いから、スクリーニングしなければ見つかりませんよね。その後4センチになり、咳が出てきて発見された時に治療を開始すればいいと?

●近藤 その前提も問題です。4センチのがんは、2センチのときに見つかるのかという問題になるわけです。症状の出るようなものというのは、スーと大きくなってきていますからね。いくら検診を繰り返していても、2センチの段階では見つからなかったのではないかと思うんですよ。
 私もそうでしたが、私達の頭の中では、検診で発見された早期がんというのは、大きくなるのはまず確実という思いがどこか抜けないんですね(笑)。

●大鐘 抜けませんね。でも肺がんは大きくなりますよね。胃の早期がんのように、何年も同じ大きさということはありません。
肺がんにもがんもどきはある?

●近藤 肺では検診で見つかったような早期がんも、たちが悪いはずだと思うんです。ところが早期発見しても成績が同じというわけだから。

●大鐘 くじ引き試験というのは、発見されて一方は無治療で、一方は治療をしてということですか。

●近藤 いやいや、発見したら治療するんですよ。それは検診をするかしないかのくじ引き試験ですからね。発見したがんを放置するわけではなくて、検診しないで放置するわけです。発見したがんについては、治療します。

●大鐘 放置した乳がんについての報告はどうですか。

●近藤 『患者よ、がんと闘うな』で示した報告は、くじ引き試験の結果ではありません。あれはハルステッド手術が普及していない時代のことですから。

●大鐘 乳がんを放置することが現代にも通じるのかどうかについては、いかがですか。

●近藤 乳がんについては、かなり通じると思うんですよね。まあ、ある程度大きくなっていれば、治療しても変わらないだろうと。お腹の中のがんについては、乳がんよりもっと手術による負担が大きい分野でもあるので、そういう点からすると、乳がん以上に寿命を縮めている可能性があると思います。

●大鐘 そうですね。ところで、肺にがんもどきというのはあるんですかね。

●近藤 それはあるでしょ。あるからこそ、さっきお話したメイヨーの試験でも、発見したがんの数を見ると、定期検査はせずに病状が出てから発見されたのは160人で、検診を繰り返した方は206人です。人多く発見するということは、非検査群は人分は見つからないで放置されたわけですよね。ところが死亡率が変わらなかったのですから、人のほとんどは死ななかったわけです。だから、がんもどきはあります。
 見つかったがんが大きくなるというのは、放っておいた結果がないわけですから、本当に大きくなったどうかはわからないんですよね。
 繰り返しますが、発見されてしまったものを積極的に放っとけと言っているわけではないんですよ。治療法を考えようと言っているんです。放射線治療では、2~3センチぐらいの部位に限定して照射できる施設もあって、患者さんにはそこで治療をしてもらっています。いまのところ防衛医大にしかないんですけれどもね。酸素なんかを吸わせて、あまり呼吸性移動がないようにして、照準してぐるっと回すときれいになくなりますよ。
 一般的に放射線治療は手術に比べると、体に与える影響は非常に少ないですからね。上手な人がやればですが。

●大鐘 それは外科医も一緒ですよね。
 卵巣がんのためさる日赤病院で最初手術を受けた患者さんがいたんですよ。半年後に再発した時には取りきれなかったらしいのです。3度目に出てきた時に、もうやることないからあとは放射線治療くらいだろうということになり、がんセンターの放射線科を紹介したところ、内診をした上でのことなのか、もちろんしてなければもっての他ですが、何をやってもダメだからホスピスに行きなさい、と言われて、私のところに来たんですよ。ところが私が内診してみたら、なるほど相当なシロモノだが、しかしわずかに可動性がある。これは取れるんじゃないかと思い、「ホスピスはいつでも行けるから、まずは外科に入りましょうよ」と勧め、最初に放射線治療を行いました。がんが相当大きかったですからね。そうしたら半分の大きさになりまして、その段階で手術を決行。直腸と膀胱の一部も合併切除しましたが、現在4年が経過して元気でいます。これは放射線と外科治療がうまくかみ合った例だと思うんです。
 しかし、放射線だけでは治らなかったですよね。そう考えると、オペは良かったと思うんですよ。
●近藤 確かに手術をして良かったケースでしょうね。ただ、手術するか、しないかは、個々の患者や医者の判断によりますし、結果論の場合も多いんです。そのケースはよかったけれども、結果論の部分もあると思います。一般的には、手術をしてがんがポコポコと出てくるケースも多いのですから、やらなければ良かったという人もいます。
 人間の体は、すべてメカニズムがわかっているわけではありませんから、例外のない議論はないわけです。個々のケースが違う中で、どう判断していくかは難しいですね。
 最終的には、患者が決めればいいと思っています。だから、この『患者よ、がんと闘うな』という本も、無駄な闘いはするな、過剰な治療は受けるなということをいっているだけです。合理的な治療を受けろ、といっているわけです。大鐘さんが治療した卵巣がんの患者さんも、合理的な治療の範疇に入っているでしょう。
 けれども全員にとって合理的かというと、疑念もあるわけです。そこら辺が事前の判断として難しいんですよ。卵巣がんの転移というのは、腹膜にあちこち出ているのが原則なわけですから、そういう事情をわかって患者さんが治療を受けるかどうかが問題ですね。
 もっと一般的にいえるのは、乳がんの場合は、ふつう肝臓の転移があると、ほかにもたくさんあって、これを手術しようとする人はほとんどいないでしょう。
●大鐘 大腸がんの肝転移は手術をしますけれども。

●近藤 そうですね。大腸がんは、例外的に肝臓にがんがとどまっている可能性が高いですから、転移巣を取れば何割かはそれで治ってしまうことがあります。これも手術を受ける患者さんの問題になってきます。

■転移なき再発はなし

●大鐘 たぶん、これは近藤さんと意見が合うと思うんですけれども、「転移なき再発はなし」というのが私の考えですが、いかがでしょう? つまり、将来再発を起こしてくるものは、目には見えなくとも手術の時すでに転移があったと。無から生じてきたわけではないと、考えるのですが。

●近藤 それはそうでしょうね。それはかなり当たり前の話だと思っていました。

●大鐘 いや、再発というと、一般の人には無から新たにできた、というイメージがあるんですよ。しかしそういうことはありえない。きれいに取れたものは、新たにがんが出てくるということはありえませんよね。

●近藤 無から生じているそれが再発だ、という考えは、一般の人にはあるんですかね。

●大鐘 最初の手術の時にすでに転移があったとは、患者は思わないんですよ。
 非常に自家撞着に陥ったのは、大腸がんを切るときに、下腸間膜静脈から肝臓に抗がん剤を入れていたんです。つまりミクロの転移があるだろうとの想定のもとに入れていたんですよね。でも、そうすると術後の免疫力がガクっと落ちることが懸念されます。矛盾に悩みながらやっていました。
 もうひとつわからないのは、乳がんなどでは7~8年たっても転移が起こってきますよね。だから、乳がんはいちおう年診なければいかんといわれています。そうすると、がん細胞は、その間は血中を堂々巡りしているだけなんでしょうかね?

●近藤 いやいや、私はそうは考えていません。原発病巣は取っている場合ですよね。

●大鐘 そうです。

●近藤 取ってしまうと、血液の中をがん細胞はそんなに流れていないだろうといわれていますから、7年後に出てくるのは、7年間転移部位にあったんだろうというふうに考えられます。

●大鐘 もし血中にあれば、腫瘍マーカーは上がりますよね。

●近藤 いや、そうとは限らないでしょう。量が少なければね。かなり大きくなっても、乳がんなどは腫瘍マーカーがなかなか上がりません。

●大鐘 そうすると、血中で堂々巡りを続けるというのは、普通ではあり得ないですよね。

●近藤 ありえないというといい過ぎですが、がん細胞というのはかなり弱くて、血中に入ったらすぐに死んでしまうと考えられています。たとえば原発病巣からどんどん血中に入っても、転移して生き残るのは、1万個に1個ぐらいではないかといわれているのです。

●大鐘 そうですか。転移なき再発はない、とは考えていたんですが、どうして2年3年のスパンを経て出てくるのかと、考えていたんですよ。

●近藤 それはかなりゆっくり増殖したか、もう1つは免疫機能が弱った時に大きくなるということでしょう。ただし、一般論としては、原発病巣と同じスピードで育っていくということになっています。原発病巣が大きくなるなり方とパラレルであるというような報告はあるわけです。

●大鐘 それは確かなのですか。原発が倍増すれば、転移巣も倍増すると。

●近藤 一般論としてはと言っている意味は、そうではない例外もありえるからです。転移する時に、がん細胞の性質が変わったのか、行った先の土壌が合っていて速くなったり、合わなくて遅くなったりということはありえるのです。いくら何でも原発病巣ができる前や、原発病巣を取ってから転移したということはないですよね。
 そこら辺にいろいろけちを付ける人がいるのですが、アメリカ人のカルテをひっくり返し、元東大教授の草間悟さんが原発病巣と転移病巣の大きくなるスピードを比べて、一般論としてパラレルであると出しているわけです。
大鐘 草間さんは、分裂の時間から計算して原発巣の大きさが0・1ミリあたりに転移のピークがあるといっているんですよね。1個の細胞の大きさは0・01ミリなんですよね。

●近藤 がん細胞の大小に関しては、異論もかなりあるのです。自治医科大学の病理の人が、がん細胞の大きさは、0・02~0・04ミリだみたいなことをいってきたんですが、0・01ミリで計算するというのは、コリンズ以来の、だいたいの約束事なんです。結局、だいたいの傾向がわかればいいわけですから。
 それから乳がんの場合には、0・01ミリというのは、小さすぎるわけではないんです。そういうがん細胞もあるわけですからね。
 どういう手術をしていくかと考えると、これまで原発病巣をもろともきれいに取り去るのが原則でしたが、なるべく人間の体の抵抗力を残して、リンパ節も転移がありそうだと思われるものだけ取るというように変わっていくべきだと思います。

●大鐘 それは外科では、「strawberry picking(つまみ取り)」といって、軽蔑される手法なんですよ(笑)。

●近藤 けれども乳がんで温存療法が成果をあげていることを考えれば、似たような話でしょ。
 今までがん細胞の周辺を大きく切除するようにしてきたから、このような話をすると奇異に感じますが、今がん治療が始まったと考えると、決して変でないと思いますよ。原則に戻るわけです。臓器を切れば切るほど免疫力は落ちていきますからね。症状がない人の体を切って、取る前より具合がいいことはないですから。

●大鐘 では早期がんが見つかったとしても慌てる必要はない、症状が出てからでも遅くない、というわけですね。しかし、患者さんは2年、3年も経過を見れるでしょうか。本当にがんもどきなのか、ひょっとするとある日突然進行がんに転じて取り返しがつかないことになりはしないか、そんな不安から逃れられるでしょうか。

●近藤 場合を分けて考えればいいのではないでしょうか。場合によって、それぞれ患者が考えるでしょう。手術がいいという人もいますからね。

●大鐘 さきほどおっしゃっていたように、外科医が手術を強制するのではなく、患者の選択に任せるべきだというわけですね。

●近藤 ええ、そうです。たとえば胃上部にがんがあったりしたら、胃全摘になってしまうわけでしょ。そこまでする必要があるのか、ちょっと考えないといけないと思うんです。今までだったら、何が何でも胃全摘となりましたが、がんもどきかもしれないとう可能性があれば、ちょっと立ち止まって考える人も出てくるでしょう。選択肢が広がったと思います。
 もう1つは食道がんですね。食道がんは、やはり世界的にみても、放射線で治療すべきです。

●大鐘 それは私も異論はありませんし、私自身食道がんにかかったら、第1選択は放射線治療ですね。近藤先生にお願いしますよ(笑)。

■医者が当惑しているだけ

●近藤 まあ、この点に関する反論は少なかったですね。だいたい、がんもどき辺りに反論が集中て、代わりの治療法があるということには、反論がなかったように思います。それから乳房温存療法のように、臓器の切除を限局すべきだという主張にも反論はなかったですね。手術に関しては、リンパ節切除がいいのかどうかという反論だけです。
 これはアメリカの十数年前と同じです。そのころのアメリカでは、外科医は乳がんでもハルステッド手術がいいと主張していましたらね。その状況と現在の日本の状況は、よく似ています。
 日本では医者からの誘導がありますから、なかなか手術を否定できませんよね。しかしアメリカでも、乳房温存療法の率は低かったのですよ。ヨーロッパは高かった。それは医療経済体制の問題で、大きな手術をするほどお金がいっぱい入る仕組みがあったからです。そのような問題を少なくするために、アメリカでは制度を整えました。

●大鐘 遅れている日本の医療が、この本に刺激を受けたことは間違いないようですね。

●近藤 医療現場が混乱していると報道されたりしていますが、それは医者が当惑しているだけなんです。患者がいろいろ説明を求めるから、困っているんですよ(笑)。いままでどれだけ患者さんに説明してこなかったのかの証明になりますね。

●大鐘 がんに関しては、民間治療も問題ですよね。『%がんは治る』という本がありましたよね。あの手の類はまずインチキだということを一般の人も悟らなければいけないのに、ついつい手に取ってしまう。『がん戦争』とかのテレビ番組でも、この手のものを肯定的に取り上げてましたからね。

●近藤 民間療法というのは、二面性がありますからね。患者さんがやりたいというのを押さえつけることはできません。確かに、がんが治るかもしれない可能性は否定できませんから。抗がん剤だって、効く人もいれば効かない人もいます。しかし証明されていないものを、それで治りますよと断定して高いお金を取るというのは許せません。
 医者不信から民間療法に行き着くこともあるでしょう。だいたい民間療法をしている人はやさしそうだということがありますからね。まあ、お金をもらえるならやさしくもなるか、という気がしますけどね(笑)。

●大鐘 『患者よ、がんと闘うな』は、もっと売れなければいけないと思いますね。そして、真剣に、冷静に考え、ディスカッションすることが必要かと思います。でも、もう少し読みやすいといいんですが……。

●近藤 この本は一般の読者がその気があれば読解できて、しかも専門家の批判に耐えられるようにデータを入れてと、両方の効果を狙っていますので、これ以上やさしくするのは難しいですね。例外的なことを入れるとページ数が増えてしまうし、すっと理解できないと思い、あまり書いていないのですが、今後はその辺も書いていこうと思います。

●大鐘 ヒステリックな反応ではなくて、この本から様々な議論と展望が生まれれば、日本の医療界も変わっていくでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

ホコ天廃止の理由 (対談)岡並木×マッド・アマノ

ホコ天廃止の愚劣な理由
■月刊『記録』99年1月号掲載記事

 日本中の歩行者天国が、天国に行こうとしている。昨年六月、表参道の歩行者天国が試験廃止になるに伴い、代々木公園脇の23号線エリアも完全廃止になった。主な理由は騒音と交通渋滞。車社会から人間尊重への脱皮をめざす社会の風潮に逆行する謎深い措置だ。人々の憩いの場の命運を賭けて、マッド氏が、歩行者天国のあり方を、都市計画評論家の岡並木氏に聞く。

     *     *     *

「ホコ天より歩行者街路を作るべき」=語り手:岡 並木(都市計画評論家)
「………………………………………」=聞き手:マッド・アマノ(パロディスト)

■岡並木(おか・なみき)……都市計画評論家。1926年東京生まれ。東京大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社入社。編集委員などを務め、退社後は、西武百貨店顧問。のち静岡県立大学国際関係学部教授を経て、●年まで武蔵野女子大学文学部教授。主な著書に『自動車は永遠の乗り物か』『都市と交通』『舗道と下水道の文化』など多数。

■マッド・アマノ……パロディスト。1939年東京生まれ。日立家電販売宣伝部退職後、独立。16年間のパロディ裁判係争後、和解調停。78年第24回文藝春秋漫画賞を受賞。同年より89年まで米国に移住。『FOCUS』へのパロディ連載、『天下り新聞』発行、『パロディ主義』(BNN)など著作物多数。

     *     *     *

★マッド:岡さんは、二八年も前に、歩行者天国のあり方について、ご自身の著書で述べられていますね。一日だけ歩行者に道路を解放するのではなく、歩行者専用道である「歩行者街路」を作るべきだと。私も同感です。しかし現在、周囲を見渡しても、なかなかこの概念は広がっていないように思いますが。

★岡:「歩行者街路」は、一九六〇年代の中頃にヨーロッパで定着した概念です。街が自動車で一杯になり、お客さんが気ままに歩き回れなくなった。つまり、歩きながら自分で店をチョイスする楽しみがなくなって、昔からの繁華街がさびれはじめたのです。この状況に危機感を抱いたあちこちの街が、歩行者街路を作りました。
 例えば、デンマークのコペンハーゲンでは、六〇年代の初期から歩行者街路に取り組んでいます。当時の商店街は、お客が車で来られなくなることを危惧し、この案に強く反対したそうですが、市が強く推し進めたんですね。
 しかし、いざ導入されてみると、商店の売上げは軒並みアップしたようです。街のなかを人が自由に歩ける。実は、それこそが街のエネルギーとなったのです。
 その後、本格的に歩行者道路が作られたのは、七二年にドイツのミュンヘンでした。ミュンヘン市内では、最盛期には一日に一〇万人以上出向いていた客が、七万人まで減ってしまったんですね。そこで市議会が、このままでは商店街が危ないと判断を下し、半強制的に工事を始めたのです。もちろん、これも完成したら、たちまち一五万人ぐらいに増えてしまった。今では一日に、四〇万人ほどが訪れていると聞きます。
 結局、「歩行者街路」で生まれたものは、都市のなかのオアシスだったのです。商店街が変わったのではなく、市民が気に入って集えるオアシスが、都心のなかに生まれた。それが大きかったんですよ。

■日本のホコ天はいまイチ

★マッド:原宿の歩行者天国では、バンドの騒音が問題になったと聞いています。欧州の各都市では、そうした問題は起きなかったのでしょうか?

★岡:確かにミュンヘンでは、世界中の大道芸人やミュージシャンが歩行者街路を訪れるようになり、彼らの音楽に対して周囲のオフィスからは苦情が出ました。
 そこでミュンヘン市では、許可制を導入しています。どこでも自由に演奏やショーができるわけではなく、時間や場所を市が決めるといった規制を行いました。
 都市のオアシスは、若者だけのものではないですからね。成熟した社会に作られた歩行者街路には、いろいろな人が集まり、そこへ行けば誰でもホッとでき、楽しむことができる、そういう空間なのです。ですから、多くの市民がうるさいと思うものは、コントロールする必要があるでしょう。

★マッド:原宿などは、若者の街とよく言われますが、確かによく見ると、高齢者もたくさん歩いています。やはり人というのは、人が集まる場所に行きたいという欲求がありますからね。人を引きつける街は、老若男女関係なく人を集めるのでしょうね。

★岡:ええ、そして人を引き寄せる街という観点で考えると、やはり日本の歩行者天国はいまイチなんですよ。自動車用の標識や信号や歩道が残っている場所では、本当の「解放区」にはなれないと思うんです。
 もちろん海外にも、歩行者天国はあります。しかし、それはあくまで、本格的な歩行者街路を作るためのテストケースであって、歩行者街路の設置を前提に検討しているだけ。いわば、歩行者天国は、歩行者街路の「仮の姿」なのです。しかし日本では「仮の姿」のまま、今日に至ってしまったわけですね。

★マッド:では、原宿のメインである表参道と明治通りが交わる交差点から青山通りまでを、歩行者街路にできると思いますか?

★岡:歩行者と公共交通機関のみの専用道路、トランジット・モールなどと呼ばれますが、それならできると思います。道の真ん中に公共交通機関だけを通すなどです。
 しかし、表参道を本格的な歩行者街路にするには、ちょっと幅が広すぎますよ。テーブルを置いてベンチを出しても、あの幅では落ち着かない。人が拡散してしまうんです。もう少し落ち着いて街そのものを楽しむためには、道の構造そのものを変えなければならないでしょうね。
 米国のミネアポリスには、六七年にトランジット・モールができあがりました。表参道ほど広い道幅はなかったのですが、バスとタクシーだけは入れるようにしています。公共交通機関が六~七メートル。歩道が一六~七メートルほどになります。
 しかも、その車道と歩道の幅が変化し、歩くにつれて風景が変わるように設計してあります。すると風景の変化に気を取られ、歩行者もなんとなく歩いてしまうわけです。こういった工夫も必要になるでしょう。

★マッド:そうですね。日本では歩行者天国にさえ、十分な歴史もソフトウェアもありませんから、工夫の仕方もわからないという現状があるのではないですか? ただパラソルを立ててイスを置いただけとか。それは、歩行者と道路とのかかわり方に哲学がないからなのではないでしょうか。

■日本で哲学を作ろうとした人

★岡:ただ、日本でも哲学を作ろうとした人もいたのですよ。例えば、警視総監の秦野章さんです。
 確か六八年の寒い時期、まだ私が朝日新聞社の記者だった頃でした。夜の九時頃に自宅の電話が鳴りましてね。「話があるから来てくれ」と呼び出されたんです。赤坂の小料理屋で会うと、「俺な、銀座通りをな、歩行者の街にしてみたいんだよ。休みの日には、音楽隊なんか呼んでね」と、話を始めました。「それ、大賛成。やってよ」と、僕も答えたんです。
 ところが、いざ実現しようとしたら、銀座の商店主が抗議に来たんです。「そんなことをして、全学連に座り込まれたらどうするんだ」と。まあ、時代が時代でしたからね。「おい、参ったよ。あんな伏兵がいるとは思わなかったよ」と、秦野さんはがっかりしていました。
 そういう思いをもっていた警視総監もいたわけです。ところが秦野さんの心を継いでくれる人は、警察にはいなかったようでした。この話を聞いて、現在の警察の方がどう考えてくれるかですね。

★マッド:ここ数年、日本全国の歩行者天国は次々に廃止に追い込まれていますからね。もちろん廃止に追い込んだことの責任を、すべて警察に被せるわけにもいかないとは思いますが……。

★岡:まあ、銀座で起きた反対も商店主から起こったものですしね。しかし、最初は反対の多かった銀座の歩行者天国も、七〇年には実現しました。ニューヨークの五番街で短期間の歩行者道路が実施され、その話を聞いた美濃部亮吉さん、当時の東京都知事が飛びついたのです。
 ただ残念なことに、国民は歩行者天国を「仮の姿」とは思わなかったのですね。つまりスタートから、日本は大きな勘違いをしてしまったことになります。

★マッド:また日本には、やっかいな法律上の問題もありますしね。

★岡:その通り、道路法四八条です。この法律には歩行者専用道路、つまり歩行者街路のことですが、これに関する規定が記されてあり、歩行者専用道路は、まだ使われていない場合しか使ってはならないという決まりなのです。
 つまり銀座通りを道路法上の歩行者専用道路に指定するためには、一度廃道にしなければならないというわけです。

★マッド:それは大変なことですね。

★岡:それでも、この方法を使った街もありますよ。旭川です。七二年、国道を廃道にして迂回道を造り、それを歩行者専用道路にしたのです。
 一方、横浜の伊勢佐木町では、道路交通法の歩行者専用道路を使って、歩行者街路を建設しています。単に立て札を置いて、進入禁止をかけるという方法によってです。
 ところが伊勢佐木町の通りは、法律上はあくまでも「道路」なので、いろいろな制約があります。例えば、歩道部分と車道部分を明確に示さなければならない。高さを同じにしても、舗装や線で区別をつけるなど、すぐにわかるようにする必要があるのです。もちろん電柱にしても、車道に一ミリでもはみ出してはいけない。それに道は直線でなければダメ。この道を計画した市では、歩行者が飽きないために道をくねらせたかったのですが、それもできない。つまり正攻法では、道にオアシスなどつくれない状況だったのです。
 ところが市には知恵者がいたんですね。台座に腰をかけられるように工夫した銅像を設置したのです。つまりベンチではなく、銅像の台座だと主張して、歩行者のためのオアシスをこしらえたのですね。さらに照明灯の台座にも歩行者が座れるようにしました。工夫のしようはあるということです。
 また、八〇年には、大阪で「ゆずり葉の道」ができました。この時はじめて、コミュニティ道路という歩行者街路を建設省が作りました。コミュニティ道路とは、新しい発想に基づいた空間ですが、住宅地の区画道路と歩行者専用道路が並行する一部区間で、両者の境界をなくした仕組みになっているのです。車道と歩道の分け目がなく、道をジグザグにしても法律違反にはなりません。ただし新しい道路でなければ作れないのですが。

■やっぱり行政に任せちゃダメだ

★マッド:つまり日本の法律における道の解釈は、徐々に変わってきているのに、断固として道路法四八条の壁がはだかっているということですね。

★岡:これは、道路法を作る際に、警察がかなり干渉したからだと聞いています。道路を歩行者専用道路にする際には、使用要綱の変更手続きを行わねばならないのですが、それは警察の管轄になります。管轄を建設省に移すには、一旦廃道にするか、新しく道を作る方法しかありません。四八条は、まったく日本独自の一つの大きな壁となっているのです。

★マッド:では、欧州などでは、どこが道路を管理しているのですか?

★岡:すべて市議会です。道路の規格というものがありますね。一方通行とか、車の進入を禁止するとか。そうした道の仕様を決めるのは、すべて市議会の仕事です。
 だって、街に対する住民の意見を吸い上げるのは、市議会の仕事ですよね。ですから市議会に任せるのが、合理的で一般的な考えでしょう。先進国では日本だけが、道路の規格まで警察で決めているのです。

★マッド:なるほど、日本では法律も行政システムも、道に関する住民の意思を尊重するようにはできていないのですね。
 歩行者天国にどのような見解をもっているのか、各政党にたずねてみたのですが、ほとんど関心をもたれてはいませんでした。これで、市民の憩いの場をどうするのか、という哲学が政党にはないとわかったのですが、岡さんの話を聞けば政党に哲学がないのも頷けますね。
 岡さんの著書では、道路以外にもいろいろな問題を指摘していますね。特に商業地域と住宅地域の分化が大きな問題だという指摘は、大変面白いものだと思います。夜、住民がいなくなる都市では、犯罪も増えると。
 オフィス街の土地を、夜、つまり一日の半分寝かしておくのは、非常にもったいないことだと私も思うんですよ。オフィスビルの上をマンションやアパートにして、高齢者に安く貸し出せば、消費も刺激されると思うんですがね。そんな例は外国にないですか?

■人の住まない街に犯罪は起こる

★岡:六七年に米国のミネアポリスにトランジットモールが完成してから、八〇年には、四ブロック南にモールが伸ばされました。そして伸ばされたモールの外れには、三〇〇〇戸の住宅が建設されたのです。高所得・低所得、両方が入れるような住宅がです。すると、意外なことに街に大きな変化が起こりました。
 一つは日曜日でも、半分ぐらいの店が開くようになったことです。そして、夜一〇時、一一時になっても、若い女性が一人で歩けるようになったことでした。これは米国社会では、考えられないことですよね。せいぜいカップルが歩いているぐらいで。
 やはり街に人が住んでいると、犯罪率が低下するものです。同様の現象は、ニューヨークのマンハッタンなど、いろいろな土地で起こっています。

★マッド:ところが日本の都市計画は、いまだにオフィス街中心なんですよね。幕張メッセがいい例でしょう。もう街が寂しげでねえ。全然行きたくありません。お台場も同じ。少しはアパートがありますが、あれではねえ。

★岡:マッドさんも、私と同じように問題を感じています。多くの国民も感じていることでしょう。では行政側は、どうして問題を感じないのか。本当に歯がゆいですね。

★マッド:行政・役人に任せてちゃダメだ、の典型ですね。
 都市計画だけではなく、公共交通機関も日本では大きな問題を抱えていますね。例えば東京都内の地下鉄です。岡さんの著書にも書かれているように、地下鉄というのは一回地下に潜らなければならないから、乗り降りが大変です。最近、世界で見直されている路面電車なら、乗り換えも楽ですよね。しかも総工費は、地下鉄の一〇分一で済む。ところが日本では、造られるのは、いつも地下鉄です。

★岡:仙台に七五年まで走っていた路面電車が赤字に陥った時、路面電車を補助するための制度がまったく存在しませんでした。ところが地下鉄であれば、お金が借りられたのです。そこで路面を廃止し、地下鉄を通したのです。
 しかし、当時の路面電車の赤字は二九億円でしたが、地下鉄にしてからの赤字は一六〇〇億円になってしまったそうですけれどね。

★マッド:ひどいですねえ。そうしたツケは、最後には必ず国民に回ってくるわけですからね。

★岡:こうした仙台の例がありながら、同じような話が、今、広島でもちあがっているんです。路面電車を保存する方向で、市民と広島電鉄とが相談していたにもかかわらず、高架の電車にするか地下鉄を通すと、行政が言い張っているんです。おかしいですね。

★マッド:おかしいですよ。お金を使いたいだけではないでしょうかね。

■公共交通機関を活用すべき

★岡:都市の市街地では、自動車を減らしていく必要がある。僕はそう思っています。それが二酸化炭素排出量の基準値をクリアーすることにも、地球温暖化を食い止めることにもつながるはずです。しかし、そのためには、公共交通機関が非常に重要になります。建設費の確保だけに目を奪われず、どのように活用するかを考える必要があります。
 実際、カナダや欧州では、公共交通機関を乗りやすくすることで、二酸化炭素の排出量を抑えようと試みています。
 公共交通機関が、都市でどのような役割を果たしていくのかという哲学が、日本にも必要でしょうね。そういった点では、日本は先進国より三〇年近く遅れていますから。逆に哲学がみえるようになってくれば、強制せずとも自然に車を減らしていくことが、可能になってくると思います。

★マッド:やはり都市や交通に対する哲学がなければ、良い街も生まれないということですね。また、住民・警察・役所が圧力をかけたり、訴訟を起こしたり、ヒステリックになったりせずに、共に話し合える環境も必要でしょうね。

★岡:哲学があれば、可能なことなのですがね。
            *
「週末だけ解散する歩行者天国はまがいもの。恒久的な『歩行者専用街路』こそが本当の天国」と厳しく指摘する岡並木氏。「並木さんという名前は本名ですか」との私の問いに「そうなんです」とやや照れ臭そうに応えた。岡に並木とは自然環境を大切にするエコロジー時代にこそふさわしい名前ではないだろうか。その並木さん(あえてファーストネームで呼ばさせていただく)が著書「都市と交通」(岩波新書)のなかで「住みやすい街とは」と題してこう語っている。一九六五年から六六年にかけて、北九州市門司区の小倉よりの住宅地に住んでいた頃の体験談である。
「当時、同志社大学のあるグループが、北九州を含めた七大都市の住居を対象に、一生住みたいと思うのはどこか、という調査をした。その結果は最低が北九州で、神戸が最高と出た。東京へ帰ってきてみると、その北九州でさえが、東京より、はるかに文化的な都市のように思えてきた。たしかに東京には他のどの都市よりも文化施設が集中しているし、文化的な催しが開催される頻度も、くらべものにならないほど多いともいえる。けれども、実際にその『文化』に、ひと風呂浴びたあとで接触できる人びとの率は、東京都民一二〇〇万人の何パーセントなのか。くつろぎの中での文化接触率は、北九州市民一〇〇万人のほうが、東京よりむしろ高いのではないか、というのが実感である。
 昭和のはじめ、私は東京の中野の住宅地に住んでいた。歩いて五、六分のところに奇席があって、落語や浪曲がいつもかかっていた。中野ばかりでなく、東京のいたるところ、歩いて行ける範囲にかならず寄席あったという。歩いて行ける範囲というのは、せいぜい十数分の距離であろう。」
 このあと並木さんはこう続ける。
「この十数年来、地方都市の良さがいろいろ見直されるようになってきた。その良さの一つが、私がくつろぎの中での文化への接触率の高さだと思っていた。だが、その良さを地方都市もいま失いはじめているのではないか。市街地から郊外への夜間の人口の脱出が、そこでも急激に進みはじめたからである。」
 今から約三〇年前に並木さんは東京という巨大な街の味気なさを指摘し、さらに理想の都市とは「くつろぎのなかでの文化への接触率の高さ」である、と述べている。
 堺屋経済企画庁長官がつい最近景気浮揚の一策として、いみじくも、こんなことを語った。
  「『歩いて行けるところに楽しみのある街』を作ること」
まさに並木さんが指摘したことである。
 ホコ天は都市の中のつかの間のオアシスだったのかもしれない。そのホコ天が都市から消滅しようとしている。今こそ、ホコ天の先を見据えた論議を行うべきではないだろうか。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

就職氷河期、リストラ…… 職がない!

