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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/リハーサル 新潟 拉致監禁

■月刊「記録」1996年11月号掲載記事

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○月×日

 こんなことまでしなくていいのにと思うが、二次試験の面接のリハーサルということで勤務終了後に区長室に行かされた。
 まず、ドアのノックの仕方、おじぎ・挨拶の仕方、着席の仕方、受け答えの仕方と、「仕方関係」を重大事のように教わり、実際に区長の前で一通り練習した。「背筋を伸ばして」「頭をもっと深く下げて」とか、「そのナメクジ声にメリハリをつけて」と、事細かく注意されながらやったのだが、このようなことは大の苦手なので疲れることこの上ない。
 また、40問ほどの面接想定質問事項のプリントがあらかじめ渡されており、よく頭に入れておくようにとのことだった。一夜漬けの丸暗記、しかもその場限りで忘れてしまう無意味なことをやるのもツライなと思う。
 JRのクレジットカード「ビューカード」に入っているかは必ず聞かれるから、しっかり答えられるようにとも釘をさされた。入っている、いないは手元の資料ですぐ分かる。「試験に受かったら入る」などという冗談は通じまい。アレコレ悩んでしまうが、まだ1週間以上も先のことだから何とかなるだろう。
 それにしても、内心不安になっていく弱い自分にハッとする。ようやく一次試験にパスしたのだから、二次はなんとしてでもここでクリアしたいというのは正直な気持ちだ。受かるにはどうすればいいのかは歴然としている。試験の点数などではない。本当は一番重要だと思われる、仕事ができるできないは関係ないのだ。要は、会社にどれだけ限りない忠誠心があるかが問題なのである。 「ウソも方便、ここまできたら何でもハイハイと言ってりゃいいのさ」と、昨年受かった同僚の顔が浮かんだ。こんなことにまで人間としての素直な良心と葛藤しなきゃならんのか。いったい、いつまでが闘いなんだろう。私はぐったり疲れて、情けない気持ちで区長室を後にした。
 家に帰って、グラスを片手にプリントに目を通してみた。やっぱり、こんなことまでしなくてもいいのに、としか思えなかった。新サンマに添えられた辛い大根を口にしながら、「暑い夏は来年もやってくるのだ」と呟き、ドボドボとウイスキーをグラスに注いだ。

○月×日

 早朝4時の電話で目が覚めた。お義母さんが危篤という連絡だった。一刻も早くと、準備もそこそこに、家族全員新幹線の初電で新潟の病院へ向かった。生きていて欲しいとただただ祈りながら、込み上げる哀しみと悔しさを精一杯堪えての重く長い車中だった。
 遅かった。間に合わなかった。永遠の眠りに就いた後だった。嫌だ、もう嫌だ、こんなのイヤだ。
 お義母さんは素晴らしい人だった。とてもいい人だった。いつも明るく優しくて、自分の利害など一切考えずに他人に心底尽くす人だった。面倒見のいい、ほんとうに素晴らしい人だった。
 お葬式と面接試験の日程がぴったりと重なってしまった。会社の計らいで当初の4日後の最終日に設定してもらい、3日間の忌引のところを6日間休ませていただいた。できる限りの手伝いを終えて帰途についた。お義母さんはこの先、私の心の中で生き続ける。輝きこそすれ色褪せることは決してない。
 東京へ戻ると、いつの間にか夏は終わっていた。行きの半袖姿のままの私の周りを、ヒンヤリとした風が嘲笑うかのように通り過ぎていった。

○月×日

 散々だった。お葬式から帰ったばかりだから、というのは理由にならない。あらかじめ渡されていた40問の質問事項のプリントも、当日朝にコーヒーを啜りながら10分ほど目を通しただけ。もう当たって砕けろだった。
 ○○課長代理、△△副所長ら、おエライさん3人の面接試験官を前に、私はやや緊張気味に着席した。試験官はまず初めに、「この面接に向けてどんなことをやってきましたか」と聞いてきた。私は正直に区長とリハーサルをしたと答え、さらに「プリントをしっかり勉強して参りました」などと思わず言ってしまった。「ウソも方便」という同僚の教えに、やはり正直に従ったのだ。ん?
 私がそう言ったからかどうかは判らないが、プリントからはわずか4問ほどしか聞かれなかった。丸暗記してきたとでも思われたのだろうか。そういうことならば意地の悪い試験官だが、私は内心「助かった」とホッと安堵していた。なかには「ほとんど聞かれたよオレ」という人もいたからだ。
 しかし私は、JR東日本の「綱領」を聞かれた時にはシドロモドロになってしまったのだ。「綱領」は三つある。
 一つ、安全の確保は、輸送の生命である。
 一つ、規程の遵守が、安全の基礎である。
 一つ、執務の厳正は、安全の要件である。
と、今ならこのようにスラスラ言えるのに、その場では何を血迷ったのか、何と国鉄時代の「綱領」とごちゃまぜに答えていた。
 一つ、安全の確保は、輸送業務の最大の使命である、と。内容は同じだが言い方が微妙に異なっている。「意識改革できていないな。キミは未だに国鉄マンだ」といわれそうだが、今となってはここが運命の別れ道のような気がしてならない。この後は、ほとんどが答えられないことばかりだった。
「社内報は読んでますか」と聞かれ、実際よく読んでいるので「ハイ、よく読んでいます」と答えたものの、「では、営業収益はいくらと書いてありましたか」とくる。分からない、答えられない。何兆何千何百何十億円などという、私にとってそんな天文学的な数字などは覚えていない。
 いずれにせよ、約20分の面接時間で私の口から発せられた言葉のほとんどは「わかりません」「忘れました」だった。もはや結果は歴然だ。それでも私は「これでいいのだ」とサバサバした気持ちだった。お葬式は一度きりだが試験はまた来年もあるものね。やっぱりオレって、大器晩成なのかな……。

