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2007年8月

サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/許せん 控訴 宝物

月刊「記録」1998年8月号掲載記事

○月×日
 冷静にならなければならない。5月28日の不当判決から数日が過ぎた。私には難しくて理解できなかったことも、判決文を何度も読み返すうちに、不当労働行為の責任は政府とJRにあるということがみえてきた。結果的には、11部・19部ともにJRの主張を認めた中労委命令取り消しの判決であり、中労委(国労)敗訴ということは事実だが、11部と19部の判断(改革法の解釈)が異なっていることに注目したい。
 11部では、改革法23条を形式的に解釈しただけで「JRに責任はない」としたが、「不当労働行為の責任は国鉄(清算事業団=政府)が負うべき」と政府の責任を明確にしている。
 一方の19部では「改革法をもってしても不当労働行為の責任はJRに及ぶ」として、JRの主張を全面的に認めたわけではない。中労委の救済方法に問題があるとして取り消したのだ。
 JRは記者会見で「大変に意義深い」「極めて妥当な判決」などと表向きは一様に評価したコメントを発表したが、判決を十分慎重に吟味したとすれば、かなり動揺しているとみていいのではないだろうか。
 大方の予想通り、国労勝利、JR敗訴の判決であったなら、JRは単に控訴するだけでよかったのだ。控訴して時間稼ぎに持ち込み、国労の弱体化を待っていればよかったのである。それがフタを開けたらこの結果。もうJRの先延ばし戦法は使えない状況となったのだ。
 残るは「不当労働行為の責任は政府とJRにある」という判決通り、政府の責任で政治的に決着を図るしかない。
 六月三日付の朝日新聞朝刊によれば、自民党の山崎拓政調会長が国労に対し、①国鉄改革の主旨を認める機関決定する、②中労委の救済命令を取り消した東京地裁の判決について控訴しない、③JR総連とJR連合の理解を得る努力をする、の三点を求めた上で、自民・社民・さきがけ三党として関係者が和解の席に着くよう働きかけを行う、という提案を行ったそうだ。
 国労としても機関決定にいたるまでに相当な紆余曲折が予想され、すったもんだの議論になるだろうが、これ以上紛争を長期化させてはならない。私達は正しかったのだし、国労が進んできた輝かしい歴史も消えるものではない。なにより国鉄労働組合には、1047名の闘争団を一刻も早く救済するという重大な任務があるのだ。

○月×日
 このごろ乗務中、普段なんでもないことにワケもなく腹が立ち、許せんことが多い。
 まず、車内がガラガラに空いているにもかかわらず、乗務員室のそばにずっと立っている中年のオッサン。別にヤマシイことをしているわけでなし、いくら見られてもかまわないが、やはりうっとうしい。私もときには鼻クソでもほじりたい。じっと見つめないでほしい。気分的に許せん。
 ホームの警備員。彼らが配置されてから三ヶ月も経ったろうか。最近では指差確認するし、車掌に敬礼までする。駅員と勘違いしているのではないか。まったく許せん。
 JR中央線の豊田駅を過ぎると、「コンパニオン募集」と書かれた目立つ看板がある。月収150万以上とあるが本当なのか。ウソでも許せん。
 荻窪駅前の看板。かれこれ10年以上前から「生まれかわる荻窪」というヤツが立ったままである。いったいいつ生まれ変わるんだ。許せん。
 ギューギューのラッシュ時に、すごくかわいい若い娘とぴったりくっついてニンマリしているオヤジがいる。なんとなく許せん。
 事故で電車が止まった際、無線から流れる声も弾み、俄然張り切る指令員がいる。現場のことを考えているのか疑わしくなっていまう。許せん許せん。
 朝、快便で出勤したというのに、乗務してから便意を催すことがある。わが身ながらホントに許せん!

○月×日
 自民党の機関誌「自由新報」1556号、評論家・屋山太郎の記事によれば、JR東日本は□○に手を貸しているということである。
 JR東日本の最大組合である東労組は、国鉄時代の動労系と同盟系の鉄労系が合併してできたというのは周知の事実だが、JR東海やJR西日本、JR九州では、その後また二つに割れて動労系が独立し、鉄労系が国労右派と組んで多数派に逆転している。つまり他のJRでは、動労系は以前のような少数組合に転落してしまっているのである。
 なぜ動労系と鉄労系が袂を分かつに至ったのか。鉄労系のいい分では、動労が□○から離脱していないとの疑いを抱いているからだという。
 JR東日本でも当然、鉄労系の人達は同様の認識を持っているはずだが、東労組は最大組合として現在も揺るぎなく居座り続けている。現在の東労組とJR東日本経営側は蜜月の関係にあり、鉄労系は声を出せないのだという。東労組の執行部は完全に動労系が掌握し、会社側も鉄労系が反乱を起こさないような人事配置を行っているということだ。
 これが東日本の労使関係だけは一見何の問題もないように見える理由だが、動労の組織拡大を会社側が手伝っているということに他ならない。最後は□○の組織拡大が順調に進んでいると結んであった。
 ハッキリとした確証はないが、周囲の声を聞く限りでは、このような認識をしている社員が圧倒的なことから、私も「そうなんだろうな」と力なく思う次第である。

○月×日
 スーツ姿のサラリーマン達が忙しそうに出勤していく。私は燃えないゴミを所定のゴミ箱に放り込むと、回れ右してのんびり部屋に戻る。今日は休みなのだ。
 世の中には不条理なことが数限りなくあるわけだが、サケくらい不条理なものはないのではないかと、二日酔いの頭でぼんやり考える。サケはうまい。心は癒され、愉快で楽しく、普段は寡黙!? な私も冗舌になる。この開放感こそまさに天国、これ以上のストレス解消法はない。労働した(しなくてもだけど)一日を締め括るにはやっぱりこれだ。
 しかしこれほど楽しいおサケも、飲み過ぎた翌日には二日酔いという地獄の苦しみに変わる。今日は休みだからいいが、仕事があればシンドイし、そんなことで事故など起こすわけにもいかない。
 私達は常に「階級的警戒心」をもって飲まなければならないのだ――こんなことを考える今日の私は、かなり重症である。

○月×日
 中労委と国労は地裁判決を「誠に遺憾、不服である」として、東京高裁に控訴した。やはり控訴という道をとらねば闘う場がなくなるに等しいのだから、これは当然の借置であろう。
 今回の判決は中央労働委員会の存在そのものを否定するものであり、まさに国家機関の自己否定に他ならない。そのようなことも含め、今後の裁判は正当な手続きによって判決の不当性を明らかにしていき、一方で政・労・使の話し合いによる早期解決に向け、全力で傾走しようということである。
 自民党による「三条件」についても、国労は今後、早急に関係者間で意見交換を行っていくとし、細部に渡り議論を重ねつつ、自・社・さきがけ三党間協議も継続していくとのことだ。
 それにしても先日閣外協力を解消したにもかかわらず、三党間でとはこれいかに? 私はこういったことが理解できないが、とにかくそういうコトなのであり超高度な? 状況となっているようである。
 私は国労八王子支部に駆け込み、「三条件に対して国労はどのような態度をとろうとしているのか、控訴期間は11日でしょ」と様子をうかがってみた。すると書記長は「アレはアレ、三条件の内容が大雑把すぎて応じようがない」とデンと構えているのだった。
 なんだか私一人が焦ってしまったようで恥ずかしいが、誰に何といわれようと現実を見極め柔軟に対処すべきだと思う。右へも左へもハンドルを切ることができない不器用な国労だが、ここはまっすぐに前進あるのみである。
○月×日
「もっともな結果である」と鼻高々な会社側幹部には、「国労が負けた」と喜んでいる人も少なからずいるだろう。
 そんなあなた方は、これまでどんなことをしてきたか胸に手を当てて振り返ってみるといい。数え切れない不当な行為は事実として決して消えることはない。
 以前にも言ったが、あなた方は「人間として」すでに負けているのである。「ナニを偉そうに小僧が……」と思うかもしれない。そんなことはない。私はいくらサイテイとはいえ、それくらいは言える分別のある年齢にも達している。世界に誇るJRが、私達国労なんぞに負けるわけにはいかないのだ。やってはイケナイことだってやらざるを得ない状況にまで追い込まれてしまったのではなかろうか。
 しかし、解決してないことはまだまだ山程ある。防護無線の盗聴にしろ、大月の事故にしても、まったく不可解なことがJRには多過ぎる。
 私達より、それこそ数段も弱い立場に置かれて苦しんでいる人達は大勢いるが、私は心の奥で感謝している。もし「分割・民営化」という理不尽なことが身にふりかからなかったら、私はきっと勝手気ままにのほほんといきていたに違いないからだ。少しは「人間らしく」なれたのではないかと誇らしくも思う。
 これからも国労魂を持ち続け、労働者として人間として人生を全うしていきたい。腹も出てきてちょっと太ってきたが「こぶとりじいさん」にはなりたくない。まだまだ一花も二花も咲かせなければならない。「花咲かじじい」になりたいと思う。
 さあ、JR中央線のアナウンスがナメクジ声だったら、もしくは停車中にこっそり鼻クソをほじっている車掌がいたら、それは間違いなく私だ。ぜひ声をかけてほしい。語り明かそう。もちろん飲み屋で。ん? もし私でなかったらどうするかって……。そんなことはない。そんな車掌は私しかいないのだから。

○月×日
「こんなものもあったっけ」。超多忙な方々ばかりということもあり、いつの間にか立ち消えになったものだと思っていたが、どっこいまだ運動は続いていたのであった。さまざまな分野の有識者たちが、国労の運動に共鳴し、支援してくださっている。本当に頭が下がる。本体である私達はさらに奮闘しなければならないと、改めて強く思う次第である。
「JRに人権を! 1047人の復職を求める一万人意見広告を広げる会」の呼びかけ人である鎌田慧、佐高信、新藤宗幸、福島瑞穂の四氏は、地裁判決後、都内で記者会見を行い、判決内容とJRの姿勢に強く抗議するとともに、政府の責任で解決に当たるべきだと訴えたという。 ジャーナリストの鎌田さんは「ひどいことをやるだけやって、自分たちがやったことではないと言っている。50年代の前近代的な中小企業の経営者でさえ中労委命令に従ったことを考えると、いかにひどい国家的な行為なのか。これを裁判所が追認してしまうならば、これからリストラが民間企業でもどんどん進められ、不当解雇に対する歯止めが何もないと感じている」
 評論家の佐高さんは「裁判所が異常に企業寄りであることが判決ではっきりと表れた。労働委員会は労働者一辺倒の委員会ではない。JRは、裁判とか法律とかをつまみ食いして、言うことを聞かなければ訴える。公的なものでも自分たちの都合に合わなければ訴える。公的なものでも自分たちの都合に合わなければ無視する。法的なものに従うという観念が全くない」
 立教大学教授の新籐さんは「労働委員会制度は、審判を労使が尊重し紛争を解決することを前提にしてつくられたものだ。それを今度は労働委員会を被告として行訴を起こすJRとはなんなのか。もしこのようなやり方を経営側が公然と取っていったら、職を奪われた人間はどこにもアピールできないという事態を招きかねない」
 弁護士の福島さんは、「判決のままいくとある人を追っ払いたいと思えば、新会社をつくって法人格が違うということで労働組合連動をつぶすことを認めることになる」
 以上が各氏の主な発言である。
 私はこの場を借りて国労の一員として厚く御礼を申し上げたい。ともに頑張りましょう。

○月×日
 今をときめく直木賞作家である浅田次郎からサインを貰い、嬉しくていつも持ち歩いている。
 うちにある本もすべて(といっても四冊だけだが)もう一度一字一句丁寧に読み返している。それがどれもこれも泣けるのなんの。どの作品も人間の普遍的な「情」が描かれており、いつの間にかすっぽりハマリ込み、決まってホロリとさせられるからタマらない。
 その浅田次郎のサイン会がJR八王子駅前の書店であった。自宅から近いということと、『鉄道員』の腰巻きにある「あなたに起こるやさしい奇跡」という文句に心を奪われ、「まあ趣味じゃないけど、サイン会とはどんなものか」と初めて長い列に並んでみたのであった。
 このサイン会は『見知らぬ妻へ』という新刊本の刊行記念だったのだが、私はコレでないと意味がないと、『鉄道員』を持参して行った。
 待つこと約四十分、漸く私の番が回ってきた。初めてお目にかかる浅田次郎は写真よりずっとイイ男で、一寸の隙もなく、近寄り難い感じである。出版関係者らしい取り巻きに「先生、先生」と呼ばれてもすっかり落ち着き払い、まさに風格と品のある人であった。
 私が緊張気味に一礼して本を渡すと、「ぽっぽやか」と幾分回顧されたように呟いて筆を取られた。私は「あのう、少し長くなって申し訳ないのですが、こういうコトなので是非コレを書いてほしいのですが」と、私は予め自分のページを開いておいた『記録』を差し出した。 浅田次郎はニコリと笑い「車掌さんだね」と一言。スラスラと健筆に書いて下さった。

「サイテイ車掌 斎藤典雄様
          浅田次郎 印」

 これはスバラシイ。いつ眺めてもワクワクする。私の後も長蛇の列で話は出来なかったが、これで充分満足だ。大切にしよう。私の宝物である。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/都庁34階 地裁判決 転倒事故

■月刊「記録」1998年7月号掲載記事

○月×日
 今日は都労委。昇進差別第19回目の審問のため新宿まで出かけた。もうすっかりなじみになってしまった都庁34階である。
 JR東日本本社のおエライさんから、明けや休みで動員された現場の助役さんまで、まるで私達国労組合員を威圧するかのようにズラリと傍聴席に陣取っている。しかも誰もが背広にネクタイという出で立ちで、私達のラフな格好に比べるとヒジョーに立派で偉そうにみえる。しかし錯覚してはいけない。それはただそう見えるだけで、人間としては全く対等なのだ。
 さて、今回は会社側の審問で立川車掌区の元区長(現在は出向)のT氏が証人に立ったのだが、私達を極悪非道者だとしてケチョンケチョンにけなすのであった。次から次へと個人の実名を挙げ、「遅刻はする、反発はする、社会人としての基本的心構えができていない、意欲的でない、惰性に流されている、事故を起こさなければいいという発想で、それは勤務態度の悪い社員でありました」という具合だ。
 また、オフの時間も勤務評価に入れたとし「休みの日はアパートで酒ばかり飲んで寝ているような社員でございました」とまでいうのである。
 昇進試験の受験資格すらないとでも言わんばかりだ。現場長たる区長に「足りないところは指導して、自分の部下は全員昇進させてやりたい……」などという気持ちはサラサラないのだ。反面、会社からは重宝がられ、順調に素晴らしく出世されたようである。
 呆れ果てた2時間はあっという間に過ぎ、帰り際、弁護士さんから衝撃的なことを聞かされた。19部の判決が11部と同じ5月28日に決まったというのである。この日はJRにとってダブルパンチの1日となるだろう。「JRに使用者責任あり」「JRに不当労働行為責任あり」の判決が下るハズである。それでもJRは反省のカケラもみせず即刻高裁へ控訴の申し立てをするのだろうか。 今日の都労委でも、紛争を解決しようなどという真摯な態度は微塵もくみ取れなかったし、和解はほど遠いのかもしれない。裁判で勝利しても、健全な労使関係を確立するために労使政策を転換し、解決局面に移行しないのでは話にならない。

○月×日
 気がついたら11年もの長い歳月が流れていたという感が強い。小学校に入学した子どもであれば大学受験を迎えるまでに成長している。
 この間、国労の旗の下で団結を守り、助け合い励まし合い、自問自答しながらも、それぞれ「人間として」の道を歩んできた。管理者がチェックしているときだけでも国労バッヂを外せば「処分」されずに済んだ。国労を抜けさえすれば「優良社員」として扱われたのだが、私達にはそんな不当なことはできなかった。
 国労は、労働組合法に定められている当たり前の運動をしてきたに過ぎない。なのにそれが上司に反発した、反抗的などという差別的な勤務評価として残された。いわれなき人権侵害であるのはいうまでもないが、みなの思いはただ一つ。1,047名の解雇撤回・JR復帰。10余年にわたり労働者魂を鍛えてきた私達は、どのような判決が出ようとも驚きはしないし、冷静に受けとめるだろう。
 どんなに苦しく辛くとも、勝利するまで闘いは緩めない。もう後へ引くことはできないのだ。

○月×日
 やはり三鷹・武蔵境界隈の飲み屋とは疎遠になりつつある。特に西荻窪の「戎」は、この命果てるまで通い続けると信じて疑わなかったのに……。私は意外と浮気性なのかもしれない。しかし住居も代わったのだし、寂しいなんて思わない。私自身も変わらなければならない。 そんなわけで八王子で飲むことが多くなったのだが、先日ある大発見をしてしまった。わがJR八王子駅北口前には「東急スクエア」なる、新築のシャレたビルがドカーンと立っているのだが、その中の八階にナント「戎」が入っていたのだ。しかし、ひとりで飲み歩くことの多い私は、その小ぎれいな店構えから「どうせ、キレイな女と一緒に入るような店なんだろう」と直感し、しばらく遠巻きに眺めていたのだが、どうも気になってしょうがない。とうとう数日後に暖簾をくぐってしまった。 新しい店だから、いまにも崩れそうで小汚い(不衛生とは違う。逆にそれが酔いどれの歴史を感じさせ、堪らない)本家・西荻の「戎」と異なるのは当たり前だが、木をうまく使った店の作りがナカナカの雰囲気である。品代や焼き鳥が1本から注文できるところも同じで、結構気に入ってしまった。しかし西荻の「戎」のような、いかにものんべいオヤジが通うような風格と味が漂う店になるまでには数十年はかかるだろう。
 「そろそろ引き上げて家庭サービスに努めなくては……」と思いつつ杯を重ねるのだが、「お兄さん、焼酎おかわり! あっ、まだ少し残ってる。グビッ」と、どんな店でもたいして変わらないのであった。

○月×日
 嵐の前の静けさか。何事も起こらない。ただじっと明日の東京地裁判決を待つのみ。悲しいことだが、ほとんどの組合員が興味も関心も示さない。明日の「一日総行動」の根こそぎ動員には何人が来るだろうか。
 いつものように一人静かにグラスを傾けつつも、明日のことが気にかかってしょうがない。判決文はもうすでに何日も前にできあがっているハズだ。早く見たい、いま見たい。見ないと眠れそうにない。
 明日は九時の裁判傍聴整理券確保に始まり、国会議員会館への要請行動などもある。私はただゾロゾロついて行くだけだが、Gパンではマズイという。年に何回も着用しないスーツを引っぱり出しながら「やっぱりオレも随分イカレちまったかな」と思った。

○月×日
 いよいよ判決の日を迎えた。久々に朝から晴れわたり、まさしく「勝利の日」にふさわしい青空だった。霞ヶ関にある東京地裁前は、闘争団をはじめとする全国の大勢の仲間が集い、誰もがすっかり歳をとってしまったが、労働者としての自信と誇りに満ちあふれている。
 私達は判決が出るのを固唾をのんで待った。その瞬間、誰もが言葉を失ったに違いない。一気に場は静まり返った。「なぜ? どうして?」全身から力が抜けた。中労委の救済命令が取り消されたのだ。
 「不当判決」である。断じて容認できるものではない。なのになぜか怒りが湧いてこない。「公正なはずの裁判所が一体どうなっているのか」という疑問と混乱が心の大部分を占めていた。
 11部の萩尾裁判長は「採用で不当労働行為があったとしても、その使用者責任は国鉄にあり、JRには責任はない」とした。続いて19部の高世裁判長は「JRが責任を負う余地はある」との判断を示しながらも、11部と同様に中労委命令を取り消した。つまり国労は勝てず、JRは負けなかったのである。
 今回の判決は、あらかじめこのような事態を想定し、実質的な責任を誰も負わなくて済むよう編み出された改革法23条の壁を越えることが出来なかったという一点に尽きると思う。
 もはや中央労働委員会の存在意義は全くないも同然だ。高世裁判長は「中労委の救済措置は限度を超えている」とも述べている。「人を救うのに限度があるのか」と反論したくなるが、労働委員会は労働者救済という夢を抱かせるだけの時間稼ぎの場でしかないのだろう。
 夕方から開催された日比谷野外音楽堂での総括集会で、岡田和樹弁護士は「表向きには国労にとって負けに見えるが、実質的には一勝一敗だ」と言っておられたが、これは慰めでしかない。事実は事実として厳粛に受けとめなければならない。国労の高橋義則委員長は「この判決を新たな闘いの出発点とし、中労委と相談のうえ、控訴等強い姿勢で望む。その中で政・労・使の和解の道を探る」と、裁判と和解を並行して進めていく考えを示した。 また長期化するのだろうか。私達の今日までの闘いは決して無駄ではない。生きている以上、人間としての尊厳を失ってはいけないのだ。いささかの間違いもなかったと確信しているが、もう何を信じたらいいのか分からなくなってきた。しかしどうしても国労敗訴、JR勝訴とはいえない私である。

○月×日
 「ありゃま、どうしちゃったの。お気の毒にね」。私達もよく知っている立川車掌区の仲間のYさんの事故を聞き、最初はそう思った。
 5月23日付読売新聞(夕刊)を要約すると、青梅線・小作駅で立川行き上り列車の車掌が、駆け込み乗車確認のためホームに降りて転倒し、そのまま電車は発車してしまった。このため車掌は駅の電話で指令に連絡するとともに、タクシーで次の停車駅の羽村駅に向かい再び乗務した。JR東日本八王子支社によると、同駅上りホームは見通しが悪く、車掌は転んだ際にメガネで顔面を切ったため拝島駅で交代し、病院で手当を受けたというものだ。ラジオ・テレビでも報道されたということだが、これでは新聞の見出し通り「駅ホームで車掌すってん、あぁ置き去り発車」でもよかったろう。
 私達も話を聞くまでは「顔をちょっと切ったみたいだ」くらいの感想で、「大けがじゃなくてよかったね」と軽く考えていたのだが、事実は全く異なっていた。まさに恐ろしい出来事で、Yさんは九死に一生を得たといっても過言ではないのである。
 電車への駆け込み乗車は日常茶飯事で後を絶たない。当然車掌は神経を尖らせているが、ホームが曲線で見通しが悪いような駅でも要員が配置されていないことが多い。そのため私達車掌の唯一のより所はITV(ホームを映し出すテレビ)なのだが、不鮮明で見づらいこともあり、完璧とはいえない。また、電車が動き出してもITVが一緒に動くわけではなく、死角が非常に多いのが実状である。
 そんなとき車掌は、片手で乗務員室の握り棒をシッカリとつかみ、身体をホーム側へ目一杯に乗り出して、見える限り確認する。文字に例えるなら崩れた大の字のような、不自然な格好となる。
 Yさんは電車が突然ガクンと発車したためにバランスを失ったのだが、ホームで転倒したのではない。片手で必至に握り棒をつかみ、宙ぶらりんの状態で引きずられたのだ。電車は速度を増す。ホームに駅員はおらず、誰も電車を停められない。約40メートル進んだところで力尽き、ホームに叩きつけられ、その勢いで線路に転落したのである。
 その恐怖は想像を絶するが、気丈で落ち着きのあるまじめなYさんも相当動転したに違いない。駅舎に駆け込み、指令の指示によりタクシーで電車を追いかけ、再び乗務し、緊急手配をされた交代車掌のいる三駅先の拝島駅で病院へ向かったというのだ。
 顔面から血を流し、制服のズボンはすり切れていたそうだ。私は涙が止まらない。Yさんは使命感に燃えた人だが、いくら本人が乗る気があったとしても、小作駅で対応した駅員が引き止めて、次の羽村駅からは管理者を乗務させるとか何とかならなかったのか。Yさんの立ち直りを祈っている。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/ツバ 無事故 子ども

■月刊「記録」1998年6月号掲載記事

○月×日
 お客様は神様です。お客様あってのJR。JR東日本会社の指針にも、(お客様第一)「私たちは、まごころをこめたサービスをいたします」とある。
 しかし心ないお客さまが大勢いるというのもまた事実。品行方正な私でさえ、乗務中に「てめえコノヤロウ」と口走りたくなることもあるほどだ。しかし我慢、じっと我慢、ひたすら我慢し、(安全の確保)「私たちは、安全・正確な輸送に徹します」と心の中で唱え、(会社の発展)「私たちは、企業意識とチャレンジ精神で日本のリーディングカンパニーをめざします」を肝に銘じているのである。
 私達車掌は、電車が動き出してからホームを通り過ぎるまで、乗務員室の窓から顔を出し、「列車監視」を行う。もし異常があれば非常ブレーキを用いて直ちに電車を停車させねばならない。安全確認は車掌の義務なのだ。そういう大事な監視をしているときに、ホーム上のお客さまからナントナント唾を吹っかけられることがあるのだ。唾ですよ、ツバ。
 『最大の侮辱』はたまた『名誉毀損』である。とっ捕まえて「てめえコノヤロウ」くらいは言ってやりたいのだが、「安全・正確な輸送」のためには、こんなことで電車を止めるわけにもいかない。
 だが、私達とてプロである。そうそうそんなものをかけられるワケにはいかない。唾を吐くなどという「てめえコノヤロウ」的な人は、直前の気配で大体察しがつくので、スバヤク窓を閉めたり、華麗に身をかわしたりしてしまうのだ。新人車掌を除けば、モロに唾をかけられることはまずない。
 他人の唾をかけられるなんて、想像しただけで身体中を消毒したくなる。非常にクサイし、乾けばなおさらである。私はプロだから唾をかけられたことはない。断じてない。けれど乗務を終えて車掌区に戻ったら、いつもより丹念に顔を洗おう……。テメエコノヤロウ!

○月×日
 近所にあるチェーン店のスーパーへ食料品を買いに行った。安さ爆発ナントカスーパーなどという類の店ではないのだが、実に感動してしまった。心躍る安さである。 まず、一年を通して飲んべいには欠かせない豆腐が2丁で100円。そして、血液の流れをよくし、心筋梗塞や脳卒中を防止するともいわれている納豆。私も2日に1度は口にしているが、3個パックでこれも100円。そしてその銘柄がこれをおいて他にないほどふるっている。その名も『秘伝金印納豆』である。八王子よいとこ、みんなでおいで。その際は京王八王子もあるが、ぜひJR中央線をご利用いただきたい。
 「安さ爆発」で思い出したが、わが家のベランダのすぐ下には桜の木がずらりと並んでいる。ここ数日の陽気で今にもつぼみが爆発しそうだ。花見は今年からわが家に動員することに決めた。

○月×日
 おかしな飲み屋があるものだ。仕事の帰り、八王子駅北口の大衆酒場にちょいと一人で入り、カウンターに腰かけた。
 とりあえずビールと冷や奴、そして焼き鳥。その後焼酎に切り替え、今日一日を反省しつつ、ほろ酔い気分でふと隣に目をやると、隣のオッサンのニンニク焼きがなんともうまそうに見える。
 そこで、「明日は休みだし、口臭も気にすることはないな」と、ニンニク焼きを一本注文したのだ。しかし店員は「ニンニク焼きは焼き鳥と一緒でなければ注文できないことになっている」と宣う。私はすでに焼き鳥を注文しているのに。しかし相手は頑として譲らない。
 私は『こんな店二度と来るものか』と心で呟きながら、オアイソを済ませたのだが、きっとまた来てしまうに違いない。なにしろ勘定が安かったのである。

○月×日
 そりゃあ私だって落ち込むことはある。あるのだ。何しろサイテイなわけだし、ハイな気分でいるときよりも沈んでいる方が多いくらいだ。しかし、それらを克服して生きて行かねばならない。もしかしたら、自分自身を励ますため、自分の弱さを正当化するために、こんな日記を書いているのかもしれない。
 堕ちるところまで堕ちて、どん底の状態にあったとしても、本当にやる気があるのなら、そこからはい上がろうと必死で努力するだろう。何事もトントン拍子で行きたいものだが、挫折もまた人間が鍛えられる絶好のチャンスだと受けとめることができれば、プラスに作用するだろう。
 口では簡単に言えるし、実際その通りなのだろうが、頭で分かっていても、なかなかうまくいかないのが実情である。
 なにしろうちの子ども達は皆私に似てしまい、デキが悪くて困る。子を持つ親なら誰もが経験していくことなんだろうが、さまざまなトラブルや突発的な病気等、これまで一体いくつの修羅場をくぐり抜けてきたことか。 その都度、至らなかったことはあったにせよ、親として出来る限りのことをやってきたつもりである。しかし、子ども達が大きくなるにつれて、私の描いた青写真は未完成の無意味な紙切れとなってしまった。まさにビートルズの『ドント・レット・ミー・ダウン』(がっかりさせないでくれよ)の心境である。
 子ども達の弱さもさることながら、私自身も無力感に打ちのめされている。まさに父親失格といわねばなるまい。
 JR東日本の基本方針に、「現状を打破する勇気と責任ある行動で、活力あふれる職場を創ります」とあった。職場を家庭に置き換え、私は立ち直らなければならない。ジョー・コッカーの『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』(友達にちょっと助けてもらって)を聴きながら。……やっぱりこれがイケナイのだろうか?

○月×日
 湘南の海へ向かった。八王子から1人、ガランと空いている四両編成のJR相模線に乗り、茅ケ崎まで。1時間ちょっとの小旅行だ。白いシブキをあげた大きな海を、ただぼんやりと眺めたかった。
 シーズンともなれば、足の踏み場もないほどの賑いをみせる砂浜に座り、水平線を見やって目を細める。もの思いに耽るフリをしながら、本当は何も考えていなかったのだが……。
 普段なかなか聴くことのできない波の音がなんとも心地良く響く。「こんな安らぎもたまにはいいなあ」と唇を舐めると、少し海の味がした。誰もいない喫茶店に寄り、珈琲を飲んだ。明日は仕事だ。どうしてこんなに虚しいのだろう。

○月×日
 事務係が掲示物を貼っていた。チラッと見たら今年度の昇進試験の募集であった。立ち止まって読むこともない。また1年が過ぎただけ。昨年と何も変わらない。ただ怒りが込み上げてくるだけだ。
 いくら私がサイテイとはいえ、普段はナカナカうまくやっているし、無事故を称えた盾だって持っている。まぁ、これは年数が経てばほとんどの社員が貰えるものだけれど。
 「あなたは長年にわたり安全安定輸送の確保と運転事故防止に尽力されました。よってここに運転無事故功労社員として認定しその栄誉を讃えます」。パッと見はちょっとしたモノなので、家族の写真なんかと一緒に宝物のように飾っている人もいるのだろうが、私はタンスにしまってある。それで何が言いたいのかというと、つまり皆と変わりなく、仕事はキチンと無難にこなしているということだ。
 他には人命救助の賞状を貰っている。「あなたはお客様転落事故に際し機敏且つ適切な処置により救助しました。これは人命の尊さと安定輸送の重要性を平素から深く認識された結果であり他の模範と認めます。よってこれを賞します」
 文面は個人を褒め称えた素晴らしいものなのだが、こうも試験が受からなくては、本当はバカにしているんじゃないかとさえ思えてきてしまう。本当にアホらしくて「今年はもういいや」というのが本音だが、そういうわけにもいかない。
 忘れよう。ビートルズに浸りすべてを忘れよう。「アビイ・ロード」B面の壮大なメドレーは、今聴いても押さえきれない感動を呼ぶ。
 「かつては道があった。故郷へ、家へと続く道があった」(『ゴールデン・スランバー』)。国鉄のころはそうだったね。「これからは長い間ずっと重荷を背負っていかなければならない」(『キャリー・ザット・ウエイト』)。JRになっちゃったからね……、ああ思い出してしまった。
 いずれの曲もビートルズとしてはラスト・レコーディングなのだが、最後のメッセージは「結局は、君が受ける愛は君が与える愛と同じなんだ」というもので、なんとなく意味深で哲学的なニュアンスが感じられる。タイトルも文字通り『ジ・エンド』。愛とは自分自身で作り出すものなのだろうか。泣けるなぁ……。

○月×日
 風薫る五月。悠々と空を泳ぐこいのぼりが、健やかに成長する子ども達を見守っている。「こどもの日」5日付の日本経済新聞・社説は、青少年問題を取り上げていた。
 子どもの犯罪やいじめが多発する一方、ボランティア等で力を発揮している若者もいる。良い芽を伸ばして、悪い芽を正す責任は大人にあり、中央教育審議会(中教審)は「家庭と地域社会の役割の大きさを力説」し、有識者は「幼児期から小学校入学までの家庭のしつけの大切さを指摘」とのことである。
 こんなことは当り前で分かり切ったことであるが、私はなんだかうちのことのようで身につまされる思いがした。「家族がお互いに何をしているのか知らない宿泊客のような『ホテル家族』が増えている」と続いていたからだ。ウチの場合、私は飲んだくれで、妻は仕事でいない。子ども達もそれは知っている。しかし逆に、子ども達が何をしているのかを、私はさっぱり知らない。
 中教審は「父親不在が母親任せの子育てを生み、母親のストレスを増加させている」と、原因の一つに「父親不在」を挙げている。ここの父親と母親を入れ換えると、まさしくウチであるが……。
 冗談はさておき、「夕食を家族とともにする日を決めてはどうか」と中教審が提言し、それによって「日本社会を変える」というのが、この社説のタイトルとなっている。
 実にもっともなことだが、私にはナンセンスであるとしか思えない。
 私のまわりを視れば、食事などともにしなくとも(夜勤やらで出来ないのだが)、子どもは皆しっかり健全に成長している。一緒であるに越したことはないが、両親がしっかりしていれば、父親が家庭にいなくても立派に育つのだ。わが家を見よ。父親がいたところで、どの子も大変素晴らしいとしかいいようがないくらい、徹底してだらしなく反抗的ではないか。
 さまざまな生活スタイルがあり、また、それを余儀なくされているのが現実だ。「家族で夕食が日本社会を変える」とはまったく生ぬるい。私には寝言にしか聞こえない。皆、満たされない条件の下で悪戦苦闘し、幸せと安息を求め必至にやりくりしているのである。
 あぁ、今日もまた支離滅裂にコーフンしてしまった。いつまで経っても子どものままで、大人も演じられないのだ。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/いちいち 警備員 万事休す

■月刊「記録」1998年5月号掲載記事

○月×日
 ウララカな春の日差しが八王子の街を優しく包んでいる。「お日さままでがオレを祝福してくれているのだね」と、ノーテンキな私。
 新居のベランダから、晴れ晴れとした気持ちで外の景色を眺めると、少し遠くにわがJR中央線が、粛々と何事もなく走っているのがカクニンできる。すべてが静止しているような穏やかな景色の中で、唯一動いているのが中央線。この構図がなんともいい。中央線は私のライフワーク、心から好きなんだ……。今さらながらしみじみとしてしまった。
 引っ越しには職場の仲間が十数人も手伝いに来てくれ、悩みの尽きなかった大移動も無事終えた。山ほどの荷物で部屋の中はまだ雑然としているが、あれこれ配置を検討して整理するのも楽しみの一つだ。子ども達も気に入ってくれたようだが、そのうち誰かが言いだすかもしれない。「お父さん、早く家に帰ろうよ。ホテル住まいはもういいよ」と……。
 労働界はイマイチ盛り上がりに欠ける98春闘のまっただ中だが、私の場合はこれから毎月のローン返済という闘いが定年まで続くのだ。とにかく何事も明るく前向きに考えたい。

○月×日
 国労三鷹車掌区分会執行部の一員となり、はや5ヶ月になろうとしている。もうそんなに経ったのかと思うのは、いつも時間に追われてドタバタ暮らしているからだろう。
 執行部は分会長を筆頭に副分会長、書記長の三役、それに業務、教宣、厚生、財政、調査の各部長という役割分担で構成されている。
 私はいったい何者なのかといえば、調査部長という役を仰せ付かっている。なんだかFBIみたいでカッチョイイが、実は何をしたらいいのかさっぱり分からない。「俺は調査部長だかんな」と、眉間にシワを寄せ、ズボンのポケットに手を突っ込み、煙草をくゆらせたところでちっともサマにならない。まっ、そんな柄じゃないし、そういう内容でもないのだけれど……。
 役員達はみな気心知れた昔からの仲間なので、人間関係はうまくいっている。だが、いつまでたっても慣れないというか、戸惑ってばかりだ。
 例えば会社がアンケートを実施するとしよう。こんなものあるはずはないが、題目は「サケについて」である。「あなたは飲酒しますか」。飲むと答えた人には、日本酒ならば何合、ビールなら何本ですか」ときて、「一週間に何日飲むか」、外なら「赤提灯かスナックか」となる。な、なんなんだコレは!! と思うほど、会社は事細かにチェックを入れ、管理したがる。
 これに対して組合は執行委員会を開き、「このアンケートの意図するものは何であるか」「プライバシーの侵害ではないのか」と、あらゆる角度から、言うなれば『いちいち』議論し、徹底的に検証した上で、分会としての見解をまとめあげる。そして、全組合員に「アンケートには応じないこと」等の周知徹底を図るわけである。 私は単純なものだから、素直にありのままを答えればいいのではと思ってしまう。すると、「それじゃダメなの。ったく斎藤は……」と、いつも意識の甘さを批判されてしまう。
 けれど、こういった『いちいち』を嫌悪する一般組合員はかなり大勢いる。これが嫌で国労を抜けた仲間も多いのではと思う。それでも重要なことなのだ。ある程度は会社の暴走を防ぐ歯止めとなってもいるだろう。国労が今日まで運動を継続し、組織を維持してこれたのも、これがあったからだといってよい。
『いちいち』の歴史は長い。国労の良さでもあり伝統なのかもしれない。こだわり続けていきたい。

○月×日
 出勤時刻の1時間前に家を出るとちょうどいい具合だ。 JR八王子駅まで徒歩10分。わがJR中央線にすべてを任せ、揺られること30分。特別快速なら23分で着く。下車するJR三鷹駅駅舎中に私の職場がある。鉄道員のほとんどが駅からゼロ分の勤務先をありがたいと感じているに違いない。
 さて、ほぼ20年ぶりの電車通勤の途中、チト考え込んでしまった。大部分の乗客はこれから電車を降り、それぞれの会社へ向かうというのに、私の仕事はこの中央線に1日乗ることなのだ。そう思うと、「なんだかヘンだなあ」という気持ちになってしまったのである。
 通勤電車に乗ると、まず車掌のアナウンスが耳に飛び込んでくる。新人車掌以外なら、声だけで大抵誰かすぐ分かる。「やってるね、今日も。次は駅、出口はドアの開いた方だね。ご苦労さん」と思うのと同時に、ドアに異常はないか、車内秩序は維持されているかと、無意識のうちに気持ちが向いてしまう。
 つまり、仕事をする前から仕事のことを考えているのだ。帰宅のときも同様で、1日目一杯乗ったのに、また中央線に乗って帰る。その分の超過勤務手当を請求したくなってしまうが、この間は帰りの電車でこんなコトがあった。
「次は東小金井でございます」という車掌のアナウンスに、酔っぱらいが噛みつく。「ございますー? ございますつけるような駅じゃねえだろ、東小金井なんて!」。……うーむ、お客さまの生の声を聞くことも大事な仕事である。
 いや、こんなことは余り深く考えてもしょうがない。ついうっかり三鷹駅を乗り過ごしてしまうところだった。車掌が中央線で通勤して遅刻しましたじゃ、言い訳にもならない。

○月×日
 10日ほど前から、JR中央線の各駅ホームには飛び込み自殺防止のため、一人ないし二人の警備員が配置されている。
 彼らは勤務中、ホームの端から端までを行ったり来たりしているだけ(のように見える)なのだが、そのおかげで続発していた人身事故がパッタリ止まり、ダイヤは正常で順調な日々が続いている。ホームに人がいるといないのでは、こうも違うのである。まあJRもなかなかやるものだ。駅員を配置するのではなく、警備会社を雇うとは。
 それにしても、人身事故に限らず、あれだけ多発していた信号機やポイント、架線、車両等の故障事故もピタリと止んでしまった。スゴイではないか。この警備会社には恐れ入る。絶大な力である。警察も天下りばかりしていないで、反対にこの警備員達を雇ったらいい。交通事故や凶悪事件もなくなかもしれないではないか……。 ん!? ちょっと悪ノリが過ぎたかな。

○月×日
「98春闘三多摩交流実行委員会」が主催した集会に参加した後、立川の夜の街をデモ行進した。
 警察へデモの要請に行った主催者によると、「ここ数年はなかったかな。久しぶりのデモですね」と言われたという。そういえば、労働者のデモなど最近では珍しいかもしれない。
「シュプレヒコール、シュプレヒコール」。パトカーによる先導で、ぞろぞろ隊列を組みながらマイクに合わせて拳を振り上げ、気勢をあげる。「98春闘を勝利するぞぉ」「大幅賃上げを勝ち取るぞぉ」「行政改革反対ぃ」「労基法改悪反対ぃ」「人権を守って闘うぞぉ」「すべての労働者と共に闘うぞぉ」「勝利するまで闘うぞぉ、闘うぞぉ」。
 私が労働者となって20年以上も経つが、大幅賃上げを勝ち取ったことなど1度もない。それでもヤル。やらなければ資本の側の思うつぼで、賃上げのみならず、労働条件その他あらゆるものがルールなしで現状以下に押さえつけられてしまう。労働者は闘い続けなければならないのだ。
 しかし、私達の理想とする社会が本当に訪れるのだろうか。もし仮にそうなったとしたら資本の側は不満だろうし、他労組の人達も喜ばないだろう。すべての人間が幸せになることは不可能なのであろうか。
 商店街の店員さんも、ビルの窓から見おろす人々も、誰もが私達デモ隊を怪訝そうに見つめていた。ふと夜空を見上げると、都心より遙かに多くの星が見え、可憐に輝いていた。救われる思いがした。

○月×日
 自宅から歩いて2、3分という至近距離に、わが国労の八王子支部が位置している。なにかと便利には違いないが、上部からの機関紙等の組合員への配布物や、分会から支部への資料等を運ぶ役になってしまった。今までは教宣部長が週に2、3回、八王子まで足を運んでいたのだから、いちばん近い私がやるのは当然のことだろう。 さて、今日は分会長や書記長クラスで構成される「支部闘争委員会」なる会議があったのだが、うちの分会長、書記長ともに都合がつかず、「出席してくれないか」と私におはちが回ってきた。
 私は家からたばこを買いに行くような身軽さで行けるから、「いいですよ」と軽く承諾したのだが、後になって『これはちょっとヤバイんでないかい』と思えてきた。ハッキリ言って、私は右も左も、組合の手法やらもまだ分からないのだ。しかし分会長の頼みであれば仕方ない。 会議を終え、「まあ、役目はキチンと果たしのではないか」と、ぼんやりグラスを傾けていたら、月明かりの24時になろうとしていた。明日も早い。

○月×日
「やった……」と思った。万事休す。久々に震え、落ち着きを失った。
 上り快速東京行乗務中の出来事である。電車は国立駅に到着し、ドアが開いた発車待ちの状態であった。遙か前方でホームの先端に向かって走っているお客さまのことはカクニンしていた。なかなか乗ろうとしないので、ドアを少し煽ったが乗る気配はなく、完全にドアを閉じて電車を発車させた。
 その瞬間である。走っていた人がいきなり先頭車両の前面に飛び降りたのだ。私は直ちに非常ブレーキを作動させ、列車は1メートルほど進んだところで急停車した。慌てて運転士に電話すると、「やったかもしれない。ちょっ、ちょっと待ってて」と、彼も動揺を隠せない。
 私はマイクを握りしめ、深呼吸してからアナウンスをした。「た、ただ今、お客さまが線路に、と、飛び降りたので急停車いたしました。少々お待ちください」。もう完全に舞い上がり、しどろもどろである。
 その後すぐ運転士から連絡が入ったのだが、なんと「線路を横断して下りホームによじ登り、全速力で、に、逃げていったよ」と言うのだ。
「一体何考えてんだよ。線路を走るのは電車だけにして欲しいよな、ったく」。事なきを得てホッと胸をなで下ろし、2分遅れで運転を再開したものの、しばらくは身体中が震え、じっとしていられなかった。
 乗務を終えて車掌室に戻り、乗務報告を書いていると、同僚が集まってきた。「典ちゃん、事実だけを書くんだよ。ホッとしたとか、今日のビールはうまいだろうなとか、私情を入れちゃダメだからね……」。皆ワイワイ好き勝手なことを言い合っている。
 それにしても陽気がよくなるとこれだから困る。JR中央線ではこの季節、こんなワケの分からぬ危ないヤツが必ず出没するのである。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/証人申請 手紙 おババ

■月刊「記録」1998年4月号掲載記事

○月×日
 いま国労は裁判所に対して、国鉄分割民営化の際に設立委員であった斎藤経団連名誉会長・杉浦元国鉄総裁ら5人を、証人として採用するよう申請している。これは東京地裁民事19部がJRの不当労働行為責任を問うために、採用過程での設立委員の認識を指摘したことに対し、斎藤氏らの証言が必要不可欠なためである。
 さて、2月3日付の新聞各紙の報道によると、一方の民事十11部では、北海道・九州の国労組合員がJRに不採用になった問題をめぐる訴訟について、和解による解決を断念し、五月から六月をメドに判決を出すことを決めたという。なお、早期・抜本的に解決を願う認識に変わりはないとして、判決の時期や内容に関わらず解決に努めるよう(関係者に)要請したということだ。
 この問題は昨年5月28日に結審してから、判決までに丸1年かかったということになる。しかし、この間も裁判所は非公式にJR側の人間を何度か呼び出し、和解の話し合いにつくよう要請したという。結局JRの拒否姿勢に変化はなかったわけだ。
「いうことをきかない子だなぁ、お前は。父さんを困らせるんじゃないよ」。これは私の息子に対する気持ちだが、11部の萩尾裁判長も、きっと同じような思いを抱かれて困惑していることだろう。
 それにしても長すぎやしないか。国鉄の分割民営化からすでに11年が経とうとしている。労働委員会といい、裁判といい、あまりにも膨大な時間が費やされている。本当にこのようなシステムも何とかならないのか。歯がゆくてしかたない。
 そうしている間にJRのトップは変わる。総理大臣さえコロコロ変わった。おエライさんは変わってしまえばそれでおしまいである。断じて許せない。変わらないのは、国鉄組合員というだけで仕事も誇りまで奪われ、今なお非人間的な扱いを受け続けている闘争団の仲間達と私達労働者である。
 しかし、人間としての真の心は変えることはできない。取り残されても、ペチャンコにされてもへこたれてはならない。人間は助け合って生きていくものだ。国労の勝利判決の日も目前に迫る情勢となった。

○月×日
「またか」と言われそうだが、滅多にない土・日の休みが酒浸りとなってしまった。
 丹波(京都)の山奥から、私の親友であるK氏が突然やって来た。普段のK氏は礼儀正しく誰からも慕われるいいオヤジなのだが、酒が入ると山奥に住んでいるせいだとは思わないが、ほとんどケダモノと化してしまい、手が焼ける。どれほど危ないかは、残念だがケダモノという以外は伏せておくしかない。なぜって、K氏の人権に関わるのだ。とにかく飲まなければいい人なのだが・・・・・。
 昼間から新幹線で飲んできたK氏は、もうすでに出来上がっていた上に、昔からの仲間であるM夫妻との再会も加わり、上機嫌だった。まずは焼き鳥屋で再会を祝して乾杯。それぞれの近況を報告しあいながら和やかに話は弾み、次はカラオケ。再び飲んで食い、歌うというより吠えまくったのであった。
 何事もなく、楽しいひとときを過ごせたことを感謝してM夫妻とはここで別れ、そんなに遅くない時間にわが家に辿り着いた。今度は私の妻の歓迎で酒宴は延々と続く。翌日が二日酔で台無しになるのが分かっていながら飲む。もうよせばいいのに、今日しかないとばかり、ホント、酒に懲りることはない。
 翌日、日曜日だが妻が勤務で、早朝に起きる羽目となった。二人とも体調は最悪で、何の当てもなくわが中央線に乗り、新宿駅で降りた。駅のトイレから出てきたK氏は目に涙を浮かべ、「もどした」と辛そうに言った。ぶらぶら都庁まで歩き、45階の展望台で身体を休める。JR中央線が、玩具の模型のように小さく動いているのが見えた。
「1レースだけやろう」と決めた馬券が運良く的中し、少し儲けたが、2人とも2日酔いで朦朧としているので、ちっともイキオイが出ない。「こうなりゃ迎え酒しかないやろ」と店に入り、ビールを注文した。
 新幹線で帰るなら近い方がいいと、新宿を後にして東京駅へ向かう。週末はどこもかしこも大変な雑踏で疲れてしまうが、日曜日の官庁街は驚くほどガランとして気持ちがいい。東京駅八重洲地下街の居酒屋で別れの酒を交わした。やっぱり飲んでこそK氏だ。今回は何事もなくて本当によかった。新幹線に乗るK氏を見送った。「ほな、さいなら」。男を見送るのに胸が詰まった。

○月×日
 闘争団家族からの切実なる訴え、手紙を読んだ。なんともやり切れない。私達はJRの仕事があるだけ救われている。同じ国労の仲間なのに気の毒で何と言ってよいかわからない。「いつもノーテンキに酒ばかり飲んでいて済まなかった」とお詫びしたい心境だ。筆舌に尽くしがたいとはまさにこのことである。抜粋して一部をご紹介したい。
『議員の皆さま、重要な法案が目白押しの国会会期中でありますが、ぜひ、私の声に耳を傾けてください。十年以上も前の「国鉄国会」で決められた組合差別はしないという付帯決議や、一人も路頭に迷わせないという中曽根元首相答弁がいまだに守られていません。
 虫けらのように、国労というだけで一方的に職場を追放される。また、百名を超す仲間が国鉄当局の脱退工作やイジメ・嫌がらせで自分の命を絶つといった異常な状況のなかで、心優しい夫は本当に悩まされていました。 正当な労働組合である国労に残ったというだけで、どうして不採用なのか。繰り返しますが、まるでゲームのように国労というだけで差別し、排除する。そのことをどうしても許せません。これはみんなの共通した気持ちです。だから苦しくても手をつないで頑張っています。 壊れた生活のなかにもそれなりの幸せがあります。夫達が一日も早くJRに帰れるように、ぜひ、先生方のお力をお貸しください。どうぞよろしくお願いいたします』――九州熊本闘争団家族・栗原幸子さん。
『国鉄が分割民営化されてから十年以上の歳月が流れました。その間、私達は言葉に言い表せないほど、辛く苦しい立場で生活してきました。「怠け者」のレッテルを貼られ、金銭面では最低の生活を余儀なくされ、明日食べる米の心配をする日々が続いたのは本当に事実なのです。
 それでもどうにかやってこれたのは、夫は何も悪いことはしていないと信じていたからです。夫達のアルバイトの収入だけでは、子供の教育費すら支払うことが出来ず、援助金を受けています。ある日、小学校1年生の息子が私にこう言ったのです。「お母さん、給食費払って! それでないと僕、給食食べられない」と。
 小さな体を振るわせ、大粒の涙を流したわずか七歳の息子が、どんな悪いことをしたのでしょうか。私は闘争団員の妻としてだけではなく、母親として、そして一人の人間として、これ以上いたずらに解決を先延ばしする人間を許すことはできないのです。
 人間には許せることと許せないことがあります。「一人も路頭に迷わせない」そう言った人たちがいました。言った人はそのことを忘れてしまったのかもしれませんが、私達はハッキリ覚えています。嘘をついてはいけないことは小さな子供だって分かります。なぜ嘘をついたのか、そんなことが許されていいのかと、私は不思議でならないのです。
 どうぞ心からお願いします。一日も早く解決できるようにお力をお貸しください。私たち家族は、一分でも一秒でも早く解決の時が来るのを心の底から望んでいます』――北海道名寄闘争団家族・橋本真弓さん。
 まったくその通りだ。11年間頑張って、よく耐えてこられたと敬服するほかない。ガンバロウ!! あともう少し、待ちに待った春が必ず訪れる。

○月×日
 十年余にわたる、人間の生きざまを賭けた闘いが、今まさに最大の山場を迎えている。この次はどうするなどということは、もうない。勝つか負けるか、待ったなしの最重要局面である。
 2月18日、東京地裁民事19部・5都県採用差別事件の裁判で、高世裁判長は突如として結審を言い渡した。すでに結審している北海道・九州採用差別事件の民事11部に合わせ、5月下旬から6月ごろに判決を出すという。 11部において「裁判所の意見」として、紛争が長期化していることを鑑み、「早期抜本的解決を図るべき時期にきている」と述べられたように、のんびりなどしている場合ではないのだ。11部も19部も中身は似たり寄ったりなのである。
 高世裁判長は、国労が申請した斎藤英四郎氏ら設立委員の証人採用は必要なしとした。直接関わった当事者を証人として採用しないことには不満も残るが、「設立委員の認識」が地労委・中労委を含めた今までの審理や他の証拠で、十分立証されていると判断したからであろう。もし万が一立証されていないとなれば、証人を採用しないことが審理不尽として裁判所の重大な責任となることからも、すべて検討し尽くした上での判断であるはずだ。 いずれにせよ、国労勝利判決は揺るぎないと確信する。多数の労働法学者や学識経験者で構成される全国の地労委・中労委が一致して、JRの使用者責任や不当労働行為を認めているのである。裁判所という司法の場で覆るものではない。
 そしてJRは、国鉄改革法を盾に「責任」はない、ないと言い続けてきた。しかしその「JRは国鉄を継承しない(別法人)」とする改革法23条も、この10年余の社会的常識で完全に崩れようとしている。おエライさんがいくら継承しないといっても、政府が長期債務をJRに負担させようとしていること自体が、JRが国鉄を引きずっていると認識しているからではないか。
 証券取引法違反の嫌疑がかけられ自殺した自民党の新井将敬代議士。彼の遺書の一部が報道されていた。
「我われは法をつくる仕事をしている。不法なことでも法はつくらなければならない」(2月20日付朝日新聞)。まさにコレだと思った。改革法も不法なのであろう。
 心を引き締め、自信と確信を持とう。幸せの結末、「はっぴいえんど」で締めくくりたいものである。

○月×日
 何はともあれ、3日後に引っ越す手はずとなった。頭金も全額払い込み、ついにわが家のものになったのだが、ちっとも実感が湧いてこない。しみじみ喜びに浸っている暇が全然ないのだ。ここしばらくの間、あちこちに出向いては何が何だかさっぱり分からないまま、担当者の言う通りに、ただひたすら実印をベタベタ押しまくった。書いた書類も数知れない。
 秒読み段階となった今は、最後の準備でえらくシビレている。仕事に出ているときが一番ホッとするといっていいほど、目まぐるしく忙しい。
 長い間住み馴れた武蔵境を離れるという思いより、八王子の新居で暮らす今後の夢と希望の方が遥かに大きい。しかし、なじみの飲み屋と疎遠になるのかと考えると実に淋しくなる。なにしろ妻以外でお世話になった女性は、この飲み屋のおかみをおいて他にいないのだ。
 よく通った。大好きだった。優しく上品で、悲しくなるほど美しく、心から安らぐことができた。お礼を言わなければならない。ありがとう、本当にありがとう。長生きしてほしいなぁ、飲み屋のおババ・・・・・。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/超奇抜 成人の日 チラシ

