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鎌田慧の現代を斬る/憎しみの増殖炉を断ち切れ

■月刊「記録」1998年9月号掲載記事(表記は掲載当時のままです)

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■面白ければいいのか

 七月二五日、和歌山県で起きたカレーライスへの毒物混入事件は、八月一三日現在、いまだに犯人が逮捕されていない。町内会が主催する夏祭りで、青酸やヒ素が投入されたのだから地域住民の憂いは深い。このちいさな地域共同体は、今回の事件によってめちゃくちゃにされている。地域に犯人がいるかもしれないという不安から、住民がたがいに不信感を募らせているとも聞く。
 そんな住民感情を煽るかのように、地域内にいる可能性が高いといわれる犯人を探すのに、マスコミは躍起になっている。げんに「この事件の犯人はどういう人物だと思うか」と、私のところにも電話取材があった。報道されている情報だけでは犯人像を割りだすのは軽率というもので、わたしはお断りしたのだが……。
 マスメディアの機能が、犯人像の作成にそそぎ込まれてしまうのは、過去の冤罪にたいする教訓がまったく汲まれていないことの証明だ。じつに悲しむべきことである。ジャーナリズムは、本来、刑事的視点とは、対立するはずのものだ。
 九七年五月に発生した神戸の小学生殺人事件でも、犯人像を各新聞社が競って報道し、最終的には学校関係者が最有力候補とされていた。当時は、彼が逮捕された時のために、各社とも準備記事を用意していたという話も耳にしている。
 このように新聞が警察よりも先行して犯人像を書く姿勢は、越権行為である。ましてや今回のように狭い地域では、報道によって傷つくものも多い。
 ところが今回の毒物混入事件を巡っては、すでに異常な混乱が起こっている。犯人だと疑惑をかけられた人物が、マスコミの取材を受けたというのだ。『東京スポーツ』七月三一日付の記事は、スポーツ紙特有の巨大な見出しで「疑惑者が反論」と書かれ、「犯人」に仕立て上げられた地域住民に、報道各社のマイクを突き付けられている写真が、一面トップで掲載されている。さすがに目だけは黒塗りにされてはいるものの、顔の輪郭はしっかりと写っており、近隣住民は写真の主が誰だか特定できる代物だ。
 この記事は、「同地区に住む男子Aさんが、報道陣にたいして、『私を犯人扱いしているのか』と怒る騒動があった」との書きだしで、Aさんが一二年前に勤めていた会社に新聞社から問い合わせがあったことなども報じられている「『夏祭り嫌い』男性Aさん」と見出しがたてられ、Aさんが潔白を主張した体裁を取りながらも、Aさんの顔写真を掲載しているところに、スポーツ紙らしい売らんかな姿勢があらわれている。
 しかも東京スポーツは、前日に「犯人は女性」という見出しで記事を掲載しているのである。つまり一夜にしてまったくちがう犯人像を報じているわけで、これなどは真実はどうでも、面白ければそれでよし、とする現在のマスコミの退廃ぶりを端的にしめしている。
 この事件同様、小さな地域共同体を舞台にした殺人事件として思いだされるのが、名張毒ぶどう酒事件である。六二年三月、三重県で起こった事件は、物的証拠が乏しいまま一人の男性が逮捕された。一審は無罪判決が言い渡されたものの、名古屋高裁では死刑判決、最高裁では被告人の上告を棄却。現在も、被告人は獄中からえん罪を訴えつづけている。
 とかくちいさい地域で起こった事件は、情報に尾ヒレがついて報道されやすい。そして、そのことが地域住民の不安を増大させ、えん罪の温床にもなる。九四年六月に起きた松本サリン事件でも、河野義行さんにたいする報道のあり方が大きな社会問題となったのを忘れてはいけない。
 とにかく面白おかしく報道しようとする姿勢は、テレビのワイドショー番組によって、ますます拡大されてきている。視聴者も、真実はどうでも、その場が面白ければいいだけだ。他人の生活に土足で入り込むような報道を、マスコミがどのように自主規制するのは、今後とも繰り返し問われる問題である。

