« ホームレス自らを語る/ついに残飯に手を出した・山口賢一(六四歳) | トップページ | 鎌田慧の現代を斬る/東京地裁が認めたJRのインチキ賭博 »

ホームレス自らを語る/義理と人情の果てに・山本敏男(四九歳)

■月刊「記録」1998年12月号掲載記事

*       *        *

■血しぶきが降りかかる

「誰かいるか。K組ともめた。若い衆はいるか」
 兄貴から事務所に電話がかかってきてよ。あいにく、そこにはおれしかいなかったんだ。仕方ない、刃渡り30センチのあいくちだけを持って、タクシーでかけつけた。
 車をおりると、何人かのヤクザがうなりを上げてにらみ合っていてな。今にもどつき合いが始まりそうだったんだ。こうなったら互いの意地もある。引くに引けねえ。殺るか殺られるかだよ。それでも兄貴なんかは、まだ冷静だった。おれがあいくちを片手に、相手の組員に突っ込もうとするのを止めたんだから。
「敏男、やめろ」
 鋭い口調でそう言って、後ろからおれを押さえつけた。けれども、それが呼び水になっちまった。相手が突進してきたんだ。敵との間は数メートル。考えているひまなんかねえよ。強引に兄貴を振り払い、あいくちをやつに向かって突き刺した。
 心臓を一突き。
 わけのわからんねえうちにあいくちが刺さり、血しぶきがおれに降りかかっていた。誰が見ても即死だよ。相手は血を吹きながら崩れていって、ピクリとも動かなくなったからな。もちろん死人が出た途端、ケンカは終わっちまった。警察も来るし、そのままいるわけにもいかねえわな。
 一瞬の沈黙を破ったのは、おれをかわいがってくれていた兄貴分だった。
「逃げろ」
 そういってくれてな。でも逃げる気にならなかった。 「みんなに迷惑かけますから自首しますよ」
 そうおれがいうと、兄貴もしばらく黙っていてな。それから「警察行くなら、ウチで着替えていけ」といってくれたんだ。
 おれたちと相手は系統の異なる組の一員だったが、別に殺した相手にうらみはねえよ。おれ自身、見たこともないやつだったし……。だた、殺らなきゃ殺られていたんだ。おれの動きがやつより遅ければ、おれの代わりにやつが生き続けたはずだ。おれが17歳か18歳で、相手も同じくらいの年だった。まあ、どっちかが早死にしなくちゃならない運命だったんだな。
 殺した現場のほど近くにある兄貴分の家で、服を着替え、血にまみれた手を洗ったら、酒が出てきた。兄貴の姉さん(妻)が、「最後だから、飲んでいきな」って、用意してくれたんだ。楽しい酒だったよ。笑いながら飲んでいた。
 この酒盛りでも、「逃げたいんならば、逃げろ」と兄貴はいってくれた。けれども5年も10年も逃げ回るのは嫌だったから、自首する気持ちは変わらなかった。あまり長居すると、兄貴にも姉さんにも迷惑がかかる。ほろ酔い気分で警察に向かったのは、それから三〇分くらい後だった。
 これが最初の殺人。1年3ヵ月、少年院で暮らすことになっちまった。

■弱い者いじめはしない

 生まれは静岡県の御殿場だ。小学生のころは、いじめられ続けていたよ。いじめられなくなったのは、六年生になってからだ。いじめたやつをみんなぶっ飛ばしたら、いじめがなくなったな。そんな経験があるから、今でも弱い者いじめは、でえっ嫌いだよ。ヤクザな人生を送ってきたが、弱い者いじめだけはしなかった。これだけは胸を張っていえる。
 中学を卒業して、初めて勤めたのは小さな鉄道会社だった。電車修理工として、毎日油にまみれて働いた。仕事に不満はなかったな。だけどケンカでクビになっちまった。
 会社の先輩連中が、10人で襲いかかってきたんだ。10人が棒やスパナで殴りつけてくる。そのままにしていたらやられる。おれは頭にきて、近くにあった木の棒を振り回してやったよ。五人を返り討ちにしたところで、残りの五人はわびをいれてきてな。それでケンカはおさまった。でも会社は黙っちゃいないよ。おれを含めて、11人全員がクビ。
 おれは身を守っただけだってことは、会社もわかっていたみたいだけど、体面上おれもクビにせざるを得なかったらしい。いきなり襲われて戦ったらクビなんて不運だけどしょうがねえよ。文句はいわずに辞めた。入社から11ヶ月、仕事を覚え始めたところで失業さ。
 それからは東京だ。
 最初は板橋区のガラス屋だな。これは1年もいなかったと思う。次が乳酸飲料のセールスと配達。エルミーって知ってるか。ヤクルトみたいに、小さな容器に入っているやつだ。そんなものを池袋で売っていたんだ。これも1年くらいしか続かなかった。二年近く東京で暮らしていたが、結局、御殿場に帰ってチンピラしていたよ。
■親分にほれた

