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行動派宣言!/ジプティ難民救済会

■月刊『記録』96年4月号掲載記事

■ありがとうあなたの真心

■運動の目標
 民間海外援助事業を通じ、ボランティアに対する正しい認識を深め、ジプティ共和国にいる難民救済を図る。

■発足の経緯

 隣国ソマリアなどの内戦により、ジプティ共和国へ人口の1割もの難民が流入している。ジプティ共和国は人道的立場から快くこれを受入れている。このジプティ共和国のラシャドゥ・ファラ大使の講演を聞いた会員の1人が、ジプティ共和国内難民へのボランティア活動を思い立ち、各方面から63人の賛同者を得て、1989年3月1日に「ジプティ難民救済会」を結成した。

■運動の歴史

 ジプティ共和国内への具体的な援助は、90年の義援金贈呈から始まった。以後、義援金の贈呈は中古衣料品と中古毛布の送付へと形を変え、現在も続いている。去年は20kg梱包を70個現地に送った。92年は授産所を建設、93年には現地に赴き識字教育と縫製作業技術指導を指導した。翌年には、移動用バスと給水用タンクローリー寄贈するとともに、陶芸技術指導のために、現地の女性1人を3ヶ月ほど日本に招いた。今年の3月には、炊事場兼食堂用プレハブと難民住居用テントが完成する予定になっている。

■今後の抱負

「草の根ボランティアの輪を広げよう」を合言葉に、これからも地道なボランティア活動を続けていきたい。

■思い出深い出来事

 93年11月、ジプティ共和国の孤児センターと難民キャンプを訪れた。私達を迎えてくれた子供達は、送った文房具や衣服を活用してくれていた。確かに届いていることを確認し、ほっと安心したのを覚えている。
 炊事場では食事の準備がなされていたが、壁も調理台もなく、食べ物は土間に置かれていた。この時の驚きが、現在進めている炊事場と食堂の建設の発端となった。また診療室には医薬品が見当らずベッドだけが置かれ、熱を出した子どもが横たわっていた。このような状況でも、子ども達は明るく、きらきらと輝く目と素敵な笑顔を持っていた。そんな子供達を忘れることが出来ない。
 ジプティ市内から車で1時間半ほど砂漠を走り、アウルアルサ難民キャンプを訪ねた。このキャンプでは、日本人の医師の方と看護婦さん2人がボランティアとして働いていた。突然、日本人と出会ったので、互いに驚いてしまった。水不足と灼熱の中でコレラと一生懸命に闘っている姿には、頭の下がる思いだった。何も出来ない自分が恥かしく思えた。
 ジプティの空は青く澄んでいて、苦しい環境に頑張っている難民の人々、そして国境を越えてボランティアとして働く多くの人々に魅せられた。同時に、人の愛に心あつくした。
■工夫している点やユニークな方法論

 現地はイスラム圏のため、日本人には理解できない生活習慣も多い。例えば断食を行うラマダン中は、大使館も午後1~3時までしか開いていない。宗教的な問題なので、イスラムの習慣に合わせるようにしている。

■運動の問題点

 多くの方々の協力や、学校ぐるみで集めた中古衣料や文房具を、ジプティ共和国へ発送しているが、アフリカまでの送料が高く苦慮している。

■運動を継続するためのポイント

 郵便局の国際ボランティア貯金の援助金と、地元でのバザー収益金などで会を運営している。全国の皆さんからの善意が、自分達を動かしている。(近藤律子)

■現在のウェブサイト……なし

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