« 「健康意識」とサプリメント | トップページ | 産学連携の危険な膨張とトヨタの影 »

JR福知山線事故の深層/斉藤典雄

●月刊「記録」2005年6月号掲載記事

 脱線転覆。大惨事だ。
 JR史上最悪の事故となってしまった。
 死者107人、重軽傷者460人を出したJR西日本福知山線の脱線事故。
 あまりにも凄惨すぎた。これが現実なのかと本当に信じられなかった。
  「地獄絵図そのもの」「修羅場と化した」と負傷者は茫然とした様子で語っていた。「いつもと違う、もの凄いスピードが出ていた」という多くの証言もあった。
 乗客の救出活動は難航を極め、丸4日を要した。
  「再発防止に全力をあげる」「2度と起こさない」「申し訳ございません」はもう聞き飽きた。
 過去には例がない、これほどの凄絶な惨禍がなぜ起きたのか。現場検証や原因の究明が続く中、JR西日本の、やはり異常だった企業体質等が次々と明らかになってきている。
 まずは、事故現場の状況から記す。
 脱線したのは、7両編成の前寄り5両だった。
 目を疑うほどの何よりの衝撃は、線路脇のマンションに巻きついた車両だった。一枚の板のようにぺちゃんこになり、原形をとどめていない。マンションの角では「く」の字に折れ曲がり、外壁にそって張りついている。それが2両目だった。
 3両目は車両半分が線路上だが、進行方向が180度回転して、前後が逆に入れ変わっている。前部は大破だ。
 4両目は対向車線を完全に塞ぎ、5両目は一見線路上だが何軸かが脱線しているという有様だ。
 では、1両目はどうなっていたのか。事故当初は窺い知れなかったが、暫く経ってからようやく判明した。マンションの1階部分の駐車場に突っ込み、中にすっぽりと入り込んでいたのだった。その上、マンションに巻きついていた2両目が被い隠す格好だったため、外部からは確認出来なかったというものだ。しかも、脱線地点からマンションまでは約60メートル。車両は横倒しになったまま直進して激突したものと見られている。何台かの車を巻き込みながら止まったのだろう。20メートルの車両はじゃばら状に圧縮されて、7メートルになっていたという。想像すらできない。絶句だ。
 次に、脱線に至る経過を記す。
 話が前後してしまったが、事故発生は4月25日朝9時18分。長い直線からカーブに差しかかる塚口(快速は通過)―尼崎間で起きた。
 宝塚発同志社前行きの上り快速電車は約580人の乗客を乗せていた。事故発生前に停車した伊丹駅で、ホームを40メートル行き過ぎるというオーバーランを起こし、バックして乗降させたために1分30秒遅れて発車するという事象が発生した。
 この際、運転士は「(距離が)短かくならないか」と車掌に事故隠蔽を依頼、いわば口裏合わせをしていた。車掌は指令に「8メートル行き過ぎ、1分30秒遅れた」と虚偽の報告をした。指令は、状況を確認するため運転士に無線で2回呼ぶが応答はなし。発車してから約2分後、カーブに差しかかった所で事故は起きた。
 この線区の直線区間の制限速度は120キロ、カーブは70キロと定められていたが、カーブ手前の直線を126キロで走行し、108キロまで減速後、カーブ手前数10メートルの地点で非常ブレーキをかけていたことが事故調査委員会(国交省)などの調べで判明している。また、脱線した原因については複合的な要因があるとした上で、速度超過が主原因であると断定された。以上である。

■ミスした乗務員が草むしり!?

