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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/鉄道サリン・異臭事件に怒る

■月刊「記録」1995年6月号掲載記事

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■職責を超え本能で行動

 駅構内で車内と警察の姿が絶えることのない異様な毎日。4月19日の横浜駅異臭事件、5月5日の新宿駅青酸事件と危惧したことが現実となった。「私のJRもついに」という感がする。
 24時間体制の警備、車掌のアナウンスも気休めに過ぎなかった。正常な世の中に戻ってほしい。犯人はいい加減に目を覚ましたらどうなんだ。
 それにしても不気味である。吐き気さえ覚え、春の1日が憂鬱になってしまう。この狂気の沙汰は世界中を震撼させたといっても過言ではない。無差別殺人・無差別攻撃には猛烈な怒りが込み上げ、断じて許せない。優秀な警察は全容を徹底的に解明し、最凶悪犯人を一刻も早く逮捕しなければならない。
 地下鉄サリン事件のあった日の数日前まで娘が丸の内線を事件の時間帯に利用していた。また、看護婦の妻が通勤する病院には、被害に遭った200人もの患者が治療を受け、てんやわんやだった。他人事とは思えない。しかもことは鉄道を狙った事件だ。「もしJRで起こったら、私が乗務中だったら」と考えただけで頭の中がパニック化してしまう。
 もはや「オレは斎藤だ、車掌だ、国労だ」などといってはいられない。毒ガスに限らず、大地震・大火事という超非常事態に陥った場合、私達はJR職員の職責を超えた1人の人間としての本能で行動する。一刻を争う時に「責任者の指示がないので何もできません」「責任者到着までお待ち下さい」などとバカげたことでは済まされない。安全対策上のマニュアルもあり、訓練もされているが、とにかく臨機応変に何でもするだろう。
 例えば車内で急病人が出た場合、列車を止めて現場に急行すると、乗務員や駅員より乗客の何人かの方が扱いが上手く、その場を仕切るということがままある。私達の指揮命令系統では区長→助役→私達ヒラ社員となるが、混乱時に機敏な動作でテキパキと処理する者が必ずしも上司とは限らない。緊急時の指揮は「人間として」の原点に戻るということである

■JRは空気のようなもの

 サリン事件以降はJRでも運輸大臣からの指示もあって、「不審物はないか」と各駅構内・電車内を巡回し、24時間の警戒体制を敷いている。お客様に不安を与えてはならないと、ホームやコンコースのゴミ箱をのぞき込み、ベンチや車内網棚に捨て置かれた新聞・雑誌などをくまなく撤去する。職員はみんな目に隈をこしらえて疲れ切っている。業務が後回しで溜まって仕方がないと言う。追い打ちをかけるように横浜事件だ。
 私達車掌も「不審な物などありましたら手を触れずに乗務員・駅員にお申し出下さい」と車内放送で繰り返し注意を呼びかけている。私もキョロキョロと挙動不審気味で、制服姿でなかったら不審者扱いにされかねない状態だ。それでも音も色も臭いもなく忍び寄る毒ガスではひとたまりもないわけで、乗務中ぐらいは防毒マスクをしていたい。JRも、希望のお客様には防毒マスクを無料で貸し出したらどうかと真剣に考えてしまう。
 鉄道は国民に親しまれ、安心して利用されている。安全面では高水準を誇る乗り物といえよう。しかし、列車の衝突・脱線・転覆などの事故がないとは限らず、現に起きているという点では死と隣り合わせの危険な仕事ともいえる。運転に直接携わっている私達は厳粛にならざるを得ない。サリン事件では毒物の入った袋を運んだ職員が亡くなったが、車内からの異物を取り除くというごく当り前の単純な日常業務で帰らぬ人となるなど到底納得できまい。無念この上ないだろう。犯人は人でなしだ。 私達乗務員は仕事である以上危険は仕方ないが、国民の大半にとってのJRは「なくてはならない空気のようなもの。事故・遅れなしは当り前」という暗黙の信頼の上で利用されている。中には、1分でも遅れては困るという急用の人も少なくない。

■皆様の御利用をお待ちしている

 正直いって「JRにだけは仕掛けないで」と考える職員も多いが、自分の身に毒ガス攻撃など起きてほしくないと思うのは当たり前である。そして自分の身には降りかからないだろうと考える職員が圧倒的である。「安全神話が崩れた以上、私達も眠ってはいられない」というマスコミ論調もあったが、私は眠っていたい。人間として生まれ正しく生きている以上、こんな理不尽な被害に合うことなど考えてなんかいられないではないか。
 犯人が逮捕されない限り再発が心配されるが、私はひるむことなくいつもと変わらず堂々と生き、毅然とした態度で職務に励む。乗務員は乗客を他の車両に避難させ、自らも絶対に手を触れず、後は警察の専門家を待つだけの無力な存在だ。
 警察庁長官銃撃事件も法治国家への挑戦ともとれる前代未聞の事件だった。もし国家権力への報復だとしたら、国も警察もこれを期に国民からの信頼を取り戻してほしい。デッチ上げや暴力による自白の強要、平然と弱者を切り捨てる人権侵害が国家権力によって行なわれてきたのは事実だ。国民の反感を買い、不信を抱くような行為があってはならない。
 実は、私は職場の何人かの仲間に、何と「教祖さま」などと呼ばれている。私は「明日は新宿です」と車内放送をしてしまったことがある。新宿で飲み会がある明日のことを考えていたのだ。また、東京駅のホームで数人の外国人客に「エクスキューズ・ミー、ハツカリ?」と尋ねられた時、「エクスプレス・ハツカリ」と思い込み、盛岡乗り換えの「特急はつかり」青森行を案内し、大変喜ばれて私もホッと安堵したが、後で「ハツカリ」とは中央線の大月の次の駅「初狩」であったに違いないと思い直して困り果てたこともある。そこで仲間達に、小さなことでも大きくする「顕微教」の「教祖さま」といじめられるわけだ。止めてくれ!
 中央線は今日も走る。希望を乗せ夢を抱き、前進あるのみ。勘違いが「教義」になるニセ教祖が車掌を務める場合もある。太陽が昇る前から皆様の御利用をお待ちしている。安全・正確に皆様を目的地まで送り届けよう。 (■つづく)

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