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コイズミのムチャと職務を忘れた法の番人

●月刊「記録」2006年3月号掲載記事

●取材・文/大畑太郎

「主文、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」
 東京高裁の雛形要松裁判長はサラリと判決文を読み上げ、また扉の向こうへと帰っていった。809号法廷の奥に位置する扉から登場してわずか5分。私の選挙無効訴訟の一審が終了した。
 あっけない主文読み上げに似て、判決理由もまた驚く淡泊であり、審査のすべてを放棄する門前払いであった。
 原告団の仲間は「判決なんてこんなもんだよ」と慰めてくれたが、裁判に精通しているわけでもない一介のライターにとってはかなり不満の多い内容であった。貴重な時間と印紙代など2万円を超える出費を考えると、裁判所はサービス精神が足りない! 裁判そのものの時間は計2回、あわせて15分程度。判決文はA4で6枚、素晴らしく行間の空いた代物である。
 これが私に回ってきたライター仕事なら大喜びだったろう。打ち合わせ2回計15分で、クライアントから提供された資料を軽くまとめて2万円もらえるというのだから。

 私が訴えた2006年9月の衆院選挙は異例ずくめだった。
 選挙からさかのぼること2ヵ月前の7月、郵政民営化法案が賛成233票、反対228票のわずか5票差で衆院を通過する。与党の自民党から51人もの反対および欠席者を出すギリギリの通過だった。
 予想以上の苦戦に、小泉首相は参院で否決された場合に衆院を解散するという脅しにでる。自民党内に根強い解散反対論があったこと、選挙となれば自民党が負けるとの予測も出ていたこと、また、いくら何でも参院での法案否決を受けて衆院を解散するようなムチャはしないだろうという憶測もあり、解散をブラフだと感じていた国民や議員も多かったはずだ。しかし8月8日、108票対125票で郵政民営化法案が参議院で否決されると、首相は即日に衆院を解散する。
 本来なら憲法59条2項に定められた通り衆院に戻して3分の2以上の賛成が得られないことを確認し、同上3項に定められた両院協議会を開催しなければ、首相といえども議会を解散することなどできないはずだったのにである。 
 その後、解散権乱用の論議は選挙戦の熱に飲み込まれ、あっさりと忘れ去られる。「刺客候補」が脚光を浴び、造反議員との戦いにマスコミも選挙民も熱中した。今は拘置所につながれているホリエモンも亀井静香氏の対立候補として大きな脚光を浴びていた。その結果は知っての通り。296議席を獲得する小泉自民党の圧勝だった。
 選挙後も解散権の乱用について首相は気にするふうでもなかった。民主党の前原誠司代表に「解散権の乱用ではないか」と国会で質問されても、「郵政民営化は極めて重要な法案で、実現について、内閣の政治的責任で国民の信を問うことは、憲法上、認められた解散権の行使であり、乱用にあたるとは考えていない」(『読売新聞』05年9月29日)と、いけしゃあしゃあと答えている。
 さらに9月30日の国会では国民新党の糸川正晃議員から同様の質問を受け、「しょうっちゅうするものではなく、異例中の異例だと認める。『次もまた参院で否決されたら解散か』と聞く人がいるが、こういうことはめったにない」(『読売新聞』05年10月1日)と開き直った。「めったにない」なら国会手続きをへていなくとも解散できるというのは法治国家の論理ではない。
 こうしたなし崩しの「デタラメ解散」に一石を投じようと、私はこの総選挙の選挙無効訴訟の原告の1人となり、中央選挙管理会を相手取り東京高裁に提訴したのである。

■裁判所の職務放棄だ!