 問題は山積しているが、第一に安全対策はどうであったかだ。
 鉄道輸送は安全が最優先であることはいうまでもない。ダイヤが過密になり、スピードアップが求められる中で、万が一、運転士がミスを犯した場合のバックアップ体制として、「ATS」(自動列車停止装置)という優れた保安システムがある。
 今や、JR東日本をはじめ私鉄各社も速度超過に対応する新型のATSを広く導入している。しかし、この線区は赤信号のみの対応の旧型のATSのままだった。新型の設置がJR西日本全線で8パーセントにも満たないというから対策の遅れが際立っている。
 事故を防ぐ技術があるのにそうしなかったのは会社の怠慢である。責任は重大だ。営利優先、安全軽視といわれても仕方がない。
 また、カーブには「脱線防止ガード」(線路内側にもう1本レールを敷設する)が設置されていなかった。設置していれば脱線を避けられた可能性はある。
 さらに、車両の軽量化だ。コスト削減と高速対応のためのステンレス製だったが、これまでの鋼鉄製と比べれば強度の違いは明らかだ。被害が拡大した原因のひとつであることに間違いない。
 しかしながら、後述の2つは5年前に起きた日比谷線脱線事故でさんざん問題になった点である。手つかずのままだったのか、教訓が全く活かされていないことに愕然とする。安全には万全を期してもらいたい。人命を預かるという責任の重大性を認識し直すべきである。
 次に、電車はなぜ通常では考えられない速度を出したのかだ。
 運転士(23才)の死亡により全て推測でしかないが、異常な速度を出さざるを得なかった心理的要因には確証がある。
 それは、JR西日本の労務管理の特異性にあると断言出来る。乗務員がミスや問題を起こした場合の教育、指導のあり方に如実に表れている。2度と起こさないようにするために、安全への意識を高め技術を向上させるという本来の目的から大きく逸脱しているのだ。
 まず、この線区は速さが売りで1秒の遅れも許されない雰囲気があったという。実際、運転士にも秒単位の乗務報告をさせていた。
 その上、ミスを犯せば処分され、乗務停止の「日勤教育」と称する再教育が待ちうけている。なぜミスしたのかという「事情聴取」に始まり、原因究明より責任追及に重点が置かれている。
 言動は全てチェックされ、必要以上に問い詰められる。上司らが監視する中、反省文、自己批判、就業規則の書き写し等が何日も続く。期間は現場長の裁量に委ねられているため(これ自体疑問だが)、いつ終わるか分からない。
 一日中部屋に閉じ込められる屈辱。あるいは皆の目のつく所でさらし者にされるというみせしめだ。「誰から給料貰っていると思ってんだ」「乗務員失格だ」「辞めてもいいんだ」「もうしないと誓え」等々、ドラマで見る警察の取り調べのように人格まで否定される。果ては、基本動作等の強要、草むしりといった精神教育にまでエスカレートしていく。
 命を預かる以上、ミスに厳しい姿勢で臨むことは当然だが、これでは懲罰目的としか思えない、いじめそのものなのである。
 こうした恐怖のペナルティーで受ける精神的ダメージは相当なものだろう。目には見えない過大なプレッシャーに耐えきれず、自殺した運転士もいる。その父親は「日勤教育はいじめだ」として、JR西日本に損害賠償を求める訴訟を起こしている。裁判所は請求は退けたものの、日勤教育が自殺の原因だったことを認めている(現在は高裁に控訴中)。
 また、兵庫県弁護士会は「人権侵害にあたる」と、同社に改善勧告を出した例もある。
 もう何もいう必要はあるまい。運転士はオーバーランのミスと1分30秒の遅れを取り戻そうとパニック状態に陥ったことは容易に推察できるわけである。
 このような誤った管理体制は社員の志気を低下させるばかりではない。会社としての一体感まで損う結果となっている。それが今、切りがないほど明るみになっている、事故当日の社員の不祥事の数々だ。

