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ホームレス自らを語る/酒とギャンブルと母親と・富田英明(六二歳)

■月刊「記録」1999年11月号掲載記事

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■満州の大金持ちから一転

 出身は山形県。生まれは1935年だから、日中戦争が始まる2年前だな。これからどんどん戦争に向かっていく、そんな時代に生まれたんだ。
 もっともそのおかげで、おれの父親はかなり高い給料をもらっていたらしい。満州開拓の指導教育をしていたので、家にいないことが多かったけれども、このころで月20万円のカネを稼いでいたと聞いている。何たって、45年の宝くじの最高金額が10万円だったんだから、どれだけ高級取りかわかるだろ。もちろん戦争が終わった後は、満州での肩書きなんて意味がないからさ、大金持ちというわけにはいかなかったけれどな。
 おれが家を出たのは17歳。農家への出稼ぎだった。お米を作っていたんだ。でも農業っていうのは、肉体労働だろ。体の出来上がっていない10代だと、半人前扱いなんだよな。どうしても力がないしな。
 そんな不満のあったところに、台風が直撃して米が取れなくなったんだ。当然、仕事はなくなる。だから東京に出てきたんだ。勤めたのは江戸川区の製糖工場。そのころは、もう22歳になっていたかな。
 工場の日給は800円くらいだった。ただし夜勤だとか、休日出勤とかがあったから、月給にすると3万円くらいはもらっていた。当時、大学出たての同い年の男の給料は、高い人でも2万円とちょっとだったから、当時としては高給取りだったよ。
 専務からは、「貯金しろ」って耳にたこができるほどいわれたよ。確かに貯金していれば、結構な財産も作れたかもしれないな。でもおれはできなかった。
 それでも工場に入ったころは、まだよかったんだ。遊びといえば、酒だけだったからね。おれは女が大好きじゃない。だから飲みに行っても、はべらせたりしないんだ。その代わりガンガン飲む。そうなるとおカネがたっぷりないと、面白くないんだよ。高給取りだっていっても、満足するほどは飲めなかったな。

■ギャンブルで大当たり

 そんなときだよ。競艇に誘われたのは。
 江戸川競艇場が近くにあってね。土・日に開催していたんだ。まあ、気分転換に行ってみるかと思って、会社の先輩についていったら、はまったよ。スカッとした。中途半端な量の酒なんか問題にならないほど気持ちよかった。面白くて、面白くて、もう夢中だよ。
 昼休みになると、自転車で競艇場に飛んでいって、始業時間までに帰ってくるんだ。競艇が開催されている日は、これが習慣だったからな。しかもギャンブルは、競艇だけじゃないだろ。いつの間にか、競馬も競輪も覚えていた。
 そうなると時間が足りなくなるんだよな。ついつい仕事を休むようになる。専務なんかにはずいぶんとかわいがられていたけれど、さすがにクビになった。
 それで鉄鋼の組み立てに職業を変えたんだ。まあ、生活は変わらないけれどね。それどころかギャンブル熱は高まっていたかもな。錦糸町のノミ屋でかけるようになっていたからな。
 そのときにすごい当たりを経験したんだ。
 今でも覚えているよ。朝、目が覚めると、寒気がしたんだ。病気とも違う、何ともいえない寒気だったね。土曜日だったから、さっそく、新聞を買ってきて競馬の欄をながめたんだ。7日だったから、そのとき3と4だなとピンときたんだな。3+4=7だから。
 おれはもっぱら直感を信じるタチでね。ピンときたその番号で買うんだ。その日も8レースで4・4、10レースで3・4にカネを突っ込んだ。
 大当たりだよ。八レースで1万数百円、10レースで10万円以上もうかった。会社の食堂でテレビを見ていて、手が震えた。そして朝とまったく同じような寒気を感じたんだ。やっぱり、何か感じていたんだろうな。
 その当時12万円近いカネといえば、半年くらいは普通に食えるおカネだったからね。額が大きすぎて、会社の誰にもいえなかった。とにかくびっくりした。
 そのころからだよ。少しずつ賭けるカネの額が増えていったんだ。増えたギャンブルの代金を稼ぐために、日勤と夜勤を連続で入れるようにもなった。48時間、働きっぱなしだったこともあったよ。
 当時、スーパーマンがはやっていたころでね。みんなから「スーパーマンだ」なんておだてられて、その気になってね。もちろん稼いだカネは、右から左にギャンブルへと消える。もう、そのころのギャンブルへのはまり方は尋常ではなかったからな。
 長期の休暇を取ったりすると、すべての時間をギャンブル場通いに費やしてしまうんだ。10日連続で休んだときなんか、8日間も通い続けていたほどだよ。今日は戸田橋競艇場、明日は平和島競艇場なんて具合にね。

