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ホームレス自らを語る/ついに残飯に手を出した・山口賢一(六四歳)

■月刊「記録」1998年1月号掲載記事

*        *        *

■ほおの肉がガバッと落ち

 ホームレスになったのは、根がまじめすぎたからだ。 二七歳のとき、いきなり眠れなくなった。布団に入っても目はさえるばかり。眠れない不安が頭のなかを夜通し駆けめぐり、不安からさらに眠れなくなる。もう悪循環だ。気づいたら三日も寝ていなかった。
 知ってるかい。眠らないでいると顔がやせちまうんだ。ほおの肉がガバッと落ち、ほお骨は妙にせり上がる。もっと異様なのは目だ。落ち込んだ眼球だけがギラギラと光りだす。
 会社の同僚も、おれの異変にすぐ気づいた。「変だから、病院に行け」とね。わずか三日間で形相が一変したんだから周りも驚いたと思う。三七年も前のことなのに、自分の怪しい目つきは今でも覚えている。もちろん同じ症状に悩んでいる人の顔はすぐに見分けがつく。普通じゃあんな目つきにはなりたくてもなれないからな。
 そんな状態だったのに、おれはまだ病院に行かなかった。すると今度は布団から起き上がれなくなった。体中ダルくて力が入らない。それでも仕事は休みたくないから、壁を伝い文字通りはうようにして職場までたどり着いた。しかし会社に着いたところで、そのときやっていた肉体労働の仕事なんかできるはずもない。仕方なく病院に行ったが、医者は原因不明だという。外傷はもちろんないし、内臓にも悪い部分はなかった。最後に回されたのが精神科だった。ついた病名は神経衰弱。
 当時は精神科への偏見がひどかったからね。精神科にかかる患者は、日常生活も営めないほど気が狂っていると思われていた。だから自分以上に周りが大騒ぎをした。会社からは「すぐに休職しろ」といわれたしな。まあ、おれが暴れるとでも思ったのかもしれない。
 結局、実家から病院に通院して、療養することになったんだ。おふくろと三人の兄弟はよく面倒をみてくれた。団結した家族だったからな。
 おれたち家族は満州から引き揚げてきた。おやじが死んだのは終戦後の一九四六年。おふくろは生活力のない人だったから、帰国後に家計を支えたのは二人の兄貴だった。でも貧乏でね。弁当なんか学校に持っていけたことはなかったし、米も食えない。食べられたのは大根汁くらい。おれも中学二年に埼玉の大石村中学校を中退して、農家に奉公に出た。体が成長していない上に、ろくなものを食べてなかったから力が出ない。二〇歳まで働いたが、仕事ができるほうではなかったね。

■結婚願望と同僚との不仲

 病気とはいえ、ほぼ一三年ぶりに息子が実家で生活することになったんだから、おふくろも喜んでいたよ。よくおかゆを作ってくれてさ。おれも久しぶりに楽しかった。もっとも、病気はかなり深刻な状態が続いた。不眠症はよくならず、眠れない日々が一週間続いたこともある。何より不気味だったのは、声が聞こえることだ。部屋に一人でいるのに入れ替わり立ち替わり、いろいろな声が耳元で悪口をいう。思い過ごしだと何度もいわれたが、始終悪口を聞かされるのはつらかった。完治するまでの半年間は地獄だったよ。結局、この病気がおれの人生を変えた。
 精神病の直接の原因は結婚への願望と同僚との不仲。今考えるとたいした話ではないが、当時は純情でひたすらにまじめだったからね。耐えられなかった。
 当時で二七歳といえば、結婚適齢期。おれも切実に結婚したかった。子どもも好きだったしね。月並みないい方だが、温かい家庭がほしかったんだ。けれども収入が問題だった。
 農家での奉公のときは月給二万円。二〇歳で上京したときに運送会社の社員になり、列車のコンテナをトラックに積み替える仕事についた。これで月収は数倍に跳ね上がったが、妻子を養うには十分じゃない。
 もちろん同じくらいの給料をもらっていた同僚の中にだって結婚した者はいる。おれにも適当に女がいたし、上司の奥さんからは娘を嫁にどうかといわれていた。だが、生活の不安を度外視してまで一緒になりたいと思える女は現れなかった。結婚にまでは踏み切れなかったんだ。
 上司の娘というのは背が低くて、容姿も並み以下だった。それはいいとしても、何より働くのが嫌いな娘だった。「おれの給料では養っていけませんから」と断ったら、数ヶ月後に同じ会社のマネージャーと結婚した。おれと暮らすよりは幸せになれたんじゃないかな。おれが高望みをし過ぎたのかもしれない。そのくせ結婚できない引け目が、自分の心を追いつめていった。
 同僚との不仲は、すぐカーッとするおれの性格が災いした。殴ることはないが、腹が立つと大声でどなりつけてしまう。昔のことで理由は忘れたが、その悪い癖が出て同僚を大声でどなりつけてしまった。冷静になったときには、二人の間に大きなわだかまりができていてね。それがのどに刺さった小骨のように心を刺激し続けた。気がつけば神経衰弱だよ。
 結婚問題も同僚との不仲も、事態を改善するチャンスはいくらでもあった。ところが解決できなかった。もちろん笑い飛ばすこともできない。まじめで融通のきかない、この性格が神経衰弱の遠因だろう。性格は一朝一夕には変わらないから大変だよ。
 病気が落ち着いてから診断書を携えて会社に行くと再雇用してくれた。さらに不仲だった会社の同僚は、おれが精神科に世話になったと聞いてはれ物に触るように優しくなった。何でも、おれのことを気づかった上司が「あの人は神経の病気だから」と、社員全員に含ませておいたらしい。まあ、仕事がしやすくなったことは確かだ。
 病気の再発を心配していたわけではないが、自分の健康にいまひとつ自信が持てなくて、結婚もあきらめがついた。けれども、今でも子連れの夫婦を見ると、「病気になった時期に結婚していればな」とは思う。現在住んでいる場所が上野不忍池の脇だから、上野動物園に向かう大勢の家族連れがおれの横を通り過ぎていくんだ。やはり寂しいな。