■事故が起きても他所なら関係なし

 当初から、会社の対応は、責任転嫁ともとれる置き石発表、事故隠蔽を思わせる二転三転する会見内容等々、不手際が目立ち、どれもこれもといっていいくらい集中砲火を浴びていたが、もはや弁解の余地はない事態にまで発展している。
 事故車両に客として乗り合わせた運転士が2人いて、救助活動もせずに出勤した問題。事故を知りながらボウリング大会、ゴルフコンペ、海外旅行、宴会等々、枚挙にいとまがない失態続きである。
 「不謹慎だ」「鉄道マンとしての意識があるのか」「何を考えているんだ」と、遺族や負傷者の不信は増すばかりで、怒りを通り越してあきれ返っているという状態だ。鉄道員である以前に、まず人間としての使命を果たしていない。
 出勤した運転士は事故車両内から「メチャメチャだ、大変なことになっている」と電話を入れたそうだ。受けた当直は「ケガをしていないのなら出て来て」と出勤を指示したという。当直はどれくらい大変な事故かイメージ出来なかったに違いない。それは、事故直後に流された社内一斉放送からも窺える。いくら混乱していたとはいえ、「踏切事故発生、車と衝突、運転再開は12時ごろの見込み……」といった、普通では考えられないほどお粗末なものだったからだ。
 それにしてもと私は思う。誰もが皆、すっかりJR社員になり切ってしまったと。1分1秒たりとも遅れない、なにがなんでも出勤するという、いい意味での「ぽっぽや魂」を履き違え、本来人が持つべき当たり前の心さえ失ったのではないかと。これも一種の間違えた洗脳の結果だと思うのである。
 また、ボウリング大会を中止しなかった区長は計らずもこういっていた。「エリアが違う」と。JRは組織が大きい縦割り社会の典型だ。残念ながら横の繋がりは殆どない。職場、あるいは支社単位で競わされていることもあり、事故が起きても、他所なら「うちじゃなくてよかった」と、管理者ですらまるで他人事のように平気で口にしているという風潮が根強くある。これらは素直に改めるべき課題でもある。

■私が担当だったらブレーキを使えたか

 会社の失態を書き連ねたが、ふと思ったりもした。「もし私が担当だったら……」と。
 鳥肌が立つ。恐ろしい。イヤだ、イヤだといっても、やっぱり考える。
 車掌の仕事(役割)は3つある。
 ①列車の後方防護。②列車の状態監視。③車内秩序維持。
 中でも①が最も重要で、車掌は後方防護要員であるとまでいわれている。だから、最後部に乗務しているのだ。
 後方防護(列車防護)とは、事故が起きた場合、後続列車を止めること(運転士負傷の場合は対向列車も)、すなわち、併発事故(2次災害)を起こさないようにするということである。
 危険と感じたら(疑わしい時は)躊躇することなく非常ブレーキで止めることと、規則でも厳しく義務づけられている。
 例えば、この事故同様、普段とは違う異常なほどのスピードが出ていたとする。車掌には速度を見る義務はないが、駅への進入時とかならまだしも、運転の途中の一瞬の出来事であり、運転士に「大丈夫ですか」と問い合わせするくらいが関の山だろうと思う。変だなと感じてもあれよあれよと同じ結果になったに違いない。それで、脱線してしまった。確認したら、まず直ちに防護無線を発報する。これで近隣の列車は全て止まる仕組みだ。
 そして、指令に状況を報告する。もちろん、救急車、レスキュー隊の手配等要請もする。あとは、ひたすら人命救助にあたるだけである。……と頭では分かっているが、これほどの大事故だと、正直いって分からない。想像すらできない。
 何もできずに、ただ茫然と立ちすくみ、そのうちだんだんと気が遠くなり、意識を失っているかもしれない。気がついたら病院かも。この車掌は、全てを包み隠さず話すことがなによりの責務であると考える。
 いずれにしても、JR東日本では、分割・民営化前後の約10年間をピークに「日勤教育」という悪夢は影を潜めた感じだが、職場によっては未だにこうしたファッショ的な指導が残っているのが実情である。
 社長がいくら頭を下げて謝罪しても、心は遺族たちには届かない。また、幹部が「全社一丸となって……、事故を共有する気持ちで……」といっても、面従腹背が蔓延している現状では意思疎通すら計れず、信頼の回復は前途多難なばかりか絵空事でしかないだろう。
 お客様が便利になると、必ずといっていいほど社員が犠牲になっている。それは人員削減であったり、労働強化であったり、ゆとりや働くという喜びがどんどん失われていくのだ。これを正常といえるのか。それにしても遅すぎた。なにもかも全てが遅すぎた。
 最後に、誰もいわないから私が言う。「若い運転士が気の毒だ。名前も全て公表され、残された家族は永遠と不幸を背負う。人生これからだったのに……」。

