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保健室の片隅で・池内直美/第8回 フロリダでの出会い

■月刊「記録」1998年9月号掲載記事

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■フロリダへヒーリングの旅へ

 九八年七月二五日から八月二日の間、フロリダで行われたイルカと泳ぐツアーに参加した。
 このツアーには、以前に自閉症や障害のある子ども達が参加して、たくさんのいい変化が得られたと報告されている。そこでこのときは、不登校の子のヒーリングもできるのではないかと考えて行われた、はじめての試みだった。
 そこに私が参加した理由は、イルカと泳ぎたいという思いと、海外に行ってみたいという興味、そして子どもたちの役に立てることがあれば協力したいという気持ちだった。けれどまあ、参加者には、有名なフリースクールの先生やスタッフの方々が加わっていたため、私はそれなりに楽しめればいいかなと、甘い考えでアメリカに出発した。
 参加したのは、一三歳から二二歳(引率チーフと年齢不明者を除く)の、職業や生活環境のまったく異なる男女一二人で、参加の動機もまったくバラバラだった。
 ある人は、私と同じようにアメリカに行ってイルカと触れ合いたいという理由。またある人は、イルカに触れれば自分が変わるんじゃないかという期待から。誘われるがままに参加して、それでも自分の心に何かの変化があるかもと思っている人もいれば、夏休みを利用してのバカンスを楽しみに来ている人もいた。
 フロリダでの生活は、コンドミニアムの共同生活だった。集団生活に慣れていない私や同じような人にとっては、決して楽ではないものだった。
 わがままがいえない。右も左もわからないアメリカで、英語をしゃべられない人も多いうえに、簡単に国際電話一つかけられない心細い状態。知らない者同士、触れていい部分と触れてはいけない部分との探り合いのような始まりだった。
 特に私は、英語はしゃべれないし、泳げない。海を見るのは好きだけど入るのは嫌い。日本の文化にしか触れたことがないから、現地のツアー主催者の方ともはじめはウマが合わなくて、スーツケースを抱えて帰ろうとしてしまったくらいだった。
 帰ろうと思うまでには、それなりにいろいろなことがあったのだけれど、思えば小さなことが重なって、疲れてしまったのが原因だった。
 たあいないことだが食事に私の嫌いなチーズがよく出る、心を許せる人がいない、集団行動に慣れていないために必要以上にテンションを高くして振る舞ってしまい、その高さを保てなくなった。いろいろなことが重なって、プライベートタイムも思うように作れず、ストレスからぜん息の発作も続き、夕飯を食べずにとにかくベッドに潜り込んで寝た夜、ふと夜中に目が覚めた。どこへ行くあてもないけれど、とにかくここを出ようと、固く思い込み始めていた頃だった。
 ふいに夜逃げを決行する気になった。ボストンバッグに荷物を詰め込んで一息つく。フロリダの空気は乾燥している。乾いた室内での作業は、ぜん息のノドには思った以上に疲れて、お水を飲みにリビングへ行った。
 フロリダは暑いから、部屋では一日中冷房が効いている。寒いリビングで水を飲んでいると、ソファーに眠り込んでいる黄色い人影を発見した。
 夜逃げをしようとしていた私には、これ以上にない驚きであった。けれど、人影が誰なのかを確認した時には、これ以上にない安ど感をも覚えた。私をこのツアーに誘ってくれた、小冊子を一緒に作っている友人だった。 私は「純くん、風邪ひくよ」と揺り起こして、リビングから出ていってもらおうかとも思ったが、その前に少しだけ話を聞いてもらうことにした。出ていくことで、彼に迷惑をかけることはわかっていたし、話を聞いてもらうことで私も落ち着くかもしれないと思ったからだ。「一杯つきあってもらえないかな?」。未成年の私がお酒を一緒に飲もうなんて、本当はいってはいけないことなのだけど、他にどうすることもできなかった。お酒に頼らなければ、口を開くことができそうもなかった。
 眠そうな彼と、現地で買ったビールをあける。瓶ビールをラッパ飲みするなんて、日本にいる時には考えられないことだった。
 はじめの頃は、何気ない話をしていた。夕飯のこととか、一緒に来ている人のこととか。それが私の心をなごませてくれた。きっと、高く保っていたテンションが、徐々に元に戻っていったのだろう。
「なんだか疲れちゃって、精神的にもうダメなのって、さっき誰かにいっちゃったんだ。どうしようもなくて、スーツケースを持って帰ろうとしてたんだ。何やってるんだろう? 私…」というと、彼は、「みんな疲れてるんだよ。弱音くらい吐いたっていいと思うよ。自分の時間ってさ、みんなで一緒に生活してるときに作ろうとすると、すごく難しいんだよね。でも、その中でなんとか作るしかないんだ。だから俺は、バスの中では絶対寝てるよ」という。
 そう言われてみると、たしかに彼はバスの中では、いつだって寝ていた。彼いわく、それが自分の時間だからだという。
 私と違って彼は、フリースクールのスタッフとしてこのツアーに参加していた。そして彼には、金魚のフン状態の子どももいたのだ。朝から夜までだけならまだしも、二四時間ずーっと一緒となると、それなりにストレスも重なったと思う。

