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北朝鮮と新潟 第4回/吹き荒れる憎悪の感情

■月刊『記録』05年7月号掲載記事

 それにしても、日本国内のすさまじい北朝鮮批判は、拉致被害者への同情という以上に、経済大国を誇った日本の陰り、つまり経済不況への不満のはけ口ではないかとの感がぬぐえない。過去にテロ疑惑などが絶えなかった国とはいえ、国家元首が過去の拉致事件に対してそれを認め謝罪をしているにもかかわらず、この憤怒の嵐はどうしたことだろう。
 北朝鮮へのバッシングの裏には、日本は「大国」であるはずで北朝鮮のような小国が屈しないわけがない、との奇妙な「大国意識」が漂う。この「自尊心」にも似た心情が、北朝鮮への日本政府の「高圧外交」や日本人の大半が示す北朝鮮への「高圧的な態度」につながっているのではないか。
 そう考えた私は、北朝鮮、在日朝鮮人に対してあからさまに敵視する態度を打ち出す団体の取りまとめ役を訪問した。一言でまとめれば、私にとっては嘆息の出る思いのする2人の人物の意見だった。

■「北朝鮮憎しの感情はあります」

 全国の拉致被害者支援組織の中心的役割を担っている「横田めぐみさん等拉致日本人救出新潟の会」(救う会新潟)の会長である馬場吉衛さんの自宅を、私は残暑厳しい昼下がりに訪れた。突然、自宅を訪れた私を見ても、馬場さんはさして驚いた様子もなかった。さすがに地元マスコミにも幾度となく登場していることから、取材慣れしているなとの印象を抱く。
 スマートな芸術家の風情を漂わせた人物だ。今年、83歳になる。白髪で面長の面持ちに黒ぶちめがねが際立つ、上品なお年寄りといった容貌で、「北朝鮮に経済制裁を!」とのシュプレヒコールを大声で張り上げて訴えている姿はとても想像がつかない。
 自宅に上がり私に名刺を渡して着席を勧めるや、馬場さんは饒舌に話し始めた。渡された名刺には、救う会新潟の名称とともに中学生当時のめぐみさんの顔写真が刷られている。いわば、彼女は救う会新潟のシンボルマークというわけだ。
 馬場さんは、1997年の救う会新潟の旗揚げ時から、活動に参加している。彼は、めぐみさんが小学生時分に通っていた小学校の校長だった。拉致被害者として名前があがった彼女に卒業証書を手渡したという印象が強く脳裏にあったため、彼女のために何か力になれないかと考えた。自宅近くにちょうど、救う会新潟の中心人物として活動していた人がいた。その人に「私も仲間に入れてくれ」と願い出た結果、会の活動に身を投じるようになる。
 馬場さんのめぐみさんへの同情の念は、そのまま裏返しに北朝鮮、在日朝鮮人の人々への敵意に取って代わる。
「北朝鮮憎しの感情はあります。何のために連れて行かなければならなかったのだろう。なぜ日本人をこんなに拉致していくのか。学習会に出たりして、拉致についてわかってきた。だから、どうしても彼女を救わねばならない」
「在日は憎い。在日は拉致を北朝鮮と一緒にやっていた。全員ではないかもしれないが」
 救う会新潟でも同様の強硬な主張を彼は繰り返しているのだろう。閉ざされた感情ばかりが露呈されるために、私は内心気後れしながら話を聞いていた。
 馬場氏の朝鮮民族に対する敵意は、朝鮮民族との接触の絶無からもたらされていると私は思ったが、そうではないらしい。
 彼は新潟県内の新津で生まれ育った。中学に上がり師範学校を卒業した後、小学校で1年間に過ぎないが教鞭をとる。それ以降、日本が太平洋戦争に本格的に突入したため、馬場さんも戦場に向かうことになる。中国の戦場で4年間の軍隊生活を過ごした後、終戦を迎えた日本に帰国する。以後、新潟市で小学校教師として生きてきた。
 その戦争経験のなかで、同僚、上官として朝鮮人と生活をともにしたこともあったという。だが、そのことは現在、彼自身が取り組む拉致問題には何の影響も与えていないという。また、拉致問題に取り組む姿勢には自らの使命感が先立つせいか、「北朝鮮に経済制裁を!」と高唱する自身の活動が北朝鮮、在日朝鮮人らに与える影響についてはほとんど考慮している様子はない。
「拉致の問題も小泉首相でようやく盛り上がりが出てきた。日比谷公会堂をどうすればいっぱいにできるか、それをずっと考えてきた。小泉首相の訪朝後、東京の有楽町の国際フォーラムがいっぱいになった」
 まるで天命であるかのように使命感すら帯びる会の活動への彼の執着は、私にとっては驚愕に値する。彼の信念には一点の曇りもない。その曇りのなさが、私には危うく感じられる。自らの活動に対する執着心が強すぎるためか、自身が参加する会への正当性の主張は自らの参加する組織以外の活動には否定的なまなざしが向けられる。
「拉致被害者5人が帰ってきたことで、(その他の拉致被害者についても、帰国の)可能性が出てきた。失踪調査会を組織で別につくる。本来、国がやることを民間の私たちがやっている」
「日本で北朝鮮に食糧を支援する活動をしている団体があるが、実際に困っている人々にコメが行きわたっているのかどうか」
 穏やかな口調にもかかわらず、発せられる内容がそれに似つかわしくない。しかし、彼の否定的な見解は、朝鮮総連に対しても向けられる。朝鮮総連に対しての憎悪とも呼べる彼の感情の高ぶりには、私はただたじろぐばかりであった。
 朝鮮総連について馬場さんは、
「いわゆる総連については、憎しみを持っている。在日朝鮮人の方でも、アンチ総連という人もいる。個々ではなんともない人も、総連という団体としては北朝鮮に送金したりしている」
「総連の方々に対しては憎しみがある。万景峰号はひと月に2回、新潟港に入港して、送金、食糧の搬送を北朝鮮に行なっている。そのお金、食糧は、困っている人にいかず、軍隊、上流階層に行き渡りぜいたくな生活をさせているだけ」
「総連は将軍さんの言いなりになってきた。拉致の事実を知っていながら、家族会、救う会に何の支援もしてくれなかったし、事実をわれわれに伝えることもしてくれなかった」
 私は話を聞きに行く前に、拉致被害者を支援する関係者から朝鮮総連についてこうした反応が返ってくることは予想していた。だが反面、会の活動で「政府は、北朝鮮に万景峰号の入港禁止など経済制裁を加え、拉致の完全解決をはかれ!」と彼らは強く訴えてはいても、その影響を多大に受ける北朝鮮、在日朝鮮人がどのような影響を被り、影響が及んだ結果どうなるかということを考慮に入れた上でのことかと思っていたが、そのような配慮は彼にはかけらもなかった。
 当然といえば当然かもしれないが、被害者としての感情が先立ってしまい、自らが与えかねない加害の可能性についてはほとんど触れることがないのでは、結局、「自分たちさえ良ければ、それで良い」という尊大さも私には透けて見えてきてしまう。

