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ホームレス自らを語る/家族で食べたクリスマスケーキ・片岡進(六五歳)

■月刊「記録」1998年4月号掲載記事

*           *            *

■若旦那と呼ばれていた

 何でこんなことになったのか、わからないんだ。ギャンブルにも酒にも女にもおぼれたことはない。たいして好きでもないし・・・・・。楽しいことも悲しいこともなく、ダラダラと生きてきた。一つの職場に居続ければよかったのか。それとも結婚していれば変わったのか。わからないな。
 1933年、東京都足立区の乾物屋の息子として生まれた。おふくろが店を切り盛りし、おやじは魚市場で働いていた。裕福だったよ。「若旦那」なんて呼ばれていたからね。お手伝いさんや、住み込みの若いのが、よく遊んでくれた。住み込みのあんちゃんなんか、よく自転車に乗せてくれてね。一緒に遊ぶのは飽きなかった。
 ところが45年の東京大空襲で全部焼けてしまった。そのうえ家族で埼玉県にほど近い足立区竹の塚に引っ越している間に、土地も店も知らない人に乗っ取られてしまった。縄でも張っておけばよかったよ。それから貧乏生活が始まって、私も14歳から働き始めた。おやじは知り合いの魚屋で働き、残りの4人の兄弟も次々に働き始めた。
 最初の職場は埼玉の靴工場だった。見習いから始まって、しばらくしてから職人として仕事を任せられるようになった。平均的な大卒の銀行員の初任給で8000円くらいの時代に1万2000円から3000円もらっていたのだから悪くない仕事だったよ。人間関係もうまくいっていて、嫌なやつもいなかった。職人としての技術だって少しずつ習得していったから、10代後半にはどんな靴でも縫えるようになっていた。
 でも、辞めたくなったんだ。
 もっと自分に向いた仕事があるような気がした。何か新しいことがしたくなったんだ。家を出て、新しい職場で一人暮らしを始めたい。そう感じた。
 ちょうどそのころ入った定時制高校にも、入学して数ヶ月でやめたりしていたから、生活を変えたかったんだと思う。それにもっと汚れない仕事がしたかった。座ってできる仕事にもあこがれた。当時、一番なりたい職業は倉庫の管理人だった。頭も使わないし、何よりも楽そうに思えたからね。
 おふくろは転職に大反対だった。「おまえ、どこに行っても同じだよ」ってね。今考えれば、そうだったのも知れない。もし、そこで転職をしていなければ、ホームレスにはならなかったかもしれないな。
 上司や同僚にも止められた。10年近く勤めた会社だったし、問題も起こさず、まじめに働いていたからね。順調に昇給してきたのに、いきなり辞めるなんて不思議だったんだろう。私自身、別に靴屋で働くのが嫌になったわけでもなかったから、転職する理由を説明するのに窮した。
 賛成してくれたのはおやじだけだった。
「苦労するのもいいだろう。自分の力でやってみろ。暮らせなくなったら、実家に戻ればいいんだから」といってくれた。当時、おやじは心臓を悪くしていて、入退院を繰り返していたんだ。それでも家長の言葉は重い。私の東京行きは、こうして決まったんだ。この後しばらくしておやじは死んでしまったから、じっくりとおやじと話したのは、これが最後だな。

