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素顔のピンク女優/ピンク映画に向いていないかも・西藤尚

●月刊「記録」1999年6月号掲載記事

●取材・文/本誌編集部

■膝がガクガクした

 目の覚めるような黄色のストールを胸に抱きしめて立ち、「よろしくお願いします」と言って西藤 尚は深々と頭を下げた。慌ててこちらもお辞儀をし、もう頭を上げようかとチラリと彼女をうかがうと、まだ頭を下げ続けている。有楽町の人並みが、彼女を避けて二つに割れた。腕時計を見ると、約束の時間の五分前だった。その礼儀正しさに、まずは驚かされた。
 ピンク映画の女優に対する偏見が、私になかったとはいわない。だが、それだけではない。
 どこか世慣れていないと思わせるほど、彼女は礼儀正しかった。少なくとも取材で知り合った大学生や20代の社会人は、もう少しスレている。20代半ばの彼女に、いまだ高校生の役が回ってくるというのも頷ける。童顔というだけではない。たたずまいが初々しいのである。
 どうしてこんな女の子が、映画で裸になれるのだろう。彼女に会った途端、そうした疑問が頭をよぎった。

――映画で裸になるって、どんな気持ち?
 取材が始まって早々の私の質問に、少し考え込む仕草をしてから、彼女は言葉を選ぶように答えた。
  「女の子にとって、みんなの前で服を脱ぐことは本当に大変なことです。
 はじめて私が絡みのある芝居をした時、カメラが回っている間はかなり冷静だと思っていました。ところが出番が終わったら体が震えていたんです。その時、『あっ、やっぱり私はすごく緊張していたんだ』と驚きました。仕事だと思っても、みんなの前で脱いで絡むって、相当な覚悟と心の用意が必要なんです。
 だから最近は、はじめて脱ぐ女の子が気になります。大丈夫かなと思って。でも、みんな意外なほど間単に、裸になりますね」
 そして、彼女は笑った。
 人前で裸になることへの抵抗感には、個人差がある。比較的、裸への抵抗感が薄い女性も多い。気にならない女性にとっては、驚くほどあっさり服は脱げるものだ。
 だが西藤は違う。
 そうしたこだわりを、西藤は「ピンク映画に向いていないかもしれない」という言葉で口にした。
  「現場で監督と意見が違ったことがありまして……。『バンドエイド一枚で前バリは十分』だと、監督がおっしゃったんです。実際には、前バリを付けない女優さんもいらっしゃると聞いたこともあります。
 でも、見えるじゃないですか。だから私は交渉したんです。結果的には、バンドエイド七枚ぐらいの大きさの前バリを付けて、それをマジックで黒に塗りました」
 大きすぎる前バリをカモフラージュするために、マジックで塗りつぶしたというのである。
 そこまでして全裸を拒む自分に出会い、彼女は悩んだ。
  「そういうところで私は、『女優』よりも『女』なんだなと思って。局部までが映るわけではないけれど、体のすべてを見せることは芝居でもできない。根性がない、ピンク映画には向いていないかもと、その時はじめて思いました。以前も事務所の人などに『(この仕事には)向いてない、普通のお嫁さんになったほうがいいよ』と言われてはいましたが、私はやりたいからやるんだと思っていたのに……」
 そして私はまた疑問に突き当たった。これほど裸への抵抗感の強い女性が、どうしてピンク映画を選んでいるのだろう、と――。

■もっと大きな役のために

 西藤は、広島県出身。上京したのは、一九歳の頃だった。
 小学校時代から女優をめざしていた彼女にとって、高校卒業は芸能界へ足を踏み出すきっかけにしか過ぎなかった。まず東京へ、そしてデビューへと、夢は広がる。
  「NHKの朝の連ドラに出演するような、清潔感のある女優さんになるのが私の理想でした。自分の夢を叶えるためには、まず東京に行かなくちゃいけませんでした。でも父が大反対したんです。『東京なんて行ったら、入れ墨入れられて帰ってこられなくなる』と言って。田舎の父親にとって東京は怖いところでした。そこで誰にも頼らずに上京に必要なお金を貯めるために、アルバイトを始めました。新幹線の売り子です。距離的に少しでも憧れの東京に近づけるでしょ。でも時間がなくて、東京に降りて遊ぶなんてことは、とてもできませんでした。
 その時期が一番辛かったと思います。精神的にも不安定でしたし。アルバイトがないと、どこにも出ないで家でボーっとしてしまう。何をしているかというと、泣いているんです。ああ、今日も一日、何もしないで過ぎようとしていると思うと泣けてくるんです。テレビにオーディションの話題が流れると、『私は広島にいて受けることもできない! 同じ年頃の女の子がどんどん出ていくのに』って」
 結局、家族への説得と、資金を貯めるのに、西藤は一年を費やすことになった。そして上京。彼女はすぐにタレント養成所に入った。
  「養成所はいろいろ勉強させてくれました。でも仕事を斡旋してくれないので辞めました。私は一九歳でしたので、仕事をしなければ どんどん年をとってしまうと焦っていました」
 自分の年齢に焦りを感じていた彼女は、養成所で培った人脈をツテに仕事を取り始めた。真面目でしっかりと仕事をする人柄に、現場の受けも良かったのだろう。少しずつ仕事が入るようになってきた。グラビア撮影、ドラマのチョイ役。どれも小さな仕事だったが、女優への第一歩を踏み出していることには違いない。
 だが一年ほどすると、突然、大きな壁に彼女は突き当たった。先が見えたのである。何か異なるアクションを起こさない限り、現状のままでは、小さな仕事がたまに来るだけだ。あくまでタレントとして活動している限り、仕事は年齢の若い女性に回っていってしまう。
  「脱がないかという誘いは、昔からあったんです。でも、断っていました。自分が裸になるなんて、考えたこともありませんでしたから。脱ぐこと自体、別世界の話でした。
 でも脱げば、もっと大きな役をもらえる。だから裸になりました。だって私には、もう何もありませんでしたから。これで新しい展開があればと決めたんです」と西藤は、当時の自分を振り返る。
 まず裸のグラビアの仕事を引き受けた。脱げば仕事は増える。体中に銀粉を塗って撮影したこともあった。そうこうしているうちに、ピンク映画へ出演の話が来たのである。
  「結局、芝居ができるならということで、ピンク映画に臨みました」。これが西藤の出演動機である。
  「自分の仕事は女優しかない」と取材中、西藤は何度も口にした。だから脱ぐ。理屈は通った。
 だが、私には納得できなかった。
 では、彼女はなぜ「女優」にこだわるのか。今度はその疑問が湧いたのだ。ピンク映画の出演料は安い。性格も良く美人な彼女なら、芸能界さえ降りれば、ワリの良い仕事はいくらでもあるはずだ。彼女にとって「女優」とは何だろう。

