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保健室の片隅で・池内直美/第9回 トモダチ?友達?親友?

■月刊「記録」1998年10月号掲載記事

*          *          *

■夜中に鳴るポケベル
「マタミステラレル」
 真夜中にポケベルに入ってくるメッセージは心のつぶやきのようなものが多い。
 救いを求めてのメッセージだということはわかるのだけど、どうすることもできなくて困ってしまう。
「ダレニミステラレルノ?」
「オカアサンダヨ」
「ナニガアッタノ?」
「ナニモナカッタ」
 ……???
 何もないのに、見捨てられると思ってしまう彼女は、母子家庭の長女。母親が病気のため、一五歳の時から彼女が家計を支えてきた。
 彼女がいうには、両親を離婚に追い込んだのは自分だという。離婚調停中、家庭裁判所に呼ばれた彼女のいった言葉がきっかけとなったようだ。
 それは、「涙のひと筋、ふた筋流したところで、元に戻るような夫婦ではないんです……」という言葉だったという。
 両親が結婚してちょうど一年と一週間後に生まれた彼女は、大旧家の長女として厳しく育てられ、妹とはまったく違った扱いを受けてきた。せっかんもひどかったようで、その張本人であった父親と離れて、五年が経過した段階でも、人の手を触ることができずにいた。
 父親の教育方針を守り通した母親にも上手に甘えることができなかった。そんな彼女は、いわゆるアダルトチルドレンなのかもしれない。
 彼女はいつでも空想の世界のなかに住んでいる。私がそう気づいたのは、話を聞いていると、食い違っていることが多いからだった。最近わかってきたのだが、彼女には、実在しない「双子の姉」がいるようなのだ。それだけではない。複雑な生い立ちを語る彼女の家の家系図を、電話で話を聞きながら作ってみたのだが、とてもじゃないけれど、本人に確認することはできないような代物になった。
 代々自殺で亡くなっていき、近親相姦に血の争いがからむ家系となる。昔よくみられた安物のドラマのようだ。家系図をドラマチックに仕立てる空想を繰り返して、彼女は何を得ようとしているのだろうか。

■手首に刃物を刺す少女

 ある時、彼女は私の目の前で、手首に刃物を刺した。致命傷になるような傷ではなかったが、まるでメロンにフォークを突き刺すように、平気で刺してみせる。
 母親の愛情は、いつも妹と従姉妹に注がれていたのだといい、「いつだって妹が、母親を自分から取っていく」のだと、手首を刃物で突きながらつぶやく。
「全然痛くないの。きっと、父親に手首をギューッて握られることが多かったから、そのときの恐怖に比べたら何ともないのよね」
 だから私は、彼女をひっぱたいた。女だからって容赦はしない。私の目の前で、自分の体に刃物を突き刺すようなシーンは、もう絶対に見たくない。
「何があったのか、いわなきゃわかんないよっ」
「本当に、何もなかったのよ」
 何もなかった。何もないから苦しくなった。そんな彼女の気持ちがまったくわからないでもなかった。(気づいてほしい。お母さん、私苦しいの。仕事もうまくいかないし、それでも働かなきゃいけないし、学校だって行かなきゃいけない。疲れた……)という気持ちだ。
 だけど私は彼女の「お母さん」にはなれない。それでも彼女からは、「コンドアッタトキダキシメテクレル?」「フタリキリデアイタイ」といったポケベルでの真夜中のメッセージは尽きない。

■私はあなたの何ですか?