■月刊『記録』99年8月号

男性の完全失業者数は過去最悪の数字を記録した。有効求人倍率は前月より〇・〇二ポイント低い〇・四六倍となり、こちらも最悪録を更新した。社会不安と呼べるほど深刻なリストラの嵐と雇用不安。社会の「職なし状態」は依然として続く。

     *     *     *

「夫はメーカーに勤めているんですが、ビラ配りなんかをやらされているんですよ。ほとんどリストラための嫌がらせですね。家族のために夫も我慢しているけれど、そのうち強制的に首を切られると思うんです。だから私が働こうと思って。でも、ほとんど年齢ではねられてしまいます」(四九歳 女性)
 一家の大黒柱が、職を失う衝撃は想像を超えるほど大きい。六月二九日に総務庁が発表した五月の労働力調査によれば、男性の完全失業者数は二五~三四歳で四八万人、四五~五四歳で三三万人、また世帯主では九七万人とすべて過去最悪の数字を記録した。社会不安と呼べるほど事態は深刻の度合いを増してきている。

■パートが生む見せかけの就業率

 七月初旬のある日、私はハローワーク、かつての職安を訪れた。武蔵野・新宿・飯田橋と渡り歩き、玄関から出てくる人に手当たり次第に声をかけてみた。しかしとにかく口が重い。特に男性は声をかけても、ほとんど立ち止まりもしない。片手を拝むようにそっと上げ、視線を落としたまま足早に去っていく。
 失業に対する心理的プレッシャーが、それほど強いということか。
 わずかに取材に応じてくれた五三歳の男性は、あまりにひどい求人状況に、諦め顔でこう言った。
  「俺、タクシーやってたんだけどね、腰を悪くして今、辞めてるんだよ。だけどこの歳になると、なかなかいい仕事はないねえ。仕方ないからまたタクシーに戻るかねえ。あれは腰にくるんだよ。まいっちゃうねえ。妻も子もいるよ。夜、寝られる仕事がいいねえ」
 また、四八歳の主婦は、
  「夫の残業代がカットされてしまって大変です。まだ子どもはこれから大学受験なんですよ。パートして家計の足しにしようと思って仕事を探しにきました。できればね、無理なく長くやれる仕事につきたいんですけど、どうしても年齢がひっかかってパートしかないんです。以前にも大学の食堂でパートしてたけれど、職場は熱いし、油で髪なんかもべとべとになるし大変でした。あれは肉体労働でした。
 今日もいい仕事はなかったですね。フィルム工場のパートがありました。立ち仕事なので不安ですが、工場が家の近くなので、見学してから考えます」
 先の労働力調査によれば、失業者数は最悪を示したにもかかわらず、五月の完全失業率は四・六%を示し、調査以来最悪だった先月よりも〇・二ポイント減少している。こんなギャップが生じた理由は、四八歳・主婦が言うように、女性の臨時雇用の増加にある。
 パートなど、臨時雇用として雇われた女性は、賃金をはじめとする正社員との処遇の格差にさらされる。夫は残業代カットにリストラの不安にもさらされ、妻は低待遇のパートで口糊を凌ぐ日々だ。事態の深刻さは、かなり大きいといえるだろう。

■四〇社受けても内定なし

 次に、「就職氷河期」といわれる大学生の就職状況をつかむべく、首都圏大学の就職課を訪ねてみた。労働力調査では、五月としては過去最多の二四万人が就職浪人という結果が出たばかりだ。まずは、東京六大学の一つといわれる明治大学の就職課を訪れた。リクルートスーツを着ている学生をつかまえて話を聞く。
  「僕は現在、七〇社回りましたが、まだ内定が出ていません。かなり厳しいですね。また採用のための試験期間が長いんですよ。リクルーターに三~四回会って、ようやく本当の試験でしょ。その試験もまた、内定までには三~四回ありますから」(経営学部 男子)
 この学生は、食品メーカーと旅行関係の企業への就職を志望している。実学の代表といわれる経営学部の男子にあってもこの惨状だ。リクルートスーツを着ている他の学生の一人は、すでに四〇社近くの試験を受けていたが、まだ内定をもらっていなかった。
 次に訪ねたのは大妻女子大学。いち早く社会問題化した女子学生の就職状況を見るためである。
  「企業の就職説明会に行ったら、受付でおじさんの社員に『来たよ~っ』って憎々しげに言われたんです。きっと女子が来たことが嫌だったんじゃないでしょうか。非常に頭にきました。私は、アパレル関係を中心に回ってますが、まだ内定は出ていません。周りの子もまだ、ほとんど内定は取れていないみたいです」(文学部)
 また、こんな話も出た。
  「説明会のハガキを申し込んでも、企業からは案内の通知が全然、来ないんですよ。だから仕方なく、大学の就職課から紹介された企業だけを回っています。それしか方法がないので……。
 大学の友達も、やっぱりまだ内定は決まっていないみたいですね。もしこのまま決まらなければ、アルバイターになるしかないね、って話し合ってます。しょうがないですから」(文学部)
 予想通の惨状である。

■不況は首切りのチャンス

 さて、最後に訪れたのは早稲田大学の就職課だ。ところがキャンパスに足を踏み入れて、他大学と何か印象が違うことに気づいた。まず、リクルートスーツでキャンパスを歩く学生が目立って少ない。就職課のドアの前で学生を片端から捕まえてみたが、ここでもほとんどの学生が就職先をすでに決めていた。まだ就職活動中という学生も、これから試験が始まる公務員や教員志望者ばかりであった。
 第一文学部哲学科に在籍し、コンピュータ・ソフトメーカーの採用に内定した女子学生は次のように語る。
  「第一志望の企業に受かってしまいましたので、もう就職活動はしていません。企業への資料請求ハガキがついているリクルート誌は、三年生の十月頃から集め始めました。ハガキを出し始めたのは四年生の三月頃からです。企業に面接などに行き始めたのは四月の終わりからですが、三~四社受けたところで第一志望が受かってしまいましたので活動はやめました。トータルで就職活動は二ヵ月くらいしかしていませんね。今日は、就職課の前をたまたま通りかかっただけです」
 さすが私学の雄、早稲田大学ということか。丸一日取材したが、ここでは不況の嵐はあまり感じることができなかった。
 大学からの帰り道、再び飯田橋のハローワークに立ち寄った。そして、たまたま訪れていた、ある警備会社の求人担当者に話を聞くことができた。
  「完全失業率っていってもね、本人がやる気がない人もかなりいるでしょ。働かない人や長く続かない人とかね。そういう人は自業自得だと思うんですよ。
 今日は(ハローワークに)、求人で来ました。うちはガードマンの会社です。今まではうぞうむぞうの人が集まってきていましたがね、すべて首を切って、しっかりした人を雇いたいと思っているんですよ。私のような業界にとっては、この不況がはャンスですからね」(五三歳 ガードマン会社社長)
 年齢・性別・肩書き・仕事の能力。あらゆるふるいにかけられ、弱者は職を失う。このような事態を、実力主義という言葉だけで片づけてはならないだろう。
(編集部)

     *     *     *

T・T 国士舘大学工学部土木工学科 男子
■理系神話は崩れている

 私は大学四年になり、自分のやりたい仕事をするために就職活動をしている。
 世間でも大学でも「就職氷河期」と、洗脳でもするかのように口をそろえていうが、実際に就職活動を始めるまでは「大変なのは文系の女子大生で、自分は男でしかも理系だから関係ない」と思っていた。「就職氷河期」はまさに「他人事」としか考えていなかったのだ。しかし、実際に就職活動をしてみると「就職氷河期」どころではなく「超就職氷河期」であり、自分の希望する職に就けるかどうか不安になっていった。
 自分は工学部土木工学科に在籍し、将来は土木技術者になるために土木科を希望したこともあり、就職先も建設会社か道路会社で、設計者か技術者を希望していた。七〇社以上に資料請求のハガキを出し、インターネットメールも使って資料請求をした。さらに、合同企業説明会にも積極的に参加し、そこでも二〇社以上に資料請求ハガキを出したが、時代は「超就職氷河期」、帰って来た会社案内の資料はたったの三〇数社。資料請求した会社の半分以下だった。
 就職情報紙や合同企業説明会に参加していない会社にも、直接電話で資料請求をしてみたが、ほとんどが「今年の採用はありません」と言われた。なかには「今年の採用は指定の大学以外では行っていません」などと、ふざけたことを言っている会社もあり「そんな会社には頼まれても行かない」と強がりを言ったりしたこともある。このように、実際に会社訪問を始めてみて「超就職氷河期」を実感した、というかさせられた。
 どこの会社の説明会を訪れても、採用人数をはるかに超える就職志望者がいた。そこには企業の業種とは、ぜんぜん関係ない学部や学科の学生も大勢いた。しかし、そのあたりは会社のほうもはっきりとしたもので「業種と関係のない学部または学科の人は就職試験を受けられません」と言い切っていた。会社の言い分もよくわかるが、本気でその会社を志望している学生にチャンスくらいは与えてほしい。
 自分が感じたことだが、会社訪問とは就職活動をしている学生が会社をよりよく知るためにあるのではなく、会社が足切りをするために設けられているものだった。会社訪問をしても就職試験を受けられるわけではなく、かと思えば面接をしたわけでもないのに提出書類で就職試験を受けられるかどうかが決まるところもある。
 なかには「近いうちに試験日程を送付します」と言われ、日程が送られてくるのを一ヵ月近く待っていたが、あまりにも遅いので電話で確認したところ「就職試験はもう終了しました」と言われた。要するに足切りをされていたのだ。これには、さすがに怒りが湧いてきた。
 建設業界はまさに冬の時代であり、学生の就職率も落ちている。どんなに学生が就職したくても受け入れる場所がない。
 まさに「超就職氷河期」まっただなかである。

     *     *     *

K・K 國學院大学文学部文学科 女子
■就職活動は中小企業に限定

 私の就職活動は、三年生の十一月から始まった。大学での就職ガイダンスをかわきりに、いくつかの就職情報誌への登録を行った。このようなガイダンスを行っていない大学もあるので、私の大学は学生に対し、良心的といえるかもしれない。
 また、運良く今年から大学に、パソコンによるネットワークシステムが整備されたので利用することもできた。校内アカウントが発行され、パソコンを持っていない学生にもインターネットを活用する場が提供されたのだ。これは就職活動をする上で大きなプラスとなった。
 その後、自宅に三キロはあろうかというハガキ付きの会社案内資料冊子が送られてきた。今年は、企業からの資料の送付は、性別や大学に関係なく行われたようだが、去年の先輩の話では、女子学生と女子大学の学生には遅配がみられたとのことである。
 早速、資料の冊子を使って希望に合う会社を絞り込んだ。私には大手指向が全くなかったので、中小企業に最初から目を向けた。女子学生だけにとどまらない慢性的な就職難という近年の状況を考えると、早くから中小企業に絞ったほうが内定が出やすいと思ったからである。
 大手はエントリーシートを使って、応募者の絞り込みを事前に行うので、募集期間が比較的長い。それに比べて中小企業はかなり早い段階で内定を出し、優良学生を確保しようとするので、私には青田買いとしか思えないような、五月上旬に内定を出した学習塾もあった。
 また、大手企業は、会社案内資料冊子に企業案内を載せないことが多い。掲載されていたとしても、中小企業と違い、料金後納ハガキを添付してくれたりはしないので、自分でハガキを買って出さなくてはいけない。まあ、ここまでは当然だとも思うが、ほとんどの大手企業は、その後資料を送付してはくれなかった。これには多少なりとも差別を感じてしまう。私が文系女子学生だからなのだろうか。だから会社訪問や説明会への参加という時期になっても、常に中小企業を中心に置いてきた。
 また、私が教職課程を履修していたことも、内定を早期に出す中小企業を選んだ理由の一つであった。私は教育実習の行われる六月までには内定が欲しかった。実習中に第一志望の会社の採用試験が行われることも稀ではない。泣く泣く試験を断った友人もいるので、教職を履修するならそれなりの覚悟をしなければならない。教職を取っていることで、面接の時に嫌がらせ的な質問をされる人の例も聞いたが、教員は募集も少なくリスクが大きいため仕方がない。
 内定を得てはいるが、私は就職活動をまだ続けるつもりでいる。今後は通年採用を行っている企業や難関といわれる大手の企業にも手を広げ、将来の可能性をさらに伸ばそうと考えている。しかし企業の反応はまだわからない。多くの就職が決まっていない学生と同じく、夏が正念場となりそうだ。

     *     *     *

T・O 休職中(三三歳 女性)
■アルバイトでさえ年齢がネックに

 十数年ぶりに職安へ行き、まず人の多さに驚いた。その後は行くたびに増えていった。あたり前だが、皆の顔も一様に暗い。年代はさまざまであるが、五〇歳過ぎとみえる男性が目立つ。その年代用の窓口まである。
 聞くともなしに聞こえてくる、ため息と弱々しい声。ふと見ると六〇歳前後の男性が背中を丸めている。若くはないということがそんなに負い目になるのかと腹が立ってくる。私はといえば、自分の見たい求職ファイルが一つもない。すべて誰かが閲覧中なのだ。
 やっとファイルが空いたので手に取ってみた。年齢、資格と条件が重なり狭き門。特に私は、無資格で勤められる福祉関係を探していたので余計に厳しかったのかもしれない。これでは正社員になることなど夢のまた夢である。早々にアルバイトへと目標を変更した。だが、それにさえも並々ならぬ苦労が待っていたのである。
 職安からの紹介ではないが、数日後に、知的障害者の作業所のアルバイト採用面接を受けた。資格は問われなかったが、たった一名のみの募集であった。作業所に慣れるため、面接をするまでに何回か施設を訪れた。例年ならば一人募集の枠にせいぜい二~三人の応募者がある程度らしいのだが、不況、そして福祉ブームの影響を受けて、私が受験した面接には一〇人の応募者があった。さらに面接は一日がかりだった。一〇倍の競争率に緊張感は高まり、一日でどっと疲れが出た。それでも不合格。「バイトであればすぐ決まるだろう」とタカをくくっていた思いは、見事に打ち砕かれた。
 不景気だからだろう。雇う側の対応は本当に冷たい。某カード会社のアルバイト募集面接を受けた時のことだ。面接の時間通りに行くと、まず守衛所で呼び止められ、確認のためしばらく待たされた。ビルの中に通されると、ホテルのような広いロビーに案内された。「この辺で待っていてください」とだけ言い残し、守衛は去ってしまった。応募者が他にいるのかも、担当らしき人が誰かもわからない。
 やっと面接の段になっても、待たせたことを詫びるでもなく、事務的にバイトの内容を説明し、私に自己PRをさせ、それが終わるや否や質問はないかと尋ねられた。その時点で私の履歴書は横に押しやられ、代わりに交通費の入った袋を差し出された。
  「ご苦労様でした」と機械的に言われて終わりである。この間五分程度。面接の日にちまでも随分と待たされたのにである。
 某ホテルの予約受付のアルバイト募集面接を受けた時にも、似たような体験をした。年齢のことを根ほり葉ほり聞かれ、ただただ不愉快な思いをした。もちろん両社とも不合格であった。
 アルバイトでさえ、三三歳という年齢が致命傷になる。職安で見た背中を丸めた、ため息混じりの男性を思い出した。求職への思いの辛さを実感した。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

「JRに巣くう妖怪とは?」 国労vs革マル派/本誌編集部

■月刊『記録』95年10月号掲載記事

■整備新幹線問題に絡む

* 「妖怪」が「人知では解明できない奇怪な現象」(広辞苑)という意味ならば、千人以上の解雇問題だけでも「巣くっている」と十分言い得る。94年6月に「JR東日本に巣くう妖怪」という見出しで、松崎明JR東日本旅客鉄道労働組合(東労組)会長が革マル派に属しているとの疑惑を『週刊文春』が報道した。そして現在、今度は革マル派の機関誌『解放』が、「国労が運輸大臣に秘密献金」とスッパ抜いた。この問題は、文春がJR東日本管内の販売店(キヨスク)での販売中止に合うなどJR側の過剰とも思える対応のせいか、どのメディアも及び腰だ。だが、志操高き読者に支えられ、キヨスクにも広告にも頼らない本誌に恐いものなどない!

『週刊文春』の記事は、松崎氏は革マル派のナンバー2まで登りつめた人物であり、86年に転向宣言を行ったが、この「転向宣言」が怪しいとにらんだのである。
 この報道に対しJR東日本側は、事実無根の記事としてJR東日本管内の販売店(キヨスク)で販売しない方針を取った。仮処分決定を受けての発売再開後も、同誌の取り扱い部数は半分に落ち込んだ。結局、文春側が11月に「お詫び」を掲載して和解した。
 そして最近、JRの周りは再び慌ただしい。革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)は機関紙『解放』において、国鉄労働組合(国労)から亀井静香元運輸相に秘密献金をしていたと報じ、逆に国労は松崎会長と革マル派が深い関係を暗示するかのようなテープを入手したと発表した。それを受けて革命的共産主義者同盟(中核派)までが、革マル派の報道は捏造だと断じたビラを、JRアパートのポストに投げ込んでいる。
 ことの起こりは、94年12月27日に「202億円損害賠償請求訴訟」が、国労と国鉄精算事業団との間で19年ぶりに和解が成立したことにある。この訴訟は、75年に国労や旧動労が起こした「スト権スト」に伴う損害賠償を旧国鉄が求めたものだ。国労は和解のために「分割・民営化されたことを認める」との新方針を表明し、国労会館を明け渡すことにも合意した。国労の樫村潔書記長は本誌に、「会館は精神的な中心地だった。お城を明け渡すような心境だ」と苦しい胸の内を語っている。
 しかし、判決は、そもそも国労敗訴の可能性が高いといわれていた。それが会館明け渡しの代償とはいえ、国労に20億円前後の立ち退き料を支払うなど、勝利をほぼ手中にしていた国鉄精算事業団が、国労に有利な形で告訴を取り上げたのはなぜか。
 一般的には、「この訴訟は当時の中曽根康弘自民党幹事長が、渋る国鉄当局のしりをたたいて訴訟に持ち込んだといわれる。中曽根元首相が後に行政改革の目玉として、分割・民営化を実現させたことからも、その障害となる国鉄の労組に圧力をかけるのが狙いだったと思われる。国鉄の分割・民営化が実現し、闘争力を誇った国労も10分の1以下に組合員が減って、JR内の少数組合に転落した。訴訟の狙いはすでに達成され、『歴史的役割』は終わっていた」(毎日新聞)との解説が支配的であったが、ひとり革マル派だけが、独自の見解を『解放』95年4月24日発売号で示した。
 同紙は、「運輸大臣・亀井が、大蔵省との予算折衝において、「採算性」を理由に整備新幹線に消極的姿勢をしめしているJR東日本会社の経営姿勢の転換をはかる、この転換を強引に実現するために国労を利用する、という担保をさしだしたからである」と書き立てたのだ。

■国労がキャスティングボード?

 JR東日本内の国労組合員はわずか1万8千人。それに対してJR総連傘下の東鉄労は5万6千人もいる。国労がどう動こうと経営姿勢が転換するとは思えない。ただし全国的にみれば、JR連合(東日本では4千人)がJR総連を6千人ほど上回っており、全国の国労組合員3万1千人がどちらにつくかは重要な問題となるだろう。事実、国労が「分割・民営化された事実を認めた」ことを受けて、JR連合は組織統一を、JR総連は「あらゆる形での話し合い」を呼びかけた。今まで強烈な逆風にさらされていた国労がキャスティングボードを握る可能性が出てきた。
 もっとも、少々フォローの風が吹いたからといって、それに乗じて整備新幹線をネタに運輸相とランデブーなどというウルトラCを国労が演じられるとは常識では考えられない。そもそもスト権ストをめぐる訴訟は、分割民営化や余剰人員対策などに協力した動労に対しては86年段階で取り下げられており、訴訟自体が、民営化される国鉄内での労組の力を削ぐための道具であり、94年末段階で役割を終えたというのが真相だろう。
 では革マル派はどうして突飛ともいえる「真相」を報道したのだろうか。前出記事を含む「JR再編をめぐる新たな動向」と名付けたシリーズを『解放』が始めた時期が95年4月である点にヒントがあるかもしれない。同じ頃、国鉄の民間化に伴う国労組合員1047人解雇問題で、運輸省が解決案を模索していたのだ。
 すかさず6月5日刊『解放』の同シリーズは「国労中央が運輸相・亀井静香らに1憶9000万円の秘密献金!」とスッパ抜いた。事実とすれば大変なニュースである。
 同紙が秘密献金の証拠としているのは、小島忠夫国労特別中執から永田稔光国労委員長に宛てたメモだ。3枚のレポート用紙には、国労が1047人問題を運輸相と亀井運輸相との関係を軸に解決していこうとしていることや、亀井氏に9000万円、野坂浩賢建設相と佐藤孝行元自民党総務会長に5000万円を渡したことが書き記されているというのだ。
 このメモについて樫村書記長は、「報じられた当時は混乱していたこともあり、きちんとした調査結果を出せなかった。しかし、現在は調査も終わり、3枚のうち2枚は小島氏が書いたが、もう1枚は偽造とわかっている」という。そこで『解放』に問い合わせたところ、国労内部から入手したとの説明をうけた。一方、国労側は「盗んだとしか思えない」とコメントしており、真相はヤブの中だ。樫村書記長はまた、同時期に永田国労委員長が自宅に保管していた小島メモとは別のワープロのメモが何者かに無断で持ち出され、改ざんされて『解放』に載ったことがあると証言しているため、『解放』の記事をう呑みにするのは危険である。

■秘密献金疑惑の疑問点

 そもそも、秘密献金報道には大きな疑問点が2点ある。
 まず第一に、亀井氏らに送ったとされる1憶9000万円もの大金をいかなる方法で調達したのだろう。『解放』によれば、国労会館と全国の国労の預金を担保に東京労金から緊急融資を受けたものだという。このような融資方法にしたのは、時間がないことと、資金調達方法がわかりにくいこと、国労がすでに10億円もの融資を受けており、「国労中央本部の資産を担保にして追加融資を受けることは現実的に不可能である」ためとある。
 しかし、国労が東京都渋谷区代々木に持っている1483平方メートルの土地には全く抵当権が設定されていない。この土地だけでも、国労は単純に計算しても7億円以上の融資を受けることができるとみるべきだろう。樫村氏も東京労金からの融資額は、『解放』が書いた額とは全く違うと語っている。
 第二は、国鉄民営化を運輸大臣として強力に押し進めた三塚博氏と同派閥の亀井氏が、国労を擁護するのかという点だ。『解放』側が、だからこそ亀井氏に献金が必要であったとの見解を述べるわけだが、少々うがっているのではないか。
 94年1月に、JR北海道とJR貨物は「採用差別」事件で中央労働委員会が国労組合員の救済命令を出した時に、社会党の伊藤茂運輸相は和解案を示して事態を収拾しようとしたが、経営よりの運輸省幹部を動かすことができなかった。結局JR側は行政訴訟に踏み切ってしまう。しかい、朝日新聞によればJR各社の幹部は、運輸相らによる早期解決要請や中労委命令を無視し続けることへの世論の批判も踏まえ、、「提訴後、話し合うことを拒否しない」と含みのある発言をしている。
 同じように中労委で争っている事件が、JR全体で25件もあることを考えれば、JR各社としても国労の譲歩を早く引き出し、運輸相と運輸大臣との関係を微妙にする問題から手を引きたいのが本音だろう。このような状況を受けて、亀井氏が運輸大臣に就任した。三塚派の影響が強いとされる運輸省である。国鉄民営化の中で、三塚氏が動いたように、国労問題を解決する流れの中で社会党出身の細谷治通政務次官を通して亀井氏がJR各社と話し合いをしたとみてもおかしくはない。
 亀井氏への献金問題をスッパ抜いた『解放』は、夜中に国労組合員の自宅に配られていた。樫村氏はもちろん、一般組合員からも同様の証言を得ている。なぜ、革マル派はここまで、国労の問題に力を入れるのだろうか。革マル派のインタビューでは、「労働運動の視点から国労は許せない」との声が出ていた。是非は別にして、その思い自体にウソはなかろう。しかし、それだけの理由なのだろうか。やはり、国労の組合員数がJR総連とJR連合の力の均衡を破る要素になり得る点を看過できない。
 なぜならば文頭に示したように、JR総連の中核である東鉄労の松崎明会長が革マル派に属し、JR東日本の経営陣と組んで国労を追い落としたといううわさがいまだに絶えないからだ。単なるうわさではなく、現に国労組合員の大半は信じて疑わない。「JR総連のチラシが革マルの文章と同じ文体で書かれている」「松崎氏が革マル派なのかと記者会見で質問され、同派は事実を否定しなかった」といった点が根拠になっている。
 本誌も「松崎会長=革マル派」説を『解放』編集部に質問した。答えは「(松崎氏は革マル派に)所属していない」だった。今までの記者会見などでは、「ノーコメント」と否定も肯定もしない態度を繰り返しており、霧は晴れない。

■革マル派の援護射撃か

 国労が分割・民営化を認める路線変更を発表した結果、3団体とも基本的な考えは近づいたとみていい。しかし、これまでの経緯を考えれば国労がJR総連と組むことはあり得ない。逆にJR連合と手を組まれれば、JR総連が少数労組として取り残される危機に陥る。そこで国労に打撃を与えるべく革マル派が援護射撃を送ったとみる向きは多いのである。
 だが、一方で国労=悪という構図と同じ意味で、国労=正義という言い方もまた、素直にうなずけない。国労側は95年7月、「花崎(JR東日本取締役部長)が潰れたら革マルだって潰れるの。松崎だって」と、JR東日本幹部の声が録音されているテープを公開した。しかい、このテープもネタ元がはっきりしない。しかも、発表は『解放』の「JR再編をめぐる新たな動向」シリーズに合わせたようなタイミングだった。正直、かなり怪しい情報だとしかいいようがない。
 また、樫村氏が小島メモの一文と認めた、「亀井と会い1047名の話しをする。もちろん礼もする」という部分について、樫村氏は「礼」は会食のことで、精算事業団・国労・運輸省3団体の総勢8人が1月中旬に赤坂の料亭で食事したものを指し、1人1万5千円程度だったと説明しているが、会食だけというのは説得力に欠ける。ただ一つだけ確かなことは、国労組合員が不当に差別されていることである。労働運動の視点以前に、人権問題の視点が必要であることだけは間違いない。
 JR内の奇々怪々については、取材するほど灰色の部分が広がってくる。「なぜ、俺たちの労働運動に革マルだの中革だといったセクトが密接に関わっているのか。本当に嫌になっちゃう」との国労組合員のつぶやきが、取材の中で一番印象に残った。

■■「解放」編集部に聞く

------『解放』で報じた国労の亀井運輸大臣への秘密献金についての説明を。
 国労組合員など1047人が精算事業団から解雇された問題で、解雇者のJRへの復帰要求を部分的に受け入れた内容の解決案を運輸省が示した。この解決案を出させるために、国労本部は運輸大臣・亀井などに1憶9千万円の秘密献金をしたのだ。国労中央本部特別中執・小島忠夫が国労委員長・永田稔光に宛てた3枚のメモにはっきり書かれている。
「202憶損賠訴訟」取り下げと引きかえに、分割・民営化反対の幕を下ろした国労本部は、このことによって切り捨てることになる1047人の解雇問題を解決するためには亀井にすがるしか方法はなかった。しかし、もちろんすがるだけでは不十分。国労よりの解決案を出させるためには、運輸族へ献金を行わなければならなかった。
------国労よりの運輸省案が出されたのは、亀井運輸大臣の売名行為とも感じたが。
 そういう見方は皮相だ。まず国労からいえば、なによりも「202憶損賠訴訟」を取り下げてもらうことと引きかえに分割・民営化反対の路線を転換したのだ。このことへの『記録』の認識が甘すぎる。国労が全面的に敗訴することは確定的だった。もし202憶もの支払いが国労に課せられれば、組合費の差し押さえを招き、組合として成り立たなくなってしまうからだ。
「202憶損賠訴訟」で路線を転換しながら、組合員にそれを隠している国労本部には、1047人問題で有利な解決案を運輸省に出させないと闘争団は納得しないとの危機感もあったはずだ。
-国鉄精算事業団に「202憶損賠訴訟」を取り下げるように、亀井運輸大臣が精力的に動いた理由をどう考えるか。
 亀井としては、採算性を理由に整備新幹線に消極的姿勢を示しているJR日本の経営姿勢の転換をはかるために、国労を利用することを計画した。それは自分の意向を貫徹するためにJR各社を運輸省の指揮・監督の下に置こうとする構想とも絡んでいる。
 この亀井の意向をうけて国労本部は分割・民営化されたことを認めるなど政治路線を変更したのだ。この経緯は、国労委員長・永田稔光の極秘メモによっても確認できる。
 そもそも、国労本部は運輸大臣・亀井や国鉄精算事業団との秘密交渉を、国労組合員に明らかにしていない。それは、明らかに出来ない内容の交渉だったからだ。政府。運輸省の意向に沿うように秘密裡に運動方針を転換したことは、労働運動として許されることではない。しかも、国労本部は組合員に対して、闘うポーズだけは取り繕っているが202億円で魂を売ったのだ。
------国労は献金の原資となった1憶9千万円を含む東京労金からの融資はデタラメだといっているが、どこからの情報なのか。
 融資額がデタラメなどという反論を国労本部はどこでもしていない。ほの記者には融資があったことは事実だが別なことに使ったと弁明している。それぐらい本部の対応はデタラメなのだ。
------小島メモのうち2枚は本物と認めているが。
 3枚とも本物。彼らは公式にはメモについては何もいっていない。デマだとしか反論しないことに疑問を持たないのか。
------メモはどこで手にいれたのか。
 国労内部から入手した。
------国労は永田稔光委員長宅からメモが盗まれ、改ざんされて『解放』に掲載されたと主張しているが。
 そんな話は聞いていない。改ざんされたというのなら、元のメモを出せばいい。
------国労は革マル派と松崎明東鉄労会長との関係を示すといってテープを公表しているが。 献金問題で追いつめられた国労幹部が、大会直前の記者会見で、出所不明のテープを流して、物笑いになり、相手にされていないそうですね。「関係を示す」などといっても、そもそも関係がないのだから、そんなもの示しようがない。
 我々は国労本部の裏切りを問題にしている。国労をめぐる一連の問題は、人権問題ではなく、労働運動の問題だ。日教組本部の「日の丸・君が代問題」の大裏切りと同様に、われわれ日本労働運動の腐敗の極致を問題にしているのだ。
------松崎氏は革マル派に所属しているのか。
 所属していない。

■再反論/樫村潔国鉄労働組合書記長

------東鉄労の松崎氏は革マル派に所属していないと、解放社が言い切った点についてどう思うか。
 状況が変わってきたから、対応を変えてきたのではないか。革マルと松崎氏との関係を示すテープも出てきており、会社にとっては困った事態だろう。
 革マル派の本拠地は、エーザイ(注:エーザイ側は完全否定)とJR東日本だとも噂されている。本拠地を残し、生き延びるためにはいろいろなことをしてくるだろう。
------小島メモは国労内部で入手したと解放社が言っているが。
 絶対にあり得ない。国労内部にシンパがいるかのような発言は、革マル派の常套手段だ。裁判も控えているので、いずれ明らかになるだろう。小島氏が実際に書いたメモについては、盗んだとしか思えない。
------革マル派はさらなる証拠を持っているとも言われているが。
 新しい証拠があるなら、サッサと『解放』に掲載すればいい。革マル派が何をしてくるのかはさっぱりわからない。

※なお、亀井静香前運輸大臣は当然のことながら「事実無根」と否定している。毎日新聞によれば、亀井氏は「背後関係を含めた徹底的な捜査を期待している」と語っており、本誌の取材に対しても、亀井氏の事務所より「名誉毀損で訴えていることもあり、コメントのしようがない」との回答を得ている。
(インタビュー中の表現をそのまま掲載したため、一部の方が呼び捨てになっている点をご了承下さい)(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「麻原極刑」と死刑廃止論/岩井信アムネスティ・インターナショナル日本支部事務

■月刊『記録』95年12月号掲載記事

(■岩井信……1964年東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒。在学中よりアムネスティ活動に参加し、卒業後事務局に勤務。)

■いまこそ、死刑廃止の声を

「地下鉄サリン」や「坂本弁護士一家殺人事件」などの凶悪な犯罪が明るみにされ、捜査や裁判の模様が連日メディアを賑わせています。まだ裁判の結果が出ていませんから、無罪推定の原則にしたがって、私たちが勝手に判決内容を云々することは控えなければいけません。しかし実際には、「犯人を死刑に!」という論調がメディアを占拠し、「死刑」以外の判決を裁判所が出すことが難しいような状況にあります。「これでも死刑廃止か」という問いかけの中で、いったい私たちはどう考えたらよいのでしょうか。個人的な意見を述べて、この問題を考えていただくきっかけにしたいと思います。

■廃止論は「相手を赦せ」ではない

 死刑廃止論を言うことが、被害者の遺族に対して「相手を赦せ」といっていることであり、「罪を憎んで人を憎まず」という考え方だと思われていることがあります。「私たちはあなたのような宗教者や聖人ではない」と揶揄されることもあります。しかし死刑廃止は、誤解を恐れずあえていえば「罪を憎んで、人を憎んで、でもその人を殺さない」ということだと思います。
 被害者の遺族が相手に復讐したい、相手を殺したいと思うのはその通りです。そこで「相手を赦せ」なんていうのは、それこそ人権侵害です。この感情、この気持ちを大事にしなければいけないことはいうまでもありません。問題はこの感情を「どのように」大事にするかということです。つまり、その感情を大事にすることが、なぜそのまま死刑制度に結びつくのか問うことが必要です。
 広島で数年前に死刑廃止のシンポジウムがあり、私も参加したことがありました。その時に会場からすごい剣幕で死刑廃止に反論される方がいました。ある殺人事件の被害者の遺族だというのです。いろいろな話が出てきたのですが、ふと尋ねてみると、実はその方の場合「犯人」は死刑にならなかったというのです。「それで満足されていますか」と聞かれて、「満足も何も、裁判所が決めたのだからしょうがない。あきらめている」ということでした。
 日本では殺人事件の99%は死刑になりません。死刑になるのは、複数殺人していたり、強盗や誘拐などが関係する凶悪な事件に限られます。しかし殺された家族にとっては、最愛の人が1人殺されただけで十分なはずです。ということは今の日本でも、実はほとんどすべての殺人事件の遺族にとって死刑は「廃止」されているのです。つまり死刑は象徴であって、遺族の無念さ、憎しみは、今の日本でもそのまま制度化されていません。むしろ本当の問題は、死刑制度の有無ではなく、こうした遺族に気持ちをどう大事にするかということなのではないでしょうか。
 感情は永遠に固定したものではありません。むしろ周りとの人間関係や環境、時間によって大きく変わるものです。死刑があることで、かえって感情がエスカレートしていくこともありえます。私達が考えるべきなのは、憎しみと復讐で一杯の遺族が、その後も生き続けなければいけないということ、それを知ってどうサポートできるのかということです。 日本では被害者遺族給付制度やカウンセリング面での支援など、被害者への支援が諸外国に比べて20年は遅れているといわれます。もしかすると死刑があるために、表面的には解決したとして、実は本当に取り組むべき課題が隠されているのではないでしょうか。

■殺人を求める社会とは

 死刑は社会の雰囲気にも影響します。凶悪な犯罪が起き、それがセンセーショナルに報道され、人々が死刑をさけぶ社会(すでに週刊誌のいくつかはそうした記事をかいている)。旧ユーゴスラビアの紛争を挙げるまでもなく、復讐は復讐を求め、暴力は暴力を誘発します。私達は断腸の思いで、復讐の連鎖を断ち切らなければいけません。サリン事件を通じて、生命への尊重が今の社会に失われていると評されますが、「死刑を!」と叫ぶことも冷静に考えれば同じことをしているのです。死刑はどんな理由があるとしても「国家による殺人」です。今の日本は、殺人を求めている社会ともいえるのです。
 アムネスティのビデオ『殺せますか』(東京事務所で発売)でシリアの公開処刑の場面を見たことがあります。体育館の真ん中に男が座っていて、観客席にいる「群衆」が「死刑に!」と叫んでいる光景です。みんながみんな拳を上げて「死刑に!」と叫ぶ感情を相対化して、どこかで抑える視点を与えてくれる「画面」それが社会という枠組みのはずです。生の感情をそのまま制度化しない「死刑のない社会」が世界各地で増えているのは、殺し合わないで生きるための知恵なのではないでしょうか。

■死刑に犯罪抑止力はない

 今回の「サリン事件」などが計画されていた時期は、たぶん日本で一番死刑がメディアで取り上げられていた時期です。3年4ヶ月の事実上の執行停止をへて、93年3月・11月、94年12月とたて続けに死刑の執行が行われ、かつ毎回新聞の1面トップの記事となりました。以前は執行があってもベタ記事でしたが、死刑廃止論議の高まっていたこともあって、大きな報道となっているのです。ですから死刑の執行を続けるという当局の意思表示が、この数年ほど執拗に示されてきた時期はありません。もともと死刑に犯罪抑止力があるという証明はなされていませんでしたが、今回の事例をみても、死刑をすることで将来の同様の犯罪を防ごうという考えは間違っています。

■殉教者をつくるテロへの死刑

「テロというのは社会的矛盾が契機となっていて、その背景を理解し、克服することでしか防止することはできない。テロリストに対する、新たなテロリストを生むだろう。続くテロリストに、より強い動機と正当化の口実を与えるだろう。そしてそれは、より大きな規模のテロとして帰ってくる」といった人がいます。死刑は死ぬことで責任を取らせることです。これは死の美学にも通じます。特にある政治的・宗教的目的のために死刑となると、宗教的価値がつけられ、「殉教」したことになります。むしろ犯罪を背負って、一人の小さな自分を見つめることからしか、犯罪を犯した人がもう一度行き直す機会はないと思います。それがまた、社会に対して新たな殉教者を作らせないことになるのではないでしょうか。
 死刑をすることは、暴力や殺害をもって問題を解決しようとするテロリズムと同じことを私達もすることです。「もし私たちが誇ることができるとすれば、私たちがテロリストと同じような、人を殺すという論理(殺生のレトリック)と文化(暴力を容認する文化)を持っていないということではないだろうか」と「死刑を考える平成7年度関東弁護士連合会シンポジウム報告書」は指摘します。

■世論は変化している

 1994年11月26日に発表された世論調査の結果では、メディアでは「死刑存置が70%を越えている」と報道されたのですが、これも問題があります。よく調査内容を見ると、「場合によっては死刑もやむを得ない」と答えている73・8%の人の中には、「将来状況が変われば廃止」は約40%おり、この人達を条件つき廃止論者とすると、絶対的廃止論者の13・6%とあわせて約43%になり、絶対的存置論者の39%を上回っています。94年7月にNHKが行った世論調査でも、終身刑の導入を前提に聞いたところ、廃止論者が存置論者を上回っています。世論は変化しているのです。なお、世論調査方法の問題点や、世論と人権の関係についての議論はここで省きます。

■もっと代替制の論議を

 そこで問題になるのが死刑をなくした後の代替制ということです。死刑は死刑制度そのものが問題であり、廃止されなければいけないのですから、何かと取り引きしなければ実現できないという条件付きの問題ではありません。しかし政策問題としては、死刑がなくなった後の最高刑への信頼という意味でも、このことに取り組んでいかなければいけないことが現実としてあります。
 現行の無期刑の「仮釈放」制度はどうでしょう。法律上は10年の経過によって仮釈放が可能で、よく「10年で出てくる」と言われますが、実際の運用は18~20年に及んでいます。吉村昭の『仮釈放』という小説にもあるように、保護観察が一生つき、移動の自由が制限される仮釈放の厳しさはなかなか知られていません。
 正確な情報をもとに、運営面でのより厳格な対応という考えもありますが、一方で恩赦の可能性を残した「仮釈放を認めない絶対的終身刑」や、仮釈放の可能性となる期間を相当延長したり、被害者遺族の意志を仮釈放に反映させる手続きを加えるなどの提案もあります。
 アムネスティも呼びかけ人として結成した「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」では、民間法制審議会のようなものを設置して、死刑が廃止された後の最高刑についても日本社会の合成形式づくりの作業が必要だと考えています。

■「寛容」を問いなおす

 南アフリカでは死刑が違憲に、ポーランドは死刑執行停止法案が通り、モーリシャスでも死刑廃止法案が可決されました。世界はついに死刑廃止国が存置国を上回りました。死刑廃止条約でもすでに1989年に国連総会で採決されています。世界は着実に死刑廃止に向かっています。もし「世論」を尊重するのであれば、世界の世論も考えに入れなければなりません。
『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』(渡辺一夫)という長たらしい題のエッセイがあります。死刑廃止は犯罪に「寛容」だと非難されますが、私たちはこの日本語の「寛容」という言葉の意味を、今こそ作り直さなければいけないのではないでしょうか。殺人行為という「不寛容」に、国家が殺しかえす死刑という「不寛容」で対抗するべきか。渡辺氏はエッセイでこう言っています。「現実には不寛容が厳然として存在する。しかし、我々は、それを激化せしめぬように努力しなければいけない」。
 寛容とは甘やかすことではありません。むしろ「不寛容を激化せしめぬよう」努力すること。何もしないで甘やかすのではなく、この「不寛容を激化せしめぬよう努力する」積極的な行為こそが、新しい意味での「寛容」なのです。今年は国連寛容年。今こそ、もう一度死刑について考えてみませんか。(■つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

天下り用ファミリー企業をぶっ潰せ!

