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元信者が語るオウム的社会論 第7回/大蔵省とオウム真理教

■月刊『記録』98年5月号掲載記事

 新井笙敬代議士が自殺した直後、彼の両親が驚くべき発言をしているのをテレビで見て、唖然としました。「どうせ(政治家は株で儲けることを)みんなやってるじゃないの。なぜうちの子だけがやり玉に上げられなくちゃならないの!」という発言です。
 おそらく、彼らは息子が自殺したことでパニックに陥り、ポロッと本音を漏らしたのでしょう。その一般人とはかけ離れた『感覚の麻痺』はもう末期的といってもいいでしょう。特に、真理子夫人は夫の非を棚に上げ、一時は補欠選挙に出馬するとまで言いだしました。彼女には自らを省みる能力が欠けているのではないでしょうか?
 新井氏は元官僚で、大蔵省出身だそうです。そしてこの「官庁のなかの官庁」ともいうべき、大蔵省の『感覚の麻痺』も浮き彫りになってきています。料亭で一晩数十万円もの接待を受け、ノーパンしゃぶしゃぶで酒池肉林の限りを尽くし、覚醒剤に手を染めた者までいる……。一昔前の官僚では絶対に考えられないことです。
 国のために安い給料で夜遅くまで身を削って働く官僚を、私は尊敬していました。政治家が無能なため、実際に政策立案し日本を動かしてきたのも官僚でした。中学生のころは彼等に憧れ、官僚になって日本のために尽くしたいと夢見たことだってあります。
 おそらく、彼等も入省するときは皆、高い志を持っていたのでしょう。ところが、官僚支配が長く続きすぎたためか、あまりにも彼等は傲慢になってしまいました。初心を忘れてしまったのですね。
 オウムも初期のころは、あれで素晴らしい団体だったんですよ。私が入信したのは昭和六一年ですが、そのころは既成の葬式仏教を乗り越え、日本に宗教改革を起こそうという意気込みに満ちていました。仏教が本来目指さなければならない「解脱」や「修行」というものに正面切って取り組むことが、求道心に溢れた若者達をどんどん引き寄せました。
 昭和六三年の春には、富士山の麓に大きな道場を建てるまでになったのですが、そこに落とし穴が待っていました。その年の九月、富士道場での修行中に、信者の一人が亡くなってしまったのです。それは修行による事故死でしたが、教団が大発展中だったため、幹部らは、それが外部に漏れて社会的な非難を受け、勢いが削がれるのを恐れました。それで遺体をドラム缶に入れて焼却してしまったのです。
 遺体焼却の際、薪を運んだ信者で田口さんという人がいました。田口さんは翌年の二月、教団に不信を抱き脱会しようとしましたが、遺体焼却の件がバレるのを防ぐため、教団は彼を「ポア」してしまったのです。それがオウム最初の殺人でした。
 その後、彼らは「ポア」というかわいらしい語感の言葉によって、正常な感覚を麻痺させ、殺人を肯定していったのです。目障りな人々を容赦なく殺すようになり、坂本弁護士事件、リンチ殺人事件、VX殺人未遂、そして遂には松本サリン事件や地下鉄サリン事件などの無差別テロにまで雪ダルマ式に発展していきました。
 オウムにしろ、大蔵省にしろ、「狭い世界で暮らす」というのは本当に恐ろしいものです。善悪が転倒しても、なかなか気づきません。現在、日本のいたるところで『感覚麻痺』の現象が起きています。今、自分が物事に対してどういう感じ方をしているのか、絶えず省みないと、とんでもないことになってしまいそうですね。(■つづく)

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