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ホームレス自らを語る/競馬にさえ手を出さなければ・藤井勉(五三歳)

■月刊「記録」1999年9月号掲載記事

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■競馬を覚えたのが運の尽き

 生まれたのは秋田県のN市でした。何でも、おじいさんはN市の市長を二期務めたとかいう話です。私が生まれる前で、戦前のことだからよくわかりませんけどね。裕福な家だったことは確かなようです。
 私が生まれて、しばらくして農地改革というのがあって、ほとんどの土地を取り上げられてしまったらしいです。それで、おやじは嫌気がさして一家で東京へ出てきてしまったようです。私が2、3歳ごろのことだから、全然覚えてませんけどね。だから、育ったのは東京っていうことになります。
 おやじが三菱重工に就職したんで、一家で東京・江東区にあった社宅に入りました。私は6人兄弟の末っ子で、せまい社宅に家族が多くて大変でした。でも、暮らしのほうは恵まれていたと思いますよ。
 子どものころの私は、勉強も体育も苦手で、どっちかっていうと暗い子でしたね。中学校を出て、都立の農業高校に進みました。もちろん、ちゃんと本気で農業をやろうと思ってたんですよ。何しろ自分には一番合っているような気がしたし、あのころはまだ周りに田んぼや畑もありましたからね。
 ところが二年生のときに、同じクラスの子とケンカをして、それで学校に通うのが嫌になってきて辞めちゃいました。けがをさせたとか、されられたとか、そんな大ごとのケンカじゃないですけどね。原因だって些細なことですよ。けれども、どうしても学校には行きたくなくなっちゃったんです。
 高校を中退して、都内の印刷工場に就職しました。オフセットでチラシとかカタログを印刷する会社で、まあ大きいほうの会社でしたね。私がしたのは紙積みっていう一番下っ端の仕事。その会社にいた六年間は、ずっとそればかりやらされてました。
 20歳のころから競馬に凝るようになって……。今考えると、その辺から人生が狂い出したような気がします。周りの工員の仲間が、みんな競馬をしてましたからね。私もついつられて始めたのが運の尽きです。
 もう毎週日曜日になると、5万円くらいのカネを持って、「府中だ」「中山だ」って通っていました。そのころはまだ両親と一緒に例の社宅で暮らしていましたし、酒も女もしませんでしたから、給料はほとんど競馬に注ぎ込んでました。
 一レースで206万円を当てたこともあります。そうなると、朝会社に行くふりして家を出て、船橋、川崎、大井、浦和の地方競馬に直行です。そんなわけで会社のほうは、解雇に近い状態でクビになってしまいました。すぐに別の印刷会社に移りましたが、競馬でちょっと当てると、もう会社には行かずに競馬場へ行ってしまうのは変わりませんでした。当然その会社も長くは続きませんでしたね。
 競馬の魅力は何かって?魅力なんてありませんよ。ただ、何となく行っちゃうだけ。惰性ですよ。理性では「ギャンブルはやめなくてはいけない」とわかるんですけどね。ついフラフラと体が競馬場に行ってしまう。一日競馬をやっていると、二、三レースは当たって取れるでしょう。あれがいけないんじゃないですかね。こわいですよね。ギャンブルはホントにこわいもんですよ。

■面接のために身ぎれいに

 あとはずっとホームレスです。そう、30歳になる前からですから、20年以上続けていることになります。日雇いで稼いだカネで競馬に行って、カネがあればドヤ(簡易宿泊所)に泊まって、なければ公園のベンチに寝る。そんなのをずっと続けてきたんです。
 そういえば、何年かぶりで一度だけ印刷会社に就職したことがありますよ。「いつまでもホームレスをしていられない」と思い直しましてね。けれども、今は印刷機もみんなコンピュータ制御になっていて、使い方なんてちっともわかりません。ちょっと離れている間にずいぶん変わってしまって、昔の経験なんてまったく役に立たなくなっていました。またまたホームレスに逆戻りです。
 それからは気持ちもすさみましてね。酒も覚えて浴びるように飲みはじめました。日雇いで稼いだカネを今度は酒にも注ぎ込んじゃう生活ですね。
 これでもギャンブルを始めるまでは、「結婚して家庭を持って、しっかりやっていこう」って、人並みの夢は持っていたんですけどね。結局、結婚もできませんでした。性格が弱いんでしょうね。つくづく、そう思いますよ。
 こんな生活を20年以上も続けてますから、もう慣れましたし、暮らしていくのに不自由はありませんね。飯も三度、三度食べてますからね。
 ただ、最近は日雇いの仕事がなくなって、カネがないから競馬と酒はやれなくなりました。まあ、仕事があったとしても、体がついていけるかどうか自信はありませんけどね。今はプロ野球のチケットの列に並ぶ仕事が、たまにあるくらいです。
 それに50歳を越えると、冬に野宿するのがつらくなりましてね。冬は体にきついです。だから、もうこんな生活はやめたいですね。
 そのためには仕事をしないと……。ビル掃除のような仕事でも、何でもいいですからね。でも、なかなか仕事はないですよ。
 仕事につくための努力はしていますよ。こうやって、身ぎれいにしているのも、いつでも面接に行けるようにと思っているからなんです。
 役所に就職の相談に行ったこともありますが、役人は口でいいことをいうだけでアテにはできませんね。役所の紹介で行っても、面接ではねられるのがオチですよ。 あのまま印刷会社で働き続けてたらどうだったろうとか、競馬にさえ手を出さなければとか、いろいろ考えますよね。いまさらどうしようもないですけど……。改めて、ギャンブルってのはこわいもんだと思いますよ。 (■了)

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