■月刊『記録』02年9月号掲載記事

■天下り用ファミリー企業をぶっ潰せ!/文・本誌編集部

 道路4公団の民営化論争が、もめにもめている。民営化を進めたい道路関係四公団民営化推進委員会(民営化委)と、道路族が集う自民党道路調査会の検討委員会、両者の主張は真っ向対立している。
 道路の利権を確保したい政治家と、小泉純一郎首相から「最終的には『上場』を目指す」と公団の民営化を指示された民営化委では、立場が違いすぎる。簡単には歩み寄れないだろう。国民にとっても、この議論の賛否は難しい。道議員に税金がばらまかれるのも悔しいが、民営化とともに高速道路の永久有料化が決定するのも釈然としない。それより27兆円もの赤字を積み上げた道路4公団が、いけしゃあしゃあと存続しているのに腹が立つ。
 道路公団が抱える巨額の借金は、不採算路線の建設だけが原因ではない。天下りを抱えるために、儲かる業務をファミリー企業に配分してきた結果である。驚いたことに、日本道路公団の子会社と関連会社の計82社は、2000年度決算で1000億円を超える余剰金を蓄えていた。『読売新聞』(2002年8月20日)によれば、最も余剰金をため込んでいたのは、高速道路の休憩施設に設置される道路案内などを委託しているパブリスで、「前期までの剰余金に2001年3月期に計上した当期利益約1億5400円を追加し、剰余金は64億2600円に上った」という。口アングリである。この不景気に64億もの余剰金を蓄えているとは……。
 高速道路そのものは、巨大なビジネスである。道路に入るためには高速料金を徴集する人員も必要だし、道路を照らすライトや看板なども膨大な量だ。そうした施設のメンテナンスも金がかかる。入ったら出られない高速道路だけに、サービスエリアのレストランは高くても、まずくても客が入る。こうした事業を、随意契約で関連会社や息のかかった子会社に振り、収益の多くを天下り社員で山分けしていたのである。その上で公団を赤字に仕立て上げて累積赤字を積み重ねてきた、というわけだ。
 今から3年ほど前、「道路サービス機構」と「ハイウェイ交流センター」という2つの財団法人を取材した。日本全国にあるサービスエリアの経営を一手に引き受けている財団法人であった。
 この2つの法人の前身は、悪名高き道路施設協会。天下り先のファミリー企業に利益を分配して赤字経営に見せかけていた手法がバレ、98年に前述の2つの法人に分割となった。そのとき「公益法人の理事のうち同一官庁などの出身者の占める割合は全体の半分以下にする」という閣議決定にも従うことになった。
 ところがである。この2つの法人は、無報酬の非常勤理事ポストを増やして民間人を採用。「全体の半分」にはなったものの、天下りの人数だけは確保したのであった。
 当時、2つの団体は、次のように取材に答えている。
  「よく天下りなどと批判されておりますが、私どもは『天下り』などと呼んでおりませんし、そのようにも考えておりません」(ハイウェイ交流センター)
  「(天下りは)適材適所だと感じております。業界に精通し、その専門性を活かして指導育成をしていただいている。これは必要だから来ていただいているのです」
 こんな戯言を、職員が当たり前の顔でしゃべるのだから驚く。つい最近も首都高の料金を700円から800円に値上げしようとして、こんな時期に職員の意識が低いと批判されていたから、「利益のためなら批判など気にしない」という姿勢は、当時のままらしい。
 民営化への議論に決着がつかないなら、とりあえずファミリー企業を撲滅すべきだ。きちんとした競争原理が働けば、天下りだけを養う会社などなくなるのだから。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

疑念を拭えない「自立支援法」

■月刊『記録』02年8月号掲載記事

■疑念を拭えない「自立支援法」/文・本誌編集部

 今年7月17日、「ホームレス自立支援法案」が、衆議院厚生労働委員会で可決された。議員提案の法案であるため、今国会で成立する見通しとなった。
 この法律の評価は、揺れている。「行政の責務」を明示したことに対する評価が高い一方で、「野宿者の起居の場として適正な利用が妨げられた時」には、「必要措置も取る」と書かれた部分には、各所で強い疑念の声が挙がっている。
 支援の法律ができれば、状況が変わるのではないかと誰もが考えたくなる。ホームレスの方々はもちろん、彼らの生命を支え続けている支援グループでも例外ではなかろう。しかし、このホームレスの支援に関する限り、どうにも信じられないというのが、私の偽らざる気持ちだ。
 ホームレスのための自立支援センターが開設された当初、私は随分と期待したものだった。原則として2ヶ月以内の利用とはいえ、就職支援や健康相談、生活訓練なども実施するという。取材で知り合ったホームレスの人々の中にも、期待に胸を膨らませ路上から自立支援センターに移った人がいた。
 しかし数ヶ月もすると、その男性が段ボールハウスを作ることもできず、ビルの谷間でアオカンしているという噂を耳することになる。
  「公園なんて場所を空けたら、もうテントを張る場所なんかなくなっちゃうよ。だから支援センターなんか行かないで、ここでテント張ってた方がいいんだ。どうせひどい仕事しか紹介しないんだから。大見得切った手前、奴だって恥ずかしくて、ここには顔を出せられないよ」
 自立支援センターに行った男性の隣の住民は、そう言って顔をしかめた。
 支援センターに行った彼が、どうしてホームレス生活に戻ったのかはわからない。しかしきちんと退職金の支払われる大企業で働き続けた人でもあった。女性に騙されて、すべての金を失ったものの歳は30代と若い。住所がないと職に就けない現実を理解しているだけに、就職のチャンスをみすみす棒にふるとも思えなかった。
 もう1つ気になったのは、自立支援センターの噂が決して良くなかったことだ。食事の情報などは、口コミで一気に広がるホームレス社会なのに。
 木で鼻をくくったような役所の対応。体裁だけ整えられた公的支援。そんな行政の対応に、ホームレス人々は何度となく裏切られ続けてきた。もちろん親身になってくれる人もいるし、窓口だってある。しかし状況は、ほとんど改善してない。それもまた事実だ。
 今回の法律にしても、支援する気のない自治体が「適正利用」という文言を利用してホームレス排除に出れば、状況はさらに悪化してしまう。結局、ホームレス救済の成否は、行政がどれだけ本気で動くかにかかってくる。法律は、具体的な行動までは決めない。本当にホームレスを救う法律なのか、長いスパン取材し報告していきたいと考えている。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

コギャル、世相を語る!

■月刊『記録』96年8月号掲載記事

■渋谷の女子高生にインタビュー!

*未熟で派手な女の子を笑い、軽蔑することで、大人はカタルシスを得る。でも彼女らは偉そうにしている大人に比べ本当に「分かってない」のか。7月の数日間、昼過ぎから渋谷109の前で、質問表(バブル崩壊、沖縄問題、住専問題などの項目を書いた表)を手にコギャル風の女の子に声をかけて歩いた。答えてくれた女の子は15~18歳で、ほとんどが現役高校生。

●バブル崩壊
◎就職ないよ
 バブルは経済が調子よかったのが、一気に落ちたことでしょ。あのままバブルが続いていればよかったのにー、今年就職だからー。金融関係狙っているんだけれど、まだ決まっていない。バブル続いていたらもう楽勝ー。(高3・ナオミ)

●沖縄問題
◎人工島を造ろう
 少女がさらわれて、やられちゃった事件でしょ。自分がやられちゃったら怖いです。でもー、沖縄の問題だから実感がわかない。東京に基地を持ってくるわけにもいかないし、政治家も嫌でしょ。北海道とかにあっても困るしねー。沖縄はアメリカに占領されてたからしょうがないよね。でも、沖縄もかわいそうだからー。そうだ、ゴミも余っているし、埋め立ての人工島を造って基地を移せばいいと思う。(高1・アヤコ)

●住専問題
◎ケツは自分でふけ
 自分達の借金を私達にかぶらさせるな。金かえせ。すっごくずーずーしい。国民をなめんじゃねー。自分のケツは、自分でふけって感じかな。(高1・ユウコ)
◎大蔵省が悪い
 別に税金を使うのは腹立たない。お金貸したところと大蔵省は悪いと思う。お金はきちんと返しましょう。(高2・ユミコ)

●薬害エイズ
◎土下座じゃすまない
 土下座しているだけじゃ、問題解決にならない。謝るだけだったら自分もエイズになれって感じ。それから忘れたけど、あのおやじは悪い。ニュースとかで、どなっていた奴(安部英氏のことか)は悪い。(高1・ユウコ)
◎すぐ使用をやめれば
 非加熱製剤を厚生省がシカトして使っていた事件でしょ。とりあえず血友病じゃなくてよかったけど、手術とかでも使っていたんでしょ。非加熱製剤でエイズになるのがわかった時に、すぐ使うのを止めていればよかったと思う。自分がエイズになるのは怖いー。(高1・アキ)
◎病院がいけない
 薬害エイズは厳しいと思う。世の中厳しいーて感じがする。やっぱり薬を渡した病院がいけないと思う。もし、私がエイズになったら、やりたいことやりつくす。(高1・ヒトミ)
◎偏見があるかも
 薬害エイズは、非加熱製剤を使っちゃいけにのに、厚生省が使ったから1番悪いんでしょう?使えるかどうか決めるのは、厚生省なんだから。もし自分が感染してしたら、発病しないかもしれないし、親には絶対に言えない。自分のせいで他人に感染させてたら、怖くて言い出せないと思う。でも、こんなふうに考えるのはエイズに対する偏見があるからかも。アメリカみたいに、みんなが言えるようになれば違うと思う。(高1・アイ)
◎なる人が悪い
 えー、エイズ。つうかー、なる人が悪いと思う。生活乱れている人がなるんでしょ。私は大丈夫。ぜんぜんオッケー。(笑)。(高1・カヨ)
◎ばっくれるんじゃない
 安部が悪い。だって、ばっくれているから。厚生省の責任の取り方も変だと思う。正直に謝ればいいのに、言っていることはよくわからないし、何かぼかしてる。はっきり言わないのはダメ。みんな悪いと言っているのに、ばっくれ続けて、謝らないのは変だと思う。しかも実験みたいなこともしてたんでしょ。なんか記録付けてたらしいし。アホじゃんと思う。信じられない。人間じゃない。人殺してるんだから認めろ。
 自分もエイズは怖いと思う。だから自分だったら絶対感染は隠すと思う。信用している人だけに言うかもしれないけど。親に言えるかどうかはわからないな。エイズに対する偏見もあるでしょ。きっと日本も、だんだんアメリカみたいに感染者が表に出てくると思う。アメリカも家を燃やされたりした人もいたみたいだけど、日本より偏見がないと思う。(高1・モエ)
◎きちんと調べろ
 知ってて輸血しちゃったやつでしょ。もっときちんと調べてほしいと思う。病院はいばってて、患者に教えなかったから一番悪い。とにかく、直す方法が見つかれば、みんな助かるじゃん。(高1・アツコ)
◎オウムと一緒
 ずるいと思う。だって前からエイズだってわかっていたのに、止めようとしないで被害広げただけだし、今になって申し訳にないって言っても申し訳なさが感じられない。土下座するのも当たり前のことだしー。もっと早くに適切な処置をして欲しかった。まるでオウムと一緒だよね。もっと早くに手を打っていれば、こんな大きな被害にならなかったしー、私は多くの犠牲者のために治療薬が早く開発してほしいと思う。
 私はエイズに対する偏見もないです。だってー、いつ自分がかかるかわからないじゃない。だから私は医療機関が信じられなーい。だから注射する時とか超チェックしてる。献血とか16になったらしたいと思っていたけど、今は全然したいと思わない。怖いから。医療機関の信頼が失われただけだと思う。責任転換しないで、早く責任認めてー。国が責任転換するのはずるい。今の世の中がこんなになっちゃったのもわかるよね。本当に行き過ぎちゃったみたいな世の中だよね。うまく言えないけど、わかるような感じしません?私、結構社会問題好きなの。(高2・トシコ)
◎いろいろ知りたい
 川田龍平君の問題でしょ。今なんか、アメリカかなんかの国をまわっているんでしょ。あのお母さんが、日本の裁判に勝ったことなんかを報告したいなんて言っていたけど、いろんなところで薬害エイズのことを話してほしいです。(高2・アキコ)
◎日本は終わりだ
 厚生省しか知りませよー。厚生省は責任感がない。なんかファイルかなんかとっていて、それにミスかなんかあったんですよね。日本はもう終わりだなーとか思いました。今、直す薬とかもないから、厚生省とかちゃんとやって、2度とないようにしなくちゃいけない。(高1・アキ)
◎やばいよね
 治療薬出たんでしょ。なんかすごい高いやつ。薬害エイズかわからないけど、エイズにかかっている患者が2000人だけど、倍の4000人に増えちゃうとか言って、やばいよねー。(高1・アケミ)
◎エッチしなくても
 エイズはやばいよね。なんかね、気持ち悪いよー。なんか怖い。えー、エッチしてなくてもエイズになるんだー。(高3・ユカ)

●もんじゅのナトリウム漏れ
◎自殺者かわいそう
 自殺した人がかわいそう。1回しかニュース出なかったし。もっと何回も映してあげればよかっのに。発電所とか爆発してぐちゃぐちゃになったりしたら、放射能が散ったりしたら心配。(高1・タマエ)
◎原発は必要ない
 全然わかんない。もれてー、なんだっけ爆発しちゃったんだっけ。ミスがあったんでしょ。もっとちゃんと、こまめに点検していればよかった。やっぱ、そういう危ないものを扱っているんだから。でも爆発しても、自分には関係ないと思う。わかんないけどー、あまり考えてなかったから。原発は必要ないと思うから、何かで代用してほしい。太陽エネルギーとか。(高1・アサミ)

●従軍慰安婦問題などの戦後責任
◎スッゲーかわいそう
 今頃、謝っても遅いと思う。スッゲーかわいそう。無理矢理やられちゃって、ひどすぎる。昨日、学校の試験問題で出た。語句の意味とか、自分の意見を書くの。でも、慰安婦の中には、お金もらっている人もいたんじゃないのかなー。(高1・タマエ)
◎戦争は絶対にやだ
 ニュースで見たんですけど、長崎かなー。よくわからないけど、何かアメリカに対して怒っていたけど、結局戦争になったのは日本も悪いわけだから、今になってアメリカが悪いとかは変だよね。たしかに爆弾落とされてー、被害に遭った人はかわいそうだけど、原爆を受けて戦争が止んだのは事実なんだから、被害受けた人には悪いけど、アメリカは責められない。でもー、戦争は絶対にやだ。(高2・トシコ)

●都市博覧会中止と臨海副都心問題
◎ドタキャンやめろ
 これは言いたい!ここまで作っておいて、やめるな。無駄なお金を使って、どうするの。ドタキャンやめろ。やめるなら1年前にしてよね。(高1・ユウコ)
◎青山じゃなくて・・・・
 あ、あれだべ。青山じゃなくて、青森じゃなくて、青野じゃなくて、青島だ。その問題でしょ。(高3・アキコ)

●オウムへの破防法問題
◎適用してほしい
 オウムには破防法を適用してほしい。あんな怖い団体ほっといたら、世の中渡っていけない。最近は、ニュースでもオウム問題をあまりやらないから、犯人がまだ逃げまわっているような感覚なくなってくるけど、思い出すと怖い。(高1・エミリ)

●ラビン首相暗殺と中東和平
◎常識だよ
 えー、ラビン首相暗殺、誰も答えてないの。常識だよー。殺されたんでしょ。まー、宗教問題は複雑っていうところかな。(高1・ユミ)

●アメリカ大統領選挙
◎クリントンが勝つ
 クリントンが勝つと思う。でも、彼いろいろ問題があるじゃないですか、何だっけ、WWだっけ?どうだろうなーとは思うけど。でも、クリントンが勝ったほうがいいと思う。2期目だから、やっぱいろんなことを学んで、知識も豊富になっていると思うし、クリントンさんを支援する人もやっぱ多いしこのまま流れでいくと思う。(高2・ユキ)

●中国・台湾問題
◎確か返還?
 これ、今年返還されちゃうやつ?。(高2・サチコ)

●アウンサン・スーチー女史軟禁について
◎かっこいい
 監禁された人でしょ。かっこいい。自分の主張を貫いているところがいいと思う。(高1・ユカリ)
◎民主主義はいい
 あのきれいな人ですよね。ミャンマーの人。監禁されていたんですよね。この前、ニュースでやってた。なんか、また捕まちゃうんでしょ。あ、周りの人が捕まったのかな。当たった。すごいね。私、暇だからニュース見てるの。民主主義にやっているんですよね?民主主義はいいと思うんで、捕まっちゃいけないと思う。発言の自由とかそういうのがあって、やっぱスーチーさんは自分の意見を人に伝えようとしているんだから、邪魔しちゃいけないと思います。スーチーさん、かわいそー。(高1・アキ)
◎女性なのにすごい
 テレビで見た。頑張ってほしい。民主化運動を進めるために自分の考えを持っている。日本にはいないタイプの人。女性なのに指導者なのもすごいと思う。きれいだしー。(高3・トモミ)
◎サミットすれば
 授業で習った。プリントの最後の方に載ってたよね。スーチーさんを捕まえたのは悪いよー。反対派は自分の国だけでやろうとしているから、みんなで仲良くするように変えた方がいいよね。まるでオウムみたいな国だよ。日本は応援すればいいよ。応援なんかしちゃだめかー。援助すればいい。何か送ればいい。何か物資を。あ、話し合うのもいい。各国が集まって、サミットすればいい。(高3・アキコ)

●いじめ
◎死ぬ前に何かやれ
 からかったことはあるよ。周りに流されて、ふざけただけ。でも自殺する人はいなかった。普通しないよ。死ぬ前に何かやれって言いたい。爆発して、お金使いまくるとか、いじめた奴に復習するとか、万引きすることか。せこいかーなー。でも親に相談して学校を変えたり、家で勉強したりすれば、とりあえずいじめられないと思う。(高1・ユウコ)
◎身近な相談相手を
 小学校でいじめられたことはあった。でも自殺を考えたことはないと思う。道路に飛び出しそうになったけど、それも無意識だった。突然、このまま道路に飛び出したらどうなるかなーて考えてて、飛び出しそうになっていた。私は救ってくれる人がいたから助かったけど。いじめられて夜の街をさまよっていたときに、地元のチーマーとであって、「そんなに考え込まなくていいんだよ」て言われたのが救いになった。いじめで自殺したニュースを聞くと、かわいそうだと思う。身近に救ってくれる人がいないと、きついかもしれない。(18歳・リサ)
◎相談するのは友達
 いじめの範囲がわからない。いじめと思えない場合もあるしー。でも、いじめぐらいで死んだらダメだよね。周りの人に相談すればよかったと思う。だいたい相談するのは友達だから、友達のいない子はダメ。(高1・ヒトミ)
◎どっちも悪い
 うちの学校も陰では、いじめがある。それは基本でしょ。絶対あるもん。いじめる方も、いじめられる方も悪いと思う。弱いから、いじめられるんだよね。自分の意見を言わない人とか、ニョマニョマしている人とか。とにかく弱くて、それにむかついて、ほっとけばいいのにいじめるから、いじめはなくならない。先生も話は聞いてくれないし。大丈夫だからとか言って、何もしない。先生のやり方も悪いと思う。学校の先生が、全員「みにくいアヒルの子」に出てくる先生みたいだったら、いじめもなくなるかもしれない。(高1・ユキ)
◎解決方法はない
 きょひる(登校拒否)ようないじめはない。ちょっとぐらいはあるけど。シカトしたりとか、靴を隠したりとかの嫌がらせとか。昔は陰でいじめてたけど、今は目の前で「うっせーんだよ」なんて言うのもある。いじめてる人数が多ければ多いほど、周りに流されていじめちゃう。解決方法はないと思う。1度むかつくと、全てがむかついてくるし。そのうちにほっとくようになる。相手にしないからいいやて感じになるかな。時間が経つとなくなる。
 ニュースとかで自殺した人の話を聞くと、そこまでいじめられたら自殺する気持ちもわかる。自分の立場だったら、どうしようもないと思う。自分の周りに自殺した人がいないからわからないけど。いじめている側は、いじめている時はわからないかもしれない。いじめていると考えていないことも多いから、やられないとわからないかもしれない。ちょっとふざけているだけって、考えていることも多いし。でも、うちの学校はいじめられている子はいないと思う。(高1・トモミ)
◎両方ともよい経験
 これも社会問題すよね。だっていじめてたことも、いじめられたこともあって、両方あったから感じるけどー、いじめって誰が悪いとも言えないし、いじめられる側にも問題があると思う。ハッキリしないとか、私はダメだからと思っているとかね。
 やっぱり子どもの性格は3歳までに決まるっていうから、親がしっかりすればいじめれないと思う。私は環境が変わって、小学校から中学に進学して、いじめられなくなった。小学校の高学年ぐらいからいじめが始まった。結局、小学校時代にいじめたり、いじめられたりしたけど、今になって思えば両方ともよい経験だったなーと思う。だから今はいじめをしようなんて気にならないしー。いじめてる人はかわいそうー。要は寂しくかまってほしいからいじめているんだと思う。(高2・トシコ)
◎自分に返ってきそう
 私はいじめません。人をいじめていると、いつかは自分に返ってきそうで怖い。いじめられる人も、強くなればいじめられないと思う。(高2・ナオ)
◎強くなれ
 強く生きなきゃねー。いじめられている人も、はっきりものを言わないからだめだと思う。(高1・トモミ)
◎先生はあてにならない
 いじめられたこともないし、いじめたこともない。シカトとか、嫌みを言ったことはあっても、いじめまではいっていないと思う。相談できる人がいれば、自殺まではしないと思う。いじめられちゃう人は、人並みはずれている変な人だよね。あと自分より弱い奴とかね。先生もあてにならない。だいたい生徒との交流がないし、まじめに考えてくれそうにないから相談する気にならない。何か相談しても、「様子みてから」なんて言いそう。小学校の時の先生だったらよかった。生徒と仲良かったしー、名前で呼べる先生だった。(高1・ハルナ)
◎自殺はよくない
 え、これ雑誌に載るの。やべー。じゃー、スッゲー本気で答えるよ。岐阜かなんかで、いじめの相談をうけられるようにテレホンカードが出されているって聞いたよ。市とかで、いじめの119番?、100番?、110番をやっていてー、いじめをなくそうとしている。最近は若者がオヤジ狩りとかもしているから、それもいけないと思う。オヤジ狩りは、世間に対する不満の爆発の表れというかー。今、世の中がおかしくなっているから、コギャルとかがお母さんになったりとかね、チーマーとかがお父さんになったりとかするのがね、私はとても不安なんです。今、オヤジ狩りとか売春とかしているでしょ。それはね、いけないんだよ。これから日本はどんなになるか、わからないからね。
 私はこんなカッコしてるけど、売春とかしてないしー。私はボランティア好きなの。例えば、手話習ったの。まあー、偉そうなことはいえないけど。いじめはよくないなーと思う。でもいじめてる方も、家庭とかで寂しいこととかあって、そういう方に行っちゃうんじゃないかなーと思うけどー。いじめられる方もね。自殺することはないんじゃないかなーと思う。自殺はよくないんだよ。誰か頼れる人がいたら自殺はしないんだけど、でも、このご時世、あんまり人と関わり持たないから。私は親友がいるから、いじめられても自殺しないよねー。私達を嫌う人もいるし、好いてくれる人もいる。嫌われるから、すぐいじめになるわけでもないしー。うちらはいじめとは関係ないよ。好き嫌いだもん。
 1人がいじめられ始めると、自分がいじめられるのが嫌だから、いじめている方に付かなきゃいけないっていう原理だ。いじめてれば、自分はいじめられる心配はないからー、どんどんいじめる方は、増えていっちゃうんだよ。大勢にやられちゃうと、1人の殻に閉じこもっちゃうから、どうしようもなくなって自殺になっちゃうんだよね。(高3・アキコ)
◎いじめられっ子立ち上がれ
 いじめは、いじめられる方に問題がある。本人が前向きじゃないから。いじめられて口惜しいと思う強い力があれば、いじめもなくなる。いじめられて死ぬ奴は、そのまま生きていても生きていけないんじゃないかなー。いじめる方にも問題はあるんだけれど、それでくだらない奴らにいじめられたぐらいで死ぬのは、人生もったいないよね。立ち上がれいじめられっこ軍団。恥ずかしいぞ。(16歳・ノゾミ)

●インターネット
◎友達がほしい
 よくわからないけど、やりたーい。インターネット・フレンドを作りたい。(高1・エミリ)
◎買い物したい
 いろんな情報がありそう。家でショッピングできるのがいいな。でも、画面とか見るだけだから、洋服とかは買わないと思う。やっぱり店で実物をみないと、服は買えないからショッピングは無くならないと思う。日用品を買いたい。でも後で請求がくるのが怖いなー。高校生だからカードとか持っていないし、後でまとめてお金を請求されても困る。インターネットを利用しているときは、別に高校生だとわからないと思うし。(高1・マスミ)
◎お母さんがやってる
 お母さんが、インターネットをやっている。でも私みているだけだからー。H情報が入ってるってー。(高1・リエ)

●ジャンボ尾崎のメジャー敗退
◎賞取ってこい
 えばってばかりいて、言いたいなら海外でも賞を取れ。(高1・ユウコ)
◎ファンなの
 私ジャンボ尾崎のファンなの。なんてねー。(高3・タカコ)

●狂牛病
◎牛を殺すのはかわいそう
 親がダメって牛肉を食べさせてくれなかった。私も怖いと思ったけど、東京には関係ないかなーて感じ。あんまり気にしてない。とにかく親は気にしてた。かかちゃったらしょうがないけれど、牛を全部殺すのはかわいそう。はやく薬を作ってほしい。(高1・ユウコ)
◎怖いけど食べてる
 牛の頭がスカスカになっちゃう病気でしょ。日本人も食べると、頭スカスカになっちゃうんですよね。今でも結構怖いです。とにかく食べ放題の焼き肉屋は危ないと思う。でも余裕で食べてる。この前も日暮里の焼き肉屋で食べた。自分が狂牛病になるのは怖い。お店で食べると、どんな肉使っているかわからないし、何か安い肉仕入れていそう。(高2・ユミコ)
◎牛は好きなの
 500万頭ぐらい殺しているんでしょ。牛がかわいそう。ねぇ、聞いて、聞いて。私、牛は好きなの。(高1・アキ)
◎今は食べない
 牛が病気になって、食べた人間に病気が広がっていくんでしょ。怖いとはいつも思ってる。特に外国で牛肉を食べるのは絶対に嫌だ。日本でも何だか怖いよね。北海道でも病気がみつかったんでしょ。それに輸入禁止しているのも信じられない。輸入の方が安いから、安いのは何でも使っちゃえて感じで、出回っていると思う。この前もタイ米を輸入してたけど、パサパサしてすっごくまずかったし。安ければ何でも輸入しちゃうんだろう思う。とにかく今は、食べないようにしています。(高1・マユ)
◎親が買ってきちゃう
 私、怖いー。そんなこと言っても、牛肉は食べちゃうけど。でも怖い。けどおいしいから食べちゃう。親が買ってきちゃうし。(高2・サチコ)
◎どうしようもない
 牛を食べると病気になるやつでしょ。怖いから、牛肉はあまり食べないようにしている。たしかにちょっと考えることもあるけど、親も牛肉を買ってくるしー、日本に影響があるのかもわからないから、どうしようもない。。高2・ユミ)
◎別に気にしてない
 さっき牛食べた。ハンバーガーだけど。怖いとは思わない。身近に感じられない。日本でなくないからー。日本でなった人いないよね?さすがに日本でなった人が出れば、牛肉を食べないと思う。もちろん日本の牛がなっても食べない。今は何か輸入していないって聞いたから別に気にしてない。(高1・カツミ)
◎昨日も豚のすき焼き
 ママが豚肉ばっかり買ってきてる。イギリスの問題だけど、危ないからって。国内の牛は平気だと思うんだけどー、やっぱり怖いからって。昨日も豚のすき焼きだった。マクドナルドとかもこわいけどー、しょうがないからねー。(高3・サヤカ)
◎マックなんか怖い
 牛の頭がフカフカになって、イギリスの問題だよね。テレビで見た。食べたらなっちゃうんだよね。日本は輸入制限をしていて、心配ないけどあんまり食べないようにしている。知っているのは、友達いなくて暇だから、テレビ見てるからー。日本に入ってきたら怖いと思うけど、食べてるー。みんな食べてるからいいやーと思って。マックなんか怖いよね。なんか牛だけじゃなく、他の動物もなるんだよね。(高2・レイコ)

●ウィンドウズ95発売
◎機能が付き過ぎ
 知ってる。学校で使ってる。なんかわけわからない。機能が付き過ぎてる。もっと簡単だったらいいと思う。(高1・チアキ)

●パチンコ・プリペイドカード変造
◎カード会社がかわいそう
 カード会社がかわいそうだと思う。お金を払わない人が、どんどん儲けているし。(高2・ユミコ)
◎イラン人はフレンドリー
 パチンコのカードはすぐには手に入らないけど、テレカとかすぐ手に入るよ。だから偽造テレカとかも悪いものとは思っていないよね。先生に見られても何もいわれないし、親も何も言わない。今さ、普通のテレカ持っている方が珍しくない?普通のテレカもっていると、エッなんで、て感じ。普通のテレカ持っていても、使い終わったら5枚で偽造テレカに換えちゃうもんね。イラン人もフレンドリーで、女の子におまけしてくれたりやさしかったよね。(高3・ヒロミ)
◎偽造もいい
 偽造もいいと思う。お金ないもん。パチンコで暮らしている人は、がんばってくれればいい。(高3・ユカ)

 予想通りコギャルにとっては、かなりきつい問題だったようで、「わからなーい」「知らなーい。を連発され、時に事実誤認の答えを正したい衝動にかられつつも、ひたすらに聞き役にまわった。
 まるで宇宙人のようなコギャルには、つける薬もないと考える読者も多いかもしれないが、どうしてバカにできない。
 まず、彼女達は事実誤認があっても堂々と主張する態度を身につけている。また、個々の質問に対する問題意識は、正誤を含めて一般的な「大人」と比べても差はない。コギャルをバカ扱いしている大人の側が、果たして優れているといえるのだろうか。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「テレクラつぶし」という名のバカ政策

■月刊『記録』97年10月号掲載記事

■東京では八割が閉店

 いったい何を規制したいのか皆目検討もつかない条例が、八月一三日に東京都で施行された。正式名称を「東京都テレホンクラブ等営業及びデートクラブ営業の規制に関する条例」という。舌を噛みそうなほど長い名前の法律だが、今年の五月から新聞紙上でもテレクラ規制条例として騒がれていたため、知っている読者も多いだろう。
 この条例、目的として「青少年の健全な育成を阻害する行為の防止」と、「清浄な風俗環境の保持」をうたっている。つまり青少年がテレホンクラブやデートクラブを利用しないようにするとともに、健全な環境を整えましょう、ということらしい。実際、この条例について、東京都生活文化局女性青少年部青少年課の平林宣広次長は、「テレクラやデートクラブを潰そうというのではなく、青少年の健全な育成のために、性に関わる産業と青少年との棲み分けをお願いしたいということなのです。最近騒がれている中高生の売春を減らすための規制です」と語っている。
 しかし、その「棲み分けのお願い」の実態とは次のようなものである。テレホンクラブなどの営業は公安委員会への届け出制となり、小・中・高校、児童福祉施設、図書館、病院などから二〇〇m内と、住宅地域での営業の禁止。禁止区域にある店舗は、二年後までに転居もしくは閉店となる。またチラシやティッシュなどを使った広告についても、風俗営業などがある青少年立ち入り禁止場所以外での配布はできない。
 この条例の影響について、テレホンクラブの業界団体・東京テレホン・サービス協会の中村仁氏は、「新宿・渋谷・池袋にある店舗はほとんど条例に引っかかります。現在、東京で営業をしている約五〇〇店舗のうち、八割が閉店に追い込まれるのではないでしょうか。特に営業禁止区域を広げているのが、病院から二〇〇m以内という規定です。埼玉県では営業禁止区域の起点として病院が入っていないため、県内の店舗の三割しか閉店になっていません。だいたい青少年と病院にどんな関係があるんですか」と、都条例の内容に怒りをぶつける。
 たしかに業界の8割を閉店に追い込んでおいて、棲み分けもへったくれもあったものではない。条例が業界潰しだと言われても仕方がない。