■ヒデという一人の少年

 その頃から私たちの間で「マッサージ」が流行(?)になった。マッサージといっても「ツボ押し」という、ツボを探して押すものだ。ツボを見つけられると、「あ」に濁点がつくような声を張り上げてしまうほど痛く、それをおもしろがってやる子もなかにはいた。
 もともと肩こりがひどいうえに、疲れと冷房が重なって、私の右腕が上がらなくなったのを知られてからは、よくそのターゲットにされた。そして、その相手が、純君にくっついてまわっていた一三歳の男の子だった。
 純くんはリビングでグチる私に、「あいつはさ、今までは自分からは何かをしようとはしなかったんだよ。でも、香苗と一緒にいるようになって、すごく変わった。いい意味でね。自分の意志をはっきり伝えるようになったよ。はじめて聞いた言葉が一杯あった。家に帰りたくないとか、それは冗談で言ってるんだろうけど、ビックリしたよ。きっと、香苗を信頼してるんだ。自分を信頼してくれる人がいるって嬉しいよね」
 リビングで愚痴る私に、純くんが話してくれた。
 それを信頼といっていいのかはわからなかったけれど、その子が私と一緒にいるとき、たしかに他の子といる時とはなんだか違うと感じてはいた。けれど、それはばく然としたもので、何日かあとに、彼に信頼されていることを実感する時がくるのだが、それまでは私も自分のことで精一杯だった。
 さんざんグチをいった私に、純くんは日本食を作ってくれた。眠れなくて起きて来た子たちと一緒に、翌日の夕飯用にとってあったそうめんを勝手に食べていると、私の気持ちは晴れ晴れとしてきた。夜逃げをしようとしていたことなど、すっかり忘れてしまったほどに。
 泳げない私は、海に浮き輪を持参する。
 日本では船酔いが悩みだったけれど、フロリダでは船酔いはまったくしないのに、波酔いがひどかった。どうも、その浮き輪が問題だったらしい。
 軽く浮き輪につかまっていれば、人の体は簡単に浮くものだが、私は必死にしがみついてしまう。そのことで胸が圧迫され、波に酔ってしまうのだ。
 イルカと泳ぐために、私たちはよくクルーザーで海に出た。海の真ん中にクルーザーから降りて泳ぐ。そして船酔いや波酔いがあまりにもひどくなった時、子どもたちは、シェル島という島まで泳いでいき、とりあえず陸に上って酔いを覚ました。
 クルーザーで上陸することはできないから、私にとってはとんでもない距離を、泳いでその島まで行かねばならない。
「キャーーーー!!」
 そのクルーザーから降りる瞬間、私は気づかぬうちに、いつも大声で叫んでいたようだ。水の中に潜っていても聞こえてくるといわれたので、きっと相当な声だっただのだろう。
「降りておいでよ、引っ張っていってあげるから」
 いつも純くんにくっついている一三歳の男の子、ヒデは、人一倍乗り物酔いがひどく、飛行機に乗っているときも、船に乗った瞬間からも顔を真っ青にしていた。
 そのヒデが、私をシェル島まで連れていってくれるというのだ。
「無理だよ」と私。
 泳ぎが得意ならまだしも、ヒデの手には、しっかりとライフジャケット(浮き輪の代わりに使っていた)が握られている。だがヒデは、「大丈夫。これを握ってて!」とジャケットを体に巻きつける時に使うひもを私に握らせ、シェル島に向かって泳ぎ始めた。
 はじめはちゃんと進むかどうかが心配だったけれど、何とかシェル島までたどり着けたその時から、私は海のなかではヒデを頼るようになった。極端に泳げる人よりも、ヒデと一緒にいるほうが安心できるのは、迷惑をかけていると感じる大きさが違うからなのだろうか。
 それに陸の上では、私や純くんにからみついてくるのに、海の中では男の子らしさを見せてくれるのがなんとなくうれしかった。
 ただ私には、時々見せる寂しそうな顔が心配でならなかった。ヒデを叩くことは、たとえ遊びであってもいけない気がした。無理に彼の心のなかに入ろうとすれば、彼は自分の殻に閉じこもってしまうような気がして、私にできることは見守ることしかなかった。
 誰からともなく後で聞いたのだが、ヒデはイジメにあって学校に行けなくなり、フリースクールに通っているという。イジメにあっている時は、よく叩かれていたらしい。でもヒデは、イヤなことは「ヤメて」とハッキリいうことができる。それが、唯一の救いだった。警戒心をむき出しにしていたはじめの頃の彼の印象に、あとから聞いた彼の経歴が次々に重なると、私には、他人事とは思えなかった。触れ合うことを思い出してくれた。

