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産学連携の危険な膨張とトヨタの影

●月刊「記録」2007年10月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

 旧文部省が大学運営の方向を転換したのは1990年ごろだといわれている。細かく決まっていた大学設置基準を緩め、各大学が創意工夫して自由に競争する方向へと促し始めたのである。
 そして99年2月、小渕恵三内閣総理大臣の諮問機関「経済戦略会議」で重大な指針が示される。
「シリコンバレーにおけるような世界的ベンチャー企業が日本に興さない理由の一つは国立大学の硬直性にある。国立大学教員の身分を拘束の強い国家公務員から解放し、兼業や産学共同研究の自由度を飛躍的に高める。国立大学については独立行政法人化をはじめ将来の民営化も視野に入れて段階的に制度改革を進める」
 議長に当時アサヒビールの会長である樋口廣太郎氏、委員に井手正敬・西日本旅客鉄道会長や奥田碩・トヨタ自動車社長などの経済人と大学教授を並べた会議で出された、このような答申により大学にも「改革」の波が押し寄せたのである。
 この政策の背景には企業が抱える中央研究所の問題があった。日本の技術開発は長らく海外からの技術導入型であり、その中心を担っていたのが各企業の中央研究所だった。しかし付加価値を高めるため最先端技術開発が必要になると、時間も金もかかる研究を一企業だけで担うことができなくなってしまった。その補完相手として狙いをつけられたのが大学だった。
 じつは、この政策のモデルは米国にある。米国では70年代中頃から企業の中央研究所が衰退。企業は産学連携に活路を求めた。政府も大学への資金提供を縮小してこの方針をバックアップした。補助金を絞ることで、大学側も企業に研究資金を頼らざるを得なくなるからだ。この結果、世界のIT産業を引っ張るシリコン・バレーが生まれたのである。
 日本でも99年の段階で国公立大学の予算は実施的に目減りしており、地方大学ではビーカーなども買い替えられないほどの資金難にあえいでいるとも報じられた。
 また、補助金についても競争的資金を、どんどん増やしてきている。一律に分配するのではなく、研究成果を期待できる研究室に重点的に資金を渡す仕組みだ。95年度に初めて計上した競争的資金の予算は1248億円でしかなかった。それが06年度には4701億円にまで膨らんだ。そのしわ寄せは一律の補助金に及んでいるわけで、研究内容がアピールできなくては研究費を確保することが難しい時代になったことになる。
 さらに国公立大が独立行政法人化した04年度からは、交付金が毎年1%ずつ削減されており、各大学では収入源の確保のため、積極的に産学連携を進めるようになった。
 だが、財源確保に不安を抱く地方国立大の中には、ついに文部科学事務次官の天下りを学長として迎える大学まで現れた。人脈で補助金を狙おうという魂胆であろう。

■論文さえ信用できない

 そもそも国が判断する「研究成果」を、どのような基準で判断するかは難しい。産学連携の評価となれば、企業が活用できる研究かという明確な基準があるが、純粋数学や物理などの理系分野、あるいは文系の成果を企業が活用できるケースは少ない。いくら産学連携を模索しても、これらの学部に資金が集まらないのは明らかだ。そのうえ研究を続けるための根幹となる資金の多くを企業が握ると、大学の研究室が企業の「下請け」になる可能性さえある。
 実際、産学連携が日本より15年以上進んでいる米国では、企業と研究室が密接になり過ぎ学問の公平性を疑う事態にまで発展している。
 例えば、カリフォルニア大学バークレイ校のI.チャペラ氏の論文が引き起こした事件などは有名だ。01年11月の発行の学術雑誌『ネイチャー』に彼が発表した論文には、遺伝子組み換え作物の栽培が禁止されているメキシコのトウモロコシに、かなり交雑しているのが見つかったとの事実が掲載された。この論文に遺伝子組み換え作物を販売する企業や、そうした会社からの補助金で研究を進めている研究者が噛みついた。
 そのうえ所属学科や関連学会から支持されていたのにもかかわらず、事件直後のバークレイ校での終身雇用の審査でチャペラ氏は承認されなかった。これはかなり異例のことだったとも報じられている。
 しかも、この審査を担当する委員会に強い影響力を持っていた人物が、遺伝子組み換え作物を製造しているノバルティスと密接な関係にあることもあきらかになった。またチェペラ氏が論文を発表する以前からバークレイ校とノバルティスの間で結ばれた排他的長期契約が一部で問題になっており、大学と連携した企業に対する批判的な研究がどのように排除されるのかを示した事件となった。
 もう何年も前から、企業がスポンサーである研究論文は企業に有利な内容になっているケースが多く信用できないといった批判が、海外でわき起こっている。そのうえ資金難の大学の足元を見て、企業側に有利な契約を大学に押しつける企業も出てきた。米国の某有名大学では学内すべてのデータベースを企業が所有する契約にサインするよう迫られ、大学側が契約を断念したという。このような契約で学問や大学の独自性が守られるわけがない。
 70年代、大学自治の観点から日本の大学は産学協同を忌み嫌った。その反動であるかのように、現在、産学協同は産学連携と名前を変え称賛されるようになった。批判的な意見はあまり聞こえてこない。
 しかし米国と同じような事態にならないと言い切れるだろうか? 公的資金が減ってくれば、研究を続けるために企業側の意向を受け入れる研究室が出たとしてもおかしくはないはずだ。

