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素顔のピンク女優/寄り道の確信犯 ― 佐々木基子さん

●月刊「記録」2000年9月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■地方公務員からストリッパーへ

 目標までの最短距離を選択する人がいる一方で、回り道を選び、道草を楽しみながら歩く人もいる。どちらが良いともいえない。まっすぐ歩けば早く目標に達するだろうし、回り道をすれば思わぬ発見をするだろう。そして佐々木基子は、圧倒的に後者だった。ピンク映画への初出演は、なんと29歳である。
「29歳っていっても、30になる数カ月前でしたからね(笑)。ピンク映画には、若い女優さんが多いじゃないですか。だから私で大丈夫なんですかっていう気持ちはありましたよ」と、当時の心境を佐々木は語る。
 しかし新劇系の舞台女優として活躍していた佐々木は、できるだけ芝居以外の仕事をしたくない、芝居だけで食べていきたい、との思いからピンク映画への出演を決意する。そして彼女がピンク映画界で注目されるのに、大した時間を要しなかった。年齢を感じさせない見事なプロポーションと、養成所で培った確かな演技力は、主演・助演の区別なく仕事を運んできたからだ。特に彼女が主演した『好きもの喪服妻・濡れた初七日』は、ビデオリリースで記録的なヒットとなる。遅咲きのスターが、多くの人に認知された瞬間だった。
 佐々木が芝居に初めて興味を持ったのは、中学生だった。卒業生を送る会で学校に招かれた劇団に魅せられ、高校進学と同時に演劇部に所属した。
「高校を卒業したら、大学に進学して演劇部に入ろうと思っていたんですよ。でも、『女は大学に行くな』という父の一言で、親と同じ地方公務員に落ちつきました」
 もちろん中学校の事務員となっても、佐々木の演劇熱は簡単に収まらない。市民劇団に所属し、さらに中学校の演劇部顧問として学生の指導まで担当する日々。
「5年間中学校で働いていたけれど、良かったですね。仕事は定時に終わるので、芝居にかなりの時間を割くことができたし、安定した職業だし。それに田舎でしたから、中学校に勤めているだけで先生と呼ばれたりするんですから。違うんですけどね(笑)」
 ある意味で順風満帆の人生を送っていた佐々木に、転機が訪れたのは市民劇団の合宿だった。「本当に芝居をやりたいなら、養成所で基礎から勉強した方が良い」というアドバイスを、プロの舞台監督からもらったのである。当時、佐々木は22歳。ちょうど結婚を考え始めた時期と重なる。子どもを産み、平凡だけれど幸せな家庭を築くのに、何の障害もなかった。
 しかし佐々木は、上京を決意する。
「1回、どうしようかすごく迷ったんですよ。ただ何かやるならタイムリミットだと思いました。自分の人生を変えられるかな、とね」
 そんな佐々木の思いをさらに強めたのが、多くはない給料からコツコツと貯めていたお金だった。総額150万円。アパートを借り、養成所にお金を振り込んでも、数カ月は暮らしていける金額だ。役者への夢を実現するため、この貯金を持って佐々木は大きな一歩を踏み出した。
 だが、ここからスッと養成所に収まらないのが、佐々木の佐々木たるゆえんだろう。当座の生活費をまかなう目的で始めたスナックのアルバイトで、ストリップの踊り子にスカウトされ、デビューしてしまうのである。
「『踊り子を探しているんだけれど、やらない?』と誘われたんですが、ストリップなんて見たことなかったんですよ。だから、とりあえず劇場に行ってみました」
 彼女が行った先は上野だった。現在は潰れてなくなってしまったが、丸井の裏側にあった小さな劇場だった。出演していた女優は、ストーリー仕立てのストリップを演じていたという。セリフがあるわけではない。曲と踊りだけでイメージを膨らませ、観客をひきつけていく。その舞台を見終わったとき、佐々木の心は決まっていた。
「養成所より面白いと思いました。『体だけでここまでできるのか』って、感動しましたから。迷いはなかったですね」
 こうして地方公務員だった佐々木は、ストリッパーになった。ストリップの公演は、1日4回。10日ごとに劇場が変わるので、1公演、40回踊ることになる。それで給料は20万円そこそこ。しかも衣装代などは、この給料から捻出しなければならない。決して割りの良い仕事ではない。美人の佐々木ならホステスの方が、はるかに稼げたはずだ。
 しかも彼女は、同じ劇場で同じ演目をしないと決めて、どんどん新作を作っていった。当然、衣装代はかさむし、練習時間も増えていく。ダンスの基礎さえ習ったことのない佐々木は、踊りだけで観客をわかすことはできない。しかも彼女が踊る劇場は、観客が踊り子の体に触れることなど許さない、きちんとしたストリップ劇場である。歌詞の意味を存分に活かし、ストーリーに客を引き込んでいかなければ、客を満足させることなどできない。毎回が真剣勝負だった。その気迫が、全国各地にファンを作っていく。
 なかでも大阪の劇場で出会ったファンを、佐々木は忘れられないという。
「一日中ストリップ劇場にいるおじいちゃんがいたんですよ。4公演すべてを観て、しかも私が踊り終わるたびにプレゼントを舞台に持ってきてくれるの。
 ワンカップのお酒だとか、おつまみだとかね。同じ踊りを4回も見て、毎回、プレゼントを持ってきてくれるなんて嬉しくなりましたね。
 それから何ヵ月あとに、同じ劇場に踊りに行ったら、そのおじいちゃんから手紙をもらったんです。
――踊り子さんだから、お金やら高価なプレゼントをもらうことも多いでしょう。それなのに、100円のおつまみなんかを受け取ってくれてありがとう――と、書いてありました。
 私のステージを喜んでくれたお客さんから、『ありがとね』ってプレゼントを受け取っていただけなのに、それを喜んでくれる人がいるのは、なんて素敵なんだろうと思いましたね」
 こうして1年間、ひたすら熱中して踊り続けた彼女は、20本もの作品を作り上げ、「やれるところまではやった」という充実感を得る。
 そろそろ演劇に戻りたいと考え始めた佐々木に、ストリップに対する未練はなかった。きっぱりと踊り子を止め、舞台の裏方として働くようになる。衣装を作り、人の稽古を見ながら演技を盗む日々が続いた。
 その後、やっと当初の目的だった養成所に所属することになる。上京してから2年。すでに彼女は24歳になっていた。まわりは高校卒業したての10代、短大を卒業した20歳前後の研修生ばかり。だが彼女は、年齢など気にした様子はない。3年もの間、昼間は演劇の勉強一色、夜はアルバイトという生活を満喫していた。スナック・クラブ・喫茶店・やきとり屋・テープリライト・Q2で流れるHドラマの声優。興味のある仕事を次々と経験していった。そして研修が終わり、彼女の活躍の場は、舞台からVシネマ、ピンク映画へと広がっていったのである。

