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ホームレス自らを語る/もう精神病院には入りたくない・秋山勇(四九歳)

■月刊「記録」1998年9月号掲載記事

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■急に音が大きく聞こえて

 この傷のことかい?それは聞かないでくれよ。しつこいなあ……、転んだんだよ……。まあ、ここ(新宿中央公園)で暮らしていくには、いろいろあるからね。ベラベラしゃべっちゃうと、追い出されちゃうかもしれないしな。そういうことに……、転んだってことにしておいてくれよ。
(※取材したとき、彼の顔面左側には、いくつもの傷跡があり、そこから出血して凝固した血がベットリと付着していた。左瞼も大きく腫れて、目も十分に開けられないようだ。血液の凝固した状態から、けがをしたのは二、三日前のことだと思われる)
  けがの手当? しなくたって平気だよ。自然に治るんだから、ほっとけばいいんだよ。福祉事務所?行かない、行かない。あんなところへ行ったって、病院に入れられるだけだもの。おれ、病院はきらいなんだ。病院に入れられたら、また出てこられなくなるだろ。もう病院なんかには入りたくないんだ。
  29歳のときだったと思うけど、病院に入院したんだ。それから10年間も、ずっと入れられてたんだからね。行けば、また入院させられちゃうに決まってるからね。だから、行きたくないんだ。何の病気で、入院してたのかって?病気っていうか、精神科に入っていたんだ。  入院するきっかけは、友達と二人で飲み屋で酒を飲んでいるときだったよ。初めのうちは何でもなかったんだけど、だんだん周りの音が大きく聞こえるようになったり、小さくて聞こえにくくなったりしてきた。変だと思って、友達に聞いてみると、「そんなことはねえ」っていう。「変なのは、おれだけかなあ」と思っているうちに、それがどんどんひどくなっていったんだ。
  そのうちに、音は耳をふさがないといられないくらいガンガン大きくなったり、何も聞こえなくなったりした。それを繰り返しているうちに、ぶっ倒れちゃったんだ。その友達が車で病院に運んでくれて、入院することになった。
  おれは自分では普通のつもりだったけど、精神科に入れられたっていうのは、やっぱり変だったのかなと思うね。自分じゃ、よくわからないよ。
  病院は規則、規則ばっかりで嫌だったね。たまにレントゲンを撮ったり、心電図を取るくらいで、あとは薬を飲まされるだけ。あの薬がかったるくてね。頭がボーッとして、体がダルくて、ベッドで寝てるしかない。その10年は長かったよ。