■友好では拉致問題を解決できない

 総連ばかりでなく、社民党についても、馬場さんは憤りの矛先を向ける。
「社民党は全くこの問題にかんして力を貸してくれなかった。兵庫県まで土井たか子さんに協力をお願いしに行っても会ってもくれなかった。社民党と北朝鮮はうまくやっていた。北朝鮮と話し合いをしていたようだが、拉致事件については伏せられていたのだろう」
 と言及する。
 拉致被害者支援活動の中心的役割を担う拉致被害者家族連絡会が結成された97年当時はまだ、拉致事件そのものが公には全く認知されていなかった。しかし、彼らは確信をもって行動していた。現在の拉致問題への世論の高まりは、誰にも省みもされなかった彼らの当時の活動が、実を結んだ結果といえる。その果実は、自民党の一部の議員による後押しで大きく育った。そのことは裏返しに、当時、馬場さんらが協力を要請しても何一つ手を差し伸べることのなかった社民党が、驕りの中にあった証左でもあるだろう。
 当然、馬場さんは自民党に思い入れを強くしている。
「拉致問題が始まってから、自民党にどうしても票を入れるということになる。しかし拉致問題に対しての活動は、超党派でやってくれと言っている。だが自民党議員が働きかけても、共産、社民の議員は入ろうとしない」
 拉致問題を何としてでも解決に、というような彼の態度は、選挙活動へも自身を没入させている。2004年4月に参議院新潟選挙区の補正選挙が行われたが、その際に自民党公認で立候補した塚田一郎の選挙活動を支援した。馬場さんは、かつての教え子である塚田一郎を後押しする後援会「一郎会」の会長を務めている。当初は、無所属でやれと馬場さんは忠言したが、「現実問題として新潟全県を回るのに経費がばかにならない。自民党で出馬すれば選挙資金を借り出してこれる」との理由で塚田は自民党公認で出馬したそうだ。選挙活動中、馬場さんは拉致被害者支援を示すブルーリボンのバッジを常に胸に付けて行動したそうだ。
 拉致事件への怒りの心情が政治と結びつくことで、拉致被害者支援団体が政党の集票に利用されているのではないかと思える一面を垣間見る。
 馬場さんは加えて、新潟の現市長である篠田昭を元教え子として抱えている。かつての教え子の動向はやはり気になるようで、市が03年度から乗り出した朝鮮総連施設への固定資産税減免措置を自らの活動への後押しとばかりに頼もしそうに口にした。
「市は総連に対しては寛大だった。だが(新潟市長選の)公約で、特別扱いはしない、総連もその他の施設と同じように税金をかけると言っていた」
「とてもじゃないが、北朝鮮との友好から拉致問題を解決しようという路線なんか考えられない」との馬場さんの発言を最後に聞いて、私は彼の自宅を辞した。
「北朝鮮に経済制裁を!」と公然と訴える人が、北朝鮮、在日朝鮮人らに対してこれほどまでに非寛容で排他的であることに私は衝撃を覚える。馬場さんの心境が多くの日本人の心情と全く同じかどうかはわからないが、日本人の最大公約数的な心情を表しているのは間違いないだろう。
■日本人妻が騙されているという確信
 彼の他にも、新潟の地で反北朝鮮を掲げて公に活動する人間は、北朝鮮、在日朝鮮人に対して憎悪の念に憑かれているのだろうか。そんな考えを浮かべながら、私は次に「万景峰号の入港を阻止する会」の会長を務める本里福治さんを訪ねた。
 5年ほど前から彼は、東京の外務省や自民党の門前で北朝鮮へのコメ支援反対の集会を行うほか、新潟西港に万景峰号が停泊しようとする際にその停泊への抗議集会を開催している。ただ最近は、インターネットのホームページ制作が主な活動となっている。看板塗装の仕事が忙しくて時間がとれないためなのだそうだ。