■NTTこそ主犯だ

 では東京都が目の敵にするテレクラとは、そんなに悪いものなのだろうか。じつはテレクラは、性風俗店でさえないのである。簡単に言えば、性的なサービスを提供する女性が待ちかまえていない。電話回線を使い、あくまで男女に出会いの場を設けているだけだ。もう少し詳しく見てみよう。
 通常、一括してテレクラと呼ばれることが多いが、実際には三つの営業形態が存在する。一つは個室型テレホンクラブと呼ばれるもので、繁華街にあるテレクラに男性が出向き、個室で女性から掛かってくる電話を受けるもの。次に、ツーショットダイヤルとよばれる無店舗型の営業形態。男性が自宅からテレクラに電話し、女性から掛かってきた電話回線をつなぐもの。三つ目が、伝言ダイヤルと呼ばれるものだ。これは誰でも聞けるテープにメッセージを録音しておき、伝言のやりとりをしながら気のあった者を探す方式だ。どの業種も、女性を用意して待つかわりに、雑誌広告やティッシュの配布などで、女性から電話が掛かってくるように営業努力を行っている。
 もちろん東京都も、テレクラを風俗店とは思っていない。東京都が発行している『青少年問題研究』の一八六号には、「テレホンクラブなどの営業は、電話などを利用して男女の出会いの場を提供するもので、風俗営業や風俗関連営業と違って、直接、業者が性的サービスを提供するものではありません」と書かれている。前述した平林次長も、「大人だけが利用するのであれば、問題はない」と発言している。
 さらに大手テレクラチェーンの津藤照吉課長も、「テレクラは女性が待っていてサービスをするところではありません。お客様のなかにも来店すれば女の子とエッチできると思っている人もいるのですが、テレクラは出会いの場を提供するだけです。ですから女性を誘い出すには、巧みな話術など、かなりの努力が必要ですよ」と語る。
 そもそも電話を男女の出会いの場に変えたのは、NTTだったのである。一九八七年、NTTが伝言ダイヤルを開設し、若者の間で一大ブームを巻き起こしたのである。NTTの伝言ダイヤルは、暗証番号を入力すると誰でも伝言が聞ける仕組みとなっていたが、揃目の番号や一九一九、六九六九など性的イメージを喚起させる番号には、男女の出会いを求めるメッセージが山のように集められることになった。そして次にブームになったのが、九〇年に始まったQ2によるツーショットだ。いうまでもないがダイヤルQ2も、NTTが始めたものである。NTT以外の企業が電話回線を使って情報提供できるQ2は、開設と同時にさまざまな風俗番組の巣窟となった。
 ところが驚くなかれ、NTTの伝言ダイヤは何の規制も受けずに営業を続けている。Q2も頭に三が付いた番号は風俗のチャンネルとされ、NTTに申し込まなければ利用できないことになっているが、実際にツーショットを開設している番号のほとんどは、三から番号が始まっていない。つまり誰でもかけられるのである。
 いったいNTTとテレクラ業者に対する扱いの違いは何なのか。NTTに既得権が与えられているということか。だいたいブームに火を付けた張本人が、しらっと営業を続け、後乗りの業者だけを規制するなど、誰が考えても不可思議だ。

■援助交際は減らない

 おかしな話はこれだけはない。この都条例が施行されたことにより、新宿歌舞伎町などではソープやファッションヘルスの隣にあるテレクラが閉店に追い込まれているのである。このような矛盾に対し、先述の平林次長は次のように語っている。
「たしかにどちらが環境を悪化させているかというと問題はあるでしょうが、営業禁止区域の設定も新風営法と同様の規定ですから、テレクラが特別きつい規定をかけられているわけではありません。青少年が看板を見て電話を掛けようとする行為に歯止めをかけたいだけです」
 どうやら新風営法と同じ規制をかけると、テレクラだけが閉店に追い込まれるらしい。しかも実際にテレクラの看板を見てもらえばわかるが、電話番号などほとんど書かれていない。性的なサービスを行なう店舗が堂々と営業し、呼び込みまでしているのに、場所のありかを示す看板を掲げているだけのテレクラが営業できなくなるのは、どういったからくりなのだろう。
 さらに疑問は続く。いったいこの条例は、青少年の援助交際を止めることができるのかという点だ。
「青少年の目に広告などが入らないように情報を押さえれば、興味本位でテレクラに電話を掛ける女子中高生も減ります。条例を施行し罰則規定を設けたことで、テレクラを使った売春が規制できるようになったのです。これまでは法律がなかったために業者を罰することもできませんでしたから、大きな進歩です」と、平林次長は語る。
 そこで「それでは実際に援助交際は減るんですね」と質問すると、「それは現状では、まだわかりません」という答えが返ってきた。業者だけ締め付けておいて、肝心の援助交際が減らなければどうしようもないではないか。
 じつは条例の効果を疑問視しているのは、東京都だけではない。
「そもそもテレクラの利用者数は落ちているんですよ。だいたい常連のお客様は、援助交際を望んでいるわけではありません。女子高校生と援助交際をしたければ、それこそデートクラブに行けばいいんですよ。何も知り合うためだけに、テレクラにお金をつぎ込まなくともいいんです。顔が見えないテレクラでの売春は、女子高校生にとっても利点は薄いでしょう」と、前述の中村氏も語ってくれた。
 援助交際をしている女子高校生自身にも聞いてみたが、
「エー、テレクラなんか顔見えないじゃん。だいたいお金に困って援助したい時は、友だちからオヤジを紹介してもらったりナンパで捕まえるからテレクラは必要ない」
 と言い放っている。
 しかも驚くなかれ、九七年二月に東京都生活文化局がまとめた「青少年の生活と意識及び青少年と性に関する法制についての調査」という報告書にも、次のこのようなことが書いてある。
「利用の時期は、『半年以上前』とする者が五八・一%と最大で、これを中高男女別に見ても、中学男子を覗き、いずれも「半年以上前」回答する者が一番多かった。高校男子では六一・五%、高校女子では六五・九%と過半数を占め、高校生にとっては過去の流行現象となりつつあることを伺わせる」
 女子高校生の売春行為を減らす気が、東京都にはあるのだろうか。過去の流行を追って、一業界の八割にあたる店舗を閉店させるなど噴飯ものだ。

■都と公安委員会が対立

 さらに広告規制も問題だ。青少年の目に入らないようにチラシやティッシュの配布を規制したというが、レディースコミックなどには広告が掲載し続けている。チラシを街頭で手に入れなくとも、テレクラの番号などたやすく入手できるのである。番号の書いていない店の看板を規制して情報源を残すなど、実態が変わらなくとも見栄えだけよければいいという条例の本質が透けてみえる。
 そのうえ問題は条例の中味だけにとどまらない。条例をめぐり、行政側にも不協和音が響いているのである。
 実はこの条例は、東京都生活文化局と警視庁公安委員会の共管の条例となっているのである。具体的には生活文化局がテレクラの営業者に対する啓発活動や環境改善活動を行い、公安委員会がテレクラ業者の届け出から各種規制を行うという。つまり東京都が業者へ融和政策を掲げて問題の改善をせまり、公安委員会が暴走した業者を取り締まる腹だ。ところが肝心の両者が、しっくりいっていないという証言を関係者から耳にしている。とにかく取締りたい公安委員会にとって、都の融和政策など邪魔なだけ。取締りがきつくなれば、業者が法の目を逃れるようとするのは言うまでもない。
「テレクラ業者は二年後には、いなくなるでしょう。もっとも業種を変えるだけだけどね」そう語ってくれたテレクラ業者もいた。結局、東京都は新たな風俗を生むためだけに、動いているのではなかろうか。
「テレクラが青少年の間でブームになった原因の方にも目を向けるべきだろう」と、先述した東京都の報告書にも書いてある。東京都は自分が発した言葉の意味を、じっくり考えるべきだ。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

お年寄りの自立とは何だろう? 特別養護老人ホームルポ

■月刊『記録』94年11月号掲載記事

■入園者全員の健康状態を記憶

  骨に皮が張り付いただけの脚が、浴室をめざす。脱衣所からわずかに4~5mの距離が遠く感じた。車椅子から降りたお年寄りの手をとり、歩行を介助するのが、春光園での最初の仕事だった。1979年10月に開園、山梨県甲府市の郊外にある。入園者50人(94年9月現在)の平均寿命が81.1歳の特別養護老人ホーム(特養)だ。
  私がお年寄りを介助して初めて感じたことは、恐怖だった。車椅子からの乗り降り、歩行、着替えなどは、けがをするきっかけとしては十分で、自分の失敗でその日から寝たきりにさせてしまうかもしれない。とまどう私に、「Mさんは、浴室に近い方の椅子で着替えを」「Bさんは低い椅子で体を洗うのよ」と指示を飛ばしながら、寮母長の三浦早苗さんは、3種類もの下着を入園者に合わせてはかせてゆく。万一のことがないように、彼女の頭には、全ての入園者の体の状態が記憶されていた。

■2時間で30人が入浴

  週2回の入浴は、寝たきりの人と、車椅子で移動可能な人に分けて行われる。私が介助したのは後者で、普通浴と呼ばれていた。
  普通浴で介助する寮母は3人。2人は浴室に入り、1人は脱衣所での介助となる。脱衣所では、車椅子からの乗り降り、衣類の着脱、脱衣所から浴室までの歩行を助け、浴室から出てきた老人の髪をドライヤーで乾かす。浴室では、体を洗うことのできない人を介助し、浴槽の出入りを助ける。1時間半から2時間ほどの間に、30人近くが入浴していく。「いつも3人でやっているから大変よ」という三浦さんの言葉通り、脱衣所も浴室もごった返して、戦場のようである。しかも入浴者が多いからといって、1人たりともおろそかにはできない。
  16時10分、静かだった園内がにわかに忙しくなりはじめた。16時45分からの夕食が近いからだ。車椅子に乗れる人を1階の食堂に案内する。食堂まで行く体力がなくても、20~30分は座っていられる人は、車椅子に座って食事をとる。体力のある人から順に座り、体力のない人の座る時間が短くなるように調整する。
  電動ベッドのスイッチを入れて、背を起こして食べてもらう方が、車椅子へ移動するよりも寮母は楽なのだが、それでは離床を促すことができない。「入園者ができるところまでは、少し冷たいようだけれども自分でしてもらう。おむつではなく、なるべくご自分でトイレにも通ってもらうよう誘導する。歯磨きも、1日3回が大変だったら1回でもいいから、自分でできるようにする。
  お年寄りは、手足が不自由になると依頼心が強くなってしまうので、本当に具合悪いのかどうかを見分けて介助しなければいけない。見分ける方法はただ1つ。お互いのコミュニケーションね」と、寮母の名取美枝子さんは教えてくれた。
  入園者には原則として離床を勧めている。しかし、入園中の16人の寝たきり老人のうち、3人が全く無反応で、植物状態に近く、後の13人も、心疾患などの内臓疾患などのために、車椅子で動き回ることはもちろんのこと、座る時間も制限せざるを得ない状態である。「看護婦さんとも相談の上、個々人の健康状態に合わせて離床を勧めるのが一番重要」。春光園の指導員、中嶋真紀子さんの言葉だ。

■「慣れ」がこわい

  春光園では、入園に際してお年寄りや家族と面接を重ねながら、入園後の処遇を検討するための5人会(園長、指導員、寮母長、看護婦、栄養士で構成)という組織を作る。入園後は1人につき年2回、処遇会議が開かれ、大まかな介護の方向性が決まる。日々の入園者の変化には、1部屋(入園者4人)に1人の寮母がリーダーとして対応していく。きめ細かい処置とそれなりの技術が、お年寄りの自立を可能にするのだ。
「お年寄りとの関係は『慣れ』がこわい。介護が続けば親子同然の雰囲気になりますが、あまり親密になり過ぎると、本来ごく身近にか見せないわがままを通そうとします。また、特に痴呆性老人の方に対しては、年長者への尊敬の念を失い、逆に子供みたいに扱ってしまうことがあります。大変な失礼にあたるので、気をつけるようにしています」と寮母の丸山美佐子さんは、親切心だけでは務まらない介助の難しさを説明する。お年寄りとの間に信頼関係が全くないのは論外だが、近過ぎるのも入園者の自立を阻害する。
  夕食の時間、私はCさんという女性の食事介助をした。1階まで降りていく体力のないCさんが、ベッドの横で車椅子に座り、食事をするが、彼女はそれを嫌がる。どんなメニューも顔をしかめ、小さな声で「まずい」とつぶやく。嫌がる様子はまるで子どものようだ。それでも何とか口を開けてもらい、細かくカットされた料理をスプーンで押しこまなければいけない。スプーンを口にいれたとたん首を振り、飲み込めなかった汁ものが、口もとから首筋に流れ落ちる。食べてもらわなければ体力が落ちてしまうという理屈は承知していても、私は辛かった。「生きるために食べる」という疑いもしなかった欲求が彼女にはないのだろうか。

■仮眠室に入っても眠れない

  翌朝、私は夜勤の人の仕事を拝見させてもらうために、6時半に来園してみた。徹夜のため、少し眠たげな眼をした寮母の鈴木公子さんと丸山さんが、私を迎えてくれた。
  春光園には徘徊をするお年寄りが、4~5人いる。しかも、だいたい夜に始まるそうだ。準夜勤が16時~24時、夜勤が0時~9時半で、両者はセットになっており、1人2時間の仮眠時間も含めて、18時~7時半までの13時間半を2人で切り盛りしなければならない。部屋は1時間ごとに見回らなければならず、おむつ交換もしなければならない。夜勤は、月4~5回まわってくる。「1人が仮眠室に入ると、トイレに行くのも心配ですよ。その間に何が起こるか分かりませんから。昼間は容態の安定していた人が、急変することもあるし、妄想が見えてしまう人に話を合わせて、精神を安定させなければならないこともあります。そんなことが分かっているだけに、自分が仮眠室に入っても眠れません」と鈴木さんはいう。
  7時45分。私は再びCさんの横に座った。私の顔を覚えてくれたのか、あいさつに微笑みを返してくれたのだが、いざ食事が始まると昨日の夕食以上の苦労が待っていた。朝食の味噌汁が嫌いらしく、どうしても飲んでくれない。口に入れた汁もほとんど口からこぼれてしまう。水分を取ることが嫌いなCさんは、常に便秘ぎみだ。食事の時ぐらい水分を取らなければ、本当にお通じがなくなってしまう。結局、寮母に助けを求めて、どうにか終えた。Cさんのイヤイヤをした顔が、妙に頭から離れなかった。

■自立促す他人の目

  春光園にはアシスト制度という独自のシステムがある。特養で一般的に行われているデイサービスとの違いは、施設が送迎せず、家族がお年寄りを朝、ホームに送り届け、夕方に迎えに来るという点だ。「家族と離れることにより、お年寄りは家族を愛おしく思い、家族も昼間できない分、夜は一生懸命にお世話しようという気持ちになります。お年寄りに感情のウェーブが起こることが、大切なのです」と石原忠造園長は趣旨を説明する一方で、一時預かりだけに、自立に向けた介護体制が100%そろわないという不安も口にする。
  お年寄りが1~2週間ほど滞在する「ショートステイ」も同じだ。「生活動作についても、細かなことが分からないし、身体についても入園してる人ほどは知らないから、安全に、快適に過ごしてもらうのが第一となっています」とは指導員の中嶋さんの声だ。
  2010年には、約100万人に達する寝たきり老人(1993年度厚生白書)への長期ビジョンである政府発表のゴールドプランは、在宅福祉を念頭に置いている。石原園長は、「基本的には賛成ですが、在宅福祉は難しい。成功のカギは、人材の確保と、介護支援センターがきちんと機能するのかという点でしょうね」という。お年寄りの自立は、家族だけではなしえないというのが取材の実感だ。親族ゆえの情が、マイナスにはたらく場合もあった。他人の冷静な眼があるからこそ、進む自立もある。

■長生きしたくない

  11時43分、私は最後の仕事のために、Cさんの横にいた。全く吸い物を飲んでくれない。首をぬらす汁が飲み込む量を上回る。看護婦の小林浜子さんが、無理やりに口を開けさせ、スプーンを口にいれてくれた。便秘で苦しんでいるCさんの症状を一番よく分かっている小林さんだからこそ、飲んでもらわねばならない。
  老人問題を美化してはならない。私の感想である。春光園はすばらしい老人ホームであった。寮母はいつも笑顔を絶やさず、忙しい仕事の合間にも、誰かがお年寄りに声をかけている。少しずつ身の周りのことができるようになった人も多い。石原園長は経済環境を整えるために労力を惜しまず、信念を持って福祉にあたっていた。だが、次のある職員の感想は、問題の深刻さを図らずも示していないか。「ここで働いて、あまり長生きはしたくないと考えるようになりました。ボケてしまうならむしろいいんですよ。きちんと、介護できることはわかりましたし。むしろ介護してもらって生きるという寂しさが、常にあると思うし、ボケていなければ、判断できるだけにつらい」。
  こんな入園者の声もある。「園に入る時は、イヤでしたよ。でも、入ってよかった。自分の家だと車イスで玄関に入ることもできない。寮母さんは、いやいや仕事をする人がひとりもいない。我々が子どもの時、おしめを替えてくれた親と同じだ。ありがたいことだね。でも人間はこうやって死んでゆくんだね。悲しいもんだね」。 (大畑太郎)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ウラン加工施設臨界事故・東海村隣接住民の手記/水見ちはる

■月刊『記録』99年11月号掲載記事

■「こんなこととは知りませんでした」では済まない!
■(みずみちはる……昭和38年1月24日生まれ。専業主婦。当時放送大学通信制大学1年生。95年からバンクーバーから日立市に移住。33歳のだんな様と小学校一年生の長男と幼稚園年中児長女4人家族。現在も日立市在住)

     *     *     *

 最初は何が起こったのかわからなかった。
  「事故」と聞いて、まず思いついたのは、国道二四五号線沿いにある元動燃あたりに集中している施設での事故。広い敷地に頑丈な壁で囲まれた原子力研究所や原子力東海発電所などの施設のどこかで事故が発生したのだろうと思った。おそらく地元や周辺住民のほとんどがそう思ったはずだ。
 あの辺りなら、周囲に民家はほとんどなく敷地は林に囲まれている。ここまで被害は届かないだろう。それが東海村に隣接する日立市に住む私の印象だった。

■しまった、事故現場はずっと近い!

 ところが三時頃になって、テレビのニュースによって事故現場が明らかにされた。国道六号沿いの民家に近い普通の工場内が現場だという。私は思わず娘の顔を見た。
 通園バスで、今、帰ってきたばかりの娘の幼稚園は、事故現場から川を挟んで三キロほどの位置にある。さらに運の悪いことに、今日は三日後の一〇月三日に控えた運動会に備えて、午前一〇時三〇分頃から運動公園に移動し、屋外で運動会の練習をしていたというのだ。運動公園の場所は事故現場にさらに近い。(しまった…)そう思った。
 一時頃に事故を知った私は、息子の学校が終わる時間に合わせて、四〇分ほど歩いて彼を迎えに行っていた。けれど幼稚園のほうは、バス通園なのですっかり安心しきっていたのだ。娘も迎えに行くべきだった。「バスを待っている間もずっとお外で遊んでいたよ」と娘は言う。目の前が暗くなった。
 テレビをつけた。東海村の南西に隣接し、日立市の隣にある ひたちなか市のほうでは、すでに屋内待避の指導が各学校、幼稚園に出されているという。わが日立市はどうなっているのか。娘は園庭で遊んでいたというし、息子の学校の生徒達は、誰も何も知らされずに徒歩で下校していた。この差はいったい何だろう!?
 急いで日立市に電話をかけた。とにかく情報が欲しかった。けれどいつまでたっても回線がつながらない。話し中を知らせるツーツーという通和音だけが響く。そして何度もかけて、ようやくつながった電話では、担当者が「とにかく情報はテレビを見てください。日立市のことが流れてないのは日立市がダイジョウブだからです!」と言い放った。
 あまりの非論理的な回答に唖然とした。何を根拠にダイジョウブだというのか。担当者の言葉にかえって不安が募った。日立市も、ひたちなか市と同様に東海村に隣接しているというのに。
 仕方なく、テレビをつけっぱなしにして過ごす。すると夕方の四時頃になって、日立市にも一〇キロ圏内屋内待避が出されたという報道が始まった。続いて幼稚園と学校から「明日は休校」との連絡が入る。だが家の近くには、警察も宣伝カーの一つも廻って来る気配はない。
 夜になり、テレビでは「臨海が止まらない」というニュースが流れ始めた。臨海とは、核分裂が次々に起こり続ける状態だ。それが止まらないとはどういうことか。臨海により施設からあふれ出た放射線はいったいいつまで、そしてどこまで広がり続けるのか。
 不安のなか「国道六号線が閉鎖」、続いて電車が止まり「駅が封鎖」の報道が流れる。とうとう隔離されてしまった――。とたんに恐怖が湧き起こった。上空ではヘリが飛ぶ音がする。映画『アウトブレイク』のワンシーンが浮かんだ。未知のウィルスに汚染されてしまった村を、封鎖して住民ごと焼き払ってしまおうという方針が政府から出されるシーンだ。今なら笑い話で済むが、この時は冗談じゃなかった。
 とにかく正確な情報が欲しい。市の言葉は信用できない。そしてテレビによる報道は、ただ恐怖をあおり立てるばかりだ。窓を閉め、冷房を止めて、テレビをつけっぱなしにして、一家四人、眠れない夜を過ごした。

■教育委員会が決定したからダイジョウブ

 翌日になって、やっと臨海が止まったというニュースが流れた。様子のほうも少しずつ明らかになってきて、私の住む社宅の住民も落ち着きを取り戻し始めた。しかし夕方になって、一〇キロ圏内屋内待避が解除されると、新聞さえ未配達の状況にもかかわらず、学校からは「明日は登校」、幼稚園からは「明後日の運動会は予定通り実施」との連絡が入った。これには困惑した。
 昨日から窓は一度も開けていない。開けるなと言われたからではない。ホウシャセイブッシツが怖いからだ。一時期雨が降っていたが、土は汚染されなかったのだろうか。登校してダイジョウブ、運動会もダイジョウブといわれても、本当にダイジョウブなのだろうか。昨日の市役所の要領を得ない電話の回答が頭をよぎる。根拠はあるのだろうか。
 再度市役所に電話をかける。すると、教育委員会が決定したからダイジョウブなのだと言われた。そこで教育委員会に電話をする。すると、市の災害対策委員会が決定したからダイジョウブなのだという返事だ。次に市の災害対策委員会にかけると、
  「運動会? 土が汚染されているなんて誰から聞いたの? 空気が汚染されてなきゃ雨が降っても土は汚染されるわけないでしょ?」煩わしいことこのうえないといった返事の仕方だ。それでも食い下がって、モニタリングポストの測定値を聞いてみた。すると、
  「日立市ではねえ、たった一ヵ所だけ高い数値を示しただけだよ」「それはどこですか?」「トメだよ、トメ!」
 ……トメ? 留町だ! 留町といえば娘の幼稚園のすぐ隣ではないか。この職員、おそらくたくさんの人から同じような内容の質問を受けすぎて面倒臭くなっていたのだろうが、大きな災害の際に、市民の不安に対応するのは市の仕事の一つではないのか。彼がいったいどこに住んでいるのかは知らないが、現場から一五キロも離れている日立市役所の一職員にとって、南の端っこにある留町や茂宮町、大和田町、下土木町(いずれも東海村に近い町)など、所詮、「たった一ヵ所だけモニタリングポストの数値が上がっただけ」の場所でしかないのだろう。
 たらい回しのあげくにこの結果だ。だが、拗ねている場合ではない。モニタリングポストの数値はどのくらいを示したのだろう。昨日、いくら電話をかけてもパンク状態でつながらなかった県の災害対策委員会に電話をしてみた。
 電話口には、あきらかに専門家ではない人が出てきたが、傍らにいるらしい専門家に話を聞きながら、さすがにていねいに状況を説明してくれた。ここに来てようやく私は、話の通じる人から情報を得ることができたのだった。

■市がこれほど頼れないとは……

 留町のモニタリングポスト(環境放射能測定点)の数値は30日、20時の時点で0.118マイクログレイ(放射線吸収線量の単位)を示した。だが、今は数値は正常値(0.045マイクログレイ)に戻っており、土の検査はまだ済んでいない。心配であれば、外から帰った時にはよく服の埃を落とし、体をよく洗い、洗濯物で事故前に干したものはもう一度洗いなおすこと。――その時点でわかっていること、わかっていないことなどを防災対策委員は細かく説明してくれた。
 普段なんらかの情報を集めたい時は、夫の会社にあるコンピューターからインターネットにアクセスしてもらい調べていた。もしも自宅からインターネットに接続できれば、リアルタイムにもっと適切な情報を集ることができただろう。自宅にインターネットをつながずにいたことを、この時くらい悔やんだことはない。瞬時に集められるはずの情報のために、かなりの労力と時間を割いてしまった。よもや、これほど市が頼りにならないとは思ってもいなかったからだ。
  (市に頼っていてはいけなかったのだ。必要な情報は自分で得るしかない)私のなかには、市に対する大きな不信感が残った。今後、どんな発表が市から出されても、もう素直に信用する気持ちにはなれないだろう。取り急ぎ、幼稚園の運動会が明後日に迫っている。こうなったら自分の足で調べるしかないと思った。再度、運動場の土を自分で持っていくから調べさせてもらえないだろうかと保健所に電話してみたが、土は調べられないという返事だった。
 なぜなのか理由ははっきりしないが、とにかく調べられるのは人間だけだということだ。しかたなく私は、夫の会社の同僚で、原子力に詳しいK氏に話を聞いた。地理関係や状況などを説明し、モニタリングポストの数値が表すことなどについての判断を仰いだ。
 彼の考えでは、今回の事故が爆発でなかったこと、数値が下がるまでの時間の経過から、飛んできた放射性物質は建物の空気口などから外に漏れたものであり、早いうちに放射線を出し切ってしまい別の物質に変化してしまうものがほとんどだと思われることなどがわかった。また事故当時の「北東」という風向きも考慮に入れれば、一応、日立市は安全なのではないかということだった。そこで土曜からは息子を通学させ、運動会にも参加することにした。
 また、土の検査がだめなら、身をもって調べるしかないと、運動会帰りに土まみれになったまま娘と保健所に直行、検査をしてもらうことにした。まさに命がけの運動会だ。保健所には広島や長崎から医師が来ていて不安なことがあれば質問に答えてくれるという。結局、土にも人体にも汚染はなく、この日は、土や水の汚染についていろいろ聞いたあと、被爆に関する説明を受けて帰宅した。

■怖いのは原発でなく管理者の無知

 数日が過ぎ、何も変わらない生活に戻った。もう会う人会う人が皆、事故のことを口にすることもなくなった。事故はジェー・シー・オー(JCO)の幹部責任が大きく刑事事件として家宅捜索などが進んでいる。国も早いうちから対応の遅れを認めて謝った。小渕首相も農作物安全パフォーマンスに出たりしてダイジョウブをアピールしているが、地元住民にとっては、もう何も信じられないという気持ちが残った。
 国、県、市町村の責任ある人達のなかで、誰一人としてJCOという核燃料加工業者がどれだけの危険なものを扱っているかを認識できずにいたことを知ったからだ。
 事故が起きた時、皆が一様に、他人事であるかのように「こんなこと(が行われている)とは知りませんでした」と発言したことにも唖然としたが、「日本人はしっかりしたマニュアルに基づいて仕事ができるから信頼度が高い。これがあらゆる企業について失われつつあるとすれば、日本人全体にかかわる問題だ」(小渕恵三首相・一〇月二日付朝日新聞夕刊)という批判や、「基本的なモラルや従業員に対する教育が不十分」(有馬科学技術長官・一〇月三日付朝日新聞朝刊)などの責任を労働者や企業に押しつけようとする姿勢には、さらに開いた口がふさがらなかった。こんな無責任体質の国や自治体が、「もう安全ですからダイジョウブです」と言ったからといって、もはや信用できるはずもない。もう一度同じことが起こり、「こんなこととは知りませんでした」といわれても済まないのだ。
 怖いのは原発より、核燃料より、それを管理する関係者の無知と人任せ根性だ。この点については自分も含めて住民も意識を高めなければと身にしみて思った。また、腹が立つのは、市民の不安を解消するどころか煽る市の対応だ。そしてつっこんだ質問をしてくる住民には、おまえはそんなこと知らなくていいといわんばかりに応対する。これらの体質がわかった今、疑問が残る幾つかの点についても自分で調べてみようと思っている。
 第二のJCOを見落してはいないだろうか。第二のJCOが事故を起こしても、また同じ対応を受けるかもしれないという不安がつきまとう。今回はたまたま不幸中の幸いにも被害が少なくて済んだが、次は爆発事故かもしれないし風向きが違うかもしれない。風向きがどちらでも誰かが被害に遭う。私達が東海村に隣接していることは変わらないのだ。(■了)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学歴は変えられるのか? 短大から大学への編入

■月刊『記録』97年11月号掲載記事

■年々進む短大離れ

 九〇年、二六九二人。九五年、七七八八人。五年で三倍近くも膨らんだ数字は、四年制大学(以下四大)に編入した短期大学(以下短大)生の数だ。九一年、文部省が大学設置基準を改正し、編入定員を別枠で設けることができるようになってから、編入は一つのブームとなった。
 このブームに輪をかけたのがバブル崩壊と男女雇用機会均等法だ。九三年頃から、女子学生の就職状況を意味する「氷河期」・「超氷河期」という言葉が新聞の見出しに踊るようになる。かつて一般職という名前で募集されていた事務系の女性は派遣会社の女性に代わり、短大から一般職そして結婚という一つの人生パターンは急速に崩れていった。短大の女子学生の方が就職しやすいという神話も、同時に崩壊した。
 日本短期大学協会の調べでは、昨年、入学試験で学生数が定員に満たない短大が一七・五パーセントもあった。これは前年の六・二パーセント増にもなる。特に深刻なのが英語・英文科で三四・六パーセントが定員割れを起こすという異常事態となった。確かに一八歳人口は、九一年をピークに年々下がってきている。しかし九五年から九六年にかけての人口減少は、わずか3パーセント弱に過ぎない。どれだけ短大離れが進んだのかがわかるだろう。
 また短大とは逆に、専門学校への進学率が上昇している点も見逃せない。昨年五月に文部省が調べた統計によれば、専門学校への進学率は短大を三・六パーセント上回り、短大より五万人ほど多い二六万人が入学したという。
 このような状況を前に、短大も変革を余儀なくされた。短大を廃止し、四大への改組を打ち出すところも増えてきている。短大の名門・学習院短期大学でさえも来年四月から四年制の学習院女子大に改組される。「学短」という名称で、並の四大以上に人気のあった学校だけに、他の短大に与えた心理的影響も大きいはずだ。

短大離れとともに沸き起こった編入ブーム。
 このように四大への編入は、たしかに就職対策としての学歴アップを狙った短大生により増加した。だが、じつは意外に知られていないことだが、編入は大学教育の活性化にも大いに役立っているのである。
 大月短期大学から東北大学の経済学部経済学科に編入した津久井紀子さんは、次のように語る。
「編入に向けての勉強は楽しかったですね。高校時代の受験勉強は、暗記中心の詰め込み式でしたが、編入試験に出題される経済学は、社会と密接に結びついていますから。それこそ新聞を毎日読むことが、勉強につながるという実感がありました。
 だから経済学は、試験のために勉強していたというより、勉強が楽しくて、やっているうちに夢中になっていった感じです。」
 また國學院大学の二部から一部に編入した新井由花さんは言う。
「二部の学生は真面目な人が多かったから、一部の雰囲気とは随分違いました。もし最初から一部に合格していたら、何も考えない自分のままだったと思います。社会人の学生や普通の学生と出会えたからこそ、今の私があります。編入の経験は貴重でした」
 大学が遊び場と化した現状では、学問の楽しさを知らない学生も多い。そんななかにあって、編入という目標に向かい自分の好きな学問を勉強してきた学生や、社会人とともに勉強してきた経験をもつ学生、大学卒業後に勉強をしたくなって自ら大学の門を叩く学生などは、勉強に対する意識も高く、大学からの評判も良い。そんな学生を取るために、大学も積極的に編入生を受け入れはじめている。
 今年の五月、国立大学の三二医学部が大学を卒業した人を、三年次ぎに編入制度の導入を決めた。総定員数を変えず、一般入試枠を削る形で編入する学生を入学するシステムをとる。この理由として、国立大学協会の医学教育特別委員会は「高校卒業者を主な対象とする現在では、必ずしも医学部志望者としての自覚や動機を備えた適任者が入学するとはいえない状況にある」としている。
 また高崎経済大学の「地域政策学部」でも、三年次編入の枠を二五人設けている。この大学では編入時の入学金は免除されており、主婦や高齢者などの編入を期待しているという。

■五〇名以上が編入する短大

 優秀な学生を獲得できる編入試験は、大学にとって願ってもいないチャンスとなるが、大学への編入を希望する学生を抱えている短大側は、編入についてどう思っているのだろう。
 九四年四五人、九五年五〇人、九六年五八人と、毎年編入希望の学生を大量に出している大月短期大学を訪ねた。この短大は、在校生二三〇人前後だが、学生の二〇%以上が毎年編入している。しかも国公立などに非常に強いのである。
「べつに編入用に特別な授業を組んでいるわけではないんですよ」と、同短大の進路相談室長・金丸典男室長は言う。だが、九六年の編入合格実績を見ると、東北大学・山形大学・福島大学・埼玉大学・中央大学・立命館大学など、そうそうたる大学名が並んでいるだけに、にわかには信じがたい話だ。
「他の短大に比べて、編入者が群を抜いて多いのも別に我々が意図した結果ではないのです。大学の授業を面白くしようという取り組みの一環として、すべての授業を少人数制にし、先生と学生との心の距離を近くした。授業中に分からない部分があれば、授業後すぐに質問ができる人間関係を目指した。その結果なのです。
 うちは経済の単科大学ですから学生の数も限られていますし、交流が深まってくれば、学生のニーズも、耳に入ってくる。それを着実に実行してきたら、いつの間にか編入学の合格者数が上がっていたんです」
 そもそも大月短大は、編入のための相談口を公に設けていたわけではなかった。進学情報部というサークルがスタートし、学生自らが過去の受験問題を集め、編入への対策を行っていた。ただ他の大学と違っていたのは、併設している付属高校の先生を含め、すべての先生が編入希望者の学生を快く指導していたことだ。先輩から後輩へ、編入試験のための情報は代々引き継がれ、少しずつノウハウを蓄積していったのである。大学が編入試験の情報を学生に代わって集めるようになったのは、つい最近のことだという。
「大学に編入しても単位がそのまま生かせる四単位の授業が多かったり、英語の授業にもかなり力を入れたりと、編入に有利な条件はそろっていました。また入学した四月中は自分の進路をどうするのか考える期間に指定し、自分なりの目標を持つように指導をしています。でも、それなども別に編入のために作ったシステムではないんです。より良い大学生活を送るために、作り出したものだったんです」と、前述の金丸氏は語る。

