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北朝鮮と新潟 最終回/新潟で確かに見た「共生」の芽

■月刊『記録』06年3月号掲載記事

■政治部記者を辞め、自分が決めた道へ

 金子さんにとって、この原体験は彼自身の人生の方向性を決定付けることになる。大学卒業後、彼は時事通信社に入社した。入社後、韓国のソウルに駐在して報道記者として韓国に触れることが彼の当面の目標となる。入社して東京に2年、甲府に1年半滞在した後、首相官邸に詰める総理番を務める政治部記者となった。政治部記者は、彼の念願がかなった形だ。なぜ念願だったのかといえば、社内ではソウル支局に異動するのは政治部出身と相場が決まっていたためだ。政治部で記者を続けていれば、ソウル支局に派遣されるのは確実視できた。だが、これが「本当にやりたいことなのだろうか」との一念が、通信社に踏みとどまることを許さなかった。ずっとソウルにいられるわけではない。政治部記者をずっとやっていても、韓国に触れていられるのは一時期に過ぎない。逡巡した挙句に「本当にやりたいことではない」との結論に至り、彼は通信社を退職する。
 そして巡り合わせがいいというべきか、新潟市役所でちょうどそのとき国際交流の仕事を担う人員を募集していた。「国際交流の仕事がしたい」。彼は迷わず応募して、採用が決まる。通信社時代にかなわなかった、韓国に滞在しての職務にも1年間ほど携わることができた。
加えて、北朝鮮に3回ほど行く機会にも恵まれる。実際に自身の目で直視した現実と、日本のテレビ局が当たり前のように報じている北朝鮮国内の暗くよどんだ様子とはひどく隔たりがあった。金子さんは市場などを見て回ったという。国内の観光には「案内人」と呼ばれる見張りがつくことが制約として設けられたが、きつく束縛するというでもなくその案内人の目を離れて自由行動をすることもできた。人々がごく普通に平穏な様子で生活を送っている姿が、金子さんの脳裏に印象として残っている。北朝鮮はアメリカ、日本政府の敵視政策に置かれるなかで確かに軍隊に国力を結集する軍事体制を敷いているが、日本のテレビ放送でお決まりのように年中行事のように映し出される北朝鮮の軍事パレードも実際には年に1回だけのものだ。

■痛みを乗り越えて目指すもの

 ところで、「びびんば会」を、金子さんは特におおっぴらに喧伝することもない。だが、会の存在は新潟市内では知る人ぞ知るというものになっている。北朝鮮に対する反感が高まっている最中に、北朝鮮との交流を訴え在日朝鮮人と交流する活動は人々の耳目を掻き立てるようだ。そこで、けなす声を直に彼に伝える人もいる。北朝鮮に対して敵意を明らかにする態度の人から、「親北朝鮮が市役所にいるのは許せん」との声を浴びせられたことがあった。しかし、金子さんには臆するところはない。
 日本の過去の戦争に関して日本人である自分が韓国の同学生に、無知扱いされたことに対する反省が、金子さんを新潟市での国際交流の職務に当たらせ、私的には「びびんば会」という交流活動に至らせた。民族の違い、文化の違いを超えて集う人々が一堂に会してビビンバのように「かき混ぜられる」ことによって、「かき混ざることのない」それぞれが生きてきた背景の違いが際立ってくるのがおもしろい。その違いを認め受容することが、「痛み」を乗り越えてさらに渾然一体となった妙味を彼らにもたらすのだろう。
 隣国に対しての憎悪の声は、いつか静まっていくのだろうか。新潟で目の当たりにした交流の芽はいつか大樹となるのだろうか。だが、新潟の地で「暗い影」を払拭する光を見た思いがする。実りのある<共生>を求めようとする強い意志の光だ。共生のためには「痛み」が伴うが、その痛みに耐え、この社会を<開かれた社会>としたい強い意志が、交流をもたらしお互いに理解を引き寄せるための礎となる。その<開かれた社会>が果たして良いものであるのかはわからない。しかし剣を振りかざすことでは、また新たな「痛み」を生み出すだけだ。たとえ憎悪を燃やす相手でも、自身が「変わる」ことで相手を「変えられる」、そうした楽観を伴う<寛容さ>をわれわれは持ち得ることはできないのだろうか。(■了)

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