■触れ合うことを思い出してくれた

 私とヒデは、みんなと一緒にいてもなんとなく近くにいるようになった。基本的には私のうしろをヒデが歩くのだが、それが私には安心できる形だった。あまり笑っている姿を見せてくれなかったから、側にいてくれることで存在を確認していたのかもしれない。
 ある晩、ヒデが私のいるコンドミニアムのリビングで寝ると言い出した。私たちのグループは二ヶ所に部屋を借りていて、その二つのコンドミニアムのそれぞれにある三部屋の寝室に、分散して暮らしていたのだ。
 食事は私のいる三一二号室で、みんなで食べると決まっていた。その食事の後にヒデが、ここで寝ると言い出したのだ。「じゃあ、私もここで寝る。ヒデちゃん、お姉さんが添い寝してあげるよ」と私がいうと、「いいです。俺はこっちのソファーで寝るから、そっちのソファーで寝てよ」とヒデ。
 二つのソファーを指さしながら、私は、自分の部屋で寝ることを勧められなかったことに少し安心した。
 結局その夜は、ヒデはソファーに、私は床に布団を敷いて眠った。ヒデはしきりに私にソファーで寝ることを勧めたり、床では肩がこると心配してくれたけれど、ヒデがきちんと眠れていることを確認できれば、他のことはどうでもよかった。そうして他人との接触に、意欲を見せはじめてくれたヒデが嬉しかったのだ。
 翌日、最終日のナイトクルージングの時、ヒデは他の男の子たちとはしゃいでいた。ヒデをよく知る人が、彼がよく笑うようになったと言っていた。こもりがちだった彼が、自分の意思で動くようになったとも。私も、むき出しになっていた彼の警戒心が、ほぐれてきているのを感じていた。
 結局、ヒデを変えたのはヒデ自身だった。彼がここにきて、彼自身の心で学んだことを、いつまでも覚えていてほしい。その願いを、ある物に託して彼にわたした。そして私も今、同じものを持っている。私自身、フロリダ・パナマシティで学んだことを忘れたくないから。

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