 おれの運命が劇的に変わったのは、親分との出会いだった。
 その夜、おれは御殿場の盛り場で飲んでいたんだ。ほろ酔いかげんで店を出ると、1人の若い男を数人でボコボコにしている。ほら、おれは弱い者いじめは嫌いだろ。だから助けたんだ。殴っているやつらを追い払ってな。
 そうしたら「ちょっと来い」と、ヤクザ風の男がおれを呼ぶんだよ。笑いながら、手を挙げててな。何だろうと思って近づいていくと、「見てたぞ。よくやったな。いいか、強いやつには向かっていけ。弱いやつは、絶対に助けてやるんだ。これからも、そうやって生きていけ」って、ほめられたんだよ。
 それが、この後10年以上お世話になる親分だった。ほれたよ。この言葉を聞いて、この人についていこうと思ったんだ。「ウチにちょっと来い」っていわれたときは、断る理由なんてなかったね。ただただうれしかった。 それからおれは組事務所で暮らすようになった。
 起床は朝5時。夜11時の就寝まで、便所掃除、風呂掃除、組事務所の掃除なんかの雑用に追われた。電話番なんかもおれら若い衆の仕事だから、ほとんど一日中事務所につめっぱなしだよ。もちろん自分の時間なんてねえよ。それに上下関係も、仕事も厳しいんだ。おれと同じ若い衆も、つらくてどんどん辞めていった。
 カネ回りだって、仕事が厳しい割にはよくはねえよ。月の小遣いが5000円。それ以外に賭場を開いたときなんか、下足番のおれに親分衆が小遣いをくれたけどな。まあ一人、2~3000円ずつくらいだな。そんな臨時収入も入れて、月1万5000円くらいがおれの収入だ。当時、高卒の初任給が2万円に少し欠けるくらいだから、高かねえよ。
 でも、親分と姉さんにはかわいがってもらったよ。たまに「ちょっと来い」なんて、親分が呼ぶんだ。どうしたのかと思って近寄ると、「よく逃げ出さなかったな」なんてほめてくれて、「おかん(妻)には内緒だぞ」と余分に小遣いをくれたりする。姉さんは姉さんで、「親分には内緒だよ」なんて、おカネをそっと握らせてくれるんだ。おれは親分にほれているからついてきただけなのに、そこまでしてもらってうれしかった。
 こんな親分の下で働いているから、おれの兄貴も弱い者には優しかった。事務所近くで仕事のないおっさんなんかに会うと、必ず「飯食ってるのか」って聞く。満足な答えが返ってこなけりゃ、カネがなくてもごちそうしちまうんだ。店に入ってから、「カネねえから、おまえはカレーにしろ」なんて、食べるもの指定してたけどな。困っているやつがいれば、1000円しか持っていなくても500円はおごっちまう。兄貴はそんな人間だった。
 もちろん組だって素人さんに迷惑なんかかけねえよ。無理にテラ銭取ったりなんかもしなかったね。事務所近くの店で問題が起こると、必ずウチの組に連絡がくる。そしたら飛んでいって、酔っ払いを追っ払ったりするわけだよ。カネなんか要求しない。「お気持ちですから」って、店の人が包んでくれるのを、頭下げてもらってくるだけだ。もちろん安いカネでも文句はいわねえよ。
 ただし同じヤクザからは、恐れられていた。特に兄貴分とおれは、凶暴なので有名だったからな。「あそこの二人は何するかわからないから気をつけろ」って、御殿場では名が通っていたよ。そんな伝説の発端になったのが、最初に話したケンカだった。

