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ホームレス自らを語る/ろうあ者に東京は冷たかった・中川実(五三歳)

月刊「記録」1999年10月号掲載記事

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■施設でもらった名前

(※ろうあ者である中川さんは、言葉がはっきりとは話せない。取材では、わからない単語を一つ一つ中川さんに確認していたため、いきおい単語だけの会話になってしまった。しかし取材当日の会話を文章にするとわかりにくいため、編集部でつなぎの言葉を大幅に書き足した。山谷地区での取材は「一期一会」になることが多い。中川さんもその例にもれず、取材日以降、顔を合わせていない。そのため当人に取材原稿を、お見せすることもできなかった。こうした事情をお許しいただきたい。)*      *       *

 姓も名も、そして生年月日もね、偽物なんだ。だっておれも知らないんだよ。覚えていないんだから。
 唯一、おれが覚えているのは、おやじの後ろ姿。親戚の家に行くからと行って、おれはおやじに連れ出されたんだ。終戦直後の混乱が、まだ残っていてね。おれが生まれた熊本の街も、グチャグチャだった。
 おそらくおれは3~4歳くらいだったんだろうな。おやじが手を引いてくれなかったから、おやじの背中を必死に追っていたんだ。人ごみで見失わないように。でも、どんどんおやじは歩いていく。追っかけても、追っかけても、先に行っちゃうんだよ。
 そして一人バスに乗っていってしまったんだ。
 おれはバス停で、おやじの帰るのを待っていたんだけどね。何本バスを待っても、おやじは戻って来なかった。半日くらい待っていたんじゃないかな。
 そのうちバス停で座り込んでいるおれを見て、不審に思った運転手が警察に通報した。最終のバスが来ても、まだバス停から離れようとしなかったんだから、気味悪がられて当たり前かもしれないけれどね。
 そうして、おれは警察署に連れていかれた。迷子として。でもおれは言葉もきちんと話せなかったし、何よりも名前を覚えていなかったからね。どうしようもなかったよ。次の日には施設に運ばれていた。
 その施設でもらった名前がのが今の名だ。そして、1945年生まれになった。こんな生い立ちだから、本当の姓名も生年月日も知らないんだよ。

■耳も聞こえなくなった

 親に捨てられた当時から、おれは右耳がほとんど聞こえなかったし、言葉もしっかりと発音できなかったんだ。だから小学校の入学前は、施設の作業が終わった夕方から、毎日発音練習を続けたよ。「ア、イ、ウ、エ、オ、 ア、イ、ウ、エ、オ」ってね。左耳で音を拾って、繰り返し、繰り返しやったな。それでずいぶんと話せるようにはなった。まあ、その当時練習しておいてよかったのかもしれないけれどな。
 何たって小学校二年生のころには、左耳も悪くなっちまったんだから。いきなり聞こえなくなったんだよ。小学校ではどうにか生活はできたけれども、かなり聞こえにくかったよ。
 だからってわけじゃないけれど、小学校のころなんか、いい思い出なんかないよ。あ、そうだ。米軍が慰問に来てくれて、靴下や歯ブラシ、それからジャガイモなんかを置いていってくれたときはうれしかった。まだ物がない時代だったからね。当時は、そんなものも高級品だった。
 そして小学校六年の夏に、右耳を手術することになる。自分の皮膚を切り取って、引きのばして鼓膜の代わりにするんだ。この手術のおかげで、おれは六年生を二回やったよ。かなり長期入院になったから、出席日数が足りなくなったんだ。それじゃ、進級できないだろ。
 ところが、そこまでしたのに手術は失敗だった。退院しても、右耳は聞こえないままだったからな。結局、中学生時代に再手術をすることになったんだ。まあ、手術は成功したけれど、はっきりと聞こえるようにはならなかったよ。
 しっかりとは話せないし、耳も完全には治らない。親からも捨てられたしな。つらくてね。中学卒業と同時に、自殺するために施設を飛び出したんだ。施設から4000円持ち出してね。当時の4000円といったら、ちょっとしたものだったよ。高卒の初任給が1万円ちょっとという時代だからね。
 行った先は、阿蘇山。火口から飛び込もうと思ったんだ。でもね。死ねないんだよ。飛び込むと、口や鼻から有毒ガスが入ってくるだろ。そうしたら苦しいだろなーなんて考えて、飛び込む勇気がわかなかった。何度も火口をのぞき込んだけれど、結局、あきらめた。
 とはいってもカネを盗んで施設を出てきているし、第一、帰りたくないから、熊本の街で野宿をしていた。それも2ヶ月ほどで、施設の職員に捕まることになるんだけどな。映画館で見つかってしまってね。即刻、施設に逆戻りさ。でもな、このときこっぴどく叱られた記憶がないんだ。施設の庭の草むしりを、罰としてやらされたがね。

