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だいじょうぶよ・神山眞/最終回 一方通行の約束

■月刊「記録」2006年6月号掲載記事

*          *           *

 一緒に暮らしていた頃は、ぼくたちのゆがんだ関係が、苛立ちや不安を引き起こしていた。なのにどうして、時を経て場所を隔ててこうして正利と会うと、そのゆがみこそが、ぼくと正利にとって最高に心地いいものに変わるのだろう。それは新鮮な驚きであり、ちょっとした後悔でもあった。
 もっと早く気づくことはできなかったのだろうか。そうすればもう少し違ったかたちで、一緒に暮らし続けることができたかもしれないのに。
 食事とドライブをして、正利を施設に送り、トレーナー2着、ベンチコート1着、それにスナック菓子3袋を渡して、僕は正利と別れた。
 寂しさはない。杉の木に挟まれた一本の道を車を走らせていく。正利との距離はどんどん開いていくが、やっぱり寂しくはなかった。これからのことは何一つ決まっていない。正利の次に行く施設も、僕がどうやって生きていくのかも。けれど、たとえ正利がどこへ行こうとも、僕がそのとき何をしていようとも、大丈夫だという安心感があった。そう、正利がよく、僕に言っていたセリフだ。
「だいじょぶよ」
「せんせは、しんぱいしすぎなのよ、だいじょぶよ」
 そうなのかもしれない。たぶん、大丈夫だ。きっと、大丈夫だ。
「だいじょぶよ」
「大丈夫」
 ハンドルを握ったまま呟いてみる。もしかするとそれは、僕に一番欠けていて、一番必要な言葉なのかもしれなかった。正利からのプレゼント。ぼくはこの言葉と一緒に、時・場所・形が変わっても生きていく。
 ――それからも相変わらず忙しさに追われる毎日が続いた。朝早くに起き、夜遅くまで仕事する。だが充実していると感じていた。仕事が楽しくお金を稼ぐことが嬉しかった。
 適当に楽しくて、適度なお金がありさえすればいいと、以前のぼくは思っていた。だが少なくとも今の僕は違った。楽しく仕事をして、稼ぐだけ稼ぐのだ。その理由は誰にも言わないし、言う必要もない。ただ、心の中にいつも思っていればそれでいい。
 ぼくは正利のために稼ぐのだろうか。そうかもしれない。正利が今のまま施設での生活を望むなら、そうさせてあげたい。その生活を実現するために経済的なことが必要で、政治的なことが絡むというのなら何とかしてあげたい。もしも正利がもっと違うどこかへ行きたいのなら、それも叶えてあげたい。そしてたまに会いに行こう。日本中どこだってぼくは行こう。もしもまた一緒に暮らしたいと言ったら? また一緒に仕事をしたいと言ったら? それもいいだろう。だが、そのためにも5年だけ待ってほしい。5年経ったら間違いなくぼくは準備万端に、きちんと体勢を整えられるに違いない。
 夢物語なんかじゃない。「そうだったらいいな」という話じゃない。これは、叶えなければならない自分の中の約束事だと思っている。
 だからぼくは今は、ひたすらに頑張っている。1日たりとも、1分1秒なりとも無駄にはできない。5年で準備を整えるために。5年後、正利が何を考え、何を望み、何を欲しがるか、ぼくにはわからないが、そもそも気まぐれなあいつの5年後を予想するなんてばかげたことだろう。
 ただ、準備だけを整えておくのだ。これは一方通行な、ぼくだけの約束事だけれど、それでもいい。

■忘れていた誕生日

 1月のある日、家に宅急便が届いた。正利からだった。封を開けると、中からは財布が出てきた。小銭入れみたいなやつで手作り風。どうやら施設の作業所か何かで、作ったものらしい。手紙が添えられていた。
「せんせ、たんじょうび、おめでとう」
 そうか、そうだった。今日は誕生日だった。正利の誕生日は、いつでもプレゼントを催促されるから忘れたことなどなかったが、自分の日はすっかり忘れていた。お礼の電話でもするか、そう思った瞬間、携帯電話が鳴った。慌ててポケットから取り出すと、番号表示に浮かび上がる「公衆電話」の文字。正利か? いまどき公衆電話から電話をしてくるなんて正利しかいない。
 ただ、ただ、嬉しかった。
「せんせ? とどいた?」
「なんだよ! 忙しいんだよ!」
「せんせ、さいふもってないでしょ?」
「なくたって大丈夫なんだよ俺は!」
「なんなのよ!」
 なんだか無性に嬉しかった。涙がこぼれそうになった。泣きそうなのを知られたくなかった。だから、ありがとうが言えなかった。
 こんな関係が、いつまでも続けばいい。
 一方的な約束を、ぼくは必ず果たすだろう。
 必ずその日が来ることを、ぼくは信じている。 (■了)

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