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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/ソングライターの斎藤だ

■月刊「記録」1996年7月号掲載記事

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■線路がリズムを刻む

 どうしようもない。これしかないんだよ。東京と高尾を行ったり来たりさ。走り出したら止まらない。憂鬱な雨は、今日も窓の景色を濡らしているのに、中央線は脇目も振らずにひた走るのだ。「空よもっと激しく泣いてみろ」。声を限りに叫んでも何一つ変わりはしない。
 都会のビルの谷間をカーブして、住宅街を一直線。緑の田園風景を切り裂くように駆け抜ける中央線。炎天下、雪の中でさえ風を切り快走する姿はたくましく、なんとも感動的だ。私は「いつかきっと」と漠然とした表現しようのない希望を抱き、今日もこうして乗務している。
 夜明けの小鳥のさえずりとともに、クラシックの旋律に乗りながら中央線は滑り出す。橙色の朝日に包まれると、夢が静かに膨らむ。昼間は雑踏と喧噪とのハーモニー、種々雑多なメロディーが賑やかに錯綜する。ドンチャラ騒いでいた街も、茜色した夕日に染まるころにはやるせない郷愁を覚え、シャンソンがしんみり流れてくる。月明かりの晩は安らぎに浸り、闇夜の晩は激しくレールを叩きオールナイトのジャズが奏でられるのだ。
 もうすぐお前の家が見えてくる。お前の街の駅に着く。青い屋根のマンション奥の路地を折れた古いアパート。乗務を終えたら飲みに行こうか。次から次へと窓をかすめて遠くなる対向電車の信号機は「行け」という緑と「行くな」という赤と。雨で霞む黄色が、迷う私によく考えろと「注意」する・・・・わけないか。気取るんじゃない。

■満員総立ちのコンサート会場

「今すぐお前に会いたい」。そう思い込んだら突っ走るしかない。走り出したら止まらない。鉄道には夢とロマンが満ちあふれ、どこまでも長く続く銀のレールの上で果てしないドラマが生まれてきた。それは昔も今も変わらない。そんな背景にはいつも心に沁みる音楽が流れていて、いや応なしに感動を盛り上げてくれたのだ。音楽大好き車掌である私は、及ばずながらも、乗客の何気ない仕草や雰囲気でワンフレーズぐらいならたちまち即興でひらめき楽しんでしまう。たとえばこんな風に。どうか軽く聞き流してほしい。
「120円の切符を握りしめ、中央線に飛び乗った。外は爽やかいい天気、吉祥寺に住む君に会いに行こう」。フォーク調で軽やかに演ってみたい。しかし歌が完成したためしがない。それはどうも職業意識が邪魔をしているようなのだ。私はこのお客さんについついヒトコト申し上げたくなってしまう。「駆け込み乗車は大変危険ですからお止め下さい」と。安全第一ですからね。
 また、渋い人にはブルースが似合っている。
「夜明け前の始発でさ、オイラはひとり、旅に出る。コップのジンを空けたら行くよ。お前の寝顔にバイバイ・キス」。ちょっぴり照れてしまうが、これも同じく「目的地までの切符はキチンとお買い求めになりましたか」と、気になって仕方がない。
 さらに、ロックンロールがピタリとハマる人もお見うけする。
 「その日暮らしのコンサートツアー、OK馴れたぜキツイ旅、レールの響きがオレのララバイ、ガタゴト・トレイン、カモン・ベイビィ」。うむ、イカスよね。われながらナカナカではないか。もうこうなったら職業意識がどうのこうのと言ってられない。乗っちゃうよ、オレ。「アー・ユー・レディ」「イエイッ!」。マイクもある。コンサート会場も要らない。既にお客さんも大勢乗っているのだ。
「ご乗車ありがとうございます。本日に限りまして中央線車掌が歌う快速高尾行きです。お客様もどうぞご一緒に。最初のナンバーは‥‥」。なんてやれるわけないじゃないですか。あっという間に次の停車駅であり、なによりも「次は神田、お出口右側」のJR車掌なのである。いくら冷静さを欠いていても歌など許されるはずがない。やりませんよ、絶対に。「乗務中は努めて列車の運転状況及び車両の状態に注意するものとする」と規程にキビシク定められており、規程の遵守は安全の基礎なのである。現実は厳しい。どうしようもない。これしかないんだよ。私達JRの車掌は観光バスのガイドさんのようにはいかないのだ。

■中央線青春ドラマ

 さて、毎日の乗務でよく見かける胸が痛み、かつ気恥ずかしい光景は何といっても若いカップル達だ。彼はホームに佇み、彼女は電車の中。私は発車ベルを鳴らし終えると、心を鬼にして容赦なくドアをビシャッと閉める。その瞬間から私は彼から彼女を任せられたものと勝手に思い込む。電車は動き出し、ホームに残った彼の前を通り過ぎるとき、私は心の中で必死に告げる。「心配するな、彼女はオレが引き受けた。後は任せろ、オレが彼女をしっかりと送り届けるから」。ここからである、この哀愁ドラマのハイライトは。
「電車を止めろ。あんなオッサンに彼女を任せられっかよ。麻原より危険そうじゃないか、オーイ、止めてくれぇ」。彼は気が気ではなく不安は頂点に達する。しかしもう手遅れだ。私は走り出したら止まらない。「バイバイ・グッバイ・サラバイ、もう聞こえないー」。白い手袋の人差し指で「後方オーライ」なのである。ああ、私の担当電車でよかったね。なんてラッキーなカップルだろうか。私は目頭が熱くなってしまうのだ。
 このように私の目に映る乗客の何気ない営みが、まるで映画さながらの感動を与えてくれるから堪らない。そこには出会いの喜びがあり、また別れの哀しみを見ることもある。楽しさ満面の子ども達、怒りを秘めたような人とさまざまな姿がある。電車は喜怒哀楽のすべてを乗せて走っているのだ。感慨無量である。

■雲の上の人々よ

 そう、あれから何年が過ぎたのだろうか。もくもくと黒い煙を吐きながら、勇ましく汽笛を鳴らす蒸気機関車。私がまだ何の罪もない(今だってないけど)子どもだったころの淡い憧れ。今でも雪の銀河を走る汽車の景色に一瞬トリップしてまうことがある。私の住んでいた田舎の駅から、真っ白な田んぼの中へと真っしぐらに消えて行く風景が鮮明に映し出されるのだ--。絶景である。 国鉄時代は、車両(人も)は使えるだけ長く使うという価値観だった。あくまでも清貧、倹約、地味を貫き、安全、低廉、快適を維持してきたように思う。JRになると、未来指向の新しいスマートな車両がどんどん導入された。結局は、お客様に電車に乗っていただくことがメインなのだから、それは理解できる。私も「随分シャレているね」と、素直に新しい時代を感じてしまうが、どうも馴染めず好きになれないでいる。
 車両の美しさとスピードアップでキラキラ輝くJRというイメージももちろん重要だが、外面だけよくして、お客様に見えないところでは、同じ人間に対して何をしてもよいというのか。JR東日本は世界一の鉄道会社と浮かれているが、あなた方には殺風景な頂上の景色しか見えていないのだろう。悲しいね。JR当局の「ならず者」は、いい加減に目を覚まして歪んだ労務政策を改めるべきである。
 いつの間にか雨も上がって陽が射してきている。「待っていてほしい。いつかきっとお前のところに行くからな‥‥」。 (■つづく)

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