■編入生は成長する

 合格するための技術だけが求められる大学受験と、短大で充実した生活を送ることで合格できる編入試験。この違いは、かなり大きなものだ。大月短大から都留文化大学に合格した佐久間智子さんも、次のように述懐する。
「大月短大の二年間は、本当に充実していました。サークルにも所属し、アルバイトもし、短大の勉強も編入のための勉強もしました。私は初等教育を学びたかったので、編入のための専門の科目の勉強は独学でやるしかなかったのですが、仲間や先輩からさまざまな情報を入手できました。仲間同士で励まし合い、勉強しようという刺激にもなりましたから、他の短大とは違っていたと思います。
 またあの学校の素晴らしいところは、さまざまな学生と過ごせることです。就職する人も、編入する人も、さらには専門学校に通おうとする人もいる。そんな人との出会いは、私にとって大きな財産です。漫然と大学に入学した学生より、遙かに貴重な体験をしたと思っています」
 編入試験が受験テクニックとは違った勉強方法を必要とされるなら、転部・編入の予備校では何を教えているのだろうか。この業界の老舗として知られている宍戸ふじ江教務・転部課長にお話を伺った・
「就職も決まり、遊び回っている友達を尻目に勉強するのは辛いんですよ。それに編入試験は面接が重視されますから、自分が何を勉強したいのか、どうして大学に行きたいのかが重要になってきます。だから私達も学生に問いかけますし、学生も自分で答えを見つけようと自問自答します。答えの見つからない学生は、挫折していきますしね。
 当校では入学時点でアンケートを取りますが、学歴にこだわって転部を決意する人は三~四割ほどです。あとの六割は、何らかの勉強をしたいからというのが理由です。でも漠然と当校に通い始めた学生も、時間が経つにつれて変わっていきます。成長していくんですよ。
 自分なりの答えを見つけて編入しますから、大学に合格してからの身の入れ方も違います。大阪大学や広島大学・神戸大学などにも当校で勉強した学生が入学していますが、どの大学からも卒業生達がよく勉強をすると聞いています。
 本当にやりたいことを勉強するための受験を指導するのは、私にとってもやりがいのある仕事ですね」
 やはり編入試験の予備校では、受験テクニックを教えているわけはなかった。だからこそ、この予備校の卒業生達が、大学から高い評価を受けることになるのである。

■意識の違いだけではない

 しかし、一体どうして編入学で入学した学生だけが、それほど高く評価されるのだろうか。本当に意識の違いだけが理由なのだろうか。
 前述の津久井さんは語る。
「優秀な学生も多いし、ゼミも少人数なので楽しく勉強していますが、大教室での授業があると、短大との違いを感じます。大月短大の頃なら、授業後に質問しに行けたんですが、大教室だとそうもいかないですからね。少し寂しいですね」
 彼女の通う東北大学は、比較的真面目な学生の多い大学だといわれているが、なかには授業に出席しない学生や、試験をパスすることだけを考えている学生もいるという。まったく興味を持てない授業が毎日続けば、学問の面白さを見つけることもないまま卒業していくのも道理だろう。じつは編入する学生の質が良いという話は、そのまま大学の現在の授業内容の疑問へとつながっていく。自ら編入という形で望まないかぎり学生の興味をまったく引かない授業を続けている限りは、伸びる芽も伸びないのではなかろうか。

ひそかに広がる大学地方受験の実態

■ 甲子園の有名投手と同級生

 それは何気ない会話だった。
 最近、地方の小さな大学が、東京で受験会場を設けているが、「知名度が低い地方の私立大学が東京で受験機会を提供しても受験生が集まるわけがない。どうしてだろう」と編集部で話していたのだ。そこへやってきた編集長、話しを聞くやいなや「どうしてかわからなければ、なぜ取材してこないのだ」と一喝。その一言で、私の八年ぶりとなる大学受験が始まることになった。
 受験をするためには、まず受験校を選ばなければならない。取材目的に合致する大学は、レベルや校風などは関係なく、なるべく東京で名前が知られておらず、東京から遠くにある地方大学で、なおかつ東京で地方受験を行っている大学でなければならない。東京で知られている大学を、東京在住の学生が受験するのでは、何の不思議もないからだ。
 とりあえず東京から離れているという一点に絞り込み、西日本の大学を調べてみた。すると、あるある。軒並み東京での地方受験を行っている。その中でもダントツに心ひかれたのはK大学。なぜかというと、同校は甲子園を沸かせた有名投手が進学すると聞いていたからだ。どうせならば超高校級の投手と一瞬でも同窓生気分になりたい。しかもそれ以外で東京での知名度はゼロに近い。かつて受験生だった頃の私でさえ聞いたこともなかった。
 というわけで志望校は決定。さっそく大学に電話し、願書を入手した。ところがその時点で出願締め切りまで、なんと四日しかなかったのである。しかも消印有効ではなく、締め切り日までに大学必着のあわただしさだ。急がなければ企画が落ちてしまう。
 すぐに自分の出身高校に電話し、調査書の作成を依頼した。ところが通常なら一週間かかると、つれない返事が返ってくる。翌日までに調査書がなければ、受験はできない。「大学の出願日が迫っているから、どうしても明日までに調査書をください」と頼み込み続けた。一〇年以上も前に卒業したOBが電話口で泣き落としにかかるのだから、高校の事務職員もたまらなかっただろう。結局、私の熱意に負けたのか、翌日までに調査書作成を承諾してくれた。大学受験に必死になっている三〇歳を目前にひかえた私に、職員も同情してくれたのにちがいない。
 翌日に調査書を受け取ると、すぐに銀行で受験料二万八〇〇〇円を収め、願書も無事に郵送した。

■ 受験生を追う地方大学

 そして二月上旬、いよいよ入学試験の日を迎える。会場は、都区内にある学習塾の教室だった。私が志望した経済系の学科の受験生は私を含めて三人。同時に行われる第二部の試験には三人、工学系には一二人の受験生が集まっていた。この日、K大学では本校の構内はもとより、全国計一二ヵ所で一斉に試験が行われていることを考えれば、この人数は決して少なくはない。とはいえ三人はさびしい。
 緊張の中、試験が開始した。
 小誌三月号の特集「ピンク映画が危ない」の取材に追われていた当時の私は、試験前日までピンク映画の鑑賞に多くの時間を費やし、頭はほとんどピンク一色。もともと学力がないうえにこれでは、手の打ちようもない。
 一時限目の英語は文法問題が思い出せず、惨敗。二時限目の国語は、古典もどうにかわかり、喜びのうちに終了したものの、三時限目の世界史では、『アンクル・トムの小屋』の作者が誰かという問題以外、全て運を天に任すこととなった。
 ここまで試験の出来がひどければ、せめて取材ぐらいはきちんとしなければならない。昼休みと帰り際に、同じ学科を受験した学生を会場から出て捕まえた。
 K大学の地元に在住の現役女子学生は、第一志望が日本大学。志望校のほとんどが東京にあるため、受験期間は東京でホテル暮らしが続いているという。
 「地元の大学は行きたくないのですが、塾の先生の薦めもあって、この大学を受験することにしました。受験期間は東京にいるので、地元の大学も東京で受けることになったのです。同郷の友達の多くも、東京で地元の大学を受験していますよ」。なるほど、それで東京会場を設けている理由がわかった。
 もう一人の受験生は、東京在住の男子学生。彼は受験の動機について「父の仕事の関係で家族が転勤する先にある大学なので受験しました。もちろん東京で受験できるのも、志望校決定の理由です」と教えてくれた。
 学生の多くが地元在住の地方大学は、一八歳人口の減少への対策として、地元の受験生が東京に出てくるのを追って地方受験を行っていたのだ。東京で受験を行えば、取材した男子学生のような地方の受験生も捕まえることができて、二重にウマミがある。
 試験当日の大学職員は、確認できた範囲で二人。小さな会場と少ない職員で行える地方受験は、実施自体はさして大変ではない。これで二〇人弱の受験生を拾い上げられるなら、大学側としても悪くない話だろう。
 さて試験から一二日後、お楽しみの合格発表が電子郵便で自宅に届いた。ドキドキしながら封を切ると、みごと合格しているではないか。落ちている番号が少ないだけに、見間違えるはずもないのだが、何度見直しても自分の受験番号が合格者の欄に印刷されている。
 やった。自己採点ではおよそ一科目平均で四割弱の正解率を示し、編集部員および部を訪れる九割方が不合格を確信し、慰める者まで現れる始末だった。にもかかわらず、会心の勝利をもぎ取ったのであった。
 この後、合格自慢と祝宴の要求に全力を注いだため、知人・友人・同僚から嫌われまくったのはいうまでもない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

使い捨てられる外国人労働者

■月刊『記録』99年10月号掲載記事

*日系ブラジル人を含む外国人労働者が人口の12%を超える群馬県大泉市。不況が彼らにどのような影響を与えているのか。現状を知りたくて現地に赴いた。

■靴にキスしろ

  「友達が自殺したことかな」
 イラン人のハッサンさん(三一)は、一瞬考え、言葉を選ぶように言った。
  「日本で一年半、一番記憶に残ってるのは友達の自殺。ボク、ほとんど泣かない人だけど、友達が死んだの聞いて一日中泣いた。すごく悲しかったから。
 遺書がなかったから、なんで死んだのか本当のことわからない。でも、きっと日本で生きていくのイヤになったんだと思うよ」
 彼の旧友が亡くなったのは、一九九八年四月。ハッサンさんの話によれば、自殺の原因は日本人上司との言い争いだった。同じ職場のイラン人のために上司に抗議した彼は、その上司からにらまれてしまう。しかも味方であるはずのイラン人も、保身のためにすべて上司の側に回った。
  「日本人のボスとケンカした次の日、友達が会社に行くと、ボスやイラン人が彼を待ってた。その時、ボスから言われたのが『ひざまずいて靴にキスすれば許す。そうしないと(おまえは)会社に戻れない』って。
 日本語をペルシア語に通訳したの、一緒にいたイラン人。だからボスが本当にそう言ったかわからない。でも友達は、会社を辞めることにした。
 当時はずいぶん落ち込んでいたよ。しばらく連絡なくて、『茨城県の会社で働いてる』って電話あったのが、事件から一ヵ月後。やっと元気になったのかと思ったのに、いきなり死んじゃった。
 工場の高い屋根に登って、首にロープかけて死んだんだ。五年も日本で暮らしてたのに……」
 不況は、どのような影響を外国人労働者に与えているのか。現状を知りたくて、群馬県大泉町に赴いた。
 群馬県内にある七〇の市町村のなかでも、下から二番目に小さいこの町には、九九年八月一日現在、五一四八人の外国人登録者が住む。これは町の総人口の一二・一%にものぼる。大泉町を含む群馬県南部は自動車部品、電器製品、食料品などの工場が群生しており、深刻な人手不足を補うために、外国人労働者を続々と受け入れてきた土地だ。
 特に九〇年の「出入国管理および難民認定法」の改正は、町の様相を激変させたという。ラテンアメリカの日系二・三世が単純労働につくことが認められ、どんどん町に住み着いたからだ。なかでも日系ブラジル人は増え続け、現在でも外国人登録者の七割以上がブラジル国籍者であるという。田舎町のなんの変哲もない店舗の隣に、ポルトガル語の看板を掲げた店が並ぶ。大泉町では、そんな風景が珍しくない。

■会社の入口に立つな

 この町で、そんな日系ブラジル人の労働状況を取材していた私に、「日系ブラジル人よりも悲惨だ」と訴えてきたのが、先述のハッサンさんをはじめとする三人のイラン人だった。
  「不景気で仕事が減っているし、なによりボクらのほとんどがオーバーステイだから、仕事を探すのが大変だよ。イラン人のイメージ、日本では悪いし。イラン人だと、すぐに薬売ってるとカン違いされるし。
 この前、(職を求めて)ある会社に行ったら、『イラン人の方には仕事はありません。帰ってください』と言われて、『会社の入口に立たないでください』って怒られた。それに日系ブラジル人のための仕事の紹介所も、イラン人にはほとんど仕事は紹介してくれない」と、一週間ほど前にクビになったハッサンさんは言う。
 母親の入院費を稼ぐために日本に出稼ぎに来たファラードさん(二九)も、今年に入ってから二ヵ月半しか仕事をしていないと肩を落とした。またファラードさんの隣に座るアリーレザーさん(三四)は、「五人の妹のために日本に出稼ぎに来たのに、今年働けたのは二ヵ月と少しだけ」とうつむいた。
 法務省入国管理局の統計によれば、九九年一月一日現在、滞在期間を過ぎても日本にいる不法残留者総数は二七万一〇四八人にのぼる。この二七万人以上の人々が、食べるために、そして金を貯めるために、日本のどこかで働いている。もちろん日系ブラジル人など、合法的に滞在している外国人より、はるかに劣悪な労働条件なのはいうまでもない。
 群馬県の不法滞在者の支援を続けている群馬外国人労働者支援連絡会(フレンズ)の原田桃世さんは、彼らの状況を次のように語る。
  「不景気になって、残業代のカットや首切りが多くなってきました。三〇歳をすぎると、もう職を探すのが難しくなりますから。もちろん日本語を話せないに人も職がありません。あと他の国の人に比べると、イラン人も大変でしょう。まずイラン人に対するイメージが良くない。薬を扱っているという噂が流れましたから。しかも顔がアジア系と少し違うでしょ。顔のつくりも就職に影響するんです。
 オーバーステイの外国人と聞くと、なぜ祖国に帰らないのかと考える人もいます。しかし実際は、帰れない人も多いんです。スリランカ・パキスタン・バングラディシュ・イランなんかは、祖国が政情不安を抱えています。さらにミャンマーなんかは、パスポートを再発行するのに、『日本での滞在月数』×『一万円』が必要だといわれています。まあ、半分ぐらいまでは値切れるようですが……。でも、これじゃあ、帰れないですね」
 祖国には帰るに帰れないうえに、不況で仕事を奪われていく。オーバーステイの外国人は、労働者がつくるヒエラルキーの最底辺にいるだけに問題も深い。しかし日本で生活している以上、彼らの問題はまぎれもなく日本人と日本社会に関係する問題なのだ。

■四五歳が大きな境目

 イラン人などに比べれば、合法的に働くことができるはずの日系ブラジル人。では日系人は、整った労働条件の許で働くことができているのだろうか。
 いや、違う。その待遇は、単にオーバーステイの外国人と比べれば、多少良いという程度にすぎないようだ。
 日系ブラジル人が情報交換のために集まるショッピングセンター・ブラジリアンプラザで、カク・ヨシオさん(二四)は日系人が三つに色分けされていることを教えてくれた。
  「同じ日系人といっても、就職業況は大きく違うんです。
 まず、四五歳以上か未満かが大きな境目でしょう。不景気になってから、四〇代後半の日系人は仕事をすごく見つけづらいですから。さらに四五歳以下の日系人でも、日本語を話せる人と話せない人では、仕事の探しにくさが違います」
 バブル時代、タイムカードさえ押せれば老人であっても仕事があるといわれた大泉町だが、景気失速とともに募集条件はすっかり厳しさを増した。
 公園で会ったクラモト・サダオさん(四八)は、きれいな日本語を話す。しかし彼の年齢は大きなネックとなっていた。
  「ちょうど二年前に来日しました。ブラジルの派遣会社にうまいことを吹き込まれてね。社員になれるという言葉を信じて、飛行機代を含めた五〇万円もの借金をして、日本に来たんです。なぜか使える期間の短い復路の航空券まで買わされてね。
 ところが日本に来たら、社員になれるような仕事なんかない。日本の派遣会社は、ブラジルでの契約内容なんか知らないという。それでも日本の派遣会社を頼るしかありませんでした。紹介されたホテルに泊まって、その会社から仕事を紹介してもらうのを待っていたんです。
 やっと一週間後ぐらいに仕事を回されたけれど、雇用された期間は短かったですね。派遣会社が住むように指示してきたホテルの代金と、新しくアパートを借りるための資金で、働いた分のお金はほとんど消えていきました。それからは自力で職探しです。
 毎朝、二〇社以上の派遣会社を廻り、仕事を紹介してもらう。でも決まらないんですよ。日本に来て二年のうち、仕事のあったのは一年三ヵ月だけ。九ヵ月間は失業していました。もう、今年の末には、ブラジルに戻ろうと思っています」
 結局、クラモトさんが日本で手に入れたのは、五〇万円の借金だけだった。
 日本での生活はどうだったかという質問に、彼はボソッと答えてくれた。
  「勉強になったというかね……。若い人には日本の生活も楽しいかもしれない。でも僕らの世代は、考えることも多いから」
 視線を落としたままの深い沈黙が彼を包み、取材はこの言葉で終わりを告げた。

■外国人らしさが命

 ここ半年ばかり、日本人の失業者に関する記事が多く流れている。それだけに日本語を話せず、四〇代中盤にさしかかる外国人の解雇など、読者は驚かないかもしれない。しかし日本人と日系人を含む外国人では、そもそも労働条件の出発点が違う。
 日系ブラジル人のための日本語教室を開き、彼らのさまざまな相談にも応じている日伯センターの代表取締役・高野光雄さんは、その違いを説明してくれた。
  「日本人の失業者の多くは、本意でない仕事をさせられたり、仕事そのものに見切りをつけたりして、会社を辞めているでしょ。でも日系ブラジル人の多くは、最初から仕事の質なんて考えていないんですよ。日本人がやりたがらない仕事でもいい。なんでもいいから、一円でも賃金の高い仕事につきたい。そう思って仕事を探すわけです。
 だからある意味では、この不景気でも仕事はあるんです。例えばエアコンの組み立てなんかは、三、四ヵ月の季節工です。生産ラインを動かす時に雇い、つくられなくなればクビを切る。経営者側からみれば、いつでもクビにできる労働者のスプリング役として日系人は重宝がられているわけです。
 クビにしても労働問題にはならないし、日系人以外の外国人よりも日本人労働者との摩擦が少ない。こんな便利な存在はなかなかない。逆にいえば、外国人らしさを失ったら、つまり日本人と同じような労働条件を求め始めたら、日系人を雇う意味などなくなってしまうのです」
 高野さんが語る通り、この不況でも日系人の仕事はある。ただし労働条件は圧倒的に悪くなっている。社員の口はなくなり、短期のアルバイトが増大した。賃金のカットや突然の解雇もついて回る。景気の動向に企業側が細かく対処するために、日系人は「スプリング」としての役割をより求められるようになり、不満を言わない労働力として切り売りされているのだ。
 一七歳の日系三世、ダニエル・ルーゼンニさんも、現在の状況を憂える一人だ。
  「解雇された経験がない人なんかいないよ。仕事がなくなると、すぐに紹介所を廻ってアルバイトを探すんだ。職探しは大変だけれど、仕事しなくちゃ、遊ぶ金だってないからね。親父は六〇歳だから、まったく仕事がないし……」

■日本に来る理由が変化

 九〇年、日系ブラジル人の先頭を切ってブラジル料理店「ブラジル」を開いた日系二世の太田健仁さん(三一)は、この不況が日系ブラジル人に「先の見えない不安」をもたらしていると指摘する。
「社員が減り、アルバイトで食いつなぐ日系人が多くなりました。その不安定な職業形態が、先を見えなくしているし、収入も減少し、将来への不安を呼び起こしているのです」
 しかも日系人にとって、さらに不幸だったのは、日本での定住を日系人が模索し始めた時期と、不況の時期が一致していたことだ。
 太田さんによれば、入管法が改正されて九年で日系人の意識はかなり変わってきたという。
  「最近、日系人は二つのタイプに分かれるんです。一つは、時代の節目である二〇〇〇年をブラジルで迎えるために、従来同様、お金を貯めているグループ。そしてもう一方は、日本の生活になじみ、定住を考え始めたグループです。彼らはずいぶんと日本食を食べるようになりました。またギリギリまで生活費を切りつめてブラジルにカネを持ち帰ろうとするのではなく、日本での生活を楽しむために、多少お金を使うようになったのです。そうした定住を考え始めた日系人にとって、この不景気の影響は大きかったと思います」
 太田さんの言葉を裏づけるような資料もある。九八年九月に、日本労働研究機構研究所が発表した『日系ブラジル人の日本での就労に関するアンケート調査』だ。
 この報告書は、在ブラジルの日系人を対象に、出稼ぎの意欲や帰国後の状況などを調査したものだ。そのなかで特に注目すべき事柄は、出稼ぎの理由についての調査結果だろう。
 九三年の調査では、出かせぎの理由のトップは、全体の六一・二%を占めた「不動産を買うため」だった。ところが九八年の調査では、「日本を知るため」が四三・七%を占めてトップとなり、「不動産を買うため」は三五・〇%に半減している。
 さらにブラジルでの平均月収と出稼ぎによる月平均送金額についての調査も、面白い結果をはじき出している。九三年調査時は、ブラジルでの平均月収が六二三・〇ドル。一方、日本からの月平均送金額は、一六六三・七ドル。つまり一〇四〇・七ドルもの開きがあった。ところが九八年の結果を見ると、平均月収が一八〇六・一ドル。日本からの月平均送金額が、一八四七・六ドル。つまり日本に働きに来ても、ブラジルで働くのと比べてわずか四一・五ドルしか儲からない。ここ六年間で、日本は大きく稼げる場ではなくなっていたのである。

■入管法改正に商工会が要望

 九〇年六月、バブル景気の最中にあった日本で、入管法は改正された。当時の新聞をめくってみると、外国人の不法就労者締め出しのために規制が強化され、逮捕を恐れた外国人が一斉に帰国する様子が報じられている。
 一方、バブル景気を支えるために必要とされた外国人労働者を、企業は何らかの形でつなぎとめたいと考えていた。大阪商工会議所が単純労働に携わる外国人労働者の受け入れについて、首相はじめとする関係省庁に要望を出したのは、その典型的な例といえる。
 こうした企業側の要望を見越して、入管法改正に取り入れられたのが、ラテンアメリカからの日系二・三世の受け入れだった。定住資格を日系三世までにとどめたことで起こる日系四世の在留資格問題。日本人の血統主義ともいえる政策に対する近隣諸国からの不満。これらの問題を放り出し、労働力という観点だけで日系人を受け入れた。そして、このような経緯で行われた法改正の延長線上に、現在の日系ブラジル人の雇用情況がある。
 日系人が金のためだけと割り切り、ひたすら単純作業に従事する間は、問題はなかった。しかし定住を視野に入れた将来設計を立てようとすると、解決できない問題が目白押しとなる。人は文化をもち、感情をもって日本に来ることを、政府は忘れていたのではないだろうか。
 不法滞在者は表の世界から隠され、日系人は感情をもたない生産ロボットのように企業から扱われている。不況が深刻になればなるほど、日本社会が備える冷酷さはよりハッキリしてくるだろう。
 この不景気のなかで、日本人以上に声を上げられない労働者がいることを、私達は記憶しておく必要がある。 (編集部)

| | コメント (0) | トラックバック (3)

O-157事件・カイワレ大根は無罪だ!/大阪府・南野農園激白

■月刊『記録』96年9月号掲載記事

(南野芳則……1969年7月号生まれ。大阪農業大学校を卒業後、南野農園を受け継ぐ。)

■騒動は96年7月24に始まった

「ウチ、ちゃうやんか」。
 8月7日の管直人厚生大臣の記者会見で指摘された農園の特徴は、うちとはまったく違っていた。ところが「大阪府内の特定の栽培業者が納入したカイワレ大根が原因である可能性が否定できない」と、管厚相が発言したことにより、うちは病原性大腸菌O-157の感染源にされた。
 騒動の発端は7月日だった。保健所職員に「老人ホームの給食のメニューに、おたくのカイワレ大根が入っているので、とりあえず検査させてください」と訪ねてきたのだ。その時は「堺市もえらいことになっているな」と、農園がおおごとになるなんて思ってもいなかった。その日、保健所は栽培中のカイワレ大根から種子、生育に使う井戸水、排水までを持ち帰り検査した。8月2日には、「O-157はまったく発見されなかった」と結果が出て、感染したみなさんには申し訳ない言い方になるが、ほっとひと安心した。そんな中で出されたのが、8月7日の原因究明調査の中間報告だった。

■どこに牛がおるんや

 記者会見の始まる分前には保健所から、「どうやら厚生省からO-157の感染源に対する発表をするようだが、動揺しないように」という電話があった。電話の直後から、テレビをかじりつくように観ていたが、どうしても南野農園のことを話しているようには感じられなかった。
 たとえば「カイワレ大根の水耕栽培に使用された水に、もともとO-157に汚染されている牛フンなどが流れ込んだとも考えられる」という発言だ。この発言のおかげで農園に押しかけたマスコミ関係者の第一声は、「どこに牛がおるんや」だった。ところが牛舎はうちから~離れたところにしかない。そのうえ牛の運搬車も、この辺りを通らない。いったいどこから牛フンが紛れ込むのだろう。
 そんな感想を抱いた会見だったが、騒動は一気に大きくなっていった。会見が終わり、最初に駆けつけたのはNHK。工場の消毒設備などを説明するために、テレビクルーを連れて農園をひとまわりして帰ると、今度は民放各局がカメラを構えていた。私はマスコミへ対応するとともに、検査結果が出るまでカイワレ大根の出荷を自粛することを、その日に決めた。さらに6日と7日に出荷した分の回収も始めた。

  夕方には、再度保健所から連絡が入った。「再調査をお願いしたい。伝染病予防法という『伝家の宝刀』を抜きたくないので、協力してくれないか」という問い合わせだった。私自身、農園の衛生には絶対の自信を持っていたので、早く真実を突きとめてもらいたい気持ちから快く承知した。
 8・9日と、保健所は立ち入り調査を行い、培養液や作業所に隣接する自宅の浄化槽の水まで、第1回目の調査の倍に当たる検体を採取した。もちろん私を含めた従業員の検便も行われた。しかし立ち入り検査は、これだけで終わらなかった。日には、南野農園近隣4市町を対象に4河川から採水、さらに周辺の水路からも水と汚泥を採取していった。
 菌が発見されないとわかると、再度の立ち入り検査というやり方は、私達を傷つけるだけではない。保健所の職員のプライドさえも傷つけている。厚生省に従わざるを得ない職員に同情さえした。

■従業員の姿を無断で放映

 これだけ誠実に対応していたにも関わらず、マスコミを通じて流される情報はめちゃくちゃだった。
 どうやって調べたのか、水利組合の用水路が氾濫したとの報道があった。生まれてこのかた年以上、この辺りの用水路が氾濫したことはない。というのも農園の周辺にある水路は、第1の堤防を超えても、第2の堤防が水を用水路戻す仕組みになっているからだ。いったいいつ、用水路が氾濫したのか教えてほしい。
 南野農園が有機肥料を使っていると言った政治家もいた。うちでは種類の化学肥料と消毒液を混ぜてスプリンクラーで散布している。肥料からO-157が入り込む余地はない。
 つい先日もNHKと産経新聞が、日本かいわれ協会の独自調査により、南野農園近くの河川からO-157が検出されたと報道した。驚いて協会に問い合わせてみると、「協会としては、報道機関にコメントした覚えはない。何でこんなことが紙面に出たのかわからない。協会も産経新聞を読んで初めて事態を知った」との答えをいただいた。(編集部注 後日、日本かいわれ協会はO-157を採取できなかった旨の報道が流れた)
 もちろん誤報だけが、私達を苦しめるわけではない。一番腹が立ったのは、農園にパートで働きに来ている従業員を映したことだ。経営者の私が写るなら問題はない。しかし従業員には小さい子どもを持つ人もいる。子どものいじめなど、どんな影響がでるかもわからないと思い、映さないようにとお願いしたのにも関わらずテレビで放映された。きちんとした配慮をしてほしいものだ。
 新聞報道では、私の味方になってくれた記者も多かった。人によっては、農園がスケープゴートになっていると断言してくれた人もいたほどだ。ところが紙面では、農園の主張は小さく扱われている。もっとも松本サリン事件の河野義行さんに比べれば、はるかにましだとは思うが……。

 厚生省の見解と全く食い違う事実も、私の元に届いている。
 カイワレ大根は少し辛いこともあり、子どもの好き嫌いが表れる野菜だ。O-157に感染した児童が多くでた学校でも、もちろん状況は変わらない。カイワレ大根を好きな児童が、嫌いな児童3人からカイワレ大根をもらっている。ところが発病したのはカイワレ大根を食べていない3人だった。4人前のカイワレ大根を食べた児童は、まったく感染していない。3人分のカイワレ大根を食べた児童の母親から、私はこの話を直接聞いた。彼女は、南野農園が疑われていることを知り、わざわざ農園に電話をかけてきてくれたのだ。
 これだけではない。肉料理だけを食べ、カイワレ大根を残した児童がO-157に感染した事実もつかんでいる。この児童は登校拒否児で、出席した日も限定される。取引先の子どもの話だ。おかしなことに事のしだいを保健所に報告した子どもの両親は、「この話は黙っとけ」と言われている。その後、この件の調査が進んでいるとは聞いていない。
 匿名でうちに送られてきた堺市役所の職員ニュースでも、カイワレ大根を感染源とする説に疑問が噴出していた。ところが市の職員が疑問に思っていても、表には出てこない。

■もう野菜は食べられない

 そして、私がもっとも疑問に思っているのは、潜伏期間の問題だ。O-157の通常の潜伏期間は4~9日程度と報道されていた。ところが小学生を中心に大量感染が発生したのは7月日。一方、疑われている給食は8日と9日の両日だ。カイワレ大根が騒がれる前に、しきりに話題になっていた潜伏期間はどこにいったのだろうか。
 さらに8・9日から、カイワレ大根が特定された経緯もあいまいだ。8日の問題のメニューは、「パン、牛乳、とり肉とレタスの甘酢あえ、はるさめのスープ」。9日は「パン、牛乳、冷やしうどん、ウインナーソテー」が問題になっている。この2日の共通食材で、加熱しておらず、単独の製造メーカーから納入されているのがカイワレ大根ということらしい。
 米国ではハンバーグでO-157の感染が起こった例もあるというのに、どうして非加熱の製品を狙い撃ちしたのか。加熱した食品は、完全に火が通っていたといえるのだろうか。おかしい。生のダメだというのなら、野菜は食べられなくなってしまう。

 そもそも中間発表で、うちだけが名指しされたのはどうしたわけだろう。管厚相は、特定の食品を保護しようとするミエミエの発言を繰り返しているようにみえる。私にはダークサイドの情報が入ってこないので、本当のところは知るよしもないが、スケープゴートとして名指しされた部分もあるのではないか。少ないともうちが名指しされたことで、堺市に対する批判が収まったと言えるかもしれない。
 カイワレ大根の業者として、南野農園は大きいと報道されている。しかしうちは、家族経営の域を出てはいない。私と妻、そして歳を超えた父と母。それに人ほどのパートで、この農園を切り盛りしている。自主的に製品を破棄したとはいえ、その損失だけで250万円を上回る。またカイワレ大根以外の作物も、同じように市場に流すのを止めている。こちらは計算はしていないが、かなりの損失になるだろう。さらには、今後に予想される消費者のカイワレ大根離れなどを考えると、先行きはあまりにも不透明だ。家族の元気もない。
 仕事ができないくやしさは、一言では言い表せない。怒りとも違う。唯一救いがあるとすれば、生産を促すような声が取引先から出ていることだ。うちが衛生面でしっかりしていることを、知っていることもあるだろう。

 カイワレ大根の根本は、収穫半日前に4ppmの次亜塩素酸ソーダで殺菌している。作業中に使う水についても、ポンプが井戸水と次亜塩素酸ソーダを吸い上げ2~4ppmの液を自動的に作り上げる。水道水の塩素濃度の倍以上になる計算だ。種まきの時に使う水や、収穫時に使う箱、施設内を洗浄する水、培養液のための水もこのポンプから出てくる。さらに収穫直後には、ppmの濃度の次亜塩素酸ソーダでカイワレ大根を殺菌する。このときに使い終わった資材も消毒液につけ込み、オゾン水で洗い流すようにしている。これだけ徹底した消毒で作られたカイワレ大根に、O157が混入することはありえない。万に一つあったにしても、繁殖するための栄養素がない。
 管厚相は、これらの疑問に答えられるだろうか。公的な存在には公平な発言をして頂きたい。そして彼の発言が、どれだけ大きな影響を与えるのか実感してもらいたい。省のトップたる者が、国民に不安を抱かせるだけの会見をしてどうする。少なくとも大臣の側近が農園を訪れて、どこからO-157が侵入したのかを明確に説明し、断罪してくれれば納得したはずだ。
 ところがうちを名指ししながら、感染源はまだ特定されていないとの答弁。こんな逃げ腰の会見は納得できない。極端な言い方をすれば、5時間後に殺人現場を通りかかった通行人を逮捕したようなものだ。凶器もねつ造して発表。冤罪事件そのものだ。
 行政は感染源がカイワレ大根でなくとも大きな傷を負わないが、うちの農園の信用回復は簡単ではない。長年取引している業者さんや店舗は、南野農園の品質をわかっているのでまだいい。しかし一般の消費者からの信用回復は長い年月がかかるだろう。
 いますぐに「南野農園がシロだ」と、行政からはっきり公表してほしい。国民の不安を取り除く努力をしてもらいたい。あやふやなままで、終わらせてほしくない。長年にわたって築き上げた取引先と消費者の信用を、いきなり崩された者の気持ちを厚生省はわかるだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

中央線自殺多発の真相・誰がどうして死んだのか

■自殺の状況に6つの特徴・自殺が映す現代の病理

 JR東日本のまとめによれば、列車に30分以上遅れが出たケースに限っても、95年4月~今年1月末までに31件の自殺が起こっている。94年度が14件、93年度が13件だから、10ヶ月間で2倍以上の自殺者が出たことになる。さらに今年度上半期に起きた数を他の路線と比べても、中央線の自殺者は17件と、山手線5件、総武線4件、常磐線6件と比較しても際立っている。昨年11月30日には、中央線沿線の駅長が集まり都内4ヶ所で安全祈願のお払いを受けたほどだ。
 原因も、「中央線の沿線の景観が他に比べて良い」「中央線が自殺の名所になってしまったから」など諸説入り乱れているものの決定打がない。JR東日本広報部も、「時間や場所に偏りはみられないので、たまたま起きたのではないでしょうか」と語り、中野警察署の担当も、「不思議だとしかいいようがない」と話す。だが、国立精神・衛生センター武蔵病院の医師であり自殺の研究者としても有名な吉川武彦氏に分析を依頼した結果、いくつかの特徴が見えてきた。

特徴① 同日・翌日に集中
 まず事件の日付が重なっている。7月17日に3件、9月14日に2件、10月11日に1件起こった後、翌12日に2件、10月24日に2件、11月13・14日に1件づつ起こっている。1年間の集計にしては偏り過ぎてはいないか。全32件の37%にあたる12件が同じ日か、次の日に起こっているのだ(表1参照)。
[吉川氏分析]
 このような現象は自殺では珍しくない。第1の自殺が次の自殺を誘発する。鉄道各社が人身事故の際に流す状況説明の社内放送も問題。自殺のあった駅のみならず、前線で何時間も放送されるため、自殺願望を持った人が誘発される可能性が高くなっている。

特徴② 高級イメージ
 他の路線と違って、高級住宅街で総体的に高学歴・高収入の住民が多く住んでいる「中央線沿線」のもつハイソサエティーなイメージに憧れての場所設定である可能性も高い。
[吉川氏分析]
 自殺をアピールの手段として使う「アピール自殺」のケースでは、場所の設定が重要な要素となる。「ここに住みたい。この場所で一生を終えたい」と思う場所を選ぶ場合は多い。

特徴③ 多くが沿線住民
 受験エリートである高学歴・高収入者の精神的な危機が感じ取られる。自殺者は社会現象に敏感に反応するもので、高学歴・高収入者が持つ閉塞感が、かなり広まっていることを示している。
 オウム真理教信者が次々と逮捕されるなかで、どうしてこれだけ高学歴の学生がだまされたのかと話題になったが、実は彼れのような立場の悩みは深い。高学歴を取得するために、受験戦争を、さらに就職活動を乗り切る。そのような人が自分の人生を振り替える年齢になった時、受験能力だけを身につけてきたのではないか、自分はからっぽではではないか、人生の選択は正しかったのかと悩む。本当の意味での知力が育っていないため自信が持てない。そんな空虚さが自殺やオウム真理教のような存在を必要とする。