■月刊「記録」1998年3月号掲載記事

○月×日
 私の住むJRの社宅前はいつも人通りが絶えなくてせわしないのだが、今は近所の大学が冬休みということもあり、閑散としている。のんびりとした感じが実にいい。 昨今の若い人達のファッションは多種多様で結構なことだが、中には目を疑いたくなるようなものもある。そういう私も、若いころは大人からヒンシュクをかうような格好をしていた(らしい)ので、今さら苦言を呈する資格はないし、あえて言いたいとも思わない。
 私は人一倍キレイ好きと自認しているが、おしゃれというものには無関心でどうでもいいと思っている。若いころは思う存分に流行を追いかけ、とことん好きにやったらいい。しかしうちの子ども達だけにはあまり変わった格好をさせたくない、という気持ちが心の隅に少しある。
 私はこのように思考と実際が異なる部分が随分あり、自分自身でも本当に何を考えているのか分からないことも多い。
 それはさておき、実際うちの子ども達といえば、全くもってだらしないとしかいいようのない格好をしている。私はいつも制服制帽でキチンとしているのに、学校の制服の着方までがだらしない。「おい、もう少しなんとかならないのか」と呆れつつ、心の中で泣いている。
 今日の仕事帰りには、社宅近くの歩道前方に頭のてっぺんから爪先まで超奇抜な、私の好まぬタイプの女の子をカクニンしてしまった。「イヤだなあ」と思いつつ、追い越しざまにチラッと振り返り顔を見ると、ますますイヤな気持ちになり、「若いんだから好きにやればぁ」という言葉とは裏腹に、不機嫌な帰宅をしたのだった。 しばらくすると玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、ナントさっきの女の子ではないか。「うっそー、ナニそれー、チョーむかつくぅ」彼女の声が響く。息子の新しい恋人ということであった。私にはどう見ても変わり者としか思えない。まったくホトホト疲れてしまう。 年頭に際し、家族皆がまともであってほしいと心から願う。ん、まず私からまともになれ!? ハイ、おっしゃるとおりで……。

○月×日
 初詣で引いたおみくじが吉と出た。息子のは大吉である。私はこのようなことは気にしない性格だが、やはり嬉しい。たとえ凶が出ても動じないが、吉にこしたことはない。まずはメデタシ、メデタシだ。
 「方向」西の方よろずよし、「転居」よろし早くせよ、とある。新居となる八王子の方角はまさに西、完成したらすぐに引っ越そう。ヒョイと息子のおみくじをみると、まったく同じことが書いてあった。これだから信用できない。
 今年はいい正月である。元日、2日と続けて勤務で幸先がよい。年末も乗務であった。休んでなんかいられない。お客様が帰省するといえば列車を走らせ、年始に出掛けるといえば電車を動かすのだ。
 JR東日本の「企業理念」にもあるように、私達はお客様と共に歩み、総合生活サービス企業として、地域社会の文化の向上と豊かな生活の創造に貢献しなければならないのだ。なによりも休んでいるとサケばかりで身体によくない。仕事ならサケもセーブできる。毎日飲んでいることには変わりないが……。
 今日は妹一家が埼玉から年始に来た。彼らの二人の子ども達も随分めかしこんできて、うちとは雲泥の差である。夫婦そろって教師なのだが、やれアメリカへ旅行に行っただの、それヨットの大会に出ただの、ほれ高級車を買っただのと、まるでうちとは別世界の暮らぶりである。
 うちの子たちはただただポカンと口を開き、羨望のマナザシであった。いや実に妹の子ども達に対する意気込みには恐れ入る。それなりに大変なのだろうが、今の私と妻にはそれだけの行動力やパワーは微塵もない。
 ダンナが飲まないこともあり、その分私は昼間からの一人ザケでヘロヘロだった。でもね、私は私、これでいいのだ。妹には聞かなかったが、私のおみくじは吉だったのだから。

○月×日
 「成人の日」未明から降り続いた雪は、前回とは比べものにならない記録的な積雪となった。今年で3度目だが、いったいこれはどうなっているのだ。まさに未曾有の出来事といっていいだろう。
 JRを初めとする交通機関は、終日大慌れの状態で大混乱であった。報道関係者、お巡りさん、除雪作業に当った方々……、とにかく、あらゆる仕事に就かれていた人達、また新成人もご苦労さまであった。
 しかし、人間は考える葦である。前回の教訓が生かされ、都会の人も少しは雪に慣れたのか、救急車で病院に運ばれた人も前回よりは少なかった。私の職場でも、間引き運転を行ったために運休の車掌が大勢いて、休日呼び出し出勤を要請するまでには至らなかった。
 それでもJRの各部署において、国民の足を確保すべきと、一日中降りしきる雪の中で作業した社員が大勢いたことを忘れてはならない。
 雪が降るのは自然の節理である。春が近いということではないか。何があってもへっちゃらだと思いたい。何にでも努力して頑張って対応し、力を合わせ乗り越えていこう。阪神大震災のときも、雲仙普厳岳のときも人間はへこたれなかったのだ。
 実に美しい雪景色だ。普段は華やいだ東京の街をすっぽりと包み、シンシンと静かに、タンタンと単調に降り積もるさまは、まるで水墨画のようである。なんだかすっかり落ち着いた気分。こんなときならじっくり物事を考えられるような気がする。
 成人式や各種催しなども延期や中止が相次いだようだ。店も閉店の所が多かった。そんななかで上野動物園は営業していたというニュースが報じられていた。「アジアゾウ」の成人式は延期になったそうだ。うーむ、好きだな、こういうのって。

○月×日
 通常国会も始まり、何かと騒々しいこのごろである。 国労中央闘争委員会は、この年度末までを「解決に向けて絶好の機会」と位置づけ、十年余りで築き上げた力を総結集しようと、闘いの強化を遮二無二になって進めている。
 東京地裁から「和解勧告」や「JR当事者責任」を示唆する見解を引き出したこと、また、二十八兆円の長期債務を抱える国鉄清算事業団が10月に解散されることから逆算すると、さまざまな問題を今国会で決定せざるを得ない現状となっているのだ。
 つまり、政治の場では長期債務の処理問題だけでなく、採用差別問題も、分割民営化に伴う未解決事項であるという認識なのである。私はここで今後の成り行きを占ってみたい。地裁の判決がどうなるかは、判決が出てからでは遅いので、今言っておかなければならない。
 結論は国労勝利、JR負けである。民事十一部での「裁判所の意見」をもう一度よく読んでみると、「本件紛争について抜本的な解決を図るべき時期に来ている」とある。
 すなわち、JRの主張が認められ、国労が負けたのであれば、国労は当然今後も闘い続けることになろう。これでは「抜本的な解決」とはならない。つまり裁判で国労が勝ち、JRが負けるということでなければ、頑なに「裁判では絶対に勝つ」との態度をとり続けるJRが、「うーむ」と国労跡地の方角を見つめて社会常識を取り戻し、和解の席に着くことはないのである。
 これは蛇足だが、裁判所としても今後中労委から同じようなJR問題が続々と百件以上もあがってくるのはウンザリのはずだ。ここまで来ると、法理論より裁判所の感情論で決着がつくのではと本気で考えてしまう。
 民事十19部も然りで、設立委員が不当労働行為を知っていたなら、JRに当事者責任がある、という見解を示したことは、まさに国労側に斎藤英四郎氏(経団連名誉会長)ら設立委員を調人として法廷に呼びなさいという、勝利への道筋を暗示してくれたといってよい。
 国家的不当労働行為の最高責任者を法廷に引っぱり出すなど、裁判史上にも労働運動史上にも前代未聞で例がないという。まあ、これはおそらく実現はしないであろうが、このような裁判闘争や清算事業団問題が微妙に絡み合い、解決に大きく傾いているのである。
 以上、すべて推理だが、こうなればいいなとつくづく思う。しかし、まんざらでもない気配も感じるのだ。

○月×日
 引っ越しが迫っている。部屋の整理やら準備やらで慌ただしくなってきた。
 10年20年と使用していなかったものがワンサカ出てくる。廃棄するかどうかでひと悩み。友人・知人からの手紙やアルバム、子ども達の幼いころの物……。こんなことがなければ一生押入れの奥にひっそりとしまわれていたままであったろう。懐かしさにどっぷりと浸り、ただ眺めているだけで半日が過ぎてしまう。ちっともはかどらない。
 昭和50年、国鉄が発行した職員募集のチラシ。「基本給6万8千7百円」「……なお、努力次第で助役、駅長、区長、管理局幹部等に昇進する道がひらかれています」。 昭和61年、処分通知。「国鉄分割民営反対第11次全国統一行動と称し、ワッペンを着用したことは職員として不都合な行為であり遺憾である。よって訓告する」。
 昭和62年、JRへの採用通知。「東日本旅客鉄道株式会社設立委員長、斎藤英四郎」
「賃金17万3千6百円」。
 ……さまざまな思いが脳裏を過ぎる。世の中ウソばっかり。ホンッ…とに情けない。振り返ってみれば、どうにもなじめなかったものが多すぎたかもしれない。
 しかし、自分自身を見つけ出すために生きなければならない。身の回りのちょっとしたことに感動を覚え、幸せだと感じながら生きていきたい。これでいいのだ。

○月×日
 わがJR中央線はいったいどうなっているのか。一月八日の雪害以降、連日ダイヤが乱れているといっても過言ではない。今日も初電からストップし、朝のラッシュ時間帯は大混乱となった。
 原因は、中央線を動かす「列車運行管理システム」のコンピュータが故障したということなのだが、お客様にどのようなお詫びのアナウンスをしたものか、非常に悩んでしまった。余計なことを言うとさらに混乱を招いてしまう。
「えー、列車を動かすコンピュータが、あー……」などと本当のことを言っても、「ナヌッ!? 中央線が『こんぴゅーた』で動いているだぁ!!」と、ただでさえ連日の事故で殺気立ち、キレる寸前の怒れるお客様に油を注ぐだけである。
 私はサイテイ車掌よろしく、ハッキリいってコンピュータのことなど何も分からず、全くたち打ちできない。乗務員室から逃げ出したい気分であった。
「えー、先ほどのアナウンスを訂正して、お詫び申しあげます。中央線は運転士が動かしているわけでございますが……」、あー疲れる。
 これでは暴動も起きかねない。このままでは順調な日には、「JR中央線は本日平常運転」ということが大ニュースになるかもしれないではないか。それにしても異常事態である。今すぐにでも社長に出てきてもらって、山一證券のように「社員は悪くございません」と、お詫びの会見でもしていただかねば治まらない気分である。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/PTA役員 暴漢 長期債務

■月刊「記録」1998年2月号掲載記事

○月×日
 ほろ酔い気分で家でくつろいでいると、息子の中学校のPTA役員から電話があった。
 単刀直入、私にPTA会長になってほしいというのである。「JRで勤務のやりくりが大変なことは、重々承知の上でのお願いです。4人のお子さんを育てている斎藤さんにぜひなっていただきたい……」というのだった。皆は私、いやうちの家庭をどんなものだと思っているのだろう。
 恥ずかしいことだが、もはやわが家はメチャクチャなのである。娘は保育園で子どもと遊んでばかりいる。長男は進路も何も未だに決まっていない。次男は一日中パジャマ姿でだらしない。三男はサッカーばかりでちっとも勉強しない。妻と私の関係も冷えている。
 子ども達には好きな人生を歩ませたいと思う。子は夫婦のかすがいというが、うちはマンションの借金のみがかすがいという状態にまでなってしまったのだ。
 私はもちろん丁寧にお断りした。「私は会長などやる人間ではありません。そんな力などないし、実は来春引っ越し学校も転校するのです」。これではどうしようもない。役員も諦めるしかなかった。
 それにしてもすっかり酔いが醒めてしまったではないか。

○月×日
 背筋がゾクゾクした。とんでもない事件が起きた。職場の掲示板に事故速報として載っていたのだが、東京車掌区所属の車掌が乗務中に暴漢に襲われたというものだった。
 12月3日、19時12分、JR東海道線東京発静岡行普通列車(10両編成)が、国府津駅を定時に発車後、四号車車掌室で執務中の車掌が、目出し帽子をかぶった若い男にいきなり背後から押さえられ、スタンガンのようなものを首の後ろに突きつけられたという。
 車掌は抵抗しつつ、乗務員電話で最後部にいるもう一人の車掌に知らせようとしたが、電話器を払いのけられ、首や額を撃たれたのだという。
 「な、なんなんだよこれは」。私は怒りとともに、震えてしまった。犯人は次の鴨宮駅到着前に逃走し、行方がわからなくなってしまったという。車掌室があったグリーン車四号車には、子連れのお客様2名しか乗っていなかったそうだ。
 車掌は警察に通報した後、救急車で病院に向かったが、診断の結果、頚部・前額部熱傷、および頚椎捻挫で約一週間の経過観察が必要とされた。犯人は車掌のズボンポケットから業務用の鍵3個を盗んだだけで、現金や切符の車内発行機はそのままだったという。
 まったく恐ろしいことだ。気の毒に、この車掌はいったいどんな思いだったのだろう。ケガの回復を祈らずにはいられない。
 掲示には注意事項として、乗務中は身辺に注意を払うとともに、危険を感じたときは周りのお客様等に協力を求める、とある。また乗務員室を離れるときは必ず鎖錠するなどとトンチンカンなことが書かれてある。さらに、現金・貴重品は必ず身につけることと。
 そんなこといったって、奪われたものは身につけていたカギ類ではないか。笑いごとではない。私の頭では、運・不運もあるし自分で気をつけるしかないようにも思うが、このように、現場では酔客に絡まれたり暴力を振るわれケガを負う事件が後を絶たない。
 トランシーバーや防犯ブザーを携帯したり、駅構内に監視用ビデオカメラを設置したりとJRも必死だが、特効薬はなく、頭を抱えているということだ。どうにかキチンとした対策を講じてほしい。

○月×日
 大月駅の列車衝突事故で、回送電車の運転士が逮捕された。昼過ぎのNHKでニュース速報のテロップが流れ、夕刊にも載った。夜のニュースでもやっていた。明日の新聞にも詳しく載るだろう。
 信号の見誤りによる誤発進が直接の原因だが、「ATSのスイッチを切ったかどうかはハッキリ覚えていない」とのあいまいな供述が一転し、「切った」ことを認めたという。業務上過失傷害と業務上過失往来妨害の疑いでの逮捕と相成った。
 信号機をはじめ、当回送電車のブレーキやATS等の機器類に異常がなかったことは、これまでの警察やJRの調査・実験で明らかにされていた。
 警察は個人の刑事責任を問えばそれで済む。しかしJR会社は決して運転士個人の責任や過失だけで終わらせてはならない。もしそれで済ませるなら、このような二度と起こしてはならない重大事故を、再び招くことになるだろう。
 事故に至った背景を究明することが最重要課題である。なぜ運転士はミスを起こしてしまったのか。様々な要因が連鎖して起きたと考えられる。誰が悪いかではない。何が悪いかである。
 国労の現地調査によると、この運転士は、大月駅での入れ換え作業が1年10ヶ月ぶりだったこと。過去9回(見習いを含めると12回)の入れ換えでは「特例」としてすべてATSを切って作業していた。つまり今回の仕事は初めてだったこと。大月駅構内の信号機が例外的に右側(基本は左)に設置されており、要注意信号であったこと。さらに、本線を使用しての入れ換えは極めて危険が伴うことから基本的に実施していないこと。にもかかわらず合理化により、駅誘導係も配置されていなかったこと。
 このようにさまざまな要因があるのだ。もし、これらの一つでも改善されていたなら事故は防げたのではないだろうか。
 JR会社は否定しているが、国労敵視の差別により、当三鷹車掌区でも国労の熟練したベテラン運転士を本務から外し、乗務させずに予備勤務にしたりしている。一日も早く正常な労使関係を構築しなければならないことはいうまでもない。
 そしてATSは切ったと断定されたが、最大の疑問点が残っている。事故直後の警察やJRによる発表では、ATSは「ON」の状態であった。負傷した運転士本人が「ON」に切り替えたのか、別の誰かがスイッチを入れ直したのか。ナゾは深まる。

○月×日
 競馬はやめたのだが、年に一度ということで妻に許しをもらった。日本列島がフィーバーする暮れの大一番、『有馬記念』に勝負を賭けた。
 ダービーのとき、私が「これだ!」と心に決めたマチカネフクキタルは着外で外れたが、その後あれよアレヨと大成長し、菊花賞を制する偉業を成し遂げたのだった。しかし私はただただ指をくわえて我慢し、馬券を買うことは一切しなかった。
 しかし今日だけはベツ。ヤルゾ、ヤルゾ、取るぞ、取るぞと、マインドコントロール状態に陥り、まるで何かに憑かれたように夢を追いかけた。大本命はエアグルーヴ。ダービー二着馬のシルクジャスティスの馬連にドーンと賭けた。投資がデカイ分だけ闘志が湧くのがギャンブルというモノだ。私は「これは法律に触れてはいない」とキチンと「カクニン」した上で馬券を購入した。
 たかが2分間のドラマだが、心は釘付け。目は点になっていただろう。「オレは『ポケモン』のようにケイレンして倒れたりはしないが、ビシッと当てて卒倒してみたいッ! それ行けグルーヴ、それ行けジャスティス!」と、大興奮状態。
 緊張はゴール直前まで続き、「オレはなんて幸運な男だろう」と思った。私が買った二頭とそれに余計な一頭、計三頭のつばぜり合いだったのだ……。大ショック。結果は1着3着。いつものように見事に外してしまった。 しかし、これでいいのだ。今年も深いため息とともに終わろうとしている。また一年間競馬はおあずけだが、私は立ち直りが早い。今日も明日も人生という、もっと大事な勝負があるのだ。今日のような失敗は許されない。「ありゃま記念」では済まないのだ。

○月×日
 このごろJRでは物騒な事件が非常に多い。
 まずは先週の木曜日午前中、満員のJR埼京線車内での出来事。スリグループが尾行中の捜査員に催涙スプレーを噴射し、刃物を振り回した。車内は騒然、乗客の悲鳴につつまれたという。
 さらにその集団は非常停止装置を作動させて電車を止め、ドアを開けて線路上を逃走した。当然並行する山手線も全面ストップしてダイヤが乱れた。
 翌金曜の晩には、JR中央線車内に爆弾を仕掛けたとの怪電話があり、高円寺駅にて、帰宅でゴッタ返す乗客をすべて降ろし、駅の外に避難させ点検した。
 そして次の日は、走行中の東海道新幹線車掌室の小窓から男性が飛び降り、死亡した。
 私はといえば、車内改札中に男性のお客様が、突然バッグからナイフを出した。驚き後ずさりしたら、「リンゴをむくんですけど」と、すかさずリンゴを取りだしたのには笑ってしまった。
 何事も平穏無事であることを心から祈る日々である。
○月×日
 「やっぱりね」という感じがした。政府・与党の財政構造改革会議が決めた、28兆円にのぼる旧国鉄長期債務の処理策である。
 国とはこういうものだ。いつも自らの失敗を棚に上げ、次から次へと奇策を講じて国民を愚弄しているとしか思えない。まるで唐突で筋の通らぬ話だが、私は「またか」と思った。
 「分割民営時閣議決定された引受額は約束通り返してきた。これ以上はいかなる追加負担も応じられない」と、断固拒否の姿勢を崩さぬJRに対し、政府は関連する法律を改正してまでJRに強制負担を求めるというのだ。 国がズルズル処理を引き延ばしたから、利息がかさんで22兆円から28兆円にまで膨れ上がってしまったのは明白である。それなのにたばこ税を引き上げ、郵便貯金の余剰金を活用するなどして対応するという。国鉄とはまったく無関係の財源が充てられるのだ。それにも前提としてJRの負担があり、負担できなければ処理策全体の枠組みが壊れるからといった、どう考えても非常識な論法だ。
 まず第一に、政府が掲げた「増税なき財政改革」の看板にも反するものである。いったいどうなっているのだ。 しかし、今さら何をいってもムダなのだろうか。私はこの件に関してはJRの主張が正しいと思うし、「社長ガンバレ!!」と声援を送りたい。関係者は大いに悩んでいる様子だ。難題である。再考を求めるが、私には、「たばこ増税なら、禁煙車を増やしている場合ではない!! 今後は逆に全車両を喫煙者にすべきではないのか」と、オバカな目先のことしか思い浮かばないのであった。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/大変 ATS 新役員

■月刊「記録」1998年1月号掲載記事

○月×日
 「タ、タイヘンだ」。国労にいわせれば受かって当然、落ちて当たり前という、実に矛盾した昇進試験の発表が本日あった。
 合格者は2名。その中の一人が……、私ではなかった。ナント、またしても落ちてしまった。窓の外は今にも雨が落ちてきそうな曇り空。爽やかな秋晴れは3日ともたない。
 同僚が慰めてくれた。「補欠じゃないのか。3日後に電話があるよ、繰り上げ合格、合格者が辞退されました……」。ならいいんだけどね。そんなことあるはずがない。私が受かったらオカシイと思っている同僚も大勢いるだろうが、そんなことは決してない。受からないこと自体がオカシイのだ。
 それにしても「うーむ」と思わず腕を組んでしまう。情けない。ヘンかもしれないが、なんだか笑いが止まらない。やっぱり「タイヘン」なのは間違いないし、もう何を考えていいのか分からなくなってしまうが、辛いことなどぶっ飛ばせだ。
 一次が受かってからのこの二ヶ月間、ワクワク充実した日々を送らせてくれた会社に感謝申し上げよう。いやいや、危うく「サイテイ」でなくなるところだったなぁ。また来年チャレンジだ。また一年間もワクワクできる(違うか)。しかし来年こそチャンスだ。なぜって? だって三度目の正直というではないか。なに、二度あることは三度ある? いずれにせよ、今からこの試験をこんなに期待しているのは、私をおいてほかにいないだろう。「頼んだぞ、社長!!」。
 祝い酒でないのがちょっぴり残念だが、たまにはしみじみ味わうのもいいだろう。ただ、「あなたも一生懸命働いて、どんどん上に上がって下さいね」と、真剣な眼差しで言った妻には限りなく申し訳ない。

○月×日
 信じられない。大事故である。通常では考えられないことだが、現実に起きてしまった。
 10月12日午後8時頃、JR中央線大月駅構内を通過中の新宿発松本行特急『スーパーあずさ13号』(12両編成)に回送電車(6両編成)が衝突し、双方とも一部が脱線、『あずさ』が横転までしてしまったという惨事だ。ほぼ満席の車内では、衝突の衝撃でお客様が座席から投げ出されるなどして30数人が重軽傷を負った。
 テレビや新聞報道の限りでは、回送列車の運転士が信号を見落としたのが原因ではと報じているが、運転士は入院中であり現時点では真相は分からない。
 それにしても、私達乗務員はちょっとしたミスや勘違いが一歩間違えば取り返しのつかないことになることを、つくづく思い知らされた。デスクワークのように、「あっ、間違えちゃった」と修正液で訂正すれば済むというものではない。リハーサルなし、本番一発勝負なのだ。安全に対しては常日ごろから肝に銘じているものの、やはり身震いせざるを得ない。けがのお客様にお詫びするといっても、詫びようがないではないか。
 もしかしたら逮捕される場合もあるかもしれない。いくらミスを犯したといっても、一生懸命仕事をしていることに変わりはないのだが。
 いずれにせよ、もう一度乗務員としての基本に戻り、職責の重大性を再認識しなければならない。また、誰もが心配なくご利用できるJR中央線であるとともに、安心して働ける職場であって欲しいと心から願う。

○月×日
 職場はもちろん衝突事故の話で持ちきりである。当の回送電車運転士(24)は三鷹車掌区所属で、言葉は交わしたことはないが、何度か私達と同じ電車で乗務をともにしている仲間だ。さまざまな情報が乱れ飛んでいるが、今は警察による取り調べの段階であり、推測でモノをいうのは慎みたい。
 新聞報道等でこれまで明らかになったことは、本来この運転士が入れ替え信号を見るべきところで、特急あずさに示された本線の出発信号の青を見、発車してしまったのは確実なようだ。つまり、第一に信号の見誤りが原因である。しかし人為ミスに対するバックアップ・システムとして、電車や地上(線路)にはATS(自動列車停止装置)というハイテク機能が備え付けられている。衝突などという事故は絶対に起きない万全な対策が採られているのだ。
 ATSとは、信号が赤(停止)にも関わらず誤って列車を発車させた場合、自動的に列車を止める装置である。その仕組みはというと、信号の手前20mと60mの線路に地上子(センサー)が組み込んであり、この上を列車が赤信号のまま通過した場合、警報とともに非常ブレーキが作動し、列車を止めるものである。極端な話、たとえ居眠り運転であっても電車は必ず信号の手前で止まるという、これ以上の安全装置はない、というほどの最新機能なのだ。それでも事故は起きてしまった。ナゼだろうか……。
 この事故を耳にした瞬間、私達乗務員のほとんどは、「ATSを切っていたのでは?」と考えたと思う。しかし、現場に駆けつけたJR社員(第一発見者)も警察の現場検証でもATSは「入」位置にあり、切られてはいなかったという。
 ならば、ATS機器類の異常か、ブレーキ等の故障であろうか。
 けが人はその後六61人に増えたという。JRの信頼回復のためにも、早期の原因究明が待たれる。

○月×日
 職場の分会役員から重要な話があると呼ばれた。近々国労の分会大会が開かれるのだが、なんと私に役員になってほしいという。国労三鷹車掌区分会執行委員にだ。 「そんな、私にはできないよ。私はこの通りサイテイなんだ。他に優れた人材はいっぱいいるじゃないか、ダメ、できない」と、その場でハッキリ断ったが、奥さんともよく相談して真剣に考えてほしいと、相手も後へ引かないのだった。
 役員達の常日ごろの奮闘ぶりには、私も心から敬意を表している。一般組合員としてもできるだけ協力しようと思っているし、そうしてきた。私自身のさまざまな問題で人一倍お世話になっていることもあり、頼まれれば非常にツライ。しかし、こればっかりは別である。迷惑をかけることはできるが、役員はできない。歳も歳だし、私はもう静かに老いていくだけ。辞書にも40は初老と書いてあったのだ。
 まぁそれはともかく、いまの役員達は若い時分から出世など度外視して、仲間のため労働者のためにと活動されている崇高な意識の人ばかりなのだ。そのようななかに、私のような仲間からの信頼も薄いトラブルメーカーが入るわけにはいかない。
 例えば昇進試験にしても組合の方針では、受かろうとするのではなく、差別をなくす闘いとして受験していくとなっているのだが、私の場合は受かりたい一心で受けている。そんな建前と本音を使い分けるような者が皆の前に立つべきではない。
 そして「奥さんとも相談して」というのは、明け番や休みといえども会議や集まりで、家庭も相当部分犠牲にしなければならないからだ。妻に相談したところで、「あなたの好きにしていいわよ」と反対はしないだろう。しかし、その裏には重大な真意が隠されているのだ。口には出さないが、「もうあなたなんか当てにしてませんから……」と続くはずである。困ったなあ、どうしようか……。

○月×日
 わが国労三鷹車掌区分会の定期大会が2日間の日程で行われた。
 はじめに分会長が1年の主だった経過報告をし、「区長、副区長が代わっても国労敵視は変わらない。この体勢の下で何をすればいいのか、活発な発言と議論で総括し、向こう一年間の闘いの糧となる方向を全組合員でつくり出していこう」と力強い決意で挨拶された。
 来賓として社民党の常松ひろしさんが、「十年もの長い間、国労の皆さんは本当に良く耐えてこられた。今後は必ずや多数派になられることを確信する」と、激励と連帯を表明され、また、上部機関の支部委員長は、「世論も巻き込み負けない体勢ができた。最後の詰めを誤らないよう闘っていきたい」と現情勢を含め檄を飛ばされた。
 その後、運動方針案の質疑応答に入り、私の印象に残った組合員の意見は、安全問題について、ホームにあるITV(ホームの状況を映すテレビ)の見づらいときは、大丈夫だろうという思いこみで発車させてはならない、駅員を配置させる手だてをとるべきである。また組織問題として私達は良い先輩をやっているのか、若い人達の国労加入はゼロだが、いずれ必ず、人間的なつながりで獲得できるはずだ。さらには、信頼される分会であることが一番大事だ。誰もが何でも相談できる分会、役員はもっと勉強し、自信に満ちた分会にして欲しいという手厳しい意見まで出された。
 しかし、実際には盛り上がりに欠けていたというのが、私の素直な感想だ。十年以上の差別慣れ、何を言ってもムダというアキラメムードが払拭しきれないのが一般組合員の正直な思いだ。それもそのはずかもしれない。役員改選では、なんとこの私が新執行委員に選ばれたのである。
 その瞬間、どよめきが起こったのはいうまでもない。「いよっ、典ちゃん」というやんやの喝采。一方で「えっ、斎藤が」という声にならない驚きが入り混じっていた。
 翌日職場の同僚に言われた。「もし万が一、俺が分会長になったら、ほとんどの人が国労を抜けるだろうな。あんなヤツにはついていけないと……。言ってる意味が分かるよね、典ちゃん」。
 やれやれ、もういきなりこれである。「ええぃ、何とでも言ってくれい」。私自身も「オレなんかでいいのかな」と正直思う。しかし決意は固い。私はやる。選ばれた以上はできるだけのことはヤル。分会長を支え、組合員のために定年までベストを尽くそうではないか。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/「つもり」 クルミ 謝罪

■月刊「記録」1997年12月号掲載記事

○月×日
 二次試験の面接を終えて、ホッとしている。今回は無駄な抵抗と思いつつも、車掌区側から渡された質問事項のプリントの他にも会社要覧等を熱心に読んだりして、かなり本気で励んでしまった。付け焼き刃の丸暗記ではあるが、毎度毎度質問に対して「わかりません」ばかりでは、チトみっともない。
 従って当日の意気込みは頂点に達し、鼻息は荒く、毛艶や身体の張りは申し分なし、まさに万全の体勢で臨んだといっても過言ではない。だが、真剣に物事に取り組めば取り組むほど、緊張度は増すものだ。三人の試験官を前に、ボソボソとしたナメクジ声で一生懸命答えている自分の姿を思い出すと、情けなくて赤面してくる。かしこまったことはやはり苦手だ。何事もハキハキ、テキパキこなす人が本当に羨ましい。
 しかし、やるだけのことは自分なりにやったつもりだ。あとは合格の二文字を心から願うのみ。また一年後だなんて、私にはもう待てない。
 翌日、職場で同僚に言われた。「アレッ!? 典ちゃん生きているじゃないか……」。含みのある痛烈な批判である。大丈夫、マイ・フレンド!! 魂は断じて切り売りしない。私はすべてありのままを答えたに過ぎないのだ。
○月×日
 あれもしたい、これもしたいとなると、何かとお金がいるものである。家計はただでもタイヘンなのに、マンションのローンを払っているつもりでさらなる節約を始め、はや数ヶ月たった。「つもり」といっても、映画を観たつもり、旅行に行ったつもりなどと貯金するのではなくて、毎月の返済額をプールしているだけなのだが、はっきりいってストレスが溜まってしょうがない。その分サケの量が増え、どうも始末が悪い。
 長年やってきた趣味の競馬も、キレイさっぱり止めた。妻は「あーら本当かしら」と疑うのだが、本当に決まっているではないか!! そのかわり宝くじを買うようになった。宝くじ数枚で夢を見るくらい大目に見て欲しいのだが、ハズレばかりでカスリもしない。もう止めようと思うのだが、新聞で当選発表を見ると「もし買っていたらなァ」と胃がケイレンするので、やっぱり買ってしまう。
 当然、外で飲む回数も減らしているが、ついつい赤提灯の甘い誘惑に負け、フラフラと暖簾をくぐってしまう。これはなんといえばいいのか、飲まない人には永遠にわからないオヤジの哀愁!? まっ、つくづくサケ好きなのだが、外で飲む一杯は家とは違い、格別なものである。特に私の場合、どこかのコピーではないが、「自信カミさん、家事オヤジ」という家庭状況が影響しているのかもしれない。
 マンションは来春の完成予定となっている。中央線沿線のため、乗務中毎日見ることができる。初めは通過する度に「手抜きしないで、しっかり造ってよ」と心の中で叫んだりしていたのだが、最近は当選の喜びはどこへやら。今の生活が借金完済まで続くのかと思うと、なんとも気が重くなってしまうのだ。
 さまざまなことが頭をよぎる。考えてみればオカシナことが多い。国鉄で働いてコツコツ貯めたお金を、すべて国鉄(清算事業団だけど)に取られてしまうのか!? 今日もこうして安い焼酎で目はうつろ、日記の文字は塩をふられたナメクジのように溶けだし原形を留めていない。いいのか、こんなコトで……。

○月×日
 「それって反対だな、オレ」という、人間として当たり前の感情も、「組織の総力を挙げて断固反対するものである」などとやると、いかにも由々しき事態が起きているようで、なにやら仰々しく、眉をひそめる人も多いのではないだろうか。
 今や労働運動に関するニュースは、自らが関心を持ち、意識して報道等を追っていかなければ見逃してしまうほど少なくなってしまった。そういったこともあり、労使が鋭く対立するというやっかいな構図は影を潜めたかのように見える。これは闘う労働組合が少なくなったからなのか、無関心層が増えたからなのか、実は世の中が良くなったのか……、私にはよくわからない。
 私達国労は人減らしの合理化には反対する。とまぁ、反対だらけでJRからは大嫌悪されているわけだが、それに止まらず、周囲からも煙たく思われているとのウワサを耳にするから心底泣けてくる。
 人それぞれにさまざまな考え方があり、意見の相違はあって当然だ。また、個人個人が置かれている立場というものもある。「反対だ」と異議を唱えるのは自由であり、誰に強制されるものでもない。国労は労働者の権利を守るため、正当なルールに従い、当たり前の労働運動をしているだけなのである。
 また、私達は労使間で決まった大勢の中で、反対だからといって働くことを止めてはいない。誰もが会社の提示した作業指示に基づき、キチンと働いている。労働組合としてできるところは改善していこうと、ねばり強く申し入れ、元に戻すべきものはそうしようと懸命に闘い続けているに過ぎないのだ。これみよがしに、賛成しなければ差別するというJR会社のやり方は、時代錯誤も甚だしく、まさにファシズムそのものといわれても大げさではないだろう。
 JRに入社した若い人達は、分割民営化の表向きの経過は知っていても、現場が無法地帯と化した大混乱の日々はほとんど知らない。数多くの国鉄労働者とその家族に生涯消えることのない深い傷を負わせ、命までも奪った犯罪行為の責任を、キッチリとっていただくのは当然のことである。また、新入社員を百パーセント東労組に加入させるのをいいことに、そこで教育しているのは、「国労は鬼だ」という誤った洗脳である。今はムリでも、いずれ国労は正しかったとわかる日が必ずやってくる。歴史に真実は一つしかないのだから。

○月×日
 乗務員室の窓を開けると、辺り一面に金木犀の芳しい香りが漂ってくる。まるで何もかもが平穏なんだと感じてしまうヒトトキである。都会に緑が少ないというのは定説だが、わがJR中央線沿線に限っていえば結構恵まれているような気がする。まぁ、単なる私の所感だが、常務中次々と流れて行く景色を眺めつつそう思うのだ。 「私は実りのある日々を送っているのだろうか……」。実りの秋という季節がら、ふと思った。そこで今日は緑、とりわけ果実・木を追って乗務ことにした。さぁ、信号も緑に変わった。出発進行だ。えっ? もちろん安全輸送が最優先であることはいうまでもない。
 「中央線から見える木の名前を挙げよ」と咄嗟に聞かれたら、止り木、枕木は冗談としても、松や杉、イチョウ、それに桜と、数種類しか思いつかない。いわゆる植物に関しては門外漢の私だが、気を付けて見てみると「へえー、こんな所にこんなものが!!」とビックリするのと同時に、懐かしい郷愁に誘われてしまった。
 中央線沿線の緑は、やはり三鷹以西の多摩方面に多く散在しているが、代表格は何といっても柿、栗、イチョウである。これらは最も馴染み深く、幼い頃に田舎で慣れ親しんだものばかりだが、ここ何十年も気にかけることのなかった木々である。よく実を失敬したりしたのだが、今の都会っ子達の間には見られなくなった光景の一つかもしれない。
 そして、私はこれぞ横綱級という木を発見してしまった。それは鮮紅色のざくろと淡黄色のかりんである。色、形ともに趣があり、名前の響きも素晴らしく、まさに王者にふさわしい。
 私はさらに細心の注意を払いつつ、乗務を遂行した。「ご乗車ありがとうございます。次は……」この通り、仕事はキチンとやっているが、ここの駅名だけは言えない。言ったら場所がわかってしまう。本日の大収穫である。ナント、こんな所にくるみの木があったのだ。梅のような実は葉と同系色で目立たぬが、熟すと地面に落ち、それが腐ればおなじみの茶色の核がのぞく。冬になったら拾いに行こう。何度も何度も場所のカクニンを励行し、「こうした情報の積み重ねが、お客様の限りない信頼を得るのだ」と、かなりワケのわからぬ興奮をしながら「後方オーライ」の指差喚呼を決めたのだった。
 この胡桃を探し当てた人には、うーむ、そうだなあ、チャイコフスキーの「胡桃割人形」を聞きながら、水割りでも御一緒したい気分とでもいおうか……。それにしても、毎日看板ばかり眺めている私と違い、通勤の車内から日々移り変わる植物の成長を楽しみに眺めている、高尚なお客様も多いのだろう。植物も生きものだ。「生きもの中央線紀行」もなかなか面白いものである。

○月×日
 朝日新聞や東京新聞にも小さく出ていたが、去る9月22日、JR東日本は国労に対して「今後このようなことがないように留意します」という謝罪の文書を社長名で提出してきた。
 ほんとに次から次と情けない限りだが、これは国労からの「脱退強要」をめぐる不当労働行為事件についてである。これまた地労委から始まってJR会社はことごとく断罪され続け、東京高裁においても敗訴が確定し、上告を断念したというものだ。強気のJRにしては異例といえる。
 10年前の87年11月に、当時の自動車事業部・花崎淑夫総務課長(現JR東日本常務取締役)が国労東京自動車営業所分会の分会長自宅を訪問し、「お前が国労に残っていては駄目だ」「あんたを飛ばすわけにはいかない」「もし分会長が応じてくれなければ組合員4~5名を強制配転させる」と、国労からの脱退を強要したというものだ。このような露骨な脱退工作は、全国のあらゆる職場で展開されていたが、人事・労務を担当する総務課長自らが率先して行ったという点で、極めて悪質なものといえる。
 やっているのに「やってない」として、10年間も争い続ける神経が私には理解できないのだが、JRの場合は、このような図太い神経でなければ部下に信頼される要職には就任できないのかもしれない。
 ちなみに謝罪文はというと、
『昭和62年11月27日、当時の当社自動車事業部花崎淑夫総務課長が貴組合の組合員であった古家信郎氏の自宅を訪問し、同氏に対して、「国労に残っていては駄目だ」「あんたに来てくれなければこまる」などと申し向けて、貴組合からの脱退を推奨したことが、不当労働行為に該当すると、東京都地方労働委員会において認定されました。
 今後このようなことがないよう留意します。』
というお決まりの文面だ。
 これで本当に反省しているのだろうか。私には何度読んでも謝罪の言葉がどれだか分からず、判決に服するという姿勢が伝わってこない。なぜ、不当労働行為の認定が高裁ではなく地労委となっているのだろう……。いずれにせよ、JR東日本は国労敵視の労務政策を早急に改め、健全かつ正常な労使関係のもとで一日も早い労使紛争全面解決の姿勢を示すべきである。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/イチゴ バッジ ヤジ

■月刊「記録」1997年11月号掲載記事

○月×日
 新盆で妻の実家へ行った。遠い田舎もわが社の車、新幹線ならあっという間だ。じりじり照りつける真夏の太陽。抜けるような青い空にモコモコの入道雲が居座っている。
 越後の山々が連なり、雄大な信濃川はとうとうと流れ、田んぼにはコシヒカリの稲穂が整然と広がる。雑踏と喧噪の都会とはまるで正反対。人影はなく、あたりに響くのは蝉の声だけ。それが逆にまわりの静けさを強調している。なぜか、この風景がこの土地で暮らす地道で実直な人々そのもののように感じる。
 穏やかなお国訛りもまたいい。私には「越後」が「イチゴ」に聞こえるが、「苺」はちゃんと「イチゴ」なのだから不思議なものだ。
 私は縁側にぺたんと座り込み、団扇を片手に外の景色をぼんやり眺めていた。頭の上の風鈴はちっとも鳴ってくれない。
 アメンボウが庭の池の水面を忙しそうに飛び跳ね、錦鯉は悠々と泳いでいる。木陰にじっと身を潜めた飼い猫の「小虎」が、石垣に時折現れるすばしっこいトカゲを狙う。百合の花にはカラスアゲハが優雅に舞い、オニヤンマが目の前を低空飛行で一直線に行き来する。昔から何一つ変わらない庭一面の草木の緑を見ていると、心がやんわりと和んでいくのはなぜだろう……。
 ついウトウトしてしまったようだ。首筋のあたりがじっとり汗ばみ、夕暮れ空を背景に、短い一日を惜しむかのような蝉時雨が鳴り響いている。日が暮れたら、満天の星空の下で子どもと花火だ……。「あなたぁ、ビールが冷えてますわよ、お風呂早めにどうぞー」妻の声が聞こえた。
「……さん」誰かが私を揺すりながら何か喋っている。「……うさん、お父さん、いつまで寝てんだよオ、もう晩ご飯だよ」中一の息子だった。私は昼間からのサケですっかり熟睡していたらしい。なら、さっき妻が呼んだのは夢か? そうだろうと思ったよ。

○月×日
 ラッシュである。通勤ラッシュ、ゴールドラッシュといろいろあるが、裁判のラッシュだ。今度は横浜地裁から「組合バッジ差別事件」の判決が八年もかかってようやく出た。いうまでもなく国労の完全勝訴である。
 これまたJR東日本が労働委員会命令を不服として裁判所に提訴した事件なのだが、概要を簡単に説明すると、バッジ着用の国労組合員に執拗熾烈な取り外しを強要し、従わなければ訓告等の処分を乱発、賃金カットや昇進試験受験資格剥奪等の差別(今現在も続いている)を強行したというものだ。現在までのカットの総額は、一時金(ボーナス)だけでも一〇億円以上に達しているというから驚きだ。
 これではJRにはまるで差別がゴロゴロしていると思われそうだ。しかしその通り、「JRを歩けば差別に当たる!?」のである。
 さて、バッジは労働組合員としての団結のシンボルであり、正当な組合活動である。一センチメートル四方の小さく地味なもので、国鉄時代から何十年と着用してきており業務上何ら支障なく、職場秩序を乱すようなことがあろうはずはない。利用客に不快感を与えたり、もちろん乗客の生命・財産を脅かす事態が生じたこともない。正に職場規律是正の名を借りた不当労働行為にあたるのだ。
 判決は以上のような内容も含め、216頁にわたってJR東日本を断罪している。
「松崎東鉄労(現東労組)委員長が昭和62年に、『権利だからといって無茶なことをするのは良くないという点で、私たちは会社側と話をしてきた経緯もありますから……』『駄目な労働組合には消滅してもらうしかなく、駄目な組織はイジメ抜く……』旨を述べたことを併せ考えると、機関誌による呼びかけに関わらず、東鉄労の組合員が組合バッジを着用しないということについてはJR東日本と東鉄労との間で事前の話し合いが行われ、東鉄労が労使協調関係を維持するとともに、これを誇示し、あるいは国労の対決路線を際だたせる意図のもとに、組合バッジ不着用を決定したことが窺われる」との一頁のように、詳細な事実認定に基づいた勝訴判決となっている。
 JR東日本は即日控訴の手続きをとったという。高裁、最高裁とまだまだ続くのか……。闘いの終わる気配は全くない。

○月×日
 一月前に行われた昇進試験(一次)の発表があった。 なんかヘン。オカシイとしかいいようがない。当惑することしきりである。つまり、受かってしまったのだ。東労組からあれだけさらし者にされ、なおかつ会社からも目をつけられた私がだ。「今度こそ受かる……」などと大見得を切ってはいたものの、絶望的な状況であった。実際、「不合格」と言われたときの不当性を頭のなかで整理していたところだったのだ。
 これにはどうもウラがあるとしか思えない。それともマンションが当たり、今後借金苦に陥る私へのせめてもの思いやりなのか。はたまた「もっともっといい文章を書きなさいネ」と、激励を込めた会社からのネタ提供だろうか……。一体どうなっているのだろう。サッパリ分からない。
 ちなみにうちの職場の国労だけでみると50人ほどが受け、4人が合格したらしい。残るは二次の面接だが、今日だけは素直に喜び祝杯をあげよう。

○月×日
 これほどまでJR会社は国労を嫌悪しているのだから、こちらも心を鬼にして闘うしかないのだろうか……。闘いには勝ったが組織がなくなっていたということになりはしないか……、近々国労の全国大会が開かれるが、いったいどのような方針が決定されるのだろう。苦悶は消えない。自分の中でコレダ!! という答えが見つからぬまま時だけがダラダラと過ぎて行く。一日が終わる頃にはいつものようにアルコールでデロリンマン状態となり「まっ、いいか」と寝てしまうだけである。どこがいいのじゃ。これでよいはずがない。
 さて、資本主義の下での企業というのは、結局金儲けが目的なわけだが、これは国労の顧問弁護士さんが言っていたことである。
「企業が本気で儲けようとすれば、仕事ができる人はどんどん昇進させ徹底的に使われる。組合が思想がどうだなどいってはいられない。しかしJRの現場では、能力が下の人を上にあげるといった昇進差別を平然とやっている」
 つまりJRは人事をいい加減にやっても、労働者の能力を発揮させなくても儲かる企業といえる。このような企業は公益的企業に多いのだそうだ。いわれてみれば「うむ」と納得できる。
 労働委員会の反対審問で現場長クラスの人が自分の部下の悪口を平気で言う。良心の呵責に耐えられないのでは、と悲しく思うが、大半は言いたくて言っているのではない。すべてJRに言わせられているのだ。人間として許せないことだが、「まっ、いいか」となってしまうのである。どこがいいのじゃ。これでよいはずがない。 ならば、いったいどうすりゃいいのだろう……。

○月×日
 季節の変わり目というのは何故かセンチになってしまう。古き良き時代の曲を聴いてみるのもいい。難しいことは何も考えないで。
 知る人ぞ知る、ロスのシンガー・ソング・ライター、J・D・サウザー、79年のヒット曲、「ユア・オンリー・ロンリー」には泣けてくる。
 単調なメロディのラブ・ソングだが、これでもかこれでもかと転がるように奏でるピアノの旋律が実に美しい。ただでさえやるせないのに、より一層の哀愁を誘いこの曲を盛り上げている。なんともたまらない。私はすっかり涼しい気分になってしまう。まるで白昼夢であるかのようだ。
「世の中が国労の肩に崩れ落ちようとし、国労が孤独でちっぽけだと感じるとき、国労には抱きしめてくれる人が必要なんだ。国労が王様だったときも、誰もが去ったときにも、僕は国労にいるだろう。国労が孤独なとき、恥ずかしく思わなくてもいい。国労はただ孤独なだけなんだ……」
 何度聴いてもいい。こうしてずっと聴いていたい。難しいことは何も考えないで。これぞ傑作、脱帽するばかりだが、私はこれから出勤で制帽をキチンと被って乗務なのだ。そろそろ重い腰を上げなくてはならない。お客様がお待ちしている……。

○月×日
 国労第六十二回定期全国大会の傍聴に行った。会場となった日本教育会館前には連帯の横断幕を掲げた支援団体、機動隊の車が何台か張り付き、物々しい雰囲気はいつもと変わらない。NHKやTBS等報道関係者も多い。 国鉄の分割民営化から十年がたった今、裁判所の「和解勧告」をはじめ、マスコミを含めた世論の大勢が国労の主張に近いものとなり、強気に見えるJRも内部では動揺が拡大しているに違いない。
 これまでの闘いの前進が、誰の目にも明らかになった重要な時期だけに、私はこの大会が何か大変な事態になるのでは? と内心ハラハラした気持ちで見守っていたのだが、結局は国労の真摯な態度が貫かれたといってよいだろう。
 ①解雇撤回・JR復帰、不当労働行為の根絶、全面一括解決の実現をめざす闘い、②合理化に反対し、労働条件の改善、権利確立、安全輸送確立をめざす闘い、等を柱とする運動方針は満場一致の拍手で承認された。
 それでもトラブルは起きた。二日目の樫村書記長集約の最中、「8・30路線実力阻止」を叫ぶグループが暴挙に出た。傍聴席から一気に壇上へ駆け上がり、一触即発一時騒然という場面になったのだ。自らの党派の後退を戦術をエスカレートさせて突破しようという気持ちはわかる。しかし発言を遮る卑劣なヤジも含め、こういったことは仲間同士の当然のモラルとして、断固慎むべきである。
 いずれにせよ、大会はなんなく閉会したというのが私の率直な感想だ。冷静に見つめれば、闇の中の十年間の闘いに、遅すぎたとはいえ、今漸く微かな光が見えだしてきたという状況だろう。まだまだ道半ばであり、さらなる総団結・総決起して闘い続けるしかないのである。 6年間の長きにわたり「国労丸」の舵取りをされた永田稔光委員長ら三役が退任し、後任には高橋義則委員長(前東京地本委員長)、上村隆志副委員長(前本部法対部長)、宮坂義久書記長(前本部企画部長)が選出された。
 永田さんは最後に「荒海を越えて進んできた国労丸も、ようやく対岸に着く寸前までたどり着いた」と挨拶されていた。ほんとうにご苦労様でした。すっかり国労の「顔」となっていただけにちょっぴり淋しい。
 新体制でもより一層の指導力を発揮され、これまでの並々ならぬ積み重ねを引き継いで、闘争団も組合員をも後悔させない揚々なる航海を願うものである。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/鉄道員 逆転勝利 恒例行事

■月刊「記録」1997年10月号掲載記事

○月×日
 直木賞受賞作、浅田次郎の『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社刊)を読んだ。泣けた。涙がボタボタと重く零れ落ちた。
 小説を読んで感動すると、全身にツーンと冷たいものが走り、目頭が熱くなる。そんなことはよくあるが、実際に落涙することはまずない。しかしこれにはまいった。 駅員もいない、とある赤字ローカル線の終着駅。廃線が決まり、定年を間近に控えた駅長。「ぽっぽや」一筋に生きた鉄道員の人情話である。
 駅長は何があっても列車の到着を待ち、送り出す。風の日も雪の日も、娘が死んだときも、妻が死んだときも……。背筋を凛と伸ばしてホームの先端に立ちつくし、口には警笛をくわえ緑と赤の手旗を振り、一日も休まず鉄路を守り抜いてきた。クライマックスは、生きていれば十七歳になる生後ふた月で死んだ駅長の娘が、ある雪の晩に駅舎へ現れるというシーンだ。幻想なのだが、駅長の目の前で小・中・高校生と成長していく娘の姿が実にやさしく描き出されるのである。
 もうこの先は書けない。誰にも教えたくない。涙が止めどなくあふれてきてしまう。
『世の中がどう変わったって、俺たちはポッポヤだ。ポッポーと間抜けた声を上げ、鋼の腕を振ってまっすぐに走るポッポヤだから、人間みたいに泣いちゃならんのだと、仙次は唇を噛みしめた』

○月×日
 待ちに待った八王子のマンションの抽選に行った。この日はまた、日本ダービーの日でもあった。
 実に気に入った名前の馬がいたので、私は途中の立川場外馬券売場に寄り、その馬の単勝を五百円だけ買い求めた。「マチカネフクキタル」、すなわち待ちかね福来る……。「今日こそコレダ!!」と思ったのだ。
 実際のレースはマチカネフクキタルが一瞬あわや、という見せ場を作ったものの、結局は馬群に沈み着外。見事にハズレてしまった。しかしこの日の本命はマンションなのだから、気にすることはないのだ。
 八王子の風は爽やかだった。何度か足を運んだモデルルームが抽選会場で、妻と私は厳正なる抽選を固唾をのんで見守った。
「○×○号室、当選は×番の方……」。うちは2番、つまり「第一補欠」に決まったのだ。ガッカリしたのはホンの一瞬。何とも惜しい、悔しい、恨めしい。「どうか私にお譲りくださらぬか」と、当選された方に泣きすがってでもお願いしたい心境だった。バッグに入っているタバコ二箱、使いかけのテレカ、それに財布の有り金1万8520円すべてあげるからと……。
 はじめは満員だった会場からハズレた人が次々と帰られるなか、係の人が「補欠の方はしばらくお待ちください」と言う。当選者が辞退する場合もあるからだ。なんと、この部屋の当選者はこの会場に来ておらず、係の人が何度も電話で確認したが留守であった。
「もし辞退であれば斎藤様にお電話でご連絡いたします」ということで、微かな期待を胸に抱きながら悲しみの八王子を後に、中央線で帰宅したのであった。
 しかし、待てども待てども連絡は来ない。翌日も来なかった。「あぁ、また一から出直しか」と思うと、どっと疲れを感じる。待っているだけでは福は来ないのだ……。
 私が乗務で毎日のように眺めている東京~高尾間53.1キロにわたる中央線沿線には、数え切れぬほどの住宅が密集している。「こんなにイッパイあるというのに、俺の住む家が一軒もないとはどういうことなんだよ……」と、今日もサケでわけがわからぬことを呟き、気を紛らわすしかない。

