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北朝鮮と新潟 第5回/北朝鮮人民の幸せを願う反総連活動家

■月刊『記録』05年10月号掲載記事

■自衛隊を軍隊にする運動

 万景峰号の入港を阻止する会の会長である本里福治さんは、人生に大きな影響を与えたと語るテレビで見た学生運動について語ってくれた。
「夢を持ってやっているはずなのに、覆面してヘルメットをかぶって顔をかくしている。後ろから石を投げては逃げる。自分の行動に自信が持てないのか。あいつは卑怯だ。卑怯な奴がやるのは嘘に違いないと思った」
 それが学生運動を担う「左の人間」に対する原体験だった。そこから「左の方が卑怯。右の方が清々、人間の生き方として清々している」という単純な二元論的な色分けを自らの生の判断基準にして、彼は「右」の保守思想に傾倒していった。
「右」の道に導かれながら、高卒後の1964年には海上自衛隊に入隊している。
「海自は船に乗っているので楽だしカッコいい。陸自は鉄砲かついで地を這わなくてはならない。船内は合理化が進んでハイテクが装備されて、海自は洗練されている」
 本里氏はこのように海上自衛隊に入隊した動機を話した。先ほどの「左」についての彼の発言と一致を覚えず、私には違和感が感じられた。彼の脳裏に描かれている「清々としている」人間像とは、一体どういう人物を指すのだろうか。
 自衛隊では、彼はヘリコプターの整備を行う職務に当たった。だが、自衛隊があまりに「法的規制」に縛られている点に思い至り、「自衛隊内部にいてその一員として頑張るのではなく、外部から活動に関与すべき」と意を決する。
「軍隊は何をやってもいいはずだ。法を乗り越えてもいい。自衛隊が軍隊と違うのは、やっていいことを法律で規制されていることだ。銃を撃っていい悪いが法に規制されている。これを解決しなくては、自衛隊は活動できない。自衛隊を軍隊にしなければ機能しない」
 このように法的に軍隊と規定された自衛隊こそが本来あるべき姿と思い定めていた本里氏は、入隊後4年を経過して自衛隊を退職する。
「自衛隊にずっといても良かったが、体験として自分自身を徴兵したに過ぎない。入隊の宣誓書に政治的活動に関与してはならないという項目があるのもおかしい」
 入隊時の宣誓に政治への不干渉が定められている以上、自衛隊に居ながらにしてクーデター的な内部変革を志した彼の考えは頓挫した。自衛隊をやめた後、母とともに新潟の地にやってくる。
 68年3月、25歳となり新潟で悶々としていた本里氏は、三島由紀夫が結成した「盾の会」に入会しようと心が動いた。しかし子どもができたことと重なったうえ、三島由紀夫が切腹して盾の会が解散してしまった。だからといって政治にかかわりたいという衝動が尽きることはなく「三島の遺志を継ぐために、三島由紀夫研究会をつくった」。
 三島由紀夫そのものへの執着もかなりのものなのかと尋ねてみれば、
「三島への愛着はあるがそこまでのものではない。行動原理の中心ではない。盾の会の会長である三島は好きだったが、文学者の三島は嫌い。小説はほとんど読んでない」
 と彼は率直に述べる。文学者の三島の突き当たったところが「盾の会」であって、その文学の内容を不問にするのはどうだろうか。「軍事好きなミーハー」と言っては失礼かもしれないが、彼の発言からは一向に彼自身の「清々とした潔さ」なるものが見えてこない。
 自衛隊を退職した後、軍事防衛に関する研究会を開催していたが、研究会活動ではメシが食えない。平素は営業を行うサラリーマンをしていた。しかし30歳に転機が訪れる。「性分がマジメで、客の要望があると何とかしようと思ってしまい、常に責任をしょいこんでしまう」性格のために、体をこわしてしまう。そこで「マジメ過ぎたよ。いいかげんに生きよう。いいかげんに生きる努力をしよう」と思い立ったそうだ。そして「対人関係に気を使わなくていいように、職人になろう。職人なら、人ではなく物を相手にして食べていける。客から何とかしてくれと要請があっても、物を示してダメなものはダメだと言える」と考え、塗装業を始め、現在に至る。
 本里氏に話を聞けば聞くほど、「清々」の意味を彼がどうとらえているのかが不明になっていく。つまるところ「右は清々」「左は卑怯」という対称で、彼の見解を理解しておけばいいのかと私は考えたが、よくよく聞いてみればそうではないらしい。「左」の共産党員であっても「清々」としていればいいらしい。
 新潟の市会議員に、共産党所属の渋谷明治氏という人物がいる。本里さんはこの渋谷氏を「左でも清々」の代表的な人物という。渋谷氏は、自民党が圧倒的強さを誇る新潟市にあって、選挙の場合に常にトップ当選を果たすほどの議員だ。
「共産党の票田となっている市営住宅に、15年から20年前、渋谷はでっかいスピーカーを付けた軽自動車のバンで乗りつけた。住宅の前で、たたきつけるように雨が降る土砂降りの中を、誰も聞いている様子がないのに、車上で自分の主義主張を訴えていた。聴衆がいないなかで、かさをさしながら演説している姿は心を動かされた」
 そのようなエピソードを披露する。だが渋谷氏に感銘を受けたと語る彼だが「共産主義が嫌いなので、入れ込むことはない」とする。人物像が重要なのであれば、信条、主義の左右の別は関係ないと私は思うが、本里氏にとってはことのほか重要事であるようだ。
 自分自身を「右の人間」と位置づける人物はおおむね、自民党を支持する。だが彼は自民党を支持するというより、自民党しか票を投じる政党がないと嘆く。
「反北ムードが高まってきた。だけど、拉致事件に関して、政府が何もやらないからダメ。日本政府はダメ、自民党がダメ。自民党は利権売国党、民主党は利権非国民党。それでも投票する場合には、自民党に票を入れる。だって、自営業だから」
 本里氏は、馬場さんが現在会長を務める「救う会新潟」で、5年前に幹事として活動を行っていた。しかし救う会をしばらく離れ、以前から続けていた「万景峰号の入港を阻止する会」の活動に集中することにした。が、また最近になって救う会の幹事を引き受けている。「大事な問題である拉致事件の解決を目指すために」とのことだ。