 彼女のクセのなかには、私が嫌いなものがある。すぐに人の揚げ足を取ること。そして、人の心を探るところ。長女の習性だと本人がいうところの「知りたがり」と「決めつけ」が、ときに私を怒らせた。
「ワタシミタイナヤツッテウザイヨネ」
「ダレモソンナコトイッテナイジャン」
 そんなやり取りが明け方まで続く。そして最後は、おなじみの言葉でしめくくられる。
「ゴメン…」
 謝るくらいなら、はじめから入れるな! と思う。
「ワタシハアナタノナンナノ?」
 彼女の言葉に振り回されそうな気がして、とうとう私はきいた。彼女は、自分が私の前から消えたほうがいいと思っているようだ。自分がいることで、私に迷惑がかかると考えているようだ。そのくせ、私の質問に対する答えは、「トモダチダヨ」だった。
 私は友達を、ウザいとかじゃまだなんて思ったことはない。そんなことを感じるような友達ならいらないと思う。うわべだけのつき合いなんて寂しすぎる。なのに彼女は、何度も私の心を探ってくる。信用してもらえない私は、本当に彼女の友達? もしかして私のほうが、あなたにとって、うわべだけの友達なんじゃない?
 ……「うわべだけの友達」。
 私が一番嫌いな言葉だ。そして私が、昔、よく口にしていた言葉だ。まだ、全日制の高校へ通っていた頃のこと、私は友達の家に泊まりにいった。学校のなかで、一番つき合いやすい友達だった。
「うわべだけのつき合い」という言葉をはじめて聞いたのは、その夜に泊まった家の子のお母さんから。「うわべだけのつき合いができる人ほど、世わたり上手なのよね。でも、うちの子は、あなたみたいにそれが上手ではないから……」
 私が高校を辞めたのは、今、振り返ってみれば、この夜の出来事がきっかけだったのかもしれない。私にとって、人を信じられなくなることを知った夜だったのだ。 それからの私は、ことごとくうわべだけのつき合いを始めた。みんながそうして自分とつき合っているなら、どうして自分だけが真剣につきあえるだろう。真剣につき合っちゃいけない。傷つきたくなくて、そう自分に言い聞かせていたのだろう。
 けれど、私が人を信じずにつき合っていることは、いつか必ず相手にもわかる。その時、だいたいの相手は、黙って離れていくけれど、ただ一人だけ、辛抱強く声をかけてくれた人がいた。「おまえが私のことをどう思っているのかわかってる。信用したくないならしなくてもいいし、上辺だけの友達だと思ってくれてもいい。でも、私にとっては親友だからね」といってくれた人がいた。
 ワタシニトッテハシンユウダカラネ……。
 人間不信に陥って、固く自分の殻のなかに入り込んでしまった私に、時には泣きながら声をかけ続けてくれた人。彼女は香織という。私は、この一人の友人のおかげで立ち直れた。また人を信用することができるようになったのだ。彼女とめぐり合えたのは、私にとって、本当にありがたい偶然だった。
 香織とうちとけてからは、うわべだけの友達はいなくなった。うわべだけのつき合いをしていたときの痛み、されたときの悲しみは、知りすぎるほど知ったから。私はそうして、人と向き合えるようになったけれど、未だに人を信じられずに、苦しんでいる人もいる。
 ポケベルの彼女もその一人だ。

■心に余裕がなくなっている

 私が携帯電話を買った時、その電話番号を伝えると、彼女は早々、自分も買った。私がポケットベルを持った時もそうだった。挙げ句は、私が母に日記帳を買ってきてもらったことを話すと、自分も同じように母親に頼み、そして、母親の行動が私の母と違うと、八つ当たりをしたそうだ。話を聞きながら、私は何もいえなかった。 私が、母に日記帳を買ってきてと頼んだのは五月のことだった。当時、私は、とある事情で入院中で、自分で買いに行けなかったので頼んだのだ。けれど季節はずれで、かわいいものがみつからず、母は、何件も探し歩いてくれたという。
 それを知ったポケベルの彼女は、すぐさまカレンダーを買ってきてほしいと自分の母親に頼んだ。新年から半年近くも過ぎた時期に、カレンダーなど置いている店はほとんどない。彼女が求めていたようなかわいいものは、やっぱりなかった。
 それでもお母さんは、バスで片道一時間もかけて探してきてくれたのだ。しかし彼女は、それを破り捨ててしまったという。
「親を試してみたかったの。どれだけ私のことを考えてくれているか、知りたかった」
 親の愛情さえも信じられない彼女に、他の誰が信じられるだろうか? 幼い頃に受けたという、私の知らないせっかんが、それほどひどいものだったのだろうか…。 親の期待に添おうと空回りし続けるうちに疲れ果て、誰も信じられなくなる子ども。自分の思い通りにならない子どもを前に、あからさまにため息をもらす親。今、子どもと大人の間にいる私には、どちらの気持ちも理解でき、また理解できずにいる。でも、聞いてみたい。
 誰かが助けてくれると思ってるのではないですか? だから、誰かに助けてもらえるまで、悲しみと不満の底に沈んで待っている。自分からは何もしない。そして、周囲が変わってくれないと、人にあたる。
 自分が環境を変えるのではなく、環境で自分が変われると思っている。だから誰かに環境を変えてもらえるのを待っている。それではズルくはないですか? 私も経験があるからわかるのです。
 そしてポケベルのあなた、私にそれを求めていませんか?
 みんなの心が、自分のことで精一杯になっている。
 自分が、一人ぼっちになったような気がしている。みんなが、一人ぼっちになったような気がしている。
 それが、時代なのでしょうか?
 今、教育を見直そうという動きがあるけれど、必要なのは、心の余裕なのかもしれない。  (■つづく)

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