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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/申し入れ 国労50年 二次結果

■月刊「記録」1996年12月号掲載記事

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○月×日

 遂に動き出した。衝撃が走った。事態は一気に緊迫してきたといっても過言ではないだろう。
 既に新聞・テレビ等の報道でも明らかなように、国労はJR各社へ話し合いによる「和解」の申し入れを行った。民営10年目にして、紛争(1047名の不採用問題)の全面解決と労使関係正常化を計り、これまでの対決姿勢を180度転換するという「重大なる決断と認識」に立って臨んだのである。
 これまでにも度々、話し合いによる解決を申し入れてきたが、JR東日本をはじめ一切応じてもらえなかったという経緯がある。しかし今回は政府も橋本総理が労働省・運輸省にゴーサインを出し、永井労働大臣(国労出身)を中心として「政・労・使」の話し合いによるテーブル作りに本腰を入れ動き出したというものだ。
 私はようやくここまで漕ぎ着けたのかと安堵すると同時に、安易な妥協は認められないという複雑な気持ちが入り交じった。「和解」というからには、国労側が相当部分で譲歩し折れるのはいうまでもない。強硬派は早速、完全勝利を叫び、「組合員不在の全国代表者会議決定は認められない」とか、「本部役員の命はない」などと、何やら物騒なことまで叫びつつ、息まいている。
 がしかし、よくよく考えるとやはり「和解」に持ち込むべきだと私は思うのだ。「タコ!ナメクジ!!軟弱者!!」などと言われようが強くそう思う。周りが大騒ぎしないで、一番弱い立場にある闘争団の仲間達が納得のいく内容であればそれでいい。人道上の見地からも早急に「和解」を実現してほしい。今や闘争団の高齢化も進み、無念にも既に9名の仲間が亡くなっているのだ。裁判などでいたずらに紛争を長期化させてはならないと心底思う。
 さて、JR各社の申し入れへの対応はどうだったかである。西日本、東海、四国、九州の4社は基本的に受け入れ理解を示したのに対し、東日本、北海道、貨物の3社は門前払いのところまであり、「裁判で解決するのが一番明確」と断固拒否という旧態依然の非常識な態度に終始している。
 ある程度予想はしていたものの、これでは「東はツヨイ」と西の横綱・曙も言うたに違いない。片や東労組(JR総連)は、東日本の松田社長と一体となり「国労のゴネ得は許さない」と発言している。裏を返せば危機感を募らせているのがありありだ。
 永井労働大臣によれば、「一部に、改革当時に協力した人との不公平を言う人がいるが、1047人はこの10年間、路頭に迷った。これで、広域採用に応じた人との差はついていると思う。この10年間、大きなハンデを背負ってきたと思う」と、さすがにまともな見識を述べておられる。また、国労と政府の会見では、「総選挙後新しい内閣になっても、事務方を含めて、解決すべき問題として引き継ぐことにする」と、解散で雲散霧消にならないよう確認したということだ。
 しかしJR東日本などの対応を見る限り、まだまだ不透明で厳しい道のりのようだが、JRは「人にやさしい、人間尊重」を謳う企業である。いつまでも人権を踏み躙るような横暴は許されるものではない。ますます孤立を深める結果になるのは目に見えているではないか。「ゴネている場合ではない」と、私はそのままそっくり言い返してやりたい。
 不当解雇撤回、1047名のJR復帰を強く求めるものである。

○月×日

 国労にも「綱領」というものがある。それは10項目から成っている。「われわれは、・・・・をめざして闘う。われわれは、・・・・しながら闘う」と、列記してあるのは闘うということばかりだ。闘うことが国鉄労働組合の使命なのである。
 私は先に、「国労は、これまでの対決姿勢を180度転換する」と書いた。各マスコミも「国労の路線転換」と一斉に報じていたが、ちょっと違うようだ。組合の集会によると、現在の会社の国労敵視の労務政策について「改善せよ」と申し入れたものであり、紛争全面解決に向けて闘いをより強化するというのが正しい解釈のようである。何だかよく分からないが、そういうことだ。
 労働組合としての闘いの活動は当然あり得るのだから、闘うと言われれば「うむ」と納得してしまうが、私には難しくて分かりにくいことが多過ぎる。
 国労は今年で結成50年を迎えたという。闘いの歴史を振り返ると、常に国の政治、経済の動向と密接に関わり、国家権力を背景とした闘いが大半を占めると総括されている。人生50年といわれた時代もあったが、正に人間の一生に匹敵するほど重く、人間としての尊厳を賭けた闘いであったと、いま私は確信する。
 これでは何だかとてつもなく大袈裟で、職場の中の闘いとはあまりにも掛け離れすぎていると思ってしまうが、誇張ではなく実際そうなのだ。しかし、みなつながっているのである。したがって、選挙も欠かさず投票してきたが、昨今のどん詰まり的な政治状況も、私には難しくて分かりにくいことが多過ぎる。
 コトが、対国家、政治上の問題となると、雲の上の話のように感じることがある。「オレには関係ないや」と。おエライさん同士のさまざまな折衝があり、相当な駆け引き、テクニック等も要求されるはずだ。となると、私の出る幕などこれっぽっちもないが、私は見極めたい。国労組合員である以上無関心ではいられない。
 それにしても困ったもので、私の頭では許容できる限度というものがある。例えば私達職場の労働条件改善要求である、「社員食堂を設置してもらいたい」などならよく解るが、とにかく私には難しくて分かりにくいことが多過ぎるのだ。