■音声変えてもハッキリ私だと……

 この大事故の影響は意外な形で私にもおとずれた。
  コメントがほしいなどと、事故当日から約2週間の間にテレビ局3社と週刊誌1社から取材があったのだ。
「なんでおれなんかに」と思う反面、「仕方がないのか」という諦めのような複雑な気持ちが入り交じった。
 事故当日、私は夜勤明けだった。10時半ごろ乗務が終わり、本区に戻ると、控え室では同僚達がテレビの前で大騒ぎとなっていた。1両目か2両目かがぺちゃんこになり、マンションの外壁にへばりついているという、まったく信じ難い、わけの分からぬ衝撃的な光景が映し出されていた。
 ひとまず帰宅してからも、いつもはすぐ休むところを一日中テレビに釘付けとなっていた。どのチャンネルを回してもこの事故のことが報じられていた。これ以上はない大惨事だと思った。ただただ茫然とするばかりで言葉が出ない。晩ごはんを済ませ、あとは早目に寝るだけという8時前のことだった。テレビ番組スタッフからの電話である。
 取材だけならいいが、テレビに映る(写真も)のだけは本当に大イヤで勘弁してほしいのだ。その理由はいいようがない。イヤなものはイヤだと駄々をこねる子どもに理由を聞くようなもので、まるでオトナ気ない、理由にならない理由だからだ。
 そもそも私は人前に出るような人間ではない。喋るのは大の苦手でもある。その上、いつもの通り酔っていた。
 これから車を飛ばして、赤坂(TBS)から八王子(家)まで来るという。スピード違反だけは止めてほしいと思った。グズグズと決断しかねたが、全然大丈夫じゃないのに「大丈夫ですから」という相手に押し切られた格好だった。もう仕方なく承諾したのである。それからが大変。水やお茶をがぶ飲みし、熱い風呂に浸かりと、酔いを覚ますのに必死だったことはいうまでもない。テレビクルーが到着するのに時間がかかったおかげで、すっかり酔いも抜けたのだが……。
 10時前にチャイムが鳴った。ディレクター、カメラ、照明と総勢4人が家にみえた。約1時間位だったろうか。
全然大丈夫じゃないのに、またも「大丈夫ですから」と慰められ、事態はどんどん進んでいった。
 撮影とインタビューはわけの分からぬままに終了したといってよい。もう、ただただしどろもどろで、内柔外剛の自分をイヤというほど思い知らされ、意気消沈してしまったのはいうまでもない。
 従って、結果はどれも恥ずかしくって誰にもいえないものばかりだった。
 ところが、さっそく同僚にいわれた。「テレビに出てたよね、あれは間違いなく典ちゃんだ」と。どうしてバレたのかと不思議でならなかった。顔はボカシで音声まで変えてあったのに…。私のデカイ鼻がボカシからはみ出しそうだったからか。また、私は元々音声を変えたようなボソボソとした声質だから、地のままでいっても同じだったのかもしれない。
 翌日の朝に放映された、その具体的な内容といったらナサケナイったらない。スタジオに設置された大きなボードには「人為的ミスか? 現役車掌は語る『オーバーランはよくあること』」とものものしく書かれてあった。司会のみの某氏さんが「現役の車掌さんが大変な証言をしてくれました」と紹介した後、私が映し出された。
「オーバーランはよくあるといっても差し支えない」「若い運転士なだけに心理的に追いつめられたのでは」「運転士は職人気質で、秒単位で動かしているというプライドがある」「時間に対してのプライドが強く働きすぎて、安全面がおろそかになったのではないか」と途切れ途切れでたどたどしいったらないのだ。「オーバーランが原因の1つなのではないかと現役のJR車掌は推測する」と、合い間に入るプロのナレーションに助けられたが、まったく話になっていない。
 これでどこが大変な証言なのか。時間にして1分にも満たない。語るなどという代物でもない。どっちらけだ。恥ずかしさのあまり、テレビをぶち壊してやろうかと思ったほどだった。

■ついに会社から呼び出し!