○月×日
 過ぎたことにいつまでもこだわるのはよそう。この問題は長期化させてはならないのだ。私は早期解決を求め、三日後には三鷹で売り出されたばかりの物件に的を絞り、広告をテーブルに広げて検討していた。
 妻ともよく相談し、いずれは子供達も皆、出ていくのだし、3LDKの広さで十分という結論に達した。これなら八王子のはずれたのとほぼ同じ値段で買える。ここ2、3日は親戚や友人からの電話が多かった。さっきも晩御飯の支度中に友達から電話があり、「ハズレちゃったよ」と話したばかりなのだ。
 再び電話が鳴った。しかし今度は信じられない「ビッグニュース」が飛び込んできたのだった。まさに棚からぼた餅とはこのことだ。相手は「お待ちかね、福来るでございます」とは言わなかったが、八王子の販売センターであった。なんと、当選の人は資金繰りがつかずに、辞退されたというのである。
 素直に嬉しかった。私は電話口で舞い上がる気持ちをグッと抑えて静かにお礼を言った。そうと決まればサケしかない。いかなるときもサケなのだが、まだ誰も帰ってこない一人の部屋でドボドボとバーボンを注ぎ乾杯した。「ウマイ!! 愛しのサケよ。オレはやったぞ!!」グラスをキツク握りしめながら呟いた。何事も一筋縄ではいかぬことが多い私だが、まずはメデタシである。
「ホントによかった、妻はやっぱり一番だ。だってそうだろう、一番の女が妻以外だったら大変じゃないか……」などと、もう早い時間からすっかり酔ってしまい、家族の帰りを待っていたのであった。

○月×日
 去る5月28日、東京地裁(民事第十一部)で結審した北海道・九州採用差別事件では「和解勧告」が出されたが、JR側はいまだに断固拒否の姿勢を崩していない。他の部では五都県(宮城・福島・東京・神奈川・静岡)の採用差別の訴訟が今なお審理中だという。
 ハッキリいって、あちこちややこしくて私にもよくわからないのだが、近々開かれる五都県の口頭弁論の際に裁判長(高世三郎)が重大な見解を示すらしい、との情報が入ってきた。訴訟の途中段階で裁判所が見解を示すのは異例ということである。
 私は早速、当日の夕刊と翌日の朝刊数紙を買い求めたのだが、載っていたのは日経と赤旗のみ。しかも扱いが小さくてガッカリしたが、内容は重く、目を見張るものがあった。わが国労や法律よりエラそうなJRですら予想していなかったのではないかと思わせる内容であった。 高世裁判長は「設立委員には、国鉄が行ったJRの採用候補者の選定が適切だったかどうかを審査する権限があり、その選定に不当労働行為があった場合には設立委員も責任を負う」とする、はじめての見解を示したのだ。 すなわち「不採用は国鉄のやったことで、JRには責任はない」とするJR側の主張を否定した見解なのである。国鉄改革法によれば、設立委員の行為がJRに継承されていることから、「国鉄がやったこと(国労であることを理由に名簿に載せない=不当労働行為)の是正を怠ったとすればJRに責任がある」との論法である。従って、国労・JR双方がこれに沿って弁論を行うように求めたというものであった。
 採用者名簿作成のことや設立委員のことをまた一からほじくり返すのかと思うと、「熱い夏はいったいいつ終わるんじゃーッ」と海に向かって叫びたくなってしまうが、仕方ない。それにしても裁判所は「判決」をどうしても出したくないのだろうか、と思えてしょうがない。 今後は設立委員長であった斎藤英四郎さんや、杉浦喬也元国鉄総裁が証人として出廷することになるのか? 今やおいくつなられたのだろう。しかし、杖をついてでも出廷して真相を証言してほしい。底辺で懸命に生きている何の罪もない、1047人の国鉄労働者を救う「いいおじいちゃん」であってほしい(ムリか)。
 いずれにせよ、JRにとっては大変不利な情勢といわざるを得ない。すでに結審している北海道・九州の判決にも大きな影響を与えるのは必至だ。それとも裁判所は早期解決実現のため、JRを和解の席に着かせようという狙いなのか……。一喜一憂の毎日である。

○月×日
 今日も暑かった。年に一度の昇進試験が厳粛に行われた。この歳になり出世することなど微塵も(?)望んではいないが、この会社でこれからも生きていくうえでの、次のステップとしてチャレンジした。
 誰もが自分の仕事ぶりを公正に評価され、一つひとつ上へ上がっていくべきだと考えるが、もはやここまでくるとアホらしくさえ思える。「もう止めたよオレ」という素直な同僚もいるが、私は懲りずに公休の半日を潰してこのサイテイの試験を受けた。
 期待も希望もないので、緊張も高揚もなかった。簡単な問題を黙々とこなしていく。「過ぎ去った十年間は戻ってはこない……」などとアレコレ考えながら、あり余る退屈な時間をクリアしていく。
 情けなさ、やるせなさ、悔しさ、後ろめたさ、そのどれともつかない感情に揺れ動きながらの一日だったが、怒りだけは消えていない。国労は昇進試験も差別であるとして労働委員会へ提訴している。試験の真相が解明される日は遠くない。「グビィ」、喉元を過ぎるビールの音までがなぜか虚しい。

○月×日
 ビートルズの初期の曲だが、「デイ・トリッパー」(日帰り旅行者)は実にご機嫌なロックンロール・ナンバーだ。もうイントロからシビレてしまう。まるで呪文のように一度耳にしたら誰もが虜になるだろう。
 出だしの強烈でカッチョいいギターを国労だとしよう。それに被さる踊るようなベースは中労委。次に加わる軽快なタンバリンがJR。そしてイントロを締めくくるパンチの効いたドラムが国鉄清算事業団となる。
 この四つが見事に決まるとメインの歌に入っていけるのだが、タンバリンで足踏み状態となっている。曲自体もこのパートだけ2フレーズあるのには笑ってしまうが……。 東京地裁の和解勧告に対する期限は切れたが、JRはついに「拒否」の態度を変えることなく、梨のつぶてとなった。清算事業団は最終日に「JRが和解の席に着かない以上、私どももつけない」との回答書を提出した。納得。
 JRは「裁判所では絶対に勝つ」と公言し、司法の判断に委ねるとしておきながら、裁判所の要望(意見)を無視するとはどういうつもりだろう。完全に矛盾しているが、これもすべて予想されたこと。悲しくなるが、今更誰も驚きはしない。
 さあ、イントロはそろわなかったが歌に進もう。
「JRが安易な方向へ逃げた理由がある。
※ JRはデイ・トリッパー、片道切符さ。イエイッ、わかるまで時間がかかったけど、もうわかったよ。
 JRはその気にさせといて、じらすのが得意。
※ 繰り返し
 JRの機嫌をとろうとしたけど、遊ばれた。
※ 繰り返し」
 うーむ、しっくりいかないなぁ。これじゃ全然ご機嫌とはいえない。タンバリンのテンポが狂っているのだ。皆と合わせてくれなきゃ困るよね。もう一度やり直すしかないのかなぁ。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/交通ビル 携帯電話 最終弁論

■月刊「記録」1997年9月号掲載記事

○月×日
 耳鼻科からはまだ薬が出ている。例の下水悪臭病である。自分では完治したと思っているのだが、ドクターの指示だから仕方ない。
 職場で食後に飲んでいると、「何のクスリ?」と同僚に聞かれた。「これね、欠乗事故防止の薬だよ。これ飲めば絶対安全なんだってさ。今はいいよね、いろんな薬があって。なんならあげようか……」。とまあ、遅刻をしない薬、停車駅通過をしない薬、発車時刻を間違えない薬と、本当にあればいいのだが。チョンボのことはもう忘れた。私は完全に立ち直ったのだ。
 さて、JR内で国鉄時代から引き続き使われている名称には、「名前だけ」になってしまったものがけっこうある。何の疑問も抱かずに毎日使っているが、すでに名前と実際が異なってしまっているものだ。たとえば、枕木、網棚、吊り革などである。枕木はいまやほとんどがコンクリートで、網棚の網は糸ヘんの糸でなく金網の網だ。吊り革にも革など使われていない。また、これとは逆に「名前だけ」にならないでほしいものがある。
 そうなったら非常に困るもの、それはわが国労である。もう国鉄がないのに国鉄労働組合というのも、変といえばたしかにヘンだが、名前は変えてほしくない。やはり強い愛着、深い思いがある。
 この三月、JR東京駅八重洲口にある国労会館が新橋駅近くに移転、という記事が新聞各紙に出ていた。駅を挟んで向かい合う旧国鉄本社用地も、今年度中には入札にかけられるという。国鉄労使のシンボルが共に役割を終えると書いてあり、さらにこんなことが書いてあった。 国労という名前は古いイメージがある、と周囲から声があがったので、移転先の新しいビルの名前は「交通ビル」とした、というのである。古いだなんて……、私はこれを読んで悲しくなってしまった。国労はいったいどこへ行こうとしているのだろう。考えすぎかなぁ……。古いと言った人につける薬はないものか。

○月×日
 私の周りには腰痛持ちの人が結構多い。トシのせいもあるだろうが、職業柄、年中電車の揺れに対して踏ん張ったりしているのも原因の一つかもしれない。
 実は私もこのごろ起床の際に、一念発起しなければ起きあがれないというほどの状態になることがあり、苦労している。そんなときは、ワニのように這ってキッチンまで行き、流し台につかまり「よっこら、しょ」と唸り声とともに、ようやく立ち上がる。そして、ゆうべのサケによる喉の渇きを癒すため、水道の蛇口を捻り、水を二、三杯一気に飲み干す。それから両手を腰に当て、腰を庇いつつゆっくり背を反らして「うーむ、ナサケナイ」と溜息混じりに呟くのだ。
 友人達は「飲み過ぎだよ」と簡単に言うが、深酒をしないときでもそうなのだから、一概にサケが原因とはいえないと思う。これはまさに職業病である、と言ったらオーバーだろうか。皆がどう思おうと勝手だが、職業病だと私が勝手に信じて疑わないものが他にもいくつかあるのだ。
 まず、私達JR車掌の特徴として最も顕著に現れるのは、なんといっても普段、道路を横断するときだ。「右よし、左よし」と声は出さないまでも、ついつい「指差確認」をしてしまう。確認の励行がすべて、といっても過言でない仕事をしているからであろう。また、カラオケに行くとマイクを一人占めして離さない。会議や集会ではうしろに席を取る。これらも、アナウンスマイクをいつも握っているのと、車掌の場所は最後部と決まっているからなので、それぞれ立派な職業病? なのである。 このたぐいのことはわが家のなかでもたびたび起こる。妻がぐったり疲れて帰宅すると、私はつい「お客さんが大勢で大変だったの?」と聞いてしまうし、妻は「中央線遅れたのかしら、患者さんで、もうギューギュー……」と答える。
 これは私らが単なるアホな夫婦なだけだろうか。いや違う。先日、妻が知人へファクスの返事を書いていたのだが、「ファクス受診しました」と、小学生でも知っている漢字を自信に満ちた達筆でしたためているではないか。やはりこれらは職業病なのだ。違うかなあ……。

○月×日
 JR中央線はこのところまたも人身事故(飛び込み)が続いている。武蔵境に始まり、阿佐ヶ谷、新宿と一日おきに三件続いた。私達乗務員は電車が止まってしまうと、なかなか進展しない状況のアナウンスを繰り返すしか術がない。
「○×駅で人身事故が発生したため……」「相当時分かかる模様……」「只今レスキュー隊が……」「運転再開のメドは……」と、ただひたすらご迷惑をおかけしていることを詫びるのだが、あっという間に一時間は経過してしまう。私は運悪くいずれも出番で、いくらこれが仕事とはいえ、もうウンザリであった。しかし、お客様はもっと深刻であることは重々承知の上です、ハイ。
 さて、このような異常時の場合、最近特に目につくのが携帯電話である。心臓を患いペースメーカーをつけている人への、電磁波による悪影響が問題となっているが、一般のお客様からも「着信音が耳障りだ」とか「話し声がうるさい」といった苦情が殺到している。JR東日本では、「車内での携帯電話のご使用は、周りのお客様の迷惑とならないようご協力をお願いします」という使用を黙認した車内放送から、「周りのお客様の迷惑となりますのでご遠慮下さい」という、事実上使用禁止の放送を始めたところである。
 のんびりとした凡人には必要ないと思っているので、私は持っていないが、それにしても、よくまあ皆さん持っているものだと感心してしまう。だが、このようなときにこそ非常に便利なモノであろう。ホームの公衆電話は大変な行列となっており、気の毒でしょうがないのだ。私はこのようなときに、会社の指導どおり携帯電話ご遠慮の放送をやったらどうなるのだろうと、ひそかに考えてしまう……。
 今さっき、いつもより遅い時間にようやく妻が帰宅した。電話ぐらいくれればよいと思う。武蔵境でポイント故障があり、三鷹から歩いて来たと言う。ナヌッ、またも中央線は止まっているのか。もうこれっきりにしてほしい。武蔵境に始まり、これを境に武蔵境で終わることを祈るが、妻には携帯電話を持たせたほうがいいのかと、チト悩んでしまった。

○月×日
 JRの事故は必ずといってよいほど新聞に載る。人身事故、信号機故障、ポイント故障等さまざまだが、それなりのスペースで取り上げられる。
「○×事故により○×本が運休したため、○×分の遅れが生じ何万何千人の足が乱れた」と、いつも同じような書き方であり、JRを利用されない方々には、他人事のようでたいした問題ではないと思われるかもしれない。しかし、ホームや電車は人で溢れてパニック寸前となり、事故に見舞われたお客様の苦労は想像以上である。
 それにしても、何万何千人という人数にピンとこない人は多いのではないだろうか(私だけかなあ)。そこで私はふと思った。たとえば、この人数と全く同じ人口の町があっても何の不思議もない。つまり、この町のすべての人の予定が乱れたことを想定してみるといい。そう考えればこれは大変な事態だ。町民から町長に至るまで一人残らずドタバタしているのである。仮に病院に行っても、ドクターも看護婦さんもすべて乱れているのだから治療だって受けられない。従って、これは新聞に載るほどの大事件なのだ……。
 さっきまで西の空の一つ千切れた雲の行方を見ていたのだが、ちょっとぼんやりしてたら、いつの間にか消えてなくなっていた。暑さでどうもおかしいこの頃である。
○月×日
「北海道、九州採用差別事件」の最大争点は「JRの使用者性(責任論)」についてである。この十年間の国鉄闘争の集大成ともいえる東京地裁での最終弁論が、五月二十八日に異例の大法廷で行われた。
 まず原告であるJR会社は、「国鉄とJRは別法人で、JRにその当事者適格性(責任)はない」と従来の主張を繰り返した。
 これに対して中労委の菅野和夫公益委員(東大法学部教授)が、「不当労働行為の責任は、労組法によってJRが負わなければならないことは明白」と厳しく反論した。裁判所で公益委員が弁論に立つなど異例中の異例ということだ。うぶな私も、公益委員といえば裁判官みたいなものではないかと思う。
 続いてJRに採用されなかった国労組合員二人が、差別された実態等を切々と陳述し、国労弁護団の宮里邦雄弁護士をはじめ六人の代理人がJRの責任論を詳細にわたり論証し尽くし、結審した。
 その後、萩尾保繁裁判長は、JRと国労、中労委、国鉄清算事業団(=政府)を加えた四者に対し、「裁判所の意見」と称する異例の「和解勧告」を発表したのである。裁判長は「紛争発生以来十年が経ち、社会、経済情勢も変化した。早期に抜本的な解決を図るべき時期に来ている」と述べ、六月末日までに和解に応じるかどうか回答するよう求めた。
 JRは「裁判長の意見は受け入れられない」とその場で拒否し、国労は閉廷後の記者会見で和解の席に着くことを表明、JRにも強く参加を求めた。
 正に異例ずくめといえるが、和解を勧めた東京地裁の判断に注目したい。これは、JRを事実上の当事者とみなし、問題解決に加わる責任があるとしたものだ。すなわち「国鉄とJRは別だ」とするJRの主張は退けられたと解釈できるが、違うだろうか。だとすれば、JRがあくまでも裁判で決着に持ち込もうと和解を拒み続けても、最終的にJRが負け、「国労勝利」という判決は決まったも同然だろう。
 また、当事者として国鉄清算事業団も加えたことは、国鉄改革を国策として実施した政府にも重い責任があるということだろう。加藤紘一(自民党)、伊藤茂(社民党)の両幹事長は、和解に向け努力していくことで合意しているということだ。
 いずれにせよ、負けを承知で最高裁判にまで争いを長期化させようとするJRの態度は、国労の弱体化を待つという目論みが見え見えだが許されるものではない。新聞各紙を見ても「公益企業としてのJRがとるべき対応は早期解決への努力ではないか」といった論調が多い。 私は本当に悲しくなってしまう。「人にやさしい」JRであってほしい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/八王子 大チョンボ 中曽根

■月刊「記録」1997年8月号掲載記事

○月×日
 東京駅を発車するオレンジ色のニクイヤツ、わがJR中央線は、西荻窪→西国分寺→西八王子と、さながら太陽を追うかのように西へ西へと進んで行く。
 私はいつも、「アイル・フォロー・ザ・サン」というビートルズの曲を思い浮かべてしまう。アコースティックでさらりと歌われた、美しくしみじみとセツナイ佳曲だ。彼は恋人のもとを去って、太陽を追う旅に出る。そうだ!! まさに私も毎日、太陽を追い続けて西へ西へとむかっている。
 ビンボー人のお恥ずかしい話なのだが、2年ほど前のある日、妻が突然何事かと思うような口調で言ったのだ。「あなた、マンション買いましょう」と。「ナヌッ!? 冗談はよせよ。うちのどこにそんな大金があるんだ」私はなかば呆れ顔で言い返した。
 「もちろんローンです。歳を取ってからでは遅いのよ。これからは計画的にお金を使いますからね、あ・な・た」と私の無計画性を暗に批判しつつ、『影の家長』たる妻は真剣な決意を述べたのであった。借金でこれ以上生活を切りつめるなどとんでもない、と迷ったが、結局妻に押し切られてしまった。
 その後の妻の行動はスバヤかった。早速、今の社宅より少し西の小金井に物件を見つけ、申込金まで払い込んできた。しかし、その物件はよくよく考えてみるとメリットがなく、取り消した。今の社宅より狭いのもさることながら、今思えば、借金の額が多すぎてビビッてしまったのが最大の理由であった。
 次は検討に検討を重ね、さらに西の国分寺に決めたのだが、抽選の結果見事にハズレた。現在は慎重に検討を重ね、JRのCM「その先の日本」よろしく、ずっと先の八王子まで都落ちして抽選待ちという最重要局面? を迎えている。安い国鉄清算事業団のマンションなので申し込みが殺到しているのだが、なんとしてでも勝利しなければならない。ん? それにしても太陽を追いながら、思えば遠くへ来たものだ。なんだかセツナイな。

○月×日
 あれから三日が過ぎた。「忘れるんだ。もう二度と起こすまい」と割り切っているつもりだが、ふと気がつくとそのことばかりを思い出している。気持ちのどこかに重くのしかかっているようだ。
 やってしまったのだ。乗務員として大変恥ずべきコトを。ここにはとても書けないが、つまり大チョンボだ。ついついぼんやりしてミスを犯してしまった。他の皆は常に気をつけているから、こんなコトは起こさない。私はやはりどこかが抜けているのだろう。
 「無事故で問題なくやってこれたのは、JR車掌として、常に意識と自覚を持って職務を遂行してきた結果に他ならない」などと、つい先日エラそうに書いたばかりだ。面目丸つぶれ。肩身が狭く、恥ずかしいったらない。今回は酒の力など借りなくてもヘロヘロである。
 控え室にいた私は、雑念にかられて、ついついぼんやりしてしまったのだ。ハッと時計を見たら、発車時刻までナント一分と少ししかない。グッタリとうなだれ、恥ずかしさをグッと耐え当直助役に申し出た。「スミマセン、もう間に合いません」。
 つまり乗務することができなかったのだ。部内では「欠場」という。私と交代するはずの車掌は引き続の乗務となり、また長い旅に出る。交代乗務員がいないといって電車を止めることはできない。JRの「商品」に傷をつけてはならないのだ。その車掌には後で平身低頭詫びるしかない。すぐに指導助役に呼ばれ、事故報告書なる事実経過を書き、さらになんと欠勤願いも書かされた。処分は上の人事が決めることだが、どうやら賃金カットになるらしい。
 次の乗務時間になったので、ひとまず退席し、一日の乗務を終えると、今度は区長室に呼ばれた。区長、副区長(今年度から主席から副区長という名称に変わった)、指導助役の三人の前で、「明日からは心機一転して乗務をするように」と、厳しい注意とお叱りを受けた。
 同僚達に言われた。「やっちゃったね」「どうしたんだよ」「誰も驚かないから心配するな。斎藤がやったんだもの」「書くネタが増えてよかったな」。なんとでも言ってくれぃ。グスン、自分でも情けなくなってしまう。本当に最低だ。それにしても、オレってどうしてこんなにサイテイが似合うのだろう。これでも深く反省している。まさに不徳のいたすところです。

○月×日
 職場の掲示板には、「事故速報」という箇所がある。現在は「欠場事故発生」がたった一枚、燦然と輝いている。もちろん私が犯したチョンボのヤツだ。こうしてこうなったという事実経過と、今後こうしようという改善策が簡単に書かれている。
 一番目につく場所なので誰もが見るのだが、たとえ読まなくても「欠場事故があったので気をつけるように」と、助役との厳正なる乗務前点呼時に、一人ひとりの耳にねじ込まれ、全員にキッチリ周知徹底される。
 事故が起こると再発防止もさることながら、やはり誰がやったかということに興味が湧くものだ。「ダレ? だれ? 誰?」とヒソヒソやるわけである。「斎藤だって」「あの斎藤か」と、どんどん広まっていく。なかには「ふん、ヤツか。バカめ」とほくそ笑んでいる人もいるだろう。それは一向にかまわないのだが、事故の話が広がるのは気が重い。全国津々浦々のJR路線に広まるわけではないが、恥ずかしいよね、やっぱり。
 しかし、明日は我が身と危機感を抱き、これを他山の石として各自事故防止に努めてほしいと願うものである、などと書いても、私にはもはや説得力もなにもない。「お前には言われたくない」そりゃそうだよね。私は今日もうつむき加減で出勤した。そしたらナント!! あれから五日しかたっていないのに、私と同じチョンボをやった人がいるというではないか。「あぁお気の毒」としかいいようがないが、できれば私の掲示は外してほしい。 それにしても人づてとは恐ろしいもので、助役が点呼の際に「またあったので」と言ったのが、「またやったので」と皆に伝わり、しまいには私がまたやったということになってしまったのだった。なんなんだよ、まったくさ。憂鬱な日々は当分続くのか、ヤレヤレ。

○月×日
 「さあ帰ろう、いつまでも子どものままじゃいられない」心の中でそう呟き、店を出る決心をした。
 「ありがと、マスター」店のママが私に言った。
 「えっ、マスターって?」
 「駅長はステーション・マスター、車掌さんはいってみれば、レールウェイ・マスターでしょ」
 不意をつかれた。「車掌=コンダクター」しか頭になかった私は、なんだか嬉しくなり、もう少し飲みたくなってしまった。が、やはり帰るしかない。明日の勤務は早いのだ。
 こうした馴染みの店でグラスを傾けるときの解放感がなんともたまらない。ここには競争も差別もなく、あるのは疲れた心を癒す安らぎだけ。まさにオアシス。エリート商社マンも、売れない画家も、皆私と一緒なのだ。隣り同士、肩を並べてくつろいでいる。
 今日も静かに飲めたことに感謝しよう。何事もあまり深刻に悩むのはイケナイ。明日は必ず良くなると信じよう。限られた人生を健全な精神で、明るくしたたかに、できたら痛快に生きていきたい。頑固なことも良し悪し。意見の相違や批判にはできるだけ耳を傾けよう。時代とともに自分自身も変わっていきたい。
 真っ暗な帰り道、気がつくと『失恋レストラン』を歌っていた。「マスターか……」ママの優しい笑顔が目に浮かんだ。なのに家が近づくにつれて、なぜか私を睨む妻の顔に変わっていったのだった。現実はキビシイ。

○月×日
 ふと思った。素人の浅はかな考えかもしれぬが、東京地裁の判決前に、「和解」というウルトラCをやるのではないかという気がしてきた。要するに判決は出ない。 短絡的な言い方だが、万が一国労が負ければすべて終わりである。逆に勝っても、この先の長期化は避けられない。しかし1047名闘争団の人間としての名誉は早期に回復させなければならない。一生が訴訟で終わるなんてあまりにも非人間的だと思う。
 それに、地裁が労働委員会を否定し、国労勝利という判決を出せるのかという疑念が断ち切れない。国が国を否定するだろうか。ここはうやむやが好きで、白黒ハッキリが嫌いな日本なのだ。
 トップのリーダー達はそれこそ大変だろうが、私達の知らないところで、一体どんな駆け引きが行われているのだろう。

○月×日
 朝日新聞社の週刊誌『アエラ』に、中曽根康弘元首相が国鉄分割民営化について語った記事が載っていると聞いてから、随分日がたってしまった。久しぶりに図書館に行ったので、係の人にバックナンバーを探していただき、読んでみた。
 「昭和の妖怪」と恐れられた岸信介氏を引き合いに出して、「最近はボクも妖怪と呼ばれている」と発言し、民営化は「国労を潰せば総評も壊滅するということを明確に意識してやったわけです」と語っている。
 そんなことはわかりきったことで、国労が当初から訴えていたことだ。国民には「国鉄の膨大な赤字を解消するための民営化である」と一本槍だったが、その狙いの一つは氏が語っているように、日本労働運動史上最強の国労を潰して、戦後労働運動史を終わらせることにあったのだ。
 この十年間で確かに氏の思惑は当たり、左・総評、社会党は解体され、まさに資本の狙い通りに推移している。しかし危機感もあるはずである。手を変え品を変え執拗に続けられた攻撃に、国労はほんとうによく耐え抜き、今なお三万人の団結を堅持し残っている。このことは日本の平和と民主主義勢力を再結集する闘いに発展しかねない。また、そう願っている良心的な人は決して少なくないと思う。
 現場では新採用の若い青年達が、差別や不当な扱いを受けているのが目に見えているにもかかわらず、大・東労組でなく小・国労にわざわざ加入する画期的な事象も全国でボチボチ見られている。国労にとっても先細りしている運動に今後の展望が開けるだけでなく、非常に大きい意義を持つと思う。
 国労は労働組合として当然のことをやっているだけだが、それがJR内では魅力的なのだろう。裏を返せば、東労組は矛盾に満ちているということの現れではないか。私のまわりにも、所属は東労組だが心は国労という、「隠れ国労」が大勢いる。
 図書館のすぐ目の前を走るJR中央線の警笛が聞こえた。「ん? なぜオレがここにいるとわかったのだろう」

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/サイキョウ線 春一番 JC常務

■月刊「記録」1997年5月号掲載記事

○月×日
 JR中央線は今日も大勢のお客様にご利用され、親しまれている。JRの電車は縦横無尽に走っているように見えても、実に規則正しく、精密なダイヤの上で厳粛に走っている。
 各駅でお待ちしているあなたを、あなたとあなたも、「乗りたい」という意志を最優先に尊重し、どんどん詰め込んでいく。一車両で一人が占める面積からはじき出された144人という定員も、ラッシュ時ともなればお構いなし。いつも定員オーバーで身動きすらとれない。
 さて、新聞やテレビでも報道されたが、警視庁は首都圏で最も痴漢の被害が多いといわれるJR埼京線で、「痴漢撃退作戦」を展開するという。一週間かけてのべ1000人を動員し、空前の規模で実行するそうだ。
 2月18日付の『夕刊フジ』には「最後部車両に気をつけろ」と書いてある。車掌は最後部車両で、安全確実な運行を至上命題として職務を厳正に遂行しているのだ。車掌には車内秩序の維持という職務もあるので、時々車内にも目を向けているが痴漢など眼中になかった。
 しかしなぜ最後部車両なのか。これはどうも乗り換え口に近かったりする関係で、混雑度が高いため、というのが原因のようだ。この乗務員室と仕切り一枚隔てた車内のあちこちで、いかがわしい行為が行われているのか!? 許せん!
 私はいてもたってもいられない気持ちだ。映画などの演技ではなく、本物を見てみたい……ん? ち、違うってば。人としての尊厳の欠片もない、サイテイなウジ虫どもをとっ捕まえてやりたいのだ。しかし、今日も乗客の表情を注意深く観察したのだが、皆苦痛に満ちているだけでゼーンゼン分からずじまいであった。まさか、それが演技ではあるまい……。やめてくれ。
 ちなみにわが中央線は二位ということで、辛うじて面目を保ったが、埼京線は断トツだという。さすが別名最強線である。

○月×日
 東京では、土埃で目を開けていられないほどの春一番が吹き荒れていたさなか、目を疑うようなニュースが飛び込んできた。
 JR東日本本社勤務の元社員(昨年懲戒免職)が在職中、三年間にわたり、オレンジカードやイオカードなどのJRのプリペイドカードを悪用し、なんと13億という巨額の詐欺の疑いで逮捕されたという。このような不祥事は、いつの時代も大なり小なり後を絶たないが、まさに前代未聞である。
 怒りよりも先に、ただただ呆れ返るばかりで開いた口がふさがらない。私など、来る日も来る日も信号の現示に特段の注意を払い、「出発進行」の指差喚呼の繰り返しでコツコツと働いている。特に可もなく不可もない。 仕事が終わると帰宅の途につき、歩行者信号が「みどり」になったら足早に進み、「あか」提灯の前では忠実に足を止め、月に何万円かのおこづかいを工夫しながら暮らしているのだ。それでも十分幸せだと感じるのは、悪いことをせず正しく生きているという確信があるからだと思う。
 この逮捕された、本来なら私達の模範となるべき本社の社員は、何が原因なのか、突如人間としての歯車が狂ってしまったのだろう。善悪の区別がつかなくなり、金銭感覚もマヒ状態となって、高級車に乗り、高級クラブなどで豪遊していたのだろうか。
 限りなくナサケナイが、深く深く反省して更正すると固く誓い、罪を償い、これからまっとうに生きられることを祈るだけである。なんて私がエラそうに言えた義理じゃあないけどね……。

○月×日
 こうなるともう、エゲツないというか最低だとしかいいようがない。今度は電車の乗務員室に落書きがしてあったと、同僚が教えてくれた。
「三車(三鷹車掌区のこと)の斎藤、殺す」
 私はまだお目にかかっていないが、三鷹車掌区の乗務員で斎藤は二人いる。私でない斎藤氏は品行方正で、そんなことを書かれる理由が見あたらないから、きっと私のことだろう。「オレのせいで本当に申し訳ない……」と、彼に謝った。
 それにしても呆れるね、ったく。そんなことをして喜んでいるヤツの程度、いや、低度が知れる。チクリ・チクリとやっているつもりなんだろう。子ども達のお手本となるべき大人社会でこれだもの。「いじめはなくならないな」と、改めて強く感じた。つくづくナサケナイ。
○月×日
「注意すれば防止できる」とはいえ、人はだれしも大なり小なり、ポカを犯してしまう。
 JRでは、この種のポカが後を絶たず、誠に頭がイタイわけである。電車が停車駅を通過したり、駅員が寝過ごし駅のシャッターが開かず初電に乗れなかったなど、お客様への迷惑は数知れない。平身低頭謝るしかないのだが、できれば蓋をしておきたい。しかしこれがたびたび新聞紙面を賑したりするからお恥ずかしい。
 今朝の新聞にも小さく載っていた。帰宅ラッシュで満員のJR中央線、東京発高尾行下り快速電車が、西荻窪駅で160mオーバーラン(ホームに後部二両が掛かっている状態)して停車したが、後続が迫っていたために、そのまま次の停車駅の吉祥寺駅まで進んでしまった。そのため西荻窪駅で降車するはずの乗客約100人が、上り電車に乗り換えて戻ったというものだ。原因は、運転士がブレーキのタイミングを逸したためと書かれていた。 私が出勤すると、職場は当然このことで持ち切りだった。いつものように、新聞報道以外に山ほどのオマケがついている。当該車掌はうちの職場だが、気の毒に若い人だった。
 話を総合するとこういうことである。まず、オーバーランした電車を所定の停止位置にバックさせるのだが、指令は「後続接近のためそのまま進め」という究極の指示を出した。このやりとりですでに数分が経過している。若い車掌は必死なわけだが、このような不手際は満員の乗客にはかなり長く感じられ、「ナニやっとるんじゃJRは」的な腹立たしさが募ったのだろう。
 そして次の吉祥寺駅に着くや否や、怒りでプッツンしてしまった乗客の1人が、物凄い剣幕で「お前、現行犯だぞ」とか言いながら無理矢理車掌の腕をつかみ、ホーム事務室(約100m先)まで引っ張って行った。ところが事務室は無人である。なんとも不便なのだが、ホーム要員合理化で駅員がいないのだ。それにますます腹を立てたのか、今度はなんと階段を降りて改札そばの駅長室まで連れて行ったのだという。
 そこで見かねた他の乗客が、「あなた1人が客じゃないんだ、大勢の人が発車を待っている、車掌を早く戻しなさいよ」と言ったために、次は乗客同士のトラブルに発展したらしい。この間約10分で、その後ようやく運転が再開された。車掌には幸い怪我はなかったが大変な災難であった。
 この場合は確かにこちらにも落ち度があるが、不可抗力としかいいようのないコトに対しても苦情を受け、ときには暴力をふるわれ怪我を負うのも、私達現場の労働者である。大半が泣き寝入りで終わってしまうが、仕方ないでは済まされない。
 事を荒立てるのは嫌いだが、会社は時と場合によっては毅然たる態度で臨み、対策をキチンと講じてほしい。これは威力業務妨害として告訴も可能なはずである。

○月×日
 東京地裁で係争中である「北海道・九州採用差別事件」の判決が、五月連休後から夏休み前に出されることが必至となった。
 労働委員会の中労委命令を不服として、JRが行政訴訟に持ち込んだものである。いわゆる国鉄改革法23条の解釈を盾に、JR側はいわゆる国鉄改革法23条の解釈を盾に、「国鉄がやったことであり、JRには使用者としての責任はない」との主張を繰り返し、「裁判なら絶対に勝てる」と明言していたのである。
 その中労委命令とは、「改革法の存在を前提としてもJRの使用者責任は免れない。JRは採用にあたり国労に対して不当労働行為を行った」としたものである。これは国鉄とJRの同一性を認めた、私達にすれば当然の内容であった。
 JRはこれに対して、「労働委員会は法解釈を誤認している。支離滅裂だ」として再審査を申立て、ついには行政訴訟を提起して現在に至っているわけである。
 裁判の争点は、①JRの責任論、②不当労働行為の成立、③救済方法、の三つだが、裁判所は「不当労働行為の成否についてはもちろんであるが、使用者性の問題(責任論)について判断を示さないと先に進まないので、この点について集中的な証拠調べをした上で判断を示したい」との方針に基づいて審理を進めた。つまり、不当労働行為問題を切り離して、使用者責任問題についてのみ判断を下すというものである。
 東京地裁は労働委員会命令を尊重し、JRの不当性を認めた公正な判決を出さねばならないはずだ。国労の宮里邦雄弁護士が、法律家の立場として、「裁判所の判断について100%とか、いささかも不安がないとは思いませんが、負けるはずはないと思っていますし、勝利を確信しています」と発言されているのが心強い。
 いずれにせよ、使用者責任ありという判断が正しいかどうか、改革法23条の解釈を含めた判断が下されるわけである。中労委命令は、行政の法理に照らして正当であり、裁判所において取り消される余地はないが、もし万が一というようなことがあれば、労働委員会制度など無意味となり、法が死文と化してしまう。
 国労は、東京地裁判決をこの10年間の労働委員会逃走の総決算ともいうべき最重要局面と位置づけ、残されたわずかな期間の中で、勝利に向けて総力を挙げて取り組まなければならない。なんとしてでも勝たなければならないのだ。

○月×日
 どうも気になるなあ。10年前にうちの区長を務めていたSさんが車掌区に来ていた。いったい何しに来たのだろう。
 私は乗務を終え、車掌区へ戻るところだった。「やぁ、斎藤君。元気にしているか。いま車掌区に寄ってきたところだ。試験受けてどんどん上行かなきゃダメだよ。なんか困ったことがあったら電話くれ、な」と、相変わらずの早口で一方的に喋り、私に名刺をくれて足早に立ち去っていった。
 名刺には「JC代表取締役常務・S」とある。JCとは、いまや雨後の竹の子のようなイキオイで各駅構内に出店されている、JRのコンビニエンスストアのことである。Sさんは車掌区を出てからは新宿駅駅長を歴任した人で、かなりの立身出世だ。
 それにしても不思議だった。ナニって、私の名前を覚えていることが、である。会ったとたんに私の名前が出てきた。私のようなヒラの部下の名前など覚えているものだろうか。しかも10年ぶりなのである。どうしても勘ぐってしまう。私のことで来たのではと。つまり私はJCに配転させられるのではないだろうか。
「オレはJCの斎藤だ」。うむ、いいかもしれない。何事も明るく前向きにとらえたい。しかし、うーむ……。
○月×日
 これぞ青天の霹靂、実に恐ろしい体験をした。そしてこれは非常に汚い話であることを、あらかじめお断りしておかなければならない。これこそ経験した人でないと分からない。私は初めてだったが、同じ目にあった人はきっといる。最近弱っている私は、そんな人達とぜひお友達になりたい心境である。
 私はいつものように、家でお風呂の掃除をしていたのだった。掃除など嫌いだが、仕方なく毎日こまめにやらざるを得ないのだ。そのさなか突然もの凄い悪臭が鼻を突いた。これは排水溝からの臭いだと、すぐにピンときた。ヒマな私は柄付きタワシなどを持ち出してきて、ついでにタイルもキレイにしてしまった。
 掃除を終えて一服していてると、私のシラノ・ド・ベルジュラク並みの鼻先に、さっきの臭いが染みついてしまったようで、気持ちが悪くなってきた。着ていた衣服を全部洗濯機に放り込んで、シャワーを浴びた。しかしサッパリはしたものの、なぜかまだ臭いが残っている。 そのとき、鼻水がタラリンと滴り落ちた。一ヶ月ほど前に風邪をひいてからは、鼻水だけが長引いていた。それでマスクを手放せないでいたのだが、流行りの花粉症かなと軽く考えて、別に気にもしていなかった。
 ところがである。私は愕然としてウロタエてしまった。突如悪臭の原因が判明したのだ。排水溝などではない。なんと臭いのは自分の鼻水だったのだ。拭いたティッシュを見てみると、それまでは何の汚れもなく美しい(訳はないか)無色透明だった鼻水が、黄色く悪臭を放つ、膿汁となっているではないか。
 熱もあった。一日中何となく身体がだるい気がしていたのは、熱のせいだったのだ。私は、これはまずこの世に例を見ない奇病であると直感した。顔の中、特に鼻の辺りが腐っていて、当然脳も侵され手遅れに違いない……。ホント死ぬほどビビった。
 そうこうしているうちに、今度は口からも膿汁が止めどなく吹き出してきた。自分でも信じられなかったが、現実だからコワイ。しかも臭いは下水の悪臭とでもいうか、最悪なのだ。こんなものを一時でも口に含んでいられようか。吐き気も襲ってきて食事もできない。誰が下水の水で、ごはんを胃に流し込めますか。ただただ鼻をかみ、ペッペ、ペッペしつつうがいするしかなかった。 どうしよう、もう明日から外へ出られない。泣けてきた。私は完全に下水悪臭男と化してしまったのである。 帰宅した妻は、そんな私をしり目に医学書を冷静に開き、呑気に言った。「あなた歯が悪いから、これじゃないかしら……」。そこには「急性上顎洞炎」とあった。確かに症状がすべて合致している。しかしこれほど汚らしい病気が、そう易々と判明してたまるものか。いくら看護婦でも、妻のことなど信用できない。
 翌朝、早い時間に職場に電話を入れて休暇をもらった。ここで助役とのやり取りを書いている場合ではない。それほど大変だったのだ。一番で病院に行きドクターに診てもらうと、悔しいかな、妻の言うとおりであった。「治癒するから心配なし。併せて歯科にも行くように」。トホホ、しばらく病院通いか。気が重い。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/国労本部 カンバン ナメクジ声

■月刊「記録」1997年4月号掲載記事

○月×日
 間もなく東京駅に着く。到着は1番線だ。所定のアナウンスを終えると、乗務員室の窓を開け、左前方をカクニンする。「風速5メートル、北西の風だな」。わが国労本部の屋上に掲げられた赤旗は、今日もハタハタとはためいて心強い。
 職場の分会役員にばかり迷惑をかけてはいられない。済まないという気持ちで胸が痛む。私ももっと動かねばと思う。自分自身のことなのである。元はといえば、東労組の本部が問題にしているということだ。私は発作的に決断した。「これは、あの赤旗の下に行くしかない」と。
 勤務を終えたその足で、私は再び電車に飛び乗った。陽は西に傾きかけてはいたが、私は単身、赤旗を目指して東上したのだった。国労本部は、動員のデモ行進で前を通ったことは何度もあるが、中へ入ったことは一度もない。しかし、緊張などしている場合ではなかった。誰でもいいから、とにかく幹部に会いたい一心だった。それにしても想像とはずいぶん違い、中は雑然としていて庶民的というか……、などと観察している余裕はなかったのだ。入り口付近の人に身分を明かし、「役員に是非お会いしたい」とお願いした。
 運よくすぐに鈴木業務部長が応対して下さった。私はまず、何の連絡もせずに突然伺ったことを深くお詫びし、ここに来ると決断した瞬間よりもさらに逆上しつつ、話を始めた。『記録』に連載していること、その経緯、書いている内容やそれに対して東労組がケチをつけてきたこと、私の現在の心境などを率直に訴えた。
 電話が何度も鳴り、席を外されたりで慌ただしかったが、途中からは宮坂組織部長も見えられて、1時間近くにわたって話を聞いていただいた。職場では職場でしっかりやるから、本部間でも何とかしていただけないだろうかとお願いした。「何かあったらキチンと対応するから心配するな。おたくの分会からも話は聞いている。一応気構えておくに越したことはないが、あまり神経質になって乗務に差し障るといけない。事故でも起こしたら大変だから」と、激励されて本部を後にした。
 嬉しかった。来てよかった。時には、泣く子も黙る国労などと非難される幹部達である。実は、「親方日の丸」労働貴族でふんぞり返っているのでは、という危惧もほんのちょっぴりあったのだ。そんなことは全然ない。どこにでもいる普通のオッサンと何ら変わりない人ばかりで、私は何だかホッとしたのだった。

○月×日
 寒い。寒くて寒くて、たかが10分の自転車通勤が辛く感じてしまう。JR中央線武蔵境駅と三鷹駅の1駅間だけなのに、このごろはわが社の車での通勤が多くなった。根性なしの弱い私である。
 妻も子ども達も、街さえまだ寝静まっている。新聞配達で白い息をハアハアしながら風を切る、自転車のお兄さんとすれ違うくらいだ。夜明け前の真っ暗な駅までの道をひとりトボトボと歩く。
 視界に入ったJRの駅は煌々と光り輝いていて、まるで自信に満ちているかのようにデンと構えている。なぜか私は、ホッと安堵すると同時に、「ああ、なんてJRは優しいんだろう、こんな早くから開いている。仲間はもう働いているんだ」と、当たり前のことに感動すら覚えてしまう。
 「待っていてくれてありがとう、オレを無事に三鷹まで連れて行ってくれよ」なんて、ヘンに素直になったりする私なのである。

○月×日
 今日も快調!! 「出発進行」の力強い喚呼により、オレンジ色した私の中央線は定刻に発車する。西に沈む夕日に向かって、34パーミルのかなり急な勾配を滑るように下っていく。
 いつもの見慣れた景色だが、所狭しとそびえ立つビルの屋上や外壁に掲げられた社名、広告等の看板を眺めるのも楽しいものだ。
 神田駅に進入すると、東側にはサラ金の看板ばかりが目に入る。この街で彷徨う自分を想像するとゾッとするが、1番目立つのは「ほのぼのレイク」だ。私は一瞬真剣に考える。もし「ク」が「プ」だったらと。
 ハイ、さて次の御茶ノ水駅は、電気の街・秋葉原と目と鼻の先ということもあり、電気店の看板が多い。やっぱりここでは、電気のことなら「石丸電気」だ。ビルの外壁一面に店のマークが描かれていて、さすがにデッカイわ、だ。変わったものでは「岩手のササニシキ、岩手県経済連」の古く色あせた看板が目に止まる。
 この向こうに位置する上野駅は、東北・上越新幹線が91年に東京駅乗り入れになるまでは「東北の玄関口」といわれていた。3年前の冷夏による米不足の騒動、タイ米の記憶はすでに色あせてしまったが、東北の農家には大打撃だったに違いない。嫁不足という難題も抱えているのに。
 四ッ谷駅はなんといっても「富士火災」の看板で、時刻と気温が交互に表示される電光掲示板が付いている。私達乗務員のほとんどが見ていると思う。寒い時分に限らず、真夏でも「四ッ谷何度だった?」というのが挨拶代わりになっているくらいだから。
 今話題の新築の紀伊國屋書店と高島屋のモダンなビルを横目に新宿駅に着き、サンプラザの中野駅を過ぎたころにはすっかり暗くなり、街に灯りが灯っている。そして次の高円寺駅にさしかかると、目を見張るような真っ赤なネオンサインが美しく浮かび上がる。なぜか環7沿いのあちこちのビルの屋上にある大きな看板。これをカクニンしてしまったなら、もうたまらない。「酒は天下の太平山」「両関うまい酒」「秋田清酒高清水」と、いいねいいね、5つもあるのである。『中央線看板オブ・ザ・イヤー』はこれに決定!
 今日の乗務は、あと5駅こなせば三鷹駅で交替となり終了する。残り8キロ、時間にして10分だ。「運転士君、もう少しピッチを上げてくれないか」。私の頭の中は、寄り道していく飲み屋のことでイッパイになっている。 2つ先の荻窪駅手前にある、処方するのに「処方せん」という薬局の看板も見落としてしまいそうだ。困ったものだね。これでは飲み屋がカンバンになるまでいるだろう。でも、明日は休みなのだ。

〇月×日
  息子の私立高校の受験結果が速達で届いた。何もしてやれない私は「せめても」と、受験の前日に近所の神社にお参りしておみくじを買った。「吉」と出た。『学業「正しく学べ」』と、なんだかピント外れなことが書かれていた。
 今日は休みである。皆出掛けた1人の部屋で、ビル・エバンスの哀感を帯びたピアノを聴きながら、二日酔気味の身体を癒していたのだった。するとチャイムが鳴り、速達が届けられたのだ。私は「合格」の2文字をこの目で確かめるため、急いで封を開けた。
 ところが、間違いなく3文字ある。「信じられない」と、一瞬目の前が真っ暗になってしまった。正しく学んできたのに余計な「不」がついている。私は通知を片手に、しばらく家の中を意味もなくウロウロしていた。
 ピリピリと気が張り詰めて神経質になっていた息子は、私の助言や忠告など一切聞き入れず、自分で勝手に志望校を決めていた。妻も「一番よく知っているのは彼だから」と、息子の言いなりで呑気に構えていた。私も内心、「息子なら大丈夫」と思い全然心配していなかったのだ。だがもはや後の祭りだ。
 今日まで人一倍頑張っていた息子の姿と、下校して通知を見た時のガックリ肩を落とした息子の顔が私の瞼に何度も重なっては消えていく。息子に対して私ももう少し一生懸命であるべきだったと、深い反省の念がこみ上げてくるのだった。
 「挫けるな、強く生きろ」と自分にも言い聞かせる。息子の前で私があたふたと動揺しているわけにはいかない。下校したら、「都立でガンバレ!!」と励ましてあげるしかない。それにしても辛いものがあるなぁ、お父さん役って。

○月×日
 「ダウンジャケットとも、そろそろオサラバだなぁ」と、春を待ちながらも、寒がりの私は背中を丸めて手放せないでいる。
 2ヶ月にも及んで張り出された地本のビラや私の作品のコピーが、東労組掲示板から姿を消して数日が経った。私の中でピンと張りつめていた緊張感の一つがどこかへ飛んでいった。その矢先、区長からの呼び出しがあった。主席も同席である。
「どうだね斎藤君、少しは落ち着いたかね」。これはもちろん私のアホバカ文についてである。地域本社など、上からの問い合わせが何度も何度もあったのだという。東労組から区長・主席のところにコピーが渡っているのは知っていたが、やっぱり会社側もしっかり読んでいたのだ。ここ(車掌区)から私のようなトラブルメーカーが出てしまったんだな。私はなぜか、「区長に申し訳ないことをしたのかな」という気持ちになったのだった。 区長は例の第4回のコピーを持ち出してきて、「猫なで声とかなら分かるが、ナメクジ声とはどういうことか。私はナメクジとは言っていない。コレを読んだ限りでは、私が斎藤君の声をナメクジだと言ったと思われてしまう」とおっしゃった。面接リハーサルの「そのナメクジ声にメリハリをつけて」という箇所についてだ。
 まったくおっしゃる通りである。私は細心の注意を払って書いているものの、誠に迂闊であった。区長に謝るしかなかった。言い訳は嫌いだが、私の清廉潔白を証明するとしたらこういうことだ。つまり、私はある時期から一貫して、「自分のヒドイ声質はナメクジである」と定義づけしてきた経緯があり、「声にメリハリをつけて」という区長の言葉に、ついついナメクジを付け足して書いてしまった。乗務中はしてはならない「無意識動作」が、日記帳の中で出てしまった次第なのである。
 雷が落ちると覚悟を決めたのだが、「斎藤君が分かってくれればそれでいい」と、なぜかいつもとちょっぴり違うような、それでいて太っ腹で優しいのは、やっぱりいつもと同じ区長なのであった。また、リハーサルを終えて「ぐったり疲れて」というところは、上から「そんなキツイことをしているのか」と聞かれたりして、とにかく大変だったという。
 私はさまざまな解釈があるものだと改めて驚いてしまったが、このようなことは苦手だということを表現したに過ぎないのだ。皆に合格してほしいという、区長の厚意は百も承知なのである。区長はもうその他のことについては一切触れなかったし、私も何も聞きはしなかった。 事の顛末は以上だが、この春の人事異動で2人ともよそへ転勤だという。区長には3年間もお世話になり、主席はわずか1年で異例の栄転である。おめでとうございます。しかしながら、「何だか済まなかったね、区長」「主席よサラバじゃ」。中央線のことはオレ達に任せてほしい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/臨時回送 協約違反 作家先生

■月刊「記録」1997年3月号掲載記事

○月×日
 早朝の乗務だった。猫が線路のそばで死んでいた。きっと真夜中に轢かれたのだろう……。首都圏では滅多にないが、この季節、天気予報が雪だったりするとJRはにわかに慌ただしくなる。
 「雪は降る、あなたは来ない」。アダモの歌を思い出すが、日本の企業戦士は雪が降っても槍が降っても、JR中央線に乗って毎日毎日出社しなければならないのだ。「雪なら休もう。『明日は月の上で』『サン・トワ・マミー』でも歌っていよう」などと言ったら『ろくでなし』扱いにされてしまう。現実はキビシイ。休むわけにはいかないのだ。
 JRは、御利用されるお客様の安全とサービスを第一に、降雪時も初電からの定時運転を確保しなければならない。本社では速やかに「雪害対策本部」が設置される。また、駅では線路のポイントが凍結しないよう、すべての箇所にカンテラを備え付ける。そして架線等の凍結防止のため、終電が終わってからも初電までの間一晩中臨時回送電車を走らせるのである。
 年に数えるほどもないことだ。猫には気の毒な運命となってしまった。毎晩決まった時間に規則正しく線路を横断していたのだろう。そこへ来るはずのない電車が……。こんな寒い真夜中は、炬燵で丸くなっていればよかったのにね。

○月×日
 JRの労働組合は、私達がいる職場単位の「分会」、分会をまとめる「支部」、さらに各支部を仕切る「地方本部(地本)」、そして中央に「本部」という図式になっている。
 さて、分会の掲示板には上部機関のものや分会の機関紙などが所狭しとベタベタ貼ってあるわけだが、最近東労組の掲示板に張り出された東労組東京地本のビラが物議をかもしている。
 それは、うちの職場の国労組合員の個人名を出し、誹謗中傷したもので、事実とは全く異なったことが書かれているのだ。地本のビラにしては幼稚で情けないが、東労組はJRの責任組合である。キチンと襟を正すべきではないのか。どういうことかというと、JR会社と各組合で締結している協約の掲示類の項・第65条には「……個人を誹謗し、事実に反し、又職場規律を乱すものであってはならない」と明記してあるのだ。この掲示は明らかに協約違反である。
 わが国労分会の三役は、会社の管理責任として掲示を取り外すよう東労組を指導してほしいと、主席助役に抗議に行った。ところが、主席は「コメントできない」という実に不誠実な態度に終始したということである。結局は取り外されていない。一体どうなっているのだろう。 実は、JRの職場では管理職である助役、主席のすべてが東労組の組合員であるという矛盾がある。純粋な? 管理者は現場長(区長)1人なわけだ。まさか主席は普段は管理者で都合の悪いときに東労組ということはないだろう。しかし、国労がこのような掲示をすれば主席はすぐさま「外せ」と命じるに違いない。
 名指しで掲示された者の精神的負担は相当なものだろう。一体どんな思いで毎日乗務しているのだろう。私はできる限り励ましてあげたい。人間誰しも自分がかわいいものだ。掲示された者とは、何を隠そうこの私なのである。ゴメン。許してほしい。私はいつも笑って生きていたいのだ。
 東労組のAさんが私に言った。「典ちゃん、もう年も変わったんだから忘れろ、な。騒いでいるのはうちの一部の役員だけなんだから……」。そんなこと言ったって、向こう(東労組)が忘れてくれないだろう。掲示の外される気配は全くない。どうすりゃいいんだよ、オレ。

○月×日
 分会三役は、「主席じゃ話にならないから……」と、今度は「個人攻撃の掲示物撤去の要請について」という文書を作成し、区長の所へ行ってくれた。
 私は「拙者のためにかたじけない。で、殿はなんとおっしゃっていたのだ」と役員に聞いた。「それが、驚くではないぞ斎藤よ」と前置きして、役員は険しい顔付きで話してくれた。
 当然のように文書の受け取りは拒否である。JRになってから組合の弱体化を狙ったのだろうが、現場での組合との交渉は一切やらないのが会社の施策なのだ。それでも国労は、こうして正当な事実を積み重ねながら闘っている。正しいことを譲るわけにいかない。
 区長は、問題の労使協約第65条についてこう言ったという。「例えば、組合が私のことを名指しで批判した掲示はダメということだ」と。つまり、労・使間のことを謳っているのであり、労・労は関係ないというのである。「と、殿は正気であったのか」と疑ってしまったが、それを聞いた私は怒りどころか、笑いがこみ上げ泣けてきた。時代劇で知恵の回らぬ殿様がサル芝居を演じているかのようであったからである。
 この文章は個人への中傷になるのだろうか。しかしここに書いたことは事実なのだ。