■無批判に広まるトヨタイズム

 企業と教育機関と距離をどのように取っていくのかという問題は確かに難しい。
 例えば01年に開校したものつくり大学はトヨタ自動車など民間800社からの寄付で資金の一部を調達した。 「ものつくり大学設立準備財団」にはトヨタ自動車の名誉会長である豊田章一郎氏が就任。現在でも張富士夫・トヨタ自動車会長を理事に迎え、大学支援会員のトップにはトヨタ自動車の名が挙げられいる。またアイシン精機や豊田自動織機などトヨタ系列の企業も支援会員に名を連ねる。このような場合、協賛企業と大学の関係は当然のことながら深まってくる。
 企業が創設した大学としては、同じくトヨタ自動車がつくった豊田工業大学や、ダイエーが深く関わった流通科学大学なども有名である。豊田工業大学の建学の精神は、豊田グループの創始者・豊田佐吉の言葉「研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし」が掲げられている。当然のことながらトヨタ自動車の技術者が教員となっているケースも少なくない。もちろん卒業後にトヨタ自動車に就職する学生も多い。
 一方、流通科学大学は「流通革命」の拠点にしようと故中内功氏がもくろんだものの、ダイエーの落日とともに大学としての魅力も薄れてしまったようだ。90年代初頭、競争倍率が毎年のように10倍を超え、代々木ゼミナールの入試偏差値で60をたたきだし、多くの卒業生をダイエーに送り込んできた同大は、現在、入試偏差値で40代中盤に沈んでいる。これも産学連携の中で、企業と大学がもたれ合ってしまった故の悲劇といえる。
 産学連携のもっとも顕著な形として、企業から大学の教員として迎えられた人もかなり数にのぼる。
 例えば先に触れたものつくり大学では、田中正知名誉教授が大学開設にともない、社命によりトヨタ自動車から転籍した。
「学生たちに教えたいことは、たくさんあった。現場管理者としての安全管理、生産管理、資材管理、労務管理、購買管理、トヨタ生産方式、統計品質管理、故障診断法、リーダーシップロン、QCサークル活動……」(『「トヨタ流」現場の人づくり』日刊工業新聞社)
 田中氏は自らの著作で、このように大学教育への抱負を語った。生産・流通管理の専門家が大学で講義を持つ以上、トヨタ生産方式が教材になることは当たり前だろう。しかしトヨタ生産方式がただの「生産方式」ではなく、社員の哲学として浸透している現実。だからこそ他社ではなかなか浸透しないという状況を考えたとき、トヨタイズムを体現する元社員による教育は学問としての客観性に疑問が生じないだろうか?
 例えば田中氏は自著で次のように書いている。
「トヨタでは、自動車を生産、販売するという仕事を通して社会全体に貢献すること、そして社員みんなが幸せになること、このふたつを会社が存在する最大の理由として掲げている。建前は他の企業も同じかもしれない。が、それほどそれを真摯に、かつ真正直に考えている企業はないのではないか」
 トヨタ自動車が不景気にあっても、リストラをしないという方針を掲げている。それは事実である。しかし史上最高益を出しながらベアを廃止し、社員をリストラしないために大量の非正規雇用者を雇って人数調整しているのもまた周知の事実である。このような側面を同大の学生は教わることがあるのだろうか?
 哲学であるトヨタ生産方式が、ただの生産システムかのように見せかけて教育されているケースは、ものつくり大学だけではない。
 目白大学経営学部長でもある門田安弘教授はトヨタ生産方式を学術的に研究した権威でもあり、JICAの派遣専門家としてシンガポールで同方式を技術指導した経験を持つ。しかし門田教授が最新のトヨタ生産方式を解説したする『トヨタプロダクションシステム――その理論と体系』(ダイヤモンド社)には、トヨタ方式にかんするマイナス面がほとんど書かれていない。
 第Ⅱ部の第3章で「トヨタシステムに対する共産党の批判」という見出しを掲げ、このシステムによりトヨタの下請けがどれだけ泣かされたのかという共産党の訴えを記述しているが、トヨタの対応により「問題点はほとんど解消された」と記しているのだ。
 その一方で「合理化はコストを低減させるし、こうしたコスト低減は親メーカーとサプライヤーの双方が共有する義務だ」と説く。ここには自社の合理化で無理な部分を下請け企業に回しているという現実は含まれていないようだ。
 じつはトヨタ方式が教えられているのは大学だけではない。九州産業大学の国狭武己教授が書いた『現代生産システム論』(泉文堂)は工業高校の教科書としても使われている。第10章「トヨタ生産方式」では歴史や特徴などがそれなりに詳しく記されている。しかし、大きな問題を抱えたシステムであることは、ここでも記載されていない。

■将来の危険性

 日本企業の代表的な存在だからと言われればそれまでだが、注意しながら進めるべき産学連携にトヨタの影がついて回る。経済戦略会議には奥田氏が名を連ね、トヨタが大きな影響力を保てる大学があり、客員教授の形で元社員がトヨタ自動車の哲学を全面的に肯定して教鞭をとる。また日本の最高学府である東京大学の国際・産学共同研究センターにもトヨタのグループ会社社長が籍を置いている。産学連携の歩みのなかで、いつの間にか日本のトップ企業が大学での影響力を強めていた格好だ。
 トヨタが絶賛されている現状ならば、それほど大きな問題にならないかもしれない。しかし遺伝子組み換え作物のように、企業の利益と国民の安全が相反するような事態となれば、こうした教育界でのネットワークは企業保護に向かって走り出すのではないか。そんな不安が頭をよぎる。
 産学協同が叫ばれた時代のように、企業と大学の密接な関係をすべて否定する必要はない。ただし産業向きではない学問も含め、自立した学問の場が大学に確保されるよう常に大学と企業の関係を見守る必要があるだろう。(■了)

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