■救う会の分裂は北の仕業!?

 ところでこの「救う会新潟」だが、私が新潟を訪れた時には内部分裂に揺れていた。拉致被害者を抱える家族らのなかに、温度差が生じているためだ。日本への帰国を果たした5人の拉致被害者の家族と、死亡が伝えられた拉致被害者の家族との間の温度差である。すでに日本に帰国して再会を果たした拉致被害者の家族には、その後も「救う会」に携わる理由がない。この温度差は事の成り行き上当然のことかもしれない。
 このように温度差が生じた事態を、本里氏は「救う会を分裂させようとしている、北朝鮮の意図だ」と主張する。会の活動ので障害を「北朝鮮の企みだ」とする論法はかなり乱暴だ。北朝鮮を槍玉に挙げ会の内部問題を北朝鮮の陰謀によるものとすり替えることで、反北朝鮮感情を高揚して会の結束をより補強して固めようとしているとしか私には思われない。
「救う会新潟」の内部分裂はこれだけではない。現会長の馬場さんは、04年7月16日に会長に就任したばかりだった。97年の会の発足以来、会長は小島晴則氏が務めてきた。しかし、小島会長が欠席した幹事会の場で、会の幹事の一部が小島会長を解任して馬場さんを新会長に担ぎ出したのだ。小島会長解任の理由は「会の運営や会計が、不明瞭だ」ということによる。他方で、一方的に会長職を解任されてしまった小島さんは「解任は無効」として、解任した幹事を除名処分とした。
 話を聞きたいと思い立ち小島さんの自宅を伺ったが、呉服店を営む自宅店舗は平日というのにシャッターが下ろされたままだった。おまけにそのシャッターには、斧で叩き割ったかのような痕跡が残されていた。小島さんは自宅に閉じこもりっきりのようで、電話をかけても「話すことは何もない」として応じてくれなかった。関係者の幾人かに話を聞いた限りで「独善的」と評されることの多かった小島さんなのだが、この仕打ちはひどい。私はすごすごとその場を立ち去った。
 混乱を抱える「救う会新潟」だが、その幹事である本里氏は、これまでの強硬な意見からは思いがけず、意外にも朝鮮人全体を敵視すれば拉致問題解決の糸口が見出せると思っているわけではないようだ。
「北朝鮮の人民が幸せになってほしい。隣国だから友達でなくてはならない。北朝鮮の人民は飢えていて、餓死する人もいる。北朝鮮を何とかしてやろうという気持ちはある」
 北朝鮮国内の飢餓状況の原因を、朝鮮総連と金正日体制だと彼は断言する。
「北で飢えている人民がいて、同胞が飢え死にしているのに総連や在日は見殺しにしている。飢餓の原因は金体制。総連が支えるから金体制が継続される。総連が北を不幸にしている」
 金体制の存続を支持する総連に対して、彼は「どうしてわからないんだという思いがある」と強く私に訴えた。(■つづく)

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