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北朝鮮と新潟 第2回/拉致問題によって被害者から加害者に

■月刊『記録』05年5月号掲載記事

 日朝平壌宣言後も両国の協議が設けられるなかで、絶えず北朝鮮政府は安否確認の情報を提供していたはずだ。しかし、安否情報はなぜか拉致被害者家族会の怒りと絡めて報道され、いつの間にかその情報は「信用できない」ものとの絶対的な断定が加えられてしまう。そして結局のところ、「北朝鮮よ、真相を伝えよ。でなければ、経済制裁の強硬措置もあり得る」となる。おかしな倒錯が毎度のように起こるこの現実に、疑問を覚えるのは私だけではないはずだ。
 平壌宣言の前文では「両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和を安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した」とある。
 しかし、日本人拉致、北朝鮮報道がやたらに連日のように報道されるようになって以降の、日本政府、日本人の在日朝鮮人、北朝鮮政府に対する扱いは、明らかに日本側の日朝平壌宣言無視だ。
 北朝鮮政府に決して問題がないわけではない。独裁体制を敷き軍隊に総力を結集するがために、飢えて死亡する国民も少なくない。だが、北朝鮮をこのような状況に追いやったのは、北朝鮮への孤立政策を進めるアメリカであり、そのアメリカに追従するばかりであった日本ではなかったか。北朝鮮に「悪の枢軸国」とのレッテルを貼り付けて孤立させて、北朝鮮へのネガティブキャンペーン一色という状況をつくり出した。そのような境遇に置かれた北朝鮮が核という切り札に手を伸ばすのは、当然のなりゆきとも言える。北朝鮮批判が嵐のように轟轟と吹き荒れる日本国内だが、批判すべくは日本政府でありアメリカ政府ではないのか。
 現在の北朝鮮の統治体制は、戦時中の日本もこのような姿だったのだろうと想起させられる。そして対外的に置かれている境遇もかつての日本と相似しており、日本は国際的に孤立して戦争へと向かった。異なるのは、日本はアジアの対外諸国へ侵略を行い自国の活路を見出そうとしたことだ。現在、日本人が北朝鮮に向ける、さも奇異なものを見るかのようなまなざしは日本人拉致への怒りに任せて、かつて戦時中の日本国が行った侵略行為に対して反省の色合いなど少しも帯びていないのではないか。
道路料金所で始まる尋問
 北朝鮮に対する敵意が日本人間で高まるなか、新潟の地で在日朝鮮人の人々の境遇はどんどん厳しくなっている。先に登場した朝鮮総連新潟県本部の金鐘海副委員長は、あからさまな冷遇を味わった。
  「縁側で茶を飲む仲だった隣人が、拉致事件報道が過熱して以降、そっぽを向くようになりました」
 金副委員長は思っていることがすべて口を突いて出るのか、私の前でも日本人へのアンチ感情を包み隠すことがない。朝鮮人の強制連行についても
  「自分も拉致被害者。強制連行の過去がある。強制連行されてきておとなしく生活しているのに、日本人拉致の問題で、私ら被害者が加害者として仕立て上げられている」
と自らの思うところを率直に口にした。
 金副委員長は頑固親父といった風貌で、畳み掛けるような話し方が印象的だ。私が総連を訪ねた時、副委員長は私を胡散臭がったが、話をしているうちに打ち解けたのか、万景峰号の来泊で多忙な中を2時間以上も時間を割いて話をしてくれた。
 副委員長は在日2世で岐阜生まれの新潟育ち。54歳になる。小学4年生になる9歳に新潟に移り住んだ。小学1年から3年生まで通った小学校では、日本人が勉学する学級とは別に民族学級に振り分けられ、昼から登校して夕方の4、5時に帰宅するという生活を送った。高校は東京の朝鮮学校に行き、その時にそれまでの「金田」という通名を捨てて現在の民族名を名乗るようになる。大学に当たる朝鮮大学校を経た後、新潟で朝鮮学校がちょうど開校した1968年に教師として赴任し、8年前から県本部での任に当たっている。
