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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/国労本部 カンバン ナメクジ声

■月刊「記録」1997年4月号掲載記事

○月×日
 間もなく東京駅に着く。到着は1番線だ。所定のアナウンスを終えると、乗務員室の窓を開け、左前方をカクニンする。「風速5メートル、北西の風だな」。わが国労本部の屋上に掲げられた赤旗は、今日もハタハタとはためいて心強い。
 職場の分会役員にばかり迷惑をかけてはいられない。済まないという気持ちで胸が痛む。私ももっと動かねばと思う。自分自身のことなのである。元はといえば、東労組の本部が問題にしているということだ。私は発作的に決断した。「これは、あの赤旗の下に行くしかない」と。
 勤務を終えたその足で、私は再び電車に飛び乗った。陽は西に傾きかけてはいたが、私は単身、赤旗を目指して東上したのだった。国労本部は、動員のデモ行進で前を通ったことは何度もあるが、中へ入ったことは一度もない。しかし、緊張などしている場合ではなかった。誰でもいいから、とにかく幹部に会いたい一心だった。それにしても想像とはずいぶん違い、中は雑然としていて庶民的というか……、などと観察している余裕はなかったのだ。入り口付近の人に身分を明かし、「役員に是非お会いしたい」とお願いした。
 運よくすぐに鈴木業務部長が応対して下さった。私はまず、何の連絡もせずに突然伺ったことを深くお詫びし、ここに来ると決断した瞬間よりもさらに逆上しつつ、話を始めた。『記録』に連載していること、その経緯、書いている内容やそれに対して東労組がケチをつけてきたこと、私の現在の心境などを率直に訴えた。
 電話が何度も鳴り、席を外されたりで慌ただしかったが、途中からは宮坂組織部長も見えられて、1時間近くにわたって話を聞いていただいた。職場では職場でしっかりやるから、本部間でも何とかしていただけないだろうかとお願いした。「何かあったらキチンと対応するから心配するな。おたくの分会からも話は聞いている。一応気構えておくに越したことはないが、あまり神経質になって乗務に差し障るといけない。事故でも起こしたら大変だから」と、激励されて本部を後にした。
 嬉しかった。来てよかった。時には、泣く子も黙る国労などと非難される幹部達である。実は、「親方日の丸」労働貴族でふんぞり返っているのでは、という危惧もほんのちょっぴりあったのだ。そんなことは全然ない。どこにでもいる普通のオッサンと何ら変わりない人ばかりで、私は何だかホッとしたのだった。

○月×日
 寒い。寒くて寒くて、たかが10分の自転車通勤が辛く感じてしまう。JR中央線武蔵境駅と三鷹駅の1駅間だけなのに、このごろはわが社の車での通勤が多くなった。根性なしの弱い私である。
 妻も子ども達も、街さえまだ寝静まっている。新聞配達で白い息をハアハアしながら風を切る、自転車のお兄さんとすれ違うくらいだ。夜明け前の真っ暗な駅までの道をひとりトボトボと歩く。
 視界に入ったJRの駅は煌々と光り輝いていて、まるで自信に満ちているかのようにデンと構えている。なぜか私は、ホッと安堵すると同時に、「ああ、なんてJRは優しいんだろう、こんな早くから開いている。仲間はもう働いているんだ」と、当たり前のことに感動すら覚えてしまう。
 「待っていてくれてありがとう、オレを無事に三鷹まで連れて行ってくれよ」なんて、ヘンに素直になったりする私なのである。

○月×日
 今日も快調!! 「出発進行」の力強い喚呼により、オレンジ色した私の中央線は定刻に発車する。西に沈む夕日に向かって、34パーミルのかなり急な勾配を滑るように下っていく。
 いつもの見慣れた景色だが、所狭しとそびえ立つビルの屋上や外壁に掲げられた社名、広告等の看板を眺めるのも楽しいものだ。
 神田駅に進入すると、東側にはサラ金の看板ばかりが目に入る。この街で彷徨う自分を想像するとゾッとするが、1番目立つのは「ほのぼのレイク」だ。私は一瞬真剣に考える。もし「ク」が「プ」だったらと。
 ハイ、さて次の御茶ノ水駅は、電気の街・秋葉原と目と鼻の先ということもあり、電気店の看板が多い。やっぱりここでは、電気のことなら「石丸電気」だ。ビルの外壁一面に店のマークが描かれていて、さすがにデッカイわ、だ。変わったものでは「岩手のササニシキ、岩手県経済連」の古く色あせた看板が目に止まる。
 この向こうに位置する上野駅は、東北・上越新幹線が91年に東京駅乗り入れになるまでは「東北の玄関口」といわれていた。3年前の冷夏による米不足の騒動、タイ米の記憶はすでに色あせてしまったが、東北の農家には大打撃だったに違いない。嫁不足という難題も抱えているのに。
 四ッ谷駅はなんといっても「富士火災」の看板で、時刻と気温が交互に表示される電光掲示板が付いている。私達乗務員のほとんどが見ていると思う。寒い時分に限らず、真夏でも「四ッ谷何度だった?」というのが挨拶代わりになっているくらいだから。
 今話題の新築の紀伊國屋書店と高島屋のモダンなビルを横目に新宿駅に着き、サンプラザの中野駅を過ぎたころにはすっかり暗くなり、街に灯りが灯っている。そして次の高円寺駅にさしかかると、目を見張るような真っ赤なネオンサインが美しく浮かび上がる。なぜか環7沿いのあちこちのビルの屋上にある大きな看板。これをカクニンしてしまったなら、もうたまらない。「酒は天下の太平山」「両関うまい酒」「秋田清酒高清水」と、いいねいいね、5つもあるのである。『中央線看板オブ・ザ・イヤー』はこれに決定!
 今日の乗務は、あと5駅こなせば三鷹駅で交替となり終了する。残り8キロ、時間にして10分だ。「運転士君、もう少しピッチを上げてくれないか」。私の頭の中は、寄り道していく飲み屋のことでイッパイになっている。 2つ先の荻窪駅手前にある、処方するのに「処方せん」という薬局の看板も見落としてしまいそうだ。困ったものだね。これでは飲み屋がカンバンになるまでいるだろう。でも、明日は休みなのだ。

