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鎌田慧の現代を斬る/ストーカー政策とトンデモ教科書

■月刊「記録」2001年7月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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■通用しなくなったカネばらまき政策

 日本の原発も、ますます行き詰まりの様相を濃くしている。5月下旬に新潟県刈羽村でおこなわれたプルサーマル計画受け入れにたいする住民投票は、反対1925、賛成1533、保留131で、過半数が反対を表明して計画はストップした。
 刈羽村は人口はおよそ5000人、世帯数が1500弱の小さな村だが、世界最大の原発地帯である。110万キロワットの原発が5基、130万キロワットが2基も並んでいる。この小さな村に、電源立地対策交付金などで投入されたカネは、215億円にものぼる。
 これだけのカネが爆弾のように打ち込まれてもなお、住民はプルサーマルは嫌だという。住民が原発に不満をもっていることはあきらかである。しかし小泉首相をはじめ日本政府は、さらに住民を説得するといっている。これはストーカー行為である。住民が嫌だというのに、まだ好きになってくれと追いかけ回すのだから、人権蹂躙もはなはだしい。
 これだけ嫌われるプルサーマル計画に危機感をもったのか、政府はプルサーマル計画を受け入れる自治体に、さらにカネを投入しようとしている。電源三法交付金や各種の補助金に準ずる扱いである。プルサーマル計画を受け入れてもメリットがないという地元の批判にたいして、追い銭を払おうするものだ。
 だから原発計画およびプルサーマル計画はストーカー行為であり、さらにカネを払って説得しようという「援交」政策だといってもよい。カネを払えば済むと国が実践しているのだから、政府に教育などを任せていればとんでもないことになる。 
 刈羽村は隣の柏崎市と並んで、70年代から原発反対運動を続けてきた。ここは原発にたいして大衆運動が盛り上がったところで、わたしもたびたび取材に訪れている。
 刈羽村の場合は、都市の柏崎から10キロもないため、若者たちの通勤の圏となっている。ほかの原発地帯とのように老人だけが残っている地域ではない。そのため若者による原発反対運動が盛んであった。
 この反対運動を切り崩したのは、国と東電をばらまいたカネであった。
 しかし住民投票に向けた運動が盛んだったころ取材にいって、風向きの違いを感じた。原発に賛成していた議員たちが、プルサーマルについては反対するようになっていたのである。
 かつて原発反対派の村会議員は、たった1人しかいなかった。ところがいまや反対派議員も複数となり、彼らが条件派の議員たちとともにプルサーマル否決の住民投票に持ち込んだ。このように村内で原発不信の世論が大きくなっているのは、ただカネだけでやってきた国の政策にたいする批判が、少しずつ強くなってきたからであろう。
 だいたい危険すぎるプルサーマル計画で事故が発生したら、その責任を誰がとるのか。歴代の首相、経済産業省および文部科学省の幹部の責任は重罪に値する。
 さて次の問題は、検定に合格した認定された「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書である。これは教科書採択の前に市販するというアクロバット的なやり方で、けっこう売れているらしいが、聞きしにまさるデタラメ本である。
 西尾幹二が「市販本前書き」において、「全体を無視して部分だけ取りあげて、あげつらうなら正しい批判にならない」(Ⅱページ)なとど書いている。しかし部分に荒唐無稽なことが書いてあるならば、それは全体の思想もあらわしているともいえる。どれだけ奇妙な教科書か、誌面の許す限り紹介していこう。
 この教科書は、「歴史書への招待」という序章の巻頭に「歴史書を学ぶとは」(6ページ)というページをもうけている。そこには「歴史を学ぶとは、今の時代の基準からみて、過去の不正や不公平を裁いたり、告発したりすることと同じではない。過去のそれぞれの時代には、それぞれの時代に特有の善悪があり、特有の幸福があった」と、書かれている。しかし「過去の不正や不公平」を学ぶことによって、2度とそのようなおなじ過ちを犯さなくなるのであって、それこそ歴史の教訓に学ぶということである。
 さらに「歴史に善悪を当てはめ、現在の道徳で裁く裁判の場にするのはやめよう」(7ページ)とも書いてあるが、その時代に当時の悪を批判する声があっても、それが権力によって押し潰されてきた。そういった事実に眼をつぶってはいけない。つまり時代の内部で歴史は動いているのだが、この教科書の編者たちは認めようとしない。この教科書は、歴史事実への解釈と偏向がはなはだしい。
 韓国から批判をうけた「韓国併合」の記述も問題だ。「韓国併合のあと、日本は植民地にした朝鮮で鉄道・灌漑の施設を整えるなどの開発を行い、土地調査を開始した」(240ページ)。あたかも外国の開発のために、日本が土地を整備したような記述になっている。
 一方で朝鮮の人々の日本への反感という項目は、「日本語教育など同化政策が進められたので、朝鮮の人々は日本への反感を強めた」(240ページ)とあるだけ。もちろん創氏改名や日本語の強制が朝鮮の人々の反感を強めたのは事実である。しかし日本への反感を強ったのは、武力による侵略と虐殺的な行為があったからである。すり替えてはいけない。