■切れた指が飛んでいった

 けれども、乱暴ばかりしてたわけでもねえ。少年院から出所してすぐに、おれはおかん(女房)と知り合っているからな。喫茶店の手伝いをしていた娘だ。美人のうえに、優しくて、シンが強い。女優の安田道代そっくりだった。「どっから見つけてきた」なんてみんな騒いでいたけど、探しゃ、きちんといい女はいるんだよ。
 カネもなかったし、おかんも派手なことが嫌いだったから結婚式はしなかったが、籍は入れて一緒に暮らし始めた。結婚して1年もたたない20歳のころ、長男が誕生。それから24歳までに女1人、男1人の計3人の子どもを生んでくれた。いい女房だよ。
 当時のおれの仕事は、大人のおもちゃやコンドームの卸、それと借金の取り立てだ。
 卸の仕事は、ラブホテルや専門店が相手だった。ところが面白いことに、近所の奥さんがこっそりとおれの家にコンドームを買いに来ていたんだ。「コンドームを買うなんて気恥ずかしい」っていう時代だったからな。みんなグロスで買っていったんだ。うん、この商売は悪くなかったな。
 もう一つの借金の取り立ては、かえって出費がかさむこともあったな。というのもおれが相手の家にいってうなるだろ、そうするとその家のガキが泣くんだよ。ワンワン。子どもに泣かれてまで銭取りたくねえよ。逆に1万円握らせて帰ってきちまうんだ。自分も子どもがいるから、どうしても子どもの泣き顔に弱いんだな。
 事務所に戻ると、当然「どうした」って聞かれるだろ。だから「あそこはダメだ」って答えていたよ。まあ、おれがダメだっていえば、誰も文句はいわなかったけどな。
 そんな商売をしながら暮らしていたんだが、24歳のとき、ひょんなことから右手の小指をなくすことになっちまう。
 これも始まりは電話だった。
「姉さん同士がもめているから、すぐに来てくれ」っていわれたんだよ。いわれた小料理屋では、兄貴の姉さんと若頭の姉さんがつかみかからんばかりに猛烈なケンカをしていた。しかも、どこに電話しても兄貴がつかまらないんだ。こりゃ、おれがおさめるしかないよ。ところが兄貴の舎弟であるおれは、若頭の姉さんからすれば敵。
「どうやって、話をつけるんだい」。
 若頭の姉さんは、おれをにらみつけていったね。簡単にはおさまらない雰囲気だった。仕方ないから、カウンターの中に入って、若い衆に包丁とまな板を持ってくるように命令したんだ。それから調理場の床にかがみ込んで、右手の小指だけをまな板に乗せていったよ。「その包丁で、思いっきりひっぱたけ」ってな。
 ところが指なんて、簡単に切れないんだ。若い衆が一回ひっぱたいたけれど、半分くらいまでしか包丁が刺さらない。「もっと力入れろ」ってどなりつけたら、若い衆も覚悟が決まったんだろうな。それこそ力一杯振り下ろした。
 まな板に包丁が突き刺さり、小指の第二関節あたりから白い骨がのぞいた。ただ、まな板には何もなかったんだ。あんまり強く振り下ろしたから、切れた指がどっかに飛んでいっちまった。せっかく落としたのに、先がないんじゃ、元も子もない。若い衆と四つんばいになって、必死に指を探したんだ。もう一本、指を切り落とすわけにはいかないからな。結局、ずいぶん遠くで、若い衆が小指の先を見つけたよ。
「これで仲良くしてくんな」
 こう言って、店の紙ナプキンに包んだ小指を、若頭の姉さんにおれは差し出したんだ。血を吸ったナプキンは真っ赤に染まってた。右手の指先からは血が流れっぱなしだから、カウンターから姉さんのテーブルまで途切れることなく血が続いていたよ。そんな状態で、にっこり笑ってこんなことをいったもんだから2人とも驚いていたな。

■壊れた水道みたいに血が流れ

 今度怒ったのは、兄貴の姉さんだ。怒りで顔面蒼白。店の電話に走って行った。兄貴をつかまえるために、そこら中に電話をかけ始めたんだ。どうしようもないから、おれは血を流しながらニコニコ笑っていたよ。手持ちぶさたでな。
 そんなことをしているうちに、兄貴が店に飛び込んで来たんだ。まあ、近くにいたのを姉さんがつかまえたんだろうよ。
「バカ野郎、手しばれ」
 兄貴の第一声がこれだった。何しろおれの小指からは、壊れた水道みたいに血が流れて出ていたからな。兄貴も心配したんだろう。それから兄貴は、すごい血相で若頭の姉さんに向かっていったよ。奥さんとケンカした上に、子分が指切って持って来たんじゃ、若頭の姉さんも旗色が悪いよ。
 兄貴の剣幕に押されながらも、「おまえの若い衆もあくどいよ。平気で指持ってくるからね」なんて言い返していたな。こっちだって親からもらった大事な体だが、身内同士のケンカがおさまるのならば指なんかいらねえ、って思ったんだ。後から聞いたことだが、まさか指を持って来るとは若頭の姉さんも思っていなかったみてえだけどな。
 この事件の翌日、包帯に巻かれた小指を心配した息子が、「けがしたのか」って聞くんだよ。仕方ないから、「そうだ」って答えておいた。ところが数日して、包帯が取れるだろ。そしたら「父さん、指ないよ」って、息子が大騒ぎし始めたんだ。「悪いことでもしたのか」って聞かれたから、「いいや」って答えておいたけれどな。この事件では、若頭の姉さんだけじゃなく、息子も驚かせちまったな。

