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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/ツバ 無事故 子ども

■月刊「記録」1998年6月号掲載記事

○月×日
 お客様は神様です。お客様あってのJR。JR東日本会社の指針にも、(お客様第一)「私たちは、まごころをこめたサービスをいたします」とある。
 しかし心ないお客さまが大勢いるというのもまた事実。品行方正な私でさえ、乗務中に「てめえコノヤロウ」と口走りたくなることもあるほどだ。しかし我慢、じっと我慢、ひたすら我慢し、(安全の確保)「私たちは、安全・正確な輸送に徹します」と心の中で唱え、(会社の発展)「私たちは、企業意識とチャレンジ精神で日本のリーディングカンパニーをめざします」を肝に銘じているのである。
 私達車掌は、電車が動き出してからホームを通り過ぎるまで、乗務員室の窓から顔を出し、「列車監視」を行う。もし異常があれば非常ブレーキを用いて直ちに電車を停車させねばならない。安全確認は車掌の義務なのだ。そういう大事な監視をしているときに、ホーム上のお客さまからナントナント唾を吹っかけられることがあるのだ。唾ですよ、ツバ。
 『最大の侮辱』はたまた『名誉毀損』である。とっ捕まえて「てめえコノヤロウ」くらいは言ってやりたいのだが、「安全・正確な輸送」のためには、こんなことで電車を止めるわけにもいかない。
 だが、私達とてプロである。そうそうそんなものをかけられるワケにはいかない。唾を吐くなどという「てめえコノヤロウ」的な人は、直前の気配で大体察しがつくので、スバヤク窓を閉めたり、華麗に身をかわしたりしてしまうのだ。新人車掌を除けば、モロに唾をかけられることはまずない。
 他人の唾をかけられるなんて、想像しただけで身体中を消毒したくなる。非常にクサイし、乾けばなおさらである。私はプロだから唾をかけられたことはない。断じてない。けれど乗務を終えて車掌区に戻ったら、いつもより丹念に顔を洗おう……。テメエコノヤロウ!

○月×日
 近所にあるチェーン店のスーパーへ食料品を買いに行った。安さ爆発ナントカスーパーなどという類の店ではないのだが、実に感動してしまった。心躍る安さである。 まず、一年を通して飲んべいには欠かせない豆腐が2丁で100円。そして、血液の流れをよくし、心筋梗塞や脳卒中を防止するともいわれている納豆。私も2日に1度は口にしているが、3個パックでこれも100円。そしてその銘柄がこれをおいて他にないほどふるっている。その名も『秘伝金印納豆』である。八王子よいとこ、みんなでおいで。その際は京王八王子もあるが、ぜひJR中央線をご利用いただきたい。
 「安さ爆発」で思い出したが、わが家のベランダのすぐ下には桜の木がずらりと並んでいる。ここ数日の陽気で今にもつぼみが爆発しそうだ。花見は今年からわが家に動員することに決めた。

○月×日
 おかしな飲み屋があるものだ。仕事の帰り、八王子駅北口の大衆酒場にちょいと一人で入り、カウンターに腰かけた。
 とりあえずビールと冷や奴、そして焼き鳥。その後焼酎に切り替え、今日一日を反省しつつ、ほろ酔い気分でふと隣に目をやると、隣のオッサンのニンニク焼きがなんともうまそうに見える。
 そこで、「明日は休みだし、口臭も気にすることはないな」と、ニンニク焼きを一本注文したのだ。しかし店員は「ニンニク焼きは焼き鳥と一緒でなければ注文できないことになっている」と宣う。私はすでに焼き鳥を注文しているのに。しかし相手は頑として譲らない。
 私は『こんな店二度と来るものか』と心で呟きながら、オアイソを済ませたのだが、きっとまた来てしまうに違いない。なにしろ勘定が安かったのである。

○月×日
 そりゃあ私だって落ち込むことはある。あるのだ。何しろサイテイなわけだし、ハイな気分でいるときよりも沈んでいる方が多いくらいだ。しかし、それらを克服して生きて行かねばならない。もしかしたら、自分自身を励ますため、自分の弱さを正当化するために、こんな日記を書いているのかもしれない。
 堕ちるところまで堕ちて、どん底の状態にあったとしても、本当にやる気があるのなら、そこからはい上がろうと必死で努力するだろう。何事もトントン拍子で行きたいものだが、挫折もまた人間が鍛えられる絶好のチャンスだと受けとめることができれば、プラスに作用するだろう。
 口では簡単に言えるし、実際その通りなのだろうが、頭で分かっていても、なかなかうまくいかないのが実情である。
 なにしろうちの子ども達は皆私に似てしまい、デキが悪くて困る。子を持つ親なら誰もが経験していくことなんだろうが、さまざまなトラブルや突発的な病気等、これまで一体いくつの修羅場をくぐり抜けてきたことか。 その都度、至らなかったことはあったにせよ、親として出来る限りのことをやってきたつもりである。しかし、子ども達が大きくなるにつれて、私の描いた青写真は未完成の無意味な紙切れとなってしまった。まさにビートルズの『ドント・レット・ミー・ダウン』(がっかりさせないでくれよ)の心境である。
 子ども達の弱さもさることながら、私自身も無力感に打ちのめされている。まさに父親失格といわねばなるまい。
 JR東日本の基本方針に、「現状を打破する勇気と責任ある行動で、活力あふれる職場を創ります」とあった。職場を家庭に置き換え、私は立ち直らなければならない。ジョー・コッカーの『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』(友達にちょっと助けてもらって)を聴きながら。……やっぱりこれがイケナイのだろうか?

