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サイテイ車掌のJR日記・斎藤典雄/乗車券まで売っている斎藤だ

■月刊「記録」1995年7月号掲載記事

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■週末は競馬場へ

 爽やかな季節だ。緑のコントラストが最もキレイに目に染みる若葉の頃。春から初夏へ、日に日に大きく成長する自然の雄大さ。新緑を見ていると吸い込まれそうで、めまいさえ覚える。鯉のぼりのように、そよ風に身を任せて1日中空を泳いでいたい。
 このところ私は土曜・日曜になると東京競馬場で1日を過ごしている。「京都・福島競馬も売るのかい」「ハイ、全国です」といった会話を繰り返す。あふれんばかりの人、長蛇の列、埃だらけにはいささかウンザリ。これでは普段の都会の喧噪と何ら変わりないではないか。芝の緑の美しさをのんびり満喫とはいかない。ならば何故、私はこんなところにいるのか。
 実は私はなんと、仲間の車掌7~8人で乗車券を売りまくっているのである。競馬場の駅である府中本町への応援と混雑緩和という意味もあるが、何よりも車掌区の増収活動の一環として、結局はJRの収入と、さまざまな工夫を凝らして各職場が競争している。このように増収・増収と目の色変えて躍起になっているのが現状なのだ。民営化、すなわち営利第一を本旨とする株式会社JRなのですから。
 皆さんも駅構内を歩くと見掛けるでしょう。特設売場を設けオレンジ・カードやイオ・カードをバナナの叩き売りのように売っている姿を。本来なら駅出札での扱いが基本だが、今や駅員に限らず私たち車掌や、果てはそば屋の店員だったりで「支離滅裂、なんでもあり」の状態となっている。ネーム・プレートをご覧下さればすぐ解ります。また、競馬場での私はネーム・プレートなど見なくても一目瞭然。馬のようなデカイ鼻をしてますから。

■レース後が本勝負

 このイライラを解消するには、やはり「ドカンと当てなあかん」というわけで、男一発大勝負に挑んだのであります。勝つのは1番強い馬に決まっている。従ってその馬を買う。その結果、手元のお金が増えるという実に単純明快な仕組となっている。
「さあ勝負」とレースに集中。各馬一斉にスタート……。4コーナーを回って直線に向かう。馬の尻にムチがはいる。ゴールまであと400mの勝負。興奮は高まる。残り200m。自分の買った馬に無意識に声援を送ってしまう。「ソレ行け、抜け出すんだ、都知事は青島だあ、オレは斎藤だ、負けるもんか」と、ほとんどワケが解らぬままレースは終了。グスン。弱い馬が勝つこともあるのだね。1番強い馬はナメクジのようにノロマだったのだ。
「ガッカリ」。全身の力がスーッと抜けていく。隣につっ立っている助役も肩を落としている。「助役さんも勝負したのだね」。途端に私の前にはドッと人が押し寄せる。さすが助役のハンドマイクは気を取り直し、しっかりした声で叫ぶ。「府中本町の駅は大混雑しております。お帰りのキップはこちらでお買い求め下さい」。
 メイン・レースが終わってからの約1時間半が「本日業務」のピークとなる。負けレースを反省しているわけではないが、下を向きっぱなしとなり、息つく暇もないほどだ。ただひたすらポス(乗車券を作る機械)を打ち、金銭授受のミスのないようキップとお金とお客さんの手元のニラメッコが永遠と続くのだ。会話もない、心の触れ合いもない。次から次とお金を受け取りキップを手渡す。これではまるで機械そのもの。ミジメな気持ちになってくる。ふと、「負けてカリカリしているお客さんに限らず、ほとんどの人は競馬場にお金を儲けにきている」そんなことを思うと殺気すら感じ恐くなってくる。
■5月3日と斎藤だ

