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ホームレス自らを語る/段ボール生活は息抜きさ・柴田和夫(四八歳)

■月刊「記録」1998年3月号掲載記事

*         *         *

■もう少しで死んでいた

 ドスーンという音とともに、熱い空気の塊がおれを吹き飛ばした。でかい木槌で殴られたような痛みを体に感じたときには、粉塵が舞い上がり、炭鉱の坑内は真っ暗。すぐに事故だとわかった。
「おい、大丈夫か」
 仲間に声をかけると、暗やみから「オー」と返事がしてね。ホッとしたよ。それから皆で縦坑までの二〇〇メートルを歩いたんだ。縦坑に行けば電話で状況を確認できるし、坑内を脱出するゴンドラや救急用具、そして何よりも空気がある。
 炭坑事故でこわいのはメタンガスだ。ガスは目に見えない上に、濃度が高まれば爆発する。もちろん呼吸もできなくなる。だから通風口の役割を果たす縦坑付近は、坑内でも最も安全な場所なんだ。
 縦坑にたどり着いたとき、助かったと思ったね。残る危険は坑内火災だけだから。当たり前だが炭坑は石炭だらけなので、事故で坑内火災が発生すれば、どんどん燃え広がる。自分のいる場所まで火が迫ってくれば、死ぬほかはない。だから冷静に考えると坑内火災だって十分こわい気がするが、ヤマで働いていると危険に少しずつ鈍感になるから、そんな状況でも平気なんだ。ゴンドラに乗って脱出できるまで一時間も待たされたのに、不安なんかみじんも感じなかった。
 炭坑は日々危険と隣り合わせだ。四〇センチくらいの丸太柱なんか、落盤が始まれば三秒で折れちまう。だからといって落盤をこわがっていたら、仕事にならない。「今日、何か山鳴りがするな。そろそろ危ないじゃないか」なんて仲間と言い合いながら、平気で入坑する。それだけじゃない。おれなんか坑内でタバコを吸っていたよ。もちろん坑内は、火気厳禁だったけれどな。
 そんなおれでも、地上に戻って事故の状況を確認したときは驚いた。ほんの少し場所が違っていれば、死んでいたとわかったからだ。爆風は壁にぶつかり反射しながら進んでいく。そのため爆心地から等距離にいても、坑道の角度によっては影響が出ない。おれが働いていた坑道は、爆風が直接吹き込む場所ではなかったから助かった。悪運が強かったんだろう。
 もちろん運のいい人がいれば、悪い人もいる。
 社宅に帰ると、近所の奥さんが声をかけてきね。「うちの人、大丈夫ですか」って聞かれた。自分からさほど遠くない現場で働いていたことを知っていたから、「いやー、大丈夫でしょう。元気で出てくるよ」と答えた。その後すぐだよ。遺体が引き上げられたのは。朝、一緒に社宅を出た仲間だった。「弁当のおかずは何だ?」なんて話をして「今日、一杯飲もう」と約束したのに、それが最期の会話になっちまった。
 ヤマで暮らす者は連帯感が強い。特に隣近所は仲がいい。死んだ友達も、家族みたいなもんだった。それなのに、あんな軽はずみな受け答えをしてしまった。奥さんのことを考えると、今でも言葉に出せないくらいつらいよ。恥ずかしくて、あいつの葬式には顔を出せなかった。家で酒を飲み、一人で供養した。

■仲間を残して坑道封印

 一九七〇年一二月一五日、北海道上砂川町の三井砂川炭坑でこの事故は起こった。死んだのは一九人。事故直後から何度か仲間を助けるため入坑したが、落盤が起きた場所はひどい惨状で、とても彼らが助かるとは思えなかった。そんな状況だけに、地上で新聞記者やテレビクルーに囲まれたときには腹が立ったよ。
「中はどんな様子でしたか」
「救出作業は進んでいますか」
 行方不明者の家族も見聞きしているのに、そんな質問に答えられるはずがないだろ。ひどい取材者になると、平気で作業のじゃまをする。取材していたテレビカメラマンとぶつかって、カメラが壊れたこともあったよ。そのときのカメラマンの言いぐさはひどかった。「これ高いんですよ」と、血相を変えて言い放ったからな。
 こっちは仲間の命を救うために、体を張って救出作業に向かっているんだ。坑内火災はおさまらない。ガスの濃度は上がり続ける。二次災害がいつ起こってもおかしくない状態で、救出は続けられていたんだ。坑内火災が収まるように炭酸ガスを吹き込み、おれらは救命器をつけての作業だよ。そこまでしたのに事故発生五日後には、三人の仲間を坑内に残したまま空気を遮断することになってしまった。酸素を遮断して坑内火災を消さなければ、第二第三の爆発が起きるところまで、追いつめられたからだ。
 もう生きている可能性はなかっただろうが、酸素がなくなって火が消えるまで、三~四ヶ月も彼らを坑内を置き去りにするのは悲しかったよ。当時、おれが二〇歳の若造だったから、余計にそう感じたのかもしれないがね。
 こんな悲しい事故もあったが、ヤマでの生活は楽しかった。特に三つ年下の女房と結婚してからは幸福だった。二三歳のときに、息子も生まれた。子どもはかわいいし、女房のことも好きだった。力一杯仕事をして、家族を見ながら酒を飲む。静かな幸せだったんだ。