特徴④ 「飛び込み」に集中
 中央線は三鷹より東側が高架になっており、11月までの自殺集計を参考にすれば、三鷹以東の自殺者の70%以上がホームから飛び込んでいる。
[吉川氏分析]
 忘れがちだが、列車への飛び込みが自殺の方法としてポピュラーである。表2でわかるように、駅構内と鉄道路線での自殺数を加えると年間1100件以上起こっている。思い悩んでいる人にとってたいした準備もなくいきなり死ねる鉄道は、格好の死に場所となってしまうのだ。

特徴⑤ 帰宅時のラッシュアワー
 帰宅時のラッシュと重なる時間に自殺者が多い

[吉川氏分析]
 自殺は夜と明け方に多いといわれているため、電車の動いている時間を考えると、夜が多いのは頷けるが、それ以外に家庭に帰りたくなくなった人が自殺したと考えられる。
 踏切や路線には行って死ぬ場合はともかく、駅から飛び込む人は決断に要する時間は短い。死にたいと思っている人が、駅の外で自殺を決断し、わざわざ切符を買って飛び込むとは思えない。
 とすれば通勤通学で中央線を使っている人、中央線を使って目的もなく移動していた人が、家に帰る緊張感に耐えかねて発作的に自殺した可能性は大いにある。高学歴・高収入のために働いてきた者が、自分の空虚さに気付いた時、家庭は自分にとって重荷になっていくのではないだろうか。

特徴⑥ 若年層の高比率
 自殺者のうち8人が20歳代の若者だ。比率でみると全体の25%にも及んでいる。1985年前後から全国で起こった30歳未満13%前後を推移している。この数字から比べると、25%は少し多い(グラフ1参照)。
[吉川氏分析]
 自殺は常にマイナスイメージだけでとらえられるが、実は自閉症気味の人より治療は簡単だ。それは自殺をする人が、自閉症ぎみの人より行動力を持っていることに起因する。自殺をするには、かなりの勇気と行動力が必要となる。だから自殺未遂者が立ち直り、行動力や勇気がプラスの方向に転化すれば大きく成長する。このように考えると中央線沿線の20歳代の若者は全国平均より多少骨のある若者といえるかもしれない。

■「メディア影響」は過大評価

 最近、「自殺に関する報道が自殺願望者を刺激する」とよくいわれるが、今回の中央線自殺の増加については、マスコミ報道は一切関係がない。最初に新聞に大きく取りあげられたのが、10月17日の読売新聞。ついで10月23日朝日新聞が掲載し、おはらいの話が記事になったのが12月1日だ。また1番早く掲載した週刊誌も11月5日であることを考えると、自殺が収束に向かっている段階でマスメディアをにぎわせていたことがわかる。(表1参照)
 JR東日本広報課は、「自殺を抑制するために、報道機関に記事を掲載してもらった」と語る。自殺者に共通する危機感を分析し、取り除く環境を作ることこそが重要だ。
[吉川氏分析]
 マスメディアの報道が直接自殺を誘発するわけではないということだろう。短期的には情報が自殺を誘発することはあるが長期的にみるとあまり影響はないと考えている。マスメディアに対して情報の自己規制を求める動きもあるが、マスメディアに対して情報の自己規制を求める動きもあるが、あおりたてるような興味本位のものはともかく、情報コントロールを行うことは、長い目で見ると危険だ。

■すでにピークは越えた

 実は7~11月の5ヶ月間で中央線自殺のピークは終わった。悪夢の再来はないのか。
[吉川氏分析]
 自殺の方法や場所が長期間はやり続けることはまずない。長くて半年、普通は3ヶ月ほどで流行は収束していく。単純に自殺に関する情報が増えたため、自殺が急増するものでもない。
 1986年、アイドル歌手の岡田有希子が所属プロダクションの入ったビルから飛び降り自殺をした時、確かに若年層の自殺が増加し、「ユッコシンドローム」として大きく騒がれたが、やはり3ヶ月~半年で後追い自殺も収まってしまった。有名な高島平団地の自殺も、新聞が100人目の自殺者の存在を報じたため、自殺者が高島平団地に集まったようだが、共用通路に柵を取り付け自殺ができないようになるとともに、他の場所でも高層マンションが増えるにつれて自殺はなくなっていった。

 病気は、本人・病原・環境の3者の相関によって拡大するし収束もする。病原になるものをたたきつぶすことや病気が広がりやすい環境をかえることも大切だが、病気にかかりにくい人を増やすことが重要である。いま、公衆衛生はそこを目標にしている。予防の観点から自殺を考えると、自殺は病気ではないが、その意味でも、本人の「こころの健康」こそ重視されなければならないし、抜本的解決にならない。

これでも自殺しますか 藪内繁樹(鉄道整備士)
肌色のミンチ
 事故を起こした車両は、事故後2~3日して整備所に送られてくる。初めて事故車両を見たときは、「こんなものかな」といった印象だった。血糊がべっとり付いているわけでもなく、車両のへこみも自動車事故ほどではない。人を1人はねたにしては、大きな痕跡が残っていない。ところが車輪の下に整備を始めて、事故の悲惨さを知った。
 車輪と車輪周辺部の機械に肌色をした小さな物体が無数に付いている。赤味はなく、まるでささみのミンチのようだ。最初人間の肉だとは思わなかった。その時は車両正面にぶつかってはね飛ばされた状況ではなく、線路に寝ている人を巻き込んでしまったため、肉片は4両目まで飛び散っていた。機械故障の原因となる肉片は丁寧に取り除かれる。しかしミンチ状の肉片を集めても、どの部分の肉なのかさえわからなかった。

■生首がゴロン

 事故そのものが近くで起こり、おもしろ半分に見に行ったこともある。線路の周りには警察や社員が、ゴミ袋を持って歩き回っている。人によっては線路から10mも離れた場所を動き回っているのだ。何をしているのかと思って近寄ると、隣の警察官のゴミ袋から生首が転げ落ちた。見に来たことを後悔したがもう遅い、目に焼き付いて生首が脳裏から離れなかった。それ以来、事故現場に足を運ぶ気持ちは起きなくなった。
 さらに気の毒なのは、自殺者をひいてしまった運転手だ。電車はたいてい目視してからでは止まれない。飛び込んできた自向かって、即座にブレーキをかけるが手の打ちようもなく、姿を確認しながらひいてしまう。さらに事故後は、警察に呼ばれ事故の様子を再確認しなければならない。私の知り合いの中には、自殺者をひいてノイローゼにかかった人もいる。
 駅が近づくとブレーキをつい踏んでしまう。いつ人が飛び出してくるのか不安で、踏まずにはいられないという。もちろん運転手としては致命傷だ。特急や急行の運転がまったくできなくなったのだから…。
 ひいてしまった遺族の方にも、賠償金がかせられるときく。遺体の状況もかなりむごいものだ。バラバラになった遺体を確認しなければならない親族の気持ちを考えると気が滅入る。
 自殺者自身、親族、整備士、運転手、すべての人を不幸にする鉄道自殺は、何としても思いとどまってほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

障害者ドラマを徹底批判する!(下)

■■■「障害者ドラマ」徹底批判!(下)

■■■-介護者の立場から-

■知的障害者にも性欲がある

(成田真由美……1965年、東京生まれ。都内の私立大学を卒業後、福祉業界へ。2年間、地方の精神薄弱更正施設に勤め、夫の転勤により東京に戻る。現在は、都内の老人ホームで働いている)

■生理が女性職員を悩ませる

 高橋克典は『ピュア』で。「彼女(和久井映見)は抱くとか、寝るとかそんな次元にいないんだ」と語った。しかし精神障害者の更正施設の女性介護者が最もショックを受けるのは、障害者の生理と性である。
 私は地方の知的障害者施設の職員として、2年ほど働いていた。男性が30人、女性が20人、計50人の施設だったが、私が勤めている間に、多くの女性が職員として就職した。しかし決して定着率は高いとはいえなかった。3日で辞めていった人もいた。彼女達は施設で天使に会えると思っていたようだ。しかし、精神障害者は、もちろん天使ではない。
 女性職員が一番最初に悩むのが生理だ。生理の処理が物理的に大変というわけではない。ナプキンを当てるだけなので、重症者の下の世話よりははるかに楽だろう。しかし精神的にはきつい。現状では子供を育てることができない女性が、子供を産む機能を持つことへのやりきれなさ。障害者が女として、性交もできることを知った驚き。それは聖人だと思っていた障害者が、1人の女として立ち現れることへの驚きであり、障害者に対して無意識に抱いていた女性としての優越感が壊されたことへの苦しみだろう。この苦しみを乗り越えられない女性介護者の多くが、悩みを抱えたまま施設を辞めていった。

■オルガンを引きずってトイレに

 しかし生理以上に大きなショックを受けるのが、障害者における性の問題である。
 私が介護者として勤めだして間もない頃、自閉症傾向のある男性患者が講堂のオルガンの上でズボンを降ろし、自慰行為にふけっていたのを発見した。私はショックのあまり、「そんなことはトイレでやりなさい」と彼を叱りつけてしまった。しかし彼はオルガンに乗らなければ欲情できない青年だったため、大きなオルガンをトイレまで引きずっていき、自慰行為をした。彼に性欲があることをきちんと認めていたなら、叱りつけることはなかったろうし、オルガンをトイレまで運ばせることにもならなかっただろう。結局、私自身も「障害者は天使だ」との思い込みと、人前では性欲を見せない健常者のルールに縛られていたのだろう。
 性欲も一人で発散しているうちは、さほど深刻な問題にはならない。しかし相手がいる場合は介護者の悩みも深くなっていく。私は施設内で「障害者の性を考える会」を作り、意見を交換したが、必ずしも問題は解決しなかった。例えば、軽度の男性障害者が、重度の男性障害者を自慰行為に使っていた。性欲の吐き出し方は、妊娠などの可能性がなければ、基本的に個人の意志を尊重することになっていたが、重度障害者には自分の意志を明確にできない人もいる。連れていった軽度の障害者を叱って問題は解決するわけではない。軽度の障害者が脅して使っているようにも見えないからだ。性という極めて個人的な問題に、職員はどこまで立ち入るべきなのか、職員によっても意見が分かれた。
 さらに男女の問題になると一層複雑になる。軽度の男性が重度の女性を襲うこともあり、妊娠することもある。障害者が健常者に恋する場合は、ほとんど肉体的な関係には結びつかないが、だからといってドラマのようにうまくいくわけでもない。1人の女性職員に惚れた男性は、彼女に惚れるだけではなく、自分の恋人だと勘違いしてしまった。そのため女性職員を追いかけ回し、彼女自身がノイローゼ気味になってしまった。職員全体で問題の解決にあたったが、結局は彼女が施設を辞めるしか方法をみいだせなかった。また施設の女性が施設外の健常者に強姦される事件も何件か起こった。施設の女性だと知って行為に及んだケースがほとんどだ。ドラマのように障害者が理解ある人々に囲まれていたなら、どんなに楽だっただろう。
 施設を卒業した女性が、性風俗の店で働くことも度々あった。私が親しくしていた女性も、自分が勤めている風俗店から楽しげに電話をかけてきた。工場での単純作業が向かなかった彼女にとって、性風俗店は働きやすい場所だったのだろう。本当に彼女の意志なのか疑問にも感じた。しかし彼女を1人の人間として認め、彼女の意志を尊重する以上、性風俗であろうと反対する理由にはならないだろう。

■障害者は天使ではない

 彼らを「ピュア」だと感じるのは、世間ずれしていない部分だろう。例えばチョコレート1つプレゼントしただけで大喜びしてくれたり、100m先の駄菓子屋に行くことが最高の楽しみになっていたり。しかし、それはピュアなのではない。狭い施設に閉じこめられている環境が影響しているだけ。ではピュアではない彼らに魅力がないか。もちろん違う。付き合っているうちに彼らの障害は個性に見えてくる。問題と思われる行動も楽しめるようになってくる。職員にかまってほしかった男性は、職員が洗う湯飲みにワザと小便をするようになった。洗おうとした瞬間、さすがに腹が立ったが、怒ろうとすると嬉しそうに逃げる彼を見て、いつの間にか怒りも消え、私も楽しくなっていた。
 メディアが障害者を扱うと、障害者は天使のように描かれる。そして障害者の実体を知らない健常者は、障害者が天使のような存在だと思いこんでしまう。障害者のありのまま姿を受け入れられない人達が増えるのは、問題ではないだろうか。幻想を持って障害者に近づいて来た人は幻滅し、障害者を現実以上に汚い存在と感じてしまうだろう。ドラマに障害者が登場することは、プラスの面もあるのだろうが、安易な作り方には反発を感じている。

■■研究者の立場から/ドラマヒットに見る心理

(小田晋……1964年東京医科大学総合法医学施設(犯罪心理学研究所)助手、69年同施設助教授を経て77年より筑波大学社会医学系教授。著書に『文化と精神医学』『人はなぜ、気が狂うのか?』など)

■障害者ドラマが人気を博している秘密は4点ある。

①現に存在する限界状況を描く物語は人の心を打つ
主人公の環境が過酷であるほど視聴者は共感し感動する。日本人が伝統的に好むドラマツルギーは、継母いじめと貧困であり、戦後の一時期は戦争と貧困が頻繁にドラマの主題として登場していたが、戦後50年を経た経済大国日本では現実感を持たない。その点、障害者の主人公は現在もリアリティーを持つ。限界状況を現実的な問題として感じられることが重要だ。

②障害者に対する世の視線はやさしい
ドラマも障害者を肯定的に扱っている。弱者イジメで名を馳せたビートたけしでさえ、障害者を扱った映画に対する姿勢は優しい。誹謗中傷の対象にならない存在がドラマの主人公に適していることは、かつて同様な効果を狙って作られた子役を主人公にしたドラマをみれば明らかだろう。

③視聴者の知的好奇心をくすぐる
医療や福祉などの知識が映画にちりばめられる。視聴者はその知識を受け取ることに満足感を覚える。

④役者にとって最もやりがいのある役の1つが精神障害
映画でも名優が障害者を演じている例は多い。『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソンや、『レナードの朝』のロバート・デ・ニーロ、『レインマン』のダスティン・ホフマンなど数え挙げたらきりがない。役者の変身願望を刺激する役柄なのだ。

■病名設定のない『ピュア』

 海外と比べて現在ヒット中のドラマの演技にはどこか不自然さが残る。それは俳優が、障害者そのものではなく、ドラマや本で作り上げられたイメージを孫引きしているに過ぎないからだ。『ピュア』に至っては主人公の明確な病名設定がないのだから、本来のリアリティの出しようがない。障害者に密着して取材し、直接情報を取ったデ・ニーロとは大きく異なる。
 さらに障害者ドラマの量産は、障害者に対する優しい視線を失わせる。障害者をやさしく見守ることに、視聴者がやがて飽きるからだ。このような状況が障害者をパロディ化させる危険をはらむ。悪しきパロディには前例がある。かつて子どもを主人公に据えた貧困をテーマにしたドラマは善意に満ちていたが、今ではかなり辛辣なものになっている。その分岐点が『じゃりんこチエ』であり、今では「強姦」「中絶」といった実際の生活にはまずあり得ない状況まで、ドラマでは「当然」となっている。障害者ドラマが同様の経緯をたどることは、社会的に決して許されない。十分注意すべきだ。

■■声 -父母の立場から- 山口明

 出産時のミスにより、最重度の脳性マヒになったわが子を持つ親ではあるが、『ピュア』は結構楽しく観ている。もちろん気になる点はある。例えば、和久井映見は可愛すぎる。もし「しこめ」だったらどうなったのかと思うし、演技もコケティッシュな部分を強調しすぎている。障害者の母親が、子供に関わる部分だけで描かれているのも残念に思う。実際の親は、生活するために仕事もしており、子供にかかりっきりではない。いわゆる普通の生活が営まれている。
 しかし、子供が親から自立していく課程を自然に描いている点は評価できるだろう。障害者が、テレビ画面を通して認識されていくのは、悲しむべきことではないと思う。

■■-ドキュメンタリーの立場から-

(伊勢真一……映画・『奈緒ちゃん』の監督。主人公の奈緒さんは、姪にあたる。演出家としてヒューマンドキュメンタリー
中心に活躍している。主な作品に『光に向かって走れ-盲人野球の記録』『新世界紀行-ガンジス大紀行-』などがある。)

■映画にノーマライゼーションを

■現象の入り口

 1983年1月にクランクインした『奈緒ちゃん』は、95年春に完成した。12年の歳月と、100時間以上のフィルムが費やされた作品だ。私が撮影を終え作品としてまとめたのは、てんかんと知的障害を持つ西村奈緒さんが成人を迎えたためで、現在の障害者ドラマのブームとは関係ない。
 テレビドラマの主人公に障害者が使われているのは、ハリウッド映画の『レインマン』や『フォレスト・ガンプ』の影響が大きいと思う。障害者を主人公に据えることは悪い話ではないし、批判も受けにくい。流行に左右されやすい日本のマスメディアが真似したことも理解できる。
 メディアは目先の変わるものを企画として次々と取り上げていく。昨年は戦後50年が取り上げられた。今年は福祉、来年は老人かもしれない。だからといって、障害者ドラマのブームを批判する気にはならない。現象の入り口とみれば、テレビドラマも評価すべきだ。
『奈緒ちゃん』とテレビドラマの制作期間の点から比べる場合もあるが、作品の質と制作期間は関わりはない。またドキュメンタリーが、テレビドラマと比べて清廉潔白と言われることもあるが、それも見当違いだ。ドラマもドキュメンタリーも作品の質によって評価すべきだ。

■劇的な場面ばかりを強調

 障害者を映像で扱うことを考えると、テレビドラマ同様に記録映画や社会派ドラマにも問題があるように思う。いたずらに劇的な場面ばかりを強調しすぎる傾向もあるのではないか。ビックリする映像で、眼を引こうというあざといテクニックだ。初めに撮影する姿が決まっている予定調和のドキュメンタリーも、かなり多く存在する。制作者が決めた筋書き通りに言葉を引き出していくことは、そんなに難しいことではない。
 私が『奈緒ちゃん』撮影する際に、発作の場面を一切撮らないと決めいていた。そして、いわゆる福祉だけを強調せず、奈緒さんと家族を中心に人間関係に重きを置いて作ったのも、記録映画・福祉映画の枠組みを『奈緒ちゃん』で壊したかったからだ。初めに撮りたい画像や概念があり、それに合わせてショッキングな映像を取り入れていくのは、映像に力が出る反面、特定の視聴者にだけ訴える映像になってしまう。
 障害者を扱ったドキュメンタリーが批判されないことも問題だ。障害者を扱うことで、作品は50点の下駄を履かせてもらったようなものだ。特に大新聞は批判しない。批評家は現代社会の問題点が描かれるだけで良しとする。問題点を絞らないために、社会の問題点だけが列挙される映画さえある。結局、仲間内だけ盛り上がることになる。

■美化とマイナス面と

 障害者を映像で表現するために必要なのは何か。1つは人間をしっかりと見ることだ。じっくりコミュニケーションをとることだろう。具体的にはナレーションやインタビューに頼り過ぎず、激しいアクションだけを狙わないことだ。テレビドラマだろうとドキュメンタリー映画だろうと違いはない。理屈や概念から作品を作れば、不自然で質の落ちた作品になってしまう。
 視聴者にプラスカードを引かせることも重要だと私は思う。目を背けたくなる現実だけではなく、共感できる部分を映像で見せることだろう。『奈緒ちゃん』を見終わった観客のアンケートに、「勇気づけられた」「悩みが解消した」との意見が多い。彼らの悩みは、決して奈緒さんとは同じではない。しかし共感が悩みを癒し、勇気を与えるのだろう。このような感想が、私自身を元気づけた。
 そして最も大事なのは、障害者を扱った作品を特別視しないことだ。作品が批判の対象にならなければ、良い作品は生まれない。映像のノーマライゼーションが必要だろう。
 テレビドラマのように障害者を多少美化した演出は、障害者の内情を知っている人にとって不満だろう。障害者を映像で扱うことは難しい。しかし、作品がしっかりと批評されれば、少しでもよい形が出来上がってくるだろう。(談)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

障害者ドラマを徹底批判する!(上)

■月刊『記録』97年3月号掲載記事

■■■「障害者ドラマ」徹底批判!(上)

■■■センセーショナリズムに突き動かされるドラマ

     *    *    *

(■稲増龍夫……1952年4月、東京生まれ。73年に東京大学大学院社会研究科・修士課程修了。著書に『アイドル工学』『フリッパーズ・テレビ-TV文化の近未来』などがある。)
 
■ドラマのタブーを破り続けた

 90年代前半からドラマブームが起こり、バブル期に合わせた恋愛ドラマが数多く作られた。しかしありきたりの男女によって描かれたドラマでは、視聴者が満足せず、視聴率も取れなくなってきたため、レイプやレズなどドラマのタブーを破り続けてきた。その延長線上に、現在の障害者ドラマブームがある。
 障害者ドラマブームの起源について、一般的には『星の金貨』と言われているようだが、私は『ひとつ屋根の下』だと思っている。いくつものタブーを破ってきた野島伸司は、このドラマで障害者を主人公として登場させた。その後、『星の金貨』『愛してると言ってくれ』と続いた聴覚障害者を主人公にしたドラマが手話ブームを巻き起こしたことは有名だ。この障害者ブームに拍車をかけたのが、ハリウッド映画『フォレスト・ガンプ』だった。現在、放送されている『ピュア』『オンリー・ユー 愛されて』が同じように知的障害者を主人公に据えたのも、『フォレスト・ガンプ』がヒットしたからだろう。
 ドラマは本質的にセンセーショナリズムを合わせ持っている。売らんがために、作り手は今までにない設定を考える。もちろん、現実に即したドラマ作りとはいえないが、そうしなければ視聴率は稼げないだろう。作り手に差別意識はないのだろうが、ある種の見せ物的要素がないとはいえないだろう。

■ポジティブなレトリック

 ドラマにおける障害者の扱いを、日本とアメリカで比べた時、作り手の姿勢の違いは更にはっきりする。88年のアカデミー主演男優賞を受賞した『レインマン』のダスティン・ホフマン、昨年のアカデミー主演男優賞を受賞した『フォレスト・ガンプ』のトム・ハンクスは、精神障害者の役をリアリティーを失わずに演じ切った。2人とも個性派俳優だからこそだろう。一方で、日本のテレビドラマの主人公は、『未成年』の香取慎吾、『ピュア』の和久井映見、『オンリー・ユー 愛されて』の大沢たかおなど、カッコイイから、そしてカワイイから許されるポジティブなレトリックが働いている。そのため、ますます現実から離れていってしまう。
 障害者がステレオタイプに描かれているのも、日本のドラマの特徴だ。一方がポジティブな面だけを持つ人格、一方はネガティブな面だけを持つ猟奇的な人格だ。この両極端の人格は、表裏一体だ。実情を知らない作り手と視聴者は、プラスイメージとマイナスイメージに障害者を拡大していった。今後も両極のイメージが強まっていくと危険だろう。障害者に対するイメージが1人歩きしかねない。
 さらに視聴者の立場から障害者の立場から障害者ドラマを分析すると、ある種の優越感とある種の負い目を視聴者が持っていると推測される。障害者に対する無意識の優越感を全く否定することはできない。しかし視聴者の心をより多く捕らえるのは、日常生活で障害者に差別的な態度をとってしまう現実に対する負い目だろう。そのため障害者と対等に接するドラマの登場人物に、視聴者は共感を持つ。しかし、障害者ブームにはプラス面も多い。手話ブームにより、手話を交わすことが以前ほど特別視されなくなったこともあるだろう。障害者がステレオタイプに描かれているとはいえ、視聴者に障害者の存在を知らせることには成功していることを考えると、ドラマは一定の役割を果たしてきたといえる。現在は、送り手も視聴者も障害者のドラマをどう扱っていいのかがわかっていない。その意味で、障害者ドラマは始まったばかりだ。今後は日常生活に密着した部分も、ドラマとして取り上げていくべきだろう。

■■■知的障害者の立場から/障害者への無関心を助長させるドラマ

(■北島行徳……1965年6月東京生まれ。91年4月に障害者プロレス団体「ドッグレッグス」を旗揚げ、代表をつとめる)

■ドラマは後退している

 たとえ障害者が題材でなくても、いま流行っているドラマにリアリティなんかない。だから、「あんなかわいい(カッコイイ)障害者がいるわけない」とか「障害者の置かれている現実はあんなもんじゃない」というのは限りなく不毛に近い。テレビの世界は視聴率が全て。どんな内容であれ1人でも多くの人に見てもらえれば勝ちなのだ。視聴者だってテレビドラマに期待なんかしていない。面白くなければ、すぐにチャンネルを変えればいい。結局、テレビドラマなんてその程度のものなのだ。
 そんなことは百も承知だが、それでも我慢ならないことがある。それは、障害者を題材にするなら、もっと他に作りようがあるだろうという不満だ。昨年から障害者が主人公のドラマがたて続けに放送されている。しかし、障害者は皆、健常者社会の中で普通に生きているように描かれ、主人公以外には障害者がまったく登場しない。そこに障害者を主人公にする必要が感じられない。ハンディを克服し、一生懸命に生きる障害者と周囲の温かい支えを描いた一昔前のテレビドラマも問題だったが、今の描き方その頃より進歩どころか後退しているように思える。

■取材をしない脚本作り

 いまだに多くの健常者は、できれば障害者と関係をもたずに生活したいと思っている。そんな中、自立した障害者が健常者と恋愛をするストーリーは、どんな効果を生み出すのか。私には障害者に対する無関心をさらに増長させるとしか思えない。テレビが視聴率を重視するように、私達ドッグレッグスも基本的には観客動員を重視している。興行に観客が集まらなければ、赤字という実害が出るからだ。しかし、それ以上に、私達はメッセージを観客に伝えたいという強い気持ちを持っている。それこそが、障害者を題材とする意味ではないか。メッセージもないまま、障害者を題材にする作り手は意識が低いと言わざるを得ない。
 聴覚障害者を主人公にしたテレビドラマ『愛していると言ってくれ』を書いた脚本家のインタビュー記事を読んだ。なんでも、この脚本家は自分の感覚を大事にするために、取材をしないで脚本を書くらしい。さらに、聴覚障害者のネタは、テレビで手話のニュースを見て、手の動きの美しさに閃いたのだという。あまりにも安直な発想とお手軽な創作姿勢に驚いてしまった。しかし、こんなミーハー感覚が若い女性層にウケて、結果的には高視聴率を記録。このドラマをきっかけに、ちょっとした手話ブームが起きた。手話の本がベストセラーのランキングに突如として顔を出し、手話講習会には定員の何倍もの参加者が押しかけた。私の周りにもそんな人達がいたが、なぜ手話を習うのかと聞くと大抵「手の動きがきれいだから」という答えが返ってきた。
 だが、発音がきれいだからと言う理由だけで、外国語を習う人はいないだろう。外国人と話すための外国語であるように、手話は聴覚障害者と話すための手段だというのに……。

■プラスだけを積み重ねるドラマ
 知的障害者を主人公にした『ピュア』も同様な制作姿勢だ。トンチンカンな受け答えで知的な遅れを演出しているが、これが『愛していると言ってくれ』の手話にあてはまる。障害者のイメージをある点にだけ集約し、後は外見も内面も健常者と同じ設定で、健常者同士の付き合いのように人間関係を描く。そのため、ドラマ中の困難や波乱は大抵が恋愛のトラブルだ。障害者と付き合うこと自体はマイナスではなくプラスだけを積み重ねていくことのようにドラマは進んでいく。
 しかし、ドッグレッグスの障害者レスラーであるサンボ慎太郎や欲獣マグナム浪貝との付き合いは私にとってマイナスの連続だった。どうでもいい用件で毎日かかってくる電話、悩みごとがあれば人の職場に愚痴をこぼしに現れ、酒を飲んでは暴れ、借金をつくっては貸した相手に私が謝らなければならない。自分の生活を滅茶苦茶にされて、何度、関係を断ち切ろうと思ったことか。しかし、あまりにもマイナスが積み重なってくると、突然これがプラスに変わってしまう。まさに、マイナスとマイナスをかけたらプラスになるように。私は彼等に日常を破壊されたお陰で、新しい価値観や生き方を教わった。障害者プロレスもそんな付き合いの中から生まれたものだし。今では彼らがいなくなったら、なんてつまらない人生になってしまうんだろうとさえ思っている。
 恋愛1つとっても、現実の方がドラマに及ばないほどドラマチックだ。浪貝は、伝言ダイヤルで知り合った心の病を持った
女の子を、その日のうちに母親に紹介し、結婚を迫った。浪貝は純愛を育もうとしたが、彼女は浪貝の体が目当てで、二人は肉欲に溺れていった。デビューしたばかりの障害者レスラー「愛人(ラ・マン)」は、自立ホームで生活していたときに職員だった健常者の女性を口説き、付き合うようになった。それがばれてしまい2人で施設を出て、同棲した。その女性が「愛人」と暮らすことを家族に告げると、父親は「どんな会社でも、どんな学校でもチビでもデブでもいいから健常者にしてくれ」と語った。現在、重度の障害者ある「愛人」の介助は彼女が行い、2人で生活している。
 こんな現実の中にいる私だから、今の障害者が主人公のドラマなんか少しも面白いと思えないのである。

■■■ろうあ者の立場から/TVドラマ発「手話ブーム」は現実を変えなかった

(■大槻芳子……1942年、新潟生まれ。60年に新潟県立新潟ろう学校を卒業。79年財団法人全日本ろうあ連盟評議員を経て、80年より10年間ろうあ者相談員として横浜市役所に勤務する。)

■ロケ地確認の電話殺到

 『星の金貨』(日本テレビ)と『愛してると言ってくれ』(フジテレビ)の2つのドラマで、手話ブームが到来したかのように新聞・雑誌で報じられましたが、実際に手話の本が売れたのは番組が放映された昨年の7~9月の3ヶ月間位で、市販ものは10月に入るとガクンと売り上げが落ちました。また今年に入って手話サークルに加入した人数を確かめてみても、昨年と大きな変化はありません。若干増えている程度ではないでしょうか。一過性の現象だったように思います。この事務所にドラマのロケ地に関する問い合わせが多数かかってくるほどドラマはヒットしたようですが、振り返ってみると現実には大きな変化はありませんでした。
 手話ブームについても、単にドラマの影響だけでなくプラスアルファの要素もあったと思います。第1に、阪神大震災が起こり若い人達のボランティアに対する関心が高まった事。第2に、コンピュータの普及などで間接的なコミュニケーションに埋没していた人々には、直接のコミュニケーション手段である手話が魅力的に見えた事。しかしブームも終わりを告げました。手話が広まるには広まったが、手話を覚えるために勉強するかしないかは本人次第といったところでしょう。

■ろうあ者にわからないストーリー

 実は『星の金貨』のディレクターは、シナリオを持ってこちらの事務所に意見を聞きに来ています。内容について問題はなかったわけではありませんが、放送1回目に耳の聞こえない人からの抗議がテレビ局に殺到したようです。画面に主人公の会話しか字幕がつかなかったことが原因でした。耳の聞こえない人を主人公にしているのに、肝心のろうあ者がドラマを観れないのです。ディレクターが、2回目から全てのせりふ字幕を入れるべく徹夜を続けて働きかけてくれたからよかったものの、、もし彼の努力がなければ2週目から完全な字幕が入ることはなかったでしょう。しかし確かなことは、番組制作者の頭に耳の聞こえない人の存在が入っていなかったことです。主人公に据えていながらです。

■伝わらない手話を番組で

『愛してると言ってくれ』にも、おかしな点がいくつかあります。まず、ろうあ者の周りにいる人が優しすぎました。ドラマだから当たり前なのでしょうが、あれだけよい人が多ければ苦労はないでしょう。
 さらに豊川悦司が一切口を開かないことは不自然です。普通、手話での会話は、音を発しなくとも口は動かします。手の動きだけではコミュニケーションが取れません。まして豊川悦司の設定は、10歳で耳が聞こえなくなったことになっています。私も6歳で耳が聞こえなくなりましたが、ゆっくり話せば発音にあまり問題はありません。演出上、口を動かさなかったのでしょう。それは最後に豊川悦司が一言話すのを強調しました。
 もう1つ気に掛かったのは、手の動きの少なさです。あんなに少ない手の動きでは、意志を伝えられません。手話はもっと生々しいコミュニケーション手段です。演出上、手の動きをわざと少なくしたのでしょうか?
 さらに手話ブームを追って取材をかけてきた新聞・雑誌にも驚かされました。「手話ブームをどう思うのか」「手話の本の売れ行きはどうなのか」といった質問を、手話サークルの人達にもしていました。手話サークルに通っている人は、耳の聞こえる人です。手話ブームについて本当に語れるのは、実際に耳の聞こえない人でしょう。取材する人も、ろうあ者についての知識を持たぬまま取材に来ています。これも問題ではないでしょうか。

■手話通訳士たった700人の現実

 私達が発行している『わたしたちの手話』は、初版が1969年です。厚生省へ手話通訳養成の働きかけを始めたのは、40年以上も前の話です。今から30年ほど前は、路上で手話を話すことも大変勇気のいることでしたが、耳の聞こえない人自身が、手話サークルを作り手話を広めていきました。全日本ろうあ連盟は、自治体に対する運動として各地で活動し、時々にイベントを開催し手話の普及活動に力を入れてきました。そのような積み重ねで、ここ10年は外で手話を交わすことも自然にできるようになったのです。
 しかし手話通訳士の人口はまだまだ足りません。4千人必要だと言われている手話通訳士が、現在700人。さらに手話通訳士に必要とされるのは、技術だけではありません。手話通訳士が音声に変換した言葉は、耳の聞こえない人にはチェックできないため、ろうあ者そのものについても学び、信頼関係を築かなければいけないのです。好奇心・やる気・熱意の3拍子揃わなければ、なかなか手話通訳士になれないのが実情です。
 最初はトヨエツさんに憧れて手話を始めてもいい。学び続ける熱意を持ってほしい。
 ブームが終わったからといって私達の活動が変わるわけではありません。問題は山積みしています。聾学校では現在でも手話がのぞかれ、声を出して話をし、唇を読んで会話をするように教育されています。文字放送も全国で受信できるわけではありません。私達全日本ろうあ連盟は、このような問題のあふれた現実の変革を求め、完全参加と平等の現実に努力しているのです。(■「下」につづく)

| | コメント (1) | トラックバック (1)

ユダヤ教は世界征服を狙っているのか?/日本ユダヤ教団 アーネスト・サラモン理事長と宇野正美氏に聞く

■月刊『記録』95年8月号掲載記事

■ユダヤ世界征服は冒険活劇/日本ユダヤ教団 アーネスト・サラモン理事長に聞く

■他の民族と同じ
------ユダヤ人の陰謀説が書かれている本がずいぶんと出版されているようですね。

 日本で出回っているユダヤ人陰謀説の本は、まるで冒険ものだ。ものによっては、侵略に来た火星人がユダヤ人に化けている話まで載っている。全くお話にならない。オウム心理教も、ユダヤ人が世界を支配しているかのような言動で終末思想を煽っていたようだが、これもセンセーショナルな話題を狙ったものだろう。

------ユダヤ人に対する迫害としての危機感はありますか?