○月×日

「業務連絡、車掌は直ちに電話にかかってください」と、運転士から車内アナウンスがあった。指令から車掌への伝達事項の無線が入ったが、車掌は乗務員室を空けていたので運転士が無線を受けた。その内容を車掌に知らせるために車内アナウンスを発したのだ。私はそのとき特急列車「かいじ」で検札中だった。
 うちの車掌区の担当は中央線、東京・高尾間のいわゆるE電区間のオレンジ色電車が主だが、優等列車である特急「かいじ」を新宿・甲府間上り下り1本だけ受け持っているのだ。
 車掌になったからには誰もが1度は特急列車に乗務したいと憧れるものだ。ダブルの制服、夏は白の麻服と身も心もビシッと引き締まり、何となくカッチョイイが、私はもともと自分のことをカッコ悪いと認識しているので、紺のダブルならまだしも白の上下など死んでもイヤだと全速力で逃げ出したいくらいだ。
 うちは200人からなる車掌区のうち「かいじ」に乗務しているものは30人ほどだが、他労組ばかりで国労はたったの1人しかいない。私ではない。すべてに優秀なIさんだ。これも国労差別として「平等に配置すべき、是正しろ」と何年も前から申し入れしているが、一向に改善されていない。
 ならばなぜ、サイテイの私が「かいじ」に乗務しているのだろう。実はコレ、正規の乗務とは少し異なるのだ。「かいじ」の車掌は2人乗務となっている。列車最後部の乗務員室に1人、中間グリーン車の乗務員室に1人だ。私はその2人の中の1人ではなく、検札だけを命ぜられたお手伝い要員、お助けマンなのである。
 この日の担当お助けマンが休んだため、急きょ私に回ってきただけのことである。なぜ私なのかは知る由もない。ただ会社からいいように使われているだけと理解すればよろしいかと思う。
 さて、私は「お客様一人ひとりの出会いを大切にしたサービスで」というJR東日本平成8年度基本方針を肝に銘じながら、黙々と検札に精を出していた。すると「業務連絡……」があったわけである。「はて?」と私は一瞬戸惑った。これは私への用ではない。正規の担当車掌2人への連絡なのである。それでも「電話へ向かうふりくらいした方がいいのかな」などと思ったが、結局馬の耳に念仏よろしく、われ関せずで検札を続行した。
「電話にかかれって言ってますよ、車掌さん」とおっしゃる乗客はいなかったが、なかには応じぬ私をヘンに思った方もいるかもしれない。実は私自身ちょっぴりヘンな気分だったのだ。「オレって車掌?…だよな」と。
○月×日

 もう誰とも会いたくない。喋るのもイヤだ。分かっていながら、微かな望みを捨て切れぬ愚かな私だった。
 出勤したら主席助役に呼ばれた。「斎藤さん、二次の結果だが、ダメだったよ、頑張ってるの分かってるんだけどね」。不意をつかれた強烈なパンチだった。それでも私はショックを精一杯堪え、「また1年ですか」と一言だけ言い、一礼して退室した。
 大バカな私は、万が一受かったら主席に言うことまで考えていたのだ。「合格はご辞退申し上げます。時期尚早、私はまだ若い。次点の仲間にお譲り下され」と。国労の団結強化と、己の労働者意識を更に高揚させるためにだ。なんちゃって、嘘、嘘、ウソです。心底受かりたかったのだ。グスン。しかし、落ちて当然だ。私はこうして会社を批判している人間なのである。受かるわけがないのだ。『記録』のこともきっと筒抜けなのだろう。 やけに長かった1日の勤務を終え、「飲むしかないな」とウイスキーを呷った。琥珀色の大海原にどっぷり浸ると、怒りと苦悩が波のように押し寄せては引いていった。後はもう、舟を漕いで沈没するだけである。「どうせオレはサイテイだ、お前なんか大っキライだ」。

○月×日

 休みだった。仕事のことは忘れてリフレッシュしたいと思った。先日何年ぶりかでタイヤを交換したので「一丁、転がしてみるか」と外へ出た。
 自慢ではないが、私は何十年と無事故を貫き通してきたのである。運転はお手のものだ。それにしてもナカナカ調子がいい。さすがブリヂストンタイヤだ。あの信号を右折してあそこの路地へ入るとしよう。自動車進入禁止の標識があるが構わない。どこへでもスイスイ行ってしまう。ベリィ・グゥ。新品のタイヤは乗り心地がやっぱり違う。抜群だね。よしよし、いいぞ私の自転車。いいヤツだ。
 さて、別に行くあてなどなかった。清々しい郊外の空気を求めてペダルを漕いでいた。爽やかな風に吹かれてひたすら西へと進んでいたのだが、ついウッカリ左折して南に向かってしまった。イケナイ、イケナイ、もう少しで危うく中央線にぶち当たるところだった。まっぴらだよ。仕事のことは忘れたい!! なのだから。
 しかし、こうして武蔵野台地大横断を悠々閑々断固決行していてたら、ふと驚く事実に直面してしまった。「ウーム」と唸ると同時に尻込みせざるを得なかった。住いのある武蔵野市から、小金井市、小平市、国分寺市と突き進んで行ったわけだが、どの街へ行ってもある、ある、アル。私の会社、JRがあるのである。がんじがらめだ。私は完全に包囲されている。もはや逃れることはできない。これでは仕事を忘れてリフレッシュどころではない。
 私はうなだれながら「しょうがない、家の中が一番いいか」とスバヤク引き返したが、この家とてJRの社宅なのだった。ケッ。 (■つづく)

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