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だいじょうぶよ・神山眞/第7回 人権擁護の研修会

■月刊「記録」2000年2月号掲載記事

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 化粧品メーカーが主催する「子どもの人権擁護について」と題する研修会に参加することになったぼくは、二泊三日の日程で、熱海にあるそのメーカの研修所に来ていた。
 まず、ぼくは自分に割り当てられた部屋に荷物を置き、同室となった母子寮の職員達と簡単なあいさつを交わした。そうこうしているうちに館内放送で全員に集合がかかり、広間に呼び出されたのだ。

■子どもだましのようなゲーム

 指定された広間に入ると、そこは会議室のようにそっけなく、だだっ広いだけの部屋だった。机が部屋の端に寄せられ、真ん中に椅子が輪のように並べられている。「子どもの人権擁護について」という研修の題名から、お堅い勉強会や講演会のようなものを想像していたのだが、その場で自己紹介をかねて始められたのは、子ども向けのレクリエーションのようなゲームだった。
 東京の渋谷区にある「子どもの城」という、児童センターの親玉のようなところで指導を行っていたという講師のかけ声に沿って、みんなで仲良く次から次へとゲームを楽しむ。輪になって歌を歌い、みんなで同じポーズをまねるゲームをし、向かい合って相手の印象を動物にたとえ合うゲームなどが続く。
 それらはまるで子どもだましで、ぼくは早くもうんざりしていた。しかし、不思議なことに周りのみんなの表情は一様に明るい。なんでだろう? と思いつつも周りに合わせてゲームをこなしていったのだけれど、どうにも納得いかなかったのが、これらのゲームに一貫したルールがあったことだ。そのルールには二つあり、一つは勝ち負けをつけないこと、もう一つは答えを設定しないということだった。
 例えばある人に目隠しをし、その人に対して、三人が三通りの方法で、ある場所まで誘導するゲームを行う。一人目は叱るような大声で誘導し、二人目は事務的に淡々と。そして三人目は優しく、しかも子どもにもわかりやすようにハキハキとした口調で誘導を行う。
 三人の誘導が終わると、目隠しをされた人物がそれぞれの誘導方法に対する感想を述べる。「目が見えなくて本当に不安だった。うしろから大きな声を出されると不安感があおられた。淡々と話されると自信がないようでやはり不安だった。三人目がよかった」などと、だいたい予想通りの答えが導き出されるのだ。
 こうして一つのゲームが終わると、講師は決まってこう言った。
  「ゲームには勝ち負けなんてないんです。答えを無理矢理導き出してもいけません。答えは人の数だけあるんです。罰ゲーム?  とんでもない。そんなのあったらゲームじゃないでしょ」穏やかではあるがハキハキと大きな声で、そしてにこやかな表情で、講師はぼくらに説明する。
 講師のにこやかな表情とは裏腹に、ぼくは「そうかぁ?」という気持ちになった。今までの経験からみても、子どもが勝ち負けに執着しないなどということは考えられなかった。むしろ相手に負けまいと必死になることで、それを見ている子どもまでが興奮し、ゲームの場全体がヒートアップしていくように思えるのだ。
 しかし、到底、そんなことを言えるような雰囲気ではなかった。そんなことを考えているのはおそらくぼくだけで、みんな心からこのゲームを楽しんでいるようだった。釈然としない思いを抱きつつ、『……でもまあ……三日間だし、…なんとかなるだろう』とぼくは考えた。 だが、それは実に甘い考えであった。
 研修会二日目の夜には懇親会が行われた。ぼくは会場へ向かう途中でトイレに寄っていたので、会場に入るのが一番遅くなってしまった。あわてて会場に飛び込んでみると、なんだかよくわからない。薄暗くてほとんど何も見えないのだ。そして目が慣れてきて驚いた。この大きな会場には食べ物はおろか飲み物さえない。男と女が輪になって交互に座っている。そしてその中央に、ギターを抱えた講師がいる。
  「ご飯はどこにあるのですか?」ぼくは隣の女の人に聞いた。すると彼女は宴会の前にこのような閉会を兼ねたセレモニーが毎年行われているのだと教えてくれた。そうか、飯はちゃんと食えるんだな。ぼくは少し納得した。
 二、三曲歌を歌い、簡単な体をほぐすようなゲームを終えると、スタッフがみんなにろうそくを配り始めた。ギターの音とともにろうそくの点火リレーが行われ、いよいよセレモニーとやらが始まった。ろうそくのついた人から二日間の感想を述べていくのである。
 ……驚いた。その場で泣き出す人が続出したのだ。「今までの自分の子どもとの接し方は間違っていました! でもこれからは勇気を出して頑張ります。だって、だってこんなに大勢の仲間がいるんだから」とか、「たくさんの優しさにふれることができました。また明日から頑張ります!」などと言って泣くのである。講師は目を閉じ、小さな音で優しいクソみたいなメロディーを繰り返し繰り返し弾いている。みんな明らかに酔っていた。いや、宴会が始まる前からみんな酔っていた。素晴らしき自己陶酔の世界である。

