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地域に根ざす総合スポーツクラブを目指し-東京フットボールクラブ株式会社(F.C.東京)-

■月刊「記録」2003年7月号掲載記事

■取材・文/本誌編集部
■企画・制作/山口早紀

 東京フットボールクラブ株式会社。帝国データバンクによれば、2002年の決算では1600万円以上の利益をあげたという。
 不況の長期化と日本型経営の崩壊とともに、企業スポーツは縮小の一途をたどっていった。そうした企業スポーツの終焉を予測したかのように、サッカーリーグはプロ化され、ドイツなどを理想とした地域密着型のJリーグへと生まれ変わった。そのJリーグ発足から9年、FC東京を運営する東京フットボールクラブ(株)は、2002年1月の決算で黒字企業へと転換したのである。この不景気でありながら、集客能力は衰えをみせない。スタジアムへの観客動員数は、昨年Jリーグで3位を記録した。
「まだまだ満足出来るレベルではありませんが、すごく良い方向には来ていると思います」と、同社の広報担当の小林伸樹マネージャーは語った。
 もちろん当初から順調だったわけではない。99年、Jリーグ2部であるJ2で試合していた当時の観客動員数は、1試合平均わずか3000人強だったという。2000年に1部リーグのJ1で試合するようになって1万1000人。翌年には、ホームグランドとなる味の素スタジアムが完成し、2万2000人と観客が倍増した。
 Jリーグのほとんどのクラブは、株式会社の形式で運営されている。つまりお客さんを集めることで利益を上げ、その資金を使ってさらにクラブの環境を整えていく使命を負う。チームの選手全員が社員であり、会社の仕事として競技を行う企業内チームの時代とは、観客動員に対する考え方がまったく違ってきている。入場者が少なくなれば、経営を圧迫する。ある意味で当たり前の経済論理が、クラブを運営する会社にのしかかってくるのだ。
「会社の設立当初、私が上司から言われたのは、『観客を増やせ』それだけでした」と、小林氏は笑った。
 彼は広報の担当マンであるとともに、FC東京を地域に根付かせる「営業マン」でもある。最初に担当した地域はホームスタジアムのある調布市だった。
「調布市は動きが早かったですね。地元のプロサッカークラブを誘致しようとしていた団体もありました。僕らと二人三脚でどんどん町が動いてくれた。それで調布は大丈夫だろうと。その次に担当したのが府中市だったんです」
 99年早春、府中市サッカー連盟の理事が、小林氏と会う時間を作ってくれた。だが、喫茶店で向かい合って15分、小林氏は打ちのめされていた。
「全然、話が盛りあがりませんでした。せいぜい15分くらいしか話が保たなかったんですから。僕らが熱を持って良いクラブだと宣伝すれば、相手もそう思ってくれると思い込んでいたんですね」
 外は冷たい雨。テーブルにはまずいコーヒー。そして気まずい時間。
「受け入れてもらうための準備が必要だと実感しました。相手のメリットも示す必要がありますし、簡単じゃないな、と」

■アトラクションに行列が

 ホームタウンを決め、地域に根ざした総合スポーツクラブをつくりあげようというJリーグの理想は、日韓ワールドカップを知らない99年当時の日本人にとって、まだまだ夢物語だった。
 ヨーロッパのプロリーグのように、サッカーチームが町の誇りとなるためには、クラブが町に浸透し、クラブが町とともにあると、住民が実感しなければならない。Jリーグ発足が93年。野球人気の陰に隠れていたサッカーが、町で「市民権」を得るには時間が足りなさ過ぎた。
 だからこそ小林氏は考えたのである。「まず、僕という人間を知ってもらい、本気だぞということをわかってもらおう」と。
 彼はサッカー関係者や市の商店街関係者などを、こまめに回り始めた。ひたすら顔を出し、知人を紹介してもらい、雑談をし、FC東京の宣伝をする。
 タダのチケットを持ってくるようにお願いしてきた人もいた。一企業が宣伝のためにチームを持っているなら、いくらでも入場券を配ることができる。チケット販売は、チームを抱える企業にとって大きな意味を持たないからだ。しかしFC東京は違う。270もの出資先を抱える株式会社の運営の中核に、チケット販売がある。依頼を断るしかなかった。
 そんななか大きく流れを変えたのが、99年の夏に行われた府中最大の祭り「商工祭り」だった。たびたび顔を出す小林氏の熱意に押され、商工会議所がスペースを分けてくれたのである。ホコリの舞う小さなスペースだったが、小林氏は燃えた。
 試合を抱える選手を呼ぶことはできない。もちろん祭りのために、巨額の資金を投じるわけにもいかない。使えるのは、小林氏の頭だけ。
 彼はハンドボールゴールほどの大きさのキックターゲットを作りあげた。板に空いた穴へと蹴りこめば、商品を貰えるアトラクションだ。穴は3つ。幼児が転がして入るような穴も作った。参加費無料。入ったボールの数によって景品を変え、市販されていないFC東京のオリジナルグッズを大量に用意した。
「炎天下にズラッと行列ができました。朝から晩まで子供が並び続ける大盛況。ただ僕を含めたスタッフは辛かったですね。休みなくアトラクションを動かし続けましたから。精魂尽き果てましたよ(笑)」
 翌年、FC東京のブースはより人の集まる場所へ移っていた。すでに参加2年目から、定番アトラクションになったのである。そして府中市の3500社を束ねている商工会議所は、現在、FC東京の株主となっている。商工会議所を動かしたのは、やはり小林氏の情熱だろう。

■名門バルセロナに人気で追いつく!?

 こうした小林氏の動きもあり、FC東京の人気は少しずつ裾野を広げてきた。観客動員数こそ昨年と変わらないものの、年間チケットを買うファンの会員数は着実に増えている。現在の人数はなんと約4500人。J2の平均観客数3000人強だった時代から、わずか4年の快挙であった。
「全然満足なんてしてません。スペインのサッカークラブ・バルセロナは、10万人のコアなファンを抱えています。それだけファンを増やすことができれば、スポンサーに頼らない経営ができるでしょう。それこそクラブの理想でしょうね。
 でもバルセロナは創立50年で約2万5000人。FC東京は創立4年で4500人。あと45年かければ、到達できるんじゃないかなと思っています。
 満足しちゃ、ダメなんです。そこで止まってしまいますから。目標は高い方がいいと思います」
 小林氏の目は本気だった。
 今年、FC東京はバレーボールチームを立ち上げた。地域に根ざした総合スポーツクラブ構想を実現するためだという。精神修業を目的とした「体育」ではなく、土のグランドで足をすりむきながらするサッカーでもない。さまざまな種類のスポーツを一流のコーチで地域住民に伝えたい。サッカーをしたい子どもには、終わった後に空を見上げて寝ころべる芝生のグランドで練習させたい。
 すでにヨーロッパでは当たり前になっている地域スポーツの振興をFC東京は日本で作りあげようとしている。夢物語だと笑うこともできる。しかし「観客を増やせ」と言われ、「無理だ」と言い訳することなく小林氏が走り回ったからこそ、今のFC東京がある。
 45年先のFC東京を、私は心から見たいと思った。さて、FC東京は、バルセロナに肩を並べるビッグクラブになっているだろうか?(■つづく)

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