○月×日
 JRの車内放送は十人十色でおもしろい。「はっきり、ゆっくり、わかりやすく」という指導がされているが、その人の性格や癖が如実に表れる。早口で何を言っているのか聞き取りづらい人、あまりにもゆっくりすぎて放送が終わらないうちに次の駅に着いてしまいそうな人と様々だ。
 なかには「次は」という切り出しが、まるで昔話でも始まるかのような感じの人がいる。「昔々、年中休んでばかりいる『ねん休さん』という坊主がおったそうな……、次は高円寺です」となりそうである。また、「次は四ッ谷」と言った瞬間、怪談が始まるのではという、ちょっぴり不気味な声質の人もいる。
 私はといえば、ナメクジ声でサイテイなわけだが、耳から血を流し気絶した乗客がいたという話はまだ聞いていない。
 なんといってもこれまでで一番笑えたのは、国鉄新宿駅勤務だったころの大先輩の駅構内放送である。定年間近のおじいさん(若い私にはそう見えた)駅員だったが、毎日一緒に仕事をするのが楽しくてしょうがなかった。まず、電車が駅に接近すると「高尾行きい」と一発かます。次に電車がホームに止まるとやはり、「高尾行きい」とだけ言う。そしてドアが閉まるころに「高尾行きい」と唸る。電車が発車して動き出しても「高尾行きい」とだけ叫ぶ。もう電車が見えなくなっているのに、まだ「高尾行きい」と呟いているのだった。やさしくてマジメな人だったが、どういうわけか「行き先」以外は一切言わなかったのだ。
 それでも今のような苦情などなく、静かな時代だったなとつくづく思う。今のこのあくせくした張りつめた世の中といったらない。駅名の放送がなかったから乗り過ごしたとか、発車ベルが鳴らずにドアが閉まったとか、ドアに挟まれたといった些細な(場合によるが)ことへの苦情が多すぎる。私達は皆一生懸命やっている。もう少しのんびり行きたいものである。

○月×日
 私が住むJR社宅の隣にある市の保育園がこの3月で移転するという。保育園は長年にわたり地域の方々から温かく見守っていただいたとして、ごく近所の人達を誘って「感謝のつどい」なる会を開催した。
 私は社宅の自治会長から「社宅を代表して出席してくれないか」と頼まれて、その日は平日だったが、ちょうど公休だったので快諾した。うちは15年間も保育園にお世話になったのである。4人の子どもは皆0歳から通っていた。末っ子の卒園で保育園ともこれでお別れだという時、今ではほとんどなくなってしまった一家団欒の場で、妻はいみじくもこう言った。「これだけお世話になったのだから、保育園にご恩返しをしなくてはね……」。 さて、大安吉日の月曜日の午前中、私はいつもより清楚ないでたちで出かけたのだが、少し戸惑ってしまった。男は私と近所の年輩の市議さんだけ。平日の日中といえば男性は大半が仕事で留守である。場違いというか窮屈な気もしたが、帰るわけにもいかず、かしこまりながら出席するしかなかった。どうもこのごろ読みが甘い。
 会は保育園のホールで行われ、園児達の元気な歌やお遊戯を見て昼食を共にするという2時間ほどのものだったが、私は次第に穏やかな気持ちになっていった。小さな園児や保母さん、そして保育園のホールを見ていると、遠い昔のことが次々と思い出され、懐かしさで胸がいっぱいになってしまった。「うちの子ども達もこんなに小っちゃくてかわいかったころがあったんだなあ」と、妙に優しい気持ちになり、時の流れをしみじみ感じた。
 今では長女が市の嘱託だが保母として働いている。「これってご恩返しかな……」と心の隅でちょっぴり嬉しくなった。

○月×日
 今度はナント、「S作家先生による残りの作品は次のようなものです」という見出しで、私のアホバカ文すべてがコピーされ、東労組の掲示板に張り出されている。第4回のみならず1回から6回まである。隣には「よくぞここまでエエ加減に書けたナ!」の、私を名指しで中傷した東京地本のビラがまだ貼ってある。
 「作家」だなんて……。そんな大それた、程遠いよ。「先生」とんでもない、似合わないよ。でももう何でも構わない。私は既に身も心もボロボロ「ピエロ」になっている。苦労してやっと書き上げたものだから大勢の人に読んでもらいたい気持ちは当然あるが、こんな形じゃ本当に悲しくて涙がこぼれそうになる。
 東労組の若い新人車掌が食い入るように読んでいたので、私は思い切って感想を求めてみた。「なんだかオモシロイです」。「そうか。で、斎藤って知ってる?」と尋ねると、「いいえ、どんな人ですか」と言うので、私はいくぶん左胸を突き出して、「私だよ」とネームプレートを指差した。すると「ボ、ボク乗務ですので……」と、その場からダッシュで離れていったのだった。ゴメンね、ビックリさせて。200人もいる職場だから知らないのも無理はない。それにしても逃げるとはね……。 私はカゼをひきマスクで出勤した。同僚達は口々に言う。「典ちゃん、変装したって無駄だよ、」「バレバレさ。そのデカイ鼻じゃあね」などと、人が苦しんでいるのに皆ロクなことを言わないのだ。でも嬉しい。やさしさだと受けとめる。

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JRサイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/正月休み ビデオ 公開申し入れ

■月刊「記録」1997年2月号掲載記事

○月×日
 「最悪だよなぁ」どこまでツいてないんだろう、ったく。
 年末年始といえば、臨時列車なども増発となり、稼ぎ時で休んでいる場合ではない。私達の仕事は一つの区切りというものがない。一般の企業ならば、「1年間ご苦労様でした」と、年末28日頃に御用納めをして休暇にはいる。そして「本年もよろしく」と、新年4日頃に御用始めというのが普通であろう。わが社でそんなシステムになっているのは本社のおエライさんくらいではないのか。
 たとえば、仲間同士で忘年会をやる。全員翌日が休みならいいのだが、中には早朝5時の出勤の人もいる。そんな人は、「今年も終わりだなぁ」などとしみじみ感慨に耽りながら杯を重ねるとか、「お正月はハワイで新年を迎えるのだ」などという発想は未来永劫生まれることはない。明日も忙しいのだ。
 別に飲んだからといって「デレッ」とならなくてもいいのだが、仲間同士の酒の席でも慎重に対処しなければならない。千鳥足、勇み足は断じて許されない。サッと切り上げて駆け足で帰宅しなければならない。従って、どうしてもため息混じりの雰囲気になりがちで困るのだが、己の心の中で終わりと始まりの区切りを厳しくつけるしかないのがJRマンなのである。
 予め指定された勤務表を見て、運良く大晦日と元旦が休みになっているとか、元旦と2日が休みということに一喜一憂するわけだ。今回の年末年始はといえば、年末28日から元旦までの4日間と1月3日から5日間の勤務となっている。つまり、休みはなんと1月2日に1日だけという最悪な指定となっているのだ。
 何も今に始まったことではなく、もう何十年もこうしてやってきたから慣れたといえばそうなのだが、せめてお正月は2・3日は休みたいというのがささやかな希望である。
○月×日
 さあ今日もいるだろうか。あの踏切を過ぎた沿線の原っぱに。お散歩にはちょうどよい時間帯だ。エプロン姿の2・3人の保母さんに連れられた10人ほどの保育園児達である。
 電車の風圧による風に目を細め、乗務員室から顔をのぞかせ前方をカクニンすると、やっぱりいたいた。皆が私を待っている。「ハイよ、今行くヨ」そう呟きながら、選挙の立候補者のように白い手袋の手を振り返す。
 「ご声援ありがとうございます。ありがとうございます」。相手は園児である。もちろん名前は分かりやすく平仮名で名乗る。「さい党の、のりおでございます。今日も中央線に乗って頑張っております。昇進試験はあと一歩でございました。今度こそ、ぜひとも受からせて下さい。一日一善を必ず実行いたします。さい党の、のりおでございます」と。
 園児は「やったあ、やったあ」と、それこそ大喜びする。電車の轟音にかき消されてその声までは聞こえないが、バンザイしながら飛び跳ねるしぐさでよく分かる。
 世の中には、一日一偽善(などという言葉はあるのかナ)のオエライさんは大勢いることだろう。それに比べたら、こんな何気ないささいなことで、たとえ何人かの子ども達であっても喜んでもらえるのは素晴らしいことではないだろうか。私はこんな時、「今日はいいことしたのかな、オレ」とちょっぴりホットな気分になってしまうのだ。
 しかし、いったいどうしたことだろう。この頃では一生懸命手は振るものの、視線はなぜか若い保母さんに向いているのだ・・・・。
○月×日
 ビデオを観た。「JR無法地帯・東労組はこうして国労組合員を脱退させた」というタイトルがついている。
 東労組の若い新人車掌3名が国労に加入したら、再び連れ戻されたという、例の高崎での「拉致・監禁」事件である。
 国労は異常事態に対応するため、動かぬ証拠としてカメラを回していたのだ。
 40・50人もの東労組組合員が乗務中の車掌に暴言・罵声を浴びせている異様な様子。勤務を終えて帰宅するはずなのに、20・30人に取り囲まれながら、ホーム・改札を駆け抜け東労組事務所へ連行される状況説明。普段ならば出入り自由な車掌区の正門に管理者が張り付いている。東労組は出入り自由なのに、国労は勤務者以外は一切入れぬよう阻止線を張っている。まさに東労組と会社は一体だ。深夜乗務を終え宿泊所へ向かうT君に付き添っていた国労役員が、「安心して寝かせられるように」「代表者を宿泊所に入れろ」と、弁護士さんと共に主席助役らに申し入れをしているところ。主席が「責任をもって寝かせる。東労組には接触させない」と約束したにもかかわらず、宿泊所内で待ちかまえていた東労組員が「若いくせして生意気だなテメエは」とつるし上げしているようなカセット録音の声など、繊細に記録してあった。
 「拉致監禁」といわずして、なんといおうか。東労組も会社側も「そのような事実はない」と主張している。同期の若い仲間達の説得で東労組に復帰させたと、ウソの掲示までしている。
 T君はハッキリ語っていた。「他の2人は強制的に(東労組へ)戻されて悔しいが、本心で戻ったのではないと思う。昨日はやっと寝られると安心したのに、やっぱり囲まれていろいろと言われた。ヤツらのやり方は本当にきたない。脅しなんですよ」と。
 最後は釧路闘争団員からの激励のお便りで結んである。
 「たいへんな事態を知り、急ぎペンを走らせています。暴力を許してはなりません。T君はどちらが悪いのか、身近に見てご存じと思います。私達は差別・選別され家族共々苦しめられてきましたが、勇気を持って立ち上がれば必ず報われるものです。現在の東労組の焦りは、悪の追いつめられた姿なのだと思います。悔いのない人生を切り開きましょう」。
 このビデオを東労組の心ある人達に見てもらいたい。
○月×日
 私が慕っている、職場の先輩であるYさんからヘンなお願いをされてしまった。
 本を読んで欲しいのだという。それも5冊もである。「とりあえず、この2冊を読んで欲しい」と渡されたのは、松下竜一著『豆腐屋の四季』と、黒井千次著『働くということ』だった。あまりにも有名な『豆腐屋の四季』は、テレビや書評等で内容は知っていたが読んだことはない。また、『働くということ』は新書版で、なんだか堅くて取っつきにくそうだった。
 それにしても、いったいどうしたのだろう。こんなことは初めてだ。私が「読んで感想文書けなんていうのなら、イヤだよオレ」と聞くと、Yさんは幾分殊勝な顔付きになり、こう言うのだった。「人はなぜ働き続けるのか。たとえ賃金が安くても、たとえ差別されても、たとえ希望がかなえられなくても、人はなぜ働き続けるのか。そのようなことを頭に入れて読んで欲しい。読んでくれればそれでいい」。
 しかし、では早速今晩から読む、というわけにはいかない。今読んでいる本、また次に読もうと決めているものもあるのだ。また都合の悪いことに、私は本を読むのが非常に遅い。何より読書家ではないのだ。Yさんはさらに言った。「もちろん時間の空いた時に、何ヶ月かかってもいいから」と。
 お願いされたからには、酒を飲みながら読むというわけにもいかず、「やれやれ」という気分だったが、後輩思いのYさんのことだ。思いやりなのである。軽率な私へ「もっと切磋琢磨しなさい」という激励と受け止め、真剣に読んでみようと思った次第である。
○月×日
 この頃は、だんだん口をきくのもイヤになってきた。喋れば喋れるほど、私は自分の愚かさをさらけ出しているかのようだ。
 音楽でも聴こう。帰宅しても職場のことが頭から離れず、あまりにも目まぐるしい憔悴の日々が続き、少々ノイローゼ気味になっている。これではイケナイ。私には強い味方ビートルズがいたのだ。どんな時でも私の弱い心を癒やしてくれたっけ。すっかり忘れていた。聴こう。今すぐ聴こう。1晩中聴いていよう。「来る日も来る日も乗務員室で一人、薄ら笑いを浮かべた私が静止している。誰一人として私に近づこうとはしない、誰もが私をバカ呼ばわり、そして私も返事一つしようとしない。乗務員室での愚かな私はビルに沈む夕日を眺めながら、大きく開いた心の眼で回る地球を見つめている」。「フール・オン・ザ・ヒル」という名曲だが、ビートルズが私のことを歌ってくれているとは知らなかった。ありがとう。私は丘の上のおバカさんだったんだね。
 次に邦題が「ひとりぼっちのあいつ」という曲だ。「ひとりぼっちの斎藤よ。聞いてくれ、君は大切なものを見失っているんだよ。ひとりぼっちの斎藤よ、世界は君の意のままなのさ。だけどアイツは盲人も同然、都合のいいものしかみようとしない。ひとりぼっちの斎藤よ、君にこの僕が見えるかい」。泣けるなあ。ビートルズはこうしていつも私に優しく語りかけてくれるのだ。私にはビートルズがよく見える。
 眠くなったら「グッド・ナイト」を聴く。「ヒア・カムズ・ザ・サン」は、太陽が静かに昇るようでとても美しい曲だ。
 「ほら、陽が、明るい陽が差し込んできた。これでもう大丈夫さ」。
 ビートルズには私のすべてが詰まっていると思う。感謝。
○月×日
 実は、昨年の『記録』11月号に掲載された私の「サイテイ日記」第4回の1部分が、JR東労組内でかなりの問題となっており、東労組対私共々国労間でなにやら険悪なムードになっているのだ。
 東労組の役員が「アレは何なんだ」と私に問いつめたり、国労に対して「公開申し入れ」を行ってきたりと、ピンと張りつめた空気が漂っている。
 彼等の読解力は大変スバラシイものであり、私はただただ「それは誤解だよ、拡大解釈も甚だしい……」と心の中で呟くしかない。また、私の文章を改ざんして、機関紙などで問題提起するといった信じられない手法のために私は悪玉にされ、読むものにも真実が伝わっていない。そんなわけで、私は悩み嘆き悲しみの毎日である。本当に気が滅入り、自分でも驚くほどナーバスになっている。これでは東労組に脱帽どころか、円形脱毛症になりはしないかと非常に心配でしょうがない。
 ところで、こうした東労組の動きに伴い、ちょっと不思議なことがあったので記しておきたい。どんなことかというと、新宿のとある書店では『記録』11月号がすべて売り切れになったり、うちの職場の東労組のM君がわざわざ『記録』編集部まで第4回以外の号を買い求めにいったりなど、誠にごくろうさまな事態と相成っている。
 それにしても、今まで『記録』の存在すら知らず、別に読みたくもなかった人まで、みんな目を皿のようにして、「サイテイ日記」一字一句を舐めるようにして読んでいるのだろう。普通なら愉快になるところだが、私や国労を攻撃するためだけなのだから、情けないことこのうえない。
 コトの成り行きを詳細に掲載していただこうかとも考えたが、一連の出来事はあまりにも支離滅裂であり、私も感情的になりそうで今回はやめにした。迷惑をかけてしまった仲間達へお詫びをして、この問題はもう終わりにしたい。さまざまなゴタゴタは私の日記帳の中でぐっすりと眠ってほしい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/内助の功 鉄道オタク 12月

■月刊「記録」1997年2月号掲載記事

○月×日
 今この生活があるのはJRのおかげである。仕事は楽しく酒もウマイ。感謝している。しかしこと争議関係となると「ねえ、ねえ、オカシイよねえ」と、私は会う人会う人に言いたくなる。部内で解決できない異常な状態だから、国労は外へ訴えるのだ。
 国の所轄である労働基準監督署に行くと、「JRはまだこんなことやってるんですか、変わりませんね」と呆れられる。そして、上部の労働基準局からも厳しい指導を受けるのだが、一向に改善されない。「JRといえども労基法の適用除外にはならない」と。それにしても「いえども」という表現には考えさせられる。
 また、同じく労働委員会が発した不当労働行為の救済命令にも、JRはどこ吹く風とばかりに一切従っていない。その数はなんと132件という前代未聞の異常ぶりで、中労委でも多くの事件が結審して21件の命令が出ているのだ。普通の企業なら命令に従うのが常識ではないだろうか。JRは裁判所へ提訴して争っているが、最高裁の判決に対してまで何のつもりか、「不本意だ、判決を取り消してもらいたい」などと、反省のカケラもなく、さまざまな法違反を平気で犯し、国の法体系をないがしろにしているのだ。どう考えてもオカシイ。つくづくヘンだと思う。
 事件を起こした張本人達は、争議をこれでもかこれでもかと引き延ばして出世コースを歩んでいる。そして、救済命令・勝利判決を受けた正当な人達はいまだに辛酸をなめ、以前の状況と何一つ変わっていない。こんなバカげたことがあってよいはずがない。私はどうしても納得できないし、断じて許せない。
 ふと思う。私達のやっていることは、まるで富士山を崩そうと毎日スプーンで穴を掘っているようなものだと。それでもいいさ。確信をもったことは最後まで貫きたい。いったい何度目の冬を迎えたのだろうか。せつないなあ。
○月×日
 妻は木枯らしの晩にポツリと言った。「わたし、来月から外来の婦長に決まりましたから」。
「よせ、よせよ。オレがボチボチ試験に受かって、そのうちドカーンと(?)行くから。今のままでいいじゃないか」、私はコトあるごとに妻に言ってきた。
 仕事の責任が重くなり大変だというより、これ以上家を空けられたら私自身がたまらんからだ。炊事、洗濯、掃除といった日常の家事。以前ならイキオイで何とも思わず片づけたのだが、近頃では山のような、洪水のようなそれらが、私を大災害にでも見舞われたかのような気分にさせる。何もしない、ホントに何もしない4人の子ども達。私の教育が行き届かなかったといえばそれまでだが、つくづく情けなく泣けてくる。そして私はこの通り、何年たっても「今のまま」でサッパリなわけである。 出世だ。普通なら誰だって「おめでとう」と、労いの言葉をかけるところだろう。しかし、私の胸中はフクザツだった。「あっ、そう、大変だね」と弱く呟いただけだった。素直に喜べない。なんだかちっとも嬉しくない。祝ってなんかやらない、もんね。
 しばらくすると「オレもなかなかやるもんだ、よくやって来たよなあ」という気持ちが沸き起こってきた。オレの内女の、違うな、内助の功も大したもんだ、と。しかしなんだナ。亭主が女房に「命預けます」なんて、時代の先端を行っているのかなあ……。

○月×日
 あれほど「組織的犯行か」などと大騒ぎした列車連続妨害事件の1つ、JR横須賀線が100キロものコンクリート塊2ヶに衝突した事件と信号ケーブル切断事件は、21歳無職「鉄道マニア」1人の犯行だった。
 写真撮影や鉄道模型だけでは満足できなかったのだろうか。「列車が止まって大騒ぎになると興奮した」などと供述しているというから、とんでもない男である。もし捕まっていなければ、どんどんエスカレートしたに違いない。一歩間違えば大惨事という極めて悪質な事件だけに、私達乗務員も関係者もホッと胸をなで下ろしたところだ。
 脱線・転覆という恐ろしいことは訓練上だけで十分なのだ。これで少しは安心して通勤できよう。「ブレーキよし! タイヤよし! サドルよし!」私は自転車通勤なのだ……。しかし「一件落着」とはどうも思えない。100キロものコンクリートを線路上に置いたり、ケーブルを手際よく切断したりと、単なるマニアがたった1人でできるだろうか。また、防護無線機盗難から無線発報によるダイヤ混乱事件は未解決のままなのである。
○月×日
 国の所轄である中央労働委員会は、JRを相手として裁判所に「緊急命令」の申し立てを行なっているとのことである。憲法・労組法で設立された労働委員会の命令をことごとく無視している怪物JRだが、これでは他企業も「それならわが社も」となり、労働委員会制そのものが形骸化する恐れがある。労働委員会の存在意義にもかかわってくる。面目丸つぶれといったところだろう。
「緊急命令」とは、地裁・高裁・最高裁で訴訟中であっても「とりあえず救済命令を履行しなさい」と命ずる制度だという。うむ、知らなかった。国労は藁にもすがる思いで訴えているのに、なんでもっと早くしてくれなかったのさ。
 さて、これに対してこのほど「速やかに緊急命令を」と、181名の労働法学者の連名による要請文が東京地裁に提出され、また、日本労働弁護団を中心に53万人もの「緊急命令」を求める署名が地裁に積み上げられているということである。東京地裁は早期の決断を迫られている。「じれったいなもう、早く出さんかい」と、私もそうだが、国労としては気が気ではないのだ。「JRよろしく、なんだかオカシナ国だなあ」とつくづく思ってしまう。
 今夜も10時を回った。さあ寝よう。何かやり残したことはなかったかな。ん? 今日は酒飲んでない。まっ、いいか。
○月×日
「未解決のままである」などと書いたばかりなのに、防護無線機盗難・発報事件の犯人もあっさり逮捕された。まさに一網打尽、メデタシ、メデタシである。JR東労組と国労は、双方「お宅の仕業だ」と、内部犯行説をほのめかして対立していたが、フタを開けてみれば、「おたく」には違いないが、「鉄道オタク」つまり、またもマニア(3人)の犯行だった。
 それにしても、組合やマスコミにすっかり踊らされた感がある。私はあるとき、左ト全の歌に合わせてホームを歩いていた。「ズビズバァ、パパパヤ、やめてけれ、やめてけーれ、ゲバゲバ……」。すると足がもつれて転びそうになった。まったく、私はこのようにいつも通りなのだが、皆ホトホト踊り疲れてしまった。
 こんなことはもうコリゴリだ。まっぴら、うんざり、いい加減にしろだ。もうこれっきりにしてほしい。他人を陥れたり、疑ったり、敵対したり、傷つけたり……。なぜお互い手を取り合って生きて行けないのか。人は愚かな生き物だとつくづく思う。
 がしかし、どうも気になることが一つある。JR東日本の調べでは、4月から9月までに197回の妨害発報があったという。犯人はこれらの一部の犯行を認めたが、騒ぎの大きさに怖くなり、5月には無線機を川に捨てたと供述しているというのだ。
 ならば、それ以降から9月までの妨害発報はいったいどういうことなのか。やはり謎は残る。

○月×日
 12月である。カレンダーも1枚を残すのみで、今年も無事に終わろうとしている。
 私のJR中央線三鷹駅は、例えていうと「12月」だということに気づき、ちょっぴりセンチな気分になってしまった。乗務が終わるのが車掌区のある三鷹駅だからなどという単純な理由ではない。始発の東京駅が1月だとすると、次の神田駅が2番目で2月。そんなふうにたどっていくと、なんと三鷹駅が12番目の12月なのだ。ん? やっぱり単純か……。「オレって、どうしてこんなにボケなんだろう」。ま、つくづく性格なんでしょうね。 さて、この1年間を振り返ってみたら、「オレの人生はサケだ!!」という結論に到達した。何はともあれお付き合いくだされ。
 1月の東京駅。何事も最初はビシッと神妙になる私だ。今年も始まったばかりで先も長いことだし、ここで酔い潰れるわけにはいかない。丸の内にある「パレスホテル」10階のレストランで、皇居を一望しながらフランスワインを軽く嗜んだ。ここはスーツにネクタイの正装でないと敷居をまたげぬ決まりだそうだ。しかしワインじゃ物足りなくてね。何よりも、こんなところじゃ肩がこって私には似合わない。もう当分行くこともないだろう。 2月の神田駅。ハアハアとかじかむ両手に息を吐きながら、ガード下の屋台風赤提灯で熱燗とおでんを頬ばった。いつもこうして明日まで飲っていけたらな、と心底思ったが、底冷えするガード下に春はまだ遠かった。
 4月の四谷駅。満開の桜の木の下で、大勢の仲間と焼酎のウーロン割りをあおりながら歌えや踊れのドンチャン騒ぎ。花より団子で新年度がスタート。
 5月の新宿駅。都庁34階・東京都労働委員会での昇進差別事件傍聴の帰り、西口のどうでもいいような安い居酒屋で生ビールを酌み交わした。ホントにビールは恐ろしい。一口飲むとどうでもよくなってしまうのだ。ウイスキー、日本酒と、どこまでも突き進んでいく。挙げ句の果てには、都労委なんてどうでもよくなってしまうのだから始末が悪い。暑い夏がそこまで来ていた。
 9月の荻窪駅。新築のビルに改装してしまった駅前の「酒処・かみや」で、デンキブランを口にする。わざわざ浅草の「神谷バー」まで足を延ばさずに済むから助かる。
 12月の三鷹駅。忘年会にかこつけてベロンベロンのヘベレケ状態。もう何がなんだかわけがわからずヘトヘトに疲れ、酔っぱらってはいるが、なんとか無事に到着している。「もう飲むまい」いくど心に誓ったことか。明日になればどこ吹く風で同じことの繰り返しだ。次はいったい何処を彷徨っていることだろう。
 あっという間の1年であった。定期健康診断の結果は、肝機能のγ-GTPが正常範囲内だったことがなんとも心強い。一緒に飲み歩いた仲間達、そして、もしスペースが残っているなら妻にも感謝せずにはいられない! 今宵も飲まずに死ねるか!! の心境である。いったいどこがセンチなのだ。合掌。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第26回/哀れむべき存在

■月刊『記録』00年3月号掲載記事

 先日、フジテレビの深夜番組で、オウム法廷の様子をアニメしたものが放映されました。 かつて教団の幹部であった信者たちが、自らの法廷や、あるいは証人として法廷に立ったときに証言したものをまとめたもので、教祖の麻原被告がいかに滑稽な人物であったかを暴くという内容でした。
 彼ら教団幹部は、僕にとっては上司にあたる人たちでした。僕が知らなかった教団内でのおもしろい逸話もあったのですが、以外に思ったのは、彼ら幹部たちが麻原被告の言動を一様に「ばからしい」と当時思っていたということでした。
 僕は教団にいた当時は、麻原被告の言動を疑ったことがありませんでしたし、まして幹部連中は強い信仰心を持っているように見えたからです。
 本当に「ばからしい」と思っていたのなら、僕のように末端の信者よりも麻原被告に接する機会が多かったのですから、それを教えてほしかったですね。恐怖政治が敷かれていたために、言うことさえもできなかったなんて、言い訳です。教団を飛び出して、堂々と生きていた人たちもいたのですから。
 というよりも、彼ら幹部被告たちは、法廷での点数稼ぎのために、教祖の悪口を争って言い合っているように感じられました。教祖の悪口を暴けば暴くほど、刑が軽減されるとわかっているのでしょう。
 彼ら教団幹部になるような人たちは、思い返すと要領のいい、優等生的な人たちが多かったように思います。逆にいうならば、だからこそ幹部に出世できたのでしょう。
 要領のいい彼らは、教団幹部という立場から被告へと立場が変わると、今度は少しでも刑を軽くしてもらおうと、裁判長に取り入ることを始めたのでした。
 そういう弟子たちしか持てなかった麻原被告は、グルとしてかわいそうな存在だったのかもしれません。
 例えば林郁夫受刑者です。彼はオウムの非合法活動の最大の関与者の一人でしたが、極刑を免れて、無期懲役で刑に服しています。
 彼は医師の資格を持っていたため、一般信者の触れられない、教団の暗部を知っていましたが、教団にいるときは先頭に立って教祖に対する「帰依」を叫んでいたのです。僕など、前に述べたことがあるように、自白剤を使って深層意識まで信仰心を調べられたりしました。
 ところが、逮捕されるや掌を返したように教祖の悪口を言う。あまりにもわかりやすすぎる豹変ではないでしょうか。
 それに反して、初志貫徹を貫いている新実智光被告や土谷正実被告に清々しさを感じるのは僕だけでしょうか?
 現役信者は別です。彼らは教団が引き起こした悲惨な現実から目を背け、たむろして逃避しているだけですから。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第25回/西暦2000年を迎えて

■月刊『記録』00年2月号掲載記事

 西暦二〇〇〇年を迎えました。Y2K問題は大きな問題もなく乗り切ったようですね。しかし、オウムの周辺は上祐史浩氏が年末に教団に復帰しましたし、今年も世間を騒がせそうです。
 これから、オウム真理教という教団がどうなっていくのか、元信者の一人として分析してみましょう。
■出所によってオウム激変

 まず、上祐氏が出所して、教団に戻ったことによって、オウムの内外が激変することになるのは間違いありません。
 というのは、今まで教団を動かしてきた「長老部」といわれる幹部達と上祐氏とでは力関係に格段の差があり、拘留されていたこの四年間の軌道修正を上祐氏が行おうとするからです。
 上祐氏が入所前にもっていた「正大師」という階級と、長老部達の「正悟師」という階級は形式上は一ランクしか違いはないのですが、実質上は彼らの間には何ランクも差があるのです。長老部といわれる人達は地下鉄サリン事件の前後に「正悟師」に昇格した人達であり、同じ「正悟師」の中でもそれ以前から昇格している人達、例えば新実智光被告や飯田エリ子被告など十人くらいがまだランク上にいます。しかし、彼らがみな逮捕されてしまって、長老部といわれる人達がやむを得ず教団を動かすようになったのです。サリン事件前、彼らは中間管理職に過ぎませんでした。

■雲上の人上祐元正大師

 オウムでは「正悟師」から「正大師」に昇るとき、大きな試練が待ち受けています。それは「シャクティーパット」というイニシエーション(秘儀伝授・エネルギー移入)を千人以上の信徒に施さなければならないというものです。上祐氏も「正悟師」から「正大師」に上がるまで約四年間かかりました。
 出所直後に上祐氏は、この「正大師」の階級を教団に返上しました。しかし、それでもまだ上祐氏と長老部達では教団内での立場に雲泥の差があるのです。
 しかし、上祐氏が獄中にいる間、長老部達が教団を率いてきました。彼らにはその実績と自身があります。戻ってきた上祐氏を目の上のたんこぶのように思う人もいることでしょう。
 しかも、以前書いたとおり、上祐氏には人望があまりないのです。彼は教団内のステージも高く能力も秀でているのですが、あまり親しみが持てないタイプなのです。それは彼がオウムに入る前の学生・会社員時代も、入った後もいわばエリート街道を歩んできたため、挫折をして苦しんでいるような人達の気持ちが汲み取れないからなのでしょう。彼とは逆に、よく間違いを犯して苦しみながら幹部に昇りつめた新実被告や飯田被告のほうが信者達の人気は上でした。

■すべては上祐の変化次第

 すべては上祐氏が刑務所で何を考えてきたかによると思います。もし、周りの房にいる罪を犯して苦悩している人達の気持ちを吸収したりして、人々の苦しみを理解できるようになったのなら教団は彼を中心にまとまっていくことになると思いますし、あるいは逆に彼が逮捕される前のように「修行エリート」でお高くとまっているようなら教団をまとめることができず、大分裂に発展していくでしょう。
 オウムの行方は彼の肩にのしかかっているのです。(■つづく)

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妻の恋【結婚と恋愛は別物だから互いに恋をする 夫婦といえどもやむを得ない/見津濃弥生(41歳)・学生】

「最近の弥生、感じ方が深くなったみたいだ」
 先日、旦那のカズちゃんとセックスをしたときにこう言われてドキッとしました。じつは、その数日前にある人と浮気してしまって、その晩はカズちゃんに身体を預けながらも頭ではその人との夜のことを考えていた……。 もっとも事情を知らないカズちゃんは、私の感度に驚きつつも満足してくれたようですが。
 その人は60歳を超えた方で、年齢的には確かに「おじいさん」の部類に入るのだけれど、正直いってものすごく良かったんです。彼自身はもうダメなんですが、そのぶん女性を歓ばせること自体に喜びを見出しているのか、相手の身体をよく観察している。
 それに年の功もあるんでしょう。テクニックはもちろんのこと、自信もある。だから、ガツガツしたところが全然ないんです。結局、一晩で何度もという感じで甘やかされてしまいました。
「彼と寝て本当によかったなぁ」
 むしろ感謝したくなる想いでした。
 それにその人、私の先生なんですよ。
「先生と生徒というタブーな関係がまたいいような」
 なんていったら不謹慎ですかね。よく看護師さんやセーラー服の女の子に男性があこがれるって話がありますけど、女だってあるんじゃないですか? 学校の先生とかお医者さんとか、そういうファンタジーみたいなもの……。

■女性の転職は「ステップダウン」

 一年前から私は、カウンセラーをめざしてある大学の心理学科に通っています。専門学校を卒業してからずっと旅行業界にいましたが、ここ数年の不況とテロや戦争の影響で業界全体が打撃を受けているだけでなく、自分としても先が見えてしまったんです。
 若いころは添乗員をやっていたので、それこそ世界を股にかけた仕事をしていました。当時はバブル期だったから、日本人旅行客も羽振りがよかったし、仕事はとても楽しかった。でも子どもが生まれたのをきっかけに、長期の出張は無理と早々に陸に揚がって、地上勤務に引っ込んでいました。
 それでも、長くこの業界にいるうちにある程度ビジネスのノウハウは身に付きました。ただ納得できる仕事をしてきたかといわれると、首をかしげてしまいます。
 旅行業界といえば、女性に門戸が開かれているイメージがありますが、大手ならばまだしも、小さな旅行会社では大切な仕事はすべて男性社員の手に渡ってしまい、女性はいつまで経っても裏方ばかりなんです。
 何度か転職もしましたが、ふつう女性の場合、転職はステップアップでなくて「ステップダウン」になっちゃいますね。勤務時間や通勤距離を優先するために、仕事の内容やお給料で妥協せざるを得ないわけだから。
 それでもいままでは我慢をしてきました。
「子どもが小さいから仕方ない」
 と思って。でも一人息子の茂和が大きくなるにつれて、次第にこのままでいいのかという想いが大きくなってきました。
 それに女が40歳を超えたら、よっぽど実力がなければ会社でチャンスに恵まれるわけではない。
「いつまでもオヤジたちの下でちまちま働いていくのか」
 そう思うと、それだけでげんなりです。下手をすれば「肩たたき」なんてこともあるかもしれないし、こんな不景気では再就職だって難しいでしょう。

■パートタイムに切り替えて心理学の世界へ

「旦那に食わせてもらってるんだから主婦は気楽だろう」
 と無神経なことを言うオヤジたちが世の中にはたくさんいます。
「冗談やめてっ」
 って感じですよね。いまの時代、旦那だけのお給料で豊かな暮らしができる家庭なんてそうそうあるもんじゃないでしょう? そう考えると、今後は独立するとか、安いけれどもアルバイト感覚で長く続けられる仕事とか、なんとか道を切り開いていかなくては……。
 添乗員仲間には、子どもが生まれても仕事を続けている女性もいます。子どもも大きくなってきたし、復帰しようと思えばできないわけではありません。
 でも、だんだん個人旅行の時代になってきていて、添乗員付きのパッケージ・ツアーも少なくなっています。楽しい仕事ではあるけれど、将来性があるわけではない。学校に通いはじめたのも、こういう焦りがあったからなんです。
 心理学には前から興味があったし、それに私自身は大学を出ていないという引け目もあり、いつかは卒業証書がほしいと思っていたんです。もちろん卒業したからといって、すぐに職があるかどうかは分かりません。
 だから、最初は放送大学の講座から始めたんですよ。ただ実習をこなすなら本格的にやりたいと、途中から別の大学に編入することにしました。
 仕事のほうはパートタイム契約に切り替えて、勤務時間はかなり減らしたとはいえ、週二回の授業と山積みの課題の提出で身体はきつい。これまで何とか乗り切ってこられたのは、カズちゃんと実家の母の協力があるからです。
「いまはものすごく充実している」
 昨日もカズちゃんにそう話していたところです。

■先生の包容力あふれた目で見つめられたら

 その先生は名の知れた大学でも教えている学者ですし、臨床経験もあるので実例に基づいた話がとても面白い。そもそも、こんな有名な先生に教えてもらえるだけでも夢みたいな話なのに、こんなことになるなんてね。
 最初は、もちろん警戒していました。だって、その先生とても女の子にモテるんですよ。そういう素質というか、魅力があるんです。モテる男っていくつになってもモテるでしょう。それは年齢とは関係ないですよね。
 彼の場合も芸術的な魅力とか、人間味とか、懐の深さというか、そういうもろもろの資質を総合した引力みたいなものがすごい。フェロモンのようなものがにじみ出ているんです。
 それに、先生の講義にはそれを裏付ける宇宙哲学があって、私にはそれが堪えられませんでした。でも何といっても一番の魅力は、人の心をのぞき込むような視線です。決して目をそらさずじっと相手と目を合わせて話すくせに、ズカズカと人の心に踏み込むようなところはまるでないんです。包容力あふれたその目に見つめられたら、だれもがイチコロになってしまいますよ。
 私も当初は大勢の取り巻きの一人でしかありませんでした。
 先生の研究室は、男女を問わずいつも学生たちでいっぱいでした。40歳にもなって学校に通いはじめた私のほかは、ほとんどが20代の若者たちです。私もはじめはそんな学生たちに交じって、授業の合間に研究室に出入りしていました。そのうち、先生の目に留めてもらうようになったんです。

■なんとなく結ばれてしまうセッティング

 忘年会とか暑気払いとか、研究室ではときどき宴会みたいなことが行なわれていて(学校には一応秘密ですが)、バッグにお酒を隠しもってやってくる女子学生も多いんです。気持ちは学生と同じぐらい若い先生のこと、そんなときはみんなと一緒に豪快に飲みます。心理学だけでなく、社会・歴史あるいは哲学について夜通し熱い議論を交わします。
 ほぼ徹夜で飲み明かしたあと、研究室に備え付けの簡易ベッドで仮眠して、そこから別の大学に出勤するという日もあるようです。エネルギッシュですよね。
 先生との距離はかなり近くなっていたとはいえ、私のほうから二人きりになるような状況はつくらず、研究室に行くときはいつも別の女性といっしょでした(その女性も先生のファンでした)。
 それに、正直なところ私には仕事に対する野心もあります。ここで先生と仲良くしておけば後に仕事を紹介してもらえるかもしれないという打算だって、もちろんあるわけです。
 一方、ふんふんと若い人の話を聞いてあげたり、社会経験を踏まえたうえで他の学生とは一味違う意見をずばりと言う私を、先生もじつは高く評価してくれていたようでした。
 でも社会的地位があるから、決して自分のほうから声をかけるとか、思わせぶりな態度をとることはありません。じつにうまいものです。私とそういう関係になったのも、いかにも自然の成り行きという感じでした。
 その日は別の人も来るからと研究室に呼ばれていたのですが、行ってみたらその人は急用で来られなくなっていたというようなセッティング……。で、2人でちまちま飲んでいるうちに、なんとなく結ばれてしまったわけです。
 私は結婚しているし、子どももいるわけだから、いまさらセクハラだの離婚してくれだの、そういう面倒を言い出す心配がないのを知っているんでしょうね。
 それでも、最初からクギを刺されましたよ。
「旦那さんとはどうなの? まずいことにはならないよね?」
 もちろんこちらも、こう答えておきました。
「大丈夫ですよ、うちは円満ですから」
 当然、先生のほうも妻子持ちです。子どもといってもみんな成人して独立してしまい、いまは奥さんと2人ですけれど、先生は自他ともに認める愛妻家なんですよ。

■三度目はないとピリオドを打った

 ただ、そういう関係って一度目は自然の成り行きでも、二度目以降はいわば「確信犯」ですから、気まずいですよね。次に会う約束をする場合、当然身体の関係を前提としているわけだし、お互いそれを知っていて密会するのだから、とっても淫靡な感じ。まぁ、それが刺激になっていいという人もいるのかもしれませんが……。
「2人の間には三度目はない」
 私はそう勝手に決めて、自分からピリオドを打ってしまいました。といっても、取り立ててそのことについて先生と話し合ったわけではありません。3回目に誘われたとき忙しいからと断り、それからも何度か誘われるたびに、
「2人きりにならないように気をつける」
 というだけのことでした。
 そのうち、そういう誘いはなくなり、うまく自然消滅にもっていけました。お互い家族もあることですし、2回も楽しんだのだから十分でしょう。先生のほうもうまいもので、追ってくることはありませんでした。まぁ慣れているんでしょうね。
 先生とはいまでもいい関係を保っています。ときどきメールで情報交換をしたり、自分の論文にアドバイスしてもらったりしています。深入りする前に体の関係を断ったことで、かえって人間的なきずなが深まったように思えますし、これなら今後仕事の面でも協力してもらえそうです。
 もちろん、このことをまわりに話すことは絶対にないでしょう。先生や自分自身の保身のこともあるけれど、それ以上に、
「えっ、じつは私も先生と寝てたんだ!」
 という人が出てくる気がしちゃって。きっとそういうこともあるのでしょうけれど、聞いてしまうとすごく幻滅するんじゃないかと思う。
「私だけに特別優しくしてくれた」
 と思っていたほうがいいでしょう? どうせ夢のような話なのですから。
 罪悪感ですか? 全然ないといえばウソですが、そもそも15年も夫婦をやっていれば、男であれ女であれ、だれでも欲望が色あせてくるのは当たり前でしょう?

※つづきは「妻の恋」(アストラ)をお読み下さい。

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元信者が視るオウム的社会論 第24回/1999年を終えて

■月刊『記録』00年1月号掲載記事

■世間を騒がす宗教団体

 雑誌は二〇〇〇年一月号になりましたが、この原稿を書いている今はまだ、一九九九年の年末です。
 さて、暮れにさし迫って二つの宗教団体が世間を騒がせました。みなさんもご存じの「ライフスペース」と「法の華三法行」です。
 両者ともオウムと似ている点と、相反する点を持ち合わせているのですが、今回はそれを取り上げてみましょう。
 まず、「ライフスペース」ですが、これは典型的なカルト、つまり狂信的宗教集団です。
「グル」というのは、インドでいう「人を解脱に導く指導者」のことですが、この団体はいわゆるグルイズムの団体ですね。
「グル」は日本語でいうならば「導師」にあたるのですが、この言葉のなかには深い意味が隠されています。インドの修行者の逸話のなかに、弟子は「グル」が間違ったことをしたり言ったりした時も、それを一〇〇パーセント受け入れなければならないという話があります。オウムでもこれを採用していました。なぜなら解脱の道を知っているのは「グル」だけであり、弟子が煩悩にまみれた色眼鏡で判断してはならないのだということです。この考え方はオウムもライフスペースも同じようです。
 でも、両者が根本的に違うのは、オウムが今の世界の常識や観念を乗り越えて超世間的な状態をめざしたのに対し、ライフスペースのほうは、彼らがいう「定説」、つまり世間の常識に自分達が則っているんだと主張する点でしょう。
 オウムはある意味で「狂気」に到達することを目指しました。なぜなら、人間の世界というのは低い次元であり、その低い次元世界である人間界の常識に囚われてはならないのだと。その常識を乗り越えるためには通常の人間の意識状態を越えた境地に達せねばならないのだということです。
 ところがライフスペースは、自分達の教義が「定説」だ、つまり常識なのだ、人間として普通の考えなのだと主張します。ここが根本的に違う点でしょう。
 つまり、オウムとライフスペースはそのいかがわしい雰囲気などは似ているようですが、その目指す到達点が全く逆なのです。オウムは「定説」を乗り越えることを、ライフスペースは「定説」に則って生きることを目標にするとでもいったらいいのでしょうか。
 ライフスペースに関する報道を見ていておもしろいと思ったのは、その「定説」、つまり世間の常識に則るはずのライフスペースが現代医学を無視した発言を繰り返していたのに対し、世間を超越するつもりのオウムが逆に病院を設立したりして現代医学を活用していた点です。
 オウムの場合は決して、死体がミイラのまま生き続けるなど主張しませんでした。死は通常の「心停止・呼吸停止」で判断していましたから。ウジ虫がわいているのに生きているなどと、そこまで現実離れしていませんでしたね。
 ライフスペースというのは、もしかするとオウム以上の狂信的な集団かもしれません。
払った布施まで返せとは

「法の華三法行」に関しては、しばらく前から関知していました。
 というのも、オウムの本部があった静岡県富士宮市のすぐ隣りの富士市に法の華の本部があるので、僕がオウムに在籍していた時からよく噂は聞いていましたから。
 法の華もオウムと同じように、すごい集金をしていたようですね。損害賠償の請求訴訟が係争中のものだけでも千人以上、額が五十五億円にものぼるそうですから。これはオウムが支払わなければならない賠償金に匹敵するものでしょう。
 ただ、オウムの場合は自らが引き起こした事件の被害者の方々に払う賠償金になりますが、法の華のほうでは、ほとんどが元信者からの請求のようです。
 元信者がたとえだまされたとはいえ、一度信じて納得して払った献金や修行代を返してくれというのはいかがなものかと思います。宗教はそれを信じる者のためにあるのであって、信じなくなったからといって今までの布施を返してくれというのではきりがないですから。正しい宗教か正しくない宗教かと判断する基準というのは、現時点では何もないわけですし……。というよりも、宗教はそれを信じた人にのみ正しいものですから。
 そういう僕も在家三年、出家六年の労働と何百万かの現金をオウムに提供しましたが、それを今になって返してくれと言ったらお笑いものですよね。信じていた時の僕にとってオウムは「正しい宗教」だったわけですから。
 もし「間違った宗教」だと思ったのなら、それは人生の授業料を支払った気持ちで諦めるべきだと思います。お布施は投資ではないのです。

■瀧坂女史、年末の失踪

 ところで、いつもマンガを描いてもらっている瀧坂奈津子女史が失踪してしまいました。
 彼女は漫画家であると同時に『さぶいぼ瓦版』というミニコミ紙の編集長でもあるのですが、経営困難に陥っていたようです。また、写真のモデルや映画などに出演している女優でもあるのですが、最近は出演依頼の声があまりかからなくなってしまったようです。
 瀧坂女史の新聞の基金を転載しておきますので、この才能ある若者にカンパしてみてはいかがでしょうか。
      *     *     *
 さて、いよいよ西暦二〇〇〇年ですが、これからもオウムや新宗教の問題がまだまだ噴出しそうですね。(■つづく)

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妻の恋【恩師でもあった高校教師との別れ 職場のオーナー経営者と再婚するまで/西沢久美(35歳)・デザイナー】

 あまり大きな声で言えませんが、前の旦那の浩ちゃんは私の高校時代の美術部の先生だったんです。話が面白いと生徒の間で人気もあったし、最初は部活が終わってからみんなでわいわいやっている輪のなかに浩ちゃんがいたという仲でした。
 それが卒業する少し前ごろから一対一で付きあうようになり、あれよあれよという間に私が20歳のときにゴールイン。浩ちゃんは33歳でした。
「恋は盲目」といいますが、私はいったん好きになると視野が狭くなり、のめり込んでしまうタイプで、そのときもきっと「浩ちゃん一筋」モードに入っていたのでしょう。いまから思えば自分でも、
「考えられない」
 と思います。でも若かったこともありますが、当時は「ええい!」って感じで彼のところに飛び込んでいってしまいました。
 じつは私、近眼なんです。でも、結婚するまで我慢してメガネをかけていませんでした。結婚後、浩ちゃんのお父さんが買ってくれたコンタクトをしてはじめて浩ちゃんの顔を見たんですが、そのときちょっと驚いちゃって……。
「えっ、この人こんな顔してたんだ!」
 私、この人のどこを見ていたんだろう。それぐらい、まわりが見えていなかったんですね。

■高校美術部の先生に惹かれて

 よく人から言われるんです。
「あんた、ファザコン(ファザー・コンプレックス)なんじゃない?」
 自分でも、
「そうかもしれない」
 と思う節もないわけではありません。というのも、私の両親は私が4歳のときに離婚していて、それから父親には一度も会っていないんです。私自身は父親の顔さえも記憶していません。
 そのせいかどうかは分かりませんが、昔から恋愛相手は自分よりも高いところにいてくれる人でなければつまらないし、同世代の男性は友達としか見られないところがありました。
 それでも高校1・2年のころには、同い年の友達のように高校の先輩やらOBと付きあっていた時期もありました。でもやっぱりどこか物足りないんですね。
「○○先輩、すてき!」
 なんてふつうの女子高生のようにキャーキャー言うのは私のガラじゃなかったんですよ。
 それに引き換え、浩ちゃんは先生をやっているぐらいだから、大人でまじめで包容力があって、そして面白い人でした。それに、だれとでも分け隔てなく付きあっていける柔軟性もある。
 私は油絵が好きだったので、丁寧に指導してくれる浩ちゃんは私の世界の中心でもありました。美大に行くほどの実力はありませんでしたが、漠然と絵とは将来ずっと付きあっていくだろうと思っていたので、その部分で刺激になる人に惹かれたところもあるかも知れません。「何でも知っている頼りになる人」
 高校生の私にとって、浩ちゃんはまさにヒーローだったんです。

■窮屈な家を出たくて歳で結婚

「なぜ20歳で結婚したんですか?」
 当時を振り返ってこう聞かれたら、それはその場の成り行きと、家が厳しかったせいと答えるしかありませんね。
 いまでこそ離婚はそれほど珍しいことではなくなりましたが、母の時代にはまだまだ「肩身が狭い」という認識があったのでしょう。母はいつも仕事で忙しく、祖母が母代わりとなって育ててくれました。
「世間に片親だからといって、後ろ指を差されるようなことのないように」
 祖母にしてみればこんな思いがあったのか、しつけはとても厳しくて家は常に窮屈でした。専門学校に行くころになると家族に反発する気持ちがさらに強くなりました。
「早く家を出たい」
 と言う私に浩ちゃんは、
「じゃあ一緒になるか」
 と応えてくれて、一気に話が進んでしまいました。
 結婚は専門学校を卒業するころだったから、私は新婚生活と社会人生活のスタートを同時に切ることになりました。
 家にいたころは食事の支度などしたこともなかったから、コロッケをつくるだけで3時間もかかってしまい、一日が終わるとヘトヘト……。でも、浩ちゃんは頼りになるし、最初の2年はそれなりに幸せだったと思います。 ただ、ひとつだけ将来の不協和音を予測させる出来事がありました。それは私の妊娠です。しかもハネムーン・ベビーでした。
 20歳で結婚したばかりで母親になるのは、だれの目からみても無理でしたし、食事の支度さえまともにできないぐらいですから、さすがに自分でも無理かなと思いました。
「そりゃ無理でしょ」 
 でも、浩ちゃんからあっさりそう言われると、
「意外に冷たいじゃん。もっと話し合いはないわけ?」 と、ちょっぴりがっかりしたのを覚えています。

■期待どおりの転職で刺激的な日々

 私、そもそも専門はイラストレーターなんですが、最初の職場は小さな広告製作のプロダクションだったので、パンフレットなどを作成していました。
 残業もなくお気楽な仕事でしたが、イラストを描くチャンスはほとんどありませんでした。デザインもすでに決められたフォーマットで定期的に入稿すればいいといういい加減な仕事が大半でした。うんざりしていたところ、2年目にチャンスが巡ってきました。ある大手のプロダクションがデザイナー兼イラストレーターを募集していたんです。挑戦が実って転職に成功しました。
 そこはデザイナーを10人も抱えていて、広告のプロダクションとしては大きな事務所でした。デザイナーも名の知れた人が多く、すべてが刺激になりました。やっとやりたかった仕事ができるようになって、毎日がとても楽しかった……。
 忙しい職場だったので、前のように定時に帰宅はできなくなりましたが、浩ちゃんは文句も言わず、
「やりたい仕事が見つかってよかったね」
 と言ってくれました。

■20歳近く年上のオーナーと恋に

 後に恋人となる西沢はその事務所のオーナーで、私より20歳近くも年上でした。美大卒でニューヨークに留学していたこともあり、センスは抜群。長身にイタリア製のスーツがバシッと決まる大人の男性という感じです。「なんて素敵なんだろう」
 転職するときの面接でもそう思ったぐらいでした。
 仕事上も適切なアドバイスをさりげなくしてくれる優しいお父さんという感じの西沢をすぐに尊敬するようになりました。実際、仕事ができてなんでも教えてくれる彼は、私にとっては「あこがれの人」だったんです。だから仕事を任されると、何としてでもいいものに仕上げて認められたいと精いっぱいでした。
 一方、西沢のほうも一所懸命に仕事をする私をかわいがってくれましたし、実力を伸ばしてあげようと思ったのか時間を割いて面倒をみてくれました。
 だんだん任される仕事が多くなると、必然的にいっしょにいる時間が長くなります。残業を終えて食事をしたり飲みに行ったりしているうちに、だんだんとお互いに惹かれていったのだと思います。
 ある日、飲んだ帰りにタクシーが拾えなくて、西沢と私は一度歩いて事務所に戻ったんです。そのときいきなり抱き寄せられてキスされちゃって……。いつかそうなるかもしれないという予感はありましたが、私は足がガクガク、心臓はドキドキで、完全に溶けてしまいそうでした。
「以前から好きだったんだ」
 そう言ってくれましたが、私のほうはうれしいのと同時に混乱してしまいました。
「えっ、どうしよう?」
 ただ、彼の胸に顔を押し付けているだけでした。

■ただただ一緒にいたかっただけ

 西沢と出会ったころ、私自身は仕事と彼との恋に精いっぱいで、まわりを見わたす余裕などありませんでした。 考えてみれば、その時期どちらも家庭の話はしなかったように思います。西沢も妻子ある身でしたから、当然家庭について考えなかったはずはないでしょうが、私は先のことなど目に入らないぐらい夢中でした。
 実際、西沢の存在は仕事の面でとてもいい刺激になりましたし、将来のことまで考える余裕もなかったのだと思います。彼のほうも、とくに奥さんとの仲が悪いなどといった話はしていませんでしたね。実際離婚して私と一緒になろうとまでは考えていなかったのかも知れません。
 不倫をしているからという後ろめたさや、夫や周囲に迷惑をかけているという意識は正直いってほとんどありませんでした。「恋は盲目」といいますが、恋をすればだれもが自己中心的になるでしょう? それが不倫かどうかはあまり関係ないような気がします。
 ただ、いっしょにいるのが楽しかったし、いっしょにいたかった。そんな純粋な気持ちだけで結ばれていたのだと思います。私が若かったこともあるかも知れませんが……。
「来週はどこに遊びに行こうか?」
 なんて、2人とも今から思えばかなり能天気な不倫でしたね。
 もちろん夫はとてもいい人ですけれど、だんだんと私自身の世界が広がっていくようになると、浩ちゃんとの2人の世界は狭いような気が……。
 私はどんどん西沢の世界にひっぱり込まれていきました。バリッとスーツを着こなして、バリバリ仕事をこなしていくその姿は私の誇りでもありました。

