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ホームレス自らを語る/首を吊る木を探し歩いた・池辺元(六二歳)

■月刊「記録」1999年11月号掲載記事

*         *          *

■妻も子どももいたんだ

 勤めていた江戸川区のガンブキ屋(住宅などの外壁を吹きつける職業)がつぶれた。「どうにかなるかな」なんて思ったけど、普通の就職はもちろん、飯場でさえ使ってもらえないんだ。そのときすでに58歳だからな、年寄りは使ってもらえないんだよ。手配師から声がかからないんだから、どうしようもない。
 忘れもしない、94年6月7日。手持ちのカネは、ついに1000円くらいになっちまった。仕方がないから腕時計を売ったけど、泊まるほどのカネにもなりゃしない。上野公園のベンチで寝たよ。ボストンバッグが二つとロープ。それだけを持ってな。
 死のうと思ったんだ。
 おれをずっと見守ってくれたおふくろも死んじまったし、腹も減ってくるし、情けないしね。夜になってから、適当な木を探し歩いた。それこそ上野公園をくまなく。でもね、木がなかったんだ。うまく首をつれる木がさ。ひもを引っかけられるのに、ちょうどよい高さの枝が。あれだけ木があるのにな。結局、探しているうちに、夜が明けちまった。太陽を見たら、なぜか死にたくなくなっていたよ。
 ホームレスなんかしているけれど、大きな会社にいたことも、結婚したこともあったんだよ。22、23歳くらいから27歳までは、広島の会社に勤めていた。仕事は水性ガスを扱う仕事だった。もちろん給料も悪くなかったよ。高卒の銀行員の初給料とほぼ同じくらい、まあ1万円強はもらっていたからね。東京オリンピックの前なのに、白黒のテレビが買えたからな。
 60年2月には結婚もした。おれは24歳。相手はダンスホールで知り合ったんだ。美人だったよ。子宝にも恵まれて、二人も女の子を授かった。おれとおっかあは仲もよかったから、家族は幸せだったと思う。
 ただおれは、酒に目がなかったんだ。全部、酒に使うから、女房・子どもに一銭もカネを入れない日々が、一年以上続いていたんじゃないかな。そのうえ、勤めている会社が大手だから、飲み屋にいくらでもツケがきく。飲み屋への借金はたまるのに、おれはみんなにおごっちゃうんだ。
 気づいたときには10万円ずつくらい10軒ほどの店にツケがたまっていたよ。それが東京オリンピックの1年前の63年だからね。今のおカネにすれば、1000万円くらいの借金ということになるだろうな。
 その金額を知って、おれは逃げ出したんだ。
 行き先も決まっていなかったけれど、とりあえず大阪に向かった。といっても失踪したわけじゃないけれどね。一週間に一通はおふくろにはハガキを書いていたから。ただ、おっかあには、ハガキすら書けなかった。やっぱり迷惑をかけていたからかな……。
 大阪での生活は気楽なものだったよ。飯場で働いて、飯代と飲み代は稼いでいたしな。
 そのうち「おカネを全部返したから、実家に帰っておいで」とおふくろから手紙がきたんだ。でも、辞めた会社の仲間にあったら恥ずかしいだろ。男の出戻りなんてさ。だから故郷には、帰らなかった。お盆と正月だけは、おふくろの顔を見にこっそりと帰郷していたけれどな。

■気づいたらヤクザに

 そんな気ままな仕事をしていたある日、おれは声をかけられたんだ。これが運命を変えたかもしれない。「ちょっと、あんちゃん。一杯飲むか」ってね。酒は好きだからな。二つ返事で、おごってもらった。そのうち、その男がいうんだ。「ブラブラしているなら、仕事しないかい」ってね。
 親切そうな人だったし、実際、おれもろくな仕事をしていなかったから、彼の言葉はうれしかった。誘われるままに、彼の会社の事務所についていったんだ。ほろ酔い気分でね。
 ところが、その会社の事務所に入って驚いたよ。ドアを開けると、「任侠」の額が壁に飾ってあるんだ。いやあ、ヤクザ映画は忠実に作ってあるよ。映画そのまま。事務所全体、どこを見ても組の本部だとわかる造りなんだ。
 さっきまで一緒に飲んでいた男の表情も、いつの間にか変わっていたよ。事務所にいた別の男なんか、つめた小指を見せつけて、「指がうずいとるわ」なんておれを脅すしな。とても「家に帰してくれ」なんていえなかった。
 その日から住み込みだよ。だって事務所に連れていかれて、10日から20日は、一人になることさえ許されないんだから。便所だって、監視がつく。もちろん家から服を持ってくるわけにもいかないから、事務所に軟禁されている間はずっと着たきり雀だよ。
 仕事は便所掃除やら電話番やら、まあ雑用係だな。見張られているときは何度も逃げたいと思ったけれど、慣れてくるとヤクザも居心地がいいんだ。時代がよかったこともあるかもしれない。そんなにヤバイ橋は、わたらなくてもすんだからね。自分のほかにも5~6人の組員がいたが、嫌な人はいなかった。雑用係も一年をすぎたころには、おやじ(組長)の子どもを風呂に連れていくのを任されたりしてね。結構、楽しかったんだ。
 あのころは、街にこわいものなんかなかった。ただ、それがよくなかったのかもな。仲間5人と飲み屋に行った帰り、ケンカになっちまったんだよ。負けたら、おやじに怒られるからな。ボコボコに殴りつけたよ。おかげで警察に捕まった。暴力行為で、一年半も刑務所だよ。
■つらかった刑務所暮らし