 ユダヤ人陰謀説の本が売れているといっても、日本国民の1%も読んでいない。まして内容を信じる人は、読者の1%未満だろう。陰謀説が一人歩きする心配はしていないし、危機感もない。読む側も冒険ものとして読んでいるのだろう。

------ユダヤ陰謀説は、ユダヤ人が一枚岩のように書かれていますか。
 確かにユダヤ人は世界各国に散らばっており、宗教的には国を越えたつき合いがある。例えば、私達は旅行で訪ねた地方のユダヤ教徒と共に祈り、共に宗教的儀式をとり行うことができる。しかし、ユダヤ教を信仰しているといっても、生活している場所によって言葉は違う。ユダヤ人が世界を支配するために密接に連絡を取り合っているような誤解もあるようだが、言語の壁がある。またビジネスにおいては、ユダヤ人なのかそうでないのか分からない。それは、カトリックでもプロテスタントでも同じだろう。例えば、米国の銀行にもユダヤ人はいる。しかし、互いに同じ民族だということで協力することはない。銀行同士が張り合っており、銀行マンも競争をしている。取材もせずにでたらめを書かれる。

------日本でユダヤ人陰謀説が広がり始めたのはいつ頃ですか?

 そもそも、ユダヤ人と日本人は、第二次世界大戦中でも敵対関係になかった。あらぬ噂が広がり始めたのは、およそ10年ほど前に、宇野正美氏が興味本位にユダヤ人のことを書き始めたことに始まる。日本ユダヤ教団は、宇野氏に取材を受けたことはない。
 さらに日本語をきちんと話せるユダヤ人を教団で用意したにも関わらず、宇野氏から、「会う時間もなく、興味もない」といわれた。当事者に取材をしないでどこからネタを仕入れているのか疑問だ。宇野氏と同様に、陰謀説を扱った本の著者からの取材申し込みは全くない。もちろんオウム真理教が取材に来たこともない。

------このような状況を、増長させたものは何ですか?

 日本では出版社の大小に限らず、金儲けのためなら本の内容の善し悪しを抜きにして出版する傾向がある。米国の大きな出版社は、会社の権威を落とさないために、悪い内容の本を発行しない。そのため、書店に行って出版物を見れば、内容がどれだけ信用に足るものかが分かる。日本との大きな違いだろう。
 出版社だけでなく宇野氏をはじめとした著者も、金目当てで出版しているのは間違いないだろう。宇野氏などは、著作で儲けた金をイスラエルにせっせと寄付している。よく分からない行動だ。一方で、阪神大震災はイスラエルからのミサイル攻撃によるものだと講演会で話している。そのためかどうかは知らないが、講演後は商工会議所の使用を断られている。450人ほどの観客がいたそうだが、さすがに信じた人はいないだろう。

------オウム真理教事件でも、ユダヤ人の名前がささやかれましたね。

 サリンが騒がれた時、サリン製造の裏にユダヤ人がいると言った人もいたようだ。何か事件があるたびに、あるぬ噂を立てられる。ユダヤ人をスーパーマンだと考えている人がいるようだ。もっとも、私達は世界を制服したくもないし、スーパーマンになりたくもない。第一、たった2000万人未満のユダヤ人がどうやって世界を支配できるのか?

インタビュー中、宇野正美氏の名が登場したため、公正を期すべく氏の言い分を要約して併記する。

■日本ユダヤ教団への取材について
 
 取材をしていないことは事実だが、米国にいるさまざまな立場のユダヤ人の友人らから限りなく取材できる。
  
日本語をきちんと話せるユダヤ人を教団で用意したにも関わらず、取材を拒否したことについて
 
 そのような連絡を受けたことは一度もない。『週刊文春』で日本語のできるユダヤ人であるデーブ・スペクター氏と対談し、掲載されたことはある。すべて裏付けのあることだ。

■イスラエルへの寄付について

 私が『ユダヤが解ると世界が見えてくる』などを執筆した当時は限りなく親ユダヤであり、苦境にもめげずに頑張るユダヤ人の心を書き続け、日本人もそこに学ぶべしとした。ところが、全く日本語を知らない『ニューヨーク・タイムズ』のへーバーマン記者が誰かから聞いた部分訳だけを頼りに私を反ユダヤと騒ぎ立てた。ベギン元イスラエル首相らと親しく、イスラエルに30回以上も訪問していた私が反ユダヤであるはずはなく、イスラエルにいる多くのユダヤ人の友人達に寄付し続けたことは何等矛盾しない。

阪神大震災はイスラエルからのミサイル攻撃によるものだと講演したことについて
 
 全くそのような事実はない。私の講演はすべて記録と録音が証拠として残っている。※この件についてアーネスト・サロモン氏は、「日本ユダヤ協会と親しい2人の日本人が宇野氏の講演会に出席して、イスラエルの、ミサイルが阪神大震災を引き起こしたとの説明を聴いている。1人は講演中テープを回していたが、宇野氏の関係者に力づくで奪われた上、2人とも強制的に会場から追い出された。以後、宇野氏の講演への入場を断られている。宇野氏に何も隠すことがないなら、なぜ入場を拒否するのだろうか」としている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クソの役にも立たないコンビニエンスストア

■月刊『記録』97年4月号掲載記事

■ひたすら回った五一件

 コンビニエンスストアでトイレを借りるのは勇気がいる。特に女性は恥を忍んで頼んでいるものだ。ところが店によっては、その必死な申し入れを簡単に断ってくる。「我慢しろ」と言われても我慢できないのが便意。近くに公衆便所がないからお願いしているのに、いったいどうすればいいんだ。
 というわけで調べてきました。特に「貸してくれない」という恨みの声が満ちあふれる都心を対象に、暑さ和らぐ夜中にスクーターを走らせて五一件。ひたすらトイレを貸してくれるようにお願いした。元来弱気のため、トイレを借りたら商品を買わなければいけない強迫観念にさいなまれ、取材が終わったころにはスクーターの籠がガムやジュースで一杯という有様だったが、臭いトイレでしっかりとメモだけは取ってきた。
 コンビニエンスストアごとのトイレ貸し出し成績は表1の通りだが、注目すべきはローソンだろう。なんと一件も断らない。ローソンの広報部は、「今年の一月一日からステッカーなどを張り、お客様がトイレをご利用しやすいようにキャンペーンを張っております。現在、ほぼ全店でおトイレをお貸しできるようになっています。
 他のコンビニエンスストアでは、トイレは使えるのか使えないのかわからないうえに、使用を断られるケースもありますから、他者との差別化をはかるのが狙いです」と語っている。確かに便所の入り口には「トイレ美化宣言」と書かれたステッカーが目立つように張られている。これならばトイレも借りやすい。「お客様からも好評です」という広報部のコメントもうなずける。
 一方、ローソンのような差別化など必要ないと語ったのは、セブン-イレブン・ジャパン広報だった。
「当社の店舗は、以前から従業員の控え室や倉庫になっているバックルームを通らなくとも、売り場から直接トイレに行ける設計になっております。ですから他のチェーン店のようにトイレが借りられると明言しなくとも、従業員に一言お断りしていただければいつでもお貸しできます」
 しかし実際には35・7%も断られた。そのうえ「すみません。いま便所がないんです」と訳のわからない断られ方をされた店や、近くの公衆便所を教えられたものの便所がみつからなかったケースもありと、結果はそれほど誇れるものではない。
 この実状に関しては、日本一の企業と評判の高いセブン-イレブン・ジャパンも「どうしたんでしょうかね…。店舗によって色々な事情があるのかもしれませんね」と困惑顔。どんなに設計に気を付けても、トイレを貸さない店主もいるということだ。ただの広報の対応も含めて、今後の改善が期待できる雰囲気ではある。さすがは最大手。

■本部はトイレ使用を推奨

 あまり知られていないことだが、先述したセブン-イレブンやローソンのみならず、ほとんどの大手コンビニエンスストアはトイレの貸し出しを推奨している。
「古い店舗は商品倉庫や従業員室とつながっているために、お貸しできない場合も多かったのですが、新店舗は店内から直接お手洗いに行けるように工夫し、なるべくお客様のご要望にお応えするようにしています」(サンクス)
「基本的にはお貸ししています。店員に声をかけてください。ただ店舗設計の都合上、どうしてもお貸しできない場合もあるんですよ」(ファミリーマート)
「本部として、積極的にトイレをお貸しするように、オーナーさんにお話ししています。防犯上の問題がある場合は別ですが」(ミニストップ)
 今回調べたなかで唯一トイレの貸し出しに積極的になっていないエーエム・ピーエムでさえ、「都内などは店のつくりも小さく、構造上お貸しできない店舗もありますから店の自由に任せています」と語り、断るケースとして、店舗設計など解消できない問題を念頭に置いていることを明言した。
 つまりコンビニエンスストアのトイレは、基本的に借りられるのである。ところが三一・四%の店舗では断られている。本当に防犯上の問題なのだろうか。
 ミニストップ大島一丁目店は、便所に向かう通路の壁にビール缶の入った段ボール箱が積み上がっている。くすねようと思えば簡単のできる環境だ。さらに便所では、店の床を洗う大型のクリーナーとビール瓶のケースが陣取っていた。いたずらをする品物には事欠かないといった状況なのだ。商品の盗難が可能な物置と化したトイレ。店にとっては最悪の条件だろうが、この店舗は気持ちよくトイレを貸してくれた。
 九段三丁目にあるエーエム・ピーエムは、トイレの壁面には、商品と思われるビニールガサが三〇本以上に並んでいる。雨の日しか店頭に並べないため狭い店舗には置けないのだろう。かなり異様な光景であり、この店でカサだけは買いたくないと感じたが、この状況でもトイレを貸してくれる店自体には好感をもった。
 このように今回トイレを貸してくれた店舗のなかには、トイレ周辺に商品が積み上がっていたところもあった。店主の度量次第では、どこでもトイレは貸せるのである。

■小便以外はお断り

 新宿区原町三丁目にあるミニストップは、五一店舗のなかで最も度量が狭い店であった。「おトイレを貸してください」という申し出に、「便所だけ?それならウチは公衆便所じゃないから、断るんだけどね」と、こちらを一べつ。品物を買う旨を伝えるとトイレのドアを指した。やれやれと思ってトイレに入ろうとして、さらに驚かされた。「御利用する方は、従業員までお申し出下さい。但し、小用以外のご使用をお断りいたします」と書かれているではないか。しかも「小用」が赤字になっている。このトイレでは、絶対に大便はさせないぞという店主の強い意志が、手書きの文字からしっかりと伝わってくるようだ。もちろん便所内も徹底している。トイレットペーパーが置いていない。これでは大便はもちろん、女性の使用も断っているようなものである。
 そもそも店内に食べる場所が確保されているのが、ミニストップのウリとなっている。店内で食事ができて、トイレだけは使えないというのか。野暮な例えは承知でいわせてもらおう。カネ払って入れるのは歓迎、ただで出すのはお断りってことか。
 このような状況に対して本部の広報は、「いったいどうして、大便だけがダメなんでしょうかね。それが不思議です。たしか私が訪ねた一年半前には、『ご使用の際は従業員にお断りください』という張り紙だけがあって、お客さんの自由に使ってもらいましょうなんて、オーナーさんと話したのですがね。オーナーもいい人なんですよ。それなりの理由があるとは思いますが……」と店を弁護していた。では本社のいうことを聞かない「関東軍独走」なのか。どうして大便だけができないのか、改めて店長に取材してみた。
「昔は、すべての人に貸していたんですよ。ところが店が公衆便所のようになってしまったんです。朝、サラリーマンが便所だけを使い、何も買わずに出勤していく。しかもマナーが悪い。床に大便を転がしていくんですよ。アルバイトと私がいくら掃除をしても間に合いません。
 もちろん防犯上の問題もありました。暴走族が溜まり、便所でたばこを吸ったりするのです。そうなると若いアルバイトでは手に負えませんから、私が一日中詰めて対応していたものです。
 そんなこんなで、現在は大便での使用はお断りしています。特にウチのお店のトイレが頻繁に使われるような立地条件でもありませんので、お客さんの質の問題なんでしょうけれども寝ね」
 ところが、このミニストップから八〇〇メートルほど離れたローソンの見解は全く違う。
「ここらへんは子供さんのいない地域ですから、暴走族はいませんし、そんな怖いと思ったこともありません。また、あまりにも挙動不審な人には、トイレの貸し出しもお断りしています。本当に危なければすぐに一一〇番通報するよう、アルバイトの子にも指導していますしね。特にマナーの悪い人もみかけません」
 この証言のどちらも正しいとすれば、この地域の客はローソンで見せた紳士の仮面をミニストップで脱ぎ捨てて悪党になるということらしい。むろんそんなはずはない。第一、そんなに客が信じられないのだったら撤退すればよかろう。取材を通して断言できるのだが、ミニストップの問題は客の質ではなく店員の質にあるのだ。便所の張り紙や、店主のイヤミだけではない。カップラーメンだけを食べる客にはテーブルとイスを貸さないと宣言した張り紙さえある。
 「いらっしゃいませ。金だけ払ってさっさと出ていってください。この悪党ども」という底意地が透けて見えれば、おとなしい客だって「バカにするな」とマナーの一つも悪くなろう。
 だいたい、床に転がった大便を喜んで掃除するのが商売のイロハではないか。私事で恐縮だが、『記録』編集部には朝に夜に読者と称するさまざまな人からわけのわからない電話がかかってくる。酔った勢いで何をいっているかわからん人もいる。それでも編集部は読者である証拠もない相手に付き合う。別に威張っているつもりはない。世間に何らかの提案をした企業の大半は同様に、当然負うべき責務と考えていることである。ましてミニストップは「食べさせている」のである。「便所だけを使うサラリーマン」の裏には「食べて便意を催したが我慢して去っていった客」がいるという当たり前の想像力すら働かないのか。飲食店が当然提供するべきサービスを断るミニストップは反社会的存在といっても過言ではない。

■使用者の責任できれいに

 じつはこの店に限らず、高圧的な張り紙でトイレの使用を制限している店舗は少なくない。
 内神田にあるファミリーマートには、「当店では警察の指導により、トイレの御利用をお断りしております」と印刷されたプレートが、トイレの入り口に掲げられている。近所のコンビニエンスストアは警察からの指導もないらしく、トイレも貸してもらえたが、やはりこの店だけ治安が悪いのだろうか。
 神田淡路町のエーエム・ピーエムの張り紙も変わっている。トイレに通じる扉には「立入禁止 従業員専用の更衣室です」と書かれた紙が張られ、トイレには「無断使用の場合、身体検査をさせてもらうこともありますので、ご了承ください」と書かれている。実はトイレなんか貸したくないんだよという店主のぼやきが聞こえてきそうである。
「お客様のトイレ使用は禁止しています。やむを得ず使用する場合は、必ず従業員に申し出ください。また、汚した場合は、使用者の責任できれいにし、使用後は必ず消灯してください」
 これはミニストップ扇橋店のトイレに張られていたものだ。「使用者の責任できれいにし」とより大きな文字で書いてあるのが泣かせる。とにかく便所を汚されるのはイヤなのだ。
 トイレの使用を断る本当の理由は、やはりこんなところにあるのではなかろうか。使うほうが汚すからと言われればそれまでだが、やはり必死に便所を探す者の思いを、「トイレはない」の一言で断るのは接客業としては問題があるまいか。トイレも貸してくれないほど度量の狭い店など、お客様相手の店舗である資格はない。(本誌編集部)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サッチー報道についてのそれぞれの言い分

■月刊『記録』99年9月号掲載記事

■■■メディアは「当事者」になってはいけない サンデー毎日編集部

■過熱する「サッチー報道について」

 まさに「過熱」ということが問題だ。火をつけ、あおったのはテレビのワイドショーだが、当初のように、「約束の時間に遅れた」「醜いと言われた」だのの次元にとどまっていれば、芸能界のゴシップとして許される範囲であったと思う。また、この時点で、野村沙知代さんがテレビに登場して反論していれば、あるいはここまで長続きすることもなかっただろう。しかし、野村さんが黙っていても、視聴率が稼げるものだから次第にヒートアップしてゆく。もとより視聴率は時代、あるいは社会の反映であるから、重要視することを否定はしない。が、遺産相続訴訟の相手方の実弟を登場させて「姉は米兵相手の商売女」としゃべらせたり、コメンテーターに「刑事事件になればいい」と言わせるのは明らかに行き過ぎであり、テレビが論争の一方の当事者になったといっていいだろう。線引きが難しいことは承知しているが、メディアは「当事者」になってはいけない。
「野村沙知代」が表すもの

 野村沙知代さんは、言ってみれば「最後の闇」を利用して一人で生きていく術を身につけた女性である。かつて、こういう女性はうしろ指をさされるだけだった。が、テレビを中心とするメディアに登場して目立ち出すと(チヤホヤしたのはあくまでもメディアの側であるが)、カンにさわり始める。しかも、その取り上げられ方が、どうやら新しい生き方としてクローズアップされる「自己実現」というものを体現している女性としてである。
 これは、旧来の価値観に基づいてじっと我慢を重ねてきた人達、それが美徳だと思ってきた人達にとって心穏やかではない。今、日本は、自分達の築いてきた戦後というものの意味を問われ、グローバルスタンダードという名のアメリカンスタンダードの波に洗われている。そうした不安感が実は「野村沙知代」という形で表れているのではないか。その意味で非常に今日的な問題であると思う。

テレビは「清濁あわせ飲む」メディア フジテレビジョン広報部

■「サッチー報道」の扱いについて

 野村沙知代さんの報道に対する当局の基本的なスタンスは、節度をもって扱うということです。当初、この事件は、二~三日で報道が終わるものだと思っていました。もちろん、その小さな事件に広がりを持たせたのが、テレビ・ラジオ・週刊誌・新聞などのメディアだという問題はありますが、現在も私どもは大きな事件だと考えておりません。
 だから野村沙知代さんに対する報道を、他局ほど流していないのです。例えば記録的な大雨となった六月末、当局のワイドショー番組は、野村さんの問題を一切取り上げていません。他局は違ったようですが。
 ただそうはいっても、この問題に対する視聴者の関心は高い。それは事実です。あの年代のタレントが正面きって文句をいうことは今までなかったので、話題性もあります。テレビ局として、全く無視するわけにはいきません。
 そこで一方的な報道にならないよう、常に注意を払って番組を作っています。

■報道の姿勢が大事

 例えば野村さんを批判した本が出版された時、当局は本が出版されたことは報じましたが、本の内容まで言及しませんでした。内容に立ち入れば、当然、一方的な報道になりますので。また、野村さんが借りたまま返さないと一部で報道された花瓶についても、野村さんのコメントも取り、双方の言い分を放送するようにしました。もちろん新事実がないのに、ワイドショー的な手法で話を引っ張り、報道を続けるようなこともしていません。
 視聴者が面白いものをテレビで見たいと考える。それは批判できないと思います。そもそもテレビというのは、全ての要素が入っているものです。「清濁あわせ飲む」メディアですから。日常をそのまま含んだメディアといえるかもしれません。
 もちろん野村さんへの報道も、そういった側面があります。そのため視聴者からテレビ局に寄せられる声も、「もっとやれ」というものから、報道批判まで、一八〇度にわたる違った意見が同時に寄せられるわけです。
 だからメディア論として、どうして野村さんを取り上げるのか、あえて理屈をつけることに大きな意味があるとは思えません。むしろプライバシーに注意して、慎重に報道する姿勢が大切ではないでしょうか。
(談)

■社会現象として扱い報道 TBS報道

報道に際する注意点

  「サッチー問題」については、他局と比べるとあまり報道していないのが実情です。ただし全く取り上げないわけにもいきませんでした。
 私どもは、ある段階からこの問題が、いわゆる芸能情報を越えた一種の社会現象へと変わってきたと感じ、情報番組などでもそのような社会現象としての扱いで報道をしてきました。その際、個人バッシングにならないように注意するのはもちろん、人権にも配慮した報道を心がけてきたつもりです。

■「サッチー報道」現象について

 サッチー報道全般についてどう思うかという質問にはお答えできませんが、前述のようなスタンスを持って当社が報道してきたことを、ご理解していただければと思います。

■■■マスコミの公人として扱う テレビ朝日 情報番組センター長・栗原直汎

■「サッチー」を取り上げる理由

 野村沙知代さんを当局が報道するのは、第一に衆議院議員として繰り上げ当選の権利を持つ準公人であり、公職選挙法に違反している可能性が高いからです。
 選挙当時の名刺の一部やパンフレットには、「コロンビア大学に留学」という文字が入っています。この言葉は、選挙戦の「装飾品」とされました。
 学歴詐称で参議院議員に当選した新間正次氏が禁固六ヵ月、執行猶予四年の判決を受けたことからも、彼女の疑惑がどれほど大きな問題かわかるでしょう。浅香光代さんらが訴えていたのも、まさにその点だったと思います。
 彼女を報道する二つ目の理由は、準公人としてあまりにも品位に欠けるからです。地元の酒屋に届けさせたビールをあまったから換金させたとか、花瓶を返さないなど今までに報道された疑惑は二〇あまりにもなります。
 ただし彼女の品位を問う報道については、視聴者も多くを知るところとなりましたので、新事実が出ない限りは、もうこれ以上取り上げるつもりはありません。ただ公選法違反については、いましばらく経過をみて、状況を追ってはっきりさせたいと思ってます。
 浅香さんが野村さんを批判し始めた当時、私は、これは二週間で終わるネタだと思っていました。実際、野村さんが記者会見を開くなど、通常の対応をしていれば、その程度で終わるものであったと思います。
 それが、ここまで長引いた理由の一つには、しばらく一切の釈明を拒否しておきながら、報道が下火になった頃に、野村さんが痛烈な反撃をしてきたからです。講演会もそうですし、フジテレビ系の番組や「おしゃれ関係」への出演、『サンデー毎日』での反論など、どれも都合の悪い質問を受け付けない、一方的な内容でした。だから、関係者から反撃が巻き起こったのです。「サッチー報道」の第一幕を落としたのは浅香さんでしたが、二幕、三幕目を作り出したのは、他でもない野村さんご自身です。
 マスコミ界に限っていえば、彼女は準公人ではなく、公人です。テレビ番組にも出演していましたし、本も出版して相当額の収入を得てきた方です。だからこそマスコミの報道に、彼女からきちんとした回答をいただきたいと思うのです。

■「サッチー」の報道にあたっては

 確かにマスコミの報道全体をみれば、一部に行き過ぎた面はありましょう。例えば、三〇年以上前の彼女のプライバシーを暴くなどは、すべきではなかったと思います。あれは人間の品位を傷つける報道でした。当局でも、かなり昔の話が一度だけ報道されましたが、すぐにそのような報道は行わないように徹底いたしました。
 現在、「論点をハッキリさせて、粛々と報道せよ」と、番組制作のスタッフに私は言い続けています。ズルズルと視聴率を稼ぐように話題をひっぱる報道は、すべきではないと考えているからです。
 一時期、視聴者からもヒステリックな反響がありました。まあ、七割が「もうやめろ」という声でしたが……。しかし現在、そうした状況を越えて、公選法違反という本題に論点も戻ってきています。その点では、現在の報道状況は適正なものであると思っています。

■■■公益性・公共性が判断基準 週刊読売 記者・臼井理浩

「サッチー報道」は報道か?

■そもそも「サッチー報道」は「報道」と呼べるのか。
 今さらいうまでもないが、報道の自由は憲法上の保障を与えられている(二一条)。ただし、それは国民が国政に関与するための判断材料を提供するためだ。そして、憲法は同時に、個人の尊厳に根ざした名誉、信用、プライバシーなどの権利も保障している(十三条)。シェイクスピアだって、「私の名前を盗む者は私の財産を盗む者である」と言っている。
 どちらが優先されるかは、公人であるか、私人であるか、公益性・公共性の重要度によって、あるいは具体的な事象の具体的な表現によっても、変わってくる。個人を侮辱し、罵倒するような表現があれば、それ自体で公益性がないと判断される。したがって、公益性・公共性がほとんどなければ、それは興味本位、のぞき見趣味と呼ばれ、報道の自由の埒外にある。「報道」でもなければ「報道人」でもない。
 そうした自分の会社の報道倫理綱領はおろか、憲法や民法の条文を読んだことのない人達が、短絡的に「視聴者や読者が望むから」と番組をつくり、文章を書けば、当然、今のようなファッショ的事態になるだろう。単純な数字至上主義の果てには、法廷での弁護士とのやりとり、謝罪文と損害賠償命令の書類が待ち構えているのをお忘れなく。
 ところで、人権派弁護士は何をしているのか。 ※このコメントは、『週刊読売』編集部としてのものではなく、臼井記者のものとしていただきました。

■各メディア、それぞれの言い分 『記録』編集部

  「サッチー問題」について、各種メディアにコメントを求めた。コメントを求めたなかで、意外な反応を示したのは日本テレビだった。最初の取材申し込みに対しては、「貴誌とつき合いがないので、今回見送らせていただきたい」と広報局から断りの電話。ただ、小誌はかつて日本テレビ・プロデューサーを取材したことがあり、「つき合い」はあった。しかも他ならぬ広報局を通しての取材だ。
 そこで該当する記事を郵送し、再度申し込んだところ、「検討中です」と言われた。だが、日を改めてもう一度コメントをお願いすると「あ~、その件はお断りします」という答えだ。仕方なく取材に応じない理由を尋ねると、「お断りする理由なんてありません。理由を言わなければならないんですか」と、逆に詰問された。日本テレビは、サッチー報道にはきわめて積極的だった局ゆえに、おおいに「言い分」を語ってくれると想像し、期待したので驚いた。あの報道ぶりをみれば誰だってそう思うはずだ。
 その他、サッチー問題を比較的大きく報じてきた各メディアの「言い分」を簡単に列挙しておこう。
 『女性自身』編集部からは、「編集部では、記事がすべてと考えております。本誌のそれぞれの記事・企画でご判断いただければと思います」と、ていねいな答えが返ってきた。また『週刊女性』編集部からは、デスクから直々に電話があり、「問題は継続中でもあり、今はコメントを差し控えさせていただきます」という回答だ。過激な記事で知られる『週刊アサヒ芸能』も、「うちはあまり報道しておりませんし、まだ騒ぎの最中でもありますので、現在はコメントを差し控えさせていただきます。経過を見てから、考えたいと思います」と話している。どのメディアもコメントを出さないまでも、出さない理由ぐらいは語るものだ。
 さほどサッチー問題を報じていない『週刊ポスト』からも、「個々の事件について報道しているだけなので、サッチー問題全体については、コメントは出しにくいですね」との電話を受けた。
 少なくとも「検討」の結果、「理由」もなく「お断り」するようなメディアは、一つしかなかったわけなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

杉山の中心で、観測史上最大のスギ花粉と闘う

■月刊『記録』05年5月号掲載記事

 聞くところによると観測史上最大であるらしい。
 飛ぶのが、たとえば獅子座流星群のような流れ星ならばこちらとしても全然かまわない。どんどん増えてもらっていい。しかし東京都福祉保険局が05年1月に発表したのは今春のスギ花粉の飛ぶ量が昨年に比べて20~30倍であるということだった。
 スギの花は2~3月にかけて開花して花粉を飛ばす。例年は3月をピークに飛散量は収まるが、今年はゴールデンウィークあたりまで飛び続ける見込みだという。
 現在、国民の約15%が花粉症と推定されているが、スギ花粉の抗体を持つ国民は全体の約7割と言われており、今は発症していない人にも他人事とは言えないのだ。
 一般的な症状はいうまでもなく鼻水、くしゃみ、目のかゆみだが、症状が重くなると喘息や頭痛、倦怠感を伴う場合もある。国民病と言われ、人々のうらみを買いながらあたりまえのように日常生活に入り込んではいるが、花粉が生まれる場所であるスギ林について私たちはなにも知らないのではないか。
 考えようによってはまたとない機会でもある。こうなったら花粉舞うスギ山に分け入って、この目でその様子を確かめることにしよう。幸い私は花粉症ではない。史上最大規模の花粉のなか、とことん踊ってやろうじゃないか。
 関東森林管理局によれば、東京に降りそそぐ花粉のほとんどは、東京西部の奥多摩にある広大なスギ林からこの季節に吹く偏西風に乗って運ばれてくるという。

■地元では1年分の花粉が1日で

 新宿から電車で約1時間半、青梅線の終点が奥多摩駅だ。それよりずいぶん手前の石神前あたりからスギが密生する山が目についてくる、なにしろ多摩地区のスギ林は東京都全体の面積の約1割を占めるのだ。奥多摩駅に近づくほど、スギ山の中を電車が走っているという具合になってくる。到着した奥多摩駅は完全にスギ山に囲まれた場所にあった。
 奥多摩には山歩きや渓流釣りの客が利用する民宿が駅の周りに10件ほどあるが、客が1人もいない宿もあった。平日とはいえ春休みの時期であるのにだ。駅から歩いて5分のことろにある「玉翠荘」で働く森川良子さんは「今年はやっぱり花粉のせいでお客さんが減ってるんでしょうね」と話す。目が充血して涙ぐんでいるのでたずねると、やはり花粉症だった。「奥多摩で30年近く働いてますけどね、はじめてなんですよ、今年が」と困った顔で笑う。「わたしはずっと無縁だと思ってたのにねえ」。30年間、花粉症とは縁のなかった人が突然、くしゃみを連発するようになる。これはやっぱりただごとじゃない、スギによる暴威である。
 奥多摩ビジターセンターの解説員、山本雄一郎さんに今春の花粉の様子を聞いた。「それはもう、すごいもんですよ。雨が降った次の日や風があるときなんかは、山を見ると花粉で煙ってモヤみたいに見える日もありますよ」。山を見上げると、山肌をまったく見ることができないほどひしめき合って群生するスギの緑に交じって、淡いオレンジ色が目に入る。花粉症の元凶であるスギの雄花だ。
 山本さんも例にもれず花粉症である。これだけスギに囲まれた地域でありながら、奥多摩に住む人たちは特に花粉症対策はしていない。私が訪れた何日か前には、前年の総飛散量ぶんの花粉が1日で飛んだこともあったという。
 山本さんに教えてもらい、スギの中を行く遊林道を歩くことにした。死地に赴くとはこういうことだろうか。もちろんスギ林の中を歩く人など見あたらない。この日はやや風があり、背の高いスギの木の葉が触れ合ってさざめいている。重なるように茂る葉の隙間を縫って落ちる木洩れ日もいいが、風があって天気がいい日というのは花粉が飛びやすい日でもある。しばらくオレンジの雄花を見ていると、風が強く吹き、揺れる花から白い花粉が飛び散る瞬間を目にした。しかし、歩いていくうちにそれが珍しくないことに気付く。花粉の渦の中を歩いているようなものだ。目に見えない細かい粒子が口から鼻からどんどん吸い込まれているのだろうが(マスクなし、ノーガード)今のところ自覚症状はない。
 しばらく歩くと手に届くくらいに低い位置に雄花があるのを見つけたので、それを採取しようとしていると、50歳くらいの男性に出会った。どうやら地元の人らしい。やはりマスクをしている。スギの花について聞くと、花がオレンジ色になって開ききる前の、まだ白とオレンジ色の中間あたりのころがもっとも花粉が飛ぶのだと言う。サクラやウメの花の明るく華やかな印象と違って、スギの花のオレンジはくすんでいて美しくはない。ふてぶてしい。まだ白っぽい雄花を選んで指で叩くと、キリフキを吹いたときのように白い花粉が散った。おもしろいように吹き出す花粉は、ものすごく軽いのだろう、花から飛び出たとたんに空気の流れに運び去られて舞い上がる。行く先は東京だろうか。
 改めてスギ林をじっくり見ると、目立つオレンジ色の雄花に隠れるようにして、白い雄花がぶら下がって出番を待っている。いくつか雄花をもらっていいかと男性に聞くと、ああいいよ、できれば山ごと持ってってくれ、となかばヤケクソ風に言う。

■花粉症急増は利便を追った結果

 スギ花粉による花粉症が問題になり始めたのは1980年ごろからのことで、それまでアレルギー性鼻炎はハウスダストとブタクサの花粉によるものと言われていていた。スギ花粉は話題にものぼらなかった。花粉症の専門家である三好彰は著書「花粉症を治す」(PHP新書)のなかでここ10~20年でスギ花粉症が急増した原因を3つ挙げている。

①アレルゲンであるスギ花粉そのものの増加 
②タンパク質や脂肪の摂取量が増え、抗体をつくる能力が高くなったこと 
③道路がより整備されたため、スギ花粉がより遠くまで飛ぶことが出来るようになった(花粉は土の上に落ちると再び舞い上がることは難しい)

 ①についてだが、なぜ花粉は増えたのかということに注目することにしよう。話は戦後にさかのぼる。
 市街地が焼け野原になった後、復興のために大量の木材の需要があった。戦中に戦争機材の原材料としてスギやヒノキが伐採されていたうえにさらに木が切り倒された結果、ちょっとした雨でも洪水が起こるようになった。その対策としての治水の目的でもあったが、1950年代には大規模な植林政策が行われた。
 奥多摩に住む多くの人たちも苗木を背負って山に入っていった。足場の悪い土地に苗木をひとつひとつ植えていくのは大変な作業だったが当時はそれがお金になっていった。切り出したスギを筏にして多摩川の下流に流す仕事があったり手入れをしたり、人々の生活とスギ山は密接に関わっていたので植林した山の手入れは入念におこなわれていた。
 しかし80年代にはいると価格の低い外国産木材が輸入されるようになり、国産の木材の需要は低下、価格も下がっていった。今ではスギの価格は1本900円程度までに落ち込んでいる。スギを切り出して売るとしても、運搬費や人件費を考えるととても採算が合わないのが現状だ。間伐、下刈り、枝打ちなどの山仕事をする人たちも高齢となったため今や手入れをする者はいなくなり、スギ林は荒廃していった。
 スギは樹齢20~30年で花粉をつけはじめる。50年代の植林政策で植えられたスギが放置された結果、80年あたりからスギ花粉症が問題となりはじめ、今ではスギ林の9割が花粉を生産する樹齢になった。
 スギの植樹の背景だけでなく、②と③にしても「自然とそうなった」のではない。先に私は「スギによる暴威」と書いたが、なんのことはない、花粉症の急増は人の営みや利便を追った結果なのである。花粉症が社会問題と呼ばれるゆえんだ。
 数日後、持ち帰ったスギの花はビニール袋の底に花粉を落とした。指でとって舐めてみると、不思議に甘い味がした。花粉症でなかったはずの私は鼻の奥がムズ痒く、目を閉じると涙がにじむようになった。ウソのような本当の話である。■了(宮崎太郎)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

畳職人を怒らせたアース製薬・ダニには効かない?ダニアース

(月刊『記録』98年1月号掲載)

■畳をねらい打ち

 原因は一本のテレビコマーシャルだった。
 畳を丸くくり抜き、そこから顔を出す作家の野坂昭如氏。その異様な姿のまま「畳、畳、畳、ダニ、ダニ、ダニ」と連呼するCMは、97年六~8月の3ヵ月間、日本全国ほとんどの地域で放映された。アース製薬のダニ駆除剤・ダニアースの宣伝である。
 このCMについて、全日本畳組合連合会の今川喜三一事務局長は、「畳だけを標的にした広告ですからね。ダニの発生原因は不明なのに……。製薬会社にすれば、畳にダニがいると強調すれば宣伝しやすいのでしょう。アース製薬の薬害をたてにとって、訴訟でも起こそうかという意見までありましたよ」と怒りを隠さない。
 7月18日、その全日本畳組合連合会が行動を起こす。日本広告審査機構(JARO)に調査を依頼したのである。彼らの主張は、しごく簡単な内容だった。ダニの発生原因でもない畳を、ダニの温床といわんばかりに表現する広告が、畳のイメージをひどく傷つけていること。そして広告で示された畳内での薬剤散布範囲が誇大であること。根拠なくダニの温床であるとA級戦犯に仕立て上げられたのだから、畳業界の抗議はもっともだ。
 ところが、JAROはダニの発生と畳の関係に着目することなく、表現の自由を理由にアース製薬のCMにお墨付きを与えたのである。もちろんアース製薬へのおとがめはなかった。
「タレントが畳をかぶっていることで、畳の印象が強くなっています。しかし当該商品が畳やソファーでのダニ駆除剤であることを考えると表現に無理があるとは思えません。用途が特殊化されたものである以上、広告表現もその用途を明確に表現する必要に迫られることになります。(中略)薬剤の噴霧描写はイメージとはいえ、誇張され過ぎているようにも、見受けられます。この点に関しては何らかの改善をアース製薬にお願いしようと思います」。
 これがJAROの回答の要旨である。JAROによれば、ダニアースが畳用の駆除剤だから、畳はダニの温床だと表現してもいいらしい。しかも誇張された表現と認めても、改善を「お願いする」のが解決方法だという。
 表現の自由は絶対に尊重されるべきだが、それは本来弱者・少数者の権利を擁護するために考えられた概念である。いきなり全国のテレビCMで標的にされ、反論するメディアさえ持たない畳業界はどうすればいいのか。対抗手段を持たない映像の暴力を許さないのもJAROの大きな仕事のはずだが、状況改善を促すでもなかった。先述した今川氏も、「アース製薬から直接回答が来るわけでもなし。まったく役に立たなかった」と呆れ顔だ。

■誠意なき回答

 変わらない現状に業を煮やし、さらに強力な対抗策を打ち出したのは、新潟県畳業組合連合会だった。同連合会の浅井忠雄副理事長は、次のように語る。
「CMですから、製品を売り込むのは仕方がないと思っております。しかしそのCMによって消費者から誤解され、日本文化の象徴でもある畳に泥が塗られるのは許されません。放っておけば大企業は繰り返し攻撃をしてきます。だから直接抗議することにしたのです。
 アース製薬が抗議を無視するのが不安だったので、とりあえず弁護士に相談しました。すると『現在の日本は、弱者の声がまったく届かないまま攻撃をされ続けることが多すぎる。ぜひ、きちんとした抗議をアース製薬にしましょう』と、弁護士さんも意義に賛同してくれたのです。
 私達は正式な文章を作るために弁護士と相談を重ね、3週間かけて申し入れ書を作成しました」
 9月19日、新潟県畳業組合連合会が作成した申し入れ書は、アース製薬の社長宛に送りつけられた。主張は3点。
①薬剤の注入対象を畳だけにした理由を明確にすること。
②日本の情や文化を肯定的に描く作家を使い、日本の伝統的な畳のイメージをおとしめるような映像をことさらに放映した理由について説明すること。
③注入薬剤の残留に対する人体の影響について説明すること。
 申し入れ書を無視することなく、10月6日付でアース製薬は回答をよこした。しかしその回答は、誠意のかけらも見当たらないものであった。回答の一部をそのまま抜き出してみよう。
「この製品の最大の特徴であります畳注入用であることをアピールする必要があります。このためには、畳をCMに取り入れなければ、消費者にはこの製品の良さは伝わりません。当社としては、ダニアースが畳をいつまでも清潔に維持出来る便利な製品であればこそ、消費者に幅広くご使用頂いているものと考えております」
 これが①の質問に対する回答である。畳に注入する商品だから畳を攻撃させてもらうといったロジックは、ほとんどヤクザなみだ。
 ②に対する回答も素晴らしい。
  「一方では強烈な印象を与えると共に、他方ではユーモラスなCMではありますが簡単に害虫駆除処理の難しい畳であってもこの便利な製品を使用すれば、いつでも誰でも簡単に畳の害虫駆除処理ができることを、畳を用いて宣伝したのであります」
  「強烈な印象」と「ユーモラスな」作りが、そのまま畳のイメージを悪くしていることなど、はなから無視している。
 さらに③に対しては、ほとんどお役所回答で切り抜けている。
  「当社では、商品化にあたり前もって信頼出来る第三者の試験期間によって、安全性を確認しております。又、厚生省から医薬部外品として承認を取得しております」
 エイズ問題で血友病患者を塗炭の苦しみに陥れた厚生省の承認に、どれだけの価値があるのだろうか。さらに回答では実験結果を添付しないなど、安全性を証明する気など、これっぽっちも感じられない。
 前述の浅井さんも、「謝罪の言葉はまったくありませんからね。回答に納得しているわけではありません。企業姿勢としては当たり前なんでしょうが。
 まあ、抗議に対する回答が来たことで、われわれの姿勢は示せましたから、一歩前進でしょうか。もし、うちにアースと同等の予算があれば、ダニアースに対抗するCMを作ることも可能なんですがね」とつぶやいた。
 アース製薬もJAROも、畳への侮辱は表現の範囲内であるという。アース製薬にいたっては、「害虫駆除処理の難しい畳」がダニアースよって快適に使えると、ダニの駆除処理が畳で必要であるかのように答えている。本当だろうか?

