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鎌田慧の現代を斬る/日本を覆う言論弾圧の影

■月刊「記録」2001年8月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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 言論にたいする自民党などからの攻撃が急速に強まってきている。これは、80パーセント以上の支持率に増長した、強気な政府の汚水からわきだしたボウフラのようなものである。ハマダラ蚊になる前に、極力、退治する必要がある。
 7月7日、横浜市神奈川区でひらかれた旧日本軍の性暴力問題を考える集会では、聴衆が大騒ぎして、暴力をふるう事件が発生した。『神奈川新聞』(7月10日)によると、日中友好神奈川県婦人連絡会が主催したこの集会では、まず「女性国際戦犯法廷」の記録映画を上映し、そのあと評論家の松井やよりさんが公演する予定だったという。
 ところがビデオ上映の途中で、会場にいた男女12~3人が「国賊だ」、「インチキ裁判だ」などと怒号をあげて騒ぎだし、ビデオの音声が聞こえなくなる状態となった。主催者が静かにするように求めたり、退場を求めても応じない。そのうち1人の男が飲みかけのお茶の缶を、参加者に投げつけ、それが主婦(64歳)の口に当たってケガをしたという。これで松井さんの講演会も中止となった。
 まさに暴挙である。戦後の歴史のなかでも、暴力行為によって集会が中止に追い込まれた例はさほどない。まして「女性への性暴力」をテーマにした集会で、聴衆の中に紛れ込んでいた連中が暴れるなど聞いたことがない。それでなくとも最近、従軍慰安婦問題への反撃が強まっている。こんご、おなじような集会が狙われるのかと考えると、暗澹たる思いである。
 先日、都内を歩いていると、右翼の宣伝カーが参議院選挙について演説していた。小泉が圧倒的支持を受けている現在、憲法改正するチャンスだ、と彼は絶叫していたのである。
 このように小泉があらわれることによって、さまざまな反動がムクムクと頭をもたげている。あたかも民主主義のフタを外したかのようだ。言論、表現にたいする攻撃は、歯止めがきかない。

■名誉毀損が逮捕か、巨額な賠償に

 7月7日には、宮崎県でも事件が発生した。破綻した大型リゾート施設・シーガイアを視察にきた石原慎太郎都知事が、記者を恫喝して記者会見会場から退場したのである。翌日に予定されていたヨットレースについて、テレビ記者が公務との関係を質問。これに怒った慎太郎は、「君ら(報道陣)が悪い。帰る」と怒鳴りつけ、会場から立ち去った。
 以前、「三国人発言」を書いた記者にたいしても、彼は名指しで記者を批判し、きわめて権力的に恫喝を加えている。宮崎でもおなじようなことをしたわけだが、思い上がりもはなはだしい。政治家は、公人として、疑問を質されたら答える責任がある。それなのに彼は、憤然として席を立って質問を無視し、あろうことか脅しまでかけた。
 そのごの新聞記事でも、報道にたいする攻撃だという論調はほとんどみられなかった。権力者の言動を規制するのがジャーナリズムであり、攻撃がきた場合、ジャーナリストは一致して抗議・反撃をすべきである。記者たちにこのような危機感がまったくないことこそ、危機的状況である。ヨットレースの実行委員会がテレビ局に抗議し、局の幹部が謝罪しているのは、本末転倒だ。
 また、ことし5月末には、化粧品会社のDHCが『週刊文春』の記事にたいして、10億円の損害賠償を求め、名誉毀損訴訟を起こした。週刊誌に掲載された記事の損害総額が、10億円に膨れあがるなど前代未聞である。
 これだけ高額となれば、出版社への圧力は大きい。報道機関は情報源を秘匿しなければならず、裁判では必ずしも十分な証拠を提出できない。とくに内部告発によって記事が書かれた場合、告発者の生活を守るためにも彼らの出廷は諦めざるを得ない。裁判費用に糸目をつけない企業や政治家が、こうした高額の裁判をまねれば、出版社や記者にとって大きな脅威となる。
 さらに7月4日には、『噂の真相』の岡留安則編集長にたいし、検察側は名誉毀損罪で懲役10ヵ月、社員の編集者に懲役6ヵ月を求刑した。ついに日本も言論にたいして刑事罰を加える時代となったわけだ。名誉毀損における損害賠償の巨大化と刑事事件化は、これからの報道にたいする大きな規制となる。
 週刊誌やフリーライターを狙い撃ちする「個人情報保護法案」が準備され、テレビ番組やインターネットなどにたいしては「青少年社会環境対策基本法案」による規制が検討されている。たしかにデタラメな記事や名誉毀損、過激な性や暴力表現が、売らんかな主義のなかで存在している。しかし、それにたいして国家が介入して刑事罰を加えるなど、許されるものではない。

