« サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/共闘会議 国労の行方 腰痛 | トップページ | それで会社は変わったか/第2回 まだら模様のカジュアルデー »

それで会社は変わったか/第1回 さんづけ運動13年の功罪

●月刊『記録』2000年2月号掲載記事

●文/取材 本誌編集部

■上下関係をスムースにするマナー

 円高不況によって企業構造の改革が叫ばれていた当時、経済同友会が提唱し、一躍脚光を浴びた運動があった。「さんづけ運動」である。
 1987年3月に経済同友会から出された「労働力流動化時代に備えて」という報告書には、次のように書かれている。
  「若年層の異例抜擢は、摩擦を引き起こしやすいので敬遠され気味であったが、変革の時代にあっては頻繁に行われることが予想される。一方、同一企業に長く勤務したいと念願する者のなかには、昇進にこだわらず比較的軽い仕事を地道に勤め上げたいと望んでいる者も少なくない。
 将来は指揮命令権と年功との間に大幅なズレが生じていくことが予想されるので、敬語・敬称についても神経を使わなくてはならなくなる。そうした事態に備えるために初期訓練期間は別として、入社後10年以上を経た従業員の間では、職能の上下関係変動をスムースにするようなマナーを予め企業内に浸透させておくことが望ましい」
 終身雇用制が崩壊し、年功序列から実力主義へと移行した日本の企業体質は、確かにこの報告書のとおり「労働力の流動化」を招いた。その結果、「上下関係をスムースにするようなマナー」として、当時さかんに提唱された運動があった。「さんづけ運動」である。
 社内で社員の名を呼ぶ場合に、「部長」「課長」などの役職名をつけずに「○○さん」と「さんづけ」で呼ぶ。すると上司の年齢が部下よりも低くなった場合にも、上下関係に支障を起こさずにすむであろうというもくろみであった。当時、相当多くの企業が全社をあげてこの運動に取り組んでいた。さて、その「さんづけ運動」、業績を上げるのに、どれだけ効果があったのだろうか? 

■提唱前から独自に実践組

 経済同友会から「さんづけ運動」が提唱される以前から、自然にこれが定着していた企業もあった。本田技研工業である。
  「社内でのさんづけ呼称は、うちでは昔から当たり前に行われていました。ですから会社をあげて、さんづけを推奨した記憶はありませんし、いつごろから始まったのかも正確にはわかりません」と、運動の開始時期については、本田技研工業の広報部も首をひねる。ただ年齢・役職に関係なく、フランクに意見を交換できる社風があったからこそ、さんづけ呼称が当たり前に行われていたことは認めている。
  「社長であろうと身近に接していれば、自然とさんづけで呼べるものです。まぁ初対面の新人が、さんづけで社長を呼ぶのは難しいとは思いますが。
 つまり日常業務のなかで、上下関係を意識しすぎずにフランクに意見を交換できていれば、さんづけ呼称も自然と浸透していくものだと思います」(本田技研工業・広報)
 さすが社長室も作らず、大部屋の役員室があることでも知られている企業だけのことはあるだろう。
 そのホンダと対照的なのが、ライバル・日産自動車だ。
 経済同友会の提言からさかのぼること二年、当時の久米豊社長は、社内報『ニッサンニュース』に次のように書いて「さんづけ運動」を提唱した。
  「日産には余計な敬語が多過ぎます。必要以上の敬語なんてやめましょうよ。敬語を使って、尊敬しているかのように、大事にしているかのように祭り上げてしまっている。それが、人との関係を断絶させるもとなんですよ」
 だが現在では、さんづけ呼称が社内で話題になることはないと、同社広報部はいう。
  「社長が提唱することにより、さんづけの土壌が社内に作り上げられました。ただし当初から、さんづけを強制しようといった意図はありませんでした。
 そのために、さんづけが定着した部署もあれば、しなかった部署もあります。というのもさんづけで呼ぶかどうかは、個人の感覚に基づいたものだからです。結局、もっとも重要なポイントは、上司のとのコミュニケーションが円滑に行われるかどうかですから。
 さんづけの提唱によって、実際にどれだけコミュニケーションが改善されたかはわかりませんが、その当時の企業風土に何らかの影響を与えたと思います」
 広報部によれば、「さんづけ運動」のあとも、社内のコミュニケーションを円滑にするために改革が行われていたという。経営陣の階層別会議を取りやめ、一つのテーマを経営陣が皆でディスカッションできる体制に変えた取り組みなどがその典型といえる。
 しかし業績は、伸びなかった。
 身動きできないほどの有利子債務を抱え、結局、コスト・カッターと異名を取るカルロス・ゴーン氏が最高執行責任者(COO)に就任。報じられるところによれば、トップダウン方式で一気に再生案をまとめたという。それは、階層別会議やさんづけ呼称などを気にする暇もないほどの力技の改革だった。
 そして、「さんづけ運動」など気にもとめなかった本田技研工業が、日産を抜いて業界第二位のシェアを狙える位置にいる。本田技研工業の平成大不況を生き残ることができる可能性は一気に高まったといえるだろう。雲泥の差である。