 情けないのは、裁判のときだった。逮捕者は腰ひもで数珠つなぎで出廷するんだ。その姿を見て、おふくろが泣いているんだ。その姿を見て、迷惑をかけたなと心から反省した。
 また刑務所もつらいんだ。四六時中、見張られているからな。当たり前だけれど、早く出たかったよ。66年7月くらいだったかな、所長に呼び出されて、出所が近いことを知らされたんだ。うれしかったよ。房に戻ると、仲間が「出られるのか」って聞いてきてね。やっと出られるんだと実感した。
 それから出所三ヶ月前に長髪願いを出して、坊主頭の髪の毛を伸ばし始めるんだ。再就職するときとかに、坊主頭じゃ雇ってくれないからな。刑務所からの社会復帰は、髪の毛から始まるんだ。髪が伸びれば伸びるほど、出所も近づく。髪が伸びるのが、待ち遠しかった。そんな調子だから、もう出所一週間前なんか興奮状態だよ。何たって、うれしくて一週間ほとんど寝られないんだから。
 出所当日も、よく覚えているよ。
 まず朝飯を食うだろ。それから七時に体のチェック。すっぽんぽんになって、体の傷までチェックされるんだ。その後、入所したときに取り上げられた品物が返される。カードとかね。まあ、刑務所では使いようがないからな。それを書類とつきあわせて、全部確認する。それから出所だ。それはどういっていいかわからないほど、感激するもんだよ。
 おふくろと兄貴が迎えに来てくれてな。
「タバコくれ」。それが二人への第一声だった。兄貴がピースを出してくれてね。続けざまに吸い込んだら、涙がこぼれてきたよ。親兄弟に迷惑をかけたことがつらくてな。兄貴の顔なんて、まともに見られなかった。おふくろの顔は盗み見たけれど、会った瞬間から泣いていた。その涙がまた、おれにはつらくてね。今思い出しても、涙が出てくるよ。

■敷居をまたぐな、と

 そのときはそのまま広島に帰って腰を落ち着けようとも思ったけれど、組に仁義を欠くことになるから、ひとまず大阪の事務所には戻ったんだ。ところがよくしたもので、ほどなくおれの組は他の組と合併することになったんだ。「来たい者だけがついてきな」といわれてね。迷わず、広島に帰ることにした。
 もう42歳になっていたかな。「地元に帰る」と、おふくろに電話したんだ。おっかあ(妻)と一緒、家族に囲まれて、人生をやり直そうと思ってね。
 でも自宅の玄関には、おっかあからの手紙がテープで張りつけられていた。「子どものためによくないから、敷居をまたぐな」っていう内容だったよ。おそらくおふくろからおれが帰ることを聞いたんだろう。まあ、刑務所帰りのお父さんなんて、いらないよな。おっかあに迷惑もかけ続けたきたわけだし。
 仕方がないから、実家で暮らすことにした。でも、これも半年しか持たなかった。とにかくおふくろに悪くてさ。実家はそれなりの家柄だったからな。刑務所帰りの男が、家にいるなんて体裁が悪いんだ。仕事だって簡単には見つからない。近所だって、うわさをする。おふくろには、「ここでは暮らせないよ」といって、家を出てきたよ。

■おふくろを拝んで生きている

 その後また、大阪に出て飯場回りなんかをしていた。当然、そのころ稼いだカネはすべて酒に消えた。こうした生活を続けているときに、横浜に行かないかと、知り合いから誘われたんだ。
 おれは断ったよ。知らない土地なんか、行きたくなかったしな。でも、やつがどうしてもと頼む。しまいには自分の金時計と給料をすべて預けるから、横浜についてきてくれないかというんだ。
 正直、やつのカネと時計を持って、途中で逃げようと思っていたよ。ところが変なもんだね。おれを完全に信用している姿を見たら、逃げ出せなかった。こんなにおれを信用しているのかと思うとね。結局、四合ビンで酒を飲みながら横浜まで来ちまった。横浜から本牧に出向いて、荷積み作業の仕事についた。悪い仕事じゃなかったな。途中でウインチを扱う資格も取ったし。
 この試験の合格も楽なものだった。学科試験と実技試験があるんだけれど、本を2~3冊読んだら、何と学科が受かっちゃったんだ。でもウインチなんて、使ったことないだろ。実技はあきらめようかと思ったら、先輩が「学科を合格したのに、もったいないな」なんていうんだ。一体、どうするんだろうと思っていたら、試験になったら後ろから手が出てくるんだよ。試験官が見ているのはウインチでつるされた荷物だから、操縦席のほうなんて見ていないんだ。おかげで合格できた。結局、この職場では3~4年働いたよ。
 その後、山梨の落石防止工事を請け負う会社に就職した。この職場は長かった。20年くらいいたんじゃないかな。その会社を辞めて一年くらいたったころに、迷惑をかけ続けたおふくろも死んじまった。
 入院していたころに会いにいったよ。そうしたらおれの顔を見るなり、うれしそうな顔して泣くんだよ。そして「おまえを食べさせてあげられるほどのおカネはないけれど、お小遣いだよ」って、おカネを握らせてくれるんだ。もう死んでから何年もたつのに、いまだに当時のおふくろが夢に出てくるよ。
 でもね。公園に暮らすようになって、夢も苦しい夢ばかりなんだ。それでも毎朝、目が覚めなければよかったのにと思うんだ。腹が減ってると死にたくなるし、ホームレスなんて恥をさらして生きているのと同じだし。
 毎日、おふくろを拝んで生きている。生前に迷惑をかけたから、せめてもの罪滅ぼしだな。 (■つづく)

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