 一方、週刊誌の方はとんでもない事態になった。私がいってないこと、いった内容と異なることが記事になっていた。これではJR東日本を誹謗中傷していると捉えられるかもしれない。会社から何をいわれるか分からない。私は直ちに抗議をした。そして、謝罪してもらったのだ。
 案の定、2日後には会社から呼び出しがあった。会社の要望は2点。記事にあることを私がいったかどうかの事実確認。会社には広報という窓口があるから、会社の名前を出して個人でマスコミ等に出るのは慎んでほしいということであった。
 主な3点だけ記す。
 取材で私がいったことは①東でも重大事故は起きる可能性はある。ないとはいえない。しかし、西のような事故はまず起きない。いくら超過密ダイヤでも、新型のATSが整備されているからスピードが出せない仕組みだ(速度超過をすれば、ATSによりラッシュの電車は次々と止まってしまうということ)。②10秒単位の乗務をしている。③3時間ぐらいしか仮眠出来ないこともある。
 それに対する記事の内容は①東でも西と同じ事故が起きる可能性が大きい。過密ダイヤの首都圏こそ危険だ。②1秒の遅れも報告するのが原則。③乗務員の睡眠時間は平均3時間程度。
 私は記事のようなことはいっていないことを告げ、以上の点を説明した。また、迷惑しているのは私であり、謝罪してもらったこと。誰にでも間違いはある(新聞、テレビでも)こと。
 そして、私は同業者として107人も死亡した、この大惨事を黙っていることは出来ない。対岸の火事ではない。JRへの愛社精神をもって、安全等の問題については警鐘を鳴らし続けていく。要請があればマスコミにもどんどん出る。会社もいったらいい、東は安全ですよって。これで終わりだ。
 会社はもう何もいわなかったが、翌日また呼ばれ、「もし、外部から会社に問い合わせのようなことがあれば、本人は謝罪してもらっていることだと答えるが、それでいいか」といってきた。わたしはオカシナことをいうものだと思った。そんなことはもう関知しないことだ。うちの困ったヒラ社員が勝手な発言をしたものでしてとでも、好きにいえばいいのではないか。会社は週刊誌に抗議するなり、謝罪文を出してもらうなり勝手にすればいい。

■東労組の若手が支持してくれた

 これで一件落着かと思いきや、今度は東労組による私への個人攻撃が始まったようなのだ。
 聞いた話だが、「いい加減なことを週刊誌に載せてんじゃねぇ」「断じて許さない」みたいな内容の掲示を張り出しているという。
 ま、私がとんちんかんなことをいったことになっているのだから無理もないが、うちの職場ではなく他所の職場に張り出すといった、相変わらず因循姑息なやり方である。
 呆れ果てるばかりだ。いずれ真実は分かるはず。そんなことをしていたら、組合員の気持ちは離れていくだけだろう。
 その夜、東労組の若い組合員が多くの人にメールを送ってくれたという。
「良識ある仲間に転送を! 週刊誌に掲載された三鷹車掌区の斎藤氏の記事の件で誤った情報が流されています。氏の意に反した内容が記事になってしまい、週刊誌に抗議、謝罪を得たとのことです。会社側も一連の事は把握しており特に問題はありません」。
 心から感謝する。ありがとう。涙がちょちょ切れるくらい嬉しかったよ。(■了)

|

« 「健康意識」とサプリメント | トップページ | 産学連携の危険な膨張とトヨタの影 »

月刊『記録』特集モノ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「健康意識」とサプリメント | トップページ | 産学連携の危険な膨張とトヨタの影 »