■「死も来た半島」となる青森

 話題は変わるが、カレーの毒より何千倍も恐ろしいのが、原発促進である。これからさらに二五基も原発をつくるというバカげた計画を、現在も通産省はもっているのだ。
 九八年八月三日、東北電力が青森県東通村に計画していた東通原子力発電所の設置について、原子力安全委員会は「安全性を確保しうる」という答申を、通産大臣に提出した。
 これは通産省が推進している原発にたいして、通産相の息のかかった原子力安全委員会が安全だと答申をするきわめて欺瞞的なシステムである。そして、この欺瞞的な答申によって、ことし一二月には原発の建設に着工することが確実となった。
 東通原発は、六〇年代に「下北原発」として計画されたものだった。東京電力と東北電力が相乗りし、各一〇基ずつ合計二〇基も建設する、というきわめてバカげた巨大プランであったが、そののちの社会情勢により、いったん計画はなくなったかにみえた。しかし三〇数年たって、「東通原発」と名前を変え、復活を図ろうと乗り出してきたのだ。
 東通原発はまだ原発の危険性が明らかでなかった六〇年に計画が発表され、電力会社の口車にのって、村議会が誘致したものである。
 そのあと私も東通村の村長に取材したことがあるが、「原発の温排水の熱を利用して非鉄工場をつくる」などと、夢物語のようなことをいっていた。原発にたいしていかに無知であったかを、この発言が如実に物語っている。当時のこのような地域住民の無知につけ込み、電力会社は各地に原発を押しつけたのだった。
 しかし東通原発は反対勢力が強かった。地域の漁業組合だった。生きる糧である魚に危険がおよぶのではと、彼らは原発に猛烈に反対してきた。そのため三〇年ちかくもの間、原発の新設はストップされてきたのである。だがその間にも電力会社および青森県の職員は、地域懐柔の手を緩めなかった。少しずつ漁民を切り崩していたのである。
 八八年八月に北陸電力の志賀原発が設置許可を受けて以来、東通原発への設置許可は、ざっと一〇年ぶりとなる。それはここ一〇年間、反対を主張してきた世論に圧されて、原発の新規設立が成功しなかったことを意味する。それだけに東通原発の設置認可には、国を挙げての支援がそそがれたのである。国と電力会社にとって、ここを突破口にしたのである。
 東通原発の周囲に買い占められた用地が、「原発二〇基分」もあることを忘れてはならない。今回の設置許可を突破口にして、二号炉、三号炉、さらにはもっと多い数の原発が乱立される危険性がある。実際、この用地の規模は、政府が立てた、先の二〇一〇年までに原発を二〇基以上増設するという計画と、奇妙に符合する。こんご、新規立地にアタマを抱えてきた。政府の原発推進の受け皿として、これから利用される危険性が、きわめて高い。
 また東通原発の南側に隣接する六ヶ所村では、すでに核燃料サイクル四点セットといわれている低レベル核廃棄物埋設場、およびウラン濃縮工場、そして核廃棄物再処理工場、高レベル核廃棄物の保存所の建設が進められている。さらに、そこから北上した大間町でも電源開発の原発建設をめぐって、執拗に漁協への圧力が繰り返されている。
 下北半島はこれによって、文字通りの原発半島となる。地元の友人たちは「死も来た半島」と呼んでいる。

