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ホームレス自らを語る/いい時期はあったんです・川本幸夫(六四歳)

■月刊「記録」1999年7月号掲載記事

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■マイナス18度での労働

 生まれは、茨城県の水戸市です。おやじはJR、そのころは国鉄って呼ばれていたけれども、そこで働いてたッス。何してたんだかわかんねえけど、事務員のようなことをしてたんじゃねえかな。転勤が多くて、あっちこっちで暮らしてたです。
 ワシは中学校を卒業して、一人で東京に出てきたッス。「東京ってどんなところだべ」って思ってね。上京してみて、「はあ、東京は人の住むところじゃねえ」と思ったッスよ。何たって戦後すぐのことで食うものがないでしょう。マッチ一本まで配給の時代だからね。今の人にこんなこと話してもわからないでしょう?
 東京では、ビルの建設現場で働いたッス。そのころは足場なんてのも、いいかげんなもんでな。手すりもない足場だから、何回落っこちたのかわからないほどッスよ。ホントですよ。裸になって傷跡を見せてもいいですよ。寒いときは、今でも神経が痛むんッスよ。
 一番ひどかったのは、30メートルもの高い足場から落ちたときですよ。どうなったかって? どうもこうもねえ。ワシは意識不明の重体だもの、何も覚えてないッスよ。病院で気がついたら、手も足も骨折していて、もう体がバラバラな感じだったですよ。治るのに2年半もかかったッス。ホントッスよ。
 それから北海道にわたったんです。森林を伐採して、木材を切り出す仕事でな。北海道の山はこんなに急なんですよ(手で指し示す)。すごいんだから、ホントですよ。そんなところで仕事するんだから、そりゃあ大変だったッス。
 切り出した木材を足の太い馬に……、そう道産子って馬だったな。それに引かせて急な坂を登ったり、下ったりするんだからね。一度は乗っていたトラックがひっくり返って放り出されたこともありますよ。
 大変なのが冬です。何しろマイナス18度まで下がりますから。寒いとか、痛いなんてもんじゃないですよ。苦しい。息をするのが苦しいんですから。そんななかで、こんな急なとこで働くんだから。人にゃあいわれんが、ワシャ苦労してるんだ。ホントッス。(涙を流し始める)

■家族で新宿に住んでいた

 北海道に8年くらいいて、また東京に戻りました。人の住むとこじゃない東京で、また働くようになったんです(笑)。
 二度目の東京では、まず造船会社でな、そこの社員になった。ホントッスよ。造船が忙しいいころでね。でっかいタンカーとか造ったッス。ワシらの仕事は溶接とか切断だったな。
 船っていうのは、下から造っていくんです。ビルの仕事と違って、船には曲線があるから、作業するのが難しいんだね。最後のころは、足場もうーんと高くなる。ふと気づくと、隣で働いてたやつがいなかったりしてね。「あれ? やつはどこいったべ」って、みんなで探していると、下の海に土左衛門になって浮かんでいたりしてね。そうやって何人も落ちて死んだッス。ホントッスよ。
 結婚したのは、36歳のときです。それから角筈三丁目、今の西新宿三丁目ですよね。そこにずっと住んでいたんです。ここの新宿中央公園からすぐそこッス。だから、今でも昔の町内会の知り合いに会ったりしますよ。 あのころが一番よかったですよね。ワシらが40代のころだな。景気もよかったし、月100万円も稼いだことだってあるんですから。ホントッスよ。町内会で葬式を出すときは、受付を手伝ったりしてね。すごいでしょう。葬式の受付なんて、信用がないと任せてもらえないんだからな。そうでしょう?
 結婚して一年半後には男の子も生まれました。いい時代だったッスよ。

■一回失敗すれば人生終わり

 造船所では19年働いていましたよ。辞めたのは、昭和の終わりごろでした。職人同士っていうのは、人間関係が難しいんだな。北海道の伐採の仕事を辞めたのも、人間関係がうまくいかなくなったからでした。どういうわけか、ワシは人間関係がうまくいかないんですね。それが運の尽きッスよ。
 それからは、飯場に入って、土方の仕事をやりました。だけど、慣れない仕事できつかったッス。土方の仕事では大して稼げないし、まとまったカネを手に入れることもできないでしょう。女房は子どもを連れて、実家に帰っちゃいました。
 ワシらにもいい時期はあったんです。カネはあったらあったで使っちゃったしね。もっと考えて、うまくやってればって今となっては思うけれども……。
 まあ仕方ないですよ。一回失敗すれば元には戻れないんだから、仕方ないッスよ。
 女房の実家はすぐそこなんですけどね。今でもそこで子どもと暮らしていると思いますが、会いには行けないッス。いまさら「親でございます」なんて、子どもの前には出ていけないでしょう。
 今、夜は適当なとこに寝てます。ビルとビルの間の雨の当たらないとことか探してね。冬だって段ボール一枚敷いただけの上に寝てるんですよ。ホントッスよ。仲間のみんなもびっくりして、「そんなことしてたら死んじゃうよ」っていうけれども、寒いところでやってきてるから平気なんッス。鍛えられてますから。
 それに、自分なんかいつ死んでもいいと覚悟はできてるしね。口には出さんけど、人生何年生きたって同じ、死んだほうが幸せッスからね。最後は一人なんだから、ワシはいつ死んでもいいと思ってるんです。ホントッスよ。
 まあワシらの話なんて、誰も聞いちゃあくれんですよ。こんな話を聞いてくれて、気がスーッと楽になったッス。ホントッスよ。ありがとう。ありがとう。 (■了)

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