■ウソをつくことに疲れていたのか

 もちろん浩ちゃんにはウソをつきました。
 私がもともと突っ走ってしまう方なのに加えて、西沢とは「仕事を介した結びつき=芸術的な結びつき」だったこともあって、すっかりのめり込んでしまいました。出会って半年もすると、はずみで外泊をしてしまう夜がしばしばありました。
 広告デザインの仕事は締め切りがあるので、
「仕上げなければならない仕事があるから、今日は事務所で徹夜する」
 なんて言い逃れを続けていました。
 のんきな浩ちゃんもここまでくると疑うようになりました。
「ちょっとおかしいんじゃないか」
 もう少しうまいウソをつけばよかったのかも知れませんが、そこまで頭が回らなかったのか、それとも無意識のレベルでウソをつくことに疲れてしまったのか。
「観たい映画があるから、映画館で観てくる」
 その日も、映画館の名前まで言って出かけたんです。もちろん、西沢とデートに行くということは伏せておきましたが、さすがの浩ちゃんもピンときたのでしょう。 映画館から出て2人で歩いていると、後ろからいきなり西沢の頭に殴りかかってくる男がいました。振り返ると、浩ちゃんが真っ赤な顔をしてげんこつを振りあげていました。

※つづきは「妻の恋」(アストラ)をお読み下さい。

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妻の恋【離婚した夫に抱く復讐に似た激しい想い 本来の自分を創るためにもう一度広い海へ/河合奈緒美(29歳)・女優】

 引っ越しの準備をしていたら、洋服ダンスの隅から季節外れのベージュのベレー帽が……。手にとると樟脳の香りがつんと鼻につき、軽いめまいを感じました。でも、この突き刺さるような痛み、本当は過ぎ去った日々へのノスタルジアのせいなのかも。
 その帽子は、まだ出会ったばかりのころ私のために夫が買ってくれたものです。
 数回目のデートで観た『ボニーとクライド 俺たちに明日はない』という古い映画で、主人公のボニーが愛用していたのがベレー帽だったんです。ボニーとクライドは、アメリカに実在した二人組の強盗で、映画では二人がスリルを通して愛を深めていく一方で、後戻りできない運命に追い詰められていくラブストーリーになっています。
「ボニーの天真らんまんで気性の荒いところが君そっくりだ」
 と、将来私の夫になる当時の彼は言いました。もっとも、私自身はボニー役を演じたフェィ・ダナウェイの薄っぺらい演技が嫌いだったので、ちょっと不満な顔をしたに違いありません。
 夫はその不機嫌を面白がったのか、たまたま映画館の側にあったデパートに入り、店員に聞きました。
「ベージュのベレー帽ありますか」
 そうして渡された帽子を私の頭にのせると、ほおにキスしてくれました。人の視線も気にせず……。

■お互いを傷つけ合う犯罪的で危険な香り

「罪で結ばれているからこそ愛は美しい」
 なんてことばが確かありましたよね。その真偽は別として、私はこう思うんです。
「夫婦って、ある意味では共犯関係にある」
 生活を通してその二人にしか共有できない文化や過去を築いていく過程自体は、本来とてもポジティブなはず。なのに何かちょっとしたことがきっかけで、歯車の一つひとつが狂ってしまう。
 二人はそれに気づかないまま「日常」を続け、ふと気づいたころには、日常という仮面をかぶった特殊な世界に迷い込んでしまっている。そして、社会の規範とか通念から離脱したどん底の空間にいることになる。
 はい上がろうとすればするほど、どんどん深く突き落とされていくような気分。そのうち、じつはお互いに元の世界に戻ろうという意思自体がなくなってしまっていて、今度はどん底自体が日常になっていく。
 とくに末期症状段階の夫婦って、打算でがんじがらめって感じですよね。この人とこのまま一緒にいても、いつか壊れてしまうことは感じている。でも、いまはまだ一人にはなれない。不安で怖いから。
 別れた後どうやって生きていけばいいかも分からないし、なんとなく別れられない。そうして次の一歩を踏み出すこともしないまま、究極のひどい状態のなかお互いを延々と傷つけ合う。そうした危険な香りがどこか犯罪的なのかもしれません。

■夫には絶対埋めてもらえない心の空白

 でも、私が不倫を繰り返したのは、決して夫を傷つけることが目的ではなかったはず。最終的に離婚したのも、それが原因ではありませんでした。
 ただ、無性に寂しかった……。結婚した直後から、これには気づいていました。心にぽっかり穴が空いてしまっていて、大恋愛をへて結婚したはずなのに……。
「彼では決して埋められない」
 そう思ってしまった途端、ガタガタと音を立ててダメになっていきましたね。

■出会ったときから抱いていた違和感

 私すごく上昇志向が高いんですよ。仕事に対しても、そして恋愛に対しても。でも、彼は人に運命を預けてしまうタイプなんですね。何か向こうからやって来るのを待っているというか。
 結婚するときも、
「幸せになりたい?」
 なんて聞かれましたね。
「幸せにするよ」
 じゃなくて。いま振り返ってみれば、そんな夫との将来に、出会ったときから疑問みたいなものがありました。 学生時代から私は芝居好きで、将来は必ず女優になると思っていました。一方で彼は駆け出しの演出家で、ようやく初めての作品が世の中に出たところ。出会ったのは、当時私が出入りしていた劇団の仲間がたまたま夫の知り合いで、彼の作品の公演初日に私を誘ってくれたのがきっかけになりました。

■「これはエゴの作品です」

 彼が演出したその公演はどこから見ても「無難」な作品でした。致命傷になるような構成上のミスなどひとつもないし、マスコミ受けをねらったのか斬新な技術やちょっと癖のある役者を使ったりと、かなり工夫も凝らしてありました。
 でも私には、直感的に思ってしまった。
「これはエゴの作品だなあ」
 ところどころ作品だけが空回りしている感じ。まるで「観客なんかどうでもいい」とでも言わんばかりの演出で、猛烈な無頓着ぶりがにじみ出ているよう。他人をあまり視野に入れていない冷徹さが端々に出てしまっていました。
 幕が下りたあと、渡されたアンケートに私は一言だけこう書きました。
「これはエゴの作品です」
 いっしょに行った友人が夫を紹介してくれましたが、処女作ということで夫は猛烈に忙しいようでした。私自身も作品の後味が悪かったせいか、簡単にあいさつだけしてさっさと劇場を後にしてしまいました。
 そのまま会うことがなければ、お互いまったく違った人生を歩むことになっていたかも知れません。でも出会う運命だったのでしょうか? 一年後、今度は彼のほうが私たちの芝居を観にきました。
 最初に会った時ほとんど話しもしなかったので、二人はほとんど初対面も同然の状態でした。夫のほうは私が書いたアンケートを見ていたようです。
「この女は僕のことが好きではない」
 そう覚悟して会いに来たのでしょう。芝居が終わったあと、自分から話しかけてきました。結果的にそれが付きあうきっかけとなりました。

■母のために人生を捨てた父を尊敬できない

「芝居の話ができる相手」
 最初のころはそういった関係にすぎませんでした。
 しかし、夫はとうに30歳を超えていたこともあり、婚期を逃したくないとでも思ったのか、出会って三ヶ月でプロポーズされました。私はまだ学生でしたし、漠然と「結婚はちょっと違うかもしれない」なんて思っていました。
 でも、卒業が近くなると気持ちが揺れてきてしまって。学問が好きだったので大学院に残ろうかとも、また、好きな芝居の仕事をしたいとも悩みました。芝居でずっと食べてはいけないかもしれないという不安と同時に、そろそろ将来への方針を固めてしまいたいといった変な焦りもありました。
 私は浪人したうえに、芝居にかまけて2年も大学を留年してしまっていました。留年した当初は、
「それが女優へのひとつのステータス」
 くらいに思っていましたが……。さすがにいつまでもフラフラしているわけにはいきません。そう思えば思うほど、どちらに進めばいいのか分からなくなってしまいました。
 その一方で、早く親元から離れて自分の家庭を築きたいという気持ちもありました。一人娘でしたし、私は十分愛されて育ったと思います。でも母が精神的にとても不安定だったこともあって、家の中はいつも暗い雰囲気で窮屈でした。
 子どものころはそれが普通と思っていました。けれど、友達の家に行くとお父さんがパンツ姿で歩いていたりして、こんなに明るい家庭ってあるものだなぁ、なんて驚くこともありました。
 私の父は、いつも仕事より母を守ることを優先しているような人でした。そんな父を見ていると、
「母のために自分の人生を父は捨てたんだ」
 とさえ思えてきます。社会人としてもそんな父はとても尊敬できません。年上の人にあこがれたのも、理想の父親像に私が飢えていたせいかも知れませんね。

■完璧でないこの人を支えてあげたい

 もっとも、夫は俗にいう、
「頼りになるタイプの男性」
 では全然ありません。舞台の世界では珍しいことではありませんが、まず収入が不安定。それに人あたりがよく社交性にも長けているくせに、じつは精神的にもろいところがある。そんな彼を支えていこう、そう私は思っちゃったのです。
 いまから思えば、ずいぶん「男気」のある決断でした。だって、まだ社会に出たこともない学生が、一人の男性を支えて生きていこうと決心したんですから。でも、当時はそれがとてもすばらしいことのように思えた。
「彼一人でダメでも私と二人ならやっていける」
 当時はそう信じてました。なぜなら、二人の間には芝居という共通の夢がありましたから……。夫の作品は、決して完璧ではありません。だからこそ、支えてあげたいと感じたのでしょうね。
 ちょっと皮肉でしょ? 
「母のため家庭のために自分の人生をあきらめた父は卑怯」
 なんて思っていたはずなのに(少なくとも当時の私にはそう見えた)、結果的には、自分からそういう役回りを買って出たようなものなんですから。
 結婚したのは私が25歳の冬、大学卒業を目前に控えた2月でした。夫は一回りも年上だったし、「若過ぎる」と周囲からは反対されました。でも反対されればされるほど、それが正しい選択のように思えてくるから不思議ですよね。
 じつは夫は裕福な家庭の出だったので、結婚したときはまだ親から仕送りを受けていたんです。私はそういうことは嫌だったので、結婚と同時に自分から小さな会社に就職して、彼の親には仕送りを絶ってもらいました。
■自分を汚らしいもののように扱われ

 ところが、挫折は結婚と同時にやってきました。夫とのセックスが、結婚をきっかけにパタリとなくなってしまったのです。
 恋人時代はすごくよかったんですよ。夫もこう言っていました。
「これまでは女性と付きあっても八ヶ月で関係がなくなった。でも君とは一年も続いたから、そのままやっていけると思う」
 なのに、やっぱりダメだなんて言うのです。
「私に魅力が足りないからかもしれない」
 などと、女としての自信も失いました。
 でも女って不思議なもので、いったん自信を失うと、今度は何としても勝ち取ろうという気持ちになってくるものです。しばらくすると、私のほうからモーションをかけるようになりました。最初のころは、夫も嫌々ながら応じてくれることもありました。
 でもそのうち、
「そういう態度は汚い」
 と言うようになったんです。そうあからさまに拒絶されると、
「私がみだらだからいけないんだ」
 とよけい惨めになってしまって……。夫との日常のなかで、私はいつも女であることを否定されていたようにも思います。
 彼って潔癖主義なんでしょうか? そういえば子どものころ学校で性教育を受けたときも、そういう話は聞くのも嫌で耳をふさいでいたと話していたことがありました。
「セックスはそもそも子どもをつくる行為だ」
 彼はよくそう言っていましたから、その行為をしたがる女は汚いというイメージなんかがあったのでしょうか。 たとえばたまに洗濯してくれるときなども、私の下着だけは洗わずに、洗濯機の底に残しておくんです。
「そういうものは嫌だ」
 とか言って……。私ってそんなに汚い存在なのだろうか、と否定されたような気がしましたね。
 私が女であるということ自体を夫は軽蔑しているんじゃないかなんて思いはじめると、どんどん自信がなえてしまいます。彼がどうしてそんなふうに性を拒絶していたのか、私はいまでも理解できないでいます。

※続きは「妻の恋」(アストラ)をお読み下さい。

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元信者が視るオウム的社会論 第23回/上祐史浩の復帰

■月刊『記録』99年12月号

■年末にあの上祐がとうとう出獄

 いよいよ年末に、オウムの最高幹部の一人であるあの上祐史浩が服役を終えて出獄してきます。今は広島の刑務所に在監中で、出所後はそのまま教団に戻るようです。
  「ああ言えば上祐」という流行語まで生んだ彼が、また世間を騒がせることになるでしょうか?
 彼は確信犯的な存在でした。彼が逮捕される一ヵ月前に僕は彼と会っているのですが、幹部としてうすうす事件のことを知っていながら、時間稼ぎのために頻繁にマスコミに出たのだと洩らしてきました。
 早大のESSで学んだディベート術で世間を煙に巻いたのです。当時は「上祐ギャル」と呼ばれるおっかけなども現れて、自らの写真集などを出版したりして得意そうでしたね。

■もはや幹部不在で組織ボロボロ

 上祐逮捕後、オウムの対外的な活動は急速に弱まっていきました。上祐ほど弁舌に長けた人間がいないというのと、それから上祐クラスの幹部が軒並み逮捕されて、教団全体を統率できる信者がいなくなったからです。
 オウムという完全なるピラミッド型の組織の一番上の先端の人達が、逮捕されたり殺されたりして欠けてしまったのです。最上位の「正大師」という位のなかで残ったのは、まだ子どもである教祖の三女・アーチャリーだけでした。
 そのため、組織のまとまりがなくなって、脱会していく者や分派活動をする者が続出しだしたのです。先日オウムが活動を「休眠」すると発表したのも、オウム新法を施行しようとするお上の動きに今の幹部では対処できず、上祐が出所してくる年末まで死んだふりをして時間を稼ごうという意図があるのには間違いありません。 
■独善的パフォーマーの人望の薄さ

 ただ上祐には悲しいかな、人望があまりないのです。独り善がりで、個人プレーが多く、派手なパフォーマンスの裏側でしらけていた信者も多いのです。
 僕が現役信者時代に「アンチ上祐」の旗印を掲げて「決起」したときも、「よくぞやってくれた」「溜飲が下がる思いがした」と現役の信者たちから声をかけられたものです。
 だから上祐が戻ってくるだけで組織の求心力が急速にアップするとはとても思えませんね。
 それに対外的にみても、上祐にはマスコミに毎日のように出て意図的に嘘を吐きまくったという「前科」があるため、世間の風当たりも相当厳しいものとなるでしょう。「上祐が自分たちの町に来る!」なんてなったら、今以上の抗議運動が起きるのは必至ですからね。
 よって、上祐が出所しても今の混沌としたオウムの状況は変わらないでしょうし、いや、もっともっと問題が噴出し、カオスの渦の中に突入していくことになるでしょう。
 まあ、いずれにしても、この四年間で彼がどう変わったのか、獄中でどういうことを考えていたのか、出所してきたら一度は会って話を聞いてみたいものです。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第22回/本物の修行

■月刊『記録』99年11月号掲載記事

■いい加減な教団のまともな修行

 世の中にはたくさんの修行法が存在します。その中にはまがいものも混じっていますが、絶大な効果を上げるものも存在するのです。
 オウムで行われていた修行法にもすばらしいものがありました。その一つに浄化法(クリやヨーガ)というものがあります。ご存じの方も多いと思いますが、塩水を飲んで吐いたり、鼻に紐を通したりする修行です。僕は今でも、二日酔いや鼻詰まりのときに実践しています。効果抜群ですよ。
 しかし、この浄化法にしろ、他の呼吸法や暝想法にしろ、本来これからの修行法は「オウムの修行」と呼んではいけないものでしょう。これらはほとんどインドやチベットの経典からいわば「盗んだ」もので、オウム独自のものではないからです。
  「いい加減な団体」のなかで「本物の修行」が行われていたことに、オウムの問題の本質があるように思われます。

■いざ滝行をしに大自然へ!

 さて、僕は今でも自分が「修行者」であることを自覚するようにしています。オウムのように一個人や組織に依存していた「修行者」ではなく、本当の意味で自立した「修行者」としてです。
 その修行の一環として、オウム脱会後、よく一人で山ごもりをしてきました。オウムではサティアンの中などで終日過ごすとことが多く、自然に触れる機会がなかったので、無性に接したくなったのだと思います。
 一人で山にこもっていると、恐怖に襲われたり、無性に寂しくなったりしますが、それらを克服して自然と心身ともに一体化すると、今まで体験したことがない心の広がり、充実感を味わうことができました。
 そしてよく滝を浴びています。滝行というのは、もちろんオウムにはない修行法ですが、オウムのどの修行法にもまして効果的な修行法ですね。
 山奥の水は夏でも冷やりとするものですし、勢いの激しい滝では自分が押し潰されそうになる恐怖を感じますが、それらを克服して一定の時間浴び続けると、滝の轟音で現実感はかき消され、一種のトランス状態に入っていきます。そして全身がものすごい快感で包まれていくのです。恐怖も苦痛もなくなり、自分が自然と一体化した喜びがフツフツと沸き上がってきます。滝を出る頃には全身の細胞が生まれ変わり、心には何の屈折もなくなってしまいます。
 オウムの修行はあまりにも自然と接するものが少なすぎました。一日中、部屋の中で集団で修行しているから、閉鎖的になってトンデモないことを考えてしまったのでしょう。
  「滝行」は、いまだオウムに残っている現役信者に是非とも体験してほしい修行です。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第19回/「追っかけ」という宗教

■月刊『記録』99年9月号掲載記事

■幻想を人物に投影

 人間は誰でも心の中に「幻想」をそれぞれ抱いています。
 特に女性の場合、その「幻想」を人物に投影し、「アイドル」として追っかけてみたり、「星の王子さま」として夢見たりする傾向が高いように思われます。マンガを描いてもらっている瀧坂女史を観察して痛感しました。
 彼女は今までどの宗教も信仰したことがなく、常々、僕のことを「だまされやすい」「人を信じやすい」「洗脳百貨店」などと小馬鹿にして、「私は絶対に人にはだまされないわよ」と意気がっていますが、よくよくその生態を観察してみると、いろんな「信仰」や「教祖」を持っているので笑ってしまいます。
 瀧坂女史はラジオパーソナリティーの伊集院光氏の追っかけを十年近くもしているそうです。最近はテレビのバラエティー番組などにもちょこちょこ顔を出すようになったので、知ってらっしゃる方も多いと思うのですが、「なぜあんなデブを?」と不思議に思う方も多いでしょう。
 伊集院氏が作ったCMが流れるという告知がラジオであったというので、彼女についてその場に行ってみたことがあるのですが、雨だというのに何百人もぞろぞろと「信者達」が集まってきたのには驚きました。そして、わずか数分間のビデオが上映されるのを待って、小さな一台のテレビに群がっていました。まさに戦後まもなく、力道山のファイトを見に街頭テレビに集まった風景そのままです。
 僕は思わず、オウム時代に麻原氏を何時間も何十時間も待ったことを思い出しました。

■待たせて高める価値

 麻原氏は自分が「カリスマ」と呼ばれることを好んでいました。そして、「カリスマ」性を高めるためにいろいろな演出をしていました。その一つが信者を「待たせる」ことです。
 例えば、説法やイニシエーションがある時、平気で三~四時間、最も長い時など二日間も待たされました。出家修行者千人全員の時もあります。その間、教団の活動を完全に停止にしてです。
 信者達は「自分達の意識が尊師に向いていないから来てくださらないのだ」と心の中で自省し、麻原氏のことをじっと考えひたすら待ったのです。
 ある時は、麻原氏と共にする食事会があり、何グループかに分かれて懐石料理を食べる会だったのですが、あるグループなどは料理が目の前に置かれたまま八時間以上も待たされていました。百人ぐらいの人間が食べ物を前にずっとがまんしながら待っている光景は異様でしたね。もちろん料理は完全に冷めてしまっています。
 待たせることによって、ありがたみを感じさせようと麻原氏は考えていたようです。確かに二日間待った時には、麻原氏がいつもよりまして神々しく感じられたように記憶しています。
 最近、瀧坂女史は評論家の宮崎哲弥氏の追っかけもしているようです。
 人に対して「幻想」を抱くことで、人生を狂わせないよう、細心の注意を払わなければなりません。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第21回/元信者の選択

■月刊『記録』99年10月号掲載記事

 相変わらず、オウムにまつわる諸問題がマスメディアを騒がせています。刑期を終えた信者や一度脱会した元信者が自分から教団に復帰したり、あるいは引き戻されたりする例などが頻繁に取り上げられていますが、ここではそれとは逆の、脱会してオウムから離れていく例を二つ取り上げてみます。どちらも僕の身近で起きたものです。

■冷静な目をもつAさん

 まず三十台前半のAさんの例です。
 Aさんは平成二年、麻原彰晃が衆議院選に落選し、石垣島セミナーを開催した直後に出家。真面目で営業の才のある彼は、出版部の営業などで頭角を現し、ホーリーネームも与えられ、中堅幹部として活躍しました。サリン事件後、上位の幹部が軒並み逮捕されたあと、非合法活動に加わっていなかった彼を教団は重宝し、教祖の娘の一人のボディガード兼秘書の重要な立場を与えていました。
 しかし、冷静な目をもった彼は教団の行方に見切りをつけ、年に何度か所用で上京するたびに、親友である僕と密会をして外部の情報を集めていたのです。僕は早く教団をやめるよう勧めていましたが、ついに昨年の春、教団に置き手紙を残して脱出してきました。
 引き戻し工作を怖れた彼は、教団に住所を知られている実家に帰ることができないので、僕が約三週間ほどかくまいました。案の定、脱出してもう二日後には、彼の実家に同僚だった信者が訪ねてきたそうです。
 その後、都内某所に住み始めた彼は、教団の人間に待ち伏せされたり、街で偶然会った在家信者に謀られて、夜を撤して説得されたそうですが、教団の矛盾点を指摘しこの現実世界で生きていく意志を強く示すと、「変わっちゃったね」と言われ、パタッと引き戻し工作はなくなったそうです。今は営業マンとして正式に就職し、チベット仏教の勉強をしています。

■引きこもりがちなBさん

 Bさんは二十台半ばの元信者。彼はついこの前、「再脱会」したばかりです。
 実は彼は、僕がオウムに入信させてしまった一人でした。彼が大学生の時、学生班で学生の勧誘をしていた僕が説得して入れてしまったのです。しかし、僕が学生班を離れ上一色村のサティアンでの独房修行に入ると、道場にもあまり来なくなり、自然退会のような形でやめました。
 僕がオウムを脱会後、刑事さんの紹介で再会し、内気で引きこもりがちな彼を食事やカラオケなどに連れ出していました。ところが、しばらくして彼の電話がつながらなくなり、音信が途絶えてしまったのです。彼がどうしてるか気にかかっていましたが、仕事の忙しかった僕はしばらくうっちゃっておいたのです。
 昨年末、抜き打ちに彼のアパートを訪問してみると、なんと壁には麻原彰晃の息子である新教祖の写真が貼ってありました。問いつめると、精神世界の会合で偶然再会した現役信者から巧妙な誘いがあり、再入信してしまったそうです。
 その後、秋葉原のパソコンショップで働かされるなど、いろいろあったそうですが、今年の八月にやっと「再脱会」できたようでした。
 最近、もともと面識のあったAさんとBさんを再会させました。Aさんは、しっかりと信念をもって新しい人生を邁進しているので、フラフラしがちなBさあんをきちんと導いてくれることと思います。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第19回/恐怖の大王

■月刊『記録』99年8月号掲載記事

 ノストラダムスの大予言で有名な「一九九九年の七の月」がやってきました。「空から恐怖の魔王が降りてくる」という予言です。この文章をみなさんが読んでいる頃には、その「七の月」も終わろうとしていると思いますが、果たして人類は「恐怖の大王」によって滅亡しているのでしょうか? というよりも、滅亡していたらこの文章も読むことができませんが。
 元々、この「ノストラダムスの大予言」というものは、日本でのみ過大に取り上げられているもののようです。本国フランスよりも日本でのほうが有名になっているとも聞きました。
 日本が戦後を経て、高度経済成長が限界にさしかかる頃、作家の五島勉氏が『大予言』という本の中でこの予言を発表しました。その同時期に石油ショックや公害問題が発生し、それまでの日本の発展の裏面に気づかされることとなり、本は大ベストセラーとなりました。出版時期と世相がシンクロして、暴発してしまったのです。
 僕も中学生のときにその本をかじって、戦慄してしまいました。僕は一九六九年生まれなので、せいぜい残り十五~六年、三十歳までしか生きられないのだと。
 でも、逆にいうならば、ちょうど三十歳という、心身ともに充実したときに人類滅亡の危機を迎えるわけですから、「滅亡を防ぐために自分には何かをしなければならない使命があるのでは」とも思い込むようになりました。「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメが、人類滅亡とそれを乗り越えるための戦いというテーマを取り上げるようになり、自分もできればその「戦士」として戦いたいと考えるようになったのです。
 それからしばらくして、麻原彰晃の本に巡り合いました。彼は修行によって神通力を得た若者達が、汚れきった地球を浄化し、さまざまな難問を乗り越え、人類の滅亡を防ぐのだと唱えたのです。三万人の解脱者が誕生すればそれが可能だと。そして、それを達成させるのが世紀末の日本に現れた救世主・麻原彰晃とオウム真理教なのだと。
 麻原氏のその文章を読んだとき、「これが僕の生きる道だ!」と歓喜しました。そして、どんどんオウムの活動にのめり込むようになり、とうとう二十歳の時に、家族の反対を押し切って出家するようにまでなってしまったのです。
 さて、僕が青春をかけてまで滅亡を防ごうとした「一九九九年七の月」ももう終わりです。もしかすると、現オウムやノストラダムスの予言を教義に取り入れているカルト教団が、教義と現実との帳尻を合わせるために自作自演の事件を起こしているかもしれませんが……。 自らの寄って立つ信念が崩壊する時、人は自暴自棄になりがちですから。(■つづく)

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元信者が視るオウム的社会論 第18回/だめ連の構図

■月刊『記録』99年7月号掲載記事

「だめ連」という異様な集団がにわかに注目されています。
 彼らが唱える「だめ」とは<家族・学校・会社・社会・国家から「だめなヤツ」と言われる可能性のある事柄一般>だそうです。
 モテない、職がない、うだつが上がらない人達が集まり、「ハク」や「うだつ」といったプレッシャーから解放された気楽な生活を送るために、ヒッピー的な共同生活や交流会を催したりしています(「解放」ではなく「逃避」に見えるのですが…)。
  『だめ連宣言!』などという本も出し、さまざまなメディアでも取り上げられているようですが、彼らに対して不快なものを感じているのは僕だけでしょうか?
 特に不快に感じたもののなかには、オウムでの様子と共通する部分が多数ありました。
 例えば、初期のオウムには、精神的な病気を患っている一群があって、彼らは精神病院から逃れたいがためにオウムに出家しました。ところが、そのオウムの中でも修行もせず、悪友がつるむように集まってお互いを慰め合っていました。彼らは修行が厳しくなっていくと、ごっそりとオウムをやめていきました。僕は「だめ連」を見ていると、彼らを思い出してしまうのです。
 懸命になって励んでいる人達に嫉妬を感じながら、ダメな人同士でおしゃべりをして得意気になっている姿は不快そのものでしたね。
 また、共同生活をすることで現実世界から遊離し、一般社会の地位や名誉や観念を軽んじている点はまさにオウムの教義そのものです。
 さらに、「だめ連」の中心人物には元運動家が多いようですが、彼らの発言の端々をとらえると、叶えられなかった革命幻想を「だめ連」に託しているようにも思われます。実際、中心人物の一人であると思われる神長恒一氏は「オレははっきり言って、だめ連って革命運動だと思ってやってんだよね」などと発言しています。
 麻原彰晃氏も権力欲が強く、元々は政治家志望でしたが、それは叶いませんでいた。その強い権力に対する指向を「オウム真理教」という宗教団体を隠れミノに実現させようとしたように、「だめ連」の運動もその背後に別の意図があることを見抜かなくてはなりません。
 さて、オウムの幹部は事件後、逮捕されて無責任な言動を繰り返しています。彼らの言葉に踊らされて入信した信者がまだたくさん教団に残っていますが、何をしていいかも判断できない彼らが諸々のトラブルを引き起こしているのは、最近の報道でご存じのことでしょう。
  「だめ連」にもいずれ同じ構図が当てはまると僕は危惧しているのです。神長氏本人も著書の中で指摘しているのですが、「だめ連」も結成当初はそんなに「だめ」ではない、つまり「だめ」を気取る運動家崩れや芸術科崩れの人達ばかりだったそうです。ところが、その初期の確信犯的なメンバーに煽られて、本当に「だめ」な人たちが多数集まってきてしまいました。
 神長氏などの、スタイルとして「だめ」を演じている人達が、運動を離れて普通の生活に戻った時、集まってきてしまった本当に「だめ」な人達は一体どうなるのでしょうか? それを考えると、教団幹部が軒並み逮捕されて、何をしていいかわからなくなり、右往左往する最近の「だめ」なオウム教団のことを僕は思い浮かべてしまうのです。
 言葉を巧みに弄するまがいものには細心の注意を払わなくてはなりません。
(■つづく)

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妻の恋【セックスの途中で目を覚ました娘のオムツを替える ひどい妻? でも成長のワンステップだった/葉室千枝子(33歳)・主婦】

 今年5歳になった長女は最近、動物番組がお気に入りです。ウミガメが遠くの海から産卵のために身の危険を冒してまで陸に揚がってくる姿や、ライオンの母が子どもたちに狩りを教える姿、カンガルーが袋のなかの子どもたちに乳をやる様子……。
「ママ、見て! キリンさん!」
 まだ3歳の下の息子が私のひざに頭を乗せてソファに寝そべると、長女も反対側から肩に寄りかかってきます。子どもたちのぬくもりを感じながら、動物番組に見入る時間はたしかにホッと息を抜けるひとときですし、その光景はかたわらから見れば幸せそのものなのかもしれません。
 でも、厳しい自然と戦いながら子育てに励む動物たちの姿を見ているうちに、ふと不安な気持ちが頭をもたげます。

■「もしも」という不安に終わりはあるのか

 たとえば、いまもし森でクマに襲われたら、私はクマと立ち向かってでも子どもたちを守り抜けるだろうか? もちろん、子どもたちを無条件に愛しているし、何か究極の事情で(それこそクマに襲われるとか)自分の命を投げ出して子どもを守らなければならないとすれば、喜んでというわけではないにしても、子どもたちが助かるのなら自分は死んでもいいかとあきらめるでしょう。
 でもそれは単に「仕方ない」という義務感で、本当の愛ではないような気がしてくるのです。こんなことを考えるのは、
「もしかしたら自分の愛が足りないからかしら」
 と思ったりして胸が痛くなってきます。
 でも、はたと私は思いとどまります。そもそもなぜいま私がクマに襲われることを考えなければならないのだろう。いまは自宅でテレビを見ていて、クマなど突如襲ってくることは絶対あり得ないし、いくら最近は凶悪犯罪が増えているとはいえ、突然だれかが拳銃をもって家に浸入してくる確率は道を歩いていて交通事故に遭うよりも低いことはよく分かっています。
 それでも母になってからというもの、この「もしも」という不安、こわれかけた飛行機で雨雲のなかを低空飛行しているような不安感が消えることなくまとわりついています。
「子どもが小さいからだよ。大きくなればもっと気分が楽になるよ」
 夫はこう言うし、たしかに自分でも考え過ぎる傾向にあると思います。
「軽い不安神経症ですね」
 医者にもそう言われて、ときどき気がついたときに通院するようにしています。
 でも、これって本当に神経症なのだろうか? 子育てと同時に本当に終わるのか? そもそも、終わりってどこにあるんだろう? などなど、本当にいったん考え出すとキリがないんです。これでも最近はずいぶんよくなったのですが……。

■妊娠確率の高い日を夫は計算していた?

「子どもを生んで母になってはじめて、女は自信をもてるようになる」
 などと人はよく言いますが、私にとって最初の妊娠・出産、そして子育てという一連の出来事は、まるでその通説を逆行する大事件でした。だいたい、妊娠を知ったその日から出産まで、喜びなんてこれっぽっちもありませんでした。絶え間のないつわり、身体のむくみや乳房の痛み、いつまでも続く微熱――。
 そもそも私が子どもを生んだのは、単にできちゃったから、と認めざるを得ません。その一ヶ月前、夫は当時勤めていた外資系の会社が撤退したために職を失いました。休職中の彼を尻目に、私自身はまだまだ仕事に打ち込みたかった――。でもどうしても欲しいと懇願する夫の手前、堕すわけにもいかなかったんです。
 新婚半年で妊娠なんて、いまから思えばハメられたとしか思えません。計算してみると、彼は危ない日なのを知っていて、わざと手を抜いたとしか……。
 その日、夫はソファでネイチャー雑誌を読んでいて、
「男の子の生まれる確率は戦争のときに高くなるんだってさ」
 と、その前後の記述を声に出して読み上げました。それによると、戦争などの非常事態下で妊婦が感じるストレスと男の子の生まれる確率に相関関係があるとのことでした。
 戦争があると男が死ぬ確率が高くなる。だから男がもっと生まれる――。その記事には確かそんな記述が載っていたと思います。
「つまり種の保存というやつだよ。人間、戦争という究極の状況に置かれると、セックスがしたくなるっていうじゃないか。どうせ死ぬのなら子どもぐらい残しておきたいって、それ男の本能だろ」
 などと、夫は悟り切ったような口調でそう言っていました。

■母性っていったい何?

 私が妊娠したのはたぶんその日です。人は本当に不安なときに子どもが欲しくなるか、それが統計的に立証された事象かどうか、それは知りません。
「そんなことを思うのは男だけじゃないか」
 いずれにせよ、私に言わせればこれが本音です。どうせ生むならば状況のいいとき、楽なときにしたいと思うのが母性ではないでしょうか? できてしまえば腹をくくるにせよ、不安なときに自ら望んで子どもを生む女がいるのでしょうか? 
 こんなふうに言うと、まるで私には母性がないように聞こえるかもしれません。
「子どもと旦那がいれば私は幸せ。どんな苦労でもできるわ」
 なんていう女を私はもともと絶対に信用できません。きっと自分の無能さを隠すために、そう言っているだけなんじゃないかとさえ思ってしまいます。「子どもがいるから仕事ができない」 という焦りは理解できます。しかし、それを口実に自分に対する努力を怠っている主婦たちをみると、イライラするんです。もっとも、そういう私もいまは主婦をしているわけで、たぶん子育てのフラストレーションがたまっているから、よけいそう見えるのかもしれません。
 そもそも私が浮気に走ったりしたのも、ホルモンのバランスが崩れたことに加え、フラストレーションが溜まっていたせいでしょう。

■妊娠でキャリアを台無しにしたという思い

 いまから思えばあの時期、何もあれほど、
「仕事、仕事」
 と目くじらを立てる必要もなかったのかもしれません。妊娠した当時、私は外資系証券会社の調査部に転職して半年で、子どもはまだまだ先と考えていました。私たちは職場結婚だったため、結婚を機に私が転職したばかりだったんです。
 たまたま夫が失業したのに加えて、早く新しい職場で認められたいという焦りもありました。男性の同僚や上司に妊娠を知らせるのが嫌で、しばらく会社には黙っていました。おなかが目立ってくるのを考えると憂うつで、布団をかぶって泣いたこともありました。 いまはどうか知りませんが、当時外資系の証券会社といえば、いわゆる「青い目のお金持ち」を手玉にとろうという下心で入ってくる女性も多いなか、徐々に専門職の女性が増えていた時代でした。専門職で雇われたからには、待遇は男性とまったく同じで甘えなど許されません。ただそのぶん本気でやれば認めてもらえる職場でもあったわけです。
「なのに、せっかくのスタートを妊娠で台無しにした」
 との想いはいつしか怒りに変わり、その怒りを夫にぶつけてしまう日が多くなりました。

■夫と同等にはなり得ないという絶望感

 専門家に言わせれば、当時の私は妊娠をきっかけにホルモンのバランスが崩れる「マタニティー・ブルー」に陥っただけなのかもしれません。しかし医学的にどう説明されようと、私にとっては「妊娠・出産」と本来ならば女の花道といわれる時期にすごく不幸だったということに変わりはありません。 さすがに危機感があったのか、夫もその一ヶ月後には仕事を決め、生活は落ち着きました。私には会社に残る選択肢もありましたが、体調がすぐれないせいですっかり闘志がなえてしまったうえに、どうせまともな仕事ができないならば辞めたほうがマシ、という気持ちもあり、あっさり退社してしまいました。夫が同業者だったことも嫌になってしまった原因のひとつでした。「これから先どんなにがんばっても、子どもがいる以上夫と同等にはなり得ない」
 という絶望感が、
「そのぶん養ってもらわなければ割りが合わない」
 という半ば復讐のような気持ちに変わりました。
 会社を辞めてブラブラしているとかえっていろいろ考え過ぎてしまうため、生活のリズムを変えないように電車で二駅のところにある中央図書館に朝から通うことにしました。

■図書館通いがきっかけで

 図書館までの30分から40分の距離はいい運動にもなり、なんといっても社会に出てからというもの仕事の資料以外の本を読むことはほとんどなかったので、久しぶりの読書はいい刺激でした。ジャンルを問わず手当たり次第に読みあさりました。
「いつもずっと本を読んでるんですね」
 ある日いつものように本を読んでいると、外国人の男性が声をかけてきました。アンディーというこのアメリカ人は、アジア史の博士課程で学んでいるということで、どこかの国際団体から奨学金が出たので研究も兼ねて日本に来ているとのことでした。
 それだけのことはあってアンディーの日本語は完璧でしたし、文学の話も好きでした。そのうち、週のうち何日か会うようになりました。

※続きは「妻の恋」をお読み下さい。

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妻の恋【浮気でドキドキしたいわけではない ただ定期的に好きな恋人が出てきちゃう/伏見紀子(27歳)・外資系OL】

「天然」と呼ばれるタイプの女性がいる。
 けっして頭が悪いわけではない。むしろ、切れる場合が多い。ただフワフワとしていてとらえどころがなく、少しボケたようなところがある。そのうえ、突拍子もない行動をたまにする。しかし憎めない。
 この手のタイプにたいていの男は弱い。そしてほとんどの場合、振り回される。
「今日の昼ね。女の先輩とパスタを食べに行ったんだけど、その店すごい大盛りだったの。しかも私もともと食べるのが遅いから、先輩に『あまり進んでないね。もう残したら』って心配されちゃった。
 やっぱり、頼んだものを残したら悪いでしょ。だから残せない、どうしても食べようと思って頑張ったの。だから、夕方までお腹いっぱいだったんだ。ダメーってぐらい。もう、こーんな感じー」
「でもさ紀子、ここの夕食もきれいに平らげてたじゃん」
「うん、店に着いたらお腹空いてた(笑)」
 取材テープに残っていた紀子さんとその友人の会話である。トイレに立ったときにテープを止め忘れ、五分ほど二人の話し声が録音されていた。気づいたのは、テープを起こしているときだった。
 夜中に笑い転げる彼女たちの声を聞きながら、私も笑ってしまった。あまりにも紀子さんが楽しそうだったから。 天然で、笑顔の絶えない女性だった。これほど男にモテそうな「妻」を私は知らない。

■夫は私の浮気を絶対疑っていない

 ポール(夫)は特別な人なの。人生を過ごしていく上で。
 もともと私は結婚願望なんて全然なかったの。いま結婚しているから、こんなことを言えるのかもしれないけれど、結婚せずに恋人のままだったとしても、ポールは私にとって大切な人。 いっしょにいるのが楽しくて抵抗感もなかったから結婚したの。
 結婚自体は、それほど特別なものだとは思っていません。好きだったら、籍が入っていてもいなくても一緒にいるはずだし。うまくいかなくなれば、離婚するはずだから。ポールとは、籍がどうこうよりも気持ちの問題かな。 いまでもポールといると本当に幸せ。夫婦仲もいいんですよ。ちょっとした私のワガママも全部聞いてくれる。本当にやさしいの。
 家事をやってるかって? へへへ、料理はポールの担当なの。それ以外は、私が全部やってるけどね。
 もちろん浮気がバレたことなんてない。ポールは、私が浮気するなんて考えてもいないと思う。絶対に疑われてないもんね。自宅ではラブラブだし。 だから、私がオールで飲んで朝帰りしても、ポールは文句を言わないの。「飲みに行くことだけは教えてね。いきなり帰ってこないと心配になるから」
 とは言われてるけど、信頼はされている。だからこそ、たまに思うんだけどね。
「私って、最悪かも」

■日本語がわからない夫の横で相手と電話

 ポールが外国人だから、私の浮気がバレにくいのかもしれないな。
 日本語が話せないのをいいことに、いっしょにリビングにいるとき浮気相手と二時間ぐらい話したこともあるの。女の子の名前を出して、
「明日の約束で話があるから」
 なんてポールに言いながら。
「日本の女は電話が長いなぁ」
 とか思っているかもね。
 私の知るかぎり、ポールは浮気していない。タイプ的にしない人。まじめだから。
 浮気して落ち込んだり私しないんですよ。そうなったら、たぶん浮気しなくなると思う。
 もちろん浮気したあとに、ポールへの対応が変わることなんかないよ、たぶん……。でも浮気したあとだと、家庭がより円満になるかもしれない。
 自分を取り巻くすべての要素が合わさって個人を形成するでしょう。浮気もそのひとつでしかないと思うの。
「外で恋すると、感情が豊かになって、気持ちもやさしくなれる」
 んじゃないかな。だから、ポールのことをもっと好きになれるんだとも。 そういえば、いま付きあっている恋人のテーラーから聞いた奥さんへの不満を、ポールとの結婚生活に「活用」したこともあるよ。
「俺の奥さん、下着とか前より構わなくなったんだ」
 なんてテーラーが言うと、やっぱり女の下着は大事なのかと考え直して、セクシーな下着を着けてみたり。
「俺たちセックスレスになっててさ」 と聞くと、やっぱりセックスも夫婦には大切なんだなって。ちょうどポールと少しペースダウンしているころに聞いたから、これじゃいけないと思ってちょっとペースアップしちゃった。いまは週に1回ぐらいかな。
 テーラーとその奥さんがいい意味での反面教師かな。もちろんテーラーのことも好きよ。でもポールと恋人を比べることはないな。
 もし逆に自分が比べられていたら嫌だろうと思うし。なんだろう? わからないけど、二人を比べちゃダメっていつも思ってるの。

■仕事中やり取りする通もの社内恋愛メール

 恋人のテーラーはイギリス人なんだ。白人で身長は185センチかな。ポールと私がいっしょに会社に出勤しているときに会ったの。社内結婚だから、私もポールも同じ会社なの。外資系IT(情報通信)企業だから、そこそこ外国人が多いんだ。
 そのときテーラーは、大阪からの出張で東京に来ていたの。ポールとテーラーは、以前からちょっと知り合いだったみたい。同じ部署ではないけど、いっしょに仕事をしたこともあったんだって。電話で話したり、何回か会ったりとか。
 お互いに顔と名前を知っているぐらいかな。それで、ポールからテーラーに声をかけた。
「やあ」
 って。私はテーラーを紹介されて、「はじめまして」
 と言ったのを覚えている。それが出会いのきっかけ。
 その日の夜に会社のみんなが集まる立ち飲みバーで、偶然にテーラーと再会したの。ダラダラ飲んだわけではなくて、みんなでビール一本ぐらい空けて帰っただけなんだけど。
 その次の週だったかな。今度は私が大阪出張になったの。ミーティングに出席するんで慌てていたときに、テーラーを見かけたんだ。
「あっ、いる」
 と思って、バイバイって手を振ったの。それに彼もこたえてくれてね。東京に帰ってから、社内専用の回線でメールを送っちゃった。名前と部署がわかれば、同姓同名でない限りはきちんと送れる仕組みになっているんだ。
「この前、話せなかったね」
 とたしか書いたかな。
 うん、一目ぼれ。だいたい私そうなの。ジワジワ好きになるってことはないのね。すぐにそうならない人とは、まず恋にはつながらない。会った瞬間に、その人が恋人候補か友達かに振り分けられちゃうみたい。
 うーん、テーラーはカッコいいかなあ? でもバンドなんかやっていて、けっこう人気はあるみたい。33歳だけど太ってもいないし。
 それが2002年11月。それからメールで頻繁に話すようになったんだ。本当に多いときは、1日50通ぐらい。仕事しろ! って感じだけど、会話みたいにやり取りするから止まらなくて。
 互いに既婚者で同じ会社だから、バレちゃったらまずいよね。社内でダブル不倫なんて。だからメールを送るときは、
「ログを記憶しない」
 というモードを選択していたんだけど……。あまり意味ないのかな。

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妻の恋【必要のない恋の時間を過ごしたからこそ 必要と不要なモノのちがいがよくわかる/柳田真理(26歳)・ショップ経営】

「ねえ、やっぱエッチしちゃまずいかな? どう思う」
 真理さんからの数ヶ月ぶりの電話は、不倫をするべきか否かの相談だった。「元カレと久しぶりに会ったらやっぱりカッコよくて、なんとなくキスしたの。来週会う約束しているんだけど、会ったら絶対しちゃいそうなんだよね」
 声が弾んでいた。どうやら、また恋に落ちたらしい。
「ほら、不倫妻の取材をしてるって聞いてたから。実際バレたりするのかなぁと思って」

■「マジに恋愛かも」と電話報告が……

 真理さんとは、5年ほど前に知り合った。
 妙にウマが合い、出会って以来一ヶ月に一回ほど電話で話し、1年に一回は食事に行く関係を続けてきた。学生時代の「武勇伝」を聞いているだけに、浮気には驚かなかった。しかし、結婚1年目とは予想よりちょっと早い。
――やめたほうがいいんじゃない。真理ちゃんはわきが甘いから旦那に見つかるよ、きっと。あなたみたいなワガママ娘といっしょに暮らしてくれる男を見つけるだけでも、けっこう大変なんだからさ。旦那を失うと被害甚大でしょ……。
「不倫することになったら即取材するから連絡をくれ」
 と彼女に声をかけていたが、不倫するかどうか迷っている既婚者の背中を押すわけにもいかない。浮気が夫にバレて大騒動になった家庭の話をしてそのリスクを説明した。
「やっぱり、ヤバいよね」
 最後にそう言って、彼女は電話を切った。
 しかしその半年後、今度は相談ではなく事後報告の電話を受けた。
「数日前に新しい彼氏ができちゃった。マジに恋愛かも」
――エッチした?
「うん、した」
――じゃあ、取材だな。
 そうやって、この取材は始まった。
■都内一等地の高層マンション

 その電話から一ヶ月後、彼女の住むマンションを僕は見上げていた。
 都内の一等地に建つその巨大高層マンションは、入り口で住民に連絡してドアを開けてもらうのはもちろん、ホテルのロビーと見間違うほど大きな受付スペースが訪問者を出迎える仕組みとなっている。会社を経営している35歳の夫が真理さんのために用意した住まいである。
 ピカピカに磨き上げられた大理石の床も、スーツを着た受付の男性のにこやかな笑みも、昼下がりの居宅も、カネに縁のないしがないライターには緊張の種になってしまう。なんとなく落ち着かないまま高層階でエレベーターを降り、彼女の部屋のベルを押した。「いらっしゃーい」
 という声とともに、扉が開く。
 スリムのブルージーンズに黄色いTシャツを着た姿はとても人の妻には見えない。学生でも通用しそうだ。
 20畳以上あろうかと思われるリビングには、結婚式の写真がいくつも飾られていた。純白のウエディングドレスを着た真理さんは、見るからに幸せな笑顔を振りまいている。
 鼻も高くはっきりとした顔立ちの彼女には、ドレス姿がよく似合う。

■飲み会で一番しゃべってた彼氏

――やせた?
「なんか最近やせちゃって、四五キロになっちゃったよ」
――身長いくつだっけ?
「一六六センチ」
――そんなに大きかったっけ? じゃあ、今かなりスタイルいいんじゃない?
「いいよぉー。胸もあるし。Dカップだもん。ちょっとすごくない?」
――すごいかも(笑)。それで新しい彼とは、どこで知り合ったの?
「私の友達が、地元の自営業者とすごく仲がよくてね。その飲み会に誘われたの。2002年の11月ぐらいかな。みんな紳士だし、話が面白いの。私が結婚していることも話してたから、本当にただ飲んでいるだけだよ。ちょー紳士! いい人たちだなぁーと思ってたんだ。
 それから何回かその飲み会に顔を出したの。そのとき一番よくしゃべっていたのが今の彼氏。でも、しばらくはケータイ(番号)も交換しなかったのね。向こうも聞いてこなかったし。ただただ楽しく飲んで終わりだった。
 ところが4月はじめの飲み会で、『今度のいつ』なんて話しているうちに、ケータイ番号とメルアド交換したんだ。なんか、あんまり皆に見られないようしてさ。そこから始まったんだよね」
■彼氏は私にメチャ惚れみたい

 彼氏とエッチする関係になりたいとは全然思わなかったけれど……。
 本当にそこまでは考えてなかった。ただアドレスを交換してから、毎日のように携帯メールをやり取りするようになったの。だいたい一日に10通ぐらいかな。
 私って生活のすべてを報告しちゃう人なのよ。たとえば、
「これからネイルアートの仕事に行きます」とか、
「買い物に出かけたよ」
 とかさ。ちょっと前までは、透ちゃん(夫)に全部メールしてたんだけどね。メールするっていっても、真理のほうから一方的にただ送っているだけ。 でも、最近あまり透ちゃんにメールしないで、彼氏ばかりに送ってた。
 彼氏がたまに送ってくれのも別にたいした内容じゃないよ。でも、メールするのは楽しいでしょ。だから、なんとなく盛り上がっちゃったのかな?
 でもね、最初に会ったときから、
「彼って私の好きなタイプかもしれない」
 と思ってたよ。フィーリングがね、話しやすいしさ。私は、
「自分にすごく惚れてくれる人」が好きなのね。彼氏は真理にメチャ惚れだから。完全にはまっていると思うもん。
■自宅前で堂々とキス

 彼氏とキスしたのは、メルアドを交換して二週間後ぐらいかな。その日、友達と飲む約束をしてたの。そのことを彼に伝えたら、飲み終わったら、店から自宅まで送ってあげるよって言われて。
「ん? いや、彼が真理に会いたかったらしい」
 マンションの入り口の前に車を止めて、
「お休み、チュ」
 そんな感じでキスした。もちろん、きちんと抱き締められたよ。
 管理人室からも受付からも見ようと思えば見える位置だったね。逆に堂々としているほうがバレなくない? エッチしてない男友達に、マンション前まで送ってもらうこともよくあるしさ。キスして、私けっこうルンルンだったな。
 私も彼氏も、キスするなんてあり得ないと思ってたの。だから、ちょっと不思議な感じだった。彼もメールとか電話で、
「こんなことできるだけで、俺すげぇ!」
 とか言ってたから。自慢する「すげぇ」じゃなくて、うれしいとか信じられないとかいう意味での「すげぇ」ね。
■男は止まらないし止めるのも・・・・

 次の日は、また別の友達と飲む予定があったんだ。そうしたら彼氏が、
「また夜、迎えに行ってあげるよ」
 っていうことになって。それじゃあ、来てもらうかって。
 ついでに二人で居酒屋に寄って、そのままラブホテルみたいな。
 くどかれたっていうか、向こうが、「真理のこと好き、好き、好き」
 って感じなのかな。私としては、してもしなくてもよかったの。
 居酒屋からラブホに向かう間も、
「別に、あなたのことがお気に入りってわけじゃないんだよね」
 なんて話をしてたもん。向こうも、「なんかそういう話を聞くと、ホテルとか行けなくなっちゃうね」
 なんて言ってたんだ。だけど、なぜかハンドルはホテルへ(笑)。ラブホに行っちゃったら、男は絶対に止まらないのは普通わかるじゃん。止めるなら、もっと前なんだろうけれど。
 だからといって、単純に止めちゃうのもね。まぁ、絶対に嫌ってほどでもなかったし。私ひまだったのかなぁ。 自宅に帰り着いたのは、午前三時。透ちゃんは完全に寝ている時間だった。
■独身時代とは相手の選び方がちがう
 彼氏の身長? 低いよ。166センチぐらいじゃないかな。がっしりした体型で、髪は短め。顔も別にカッコよくはない。ふつう。
 年齢は38歳かな。3人の子持ちだよ。お店をやっているの。豆腐屋さん。
 いまから考えると、38歳ってけっこう年上だよね。でも私が思うに、
「結婚してからの恋愛は、既婚者同士がいちばんラク」
 だって変なヤキモチとかもないし、駆け引きもないしさぁ。もうストレートにトントン行っちゃう。
「好きなら好き、やるならやる」って。 いっしょにいてラクなの。何でも話せるし。
 たとえば独身時代に彼氏や結婚相手を選ぶときは、顔を重視する部分って結構あるじゃん。さすがにキモい人とは付き合えないけれど、いまなら容姿より、いっしょにいて楽しいかが重要かな。
 それから浮気相手にカネも求めない。彼とは、いつも居酒屋で飲んでいるから。シチュエーションがどうとかじゃなくて、話せるのがうれしいんだよね。 うーん、なんで浮気したのかなー? なんだろう私の性格? 最初は、キスする相手とも思っていなかったんだけど、うーん、ノリ?

