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鎌田慧の現代を斬る/不機嫌な喜劇役者の逆襲

■月刊「記録」2001年4月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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 森喜朗首相の茶番につきあうのも疲れてきた。辞任は織りこみずみだが、茶番は悲劇的になりそうだ。
 野党からだされた森の不信任案にたいして、反対票を投じた自民党や公明党の議員は、「不信任案には反対したが、信任ではない」と、わけのわからないことを口走っている。森自身も「いま辞めるとはいっていないが、この先辞めないとはいっていない」などとわめいている。総裁選の前倒しというスケジュールの発表が辞意表明になっている、という宴会での腹芸が、日本の首相の表現だから、国民をバカにしている。
 米国のブッシュ大統領のもとへ駆けつけたりロシアのプーチン大統領などとも会談にいくという。これなど脳死した首相が、亡霊のように旅行に行くだけの話である。おそらく機密費の予算もまだ残っているだろうし、新たに予算も計上されているから優雅に外遊するつもりなのだ。
 心配は税金のムダばかりではない。そもそも決定権のない人間が一国の大統領に会うことなど、日本にとっての屈辱外交そのものである。執行権のない首相が成立させた「空洞化予算」さえ、国民には我慢ならないのにである。心配なのは、実力がない分だけ強がりたい森が背負わされてくるお土産だ。米国は軍事の負担をさせたくて待ち構えている。「有事体制」もそうだ。飛んで火にいる夏の虫である。
 このドタバタ劇の陰で、自民党および連立与党にたいする批判を封じようという策動がおこなわれている。将来にわたって言論を統制しようというのだから、影響はきわめて大きい。一昨年に成立した盗聴法(通信傍受法)は、去年8月から施行されている。これにくわえて個人情報保護基本法案や青少年社会環境対策基本法案、さらには人権救済機関の設置案など、メディアにたいする規制は矢継ぎばやに撃たれている。

■亡霊の復活

 最近になって自民党がもちだしてきたのが、放送活性化検討委員会である。ことしの2月7日におこなわれた初会合では、「最近は自民党批判が目に余る」「強く抗議して、その対応をインターネットで流すべきだ」「訴訟に出て、判例を作り上げることが大事」という過激な議論もおこったという。
 この委員会は、古賀誠幹事長の肝いりでつくられた。服部孝章立教大教授は連載している記事上で、次のように委員会の危険を伝えている(『毎日新聞』3月13日)。
「議論の対象を放送分野にとどまらずマスコミ全般にし、新聞雑誌などの再販制度の廃止を求める意見が出たという。
 熊代氏(昭彦委員長)は、同22日放送の国会TV『政治ホットライン』に出演した際、『誤った報道で甚大な被害が出たら、その問題番組を1日から1ヵ月放送停止にできるよう放送法を改正したい』と明言した」
 そもそも自分を批判する者を法律で罰せよ、と叫ぶ政治家が出現するなど、許されるものではない。明治時代に猛威をふるった新聞紙条例や戦時中の治安維持法の亡霊が、またぞろ動きだしたといえる。
 テレビ・ラジオなどの放送は、放送法によって免許事業にされている。その許認可権をもっている政府機関に、放送メディアはきわめて弱い。こうした制度を見越して、都合の悪い番組を恫喝する言論弾圧は、いまでも公然とおこなわれている。
 放送にたいして、政府と政権党幹部が公然と介入を表明するなど、おなじ党の政治家として致命的なはずだ。ところが自民党内では、いっこうに気にもとめていない。それほど、民主党をはじめとした野党はナメられ、無視されているのである。
「(1)公平中立性が守られない場合は抗議、訴訟で対応する。(2)テレビ出演を幹事長の許可制とする。(3)自民党独自のテレビ局を持つ――などの意見が出ており、放送法改正も視野に検討を進める」(『毎日新聞』01年2月8日)
 このような発言が委員会で堂々とでてくるところに、自民党の自民党議員たる理由がある。気にくわない報道は、公正中立性が失われているという発想こそ、権力的な偏向である。
 だいたい放送活性化検討委員会という名前からして国民をバカにしている。規制が放送を活性化することなどありえない。国鉄の「人材活用センター」とおなじいい方だ。大衆欺瞞のやり口である。
 こうしたマスコミにたいする法規制が、深く静かに進行していることをよくあらわしていて、最近の森ダルマ首相は、ほとんど記者には対応しない。ひたすらダンマリを決め込んでいる。
 たとえば『朝日新聞』に連載されている「首相のことば」(3月15日)によれば、
「記者:問責決議否決のコメントをいただけないでしょうか。 
  首相:……。 
 記者:失礼ですが、総理自身、釈然としない思いをお持ちなんでしょうか。 
  首相:……。
 首相:(秘書官に向かって)こうやって(記者以外に)話しているのも(記事に)書いてしまう。昨日もだめだって言ったんだよ。それはルール違反だ。だからもう記者とは話さない。 
 記者:それがきょう話さない理由ですか。 
  首相:……」
 このように首相は、「よらしむべし、知らしむべからず」という政治手法をひたすら実践している。首相が率直に語りかけてこそ、民主的政治姿勢がしめされる。森のダンマリは、判断停止のデクノボウが、完全に居直っている凶暴さをあらわしている。
 だいたい、本人には記者の質問を理解する能力がないとはいえ、押し黙って押し通せればそれですむという態度が、国民をバカにしている。一方ではダンマリを決め込み、その裏では言論を封じようと奮闘する。どん底自民党の陰険な戦術が、ここにもよくあらわれている。