〇月×日
  息子の私立高校の受験結果が速達で届いた。何もしてやれない私は「せめても」と、受験の前日に近所の神社にお参りしておみくじを買った。「吉」と出た。『学業「正しく学べ」』と、なんだかピント外れなことが書かれていた。
 今日は休みである。皆出掛けた1人の部屋で、ビル・エバンスの哀感を帯びたピアノを聴きながら、二日酔気味の身体を癒していたのだった。するとチャイムが鳴り、速達が届けられたのだ。私は「合格」の2文字をこの目で確かめるため、急いで封を開けた。
 ところが、間違いなく3文字ある。「信じられない」と、一瞬目の前が真っ暗になってしまった。正しく学んできたのに余計な「不」がついている。私は通知を片手に、しばらく家の中を意味もなくウロウロしていた。
 ピリピリと気が張り詰めて神経質になっていた息子は、私の助言や忠告など一切聞き入れず、自分で勝手に志望校を決めていた。妻も「一番よく知っているのは彼だから」と、息子の言いなりで呑気に構えていた。私も内心、「息子なら大丈夫」と思い全然心配していなかったのだ。だがもはや後の祭りだ。
 今日まで人一倍頑張っていた息子の姿と、下校して通知を見た時のガックリ肩を落とした息子の顔が私の瞼に何度も重なっては消えていく。息子に対して私ももう少し一生懸命であるべきだったと、深い反省の念がこみ上げてくるのだった。
 「挫けるな、強く生きろ」と自分にも言い聞かせる。息子の前で私があたふたと動揺しているわけにはいかない。下校したら、「都立でガンバレ!!」と励ましてあげるしかない。それにしても辛いものがあるなぁ、お父さん役って。

○月×日
 「ダウンジャケットとも、そろそろオサラバだなぁ」と、春を待ちながらも、寒がりの私は背中を丸めて手放せないでいる。
 2ヶ月にも及んで張り出された地本のビラや私の作品のコピーが、東労組掲示板から姿を消して数日が経った。私の中でピンと張りつめていた緊張感の一つがどこかへ飛んでいった。その矢先、区長からの呼び出しがあった。主席も同席である。
「どうだね斎藤君、少しは落ち着いたかね」。これはもちろん私のアホバカ文についてである。地域本社など、上からの問い合わせが何度も何度もあったのだという。東労組から区長・主席のところにコピーが渡っているのは知っていたが、やっぱり会社側もしっかり読んでいたのだ。ここ(車掌区)から私のようなトラブルメーカーが出てしまったんだな。私はなぜか、「区長に申し訳ないことをしたのかな」という気持ちになったのだった。 区長は例の第4回のコピーを持ち出してきて、「猫なで声とかなら分かるが、ナメクジ声とはどういうことか。私はナメクジとは言っていない。コレを読んだ限りでは、私が斎藤君の声をナメクジだと言ったと思われてしまう」とおっしゃった。面接リハーサルの「そのナメクジ声にメリハリをつけて」という箇所についてだ。
 まったくおっしゃる通りである。私は細心の注意を払って書いているものの、誠に迂闊であった。区長に謝るしかなかった。言い訳は嫌いだが、私の清廉潔白を証明するとしたらこういうことだ。つまり、私はある時期から一貫して、「自分のヒドイ声質はナメクジである」と定義づけしてきた経緯があり、「声にメリハリをつけて」という区長の言葉に、ついついナメクジを付け足して書いてしまった。乗務中はしてはならない「無意識動作」が、日記帳の中で出てしまった次第なのである。
 雷が落ちると覚悟を決めたのだが、「斎藤君が分かってくれればそれでいい」と、なぜかいつもとちょっぴり違うような、それでいて太っ腹で優しいのは、やっぱりいつもと同じ区長なのであった。また、リハーサルを終えて「ぐったり疲れて」というところは、上から「そんなキツイことをしているのか」と聞かれたりして、とにかく大変だったという。
 私はさまざまな解釈があるものだと改めて驚いてしまったが、このようなことは苦手だということを表現したに過ぎないのだ。皆に合格してほしいという、区長の厚意は百も承知なのである。区長はもうその他のことについては一切触れなかったし、私も何も聞きはしなかった。 事の顛末は以上だが、この春の人事異動で2人ともよそへ転勤だという。区長には3年間もお世話になり、主席はわずか1年で異例の栄転である。おめでとうございます。しかしながら、「何だか済まなかったね、区長」「主席よサラバじゃ」。中央線のことはオレ達に任せてほしい。

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