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妻の恋【離婚した夫はいい人だったけれども 8年間の結婚生活は「女」をやめていた/吉田裕美子(35歳)・主婦】

 吉田裕美子さんへの三度目の取材のため、新宿駅東口にある有名ブランドの前で待ち合わせた。夏を間近にひかえ、ショーウインドーには新作の水着を着たマネキンたちが並ぶ。
「ほら、水着に液体のパットが入っているでしょ。あれだと触られても分からないよ、まず」
 あるマネキンを指さしながら、彼女が説明をする。
「ほんと?」
 と僕が疑いのまなざしを向けると、「うん、絶対に間違いない。私も胸小さいから、ブラジャーにもガンガンにパット入ってるもん。入れてもAカップだけどね(笑)」
「あっ、触ってみる? ほらほら」
 彼女は白いシャツの胸を反らせてきた。その勢いに気おされたまま、指先で胸をつつくとたしかに柔らかい。
「ほら、わかんないでしょー」
 彼女はそう大笑いし、こう言いながら歩き出した。
「カラオケボックスはこっちにあるよー」
 以前に勤めていたアパレルメーカーでは受付嬢もしていたというが、裕美子さんにそういう気取りはない。
 きっとモテるだろうなと思いつつ、彼女のあとを追った。

■結婚して3年はすごく幸せだった

 旦那とは社内結婚だったの。仕事的にはあまり縁のない人だったんだけど、部全体の新年会のときに隣に座ったんだ。しかも帰る方向もいっしょだったから、電車でも話したりして。そのとき、ちょっと好きだなっと思ったの。 彼がほかの人より早く出社するのを知っていたから、次の日から私も早めに会社に行くようにしてね。それから食事に誘われて、恋人になって、九月に婚約をして、12月に結婚したの。私が23歳で、旦那が33歳のとき。
 結婚式は、それまでの人生でいちばん幸せだった。私のためにみんなが集まってくれて、お祝いしてくれて。すてきな夫が横にいて。
 旦那のことは、大好きだった。結婚してからの三年間は、いま思い出してもすごく幸せだったもん。スーパーに買い物に行って、何を作ってあげるのか考えるだけでうれしかったから。そういうことが、とても新鮮だったのね。 セックスもサルみたいにしてた(笑)。ラブラブだったんだもん。さすがに毎日ではなかったけれど、ほぼ毎日のようにしてたから。旦那とくっ付いてないと眠れなかったんだよ。もちろん浮気なんて、しようとも思わなかった。
 離婚したいまでも、旦那はいい人とは思ってるのよ。ほんと絶対に浮気しない。同僚に聞いても、彼はしないタイプだってみんな言う。逆に、それがつまらないといえば、つまらなかったんだけどね。

■育児をキッカケに離れていく夫婦の心

 旦那への気持ちが変わったのは、子どもを生んでからなの。
 結婚当初はまだいらないと思っていたけれど、2~3年ぐらいして、あっそろそろほしいなって。
 うんうん、違う。好きな人の分身とかじゃなくて、ただただ子どもがほしかったのよ。
 上の子どもが生まれたのが、26歳のとき。
 いきんで、いきんで、生まれた瞬間、その神秘に打ちのめされた。
 生涯でいちばん幸せだと感じていた結婚式なんて、全部吹っ飛んじゃったくらい。比べようもないほど、出産はすてきだった。結婚式なんて、みんないいことしか言わないじゃない。なんてくだらないことに感動してたんだろうって落胆したもん。
 ただ結婚式と違って、子どもは生まれてからが大変なのよね。数時間ごとに授乳がくるじゃない。眠りたい。それなのに、また泣き出す。なんだか自分がオッパイになった気分なのよ(笑)。
 そのときはじめて分かったんだ。
「旦那は役に立たない。なんて使えないんだろう」
 って。おむつを替えるのだって、お風呂に入れるのだって、全然できない。「俺が(世話を)やってやってるんだ」
 そう言われたのもショックだった。自分の子どもなのに、育児をやってやってるなんて。
 出産から数ヶ月後には、旦那が単身赴任になればいいと思っていた。出産前まではラブラブだったのに。
 上の子が生まれてから、セックスしたくなくなったんだ。もう、すごくしたくないの。旦那の性欲は全然変わらなかったけど。とにかく私は絶対に嫌だった。

■夫の前で「女」になれない寂しさ

 旦那とラブラブじゃなくなった理由なんて聞かれても、私にもわからない。ただ、感じていたのは、自分がもう女じゃないこと。すでに母親だったから。 私、「母」と「女」がはっきり分かれているみたい。セックスするなら男と女でいたいの。子どもを生んでから、旦那には男を感じなくなったんだ。私も旦那のまえでは女になれなかったし。 家族だからさ。年が離れていたこともあって、父親みたいだったかも。
 ほかの男だったらいいのよ。私も「母」や「妻」ではなく「女」でいられるし、たとえ既婚者が相手でも自分にとっては「男」だし。
 セックスには真剣に取り組みたい。だから、子どもが泣いて中断するのも許せなかった。子どもの横でセックスするなんてのも、絶対に嫌なのね。そういう環境をつくれないならしなくてもいいかなって。
 もちろん使えない旦那に幻滅していたこともあるんだけど。まぁ、あんまりセックスしないのも悪いからたまには付きあってあげてた。どうだろう? 月一とかでしていたんじゃないかな。誘いをはじめて断ったのは、子どもが生まれてから1年後ぐらいじゃないかな。それまで、ずっと我慢してたから。 といっても、子どもが生まれてから同じ部屋で寝てないんだ。旦那も仕事で忙しいでしょ。同じ部屋だと子どもが起きちゃうじゃん。だから子どもと私で寝てたの。離婚するまで、ずっとね。
 子どもと暮らして、バッチリ「母親」をする。それも悪くはなかった。でも、ときどき寂しくなっちゃった。たまには「女」にもなりたかったから。           *  *

■セックス不要の元カレとの奇妙な関係

 長男誕生から1年。「女」に戻りたくなった裕美子さんが連絡をとったのは元カレだった。同僚だった元カレの近況は、OL時代の友人や旦那からたびたび耳にしていたという。
 その情報を頼りに、大代表で彼の所属部署と名前を告げると、なつかしい声が電話口から響いてきた。結婚式以来じつに5年ぶりの会話だった。
「家族にじゃなくて、『男』に抱き締めてもらいたかったの。自分に『女』を感じたかったから。そうすると相手も『男』じゃなきゃダメでしょ」
 デートはドライブ。実家に戻っていた彼女は、母親に子どもを預けて、六時過ぎに自宅を出たという。
 ここ1年、ミルクだおしめだと、24時間「母親」になって子どもを世話してきた。せめて一時だけでも「女」に戻りたかった。
 高速道路を飛ばして着いた先はお台場だった。少し蒸し暑い6月、浜辺につくられたウッドデッキ沿いに二人は散歩し、アイスクリームを食べ、そして静かに抱きあった。
「もちろんうれしかった。結婚してから旦那以外の男と縁のない生活を続けていたから。
 ドキドキしたか? うーん、覚えてないな。でも、そんなに衝撃的じゃなかったと思う。新しい人ってわけじゃないし。前から知ってる男でしょ。何より『抱き締めて』って言えば、必ずそうしてくれる人だったから。やさしいし、気をつかってくれる人なのよ。 でもね、二人ともセックスをしたかったわけじゃなかったの。彼とは、そういう関係じゃないんだ。体の関係以上のものがあるというかな。
 なんかね、する気がしないのよ。『おまえとは、やりたくない』とかじゃなくて、お互いにセックスの対象じゃないの。旦那とは別の男女のあり方かな。すごくいい関係なんだよね。
 いま会っても絶対にやらない。キスぐらいはたぶんするけどさ。面白いでしょ。だからかな、たとえしばらく連絡がとれなくても、いつか絶対に会えるって思ってるの」
 その日、彼女は夜の11時に帰宅し、また24時間「母」になる生活へと戻っていった。
 この時期、彼女は四ヶ月連続で元カレに会っている。月一回のひそかな楽しみだった。

■新宿雑居ビルのとあるカップル喫茶
 しかし、元カレとは思わぬ形で寝ることになる。
「いや、本当に寝る気はなかったの。ただ、たまたま彼がカップル喫茶にはまっていたのよ。『いっしょに行ってくれ』って。私、断れない人間なんだ。場の雰囲気をこわしたくなくて、ここからはダメだと言えないのよね」
 カップル喫茶は、西武新宿駅の近くにある雑居ビルのなかにあった。ビルの一階を奥まで歩き、小さなエレベーターに乗った。
「店に入ったらカウンターが部屋に中央にあったの。縦に細長い部屋で、一応薄いカーテンでベンチごとに隔ててあるんだ。まずカウンターまで行って、そこから空いているベンチに案内してもらったんだよね。それで、まず飲み物を注文して。私はジントニックだったかな。
 ベンチに座ったら、もう横でやっているカップルが丸見え。すでに何組かいたカップルを見ながら、だれとしたいかとか話したの。そのうちキスとか始まって、それで私も彼もいろんなところに行って」

■相手が何人だったかも覚えていない
 カップル喫茶は、人によって使い方が違うという。他人の行為を見て刺激を受けたい二人もいれば、見せたいだけの男女もいる。もちろん、乱交を望む人も少なくない。
「だれが何をしたいかなんて分からないじゃない。だから、たいてい男同士で声をかけ合うの。『いい?』『交換しない?』とかね。勝手に乱入して来ない。それがマナーみたいね。
 でも、私のところは入り乱れた状態になっちゃった。もちろん最後までやったよ。女の子ともした。私がとなりの席に行って、そこの女性といっしょに男を責めたりさ。
 私が彼のをしゃぶっているところを、後ろから別の男性に入れられたり。もちろん何もしないで、そこで知り合った人と飲みながら話したりもしたよ。 彼? もちろんいつも一緒じゃないよ。彼が遠くの席でたばこ吸っているとき、私が何人かの男女に責められたりもしたから。二時間程いたかな。最後に私たちをふくめて四人残って、あんまり盛り上がっていたから、店の人が閉店時間を延長してくれたの。
 うーん、楽しかったのかというと、何とも言えないかなぁ。私は何でも断らないから、断る人が嫌なの。やるんなら、みんなでやろうよって感じ。『カップルでしてるけど、触らないで』なんて人がいると、こっちが気をつかっちゃって……。そういう意味では楽しめなかったかな。
 近くでやっているカップルがいて、女の子のお尻に触ったら、『イヤッ』とか言うのよ。見られたいけど、触られたくない女性だったみたい」
 結局はじめての浮気は、元カレをふくめ何人かの男性と女性が相手となった。相手が何人だったのかという質問には、
「もう覚えてないなぁ」
 と苦笑した。

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妻の恋【生活スタイルを守るためだけの結婚 彼氏は人生観を変えてくれた/浜口香苗(32歳)・派遣社員】

――えっ、32歳。すごく若く見られるでしょ。
「うん、見られる。頭が足りないからかな(笑)」
――でも肌もきれいですよ。
「それは化粧で隠しているから(笑)」
 打てば響く。
 まじめな答えも軽口も、こちら側の期待と場の空気を裏切らない。
 取材者として相手を笑わせることはままあるが、こちらが大笑いすることなどめったにないものだ。しかし香苗さんの取材では、最初から最後まで腹を抱えて笑いどおしだった。
 セミロングの茶髪ときめの細かい真っ白な肌は、どう見ても20代にしか見えない。その日、ピンクのニットにジーンズというカジュアルな服装だったが、長い脚と大きなひとみは十分に艶っぽかった。
「Kー1の前座試合でラウンドガールをしていた」
 という彼女の冗談をまに受けた男がいたというのもうなずける。
 ただ、真っすぐに向けられた視線の強さは、さすがに20代の女性にはない威圧感がある。自信のない男なら、ちょっと飲みに誘うことなどためらいそうな感じだ。

■引っぱり上げてくれる男がほしかった

――旦那さんとは、どうやって知り合ったの?
「同じ会社の人。もともとは友達だったの」
――旦那さんから付きあおうって言われたの?
「うん。そのときは『まぁ、いいや』と思っちゃった。だれでもよかったの。当時、すごくどん底の状態だったから。私を引っぱり上げてくれる人がほしかった。それだけでよかったのに、なんか結婚することになっちゃったのね。水面まで浮かび上がったらバイバイするつもりだったのに、そのまま巻き込まれちゃった」
――えっ、じゃあ結婚前もラブラブじゃなかったの?
「うん。付き合いだした当時でさえ、彼の一人暮らしの部屋を訪ねると、向こうは新聞を読んだり、本を読んだり、英語の勉強なんかしていた。同じ部屋にあるデスクで。
 二人で笑ったりなんてしないよ。だって、ほとんど会話ないもん。それこそテレビはNHKしか見ない人だから。話も面白くないし。
 旦那はいわゆる普通の人。曲がらずに、わき目もふらず、真っすぐに歩いてきたの。だから私とすれ違うことさえ、ほとんどないのよ。私は南半球から、彼は北半球から歩いてる感じ。それで真んなかで、ちょっとだけすれ違う。『あれ? いますれ違ったよね』って。
 生きている世界がぜんぜん違う。でも、結婚相手なら『アリ』だと思ったの。私はワガママだから、結婚後も自分の生活のリズムを崩したくなかった。だから、それがかなう相手と結婚したんだ。

■刺激はいつも家の外にある

 結婚しても、外で飲んだり、クラブに行ったり、たまに友達の家に泊まったりとかしたいじゃない。束縛されるのだけは絶対にごめんだった。もちろんいまも門限はないよ。
 さすがに旦那も不倫だけは許さないけどね。それは当たり前でしょ。
 男友達と二人で飲むときも隠さずに言うよ。
「何もないから言っていくんだよ」
 って。旦那は、
「おまえにその気がなくても男のほうは違うんだ。隙あらばと思ってるぞ」
 なんて答える。でも、みんな古い付きあいの友達なの。中学時代の友達とかは、13歳ぐらいからの知りあいよ。それに比べれば旦那とは付きあって七年、結婚して5年ぐらいでしょ。まだ新参者じゃない(笑)。
 だから文句を言う旦那に、
「おまえのほうが後から出てきたんだよ」
 って言い返すんだ。そうすると旦那も、
「そこまで言うなら行っておいでよ」
 と、あきらめるね。
 旦那としては、できれば私の夜遊びをやめさせたいとは思っているみたい。といって押さえつけたら、離婚だって私が言い出しかねないからね。
 ただ旦那に告げていく相手とは、本当に何もないのよ。ウソはついていないんだ。付きあっている彼とのことは言わないから(笑)。
 私は「事故」が起こらないタイプなのよ。シャッターを閉めるのが早いんだから。そういうところは隙がないって、よく言われるもん。
 私のガードが堅いことを知っているから、旦那も夜遊びを許しているんじゃないかな。
 結婚としては成功だと思ってる。自由だし、経済的にも不自由ないし、宝くじにうまく当たったみたい。こんな人、なかなかいないもん。
「楽しいことは、外に求めればいい」
 それだけのこと。刺激ならば家の外にいくらでもあるし。

■触られるのはノーサンキュー

 結婚前の一年間は旦那とも定期的にエッチしてたの。それでも普通の恋人に比べたら全然少ないよ。一ヶ月に一回とか。
 もともとエッチ自体が好きじゃないんだ、私。結婚してからも、彼ができるまではエッチしていた。妻の「お仕事」だと思って。それも三回に二回は断った。
「もう断れないだろう、さすがに怒るだろう」
 と思ったら、しょうがなくやるって感じ。演技して必要以上に声出したりして、早く終わらせろーって。旦那は女に慣れていないし、演技だとはわからないと思う。
 本当に気持ちいいときは私、声なんて出ないもん。自分の世界に入り込むから。旦那とのエッチで気持ちよかったことなんて、恋人時代も含めて一度としてないなぁ。
 2年前に彼氏ができてからは、旦那とは一回もしてない。もうできなくなったね。
 もともと旦那への愛がないから本当に好きな人ができたら、それさえも嫌になっちゃった。別に生活するぶんには構わないから、いっしょにベッドに入るのはOK。でも触られるのはノーサンキュー。触ってくると寝たふりしちゃうもん。ウソいびきをかいたりしちゃう(笑)。
 でもさ、夫婦なんてそんなもんだよ。だいたいね。
 といって結婚生活をあきらめたんじゃないんだよ。自分の生活スタイルを守りたいから結婚したんだもん。旦那に対しても、不満なんてひとつもないし。いや、本当に。
 旦那が面白くないのは仕方ない。そういう人間だとわかって結婚したんだから。自分が選んだ相手でしょ。

■好きでもない男と結婚してどうするの

 私の母親は好きな人と結婚したらしいから、私の結婚観を聞いて、
「本当にそれでいいの? 本当にいいの?」
 って何度も聞いてきた。
「好きでもない男と結婚してどうするの」
 ってことなんだね。
 たぶん毎日同じ時刻に帰ってくるような旦那だったら、堪らなかったろうな。海外赴任が多いのが救いなのかも。そういう職種なのも、結婚前から織り込みずみよ。もちろん赴任先には絶対に付いていかない。他人から見ると、
「子どもがいないのに、何で奥さんが来ないのか」
 と思うみたいだけど。
 結婚したときも、彼は京都に赴任していて、新婚一年目はほとんど別々に暮らしていた。式を挙げても、そのままお互い実家に帰ったからね。
 そういえば、結婚式の四日前には合コンに行った。式の日取りが決まっているなかでの合コン!
「いまから合コン行ってくる」
 っていまの旦那に言ったら、
「いいよ」
 だって。
 困ったのは新婚旅行。好きじゃない人との新婚旅行ほどムダなものはないよ。どこに行くか決めるとき、とにかく時間をつぶせる何かがなきゃダメだと。
 タヒチなんかは海しかないでしょ。夜は何もないわけじゃん。それじゃ困るのよ。だからラスベガスにしてくれと(笑)。夜はスロットでもやっていればいいから。そういう何かがなくて、ずっと一緒になんかいられないと思ったの。

■面白くしようと夫を教育したが無理

 でもね、主婦の仕事だけはきちんとやっているよ。私いまも派遣で働いているけれど、家事は手を抜かない。結婚した以上、私の責任だと思うから。これは主婦の「お仕事」だね。そういうことは、ちゃんとしてるつもり。そういうところだけはね……。
 ご飯をつくること、朝起きて旦那を送り出すこと、洗濯してアイロンをかけること――そういう「お仕事」はちゃんとやるから、私の行動に文句を言うなと。
 旦那にしたって、
「ここまで自由にしてやっているんだから、家事ぐらいしてくれ」
 と思ってるでしょう。それぐらいはしてあげないと、何のために結婚したのかわからない(笑)。そうでしょ? まぁ、最低の「お仕事」しかしない私ズルいんだろうけどね。
 旦那を面白い人にしようと思ったこともあったよ。来る日も来る日も二人でいるわけじゃない。同じ部屋で共存しているんだからさ。どうにか変えてやろうって。
 旦那が会社から帰ってくると、私から面白い話をいっぱいしてあげたの。それで旦那の話も聞いてあげたりした。でも、いっこうに奴は成長しない。無理だったな……。
 旦那は旦那で、結婚をきっかけに私を変えようと思ったらしい。とりあえず、たばこを止めさせたかったみたい。でも、無理だったけどね(笑)。
 普通の会話はするよ。社内結婚だったから、何課のだれがどうしたとか、共通の話題があるにはあるし。でも、NHK番組の小難しい話なんて私は聞きたくないし、逆に私がクラブに行った話を旦那は聞きたくないのね。
「奥さんがそういう場所に行って、いろんな男と話し込んでいるのは知りたくない」
 ってことらしい。行くのは構わないけれども話題にはするなというわけ。
 旦那の浮気? 絶対にないね。浮気できる男って面白いから。相手を楽しませる男じゃないと、浮気はできないと思うの。でも女をどうしたら楽しませてあげられるか、旦那にはわからない。だから遊べないんじゃない。逆に旦那が面白い話をできるようになったら、女ができたんでしょうね。

■恋愛と結婚の違いを知った歳の夏

「そんな結婚生活が、どうして続くの?」
 とみんなそう言う。でも、もう五年も続いているのと答えると、今度はみんな驚く。
 付き合ったのは、私の心が貧しくなっていたから。結婚の約束までしていた大好きな男といっしょになれなくなってね。
 彼は金持ちだったの。はんぱじゃない大金持ち。付きあっている最中から、彼の母親によく言われたわよ。
「おたくとウチとは身分が違うから、結婚はしないでくれ」
と。でもお互いにすごく好きだったから別れられないの。彼も親を説得したし、私もいっしょに実家にお願いにいったこともあった。でも、ダメで、ダメで、ダメで、ダメ……。ついには、相手の母親から慰謝料を渡されたよ。300万の小切手。
「これで別れてくれ。ウチの息子に言っても無理みたいだから、あなたから別れたいと言ってほしい。そうしたら息子もあきらめるから」
 そこまで言われるなら、お金も彼も要らないと思ったんだ。いまなら500万円ぐらいまで釣り上げておけばと思うよ(笑)。でも、当時は受け取ったら負けだと思ったの。
「そんなに言うなら別れます」
 ってね。もう二年間ぐらい彼と努力してきたのに、これでしょう。
「別れるのは嫌だ」
 彼はそう言ってくれた。彼の勤務先が商社だったから、イギリス転勤の話もあったの。「親を捨てて、二人でロンドンに駆け落ちしよう」
 とも言ってた。でも、もともとお金持ちの子でしょ。裕福な人生しか知らないわけよ。愛はいつか冷める。そのとき、
「おまえと結婚したおかげでカネがない」
 なんて思われたくなかったの。それで、
「別れましょう」
 って私から言ったの。
「結婚と恋愛は違うんだ」
  二四歳の夏。このとき初めてわかったんだ。

※続きは「妻の恋」(アストラ)をお読みください。

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妻の恋【もう夫から愛されることはない 私の中の積み木は音を立てて崩れた/東山悦子(35歳)・通訳】

 ビデオのなかの自分は大胆だったという。
 恋人のペニスを自らのGスポットに当てようと、下から懸命に腰を振っている。夫以外の快感を知ったばかりの悦子さんの動きはつたなかった。リズムを外し、攻められるポイントを逃してしまう。
 それでも夢中だった。快感を得ることにすべての神経を集中させ、叫び声をあげる。つま先が伸び、脚が宙をさまよう。次の瞬間、太ももの筋肉がふるえ、細く白い脚全体に力が込められた。彼女の顔は苦しそうにゆがんでいた。
 悦子さんは、自分と恋人が映っているビデオを見ながらほおを濡らした。自宅のリビングの床にペタンと座り込み、声すらあげず静かに涙をこぼしつづけたという。
「あぁ、セックスって本当に愛情に満ちあふれた行為だなぁと思ったんです。こんなに愛にあふれているんだと、男女が求め、愛し合う姿はなんて清らかで美しいんだろうって」 6年にもおよぶ夫とのセックスレスが落とした涙でもあった。
「女として体ごと愛されたかった……」
 そう真剣な顔で言ってから、照れたのだろう、彼女は視線を外してほほ笑んだ。

      *  *

■半年ぶりの再会に「今日は疲れているよね」

 セックスレスは、夫の赴任先だったニューヨークに着いた最初の夜から始まりました。半年ぶりの再会。すごく久しぶりのセックスです。
 二人ともまだ20代半ばでしたから、性欲もあるはずでした。ベッドに入って、キスはしてくれました。胸も揉まれたし、吸われもしました。 でもそこで、すべて止まってしまった。
「今日は君疲れているよね」
 まさかこの時には、それから6年間以上も夫とセックスレスが続くなんて思ってもいませんでした。
「やさしい人だなぁ」
 むしろ、そう思っていたくらい。疲れている私に気を配ってくれているんだなと。五ヶ月の乳飲み子を連れて、ニューヨークまで飛行機で移動してきた直後ですからね。
 でも次の日も、その次の日も何もありませんでした。さすがに一週間なにもないときには、どうもおかしいぞとは思っていました。
 ただ当時の夫は、朝の九時から夜中の1時・2時まで働く多忙な生活だったので、
「無理もないかな」
 とも思っていました。
 でも、仕事が忙しいだけじゃなかったんですよね。私の胸を口に含んで、夫はやめました。出産間もない私の胸は、Fカップぐらいの大きさがあったし、乳首も大きかった。子どもを育てるための体だったのです。もしかしたら女の体じゃなかったのかも。
「子どもが生まれて、自分が家庭を支えていくのかという思いがプレッシャーになった」
 以前、夫はそう話してもいました。そんな夫にとって、
「当時の私の体はどう映っていたのだろう」
 そんなことも、ついつい考えてしまうんですよ。

■初恋の純愛から理想的な結婚へ

 夫と出会ったのは学生時代です。同じ大学のスカッシュ・サークルで知り合いました。出会ってすぐに、私は夢中になりました。180センチに届きそうなほど背の高い人で、やせていて、ほんとカッコよかった。なんてすてきな人なんだろうって。まず容姿に夢中になって、それから人柄にも惹かれていって……。
 気がつけば付き合いはじめていました。夫は、私にとって初恋の人です。
 大学の4年間ずっといっしょにいました。授業もいっしょ、そのあとも私のアパートに彼が来ていっしょ。すぐに夫が自宅に帰らなくなりましたから、もうベッタリ。
 出会ったときは、処女と童貞でね。互いに初めての人でした。
 大学時代は、ほぼ毎日セックスしていたと思います。浮気なんてとんでもない。だって、ずっと一緒にいたんですから。それに彼は根がまじめな人ですから、いい加減な気持ちで女性と付き合うことはできないんです。
 社会に出る前の4年間、2人ですごした経験はとても大きなものでした。大学ではじめて触れた知的な刺激、さまざまな意見をもつ友人との付きあい、そうした中でいろいろな価値観を二人で構築していきました。 この年齢になると、もう絶対にできない経験ですよね。おかげで、まるで双子のように相手の考えていることが分かるんです。いまだに夫と意見が対立することはありません。子育てにしても、人生設計についても。
 ただ、セックスを除いてね……。 この14年間、夫が私に声を荒らげたことは一度もありません。もちろん、我慢しているわけではなく。
 それに自己評価の低かった私を、夫はいつも褒めてくれました。それがうれしかったし、自分への自信にもつながりました。
 いま、私には恋人がいますが、それでも夫のことは大好きですよ。
 若いころと比べてもちろん容姿は多少衰えたけど、それでもやっぱり好き。

■夫ほどの男性は二度とあらわれない

 総合商社で、夫は同期のトップを走って出世しています。東大卒どころか国立大でもないのに。上司からも部下からも、男女を問わずに愛されているし、努力を惜しまない人です。
 だれに対しても礼儀正しくて、言葉遣いも丁寧。正義感にあふれ、何を相談しても私が納得できる答えを返してくれる。夫は私の誇りです。いや、「誇りだった」かな(笑)。 ずっと夫のことを「パーフェクトな人」と思っていました。いまはさすがにそこまで思っていないから。でも、人生のパートナーは、やはり夫以外にはありえません。

   *  *

 旦那さんがリストラされたら、離婚を考えますか? なにげなくそう尋ねると、彼女は真顔で僕に聞き返した。
「えぇ? なんで」
 一瞬の空白のあと、彼女は笑顔で答えてくれた。
「たぶん別れないでしょう。たしかに夫が高収入で助かっています。でも私も働いているし、お金では満たされないことは知ってますから。それより働きすぎで体が心配です」
 フランス語と英語の通訳や翻訳を生業としている彼女にとって、生活のために結婚を続ける必要はない。「翻訳の事務所を辞めて夫とニューヨークで暮らしたときは、そのストレスから衝動買いもしましたよ。ミンクのコートとかブランドの貴金属とか。100万円近い商品をポンって買っちゃう。そういう品を身につけると、ホテルやレストランでの対応が変わるの。それもうれしかったのかも知れませんね。でも、気分は晴れませんでしたけれど」
 日本人にしては背も高く手足も長い彼女なら、海外ブランドのコートや貴金属もよく似合うだろう。ノースリーブからのぞく真っ白な二の腕は、すっきりと細い。網のストッキングに包まれた脚にもムダな肉はない。
 自分が太るのを許せない彼女は、運動と食事で体重をしっかりコントロールしているという。中高時代にオール五をとった生まじめさで、きちんとシェイプアップしているに違いない。

※続きは「妻の恋」(アストラ)をお読み下さい。

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妻の恋【自分自身が嫌っていた女だと知ってから 大人同士の改めての出会いだと悟るまで・山城智子(33歳)・主婦】

「男の人に対しては何も期待してないの、私。でも、女であることだけはいつも確認していたいのね」
 山城智子さんは、こちらの視線を外すことなくそう言い切った。
 学生時代、ファッション誌の読者モデルをしていたという彼女は、黒のカットソーから左右にまっすぐに伸びる鎖骨をのぞかせていた。白くて細いその首にはシルバーのアクセサリーが光る。彼氏からの贈り物だという。
「母としてだけではなく、外でも一人の女として認められたいの。私のこと、夫も子どもも大好きなのがよくわかる。でも、それが重いときがあるのね。こんなにダメな母親なのに……」

■まじめな年下の青年を育てるのも面白い
 25歳のとき、それまで勤めていた会社を辞めた。そして、再就職までのつなぎとして始めたスポーツクラブのアルバイトで、当時23歳だった現在の夫と知り合った。
 智子さんが記憶している夫の第一印象は、
「すごく掃除をきちんとやる男の子」
 だったという。
「旦那はね、大学までスポーツ一筋で生きてきた人だったの。水泳でインターハイにも出て、ユニバーシアードも。大学を卒業してからは理学療法士になろうと決意して、私が知り合ったときは専門学校の学生さん。黙々と勉強して新しい自分の夢に向かって学んでいる姿が、すごく初々しくてね。この人はお金もないし、地位も名誉も何もないただの青年だけれど、育てたら面白いかもしれない。そう感じたの。
 いまは誰からも好かれる好青年という感じだけだけれど、40、50歳になったら、すごく面白いんじゃないかって」
 アルバイトを始めて数ヶ月で付きあいが始まり、その数ヶ月後にプロポーズを受けて結婚。学生で金のなかった彼に代わり、家計を支えていたのは智子さんだった。
 まじめな彼は落ちこぼれることもなく、3年間で資格を取得して病院への就職を決めた。ほどなく智子さんは男児を出産する。
 この5年間の結婚生活は順調そのもの。彼女も浮気しようという気さえ起こらなかったという。
「若いときから不倫とかは生理的にダメだったの。結婚している男がなぜ浮気をするのって。ムシズが走るような感じ。そんな自分が今こんなことになるなんて思ってもいなかったわ」

■横浜の超高級ホテルにある中華料理店で

 しかし30歳にして、彼女の人生は予期しない別の道へと転がりはじめる。
 その相手は、高校時代からの知り合いで、兄の友人でもあった。
「結婚前も後も付きあったことはないし、キスだってしたことない人だったの。ただ誕生日プレゼントなんかは、たまにくれたりはしてたかな。商社マンで、お金を持っている人だったし。まぁ妹みたいな感じ。その人が夕食に誘ってくれたの」
 場所は、横浜の超高級ホテルにある中華料理店。
「すごい高額だけど、異常にウマかったよー」
 と彼女は笑った。
「ん? ホテルの名前は秘密よ。ふふ、某ホテル」
 イタズラっぽくはぐらかす笑みに、白くきれいに並んだ歯がこぼれる。自分を美しく見せるポイントを知っているタイプの女性のほほ笑みだと思う。
 アップから残された髪の毛がきれいな卵形の輪郭に沿って垂れ、笑うたびに揺れている。取材中なのに、なんだか彼女の笑顔に照れてしまう自分に気づいた。
               *           *

■断れなかった。死んでしまいたかった

 中華料理店のあとは、ホテルのバーへと直行したの。高層ホテルの窓の外は、ライトアップされたベイブリッジと横浜港を行き来する船が光ってた。
 でも、景色もがきれいだなんて思わなかったよ。知らない男でもないし、ドキドキもしてなかったもん。いや、カクテルはたしかにおいしかったけれどさ。
「なんか子どもを生んで、すごくきれいになったね。女は子どもを一人生むと違うんだね」
 なんて言われて……。そのときすでに12時近かったけれど、まだ私は自宅に帰れると思っていたのよ。彼が送ってくれると思ってたから。 ところが、さも当然のように言い寄ってきちゃった。
「たまにはゆっくりしていこうよ」 なんか部屋は予約されているみたいだし、どうしても断れなかった。旦那は子どもと一緒に実家に帰っていたし。
 信じられないぐらい豪華な部屋でしたよ。まぁスイートじゃないけど、ものすごい広さ。たぶん食事代や部屋代、全部合わせれば20万円ぐらいかかってたんじゃないかな。
 ただエッチもまるっきり気持ちよくなかったし、そんなに楽しくもなかった。だって、そのあとスゴイ後悔しちゃったもん。すごい落ち込んだ。もう死んじゃおうかなと思うぐらいに。
 次の日の朝はとくに最悪だった。もう泣きそうなくらい。
「私なにやってんだろう」って。

■幼いときイタズラされたトラウマ
 自分の浮気が許せなかった。そんなことを簡単にしてしまう自分が、すごく汚らわしく思えて。
 私、古傷があるの。子どものとき見知らぬ男にイタズラされた過去があって、そうでなくても男が嫌なのに、結婚している男となんて……。すべてが許せなかった。
 それなのに、私自身がそういうことをやっている。私のもっとも嫌いなことを自分でしてるじゃんって。そんな自分を受け入れられないの。「こんなの自分じゃない」
 そう心のなかで叫んでいた。
 でもね、それこそ自分だったんだよね。それが私だったの。私はだれとでも寝れちゃう女だったんだもん。そうなの、そうなの。そのとき、わかったのよ。
 あの日に、男と簡単に寝ちゃう自分を発見したことで。
 彼であろうと別の男であろうと、誘われていい気分にさせてもらって、おいしいご飯でも食べて、お酒の一杯でも飲んだら、たぶんコロッといっちゃう。そんな女なんだ、私は。そのときは、そう思っちゃった。
                *            *

■あなたは少しも悪くない
「許せない自分」との葛藤は、この日から始まった。
「汚らわしい自分を受け入れなきゃ」
 とは思う。けれども自己嫌悪は募るばかり。一時は、新興宗教の門をたたこうかと真剣に悩んだこともあったらしい。ときには死にたいとも。ただ、どうしても踏み出せない。
 そんなときに彼女が始めたのが、インターネットでのメル友探しだったという。

※続きが気になる方は「妻の恋」(アストラ)をお読み下さい。

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妻の恋/【父の面影が見えてから始まった夫の暴力・車とメールがもたらした大好きな今の自分・片桐杏子(31歳・主婦)】

 それは取材日から五ヶ月ぶりの杏子さんとの電話だった。
――彼氏できた?
「うん、新しい人と週一回ぐらいで会ってるよ」
――子どもにも会ってくれる人?
「子どもとも遊んでくれる。でも連れていくと、子どもが暴れちゃって大変。遊んでって。三人で公園に行ったりするの。アスレチックとかも近くにあるからさ」
――へー、どんな人なの? 
「特徴? 体格はいいよ。目とか口とか鼻とか、パーツは小さい。へへへ、5つ年下の26歳サラリーマン」

■11歳年上の夫とはノリが違って楽しい

――ネットで知り合ったの?
「ネットに合コン相手を募集する掲示板があって、9月に3対3で飲み会をしたの。そのときに名刺をもらって、一週間ぐらいして電話してみたんだ。それで意気投合しちゃった。四時間半ぐらいしゃべってたもん。2人で飲みに行って、私が車だったから彼の自宅まで送ってあげたのね。そうしたら部屋に上がるじゃない? で、彼の部屋に朝までいたんだ」
――あれ、子どもは?
「実家に預けてきたの。私も実家に泊まる予定になっていたんだ。最近、一週間に一度は実家に帰るようにしている。遠くもないし」
――じゃ、そのときエッチしたんだ。
「いやいや、その日は何もしてない。朝まで話して、それで終わり。本当だって。ちょうどその日は台風が来ていて、部屋を出づらい状況だったんだもん(笑)。風も雨もすごいしさ。それから付きあうようになったの。
 今年の正月休みはディズニーシーに行ってきた。ほら、いちばん人気のジェットコースターのセンター・オブ・ジ・アースに乗って、二人でギャーギャーはしゃいじゃった。
 旦那は11歳も年上じゃない。だから結婚前のデートも落ち着いちゃってたんだ。やっぱり若いいまの彼とはノリが違う。いっしょにいて楽しいもん」
――相性がいいんだね。
「彼の血液型はABで、私はB型なの。変わっているところが互いに合うんじゃないかな。彼は、頭の回転が速くて話も面白いんだ。それに2人とも毒舌なんで、笑いのツボもいっしょだし」
――どんな性格の人?
「うーん、潔癖性かな。いつ部屋に行っても、きちんと片づいているから。私、汚い人が苦手なんで、部屋がゴチャゴチャなのは嫌なの。でも、いままで付きあってきた人はみんなゴチャゴチャ。旦那も部屋を片づけない。
 彼とはファッションの趣味もいっしょなんだ。同じブランドをオソロで買ったりしている。ふふふ、携帯のストラップはね、二人でバーバリーブラックレーベルなの。生活そのものは変わっていないけれど、好きな人がいるから幸せ。これまでとは全然違う」

■ひたすら掲示板の「人妻」にメール連絡

 はじめて彼女に取材したのは2003年8月だった。 当時、私はこの取材に行き詰まりを感じていた。浮気経験のある妻たちから苦労して話を聞けても、記事の掲載許可をもらえない日々が続いていた。
 また、知人・友人たちから紹介される妻たちのタイプが似ているのも気になっていた。ある程度の成功を収めている夫、そして有り余るほどある彼女たちの時間……。 一般的に見れば、その境遇はかなり恵まれている。正直いって、夫から離れ裏切る積極的な理由もない。「ない」というのが言い過ぎならば、少なくとも部外者の私にはどうにも見えてこなかった。
 だからこそ問題の根が深いともいえるが、
「それだけに収まるような安直なまとめ方でいいのか」 という漠然とした疑問が、心の片隅でうずまいていた。 状況を打開するには、知人による紹介以外の方法で取材対象者を探すしかない。手っ取り早い方法は自分でナンパすることだった。
 ひたすら出会い系掲示板の「人妻」たちにメールを出し、取材に応じてくれるよう説得する日々が続いた。
「まぁ取材といっても、写真も撮らないので、レストランで雑談するって感じです。だいたいガンガン食べて笑って、少しだけ真剣に考えてもらって終了ですね」
 こんな誘い文句を含んだメールを私は一日に何通か送っていた。そのとき返事をくれた一人が、杏子さんである。

■5つは若く見える杏子の照れたような笑顔

「メールありがとうございます。杏子です。取材してるんですね! なんかそういうのって初めてなのでびっくりです。なんか面白そうだなって、好奇心くすぐられちゃいました~。
 いいですよ~取材! 私でよければお役に立ちたいです。特技は、笑わせること? ですか。いいですね~ どうやって笑わせるのか期待してま~す」
 返事すらもらえない日々が続いていただけに、彼女のメールは本当にうれしかった。メールの柔らかな文体にも何やらホッとさせられた。
 それから二週間後、彼女の最寄り駅である埼玉県のJR西川口駅改札付近で待ち合わせた。
 時間どおり携帯が鳴り、照れたように笑う彼女がそこにいた。少し明るめの茶髪と大きな目が印象的で、とても27歳には見えない。せいぜい25歳ぐらいだろうか。 僕は来てくれたお礼を述べ、メールで2歳ほど年をごまかしたことを謝罪した。少しでも返答率を上げようという苦肉の策だったが、若く見える彼女に申しわけなく思ったからだ。
「ははは、いいですよ。私もサバ読んでますから。本当は30ですもん」
「えっ」
 と声をあげて、私はことばを飲み込んでしまった。その数分後には、彼女に子どもがいることを知らされて、もっと驚くのだが。

        *           *

■はじめはラブラブだったのに

 旦那と知り合ったのは26歳のとき。25歳のときから私キャバクラで働いていたから、そこで。旦那は11歳年上だから、当時は37歳か。
 ちょっと唐沢寿明に似ていて、見た目が私のタイプだった。やさしいし雰囲気もあって、話していても気が合ったんだ。会って10分ぐらいで好きになってた。すぐに付きあって結婚して、そして子どもできて、すごくラブラブだったんだよ。
 だから、それからの私は旦那しか見えなくなっちゃった。
「ちょっと飲み会に行ってくる」
 と旦那に言われても、
「行ってらっしゃい」
 とは言えなかったんだもん。
「早く帰ってきて」とか「電話して」とかさ、旦那は面倒くさそうに聞いているだけなの。それがまた、私をいら立たせるんだよね。
 当時は、もう本当に旦那だけ。39歳のときに旦那が会社を辞めたの。12年勤めてた食品メーカー。
「いまの会社では、自分の将来性がなくなった」
 なんて言って。私には1歳の子どもがいるでしょ。だから、すぐにでも働いてほしかったの。せめてバイトぐらいはして欲しかった。でも当時の旦那はずっと遊んでばかりいた。
「退職金も出たから、カネもあるし」
 ってさ。仕事を見つけるどころか、アルバイトを探そうともしないで、毎日ゴロゴロして。暇さえあればパチンコに行くんだ。
 私には、その態度が絶対許せなかった。忘れていたはずの自分の父親の姿がすぐに頭に浮かんできたから。

■髪を引っぱられて引きずり倒されて

 父親はいわゆる土地成金だったのよ。いきなり土地が売れて小金をもったら働かなくなっちゃって。田舎で外車を乗り回して、海外に足しげく旅行したりして。あげくの果てには、飲み屋の女にそそのかされて、財産すべて持ち逃げして、女との家を遠くに買っちゃって。私が高校生のときかな。
 それからは、お母さんが働きに出て家計を支えてくれたんだ。だから、いい加減な男は許せない。
 でも当時の旦那も、会社を辞めてイライラしていたんだと思う。私はその態度に腹が立ったし、旦那を束縛しようとしつづけていたの。おかげで、ちょっとしたことで大ゲンカになっちゃう。
 きっかけは、デパートのエスカレーター。駐車場に向かおうとして、ベビーカーを載せようとしたら手間取っちゃったんだ。でも、旦那は手を貸そうともしてくれない。降りてから、
「なんで手伝わないの」
 って私がガンガン文句を言ったの、もともと私イライラしてたから。そうしたら駐車場で旦那がキレまくった。
 私の髪の毛を引っぱって、引きずり倒して、寝っ転がっているところを蹴られたの。必死だったから、よく覚えてないなぁ。でも、おなかとか頭とかボコボコにけられたと思う。そんなに殴られたのは生まれてはじめて。
 でも、殴られたのはその時だけじゃないよ。それから一年後ぐらいに、もっと激しいケンカをしてるから。
 そのときも旦那は、仕事がうまくいかなくてイライラしてたの。当時、知り合いから誘われて、健康食品の営業をしていたんだけどね。ほかの社員の年齢が高くて、人間関係で悩んでいたみたい。
殴られて向かっていってまた殴られ
 そのケンカのきっかけ? もう思い出せないなぁ。きっと些細なことだったと思うよ。
 最初、私が怒ったの。その口調に旦那が怒ったんだよね。
「なんだ、その口のきき方は!」
 って、旦那またキレちゃった。
 突き飛ばされて、寝っ転がっているところを上からボコボコに。私も気が強いから、殴られても向かっていくじゃない。そうすると、また殴られる。平気で頭とかさ。それでも怒りが収まらなかったらしくて、こぶしで部屋の壁を殴って、大きな穴を開けちゃった。
 私のほうは全身アザだらけ。どうしてか分からないけれど、気がついたら薬指がはれて、右のほうに曲がってた。治るのに数ヶ月かかったよ。
「いったん怒り出すと、頭が真っ白になる」
 冷静になると旦那はそんなことを言う。きっと、旦那は私の口調にキレるんだよね。一一歳年上でしょ。だから私に何か言われると、
「俺を見下してるのか」
 なんて思うんじゃないかなぁ。柔らかい女らしい口調で、いつも甘やかして欲しいみたい。
 さすがにこのケンカでは私も離婚を考えたよ。だから義母を訪ねた。そうしたら息子のほうをかばい立てするんだ。
「私は、暴力よりも浮気のほうが許せないけどねぇ」
 夫の暴力ぐらい我慢しろっていうくらいの口ぶりだった。
 同じ女として、義母ならばかばってくれるかもと思って彼の実家を訪ねたのに……。義母は息子オンリーなの。これではもうダメだなって。

※つづきは『妻の恋』(アストラ)をお読み下さい。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/申し入れ 国労50年 二次結果

■月刊「記録」1996年12月号掲載記事

*         *          *

○月×日

 遂に動き出した。衝撃が走った。事態は一気に緊迫してきたといっても過言ではないだろう。
 既に新聞・テレビ等の報道でも明らかなように、国労はJR各社へ話し合いによる「和解」の申し入れを行った。民営10年目にして、紛争(1047名の不採用問題)の全面解決と労使関係正常化を計り、これまでの対決姿勢を180度転換するという「重大なる決断と認識」に立って臨んだのである。
 これまでにも度々、話し合いによる解決を申し入れてきたが、JR東日本をはじめ一切応じてもらえなかったという経緯がある。しかし今回は政府も橋本総理が労働省・運輸省にゴーサインを出し、永井労働大臣(国労出身)を中心として「政・労・使」の話し合いによるテーブル作りに本腰を入れ動き出したというものだ。
 私はようやくここまで漕ぎ着けたのかと安堵すると同時に、安易な妥協は認められないという複雑な気持ちが入り交じった。「和解」というからには、国労側が相当部分で譲歩し折れるのはいうまでもない。強硬派は早速、完全勝利を叫び、「組合員不在の全国代表者会議決定は認められない」とか、「本部役員の命はない」などと、何やら物騒なことまで叫びつつ、息まいている。
 がしかし、よくよく考えるとやはり「和解」に持ち込むべきだと私は思うのだ。「タコ!ナメクジ!!軟弱者!!」などと言われようが強くそう思う。周りが大騒ぎしないで、一番弱い立場にある闘争団の仲間達が納得のいく内容であればそれでいい。人道上の見地からも早急に「和解」を実現してほしい。今や闘争団の高齢化も進み、無念にも既に9名の仲間が亡くなっているのだ。裁判などでいたずらに紛争を長期化させてはならないと心底思う。
 さて、JR各社の申し入れへの対応はどうだったかである。西日本、東海、四国、九州の4社は基本的に受け入れ理解を示したのに対し、東日本、北海道、貨物の3社は門前払いのところまであり、「裁判で解決するのが一番明確」と断固拒否という旧態依然の非常識な態度に終始している。
 ある程度予想はしていたものの、これでは「東はツヨイ」と西の横綱・曙も言うたに違いない。片や東労組(JR総連)は、東日本の松田社長と一体となり「国労のゴネ得は許さない」と発言している。裏を返せば危機感を募らせているのがありありだ。
 永井労働大臣によれば、「一部に、改革当時に協力した人との不公平を言う人がいるが、1047人はこの10年間、路頭に迷った。これで、広域採用に応じた人との差はついていると思う。この10年間、大きなハンデを背負ってきたと思う」と、さすがにまともな見識を述べておられる。また、国労と政府の会見では、「総選挙後新しい内閣になっても、事務方を含めて、解決すべき問題として引き継ぐことにする」と、解散で雲散霧消にならないよう確認したということだ。
 しかしJR東日本などの対応を見る限り、まだまだ不透明で厳しい道のりのようだが、JRは「人にやさしい、人間尊重」を謳う企業である。いつまでも人権を踏み躙るような横暴は許されるものではない。ますます孤立を深める結果になるのは目に見えているではないか。「ゴネている場合ではない」と、私はそのままそっくり言い返してやりたい。
 不当解雇撤回、1047名のJR復帰を強く求めるものである。

○月×日

 国労にも「綱領」というものがある。それは10項目から成っている。「われわれは、・・・・をめざして闘う。われわれは、・・・・しながら闘う」と、列記してあるのは闘うということばかりだ。闘うことが国鉄労働組合の使命なのである。
 私は先に、「国労は、これまでの対決姿勢を180度転換する」と書いた。各マスコミも「国労の路線転換」と一斉に報じていたが、ちょっと違うようだ。組合の集会によると、現在の会社の国労敵視の労務政策について「改善せよ」と申し入れたものであり、紛争全面解決に向けて闘いをより強化するというのが正しい解釈のようである。何だかよく分からないが、そういうことだ。
 労働組合としての闘いの活動は当然あり得るのだから、闘うと言われれば「うむ」と納得してしまうが、私には難しくて分かりにくいことが多過ぎる。
 国労は今年で結成50年を迎えたという。闘いの歴史を振り返ると、常に国の政治、経済の動向と密接に関わり、国家権力を背景とした闘いが大半を占めると総括されている。人生50年といわれた時代もあったが、正に人間の一生に匹敵するほど重く、人間としての尊厳を賭けた闘いであったと、いま私は確信する。
 これでは何だかとてつもなく大袈裟で、職場の中の闘いとはあまりにも掛け離れすぎていると思ってしまうが、誇張ではなく実際そうなのだ。しかし、みなつながっているのである。したがって、選挙も欠かさず投票してきたが、昨今のどん詰まり的な政治状況も、私には難しくて分かりにくいことが多過ぎる。
 コトが、対国家、政治上の問題となると、雲の上の話のように感じることがある。「オレには関係ないや」と。おエライさん同士のさまざまな折衝があり、相当な駆け引き、テクニック等も要求されるはずだ。となると、私の出る幕などこれっぽっちもないが、私は見極めたい。国労組合員である以上無関心ではいられない。
 それにしても困ったもので、私の頭では許容できる限度というものがある。例えば私達職場の労働条件改善要求である、「社員食堂を設置してもらいたい」などならよく解るが、とにかく私には難しくて分かりにくいことが多過ぎるのだ。

○月×日

「業務連絡、車掌は直ちに電話にかかってください」と、運転士から車内アナウンスがあった。指令から車掌への伝達事項の無線が入ったが、車掌は乗務員室を空けていたので運転士が無線を受けた。その内容を車掌に知らせるために車内アナウンスを発したのだ。私はそのとき特急列車「かいじ」で検札中だった。
 うちの車掌区の担当は中央線、東京・高尾間のいわゆるE電区間のオレンジ色電車が主だが、優等列車である特急「かいじ」を新宿・甲府間上り下り1本だけ受け持っているのだ。
 車掌になったからには誰もが1度は特急列車に乗務したいと憧れるものだ。ダブルの制服、夏は白の麻服と身も心もビシッと引き締まり、何となくカッチョイイが、私はもともと自分のことをカッコ悪いと認識しているので、紺のダブルならまだしも白の上下など死んでもイヤだと全速力で逃げ出したいくらいだ。
 うちは200人からなる車掌区のうち「かいじ」に乗務しているものは30人ほどだが、他労組ばかりで国労はたったの1人しかいない。私ではない。すべてに優秀なIさんだ。これも国労差別として「平等に配置すべき、是正しろ」と何年も前から申し入れしているが、一向に改善されていない。
 ならばなぜ、サイテイの私が「かいじ」に乗務しているのだろう。実はコレ、正規の乗務とは少し異なるのだ。「かいじ」の車掌は2人乗務となっている。列車最後部の乗務員室に1人、中間グリーン車の乗務員室に1人だ。私はその2人の中の1人ではなく、検札だけを命ぜられたお手伝い要員、お助けマンなのである。
 この日の担当お助けマンが休んだため、急きょ私に回ってきただけのことである。なぜ私なのかは知る由もない。ただ会社からいいように使われているだけと理解すればよろしいかと思う。
 さて、私は「お客様一人ひとりの出会いを大切にしたサービスで」というJR東日本平成8年度基本方針を肝に銘じながら、黙々と検札に精を出していた。すると「業務連絡……」があったわけである。「はて?」と私は一瞬戸惑った。これは私への用ではない。正規の担当車掌2人への連絡なのである。それでも「電話へ向かうふりくらいした方がいいのかな」などと思ったが、結局馬の耳に念仏よろしく、われ関せずで検札を続行した。
「電話にかかれって言ってますよ、車掌さん」とおっしゃる乗客はいなかったが、なかには応じぬ私をヘンに思った方もいるかもしれない。実は私自身ちょっぴりヘンな気分だったのだ。「オレって車掌?…だよな」と。
○月×日

 もう誰とも会いたくない。喋るのもイヤだ。分かっていながら、微かな望みを捨て切れぬ愚かな私だった。
 出勤したら主席助役に呼ばれた。「斎藤さん、二次の結果だが、ダメだったよ、頑張ってるの分かってるんだけどね」。不意をつかれた強烈なパンチだった。それでも私はショックを精一杯堪え、「また1年ですか」と一言だけ言い、一礼して退室した。
 大バカな私は、万が一受かったら主席に言うことまで考えていたのだ。「合格はご辞退申し上げます。時期尚早、私はまだ若い。次点の仲間にお譲り下され」と。国労の団結強化と、己の労働者意識を更に高揚させるためにだ。なんちゃって、嘘、嘘、ウソです。心底受かりたかったのだ。グスン。しかし、落ちて当然だ。私はこうして会社を批判している人間なのである。受かるわけがないのだ。『記録』のこともきっと筒抜けなのだろう。 やけに長かった1日の勤務を終え、「飲むしかないな」とウイスキーを呷った。琥珀色の大海原にどっぷり浸ると、怒りと苦悩が波のように押し寄せては引いていった。後はもう、舟を漕いで沈没するだけである。「どうせオレはサイテイだ、お前なんか大っキライだ」。

○月×日

 休みだった。仕事のことは忘れてリフレッシュしたいと思った。先日何年ぶりかでタイヤを交換したので「一丁、転がしてみるか」と外へ出た。
 自慢ではないが、私は何十年と無事故を貫き通してきたのである。運転はお手のものだ。それにしてもナカナカ調子がいい。さすがブリヂストンタイヤだ。あの信号を右折してあそこの路地へ入るとしよう。自動車進入禁止の標識があるが構わない。どこへでもスイスイ行ってしまう。ベリィ・グゥ。新品のタイヤは乗り心地がやっぱり違う。抜群だね。よしよし、いいぞ私の自転車。いいヤツだ。
 さて、別に行くあてなどなかった。清々しい郊外の空気を求めてペダルを漕いでいた。爽やかな風に吹かれてひたすら西へと進んでいたのだが、ついウッカリ左折して南に向かってしまった。イケナイ、イケナイ、もう少しで危うく中央線にぶち当たるところだった。まっぴらだよ。仕事のことは忘れたい!! なのだから。
 しかし、こうして武蔵野台地大横断を悠々閑々断固決行していてたら、ふと驚く事実に直面してしまった。「ウーム」と唸ると同時に尻込みせざるを得なかった。住いのある武蔵野市から、小金井市、小平市、国分寺市と突き進んで行ったわけだが、どの街へ行ってもある、ある、アル。私の会社、JRがあるのである。がんじがらめだ。私は完全に包囲されている。もはや逃れることはできない。これでは仕事を忘れてリフレッシュどころではない。
 私はうなだれながら「しょうがない、家の中が一番いいか」とスバヤク引き返したが、この家とてJRの社宅なのだった。ケッ。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/リハーサル 新潟 拉致監禁

