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保健室の片隅で・池内直美/最終回 親と子の愛情

■月刊「記録」2000年9月号掲載記事

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 最近の事件で目立ったのは、母親が子どもを殺害する、もしくは、殺害しようとした、というものだ。
 どんな事情があったにせよ、自分のお腹を痛めて産んだ子どもを殺害するというのは理解しがたい。しかも、子供に保険金をかけ、その保険金を目当てにしていたという人もいるのだから、ものすごい話だと思う。
 しかし、子どもの家庭内暴力に耐えかねて、という事件になると、ちょっと事情が違う。どうにも明日はわが身、のような気がしてならない。他人ごとという感覚を持つことができない。
 家庭内暴力は、男の子を持つ家庭だけの問題ではない。力の差はあるにせよ女の子でも条件がそろえば引き起こす。背景になる事柄には男女では、多少違いがあるけれど、「女の子の家庭だからうちは安心」ということはないのである。

■複雑だった家庭の事情

 先日、母親が中学生の女の子を殺し、自分は自殺するという事件が起こった。女の子が一人暮らしをしていたということ、家庭内暴力が起こっていたということ、10代の少女の一人暮らしには、「なぜ?」とも思うが、こんな状況にある家族は、この一家だけではないだろう。
 娘を一人置いて、父と母がもう一人の子どもだけを連れて家を出る。ふつうに考えれば不思議な行動だけれど、そんな家庭もあるのだろう。親たちは、自分がいないことで荒れる子どもの気持ちがおさまるならと考えたのかもしれない。
 親の顔を見て娘が毎日、いら立つなら、少しの間だけ離れていよう。気持ちが落ち着いたら、また一緒に暮らしていこう。そんな思いで、後ろ髪を引かれて家を出ていく家族があったとしても、他人が簡単にそれを否定することなどできはしない。
 家庭の事情は、それぞれ複雑であり、一般論で簡単に割り切ってしまいきれない場合が多いからだ。
 この事件の例ほど複雑ではなくとも、親と子が、互いにわかり合えずに、悩んだり苦しんでいる家庭は多いだろう。どんな家庭でも、親と子がわかり合えなくなって、悩む時期はあるものだ。
 子どもというものはわがままで、親が自分のすべてを受け入れてくれると信じている。多くの親も、子どものことをできるかぎりの力で受け入れようとしているはずだ。けれど、わがままは受け入れられないし、それは子ども自身にもわかっている。
 わかっていながら、思春期などには、子どもは自分の気持ちでいっぱいになってしまい、むやみに自己主張をしてしまう。こういうときに、親子の気持ちのすれ違いが起こってしまうのだろう。
 子どもも、わがままな自己主張の後では、たいがいは自分が取った行動に対して人一倍の後悔をしているものだ。けれど、いざ親を目の前にすると、やっぱり素直になれなくなってしまう。そうして、結局、同じ行動を繰り返す。自分のことを振り返ってみても、よくあるパターンである。

■自分で一杯にならないように

 私は数年前から、不登校の親子が集まる会などで、相談を受けるたび、ある言葉をよく口にする。
 それは「人から愛されていることに、自信を持って生きていこうよ」というものだ。
 親から愛されていること、子どもから愛されていること、その他自分の周りにいるすべての人に愛されていることを自信を持って信じてみようよ、と伝えることにしている。
 親子や学校内での人間関係に悩んでいる人は、よく「気にしてもらえない」とか、「甘えさせてもらえない」とか、「自分のいうことを聞いてもらえない」と口にする。
 いや、ふつうに暮らしている私たちだって、何かの不満を持っているとき、その原因を考えてみると、たいがいこうした言葉が浮かんでくるものだ。要するに、みんな愛してほしいのだ。
 愛していることの表現をうまくできない人はとても多い。親が子どもを愛することは、かなり当たり前のことなのかもしれないけれど、ときにはうまく相手に伝えられなかったりする。
 子どものほうも、当たり前だとわかっていても、声に出して伝えてほしくて、目に見える形で表現してほしいと思ってしまう。
 親子のように、愛する対象がとても近くにいると、たがいに近づきすぎて、相手の顔は見えるのに、全身を視界に入れることができなくなってしまう。相手の立っている地面が、土なのか、コンクリートなのか、芝生なのか、水の中なのかが、わからなくなってしまうのだ。そうして互いに空回りしていくのだろう。
 親子にかぎらず、そんな悩みは、誰にでもある。
 そんなとき、つい自分一人が一番苦しいような気持ちになってしまうけれど、少し目を開けば、同じような悩みを抱えている人はすごく多い。それに気づいてほしくて、自分で一杯になっていることに気づいてほしくて、「人から愛されていることに、自信を持って生きていこうよ」と、伝えることにしている。 (■了)

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