« 元信者が語るオウム的社会論 第8回/飽食の時代の不幸 | トップページ | 元信者が視るオウム的社会論 第10回/林郁夫の手記 »

元信者が視るオウム的社会論 第9回/それぞれが妄信する正義

■月刊『記録』98年9月号掲載記事

 オウムの現在に迫った自主制作のドキュメンタリー映画「A」を観に行きました。
 当初はテレビのドキュメンタリー番組の企画として撮影が始まりましたが、TBS問題が公になってから、監督の森達也氏がプロデューサーに呼ばれ、「『殺人集団』オウムの存在を肯定し、社会の『健全な良識』と衝突するものは作れない。やるなら一人でやってくれ」と言われて、企画が取り下げられ、自主制作に踏み切ったそうです。
 森監督は制作会社から契約を解除されたあとも、カメラを手に教団施設へ通い、百五十時間にも及ぶ撮影を続けました。今は現存しないサティアン内部の映像も信者の生身の生活とともに撮影されており、貴重なドキュメントフィルムとなることでしょう。
 ところで「A」とは、オウム事件以後、教団の広報副部長に就任した荒木浩君を指しています。おとなしくて内省的な荒木君が、上祐氏の指示で世間の前へ引っ張り出され、マスコミとの対応や対外交渉、法的交渉に追われるようになります。映画では、その背景に周囲の日本人の「狂騒ぶり」が浮かび上がってくる構造になっています。
 なんといっても印象的なシーンは、荒木君とともに亀戸道場から出てきた信者を、公安の刑事が無理矢理、逮捕する場面です。任意の職務質問に応じず、名前を名乗らなかったというだけで、「何をするかやめなさい!」と口走りながら突き飛ばして、「公務執行妨害だ!」と叫び逮捕しました。信者は頭を道路に打ちつけ、脳振盪で白目を剥いているのに、その刑事は自分もケガをしたと明らかに猿芝居しているのには唖然としてしまいました。人間はここまで良心をなくせるものか、と驚きましたね。公安の刑事も、彼は彼で正しいことをしていると思っているのでしょう。自分の与えられた環境における「正義」(ここでは警察の正義)というものを頭から信じてしまうのは恐いことです。
 また、日本テレビのワイドショーの女性リポーターが荒木君に近寄って、「私を信じてくださいよ」と言いながら隠し撮りしているのには笑ってしましました。その女性リポーターも騙してでもいいからおもしろいネタを引っ張りだそうと必死なのでしょうが、ここでも「正義」(マスコミの正義)に取り憑かれた哀れな精神構造が浮き彫りにされていました。
 もちろん、オウムの人間とて同じこと。破防法の不適用が決定された直後に、教団代表代行の村岡達子さんが記者会見を開き、「これで、私たちの信仰が救われました」といわば勝利宣言をしていましたが、この言葉を聞いて、どれだけオウム事件の被害者の方々がイヤな思いをしたことでしょう。僕も元関係者として恥ずかしくなってしまいましたね。
 荒木君はもちろんオウム寄りの人間ですが、まだまだ社会の「垢」を多く残しているようです。オウムにも世間にも安住できずにいる彼を描写することにより、「自分の正義」にしがみつく人々の醜さを露呈させた監督の力量はなかなかのものです。
 最後に結論。自分は正しい、自分だけはマトモだ、と思っている人ほど傍迷惑で滑稽なものはありません。なぜなら、それは天動説を信じていた中世のキリスト教会のようなもので、必ずやいつの日か、それを信じない人に危害を及ぼすからです。そして後世の人に馬鹿にされるのです。あらゆる考え方を往き来できる、自由な精神を身につけねばなりません。(■つづく)

|

« 元信者が語るオウム的社会論 第8回/飽食の時代の不幸 | トップページ | 元信者が視るオウム的社会論 第10回/林郁夫の手記 »

元信徒が視るオウム的社会論/猪瀬正人」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/389724/7051783

この記事へのトラックバック一覧です: 元信者が視るオウム的社会論 第9回/それぞれが妄信する正義:

« 元信者が語るオウム的社会論 第8回/飽食の時代の不幸 | トップページ | 元信者が視るオウム的社会論 第10回/林郁夫の手記 »