■手配師に誘われた

  生まれたのは、沖縄の与那国島。もともとは(沖縄)本島に住んでいたのが、戦争がひどくなって、一家で与那国島に移ったらしい。おれが生まれる前のことだけどね。三人兄弟の真ん中だった。
  おやじは漁師。自分で船を買って、カツオの一本釣りをやっていた。おれが小学校六年のとき、おやじは台風でしけていた海に、一人で漁に出て遭難したんだ。母親と一緒に浜へ出てみたけど、すごい大きい波で、「これじゃ、助からんな」と思った。そのころ、兄はどこか遠くへ働きに出ていたが、電報でよび寄せられて帰ってきたよ。
  一週間くらいして、みんなに連れられて、どこかの病院に行った。死んだおやじが寝かされていたよ。船は奄美大島のほうまで流されたっていう話だった。
  それからの生活は苦しくて、たぶん生活保護を受けて暮らしていたと思う。中学二年のとき、学校の授業中に 「母親が倒れた」という知らせが入った。病院に行ったら、母親が寝かされていた。脳卒中だった。
  母親は与那国島と本島の病院を、行ったり来たりして、一年半後に死んだよ。与那国島と本島はものすごく離れているだろ。そんなところを、船で行ったり来たりさせて、病人にどうだったのか、よくわかんないよね。でも、与那国には大きな病院がなかったし、生活保護も受けてたし、こっちからはいろいろいえないよ。
  中学を終えて、友達と二人で東京の町工場に就職したんだ。菓子折の箱を作る工場で、社長を入れて全部で五人の小さな会社だった。よく、本土の工場に就職すると、沖縄の人間はいじめられるって聞いてたけど、その工場には先輩にも沖縄出身の人が一人いて、おれたちも入れて三人だろ、いじめられることはなくてよかったよ。  仕事はボール紙を折って、四隅を止めて、薄い紙を巻いてのりではりつけるだけで簡単だった。ただ、賃金は安かったな。楽しみは、毎週土曜日に仕事を終えてから、一人で飲み屋に行くことだけ。酒が好きなんだよ。あとは寮と工場を往復するだけの、まじめな生活をしていた。
  そのうちに、東京の生活にもだんだん慣れて、新宿とかに遊びに出るようになるだろ。そうすると、手配師が「仕事があるよ」って声をかけてくるんだ。日当が1万1000円だっていう。そのころ、工場からもらう賃金は月1万5000円くらいだったから、こっちのほうがいいかなと思ってね。それで工場を辞めて、日雇いになったんだ。20歳のときだよ。
 日当の1万1000円は高すぎる?でも、うそじゃないよ。本当に1万1000円もらったんだから。手配師が「半端の1000円は足代だ」っていったのを覚えてるもの。
 日雇いで働いたのは、ビルの建設とか、地下鉄工事とかの仕事が多かったね。同じ日雇いでも、仕事の内容によって賃金が違うんだ。おれの場合は 「手元」といって、一番下っ端の雑用の仕事ばかりだった。だから、賃金も一番安かった。
 その日雇いの仕事を続けているうちに、頭がおかしくなって入院したんだよ。精神科の病院には、10年も入っていたんだ。ただ、10年いても何も変わらないだろ。 「10年もいて変わらないってことは、もう外に出ても大丈夫だ」って、自分で判断して出てきた。病気が軽い患者には外出が許されてたから、おれも 「外出してきます」って出て、そのまま病院に帰らなかったんだよ。
  その病院があったのは、千葉県の町だった。千葉市じゃなくて、どこかの町だったが……、どこの町だったかはもう覚えてないな。ポケットに1300円あったから、そのカネで切符を買って新宿に戻ってきた。それで西口の地下通路に住みついて、また日雇いで働くようになったんだ。39歳のときのことだよ。
 そのころは、まだ日雇いの仕事もいっぱいあった。それが、九三年くらいからなくなったね。それにおれの場合は、病気を抱えているだろ。いつ頭が暴発するか、心配だしこわい。もう働けないよ。
 「なぎさ寮」には行ったよ。でも、二週間で出てきちゃった。そのままいたら、自立支援センターに入れられちゃいそうだったからね。あんなところへ送られたら、検査をされて、また病院へ逆戻りだよ。いまさら、病院なんかに入りたくないよ。
 今の生活が気楽でいいよ。どこにでも好なところに段ボールを敷いて、寝袋に潜り込んじゃえばいいんだもの。誰のことも考えないで、自分のことだけ考えてりゃいいんだもの。
  困ってること?好きな酒が飲めなくなったことくらいかな。でも、酒がないのにも慣れた。たまに、仲間がどこかで拾ってきた酒を分けてくれることがある。ビンに半分ちょっと残った酒を、二人で分け合って飲むんだ。 そして、いろいろ話をする。建築現場の話が多いけど、おれも現場で働いていたから、そういう話は面白い。そうやってるときが一番楽しいね。
  困るっていえば、(新宿)区役所が配っているカップめんが、配られなくなるんだってね。困るよね。困るけど、仕方ないよ。偉い人たちが決めたことだもの。それでやっていくよりしょうがないよ。
  飯は一日二食くらいだけど、何とかなってる。夜中にコンビニに行くと、古い弁当と新しい弁当を交換するときがあるんだ。その古い弁当を一つもらってくる。ハンバーガーとか、おかずのパックをもらうこともある。そういうのを食べているんだ。
  東京に出てきてから、沖縄には一度だけ帰った。でも、もう帰りたいとも思わない。これから先のことは、そのときになって考えるんだね。
  えっ、写真撮るの?けがしている左側を撮っちゃダメだよ。右側からだったら撮ってもいいよ。このけがは転んでできたものだから、どうってことないんだからさ。
(※文中にもあるように、秋山さんには軽い精神障害があって、まだ完治していないようだ。したがって、話の中には整合性のない個所もあるが、本人に質しても要領を得ないところがあり、そのまま掲載した) 

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