■国の認識を表明した検定制度

 先月この欄で取りあげた教科書問題でも、言論への圧力がはじまっている。
 7月8日の『産経新聞』によれば、テレビ朝日系で放送している「ニュースステーション」でコメンテーターを務める清水建宇氏(朝日新聞編集委員)が、「子供たちをそんな大人にしたくないという保護者と先生たちは今立ち上がって声を上げたほうがいいです。この教科書は嫌だと」と発言。これにたいして「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが、総務省に処分を要請する申し入れをしたという。
 歴史を捏造している教科書を採択しないようにという発言は正しい。各中学で採択の動きがひろまれば、外交にも重大な影響をあたえる。にもかかわらず、放送法に違反するなどとして、お上に注進するなど、彼らの言論弾圧体質をよく示している。こうした連中の悪ノリこそ、日本の社会が戦前の体質にむかっていることを、よくあらわしている。
「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書は、戦争への情熱を駆り立てるものでしかない。たとえば特攻隊や沖縄のひめゆり部隊の死は、もっとも悲惨な死であり、強制された死である。この事実を美談化しようという精神で、教科書がつくられていた。だからさまざまな問題がおきる。
 日本の軍隊によって侵略された国の人たちが、侵略の歴史を美化した教科書だと感じているのは真実だ。こうした批判にたいして、政府は真摯に耳をかたむけるべきである。しかし政府の対応は、いわば切り捨てゴメンというものであった。中国と韓国の修正要求にはゼロ解答。これは両国の歴史を戦中、戦後にわたって足蹴にするものだ。
 たとえば韓国併合を侵略ではなく、国際的に認められた行為として記述した、と韓国は抗議した。これにたいして日本政府は、「韓国内の反対を、武力を背景におさえて併合を断行した」という教科書の記述を根拠に、「明白な誤りとは言えない」と結論づけている。
 また日本の植民地政策としておこなわれた鉄道や灌漑施設の整備が、あたかも朝鮮住民のためにおこなわれたかのように書かれた部分についても、「明白な誤りとは言えない」と日本政府はいい切っている。
 おなじく日本が朝鮮を植民地としていた時代の記述で、人民から収奪した記述がないという韓国からの批判にたいし、日本政府は「どのような内容を記述するかは、執筆者の判断にゆだねられている」などと、あたかも「つくる会」を擁護するようないい訳を開陳している。
 歴史の事実を率直にみとめない行為は、これから恐るべき日本人をつくることだろう。戦後56年をへようとしているのに、いまだに侵略した事実をうやむやにしようとするなどは、相手国が侵略を正当化していると感じて当然である。
 ドイツではいまなおナチスの責任を訴追し、その賠償金を払いつづけている。日本政府は、このような解決策のツメのアカでも飲んだらどうだ。
「つくる会」の教科書問題は、検定制度の問題も含んでいる。検定とは国家が表現の自由を規制したものだ。つまり国のお墨付きをもらった内容だけが、記述されている。国の認めた内容が相手国のプライドを傷つけるなら、日本国が挑戦・挑発していることになる。
 私は検定制度には反対しているものである。しかし、現実的に国家の意思が教科書に貫徹されているならば、それは検閲であり、書いた内容に国家が責任を負うべきである。それができないのなら、検定をやめるべきだ。 もしも教科書の検定制度がないならば、それは著者個人の表現の自由であり、中国や韓国もいちいち批判してこないはずである。両国が批判の対象としているのは、国のお墨付きによってあきらかになった国の認識だ。検定していながら筆者に表現の自由があるという論理は、責任逃れというしかない。
 さらに侵略された当事者がこれだけ批判する教科書を、地方自治体が採用するのは、中国や韓国にたいする敵対行為ともいえる。栃木県の下都賀採択地区では、採択協議会が教科書を採択する決定をした。しかし教育委員会の意見によって、今回の採択は見送られる公算が大きくなった。
 教科書が実際に採択されることになれば、さらに悪のりした内容になるであろう教科書指導書が教員の手に渡る。このような強権国家にむかう教育を許さないためにも、「新しい歴史教科書」という名の「ウルトラ・アナクロ教科書」は、不採択しつづけることが必要だ。
 80パーセント以上の支持率を隠れ蓑に、小泉純一郎首相はファッショ的な道をまっすぐに進んでいる。なぜか国民に大好評の「痛みをともなう改革」は、国家強化のための労働者と零細企業の切り捨てでしかない。
 もちろん軍国化も着々と進んでいる。
 7月16日の『日本経済新聞』によれば、自衛隊の領域警備で不審船への船体射撃を認めるよう法改正が進められているという。原発などの警備体制を強化しようという名目らしいが、ようは有事法制の準備である。
 99年3月、日本海にあらわれた不審船に攻撃をくわえた事件では、武器使用規定が働いた。しかし法改正が決まれば、自衛隊の攻撃は合法化される。事実上の憲法改悪である。まして治安出動に射撃を認めたことは、外国人ばかりか、日本人をも殺傷することの容認である。判断なき死刑であり、強権国家の成立である。
 外にたいしては武力攻撃を強め、内側では報道にたいする攻撃を強化する小泉ファッショ政権の危険性が、ますます強まっている。
 言論の奮起が、いま望まれている。 (■談)

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