■突き付けられた離婚届

 転機が訪れたのは、二八歳。リストラだよ。一緒に働いていたおれのおじは、他のヤマに移っていった。でもおれは、新しい人生にチャレンジしたかったんだ。炭坑夫を辞めて、仕事のない上砂川を出た。ドックでの船の溶接をする職場を見つけたので、函館に単身赴任して仕事に明け暮れた。まさに食うためだったね。家族が生きていくために働いたんだ。それなのに函館で暮らし始めて一年、女房から離婚届を突き付けられた。
 函館で働き始めた当初は寂しくてよく家に帰ったが、忙しさのあまり、つい足が遠のいちまったんだ。それが女房にとってはつらかったのかもしれない。ケンカをしたわけでもなく、嫌いになったわけでもない。浮気はしたが、ちゃんとした女がいたわけでもない。ばくちに狂ったわけでもない。離婚する理由なんて見つからないんだ。だけど、別れたいなら仕方がない。書類に判をついて東京に向かったよ。
 東京での仕事はトビだ。高い場所は平気だったし、ドックで建設の基礎は習っていたから苦労もなかった。しかも函館時代、おれは溶接工の免許を取得していたから重宝がられたよ。そのうえ数年後には、足場の組み方を自然に覚え、足場トビ職としても仕事ができるようになった。
 長く勤めていたいくつかの会社からは、いつも親方にならないかと誘われた。でも同じ会社で働き続けると、社内の無用な争いに巻き込まれることになるんだ。小さな派閥闘争とかな。それが嫌で親方になるのも断り、どこも数年で会社を辞めた。
 給料の高い足場トビとしていくらでも仕事があったから、争いを続けてまで、その会社に固執する気にはなれなかったんだ。一度なんか、社長と専務がそろっておれを引き留めにきたからな。でも「おれ、辞めっから」といって出てきた。
 今、おれにとって一番大事なことは、自由気ままなこと。食って、寝て、酒が飲めるだけの給料をもらえれば、どこで働いてもかまわない。給料が高くても奴隷のようにこき使われるところならば、その日のうちに辞めて、少々日当が安くても人情味のある職場を選ぶんだ。仕事にあぶれたこともない。
 おれがホームレスをしているのは、したいからだ。息抜きみたいなもんなんだ。数週間、飯場で仕事を続けていると、公園でブラブラしたり、段ボールで寝る生活がしたくなる。負けおしみじゃないよ。実は日雇い仕事を辞めて、生活する方法もあるんだ。実家に帰りゃいいんだからさ。
 北海道の実家は飲食店を経営してるし、それなりにはやっている。今、経営をしているのはおふくろと妹だが、店の権利はおれのものだ。妹に連絡をするたびに、「早く戻ってこい」といわれるよ。おれ自身、帰るのも悪くないとも思う。店で働くために通信教育で必死に勉強して、調理師と食品衛生管理者の免許も取得したんだよ。でもなあ、おれがいなくてうまくいっている場所に、ノコノコ帰っていくのも悪いと思うんだ。自分の体が動き、職に困らないうちは、自分の力だけで食っていったほうがいいだろ。

■人生で一番幸福だったのは・・・

 まあその他にも、少し帰りづらい理由があるんだ。
 一〇年以上前だが、開店の祝いに店を訪ねたんだ。家族にあいさつをして、ふと店の奥を見ると、何か見たような女が働いている。「誰だ、あれ」とおふくろに尋ねると、「まあ、見てきてごらんよ」といわれた。正面に回って驚いたよ。別れた女房なんだ。どうしてかわからないけれど、おふくろと妹、そして別れた女房が一緒に働いていたんだ。
 女房との間に特別なわだかまりがあったわけでもないが、何となく互いに気まずいもんだ。どうしてそんな話がおふくろとの間でまとまったのかは知らないが、自分から別れた亭主の実家で働くなんて。女はすごいねえ。 とはいえ女房が実家で働いているのを知って、ホッとしてるところもある。女手一つで生きていくのは大変だが、おれの知っているところで働いているなら安心だ。女房は知らないだろうが、子どもの教育が終わるまで、おふくろを通して毎月欠かさずおれは送金し続けていた。いつも心の片隅に、家族のことは引っかかっていたからだ。
 今の生活は悪くない。縛るものもない。無益な争いもない。好きに働き、好きに眠れる。仲間も死なない。でも一人で酒を飲んで思い出すのは、なぜか炭坑で働いていたころなんだ。あれだけ危険な職場で、今ほど自由もなかったのに……。
 家族とヤマの仲間に囲まれて暮らした日々が、おれの人生では一番幸福だった。それだけは確信しているよ。

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