■殺されると思った

 私の疑問に対する答えの糸口が見つかったのは、取材を始めてから一時間以上も経てからのことだった。

――西藤さんは、きっと普通の家庭に育ったお嬢さんだったんでしょうね。
 質問ですらない。取材の合間の雑談ぐらいの気持ちで口にした言葉だった。
  「そうとは、いえないかもしれません」
 取材中、真っ直ぐ私を見続けてきた視線が、少し下がった。
  「普段、父は優しい人でした。でもお酒を飲むと暴れたんです。私たちが夕食を食べ始め、父がお酒を飲み出すと、ほどなく両親のすごいケンカが始まりました。毎晩、毎晩。だから父が嫌いでした」
 西藤には、一つの忘れらない出来事がある。
  「小学校低学年の頃でした。父親に殺されるかもしれないと思った瞬間があるんです。詳しい状況は覚えていません。たぶん父と母のケンカに、私が加わるような形になったんでしょうね。父に体をつかまれて、二階の窓から放り出されそうになったんですよ。
 もちろん父は本気ではなかったでしょう。でも膝から上は全部 窓の外で、必死に父の腕にしがみついていた私は、もうだめだと思ったんです」
 多感な時期に父が与えた恐怖は、彼女に多大な影響を与えたに違いない。「最近まで、絶対結婚したくないと思っていました」と語る彼女に、当時の心の傷を見た気がした。
 高校時代、彼女はとにかく良い人に思われたいと考えていたという。だから友達にも本音をぶつけられなかった。
  「家の中がガタガタだったことを、他人に悟られないようにしてたのかもしれません。ひっそりと、とにかくひっそりと高校生活を送っていました」
 自分の高校時代を、西藤はそう分析した。
 だが自分の殻に閉じこもり続けた彼女は、女優という仕事によって変わった。自分自身を解放していくのである。
 西藤は言う。
  「女優は演じるもの。だけれど、その中で自分をさらけ出していくものでもあると思うんです」

■明るい女の子じゃない

 西藤がはじめて悪役を演じた『女囚 いたずら性玩具』(荒木太郎監督)には、面白い話がある。
 この映画では、悪役からなるべく遠いイメージの女優を起用する方針が採られ、西藤に白羽の矢が立った。演技がうまくいかないのを予想して、リハーサルまでは細かなカット割りが計画されていた。ところがリハーサルで見せた西藤の凄みによって、カメラは長回しに変わったという。
  「見直すと、自分の演技はまだまだです。特に他の女優さんを殴るシーンなんかは全然だめ。女優さんを傷つけちゃいけないという気持ちがどうしても強くて。
 でも、『女囚 いたずら性玩具』では、皆さんが思っていたよりは、女囚のイメージにできたのかもしれません。第一に悪役が面白かったですし。それにもともと私は、映画でよく演じているような明るく可愛い女の子じゃないですから」
 そう言って彼女は顔をあげた。
 裸になることで、彼女は活躍する場を獲得した。
 98年10月からは、スカイパーフェクトTVで放映している「パラダイスチャンネル」に出演。裸のニュースキャスターとして人気を獲得した。特に可愛い天然ボケぶりが、ファンを魅了している。
 そしていつの間にか本音で話せる自分がいた。
  「今までの人生で、現在が一番楽しいですね。女優として食べていくことができますし、何より自分が随分と自由になったような気がします。
 私には女優しかありませんから、息の長い女優になりたいと思っています。下手なら下手なりに、自分の気持ちを表出して演技ができるようになりたい。それが現在の目標ですね」
 取材が終わると、またていねいなお辞儀をして、彼女は去っていった。
 別れ際の言葉が、私の印象にもっとも残った。
  「役柄に必要だったら脱いでも、何をしてもいいと今では思えます。とにかくずっと女優を続けていきたいんです」
 彼女の凄みをその言葉に感じたからだ。 (■了)

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