■やりたいと思ったら寄り道します

 この取材中、同じ趣旨の質問を何度か繰り返した。

――寄り道に後悔してない? という問いだ。だが質問のたびに、佐々木は首を振り続けた。

――学校の事務なんて面白くなかったでしょ?
「いいえ。仕事もきつくなかったし、楽しかったですね。ただ舞台に立つ学生を見守るのは、合わないかもしれませんね。自分が立つよりドキドキしちゃうから(笑)」

――ストリップから仕事が広がったわけではないですよね?
「もちろん。テレビや映画に進出したくてストリッパーになったわけではないから。面白そうだからなったんですもの。
 大声で誇れることでもないけれど、私にとっては、よくぞこんな職場を教えてくれたっていう気持ちなんです。お客さんも紳士的だし、女の子も観にくればいいと思いますね」

――裏方の仕事は面白くなかったんじゃない?
「いや、いろいろと作るのが好きなんですよ。ギャラも役者よりスタッフの方が高かったし(笑)。楽しかったですね」
 終いには、同様の質問に対して自信タップリに答えられてしまった。
「劇団の養成所だとか、役者になる最短の道を知らなかったのはあるんです。でも知っていても、やりたいと思ったら寄り道しちゃいますよ」
 もともと人見知りが激しく、他人の目を気にし過ぎる子どもだったという佐々木。小学校の先生から名前を呼ばれて、「はい」と答えるのが苦痛だったと話す彼女と、現在の彼女は一見つながりにくい。だが、「悩みだしたら、トコトン悩み抜く」性格は、昔のままだという。逆にいえば、悩み抜くからこそ、自分が最終的に決めた選択に迷いがないのかもしれない。
「地方公務員もストリップも裏方も、もちろんピンク女優も、自分にとってはマイナスじゃありません。何よりマイナスになるような生き方をするつもりはありませんから」
 寄り道の確信犯としての肝が据わり方が気持ちよい。美しい顔に隠された強い意志がビシビシと伝わり、一気にファンになってしまった。 (■了)

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