 日本での差別体験は、数知れないという。高速道路の料金所で免許証を見せたところ、民族名で朝鮮籍なので料金所の係員が怪しんだ。係員は「身分を証明するものを見せてみろ」と告げる。「そんなことをする権利があるのか?」と問えば、「免許証と外国人登録証を調べるのが自分の義務だ」と言い張る。「外国人を検閲するのがアンタの仕事なのか」と副委員長は怒りを覚えたという。このやりとりのおかげで、自身の車の後ろには大縦列ができてしまったそうだ。
 また、在日朝鮮人の人々が持つパスポートには、指紋を押捺してある個所に、その上から桐の花のシールを貼り付けてあるという。これに対して、
  「豊臣秀吉の好んだ花といえば、桐の花。秀吉の朝鮮征伐をイメージさせる。悪い冗談みたいだ。日本政府はこうした細かいところから差別をきっちり行っている」
と副委員長は苦りきる。
 そのような経験をへてきている副委員長には、反日感情が色濃い。そしてなお、日本人拉致事件で更なる窮状を迫られる在日朝鮮人を代表して彼は、アンチ北朝鮮感情を増幅させる日本人にうっ積した憤りをぶつけるかのように、私に話す。「拉致はあってはならないことですけどね」と断ったうえで、このように漏らした。
  「おそらく日本人拉致は、軍の機密部隊が競って反日感情そのままに日本人を連行したものだろう。英雄的な感情を競ったのではないか。目的などはわからない。しかし、拉致と強制連行を比較すると死者の数など比べ物にならない。拉致されたとはいえ、朝鮮で恋人と結婚して食うに困らない生活をし、国で一番の大学に息子が行っている。それに対して強制連行はひどかった。1万人以上が連行され、祖国に戻ったら男がほとんどいなかったと聞いた」
 副委員長の歯に衣着せぬ発言は、多くの日本人の怒りを買うものなのかもしれないが、私にはかえって清清しく感じられた。日本人拉致について、在日朝鮮人たる彼が腹の中でこのように考えていたとて、無理のない話だ。ただ、総連の建物を出て、晩夏の昼下がりの太陽に照り付けられた際に、まばゆい街路の風景とは正反対に私の眼前には影が差し込んだように思えた。
国籍で仕事を断る宅配業者
 金副委員長とは対照的に、ハナ信用組合新潟支店次長の梁寿徳氏は、日本政府、日本人に対する怒りを露骨には示さないが、淡々とした口調とは裏腹に、抑えていたかのような苛立ちめいた感情が漏れ出てしまう。
  「テレビでオリンピックを見ているとき、『ウチの国』の選手の表情が暗いなどと言われると『ほっとけよ』と言いたくなる」
  「ウチの国」とはもちろん北朝鮮のことを指す。テレビ、新聞などメディアの日本人拉致報道が過熱を増すにつれて、「明らかに差別傾向は激しくなった。それまで小さくささやかれていたことが、人前で声を大にして言われるようになった」と梁氏は振り返る。
 遠きに眺めていた世間の風潮は、自身の周囲にも影響が波及することで実感として彼の身に及ぶ。ましてやそうした影響が自らの仕事にまで及んでくると、会社組織の運営が大きく妨げられることになる。
  「拉致事件がひんぱんに報じられるようになって、今まで口に出して言えなかったことが公に発言できるくらいにだんだん大きくなってきたように感じます。例えば、店内に入ってきて『ここはキタかミナミか』とおおっぴらに聞く人がいた。ウチは日本で法規登録もしている日本の会社ですってのに。北朝鮮系か韓国系かなんて関係ないだろうと。それから、右翼が店の表で『北朝鮮に帰れ』とがなり立てることも。日本人で毎度両替しに店に来ていた人もいたが、いなくなってしまった」
  「現在の業務の前に総務の仕事をしていたんですが、書類運搬の代金支払いを現金でやるのが面倒くさくて回数券を利用していた。あるとき、回数券を渡していた宅配人が『北朝鮮の会社の仕事はできません』と言ってきた。『どこの国の会社かで差別して仕事をするのですか』と腹立たしく感じました。そこの運送業者は切りましたが。後から考えてみると、会社の意向でそうしていたのではないか」
 次から次へととめどもなく、差別体験が梁次長から語られる。しかし彼が語る経験はあくまで印象に残っている部分ばかりであり、印象に残っていない部分も相当なものだろう。(つづく)

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