「万景峰号の入港を阻止する会」以前は、日本人妻の北朝鮮への渡航が開始された頃に仲間と2人で連れ立って、日本人妻の宿泊するホテル前に陣取り渡航反対の街宣活動をした。
 彼は59歳で、年齢よりはいささか年老いて見えた。私が受け取った名刺には、会の名称とともに日の丸がトレードマークのように記載されている。30年以上もの間、北朝鮮に関心を持ち続けてきたという。
 北朝鮮への彼の関心を持続させた原動力は、日本人妻が北朝鮮政府に欺かれているという確信だ。
 日本人妻とは、戦時に日本政府によって強制連行された朝鮮人と婚姻関係を結び、戦後に日本で生活を送っていた日本人の婦女らである。その日本人妻を連れて在日韓国・朝鮮人は、日朝両国赤十字協定(1959年)に基づく「帰国事業」で北朝鮮に帰還した。68年から70年の3年間を除いて、84年まで25年もの間、「帰国事業」は継続される。その期間中に計約9万人の在日朝鮮・韓国人とおよそ2000人ほどの日本人妻が北朝鮮への渡航に就いた。
 帰還の途に就く者の北朝鮮への渡航口が、新潟港だった。彼の目前で、全国から集った日本人妻が自らの意志で帰還船のタラップを上っていく。そうした日本人妻の姿を見過ごすことは、彼には耐えられなかった。「騙されてんだから、(北朝鮮がどんな国かを)教えてやるよという心境」で、前述の通り、彼は日本人妻らへの街宣を行なった。
 それにしても、何の根拠もなしに日本人妻が北朝鮮に騙されているとの確信は得られない。自身の確信について、本里氏はその理由をこのように説明する。
「北朝鮮に渡った日本人妻から手紙が来るんだが、内容は『靴下送ってくれ』だとかちょっとした身の回りの物を世話してくれというもの。内容はともかくその手紙には大きな意味があって、手紙の文字がボールペンだったら幸せに暮らしているとのサインというように示しを合わせておいた人がいたが、来た手紙を見ると手紙の文字は鉛筆で書かれていた」
 しかし、いかにも人道的で好ましいように語られる在日韓国・朝鮮人の「帰国事業」は、姜尚中の著作「日朝関係の克服」によれば、
「『厄介者』(在日朝鮮・韓国人)が、任意の自由意思で国外に『放出』され、しかもそれが『祖国』への『帰還』という麗しい『人道主義』によって正当化されるのであるから、政府やマスコミ、そして世論のほとんどが『北鮮帰還運動』に賛同したのである」
 とある。在日朝鮮・韓国人への排外的な措置は「人道主義」の糖衣にくるまれて正当化されることで、日本政府、日本人は「厄介払い」を「良心的行為」に転換することができたのである。
 ところで、世の中を自らの力で自身の望む方向にどうにか動かしたいという動機付けが強くある本里氏は、自分自身を「右の人間」とする。彼は看板塗装を仕事にしているが、狭い事務所内には天皇が笑顔をふりまく写真の掲載されたカレンダーや日章旗が安置されている。その事務所でひざを付き合わせるような距離で向かい合って、私は話を聞いたのだった。
 彼が高校生の時分、折しも当時は全共闘、全学連など学生運動華やかなりし頃だ。世の中がどうあるべきかと考える「憂国」少年だった本里さんは、テレビで興味深く学生運動の様子を見ていた。その当時の体験が彼の現在に大きな影響を与えているようだった。(■つづく)

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