■戦争賛美のオンパレード

 さらに驚くべきことに、「大東亜戦争」(276ページ)がどうどうと見出しになっている。また日本がアジアの国々の支配のためにひらいた「大東亜会議」にまで、1ページを割いている。
 しかも、太平洋戦争にかんする記述で特徴的なのは、戦場で戦う姿が賛美されていることである。
 たとえばガダルカナル島での戦闘については「死闘の末、翌年2月に日本軍は撤退した」(278ページ)とか、「アッツ島では、わずか2000名の日本軍守備隊が2万の米軍を相手に一歩も引かず、弾丸や米の補給が途絶えても抵抗を続け、玉砕していった(278ページ)とか、「レイテ沖海戦で、『神風特別攻撃隊』(特攻)がアメリカ海軍艦船に組織的な体当たり攻撃を行った」(278ページ)など、兵隊が死を覚悟して死んだ姿が描かれている。
 沖縄戦の説明では、「日本軍は戦艦大和をくり出し、最後の海上特攻隊を出撃させたが、猛攻を受け、大和は沖縄に到達できず撃沈された」とか、「鉄血勤皇隊の少年やひめゆり部隊の少女たちまでが勇敢に戦って」などと悲劇的に書かれている。
 いうまでもなく3000人ほどの船員を乗せて出発した戦艦大和は、帰りの燃料をもたない自決行為だったし、沖縄の少年や少女の戦闘など無惨に尽きる。そのような戦争が兵士および住民にあたえた悲惨さが、まったく語られていない。
 この教科書は、書かれていることよりも、従軍慰安婦の問題をふくめて、書かれていないことが重要である。きわめて作為的、偏向的に書かない。それが検定を通過した理由であろう。検定は書いていないこと以上に、書いてあることを厳しくチェックするからである。
 また戦争中の戦意高揚の写真がそのまま使われているのも、この教科書の大きな特徴だ。たとえば真珠湾攻撃における戦艦アリゾナの沈没風景(276ページ)、特攻隊を見送る女学生の姿(278ページ)、日本兵がアジアの子どもたちに日本語を教育している姿(281ページ)など、戦争中の侵略的な視点がそのまま使われている。 さらに「戦争と現代を考える」(288ページ)というページでは、日本の各都市への無差別攻撃や原爆投下、ナチスによるユダヤ人虐殺、スターリンの大量処刑などが紹介されているが、日本については「不当な殺害や虐殺を行った」というぐらいの記述でしかない。
 こうした編集姿勢は、「戦争への罪悪感」という見出しによって露骨に表現されている。
「GHQは、新聞、雑誌、ラジオ、映画を通して、日本の戦争がいかに不当なものであったかを宣伝した。こうした宣伝は、東京裁判とならんで、日本人の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい、戦後日本人の歴史の見方」)に影響を与えた」(295ページ)
 日本人が戦争にたいして罪悪感をもつことは、自己批判として当然であるし、悔いても悔いきれない問題だ。ましてアジア諸各国には、いまだに戦後補償がキチンとおこなわれていない。それを恥じないようにしようなど、自虐史観批判というより“加害合理化史観”である。 過去にたいする自己批判をなくし、日本の誇りだけをあたえようとするのは、序章に書かれた「歴史を自由な、とらわれのない目で眺め、数多くの見方を重ねて、じっくり真実を確かめるようにしよう」(7ページ)という主張はまったくちがう。きわめてパターン化した教条的な見方である。
 このように『新しい歴史教科書』は、きわめて古い破綻した価値感に彩られている。日本の歴史を学ぶということは、日本を対象化することであり、自分を他者との関係によって見直すことである。しかしこの教科書の視点はきわめて一方的な視点であり、「夜郎自大」的な教科書というしかない。
 この教科書に欠如しているのは、アジアの国々との共生ある。いまなお日本を中心にした「五族共和」の精神をとなえつづけるなど、アジア各国に受け入れられるはずもない。
 このような教科書によって日本の歴史を教えられた子どもたちが、これからアジアの人々と出会ったときに、自分たちがなにをしたのかまったく知らないことでしっぺ返しをくらうのはまちがいない。そうした姿は、容易に想像できる。
 このように無反省で恥ずかしさに満ち充ちた教科書が、各地の学校で採択されないような運動をすることが、戦争を阻むものの大きな義務である。(■談)

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