○月×日
 湘南の海へ向かった。八王子から1人、ガランと空いている四両編成のJR相模線に乗り、茅ケ崎まで。1時間ちょっとの小旅行だ。白いシブキをあげた大きな海を、ただぼんやりと眺めたかった。
 シーズンともなれば、足の踏み場もないほどの賑いをみせる砂浜に座り、水平線を見やって目を細める。もの思いに耽るフリをしながら、本当は何も考えていなかったのだが……。
 普段なかなか聴くことのできない波の音がなんとも心地良く響く。「こんな安らぎもたまにはいいなあ」と唇を舐めると、少し海の味がした。誰もいない喫茶店に寄り、珈琲を飲んだ。明日は仕事だ。どうしてこんなに虚しいのだろう。

○月×日
 事務係が掲示物を貼っていた。チラッと見たら今年度の昇進試験の募集であった。立ち止まって読むこともない。また1年が過ぎただけ。昨年と何も変わらない。ただ怒りが込み上げてくるだけだ。
 いくら私がサイテイとはいえ、普段はナカナカうまくやっているし、無事故を称えた盾だって持っている。まぁ、これは年数が経てばほとんどの社員が貰えるものだけれど。
 「あなたは長年にわたり安全安定輸送の確保と運転事故防止に尽力されました。よってここに運転無事故功労社員として認定しその栄誉を讃えます」。パッと見はちょっとしたモノなので、家族の写真なんかと一緒に宝物のように飾っている人もいるのだろうが、私はタンスにしまってある。それで何が言いたいのかというと、つまり皆と変わりなく、仕事はキチンと無難にこなしているということだ。
 他には人命救助の賞状を貰っている。「あなたはお客様転落事故に際し機敏且つ適切な処置により救助しました。これは人命の尊さと安定輸送の重要性を平素から深く認識された結果であり他の模範と認めます。よってこれを賞します」
 文面は個人を褒め称えた素晴らしいものなのだが、こうも試験が受からなくては、本当はバカにしているんじゃないかとさえ思えてきてしまう。本当にアホらしくて「今年はもういいや」というのが本音だが、そういうわけにもいかない。
 忘れよう。ビートルズに浸りすべてを忘れよう。「アビイ・ロード」B面の壮大なメドレーは、今聴いても押さえきれない感動を呼ぶ。
 「かつては道があった。故郷へ、家へと続く道があった」(『ゴールデン・スランバー』)。国鉄のころはそうだったね。「これからは長い間ずっと重荷を背負っていかなければならない」(『キャリー・ザット・ウエイト』)。JRになっちゃったからね……、ああ思い出してしまった。
 いずれの曲もビートルズとしてはラスト・レコーディングなのだが、最後のメッセージは「結局は、君が受ける愛は君が与える愛と同じなんだ」というもので、なんとなく意味深で哲学的なニュアンスが感じられる。タイトルも文字通り『ジ・エンド』。愛とは自分自身で作り出すものなのだろうか。泣けるなぁ……。

○月×日
 風薫る五月。悠々と空を泳ぐこいのぼりが、健やかに成長する子ども達を見守っている。「こどもの日」5日付の日本経済新聞・社説は、青少年問題を取り上げていた。
 子どもの犯罪やいじめが多発する一方、ボランティア等で力を発揮している若者もいる。良い芽を伸ばして、悪い芽を正す責任は大人にあり、中央教育審議会(中教審)は「家庭と地域社会の役割の大きさを力説」し、有識者は「幼児期から小学校入学までの家庭のしつけの大切さを指摘」とのことである。
 こんなことは当り前で分かり切ったことであるが、私はなんだかうちのことのようで身につまされる思いがした。「家族がお互いに何をしているのか知らない宿泊客のような『ホテル家族』が増えている」と続いていたからだ。ウチの場合、私は飲んだくれで、妻は仕事でいない。子ども達もそれは知っている。しかし逆に、子ども達が何をしているのかを、私はさっぱり知らない。
 中教審は「父親不在が母親任せの子育てを生み、母親のストレスを増加させている」と、原因の一つに「父親不在」を挙げている。ここの父親と母親を入れ換えると、まさしくウチであるが……。
 冗談はさておき、「夕食を家族とともにする日を決めてはどうか」と中教審が提言し、それによって「日本社会を変える」というのが、この社説のタイトルとなっている。
 実にもっともなことだが、私にはナンセンスであるとしか思えない。
 私のまわりを視れば、食事などともにしなくとも(夜勤やらで出来ないのだが)、子どもは皆しっかり健全に成長している。一緒であるに越したことはないが、両親がしっかりしていれば、父親が家庭にいなくても立派に育つのだ。わが家を見よ。父親がいたところで、どの子も大変素晴らしいとしかいいようがないくらい、徹底してだらしなく反抗的ではないか。
 さまざまな生活スタイルがあり、また、それを余儀なくされているのが現実だ。「家族で夕食が日本社会を変える」とはまったく生ぬるい。私には寝言にしか聞こえない。皆、満たされない条件の下で悪戦苦闘し、幸せと安息を求め必至にやりくりしているのである。
 あぁ、今日もまた支離滅裂にコーフンしてしまった。いつまで経っても子どものままで、大人も演じられないのだ。

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