■働き続けた人生なのに

 東京のアパートはすぐに決まったものの、肝心の仕事がなかなか決まらなかった。自分がやりたいと思っていたような仕事には求人がない。ちょうどこのころ、私に見合いの話が来た。24歳のOLで、遠い親戚だった。結婚する相手としては不満はなかったけれども、自分に自信が持てなかった。
 職はなく、おやじは病気、兄弟も多いから、仕事が見つかっても家族にカネをわたさなくてはならない。人に誇れるものもなかった。これじゃあ結婚できないよ。相手に迷惑をかけるだけだ。「落ち着いて考えますから」と返答したら、話は流れてしまった。もし靴工場を辞めていなければ、結婚していたかもしれない。タイミングが悪かった。
 そうこうしているうちに、持ち合わせのカネが減ってくる。仕方がなく自動車部品を作る工場で働くことに決めた。仕事は部品のメッキだった。一日中、薬品に囲まれて過ごす職場環境は、いかにも体に悪かったよ。毒性の高い薬品も扱っていたからね。こわくなって三年で辞めたよ。給料も人間関係も悪くなかったが、とても長くやる仕事には思えなかったんだ。
 その工場で働いているときに、転職に賛成してくれたおやじが息を引き取った。6月末の暑い日だった。長くは持たないと覚悟していたから、死んだという知らせを受けたときも、さほど悲しいとは思わなかったね。「シボウ」の電報を受け取って実家にかけつけると、闘病生活と苦労でやせ衰えたおやじが寝かされていた。とにかく暑くて汗を流しながら線香をあげたことを覚えている。
 自動車部品工場を辞めてからは、文字通り数え切れないほど職業を変えていくことになる。清掃、運搬、土木と何でもやった。いつも自分に合う職業がどこかにあるはずだと信じていた。どの仕事も嫌なわけじゃない。ただ、もっと見えないものをつかみたかったんだよ。どこかに自分とピッタリ合う仕事が見つかるはずだと思っていたんだ。だから次から次へと仕事を変えた。
 そんな私を見て、「おまえは怠け者だよ」なんていう友人もいた。でも何が怠け者なのかわからない。遊び回っていたこともない。私にとっての遊びなんて、おいしい夕食を食べることくらいだったよ。月末、少しだけ余ったカネで、いつもより高い飯を食べる。貯金する余裕もない程度の給料でできることといったら、それくらいだよ。後の時間は働き続けていたんだよ。
 職を変えるようになってから、実家にも足が向かなくなった。おふくろや兄弟に心配をかけたくなかったし、兄弟と顔を合わせるのも嫌だった。私が途中で挫折した定時制高校を卒業して信用組合に入ったり、バスの運転手として活躍していたりと、兄弟は皆まっとうに生きていたからね。みじめなだけの帰郷なんてとてもできなかった・・・・・。

■楽しかったのは生涯2回だけ

 最初は寂しくてね。家族もいない。恋人も妻もいない。深い友情に結ばれた友もいない。いつも一人。仕事場で口を聞く友達くらいはできても、仕事を変えると連絡もなくなってしまうんだからね。
 でも不思議なもんだ。寂しいと思ったのは40代まで。それからは傷口をかさぶたが覆うように、何も感じなくなったんだ。家族がどうしているのかなんて考えもしなくなったよ。おふくろや兄弟も、生きているのか死んでいるのかわからない。でも、それも気にならなくなったんだ。
 自分から少しずつ感情がなくなっていく気がしてきた。その日その日を生きていくことだけに集中して暮らしているうちに60歳を越えていた。そして、いつの間にか手配師から声がかからなくなっていた。住み込む場所がなくなれば、野宿するしかない。食べ物がなければ拾うしかない。幸いホームレスになったのが4月だったから、花見客の残飯にありつけたんだ。結構おいしかった。夜、地下道を追い出されるから、夜中が寒いことだけがつらかったけれどね。今では、冬でも上野公園で過ごせるようになった。寒さにさえ慣れてきて昔に比べると我慢できるんだ。
 自分の人生を振り返ると、心の底から楽しかったことも、悲しかったこともないんだ。いつも淡々と過ごしてきた。65年の人生を振り返って、楽しかったと思い出せるのは二つくらいだよ。
 一つは17、8歳のころに、兄弟3人で潮干狩りに行ったこと。京成電鉄に乗って着いた千葉の海はきれいでね。海が見えたら、いても立ってもいられなくて3人で砂浜を走っていたよ。熱い日射しが肌を焼くなか、3人で競ってアサリを掘った。誰が一番とったのかは忘れちゃったね。かなりの量がとれたことだけは覚えている。 家ではみんながアサリを待っていた。すぐ鍋にしたよ。両親と兄弟5人で、お腹いっぱいに食べられるくらいの量があったからね。そのころはおやじも元気だった。 もう一つの思い出は、23歳のときのクリスマス・イブ。家族みんなにケーキを買って帰ったんだ。そのころ、ケーキなんて珍しかったから家中大騒ぎになった。7人で少しずつ分けて食べたよ。あのケーキの味も、家族の喜んだ顔も忘れられない。 (■了)

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