■水爆の原料を生産へ

 日本ではやみくもに原発建設が進められ、将来への不安を増大させているが、海外においても核をめぐる問題は、ますますキナ臭さを漂わせている。
 インドとパキスタンの核実験については、本誌九八年六月号でも扱ったが、問題は、米・仏・英・中国・露の五大核兵器所有国が核廃絶にむけて一歩も動きをみせないことだ。自分たちの核兵力は維持しながら、新規参入を狙ってくるインド・パキスタンにたいして経済制裁をするなど、わが権益だけを守ろうとするだけのエゴイスティックな動きでしかない。
 ましてや米国エネルギー省では、八八年から生産を中止していた、トリチウムの生産を計画している。トリチウムという物質は、水素爆弾の威力を高めるために使用されるものである。
 毎日新聞の八月五日付の朝刊によれば、「(米国)エネルギー省は『今年中に(トリチウム生産のための)運転再開を考慮するかどうか決定する』と、慎重な言い回しながら施設を『ホットスタンバイ(稼働待機)』状態に置く指令を出した」ともいう。
 しかも新しい生産場所は、使用済み核燃料の貯蔵プールの腐食が進み、三〇年後から一〇〇年後には地中の汚染が進み、コロンビア川を汚すだろうと心配される地域なのである。核廃棄物の最終処分地が決まらぬまま、原発をふやしプルトニウムを貯めこんでいる日本にとって、この事態は無視できない。
 被爆国として日本は、なにができるのだろう。そんな想いを胸にして、八月六日のヒロシマ、九日のナガサキをテレビ中継で見ていると、インドやパキスタンから来た記者たちが、広島や長崎の被災状況を見て、核兵器がいかに悲惨であるかをはじめて認識したというのが写されていた。
 しかし、それでも、核兵器をもつことにより、核戦争を抑止できるという思想までは自己否定できないようだ。核抑止論のような、力にたいして力で対処するという思想は、強者の論理である。強者の論理を振りかざせば、滅亡の道をたどりつづけるしかない。そのため不毛な永久運動を繰り返すことになる。つまりつねに対立を激化していくことになるのだ。これは憎しみの増殖炉というべきものである。
 たとえばイン・パ両国は、いまなおカシミール地方で砲撃戦をつづけており、八月上旬には双方合わせて九〇人以上の死者を出したと報道されている。このようにちいさな戦争の繰り返しが、たがいの憎悪を生み、軍事力の増強につながる。もちろん核開発はこの延長線上にあり、核をもったからといって際限のない核開発競争が収まることはない。
 しかも核開発競争は、軍事費の増大を招き、必ず経済を疲弊を招く。経済基盤を崩壊させていく「メルトダウン現象」が国を覆うことになる。これもまた低所得者層での憎しみをさらに増殖させる。

■劣化ウラン弾を使いつづける米国

 原爆や水爆のような大量殺人兵器ばかりが、核の問題ではない。劣化ウラン弾による放射能汚染も、監視する必要がある。
 ことし八月、米国防総省はやっと劣化ウラン弾の危険性を認めた。戦闘状況によって劣化ウラン弾の使用は、一般市民が年間に浴びる放射線のほぼ三倍を、一度に浴びる可能性がある。その危険を承知の上で、米国は劣化ウラン弾を今後も使いつづけるという。しかも米国は、この兵器を中東やアジアに輸出までしているのだ。
 国防総省の報告書には、「劣化ウラン弾は現在、他の国々にも使用可能であり、将来の戦場が汚染される危険性がある」と書かれている。自国で作り上げ、湾岸戦争では戦場を放射能で汚染しておきながら、他国の使用にたいする危険性を忠告するとは、エゴイズムもはなはだしい。
 ここには、自分たちが開発している核兵器は正義であり、相手が開発した核兵器は悪であるという、無茶な論理がまかり通っている。
 かつて米国の核実験に反対していた日本の共産党が、ソ連の核実験に反対できないという論理矛盾を起こしたことがある。これはソ連の核兵器は正義という信仰によったものだった。
 自国のを軍事力を正当化させる行為は、憎悪を増殖させるだけだ。このような憎悪の思想を断ち切る論理が強く求められている。そのためにマスコミがはたさなければならない役割も少なくない。無実の住民を取材攻めにし、無用な犯人探しなどをつづけている場合ではない。核兵器と核開発、核への批判を書きつづけるべきだ。 (■談)

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