■ドヤの値段が上がり始めた

 そんなことをしていれば、当然、カネが足りなくなるよ。なければ借りるしかないだろ。とりあえずいきつけのバーに借りにいったよ。月収の半分以上は飲んでいたから、店からも金回りがよいと思われていたんだろ、別に断られもしなかった。
 まず店の女の子に借りる。そして、その友達。その後はママ。いつ間にかすごい額を借りていてさ。店がつぶれちゃったものね。
 でもギャンブルは止まらないんだ。
 次は会社から前借りするようになって、しまいにはそれでも足りなくなって、同僚や上司から借りまくってね。ここでもクビ。
 それでヤマ(山谷地区)に来たんだ。ヤマに来れば仕事があるし、ドヤ(簡易宿泊所)がある。そう思うと、ホッとした。若いころは、仕事にあぶれることもなかったからね。塚本屋さんには八年間も部屋を持っていたし、荒川区の豊荘には2年間も部屋を借りていたんだ。
 ヤマに来てからはカネを借りられる人もいないし、以前ほどはカネをムダづかいしなくなった。数年前なんか、1日に1万円しか使わないと決めていたからな。ビールが350円、煮込みが80~100円。レースに費やすのは、8000円ってね。だからアオカン(野宿)することもなく、暮らしていけた。
 ところが、96年くらいからドヤの値段が上がり始めたんだ。1日2000円だったのが、2500~2600円にまで上がった。そうなると仕事にあぶれる日には、アオカンするしかないよ。そうこうするうちに年齢がネックになって、しょっちゅう仕事にあぶれるようになった。仕方がないから、桜橋のたもとで暮らすことにしたんだ。

■母親があえいでいた

 どうしてホームレスになんかになっちゃったのかなんて、よく考える。もちろんギャンブルが直接的な原因だけど、母親の影響もあると思うんだ。
 ひどい女だったからね。
 父親が留守だったときなんか、おれを連れて近所の家に行くんだ。何をするかというと、若い男をカネで買うんだよ。しかも知り合いの旦那だよ。
 奥さんにカネをわたして、一番末っ子で手がかかるおれのお守りをさせるんだ。その家にはおれと同じ年くらいの女の子がいてね。よく一緒に遊んだよ。でもね。隣部屋で母親があえいでいるのが、聞こえるんだからな。後ろ暗いことをしているのは、子ども心にもわかったよ。
 父親が高給取りだったから、カネには困っていないだろ。ちょっとカネを積めば、貧乏な家の旦那なんか、いくらでも体を差し出すよ。夫を買われた奥さんには気の毒だけれど、貧乏だから我慢していたんだろうな。
 母親と性格が合わなかったのかもしれないな。おれは母親からトコトンいじめられたよ。7人兄弟で、6人までが何不自由なく小学校に通わせてもらったのに、おれだけ学校に行かせてもらえないんだから。「勉強なんかするな。働け」てな。
 それでも学校に行く。そうすると家に置いておいたノートが母親に破かれているんだ。それから勉強道具も隠されたな。もちろん暴力なんて、日常茶飯事だ。隣に住んでいた本家筋のおばあさんから聞いた話では、もう生まれてすぐのころから虐待が始まっていたらしいんだ。 たとえば、おれはわりかし歩き出すのが早かったから、家では両手・両足をひもできつくしばられて、転がされていたというんだよ。そうすればおれが歩き回らないから、母親の世話も楽だろ。そうしたおれの状態を見るに見かねて、おばあさんがひもを解いてくれたらしいんだ。
 おれはね。勉強が好きだったのに教科書を開かせてくれなかったり、暴力をふるい続けたりした母親を、一生忘れないよ。子ども心にも、あの女への復讐を誓っていたからな。
 母親を心から憎んでいたから、飲み屋でも女をくどく気にならないんだと思うんだ。結局この女も母親と同じなんだろうな、と考えてしまうからな。女にカネを使うなら、ギャンブルやっているほうが、気持ちも落ち着くよ。もちろん結婚なんか考えたこともなかったし、女がいないから寂しいと思ったこともなかったんだ。
 おー、そろそろ、昼飯が無料で配られる時間だから行くよ。会いたくなったら、桜橋の付近にいるからよ。じゃあな。 (■了)

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