■楽しかった大阪

 そうこうしているうちに、施設がおれの仕事を探してきた。その施設は高校卒業まで入ることもできたけれど、高校に進学する意思もなかったから、働くしかない。 施設の先生と二人、電車で神奈川県の川崎まで行って、そこからタクシーに乗って、就職予定先に向かった。車の窓からは、道路やビルの工事がずっと見えていたな。それからどうしたのかは、よく覚えていないけれど、すぐに入社したような気がするよ。
 月給は、1万円。まあ中卒だから、相場の値段だったと思うよ。それにカネも使う場所もそれほどなかったから、別にカネには困らなかった。だってな、会社側から「酒は飲んだらアカン」っていわれてたんだ。
 結局、息がつまって、63年3月末に社員寮を飛び出した。でも、おれ帰るところがないんだよ。働かなければ生きていけないけれど、18歳のおれはどうやって寝床と職場を確保していいかわからなかったし。もちろん、きちんと耳が聞こえなかったのも大きいよ。
 追いつめられて帰った先は、やっぱり施設だった。もちろん帰れば施設は迎えてくれたけれど、18歳は施設にいられるぎりぎりの年齢だから、しばらくすると職員が仕事を探してきてくれたんだ。今度は静岡県の沼津にある工場。でも、そこは頭にきて、すぐに飛び出した。 こうなると、もう施設には帰れないからな。とりあえず大阪に出たんだ。あそこに日雇いの職業紹介所があるのは知っていたから。西成区のドヤ(簡易宿泊所)に住み込んで、飯場に行ったよ。現金で日払いだし、土木作業の仕事も豊富だったし、食うには困らなかった。
 それどころか人生で一番楽しかったのは、このころだよ。
 友達もいたし、酒もよく飲んだ。それに好きだった映画もよくみた。ほとんど洋画だったな。パチンコ、ストリップ、ポルノ映画なんかでも遊んだね。当時、ストリップが500円くらいじゃなかったかな。65年から88年の23年間、おれは大阪で楽しく暮らしていた。

■ドラム缶が頭から降ってきた

 ところが(80年代後半の)円高不況の影響もあったのかな、大阪で仕事がなくなったんだ。ドヤにも住んでいられなくなって、どうしようかと思ったときに、東京なら仕事があるらしいってうわさを聞いたんだよ。
 まだ四四歳だし、生きていくには仕事が必要だからな。手持ちのカネをかき集めて、鈍行列車に飛び乗ったよ。でも、甲府でカネが切れたんだ。そこからは歩き。「東京の山谷はどこだ」って場所を聞きながら、ようやくたどり着いたんだ。
 ところがせっかく山谷についたのに、おれは翌年から仕事にあぶれるようになるんだよ。ドヤにも住めない。仕方なく、隅田川にかかる桜橋のたもとでアオカン(野宿)だ。
 そのうえ、97年あたりからおれはついていないんだ。胸が苦しくなって4ヶ月も入院したし、退院したと思ったら、七月に今度は足が痛くなったんだ。原因は外反母趾。ひどくなりすぎて、歩けなくなったんだよ。それで、再度入院。そして手術。ところが、これじゃ終わらなかったんだよ。やっと仕事に復帰して建築現場で働いていたら、事故で足をけがしちゃったんだ。
 その事故が、また信じられないような状況だったんだよ。建設現場で、ドラム缶が頭から降ってきたんだ。とっさに逃げたけれど、右足を直撃した。足首の関節をくだいちゃったんだ。福祉事務所から、13万円のおカネが出たけれど合わないよ。
 福祉事務所のいうことには、おれの足は治るから、これ以上払えないんだと。治るったって、土木作業をバリバリこなすほどには回復しないのに。
 おれの友達なんか、一生入院するほどのけがにあったから、月々3万円ものカネが支給されている。耳だってそうだよ。ある程度聞こえるから、カネがもらえないんだ。びっこ引いて、仕事もできないくらいなら、いっそのこと、もっと大けがで一生おカネをもらえるほうが幸せだよ。
 カネがあったら、友達の大勢いる大阪に帰りたいんだ。足をけがしなければな。どうにか帰る道もあるんだかな。今のおれじゃ、どうしようもないよ。
 決まった曜日に配られるエサをかき込んで生きるだけさ。 (■了)

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