■月刊「記録」1996年11月号掲載記事

*         *          *

○月×日

 こんなことまでしなくていいのにと思うが、二次試験の面接のリハーサルということで勤務終了後に区長室に行かされた。
 まず、ドアのノックの仕方、おじぎ・挨拶の仕方、着席の仕方、受け答えの仕方と、「仕方関係」を重大事のように教わり、実際に区長の前で一通り練習した。「背筋を伸ばして」「頭をもっと深く下げて」とか、「そのナメクジ声にメリハリをつけて」と、事細かく注意されながらやったのだが、このようなことは大の苦手なので疲れることこの上ない。
 また、40問ほどの面接想定質問事項のプリントがあらかじめ渡されており、よく頭に入れておくようにとのことだった。一夜漬けの丸暗記、しかもその場限りで忘れてしまう無意味なことをやるのもツライなと思う。
 JRのクレジットカード「ビューカード」に入っているかは必ず聞かれるから、しっかり答えられるようにとも釘をさされた。入っている、いないは手元の資料ですぐ分かる。「試験に受かったら入る」などという冗談は通じまい。アレコレ悩んでしまうが、まだ1週間以上も先のことだから何とかなるだろう。
 それにしても、内心不安になっていく弱い自分にハッとする。ようやく一次試験にパスしたのだから、二次はなんとしてでもここでクリアしたいというのは正直な気持ちだ。受かるにはどうすればいいのかは歴然としている。試験の点数などではない。本当は一番重要だと思われる、仕事ができるできないは関係ないのだ。要は、会社にどれだけ限りない忠誠心があるかが問題なのである。 「ウソも方便、ここまできたら何でもハイハイと言ってりゃいいのさ」と、昨年受かった同僚の顔が浮かんだ。こんなことにまで人間としての素直な良心と葛藤しなきゃならんのか。いったい、いつまでが闘いなんだろう。私はぐったり疲れて、情けない気持ちで区長室を後にした。
 家に帰って、グラスを片手にプリントに目を通してみた。やっぱり、こんなことまでしなくてもいいのに、としか思えなかった。新サンマに添えられた辛い大根を口にしながら、「暑い夏は来年もやってくるのだ」と呟き、ドボドボとウイスキーをグラスに注いだ。

○月×日

 早朝4時の電話で目が覚めた。お義母さんが危篤という連絡だった。一刻も早くと、準備もそこそこに、家族全員新幹線の初電で新潟の病院へ向かった。生きていて欲しいとただただ祈りながら、込み上げる哀しみと悔しさを精一杯堪えての重く長い車中だった。
 遅かった。間に合わなかった。永遠の眠りに就いた後だった。嫌だ、もう嫌だ、こんなのイヤだ。
 お義母さんは素晴らしい人だった。とてもいい人だった。いつも明るく優しくて、自分の利害など一切考えずに他人に心底尽くす人だった。面倒見のいい、ほんとうに素晴らしい人だった。
 お葬式と面接試験の日程がぴったりと重なってしまった。会社の計らいで当初の4日後の最終日に設定してもらい、3日間の忌引のところを6日間休ませていただいた。できる限りの手伝いを終えて帰途についた。お義母さんはこの先、私の心の中で生き続ける。輝きこそすれ色褪せることは決してない。
 東京へ戻ると、いつの間にか夏は終わっていた。行きの半袖姿のままの私の周りを、ヒンヤリとした風が嘲笑うかのように通り過ぎていった。

○月×日

 散々だった。お葬式から帰ったばかりだから、というのは理由にならない。あらかじめ渡されていた40問の質問事項のプリントも、当日朝にコーヒーを啜りながら10分ほど目を通しただけ。もう当たって砕けろだった。
 ○○課長代理、△△副所長ら、おエライさん3人の面接試験官を前に、私はやや緊張気味に着席した。試験官はまず初めに、「この面接に向けてどんなことをやってきましたか」と聞いてきた。私は正直に区長とリハーサルをしたと答え、さらに「プリントをしっかり勉強して参りました」などと思わず言ってしまった。「ウソも方便」という同僚の教えに、やはり正直に従ったのだ。ん?
 私がそう言ったからかどうかは判らないが、プリントからはわずか4問ほどしか聞かれなかった。丸暗記してきたとでも思われたのだろうか。そういうことならば意地の悪い試験官だが、私は内心「助かった」とホッと安堵していた。なかには「ほとんど聞かれたよオレ」という人もいたからだ。
 しかし私は、JR東日本の「綱領」を聞かれた時にはシドロモドロになってしまったのだ。「綱領」は三つある。
 一つ、安全の確保は、輸送の生命である。
 一つ、規程の遵守が、安全の基礎である。
 一つ、執務の厳正は、安全の要件である。
と、今ならこのようにスラスラ言えるのに、その場では何を血迷ったのか、何と国鉄時代の「綱領」とごちゃまぜに答えていた。
 一つ、安全の確保は、輸送業務の最大の使命である、と。内容は同じだが言い方が微妙に異なっている。「意識改革できていないな。キミは未だに国鉄マンだ」といわれそうだが、今となってはここが運命の別れ道のような気がしてならない。この後は、ほとんどが答えられないことばかりだった。
「社内報は読んでますか」と聞かれ、実際よく読んでいるので「ハイ、よく読んでいます」と答えたものの、「では、営業収益はいくらと書いてありましたか」とくる。分からない、答えられない。何兆何千何百何十億円などという、私にとってそんな天文学的な数字などは覚えていない。
 いずれにせよ、約20分の面接時間で私の口から発せられた言葉のほとんどは「わかりません」「忘れました」だった。もはや結果は歴然だ。それでも私は「これでいいのだ」とサバサバした気持ちだった。お葬式は一度きりだが試験はまた来年もあるものね。やっぱりオレって、大器晩成なのかな……。

○月×日

「白昼堂々、拉致・監禁」。このような信じられないことがJRの職場では度々起こるのだから恐ろしい。なんとも大人気ないが事実なのだ。
 ことは高崎車掌区での事件だ。東労組の新人車掌3人が8月1日付で国労加入という勇気ある決断をした。国労はさっそく歓迎会を開催し、予想される嫌がらせに対して、会社としてもキチンと対応するよう申し入れたのはいうまでもない。
 当然のように東労組は、革マル派の本性を剥き出しにして、若い3人に対して卑劣きわまりない奪還行動を展開した。どんなことをしたかというと、乗務前、乗務後のホームに連日4・50人もの東労組の動員者を待機させ、取り囲んだり発車ベルを押させなかったり、また乗務中の車掌室へ代わる代わる入り込んでチョッカイを出すなどの業務妨害、さらに宿泊施設内でも「話がある」などと睡眠をとらせず、24時間付きまとい、罵声・暴言による恫喝を行ったのだ。 挙げ句の果てには、むりやり腕を抱えて東労組事務所へ拉致し、「オメエの将来がどうなってもいいんだな」などと監禁したというものである。 このように3人を精神的・肉体的にも追い詰めて、結局は力ずくで再び東労組に加入させるという暴挙だった。3人の決意が固いために、手段を選ばぬ暴力的な攻撃で復帰させたわけだが、彼らの心までは取り戻せないだろう。また、会社側はといえば、こうした一連の東労組のやり方を見て見ぬふりの黙認するという呆れた無責任ぶりであった。
 3人には大変気の毒なことだったが、東労組を脱退するとこうなるのだということを目の当たりにした他の若い同僚達は、さぞビビッたに違いない。しかし、今回の事件により彼らは会社と東労組のえげつない本性を深く心に刻み込んだ。若い良心はだんだんと離れて行くことだろう。
 これからのある3人は、これにめげずに逞しく成長されることを願う。さあ、明日も明るく元気に出発進行だ。共に闘おう。

○月×日

 わが国労、大幹部である小島中央闘争委員による講演があった。興味深い発言は次の通り。
「JRの弱点は、松崎=内ゲバ暴力集団をパートナーにして労使協調組合を作ったこと。しかも、革マルが会社の恥部を握って、会社はこの関係を切れなくなってしまっている。松崎との関係を整理できない。だが整理しなければ自分達が危ないので、距離を置こうとしたら列車妨害がおきた。誰がやったのかは確証はない。しかし皆分かっている。また、これによって政府の側にはJR東日本が革マルに牛耳られている会社だということが印象づけられてしまった」
「何年か前から、JR東労組が会社ともめる度に防護無線が押されて列車が止まった。労使ともども、冬場の乗客の着膨れが原因などとうそぶいていたが、事実上の順法闘争をやっていたという見方が公安関係者の常識となっている」
「国家権力は、会社(JR東日本)の経営陣は革マルに操られていると認識している。公安調査庁や内閣調査資料室の内部資料を見ると、国労は、『労働組合法に基づき、JR社員などで構成される合法的な労働組合』だが、JR総連(東労組)は、『破壊活動防止法の調査対象団体である革マル派が事実上の影響力を行使する政治主義的色彩が濃い労働組合』と規定されるようになった」
「花崎常務はかつて、『松(松崎さんのこと)は革マルじゃないという話も出ているが、そうに(革マルに)決まっているじゃないか。会社が松は革じゃないなどとは一度も言っていない。共産党や協会派と闘わせるには、革マルを使うしかないというのが会社の判断だ』と語ったことがある」
「会社の中枢にいる赤門出のエリート官僚は、今のままでは自分達を守れないと思っている。ちなみに取締役会では『松田社長は北大、力村東京地域本社社長は都立大、そして原山副社長は東北大卒業と、揃いもそろって能無しの田舎大学出だ』とひそかに陰口を叩かれている。『東大出でなければ人にあらず』という国鉄官僚の輝かしい伝統は、JRになってからも本社の中で燦然と輝いている。列車妨害によって、よもや死亡事故などが発生すれば経営陣はすぐに更迭される。キャリア組にとってはそれは困る。政治生命が絶たれない道はただ一つ。田舎大学出の会社首脳陣に尻拭いをさせ、泥を被せるということだ……」
 と、キリがないのでこれくらいで止めよう。私達一般組合員は、このような内部に斬り込んだ話は滅多に聞くことがない。
 ただ、どこからともなくの噂で、なんとなくそのように理解はしているものの、「ウーム、ホントにそうなのかなあ」と考え込んでしまうのだ。しかし、今やJR東日本の実質的な社長は松田さんではなく、同じ松の松崎さんであるという認識は国労組合員で一致している。
(■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/過激派 ヒマワリ 1次合格

■月刊「記録」1996年10月号掲載記事

*           *            *

○月×日

 そりゃあ私だって、身内である社内から犯人が出たら悲しくて情けないことだと強く思う。なにも望んでいるわけではない。あくまでも「もし仮に」ということである。
 JR東日本の社員数は約8万人である。これだけ大勢いれば、私以上にヘンな人も必ずいるだろう。警察官や教師でさえ社会的倫理が問われる事件を起こし、追放されることがあるのだから。
 しかし、時と場合によっては非常識が常識としてまかり通ることがある。力関係による支配ではこのようなことが起こりやすい。いじめや暴力といった幼稚なガキ集団がしでかす悪事が、大人社会においても平然となされる。愚かなことだと泣けてくる。
 さて、列車妨害の事情聴取だが、報道によれば、警察当局は二つの過激派が機関紙などで非難合戦を繰り広げたことに関心を寄せているという。中核派が「JR東労組幹部の指示で革マル派などが実行した列車妨害テロだ」と主張すると、革マル派は「国家権力内反動分子が行った一大鉄道謀略であり、中核派を使って我々の犯行だというデマを流させた」と反論しているというのだ。
 何やら物騒な話だが、JRと過激派が関係あるということカナ? うむ。知らない人が聞いたら恐ろしさのあまり気絶されるかもしれない。だが、JR社員なら国鉄時代から動労は革マルと認識しているのだ。動労主導により組織された現JR総連・東労組は当然のように動労(革マル)が牛耳り、JR東日本会社と癒着構造にあるというのは周知の事実で、批判・危惧されていることである。実際、私の住む住宅にも時々過激派の機関紙が舞い込んでくる。最近は特に多い。やはり残念だが関係があるのだろう。
 職場では東労組の組合掲示板に、防護無線機の盗難があった三鷹電車区での「事情聴取の疑問と不満」と題した機関紙が掲示された。東労組組合員の声や見解が書いてある。
「捜査に協力するつもりでいたのに、なぜ我々が疑わなければならないのか」「初めは業務内容が中心の聴取だったが、プライバシーもアリバイだといわれて家族構成から友人関係まで根掘り葉掘りで頭にきた」「盗難の問題から大きくかけ離れた職場集会の内容、組合員や活動家の行動パターン、松崎明東労組会長のことなど、組合のことばかり聴かれた」「『今まで私達(警察)は職場(JR)に入ることができなかったが、今回(この盗難事件で)入ることができた。組合(東労組)のことをもっとよく知りたい』とまでハッキリ言われた」など。これは明らかに組合への「組織介入」であり、今こそ警戒心を高めよう、というものだった。
 私が電車区の仲間から聞いたことと同じで「まったくその通り」と頷いてしまうが、東労組はいつもこうして一応は怒りを表明する。ところが、結局は何でもハイハイと労使強調を決め込み、「これで、今まで以上に会社との信頼関係が深まった」などとさっぱり訳の分からないことをいうのである。闘うことをすぐ放棄してしまうから、私達の労働強化を生み出す結果になるのではないのか。それとも東労組は国労よりオトナなのだろうか。 聴取時間は40分から1時間、長い人で2~3時間、中には5時間におよぶ人もいたという。余談だが、この時間は超過勤務手当てとしてJRから支払われる。「事情聴取」でお金が貰えるなどほかにあるのだろうか。いかにもわが社(JR)的といえる。
 私の車掌区の14名の聴取もほぼ終わった。変わった話では、事件当日早朝4時頃に40~50人の集団が目撃されたという証言があり、ホームや車内あるいは現場でそのような不審者を見なかったか、と聴かれたという。ヘンな話だ。たかが手のひらに乗るような無線機4台を盗むには大勢すぎるし、目立つではないか。
 まあ、警察はあらゆる角度から捜査しているのだろうが、素人の私にはさっぱり。ナゾは深まり、酒の量が増えるばかりである。

○月×日

「マスコミ市民」というメディア批評の月刊誌がある。7月号を広げたら「時代はファシズム、阻むのはたたかう民主主義」という衝撃的なタイトルで、JR東労組会長である松崎明氏の投稿が載っていたので大変興味深く拝読した。
 氏によると「この国は戦争の道へ突き進み非常に危険な状況にある」という。小選挙区制、破防法、沖縄米軍基地、住専、エイズ、消費税といった今日の危機的問題を鋭く分析しながら、最後には「国は何としてでも憲法を変えて、外国に軍隊を送ろうと言い出す。……国家とは支配者階級の利益を代表すること。戦争とは支配者の利益のために貧乏人を犠牲にすること。どんなきれいごとをいったってそういうことだ。……私は命を賭ける。……いまノーと言える大人の責任において、ノーと言えない子ども達を戦場へ送らせないためにたたかう。残された時間はそう多くはない」と述べている。
 説得力があり、どことなく魅力のある人だ。単純な私は、その力強さにアツクなりグイグイに引き込まれてしまった。もちろんJR東労組の会長だからして、防護無線機盗難についても述べている。「内部犯行説の序幕が切って落とされた」というドラマチックな切り出しで。 「国鉄・JRを愛し、血と涙で改革を進めている者が、列車妨害などするはずもない。……国労や中核派などによる内部犯行説もそれなりの根拠を持つとは言えなくはないが、私は国労にそれほどの力があるとは思わない。したがって内部犯行説の立場には立たない。……これだけ頻発する列車妨害事件の真犯人が逮捕されていないとすれば、それは松川事件と同質の謀略的な攻撃であるとみなければならない」と。
 まったくその通り。私は氏の前に跪き拝みたくなってしまう。国労には力がない。試験も受からず金までない。 氏はJR移行期に闘う組合の方針を180度転換し労使協調の道を選んだ。私達は驚きました。当時、鬼の動労といわれた委員長として、大変辛い選択だったろうと誰もが思っている。「北海道の仲間達が、連絡船に乗って、生まれ育った地に別れを告げる思い。……この海峡の彼方に幸せがあるかどうかわからない。……ある方は両親を、ある方はせっかくつくった家を、場合によっては先祖の墓まで置いて関東へ旅立たざるをえなかった。……それは文学でも表現できない、経験した者のみが理解できる本当の苦しみであったと思う」と、氏が記したとおりで、思い出すだけで気の毒で泣けてくる。
 しかし、私達国労の場合はどうだろう。差別どころではない。労働者としてもう後に何も残らない最終的手段、クビにされているのだ。たいへん立派な氏が片棒を担いだも同然ではないか。国労には力がないと認識しているのであれば、私達のことは構わんでほしい。東労組の機関紙には国労の悪口ばかりだ。裏を返せば、国労に危機感を抱いているからだろう。私は揚げ足を取る気など毛頭ないが、ちょっと前に、列車妨害事件は「国労が絡む内部犯行」とした氏の発言を記憶している。
 私はチラッと思い出し、何十年ぶりかで岡林信康のレコードをターンテーブルに乗せてみた。「何をやっても、やることなすことが、見ぬかれているのだ、みんな裏目に出てしまう、奴らをたおそうと、身をすりへらして、やればやるだけ、奴らをふとらせてしまう」。コペルニクス的転回のすすめというタイトルである。心を込めて氏に捧げたい。

○月×日

 ゴッホのヒマワリは有名だが、わが家のは5本のヒマワリだ。部屋の窓から外を見ると、3メートルの丈にまで成長し、濃い黄色の大輪が真夏の強烈な日差しの中で見事に映えている。
 毎年春、ベランダの下に種を植えるのだ。秋になると、スズメと同じくらいの大きさで深緑色した河原鶸(ル カワラヒワ)という野鳥が枯れたヒマワリの種に群がり、そのさえずりがまた上品で心地良い。
 ベランダには1人分の洗濯物がゆらゆら揺れている。ひと夏ですっかりくたびれた白いポロシャツ、そしてGパン。靴下、下着とバスタオル。妻と子ども達は田舎の新潟へ出掛けて留守なのだ。夏の初めに、とても元気だったお義母さんが突然寝込んだ。「悪性リンパ腫」と診断され、1ヶ月もつかどうかという。夏休みの計画はすべてキャンセルし、妻は休みのたびに出掛けている。
 こうして1人でぼんやりしていると、さまざまな思いが頭をよぎる。なんて無情なことだろう。一生懸命まじめに生きてきた人にこんな惨い仕打ちとはどういうことだ。「仕方ない」「しょうがない」などと曖昧な言葉で片付けたくない。奇跡を祈る。
 私は三鷹から東京、そして東京から高尾、高尾から三鷹の一回りの乗務が約2時間半。上越新幹線なら東京から新潟までとっくに着いている時間だが、今すぐ行くことができない。妻は看護婦で、こんなときこそ自分の親に付きっきりで面倒を見てあげたいだろうに、患者さんの世話に忙しい。歯がゆいばかりだが、誰もが皆こうして生きている。考えればオカシナ世の中ではないか。
 蜜蜂の一刺にためらいながらも、ベランダから手を伸ばして南に向いたヒマワリの顔を眺めてみた。キレイな顔だった。傷一つなく、今が盛りの自然な鮮やかな美しさだ。手にはべっとりと黄色い花粉がふりかかり、夏の太陽の匂いがした。
 そのヒマワリが無残な姿になってしまった。台風がすべてなぎ倒したのだ。

○月×日

 こんなことがあっていいのか。物事は往々にして自分の思いどおりにはいかないものだが、今回はちょっと勝手が違う。私は今、予想外の展開に戸惑いすら感じている。
 JRはやっぱりヘンな会社なのだ。昇進試験もやっぱり形だけのものなのだろう。試験の種類を大雑把に分けると、最低ランクの「指導職」、次に「主任職」、そして「助役職」と3つあり、一次の筆記試験にパスすると二次の面接という仕組みになっている。
 この試験制度はJRが発足してから導入されたもので、今年で9回目だ。私が受けたのはもちろん、サイテイよろしく「指導職」である。国労組合員は、この「指導職」に9回受けても受からない人がゴロゴロしている。9回といったら9年。小学校に入学した子どもは中3である。実に長い。オリンピックなら2度も開催され、10年なら一昔。私達は皆、浦島太郎と化しているのだ。
 私の同年輩の他労組の人達は毎年順繰りに受かっていき、今や「主任職」等にチャレンジしているわけで、「指導職」など受ける人はいなくなってしまった。だから以前も述べたように、この試験を受けるのは私達国労のオジサン連中と東労組の若い新米車掌しかいない。しかも、東労組の新米に圧倒的多数の合格者が出て、国労はチョビチョビなのだから差別が歴然である試験としかいいようがないではないか。
 また、点数は公表されないが、一般常識的な問題であり、極端な点の開きはないのではと思う。つまり一次の筆記試験は形だけで、合格者は決められているのでは、と勘ぐってしまうのだ。
「要件」と称する呼び出しで、私は主席助役の所へ行った。「斎藤君、昇進試験だが、おめでとう。一次合格だよ。面接は×日、もう一踏ん張りだな」。
「えっ?ナヌッ??このオレが???」。「た、タイヘンだ!やったあ!!やったぞ!!!」。……などと大騒ぎするほどのことではない。冷静になれ。まだ二次の面接がある。しかも、たかが最低ランクの「指導職」ではないか。JRはオカシイ。やっぱりヘンな会社なのだ。そうだ、その調子だ。でも面接ではこう言おう。
「よろしくお願いします。もう『記録』には書きませんから、ぜひ受からせてください」と。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/噂の真相 事情聴取 JRジプシー

■月刊「記録」1996年9月号掲載記事

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○月×日

 昇進試験が終わった。帰りに同僚と前祝いをしてしまった。今回は実に良くできた。パーフェクトに近い。必ず合格するという自信がある。これでダメなら、この試験はインチキ以外のなにものでもない。ビールに枝豆、冷酒にやっこ、鳥の塩焼きをほおばりながら、最後はバーボンでバシッと決めた。
 内容は業務知識40問50分、作文400字40分、一般常識40問40分の3点だが、非常に簡単な問題ばかりなので10分から20分ぐらいであっという間にできてしまう。残りの時間は長く苦しかった過去を振り返り、明るい未来のことばかり考えていた。それにしても、人を喰ったような問題まである。
  たとえば、業務知識では「不安全行動災害の防止」の問いで、気分転換は大切だが疲れが翌日に残ることは気にしなくてもよい、という文が正しいか間違っているかというもの。一般常識の「英語」には、なんとすべて読み仮名がふってあり、「算数」の問いでは、千円のものを20%引き、さらに百円引くと何%引きとなるか、など限りなく情けないのだ。作文は「仕事の改善について」だったが、私は、社員一人ひとりの頭を改善するのが先だと書いた。発表が待ち遠しくてしようがない。

○月×日

 『噂の真相』5月号に、創刊30年にもなるメディア批評の良心的月刊誌『○×○×』の内部事情が載っており、私は何気なく読んだ。
 経営危機で編集部全員が退社し、とある人物が困っているA編集長に再建の協力を無給で申し出たという。とある人物とは革マルではないかというのだ。その理由とは、最近JR総連の記事がやたらと多く載るようになったと書いてあるのだが、要は革マルなら経営は安定ということである。私は別に大した問題ではないと気にもせず本を閉じた。
 しばらくして、私の親しい友人がこの春トラバーユしたと聞いて、「前よりマシな所で良かったね」と2人で飲んだ。しかし、よくよく話を聞いていくうち、「ドキッ!」なんとこの『○×○×』の出版社だったのである。世間は広いようで実に狭いと痛感。彼はもうすでにさまざまな人とのコンタクトがあり、JR総連委員長の名刺まで持っているではないか。
 私はすぐに『噂の真相』のことを話したが、「なあに、あんなのエンターティメントさ」とか言って取り合ってくれない。最近では、『○×○×』を私に毎月送ってくる。案の定、JR総連の腹立だしい記事が載っている。私は仕方なく彼に電話で意見すると、「一筆書いて誌上で対決してくれないかな」などと、すっかり『○×○×』社員と化している。そ、そんなことコワくてできるものか。当然のように『記録』の私のアホバカ文もA編集長には筒抜けで、彼と2人して「JR斎藤は今ごろウチの今月号読みながら怒り狂っているだろう」などとせせら笑っているとのことである。ったくもう、勝手にしろ!! だ。

○月×日

 職場は今、異常な事態となっている。とはいっても、「気持ちがオロオロ浮いているのはオレだけなのか!!」と叫びたいくらい、誰も口には出さずに平静を装い職務に励んでいる。
 運転士職場の三庫電車区では、区長を含めた200人を越える全社員が6月中にすべて終了し、今度は三庫駅80人社員のうち30人、私の車掌区200人中14人が受けるのだ。昇進試験なんてものではない。なんと、警察による事情聴取なのである。
 三庫電車区構内で防護無線機4台が何者かに盗まれたのは4月5日から6日未明にかけてだった。それからというもの、発信元不明の防護無線による列車妨害事件はいまだに跡を絶たず、あちこちでダイヤが混乱しているが、ここにきて俄然、JR内部犯行説が急浮上したというのだ。
 手を焼いていたJR東日本は、列車妨害事件対策として防護無線発信パターンを京浜東北、埼京両線に限り変更したのだが、わずか4日後にはこの発信パターン同様の電波による妨害が発生した。6月21日と24日の京浜東北線のダイヤ混乱がそれである。JR内部通達による私達関係乗務員しか知り得ぬ発信パターンであり、社外には知らされていないことから警察は内部の犯行だという見方を強めたと一部マスコミが報じた。
 さて、私達車掌と当直助役を含めた14人の事情聴取は、盗難事件当日の4月5日三庫車掌区本区泊り勤務者に限られている。この日の私は日勤で19時40分に終了しており対象外となっている。非常に残念に思う。こんな機会は滅多にない。私も事情聴取なるものを受けて身の潔白を証明したいのだが‥‥。
 もし仮に、内部犯行であるとしたら、泊り勤務者がわざわざ電車区まで出掛けてこんな七面倒臭い犯行に及ぶとはちょっと考えにくい。まあ、事情聴取なるものは深夜・早朝の乗務中に現場界隈で不審者を見なかったかというものだろうが、むしろ私のような勤務外の者の方が怪しい気がする。その辺は警察も抜かりないはずだ。
 果たして犯人は挙がるだろうか。私はイマイチ理解できないのだが、事情通によると、セクトの犯行なら逮捕者は出ないということらしい。公安当局は狙った人間をマークし、泳がせておいて互いに対立を繰り返させ、勢力が衰えるのを待つのだという。ヘンな話だが、そういわれると内ゲバでも犯行声明を出しているのにほとんど逮捕者が出ていない。
 しかし、ことはJR東日本営業キロ7千502キロ、69線区内1日1万2千18本(回送は除く)、1千708駅において、1日列車利用客約1千660万人にかかわる重大なことである。セクトであろうがなかろうが、そんな人間はわが社にはいらない。優秀な警察は何としてでも犯人を割り出し逮捕してほしい。
 JR総連・東労組の松崎明会長や幹部役員は、全国の会議や講演で「列車妨害事件は国労が絡んでいる」「国労の最終的解体を」などとヒステリックに何の根拠もないマンガチックで許せぬ発言をしているが、真実が明らかになる日はそう遠くないだろう。

○月×日

 年に数回しか会わない。それも乗務中のみ。通勤時間帯の立川かお茶の水で彼、H氏は私に声を掛けてくる。「やあ、ノリオビッチ、サイトノフ。元気そうだね」。
 私は色が白くて鼻がデカイ。ロシア系の顔付きなのか、H氏はいつもそう呼ぶ。だが全然悪い気はしない。H氏は元国鉄マン、私が貨物列車車掌時代の同僚である。分割民営時に自主退職し、新天地で活躍している。「文部事務官」などというお堅い肩書が名刺に印刷してある。
 そのH氏と先日お茶の水のホームで会った。「記録読んでるよ。子ども達大きくなったね。飲みすぎないよう」。乗務中なので15秒ほどの立ち話だがすごく嬉しかった。不意をつかれる嬉しいハプニングというのは実にいい。苦痛な長い乗務が短く感じられる。
 私はH氏に1年ほど前から「記録読んでよ」と言い続けてきたが、「どこの本屋を探してもナイ、ナイ、ナイ」と言うので「そうだよ、ないんだってば。年間講読郵送なのだからトレ、トレ、トレ」と半ば脅迫気味にお願い申し上げていた次第なのだ。
 嬉しさのあまりその晩電話したが、買ったのではなく「教育センター」とかいう都立の図書館にあったのだという。よくもまあ、へんな所(失礼)で捜し当てたものだが、やっぱり嬉しくてしようがない。

○月×日

 日記というものを、著名な作家はどのように書いているのかとフト思った。近所にある図書館に行って、日記というタイトルがついた本を目にとまった順に、手当たり次第に5冊借りてきた。
「僕のTV日記」泉麻人、「わたしの遠足日記」片山健、「ふらふら日記」沢野ひとし、「東京ペログリ日記」田中康夫、「JRジプシー日記」村山良三、の5冊だ。ペラペラと乱読してみると、どれもなかなか面白い。中でも「ふらふら日記」は読みやすい。沢野ひとしの酒浸りの日々。家族、息子への父親としてのやるせない複雑な想い。可愛いがっている飼犬がクッションとなりどこか救われていていてクスッと微笑んでしまうが、なぜか哀しくて切ない。他の著作も読んでみたいと思った。
 しかし、特に私の心をグサリとえぐったのは「JRジプシー日記」だった。著者の村山良三さんは作家ではなく、何と現職の国労組合員であった。年令を見ると私の大先輩だが面識などモチロンない。略歴に井上光晴「文学伝習所」二期生と記されているからなんだかスゴイ人のようだ。さらに、鎌田慧さんが書評を寄せられている。やっぱりスゴイのだ。
 JRが発足した87年から90年までの村山さんの日記、すなわちJRの現場の実態を書き綴った記録である。国鉄時代20年間電車運転士として従事し、JR移行時に「要員機動センター」というところに強制配転されてからは、首都圏のそれこそありとあらゆる職場(駅務)を、しかも日替わりで転々とたらい回しにされている。これがジプシーと題された所以と頷けるが、村山さんはあとがきでこう述べておられる。
「国労組合員が不当な差別によく耐えて頑張っているのは、そこに人間としての譲れないものがあるからだ」と。まったくその通りだと共感を覚え、あまりにも気の毒で目の前が霞んでしまった。しかしそれ以上に頭が下がるのは、勤務ぶりはもちろん、生き方が実に淡々として何の気負いもなく誠実でごく当たり前な普通の人間だということだ。ただ国労に所属しているという以外に差別される正当な理由など何ひとつとしてないのである。 私はすぐ目頭が熱くなるタチだが、財布から千円札を抜き取ると力強い足取りで酒屋に走った。そう、これが私の日記ならぬ日課なのだと思い、焼酎を買いに。
(■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/昇進試験 見習い車掌 カラス

■月刊「記録」1996年8月号掲載記事

*           *           *

○月×日

 昇進試験が迫っている。国労組合員は何回チャレンジしても受からない。不合格馴れしてしまった私達には、イヤイヤながらも年に1度の「行事」だからと仕方なく参加する雰囲気が非常に強い。いわゆるアキラメムードなのだ。
 イヤイヤならよしたらいいのにと思われるかもしれない。しかしこれは、国労が「昇進差別」であるとして東京都労働委員会に救済申し立てを行い、闘っている「事件」でもあり、全組合員が受験していこうと取り組んでいるのだ。つまり、「上位職になど上がらなくてもいいもんね」という人でもほとんど皆が受けている。このことからも、国労には従順で真摯な人が多いということがよく解る、でしょ。
 がしかし、考えてもみよ。入社したてのわが子のような若い社員と、同じ場所で同じ地位の試験を受けるのだ。乗務経験が豊富であるのはモチロンのこと、知識や技能に関しても遥かにスグレているという自負とプライドがある。抵抗を感じる組合員がいて当然だが、「こんな合否のデタラメな試験なんてクソくらえ、やってらんないよ」と思いつつも、私達は胸を張って試験に挑む。ハッキリいって惨めなものである。しかし、これこそ並みの人間にはチト真似はできない、ちょとやそっとのことには動じない国労組合員の度量ではないだろうか。
「典ちゃんはいつの日になってた?」と数人の同僚から聞かれた。「×日だよ」と答えると、「なぁんだ一緒じゃない、よろしくね」と口々に言う。「よろしくね」とはコレいかに。いやはやなんとも、試験が終わったらちょいと一杯、残念会をやろうという約束なのである。私達はいつもなにかにつけて飲む。楽しく飲むことしか頭にないのだ。困ったものだよね。
 誰もが受ける前から落ちると端から決めてかかっているが、やはり受かりたいのが本音である。この昇進試験の制度により賃金格差が拡げられている以上、私にとってもますます切実な問題となっている。JRという会社に労働力を売って得た賃金こそが生活費なのだから。
 今年こそ合格したい。「オレはJRのサイテイだ」などという汚名も返上したい。家に帰ったら必死で勉強しようとヒソカに思う。試験まであと2日だ。もはや深刻な様相を呈する秒読み段階となっている。こんな日記など書いている場合ではない。「うーむ、あと2日か」。合理的なやり方はないものかと真剣に考えてみる。でも、こうなったらやっぱり、運を天に任せるだけしかないみたいだね。「グッド・ラック」。

○月×日

 先日、うちの職場に30人もの新人がドヤドヤとやって来た。今後のJRを担う期待の車掌達の赴任である。あどけなさの残る夢多きカワイイヤング。オメデトウ!!
 彼等は憧れ?の車掌試験に合格すると、1ヶ月間を大宮にある中央研修センター(旧鉄道学園)で過ごす。ここでは運転・営業の鉄道規則や心得、接客・サービスなどを泊り込みで学ぶ。そして、めでたく終了証書を手に見ると、それぞれの車掌区に「車掌見習」として配属される。約1週間の机上学習後いよいよ本線乗務の見習いとなり、1ヶ月ほどの見習い期間を経て、晴れて車掌として1本立ちするわけである。
 さて、見習いには指導する者がつく。当然それは、私達先輩車掌が手取り足取り懇切丁寧に教えるということになる。会社から指定された特に優秀な者が1ヶ月間マンツーマン、付きっ切りで指導に当たるのだ。右も左もわからぬ新人だから、食事、風呂、寝るのも飲みに行くのも一緒という、いわば公私共に、密接で強固な師弟関係が形成されるのである。
 とにかく指導車掌にはトコトン世話になる。もはや一生頭が上がらぬほどの絶大なる影響力が生じるといっても過言ではない。見習いにとっては指導車掌サマサマなのである。
 ところで、私達国労組合員で指導車掌に指定される者は何人いるかというと、それが、な・なんとゼロ!! 赤ん坊でも数えられる「だあれもイナイ」のである。会社はこうも徹底して異常な施策をとっている。
 私の職場には、JR東日本内最大の東労組(東鉄労のこと)、鉄産労、そしてわが国労と、3つの組合が併存するが、指導になるのはいつも決まって東労組の組合員が圧倒的多数を占め、鉄産労がチョビチョビ、そしてもう一度言うが国労はゼロなのである。
 組合間差別であることは一目瞭然だが、特に問題なのは車掌歴20・30年の経験豊かな国労のベテランを差し置いて、車掌になってわずか2年程度の東労組の若い車掌を指導にしているという点である。なにも私は若いから技能や安全面が劣るとか、不安だというのではない。若くても一人前の立派な車掌達である。
 利点も確かにある。若者同士で息が合い、同じ東労組だから仕事もしやすいだろう。また、和気あいあいと活気に満ちて職場の活性化にもつながるかもしれない。しかし、もっと真剣に考えるべきではないのか。
 車掌とは安全正確な運行が至上命題であり、常に人命を預かるという責任重大な任務をもつ。要は、事故など異常時のイザという局面で、いかに的確な判断で技能や知識を発揮できるかということにつきるのではなかろうか。初めのうちは誰もが緊張でたじろぐものだ。中には何度やってみてもオタオタと五里霧中の者もいる!?が、経験を積んでこそ適切な対応が可能になるものである。 また、各線区にはさまざまな細かい特徴がある。乗降客や沿線の状況・駅・信号・踏切・線路等の把握。やはりこれらも経験が長いほど身につき、精通した者こそよりよい指導ができるのはわかり切ったことである。
 例えば、沿線で保育園のある場所とか、あの駅のアソコには鳥の巣があるとか、あの家の爺さんは12年前から沿線(JRの敷地)に勝手に野菜を作り、ときどき草むしりをしているとか、一見車掌業務とは関係がないことのようだが、実はヒジョーに大ありなのだ。園児達に手を振らなければならない。ホーム歩行中に鳥のフンが落ちてくることはよくある。爺さんが突然ボケて線路内に立ち入る危険性だってないとはいえない。ねっ!! 他にもこのような事例は山ほどあるが、JR中央線も2・3年で「完全制覇」できるものではない。
 以上のことから、会社は優れた知識や経験に重点を置き、ふさわしい人物を指導車掌に指定すべきなのだ。
 それとも会社は「車掌など誰にもできる、斎藤だってやっている」と、運転士の付属品ぐらいにしか考えていないのだろうか。会社を家庭に例えるなら、JRはわが家のような不良品になってもよいというのか。私だって子ども達を、家庭を良くしたい。家庭教師もお手伝いさんも雇いたいくらいだ。「この親にしてこの子あり」でわが家の場合はしようがないが、JRは会社をよりよくしたいと本気で考えるのなら、このような不合理な指定方法も組合間差別も直ちに改めるべきである。
 新入社員は1人残らず東労組に加入させられる。会社と東労組が一体であることが良く分かる。東労組は、入社以前に会社しか知り得ぬ採用内定者宅へ「組合の説明」と称して菓子折り持参で赴き、「最大組合で昇進にも有利になる」などと加入の確約まで取っている。国労が加入を呼びかけるビラを配布すれば、会社自ら回収に当たる。加入オルグに熱心な国労組合員を直ちに他職場へ配転するなどの露骨な見せしめによる報復的措置など。 このように常軌を逸した大人気ないお粗末は枚挙にいとまがなく、今となってはただ呆れ返るばかりだ。会社イコール東労組は、私達国労に対して敵意をあらわにし、新人には指一本触れさせまいと国労排除の労務政策に躍起だが、今にきっと破綻するだろう。
 会社管理者にも東労組の中にも、一部の「集団」を除けばオカシイと思っている人が大勢いる。己れの保身のためコワくて何も言えないだけなのだ。「国労は間違ってはいない。国労は正しかった」と、誰もが認める日が必ずやってくる。国労は勝利する。そして正常なJRに戻るのだ。良心を持った人間であれば、いつかはきっと更正するものである。実はこの世の中に「妖怪」などは存在しないのだ。

○月×日

 JR東海高山本線で特急列車が50トンもの落石に衝突し脱線するという事故が起きた。軽傷17人ですんだのは奇跡的だ。
 大雨により地盤が緩んだ結果の落石だが、脱線車両は下を流れる飛騨川に落ちかけ、斜面の途中で止まるという、大惨事とまさに紙一重だった。
 いつものことだが、時間が経つにつれ次から次とお粗末な事実が浮かび上がってきた。この山林の地主から落石の危険性を指摘された県は、調査をしたものの「安全だ」という結論を出していたという。また、事故速報が遅れたのは乗務員が近くの民家まで電話を借りに行ったからだという。
 列車に搭載されていた無線機はなんと司令と交信ができない旧式の無線機だったというからナサケナイ。
 当然のように運輸省は全国の鉄道事業者に危険箇所再点検の通達を出した。コトが起きてからでは遅いよね。今年2月には北海道豊浜トンネル崩落事故があったばかりではないか。過去の教訓が全く生かされていない気がしてならない。安全は輸送業務の最大の使命である。早急に改善策を検討し安全には万全を期すように、なんて私がエラそうにいうまでもない。

○月×日

 この春からの一連の列車妨害事件である東海道本線の置き石3件について、「カラスの犯行」であると神奈川県警が断定した。カラスが石をくわえて線路上に置くという、決定的な瞬間をとらえた写真が新聞に載っていた。 それにしてもカラスがクロだったとは。シロなわけはないのだが、なんだかオカシくて拍子抜けしていまった。カラスじゃ憎めないよね。もしかしたら、人間がカラスを見ている以上にカラスは私達を高い所から見て知恵をつけているのかもしれない。弱い者は心ない人からいつ何をされるかわからないから。
 しかし、なぜ線路に石なのか。カラスに歌で問いかけてみたい。「カラス、なぜ置くの」と。これはやっぱり「カラスの勝手でしょ」しかないだろうな。「カァ、カァ」。

○月×日

 乗務中よく知人を見かける。とくに通勤ラッシュ帯にその確率は高い。今日は都庁に務めるM氏を見た。私の住む街、中央線武蔵境のホームでは、名前は知らないがあの顔もこの顔もお馴染みになってしまった。私は別にキョロキョロしているわけではありませんよ。業務は厳正に遂行している次第である。
 誰もが皆、バリバリ働きながら生きている。来る日も来る日も毎朝、超満員の中央線に乗ってそれぞれの職場に向かうのだ。新宿と四ツ谷でほとんどの人が下車され、お茶の水・神田・東京でみな下車される。仕事場までその先も更に乗り継いで行くのだろうか。私は職場まで自転車で10分で着いてしまうし、たとえ電車を利用しても1駅、降りた目の前が職場だ。だから電車通勤の人を感心するし、ご苦労様と心から思う。
 さて私達中央線車掌は、終点の東京に到着したら乗務が終わりというわけではない。一服している暇などないのだ。5分程ですぐ折り返し下り電車の乗務となる。しかし上りラッシュの殺人的混雑とはうって変わってガラリと空く。乗務中なのに不謹慎のようだが、ホッと一安心、ちょいと休憩という気分が本音である。
 ふと、新宿で降りた知人M氏が思い浮かぶ。いまごろ彼は職場(都庁)に着いて、デスクに向かい1日を有意義に過ごそうと仕事に励んでいるのだろう。なんだか彼が羨ましく感じてしまう。私はといえば‥‥、あっ間もなく新宿に到着か。「出口は右側です」のアナウンス、こればっかり。私も電車を降りて会社に向かいバリバリ仕事をしたいと思う。だって1日中電車に乗っているだけなんだから。ん?ちょっと違うか。  (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/ソングライターの斎藤だ

■月刊「記録」1996年7月号掲載記事

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■線路がリズムを刻む

 どうしようもない。これしかないんだよ。東京と高尾を行ったり来たりさ。走り出したら止まらない。憂鬱な雨は、今日も窓の景色を濡らしているのに、中央線は脇目も振らずにひた走るのだ。「空よもっと激しく泣いてみろ」。声を限りに叫んでも何一つ変わりはしない。
 都会のビルの谷間をカーブして、住宅街を一直線。緑の田園風景を切り裂くように駆け抜ける中央線。炎天下、雪の中でさえ風を切り快走する姿はたくましく、なんとも感動的だ。私は「いつかきっと」と漠然とした表現しようのない希望を抱き、今日もこうして乗務している。
 夜明けの小鳥のさえずりとともに、クラシックの旋律に乗りながら中央線は滑り出す。橙色の朝日に包まれると、夢が静かに膨らむ。昼間は雑踏と喧噪とのハーモニー、種々雑多なメロディーが賑やかに錯綜する。ドンチャラ騒いでいた街も、茜色した夕日に染まるころにはやるせない郷愁を覚え、シャンソンがしんみり流れてくる。月明かりの晩は安らぎに浸り、闇夜の晩は激しくレールを叩きオールナイトのジャズが奏でられるのだ。
 もうすぐお前の家が見えてくる。お前の街の駅に着く。青い屋根のマンション奥の路地を折れた古いアパート。乗務を終えたら飲みに行こうか。次から次へと窓をかすめて遠くなる対向電車の信号機は「行け」という緑と「行くな」という赤と。雨で霞む黄色が、迷う私によく考えろと「注意」する・・・・わけないか。気取るんじゃない。

■満員総立ちのコンサート会場

「今すぐお前に会いたい」。そう思い込んだら突っ走るしかない。走り出したら止まらない。鉄道には夢とロマンが満ちあふれ、どこまでも長く続く銀のレールの上で果てしないドラマが生まれてきた。それは昔も今も変わらない。そんな背景にはいつも心に沁みる音楽が流れていて、いや応なしに感動を盛り上げてくれたのだ。音楽大好き車掌である私は、及ばずながらも、乗客の何気ない仕草や雰囲気でワンフレーズぐらいならたちまち即興でひらめき楽しんでしまう。たとえばこんな風に。どうか軽く聞き流してほしい。
「120円の切符を握りしめ、中央線に飛び乗った。外は爽やかいい天気、吉祥寺に住む君に会いに行こう」。フォーク調で軽やかに演ってみたい。しかし歌が完成したためしがない。それはどうも職業意識が邪魔をしているようなのだ。私はこのお客さんについついヒトコト申し上げたくなってしまう。「駆け込み乗車は大変危険ですからお止め下さい」と。安全第一ですからね。
 また、渋い人にはブルースが似合っている。
「夜明け前の始発でさ、オイラはひとり、旅に出る。コップのジンを空けたら行くよ。お前の寝顔にバイバイ・キス」。ちょっぴり照れてしまうが、これも同じく「目的地までの切符はキチンとお買い求めになりましたか」と、気になって仕方がない。
 さらに、ロックンロールがピタリとハマる人もお見うけする。
 「その日暮らしのコンサートツアー、OK馴れたぜキツイ旅、レールの響きがオレのララバイ、ガタゴト・トレイン、カモン・ベイビィ」。うむ、イカスよね。われながらナカナカではないか。もうこうなったら職業意識がどうのこうのと言ってられない。乗っちゃうよ、オレ。「アー・ユー・レディ」「イエイッ!」。マイクもある。コンサート会場も要らない。既にお客さんも大勢乗っているのだ。
「ご乗車ありがとうございます。本日に限りまして中央線車掌が歌う快速高尾行きです。お客様もどうぞご一緒に。最初のナンバーは‥‥」。なんてやれるわけないじゃないですか。あっという間に次の停車駅であり、なによりも「次は神田、お出口右側」のJR車掌なのである。いくら冷静さを欠いていても歌など許されるはずがない。やりませんよ、絶対に。「乗務中は努めて列車の運転状況及び車両の状態に注意するものとする」と規程にキビシク定められており、規程の遵守は安全の基礎なのである。現実は厳しい。どうしようもない。これしかないんだよ。私達JRの車掌は観光バスのガイドさんのようにはいかないのだ。

■中央線青春ドラマ

 さて、毎日の乗務でよく見かける胸が痛み、かつ気恥ずかしい光景は何といっても若いカップル達だ。彼はホームに佇み、彼女は電車の中。私は発車ベルを鳴らし終えると、心を鬼にして容赦なくドアをビシャッと閉める。その瞬間から私は彼から彼女を任せられたものと勝手に思い込む。電車は動き出し、ホームに残った彼の前を通り過ぎるとき、私は心の中で必死に告げる。「心配するな、彼女はオレが引き受けた。後は任せろ、オレが彼女をしっかりと送り届けるから」。ここからである、この哀愁ドラマのハイライトは。
「電車を止めろ。あんなオッサンに彼女を任せられっかよ。麻原より危険そうじゃないか、オーイ、止めてくれぇ」。彼は気が気ではなく不安は頂点に達する。しかしもう手遅れだ。私は走り出したら止まらない。「バイバイ・グッバイ・サラバイ、もう聞こえないー」。白い手袋の人差し指で「後方オーライ」なのである。ああ、私の担当電車でよかったね。なんてラッキーなカップルだろうか。私は目頭が熱くなってしまうのだ。
 このように私の目に映る乗客の何気ない営みが、まるで映画さながらの感動を与えてくれるから堪らない。そこには出会いの喜びがあり、また別れの哀しみを見ることもある。楽しさ満面の子ども達、怒りを秘めたような人とさまざまな姿がある。電車は喜怒哀楽のすべてを乗せて走っているのだ。感慨無量である。

■雲の上の人々よ

 そう、あれから何年が過ぎたのだろうか。もくもくと黒い煙を吐きながら、勇ましく汽笛を鳴らす蒸気機関車。私がまだ何の罪もない(今だってないけど)子どもだったころの淡い憧れ。今でも雪の銀河を走る汽車の景色に一瞬トリップしてまうことがある。私の住んでいた田舎の駅から、真っ白な田んぼの中へと真っしぐらに消えて行く風景が鮮明に映し出されるのだ--。絶景である。 国鉄時代は、車両(人も)は使えるだけ長く使うという価値観だった。あくまでも清貧、倹約、地味を貫き、安全、低廉、快適を維持してきたように思う。JRになると、未来指向の新しいスマートな車両がどんどん導入された。結局は、お客様に電車に乗っていただくことがメインなのだから、それは理解できる。私も「随分シャレているね」と、素直に新しい時代を感じてしまうが、どうも馴染めず好きになれないでいる。
 車両の美しさとスピードアップでキラキラ輝くJRというイメージももちろん重要だが、外面だけよくして、お客様に見えないところでは、同じ人間に対して何をしてもよいというのか。JR東日本は世界一の鉄道会社と浮かれているが、あなた方には殺風景な頂上の景色しか見えていないのだろう。悲しいね。JR当局の「ならず者」は、いい加減に目を覚まして歪んだ労務政策を改めるべきである。
 いつの間にか雨も上がって陽が射してきている。「待っていてほしい。いつかきっとお前のところに行くからな‥‥」。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/やる時はやる斎藤だ

■月刊「記録」1996年5月号掲載記事

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■建て前と本音

「国労組合員は、今後の労働運動の再構築を願うゆえに国労に集結している。それゆえ今は昇進や昇級試験での差別など、あらゆる差別にじっと耐え忍んでいる。労働運動がその機能を果たすことができないでいる世の中では困るのだと考えているからこそ国労で踏ん張っているといって良い」――。
 これは最近ある労働運動誌に載っていた国労組合員の投稿である。竹を割ったような実にスカッとした的を得た内容だと受け取れる。氏の意見におそらく労働運動のリーダー達は喜ぶだろうが、現場の一般組合員である私には単なる理想論としか伝わってこない。理想を求めるのは人間の正しい姿だと思うからいいのだけれど、現実とはかけ離れすぎている。
 氏は国労の中にいながら周りが見えていないのではないか。もちろん一般組合員の中にもこのような闘魂あふれる実直な気持ちを抱いている人も少なくない。だが誰もが闘士とは限らないのだ。ほとんどの人はあえて労働運動には触れず、仲間同士で励まし合い助け合い、人間として当たり前の日常を重ね生きてきたに過ぎない。私のようなカルイ層の中にはいまだに「国労なんて」と心が揺れ動き、今にもフッとどこかに消えてしまいそうな人もいる。一進一退というより意気消沈といったムードが大勢を占めている。
 たとえば、私の仲間との会話といえばこんなものである。
「今の構図(東鉄労=革マル支配による会社一体となった国労敵視・差別)は10年、いや20年は変わらないだろうな」
「その頃は定年でいないよ」
「いまさら出世など望んでいない」
「生活は苦しいけれど今の給料でなんとかやっていけるし」
「試験なんてクソクラエだ」
「動員?パスね、よろしく」――。

■高齢化問題が国労にも

 国労の年齢構成は40代50代が圧倒的に多く、新採の若者などゼロに等しい。活気のないオジサンがなんとも多い。すべてがとはいわないが、国労の一般組合員は組織こそ堅持しているものの、労働運動そのもには無関心になりつつあり、弱体化していることは否めない。定年退職による国労自然消滅をもくろむ会社側には思うツボだが、悲しいかな、これが実情なのである。
 職場から運動が巻き起こり盛り上がりをみせることはまずない。機関からの指示に従うだけで、しかも動く人はいつも限られている。これでいいはずはないが、私は「いいじゃないか」というのが正直な気持ちなのである。普段の勤務で他人を思いやり苦しみをわかち合っている仲間達をそのことのみで否定はできない。
 戦後政治の総決算と位置付けられた国鉄の分割民営化は、日本の労働運動を解体するという意味合いが非常に強かった。そのためには、戦後労働運動史上一貫して中核を担ってきた国労をなんとしてでも潰さなければならなかったのだ。
 国鉄当局は国家権力と一体となり、マスコミをも総動員して攻撃を仕掛けてきた。国労を、国鉄労働者を国賊に仕立てあげてまで、来る日も来る日も国労潰しに明け暮れたのだった。雇用を盾に、転勤や昇格を餌に陰湿このうえないイジメや恫喝で国労脱退を強要する。国労を陥れるためなら何でもやった。たとえば、駅長や助役との公論の最中に暴力をふるった(実際はやっていない)とウソの診断書を作り、あることないことをデッチあげ何人もの労働者をクビにまでしたのだ。
 挙げればきりがない。普通の神経では考えられないような問答無用の蛮行が白昼堂々平然となされ、全国の国鉄職場はまさに無法地帯同然といってよかった。100人以上の仲間が死に追いやられ、国鉄の問題が新聞に載らない日はないほどだったが、国民の大半は無関心だったと私は思う。「意識改革をしろ」「これが企業人教育だ」といったマインド・コントロールはオウム顔負けだったかもしれない。人権などなかった。24時間安らぐ間もなかった。私達はまるで虫ケラ同然に扱われていたのである。

■逞しい男達よ

 私は職場でイヤなことがあるとグッと抑えて心の中にしまい込む。「おぼえてろォ、おうちに帰ったらお母さんに言うからナ」などと呟きながら帰宅するのだから、パッパラパーと見られても仕方ない。好きな音楽を聴きながら酒を飲み妻を相手にくだを巻く。しまいにはちゃぶ台をひっくり返し(ウソ)酔い潰れてしまうデレオヤジ(ホント)なのである。
 自分の時間で動員など行きたくない。「団結ガンバロー」と拳を振り上げたりデモ行進というのがどうも好きでない。それなのに皆と一緒によく出掛けたものだ。あれだけ異常な労務管理の中で私も気がヘンになりそうにもなったが、初めからヘンだったからか、醒めていた部分もあった(冷静とは違う)。だから私には見えていたのだった。健気で真摯な労働者の姿が‥‥。電車が毎日正常に動いているということが驚きだった。国民の足として1日も休まず無事故で走り続けたのである。涙が溢れそうになるッツーか。な、そうだろう。凄じい攻撃の中でだよ、泣けるじゃないか。「逞しい男達、国鉄労働者よ」。これは手前味噌ではない。私はこのような先輩や同僚の足元にも及ばない。
 いずれにせよ、国労から去ることはせず国労の旗を守り抜いた仲間達である。誰もが全てを忘れてはいない。不当なことは許せない。おかしいことはおかしいのだという気持ちは一つなのである。無関心であれば進歩も発展もないのはいうまでもないが、前にも述べたように「いいじゃないか」なのである。さまざまな人がいていい。私はとやかく言わない。いざとなったらやる。協力もしてくれるし力にもなる。「国労に残る」と自分で決断した時のように。捨てたもんじゃない。やる時はやるのだ。