○月×日

「白昼堂々、拉致・監禁」。このような信じられないことがJRの職場では度々起こるのだから恐ろしい。なんとも大人気ないが事実なのだ。
 ことは高崎車掌区での事件だ。東労組の新人車掌3人が8月1日付で国労加入という勇気ある決断をした。国労はさっそく歓迎会を開催し、予想される嫌がらせに対して、会社としてもキチンと対応するよう申し入れたのはいうまでもない。
 当然のように東労組は、革マル派の本性を剥き出しにして、若い3人に対して卑劣きわまりない奪還行動を展開した。どんなことをしたかというと、乗務前、乗務後のホームに連日4・50人もの東労組の動員者を待機させ、取り囲んだり発車ベルを押させなかったり、また乗務中の車掌室へ代わる代わる入り込んでチョッカイを出すなどの業務妨害、さらに宿泊施設内でも「話がある」などと睡眠をとらせず、24時間付きまとい、罵声・暴言による恫喝を行ったのだ。 挙げ句の果てには、むりやり腕を抱えて東労組事務所へ拉致し、「オメエの将来がどうなってもいいんだな」などと監禁したというものである。 このように3人を精神的・肉体的にも追い詰めて、結局は力ずくで再び東労組に加入させるという暴挙だった。3人の決意が固いために、手段を選ばぬ暴力的な攻撃で復帰させたわけだが、彼らの心までは取り戻せないだろう。また、会社側はといえば、こうした一連の東労組のやり方を見て見ぬふりの黙認するという呆れた無責任ぶりであった。
 3人には大変気の毒なことだったが、東労組を脱退するとこうなるのだということを目の当たりにした他の若い同僚達は、さぞビビッたに違いない。しかし、今回の事件により彼らは会社と東労組のえげつない本性を深く心に刻み込んだ。若い良心はだんだんと離れて行くことだろう。
 これからのある3人は、これにめげずに逞しく成長されることを願う。さあ、明日も明るく元気に出発進行だ。共に闘おう。

○月×日

 わが国労、大幹部である小島中央闘争委員による講演があった。興味深い発言は次の通り。
「JRの弱点は、松崎=内ゲバ暴力集団をパートナーにして労使協調組合を作ったこと。しかも、革マルが会社の恥部を握って、会社はこの関係を切れなくなってしまっている。松崎との関係を整理できない。だが整理しなければ自分達が危ないので、距離を置こうとしたら列車妨害がおきた。誰がやったのかは確証はない。しかし皆分かっている。また、これによって政府の側にはJR東日本が革マルに牛耳られている会社だということが印象づけられてしまった」
「何年か前から、JR東労組が会社ともめる度に防護無線が押されて列車が止まった。労使ともども、冬場の乗客の着膨れが原因などとうそぶいていたが、事実上の順法闘争をやっていたという見方が公安関係者の常識となっている」
「国家権力は、会社(JR東日本)の経営陣は革マルに操られていると認識している。公安調査庁や内閣調査資料室の内部資料を見ると、国労は、『労働組合法に基づき、JR社員などで構成される合法的な労働組合』だが、JR総連(東労組)は、『破壊活動防止法の調査対象団体である革マル派が事実上の影響力を行使する政治主義的色彩が濃い労働組合』と規定されるようになった」
「花崎常務はかつて、『松(松崎さんのこと)は革マルじゃないという話も出ているが、そうに(革マルに)決まっているじゃないか。会社が松は革じゃないなどとは一度も言っていない。共産党や協会派と闘わせるには、革マルを使うしかないというのが会社の判断だ』と語ったことがある」
「会社の中枢にいる赤門出のエリート官僚は、今のままでは自分達を守れないと思っている。ちなみに取締役会では『松田社長は北大、力村東京地域本社社長は都立大、そして原山副社長は東北大卒業と、揃いもそろって能無しの田舎大学出だ』とひそかに陰口を叩かれている。『東大出でなければ人にあらず』という国鉄官僚の輝かしい伝統は、JRになってからも本社の中で燦然と輝いている。列車妨害によって、よもや死亡事故などが発生すれば経営陣はすぐに更迭される。キャリア組にとってはそれは困る。政治生命が絶たれない道はただ一つ。田舎大学出の会社首脳陣に尻拭いをさせ、泥を被せるということだ……」
 と、キリがないのでこれくらいで止めよう。私達一般組合員は、このような内部に斬り込んだ話は滅多に聞くことがない。
 ただ、どこからともなくの噂で、なんとなくそのように理解はしているものの、「ウーム、ホントにそうなのかなあ」と考え込んでしまうのだ。しかし、今やJR東日本の実質的な社長は松田さんではなく、同じ松の松崎さんであるという認識は国労組合員で一致している。
(■つづく)

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