■死体がブラブラしていた

 病気の次に訪れた人生の転機は失業だった。
 八九年一月、おれは五六歳になっていた。寒かったので卓上コンロに火をつけて暖を取ってたら、近くにあった石油に引火したんだ。すぐに気づき、布団をかぶせて消火したからボヤですんだが、社員寮で火を出せばいづらくなる。三六年働いて退職金は三三万円、積み立てていた保険を解約して一〇〇万円、合わせて一三三万円を持って寮を出た。
 とりあえず向かったのは群馬県の水上温泉だ。酷使してきた体を休めたかった。それから手配師に声をかけてもらうために浅草へ。三本立ての洋画をみて、街をうろつき出したころには日も暮れていた。手配師からはすぐに声がかかったよ。それからは飯場がおれの家になった。
 飯場では一五日ごとにおカネが入り、その現場が気にいれば滞在を更新していく。いくつかの現場をわたり歩いたけれども、最後は新宿中央公園の前にある高層ビルだった。時給八〇〇円の八時間労働で二年働いた。仕事はきついよ。多いときには一日六台もダンプカーが来て、次々に廃材を運んでいく。休むひまなんてないね。でも仕事があるうちはよかった。当たり前だが、ビルはいずれ出来上がる。そしてビルが完成したとき、おれは六〇歳の大台に乗っていた。もう手配師も仕事を紹介してはくれなくなった。
 ついに仕事がなくなったのは、上野が花見でにぎわう四月だった。最後にもらった五~六万円で映画をみたり、食事をしたりしたが、四日後には使い果たした。手配師のところにも何度か通ったが、どうしても仕事をくれない。そのうち腹も減ってきて、ついに残飯に手を出したんだ。
 JR上野駅近くに狙いを定め、居酒屋が出したゴミ袋を開けた。その白いゴミ袋の中には、焼き鳥や唐揚げがどっさりつまっていた。袋の中に手を入れ、焼き鳥の串をそっとつまみ上げた。腐った臭いもしないし、見た目もきれい。思い切って口に入れたよ。もちろん冷めていたけど、これが飯場の飯より全然うまいんだ。料理屋のだから当たり前だよな。
 こりゃいいやと思ったね。働かなくてこんなにうまいものが食えるならば、仕事がもらえないとクサることもない。しかも、連日花見客でにぎわっていた時期だったから、花見客が残した弁当が豊富にあるし、ウイスキーの飲み残しも手に入って、毎日楽しいくらいだった。
 普段だって夜の街を巡れば、食いきれないほどの飯があるものだ。おれが通っているそば屋なんか、午前二時の閉店とともに温かいご飯を捨てる。これがまたうまい。食べきれないときは、塩をふって握り飯にして持ち帰るようにしている。
 ホームレスになって、ずいぶんと身を持ち崩したなと思う。職を失ってからは実家にも帰っていない。兄弟は皆、家を建てるくらい成功しているのに、自分はなんてみじめなんだと思うことはあるよ。でも自殺しようなんて思ったことはない。神経衰弱のときだって、死にたいとは思わなかった。
 ここ二年の間にも、上野でサラリーマン二人が自殺している。どちらも首つりだ。不忍池のほとりにある柳の木と、上野公園の斜面に生えている木だ。池のほとりの死体は、おれの知り合いがぶら下がっているのを見た。夏の朝四時ごろ、朝焼けに照らされた中年の死体がブラブラしていた。靴の先が水面につきそうなほど柳の木がしなって、寂しい光景だったそうだ。うわさ話によると、失業に悲観しての自殺らしいということだった。
 生きていれば、たまには楽しいこともある。酔っ払いが「頑張れよ」なんていって、カネをくれたりな。そんなカネで焼酎を飲むと、これがうまいんだ。励まされると生きる元気もわいてくるよ。
 人間は生きるために生まれてきたんだから、おれも胸を張って生き続ける。みじめと感じることもあるが、恥じることは何もしていない。いつか寒さに負けて、自然に死ぬだろう。その日まではおれは生きていく。 (■了)

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