■6850億円と28兆円

 人間として至極当たり前のことだが、困った時には相談に乗り弱い者を守っていく。それが労働組合である。生活の維持・改善、経済的地位の向上という定義があるが、私は小難しく考えない。誰だって辛かろうが差別されようが人間としてこの一線だけは譲れないという強い思いがあると思う。労働者の首切りを認めて組合といえるだろうか。一人の首切りも許さないというのが組合の生命線ではないのか。突き詰めれば、人権と平和と民主主義を守るために闘っている。私はそれほど深く考えてはいないが、それが国労であると信じて疑わない。
 また、国労は怠け者集団などと聞き捨てならぬことを耳にするがそんなことは決してない。分割民営化という大困難に立ち向かい、労働組合としてまっとうな闘いを進めている最中に、組合としての任務も労働者の良心もかなぐり捨てて転向した集団こそ怠け者ではないのか。違うだろうか。国労は労働組合として正道を歩んでいる。国労は闘い続ける。不当労働行為や差別が根絶され組合員一人ひとりが報われる勝利の日まで。
 今年は国鉄分割民営化10年目を迎える節目にあたる。政府もプロジェクトを設置し諸問題「見直し」の検討に入った。再び国鉄問題が国民の前に浮上し論議が巻き起こる。国鉄精算事業団の長期債務は住専の6850億円とは比較にならぬ28兆円ということである。これもやがては国民負担として回ってくるのか。紛争の全面解決に向け正念場、最大の山場という言葉は聞き飽きたが、まさに国労の命運をかけた1年になるだろう。皆精一杯頑張ってきたとつくづく思う。自身と誇りを持とう。あともう少し。一糸乱れず一致団結、意気揚々と行こうではないか。 (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/悪酔い気味の斎藤だ

■月刊「記録」1996年4月号掲載記事

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■中央線のドアボーイ

 私達、首都圏(E電)電車の車掌のことを部内では「ドアボーイ」という。国鉄時代からの呼び名である。2・3分置きに発着する各駅でのドア開閉が主な仕事であるからだ。「次は国分寺、お出口右側」と、お決まりのアナウンスとドア開閉。1日中こればっかり。年がら年中同じことを繰り返しているのだ。ああ切なやドアボーイ‥‥。「そうなの?つまらないんだね」と言われれば、「そうだよ、やってらんないよ」となりそうだが、実際のところはどうなのだろうか。
 毎朝NHKニュースでは首都圏の道路状況とともに、JR東日本輸送指令室より、「○時×分現在首都圏管内のJR各線と、東北・上越・東海道新幹線は平常通り運転されております」と、鉄道の運行状況が6-7時台に計3回放映されている。これを見て、「さぁ今日も1日‥‥」と安心して出勤する中央線利用者の皆様も多いだろうと推察される。そして乗客の誰もが願う『平常通りの運行』には、私達車掌にかなりのウエイトがかかっているといっても過言でない。そう考えると、それだけ期待された責任重大で誇りの持てる仕事といえるのだろう。ああうるわしきドアボーイ‥‥。「そうなの?大変なんだね」と言われれば、「そうだよ、神経使っているんだよ」となるわけである。
 中央線東京・高尾間の快速所用時間は約1時間。その間に24ある駅について2・3分おきにアナウンス、およびドアの開閉業務をこなしていく。秒単位の運転時刻を頭に叩き込み、電車が駅に入れば、電車の停止位置の確認・信号の確認・発車時刻の確認によりドアを閉め起動を開始する。その直後は電車とホームの前方確認、ホームを過ぎると後方確認と、やたらに多い「確認事項」をそれぞれ「○×オーライ」と指差喚呼しながら電車を正常に動かしているのだ。この決められた「確認事項」の1つでも怠れば、お客様のけがや事故につながりかねない。世界に誇るJRの安全正確な輸送とは厳正なる確認励行が命なのである。
 ところで、朝食時にこのJRのニュースが始まるとわが家ではちょとした騒ぎになる。それは出演者(声だけだが)である指令員の1人が私の友人M氏であり、子ども達が「やったあ、今日はMさんだ」「残念、今日はMさんじゃない」とはしゃぐのだ。
 普段聞き慣れたM氏の声だが、テレビを通すと妙に落ち着いた、説得力の感じられる声になる。声だけでM氏の誠実な人柄がうかがい知れる。わかりきったことだが、改めての発見であり私の車内アナウンスの反省ともなった。「偉いなあM氏は。本当に立派だ。オレにはできない‥‥」。何も知らない小学生の息子は「お父さんも出たらいいのに」などと言う。いつも私の声に接している息子は何も感じないのだろう。もし私がやろうものなら抗議殺到は間違いない。「朝からあの声は何なんだ!!」と。でもそんな心配は無用。「斎藤だけは外せ」と上から達示があるはずだ。いいのだそれで。私は「次は国分寺、お出口右側」専門で‥‥。「高円寺」「吉祥寺」だってあるのだ。しかし坊主読みではイケナイ。誠心誠意のまごころを込め、この与えられた仕事を天職と思い励むのだ。
 中央線のお客様は我慢強いものである。私の声に対する苦情は一件もない。皆忙しくてそんな暇がないだけか。運悪く私の担当電車に乗ってしまったお客様には心から済まないと思う。このナメクジ声はもはや一生直らない。どうかお付き合いくだされ。

■ホームで知人とニアミス

 さて、私達「ドアボーイ」は長距離列車の車掌のように車内におじゃましてお客様と接することはほとんどない。2・3分おきに駅また駅で時間がないといえばそれまでだが、そうすると私達は人との触れ合いがないように思われるかもしれない。しかしこうも都会に人があふれ、JR利用者が多いと否応なしにさまざまな人との出合いがあり、また尋ねられたりもするのだ。
 つい最近は東京駅ホームで学童父母会時代の懐かしい女性とバッタリ出会った。「いやあお久しぶりですね」。私はこんなとき照れ臭くてしようがない。「私はときどき斎藤さんのお声に接してますわよ、おホホホ」と相変らず妖しげなムードを漂わせている。私は赤面しながらも「お茶でも」と一瞬思ったが、なにせあと数分で折り返しの発車時刻であり、その場で別れるしかなかった。よかった、よかった?
 先日の朝のラッシュ時には知人を目撃した。人の波が絶えることのない三鷹駅1・2番ホームで彼はガムをかみながら朝刊を読んでいた。電車が発車すると彼の姿はなかったが、うちの会社へいったい何をしに来たのだろう?あっそうか、単なる通勤か。さらに私用で渋谷に出掛けたときには驚いた。中央線から山手線に乗り換える新宿駅でのほんの2・3分の間に、3人もの人から尋ねられたのだ。「小田急線はどっちですか」「これ水道橋に停まりますか」などと。フシギに思った。私は私服だったのである。なのに皆様はどうして私がJR社員だとわかるのだろうか‥‥。
 とまあ、そんなことをアレコレ考え、「こんなことじゃイケナイなあ」と夜毎杯を重ね、私のマヌケな1日はどんどん過ぎて行く。酒を飲みつつ明日の乗務がチラッと頭をよぎる。定められた乗務内容をチェックしてみる。今夜は何時に布団に入り、明日は何時何分起床で出勤時刻は何時何分。ここの空き時間で食事を摂り、ここのところはトイレでダムを決壊させる。国立の猫は日向ぼっこをしているだろうか、新宿のキヨスクのあの娘は出番かな、とアレコレ思いを巡らす。
 若い頃の私もそうしたように、夜通し好きなことをやりその勢いで翌日を行き当たりバッタリで乗り切る、なんて離れ技は今となってはできない。翌日の乗務にマトを絞って身体をコントロールし、飲む量、ピッチを考える。ツライね、酒好きには。際限なく飲んだくれていたいのだが、翌日の出勤が5時とか6時だったりするのだ。

■酒は涙かため息か

 突然だが、ビートルズの歌が聴きたくなった。「君がどうしてそんなに高慢なのかぼくには解らない、君はぼくをまともに扱わない、サヨナラを言う前にもう1度考えなおして、ぼくをちゃんと扱うべきだ」。30年前のビートルズ、私が信じて疑わなかったジョン・レノンの「涙の乗車券」という有名な作品である。全然違うけど、これじゃあ、まるで君とはJRのことだね。
 私の全身に沁み込んだビートルズ。今聴くと、なぜかすべてがたまらなく切ないが、いつも私を心強く支えてくれる。それは「あの頃はよかった」という郷愁とオーバーラップするからだろうか。世界中を揺るがしたビートルズ。なかでも享年40歳、ジョン・レノンは孤高の天才である。私は孤高の天ぷら以下だが、歳だけはジョンを超えた。「それがどうした、それでお前はどうなんだ!!」といわれれば、ひたすら沈思黙想頭を垂れるのみなのだが。
 さあ、今夜も気持ちよく酔ったところで寝てしまおう。明日も乗務だ!お任せください。「ドアボーイ」があなたをお待ちしている。大都会東京駅から自然豊かな高尾駅までご案内しようではないか。「お待たせいたしました。御乗車ありがとうございます。中央特別快速です」。JR中央線は今日も明日もまっしぐら。安全・正確な輸送に徹し、あなたの街を駆け抜け、力強く突き進むのだ。 (■つづく)

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鎌田慧の現代を斬る/翼賛カレー体制の地獄図絵

■月刊「記録」2003年3月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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 和歌山市で98年7月に発生した、4人死亡63人の被害者をだした「カレー毒物混入事件」にたいする判決が、12月11日、和歌山地裁でいいわたされた。林真須美被告にたいする死刑判決に、わたしは重大な疑義を抱いている。
 まず、この判決において直接的な証拠はあきらかにされていない。つまり状況証拠による死刑判決である。しかも間接証拠には、被告の犯行以外の行為までふくまれている。新聞などに掲載された判決骨子には、次のように書かれている。
「被告は保険金取得目的でカレー事件発生前の約1年半の間に、4回も人に対してヒ素を使用しており、通常の社会生活において存在自体極めて稀少である猛毒のヒ素を、人を殺害する道具として使っていたという点で、被告以外の事件関係者には認められない特徴であって、カレー事件における被告の犯人性を肯定する重要な間接事実である」
 裁判官が林被告の犯行と断定したこの4つの事件は、被告が作った食事を食べたあと、被害者が急性ヒ素中毒の症状と合致した症状をしめしたこと。あるいは被害者に多額の保険金を掛けていたことなどを根拠としている。しかし事件発生当時、嘔吐などの症状をヒ素による中毒だと病院側が認定したわけではない。もしそうなら、その時点で警察が動きだしていたはずである。つまり「ヒ素混入」を疑えば、状況が説明できるといった程度の「証拠」といえる。
 検察側にいたっては、カレー事件から10年以上前に起こった従業員の死亡や夫の激しい嘔吐までふくめ、計11件もの事件を被告の犯行とし、そのすべてを間接証拠にしようとした。ここまでくれば呆れるほかないが、さすがに、裁判所は、このうち、7件は退けられたとはいえ、くず湯、牛丼、マーボー豆腐、うどんなどの4件を証拠として採用している。これらの保険金不正取得殺人事件は、いずれも「未遂」に終わったもので、証明は難しい。
 また、林被告がなぜカレー事件を起こしたのかもハッキリしていない。近隣住民の冷たい態度に被告が激高したという検察側の主張を裁判所は退け、「動機が不明確である等の事情は被告の犯人性の判断に影響を与えるものではない」といいきっている。動機は不明だが犯人だ、との判決である。
 これまで自供に重きを置く司法当局の方針が、数々のえん罪を生みだしてきた。密室で自供を強要し、証拠が不足していても刑が確定した。ところが林被告は、完全黙秘を貫いている。すると今度は、黙秘を認める。が、間接事実で有罪にする。
「被告はカレー鍋に亜ヒ酸を混入したと極めて高い蓋然性をもって推認することができる」。この判決でを眼を疑うほどに多用されているのは、「蓋然性」である。『広辞苑』によれば、「蓋然」とは「或いはそうであると思われるさま」という意味であり、「必然」の対語であるという。「あるいはそうかもしれない」という程度の認定で、死刑に処するのはあまりに、無責任だ。
 さらに量刑の理由として次のように書かれているのも気になる。
「カレー事件は猛毒の亜ヒ酸をひそかに食べ物に混入するという匿名性の高い犯行態様であるばかりか、子供を含む不特定多数の者が食べることを知りながら、多量の亜ヒ酸をカレーに混入した無差別的犯行である。極めて悪質かつ冷酷といわなければならない。
 死亡被害者の無念、悔しさは言葉に表しようがない。最愛の家族を突然奪われた遺族の心の傷は深く、その悲しさ、理不尽な死に対する怒りは、聞く者の胸に強く迫る。本件犯行の残酷非情さを感じざるを得ない。被告の遺族のこの悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきである」
 裁判官は声を詰まらせて朗読した、との報道もあったが、死刑判決が当時の沸騰した世論に影響され、そして迎合していないかどうか。
 その一方で、裁判官は、ことごとく、マスコミの過剰な報道をも批判している。「事件の捜査、審理にも及ぼしかねなかった」と書いているが、本人自身、それに大きな影響を受けているのだから、他愛ない。さらにマスコミによって報道されたビデオを証拠として採用した件については、次のような理屈を用意している。
「報道機関には、国家に適切に権力を行使するよう促す役割もあると考えられ、報道機関が作成した映像が証拠とすることは報道としてのあり方として矛盾しないものと考える」
 これは暴言だ。報道機関の役割とは、国家権力の行使を促すためではない。国家権力の行使を監視するためで、どさくさまぎれの我田引水。けっして認められない論理である。マスコミは抗議すべきである。裁判官がマスコミを国家の道具とみなしたことは、さいきんの政府のマスコミ規制方針に忠実に従ったものだ。
 そもそも、マスコミの犯罪報道は、「犯人視」報道が中心である。警察情報による報道だからだ。大事件の「容疑者」は、たいがい「犯人」あつかいだ。これらの報道が冤罪の解決を難しくしてきたのに、こんどは、その犯人視報道を証拠に採用するという。「容疑者」が犯人にされる恐るべき構造が、ここにできあがったことになる。
 わたしには、林被告が犯人か、それとも犯人でないかはわからない。しかし、直接証拠がなく、「蓋然性」程度でしか判決を下せないとしたら、むしろこんごの裁判を変え、勇気をふるって推定無罪とするべきだった。検事が新証拠や新事実を発見したときに、あらためて有罪判決にすればよい。このような曖昧な形で死刑判決が許されるのは、まるで中世的暗黒だ。小川育央裁判長の脳裏には、「無罪を証明できなければ有罪」という判断が刻み込まれているようだ。しかし「疑わしきは罰せず」。「合理的な疑いを超える程度に証明されなければ」無罪、それが裁判所の基本のはずだ。有罪を証明できなければ、世論に迎合せず、率直に無罪とすべきだった。

■隠蔽だらけ、八百長だらけの原発事業

 このあやふや判決の裏で密かにおこなわれたのが、東京電力の偽装事件処分である。東京電力は、福島第一原子力発電所の試験データ偽装工作などの発表を小泉の訪朝時期にぶつけ、新聞でのあつかいを小さくさせる姑息な手段をとった。今回もカレー事件を隠れ蓑に、保修課長を諭旨解職に、他8人を降格やけん責など懲戒処分にすると発表した。大事件の陰に隠れて事実を小出しする姑息さは、データ偽造や自己隠蔽を繰り返してきた同社の体質をよくあらわしている。まるでゴキブリだ。
 もちろん、こうした戦略にのってしまうマスコミにも問題はある。北朝鮮報道にみられるように、「集団主義報道」によって、1頭走れば1000頭走る“ドッグレース取材”をしているからだ。
 12日には、「東京電力の不正損傷隠し事件」を東京地検に告発した市民の記者会見がひらかれた。記者は熱心にみえたが、紙面化したのは、『朝日新聞』と『日経新聞』のベタ記事にとどまった。全国3180人の市民による検察庁への告発は、近隣住民どころか日本じゅうに重大な驚異をあたえながら、「身内」だけで解決しようとする東京電力にたいして、正当な罰をあたえさせようするものである。大東電なら、企業犯罪に目をつぶろうする原子力安全・保安院を動かそうとする運動を、公器の新聞が大きく報じないでどうするのだろう。
 そもそも原発推進官庁である経済産業省のなかに「保安院」があるのは、ピッチャーがアンパイアを兼ねるようなものである。もちろん電力会社も経産省とおなじ原発推進の立場であるから、三者は“なあなあ”の関係である。なるべく不正は隠し、見つかったものだけ身内で適当に処分する。そんな八百長三昧が、何十年もつづいている。誰かが行動を起こさなければ、事実は永遠に闇のなかなのだ。
 膨大な人命に関わる原子力発電所の操業を、事故隠しや損傷隠しによってあえて維持したのは、全国住民の命を軽く扱った犯罪行為といえる。
 東京電力にたいする告発状は、「様々な情報を総合すれば、かなり以前から、国も電力も、原発の損傷の発生は不可避であり、予防保全の考え方は破綻していることを相互に了解していたと思われる。にもかかわらず、予防保全の考え方に基づいて『原発は常に新品同様の状態にメンテナンスされた上で運転されている』という、虚偽の宣伝を繰り返してきた」と断じている。
 これまで、なんど事故を起こしても、国・電力会社・監督機関のなれ合いがつづいている。それでは、原力会社や関連企業の隠蔽体質が変わることはない。第2のチェルノブイリ事故が日本で起きる前に、原発から撤退しなければならない。安全をもとめる市民の声を伝え、撤退をはやめさせるのが、メディアの役割のはずだ。

■イージス派遣に喜んだのは?

 報道状況は悲惨だ。三ヵ月も続く連日のラチ報道と相変わらずの「国民的」北朝鮮バッシング、そして先ほど触れたカレー事件の大報道。その陰に隠されていたようにインド洋にむけて出向したのが、イージス艦である。 小泉内閣およびウルトラ石破茂防衛庁長官の最大課題の1つが、イージス艦の派遣だった。『毎日新聞』(12月10日)によれば、派遣決定の1ヶ月も前の11月8日、山崎拓自民党幹事長は「日本はイージス艦を派遣する。イラク攻撃の間接支援になる」と、来日したファイス米国防次官に断言したという。こうした動きにたいして、公明党も口では反対を唱えながら、「黙認」のサインとか。“はじめに派遣ありき”。とにかく「護衛艦のローテーション」、「艦艇内の居住性」、「調査能力」など、どうでもいい派遣理由がつけられた。
 日本は約1200億円もする“無用の長物”イージス艦を4隻もアメリカから買い、貿易赤字削減に貢献した。その虎の子1隻を、280人の兵員をつけてアメリカ軍に貸すという。しかし世界最大の軍事大国であるアメリカにはイージス艦が約60隻もある。日本の1隻に期待しているわけではない。派遣は実績稼ぎおしつけといえる。
 石原防衛長官は大のイージス艦好きで、風呂でもイージス艦のプラモデルで遊ぶのが趣味だ、という噂が国会周辺で流れているそうだ。真偽のほどはともかく、イージス艦派遣はヘータイごっこのひとつなのだ。
 今回のインド洋へのイージス艦派遣は、既成事実を作るための派遣である。先月号で取り上げた教育基本法改が、憲法改への橋頭堡であるのと同様、イージス艦派遣はこんご多国籍軍に参加するさいの大きな踏み石となる。軍事大国へまっしぐらである。
 いま、小泉政権にたいする批判は、ほとんど経済政策に偏っている。しかし、小泉政権の本性は、アメリカ国家の経済政策と軍事方針にひたすら忠実に、人民の支配強化と収奪を強め、軍国化へとむかうどう猛政権である。それはマスコミ規制の欲望によくあらわれている。
 それでなおかつ支持率が高いというのだから、いまや有権者の無知こそ批判すべきだ時期だ。保守党の野田党首が自民党に復帰しようとしたり、民主党の鳩山党首が自由党と合同して「民主自由党」をつくろうとしたり、元自民党の連中は自分の都合ばかりで、いかにも権力に弱い。彼らに任せておくと日本は加速度的に破滅への道を進む。不満はキチンと声にすべき時期だ。(■談)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/「JRは土俵だ」の斎藤だ

■月刊「記録」1996年2月号掲載記事

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■閉らないドアを瞬時に閉める

 いよいよ着膨れシーズン本番に突入した。この時期のラッシュ時間帯のダイヤは軒並遅れが生じる。まともに走らぬ中央線なのである。
 寒いからといって会社や学校が休みになるわけではない。ラッシュ時間帯の乗客の数は毎日ほぼ同じはずである。年がら年中ただでさえ超満員なのに着膨れにより1人の占める面積が微妙に増える。従って乗り切れなかったり荷物や厚手のコートがドアに挟まったりで発車に手間取るのだ。
 尻押し部隊(駅員)による横綱・曙並みの真剣な目付き手付きでの「突っぱり」合戦が始まる。いや「押し出し」かな、違うな。そう、この場合は「押し込み」というべきか。強盗ではないぞ。JRだけ存在する相撲にはない荒技なのだ。私たち車掌は閉っていないドアのみの開閉操作を試みるのだが、車内の乗客の圧力でドアはビクともしない。「車内の中ほどまでお詰め下さい」などというアナウンスはもはや役に立たず、乗客の誰もが身動きできない超満員の状態となっている。こうなると車掌はただもう尻押し部隊と乗客の朝一番の稽古を北風に身を震わせながら1人、見守るしかないのだ。
 尻押し部隊は力を緩めることなくグイグイ攻め込んでいく。「定時運転確保。これ以上の遅れは許されない」と必死なのである。なかなか閉らないドアを瞬時にして閉める技は職人芸といってよい。誰もができるというものではない。長年の訓練で培われて修得した立派な技術なのだ。閉る瞬間に土俵際ならぬホーム白線際で身体を翻すという「うっちゃり」のようなポーズが華麗に決まればベテランである。
 電車の構造上、車両側面部中央にある赤ランプ(側灯)が消えると完全閉扉という仕組みになっている。私は軍配を上げる代わりに「基本動作」の1つとして決められている赤ランプ滅を確認すると同時に「側灯滅」と指差喚呼する。それで初めて電車は動き出すのだが、各駅毎に私達車掌はヤキモキし神経がすり減る。それに何よりも身体がすっかり冷えきってしまうのである。尻押し部隊は次から次の「押し込み」で結構な汗をかき、運転士は締め切られた乗務員室なので暖かい。私たちは駅進入進出時は窓を開け「列車監視」をしなければならない。また乗務中は乗務員のドアを開け放しのため暖房が効かない。まさかホームでシコを踏むわけにはいくまい。
■朝の新宿、死に物狂い

 しかし、それ以上に乗客の皆様には慰めの言葉もない。凄まじいの一語に尽きる。すし詰めの中で御乗車の人、これから乗ろうとする両方に共通した無言の戦い。われを忘れなり振りかまわぬ、なんて言ったらお客様に失礼かな‥‥。まず、朝丹念にセットした髪は乱れて台なしとなり、目は上方ただ一点を見つめ妖気が漂う(海部さんのようにとはいってません)。ヘッドホンステレオを聴いている輩の片方のイヤホンは外れ、頬っぺたはブルドッグさながら上下左右に変形している。また、鼻の穴は私みたいにおっぴろがり、口元はミック・ジャガーがシャウトする以上に歪んで、顎は突き出るといった、想像を絶する必死の形相となっている。
 また、乗降の最も激しい新宿駅ではわれ先にと押し合いへし合い合戦という醜態が繰り広げられる。マフラー・腕時計・ネックレス・靴などが線路上にまで落ちており混雑の凄まじさを物語る。
 まさに死に物狂い。それでも皆様無言で耐えていらっしゃる。これほどの苦痛を受けてまでも会社や学校へと急がねばならない。仮にこの光景が日本経済の発展とみるならば、あまりにも忍びがたく実に悲しいことである。

■サラリーマン至上主義を変革せよ

 中央線はほとんどが2分間隔で運転されている。中には1分40秒間隔のものまであり、それこそ次から次とこれでもか!! というくらい走っている。お客様が電車に乗車時に後ろを見やれば、後続がそこまで来ているのが見えるでしょう。JRは毎年のようにスピードアップを計り、運転間隔を縮めて本数を増やしている。
 また全駅の停車時分(車掌による客扱いの時間)をなんと5秒削るという涙ぐましい努力までしている。5秒だよ!お客さん!!しかしこのようなJRのたび重なる対応・対策も空しく、混雑緩和は一向に改善されていないのが実情なのだ。現在の10両編成を11両にするとか複々線化にするとの話は聞くが、そのためにはホーム延長などの大工事やばく大な費用と年数がかかる。今すぐに、それでは早速明日からといった対策がないのである。
 時差通勤をいくら奨励してもラチがあかない。まさか自分の会社が開いていないのに出勤する人はいないし、遅れていくわけにもいかない。また取り引き先が動いていない時間から営業を始めることもできないし、始業を遅らせれば競争に負けてしまう。政府にしても、地方分権だの地方の時代と美辞麗句を寝言のように唱えているだけで、一局集中の構図は何年経っても何ら変わっていない。自分らの居心地があまりにも良過ぎて無理なんだよね。
 こうなると、世の中仕組みを根底から変えるしか方法がない。9時から5時の一般的な人々の意識を変える。社会全体を考えて、職種によって細かく時間を変えていく。もちろん混乱を来すことがないよう世の中がうまく回るようにだ。新聞配達や豆腐屋さん、パン屋さんだけが3時4時ではないように……。サラリーマン至上主義を社会を変革しなければならないのだ。しかし、そんなこと本当にできるだろうか……。

■電車乗りの達人よ

 いずにせよ、現状のままでも通勤通学客をなんとか無事に目的地まで安全輸送ができているのは、実はこれ、お客さまの協力によるところが非常に大きいのでは、と私は思っている。わかり切ったことだが、ドアの前に何人も立ちはだかり、われ先にと乗り込めば降りる人はいったいどうなるのだろう。混乱が生じる。乗降に時間がかかり電車は遅れ出すのは当然のことだ。
 昼間の時間帯、別に混雑もしてないのに遅れが出ることがよくあるが、その特徴として見受けられるのは、乗客は各人バラバラ、常識的なマナーすら欠けた人が何とも多いことだ。その点、ラッシュ時間帯はお客様が実に整然とテキパキ行動されることには驚くと同時に大変感心させられてしまう。駅員の誘導や慣れの部分も当然大きいだろうが、何よりも自分本位ではなく他人のことを思いやるからこそなのでは、と私は思いたい。自分さえよければという考えでいると、必ず後で自分のクビを締める結果になるというものを肝に銘じるべきだろう。
 中央線のみならず、混雑緩和すなわち電車運行ダイヤの正常化は、今のところお客様の協力なしでは成り立たないのだ。ラッシュ時間帯は正に電車乗りの達人・プロなのである。JRはそのようなお客様に感謝を込めて、年に1度ぐらいは表彰状を差し上げるとか、『記録』年間無料講読券を配布するなりの斬新かつ大胆なアイデアを打ち出したらどうだろう。それくらい柔軟な発想に着眼できるなら、私の役目はほぼ達成されたも同然で何もいうことはなくなるのだが。
 最後になって大変な混雑緩和策が閃いてしまった。ズバリ申し上げる。「まわし一丁で乗る」。どうだ!これが決まり手だ!! (■つづく)

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/新春特別ツアーの斎藤だ

■月刊「記録」1996年1月号掲載記事

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■今年も東京駅から出発だ

 お目覚めからおやすみまで、おやすみからお目覚めまで、メラメラとオレンジ色に光輝く不死身のカラダ。それは太陽でも月でもない。そう、それこそ中央線なのである。
 東京から高尾まで、今日もあなたを乗せて快適に駆け抜ける。とびきり上等なエリートライン。しかし一方では「高慢」「キタナイ」「危険」な3Kラインというレッテルを貼られていたりもする。その上、まあるい緑の山手線、まん中通るエロチックライン(?)などと許せんこともいわれる「何でもあり」の中央線なのだ。
 今年もJR東日本中央線へようこそ。本日はただ今から新春特別『マジカル・ミステリー・ツアー』へ御案内しよう。
 世界中の誰もが知っている日本の首都東京。名称そのまま東京駅。中央線の起点、このツアーの出発点である。ここには皇居も警視庁もある。大手町は日本を代表する企業の本社がひしめくエリートビジネス街。新聞各社・日銀・兜町あり。
 そんな中に屋上に赤旗ハタメクビルが唯ヒトツ。この権力集中地帯の中で「よくぞまあ」と誰もが眉をひそめる。しかし、これぞ忘れてはならぬ立退きも決まり、余命幾許もない我が国労会館なのである。よし!いくぞ!!出発進行!
 さて、次は神田。ここも日本人ならその名を知らない人はいない。「江戸っ子でぃ、神田の生まれよ」の商人の町。今でも問屋さんが多い。神田古本街も有名。隅々まで捲られナメラレ読まれて捨てられた山ほどの本。そして次はお茶の水。車窓の下には神田川。学生が多い。学生諸君頑張ってくれ。若いうちは怖いものなど何もないのだからね。近所には受験の神様・湯島天神もある。私の娘も祈願して見事合格を果たした。試験なしの推薦ではあったが。文人で有名な山の上ホテルにも友人の結婚式で行ったが、この街のいったいどこが知性的なのだろう。
 東京ドームをやり過ごし、日本武道館・靖國神社と数々の建造物の中をすり抜けて、出版社が集中し印刷会社も目につく市ヶ谷辺りを過ぎて四ツ谷につく。ここには迎賓館・赤坂離宮と日本テレビ。ホームにまでギンゴンガンゴンと流れてくる12時の鐘の音は否応なくカトリック文化を感じてしまう。そして信濃町の神宮外苑・国立競技場。千駄ヶ谷の新宿御苑。代々木では某テレビ番組の「突撃隣の晩ごはん」的唐突さで現われてくる日本共産党本部に呆然としてると、あっという間に新宿に到着する。
 このように中央線の山手線内エリアは、政治、経済、権力の全てが集中した日本の中枢といってよい。そんな息の詰りそうなどまん中を、わが中央線はくねくねカーブしながら14分で駆け抜けるのだ。お客さまにはこのエリア内の中央線はやはり便利に違いない。だが、私は山手線とクモの巣のように張り巡らせてある地下鉄にお任せすれば、という気持ちもある。
 さて新宿だが、こんなに「何でもあり」の街で右に出るところはない。ないといったらない。天国と地獄。優しさと裏切り。人間の表と裏の全てがある。また日本一の駅乗降客。日本一の歓楽街。日本一の性犯罪。日本一の超高層ビル群‥‥と日本一がよく似合う。私は何が何だか訳がわからずに一刻も早く発車時間になればといつも思う。最近は避けて通りたい街の一つになってしまった。やはり年なのか‥‥。

■わが青春の通過駅達

 新宿を発車すると私は安堵し、何となく気分が軽やかになる。それというのもここからは住宅街であり、私も中央線で暮らす一庶民としての親しみと愛着があるからだろう。新宿名所となったバブルの塔・都庁を含め超高層ビル群に別れを告げながら、私の中央線は西へ西へとバクシンする。
 次の停車駅中野からは一直線、実にスッキリと清々しいストレートラインとなる。私がお世話になっている中野北口方面の何人かの住民に感謝を込めて、目前にそびえる中野サンプラザに敬礼をすると高円寺、阿佐ヶ谷と続く。この辺りは煙突がよく目につくが、何もサンタクロースと縁があるのではない。銭湯が多く、昔からの下宿やアパートが密集している証拠なのだ。
 私がまだ10代後半の頃、フォーク歌手の吉田拓郎が高円寺を、友部正人が阿佐ヶ谷を歌ったことから、この辺りは私達仲間うちでは憧れの街だった。永島慎二の漫画で有名だったコーヒー店「ぽえむ」にもよく足を運んだ。
 ラーメン店と魚屋さんで話題になる-となぜか1行で終わってしまう荻窪の次の西荻窪は杉並区に位置する東京都区内の最後の駅である。私はこの駅には密かに敬意を抱いている。これはどこも取り上げない。気づかないのか意味がないからか‥‥。実はここからは何と遥か遠く東京タワーが見えるのだ。次の吉祥寺からではもう見えない。さすが都区内「ニシオギ」なのである。
 また私が上京して始めて住んだのがニシオギだった。隣の吉祥寺は武蔵野市であり、ただの田舎町(ローカル)と決めつけていた。その点、西荻窪は辛うじてでも東京23区内であり「オレは都会人だもんね」と優越感に浸ったアホ丸出しのガキ時代もあったのだ(今も変わっていないけど)。昔からの安くてウマイ焼鳥屋戎(えびす)には今でもちょくちょく飲みに行く。私にとって肩のこらない心地好い場所なのである。
 次は吉祥寺。私の青春時代の全てといっても過言ではない。昼間の居場所だったコーヒー店ボガ。夕方には焼鳥屋いせやでちょいと一杯。ライブハウスの曼陀羅とのろ。ジャズのファンキーとA&F。お金もないのによく通った。本などとんと読まないのになぜかよく見て回った駅ビルのロンロンの弘栄堂と東急の紀伊國屋書店。のんびり寛げる井の頭公園もあり、この小さなエリアに丸井・近鉄・伊勢丹・東急のデパート群。今ではパルコまで建ち並んでいる。それなのに中央線の特別快速、通勤快速が通過してしまうフシギな駅。とにかくもう24時間無謀にさまよい歩いた街。反省とか後悔している暇はなかった。それほど次から次と来る日も来る日も遊びに忙しかったのだ-もちろん国鉄入社前の話です。吉祥寺・ア・オン・マイ・マインド。わが心のジョージアなのである。
■武蔵境で急停車します

 中央線は吉祥寺で沿線住民を見下ろすかのような(そんなつもりはないです)高架の複々線区間が終わる。次の三鷹からは平地を走る複線へと昔本来の姿となり、安全運転は更に継続されていく。自然が広がり、畑も林も散在する閑かな風景に触れると、徐々に平常心を取り戻し誰もが素直になっていく。武蔵野から多摩の町へと、まるで平和市民がみどりと農へ連帯を探るかのように突き進む中央線はあなたを捉えて離さない。しかし実に残念なことだ。なんと次の武蔵境がこのツアーの終点なのである。どうかお許し下され。中央線は明治22年に新宿から立川まで営業を開始し、その間には2つしか駅がなかったという。1つが中野、そしてこの武蔵境だったのだ。誠に由緒ある老舗なのである。
「御乗車ありがとうございました。武蔵境終点です」。
 いかがでしたか『マジカル・ミステリー・ツアー』。東京から35分の旅。運賃の440円は本日に限り払い戻しいたします。えっ?この先どうしてくれるかって!「はい、このツアーは武蔵境が終点なのでございます」。私はここで下車しなければならないのだ。家へ帰る。そう、私の住まいが武蔵境なのだ。 (■つづく)
※三善里沙子著『中央線の呪い』(二玄社)を参考にしました。

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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/オレはJRのサイテイだ

■月刊「記録」1995年10月号掲載記事

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■制服制帽の似合う私

 今日も昨日も、明日だって「次は吉祥寺、お出口右側」なのだ。これは当たり前、寝ても覚めてもJRの車掌なのである。先日、高校の同級生と会い、「斎藤、お前なあ、学生のころは制服反対とか叫んでたのに、学校出ても制服制帽なのはお前くらいだよ、アホ」と言われてしまった。さあ、制帽をかぶり直して張り切って行こう。お客様がお待ちしているのだ。
 とはいえ、こうも暑いとどうも集中力が鈍る。仕事に対しても、家庭に於いても、街を歩き酒を飲むにしても全てが限りなく怠惰に近いマンネリズム。これではイケナイ。独創性を持って現状を打破しなければ。型にはまらぬフレッシュな表現方法・生き方はないものか。暑さに負けるな。燃えろ今日も!キラリと輝け!!と思いつつ、出勤前の一段落した午前中のひととき、いつものようにやはり惰性でFMラジオのスイッチを入れる。
 最近よく耳にする、プロコル・ハルムの「青い影」、トム・ウエイツの「土曜日の夜」。昔のヒット曲だが、落ち着いた女性ボーカルによるカバーである。選曲もニクイが妙にけだるく心地好い。暑くてタマラン夏の真っ只中にいるのに、秋風に吹かれているかのような錯覚に陥る。出勤前でなかったらウイスキーに手が伸びるのは間違いない。シンガーの名前をメモしようとするのだが、ラジオのDJの流暢な英語の発音が私には聞き取れず諦めてしまう。歌のウマイ人が羨ましい。自分で歌っていればレコードなど聴く必要がないのでは、とバカなことを本気で思ってしまう。私はひどいオンチなのだ。
 それでも歌う。「ドライブ・マイ・カー」を口ずさみながら出勤するのだ。愛車はもちろんいつものママチャリ。食器も洗った、燃えないゴミも出した、ひまわりに水もやった、とあれこれ「カクニン」しながら職場まで僅か10分。額や首筋から吹き出す汗が引く間もなくすぐに着いてしまう。

■着いたとたんに大ショック

 ショック。実にショックだ。今年もまた昇進試験がダメだったことを事務助役に告げられた。落ちるだろうと思ってはいたものの、微かな期待は抱いていた。やはりやり切れない気持ちである。同僚も皆、顔では笑っているが心は泣いている。
「いったいどうなってんだよ、オレってそんなにバカなんか? エッ!!」。
 乗客とのトラブルも事故も何ひとつとして起こしていない。遅刻もない。増収につながればと切符だって売りまくってきた。「ナゼなんだよ‥‥」。私は時々助役に尋ねる。「特に指導したいこととか、オレの仕事で何か改める点はありますか」と。すると助役は決まってこう言う。
「もうベテランなんだから普段通りやってもらえば結構です」。
 それでも落ちる。片や合格した他労組の中には、度々の営業事故・運転事故、更に遅刻のある者もいるという不合理。なんとも釈然としない。ここまでくると、これはタイヘンな試験に違いないと思わざるを得ない。年1回実施されるこの試験は、車掌経験2・3年の者からを対象とした第1段階の「指導職」というごく初歩的な、つまり位でいえば最下位職の試験である。これに受かると、何年かしたら「主任職」試験、そして「助役職」試験となる。何年かしたらと書いたのは、私にとっての主任試験は永遠に訪れることがないと思えるからだ。惨めだね。
「指導職」では業務知識、一般常識、作文の3科目あり作文で2行しか書かないのに合格したという話も聞いている。それが7回、8回と受けても受からない。国家試験にパスした優秀な人でも落ち続ける。東大卒でも無理なような気がしてくる。駅長試験だって、その能力がある人なら少なくとも4・5回目には受かるのではないか。それにしても助役は気が利かないな。なにも乗務前にいわなくたっていいだろう。これから1日気持ちよく仕事に励もうというときに‥‥。「次は吉祥寺。乗客の皆さん、私は今たいへん落ち込み気分がすぐれないのです」「間もなく新宿、ええぃ忘れ物すんなよ‥‥」なんていうわけはないけどね。家に帰ったらきっと息子にいわれるだろう、「もっとしっかり勉強しろよ、お父さん」。な、なんだ、この立場逆転の展開は?
「ヤケ酒だ」私はしこたま飲んだ。こうなったらもう明日は休む、突発休だ。JRは定年まで私を泣かせ続けるのだね。オーシおやんなさいよ。テッテー的にやってよね。それでも生き続けるからな。そして守るぞ家族を、国労を。死ぬまでだ‥‥。翌朝、気がついたら自転車を漕いで職場の近くまで来ていた。5時半で目覚ましが鳴り、二日酔いの重い頭にシャワーを浴びせ、今日は休むんだと思いながらも身体が自然と出勤のレールに乗っている。サラリーマンの性だよね。どんなことがあっても出勤するわけなのだ。

■私は後からゆっくり合格しよう

 でもね、JRってなんかオカシイのだ。一般の会社なら主任、係長と昇進すれば立場はもちろん、仕事も内容も変わっていくものだ。しかし私達JR車掌は指導や主任になってもやることは皆一緒。昨日車掌になった20歳の新人でも、私のような万年ヒラ車掌でも、この道何十年のベテラン車掌も皆同じ乗務を毎日しているのだ。
 例えば、今日私が乗った電車を明日は指導、明後日は主任、そして次は同僚と代わる代わる乗っている。車掌は車掌なのだからと良くいえば全て平等で、試験に合格しても仕事内容は全く変わらないのだ。また、責任が重くなるわけでもない。なぜなら乗務は1人乗務である。乗客や事故の対応は全て1人であり、当然その電車の担当車掌の責任ということになるからだ。
 ならば賃金がアップする以外にいったい何が変わるのだろう。会社に忠誠を誓うイエスマンに限りなく近づくということか。いや、ゴメン。こんな考えではいけない。合格者は皆、常に問題意識を持った優れた人ばかりだ。
 それとも、「次は吉祥寺、お出口‥‥」というお決まりのアナウンスが、指導や主任の場合は乗客にとってたいへんわかりやすく、この上ない心地好い響きとして伝わるのであろうか。私よりウマイのは確実だが、そんなわけはない。ねっ、なんかヘンでしょ。いずれにせよ今年もダメだった。「落ちた、落ちた、落ちた」「オレはJRのサイテイだ!」。なんだかこれでスッキリした。気持ちを新たに出直しだ。今日もやるぞ!!「次は吉祥寺、お出口‥‥」を。真夏の暑さで鉄のレールがのびることがあっても、私達は誰一人のびることなく毎日仕事に精を出そう。ダウンはしない。私達はJRマンなのだ。なかでも国労組合員は打たれ強い。少々のことではへこたれない。たかが試験に落ちたくらいで弱音を吐くな。誰かみたいにヤケ酒など飲むんじゃないぞ。熟練された私達の技能を、逆に指導や主任に教えてやろうではないか。
 先日、JR東日本の松田昌士社長は平然とこんなことを公言した。 「中労委・地労委なんてものは、勲章目当ての左翼崩れがやってるもので、なくなるべき」。驚くべき発言である。国の法体系を冒涜したものであり許されるものではない。しかしJR内では今や当たり前として通っている。トップがこれだもの。国労差別やいじめは止むことはないだろう。私も頭がヘンになりそうだ。私達ヒラ社員はどんな重労働にも耐えるが、会社はせめて指導や主任の待遇を良くしてほしい。私が試験に合格するのはそれからにしよう。 (■つづく)

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鎌田慧の現代を斬る/好戦体質が肥大する小泉内閣

■月刊「記録」2003年2月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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 1月14日、小泉純一郎首相はまた性懲りもなく靖国神社に参拝した。
 一昨年は8月15日に参拝すると大見得を切って8月13日に参拝。昨年も敗戦記念日にいくようなそぶりを見せながらも、4月の春の例大祭に突如として参拝。そしてことしは脱兎のごとく、福田官房長官さえあざむく(参拝前日の記者団の質問に福田は「「それはあなた方がつくった話」と否定していた)卑劣なやり方だった。過去2回の参拝でも、国際的にも国内的にも大きな批判が巻き起こっている。にもかかわらず、彼がまたぞろ参拝をした無神経さには驚かされる。自分本位のだだっ子だ。 今回また、アジアでも広く報じられ、日本の未来に与える悪影響は計り知れない。韓国では、金大中大統領が川口順子外相との会談をキャンセルする事態にまで発展した。
 不況はさらに深刻化し、中国や韓国などとの関係の緊密化が要請されている時期でもあり、マスコミの批判も強まっている。
 「お正月ですしね。新たな気持ちで平和のありがたさをかみしめ、二度と戦争を起こしてはいけないという気持ちで参拝した」(『毎日新聞』1月15日)などと、小泉はウソぶいている。アジアから見れば自国を侵略した戦犯と、それに従った将兵が祀られている靖国神社への参拝は、日本の首相がかつての侵略戦争を容認していると受け取られるのは当然である。無恥、無謀、政治的パフォーマンスだけの計算ちがい。このような単細胞の男に政治を任せている責任はわれわれにある。こんなケーソツな男と無理心中するのはまっぴらだ。
 小泉“突出”内閣のなかでの跳ね上がり大臣は、石破茂防衛庁長官だ。アタマが戦争もので一杯のこの長官は、とにかくイージス艦派遣にこだわっていたが、それを達成すると、こんどは“ミサイル防衛ごっこ”である。 ミサイル防衛(MD)は、強いアメリカをめざし、自らもマッチョなガンマンに憧れつづけたロナルド・レーガン大統領の趣味を反映した「スターウォーズ計画」が源流にある。当時、レーザー衛星で敵の大陸間弾道ミサイルを破壊するという社会を唖然とさせた妄想が、潰れることなく生き残っていたのである。とはいえ発射されたミサイルを迎撃するという夢物語は、膨大な開発費と防衛産業育成の思惑によって少しずつ形をなしつつある。
 1月5日イスラエルでは、弾道弾迎撃ミサイル「アロー」が、4発ミサイルを打ち落とすという実験に成功した。このミサイルには約20億ドルの開発費がかけられたらしいが、アメリカ全土を迎撃ミサイルで覆う「MD構想」が、この程度の金額ではすむはずもない。半永久的に軍需関連産業が巨万の利益を得ることになる。
 現在、イラク攻撃の推進と停止との世論が激しくせめぎあっている。すでにイスラエルでは、大量破壊兵器の飛来に供えて、防毒マスクを購入する市民が増えていると報じられた。米軍の派兵の補強もつづいており、イラン政府も防戦体制にある。市民に戦争への恐怖が、時間とともに浸透しているようだ。このままでは、また無辜の民が大量に殺される。
 このように恐怖を世界中に撒き散らしながら、自国だけは安全圏にはいろうとする防衛システム構想を世界中に宣伝するのだから、ブッシュは小泉より始末に悪い。 MDについては、『毎日新聞』(12月18日付)が次のように報じている。
「アラスカ州フォートグリーリーに建設中の基地に04年までに、10基の迎撃ミサイルを配備。さらに05~06年に10基を追加配備する。米国はこれまでも04年までの配備を目指すとしてきた。大統領は声明で『すべての危険から米市民を守るため』と述べたが、北朝鮮のミサイル開発を抑止する狙いなどから、公式発表に踏み切ったものとみられる」
 MDが外交カードとして有効だと、ブッシュ政権は考えているらしい。しかし、どんなに軍事力を強化しようが、防衛力を整えようが、それは正面きっての戦争でしか機能しない。すでに9.11 のテロによって、内側からの攻撃にあらゆる軍事力が無力だと証明されている。その意味でMDは防衛力の「矛盾」を、そのまま体現する存在となっている。各国の和平にもとづかない防衛力など、スターウォーズ計画以上の夢物語である。
 ところが、このバカバカしい計画に、大乗り気の男がいる。“イージス艦男”の石破防衛庁長官である。
 12月中旬、アメリカを訪問した石破長官は、国防総省でラムズフェルド国防長官と日米防衛首脳会談をおこなった。その席上、日米共同で技術研究に取り組んでいるMDについて、「開発・配備を視野に検討を進めたい」(『毎日新聞』12月18日)といい放った。「研究」段階から「開発・配備」にするなど、国内で誰が承認したというのか。そもそも、その膨大な資金的裏付けをどうするのか。また技術的に可能性があるのかについても、かなり疑問だ。
 ましていまブッシュは、イラクを攻撃するため虎視眈々と機会を狙っている。この段階で日本がアメリカのミサイル攻撃に協力するという発言は、アメリカへの軍事的に荷担をより一層強めていく、と宣言しているようなものだ。朝鮮民主主義人民共和国(※「朝鮮」)のやり方の拙さに、日本のマスコミは大騒ぎして、あたかも開戦間際のように敵意を煽っている。イラク、「朝鮮」とアメリカの緊張関係を日本が緩和させるのではなく、加速させているのは独立国としての愚策である。
 だいたい国内法をどう解釈すれば、ミサイル防衛が合法になるというのだろう。たとえば第三国に発射されたミサイルを、日本のミサイルが打ち落とした場合、それはまさしく戦争行為である。憲法で禁止されている「集団的自衛権」そのものだ。
 石破長官は、これらの論理さえ踏みにじって、とにかくアメリカにおべっかを遣いたいのである。このような“超ウルトラ”な人物を防衛大臣に指名した小泉の責任は厳しくとわれるべきだ。自身の靖国神社参拝といい、防衛庁長官のミサイル防衛への踏みだしといい、小泉内閣の好戦的な体質は歯止めもなく増幅している。国会では継続審議となった有事法制も待っている。
 またイラク攻撃が始まった場合、現行の法律では米軍の後方支援ができないため、「イラク新法」を成立させようという動きさえある。アフガン攻撃にはテロ対策支援法を成立させ、その法律が使えないなら、こんどは数にモノをいわせて新法成立をもくろむなど、ファッショ以外のなにものでもない。憲法をまったく意識しない、アメリカ従属の戦争政策は続行されている。
 こうした危険な内閣をもちながら、マスコミの批判も弱く、市民の運動もまだまだ弱い。MDの「開発・配備」が戦争坊やのアメリカへのリップサービスに終わるのかどうか、これからの市民の批判の強さによる。彼らの危険な言動を笑っているうちに、なし崩し的に戦争へ突入する危険性が高まっている。

■「電力不足」と脅して、原発推進

 東京電力は、12月19日『朝日新聞』『毎日新聞』『読売新聞』『日本経済新聞』などの新聞各紙に、「節電をお願い申しあげます。」と書いた一面広告を掲載した。これは原発のトラブル隠しにともなう停止命令や点検という自業自得のピンチを逆手にとって、原発稼働のチャンス利用しようとする宣戦布告である。
  「なにぶんにも首都圏の電力約4割は福島県、新潟県の原子力発電に依存しており、原子力発電所の点検停止により、非常に厳しい寒さも場合などには、首都圏の電力需要をまかなえなくなる可能性もでてきます」
 新聞広告に書かれたこの文章など、ほとんど脅しである。そもそもわれわれは、電力会社に原発依存を求めてきたわけではない。政府の援護と引きかえに政府の方針にただ従うことで、各電力各社が勝手に原発への依存度を進めてきたのだ。このように意識的につくりだされた原発依存体制が、「原発が休止したら電力不足になる」などという脅し文句につながっている。むやみに原発依存を強めず、もっと早くから脱原発の方向にシフトしていれば、このような大広告をうつ必要もなかったはずだ。「盗人猛々しい」とは、このことだ。
 これまでも述べてきたとおり、電力会社の体質は、九電力の地域独占体制に依存したものである。カネは使い放題、採算は度外視、経営・設備の失敗は利用者にまわす。およそ民間会社では信じられない経営方針で、火力・水力発電から原発へとシフトしてきた。
 時代の要請に耳を傾けるならば、太陽熱や燃料電池、風力、バイオマス発電など、さまざまな方法を組み合わせてソフトエネルギーをつくりだすべできであった。そうした努力を一切拒否し、戦争でも突入するがごとく“原発異常体制”を作り上げてきた。この政府と電力会社の姿勢は許されるものではない。
 電力会社は電力不足だと宣伝しているが、この冬は火力発電の稼働で乗り切れる見通しが立っている。膨大な量の原発をムリヤリ稼働させなくても、電力需要と電力供給量は合っている。これまで火力発電の設備がありながら、それを停止して原発に稼働させてきた経営方針は批判されるべきである。
 原発推進策の行き詰まりは、使用済み核燃料の問題でもあらわになってきている。各原発施設に置かれている使用済み燃料用のプールは、日々増える危険な廃棄物でいっぱいとなり、青森県六ヶ所村にはこばれる順番待ちとなっている。
 しかし六ヶ所村では、使用済み核燃料貯蔵プールに穴があき、漏水するという事態となった。いまや膨大な被爆労働者を生みだしながら、欠陥プール補修に明け暮れている。このようなフン詰まり状態の原発にたいして、なんら反省もなく、まだ糊塗するだけ。原発依存体制を維持しようとしている政策こそ批判すべきである。
 ところが政府は、原発依存政策という失政から生まれた「電力不足」を利用して、定期点検の時間を縮めたり、あるいは休止状態の原発をやみくもに動かそうとしている。これこそまさしく命取りである。電力を人質にとり、すこしでも早く原発の再稼働に認めさせようという電力会社の世論操作など許されることではない。
 原発立地県の福島では、佐藤栄佐久知事が原発批判を強めている。原発推進自治体であった福島県富岡町の遠藤勝也町長は、「県と連携し、国に政策変更させたい」(『朝日新聞』2002年9月25日)と反発している。
 原発行政は身動きのとれない状態になっているにもかからず、原発の危険から市民を守るためにあるはずの保安員や原子力安全委員会は、あいかわらず「原発推進委員会」となって暗躍している。脱原発の一里塚を築くためにも、とにかく欠陥原発の休止は必要だ。

■“不道徳”な死刑を廃止
 
 気の滅入るような話ばかりがつづくなか、最近の朗報といえば、アメリカ・イリノイ州の死刑囚問題である。1月13日、ライアン州知事は、同州の死刑囚167人すべてを、一括して終身刑に減刑するという大英断をくだした。
 「(知事は)3人を40年以上の禁固刑とし、残る全員を仮釈放なしの終身刑とした。これとは別に知事は10日、『拷問によって強要された自白を根拠に有罪判決を受けた』として、4人の死刑囚の特赦の措置を取っていた」『朝日新聞』(1月13日)
 ライアン知事は共和党知事であるが、民主党知事でも発言しようとしない死刑囚の減刑に一気に踏み込んだのだから勇気がある。もともと死刑賛成論者だった彼は、州内の死刑囚に冤罪が多かったという反省から一括減刑を決めたという。『読売新聞』(1月13日)によれば、死刑囚の無実が刑執行の48時間前に判明した経験も、知事が明らかにしたそうだ。
 彼は「死刑制度は不道徳」だという結論にたっしたというが、先進国で日本と並ぶ死刑大国のアメリカにとって、彼の英断は衝撃的な出来事だったはずだ。
 アメリカでは、72年にいったんは死刑禁止の方向に傾いたが、76年には死刑が復活。現在、国内半数以上の38州で死刑がおこわれている。77年から00年までの間に、死刑執行されたのは683人。日本は年間4~5人の死刑が執行されているから、およそ6~7倍の処刑人数である。
 しかもアメリカにおける死刑囚の問題は、経済問題や人種問題をふくんでいる。金持ちは優秀な弁護士を雇って有利に弁論を展開できるが、貧乏人は有能な弁護士を雇える力がなくエン罪が多い。人種差別による誤った判断も、エン罪の温床になってきた。
 死刑大国アメリカでも、ようやく死刑廃止の本格的な議論がはじまろうとしている。これはアメリカ国内だけでなく、日本国内の死刑存続派にも死刑の残忍性を考えるきっかけになると思う。
 イリノイ州では、これから死刑賛成派からの強い反対がしめされることだろう。しかしフランスの例をみてもわかるとおり、死刑廃止は世論がそのまま反映されるものではない。どのような国をつくるのかというきわめて政治な問題である。犯罪への憎しみを犯罪者にむける論理によって、死刑を存続すべきではない。人を殺さない国家。いまそれが強く求められている。(■談)
※韓国を「南朝鮮」と呼ばないので、ここでは「朝鮮」とする。

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