■すべてのメディアに法の網

 個人情報保護基本法案は、去年から内容が漏れ伝わってきていた。ここではプライバシー保護が大義名分となっている。しかし、プライバシー保護を声高に主張する自民党が、国民総背番号制を強引に推し進めた。個人に関する基本的データをコンピュータに一元化すれば、必ずプライバシーは暴かれる。個人情報をむやみにコンピュータに一元化しない。それがプライバシー保護の基本である。
 つまり今回の法案は、個人情報を政府の都合のいいようにデータ化できるようにしたあと、こんどはメディアを規制しようという代物だ。しかも「個人の権利利益の保護」などの美名を借りて、メディアに規制の網をかけようとしている。
 ことし2月24日に明らかになった法律の原案では、個人情報を取り扱う民間団体にたいする、行政の検査権限まで認められていた。さすがに3月に新聞報道された原案では立ち入りの権限が削除されたが、問題山積みである。
 3月3日現在、報道機関については、適用除外を雑則で認めている。ただし基本原則は適用するとしている。つまり「報道」の範囲を狭めれば、この法律による規制の対象にされてしまう。しかも免除の対象とした「報道機関」の例示には、なぜか出版社が入っていない。プライバシー保護という衣の下に鎧が透けて見える。
 盗聴法のときも報道機関への適用は、一応外された。もちろん報道機関を盗聴したり、プライバシーの侵害だとして罰を加えるのは大問題である。が、報道機関だけが救われれば、それでいいというものではない。個人が束縛されて、報道の自由などありえない。もしも新聞社が救われても、フリーのジャーナリストはどうなるのか。個人とみなされれば、いきなり罰則の対象にされる。 このようなファッショ的な法律が、政治的混乱のなかで秘かに準備されている。森はモグラたたきのウップンにされている。その陰にいるものが危険だ。
 青少年社会環境対策基本法案もまた、成立にむけて進んでいる。人権と青少年の保護という美名のもと、あらゆるメディアに規制をかけようという悪法である。
 たしかに報道被害はあいかわらずつづいており、マスコミの倫理も問われている。しかしそうした問題は、マスコミの内部での批判によって克服すべきもので、国家権力が土足で踏みこんでくるようなものではない。いかに日本で報道の自由が軽く見られているかを、こうした法規制案がしめしている。
 戦後の新聞・雑誌の歴史は、戦争中の検閲と弾圧の反省からはじまった。軍部の暴走を止められなかった報道機関の非力さと責任を感じ、特高などに逮捕され、虐殺された膨大な数の犠牲者をふたたび生みださないことを誓い、そこから出発したはずだ。
 とはいえ、日本の報道機関は、大きな欠陥を抱えながら言論の自由を標榜してきている。放送は放送法で、新聞は記者クラブ制度によって、官庁が統制できる体制にある。あと規制できないのは、僕たちフリーもふくめた雑誌ジャーナリズムだった。今回の法案は、ここにむけて手を伸ばそうとしている。個人情報保護基本法案は出版社をねらい撃ちし、青少年社会環境対策基本法案ではインターネットなども含めたメディア全般に縛りをかけようとしている。
 このようにテレビ・ラジオ・新聞・フリーライター、すべてに網の目をかけようとしているのが、自民党のメディア統制の欲望である。
 政権党である自民党が、メディアの規制に強硬になってきた経過は、政治家の発言からもよくわかる。たとえば去年の10月、当時の中川秀直官房長官が愛人にかけた電話の録音をテレビが放映した。これによって中川は辞任したのだが、当時の幹事長・野中広務はこういった。「本人かどうか、どう確かめたのか。マスコミの倫理と人権のあり方を真剣に考えていかなくてはならない」(『朝日新聞』10月28日)
 政調会長である亀井静香も、「一人の政治家を葬ろうという動きをマスコミがどんどん流したら大変なことになる。テレビには放送法もある」(『毎日新聞』2000年10月31日)
 彼ら森政権を作りだした闇の5人組のうちの2人が、森内閣の官房長官のスキャンダル暴露に激怒していたのである。そのあと中川ばかりか、森首相自身が右翼との交遊疑惑を報じられ、自民党議員はメディアへの苛立ちを強めていく。
 しかし、これは報道する側に問題があるわけではない。政治家が右翼とつき合いがあるということ自体、民主主義国家としての致命傷である。それを報じることは、民主国家をつくるための重要な仕事だ。
 野中も亀井もそのような政治家の倫理の厳しさについて、なにも考えていないようだ。あたかも泥棒行為を見付けられると、批判するほうが悪いとひらき直る「説教強盗」である。強権国家における政治家の発想である。 こうした政治家の姿勢が、いまの日本の暗さをあらわしている。森をあざ笑って不満を解消しているだけでは、日本の軌道修正はできない。ますます選挙民の奮起が問われている。 (■談)

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