 冒頭に記した判決には次のように書かれている。
「衆議院の解散は、このように極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為であるといわなければならないのであり、このような極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為については、その法律上の有効無効を審査することは、裁判所の審査権の外にあると解すべき」
 簡単に言えば、「政治性が高いから何も法律判断しないよ」と裁判所に宣言されたのである。この判決の根拠となっているのが、1960年に最高裁で出された通称「苫米地判決」だ。この裁判は52年に行われた衆院解散で落選した苫米地義三氏が、違憲で無効な解散行為によって議員を失職したのはおかしいと訴えたものである。
 一審の東京地裁は原告の訴えを認め、裁判結果による政治的混乱を理由に裁判所が法律を判断しないのは適当ではなく、解散の手続きは司法で判断できると認定。解散を統治行為論で除外すべきではないと言い渡した。
 ところが最高裁判決では「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であっても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外」にあると、裁判所が政治的な判断を避ける「統治行為論」による門前払いを鮮明に打ち出したのである。
 この45年前の判決が私の裁判にも重くのしかかっているわけだ。
 しかし「苫米地判決」は少なからず問題のある判決ともいわれている。法律論で詰めるまでもない。さまざまな「国家行為」を「高度に政治性のある」とひとくくりにした論理で、司法は行政の暴走を防ぐことができるのだろうかという疑問が素人にもわくからだ。じゃんけんのように互いが牽制しあって権力の暴走を防ぐ。それこそが三権分立であるなら、司法の判断を棚上げにする統治行為論はかなりの危うさをはらむ。
 もう少し詳しくみていこう。
 この裁判を通して初めて知ることになったのだが、学説的には統治行為論の肯定説も否定説もあり、その肯定説にもいくつかの種類がある。そのすべてを紹介するのは眠くなるだけなので差し控えるが、法律に強いわけでもない私にも、統治行為論が有効なケースがあるかもしれないと感じさせる学説はある。山下威士新潟大学教授が『別冊法学教室』(1985年)で「(苫米地判決は)この説を採用している」と書いた学説はその1つである。
「政治的に影響を及ぼす行為については『政治的に責任を負えない裁判所が政治的決定を審査することはできない』、そのような行為については『主権者』たる国民に判断を委ねるべきであるとする」
 なるほど、あるかもしれない!
 だが、苫米地判決と私の裁判に共通する衆院解散の手続きは、そもそも「政治的決定」なのだろうか? 
 奥平康弘東京大学教授は「『統治行為』理論の批判的考察」のなかで次のように「苫米地判決」を批判している。
「すべての解散は『高度に政治性のある国家行為』であるかもしれない。しかし、争点(一)【憲法第7条に依拠してなされた解散※著者注】は、解散の政治性と全く切りはなされた憲法解釈問題である。しかし、前叙のごとくに、この点の解釈を憲法上おこないうるのは、そして、おこなわなければならないのは、裁判所である。これは裁判所としては、回避することができない争点だったはずである」
 こうした論理を踏まえた上で奥平氏は、「みずからの憲法解釈をついに提示することなく、内閣の解釈に拘束されるというのである。これは、裁判所の職務放棄でなくてなんであろう」と断じている。
 また山内敏弘氏も「統治行為論と苫米地訴訟」の中で、「このような理由で裁判所の憲法解釈権さえも否認することは、裁判所の『憲法の番人』としての任務放棄につながりかねない」と指摘した。
 さらに早稲田大学教授の有倉遼吉氏は「衆議院解散の効力に関する審査権――いわゆる苫米地事件」の中で、「主要な争点は(中略)本件の解散の助言には一部閣僚の賛成をえただけで、適法な閣議決定を経たとはいえず、解散には内閣の助言と承認が必要とする憲法規定に反し無効ではないか、というところにある。このような争点の判断を国民が最終的に行いうるものであろうか」と疑問を呈している。
 つまり選挙という民意の表明方法が法律解釈に及ばない危険性を指摘したわけだ。今回の選挙でも小泉首相は郵政民営化だけに争点を絞る宣伝を繰り返した。「国会は郵政民営化が必要ないと判断したが、国民のみなさんにもう一度、必要なのか聞いてみたい」とも発言している。では、郵政民営化に賛成した国民が自民党の目論む消費税の大幅なアップを承認したかといえば、そうではない。まして法解釈など投票時に国民は考えもしないだろう。
 以上のような経緯をふまえれば、解散手続きまで統治行為論を使って憲法判断から逃げ回るのは司法の自殺行為だと分かる。まして私たち原告団は準備書面において76年の最高裁判決を例に取り、裁判所が選挙を違法と認定しても選挙の効力については有効とする「事情判決」の道もあり、これなら政治的にも問題にならないぞと、裁判の逃げ道まで教えているのである。裁判所は何を恐れる必要があるというのか。
 そもそも上院(参議院)による法案否決によって下院(衆議院)を解散できるケースなど、先進諸外国には見あたらない。議会の解散権を持たない大統領制の米国はもちろんのこと、上院に否決する権限のない英国、そのほか二院制のドイツやフランスでも、そのようなバカげた解散を認めていない。
 それでも勝てないのが行政訴訟。まさに暗黒司法のさばる日本だと落胆していたところ、原稿締め切り直前に大阪からグッドニュースが届いた。大阪高裁は同様の裁判について統治行為論を採用したものの、「なるほど、法案否決の後に、必ず憲法59条2、3項の手続きを踏まなければ参議院を解散することができないかどうかは、一つの法的問題であり、法的判断の対象となることは疑いのないところである」と一歩踏み込んだ判断を示したのだ。最高裁に向けわずかながら光が灯ったように感じた。
 すでに上告は済ませた。完全勝訴は正直難しいだろうが、将来むやみやたらな解散ができないよう、行政に「法的秩序」を示す必要性は感じている。行政のムチャを監視することは『記録』の役割の1つでもあるのだから。(■了)

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