■こいつら本気で納得してるのか

 セレモニーから解放されて懇親会が始まっても、参加者達は当たり障りのない、先ほどの自己紹介の続きのような話ばかりしている。なんてことだ。居心地の悪さにぼくがきょろきょろしていると、講師がビールを手に近づいてきた。近くで見る講師の顔は、酒がまわっているせいもあってか、実に血色がよかった。
 講師はぼくのグラスにビールを注いで、質問してきた。
  「お宅の施設では子どもの権利条約を読まれましたか?」
  「はい、読ませていただきました」
 先ほどのギターを弾いている姿がなんとなく鼻についていたので、ぼくは素っ気なく簡潔に答えた。
  「いやぁ、よかった。いまだにまったく理解を示さない施設もあるんですよ。そんな施設に限って虐待を繰り返しています。今にとんでもないことになるんですけどねぇ」
 とんでもないことになる? 確かに思い当たる節はないでもない。実際のところ、ぼくの正利を前にした精神状態はとんでもないことになっている。あの正利への扱いは、まさしく虐待であると自分でも思う。虐待が繰り返されるとそのうち何が起こるのか。ぼくは急に好奇心に駆られ、思いつくままに講師に質問してみた。
  「子どもが悪いことをした時には、叩いたほうがいいのですか?」当然、叩いてはいけないという答えが返ってくることを予想していた。
  「叩くほうがいいとか、叩かないほうがいいといった次元の話ではもうないんですよ。明らかに禁止されています。権利条約読まれたんでしょ?」
 相変わらず穏やかな口調である。ぼく達のやりとりに関心をもったらしく、周囲の人間が集まってきた。ぼくは矢継ぎ早に次の質問に移った。とにかく気になっていたことをすべて聞いてみようと思ったのだ。
「ルールを守らない者や弱い者いじめをする者には罰は与えるべきですか?」
「暴力的行為だけでなく、子どもに精神的苦痛を与えること、それも体罰なんですよ」
「髪の毛を染めるのは?」
「基本的にオーケーですね」
「ピアスは?」
「オーケー」講師の口調は変わらない。
「何でオーケーなんですか? よくわかりません」
「子ども達には自己決定能力もそなわっているし、自己決定権を持つことも認められているんです。大人の側が子どものやることに納得できないのであれば、禁止するのではなく、もっと話し合うべきなんです。それでも子どもがそれをしたいのなら、基本的にはオッケーなんです」
 講師が行う身振り手振りの熱演に、周りの参加者は大きくうなずいた。ぼくが施設という村社会に埋没している間に、世の中はこんなにも変化を遂げていたのだろうか。こいつら全員、本気で納得してるのか ぼくは次第に苛立っていった。 (■つづく)

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