 さて、戦後50年目「憲法記念日」の朝日新聞に「JRに人権を1047人の復職を求めます」という意見広告が一面のスペースでデッカク掲載されていた。「見たかな? まだの人は読めよ、読めよ、読めよ」と、私は麻原教祖的になってしまう。国鉄分割民営化から8年が経ったJRの現状を述べた上で、JRと政府に法律を遵守し誠意のある解決を求めるという内容だった。この世論に訴えるアピールの呼びかけ人は、写真家の石川文洋さんをはじめ、作家・弁護士・ニュースキャスター・映画監督・学者などの心ある著名人70人からなり、賛同者や団体は数え切れぬほど名を連ねている。私はうれしさのあまりアントニオ猪木的ガッツ・ポーズで決めてしまった。成功を祈らずにはいられない。
 このように、国労の運動はいつの時でも善意の大勢の人々に支援され続けてきた。だがなぜか思うように盛り上がらない。時が経つにつれ、この問題は世論からも風化しつつある。実に8年が過ぎた。忘れるものですよ。当事者でなければ次から次と忘れ去っていくものなのだ。私は悔しい思いでいっぱいになってしまう。
 誤解を恐れずにいえば、いつも活動家だけが堅く結束し、お決まりの寝言のような演説をぶち、盛り上がっている。国労の組織は3万人にまで激減、弱体化したのは事実なのに、活動家は、「1人1人の団結と闘う意識はより強固なものになった」と言い切る。私はそうは思わない。不当な差別が長期化し、自分の利益にならないからと脱退していく一般組合員が後を絶たないのが現状だ。国労は彼らを責めてはいけない。もうたまらん状態なのだ。もしここで強行な戦術でも打ち出したりすれば、組織は再び大混乱に陥り、団結は崩れ脱退者は増える一方だろう。正しい理論が必ずしも統一した実践に結びつかないのが運動の難しさだ。

■それでも国労です

 更にこれまた書くに耐えないが、私達一般組合員と1047人の闘争団の仲間との関わりである。闘争団員と活動家はそれこそ休む暇もなく全国をオルグで飛び回っている。誠に御苦労様なことで、一心同体とい言ってもいいだろう。しかし私達との交流は極端に少ない、というよりゼロに等しい。たまの動員の集会などで涙の訴えを聞くぐらいだ。時には年休を取って北海道の闘争団へ赴き激励したい、仲間と杯を交わしたい、という衝動に駆られるが、なかなか実行できるものではない。仕方ないよね、こちらの生活もあり、これが現実なのだ。私達の職場の日常はハッキリいって、闘争団の「と」の字も眼中にないのが実情となってしまっている。ごめんね、闘争団の仲間たち。
 しかし、闘争団なら百も承知だよね。全ての組合活動は一貫して闘争団と直結したものである。「解雇撤回、JR復帰」の闘いなのだ。本務である私達の問題は昇進差別や強制配転、あるいは食事時間といった目先のことだが、動員やカンパで気持ちが新たに奮い立(たない人もいるだろうが)ち、闘争団の仲間のことを思い出す。これが大勢を占める一般組員ではないだろうか。
 いずれにせよ、1人1人は何とも弱い国労組織だと私は思う。しかし、その1人は人間として当たり前すぎる思いを人一倍強く抱いている。この1点が辛うじて国労の団結を保っているのではないか。「オカシイことはオカシイ、理不尽なことは許せない」という思いだ。要は人権を守れということか。「仲間を裏切ることはできない」とは、解雇された闘争団や何やらの不当なことを受けた仲間への思いやりと、いつ自分の身に起こるかもしれないという、あってはならないことなのだ。
 新宿車掌区差別事件で最高裁勝利判決を受けた田中博さんはいった。「負けないでよかった。勝ってうれしいとは言えなかった。国労は労働委員会で勝つたびに会社側から報復を受け、多くの仲間の配転と脱退を見たのは断腸の思いだ。闘いの当事者全てが必ずしも闘士とは限らない。大多数の他労組に囲まれながら国労の心を守って行かねばならない運命を背負い、日々職務に励んでいるものもいる。好きです国労とは言えない。それでも国労です」。 (■つづく)

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