■死体からクソのにおい

 そしてこの年、さらに大きな事件がおれを襲うことになるんだ。今度も始まりは、事務所への電話だった。他の組員と飲み屋でもめて、応援を頼まれたんだよ。
 万が一に備えて懐にチャカ(拳銃)を、ズボンの後ろポケットに包丁を入れていった。相手は5人。またしても、つかみ合いが始まる寸前だった。おれは背広の内ポケットにあるチャカを握り、背広越しに銃口を向けて「ぶっぱなずぞ」と威嚇したんだ。これで逃げ出すと思ったんだな。だから少しずつ前に出た。
 そのとき、「来たぞ」って、後ろから声がした。振り向いたら、死角からサバイバルナイフを振り上げた男が飛び込んで来た。もはやチャカを抜いて撃つ時間などない。とっさにチャカを離して、ズボンの包丁を抜き、やつの腹に突き立てた。ナイフがおれに届く前に、やつはわき腹を割かれて絶命したよ。転がった死体からは腸が飛び出して、地面に向かってゆっくりと流れ出していた。
 知ってるか、腸はくさいんだ。死体からクソのにおいが漂ってくるんだ。
「やってしまったものは、しょうがないか」
 おれがそういうと、兄貴は笑いながらいったよ。
「くさいけど、これが腸なら食えるんじゃねえか。きっとうめーぞ」てな。
 死体を前に、笑いながら話しているおれたちを見て、相手の組の連中はバカ面さらしてボーっとしていたよ。 二回目の殺人は、求刑10年、判決9年だった。もっともおれは八年で出てこられたけれどな。とはいえ8年間も組にいないのは、長かったな。というのも荒っぽいことをやったからって、ヤクザ社会で偉くなれるとは限らねえんだよ。一番驚いたのはおれが塀の中にいる間に、ぺーぺーだったやつがいつの間にかおれより偉くなっちまったことだ。組の出所祝いで、昔は自分より下っ端だった男が、おれに向かってうなるんだから。
 もちろん、「てめえ、おれにうなるのは10年早いんだよ。てめえも10年懲役食らってみろ」って、どなりつけたけどな。それで相手は黙っちまったが、胸くそ悪いよ。兄貴も怒っていた。
 出所してしばらくしてからだ。女房の親が実の兄を殺しちまうという事件が起きた。それで、おかんも残された家族を心配していたから、女房の実家がある秩父で暮らすことに決めた。当然、ヤクザ稼業から足を洗った。 職は鉄筋屋だ。このときが一番よかった。体はきついけれども、ヤクザみたいに気を使わなくてすむし、休みの日になれば、3人の子どもと女房を車で連れ出して、長瀞でバーベキュー。楽しかった。
 当時、一つだけ心残りがあるとすれば、兄貴の死に目に会えなかったことだよ。連絡もなかったから知らなかったんだ。肝硬変で入院して、すぐ亡くなったそうだ。 それから静岡に戻って、鉄筋屋の社員5人を雇って会社を興したりもしていた。いつも食うには困らなかったよ。ホームレスになる直前も、別に何不自由ない生活を送っていたんだ。ところが自分の住んできたマンションにいたくなくなったんだ。おかんとケンカしたわけでもない。おれの勝手だよ。
 日なたぼっこして、適当に働いて、昔世話した人からおカネをもらったりして、酒かっくらって、気ままに暮らすのが楽しくなっちまったんだ。この間、息子に電話したらな。「何してる?」って聞かれたんだよ。だから「ホームレスしてる」って笑って答えておいたよ。
「おやじは何しても死なないからな」なんて息子もいいながら、先日おれに会いに来たよ。富山県からわざわざ出てきてな。それでもホームレスをやめる気にならねえんだ。
 まあ一つには、周りの連中が「敏さん、いてくんな」っていうからな。ケンカをおさめたり、堅気の人に迷惑をかけないように公園を掃除したり、子どもが遊べる公園をホームレスが占領しないように勝手に住みつくやつを追っ払ったり。そうこうしているうちに、1年が過ぎちまった。
 嫌になったら帰るよ。 (■了)

|

« ホームレス自らを語る/ついに残飯に手を出した・山口賢一(六四歳) | トップページ | 鎌田慧の現代を斬る/東京地裁が認めたJRのインチキ賭博 »

ホームレス自らを語る/大畑太郎・神戸幸夫」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/389724/6969015

この記事へのトラックバック一覧です: ホームレス自らを語る/義理と人情の果てに・山本敏男(四九歳):

» 酒飲みの肝臓を知りましょう [二日酔いの特効薬]
二日酔いに特効薬はありませんが、何かないかな [続きを読む]

受信: 2007年7月 1日 (日) 17時46分

» 酒飲み肝硬変 [どんじり負けでは終わらない]
食道静脈瘤破裂から1年経ちました。元気です [続きを読む]

受信: 2007年7月 1日 (日) 18時05分

« ホームレス自らを語る/ついに残飯に手を出した・山口賢一(六四歳) | トップページ | 鎌田慧の現代を斬る/東京地裁が認めたJRのインチキ賭博 »