■提言をきっちり守る優等生組

 さて、経済同友会が前記のようなマナーの提言をしたことに伴って、いくつかの企業が「さんづけ運動」に乗り出した。その一つが、住宅建材メーカーのトステムだ。ポストの高低にとらわれず、自由に意見を交換できるようにすることが運動を導入した動機であるという。
 運動開始から5年後にあたる94年に行った、本社勤務の全社員1886人を対象にしたアンケート調査では、運動の定着率が明らかになっている。
 上司をさんづけで呼ぶことを「100%実行している人」は53・9%。この数字に「ほとんど(70%程度)実行している人」を加えると、90%もの社員がさんづけを行っていることになる。つまりほとんどの社員が、ほとんどの場面でさんづけで呼び合っているということだ。
 ではトステムで、さんづけがここまで浸透した理由は何なのか。先述のアンケートによれば、42・6%の社員が「役職誤認がなく呼びやすい」という理由でさんづけを実行していた。続いて「より親近感が持てる」が35・1%。さらに「形式を捨ててより実務中心になれる」(19・2%)、「地位だけが一人歩きするといった感じがなくなる」(18・8%)、「構えないで仕事ができる」(17・7%)と続く。
 この結果を見るかぎり、トステムは、「さんづけ運動」に関しては優等生というところだろう。
 同時期に運動を始め、しっかりと企業に浸透させることができたのが、洗剤などの家庭用品を扱う花王である。新聞報道によれば、社員個人個人に情報が公平に流れるようにするために始めたという理由であった。
  「現在は『さんづけ』が使われるようになってから入社した社員も多くいますので、上司も部下も社内で使うのが当たり前になっています」
 花王の広報は、現在の状況について、このように答えてくれた。では、この二つの企業の現在の実績はどうなのだろう。四季報を開いてみた。
 一言でいえば、両社とも順調に業績が伸びている。トステムは、98年3月に95億円以上の赤字を計上しているが、その後は回復。花王にいたっては、一度も赤字を計上することなく、大手格付け機関であるスタンダード&プアーズで「AA」と、かなり高い評価を獲得している。
 しかし、徐々にさんづけ呼称が定着していった時期にあたる90年代前半に注目してみても、特に目立った業績の伸びは見られなかった。「さんづけ運動」が会社の業績を左右する力になったとは言い難い。果たして全社を上げて取り組むほどの運動だったのか、やはり首をひねるしかない。

■危機感にあおられた社会改革組

 さて、 「さんづけ運動」は、経済同友会から提言があった時期にだけ取り入れられたものではない。なんと90年代に入ってから企業改革の一手法として取り入れた企業もあるのだ。
 92年4月から運動を展開したのは第一勧業銀行だ。第一勧業銀行は、同年同月、頭取に就任した奥田正司氏が、「わたしを『奥田頭取』ではなく、『奥田さん』と読んでください」と、全国支店長会議で挨拶したと伝えられる。当時、この「さんづけ運動」への取り組みは、都市銀行初の試みとして多くの新聞で報道された。
 また第一勧銀から遅れること1年。第二地方銀行の殖産銀行でも「さんづけ運動」は開始された。
 叶内紀雄頭取の提案で始まった運動の目的は、意見のいいやすい職場を作ること、そして複雑化した役職名の呼びにくさを解消することにあった。現在、この運動は行員の五割程度にまで浸透している。また運動が社内に与えた効果についても殖産銀行の人事部は次のように語っている。
  「職場の雰囲気が柔らかになり、職位・職制を超えてなんでも話し合える環境作りとマナー向上に大きな力となっています。また、上下関係に縛られず、全員が同じ目標に向かう行風に貢献しています」
 さらに最近になって、この運動を導入したのが山陽特殊製鋼だ。運動開始時期は、なんと97年11月。ほぼ2年と少し前にあたる。
 山陽特殊製鋼で、「さんづけ運動」とともに行われた改革が、社内のフラット化と管理職の年俸制だ。部長・次長・課長・係長・担当の五段階を、部長・グループ長・担当の三段階に改変した。平成大不況によるビジネス環境の激変に慌てて手を打った格好だ。
 しかしこちらは、危機感を持って行われた改革だけに浸透は早かった。
  「昨日まで役づけで呼んでいたのに、いきなり一一月一日から、さんづけで呼ぶのは難しいと思いました。そこで最初のうちは、できるだけさんづけで呼ぶようにという通達を出しました。
 でも改革を実行してみると、心配は杞憂に終わりました。というのも、さんづけ呼称は三ヵ月で社員に浸透したからです。また同時に行われた社内組織の改変も、業務の迅速化という効果を短期間で生み出しました」
 大変良い結果を生み出したと広報部は語る。では、90年代に入ってから「さんづけ運動」を導入したというこれらの企業の現在の実績はどうだろう。
 第一勧銀はご存じの通り、三行合併でどうにか息を長らえたが、どれほど不良債権があるのかはいまもって不明である。またどのように吸収されるのかという明確なビジョンも明らかにはされていない。殖産銀行は、現在でも公表されているだけで192億円もの不良債権に苦しみ、山陽特殊製鋼にいたっては、運動が浸透した99年3月決算で、過去五年間で最悪の赤字を経常している。

■呼称程度じゃ変わらない

 社内の風通しを良くし、人員の流動化のために取り入れられた「さんづけ運動」は、社内の雰囲気こそ変えたかもしれないが、結果的にみれば業績には反映しなかった。それでも97年までこの運動を推進しようという企業があったことは、逆にいえばそれだけ日本企業の風通しが悪かったことを示しているだろう。
 そして企業の業績は、このように安易で表面的な運動などでは、簡単に変わるものではないということだ。

|

« サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/共闘会議 国労の行方 腰痛 | トップページ | それで会社は変わったか/第2回 まだら模様のカジュアルデー »

月刊『記録』特集モノ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/389724/8800004

この記事へのトラックバック一覧です: それで会社は変わったか/第1回 さんづけ運動13年の功罪:

« サイテイ車掌のJR日記・斉藤典雄/共闘会議 国労の行方 腰痛 | トップページ | それで会社は変わったか/第2回 まだら模様のカジュアルデー »