■危険なのは絨毯だ

 一口にダニといっても、現在命名されているだけで世界で3万種、日本だけも約1500種もいる。もちろん種類によって、習性・住む場所・人間への被害などが変わる。屋内だけに限っても、かなりの種類のダニが生息している。ただし屋内で繁殖し、人に大きな被害を与えるダニは、おおよそ二種に絞られる。ぜんそくや鼻アレルギーを起こすヒョウヒダニと、人を刺すツメダニである。
 まず、ヒョウヒダニから説明しよう。
 ダニの権威として20冊以上の著作を持つ東京都立衛生研究所の吉川翠氏は、ダニがどれだけ増殖するのかは人間の生活の仕方が大きいと断ったうえで、次のように解説してくれた。
「アレルギー疾患に関していえば、一番危ないのが畳とじゅうたん、畳と花ござなどの床材の二枚重ね。次がじゅうたん・寝具そのもの。そして3番目に畳です。
 生きているダニの数を比べれば、畳の内部が最も多くなりますが、アレルギー反応を引き起こすヒョウヒダニの糞は、きめの細かい畳からは出てこられないのです。一方、表面にいるダニの数はじゅうたんが圧倒的。しかもじゅうたんの根本の部分は掃除がしにくいわりに、糞などは舞い上がりやすいのです。
 寝具もヒョウヒダニの好物であるフケやアカが多いため、食べ物を求めてダニが集まります。そして布団の内部で排泄された糞は、布団の移動で舞い上がるのです」
 絨毯の危険性を指摘するのは、ダニの専門家ばかりではない。アレルギーの原因の検査結果を伝える資料には、次のような記述がある。「ダニ数は板・畳・絨毯=1・10・100 床は板やリノリウムを用い、絨毯はできる限りやめる」。
 畳に以上にじゅうたんが危ないことは、ダニアレルギーを語る上ではすでに常識なのである。

■全ワラ畳は7%

 また、畳自体も以前とは大きく変わっている。
 1968年、東京都町田市の鶴川団地において、入居直後に畳から多量のケナガコナダニが発生し、マスコミをにぎわせた。この大量発生の原因は、湿気を逃がさない集合住宅の構造と、水分を含んだままのワラを使ったことによる。もちろん当時の畳は、い草の下にワラが使われていた。
 ところが現在使われている畳は、ほとんどワラが使われていないのである。すべてワラで作った畳の生産量はわずか7%であり、一部でもワラが使われている畳でさえ生産量の30%にしか満たない。残り63%の畳は、い草に下にホームポレスチレンという発泡スチロールのような石油製品を使っているのである。さすがにワラがなければ、ダニが住めるはずもない。さらに全国に出荷される畳の20%ほどがJIS規定を通っているため、たとえワラを使っていても、ダニが繁殖しにくい構造になっているのである。
 つまり畳のダニ問題は、かなり解決しつつあるのが現状なのだ。いくら畳に針を突き刺して薬剤を噴射しても、絨毯や寝具に注意を払わなければ、ダニアレルギーが改善されることはない。
 では、ツメダニに関してはどうだろうか。
 じゅうたんよりも湿度の高い畳は、じゅうたん以上に増殖する可能性が高い。だが先述した通り、畳の63%はワラを使っていない。そのため「ツメダニの数は減っている」と吉川氏も語っている。さらに重要なことは、たとえツメダニが発生しても、ダニアースでは増殖をくい止められないということだ。
「防虫シートの品質検査基準について」と題された資料が手元にある。これは95年7月、反農薬東京グループが起こした防虫加工紙の使用中止運動に対して、日本畳防虫紙工業会が作成したものだ。そこに興味深い表が掲載されている。コナダニ・ミナミツメダニ・コナヒョウヒダニ・ケナガコナダニの四種類のダニを、1グラム/㎡、10グラム/㎡の薬量でダニに接触させ、24時間後の致死率を調べたものだ。
 この表でダニアースの主成分であるピレスロイド系フェノトリンは、検査した七種類の薬剤の中で最も低い致死率を示している。例えば、1グラム/㎡の濃度で行われたコナヒョウヒダニに対する実験では、他のほとんどの薬剤が100%の致死率を示しているなか、堂々の35.7%。さらに、問題のミナミツメダニは既存の殺虫剤に対して極めて強い抵抗力を持っており、フェノトリンなど効くはずもない。この資料はツメダニに対する殺虫効果について、次のように書いている。
「(ダニを)10グラム/㎡という常識では考えられない薬量を含む残渣面に接触させても、有機燐剤、カーバメイト剤、ピレスロイド剤(アースの主要成分)のいずれも致死量がほとんど得られていないという、驚くべき結果が示されている」
 同じような実験で、ハエ・蚊が通常0.25グラム/㎡の濃度で死ぬことを考えれば、この実験のすさまじさがわかるだろう。吉川氏も、「直接ダニ吹き付けなければ、ピレスロイド系の殺虫剤ではツメダニは死ににくい」と語っている。

■薬は広がらない

 ダニアースが効かないのは、薬剤の効果が薄いからだけではない。この殺虫剤には決定的な欠陥がある。それは畳に薬剤が浸透しないことだ。写真①をみてほしい。
 これはダニアースの噴射口にインクを仕込み、畳の中でどれほど薬が広がるかを編集部で実験したものだ。ダニアースの説明書には「1ヶ所に3秒の割合で」と書いてあったが、親切心で6秒噴射を3回繰り返した。結果は6センチ四方、高さ1.2センチに広がっただけ。これでどうやって畳のダニを駆除するつもりなのか。ダニは危険を察知すると、畳の下へ下へと逃げていく。針は畳の底まで届かないのだから、畳を上げて下から針を刺さなければ、逃げたダニは殺せない。
 たとえ底のダニを無視したとしても問題は残る。ダニアースの使用説明には、「1畳につき6ヵ所以上に注入噴射してください」と書いてあるが、全国的に使われている畳一畳は、88センチ×176センチもの大きさなのだ。6センチ四方しか広まらないダニアースを畳全体に注入するには、なんと430回も針を打たなければならない。ほとんど百人針の世界である。
 じつは畳に薬剤を浸透させようという実験は、他のメーカーでも行われていた。大手家庭品メーカーの花王は、畳に効く界面活性剤の開発に失敗したと伝えられている。良識的なメーカーであれば、薬剤が浸透しないなら商品化などあきらめるものだ。
 それだけではない。ダニアースにはまだ問題がある。
 ワラの代わりにホームポリエスチレンが使われている場合、薬剤の噴霧によってホームポレスチレンが熔けてしまうのだ。外から見ても、ワラなのかホームポレスチレンなのか素人にはわからないので防ぎようもない。「足で踏むとわかるほど、ホームポレスチレンが熔けてしまった例もあります。処置なしです」と、今川事務局長も語る。
 いったいアースは何様のつもりなのか。ダニの主要原因に言及せず、消費者の不安をあおり、効力のない殺虫剤を売りつけ、なおかつ畳を壊す。経営姿勢に大きな問題があるとしか思えない。

■気にくわなければ圧力

 じつは取材の過程で知り合った薬剤の関係者が、誌面に一切名前を掲載しないことを条件に、アース製薬にまつわる思い出を語ってくれた。
「かつてアース製薬の薬が効かないということを講演で話してしまったことがあるんです。それがアースの耳に入ったのか、その後の講演会では、アースの社員らしき人が講演を邪魔するような質問を繰り返しました。しかも講演の場所が決まると、所属する大学にアースから電話がかかり、講演中止を求めたりするのです」
 まだある。取材の過程で、編集部はダニアース以外の製品にもごまかしがあることを知った。
 殺虫成分を煙とともに発生させる加熱蒸散殺虫剤・アースレッドWの説明書には、イエダニに有効と書かれている。ところが、この表現がくせ者なのだ。消費者の多くはダニの種類など多くは知らなくて当然だから「イエダニ」といわれれば家の中にいるダニの多くを連想するであろう。
 ところが、学術的な意味での「イエダニ」とはネズミに寄生するダニの一種に過ぎない。イエダニはネズミが天井を歩くため、主に天井などに生息する。つまり殺虫成分が上に昇るアースレッドWは、たしかにイエダニを殺す。ところが人への被害の大きいヒョウヒダニやツメダニなどへの効果はほとんどないのだ。結果的に消費者は予想の範囲を大きく下回った効力しか発揮しない薬剤を買わされることとなる。
 さらに94年2月、アース製薬が企画し、学習研究社が作成した高校家庭科ビデオの台本には、「畳の部屋でのダニの大量発生を防ぐためには、畳の内部に住むダニを駆除することが大切です。畳の内部のダニ駆除には、エアゾール状の薬剤を使います」と書かれている。効かない薬が高校の教材にまで使われていることには、驚かざるを得ない。
 先述した吉川氏は、「1年を通じて被害の出るダニを、殺虫剤で退治するのは限界があります。まず屋内湿度を低くし、身の回りをきれいにすることから始めてください」と、ダニの対策法をアドバイスしてくれた。
 効力のない薬を撒き散らすなど、ナンセンスもこの上ないのである。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

丸山ワクチンと薬害エイズの奇妙な関係・篠原一東大名誉教授に聞く

(月刊『記録』97年5月号掲載記事)

ほとんど知られてないが、丸山ワクチン認可問題と薬害エイズ問題には接点が非常に多い。
厚生省の2大スキャンダルから浮かび上がる事実は何なのか。「丸山ワクチンの製造認可の促進を請願する患者・家族の会」代表の篠原一東大名誉教授に聞いた。 

接点① 時期が同じ

 丸山ワクチン認可問題は、中央薬事薬事審が不認可を繰り返すことに国民から非難の声が上がり、マスコミの糾弾も日増しに強くなっていた。そして、丸山ワクチンが医薬品として認可されるのか、有償治験薬としてさえも認められなくなるのか、重大な山場を八四年一一月に迎えることになった。そのため八一年から八四年にかけて、「患者・家族の会」は必死の活動を展開した。一方、薬害エイズ問題は、八三年中頃から非加熱製剤の危険性が明らかになりつつあり、厚生省内では対応が検討され始めた時期にあたる。
【篠原氏】
当時、私をはじめとする『患者・家族の会』は、厚生省に丸山ワクチンを認めるように日々圧力をかけていました。郡司篤晃・元生物製剤課長はもちろんのこと、彼の上司にあたる薬務局長まで呼び出していました。また、丸山ワクチンを支援する政治家も厚生省を糾弾していました。その裏側で、エイズ薬害問題が発生していたのです。
 しかも当時の状況を考えれば、厚生省にとっては薬害エイズ問題より、丸山ワクチン問題の比重が大きかったと思います。

接点② 厚生省の担当者が同じ

 薬害エイズ事件では、衆議院の参考人招致された郡司氏は、丸山ワクチン認可問題でも「患者・家族の会」に対応していた。
【篠原氏】
私が二つの事件の関連性に気づいた発端は、薬害エイズ事件のニュースで、郡司氏の名前を聞いた時です。何を隠そうあの郡司氏は、丸山ワクチンの問題で私が何度も話し合った張本人でしたから。
 彼に会った時は、やっとまともな課長が出てきてくれたなと思ったものです。彼とは折衝を重ね、時にはプライベートな話までしたこともありましたが、学者肌で性格の良い人物でした。その分だけ根回しに疎く、無理押しなどできない人でしたから、彼の決定は厚生省幹部の意向が強かったのではないでしょうか。

接点③ 利権の構図が同じ

 長い間、丸山ワクチンが薬事審に医薬品として認可されなかったのは、薬事行政の構造的欠陥の波を、まともに被ったからである。製薬会社と厚生省、そして医師が手を結び利権をむさぼっている構図は、二つの事件に共通する。
【篠原氏】
丸山ワクチンでも問題になったのは、大手薬品メーカーが既存の薬で挙げていた利益です。丸山ワクチンは副作用もない上に、かなりの効果を上げていました。その一方で、薬事審は毒性の強い抗ガン剤をメーカーの意向を汲んで認可していました。丸山ワクチンが認可されればどうなるかは、明らかでしょう。
 薬事行政は、まずトップに医者がいます。そして医者と結託している製薬会社があるのです。そういった意味で、丸山ワクチン認可問題における最大の障害は、医者の集まりである薬事審でした。
 エイズと丸山ワクチンの時期は同じですから、当時の薬事行政の手法は変わっていないはずです。わかりませんが、薬害エイズにも、医者と薬学者がトップで動いていたのではないでしょうか。

接点④ 郡司ファイル

 九六年二月に、厚生省の倉庫から通称「郡司ファイル」と呼ばれる郡司氏の個人ファイルが、いきなり発見された。このファイルには、八三年七月四日に「加熱製剤の導入を検討」と書かれているが、一週間後の一一日には「加熱製剤の超法規的承認は好ましくない」と一八〇度方向が変わっている。また、同ファイルは、その変換の理由についても述べている。
新聞に掲載されたファイルの抜粋を、そのまま掲載する。
 
超法規的措置による承認は、以下の二点の理由から好ましくない。
(1)薬事承認行政に特例扱いの前例を作ってしまうことになり、丸山ワクチンの審議にも影響を与える。
(2)当該製品は、血友病治療の安全性、有効性については問題の点があり、冷静な学問的判断を行う必要がある

【篠原氏】
当時、マイナーだったエイズのために治験を実施しないで加熱製剤を認可すれば、当然、丸山ワクチンを認めるざるを得なくなります。証拠はありませんが、当時、厚生省にとって最大の問題だった丸山ワクチンは、加熱製剤の承認と関係があると思います。

接点⑤ 菅直人と安部英

 丸山ワクチンをめぐる舞台にも、菅直人と安部英というエイズ問題のいわば主役が登場している。単なる偶然なのだろうか。
【篠原氏】
薬害エイズ問題を(厚生大臣として)追求した菅直人氏は、そのノウハウを丸山ワクチン問題で培っていたんですよ。丸山ワクチンの問題にかかわらなければ、薬害エイズの追求もできなかったでしょう。
 そしてもう一つの偶然が、あの安部英氏が丸山ワクチンをエイズの治療薬として担ぎ出そうとして、故丸山千里氏に断られたことです。
 2つの事件の結びつきは、かなり深い。再度、丸山ワクチン問題から、薬害エイズを考えてみる必要がないだろうか。(■篠原一……1926年生まれ。東京大学法学部政治学科卒業。東京大学名誉教授。73年ガン告知を受けるが、丸山ワクチン療法で治癒。「丸山ワクチンの製造認可の促進を請願する患者・家族の会」代表)

| | コメント (0) | トラックバック (26)

フリーメイスンへの誤解をとく必要がある

■宗教・政治・ビジネスの話は禁止

 大手一般企業で営業をしている若手会員が、「フリーメイスンの会員だとわかると白い目で見られて仕事にも影響するので、会員であることは公表できない」という。このような状況に、私は危機感を持っている。だいたいにおいて、フリーメイスンに強い偏見が持たれるのは先進国の中では日本だけだ。今回などは、オウム真理教によりフリーメイスンの陰謀説が流され、小沢一郎氏が会員であるかのような噂も流された。何か事件があるたびに、フリーメイスンと結びつけられるのは困ったものだ。現在、日本のフリーメイスン会員には、国会、県議会レベルの政治家はいない。もちろん、小沢一郎氏は会員でもなんでもない。また、いわゆる財界人といわれているような人も会員にはいない。

 フリーメイスンについて書かれる時、団体が行った行為なのか、個人の行為なのかが混同されている。確かに米国建国の父であるジョージ・ワシントンは会員だった。だからといって独立戦争がメイスンの仕業だとはいえないだろう。なぜなら、独立戦争の相手国の英国にも多くの会員がいたからである。
 そもそも、会員が儀式を行うために集まるいっさいの集会では、宗教・政治・ビジネスの話は禁じられている。そのため、会員同士が相手の社会的地位を知らないことはよくある。ましてや会員同士だからといってビジネスで遠慮し合うことはない。会員だったマッカーサー元帥が、同じ会員のトルーマン大統領に解任されたのは象徴的な事実だろう。

■保安条例とスパイ容疑と

 では、フリーメイスンが日本で異端視され続けているのはなぜだろうか?少し歴史をひもといてみよう。
 1887年、日本政府は自由民権運動を抑えるために保安条例を発し、秘匿性のあるすべての集会を禁じた。フリーメイスンは伝統的に役員就任式を除く儀式内容は公開していないため、秘匿性のある集会となってしまう。困ったメイスンは、時の井上馨外務大臣と面接して妥協に基づく紳士協定を結ぶ。内容は、日本政府がフリーメイスンの集会を取締の対象としない代わりに、メイスン側は日本人の入会は許さず、宣伝活動も行わないといったものだった。なお日本人の入会は1950年より解禁された。
 その後、日本が帝国主義的ナショナリズムの度合いを少しずつ増していくのにともない、大正末期から昭和初期の新聞や雑誌などに反メイスンの記事が現れた。さらに、第2次世界大戦中は、日本に残留した会員は、ほとんど例外なくスパイ容疑で拘禁され、かなりの数の会員が獄中で死亡した記録が残っている。
 このように、紳士協定によって日本人が会員になれなかったことと、長年にわたり反フリーメイスン・キャンペーンが続けられてきたことの2点が、日本人の心に偏見を宿らせる温床となった。また、10年ほど前から、フリーメイスンが世界を支配するといった内容の出版物が出回り始めた。およそ荒唐無稽な事が書いてあるものだが、日本人の心の奥深くにある偏見を刺激しているのは確かなようだ。

■開かれたメイスンに

 もちろんメイスン側にも問題がある。会員間の相互認識と会員相互の信頼感と団結を強めるために、儀式の内容を公開しない伝統が、会員以外の人に猜疑心と不信感を与えた。メイスンに対する誹謗中傷に全く取り合わない姿勢も、金儲けを狙うライターと出版社を助長させた。
 そのような結果が、日本人会員の数にも現れている。現在、日本での総会員数3000人分のうち日本人は300人しかいない。このような不均衡を打開するためにも、私はメイスンに対する日本人の誤解を解く必要があると考えている。
 具体的には、規則にそむかない形でメイスンを少し開かれたものにする。役員就任式のテレビ放送やビデオ制作も考えている。一方で、あまりにひどい誹謗中傷には、法律的な手段で対抗する。

 もともと、フリーメイスンは中世ヨーロッパにゴシック建設が流行したときに、親方や石工らが相互扶助の立場からギルドを作ったことに始まるといわれる。石工達は、建設現場近くにロッジと呼ばれる集会小屋を作り、食事・宿泊・設計・施工工事・技術指導などを行った。当時は文盲の人が大半だったので、建築技術上のノウハウはメイスンの間で、守秘義務とともに口伝され、同時に道徳教育もなされた。
 このような歴史の中で培われた儀式であるから、秘密の儀式といっても内容は道徳的なものだ。文盲の同士を教育するため、さまざまな大工道具が象徴的に説明に入ってきたのも当然だろう。オカルト的な儀式のための象徴ではない。
 あまり知られていないが、グランドロッジ設立と同時に、他のグランドロッジとの交流が始まるわけではない。グランドロッジとしての活動が深まり、他のグランドロッジから認められ、相互承認の手続きをとらない限り交流は生まれない。さらに、グランドロッジに上下関係はなく、統括する機関もない。このような状況では、世界征服などとても無理なことがわかるだろう。ついでにいえば、ロッジに集まるのもだいたい週1回で、世界征服する時間もない。

 入会勧誘もしてはいけない規則になっているため、あらぬ誤解を招いているようだが。無神論者ではないことと、家族のいるものはきちんと扶養していることなど、常識的な入会資格となっている。私も1963年に、好奇心から会員になった。会員は人種や宗教に差別されない。イスラエルのグランドロッジでは、イスラム教徒がグランドロッジの長になったこともあると聞いている。メイスンの理念を理解する助けになるだろう。

■フリーメイソンの視点から

--ここ数ヶ月の間、テレビや新聞などのメディアを通してオウム真理教に関するニュースが洪水のように流れてきます。オウム真理教については、どのような印象をお持ちでしょうか。

 これだけ大量の情報を受け取りながら、オウム真理教の実態そのものについてはきわめてあいまいであるというのは不思議なことです。オウム真理教に関する情報の大部分が、彼等の犯した凶悪な犯罪の報道であるためかもしれません。修業のための瞑想法としてヨーガが取り込まれており、仏教教団であるかと思うと、終末における善と悪との最後の決戦ハルマゲドンなど本来はキリスト教の思想を宣伝しています。話題の空中浮遊などは、道教の神仙を想起させる超能力です。オウム真理教は独自の教理を持たず、こうした諸宗教の寄せ集め的な教団ではないかという印象をもっています。フリーメイソンにも言及しているようですが、勘違いをしているらしく、まともに取り合う内容ではありません。

--かりに諸宗教の寄せ集めだとしても、それだけなら折衷的な宗教として理解できないことはありません。しかし、オウム真理教の場合には、さらに科学を取り込んでいる点がユニークだと思います。

 科学と宗教とは、じつはもともと相性がよく、俗にいわれているほど矛盾するものではありません。科学、特に近代自然科学というのは、ヨーロッパの歴史を抜きにしては考えられないわけですが、その起源を探っていけばいくほど科学そのものの宗教性を実感せざるを得ません。宗教と科学とをいきなり併置すると何か違和感がありますが、その間に魔術という項をおいてみると、もう少し両者のつながりが分かりやすくなります。
 科学は長い間自然哲学と呼ばれており、それより以前では自然魔術あるいは白魔術と重なっていました。魔術は、宗教よりもむしろ古くから存在する技術であり、人間や自然を、現象的には隠されて見えない特殊な力を探し出そうとする欲求こそ、近代自然科学を生み出す原動力となったのです。

--フリーメイソンは、科学と宗教という視点からどのように位置づけられるのですか。

 フリーメイソンは、宗教の世俗化の動きが頂点に達した18世紀という時代に登場する友愛団体です。初期のフリーメイソン指導者は、イギリスのデザキュリエ、アメリカのフランクリン、オーストリアのボルンなど、いずれも当時の代表的な自然科学者でした。フリーメイソンは近代という時代に登場した一種の理性宗教であったといえるかもしれません。そこでは、科学と信仰が矛盾することなく同居しています。しかし、いくら科学と宗教は相性がいいといっても、オウム真理教のように、宗教集団が毒ガス製造と結びつくことは絶対にあり得ないことです。

--オウム真理教では信徒を何種類かのイニシエーションに参入させることによって、教団におけるその地位を上昇させていくという手法をとっています。

 先日も、地下において絶食状態で何日も瞑想を続けるという修行法を紹介していましたが、修業あるいは試練というのは、密議宗教、仏教、キリスト教などほとんどすべての宗教が取り組んでいるものであり、何も目新しいものではありません。フリーメイソンも例外ではなく、そのイニシエーションにはさまざまな試練が儀式化されて取り込まれています。初期の頃は、親方・職人・徒弟の3位階しかなかったのですが、後には次々に高位位階を創設して儀礼も複雑化していきます。

--オウム真理教のイニシエーションや正大師や正悟師などの位階制などは、効果的な資金調達の手段として利用されていたようですが。

 18世紀のフリーメイソンでも、とくにドイツやフランスにおいてはさまざまなペテン師たちがフリーメイソンのロッジを利用して暗躍し、人々から金銭をむさぼるということがありました。何10種類のさまざまな位階のフリーメイソンの宝章を一台の馬車に満載し、それを高額の金を取って売り歩いたというペテン師の話も伝わっています。
 位階制に関しては、集団の中に置かれるとできるだけ中心に向かおうとする権力欲と名誉欲が人間にはあり、オウム心理教ならずとも、ほとんどすべての社会集団が、程度の差はあるにしても同じような手法を駆使して集団の秩序を維持しています。

--それにしてもなぜ多くの若者がオウム真理教に魅力を感じたのでしょう。

 超能力への憧れがあったという理由のほかに、集団への帰属願望も無視できない要素です。フリーメイソンが多くの人々を引き付けた大きな理由の1つは、くつろいで一時を過ごすことができるというクラブ的な雰囲気にありました。社会が個人と個人のこまやかな結びつきを失いつつあるとき、その内容がどのようなものであれ、同一の信条をもつ人間が集まって、現実の社会とは異なる別世界を構築する動きが出てくるのは十分に理解できます。家庭や学校や会社に居場所を失った若者たちがオウム真理教に引き寄せられていったのは、次章に希薄になりつつある現代社会の人間関係にも原因があったのではないでしょうか。

--オウム真理教のイニシエーションには薬物が頻繁に使用されています。

 宗教的イニシエーションと薬物が結びつく例は、古代から現代まで極めて多くあります。幻覚や陶酔感を呼び起こす神秘体験への近道として、阿片やコカイン、LSDなどの薬物が使用されたわけです。ギリシア時代の有名なエレシウス密議においても阿片が使用されたと主張する研究者は多くいます。この密議において信徒は、大麦の粉と水と薄荷を混ぜたキュケオンという飲み物を服用するのですが、そこには阿片が混入されたいたと思われます。
 最近の例でも、コカイン密輸で逮捕された書店社長がいますが、聞くところによると彼は自分が建立した神殿において宗教儀礼を行っていたといいます。コカインがそこで使用されていた可能性は充分にあります。オウム真理教においても、幻覚剤をイニシエーションのさいにうまく利用しながら、信徒に終末論的な幻覚体験を起こさせていたと考えられるわけです。オウム真理教の科学班の本来の任務は、このイニシエーションにおいて使用される幻覚剤の調合ではなかったかと推測されます。

--現代社会にオウム真理教が投げかけた教訓とは何だったのですか。

 近代自然科学が確立すると、それまでの魔術を迷信として葬り去ろうとしますが、私などは科学が今なお魔術の呪縛から抜け出していないと思います。むしろ、自然の隠された力への確信をもっているという点において、逆説的かもしてませんが、科学は、宗教や魔術成なしには成立しないといったほうがよいでしょう。
 テレビ・ラジオ、高速輸送、宇宙飛行、コンピューター、臓器移植、遺伝子治療など、現代文明を彩るすべての高度技術には、人間と自然を支配しようとする魔術の陰が落ちています。こうした技術と裏腹に、原爆や毒ガスなどの大量殺戮兵器などが存在しているわけです。問題は、科学の悪魔的な側面を見てそれをすべて否定するではなく、そうした危険な要素をもつ科学を誤用しないだけの批判力を育てる教育が必要であるということです。オウム真理教の事件は、科学技術の支配する近代という時代が、一皮むくと直ちに悪魔性をむきだしてくるということへの警鐘であったといえるでしょう。(■片桐三郎・日本フリーメイソン本部グランドロッジ広報委員会委員長。1925年生まれ。)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

キリングフィールド・大量虐殺される猿

(月刊『記録』99年2月号掲載記事)

 サルの被害が農家を追い込んでいる。全国で、年間5000万円以上の被害額を提示している県も多い。そこで出された対策が、サルの撲滅作戦だ。しかし対象となるサルは、現在、『レッドデータブック』に載せられている、絶滅危惧種のニホンザルだ。絶滅にひた走るニホンザルと人々の闘いを追う。

■巨大な穴に積み重なる死体

 そのオリは、庭先に置かれていた。玄関先から50メートルもないだろう。ビニールハウスで育てられている花を守るため、設置されたものだという。
 朝、猟友会長がサルを始末したオリには、子どもの手のひらほどの血痕が残っていた。殺されてから数時間しかたっていないことは、血がまだ完全には乾いていないことからもわかる。
 庭を覆う砂混じりの薄茶色の土が、真っ赤なはずの血を少し明るく見せるのだろう。足元の土にしみ込んでいた鮮血は、少しピンクがかって見えた。
 サルを捕らえたオリは、幅3メートル、長さは6メートル、高さは2メートルほど。さびた鉄のフレームに、金網が張りめぐらされ、入り口の鉄格子がワイヤーで引き上げられていた。猟友会長がセットした、サルをおびき寄せるための豆が鉄の皿にきれいに盛られていた。
 サルがそのエサに手を触れれば、ワイヤーでつり上げられていた重い鉄格子が、たちどころに落ちてくる仕組みだ。サルがどんなにすばやく動いても、鉄格子がしまり始めたらオリから逃れられない。もちろん重い鉄格子を持ち上げるほどの腕力も、サルにはない。結局、オリにある残りのエサを食べながら、3日に一度回ってくる猟友会のメンバーをサルは待つことになる。そしてハンターが来たときに、彼らの命は終わりを告げる。
「オリにかかったサルの9割方は、殴って殺しているよ。サルがオリの中で牙をむきだしてオレを威嚇している場合や、5匹も6匹も一度にサルがかかった場合は、7~8メートル離れて鉄砲で撃つけどな。撲殺には、1メートルくらいの堅いカシの木の棒を使っている。バットみたいものを想像してもらえればいい。
 棒を振り回す必要なんかないんだ。オリの中のサルはおとなしく座ってるから、まずオリにオレが入って棒でちょっと脅すだろ。そうするとサルは中を行ったり来たり、走り始めるわけ。それでサルがこっちに向かって来たときに合わせて、ちょっと棒を当てれば動かなくなるから。べつに頭じゃなくても、どこでもいいんだよ。それから頭に棒を振り下ろせば、死んじゃうからね。むつかしいくもない」と、猟友会長は語った。
 ぐったりと動かなくなったサルは、南京袋へと入れられる。ニホンザルの平均的な体重は、オスならば10~15㎏ほどだ。特に畑の作物を荒らしていたこのあたりのサルは栄養状態もよく、野生のサルと比べて一回りは大きいという。サルをつめた南京袋はずしりと重い。その袋を猟友会のメンバーは車に運び込む。
 死体埋葬場は、人里から少し離れた山中にある。深さ5~6メートル、直径10メートルほどの穴が、ショベルカーで掘られている。すりばち状に掘られたこの巨大な穴に、サルを投げ込み、土を被す。こうして死体が穴を、少しずつ埋めていくのである。

■誰も殺したくない

 4つのオリを回れば、だいたい1匹は殺すことになる。そのサルを埋め終るまでの全行程は約3時間かかる。作物の収穫時期などサルの多発するとき以外は、それをほぼ1人で行っている。しかも3日に1回は、オリを回らなければならない。もちろん、サルはおとなしいとはいっても、野生動物だけに、危険もともなわないとは限らない。
 だが、猟友会に支払われる駆除対策費は、年間わずか90万円でしかない。それでも97年度は160匹以上のサルを殺さなければならなかった。今年度もすでに100匹以上のサルを駆除している。そのうえ作物の収穫期ともなれば、作物を襲っているサルを殺すために、いきなり呼びつけられることさえあるという。
 この町で猿害対策を一気に引き受けているJA(農業協同組合)の職員は、猟友会の気持ちを代弁する。
「年間で90万円じゃ、猟友会の皆さんの日当にすらなっていないでしょ。もちろん皆さん本業を抱